Krixter/Repo / n0002ly /28.json
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{"novel_id": "n0002ly", "chapter": 28, "url": "https://novel18.syosetu.com/n0002ly/28/", "title": "阿久津牙編①『夢の墓標、家畜の首輪』", "content": " 午後七時。\n 都市部の喧騒から少し外れた場所にある地下ライブハウス【L-GARDEN】は、蒸せ返るような熱気と、鼓膜を直接揺さぶる重低音に支配されていた。\n 無数の色とりどりのサイリウムが暗闇を切り裂き、一糸乱れぬコールが空気を震わせる。\n\n「メルちゃーん! こっち向いてー!」\n「メル! メル! 愛してるぞー!」\n「メルちゃん可愛いっ! 可愛すぎぃー!」\n\n 地響きのような咆哮が轟く。\n その中心で、一輪の可憐な花が咲き誇っていた。\n 地下アイドルグループ『ルミナス・ティア』――その不動のセンター、白鳥メルは輝くような完璧な笑顔を客席に振りまいている。\n 白鳥メル、21歳。\n 身長154センチの小柄で華奢な体格に対し、衣装の胸元を押し上げる豊かな隆起は、あまりにもアンバランスで扇情的だった。\n 清楚な純白のフリル衣装から伸びる、瑞々しい太もも。\n 激しいダンスのたび、短すぎるスカートの裾が揺れ、ファンたちの視線を釘づけにする。\n 愛くるしい瞳でウインクを投げれば、最前列の男たちは魂を抜かれたような声を上げた。\n\n「メルちゃん、最高ー! 俺たちの女神だー!」\n\n 客席で熱狂するファンたちは、その光景を脳裏に焼きつけようと必死に目を凝らす。\n メルを追っているときだけは、辛い現実を忘れられる。\n 彼女はファンたちにとって、まさに救いの女神のような存在に映っているはずだ。\n\n(メル……キミは……)\n\n だが、その熱狂をステージの袖から見守る男――マネージャーの松前康平だけは違った。\n 照明を浴びてキラキラと輝く、理想のアイドル。\n 彼女がどんなに高く跳ね、華麗に踊り、可愛らしく首を傾げても、その瞳はどこか遠く――ここではない闇を見つめているような。\n\n(やはり、おかしい……メルは、何かを隠している)\n\n『ルミナス・ティア』のマネージャーとして、誰よりも近くでメルを見てきた松前の直感。\n しかし、その闇の正体が何なのかは、今の松前には分からない。\n\n「――ありがとうございました! ルミナス・ティアでしたっ!」\n\n 最後の曲が終わり、メルは深々と頭を下げる。\n 零れ落ちる汗を拭うこともせず、彼女は客席の隅々まで、慈しむような笑顔を届けた。\n ファンたちは一斉に拍手を送り、口々に彼女の名を叫ぶ。\n\n「……みんな、本当にありがとーっ!」\n\n 愛らしい笑顔で手を振り、ファンの声援に応えるメル。\n その表情とは裏腹に、彼女の瞳の奥に宿る光が徐々に失われていく。\n まるで、アイドルとして輝けるこの瞬間が終わってしまうことに、深い絶望を抱いているかのように。\n\n ◇◇◇◇◇\n\n ライブハウスの喧騒を背に、重い防音扉が閉まる。\n そこは、先ほどまでの熱狂が嘘のように静まり返った、アイドルたちの楽屋だった。\n\n「お疲れさまでしたぁーっ!」\n「お先でーす! 明日も早いし、速攻で帰って寝るわー!」\n\n 他のメンバーたちが、開放感に満ちた声を上げて衣装を脱ぎ捨て、私服に着替えていく。\n 鏡の前で髪を整え、今日のライブの反省よりも、これから行く深夜営業のカフェや、SNSの反応を気にしながら、彼女たちは嵐のように去っていった。\n だが、白鳥メルだけは、鏡の前に座り込んだまま、一歩も動けずにいた。\n\n(どうしたというんだ、メル?)\n\n 松前は壁際に立ち、メルの細い背中をじっと見つめていた。\n メルは椅子に深く腰掛け、膝の上に乗せたスマホを、まるで禍々しいものでも見るかのような深刻な目で見つめている。\n ステージの上では、あれほど完璧な笑顔を振りまいていたというのに、今の彼女の瞳には光が宿っていない。