Krixter/Repo / n0002ly /32.json
Krixter's picture
download
raw
12.7 kB
{"novel_id": "n0002ly", "chapter": 32, "url": "https://novel18.syosetu.com/n0002ly/32/", "title": "阿久津牙編⑤『王の招待状、偶像の告別』", "content": " 週刊誌【実話深層】編集部。\n 無機質な蛍光灯の光の下、絶え間なく響くタイピング音と、誰かの怒鳴り声、何本も空けられたエナジードリンクの甘ったるい香り、酸化したコーヒーの錆びついたような饐えた臭いが混ざり合う。\n 神無月心音は、その混沌とした空気の中で、静止した石像のようにモニターを見つめていた。\n\n(……やはり、何も出てきませんか。ここまで徹底しているとは、恐れ入りますね)\n\n 心音の指先が、機械的にマウスをスクロールさせる。\n 検索窓に打ち込まれたのは『阿久津牙』、そして『株式会社プロメテウス・アド』。\n 本来ならば、阿久津のような強引な手法で成り上がったIT長者の周りには、何かしらの悪評や、元社員やマッチポンプ被害者による暴露、あるいは恨み節の一つや二つ、ネット上に浮かび上がっていても不思議ではない。\n しかし、画面に並ぶのは、洗練されたコーポレートサイトと、わざとらしい成功者インタビュー、実体のない社会貢献を謳う絶賛記事ばかり。\n\n「むにゃ……しおんちゃん……もう食べきれないよぉ……でへへ……」\n\n 心音の背中で、暇すぎて眠ってしまったさとりちゃんが寝言を漏らしている。\n ふたりは半径2メートル以上、離れてしまうと物理的に激痛が走って死んでしまう呪いにかかってしまったため、こうして編集部に出勤するときも常に密着している。\n 阿久津に直接、会うことができれば、さとりちゃんの読心能力を使い、その黒い腹の内を探ることも可能なのだが。\n\n(SNS上にも、見事なまでに阿久津に関する誹謗中傷の類は存在しません。24時間体制の監視によって、完璧な情報統制がされていますね)\n\n 阿久津を追い詰めるためのキラーコンテンツ――彼が地下アイドルの白鳥メルを監禁し、虐待していたという証拠の音声データは、手元にある。\n しかし、このデータをいくら拡散させようとしても、世に出た瞬間に阿久津の監視用AIボットによって捕捉され、削除されてしまうだろう。\n\n(さて、どうしたものでしょうか……)\n\n 天井を見上げ、思考を整理する。\n どうにかして、阿久津に接触する自然な口実が見つかればいいのだが。\n\n「――神無月くん。少し、いいかしら」\n\n 背後からかけられたのは、低く、重い響きを含んだ女性の声。\n 振り返ると、そこには上司の一ノ宮湊が、いつになく神妙な面持ちで立っていた。\n\n「ふにゃ……お姉様ぁ……焼肉ぅー……」\n「よしよし。今度、また食べさせてあげるわ」\n\n 心音の背中で愛らしい寝顔を晒すさとりちゃんの小さな頭を、湊は慈しむように優しく撫でた。\n 最初はさとりちゃんを「変な背後霊」扱いして、お札で攻撃したりしていた湊だったが、彼女が心音にとっての唯一の拠り所であることを理解してからは、幼い子供を可愛がるような態度に変わっていた。\n だが、その眼鏡の奥に宿る瞳は、かつてないほどに険しい。\n\n「一ノ宮さん。何か、至急の案件ですか?」\n\n 心音の問いに、湊は周囲を警戒するように声を潜めた。\n\n「……ついさっき、編集部宛てに直接、連絡が入ったわ。それも、神無月くんを名指しでね」\n「誰からです?」\n「阿久津牙――【プロメテウス・アド】の代表よ。神無月くん、なんかやったの?」\n「まさか……」\n\n 心音の枯れ果てた心に、僅かに動揺が走る。\n どうやって接触の足がかりをつかもうかと思案していた矢先の、向こう側からの招待状。\n あまりにタイミングが良すぎる。\n\n「――『神無月記者に、直接会って提案したいビジネスの話がある』ですって」\n「ほう。僕のような三流記者が、情報の王に認知されていたとは驚きです」\n「アタシも驚いたわ。これまで、阿久津牙とウチは関わりがなかったからね」\n「どういう風の吹き回しでしょうかね」\n\n 湊に答えながら、心音は急速に思考の歯車を回していた。\n いったい、どの時点で阿久津に捕捉されたのか?\n 直近では、九条数世が自らの罪を暴露しながら発狂する動画について、最速で記事にした。\n そこで目をつけられたのか?\n あるいは、松前の件ですでに関係を疑われているのだとしたら、厄介だ。\n\n「神無月くん、気をつけなさい。アタシ、モニター越しにあの男の会見を見たことがあるけれど……尋常じゃないぐらい、どす黒いモヤが全身から立ち上っていたわ」\n「九条数世よりも?」\n「ちょっと種類が違うけど……悪意の質は、阿久津の方が圧倒的にヤバいわね」\n\n 湊は霊感があり、いわゆる「視えて」しまう体質。\n 霊魂や、さとりちゃんのような人外の存在を認識できるほかに、人間の負の心が黒いモヤのような形で視えてしまうのだという。\n\n「いい? 危険を感じたら、無理に記事なんか書かなくていいから、すぐに身を引くのよ?」\n「ありがとうございます」\n\n いつもなら「もっとエグいネタを拾ってきなさい!」と叱咤激励する湊とは思えない、慎重な物言いだった。\n しかし、心音の胸の奥で、久方ぶりに静かな闘志が火を灯していた。\n それは、松前や白鳥メルの無念を晴らすといった、高潔な正義感などではない。\n 手元には阿久津にとって致命的な音声データがあり、背中には人間の心を読む怪異の少女がいる。