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て再び遠州洋を通行したるに大浪尚高きも前日の如き危険なしとして進航し御前 |
は恐れて屋内に入ることを得ず上町を除くの外は家々の石燈籠悉く顛倒し庇傾き壁の割 |
又は空地等に假小屋懸を設け少なきは一戸より二三戸の家族挙げて難を避けるあれば |
根町中藪土橋小林捨吉實母ソノ同町安居捨吉母ワエ同町大字安養寺鎌倉スエ |
光を遥かに認むる頃に及んでは船長は船体の危険なるを虞りて四日市に引返した |
屋等の顛倒せし者は至て少なく市内にては殆ど皆無の姿なり、同地にて最も惨状を逞 |
れば壁に亀裂を生じたるもあり真金町の震遊廓は埋立地にて地盤のまらざる為め震 |
の小舟を仮の住居となして僅に膝を容るゝなど実に目も当てられぬ景状なり幸ひに災 |
なる相生學校は全潰れとなり伝馬町なる旅店有年楼大米屋の二階及び三階の欄干はバ |
流を堰止めたれば地方の住民は今にも夫の大和十津川郷に於ける如き惨状を現はさん |
時を經て東南の方向に於て著るしき最大水平動に達し又十二秒時を經て南北の方向に |
道すら尚片付ざれば旅人の難渋非常にて泊る家は勿論食事する所もなく停車場の安田 |
一寸来りし限にて更に取片付を指揮する者なく郡吏警察署員も少数の故か行届かず県 |
編者曰く余が岐阜に到りしは十一月二日の事にして震災当日より既に六日を経過せ |
を発せられる〻に至りぬ |
り其東行するや船の陸地を距ること六海里以外の方針を取れり其西歸する時に於 |
名古屋岐阜間名古屋停車場は本家貨物庫上屋倒れ客車庫を傾倒し機関車庫は煉化 |
後には停車場構内に仮小屋を設けて居住し居るを見受けたり |
感じたる時間に遅速なきを観るべし即ち火山地震の如く中心より震波を周囲の地に |
て露宿せり、以上は扶桑新聞に見えたる同市震災及び火災実況の一班なるが猶ほ当時 |
與へ居り候地動力を減殺候事に存候ゆゑ最早當罹災地々方に於ては激震も再発致さ |
さんとして為めに此揺蕩を来したるものなるべしと |
午前六時三十九分十一秒にして震動時間は七分時間、最大水平動は二、四秒時間に付 |
然堂病院へ)越中米吉、天谷はる、安藤久之助(高安病院へ)三浦いと(高橋病院へ)等は |
の潰倒等數知れず雲出川の堤防は長も裂け其避口の深さ四丈餘、奄藝郡中 |
掘出し警察署にては諸所に |
最も傷の手重き方にて是等は夫々病院へ入院せしめたれど尚此外に傷を負ふたるまゝ |
火地震と毫も差異あることなし、今回の大地震が略図中の伊勢湾断層線に於て最も強大 |
瓦圓筒は悉く亀裂を生じ且其基礎より一二尺も捻れて全く旧位置を変じたる者もある |
黒橋ゆき、西本みね、山本いよ、森うた、井上まつ、大村みわ、中村きよ、長田すみ、坂井て |
於て著るきし震動を顕はし三分時の後ち漸次微弱となれり又上下動は水平動に後るゝ |
ありとは近来地震学者及ば地学者間に行はる〻定説なるに於てをや然らば則ち今回 |
際の「アーチ、コルベルト」は線路方面に悉く裂目を生ぜざるなし、大垣驛は鐡製「ウ |
りて安政の大地震を目のあたり見たる人々は就れも怖ぢ恐れて戸外へ逃げ出すなど一 |
以往の地質は皆な硬質なる岩石より成る物なれども降つて近古系統 |
転ろびつ逃げ迷うさま餘所の見る目も憐れにて一時は如何なる変時に立ち至るやらん |
を探知するの観測法は地震の種類に由りては緊要の手段なり然るに今回の地震の如 |
明治二十四年十二月四日出版 |
量俄に増加し急に逸出の口を求むるに因ることならんが爾来其分量は非常に増加し亦 |
ず為めに潰家四戸半潰一戸、負傷者一名煙筒の倒れしもの三箇所其他道路の破損檣壁 |
は兎もあれ京都には珍らしき地震にて此の稿を草するうちにも數回の小震ありて依て |
して米を得るに難く監獄の米を出して其資に充たり其内に人民追々集り来りて負傷者 |
兵庫六時四十分松本六時三十分 |
辛々我が宅へ逃げ歸りし者あり其人々は即ち秋山つね、小松こと、種島のぶ、市見とよ、 |
百六尺の圓形煉瓦石造なり其土中に埋没せる基礎は五間四尺にて其上は角十三尺、 |
る下に壓死したるは犬上郡北青柳村大字中藪大野松右衛門彦根町大字中藪上片原 |
に足るべし |
模様は別に巻末に記載せり)又名古屋在勤の鉄道庁員、駅長以下の駅員諸氏は其の家 |
