id stringlengths 7 14 | title stringclasses 710 values | context stringlengths 14 858 | question stringlengths 6 99 | answers dict | is_impossible bool 1 class |
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a210176p12q4 | 士官 | 士官 [SEP] なお、近代海軍の基本となったイギリス海軍には少佐・少尉の階級が無く、大佐(Captain)・中佐(Commander)・大尉(Lieutenant)・中尉(Sublieutenant)の4階級制度が基本となっており、階級章の袖章の線も大佐が4条線となり以下1条ずつ減ぜられることとなっていた(その後少佐(Lieutenant Commander)の階級は作られたが、少尉に当たる階級は現在に至るも存在しない)。それに倣い、日本海軍でも、1886年(明治19年)7月12日には海軍中佐(奏任官2等)・海軍中尉(奏任官5等)が、それぞれ海軍大佐(奏任官1等及び2等)・海軍大尉(奏任官4等及び5等)に統合された(用語の問題で少佐、少尉でなく中佐、中尉が省略された)が、1897年(明治30年)9月16日に再び分離して置かれた。 | 大佐英語で表すと | {
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"Captain"
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a210176p13q0 | 士官 | 士官 [SEP] 明治初期は、直接戦闘に従事する高等武官(海軍兵学校出身者が中心)のみを将校として、それ以外(機関官を含む)は乗組文官であった。1872年(明治5年)に機関官などが武官に転換して士官となる。1906年(明治39年)の「明治39年1月26日勅令第9号」により、機関官の階級呼称を兵科のそれにならう(機関総監・機関大監・機関中監・機関少監・大機関士・中機関士・少機関士を、機関中将・機関少将・機関大佐・機関中佐・機関少佐・機関大尉・機関中尉・機関少尉と改める)。 | 明治初期に直接戦闘に従事する高等武官のみを将校としたが、どこの学校出身者が中心となっていたか。 | {
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"海軍兵学校"
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a210176p13q1 | 士官 | 士官 [SEP] 明治初期は、直接戦闘に従事する高等武官(海軍兵学校出身者が中心)のみを将校として、それ以外(機関官を含む)は乗組文官であった。1872年(明治5年)に機関官などが武官に転換して士官となる。1906年(明治39年)の「明治39年1月26日勅令第9号」により、機関官の階級呼称を兵科のそれにならう(機関総監・機関大監・機関中監・機関少監・大機関士・中機関士・少機関士を、機関中将・機関少将・機関大佐・機関中佐・機関少佐・機関大尉・機関中尉・機関少尉と改める)。 | 明治初期は、直接戦闘に従事する高等武官のみを将校として、それ以外は何でしたか? | {
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"乗組文官"
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a210176p13q2 | 士官 | 士官 [SEP] 明治初期は、直接戦闘に従事する高等武官(海軍兵学校出身者が中心)のみを将校として、それ以外(機関官を含む)は乗組文官であった。1872年(明治5年)に機関官などが武官に転換して士官となる。1906年(明治39年)の「明治39年1月26日勅令第9号」により、機関官の階級呼称を兵科のそれにならう(機関総監・機関大監・機関中監・機関少監・大機関士・中機関士・少機関士を、機関中将・機関少将・機関大佐・機関中佐・機関少佐・機関大尉・機関中尉・機関少尉と改める)。 | 機関官などが武官に転換して士官となったのは西暦何年? | {
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"1872年"
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a210176p13q3 | 士官 | 士官 [SEP] 明治初期は、直接戦闘に従事する高等武官(海軍兵学校出身者が中心)のみを将校として、それ以外(機関官を含む)は乗組文官であった。1872年(明治5年)に機関官などが武官に転換して士官となる。1906年(明治39年)の「明治39年1月26日勅令第9号」により、機関官の階級呼称を兵科のそれにならう(機関総監・機関大監・機関中監・機関少監・大機関士・中機関士・少機関士を、機関中将・機関少将・機関大佐・機関中佐・機関少佐・機関大尉・機関中尉・機関少尉と改める)。 | 1906年の機関官は何なのか。 | {
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"明治39年1月26日勅令第9号"
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a210176p13q4 | 士官 | 士官 [SEP] 明治初期は、直接戦闘に従事する高等武官(海軍兵学校出身者が中心)のみを将校として、それ以外(機関官を含む)は乗組文官であった。1872年(明治5年)に機関官などが武官に転換して士官となる。1906年(明治39年)の「明治39年1月26日勅令第9号」により、機関官の階級呼称を兵科のそれにならう(機関総監・機関大監・機関中監・機関少監・大機関士・中機関士・少機関士を、機関中将・機関少将・機関大佐・機関中佐・機関少佐・機関大尉・機関中尉・機関少尉と改める)。 | 直接戦闘に従事する高等武官何と呼んだ | {
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"将校"
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a210176p14q0 | 士官 | 士官 [SEP] 軍艦など高度な科学技術を用いて設計、製造、配備、操作、運用、整備される武器、装備品や機関を取り扱うため、海軍の下士官兵はそれら兵器類の取り扱いに習熟していなければならない。准士官の兵曹長が、砲術科、水雷科など各科での実務面のリーダーである掌砲長、信号長、電信長、掌整備長などになっていた が、下士官からの叩き上げでは兵曹長より上には、名誉進級か戦死に伴った昇進の場合を除いて進級できなかった。 | 掌砲長、信号長、電信長、掌整備長になったのはどんな人 | {
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"准士官の兵曹長"
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a210176p14q1 | 士官 | 士官 [SEP] 軍艦など高度な科学技術を用いて設計、製造、配備、操作、運用、整備される武器、装備品や機関を取り扱うため、海軍の下士官兵はそれら兵器類の取り扱いに習熟していなければならない。准士官の兵曹長が、砲術科、水雷科など各科での実務面のリーダーである掌砲長、信号長、電信長、掌整備長などになっていた が、下士官からの叩き上げでは兵曹長より上には、名誉進級か戦死に伴った昇進の場合を除いて進級できなかった。 | 海軍の下士官兵の責務は何なのか。 | {
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"兵器類の取り扱いに習熟"
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a210176p14q2 | 士官 | 士官 [SEP] 軍艦など高度な科学技術を用いて設計、製造、配備、操作、運用、整備される武器、装備品や機関を取り扱うため、海軍の下士官兵はそれら兵器類の取り扱いに習熟していなければならない。准士官の兵曹長が、砲術科、水雷科など各科での実務面のリーダーである掌砲長、信号長、電信長、掌整備長などになっていた が、下士官からの叩き上げでは兵曹長より上には、名誉進級か戦死に伴った昇進の場合を除いて進級できなかった。 | 下士官からの叩き上げで兵曹長より上に進級できるのは何をしたとき? | {
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"戦死"
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a210176p14q3 | 士官 | 士官 [SEP] 軍艦など高度な科学技術を用いて設計、製造、配備、操作、運用、整備される武器、装備品や機関を取り扱うため、海軍の下士官兵はそれら兵器類の取り扱いに習熟していなければならない。准士官の兵曹長が、砲術科、水雷科など各科での実務面のリーダーである掌砲長、信号長、電信長、掌整備長などになっていた が、下士官からの叩き上げでは兵曹長より上には、名誉進級か戦死に伴った昇進の場合を除いて進級できなかった。 | 下士官から兵曹長より上への昇進は、どのような場合のみ昇進できたか。 | {
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"名誉進級か戦死"
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a210176p14q4 | 士官 | 士官 [SEP] 軍艦など高度な科学技術を用いて設計、製造、配備、操作、運用、整備される武器、装備品や機関を取り扱うため、海軍の下士官兵はそれら兵器類の取り扱いに習熟していなければならない。准士官の兵曹長が、砲術科、水雷科など各科での実務面のリーダーである掌砲長、信号長、電信長、掌整備長などになっていた が、下士官からの叩き上げでは兵曹長より上には、名誉進級か戦死に伴った昇進の場合を除いて進級できなかった。 | 海軍の下士官兵はそれら兵器類の取り扱いはどうする? | {
