| {"novel_id": "n0002ly", "chapter": 21, "url": "https://novel18.syosetu.com/n0002ly/21/", "title": "九条数世編②『澱の囁き、不吉な車輪』", "content": "【アフタヌーン・アイ】の収録が終わり、熱狂の余韻が残るスタジオを後にした九条数世は、取り巻きのスタッフを従えて廊下を闊歩していた。\n 紫色のローブをなびかせ、贅肉のついた身体を揺らしながら歩く姿は、近寄りがたい貫禄と威圧感を周囲に撒き散らしている。\n\n「先生、今日もお見事でした! 視聴率も瞬間最高を記録したそうですよ!」\n「おーっほっほ! 当然よ、当然。アタシの言葉は真理なんだからねぇ!」\n「――あのっ!」\n\n 高笑いする九条の前に、一人の女性が立ちはだかった。\n それは、番組の進行を務めていた女子アナウンサー、水瀬遥だった。\n 23歳という若さながら、その知的な美貌と確かな実力で、次世代のエースと目されている。\n だが、今の彼女の顔は、九条の不吉な宣告によって植えつけられた不安と、それを打ち消そうとする強い意志で、複雑に歪んでいた。\n\n「九条先生。少し、よろしいでしょうか?」\n「あら、奈落一直線の女子アナじゃない。アタシの除霊を受ける決心がついたのかしら?」\n\n 九条は立ち止まり、脂肪に埋もれた細い目で水瀬を睥睨した。\n それに怯むことなく、水瀬は深く息を吸い込み、真っ直ぐに九条を見つめ返す。\n\n「いえ、番組でおっしゃっていたこと、どうしても納得がいかないんです。祖父が悪霊になって私に憑いているなんて……!」\n「えぇっ?」\n「祖父は、私が幼い頃からずっと可愛がってくれた、本当に優しい人でした。そんなおじいちゃんが、私に害を及ぼすなんて、絶対にあり得ません!」\n\n 凛とした声が廊下に響く。\n 周囲のスタッフが顔色を変えて沈黙する中、九条の眉間には深い皺が刻まれていた。\n\n「……アンタ、今、なんて?」\n「祖父は悪霊なんかじゃありません。先生の言っていることは、間違っています!」\n\n 九条の口角が、ピクッと吊り上がった。\n この業界で、九条数世に逆らうことは、死を意味する。\n 自らの絶対的な権威、信用、人気、商売を妨害されることを、九条は絶対に許さない。\n\n「いいわ、よーく分かった。アンタ、本当に奈落に落ちたいみたいねぇ?」\n\n 九条は愛用の、宝石が散りばめられた派手なバッグに手を突っ込むと、中から手の平に収まるほどの奇妙な小瓶を取り出した。\n それは、古びたコルクの栓がされ、不気味なお札が何枚も巻きつけられた、生理的な嫌悪感を催す代物だった。\n\n「そ、それは……?」\n「フフフ……」\n\n 九条はその栓を無造作に引き抜き、肉厚な指で水瀬の顔をビシッと指さした。\n\n「……いきなさい」\n\n 周囲にほとんど聞こえないほどの小さな声で、九条は短くつぶやく。\n\n「――っ!?」\n\n その瞬間、水瀬の視界がぐにゃりと歪んだ。\n 突如として、鉄の塊を乗せられたような猛烈な重圧が襲いかかる。\n 胃の底からせり上がる、激しい嘔吐感。\n 全身を突き抜ける、氷のような悪寒。\n\n「うぇっ……げほっ……うぁっ……!」\n\n あまりの体調の急変に、水瀬はその場に膝をつき、喉を押さえて喘いだ。\n\n「ほら、見てみなさい! そんなに顔色が悪くなって……どうやら、本当に悪霊が暴れ出したみたいねぇ?」\n\n 苦しむ水瀬を見下ろし、九条は勝ち誇ったように笑った。\n 慣れた手つきで瓶に栓をし、バッグに戻すと、九条は「アンタ、奈落に一直線よ!」と決め台詞を残し、水瀬に背を向けた。\n\n「ま、待って……うっ……ぐぅ……」\n\n 去っていく九条を追おうとするが、水瀬は金縛りにあったかのように動けなかった。\n 冷たい床に這いつくばりながら、遠ざかる九条の紫色の背中を、ただ茫然と見送ることしかできなかったのである。