| {"novel_id": "n0007ht", "chapter": 129, "url": "https://novel18.syosetu.com/n0007ht/129/", "title": "初めての記憶", "content": " 1日が一足早く動き出したこの日の朝は、全てが一足早い。族長と聖母の訪問後、父も母もアスリの3人とも、中途半端な明け方に床に戻るようなことはせず、一足早くダカクは不機嫌とともに父によってたたき起こされ、母は一足早く洗濯を始め、アスリも一足早く牛の乳を搾り、父とダカクも一足早く牛乳を飲み干し、夜明け前のサバンナに向かって出発していった。\n ただ当然ながら、いつもの3人と犬が一足早くアスリの家にやってくることはなく、諸々の作業と準備を終えて、軒先の台に腰かけて待つだけになったアスリにもたらされるのは、しばしのまどろみだ。それでも、朝の時間はいつ時代の誰にとっても短く、ほどなくして強張った表情のティサと、肩にかけた弓と矢筒のほかに、族長の予告通りたくさんの丸めた革を手にした変態が1匹、まだ染めていないたたまれた布を数枚持参する美しい女の変態も1匹に、優秀な犬が1頭現れて、一足早く進んでいたアスリの周囲の時間は、ようやく元のペースを取り戻していった。\n\n この日、どうでも良い話を次から次へと放り込むのは、女の方の変態だけで、他の3人は凪いでいる。まずティサについては、洞窟でラリーヤから教育を受けて以降、3日ぶりに例の宝石のついた腰飾りを身に着けている。この石が、ユニスに対しての誘いの印であるにも関わらず、無自覚だったと釈明することは、今朝のティサにはできない。つまり、ティサは明日と言った昨日の約束を、遂行する覚悟を決めてきたのだ。そのせいもあってか、牛乳を飲むティサはどこか上の空で、ラリーヤの会話に素っ気なく返すことしかできていない。\n その相手となるユニスも、神妙な顔つきだ。随分と真面目な表情だが、こちらも所詮は変態だ。いつもいい加減なユニスが、今日はもっといい加減などころか、時折無視までしているのだから、せめてアスリの家から出発するまでの間、腰布の中を膨らませないよう、精一杯集中しているのだろう。\n アスリにしても、早くも黙々と盛り上がってしまっている2人の様子を目にして、昨日の食べ過ぎ以外の何かが、腹の奥で疼きかけてはいる。だが、こちらはこちらで、先ほど聖女と族長からあれこれ聞かされ、願いも託された上で、秘密の保持まで保証しなければならない状況だ。圧倒的熱量のユニスとティサを冷ますのに、聖女と族長のペアはちょうど適しているとは言え、今、ここでむやみなお喋りをして、失言をする訳にもいかない。\n 加えて、近くで家事をこなす母も時折、何とも言えない視線をアスリに向けて送ってきている。アスリと同じく、特に聖女に関して、母すら何も余計なことを言うことができないのだから、母としてもアスリの難しい立ち位置に気をもんでいるのだろう。\n\n「アスリ、頑張ってね。」\n\n 朝食を終えて、出がけに母からアスリだけに聞こえるように送られたシンプルな一言には、その母の配慮が、ずっしりと込められている。もっとも、母の言う頑張りの対象に、ユニスとティサが深める仲をアスリが見学する部分は、含まれていない。聖女から引き受けた時点で、アスリはここまで想定していなかったが、今日のアスリは牛飼いとしての仕事のほかに、字写しに見届けと、大きく2つこなさなければならないのだ。元々アスリに今日やりきるつもりもないが、ユニスの2番目をいただくのは、また日を改めるべきだろう。\n とにかく、アスリは母に目だけで強く答えてから、平静を装いつつ、牛たちを連れる支度を整えていくしかなかった。そして、今日はまた滝だと言うラリーヤの指示の下、一行は今日の旅路に進んでいった。\n\n さて、ロマドウから十分距離をとったところで、朝からうるさかったラリーヤは、早速顔全体が悪である。最初に悪意が向けられる先は、ティサの腰元で輝く宝石だ。\n\n「で、ティサ。ちゃんと今日は、腰につけてきたねー?えらいねー?」\n「バカ。ママのなんだから。茶化さんでよ。」\n「でも昨日と一昨日、つけてなかったよ?」\n「うっさい。」\n「今日はちゃんとユニスに、なかよししよーよってことだよね?」\n「だから、うっさいって!」\n「ユニスは?もう嬉しくて、ちんちんピンピン?」\n「おい、バカ!触んな!族長にこんなんいっぱい持たされてんだから。」\n「んふふふ。もう脱いじゃえば?私のこの上、載せられるよ?」\n「やだよ!朝からラリーヤうっさいわ。」\n「ホント、マジサイテーすぎる。」\n\n 面倒くさい女だ。ティサもユニスも、相当な厄介を強いられている。アスリも無駄に介入すべきではない。これほど人をからかいながら、剃りあげたものが一晩で生えてくるはずはなく、股間は無毛なのだ。意味不明だ。ラリーヤはティサの真正面に出て振り向き、後ろ歩きでティサの顔を下から覗き込むように身をかがめながら、しつこく続けていった。\n\n「まぁさ、最低でも何でも良いけど。ティサは今日、約束守んないとだもんねー?」\n「はぁー、サイアク。」\n「だからそんなに嫌なら、私がユニスの初めて、食べてあげるって!」\n「バカ!!」\n「それだと、やーやーなんだもんね?大好きなユニスの初めて、ほしーほしーだもんね?」