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"習熟していなければならない"
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a210176p15q0 | 士官 | 士官 [SEP] 日露戦争が終わると海軍は、棍棒外交方針により巨大な海軍力を建設しつつ太平洋へも進出を企てているアメリカを仮想敵国に定め、1907年(明治40年)に初度決定された帝国国防方針を元にした大建艦計画の一環として、1915年(大正4年)から八四艦隊案の予算化整備が始まる。増加する新鋭艦艇へいずれ下士官兵が多数必要となるが、要員の熟練度を上げる養成は短期間では不可能だった。それで下士官兵が習熟すべき実務に熟達している兵曹長をそのまま退役させるのではなく、陸軍にはない「特務士官」という独自の官階を新たに作って移し現役定限年齢も50歳に延ばして海軍に留めておこうとした。 | 海軍は何という官階を作り、兵曹長を現役定限年齢を50歳として軍に留めおくことにしたか。 | {
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"特務士官"
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a210176p15q1 | 士官 | 士官 [SEP] 日露戦争が終わると海軍は、棍棒外交方針により巨大な海軍力を建設しつつ太平洋へも進出を企てているアメリカを仮想敵国に定め、1907年(明治40年)に初度決定された帝国国防方針を元にした大建艦計画の一環として、1915年(大正4年)から八四艦隊案の予算化整備が始まる。増加する新鋭艦艇へいずれ下士官兵が多数必要となるが、要員の熟練度を上げる養成は短期間では不可能だった。それで下士官兵が習熟すべき実務に熟達している兵曹長をそのまま退役させるのではなく、陸軍にはない「特務士官」という独自の官階を新たに作って移し現役定限年齢も50歳に延ばして海軍に留めておこうとした。 | 日露戦争が終わると海軍はどの国を仮想敵国としたか? | {
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"アメリカ"
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a210176p15q2 | 士官 | 士官 [SEP] 日露戦争が終わると海軍は、棍棒外交方針により巨大な海軍力を建設しつつ太平洋へも進出を企てているアメリカを仮想敵国に定め、1907年(明治40年)に初度決定された帝国国防方針を元にした大建艦計画の一環として、1915年(大正4年)から八四艦隊案の予算化整備が始まる。増加する新鋭艦艇へいずれ下士官兵が多数必要となるが、要員の熟練度を上げる養成は短期間では不可能だった。それで下士官兵が習熟すべき実務に熟達している兵曹長をそのまま退役させるのではなく、陸軍にはない「特務士官」という独自の官階を新たに作って移し現役定限年齢も50歳に延ばして海軍に留めておこうとした。 | 八四艦隊案の予算化整備が始まったのは西暦何年? | {
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"1915年"
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a210176p15q3 | 士官 | 士官 [SEP] 日露戦争が終わると海軍は、棍棒外交方針により巨大な海軍力を建設しつつ太平洋へも進出を企てているアメリカを仮想敵国に定め、1907年(明治40年)に初度決定された帝国国防方針を元にした大建艦計画の一環として、1915年(大正4年)から八四艦隊案の予算化整備が始まる。増加する新鋭艦艇へいずれ下士官兵が多数必要となるが、要員の熟練度を上げる養成は短期間では不可能だった。それで下士官兵が習熟すべき実務に熟達している兵曹長をそのまま退役させるのではなく、陸軍にはない「特務士官」という独自の官階を新たに作って移し現役定限年齢も50歳に延ばして海軍に留めておこうとした。 | 明治40年は西暦何年なのか。 | {
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"1907年"
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a210176p15q4 | 士官 | 士官 [SEP] 日露戦争が終わると海軍は、棍棒外交方針により巨大な海軍力を建設しつつ太平洋へも進出を企てているアメリカを仮想敵国に定め、1907年(明治40年)に初度決定された帝国国防方針を元にした大建艦計画の一環として、1915年(大正4年)から八四艦隊案の予算化整備が始まる。増加する新鋭艦艇へいずれ下士官兵が多数必要となるが、要員の熟練度を上げる養成は短期間では不可能だった。それで下士官兵が習熟すべき実務に熟達している兵曹長をそのまま退役させるのではなく、陸軍にはない「特務士官」という独自の官階を新たに作って移し現役定限年齢も50歳に延ばして海軍に留めておこうとした。 | 八四艦隊案の予算化整備が始まった年は | {
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"1915年"
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a210176p16q0 | 士官 | 士官 [SEP] 1915年(大正4年)、大正4年12月2日勅令第216号別表の海軍武官官階表では、海軍兵曹長、海軍機関兵曹長、海軍軍楽長、海軍船匠長、海軍看護長、海軍筆記長 の官階を准士官から、新設した特務士官に変更。階級の種類としては明治30年9月16日勅令第310号と同じであるが、海軍機関兵曹長の並びの順位が上昇している。 | 大正4年西暦で表すと | {
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"1915年"
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a210176p16q1 | 士官 | 士官 [SEP] 1915年(大正4年)、大正4年12月2日勅令第216号別表の海軍武官官階表では、海軍兵曹長、海軍機関兵曹長、海軍軍楽長、海軍船匠長、海軍看護長、海軍筆記長 の官階を准士官から、新設した特務士官に変更。階級の種類としては明治30年9月16日勅令第310号と同じであるが、海軍機関兵曹長の並びの順位が上昇している。 | 大正4年12月2日勅令第216号別表の海軍武官官階表では何の並びの順位が上昇している? | {
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"海軍機関兵曹長"
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a210176p16q2 | 士官 | 士官 [SEP] 1915年(大正4年)、大正4年12月2日勅令第216号別表の海軍武官官階表では、海軍兵曹長、海軍機関兵曹長、海軍軍楽長、海軍船匠長、海軍看護長、海軍筆記長 の官階を准士官から、新設した特務士官に変更。階級の種類としては明治30年9月16日勅令第310号と同じであるが、海軍機関兵曹長の並びの順位が上昇している。 | 海軍武官官階表が出されたのはいつなのか。 | {
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"大正4年12月2日"
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a210176p16q3 | 士官 | 士官 [SEP] 1915年(大正4年)、大正4年12月2日勅令第216号別表の海軍武官官階表では、海軍兵曹長、海軍機関兵曹長、海軍軍楽長、海軍船匠長、海軍看護長、海軍筆記長 の官階を准士官から、新設した特務士官に変更。階級の種類としては明治30年9月16日勅令第310号と同じであるが、海軍機関兵曹長の並びの順位が上昇している。 | 海軍兵曹長、海軍機関兵曹長、海軍軍楽長、海軍船匠長、海軍看護長、海軍筆記長の官階を准士官から、新たに特務士官に変更したのは何年か。 | {
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"1915年"
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a210176p17q0 | 士官 | 士官 [SEP] 1920年(大正9年)、大正9年1月15日勅令第10号により次のように改称、海軍兵曹長 → 海軍特務少尉、海軍機関兵曹長 → 海軍機関特務少尉、海軍軍楽長 → 海軍軍楽特務少尉、海軍船匠長 → 海軍船匠特務少尉、海軍看護長 → 海軍看護特務少尉、海軍筆記長 → 海軍主計特務少尉、海軍予備兵曹長 → 海軍予備特務少尉、海軍予備機関兵曹長 → 海軍予備機関特務少尉。同年4月1日、特務士官で最も上の階級を大尉相当官に改め、特務大尉と特務中尉を新設。 | 特務大尉と特務中尉が新設されたのはいつか? | {
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"大正9年1月15日"
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a210176p17q1 | 士官 | 士官 [SEP] 1920年(大正9年)、大正9年1月15日勅令第10号により次のように改称、海軍兵曹長 → 海軍特務少尉、海軍機関兵曹長 → 海軍機関特務少尉、海軍軍楽長 → 海軍軍楽特務少尉、海軍船匠長 → 海軍船匠特務少尉、海軍看護長 → 海軍看護特務少尉、海軍筆記長 → 海軍主計特務少尉、海軍予備兵曹長 → 海軍予備特務少尉、海軍予備機関兵曹長 → 海軍予備機関特務少尉。同年4月1日、特務士官で最も上の階級を大尉相当官に改め、特務大尉と特務中尉を新設。 | 大正9年1月15日勅令第10号で、特務士官で最も上の階級に改められたのは? | {
