| {"novel_id": "n0002ly", "chapter": 22, "url": "https://novel18.syosetu.com/n0002ly/22/", "title": "九条数世編③『病室の告発、硝子瓶の中の怨嗟』", "content": " 都市部から少し離れた総合病院の特別病棟。\n 重厚な防音ドアの向こう側は、外界の喧騒が嘘のような、耳が痛くなるほどの静寂に包まれていた。\n その静寂を切り裂くように、心音はドアをノックした。\n\n「失礼します。【実話深層】の神無月と申します」\n\n 鼻をつく消毒液の臭い。\n 個室のベッドには、数日前までお茶の間の華だった女子アナ――水瀬遥が横たわっていた。\n\n「あっ……来て……くださったんですね……」\n\n 水瀬は掠れた声を喉から絞り出し、心音に頭を下げた。\n 両脚は重々しいギプスで固定され、滑車で高く吊り上げられている。\n 痛々しい管が通った腕、土気色になった頬。\n 僅かに動く指先が、シーツをぎゅっと握りしめる。\n 術後、数日が経過しているとはいえ、砕かれた骨が内側から肉を裂くような激痛は、未だに彼女を解放してはいないようだった。\n\n「災難でしたね、水瀬さん。本日は、よろしくお願い致します」\n「よ、よろしく、お願いします……」\n「あの日、九条数世と何があったのか……教えていただけますか」\n\n 心音は淡々とICレコーダーを起動させ、本題を切り出した。\n いくら水瀬本人の指名とはいえ、重症患者の彼女と面会できる時間は限られている。\n 水瀬もそれは心得ており、苦しそうな表情を浮かべながらも語り出した。\n\n「……九条先生が、私と口論したあと、不気味なお札の巻かれた小瓶を取り出したんです。それから、私に向かって小さな声で何かをつぶやきました。その直後、急に吐き気がして、身体が動かなくなって……」\n「不気味な小瓶、ですか。それが何らかの作用を及ぼしたと?」\n「分かりません。けれど、どうにか局を出て、横断歩道を渡っていたとき……背後から、冷たい『何か』に、突き飛ばされたんです。そして、信号無視の車が突っ込んできて……」\n\n 水瀬はそこまで語ると、そのときの恐怖を思い出したかのように顔を歪めた。\n すると、それまで心音の背中で黙って話を聞いていたさとりちゃんが、つんつんと肩をつついてきた。\n\n「しおんちゃん、この人、マジでタチの悪い悪霊に憑かれてるよ。きっと、奈落おばさんの瓶から出てきた奴だね。今も、この人の首に巻きついてる……キモすぎるよぉ」\n「なるほど」\n\n 心音には何も視えないが、さとりちゃんの言葉で状況を正確に把握した。\n 九条数世が放った悪霊は、今も水瀬を蝕み続けているのだ。\n\n(では、前にさとりちゃんが言っていたように、九条はインチキ霊媒師ではなく本物……それも、呪術のようなものを操る危険人物のようですね)\n\n 心音は苦しんでいる水瀬の様子を観察しつつ、ジャケットの内ポケットから、湊に託された朱色のお守りを取り出した。\n\n「水瀬さん、これが効くかもしれません」\n「これは……?」\n「由緒正しい神社に伝わる、お守りです。どれほどの効果があるかは分かりませんが」\n\n 心音が水瀬の震える手に、その朱色の布を握らせた、その刹那――。\n\n「……むっ?」\n\n 霊感のない心音にも、何か空間の澱みのようなものが、水瀬の身体から抜けていく感じがした。\n 何がどうなっているのか理解できないが、それが湊のお守りの効果なのは、明らかだった。\n 非科学的な心霊現象。\n 以前の心音は、そのようなオカルトなど信じる人間ではなかった。\n しかし、今の心音の背中には、科学や物理法則など一般常識を超越した存在が、平然と張りついている。\n 湊の特別なお守りが、水瀬に憑依していた悪霊を追い払った――そう解釈するのに、さほどの違和感はなかった。\n\n「やーんっ! こっち来んなーっ!」\n\n 心音には当然、視えていなかったが、水瀬から離れた悪霊がこちらに向かってきたらしい。\n 背中から身を乗り出したさとりちゃんが、虹色の瞳を不機嫌そうに細め、その白く華奢な手を無造作に振った。\n\n「アハッ! 私がビンタしたら消えちゃったよ。お姉様のお守りで弱ってたのかな?」\n\n 小さな手をひらひらさせ、さとりちゃんは自慢げに心音に報告する。\n 同時に、病室を支配していた重苦しい圧迫感は、嘘のように消え去っていた。\n\n「あ、あれっ? 急に、肩が軽くなって……吐き気も、止まったみたいです……」\n\n 水瀬が目を見開き、呆然と自らの身体を確かめる。\n 無論、骨折した両脚の激痛が治まるはずもないが、少なくとも悪霊による悪影響はなくなったようだ。\n\n「きっと、お守りの効果でしょう」\n「あの、神無月さん……お願いします。あの九条という女の悪事を暴いてください。このまま放っておいたら、きっと、また犠牲者が出ます……許せないです」\n\n 水瀬の瞳に、強い怒りと懇願の色が宿る。\n 心音は資料を見つめたまま、沈黙した。\n\n(これは……困りましたね)\n\n 湊からは「九条本人の取材は禁止」と厳命されている。\n だが、水瀬の命懸けの告発を、記者として無視することなどできるだろうか。\n\n「……検討しましょう。