Krixter/Repo / n0002ly /24.json
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{"novel_id": "n0002ly", "chapter": 24, "url": "https://novel18.syosetu.com/n0002ly/24/", "title": "九条数世編⑤『奈落の裏窓、ひび割れた理性』", "content": "「ああっ、恐ろしい! その背後に憑いた生霊、アンタの精気を根こそぎ吸い取って、魂を食い破ろうとしているわ!」\n\n 九条数世の絶叫が、アロマの香りが充満するテント内に不気味に反響した。\n 心音は、背負っているさとりちゃんの小さな身体が、一瞬で石のように硬直したのを感じた。\n\n(さとりちゃん……?)\n\n 少女の虹色の瞳に宿ったのは、戸惑いではない。\n それは、自分と同じ深淵の闇に住む者特有の、強烈な悪意への防衛本能だった。\n\n「でも、大丈夫! アタシが今すぐ、その不浄な背後霊を力ずくで引っぺがしてあげるからねぇ!」\n\n 九条は、もはや占いなどどうでもいいようだった。\n 彼女は愛用のバッグから、空の小瓶を三本、ガシャガシャと音を立てて取り出した。\n お札が幾重にも巻きつけられた硝子容器を眺める九条の目は、獲物を品定めする肉食獣そのものだ。\n\n「あれは、水瀬遥を襲った悪霊が入れられていた小瓶……ですかね」\n「ううん、アレは空っぽだよ。多分、これから入れる用のヤツだ」\n「入れるって……まさか?」\n「しおんちゃんの背後霊……まあ、霊じゃないんだけど、私を捕まえる気だね」\n\n さとりちゃんは、いつになく真剣な声音で言った。\n 九条数世を単なるスピリチュアル成金おばさんではなく、厄介な敵と認めたかのようだ。\n\n「アンタは図体が大きいから、三分割して持ち帰ってあげるわ!」\n\n 九条は空の小瓶とは別に用意した、禍々しい気配を放つ瓶の栓を無造作に引き抜いた。\n\n「いきなさい……あの男の背中にいる小娘を、細切れにするのよ」\n\n 主の命令に従うかのように、瓶の中から何か空間の澱みのようなものが溢れ出した。\n 霊感のない心音にもはっきりと感じられるほどの、質量を持った悪意と殺意の塊。\n それらが一斉に牙を剥き、心音たちに向かってこようとしているのを感じる。\n\n「これが悪霊……ですか」\n「しおんちゃん、逃げよう!」\n「ええ」\n\n 心音は最短距離でテントの出口へ向かって地を蹴った。\n だが、出口のカーテンに手が届こうとした、その刹那――。\n\n「いたっ!?」\n\n 背中でさとりちゃんが短い悲鳴を上げた。\n 空中で見えない何かに頭をぶつけてしまったように、額を押さえている。\n\n「しおんちゃん、駄目だ! 透明な壁みたいなのがあって、出れない!」\n「なんですって?」\n「結界……だね。奈落おばさん、やるじゃん?」\n\n さとりちゃんが衝突した透明な壁は、いつの間にか九条が張っていた結界だったらしい。\n 心音だけなら外に出られるが、当然、さとりちゃんを中に置き去りにするわけにはいかない。\n\n「おーっほっほ! 逃がさないわよ! アタシの結界からはねぇ!」\n\n 九条は玉座に座ったまま、複雑な印を結び、悪霊たちを操ることに全神経を集中させている。\n テントの布地一枚を隔てた向こう側には、まだ平穏なイベント会場の喧騒がある。\n しかし、このテント内だけは九条の張った結界と跋扈する悪霊により、まさに異界へと変貌していた。\n\n「しおんちゃん、動いて!」\n「分かりました」\n\n さとりちゃんの警告とともに、目に見えない悪霊の爪が心音の肩を掠めた気がした。\n 心音はさとりちゃんを担ぎ直すと、狭いテント内を円を描くように疾走した。\n 止まれば囲まれてしまう。\n\n「おらぁっ! 舐めんなよ、雑魚お化け!」\n\n 心音の背中から身を乗り出し、さとりちゃんは襲いくる悪霊を、手の平で力任せに叩き落としているようだった。\n 都市伝説の妖怪であるさとりちゃんは、九条が飼いならしている悪霊などよりも、よほど格上の存在らしい。