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"大尉相当官"
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a210176p17q2 | 士官 | 士官 [SEP] 1920年(大正9年)、大正9年1月15日勅令第10号により次のように改称、海軍兵曹長 → 海軍特務少尉、海軍機関兵曹長 → 海軍機関特務少尉、海軍軍楽長 → 海軍軍楽特務少尉、海軍船匠長 → 海軍船匠特務少尉、海軍看護長 → 海軍看護特務少尉、海軍筆記長 → 海軍主計特務少尉、海軍予備兵曹長 → 海軍予備特務少尉、海軍予備機関兵曹長 → 海軍予備機関特務少尉。同年4月1日、特務士官で最も上の階級を大尉相当官に改め、特務大尉と特務中尉を新設。 | 大正9年は西暦何年 | {
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a210176p17q3 | 士官 | 士官 [SEP] 1920年(大正9年)、大正9年1月15日勅令第10号により次のように改称、海軍兵曹長 → 海軍特務少尉、海軍機関兵曹長 → 海軍機関特務少尉、海軍軍楽長 → 海軍軍楽特務少尉、海軍船匠長 → 海軍船匠特務少尉、海軍看護長 → 海軍看護特務少尉、海軍筆記長 → 海軍主計特務少尉、海軍予備兵曹長 → 海軍予備特務少尉、海軍予備機関兵曹長 → 海軍予備機関特務少尉。同年4月1日、特務士官で最も上の階級を大尉相当官に改め、特務大尉と特務中尉を新設。 | 特務士官で最も上の階級を何官に改めた? | {
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"大尉相当官"
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a210176p18q0 | 士官 | 士官 [SEP] 1942年(昭和17年)に、飛行予科練習生出身者(操縦練習生・偵察練習生出身者を含む)に限り特務士官たる大尉から士官たる大尉への任用制度を創設。その後、1945年(昭和20年)に特務士官たる中尉、少尉から士官たる中尉、少尉に任用できるよう制度が拡充された。しかし適用をうけられたのは大尉への任用のみで10名に満たない。戦後の自衛隊では旧日本軍の予科練制度を航空学生として引き継いでいるが特務士官制度は廃止したため、防大や一般大学の卒業者との区別なく幹部候補生学校で教育を受け幹部となる。ただし、一般幹部とは昇進のスピードが違うなどのキャリアパスに格差が残っている。 | 飛行予科練習生出身者に限り、特務士官である大尉から士官である大尉へ、新たな任用制度が創設されたのはいつのことか? | {
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"1942年(昭和17年)"
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a210176p18q1 | 士官 | 士官 [SEP] 1942年(昭和17年)に、飛行予科練習生出身者(操縦練習生・偵察練習生出身者を含む)に限り特務士官たる大尉から士官たる大尉への任用制度を創設。その後、1945年(昭和20年)に特務士官たる中尉、少尉から士官たる中尉、少尉に任用できるよう制度が拡充された。しかし適用をうけられたのは大尉への任用のみで10名に満たない。戦後の自衛隊では旧日本軍の予科練制度を航空学生として引き継いでいるが特務士官制度は廃止したため、防大や一般大学の卒業者との区別なく幹部候補生学校で教育を受け幹部となる。ただし、一般幹部とは昇進のスピードが違うなどのキャリアパスに格差が残っている。 | 一般幹部とは昇進のスピードが違うなどのキャリアパスに何が残っている? | {
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a210176p18q2 | 士官 | 士官 [SEP] 1942年(昭和17年)に、飛行予科練習生出身者(操縦練習生・偵察練習生出身者を含む)に限り特務士官たる大尉から士官たる大尉への任用制度を創設。その後、1945年(昭和20年)に特務士官たる中尉、少尉から士官たる中尉、少尉に任用できるよう制度が拡充された。しかし適用をうけられたのは大尉への任用のみで10名に満たない。戦後の自衛隊では旧日本軍の予科練制度を航空学生として引き継いでいるが特務士官制度は廃止したため、防大や一般大学の卒業者との区別なく幹部候補生学校で教育を受け幹部となる。ただし、一般幹部とは昇進のスピードが違うなどのキャリアパスに格差が残っている。 | 昭和17年は西暦何年 | {
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"1942年"
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a210176p18q3 | 士官 | 士官 [SEP] 1942年(昭和17年)に、飛行予科練習生出身者(操縦練習生・偵察練習生出身者を含む)に限り特務士官たる大尉から士官たる大尉への任用制度を創設。その後、1945年(昭和20年)に特務士官たる中尉、少尉から士官たる中尉、少尉に任用できるよう制度が拡充された。しかし適用をうけられたのは大尉への任用のみで10名に満たない。戦後の自衛隊では旧日本軍の予科練制度を航空学生として引き継いでいるが特務士官制度は廃止したため、防大や一般大学の卒業者との区別なく幹部候補生学校で教育を受け幹部となる。ただし、一般幹部とは昇進のスピードが違うなどのキャリアパスに格差が残っている。 | 自衛隊では旧日本軍の予科練制度をどうしている? | {
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"航空学生として引き継いでいる"
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a210176p2q0 | 士官 | 士官 [SEP] 平民にも士官への道が開かれるようになって以降も、ノブレス・オブリージュの考えから貴族の男子は士官学校へ進むことが半ば義務となっていた。現代でも貴族制が残る国では、貴族の男子は士官学校へ進む例が多い。 | 誰の考えから貴族の男子は士官学校へ進むことが半ば義務となっていたか | {
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"ノブレス・オブリージュ"
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a210176p2q1 | 士官 | 士官 [SEP] 平民にも士官への道が開かれるようになって以降も、ノブレス・オブリージュの考えから貴族の男子は士官学校へ進むことが半ば義務となっていた。現代でも貴族制が残る国では、貴族の男子は士官学校へ進む例が多い。 | 貴族制のある国に住む貴族の男子はどのような学校に進みますか? | {
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"士官学校"
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a210176p2q2 | 士官 | 士官 [SEP] 平民にも士官への道が開かれるようになって以降も、ノブレス・オブリージュの考えから貴族の男子は士官学校へ進むことが半ば義務となっていた。現代でも貴族制が残る国では、貴族の男子は士官学校へ進む例が多い。 | 平民にも士官への道が開かれるようになって以降も、ノブレス・オブリージュの考えから士官学校へ進むことが半ば義務となっていたのは? | {
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"貴族の男子"
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a210176p2q3 | 士官 | 士官 [SEP] 平民にも士官への道が開かれるようになって以降も、ノブレス・オブリージュの考えから貴族の男子は士官学校へ進むことが半ば義務となっていた。現代でも貴族制が残る国では、貴族の男子は士官学校へ進む例が多い。 | 貴族の男子は士官学校へ進むことが半ば義務となっていたのは誰の考えか | {
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"ノブレス・オブリージュ"
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a210176p3q0 | 士官 | 士官 [SEP] 士官は元首を代理する者とされ、陸軍では小隊長又は中隊長以上の部隊の指揮官は士官を以て充てることが通常である。また、海軍にあっては、対外的に国家を代表する軍艦(軍艦搭載艇などの短艇を含む)は絶対に士官の指揮下になければならず、このことは国連海洋法条約第29条に現れている(軍艦参照)。また航空機のパイロットは高度な権限を有することから士官に限られる国が多い。 | 〇は元首を代理する者とされ、陸軍では小隊長又は中隊長以上の部隊の指揮官は〇を以て充てることが通常である。 | {
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0
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"士官"
