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JCRRAG_015901
地理
発表した警報等及び気象等の経過(気象の経過、JETT・ホットライン) 7月11日 01時22分 大雨と突風に関する鹿児島県(奄美地方を除く)気象情報 第 13 号(図情報) 薩摩地方では、11日明け方にかけて土砂災害に厳重に警戒し、河川の増水や氾濫に警戒。 これまでの記録的な大雨により土砂災害や洪水害の危険度が高い状態が続いている所がある。今後、少しの雨でも土砂災害が発生するおそれがある。 03時35分 川内川下流部氾濫注意情報(警戒情報解除) 川内川下流部洪水予報第 3 号 洪水注意報(警報解除) 04時50分 土砂災害警戒情報 第 8 号 05時06分 [継続]大雨(土砂災害)警報[警報から注意報]洪水注意報 特記事項 土砂災害警戒 土砂災害 警戒期間 11日昼前まで 注意期間 11日夕方まで 洪水 注意期間 11日昼前まで 05時23分 大雨と突風に関する鹿児島県(奄美地方を除く)気象情報 第 14 号 出水市、薩摩川内市、伊佐市、さつま町では、11日昼前にかけて土砂災害に厳重に警戒。 薩摩地方では、これまでの記録的な大雨により土砂災害の危険度が高い状態が続いている所がある。今後、少しの雨でも土砂災害が発生するおそれがある。 <雨の予想> 11日に予想される1時間降水量は、多い所で、 薩摩地方 10ミリ 11日6時から12日6時までに予想される24時間降水量は、多い所で、 薩摩地方 40ミリ 07時19分 [継続]大雨(土砂災害)警報,洪水注意報 特記事項 土砂災害警戒 土砂災害 警戒期間 11日昼前まで 注意期間 11日夕方まで 洪水 注意期間 11日夕方まで 07時25分 大雨と突風に関する鹿児島県(奄美地方を除く)気象情報 第 15 号 阿久根市、出水市、伊佐市、薩摩川内市、さつま町では、11日昼前にかけて土砂災害に警戒。 薩摩地方では、これまでの記録的な大雨により土砂災害の危険度が高い状態が続いている所がある。今後、少しの雨でも土砂災害が発生するおそれがある。 <雨の予想> 11日に予想される1時間降水量は、多い所で、 薩摩地方 20ミリ 11日6時から12日6時までに予想される24時間降水量は、多い所で、 薩摩地方 50ミリ 10時30分 [継続]洪水注意報[警報から注意報]大雨注意報 特記事項 土砂災害注意 土砂災害 注意期間 11日夜のはじめ頃まで 洪水 注意期間 11日夜のはじめ頃まで 10時36分 大雨と突風に関する鹿児島県(奄美地方を除く)気象情報 第 16 号 薩摩地方では、11日夜のはじめ頃にかけて土砂災害や河川の増水に注意。 薩摩地方では、これまでの記録的な大雨により地盤が緩んでいる所がある。今後、少しの雨でも土砂災害が発生するおそれがある。 13時20分 川内川下流部氾濫注意情報解除 川内川下流部洪水予報第 4 号 洪水注意報解除
大雨と突風に関する鹿児島県(奄美地方を除く)気象情報における第 14 号と第 15 号の雨の予想を比較して、1時間降水量が少ないほうを教えてください。
大雨と突風に関する鹿児島県(奄美地方を除く)気象情報における第 14 号と第 15 号の雨の予想を比較して、1時間降水量が少ないほうは第14号の10ミリです。
JCRRAG_015902
地理
ヨーロッパ南東部、バルカン半島の南端に位置し、多くの島々からなる国がギリシャです。 1-1 地名やお店の名前に神々の名が残る国ギリシャ ギリシャには、同じような名前のショップやホテルがいくつもあります。「アポロンホテル」、「テルモスアポロンホテル」、「ディオニソスレストラン」などなど、これらの名前は神話の神々から付けられたものです。 ギリシャは首都がアテネです。最高神ゼウスの娘「アテネ」からその名前が付けられました。ギリシャ神話は、ギリシャの人々の生活に大きな影響を与えており、ギリシャの文化を語る上では切っても切り離せない存在であることが分かります。 1-2 ギリシャ神話の神々は人間よりも人間臭い 神様というとどんな存在を思い浮かべるでしょうか。すべてを超越したような、慈悲深く完璧な存在、そんなイメージを描くかもしれませんが、ギリシャ神話に登場する神様はもっと人間臭く、そして我々人間よりも人間らしい存在です。 どの神も逆らえない最高神「ゼウス」は、絶対的な存在でありながら、浮気症という困った性格を持っています。その妻ヘラは嫉妬深い性格でしたが、ゼウスには逆らえないので、ゼウスの浮気相手にその怒りを向けます。 まるで昼ドラのようなドロドロ模様。このような人間臭い神々が登場するからこそ、ギリシャ神話は人気があるのかもしれません。 1-3 彫刻文化で見るギリシャの神々 ギリシャでは博物館で神々を象った彫刻が展示されており、当時の人々がイメージした美男美女を表しています。 男性の神であれば、きりっと引き締まった筋肉に堂々とした立ち姿、女性の神は、柔らかな女性らしい体つきが表現されています。 今も昔も、人々の美的感覚が変わらないことが分かるでしょう。 2.遺跡で巡る!古代のギリシャ文化について 2-1 数々の世界遺産が眠る国ギリシャ ギリシャには17もの世界遺産があります。古代遺跡や、中世の建造物、そして島自体が文化遺産として登録されているディロス島など、ギリシャを訪れた際は、ぜひ世界遺産を訪れてみてください。 2-2 オリンピックはここから生まれた「オリンピア遺跡」 4年に一度、世界各国がスポーツで競い合い、人々を感動へと包むオリンピック。そのオリンピックはギリシャのオリンピアで始まりました。今から約2800年前、最高神ゼウスへ捧げる大きなお祭りとして開催されたのがオリンピックの始まりです。 オリンピックの聖火は、オリンピア遺跡のヘラ神殿で採火され、開催地へとリレーで繋がれます。ヘラ神殿はゼウスの妻「ヘラ」を祀った神殿で、オリンピックとギリシャ、そしてギリシャ神話の深い結びつきが感じられます。 2-3 パルテノン神殿で知られる「アクロポリス遺跡」 ギリシャには「高い丘の上の都市」を意味するアクロポリスには、かの有名なパルテノン神殿があります。パルテノン神殿は紀元前432年に完成し、その後、ヴェネツィア軍の侵攻で大破してしまいましたが、現在も当時の神殿をよみがえらせようと修復作業が行われています。 パルテノン神殿の柱は全部で46本、遠くから見ると垂直に立っているように見えますが、実は少し内側に傾いています。 今からはるか昔の紀元前のころに、このような建造物を造る高度な文明が栄えていた、そんなギリシャの古代文化に触れてみてはいかがでしょうか。
ヨーロッパ南東部、バルカン半島の南端に位置し、多くの島々からなる国では、博物館でなにが展示されているか。
ヨーロッパ南東部、バルカン半島の南端に位置し、多くの島々からなる国は、博物館で神々を象った彫刻が展示されている。
JCRRAG_015903
地理
航空気象観測 航空機の安全な離着陸には、風や視程(見通せる距離)、積乱雲(雷雲)などの気象状況が大きく影響します。このため気象庁では、全国の81か所の空港において気象状況を監視し、管制塔にいる航空管制官やパイロット、航空会社の運航管理者などの航空関係者へ、それらの結果を迅速に通報しています。 航空機の安全な運航のための観測網 ア.主な観測種目 航空気象観測には、気象現象の推移を常に注意し、航空機の運航に影響がある気象現象の発生を確実に観測するため、30分ごとまたは1時間ごとの定時観測と次の3種類の特別観測があります。 ・気象現象の重要な変化を認めた時に行う特別観測 ・管制官や民間航空会社等から照会があった時に行う照会特別観測 ・空港または空港周辺で航空機の事故が発生した時に行う事故特別観測 また、航空気象観測の主な観測種目は ・風(離着陸の方向や離着陸時の航空機の速度を決めるため) ・視程及び滑走路視距離(空港周辺の見通しや滑走路上で見通せる距離を把握するため) ・大気現象(雷雨やあられ等、航空機の運航に支障となる現象を把握するため) ・雲(操縦士が空港及び滑走路を視認できる高度を把握するため) ・気温及び露点温度(エンジンの推力を求め、機体重量を調整するため) ・気圧(気圧から高度を知るため) などで、これらは航空機の離着陸を安全に行うための重要な観測種目です。 航空気象観測は、地上気象観測でも使用している風向風速計、温度計などの観測測器を用いて行う ほか、雲の高さを測るシーロメーター(雲高測定器)や滑走路上の視程(操縦室のパイロットが滑走路上 で見通せる距離)を測る滑走路視距離観測装置といった航空気象に特有の観測装置を使っての自動観 測、目視による観測を組み合わせて行っています。自動観測のデータについては、当該空港だけでなく 全国各空港内の航空関係者にリアルタイムで提供されています。 イ.空港気象ドップラーレーダーと空港気象ドップラーライダー 積乱雲下等に発生する風の急変域(ウィンドシアー)は、航空機の飛行に大きな影響を与える場合があり、航 空路や空港での観測や予測が重要です。特に大気下層(低層)で発生するウィンドシアーは、離着陸する航空 機にとって非常に危険な現象であるため、両装置によりきめ細かい観測を行いデータを提供しています。両装置 が観測しているウィンドシアーはマイクロバースト(積乱雲中の冷気塊が急速に下降し地表付近で弾けるように発 散する現象)とシアーライン(風が急変する場所が線状に形成される現象)の2種類で、空港気象ドップラーレーダ ーと空港気象ドップラーライダーにより検出されたウィンドシアーの結果は直ちに管制官へ伝えられ、ウィンドシアー 情報としてパイロットへ伝達されています。 また、ウィンドシアー情報以外のデータについても、各空港内の航空関係者にリアルタイムで提供されています。 このための観測として、国内の主要な9空港(成田国際、東京国際、関西国際、中部国際、新千歳、大阪国 際、福岡、鹿児島、那覇)では空港気象ドップラーレーダーにより、空港を中心とする半径約100km以内の空域に おける降水の強さと分布、降水域における気流の乱れの強さの他、積乱雲下等に発生する低層ウィンドシアー (半径60キロメートル以内に発生するシアーラインと半径20キロメートル以内に発生するマイクロバースト)を観測しています。 空港気象ドップラーレーダーが降水域における気流の乱れの強さを観測しているのに対し、空港気象ドップラー ライダーはレーザー光を空中に発射し、空港及びその周辺の大気中のエーロゾル(大気浮遊粒子)の動きをとらえ た散乱光から、降水がない時の気流の乱れの強さを観測しています。平成18年度には東京国際空港に、平成19年度には成田国際空港に、平成22年度には関西国際空港に整備し、空港ドップラーレーダーと合わせることにより、降水の有無に関わらず気流の乱れの強さ及び空港周辺の低層ウィンドシアーの観測を行っています。 ウ.雷監視システム 落雷は、ときに空港の滑走路に穴をあけて空港施設に被害をもたらしたり、飛行中の航空機に落雷し機体に損傷を与えたりするなど、航空機の安全な運航に支障を与える可能性がある現象です。雷監視システムは、雷の発生状況を的確にとらえ、航空機の運航の安全や空港で働く人々の安全を守ることを目的に整備・運用しています。 雷監視システムは、雷により発生する電磁波を検出し、その位置、発生時刻、落雷電流のピーク値、落雷電流極性等を標定する装置です。雷監視システムは、気象庁本庁に整備された中央処理局及び全国30の空港に整備された検知局により構成されています。このシステムで観測された結果は、直ちに航空局機関や航空会社に提供され、空港内施設の避雷対策、地上作業等の中断・再開及び航空機の離着陸、上空での待機等の的確な判断のために用いられています。
航空気象観測の定時観測のうち、より間隔の遅い時間を教えてください。
航空気象観測の定時観測のうち、より間隔の遅い時間は1時間です。
JCRRAG_015904
地理
ヨーロッパ南東部、バルカン半島の南端に位置し、多くの島々からなる国がギリシャです。 1-1 地名やお店の名前に神々の名が残る国ギリシャ ギリシャには、同じような名前のショップやホテルがいくつもあります。「アポロンホテル」、「テルモスアポロンホテル」、「ディオニソスレストラン」などなど、これらの名前は神話の神々から付けれら付けられたものです。 ギリシャは首都がアテネです。最高神ゼウスの娘「アテネ」からその名前が付けられました。ギリシャ神話は、ギリシャの人々の生活に大きな影響を与えており、ギリシャの文化を語る上では切っても切り離せない存在であることが分かります。 1-2 ギリシャ神話の神々は人間よりも人間臭い 神様というとどんな存在を思い浮かべるでしょうか。すべてを超越したような、慈悲深く完璧な存在、そんなイメージを描くかもしれませんが、ギリシャ神話に登場する神様はもっと人間臭く、そして我々人間よりも人間らしい存在です。 どの神も逆らえない最高神「ゼウス」は、絶対的な存在でありながら、浮気症という困った性格を持っています。その妻ヘラは嫉妬深い性格でしたが、ゼウスには逆らえないので、ゼウスの浮気相手にその怒りを向けます。 まるで昼ドラのようなドロドロ模様。このような人間臭い神々が登場するからこそ、ギリシャ神話は人気があるのかもしれません。 1-3 彫刻文化で見るギリシャの神々 ギリシャでは博物館で神々を象った彫刻が展示されており、当時の人々がイメージした美男美女を表しています。 男性の神であれば、きりっと引き締まった筋肉に堂々とした立ち姿、女性の神は、柔らかな女性らしい体つきが表現されています。 今も昔も、人々の美的感覚が変わらないことが分かるでしょう。 2.遺跡で巡る!古代のギリシャ文化について 2-1 数々の世界遺産が眠る国ギリシャ ギリシャには17もの世界遺産があります。古代遺跡や、中世の建造物、そして島自体が文化遺産として登録されているディロス島など、ギリシャを訪れた際は、ぜひ世界遺産を訪れてみてください。 2-2 オリンピックはここから生まれた「オリンピア遺跡」 4年に一度、世界各国がスポーツで競い合い、人々を感動へと包むオリンピック。そのオリンピックはギリシャのオリンピアで始まりました。今から約2800年前、最高神ゼウスへ捧げる大きなお祭りとして開催されたのがオリンピックの始まりです。 オリンピックの聖火は、オリンピア遺跡のヘラ神殿で採火され、開催地へとリレーで繋がれます。ヘラ神殿はゼウスの妻「ヘラ」を祀った神殿で、オリンピックとギリシャ、そしてギリシャ神話の深い結びつきが感じられます。 2-3 パルテノン神殿で知られる「アクロポリス遺跡」 ギリシャには「高い丘の上の都市」を意味するアクロポリスには、かの有名なパルテノン神殿があります。パルテノン神殿は紀元前432年に完成し、その後、ヴェネツィア軍の侵攻で大破してしまいましたが、現在も当時の神殿をよみがえらせようと修復作業が行われています。 パルテノン神殿の柱は全部で46本、遠くから見ると垂直に立っているように見えますが、実は少し内側に傾いています。 今からはるか昔の紀元前のころに、このような建造物を造る高度な文明が栄えていた、そんなギリシャの古代文化に触れてみてはいかがでしょうか。
ヨーロッパ南東部、バルカン半島の南端に位置し、多くの島々からなる国には、いくつの世界遺産があるか。
ヨーロッパ南東部、バルカン半島の南端に位置し、多くの島々からなる国には、17もの世界遺産がある。
JCRRAG_015905
地理
発表した警報等及び気象等の経過(気象の経過、JETT・ホットライン) 7月11日 01時22分 大雨と突風に関する鹿児島県(奄美地方を除く)気象情報 第 13 号(図情報) 薩摩地方では、11日明け方にかけて土砂災害に厳重に警戒し、河川の増水や氾濫に警戒。 これまでの記録的な大雨により土砂災害や洪水害の危険度が高い状態が続いている所がある。今後、少しの雨でも土砂災害が発生するおそれがある。 03時35分 川内川下流部氾濫注意情報(警戒情報解除) 川内川下流部洪水予報第 3 号 洪水注意報(警報解除) 04時50分 土砂災害警戒情報 第 8 号 05時06分 [継続]大雨(土砂災害)警報[警報から注意報]洪水注意報 特記事項 土砂災害警戒 土砂災害 警戒期間 11日昼前まで 注意期間 11日夕方まで 洪水 注意期間 11日昼前まで 05時23分 大雨と突風に関する鹿児島県(奄美地方を除く)気象情報 第 14 号 出水市、薩摩川内市、伊佐市、さつま町では、11日昼前にかけて土砂災害に厳重に警戒。 薩摩地方では、これまでの記録的な大雨により土砂災害の危険度が高い状態が続いている所がある。今後、少しの雨でも土砂災害が発生するおそれがある。 <雨の予想> 11日に予想される1時間降水量は、多い所で、 薩摩地方 10ミリ 11日6時から12日6時までに予想される24時間降水量は、多い所で、 薩摩地方 40ミリ 07時19分 [継続]大雨(土砂災害)警報,洪水注意報 特記事項 土砂災害警戒 土砂災害 警戒期間 11日昼前まで 注意期間 11日夕方まで 洪水 注意期間 11日夕方まで 07時25分 大雨と突風に関する鹿児島県(奄美地方を除く)気象情報 第 15 号 阿久根市、出水市、伊佐市、薩摩川内市、さつま町では、11日昼前にかけて土砂災害に警戒。 薩摩地方では、これまでの記録的な大雨により土砂災害の危険度が高い状態が続いている所がある。今後、少しの雨でも土砂災害が発生するおそれがある。 <雨の予想> 11日に予想される1時間降水量は、多い所で、 薩摩地方 20ミリ 11日6時から12日6時までに予想される24時間降水量は、多い所で、 薩摩地方 50ミリ 10時30分 [継続]洪水注意報[警報から注意報]大雨注意報 特記事項 土砂災害注意 土砂災害 注意期間 11日夜のはじめ頃まで 洪水 注意期間 11日夜のはじめ頃まで 10時36分 大雨と突風に関する鹿児島県(奄美地方を除く)気象情報 第 16 号 薩摩地方では、11日夜のはじめ頃にかけて土砂災害や河川の増水に注意。 薩摩地方では、これまでの記録的な大雨により地盤が緩んでいる所がある。今後、少しの雨でも土砂災害が発生するおそれがある。 13時20分 川内川下流部氾濫注意情報解除 川内川下流部洪水予報第 4 号 洪水注意報解除
大雨と突風に関する鹿児島県(奄美地方を除く)気象情報における第 14 号と第 15 号の雨の予想を比較して、24時間降水量が多いほうを教えてください。
大雨と突風に関する鹿児島県(奄美地方を除く)気象情報における第 14 号と第 15 号の雨の予想を比較して、24時間降水量が多いのは50ミリです。
JCRRAG_015906
地理
ヨーロッパ南東部、バルカン半島の南端に位置し、多くの島々からなる国がギリシャです。 1-1 地名やお店の名前に神々の名が残る国ギリシャ ギリシャには、同じような名前のショップやホテルがいくつもあります。「アポロンホテル」、「テルモスアポロンホテル」、「ディオニソスレストラン」などなど、これらの名前は神話の神々から付けられたものです。 ギリシャは首都がアテネです。最高神ゼウスの娘「アテネ」からその名前が付けられました。ギリシャ神話は、ギリシャの人々の生活に大きな影響を与えており、ギリシャの文化を語る上では切っても切り離せない存在であることが分かります。 1-2 ギリシャ神話の神々は人間よりも人間臭い 神様というとどんな存在を思い浮かべるでしょうか。すべてを超越したような、慈悲深く完璧な存在、そんなイメージを描くかもしれませんが、ギリシャ神話に登場する神様はもっと人間臭く、そして我々人間よりも人間らしい存在です。 どの神も逆らえない最高神「ゼウス」は、絶対的な存在でありながら、浮気症という困った性格を持っています。その妻ヘラは嫉妬深い性格でしたが、ゼウスには逆らえないので、ゼウスの浮気相手にその怒りを向けます。 まるで昼ドラのようなドロドロ模様。このような人間臭い神々が登場するからこそ、ギリシャ神話は人気があるのかもしれません。 1-3 彫刻文化で見るギリシャの神々 ギリシャでは博物館で神々を象った彫刻が展示されており、当時の人々がイメージした美男美女を表しています。 男性の神であれば、きりっと引き締まった筋肉に堂々とした立ち姿、女性の神は、柔らかな女性らしい体つきが表現されています。 今も昔も、人々の美的感覚が変わらないことが分かるでしょう。 2.遺跡で巡る!古代のギリシャ文化について 2-1 数々の世界遺産が眠る国ギリシャ ギリシャには17もの世界遺産があります。古代遺跡や、中世の建造物、そして島自体が文化遺産として登録されているディロス島など、ギリシャを訪れた際は、ぜひ世界遺産を訪れてみてください。 2-2 オリンピックはここから生まれた「オリンピア遺跡」 4年に一度、世界各国がスポーツで競い合い、人々を感動へと包むオリンピック。そのオリンピックはギリシャのオリンピアで始まりました。今から約2800年前、最高神ゼウスへ捧げる大きなお祭りとして開催されたのがオリンピックの始まりです。 オリンピックの聖火は、オリンピア遺跡のヘラ神殿で採火され、開催地へとリレーで繋がれます。ヘラ神殿はゼウスの妻「ヘラ」を祀った神殿で、オリンピックとギリシャ、そしてギリシャ神話の深い結びつきが感じられます。 2-3 パルテノン神殿で知られる「アクロポリス遺跡」 ギリシャには「高い丘の上の都市」を意味するアクロポリスには、かの有名なパルテノン神殿があります。パルテノン神殿は紀元前432年に完成し、その後、ヴェネツィア軍の侵攻で大破してしまいましたが、現在も当時の神殿をよみがえらせようと修復作業が行われています。 パルテノン神殿の柱は全部で46本、遠くから見ると垂直に立っているように見えますが、実は少し内側に傾いています。 今からはるか昔の紀元前のころに、このような建造物を造る高度な文明が栄えていた、そんなギリシャの古代文化に触れてみてはいかがでしょうか。
ヨーロッパ南東部、バルカン半島の南端に位置し、多くの島々からなる国にある有名な神殿はなにか。
ヨーロッパ南東部、バルカン半島の南端に位置し、多くの島々からなる国には、「高い丘の上の都市」を意味するアクロポリスには、かの有名なパルテノン神殿がある。
JCRRAG_015907
地理
ウ.エーロゾルの観測 エーロゾルとは、火山灰、黄砂、海塩粒子、すすなど、大気中に浮遊する半径0.001マイクロメートル~10マイクロメートル(1マイクロメートルは千分の1ミリメートル)程度のごく小さなちりのことです。エーロゾルは太陽光を散乱・吸収して地表に届く日射量を減衰させ、また雲の凝結核として働くことで雲粒の数や大きさなどを変化させる ため、気候に大きな影響を及ぼしています。 気象庁は、エーロゾルの状況を把握するため綾里(岩手県)、南鳥島(東京都)、与那国島(沖縄県)の国内3地点でサンフォトメータによるエーロゾル光学的厚さ(エーロゾルによる大気の濁り具合)の観測を行っています。 エーロゾルによる大気の濁り具合を表すエーロゾル光学的厚さは値が大きいほどエーロゾルが多いことを示します。下の例では、エーロゾル光学的厚さが春に大きく、冬に小さくなっています。これは春に黄砂などが飛来してエーロゾルが多くなるためと考えられています。また、平成15年(2003年)5月にはシベリアの森林火災の煙、平成18年(2006年)の春には大規模な黄砂の影響でエーロゾル光学的厚さが特に大きくなった二つの出来事です。 エ.日射放射観測 気象庁では、平成22年3月31日から札幌、つくば(高層気象台)、福岡、石垣島、南鳥島の5地点において、精密な日射放射(直達日射、散乱日射、下向き赤外放射の3要素)観測を開始し、気候変動の監視や温暖化予測の不確実性の低減に取り組んでいます。 温暖化の将来予測を行うため、世界中の研究機関等が気候モデルを開発しています。しかし、モデルによる予測には不確実性が含まれているため、各国の予測結果にはばらつきが見られます。不確実性の原因の一つとして、エーロゾルや温室効果ガス等の増減が、気温を変化させるエネルギー源である日射放射に及ぼす効果について十分解明されていないことが挙げられます。 日射放射が日変化する例として、平成22年11月2日のつくばの状況を示します。 朝は快晴で大気も清浄だったため、太陽の方向から直接地表に届く直達日射は順調に増加しましたが、10時頃から薄い雲がかかり始め、直達日射は急激に減少しました。 一方、大気分子や雲粒、エーロゾルなどで散乱されて太陽の方向以外から地表に届く散乱日射は、薄い雲がかかり始めた10時頃から急激に増加しました。また、大気や雲などがその温度に応じて放出する赤外放射は、雲がかかってきた影響で増加しています。その後、13時頃から、厚い雲に覆われ始めたため散乱日射は減少しました。 (2)オゾン層の状況の監視等のための観測網 高度10~50キロメートルにオゾンの多い層がありオゾン層と呼んでいます。オゾン層は生物に有害な紫外線の多くを吸収する役割を果たしています。しかし、人工物質のフロンなどによりオゾン層が地球規模で破壊され、地上に到達する紫外線の増加による健康や生態系への悪影響が懸念されています。 気象庁は、昭和32年(1957年)にオゾン層の観測を開始し、現在は、札幌、つくば、那覇、南鳥島、南極昭和基地で実施しています。また、平成2年(1990年)から順次、南鳥島を除くオゾン層観測地点で紫外線の観測を開始しました。 ア.オゾン層の観測 ①分光光度計による観測 太陽から地上に到達する紫外線のうち、オゾンに吸収されやすい波長の紫外線とオゾンに吸収されにくい波長の紫外線の強度を測定することにより、地上から大気上端までのオゾン量(オゾン全量)を観測します。 ②オゾンゾンデ観測 気球に吊した観測器(オゾンゾンデ)により上空のオゾン量を直接測定し、オゾンの鉛直分布を詳細に知ることができます イ.紫外線の観測 ①分光光度計による観測 生物に有害なUV-B域を中心に、波長毎の紫外線量を観測します。 (3)南極での観測 南極は、地球上の人間活動が活発な地域から最も離れた場所で、気候変動や地球環境を監視するための様々な 観測を行うために最適な場所です。日本の南極地域観測は、地球規模の現象解明のため国際地球観測年(IGY)の国際的な共同観測計画の一環として、昭和31年(1956年)以降、観測隊を派遣して実施しています。 日本の観測隊は南極大陸の氷縁から約4キロメートル離れた東オングル島に昭和基地を開設(南緯69度00分、東 経39度35分)し、海底や地表から宇宙まで広範囲にわたって、様々な観測をしています。 気象庁は、現在では毎年5人の越冬隊員を派遣し、基本観測・定常観測部門の気象観測を担っています。 地上、高層、オゾン、日射・放射観測の方法などは国内と同様に、測器や隊員の目視により行っています。 これまで、極寒地の基礎的な質の高いデータを継続して取得し、昭和57年(1982年)には世界で初めて上空のオゾン量の減少(オゾンホール)を発見しました。これらの観測データは、国際的にも大変貴重であり、地球環境問題を解明するさまざまな研究の基礎資料となっています。 また、気象観測以外にも、研究観測部門に越冬隊員を適宜派遣してオーロラや地磁気などの観測を行っています。 南極で得られた気象観測データは、即時に通信回線で気象庁に送られ、さらに世界の国々に配信され、日々の気象予測、オゾン層を含む気候変動の監視や様々な研究などに利用されています。
エーロゾルの半径において、より小さい半径を教えてください。
エーロゾルのうち、小さい半径は半径0.001マイクロメートルです。
JCRRAG_015908
地理
47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「岡山県」です。「晴れの国おかやま」といわれるように、岡山県は降水量1mm未満の日が日本で一番多く、晴れの日が多いことが特徴です。岡山県は温暖な気候を生かした果物の栽培も盛んで、白桃やマスカット、ピオーネなど屈指の生産量を誇ります。岡山県は日本三名園の後楽園や、レトロな街並みの倉敷美観地区など、観光スポットもたくさんあります。 今回は、岡山県の魅力をたっぷりお伝えいたしますので、ぜひ最後までご覧ください。 岡山県とは はじめに、岡山県の基本情報をご紹介いたします。 県の位置 中国地方に属し、東経約133〜134°、北緯約34〜35°に位置するのが岡山県です。岡山県は東は兵庫県、西は広島県、北は鳥取県に隣接し、瀬戸大橋で香川県と結ばれています。 県名の由来 岡山県の県名は岡山城が由来です。1590年に石山城を居城としていた宇喜多秀家が新城を建築する際、城の本丸と天守閣を築いた場所が小さな丘で「岡山」という名前でした。そこで城の名前が岡山城となり、岡山の地名が生まれました。 文化 岡山県に伝わる文化のうち、主なものをご紹介いたします。 国産ジーンズ 写真提供:岡山県観光連盟 岡山県は児島地区を中心に高品質なデニムを生産していて、日本だけでなく世界的にも有名です。岡山デニムは藍染の技術が素晴らしく、履きこむほどに深い味わいが出てくることや、機能性を付加したこだわりのジーンズを追求し続けていることなどが特徴です。 ジーンズは1960年代に輸入が始まりましたが、当時のジーンズは硬くてゴワゴワしていたため、はき心地が良くありませんでした。そこで生地を柔らかくするために洗い加工の技術が誕生し、一度洗ってはきやすくしたものを商品化するようになったのです。 さらに「生地」「縫製」「加工」のすべての工程を岡山県内で完結できるようになったため、ジーンズの生産が盛んになりました。児島ジーンズストリートには地元のジーンズメーカーが軒を連ね、多くのジーンズファンが訪れます。
中国地方に属し、東経約133〜134°、北緯約34〜35°に位置する都道府県では、どのような天気が特徴的か。
中国地方に属し、東経約133〜134°、北緯約34〜35°に位置する都道府県は、降水量1mm未満の日が日本で一番多く、晴れの日が多いことが特徴である。
JCRRAG_015909
地理
発表した警報等及び気象等の経過(気象の経過、JETT・ホットライン) 7月11日 01時22分 大雨と突風に関する鹿児島県(奄美地方を除く)気象情報 第 13 号(図情報) 薩摩地方では、11日明け方にかけて土砂災害に厳重に警戒し、河川の増水や氾濫に警戒。 これまでの記録的な大雨により土砂災害や洪水害の危険度が高い状態が続いている所がある。今後、少しの雨でも土砂災害が発生するおそれがある。 03時35分 川内川下流部氾濫注意情報(警戒情報解除) 川内川下流部洪水予報第 3 号 洪水注意報(警報解除) 04時50分 土砂災害警戒情報 第 8 号 05時06分 [継続]大雨(土砂災害)警報[警報から注意報]洪水注意報 特記事項 土砂災害警戒 土砂災害 警戒期間 11日昼前まで 注意期間 11日夕方まで 洪水 注意期間 11日昼前まで 05時23分 大雨と突風に関する鹿児島県(奄美地方を除く)気象情報 第 14 号 出水市、薩摩川内市、伊佐市、さつま町では、11日昼前にかけて土砂災害に厳重に警戒。 薩摩地方では、これまでの記録的な大雨により土砂災害の危険度が高い状態が続いている所がある。今後、少しの雨でも土砂災害が発生するおそれがある。 <雨の予想> 11日に予想される1時間降水量は、多い所で、 薩摩地方 10ミリ 11日6時から12日6時までに予想される24時間降水量は、多い所で、 薩摩地方 40ミリ 07時19分 [継続]大雨(土砂災害)警報,洪水注意報 特記事項 土砂災害警戒 土砂災害 警戒期間 11日昼前まで 注意期間 11日夕方まで 洪水 注意期間 11日夕方まで 07時25分 大雨と突風に関する鹿児島県(奄美地方を除く)気象情報 第 15 号 阿久根市、出水市、伊佐市、薩摩川内市、さつま町では、11日昼前にかけて土砂災害に警戒。 薩摩地方では、これまでの記録的な大雨により土砂災害の危険度が高い状態が続いている所がある。今後、少しの雨でも土砂災害が発生するおそれがある。 <雨の予想> 11日に予想される1時間降水量は、多い所で、 薩摩地方 20ミリ 11日6時から12日6時までに予想される24時間降水量は、多い所で、 薩摩地方 50ミリ 10時30分 [継続]洪水注意報[警報から注意報]大雨注意報 特記事項 土砂災害注意 土砂災害 注意期間 11日夜のはじめ頃まで 洪水 注意期間 11日夜のはじめ頃まで 10時36分 大雨と突風に関する鹿児島県(奄美地方を除く)気象情報 第 16 号 薩摩地方では、11日夜のはじめ頃にかけて土砂災害や河川の増水に注意。 薩摩地方では、これまでの記録的な大雨により地盤が緩んでいる所がある。今後、少しの雨でも土砂災害が発生するおそれがある。 13時20分 川内川下流部氾濫注意情報解除 川内川下流部洪水予報第 4 号 洪水注意報解除
大雨と突風に関する鹿児島県(奄美地方を除く)気象情報における第 14 号と第 15 号の雨の予想を比較して、24時間降水量が少ないほうを教えてください。
大雨と突風に関する鹿児島県(奄美地方を除く)気象情報における第 14 号と第 15 号の雨の予想を比較して、24時間降水量が少ないのは40ミリです。
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地理
47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「岡山県」です。「晴れの国おかやま」といわれるように、岡山県は降水量1mm未満の日が日本で一番多く、晴れの日が多いことが特徴です。岡山県は温暖な気候を生かした果物の栽培も盛んで、白桃やマスカット、ピオーネなど屈指の生産量を誇ります。岡山県は日本三名園の後楽園や、レトロな街並みの倉敷美観地区など、観光スポットもたくさんあります。 今回は、岡山県の魅力をたっぷりお伝えいたしますので、ぜひ最後までご覧ください。 岡山県とは はじめに、岡山県の基本情報をご紹介いたします。 県の位置 中国地方に属し、東経約133〜134°、北緯約34〜35°に位置するのが岡山県です。岡山県は東は兵庫県、西は広島県、北は鳥取県に隣接し、瀬戸大橋で香川県と結ばれています。 県名の由来 岡山県の県名は岡山城が由来です。1590年に石山城を居城としていた宇喜多秀家が新城を建築する際、城の本丸と天守閣を築いた場所が小さな丘で「岡山」という名前でした。そこで城の名前が岡山城となり、岡山の地名が生まれました。 文化 岡山県に伝わる文化のうち、主なものをご紹介いたします。 国産ジーンズ 写真提供:岡山県観光連盟 岡山県は児島地区を中心に高品質なデニムを生産していて、日本だけでなく世界的にも有名です。岡山デニムは藍染の技術が素晴らしく、履きこむほどに深い味わいが出てくることや、機能性を付加したこだわりのジーンズを追求し続けていることなどが特徴です。 ジーンズは1960年代に輸入が始まりましたが、当時のジーンズは硬くてゴワゴワしていたため、はき心地が良くありませんでした。そこで生地を柔らかくするために洗い加工の技術が誕生し、一度洗ってはきやすくしたものを商品化するようになったのです。 さらに「生地」「縫製」「加工」のすべての工程を岡山県内で完結できるようになったため、ジーンズの生産が盛んになりました。児島ジーンズストリートには地元のジーンズメーカーが軒を連ね、多くのジーンズファンが訪れます。
中国地方に属し、東経約133〜134°、北緯約34〜35°に位置する都道府県では、どのような農業をおこなっているか。
中国地方に属し、東経約133〜134°、北緯約34〜35°に位置する都道府県は、温暖な気候を生かした果物の栽培も盛んで、白桃やマスカット、ピオーネなど屈指の生産量を誇る。
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地理
