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{"novel_id": "n0002ly", "chapter": 1, "url": "https://novel18.syosetu.com/n0002ly/1/", "title": "プロローグ①『ID: @satori_death_eat 』", "content": " 深夜二時。\n 猪瀬忠次は、電灯の消えたリビングで、濁った琥珀色の液体が注がれたグラスを凝視していた。\n つい数日前まで、この部屋には確かに「生活」の音があった。\n 今はただ、耳が痛くなるような静寂のみが漂っている。\n\n(終わったな……)\n\n 三十年間、一度の遅刻すらなく勤め上げた地方銀行。\n 崩壊のきっかけは、放蕩の限りを尽くした息子の不祥事だった。\n 示談金、弁護士費用、闇金への返済。\n 追い打ちをかけるように、心労で倒れた妻が入院した。\n\n(少し借りるだけのつもりだった……)\n\n 猪瀬の一時的な借用は雪だるま式に膨れ上がり、気づけば数千万という後戻りできない額になっていた。\n それを嗅ぎつけたのが、あの忌々しい週刊誌――【実話深層】だ。\n\n『猪瀬さん。あなたが融資課の権限を悪用した証拠、すべて揃っています』\n\n 記者の名は、神無月心音。\n 死んだ魚のような、光のない瞳をした男。\n 彼に突きつけられたのは、決定的な証拠となる内部告発の資料だった。\n\n『業務上横領――あなたの罪状です。明日にも記事は公開されます。逃げ場はないと思った方がいいでしょう』\n\n 実質、死刑宣告だった。\n 記事が公開された翌日、猪瀬の積み上げた人生は音を立てて崩れ落ちた。\n 銀行は懲戒解雇。\n 記事が世に出たことで、銀行側もトカゲの尻尾切りを急いだのだ。\n\n「俺の人生は、なんだったんだ?」\n\n 全ての元凶となった息子は金を持って逃亡した。\n そして、大学を卒業し、社会人になったばかりの娘は「お父さんも馬鹿兄貴も、最低っ! 私とお母さんの人生まで壊させないからね!」と言い残し、弱った妻を連れて家を出ていった。\n 残されたのは、差し押さえの赤紙が貼られるのを待つだけのガランとした家と、明朝にも警察がやってくるという絶望的な事実のみ。\n\n「もう、いいか……」\n\n 猪瀬は震える手でスマートフォンを取り出す。\n 実に馬鹿げたことだが、ネットの片隅でささやかれる不気味な噂を、ふと思い出したのだ。\n\n ――【ID: @satori_death_eat 】\n\n 一昔前、公衆電話で呼び出すと、どんな質問にも答えてくれる「さとるくん」という都市伝説が流行ったことがあった。\n それが現代になって、SNSで呼び出すと、どんな絶望でも食べてくれる「親戚」が現れたというのだ。\n\n「このアカウント……か?」\n\n 検索窓にIDを打ち込むと、確かにそれらしい人物のアカウントが現れた。\n いや……人物ではなく、都市伝説の妖怪か?\n プロフィールに書いてある『悩み相談。DM開放。アナタの絶望、頂きます』という言葉も、薄気味が悪かった。\n\n「もう、どうにでもなれ……」\n\n 震える指で、その「親戚」に向けたダイレクトメッセージを打ち込む。\n\n『元銀行員の猪瀬です。もうなにもかも終わらせたい。私の絶望を食べてください』\n\n 送信。\n こんなことをして、なにが解決するというわけでもない。\n だが、この心を支配する絶望を妖怪が本当に食べてくれるなら、少しは気が楽になるかもしれない。\n そんな藁にもすがるような思い。\n\n「なにをしているんだか……」\n\n 自分自身の意味不明な行為に呆れ、スマホを置こうとする。\n\n ――刹那、その幻想が現実のものとなる。\n\n「えっ!?」\n\n 返信は信じられないほど速やかに、当然であるかのように届いた。\n\n ――『了解。今、後ろにいくね』\n\n 首すじに、ひやりと冷たい風が当たる。\n こんな深夜に、窓など開けているはずがない。\n なにか、異常な事態に巻き込まれている――猪瀬の第六感が警鐘を鳴らす。\n そして、それを証明するように、背後に何者かの気配が生まれた。\n\n「おー……真っ黒だねぇ。