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a210176p3q1 | 士官 | 士官 [SEP] 士官は元首を代理する者とされ、陸軍では小隊長又は中隊長以上の部隊の指揮官は士官を以て充てることが通常である。また、海軍にあっては、対外的に国家を代表する軍艦(軍艦搭載艇などの短艇を含む)は絶対に士官の指揮下になければならず、このことは国連海洋法条約第29条に現れている(軍艦参照)。また航空機のパイロットは高度な権限を有することから士官に限られる国が多い。 | 士官の持つ地位と役割とは何でしょうか? | {
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"士官は元首を代理する"
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a210176p3q2 | 士官 | 士官 [SEP] 士官は元首を代理する者とされ、陸軍では小隊長又は中隊長以上の部隊の指揮官は士官を以て充てることが通常である。また、海軍にあっては、対外的に国家を代表する軍艦(軍艦搭載艇などの短艇を含む)は絶対に士官の指揮下になければならず、このことは国連海洋法条約第29条に現れている(軍艦参照)。また航空機のパイロットは高度な権限を有することから士官に限られる国が多い。 | 対外的に国家を代表する軍艦は絶対に士官の指揮下になければならないことを定めた条約は | {
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"国連海洋法条約第29条"
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a210176p3q3 | 士官 | 士官 [SEP] 士官は元首を代理する者とされ、陸軍では小隊長又は中隊長以上の部隊の指揮官は士官を以て充てることが通常である。また、海軍にあっては、対外的に国家を代表する軍艦(軍艦搭載艇などの短艇を含む)は絶対に士官の指揮下になければならず、このことは国連海洋法条約第29条に現れている(軍艦参照)。また航空機のパイロットは高度な権限を有することから士官に限られる国が多い。 | 元首を代理する者とされ、陸軍では小隊長又は中隊長以上の部隊の指揮官は士官を以て充てることが通常であるのは? | {
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"士官"
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a210176p3q4 | 士官 | 士官 [SEP] 士官は元首を代理する者とされ、陸軍では小隊長又は中隊長以上の部隊の指揮官は士官を以て充てることが通常である。また、海軍にあっては、対外的に国家を代表する軍艦(軍艦搭載艇などの短艇を含む)は絶対に士官の指揮下になければならず、このことは国連海洋法条約第29条に現れている(軍艦参照)。また航空機のパイロットは高度な権限を有することから士官に限られる国が多い。 | 元首を代理する者とされ、陸軍では小隊長又は中隊長以上の部隊の指揮官は士官を以て充てることが通常であるのは何 | {
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"士官"
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a210176p4q0 | 士官 | 士官 [SEP] 士官の地位や出身階層における性格の残滓は、「捕虜の待遇に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約」第49条などに見られる。同条においては、第1項及び第2項で捕虜の労働者としての使用を認めている。ところが、第3項但書においては、「将校又はこれに相当する地位の者……に対しては、いかなる場合にも、労働を強制してはならない」と規定して、本人の志願がない限り士官に労働させる事を禁じている。 | 捕虜の待遇に関するジュネーヴ条約ができたのはいつ | {
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"1949年8月12日"
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a210176p4q1 | 士官 | 士官 [SEP] 士官の地位や出身階層における性格の残滓は、「捕虜の待遇に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約」第49条などに見られる。同条においては、第1項及び第2項で捕虜の労働者としての使用を認めている。ところが、第3項但書においては、「将校又はこれに相当する地位の者……に対しては、いかなる場合にも、労働を強制してはならない」と規定して、本人の志願がない限り士官に労働させる事を禁じている。 | ジュネーヴ条約ができたのはいつ | {
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"1949年8月12日"
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a210176p4q2 | 士官 | 士官 [SEP] 士官の地位や出身階層における性格の残滓は、「捕虜の待遇に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約」第49条などに見られる。同条においては、第1項及び第2項で捕虜の労働者としての使用を認めている。ところが、第3項但書においては、「将校又はこれに相当する地位の者……に対しては、いかなる場合にも、労働を強制してはならない」と規定して、本人の志願がない限り士官に労働させる事を禁じている。 | ジュネーヴ条約第49条などに見られるのは? | {
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"1949年8月12日"
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a210176p5q0 | 士官 | 士官 [SEP] なお、冷戦下での東側諸国においては共産党が軍隊を掌握するために政治委員を各部隊に配属して、党の利益を擁護する見地から部隊指揮官を監視していた。この政治委員を政治将校と呼ぶ場合もある(詳しくは政治将校参照)。 | 政治委員の別名ともいわれる呼称は何でしょう? | {
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"政治将校"
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a210176p5q1 | 士官 | 士官 [SEP] なお、冷戦下での東側諸国においては共産党が軍隊を掌握するために政治委員を各部隊に配属して、党の利益を擁護する見地から部隊指揮官を監視していた。この政治委員を政治将校と呼ぶ場合もある(詳しくは政治将校参照)。 | 冷戦下での東側諸国においては共産党が軍隊を掌握するために政治委員を各部隊に配属して、党の利益を擁護する見地から部隊指揮官を監視していたのは? | {
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"政治委員を政治将校と呼ぶ場合もある"
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a210176p5q2 | 士官 | 士官 [SEP] なお、冷戦下での東側諸国においては共産党が軍隊を掌握するために政治委員を各部隊に配属して、党の利益を擁護する見地から部隊指揮官を監視していた。この政治委員を政治将校と呼ぶ場合もある(詳しくは政治将校参照)。 | 共産党が軍隊を掌握するために政治委員を何と呼ぶか | {
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a210176p5q3 | 士官 | 士官 [SEP] なお、冷戦下での東側諸国においては共産党が軍隊を掌握するために政治委員を各部隊に配属して、党の利益を擁護する見地から部隊指揮官を監視していた。この政治委員を政治将校と呼ぶ場合もある(詳しくは政治将校参照)。 | 冷戦下での東側諸国においては共産党が軍隊を掌握するために政治委員を各部隊に配属して、党の利益を擁護する見地から部隊指揮官を監視していた。この政治委員を何と呼ぶ | {
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a210176p5q4 | 士官 | 士官 [SEP] なお、冷戦下での東側諸国においては共産党が軍隊を掌握するために政治委員を各部隊に配属して、党の利益を擁護する見地から部隊指揮官を監視していた。この政治委員を政治将校と呼ぶ場合もある(詳しくは政治将校参照)。 | 冷戦下での東側諸国においては共産党が軍隊を掌握するために政治委員を各部隊に配属して、党の利益を擁護する見地から部隊指揮官を監視していた。この政治委員は? | {
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a210176p6q0 | 士官 | 士官 [SEP] 日本の各自衛隊においては士官に相当する地位の者を幹部自衛官(かんぶじえいかん)と呼称する。ただし海上自衛隊ではその生い立ちから旧海軍譲りの士官という語を用いることも多く、自衛隊の中で唯一正式名称として士官と呼称することがある。例えば、士官室、当直士官、副直士官、警衛士官、甲板士官、機関科副直士官、係士官など艦内編成において多く用いる。 | 日本の各自衛隊においては士官に相当する地位の者を何と呼称するか | {
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a210176p6q1 | 士官 | 士官 [SEP] 日本の各自衛隊においては士官に相当する地位の者を幹部自衛官(かんぶじえいかん)と呼称する。ただし海上自衛隊ではその生い立ちから旧海軍譲りの士官という語を用いることも多く、自衛隊の中で唯一正式名称として士官と呼称することがある。例えば、士官室、当直士官、副直士官、警衛士官、甲板士官、機関科副直士官、係士官など艦内編成において多く用いる。 | 日本の各自衛隊においては士官に相当する地位の者を何と呼ぶか | {