ウ.エーロゾルの観測 エーロゾルとは、火山灰、黄砂、海塩粒子、すすなど、大気中に浮遊する半径0.001マイクロメートル~10マイクロメートル(1マイクロメートルは千分の1ミリメートル)程度のごく小さなちりのことです。エーロゾルは太陽光を散乱・吸収して地表に届く日射量を減衰させ、また雲の凝結核として働くことで雲粒の数や大きさなどを変化させる ため、気候に大きな影響を及ぼしています。 気象庁は、エーロゾルの状況を把握するため綾里(岩手県)、南鳥島(東京都)、与那国島(沖縄県)の国内3地点でサンフォトメータによるエーロゾル光学的厚さ(エーロゾルによる大気の濁り具合)の観測を行っています。 エーロゾルによる大気の濁り具合を表すエーロゾル光学的厚さは値が大きいほどエーロゾルが多いことを示します。下の例では、エーロゾル光学的厚さが春に大きく、冬に小さくなっています。これは春に黄砂などが飛来してエーロゾルが多くなるためと考えられています。また、平成15年(2003年)5月にはシベリアの森林火災の煙、平成18年(2006年)の春には大規模な黄砂の影響でエーロゾル光学的厚さが特に大きくなった二つの出来事です。 エ.日射放射観測 気象庁では、平成22年3月31日から札幌、つくば(高層気象台)、福岡、石垣島、南鳥島の5地点において、精密な日射放射(直達日射、散乱日射、下向き赤外放射の3要素)観測を開始し、気候変動の監視や温暖化予測の不確実性の低減に取り組んでいます。 温暖化の将来予測を行うため、世界中の研究機関等が気候モデルを開発しています。しかし、モデルによる予測には不確実性が含まれているため、各国の予測結果にはばらつきが見られます。不確実性の原因の一つとして、エーロゾルや温室効果ガス等の増減が、気温を変化させるエネルギー源である日射放射に及ぼす効果について十分解明されていないことが挙げられます。 日射放射が日変化する例として、平成22年11月2日のつくばの状況を示します。 朝は快晴で大気も清浄だったため、太陽の方向から直接地表に届く直達日射は順調に増加しましたが、10時頃から薄い雲がかかり始め、直達日射は急激に減少しました。 一方、大気分子や雲粒、エーロゾルなどで散乱されて太陽の方向以外から地表に届く散乱日射は、薄い雲がかかり始めた10時頃から急激に増加しました。また、大気や雲などがその温度に応じて放出する赤外放射は、雲がかかってきた影響で増加しています。その後、13時頃から、厚い雲に覆われ始めたため散乱日射は減少しました。 (2)オゾン層の状況の監視等のための観測網 高度10~50キロメートルにオゾンの多い層がありオゾン層と呼んでいます。オゾン層は生物に有害な紫外線の多くを吸収する役割を果たしています。しかし、人工物質のフロンなどによりオゾン層が地球規模で破壊され、地上に到達する紫外線の増加による健康や生態系への悪影響が懸念されています。 気象庁は、昭和32年(1957年)にオゾン層の観測を開始し、現在は、札幌、つくば、那覇、南鳥島、南極昭和基地で実施しています。また、平成2年(1990年)から順次、南鳥島を除くオゾン層観測地点で紫外線の観測を開始しました。 ア.オゾン層の観測 ①分光光度計による観測 太陽から地上に到達する紫外線のうち、オゾンに吸収されやすい波長の紫外線とオゾンに吸収されにくい波長の紫外線の強度を測定することにより、地上から大気上端までのオゾン量(オゾン全量)を観測します。 ②オゾンゾンデ観測 気球に吊した観測器(オゾンゾンデ)により上空のオゾン量を直接測定し、オゾンの鉛直分布を詳細に知ることができます イ.紫外線の観測 ①分光光度計による観測 生物に有害なUV-B域を中心に、波長毎の紫外線量を観測します。 (3)南極での観測 南極は、地球上の人間活動が活発な地域から最も離れた場所で、気候変動や地球環境を監視するための様々な 観測を行うために最適な場所です。日本の南極地域観測は、地球規模の現象解明のため国際地球観測年(IGY)の国際的な共同観測計画の一環として、昭和31年(1956年)以降、観測隊を派遣して実施しています。 日本の観測隊は南極大陸の氷縁から約4キロメートル離れた東オングル島に昭和基地を開設(南緯69度00分、東 経39度35分)し、海底や地表から宇宙まで広範囲にわたって、様々な観測をしています。 気象庁は、現在では毎年5人の越冬隊員を派遣し、基本観測・定常観測部門の気象観測を担っています。 地上、高層、オゾン、日射・放射観測の方法などは国内と同様に、測器や隊員の目視により行っています。 これまで、極寒地の基礎的な質の高いデータを継続して取得し、昭和57年(1982年)には世界で初めて上空のオゾン量の減少(オゾンホール)を発見しました。これらの観測データは、国際的にも大変貴重であり、地球環境問題を解明するさまざまな研究の基礎資料となっています。 また、気象観測以外にも、研究観測部門に越冬隊員を適宜派遣してオーロラや地磁気などの観測を行っています。 南極で得られた気象観測データは、即時に通信回線で気象庁に送られ、さらに世界の国々に配信され、日々の気象予測、オゾン層を含む気候変動の監視や様々な研究などに利用されています。
エーロゾルの半径において、より大きい半径を教えてください。
エーロゾルのうち、大きい半径は10マイクロメートルです。
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地理
47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「岡山県」です。「晴れの国おかやま」といわれるように、岡山県は降水量1mm未満の日が日本で一番多く、晴れの日が多いことが特徴です。岡山県は温暖な気候を生かした果物の栽培も盛んで、白桃やマスカット、ピオーネなど屈指の生産量を誇ります。岡山県は日本三名園の後楽園や、レトロな街並みの倉敷美観地区など、観光スポットもたくさんあります。 今回は、岡山県の魅力をたっぷりお伝えいたしますので、ぜひ最後までご覧ください。 岡山県とは はじめに、岡山県の基本情報をご紹介いたします。 県の位置 中国地方に属し、東経約133〜134°、北緯約34〜35°に位置するのが岡山県です。岡山県は東は兵庫県、西は広島県、北は鳥取県に隣接し、瀬戸大橋で香川県と結ばれています。 県名の由来 岡山県の県名は岡山城が由来です。1590年に石山城を居城としていた宇喜多秀家が新城を建築する際、城の本丸と天守閣を築いた場所が小さな丘で「岡山」という名前でした。そこで城の名前が岡山城となり、岡山の地名が生まれました。 文化 岡山県に伝わる文化のうち、主なものをご紹介いたします。 国産ジーンズ 写真提供:岡山県観光連盟 岡山県は児島地区を中心に高品質なデニムを生産していて、日本だけでなく世界的にも有名です。岡山デニムは藍染の技術が素晴らしく、履きこむほどに深い味わいが出てくることや、機能性を付加したこだわりのジーンズを追求し続けていることなどが特徴です。 ジーンズは1960年代に輸入が始まりましたが、当時のジーンズは硬くてゴワゴワしていたため、はき心地が良くありませんでした。そこで生地を柔らかくするために洗い加工の技術が誕生し、一度洗ってはきやすくしたものを商品化するようになったのです。 さらに「生地」「縫製」「加工」のすべての工程を岡山県内で完結できるようになったため、ジーンズの生産が盛んになりました。児島ジーンズストリートには地元のジーンズメーカーが軒を連ね、多くのジーンズファンが訪れます。
中国地方に属し、東経約133〜134°、北緯約34〜35°に位置する都道府県は、どのような場所が多いか。
中国地方に属し、東経約133〜134°、北緯約34〜35°に位置する都道府県は、日本三名園の後楽園や、レトロな街並みの倉敷美観地区など、観光スポットもたくさんある。
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地理
5 月 11 日から 7 月 14 日の期間、前線や気圧の谷の影響等により大気の状態が非常に不安定となったため、各地で突風による被害が発生した。 各地の気象台では、被害をもたらした突風現象を明らかにするため、現地調査等を実施し、被害状況や証言などから、次のとおり突風現象の種類や強さを評定した。 〇発生場所:山形県最上郡金山町 発生日時:5 月 25 日 23:00 頃 主な被害状況:住家が一部損壊したものが 1 棟 突風現象の種類:ダウンバースト 風速:約 30m/s 〇発生場所:秋田県横手市 発生日時:6 月 14 日 16:15 頃 主な被害状況:樹木の枝折れ 突風現象の種類:竜巻 風速:約 25m/s 〇発生場所:秋田県横手市、湯沢市、雄勝郡羽後町 発生日時:6 月 14 日 16:30 頃 主な被害状況:住家の屋根ふき材のはく離 突風現象の種類:ダウンバースト または ガストフロント 風速:約 28m/s 〇発生場所:群馬県桐生市、太田市、栃木県足利市、佐野市 発生日時:7 月 11 日 14:30 頃 主な被害状況:住家が一部損壊したものが 9 棟、非住家が一部損壊もの 12 棟 突風現象の種類:ダウンバースト または ガストフロント 風速:約 35m/s 〇発生場所:茨城県笠間市 発生日時:7 月 11 日 16:10 頃 主な被害状況:屋根の破損による電線の切断、倒木 7 件 突風現象の種類:ダウンバースト 風速:約 32m/s
5 月 11 日から 7 月 14 日の期間に発生した突風のうち、もっとも風速が速いものを教えてください。
5 月 11 日から 7 月 14 日の期間に発生した突風のうち、もっとも風速が速いのは約35m/sです。
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地理
47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「岡山県」です。「晴れの国おかやま」といわれるように、岡山県は降水量1mm未満の日が日本で一番多く、晴れの日が多いことが特徴です。岡山県は温暖な気候を生かした果物の栽培も盛んで、白桃やマスカット、ピオーネなど屈指の生産量を誇ります。岡山県は日本三名園の後楽園や、レトロな街並みの倉敷美観地区など、観光スポットもたくさんあります。 今回は、岡山県の魅力をたっぷりお伝えいたしますので、ぜひ最後までご覧ください。 岡山県とは はじめに、岡山県の基本情報をご紹介いたします。 県の位置 中国地方に属し、東経約133〜134°、北緯約34〜35°に位置するのが岡山県です。岡山県は東は兵庫県、西は広島県、北は鳥取県に隣接し、瀬戸大橋で香川県と結ばれています。 県名の由来 岡山県の県名は岡山城が由来です。1590年に石山城を居城としていた宇喜多秀家が新城を建築する際、城の本丸と天守閣を築いた場所が小さな丘で「岡山」という名前でした。そこで城の名前が岡山城となり、岡山の地名が生まれました。 文化 岡山県に伝わる文化のうち、主なものをご紹介いたします。 国産ジーンズ 写真提供:岡山県観光連盟 岡山県は児島地区を中心に高品質なデニムを生産していて、日本だけでなく世界的にも有名です。岡山デニムは藍染の技術が素晴らしく、履きこむほどに深い味わいが出てくることや、機能性を付加したこだわりのジーンズを追求し続けていることなどが特徴です。 ジーンズは1960年代に輸入が始まりましたが、当時のジーンズは硬くてゴワゴワしていたため、はき心地が良くありませんでした。そこで生地を柔らかくするために洗い加工の技術が誕生し、一度洗ってはきやすくしたものを商品化するようになったのです。 さらに「生地」「縫製」「加工」のすべての工程を岡山県内で完結できるようになったため、ジーンズの生産が盛んになりました。児島ジーンズストリートには地元のジーンズメーカーが軒を連ね、多くのジーンズファンが訪れます。
中国地方に属し、東経約133〜134°、北緯約34〜35°に位置する都道府県は、どのような立地か。
中国地方に属し、東経約133〜134°、北緯約34〜35°に位置する都道府県は、東は兵庫県、西は広島県、北は鳥取県に隣接し、瀬戸大橋で香川県と結ばれている。
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地理
ウ.エーロゾルの観測 エーロゾルとは、火山灰、黄砂、海塩粒子、すすなど、大気中に浮遊する半径0.001マイクロメートル~10マイクロメートル(1マイクロメートルは千分の1ミリメートル)程度のごく小さなちりのことです。エーロゾルは太陽光を散乱・吸収して地表に届く日射量を減衰させ、また雲の凝結核として働くことで雲粒の数や大きさなどを変化させる ため、気候に大きな影響を及ぼしています。 気象庁は、エーロゾルの状況を把握するため綾里(岩手県)、南鳥島(東京都)、与那国島(沖縄県)の国内3地点でサンフォトメータによるエーロゾル光学的厚さ(エーロゾルによる大気の濁り具合)の観測を行っています。 エーロゾルによる大気の濁り具合を表すエーロゾル光学的厚さは値が大きいほどエーロゾルが多いことを示します。下の例では、エーロゾル光学的厚さが春に大きく、冬に小さくなっています。これは春に黄砂などが飛来してエーロゾルが多くなるためと考えられています。また、平成15年(2003年)5月にはシベリアの森林火災の煙、平成18年(2006年)の春には大規模な黄砂の影響でエーロゾル光学的厚さが特に大きくなった二つの出来事です。 エ.日射放射観測 気象庁では、平成22年3月31日から札幌、つくば(高層気象台)、福岡、石垣島、南鳥島の5地点において、精密な日射放射(直達日射、散乱日射、下向き赤外放射の3要素)観測を開始し、気候変動の監視や温暖化予測の不確実性の低減に取り組んでいます。 温暖化の将来予測を行うため、世界中の研究機関等が気候モデルを開発しています。しかし、モデルによる予測には不確実性が含まれているため、各国の予測結果にはばらつきが見られます。不確実性の原因の一つとして、エーロゾルや温室効果ガス等の増減が、気温を変化させるエネルギー源である日射放射に及ぼす効果について十分解明されていないことが挙げられます。 日射放射が日変化する例として、平成22年11月2日のつくばの状況を示します。 朝は快晴で大気も清浄だったため、太陽の方向から直接地表に届く直達日射は順調に増加しましたが、10時頃から薄い雲がかかり始め、直達日射は急激に減少しました。 一方、大気分子や雲粒、エーロゾルなどで散乱されて太陽の方向以外から地表に届く散乱日射は、薄い雲がかかり始めた10時頃から急激に増加しました。また、大気や雲などがその温度に応じて放出する赤外放射は、雲がかかってきた影響で増加しています。その後、13時頃から、厚い雲に覆われ始めたため散乱日射は減少しました。 (2)オゾン層の状況の監視等のための観測網 高度10~50キロメートルにオゾンの多い層がありオゾン層と呼んでいます。オゾン層は生物に有害な紫外線の多くを吸収する役割を果たしています。しかし、人工物質のフロンなどによりオゾン層が地球規模で破壊され、地上に到達する紫外線の増加による健康や生態系への悪影響が懸念されています。 気象庁は、昭和32年(1957年)にオゾン層の観測を開始し、現在は、札幌、つくば、那覇、南鳥島、南極昭和基地で実施しています。また、平成2年(1990年)から順次、南鳥島を除くオゾン層観測地点で紫外線の観測を開始しました。 ア.オゾン層の観測 ①分光光度計による観測 太陽から地上に到達する紫外線のうち、オゾンに吸収されやすい波長の紫外線とオゾンに吸収されにくい波長の紫外線の強度を測定することにより、地上から大気上端までのオゾン量(オゾン全量)を観測します。 ②オゾンゾンデ観測 気球に吊した観測器(オゾンゾンデ)により上空のオゾン量を直接測定し、オゾンの鉛直分布を詳細に知ることができます イ.紫外線の観測 ①分光光度計による観測 生物に有害なUV-B域を中心に、波長毎の紫外線量を観測します。 (3)南極での観測 南極は、地球上の人間活動が活発な地域から最も離れた場所で、気候変動や地球環境を監視するための様々な 観測を行うために最適な場所です。日本の南極地域観測は、地球規模の現象解明のため国際地球観測年(IGY)の国際的な共同観測計画の一環として、昭和31年(1956年)以降、観測隊を派遣して実施しています。 日本の観測隊は南極大陸の氷縁から約4キロメートル離れた東オングル島に昭和基地を開設(南緯69度00分、東 経39度35分)し、海底や地表から宇宙まで広範囲にわたって、様々な観測をしています。 気象庁は、現在では毎年5人の越冬隊員を派遣し、基本観測・定常観測部門の気象観測を担っています。 地上、高層、オゾン、日射・放射観測の方法などは国内と同様に、測器や隊員の目視により行っています。 これまで、極寒地の基礎的な質の高いデータを継続して取得し、昭和57年(1982年)には世界で初めて上空のオゾン量の減少(オゾンホール)を発見しました。これらの観測データは、国際的にも大変貴重であり、地球環境問題を解明するさまざまな研究の基礎資料となっています。 また、気象観測以外にも、研究観測部門に越冬隊員を適宜派遣してオーロラや地磁気などの観測を行っています。 南極で得られた気象観測データは、即時に通信回線で気象庁に送られ、さらに世界の国々に配信され、日々の気象予測、オゾン層を含む気候変動の監視や様々な研究などに利用されています。
エーロゾル光学的厚さが特に大きくなった二つの出来事のうち、早く起こったほうを教えてください。
エーロゾル光学的厚さが特に大きくなった二つの出来事のうち、早く起こったほうは平成15年(2003年)5月です。
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地理
47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「岡山県」です。「晴れの国おかやま」といわれるように、岡山県は降水量1mm未満の日が日本で一番多く、晴れの日が多いことが特徴です。岡山県は温暖な気候を生かした果物の栽培も盛んで、白桃やマスカット、ピオーネなど屈指の生産量を誇ります。岡山県は日本三名園の後楽園や、レトロな街並みの倉敷美観地区など、観光スポットもたくさんあります。 今回は、岡山県の魅力をたっぷりお伝えいたしますので、ぜひ最後までご覧ください。 岡山県とは はじめに、岡山県の基本情報をご紹介いたします。 県の位置 中国地方に属し、東経約133〜134°、北緯約34〜35°に位置するのが岡山県です。岡山県は東は兵庫県、西は広島県、北は鳥取県に隣接し、瀬戸大橋で香川県と結ばれています。 県名の由来 岡山県の県名は岡山城が由来です。1590年に石山城を居城としていた宇喜多秀家が新城を建築する際、城の本丸と天守閣を築いた場所が小さな丘で「岡山」という名前でした。そこで城の名前が岡山城となり、岡山の地名が生まれました。 文化 岡山県に伝わる文化のうち、主なものをご紹介いたします。 国産ジーンズ 写真提供:岡山県観光連盟 岡山県は児島地区を中心に高品質なデニムを生産していて、日本だけでなく世界的にも有名です。岡山デニムは藍染の技術が素晴らしく、履きこむほどに深い味わいが出てくることや、機能性を付加したこだわりのジーンズを追求し続けていることなどが特徴です。 ジーンズは1960年代に輸入が始まりましたが、当時のジーンズは硬くてゴワゴワしていたため、はき心地が良くありませんでした。そこで生地を柔らかくするために洗い加工の技術が誕生し、一度洗ってはきやすくしたものを商品化するようになったのです。 さらに「生地」「縫製」「加工」のすべての工程を岡山県内で完結できるようになったため、ジーンズの生産が盛んになりました。児島ジーンズストリートには地元のジーンズメーカーが軒を連ね、多くのジーンズファンが訪れます。
中国地方に属し、東経約133〜134°、北緯約34〜35°に位置する都道府県で世界的に有名なものはなにか。
中国地方に属し、東経約133〜134°、北緯約34〜35°に位置する都道府県は、児島地区を中心に高品質なデニムを生産していて、日本だけでなく世界的にも有名である。
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地理
5 月 11 日から 7 月 14 日の期間、前線や気圧の谷の影響等により大気の状態が非常に不安定となったため、各地で突風による被害が発生した。 各地の気象台では、被害をもたらした突風現象を明らかにするため、現地調査等を実施し、被害状況や証言などから、次のとおり突風現象の種類や強さを評定した。 〇発生場所:山形県最上郡金山町 発生日時:5 月 25 日 23:00 頃 主な被害状況:住家が一部損壊したものが 1 棟 突風現象の種類:ダウンバースト 風速:約 30m/s 〇発生場所:秋田県横手市 発生日時:6 月 14 日 16:15 頃 主な被害状況:樹木の枝折れ 突風現象の種類:竜巻 風速:約 25m/s 〇発生場所:秋田県横手市、湯沢市、雄勝郡羽後町 発生日時:6 月 14 日 16:30 頃 主な被害状況:住家の屋根ふき材のはく離 突風現象の種類:ダウンバースト または ガストフロント 風速:約 28m/s 〇発生場所:群馬県桐生市、太田市、栃木県足利市、佐野市 発生日時:7 月 11 日 14:30 頃 主な被害状況:住家が一部損壊したものが 9 棟、非住家が一部損壊もの 12 棟 突風現象の種類:ダウンバースト または ガストフロント 風速:約 35m/s 〇発生場所:茨城県笠間市 発生日時:7 月 11 日 16:10 頃 主な被害状況:屋根の破損による電線の切断、倒木 7 件 突風現象の種類:ダウンバースト 風速:約 32m/s
5 月 11 日から 7 月 14 日の期間に発生した突風のうち、もっとも風速が遅いものを教えてください。
5 月 11 日から 7 月 14 日の期間に発生した突風のうち、もっとも風速が遅いのは25m/sです。
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地理
47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「広島県」です。広島県は古くから中国地方の中心的な役割を担い、重工業やかきの養殖、柑橘(かんきつ)類の栽培を中心に発展しました。原爆の投下という凄惨(せいさん)な歴史を乗り越え、自然や文化とともに最先端の技術産業を次世代へつなぐ広島県の魅力をお伝えします。 広島県の基本情報 はじめに、広島県の基本情報をご紹介いたします。 歴史と産業 広島県では各地で、縄文・弥生時代の遺跡や複数の古墳が発見されています。かつて広島県の西側は安芸国(あきのくに)、東側は備後国(びんごのくに)と呼ばれ、8世紀には多くの荘園(しょうえん)が置かれました。後に平清盛(たいらのきよもり)が安芸国の国守(こくしゅ)となり、宮島の嚴島(いつくしま)神社の社殿を修築します。 承久の乱の後、安芸国の守護となった武田氏(たけだうじ)は、毛利氏(もうりうじ)などとともに勢力を振るいました。天正17年に毛利輝元(てるもと)が広島城を築くと、城下の川には他国の船が往来して商業が栄えます。限られた耕地では、イグサの栽培や織物、木工などの産業が営まれました。 明治4年の廃藩置県で広島県や福山県などが誕生し、合併・分離を経て現在の広島県域が確定。明治27年には山陽鉄道が開通、同年の日清戦争では広島城に大本営が置かれました。大正時代に入ると工業港や臨海工業地帯の建設が盛んになり、昭和16年には呉市で世界最大の戦艦「大和」が建造されます。 昭和20年、広島市に原子爆弾が投下され、壊滅的な被害を受けました。戦後は「広島平和記念都市建設法」や「広島生産県構想」により、復興に向けた本格的な取り組みがスタート。昭和30年ごろからは呉市などの企業誘致により、鉄鋼や造船、自動車などの重工業を中心に発展します。 平成8年には、原爆ドームと嚴島(いつくしま)神社が世界文化遺産に認定されました。現在の広島県は「ものづくり」を軸とした産業が盛んで、中国地方のビジネス拠点としての役割も担います。重工業や電子部品などの出荷額は、中国・四国・九州地方で第1位。核兵器の廃絶と恒久平和を訴える活動も、次の世代へつなぐ重要な取り組みのひとつです。 面積と人口 広島県は面積約8,479㎢で、中国地方では1位の広さ、全国では11位の広さです。広島県は14市と9町から成り(令和3年7月現在)、地域は「広島」「広島中央」「広島西」「呉」「尾三(おさん)」「福山・府中」「芸北(げいほく)」「備北(びほく)」に分かれます(現在は、西部・東部・北部と3つに分ける場合も)。県内には142の離島があり、うち35島が有人です。 人口は2,801,388人にのぼり、全国では12番目です。県内でもっとも人口が多い市は広島市(1,201,281人)で、福山市、呉市と続きます(令和2年10月1日現在)。 【参考】広島県「令和2年国勢調査 人口速報集計結果」 県の位置と県庁所在地 中国地方で東経約132~133°、北緯約34~35°に位置するのは広島県です。北西は中国山地、南は瀬戸内海に面し、面積の約75%が山地で低地は5%しかありません。県庁所在地は広島市で、市内には20種類を超える多彩な路面電車が走ります。 県名の由来 広島市内を流れる太田川の三角州(デルタ)には、かつて複数の島々が点在していました。毛利輝元がこの中でもっとも広い島を選び、築城した際に「広島」と命名したとされます。また、毛利氏の祖先に当たる「大江広元(おおえのひろもと)」の「広」と、この地域の武士である「福島元長(もとなが)」の「島」を取って名づけたという説もあります。
中国地方で東経約132~133°、北緯約34~35°に位置する都道府県は、どのように発展したか。
中国地方で東経約132~133°、北緯約34~35°に位置する都道府県は、古くから中国地方の中心的な役割を担い、重工業やかきの養殖、柑橘(かんきつ)類の栽培を中心に発展した。
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地理
ウ.エーロゾルの観測 エーロゾルとは、火山灰、黄砂、海塩粒子、すすなど、大気中に浮遊する半径0.001マイクロメートル~10マイクロメートル(1マイクロメートルは千分の1ミリメートル)程度のごく小さなちりのことです。エーロゾルは太陽光を散乱・吸収して地表に届く日射量を減衰させ、また雲の凝結核として働くことで雲粒の数や大きさなどを変化させる ため、気候に大きな影響を及ぼしています。 気象庁は、エーロゾルの状況を把握するため綾里(岩手県)、南鳥島(東京都)、与那国島(沖縄県)の国内3地点でサンフォトメータによるエーロゾル光学的厚さ(エーロゾルによる大気の濁り具合)の観測を行っています。 エーロゾルによる大気の濁り具合を表すエーロゾル光学的厚さは値が大きいほどエーロゾルが多いことを示します。下の例では、エーロゾル光学的厚さが春に大きく、冬に小さくなっています。これは春に黄砂などが飛来してエーロゾルが多くなるためと考えられています。また、平成15年(2003年)5月にはシベリアの森林火災の煙、平成18年(2006年)の春には大規模な黄砂の影響でエーロゾル光学的厚さが特に大きくなった二つの出来事です。 エ.日射放射観測 気象庁では、平成22年3月31日から札幌、つくば(高層気象台)、福岡、石垣島、南鳥島の5地点において、精密な日射放射(直達日射、散乱日射、下向き赤外放射の3要素)観測を開始し、気候変動の監視や温暖化予測の不確実性の低減に取り組んでいます。 温暖化の将来予測を行うため、世界中の研究機関等が気候モデルを開発しています。しかし、モデルによる予測には不確実性が含まれているため、各国の予測結果にはばらつきが見られます。不確実性の原因の一つとして、エーロゾルや温室効果ガス等の増減が、気温を変化させるエネルギー源である日射放射に及ぼす効果について十分解明されていないことが挙げられます。 日射放射が日変化する例として、平成22年11月2日のつくばの状況を示します。 朝は快晴で大気も清浄だったため、太陽の方向から直接地表に届く直達日射は順調に増加しましたが、10時頃から薄い雲がかかり始め、直達日射は急激に減少しました。 一方、大気分子や雲粒、エーロゾルなどで散乱されて太陽の方向以外から地表に届く散乱日射は、薄い雲がかかり始めた10時頃から急激に増加しました。また、大気や雲などがその温度に応じて放出する赤外放射は、雲がかかってきた影響で増加しています。その後、13時頃から、厚い雲に覆われ始めたため散乱日射は減少しました。 (2)オゾン層の状況の監視等のための観測網 高度10~50キロメートルにオゾンの多い層がありオゾン層と呼んでいます。オゾン層は生物に有害な紫外線の多くを吸収する役割を果たしています。しかし、人工物質のフロンなどによりオゾン層が地球規模で破壊され、地上に到達する紫外線の増加による健康や生態系への悪影響が懸念されています。 気象庁は、昭和32年(1957年)にオゾン層の観測を開始し、現在は、札幌、つくば、那覇、南鳥島、南極昭和基地で実施しています。また、平成2年(1990年)から順次、南鳥島を除くオゾン層観測地点で紫外線の観測を開始しました。 ア.オゾン層の観測 ①分光光度計による観測 太陽から地上に到達する紫外線のうち、オゾンに吸収されやすい波長の紫外線とオゾンに吸収されにくい波長の紫外線の強度を測定することにより、地上から大気上端までのオゾン量(オゾン全量)を観測します。 ②オゾンゾンデ観測 気球に吊した観測器(オゾンゾンデ)により上空のオゾン量を直接測定し、オゾンの鉛直分布を詳細に知ることができます イ.紫外線の観測 ①分光光度計による観測 生物に有害なUV-B域を中心に、波長毎の紫外線量を観測します。 (3)南極での観測 南極は、地球上の人間活動が活発な地域から最も離れた場所で、気候変動や地球環境を監視するための様々な 観測を行うために最適な場所です。日本の南極地域観測は、地球規模の現象解明のため国際地球観測年(IGY)の国際的な共同観測計画の一環として、昭和31年(1956年)以降、観測隊を派遣して実施しています。 日本の観測隊は南極大陸の氷縁から約4キロメートル離れた東オングル島に昭和基地を開設(南緯69度00分、東 経39度35分)し、海底や地表から宇宙まで広範囲にわたって、様々な観測をしています。 気象庁は、現在では毎年5人の越冬隊員を派遣し、基本観測・定常観測部門の気象観測を担っています。 地上、高層、オゾン、日射・放射観測の方法などは国内と同様に、測器や隊員の目視により行っています。 これまで、極寒地の基礎的な質の高いデータを継続して取得し、昭和57年(1982年)には世界で初めて上空のオゾン量の減少(オゾンホール)を発見しました。これらの観測データは、国際的にも大変貴重であり、地球環境問題を解明するさまざまな研究の基礎資料となっています。 また、気象観測以外にも、研究観測部門に越冬隊員を適宜派遣してオーロラや地磁気などの観測を行っています。 南極で得られた気象観測データは、即時に通信回線で気象庁に送られ、さらに世界の国々に配信され、日々の気象予測、オゾン層を含む気候変動の監視や様々な研究などに利用されています。
エーロゾル光学的厚さが特に大きくなった二つの出来事のうち、遅く起こったほうを教えてください。
エーロゾル光学的厚さが特に大きくなった二つの出来事のうち、遅く起こったほうは平成18年(2006年)です。
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47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「広島県」です。広島県は古くから中国地方の中心的な役割を担い、重工業やかきの養殖、柑橘(かんきつ)類の栽培を中心に発展しました。原爆の投下という凄惨(せいさん)な歴史を乗り越え、自然や文化とともに最先端の技術産業を次世代へつなぐ広島県の魅力をお伝えします。 広島県の基本情報 はじめに、広島県の基本情報をご紹介いたします。 歴史と産業 広島県では各地で、縄文・弥生時代の遺跡や複数の古墳が発見されています。かつて広島県の西側は安芸国(あきのくに)、東側は備後国(びんごのくに)と呼ばれ、8世紀には多くの荘園(しょうえん)が置かれました。後に平清盛(たいらのきよもり)が安芸国の国守(こくしゅ)となり、宮島の嚴島(いつくしま)神社の社殿を修築します。 承久の乱の後、安芸国の守護となった武田氏(たけだうじ)は、毛利氏(もうりうじ)などとともに勢力を振るいました。天正17年に毛利輝元(てるもと)が広島城を築くと、城下の川には他国の船が往来して商業が栄えます。限られた耕地では、イグサの栽培や織物、木工などの産業が営まれました。 明治4年の廃藩置県で広島県や福山県などが誕生し、合併・分離を経て現在の広島県域が確定。明治27年には山陽鉄道が開通、同年の日清戦争では広島城に大本営が置かれました。大正時代に入ると工業港や臨海工業地帯の建設が盛んになり、昭和16年には呉市で世界最大の戦艦「大和」が建造されます。 昭和20年、広島市に原子爆弾が投下され、壊滅的な被害を受けました。戦後は「広島平和記念都市建設法」や「広島生産県構想」により、復興に向けた本格的な取り組みがスタート。昭和30年ごろからは呉市などの企業誘致により、鉄鋼や造船、自動車などの重工業を中心に発展します。 平成8年には、原爆ドームと嚴島(いつくしま)神社が世界文化遺産に認定されました。現在の広島県は「ものづくり」を軸とした産業が盛んで、中国地方のビジネス拠点としての役割も担います。重工業や電子部品などの出荷額は、中国・四国・九州地方で第1位。核兵器の廃絶と恒久平和を訴える活動も、次の世代へつなぐ重要な取り組みのひとつです。 面積と人口 広島県は面積約8,479㎢で、中国地方では1位の広さ、全国では11位の広さです。広島県は14市と9町から成り(令和3年7月現在)、地域は「広島」「広島中央」「広島西」「呉」「尾三(おさん)」「福山・府中」「芸北(げいほく)」「備北(びほく)」に分かれます(現在は、西部・東部・北部と3つに分ける場合も)。県内には142の離島があり、うち35島が有人です。 人口は2,801,388人にのぼり、全国では12番目です。県内でもっとも人口が多い市は広島市(1,201,281人)で、福山市、呉市と続きます(令和2年10月1日現在)。 【参考】広島県「令和2年国勢調査 人口速報集計結果」 県の位置と県庁所在地 中国地方で東経約132~133°、北緯約34~35°に位置するのは広島県です。北西は中国山地、南は瀬戸内海に面し、面積の約75%が山地で低地は5%しかありません。県庁所在地は広島市で、市内には20種類を超える多彩な路面電車が走ります。 県名の由来 広島市内を流れる太田川の三角州(デルタ)には、かつて複数の島々が点在していました。毛利輝元がこの中でもっとも広い島を選び、築城した際に「広島」と命名したとされます。また、毛利氏の祖先に当たる「大江広元(おおえのひろもと)」の「広」と、この地域の武士である「福島元長(もとなが)」の「島」を取って名づけたという説もあります。
中国地方で東経約132~133°、北緯約34~35°に位置する都道府県ではどのようなものが発見されたか。
中国地方で東経約132~133°、北緯約34~35°に位置する都道府県では、各地で、縄文・弥生時代の遺跡や複数の古墳が発見されている。
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地理
5 月 11 日から 7 月 14 日の期間、前線や気圧の谷の影響等により大気の状態が非常に不安定となったため、各地で突風による被害が発生した。 各地の気象台では、被害をもたらした突風現象を明らかにするため、現地調査等を実施し、被害状況や証言などから、次のとおり突風現象の種類や強さを評定した。 〇発生場所:山形県最上郡金山町 発生日時:5 月 25 日 23:00 頃 主な被害状況:住家が一部損壊したものが 1 棟 突風現象の種類:ダウンバースト 風速:約 30m/s 〇発生場所:秋田県横手市 発生日時:6 月 14 日 16:15 頃 主な被害状況:樹木の枝折れ 突風現象の種類:竜巻 風速:約 25m/s 〇発生場所:秋田県横手市、湯沢市、雄勝郡羽後町 発生日時:6 月 14 日 16:30 頃 主な被害状況:住家の屋根ふき材のはく離 突風現象の種類:ダウンバースト または ガストフロント 風速:約 28m/s 〇発生場所:群馬県桐生市、太田市、栃木県足利市、佐野市 発生日時:7 月 11 日 14:30 頃 主な被害状況:住家が一部損壊したものが 9 棟、非住家が一部損壊もの 12 棟 突風現象の種類:ダウンバースト または ガストフロント 風速:約 35m/s 〇発生場所:茨城県笠間市 発生日時:7 月 11 日 16:10 頃 主な被害状況:屋根の破損による電線の切断、倒木 7 件 突風現象の種類:ダウンバースト 風速:約 32m/s
5 月 11 日から 7 月 14 日の期間に発生した突風による被害のうち、住家が一部損壊した数が多いものを教えてください。
5 月 11 日から 7 月 14 日の期間に発生した突風による被害のうち、住家が一部損壊した数で多いのは 9 棟です。
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47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「広島県」です。広島県は古くから中国地方の中心的な役割を担い、重工業やかきの養殖、柑橘(かんきつ)類の栽培を中心に発展しました。原爆の投下という凄惨(せいさん)な歴史を乗り越え、自然や文化とともに最先端の技術産業を次世代へつなぐ広島県の魅力をお伝えします。 広島県の基本情報 はじめに、広島県の基本情報をご紹介いたします。 歴史と産業 広島県では各地で、縄文・弥生時代の遺跡や複数の古墳が発見されています。かつて広島県の西側は安芸国(あきのくに)、東側は備後国(びんごのくに)と呼ばれ、8世紀には多くの荘園(しょうえん)が置かれました。後に平清盛(たいらのきよもり)が安芸国の国守(こくしゅ)となり、宮島の嚴島(いつくしま)神社の社殿を修築します。 承久の乱の後、安芸国の守護となった武田氏(たけだうじ)は、毛利氏(もうりうじ)などとともに勢力を振るいました。天正17年に毛利輝元(てるもと)が広島城を築くと、城下の川には他国の船が往来して商業が栄えます。限られた耕地では、イグサの栽培や織物、木工などの産業が営まれました。 明治4年の廃藩置県で広島県や福山県などが誕生し、合併・分離を経て現在の広島県域が確定。明治27年には山陽鉄道が開通、同年の日清戦争では広島城に大本営が置かれました。大正時代に入ると工業港や臨海工業地帯の建設が盛んになり、昭和16年には呉市で世界最大の戦艦「大和」が建造されます。 昭和20年、広島市に原子爆弾が投下され、壊滅的な被害を受けました。戦後は「広島平和記念都市建設法」や「広島生産県構想」により、復興に向けた本格的な取り組みがスタート。昭和30年ごろからは呉市などの企業誘致により、鉄鋼や造船、自動車などの重工業を中心に発展します。 平成8年には、原爆ドームと嚴島(いつくしま)神社が世界文化遺産に認定されました。現在の広島県は「ものづくり」を軸とした産業が盛んで、中国地方のビジネス拠点としての役割も担います。重工業や電子部品などの出荷額は、中国・四国・九州地方で第1位。核兵器の廃絶と恒久平和を訴える活動も、次の世代へつなぐ重要な取り組みのひとつです。 面積と人口 広島県は面積約8,479㎢で、中国地方では1位の広さ、全国では11位の広さです。広島県は14市と9町から成り(令和3年7月現在)、地域は「広島」「広島中央」「広島西」「呉」「尾三(おさん)」「福山・府中」「芸北(げいほく)」「備北(びほく)」に分かれます(現在は、西部・東部・北部と3つに分ける場合も)。県内には142の離島があり、うち35島が有人です。 人口は2,801,388人にのぼり、全国では12番目です。県内でもっとも人口が多い市は広島市(1,201,281人)で、福山市、呉市と続きます(令和2年10月1日現在)。 【参考】広島県「令和2年国勢調査 人口速報集計結果」 県の位置と県庁所在地 中国地方で東経約132~133°、北緯約34~35°に位置するのは広島県です。北西は中国山地、南は瀬戸内海に面し、面積の約75%が山地で低地は5%しかありません。県庁所在地は広島市で、市内には20種類を超える多彩な路面電車が走ります。 県名の由来 広島市内を流れる太田川の三角州(デルタ)には、かつて複数の島々が点在していました。毛利輝元がこの中でもっとも広い島を選び、築城した際に「広島」と命名したとされます。また、毛利氏の祖先に当たる「大江広元(おおえのひろもと)」の「広」と、この地域の武士である「福島元長(もとなが)」の「島」を取って名づけたという説もあります。
