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あらゆる所有の王国に呪いあれ 万民平等なる母体の胎児たりし時 卿等に所有の観念の兆せしや否や 我古代より現代に至る 社会の変遷による人々の苦悩は 個人があやまれる自由の曲訳により 所有の観念のあやまれる故なりと断ずるなり 自由とは何ぞや あらゆる個人の所有を許さざる万民平等の時 神人等が私慾の一点も加えられざる処 これあるのみ 我ここに按ずるに 所有の生みなせる処の 社会の空中に燦然たる 電波線前面に 大玻璃板を設らえ これを中断せずんばあるべからず云々 我拙なき咏嘆を東京の詩人凉木優輝兄におくる――
0.575163
なぜこう短時日の間に自分をめちゃめちゃにしてしまったのであろうと煩悶して、苦しい涙を流しているのであるが、病苦が少し楽になったようであると、家族たちが病室を出て行った間に衛門督は女三の宮へ送る手紙を書いた。
0.218182
人が勧めるままに、世の中へ出ることをしない高僧などで、世間からもまたあまり知られていないような人も、遠い土地へ息子たちを派遣などして呼び迎えて衛門督の病気に効験の現われることを期している大臣であるから、見て感じの悪いような野卑な僧などがあとへあとへとこのごろはたくさん来るのである。
0.265823
「もう宮様のお話はいっさいすまい。不幸で短命な生涯に続いて、その執着が残るために未来をまた台なしにすると思うのがつらい。心苦しいあのことを無事にお済ましになったとだけはせめて聞いて死にたい気もするがね、私たちを繋ぎ合わせた目に見えぬものを私が夢で見た話なども申し上げることができないままになるのが苦痛だよ」 と言って深く督の悲しむ様子を見ていては、小侍従も堪えきれずなって泣きだすと、その人もまた泣く。
0.254237
「行くへなき空の煙となりぬとも思ふあたりを立ちは離れじ とりわけ夕方には空をおながめください。人目をおはばかりになりますことも、対象が実在のものでなくなるのですからいいわけでしょう。そうしてせめて永久に私をお忘れにならぬようにしてください」 などと乱れ書きにした。
0.213333
しかし素姓の紛らわしいことは男の身にあってもよいが、どんな高貴な方の母になるかもしれぬ女性は生まれが確かでなければならぬ点から言えば、これがかえってよいかもしれぬとまたお思い返しになった。
0.228462
宮のお顔色は非常に青くて力もないふうに寝ておいでになるが、たよりない美しさをなしているのを御覧になっては、どんな過失があっても自分のうちの愛の力が勝って許しうるに違いないのはこの人であると院は思召した。 御寺の院は、珍しい出産を女三の宮が無事にお済ませになったという報をお聞きになって、非常にお逢いになりたく思召したところへ、続いて御容体のよろしくないたよりばかりがあるために、専心に仏勤めもおできにならなくなった。
0.282395
御僧形ではあるが艶なところがなお残ってなつかしいお姿にたいそうな御法服などは召さずに墨染め衣の簡単なのを御身にお着けあそばされたのがことに感じよくお美しいのを、院はうらやましく拝見されて、例のようにまず落涙をあそばされた。
0.318841
お心のうちでは限りもない信頼をもって託しておいた内親王を妻にしてからのこの院の愛情に飽き足らぬところのあるのを何かの場合によく自分は聞いていたが、恨みを自分から言い出すこともできぬ問題であって、しかも世間に取り沙汰されるのも忍ばねばならぬことを始終残念に思っているのであるから、この機会に決断して尼にさせてしまうとしても、良人に捨てられたのだと、世間から嘲罵されるわけのものではない。
0.284483
現在において宮の望みは遂げさせなくてはならない、夫婦関係の解消したのちに、単に兄の子として保護してくれる好意はあるはずであるから、せめてそれだけを自分から寄託された最後の義務に負ってもらうことにして反抗的にここを出て行くふうでなくして、自分からかつて宮に分配した財産のうちに広くてりっぱな邸宅もあるのであるから、そこを修繕して住ませよう、自分がまだ生きておられるうちにそれらの処置を皆しておくことにしたい。
0.225225