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"幹部自衛官"
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a210176p6q2 | 士官 | 士官 [SEP] 日本の各自衛隊においては士官に相当する地位の者を幹部自衛官(かんぶじえいかん)と呼称する。ただし海上自衛隊ではその生い立ちから旧海軍譲りの士官という語を用いることも多く、自衛隊の中で唯一正式名称として士官と呼称することがある。例えば、士官室、当直士官、副直士官、警衛士官、甲板士官、機関科副直士官、係士官など艦内編成において多く用いる。 | 日本の各自衛隊においては士官に相当する地位の者を何と呼ぶ? | {
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"幹部自衛官"
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a210176p6q3 | 士官 | 士官 [SEP] 日本の各自衛隊においては士官に相当する地位の者を幹部自衛官(かんぶじえいかん)と呼称する。ただし海上自衛隊ではその生い立ちから旧海軍譲りの士官という語を用いることも多く、自衛隊の中で唯一正式名称として士官と呼称することがある。例えば、士官室、当直士官、副直士官、警衛士官、甲板士官、機関科副直士官、係士官など艦内編成において多く用いる。 | 日本の自衛隊での士官にあたる地位の呼び名は何でしょう? | {
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"幹部自衛官"
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a210176p7q0 | 士官 | 士官 [SEP] 当初は、兵科分類は階級名称においても反映され、佐尉官では「陸軍○○大尉」(歩兵・騎兵・砲兵・工兵・憲兵など)と区別された。後に将校相当官が各部将校に改められるに伴い、衛生部・経理部といった各部等でも同様の階級名が用いられるようになる。更に1940年(昭和15年)には兵科が廃止され、憲兵科と各部将校を除きいずれの兵科も階級の前に称していた兵科名を廃し単に「陸軍大佐」のように称した。 | 兵科が廃止されたのはいつ | {
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a210176p7q1 | 士官 | 士官 [SEP] 当初は、兵科分類は階級名称においても反映され、佐尉官では「陸軍○○大尉」(歩兵・騎兵・砲兵・工兵・憲兵など)と区別された。後に将校相当官が各部将校に改められるに伴い、衛生部・経理部といった各部等でも同様の階級名が用いられるようになる。更に1940年(昭和15年)には兵科が廃止され、憲兵科と各部将校を除きいずれの兵科も階級の前に称していた兵科名を廃し単に「陸軍大佐」のように称した。 | 兵科が廃止され、憲兵科と各部将校を除きいずれの兵科も階級の前に称していた兵科名を廃したのは何年か? | {
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"1940年(昭和15年)"
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a210176p7q2 | 士官 | 士官 [SEP] 当初は、兵科分類は階級名称においても反映され、佐尉官では「陸軍○○大尉」(歩兵・騎兵・砲兵・工兵・憲兵など)と区別された。後に将校相当官が各部将校に改められるに伴い、衛生部・経理部といった各部等でも同様の階級名が用いられるようになる。更に1940年(昭和15年)には兵科が廃止され、憲兵科と各部将校を除きいずれの兵科も階級の前に称していた兵科名を廃し単に「陸軍大佐」のように称した。 | 兵科が廃止され、憲兵科と各部将校を除きいずれの兵科も階級の前に称していた兵科名を廃し単に「陸軍大佐」のように称したのはいつか? | {
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a210176p7q3 | 士官 | 士官 [SEP] 当初は、兵科分類は階級名称においても反映され、佐尉官では「陸軍○○大尉」(歩兵・騎兵・砲兵・工兵・憲兵など)と区別された。後に将校相当官が各部将校に改められるに伴い、衛生部・経理部といった各部等でも同様の階級名が用いられるようになる。更に1940年(昭和15年)には兵科が廃止され、憲兵科と各部将校を除きいずれの兵科も階級の前に称していた兵科名を廃し単に「陸軍大佐」のように称した。 | 兵科が廃止されたのはいつか | {
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a210176p8q0 | 士官 | 士官 [SEP] 将校になるには中学校や陸軍幼年学校を卒業して陸軍士官学校で学ぶのが一般的であった。士官学校卒業後、4ヶ月間の見習士官を経て少尉に任官した。ただし、後に陸軍士官学校本科が陸軍士官学校と航空士官学校に分かれると、航空士官学校は6ヶ月間教育期間が長かったため、見習士官はなかった。他に兵や下士官から選抜されて、カリキュラムは異なるものの士官候補生と同じ陸軍士官学校で将校学生として教育される少尉候補者や、甲種幹部候補生として予備士官学校を卒業して将校になる者もいた。太平洋戦争末期の歩兵部隊における幹部候補生出身の将校の比重は、師団の急増とともに高まっていった。 | 将校になるには何や陸軍幼年学校を卒業して陸軍士官学校で学ぶのが一般的? | {
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"中学校"
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a210176p8q1 | 士官 | 士官 [SEP] 将校になるには中学校や陸軍幼年学校を卒業して陸軍士官学校で学ぶのが一般的であった。士官学校卒業後、4ヶ月間の見習士官を経て少尉に任官した。ただし、後に陸軍士官学校本科が陸軍士官学校と航空士官学校に分かれると、航空士官学校は6ヶ月間教育期間が長かったため、見習士官はなかった。他に兵や下士官から選抜されて、カリキュラムは異なるものの士官候補生と同じ陸軍士官学校で将校学生として教育される少尉候補者や、甲種幹部候補生として予備士官学校を卒業して将校になる者もいた。太平洋戦争末期の歩兵部隊における幹部候補生出身の将校の比重は、師団の急増とともに高まっていった。 | 将校になるには中学校や陸軍幼年学校を卒業してどこで学ぶのが一般的だったか? | {
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"陸軍士官学校"
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a210176p8q2 | 士官 | 士官 [SEP] 将校になるには中学校や陸軍幼年学校を卒業して陸軍士官学校で学ぶのが一般的であった。士官学校卒業後、4ヶ月間の見習士官を経て少尉に任官した。ただし、後に陸軍士官学校本科が陸軍士官学校と航空士官学校に分かれると、航空士官学校は6ヶ月間教育期間が長かったため、見習士官はなかった。他に兵や下士官から選抜されて、カリキュラムは異なるものの士官候補生と同じ陸軍士官学校で将校学生として教育される少尉候補者や、甲種幹部候補生として予備士官学校を卒業して将校になる者もいた。太平洋戦争末期の歩兵部隊における幹部候補生出身の将校の比重は、師団の急増とともに高まっていった。 | 将校になるには中学校や陸軍幼年学校を卒業して陸軍士官学校で学ぶのが一般的であったか | {
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"あった"
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a210176p8q3 | 士官 | 士官 [SEP] 将校になるには中学校や陸軍幼年学校を卒業して陸軍士官学校で学ぶのが一般的であった。士官学校卒業後、4ヶ月間の見習士官を経て少尉に任官した。ただし、後に陸軍士官学校本科が陸軍士官学校と航空士官学校に分かれると、航空士官学校は6ヶ月間教育期間が長かったため、見習士官はなかった。他に兵や下士官から選抜されて、カリキュラムは異なるものの士官候補生と同じ陸軍士官学校で将校学生として教育される少尉候補者や、甲種幹部候補生として予備士官学校を卒業して将校になる者もいた。太平洋戦争末期の歩兵部隊における幹部候補生出身の将校の比重は、師団の急増とともに高まっていった。 | 将校になるには中学校や陸軍幼年学校を卒業したあとに何という学校に行くのが一般的か? | {
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a210176p8q4 | 士官 | 士官 [SEP] 将校になるには中学校や陸軍幼年学校を卒業して陸軍士官学校で学ぶのが一般的であった。士官学校卒業後、4ヶ月間の見習士官を経て少尉に任官した。ただし、後に陸軍士官学校本科が陸軍士官学校と航空士官学校に分かれると、航空士官学校は6ヶ月間教育期間が長かったため、見習士官はなかった。他に兵や下士官から選抜されて、カリキュラムは異なるものの士官候補生と同じ陸軍士官学校で将校学生として教育される少尉候補者や、甲種幹部候補生として予備士官学校を卒業して将校になる者もいた。太平洋戦争末期の歩兵部隊における幹部候補生出身の将校の比重は、師団の急増とともに高まっていった。 | 少尉に任官するには士官学校卒業後何ヶ月間の見習士官を経る必要があるか | {
