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NIILC-ECQA2015-00007-01
ハリーポッターの著者は誰?
J・K・ローリング
{{Otheruseslist|小説シリーズ|同作品上のキャラクター|ハリー・ポッター (架空の人物)|映画シリーズ|ハリー・ポッター (映画シリーズ)|フランチャイズ|魔法ワールド|その他の用法|ハリー・ポッター (曖昧さ回避)}}{{Expand English|Harry Potter|date=2021年1月}}{{ウィキプロジェクト ハリーポッターシリーズ}}{{Infobox book series|name=ハリー・ポッター|image=|caption=|title_orig=Harry Potter|books={{Plainlist|・ 『ハリー・ポッターと賢者の石』(1997年)・ 『ハリー・ポッターと秘密の部屋』(1998年)・ 『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』(1999年)・ 『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』(2000年)・ 『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』(2003年)・ 『ハリー・ポッターと謎のプリンス』(2005年)・ 『ハリー・ポッターと死の秘宝』(2007年)}}|author=J・K・ローリング|translator=松岡佑子|country={{UK}}|language=英語|number_of_books=7巻|pub_date={{Flag|GBR}}:1997年6月26日 - 2007年7月21日{{Flag|JPN}}:1999年12月8日 - 2008年7月23日|publisher={{Flagicon|GBR}} Bloomsbury Publishing{{Flagicon|JPN}} 静山社|genre=ファンタジー、ドラマ、ヤング・フィクション、ミステリ、スリラー、教養小説|website={{URL|https://www.wizardingworld.com/}}|oclc=|infoboxwidth=|editors=|border=|preceded_by=|followed_by=|english_pub_date=|illustrator=|etc=発行部数:累計6億部}}『ハリー・ポッター』() は、J・K・ローリングによるイギリスの小説シリーズである。出版は{{仮リンク|ブルームズベリー出版|en|Bloomsbury Publishing}}。1990年代のイギリスを舞台に、魔法使いの少年ハリー・ポッターの学校生活や、ハリーの両親を殺害した張本人でもある強大な闇の魔法使いヴォルデモートとの因縁と戦いを描いた物語。全7巻の構成で、1巻で1年が経過する。第1巻『ハリー・ポッターと賢者の石』がロンドンのブルームズベリー出版社から1997年に刊行されると、まったく無名の新人による初作であるにもかかわらず、またたく間に世界的ベストセラーになった。子供のみならず多数の大人にも愛読され、児童文学の枠を越えた超人気作品として世界的な社会現象となった。73の言語に翻訳された本シリーズの全世界累計発行部数は2024年の時点で6億を突破しており{{Efn|日本語版は累計3,200万部。}}、史上もっとも売れたシリーズ作品となっている。2001年から8本のシリーズで公開されたワーナー・ブラザース・ピクチャーズによる映画(2011年完結)もシリーズ世界歴代3位の興行収入と大きなヒットを記録。当初から全7巻の構想であり、第7巻『ハリー・ポッターと死の秘宝』の原書が2007年7月21日に発売された。2016年に本編の後日談を描いた事実上の第8巻『ハリー・ポッターと呪いの子』が発売された。これは、2016年夏に上演された舞台劇の脚本を書籍化したもので、ローリングはこの作品を『ハリー・ポッター』シリーズの最終巻(または完結巻)としている。2010年6月には、アメリカ合衆国フロリダのユニバーサル・オーランド・リゾート内にあるアイランズ・オブ・アドベンチャーに、映画版のセットを模したテーマパーク「ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター」が開園。2014年7月15日にはユニバーサル・スタジオ・ジャパン、2016年4月7日にはユニバーサル・スタジオ・ハリウッドでも開園した。2017年、大英図書館が企画した展覧会「ハリー・ポッターと魔法の歴史」がロンドンとニューヨークで好評を博し、日本でも2021年より兵庫県立美術館と東京ステーションギャラリーで開催された。2019年5月、作品世界をさらに掘り下げるシリーズとして「ハリー・ポッター:ア・ジャーニー・スルー」4冊の発売が決定された。2023年6月16日、としまえん跡地に『ハリー・ポッター』、『ファンタスティック・ビースト』映画製作の魔法を体験できる体験型エンターテイメント施設「ワーナー ブラザース スタジオツアー東京 - メイキング・オブ ハリー・ポッター」が開業した。・ 1990年夏 - ローリングが遅れた列車に乗りながら物語を着想。・ 1995年 - 第1作『賢者の石』執筆終了。・ 1996年8月 - 英国:ブルームズベリー社からの出版が決定。・ 1997年・ * 春 - 米国:スコラスティック社からの出版が決定。・ * 6月26日 - 第1作『賢者の石』発行。初版500部だったが、ベストセラーになる。{{仮リンク|スマーティーズ賞|en|Nestlé Children's Book Prize}}、英国文学賞児童書ブック・オブ・ザ・イヤーほか、欧米各国の文学賞を多数受賞。・ 1998年7月2日 - 第2作『秘密の部屋』発行。・ 1999年・ * 7月8日 - 第3作『アズカバンの囚人』発行。・ * 12月8日 - 第1作『賢者の石』の日本語版が静山社より発行。以降シリーズの書籍は全て同社による。・ 2000年・ * 7月8日 - 第4作『炎のゴブレット』発行。・ * 9月19日 - 第2作『秘密の部屋』日本語版発行。・ 2001年・ * 7月18日 - 第3作『アズカバンの囚人』日本語版発行。・ * 11月16日 - 映画『賢者の石』公開。以後ワーナー・ブラザースにてシリーズ化。・ 2002年・ * 11月1日 - 第4作『炎のゴブレット』日本語版発行。・ * 11月15日 - 映画シリーズ第2作『秘密の部屋』公開。・ 2003年6月21日 - 第5作『不死鳥の騎士団』発行。・ 2004年・ * 5月31日 - 映画シリーズ第3作『アズカバンの囚人』公開。・ * 9月1日 - 第5作『不死鳥の騎士団』日本語版発行。・ 2005年・ * 7月16日 - 第6作『謎のプリンス』発行。・ * 11月18日 - 映画シリーズ第4作『炎のゴブレット』公開。・ 2006年5月17日 - 第6作『謎のプリンス』日本語版発行。・ 2007年・ * 7月13日 - 映画シリーズ第5作『不死鳥の騎士団』公開。・ * 7月21日 - 第7作『死の秘宝』発行。物語は完結。・ 2008年・ * 6月10日 - 直筆の約800語の短編{{efn|ジェームズ・ポッターとシリウス・ブラックの逸話で、チャリティ用に書かれたもの。「Whats Your Story Postcard Collection」に収録。落札翌日に写真がオンライン公開されたため、ネット上でも閲覧可。}}が2万5000ポンドで落札される。・ * 7月23日 - 第7作『死の秘宝』日本語版発行。・ * 12月4日 - 『吟遊詩人ビードルの物語』発売。・ 2009年7月15日 - 映画シリーズ第6作『謎のプリンス』公開。・ 2010年・ * 6月 - ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター開園。・ * 11月19日 - 映画シリーズ第7作前編『死の秘宝 PART1』公開。・ 2011年・ * 7月15日 - 映画シリーズ第7作後編『死の秘宝 PART2』公開。映画シリーズ完結。・ * ポッターモア ({{interlang|en|Pottermore}}) 発表。・ 2014年7月15日 - ユニバーサル・スタジオ・ジャパンでウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター開園。・ 2016年7月30日 - ロンドンで舞台化作品『ハリー・ポッターと呪いの子』が初演。ローリングの手による、作品のその後を描いた正統な続編となる。翌31日にはリハーサル版の脚本『呪いの子』発売。・ 2022年7月8日-劇場版『ハリー・ポッターと呪いの子』がTBS赤坂ACTシアターで上演開始。赤ん坊のころに両親を亡くし、孤独な日々を過ごしてきた少年ハリー・ポッターは、11歳の誕生日に自分が魔法使いであることを知らされる。ホグワーツ魔法魔術学校へ入学し、いままで知らなかった魔法界に触れ、亡き両親の知人をはじめとした多くの人々との出会いを通じて成長する。そして、両親を殺害した闇の魔法使いヴォルデモート卿と自分との不思議な因縁を知り、対決していくこととなる。各巻の詳細なあらすじは、以下の記事を参照。・ 第1巻『ハリー・ポッターと賢者の石』・ 第2巻『ハリー・ポッターと秘密の部屋』・ 第3巻『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』・ 第4巻『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』・ 第5巻『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』・ 第6巻『ハリー・ポッターと謎のプリンス』・ 第7巻『ハリー・ポッターと死の秘宝』・ ハリー・ポッター - 主人公。両親を亡くしてから伯母一家で冷遇されて育つが、11歳を迎えてホグワーツのグリフィンドール寮に入ることになる。・ ロン・ウィーズリー - ハリーの同級生でグリフィンドール寮に入り、親友となる人物。純血の魔法族一家の六男。・ ハーマイオニー・グレンジャー - ハリーの同級生でグリフィンドール寮に入り、親友となる人物。非魔法族(マグル)の出身ながら、成績は誰よりも優秀。・ アルバス・ダンブルドア - ホグワーツの校長。・ セブルス・スネイプ - ホグワーツの教授。スリザリンの寮監。・ ヴォルデモート(トム・マールヴォロ・リドル)- 魔法界を震撼させた闇の魔法使い。名前を呼ぶことも恐れられ、魔法界では「名前を言ってはいけないあの人」「例のあの人」「闇の帝王」などと呼ばれている。{{See2|上記以外の人物については「ハリー・ポッターシリーズの登場人物一覧」以下の項目を}}作品世界の設定については、以下の記事を参照。・ ハリー・ポッターシリーズの用語一覧・ ハリー・ポッターシリーズの地理・ ハリー・ポッターシリーズの魔法一覧・ ハリー・ポッターシリーズの魔法生物一覧・ ハリー・ポッターシリーズの世界における年表全7巻からなる長編で、各巻の内容は相互に密接に関連している。作者のローリングは、インタビューで、プロットが重要なので力を注ぎ、「第1巻を書き上げる前に、全7巻のプロットができていた」と語っている。当初は、1997年から毎年1冊の刊行が予定されていたが、最終的には第1 - 第4巻までが毎年、3年おいて、第5 - 第7巻が1年おきの刊行となった。; 第1巻『ハリー・ポッターと賢者の石』: Harry Potter and the Philosopher's Stone(1997年6月26日発売): 日本語版単行本 ISBN 4-915512-37-1(1999年12月1日発売): 日本語版携帯版 ISBN 4-915512-49-5(2003年発売): 日本語版文庫本 ISBN 978-4-86389-160-9/ISBN 978-4-86389-161-6(2012年7月3日発売): 日本語児童文庫 ISBN 978-4-86389-230-9/ISBN 978-4-86389-231-6(2014年3月5日発売); 第2巻『ハリー・ポッターと秘密の部屋』: Harry Potter and the Chamber of Secrets(1998年7月2日発売): 日本語版単行本 ISBN 4-915512-39-8(2000年発売): 日本語版携帯版 ISBN 4-915512-54-1(2004年発売): 日本語版文庫本 ISBN 978-4-86389-162-3/ISBN 978-4-86389-163-0(2012年9月3日発売): 日本語児童文庫 ISBN 978-4-86389-232-3/ISBN 978-4-86389-233-0(2014年5月8日発売); 第3巻『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』: Harry Potter and the Prisoner of Azkaban(1999年7月8日発売): 日本語版単行本 ISBN 4-915512-40-1(2001年発売): 日本語版携帯版 ISBN 4-915512-55-X(2004年発売): 日本語版文庫本 ISBN 978-4-86389-164-7/ISBN 978-4-86389-165-4(2012年9月3日発売): 日本語児童文庫 ISBN 978-4-86389-234-7/ISBN 978-4-86389-235-4(2014年6月10日発売); 第4巻『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』: Harry Potter and the Goblet of Fire(2000年7月8日発売): 日本語版は上下2冊セット。: 日本語版単行本 ISBN 4-915512-45-2(2002年10月23日発売): 日本語版携帯版 ISBN 4-915512-60-6(2006年9月21日発売): 日本語版文庫本 ISBN 978-4-86389-166-1/ISBN 978-4-86389-167-8/ISBN 978-4-86389-168-5(2012年10月10日発売): 日本語児童文庫 ISBN 978-4-86389-236-1/ISBN 978-4-86389-237-8/ISBN 978-4-86389-238-5(2014年7月15日発売); 第5巻『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』: Harry Potter and the Order of the Phoenix(2003年6月21日発売): 日本語版は上下2冊セット。: 日本語版単行本 ISBN 4-915512-51-7(2004年9月1日発売): 日本語版携帯版 ISBN 978-4-915512-66-7(2008年3月17日発売): 日本語版文庫本 ISBN 978-4-86389-169-2/ISBN 978-4-86389-170-8/ISBN 978-4-86389-171-5/ISBN 978-4-86389-172-2(2012年11月5日/12月3日発売): 日本語児童文庫 ISBN 978-4-86389-239-2/ISBN 978-4-86389-240-8/ISBN 978-4-86389-241-5/ISBN 978-4-86389-242-2(2014年9月4日/10月6日発売); 第6巻『ハリー・ポッターと謎のプリンス』: Harry Potter and the Half-Blood Prince(2005年7月16日発売): 日本語版は上下2冊セット。: 日本語版単行本 ISBN 4-915512-57-6(2006年5月17日発売): 日本語版携帯版 ISBN 978-4-86389-042-8(2010年3月11日発売): 日本語版文庫本 ISBN 978-4-86389-173-9/ISBN 978-4-86389-174-6/ISBN 978-4-86389-175-3(2013年1月10日発売): 日本語児童文庫 ISBN 978-4-86389-243-9/ISBN 978-4-86389-244-6/ISBN 978-4-86389-245-3(2014年11月5日発売); 第7巻『ハリー・ポッターと死の秘宝』(最終巻): Harry Potter and the Deathly Hallows(2007年7月21日発売): 日本語版は上下2冊セット。: 日本語版単行本 ISBN 978-4-915512-63-6(2008年7月23日発売): 日本語版携帯版 ISBN 978-4-86389-088-6(2010年12月1日発売): 日本語版文庫本 ISBN 978-4-86389-176-0/ISBN 978-4-86389-177-7/ISBN 978-4-86389-178-4(2013年2月14日発売): 日本語児童文庫 ISBN 978-4-86389-246-0/ISBN 978-4-86389-247-7/ISBN 978-4-86389-248-4(2015年1月8日発売){| class="wikitable" style="font-size: small;"|+ 表!rowspan="2"|巻数 !!rowspan="2"|タイトル !!colspan="2"|単行本 !!colspan="2"|携帯版 !! colspan="2"|文庫本 !!colspan="2"|児童文庫|-!発売日!!ISBN!!発売日!!ISBN!!発売日!!ISBN!!発売日!!ISBN|-! rowspan="2"|1| rowspan="2"|ハリー・ポッターと賢者の石| rowspan="2"|1999年12月1日| rowspan="2"|ISBN 978-4-915512-37-7| rowspan="2"|2003年10月22日| rowspan="2"|ISBN 978-4-915512-49-0| rowspan="2"|2012年7月3日| ISBN 978-4-86389-160-9| rowspan="2"|2014年3月5日| ISBN 978-4-86389-230-9|-| ISBN 978-4-86389-161-6| ISBN 978-4-86389-231-6|-! rowspan="2"|2| rowspan="2"|ハリー・ポッターと秘密の部屋| rowspan="2"|2000年9月1日| rowspan="2"|ISBN 978-4-915512-39-1| rowspan="2"|2004年10月23日| rowspan="2"|ISBN 978-4-915512-54-4| rowspan="2"|2012年9月3日| ISBN 978-4-86389-162-3| rowspan="2"|2014年5月8日| ISBN 978-4-86389-232-3|-| ISBN 978-4-86389-163-0| ISBN 978-4-86389-233-0|-! rowspan="2"|3| rowspan="2"|ハリー・ポッターとアズカバンの囚人| rowspan="2"|2001年7月1日| rowspan="2"|ISBN 978-4-915512-40-7| rowspan="2"|2004年11月26日| rowspan="2"|ISBN 978-4-915512-55-1| rowspan="2"|2012年9月3日| ISBN 978-4-86389-164-7| rowspan="2"|2014年6月10日| ISBN 978-4-86389-234-7|-| ISBN 978-4-86389-165-4| ISBN 978-4-86389-235-4|-! rowspan="3"|4| rowspan="3"|ハリー・ポッターと炎のゴブレット| rowspan="3"|2002年10月1日| rowspan="3"|ISBN 978-4-915512-45-2| rowspan="3"|2006年9月21日| rowspan="3"|ISBN 978-4-915512-60-5| rowspan="3"|2012年10月10日| ISBN 978-4-86389-166-1| rowspan="3"|2014年7月15日| ISBN 978-4-86389-236-1|-| ISBN 978-4-86389-167-8| ISBN 978-4-86389-237-8|-| ISBN 978-4-86389-168-5| ISBN 978-4-86389-238-5|-! rowspan="4"|5| rowspan="4"|ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団| rowspan="4"|2004年9月1日| rowspan="4"|ISBN 978-4-915512-51-3| rowspan="4"|2008年3月17日| rowspan="4"|ISBN 978-4-915512-66-7| rowspan="2"|2012年11月5日| ISBN 978-4-86389-169-2| rowspan="2"|2014年9月4日| ISBN 978-4-86389-239-2|-| ISBN 978-4-86389-170-8| ISBN 978-4-86389-240-8|-| rowspan="2"|2012年12月3日| ISBN 978-4-86389-171-5| rowspan="2"|2014年10月6日| ISBN 978-4-86389-241-5|-| ISBN 978-4-86389-172-2| ISBN 978-4-86389-242-2|-! rowspan="3"|6| rowspan="3"|ハリー・ポッターと謎のプリンス| rowspan="3"|2006年5月17日| rowspan="3"|ISBN 978-4-915512-58-2| rowspan="3"|2010年3月11日| rowspan="3"|ISBN 978-4-86389-042-8| rowspan="3"|2013年1月10日| ISBN 978-4-86389-173-9| rowspan="3"|2014年11月5日| ISBN 978-4-86389-243-9|-| ISBN 978-4-86389-174-6| ISBN 978-4-86389-244-6|-| ISBN 978-4-86389-175-3| ISBN 978-4-86389-245-3|-! rowspan="3"|7| rowspan="3"|ハリー・ポッターと死の秘宝| rowspan="3"|2008年7月23日| rowspan="3"|ISBN 978-4-915512-63-6| rowspan="3"|2010年12月1日| rowspan="3"|ISBN 978-4-86389-088-6| rowspan="3"|2013年2月14日| ISBN 978-4-86389-176-0| rowspan="3"|2015年1月8日| ISBN 978-4-86389-243-9|-| ISBN 978-4-86389-177-7| ISBN 978-4-86389-246-0|-| ISBN 978-4-86389-178-4| ISBN 978-4-86389-248-4|}静山社から江守徹の朗読でオーディオブック化されていて、2003年に「賢者の石」、2004年に「秘密の部屋」のCD版が発売された後、2016年に両作のAudibleでのデータ配信版が発売された。オーディオブックとしての需要が高く、「秘密の部屋」以降の配信も望まれたことから、同年に全巻のオーディオブック化が風間杜夫による新朗読で発売されることが決まり、2019年までに全7作がデータ配信された。前述の通り、本編終了から19年後を描いた舞台版のシナリオが出版されており、「8番目の物語(=事実上の第8巻)」と銘打たれている。本文はト書きと台詞で構成されており、第1巻 - 第7巻のような小説のスタイルはとられていない。またジョン・ティファニー、ジャック・ソーンとローリングの共著名義である。; 第8巻(最終巻)『ハリー・ポッターと呪いの子』: Harry Potter and the Cursed Child(2016年7月31日発売): 日本語版単行本 ISBN 978-4-86389-346-7(2016年11月11日発売); ホグワーツ校指定教科書1『幻の動物とその生息地』: Fantastic Beasts and Where to Find Them: 日本語版単行本 ISBN 4-915512-43-6(2001年発売): 日本語児童文庫 ISBN 978-4-86389-252-1(2014年5月8日発売): 日本語新装版(ISBN 978-4863893795)ならびに新装版電子書籍(ISBN 978-1-78110-916-8)(2017年4月13日発売): ニュート・スキャマンダー(Newt Scamander)著(実際の著者はJ・K・ローリング); ホグワーツ校指定教科書2『クィディッチ今昔』: Quidditch Through the Ages: 日本語版単行本 ISBN 4-915512-44-4(2001年発売): 日本語児童文庫 ISBN 978-4-86389-251-4(2014年3月5日発売): 日本語電子書籍版(2016年5月26日発売)ISBN 978-1-78110-718-8: 日本語新装版 ISBN 978-4863893801(2017年4月13日発売): ケニルワージー・ウィスプ(Kennilworthy Whisp)著(実際の著者はJ・K・ローリング): 原作国イギリスでは出版社売り上げの100%を、日本の出版元である静山社は70%を慈善事業に寄付している。以下は電子書籍のみ。著者はJ・K・ローリング。日本語版は2016年9月16日発売。; 『ホグワーツ不完全&非確実』: ISBN 978-1-78110-662-4; 『エッセイ集ホグワーツ勇気と苦難と危険な道楽』: ISBN 978-1-78110-661-7; 『エッセイ集ホグワーツ権力と政治と悪戯好きのポルターガイスト』: ISBN 978-1-78110-663-1; 『吟遊詩人ビードルの物語』: The Tales of Beedle the Bard: 日本語版単行本 ISBN 978-4-915512-75-9(2008年12月4日発売): 日本語版文庫本 ISBN 978-4-86389-221-7(2013年9月3日発売): 日本語新装版ならびに新装版電子書籍 ISBN 978-4863893818(2017年4月13日発売): J・K・ローリングが『ハリー・ポッター』シリーズの完成後に執筆した、物語上に存在する童話集。本編第7巻にもその一部が紹介されている。: もともと、ローリングが七冊手作りし、内輪の知人に贈呈した本である。うち一冊がオークションにかけられ、発売の運びとなった。収益は慈善団体CHLG{{efn|Children's High Level Group チルドレンズ・ハイレベル・グループ:ローリングとエマ・ニコルソン男爵夫人が設立した弱い立場にある子供の生活の向上を目的とする慈善団体。}}に寄付される。『ハリー・ポッター』シリーズは、世界各国で刊行されており、2008年時点で67言語に翻訳され、世界合計4億部(うち第1作が1億部)のベストセラーとなっている。珍しいところでは、ラテン語・古代ギリシア語など、日常で使われることのない言語にも訳されている。なお、著者のローリングは自著の電子書籍化に対して強固に反対しており、『ハリー・ポッター』シリーズの電子書籍版は販売されていなかったが、2012年にはオフィシャルストア「ポッターモア」よりEPUB形式による販売が開始された。作品ごとのシリーズセットがあり、それぞれアメリカ英語版とイギリス英語版が用意されている。日本語の電子書籍も2016年9月より「ポッターモア」やAmazon Kindleなどで取り扱われるようになった。; 英語版:; イギリス / UK版(原書):::: 作者ローリングの母国イギリスでは、ブルームズベリー社から発売されている。第1 - 第4巻まではペーパーバックが中心だったが、第5巻以降はハードカバーが中心となる。児童向けのイラストを用いたカラフルな装丁のほか、大人向けに黒地にカラー写真を配したシックなデザイン(アダルト版)も存在。モノクロ写真を用いたよりシンプルなデザインのアダルト版もあったが、第5巻以降は発売されていない。2010年に、新装版が発売され、白地にクレア・メリンスキーによる版画風のシンプルなイラストが描かれたデザインになっている。:: 原書であるイギリス版では、挿し絵はいっさいなく、一般のイタリック以外の変わりフォントは用いられていない。:; アメリカ / US版:::: スコラスティック社から発売され、各国版中最大の出版部数を記録している。アメリカ版では一部の単語についてアメリカ英語に修正して出版している。とくに第1作『賢者の石』アメリカ版は、出版社の強い要求で"the Sorcerer's Stone"に変更されて出版された。イギリスでは"philosopher"という単語で「魔法使い」(錬金術師)というニュアンスが読者に伝わるのに対して、アメリカでは"philosopher"だと読者は「哲学者」を連想し「魔法使い」につながることがほとんどない、というイギリス英語とアメリカ英語の違いが米国側の主張する理由であった。"Sorcerer"という単語は、「魔法使い」を示す単語として以前よりアメリカ国内などですでに広く知られていた単語ではあるが、のちにローリングは当時立場が強ければ改題には反対したと語っている。ほかにも、ハリーの親友ロン・ウィーズリーやその兄弟たちはウィーズリー夫人のことをUK版では「Mum」と呼ぶが、US版では「Mom」となっている。これに対して作者は「ウィーズリー夫人はMumでありMomというイメージには合わない」と強く主張をしたので現在{{いつから|date= 2020年5月}}では「Mum」に変更されている。:: アメリカ版はメアリー・グランプレによる挿絵が、各章冒頭に挿入されている。また変わりフォントが、手紙文・新聞記事などを表現するのに用いられている。:: 中国語版、韓国語版、ポルトガル語版、ノルウェー語版など、アメリカ版の表紙を用いた言語も多い。:;ドイツ語版: カールセン社から発売。ハードカバーのみで、挿絵はなく、変わりフォントも用いられていない。: 作者名は「JOANNE K. ROWLING」表記(ファーストネームを記載)。表紙は7巻ともザビーネ・ウィルハームによる。なお、各章には番号が振られておらず、目次もない。; フランス語版: ガリマール社から発売。ペーパーバック中心。表紙は7巻ともジャン=クロード・ゴッティングによる。; スペイン語版: Emece社から発売。; イタリア語版: French & European Pubnsから発売。; 中国語版: 地域によって別々に翻訳されている。訳者も出版社も異なるので違う訳文であり、使用文字・慣習が異なるため、作中の固有名詞や呪文の訳し方も違う。なお、第1巻は繁体字版の方が3か月先に刊行されたが、その後の巻はほぼ同時期(数日違い)に刊行された。