| {"novel_id": "n0012ik", "chapter": 1, "url": "https://novel18.syosetu.com/n0012ik/1/", "title": "その1 脅迫", "content": "「おめでとう、美冬くん」\n\n「ありがとうございます、常務」\n千本桜 美冬はほんのりと頬を赤らめながら鬼道に頭を下げた。\n\n\n\nここは都心にあるシティホテルの最上階にあるバーだ。\n\n常務の鬼道は結婚退職の決まった部下である美冬の結婚祝いとして、このホテルで食事をし、その二次会として、同じホテルのバーに来たのだった。\n\n\n\n「常務、今日は本当にありがとうございました。\n…ですが、そろそろ…」\n\n「まあまあ、真冬くん。そう言わんで!\nねっ!\nまだ、少し口をつけただけじゃないか」\n鬼道は不満げに口を尖らせる。\n\n「ええ、ですが…」\n美冬は時計をチラチラと気にする素振りをする。\n\n「そろそろ、電車の方も…」\n美冬は美しい眉を寄せ、いかにも心苦しいといった表情を浮かべ、鬼道の誘いをやんわりと退けようとしていた。\n\n「ふん、何だね、そんなくだらんことを気にしておったのか?全く…」\nそんな見え見えの策略に鬼道は明らかな不快感を示し、不機嫌そうに鼻を鳴らした。\n\nそして思わず声を荒げていた。\n「終電時間を過ぎてしまっても君のタクシー代など、ワシが払う。君はそんな瑣末なことを気にする必要はない!大体、ワシがその程度のことに気が回らん人間に君には見えてるんかな?」\n\n「い、いえ、決して、そんなことはございません」\n美冬は恐縮した風に頭を下げたが帰るための唯一の口実を潰されてしまい、途方に暮れることになった。\n\n「さあさあ、そんなことより、もう、グラスが空いとるじゃないか。\n何でも好きなものを頼みたまえ」\n鬼道は一転して笑顔を浮かべ、美冬にメニューを渡してくる。\n\nはあ…\n美冬は小さなため息をついた。正直、この男が苦手だった。\n\n鬼道 正直。\n頭が禿げ上がり、腹も出ているが目ばかりがギラギラしている男。\n剛腕で知られ、並みいるライバル達を合法非合法あらゆる手段で薙ぎ倒し、現在の地位を手に入れたと言われているキレものだ。\n欲しいものは絶対に手に入れる主義ということから悪い噂も耳にしていた。主に女性関係で。\nそして、美冬が常務秘書に抜擢されたのにはかなり強い鬼道の意向があったとも聞いていた。\nだから、美冬は誠実な仕事を心がける一方でプライベートには一線を引き、勤務外での食事の誘いなどは丁重に断ってきた。\n\nしかし、さすがに結婚退職のお祝いという名目での誘いまでは断れない。\n\nしかも結婚相手は同じ会社で働いており、美冬がこの会社に籍を置かなくなった後でも婚約者は引き続き、この会社に勤めるのだから、もしも、役員の機嫌を損なうことがあれば、自分の夫の将来に影を落とすことにもなりかねない。\nそうしたことから、美冬は鬼道の誘いを受けることにしたのだった。\n\nハァー\n真冬は再び小さくため息をつき、メニューの中で比較的弱めと思われるカクテルを頼んだ。\n\n\n\n\n\n-----------------------------------------\n\n\n\n\n\n「ところで美冬くん、君の婚約者だが最年少での課長昇進が近いと聞いとるよ。\n随分と優秀なんだな」\n\n「ありがとうございます」\n美冬は丁寧に頭を下げた。\n\n「ただ、ね。そのことに関して、実は少しばかり、あまり良くない噂も入っている。ワシのところにな」\n鬼道は美冬から目を逸らし、ポツリと言った。\n\n「え?」\n\n美冬は予想していなかった話の方向性に動揺した。\n婚約者の北川慎吾は優秀だが生真面目な性格で悪いことのできるような人間ではなかった。\n周囲の噂でもそれは変わらず、美冬自身の彼の印象もまさにそれであって、例えば、不正な手段を使うような人間では決してないはずだ。\n\n「それは…きっと、何かの間違いではないでしょうか?\nそんなことのできる人間ではないと私は信じています」\n\nしかし、鬼道は話し続ける。\n\n「彼の友人がウチのライバル社にいるらしい。その友人と彼の成果となっている大きな仕事について、取引をしたとワシは聞いておる。\n具体的には『今回の件で譲ってくれたら、別の取引で返す』という内容だな。