Krixter/Repo / n0007ht /131.json
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{"novel_id": "n0007ht", "chapter": 131, "url": "https://novel18.syosetu.com/n0007ht/131/", "title": "合意形成", "content": " 笑うばかりのティサは、ラリーヤのわずかな異変に、まだ気づいていないに違いない。しかし、すでにアスリの心中では、何らかの予感ばかりが先走りしている。\n\n ふいに、冷静になったアスリに思い浮かんだのは、予感から転換した1つの疑問だ。先ほどラリーヤとティサは、川の中州から洞窟の中まで、ティサがユニスを使役すれば良かったという感想を抱く程度には重い、この釜をわざわざ運んでいる。\n 別にその点に関しては、外で釜を火にかけ終えた後、しっかりと時間を空けた上で、完全に釜が冷め切った今、保管に適する洞窟に運んできた方が合理的であることは、アスリも分かる。だが、アスリが問いたいのは、そこではない。\n\n「…………ねぇ、これさ。これって一昨日、あの長い草、入れたっきり?」\n「そうそう!あれだけなんに、香りも良いし、すべすべだし。この辺で採れんの、ホントなんでもすごいよね!」\n「え?待って、そしたらさ、もうこれで完成ってことだよね?」\n\n ティサも何かに気づいたようだ。ただ、ティサの視点はアスリとも異なるようだ。\n\n「一昨日、私とアスリがたくさん集めてきたそこの草、それ毛皮かけただけで、なんも使わんってこと?そしたらそれ、なんで集めたん?」\n「たしかに。あと、私言いたいんは、お湯沸かして、お薬に使う草漬けるだけならさ、2人とも重そうだったんから、草だけ持って帰って、うちの近くで作れば良かったじゃん?多分、牛さんの背中も、こんな釜だし、中身ぬるぬるだし、こぼれちゃうから載せられんし、手で運ぶしかないよ。」\n「そうだわ!アスリ賢い!これアスリのママに、持ってくんよね?お肉とか、採ったのの他に、これもっしょ?全部は厳しくない?まぁ、ユニスならいけるか。」\n「なんだよ?俺ならって。」\n「うわっ!いつからいたん!?」\n「釜持って入ってったとこから。」\n\n 洞窟の入り口から届いた男子の変態の声が、アスリとティサによるラリーヤへの質問責めに割って入り、ティサが振り返って応じた。これほど気配を殺せるのだから、ユニスに狙われた獲物は、その時点で捕まったも同然なのだ。\n この流れで、ラリーヤはなぜか小さく笑い声をあげる。徐々に悪さが高まりつつあるラリーヤが、一層怪しくなっていく。\n\n「んっふふふ、そんなんさ、どっちもこのあと使うからに決まってんじゃん?」\n\n ラリーヤがまた、右手の指先を釜に伸ばして、薬液を小さくひとすくいした。その手の中身をこぼさないよう、肩の位置まで持ち上げたラリーヤは、腰を少し持ち上げて横移動をすると、積みあがった草にかかった毛皮の上に、自らの腰を放り投げるようにして座っていった。\n ラリーヤの大きな尻を受け止めた柔らかい草が、ラリーヤからの重力を跳ね返して、洞窟の中に、ふわりと風を巻き起こす。薬液の香りとはまた異なるものの、こちらも同じく良い香りだ。一昨日、ラリーヤは毛皮と草の間に、別の香草を散りばめていたが、丸1日以上の時間を置いて、草にも毛皮にも、しっかりと香りが移ったのだろう。\n うっとりしたように、目を細めたラリーヤは、薬液に触れていない左手で、草の上の毛皮を優しく2度たたく。\n\n「…………なかよしする時に。」\n\n またしてもラリーヤの右手の指先に、糸が引かれた。同時にラリーヤの口角に、いやらしさが満ちた。\n 悪だ。ラリーヤが、悪になった。\n\n 当事者のティサとユニスは、黙ってしまった。ここは残るアスリが、つなげるしかない。\n\n「…………いや、どう使うん?」\n「ここまで準備したんに、まぁ、わかんないか。あとでアスリにも一緒に教えてあげるよ。」\n「待って。今朝さ、いつもよりラリーヤ、布いっぱい持ってきてたじゃん?あれは?あれも、染めるんじゃなくて、もしかして、あれも、その……、なかよし?」\n「いいじゃん?あんま先に言うとさ、ティサがまた、やーやーしちゃうから。」\n「うっさいわ!!サイテー。全部そういうことだったん?」\n\n 黙ってばかりいられなくなったティサが、右手で自らのこめかみを押さえながら、ラリーヤに対抗する。ただ、もはやこの洞窟は全てラリーヤの支配下にあるだけでなく、ティサはラリーヤに約束まで飲まされてしまっている。右手の指先につく薬液をくるくるとこね回し、怪しい笑みを浮かべながら、ラリーヤは臆することなくティサを前へ前へと押し進めていく。\n\n「ほらほら、だから最後まで内緒だよー。ま、いいからさ、とりあえずごはん食べようよ?朝から作ってるお肉、ちょっと食べん?さっき、すっごいいいにおいしてたし!」\n\n やり場のなくなってしまったティサと、何も述べないユニスの一方で、アスリが洞窟にこもって転写の作業をする間も、滝への往路でユニスの語った肉を燻す計画は、順調に進行したのであろう。肉を話題にした瞬間、邪気が抜けていったかのように、一気に声のトーンを明るくしたラリーヤは、草の山から勢いよく腰を持ち上げると、両手の先を地面の方に斜めに向けるようにしながら、自分の声に続くような小走りで、軽やかに洞窟の外へと飛び出していった。