| {"novel_id": "n0011mo", "chapter": 23, "url": "https://novel18.syosetu.com/n0011mo/23/", "title": "アナザーエピソード 第一章 二年後の王都 ~彼女たちの、今~", "content": "二年の歳月は、人を変える。\n\n王都の空は、あの満月の夜とは比べものにならないほど澄み渡り、冬の陽射しが石畳を柔らかく照らしていた。建国祭の飾りつけがそろそろ始まりかける季節。街は活気に満ち、人々の表情にもかつての暗い影は見当たらない。\n私――アイリス・フォン・ローゼンフェルトは、聖堂院の執務室の窓からその景色を眺めながら、静かに息を吐いた。\n\n「……本当に、二年も経ったのですね」\n\n背後で書類を整理していたクラリーチェが、眼鏡の位置を直しながら応える。\n\n「数字上はそうなります。感覚的には、もっと長く感じますけれど」\n「私もです」\n\nソファに深く身を預けていたノエルが、伸ばした長い脚を組み替えた。\n金髪をゆるくまとめた彼女は、二年前よりさらに凛とした大人の色を帯びている。\n隣で紅茶を淹れていたエルザは、大きな胸を揺らしながら微笑んだ。\nかつては後遺症に最も苦しんだ彼女も、今は落ち着いた眼差しを湛えている。\n\nそして窓際のもう一つの椅子には、ミレイユが座っていた。\nダークワインレッドの髪を柔らかく波打たせ、控えめなグレージュのドレスを着た彼女は、かつての冷たい支配者の面影をほとんど残していない。\n\n「カイゼル殿下は、今日から正式に公務へ復帰なさるのでしたね」\n\nミレイユが静かに言った。\n\n「ええ」\n\n私は小さく頷く。\n二年間の国民への無償奉仕。\n王位継承権を返上するのではなく、民と同じ目線で汗を流す道を選んだ殿下は、昨日その任期を終えた。今日から再び、王宮で公務に就く。\n婚約は、まだ解消されたままだ。\nけれど私たちは、互いを「将来、もう一度選び直す可能性のある相手」として認識している。\n焦らず、しかし確かに、その時を待てる関係性になっていた。\n\n「アイリス様は、お会いになりますか?」\n\nエルザが尋ねる。\n\n「……昼過ぎに、少しだけ。殿下から正式な報告があると」\n\n胸の奥が、小さく熱くなる。二年前の屈辱も、罵倒の言葉も、すべてを乗り越えた先で、私たちは大人になっていた。\n\nその頃、王都の下着事情は劇的に変化していた。\nクラリーチェが開発した『ダイパー』――魔力で漏れを封印し、スカートを汚さない特殊な下着は、あの後遺症に苦しむ二十代以下の貴族令嬢たちを確実に救った。\n精神的な安心感が回復を早め、二年の時を経て、着用者はほぼ全員が「卒業」を果たしたのである。\n\n「今朝、最後の一人から『もう普通の下着に戻ります』と報告がありました」\n\nクラリーチェが淡々と、しかしどこか誇らしげに告げた。\n\n「全員、です」\n\nノエルが目を丸くする。\n\n「本当に……全員が、戻れたんですね」\n\n「ええ。後遺症による突発的な失禁も、夜尿も、医学的・魔法学的に確認できる範囲では消滅しました。聖女の浄化の残滓と、時間、そして『漏らしても外に出ない』という安心感が、心の不安を外してくれたのでしょう」\n\nエルザが自分の胸に手を当てる。\n豊満なその膨らみは、薄いブラウスの上からでもはっきりと分かった。\n\n「私も聞きました。ダイパーを外した朝、鏡の前で普通のレースの下着を履いたんです。そしたら……涙が出て。『戻れた』って。その方の笑顔がとても綺麗でした」\n\nミレイユも小さく微笑んだ。\n\n「わたくしもです。