| {"novel_id": "n0007ht", "chapter": 126, "url": "https://novel18.syosetu.com/n0007ht/126/", "title": "明け方前の訪問者", "content": " この夜も、アスリの自宅の軒先には、ロマドウの若手から中年までの男性が10名弱集まり、一家を囲んでの酒盛りが催された。ユニスたちが持ち帰る分以外の、滝での恵み半分に、アスリが手塩にかける牛たちの牛乳と、相対的にちっぽけになってしまう父とダカクが上げる成果の、各余剰が日々日々酒に置き換えられるようになって、まだひと月と少しだが、集まる酒を村の者たちに振舞う習慣は、早くも定着しつつある。\n このところ村の大人たちの間では、カインタの惨事をロマドウでも引き起こさないようにすべく、村の広場の中央に、新たに見張り台を建てる計画が進められている。こうして毎夜、アスリの家の前で帰りがけに酒を補給していくのは、決まってその日に力仕事を担当した、それぞれ別の家業を持つ、即席大工たちだ。アスリが以前、ティサに遺品を手渡しに行く際、わざわざ炎天下で族長が数名を従えて、何らかをしていたことがあったが、あの時すでに見張り台の建築計画は始まっていて、おそらく族長はそのための図面を引いていたようである。\n\n 今宵の輪の中で、いつも以上に威勢が良いのはダカクで、昼前のユニスの鮮やかな一射をこんこんと説く一方、父は左右の男たちともう1つ小さな輪を作って、ちびちびと酒をあおっている。父にしてみれば、昼前の不甲斐なさから目を逸らせるだけでなく、毎晩方々に酒を振舞っているせいか、見張り台を建てる件も、ここまで父には全く作業の分担の話が回ってこないのだから、この生活は当面続けるに越したことはないに違いない。または、こうして日替わり人足をねぎらうことが、族長から父に割り当てられた、見張り台を建てる作業なのかもしれない。\n 父を除き、一日をやり切って楽し気な面々に対して、アスリはと言えば、昼にラリーヤやユニスから強烈なものを見せられたせいか、どうにも腹の奥が落ち着かない。このまま過ごせば、後々やり場のない欲求によって苦しめられるであろうことは、アスリの体も読み切っている。\n どうにか体の中心の抜けきらない芯を無視し、なお賢明であろうとするアスリは、昼食抜きで洞窟の解読を行った間に、細くなってしまった食勢を戻すが如く、食べられるだけ夕食を摂って、早々に宴会の駄話を切り上げると、満腹と昼間の頭脳疲労から来る猛烈な眠気を利用して、勢いそのまま床に就くしかなかった。だが、こういう日に限って月の出は遅く、また上ってきた三日月も細い割に明るく、かつてのアスリが屋外からラダンを覗き込んだ高窓からは、燦燦と月光が降り注ぎ、せっかく早く寝入ったアスリの眠りを、夜更けから徐々に浅くしていった。\n\n まもなく、真横から転がってきたダカクの衝突によって、アスリの企てた夢の世界は、いとも簡単に崩れ去った。続けざまにアスリの耳に入ってくるのは、やけに騒がしい父のいびきである。\n 普段であれば、アスリが窓側の壁に沿って眠り、父もまた向かい側の壁に沿って眠るはずだが、今夜はアスリが早く寝入っことを良いことに、ダカクは勝手に窓側のアスリの寝場所を陣取ったようだ。また、父も鬱憤を晴らしすぎたせいで早めに寝床にかつぎこまれてしまったのか、母が反対の壁側で眠り、アスリは父とダカクに挟まれる状態で位置していた。浅い眠りが続くところに、アスリの目元は月光で照らされただけでなく、ダカクも衝突し、いつもなら気にならない父のいびきまで手伝って、アスリは意識下に引きずり戻されてしまったようである。いら立つアスリが窓から見上げる空の色は、暗く、されど明けるのも近く、もうひと眠りするにしても中途半端な、夜とも朝ともつかない、寝る前の宴会の頃とは打って変わって、静かな闇だ。\n\n いら立ちは、アスリの心以外、肉体からも、ふつふつと湧き上がる。自慰がしたい。自慰をすべき時間だ。しかし、母からの抑制のみならず、今夜はラリーヤからも、アスリは駄目をいただいている。