\n\n ――その、数時間後。\n\n 局を出て自宅へ向かう途中、横断歩道を渡っていた水瀬は、背後に現れた「何か」に背中を押されるように、車道へと倒れ込んだ。\n ブレーキ音と、天地が逆さまになるような、激しい衝撃。\n 信号無視で突っ込んできた車に跳ね飛ばされた水瀬は、アスファルトの上に無残に転がった。\n 九条数世が予言した通り、明るかったはずの水瀬の未来は、奈落の底へと沈んでいった。\n\n ◇◇◇◇◇\n\n 怒号と電話のベルが絶え間なく交錯する【実話深層】編集部。\n 締め切り間際の殺伐とした空気の中、心音は自分のデスクで、重たいまぶたを必死に押し上げていた。\n\n「……ふわぁ」\n\n 堪えきれずに漏れた欠伸。\n まったく仕事に集中できていない。\n\n(これはいけません……また、やりすぎてしまいました)\n\n 昨夜――正確には今朝方まで、心音は自らの心の渇きを潤すため、愛しい少女との儀式に没頭しすぎていた。\n 一応、さとりちゃんの魔力(度数)を回復させるためという大義名分はある。\n しかし、結局のところ、心音自身の制御不能な執着が暴走し、歯止めが利かない泥沼のような交わりをループさせていたのだ。\n\n「んみゅ……しおんちゃん……も、むりぃ……」\n\n 背中から聞こえる、熱を帯びた微かな寝息。\n さとりちゃんは心音の首すじに顔を埋め、背中にぴったりと張りついたまま、深い眠りに落ちていた。\n\n(ええと……何回戦、したんでしたっけ?)\n\n さとりちゃんがギブアップしたのは、確か六回戦。\n そこからは心音による一方的な蹂躙が始まり、無我夢中で少女を愛しているうちに、気がついたら朝になっていた。\n 激しい抱擁の余韻か、時折、ぴくりと細い身体を震わせる少女の重みと体温だけが、今の心音を現世に繋ぎ止める唯一の楔だった。\n\n(本当に可愛い。まだ、足りないぐらいです)\n\n 心音の指が敏感な部分に触れるたび、少女は「ひゃんっ♡」と愛らしく鳴き、腕の中で小さな身体をよじる。\n さとりちゃんの身長は140センチ前後という、かなり小柄で華奢な体躯。\n 175センチ、格闘技で鍛えられた筋肉質な男の肉体に抱かれると、ほとんど姿が見えなくなってしまうほどだ。\n それでいて、さとりちゃん自身の頭と同等のサイズを誇る、豊かな胸の膨らみ。\n 気持ち良くなると、両腕を頭上に投げ出し、弱点である真っ白な腋を惜しげもなく心音の前に晒してしまう。\n 幼い子供のような、無邪気で可憐な笑顔。\n しかし、ふたりだけの儀式の際は、頬を紅潮させ、甘い喘ぎを漏らしながら、心音の愛を恍惚とした女の表情で受け入れる。\n 人外の少女が持つ、これが魔性なのか。\n 神無月心音という、心の枯れ果てたひとりの男を、欲望と愛情の底なし沼に、どこまでもどこまでも沈めていくような……。\n\n(ああ……さとりちゃんと、もっとエッチなことがしたい)\n\n 最終的には、そこに収束するのだった。\n\n「神無月くん! また目を開けたまま昼寝してるわね!」\n\n 鼓膜を突き刺すような鋭い声とともに、デスクに一束の資料が叩きつけられた。\n 顔を上げると、そこには不機嫌を絵に描いたような表情の上司――編集次長の一ノ宮湊が立っていた。\n\n「……むっ? まだ背後霊は成仏していないようね?」\n\n 湊は「鉄の女」という異名に恥じない鋭い視線を、心音の背後に絡みついている人外の少女へと向けた。\n 彼女は母方の実家が由緒ある神社の家系で、さとりちゃんのような怪異や霊魂の姿だけでなく、人間の持つ負の感情などが黒いモヤとしてはっきり「視えて」しまうような、特別な体質の持ち主だった。\n だが、心音には霊感がなく、さとりちゃんが視えていないというフリをしているので、彼女の言葉には変に反応しないように注意深く対応した。\n\n「一ノ宮さん、お疲れ様です」\n「特製の魔除けも効かなかったようね。今度は、もっと強烈なのを貼りつけてあげるわ」\n\n 湊は眼鏡の奥の瞳を険しくさせたが、熟睡しているさとりちゃんの顔を見て、少し表情を緩めた。