御寺へお帰りになるのが明るくなってからでは見苦しいと法皇はお急ぎになって、祈祷のために侍している僧の中から尊敬してよい人格者ばかりをお選びになり、産室へお呼びになって、宮のお髪を切ることをお命じになった。
0.287879
これによれば紫夫人を悩ました物怪が、それ以来こちらへ憑いていたのであったか、あらゆる不祥事はかれがなさしめたのかもしれぬとお気づきになった時、女三の宮がおかわいそうでならぬ気のされる院でおありになった。
0.206897
病人というものは髪や髭も乱れるにまかせて気味の悪い所もできてくるものであるが、この人の痩せ細った姿はいよいよ品のよい気がされて、枕から少し顔を上げてものを言う時には息も今絶えそうに見えるのが非常に哀れであった。
0.383333
「そうですよ。少し快い時もあったのですから、そんな時に御相談をすればよかったのです。自分自身でわからないのが命にもせよ、まさかこんなに早く終わろうとは思わなかったというのもはかないわけですね。このことは絶対にだれへもお話しにならないでください。よい機会に私のために御好意のある弁解をしていただきたいと思ってお話ししただけです。一条にいらっしゃる宮様には何かの時に御好意を寄せてあげてください。お聞きになって法皇様が御心配をあそばさないように、御生活の上のことも気をつけてあげてください」 などとも大納言は言った。
0.234043
だれのためにもよき兄であろうとする善良な性格であったから、右大臣夫人などもこの人とだけは今まで非常に親しんでいて、今度も玉鬘は心配のあまり自身の手でも祈祷をさせていたが、そうしたことも不死の薬ではなかったから効果は見えなかった。
0.230769
今まで愛情の点では批議すべき点もあったが、形式的にはよく御待遇をして、あくまで御降嫁を得た夫人として敬意を失わない優しい良人であったのであるから、恨めしい思いを格別宮は抱いておいでにならなかった。
0.247857
院がおいでになって、 「もうさっぱりした気分になりましたか。でも御恢復になったかいもありませんね。今までのあなたでこうして快くおなりになったのを見ることができたらどんなにうれしいだろう。あなたは冷酷に私を捨てておしまいになりましたね」 と涙ぐんで恨みをお言いになった。
0.242857
切りそろえられた髪の尖が厚くいっぱいに拡がるのを苦しくお思いになり、額の毛などを後ろへなでつけておいでになる時に、院は几帳を横へ寄せてそこへおすわりになると、宮は羞じて横のほうへお向きになったが、以前よりもいっそう小柄にお見えになって、髪は授戒の日にお扱いした僧が惜しんで長く残すようにして切ったのであるから、ちょっと見ては普通の方のように思われた。次々に濃くした鈍の幾枚かをお重ねになった下には黄味を含んだ淡色の単衣をお着になって、まだ尼姿になりきってはお見えにならず、美しい子供のような気がしてこれが最もよくお似合いになる姿であるとも艶に見えた。
0.286538
女御の宮方は皆父帝のほうによく似ておいでになって、王者らしい相貌の気高いところはあるが、ことさらお美しいということもないのに、この若君は貴族らしい上品なところに愛嬌も添っていて、目つきが美しくよく笑うのを御覧になりながら院は愛情をお感じになった。
0.263889
その人たちは自分を愚人として侮蔑しているのであろうとお思われになることは不快であったが、自分のことは忍んでもよいが、宮をその人たちはどう思っているかという点までを思うと、宮のためにおかわいそうであるなどと院はお思いになって、あくまでも知らぬ顔を続けておいでになるのであった。
0.202532
二条の院の夫人があの重態になっていられた場合に、泣く泣く許しを乞われたのさえもお拒みになったのであるからというようなことも大将は考えられ、衛門督の問題と女三の宮の御出家とは関連したことに違いないということに思いは帰着した。
0.328358
一条の宮はまして終わりの病床に見ることもおできにならないままで良人を死なせておしまいになったというお悲しみもあって、その後の日の重なるにつけて広いお邸はますます寂しいものになって、お召使いの人たちも減っていくばかりであった。
0.327869
愛していた鷹狩りの鷹とか、馬とかを預かっていた侍たちはたよる所を失ったように力を落としながらも寂しい姿で出仕しているのがお目にはいったりすることなども宮のお心を悲しくさせた。