中国地方で東経約132~133°、北緯約34~35°に位置する都道府県の面積はどれくらいあるか。
中国地方で東経約132~133°、北緯約34~35°に位置する都道府県は、面積約8,479㎢である。
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地理
近年、「平成26年8月豪雨」や「平成29年7月九州北部豪雨」のように、雨の降り方は実感を伴って 局地化・集中化・激甚化の様相を示しつつあります。これらの自然環境や社会環境の変化、先端技術の展望を踏まえ、平成30年(2018年)8月に国土交通省交通政策審議会気象分科会において、「2030年の科学技術を見据えた気象業務のあり方」が示されました。 本提言では、観測・予測精度向上にかかる技術開発が重点的な取組事項の一つに位置づけられ、これまでの気象庁内での着実な技術開発に加え、大学等研究機関が有する最新の研究成果や知見の取り入れ、民間事業者等が行う多様な観測データの活用、IoTや人工知能(AI)技術といった最先端技術も活用した技術開発の推進が求められています。本提言を受けて、気象庁では平成30年(2018年)10月に策定した 「2030年に向けた数値予報技術開発重点計画」において、数値予報の高度化・精度向上について、現在の技術水準に照らして野心的とも言える目標を掲げ、技術開発に取り組んでいます。 こうした中、令和2年7月豪雨において、線状降水帯の予測に関する課題が浮き彫りとなったことを受け、気象庁では線状降水帯の予測精度向上を最優先課題と位置づけ、取組を加速していくこととしました。 令和2年7月豪雨を受けて~新たな技術課題とその対応策~ (1)令和2年7月豪雨 7月3日から7月31日にかけて、日本付近に停滞した前線の影響で、暖かく湿った空気が継続して流れ込み、各地で大雨となり、人的被害や物的被害が発生しました。 7月3日から31日までの総降水量は、長野県や高知県の多い所で2,000ミリを超えたところがあり、九州南部地方、九州北部地方、東海地方及び東北地方の多くの地点で、24、48及び72時間降水量が観測史上1位の値を超えました。また、旬ごとの値として、7月上旬に全国のアメダス地点で観測した降水量の総和及び1時間降水量50ミリ以上の発生回数が、共に1982年以降で最多となりました。 この大雨により、球磨川や筑後川、飛騨川、江の川、最上川といった大河川での氾濫が相次いだほか、土砂災害、低地の浸水等により、死者・行方不明者が86名、住家被害は約17,000棟に達するなど、人的被害や物的被害が多く発生しました(被害に関する情報は令和3年1月7日内閣府とりまとめ等による。)。 令和2年7月豪雨により、死者は84名(富山県1名、長野県1名、静岡県1名、広島県2名、愛媛県2名、福岡県2名、長崎県3名、熊本県65名、大分県6名、鹿児島県1名)、行方不明者は2名(熊本県2名)、重傷者は25名(山形県1名、長野県2名、岐阜県1名、広島県2名、福岡県5名、長崎県1名、熊本県12名、大分県1名)、軽傷者は55名となった。住家被害は、全壊が1,620棟、半壊・一部損壊が8,103棟、床上・床下浸水が6,825棟であった(消防庁情報、令和3年2月26日現在)。 気象庁は、顕著な災害をもたらしたこの一連の大雨について、災害の経験や教訓を後世に伝承することなどを目的として「令和2年7月豪雨」と名称を定めました。 (2)7月3日から4日にかけての熊本県や鹿児島県を中心とした大雨 7月3日から4日にかけて、九州付近に停滞していた前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込み、熊本県や鹿児島県を中心に大雨となりました。3日から4日までの総降水量は熊本県水俣市の水俣で513.0ミリ、熊本県湯前町の湯前横谷で497.0ミリに達しました。この大雨により球磨川が氾濫したほか、芦北町で土砂災害が発生しました。
令和2年7月豪雨によって発生した死者のうち、もっとも多く死者が発生した県を教えてください。
令和2年7月豪雨によって発生した死者のうち、もっとも多く死者が発生した県は熊本県で65名です。
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47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「広島県」です。広島県は古くから中国地方の中心的な役割を担い、重工業やかきの養殖、柑橘(かんきつ)類の栽培を中心に発展しました。原爆の投下という凄惨(せいさん)な歴史を乗り越え、自然や文化とともに最先端の技術産業を次世代へつなぐ広島県の魅力をお伝えします。 広島県の基本情報 はじめに、広島県の基本情報をご紹介いたします。 歴史と産業 広島県では各地で、縄文・弥生時代の遺跡や複数の古墳が発見されています。かつて広島県の西側は安芸国(あきのくに)、東側は備後国(びんごのくに)と呼ばれ、8世紀には多くの荘園(しょうえん)が置かれました。後に平清盛(たいらのきよもり)が安芸国の国守(こくしゅ)となり、宮島の嚴島(いつくしま)神社の社殿を修築します。 承久の乱の後、安芸国の守護となった武田氏(たけだうじ)は、毛利氏(もうりうじ)などとともに勢力を振るいました。天正17年に毛利輝元(てるもと)が広島城を築くと、城下の川には他国の船が往来して商業が栄えます。限られた耕地では、イグサの栽培や織物、木工などの産業が営まれました。 明治4年の廃藩置県で広島県や福山県などが誕生し、合併・分離を経て現在の広島県域が確定。明治27年には山陽鉄道が開通、同年の日清戦争では広島城に大本営が置かれました。大正時代に入ると工業港や臨海工業地帯の建設が盛んになり、昭和16年には呉市で世界最大の戦艦「大和」が建造されます。 昭和20年、広島市に原子爆弾が投下され、壊滅的な被害を受けました。戦後は「広島平和記念都市建設法」や「広島生産県構想」により、復興に向けた本格的な取り組みがスタート。昭和30年ごろからは呉市などの企業誘致により、鉄鋼や造船、自動車などの重工業を中心に発展します。 平成8年には、原爆ドームと嚴島(いつくしま)神社が世界文化遺産に認定されました。現在の広島県は「ものづくり」を軸とした産業が盛んで、中国地方のビジネス拠点としての役割も担います。重工業や電子部品などの出荷額は、中国・四国・九州地方で第1位。核兵器の廃絶と恒久平和を訴える活動も、次の世代へつなぐ重要な取り組みのひとつです。 面積と人口 広島県は面積約8,479㎢で、中国地方では1位の広さ、全国では11位の広さです。広島県は14市と9町から成り(令和3年7月現在)、地域は「広島」「広島中央」「広島西」「呉」「尾三(おさん)」「福山・府中」「芸北(げいほく)」「備北(びほく)」に分かれます(現在は、西部・東部・北部と3つに分ける場合も)。県内には142の離島があり、うち35島が有人です。 人口は2,801,388人にのぼり、全国では12番目です。県内でもっとも人口が多い市は広島市(1,201,281人)で、福山市、呉市と続きます(令和2年10月1日現在)。 【参考】広島県「令和2年国勢調査 人口速報集計結果」 県の位置と県庁所在地 中国地方で東経約132~133°、北緯約34~35°に位置するのは広島県です。北西は中国山地、南は瀬戸内海に面し、面積の約75%が山地で低地は5%しかありません。県庁所在地は広島市で、市内には20種類を超える多彩な路面電車が走ります。 県名の由来 広島市内を流れる太田川の三角州(デルタ)には、かつて複数の島々が点在していました。毛利輝元がこの中でもっとも広い島を選び、築城した際に「広島」と命名したとされます。また、毛利氏の祖先に当たる「大江広元(おおえのひろもと)」の「広」と、この地域の武士である「福島元長(もとなが)」の「島」を取って名づけたという説もあります。
中国地方で東経約132~133°、北緯約34~35°に位置する都道府県は、中国地方で何番目に大きい県か。
中国地方で東経約132~133°、北緯約34~35°に位置する都道府県は、中国地方では1位の広さである。
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地理
5 月 11 日から 7 月 14 日の期間、前線や気圧の谷の影響等により大気の状態が非常に不安定となったため、各地で突風による被害が発生した。 各地の気象台では、被害をもたらした突風現象を明らかにするため、現地調査等を実施し、被害状況や証言などから、次のとおり突風現象の種類や強さを評定した。 〇発生場所:山形県最上郡金山町 発生日時:5 月 25 日 23:00 頃 主な被害状況:住家が一部損壊したものが 1 棟 突風現象の種類:ダウンバースト 風速:約 30m/s 〇発生場所:秋田県横手市 発生日時:6 月 14 日 16:15 頃 主な被害状況:樹木の枝折れ 突風現象の種類:竜巻 風速:約 25m/s 〇発生場所:秋田県横手市、湯沢市、雄勝郡羽後町 発生日時:6 月 14 日 16:30 頃 主な被害状況:住家の屋根ふき材のはく離 突風現象の種類:ダウンバースト または ガストフロント 風速:約 28m/s 〇発生場所:群馬県桐生市、太田市、栃木県足利市、佐野市 発生日時:7 月 11 日 14:30 頃 主な被害状況:住家が一部損壊したものが 9 棟、非住家が一部損壊もの 12 棟 突風現象の種類:ダウンバースト または ガストフロント 風速:約 35m/s 〇発生場所:茨城県笠間市 発生日時:7 月 11 日 16:10 頃 主な被害状況:屋根の破損による電線の切断、倒木 7 件 突風現象の種類:ダウンバースト 風速:約 32m/s
5 月 11 日から 7 月 14 日の期間に発生した突風による被害のうち、住家が一部損壊した数が少ないものを教えてください。
5 月 11 日から 7 月 14 日の期間に発生した突風による被害のうち、住家が一部損壊した数で少ないのは 1 棟です。
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地理
47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「広島県」です。広島県は古くから中国地方の中心的な役割を担い、重工業やかきの養殖、柑橘(かんきつ)類の栽培を中心に発展しました。原爆の投下という凄惨(せいさん)な歴史を乗り越え、自然や文化とともに最先端の技術産業を次世代へつなぐ広島県の魅力をお伝えします。 広島県の基本情報 はじめに、広島県の基本情報をご紹介いたします。 歴史と産業 広島県では各地で、縄文・弥生時代の遺跡や複数の古墳が発見されています。かつて広島県の西側は安芸国(あきのくに)、東側は備後国(びんごのくに)と呼ばれ、8世紀には多くの荘園(しょうえん)が置かれました。後に平清盛(たいらのきよもり)が安芸国の国守(こくしゅ)となり、宮島の嚴島(いつくしま)神社の社殿を修築します。 承久の乱の後、安芸国の守護となった武田氏(たけだうじ)は、毛利氏(もうりうじ)などとともに勢力を振るいました。天正17年に毛利輝元(てるもと)が広島城を築くと、城下の川には他国の船が往来して商業が栄えます。限られた耕地では、イグサの栽培や織物、木工などの産業が営まれました。 明治4年の廃藩置県で広島県や福山県などが誕生し、合併・分離を経て現在の広島県域が確定。明治27年には山陽鉄道が開通、同年の日清戦争では広島城に大本営が置かれました。大正時代に入ると工業港や臨海工業地帯の建設が盛んになり、昭和16年には呉市で世界最大の戦艦「大和」が建造されます。 昭和20年、広島市に原子爆弾が投下され、壊滅的な被害を受けました。戦後は「広島平和記念都市建設法」や「広島生産県構想」により、復興に向けた本格的な取り組みがスタート。昭和30年ごろからは呉市などの企業誘致により、鉄鋼や造船、自動車などの重工業を中心に発展します。 平成8年には、原爆ドームと嚴島(いつくしま)神社が世界文化遺産に認定されました。現在の広島県は「ものづくり」を軸とした産業が盛んで、中国地方のビジネス拠点としての役割も担います。重工業や電子部品などの出荷額は、中国・四国・九州地方で第1位。核兵器の廃絶と恒久平和を訴える活動も、次の世代へつなぐ重要な取り組みのひとつです。 面積と人口 広島県は面積約8,479㎢で、中国地方では1位の広さ、全国では11位の広さです。広島県は14市と9町から成り(令和3年7月現在)、地域は「広島」「広島中央」「広島西」「呉」「尾三(おさん)」「福山・府中」「芸北(げいほく)」「備北(びほく)」に分かれます(現在は、西部・東部・北部と3つに分ける場合も)。県内には142の離島があり、うち35島が有人です。 人口は2,801,388人にのぼり、全国では12番目です。県内でもっとも人口が多い市は広島市(1,201,281人)で、福山市、呉市と続きます(令和2年10月1日現在)。 【参考】広島県「令和2年国勢調査 人口速報集計結果」 県の位置と県庁所在地 中国地方で東経約132~133°、北緯約34~35°に位置するのは広島県です。北西は中国山地、南は瀬戸内海に面し、面積の約75%が山地で低地は5%しかありません。県庁所在地は広島市で、市内には20種類を超える多彩な路面電車が走ります。 県名の由来 広島市内を流れる太田川の三角州(デルタ)には、かつて複数の島々が点在していました。毛利輝元がこの中でもっとも広い島を選び、築城した際に「広島」と命名したとされます。また、毛利氏の祖先に当たる「大江広元(おおえのひろもと)」の「広」と、この地域の武士である「福島元長(もとなが)」の「島」を取って名づけたという説もあります。
中国地方で東経約132~133°、北緯約34~35°に位置する都道府県は、全国の都道府県で何番目の広さか。
中国地方で東経約132~133°、北緯約34~35°に位置する都道府県は、全国では11位の広さである。
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地理
近年、「平成26年8月豪雨」や「平成29年7月九州北部豪雨」のように、雨の降り方は実感を伴って 局地化・集中化・激甚化の様相を示しつつあります。これらの自然環境や社会環境の変化、先端技術の展望を踏まえ、平成30年(2018年)8月に国土交通省交通政策審議会気象分科会において、「2030年の科学技術を見据えた気象業務のあり方」が示されました。 本提言では、観測・予測精度向上にかかる技術開発が重点的な取組事項の一つに位置づけられ、これまでの気象庁内での着実な技術開発に加え、大学等研究機関が有する最新の研究成果や知見の取り入れ、民間事業者等が行う多様な観測データの活用、IoTや人工知能(AI)技術といった最先端技術も活用した技術開発の推進が求められています。本提言を受けて、気象庁では平成30年(2018年)10月に策定した 「2030年に向けた数値予報技術開発重点計画」において、数値予報の高度化・精度向上について、現在の技術水準に照らして野心的とも言える目標を掲げ、技術開発に取り組んでいます。 こうした中、令和2年7月豪雨において、線状降水帯の予測に関する課題が浮き彫りとなったことを受け、気象庁では線状降水帯の予測精度向上を最優先課題と位置づけ、取組を加速していくこととしました。 令和2年7月豪雨を受けて~新たな技術課題とその対応策~ (1)令和2年7月豪雨 7月3日から7月31日にかけて、日本付近に停滞した前線の影響で、暖かく湿った空気が継続して流れ込み、各地で大雨となり、人的被害や物的被害が発生しました。 7月3日から31日までの総降水量は、長野県や高知県の多い所で2,000ミリを超えたところがあり、九州南部地方、九州北部地方、東海地方及び東北地方の多くの地点で、24、48及び72時間降水量が観測史上1位の値を超えました。また、旬ごとの値として、7月上旬に全国のアメダス地点で観測した降水量の総和及び1時間降水量50ミリ以上の発生回数が、共に1982年以降で最多となりました。 この大雨により、球磨川や筑後川、飛騨川、江の川、最上川といった大河川での氾濫が相次いだほか、土砂災害、低地の浸水等により、死者・行方不明者が86名、住家被害は約17,000棟に達するなど、人的被害や物的被害が多く発生しました(被害に関する情報は令和3年1月7日内閣府とりまとめ等による。)。 令和2年7月豪雨により、死者は84名(富山県1名、長野県1名、静岡県1名、広島県2名、愛媛県2名、福岡県2名、長崎県3名、熊本県65名、大分県6名、鹿児島県1名)、行方不明者は2名(熊本県2名)、重傷者は25名(山形県1名、長野県2名、岐阜県1名、広島県2名、福岡県5名、長崎県1名、熊本県12名、大分県1名)、軽傷者は55名となった。住家被害は、全壊が1,620棟、半壊・一部損壊が8,103棟、床上・床下浸水が6,825棟であった(消防庁情報、令和3年2月26日現在)。 気象庁は、顕著な災害をもたらしたこの一連の大雨について、災害の経験や教訓を後世に伝承することなどを目的として「令和2年7月豪雨」と名称を定めました。 (2)7月3日から4日にかけての熊本県や鹿児島県を中心とした大雨 7月3日から4日にかけて、九州付近に停滞していた前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込み、熊本県や鹿児島県を中心に大雨となりました。3日から4日までの総降水量は熊本県水俣市の水俣で513.0ミリ、熊本県湯前町の湯前横谷で497.0ミリに達しました。この大雨により球磨川が氾濫したほか、芦北町で土砂災害が発生しました。
令和2年7月豪雨によって発生した死者のうち、もっとも多く重傷者が発生した県を教えてください。
令和2年7月豪雨によって発生した死者のうち、もっとも多く重傷者が発生した県は熊本県で12名です。
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地理
はじめに、香川県の基本情報をご紹介します。 県の位置 四国の東北部にあるのが香川県です。香川県は東と南は徳島県、西は愛媛県に接し、北は瀬戸大橋で岡山県と結ばれています。 県名の由来 香川県は、「香の川」が由来といわれています。「全讃史」(1828年、中山城山著)によれば、香川の奥山の樺川(樺皮)という地に樺の木があり、そこに流れる川の水に香りをうつして流れたことから香川になったといわれています。 文化 香川県の文化 香川県に伝わる文化のうち、主なものをご紹介します。 アート県 香川県はアート県として知られています。香川県では、3年に一度開催される「瀬戸内国際芸術祭」が有名です。瀬戸内海の島々と沿岸部17エリアを舞台に、約100日間の会期で開催される現代アートの祭典です。 直島は現代アートの聖地として国内外から注目されています。世界的建築家の安藤忠雄が手掛けた「ベネッセハウス」「地中美術館」や、草間彌生の作品「赤かぼちゃ」「南瓜」が有名です。 丸亀うちわ 丸亀うちわは江戸時代から金毘羅参詣の土産物として作られていました。天明年間(1781~1789年)に丸亀藩の下級武士の内職として奨励されたこともあり、丸亀の地場産業として発展していきました。 「伊予竹に土佐紙貼りてあわ(阿波)ぐれば讃岐うちわで至極(四国)涼しい」と謳われるように、うちわの材料は近隣ですべてそろえられたことも丸亀うちわが発展した理由の一つです。 丸亀うちわは柄と骨が1本の竹から作られることが特徴で、1本のうちわができるまでに47の工程があります。香川県はうちわの全国シェアの約90%を誇り、平成9年には国の伝統的工芸品に指定されました。 二十四の瞳 二十四の瞳は、小豆島出身の壼井栄(つぼいさかえ)による小説です。第二次世界大戦を背景に、瀬戸内海の島に赴任してきた大石先生と12人の教え子たちの姿を描く物語です。1954年と1987年に小豆島を舞台として映画化されました。映画のロケセットは保存、改築され、現在は「二十四の瞳映画村」として昭和初期の雰囲気を味わえるテーマパークになっています。 オリーブ 小豆島は国産オリーブ栽培発祥の地です。小豆島オリーブ園には、樹齢100年近い日本最古のオリーブの原木が現存しています。小豆島でオリーブ栽培に成功したのは、温暖な気候で雨の少ない地中海に似ているためといわれています。 香川県の県花・県木はオリーブです。県章にはオリーブの葉のデザインが採用されています。小豆島では、オリーブの収穫時期である10月から11月にかけて、オリーブ収穫祭が開催されます。
四国の東北部にある都道府県は、どのような立地か。
四国の東北部にある都道府県は、東と南は徳島県、西は愛媛県に接し、北は瀬戸大橋で岡山県と結ばれています。
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地理
1 概要 8 月 6 日から 9 日にかけて台風第 9 号が日本に接近・上陸し、9 日から 10 日にかけては台風第 9 号から変わった温帯低気圧が北日本を通過した。この影響により、全国的に雨となり、中国地方の多いところで日降水量が 300 ミリを、東北地方では 200 ミリを超える大雨となった。また、四国地方や北海道地方では風速 30 メートル以上の猛烈な風を観測したほか、西日本から北日本にかけて風速 20 メートル以上の非常に強い風を観測した。 その後、8 月 11 日から 19 日にかけて、前線が日本付近に停滞し、断続的に活動が活発になった。8 月 19 日から 21 日にかけては、湿った空気や低気圧の影響を受けたほか、22 日から 26 日にかけては、台風第 12 号が日本に接近し、その後台風から変わった温帯低気圧が北日本を通過した。特に 8 月 11 日から 15 日にかけては、東シナ海の前線が次第に東へのび、その後西日本から東日本に停滞し、その前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込んだ影響で広い範囲で大雨となった。特に九州北部地方※1では多いところで 24 時間降水量が 500 ミリを超え、総降水量が1000 ミリを超える記録的な大雨となった。これらの大雨等の影響で、土砂災害、河川の氾濫、浸水害等が発生した※2。また、住家被害が発生し、停電、断水、電話の不通等ライフラインに被害が発生したほか、鉄道の運休等の交通障害が発生した。
台風第 9 号において中国地方と東北地方の日降水量を比較して、降水量が多いのはどちらか教えてください。
台風第 9 号において中国地方と東北地方の日降水量を比較して、降水量が多いのは中国地方で 300 ミリです。
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地理
はじめに、香川県の基本情報をご紹介します。 県の位置 四国の東北部にあるのが香川県です。香川県は東と南は徳島県、西は愛媛県に接し、北は瀬戸大橋で岡山県と結ばれています。 県名の由来 香川県は、「香の川」が由来といわれています。「全讃史」(1828年、中山城山著)によれば、香川の奥山の樺川(樺皮)という地に樺の木があり、そこに流れる川の水に香りをうつして流れたことから香川になったといわれています。 文化 香川県の文化 香川県に伝わる文化のうち、主なものをご紹介します。 アート県 香川県はアート県として知られています。香川県では、3年に一度開催される「瀬戸内国際芸術祭」が有名です。瀬戸内海の島々と沿岸部17エリアを舞台に、約100日間の会期で開催される現代アートの祭典です。 直島は現代アートの聖地として国内外から注目されています。世界的建築家の安藤忠雄が手掛けた「ベネッセハウス」「地中美術館」や、草間彌生の作品「赤かぼちゃ」「南瓜」が有名です。 丸亀うちわ 丸亀うちわは江戸時代から金毘羅参詣の土産物として作られていました。天明年間(1781~1789年)に丸亀藩の下級武士の内職として奨励されたこともあり、丸亀の地場産業として発展していきました。 「伊予竹に土佐紙貼りてあわ(阿波)ぐれば讃岐うちわで至極(四国)涼しい」と謳われるように、うちわの材料は近隣ですべてそろえられたことも丸亀うちわが発展した理由の一つです。 丸亀うちわは柄と骨が1本の竹から作られることが特徴で、1本のうちわができるまでに47の工程があります。香川県はうちわの全国シェアの約90%を誇り、平成9年には国の伝統的工芸品に指定されました。 二十四の瞳 二十四の瞳は、小豆島出身の壼井栄(つぼいさかえ)による小説です。第二次世界大戦を背景に、瀬戸内海の島に赴任してきた大石先生と12人の教え子たちの姿を描く物語です。1954年と1987年に小豆島を舞台として映画化されました。映画のロケセットは保存、改築され、現在は「二十四の瞳映画村」として昭和初期の雰囲気を味わえるテーマパークになっています。 オリーブ 小豆島は国産オリーブ栽培発祥の地です。小豆島オリーブ園には、樹齢100年近い日本最古のオリーブの原木が現存しています。小豆島でオリーブ栽培に成功したのは、温暖な気候で雨の少ない地中海に似ているためといわれています。 香川県の県花・県木はオリーブです。県章にはオリーブの葉のデザインが採用されています。小豆島では、オリーブの収穫時期である10月から11月にかけて、オリーブ収穫祭が開催されます。
四国の東北部にある都道府県の由来はなにか。
四国の東北部にある都道府県は、「香の川」が由来といわれている。
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地理
近年、「平成26年8月豪雨」や「平成29年7月九州北部豪雨」のように、雨の降り方は実感を伴って 局地化・集中化・激甚化の様相を示しつつあります。これらの自然環境や社会環境の変化、先端技術の展望を踏まえ、平成30年(2018年)8月に国土交通省交通政策審議会気象分科会において、「2030年の科学技術を見据えた気象業務のあり方」が示されました。 本提言では、観測・予測精度向上にかかる技術開発が重点的な取組事項の一つに位置づけられ、これまでの気象庁内での着実な技術開発に加え、大学等研究機関が有する最新の研究成果や知見の取り入れ、民間事業者等が行う多様な観測データの活用、IoTや人工知能(AI)技術といった最先端技術も活用した技術開発の推進が求められています。本提言を受けて、気象庁では平成30年(2018年)10月に策定した 「2030年に向けた数値予報技術開発重点計画」において、数値予報の高度化・精度向上について、現在の技術水準に照らして野心的とも言える目標を掲げ、技術開発に取り組んでいます。 こうした中、令和2年7月豪雨において、線状降水帯の予測に関する課題が浮き彫りとなったことを受け、気象庁では線状降水帯の予測精度向上を最優先課題と位置づけ、取組を加速していくこととしました。 令和2年7月豪雨を受けて~新たな技術課題とその対応策~ (1)令和2年7月豪雨 7月3日から7月31日にかけて、日本付近に停滞した前線の影響で、暖かく湿った空気が継続して流れ込み、各地で大雨となり、人的被害や物的被害が発生しました。 7月3日から31日までの総降水量は、長野県や高知県の多い所で2,000ミリを超えたところがあり、九州南部地方、九州北部地方、東海地方及び東北地方の多くの地点で、24、48及び72時間降水量が観測史上1位の値を超えました。また、旬ごとの値として、7月上旬に全国のアメダス地点で観測した降水量の総和及び1時間降水量50ミリ以上の発生回数が、共に1982年以降で最多となりました。 この大雨により、球磨川や筑後川、飛騨川、江の川、最上川といった大河川での氾濫が相次いだほか、土砂災害、低地の浸水等により、死者・行方不明者が86名、住家被害は約17,000棟に達するなど、人的被害や物的被害が多く発生しました(被害に関する情報は令和3年1月7日内閣府とりまとめ等による。)。 令和2年7月豪雨により、死者は84名(富山県1名、長野県1名、静岡県1名、広島県2名、愛媛県2名、福岡県2名、長崎県3名、熊本県65名、大分県6名、鹿児島県1名)、行方不明者は2名(熊本県2名)、重傷者は25名(山形県1名、長野県2名、岐阜県1名、広島県2名、福岡県5名、長崎県1名、熊本県12名、大分県1名)、軽傷者は55名となった。住家被害は、全壊が1,620棟、半壊・一部損壊が8,103棟、床上・床下浸水が6,825棟であった(消防庁情報、令和3年2月26日現在)。 気象庁は、顕著な災害をもたらしたこの一連の大雨について、災害の経験や教訓を後世に伝承することなどを目的として「令和2年7月豪雨」と名称を定めました。 (2)7月3日から4日にかけての熊本県や鹿児島県を中心とした大雨 7月3日から4日にかけて、九州付近に停滞していた前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込み、熊本県や鹿児島県を中心に大雨となりました。3日から4日までの総降水量は熊本県水俣市の水俣で513.0ミリ、熊本県湯前町の湯前横谷で497.0ミリに達しました。この大雨により球磨川が氾濫したほか、芦北町で土砂災害が発生しました。
7月3日から4日にかけての熊本県や鹿児島県を中心とした大雨で、総降水量がより多かった場所を教えてください。
7月3日から4日にかけての熊本県や鹿児島県を中心とした大雨で、総降水量がより多かった場所は熊本県水俣市の水俣で513.0ミリです。
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地理
はじめに、香川県の基本情報をご紹介します。 県の位置 四国の東北部にあるのが香川県です。香川県は東と南は徳島県、西は愛媛県に接し、北は瀬戸大橋で岡山県と結ばれています。 県名の由来 香川県は、「香の川」が由来といわれています。「全讃史」(1828年、中山城山著)によれば、香川の奥山の樺川(樺皮)という地に樺の木があり、そこに流れる川の水に香りをうつして流れたことから香川になったといわれています。 文化 香川県の文化 香川県に伝わる文化のうち、主なものをご紹介します。 アート県 香川県はアート県として知られています。香川県では、3年に一度開催される「瀬戸内国際芸術祭」が有名です。瀬戸内海の島々と沿岸部17エリアを舞台に、約100日間の会期で開催される現代アートの祭典です。 直島は現代アートの聖地として国内外から注目されています。世界的建築家の安藤忠雄が手掛けた「ベネッセハウス」「地中美術館」や、草間彌生の作品「赤かぼちゃ」「南瓜」が有名です。 丸亀うちわ 丸亀うちわは江戸時代から金毘羅参詣の土産物として作られていました。天明年間(1781~1789年)に丸亀藩の下級武士の内職として奨励されたこともあり、丸亀の地場産業として発展していきました。 「伊予竹に土佐紙貼りてあわ(阿波)ぐれば讃岐うちわで至極(四国)涼しい」と謳われるように、うちわの材料は近隣ですべてそろえられたことも丸亀うちわが発展した理由の一つです。 丸亀うちわは柄と骨が1本の竹から作られることが特徴で、1本のうちわができるまでに47の工程があります。香川県はうちわの全国シェアの約90%を誇り、平成9年には国の伝統的工芸品に指定されました。 二十四の瞳 二十四の瞳は、小豆島出身の壼井栄(つぼいさかえ)による小説です。第二次世界大戦を背景に、瀬戸内海の島に赴任してきた大石先生と12人の教え子たちの姿を描く物語です。1954年と1987年に小豆島を舞台として映画化されました。映画のロケセットは保存、改築され、現在は「二十四の瞳映画村」として昭和初期の雰囲気を味わえるテーマパークになっています。 オリーブ 小豆島は国産オリーブ栽培発祥の地です。小豆島オリーブ園には、樹齢100年近い日本最古のオリーブの原木が現存しています。小豆島でオリーブ栽培に成功したのは、温暖な気候で雨の少ない地中海に似ているためといわれています。 香川県の県花・県木はオリーブです。県章にはオリーブの葉のデザインが採用されています。小豆島では、オリーブの収穫時期である10月から11月にかけて、オリーブ収穫祭が開催されます。
四国の東北部にある都道府県は、どのような県として知られているか。
四国の東北部にある都道府県は、アート県として知られている。
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地理
1 概要 8 月 6 日から 9 日にかけて台風第 9 号が日本に接近・上陸し、9 日から 10 日にかけては台風第 9 号から変わった温帯低気圧が北日本を通過した。この影響により、全国的に雨となり、中国地方の多いところで日降水量が 300 ミリを、東北地方では 200 ミリを超える大雨となった。また、四国地方や北海道地方では風速 30 メートル以上の猛烈な風を観測したほか、西日本から北日本にかけて風速 20 メートル以上の非常に強い風を観測した。 その後、8 月 11 日から 19 日にかけて、前線が日本付近に停滞し、断続的に活動が活発になった。8 月 19 日から 21 日にかけては、湿った空気や低気圧の影響を受けたほか、22 日から 26 日にかけては、台風第 12 号が日本に接近し、その後台風から変わった温帯低気圧が北日本を通過した。特に 8 月 11 日から 15 日にかけては、東シナ海の前線が次第に東へのび、その後西日本から東日本に停滞し、その前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込んだ影響で広い範囲で大雨となった。特に九州北部地方※1では多いところで 24 時間降水量が 500 ミリを超え、総降水量が1000 ミリを超える記録的な大雨となった。これらの大雨等の影響で、土砂災害、河川の氾濫、浸水害等が発生した※2。また、住家被害が発生し、停電、断水、電話の不通等ライフラインに被害が発生したほか、鉄道の運休等の交通障害が発生した。
台風第 9 号において中国地方と東北地方の日降水量を比較して、降水量が少ないほうを教えてください。
台風第 9 号において中国地方と東北地方の日降水量を比較して、降水量が少ないほうは東北地方で 200 ミリです。
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地理
はじめに、香川県の基本情報をご紹介します。 県の位置 四国の東北部にあるのが香川県です。香川県は東と南は徳島県、西は愛媛県に接し、北は瀬戸大橋で岡山県と結ばれています。 県名の由来 香川県は、「香の川」が由来といわれています。「全讃史」(1828年、中山城山著)によれば、香川の奥山の樺川(樺皮)という地に樺の木があり、そこに流れる川の水に香りをうつして流れたことから香川になったといわれています。 文化 香川県の文化 香川県に伝わる文化のうち、主なものをご紹介します。 アート県 香川県はアート県として知られています。香川県では、3年に一度開催される「瀬戸内国際芸術祭」が有名です。瀬戸内海の島々と沿岸部17エリアを舞台に、約100日間の会期で開催される現代アートの祭典です。 直島は現代アートの聖地として国内外から注目されています。世界的建築家の安藤忠雄が手掛けた「ベネッセハウス」「地中美術館」や、草間彌生の作品「赤かぼちゃ」「南瓜」が有名です。 丸亀うちわ 丸亀うちわは江戸時代から金毘羅参詣の土産物として作られていました。天明年間(1781~1789年)に丸亀藩の下級武士の内職として奨励されたこともあり、丸亀の地場産業として発展していきました。 「伊予竹に土佐紙貼りてあわ(阿波)ぐれば讃岐うちわで至極(四国)涼しい」と謳われるように、うちわの材料は近隣ですべてそろえられたことも丸亀うちわが発展した理由の一つです。 丸亀うちわは柄と骨が1本の竹から作られることが特徴で、1本のうちわができるまでに47の工程があります。香川県はうちわの全国シェアの約90%を誇り、平成9年には国の伝統的工芸品に指定されました。 二十四の瞳 二十四の瞳は、小豆島出身の壼井栄(つぼいさかえ)による小説です。第二次世界大戦を背景に、瀬戸内海の島に赴任してきた大石先生と12人の教え子たちの姿を描く物語です。1954年と1987年に小豆島を舞台として映画化されました。映画のロケセットは保存、改築され、現在は「二十四の瞳映画村」として昭和初期の雰囲気を味わえるテーマパークになっています。 オリーブ 小豆島は国産オリーブ栽培発祥の地です。小豆島オリーブ園には、樹齢100年近い日本最古のオリーブの原木が現存しています。小豆島でオリーブ栽培に成功したのは、温暖な気候で雨の少ない地中海に似ているためといわれています。 香川県の県花・県木はオリーブです。県章にはオリーブの葉のデザインが採用されています。小豆島では、オリーブの収穫時期である10月から11月にかけて、オリーブ収穫祭が開催されます。
四国の東北部にある都道府県ではなんという祭典が有名か。
