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{"novel_id": "n0007ex", "chapter": 5, "url": "https://novel18.syosetu.com/n0007ex/5/", "title": "5", "content": "それからの時は本当に一瞬の光のようだった。\n\nソファで目を覚ました俺の口は――首筋に至るまで、甘い香りを帯びた唾液でベトベトになっていて、パジャマは初雪の鼻水と涙でびちゃびちゃ……\n\nなにをしでかしたのかは容易に想像できるが、それについて追及するより早く、彼女は自身の制服にアイロンがけまで済ませ、出かける準備をしていた。\n\n俺は叩き起こされると同時に、まだ覚醒しない頭のまま駅まで引きずられ、例の場所まで連れてこられた……そう、水族館だ!!\n\nここまでテンションの上がる初デートは、地球の歴史が始まってから――いや、宇宙の歴史が始まって以来、類を見ないだろう。\n\n家を出てからここに至るまで会話ゼロ。俺が話しかけても反応すら返さないし、顔を見られたくないと言わんばかりにそっぽを向いている。恥ずかしいんだね? 可愛い!\n\n土曜日にも関わらず、何故か空いていたため気兼ねなく鑑賞できるにも関わらず、なんか雰囲気が重たい……\n\nが、しかしそこは男の見せ所だ。初めてのデートを最高のものにしてみせよう。\n\n【克行】\n「うわぁ~すげぇ! ニシンのトルネードだ!!」\n\n【初雪】\n「……」\n\n【克行】\n「いや、どう見たってイワシだから!」\n\n俺の話を無視して彼女は魚の説明を読むばかり。水槽の中でひらひらと泳ぐ彼らにはまったく興味ないかのごとく。\n\n【克行】\n「紫式部も大好きだったのか……イワシの寿司は俺も好きだ。初雪は?」\n\n【初雪】\n「清少納言の、方が好き……」\n\n【克行】\n「違いがわからないな。なにがどう違うんだ? 眉毛か!?」\n\n【初雪】\n「私にも、わからない……」\n\n【克行】\n「いや、結局わからないのかよ……お、アジがいる、帰りは寿司でも行くか?」\n\n【初雪】\n「動物園のプレーリードッグを前に、射撃の的だと叫ぶような冒涜的な発言……\n嫌いじゃない」\n\n【克行】\n「可愛くないな」\n\n可愛い。\n\n他にも、メジャーな魚から南国の魚まであらゆる生き物の生態をゆっくりと満喫する。\n\n【克行】\n「あんまり人がいないな……\nみんな給料日前で金がなくて、家に引きこもってる感じか。\n磯貝さんの視聴率がすごそうだ」\n\n【初雪】\n「今日は土曜日、時間まで待っても、磯貝さんは放送されない……」\n\nたまに入れてくる鋭いツッコミ。変わってるなと思うと同時に、初雪らしい面白さがあって好きだ。やっぱり、俺たちは存在そのものがしっかり噛み合っているんだね?\n\n薄暗く冷えた室内と水槽からこぼれる青い光。本当に海の中を冒険しているような気分に浸りながら、彼女の甘い香りとともに童心へ帰った。\n\n【克行】\n「へぇ……すごいなぁ……」\n\n【初雪】\n「ねぇ……これって必要だと思う……?」\n\n初雪が珍しく話しかけてきたと思ったら、鑑賞中の水槽にいる生き物の紹介をするプレートそのものについて意見を求めてきた。\n\n【克行】\n「いや、寿司ネタになる魚なら大体わかるけど、\nこういう魚はわからないから必要だろ?」\n\n【初雪】\n「じゃなくて、これ……」\n\n【克行】\n「生えてる海藻の紹介……シャンプーにこだわる人の為?\nというか、初雪……一つ訊いてもいいかい?」\n\n【初雪】\n「答えるか、どうかは、わからないけど……」\n\n【克行】\n「楽しんでる?」\n\n先ほどから彼女は水槽にいる生き物よりも、紹介のプレートばかり眺めている。俺への当てつけなのだろうか?\n\n【初雪】\n「……不本意だけど、楽しい……」\n\n【克行】\n「本当か? 今なら誰もいないから本当なら抱き着いてくれ!」