やっぱり原因を作ったのは私の責任でもありますしその被害に遭われた方が皆回復したのならとても喜ばしく思います」\n\n私は回復を報告した令嬢たちの顔を思い出した。\n\nダイパーを卒業した令嬢たちは、皆、以前とは違う雰囲気を纏っていた。\n単に身体が回復しただけではない。\nあの羞恥と恐怖を乗り越え、弱さを認め、それでも立ち上がることを選んだ者特有の、静かな自信。\n背筋が自然と伸び、視線が安定し、微笑みに深みがある。\n\n「立派な令嬢、ですね」\n\n思わず呟くと、ノエルが照れ臭そうに髪を掻いた。\n\n「今の私たちもそう見えてるといいんですけど」\n「見えていますよ」\n\nクラリーチェが即答する。\n\n「少なくとも、二年前の『ただ恐怖に崩れるだけの令嬢』とは別人です」\n\nその通りだった。\n私たちは今も聖堂院で公務を続けている。\n私は院長として、ノエルは警備と実地調査の責任者として、クラリーチェは研究と記録の統括として、エルザは被害者支援の窓口として、ミレイユはカウンセリングと啓発活動の担当として。\n五人とも、大人の令嬢として、しっかりと地に足をつけて生きていた。\n\nしかし、である。\n私たち五人が有名になりすぎた副作用は、予想外の方向にも及んでいた。\nかつての貴族社会では「令嬢の胸は慎ましく、上品に控えめであるべき」という価値観が絶対だった。\n豊満すぎる胸は「下品」「娼婦のよう」と陰口を叩かれることすらあった。\nそれが――今や、完全に逆転していた。\n\n「……また、新しいファッション誌で『豊満な胸こそが真の高貴さ』特集が組まれていました」\n\nクラリーチェが、呆れたように一冊の雑誌を差し出す。\n表紙には、明らかに私たちをモデルにしたような、大きな胸を強調したドレスの挿絵。\n\n「アイリス様とエルザ様、ミレイユ様の影が濃いです。『夜会で晒された圧倒的なボリュームこそが、現代令嬢の理想』だと堂々と書かれている」\n\nエルザが自分の豊かな胸をそっと抱きしめる。\n\n「やめてください……。私たちがあんな目に遭ったせいで、価値観まで変わってしまうなんて」\n\nノエルが苦笑する。\n\n「実際、若い令嬢たちの間で『少しでも大きく見せたい』とコルセットの使い方を工夫する子が増えてるらしいですよ。慎ましい方が良い、なんて言葉はもう古い、って」\n\nミレイユが自嘲気味に息を吐く。\n\n「わたくしが魔法で隠していたLカップまで『本物の魅力』として称賛される世の中になるとは。……皮肉すぎます」\n\n私は額に手を当てた。\n私たちが公衆の前でおっぱいを晒し、全裸にされ、揺れながら失禁したあの光景が、いつの間にか「豊満な胸は美しい」という新しい美意識を生んでしまっていた。\n恥ずかしい。\n本当にどうしようもないほどに死ぬほど恥ずかしいのに、止めようがない。\n\n「……それにしても、今月も新しいお芝居の演目が増えましたね」\n\nノエルが、机に広げられた演劇のチラシを見て溜息をついた。\n王都ではここ一年、あの事件を題材にした歌劇や舞台が空前のブームになっていた。\n正式な歴史書では『婚約破棄の悲劇』と記される出来事。\nけれど大衆の間では、もっと過激な強い言葉を使った名前で呼ばれている。\n\n『男爵令嬢暴走劇』\n『王立学院大騒動』\n『赤い瞳の夜会』\n『聖女と魔眼の最終決戦』\n『お漏らし令嬢たちの逆転劇』\n\n劇団によってアレンジは実に様々だ。\n史実に忠実なものもあれば、恋愛要素を強調したもの、アクションを派手にしたもの、ほぼ別物のコメディにしたものまである。\nだが、どの演目にも共通している点が一つあった。