四国の東北部にある都道府県では、3年に一度開催される「瀬戸内国際芸術祭」が有名です。
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地理
近年、「平成26年8月豪雨」や「平成29年7月九州北部豪雨」のように、雨の降り方は実感を伴って 局地化・集中化・激甚化の様相を示しつつあります。これらの自然環境や社会環境の変化、先端技術の展望を踏まえ、平成30年(2018年)8月に国土交通省交通政策審議会気象分科会において、「2030年の科学技術を見据えた気象業務のあり方」が示されました。 本提言では、観測・予測精度向上にかかる技術開発が重点的な取組事項の一つに位置づけられ、これまでの気象庁内での着実な技術開発に加え、大学等研究機関が有する最新の研究成果や知見の取り入れ、民間事業者等が行う多様な観測データの活用、IoTや人工知能(AI)技術といった最先端技術も活用した技術開発の推進が求められています。本提言を受けて、気象庁では平成30年(2018年)10月に策定した 「2030年に向けた数値予報技術開発重点計画」において、数値予報の高度化・精度向上について、現在の技術水準に照らして野心的とも言える目標を掲げ、技術開発に取り組んでいます。 こうした中、令和2年7月豪雨において、線状降水帯の予測に関する課題が浮き彫りとなったことを受け、気象庁では線状降水帯の予測精度向上を最優先課題と位置づけ、取組を加速していくこととしました。 令和2年7月豪雨を受けて~新たな技術課題とその対応策~ (1)令和2年7月豪雨 7月3日から7月31日にかけて、日本付近に停滞した前線の影響で、暖かく湿った空気が継続して流れ込み、各地で大雨となり、人的被害や物的被害が発生しました。 7月3日から31日までの総降水量は、長野県や高知県の多い所で2,000ミリを超えたところがあり、九州南部地方、九州北部地方、東海地方及び東北地方の多くの地点で、24、48及び72時間降水量が観測史上1位の値を超えました。また、旬ごとの値として、7月上旬に全国のアメダス地点で観測した降水量の総和及び1時間降水量50ミリ以上の発生回数が、共に1982年以降で最多となりました。 この大雨により、球磨川や筑後川、飛騨川、江の川、最上川といった大河川での氾濫が相次いだほか、土砂災害、低地の浸水等により、死者・行方不明者が86名、住家被害は約17,000棟に達するなど、人的被害や物的被害が多く発生しました(被害に関する情報は令和3年1月7日内閣府とりまとめ等による。)。 令和2年7月豪雨により、死者は84名(富山県1名、長野県1名、静岡県1名、広島県2名、愛媛県2名、福岡県2名、長崎県3名、熊本県65名、大分県6名、鹿児島県1名)、行方不明者は2名(熊本県2名)、重傷者は25名(山形県1名、長野県2名、岐阜県1名、広島県2名、福岡県5名、長崎県1名、熊本県12名、大分県1名)、軽傷者は55名となった。住家被害は、全壊が1,620棟、半壊・一部損壊が8,103棟、床上・床下浸水が6,825棟であった(消防庁情報、令和3年2月26日現在)。 気象庁は、顕著な災害をもたらしたこの一連の大雨について、災害の経験や教訓を後世に伝承することなどを目的として「令和2年7月豪雨」と名称を定めました。 (2)7月3日から4日にかけての熊本県や鹿児島県を中心とした大雨 7月3日から4日にかけて、九州付近に停滞していた前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込み、熊本県や鹿児島県を中心に大雨となりました。3日から4日までの総降水量は熊本県水俣市の水俣で513.0ミリ、熊本県湯前町の湯前横谷で497.0ミリに達しました。この大雨により球磨川が氾濫したほか、芦北町で土砂災害が発生しました。
7月3日から4日にかけての熊本県や鹿児島県を中心とした大雨で、総降水量がより少なかった場所を教えてください。
7月3日から4日にかけての熊本県や鹿児島県を中心とした大雨で、総降水量がより少なかった場所は熊本県湯前町の湯前横谷で497.0ミリです。
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地理
はじめに、香川県の基本情報をご紹介します。 県の位置 四国の東北部にあるのが香川県です。香川県は東と南は徳島県、西は愛媛県に接し、北は瀬戸大橋で岡山県と結ばれています。 県名の由来 香川県は、「香の川」が由来といわれています。「全讃史」(1828年、中山城山著)によれば、香川の奥山の樺川(樺皮)という地に樺の木があり、そこに流れる川の水に香りをうつして流れたことから香川になったといわれています。 文化 香川県の文化 香川県に伝わる文化のうち、主なものをご紹介します。 アート県 香川県はアート県として知られています。香川県では、3年に一度開催される「瀬戸内国際芸術祭」が有名です。瀬戸内海の島々と沿岸部17エリアを舞台に、約100日間の会期で開催される現代アートの祭典です。 直島は現代アートの聖地として国内外から注目されています。世界的建築家の安藤忠雄が手掛けた「ベネッセハウス」「地中美術館」や、草間彌生の作品「赤かぼちゃ」「南瓜」が有名です。 丸亀うちわ 丸亀うちわは江戸時代から金毘羅参詣の土産物として作られていました。天明年間(1781~1789年)に丸亀藩の下級武士の内職として奨励されたこともあり、丸亀の地場産業として発展していきました。 「伊予竹に土佐紙貼りてあわ(阿波)ぐれば讃岐うちわで至極(四国)涼しい」と謳われるように、うちわの材料は近隣ですべてそろえられたことも丸亀うちわが発展した理由の一つです。 丸亀うちわは柄と骨が1本の竹から作られることが特徴で、1本のうちわができるまでに47の工程があります。香川県はうちわの全国シェアの約90%を誇り、平成9年には国の伝統的工芸品に指定されました。 二十四の瞳 二十四の瞳は、小豆島出身の壼井栄(つぼいさかえ)による小説です。第二次世界大戦を背景に、瀬戸内海の島に赴任してきた大石先生と12人の教え子たちの姿を描く物語です。1954年と1987年に小豆島を舞台として映画化されました。映画のロケセットは保存、改築され、現在は「二十四の瞳映画村」として昭和初期の雰囲気を味わえるテーマパークになっています。 オリーブ 小豆島は国産オリーブ栽培発祥の地です。小豆島オリーブ園には、樹齢100年近い日本最古のオリーブの原木が現存しています。小豆島でオリーブ栽培に成功したのは、温暖な気候で雨の少ない地中海に似ているためといわれています。 香川県の県花・県木はオリーブです。県章にはオリーブの葉のデザインが採用されています。小豆島では、オリーブの収穫時期である10月から11月にかけて、オリーブ収穫祭が開催されます。
四国の東北部にある都道府県で全国の90%シェア率を誇る工芸品はなにか。
四国の東北部にある都道府県は、
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地理
1 概要 8 月 6 日から 9 日にかけて台風第 9 号が日本に接近・上陸し、9 日から 10 日にかけては台風第 9 号から変わった温帯低気圧が北日本を通過した。この影響により、全国的に雨となり、中国地方の多いところで日降水量が 300 ミリを、東北地方では 200 ミリを超える大雨となった。また、四国地方や北海道地方では風速 30 メートル以上の猛烈な風を観測したほか、西日本から北日本にかけて風速 20 メートル以上の非常に強い風を観測した。 その後、8 月 11 日から 19 日にかけて、前線が日本付近に停滞し、断続的に活動が活発になった。8 月 19 日から 21 日にかけては、湿った空気や低気圧の影響を受けたほか、22 日から 26 日にかけては、台風第 12 号が日本に接近し、その後台風から変わった温帯低気圧が北日本を通過した。特に 8 月 11 日から 15 日にかけては、東シナ海の前線が次第に東へのび、その後西日本から東日本に停滞し、その前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込んだ影響で広い範囲で大雨となった。特に九州北部地方※1では多いところで 24 時間降水量が 500 ミリを超え、総降水量が1000 ミリを超える記録的な大雨となった。これらの大雨等の影響で、土砂災害、河川の氾濫、浸水害等が発生した※2。また、住家被害が発生し、停電、断水、電話の不通等ライフラインに被害が発生したほか、鉄道の運休等の交通障害が発生した。
台風第 9 号において発生した風において、四国地方や北海道地方で発生した風と、西日本から北日本にかけて発生した風のうち、風速が早いのはどちらか教えてください。
台風第 9 号において発生した風において、四国地方や北海道地方で発生した風と、西日本から北日本にかけて発生した風のうち、風速が早いのは四国地方や北海道地方で発生した風で風速 30 メートル以上です。
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地理
四国の南部にあり、東経約132°〜134°、北緯約32°〜33°に位置するのが高知県です。高知県は北は四国山地、南は太平洋に面し、東西に細長い扇状の形です。高知市内を流れる江の口川には東経133度33分33秒,北緯33度33分33秒という同じ数字が12個も並ぶ地点があり、「地球33番地」と名付けられ、白いモニュメントが建てられています。 県名の由来 土佐藩主となった山内一豊が河川に挟まれた大高坂山に城を築き、河中山城(こうちやまじょう)と名付けたのが高知の始まりといわれています。たびたび洪水が起こるため、「高智」と改められた後に廃藩置県で高知県となりました。 高知県の文化 高知県に伝わる文化のうち、主なものをご紹介します。 おきゃく文化 「おきゃく」とは高知で宴会を意味します。 高知では何かと理由をつけて親類や友人、近所の人たちなどを招いて宴会していたため、宴会が「おきゃく」と呼ばれるようになりました。おきゃく文化に欠かせないのが郷土料理の皿鉢料理です。知っている人も知らない人もお酒を酌み交わし、「献杯」「返杯」を重ねていきます。 べく杯 高知には、お酒を飲み干すまで下に置けない「ベク杯」を使ったお座敷遊びがあります。 べく杯セットはおかめ・ひょっとこ・天狗の3種類があり、日本酒を入れて一気に飲み干します。こまを回して、止まったときに軸が向いた方角に座っている人が、出た絵柄の杯に酒を注いで飲み干します。 おかめは「女性の顔を下にして置くのは失礼」ということで飲み干すまで置けません。ひょっとこは口の部分に穴が空いているので、指でふさいでおかないとこぼれてしまいます。天狗は長い鼻の部分までお酒が入るため、下に置けません。 お酒がなくなるか、継続できなくなるまで続きます。 まんが王国 高知県は「フクちゃん」の横山隆一氏や「アンパンマン」のやなせたかし氏をはじめとして、多くの漫画家を輩出しています。高知ではまんがを文化と捉え、イベントなどを通してさらなる発展を目指しています。 1992年からは全国高等学校まんが選手権大会「まんが甲子園」を開催。2012年には「まんが王国・土佐推進協議会」が設立され、官民が協力して漫画文化を推進しています。2015年からは全国の有名漫画家を高知に迎え、多彩なイベントを開催する「全国漫画家大会議」を開催しています。 さらに令和2年4月にはまんが王国・土佐の資料や情報を発信する「高知まんがBASE」が誕生。所蔵されたまんが雑誌・単行本を読んだり、スマートフォンのARアプリでキャラクターと記念撮影したりして、まんが文化を楽しめます。 高知県の食文化・有名な食べ物 続いて、高知県の主な食文化をご紹介します。 カツオのたたき かつおは県の魚でもあり、高知では日常的に食べられています。カツオ料理の中でも高知を代表するのがカツオのたたきです。もともとは漁師が船上で食べていたまかない料理だったのが、一般に伝わったといわれています。 カツオの旬は春と秋の2回あります。3〜5月頃が旬の初カツオは脂が少なくさっぱりした味わいです。一方、9〜11月が旬の戻りカツオ(下りカツオ)は脂がのってやわらかい味わいです。 高知県内の飲食店では「カツオの藁焼き」がよく見られます。藁を使用して高火力で表面を一気に焼き上げるため、カツオの臭みが消えてうまみが引き立ちます。
四国の南部にあり、東経約132°〜134°、北緯約32°〜33°に位置する都道府県は、どのような立地でどのような形状をしているか。
四国の南部にあり、東経約132°〜134°、北緯約32°〜33°に位置する都道府県は、北は四国山地、南は太平洋に面し、東西に細長い扇状の形である。
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地理
新しい技術・データ活用の取組 ①統合型ガイダンスの開発 令和12年(2030年)に気象予測の精度を大きく向上させることを目指し、全球モデル、メソモデル、局地 モデルの解像度や予報時間(10時間~5日)が異なる複数の数値予報の結果について、各モデルの精度や 特性を踏まえて、AI技術を活用し最適に組み合わせる「統合型ガイダンス」の開発を行っています。各モデルの予報時間は、全球モデルが5日先、メソモデルが約39時間先、局地モデルが約10時間先となっています。 「統合型ガイダンス」により、高精度な降水量、風、気温等の予測情報の提供が可能となることに加え、 予測が困難な大雨等の顕著現象についても、誤差の幅やある値を超える確率の情報の提供が可能となること から、集中豪雨等に対し数日前から災害への心構えを高め、早めの防災行動を支援することにつながります。 本技術開発は、国立研究開発法人理化学研究所革新知能統合研究センター(理研AIP)との共同研究と して、平成31年(2019年)1月から取り組んでいます。 ②民間事業者の観測データの有効活用に向けた取組 気象庁では、自らが実施する基盤的な気象観測のデータに加えて、地方自治体や政府機関が実施する気象 観測のデータを収集し、監視・予測に係る気象情報を作成してきました。度重なる風水害を予防・軽減するため、 更なる監視・予測精度の向上を目指して、民間事業者により行われている気象観測のデータについても気象庁 における気象情報の作成等に活用する検討を進めています。 民間事業者においては、それぞれの目的に応じて様々な状況で気象観測が行われています。このデータを 気象情報の作成等にも有効に活用するためにはデータの品質や観測環境の様子の確認が必要であり、この ための調査を進めています。調査結果を基に、民間事業者の気象観測データを解析雨量や推計気象分布等の 気象情報に試験的に取り込んで効果を検証していきます。
全球モデル、メソモデル、局地モデルの予報時間において、より短い期間を教えてください。
全球モデル、メソモデル、局地モデルの予報時間において、より短い期間は局地モデルの約10時間先です。
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地理
四国の南部にあり、東経約132°〜134°、北緯約32°〜33°に位置するのが高知県です。高知県は北は四国山地、南は太平洋に面し、東西に細長い扇状の形です。高知市内を流れる江の口川には東経133度33分33秒,北緯33度33分33秒という同じ数字が12個も並ぶ地点があり、「地球33番地」と名付けられ、白いモニュメントが建てられています。 県名の由来 土佐藩主となった山内一豊が河川に挟まれた大高坂山に城を築き、河中山城(こうちやまじょう)と名付けたのが高知の始まりといわれています。たびたび洪水が起こるため、「高智」と改められた後に廃藩置県で高知県となりました。 高知県の文化 高知県に伝わる文化のうち、主なものをご紹介します。 おきゃく文化 「おきゃく」とは高知で宴会を意味します。 高知では何かと理由をつけて親類や友人、近所の人たちなどを招いて宴会していたため、宴会が「おきゃく」と呼ばれるようになりました。おきゃく文化に欠かせないのが郷土料理の皿鉢料理です。知っている人も知らない人もお酒を酌み交わし、「献杯」「返杯」を重ねていきます。 べく杯 高知には、お酒を飲み干すまで下に置けない「ベク杯」を使ったお座敷遊びがあります。 べく杯セットはおかめ・ひょっとこ・天狗の3種類があり、日本酒を入れて一気に飲み干します。こまを回して、止まったときに軸が向いた方角に座っている人が、出た絵柄の杯に酒を注いで飲み干します。 おかめは「女性の顔を下にして置くのは失礼」ということで飲み干すまで置けません。ひょっとこは口の部分に穴が空いているので、指でふさいでおかないとこぼれてしまいます。天狗は長い鼻の部分までお酒が入るため、下に置けません。 お酒がなくなるか、継続できなくなるまで続きます。 まんが王国 高知県は「フクちゃん」の横山隆一氏や「アンパンマン」のやなせたかし氏をはじめとして、多くの漫画家を輩出しています。高知ではまんがを文化と捉え、イベントなどを通してさらなる発展を目指しています。 1992年からは全国高等学校まんが選手権大会「まんが甲子園」を開催。2012年には「まんが王国・土佐推進協議会」が設立され、官民が協力して漫画文化を推進しています。2015年からは全国の有名漫画家を高知に迎え、多彩なイベントを開催する「全国漫画家大会議」を開催しています。 さらに令和2年4月にはまんが王国・土佐の資料や情報を発信する「高知まんがBASE」が誕生。所蔵されたまんが雑誌・単行本を読んだり、スマートフォンのARアプリでキャラクターと記念撮影したりして、まんが文化を楽しめます。 高知県の食文化・有名な食べ物 続いて、高知県の主な食文化をご紹介します。 カツオのたたき かつおは県の魚でもあり、高知では日常的に食べられています。カツオ料理の中でも高知を代表するのがカツオのたたきです。もともとは漁師が船上で食べていたまかない料理だったのが、一般に伝わったといわれています。 カツオの旬は春と秋の2回あります。3〜5月頃が旬の初カツオは脂が少なくさっぱりした味わいです。一方、9〜11月が旬の戻りカツオ(下りカツオ)は脂がのってやわらかい味わいです。 高知県内の飲食店では「カツオの藁焼き」がよく見られます。藁を使用して高火力で表面を一気に焼き上げるため、カツオの臭みが消えてうまみが引き立ちます。
四国の南部にあり、東経約132°〜134°、北緯約32°〜33°に位置する都道府県では「宴会」のことをなんと呼ぶか。
四国の南部にあり、東経約132°〜134°、北緯約32°〜33°に位置する都道府県では、何かと理由をつけて親類や友人、近所の人たちなどを招いて宴会していたため、宴会が「おきゃく」と呼ばれるようになった。
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地理
1 概要 8 月 6 日から 9 日にかけて台風第 9 号が日本に接近・上陸し、9 日から 10 日にかけては台風第 9 号から変わった温帯低気圧が北日本を通過した。この影響により、全国的に雨となり、中国地方の多いところで日降水量が 300 ミリを、東北地方では 200 ミリを超える大雨となった。また、四国地方や北海道地方では風速 30 メートル以上の猛烈な風を観測したほか、西日本から北日本にかけて風速 20 メートル以上の非常に強い風を観測した。 その後、8 月 11 日から 19 日にかけて、前線が日本付近に停滞し、断続的に活動が活発になった。8 月 19 日から 21 日にかけては、湿った空気や低気圧の影響を受けたほか、22 日から 26 日にかけては、台風第 12 号が日本に接近し、その後台風から変わった温帯低気圧が北日本を通過した。特に 8 月 11 日から 15 日にかけては、東シナ海の前線が次第に東へのび、その後西日本から東日本に停滞し、その前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込んだ影響で広い範囲で大雨となった。特に九州北部地方※1では多いところで 24 時間降水量が 500 ミリを超え、総降水量が1000 ミリを超える記録的な大雨となった。これらの大雨等の影響で、土砂災害、河川の氾濫、浸水害等が発生した※2。また、住家被害が発生し、停電、断水、電話の不通等ライフラインに被害が発生したほか、鉄道の運休等の交通障害が発生した。
台風第 9 号において発生した風において、四国地方や北海道地方で発生した風と、西日本から北日本にかけて発生した風のうち、風速が遅いのはどちらか教えてください。
台風第 9 号において発生した風において、四国地方や北海道地方で発生した風と、西日本から北日本にかけて発生した風のうち、風速が遅いのは西日本から北日本にかけて発生した風で、風速 20 メートルです。
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地理
四国の南部にあり、東経約132°〜134°、北緯約32°〜33°に位置するのが高知県です。高知県は北は四国山地、南は太平洋に面し、東西に細長い扇状の形です。高知市内を流れる江の口川には東経133度33分33秒,北緯33度33分33秒という同じ数字が12個も並ぶ地点があり、「地球33番地」と名付けられ、白いモニュメントが建てられています。 県名の由来 土佐藩主となった山内一豊が河川に挟まれた大高坂山に城を築き、河中山城(こうちやまじょう)と名付けたのが高知の始まりといわれています。たびたび洪水が起こるため、「高智」と改められた後に廃藩置県で高知県となりました。 高知県の文化 高知県に伝わる文化のうち、主なものをご紹介します。 おきゃく文化 「おきゃく」とは高知で宴会を意味します。 高知では何かと理由をつけて親類や友人、近所の人たちなどを招いて宴会していたため、宴会が「おきゃく」と呼ばれるようになりました。おきゃく文化に欠かせないのが郷土料理の皿鉢料理です。知っている人も知らない人もお酒を酌み交わし、「献杯」「返杯」を重ねていきます。 べく杯 高知には、お酒を飲み干すまで下に置けない「ベク杯」を使ったお座敷遊びがあります。 べく杯セットはおかめ・ひょっとこ・天狗の3種類があり、日本酒を入れて一気に飲み干します。こまを回して、止まったときに軸が向いた方角に座っている人が、出た絵柄の杯に酒を注いで飲み干します。 おかめは「女性の顔を下にして置くのは失礼」ということで飲み干すまで置けません。ひょっとこは口の部分に穴が空いているので、指でふさいでおかないとこぼれてしまいます。天狗は長い鼻の部分までお酒が入るため、下に置けません。 お酒がなくなるか、継続できなくなるまで続きます。 まんが王国 高知県は「フクちゃん」の横山隆一氏や「アンパンマン」のやなせたかし氏をはじめとして、多くの漫画家を輩出しています。高知ではまんがを文化と捉え、イベントなどを通してさらなる発展を目指しています。 1992年からは全国高等学校まんが選手権大会「まんが甲子園」を開催。2012年には「まんが王国・土佐推進協議会」が設立され、官民が協力して漫画文化を推進しています。2015年からは全国の有名漫画家を高知に迎え、多彩なイベントを開催する「全国漫画家大会議」を開催しています。 さらに令和2年4月にはまんが王国・土佐の資料や情報を発信する「高知まんがBASE」が誕生。所蔵されたまんが雑誌・単行本を読んだり、スマートフォンのARアプリでキャラクターと記念撮影したりして、まんが文化を楽しめます。 高知県の食文化・有名な食べ物 続いて、高知県の主な食文化をご紹介します。 カツオのたたき かつおは県の魚でもあり、高知では日常的に食べられています。カツオ料理の中でも高知を代表するのがカツオのたたきです。もともとは漁師が船上で食べていたまかない料理だったのが、一般に伝わったといわれています。 カツオの旬は春と秋の2回あります。3〜5月頃が旬の初カツオは脂が少なくさっぱりした味わいです。一方、9〜11月が旬の戻りカツオ(下りカツオ)は脂がのってやわらかい味わいです。 高知県内の飲食店では「カツオの藁焼き」がよく見られます。藁を使用して高火力で表面を一気に焼き上げるため、カツオの臭みが消えてうまみが引き立ちます。
四国の南部にあり、東経約132°〜134°、北緯約32°〜33°に位置する都道府県にはどのような遊びがあるか。
四国の南部にあり、東経約132°〜134°、北緯約32°〜33°に位置する都道府県には、お酒を飲み干すまで下に置けない「ベク杯」を使ったお座敷遊びがある。
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地理
新しい技術・データ活用の取組 ①統合型ガイダンスの開発 令和12年(2030年)に気象予測の精度を大きく向上させることを目指し、全球モデル、メソモデル、局地 モデルの解像度や予報時間(10時間~5日)が異なる複数の数値予報の結果について、各モデルの精度や 特性を踏まえて、AI技術を活用し最適に組み合わせる「統合型ガイダンス」の開発を行っています。 「統合型ガイダンス」により、高精度な降水量、風、気温等の予測情報の提供が可能となることに加え、 予測が困難な大雨等の顕著現象についても、誤差の幅やある値を超える確率の情報の提供が可能となること から、集中豪雨等に対し数日前から災害への心構えを高め、早めの防災行動を支援することにつながります。 本技術開発は、国立研究開発法人理化学研究所革新知能統合研究センター(理研AIP)との共同研究と して、平成31年(2019年)1月から取り組んでいます。 ②民間事業者の観測データの有効活用に向けた取組 気象庁では、自らが実施する基盤的な気象観測のデータに加えて、地方自治体や政府機関が実施する気象 観測のデータを収集し、監視・予測に係る気象情報を作成してきました。度重なる風水害を予防・軽減するため、 更なる監視・予測精度の向上を目指して、民間事業者により行われている気象観測のデータについても気象庁 における気象情報の作成等に活用する検討を進めています。 民間事業者においては、それぞれの目的に応じて様々な状況で気象観測が行われています。このデータを 気象情報の作成等にも有効に活用するためにはデータの品質や観測環境の様子の確認が必要であり、この ための調査を進めています。調査結果を基に、民間事業者の気象観測データを解析雨量や推計気象分布等の 気象情報に試験的に取り込んで効果を検証していきます。
全球モデル、メソモデル、局地モデルの予報時間において、より長い期間を教えてください。
全球モデル、メソモデル、局地モデルの予報時間において、より長い期間は約5日先です。
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地理
四国の南部にあり、東経約132°〜134°、北緯約32°〜33°に位置するのが高知県です。高知県は北は四国山地、南は太平洋に面し、東西に細長い扇状の形です。高知市内を流れる江の口川には東経133度33分33秒,北緯33度33分33秒という同じ数字が12個も並ぶ地点があり、「地球33番地」と名付けられ、白いモニュメントが建てられています。 県名の由来 土佐藩主となった山内一豊が河川に挟まれた大高坂山に城を築き、河中山城(こうちやまじょう)と名付けたのが高知の始まりといわれています。たびたび洪水が起こるため、「高智」と改められた後に廃藩置県で高知県となりました。 高知県の文化 高知県に伝わる文化のうち、主なものをご紹介します。 おきゃく文化 「おきゃく」とは高知で宴会を意味します。 高知では何かと理由をつけて親類や友人、近所の人たちなどを招いて宴会していたため、宴会が「おきゃく」と呼ばれるようになりました。おきゃく文化に欠かせないのが郷土料理の皿鉢料理です。知っている人も知らない人もお酒を酌み交わし、「献杯」「返杯」を重ねていきます。 べく杯 高知には、お酒を飲み干すまで下に置けない「ベク杯」を使ったお座敷遊びがあります。 べく杯セットはおかめ・ひょっとこ・天狗の3種類があり、日本酒を入れて一気に飲み干します。こまを回して、止まったときに軸が向いた方角に座っている人が、出た絵柄の杯に酒を注いで飲み干します。 おかめは「女性の顔を下にして置くのは失礼」ということで飲み干すまで置けません。ひょっとこは口の部分に穴が空いているので、指でふさいでおかないとこぼれてしまいます。天狗は長い鼻の部分までお酒が入るため、下に置けません。 お酒がなくなるか、継続できなくなるまで続きます。 まんが王国 高知県は「フクちゃん」の横山隆一氏や「アンパンマン」のやなせたかし氏をはじめとして、多くの漫画家を輩出しています。高知ではまんがを文化と捉え、イベントなどを通してさらなる発展を目指しています。 1992年からは全国高等学校まんが選手権大会「まんが甲子園」を開催。2012年には「まんが王国・土佐推進協議会」が設立され、官民が協力して漫画文化を推進しています。2015年からは全国の有名漫画家を高知に迎え、多彩なイベントを開催する「全国漫画家大会議」を開催しています。 さらに令和2年4月にはまんが王国・土佐の資料や情報を発信する「高知まんがBASE」が誕生。所蔵されたまんが雑誌・単行本を読んだり、スマートフォンのARアプリでキャラクターと記念撮影したりして、まんが文化を楽しめます。 高知県の食文化・有名な食べ物 続いて、高知県の主な食文化をご紹介します。 カツオのたたき かつおは県の魚でもあり、高知では日常的に食べられています。カツオ料理の中でも高知を代表するのがカツオのたたきです。もともとは漁師が船上で食べていたまかない料理だったのが、一般に伝わったといわれています。 カツオの旬は春と秋の2回あります。3〜5月頃が旬の初カツオは脂が少なくさっぱりした味わいです。一方、9〜11月が旬の戻りカツオ(下りカツオ)は脂がのってやわらかい味わいです。 高知県内の飲食店では「カツオの藁焼き」がよく見られます。藁を使用して高火力で表面を一気に焼き上げるため、カツオの臭みが消えてうまみが引き立ちます。
四国の南部にあり、東経約132°〜134°、北緯約32°〜33°に位置する都道府県が輩出した漫画家はだれか。
四国の南部にあり、東経約132°〜134°、北緯約32°〜33°に位置する都道府県は、「フクちゃん」の横山隆一氏や「アンパンマン」のやなせたかし氏をはじめとして、多くの漫画家を輩出している。
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地理
2 気象の状況 大雨の状況 8 月 7 日 8 月 7 日は、日本の南を北東へ進み伊豆諸島に接近した台風第 10 号や東シナ海を北東へ進んだ台風第 9 号の影響により、沖縄・奄美から東日本を中心に雨となった。 [日降水量 100 ミリ以上を観測した地点なし] 8 月 8 日 8 月 8 日は、台風第 10 号が関東の東海上を北東へ進み、また台風第 9 号が九州に接近し 20 時過ぎに鹿児島県枕崎市付近に上陸した。これらの影響により全国的に雨となり、四国地方、関東甲信地方では多いところで日降水量が 200 ミリになったほか、九州南部、九州北部地方、東海地方では多いところで日降水量が 100 ミリという大雨となった。 [日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点] 千葉県勝浦市勝浦 251.5 ミリ 東京都三宅村三宅島 236.0 ミリ 高知県仁淀川町鳥形山 205.0 ミリ 宮崎県西米良村西米良 165.5 ミリ 大分県大分市大分 164.0 ミリ 長崎県五島市上大津 160.5 ミリ 福岡県宗像市宗像 146.0 ミリ 鹿児島県薩摩川内市中甑 144.5 ミリ 茨城県鹿嶋市鹿嶋 142.0 ミリ 静岡県伊豆市天城山 130.5 ミリ 愛媛県西条市成就社 118.0 ミリ 神奈川県中区横浜 106.0 ミリ 熊本県芦北町田浦 100.0 ミリ
8 月 8 日に発生した大雨によって記録された降水量のうち、多いほうを教えてください。
8 月 8 日に発生した大雨によって記録された降水量のうち、多いほうは 200 ミリです。
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地理
四国の南部にあり、東経約132°〜134°、北緯約32°〜33°に位置するのが高知県です。高知県は北は四国山地、南は太平洋に面し、東西に細長い扇状の形です。高知市内を流れる江の口川には東経133度33分33秒,北緯33度33分33秒という同じ数字が12個も並ぶ地点があり、「地球33番地」と名付けられ、白いモニュメントが建てられています。 県名の由来 土佐藩主となった山内一豊が河川に挟まれた大高坂山に城を築き、河中山城(こうちやまじょう)と名付けたのが高知の始まりといわれています。たびたび洪水が起こるため、「高智」と改められた後に廃藩置県で高知県となりました。 高知県の文化 高知県に伝わる文化のうち、主なものをご紹介します。 おきゃく文化 「おきゃく」とは高知で宴会を意味します。 高知では何かと理由をつけて親類や友人、近所の人たちなどを招いて宴会していたため、宴会が「おきゃく」と呼ばれるようになりました。おきゃく文化に欠かせないのが郷土料理の皿鉢料理です。知っている人も知らない人もお酒を酌み交わし、「献杯」「返杯」を重ねていきます。 べく杯 高知には、お酒を飲み干すまで下に置けない「ベク杯」を使ったお座敷遊びがあります。 べく杯セットはおかめ・ひょっとこ・天狗の3種類があり、日本酒を入れて一気に飲み干します。こまを回して、止まったときに軸が向いた方角に座っている人が、出た絵柄の杯に酒を注いで飲み干します。 おかめは「女性の顔を下にして置くのは失礼」ということで飲み干すまで置けません。ひょっとこは口の部分に穴が空いているので、指でふさいでおかないとこぼれてしまいます。天狗は長い鼻の部分までお酒が入るため、下に置けません。 お酒がなくなるか、継続できなくなるまで続きます。 まんが王国 高知県は「フクちゃん」の横山隆一氏や「アンパンマン」のやなせたかし氏をはじめとして、多くの漫画家を輩出しています。高知ではまんがを文化と捉え、イベントなどを通してさらなる発展を目指しています。 1992年からは全国高等学校まんが選手権大会「まんが甲子園」を開催。2012年には「まんが王国・土佐推進協議会」が設立され、官民が協力して漫画文化を推進しています。2015年からは全国の有名漫画家を高知に迎え、多彩なイベントを開催する「全国漫画家大会議」を開催しています。 さらに令和2年4月にはまんが王国・土佐の資料や情報を発信する「高知まんがBASE」が誕生。所蔵されたまんが雑誌・単行本を読んだり、スマートフォンのARアプリでキャラクターと記念撮影したりして、まんが文化を楽しめます。 高知県の食文化・有名な食べ物 続いて、高知県の主な食文化をご紹介します。 カツオのたたき かつおは県の魚でもあり、高知では日常的に食べられています。カツオ料理の中でも高知を代表するのがカツオのたたきです。もともとは漁師が船上で食べていたまかない料理だったのが、一般に伝わったといわれています。 カツオの旬は春と秋の2回あります。3〜5月頃が旬の初カツオは脂が少なくさっぱりした味わいです。一方、9〜11月が旬の戻りカツオ(下りカツオ)は脂がのってやわらかい味わいです。 高知県内の飲食店では「カツオの藁焼き」がよく見られます。藁を使用して高火力で表面を一気に焼き上げるため、カツオの臭みが消えてうまみが引き立ちます。
四国の南部にあり、東経約132°〜134°、北緯約32°〜33°に位置する都道府県で日常的に食べられているものはなにか。
四国の南部にあり、東経約132°〜134°、北緯約32°〜33°に位置する都道府県では、県の魚であるかつおを日常的に食べられています。
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地理
