| {"novel_id": "n0007ht", "chapter": 128, "url": "https://novel18.syosetu.com/n0007ht/128/", "title": "聖女の願い", "content": " ゾクリと、アスリの背に寒気が走る。当然、聖女が語るのは怪異には当たらないし、アスリも今の話で何かを察した訳でもない。しかし、何日も怪しげに続くロマドウに関わる占術の結果だけに留まらず、それを明け方前の暗闇の中、たいまつ1本の灯りの元で、顔を隠した聖女による死期の迫った声で聞かされることには、なんとも言い難い不気味さがあるとしか言えない。\n 体力的な面で厳しい聖女は、しばらく間を取った。本来ならアスリか、父か母か、いずれか1人が水でも1杯くんできて、聖女に手渡すべきだろうが、父も母も、また聖女の夫でありながら族長までも、アスリと同じように不穏さを噛みしめているのか、静かに煙草をふかしているだけである。\n 静寂を終えて、聖女が口を開く。\n\n「……それで、前に戻って、聖女、私。で、手と捕まえる。そのままなら、私が手で捕まえる。または、捕まえなさい、とかね?だから、この占いは、私に向けて、自分の手で捕まえなさいって言おうとしてるってこと。それで、捕まえなさいは、本当に手づかみにすることも考えられるけど、ここは単純に何かするとか、しなさいとか、そういう意味でいいかもしれない。」\n\n ここまでを耳にして、アスリも理解が及んだ。前半と後半を総合すれば、行き着く先はほぼ一点だ。だが、アスリよりも母の方が、一歩早かった。\n\n「なるほど。じゃあ、全部合わせると、過去の言葉を使って、自分の手でロマドウを導きなさいってこと?そしたら、古い書き物とか、調べなきゃいけないんじゃない?」\n「そう、思うでしょ?」\n\n 聖女が軽く、おかしな咳払いを2回した。それら、たった2回には、たしかに重大な病の影が控えている。\n\n「でもさ、できないんだよ。今の私。なーんにも。生きてるだけで精一杯。せいぜいこうやって占い終わったの読んで、あとは横になって、ぼんやり考えるだけ。もう全部、巫女の子たちに任せっきり。仕事覚えてもらうのには、ちょうど良いけど……。それにそもそも、過去の言葉、ロマドウの記録だろうね、久しぶりにそういうのなんて、どうにか少し調子良い時に、読んでもみてるけど、前に読んだ時から、増えてるわけでもないし、こじつけみたいなのを考えるのも良くないし。」\n\n 布が遮っている以上、アスリは聖女の顔を直視できないが、過去聖女に抱いてきた厳かなイメージと異なって、砕けて語る聖女の言葉は重く、その下の表情がどうなっているかもある程度、想像ができる。語るだけでほぼ体力を消費しきってしまったのであろう聖女は、肩をすくませ、族長の背によりもたれかかるようにしながら、この場の核心に触れていく。\n\n「それで、私今、こんなだから、昨日初めて、この人から聞いたんだけど……、それを聞いて、全部つながった。最近見つかった、まだ私の知らない、過去の言葉。」\n\n アスリの頭中に、壁が広がっていった。美しい虹の出る滝の横、洞窟の中にびっしりと文字の記された、あの壁だ。過去の言葉とは、あの壁しかない。\n\n「アスリ、もう分かったんじゃない?」\n「それじゃ今日、これから、聖女さんも一緒に行って読むん!?」\n「無理はさせられんのよ。」\n\n 聖女の問いかけに応じたアスリを、キセルをくわえながら族長は制すると、空いた片手を後ろの聖女の太ももを優しく触れた。具体的に聖女のどこがどう不調かまでは見通せないが、族長も言う通り、見るからに辛そうな聖女を、乳や湯が溢れてしまうほど元気はつらつな男女とともに同行させるのは、不可能だろう。\n\n「それで、アスリ、壁のところに毎日、ユニスたちと行ってるんでしょ?だから、アスリ、書いて、写してきてほしい。