\n\n(メルは、どうしてこんな顔をするんだ?)\n\n メンバーの中でも人気はぶっちぎりのトップ。\n『ルミナス・ティア』のセンターは、白鳥メル以外に考えられない。\n 今のメルは、これまでにない充実感、明るい未来への希望に満ちているはずだ。\n そんな彼女が何をそんなに思い詰めているのか、皆目見当がつかなかった。\n\n(まさか……な)\n\n 何もかも満たされているはずのトップアイドルが、ファンの目がないところでふと見せる、暗い影を落とした表情。\n 身に覚えがあった。\n 輝いているはずのアイドルが、汚らわしい大人の闇に飲み込まれ、今のメルと同じような顔をしていた記憶を呼び起こす。\n 松前は、かつて大手芸能事務所で国民的アイドルの現場担当をしていた。\n しかし、そこで松前が目にしたのは、夢を売る商売の裏側に蔓延る、枕営業や金銭トラブルといった、吐き気を催すほどの穢れた部分だった。\n 正義感から内部告発を試みたが、組織の巨大な壁に跳ね返され、結果として業界の主流から干された。\n そんな男が流れ着いたのが、この弱小事務所の『ルミナス・ティア』だった。\n\n(ここだけは、なんとしても守りたい)\n\n それが、松前の唯一の執念。\n 特にメルに対しては、その類まれなる才能と、ひたむきに夢を追う姿勢に、実の娘のような慈しみを感じていた。\n だが、ここ数ヶ月。\n メルの瞳から、あの日、一緒に夢を語ったときの輝きが、一滴ずつ漏れ出すように消えていくのを松前は察知していた。\n\n「メル、大丈夫か? 最近、明らかにおかしいぞ。何か悩みでもあるのか?」\n「あっ……松前さん」\n\n メルは松前の方へ目を向けると、ゆっくりと首を横に振った。\n\n「なんでもありません。ちょっと、疲れただけで……本当に、なんでもないんです」\n\n 乾いた笑いで「なんでもない」と繰り返すメルの頬は引きつっており、視線は落ち着きなく泳いでいる。\n 若い娘がふと見せる情緒の乱れなどではない。\n メルは、何か取り返しのつかない罠に陥っているのではないか。\n 直感というよりは、確信に近い不穏な予感。\n\n「……っ!?」\n\n そのとき、メルの膝の上でスマホが短く震えた。\n それに連動するように、メルの身体が氷水を浴びせられたかのように、ビクッと跳ねる。\n 彼女は震える指先で画面をタッチし、そこに表示されたメッセージを読み取った瞬間、死人のように顔から血の気が引き、真っ青になっていた。\n\n「メル、行かなくちゃ……お迎えが、来てる……」\n\n うわ言のようにつぶやくと、メルはフラフラとした足取りで立ち上がった。\n まだ汗ばんでいる衣装のまま、鞄をひったくるように持つ。\n 彼女の目には、もう松前の姿は映っていないようだった。\n\n「待て、メル! どこへ行くんだ、こんな時間に!」\n\n 松前の声を無視し、メルは楽屋から飛び出していった。\n 廊下に響く、慌ただしい靴音。\n\n「待て……待つんだ、メル!」\n\n 彼女がどこへ向かおうとしているのか、どのような不安に怯えているのか、今の松前には分からない。\n だが、このまま彼女を行かせれば、二度とこちらの世界には戻ってこられないような……。\n そんな強烈な危機感だけが、松前の背中を突き動かしていた。\n\n ◇◇◇◇◇\n\n ライブハウスの裏口。\n 松前は闇に紛れるようにして身を潜め、一台の黒塗りの高級車を見送った。\n 後部座席に吸い込まれていったのは、ついさっきまで、華やかなステージで太陽のような笑顔を振りまいていた、白鳥メル。\n\n(俺のメルをどこに連れていく気だ?)\n\n 松前は自分の車に飛び乗り、適度な距離を保って、その見知らぬ高級車を追った。\n メルの私生活まで全て把握しているわけではないが、アイドルということを除けば21歳の普通の女の子である彼女を迎えにくるには、明らかに仰々しい車だ。\n 違和感。\n それに、車に乗り込むメルの、絶望に染められたかのような悲痛な表情。\n 間違いなく、これから向かう先が彼女にとって楽しい場所ではないのは、手に取るように分かった。\n 彼女を泥沼に沈ませたくないという、親心にも似た執念が今の松前を突き動かしている。