0.203333
四月の初夏の空はどことなくさわやかで、あらゆる木立ちが一色の緑をつくっているのも、寂しい家ではすべて心細いことに見られて、宮の御母子が悲しい退屈を覚えておいでになるころにまた左大将が来訪した。
0.227857
林泉に対する趣味を大納言は持っていて、美しくさせていたものであるが、そうした植え込みの灌木類や花草の類もがさつに枝を伸ばすばかりになって、一むら薄はその蔭に鳴く秋の虫の音が今から想像されるほどはびこって見えるのも、大将の目には物哀れでしめっぽい気分がまず味わわれた。
0.291139
この宮は以前噂に聞いていたよりも優美な女性らしいが、お気の毒にも良人にお別れになった悲しみのほかに、世間から不幸な人におなりになったことを憐れまれるのを苦しく思っておいでになるのであろうと思う同情の念がいつかその方を恋しく思う心に変わってゆくのをみずから認めるようになった大将は熱心に宮の御近状などを御息所に尋ねていた。
0.397727
「そりや此樣な不快を與へるのは自然の威力で、また權利でもあるかも知れん。けれども此樣な氣候にも耐えてゐなければならんといふ人間は意久地無しだ。要するに人間といふ奴は、雨を防ぐ傘を作へる智慧はあるが、雨を降らさぬやうにするだけの力がないんだ。充らん動物さ、ふう。」と鼻の先に皺を寄せて神經的の薄笑をした。
0.264151
「成程一家の中に、體の弱い陰氣な人間がゐたら、他の者は面白くないに定ツてゐる。だが、虚弱なのも陰欝なのも天性なら仕方がないぢやないか。人間の體質や性質といふものが、然うヲイソレと直されるものぢやない。俺の虚弱なのと陰鬱なのとは性得で、今更自分の力でも、また他の力でも何うすることも出來やしない。例へばお前の頬ツぺたの紅いを引ツ剥がして、青くすることの出來ないやうな。」と細に手先を顫はせながら躍起となツて叫ぶ。
0.267123
と云うのは、彼女が若しも其処の甃石の中から突然せり上って来て歩き出したのでもない限り、そのあたりは恰度××ビルディングの普請場の板囲が続いているところだったので、彼女がそうした工合に意気揚々と立ち出でそうな玄関口なぞは一つもなかったのだから。
0.313433
この山などは今更日本アルプスでもあるまいという旋毛まがりの連中が、二千米を超えた面白そうな山はないかと、蚤取眼で地図の上を物色して、此処にも一つあったと漸く探し出されるほど、顕著でない山なのである。
0.219508
その当時他の方面は知らなかったが、南から眺めると、上州方面で根利山と総称している袈裟丸山の連脈の奥に、左端のやや低い凹頭を突兀と擡げているので、雪の多い季節には場所によっては、時として奥白根と間違えられることさえあった。
0.214286
けれども事実真の猪ノ鼻の滝は栗原川に懸っているし、猪ノ鼻と誤り伝えられた円覚の瀑は栗原川の上流不動沢に懸る瀑であるから、その水源に在る皇開山は笄山であることは疑なきことである。
0.265965
余事ながらこの木林惟一というのはどういう人であるかと、足尾におられた関口源三君に調べてもらったところ、東京の庚申講の先達であって、この人が庚申山から皇海山に至る道を開き、そこを奥院とした。
0.202295
自分らは五万分の一足尾図幅に、原から根利山に向って点線の路が記入してあるので、それを辿って先ず国境山脈に攀じ登り、南進して千九百五十七米の三角点をきわめ、引き返してその北の一峰から西に沢を下り、地図の道に出て砥沢に行き、翌日何処からか皇海山に登ろうという計画であった。
0.253012
自分らはこの時根利山の最高点をきわめることは断念して、国境の尾根へ出たならば上州峠の道に下って砥沢へ行こうと相談一決したので、この尾根を国境山脈と想定して、右の方へ下りはじめた。
0.265
一層のこと今夜はこのまま夜明しをしようではないかと無造作に話がまとまって、右手の落葉松を植林した斜面を少し下り、下草の多そうな処へ寄り懸るように腰を据えて、藤島君は防水マントを被り、自分は木の幹や枝でばりばりに裂けた蝙蝠傘を翳して、全く徹夜の準備が出来た。
0.220779