\n だが、問題は出口を塞ぐ強力な結界だ。\n さとりちゃんは心音に担がれたまま、旋回する遠心力を利用して、透明な壁に向かって何度も何度もパンチを叩き込んだ。\n\n「かった! 結界破るとか専門外だよぅー!」\n「仕方ありません、乱暴なことは避けたかったのですが……」\n\n 霊能力のない心音に、目に見えない結界を突破する手段など思いつかない。\n ならば、結界を張っている張本人に、物理的に干渉するしかあるまい。\n\n「ちょっと失礼!」\n「おおぅっ!?」\n\n 心音は長い脚で鋭い蹴りを繰り出し、九条の座っている玉座を蹴り飛ばした。\n でっぷりと太った九条の肉体が玉座ごとひっくり返り、その全身の脂肪を揺らしながら床に転がった。\n\n「さとりちゃん、今です!」\n「了解――だりゃあぁぁぁーーーっ!!」\n\n さとりちゃんが身体を捻り、魔力を集約させた小さな拳を結界に叩きつけた。\n\n ――バリンッ!!\n\n 硝子が砕けるような轟音が響き、透明な壁が四散する。\n それと同時に。\n\n ――ガガガガガッ!!\n\n 心音の耳元で、心臓を抉るような連続した衝撃音が鳴り響いた。\n さとりちゃんの髪飾りに、新たな、そして大きな穴が、機関銃で撃ち抜かれたかのように次々と穿たれていく。\n\n「さ、さとりちゃん!? 大丈夫ですかっ!?」\n「い、いいから……早く、逃げるんだよ、しおんちゃん……!」\n\n さとりちゃんの声から、これまでの余裕が完全に消え失せていた。\n 心音は振り返ることなく、破れた結界の隙間からテントの外へと飛び出した。\n\n「こらぁっ! 逃げるんじゃないわよぉーーーっ!!」\n\n 背後から響く、九条数世の、この世のモノとは思えない絶叫。\n 賑わうイベント会場の人混みをかき分け、心音は脇目も振らずに走り続けた。\n\n「はぁ……はぁ……」\n\n 心音の背中で、さとりちゃんが息を荒くし、苦しそうに顔を歪めている。\n 少女の体温が、驚くほど急激に、氷のように冷たくなっていくのを心音は感じていた。\n\n ◇◇◇◇◇\n\n 駐車場に停めていた車に飛び乗り、心音は荒い呼吸のままアクセルを踏み込んだ。\n イベント会場の喧騒を振り切り、バックミラーに映る九条のテントが豆粒ほどになるまで、一度も瞬きをしなかった。\n\n「ああ……さとりちゃんが……さとりちゃんが……!」\n\n 助手席に座るさとりちゃんの身体が、時折、古いブラウン管のノイズのように激しくブレる。\n 実体としての境界線が曖昧になり、透け始めた彼女の指先が、力なく心音の腕に触れた。\n\n「しおん……ちゃん……」\n「しっかりしてください! さとりちゃん、度数は!?」\n「んっ……残り20……かな」\n「20!? だって、出掛ける前は220もあったじゃないですか!?」\n「アハハ……奈落おばさんの結界を突破するのに、ほとんど力を使っちゃったよぅ……このままだと、私、消えちゃう……かもね……」\n\n さとりちゃんの告げた事実は、心音にとって、世界が崩壊する宣告に等しかった。\n 心音は、生まれて初めて、底知れぬ恐怖を味わっていた。\n 他人の人生を破壊するスキャンダル担当記者として、これまでに何度も修羅場をくぐり抜けてきた経験はある。\n だが、どんな危険な目に遭ったとしても、それを心から怖いなどと思ったことは一度もない。\n 人生に疲れ、枯れ果てた心は、絶望を喰うさとりちゃんという妖怪をもってしても、食べられないほどに乾燥し、食べカスの魚の骨のように痩せ細っていたはずだ。\n そんな男が、今、骨の髄から震え上がるような恐怖感に襲われている。\n さとりちゃんという、自分の半身ともいえる存在を、もうすぐ永遠に失おうとしているのだ。\n\n「さとりちゃん、ダメです! 消えないでください! お願いです!!」\n「苦しいよぉ……しおんちゃん……た、助けて……」\n「ああ……嫌だ、嫌だっ! キミが消えてしまったら、僕は……!」\n\n 心音の声は、もはや悲鳴に近かった。\n のんびり家まで戻っている時間など、1秒たりとも残されていない。\n 心音は人通りの途絶えた、薄暗い高架下の空き地に車を突っ込ませた。