:; 繁体字版(台湾版):: 皇冠出版社から発売。:; 簡体字版(中華人民共和国版):: 人民文学出版社から発売。底本はアメリカ版で、表紙・挿絵も流用している。原文の強調部分のほか手紙文のフォントも変えてあるが、いずれも一般のフォントで、変わりフォントではない。また、イギリスの文化・地名に関する語について、ページ下部にわずかに脚注がついている。:; 日本語版: 静山社から発売。訳者は全巻とも松岡佑子。ハードカバー版および携帯版(新書サイズのソフトカバー)が発売され、アメリカ版に影響を受け、手紙文・新聞記事のほか、台詞まで変わりフォントが用いられている。第4巻以降は、上・下巻に分冊(ただし別売不可)。表紙および各章冒頭の挿絵は、7巻ともダン・シュレシンジャー(新装版は佐竹美保)による。『ハリー・ポッター』シリーズは、ほとんどの固有名詞に意味が込められた命名がなされているが、固有名詞の翻訳状況は、各言語の事情によって異なる。中国語(とくに繁体字版)では、「天狼星 布萊克(シリウス・ブラック)」や「小仙女 東施(ニンファドーラ・トンクス)」のように人名にも意味を重視した翻訳が成されている{{Efn|中国語版「哈利·波特中文翻譯詞彙對照表」も参照。}}。スロベニア語では、固有名詞をスロベニア語に訳した上で、スペルを若干変更している。しかし、映画化にあたりワーナー・ブラザースから、人名を変更しないよう要請が出され、各言語の翻訳者からは映画会社の横暴に不満が噴出したという。また、第6巻終盤に登場する「R.A.B」のイニシャルも、オランダ語やノルウェー語などでは、人物の名字に意味を重視した訳語をあてていたため「R.A.Z」や「R.A.S」となった。このため、ほかの言語と比較することで、その正体が予測できるということもあった。{| class="wikitable" style="font-size:90%;"|+ 主要言語における訳語比較! 日本語 !! 英語 !! ドイツ語 !! フランス語 !! 繁体字 !! 簡体字|-| 吸魂鬼 || Dementor || Dementoren || Détraqueurs || {{lang|zh|催狂魔}} || {{lang|zh|摄魂怪}}|-| 分霊箱 || Horcrux || Horkrux || Horcruxe || {{lang|zh|分靈體}}(分霊体) || {{lang|zh|魂器}}|-| 憂いの篩 || Pensieve || Denkarium || Pensine || {{lang|zh|儲思盆}} || {{lang|zh|冥想盆}}|}松岡および静山社の、翻訳権獲得からミリオンセラーまでのサクセスストーリーは日本国内で大きな注目を集め、また翻訳の評判もよかった。一方、翻訳家や読者からは第1巻から誤訳・珍訳、文章力の問題点が指摘されており、2001年ごろには児童読者からの誤訳の指摘も松岡のもとに届いていた。以下、おもな問題点を挙げる。; 第1巻16章: 原文:slyly the poison trie to hide. You will always find some on nettle wine's left side.: これを「毒入り瓶のある場所は いつもイラクサ酒の左」と訳したため、原書では筋が通っているパズルが日本語版では解きにくくなっている。これを「イラクサ酒の左には いつも毒入り瓶がある」とすることで、部分的な解答を得ることが容易となる。ただし、文章では瓶の大きさを判別できないため、読者が文章のみから完全な解答を導くことはできない{{リンク切れ|date=2021年1月}}。; 第5巻25章: 原文:I'm on probation: ハグリッドの発言を「停職になった」と訳したが、この発言後も学校で働き続けているため、誤訳である。携帯版では「停職候補」に変更されたが、 "probation" は執行猶予の意味であるため、訂正になっていない。; 第6巻20章: 原文:You are omniscient as ever, Dumbledore.: これは、ヴォルデモートは他意がなさそうな様子で職をもとめにきたが、じつは近くの村の宿屋ホッグズ・ヘッドに手下たちを待機させていたことをダンブルドアに指摘され、居直って返す台詞である。人から怪しい行動を指摘されて返す言葉が「博識ですね」というのはずれている。 omniscient には「博識の」というような意味もあるが、この状況では「お見通しですね」「千里眼ですね」などが正しい。携帯版・文庫版では「相変わらずなんでもご存知ですね、ダンブルドア」に修正されている。本シリーズは、1990年代のイギリスを舞台にした、(執筆時点から見て)ごく最近の物語である。原書においては、一部の登場人物に訛り{{efn|ルビウス・ハグリッドのイギリス南西部訛り、スタン・シャンパイクのロンドン訛り、フラー・デラクールのフランス語訛り、ビクトール・クラムのブルガリア語訛りなど。}}や特徴的な口癖{{efn|アラスター・ムーディの "Constant vigilance!" 、ニンファドーラ・トンクスの "Wotcher" 、ホラス・スラグホーンの "Oho" など。}}が与えられ、個性を表現しているが、日本語では英語以上に一人称や言葉遣いの表現が多様である(役割語等も参照)。したがって、1990年代という時代設定から逸脱した一人称・言葉遣いを用いたことによって、原作と日本語版ではまるで印象が違っている登場人物も少なくない。明治大学教授で翻訳家の高山宏は、「魔術という古い世界と現代のティーンエイジャーの世界の交錯がこの作品の醍醐味なのですが、日本語訳では会話文と普通の文章がごっちゃになって読みにくい」と評している。このほか、「手水場」「下手人」「旅籠」など時代がかった言葉が多いことも、「センスが悪い」と批判されている。口語としてあまりに不自然な場合、映画版の吹替え・字幕では修正されている。また、本文には、特殊フォント・太字・囲み文字・網かけ文字やイラスト風の囲みが多用されているが、いずれも底本のブルームスベリー社版にはない、日本語訳独自の演出である。これは、原作者の意向で本文中に挿絵が使えない制約を回避するため、読者がイメージを膨らませられるようにという松岡の解釈で付与された。高山宏は、イギリス版の中表紙にあるホグワーツの紋章をカットしたことを批判したうえで「翻訳以前に、物語の持つ世界観を、最低限踏まえた上で紹介するのが訳者の責任だと思う」としている。紋章の不掲載についてはドイツ語版などでも行われており、日本語版だけの問題ではない。日本語の語彙が、正しい日本語の意味とは異なる意味で使われている箇所が多々ある。; 第4巻3章: 原文:He had said the magic words.: ハリーが伯父に向かって効き目のありそうな脅し文句を言う場面。日本語訳では「殺し文句を言ってやった」としているが、「殺し文句」とは相手をうれしがらせて引きつける言葉のことで、効果的な「脅し文句」のことではないので間違いである。; 第5巻4章: 原文:he said the owls might be intercepted.: 「あの人は、ふくろうが途中で傍受されるかもしれないといってた」と訳されている。"intercept" には途中で捕らえる・(電波を)傍受するという意味があるが、この場合可能なのはふくろうを捕獲して連絡内容を調べることである。そもそも、傍受は電波に用いる語なので日本語として間違っている。第2巻『秘密の部屋』の作中において「先天的疾患に対する差別的表現がある」として2000年10月に市民団体「口唇・口蓋裂友の会」が抗議、問題箇所の削除を要求した。静山社は著者とともにこの市民団体と協議し、同年11月「第六十六刷から該当箇所を削除」することを回答。市民団体側は各都道府県教育委員会、全国の図書館や書店に対し配慮を行なうよう、同年12月に要望書を送付した。上下2冊組となった第4巻以降、返品を不可とする「買い切り制(責任販売制、買取り制ともいう)」となったため、一般の小売りと同等のリスクが発生した。この点については、第1巻・第2巻・第3巻が入手困難となったことから、書店業界側からの要望でもあった。また発行元である静山社自体が小さな出版社であるため、大量発注を受けた結果として大量の返品を抱えた場合のリスクが小さくないという出版社側の事情もある。2004年9月1日に第5巻『不死鳥の騎士団』は、初版290万セットで発売されたが、2週間以内に売れたのは65%にとどまった。発売後すぐに実売部数は200万部を越えるベストセラーとなったが、発行部数に対して大量の在庫が出たため、書店業界から悲鳴が上がる事態となった。これは、書店からの発注をそのまま受け入れて発行したからで、出版社(静山社)・取次会社(トーハン)・書店の調整不足が指摘されている。日本書店連合会からも高正味{{efn|正味=版元(出版社)が取次に、取次が書店に本を売るときの掛け率をいう。高正味=この場合、版元側の取り分が多い、の意}}と買い切り制の採用や、静山社が広告を打たないことに対する不満が、複数回表明されている。こうした状況に対し松岡佑子は「クリスマスまでにたくさん売れるように期待しています。新聞広告などで私たちも応援したい」と発言。その結果、12月に作品内容を明かしたキャッチコピーを広告に掲載し物議をかもした。その後の、第6巻、第7巻では、書店が発注を控えたため、第5巻ほどのトラブルは生じていない。『ハリー・ポッター』シリーズはワーナー・ブラザースによって映画化された。2001年に映画『ハリー・ポッターと賢者の石』が公開され大反響を呼び、その後も続編が次々と製作され、撮影はリーブスデン・スタジオで行われた。全作品を通じ、ハリー役はダニエル・ラドクリフ、ロン役はルパート・グリント、ハーマイオニー役はエマ・ワトソン。・ 『ハリー・ポッターと賢者の石』・ 『ハリー・ポッターと秘密の部屋』・ 『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』・ 『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』・ 『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』・ 『ハリー・ポッターと謎のプリンス』・ 『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』・ 『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』2016年には、スピンオフ映画『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』が公開され、全5部作となることが予定されていたが、第3作目である『ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密』公開後、監督を務めたデヴィッド・イェーツは、4作目についての話し合いは行われていないことを明かし、シリーズの制作がストップしている状態だと語った。2023年4月に開催されたワーナー・ブラザーズの新作発表会においてドラマ化が正式発表され、ホグワーツの外観が映るティーザー映像も併せて公開された。映画版からキャストは一新され、1シーズン1巻のペースで原作に忠実に10年にわたるシリーズとしての制作が予定されている。Maxで配信予定であり、原作者であるJ・K・ローリングが製作総指揮を務める。『ハリー・ポッターと呪いの子(Harry Potter and the Cursed Child)』のタイトルで、2016年夏にウエストエンドの{{仮リンク|パレス・シアター|en|Palace Theatre, London}}にて上演。J・K・ローリング、ジャック・ソーン、ジョン・ティファニーが手掛ける新たなストーリーとなり、本舞台は全7章の小説の続きとして、『ハリー・ポッターと死の秘宝』の19年後~22年後が描かれ、ハリーとその息子であるアルバスが登場する。脚本がシリーズ第8巻(最終巻)として2016年7月30日に発売され、日本語版脚本は2016年11月15日に発売。日本でも、TBS開局70周年を記念して東京・TBS赤坂ACTシアターで2022年夏より上演される。これに先立ちTBS赤坂ACTシアターは、2021年より大規模な改修を開始し、『ハリー・ポッター』専用劇場として生まれ変わる。上演期間は無制限のロングラン形式となる。{{節スタブ}}『ハリー・ポッター』のゲーム化は、1997年の『賢者の石』の初出版から人気が軌道に乗りはじめた1年後の1998年にアメリカの任天堂のNintendo of Americaが『ハリー・ポッター』に目をつけ、その版権を独占的に獲得するため売り込みを展開し、同社傘下で設立されたばかりのNintendo Software Technology(NST)にゲームのアイデアを出すよう命じた。三人称視点のアドベンチャーゲームとマーベルコミックのアディ・グラノフをキャラクターアーティストとして担当したクィディッチゲームのふたつのピッチに取り組みはじめ、まずNINTENDO 64から、ゲームボーイアドバンス、そしてニンテンドー ゲームキューブやその先の任天堂のプラットフォームで『ハリー・ポッター』シリーズのゲームを自社で開発・発売することを計画していた。ライセンス契約者である作者のJ・K・ローリングはNSTのプレゼンテーションを見ることに同意したが、どのアートスタイルがこのフランチャイズに最もふさわしいかについてNST内で意見の相違があった。当初『ハリー・ポッター』の表紙カバーを担当していたイラストレーターのトーマス・テイラーのデザインを求める声があり、ローリングがよりイギリス的でありたいと言ったが、NSTの上層部は漫画的な、あるいは日本的なビジュアルスタイルでゲームをデザインするように要求していた。最終的にゲームだけでなくテレビや映画など、より多くの分野での映画化を提供できる大手メディア企業を優先し、ローリングはゲームしか進出できなかった任天堂のこの提案を断ったという。独占権を要求していた任天堂との交渉が決裂したあと、ローリングは最終的にできるだけ多くの人に『ハリー・ポッター』を届けるためにワーナー・ブラザーズに権利を売却した。同社はエレクトロニック・アーツと契約し、イギリス支社のエレクトロニック・アーツUKが『ハリー・ポッター』シリーズの本をもとにした映画のゲーム開発および発売権を得て、2001年に『賢者の石』のゲームを最初に発売した。またエレクトロニック・アーツUKの『ハリー・ポッター』ゲームのメイキングでのインタビューでローリングは『ハリー・ポッター』製品の生産をできるだけイギリスで行うようにしたと述べている。日本国内にて発売・配信されたもののみ記す。・ ハリー・ポッターと賢者の石・ ハリー・ポッター クィディッチ・ワールドカップ・ ハリー・ポッターと秘密の部屋・ ハリー・ポッターとアズカバンの囚人・ ハリー・ポッターと炎のゴブレット・ ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団・ ハリー・ポッターと謎のプリンス・ ファンタスティック・ビーストと魔法使いの事件簿(iOS / Android、2016年11月17日配信)・ ハリー・ポッター:ホグワーツの謎(iOS / Android、2018年4月25日配信)・ ハリー・ポッター:魔法同盟(iOS / Android、2019年7月2日配信)・ ホグワーツ・レガシー(通常版:2023年2月10日(金)発売、デラックス・エディション:2023年2月7日(火)発売)・ ハリー・ポッター:魔法の覚醒(iOS/Android、日本リリース2023年6月27日){{notelist}}{{Commons&cat|||ハリー・ポッター}}・ 魔法ワールド - 本シリーズをもとに展開されている作品群。・ レロ書店 - 本シリーズに大きなインスピレーションを与えたポルトガルの書店。・・ {{En icon}}・ {{En icon}}・・・ Harry Potter Wiki - ワーナー社認定Wiki・ {{CAPlink|node/20488|電子書籍版ハリー・ポッターが販売開始|date=2012年3月28日}}{{ハリー・ポッターシリーズ}}{{Normdaten}}
NIILC-ECQA2015-00011-01
軽自動車は何cc以下から?
660cc以下
{{半保護}}{{簡易区別|エンジン付きの「超小型車」と「ミニカー」およびエンジンの無い「軽車両」}}{{Pathnav|自動車|日本における自動車|frame=1}}{{Law}}軽自動車(けいじどうしゃ)は、現行の道路運送車両法からすれば、日本での自動車規格の中で最も小さい規格に当てはまる、排気量660 cc以下の三輪、四輪自動車のこと。125 cc超250 cc以下(側車付きの場合は、50 ccを超え250 cc以下)の二輪車も指す。自動車は軽三輪、軽四輪、二輪車は軽二輪ともいう。一般的には単に軽と呼ばれる事が多い。元来は日本国外の{{仮リンク|キャビンスクーター|en|Cabin cycle}}などの一種であったが、現在はより本格的な自動車として別種のものと認識されている。日本独自規格となる軽四輪は、道路運送車両法施行規則で定められており、現在の規格(1998年10月に規格改定)は、・ 全長 3,400 mm (3.40 m) 以下・ 全幅 1,480 mm (1.48 m) 以下・ 全高 2,000 mm (2.00 m) 以下・ 排気量660 cc以下・ 定員 4名以下・ 貨物積載量 350 kg以下となっている。なお、この条件を1つでも超えると小型自動車(登録車)の扱いになり「白地に緑文字」の自家用、または「緑地に白文字」の運送事業用でのナンバープレート登録となる。この規格は日本への輸入車にも適用される(スマートやナノも排気量は660 cc以内であるが、全幅が1,480 mmを超えるため、日本に輸入されれば「排気量1.0リッターの小型車」扱いで登録される。日本の軽自動車規格車にエアロパーツ、オーバーフェンダーを装着して寸法が規格値を超えた場合、改造にて小型自動車に構造変更手続きをしなければ自動車税の脱税行為となり、処罰の対象となる)。また、本田技研工業(ホンダ)のS500やS600、T500、三菱自動車工業(1960年代当時は新三菱重工業→三菱重工業)の三菱・500とコルト600はいずれも現在の軽自動車と同規格に当てはまるが、旧規格の「排気量360cc時代」に生産された車両であるため、新規登録時はこれらも同様に「小型車」扱いで登録される。ナンバープレートの色は、自家用は「黄色地に黒文字」、事業用は「黒地に黄色文字」となっている(360 cc時代の車両については小型のプレートに「白地に緑文字」〈自家用〉または「緑地に白文字」〈運送事業用〉)。詳しくは、ナンバープレートを参照。特例で2019年の「ラグビーワールドカップ特別仕様ナンバープレート」または「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会特別仕様ナンバープレート」であれば、追加の料金で「白基調に緑文字」のナンバープレートにできた(現在は交付終了)。外見上、普通車との見分けが付きにくいが、軽自動車の分類番号は「580 - 599」で、このうち「580-582」までが一般払い出しとなり、「583-599」までが一般希望ナンバーに使われる。普通車とは異なり「登録車」ではなく「届出車」となるため、封印は付かない。1910年代から1930年代にかけて、サイドカーを含む自動二輪車の延長線上、あるいは、三輪を含む自動車のダウンサイズ版として、それらのギャップを埋める簡易車両が多数誕生した。その後、オースチン・7(1922年 - 1939年)や{{仮リンク|シトロエン・タイプC 5HP|en|Citroën Type C 5HP|label=シトロエン・5CV}}(1922年 - 1926年)に代表される、「まともな」四輪大衆車の量産化による高品質と低廉な価格を前にしては競争力は最早なく、急速に衰退している。第二次世界大戦後、敗戦国を中心に、二輪車や航空機の余剰部品や材料を利用した簡易車両が庶民の足として生まれ、経済復興とともに再び隆盛を極めた。日本と同じく第二次世界大戦における敗戦国であるドイツやイタリア、植民地運営が行き詰り、不況となったイギリスやフランスなどにも見られた。自動車史では、これらの車両をサイクルカー、{{仮リンク|キャビンスクーター|en|Cabin motorcycle|de|kabinenroller}}、バブルカー、マイクロカーなどと呼び、現在では、自動車趣味の一ジャンルとして定着し、大切に保存されている。現在では発展途上国の手軽な移動手段としてのほか、省資源の観点から先進国でも超小型自動車を見直す気運が高まりつつあり、新規開発も増えている。日本の軽自動車は規格としては1949年に戦後の経済成長の一助となる事を目指して成立した。当初から運転免許証も普通車、小型車とは区別され、時期や地域によっては、実地試験が免除となり、費用負担も少ない「軽自動車免許」なる優遇措置が存在したが、当時のモータリゼーションの主力および市場の需要はもっぱらオート三輪やオートバイに集中しており、軽四輪自動車の本格的な製造販売を手掛けるメーカーはなかなか出てこなかった。軽規格自体も1954年までほぼ1年おきに改正・拡大を繰り返すような有様で、実際に実用的な規格として固まり、その存在が国民に認知されるようになるのは、通商産業省(現・経済産業省)の国民車構想が週刊誌によってスクープされる1955年を待たねばならなかった。この時代までに軽四輪自動車の製造販売に挑戦した少数の零細メーカーはほとんどが商業的に失敗するか、資本の限界で製造の継続ができなくなるなどの理由で、ほどなく市場からの撤退を余儀なくされている。1955年、鈴木自動車工業(現:スズキ)が「スズキ・スズライト」を発売、軽規格内でも国民車構想に充分に合致する本格四輪乗用車の製造が可能であることが証明されたが、販売価格は42万円と未だ価格面では庶民の手には届きにくいものであった。当時の平均月収は数万円程度であり、庶民の足となりえる原動機付きの乗り物はホンダ・カブFに代表される自転車後付エンジン(広義のモペッド)か原動機付自転車、250cc程度までの小型オートバイ(軽二輪)、高くてもダイハツ・ミゼットに代表される販売価格20万円台の軽三輪自動車までが精々という時代背景であった。その後1958年に「スバル・360」が登場。先行車両をデザイン、性能、パッケージングなどあらゆる面で上回るものでありながら販売価格は45万円を切るものとなり、軽四輪自動車が国民に爆発的に普及する原動力となった。スバル・360の成功はそれまでもっぱらオート三輪の製造に注力していたマツダ、ダイハツ、三菱などのメーカーの経営方針を四輪中心に転換させる原動力ともなった。同時に各社とも貨物車の開発にも力を入れ、この過程で誕生した「軽トラック」や「軽ワンボックス」は日本の経済活動にとって欠かせないものとなった。またホープ自動車のホープスター・ON型4WDは改良発展で後にスズキ・ジムニーとなり、オフロード車としても成功を収めた。以降、業務用からレジャー用のバギーカーまでが出揃うほどの多様な車種展開を見せ、その発想は現在の車種にも受け継がれている。世界各国の「サイクルカー」が姿を消していく中、日本の「軽自動車」は、本格的な自動車としての生き残りに成功した。その後、3度にわたって大幅な規格拡大があり、現在に至っている。1990年の660 ccへの排気量拡大以降は、それまで多くの車種でオプション設定に留まっていたカーエアコンやカーオーディオの標準装備化も進んでいき、1998年の現行規格登場後はエアバッグや衝突安全ボディーの実装、さらに2012年現在ではアイドリングストップや副変速機付きCVT、バックモニターなどの装備も進んでいる。また、ダイハツがムーヴを皮切りにスマートアシストを主力車種に投入したことから、2014年頃には各社とも衝突被害軽減ブレーキを主力乗用車種に設定し、2016年現在ではそれらに引っ張られる形で乗用型の存在する商用車(アルトバン、ハイゼットキャディー〈≒ウェイク〉など)にも設定があるなど、フルBセグメント以下の国産の小型車と比較して急速にASV化が進んでいる。このように軽自動車は単なる「廉価な四輪車両」の地位に留まらず、小型登録車と遜色ない快適性や安全性を有するまでになってきている。しかし、軽自動車の自動車としての確立と性能向上に従い、当初の優遇措置は次第に打ち切られていき、車検の義務化や重量税の課税など登録車と同様の課税や規制が掛けられるようになっていった。また、その成立過程と税制、市場の特殊性故に今日まで国外での販売実績・普及はほとんどないままであり、国内市場からはコンパクトカーとの競合(特にリッターカークラス)での税制面の優遇における批判、海外市場からは「日本市場の閉鎖性と保護政策の象徴」として批判の対象となっている(後述のクワドリシクルなど日本以外にも類例の規格はないわけではない)。ただし、海外向けには軽自動車のエンジンだけを800 - 1,300 cc程度に拡大したものは多数あり、660ccのままでの海外進出の例もある。その一例としてはプロドゥア(マレーシア、ダイハツ合弁)のカンチル/ビバ(≒ミラ)のベースグレードやパキスタンで現地生産されるスズキ・アルト(HA36)があり、アルトの件に関しては、海外では無謀とされていた660ccのままでの進出に関し並行輸出車の利用実態から可能であるとされたことによる。日本からの完成車輸出や現地でのノックダウン生産を経て、完全国産化を果たしてその国(地域)独自の商品へと進化したものもある。1990年代以降の日本国内仕様にもスバル・ドミンゴやミラジーノ1000、パジェロJr.、ジムニーシエラなどがある、特に軽トラックや軽ワンボックスバンはその実用性が評価され、海外でも広くその姿をみることができる。軽自動車を製造しているメーカー各社は低コストで車を作る技術を蓄積し、新興国での競争力強化につなげることを目指している。しかしアメリカでは州にもよるが安全性の観点から公道の走行を禁止されており、農業用としての使用が一般的である。ナンバープレートは、自家用・貸渡用・駐留軍は黄地に黒字、事業用は黒地に黄字の中板(330 mm × 165 mm)である。ただし、1974年以前に製造された軽自動車は、自家用・貸渡用・駐留軍は白地に緑字、事業用は緑地に白字の小板(230 mm × 125 mm)となる。このタイプでは、住所変更や所有者変更などで新規にナンバープレートを発行する場合でも従前どおりの小板が発行される。このため、21世紀になって登場したご当地ナンバーでもこのタイプのための小板が存在する。現在も小板が発行されている理由は車両の構造上中板が取り付けられないためであるが、1974年製造の一部車種(三菱・ミニキャブなど)はナンバープレートの取り付けスペースを中板対応にし、ナンバープレートを固定するナットを小板用と中板用の2組設置して小板・中板のいずれも取り付けられるようにしているものもあった。なお、小板は現在でも250 cc以下の軽自動二輪車で用いられている。ナンバープレートは、映像作品や、趣味の面においての時代考証でも重要な要件となる。登録車のような所有権の登録制度がないので、届出に際し印鑑証明は不要である。また登録車とは異なり、多くの自治体で保管場所証明を申請する義務がなく、車庫証明も不要である。現在は東京23区・政令指定都市・県庁所在地および(おおむね人口10万人以上の)各市でナンバープレート交付後の届出が必要となっている。軽二輪とは、側車(サイドカー)がない限り、125 cc超250 cc以下の自動二輪車のことである。なお、エンジンの総排気量が250 cc以下で側車(サイドカー)がある場合は、125 以下でも50 ccを超えていれば軽自動車として扱われる。この排気量帯の二輪車については、普通自動二輪車(エンジンの総排気量が50 ccを超え125 cc以下で、側車(サイドカー)がある二輪車の場合は小型自動二輪車)および検査対象外軽自動車を参照のこと。{{also|小型自動二輪車#備考|サイドカー#50㏄超}}軽自動車の発展は、まだ日本の自動車普及率が高くなかった1950年代のモータリゼーション推進と日本の道路事情に見合った車の開発をめざした「国民車構想」の延長にあると、従来言われてきた。しかし実際にはこの構想において成功した自動車メーカーは皆無であった。富士重工業(現・SUBARU)における「スバル・360」の開発は「軽自動車の枠で、普通乗用車と同じ能力を」という前提で開発されており、最初から国民車構想をさらに上回る企画であった。また平均的日本人における成人男子の体格が世界的に見て小柄であったことも、同車種が日本国内の市場に受け入れられた遠因に挙げられているが、当時のスバルやホンダの軽自動車がほぼエンジンのみを拡大して450 - 600 ccとし、そのまま北米などに輸出され好評であったことから、欧米人の体格でも日本の軽自動車サイズで特に問題はなかった。過去3度における大幅な規格拡大も、排気ガス抑制のための4サイクルエンジンへの移行促進(360 cc→550 cc)、高速道路網の拡張への対応やカーエアコンの普及による馬力荷重の悪化(550 cc→旧660 cc)、普通車同様の衝突安全基準の採用(旧660 cc→新660 cc)が主たる理由である。軽自動車の特徴は・ 車両本体価格のほか、税金・保険料などの維持費も安い・ 車体が小さく取り回しが容易などである。道路の整備が進んで渋滞が少ない、ロードサイド店舗が発達している、公共交通機関の便が悪いことなどから、自家用車の利便性が高い地方では、個人の通勤・買物など、日常生活の足として一世帯で複数台の自動車を所有することが一般的である。その際、コストを抑えるためにセカンドカー(一世帯で保有する2台目)以降に軽自動車を購入する需要が高い。これらの使用者は、女性、若者、あるいは高齢者などであり、軽自動車の中心的購買層でもある(詳細はJAMAを参照)。職業別においては、農林水産業、建設業、運送業などで、軽トラックや軽ワゴン・バンを所有している例が多く、購入価格(イニシャルコスト)が低廉であることのほか、税金や維持費(ランニングコスト)も低く、幅員の狭い道路を楽に往来できるというメリットもある。冬季間の積雪や凍結路面を走行する際や未舗装の悪路走行する際に必要な4WDも設定されており、軽トラックではメーカーオプションで悪路走行用に副変速機やLSDやデフロックが設定されている車種もある。個人向け乗用車としては、ハッチバック(セダン/ワゴン)、トールワゴン、オープンカー、4ドアハードトップ、SUVなどの車型がある。このほか、趣味性の高いスポーツカーや、本格的なクロスカントリーカーなども選べる。都道府県別で見てみると、2020年3月末時点での軽自動車の保有台数は、青森県、岩手県、秋田県、山形県、山口県、熊本県、宮崎県を除く40都道府県で前年より増加しているものの、滋賀県、岡山県、愛媛県、福岡県、佐賀県、宮崎県、沖縄県の7県以外では登録車の保有台数が減少しており、軽自動車に取って代わられている傾向が見られる。2020年3月末現在、「軽自動車の保有台数」の1位は愛知県、2位は福岡県、3位は埼玉県、4位は千葉県、5位は大阪府となっており、保有台数上位は都市部で占められる。