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a210176p9q0 | 士官 | 士官 [SEP] 制度上は兵から下士官、准士官、士官と順次進級できる可能性がある陸軍と異なり、学歴至上主義の海軍では士官と学歴が無い下士官兵では全く別の階層だった。海軍士官と言っても職種と任用前の経歴により大別すると、正規の養成教育を受けた「士官」、商船学校出身や予備学生出身の「予備士官」、それと下士官兵から累進した「特務士官」に分けられていた。 | 正規の養成教育を受けた階層は | {
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a210176p9q1 | 士官 | 士官 [SEP] 制度上は兵から下士官、准士官、士官と順次進級できる可能性がある陸軍と異なり、学歴至上主義の海軍では士官と学歴が無い下士官兵では全く別の階層だった。海軍士官と言っても職種と任用前の経歴により大別すると、正規の養成教育を受けた「士官」、商船学校出身や予備学生出身の「予備士官」、それと下士官兵から累進した「特務士官」に分けられていた。 | 商船学校出身や予備学生出身の海軍士官の呼称は | {
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a210176p9q2 | 士官 | 士官 [SEP] 制度上は兵から下士官、准士官、士官と順次進級できる可能性がある陸軍と異なり、学歴至上主義の海軍では士官と学歴が無い下士官兵では全く別の階層だった。海軍士官と言っても職種と任用前の経歴により大別すると、正規の養成教育を受けた「士官」、商船学校出身や予備学生出身の「予備士官」、それと下士官兵から累進した「特務士官」に分けられていた。 | 兵から下士官、准士官、士官と順次進級できる可能性がある軍は何か? | {
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a210176p9q3 | 士官 | 士官 [SEP] 制度上は兵から下士官、准士官、士官と順次進級できる可能性がある陸軍と異なり、学歴至上主義の海軍では士官と学歴が無い下士官兵では全く別の階層だった。海軍士官と言っても職種と任用前の経歴により大別すると、正規の養成教育を受けた「士官」、商船学校出身や予備学生出身の「予備士官」、それと下士官兵から累進した「特務士官」に分けられていた。 | 商船学校出身や予備学生出身者の士官を何という? | {
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a210176p9q4 | 士官 | 士官 [SEP] 制度上は兵から下士官、准士官、士官と順次進級できる可能性がある陸軍と異なり、学歴至上主義の海軍では士官と学歴が無い下士官兵では全く別の階層だった。海軍士官と言っても職種と任用前の経歴により大別すると、正規の養成教育を受けた「士官」、商船学校出身や予備学生出身の「予備士官」、それと下士官兵から累進した「特務士官」に分けられていた。 | 海軍士官は予備士官と何に大別される? | {
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a21044p0q0 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] 朝鮮半島に展開された仏教の独自性については、多くの議論がある。たとえば鎌田茂雄は「思想的には様々な教学を融合させて一つにする綜合仏教であり、信仰としては仏教以外の道教や風水信仰、巫覡信仰などが結合した複合的な信仰である」と述べている。 | 「思想的には様々な教学を融合させて一つにする綜合仏教であり、信仰としては仏教以外の道教や風水信仰、巫覡信仰などが結合した複合的な信仰である」と述べた人物は誰か | {
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a21044p0q1 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] 朝鮮半島に展開された仏教の独自性については、多くの議論がある。たとえば鎌田茂雄は「思想的には様々な教学を融合させて一つにする綜合仏教であり、信仰としては仏教以外の道教や風水信仰、巫覡信仰などが結合した複合的な信仰である」と述べている。 | 思想的には様々な教学を融合させて一つにする綜合仏教であり、信仰としては仏教以外の道教や風水信仰、巫覡信仰などが結合した複合的な信仰であると述べたのは? | {
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"鎌田茂雄"
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a21044p1q0 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] 高句麗へは372年(小獣林王2年)に、前秦王苻堅が僧を派遣したことが初伝であり、この時期には般若系の思想や格義仏教が伝わっている。また、高句麗から中国に留学した僧郎は、梁の武帝の下で三論宗の基礎を築いた。 | 高句麗から中国に留学した僧郎は何を築いたか。 | {
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a21044p1q1 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] 高句麗へは372年(小獣林王2年)に、前秦王苻堅が僧を派遣したことが初伝であり、この時期には般若系の思想や格義仏教が伝わっている。また、高句麗から中国に留学した僧郎は、梁の武帝の下で三論宗の基礎を築いた。 | 高句麗から中国に留学した僧郎は、梁の武帝の下で何のの基礎を築いたか | {
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"三論宗"
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a21044p1q2 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] 高句麗へは372年(小獣林王2年)に、前秦王苻堅が僧を派遣したことが初伝であり、この時期には般若系の思想や格義仏教が伝わっている。また、高句麗から中国に留学した僧郎は、梁の武帝の下で三論宗の基礎を築いた。 | 前秦王苻堅が高句麗へ最初に僧を派遣したのはいつか。 | {
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a21044p1q3 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] 高句麗へは372年(小獣林王2年)に、前秦王苻堅が僧を派遣したことが初伝であり、この時期には般若系の思想や格義仏教が伝わっている。また、高句麗から中国に留学した僧郎は、梁の武帝の下で三論宗の基礎を築いた。 | 前秦王苻堅が僧を派遣したのはいつ? | {
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a21044p1q4 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] 高句麗へは372年(小獣林王2年)に、前秦王苻堅が僧を派遣したことが初伝であり、この時期には般若系の思想や格義仏教が伝わっている。また、高句麗から中国に留学した僧郎は、梁の武帝の下で三論宗の基礎を築いた。 | 高句麗へ、前秦王苻堅が僧を派遣したのは何時か | {
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a21044p10q0 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] これらの努力により高麗時代には、禅とともに教学も同等に重視する教義が中心となって続いた。今に伝わる高麗八萬大蔵経が編纂されたのもこの頃で、モンゴル帝国の侵攻により危機感を抱いた天台宗およびそれを支持する上流階級が主に事業を推進した。一方、曹渓宗の僧侶は山に入り、参禅と学習にいそしむようになった。 | 高麗八萬大蔵経が編纂されたのは何時代か | {
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a21044p10q1 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] これらの努力により高麗時代には、禅とともに教学も同等に重視する教義が中心となって続いた。今に伝わる高麗八萬大蔵経が編纂されたのもこの頃で、モンゴル帝国の侵攻により危機感を抱いた天台宗およびそれを支持する上流階級が主に事業を推進した。一方、曹渓宗の僧侶は山に入り、参禅と学習にいそしむようになった。 | 禅とともに教学も同等に重視する教義が中心となって続いたのは何時代か | {
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"高麗時代"
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a21044p10q2 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] これらの努力により高麗時代には、禅とともに教学も同等に重視する教義が中心となって続いた。今に伝わる高麗八萬大蔵経が編纂されたのもこの頃で、モンゴル帝国の侵攻により危機感を抱いた天台宗およびそれを支持する上流階級が主に事業を推進した。一方、曹渓宗の僧侶は山に入り、参禅と学習にいそしむようになった。 | 高麗時代に禅とともに重視されたものは何か。 | {
