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地元当局者は「河南商報」の記者に対し、訪れた約480人に100元1000元の口止め料を渡し、総額が約20万元に上ったことを明らかにした。さらに、同18日に別の事故の情報が伝わり、再び集まった約300人に計約10万元の口止め料が配られた。
発覚しただけで、5年間で480億元=約6,720億円が公金横領や収賄で闇に消えている。おそらく、これは氷山の一角で、実態はこの数十倍に上るであろう。
東アジア共同体?冗談じゃない。こんな国に東アジアの主導権を渡すような愚かなことが許される筈もない。
私は、これまで中国が崩壊する可能性について言及してきた。そこで導き出した結論は、早ければ2008年の北京オリンピック後、遅くとも2010年の上海万博後には中国は深刻な危機に直面するということである。
上記の負の要因は複合的なものであり、一朝一夕に解決できる問題ではない。
高度成長が負の要因に蓋(ふた)をしている。しかし逆に見れば、高度成長が負の要因をますます深化させている。つまり、負の要因と高度成長はメダルの裏表で、自転車のようにこぎ続けなければ倒れてしまうのである。
朝日新聞が発行するAERAも、2005年5月16日号で「08年の北京五輪、10年の上海万博までは成長は持続する、と見られているが希望的観測の域をでない」と編集委員の署名入りで書いている。
市場では最低でも10%、ゆくゆくは20%以上の切り上げも避けられないという見方が強い。
予測している。
以上が、最近、日本のメディアでも語られ始めた「膨張する中国」の負の側面と、それが孕(はら)むリスクである。
残念ながら、中国当局者が自国の悲観的側面に言及した記事に触れたことがない。
ところが、今回、共産党の省トップ、しかも中国共産党政治局員も兼任する人物の本音が掲載された記事が報じられた。記事で語られている内容は、このエントリーで挙げた負の要因を裏付けるものである。
間違えると、われわれは江蘇、浙江、山東省や上海市に追い抜かれてしまう」との危機感を吐露。「広州を中心とした珠江デルタ経済圏は経済的に繁栄しているが、省北部は厳しい貧困状態に陥っており、まったくの未開発だ」とも述べ、その知られざる実態を明らかにした。
具体的な問題点として張書記は「急激な経済開発に伴い、耕作可能な土地が減少し、水質や大気の汚染が極度に悪化。飲食物の安全を確保できない状態<だ」と語ったという。
広東省は長期的な目標として、「中流階級社会の実現」を目指しているが、張書記は「それは夢のような話だ」として、厳しい見方を示した。
しかし、今後の展望について張書記は、来年からの「第11次5カ年計画(200610年)」で、「インフラ整備を中心として一層の経済的発展を図りながら、教育や文化的な要素を発展させていく」との“前向き"な姿勢もみせた。特に、中山市を中心とした「学園都市構想」や省内の各都市に文化的な施設を建設していく方針も明らかにした。
実は、広東省が抱える問題は国家レベルで解決すべき問題なのである。しかし、過去のエントリーでもたびたび指摘してきたように、今の中国は共産党中央のコントロールが効かない状態にある。
発展を遂げ、ここまで経済規模が拡大した今では、それは不可能に近い。
経済が失速し、共産党の権威が失墜すれば、無政府状態が生じかねない。「中流階級(小康)社会の実現、それは夢のような話だ」という言葉に、張書記の不安が凝縮されているような気がしてならない。
②「記事には不確実な情報が含まれていた」と、会見で反省を口にした。
⑤記事の真実性を証明するための「裏付け取材」をしたが、果たせなかった。
⑦しかし、録音から起こしたとしか思えない詳細なやりとりが月刊誌に掲載された。
⑪秋山社長は「これらを裏付ける事実は確認できなかった」と認めた。
⑤本当は、「安倍氏らの歴史認識を批判したかったのではないか」という点である。
⑦しかし、「訂正はしない」という点は「ご理解いただいた」としている。
⑩朝日新聞の検証記事よりも、その後に発売された月刊誌の方がはるかに詳しい。
⑭多くの人は、隠しテープをとっていたに違いないと思っているはずだ。
毎日新聞が言うように、ジャーナリズムの自殺行為にも等しい深刻な問題である。まさに「朝日新聞は死んだ」と言っても過言ではない。
ジャーナリスト魚住昭氏の手による21ページに渡る膨大な記事であるが、いろいろなことがはっきりと見えてきて実に興味深い記事である。