一方、「全自動車に対する軽自動車の保有シェア」では、2008年3月末現在(全国平均:33.7%)において高知県が初めて全自動車の半数以上を軽自動車が占めたのを皮切りに、2020年3月末現在(全国平均:39.6%)ではいずれも西日本にある高知県(55.4%)、長崎県(55.1%)、沖縄県(54.2%)、和歌山県(54.1%)、島根県(53.1%)、鹿児島県(52.8%)、鳥取県(52.6%)、愛媛県(52.2%)、宮崎県(51.9%)、佐賀県(51.1%)の10県において全自動車の半数以上を軽自動車が占めるようになり、大阪府・兵庫県を除く近畿地方以西は全府県40%以上となっている。なお、東京都は軽自動車に対する軽貨物車の比率が36.6%で全国1位であり、軽ワンボックスバンと軽トラックが都民の生活を支えている。{| class="wikitable"|+都道府県別の軽自動車保有比率の推移|-||||-style="text-align:center"|2020年3月末||2008年3月末||1998年3月末|}{| class="wikitable sortable" style="text-align:right; font-size:85%"|+都道府県別の2020年3月末の保有台数、保有比率、2014年12月末現在の100世帯あたりの保有台数、および、1998年3月末時点の保有比率({{Color|red|赤字}}は前年度より減少)|- style="line-height:1.2"!class="unsortable"|都道府県!!全自動車保有台数(台)(A)!!登録車保有台数(台)!!軽自動車保有台数(台)(B)!!軽自動車保有比率(%)(B/A)!!-->100世帯あたり軽自動車保有台数(台/100世帯)!!1998年3月末軽自動車保有比率(%)|-|style="text-align:center"|全国||78,172,873||47,205,414||30,967,459||39.6||51.8||25.9|-|style="text-align:center"|北海道||{{Color|red|3,628,094}}||{{Color|red|2,461,093}}||1,167,001||32.2||41.4||17.0|-|style="text-align:center"|青森県||{{Color|red|977,536}}||{{Color|red|522,257}}||{{Color|red|455,279}}||style="background-Color:#ffcccc"|46.6||77.5||31.6|-|style="text-align:center"|岩手県||{{Color|red|997,106}}||{{Color|red|539,448}}||{{Color|red|457,658}}||style="background-color:#ffcccc"|45.9||88.4||31.9|-|style="text-align:center"|宮城県||{{Color|red|1,636,116}}||{{Color|red|1,010,878}}||625,238||38.2||64.0||24.8|-|style="text-align:center"|秋田県||{{Color|red|786,281}}||{{Color|red|416,345}}||{{Color|red|369,936}}||style="background-color:#ffcccc"|47.0||87.6||34.3|-|style="text-align:center"|山形県||{{Color|red|905,585}}||{{Color|red|494,535}}||{{Color|red|411,050}}||style="background-color:#ffcccc"|45.4||101.1||34.6|-|style="text-align:center"|福島県||{{Color|red|1,592,064}}||{{Color|red|934,860}}||657,204||style="background-color:#ffffcc"|41.3||85.0||29.0|-|style="text-align:center"|茨城県||2,527,288||{{Color|red|1,589,386}}||937,902||37.1||75.7||22.4|-|style="text-align:center"|栃木県||1,663,630||{{Color|red|1,050,505}}||613,125||36.9||73.6||22.9|-|style="text-align:center"|群馬県||1,735,837||{{Color|red|1,036,958}}||698,879||style="background-color:#ffffcc"|40.3||84.3||26.7|-|style="text-align:center"|埼玉県||3,939,385||{{Color|red|2,596,365}}||1,343,020||34.1||40.0||17.4|-|style="text-align:center"|千葉県||3,521,678||{{Color|red|2,344,271}}||1,177,407||33.4||40.6||18.6|-|style="text-align:center"|東京都||{{Color|red|3,937,822}}||{{Color|red|3,111,906}}||825,916||21.0||11.8||11.5|-|style="text-align:center"|神奈川県||{{Color|red|3,710,713}}||{{Color|red|2,724,723}}||985,990||26.6||22.3||13.6|-|style="text-align:center"|新潟県||{{Color|red|1,783,329}}||{{Color|red|956,772}}||826,557||style="background-color:#ffcccc"|46.3||92.8||33.4|-|style="text-align:center"|富山県||{{Color|red|879,171}}||{{Color|red|511,222}}||367,949||style="background-color:#ffffcc"|41.9||88.9||30.3|-|style="text-align:center"|石川県||894,116||{{Color|red|537,535}}||356,581||39.9||74.1||27.9|-|style="text-align:center"|福井県||654,544||{{Color|red|367,497}}||287,047||style="background-color:#ffffcc"|43.9||100.2||31.5|-|style="text-align:center"|山梨県||729,495||{{Color|red|394,562}}||334,933||style="background-color:#ffcccc"|45.9||94.1||31.2|-|style="text-align:center"|長野県||{{Color|red|1,837,976}}||{{Color|red|959,357}}||878,619||style="background-color:#ffcccc"|47.8||102.0||34.4|-|style="text-align:center"|岐阜県||{{Color|red|1,634,227}}||{{Color|red|963,782}}||670,445||style="background-color:#ffffcc"|41.0||83.9||26.7|-|style="text-align:center"|静岡県||2,764,170||{{Color|red|1,598,269}}||1,165,901||style="background-color:#ffffcc"|42.2||74.3||27.0|-|style="text-align:center"|愛知県||5,083,944||{{Color|red|3,438,152}}||1,645,792||32.4||51.2||19.3|-|style="text-align:center"|三重県||1,470,098||{{Color|red|821,253}}||648,845||style="background-color:#ffffcc"|44.1||83.8||31.6|-|style="text-align:center"|滋賀県||1,004,506||543,283||461,223||style="background-color:#ffcccc"|45.9||81.4||32.9|-|style="text-align:center"|京都府||{{Color|red|1,274,389}}||{{Color|red|761,832}}||512,557||style="background-color:#ffffcc"|40.2||42.8||25.5|-|style="text-align:center"|大阪府||3,547,421||{{Color|red|2,374,360}}||1,173,061||33.1||27.7||21.3|-|style="text-align:center"|兵庫県||{{Color|red|2,876,741}}||{{Color|red|1,793,958}}||1,082,783||37.6||43.1||25.9|-|style="text-align:center"|奈良県||{{Color|red|802,653}}||{{Color|red|452,586}}||350,067||style="background-color:#ffffcc"|43.6||58.3||27.7|-|style="text-align:center"|和歌山県||722,329||{{Color|red|331,693}}||390,636||style="background-color:#ff99cc"|54.1||88.4||39.6|-|style="text-align:center"|鳥取県||{{Color|red|456,511}}||{{Color|red|216,269}}||240,242||style="background-color:#ff99cc"|52.6||103.2||style="background-color:#ffffcc"|42.7|-|style="text-align:center"|島根県||{{Color|red|541,702}}||{{Color|red|253,807}}||287,895||style="background-color:#ff99cc"|53.1||101.1||style="background-color:#ffffcc"|42.8|-|style="text-align:center"|岡山県||1,494,788||773,162||721,626||style="background-color:#ffcccc"|48.3||86.9||36.8|-|style="text-align:center"|広島県||1,830,674||{{Color|red|1,014,095}}||816,579||style="background-color:#ffffcc"|44.6||63.3||32.6|-|style="text-align:center"|山口県||{{Color|red|1,039,173}}||{{Color|red|545,768}}||{{Color|red|493,405}}||style="background-color:#ffcccc"|47.5||76.3||36.4|-|style="text-align:center"|徳島県||{{Color|red|600,404}}||{{Color|red|302,913}}||297,491||style="background-color:#ffcccc"|49.5||89.8||37.4|-|style="text-align:center"|香川県||762,686||{{Color|red|388,057}}||374,629||style="background-color:#ffcccc"|49.1||86.1||38.1|-|style="text-align:center"|愛媛県||988,666||472,731||515,935||style="background-color:#ff99cc"|52.2||78.8||38.8|-|style="text-align:center"|高知県||{{Color|red|540,853}}||{{Color|red|241,441}}||299,412||style="background-color:#ff99cc"|55.4||84.8||style="background-color:#ffffcc"|42.4|-|style="text-align:center"|福岡県||3,262,926||1,918,029||1,344,897||style="background-color:#ffffcc"|41.2||56.7||28.4|-|style="text-align:center"|佐賀県||659,352||322,114||337,238||style="background-color:#ff99cc"|51.1||104.2||38.2|-|style="text-align:center"|長崎県||{{Color|red|908,080}}||{{Color|red|407,637}}||500,443||style="background-color:#ff99cc"|55.1||79.7||39.7|-|style="text-align:center"|熊本県||{{Color|red|1,352,712}}||{{Color|red|694,418}}||{{Color|red|658,294}}||style="background-color:#ffcccc"|48.7||85.1||33.6|-|style="text-align:center"|大分県||{{Color|red|897,076}}||{{Color|red|455,255}}||441,821||style="background-color:#ffcccc"|49.3||83.7||35.3|-|style="text-align:center"|宮崎県||{{Color|red|909,288}}||437,814||{{Color|red|471,474}}||style="background-color:#ff99cc"|51.9||92.0||38.7|-|style="text-align:center"|鹿児島県||{{Color|red|1,306,436}}||{{Color|red|617,237}}||689,199||style="background-color:#ff99cc"|52.8||85.8||38.0|-|style="text-align:center"|沖縄県||1,103,302||505,024||598,278||style="background-color:#ff99cc"|54.2||94.6||27.9|}・ シェアの項目に背景色がある県はシェア40%以上である。・ * {{Color box|#ff99cc}}:50%以上・ * {{Color box|#ffcccc}}:45%以上、50%未満・ * {{Color box|#ffffcc}}:40%以上、45%未満軽自動車が他国のバブルカーなどとは明確に違う点の一つに、ハッチバック(ホットハッチがある場合も)、ミニバン、キャブオーバートラック、ワンボックス、SUV、オープンカー、中にはセダンやクーペ、ピックアップなどと自動車として考え得る大概のボディ形状を用意していることがある。現在の軽乗用車は、コペン、S660やバブル期のビート、カプチーノ、AZ-1などの趣味性の高い車を除き、総じてハッチバック型の2ボックスか、またはミニバンの軽自動車版といったモノスペース(軽トールワゴン)がほとんどであるが、これは積載(容積)効率を重視したためである。軽規格の寸法内では、4人乗りで3ボックス形状の独立したトランクルームを設ける場合、現在の日本人の体格では、着座姿勢を起こし気味(アップライト)にしても後部座席の居住性とトランク容積の両立は難しい。実際にフルモデルチェンジ後のオプティは4人乗りでありながられっきとした独立したノッチバックで独立したトランクを持っていたが、1990年代末期から現在の基準としては比較的狭いものであった。ただし過去、ボンネットバン黄金時代以前の1970年代前半までは、乗用の軽自動車はトランク付のノッチバックおよびセミノッチバックが主流で、ハッチバックやワンボックスは商用という風潮が強かった。当時はまだ日本人の平均体型もあまり大きくなかったため、4人乗りで独立したトランクルームを備えても、それなりの居住性は確保できていた。もちろんそれだけではなく、かつての360cc時代のような「(クルマに)屋根が付いていて(クルマが)走れればそれだけで良い」だけでなく、現在は快適性や居住性、日常での使い勝手の優位性が求められており、顧客が求めているものが違っていることも要因に挙げられる。軽乗用車として最初に成功したスバル360はリアエンジンの後輪駆動(RR)であった。前輪駆動(FF)はスバル360より3年早く登場したスズライトなどがあったが、まだ操舵輪に対応したドライブシャフトのジョイント技術が未熟であったためトラブルが多かった。そのような事情もありRRは当時の小型乗用車のトレンドでもあった。1967年にホンダがFFのN360を発売し、軽乗用車首位の座をスバルから奪い、さらに後継車であるライフが今日の前輪駆動車の標準ともいえるジアコーサ式レイアウトを採用した。1970年代はRR、FF、FRのそれぞれの駆動方式が入り乱れていたが、1980年代にはほとんどがジアコーザ式FFとなり、今日に至る。軽商用車(トラック、1BOXバン)では大型トラックとも同様のキャブオーバー式FRが主流で、唯一ホンダのみがミッドシップ(MR)を現在も採用している。なお、スバルでは自社での軽自動車製造から撤退する2012年までRRを採用していた。排気量が360cc以下だった頃は別として、後年の規制緩和で軽自動車の車体寸法が大きくなり、さらには1990年代に入ると衝突安全性などの各種安全性といった要件が加わったことで、より大きく重くなっていった。規格の拡大にともなって排気量も360ccから550cc、さらには660ccと大きくなっていったが、自然吸気エンジンのトルクでは重量の増加に対して厳しい面もある。これを克服するために、1980年代後半頃以降の車種では、エンジン出力を稼ぐために550ccや660ccのエンジンにターボチャージャーやスーパーチャージャーを装着した車種が多い(2011年10月現在、一部のスバルの自社生産車種であるサンバートラック/サンバーバンを除きターボチャージャーが装着)。この風潮は現在でも強く残っているが、安全性を維持したまま車体を軽量化する技術の進歩やエンジン技術の進歩により、自然吸気エンジンでも普段乗る程度なら十分なトルクを稼げるようになったことと、排出ガス規制の考慮により過給器搭載車種は一時期ほどではなくなり、大体の乗用軽自動車はアルミホイールやエアロパーツが最初から標準装備されるような高価なグレードであっても過給器ありとなしの2タイプがラインアップされるようになった。しかし運送業者や遠出などにはやはり過給器付きの方がトルクがあり、積載時や高速での運転が楽になるため、運輸業で使われている軽貨物車(主に軽トラック、軽キャブバン)は一部の車種に限り過給器が付いている場合もある。・ 車両寸法が長さ3.40 m (3,400 mm) 以内、幅1.48 m (1,480 mm) 以内、高さ2.0 m (2,000 mm) 以内と小型登録車より小型であり、市街地や狭隘路での離合が小型登録車よりも更に容易である。・ * 現行規格以前の旧規格660 cc車や、550 cc車、360 cc車などはより小型であり、より容易に対向すれ違いが可能である。・ 軽トールワゴンから軽スーパーハイトワゴン、セダン、ハッチバック、トラック、ワンボックス、SUVなどと車種が多岐にわたる。・ 現行の自動車の中では例外を除き、軽量な車両が多い。・ * スズキ・ジムニーとそのOEMのマツダ・AZオフロード(2014年3月に販売終了)や三菱・パジェロミニ(2013年2月に販売終了)とそのOEMの日産・キックス(2012年8月に販売終了)などは、軽さと本格的な四輪駆動システムにより、未舗装路で上位車両に比類する走破性能を保有している。・ 2022年4月現在、新車での低価格車は、税金・保険料などの付帯費用(経費)を含めても最低90万円強(ただしエアコンとパワーステアリングが共に装着されていない最廉価仕様の後輪駆動の軽トラックの場合は最低80万円強)から存在する。2022年4月現在ではスズキ・キャリイは車両本体価格752,400円(消費税10%込み)からと二輪車を除いて国内で登録出来る車検の必要な自動車としては最も廉価な車両である。軽乗用車に限定した場合だとダイハツ・ミライース「B」、およびそのOEMのトヨタ・ピクシスエポック「B」(いずれも2WD)の各車両本体価格860,200円(消費税10%込み)が最も廉価な車両となる。・ 絶対的な性能限界が低く、部品や中古車両も安いため(一部例外あり)、初心者が運転技術を習得するのに適している。; 自動車取得税: 課税対象額の2 %(乗用登録車は3 %); 自動車重量税: エコカー減税非対象車の3年新規検査車で9,900円、2年で6,600円(0.5 t超1 t以下の普通車の場合、3年で24,600円、2年で16,400円、仮に通常の軽自動車よりも軽い0.5 t以下の普通車の場合でも、3年で12,300円、2年で8,200円): 新車新規登録等から13年経過車で8,200円(0.5 t超1 t以下の普通車の場合、2年で22,800円、仮に0.5 t以下の普通車でも2年で11,400円): 新車新規登録等から18年経過車で8,800円(0.5 t超1 t以下の普通車の場合、2年で25,200円、仮に0.5 t以下の普通車でも2年で12,600円); 軽自動車税: 自家用乗用 年10,800円(2015年3月31日までの登録車は年7,200円)、自家用貨物 年5,000円(2015年3月31日までの登録車は年4,000円)、営業乗用 年6,900円(2015年3月31日までの登録車は年5,500円)、営業貨物 年3,800円(2015年3月31日までの登録車は年3,000円)。同 自動車税 1,000cc以下の乗用車で25,000円(2019年9月30日までの登録車は29,500円)、貨物車・貨客兼用車(ライトバン等、積載量1,000 kg以下)で13,200円。自治体によってそれよりも高い場合がある。: グリーン税制による初度登録後13年超の割増がない。ただし、2016年4月1日以降には、新車登録から(車齢)13年を超過した車両は経年重課され、三輪(例:ダイハツ・ミゼット、マツダ・K360等)が4,600円、四輪以上の乗用・業務用が8,200円、乗用・自家用が12,900円、貨物用・業務用が4,500円、貨物用・自家用が6,000円となる。普通車は13年(ディーゼル車は11年)経過の1,000cc以下の2019年9月30日までの登録車で33,900円。; 自動車賠償責任保険(強制保険)保険料: 貨物車、乗用車、特種用途車でも24ヵ月契約で17,540円(自家用乗用車は17,650円); 自動車保険(任意保険)保険料: 同条件であれば乗用登録車より割安である。これは、軽自動車は用途毎の保険料で決定されている(車両補償を除く)のに対し、普通乗用車は自動車の型式ごとに定められた対人、対物、搭乗者傷害、車両補償の料率クラスによって保険料が決定されるためである。ただし、損害保険会社、共済によっては「貨物登録車の年齢条件設定は不可能(いわゆる全年齢対象のみ)」の場合もあるため、必ずしも「保険料が安くなる」と断定することはできない。・ 購入時に印鑑証明・車庫証明(保管場所証明申請)が不要。ただし、軽自動車の保管場所届出義務などの適用地域(政令指定都市・県庁所在地や、おおむね人口10万人以上の市)においては、購入後に保管場所届出の必要がある。・ * 保管場所届出:手続きは届出制で、標章交付手数料のみ500円(登録車の保管場所証明申請は、承認後に標章発行となり申請手数料・標章交付手数料併せて2,600円(東京都の場合))・ 高速道路の通行料が割安(1989年に普通車の約2割引程度に改定された)・ 貨物車の車検は2年ごと(登録車=白ナンバーの貨物車は1年ごと)。なお、1970年代にユーザーユニオン事件が発生する前には軽自動車に車検制度は無く、定期点検のみで運行が可能であった。「軽」の文字を含む交通用語・自動車関連用語の「軽」を「軽自動車」の意味と誤解する例がある。・ 軽自動車の燃料を軽油と勘違いし、セルフ式ガソリンスタンドで軽油を給油してしまう例がある。軽油は重油より軽いという意味でありディーゼルエンジン搭載車用の燃料である。そして軽自動車に搭載されるエンジンは原則ガソリンエンジンであり、ディーゼルエンジンが搭載されることはまずない。ガソリンエンジン搭載車に軽油を入れると、安定して燃焼せず停止するか、最悪の場合激しいノッキングで故障する。誤って軽油を給油しないよう、「軽油」ではなく「ディーゼル」と表示するガソリンスタンドもある。・ 交通法令用語の「軽車両」は自転車やリヤカーなどであり、軽自動車は軽車両ではない。軽車両以外の車両の進入・通行が禁止されている場所(狭い踏切など)に軽自動車で入ってしまう事例がある。近年の軽自動車、とりわけ軽ハイトールワゴンやワンボックス軽ワゴン(モノボックス軽ワゴン)、ヘビーデューティー系の軽SUVなどにおいては、エンジンのトルクが660 cc旧規格時代とさほど変わらない割に、車重が1 tに迫るかあるいはそれを超えるほどに重くなってきており、1,000 ccクラスのコンパクトカーやフルBセグメントクラス以下の小型乗用車に比較してパワーウエイトレシオ、ひいては実使用上の燃費も悪くなりやすい傾向がある。このため、二酸化炭素排出量の観点(国家的な規模では排出取引にも大きな影響を与えうる)から見た場合、相対的な環境負荷が大きな軽自動車をコンパクトカーよりも過剰に優遇すべきではないという主張が2010年頃に散見された。実際に2010年、民主党政権下の総務省の「自動車関係税制に関する研究会」においても、軽自動車と1,000 ccの小型自動車のCO2排出量の平均値は軽自動車の方が排出量が多い状況と認識されており、「暫定税率廃止」「複雑な自動車税制体系の整理」を謳う民主党マニフェストの主導の元、現状で地方税である自動車税および軽自動車税と、中央税(国税)である自動車重量税を一元化し、JC08モード燃費計測値を有する新規登録車両を対象に、課税基準をCO2排出量割と排気量割の合計とする形とした自動車環境税の導入が検討された。報告書によると課税対象は税制が成立した年度以降に新規登録された自動車が対象で、それ以前のものについては旧来の税制を適用とされているが、仮に現在の660 cc新規格の軽自動車にこの税制が適用された場合、排気量割では税率が軽いものの、CO2排出量割での負荷が大きくなりやすいため、実質的な負担額は現税制の4倍強の増税となる可能性も報道で指摘されている。前述の「自動車関係税制に関する研究会」では、現税制下においては小型自動車側の税負担が軽自動車の4倍強であることを問題としており、この税負担の格差について、環境自動車税の環境損傷負担金的性格や財産税的性格からは、もはやその格差を合理的に説明することは困難であり、軽自動車と小型自動車を区分して議論すべきものではないと結論付けている。また、「環境自動車税(仮称)に関する基本的な考え方」においても軽自動車側の大幅な増税を前提とした上で、引き上げ分を小型自動車側の減税に充当し、税制中立(税制全体の収支は改正前後比±ゼロとし、新たな国民負担は生じさせない)を維持するとしていた。そして第二次安倍政権期の2014年に大幅な税金値上げが実施された。背景には政府や自動車メーカーが日本専用車である軽自動車の開発コストを疎ましく思っているという点も指摘されている。しかしその一方で、いくら環境のためとはいえ軽自動車の増税には同意できないという声もある。その主な理由として・ 地方の住民や低所得者にとって、貴重な移動の足である。・ * 軽ユーザーの1割以上は「軽がなければクルマに乗れない」と回答しており、特に高齢者は3割以上がそう答えている。・ * 買い物や通院、通勤・通学に支障をきたし、日常生活そのものが破壊される。・ * 都市部においても狭溢な道路がまだまだ散見される日本においては、車体サイズが極めてコンパクトである軽自動車の利便性が相当に高い。・ そもそも「自家用かつ乗用の」登録車の税金だけが他と比べて突出して高すぎる(軽だけでなく、同一車両の商用仕様車と比較しても異常に高い)。・ * 逆に、事業で収益を上げる緑・黒ナンバー車(タクシー、ワンボックスカーなど)の場合、排気量2.0リッターの乗用車で1年につきわずか13,800円(同クラスの自家用は39,500円)しかなく、最高の6.0リッター超でも40,700円(自家用は最高で111,000円)しかないため、実質非課税に近い優遇を受けており、軽自動車だけ増税するのは全く割に合わない。・ * 4ナンバー仕様と5ナンバー仕様が存在する登録車として日産・NV200バネット(1.6L・バン積載650kg)をモデルとした例を挙げると5ナンバー仕様車は「1.5~2.0L」の課税基準で36000円(2019.10以前購入は39500円)、4ナンバーは「最大積載量1t以下」の課税基準で2シーターが8000円、5シーターは貨客兼用車(4シーター以上)の追加税(「排気量1.5L以上」の課税基準で8000円)が加わり16000円となる。(※この数値においては、エコカー減税や経年車増税などの税額変動要因については考慮していない。)・ * このため、車検が毎年になる(登録車のみ)などのデメリットを考慮したうえでもあえてシート撤去などを行い5ナンバー車を4ナンバー車に改造するケースも見られる。・ 国内の製造業への影響。・ 軽のクラスレス化が実現できたのは企業努力によるものであり、批判される謂れはない。といったものが挙げられている。・ に見るユーザーの声: 本項目で上述された通り軽自動車の普及率は地方で高い。こうした地方ではマイカーの代替となる交通手段が存在せず、さらに移動距離も長いためである。実際「公共交通は不便」と答えたのは30万人未満の市では4割、10万人未満で半数にものぼる。また併有車も30万人未満で8割近くが「ある」と答えた。また日常の買い物における移動距離が5 kmを越えると回答した割合が30万人を割ると倍増する。: このような地域の住人は日常シーンにおいてマイカーが使えないと重大な障害が発生すると考えており、通勤では「遅刻」「(便がなく)帰れない」「辞職不可避」、買い物では「頻度低下で食生活に影響」「そもそも行けない」と考えている。