Krixter/Repo / n0001ma /15.json
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{"novel_id": "n0001ma", "chapter": 15, "url": "https://novel18.syosetu.com/n0001ma/15/", "title": "15話", "content": "水曜日の朝は、雨だった。\n\n 傘を差して自転車を押し、県道沿いの事務所に着いた頃には、靴の中まで湿っていた。駐車場に克典のSUVはない。田中さんの軽トラもない。\n\n 鍵を開けて、蛍光灯のスイッチを入れる。白い光がプレハブの事務所を照らした。灰色のデスクとその上に置かれたノートパソコン。予定が書き込まれた壁のホワイトボード。いつもの風景だが、人がいないと妙に広く感じる。\n\n エアコンをつけた。古い室外機が唸り始める。静かな事務所でこの音を聞くと、沙世とのことを思い出して落ち着かない。\n\n 歩は気を取り直して、パソコンを立ち上げ、帳簿を開いた。今日の入力分は多くない。午前中に片付けて、午後は倉庫の棚卸しをやろうと思っていた。\n\n 十時を過ぎた頃、玄関のガラス戸が勢いよく開いた。\n\n「あー、もう、ひどい降り」\n\n そう文句を言う沙世の髪や服は濡れてぺったりとしていた。\n\n「沙世さん、傘は?」\n\n「車だったから忘れちゃって。駐車場から走ったんだけどね、急に強くなって、濡れちゃったわ」\n\n 沙世は困ったように笑いながらハンカチで髪についた雨水を拭う。しかし、かなり濡れてしまったようで、白いブラウスが肩から腕にかけてぴったりと肌に張り付いて、ふくよかな胸元には薄桃色のブラがほんのり透けて浮き上がっている。\n\n 歩はなるべく沙世を見ないように、椅子から立ち上がって、ロッカーからタオルを出した。\n\n「これ、使ってください」\n\n「ありがと」\n\n 沙世がタオルを受け取って、首筋を拭く。それから髪を包み込むようにして水気を取った。首を傾けたとき、耳の後ろからうなじにかけての白い肌が見えた。\n\n「どうかした?」\n\n「いえ、なんでも」\n\n 歩は回れ右して自分のデスクに戻ると、画面に目を向けた。\n\n(集中しろ。今は仕事中だ)\n\n心の中で念仏のように唱えるが、沙世が来た途端、事務所の中には甘い匂いが漂っていた。もう誰の匂いか、考えるまでもなかった。\n\n「歩、今日はコーヒーでいい? なんだか飲みたくなっちゃった」\n\n「あ、はい。お願いします」\n\n 沙世が給湯コーナーに立つ。さっきは気づかなかったが、ブラウスの背中も濡れていて、背骨のラインとブラ紐が薄く透けていた。肩甲骨が動くたびに、湿ったスカートが張り付いたヒップが揺れる。よく見ると、ショーツのラインが透けていた。\n\n (よく見るな!)\n\n 歩はキーボードを叩いた。数字を入力する。同じ行を二度打って、消した。\n\n「はぁい、おまたせ」\n\n 湯気の立つコーヒーカップが二つ、デスクに置かれた。沙世が自分の椅子に座る。タオルを肩にかけたまま、ファイルを開いた。\n\n 午前中は、静かだった。\n\n それは大変結構なことなはずなのに、歩はなんだか肩透かしだった。事務所に克典たちがいるときでさえ、いつもさり気なくボディタッチをしてくるのだから、二人きりになる今日は、何かあるのではないかと身構えていたのに。逆に距離を置かれている。そう感じた。\n\n あの日以降、前よりも近くなっていた沙世の距離が、今日だけは最初の甥と叔母のそれに戻っている。二人きりだからだろうかと思った。二人きりだから、逆に沙世も気にしているのかと。\n\n 昼になった。弁当を広げる。鮭の西京焼きと、いつもの卵焼き。二人だけの甘い卵焼き。\n\n「……今日は静かですね、沙世さん」\n\n「そうかしら」\n\n「いつもより、こう……おとなしいっていうか」\n\n「失礼ねえ。わたしはいつもおとなしいわよ」\n\n「どの口が言ってるんですか」\n\n 沙世が笑った。いつもの笑い方だ。けど歩はいつも通りに笑えなかった。つい余計なことを口にしてしまう。\n\n「……二人だと、緊張するんですよ、正直」\n\n「あら、なんで?」\n\n「なんでって……」\n\n 歩は卵焼きを口に入れた。甘い。この甘さが、もう特別なものになっている自覚があった。\n\n「前のこと、気にしてるの?」\n\n 沙世の声が、少しだけ低くなった。「前のこと」が何を指すか、聞き返す必要はなかった。\n\n「……そりゃあ、そうでしょう」\n\n「わたしは気にしてないわよ」\n\n「本当ですか」\n\n「本当よ。