\n「……マジで殺すよ?」\n\n 今更ながら、愛する人の初めてをここまで煽られると、相手がいくらティサであっても、アスリの心中に嫉妬が沸き立ってくる。ティサに落ち度は一切ないとは言えど、アスリにとってティサはあまりにもうらやましい限りであって、ラリーヤの言ったようにユニスだけでなく、もうティサも今の時点で脱いでしまうくらいのことはしてしまっても良いだろう。\n からっと爽やかな朝のサバンナの空気の中で、耳まで赤くして暑そうなティサは、物騒なことを口にしても、全く迫力がない。それでも殺害の予告までされては、ラリーヤも後ろ歩きをやめ、口を閉じるほかなく、道中にはしばし平穏が戻った。\n\n「……………………ねぇ、ラリーヤ。」\n\n その、やっと完成した平穏に、なぜか切り込んでいったのは、まさかのティサだった。しかも呼び出し先は、最もたちの悪い変態だ。首だけを振り返らせたラリーヤが、横顔の流し目で答える。\n\n「何?」\n「あんさ……、ラリーヤも初めての日、あったんしょ?」\n\n この時点で、ティサが何を胸中に抱いているのか、アスリは察知した。初めては、ユニスだけではない。ティサにしても、これからが初めてだ。洞窟の中でラリーヤから話を聞き、昨日イケメンがたった2回、ラリーヤに入ったところを見ただけでは、圧倒的に情報が不足している。ティサはこれからを前に不安なのだろうし、ラリーヤの経験値が欲しいに違いない。\n 今のティサの問いを受ければ、察しの良いラリーヤも先回りができるはずである。だが、ラリーヤは再び顔を前に向けて、何も答えなかった。今朝は束ねられていないラリーヤの後ろ髪が、サバンナを吹き抜ける弱い風に舞う。\n\n 4人とも、無言を貫いている。まさかラリーヤは、無言で語ろうというのか。圧力の強い無言に、先にティサが屈した。\n\n「…………え、待って、ラリーヤ。もしかしてなんだけど、昨日の……、初めてだったってこと?」\n「んなわけないじゃん。したら、カインタの男の子たちの話とか、お兄ちゃんの話とか、何なんってなんじゃん。」\n「じゃあさ。」\n「いいじゃん?そんなん。」\n\n 急激にしぼみつつあるラリーヤが突然振り返って、立ち止まった。ラリーヤが止まれば、ティサもユニスも、アスリも止まるしかない。\n 今のラリーヤは、笑みもなければ怒りもなく、悪さもなければ変態もなく、真顔でもない、アスリも表現できない表情を浮かべている。そのちぐはぐな顔で、ラリーヤははっきりと、短く語った。\n\n「初めてなんて、ただの1回。」\n\n ラリーヤがティサから視線を外し、後方のもっと遠くへと目をやった。そのまま続けて、ラリーヤは弱く、ぽつりとぽつりとつぶやく。\n\n「でも、ティサは好きな人となんだから、良い思い出にしてよ。絶対。」\n\n アスリは、何もラリーヤに問えなかった。ラリーヤは、どう見ても初回の出来事をはぐらかして、その上でティサにアドバイスを送っている。聞いた話をうのみにするだけなら、ラリーヤはティサからの質問に喋っているだけで、答えてはいないのだ。\n しかし、変態である以前に、ラリーヤが配慮と気配りの女であることを踏まえた上で、ただの1回の発言の後に連続した言葉の意味をたどって、それを婉曲的な言い回しとするのであれば、すなわちラリーヤの初回には、愛がなかったということにつながっていく。たしかにラリーヤは洞窟の中で、好意の有無に関わらず、対象とした旨も述べてはいた。その初めてが、ラリーヤの愛が向いていなかったとして、おかしなところは何らない。\n だが、今のラリーヤには、直前までと打って変わって変態が宿りきっていないばかりか、遠くを見つめる瞳がなぜか寂しい。きっとラリーヤにも、今のティサとアスリのように、普通の少女だった過去があったはずだ。そしてその初めては、残念ながらラリーヤにとって、あまり良い記憶ではないのかもしれない。\n\n アスリはラリーヤの触れた全てを、見通したわけではないし、はっきり言って1割も把握できていない。それでも、これ以上深く掘り下げるべきでないことは、アスリも十分に理解できる。\n ティサとユニスも、ラリーヤの言葉と態度から、何らかを汲み取っているのか、こちらも再び無言だ。現に、ティサは好きな相手に関する指摘をラリーヤから受けたにも関わらず、そこに対抗しないし、こういうタイミングで常々鈍いユニスも、少し先の地面を見つめて押し黙っている。\n\n ひとしきりの間、ラリーヤは問われるのを待っていたのか、それとも眺める先に遠い記憶を見出していたのか、何かが1つ欠落してしまったかのような表情を浮かべて、その場に立ち尽くしていた。ただ、ラリーヤの記憶を問うことができる、制限時間はいっぱいだ。ふと、ラリーヤが前を向いて、滝の方向へと歩みだせば、機会をふいにした後ろの3人も、かつて少女だった背を黙って追っていくしかない。\n\n「……………………ねぇ、ティサ。」\n\n 今度沈黙を破ったのは、ラリーヤだ。ラリーヤは歩みを止めることなく、ティサに横顔を振り向ける。\n\n「……ん?」\n「絶対、今日は絶対、良い思い出にすんだかんね?」\n\n 一点も曇りもない、快晴の笑みを炸裂させて、ラリーヤが戻ってきた。ラリーヤがまた、うるさくなった。"} |
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