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a21044p10q3 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] これらの努力により高麗時代には、禅とともに教学も同等に重視する教義が中心となって続いた。今に伝わる高麗八萬大蔵経が編纂されたのもこの頃で、モンゴル帝国の侵攻により危機感を抱いた天台宗およびそれを支持する上流階級が主に事業を推進した。一方、曹渓宗の僧侶は山に入り、参禅と学習にいそしむようになった。 | 僧侶が山に入り、参禅と学習にいそしむようになったのは何宗? | {
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a21044p11q0 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] 成宗(在位1469年 - 1494年)・燕山君(在位1494年 - 1506年)・中宗(在位1506年 - 1544年)の時代、仏教はさらに壊滅的打撃を受けた。成宗は1492年、僧侶の度牒制度と出家を禁止した。燕山君は2宗派の本山である興天寺(禅宗の本山)と興徳寺(教宗の本山)を1504年に廃寺にし、そのほかの寺院も遊興施設にかえた。中宗は1507年に科挙の僧科を廃止し、また仏像を破壊させた。 | 仏教が壊滅的打撃を受けたのは、成宗と燕山君のほかにいつの時代か。 | {
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a21044p11q1 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] 成宗(在位1469年 - 1494年)・燕山君(在位1494年 - 1506年)・中宗(在位1506年 - 1544年)の時代、仏教はさらに壊滅的打撃を受けた。成宗は1492年、僧侶の度牒制度と出家を禁止した。燕山君は2宗派の本山である興天寺(禅宗の本山)と興徳寺(教宗の本山)を1504年に廃寺にし、そのほかの寺院も遊興施設にかえた。中宗は1507年に科挙の僧科を廃止し、また仏像を破壊させた。 | 僧侶の度牒制度と出家を禁止したのは誰か | {
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"成宗"
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a21044p11q2 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] 成宗(在位1469年 - 1494年)・燕山君(在位1494年 - 1506年)・中宗(在位1506年 - 1544年)の時代、仏教はさらに壊滅的打撃を受けた。成宗は1492年、僧侶の度牒制度と出家を禁止した。燕山君は2宗派の本山である興天寺(禅宗の本山)と興徳寺(教宗の本山)を1504年に廃寺にし、そのほかの寺院も遊興施設にかえた。中宗は1507年に科挙の僧科を廃止し、また仏像を破壊させた。 | 成宗はいつ僧侶の度牒制度と出家を禁止したか? | {
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a21044p12q0 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] 中宗の死後、幼少の明宗が即位し、文定王后が政治を補佐すると、破仏政策に強い不満を持っていた王后は仏法中興を図った。1551年(明宗6年)には既に廃止されていた禅教の2宗を復旧させ、僧侶の資格試験に当たる僧科も復活させた。僧科からは、『禅家亀鑑』などを著した清虚休静らの優秀な僧侶が輩出した。李氏朝鮮時代に全体的には仏教は弾圧されたが、完全に破壊されるには至らず、また民衆信仰としても保存された。 | 中宗の死後、幼少の誰が即位したのか? | {
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a21044p12q1 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] 中宗の死後、幼少の明宗が即位し、文定王后が政治を補佐すると、破仏政策に強い不満を持っていた王后は仏法中興を図った。1551年(明宗6年)には既に廃止されていた禅教の2宗を復旧させ、僧侶の資格試験に当たる僧科も復活させた。僧科からは、『禅家亀鑑』などを著した清虚休静らの優秀な僧侶が輩出した。李氏朝鮮時代に全体的には仏教は弾圧されたが、完全に破壊されるには至らず、また民衆信仰としても保存された。 | 『禅家亀鑑』などを著した清虚休静らの優秀な僧侶が輩出したのは | {
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a21044p12q2 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] 中宗の死後、幼少の明宗が即位し、文定王后が政治を補佐すると、破仏政策に強い不満を持っていた王后は仏法中興を図った。1551年(明宗6年)には既に廃止されていた禅教の2宗を復旧させ、僧侶の資格試験に当たる僧科も復活させた。僧科からは、『禅家亀鑑』などを著した清虚休静らの優秀な僧侶が輩出した。李氏朝鮮時代に全体的には仏教は弾圧されたが、完全に破壊されるには至らず、また民衆信仰としても保存された。 | 僧侶の資格試験を何と言うか | {
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a21044p12q3 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] 中宗の死後、幼少の明宗が即位し、文定王后が政治を補佐すると、破仏政策に強い不満を持っていた王后は仏法中興を図った。1551年(明宗6年)には既に廃止されていた禅教の2宗を復旧させ、僧侶の資格試験に当たる僧科も復活させた。僧科からは、『禅家亀鑑』などを著した清虚休静らの優秀な僧侶が輩出した。李氏朝鮮時代に全体的には仏教は弾圧されたが、完全に破壊されるには至らず、また民衆信仰としても保存された。 | 中宗の死後に即位したのは誰か。 | {
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a21044p13q0 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] 朝鮮王朝の末期になると、近代化の動きの中で仏教への圧迫も弱まった。朝鮮の僧侶たちは日本や中国などの僧侶とも交流しながら、仏教の復興に取り組んだ。日韓併合以降は、日本統治の影響により妻帯する僧侶も現れた。この時期の独立運動家には、キリスト教以外に仏教界の指導者も加わっていた。 | 妻帯する僧侶が現れたきっかけは何 | {
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a21044p13q1 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] 朝鮮王朝の末期になると、近代化の動きの中で仏教への圧迫も弱まった。朝鮮の僧侶たちは日本や中国などの僧侶とも交流しながら、仏教の復興に取り組んだ。日韓併合以降は、日本統治の影響により妻帯する僧侶も現れた。この時期の独立運動家には、キリスト教以外に仏教界の指導者も加わっていた。 | 日韓併合以降に日本統治の影響によってごのような僧侶が現れたか。 | {
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a21044p13q2 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] 朝鮮王朝の末期になると、近代化の動きの中で仏教への圧迫も弱まった。朝鮮の僧侶たちは日本や中国などの僧侶とも交流しながら、仏教の復興に取り組んだ。日韓併合以降は、日本統治の影響により妻帯する僧侶も現れた。この時期の独立運動家には、キリスト教以外に仏教界の指導者も加わっていた。 | 近代化の動きの中で仏教への圧迫も弱まったのは何時頃か | {
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a21044p14q0 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] 戦後の朝鮮半島の仏教は、日本の支配と影響を否定し、朝鮮仏教復興の基礎を築くところから始まった。日本によって制定された寺院統制規則である寺刹令などを全面的に廃止して、新しい朝鮮仏教の教憲を決議した。また妻帯僧の追放と寺院の生活を正す運動(浄化運動)が展開し、1954年には李承晩大統領による「妻帯僧は寺刹より退去せよ」との談話を契機に、妻帯僧、非妻帯僧の間で争いが起こった。現代では非妻帯僧の宗派である曹渓宗が主流となり(韓国仏教寺院の8割以上を占める)、そこから分裂した妻帯僧の側は太古宗という宗派をつくっている。 | 戦後の朝鮮半島の仏教は、何の影響を否定したか。 | {
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a21044p14q1 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] 戦後の朝鮮半島の仏教は、日本の支配と影響を否定し、朝鮮仏教復興の基礎を築くところから始まった。日本によって制定された寺院統制規則である寺刹令などを全面的に廃止して、新しい朝鮮仏教の教憲を決議した。また妻帯僧の追放と寺院の生活を正す運動(浄化運動)が展開し、1954年には李承晩大統領による「妻帯僧は寺刹より退去せよ」との談話を契機に、妻帯僧、非妻帯僧の間で争いが起こった。現代では非妻帯僧の宗派である曹渓宗が主流となり(韓国仏教寺院の8割以上を占める)、そこから分裂した妻帯僧の側は太古宗という宗派をつくっている。 | 李承晩大統領による「妻帯僧は寺刹より退去せよ」との談話を契機に、妻帯僧、非妻帯僧の間で争いが起こったのはいつ | {
