| {"novel_id": "n0002ly", "chapter": 2, "url": "https://novel18.syosetu.com/n0002ly/2/", "title": "プロローグ②『鉄の女、枯れた男』", "content": " 怒号と電話のベル、絶え間ないタイピング音が響き渡る、混沌とした空間。\n 都市部の一角に構える【叡智出版】のビル内、週刊誌【実話深層】編集部は、今日も生々しい熱気と騒音に包まれていた。\n\n「はふぅー……」\n\n 神無月心音は、液晶画面の光に目を細め、重いため息を吐き出した。\n 数日前に書き上げた署名記事――地方銀行員、猪瀬忠次による業務上横領のスクープは、ネットニュースのアクセスランキングで首位を独占し続けている。\n 数千万円という金額も人々の目を引く要因となっているが、それだけでなく、警察に連行された猪瀬の様子が明らかに異常だったのも話題になっていた。\n 警察が猪瀬の自宅へ踏み込んだ際、彼は魂が抜けたような廃人と化しており、捜査官の問いかけにも一切応じられぬまま、壊れた人形のように引きずられていったのだという。\n\n(仕事とはいえ、やりすぎましたかねぇ。いや、こちらも生活がかかってますし)\n\n 自分に言い聞かせるように……また、檻の中の猪瀬に対して弁解を述べるかのように、心音は心の中でつぶやいた。\n 神無月心音、年齢は30代前半。\n 週刊誌【実話深層】編集部所属、主にスキャンダルを担当する記者である。\n 身長175センチ、学生時代に空手をやっていたため、体力には自信がある。\n しかし、その死んだ魚のような目には生気が感じられず、肉体の頑強さとは裏腹に、常に不健康そうな印象を周囲に与えていた。\n スキャンダルという他人の不幸を切り売りして飯を食う生活を続けるうちに、彼自身の心もまた、修復不可能なほどに摩耗し、疲弊しきっていたのだった。\n 金はない、余裕もない、当然、女性にモテるはずもなく……いや、そもそも彼自身、モテたいという願望すら湧かないほど枯れ果てている。\n ただ、生活のためにネタを探し、記事にして、誰かの人生を地獄へ叩き落とす。\n そんな永久ループの中に身を置いている人間が、幸福になどなれるはずもない。\n\n「――目を開けたまま昼寝でもしてるのかしら、神無月くん!?」\n\n 鼓膜を震わせる「ドォンッ!」という衝撃音とともに、デスクに手の平が叩きつけられる。\n 心音が顔を上げると、そこには隙のないパンツスーツに身を包んだボブカットの女性の、眼鏡越しの鋭い眼光があった。\n\n「一ノ宮さん、すいません。考え事してました」\n「その考え事が、次のネタに繋がるのかしら?」\n\n 眼鏡の女性――一ノ宮湊は、呆れたような目で心音を眺めている。\n 29歳という若さで編集次長にまで登り詰めた、通称「鉄の女」。\n 出版社の常務を父に持つサラブレッドでありながら、親の七光りという周囲の陰口を実力で黙らせてきた、心音の天敵にして直属の上司である。\n 年齢が近いこともあるのか、彼女がやけに自分に対して当たりが強いように心音は感じていた。\n 彼女もまた、仕事一筋で独身。\n 生活は心音よりは裕福だろうが、常に余裕がない感じなのは、ふたりに共通していた。\n\n「神無月くん、例の銀行員の記事の件だけど……」\n「あら? なにか、不手際でもありました?」\n「逆よ、逆! でかしたわ。これだけ大々的に全国ニュースにもなって、部内でも評価は上々。珍しく活躍したわね」\n「そうでしたか」\n「でも、これで満足しないことね。もっともっと、エグいネタを拾ってきなさい」\n「ライバル誌に差をつけられないように?」\n「当たり前でしょう!」\n\n そう叫んで、湊は丸めた週刊誌を心音のデスクにバシバシと叩きつける。\n それは【実話深層】の宿敵、ライバル誌の【週刊真実バースト】のものだった。\n 彼らは違法スレスレの手段や執拗なパパラッチ作戦などを平気で行う、業界内でも悪名高い連中である。\n 今回の心音の書いた記事など、彼らに比べれば上品でお行儀のいいものだ。\n\n「その真っ黒な煩悩を、もっと仕事にぶつけなさいよ。このドスケベ記者!」\n「はい、肝に銘じます」\n\n 生きた屍のような心音と違い、湊は常に覇気に満ちている。\n だからこそ、敵からも味方からも「鉄の女」として恐れられているのだ。\n ただ、女性にまったく縁のない自分が、なぜかいつも「スケベ」と言われることについては、心音はよく意味が分からなかった。\n\n「こわいこわい。あれじゃ、結婚は無理ですよ」\n\n 言いたいことを言って満足して去っていく湊の背中に、心音はぼそっとつぶやく。\n 結婚が無理なのはお互い様なので、その言葉はブーメランになって自分の胸に深く突き刺さったのだが。\n\n ◇◇◇◇◇\n\n 時刻は午後十一時。