○津波は第2、第3波と襲ってくる さらに津波は、「いったん引いた後も第2波、第3波と襲ってくる」、「第1波が最大波とは限ら ない」、「第1波が到達してから最大波がくるまでに数時間以上かかる場合もある」など、警報が発表されている間は必ず避難行動を継続する必要があります。東北地方太平洋沖地震では、第1波、第2波では被害がなく、地震発生から2時間以上経って襲った第3波によって大きな被害が生じた地域もありました。当初観測された津波の高さが小さいからといって油断せず、津波警報・注意報 の解除まで気を緩めないことが大切です。また、気象庁では順次情報を更新していきますので、避 難先において最新の情報を把握することも重要です。 気象庁は地震・津波による減災に向け、津波警報も含めた地震・津波に関する広報周知活動につ いて、国の防災関係機関、地方自治体、教育関係機関、報道機関等と連携してこれまで以上に組織 的に取り組んで参ります。 平成23年台風第12号に見る避難行動と課題 平成23年台風第12号により、紀伊半島の広い範囲で総降水量が1000ミリを超えるなど記録的な大雨となりました。奈良県上北山村上北山では、72時間降水量が1652.5ミリとなり1975年の観測開始以来のこれまでの最大値945ミリを大きく上回りました。また、台風が遠ざかりつつあった9月4日未明には紀伊半島の南東部で1時間に120ミリ前後の猛烈な雨が降りました。この大雨により紀伊半島南部を中心に河川の氾濫や深層崩壊等の大規模な土砂災害が発生し、 奈良県の死者 14人 和歌山県の死者 52人 三重県の死者 2人 奈良県の行方不明者 10人 和歌山県の行方不明者 5人 三重県の行方不明者 1人 住家の全半壊3248棟、床上浸水3393棟(平成23年12月15日現在消防庁資料)など甚大な被害となりました。 気象庁では、内閣府や消防庁、国土交通省等と合同で台風第12号による人的被害の大きかった奈良県及び和歌山県のいくつかの市町村に対して、避難勧告等の判断や住民への情報伝達等について聞き取り調査を行いました。調査からは、経験したことのない大雨に対する市町村の防災対応や住民の避難行動の難しさや、気象台の発表した防災情報が利用者である市町村の担当者や住民に危機感を十分に伝えきれていなかった、という課題が浮かび上がってきました。 ○避難勧告等の判断・伝達はどのように行われたか 市町村では9月1日~2日の比較的早い段階で、警報等の防災情報やダムの放流連絡を受けて、防災行政無線等で住民に自主的な避難を繰り返し呼びかけました。また、防災情報や水位等に基づいて定 められた判断基準により避難勧告を発令した地域もありました。しかし、災害が多発し始めた3日夕方以降は災害現場への対応等に忙殺されて気象状況や気象情報を確認する余裕が無くなったとのことでした。中山間地域では安全な避難場所や避難経路の確保が難しく、夜間や雨が強まってからの避難はかえって危険という判断から、避難勧告等の発令を見送った市町村もありました。 また、県や気象台では市町村の避難勧告等の判断を支援する目的で、警報等の防災情報に加えて土 壌雨量指数や流域雨量指数を活用したメッシュ形式の情報やスネークライン図等を提供していますが、こ れらの情報については「雨量や水位の方が状況を理解しやすい」、「5kmメッシュの情報では避難勧告を 発令する地域を絞れない」等の意見が聞かれ、情報の意味や活用方法について十分に普及できていないことが分かりました。 ○住民はどのような避難行動をとったのか ダムの近くや谷沿いに住む住民は、ダムの放流量によって川の水位がどの程度上昇するのかを経験的 に理解しており、多くの住民は市町村からの放流の連絡や避難の呼びかけに応じて自主的に避難しまし た。しかし、対岸の大規模な土砂崩れで発生した大量の土砂と水により住宅が押し流されるなど、これ まで安全と思われていた場所で被害に遭われた方もいました。 山沿いの集落では、自宅裏の石垣から濁った水が流れているのを見て避難し、土砂崩れから危うく難 を逃れた方がいました。一方で、すでに記録的な大雨となっている中、さらに夜間に短時間の猛烈な雨 に見舞われ、避難に必要な時間を十分に確保できなかった方もいます。
平成23年台風第12号によって発生した人的被害のうち、もっとも死者が多かった県を教えてください。
平成23年台風第12号によって発生した人的被害のうち、もっとも死者が多かった県は和歌山県で52人です。
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地理
福岡県には古くから省庁などの重要な機関が置かれ、その立地から中国大陸や朝鮮半島との交流が盛んでした。江戸時代には多くの街道や河川、港を活用した商業の中心地として繁栄し、多彩な文化も誕生します。豊かな自然と温暖な気候から、海の幸や果物、お茶などの生産をはじめ、各種地場産業も発展しました。 明治から昭和にかけては、石炭を活用した鉄鋼や機械、電気、化学などを主産業とする「北九州工業地帯」が規模を広げ、日本の近代産業に大きく貢献します。戦後の復興も早く、特に高度成長期には工業の分野が躍進しました。エネルギー改革によって石炭産業が衰退したものの、鉄鋼業は現在も全国の中心的な役割を担います。また、昭和40年以降は第3次産業が発展し、商業やサービス業の分野でも成長を遂げました。 2度のオイルショックによる産業構造の変革を経た後、現在では自動車や半導体、ロボットといった先端技術や環境に関わる研究などにも盛んに取り組んでいます。 県内には複数の高速道路が通り、新幹線およびJR、私鉄、地下鉄、モノレールなどの交通機関が充実。福岡空港に加え、平成17年には北九州空港が開港しました。博多港には、韓国の釜山(プサン)行きのフェリーが就航します。 面積と人口 福岡県は面積約4,987㎢で、九州全体の11.8%を占め、日本の総面積の1.3%にあたり、全国では29番目の大きさです。福岡県は8つの島を含む29市29町2村からなり(令和2年4月1日現在)、「北九州」「福岡」「筑後(ちくご)」「筑豊(ちくほう)」の4つの地域に分かれます。 人口は九州地方で最多の5,119,591人で、政令指定都市である福岡市は1,555,508人、北九州市は946,338人に上ります(令和2年4月現在)。 【参考】公益財団法人国土地理協会「2020年4月調査 市町村別 人口・世帯数(日本人住民+外国人住民)」 福岡県の位置と県庁所在地 およそ北緯33~34°、東経129~131°に位置し、国内では最も朝鮮半島に近い場所にあるのが福岡県です。福岡~東京間と、福岡~上海(シャンハイ:中国)間の距離がほぼ同じくらいです。年間を通してみると温暖な気候といえますが、日本海側の北九州と福岡には、季節風の影響で雪が降ることもあります。 県庁所在地は福岡市で、昭和47年に政令指定都市に指定されました。明治22年の市制施行で市名が決まったものの、「博多」の名称を残す運動が起こり、市会の投票によって1票差で福岡に決定したというエピソードがあります。福岡市は古くから城下町として繁栄し、現在も西日本では大阪や名古屋、神戸に次ぐ大都市です。 県名の由来 県名は、安土桃山から江戸時代に活躍した武将の黒田長政(くろだながまさ)の功績に由来します。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いにおいて、黒田長政は徳川家康の軍につき勝利に貢献したとして筑前国(ちくぜんのくに)を与えられました。当初は、現在の福岡市東区に遺構が残る名島(なじま)城を拠点としましたが、城下の広さの問題などから移転を決意。名島城を解体して現在の福岡市中央区に運び込み、7年の歳月をかけて築城しました。 完成した城には、黒田家にゆかりのある備前国(びぜんのくに)邑久郡(おくぐん)長船町(おさふねちょう)福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町)の名前を取って、「福岡城」と名づけました。 福岡県の文化 写真提供:福岡市 福岡県に伝わる文化のうち、一部をご紹介いたします。 博多弁 「~と?」「〜ばい」「〜たい」などと語尾に特徴がある博多弁は、主に福岡市内で使われる方言です。北九州や県の西部・南部などでは、隣県の方言が影響して表現に違いがみられます。標準語の「なおす」という言葉は博多弁では「片づける」、「来る」という言葉は「行く」という意味で使われます。 炭坑節(たんこうぶし) 国内にはいくつかの炭坑節がありますが、なかでも有名な「月が〜出た出た〜月が出た〜ヨイヨイ」という歌は、筑豊にある国指定史跡の三井田川炭鉱が発祥です。炭坑内の労働者による歌が宴会の席で歌われ、後に花柳界で三味線の伴奏がつき、戦後に盆踊りの歌として広まったとされています。
およそ北緯33~34°、東経129~131°に位置し、国内では最も朝鮮半島に近い場所にある都道府県は、なにが盛んだったか。
およそ北緯33~34°、東経129~131°に位置し、国内では最も朝鮮半島に近い場所にある都道府県には、古くから省庁などの重要な機関が置かれ、その立地から中国大陸や朝鮮半島との交流が盛んであった。
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地理
2 気象の状況 大雨の状況 8 月 7 日 8 月 7 日は、日本の南を北東へ進み伊豆諸島に接近した台風第 10 号や東シナ海を北東へ進んだ台風第 9 号の影響により、沖縄・奄美から東日本を中心に雨となった。 [日降水量 100 ミリ以上を観測した地点なし] 8 月 8 日 8 月 8 日は、台風第 10 号が関東の東海上を北東へ進み、また台風第 9 号が九州に接近し 20 時過ぎに鹿児島県枕崎市付近に上陸した。これらの影響により全国的に雨となり、四国地方、関東甲信地方では多いところで日降水量が 200 ミリになったほか、九州南部、九州北部地方、東海地方では多いところで日降水量が 100 ミリという大雨となった。 [日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点] 千葉県勝浦市勝浦 251.5 ミリ 東京都三宅村三宅島 236.0 ミリ 高知県仁淀川町鳥形山 205.0 ミリ 宮崎県西米良村西米良 165.5 ミリ 大分県大分市大分 164.0 ミリ 長崎県五島市上大津 160.5 ミリ 福岡県宗像市宗像 146.0 ミリ 鹿児島県薩摩川内市中甑 144.5 ミリ 茨城県鹿嶋市鹿嶋 142.0 ミリ 静岡県伊豆市天城山 130.5 ミリ 愛媛県西条市成就社 118.0 ミリ 神奈川県中区横浜 106.0 ミリ 熊本県芦北町田浦 100.0 ミリ
8 月 8 日に発生した大雨によって記録された降水量のうち、少ないほうを教えてください。
8 月 8 日に発生した大雨によって記録された降水量のうち、少ないのは100 ミリです。
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地理
福岡県には古くから省庁などの重要な機関が置かれ、その立地から中国大陸や朝鮮半島との交流が盛んでした。江戸時代には多くの街道や河川、港を活用した商業の中心地として繁栄し、多彩な文化も誕生します。豊かな自然と温暖な気候から、海の幸や果物、お茶などの生産をはじめ、各種地場産業も発展しました。 明治から昭和にかけては、石炭を活用した鉄鋼や機械、電気、化学などを主産業とする「北九州工業地帯」が規模を広げ、日本の近代産業に大きく貢献します。戦後の復興も早く、特に高度成長期には工業の分野が躍進しました。エネルギー改革によって石炭産業が衰退したものの、鉄鋼業は現在も全国の中心的な役割を担います。また、昭和40年以降は第3次産業が発展し、商業やサービス業の分野でも成長を遂げました。 2度のオイルショックによる産業構造の変革を経た後、現在では自動車や半導体、ロボットといった先端技術や環境に関わる研究などにも盛んに取り組んでいます。 県内には複数の高速道路が通り、新幹線およびJR、私鉄、地下鉄、モノレールなどの交通機関が充実。福岡空港に加え、平成17年には北九州空港が開港しました。博多港には、韓国の釜山(プサン)行きのフェリーが就航します。 面積と人口 福岡県は面積約4,987㎢で、九州全体の11.8%を占め、日本の総面積の1.3%にあたり、全国では29番目の大きさです。福岡県は8つの島を含む29市29町2村からなり(令和2年4月1日現在)、「北九州」「福岡」「筑後(ちくご)」「筑豊(ちくほう)」の4つの地域に分かれます。 人口は九州地方で最多の5,119,591人で、政令指定都市である福岡市は1,555,508人、北九州市は946,338人に上ります(令和2年4月現在)。 【参考】公益財団法人国土地理協会「2020年4月調査 市町村別 人口・世帯数(日本人住民+外国人住民)」 福岡県の位置と県庁所在地 およそ北緯33~34°、東経129~131°に位置し、国内では最も朝鮮半島に近い場所にあるのが福岡県です。福岡~東京間と、福岡~上海(シャンハイ:中国)間の距離がほぼ同じくらいです。年間を通してみると温暖な気候といえますが、日本海側の北九州と福岡には、季節風の影響で雪が降ることもあります。 県庁所在地は福岡市で、昭和47年に政令指定都市に指定されました。明治22年の市制施行で市名が決まったものの、「博多」の名称を残す運動が起こり、市会の投票によって1票差で福岡に決定したというエピソードがあります。福岡市は古くから城下町として繁栄し、現在も西日本では大阪や名古屋、神戸に次ぐ大都市です。 県名の由来 県名は、安土桃山から江戸時代に活躍した武将の黒田長政(くろだながまさ)の功績に由来します。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いにおいて、黒田長政は徳川家康の軍につき勝利に貢献したとして筑前国(ちくぜんのくに)を与えられました。当初は、現在の福岡市東区に遺構が残る名島(なじま)城を拠点としましたが、城下の広さの問題などから移転を決意。名島城を解体して現在の福岡市中央区に運び込み、7年の歳月をかけて築城しました。 完成した城には、黒田家にゆかりのある備前国(びぜんのくに)邑久郡(おくぐん)長船町(おさふねちょう)福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町)の名前を取って、「福岡城」と名づけました。 福岡県の文化 写真提供:福岡市 福岡県に伝わる文化のうち、一部をご紹介いたします。 博多弁 「~と?」「〜ばい」「〜たい」などと語尾に特徴がある博多弁は、主に福岡市内で使われる方言です。北九州や県の西部・南部などでは、隣県の方言が影響して表現に違いがみられます。標準語の「なおす」という言葉は博多弁では「片づける」、「来る」という言葉は「行く」という意味で使われます。 炭坑節(たんこうぶし) 国内にはいくつかの炭坑節がありますが、なかでも有名な「月が〜出た出た〜月が出た〜ヨイヨイ」という歌は、筑豊にある国指定史跡の三井田川炭鉱が発祥です。炭坑内の労働者による歌が宴会の席で歌われ、後に花柳界で三味線の伴奏がつき、戦後に盆踊りの歌として広まったとされています。
およそ北緯33~34°、東経129~131°に位置し、国内では最も朝鮮半島に近い場所にある都道府県の面積はどれくらいあるか。
およそ北緯33~34°、東経129~131°に位置し、国内では最も朝鮮半島に近い場所にある都道府県は、面積約4,987㎢である。
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地理
○津波は第2、第3波と襲ってくる さらに津波は、「いったん引いた後も第2波、第3波と襲ってくる」、「第1波が最大波とは限ら ない」、「第1波が到達してから最大波がくるまでに数時間以上かかる場合もある」など、警報が発表されている間は必ず避難行動を継続する必要があります。東北地方太平洋沖地震では、第1波、第2波では被害がなく、地震発生から2時間以上経って襲った第3波によって大きな被害が生じた地域もありました。当初観測された津波の高さが小さいからといって油断せず、津波警報・注意報 の解除まで気を緩めないことが大切です。また、気象庁では順次情報を更新していきますので、避 難先において最新の情報を把握することも重要です。 気象庁は地震・津波による減災に向け、津波警報も含めた地震・津波に関する広報周知活動につ いて、国の防災関係機関、地方自治体、教育関係機関、報道機関等と連携してこれまで以上に組織 的に取り組んで参ります。 平成23年台風第12号に見る避難行動と課題 平成23年台風第12号により、紀伊半島の広い範囲で総降水量が1000ミリを超えるなど記録的な大雨となりました。奈良県上北山村上北山では、72時間降水量が1652.5ミリとなり1975年の観測開始以来のこれまでの最大値945ミリを大きく上回りました。また、台風が遠ざかりつつあった9月4日未明には紀伊半島の南東部で1時間に120ミリ前後の猛烈な雨が降りました。この大雨により紀伊半島南部を中心に河川の氾濫や深層崩壊等の大規模な土砂災害が発生し、 奈良県の死者 14人 和歌山県の死者 52人 三重県の死者 2人 奈良県の行方不明者 10人 和歌山県の行方不明者 5人 三重県の行方不明者 1人 住家の全半壊3248棟、床上浸水3393棟(平成23年12月15日現在消防庁資料)など甚大な被害となりました。 気象庁では、内閣府や消防庁、国土交通省等と合同で台風第12号による人的被害の大きかった奈良県及び和歌山県のいくつかの市町村に対して、避難勧告等の判断や住民への情報伝達等について聞き取り調査を行いました。調査からは、経験したことのない大雨に対する市町村の防災対応や住民の避難行動の難しさや、気象台の発表した防災情報が利用者である市町村の担当者や住民に危機感を十分に伝えきれていなかった、という課題が浮かび上がってきました。 ○避難勧告等の判断・伝達はどのように行われたか 市町村では9月1日~2日の比較的早い段階で、警報等の防災情報やダムの放流連絡を受けて、防災行政無線等で住民に自主的な避難を繰り返し呼びかけました。また、防災情報や水位等に基づいて定 められた判断基準により避難勧告を発令した地域もありました。しかし、災害が多発し始めた3日夕方以降は災害現場への対応等に忙殺されて気象状況や気象情報を確認する余裕が無くなったとのことでした。中山間地域では安全な避難場所や避難経路の確保が難しく、夜間や雨が強まってからの避難はかえって危険という判断から、避難勧告等の発令を見送った市町村もありました。 また、県や気象台では市町村の避難勧告等の判断を支援する目的で、警報等の防災情報に加えて土 壌雨量指数や流域雨量指数を活用したメッシュ形式の情報やスネークライン図等を提供していますが、こ れらの情報については「雨量や水位の方が状況を理解しやすい」、「5kmメッシュの情報では避難勧告を 発令する地域を絞れない」等の意見が聞かれ、情報の意味や活用方法について十分に普及できていないことが分かりました。 ○住民はどのような避難行動をとったのか ダムの近くや谷沿いに住む住民は、ダムの放流量によって川の水位がどの程度上昇するのかを経験的 に理解しており、多くの住民は市町村からの放流の連絡や避難の呼びかけに応じて自主的に避難しまし た。しかし、対岸の大規模な土砂崩れで発生した大量の土砂と水により住宅が押し流されるなど、これ まで安全と思われていた場所で被害に遭われた方もいました。 山沿いの集落では、自宅裏の石垣から濁った水が流れているのを見て避難し、土砂崩れから危うく難 を逃れた方がいました。一方で、すでに記録的な大雨となっている中、さらに夜間に短時間の猛烈な雨 に見舞われ、避難に必要な時間を十分に確保できなかった方もいます。
平成23年台風第12号によって発生した人的被害のうち、もっとも死者が少なかった県を教えてください。
平成23年台風第12号によって発生した人的被害のうち、もっとも死者が少なかった県は三重県で2人です。
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福岡県には古くから省庁などの重要な機関が置かれ、その立地から中国大陸や朝鮮半島との交流が盛んでした。江戸時代には多くの街道や河川、港を活用した商業の中心地として繁栄し、多彩な文化も誕生します。豊かな自然と温暖な気候から、海の幸や果物、お茶などの生産をはじめ、各種地場産業も発展しました。 明治から昭和にかけては、石炭を活用した鉄鋼や機械、電気、化学などを主産業とする「北九州工業地帯」が規模を広げ、日本の近代産業に大きく貢献します。戦後の復興も早く、特に高度成長期には工業の分野が躍進しました。エネルギー改革によって石炭産業が衰退したものの、鉄鋼業は現在も全国の中心的な役割を担います。また、昭和40年以降は第3次産業が発展し、商業やサービス業の分野でも成長を遂げました。 2度のオイルショックによる産業構造の変革を経た後、現在では自動車や半導体、ロボットといった先端技術や環境に関わる研究などにも盛んに取り組んでいます。 県内には複数の高速道路が通り、新幹線およびJR、私鉄、地下鉄、モノレールなどの交通機関が充実。福岡空港に加え、平成17年には北九州空港が開港しました。博多港には、韓国の釜山(プサン)行きのフェリーが就航します。 面積と人口 福岡県は面積約4,987㎢で、九州全体の11.8%を占め、日本の総面積の1.3%にあたり、全国では29番目の大きさです。福岡県は8つの島を含む29市29町2村からなり(令和2年4月1日現在)、「北九州」「福岡」「筑後(ちくご)」「筑豊(ちくほう)」の4つの地域に分かれます。 人口は九州地方で最多の5,119,591人で、政令指定都市である福岡市は1,555,508人、北九州市は946,338人に上ります(令和2年4月現在)。 【参考】公益財団法人国土地理協会「2020年4月調査 市町村別 人口・世帯数(日本人住民+外国人住民)」 福岡県の位置と県庁所在地 およそ北緯33~34°、東経129~131°に位置し、国内では最も朝鮮半島に近い場所にあるのが福岡県です。福岡~東京間と、福岡~上海(シャンハイ:中国)間の距離がほぼ同じくらいです。年間を通してみると温暖な気候といえますが、日本海側の北九州と福岡には、季節風の影響で雪が降ることもあります。 県庁所在地は福岡市で、昭和47年に政令指定都市に指定されました。明治22年の市制施行で市名が決まったものの、「博多」の名称を残す運動が起こり、市会の投票によって1票差で福岡に決定したというエピソードがあります。福岡市は古くから城下町として繁栄し、現在も西日本では大阪や名古屋、神戸に次ぐ大都市です。 県名の由来 県名は、安土桃山から江戸時代に活躍した武将の黒田長政(くろだながまさ)の功績に由来します。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いにおいて、黒田長政は徳川家康の軍につき勝利に貢献したとして筑前国(ちくぜんのくに)を与えられました。当初は、現在の福岡市東区に遺構が残る名島(なじま)城を拠点としましたが、城下の広さの問題などから移転を決意。名島城を解体して現在の福岡市中央区に運び込み、7年の歳月をかけて築城しました。 完成した城には、黒田家にゆかりのある備前国(びぜんのくに)邑久郡(おくぐん)長船町(おさふねちょう)福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町)の名前を取って、「福岡城」と名づけました。 福岡県の文化 写真提供:福岡市 福岡県に伝わる文化のうち、一部をご紹介いたします。 博多弁 「~と?」「〜ばい」「〜たい」などと語尾に特徴がある博多弁は、主に福岡市内で使われる方言です。北九州や県の西部・南部などでは、隣県の方言が影響して表現に違いがみられます。標準語の「なおす」という言葉は博多弁では「片づける」、「来る」という言葉は「行く」という意味で使われます。 炭坑節(たんこうぶし) 国内にはいくつかの炭坑節がありますが、なかでも有名な「月が〜出た出た〜月が出た〜ヨイヨイ」という歌は、筑豊にある国指定史跡の三井田川炭鉱が発祥です。炭坑内の労働者による歌が宴会の席で歌われ、後に花柳界で三味線の伴奏がつき、戦後に盆踊りの歌として広まったとされています。
およそ北緯33~34°、東経129~131°に位置し、国内では最も朝鮮半島に近い場所にある都道府県の面積は、九州全体のどれくらいの割合を占めるか。
およそ北緯33~34°、東経129~131°に位置し、国内では最も朝鮮半島に近い場所にある都道府県は、九州全体の11.8%を占める。
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地理
2 気象の状況 大雨の状況 8 月 7 日 8 月 7 日は、日本の南を北東へ進み伊豆諸島に接近した台風第 10 号や東シナ海を北東へ進んだ台風第 9 号の影響により、沖縄・奄美から東日本を中心に雨となった。 [日降水量 100 ミリ以上を観測した地点なし] 8 月 8 日 8 月 8 日は、台風第 10 号が関東の東海上を北東へ進み、また台風第 9 号が九州に接近し 20 時過ぎに鹿児島県枕崎市付近に上陸した。これらの影響により全国的に雨となり、四国地方、関東甲信地方では多いところで日降水量が 200 ミリになったほか、九州南部、九州北部地方、東海地方では多いところで日降水量が 100 ミリという大雨となった。 [日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点] 千葉県勝浦市勝浦 251.5 ミリ 東京都三宅村三宅島 236.0 ミリ 高知県仁淀川町鳥形山 205.0 ミリ 宮崎県西米良村西米良 165.5 ミリ 大分県大分市大分 164.0 ミリ 長崎県五島市上大津 160.5 ミリ 福岡県宗像市宗像 146.0 ミリ 鹿児島県薩摩川内市中甑 144.5 ミリ 茨城県鹿嶋市鹿嶋 142.0 ミリ 静岡県伊豆市天城山 130.5 ミリ 愛媛県西条市成就社 118.0 ミリ 神奈川県中区横浜 106.0 ミリ 熊本県芦北町田浦 100.0 ミリ
8 月 8 日に日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点のうち、もっとも日降水量が多い地点を教えてください。
8 月 8 日に日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点のうち、もっとも日降水量が多い地点は千葉県勝浦市勝浦で251.5 ミリです。
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地理
福岡県には古くから省庁などの重要な機関が置かれ、その立地から中国大陸や朝鮮半島との交流が盛んでした。江戸時代には多くの街道や河川、港を活用した商業の中心地として繁栄し、多彩な文化も誕生します。豊かな自然と温暖な気候から、海の幸や果物、お茶などの生産をはじめ、各種地場産業も発展しました。 明治から昭和にかけては、石炭を活用した鉄鋼や機械、電気、化学などを主産業とする「北九州工業地帯」が規模を広げ、日本の近代産業に大きく貢献します。戦後の復興も早く、特に高度成長期には工業の分野が躍進しました。エネルギー改革によって石炭産業が衰退したものの、鉄鋼業は現在も全国の中心的な役割を担います。また、昭和40年以降は第3次産業が発展し、商業やサービス業の分野でも成長を遂げました。 2度のオイルショックによる産業構造の変革を経た後、現在では自動車や半導体、ロボットといった先端技術や環境に関わる研究などにも盛んに取り組んでいます。 県内には複数の高速道路が通り、新幹線およびJR、私鉄、地下鉄、モノレールなどの交通機関が充実。福岡空港に加え、平成17年には北九州空港が開港しました。博多港には、韓国の釜山(プサン)行きのフェリーが就航します。 面積と人口 福岡県は面積約4,987㎢で、九州全体の11.8%を占め、日本の総面積の1.3%にあたり、全国では29番目の大きさです。福岡県は8つの島を含む29市29町2村からなり(令和2年4月1日現在)、「北九州」「福岡」「筑後(ちくご)」「筑豊(ちくほう)」の4つの地域に分かれます。 人口は九州地方で最多の5,119,591人で、政令指定都市である福岡市は1,555,508人、北九州市は946,338人に上ります(令和2年4月現在)。 【参考】公益財団法人国土地理協会「2020年4月調査 市町村別 人口・世帯数(日本人住民+外国人住民)」 福岡県の位置と県庁所在地 およそ北緯33~34°、東経129~131°に位置し、国内では最も朝鮮半島に近い場所にあるのが福岡県です。福岡~東京間と、福岡~上海(シャンハイ:中国)間の距離がほぼ同じくらいです。年間を通してみると温暖な気候といえますが、日本海側の北九州と福岡には、季節風の影響で雪が降ることもあります。 県庁所在地は福岡市で、昭和47年に政令指定都市に指定されました。明治22年の市制施行で市名が決まったものの、「博多」の名称を残す運動が起こり、市会の投票によって1票差で福岡に決定したというエピソードがあります。福岡市は古くから城下町として繁栄し、現在も西日本では大阪や名古屋、神戸に次ぐ大都市です。 県名の由来 県名は、安土桃山から江戸時代に活躍した武将の黒田長政(くろだながまさ)の功績に由来します。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いにおいて、黒田長政は徳川家康の軍につき勝利に貢献したとして筑前国(ちくぜんのくに)を与えられました。当初は、現在の福岡市東区に遺構が残る名島(なじま)城を拠点としましたが、城下の広さの問題などから移転を決意。名島城を解体して現在の福岡市中央区に運び込み、7年の歳月をかけて築城しました。 完成した城には、黒田家にゆかりのある備前国(びぜんのくに)邑久郡(おくぐん)長船町(おさふねちょう)福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町)の名前を取って、「福岡城」と名づけました。 福岡県の文化 写真提供:福岡市 福岡県に伝わる文化のうち、一部をご紹介いたします。 博多弁 「~と?」「〜ばい」「〜たい」などと語尾に特徴がある博多弁は、主に福岡市内で使われる方言です。北九州や県の西部・南部などでは、隣県の方言が影響して表現に違いがみられます。標準語の「なおす」という言葉は博多弁では「片づける」、「来る」という言葉は「行く」という意味で使われます。 炭坑節(たんこうぶし) 国内にはいくつかの炭坑節がありますが、なかでも有名な「月が〜出た出た〜月が出た〜ヨイヨイ」という歌は、筑豊にある国指定史跡の三井田川炭鉱が発祥です。炭坑内の労働者による歌が宴会の席で歌われ、後に花柳界で三味線の伴奏がつき、戦後に盆踊りの歌として広まったとされています。
およそ北緯33~34°、東経129~131°に位置し、国内では最も朝鮮半島に近い場所にある都道府県の広さは、日本のどれくらいの割合を占めるか。
およそ北緯33~34°、東経129~131°に位置し、国内では最も朝鮮半島に近い場所にある都道府県は、日本の総面積の1.3%にあたる。
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地理
○津波は第2、第3波と襲ってくる さらに津波は、「いったん引いた後も第2波、第3波と襲ってくる」、「第1波が最大波とは限ら ない」、「第1波が到達してから最大波がくるまでに数時間以上かかる場合もある」など、警報が発表されている間は必ず避難行動を継続する必要があります。東北地方太平洋沖地震では、第1波、第2波では被害がなく、地震発生から2時間以上経って襲った第3波によって大きな被害が生じた地域もありました。当初観測された津波の高さが小さいからといって油断せず、津波警報・注意報 の解除まで気を緩めないことが大切です。また、気象庁では順次情報を更新していきますので、避 難先において最新の情報を把握することも重要です。 気象庁は地震・津波による減災に向け、津波警報も含めた地震・津波に関する広報周知活動につ いて、国の防災関係機関、地方自治体、教育関係機関、報道機関等と連携してこれまで以上に組織 的に取り組んで参ります。 平成23年台風第12号に見る避難行動と課題 平成23年台風第12号により、紀伊半島の広い範囲で総降水量が1000ミリを超えるなど記録的な大雨となりました。奈良県上北山村上北山では、72時間降水量が1652.5ミリとなり1975年の観測開始以来のこれまでの最大値945ミリを大きく上回りました。また、台風が遠ざかりつつあった9月4日未明には紀伊半島の南東部で1時間に120ミリ前後の猛烈な雨が降りました。この大雨により紀伊半島南部を中心に河川の氾濫や深層崩壊等の大規模な土砂災害が発生し、 奈良県の死者 14人 和歌山県の死者 52人 三重県の死者 2人 奈良県の行方不明者 10人 和歌山県の行方不明者 5人 三重県の行方不明者 1人 住家の全半壊3248棟、床上浸水3393棟(平成23年12月15日現在消防庁資料)など甚大な被害となりました。 気象庁では、内閣府や消防庁、国土交通省等と合同で台風第12号による人的被害の大きかった奈良県及び和歌山県のいくつかの市町村に対して、避難勧告等の判断や住民への情報伝達等について聞き取り調査を行いました。調査からは、経験したことのない大雨に対する市町村の防災対応や住民の避難行動の難しさや、気象台の発表した防災情報が利用者である市町村の担当者や住民に危機感を十分に伝えきれていなかった、という課題が浮かび上がってきました。 ○避難勧告等の判断・伝達はどのように行われたか 市町村では9月1日~2日の比較的早い段階で、警報等の防災情報やダムの放流連絡を受けて、防災行政無線等で住民に自主的な避難を繰り返し呼びかけました。また、防災情報や水位等に基づいて定 められた判断基準により避難勧告を発令した地域もありました。しかし、災害が多発し始めた3日夕方以降は災害現場への対応等に忙殺されて気象状況や気象情報を確認する余裕が無くなったとのことでした。中山間地域では安全な避難場所や避難経路の確保が難しく、夜間や雨が強まってからの避難はかえって危険という判断から、避難勧告等の発令を見送った市町村もありました。 また、県や気象台では市町村の避難勧告等の判断を支援する目的で、警報等の防災情報に加えて土 壌雨量指数や流域雨量指数を活用したメッシュ形式の情報やスネークライン図等を提供していますが、こ れらの情報については「雨量や水位の方が状況を理解しやすい」、「5kmメッシュの情報では避難勧告を 発令する地域を絞れない」等の意見が聞かれ、情報の意味や活用方法について十分に普及できていないことが分かりました。 ○住民はどのような避難行動をとったのか ダムの近くや谷沿いに住む住民は、ダムの放流量によって川の水位がどの程度上昇するのかを経験的 に理解しており、多くの住民は市町村からの放流の連絡や避難の呼びかけに応じて自主的に避難しまし た。しかし、対岸の大規模な土砂崩れで発生した大量の土砂と水により住宅が押し流されるなど、これ まで安全と思われていた場所で被害に遭われた方もいました。 山沿いの集落では、自宅裏の石垣から濁った水が流れているのを見て避難し、土砂崩れから危うく難 を逃れた方がいました。一方で、すでに記録的な大雨となっている中、さらに夜間に短時間の猛烈な雨 に見舞われ、避難に必要な時間を十分に確保できなかった方もいます。
平成23年台風第12号によって発生した人的被害のうち、もっとも行方不明者が多かった県を教えてください。
平成23年台風第12号によって発生した人的被害のうち、もっとも行方不明者が多かった県は奈良県で10人です。
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地理
福岡県には古くから省庁などの重要な機関が置かれ、その立地から中国大陸や朝鮮半島との交流が盛んでした。江戸時代には多くの街道や河川、港を活用した商業の中心地として繁栄し、多彩な文化も誕生します。豊かな自然と温暖な気候から、海の幸や果物、お茶などの生産をはじめ、各種地場産業も発展しました。 明治から昭和にかけては、石炭を活用した鉄鋼や機械、電気、化学などを主産業とする「北九州工業地帯」が規模を広げ、日本の近代産業に大きく貢献します。戦後の復興も早く、特に高度成長期には工業の分野が躍進しました。エネルギー改革によって石炭産業が衰退したものの、鉄鋼業は現在も全国の中心的な役割を担います。また、昭和40年以降は第3次産業が発展し、商業やサービス業の分野でも成長を遂げました。 2度のオイルショックによる産業構造の変革を経た後、現在では自動車や半導体、ロボットといった先端技術や環境に関わる研究などにも盛んに取り組んでいます。 県内には複数の高速道路が通り、新幹線およびJR、私鉄、地下鉄、モノレールなどの交通機関が充実。福岡空港に加え、平成17年には北九州空港が開港しました。博多港には、韓国の釜山(プサン)行きのフェリーが就航します。 面積と人口 福岡県は面積約4,987㎢で、九州全体の11.8%を占め、日本の総面積の1.3%にあたり、全国では29番目の大きさです。福岡県は8つの島を含む29市29町2村からなり(令和2年4月1日現在)、「北九州」「福岡」「筑後(ちくご)」「筑豊(ちくほう)」の4つの地域に分かれます。 人口は九州地方で最多の5,119,591人で、政令指定都市である福岡市は1,555,508人、北九州市は946,338人に上ります(令和2年4月現在)。 【参考】公益財団法人国土地理協会「2020年4月調査 市町村別 人口・世帯数(日本人住民+外国人住民)」 福岡県の位置と県庁所在地 およそ北緯33~34°、東経129~131°に位置し、国内では最も朝鮮半島に近い場所にあるのが福岡県です。福岡~東京間と、福岡~上海(シャンハイ:中国)間の距離がほぼ同じくらいです。年間を通してみると温暖な気候といえますが、日本海側の北九州と福岡には、季節風の影響で雪が降ることもあります。 県庁所在地は福岡市で、昭和47年に政令指定都市に指定されました。明治22年の市制施行で市名が決まったものの、「博多」の名称を残す運動が起こり、市会の投票によって1票差で福岡に決定したというエピソードがあります。福岡市は古くから城下町として繁栄し、現在も西日本では大阪や名古屋、神戸に次ぐ大都市です。 県名の由来 県名は、安土桃山から江戸時代に活躍した武将の黒田長政(くろだながまさ)の功績に由来します。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いにおいて、黒田長政は徳川家康の軍につき勝利に貢献したとして筑前国(ちくぜんのくに)を与えられました。当初は、現在の福岡市東区に遺構が残る名島(なじま)城を拠点としましたが、城下の広さの問題などから移転を決意。名島城を解体して現在の福岡市中央区に運び込み、7年の歳月をかけて築城しました。 完成した城には、黒田家にゆかりのある備前国(びぜんのくに)邑久郡(おくぐん)長船町(おさふねちょう)福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町)の名前を取って、「福岡城」と名づけました。 福岡県の文化 写真提供:福岡市 福岡県に伝わる文化のうち、一部をご紹介いたします。 博多弁 「~と?」「〜ばい」「〜たい」などと語尾に特徴がある博多弁は、主に福岡市内で使われる方言です。北九州や県の西部・南部などでは、隣県の方言が影響して表現に違いがみられます。標準語の「なおす」という言葉は博多弁では「片づける」、「来る」という言葉は「行く」という意味で使われます。 炭坑節(たんこうぶし) 国内にはいくつかの炭坑節がありますが、なかでも有名な「月が〜出た出た〜月が出た〜ヨイヨイ」という歌は、筑豊にある国指定史跡の三井田川炭鉱が発祥です。炭坑内の労働者による歌が宴会の席で歌われ、後に花柳界で三味線の伴奏がつき、戦後に盆踊りの歌として広まったとされています。
