| {"novel_id": "n0002ly", "chapter": 35, "url": "https://novel18.syosetu.com/n0002ly/35/", "title": "阿久津牙編⑧『帝国の瓦解、絶望の収穫祭』", "content": " 重厚な防音扉が乱暴に跳ね上がり、情報の王――阿久津牙が、憤怒の形相でデータセンターへと踏み込んだ。\n 室内は、数万個のLEDが放つ青白い光と、サーバー群を冷却するための暴力的な風切り音に満ちている。\n\n「河瀬! 状況はどうなっている!? 例の音声の拡散は止めたか!!」\n「しゃ、社長っ!?」\n\n 阿久津の怒号に、メインコンソールに張りついていた河瀬誠が、防塵マスク越しに顔を上げた。\n その額には、異常なまでの脂汗が浮いている。\n\n「現在、AIボットをフル稼働させ、逆探知と一斉削除を並行して行っています。これまでにない未知の分散攻撃ですが……我々のデータセンターの演算能力をもってすれば、数分以内に制圧可能です。ご安心ください、社長」\n\n 河瀬の言葉は、エンジニアとしての矜持に裏打ちされたものだった。\n だが、彼の内心の焦りに比例するように、背中にのしかかる不可解な重圧感は増す一方だった。\n\n「当然だ。塵一つ残さず焼き尽くせ!」\n\n 河瀬の苦悩を知らない阿久津は、威圧的に鼻を鳴らす。\n その数秒後。\n\n ――バチリッ!!\n\n 河瀬が操作していたキーボードから、青白い火花が爆ぜた。\n\n「熱っ! な、なんだ!?」\n\n 悲鳴を上げて、弾かれたように手を引く河瀬。\n それを皮切りに、整然と並んでいたサーバーラックの随所から、ショートを起こしたような不快な電子音が鳴り響き始めた。\n\n「おい、河瀬! なんだ、これは!?」\n「わ、分かりません! 冷却システムが……逆流しています! 全サーバーユニットの電圧が、定格の三倍以上に跳ね上がっている……これでは、内部から融解するっ!」\n\n ――それは、河瀬に憑依した、さとりちゃんの分身による「論理破壊」の極致だった。\n 河瀬を通じてシステムの中枢に潜り込んだ怪異の少女は、プログラムの書き換えではなく、ハードウェアを制御する物理的なリミッターを根こそぎ取り払ったのだ。\n 冷却用液体窒素の循環を停止させ、代わりに電源ユニットへ限界を超えた負荷を強制する。\n 緻密な計算機であったサーバー群は、今や巨大な熱源へと変質し、自らの熱で回路を焼き切り始めたのだった。\n\n ――バヂヂッ、ドォン!!\n\n とうとう奥のラックが爆発し、黒煙が立ち込める。\n 同時に、阿久津の目の前のモニターに、絶望的な数値が表示された。\n\n ――AIボットの稼働率、急落……90%……50%……10%以下。\n\n「お、おい……これは、マズいぞ!!」\n\n 情報の防波堤が崩壊する。\n SNSの海には、阿久津牙が若い女性(白鳥メル)を蹂躙し、愉悦に浸る、汚らわしく、下劣な生の声が、制御不能な奔流となって溢れ出していた。\n そして同時に、阿久津のポケットの中で、スマホの着信音が鳴り響いた。\n\n「な、何だ!? 今、手が離せん!」\n『阿久津さん……SNSで流れている、あの音声は何ですか? 我が社としては、あのようなスキャンダルを抱えた人物との提携を継続することは不可能です。即座に、全ての契約を白紙に戻させていただきます』\n「えっ!?」\n\n それは、国内最大手のスポンサー企業の重役だった。\n 電話を切る暇もなく、二件、三件と着信が重なる。\n 支援していた大物政治家、大手芸能事務所の会長、テレビ局の編成局長、宣伝に起用していた人気俳優。\n 極めつけは、阿久津の依頼で告発者たちに名誉毀損の恫喝訴訟を連発していた顧問弁護士まで。\n\n「おい、こんなものは捏造だ! 拡散したアカウントを片端から名誉毀損で訴えてやる、準備しろ!」\n『阿久津さん、静かにしてください。もう無理ですよ。もはや、火消しでどうにかなるレベルじゃない。今、事務所のHPから、あなたの名前を消したところです』\n「はぁっ!?」\n『ここからは、私ではなく国選弁護人にでも相談してください。ああ、それから、これまであなたが私に依頼した隠蔽工作の記録ですが、検察への協力要請があれば全て開示するつもりです。悪く思わないでください……これが私の危機管理ですので。それでは失礼します』\n\n 阿久津は、持っているスマホが鉄の塊のように重くなった気がした。\n 目を血走らせ、隣にいる河瀬の肩をつかむ。\n\n「た、頼む……早く、この馬鹿げた音声を止めてくれ! お前だけが頼りなんだ、河瀬!」\n「あ……あぁ……」\n\n だが、河瀬の様子は、明らかに常軌を逸していた。\n キーボードを操作する手も止め、虚空を見つめ、口端からはだらしなく涎が垂れている。\n 自分の聖域が目の前で暴走し、崩壊していく有様を強制的に見せつけられた河瀬の精神は、とっくに限界を迎えていた。\n\n「おい、河瀬!? ど、どうして……?」\n\n ――絶望し、どうすることもできなくなった河瀬の背後から、怪異の少女の分身が小さな手を当てていた。\n 阿久津が怒涛のような着信に翻弄されている間に、情報の王の右腕は、さとりちゃんの分身による【絶望喰い】で心を削り取られ、すでに物言わぬ廃人と化していたのだった。