地図と対照して実際の地形を視ると、皇海山の西方から発源する不動沢の左股を遡るのが楽でもあり、かつ都合もよいように思われるので、それを登ることとして沢を渡り、道に沿うて最奥の小屋まで行き右に折れて林中を進むと左から来るかなりの沢に出た。
0.302632
夢ではないかと悦んで思わず快心の笑みを洩して居りますと村端れの一軒に突然物の破ける音がして、やがて荒れ狂う木枯にふわりと雨戸が一枚倒れるのを見ましたが、次の瞬間には真っ黒な塊が弾丸のように転げ出て、僕の方へまっしぐらに駈け寄ってくるのです。
0.293333
ところがこの周章て者は僕の声などてんで耳に這入らないらしく尚も一散に弾となり地平線の向う側へ飛び去りそうに見えたものですから、僕も亦とっさにわあっというと一本の線になってこの男の跡を追いかけるような次第になったのですが――大根の四五本ぬき棄てられてある横っちょのあたりでやっとこの周章て者の腰のところへ武者振りつくと勢あまって二人諸共深々と黒い土肌へめり込んでしまったのです。顔の半ぺたを土にしてフウフウと息をつきながら夢からさめたもののようにポカンとしているこの周章て者に僕は又とぎれとぎれに詫を述べ、如何なる必然と偶然の力がかかる結果を招致するに至ったものであるかということを順を追うて説明いたしました。
0.453896
唄いかつ踊り、寂しげなる村々を巡礼して悩みを悦びの如く詩にあらわし、一文の喜捨にも往昔の騎士に似て丁重なる礼を返し、落日と共に塒を求めて山毛欅の杜へ消え去るのも一つの修業方法であるな。
0.213103
目を開けば煩悶を見、物を思えば煩悶を思い、煩悶を忘れんとして煩悶に助けをかり、せっぱつまれば常に英雄の如くニタニタと笑いつつ、余は理性を鉾とし城として奮然死守攻撃し、やがて冷然として余の頭をも理性もてくびくくるであろう。
0.291667
足をからむとか蛇をふみつけるとかしてわあっ! と及腰になりかかると、鼻孔にまぎれ込む奴もペンペン草であるし懐にガサガサとなる奴も――ああ何処をどうして潜り込んだのか背中で何か騒ぐ物があるのもみんなこのペンペン草なんだ。
0.338462
俺は憤然として何事かを絶叫しようと思うのだが、うかつに絶叫しては頤のゼンマイから必然的に頭のゼンマイへかけて狂い出す怖れを感じるものだから、絶望的なニヤニヤを笑って行者のニタニタを眺めているのだ。すると俺の心臓はひどく臆病になって次の一秒がばかに怖ろしく不気味に思われ沈黙に居堪らなくなり出すから、もうおさえ切れずにわあっ――と叫ぶと―― 一っぺんに階段を跳び降りて雨戸を蹴破ると、もう武蔵野の木枯を弾になって一条にころがっているのだ。
0.3519
この柿は葉が落ちても柿の実の三つ四つをブラ下げて、泌むような影を酒倉の白壁へ落しているのだが――俺は毎日このまっかな柿の実へ俺の魂を忘れて、ふいと酒倉へもぐるのだ――と、こう思うのがせめても俺の口実なんだ。
0.289855
思うに尊公等岩窟断食の徒は人間能力の限界について厳正なる批判を下すべきことを忘却したがために、浅慮にも人間はつまり人間であることを忘れ恰も人間は何でもない如くに考え或は亦人間は何でもある如くに考えるのじゃよ。
0.467742
かるが故に――(と二十石の酒樽より酒をなみなみと受けて呑みほし) ――かるが故に尊公は又人間能力の驚嘆すべき実際を悟らずして徒に幻術をもてあそび、実は人間能力の限界内に於て極めて易々と実現しうべき事柄を恰も神通力によってのみ可能であるなぞと、笑うべき苦行をするのじゃ。
0.304878
余の如きは理性の掟に厳として従うが故に、ここに酒は茨となり木枯はまた頭のゼンマイをピチリといわせるのだけれども、余は亦理性と共に人間の偉大なる想像能力を信ずるが故に、尊公の幻術をもってしては及びもつかぬ摩訶不思議を行い古今東西一つとして欲して能わぬものはないのじゃ。
0.344828
ひとり淫乱の国天竺には現実を化して詩たらしめんとする聖なる輩が現れて、ここにカーマスツトラを生みアナアガランガをつくり常にリンガ・ヨオニに崇敬を払って怠ることがないから法悦極るところなく法を会得し、転じて一方には聖なる苦行断食の徒を生み出して彼等には幻術の妙果を与えるに至ったのじゃよ。されば我等の幻術は現実に於て詩を行い山師神々を放逐し賢ら人を猿となし酒呑めば酒となる真実の人間を現示せんとするものであるわい。いで――(と、行者は奇蹟的な丸顔をニタニタと笑わせながら立ちあがったんだ) ――いで空々しく天駈ける尊公の想像力を打ちひしぎ、地を這う人間そのものを即坐に詩と化す幻術の妙を事実に当ってお目にかけるよ。