そしたら、書いてきてもらったの読んで、何の意味になるか、私、頑張って考えるから。」\n「アスリ。」\n\n アスリの名を呼んだのは、父だけだった。しかし、父も母も、族長もアスリを見つめているし、聖女の顔にかかる布も、しっかりとアスリを捉えている。\n\n「わかった。もちろん大丈夫。写してくる。」\n「ありがとう。今日、私が来たのは、少しでも私の手でって、思って。本当は私も行って、読んでみたい。」\n「ありがとう。わがまま聞いてもらった。今回、こいつも本気なんだ。俺がアスリか、アスリの父ちゃんに言ってくるだけだって言ったんに、自分の手だっつって、聞かねんだよ。」\n「だって、そうでしょう?毎日巫女の子たち、占ったらそれなんだよ?自分の手って出てるんだから、自分でできるところまでは、なんとかって思って。」\n\n 聖女は1人、小さく笑ったようである。重苦しいこの場の空気の中であっても、聖女にしてみれば懸念していた願いが1つ、無事に受諾され、安堵しているのだろう。\n それにしても、あの壁の文量は相当だ。依頼を引き受けた今、アスリが次に目を向けなければならないのは、実務の面だ。\n\n「それでさ、あの壁。すっごいたくさん字書いてあるから……、どうしよう。読むだけで、ひと月はかかったと思うし。」\n「そうみたいだよね。……ああ、それじゃあさ、まず、今日は1か所、アスリが気になるところで、まとまりの良いとこ、そういうところあれば、そこだけ写してきてほしい。それ見て、まず、どんなものか掴みたいから。」\n「明日も?」\n「明日も、そう。そういうところがあれば。でも、もうそういうところないなら、ちょっとずつ、ちょっとずつで良いから、端っこから書いてきてほしいな。」\n「わかった。めっちゃ多いから、……あと、知らないのも多いし、火で照らしながらになると思うし、毎日ちょっとになるかもだけど。」\n「大丈夫、牛のついでで良いから。ごめんね、余計なお願いで。」\n「牛さんは、ユニスと、あとファラールも見張っててくれてるから、大丈夫だよ。」\n「あ……、そうだ。そのユニスでよ。」\n\n 煙を吐きながら、族長が軽くを手をあげ、口も挟んだ。今度は、ユニスだ。愛する人の名に、アスリが身構える。\n\n「これはアスリだけじゃなく、お父ちゃんとお母ちゃんにもお願いだ。」\n「私らも…?」\n「なんだ?」\n「ユニスってか、ティサとラリーヤも、そんだけじゃなくて、村ん中全部、他の誰にも。こいつが弱ってっこと、絶対に誰にも言わんでくれんか?もちろん、巫女らにもダメだ。」\n「なんだ?巫女にも言ってねぇんか?」\n\n 父が、ややいぶかしむように族長に返した。聖女と巫女が、いつもはどれほど触れ合いながら働いているのか、アスリは全く把握していないが、病の事実を伝えていない以上、聖女は巫女たちの前に姿も見せていないということになる。ここでも族長は、また先回りをして、説明不足を補っていった。\n\n「言ってねぇどころか、この前、かかり出してから、会わせてねぇよ。最初はうつんねんようにだったけど、うつんねぇのわかったら、今度はこんなに弱っちって。だからその革も、俺が巫女から受け取って、こいつに持ってってやんだし、巫女らの仕事も、聞かれたらわかるとこは俺、わかんなければ聞きいって、俺が答えてんだ。息子らにも、ユニスにも、もうずっと会わせてねんだよ。」\n「なんでまた?」\n\n 胸の下で左腕だけを組む母が、キセルの吸い口をこめかみにあてて、合いの手を入れた。ユニスだけでなく、血のつながる息子たちにまで族長は伝えていないとは、随分と徹底している。族長は、煙を含まずに続ける。\n\n「んなん、こんなんわかったら、みんな見舞い来て、仕事どころじゃなくなんろ?今は、見張り台作って、次は柵だの壁だのもやってかんといけんのに。で、そんなんが村の外にでも漏れてみろ。カインタあんなんした連中に、弱み見せるわけにはいかんねんよ。」\n「それはたしかに、まぁそうだわな。