| {"novel_id": "n0002ly", "chapter": 19, "url": "https://novel18.syosetu.com/n0002ly/19/", "title": "成田レオ編⑧『共犯者のティータイム、一輪の毒々しい花』", "content": " 成田レオという自称天才インフルエンサーがSNSの表舞台から消え、数日が経過した。\n 前代未聞の自爆配信の末、アカウントをBANされたレオは現在、行方不明となっている。\n 警察も捜査に動いているようだが、どちらにしろ、さとりちゃんに絶望ごと心を破壊され、抜け殻になった男に大したことはできないだろう。\n それよりも、今の心音にとって重要なのは、目の前で繰り広げられている平和な光景の方だ。\n\n「わぁっ! しおんちゃん、見て! イチゴがすっごく大きいよ! いただきまーす♡」\n\n ここは、羽住結愛が新しく借りた、築30年の小さなアパート。\n レオを退治したことをSNSで知らせると、結愛から「お礼に、練習で作ったケーキを食べてほしい」と招待されたのだ。\n 狭いワンルームに漂うのは、芳醇なバターと砂糖の焼ける芳ばしい香り。\n さとりちゃんはフォークを構え、幼児のように身を乗り出している。\n\n「んぅーっ♡ 結愛ちゃんのケーキ、世界一おいしいよぉーっ!」\n「あはは。さとりちゃんがケーキ大好きで、よかった」\n「だいしゅきー♡」\n\n イチゴのショートケーキを幸せそうに頬張るさとりちゃん。\n メロンソーダだけでなく、こうした砂糖たっぷりのスイーツも、彼女にとっては立派な魔力源になるようだ。\n\n(いや、単に好物なだけかもしれませんが)\n\n 口の周りに生クリームをつけてはしゃぐ少女の姿を見て、心音は苦笑する。\n 眺めているだけでも愛おしい。\n\n「お子様ですね。ほら、口の周りが真っ白です」\n「むぅーっ! お子様じゃないもん! 女の子は、みんなケーキが大好きなんだよー!」\n「そうなんですか?」\n「そうだよっ! ねっ、結愛ちゃーん?」\n\n さとりちゃんは結愛の方を向き、可愛らしくパチッとウインクをした。\n 結愛も楽しそうに微笑み、心音の前にもケーキを差し出してきた。\n\n「神無月さんも、どうぞ。お口に合えばいいけど……」\n「ありがとうございます」\n\n 結愛に促され、心音も自分の前に置かれたケーキを口に運んだ。\n\n「ど、どうです?」\n「おいしいですよ。さすがですね、羽住さん」\n「よかったぁー!」\n\n ホッと胸を撫で下ろす結愛に、心音はいつもの営業スマイルを向ける。\n 感想とは裏腹に、心音の舌が感じている感覚は、驚くほど淡白なものだった。\n\n(なぜでしょうか……僕には、これの味がよく分かりません)\n\n 結愛の腕前が悪いわけではない。\n それは、隣で幸福そうにケーキを口に運んでいるさとりちゃんの姿を見れば、一目瞭然だ。\n 原因は、自分の内側にある。\n 長い期間、スキャンダル担当記者として他人の醜聞を追い、泥沼のような人間の裏側だけを見続けてきたせいなのか。\n いつしか心音の五感は、こうした真っ当な幸福の味を感知しにくくなってしまったようだ。\n\n(……やっぱり、僕にはこの子しかいないんですね)\n\n 疲れ果て、無気力で、味覚も感情も摩耗し、生きた屍のように動く男。\n だが、今の心音には、以前のような悲壮感はない。\n\n「しおんちゃん、あーんしてっ!」\n「フォークを突き出さないでください。危ないですよ」\n\n 弾けるような幼い笑顔ではしゃぐ少女を見て、驚くほど鮮明な「生」を感じる。\n さとりちゃんと密着し、同じ時間を過ごすようになって、砂のように乾いた心音の心に僅かばかりの潤いがもたらされた。\n フォークを持つ少女の柔らかい指先が手に触れ、その伝わってくる温もりだけで、先ほど食べたケーキよりも、ずっと濃密な味が脳に届く。\n 肌を重ね、絡み合い、我を忘れたように激しく愛し合う瞬間の多幸感は、何ものにも代えがたい。\n 敏感な部分を執拗に愛撫したときの、可愛らしい反応もたまらない。\n さとりちゃんがいなければ、自分はただの動く死体。\n この少女がいない人生など、もはや考えられない。\n\n「しおんちゃん?」\n「ああ、すいません。