:このような背景から30万人以下では7割が「軽は生活必需品」と考えており、軽がなくなると8割が「困る」と考えている。また高齢者層の2割以上、30代でも1割以上は「軽がないとクルマを持てない」と考えている。: また軽自動車の用途(「通勤/通学」+「買い物」が約8割)と頻度(毎日使用が約7割)を鑑みても、ユーザーにとって軽自動車の存続が死活問題であることが見て取れる。・ 全国軽自動車協会連合会のコメント: 全軽自協はの中では日米英仏独5カ国の1800cc車、および日本の軽自動車の購入・保有にかかる税金を比較した結果、他国での負担が軽並みであることから「軽ユーザーの税負担が国際水準」(=軽の税金が安いのではなく、登録車の税金が高すぎる)と主張している。・ 政党からの反対意見: 日本共産党および社民党は軽自動車が地方住民や低所得者の貴重な移動の足であるという観点から、軽自動車増税反対派である。そのためこの2党の主張するTPP反対理由の一つとして、軽自動車規格の撤廃要求(後述)が挙げられていた。・ 共産党に関しては、ニューモデルマガジンXの取材に対し志位和夫委員長が「軽自動車は所得の低い人が乗っている傾向があるといわれています。つまり、庶民増税になります。逆進的な税体系になるわけですから、反対です」と表明している。・ *・ *・ 社民党に関しては、軽自動車は農林漁村の重要な足(特に軽トラック)としている。・ *・ メーカー関係者からのコメント・ * 鈴木修(スズキ会長)のコメント・ ** 鈴木も軽自動車は比較的低所得の人が生活・仕事に使っているとして(軽自動車の増税は)「弱いものいじめと感じる」「こういう考え方がまかり通るということになると、残念というより、悲しいという表現が合っている」と発言。・ ** かつては「軽の税金を上げるだけでなく、リッターカーの税金を下げるという話ならいくらでも協力するのに」と発言したほか、軽の品質向上で登録車と差が無くなったことによる不平には「軽自動車は寸法も排気量も厳しく制限されている。そのなかで素晴らしい4人乗りのクルマができているのは、軽メーカー各社の努力のたまものだ。その努力を見ないで普通のクルマと同じようなものと言うのはいかがなものか」と反論している。・ * 伊奈功一(ダイハツ会長)のコメント・ ** 伊奈も「軽自動車税は国際的に見れば標準的であり、むしろ登録車の自動車税が高すぎるというのも(日本自動車工業会の)一致した見方だ」としており、軽自動車がないと年金暮らしの高齢者が買い物難民になってしまうと指摘。・ ** またTPPの件に関しても「軽自動車はどこの国のメーカーがつくっても、税制は同じ」と答えた。。2012年1月13日、アメリカ合衆国自動車政策会議 (AAPC)は、アメリカ合衆国通商代表部が募集を締め切った環太平洋戦略的経済連携協定 (TPP) に関する意見の中で、日本の軽自動車規格がアメリカ車の非関税障壁であるから「廃止すべき」と主張している。しかし、軽自動車市場への参入と言うことに関しては、規格に合致すれば外国メーカーにも門戸は開かれており、後述のスマートKやCT&T・e-Zoneなどのように、軽自動車の輸入車は存在している。また2014年にはイギリスの自動車メーカーケータハムが、正式に軽自動車の規格に合致するモデル「セブン130」(のち「セブン160」へ変更)を日本市場へ導入するなど、海外メーカーの新規参入も現実に行われている。更には元々登録車であるいわゆるクラシックMINIに国産軽自動車用エンジン(スズキ・F6Aやダイハツ・EFなど)をスワップし軽自動車として登録した例すらある。改造によって「製造」年月日時点での軽自動車規格に合致しなくなった軽自動車は、全て普通車として取り扱われる。ただし、軽自動車の保安基準に適合していても、普通車としての保安基準(衝突安全基準、荷室の容積など)に適合しない場合は不正改造車となり、普通車としての登録は不可能である。・ 1949年7月 『運輸省令第36号「車両規則」第3条第2項』が改定され、「自動車を分けて軽自動車、小型自動車、普通自動車及び特殊自動車の四種とし、その分類は別表で定める」という文言をもって、軽自動車の名称が史上初めて登場した。・ * 長さ2.80m、幅1.00m、高さ2.00m。・ * 4サイクル車は150cc以下、2サイクル車は100cc以下。・ * 輪数の区別はなく、排気量と車体寸法が合致していれば全ての車種に適用された。・ ** 実際にこの規格で製造された四輪車は存在せず、翌1950年に早くも最初の規格改定を迎えることとなる。・ 1950年7月 規格改定。・ * 4サイクル車は300cc以下、2サイクル車は200cc以下・ * 長さ3.00m、幅1.30m、高さ2.00m・ * 規格内に四輪(現在の軽自動車)、三輪(小型のオート三輪)、二輪(二輪の軽自動車(軽二輪))の区分が加えられる。・ ** この規格も実際に製造された四輪車は存在しないとされる。・ 1951年・ * 8月 運輸省令「道路運送車両法施行規則」として規格改定。4サイクル車は360cc、2サイクル車は240cc。・ * 名古屋の中野自動車工業(後の日本オートサンダル自動車)が、日本初の軽四輪自動車としてオートサンダルを試作開発。・ 1952年・ * 軽自動車運転免許を新設。・ * 中野自動車工業がオートサンダル軽自動車製造株式会社に名称変更、翌1953年より本格的に軽四輪自動車生産を開始。・ 1953年、横浜の日本自動車工業(後の日本軽自動車)が、NJ号の製造を開始。・ 1954年4月、東京・日比谷公園にて第1回全日本自動車ショウ(東京モーターショーの前身)開催、多くの零細メーカーから多数の軽自動車が出展される。・ * この時代の市場の需要の中心はいまだオート三輪であり、出展の多くは軽三輪自動車であった。・ * 軽四輪自動車の出展としては、住江製作所(後の住江工業)のフライングフェザーが注目を集めた。・ 1954年・ * 10月 軽規格改定。4サイクル車、2サイクル車とも360ccに統一。・ * 日本オートサンダル自動車が活動を停止。総生産台数200台ほどであった。・ 1955年・ * スズキ、スズライト発売。・ * 日本軽自動車、NJ号の名称をニッケイタローに改める。・ * 3月 住江製作所、フライングフェザーの製造販売開始。・ 1956年・ * 住江製作所、フライングフェザーの販売を終了し軽自動車から撤退。総生産台数は僅か48台。・ * 富士自動車がフジキャビン(バブルカーの範疇に含まれる)の製造販売を行うが、商業的には失敗し翌年に軽自動車から撤退。・ 1957年・ * 8月 ダイハツ、三輪のミゼット発売。・ * 日本軽自動車が倒産。ニッケイタローの製造はエンジン供給元の日建機械工業に引き継がれる。・ 1958年・ * 3月 スバル、スバル360発売。・ * ヤンマーディーゼル(現:ヤンマーホールディングス)、自社開発の農機用249 cc単気筒OHVディーゼルエンジンを搭載したキャブオーバートラックの試作車「ヤンマーKT型トラック」を発表。・ * 日建機械工業、ニッケイタローの後継となるコンスタックを発売。・ 1959年・ * 5月 マツダ、三輪のK360発売。・ * 10月 三菱、三輪のレオを発売。・ * 11月 愛知機械工業、ヂャイアント・コニー(ピックアップ)360発売。・ * 昌和製作所、昌和ミニカ360を発売するも、翌年には軽自動車から撤退。・ 1960年・ * 5月 マツダ、四輪のR360クーペ発売。・ * 9月 運輸省令により原動機の定格出力規格を廃止。・ * 10月 ダイハツ、四輪のハイゼット発売。・ * ヤンマーディーゼル(現:ヤンマーホールディングス)、「KT型」をベースに更に開発を進め、空冷V型2気筒358 ccのOHVディーゼルエンジン「2A2型」を搭載したキャブオーバートラック「ポニー(KTY型)」を発売。軽自動車史上初のディーゼルエンジン搭載市販車となるが、エンジンの出力があまりにも低すぎるため短命に終わる。・ * ホープ自動車、四輪軽トラックのNTおよびユニカーを販売。・ * 東急くろがね工業、くろがね・ベビーを発売。・ 1961年・ * 三菱、四輪の三菱・360発売。好調であった軽三輪から敢えて撤退し軽四輪へ経営資源を集中することとなる。・ * 日建機械工業、コンスタックの製造中止。軽自動車から完全撤退。・ 1962年・ * 1月 東急くろがね工業、会社更生法を申請、ベビーも生産停止に追い込まれ軽自動車より撤退。・ * 2月 愛知機械工業、ヂャイアント・コニー360をコニー・360に改称。同月にはマツダもマツダ・キャロルを発売。・ * 3月 スズキ、スズキ・フロンテを発売。・ * 10月三菱、三菱・ミニカを発売・ 1963年・ * 8月 ホンダ、T360発売。軽四輪市場へ参入。・ 1965年 ホープ自動車、自社ブランドの軽自動車より撤退。・ 1967年・ * ホープ自動車、ホープスター・ON型4WD販売。エンジンは三菱自動車工業供給。100台程度販売される。その後、ホープ自動車は自動車の製造は行っていない。なお、この車は製造権売却により後のスズキ・ジムニーへと繋がっていく。・ * 3月 ホンダ、N360発売。高出力競争の火付け役となる。同年には軽トラックのホンダ・TN360も発売。・ 1968年9月 軽自動車運転免許を廃止し、限定免許(審査未済)として存続。・ * 普通自動車運転免許が18歳以上でないと取得不可能であるのに対し、軽自動車運転免許は16歳以上で取得可能であった(最近でこれに似た存在であったものに50ccミニカーがある)。・ 1970年・ * 4月 スズキ、軽自動車初の量産オフロードカージムニー発売。・ * マツダ、キャロルの製造中止。軽乗用車のラインナップが一時的になくなる。商用車のポーターは継続。・ * 9月 保安基準の改正により、新型車に対するブローバイガス還元装置の装着が義務付けとなる。・ * 10月 愛知機械工業が自社ブランドのコニーの製造を中止。自社ブランドの自動車から完全撤退。この頃までに黎明期以来の小規模メーカーは軽自動車市場から完全に姿を消し、現行メーカーによる体制が確立する。同月にはホンダもホンダ・Zを発売。・ 1971年・ * 5月自動車重量税法成立。この時点では軽三輪・四輪自動車は軽二輪と同様、ナンバー取得時に1度だけ自動車重量税を納付する形となっていた。・ *6月 ホンダ、N360の後継モデルとしてホンダ・ライフを発売。・ * スズキ、LC10 II型フロンテにカークーラーをオプション設定。軽自動車へのカーエアコン搭載の最初期事例のひとつ。・ 1972年・ * 1月 1966年以来、登録車を中心に行われてきた新車に対する一酸化炭素濃度規制が軽自動車にも適用(3%以下)されることとなる。・ * 7月 マツダ、シャンテの製造開始で軽乗用車製造に復帰。同月、保安基準の改正で新型車に対する燃料蒸発ガス抑止装置の装着が義務づけとなる。同月にはスバルもR-2の後継車としてスバル・レックスを発売。・ 1973年・ * 4月 日本初の本格的な自動車排出ガス規制である昭和48年排出ガス規制が、軽自動車も対象とする形で成立。48年規制は使用過程車であっても酸化触媒もしくはディストリビューターへのバキューム式進角装置の後付けで規制適合が認定される程度の排出基準であったが、2ストローク機関のハイパワー車はこの時点を契機に次第に姿を消していき、比較的車両重量の軽い軽乗用車を中心に4ストローク機関への移行が模索されることとなる。・ * 10月 これ以前に製造された車両も含め、全ての軽自動車に対して車検が義務化される。それに従い、登録車と同様に車検ごとの重量税納付が求められることともなったが、「自動車重量税法 付則12項」による暫定措置として1974年4月末以前にナンバー登録(初年度登録)された車両については「当分の間、届出軽自動車とみなす」として、車検ごとの重量税が当分の間免税となる扱いとなった。この措置は2012年現在も継続中である。また、同時に使用過程車に対するアイドリング時CO濃度検査も開始される。・ * 12月 継続生産車両に対して48年規制が正式適用される。・ 1974年・ * 5月 これ以降に新規にナンバー登録された軽自動車は車検ごとの重量税納付が義務化される。・ * ホンダ、ライフ、Zの製造中止。軽乗用車からトゥデイ発売まで一時撤退。ユーザーユニオン事件による販売不調とイメージの低下、および、シビックの好調やアメリカ市場での大型バイクの好調によって製造ラインが不足したことが理由。当時、軽自動車シェアトップだったホンダの撤退で、結果的にスズキがシェアトップになった。商用車のTN-Vは継続。・ 1975年・ * 1月1日 現行の黄色のナンバープレート制定。プレートの大きさも登録車と同じになる(排気量は360ccエンジンのまま。表記は当初「品川50 あ(4桁)」)。なお、事業用は黒色ナンバー。・ * 4月 日本版マスキー法とも言われる厳しい排出基準を課した昭和50年排出ガス規制が全ての軽自動車を対象に成立。軽自動車に関しては新型車はこの月から、継続生産車は同年12月から、そして2サイクル軽乗用車は1976年4月から適用という幾つかの猶予期間を置いたうえで実施されることとなったが、まだ貨物車を中心に残存していた2ストローク機関による50年規制および、翌1976年の51年規制の達成は当時の技術では極めて困難であった。T360以来の4ストローク機関の技術蓄積のあったホンダや、L50型エンジンの開発で2ストロークのまま規制を通過したスズキを除く各社は、貨物車の4ストローク機関への移行を試みるものの、非力な360cc4ストローク機関では貨物運搬時などに運用上の無理が顕在化することとなり、すでにある程度移行が進んでいた乗用軽自動車でも規制対応によって出力の低下が著しくなることから、同年中の軽規格改正に伴う新規格車への生産移行が促されることとなる。・ * 9月 道路運送車両法施行規則改正により、軽自動車の規格が1976年1月に改訂されることが決まる。・ * 12月 継続生産車(2ストローク軽乗用車を除く)に対して50年排ガス規制が正式適用。この時期を境に軽乗用車ベースの軽商用バンから2ストローク車がほぼ姿を消す。軽貨物車でも2ストロークエンジンで規制を通過したのはスズキとダイハツのみであった。・ 1976年・ * 昭和51年排出ガス規制が軽乗用車を対象に成立。前年のCO、HCに引き続き、NOxの規制値も1970年式比で少なくとも1/10以下に大幅強化される。各社は登録自動車での様々な排ガス対策技術を、軽自動車へも導入していくことになるが、その一方でスズキはLJ50型/T5型エンジンで2ストロークのまま、この規制の通過にも成功する。・ * 4月 2ストローク軽乗用車に対して、50年規制が1年遅れで正式適用。煽りを受ける形でマツダがシャンテとポーターを製造中止。当時の軽自動車メーカーの中でマツダのみが550ccへ移行することなく軽乗用車からキャロル復活まで再び一時撤退、商用車のポーターキャブは360ccのまま暫く継続されたが、1977年の550ccへのマイナーチェンジで550ccエンジンは三菱自動車工業から供給される事となり、軽自動車用エンジンの自社製造から撤退している。なお、軽乗用向け360cc2ストロークエンジンで50年暫定規制を通過したのはフロンテのL50型とダイハツ・フェローのZM型のみであった。・ 1981年8月 ダイハツ、最後まで360ccで製造継続されていたハイゼットを製造中止。軽免許所有者に配慮しての製造継続されていた。・ 1976年1月 規格改定。・ * 長さ3.20m、幅1.40m(高さ2.00m) 550cc・ * 排ガス規制などの影響を受けて改訂されることになった。規格改定より間がなかったことで、改訂と同時に新規格車の販売とはならなかった。1976年4月より各社より新規格車が発売されるが、三菱自動車工業の2G2型471ccや富士重工業のEK型490cc、スズキのT4A型443cc、更にはダイハツによるスズキ・フロンテへのエンジンOEM供給など、各社ともエンジンの対応に苦慮したが、1977年中にはさらなる排気量拡大などにより各社とも550cc化への対応をほぼ完了した。また、車体の面では当初は360ccの車体のままバンパーの大型化のみで新規格サイズへ拡大するなど、さまざまな方法で新規格対応車を発売している。・ 1977年・ *7月 ホンダ、TNシリーズの後継モデルとしてホンダ・アクティを発売。・ *10月 スズキ、フロンテクーペの後継車としてスズキ・セルボを発売。・ 1978年・ * 昭和53年排出ガス規制が軽乗用車を対象に成立。NOx排出基準は1973年4月以前比約8%まで強化。マスキー法の目標であった1970年式比1/10以下の目標が完全達成されることとなり、三元触媒の普及が軽乗用車でも進んでいく。スズキのみこの規制下でも2ストロークエンジンの通過に成功し、フロンテやセルボなど一部車種で2ストロークを継続。・ 1979年・ * 昭和54年排出ガス規制が軽貨物車を対象に成立。・ * 5月 スズキ、初代アルト発売。・ 1980年6月 ダイハツ、初代ミラ発売。・ * 外観はハッチバック型乗用車風ながら後部座席を狭くしその分荷室を広くして、貨物自動車型(軽ボンネットバン)として発売された軽自動車(4ナンバー車)が、税金の安さなどから急速に普及。アルトやミラなどがこれに分類される。・ 1981年・ * 2月 ホンダ、ストリートを発売。・ * 4月ダイハツ工業からアトレーを発売。・ ** 乗用タイプの軽1BOXが登場した(当時は軽貨物車扱いで、貨物室が確保されていた)。・ 1982年・ * 昭和57年排出ガス規制が軽貨物車を対象に成立。・ * スズキ、キャリイバンがスズキ・エブリイに改名。・ 1983年・ *2月 スズキ、スズキ・マイティボーイを発売。・ *3月 三菱、ミニカ・アミL/エコノにターボエンジンモデルを追加。・ * 軽自動車初のターボ車の登場。・ 1984年 9月 スズキ、フロンテとアルトをモデルチェンジ。T5B型が生産終了となり、軽乗用車から2ストローク機関が姿を消す。・ 1985年・ * 10月 ダイハツ、ミラターボTR-XX発売。・ * ホンダ、トゥデイでバンタイプの商用車以外の軽自動車(ボンネットバン)再参入。・ * スズキ、キャリイとエブリイをモデルチェンジ。軽トラックから2ストローク機関が姿を消す。・ 1987年・ * 2月 スズキ、アルトワークス発売。・ * 6月 三菱、ミニキャブにスーパーチャージャー搭載車を設定・ ** 軽自動車初のスーパーチャージャー車の登場。軽トラック初の過給器搭載事例であり、同年中にスズキ、ダイハツもそれぞれキャリイ、ハイゼットにスーパーチャージャーを設定する。・ ** メーカー間のパワー競争が激化。協定により当時最もハイパワーだったアルトのそれを元に64PS(47kW)が上限となる。しかし過給器付の軽自動車の大半は排気系の抵抗を増大して形式登録を受けており、排気系を合法の枠内で簡単に改善するだけで自主規制をオーバーし、80 - 90PSは出てしまうものがほとんどである。・ 1988年 SJ30型ジムニーの国内販売が在庫車両の完売をもって終了。軽自動車から2ストローク機関が完全に姿を消す事となった。・ 1989年・ * 2月 道路運送車両法施行規則改正により、軽自動車の規格が1990年1月に改訂されることが決まった。・ * 4月 消費税導入により、自動車物品税廃止。・ ** 税金が安かった貨物車型のメリットが小さくなり、市場は乗用車型(5ナンバー車)へと大きく変化。・ * マツダ、キャロル復活で軽乗用車に再参入。エンジンはスズキ供給。また、自社でボディを作成していたポーターキャブは、スズキのOEMのスクラムに切り替わる。・ 1990年1月 規格改定。・ * 長さ3.30m(幅1.40m、高さ2.00m)660cc・ * 平成2年排出ガス規制が軽貨物車を対象に成立。1979年、1982年に次ぐ軽貨物車への規制強化。この頃を境に軽自動車でも上位グレードへの電子制御式燃料噴射装置の装備が増加していく。下位グレードや貨物車においても多くの車種のキャブレターが電子制御化されることとなった。・ 1991年・ *5月 ホンダ、ホンダ・ビートを発売。・ *10月 スズキ、スズキ・カプチーノを発売。・ 1992年・ *3月 スバル、レックスの後継車としてヴィヴィオを発売。・ *10月 マツダ、AZ-1を発売。・ 1993年9月 スズキ、ワゴンR発売。・ 1995年8月 ダイハツ、ムーヴ発売。・ * 市場の中心は2ボックス型からモノスペース型へと徐々に移行。・ 1996年9月 道路運送車両法施行規則改正により、軽自動車の規格が1998年10月に改訂されることが決まる。・ 1997年4月 ホンダ、2代目ライフ発売。・ 1998年・ * 10月 規格改定。・ ** 長さ3.40m、幅1.48m(高さ2.00m)・ ** 軽自動車にも普通車と同じ安全衝突基準を採用することとなり車体が大型化された。・ * マツダ キャロルをスズキからのOEMに切り替え、自主開発から撤退。・ 1999年 軽1BOX初の乗用登録であるタウンボックス発売。・ 2000年・ * 平成12年排出ガス規制施行。これ以降軽自動車も燃費基準やグリーン化税制による減税(登録車における重課税制度は現在のところ対象外)といった、より厳しい環境基準が課せられるようになった。装備面ではこの年度を最後にキャブレターのエンジンが姿を消し、燃料噴射装置への完全移行が達成された。・ * 10月 高速道路での最高速度毎時80km/h制限撤廃、小型車と同じく毎時100km/hに。・ 2001年10月 ダイムラー・クライスラー日本(当時)、スマートK発売、正規輸入車初の軽自動車となった。・ 2002年・ * 4月 日産、スズキからのOEMのモコで軽自動車に参入。・ * 9月 字光式ナンバー導入(一部地域は11月から)。・ 2003年11月 ダイハツが「タント」発売。軽スーパーハイトールワゴンを確立した。・ 2005年1月 分類番号3桁化、希望ナンバー制導入。・ 2008年4月 富士重工業が軽自動車の自社生産から撤退表明。後に、ディアスワゴン、プレオ、ステラをダイハツからのOEMに順次切り替え。・ 2009年6月 三菱自動車工業が軽規格の電気自動車であるi-MiEVを発売する。・ 2011年・ * 6月 三菱自動車工業と日産自動車が、軽自動車の共同開発を目的とした会社NMKVを、両社の出資により設立。・ * 9月 トヨタ、ダイハツからのOEMのピクシススペースで軽自動車に参入。これにより普通乗用車を扱う国内メーカー(トヨタ、日産、ホンダ、マツダ、三菱、富士、スズキ、ダイハツ)がOEMを含め、すべて軽自動車を販売することになった。・ * 9月 ダイハツ JC08モードで30km/Lの燃費を実現したミライースを発売。・ * 11月 スズキ JC08モードで30.2km/Lの燃費を実現したアルトエコを発売。・ ** 軽自動車・コンパクトカーの低燃費化の進行で、電気自動車・ハイブリッド車とは異なる「第3のエコカー」と呼ばれる車種が登場した。・ 2012年・ * 2月 富士重工業が軽自動車生産を終了。生産終了まで自社製造していたサンバーを同年4月にダイハツからのOEMに切り替え、現行車種のOEM化も完了。・ * 8月 ダイハツ・コペンが生産終了し、直列4気筒エンジン搭載の軽自動車は消滅(ただし、コペンはブランクを経て2014年6月にフルモデルチェンジを行い生産を再開している)。・ * 12月 ダイハツ・ムーヴがマイナーチェンジに伴い、軽自動車初の衝突被害軽減ブレーキ「スマートアシスト」を導入。軽乗用車におけるASVの先駆けとなる。・ 2013年・ * 6月 三菱自動車工業と日産自動車が2011年に設立したNMKVの初の共同開発車、3代目eK・デイズが販売開始。系列が異なる企業間での共同開発となった。・ * 8月 三菱自動車工業が電気自動車を除く軽商用車の生産を撤退する事を表明。・ * 11月 イギリスの自動車メーカーケータハムカーズがスズキの軽自動車向けエンジンとトランスミッションを採用した「165」を発表。日本向け仕様「セブン130」も軽自動車の規格に合致しており、代理店が2014年中に軽自動車として正規輸入を予定している。・ * 12月 三菱自動車工業が電気自動車を除く軽商用車の生産を終了。三菱自動車工業から軽商用車のOEM供給を受けていた日産自動車は軽商用車の供給元をスズキに切り替え。・ 2014年・ * 2月 三菱自動車工業がガソリン軽商用車ミニキャブをスズキからのOEMに切り替え、OEM化を完了。・ * 4月 ケータハムが「セブン130」を改称した「セブン160」を発売。・ * 8月 スズキ・キャリイに軽自動車初のAMTであるAGS(オートギヤシフト)をグレード別設定により導入。・ * 11月 「日本の軽自動車」がRJC特別賞に選ばれ、日本自動車工業会軽自動車特別委員会が受賞した。・ * 12月 スズキ・アルトがフルモデルチェンジに伴って「レーダーブレーキサポート」を設定。バンにも設定されたため、軽商用車初のASVとなる。・ 2015年・ * 1月 ダイハツ・タントシリーズが2014年新車販売台数第1位を獲得。登録車を含めての第1位獲得は軽乗用車初となる。・ * 6月 ダイハツ・ムーヴの「スマートアシストII」搭載車がJNCAP予防安全アセスメントで最高評価の「先進安全車プラス(ASV+)」を軽自動車で初めて獲得。・ * 8月 スズキ・スペーシアの「デュアルカメラブレーキサポート」及び「全方位モニター」搭載車が、JNCAP予防安全性能アセスメントにおいて、最高ランクの評価「先進安全車プラス(ASV+)」を獲得。・ 2016年・ * 3月 スズキ・ハスラーが、JNCAP予防安全性能アセスメントで軽自動車初の満点を獲得し、最高ランクの評価「先進安全車プラス(ASV+)」を獲得。・ 2017年・ * 12月 ホンダ・N-BOXが、2017-2018日本カー・オブ・ザ・イヤー「スモールモビリティ部門賞」を受賞。先進運転支援システム「Honda SENSING」を標準装備、JNCAP2017年度「予防安全性能アセスメント」において「予防安全性能評価 ASV++」を獲得。・ 2018年・ * 4月 三菱・i-MiEVが一部改良に伴い登録車へ移行。・ * 5月 ダイハツ・ハイゼットトラックが一部改良に伴って「スマートアシストIIIt」を導入。軽トラック初のASVとなる。{{-}}・ 2025年現在、日本の乗用車メーカーで軽のラインナップを持たないのは光岡自動車のみであるが、実際に車両を生産しているのはスズキ・ダイハツ工業・三菱自動車工業・本田技研工業の4社だけである。・ 太字は製造元(OEM・共同開発問わず)の車種。※は自社で生産されたことのない車種。・ ■はかつて自社生産されていた車種。{| class="wikitable"!スズキ!!マツダ!!日産自動車!!三菱自動車工業|-|アルト||キャロル■|||||-|アルトラパン|||||||-|ワゴンR||フレア※|||||-|ワゴンRスマイル|||||||-|スペーシア||フレアワゴン※|||||-|スペーシアベース|||||||-|エブリイバン||スクラムバン※||クリッパーバン※||ミニキャブバン■|-|エブリイワゴン||スクラムワゴン※||クリッパーリオ※||タウンボックス■|-|キャリイ||スクラムトラック※||クリッパートラック※||ミニキャブトラック■|-|ジムニー|||||||-|ハスラー||フレアクロスオーバー※|||||}{| class="wikitable"!ダイハツ工業!!SUBARU(旧・富士重工業)!!トヨタ自動車|-|ミライース||プレオプラス※||ピクシスエポック※|-|ムーヴ||ステラ|||-|ムーヴキャンバス|||||-|タント||シフォン※|||-|アトレー||サンバーバン■|||-|ハイゼットトラック||サンバートラック■||ピクシストラック※|-|ハイゼットカーゴ||サンバーバン■||ピクシスバン※|-|コペン||||コペン※(「GR SPORT」のみ)|-|タフト|||||}{| class="wikitable"!本田技研工業|-|N-BOX|-|N-ONE|-|N-WGN|-|N-VAN|}▲はNMKVによる日産との共同開発車種。{| class="wikitable"!三菱自動車工業!!日産自動車|-|eKワゴン・eKクロス▲||デイズ▲|-|ekクロスEV▲|サクラ▲|-|eKスペース・デリカミニ▲||ルークス▲|-|ミニキャブEV||クリッパーEV※|}{| class="wikitable"!ケーターハムカーズ|-|SEVEN 170|}・ 並びは順不同・ 製造販売が終了した車種だけではなく、登録車(小型普通車など)に変更された車種も含む・ ◆は原車種。; ダイハツ工業: フェロー、クオーレ、リーザ、リーザスパイダー、オプティ、ミゼット、ネイキッド、ミゼットII、テリオスキッド、テリオスルキア、MAX、ミラジーノ、ムーヴラテ、ソニカ、エッセ、タントエグゼ、ムーヴコンテ、ミラ、ミラココア、ハイゼットキャディー、ウェイク、キャスト、ミラトコット; スズキ: カプチーノ、スズライト、ツイン、マイティボーイ、フロンテ、セルボモード、フロンテクーペ、フロンテハッチ、キャラ(◆AZ-1)、セルボ、Kei、パレット、MRワゴン、アルトバン、アルトワークス、スペーシアギア; 本田技研工業: T360、TN360、N360、Z、ライフステップバン、ライフピックアップ、トゥデイ、ビート、ストリート、ザッツ、ゼスト、ライフ、バモス、バモスホビオ、アクティ、S660; 三菱自動車工業: ミニカ、ミニカスキッパー、ミニカトッポ、トッポBJ、ブラボー、ミニキャブブラボー、パジェロミニ、eKスポーツ、eKクラッシィ、eKアクティブ、i、i-MiEV、eKカスタム、ekクロススペース; 富士重工業(現・SUBARU): スバル360、スバル・R-2、レックス、ヴィヴィオ、R1、R2、ルクラ(◆タントエグゼ)、プレオ(◆2代目モデルはミラ)、ディアスワゴン(◆アトレーワゴン); 日産自動車: ハイパーミニ、オッティ(◆eKワゴン・eKスポーツ)、ピノ(◆アルト)、クリッパーリオ(◆タウンボックス)、キックス(◆パジェロミニ)、モコ(◆MRワゴン)デイズルークス(◆eKスペース); マツダ: R360クーペ、シャンテ、AZ-1、ポーター、ラピュタ(◆Kei)、スピアーノ(◆アルトラパン)、AZ-ワゴン(◆ワゴンR)、AZ-オフロード(◆ジムニー); トヨタ自動車: ピクシススペース(◆ムーヴコンテ)、ピクシスメガ(◆ウェイク)、ピクシスジョイ(◆キャスト)、; 光岡自動車: レイ(◆キャロル(アルトOEM含む)→ミラジーノ); ダイムラー: スマートK; 愛知機械工業: ヂャイアント・コニー360、ヂャイアント・コニーグッピー; ホープ自動車: ホープスターNT、ホープスターOT、ホープスターOV、ホープスターON; 東急くろがね工業: くろがね・ベビー; ヤンマー(現・ヤンマーホールディングス): ポニー(2016年現在、ディーゼルエンジンを搭載して市販された唯一の軽自動車); タケオカ自動車工芸: REVAi、REVA Classic; CT&T: e-Zone; フィアット: フィアット・126(輸入時期と排気量によっては、軽自動車として登録可能な外国車の一例); ケータハム: SEVEN 130: SEVEN 160(165の日本向け仕様)軽自動車の規格は日本独自のものであるため、国外で展開する場合には、排気量を拡大したエンジンに換装するなどの手直しを行う場合がほとんどであった。