\n\n【初雪】\n「それは嫌……」\n\n【克行】\n「oh……それなら、何故俯いてばかりなんだ? さっきから紹介文ばかり読んでる」\n\n【初雪】\n「読んでない……眺めてるだけ……」\n\n本当だろうか? 紹介文を読むか、俺から目を背けて考え事するばかり……やっぱり……俺と一緒にいるのは楽しくないんだろうか……俺は楽しいのに、彼女は楽しんでくれないのがとても辛い……\n\n【克行】\n「抱きついてもいいか?」\n\n可愛い。好き……\n\n【初雪】\n「嫌い……」\n\nやっぱり、なにか隠している……ずっと思い悩んでいる様子で、言い出したいのに口にしてはならないかのような切迫した状況が、可愛い無表情にチラリと垣間見える。\n\nしかし、彼女がそんな様子を見せるという事は、俺を対象として打ち明けたいんだろう……人それぞれに事情はあって、言い出せないのは仕方がない。だけど、俺は迷わない。彼女を信じている!!\n\n【克行】\n「よし、次へ行こう」\n\n【初雪】\n「待って……」\n\nブレスレットがカチャリと音を立て、初雪の細い手が俺の腕を力いっぱいに――それでも弱々しく糸を手繰るかのように掴んだ。\n\n振り返ると半ば泣き出しそうな顔つきで抱きしめられ、刹那の後に唇が重なる。ファーストキスなんだろう。慣れないながらも愛嬌があって、巻きあがる甘い香りとまどろみのような快感の虜になってしまう。\n\n【初雪】\n「ちゅっ……ちゅぴっ……はぁ……ちゅっ……ぷはぁ……ぢゅる……」\n\n何度も何度も深く深く、くにゃくにゃと俺の思い通りに形に変わる初雪の小さな唇を、唇を使って甘噛みしたり、口内で舌を絡ませたり。緊張して乾ききっていたらしい彼女の口の中に俺の唾液が流れ込み、味わうかのごとく初雪も舌を動かした。\n\n【初雪】\n「ちゅるっ……むふぅ……ちゅっ……嫌い……ちゅちゅっ……ぴちゅ……れろっ」\n\n初雪のやわらかい唇が絡みついて離そうとしない。俺の心を吸い出そうとするみたいに口内で激しく舌が動き回る。\n\nやっぱり、俺は好きだ……\n\n初雪のやわらかくて甘い香りが大好きだから……\n\n【初雪】\n「んちゅっ……ちゅるるっ……ぢゅぴっ……ぷはぁ……」\n\n夢見心地にまぶたを閉じながら、可愛らしく口づけを繰り返す彼女を至近距離から見てるとドキドキが止まらなかった。が、ふと目を覚ますかのようにまぶしを開いた彼女は、至近距離で見つめられている事に気がつき、とっさに俺から離れると頰を赤らめた。\n\n恥ずかしがる様子も好き……全部好き!!\n\n初雪はハッとした表情で、ばつが悪そうに伏し目になって後ずさりする。ふと背後の通路から視線を感じ振り返ると、あっけにとられた様子で女性が佇んでおり、子供の目を手のひらで覆い隠していた。\n\n【克行】\n「あっと……その……失礼しました!!」\n\n初雪の手を引いて次の展示室へと移動する。\n\n【克行】\n「気づいてたなら言えよ!」\n\n【初雪】\n「私も、ちゅーしたあとから、気づいた……」\n\n親子は俺達に追いついたと同時に、水槽を無視して次の展示へ。しかし、子供は嘲るような笑みを浮かべながら、意味ありげに俺を指さして手を引かれながら歩いて行った。\n\n【克行】\n「どうせならなんか言え! まったく……って初雪?」\n\n見失ったかと思ったが、初雪は存外近くで水槽の前に座り込んでいた。\n\n【克行】\n「クラゲ……好きなのか?」\n\n【初雪】\n「好き……」\n\n誰の目から見てもそうとしか言えないほど、水槽ですら穴が開くんじゃないかと思うほどに、いつものぼんやりとした目つきで眺めている。\n\nクラゲが好きなのか……なんでだ?\n\n【初雪】\n「うん……クラゲ、なにも考えない……なにも言わない……なにも思わない……\nだから、好き……」\n\nライトアップされた水槽の中を淡い姿で泳ぐクラゲを眺めていると、美味しそうといわんばかりに、初雪は口からだらだらとよだれを流し始めた。