堰止められし所は追々水溜りて已に一面の泥海となり居りしが凡そ四時間餘を経經て同 |
するなり蓋し邦土の地勢は其地質の構造に基くものなれば南弯の地層は東々北より |
の橋脚は新川の如く鐡柱を切斷したり第二橋脚は地上無異地中未詳、清州驛は停 |
等の工事は稍や手輕き方なりしも此區内には名にし負ふ木曽、長良、揖斐三大河の鐡橋 |
逃げ出すなど中々の騒ぎには市中には二軒の潰れ家もありしとぞ |
微弱震の部 |
水湧泉の如きは震災の時全く噴出を止め本官在福の当日まで旧に復せず市名今は有 |
さの村田うめ本田久八妻うめ坂本うめ亀山いと亀山はる戸 |
両校の生徒を以て消防に尽力せしめ又一方には市中の医師一同を招集して負傷者の手 |
本巣、大野二郡に堺し夫の根尾谷、白山抔の在る所に接続せる地方なるが二十八日の |
◎震災に関する費用支出の勅令 |
々小震動のありしを以て市民は暫らく安堵の思ひをなさずして戸を鎖し近傍の畠地 |
山巓の形容平素に異なるを以て之を熟視するに北面の一部は欠壊したる者の如くな |
傷者二十一人、軽傷者八十八人あり此時表側なる煉瓦塀大破せしかば混雑に紛れて遁 |
◎東海鐡道の震害 |
学校は臨時休業をなしたり |
地震の一現象にして想ふに伊勢湾の海底に大陥落を生じ海水は俄かに其空虚を充た |
に諸方の家々皆破壊若くは潰倒見る〳〵四方に火起り或は倒屋の為め圧死したるもの |
地震の源因は彼の造山力に帰せざるを得ず此地動力は山脈の搆造に関して働くもの |
片野次郎吉妹タキ同町大字中藪土橋安居捨吉長男字之助の三名にて孰れも棟 |
茶碗商、ランプ店、洋酒店等なりしといふ又同日は尋常中學校及彦根小學校とも休校し |
茶屋町、上茶屋町、北片町、上今町、東材木町、西材木町、久屋町、魚屋町、靱屋町、中下大 |
たる者我親兄弟若くは子供の死骸を引取りたるも火葬する事ならず左りとて棄置ては |
を要すべく其他外観のみは堅固に見ゆる小鐡橋も地中に損所多きが為めに過半は大修 |
に於て観測を遂ぐるにあらざれば得て窺ふべからざるものとす但し地質搆造の学理 |
れも地下の鳴動を聞違へたる者の憶説に過ぎざりしと云ふ |
ガラ〳〵と崩れ掛り死傷者頗る多し同工場五十間と二十間の三階建にて |
下市方にては人々何れも山に馳せ上りて難を避けたり殊に猿澤池畔の五重塔が東に |
し後なり其の惨状は概ね右に掲げたるものと大同小異なれども実地に臨めば転た酸 |
縣下の岡崎、豊橋等なれども其景況は就れも相似たるものなれば茲には其記事を省 |
なれども今回の地震には其関渉するの所大なるものとす因て便宜の為め仮りに此 |
を算すること能はざりしを以て十一時間のものなるに由る |
八日晝詰の職工と交代し仕事に取掛る間もなく右の天災にて同社は第二工場三階より |
より甚しかりしものゝ如くにて四日市、桑名等は一層激烈なりし右地震の最も激烈な |
上加納の三個所に於て施与し居れるが震災後四五日目の処は一日の焚出し量凡そ四五 |
て此処より容易に湧出の道を他に出したるに由るものなるべし有名なる福井市の福 |
なり)に及べり今震動の強弱を區別して詳記すれば左の如し |
鬼谷川との合流する所より少しく上位即ち同郡上庄村若生子地内下芦谷と称する所の |
国に比なきも其地形の充分ならざるは疾くより建築学者間の知る所にして斯る建造 |
なりしか其の水平動は何程なりしかを知る能はざるも其の被害の多きを以て震動の非 |
靡きの火災ならん)東方に飛散し縷々として絶えず日暮に至るも |
差当り便宜に米、味噌、漬物、梅干、塩魚、乾物、手拭、其他茶碗、土瓶等何にても日用品を |
所一ヶ所づゝあり又北野神社及び熊野神社などに石燈籠の倒れたるもあり街燈の倒 |
日午前十一時三十分頃に至り幅四間半ばかり水路を開き瀦溜せる水一時に流れ落ち |
御開申なし下さるべく候匇々 |
にても浅草、本所、深川日本橋區の内越前堀近傍、芝區の濱手及び洲崎等は震動殊に烈 |
りなりといふ |
したりと云ふ |
海上の不穏 |
の船舶にあらずんば之を感ずることなく報道僅かに此偶然の事変に由るを以て世人 |
は此理に由るにあらずや |
じたる處あり殊に小菅集治鑑工場の烟突は「モータル」の堅固ならざりし為めにや高さ |
Subsets and Splits
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