だがR06Aエンジン搭載のスズキ車に関しては、660ccのまま海外展開を行う例が見られる。これまでもインドやパキスタンで軽自動車ベースの車両を生産してきたスズキであったが、パキスタン国内に日本の軽自動車の中古車が流入し、使用されていることに着目。日本の軽自動車規格をそのまま持ち込んでも通用すると判断し、2019年から現地子会社のパック・スズキ・モーター社カラチ工場で、660ccエンジンのままアルト(8代目)の生産を開始することを発表した。また香港でもハスラー及びエブリイバンを販売(2024.7月現在)しているが、これらもパキスタン向けアルト同様排気量アップは行われずR06Aのままである。なおダイハツは2013年、欧州市場の新車販売から撤退を発表した。よって欧州・北米での軽自動車、輸出販売も撤退した。アメリカ合衆国においては新車の軽自動車は販売されていない(2021年現在、スズキ・ダイハツはアメリカで四輪車の販売を行っていない)。しかし通称「25年ルール」と呼ばれる輸入規制免除枠(環境保護庁(EPA)が21年、国家幹線道路交通安全局(NHTSA)が25年経過した車両に対し、旧車としての価値を勘案し並行輸入車に対しての試験を免除するという制度)によって、カーマニア向けのスポーツ車種や農園向けのワンボックスなどが中古車として輸出されている。なおアメリカにおいては1人1台、大型車志向が強く、サッカーマムが子供の送迎に使うセカンドカーもミニバンが中心である。近年では三菱自動車工業が2024年に、現地生産合弁会社ミツビシ・モーターズ・クラマ・ユダ・インドネシア(MMKI)で「L100 EV(日本名:ミニキャブEV)」の生産を開始した。日本では軽自動車の規格だが、国外で展開するために排気量・大きさを拡大した車種も含む・ スズキ・ * アルト、フロンテ(マルチ800、K10、メヘラン、セレリオ、デーウ・ティコ)・ *ワゴンR(カリムン・ワゴンR)ワゴンR+(オペル・アギーラ、ストーム)・ *MRワゴン(カリムン・エスティロ、ゼン・エスティロ、エスティロ)・ *ジムニー(ジプシー、カタナ、カリビアン)・ *セルボ(SC100、WHIZZKID)・ *キャリイ(ラスカル、オムニ、イーコ、ボラン、ラヴィ、スーパーキャリイ、デーヴ・ダマス/ラボ、チャナ・スター、プロント)・ **エブリイワゴン(ランディ)・ *カプチーノ・ ダイハツ工業・ * ミラ(クオーレ、ハンディバン、シャレード・セントロ、プロドゥア・ニッパ、カンチル、クリサ、ビバ)・ **ミラジーノ(トレヴィス)・ *ハイゼット(ピアッジオ・ポーター、ゼブラ、、天津・華利TJ110、アジア/キア・タウナー、ハイマックス)・ **アトレー7(エクストル)ミゼット(トリモービル)・ *ムーヴ(プロドゥア・クナリ)・ *コペン・ 三菱自動車・ * ミニキャブ(ミニキャブ5、L100、ヴァリカ、ヴェリカ、C1シーウァン、ジェットスター、プレミア・ロードスター・ピックアップ、シグマ、ウーリンLZ110、ウーリン・ジンワン、ホワイトバン、マイティミッツ)・ **タウンボックス(ジュアラ)・ **ミニキャブミーブ・ミニキャブEV(L100EV)・ *i-MiEV・ SUBARU(旧富士重工業)・ * スバル360、サンバー・ 本田技研工業・ * N600軽自動車は海外ではAセグメントが近似クラスとなるが、その中でも特に似ているものには以下のようなものがある。韓国には軽車()と呼ばれる日本の軽四に似た小型車の規格がある。読みは「キョンチャ(朝鮮語)/けいしゃ(日本語)」。「軽車、取得税・登録税免除or割引」「高速道路通行料50%割引」「公営駐車場50%割引」という利点をアピールしたや[https://www.youtube.com/watch?v=wQL7fC_IVmk マティスの韓国国内向けCM]も存在していた。特に後者は「{{読み仮名|軽車|キョンチャ}}が{{読み仮名|経済|キョンジェ}}だ!({{Lang|ko|{{読み仮名|경차|輕車}}가 {{読み仮名|경제|經濟}}다!}})」というコピーでそれらを強調していた。日本の軽自動車の現地生産車も車種数として過去のモデルに多く存在するが、排気量上限が1,000cc(当初は800ccだったがその後改定)であること、LPG専用モデルが存在すること(デーウ・ダマス/ラボ、キア・タウナーなど)が日本のものと大きく異なる点である。一般的にはその排気量ゆえ日本では登録車扱い(実際に日本で登録されたマティスやアトスは登録車扱いとなっている)だが、電気自動車のCT&T・e-Zoneは日本でも軽自動車登録となっている。しかし韓国では軽車は敬遠される傾向にあるため、日本とは異なり車種が大変少ない。実際、乗用モデルに関してはキアこそヴィストからモーニング、レイと出し続けていたがデーヴはマティスのみ、ヒョンデに至ってはアトス生産終了から2021年にキャスパーを投入するまでの実に19年間市場撤退していた。KGモビリティ(旧サンヨン)、ルノーコリア(旧ルノーサムソン)に至ってはそもそも軽車がラインナップに存在したことがない。その一方で、日本の軽自動車と同じく海外戦略を考えると無視することができないクラスであるのも事実である。特に新興国市場ではインドにおけるアトスやウズベキスタンにおけるティコのような前例がある他、欧州市場への輸出も行われている。また不動産・交通インフラ事情から得てして3ナンバー車が敬遠される日本においてもヒョンデ乗用車第2期において第4弾がインスター(キャスパー・エレクトリック)となる見込みであり、実現すれば第1期から通算して考えても本格Bセグメント車であるTBについで2例目の5ナンバー車投入となる。(なお、2024年12月15日現在ヒョンデの韓国向け及びワールドワイドサイトに掲載されている5ナンバー(に該当する)車はキャスパーとi10しかない。); 主な車両(生産終了車種含む)・ 現代-起亜自動車グループ:・ * 現代自動車:キャスパー、アトス・ * 起亜:モーニング、ヴィスト、レイ、アジア/キア・タウナー・ 韓国GM(旧:GM大宇・大宇自動車・大宇国民車):マティス→シボレー・スパーク、ダマス/ラボ、ティコ・ CT&T:e-Zone(2人乗り電気自動車); 軽車の例ファイル:Atos 2713.jpg|ヒョンデ・アトスファイル:00 Hyundai Casper (cropped).jpg|ヒョンデ・キャスパーファイル:0 Kia Ray 3.jpg|キア・レイファイル:0Kia Morning (JA) (cropped).jpg |キア・モーニングファイル:Asia_Towner_800_Cargo_1994_(12311340123).jpg|アジア・タウナーファイル:Mattiz.jpg|GM大宇・マティスファイル:Daewoo tico front.JPG|大宇国民車・ティコファイル:CT&T eZone.jpg |CT&T・eZONEセダン中国では日本の軽自動車や韓国のキョンチャに相当する大きさの車は「微型汽車」と呼ばれている。上汽通用五菱汽車、東風汽車集団系列の{{仮リンク|東風小康汽車|en|DFSK (Sokon)}}、長安汽車などは微型汽車(主に商用車)の代表的なメーカーである。しかし、中国も韓国と同様に小型車離れが進んでおり、さらに{{仮リンク|新エネルギー車|en|New energy vehicles in China}} (NEV) 政策の影響もあって微型汽車の市場は縮小傾向にある。代表的な車種:・ 奇瑞QQ3 / 奇瑞QQme・ 長安奔奔()・ 長城炫麗(); 微型汽車の例File:Chery QQ automobile.jpg|初代チェリー・QQFile:Chery QQ II China 2014-04-16.jpg|2代目チェリー・QQFile:2008 Hafei Lobo (front).jpg|哈飛路宝File:Chang'an Ben Ben Mini 02 China 2012-04-29.JPG|長安奔奔MINIFile:2011 Geely LC (New Zealand).jpg|吉利熊猫File:Wuling Sunshine China 2012-04-14.jpg|五菱之光File:Dongfeng Sokon K05 01 China 2014-04-28.jpg|東風小康K05File:2010 Chang'an Star 2 (pre-facelift), front 8.4.18.jpg|長安之星2File:Hafei Minyi M408.jpg|哈飛民意インドでは1980年代に政府とスズキとの合弁で設立されたマルチ・ウドヨグによって日本の軽自動車や韓国のキョンチャに相当する車種の普及が急速に進み、マルチ・スズキ・アルトやヒュンダイ・サントロといった車種が大きな成功を収めた。タタ・モーターズは10万ルピー車構想の具現化である2008年のタタ・ナノに先駆けて、2005年に販売価格22.5万ルピーからの廉価な小型トラックである{{仮リンク|タタ・エース|en|Tata Ace}}を市場に投入し、小型トラック市場を開拓した。; 代表的な車種File:2009-03 Kathmandu 01.jpg|マルチ・800File:Maruti Alto in dark blue, northern Kolkata.jpg|マルチ・スズキ・アルトFile:Maruti Suzuki - Alto 800 LXi.JPG|マルチ・スズキ・アルト800File:Maruti Suzuki - WagonR LXi (front).JPG|2代目マルチ・スズキ・ワゴンR|3代目マルチ・スズキ・ワゴンRFile:2005 Hyundai Santro Xing.jpg|ヒュンダイ・サントロシングFile:Hyundai Eos GL 2014 (11954748753).jpg|ヒュンダイ・イオンFile:Hyundai Santro - 3rd Gen (2018) - AH2.jpg|3代目ヒュンダイ・サントロFile:Tata - Nano - Kolkata 2011-09-15 5184.JPG|タタ・ナノFile:Mahindra e2o Kathmandu 2.jpg|マヒンドラ・e2oFile:Mahindra e2o Plus battery electric car, cropped (2).png|マヒンドラ・e2oプラスFile:Tata Ace EX2 (21729583101).jpg|タタ・エースFile:TataMagicIris2010 2.jpg|タタ・マジックアイリスFile:Mahindra Maxximo - Full Bin.JPG|マヒンドラ・マキシモFile:Mahindra - Maxximo Mini Van - WB 32 C 5792 - East Midnapore 2015-05-02 9398.JPG|マヒンドラ・マキシモミニバン1980年代のイギリスでは小型三輪自動車はオートバイ免許があれば運転でき、税制面でも二輪車とほぼ同じなため、オートバイのユーザーがセカンドカーとして利用していた。例としてリライアント・ロビンはミニよりやや高価であったが登録課税が安かったため、ランニングコストでは有利であった。クワドリシクル(quadricycle)とは、フランスを中心に日本の軽自動車に近い規格で造られている車。フランス語で「四輪自転車」の意であるが、日本語に訳せば「四輪原付」、あるいは特徴からいえばミニカーに近い存在といえる。規格は「軽量車」(Quadricycle léger à moteur)と「重量車」(Quadricycle lourd à moteur)の2区分が存在しており、前者の「軽量車」は「排気量50cc以下の火花点火機関または最大出力4kw以下の原動機で、車両重量200kg以下、車両総重量350kg未満となること」とされている。一方、後者の「重量車」は「最大出力15kW以下の原動機で、乗用の場合は車両重量400kg以下、車両総重量550kg未満。貨物の場合は最大積載量200kg以下、車両総重量1000kg未満」とされている。最も大きな特徴は、法的に「自動車」とは別枠の扱いがされていることにある。なお軽量車は最高速度45km/hまでに限定され、高速道路を走れないなどの制限がある。かつては16歳以上なら無免許で運転できたが、2013年1月19日からの欧州免許制度改正により、軽量車はAMクラス(モペッド相当)免許、重量車はB1クラス免許が必要となる。主なメーカーはエグザム、かつてF1チームを率いていたことで知られるリジェ、MCCなどがある。なお、今日のクワドリシクルにおいては400ccの水冷直列2気筒のディーゼルエンジンを搭載する車種が大部分を占めている。これは軽量車の排気量制限が火花点火機関(ガソリンエンジン)に限定されており、圧縮点火機関であるディーゼルエンジンや電気モーターにおいては最大出力の制限のみがかかるため。2012年5月、日本国政府が軽自動車と二輪車の中間の車両として「超小型車(超小型モビリティー)」を道路運送車両法に加えることを検討していると報道された。ただ、道路運送車両法に「超小型車」が追加されたとしても、道路交通法の改訂も必要になるなど課題が多く、超小型車の実用化はいまだめどが立たない状況にある。{{also|#優遇見直し論と現状|ミニカー (車両)#沿革|ミニカー (車両)#EVコミューターの模索|}}すでに日産自動車は、2010年に2人乗りの超小型電気自動車「ニュー モビリティー コンセプト」を開発し、横浜市などで公道走行を含む実証実験を進めている。ニュー モビリティー コンセプトの姉妹車であるルノー Twizyは、フランスはじめ欧州で販売が開始されている。トヨタ車体も1人乗りの超小型EV「コムス」を開発し、福岡県で実証実験が進められている。新型コムスはミニカー扱いですでに販売が開始された。他にも、ダイハツ工業は「PICO」、ホンダ「MICRO COMMUTER CONCEPT」、スズキ「Q-Concept」など、超小型車に否定的な3社(三菱自動車工業、マツダ、SUBARU)を除いた各社が2011年の東京モーターショーなどで展示している。{| class="wikitable"|+超小型車の概要 / 位置付け|-style="white-space:nowrap"! !!軽自動車!!超小型車(超小型モビリティー)!!ミニカー|-!排気量|660cc以下||定格出力8kW以下内燃機関の場合は125cc以下||50cc以下電動機の場合は定格出力0.6kW以下|-!全長|3.4m以下||軽自動車規格内(2.5m以下の車両は側面方向指示器省略可)||2.5m以下|-!全幅|1.48m以下||軽自動車規格内(1.3m以下の車両は一部保安基準緩和)||1.3m以下|-!乗車定員|4人||2人(1人+年少者2人も装備があれば可能)||1人|-!style="white-space:nowrap"|最大積載量|350kg||軽自動車規格内||30kg|-!高速道路等|走行可||走行不可自動車専用道路および道路交通法による一部車両通行規制が行われている道路(具体的には、主に最高速度が時速60キロメートルを超える規制速度に設定されている道路)も走行不可。||走行不可高速自動車国道だけでなく、自動車専用道路および道路交通法による一部車両通行規制が行われている道路(具体的には、主に最高速度が時速60キロメートルを超える規制速度に設定されている道路)も走行不可。|-!車検|有り||現時点では無し・ただし認定を要する||無し|-!特徴|小型自動車(登録車)よりも維持費が割安。||現時点では認定された運行地域のみ走行できる。軽自動車よりも更に維持費が割安。||ファミリーバイク特約で任意保険に加入できる。車庫(保管場所)は不要。|-!有料道路の通行料金区別|軽自動車等||現時点では未定||道路運送車両法においては原動機付自転車に該当するため軽車両等|-!その他|道路運送法に基づく自動車道も走行可||道路運送法に基づく自動車道の走行可否は現時点では不明||道路運送法に基づく自動車道の走行の可否については不明|}超小型モビリティは、その大きさや定格出力に応じて、3つの区分(軽自動車(認定車)、軽自動車(型式指定車)、第一種原動機付自転車(ミニカー))に分かれる。{| class="wikitable"|+ 超小型モビリティの区分! !! 軽自動車(認定車) !! 軽自動車(型式指定車)!! 第一種原動機付自転車(ミニカー)|-! 最高速度| 個別の制限付与 || 構造上60km/h || 60km/h(道路交通法)|-! 定格出力| 0.6kW~8.0kW || 0.6kW超 || 0.6kW以下|-! 長さ| 3.4m以下 || 2.5m以下 || 2.5m以下|-! 幅| 1.48m以下 || 1.3m以下 || 1.3m以下|-! 高さ| 2.0m以下 || 2.0m以下 || 2.0m以下|}{{Notelist|2}}・ 軽四輪の形態・ * 軽トラック・ * 軽ボンネットバン・ * 軽スーパーハイトワゴン/軽トールワゴン/軽セミトールワゴン・ * EV軽バン・ 軽自動車税・ ハッチバック・ * ホットハッチ・ コンパクトカー・ ミニカー (車両)・ Aセグメント・ タタ・ナノ・ ダウンサイジングコンセプト・ 軽自動車検査協会・ 全国軽自動車協会連合会・・{{自動車の構成}}{{自動車}}{{Normdaten}}
NIILC-ECQA2015-00014-01
向日葵は何科の植物?
キク科
{{Otheruses}}{{生物分類表|名称=ヒマワリ|色=lightgreen|画像=|界=植物界 {{Sname||Plantae}}|門階級なし=被子植物 {{Sname||Angiosperms}}|綱階級なし=真正双子葉類 {{Sname||Eudicots}}|亜綱階級なし=キク類 {{Sname||Asterids}}|目=キク目 {{Sname||Asterales}}|科=キク科 {{Sname||Asteraceae}}|亜科=キク亜科 {{Sname||Asteroideae}}|属=ヒマワリ属 {{Snamei||Helianthus}}|種=ヒマワリ {{Snamei|H. annuus}}|学名={{Snamei||Helianthus annuus}} {{AU|L.}} {{small|(1753)}}|和名=ヒマワリ|英名=Sunflower}}ヒマワリ(向日葵、学名:)は、キク科の一年草の植物である。花は黄色で、種は食用となる。日廻りや日回りと表記されることもあり、また、コウジツキ・ヒュウガアオイ(向日葵)、ヒグルマ(日車)、ヒグルマソウ(日車草)、ヒマワリソウ(日回り草)、サンフラワー({{lang-en-short|Sunflower}})、ソレイユ({{lang-fr-short|Soleil}}:太陽花)、ニチリンソウ(日輪草)とも呼ばれる。種実を食用や油糧とするため、あるいは花を{{読み仮名|花卉|かき}}として観賞するために広く栽培される。また、ヒマワリは夏の季語でもある。ロシアとウクライナ、ペルーの国花になっている。リンネの『植物の種』(1753年) で記載された植物種の一つである。原産地は、北アメリカ。高さ3mくらいまで成長し、夏から秋にかなり大きな黄色の花を咲かせる。また、ヒマワリの花の色の濃い部分はやや赤みがかった黄色(黄金っぽい黄色)をしている。花弁は大きな1つの花のように見えるが、実際は頭状花序と呼ばれ、多数の花が集まって1つの花の形を形成している。これは、キク科の植物に見られる特徴である。外輪に黄色い花びらをつけた花を「舌状花」、内側の花びらがない花を「筒状花」と区別して呼ぶ場合がある。和名「向日葵」の由来は、太陽の動きにつれてその方向を追うように花が回るといわれたことから。ただしこの動きは生長に伴うものであるため、実際に太陽を追って動くのは生長が盛んな若い時期だけである。若いヒマワリの茎の上部の葉は太陽に正対になるように動き、朝には東を向いていたのが夕方には西を向く。日没後はまもなく起きあがり、夜明け前にはふたたび東に向く。この運動はつぼみを付ける頃まで続くが、つぼみが大きくなり花が開く頃には生長が止まるため動かなくなる。その過程で日中の西への動きがだんだん小さくなるにもかかわらず夜間に東へ戻る動きは変わらないため、完全に開いた花は基本的に東を向いたままほとんど動かない。なお、これは茎頂に一つだけ花をつける品種が遮るもののない日光を受けた場合のことであり、多数の花をつけるものや日光を遮るものがある場所では必ずしもこうはならない。ヒマワリの種は螺旋状に並んでおり、螺旋の数を数えていくとフィボナッチ数が現れる{{Efn|螺旋の数が多い場合、中心から離れると螺旋の隙間にも種ができてしまうため、途中から枝分かれしてフィボナッチ数にならないこともある。}}。種は長卵形でやや平たい。種皮色は油料用品種が黒色であり、食用や観賞用品種には長軸方向に黒と白の縞模様がある。Helianthus annuus capitulum.jpg|頭状花序。左から筒状花のつぼみ、筒状花、舌状花A Field of Sunshine (2162456862).jpg|太陽の動きを追うといわれるが、追うのは生長が盛んな若い時期だけHelianthus whorl.jpg|ヒマワリの種は螺旋状に並んでおり、螺旋の数を数えていくとフィボナッチ数が現れるヒマワリの原産地は北アメリカ大陸西部であると考えられている。既に紀元前からアメリカ先住民の食用作物として重要な位置を占めていた。インディアンは花びらから染料をとった。葉はガチョウの餌になり、油脂はマーガリン、また絵具の材料としても使われている。1510年、スペイン人がヒマワリの種を持ち帰り、マドリード植物園で栽培を開始した。マドリード植物園はダリアやコスモスが最初に栽培されたことでも有名である。ヒマワリがスペイン国外に持ち出されるまで100年近くを要し、ようやく17世紀に至りフランス、次にロシアに伝わった。ロシアに到達してはじめて、その種子に大きな価値が認められた。正教会は聖枝祭前の6週間を大斎とし、食物品目の制限による斎(ものいみ)を行う。19世紀の初期にはほとんど全ての油脂食品が禁止食品のリストに載っていた。しかしヒマワリは教会の法学者に知られていなかったのか、そのリストにはなかったのである。こうした事情から、正教徒の多いロシア人たちは教会法と矛盾なく食用可能なヒマワリ種子を煎って常食としたのであった 。その後、19世紀半ばには民衆に普及し、ロシアが食用ヒマワリ生産の世界の先進国となったのであった。日本には、ヨーロッパから中国へ伝わった後、1660年代後半に伝来した。『訓蒙図彙』には「丈菊、俗に言ふてんがいくわ(天蓋花)、一名迎陽花(げいようくわ)」として載っていて、その後「日廻り(ひまわり)」から「向日葵(ひまわり)」(現代中国語名:向日葵)と呼ばれるようになり、1700年ごろには「ひまわり」が定着した。Japan Oilseed Processors Associationの統計によるとヒマワリの種子生産量は2023/24年産、油料用植物として大豆(388.76百万トン)、ナタネ(78.26百万トン)に次ぐ、生産量(57.99百万トン)を誇る。また、2006年 - 2007年の植物油生産量はパーム油(37,985千トン)、大豆油(36,716千トン)、ナタネ油(18,425千トン)、ヒマワリ油(11,171千トン)である。ヒマワリの生産地域はロシア周辺のヨーロッパに偏っている。5割強がヨーロッパ州に集中しており、アジア州と南アメリカ州がそれぞれ2割弱を生産している。・ ウクライナ(セイヨウカンボクやスミミザクラとともに国花とする) - 13630千トン・ ロシア (カミツレとともに国花とする)- 11010千トン・ アルゼンチン - 3000千トン・ 中国 - 2590千トン・ ルーマニア - 2030千トン被子植物では果実の中に種子があり、日常語では果実のことを「実」、種子のことを「種」と呼ぶものが多いが、ヒマワリの場合は慣用的に果実全体を「種」と呼んでいる。ヒマワリの種は痩果で、種の殻と呼ばれている部分は果皮であるが、本項では便宜上「種」「殻」と記述する。種は絞って搾油されヒマワリ油として利用される。ヒマワリ油には不飽和脂肪酸が多く含まれる。1990年代までリノール酸が70 - 80%、オレイン酸が10 - 20%のハイリノールタイプが主流であった。ω-6系列の脂肪酸であるリノール酸の発ガンや高脂血症、アレルギー等との因果関係が報告されるにいたり、リノール酸が15 - 20%、オレイン酸が40 - 60%の中オレインタイプのNuSun品種が伝統的な交配育種法により育成され、2000年以降は主流となっている。煎って食用とすることができる。種子はカルシウムを多く含み、噛むと歯が悪くならないという。特に中国や米国ではおやつとして好まれる。噛みタバコやガムと同様にアメリカの大リーガーが試合中に食す嗜好品としても普及している。乾燥した種子を用いる生薬名は「向日葵子」(こうじつきし、ひゅうがあおいし)で、出血性下痢に用いられる。ペット(ハムスター、小鳥など)の餌に利用される。ディーゼルエンジン用燃料(バイオディーゼル)として利用する研究も進められている。画像:Sunflower seeds.JPG|ヒマワリの種画像:Zonnebloemolie_(Sunflower_oil).jpg|ヒマワリ油村おこし・町おこしや、災害からの復興活動として、全国にヒマワリ畑があり、イベントも開催されている。・ 北海道 - 北竜町 ひまわりの里、網走市 大曲湖畔園地ひまわり畑・ 福島県 - 喜多方市 三ノ倉高原ひまわり畑・ 茨城県 - 筑西市 あけのひまわりフェスティバル・ 栃木県 - 野木町 ひまわりフェスティバル・ 東京都 - 立川市・昭島市 国営昭和記念公園・ 神奈川県 - 座間市ひまわりまつり・ 山梨県 - 北杜市明野サンフラワーフェス他、多数2017-07-15 Ono-himawarino-oka-park (小野市立ひまわりの丘公園) ☆彡6.jpg|小野市立ひまわりの丘公園(兵庫県小野市)Sun flower field.jpg|ヒマワリ畑Amingholamali Sunflowers at sunset Ormiyeh.JPG|夕日とひまわり畑画像:Sunflowers in Zama.jpg|神奈川県座間市ヒマワリはカリウムなどと共に性質が類似するセシウムを吸収する性質を持つことから、原発事故などで放射能汚染された土地に植えたら除去できる(ファイトレメディエーション)という説が流布しているが、そのような効果は認められていない。そもそも、一般的に植物にとって必須元素であるカリウムの吸収が、放射性セシウムの除染のために価値がある程大きいのであれば、ヒマワリの生えた後の土壌は極端に貧栄養化しているはずである。また農林水産省は「ヒマワリはセシウムの吸収率が低く、除染に極めて長い時間がかかるため実用的ではない」としている。これらの自治体ではヒマワリによる地域特産化を図り、油等食品、化粧品等のヒマワリ関連製品を販売している。北海道の標準播種期は5月上旬であり、霜や氷点下の気温にも耐性はある。{{div col||25em}}・ 北海道名寄市 なよろひまわり畑・ 北海道北竜町 ひまわりの里・ 宮城県大崎市(旧・三本木町)・ 栃木県野木町・ 神奈川県座間市・ 長野県富士見町、信濃町、筑北村、諏訪市、阿南町・ 石川県津幡町 ひまわり村・ 兵庫県佐用町(旧・南光町)南光ヒマワリ畑・ 島根県出雲市(旧・斐川町)斐川ひまわり畑・ 香川県まんのう町(旧・仲南町)ひまわりの里 まんのう・ 岡山県笠岡市{{div col end}}{{div col||12em}}・ 北海道・ * 二海郡八雲町・ * 虻田郡京極町・ * 雨竜郡北竜町・ * 紋別郡遠軽町・ 山形県・ * 東村山郡中山町・ 茨城県・ * 那珂市・ * 鉾田市・ 栃木県・ * 下都賀郡野木町・ 埼玉県・ * さいたま市南区・ 千葉県・ * 船橋市・ * 柏市・ * 八街市・ 東京都・ * 西東京市・ 神奈川県・ * 横浜市港南区・ * 座間市・ 山梨県・ * 北杜市・ 長野県・ * 下伊那郡平谷村・ 愛知県・ * 名古屋市南区・ * 豊田市・ * 尾張旭市・ * 豊明市・ * 丹羽郡扶桑町・ 三重県・ * 三重郡朝日町・ 京都府・ * 向日市・ 大阪府・ * 大阪市港区・ * 泉南郡熊取町・ 兵庫県・ * 小野市・ * 神崎郡市川町・ * 揖保郡太子町・ * 佐用郡佐用町・ 奈良県・ * 生駒郡三郷町・ * 北葛城郡広陵町・ 和歌山県・ * 日高郡美浜町・ 広島県・ * 安芸郡海田町・ 徳島県・ * 阿南市・ 愛媛県・ * 伊予郡松前町・ 福岡県・ * 北九州市・ * 鞍手郡小竹町・ * 嘉穂郡桂川町・ * 田川郡川崎町・ 長崎県・ * 南島原市・ 宮崎県・ * 日向市・ 鹿児島県・ * 志布志市・ * 南九州市{{div col end}}{{div col||25em}}・ 秋田県:北秋田郡鷹巣町・ 山形県:東田川郡余目町・ 茨城県:行方郡玉造町、稲敷郡茎崎町・ 栃木県:那須郡湯津上村・ 群馬県:勢多郡北橘村、北群馬郡小野上村・ 埼玉県:大里郡大里町、北埼玉郡川里町・ 千葉県:東葛飾郡沼南町・ 新潟県:岩船郡朝日村・ 三重県:度会郡二見町・ 島根県:鹿足郡日原町・ 福岡県:朝倉郡杷木町・ 長崎県:北松浦郡吉井町・ 熊本県:菊池郡西合志町・ 鹿児島県:薩摩郡入来町{{div col end}}ヒマワリは、ロシア、ウクライナの国花である。米国カンザス州の州花である。日本でも、北九州市など各地の市区町村の花として定められている。ペルーでは、太陽神の象徴。古いインカの神殿には、太陽神に仕える聖女が、ヒマワリを模した純金の冠や装身具を身に着けている様子が彫刻されている。画家ではゴッホの「ひまわり」やモネの作品などが著名である。この他に、ヒマワリは各種の社会運動、例えば耽美主義、台湾のひまわり学生運動、心霊主義、緑の政治などのシンボルとしてしばしば使われてきた。日本弁護士連合会は弁護士バッジにデザインされているヒマワリを「正義と自由」の象徴としている。俳人 三橋鷹女(1899-1972)は「真夏の日を逐うて咲くひたむきな花を好もしく思ひ」第一句集を『向日葵』(三省堂1940)と名付けた。また後の歌集『羊歯地獄』(俳句評論社1961)には「向日葵を斬って捨つるに刃物磨ぐ」などヒマワリを詠じた句が15句収録されている。{{Notelist}}・ 瀧本敦 『ヒマワリはなぜ東を向くか』 中公新書798、1986年・ 三輪睿太郎監訳 『ケンブリッジ世界の食物史大百科事典2 ―主要食物:栽培植物と飼養動物―』 朝倉書店、2004年{{Commonscat|Sunflower_fields|ヒマワリ畑}}{{Commons&cat|Helianthus_annuus|Helianthus_annuus}}{{Wikispecies|Helianthus_annuus}}・ 一般社団法人日本植物油協会・ キクイモ・ スプラウト・ ヒメヒマワリ・ 草の一覧・ 花の一覧・ ひまわり学生運動・ 向日葵色・ 弁護士記章 - ヒマワリがモチーフ・ MediaWiki - ロゴマークにヒマワリが配されている・ - 国際ヒマワリ協会・ {{en icon}} - 米国ヒマワリ協会・ {{ja icon}}・ - SOMPO美術館・ {{Kotobank}}・ - みんなの趣味の園芸(NHK出版){{Taxonbar|from1=Q171497}}{{Normdaten}}{{デフォルトソート:ひまわり}}
NIILC-ECQA2015-00017-01
入道雲はどの季節に発生するの?