\n メルを乗せた高級車は、そのまま都市部の高層ビル群へと吸い込まれていく。\n\n「ここは……?」\n\n しばらくして到着したのは、地上200メートルを超える超高層ビル。\n こんなビルに、メルが用事があるとはとても思えない。\n 高級車は地下駐車場へと消えていき、それ以上の追跡は難しそうだった。\n\n「すまない、メル。確かめさせてもらうぞ」\n\n 松前はビルの外、街灯の届かない路肩に車を止め、ハンドルを握る拳を白くなるまで締め上げた。\n その手元には、仕事用のスマホとは別の、一台の古い端末が握られている。\n メルがどんな恐ろしいことに巻き込まれているのか、知るのが怖い。\n それを知ってしまったら、松前がメルを見る目も、これまでとはまったく別のものになる。\n これまでのメルとの、実の親子のような関係が崩れてしまう。\n\n(頼む、繋がってくれ)\n\n それでも、知らねばならない。\n 松前は、メルのレッスンバッグの金具に、カード型の薄い通信デバイスを仕込んでいた。\n それは、一定以上の音量を検知すると、自動的に松前の端末へステルス発信を開始する。\n 電波の届かない高層階でも、ビル内の通信網を介して音声を転送する特注品。\n ――一言で説明するなら、最新鋭の盗聴器だ。\n\n「これを使う日が来るとはな……」\n\n かつて業界の不条理に敗れ、干された松前が、裏の知人から無理を言って工面した、卑劣な護身術。\n これで、あの超高層ビルの中で、メルがどんな状況下にあるのか分かるのだ。\n\n「……ハッ!?」\n\n 手元の端末が短く、鋭く震えた。\n 画面には、発信元不明の不気味な数字が並んでいる。\n 松前は震える指で応答ボタンをタップし、耳にイヤホンをねじ込んだ。\n 最初に鼓膜を叩いたのは、無機質なノイズの後に響く、重厚なドアが閉まる音。\n そして――。\n\n『遅いぞ、メル。俺様を待たせるな』\n『申し訳ございません、ご主人様……』\n\n スマホ越しに聞こえるメルの声は、ステージで披露していた愛くるしいアイドルのものではない。\n 小動物のように震え、媚びるような、弱々しい響き。\n それに対し、メルを威圧するような、重低音の男の声。\n\n(誰だ? 多分、俺よりも年上だな……50歳ぐらいか?)\n\n 正体不明の男とメルのやり取りが、デジタル信号となって耳に流れ込んでくる。\n 松前は、スマホの画面を割りそうなほど強く握りしめた。\n\n『家畜らしく、俺様のストレス発散に付き合え』\n『かしこまりました……』\n『ほれ、喜べ。いつもの首輪だぞ』\n『ありがとうございます、ご主人様……』\n『来いよ……調教の時間だ』\n\n スピーカーからは、衣擦れの音と、メルが床を這うような気配。\n 続いて、男が醜悪な欲望を丸出しにし、メルの瑞々しい肉体を弄んでいるような音、下卑た笑い声が聞こえてくる。\n\n『あっ……あぁ……ひぁっ……』\n\n メルのか細い悲鳴、苦しそうな呻き、何かがギシギシと軋む音。\n 松前は、自分の正気を保つだけでも精一杯だった。\n 頭が痛い、耳鳴りがする、息が苦しい、心臓が握り潰されてしまいそうだ。\n\n「メル……どうして……!?」\n\n それは、見知らぬ中年男がメルを「家畜」と呼び、一方的に蹂躙している生々しい記録に他ならなかった。\n ひたむきに夢を追っていた頃の無垢な笑顔が、イヤホンから漏れる汚らわしい呻きによって、修復不可能なまでに汚されていく。\n ――だから、知りたくなかったのだ。\n\n「許さんぞ……!」\n\n 血走った眼で、夜空を突き刺すビルの最上階を睨みつける。\n この気が狂いそうな音声を、メルを救うため、悪漢を地獄へ引きずり下ろすための、武器に変える。\n 松前は歯を食いしばり、心を殺し、機械的に録音ボタンを押し込んだ。", "afterword": "ここまでお読みいただき、ありがとうございます。\nよろしければ☆☆☆☆☆ 評価・ブックマーク・リアクション等で応援していただけると幸いです!"}

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