| {"novel_id": "n0002ly", "chapter": 26, "url": "https://novel18.syosetu.com/n0002ly/26/", "title": "九条数世編⑦『逆流する怨嗟、奈落の終末』", "content": "「おーっほっほ! 絶対に逃がさないわよ、さとりちゃん!」\n\n 深夜、静まり返った高級住宅街に、脂ぎった高笑いが反響していた。\n 阿久津牙との密談を終え、九条は興奮冷めやらぬまま豪邸に戻ってきた。\n 出迎える家政婦たちの挨拶を「どきなさい!」と一蹴し、全身の脂肪を豪快に揺らしながら自室へと急いだ。\n 九条の頭の中にあるのは、あの虹色の瞳の少女のことだけだ。\n『しおん』という無気力なサラリーマンの背後に張りついていた怪異。\n あれは、ただの生霊ではない。\n 九条がこれまでに見てきた、どんな霊魂よりも格の高い、極上の一品だった。\n\n「あの子は特別! アタシも、とっておきのヤツを用意しないとねぇ!」\n\n 九条は壁と見紛う隠し扉を開け、研究室へと足を踏み入れた。\n そこには、棚に並ぶ無数の硝子瓶。\n 狭い瓶の中に閉じ込められ、逃げ場のない苦痛を半永久的に与えられ続ける霊魂たち。\n 彼らは自分たちを苦しめる元凶である女の気配を察知し、カタカタと瓶を震わせた。\n\n「さとりちゃんは、アタシの結界をも力尽くで破る力を持っている……ならば、それ以上の力をぶつけるまでっ!」\n\n 九条が手に取ったのは、並べられている瓶の中でも「特級」のもの。\n これならば、あの怪異にも対抗できるだろう。\n 瓶の表面に触れただけでも感じられる、魂が震えるほどの憎悪と悪意。\n さしもの九条も、これほど強力な悪霊の扱いには、細心の注意を払わねばならない。\n\n「……んっ!?」\n\n 九条が愛用のバッグに瓶を入れようとした、その時だった。\n\n ――パリンッ!!\n\n 乾いた破砕音が、静まり返った研究室に鳴り響いたのだ。\n\n「えっ!?」\n\n 九条が驚いてバッグの中を覗き込むと、そこには不可解な光景が広がっていた。\n さっきまで空だったはずの予備の瓶が、内側から爆ぜたように粉々に砕け散っているのだった。\n\n「ど、どういうこと!? この瓶は空だったはず……どうして!?」\n\n 呆然とする九条の目の前で、砕けた硝子の破片が虹色のノイズを放ちながら渦を巻いた。\n そして、その中心から、あの愛らしい怪異の少女の姿が、陽炎のように立ち上った。\n\n「やっほー♡ 奈落おばさん。また会ったね!」\n「な、な、なっ……!?」\n「うわぁ……ここ、マジで趣味悪いお部屋だね! でも、私は結構好みかなー♡」\n\n 空の瓶を内側から破り、現れた少女――さとりちゃんが、棚の上に腰を下ろし、小悪魔のような笑みを浮かべて九条を見下ろしている。\n 九条は言葉を失い、手にしていた瓶を落としそうになるほど激しく動揺した。\n\n(いつの間に……この子、アタシの持っていた空瓶の中に、ずっと潜んでいたの!?)\n\n だが、これは九条にとって好都合だった。\n 次の瞬間には、すぐに醜悪な欲望が他の全ての感情を塗り潰した。\n\n「おーっほっほ! 探す手間が省けたわ! 自らアタシの聖域に飛び込んでくるなんてねぇ!」\n\n 九条は勝利を確信し、高笑いしながら「特級」の瓶の栓を抜こうとした。\n だが、さとりちゃんは立ち上がると、九条を嘲笑うかのように、軽やかに棚の上を跳ね回った。\n そんなことをすれば、どうなるか――。\n\n ――ガシャーン! バリンッ! ガシャッ! パリンッ!\n\n「あ、ああーっ!?」\n\n さとりちゃんは身軽に棚から棚へと飛び移りつつ、次々と棚をひっくり返していく。\n 九条が長い年月をかけて蒐集し、丹念に怨嗟を煮詰めてきたコレクションが床にぶちまけられ、あっという間にただの硝子の破片と化す。\n\n「アンタ、ちょっとやめなさいよ! アタシが苦労して集めた子たちが……!」\n「やめないよー! 私のしおんちゃんを泣かせた罰、たっぷり味わいなよ!」\n「やめなさいーーーっ!!」\n\n 発狂したように叫び、棚に縋りつく九条だったが、さとりちゃんは容赦なく瓶を破壊していく。\n すると、割れた瓶から解放された無数の悪霊たちが、黒い濁流となって溢れ出した。\n\n「あ……ああ……!」\n\n 九条の操霊術は、瓶から出た瞬間の霊を言霊で縛り上げることで成立する。