0.324587
俺はもう行者の長談義の中途から全く退屈していたので、どうにと勝手になるようになれと、酒倉の壁にもたれて天井の蜘蛛の巣を見ていたが、酔ったせえでもあるのだろうか、ぼやけた蝋燭は数限りない陰々を投げて狂おしく八方へ舞いめぐり、さらでも朦朧とした俺の視界を漠然の中へ引きずりこんでしまうのだ。
0.209302
それからものの五分もじっとそんな風にしていたのだろうか、ふと引く様な物音に我にかえると、それは嘗て耳に馴れない笛の音で唄うように鳴りひびいてくるものだから何事であろうかと目で探ると――俺は危くうわあっ! と呻えて酒樽に縋りつく所だった。
0.267606
俺がただ一条に転げてゆく闇のうしろでは、今蹴倒した扉から酒倉へかけて津波のように木枯の吹き込んだ音をききながら、 ――俺は断じて酒を止めたんだあ! ――もう一滴も呑まないんだあ! ――助けてくれえ! と武蔵野を越え木枯をつんざいて叫びながら――辛うじて下宿の二階へ辿りつくと空しい机の木肌に縋りついて。
0.238636
むしろ概して苦痛を与える場合が多いのだし、それに酒はむしろ俺を冷静に返し、とぎ澄まされた自分の神経を一本ずつハッキリと意識させるのだけれど――それでいて漠然と俺の外皮をなで廻る温覚は俺をへべれけに酔っ払わしているのだった。だから俺は酒に酔うのは自分ではなく何か自分をとりまく空気みたいなものが酔っちまうんだと思っているのだが――そんなことを思い当てるときは、きまって足腰もたたない程酔いしれているのだ。
0.264208
緑をわたる風のサヤサヤにガサツな音を雑える奴は、あれは木の葉ではない、地べたに密生する丈長い草――ペンペン草ではありませんよだ――これは梵語にクサと呼ぶ草で印度に繁る雑草だった。
0.223333
私の父は二三流ぐらゐの政治家で、つまり田舎政治家とでも称する人種で、十ぺんぐらゐ代議士に当選して地方の支部長といふやうなもの、中央ではあまり名前の知られてゐない人物であつた。
0.213333
ところが私の親父は半面森春涛門下の漢詩人で晩年には「北越詩話」といふ本を三十年もかゝつて書いてをり、家にゐるときは書斎にこもつたきり顔をだすことがなく、私が父を見るのは墨をすらされる時だけであつた。
0.265362
父のない子供はむしろ父の愛に就て考へるであらうが、私には父があり、その父と一ヶ月に一度ぐらゐ呼ばれて墨をする関係にあり、仏頂面を見て苛々何か言はれて腹を立てゝ引上げてくるだけで、父の愛などと云へば私には凡そ滑稽な、無関係なことだつた。幸ひ私の小学校時代には今の少年少女の読物のやうな家庭的な童話文学が存在せず、私の読んだ本といへば立川文庫などといふ忍術使ひや豪傑の本ばかりだから、さういふ方面から父親の愛などを考へさせられる何物もなかつた。
0.321635
父の莫逆の友だつた市島春城翁、政治上の同輩だつた町田忠治といふやうな人の話に、長男のことを常に呉々も頼んでをり、又、長男のことを非常によく話題にして、長男にすゝめられて西洋の絵を見るやうになつたとか、登山に趣味を持つやうになつたとか、そんなことまで得々と喋つてゐるのであつた。
0.210526
徳川時代は田地の外に銀山だの銅山を持ち阿賀川の水がかれてもあそこの金はかれないなどと言はれたさうだが、父が使ひ果して私の物心ついたときはひどい貧乏であつた。
0.211373
私が生れたとき、私の身体のどこかゞ胎内にひつかゝつて出てこず母は死ぬところであつたさうで、子供の多さにうんざりしてゐる母は生れる時から私に苦しめられて冷めたい距離をもつたやうだ。
0.217586
そのうへ、私の母は後妻で、死んだ先妻の子供に母といくつも年の違はぬ三人の娘があり(だから私の姉に当るこの三人の人達の子供、つまり私には姪とか甥に当る人達が実は私よりも年上なのである)この三人のうち上の二人が共謀して母を毒殺しようとしモルヒネを持つて遊びにくる、私の母が半気違ひになるのは無理がないので、これがみんな私に当ることになる。
0.227642