番組改編問題の最大のナゾは政治的な圧力があったかどうか、ということだった。松尾氏の証言記録などを読めば、その答えは明らかだ。そういう意味では朝日の報道は間違っていない。しかし実際に圧力がかかった経緯となると、朝日が想定した、直接的で露骨な圧力というより、もう少し複雑な構図があったのではないかと私は考えている。
つまり、魚住昭氏は、朝日新聞から取材資料や録音テープの提供を受けて告発記事を書いたものの、逆に政治家からの直接的で露骨な圧力などなかったことを認めざるを得なかったのだ。
このスクープ記事には、理由は不明だが興味深いことに「証言記録」を入手とあり21ページに渡る記事文章の中で、「テープ」とは一切書かれてはいない。
おそらくリークした朝日側との約束事でもあったのかもしれないが、魚住氏は完璧に「録音」とか「テープ」という言葉を慎重に避けている。
しかしながら、魚住氏は1カ所だけ朝日幹部の発言を引用する形で言及している。
だが、取材記録を読んでおわかりのように、彼が安倍氏の言うようなひどい取材をした形跡はまったくない。この件で社内調査に携わった朝日新聞の幹部はこう語っている。
「安倍さんの発言は事実に反することだらけです。まず、本田記者の取材が『夜遅かった』というのは嘘です。実際には6時すぎで、これは取材に使った車の運行記録でも確認されています。
それに取材経過を録音したものを聞くと、安倍夫人が『主人は風邪で寝込んでいます』と言った事実はありません。『ちょっとお待ちを』とごく普通に取り次いでもらっています。
朝日新聞の幹部が「取材経過を録音したものを聞くと」と語っている。まさに「藪をつついて蛇」の構図なのだ。そして、この記述によって、木走まさみず氏がいう三つ目の問題、「(3)朝日新聞幹部が取材に協力していた」ことが明らかにされているのである。
これは驚くべきことなのであるが、上述したとおり、この魚住氏のスクープ記事の取材自体に、朝日新聞の幹部が全面的に協力しているのである。
はっきり疑えるのは、朝日は自分のところで記事にできないネタを別のメディアである講談社にリークして故意に記事にさせる手法をとったのではないのか、ということだ。
ここで、魚住昭氏が言うところの「朝日が想定した、直接的で露骨な圧力というより、もう少し複雑な構図があったのではないか」というのは、どういう状態かを筆者の想定で書く。
NHKの左翼偏向のプロデューサーが、2001年1月30日のシリーズ番組「戦争をどう裁くか」の2回目で、旧日本軍の慰安婦問題を裁く市民団体の「女性国際戦犯法廷」を取り上げようとした。
取材できるメディアも限られ(産経新聞は取材を拒否された)、傍聴人は「法定内の秩序を保つため」、事前に誓約書を書かせて厳選するなど、公平性とはほど遠いものであることは誰の目にも明らかであった。
当然、NHK内部の良識のある人たちが問題にする。政治家の耳にも入る。政治家が機会を捉えて、NHKの上層部に実情を訊くのは当たり前である。
ちなみにNHKの調査によれば、「NHKの幹部が中川氏に面会したのは放送前ではなく放送の3日後である」ことが確認された。
それよりも2001年の1月に起こったことが、なぜ4年も経った2005年1月に朝日新聞にスクープされたのか?そちらの方が問題である。
朝日新聞の記事が出た直後に、月刊現代と同じ出版社の週刊現代が、安倍氏が北に密使を送って二元外交を主導した、という事実と異なる記事を掲載している。
毎日新聞が指摘する、取材記者の意図が「NHKと政治の関係を批判する」ことではなく、本当は、「安倍氏らの歴史認識を批判したかったのではないか」という疑問。
韓米同盟を撤廃して在韓米軍を全面的に撤退させなければならない」と主張した。
姜教授は、「在韓米軍が平沢(ピョンテク)に再配置されて以降、台湾の独立問題などで危機状況が発生する場合、米国は平沢から上海に向けてミサイルを発射できる上、そうなる場合、中国は、韓半島に爆撃を加えることになるだろう」とし、「結局、朝鮮の人だけが犬死する第2の日清戦争が起こりかねない」と述べた。
つまり、姜教授の考え方に同調する勢力が、政府・与党の中に強く存在するということだ。
2か月前、与党の事務総長は、「マッカーサー銅像の撤去問題に対し、どういう立場か」という質問に対し、「大韓民国の建国のために主導的な役割を果たした人たちと、これから分断を克服し、統一を果たそうとする未来志向的な人たちの間で考え方の食い違いがある」と述べた。
はずであり、殺りくと破壊の悲劇は起こらなかったはず」と記した。