\n これほど無秩序に、かつ大量に解き放たれた怨霊の群れを、制御できるはずがない。\n\n「ぎゃああああーっ! ア、アンタたち、アタシを誰だと思ってるの!? アンタたちのご主人様よ! 大人しくしなさい!」\n\n 九条の命令は、狂乱する悪霊たちの耳には届かない。\n 逆に、彼らに真の標的は誰なのかを知らせる結果となった。\n 長年に渡って自分たちを狭い瓶の中に封印し、激痛を与え続けてきた張本人。\n 悪霊たちが明確な殺意をもって九条に殺到するのに、そう時間はかからなかった。\n\n「ひぃいいいいーっ!!」\n\n 数十体、数百体の悪霊が、九条の身体に食らいつく。\n 紫のローブはズタズタに引き裂かれ、金の指輪を嵌めた指先から、黒い血のような澱みが滴り落ちる。\n\n「アハハハッ! このままだと、アンタ、奈落に一直線だねー!」\n\n そんな地獄絵図を満足げに眺めると、さとりちゃんは砂嵐のようなデジタルノイズとともに姿を消した。\n\n「じょ、冗談じゃないわ! せっかくここまで来たのに、死んでたまるもんですか!!」\n\n 九条は、自身の研究室を埋め尽くす悪霊たちの反逆から逃れるように、這いずりながら廊下へ出た。\n 背後からは九条を呪う怨念の囁きが、絶え間なく追いかけてくる。\n もはや名誉も権威も、彼女を守る盾にはならなかった。\n 九条は命からがらガレージへと転がり込み、そこにあった高級車の運転席へ飛び込んだ。\n\n「はぁ……はぁ……と、とにかく、ここから離れないと……!」\n\n アクセルを床まで踏み込み、夜の闇へと飛び出す。\n だが、バックミラーには、九条を絶対に逃がす気がないというように、無数の黒い手が追い縋ってくる禍々しい光景が映し出されていた。\n\n ◇◇◇◇◇\n\n「アタシは選ばれた人間なのよ……こんなところで死ぬはずがないわ!」\n\n 夜の峠道を猛スピードで駆け抜ける高級車の車内。\n どれだけの時間、走り続けているのか、九条自身にも分からなくなっていた。\n 脂ぎった顔を涙と鼻水で汚しながら、狂ったようにハンドルを握りしめている。\n バックミラーには、いまだに無数の黒い影が追い縋ってくるのが見える。\n\n「しつこいわねぇ……んっ!?」\n\n 九条を追ってきたのは、悪霊だけではなかった。\n 助手席の空間が、時折、眩い虹色のノイズを放って歪んでいるのだ。\n\n「これは……アンタ、姿を隠して、アタシに憑いてきたわね! このアタシの目は、ごまかせないわよっ!」\n\n 九条が隣の空席に向けて裏返った声を上げた、その瞬間。\n ――ガクン、とハンドルが強引に右へ持っていかれた。\n\n「ええっ!? ちょ、ちょっと、どうして!?」\n\n 目に見えない小さな、しかし抗い難い力。\n ハンドルを握る九条の手の周りに、砂嵐のような目障りなノイズが発生している。\n それがさとりちゃんによる物理的な干渉であることに、九条はすぐに気がついた。\n だが、気がついたからといって、どうにかなるものでもなかった。\n\n「なっ……!? い、いやああああーーーっ!!」\n\n 制御を失った車はガードレールを紙細工のように突き破り、漆黒の森の中へと突っ込んだ。\n 奈落の底へ引きずり込まれるような、激しい衝撃の連続。\n 木々をなぎ倒し、急斜面を転げ落ちる。\n\n「あ……ああっ……と、止まれ、止まれぇーーーっ!!」\n\n 生きた心地のしない数秒間の後、車は太いクヌギの幹に激突して、ようやく動きを止めた。\n\n「はぁはぁ……な、なんとか、止まったわね……」\n\n 立ち上る白煙、冷却水の漏れる音。\n 九条はどうにかドアを蹴り開け、這いずるようにして車外へ出た。\n 幸い、執拗に追いかけてきていた悪霊たちの気配は途絶えている。\n\n「ちくしょう……あの『しおん』とかいう男に弁償させてやるわ!」\n\n 数千万円の高級車が、もはや使い物にならない。\n だが、今はそれを気にしている場合ではなかった。\n 泥にまみれた紫のローブを引きずり、九条は立ち上がろうとした。\n その時――。\n\n「……誰!?」\n\n 森の奥から、何者かが落ち葉を踏みしめる音が聞こえた。\n 月明かりさえ届かない樹海。\n その闇の中から、背の高い男が幽霊のように姿を現した。\n\n(この男……どうして、ここに!?)\n\n 男――『しおん』は、感情を排した、深海のように冷たい目で九条を見つめている。\n その背中には、九条が喉から手が出るほど欲していた、虹色の瞳の少女が張りついていた。