\n\n【克行】\n「よだれ……垂れてるぞ」\n\n【初雪】\n「垂れてない……」\n\n【克行】\n「いや、ハンカチで拭いてみろ……外の売店にクラゲアイスが売ってたけど」\n\n【初雪】\n「普通、クラゲは、食べない……」\n\n【克行】\n「よだれの意味……」\n\nすがるかのように初雪は俺の袖口を掴んだ。\n\n【初雪】\n「なんてクラゲ……?」\n\n【克行】\n「これはイルカンジクラゲ……タランチュラの1000倍の毒を持つって……」\n\n【初雪】\n「ドーム何個分……?」\n\n【克行】\n「確かにどっちもどっちで規模がわかりづらいな……」\n\nしかし、何故クラゲの種類を尋ねたのか疑問だった。\n\n彼女はさっきから種類を説明するプレートばかり見ていた。水槽はしゃがんで鑑賞する程度の高さにあって、そのすぐ横に種類が書いてあるから背が低くて見えないとかはない。本ばかり読んでいるから目が悪いのかと思えば、顔を近づけたりすればいい。\n\n【初雪】\n「これは?」\n\n【克行】\n「ミズクラゲだな。一般的な種類だそうだ」\n\nちょうどいいところにクイズコーナーがあったので、問題に挑戦してみる事に。板を上にスライドさせられると文字が浮かび上がった。\n\n【克行】\n「カミクラゲはある季節の到来を告げると言われています。その季節とは……\n春、夏、秋、冬どれだ?」\n\nヒント……寒い季節に潮の流れに乗ってくる、か……\n\n【克行】\n「どれだと思う?」\n\n問いかけに対して答えないようにしていた初雪だが、余裕しゃくしゃくと言わんばかりに――しかし、ボソボソとした声を発した。\n\n【初雪】\n「……冬……」\n\nそう、実はヒントなどいっさい記されていない。プレートの隅に反転して文字が――答えが『春』と印字されているだけだ。初雪の立ち位置から答えを読む事は可能のはずだが、間違えた。\n\nいや、この解答が初雪の口から出るのは正しいのだ。\n\n【克行】\n「……読めない……いや、読めないものが読めるんだな?」\n\n初雪は露骨にしまったという表情を示したが、俺は彼女をなだめる為に頭を撫でた。\n\n【克行】\n「ごめんな……でも、知りたかったんだ……聞かせてくれないか?」\n\n躊躇いがちに視線を泳がせては俺を見つめてを繰り返すと、初雪は座り込んで水槽に手を当てると食い入るように眺め始めた。手首のブレスレットがカチャリと音を響かせる。\n\n【初雪】\n「……ずっと、言おうと思ってた……でも、嫌われちゃうと思って、悩んでた……\n……なにも言わずに、聞いて欲しい……他の人にも、言わないで……\n私は、克行以外に、理解されなくても、いいから……」\n\n真剣な面持ちと重たい声色によって空気が引き締められる。\n\n【初雪】\n「……私、今日、とても楽しい……だけど、こんなんだから……嫌になった?」\n\nなにも言わずに聞けって言ったのに訊いてる……いや、なんでもない……\n\n【克行】\n「……正直、物足りないかな?」\n\n【初雪】\n「……感情を表情に、出すのが下手で……声も暗くて、ボソボソ喋るし……\n物事をはっきり、言いすぎるから……空気が読めないって、嫌われて……\n人を、傷つけた事も……だから、人の心がわかればいいのにって……」\n\n腕に巻かれたブレスレットを眺めながら淡々と――しかし、どことなく悲痛で深刻でありながら、同時に喜びの雰囲気を帯びている。\n\n【初雪】\n「……家に、あった……これ……つけたら、人の心が、聞こえるようになって……\n範囲内にいればその人の、匂いを通して、心が聞こえるみたい……\n幻聴のときもあるけど……」\n\n幻聴って……まぁいいや……つまりは、今まで俺が心の中で思っていた事は、全部筒抜けだったという事か……\n\nふと脳裏に過る初雪がオナニーする可愛らしいあの出来事。読まれては不味いと思って、心には浮かべずにおいた。\n\n……とにかく、おそらく初雪にとって、それは幸せなのかもしれない……その証拠に、ライトの青い光に染まる、ブレスレットを磨くように撫でている。