でも、大丈夫か?まだ先でも、祭りで出んと、バレんろ?」\n\n 父の言う通りである。今年の祭りはしばらく先だが、その場で姿を見せなければ、さすがにロマドウの誰もが、聖女の身に生じている異変に、わずかでも感づき、それだけで噂も立ってしまうはずだ。\n\n「だから、今年はしばらく延期だな。良くならんと、表に出せん。」\n「まぁ、良くなるのは、そんなに期待しないで。」\n「そんな弱気だからよ。どっちしても、今死んでもらうわけにはいけん。死んでも、村で今やってんのが一通り終わるまで、内緒だ。」\n\n 一貫して、聖女は悲観的だ。族長も強気に声をかけているようで、聖女への言葉の扱いがぞんざいなのだから、自宅でさんざん弱音を聞かされ、滅入っているのかもしれない。\n 族長は煙草をふかして、気分を切り替えるように話を流していく。\n\n「ま、そんなわけで、そのうちみんな集めて話すつもりだけども、今年は祭りが大分先だ。こいつのせいだけじゃなく、まずはホントに、守りを固めて。そうじゃねぇと、村中全部で酔っ払えん。どこの家でも、頭では分かってくれるはずだ。そうは言っても、祭りはどうだの、グチグチ言うやつも出てくんろ。わりぃけど、これまでみたく、みんなに酒飲ましてやってくれよ。俺んちは今、こんなだから、ホントわりぃ。俺も酒持って、できるだけ来る。」\n「ああ、それぐらいしかできんけど、任せろよ。威勢悪いの、どんどん連れてこいよ。」\n\n 父が、張りのある声で答えた。適材適所だ。馬上の族長も、朗らかに続ける。\n\n「ありがとな。最近、アスリだけじゃなく、お宅にはお世話になってばっかだわ。前言った馬、そろそろ乳離れできっから、仔馬で良ければ、今度一頭やるよ。」\n「族長!!!あれマジだったんか!!!」\n「ホントに!?アスリ、めいっぱい書いてきなさい!パパもお酒、たくさんみんなに飲ませてあげて!」\n「しかもメスだぞ?増やせんぞ?」\n\n 一足先に朝日が昇ってしまった父と母を前に、今度は族長も高笑いし、それにつられて父と母も笑えば、弱る聖女も族長に預ける肩を、静かに揺らしていた。父と母のわかりやすい現金さに、アスリはやや閉口したが、とにかくこれで聖女の気が晴れ、族長は恩を返し、父と母は馬に喜び、おそらくアスリの日々の一行にも、後日その馬が加わるのであろうから、アスリは頼まれたとおり、壁の字を写してくる以外にない。\n ひとしきり、場の面々が笑いきったところで、族長は馬の手綱を軽く引くと、馬の向きを変え始めた。それを見て母は、アスリの手から例の革の書を優しく取り上げて、元の筒状になるように丁寧に丸め、族長へと手渡した。\n\n「じゃあそろそろ、息子らが起きてくる前に、俺らは戻らんと。アスリ、俺らが来たことも、くれぐれも言わんでな?このあとユニスには、革と炭、持たせる。書き終わったんは、帰りにユニスに持たせてやってくれ。俺がユニスから預かって、あとでこいつに渡す。」\n「わかった。」\n「馬はいつでも良い。嫁さんが一番だ。嫁さんも、あんま弱気になんなよ。」\n「元気になったら、すっごく久しぶりだけど、また女の会、呼ぶから。前来た時、まだ聖女じゃなかった頃じゃない?」\n「うん……、ありがとね。」\n「じゃ!俺はまた今夜にでも!」\n\n 去り際の挨拶代わりに、手にしたままのたいまつを族長は少し高く掲げると、その背に寄り掛かる聖女を伴って、馬をゆっくりと進めていった。たいまつの灯りが遠く、小さくなっていく間、アスリも、両脇にたたずむ父と母も、ただただ静かに、闇の中に1つ浮かぶ光を見送っていた。アスリを挟んで、2人がぷかりぷかりとくゆらせるキセルの煙の上る先、南中の高さで輝く三日月は、まもなく白むだろう東の空の際を見つめて、続いてやってくる新しい朝陽に、サバンナを照らし出す役目を引き継ごうとしていた。"} |
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