\n君も分かっとるだろうが我が社ではそういうダーティーな取引はいかなる理由があろうと絶対に認められん。\nもし、このことが公になれば、君の婚約者もタダでは済まないだろうなぁ」\nそう言って、鬼道は美冬の顔をじっと見つめてきた。\n\n美冬は混乱していた。\n「そんなはずはない」と北川のことを信じたいという気持ちもあるが一方でやり手で知られる鬼道が全く根も葉もないことを言うとも思えなかったからだ。\n\n「…証拠は…証拠は、あるんですか?」\n真冬は真剣な眼差しで鬼道を見つめ返した。\n\n「証拠…証拠ねぇ…。美冬くん、君も知っての通り、ワシは会社ではそれなりの地位にいる。\nここに至るまでには色々なことがあったがそれでもここの地位に至ることができた、その理由は常に足場固めをしてから事に臨んだということに尽きる。\n足場、つまり、この件で言えば、証拠だな。\n…あるに決まっておる」\n\n鬼道は懐から何か小さなものを取り出した。\n\n「これを聞いてみたまえ」\nそう言って、鬼道はボイスレコーダーをテーブルに置き、再生した。\n\n\n\nガヤガヤと喧騒の中、二人の男が会話をしているのが聞こえる。\nその一人は声から判断して、鬼道の言う通り、北川に間違いない。\n\n「…お前さ!厳しすぎるぞ。もう少し、お手柔らかに頼むぜ」\n北川の声。\n\n「そうは行かないな!なんせ、こっちも社運がかかってるんだからな!」\nともう一人が返してくる。\n\nハハハ\nと北川らしい笑い声の後\n\n「じゃあ!取引するか!今回の件、引いてくれたら…次の時はこっちが引いてやる…」\n\nブツッ!\nそこで不自然に録音が途切れた。\n\n\n\n確かに最後の声は北川だ。\nしかし、会話は明らかに続いており、もし、あの言葉を発したとしても本来なら、その後に返答があったりするのが普通だろう。\n今の部分だけを切り取る必要はない。\nそれに話の調子からして、酒席での軽口であり、あの後に「冗談だ」という言葉を発していそうな雰囲気もあった。\n\n「こ、この後は?あ、相手の方はなんておっしゃったんですか?」\n美冬は動揺しながらも鬼道に質問した。\n\n鬼道は鼻を鳴らしながら答える。\n「ふん!この後かね?\n『偶然』、録音した者の話によるとちゃんと録音できてないと聞いておるがな」\n\n「で、でも、それじゃぁ…」\n\nそれならば、疑惑は不確定ではないのか、そう思いながら美冬は話そうとする。\nしかし、それを鬼道の声が遮った。\n\n「美冬くん。そんなことは問題にならんよ。\n賢明な君なら理解できると思うが、大きなプロジェクトを抱えてる人間がいくら友人とはいえ、利害関係が明白なライバル社の人間と酒を飲むこと自体、脇が甘すぎる。\n先ほど、『偶然に』と言ったがな。この情報を提供した人間の素性は明かせんが、もし、そのような状況を見かけたら、疑念を持って調べようとするのは当然のことだろうが!」\n\nそこまで言ってから、少し間を開けて鬼道は美冬の目を見つめながら言う。\n「違うかね?」\n\n正論だった。\n何も言い返す言葉がない。\n\n「少なくともこの録音された会話が君の婚約者とライバル社社員との間で交わされたものであることは間違いない。そういう席に出ること自体が問題だが、少なくとも、あんな言葉は冗談でも口にすべきではない。\n例え、『冗談だった』としてもだ。\nそんな脇の甘い人間を昇進させ、役職につけるという判断をウチのような会社がしようとするかね」\n\n美冬は俯き、膝の上で拳をグッと握りしめる。\n大企業ほど、コンプライアンスには厳格だ。\n鬼道の言葉は重い。\n\n鬼道はポンと美冬の肩を叩いた。\nそして、耳元に口を寄せて、小声で囁く。\n「なあ、美冬くん、今話したのはあくまでも建前だ。君は私の部下として、今まで、よくやってくれた。その婚約者を窮地に陥れるようなことはできるならしたくはない。\nワシはこのホテルに今日、部屋を取ってあるんだがね。この後、そこで内密な話をしたい。\n来てくれるね?」\n\n鬼道は美冬をじっと見つめている。\n美冬はまるで蛇に睨まれたカエルのような気分だった。\nいや、オニに睨まれた人間か...。\n\n身の危険を感じながらも今の美冬に鬼道の申し出を断るという選択肢はなかった。", "preface": "1話目です。\nこの後は毎日17時投稿予定です"} |
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