おじさんの心、ドロッドロに絶望が熟成されて、おいしそー!」\n\n 猪瀬が振り返ると、そこにはいつの間にか部屋の中に侵入していたらしい、ひとりの小柄な少女が立っていた。\n 金髪のツーサイドアップ、闇の中にあっても不思議な光彩を放つ虹色の瞳。\n 明らかにサイズの合っていないダボダボのパーカー、肩から提げた巨大な受話器型のポシェット。\n 端整な顔立ちだが、目の下にくっきりとクマがあり、疲れ気味なのか寝不足なのか、なんとも気だるげな表情を浮かべている。\n\n(こ、この子がさとるくんの親戚……「さとりちゃん」なのか?)\n\n 少女――さとりちゃんは空腹の獣が獲物を見るような瞳で、猪瀬を眺めている。\n 無気力で疲れ切っているようで、それでいて狙ったターゲットは決して逃がさない。\n 彼女の纏っている雰囲気は、猪瀬をこんな状況まで追い詰めた、あの神無月という記者に似ている気がした。\n\n「今、楽にしてあげるからねー」\n\n さとりちゃんの姿が闇に紛れるように、ふっとかき消える。\n 唐突に部屋の中に現れたことといい、明らかに人間ではない。\n 絶望に支配されていたはずの猪瀬の心に、手を出してはいけない領域に触れてしまったという恐怖と後悔の念が、今更になって湧き出していた。\n\n「……うっ!?」\n「――アナタの絶望、頂きます」\n\n 次の瞬間、猪瀬の耳元で「ジリリリリ!」という、古風な電話が着信を知らせるような音が鳴る。\n 部屋の中を見回すが、さとりちゃんの姿は見当たらない。\n 着信音はどんどん大きくなり、同時に猪瀬の意識は吸い込まれるように白濁していく。\n ――快感、いや、すべてがどうでもよくなるほどの虚脱か。\n 猪瀬忠次という人間の「絶望」が、一滴残らず闇に飲み干されていく。\n\n「あっ、ごめーん。私、絶望だけを器用に食べるとかできないから。おじさんの心、空っぽになっちゃうけど……ま、どうせ人生終わってるんだろうし、別にいいよね?」\n\n 耳元でささやかれた少女の声は、猪瀬という名だった男には、すでに届いていなかった。\n\n ◇◇◇◇◇\n\n「ぷっはー、久々にボリューミーだったわ。けど、まだ全然足りなーい」\n\n 床に膝をつき、放心したように天井を見上げる男から離れつつ、さとりちゃんはつぶやいた。\n その虹色の光彩を放つ瞳がギラギラと輝き、同時に頭の髪飾りも眩い光を放つ。\n 古典的なテレホンカードの形をした髪飾りには、いくつかの大きな穴が空いていた。\n その穴を埋めるように、ザラザラしたデジタルノイズのような光の粒が集まってくる。\n\n ――ガッ!!\n\n 光が収まると、物理的な衝撃音とともに、空いていたはずの穴が最初からなかったかのように、平らな磁気面へと修復された。\n\n「むぅ……度数、これで合計120ってとこかな。穴は塞がったけど……もっと絶望が必要だよぅ」\n\n しかし、さとりちゃんの顔色は猪瀬を「喰う」前よりは明らかに良くなっており、真っ白な頬には赤みが差していた。\n さとりちゃんは床に転がったスマホを拾い上げ、画面を覗き込む。\n 繊細な指がスマホの画面上を走り、猪瀬が閲覧していたページが表示される。\n そこには、彼を絶望のどん底に叩き落した暴露記事が掲載されていた。\n\n「マジ? またこの記者か……どんだけ他人の人生壊せば気が済むんだろ?」\n\n その記事は、さとりちゃんも以前から認識していた「神無月心音」という名の記者が書いたものだった。\n\n「でもぉ、この記者のおかげで、私はこうしてご飯にありつけるわけだしぃ……無自覚な共犯関係ってカンジ?  おっもろー!」\n\n 石像のように動かなくなった猪瀬の抜け殻を振り返ることもなく、さとりちゃんの姿は古いテレビの砂嵐のようなノイズに混じって薄くなっていく。\n やがて、通話の終了を知らせる「プツッ!」という無機質な電子音が鳴り、都市伝説の少女の姿は完全にリビングから消え去ったのだった。", "afterword": "ここまでお読みいただき、ありがとうございます。\nよろしければ☆☆☆☆☆ 評価・ブックマーク・リアクション等で応援していただけると幸いです!"}

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