およそ北緯33~34°、東経129~131°に位置し、国内では最も朝鮮半島に近い場所にある都道府県は、全国で何番目の大きさか。
およそ北緯33~34°、東経129~131°に位置し、国内では最も朝鮮半島に近い場所にある都道府県は、全国では29番目の大きさである。
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地理
2 気象の状況 大雨の状況 8 月 7 日 8 月 7 日は、日本の南を北東へ進み伊豆諸島に接近した台風第 10 号や東シナ海を北東へ進んだ台風第 9 号の影響により、沖縄・奄美から東日本を中心に雨となった。 [日降水量 100 ミリ以上を観測した地点なし] 8 月 8 日 8 月 8 日は、台風第 10 号が関東の東海上を北東へ進み、また台風第 9 号が九州に接近し 20 時過ぎに鹿児島県枕崎市付近に上陸した。これらの影響により全国的に雨となり、四国地方、関東甲信地方では多いところで日降水量が 200 ミリになったほか、九州南部、九州北部地方、東海地方では多いところで日降水量が 100 ミリという大雨となった。 [日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点] 千葉県勝浦市勝浦 251.5 ミリ 東京都三宅村三宅島 236.0 ミリ 高知県仁淀川町鳥形山 205.0 ミリ 宮崎県西米良村西米良 165.5 ミリ 大分県大分市大分 164.0 ミリ 長崎県五島市上大津 160.5 ミリ 福岡県宗像市宗像 146.0 ミリ 鹿児島県薩摩川内市中甑 144.5 ミリ 茨城県鹿嶋市鹿嶋 142.0 ミリ 静岡県伊豆市天城山 130.5 ミリ 愛媛県西条市成就社 118.0 ミリ 神奈川県中区横浜 106.0 ミリ 熊本県芦北町田浦 100.0 ミリ
8 月 8 日に日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点のうち、もっとも日降水量が少ない地点を教えてください。
8 月 8 日に日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点のうち、もっとも日降水量が少ない地点は熊本県芦北町田浦で100.0 ミリです。
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地理
佐賀県の基本情報 はじめに、佐賀県の基本情報をご紹介いたします。 歴史と産業 佐賀県は旧石器時代から人々が暮らし、弥生時代には大陸から稲作などの農耕文化が伝わりました。7世紀には国が支配する律令(りつりょう)制の下、現在の佐賀市大和(やまと)町に「国府(こくふ)」と呼ばれる役所が置かれ、佐賀県全域と長崎県の一部を含む「肥前国(ひぜんのくに)」が誕生しました。 平安時代には、海外貿易の主軸となった「神崎荘(かんざきのしょう)」など複数の「荘園(しょうえん)」が存在しました。鎌倉時代の蒙古(もうこ)軍による2度の「元寇(げんこう)」では、多くの肥前武士が活躍。戦国時代には、豊臣秀吉が朝鮮出兵に先立って現在の唐津市に名護屋(なごや)城を築城したことから、国の重要な拠点として栄えました。 江戸時代に入ると、肥前には鍋島直茂(なべしまなおしげ)による佐賀藩と、寺沢広高(てらざわひろたか)による唐津藩が誕生します。後に佐賀藩は長崎の警備を任されるなど、国内でも有数の強力な藩に成長しました。 10代藩主の鍋島直正(なおまさ)は、国内初の反射炉で鉄製の大砲を製造したほか、天然痘(てんねんとう)の予防接種をいち早く取り入れて西洋医学の基礎を築くなど、数々の偉業を達成。明治維新における佐賀藩は、薩摩藩や長州藩、土佐藩とともに新しい国家の設立に参画し、大隈重信(おおくましげのぶ)などの偉人を輩出しました。 明治4年の廃藩置県により佐賀県が誕生、同年に筑後の三潴(みづま)県との合併・廃止を経て長崎県と合併しますが、明治16年に長崎県から独立して現在に至ります。終戦後は食糧不足の対策として農業の開拓事業に力を入れたこともあり、現在も農業や漁業などの第一次産業が占める割合は他県に比べて高めです。 佐賀県は自動車関連工場の進出も盛んで、観光業やサッカーをはじめとするスポーツの推進事業にも取り組みます。 面積と人口 佐賀県は面積約2,439㎢で、九州地方ではもっとも小さく、全国では42番目の広さです。佐賀県は10市10町から成り(令和3年6月現在)、5地域に分かれます。県内の7つの島は、すべて唐津市に属します。 人口は804,931人(令和3年5月1日現在)で、全国では41番目です。県内でもっとも人口が多い市は佐賀市(231,896人)、次いで唐津市(120,513人)、鳥栖(とす)市(73,691人)です(令和2年4月現在)。 【参考】 公益財団法人国土地理協会「2020年4月調査 市町村別 人口・世帯数(日本人住民+外国人住民)」 県の位置と県庁所在地 九州地方で北緯約129~130°、東経約32~33°に位置するのが佐賀県です。佐賀県は北は玄界灘(げんかいなだ)、南は有明海(ありあけかい)に面しています。佐賀県は直線距離で東京まで約900㎞、大阪まで約500㎞ですが、朝鮮半島までは約200㎞の近さです。 県庁所在地は佐賀市で、「佐賀城跡」や世界文化遺産に指定された「三重津海軍所(みえつかいぐんしょ)跡」などの観光スポットがあります。 県名の由来 「肥前国風土記(ひぜんのくにふどき)」によると、「古事記」などに登場する景行(けいこう)天皇の子である「日本武尊(やまとたけるのみこと)」が肥前の諸富(もろどみ)周辺を巡行(じゅんこう)した際、一株の立派な樟(くすのき)が茂る地域を「栄の国(さかのくに)」と呼ぶよう提案しました。 このできごとにちなんで一帯を「栄の郡(さかのこおり)」と命名し、後に「佐嘉郡(さかのこおり)」の字を当てたとされています。明治維新で新しい政権が誕生した際、「嘉」の字を「賀」に改めました。
九州地方で北緯約129~130°、東経約32~33°に位置する都道府県では、どのようにして農耕文化が広がったか。
九州地方で北緯約129~130°、東経約32~33°に位置する都道府県は、旧石器時代から人々が暮らし、弥生時代には大陸から稲作などの農耕文化が伝わった。
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地理
○津波は第2、第3波と襲ってくる さらに津波は、「いったん引いた後も第2波、第3波と襲ってくる」、「第1波が最大波とは限ら ない」、「第1波が到達してから最大波がくるまでに数時間以上かかる場合もある」など、警報が発表されている間は必ず避難行動を継続する必要があります。東北地方太平洋沖地震では、第1波、第2波では被害がなく、地震発生から2時間以上経って襲った第3波によって大きな被害が生じた地域もありました。当初観測された津波の高さが小さいからといって油断せず、津波警報・注意報 の解除まで気を緩めないことが大切です。また、気象庁では順次情報を更新していきますので、避 難先において最新の情報を把握することも重要です。 気象庁は地震・津波による減災に向け、津波警報も含めた地震・津波に関する広報周知活動につ いて、国の防災関係機関、地方自治体、教育関係機関、報道機関等と連携してこれまで以上に組織 的に取り組んで参ります。 平成23年台風第12号に見る避難行動と課題 平成23年台風第12号により、紀伊半島の広い範囲で総降水量が1000ミリを超えるなど記録的な大雨となりました。奈良県上北山村上北山では、72時間降水量が1652.5ミリとなり1975年の観測開始以来のこれまでの最大値945ミリを大きく上回りました。また、台風が遠ざかりつつあった9月4日未明には紀伊半島の南東部で1時間に120ミリ前後の猛烈な雨が降りました。この大雨により紀伊半島南部を中心に河川の氾濫や深層崩壊等の大規模な土砂災害が発生し、 奈良県の死者 14人 和歌山県の死者 52人 三重県の死者 2人 奈良県の行方不明者 10人 和歌山県の行方不明者 5人 三重県の行方不明者 1人 住家の全半壊3248棟、床上浸水3393棟(平成23年12月15日現在消防庁資料)など甚大な被害となりました。 気象庁では、内閣府や消防庁、国土交通省等と合同で台風第12号による人的被害の大きかった奈良県及び和歌山県のいくつかの市町村に対して、避難勧告等の判断や住民への情報伝達等について聞き取り調査を行いました。調査からは、経験したことのない大雨に対する市町村の防災対応や住民の避難行動の難しさや、気象台の発表した防災情報が利用者である市町村の担当者や住民に危機感を十分に伝えきれていなかった、という課題が浮かび上がってきました。 ○避難勧告等の判断・伝達はどのように行われたか 市町村では9月1日~2日の比較的早い段階で、警報等の防災情報やダムの放流連絡を受けて、防災行政無線等で住民に自主的な避難を繰り返し呼びかけました。また、防災情報や水位等に基づいて定 められた判断基準により避難勧告を発令した地域もありました。しかし、災害が多発し始めた3日夕方以降は災害現場への対応等に忙殺されて気象状況や気象情報を確認する余裕が無くなったとのことでした。中山間地域では安全な避難場所や避難経路の確保が難しく、夜間や雨が強まってからの避難はかえって危険という判断から、避難勧告等の発令を見送った市町村もありました。 また、県や気象台では市町村の避難勧告等の判断を支援する目的で、警報等の防災情報に加えて土 壌雨量指数や流域雨量指数を活用したメッシュ形式の情報やスネークライン図等を提供していますが、こ れらの情報については「雨量や水位の方が状況を理解しやすい」、「5kmメッシュの情報では避難勧告を 発令する地域を絞れない」等の意見が聞かれ、情報の意味や活用方法について十分に普及できていないことが分かりました。 ○住民はどのような避難行動をとったのか ダムの近くや谷沿いに住む住民は、ダムの放流量によって川の水位がどの程度上昇するのかを経験的 に理解しており、多くの住民は市町村からの放流の連絡や避難の呼びかけに応じて自主的に避難しまし た。しかし、対岸の大規模な土砂崩れで発生した大量の土砂と水により住宅が押し流されるなど、これ まで安全と思われていた場所で被害に遭われた方もいました。 山沿いの集落では、自宅裏の石垣から濁った水が流れているのを見て避難し、土砂崩れから危うく難 を逃れた方がいました。一方で、すでに記録的な大雨となっている中、さらに夜間に短時間の猛烈な雨 に見舞われ、避難に必要な時間を十分に確保できなかった方もいます。
平成23年台風第12号によって発生した人的被害のうち、もっとも行方不明者が少なかった県を教えてください。
平成23年台風第12号によって発生した人的被害のうち、もっとも行方不明者が少なかった県は三重県で1人です。
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佐賀県の基本情報 はじめに、佐賀県の基本情報をご紹介いたします。 歴史と産業 佐賀県は旧石器時代から人々が暮らし、弥生時代には大陸から稲作などの農耕文化が伝わりました。7世紀には国が支配する律令(りつりょう)制の下、現在の佐賀市大和(やまと)町に「国府(こくふ)」と呼ばれる役所が置かれ、佐賀県全域と長崎県の一部を含む「肥前国(ひぜんのくに)」が誕生しました。 平安時代には、海外貿易の主軸となった「神崎荘(かんざきのしょう)」など複数の「荘園(しょうえん)」が存在しました。鎌倉時代の蒙古(もうこ)軍による2度の「元寇(げんこう)」では、多くの肥前武士が活躍。戦国時代には、豊臣秀吉が朝鮮出兵に先立って現在の唐津市に名護屋(なごや)城を築城したことから、国の重要な拠点として栄えました。 江戸時代に入ると、肥前には鍋島直茂(なべしまなおしげ)による佐賀藩と、寺沢広高(てらざわひろたか)による唐津藩が誕生します。後に佐賀藩は長崎の警備を任されるなど、国内でも有数の強力な藩に成長しました。 10代藩主の鍋島直正(なおまさ)は、国内初の反射炉で鉄製の大砲を製造したほか、天然痘(てんねんとう)の予防接種をいち早く取り入れて西洋医学の基礎を築くなど、数々の偉業を達成。明治維新における佐賀藩は、薩摩藩や長州藩、土佐藩とともに新しい国家の設立に参画し、大隈重信(おおくましげのぶ)などの偉人を輩出しました。 明治4年の廃藩置県により佐賀県が誕生、同年に筑後の三潴(みづま)県との合併・廃止を経て長崎県と合併しますが、明治16年に長崎県から独立して現在に至ります。終戦後は食糧不足の対策として農業の開拓事業に力を入れたこともあり、現在も農業や漁業などの第一次産業が占める割合は他県に比べて高めです。 佐賀県は自動車関連工場の進出も盛んで、観光業やサッカーをはじめとするスポーツの推進事業にも取り組みます。 面積と人口 佐賀県は面積約2,439㎢で、九州地方ではもっとも小さく、全国では42番目の広さです。佐賀県は10市10町から成り(令和3年6月現在)、5地域に分かれます。県内の7つの島は、すべて唐津市に属します。 人口は804,931人(令和3年5月1日現在)で、全国では41番目です。県内でもっとも人口が多い市は佐賀市(231,896人)、次いで唐津市(120,513人)、鳥栖(とす)市(73,691人)です(令和2年4月現在)。 【参考】 公益財団法人国土地理協会「2020年4月調査 市町村別 人口・世帯数(日本人住民+外国人住民)」 県の位置と県庁所在地 九州地方で北緯約129~130°、東経約32~33°に位置するのが佐賀県です。佐賀県は北は玄界灘(げんかいなだ)、南は有明海(ありあけかい)に面しています。佐賀県は直線距離で東京まで約900㎞、大阪まで約500㎞ですが、朝鮮半島までは約200㎞の近さです。 県庁所在地は佐賀市で、「佐賀城跡」や世界文化遺産に指定された「三重津海軍所(みえつかいぐんしょ)跡」などの観光スポットがあります。 県名の由来 「肥前国風土記(ひぜんのくにふどき)」によると、「古事記」などに登場する景行(けいこう)天皇の子である「日本武尊(やまとたけるのみこと)」が肥前の諸富(もろどみ)周辺を巡行(じゅんこう)した際、一株の立派な樟(くすのき)が茂る地域を「栄の国(さかのくに)」と呼ぶよう提案しました。 このできごとにちなんで一帯を「栄の郡(さかのこおり)」と命名し、後に「佐嘉郡(さかのこおり)」の字を当てたとされています。明治維新で新しい政権が誕生した際、「嘉」の字を「賀」に改めました。
九州地方で北緯約129~130°、東経約32~33°に位置する都道府県は、どのように分けられるか。
九州地方で北緯約129~130°、東経約32~33°に位置する都道府県は、10市10町から成り(令和3年6月現在)、5地域に分かれる。
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地理
8 月 9 日 8 月 9 日は、台風第 9 号が 05 時過ぎに広島県呉市付近に上陸し、09 時に温帯低気圧に変わり日本海を北東へ進んだ。この影響により、全国的に雨となり、中国地方では多いところで日降水量が 300 ミリを超え、東北地方では多いところで日降水量が 200 ミリを超えたほか、西日本から北日本では多いところで日降水量が 100 ミリを超える大雨となった。 [日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点] 島根県海士町海士 310.0 ミリ 広島県北広島町八幡 275.0 ミリ 岩手県普代村普代 234.0 ミリ 鳥取県大山町大山 227.0 ミリ 北海道函館市戸井泊 193.0 ミリ 和歌山県田辺市護摩壇山 154.5 ミリ 長野県王滝村御嶽山 145.0 ミリ 兵庫県新温泉町温泉 143.0 ミリ 静岡県葵区有東木 139.5 ミリ 岐阜県郡上市長滝 137.5 ミリ 愛知県豊田市稲武 129.5 ミリ 山梨県甲府市古関 126.5 ミリ 岡山県鏡野町恩原 125.5 ミリ 山口県萩市須佐 116.0 ミリ 福岡県添田町英彦山 103.0 ミリ 8 月 10 日 8 月 10 日は、台風第 9 号から変わった温帯低気圧が東北地方を通過した。この影響により北日本から東日本の日本海側を中心に雨となり、北陸地方、東北地方、北海道地方では多いところで日降水量が 100 ミリを超える大雨となった。 [日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点] 北海道函館市川汲 150.0 ミリ 北海道室蘭市室蘭 141.5 ミリ 青森県平内町大和山 137.0 ミリ 富山県上市町上市 131.5 ミリ 石川県加賀市加賀菅谷 131.5 ミリ 北海道標津町糸櫛別 128.0 ミリ 北海道大空町東藻琴 127.0 ミリ 山形県小国町小国 124.5 ミリ 北海道広尾町広尾 123.0 ミリ 新潟県十日町市松代 110.5 ミリ 北海道弟子屈町川湯 104.0 ミリ
8 月 9 日に日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点のうち、もっとも日降水量が多い地点を教えてください。
8 月 9 日に日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点のうち、もっとも日降水量が多い地点は島根県海士町海士で 310.0 ミリです。
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地理
佐賀県の基本情報 はじめに、佐賀県の基本情報をご紹介いたします。 歴史と産業 佐賀県は旧石器時代から人々が暮らし、弥生時代には大陸から稲作などの農耕文化が伝わりました。7世紀には国が支配する律令(りつりょう)制の下、現在の佐賀市大和(やまと)町に「国府(こくふ)」と呼ばれる役所が置かれ、佐賀県全域と長崎県の一部を含む「肥前国(ひぜんのくに)」が誕生しました。 平安時代には、海外貿易の主軸となった「神崎荘(かんざきのしょう)」など複数の「荘園(しょうえん)」が存在しました。鎌倉時代の蒙古(もうこ)軍による2度の「元寇(げんこう)」では、多くの肥前武士が活躍。戦国時代には、豊臣秀吉が朝鮮出兵に先立って現在の唐津市に名護屋(なごや)城を築城したことから、国の重要な拠点として栄えました。 江戸時代に入ると、肥前には鍋島直茂(なべしまなおしげ)による佐賀藩と、寺沢広高(てらざわひろたか)による唐津藩が誕生します。後に佐賀藩は長崎の警備を任されるなど、国内でも有数の強力な藩に成長しました。 10代藩主の鍋島直正(なおまさ)は、国内初の反射炉で鉄製の大砲を製造したほか、天然痘(てんねんとう)の予防接種をいち早く取り入れて西洋医学の基礎を築くなど、数々の偉業を達成。明治維新における佐賀藩は、薩摩藩や長州藩、土佐藩とともに新しい国家の設立に参画し、大隈重信(おおくましげのぶ)などの偉人を輩出しました。 明治4年の廃藩置県により佐賀県が誕生、同年に筑後の三潴(みづま)県との合併・廃止を経て長崎県と合併しますが、明治16年に長崎県から独立して現在に至ります。終戦後は食糧不足の対策として農業の開拓事業に力を入れたこともあり、現在も農業や漁業などの第一次産業が占める割合は他県に比べて高めです。 佐賀県は自動車関連工場の進出も盛んで、観光業やサッカーをはじめとするスポーツの推進事業にも取り組みます。 面積と人口 佐賀県は面積約2,439㎢で、九州地方ではもっとも小さく、全国では42番目の広さです。佐賀県は10市10町から成り(令和3年6月現在)、5地域に分かれます。県内の7つの島は、すべて唐津市に属します。 人口は804,931人(令和3年5月1日現在)で、全国では41番目です。県内でもっとも人口が多い市は佐賀市(231,896人)、次いで唐津市(120,513人)、鳥栖(とす)市(73,691人)です(令和2年4月現在)。 【参考】 公益財団法人国土地理協会「2020年4月調査 市町村別 人口・世帯数(日本人住民+外国人住民)」 県の位置と県庁所在地 九州地方で北緯約129~130°、東経約32~33°に位置するのが佐賀県です。佐賀県は北は玄界灘(げんかいなだ)、南は有明海(ありあけかい)に面しています。佐賀県は直線距離で東京まで約900㎞、大阪まで約500㎞ですが、朝鮮半島までは約200㎞の近さです。 県庁所在地は佐賀市で、「佐賀城跡」や世界文化遺産に指定された「三重津海軍所(みえつかいぐんしょ)跡」などの観光スポットがあります。 県名の由来 「肥前国風土記(ひぜんのくにふどき)」によると、「古事記」などに登場する景行(けいこう)天皇の子である「日本武尊(やまとたけるのみこと)」が肥前の諸富(もろどみ)周辺を巡行(じゅんこう)した際、一株の立派な樟(くすのき)が茂る地域を「栄の国(さかのくに)」と呼ぶよう提案しました。 このできごとにちなんで一帯を「栄の郡(さかのこおり)」と命名し、後に「佐嘉郡(さかのこおり)」の字を当てたとされています。明治維新で新しい政権が誕生した際、「嘉」の字を「賀」に改めました。
九州地方で北緯約129~130°、東経約32~33°に位置する都道府県は、どのようなことに取り組んでいるか。
九州地方で北緯約129~130°、東経約32~33°に位置する都道府県は、自動車関連工場の進出も盛んで、観光業やサッカーをはじめとするスポーツの推進事業にも取り組んでいる。
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地理
火山噴火 火山噴火に伴って防災対策上重要な様々な火山現象が発生します。 ・大きな噴石 爆発的な噴火により吹き飛ばされた岩石等が落ちてくる現象です。20センチメートル以上、大きくても50センチメートル以上の大きな噴石は風の影響をほとんど受けずに火口から四方に飛散し、数十秒程度の短時間で落下し、建物の屋根を打ち破るほどの破壊力を持っています。 ・火砕流 高温の火砕物(火山灰、軽石等)と高温のガスが一体となって猛スピードで山腹を駆け下る現象です。温度が六百度、最大時速が80キロメートルから時には100キロメートルにも達し、その通過域では焼失・破壊など壊滅的な被害が生じます。火砕流の先端や周辺は火山灰を含む高温・高速の気流となっていて、この部分を火砕サージといい、火砕流本体よりも広範囲かつ猛スピードで広がります。 ・融雪型火山泥流 噴火時に発生した火砕流等が積雪を溶かし、大量の水と土砂が一体となって高速で流れ下る現象です。積雪の状況によっては沢沿いを中心に火砕流などよりもはるかに遠くまで一気に流下し、大規模な災害を引き起こしやすい現象です。時速60キロメートルを超えることもあり、破壊力が大きく通過域では壊滅的な被害が生じます。 これら3つの火山現象は、噴火発生から短時間で襲来して生命に危険を及ぼすことが特徴で、現象の 発生を確認してから避難を開始するのでは間に合わないため、事前に安全なところまで避難しておくこと が必要です。 このため、気象庁は、火山活動の監視・評価の結果に基づき、これらの火山現象に対する警戒が必 要な範囲(生命に危険が及ぶ、以下「警戒が必要な範囲」)を明示して避難を促すための噴火警報を発 表しています。噴火警報は「警戒が必要な範囲」に居住地域が含まれる場合は「噴火警報(居住地域)」、 含まれない場合は「噴火警報(火口周辺)」(略称は火口周辺警報)という名称で発表されます。 さらに、火山の地元の都道府県・市町村・気象台・砂防部局・火山専門家等から構成される「火山防 災協議会」において登山者や住民の避難について共同検討が進められていて、避難のタイミングと避難 対象地域の検討結果が市町村の地域防災計画に反映された29火山(平成24年4月現在)では、必要な防災行動を5段階(平常、火口周辺規制、入山規制、避難準備、避難)で示した「噴火警戒レベル」 が提供されています。 なお、噴火発生時の風下側では、こぶし大の噴石が10キロメートル以上遠方まで10分程度で風に流されて降下してくる場合があるため、屋内に退避するなど注意が必要です。 "
大きな噴石のうち、より大きなサイズを教えてください。
大きな噴石のうち、より大きなサイズは50センチメートル以上です。
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地理
佐賀県の基本情報 はじめに、佐賀県の基本情報をご紹介いたします。 歴史と産業 佐賀県は旧石器時代から人々が暮らし、弥生時代には大陸から稲作などの農耕文化が伝わりました。7世紀には国が支配する律令(りつりょう)制の下、現在の佐賀市大和(やまと)町に「国府(こくふ)」と呼ばれる役所が置かれ、佐賀県全域と長崎県の一部を含む「肥前国(ひぜんのくに)」が誕生しました。 平安時代には、海外貿易の主軸となった「神崎荘(かんざきのしょう)」など複数の「荘園(しょうえん)」が存在しました。鎌倉時代の蒙古(もうこ)軍による2度の「元寇(げんこう)」では、多くの肥前武士が活躍。戦国時代には、豊臣秀吉が朝鮮出兵に先立って現在の唐津市に名護屋(なごや)城を築城したことから、国の重要な拠点として栄えました。 江戸時代に入ると、肥前には鍋島直茂(なべしまなおしげ)による佐賀藩と、寺沢広高(てらざわひろたか)による唐津藩が誕生します。後に佐賀藩は長崎の警備を任されるなど、国内でも有数の強力な藩に成長しました。 10代藩主の鍋島直正(なおまさ)は、国内初の反射炉で鉄製の大砲を製造したほか、天然痘(てんねんとう)の予防接種をいち早く取り入れて西洋医学の基礎を築くなど、数々の偉業を達成。明治維新における佐賀藩は、薩摩藩や長州藩、土佐藩とともに新しい国家の設立に参画し、大隈重信(おおくましげのぶ)などの偉人を輩出しました。 明治4年の廃藩置県により佐賀県が誕生、同年に筑後の三潴(みづま)県との合併・廃止を経て長崎県と合併しますが、明治16年に長崎県から独立して現在に至ります。終戦後は食糧不足の対策として農業の開拓事業に力を入れたこともあり、現在も農業や漁業などの第一次産業が占める割合は他県に比べて高めです。 佐賀県は自動車関連工場の進出も盛んで、観光業やサッカーをはじめとするスポーツの推進事業にも取り組みます。 面積と人口 佐賀県は面積約2,439㎢で、九州地方ではもっとも小さく、全国では42番目の広さです。佐賀県は10市10町から成り(令和3年6月現在)、5地域に分かれます。県内の7つの島は、すべて唐津市に属します。 人口は804,931人(令和3年5月1日現在)で、全国では41番目です。県内でもっとも人口が多い市は佐賀市(231,896人)、次いで唐津市(120,513人)、鳥栖(とす)市(73,691人)です(令和2年4月現在)。 【参考】 公益財団法人国土地理協会「2020年4月調査 市町村別 人口・世帯数(日本人住民+外国人住民)」 県の位置と県庁所在地 九州地方で北緯約129~130°、東経約32~33°に位置するのが佐賀県です。佐賀県は北は玄界灘(げんかいなだ)、南は有明海(ありあけかい)に面しています。佐賀県は直線距離で東京まで約900㎞、大阪まで約500㎞ですが、朝鮮半島までは約200㎞の近さです。 県庁所在地は佐賀市で、「佐賀城跡」や世界文化遺産に指定された「三重津海軍所(みえつかいぐんしょ)跡」などの観光スポットがあります。 県名の由来 「肥前国風土記(ひぜんのくにふどき)」によると、「古事記」などに登場する景行(けいこう)天皇の子である「日本武尊(やまとたけるのみこと)」が肥前の諸富(もろどみ)周辺を巡行(じゅんこう)した際、一株の立派な樟(くすのき)が茂る地域を「栄の国(さかのくに)」と呼ぶよう提案しました。 このできごとにちなんで一帯を「栄の郡(さかのこおり)」と命名し、後に「佐嘉郡(さかのこおり)」の字を当てたとされています。明治維新で新しい政権が誕生した際、「嘉」の字を「賀」に改めました。
九州地方で北緯約129~130°、東経約32~33°に位置する都道府県の面積はどれくらいか。
九州地方で北緯約129~130°、東経約32~33°に位置する都道府県は、面積約2,439㎢である。
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地理
8 月 9 日 8 月 9 日は、台風第 9 号が 05 時過ぎに広島県呉市付近に上陸し、09 時に温帯低気圧に変わり日本海を北東へ進んだ。この影響により、全国的に雨となり、中国地方では多いところで日降水量が 300 ミリを超え、東北地方では多いところで日降水量が 200 ミリを超えたほか、西日本から北日本では多いところで日降水量が 100 ミリを超える大雨となった。 [日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点] 島根県海士町海士 310.0 ミリ 広島県北広島町八幡 275.0 ミリ 岩手県普代村普代 234.0 ミリ 鳥取県大山町大山 227.0 ミリ 北海道函館市戸井泊 193.0 ミリ 和歌山県田辺市護摩壇山 154.5 ミリ 長野県王滝村御嶽山 145.0 ミリ 兵庫県新温泉町温泉 143.0 ミリ 静岡県葵区有東木 139.5 ミリ 岐阜県郡上市長滝 137.5 ミリ 愛知県豊田市稲武 129.5 ミリ 山梨県甲府市古関 126.5 ミリ 岡山県鏡野町恩原 125.5 ミリ 山口県萩市須佐 116.0 ミリ 福岡県添田町英彦山 103.0 ミリ 8 月 10 日 8 月 10 日は、台風第 9 号から変わった温帯低気圧が東北地方を通過した。この影響により北日本から東日本の日本海側を中心に雨となり、北陸地方、東北地方、北海道地方では多いところで日降水量が 100 ミリを超える大雨となった。 [日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点] 北海道函館市川汲 150.0 ミリ 北海道室蘭市室蘭 141.5 ミリ 青森県平内町大和山 137.0 ミリ 富山県上市町上市 131.5 ミリ 石川県加賀市加賀菅谷 131.5 ミリ 北海道標津町糸櫛別 128.0 ミリ 北海道大空町東藻琴 127.0 ミリ 山形県小国町小国 124.5 ミリ 北海道広尾町広尾 123.0 ミリ 新潟県十日町市松代 110.5 ミリ 北海道弟子屈町川湯 104.0 ミリ
8 月 9 日に日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点のうち、もっとも日降水量が少ない地点を教えてください。
8 月 9 日に日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点のうち、もっとも日降水量が少ない地点は福岡県添田町英彦山で 103.0 ミリです。
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地理
佐賀県の基本情報 はじめに、佐賀県の基本情報をご紹介いたします。 歴史と産業 佐賀県は旧石器時代から人々が暮らし、弥生時代には大陸から稲作などの農耕文化が伝わりました。7世紀には国が支配する律令(りつりょう)制の下、現在の佐賀市大和(やまと)町に「国府(こくふ)」と呼ばれる役所が置かれ、佐賀県全域と長崎県の一部を含む「肥前国(ひぜんのくに)」が誕生しました。 平安時代には、海外貿易の主軸となった「神崎荘(かんざきのしょう)」など複数の「荘園(しょうえん)」が存在しました。鎌倉時代の蒙古(もうこ)軍による2度の「元寇(げんこう)」では、多くの肥前武士が活躍。戦国時代には、豊臣秀吉が朝鮮出兵に先立って現在の唐津市に名護屋(なごや)城を築城したことから、国の重要な拠点として栄えました。 江戸時代に入ると、肥前には鍋島直茂(なべしまなおしげ)による佐賀藩と、寺沢広高(てらざわひろたか)による唐津藩が誕生します。後に佐賀藩は長崎の警備を任されるなど、国内でも有数の強力な藩に成長しました。 10代藩主の鍋島直正(なおまさ)は、国内初の反射炉で鉄製の大砲を製造したほか、天然痘(てんねんとう)の予防接種をいち早く取り入れて西洋医学の基礎を築くなど、数々の偉業を達成。明治維新における佐賀藩は、薩摩藩や長州藩、土佐藩とともに新しい国家の設立に参画し、大隈重信(おおくましげのぶ)などの偉人を輩出しました。 明治4年の廃藩置県により佐賀県が誕生、同年に筑後の三潴(みづま)県との合併・廃止を経て長崎県と合併しますが、明治16年に長崎県から独立して現在に至ります。終戦後は食糧不足の対策として農業の開拓事業に力を入れたこともあり、現在も農業や漁業などの第一次産業が占める割合は他県に比べて高めです。 佐賀県は自動車関連工場の進出も盛んで、観光業やサッカーをはじめとするスポーツの推進事業にも取り組みます。 面積と人口 佐賀県は面積約2,439㎢で、九州地方ではもっとも小さく、全国では42番目の広さです。佐賀県は10市10町から成り(令和3年6月現在)、5地域に分かれます。県内の7つの島は、すべて唐津市に属します。 人口は804,931人(令和3年5月1日現在)で、全国では41番目です。県内でもっとも人口が多い市は佐賀市(231,896人)、次いで唐津市(120,513人)、鳥栖(とす)市(73,691人)です(令和2年4月現在)。 【参考】 公益財団法人国土地理協会「2020年4月調査 市町村別 人口・世帯数(日本人住民+外国人住民)」 県の位置と県庁所在地 九州地方で北緯約129~130°、東経約32~33°に位置するのが佐賀県です。佐賀県は北は玄界灘(げんかいなだ)、南は有明海(ありあけかい)に面しています。佐賀県は直線距離で東京まで約900㎞、大阪まで約500㎞ですが、朝鮮半島までは約200㎞の近さです。 県庁所在地は佐賀市で、「佐賀城跡」や世界文化遺産に指定された「三重津海軍所(みえつかいぐんしょ)跡」などの観光スポットがあります。 県名の由来 「肥前国風土記(ひぜんのくにふどき)」によると、「古事記」などに登場する景行(けいこう)天皇の子である「日本武尊(やまとたけるのみこと)」が肥前の諸富(もろどみ)周辺を巡行(じゅんこう)した際、一株の立派な樟(くすのき)が茂る地域を「栄の国(さかのくに)」と呼ぶよう提案しました。 このできごとにちなんで一帯を「栄の郡(さかのこおり)」と命名し、後に「佐嘉郡(さかのこおり)」の字を当てたとされています。明治維新で新しい政権が誕生した際、「嘉」の字を「賀」に改めました。
九州地方で北緯約129~130°、東経約32~33°に位置する都道府県は、どのような立地か。
九州地方で北緯約129~130°、東経約32~33°に位置する都道府県は、北は玄界灘(げんかいなだ)、南は有明海(ありあけかい)に面している。
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地理
火山噴火 火山噴火に伴って防災対策上重要な様々な火山現象が発生します。 ・大きな噴石 爆発的な噴火により吹き飛ばされた岩石等が落ちてくる現象です。20センチメートル以上、大きくても50センチメートル以上の大きな噴石は風の影響をほとんど受けずに火口から四方に飛散し、数十秒程度の短時間で落下し、建物の屋根を打ち破るほどの破壊力を持っています。 ・火砕流 高温の火砕物(火山灰、軽石等)と高温のガスが一体となって猛スピードで山腹を駆け下る現象です。温度が六百度、最大時速が80キロメートルから時には100キロメートルにも達し、その通過域では焼失・破壊など壊滅的な被害が生じます。火砕流の先端や周辺は火山灰を含む高温・高速の気流となっていて、この部分を火砕サージといい、火砕流本体よりも広範囲かつ猛スピードで広がります。 ・融雪型火山泥流 噴火時に発生した火砕流等が積雪を溶かし、大量の水と土砂が一体となって高速で流れ下る現象です。積雪の状況によっては沢沿いを中心に火砕流などよりもはるかに遠くまで一気に流下し、大規模な災害を引き起こしやすい現象です。時速60キロメートルを超えることもあり、破壊力が大きく通過域では壊滅的な被害が生じます。 これら3つの火山現象は、噴火発生から短時間で襲来して生命に危険を及ぼすことが特徴で、現象の 発生を確認してから避難を開始するのでは間に合わないため、事前に安全なところまで避難しておくこと が必要です。 このため、気象庁は、火山活動の監視・評価の結果に基づき、これらの火山現象に対する警戒が必 要な範囲(生命に危険が及ぶ、以下「警戒が必要な範囲」)を明示して避難を促すための噴火警報を発 表しています。噴火警報は「警戒が必要な範囲」に居住地域が含まれる場合は「噴火警報(居住地域)」、 含まれない場合は「噴火警報(火口周辺)」(略称は火口周辺警報)という名称で発表されます。 さらに、火山の地元の都道府県・市町村・気象台・砂防部局・火山専門家等から構成される「火山防 災協議会」において登山者や住民の避難について共同検討が進められていて、避難のタイミングと避難 対象地域の検討結果が市町村の地域防災計画に反映された29火山(平成24年4月現在)では、必要な防災行動を5段階(平常、火口周辺規制、入山規制、避難準備、避難)で示した「噴火警戒レベル」 が提供されています。 なお、噴火発生時の風下側では、こぶし大の噴石が10キロメートル以上遠方まで10分程度で風に流されて降下してくる場合があるため、屋内に退避するなど注意が必要です。 "
大きな噴石で風の影響を受けにくいサイズとして挙げられている中から最小のサイズを教えてください。
大きな噴石で風の影響を受けにくいサイズとして挙げられている中で最小は20センチメートルです。