\n\n「いい加減にしろ! 何が起こっているんだ!?」\n\n やがて、室内の全てのモニターがノイズに染まり、中央の巨大なディスプレイに、鮮烈な血の色をしたドクロマークが浮かび上がった。\n その下には、冷笑的なフォントで刻まれた一文。\n\n ――【ID: @satori_death_eat】\n\n「satoriだと? まさか、あの『さとりちゃん』か!?」\n\n モニターに刻まれた不穏なIDを凝視し、震える指で画面を叩いた。\n 検索窓にIDを打ち込むと、真っ黒なアイコンの不気味なアカウントが姿を現す。\n プロフィール欄は『悩み相談。DM開放。アナタの絶望、頂きます』。\n\n「ふざけやがって……!」\n\n 半狂乱の指先で、そのアカウントへ直接メッセージを叩きつけた。\n\n『何が目的だ、貴様! これ以上の侮辱は許さん! 我が社の総力を挙げて貴様を抹殺するぞ!』\n\n 送信。\n その返信は、1秒と待たずに届いた。\n\n『大変そうだねー? アナタの絶望、食べてあげよっか?』\n\n 挑発的で、幼い嘲笑を含んだ文字列。\n 阿久津はスマホを握り潰しそうになるほどの怒りを必死に抑えながら、さらに送信する。\n\n『喰えるものなら喰ってみろ! 俺様を誰だと思っている!?』\n『了解。今、後ろにいくね』\n\n ――刹那、阿久津は背すじを伝う氷のような寒気に身を震わせた。\n これまで悪霊や呪いなど、非科学的な妄執は一切信じてこなかった。\n しかし、今まさに、背後に自分の人生を終わらせる「怪異」が出現したことを、阿久津は本能的に確信していた。\n\n「ヒッ……ヒィィッ!!」\n\n 九条真白から託された黄金のピラミッド。\n あれさえ身につけていれば、怪異にも対抗できたかもしれない。\n だが、アレは社長室に落としてきてしまった。\n 今、阿久津の身を守るものは何一つ存在しない。\n\n「うわああああああっ!!」\n\n 阿久津は絶叫し、廃人となった河瀬を突き飛ばしてデータセンターから飛び出した。\n 広い廊下、自社ビルの威容。\n だが、そこにはもはや絶対的な王の姿はなかった。\n 阿久津は逃げ回った。\n エレベーターを、非常階段を、迷走する家畜のように駆け抜け、隅の方にあるトイレの個室へと逃げ込み、内側から鍵をかけた。\n\n「はぁー……はぁー……!」\n\n しかし、逃げ場など、どこにもなかった。\n 閉ざされた個室の中でも、手にしたスマホは止まらない。\n バイブレーションの不快な振動が、クライアントからの罵倒、提携解消、そして拡散され続ける自らの醜聞を絶え間なく報じ続ける。\n 万事休す。\n 情報の王である阿久津が、情報によって殺される。\n 社会的な死、経済的な破滅。\n 積み上げた帝国の崩壊。\n 阿久津の心に、今まで味わったことのない「絶望」という名の極上の果実が実った。\n\n「――イイ感じの絶望に育ったねぇ、オジサン?」\n「あぇっ!?」\n\n 背後から、存在するはずのない声。\n 振り返ると、ひとりの小柄な少女がニヤニヤと小馬鹿にするような微笑みを浮かべ、便器の上に座っている。\n サイズの合っていないダボダボのパーカーを羽織り、虹色の瞳を不気味に光らせた金髪の少女。\n\n「お前が……『さとりちゃん』なのか?」\n「そりゃそうだ。呼んだのはアナタでしょ」\n「こ、こんなガキに……俺様が、終わらされてたまるかぁーっ!!」\n\n 最後の力を振り絞り、阿久津は丸太のような両腕を、少女の華奢な首へと伸ばす。\n だが、少女の姿は一瞬にして空気に溶け込むように消え、阿久津の手は空を切った。\n\n「アナタの絶望、頂きます」\n\n 少女の声が背後から聞こえた瞬間。\n\n ――ジリリリリ!\n\n 阿久津の耳元で、古臭い電話のベルが鳴り響いた。\n 狭い個室に、あり得ないほどの音量で響き渡る着信音。\n 音は次第に大きくなり、阿久津の意識は吸い込まれるように白濁していく。\n\n「な、なんだ……これは……あぁっ……!」\n\n 全身を貫くような快感。\n 続いて、全てがどうでもよくなるほどの圧倒的な虚脱感。\n 阿久津牙という傲慢な王の魂が、一滴残らず、怪異の喉奥へと飲み干されていく。\n\n「うぷっ! 絶望の濃度は最高だけど、ドロッドロすぎ! クソマズッ! 喉が詰まる! マジ最悪なんだけどーっ!」\n\n 着信音が止むと同時に、少女は理不尽なクレームを吐き出した。\n だが、目の前の男の耳には、もはやいかなる言葉も届かない。\n\n「最期はあっけなかったね、王様。バイバーイ♡」\n\n 少女は男の背中を「ゲシッ!」と蹴飛ばすと、現れたときと同様に一瞬で虚空へと姿を消した。\n 男の巨躯は抵抗する力もなく、そのまま倒れ込んで便器の中に頭を突っ込んだ。\n 何も分からない、何も思い出せない。\n 空っぽの抜け殻と化した男がひとり、狭い個室の中で石像のように固まっている。\n その傍らで床に落ちたスマホだけが、いつまでも小刻みに震え続けていた。", "afterword": "ここまでお読みいただき、ありがとうございます。\nよろしければ☆☆☆☆☆ 評価・ブックマーク・リアクション等で応援していただけると幸いです!"} |
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