| {"novel_id": "n0007ht", "chapter": 130, "url": "https://novel18.syosetu.com/n0007ht/130/", "title": "薬液", "content": " 本調子を取り戻したラリーヤが、真っ先に話を振り向けていく先は、やはりティサとユニスがこれから取りなす行為についてだ。ただ、ラリーヤとしても、ティサに必ず良い思い出とするよう勧めた手前、ティサとユニスをからかいつつも続くラリーヤの話は、より建設的な、今日の午前の過ごし方へとつながっていった。\n 変態さと真面目さが絶妙に共生しているラリーヤがまず述べたのは、ティサとユニスのための時間を設けなければならない以上、いくらユニスの狩りとティサの獲物の処理が手早いとは言えども、早めに雑事は片づけておいた方が良いであろうという助言だ。これを受けて、ティサはうつむき無力であるのに対し、後で自分が何をするかよりも、目先の具体的な事柄には頭が回るユニスは、至極まっとうなラリーヤの意見に対して、朝のうちに獲物を捕らえてくること、ティサがそれを捌く間、持ち帰るまでに肉が傷まないよう、中州で普段魚などを火にかけている拭き屋根のそばに、新たに獲物一頭分の肉を燻せる場所を加えること、ラリーヤにも燻製づくりを手伝ってほしいことなどを、てきぱきと述べていった。もじもじとして情けない姿のユニスを、性にまみれながらいじめるのもアスリは好きだが、精悍に指示を出すユニスも良い。この男子と、これからティサはつながるのだから、ティサにとってはそれだけでも良い思い出になるはずだ。\n ここでアスリには何の要請もかからなかったが、当然、アスリの仕事は、ユニスが手にしている族長から送られてきた革に、洞窟の中の文字を転写することになる。3人が族長からどのように聞かされているのか定かではないが、ユニスがアスリにその件を振って、ティサもラリーヤもそれは手伝えないと、ため息でもつきそうな口調で触れて終わったのを見るに、族長は聖女の病状や、連日続く薄気味悪い占いの結果など一切知られぬよう違和感なく説明し、文字が読めない3人も、そこに特に興味は沸かなかったようである。\n それにしても、ユニスは随分とたくさんの革を持たされてきたものだ。ティサとユニスが初めてをなすところに、アスリは立ち会うのか、そもそも立ち会って良いのかすら不明だ。しかし、仮に立ち会わないとしても、その間はやきもきして仕事にはならないであろうし、今日はせいぜい、あの革1枚を書ききるのが関の山だ。\n\n まもなく、滝から吹く清々しい風が、一行を出迎えた。昨日は誰も来なかったが、今日も滝はいつもと同じように絶え間なく水を落としており、牛たちが毎日食べても食べても伸びてくる豊かな草は、中1日分が空いて、背丈もやや高くなったようである。最初にラリーヤが燻製づくりに向けた採集をしてくることと、後ほど一昨日作った薬液を確認することを告げて、近くの茂みに進んでいけば、ユニスが狩りを終えるまで手の空くティサも、ラリーヤに従っていった。\n 昨日見たラリーヤとイケメンに、今朝見た族長と聖女、これから見るユニスとティサと、3組の前に完全にアスリは忘れかけていたが、ここには薬液もあるのだ。どのような仕上がりなのか、アスリも早く肌に塗りこんでみたいし、もし今日の帰りにラリーヤが母に渡す分を忘れていれば、アスリも一声かけなければならない。\n 一方、ユニスも族長から持たされてきた革を置きやって、アスリに指で指し示すと、犬に向けて何かつぶやいてから、滝の前の池から南西に流れていく小川に沿って、勢いよく駆け出していった。犬は尾を振りながらユニスを見送ったところを見るに、この場で牛たちの護衛を任されたのだろう。\n\n 残った人間は、アスリだけだ。ふと、アスリが軽く息を吐きだして、大きく吸い込んだ空気は、滝から上がった水しぶきを含み、澄み渡っている。