なんでしたっけ?」\n「結愛ちゃんが作ってくれたケーキ、食べないのー? 私がもらっちゃうよー?」\n「失礼しました。さとりちゃんが可愛すぎて、意識が飛んでいました」\n「ちょっと、なにそれー♡ 結愛ちゃんが見てるのにー♡」\n「あっ……」\n\n 思わず漏らしてしまった心音の本音に、さとりちゃんは顔を真っ赤にして恥ずかしがり、結愛はさすがに苦笑いを浮かべていた。\n 信じられないことに、心音はさとりちゃんの存在に意識が集中しすぎて、そこに結愛がいたことすら失念していたのである。\n\n「ふふっ! おふたりとも、仲が良いんですね」\n「ええ、まあ……呪いで半径2メートル以上、離れられませんし」\n「ふーん……結愛には、それだけじゃないように見えますけどねー?」\n\n 女の勘か、結愛は面白がるような視線を心音とさとりちゃんに交互に向け、微笑んだ。\n 心音はさとりちゃんをこの上なく溺愛しているが、さとりちゃんもまた、自分が消滅しないように心音に依存せざるを得ない状況にあって、それ以上の過剰なまでの熱愛を注いでくる。\n 歪な共依存、危うい共犯関係。\n それが今の心音には、たまらなく心地が良い。\n\n「結愛ちゃん、なにいってんのー♡ 変なこととかしてないからー♡」\n「ええ、少し手が滑っただけです」\n「きゃんっ♡ しおんちゃん、食べてるときに脇腹、触るの禁止だってー♡」\n\n イチャイチャするふたりを見て、結愛は「あ、あのー……続きは、ご自宅で……」と、さすがに引き気味である。\n\n「こ、紅茶、淹れてきますねー!」\n\n 顔を赤くして、逃げるように席を立つ結愛。\n その後ろ姿を見送り、さとりちゃんは頬をぷくっと膨らませ、心音の方を振り返った。\n\n「ほらー! しおんちゃんが変なこと言うから、結愛ちゃんに誤解されちゃったじゃーん!」\n「まあ、まったく誤解ではないんですが」\n「もぉーっ♡」\n\n 口の周りを生クリームで真っ白にしたまま、さとりちゃんは心音の首に両腕を巻きつけ、唇を押しつけてきた。\n 心音も少女の細い身体を抱きしめ、唇を重ねる。\n\n「はぷっ♡ んちゅっ♡ ぢゅっ♡ ちゅぷっ♡ れりょれりょ……♡」\n\n ねっとりと舌を絡ませ、盛んに唾液を交換し、口についた生クリームを味わうように分け合う。\n いつもよりも格段に甘いキスに夢中になりつつも、心音の指は少女の腋の下に怪しく伸びる。\n\n「ふにゃあっ♡ らめらめっ♡ お友達の家で腋こちょするのらめーっ♡」\n「声が大きいですよ、さとりちゃん」\n「んぅー……んっ……♡」\n\n 心音のイタズラに身をよじり、嬉しそうな悲鳴を上げる唇を塞ぐように、再びキスをする。\n 味気ない人生に、たった一輪だけ咲いた毒々しくも愛らしい花。\n この少女さえいれば、他には何もいらない。\n\n ◇◇◇◇◇\n\n「結愛ちゃんのケーキ、また食べに来ようね、しおんちゃん!」\n「ええ、もちろんです。紅茶も一級品でしたね」\n「うん♡ 甘くておいしかったー♡」\n\n 結愛の淹れた紅茶の余韻を楽しみ、満足げな表情のさとりちゃんをおんぶし、心音はアパートを後にした。\n 別れ際、結愛は心音の手を握り、深々と頭を下げていた。\n 絶望し、死を覚悟した彼女を直接的に救ったのは、さとりちゃんの【絶望喰い】だった。\n しかし、飛び降りようとしていた彼女に心音が投げつけた冷徹な言葉こそが、もっとも深く心に刺さったというのだ。\n\n ――『世間が騒ぐのはせいぜい一週間。一ヶ月もすれば、人々は新しい話題に飛びつき、あなたのことなど記憶の片隅にすら残らない』\n\n 記者として、無数の祭りの終わりを見てきた心音にとっては、ただの経験則に基づいた現実的な助言に過ぎなかった。\n まさか、それが絶望の淵にいた少女にとって「自分が消えても世界は回る」という逆説的な救いになるとは。\n\n(僕は、ただ事実を言っただけですが……人の心とは難しいものですね)\n\n 心音は釈然としない気分のまま、車を停めたコインパーキングへ向かって夜の住宅街を歩いた。\n\n「さとりちゃん、あまり胸を押しつけてこないでください」\n「えー、仕方ないじゃーん。