\n さすがの彼女も、子供のように無垢な寝顔を晒してスヤスヤと眠る少女を、無理やり叩き起こすほど非情にはなれなかったようだ。\n\n「どうしたんです?」\n「ううん、なんでもない。それより、仕事よ、仕事!」\n\n 湊が「これを見なさい」と言って差し出したのは、数日前に発生した、不幸な事故の資料。\n 現在、テレビやラジオで活躍中の人気女子アナ――水瀬遥の交通事故に関するものだった。\n\n「……水瀬遥。両脚骨折で全治四ヶ月ですか。まだ若いのに、災難ですね」\n「彼女、入院先の病室から、うちに直接、取材してほしいって依頼してきたのよ」\n「えっ? 事故からまだ数日しか経過していないのに……よほど、緊急のことでしょうか?」\n「さぁね。でも、これは特ダネのニオイがプンプンするわ。【週刊真実バースト】のパパラッチどもに嗅ぎつけられないうちに、うちで特集するわよ!」\n\n 湊はポケットから、丸めたライバル誌(先週号)を取り出すと、鼓舞するようにデスクにバシバシと叩きつけた。\n\n「本当はアタシが行きたいんだけど、あいにく、このあと予定が詰まっててね。この件は、神無月くんに任せるわ」\n「承知しました」\n「ただ……くれぐれも油断はしないで」\n\n 湊は声を潜め、心音の耳元で釘を刺すように続けた。\n\n「水瀬遥は、あの九条数世が出演した【アフタヌーン・アイ】の収録直後に事故に遭ってる。聞いた話だと、収録後に九条と廊下で口論になったんですって」\n「なるほど。九条にとっては目障りな存在、ということですか」\n「証拠もないし、断言はできないわよ? でも、因果関係が何もない、とはアタシには思えない」\n「ええ」\n「モニター越しにも、九条からとんでもない黒いモヤが湧き出しているのを感じるわ。前も言ったけど、九条本人を取材するのは禁止よ。あまりに危険すぎるからね」\n\n 湊は静かな声で言うと、心音の背中で幸せそうに身をよじるさとりちゃんを一瞥する。\n\n「それに比べたら、まあ……この女の子の背後霊は、まだ可愛い方かもしれないわね」\n\n ふぅ、と湊が吐いたため息は、どこか湿り気を帯びていた。\n 彼女は懐から、古びてはいながらも、刺すような朱色が鮮烈な赤いお守りを取り出した。\n\n「これは?」\n「悪霊退散のお守りよ。気休めかもしれないけど、念のためね。大丈夫、その背後霊の子には、毒にも薬にもならないから」\n「ありがとうございます。助かります」\n「ここが腕の見せ所よ、神無月くん!」\n\n それだけ言って、湊は鋭いヒールの音を響かせて立ち去っていった。\n 急に静かになったデスクで、心音は資料に載った水瀬遥の、まだ輝いていた頃の写真を指先でなぞった。\n\n「さとりちゃん、起きてください。お仕事ですよ」\n「ふにゃ……? しおんちゃん、もう一回……?」\n\n 寝ぼけた少女の気だるげな声に応える代わりに、心音は彼女の意外とむっちりした太ももの肉感を手の平で確かめるように手を添え、ゆっくりと立ち上がった。\n 奈落へと突き落とされた、うら若き女子アナの叫び。\n 砕かれた両脚には、今も激痛が走っているはずだ。\n そこまでして、彼女には伝えたい「何か」があるのだ。\n その悲痛な声を余さず聞き取り、真実という名の劇薬に変えて記事にする。\n それが、今の心音が背負っている、記者としての業だった。\n 普段、あれだけ傍若無人な湊が、深刻な顔をして警告した九条数世の存在。\n そのどす黒い影が背後にちらついている以上、今回の取材は、一筋縄ではいかない。\n 心音は、死んだ魚のような目に僅かな冷気を宿し、編集部を後にした。", "afterword": "ここまでお読みいただき、ありがとうございます。\nよろしければ☆☆☆☆☆ 評価・ブックマーク・リアクション等で応援していただけると幸いです!"} |
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