\n 少女――さとりちゃんはパーカーのフードを目深に被っており、眠っているかのように静かに目を閉じている。\n\n(うっ……せっかく、この子が目の前にいるのに……!)\n\n 今の九条には武器になる悪霊の瓶も、怪異の少女を捕獲するための空瓶すらもない。\n 加えて、ここには他の人間は誰もいない。\n この体格の良い男が問答無用で襲い掛かってきたら、九条には抵抗する手段は何もない。\n\n「わ、分かった! アンタ、お金が欲しいんでしょ? いいわよ、いくらでも払ってあげる!」\n\n この状況の最適解は、交渉。\n だが、『しおん』は何も答えない。\n\n「だから、アタシを助けなさい! スマホも家に置いてきちゃったわ。とりあえず、どこかに連絡を……!」\n\n 九条の言葉が届いたのか、男は懐からスマホを取り出し、何か操作をした。\n しかし、九条を助けるために連絡をしたのではなく、無表情のまま、淡々とカメラを向けてきたのだった。\n\n「ちょっと、どういうつもり……」\n\n 九条が『しおん』に詰め寄ろうとした、その時。\n\n ――ギ、ギギ……ギィ……!!\n\n 森の闇を切り裂いて、あっという間に悪霊たちが集結した。\n 呪縛を解かれ、増悪を極限まで熟成させられた霊魂が、剥き出しの殺意をもって九条に殺到する。\n\n「ぎゃああああーーーっ!! 痛い、痛いっ! やめて、来ないでぇっ!」\n\n 爪が肉を裂き、牙が魂を削る。\n 九条は地面を転げ回りながら、これまで自分が積み上げてきた罪を吐き出し始めた。\n\n「悪かったわよ! 水瀬のことも、あの子を突き飛ばせって命じたのもアタシよ! 霊なんて全部アタシの自作自演! 占いもデタラメ! お金と権威が欲しかっただけよ! だから許して……お願い、助けてぇーーーっ!!」\n\n 九条の醜悪な懺悔と、許しを請う叫び。\n だが、男は顔色一つ変えず、その惨劇を数歩離れた場所から淡々と眺めていた。\n それどころか、手にしたスマホで苦しむ九条の様子を撮影している。\n 彼は、悪霊に蹂躙され、自らの罪を絶叫する九条の姿を、冷徹に動画に収めていたのだ。\n\n「あ、あ……あぁっ……!」\n\n 自らの破滅をデジタルデータとして記録している男に、手を伸ばす。\n しかし、男は気楽な調子で首を傾げ、九条の周囲を歩き回っている。\n まるで、どの角度から撮ればもっとも映えるか、ただそれだけを気にしているかのように。\n\n(お、終わった……)\n\n 自分を助けてくれる者は、どこにもいない。\n このまま悪霊に喰い殺され、その無残な死体をこの男に撮影され、ばら撒かれるのだろう。\n 何もかも、終わりだ。\n 絶望が頂点に達し、九条の意識は発狂の淵にまで追い込まれていた。\n\n「――食べ頃だね♡」\n\n 一瞬にして九条の背後に現れた気配。\n それは悪霊ではなく、『しおん』の背中に張りついていたはずの、怪異の少女だった。\n 彼女は、泥と血にまみれた九条の背中に、子供のように小さな手を当てた。\n\n「アナタの絶望、頂きます」\n\n 宣告。\n 直後、九条の耳元で「ジリリリリリ!」という、鼓膜を震わせる古風な電話の着信音が鳴り響いた。\n その音は九条の激しい心拍数と同期し、一打ごとに大きく、激しく、脳髄を直接揺さぶる衝撃となって膨れ上がっていく。\n\n「あ……が……あ、あぁっ……!」\n\n 視界が急速に白濁していく。\n これまで九条を突き動かしてきた強欲も、積み上げてきた名声への執着も、下僕であったはずの悪霊の群れに追い回された恐怖も。\n 圧倒的なまでの闇の渦に飲み込まれ、一滴残らず吸い出されていく。\n それは快感――あるいは、全てが許されたかのような、虚脱。\n\n「うっぷ……奈落おばさんの絶望、ジューシーだけど、むっちゃくちゃ脂っこい! こんなの、胃もたれしちゃうよぅー♡」\n\n 着信音が鳴り止む。\n さとりちゃんは虹色の光彩を放つ瞳をギラギラと輝かせ、満足げに口元を拭った。\n その背後で、九条数世という名だった空っぽの抜け殻が、虚ろな目で夜空をずっと見上げていた。", "afterword": "ここまでお読みいただき、ありがとうございます。\nよろしければ☆☆☆☆☆ 評価・ブックマーク・リアクション等で応援していただけると幸いです!"} |
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