その境遇から私の気質がよく分り、私が子供のとき、暴風の日私が海へ行つて荒れ海の中で蛤をとつてきた、それは母が食べたいと言つたからで、母は子供の私が荒れ海の中で命がけで蛤をとつてきたことなど気にもとめず、ふりむきもしなかつた。
0.240506
私は父の伝記の中で、父の言葉に一つ感心したところがあつて、それは取引所の理事長の父がその立場から人に言ひきかせたといふ言葉で、モメゴトの和解に立つたら徹夜してでも一気に和解させ、和解させたらその場で調印させよ、さもないと、一夜のうちに両方の考へがぐらつき又元へ逆戻りするものだ、と言ひきかせてゐたさうだ。私は尾崎士郎と竹村書房のモメゴトの時、私が間に立つて和解させたが、その場で調印を怠つたために翌日尾崎士郎から速達がきて逆戻りをし、親父の言葉が至言であるのを痛感したことがあつた。
0.248662
父の伝記の中で、私の父が十八歳で新潟取引所の理事の時、十九歳で新潟新聞の主筆であつた尾崎咢堂が父のことを語つてゐる話があり、私の父は咢堂の知る新潟人のうち酔つ払つて女に狎れない唯一の人間だつたさうだが、それにつけたして「然し裏面のことはどうだか知らない」と咢堂は特につけたしてゐるのである。
0.242424
そして私は咢堂によつて「然し裏面のことは知らない」とつけたされてゐる父が、まるで私自身の不愉快な気質によつて特に冒涜されてゐるやうで、私は父に就て考へるたびに咢堂の言葉を私に当てはめて思ひ描いて厭な気持になるのであつた。
0.28125
私の母は継娘に殺されようとし、又、持病で時々死の恐怖をのぞき、私の子供の頃は死と争つてヒステリーとなり全く死を怖れてゐる女であつたが、年老いて、私と和解して後は凡そ死を平然と待ちかまへてゐる太々しい老婆であつた。
0.242857
元より私は再び買つてもらへる筈がないのは分りきつてをり、幸ひ、黒眼鏡であつた為友人達は元々私は目が悪くないのに伊達でかけてきたのだらうと考へて、翌日から眼鏡なしでも買つて貰へないせゐだと思はれないのが幸せであつた。
0.385714
然し、私が眼鏡がなくて黒板の字が見えないから学校へ行かないといふことは金野先生も知らないし、意地つ張りで見栄坊の私はそれを白状することが出来ないので、相変らず毎日学校を休み、天気の良い日は海の松林で、雨の日は学校の横手のパン屋の二階でねころんでゐた。
0.243902
大谷といふ女郎屋の倅は二年生のくせに薬瓶へ酒をつめて学校で飲んでゐる男で、試験のとき英語の先生のところへ忍んで行つて試験の問題を盗んできたことがあつた。
0.249796
かういふ悲しみや切なさは生れた時から死ぬ時まで発育することのない不変のもので、私のやうなヒネクレ者は、この素朴な切なさを一生の心棒にして生を終るのであらうと思つてゐる。
0.248163
この悲しみは血液的な遺伝ではなくて、接触することによつて外形的に感化され同化される性質の処世的なものであるから、長兄の今日の性格から判断しても、父にはたしかにこの悲しさがなかつたんだと思はれるのである。
0.25
私はたゞ、私のこの標準が父の姿から今日に伝流してゐる反感の一つであることを思ひ知つて、人間の生きてゐる周囲の狭さに就て考へ、そして、人間は、生れてから今日までの小さな周囲を精密に思ひだして考へ直すことが必要だと痛感する。私は今日、政治家、事業家タイプの人、人の子の悲しみの翳をもたない人に対しては本能的な反撥を感じ一歩も譲らぬ気持になるが、悲しみの翳に憑かれた人の子に対しては全然不用心に開け放して言ひなり放題に垣を持つことを知らないのである。
0.250982
洋画を見たり、登山趣味だの進歩的な社会運動だの、さういふものに好奇の目を輝やかせるやうになつたのだが、それはもうたゞ知らない異国の旅行者の目と同じことで、同化し血肉化する本当の素直さは失つてゐる。
0.226154
墨をすらせる子供以外に私に就て考へてをらず、自分の死後の私などに何の夢も托してゐなかつた老人に就て考へ、石がその悲願によつて人間の姿になつたといふ「紅楼夢」を、私自身の現身のやうにふと思ふことが時々あつた。
0.216216
それは雪国の旧家といふものが特別陰鬱な建築で、どの部屋も薄暗く、部屋と部屋の区劃が不明確で、迷園の如く陰気でだだつ広く、冷めたさと空虚と未来への絶望と呪咀の如きものが漂つてゐるやうに感じられる。