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a21044p14q2 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] 戦後の朝鮮半島の仏教は、日本の支配と影響を否定し、朝鮮仏教復興の基礎を築くところから始まった。日本によって制定された寺院統制規則である寺刹令などを全面的に廃止して、新しい朝鮮仏教の教憲を決議した。また妻帯僧の追放と寺院の生活を正す運動(浄化運動)が展開し、1954年には李承晩大統領による「妻帯僧は寺刹より退去せよ」との談話を契機に、妻帯僧、非妻帯僧の間で争いが起こった。現代では非妻帯僧の宗派である曹渓宗が主流となり(韓国仏教寺院の8割以上を占める)、そこから分裂した妻帯僧の側は太古宗という宗派をつくっている。 | 曹渓宗から分裂した妻帯僧の宗派を何と言う | {
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a21044p14q3 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] 戦後の朝鮮半島の仏教は、日本の支配と影響を否定し、朝鮮仏教復興の基礎を築くところから始まった。日本によって制定された寺院統制規則である寺刹令などを全面的に廃止して、新しい朝鮮仏教の教憲を決議した。また妻帯僧の追放と寺院の生活を正す運動(浄化運動)が展開し、1954年には李承晩大統領による「妻帯僧は寺刹より退去せよ」との談話を契機に、妻帯僧、非妻帯僧の間で争いが起こった。現代では非妻帯僧の宗派である曹渓宗が主流となり(韓国仏教寺院の8割以上を占める)、そこから分裂した妻帯僧の側は太古宗という宗派をつくっている。 | 李承晩大統領による「妻帯僧は寺刹より退去せよ」との談話を契機に、妻帯僧、非妻帯僧の間で争いが起こったのはいつ? | {
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a21044p15q0 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] また現在韓国では、創価学会、霊友会、立正佼成会、真如苑など、主に日本発祥の仏教系の新宗教の拠点が韓国内に存在する。一説には、日本から朝鮮半島に帰国した在日韓国人の信者達の影響があるともいわれている。2005年に行われた韓国統計庁の社会統計調査によると韓国は総人口の約3割がクリスチャン(キリスト教徒は全羅道に信者が多く)であり、仏教徒は古都慶州がある慶尚道など新羅王朝の領土だった地域に多い。韓国人の約2割が仏教徒で韓国第二の宗教となっている。 | 韓国は総人口の約何割がクリスチャンであるか | {
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a21044p15q1 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] また現在韓国では、創価学会、霊友会、立正佼成会、真如苑など、主に日本発祥の仏教系の新宗教の拠点が韓国内に存在する。一説には、日本から朝鮮半島に帰国した在日韓国人の信者達の影響があるともいわれている。2005年に行われた韓国統計庁の社会統計調査によると韓国は総人口の約3割がクリスチャン(キリスト教徒は全羅道に信者が多く)であり、仏教徒は古都慶州がある慶尚道など新羅王朝の領土だった地域に多い。韓国人の約2割が仏教徒で韓国第二の宗教となっている。 | 韓国第二の宗教は何か? | {
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a21044p15q2 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] また現在韓国では、創価学会、霊友会、立正佼成会、真如苑など、主に日本発祥の仏教系の新宗教の拠点が韓国内に存在する。一説には、日本から朝鮮半島に帰国した在日韓国人の信者達の影響があるともいわれている。2005年に行われた韓国統計庁の社会統計調査によると韓国は総人口の約3割がクリスチャン(キリスト教徒は全羅道に信者が多く)であり、仏教徒は古都慶州がある慶尚道など新羅王朝の領土だった地域に多い。韓国人の約2割が仏教徒で韓国第二の宗教となっている。 | 現在韓国に存在する日本発祥の仏教系の新宗教は。 | {
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a21044p15q3 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] また現在韓国では、創価学会、霊友会、立正佼成会、真如苑など、主に日本発祥の仏教系の新宗教の拠点が韓国内に存在する。一説には、日本から朝鮮半島に帰国した在日韓国人の信者達の影響があるともいわれている。2005年に行われた韓国統計庁の社会統計調査によると韓国は総人口の約3割がクリスチャン(キリスト教徒は全羅道に信者が多く)であり、仏教徒は古都慶州がある慶尚道など新羅王朝の領土だった地域に多い。韓国人の約2割が仏教徒で韓国第二の宗教となっている。 | 2005年に行われた韓国統計庁の社会統計調査で韓国の総人口のクリスチャンの割合は何割か? | {
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a21044p16q0 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] 韓国では、宗派のことを「宗団(종단)」と呼び、宗派名は日本の宗派と同じように各名称の末尾に「宗」を付ける。また、仏教宗団の連合体である「韓国仏教宗団協議会」があり、これらに所属する仏教宗団が伝統仏教と認識されている。以下に主なものを挙げる。 | 韓国では、宗派のことを何と呼ぶ。 | {
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a21044p16q1 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] 韓国では、宗派のことを「宗団(종단)」と呼び、宗派名は日本の宗派と同じように各名称の末尾に「宗」を付ける。また、仏教宗団の連合体である「韓国仏教宗団協議会」があり、これらに所属する仏教宗団が伝統仏教と認識されている。以下に主なものを挙げる。 | 韓国では宗派のことを何と呼ぶか? | {
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a21044p16q2 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] 韓国では、宗派のことを「宗団(종단)」と呼び、宗派名は日本の宗派と同じように各名称の末尾に「宗」を付ける。また、仏教宗団の連合体である「韓国仏教宗団協議会」があり、これらに所属する仏教宗団が伝統仏教と認識されている。以下に主なものを挙げる。 | 韓国では、宗派のことを何と呼ぶか | {
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a21044p16q3 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] 韓国では、宗派のことを「宗団(종단)」と呼び、宗派名は日本の宗派と同じように各名称の末尾に「宗」を付ける。また、仏教宗団の連合体である「韓国仏教宗団協議会」があり、これらに所属する仏教宗団が伝統仏教と認識されている。以下に主なものを挙げる。 | 韓国では、宗派のことをなんというか | {
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a21044p16q4 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] 韓国では、宗派のことを「宗団(종단)」と呼び、宗派名は日本の宗派と同じように各名称の末尾に「宗」を付ける。また、仏教宗団の連合体である「韓国仏教宗団協議会」があり、これらに所属する仏教宗団が伝統仏教と認識されている。以下に主なものを挙げる。 | 韓国では、宗派のことをなんと呼ぶか? | {
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a21044p2q0 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] 百済へは384年(枕流王元年)に東晋から鳩摩羅難陀が来訪したことが初伝となる。5世紀にはインドへ留学した謙益が『阿毘曇蔵』と『五分律』を持ち帰り、律の研究が進んだ。また、南岳慧思から学んだ玄光による法華信仰や、弥勒信仰が行われた。 | 百済へ東晋から鳩摩羅難陀が来訪したのはいつか | {
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a21044p2q1 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] 百済へは384年(枕流王元年)に東晋から鳩摩羅難陀が来訪したことが初伝となる。5世紀にはインドへ留学した謙益が『阿毘曇蔵』と『五分律』を持ち帰り、律の研究が進んだ。また、南岳慧思から学んだ玄光による法華信仰や、弥勒信仰が行われた。 | 東晋から鳩摩羅難陀が来訪したのは何年? | {
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a21044p2q2 | 朝鮮の仏教 | 朝鮮の仏教 [SEP] 百済へは384年(枕流王元年)に東晋から鳩摩羅難陀が来訪したことが初伝となる。5世紀にはインドへ留学した謙益が『阿毘曇蔵』と『五分律』を持ち帰り、律の研究が進んだ。また、南岳慧思から学んだ玄光による法華信仰や、弥勒信仰が行われた。 | 百済に東晋から鳩摩羅難陀が来訪したのはいつか。 | {
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