\n 相手は国内の情報を自在に操る王だが、勝算はある。\n そして、その傲慢な王が崩壊した瞬間に生み出す、極上の絶望という「餌」を収穫し、背中で眠る最愛の少女に捧げる。\n 狩るか、狩られるか。\n\n「さとりちゃん、起きてください。出掛けますよ」\n「んにゅ……おしごとー……?」\n\n 心音のささやきに、少女の虹色の瞳がゆっくりと開かれた。\n\n ◇◇◇◇◇\n\n 消毒液の鼻を突く臭いと、一定間隔で刻まれる人工的な機械音。\n 都立病院の一角、四人部屋の片隅にある松前康平のベッドは、白いカーテンによって外界から隔絶されていた。\n 肋骨を数本折られ、全身に絶え間なく激痛が走る。\n 自分が、あの巨悪の前に敗北したという事実を、骨の軋みとともに嫌というほど再確認させられていた。\n\n(まさか、警察まで抱き込んでいたとはな……)\n\n 先ほどまで事情聴取に来ていた若い警官たちの、面倒そうな顔を思い出し、松前は唇を噛んだ。\n あの拷問部屋のような場所で起きた惨劇。\n 阿久津牙による白鳥メルへの蹂躙、そして松前への暴行。\n それらを必死に訴えようとした松前の言葉を、警官たちは「どうせ、酔っ払いのケンカでしょ?」という一言で退け、聞き入れる素振りすら見せなかった。\n 阿久津牙という男は、ネットの世界だけでなく、法を司る権力の下層にまで根を這わせているらしい。\n\n(だが、まだ終わってはいない。神無月さんが動いてくれているはずだ)\n\n 巨大な駅の中にひっそりと佇む、地下通路のコインロッカー。\n その中に隠していた型落ちのスマホには、阿久津がメルを家畜のように扱い、その尊厳を踏みにじっている、決定的な犯行音声のコピーが保存されている。\n あの死んだ魚のような目をした記者が、松前のスマホを回収し、今頃は阿久津の犯罪を公にするための準備を進めているに違いない。\n 彼にとっても、これは阿久津牙という大物を討ち取る、千載一遇のチャンスだろう。\n\n「……んっ?」\n\n その時、静寂を破るように、松前の姿を隠していたカーテンが力なく引かれた。\n\n「松前さん……」\n「メ、メル……!?」\n\n そこに立っていたのは、松前が命を懸けて守り抜こうとした、実の娘のような存在――白鳥メルだった。\n だが、その姿を見た瞬間、松前の胸を安堵ではなく、冷たい予感が満たした。\n かつてステージで太陽のように輝いていた瞳からは、完全に光が失われている。\n 真っ白な顔は、何の感情もない能面のようで、まるで生気が感じられなかった。\n\n「メル、無事だったか。よかった……あの後、阿久津には会ってないだろ? 今、どうして……」\n「メルは……『ルミナス・ティア』を抜けます。今まで、本当にお世話になりました」\n\n ひび割れたガラスのような、か細い声だった。\n メルは、包帯を巻かれた松前の惨状を見ても、眉一つ動かさない。\n\n「何を言ってるんだ、メル! まだこれからだろ! キミの夢は、あんな男なんかに壊させたりしない!」\n「だって……メル、あいつに、妊娠させられちゃったから」\n\n 凍りつくような沈黙。\n メルの口から漏れたのは、アイドルとしての彼女を、そして、ひとりの女性としての彼女の人生をも、永久に修復不可能なまでに破壊する残酷な言葉だった。\n\n「……何もかも、終わり。メルはもう、アイドルを続けられない」\n「待て、メル……落ち着くんだ……!」\n\n それは、阿久津が松前たちを絶望させるために、面白半分に吐いた嘘かもしれない。\n 松前は必死に否定しようと、メルの平坦な腹部に視線を向けた。\n だが、現時点では、表面から見ただけで彼女が妊娠しているかどうかなど判別できるはずがない。\n\n「まだ確定したわけじゃない。嘘かもしれないだろ? まずは落ち着いて、今後の話を……」\n「もういいんです……最後に、松前さんだけには挨拶したかったの。さようなら……」\n\n 松前の必死な言葉を遮り、メルは淡々と、一方的な別れを告げた。\n 彼女は最後まで松前と目を合わせることもなく、踵を返して病室から去っていった。\n その足取りには、一切の迷いがない。\n まるで、目の前の崖に向かって軽やかに踏み込んでいくかのような、そんな危うさがあった。\n\n「ま、待てっ! メル、早まるんじゃない! 戻ってこい!」\n\n 松前は叫び、上半身を起こそうとしたが、全身に走った激痛がそれを阻んだ。\n\n(ま、まさか……メルは、自殺を……?)\n\n 彼女から漂う気配は、氷のように冷たい死、そのものだった。\n しかし、起き上がることすらできない今の松前に、それを阻止する手段はない。\n\n(頼む、神無月さん……! メルが早まったことをする前に、阿久津を……あの外道を、必ず地獄に落としてくれ……!)\n\n 松前は祈るように、血の滲む爪をシーツに立てた。\n その執念だけが、今の松前の意識をかろうじて現実に繋ぎ止めていたのだった。", "afterword": "ここまでお読みいただき、ありがとうございます。\nよろしければ☆☆☆☆☆ 評価・ブックマーク・リアクション等で応援していただけると幸いです!"}

Xet Storage Details

Size:
12.7 kB
·
Xet hash:
68e3fffba5cb8f6626be0844f9b488d6f461ba98c93c3e31e6567946e7542fb8

Xet efficiently stores files, intelligently splitting them into unique chunks and accelerating uploads and downloads. More info.