0.231538
私の生れて育つた家は新潟市の仮の住宅であつたから田舎の旧家ほどだだつ広い陰鬱さはなかつたけれども、それでも昔は坊主の学校であつたといふ建築で、一見寺のやうな建物で、二抱へほどの松の密林の中にかこまれ、庭は常に陽の目を見ず、松籟のしゞまに沈み、鴉と梟の巣の中であつた。
0.234043
私の東京の家は私の数多い姉の娘達、つまり姪達が大きくなつて東京の学校へはいる時の寄宿舎のやうなものであつたが、この娘達は言ひ合したやうに、この東京の小さな部屋が自分の部屋のやうで可愛がる気持になるといふ。
0.30303
そのくせ懲りずに、翌日になると必ずせゝら笑つてやりだすので、負けて悄然今日だけは土蔵へ入れずに許してくれ、へいつくばつて平あやまりにあやまるあとでせゝら笑つて、本当は負ける筈がないのだと呟いて、首を傾けて考へこんでゐる。
0.206349
原稿のなかには、丁度わたしが初めて日記というものをつけはじめたころの年齢のひとのものもあり、もとでいえば女学校の四年ぐらいになって、根のしまった知識慾と人生、社会についてのあこがれや、抗議にみたされている年頃のひとによってかかれたものもある。
0.205882
共学は、いくらか神経質に互を眺めあう場合ではなくて、人間の小さい男と女とが集って一緒に学び、いろいろの研究や催しをもち、ときには競争しながら互にディスカッションし批判しつつ、おのずから能動的な社会活動の機能力をつよめあってゆく場面となって来ている。
0.234375
同時により大人の女に近づいた十八歳ぐらいの若い婦人たちが、実際問題としての結婚や職業の問題につれ、まだつよくつよくのこっている旧い日本の家の観念、世間というもの、常識のしきたりについて身と心で抗議を示している姿も、わたしたち日本の足どりにある旧いものと新しいものの複雑な摩擦について考えさせる。
0.253012
それが農耕期に入り住所が固定し、邑落として社会的生活を営むようになって来ると、宗教意識も発達し祖先崇拝の道徳も称導され、さらに肉体は腐朽するも霊魂は存在すると云う、即ち霊肉を二元的に観るようになって、ここに始めて屍体を保存する必要が起り、従ってこれに伴う種々なる葬法が発明されるに至ったのである。
0.247191
その後三十二年秋八月に、皇后日葉酢媛命が薨去せられた折に、またも殉死のことが問題となり、詮議の結果として野見宿禰に命じて埴輪土偶を作らせ、これを陵域に立てて殉死の男女に代えることとした。
0.223333
加うるにこの時代にあっては悪疫の流行も思わぬ怪我も、この死霊や凶霊の為す仕業と考えていたのであるから、その死霊の発散して疎び荒ぶることを恐れて、かくは屍体を緊縛するようになったのである。
0.226296
沖縄県では近年まで変死者をこうして取扱ったもので、内地の各地に逆に歩く幽霊が出ると云う話のあるのも、また辻祭や辻占と称して四ツ辻が俗信と深い関係を有しているのはこれが為めである。
0.247143
さらに京都府北桑田郡神吉村の八幡社は、康平の昔に源義家が安倍貞任を誅し、その屍骸を埋めるに神占を行い、四ツに截って四ヶ所に葬ったが、それでもなお死霊が祟りをするので、鎮霊のため宇佐から八幡社を勧請したと伝えられている。
0.22973
棺を船型に造り、入棺を船入と称え、それを置く場所を浜床と云うことから推して、大昔は水葬ばかり行われていたものだと説く学者もあるが、これは決して左様に解すべきものではなく古く我国には鳥船信仰と云うがあり、霊魂は鳥の形した船に乗って天に昇るものと考えていたので、後までも棺を船型に造るようになったのである。
0.222222
薩南の奄美大島には各村に男子の入る事を禁じている場所があるが、これは巫女を葬る墓地であって、昔は巫女が死ぬとその屍体を柩に納めて樹の上へ掛け、三年間を風雨に晒した後に石で造った墓に収めたと云うことである。
0.313433
しかるに平安朝の中頃から鎌倉期の初葉にかけ、補陀洛山に居る生身の観音菩薩を拝すると称して、志願ある者は小舟に打乗り海に出で、浪のままに流れ漂うて往生する事がさかんに行なわれた。
0.261818