{{Redirect|入道雲|積雲型入道雲|積雲|シュノーケルの楽曲|solar wind}}{{Infobox 雲|名称=積乱雲|画像=Wagga-Cumulonimbus.jpg|画像説明=積乱雲|略記号=Cb|記号=または|類=積乱雲|高度=地上付近 - 約16,000|階級=下層雲|特徴=非常に大きい、上に向かって成長する|降水=有(激しい雨や雪に雷を伴うことが多い)}}積乱雲(せきらんうん、)とは、強い上昇気流の影響で鉛直方向へ発達した巨大な雲で、雲底から雲頂までの高さは数千メートル(m)、ときに1万 mを超えることもある{{Sfn|小倉|2016|p=100}}。また、他に雷雲(らいうん、かみなりぐも)、入道雲(にゅうどうぐも)、かなとこ雲(鉄床雲)などの俗称がある。国際雲図帳における10種類の基本雲形の1つに数えられる。ラテン語学術名は「cumulus」(積雲)と「nimbus」(雨雲、乱雲)を組み合わせた「Cumulonimbus」(キュムロニンバス)で、略号は Cb 。積乱雲は濃密な水滴や氷晶からなる雲粒で構成されている。たいてい雲の輪郭がはっきりとしていて、太陽に照らされた部分は白く輝き眩しいが影の部分は暗く、上部は濃密な巻雲のように輪郭がぼやけた部分をもち、下部は暗く黒っぽい。積乱雲が空のほとんどを覆うと、日中でもかなり暗くなることがある。多くの場合、もこもこと膨らんでいた雲頂は一定の高さで天井にぶつかったように水平に広がるかなとこ雲となる。雲頂付近にベールのような頭巾雲やベール雲がくっついていることもある。雲底は水平だがでこぼことしており、雲底下にはときどき崩れた形のちぎれ雲やロール状のアーチ雲がみられる。積乱雲の雲底はおおむね(緯度に関わらず)地表から高度2,000 mの範囲内にあり、多くは(中緯度で)600 - 1500 m程度。雲頂はしばしば(中緯度で)10キロメートル(km)を超える。雲底から雲頂までの高さは(中緯度で)ふつう3,000 m以上あり、稀に15,000 mにも達する。積乱雲は周囲の大気の不安定を背景にして発達した対流により垂直に成長する。かなとこ雲のように雲頂が水平に広がるのは、圏界面(対流圏界面)の高さまで達するとその上の成層圏が強い安定成層にあり、それより上に発達できなくなるためである{{Sfn|小倉|2016|pp=72,99-100}}。個々の積乱雲やその対流の水平方向の大きさは5 kmから15 km程度で、持続時間は30分から1時間程度。なお、 スーパーセルと呼ばれる巨大なものは単体でも100 kmに達する場合がある。また、複数の積乱雲がまとまって活動するマルチセルは20 kmから100 km程度、1時間から3時間程度になり、線状降水帯を形成するような対流活動は50 - 200 kmに及ぶ。これらは大気の運動規模の中ではメソスケールに分類される{{Sfn|小倉|2016|pp=159-160}}{{Sfn|岩槻|2012|pp=134,320-322,361-365}}{{Sfn|加藤|2017|p=2}}。積乱雲は極地での発生は稀だが、熱帯や温帯ではよくみられ、対流が活発な熱帯収束帯の降雨は主に積乱雲によりもたらされる{{Sfn|小倉|2016|pp=175}}。多くの積乱雲は強い雨または雪、霰や雷を伴い、強度変化の大きい驟雨性の降水となる。しばしば時間雨量数十ミリとなるような激しい雨が降る。またときどき雹や突風が生じる。乱層雲による一様な雨とは対照的{{Sfn|荒木|2014|pp=36-38}}。雷・雹・突風などのsevere weather(荒天)は、生じる範囲は局地的でランダム性があるが、直撃したときには深刻な被害となる可能性をはらんでいる{{Sfn|加藤|2017|pp=199}}。落雷は雲の下や、周辺にも及ぶ。雷鳴の聞こえる範囲は約10 kmだが、落雷現象は水平方向に10 km程度の広がりをもって発生するため、原則として雷鳴が聞こえはじめたらその場所にも落雷の恐れがあり、安全を確保する必要がある。危険な場所で姿勢を変えただけで雷撃を軽減することはできないので、第1に、鉄筋コンクリート造建物や自動車の中への退避を目指す。それができない場合は、4 - 20 mの電柱・電線や鉄塔の「保護範囲」内、つまり見上げた角度が45°以上かつその物体の足元からは数 m離れたところで姿勢を低くすることが次善の策となる。なお、樹木は広がる枝葉からの側撃雷のおそれがあるため近づかないほうがよい。孤立した積乱雲の雨は数十分程度しか続かないが、降り方が強いときに浸水などの被害が生じることがある。積乱雲を伴う降雨が数時間以上続いて大雨・集中豪雨となることもあるが、その原因には積乱雲の組織化(後述)、収束帯の維持や暖かく湿った空気(暖湿流)の下層への流入、地形性の上昇などが作用している{{Sfn|小倉|2016|pp=220, 224-231}}{{Sfn|岩槻|2012|pp=363-367}}{{Sfn|荒木|2014|pp=228,232-233, 238-240}}。積乱雲には、ダウンバーストやガストフロント、竜巻などの突風が発生する{{Sfn|小倉|2016|pp=212, 220}}。ダウンバーストは激しく吹き出す積乱雲内の下降気流が地面にぶつかり瞬間的な強風をもたらすもので、風速はときに50メートル毎秒(m/s)を超えることもある。ガストフロントも下降気流が地表で水平に流れ出すもの。竜巻は積乱雲に伴う上昇気流がもたらす激しい気流の渦巻きで、強いものは推定風速が100m/sを超えることもある。積乱雲は、雄大雲(雄大積雲)がさらに発達したものである。雄大雲から積乱雲への変化は氷晶の形成が鍵となっている。つるんとしていた雲頂の輪郭がぼやけたり毛羽立ったりする変化がまさに氷晶の存在を示している。なお、雲頂の輪郭がぼやけたものを無毛雲、毛羽立ちがあるものを多毛雲と呼ぶ。かなとこ状になっていない積乱雲と雄大雲とを外観で区別することは難しい場合があり、積雲にはない雷や雹を伴うかどうかが判断の基準となる。降雨を観測する気象レーダーでは、μmオーダーの雲粒は映らず、積乱雲(雷雲)では個々に活動して盛衰するエコーセルが群れるように映る。典型的には発生からおよそ10分後に上空の弱いエコーが初めて捉えられ、それが上下に拡大して強まり、上空に強いエコーができて15分ほどすると地上の降雨が開始し、次第に強まって、やがて減衰する経過をとる。統計的には、エコー頂(エコーの最上部)が−20℃以下の層まで発達すると雷放電を伴った雷雲になる{{Sfn|気象予報士ハンドブック|p=541-542}}。積乱雲やその前段階の積雲はふつう、大気の不安定な状態のもとで鉛直方向へ大きく発達する。典型的には、地表付近が温まる夏の晴れの日や、上空に寒気が流入したときによく発達する{{Sfn|小倉|2016|pp=99, 207}}{{Sfn|岩槻|2012|pp=133-134}}。例えば風が山を越えたり地表の加熱で空気が膨張したりして、空気は持ち上げられる。持ち上げられた空気は気圧が下がり気温が下がる。単純化のため周囲と混ざり合わない断熱過程として考えるが、このとき、湿度が100 %に達していないうちは空気塊の温度は1 kmにつき9.8 ℃下がる(乾燥断熱減率)。冷やされ湿度100 %に達し(飽和し)なおも持ち上げると、飽和した空気塊の温度は1 kmにつき約5 ℃下がる(湿潤断熱減率)。まわりの大気は大まかな平均で1 kmにつき約6 ℃下がる環境(気温減率)にあって、非常に乾燥した空気なら持ち上げ続ければまわりより冷たくなって上昇が抑えられるが、湿った空気なら途中で凝結してより長い距離をまわりより暖かく浮力のはたらく状態で上昇できる。大気はたいていこの状態(条件付不安定)にある。地表が温まったり上空が冷えたりすれば大気の気温減率は増し空気塊をより長く上昇させる方にはたらく{{Sfn|小倉|2016|pp=65-75, 207}}{{Sfn|岩槻|2012|pp=132-149}}。また、厚みのある空気層が持ち上げられたとして考えると、高度が高くなるほど湿度が下がる(厳密には相当温位が減少する)空気層は、上の部分は飽和せず速く冷えていくが、下の部分は持ち上げている途中で飽和しゆっくりと冷えていく。そのため持ち上げるほど温度差が増し不安定度が増大する状態(対流不安定)となる。暖かく湿った空気が流入すると対流不安定度が大きくなり積乱雲が発達しやすくなる。対流不安定は空気層を持ち上げる気流、擾乱があれば不安定だがなければ安定なのでポテンシャル不安定、日射加熱により生じやすいので熱的不安定ともいう{{Sfn|小倉|2016|pp=65-75}}{{Sfn|岩槻|2012|pp=150-169}}。積乱雲の発生しやすさを直接的に説明するのは潜在不安定。ある時点の気温をプロットした断面図を用いた説明をすると、地表の空気塊は(A)から乾燥断熱線に沿って(B)の持ち上げ凝結高度(LCL)に達し、湿潤断熱線に沿って(C)の自由対流高度(LFC)を経由し(E)の平衡高度(EL)へ至る。擾乱や加温上昇によって空気を自由対流高度まで持ち上げると、それ以降は空気そのものの浮力によって平衡高度まで上昇し続ける。持ち上げ凝結高度はほぼ雲底高度、平衡高度はほぼ雲頂高度に相当する。図中の対流抑制(CIN)はその面積が対流を抑える力の大きさを示し、対流有効位置エネルギー(CAPE)はその面積が対流を促す力の大きさを示す{{Sfn|小倉|2016|pp=65-75}}{{Sfn|岩槻|2012|pp=150-169}}{{Sfn|加藤|2017|pp=36-38,44,47-50}}。自由対流高度(LFC)が低いほどCINは小さく、積乱雲(対流)の"発生しやすさ"の指標としては500m高度から自由対流高度までの距離 (dLFC)がよく用いられる{{Sfn|加藤|2017|pp=186,189-190,285-288}}。不安定度の大きさの目安にはCAPEやショワルター安定指数 (SSI)などが用いられ、雷の発生しやすさや強度の目安にはSSI、平衡高度などが用いられる{{Sfn|加藤|2017|pp=36,121,156,186,260-261,285-286}}。ダウンバーストや竜巻の発生しやすさにもいくつかの指標がある。積乱雲には寿命があり、ひとつの積乱雲はせいぜい30分から1時間程度しか続かない。発達した雲で生じる雨粒などの降水粒子が下降流を生じるためである。組織化しない単一セルの積乱雲がこのような経過をたどり、自身の生み出した下降流のため消える"自己破滅型"と称されることもある{{Sfn|荒木|2014|p=184}}{{Sfn|加藤|2017|p=95}}。積雲から成長する段階で、上昇流によって上方に雲が発達していく。上昇流はふつうの積乱雲で10メートル毎秒(m/s)程度、強いものは30 - 40 m/sに達するほどで、観察していると見て分かるくらいのスピードで湧き出すものもある。雲の中はまだ上昇流のみ。水滴や、0 ℃以下の層では一部に氷晶を含む雲粒が生じ大きくなっていく。雨粒の大きさに達するものもあるが僅かで上昇流に浮かんでいる{{Sfn|小倉|2016|p=208}}{{Sfn|岩槻|2012|pp=361-362}}{{Sfn|荒木|2014|pp=42-43, 182}}{{Sfn|加藤|2017|p=95}}。成熟期は下降流が生じて上昇流と共存する段階。たくさんの雲粒が雨粒や雪片のサイズに成長し、上昇流よりも自重による落下速度のほうが大きくなって、落下に転じるものが出てくる。たくさんの粒子が落下すると、空気を押し下げる効果(ローディング, loading)により、下降流を生じはじめる。ローディングは、雨粒や雪片が融解や蒸発に伴い周囲の空気から蒸発熱を奪い冷やすことも原因になっている{{Sfn|小倉|2016|pp=208-209}}{{Sfn|岩槻|2012|p=362}}{{Sfn|荒木|2014|pp=43-44}}{{Sfn|加藤|2017|pp=95,97}}。平行して、発達した雲では上部から氷晶の形成が始まり、それが雪片や氷の粒子へと成長していく。0 ℃以下の層の雲粒は主に過冷却水滴で構成されるが、比較的大きな雪片や氷粒子は落下しながらぶつかった過冷却水滴をその表面に付着凍結させながら大きく成長し(雲粒捕捉成長、ライミング)、霰となる。この過程で特に大きくなったものや、更に落下の過程で一時的に0 ℃以上の層に入って霰の表面が溶けた後、強い上昇流により再び0 ℃以下の層に入って凍結、さらに捕捉成長することを何度か繰り返して積層構造になった氷塊が、雹となる。なお暖かいときには、0 ℃以上の層で雪片や一部の霰は融解し雨となる{{Sfn|小倉|2016|pp=92-99,207-210}}{{Sfn|荒木|2014|pp=142-144}}。残った上昇流はさらに雲を上部に発達させる。ときに圏界面に達し、上部が水平に広がってかなとこ雲を形成することがある{{Sfn|荒木|2014|pp=182-183}}。一方、下降流とともに大量の雨または雪が地上に落下し、降水が強まる{{Sfn|小倉|2016|pp=209-210}}{{Sfn|岩槻|2012|p=362}}{{Sfn|荒木|2014|pp=183}}{{Sfn|加藤|2017|p=97}}。積乱雲に生じた下降流はしばしば雲底の下に蓄積して冷気プールを形成、周囲よりやや気圧が高くなるメソスケールの高圧帯(雷雨性高気圧、メソハイ)が解析される{{Sfn|小倉|2016|pp=207-212}}{{Sfn|荒木|2014|pp=42-45}}。なお、雲底付近の下降気流によって乳房雲を伴うこともある。多くの積乱雲には雷がみられるが、雲内での降水粒子の落下、特に霰の作用が雲内の帯電に関わっている。霰と氷晶との接触時、−10 ℃以下では霰は負、氷晶は正、−10 ℃以上では霰は正、氷晶は負にそれぞれ帯電する。氷晶は上昇、温度の比較的高い霰は成長して落下するため、雲の中は正に帯電する部分と負に帯電する部分が生じる。雷は、こうした強い帯電を解消しようとして生じ、雲の内部(雲内放電)、雲と周囲の大気(雲放電)、雲と地表(対地放電、落雷)それぞれで生じる。雷の放電はその経路に強い発光(電光)と轟音(雷鳴)を伴う。雷放電の経路は瞬時に高温で加熱され、生じた衝撃波が雷鳴として聞こえる{{Sfn|荒木|2014|pp=219-227}}{{Sfn|岩槻|2012|pp=198-199}}{{Sfn|加藤|2017|pp=200-207}}。減衰期は上昇流が消えていき下降流が強まって雲が消えていく段階。下降流が蓄積した冷気は地上に達すると水平に広がり周囲へ流れ出す(冷気外出流)。冷気外出流は、まわりの比較的暖かい空気と衝突して寒冷前線に似た構造の衝突面を形成し、冷気が暖気を押しのけるように移動する。この小さな前線をガストフロントと呼び、付近では突風が吹くこともある。{{Sfn|小倉|2016|pp=210-212}}{{Sfn|荒木|2014|pp=43-44, 183-184}}{{Sfn|加藤|2017|p=216}}。強い下降流はときに突風災害が生じるダウンバーストとなることがある。不安定度が高いときに生じやすい{{Sfn|小倉|2016|pp=210-212}}{{Sfn|荒木|2014|pp=43-44}}{{Sfn|加藤|2017|pp=209-210}}。雲の下部に気流の渦が生じ、稀にその中から積乱雲へとつながる激しい渦、漏斗雲を伴う竜巻へと発達するものもある。竜巻はメソサイクロンのあるスーパーセルで発生する例や、局地的な前線付近で発生する例が多い{{Sfn|小倉|2016|pp=220}}{{Sfn|荒木|2014|pp=206, 210, 216-218}}{{Sfn|加藤|2017|pp=224-234}}。上昇流が消え下降流のみになると、雨は次第に弱まり、残った雲も蒸発して消えていく{{Sfn|小倉|2016|p=210}}{{Sfn|岩槻|2012|p=362}}{{Sfn|荒木|2014|pp=183-184}}。スーパーセルは上昇流と下降流の領域が分離したもので、積乱雲の寿命が長くなる。水平規模も数倍あり、雲全体がゆっくりと回転している(メソサイクロン)。また、大きく広がるかなとこ部分を持ち、上昇流のてっぺんにはオーバーシュートと呼ばれる雲の隆起部分が生じる{{Sfn|小倉|2016|pp=217-220}}{{Sfn|岩槻|2012|p=364}}{{Sfn|荒木|2014|pp=210-215}}{{Sfn|加藤|2017|pp=95,97}}。積乱雲の対流を細胞に例えて降水セル(precipitation cell)と呼ぶ。個々の降水セルが独立に活動して積乱雲が一生を終えるものはシングルセル、気団性雷雨と呼ぶ。一方で、ひとつの積乱雲が新たに次の積乱雲の発生に関与し、複数のセルが関係しあうものをマルチセル、マルチセル型雷雨、巨大雷雨と呼ぶ{{Sfn|小倉|2016|pp=208, 212}}{{Sfn|岩槻|2012|pp=362-363}}。積乱雲の下降流が地表に流出したガストフロントを起点として上昇流があり、大気が不安定ならば対流が生じる。これにより新たな積乱雲が発生する。このような機構を積乱雲の"自己増殖"、"世代交代"、降水セルの"組織化"とも呼ぶ。組織化した積乱雲は1つの大きな雲の塊のように見える。マルチセルは風の鉛直シア(風向・風速の高度差)が大きい時に生じやすく、地形の影響で生じることもある。マルチセルは降雨の継続時間を長くすることがある。大きく分けて、スコールラインと呼ばれる比較的早く移動するものと、降水バンド(線状降水帯を含む)と呼ばれるゆっくり移動するものとがある{{Sfn|小倉|2016|pp=212-217, 220}}{{Sfn|岩槻|2012|pp=363-367}}{{Sfn|加藤|2017|pp=100-105, 117-119}}。なお、熱帯低気圧(台風)は熱帯の海洋上で積乱雲群が発達し長時間維持されたもの。雲が生じるとき放出される潜熱を原動力として、数百 km規模の低気圧性の循環が生じて強化されている{{Sfn|小倉|2016|pp=231-242}}。雲頂が対流圏界面付近に達する積乱雲は、たびたび航空機の航路上の障害物となる。航空機の操縦において、巡航高度よりも背の高い巨大な積乱雲が自機の針路に存在し、かつ、それが迂回すれば雲の中に入らずに済みそうな場合、パイロットは安全のために、自動操縦を解除してでも積乱雲を迂回することがある。雲内に入った場合、雲の下部や中部は非常に暗く視界はほぼゼロ、上部は明るい場合もあるが視程が極端に低下する。過冷却の雲粒により機体への急速な着氷が生じる可能性もある。積乱雲の下で起こるダウンバーストは、特に離着陸時に航空機に大きな危険をもたらし、飛行中にも支障を及ぼす。ダウンバーストの監視には、空港周辺に設置されるドップラーレーダーが用いられる。雲中の鉛直流(上下の気流)は15 m/sを超えるほど強まることがある。乱気流や雷の直撃も、航空機に問題を引き起こす可能性がある。雲の周囲では放電現象(セントエルモの火)が生じることがあり、気温0 ℃から−2 ℃の時に最もよくみられる。積乱雲の強い上昇気流にパラグライダーなどが巻き込まれると、予想もしていないほどの高高度へ上昇させられてしまう。急激な上昇と低酸素・低温の環境に放り込まれることで気絶したり、命に係わる場合もある。このような上昇気流は{{ill2|クラウドサック|en|Cloud suck}}と呼ばれる。2007年にはポーランド人の女性、{{仮リンク|エバ・ウィスニエルスカ|en|Ewa Wiśnierska}}が、オーストラリアのニューサウスウェールズ州で積乱雲の強い上昇気流に巻き込まれ、秒速20メートルのスピードで上空約1万メートルまで飛ばされた(正確には9,946m)。雹に打たれ、落雷に遭い、氷に覆われて40分間意識不明に陥った。ウィスニエルスカは6,900mの高さで意識を回復し、小さな農場が見えたのでそこへ着地。耳と足に凍傷を負ったが生還している。着地地点は離陸地点から約60km離れた場所だった。ウィスニエルスカと同じ積乱雲に上昇させられてしまった中国人のパラグライダーは死亡した。File:Clouds 7.jpg|毛羽立った部分のある積乱雲File:Clouds 1 bg 082403.jpg|積乱雲。上部にかなとこ巻雲が広がるFile:President Airlines Antonov An-24 Siecinski.jpg|積乱雲と頭巾雲File:Clouded sky, Pula.JPG|積乱雲底の乳房雲File:Alfalfa Tornado - NOAA.jpg|暗い積乱雲底のmurus、漏斗雲File:Sunnystormcloud.jpg|夕日に染まらない灰色の積乱雲と光芒国際雲図帳2017年版の解説によると、積乱雲に現れることがある種・変種・副変種は以下の通り。変種はない。・ 雲種 - 無毛雲、多毛雲・ 雲副変種(部分的に特徴のある雲) - 降水雲、尾流雲、かなとこ雲、乳房雲、アーチ雲、murus、cauda、漏斗雲・ 雲副変種(付随して現れる雲) - ちぎれ雲、頭巾雲、ベール雲、flumen日本では夏によく発生することから夏の情景とされ、「積乱雲」「入道雲」「夕立雲」は俳句において夏の季語になっている。{{Notelist}}・ {{Cite book|和書|author=小倉義光|authorlink=小倉義光|year=2016|title=一般気象学|edition=第2版補訂版|publisher=東京大学出版会|isbn=978-4-13-062725-2|ref={{SfnRef|小倉|2016}}}}・ {{Cite book|和書|author=荒木健太郎|title=の中では何が起こっているのか|edition=第2版|publisher=ベレ出版|year=2014|isbn=978-4-86064-397-3|ref={{SfnRef|荒木|2014}}}}・ {{Cite book|和書|author=岩槻秀明|title=図解入門 最新 気象学のキホンがよ~くわかる本|publisher=秀和システム|year=2012|isbn=978-4-7980-3511-6|ref={{SfnRef|岩槻|2012}}}}・ {{Cite book|和書|editor=日本気象予報士会 |title=気象予報士ハンドブック |publisher=オーム社 |year=2008 |month=11 |isbn=978-4-274-20635-1 |ref={{SfnRef|気象予報士ハンドブック}}}}・ 阿陁光南、月刊エアライン編集部 『イカロスムック 航空知識のABC』、イカロス出版 1996年7月1日発行 ISBN 4-87149-051-3・ 田中達也、『雲・空』〈ヤマケイポケットガイド 25〉、山と溪谷社、2001年。ISBN 978-4-635-06235-0・ 『』、気象庁、1998年(平成10年)9月発行・2007年(平成19年)12月改訂。・ {{Cite book|和書|author=加藤輝之|title=図解説 中小規模気象学|publisher=気象庁|work=|year=2017|ref={{SfnRef|加藤|2017}}}}・ 『シビア現象の監視・予測について』、気象庁、「」、2021年3月作成・ ""(国際雲図帳), WMO(世界気象機関), 2017・ ゲリラ豪雨・ 集中豪雨・ 降水セル・ スーパーセル・ 寒冷前線・ 線状降水帯・ キノコ雲・ 漏斗雲(竜巻)・ {{ill2|火災積乱雲|en|Cumulonimbus flammagenitus}} ‐ 火災や火山の噴火、核爆発などで発生する火災積雲が縦に発達したもの。{{Commons&cat|Cumulonimbus|Cumulonimbus clouds}}・ {{Kotobank}}・ - , WMO{{En icon}}{{雲形}}
NIILC-ECQA2015-00026-01
麻雀発祥の地は?