マッカーサー銅像の撤去を主張する人たちの韓国戦争に対する認識は、「韓国戦争を通じ北朝鮮体制下での統一が行なわれるべきであったが、米国の妨害によって失敗した」ということを意味する。
この状況で、与党は自分たちの立場をはっきりさせないまま、大韓民国の体制を否定する人たちを「統一を果たそうとする未来志向的な人」とし、大韓民国の体制を守ろうとする人たちを「南北和解協力政策を妨害する守旧勢力」と分類している。
銅像の撤去を主導する人たちに「われわれはあなたたちの味方」という信号を発しているも同然だ。
続いて、マッカーサー銅像を撤去するのか、それとも守るべきなのかについても明白な立場を示し、論争に一日も早く決着をつけなければならない。
そして、反動分子に対する調査および虐殺に加担するなどの左翼活動で国家保安法違反および殺人罪に問われ、有罪確定後、服役中に死亡している。
【北京27日共同】中国外務省の秦剛副報道局長は27日の定例記者会見で、中国軍が東シナ海を対象とした予備役の艦艇部隊を編成したとの国営新華社通信の報道について、事実関係は把握していないとした上で「国家が主権と領土を守ろうとするのは理にかなった話だ。大げさに騒ぐようなことではない」と指摘。中国側として当然の対応との見方を示した。
東シナ海のガス田開発をめぐる問題で、これほどまでに中国の横暴を許す破目に陥ったのは、歴代内閣の中国に対する姿勢に原因がある。
中国共産党指導部は、この事件を戦車を動員して強権的に制圧した。その結果、最高実力者・鄧小平が主導する「改革開放」の雲行きが怪しくなった。事件後、経済成長は鈍化し、社会は不安定になった。
なぜなら、人民の党と、その指図を受けた人民の軍が人民を虐殺したからである。加えて、人権に敏感な欧米諸国の制裁がそれに輪をかけた(ちなみに日本は、制裁には及び腰だった)。
よくご存知の方も多いと思うが、親中国・親北朝鮮・親創価学会で有名な政治家である。以下に、この人物の人となりを示す発言録を記す。
中国人が一番大切にしているのは信義を守ることです。日本はここに匕首(あいくち)を突きつけてしまった。
そんな努力の後に、民間人になったからいいじゃないかと李登輝さんを日本に迎えた。中国が2008年の北京オリンピック、2010年の万博に向けて努力し、台湾海峡に煙が立たないように気を遣っている時に、総理が胡錦濤さんや温家宝さんに会った時の信義を、日本側からひっくり返してしまった。
日本はコメが余っているのに隣人を助けることができないのは恥ずかしい。
2004年9月には町村信孝氏が外相に就任する。我が国が本格的な抗議活動を始めたのは、ここからである。
我が国が試掘に着手した場合、中国海軍が出てくる可能性はあるが、最初は示威行動程度で収まると思われる。しかし、漁船を装った“工作船"による嫌がらせや体当たりなど、様々な妨害活動が行われる可能性が強い。
また、谷川秀善外務副大臣は9月29日の記者会見で、ガス田問題をめぐる政府の対応について、「こっちはちょっと弱腰みたいな点があった」と指摘し、これまで後手に回りすぎたとの認識を示している。
武力衝突を引き起こす事態は極力避けるべきだが、緊急時に必要な措置が取れるような体制を、法整備も含めて急がなければならない。
東京が中断に入るのと反比例するかのように、世間でサッカーがいっぱい取り上げられている。
小平に着いたのが1時半頃で、ササや規郎のシュートがゴールを襲うも、ゴールシーンは見られなかった。
W杯モードが高まる中、もしかしたら俺もドイツに行けるかもしれない。可能性は限りなくゼロに近いけど、ちょっと悪あがきしてみます。
2年ぶりの長崎。時間がなかったためグラバー園や原爆史料館、出島には行けなかった。
そんな姿を早く見たい。けど、時間はあまりないかもしれない。この試合後、福岡の監督のクビが飛んだ。ウチの時間軸はどんなもんなんだろう?過去は長期政権が多いね。
時刻表を買い、博多から大分への一番早い移動方法を調べた結果、新幹線と在来特急を乗り継げば、なんとか後半には間に合いそう。ホッとして飛行機に乗り込んだところで、後方から自分の名前を呼ぶ声が。
学生時代の友達が偶然にも同じ便に乗り合わせていて、声をかけてくれたのだった。彼は北九州に赴任中で、東京出張を終えた帰路の途中。思わぬところで卒業以来の再会。
試合終了後、再び列車に乗り込んで北九州へ向かい、今度こそ友達と再会。案内してくれた料亭で海の幸に舌鼓を打ちながら再会を祝ったのだった。
勝ち点というのは選手達が奪い取るもので、天から降ってくるものではないとは分かってはいるけど、勝ち点3をあげたいと思わせる、そんな選手達の頑張りだった。