無論、アスリは常習的に母に心の中で謝罪しながら至っているのであるから、別にラリーヤのことなど無視して、少し外に抜け出して、悪い自分を責めつつ耽ってくることも、できなくはない。ただ日中、生殺しのまま髪紐で結び留められたユニスを思えば、あの我慢を自らに投じるのもまた良く、朝が来るまで股間に触れずにずぶ濡れにして、今日、1つになるであろうユニスとティサを傍らから眺めることも、趣深い試みだろう。\n 疼きだす腹の奥と、両太ももで強く挟み込むだけで肉感の伝わる、中央の大きな粒を抱えるアスリは、起き抜けの本能に近い頭脳で、快楽の悶々を少しずつ広げていった。相変わらず月光を注ぎ込む高窓からは、明け方前のひと時にも関わらず、ごく小さな遠くの馬の蹄音も、アスリの耳に進んでくる。\n\n 突然、父のいびきが止まった。直後に、父はむくりと起き上がると、枕元に立てかけていた弓と矢筒を手に取って、音を立てずに戸口へと向かい、頭だけを家の外に出していった。\n\n 父が、警戒している。馬が地面を蹴る音も、徐々に大きくなり、アスリの自宅の方へと近づいてくる。アスリが耳を澄ます限り、馬は一頭で、進む速度ものんびりとしているようである。ただ、アスリの頭をよぎるのは、あの襲撃の日にカインタの方角から立ち上っていた、数本の煙だ。\n ここまででアスリの頭中から性は完全に退避し、眠気も一切が消え去った。不安ばかりが先行するアスリは、父と同じく音を立てないように気をつけながら、履物をつっかけて父の真後ろへと回り込み、か細く父に声をかけていった。\n\n「……パパ?」\n「起こしちったか、アスリ。」\n\n 父も小さく答える。昼の狩りでも、夜の宴会でも見どころがなかったが、やはり父はアスリにとって頼もしい。\n\n「馬?誰か来るん?」\n「馬に乗って、火も持って。うちに来んのかはわかんねぇけど、こっちに来てんな。」\n\n 馬に乗った誰かが、たいまつを持って移動しているようである。父の隣で身をかがめたアスリは、その姿を一目見ようと、首だけを外に出したままの父の脇腹の横にできた隙間から、外の様子をうかがおうとした。\n\n「アスリ、やめとけ。誰かわからんから……、ん?あれ、族長じゃねぇか?」\n「えっ?族長さん?なんでこんな時間に?」\n「だからやめとけって。こんな時間なんだから、こっそり来てんろ。今夜は飲みに来んかったから、何かあるんかもな。うちじゃなくて、どっか行くんかもしれんし。もういいから、アスリは戻って、もう少し寝とけ。」\n\n 父の言う通りだが、アスリとしても寝床に戻って、もじもじする訳にもいかない。指示に従う意思だけは見せようと、アスリは少し下がってしゃがみこむと、あとは父の後姿を見守るしかなかった。\n ほどなくして、蹄の音だけでなく、馬の息遣いまでもが、父の塞ぐ戸口の脇からアスリの耳にも届いた。ほぼ確実に、族長はアスリの家を訪れようとしている。一体、何の要件か。\n\n「…………うちか。」\n\n 慎重に、族長の意思を無言でうかがっていた父も、ついに確信したようだ。一言つぶやいて、肩から弓と矢筒を下ろし、戸口の横へと置きやった父は、このタイミングで外へと進んでいった。父が警戒を解けば、今度はアスリが戸口を塞ぐ番だ。\n\n 父が外に出てすぐ、外の状況を目にしたアスリは、その光景を疑った。たいまつを掲げ馬に跨る族長の後ろに、イケメンがラリーヤを連れてきた時のように、もう1人が乗っていた。族長の持つたいまつの灯りが照らし出すその面前は、美しい刺繍の縁取りと、ラリーヤが染めたものとはまた異なる模様が入った、上品な白地を基調とする、ベール状の前布で覆われている。\n\n しかし、顔が見えずとも、この人物が誰であるかは、アスリも分かる。族長の妻であり、ロマドウの巫女たちを統べる、聖女だ。\n\n アスリがその姿を見るのは、昨年のロマドウの祭以来になる。その前は、一昨年の祭であり、さらにその前は、3年前の祭だ。