\n\n【初雪】\n「文字が羨ましくなって、眺めたりもする……読めなくなったから……\n範囲内にその人がいて、匂いがないと言ってる事、理解できない……\n文字は、もじゃもじゃって動き回って……言葉は、逆再生してる、みたいに……」\n\n魔女だとか噂のある彼女だが、理由は不気味だとかそれ以外の部分にあったわけだ。現代社会においてメッセージも利用できなければ、電話も使えないのだから。\n\nそうなると、友達の輪から外れてしまうわけだ。\n\n【初雪】\n「……音声認証で文章を書いたり、出来るけど、相手のが読めないから……\n読み上げ機能使っても聞き取れないし、一方通行で終わっちゃう……」\n\nもっと時代が進歩したら、彼女と電話したりメールしたりできるんだろうか? 技術が誕生するのだろうか?\n\nいや、何年先になるかわからないし、不必要な技術だからできたとしても普及しないだろう。電話でさえデータ通信量を減らすために、合成された音声を構築してるのみで、本当の声ではないという話だ。\n\nそれよりも、もっと簡単な方法があるんだ。\n\n【初雪】\n「……これ、意外と便利……普段はアザみたいになって……\nアクセサリーにしたいときは、こういう風にブレスレットとして、使える……\nデザインも変えられるけど、結構難しい。この形が気に入ってる……」\n\nぼんやりとクラゲを眺めていた初雪は一度だけ俺を見返ると、また水槽へ向いた。\n\n【初雪】\n「……お話はこれで終わり……\n私は、こんな人……引き下がるなら、今のうち……」\n\n座り込む彼女の後ろからギュッと抱きしめる。ひんやりとした館内に冷えていた体が、初雪の体温で暖まっていく。\n\n直接会わなければコミュニケーションを図れない人間が、コミュニティから追い出されるこの時代。\n\n俺も少なからず葛藤してきた部分はあった。\n\nだけど、あの日の出会いはきっと、偶然なんかじゃないんだ……\n\n心から一緒にいられる人を、求めて、出会うべくして出会ったんだよ……\n\n【克行】\n「……いい匂いがするな……初雪の匂い。好きだ……」\n\n遺伝子からくる匂いを嗅ぐと、幼かった頃を思い出すような――ノスタルジックなやすらぎが溢れて止まらない。\n\n洗面所にあった試供品のシャンプーを使ったんだろう。近くで嗅ぐといつもの匂いとは少し違っていて、これはこれで好きになってしまう。\n\nそう、俺は人一倍匂いを感じる体質だから、服などの見た目だけじゃなくて、初雪が匂いを着替えるのもまた新鮮な気持ちを味わえて楽しい。\n\nこの匂いを視覚化するなれば、初々しい緑色を清楚な花びらで飾った、白いアザレアをモチーフとしたウエディングドレスを着ているかのような、彼女の姿を想像してしまう。\n\nなぜそんなマイナーな花を知っているかって? いまさらだが、俺の母親は花屋で働いている……\n\nちなみに、親父は一本の赤いバラを自分の胸ポケットに差しながら母の前に現れ、364本の赤いバラを送ったそうな……どうでもいいか。\n\n【初雪】\n「うん……克行の匂い……私も好き……」\n\nギュッと抱き着く初雪の黒い髪を辿るように、頭皮から彼女の遺伝子によって生じる匂いが、強く感じられた。\n\n【克行】\n「……好きだ……」\n\n【初雪】\n「うん、私も、好き……」\n\n俺達は互いに思いを打ち明け、これからも一緒にいる事を誓い、薄暗い展示室の中で口づけを交わした。\n\n【初雪】\n「んちゅっ……ちゅるっ……ぴちゅ……はぁ……\n口の中……克行の匂いで……いっぱい……\nぢゅるる……れろっ……ちゅっ……むはぁ、幸せ……」\n\n【克行】\n「なあ、初雪?」\n\n【初雪】\n「なに?」\n\n【克行】\n「今度こそ、ハニーって呼んでいいか?」\n\n【初雪】\n「やっぱり、嫌い……」\n\n【克行】\n「……そうか、じゃあスウィーティのままで行こう」\n\n【初雪】\n「嫌い……」"}

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