\n\n――アイリスたち五人の「失禁」と「おねしょ」の描写が、極めて丁寧に、そして熱を入れて描かれること。\nそれだけではない。\n最近の舞台は、さらに過激化していた。\nおっぱいの露出。\n全裸。\nちんちんのポーズ。\n夜会のシーンでは、私たちが魔眼でドレスを破壊され、全裸にされ、大きな胸を揺らしながら失禁と潮吹きを繰り返す様子が、舞台のクライマックスとして執拗に再現されるようになっていたのだ。\n\n「昨日の『赤い夜会』では、最初のアイリス様のシーンだけで十五分使ってたらしいです」\n\nエルザが耳まで赤くして報告する。\n\n「最初は少しちびるところから始まって、ショックで足がすくんで、それからパニックになって……床に大きな水たまりができるまで、観客が水を打ったように静かになったとか」\n「その後のノエルのシーンは、睨まれて崩れながら『申し訳ありませんっ』って泣きじゃくる演技が好評で、アンコールが出たとか」\n\nノエルが顔を手で覆う。\n\n「やめてください……」\n「またクラリーチェ様は、知的な令嬢が初めて理性を保てなくなる描写が『耽美』だと評判らしくて」\n\nクラリーチェが押し黙る。\n\n「更にエルザのシーンは、止まらない様子が『最も凄惨で美しい』と評されて、専門の批評家が劇のレビューを書き始めました」\n\nエルザが「ひぃ……」と小さく鳴く。\n\n「で、終盤のミレイユ様の敗北失禁は『因果応報のカタルシス』と『絶対的な美少女の崩壊』の両方で支持されていて、物凄く大絶賛され演じた女優の方へのファンレターは山ほど増えたようです」\n\nミレイユが遠い目をした。\n\n「……わたくしのあれが、そんなに」\n\n私は額に手を当てた。\n結果として、私たち五人は二年経った今も、王都中から『お漏らし令嬢』という印象を強烈に植え付けられたままだった。\n街を歩けば、遠くから「あ、あの……」と囁かれる。\n夜会に出席すれば、扇の陰で「実物の方々ですよ」「あの舞台の」「本物はもっと綺麗」などと聞こえてくる。\n最初の半年間は、本当に死にたかった。\n恥ずかしくて、悔しくて、舞台の打ち切りを公爵家の権限で行こうかと本気で相談したこともある。\n\n「同じ悲劇を繰り返さないための啓発になるなら……」\n\nクラリーチェが最初にそう言い始めた。\n\n「事実を歪めて『ただのエロティックな見せ物』にするのは論外です。けれど、恐怖と羞恥がどれほど人を壊すか、そしてそこからどう立ち上がるかを描くなら、ある程度の描写は必要悪なのかもしれません」\n\nノエルが続きを引き取った。\n\n「実際、舞台を観た令嬢たちが『自分も弱いところがあった』『心を鍛えよう』と思って、聖堂院の講習に来る例が増えてるんです。数字も出ています」\n\nエルザが小さく頷く。\n\n「後遺症で悩んでいた子たちが『あの方たちもあんなに漏らして、それでも今は立派にやってる』って勇気をもらった、って……何度も言われました」\n\nミレイユが静かに目を伏せた。\n\n「わたくしがカウンセリングで出会う子たちも、舞台を観てから来ることが多いです。『ミレイユ様も子供の頃から悩んでいたのに、今はこうして話を聞いてくれる』と」\n\n私は深く息を吸った。\n\n「……仕方がない、のですね」\n\n四人も、同じように頷いた。\n最初は恥ずかしがり、嫌がり、怒りさえ覚えていた。\nけれど今では半ば諦め、半ば受け入れている。\n『お漏らし令嬢』という烙印は、私たちが選んだわけではない。\nそれでも、それが誰かの救いになるなら。同じような闇が再び生まれないための抑止力になるなら。\n仕方がない。\n\n問題は、それだけでは済まなかった。