\n ブレーキを乱暴に踏み、エンジンを切る。\n\n「さとりちゃんっ! は、早く、早く回復を……!」\n\n かつてないほど取り乱し、真っ青な顔でさとりちゃんの小さな身体を抱きしめる。\n 腕の中でぐったりとしている少女は驚くほど軽く、そして冷たくなっていた。\n\n「しおんちゃん……お願い……して……?」\n\n 掠れた声で、さとりちゃんが懇願する。\n 快楽のためでも、単なる延命のためでもない。\n 消えゆく魂を現世に繋ぎ止めるための、最後の手段。\n\n「大丈夫ですよ、安心してくださいね……すぐに……!」\n\n 心音は震える手で運転席のシートを倒し、服を無造作に脱ぎ捨てた。\n それから、さとりちゃんのパーカーを乱暴に捲り上げ、その透け始めた白い肌を、消滅を食い止めるかのように強く抱き寄せる。\n\n「さとりちゃん……さとりちゃん……!」\n「あっ……」\n\n ――狭い車内。\n 愛し合うふたりの激しい呼吸だけが聞こえる密室。\n 心音はなりふり構わず、少女の度数を回復させるために、その熱を、精気を、魂のすべてを注ぎ込んだ。\n\n「あ゛っ……あ゛ぁ゛っ……あぁ……んっ……!」\n\n さとりちゃんの喘ぎ声も、いつもより苦しげだった。\n 心音は少女の小さな両手をしっかりと握りしめ、車がガタガタ揺れるほど激しく腰を振った。\n\n「ん゛ぁ゛ぁ゛……しおんちゃん……あ゛ぁ゛……ぁ゛……ぁ……!」\n「さとりちゃん……うっ!」\n「ふぁっ……ぁ……あっ……あぁん……」\n\n ――1時間後。\n 心音は汗まみれの身体で、ようやく少し顔色の戻ったさとりちゃんを、壊れ物を扱うように抱きかかえていた。\n\n「はぁー……はぁー……さとりちゃん、度数は? メロンソーダも飲んでください」\n\n 後部座席に常備していた缶を震える手で開け、少女の薄い唇に運ぶ。\n さとりちゃんは、それを一口ずつゆっくりと飲み込み、小さく吐息を漏らした。\n\n「んみゅ……はふぅ……ありがと、しおんちゃん。おかげで、32までは回復したよぅ♡」\n「さ、32!? それでは全然足りない! すぐに誰か……誰でもいいから、絶望を食べて回復させてください! そうだ、今の絶望してる僕なら……!」\n「えへへ……大丈夫だよ、しおんちゃん♡」\n\n 必死に詰め寄る心音の胸板に、さとりちゃんが小さな手を添えた。\n その虹色の瞳には、先ほどまでの怯えはなく、いつもの――いや、それ以上に妖怪らしい、不敵な光が宿っていた。\n\n「この私が、ただ慌てて逃げただけだと思った? あの奈落おばさんを終わらせるための仕込みは、とっくに完了してるんだよー♡」\n「仕込み……?」\n「えへへ……♡」\n\n 心音の筋肉質な腕に抱かれながら、さとりちゃんは悪戯っぽく、しかし底知れぬ悪意を込めて微笑んだ。\n どうやら、あの混乱の中で、さとりちゃんは九条に対して何らかの仕掛けを施したものらしい。\n ――だが、そんなことは、今の心音にとっては些細なことだった。\n 今の心音の心を、もっとも強烈に突き動かすもの。\n 最愛の少女が無事だったという、安心感と喜び。\n\n「さとりちゃん……ああ、よかった……消えなくてよかった……」\n「し、しおんちゃん!? まさか、泣いてる……の……?」\n「僕を、置いていかないでください……死ぬときまで、一緒ですよ……?」\n「しおんちゃん……しおんちゃんっ!!」\n\n 孤独だった妖怪の少女は、これまで、自分のために泣いてくれた人間など、ひとりもいなかったことだろう。\n 心が枯れ果てたはずの男が流した大粒の涙に、少女も感情を抑えられなくなり、大声を上げて泣いた。\n 心音は、狂おしいほどの愛情と執着を感じながら、その存在を確かめるかのように、少女の華奢な身体を潰れるほど強く抱きしめたのだった。", "afterword": "ここまでお読みいただき、ありがとうございます。\nよろしければ☆☆☆☆☆ 評価・ブックマーク・リアクション等で応援していただけると幸いです!"}

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