この空気を文字に乗せて、弱った聖女に届けることは叶うのだろうか。\n 何にしても、あまり長くないと自己予見する聖女の望みは、壁の文字だ。アスリも、いつまでも牛たちや犬と一緒に、のんびりしている訳にはいかない。手始めに山積みにしてあるたいまつの置き場から数本を拾ってきて、そのうちの1本だけを手にしたアスリは、浅瀬を突っ切って中洲に渡ると、残しておいた種火から火を取り、あわせて燃え尽きた炭も拾い上げた。そして、ユニスの持参した皮でない革と、火のついていないたいまつも、持てる分だけ小脇に抱えて、今更降り注いできた早かった朝の代償をあくびで振り払いながら、先人たちの築いた洞窟前の階段を昇っていった。\n\n 今日のアスリの作業には、明るさが必要だ。洞窟に入り、革の筒を適当に置きやったアスリは、一昨日ラリーヤの指示のもとに集めた枯草に火の粉が飛ばないよう、洞窟の奥に向かってほぼまっすぐ3か所に、たいまつを置きやりながら火を灯していった。\n\n 壁が、照らし出されていく。いつ見ても、この壁は圧巻だ。できることなら、アスリは聖女をこの場に連れてきて、その目に直接この光景を広げたい。\n 今朝の聖女は、この中からまとまりの良い部分を、先行して書き写してくるようにとアスリに依頼していた。だが、この壁は、アスリが見る限り壁全体で1つの文書であり、かつアスリもほとんど読みこなせないのであるから、どこをどれだけ抜き出せば良いのか、今のアスリの知識では推し量ることができない。\n たしかに聖女は、明日以降の分については、まとまりが見られなければ端から書き写すだけで良いとは口にしていた。ただ、それは明日以降の話であって、少なくとも初日の今日は、最低限どこかの一節を抽出できなければ、アスリはあまりに無能である。じっくりと壁を流し見しながら、上衣の裾を指に巻き付けつつ、早くも途方に暮れかけているアスリが、壁の中ほどに目を送っていった時だった。\n\n アスリの瞳が、立ち止まった。今朝、母から習ったばかりの、聖女の印だ。さらに薬を意味する言葉が、その直後に続いている。\n この前後で、アスリに読み取れる箇所は他にないが、聖女と、薬だ。思えばユニスとティサが襲撃され、毒矢に弱っていたあの時も、いつのものかもわからない、持ち合わせていた薬を2人に飲ませ、後に族長から、薬によって麻痺が緩和して、2人の一命をとりとめる一助となったことをアスリは聞かされている。\n 今、ここにあるのは、薬ではなく文字だ。それでも、効果があるか不透明なものを、傷病者に投与する賭けに、アスリは一度、勝っている。\n ひどく衰弱した聖女からの依頼に対しての返却として、ここ以外に書くべきところはない。早速、聖女と薬の前の地面に革を広げたアスリは、聖女の印を起点に転写を始めていった。\n\n 知らない言葉は、写すだけでも一苦労だ。革には壁の文字に加えて、失敗して黒く塗りつぶしとなってしまった箇所も複数できてしまっているが、反対に書き漏らして少なくなってしまっているところはない。これがアスリの精一杯だ。\n 壁読書をしていた時と同じく、集中して過ごす時間は早い。アスリが次に壁以外に意識を向けたのは、たいまつの上げる小さな弾ける音と、外から聞こえてくる滝の水が落ちる音の中に、洞窟の外から近づいてくる、ティサとラリーヤのおしゃべりの声が加わった時であった。\n\n「アスリ!できた?」\n「お肌に使うやつ、持ってきたよ!」\n\n 洞窟の入り口から、ラリーヤとティサがアスリにかけた声のうち、特にティサのものの方に、アスリは思わず反応して、洞窟の入り口の方へ勢いよく振り返る。見れば、2人が一昨日薬液を作った釜を左右で手分けして持って、洞窟の中へと進んでくるところである。\n\n「ウソ!?アレ、できた!?ティサ、もう塗ったん?」\n「まだまだ。どこ置けばいい?」\n「そこの草の横、奥んとこにしとこか。わ!アスリ、すっごい!めっちゃ書いてる!」\n「ホントだ!