このお守りは、念のため、そのまま持っておいてください」\n「ありがとうございます……!」\n\n 水瀬の感謝の言葉を背に、心音は病室を後にした。\n 廊下に出ると、さとりちゃんが「えへへー♡」と言って、心音の首すじに頬を擦り寄せてきた。\n\n「さっきの悪霊、雑魚だったよ! 奈落おばさん、実はそこまで怖くないんじゃね?」\n「さとりちゃんからすれば、格下だったようですね」\n「うんっ♡ どっちかっていうと、しおんちゃんのエッチな手の方が手強いよぅー♡」\n「不可抗力です」\n\n 空手で鍛えた心音のたくましい手は、少女の肉感を確かめるように、柔らかい太ももに力強く食い込んでいた。\n\n「あんっ♡ 太もも、もみもみするの禁止―♡」\n\n 背中で喘いでいる少女の可愛らしい声をよそに、心音の目は冷気のような鋭さを宿す。\n\n(さて、九条数世の化けの皮、どう剥いでやりましょうか)\n\n 記者として接触するのは禁止。\n ならば、別の方法でアプローチすればよい。\n ちょうど、近日中に近くの地域で、九条数世が出演するイベントが開催されることを、心音は思い出した。\n そのイベントに参加し、九条の心の中を読んでみたいというのは、さとりちゃんからのお願いでもあった。\n\n(まずは敵情視察、といったところですかね)\n\n 心音には、相手の心が読める妖怪が味方という、他の人間が絶対に持ちえないアドバンテージがある。\n 九条の言う奈落へ足を踏み出すことになるか、それとも、彼女自身が奈落へと落ちることになるか。\n 腕の見せ所である。\n\n ◇◇◇◇◇\n\n 歴史ある高台に並ぶ、高級住宅街の一角。\n 周囲の家々を威圧するようにそびえ立つ九条の豪邸は、高い塀に囲まれ、外界からの視線を完全に遮断していた。\n 庭園には、夜の帳の中で不気味に揺れるプールがあり、月光を反射して冷たい銀色の光を放っている。\n 九条数世、56歳。\n 富と名声を手にし、多くの信者を従える彼女だが、その本質は「誰も信じない」という乾いた孤独に基づいており、結婚などは考えていない。\n かつて人間社会の醜悪さに絶望し、若くして深い山奥へと身を隠した日々。\n 長年に渡って飢えと孤独に耐える極限状態の中、いつしか、死者の囁きを聞き分ける特別な能力を手に入れた。\n そして、ただ視るだけでなく、それらを自在に操る術を独学で構築したのだ。\n\n「お疲れ様でした、先生」\n\n 玄関で頭を下げる家政婦たちを鼻で笑い、九条は紫のローブを優雅に揺らして自室へと戻る。\n この広大な屋敷には家政婦が何人も雇われていたが、彼女たちが九条の私生活の深層に触れることは、決して許されなかった。\n\n「さぁて……」\n\n 九条は部屋の奥にある、一見すると壁と見紛うような隠しドアの前に立つ。\n ポケットから古めかしい鍵を取り出し、錠を回すと、カチャリという硬質な音が響いた。\n ドアの先、廊下を奥へと進むほど、空気は湿り気を帯び、温度が一段階下がるのを感じる。\n 突き当たりの部屋――そこは、九条が「研究室」と呼ぶ、禁忌の実験場だった。\n 薄暗い室内の棚には、数え切れないほどの小瓶が整然と並んでいる。\n それら全ての瓶には不気味なお札が何枚も貼りつけられており、時折、内側から何かが硝子を爪で掻き毟るような不快なノイズが漏れていた。\n\n「今日も元気がいいわねぇ、アンタたち」\n\n 瓶の中には、九条が全国の心霊スポットや古戦場、忘れ去られた墓場から採集してきた霊魂たちが閉じ込められている。\n 瓶に貼られたお札は、救済のためではない。\n 内側の霊に絶え間ない激痛を与え続け、その怨嗟を極限まで煮詰めるための触媒だ。\n そうして強制的に変異させられた悪霊は、九条にとっての使い魔――駒の一つとして使役されることになるのだった。\n\n「んふふ……この子は、そろそろ頃合いかしらねぇ」\n\n 九条は肉厚な指で、棚の隅にある一つの瓶を手に取った。\n もう半年以上も閉じ込められ、呪いに苛まれ続けてきたその霊は、今や言葉を失い、ただ純粋な殺意の塊へと昇華されている。\n バッグの中には、常に数本の悪霊入りの瓶と、数本の空の瓶が収められている。\n 九条にとって除霊とは、決して救済ではない。\n 相談に来る哀れな子羊たちの背後に、もしも質の高い霊が憑いていたなら、九条はそれを親切心で追い払うのではなく、捕獲し、自分のコレクションに加えるために瓶を取り出すのだ。\n 場合によっては、逆に悪霊を操って相談者に憑依させ、後日、除霊という名目で高額の報酬を受け取るというマッチポンプを行うことさえある。\n 霊魂を取り締まる法律は現代には存在しないので、九条はやりたい放題なのだった。\n\n「おーっほっほ! 今度のイベントも楽しみだわ!」\n\n 窓のない研究室に、九条の高笑いが反響する。\n かつて自分が絶望した社会を、今度は自らが生み出した悪霊で蹂躙し、恐怖を撒き散らして金を稼ぐ。\n 瓶の中の悪霊たちが、彼女の歓喜に呼応するように、一斉に硝子を激しく叩き鳴らした。", "afterword": "ここまでお読みいただき、ありがとうございます。\nよろしければ☆☆☆☆☆ 評価・ブックマーク・リアクション等で応援していただけると幸いです!"} |
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