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地理
九州地方の最も西に位置し、美しい島々と半島の海岸線が特徴的なのが長崎県です。長崎県は古来、海外との盛んな交流による独自の文化が息づく一方、原爆投下という悲惨な歴史を乗り越えてきました。造船業・漁業・観光業などに立脚し、国際的な地位を保ちながら進化を続ける長崎県の魅力をお伝えいたします。 長崎県の基本情報 はじめに、長崎県の基本情報をご紹介いたします。 歴史と産業 長崎県は古くから大陸とのつながりが強く、すでに縄文時代には対馬と朝鮮との間で貿易がおこなわれていました。1550年にポルトガル(南蛮:なんばん)船が平戸(ひらど)に入港すると、来日していたフランシスコ・ザビエルは布教活動を鹿児島から平戸に移します。キリスト教が広まった長崎市は、一気にヨーロッパ文化のあふれる街として栄えました。 1571年に当時の大名である大村純忠(おおむらすみただ)が開いた長崎港は、南蛮貿易の拠点として重要な位置を占めていました。その背後で、豊臣秀吉や徳川幕府の相次ぐ禁教令によってキリスト教の弾圧が強まり、1637~1638年の島原の乱で多くのキリシタンが被害に遭います。 江戸時代の200年以上に渡る鎖国の間、長崎市の出島(でじま)は一部の国と貿易を続け、1859年日米修好通商条約まで日本の窓口として機能しました。開港とともに長崎県にはますます西洋の文化が浸透し、来日した貿易商のトーマス・ブレーク・グラバーによって貿易や造船、鉄鋼、炭坑などの分野も開拓されました。 昭和に入ると軍艦建造のための造船所が増加、太平洋戦争へと突入します。1945年8月9日、長崎市に原子爆弾が投下され、周辺は甚大な被害を受けました。戦後は奇跡的な復興を遂げ、最盛期には国産石炭のうちおよそ1割を産出するなど、長崎県は日本の産業発展に大きく貢献しました。 現在、造船の技術は各種機械や電子部品などに応用され、漁業や観光業などとともに長崎県の主要産業としての役割を担います。 面積と人口 長崎県は面積約4,131㎢で、九州のなかでは5番目、全国では37番目の大きさです。長崎県は13の市と4つの郡および8町からなり(令和3年4月現在)、7つの地域に分かれます。長崎県はほとんどが離島や半島から成り、島の数は971(うち有人は74)で全国の島の14.2%を占めます。また、長崎県は面積の9割が山地や丘陵、台地で、1割ほどが低地という地形も特徴的です。海岸線の距離は約4,184km で、北海道に次ぐ全国 2 位の長さを誇ります。 戦後、島と本土をつなぐ橋が続々と完成し、長崎空港をはじめとする6つの空港や複数の港が人々の生活を支えます。県人口は1,341,112人で、九州地方では福岡県、熊本県、鹿児島県、沖縄県に次ぐ5番目です。 【参考】 公益財団法人国土地理協会「2020年4月調査 市町村別 人口・世帯数(日本人住民+外国人住民)」 総務省統計局「人口・世帯」 県の位置と県庁所在地 長崎県の位置は、およそ北緯128°~130°、東経31°~34°です。もっとも朝鮮半島に近い対馬は九州と韓国の間の対馬海峡に位置し、韓国の釜山(プサン)までの距離は49.5kmという近さです。県庁所在地は長崎市で、人口413,845人の中核(ちゅうかく)市として栄えます。 県名の由来 県名は、鎌倉時代の北条氏の直属であった長崎氏(ながさきし・ながさきうじ)に由来する説が有力です。桓武(かんむ)天皇の子孫に当たり、「桓武平氏(かんむへいし)」とも呼ばれた長崎氏が、県内の広範囲を治めていたことによるものです。そのほか、野母崎(のもざき)半島を方言で表現した「長か岬(ながかみさき)」が長崎に変化した説も伝わっています。
九州地方の最も西に位置し、美しい島々と半島の海岸線が特徴的な都道府県は、どのような歴史があるか。
九州地方の最も西に位置し、美しい島々と半島の海岸線が特徴的な都道府県は、古来、海外との盛んな交流による独自の文化が息づく一方、原爆投下という悲惨な歴史を乗り越えてきた。
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地理
8 月 9 日 8 月 9 日は、台風第 9 号が 05 時過ぎに広島県呉市付近に上陸し、09 時に温帯低気圧に変わり日本海を北東へ進んだ。この影響により、全国的に雨となり、中国地方では多いところで日降水量が 300 ミリを超え、東北地方では多いところで日降水量が 200 ミリを超えたほか、西日本から北日本では多いところで日降水量が 100 ミリを超える大雨となった。 [日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点] 島根県海士町海士 310.0 ミリ 広島県北広島町八幡 275.0 ミリ 岩手県普代村普代 234.0 ミリ 鳥取県大山町大山 227.0 ミリ 北海道函館市戸井泊 193.0 ミリ 和歌山県田辺市護摩壇山 154.5 ミリ 長野県王滝村御嶽山 145.0 ミリ 兵庫県新温泉町温泉 143.0 ミリ 静岡県葵区有東木 139.5 ミリ 岐阜県郡上市長滝 137.5 ミリ 愛知県豊田市稲武 129.5 ミリ 山梨県甲府市古関 126.5 ミリ 岡山県鏡野町恩原 125.5 ミリ 山口県萩市須佐 116.0 ミリ 福岡県添田町英彦山 103.0 ミリ 8 月 10 日 8 月 10 日は、台風第 9 号から変わった温帯低気圧が東北地方を通過した。この影響により北日本から東日本の日本海側を中心に雨となり、北陸地方、東北地方、北海道地方では多いところで日降水量が 100 ミリを超える大雨となった。 [日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点] 北海道函館市川汲 150.0 ミリ 北海道室蘭市室蘭 141.5 ミリ 青森県平内町大和山 137.0 ミリ 富山県上市町上市 131.5 ミリ 石川県加賀市加賀菅谷 131.5 ミリ 北海道標津町糸櫛別 128.0 ミリ 北海道大空町東藻琴 127.0 ミリ 山形県小国町小国 124.5 ミリ 北海道広尾町広尾 123.0 ミリ 新潟県十日町市松代 110.5 ミリ 北海道弟子屈町川湯 104.0 ミリ
8 月 10 日に日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点のうち、もっとも日降水量が多い地点を教えてください。
8 月 10 日に日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点のうち、もっとも日降水量が多い地点は北海道函館市川汲で 150.0 ミリです。
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地理
九州地方の最も西に位置し、美しい島々と半島の海岸線が特徴的なのが長崎県です。長崎県は古来、海外との盛んな交流による独自の文化が息づく一方、原爆投下という悲惨な歴史を乗り越えてきました。造船業・漁業・観光業などに立脚し、国際的な地位を保ちながら進化を続ける長崎県の魅力をお伝えいたします。 長崎県の基本情報 はじめに、長崎県の基本情報をご紹介いたします。 歴史と産業 長崎県は古くから大陸とのつながりが強く、すでに縄文時代には対馬と朝鮮との間で貿易がおこなわれていました。1550年にポルトガル(南蛮:なんばん)船が平戸(ひらど)に入港すると、来日していたフランシスコ・ザビエルは布教活動を鹿児島から平戸に移します。キリスト教が広まった長崎市は、一気にヨーロッパ文化のあふれる街として栄えました。 1571年に当時の大名である大村純忠(おおむらすみただ)が開いた長崎港は、南蛮貿易の拠点として重要な位置を占めていました。その背後で、豊臣秀吉や徳川幕府の相次ぐ禁教令によってキリスト教の弾圧が強まり、1637~1638年の島原の乱で多くのキリシタンが被害に遭います。 江戸時代の200年以上に渡る鎖国の間、長崎市の出島(でじま)は一部の国と貿易を続け、1859年日米修好通商条約まで日本の窓口として機能しました。開港とともに長崎県にはますます西洋の文化が浸透し、来日した貿易商のトーマス・ブレーク・グラバーによって貿易や造船、鉄鋼、炭坑などの分野も開拓されました。 昭和に入ると軍艦建造のための造船所が増加、太平洋戦争へと突入します。1945年8月9日、長崎市に原子爆弾が投下され、周辺は甚大な被害を受けました。戦後は奇跡的な復興を遂げ、最盛期には国産石炭のうちおよそ1割を産出するなど、長崎県は日本の産業発展に大きく貢献しました。 現在、造船の技術は各種機械や電子部品などに応用され、漁業や観光業などとともに長崎県の主要産業としての役割を担います。 面積と人口 長崎県は面積約4,131㎢で、九州のなかでは5番目、全国では37番目の大きさです。長崎県は13の市と4つの郡および8町からなり(令和3年4月現在)、7つの地域に分かれます。長崎県はほとんどが離島や半島から成り、島の数は971(うち有人は74)で全国の島の14.2%を占めます。また、長崎県は面積の9割が山地や丘陵、台地で、1割ほどが低地という地形も特徴的です。海岸線の距離は約4,184km で、北海道に次ぐ全国 2 位の長さを誇ります。 戦後、島と本土をつなぐ橋が続々と完成し、長崎空港をはじめとする6つの空港や複数の港が人々の生活を支えます。県人口は1,341,112人で、九州地方では福岡県、熊本県、鹿児島県、沖縄県に次ぐ5番目です。 【参考】 公益財団法人国土地理協会「2020年4月調査 市町村別 人口・世帯数(日本人住民+外国人住民)」 総務省統計局「人口・世帯」 県の位置と県庁所在地 長崎県の位置は、およそ北緯128°~130°、東経31°~34°です。もっとも朝鮮半島に近い対馬は九州と韓国の間の対馬海峡に位置し、韓国の釜山(プサン)までの距離は49.5kmという近さです。県庁所在地は長崎市で、人口413,845人の中核(ちゅうかく)市として栄えます。 県名の由来 県名は、鎌倉時代の北条氏の直属であった長崎氏(ながさきし・ながさきうじ)に由来する説が有力です。桓武(かんむ)天皇の子孫に当たり、「桓武平氏(かんむへいし)」とも呼ばれた長崎氏が、県内の広範囲を治めていたことによるものです。そのほか、野母崎(のもざき)半島を方言で表現した「長か岬(ながかみさき)」が長崎に変化した説も伝わっています。
九州地方の最も西に位置し、美しい島々と半島の海岸線が特徴的な都道府県は、縄文時代にどこの国と交流していたか。
九州地方の最も西に位置し、美しい島々と半島の海岸線が特徴的な都道府県は、古くから大陸とのつながりが強く、すでに縄文時代には対馬と朝鮮との間で貿易がおこなわれていた。
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地理
火山噴火 火山噴火に伴って防災対策上重要な様々な火山現象が発生します。 ・大きな噴石 爆発的な噴火により吹き飛ばされた岩石等が落ちてくる現象です。20センチメートル以上、大きくても50センチメートル以上の大きな噴石は風の影響をほとんど受けずに火口から四方に飛散し、数十秒程度の短時間で落下し、建物の屋根を打ち破るほどの破壊力を持っています。 ・火砕流 高温の火砕物(火山灰、軽石等)と高温のガスが一体となって猛スピードで山腹を駆け下る現象です。温度が六百度、最大時速が80キロメートルから時には100キロメートルにも達し、その通過域では焼失・破壊など壊滅的な被害が生じます。火砕流の先端や周辺は火山灰を含む高温・高速の気流となっていて、この部分を火砕サージといい、火砕流本体よりも広範囲かつ猛スピードで広がります。 ・融雪型火山泥流 噴火時に発生した火砕流等が積雪を溶かし、大量の水と土砂が一体となって高速で流れ下る現象です。積雪の状況によっては沢沿いを中心に火砕流などよりもはるかに遠くまで一気に流下し、大規模な災害を引き起こしやすい現象です。時速60キロメートルを超えることもあり、破壊力が大きく通過域では壊滅的な被害が生じます。 これら3つの火山現象は、噴火発生から短時間で襲来して生命に危険を及ぼすことが特徴で、現象の 発生を確認してから避難を開始するのでは間に合わないため、事前に安全なところまで避難しておくこと が必要です。 このため、気象庁は、火山活動の監視・評価の結果に基づき、これらの火山現象に対する警戒が必 要な範囲(生命に危険が及ぶ、以下「警戒が必要な範囲」)を明示して避難を促すための噴火警報を発 表しています。噴火警報は「警戒が必要な範囲」に居住地域が含まれる場合は「噴火警報(居住地域)」、 含まれない場合は「噴火警報(火口周辺)」(略称は火口周辺警報)という名称で発表されます。 さらに、火山の地元の都道府県・市町村・気象台・砂防部局・火山専門家等から構成される「火山防 災協議会」において登山者や住民の避難について共同検討が進められていて、避難のタイミングと避難 対象地域の検討結果が市町村の地域防災計画に反映された29火山(平成24年4月現在)では、必要な防災行動を5段階(平常、火口周辺規制、入山規制、避難準備、避難)で示した「噴火警戒レベル」 が提供されています。 なお、噴火発生時の風下側では、こぶし大の噴石が10キロメートル以上遠方まで10分程度で風に流されて降下してくる場合があるため、屋内に退避するなど注意が必要です。 "
火砕流の最大時速のうち、より遅い時速を教えてください。
火砕流の最大時速のうち、より遅い時速は80キロメートルです。
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地理
九州地方の最も西に位置し、美しい島々と半島の海岸線が特徴的なのが長崎県です。長崎県は古来、海外との盛んな交流による独自の文化が息づく一方、原爆投下という悲惨な歴史を乗り越えてきました。造船業・漁業・観光業などに立脚し、国際的な地位を保ちながら進化を続ける長崎県の魅力をお伝えいたします。 長崎県の基本情報 はじめに、長崎県の基本情報をご紹介いたします。 歴史と産業 長崎県は古くから大陸とのつながりが強く、すでに縄文時代には対馬と朝鮮との間で貿易がおこなわれていました。1550年にポルトガル(南蛮:なんばん)船が平戸(ひらど)に入港すると、来日していたフランシスコ・ザビエルは布教活動を鹿児島から平戸に移します。キリスト教が広まった長崎市は、一気にヨーロッパ文化のあふれる街として栄えました。 1571年に当時の大名である大村純忠(おおむらすみただ)が開いた長崎港は、南蛮貿易の拠点として重要な位置を占めていました。その背後で、豊臣秀吉や徳川幕府の相次ぐ禁教令によってキリスト教の弾圧が強まり、1637~1638年の島原の乱で多くのキリシタンが被害に遭います。 江戸時代の200年以上に渡る鎖国の間、長崎市の出島(でじま)は一部の国と貿易を続け、1859年日米修好通商条約まで日本の窓口として機能しました。開港とともに長崎県にはますます西洋の文化が浸透し、来日した貿易商のトーマス・ブレーク・グラバーによって貿易や造船、鉄鋼、炭坑などの分野も開拓されました。 昭和に入ると軍艦建造のための造船所が増加、太平洋戦争へと突入します。1945年8月9日、長崎市に原子爆弾が投下され、周辺は甚大な被害を受けました。戦後は奇跡的な復興を遂げ、最盛期には国産石炭のうちおよそ1割を産出するなど、長崎県は日本の産業発展に大きく貢献しました。 現在、造船の技術は各種機械や電子部品などに応用され、漁業や観光業などとともに長崎県の主要産業としての役割を担います。 面積と人口 長崎県は面積約4,131㎢で、九州のなかでは5番目、全国では37番目の大きさです。長崎県は13の市と4つの郡および8町からなり(令和3年4月現在)、7つの地域に分かれます。長崎県はほとんどが離島や半島から成り、島の数は971(うち有人は74)で全国の島の14.2%を占めます。また、長崎県は面積の9割が山地や丘陵、台地で、1割ほどが低地という地形も特徴的です。海岸線の距離は約4,184km で、北海道に次ぐ全国 2 位の長さを誇ります。 戦後、島と本土をつなぐ橋が続々と完成し、長崎空港をはじめとする6つの空港や複数の港が人々の生活を支えます。県人口は1,341,112人で、九州地方では福岡県、熊本県、鹿児島県、沖縄県に次ぐ5番目です。 【参考】 公益財団法人国土地理協会「2020年4月調査 市町村別 人口・世帯数(日本人住民+外国人住民)」 総務省統計局「人口・世帯」 県の位置と県庁所在地 長崎県の位置は、およそ北緯128°~130°、東経31°~34°です。もっとも朝鮮半島に近い対馬は九州と韓国の間の対馬海峡に位置し、韓国の釜山(プサン)までの距離は49.5kmという近さです。県庁所在地は長崎市で、人口413,845人の中核(ちゅうかく)市として栄えます。 県名の由来 県名は、鎌倉時代の北条氏の直属であった長崎氏(ながさきし・ながさきうじ)に由来する説が有力です。桓武(かんむ)天皇の子孫に当たり、「桓武平氏(かんむへいし)」とも呼ばれた長崎氏が、県内の広範囲を治めていたことによるものです。そのほか、野母崎(のもざき)半島を方言で表現した「長か岬(ながかみさき)」が長崎に変化した説も伝わっています。
九州地方の最も西に位置し、美しい島々と半島の海岸線が特徴的な都道府県の面積はどれくらいあるか。
九州地方の最も西に位置し、美しい島々と半島の海岸線が特徴的な都道府県は、
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地理
8 月 9 日 8 月 9 日は、台風第 9 号が 05 時過ぎに広島県呉市付近に上陸し、09 時に温帯低気圧に変わり日本海を北東へ進んだ。この影響により、全国的に雨となり、中国地方では多いところで日降水量が 300 ミリを超え、東北地方では多いところで日降水量が 200 ミリを超えたほか、西日本から北日本では多いところで日降水量が 100 ミリを超える大雨となった。 [日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点] 島根県海士町海士 310.0 ミリ 広島県北広島町八幡 275.0 ミリ 岩手県普代村普代 234.0 ミリ 鳥取県大山町大山 227.0 ミリ 北海道函館市戸井泊 193.0 ミリ 和歌山県田辺市護摩壇山 154.5 ミリ 長野県王滝村御嶽山 145.0 ミリ 兵庫県新温泉町温泉 143.0 ミリ 静岡県葵区有東木 139.5 ミリ 岐阜県郡上市長滝 137.5 ミリ 愛知県豊田市稲武 129.5 ミリ 山梨県甲府市古関 126.5 ミリ 岡山県鏡野町恩原 125.5 ミリ 山口県萩市須佐 116.0 ミリ 福岡県添田町英彦山 103.0 ミリ 8 月 10 日 8 月 10 日は、台風第 9 号から変わった温帯低気圧が東北地方を通過した。この影響により北日本から東日本の日本海側を中心に雨となり、北陸地方、東北地方、北海道地方では多いところで日降水量が 100 ミリを超える大雨となった。 [日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点] 北海道函館市川汲 150.0 ミリ 北海道室蘭市室蘭 141.5 ミリ 青森県平内町大和山 137.0 ミリ 富山県上市町上市 131.5 ミリ 石川県加賀市加賀菅谷 131.5 ミリ 北海道標津町糸櫛別 128.0 ミリ 北海道大空町東藻琴 127.0 ミリ 山形県小国町小国 124.5 ミリ 北海道広尾町広尾 123.0 ミリ 新潟県十日町市松代 110.5 ミリ 北海道弟子屈町川湯 104.0 ミリ
8 月 10 日に日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点のうち、もっとも日降水量が少ない地点を教えてください。
8 月 10 日に日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点のうち、もっとも日降水量が少ない地点は北海道弟子屈町川湯で 104.0 ミリです。
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地理
九州地方の最も西に位置し、美しい島々と半島の海岸線が特徴的なのが長崎県です。長崎県は古来、海外との盛んな交流による独自の文化が息づく一方、原爆投下という悲惨な歴史を乗り越えてきました。造船業・漁業・観光業などに立脚し、国際的な地位を保ちながら進化を続ける長崎県の魅力をお伝えいたします。 長崎県の基本情報 はじめに、長崎県の基本情報をご紹介いたします。 歴史と産業 長崎県は古くから大陸とのつながりが強く、すでに縄文時代には対馬と朝鮮との間で貿易がおこなわれていました。1550年にポルトガル(南蛮:なんばん)船が平戸(ひらど)に入港すると、来日していたフランシスコ・ザビエルは布教活動を鹿児島から平戸に移します。キリスト教が広まった長崎市は、一気にヨーロッパ文化のあふれる街として栄えました。 1571年に当時の大名である大村純忠(おおむらすみただ)が開いた長崎港は、南蛮貿易の拠点として重要な位置を占めていました。その背後で、豊臣秀吉や徳川幕府の相次ぐ禁教令によってキリスト教の弾圧が強まり、1637~1638年の島原の乱で多くのキリシタンが被害に遭います。 江戸時代の200年以上に渡る鎖国の間、長崎市の出島(でじま)は一部の国と貿易を続け、1859年日米修好通商条約まで日本の窓口として機能しました。開港とともに長崎県にはますます西洋の文化が浸透し、来日した貿易商のトーマス・ブレーク・グラバーによって貿易や造船、鉄鋼、炭坑などの分野も開拓されました。 昭和に入ると軍艦建造のための造船所が増加、太平洋戦争へと突入します。1945年8月9日、長崎市に原子爆弾が投下され、周辺は甚大な被害を受けました。戦後は奇跡的な復興を遂げ、最盛期には国産石炭のうちおよそ1割を産出するなど、長崎県は日本の産業発展に大きく貢献しました。 現在、造船の技術は各種機械や電子部品などに応用され、漁業や観光業などとともに長崎県の主要産業としての役割を担います。 面積と人口 長崎県は面積約4,131㎢で、九州のなかでは5番目、全国では37番目の大きさです。長崎県は13の市と4つの郡および8町からなり(令和3年4月現在)、7つの地域に分かれます。長崎県はほとんどが離島や半島から成り、島の数は971(うち有人は74)で全国の島の14.2%を占めます。また、長崎県は面積の9割が山地や丘陵、台地で、1割ほどが低地という地形も特徴的です。海岸線の距離は約4,184km で、北海道に次ぐ全国 2 位の長さを誇ります。 戦後、島と本土をつなぐ橋が続々と完成し、長崎空港をはじめとする6つの空港や複数の港が人々の生活を支えます。県人口は1,341,112人で、九州地方では福岡県、熊本県、鹿児島県、沖縄県に次ぐ5番目です。 【参考】 公益財団法人国土地理協会「2020年4月調査 市町村別 人口・世帯数(日本人住民+外国人住民)」 総務省統計局「人口・世帯」 県の位置と県庁所在地 長崎県の位置は、およそ北緯128°~130°、東経31°~34°です。もっとも朝鮮半島に近い対馬は九州と韓国の間の対馬海峡に位置し、韓国の釜山(プサン)までの距離は49.5kmという近さです。県庁所在地は長崎市で、人口413,845人の中核(ちゅうかく)市として栄えます。 県名の由来 県名は、鎌倉時代の北条氏の直属であった長崎氏(ながさきし・ながさきうじ)に由来する説が有力です。桓武(かんむ)天皇の子孫に当たり、「桓武平氏(かんむへいし)」とも呼ばれた長崎氏が、県内の広範囲を治めていたことによるものです。そのほか、野母崎(のもざき)半島を方言で表現した「長か岬(ながかみさき)」が長崎に変化した説も伝わっています。
九州地方の最も西に位置し、美しい島々と半島の海岸線が特徴的な都道府県は、いくつの地域に分けられるか。
九州地方の最も西に位置し、美しい島々と半島の海岸線が特徴的な都道府県は、13の市と4つの郡および8町からなり(令和3年4月現在)、7つの地域に分かれる。
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地理
火山噴火 火山噴火に伴って防災対策上重要な様々な火山現象が発生します。 ・大きな噴石 爆発的な噴火により吹き飛ばされた岩石等が落ちてくる現象です。20センチメートル以上、大きくても50センチメートル以上の大きな噴石は風の影響をほとんど受けずに火口から四方に飛散し、数十秒程度の短時間で落下し、建物の屋根を打ち破るほどの破壊力を持っています。 ・火砕流 高温の火砕物(火山灰、軽石等)と高温のガスが一体となって猛スピードで山腹を駆け下る現象です。温度が六百度、最大時速が80キロメートルから時には100キロメートルにも達し、その通過域では焼失・破壊など壊滅的な被害が生じます。火砕流の先端や周辺は火山灰を含む高温・高速の気流となっていて、この部分を火砕サージといい、火砕流本体よりも広範囲かつ猛スピードで広がります。 ・融雪型火山泥流 噴火時に発生した火砕流等が積雪を溶かし、大量の水と土砂が一体となって高速で流れ下る現象です。積雪の状況によっては沢沿いを中心に火砕流などよりもはるかに遠くまで一気に流下し、大規模な災害を引き起こしやすい現象です。時速60キロメートルを超えることもあり、破壊力が大きく通過域では壊滅的な被害が生じます。 これら3つの火山現象は、噴火発生から短時間で襲来して生命に危険を及ぼすことが特徴で、現象の 発生を確認してから避難を開始するのでは間に合わないため、事前に安全なところまで避難しておくこと が必要です。 このため、気象庁は、火山活動の監視・評価の結果に基づき、これらの火山現象に対する警戒が必 要な範囲(生命に危険が及ぶ、以下「警戒が必要な範囲」)を明示して避難を促すための噴火警報を発 表しています。噴火警報は「警戒が必要な範囲」に居住地域が含まれる場合は「噴火警報(居住地域)」、 含まれない場合は「噴火警報(火口周辺)」(略称は火口周辺警報)という名称で発表されます。 さらに、火山の地元の都道府県・市町村・気象台・砂防部局・火山専門家等から構成される「火山防 災協議会」において登山者や住民の避難について共同検討が進められていて、避難のタイミングと避難 対象地域の検討結果が市町村の地域防災計画に反映された29火山(平成24年4月現在)では、必要な防災行動を5段階(平常、火口周辺規制、入山規制、避難準備、避難)で示した「噴火警戒レベル」 が提供されています。 なお、噴火発生時の風下側では、こぶし大の噴石が10キロメートル以上遠方まで10分程度で風に流されて降下してくる場合があるため、屋内に退避するなど注意が必要です。 "
火砕流の最大時速のうち、より早い時速を教えてください。
火砕流の最大時速のうち、より早い時速は100キロメートルです。
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地理
九州地方の最も西に位置し、美しい島々と半島の海岸線が特徴的なのが長崎県です。長崎県は古来、海外との盛んな交流による独自の文化が息づく一方、原爆投下という悲惨な歴史を乗り越えてきました。造船業・漁業・観光業などに立脚し、国際的な地位を保ちながら進化を続ける長崎県の魅力をお伝えいたします。 長崎県の基本情報 はじめに、長崎県の基本情報をご紹介いたします。 歴史と産業 長崎県は古くから大陸とのつながりが強く、すでに縄文時代には対馬と朝鮮との間で貿易がおこなわれていました。1550年にポルトガル(南蛮:なんばん)船が平戸(ひらど)に入港すると、来日していたフランシスコ・ザビエルは布教活動を鹿児島から平戸に移します。キリスト教が広まった長崎市は、一気にヨーロッパ文化のあふれる街として栄えました。 1571年に当時の大名である大村純忠(おおむらすみただ)が開いた長崎港は、南蛮貿易の拠点として重要な位置を占めていました。その背後で、豊臣秀吉や徳川幕府の相次ぐ禁教令によってキリスト教の弾圧が強まり、1637~1638年の島原の乱で多くのキリシタンが被害に遭います。 江戸時代の200年以上に渡る鎖国の間、長崎市の出島(でじま)は一部の国と貿易を続け、1859年日米修好通商条約まで日本の窓口として機能しました。開港とともに長崎県にはますます西洋の文化が浸透し、来日した貿易商のトーマス・ブレーク・グラバーによって貿易や造船、鉄鋼、炭坑などの分野も開拓されました。 昭和に入ると軍艦建造のための造船所が増加、太平洋戦争へと突入します。1945年8月9日、長崎市に原子爆弾が投下され、周辺は甚大な被害を受けました。戦後は奇跡的な復興を遂げ、最盛期には国産石炭のうちおよそ1割を産出するなど、長崎県は日本の産業発展に大きく貢献しました。 現在、造船の技術は各種機械や電子部品などに応用され、漁業や観光業などとともに長崎県の主要産業としての役割を担います。 面積と人口 長崎県は面積約4,131㎢で、九州のなかでは5番目、全国では37番目の大きさです。長崎県は13の市と4つの郡および8町からなり(令和3年4月現在)、7つの地域に分かれます。長崎県はほとんどが離島や半島から成り、島の数は971(うち有人は74)で全国の島の14.2%を占めます。また、長崎県は面積の9割が山地や丘陵、台地で、1割ほどが低地という地形も特徴的です。海岸線の距離は約4,184km で、北海道に次ぐ全国 2 位の長さを誇ります。 戦後、島と本土をつなぐ橋が続々と完成し、長崎空港をはじめとする6つの空港や複数の港が人々の生活を支えます。県人口は1,341,112人で、九州地方では福岡県、熊本県、鹿児島県、沖縄県に次ぐ5番目です。 【参考】 公益財団法人国土地理協会「2020年4月調査 市町村別 人口・世帯数(日本人住民+外国人住民)」 総務省統計局「人口・世帯」 県の位置と県庁所在地 長崎県の位置は、およそ北緯128°~130°、東経31°~34°です。もっとも朝鮮半島に近い対馬は九州と韓国の間の対馬海峡に位置し、韓国の釜山(プサン)までの距離は49.5kmという近さです。県庁所在地は長崎市で、人口413,845人の中核(ちゅうかく)市として栄えます。 県名の由来 県名は、鎌倉時代の北条氏の直属であった長崎氏(ながさきし・ながさきうじ)に由来する説が有力です。桓武(かんむ)天皇の子孫に当たり、「桓武平氏(かんむへいし)」とも呼ばれた長崎氏が、県内の広範囲を治めていたことによるものです。そのほか、野母崎(のもざき)半島を方言で表現した「長か岬(ながかみさき)」が長崎に変化した説も伝わっています。
九州地方の最も西に位置し、美しい島々と半島の海岸線が特徴的な都道府県は、どのようなな特徴があるか。
九州地方の最も西に位置し、美しい島々と半島の海岸線が特徴的な都道府県は、ほとんどが離島や半島から成り、島の数は971(うち有人は74)で全国の島の14.2%を占める。
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地理
8 月 11 日から 8 月 15 日 8 月 11 日から 15 日は、東シナ海の前線が次第に東へのび、その後西日本から東日本に停滞し、 その前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込んだ影響で全国的に雨となった。九州北部地方では多いところで日降水量が 400 ミリを超え、東海地方では多いところで日降水量が 300 ミリを超え、九州南部、四国地方、中国地方、近畿地方、関東甲信地方では多いところで日降水量が 200 ミリを超える大雨となったほか、北陸地方や東北地方でも多いところで日降水量が 100 ミリを超える大雨となった。 [日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点] 8 月 11 日 熊本県南阿蘇村南阿蘇 166.0 ミリ 長崎県島原市島原 163.0 ミリ 鹿児島県薩摩川内市中甑 157.0 ミリ 宮崎県えびの市えびの 138.5 ミリ 福岡県大牟田市大牟田) 125.5 ミリ 佐賀県佐賀市佐賀 117.0 ミリ 8 月 12 日 長崎県雲仙市雲仙岳 415.5 ミリ 福岡県大牟田市大牟田 311.5 ミリ 熊本県山鹿市鹿北 277.5 ミリ 大分県日田市椿ヶ鼻 254.0 ミリ 佐賀県嬉野市嬉野 245.0 ミリ 鹿児島県さつま町紫尾山 198.5 ミリ 石川県宝達志水町宝達志水166.5 ミリ 高知県室戸市室戸岬 148.5 ミリ 和歌山県田辺市龍神 143.0 ミリ 宮崎県椎葉村椎葉 128.0 ミリ 富山県氷見市氷見 112.0 ミリ 島根県益田市匹見 108.5 ミリ 広島県安芸太田町内黒山 108.0 ミリ
8 月 11 日に日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点のうち、もっとも日降水量が多い地点を教えてください。
8 月 11 日に日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点のうち、もっとも日降水量が多い地点は熊本県南阿蘇村南阿蘇で166.0 ミリです。
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地理
47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「熊本県」です。熊本県は過去、有力者による勢力争いが繰り広げられました。農業を中心にしてさまざまな産業が発展し、独自の歴史や文化を築き上げてきました。雄大な自然に抱かれ、「火の国・水の国」としてますます進化する熊本県の魅力をお楽しみください。 熊本県の基本情報 はじめに、熊本県の基本情報をご紹介いたします。 歴史と産業 熊本県はおよそ1万5千年前から人々が生活していたと考えられ、縄文時代の遺跡や壁画に彫刻などを施した装飾古墳が多数発見されています。6~7世紀ごろには火(ひ)、阿蘇(あそ)、天草(あまくさ)などの小国が生まれ、後に肥後国(ひごのくに)に統一されました。 平安時代には数十もの荘園が誕生。鎌倉時代には阿蘇氏(うじ)などの有力な豪族のほか、遠江(とおとうみ:現在の静岡)から来た相良(さがら)と呼ばれる一族が支配しました。室町時代の肥後は複数の大名による争奪戦が続き、豊臣秀吉が九州を治めるまで島津氏が統治しました。 後に県北などを加藤清正(きよまさ)、県南を小西行長(ゆきなが)、球磨(くま)地域を相良氏が支配し、天草(あまくさ)地域は数々の変遷を経て明治維新まで幕府が直轄。関ヶ原の戦いで小西行長が失脚すると、加藤清正が県北と県南を治めて熊本城を築城しました。 寛永9年に小倉(こくら:現在の福岡県)から細川忠利(ただとし)が入国した後、県北と県南は熊本藩として細川氏が支配。明治4年の廃藩置県により熊本藩が熊本県になり、ほかの地域は合併や吸収などを経て、同9年に肥後国の全体が熊本県として確定します。明治10年の西南戦争では、県内の各地が戦火に遭いました。 熊本県はもともと農業が盛んです。明治23年ごろからは八代(やつしろ)にセメントをはじめとする工場が立ち並び、明治の半ばには荒尾(あらお)市に炭坑が整備され国内の近代化に貢献。のちの太平洋戦争では、熊本市が国防の要地として機能しました。 戦後は急ピッチで復興が進められ、商業や観光業にも力を入れます。昭和46年に熊本空港が開港、平成23年に九州新幹線の全線が開業。近年の熊本県は国の機関や製造業などの企業が進出し、九州地方の中心的な役割も担います。 面積と人口 熊本県は面積約7,409.48 1㎢で、九州地方で3位、全国では15位の広さです。熊本県14市・23町・8村から成り(令和3年10月現在)、地域は「阿蘇市」「玉名(たまな)市」などを含む県北、「熊本市」「宇城(うき)市」などを含む県央、「人吉(ひとよし)市」「水俣市」などを含む県南、「天草市」などを含む天草に分かれます。 人口は1,726,187人(令和3年9月1日現在)で、全国では23番目です。県内でもっとも人口が多い市は熊本市(738,089人)で、八代市(121,171人)、天草市(73,899人)と続きます(令和3年9月1日現在)。 【参考】 熊本県「令和3年(2021年)熊本県の人口と世帯数」 県の位置と県庁所在地 九州地方のほぼ中央にあり、東経約130~131°、北緯32~33°に位置するのが熊本県です。熊本県は県面積の約6割を森林が占め、北東部にある阿蘇山は世界で最大級のカルデラ(火山の中央部にあるくぼみ)を有します。 県庁所在地は熊本市で、政令指定都市のひとつです。市内には、熊本城や「水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)」などの観光スポットがあります。 県名の由来 熊本の語源についてはさまざまで、古代語で沼地や沢地を表す「ク」と崖(がけ)を表す「マ」から「崖の下の湿地」を指す説、川が曲がりくねる様子を意味する「クマ」を指す説、崖の下を表す「クマ」と湿地を表す「ムタ」が転じた説などがあります。 かつて熊本は「隈本」と表記されましたが、「隈」の字は「恐れる」「かしこまる」などの意味をもつ「畏」が含まれるため、加藤清正が「熊」の字を当てたとされます。
九州地方のほぼ中央にあり、東経約130~131°、北緯32~33°に位置する都道府県ではなにが発見されているか。
九州地方のほぼ中央にあり、東経約130~131°、北緯32~33°に位置する都道府県は、およそ1万5千年前から人々が生活していたと考えられ、縄文時代の遺跡や壁画に彫刻などを施した装飾古墳が多数発見されている。
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地理