タイトルに深い意味はなく、試合の帰りに山本有三記念館に寄ったから。高校時代、毎日前を通っていたけど、中に入ったのは初めて。こじんまりとした洋館では、いくつかのゆかりの品と、往時の新聞連載の切り抜きを展示していた。
小学生時代、祖父が送ってくれたのが有三の「心に太陽を持て」だった。何かに向けて情熱を傾けることの大切さや、諦めないこと、地道さを軽んじないことを、当時海外暮らしをしていた自分に今は亡き祖父は伝えたかったのだと思う。
1999年と2000年のファンブックも持っていない。ただし、2000年の選手紹介のページは全部デジカメで記録している。
「FC東京とともに過ごす濃厚かつ甘美な日々を記録しないわけにはいかん!」という思いからこのブログを開始し、新たな交流も始まり、おかげさまで一層濃密な日々を過ごせるようになった。
この間、定期的にコメントを交換するようになった方々、その他の形で接点を持った方々、閲覧してくださっている方々、すべての皆さまに御礼申し上げたい。
もちろん、気負ってみたところで、一義的にはブログは一方的な発信であり、誰に対して何の義務を負うものでもない。(もちろん、ルールやマナーは守らなければいけないけど。)今後も気楽に思いついたまま続けていければと思う。
それが結果的に誰かの興味をひいたり、共感を呼んだりしたとすれば、これほど嬉しく、励みになることはない。
実家に甲州土産を届けたら、彼らもちょっと前に甲州に行ったばっかりだったらしい。その晩、泊まらせてもらったものの、床が変わると少々寒くて風邪をひいてしまった。
ナビスコ杯マリノス戦(H)の後、今のチームは「特定の型に収まらない弾力性を持った組織に変容していく過程のような感じ」と書いたけど、昨日の試合は本当にそんな感じだった気がする。
20分後に自分が乗る列車が到着。こちらも青赤な人がいっぱい。
11時半のオープン時には行列が出来ていて、その全員が青赤な人だったというのは本当のような本当の話。
「走る」ことは、すべてのスポーツの根幹である。オリンピックでも、100メートルからマラソンまで、さまざまな距離の競技がある。ハードルのように、障害物を飛び越えながら走る種目もある。トップ・アスリートたちがいろいろな「走り」のかたちにしのぎを削っている。
歩くことと走ることは、運動として、単純にスピードやその大変さでは比べられないことだと思うが、私たちは、両者を峻別することに慣れている。そのことが、いろいろとやっかいな問題につながっているような気がする。つまりは、歩くのか、走るのか、区別し過ぎるがゆえに、かえって行動が不自由になっているように思うのである。
極端なのが「旅ラン」で、地方に行った時など、観光を兼ねて未知の土地を走るけれども、興味のある風景に出会うと、スピードを落として、歩いてしまう。時には立ち止まって、しばらくぼんやりとしていることすらある。
あるいは、神社仏閣のように、そもそも走るのは失礼だから歩く、という場所もある。神社の場合、鳥居の前で立ち止まって、息を整え、歩いて本殿に参拝する。帰りは、鳥居の外に出た段階で、「さて」と一呼吸置いて、走り出す。
走っている時に歩き出し、歩いている時にまた走り出す。それで、何の問題もないように思うが、実は、心の中では葛藤がある。
まずは、走っている状態から歩きに移行する時に、心の中で、「ああ、さぼってしまっている」という罪悪感のようなものが浮かぶ。ウォーキングだって立派な運動だから、力を抜いているとかそういうことではないはずなのに、なんとはなしに、後ろめたい。
逆に、歩いている状態から、走り出す時も、実際以上に大変なチャレンジをしているような、そんな先入観を持ってしまう。だから、心が構えてしまう。走っていて、途中で歩いてしまって、その時に、リラックスし過ぎると、再び走る際に、えいやっと気合を入れなければならない。ほんの少しだけ、コツがいる。
最近は、スマートフォンで、距離や、所要時間を計測し、移動したスピードを地図上に色で表示してくれる便利なアプリがある。しかし、このITの世界でも、歩くことと走ることは区別されている。「ウォーキング」用のアプリと、「ランニング」用のアプリは違うのである。
「歩くこと」と「走ること」の間にある、認識の壁。これは、もったいないことだと思う。両者を融合して、混ぜてしまった方が、面白い世界が広がるように感じるからである。
歩くことと走ることを、区別しているからこそ、不自由になっていることに気づくべきではないか。これは、運動だけでなく、人生全般に通じることだと思う。