\n 心音が這うようにして帰宅した安アパートの室内は墓場のように静まり返り、冷えきっていた。\n 仕事で疲弊した彼を迎えてくれる家族も、餌をねだるペットさえも、この部屋にはいない。\n あの騒々しい職場、鬼の女上司の罵詈雑言すらも恋しくなるほどの孤独が、そこにあった。\n\n「もっと良い人生を歩めなかったもんですかねぇ……」\n\n 毎日のように食べているせいか、ほとんど味のしなくなったコンビニ弁当を胃に流し込む。\n 他人の不幸を喜ぶ趣味などない。\n むしろ、僅かに残った良心の呵責が胸の奥をチリチリと焼く。\n だが、今の心音には、新たな職場を探すほどの気力も、人生をやり直すほどの情熱も残されてはいない。\n ただ、枯れ果てたルーチンの先に、かろうじて明日を繋ぎ止めているだけだ。\n\n「生きた屍、ですかね」\n\n 食べ終わった弁当を無造作にゴミ箱に突っ込み、亡者のような緩慢な動作でノートパソコンを開く。\n こんな悲惨な状況に追い込まれながらも、心音は記者としての作業を止めることができない。\n 今日の仕事はとうに終わっているというのに、いつものようにSNSの闇に潜り、事件や炎上の香りが漂う投稿を、機械的にスクロールしていく。\n\n「あらら……」\n\n SNS上でも、心音が吊し上げた元銀行員の猪瀬と、彼の家族の行方について書き込みが溢れていた。\n 金を持って逃亡した息子を、賞金首のように特定しようとする人々。\n 猪瀬の妻を連れて家出した娘についても、無責任だ、今まで育ててくれた親を見捨てるとは、などと批判する声が相次いでいる。\n 現代社会の闇の一つ――いわゆる、ネットリンチというやつだ。\n\n「まあ僕のせいなんですが……やめろとは言えませんし、お仕事ですし」\n\n そう自分に言い聞かせないと、精神が壊れてしまいそうだった。\n いや、すでにほとんど壊れてしまっているのかもしれない。\n それはそうと、心音がネタ探しを続けていると、ふと、SNSのトレンドの隅にある、奇妙な書き込みが目に止まった。\n\n ――猪瀬が廃人になったのは、逮捕や家族離散のショックではなく、都市伝説の妖怪「さとりちゃん」に心を喰われたからだ。\n\n「ああ、またさとりちゃんの噂ですか……」\n\n 心音がまだ子供の頃、公衆電話で呼び出すとどんな質問にも答えてくれる「さとるくん」という都市伝説が流行ったことがあった。\n その親戚の「さとりちゃん」が、現代のSNSの深淵に潜み、呼び出した人間の絶望を食べてくれるのだという。\n\n「【ID: @satori_death_eat 】……これで、本当にさとりちゃんが呼べるのですか?」\n\n これは天啓か。\n 呼び出した都市伝説の妖怪に、突撃取材をするのだ。\n きっと、猪瀬のスキャンダルを超えるスクープになるに違いない。\n 馬鹿げたことだと思いながらも、検索窓にそのIDを打ち込んだ。\n\n「これが、さとりちゃんのアカウント?」\n\n 現れたのは真っ暗なアイコンの、どこか不気味なアカウント。\n プロフィール欄は『悩み相談。DM開放。アナタの絶望、頂きます』とある。\n あの猪瀬も、自分の心を支配する絶望をさとりちゃんに食べてもらって、少しでも楽になりたかったのだろうか。\n\n『人生に疲れました。僕の絶望も、食べてくれますか?』\n\n 半分は自暴自棄、半分は記者として人類で初めて妖怪にインタビューできるかもしれないという期待感から、ダイレクトメッセージを送信する。\n\n「あー、ちょっと楽しくなってきたかもです。さとりちゃん、おいでおいで」\n\n もし、さとりちゃんのような妖怪が実在するなら、枯れ果て、栄養など残っていないはずの自分の心を見て、どう評価するだろうか。\n\n「まあ、そんな面白いことが起こるはずもないですよね」\n\n ため息を吐き、パソコンの画面を閉じようとする。\n\n その、刹那――。\n\n『了解。今、後ろにいくね』\n\n 信じられない速度で返信は届いた。\n 同時に、心音の首すじに、ひんやりとした氷のような冷気が触れた。\n 窓もドアも閉まっている。\n 風など入ってくるはずがない。\n そして、背後に現れた強烈な違和感――。\n\n「あれぇ? お兄さん、もしかして……記者のしおんちゃんじゃね?」\n\n 背後からささやかれた、軽薄で、それでいて底知れぬ悪意を含んだ少女の声。\n 心音が壊れた人形のように首を動かしてそちらを見ると、そこには虹色の瞳を爛々と輝かせた金髪の少女が、亡霊のように佇んでいた。", "afterword": "ここまでお読みいただき、ありがとうございます。\nよろしければ☆☆☆☆☆ 評価・ブックマーク・リアクション等で応援していただけると幸いです!"} |
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