\n\n「……で、ですけれど」\n\nノエルがチラシの端を摘まみながら、言いにくそうに切り出した。\n\n「アイリスたち五人を演じる女優さん、共通して物凄い美少女なんです」\n「知っています」\n\nクラリーチェが即答した。\n\n「各劇団が『実物に負けない美しさ』を売りにしているため、抜擢されるのはいずれも王都でも一、二を争う美貌の持ち主です。しかも年齢も近く、肢体も……意識して寄せてきている」\n\nエルザが自分の大きな胸をそっと抱えるようにした。\n\n「特に私とミレイユ様を演じる方は、かなり……豊満な方を選ぶ傾向が」\n\nミレイユがため息をつく。\n\n「わたくしの役の方は、先日の公演で『敗北の失禁シーン』の際に、客席から感嘆のこもったため息と、何やら熱のこもった声が上がったとか」\n\n私はこめかみを押さえた。\n美しい女優が、美しく、かつ丁寧に、私たちの失禁を演じる。\nおっぱいを晒し、全裸になり、ちんちんのポーズまでする。\n結果として、観客の中に「少々特殊な趣味」に目覚める者が現れ始めていた。\n\n「王立劇場の支配人から、内密に相談がありましてね」\n\nクラリーチェが書類の中から一枚のメモを取り出す。\n\n「『お漏らし令嬢もの』のリピーターの中に、明らかに通常の芸術鑑賞を超えた熱量を持った層が増えている。特に男性客の一部と、一部の女性客。グッズとして『舞台で使われた女優のそのシーンを扱ったブロマイド』が相当に売れているらしいです。全裸ちんちんシーンのものが特に人気とか」\n「ええ……」\n\n五人で顔を見合わせる。\n\n「さらに、平民の間では奇妙な噂が流れているらしいんです」\n\nノエルが続けた。\n\n「『女性が失禁する姿を見せると、男性にモテる』『おねしょをするほど可愛がられる』『高貴な令嬢が漏らすのが至高』『豊満なおっぱいを揺らしながら漏らすのが最高』……みたいな」……みたいな」\n「は?」\n\n思わず声が出た。\n\n「舞台がヒットしすぎて、女性の失禁をテーマにした歌劇や寸劇が量産されているんです。本来の教訓や恐怖は薄まり、『美しい娘が羞恥に顔を赤らめながら、おっぱいを晒して漏らす』こと自体が娯楽として消費され始めている。で、それを真に受けた一部の平民が、本気であんな噂を信じ始めている、と」\n\nエルザが顔を真っ赤にして首を振った。\n\n「だめです……それはだめです……。私たちはあれで地獄を見たのに、それを『モテるための手段』みたいに……」\n\nミレイユが冷ややかに、しかしどこか自嘲気味に呟く。\n\n「わたくしが昔、コンプレックスを解消するために他者に強要していたことと、根っこで繋がっている気がして……気分が悪いです」\n\n私は窓の外の王都を見つめた。\n平和で、活気があり、文化的で、そして少しだけ、奇妙な方向に狂い始めている街。\n\n「……国の未来は、大丈夫でしょうか」\n\n思わず本音が漏れた。\nノエルが大きなため息をつく。\n\n「わかります。あの恐怖を知らない世代が、『ただの興奮材料』として消費し始めたら、また同じように心の弱い令嬢が生まれかねない」\n「逆です」\n\nクラリーチェが静かに首を横に振った。\n\n「消費されている今だからこそ、『本当はあれがどれほど惨めで、恐ろしく、魂を削るものだったか』を、私たちが語り続けなければならない。舞台がエンタメ化するのは止められない。なら、公式の記録と、聖堂院の啓発と、ミレイユのカウンセリングで、バランスを取るしかない」\n\nエルザが拳を握る。\n\n「私、もっと被害に遭った子たちの声を集めます。『漏らしたあとの朝の自己嫌悪』とか、『普通の下着に戻れない時期の惨めさ』とか……舞台では絶対に描かれない部分を」\n\nミレイユが頷いた。