中国
{{Chinese|pic = Mahjong in Hangzhou.jpg|picsize = 200px|piccap = 中国・杭州市の公園で麻雀を楽しむ人々|t = 麻將|s = 麻将|gan = ma4 chiong4|p = Má jiàng|bpmf = ㄇㄚˊㄐㄧㄤˋ|j = maa4 zoeng3|y = ma4 jeung3|h = ma jiong3|wuu = mo ziang|t2 = 麻雀|s2 = 麻雀|p2 = Má què|bpmf2 = ㄇㄚˊㄑㄩㄝˋ|j2 = maa4 zoek3|y2 = ma4 jeuk3|h2 = ma4 jiok3|gan2 = ma4 chhiok6|wuu2 = mo ziang(麻雀兒)|poj2 = Moâ-chhiok|buc2 = Mà-chiók|hhbuc2 = Má-chio̤h|kanji = 麻雀|kana = マージャン|romaji = mājan|hangul = 마작|hanja = 麻雀|rr = majak|mr = machak|vie = mạt chược|tha = ไพ่นกกระจอก}}麻雀(マージャン、、、)は、テーブルゲーム、ボードゲームの一種。牌を使い、原則として4人で行われる。中国を起源とし、世界中で親しまれている。本記事では、麻雀というゲーム一般について説明するとともに、その中でも特に「リーチ麻雀({{lang-en|Riichi Mahjong}})」とも称される日本式麻雀について詳述する。4人のプレイヤーがテーブルを囲み、数十枚から百枚あまりの牌を引いて役を揃えることを数回行い、得点を重ねていくゲーム。勝敗はゲーム終了時における得点の多寡と順位で決定される。発祥の地である中国のほか、日本、東南アジア、アメリカ合衆国などで親しまれている。現在の中国語では麻雀のことを一般に「{{Lang|zh-simp|麻将}}/{{Lang|zh-hant|麻將}}」(マージアン {{ピン音|májiàng}} {{注音|ㄇㄚˊㄐㄧㄤˋ}})という。「{{Lang|zh-simp|麻雀}}/{{Lang|zh-hant|麻雀}}」(マーチュエ máquè ㄇㄚˊㄑㄩㄝˋ)は中国語ではスズメを意味する(また地域や方言によってはアヘンも指す)が、方言的に麻雀を指す。ちなみに「麻雀を打つ」ことは「{{Lang|zh-simp|打麻将}}/{{Lang|zh-hant|打麻將}}」(ダー マージアン dǎ májiàng ㄉㄚˇ ㄇㄚˊㄐㄧㄤˋ)という。麻雀発祥地の寧波で話される呉語北部方言では{{Lang|zh-hant|麻雀}}の指小形である{{Lang|zh-hant|麻雀兒}}と{{Lang|zh-hant|麻將}}が同音のモーチアン(呉語学堂拼音: 6mo-cian)であったために両者が混用され、中国の北方に伝来した際には麻将の名前で広まり中国語の呼称となったが、中国北方を通さず寧波から直接伝来した日本語、広東語や台湾語では呉語と同様に「麻雀/{{Lang|zh-hant|麻雀}}」と書くのが普通である(粤拼:maa4zoek3、白話字:môa-chhiok/bâ-chhiok)。香港ではスズメと区別するために「蔴雀」と書くことがある。戦前の日本では「魔雀(モージャン)」と表記することもあった。日本では麻雀卓と呼ばれる麻雀専用のテーブルで、34種類136枚の牌を使うのが一般的である。麻雀卓などの専用の道具がなくともプレイできるように、カードにした簡易版の道具も市販されている。使用する道具や採用するルールについては国や地域によって異なる点が多く、日本国内でも標準的とされるルールのほかに、様々なローカルルールが存在する。現在の日本では、家庭や麻雀店(雀荘)で遊ばれるほか、ゲームセンターや家庭用コンピュータゲームやオンラインゲームでもプレイすることができる。昭和期における麻雀ブームの時期と比較すると雀荘の数や麻雀専門誌の数は減少傾向にあるが、コンピュータとの対戦やネットワークを通じた不特定の相手との対戦が可能になったことで、形を変えて人気を保っている。思考や指先の運動により認知症の予防や知能の強化などにも繋がるという説もある。参加人口はアジア全体では推定3億5千万人(2017年)。日本では2019年時点で510万人と2016年以降500万人台で推移していたが、2020年のコロナショックで400万人に減少するも、Mリーグなどの影響により2022年には500万人に増加している。起源には諸説あり、紀元前6世紀頃、孔子が発明したという説がある。最も有力な説は、清の同治年間(1862 - 1874年)に寧波の陳魚門が、12世紀以前に存在した「葉子(馬弔・マーディアオ)」というカードゲームと明代(1368 - 1644年)以前から存在した「骨牌」というドミノのような遊戯を合体させて「麻雀(マージャン)」を完成させたとするものである。なお、葉子は欧州に伝わり、トランプとなったともいわれる。明の成化年間の陸容 (1466-1494)『菽園雑記』の記すところによると、当時の昆山で一種のカードゲームが流行しており、カードの総数は38枚であって、一銭から九銭・一百から九百・一万貫から九万貫・二十万貫から九十万貫・百万貫・千万貫・万万貫からなっていた。「糸巻き」の様に見える図柄は、「銭の穴に糸を通した束」で、「サイコロの目」の様に見える図は「銭を正面から見た図」である。一万貫以上のカードには『水滸伝』中の二十人の絵が描かれており万万貫は宋江・千万貫は武松等となっていた(ただし「混江竜李進」と「混江竜李海」が別人として存在するなど、現行の水滸伝とは名前が多少異なっている)。当時の人はこの種のカードを「葉子」と呼び、葉子を使ったカードゲーム自身のことは「葉子戯」と呼んでいた。今では水滸牌と呼ぶことが多い。語源については、上記の「馬弔(マーディアオ)」が転訛して「麻雀(マージャン)」となったとされる。1949年に中華人民共和国政府によって一旦、全てのギャンブルと共に禁止された。しかし、文化大革命終結後の改革開放に伴ってギャンブルでない麻雀は許されるようになり、1985年には禁止令が解除された。1895年、アメリカ合衆国の人類学者スチュワート・キューリンは麻雀に言及した記事を書いた。これは中国語以外の言語で書かれた最初の麻雀についての記述であった。1910年までにはフランス語や日本語の文献も出揃った。1920年、アバークロンビー・アンド・フィッチ社は初めて合衆国に麻雀を輸入し販売を開始した。麻雀セットはニューヨーク市を中心にヒット商品となり、合計で12000セットを売り上げた。また、同時期にジョセフ・パーク・バブコックが世界初の麻雀本となる"{{lang|en|Rules of Mah-Jongg}}"を出版した。1920年代の合衆国で麻雀は全ての人種の間で流行しアメリカ式のルールや役が生まれ、多くの「マージャン・ナイト」が開かれた。人々は中国風の装飾が施された部屋に着飾って集まり、これに親しんだ。エディ・カンターの"Since Ma is Playing Mah Jong"など、マージャンを主題にした流行歌も幾つか生まれた。1937年には初のルールブックとなる"{{lang|en|Maajh: The American Version of the Ancient Chinese Game.}}"が出版されるとともに、全米麻雀リーグ (National Mah Jongg League, NMJL) が発足した。しかし、合衆国における麻雀の流行は一過性のものに終わった。1980年代にコンピュータ用ゲーム『上海』が登場して以来、「mahjong」「mahjongg」「mah-jang」という表現が再び一般的に使われるようになるが、それらは『上海』タイプのパズルゲームを指しており、中には麻雀牌以外の絵柄を使っているものも存在する。記録に残るうえで実際の麻雀牌が日本に伝わったのは1909年(明治42年)に清からこれを持ち帰った名川彦作によるものであり、大正中期以降はルール面において独自の変化を遂げつつ各地に広まっていったともいうが、一般に認知されるようになったのは1923年(大正12年)の関東大震災の後である。日本に伝わった主な経路は中国大陸(北京・上海)からの帰国者と日米中を結ぶ太平洋航路の乗船者の二つが存在した。神楽坂のカフェー・プランタンでは文藝春秋の菊池寛らが麻雀に熱中し、次第に雑誌等にも取り上げられるようになった。文藝春秋社では、みずから麻雀牌を販売していた。なお、日本人で初めて麻雀に言及したのは大正・昭和戦前期の中国文学・中国文化研究者の井上紅梅であり、『支那風俗』(1921年、全3巻)の中巻では麻雀の起源やルールについて記述している。異説として夏目漱石が挙げられることもあるが、これは中村徳三郎が『麻雀競技法』(1924年)において、『満韓ところどころ』(1909年)内の大連での見聞である「四人で博奕を打っていた。(略)厚みも大きさも将棋の飛車角ぐらいに当る札を五六十枚ほど四人で分けて、それをいろいろに並べかえて勝負を決していた。」という記述を引き合いにしたものである。ただし、中国の麻雀牌にしては厚みや大きさがないことや枚数が少なすぎることから別のゲームであった可能性も指摘されている。1929年(昭和4年)3月21日・31日、東京の国民新聞社講堂で初の全国麻雀選手権大会が開かれ、約600人が参加した。1930年(昭和5年)5月時点における東京市内外における麻雀店の数は937店であった。7月10日、警視庁は麻雀店の新設を当分許可しない方針とした。1933年(昭和8年)、不良華族事件の捜査の過程で、著名な文士や出版関係者らの常習賭博が明らかになり逮捕者が相次いだ。この逮捕を受けて、文士だけではないとの声が高まり、翌1934年(昭和9年)にも医師や画家、音楽家、実業家、代議士など著名人の検挙が相次いだ。この頃、日本麻雀連盟の関係者が行っていた賭けのレートは1000点10円ないし15円 であった。1937年(昭和12年)日中戦争開戦前の頃には東京都内に約2000軒の麻雀クラブがあったが、戦時色が濃くなるにつれて麻雀も下火とならざるを得なくなり、1942年(昭和17年)の時点では230軒余と激減した。業者の団体は警視庁の指導に基づき同年9月1日より「麻雀」を「卓技」と名称を改め、東京卓技商業報国会を結成。健全娯楽化を目指した。終戦後再び麻雀は流行し始め、戦前から行われていたアルシーアル麻雀に「途中リーチ」(現在の立直)・ドラ・場ゾロなどを加えた新ルールが取り入れられるようになり、アレンジを加えられた日本式の麻雀(リーチ麻雀)が主流を占めるようになった。1952年には天野大三が報知新聞(現在のスポーツ報知)に日本で最初に立直およびドラを成文化した「一九五三年度リーチ麻雀標準規程」(通称:報知ルール)を発表、同年には競技麻雀団体の日本牌棋院を設立しリーチ麻雀の原型を作った。1947年にアルシーアル麻雀の日本麻雀連盟が再建され、1948年にリーチ麻雀への対抗策として「門前自摸2翻、門前ロン1翻プラス10符」を導入したものの広く普及するには至らず後に元に戻されている。アルシーアル麻雀は現在も行われてはいるが、次第に主流から外れていった。1966年5月、日本テレビの番組『11PM』内にて「マージャンコーナー」が開始。1969年、阿佐田哲也は『週刊大衆』で『麻雀放浪記』シリーズの連載を開始。1970年には阿佐田、小島武夫、古川凱章らが麻雀新撰組を結成。同年『週刊大衆』で名人戦開始。1972年に『近代麻雀』、1975年に「プロ麻雀」が創刊され、第二次麻雀ブームが起きた。1976年には竹書房主催で、プロのタイトル戦「最高位戦」が開始された。『レジャー白書』によるとピーク時の1982年の参加人口は2140万人であり、この時期、多くの大学生やサラリーマンが手軽な小遣い稼ぎやコミュニケーションツールとして麻雀に親しんだ。しかし、同時に賭博・喫煙・飲酒・徹夜などの不健康なイメージが広がったため、1988年にはそれらを廃して麻雀を楽しむことを目的とした日本健康麻将協会が設立された(#健康マージャンも参照)。第二次麻雀ブームは週休二日制の普及や1985年に施行された風俗営業法により雀荘を含む風俗店の営業時間が午前0時までとなったことで参加人口が減少し、1980年代末までには沈静化した。麻雀におけるコンピュータゲームの普及は1975年頃からであるが、業務用(アーケードゲーム)で現在のものに近いゲームシステムが導入された最初の麻雀コンピュータゲームは1981年3月のジャンピューター(アルファ電子)であった。このゲームは一世を風靡し、ゲームセンターや喫茶店に数多く見ることができた。その後、対戦相手のコンピュータの画像を女性をモチーフとしプレイヤーが勝つ毎にその女性の衣服を脱がせるという、いわゆる「脱衣麻雀」のコンセプトが大当たりした。年代と共に映像技術も向上し、性能や官能性もアップした。ゲームセンターでは麻雀ゲームはアダルトゲームの代名詞でもあった。1990年代後半から2000年代にかけてのインターネットの普及や通信対戦の発展により、自宅やゲームセンターなどで容易に対局が可能になった。1997年にはオンライン対戦麻雀の先駆けとなる『東風荘』がサービス開始、2002年には通信機能を持たせ全国のプレーヤーと対戦できる麻雀アーケードゲーム『セガネットワーク対戦麻雀MJ』『麻雀格闘倶楽部』が稼動を開始し、2004年には携帯麻雀ゲーム『ジャンナビ四人麻雀オンライン』が稼動を開始した。2006年にはオンライン対戦麻雀『半熟荘(2007年に天鳳に改称)』がサービス開始した。2019年にはオンライン対戦麻雀『雀魂』が日本で サービス開始した。こうしたオンライン麻雀の普及に伴い、次第に学生競技麻雀やオープントーナメントの予選や大会そのものがオンライン麻雀を会場として行われることが増えていき、競技団体所属のプロ雀士もゲームとの提携やイベント、あるいは一プレイヤーとして参戦することが増えていった。{{Anchors|デジタル・アナログ論争}}1990年、天野晴夫が『リーチ麻雀論改革派』(南雲社)において麻雀戦術論からの抽象の排除を提唱した。その中で小島、田村光昭など当時の有名麻雀プロや在野の桜井章一らの麻雀論を「ツキ」「勘」「流れ」といった抽象論に支配されている非科学的なものであると批判した。天野は抽象的な要因を考慮することは的確な情報判断を鈍らせる原因にこそなれ、麻雀の上達には繋がらないと主張した。これがいわゆる「デジタル雀士」のさきがけである。2004年、とつげき東北の『科学する麻雀』が講談社現代新書から出版された。とつげきは前の局の結果が次の局に影響を及ぼすとするいわゆる「流れ論」を徹底的に否定しており、本著でも確率論を基礎とした統計学的な麻雀戦略を提唱している。「このような時にはこう打つ」と明確にかつ論理的に場面に応じた打ち方を指導している点が特徴である。これらデジタル麻雀に対して「ツキ」「勘」「流れ」を重視する雀士も多く、そのような戦術論はアナログやオカルト派と呼ばれている。2018年、Mリーグの開始を機に対局の動画配信を楽しむスタイル、通称「見る雀」がブームになる。2019年には前年に中華人民共和国でサービスを開始していたオンライン対戦麻雀『雀魂』の日本語版がサービス開始。バーチャルYouTuberやプロ雀士などのYouTube配信によって人気を博している。2020年代に入ると、Mリーグの成功などにより、日本放送協会(NHK)や一部の民放テレビ局で麻雀に関する番組や特集が取り上げられたり、競技として成立するため教育目的で部活動に麻雀を導入する高等学校も出始めてきている。コロナ禍で参加人口が減少するも、Mリーグの影響により2022年にはコロナ禍前と同等に回復した。2002年10月23日から27日にかけて、東京で「2002 世界麻雀選手権大会」が開催される。日本の初音舞が優勝し、ジョン・オコーナーが準優勝した。2006年に世界麻雀機構 (WMO) が設立され、中国の北京に本部が置かれた。翌2007年には、11月3日から5日にかけて、中国の成都で「世界麻雀選手権大会」が開催された。公式にはこの大会が「第1回」として扱われる。また、WMO主催の大会以外にもマカオの企業ワールドマージャン主催の賞金制(1位にはアメリカドルで50万ドル支払われる)の世界大会である世界麻雀大会の他、中国北京で発足 し、スイスのローザンヌに本部を置く{{仮リンク|国際麻雀連盟|en|Mahjong International League}}による{{仮リンク|世界麻雀スポーツゲーム|en|World Mahjong Sports Games}}も存在する。2008年の北京オリンピックでは将棋類とともに公開競技としての導入が図られたが、国際オリンピック委員会から却下された。北京五輪後に行われた第1回ワールドマインドスポーツゲームズではシャンチーは競技になったものの麻雀は外されが、2017年から追加された。ロシアでは、麻雀アニメをきっかけとして2009年ごろから学生の間で日本式麻雀が普及しはじめ、2012年から全国の愛好者らによるトーナメント式のリーチ麻雀大会がモスクワで開催されている。一般的には4人で行うゲームであるが、三人麻雀、二人麻雀もある。各プレイヤーは13枚の牌を手牌として対戦相手に見えないようにして目前に配置し、順に山から牌を1枚自摸しては1枚捨てる行為を繰り返す。この手順を摸打といい、数回から十数回の摸打を通して手牌13枚とアガリ牌1枚を合わせた計14枚を定められた形に揃えることを目指す。アガリ形の組み合わせに応じて点棒のやりとりが行われ、最終的に最も多くの得点を保持していた者を勝者とする。前述のように採用するルールについては国や地域によって異なる点が多いが、日本においては一般に花牌を使用しないルール(清麻雀)、立直を役として採用するルール(立直麻雀)が採用されている。・ 摸打または副露を通して手牌13枚と、自摸牌または他のプレーヤーの打牌(捨て牌)からなるアガリ牌1枚を合わせた計14枚を定められた形に揃えると、和了(あがり)となり他のプレーヤーから得点を得る。・ 和了時のかたちは、ひとつの対子(雀頭)と4組の完成面子からなるが、七対子のように7組の同じ牌(対子)である場合、国士無双(十三么九)のように13種類の么九牌と任意の么九牌1つからなる場合等の例外形がある。現在のルールでは採用されないが、極端に悪い手牌である第1自摸時に完成面子はおろか、ひとつも未完成面子ができず、対子ひとつのみの場合にのみ特別役を付けて和了とするケースもあった(十三不塔)。・ 現代の日本の麻雀ルールでは和了時に特定の牌の並びが要求される(役)。ただし特定のシチュエーションにおいて無条件で和了の資格を得るケースがあり、それについても形式上、役が付けられて和了の資格が得られる場合がある。また自らの打牌に和了となる牌がある場合、または立直後に他プレーヤーの和了となる打牌を見逃した場合(振聴)は他プレーヤーの打牌では和了できず自摸牌でのみ和了が可能である。・ もし自摸牌が無くなり、最後のプレーヤーが打牌したあとに和了者が出なければ流局となり、連荘の条件が満たされない場合は親流れとなり次のラウンド(局)になる。あらかじめ取り決めたラウンド数(東4局・南4局からなる「半荘」が多いがその限りでない)に達すると持ち点の精算を行い、順位に応じて点のやり取りが発生する。{{Double image aside |right|Mahjong japan tools.jpg|98|Dice(mahjong) 3.jpg|100|起家マーク・焼き鳥マーク(左)とサイコロ(右)}}以下では日本において麻雀で使われる道具類について説明する。日本では、中国で用いられるものより小さめの34種136枚の牌を使用するのが一般的である。牌の種類には萬子(ワンズ/マンズ)・筒子(ピンズ)・索子(ソーズ)・字牌(ツーパイ)がある。萬子・筒子・索子はそれぞれ一から九までの9種、字牌はさらに三元牌と四風牌に分かれ三元牌は白發中の3種、四風牌は東南西北の4種である。これら34種がそれぞれ4枚ずつ、計136枚である。この他に花牌と呼ばれる牌が4種1枚ずつあるが、花牌は一般的なルールでは使用されない。そのため日本で販売される麻雀牌では花牌をなくし、その代わりに赤牌を追加したセットが多い。麻雀牌などの麻雀用具は、専門店、おもちゃ屋、リサイクルショップ、オークションなどで入手できる。点棒(てんぼう)は各プレイヤーの得点を表すために用いる細い棒である。正式にはチョーマ(籌馬)と呼ばれる。元々は上海租界における欧米人の間で一局ごとの精算の煩雑さを避けるため、抽籤(チューチェン)と呼ばれるゲームの用具である籌馬を用いてゲーム終了後にまとめて精算したのが始まりとされており、後に麻雀専用のものが製造されている。しかし、欧米人の間で点棒が用いられたのはごく短期間であり、カードやチップが用いられるようになった。日本ではこの過渡期に麻雀が紹介されたため、点棒の使用は現在まで残っている。点数の最小単位は100点だが大量の点棒を扱わなくてよいように、数種類の点数が用意されている。・ 万点棒 - 1本につき1万点。5個の赤点(5000点棒)の両脇に2つずつの黒点という、最も複雑な意匠である。最も高額な点棒であり初期状態では1人あたり1本しか配分されないことから、「連隊旗」とも呼ばれている。通常は1セット4本。・ 5000点棒 - 1本につき5000点。5個の赤点の意匠。通常は1セット8本。・ 1000点棒 - 1本につき1000点。1個の赤点の意匠。立直の際はこれを場に供託する。通常は1セット36本。・ 100点棒 - 1本につき100点。8個の黒点の意匠。連荘の際などに本場数を表す積み符としても用いられる。シバ棒ともいう。通常は1セット40本。・ (500点棒 - 標準的なセットにはない。やりとりをスムーズにするために用いられることもある)点棒のタイプは軸色の種類により白点棒とカラー点棒の二つがある。現在の日本国内の麻雀店では全自動麻雀卓が非常に多く、点箱内の点棒を自動的に計算し、点数を表示するため、万点棒が赤、1000点棒が青のように点棒自体が色分けされて分かりやすくなっているカラー点棒が多い。また、全自動麻雀卓用(点数表示枠用)の点棒では自動読み取りを行う形式によって接触型と非接触型に分けられる。起家マーク(チーチャマーク)は最初の親が誰かを示す目印となる物。親マークともいう。表面に“東”、裏面には“南”と書かれている。一般的ではないが“南”のかわりに“北”と書かれているものやサイコロ状のものに東南西北が書かれ、格子にはめ込むタイプのものもある。これは場風の明示を兼ねるため使用される。最初の親を決めるとき及び配牌時に取り始める山を決めるために、サイコロを使用する。通常は6面ダイス2個を使用するが、12面サイコロ(パッコロ)を用いる場合もある。その場合は1つのサイコロは1から12が、もう1つのサイコロには東西南北が書かれている。なおプレイ中のサイコロは親を表す目印として、親の席の右隅に置くこととしている。一度も和了しないまま競技単位を終えるとペナルティを受けるローカルルールがあり、その時にまだ和了(アガリ)していないことを示す目印となるとして使われる。アガリ成立の時点で裏返しにする。このローカルルールを焼き鳥とも呼ぶ。また、和了してから一定時間内(次局開始までなど)に目印を裏返さない場合は焼き鳥状態が継続や、4人とも焼き鳥を解消した時点で、また4人全員が焼き鳥状態に戻るといったローカルルールもある。麻雀卓(マージャンたく)または雀卓(ジャンたく)は麻雀を行うための卓で、通常60-70cm四方の正方形のテーブルである。一般に麻雀卓は、麻雀牌が卓よりこぼれないように卓の周りに枠を設けており、麻雀牌の音を吸収するとともに麻雀牌が痛まないように緑系統あるいは青系統の色を用いたフェルト製の天板マットが張られており、洗牌(シーパイ、牌をかき混ぜる作業)や打牌に向いている。また、卓は点棒を収納する引き出しを備えている(関西向けには引き出しではなく卓の枠部分に固定され、全員に中身が見えるように作られた点棒箱を備えているものもある)。なお点棒箱は通常全員分の点棒が入るサイズに作られるが関西では原点を超えた点棒を卓上に晒すルールが多いため、原点1人分の点棒が入るサイズとなっている。麻雀卓は卓の形状により座卓タイプと立卓タイプに分かれる。家庭や旅館などの座敷用には座卓タイプを、椅子に腰をかけながら麻雀を行う時には立卓タイプを使用する。支柱部分が取り外し可能になっており、使用環境に応じて立卓か座卓かを選択し組み立て直すことができる製品もある。また、麻雀卓は卓の機能により全自動麻雀卓(洗牌と山積みを電動で行う)、半自動麻雀卓(裏返し等を自動で行う)、手打卓に分かれる。自動化された麻雀卓が出現するまで麻雀卓は手打卓であった。最近の雀荘はすべての卓を全自動麻雀卓で営業しているのが一般的であり、近年は麻雀卓といえば全自動麻雀卓を指すことが多い。手打卓は新たに出現した自動麻雀卓と区別するために用いられるようになった呼称であり、手打ち麻雀卓、手積卓などと呼ばれることもある。風営法では全自動麻雀卓(テレジャンも含む)とそれ以外の麻雀卓(マグジャンなどの半自動卓を含む)が厳密に区別されており、徴収可能な料金の上限が異なっている。電気こたつを雀卓に使用し始めた時期は、1957年(昭和32年)11月には東芝がニクロム線熱源の「電気やぐらこたつ」を発売した時期と重なる。こたつやちょうど良い大きさのちゃぶ台が置いてある家庭等ではわざわざ麻雀専用にしか使い道がない麻雀卓を購入するのではなく、麻雀用のマットを購入しそれらの上で麻雀を行うこともある。