すごい!壁のとおんなじじゃん!」\n\n 釜を運びながら、ラリーヤがアスリの仕事ぶりに触れると、ティサも広げたままの革へと目をやった。どこまでが聖女と薬の話なのか、アスリは掴めないが、ラリーヤの言った通り、それなりの量をアスリは書いた。ここまでですでに、ちょうど1枚分は革に文字を書き写している。今日の帰りにユニスに持たせる量としては、ひとまず十分であろうし、もしこの続きも必要であれば、族長と聖女がまた人目を忍んでアスリの家に来るのか、それとも3人にことづけがされるかして、アスリに追加の指示が届けられることだろう。\n\n「まぁ、写しただけだからさ。ってか、お肌のお薬!」\n「待って待って。じゃ、ティサこのへんで。……よいしょっと。」\n「ほー、ちょい重かった。ユニスに運ばせれば良かったね。」\n「お疲れ様!で、どうなん?ラリーヤ?」\n「どうかなー?」\n\n 置きやった釜の前に、ラリーヤとティサがしゃがみこむと、すぐさまアスリも釜を囲む輪に加わった。アスリも腰を下ろしたところで、ラリーヤが一足先に釜の上にかけられていた布を払うと、洞窟の中の空気に、すっと抜けていくような、爽やかな香りが広がっていく。\n\n「わぁ、いい香り!」\n「すごい、もう匂いだけで綺麗になっちゃいそう。」\n「んふふ。でしょ?お花や果物入れると、もっと良い香りなんだけど、あんま日持ちしなくなっちゃうからさ。でも、これだけなんに、香りはめっちゃ良いね。ちゃんとできてるかな?」\n\n 釜の水面には、低い位置のたいまつからの明かりはほぼ届かず、色合いは釜のものと同じか、それよりも暗いばかりで、香りのほかに水気があることしか、アスリは把握できない。その水面に向かって、ラリーヤはするすると右手の指先を伸ばすと、親指と人差し指と中指の3本で、薬液をすくいあげた。\n\n 洞窟と、釜の中の水面の間に、糸が引かれた。無色透明だ。別にアスリは変態ではないが、ここから想起するものは、ラリーヤが昨日自らの泉から採取した糸であり、アスリも産出できるものだ。アスリの心中には構わず、ラリーヤは糸を引く液体を左手のひらの上にのせると、両手を軽く揉んでから、自身の前腕に片方ずつ広げていった。\n\n「……やばいね、これ。」\n「え?失敗?」\n\n ラリーヤに問うティサの声と顔に、雲が広がった。自然とアスリの眉間にも、力がこもる。2人の懸念とは裏腹に、続いてラリーヤの顔中には、太陽が上った。\n\n「過去イチ!!!超良い草だ、やっぱ!!!すっごいしっとりしてるのに、さらっさら!!!」\n\n 洞窟に号令が響いた。晴れ渡ったアスリとティサも、ラリーヤと同じように釜から薬液をすくい、両腕に塗りたくっていく。\n\n「うわぁ!!何これー!?ぬるぬるしてるー!!」\n「ホントだ!ぬるぬる!あっ、ティサ、垂れてる!垂れてる!」\n「やばいやばいやばい!アスリも肘!」\n「ちょっ!えっ、ちょっとさ?これ、全然さらさらじゃないじゃん?」\n\n ラリーヤが、弾けるように笑った。せっかく出来上がった薬液が、随分洞窟の地面に落ちてしまっているが、こう笑われてはアスリもティサも笑うほかなく、3人の笑い声は洞窟の中で大きく増幅していった。\n\n「ひっ……ひっ!!いやさっ!そんな目いっぱいすくったら、そうなんに決まってんじゃん?」\n「なにー!?ラリーヤ先言ってよ!ティサ、腕全部ぬるぬるになっちゃってんじゃん?」\n「アスリも足にくっついてる!」\n「そんな欲張んなくても、お肌に塗る時は、ちょっとでいいんだよ。ぬるぬるにしたい時は、今みたく、いっぱい使えばよくて。」\n「そんな時、ないっしょ!?」\n\n またティサが笑いながら、ラリーヤに指摘を入れた次の瞬間だった。突然、ラリーヤの表情に現れた性を、アスリは見逃さなかった。"} |
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