\n\n「わたくしも、カウンセリングの中で『真似してはいけない』『あれは病気であり攻撃であり、決して可愛いものではない』と、はっきり伝えます」\n\n私は五人の真ん中で、ゆっくりと息を吸った。\n\n「ええ。私たちはもう、『お漏らし令嬢』と呼ばれることを、ただ恥ずかしがって隠すだけにはしません。事実は事実として受け止め、そこから立ち上がった今の私たちを見せる。それが、一番の抑止力になる」\n\nそして、ふっと微笑んだ。\n\n「それに……こんな様子を見ていると」\n「ん?」\n「もう、あんな悲劇は起きないかもね、って思うのです」\n\n四人の視線が集まる。\n\n「理由は簡単です。あれだけ大衆の娯楽になり、あれだけ『令嬢が失禁する姿』が消費されているということは、裏を返せば『それがどれほど人の尊厳を剥ぎ取るか』が、広く知られてしまったということでもある。魔眼のような力が再び現れても、今度はすぐに『あれだ』と気づかれる。隠し通せない。利用されにくい」\n\nクラリーチェが目を細める。\n\n「……なるほど。啓蒙の副作用としてのエンタメ化、ですか」\n「それに、ダイパーを卒業した令嬢たちは皆、自分に満ち溢れた立派な雰囲気を纏っている。心が弱いままの子は、確実に減りました。私たちは『守られるだけの存在』ではなくなった」\n\nノエルが笑った。\n\n「確かにお姉様方の背中、すごくしっかりしてますからね。私も負けてられません」\n\nエルザが豊かな胸を張る。\n\n「私、もう些細なことで漏らしたりしませんから!」\n\nミレイユが小さく、本当に穏やかに微笑んだ。\n\n「わたくしも、もう誰かを貶めて自分を満たそうとは思いません。同じように悩む子の手を、握ります」\n\n私は窓の外に広がる王都を、もう一度見つめた。\n二年前、私たちは赤い瞳の前で崩れ、熱いものを止められず、床を汚し、夜ごとシーツを濡らして泣いた。\n今、その姿は舞台の上で何度も再現され、観客を熱狂させ、奇妙な趣味すら生んでいる。\n恥ずかしい。\n今でも、十分に恥ずかしい。\nけれど、それでいい。\n恥ずかしいまま、私たちは前に進む。\n殿下は今日から公務に復帰する。\n私は聖女として、貴族として、いつか再び王妃となる覚悟を胸に秘めたまま、この聖堂院で歩き続ける。\n五人で。\n『お漏らし令嬢』と呼ばれながら。\n\n「さあ、そろそろお昼です」\n\n私は書類を閉じて立ち上がった。\n\n「殿下に会ってくる前に、お茶にしましょう。今日は……普通の、綺麗な茶器で」\n「被害に遭った令嬢全員のダイパー卒業祝いに、お菓子も贅沢にしましょうよ」\n\nノエルがはしゃぐ。\n\n「私、クリームたっぷりのがいいです」\n\nエルザが目を輝かせる。\n\n「糖分は脳の回復に良い、というデータもありますね」\n\nクラリーチェが眼鏡を押さえる。\n\n「わたくしは、温かいハーブティーを」\n\nミレイユが静かに注文する。\n私は笑いながら、五人分のカップを取りにかかった。\n窓の外では、王都の日常が、何事もなかったように流れている。\n歌劇の看板が風に揺れ、『お漏らし令嬢』の文字が陽射しを反射している。\nそれでも、私たちはもう、惨めに立ち尽くすだけの存在ではない。\n同じ悲劇は、起きない。\n起きさせない。\nその確信を、胸の奥の聖女の光が、静かに肯定していた。\n\n午後。\n私は王宮の一室で、カイゼルと向かい合っていた。\n二年の奉仕で、彼の顔つきはさらに引き締まり、眼差しには民を見た者だけが持つ深みが宿っている。\n王位継承権はまだ正式に戻っていないが、公務への復帰は認められた。