こたつについては、最初から天板の裏に緑のフェルトを張ったものも以前はよく見られた。なお、後述の三人麻雀専用で用いる正三角形の卓もある。雀荘(ジャンそう)とは、麻雀の設備を設けて客に麻雀を遊技させる店舗である。風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(風営法)の条文では「まあじやん屋」と記述される。日本国内の雀荘は、第二次世界大戦以前から都道府県の条例(京都府の場合は遊技場営業取締規則)などで規制や制限を受けていた。しばしば規制は強化され、京都府では1936年(昭和11年)に学生、未成年者の出入を禁止している。戦後は、風営法が定義する風俗第四号営業に位置づけられ、これを営むには、営業所ごとに当該営業所の所在地を管轄する都道府県公安委員会の許可を受けなければならないとされている。また、同法により原則として午前0時から午前6時までの営業は禁止されている。しかし現実にはフリー雀荘の多くで深夜営業が行われており、店は窓にカーテンを引くなどして音や光が外部に漏れないようにしてこっそりと営業されている。営業の形式には、大きく分けて2種類ある。3人から4人あるいはそれ以上の人数で店舗に出向き、麻雀卓を借りる形式のセット雀荘と、1人で行って不特定の相手と対戦する形式のフリー雀荘である。セット雀荘には「貸卓専門」、フリー雀荘には「お一人様でも遊べます」といった内容の看板などが掲げられており、それによって営業形態を察することができる。セット雀荘のほとんどは貸卓を専門としているが、フリー雀荘は貸卓営業を併行して行っていることが多い。フリー雀荘の場合、時間帯によっては来客が中途半端で卓が成り立たない場合があるほか、客が都合で一時的に卓から抜ける際に進行を止めたくない等の事情もあり、その場合は「メンバー」と呼ばれる店員が加わることでゲームを成立させる。遊技料は風営法施行規則により定められており、現在は客1人当たりの時間を基礎として計算する場合1時間600円(全自動卓)、1卓につき時間を基礎として計算する場合1時間2400円(全自動卓)を超えないこととなっている。よってフリー雀荘の多くは1回○○円となっているが、1時間換算で料金が上記を超える場合は違法である。 高級なセット雀荘や、黙認される上限ギリギリのレートで営業するフリー雀荘では、上限いっぱいの料金を設定している。店舗数は1978年の約36000店をピークに減少を続けていたが、コロナ禍で閉店が相次ぎ2024年時点では4000店にまで落ち込んだ。一方で2020年代からのブームにより、煙草の煙が充満し薄暗い従来のイメージから脱却し、スポーツバーのような明るく清潔感のある店舗が新規にオープンしている。その傍ら、新宿・歌舞伎町など一部の繁華街で、店独自ルールによるチップのやり取りにより1回の半荘で数万円以上の金が動く超高レート店が増加する動きもあり、警察による摘発例も出ている。麻雀は全国健康福祉祭や国民文化祭にも採用され文化芸術とみなされているが、囲碁や将棋と異なり風営法により雀荘に未成年者が出入りできないことが普及の足かせになっている。2020年代からのブームでは、有志団体が公共施設などで未成年者向けの麻雀教室を開催している。{{For2|雀士の一覧|:Category:雀士}}麻雀を打つ人を指す「雀士」の資格・語義は一義的ではない。麻雀愛好家という程度の意味(麻雀子と同義)に解されることも多い。日本プロ麻雀棋士会のように棋士と呼ぶ例もある。日本では職業として麻雀を行うための公的資格は存在しないが、競技麻雀の大会にプロとして参加する場合は、主催するプロ団体(職能団体)、もしくは主催団体が認めたプロ団体の認定が必要である。プロ団体に所属していない、あるいは過去に所属していたフリープロも存在するが、前述のような事情から競技麻雀でフリープロとして活動するプロ雀士の数はほぼ皆無である。競技麻雀の場合、プロ団体のテストに合格して「プロ雀士」を名乗れても、基本的には大会に出場し賞金を得なければプロ雀士としての収入は発生しない。大会での賞金以外にプロ雀士として執筆活動やメディア出演することで収入を得ている者もいるが、多くは「プロ雀士」としての収入だけでは生活できず、何らかの副業を持っている者が大半である。麻雀プロの多く(7-8割との言及あり)は雀荘の従業員としての収入で生活しており、場合によっては自ら雀荘を経営したり、麻雀教室の講師などで収入を得ている者もいる。麻雀と無関係の一般企業に会社員として勤務しながら麻雀プロを続けている者もいるが、この場合は平日対局の際に有給休暇を取りやすいなど、勤務先の企業の理解がないと麻雀プロとして継続することは難しい。Mリーグに参加する選手(Mリーガー)は全員が団体認定のプロ雀士であることが求められるが、Mリーガーになるとプライベートを含めて麻雀による金銭授受が一切禁じられる代わりに最低年俸400万円が保証されており、麻雀に集中できる(副業をしなくて良い)環境が整えられている。Mリーガーになった際にそれまでの副業を辞める(退職または休職する)選手も少なくない。主要5団体に所属するプロ雀士の一覧については下記を参照のこと。・ :Category:日本プロ麻雀連盟の雀士・ * 日本プロ麻雀連盟#主な所属プロ雀士・ :Category:日本プロ麻雀協会の雀士・ * 日本プロ麻雀協会#主な所属選手・ :Category:最高位戦日本プロ麻雀協会の雀士・ * 最高位戦日本プロ麻雀協会#主な所属選手・ :Category:RMUの雀士・ * RMU#所属選手・ :Category:麻将連合の雀士・ * 麻将連合#認定プロ一覧・ * 麻将連合#ツアー選手・ * 麻将連合#女流ツアー選手本節では、プロ雀士ではないが、麻雀に関する複数の著作物を世に出している主な人物を列する。・ 阿佐田哲也(作家、『麻雀放浪記』の作者)・ 天野大三(日本牌棋院創立者)・ 天野晴夫(雀荘経営者、『リーチ麻雀論改革派』など)・ 大隈秀夫(社会評論家、麻雀博物館初代館長)・ 片山まさゆき(漫画家、『ぎゅわんぶらあ自己中心派』『ノーマーク爆牌党』『牌賊! オカルティ』など)・ 来賀友志(漫画原作者、『天牌』シリーズなど)・ 北野英明(漫画家、『やさぐれ雀士』など)・ 小池一夫(劇画原作者、『黒い雀たちの神話』など)・ 五味康祐(作家、戦術書『五味マージャン教室』『五味マージャン大学』、小説『暗い金曜日の麻雀』『雨の日の二筒』など)・ 西原理恵子(漫画家、『まあじゃんほうろうき』他多数)・ さいふうめい(漫画原作者、『哲也』シリーズの作者)・ 桜井章一(雀鬼会主宰者)・ 清水一行(作家、小説『天国野郎』『九連宝燈』『緑発を打て』)・ 塚脇永久(漫画家・漫画原作者、『鉄鳴きの麒麟児』シリーズ、『ピークアウト』など)・ 寺内大吉(僧侶、作家、戦術書『大吉攻め麻雀』、小説『雀鬼群盗伝』など)・ とつげき東北(公務員、インターネット麻雀研究家、『科学する麻雀』著者)・ 畑正憲 (作家、『ムツゴロウ』シリーズ、日本プロ麻雀連盟相談役)・ 福地泡介(漫画家、第6・7期麻雀名人、『われかくて名人となれり』)・ 福地誠(ライター、著書編書多数)・ 福本伸行(漫画家、『アカギ』『カイジ』など)・ 藤村正太(作家、『大三元殺人事件』『必殺の大四喜』『緑一色は殺しのサイン』などの作者)・ みーにん(インターネット麻雀研究家、『統計で勝つ麻雀』など)・ 山崎一夫(ライター、西原理恵子との共著多数。銀玉親方)※ プロ団体所属歴がある人物を除く。{{See2|『THEわれめDEポン』出演経験者については「THEわれめDEポン#過去に出場した芸能人」を}}{{Columns-list|2; font-size:90%|・ 青木さやか(お笑いタレント)・ 明石家さんま・ 阿川弘之(作家)・ 芦田伸介(俳優)・ 旭國斗雄(力士、大関、第4期東スポ麻雀王座)・ 綾辻行人(作家、第30期麻雀名人)・ 荒木一郎(歌手、作曲家)・ 井沢元彦(作家)・ 石田芳夫(囲碁棋士、二十四世本因坊秀芳、第5期東スポ麻雀王座)・ 泉ピン子(俳優、麻雀女新撰組)・ 伊集院静(作家)・ 因幡はねる(VTuber)・ 井上陽水(歌手)・ 岩崎ひろみ(俳優)・ 植田佳奈(声優)・ UZI(ヒップホップMC)・ 歌衣メイカ(VTuber)・ 宇野千代(作家、自伝『生きていく私』)・ 海野十三(作家)・ 江國滋(演芸評論家、第6期麻雀名人戦観戦記)・ 江橋崇(憲法学者、麻雀博物館顧問、健康麻将大使)・ 蛭子能収(漫画家、タレント)・ 笈田敏夫(歌手、『週刊ポスト』5週勝ち抜き第1号)・ 大川慶次郎(競馬評論家)・ 大橋巨泉(タレント、司会者、日本テレビ『11PM』で麻雀対局のホスト・解説、戦術書『巨泉の麻雀』)・ 大堀早苗(俳優)・ 大宅壮一(評論家)・ 大山のぶ代(声優)・ 小沢一敬(お笑いタレント、スピードワゴン)・ 小野伸二(サッカー選手)・ 折原みか(グラビアアイドル)・ 魁傑將晃(力士、大関、『週刊ポスト』5週勝ち抜き)・ 加賀まりこ(俳優)・ 風間杜夫(俳優)・ 柏木由紀子(俳優)・ 鴨神にゅう(VTuber)・ 菅直人(政治家、第94代内閣総理大臣、麻雀点数計算機を試作)・ 菊池寛(作家、日本麻雀連盟初代総裁、小説『第二の接吻』)・ 岸田今日子(俳優、『週刊ポスト』5週勝ち抜き)・ 草村礼子(俳優)・ 楠栞桜(VTuber)・ 久米正雄(作家、日本麻雀連盟2代・6代総裁)・ 倉田真由美(漫画家)・ 倉田てつを(俳優)・ 黒鉄ヒロシ(漫画家)・ 小清水亜美(声優)・ 小山剛志(声優)・ 近藤正臣(俳優、『週刊ポスト』5週勝ち抜き)・ 堺正章(タレント、歌手)・ 坂上忍(俳優)・ 鷺沢萠(作家)・ 咲乃もこ(VTuber)・ 佐藤里佳(フジテレビアナウンサー)・ 里見弴(作家、小説『大道無門』)・ 佐野ひなこ(モデル、女優)・ 佐野洋(作家、『麻雀事件簿』)・ 五代目三遊亭圓楽(落語家、東京12チャンネル『円楽の名人メッタ斬り』で麻雀対局のホスト)・ 塩田丸男(評論家、第1期麻雀名人戦観戦記(筆名・四面道人))・ 志賀直哉(作家)・ 島本須美(声優)・ 須藤凜々花(タレント、元NMB48)・ 芹沢博文(将棋棋士)・ 先崎学(将棋棋士)・ 千羽黒乃(VTuber)・ 園山俊二(漫画家)・ 宝田明(俳優)・ 高本公夫(馬券作家)・ 武宮正樹(囲碁棋士、第6期東スポ麻雀王座)・ 谷川流(作家、『涼宮ハルヒの憂鬱』原作者)・ 筑紫哲也(ジャーナリスト)・ 鶴田浩二(俳優)・ 天開司(VTuber、「神域リーグ」主催)・ 徳光和夫(テレビ司会者、アナウンサー)・ 中居正広(元SMAP)・ 中尾ミエ(歌手)・ 長門裕之(俳優)・ 十七世中村勘三郎(歌舞伎役者)・ 野村沙知代(野球監督夫人、第27期麻雀名人)・ 萩本欽一(タレント、コメディアン)・ 橋本環奈(俳優)・ 長谷川和彦(映画監督、第13・14・15期麻雀名人、第9期近代麻雀王位、第8回最強位)・ 畑中しんじろう(芸人)・ 花登筐(作家、第8・9期麻雀名人)・ 葉山良二(俳優)・ 張本勲(野球選手、『週刊ポスト』5週勝ち抜き)・ 東尾修(野球選手)・ 平畠啓史(お笑いタレント)・ 広津和郎(作家、『麻雀入門』)・ 福田蘭童(尺八奏者、随筆『志賀直哉先生の台所』)・ 藤田晋(サイバーエージェント代表取締役、Mリーグ初代チェアマン)・ 藤田伸二 (元JRA騎手)・ 藤原審爾(作家)・ 藤山律子(俳優、麻女セブン)隊長)・ 前田佳織里(声優)・ 水森亜土(イラストレーター、歌手)・ 南田洋子(俳優、『週刊ポスト』5週勝ち抜き)・ 三原脩(野球監督)・ 宮路オサム(歌手、第26期麻雀名人)・ 宮下順子(俳優)・ みやはら啓一(漫画家、『雀のお宿』)・ 三好徹(作家)・ 武藤敬司(プロレスラー)・ 村瀬紗英(アイドル、NMB48)・ 森田舜(俳優)・ 森光子(俳優)・ 森山周一郎(声優)・ 山田風太郎(作家)・ 山本ひかる(女優)・ 山本陽子(俳優)・ 山根綺(声優)・ 横山光輝(漫画家、第12期麻雀名人)・ 吉沢やすみ(漫画家)・ 吉行淳之介(作家、随筆『麻雀好日』)・ 和田誠(映画監督、『麻雀放浪記(1984年版映画)』の監督)}}賭博や娯楽ではなく頭脳競技(マインドスポーツ)として行う麻雀。団体により異なるが、偶然役を排除するなど実力で競えるようルールを調整している。; 一般社団法人Mリーグ機構主催:Mリーグ - チーム対抗戦のナショナルプロリーグ; 日本プロ麻雀連盟 (JPML) 主催:鳳凰戦、十段戦、王位戦、麻雀マスターズ、麻雀グランプリMAX、女流桜花、プロクイーン決定戦、桜蕾戦; 日本プロ麻雀協会主催: 雀王戦、雀竜位戦、女流雀王戦、日本オープン、オータムチャンピオンシップ; 最高位戦日本プロ麻雀協会主催: 最高位戦、飯田正人杯 最高位戦Classic、發王戦、女流最高位戦、女流名人戦; 麻将連合主催: μリーグ、ツアーランキング戦、将妃戦、BIG1カップ、μ-M1カップ、μカップ; RMU主催: 令昭位戦、女流令昭位、RMUクラウン、RMUオープンリーグ; その他・ 囲碁・将棋チャンネル杯麻雀王決定戦 - 囲碁・将棋チャンネルが主催する囲碁・将棋のプロ棋士によるタイトル戦。・ モンド麻雀プロリーグ(女流モンド杯、モンド杯、名人戦、モンド王座決定戦) - MONDO TV主催のタイトル戦昭和期の麻雀ブームの頃は専門誌が刊行されたが、現在では一般の書店に並ぶ専門誌は存在せず、定期刊行誌も業界誌の「麻雀界」を含めて3誌にまで減少している。; 市販・ 近代麻雀(竹書房、1973年1月号 - 1987年12月号)1978年第1期王位戦 (麻雀)開始・ ジャンケン 麻雀研究(竹書房、1975年6月号 - 1977年2月号)1976年2月号第1期最高位戦開始・ プロ麻雀(新評社、1975年秋号(季刊)- 1977年8月号(隔月に)- 1978年11月号(月刊に)- 1982年10月号(銀星出版社発行に)- 2002年1月号(マインドスポーツマガジン社発行に)- 2005年6月号(ブレインスポーツマガジン社発行に)- 2005年12月号)・ ビッグ麻雀(司書房、1977年11月号 - 1978年7月号)・ 別冊近代麻雀(竹書房、2004年4月号 - 同年9月号); 通販・ 麻雀四季報(麻雀ファン倶楽部、季刊、1 - 17号)・ 麻雀@(スリーアローズコミュニケーションズ、隔月、2006年6月号 - 2007年2月号)・ 麻雀界(日本雀友会、「麻雀四季報」の後継誌、2010年1・2月号(隔月)- 2011年11月号(月刊)- 現在); 宅配・ 麻雀新聞(麻雀新聞、月刊、1977年5月創刊)・ (竹書房)・ (株式会社ムー:麻雀王国、スリーアローズコミュニケーションズ、レステック、大洋技研、学生麻雀連盟の合弁会社)麻雀を題材とした漫画のみを掲載した雑誌。詳細は麻雀漫画参照。現在発行されているのは竹書房から刊行されている1誌のみ。・ 近代麻雀・ 近代麻雀オリジナル (2013年12月9日発売号をもって新雑誌にリニューアル)・ 近代麻雀ギャンブルCOM(2006年1月より同年4月24日発売号をもって休刊)・ 近代麻雀ゴールド(2005年12月23日発売号をもって休刊);テレビ番組;ゲーム:{{See2|脱衣系については「脱衣麻雀」も}};麻雀漫画麻雀は夜通しで行われることも多い。こうした麻雀は徹夜マージャン、もしくは略して「徹マン」と呼ばれる。参加人数が4人しかいなければ、寝ることもままならず体力的にもかなりきつい。それでも大学生など若者を中心に、麻雀愛好家は徹夜マージャンを盛んに行う傾向にある。参加人数が5人以上であれば、1人は競技に参加できない半荘が発生する。競技に参加できない者を「抜け番」と言い、仮眠を取って次の半荘に備えることができる。麻雀の不健全なイメージ(賭博、酒、タバコ)を排除すべく、脳の機能の維持などを目的として起案された麻雀。健康麻将(けんこうマージャン)とも呼ばれ、脳のトレーニングや老化防止にも活用されている。映像作品に玉利祐助監督の長編記録映画「少子超高齢化する現代社会における『健康マージャン』の社会性の報告」がある。・ 麻雀博物館 - 貴重な麻雀牌や麻雀関連の書籍が多数収蔵されていた。(2017年に閉館);連荘(レンチャン):親が和了して(アガって)再度親を続けること。転じて、同じことが続けて起きること。パチンコにおいて大当たりが連続すること、あるいは確率変動が続くことや、シフト制の勤務形態で働く労働者が連続して出勤することを指すことが多い。;立直が掛かる(リーチがかかる):門前(メンゼン)で聴牌(テンパイ)し、今後一切手を変えない旨を宣言(その代わり、和了したら1翻を得られる)する際に発声する用語。転じて、一大事が差し迫っていること。また、パチンコやパチスロで大当たりの一歩手前の状態になること(リーチ (パチンコ)を参照)。その他ボードゲームやビンゴゲームなど、ゲーム一般でもゴール(アガリ)直前の状態を指す言葉として用いられる(リーチ (ゲーム)を参照)。ネガティブ表現としても度々使用される(クビ(会社の解雇)にリーチがかかる、別れ・別居にリーチ(不倫・不貞行為多数の為)がかかる 等)。;テンパる:聴牌するの意。危険牌を捨てるか聴牌を崩すかの選択を迫られる事が多く、転じて手詰まりの状態、物事を抱え過ぎた状態などからパニックに陥ることを指す。また和了に向けて緊張する様子から、同様の心理状態をも指す。英語の temper 由来の説もある。;オーラス:「オールラスト」(和製英語)の略語で、半荘の最後の一局(南4局)を言う(英語では just the last)。転じて、物事の最後の意。フジテレビ系のクイズ番組『なるほど!ザ・ワールド』で司会の愛川欽也が発した「オーラスです、恋人選び」というフレーズからも一般化した。;ラス前:上記「オーラス」に関連し、「オールラストの1局前」の略語で、最後の一局の1つ前の南3局を指す(英語では the last but one)。南4局にはゲーム終了に際して様々な縛りがあるため、縛りのない南3局は大切な局となる。転じて物事の終了前の大切な時期、または男女の別れや夫婦の離婚の前などのもつれた時期などを指す。;面子(メンツ):和了に必要な牌の組み合わせ。また、麻雀を行うのに必要なメンバー。転じて、ある集まりの参加者をもいう。;対面(トイメン):マージャン卓を隔てた向かい側の席。また、その席の人。転じて、真向かいの位置。また、その位置の人。;錯和(チョンボ):冲和とも書く。和了が成立していないのに和了を宣言すること。転じて大失敗や大失態、反則の意。;白板(パイパン):三元牌の1つ。通称白(「ハク」または「しろ」)。字も絵も一切彫られていない真っ白の状態であることから、女性の無毛症、または女性の陰毛を剃り落とした状態を指す。;安全牌(アンゼンパイ):河に捨ててもロンあがりされる可能性がない牌のこと。転じてスポーツなどで確実に勝ちを計算できる相手、あるいはいつでも自分の恋人や結婚相手になってくれる人を指す。;自摸(ツモ):自力で和了り(アガり)、牌を引いてくること。門前で向聴(シャンテン)数がスムーズに進んだり、自分の欲しい牌が良く来る流れを「ツモが良い」と言う。ローグライクゲームなどランダム性の強いゲームで、序盤で強力な装備やアイテムを手に入れた時に使うこともある。パチンコの抽選でも度々用いられる(確率変動(確変)をツモった。16R(ラウンド)をツモった 等);両面(リャンメン):2つ連続した数牌2牌の組み合わせで、その両側のいずれかの数牌が来れば順子(シュンツ)になる搭子(ターツ)を指す。アメフト(アメリカンフットボール)において攻守ともに出場している状態を指す言葉として使われている。;嵌張(カンチャン):1つ飛びの数牌2牌の組み合わせで、その間の数牌が来れば順子(シュンツ)になる搭子(ターツ)を指す。野球において打者が打ち上げたフライが野手と野手との間にポトリと落ちるようなヒットの事を「カンチャンヒット」という場合がある(ポテンヒット・テキサスヒットなどと同じ意味で使用する)。また、バレーボールにおいて2名以上のプレーヤーでブロックした場合の、ブロッカー間の隙間を俗に「カンチャン」と呼ぶ。;辺張(ペンチャン):麻雀では順子の1,2,3の3部分、7,8,9の7部分を待つ形。ごくまれに「間に合わせの意味」「保険用の人」で使用される事がある。(ペンチャンメンバー(特に予定が無い人に声をかけておき、飲み会、合コンで人数が足りない場合、人員を間に合わせる為、連絡し人数確保する)を確保しておく いわゆる余った人の意)実際の麻雀でも辺張待ち(3,7牌待ち)は、来ないことが多いのでこのような表現として用いられている。麻雀は日本では賭博的な要素を持つ遊技と認識されている。日本において、公営ギャンブル以外のギャンブルは賭博であり、刑法上の犯罪である 。個人間での賭博が違法で無い国では金銭をかけた麻雀が行われている。麻雀は零和ゲーム(全員の点数の合計が常に一定:ゼロサムゲーム)であるため点数のやりとりをそのまま賭け金のやりとりに換算しやすい。さらに思考を必要とするが同時に偶然の要素も強く、ギャンブルとして馴染みやすい。結果に従ってやりとりする金額は普通、ウマ等を考慮した得失点1000点につき何円というレートが設定される。1000点あたり10円なら「点1(テンイチ)」、50円なら「点5(テンゴ)」、100円なら「ピン」(または「テンピン」)、200円なら「リャンピン」、1000円なら「デカピン」、10000円なら「デカデカピン」と言われる。日本の法律および判例では金銭については額の多少に関わらず一時の娯楽に供するものとは見なされない(大審院大正13年2月9日、最判昭和23年10月7日など)ため、原理的にはこれらすべてのレートに対し賭博罪が成立する。2011年には、比較的少額とされる点5雀荘も摘発された。1000点あたり1000円を超えるような高レートの設定といった高額の金品等を賭けるケースは、人目を忍んでマンションの一室で催されるという意味でマンション麻雀などと呼ばれる。その他のギャンブル(カジノなどで行われている多くのものや公営競技など)と異なる点として点棒の移動によって異なる負け金を勝負の後に出すことから控除率の計算が難しいが、ギャンブルとしては公営競技などと比しても破格の高さで特に1000点20円以下の低レートでは控除率が100%を超えることすらある。例として1000点20円、2の2-4のレートで場代が1人250円の場合で30000点丁度の一人浮きトップを取った場合を例に取ればトップ者の収入(=敗者の支出合計)は800円であるがこれに対しハウスが徴収するコミッション(控除額)は1000円となる。したがって、控除率は125%となる。なお負けた者の支払いが本人によって行われない場合(競技麻雀の大会においてスポンサーがあり、勝者に賞金を提供するなど)、または勝った者の利益が本人の手に渡らない場合は賭博罪には当たらない。雀荘で不特定の客同士が卓を囲む場合は、レート設定で対立することのないように雀荘側で公式レートを定めていることが多い。この公式レートはウマとあわせて店外に掲示されているが、「風速」などと婉曲表現されていたり、サイコロの目のイラストで示されていることが多い。例えば「風速0.5」とあれば、それは1000点で50円のレートであるという意味である。多くの雀荘、預かり金と称して、5000円から1万円を客から預かることもあり、客が負けて手持ちがなくなっても一定程度払えるようにしている。また、それでも足りなければ、「アウト」と称して店が不足分を立て替える雀荘もある。ギャンブルとの関連は麻雀のイメージ悪化に繋がっており、Mリーグでは創設当初から賭博に関して厳しい姿勢を徹底することで、スポンサーを呼び込むことに成功した。賭博要素を排除した「ノーレート麻雀」「健康麻雀」「競技麻雀」もあるが、金品を賭けないプレーのみとした雀荘でも規制対象である。{{Notelist}}・ {{cite book|和書|title=麻雀検定青本:あなたの雀力一発判定!! |editor=福地誠監修・近代麻雀編集部 |date=2015-04 |publisher=竹書房 |isbn=9784801902411 |series=近代麻雀 |ref={{SfnRef|麻雀検定青本|2015}}}}・ {{cite book|和書|title=麻雀の原理を探る:心の旅路 |author=永松憲一 |date=2001-09 |publisher=東京図書出版会 |isbn=4434011367 |ref=harv }}・ {{cite book|和書|title=バカヅキハリケーン:マージャン百科全書 |last=馬場 |first=裕一 |last2=片山 |first2=まさゆき |publisher=竹書房 |date=1990-01 |isbn=4884750438 |ref=harv }}{{ウィキポータルリンク|玩具|}}・ 麻雀の点・ 麻雀の得点計算・ 麻雀の役一覧・ 麻雀の戦術・ 麻雀の不正行為・ 麻雀用語一覧・ 麻雀の目無し問題・ 麻雀牌・ 全自動麻雀卓・ 牌九・ ドミノ・ ラミーキューブ・ オケイ・ ポンジャン・ 上海 (ゲーム)・ トランプ類税・ マインドスポーツ{{Commonscat|Mahjong}}{{Wiktionary|麻雀}}{{Wikibooks|麻雀}}・ - ルール・役・点数計算の解説、ゲーム・番組の紹介・ - 麻雀ルール、役の覚え方、点数計算の解説、牌効率・戦術の解説・ {{Kotobank|2=日本大百科全書(ニッポニカ)}}{{麻雀の役}}{{麻雀のバリエーションルール}}{{Normdaten}}