つまり年に1回の祭でしか、アスリは聖女の姿を目にすることはないし、聖女を唯一目にする祭のひと時すらも、酔った大人たちとはしゃぐ子どもたちの喧噪の中から、顔は同じように隠しながら、今以上に立派に着飾った美しさを、遠目にわずかに眺めて、ため息をもらすだけなのだ。\n その聖女が巫女たちとともに、日頃何をしているかと言えば、主に医療と祭事である。ロマドウでは、病にしても、怪我にしても、お産にしても、死の看取りにしても、まず巫女たちの下に連れていくのがセオリーだ。加えて、聖女と巫女たちは、治療や薬の作成だけに限らず、怪しげな祈祷や占い、さらにはロマドウの伝統に則った儀式まで、幅広く司っているらしいと、アスリは聞いている。\n 聞いているというのは、アスリが聖女の仕事ぶりを実際に見たことがないということに等しい。現に、巫女たちの診察時、アスリが現場で触れ合うのは、ラダンよりいくつか年上くらいの、若く未婚の巫女ばかりであって、聖女が直接的に治療を施すことはないのだ。とにかく、あちらこちらを神出鬼没でウロウロし、常に村中の様子を見て回っている族長とは異なって、滅多なことでは聖女にはお目にかかれない。\n\n それが今朝はどういうことか、馬に乗ってアスリの家の前まで来ている。わざわざ何を目的に、ここまで来たと言うのだろう。まさかとは思いたいが、ここまで急となれば、イケメンとラリーヤの件だろうか。そうであるとすれば、非常に由々しき事態だ。族長だけでなく、聖女まで来るということは、ラダンのような直接的な針の罰どころではないだろうし、何がどうなるのかも想像がつかない。\n\n 厳しい吐き気が、アスリを襲った。この吐き気は、性に結びつかない。ただただ、本当に悪事を働いて、それが明らかになって、猛烈な嵐のように母に怒られる直前と、同じものだ。昨晩、アスリはあれほど夕食を摂るべきでなかった。\n\n「おっ……!?」\n「よ。すまん。起こしちったか。ま、どっちしても、起きてもらわんといけんかったんけど。」\n\n 族長は昼間に会う時と同様に軽快だが、父は明らかに面食らっている。突然、聖女が自宅にやって来たら、ロマドウの誰もがこの反応をする。\n\n「どしたんよ?夜中に、嫁さんまで連れてきて。しばらくね。」\n「……しばらく。」\n\n 聖女の声は、アスリの覚えている限り、過去の記憶にない。その、アスリにとっての第一声となる、父の挨拶に応じた聖女によるたった一言は、夜分の訪問を気遣ってか、暗闇に消え入ってしまいそうなほどに静かで、正直に言って覇気がなかった。もっと踏み込んで言えば、老人の声のようにしゃがれていて、生気がなかった。\n\n「ん?声、随分ひどいな。大丈夫か?風邪か?それとも煙草か?飲みすぎか?」\n「ちっとさ。」\n「そうか、まぁ……、まずアレだな。まず馬降りてよ、酒はー…、もうちっとで朝だけど、すこーしだけやってくか?仕事すんまでには、抜けんろ。」\n\n 父が聖女に対して連続して投げた問いに、代わって答えたのは族長だった。アスリも違和感を抱いているが、聖女の以前の声を知るであろう父は、より強くその念を抱いているはずだ。\n それでも、この場がアスリの自宅の前である以上、今のホストは父であり、暗いうちは夜で、有効なもてなしは酒だ。しかし、酒は強いのにも関わらず、酒の誘惑には弱い族長は、悪い表情すら浮かべず真面目な顔つきのまま、いとも簡単に酒に勝利した。\n\n「いやいや、今日はホント、いいんだ。すぐ帰らんといかん。」\n「そうか。じゃあー、そうだアスリ。今、飲む分だけで良いから、牛乳、搾ってきてくれんか。」\n「わかった。」\n「いやアスリ、大丈夫だ。わりぃな、ありがとう。うちには昼にまた、お母ちゃんに持たしてきてくれよ。」\n「なんだ。じゃあまぁ、いいから降りて、一服だな。」\n「それが、だ……。」\n\n 何かがおかしい。族長は父の申し出を、全て断っている。そして、ただ煙草をふかすのに馬から降りることすら、ためらおうとしている。族長が、一呼吸の間を取った。\n\n「…………こいつよ、今、馬乗んのも降りんのも、ひと苦労なんよ。」"} |
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