\n\n「……元気そうだな、アイリス」\n「あなたも、です」\n\n短い沈黙の後、彼は深く頭を下げた。\n\n「二年間、待たせた。いや、待たせる、というのもおこがましいか。婚約は解消されたままだ。だが……いつか、もう一度、正式に向き合いたい」\n\n私は微笑んだ。\n\n「ええ。その時を、私も待っています。聖女として、公爵令嬢として、そして一人の女性として、恥じない自分でいられるように、精進しますから」\n\n彼が顔を上げ、小さく笑った。\n\n「お前はもう、十分すぎるほど立派だ。『お漏らし令嬢』などと、舞台でどう言われようと。胸の価値観まで変えてしまったらしいがな」\n「……聞いていましたか」\n「王都中が聞こえている。正直、最初は剣を持って劇場に乗り込もうかと思った」\n「やめてください」\n\n二人で、久しぶりに声を合わせて笑った。\n笑い終えたあと、彼が真顔で言う。\n\n「だが、本当に……あの描写は、どうなんだ。お前たちの尊厳が、娯楽に。全裸もちんちんも、おっぱいまでも」\n\n私は首を横に振った。\n\n「最初は耐えられませんでした。今でも恥ずかしい。けれど、おかげで多くの人が『心の弱さ』を意識し、ダイパーを卒業した令嬢たちは皆、強い目をしています。奇妙な趣味に目覚めた人もいるらしいですけれど……」\n「……国の未来が心配だな」\n「ですよね」\n\nまた笑って、私は続けた。\n\n「それでも、思います。この様子なら、もうあんな悲劇は起きないかもしれない、って」\n\nカイゼルはじっと私を見つめ、やがて深く頷いた。\n\n「お前がそう言うなら、信じよう。私は私で、二度とお前を、誰かを、あんな目に遭わせない。公務で、証明する」\n「はい」\n\n部屋の外から、穏やかな午後の光が差し込んでいた。\n二年前の血染めの夜会も、地下祭壇の絶望も、今は遠い。\n私たちは、それぞれの立場で、大人になっていた。\n『お漏らし令嬢』という名前を背負ったまま。\nそれでも、確かに、未来を向いて。\n\n夜。\n聖堂院の中庭で、五人は並んで月を見ていた。\n満月ではない。欠けた月が、静かに輝いている。\n\n「……舞台、今度もう一度、本物を観に行きますか」\n\nノエルがぽつりと言った。\n\n「え」\n「敵を知らずして、対策は立てられない、ってクラリーチェがいつも言うので」\n「論理的ですね」\n\nクラリーチェが即同意する。\n\n「私、自分のシーンだけは絶対に目を閉じます」\n\nエルザが宣言する。\n\n「わたくしは……因果応報のところは、ちゃんと見ておきます」\n\nミレイユが小さく息を吐く。\n私は夜空を見上げたまま、言った。\n\n「行きましょう。五人で。そして帰ってきたら、感想を言い合いましょう。恥ずかしいところは恥ずかしいと認め、誇れるところは誇る。それが、今の私たちです」\n「はい!」\n「承知しました」\n「……行きます」\n「お供します」\n\n答えが重なる。\n風が、五人の髪を優しく揺らした。\nアイリス・フォン・ローゼンフェルト。\nノエル・フォン・リヒトハウゼン。\nクラリーチェ・フォン・アストレア。\nエルザ・フォン・ヴァイスベルク。\nミレイユ・アン・ベルクレスト。\n\nかつて赤い瞳の前で崩れ、尊厳を奪われ、それでも立ち上がった五人の令嬢は、二年後の夜に、笑い合っていた。\nお漏らし令嬢たちで、いい。\nその名前を、教訓に変えていく。\n王都の未来は、大丈夫だ。\n私たちが、そうすると決めたのだから。\n月光の下、聖堂院の時計塔が、静かに時を告げる。\n新しい物語は、もう始まっていた。"} 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