\n 未だに釜を囲むアスリとティサと、洞窟の入り口に佇んだままのユニスは、沈黙だ。アスリの目の前のティサの顔も、振り返ってやや薄暗いユニスの顔も、水に浸してしまった薪のように、ふやけているようで固く、かと言って火がつきそうにもない、とにかく使い物にならない状態である。\n 2人の心情をあえて問うことは、野暮だろう。いたたまれなくなったアスリは、ゆっくりと立ち上がると、書きっぱなしの革を洞窟に広げたまま、ラリーヤに続いて、外の空気へと向かっていった。\n\n「…………ねぇ、ユニス。」\n\n 強い日差しを浴びたアスリが、昼前の時間感覚を取り戻した時であった。洞窟の中のティサの弱々しいユニスへの呼びかけが、小さくアスリの耳に届いた。\n\n「…………何。」\n\n 少し間を置き、ユニスが答える。ラリーヤとアスリが去ってから、ティサが始めたこの会話はは、ユニスだけに向けられたものであって、アスリが聞いて良いはずなどない。しかし、意に反してアスリの足は、ぴたりと止まってしまった。\n 思わず身をかがめたアスリが、音を立てぬよう静かに見渡す辺りに、地獄耳のラリーヤの姿はない。いや、いた。3日前に4人で昼食を摂った場所の中央に置かれた、薄く平べったい板のようになった木の上に、ラリーヤは大きな葉を並べている。どうやら試食する肉を載せるつもりのようだ。あの位置にいれば、すぐ横で尾を振りながらラリーヤの作業を眺める犬でさえも、ユニスとティサの声は拾えないだろう。\n つまり今、2人の会話を聞き取れるのは、洞窟の中の2人と、アスリだけだ。自宅の横の高窓から、ラダンの秘め事を発見した時のように、アスリの耳が洞窟の中の覗き見ならぬ覗き聞きを、良心に反して開始していく。\n\n「…………ごめん。」\n「なんで?」\n「今から、昨日の……あんなん、やんなきゃにさせて。」\n「………………いいよ。」\n「……ありがと。」\n\n ティサが、謝って、感謝した。2人の間には、アスリとユニスの間にはない、時間がある。時間とは、過去だ。2人が積み重ねてきた過去が、アスリとラリーヤの前にいる時のように、ティサを強気にさせないし、ユニスを凛々しくする。\n アスリも、凛々しいユニスのことを、ある程度は知っている。だが、ティサにとって、森の中にいたユニスは、アスリが把握している以上に、もっとずっと凛々しいはずだ。\n\n やり取りが、羨ましい。ユニスは、アスリのものではない。これまでもティサのものだし、これからもティサのものだ。アスリがユニスに触れる時は、ただティサから借りるだけだ。\n ティサが、続く。\n\n「……ねぇ、ホントにいいん?」\n「……だから、いいから。」\n「そうじゃなくて。」\n「ん?」\n「初めて……、私で。」\n\n またわずかに、ティサが間を取った。滝の水が落ちる音と、鳥のさえずりが、アスリの耳を補完する。\n\n「…………私、ユニスの初めてって聞いたら、なんでかわからんけど、ラリーヤに取られたくなくなっちゃった。ホント、なんでかわからんけど。バカなんかも。…………でも、ユニスも、ねぇ、ホントにさ、初めてなんしょ?」\n\n 盗み聞きをすることしかできないアスリの鼓動も、アスリの内側から耳をつなぐ。繰り返すが、これは聞いて良い会話ではない。それに聞いたところで、アスリは羨ましくなり、悔しくなり、喉の奥が釣りあげられるようになるだけなのであって、何の得にもならないのだ。そうであるにも関わらず、アスリの聴覚は、いつにも増して研ぎ澄まされていく。\n\n「だから……、いいん?ユニスの初めて、このままだと、私になるよ?私も、初めて、ユニスになるけど……。」\n\n 洞窟の中、2人はどう位置しているのだろうか。もしアスリなら、それも3日前にラリーヤから教育を受けた直後のアスリなら、もうユニスに直に触れている。\n\n「じゃあ、ティサは、いいん?」\n「私は……、ユニスがいい。」\n\n 質問への質問返しに、ティサが、鋭く打った。アスリの目や鼻や喉の奥が、脳に向かって1本の糸でたぐいよせられるように、アスリの脊髄を締め上げる。\n\n「ユニスじゃなきゃ、やだ。」\n\n 苦しい。これが、アスリが絶対に越えられないし、越えてはならない壁だ。見ないようにして、または見えなかった壁を、今、アスリは音として目にしている。\n アスリは、生唾を飲み込むことしかできない。この瞬間に、鼻をならしたり、嗚咽をもらしたりすることは、許されない。\n もう、ティサが初めてになることは、とうに決まっている。そして2番目の約束は、アスリだ。だが、ティサのものとなった初めての順番は、もう変わらない。\n\n ここに、ラリーヤによるおせっかいは、一切介在しない。今、ティサは自身の願いを、ユニスだけに改めて表明して、ユニスに覚悟を求めている。\n\n「わかった。」\n\n ユニスが、理解した。ティサが、もう一度、ユニスに問う。\n\n「じゃあ、ユニスは?」\n\n 無言だ。静かな時間だ。ここにあるのは、滝と、2番目のアスリだ。\n\n「…………ありがと。」\n\n ティサが、再び感謝した。合意だ。落ち行く水の音に身を隠し、風となったアスリは、滝から上がる水しぶきに目を霞ませ、奥歯をかみしめながら、心の奥深くからこみ上げる思いを平静に置き換えていくしかなかった。"}

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