歩の反応がおもしろかったから、ちょっとやりすぎちゃっただけ」\n\n「ちょっと、ですか」\n\n「ちょっとよ」\n\n 沙世はそう言って視線を窓へと移した。\n\n「あの人、ちゃんと傘を持っていったのかしら」\n\nその目が窓の外の雨を通して誰を見ているかはすぐわかった。妻として旦那の心配をするのは当然のことなのに、なんだかモヤッとした。\n\n「沙世さん」\n\n「ん?」\n\n「本当に、気にしてないんですか」\n\n 食い下がっている自覚はあった。しつこいと思われるかもしれない。けれど、沙世がいつもの軽さで流すたびに、その裏側にあるものが見えなくなる。\n\n 沙世は箸を置いて、歩を見た。それから、ふっと口元を緩めた。からかいの色だ。\n\n「あらあら、あなたって本当にわたしのこと好きなの? もしかして、その歳でおばさん趣味なのかしら?」\n\n「おばさんなんて思ってないですよ」\n\n「じゃあなんだと思ってるの、わたしのこと」\n\n「それは……」\n\n「ほら、言えないでしょう? 歩はいつもそう。肝心なところでモゴモゴして、はっきりしないのよねえ、そんなんじゃ女の子にもてないわよ」\n\n 沙世の目が細くなった。楽しんでいる。けれど、その楽しみ方がいつもより少し意地悪だ。からかいの向こう側に、試すような気配がある。\n\n「はっきりしないって……じゃあ沙世さんはどうなんですか。あんなことしておいて、ちょっとやりすぎたで済ませるんですか」\n\n「済むわよ。大人ってそういうものでしょう」\n\n「それ、ずるくないですか」\n\n「ずるいわよ。大人はずるいの。歩ももう子どもじゃないんだから、それぐらいわかるでしょう?」\n\n 沙世が笑う。余裕のある、大人の笑い方。この笑い方をされると、歩は自分と彼女の間にある経験の差を感じてしまう。\n\n「……沙世さんだって、ちょっと入れ込んでたんじゃないですか。俺に」\n\n 言ってから、自分の言葉に驚いた。けれど、もう引っ込められない。\n\n 沙世の目が、ほんの一瞬、見開かれた。それからすぐに、いつもの余裕を浮かべた笑みに戻る。\n\n「入れ込んでる? わたしが? 歩に?」\n\n「違うんですか」\n\n「それはちょっと自意識過剰なんじゃないかしら? わたしはただ、退屈な田舎に帰ってきた甥っ子をかまってあげてるだけ。それ以上でも以下でもないわ」\n\n「じゃあなんで、俺にだけ甘い卵焼き作るんですか」\n\n「そんなの、深い意味なんてないわよ、やぁね」\n\n軽くあしらう沙世だったが、歩のしつこさのせいか、言葉の端に若干の苛立ちが見えた。\n\n「俺だって男ですよ。前にも言いましたよね」\n\n「ええ、言ったわね。言うだけは」\n\n 沙世の声に、挑発の色が混じった。軽口のつもりだったのかもしれない。けれど、その言葉が、歩の中の何かにある男の部分に触れた。\n\n「言うだけって……」\n\n「だって実際そうでしょう? あのときだって、わたしにされるがままだったじゃない。自分からは何もしなかった」\n\n それは事実だった。あの事務所で、歩はただ椅子に座って、沙世にされるがままだった。抵抗もしなかったが、自分から動きもしなかった。\n\n「だったら、行動してみせてもいいんですよ」\n\n「へぇ、それで、わたしはどうなっちゃうのかしら? ほら、どうするか見せてちょうだい」\n\n 沙世の目が、歩をまっすぐに射抜いた。笑っている。けれど、その笑みはいつものからかいのときに浮かべる飄々としたものではない。子どもじみた歩の態度に当てられて、沙世自身も気づかずムキになっていた。\n\n 歩は無言で椅子から立ち上がった。\n\n 「ちょっと、なによ……」\n\n まさか本気だとは思っていなかった沙世が驚いて立ち上がる。\n\n じりじりと近づいてくる歩に気圧されて、あとずさり、背中が壁にぶつかる。歩が左手を沙世の横に突いて逃げ道を塞ぐ。\n\n 至近距離で、目が合った。\n\n 沙世はもう怯まなかった。壁に背をつけたまま、顎を少し上げて歩を見上げている。\n\n「これでも、俺が男じゃないって言うんですか」\n\n「やれるものなら、やってみなさい」\n\nお互い、いつの間にか引くに引けなくなっていた。", "afterword": "※この作品は作者のWebサイト『エロラノ』(https://erorano.net)から転載しています。最新の投稿はそちらから。\n\n⚠ サイトの下に【公開中の小説一覧】ボタンがあります。"}

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