藤原頼長の日記である台記の康治元年八月十八日の条に、権僧正覚宗の談として、同人が少年のとき紀州那智に籠って修行していたが、その頃一人の僧があって現身に補陀洛山に祈参するとて、小さい船の上に千手観音の像を造り立て手にを持たせ、祈請三年に及び北風を得て出発したとある。
0.37234
源平盛衰記に『三位入道船に移り乗り、遥かの沖に漕ぎ出で給ひぬ。思ひ切りたる道なれど、今を限りの浪の上、さこそ心細かりけめ、三月の末の事なれば春も既に暮れぬ。海上遥かに霞こめ浦路の山も幽なり。沖の釣船の沈の底に浮き沈むを見給ふにも、我身の上とぞ思はれける。(中略)念仏高く唱へて、光明遍照、十方世界、念仏衆生、摂取不捨と誦し給ひつゝ海にこそ入り給ひける』とあるのは、熊野で死ねば浄土に往かれると云う信仰が在ったためである。
0.20915
沖縄では古俗として一人の遺骸より外には墓地に置かぬと云う迷信があるので、後の人が死ぬと前の人のが三年を経過せずとも洗骨するのであつて、私が見たのは死後約半歳しか経ぬ男子の屍体であったのを、三名の婦人が手に庖丁様の刃物を持って、片ッ端から腐肉を殺いで骨とし、それを水五升に酒一合ほど入れたもので洗うのであるが、それは全く地獄の活図を見るようであつた。
0.289063
屈葬した石器時代の人骨(備中津雲貝塚) 沖縄の髑髏塚 朝鮮の空葬風景 唐人島首長の墓 沖縄にはまだこの外にも変態の葬儀や墓地と見るべきものが多く残っている。
0.2275
弘法大師や親鸞上人が屍体を隠したこと、武田信玄や真田昌幸が遺骸を水中に投じさせたこと、及び山形県に行われたミサキ放しの故事や、遊女屋の亭主が死ぬと犬の死骸のように、首に縄をつけ町中を引きずり廻した習俗など、記すべきことが多分に残っているが、既に与えられた紙幅を越えたのでこれらはまたの機会に譲るとして擱筆する。
0.247423
東 にくまれ子は世にはびこる 西 おなじ 舐犢の愛を受けて長ずるものを貶して、祖母育ちは三百廉いといへる諺に引かへ、憎まれ子の世に立ちて名を成し群を抜くことを云へる、東西共に同じきもおもしろし。 東 ほね折り損のくたびれ儲け 西 ほとけの顔も三度 徒労の身を疲らす有るのみなるを嘆じたるは東の語、慈顔も之を冒すこと数すれば怒ることを云へるは西の語なり。
0.355063
東 律義者の子沢山 西 綸言汗の如し 東は花柳に沈湎せざるもののおのづからにして真福多く天佑有るを云ひ、西は帝王の言の出でゝ反らざることを云へり。
0.24
東 るりもはりも照せば光る 西 類を以て聚る 美玉日に遇へば各其の光を発するを云へるは東、類を以て聚まり群を以て分れて吉凶の生ずるを説ける繋辞伝の語を挙げ用ゐたるは西。
0.428125
東 われ鍋に綴蓋 西 笑ふ門には 此は、如何なる賤陋のものにも、世おのづからこれと相従ひ相幇けて功を共にし楽を分つものあるを云ひ、彼は、先づ自ら楽みて笑ひ、又能く笑ひて人を楽ましむるものは、おのづからに和を致して而して福を来すに及ぶを道破せる、共に愉快なる佳諺なり。 東 かつたいの痂うらみ 西 蛙の面に水 東は悪因を有するものの徒に悪果を恨み歎ずるを笑ひ、西は冷然として平らかなるものの如何ともす可からざるを憎めるなり。 東 よしのずゐから天を覗く 西 よめとほめ 葭管より天を窺ふは、管小に過ぎ天大に過ぎて尽す可きにあらず、夜眼遠眼、凡を過つて美となすことあり信ず可からず、二者意相似て聊か異なり。
0.301196
東 念には念を入れよ 西 猫に小判 東は事に処し物に接する須らく精確詳密にすべきを云ひ、西は機に投じ縁に応ぜざれば金珠も土礫に等しきを云へるなるが、東の方の諺は詩趣無く、西のは佳意無し。 東 なきつらに蜂 西 なす時の閻魔顔 禍は単り到らず、悲を破るの勇気無きものは復新に悲を得るを云へるは東、人情嶮峻にして金を借る時は仏顔をなし、返す時は閻魔顔をなすの陋態を罵れるは西のなり。
0.385714
東 無理がとほれば道理引込む 西 むまの耳に風 東は理もまた時ありて屈伸することを云ひて、世情の頼む可からざるを憤り、西は馬耳東風何の饗応無きを云へり。
0.249167
東 咽頭過ぐれば熱さ忘るゝ 西 鑿といへば鎚 東のは懲りて復これを忘るゝものを云ひ、西のは人須らく智を運し功を速やかにすべきを云へり。
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