密着してないと落ちちゃうしー♡」\n「では、僕もしっかり持ちませんとね」\n「うひゃっ♡ おんぶしながら太もも強く揉むの禁止ー♡」\n\n さとりちゃんは、太ももから足首付近まで全開に露出するようなショートパンツを履いているため、こうしておんぶをしていると、どうしてもその真っ白ですべすべな脚に触れてしまう。\n それをいいことに、心音が歩きながら彼女の太ももを好き放題に愛撫していると、ふと、前方の暗がりから人影のようなものがフラフラと出てくるのが見えた。\n\n「……ギ、ギギッ……ア、アァッ……!」\n「おや?」\n\n ボロ布を纏ったような、みすぼらしい格好。\n 異様な悪臭、伸び放題の髪、焦点の定まらない濁った瞳。\n 明らかに尋常ではない様子の人物が向かってくるのを見て、心音はそれが変わり果てた自称天才インフルエンサーの末路であることを、冷静に見抜いていた。\n\n「げっ!? こいつ、行方不明なんじゃなかった?」\n「行方不明ではないですね。今、目の前にいますから」\n「し、しおんちゃん、来るよっ!」\n\n 数日前まで獅子と名乗り、数十万人の信者を抱えていた男。\n その手には、震える手でナイフが握られている。\n\n「……アッ、アァ……ァ……ギァッ……!」\n\n 男――レオはナイフを振り回しながら、一直線に突っ込んできた。\n 心音の首に回っている少女の腕に、ギュッと力が込められる。\n\n「……右に避けて!」\n\n さとりちゃんの鋭い警告。\n 心音は心拍数一つ変えず、半身を引いてナイフの刺突を紙一重でかわした。\n\n「次、左から振り下ろしてくる! ちょっと下がって!」\n\n さとりちゃんの声が、コンマ数秒先の未来を心音の脳に叩き込む。\n それは心音にとって最強のレーダーを装備しているに等しいが、思うことはただ一つ。\n\n(さとりちゃんの魔力が、もったいないですね)\n\n 心音は最小限の動きでナイフを躱すと、レオの懐に深く踏み込んだ。\n この状況は、どう考えても正当防衛だ。\n ならば、逃げるより倒してしまった方が早い。\n さとりちゃんの読心能力は、当然ながら魔力(度数)を消費する。\n せっかく回復させた度数が、こんな価値のない男のために無駄に失われるのは、納得がいかなかった。\n それに――。\n\n(忌々しい……僕とさとりちゃんの大切な時間を、一秒でもこんな男に邪魔されるなんて……!)\n\n 久方ぶりに胸に湧き上がってきた、生々しい人間らしい感情。\n 怒りだった。\n\n「不快ですね」\n\n 正拳突き。\n 一切の無駄を削ぎ落とした最短距離の一撃が、レオの鳩尾を正確に抉った。\n\n「ガ、ハァッ……!」\n\n ――グシャッ、という鈍い音が鼓膜を揺らす。\n 肋骨が数本折れる感触が、空手で鍛え上げた拳を通じて伝わってくる。\n レオは言葉にならない悲鳴を上げ、地面に無様に転がった。\n\n「しおんちゃん、さっすが……空手の必殺技?」\n「ええ、そのようなものです」\n「それにしても、マジ? 私の【絶望喰い】を受けて、立ち上がって反撃してきた奴は初めて見たよ……根性? 気合い?」\n「心が壊れて、本能と背骨の反射だけで復讐に来たのでしょう」\n\n 執念深くレオが握りしめているナイフを蹴飛ばし、倒れている背中に足を乗せて完全に制圧する。\n それから、迷わずスマホを取り出し、警察へ通報した。\n\n「ええ、緊急です。不審者にナイフで襲撃されました。正当防衛で制圧済みです。場所は……」\n\n 淡々と状況を報告する心音の背中で、さとりちゃんは地面に転がっているレオを冷酷に見下ろして、言った。\n\n「これがイタチの最後っ屁ってやつ? こっわ……あっ、ごめーん。アンタはイタチじゃなくて、獅子だっけ?」\n「グ……グァァ……ァ……!」\n「檻の中でも元気に吠えてなよ。中身、空っぽだけどね」\n\n しばらく待っていると、遠くからパトカーのサイレンが近づいてきた。\n 成田レオという偽りの獅子が、皮肉にも本能だけで動く本物の獣となり、破滅した瞬間だった。", "afterword": "ここまでお読みいただき、ありがとうございます。\nよろしければ☆☆☆☆☆ 評価・ブックマーク・リアクション等で応援していただけると幸いです!"} |
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