平成23年(2011年)の風水害 平成23年(2011年)7月新潟・福島豪雨 7月27日から30日にかけて、新潟県と福島県会津を中心に大雨となりました。特に、28日から30日は、 前線が朝鮮半島から北陸地方を通って関東の東にかけて停滞し、前線に向かって暖かく非常に湿った空 気が流れ込み、大気の状態が不安定となって、新潟県と福島県会津を中心に「平成16年7月新潟・福島 豪雨」を上回る記録的な大雨となりました。 この大雨により、新潟県、福島県において死者が4名、行方不明者が2名となりました。また、新潟県、 福島県では各地で堤防の決壊や河川のはん濫により住家や農地が浸水したほか、土砂災害による住家や 道路の被害も多数発生し住家被害数は10,132棟となっています。その他、停電、断水が発生し、線路の流失など、交通機関にも大きな影響が出ました。この7月27日から30日にかけて災害をもたらした大雨について、気象庁は「平成23年7月新潟・福島豪雨」と命名しました。 ○「平成16年7月新潟・福島豪雨」 「平成16年7月新潟・福島豪雨」における強雨期間は約9時間で、総降水量は最大で300ミリを超え る程度でしたが、今回は9時間の降水量が解析雨量によれば最大で500ミリ(アメダスでも360.5ミリを観測)を超え、さらに大雨が長時間続いたため、7月28日から30日の3日間の解析雨量による総降水量は1000ミリに達したところがあり、雨量で比較すると、平成16年の豪雨を上回りました。 平成16年7月新潟・福島豪雨被の住家被害数が13,875棟、死者・行方不明者数が16名になっています。 平成23年(2011年)台風第12号 ア.台風第12号の状況 大型の台風第12号は、ゆっくりと北上しました。このため、西日本から北日本にかけて長時間にわたって台風周辺の非常に湿った空気が流れ込み、紀伊半島の山沿いを中心に広い範囲で記録的な大雨となりました。8月30日から9月5日までの総降水量は広い範囲で1000ミリを超え、多いところでは年降水量平年値の6割に達し、紀伊半島の一部の地域では解析雨量で2000ミリを超えました。奈良県・和歌山県を中心に広い範囲で浸水や土砂災害が発生し、全国で94名が死者・行方不明者となりました。
平成23年7月新潟・福島豪雨と平成16年7月新潟・福島豪雨を比較して、死者・行方不明者が多いほうを教えてください。
平成23年7月新潟・福島豪雨と平成16年7月新潟・福島豪雨を比較して、死者・行方不明者が多いほうは平成16年7月新潟・福島豪雨で16名です。
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地理
47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「熊本県」です。熊本県は過去、有力者による勢力争いが繰り広げられました。農業を中心にしてさまざまな産業が発展し、独自の歴史や文化を築き上げてきました。雄大な自然に抱かれ、「火の国・水の国」としてますます進化する熊本県の魅力をお楽しみください。 熊本県の基本情報 はじめに、熊本県の基本情報をご紹介いたします。 歴史と産業 熊本県はおよそ1万5千年前から人々が生活していたと考えられ、縄文時代の遺跡や壁画に彫刻などを施した装飾古墳が多数発見されています。6~7世紀ごろには火(ひ)、阿蘇(あそ)、天草(あまくさ)などの小国が生まれ、後に肥後国(ひごのくに)に統一されました。 平安時代には数十もの荘園が誕生。鎌倉時代には阿蘇氏(うじ)などの有力な豪族のほか、遠江(とおとうみ:現在の静岡)から来た相良(さがら)と呼ばれる一族が支配しました。室町時代の肥後は複数の大名による争奪戦が続き、豊臣秀吉が九州を治めるまで島津氏が統治しました。 後に県北などを加藤清正(きよまさ)、県南を小西行長(ゆきなが)、球磨(くま)地域を相良氏が支配し、天草(あまくさ)地域は数々の変遷を経て明治維新まで幕府が直轄。関ヶ原の戦いで小西行長が失脚すると、加藤清正が県北と県南を治めて熊本城を築城しました。 寛永9年に小倉(こくら:現在の福岡県)から細川忠利(ただとし)が入国した後、県北と県南は熊本藩として細川氏が支配。明治4年の廃藩置県により熊本藩が熊本県になり、ほかの地域は合併や吸収などを経て、同9年に肥後国の全体が熊本県として確定します。明治10年の西南戦争では、県内の各地が戦火に遭いました。 熊本県はもともと農業が盛んです。明治23年ごろからは八代(やつしろ)にセメントをはじめとする工場が立ち並び、明治の半ばには荒尾(あらお)市に炭坑が整備され国内の近代化に貢献。のちの太平洋戦争では、熊本市が国防の要地として機能しました。 戦後は急ピッチで復興が進められ、商業や観光業にも力を入れます。昭和46年に熊本空港が開港、平成23年に九州新幹線の全線が開業。近年の熊本県は国の機関や製造業などの企業が進出し、九州地方の中心的な役割も担います。 面積と人口 熊本県は面積約7,409.48 1㎢で、九州地方で3位、全国では15位の広さです。熊本県14市・23町・8村から成り(令和3年10月現在)、地域は「阿蘇市」「玉名(たまな)市」などを含む県北、「熊本市」「宇城(うき)市」などを含む県央、「人吉(ひとよし)市」「水俣市」などを含む県南、「天草市」などを含む天草に分かれます。 人口は1,726,187人(令和3年9月1日現在)で、全国では23番目です。県内でもっとも人口が多い市は熊本市(738,089人)で、八代市(121,171人)、天草市(73,899人)と続きます(令和3年9月1日現在)。 【参考】 熊本県「令和3年(2021年)熊本県の人口と世帯数」 県の位置と県庁所在地 九州地方のほぼ中央にあり、東経約130~131°、北緯32~33°に位置するのが熊本県です。熊本県は県面積の約6割を森林が占め、北東部にある阿蘇山は世界で最大級のカルデラ(火山の中央部にあるくぼみ)を有します。 県庁所在地は熊本市で、政令指定都市のひとつです。市内には、熊本城や「水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)」などの観光スポットがあります。 県名の由来 熊本の語源についてはさまざまで、古代語で沼地や沢地を表す「ク」と崖(がけ)を表す「マ」から「崖の下の湿地」を指す説、川が曲がりくねる様子を意味する「クマ」を指す説、崖の下を表す「クマ」と湿地を表す「ムタ」が転じた説などがあります。 かつて熊本は「隈本」と表記されましたが、「隈」の字は「恐れる」「かしこまる」などの意味をもつ「畏」が含まれるため、加藤清正が「熊」の字を当てたとされます。
九州地方のほぼ中央にあり、東経約130~131°、北緯32~33°に位置する都道府県は、過去どのような争いがあったか。
九州地方のほぼ中央にあり、東経約130~131°、北緯32~33°に位置する都道府県は、過去、有力者による勢力争いが繰り広げられた。
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地理
8 月 11 日から 8 月 15 日 8 月 11 日から 15 日は、東シナ海の前線が次第に東へのび、その後西日本から東日本に停滞し、 その前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込んだ影響で全国的に雨となった。九州北部地方では多いところで日降水量が 400 ミリを超え、東海地方では多いところで日降水量が 300 ミリを超え、九州南部、四国地方、中国地方、近畿地方、関東甲信地方では多いところで日降水量が 200 ミリを超える大雨となったほか、北陸地方や東北地方でも多いところで日降水量が 100 ミリを超える大雨となった。 [日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点] 8 月 11 日 熊本県南阿蘇村南阿蘇 166.0 ミリ 長崎県島原市島原 163.0 ミリ 鹿児島県薩摩川内市中甑 157.0 ミリ 宮崎県えびの市えびの 138.5 ミリ 福岡県大牟田市大牟田) 125.5 ミリ 佐賀県佐賀市佐賀 117.0 ミリ 8 月 12 日 長崎県雲仙市雲仙岳 415.5 ミリ 福岡県大牟田市大牟田 311.5 ミリ 熊本県山鹿市鹿北 277.5 ミリ 大分県日田市椿ヶ鼻 254.0 ミリ 佐賀県嬉野市嬉野 245.0 ミリ 鹿児島県さつま町紫尾山 198.5 ミリ 石川県宝達志水町宝達志水166.5 ミリ 高知県室戸市室戸岬 148.5 ミリ 和歌山県田辺市龍神 143.0 ミリ 宮崎県椎葉村椎葉 128.0 ミリ 富山県氷見市氷見 112.0 ミリ 島根県益田市匹見 108.5 ミリ 広島県安芸太田町内黒山 108.0 ミリ
8 月 11 日に日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点のうち、もっとも日降水量が少ない地点を教えてください。
8 月 11 日に日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点のうち、もっとも日降水量が少ない地点は佐賀県佐賀市佐賀で117.0 ミリです。
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47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「熊本県」です。熊本県は過去、有力者による勢力争いが繰り広げられました。農業を中心にしてさまざまな産業が発展し、独自の歴史や文化を築き上げてきました。雄大な自然に抱かれ、「火の国・水の国」としてますます進化する熊本県の魅力をお楽しみください。 熊本県の基本情報 はじめに、熊本県の基本情報をご紹介いたします。 歴史と産業 熊本県はおよそ1万5千年前から人々が生活していたと考えられ、縄文時代の遺跡や壁画に彫刻などを施した装飾古墳が多数発見されています。6~7世紀ごろには火(ひ)、阿蘇(あそ)、天草(あまくさ)などの小国が生まれ、後に肥後国(ひごのくに)に統一されました。 平安時代には数十もの荘園が誕生。鎌倉時代には阿蘇氏(うじ)などの有力な豪族のほか、遠江(とおとうみ:現在の静岡)から来た相良(さがら)と呼ばれる一族が支配しました。室町時代の肥後は複数の大名による争奪戦が続き、豊臣秀吉が九州を治めるまで島津氏が統治しました。 後に県北などを加藤清正(きよまさ)、県南を小西行長(ゆきなが)、球磨(くま)地域を相良氏が支配し、天草(あまくさ)地域は数々の変遷を経て明治維新まで幕府が直轄。関ヶ原の戦いで小西行長が失脚すると、加藤清正が県北と県南を治めて熊本城を築城しました。 寛永9年に小倉(こくら:現在の福岡県)から細川忠利(ただとし)が入国した後、県北と県南は熊本藩として細川氏が支配。明治4年の廃藩置県により熊本藩が熊本県になり、ほかの地域は合併や吸収などを経て、同9年に肥後国の全体が熊本県として確定します。明治10年の西南戦争では、県内の各地が戦火に遭いました。 熊本県はもともと農業が盛んです。明治23年ごろからは八代(やつしろ)にセメントをはじめとする工場が立ち並び、明治の半ばには荒尾(あらお)市に炭坑が整備され国内の近代化に貢献。のちの太平洋戦争では、熊本市が国防の要地として機能しました。 戦後は急ピッチで復興が進められ、商業や観光業にも力を入れます。昭和46年に熊本空港が開港、平成23年に九州新幹線の全線が開業。近年の熊本県は国の機関や製造業などの企業が進出し、九州地方の中心的な役割も担います。 面積と人口 熊本県は面積約7,409.48 1㎢で、九州地方で3位、全国では15位の広さです。熊本県14市・23町・8村から成り(令和3年10月現在)、地域は「阿蘇市」「玉名(たまな)市」などを含む県北、「熊本市」「宇城(うき)市」などを含む県央、「人吉(ひとよし)市」「水俣市」などを含む県南、「天草市」などを含む天草に分かれます。 人口は1,726,187人(令和3年9月1日現在)で、全国では23番目です。県内でもっとも人口が多い市は熊本市(738,089人)で、八代市(121,171人)、天草市(73,899人)と続きます(令和3年9月1日現在)。 【参考】 熊本県「令和3年(2021年)熊本県の人口と世帯数」 県の位置と県庁所在地 九州地方のほぼ中央にあり、東経約130~131°、北緯32~33°に位置するのが熊本県です。熊本県は県面積の約6割を森林が占め、北東部にある阿蘇山は世界で最大級のカルデラ(火山の中央部にあるくぼみ)を有します。 県庁所在地は熊本市で、政令指定都市のひとつです。市内には、熊本城や「水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)」などの観光スポットがあります。 県名の由来 熊本の語源についてはさまざまで、古代語で沼地や沢地を表す「ク」と崖(がけ)を表す「マ」から「崖の下の湿地」を指す説、川が曲がりくねる様子を意味する「クマ」を指す説、崖の下を表す「クマ」と湿地を表す「ムタ」が転じた説などがあります。 かつて熊本は「隈本」と表記されましたが、「隈」の字は「恐れる」「かしこまる」などの意味をもつ「畏」が含まれるため、加藤清正が「熊」の字を当てたとされます。
九州地方のほぼ中央にあり、東経約130~131°、北緯32~33°に位置する都道府県は、もともとなにが盛んか。
九州地方のほぼ中央にあり、東経約130~131°、北緯32~33°に位置する都道府県は、もともと農業が盛んである。
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地理
平成23年(2011年)の風水害 平成23年(2011年)7月新潟・福島豪雨 7月27日から30日にかけて、新潟県と福島県会津を中心に大雨となりました。特に、28日から30日は、 前線が朝鮮半島から北陸地方を通って関東の東にかけて停滞し、前線に向かって暖かく非常に湿った空 気が流れ込み、大気の状態が不安定となって、新潟県と福島県会津を中心に「平成16年7月新潟・福島 豪雨」を上回る記録的な大雨となりました。 この大雨により、新潟県、福島県において死者が4名、行方不明者が2名となりました。また、新潟県、 福島県では各地で堤防の決壊や河川のはん濫により住家や農地が浸水したほか、土砂災害による住家や 道路の被害も多数発生し住家被害数は10,132棟となっています。その他、停電、断水が発生し、線路の流失など、交通機関にも大きな影響が出ました。この7月27日から30日にかけて災害をもたらした大雨について、気象庁は「平成23年7月新潟・福島豪雨」と命名しました。 ○「平成16年7月新潟・福島豪雨」 「平成16年7月新潟・福島豪雨」における強雨期間は約9時間で、総降水量は最大で300ミリを超え る程度でしたが、今回は9時間の降水量が解析雨量によれば最大で500ミリ(アメダスでも360.5ミリを観測)を超え、さらに大雨が長時間続いたため、7月28日から30日の3日間の解析雨量による総降水量は1000ミリに達したところがあり、雨量で比較すると、平成16年の豪雨を上回りました。 平成16年7月新潟・福島豪雨被の住家被害数が13,875棟、死者・行方不明者数が16名になっています。 平成23年(2011年)台風第12号 ア.台風第12号の状況 大型の台風第12号は、ゆっくりと北上しました。このため、西日本から北日本にかけて長時間にわたって台風周辺の非常に湿った空気が流れ込み、紀伊半島の山沿いを中心に広い範囲で記録的な大雨となりました。8月30日から9月5日までの総降水量は広い範囲で1000ミリを超え、多いところでは年降水量平年値の6割に達し、紀伊半島の一部の地域では解析雨量で2000ミリを超えました。奈良県・和歌山県を中心に広い範囲で浸水や土砂災害が発生し、全国で94名が死者・行方不明者となりました。
平成23年7月新潟・福島豪雨と平成16年7月新潟・福島豪雨を比較して、住家被害数が少ないほうを教えてください。
平成23年7月新潟・福島豪雨と平成16年7月新潟・福島豪雨を比較して、住家被害数が少ないほうは平成23年7月新潟・福島豪雨で10,132棟です。
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地理
47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「熊本県」です。熊本県は過去、有力者による勢力争いが繰り広げられました。農業を中心にしてさまざまな産業が発展し、独自の歴史や文化を築き上げてきました。雄大な自然に抱かれ、「火の国・水の国」としてますます進化する熊本県の魅力をお楽しみください。 熊本県の基本情報 はじめに、熊本県の基本情報をご紹介いたします。 歴史と産業 熊本県はおよそ1万5千年前から人々が生活していたと考えられ、縄文時代の遺跡や壁画に彫刻などを施した装飾古墳が多数発見されています。6~7世紀ごろには火(ひ)、阿蘇(あそ)、天草(あまくさ)などの小国が生まれ、後に肥後国(ひごのくに)に統一されました。 平安時代には数十もの荘園が誕生。鎌倉時代には阿蘇氏(うじ)などの有力な豪族のほか、遠江(とおとうみ:現在の静岡)から来た相良(さがら)と呼ばれる一族が支配しました。室町時代の肥後は複数の大名による争奪戦が続き、豊臣秀吉が九州を治めるまで島津氏が統治しました。 後に県北などを加藤清正(きよまさ)、県南を小西行長(ゆきなが)、球磨(くま)地域を相良氏が支配し、天草(あまくさ)地域は数々の変遷を経て明治維新まで幕府が直轄。関ヶ原の戦いで小西行長が失脚すると、加藤清正が県北と県南を治めて熊本城を築城しました。 寛永9年に小倉(こくら:現在の福岡県)から細川忠利(ただとし)が入国した後、県北と県南は熊本藩として細川氏が支配。明治4年の廃藩置県により熊本藩が熊本県になり、ほかの地域は合併や吸収などを経て、同9年に肥後国の全体が熊本県として確定します。明治10年の西南戦争では、県内の各地が戦火に遭いました。 熊本県はもともと農業が盛んです。明治23年ごろからは八代(やつしろ)にセメントをはじめとする工場が立ち並び、明治の半ばには荒尾(あらお)市に炭坑が整備され国内の近代化に貢献。のちの太平洋戦争では、熊本市が国防の要地として機能しました。 戦後は急ピッチで復興が進められ、商業や観光業にも力を入れます。昭和46年に熊本空港が開港、平成23年に九州新幹線の全線が開業。近年の熊本県は国の機関や製造業などの企業が進出し、九州地方の中心的な役割も担います。 面積と人口 熊本県は面積約7,409.48 1㎢で、九州地方で3位、全国では15位の広さです。熊本県14市・23町・8村から成り(令和3年10月現在)、地域は「阿蘇市」「玉名(たまな)市」などを含む県北、「熊本市」「宇城(うき)市」などを含む県央、「人吉(ひとよし)市」「水俣市」などを含む県南、「天草市」などを含む天草に分かれます。 人口は1,726,187人(令和3年9月1日現在)で、全国では23番目です。県内でもっとも人口が多い市は熊本市(738,089人)で、八代市(121,171人)、天草市(73,899人)と続きます(令和3年9月1日現在)。 【参考】 熊本県「令和3年(2021年)熊本県の人口と世帯数」 県の位置と県庁所在地 九州地方のほぼ中央にあり、東経約130~131°、北緯32~33°に位置するのが熊本県です。熊本県は県面積の約6割を森林が占め、北東部にある阿蘇山は世界で最大級のカルデラ(火山の中央部にあるくぼみ)を有します。 県庁所在地は熊本市で、政令指定都市のひとつです。市内には、熊本城や「水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)」などの観光スポットがあります。 県名の由来 熊本の語源についてはさまざまで、古代語で沼地や沢地を表す「ク」と崖(がけ)を表す「マ」から「崖の下の湿地」を指す説、川が曲がりくねる様子を意味する「クマ」を指す説、崖の下を表す「クマ」と湿地を表す「ムタ」が転じた説などがあります。 かつて熊本は「隈本」と表記されましたが、「隈」の字は「恐れる」「かしこまる」などの意味をもつ「畏」が含まれるため、加藤清正が「熊」の字を当てたとされます。
九州地方のほぼ中央にあり、東経約130~131°、北緯32~33°に位置する都道府県の面積はどれくらいあるか。
九州地方のほぼ中央にあり、東経約130~131°、北緯32~33°に位置する都道府県は、面積約7,409.48 1㎢である。
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8 月 11 日から 8 月 15 日 8 月 11 日から 15 日は、東シナ海の前線が次第に東へのび、その後西日本から東日本に停滞し、 その前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込んだ影響で全国的に雨となった。九州北部地方では多いところで日降水量が 400 ミリを超え、東海地方では多いところで日降水量が 300 ミリを超え、九州南部、四国地方、中国地方、近畿地方、関東甲信地方では多いところで日降水量が 200 ミリを超える大雨となったほか、北陸地方や東北地方でも多いところで日降水量が 100 ミリを超える大雨となった。 [日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点] 8 月 11 日 熊本県南阿蘇村南阿蘇 166.0 ミリ 長崎県島原市島原 163.0 ミリ 鹿児島県薩摩川内市中甑 157.0 ミリ 宮崎県えびの市えびの 138.5 ミリ 福岡県大牟田市大牟田) 125.5 ミリ 佐賀県佐賀市佐賀 117.0 ミリ 8 月 12 日 長崎県雲仙市雲仙岳 415.5 ミリ 福岡県大牟田市大牟田 311.5 ミリ 熊本県山鹿市鹿北 277.5 ミリ 大分県日田市椿ヶ鼻 254.0 ミリ 佐賀県嬉野市嬉野 245.0 ミリ 鹿児島県さつま町紫尾山 198.5 ミリ 石川県宝達志水町宝達志水166.5 ミリ 高知県室戸市室戸岬 148.5 ミリ 和歌山県田辺市龍神 143.0 ミリ 宮崎県椎葉村椎葉 128.0 ミリ 富山県氷見市氷見 112.0 ミリ 島根県益田市匹見 108.5 ミリ 広島県安芸太田町内黒山 108.0 ミリ
8 月 12 日に日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点のうち、もっとも日降水量が多い地点を教えてください。
8 月 12 日に日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点のうち、もっとも日降水量が多い地点は長崎県雲仙市雲仙岳で 415.5 ミリです。
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地理
47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「熊本県」です。熊本県は過去、有力者による勢力争いが繰り広げられました。農業を中心にしてさまざまな産業が発展し、独自の歴史や文化を築き上げてきました。雄大な自然に抱かれ、「火の国・水の国」としてますます進化する熊本県の魅力をお楽しみください。 熊本県の基本情報 はじめに、熊本県の基本情報をご紹介いたします。 歴史と産業 熊本県はおよそ1万5千年前から人々が生活していたと考えられ、縄文時代の遺跡や壁画に彫刻などを施した装飾古墳が多数発見されています。6~7世紀ごろには火(ひ)、阿蘇(あそ)、天草(あまくさ)などの小国が生まれ、後に肥後国(ひごのくに)に統一されました。 平安時代には数十もの荘園が誕生。鎌倉時代には阿蘇氏(うじ)などの有力な豪族のほか、遠江(とおとうみ:現在の静岡)から来た相良(さがら)と呼ばれる一族が支配しました。室町時代の肥後は複数の大名による争奪戦が続き、豊臣秀吉が九州を治めるまで島津氏が統治しました。 後に県北などを加藤清正(きよまさ)、県南を小西行長(ゆきなが)、球磨(くま)地域を相良氏が支配し、天草(あまくさ)地域は数々の変遷を経て明治維新まで幕府が直轄。関ヶ原の戦いで小西行長が失脚すると、加藤清正が県北と県南を治めて熊本城を築城しました。 寛永9年に小倉(こくら:現在の福岡県)から細川忠利(ただとし)が入国した後、県北と県南は熊本藩として細川氏が支配。明治4年の廃藩置県により熊本藩が熊本県になり、ほかの地域は合併や吸収などを経て、同9年に肥後国の全体が熊本県として確定します。明治10年の西南戦争では、県内の各地が戦火に遭いました。 熊本県はもともと農業が盛んです。明治23年ごろからは八代(やつしろ)にセメントをはじめとする工場が立ち並び、明治の半ばには荒尾(あらお)市に炭坑が整備され国内の近代化に貢献。のちの太平洋戦争では、熊本市が国防の要地として機能しました。 戦後は急ピッチで復興が進められ、商業や観光業にも力を入れます。昭和46年に熊本空港が開港、平成23年に九州新幹線の全線が開業。近年の熊本県は国の機関や製造業などの企業が進出し、九州地方の中心的な役割も担います。 面積と人口 熊本県は面積約7,409.48 1㎢で、九州地方で3位、全国では15位の広さです。熊本県14市・23町・8村から成り(令和3年10月現在)、地域は「阿蘇市」「玉名(たまな)市」などを含む県北、「熊本市」「宇城(うき)市」などを含む県央、「人吉(ひとよし)市」「水俣市」などを含む県南、「天草市」などを含む天草に分かれます。 人口は1,726,187人(令和3年9月1日現在)で、全国では23番目です。県内でもっとも人口が多い市は熊本市(738,089人)で、八代市(121,171人)、天草市(73,899人)と続きます(令和3年9月1日現在)。 【参考】 熊本県「令和3年(2021年)熊本県の人口と世帯数」 県の位置と県庁所在地 九州地方のほぼ中央にあり、東経約130~131°、北緯32~33°に位置するのが熊本県です。熊本県は県面積の約6割を森林が占め、北東部にある阿蘇山は世界で最大級のカルデラ(火山の中央部にあるくぼみ)を有します。 県庁所在地は熊本市で、政令指定都市のひとつです。市内には、熊本城や「水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)」などの観光スポットがあります。 県名の由来 熊本の語源についてはさまざまで、古代語で沼地や沢地を表す「ク」と崖(がけ)を表す「マ」から「崖の下の湿地」を指す説、川が曲がりくねる様子を意味する「クマ」を指す説、崖の下を表す「クマ」と湿地を表す「ムタ」が転じた説などがあります。 かつて熊本は「隈本」と表記されましたが、「隈」の字は「恐れる」「かしこまる」などの意味をもつ「畏」が含まれるため、加藤清正が「熊」の字を当てたとされます。
九州地方のほぼ中央にあり、東経約130~131°、北緯32~33°に位置する都道府県の特徴はなにか。
九州地方のほぼ中央にあり、東経約130~131°、北緯32~33°に位置する都道府県は、県面積の約6割を森林が占め、北東部にある阿蘇山は世界で最大級のカルデラ(火山の中央部にあるくぼみ)を有します。
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地理
平成23年(2011年)の顕著な火山活動 桜島の火山活動 平成18年(2006年)6月に噴火活動を再開した桜島南岳東斜面の昭和火口では、平成21年(2009年)に入り次第に噴火活動が活発化しました。平成23年(2011年)に入っても、5月に昭和火口の火口底で溶岩が初めて観測されるなど活発な噴火活動が継続し、南岳山頂火口の噴火回数を含めた年間噴火回数は1355回(平成22年、1026回)でそのうち爆発的噴火の回数は996回(同、896回)に達しました。桜島では、大きな噴石及び火砕流に対する警戒が必要な範囲を「火口から概ね2キロメートル」とする噴火警戒レベル3(入山規制)を継続しました。爆発的噴火に伴い、大きな噴石が3合目(昭和火口から1300~1800メートル)まで達する噴火は、10月に4回、11月に2回、12月に7回発生しました。火砕流は7回発生しましたが、いずれも小規模なものでした。 南岳山頂火口では、平成21年(2009年)10月3日以来の爆発的噴火が、2月7日に2回発生しました。 桜島の北にある姶良(あいら)カルデラ(鹿児島湾奥部)の地下深部では、マグマの蓄積が長期にわたり継続していることが、国土地理院の地殻変動連続観測で捉えられています。そこから桜島直下へのマグマ供給量の増加が、現在の噴火の多い状態をもたらしていると推定され、今後、更に火山活動が活発化する可能性も考えられますので、活動の推移に注意する必要があります。 霧島山(新燃岳)の火山活動と気象庁の対応 ア.火山活動と警報発表の推移 霧島山(新燃岳)では、平成23年1月26日、多量の噴出物を放出する連続的な噴火が発生し次第に噴火の規模も大きくなったことから、気象庁は、噴石に対して警戒が必要な範囲をそれまでの「火口から概ね1キロメートル」から「火口から概ね2キロメートル」に拡大する旨の噴火警報を発表し、噴火警戒レベルを2(火口周辺規制)から3(入山規制)に引き上げました。さらに、人工衛星による観測結果から、28日に確認された火口内の数十メートルの溶岩が30日には火口内をほぼ満たしていることが分かり、爆発的噴火によってこの溶岩が噴出した場合に発生する火砕流の影響範囲を踏まえて、同日、警戒が必要な範囲を「火口から概ね3キロメートル」に拡大、2月1日に発生した爆発的噴火によって大きな噴石が火口から約3.2キロメートルの地点まで飛散したことから警戒が必要な範囲を「火口から概ね4キロメートル」の範囲に拡大しました(いずれも噴火警戒レベル3(入山規制)が継続)。その後、噴火は時々発生したものの、規模は小さくなり発生頻度も少なくなったことから、3月22日、警戒が必要な範囲を「火口から概ね3キロメートル」の範囲に縮小しています。 火山防災協議会においては、地元の気象台は、市町が避難計画を策定するために必要な「噴火シナリオ」(噴火に伴う現象と影響範囲の推移について時間的に順を追って説明したもの)を示し、噴火警戒レベル4(避難準備)及び5(避難)の噴火警報が発表されるような噴火活動の詳細について具体的な解説を行い、関係機関の理解を得ました。さらに、既存のハザードマップに表示された危険区域を噴火警戒レベル4(避難準備)及び5(避難)での警戒が必要な範囲(避難対象地域)とすることを関係機関が合意した上で、地元の市町(霧島市及び高原町)が中心となって避難計画の共同検討が進められました。 霧島山(新燃岳)の火山防災に限らず、気象庁及び地元の気象台は、防災基本計画に基づき、火山防災協議会の枠組みを活用して、関係機関が登山者や住民の避難(噴火警戒レベルや避難計画)について平常時から共同で検討し、防災対応のイメージを確実に共有することで噴火時等の対応をより円滑に実施できる体制を推進しています。 ウ.新燃岳噴火に伴う降灰による土石流の対応 一般的に、噴火によって噴出された火山灰等の堆積により、少量の降雨でも土石流が発生する危険性が高まることが知られています。また、こうした土石流は、谷沿いに遠方まで到達し、道路、家屋、農耕地などに大きな被害を与えます。このようなことから、鹿児島地方気象台と宮崎地方気象台は、降灰による土石流対策のために、噴火後の1月29日から、鹿児島県霧島市、宮崎県都城市、高原町、小林市、えびの市を対象に1日2回、霧島山(新燃岳)周辺の気象予測等を明記した災害時支援資料の発表を開始しました。さらに、大雨注意報・警報発表時には、防災上の注意警戒事項に「霧島山(新燃岳)周辺では、土石流や泥流に注意してください」を明記し、より一層の注意を促すこととしました。また、降雨時には、鹿児島県霧島市、宮崎県都城市高原町へ電話による気象状況の解説を行い、特に都城市と高原町へは「出張解説」を実施するなど、市町の行う防災対応を支援しました。 国土交通省が実施した緊急調査の結果、降灰により土石流のおそれが高まっている土石流危険渓流が抽出され、避難の参考となる雨量基準が1時間雨量4ミリと示されたことを受けて、都城市や高原町の避難勧告の判断に利用していただくよう、2月4日より、1時間4ミリ以上の雨の期間を示した「霧島山(新燃岳)周辺の雨に関する宮崎県気象情報」(以下「霧島山に関する府県気象情報」という)を発表しました。2月7日より、政府支援チームに職員を派遣し、土石流に対する避難計画や土石流対策のため、「霧島山(新燃岳)噴火の降灰による土砂災害に関する避難計画策定に際しての具体的な考え方(最終案)」を3月10日のコアメンバー会議で示し了承されました。この考え方は、都城市や高原町の避難計画策定に有効に活用されました。また、5月1日に土砂災害警戒区域等における土砂災害防止対策の推進に関する法律の一部を改正する法律が施行され、国土交通省は、国土交通省や宮崎県の緊急調査の結果から、「土砂災害緊急情報[霧島山(新燃岳)]」を発表して土砂災害が想定される区域や基準の見直しを行い、これに伴い都城市や高原町では避難勧告の基準の見直しが行われ、宮崎地方気象台では市町や県、関係機関と連携しつつ「霧島山に関する府県気象情報」の内容を適宜見直しました。
桜島の爆発的噴火に伴い、大きな噴石が3合目まで達する噴火がもっとも多く発生した月を教えてください。
桜島の爆発的噴火に伴い、大きな噴石が3合目まで達する噴火がもっとも多く発生した月は12月で7回です。
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地理
47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「宮崎県」です。宮崎県は雄大な自然と数々の古墳、日本誕生の神話が残り、かつて地域ごとにさまざまな有力者が支配し、複雑な歴史をたどってきました。先人の偉業を大切に引き継ぎ、自然と産業、人々のつながりを基盤に発展する宮崎県の魅力をお楽しみください。 宮崎県の基本情報 はじめに、宮崎県の基本情報をご紹介いたします。 歴史と産業 宮崎県では、およそ3万年前の旧石器時代の遺跡が見つかっています。かつて宮崎県は5つの郡から成る日向国(ひゅうがのくに)と呼ばれ、国の中枢は現在の西都(さいと)市に置かれました。平安時代には多くの荘園(しょうえん)が誕生、現在の都城(みやこのじょう)市には「島津荘」と呼ばれた国内最大の荘園も存在しました。 後に、鎌倉幕府の御家人(ごけにん)であった惟宗忠久(これむねただひさ)が島津氏を名乗り、伊豆国(いずのくに)から入国した伊東氏と勢力を二分しますが、豊臣秀吉の九州統一によって国割が改変。主に延岡(のべおか)や飫肥(おび)などの藩と、鹿児島の薩摩(さつま)藩や熊本の人吉(ひとよし)藩が支配する地域に分断されました。 明治4年の廃藩置県で延岡・飫肥・鹿児島・人吉・高鍋(たかなべ)・佐土原(さどわら)の6県が誕生。同年に美々津(みみつ)・都城の2県に分轄しますが、統合や合併などを経て同16年に現在の宮崎県が確立しました。 宮崎県は戦後主に電力の確保に力を入れ、各地域に水力発電所を設置します。昭和29年には宮崎空港が開港し、観光の基盤が続々と整備されました。同62年に施行された総合保養地整備法(リゾート法)では、「宮崎・日南海岸リゾート構想」が第1号の指定を受けています。 古くから農林業の盛んな宮崎県は、キュウリや柑橘(かんきつ)類、スギの丸太の素材生産量がそれぞれ全国1位。日向・延岡地区は、新産業都市として主に農産・林産の加工を担います。また宮崎市には、航空機や自動車部品、IT産業などの企業が進出しています。 面積と人口 宮崎県は面積約7,735㎢で、九州地方では鹿児島県に次いで2番目、全国では14番目の広さです。9市・14町・3村から成り(令和3年10月現在)、地域は延岡市などを含む「北部」、宮崎市などを含む「中部」、都城市などを含む「西部」、日南(にちなん)市などの「南部」に分かれます。 人口は1,081,654人で、全国では36番目です。県内でもっとも人口が多い市は宮崎市(400,816人)で、都城市(162,700人)、延岡市(120,013人)と続きます。(令和3年4月現在) 【参考】 国土地理協会「2021年4月調査 市町村別 人口・世帯数(日本人住民+外国人住民)」 県の位置と県庁所在地 九州地方の東経約130~131°、北緯約31~32°に位置するのが宮崎県です。宮崎県は黒潮の影響により年間を通して暖かく、快晴の日数は全国で1位、平均年間降水量も全国1位です。宮崎県は県面積のうち76%が森林で、南部には観光地として有名な日南海岸があります。 県庁所在地は宮崎市で、神武(じんむ)天皇をまつる宮﨑神宮、国の名勝・天然記念物に指定されている高千穂峡(たかちほきょう)などがあります。 県名の由来 宮崎地方には日本の初代天皇である神武天皇の皇居があったという伝説から、天皇を表す「宮」と、宮がある地または岬を表す「埼」がつながったと考えられています。平安時代の漢和辞書である「和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)、略して和名抄(わみょうしょう)」には「宮崎郡」の名称が記載されています。 宮崎県の文化 宮崎県の文化画像:宮崎県観光協会 宮崎県に伝わる文化のうち、主なものをご紹介いたします。 若山牧水(わかやまぼくすい) 若山牧水は日向市の出身の歌人で、現実をありのままに表現する「自然主義」の思潮を受け、43年の生涯でおよそ9千の歌を詠みました。「海の声」をはじめとする歌集のほか、紀行文や随筆、童話などの作品が残されています。「牧水」とは20歳のころから使いはじめたペンネームで、本名は「繁(しげる)」です。 日向神話 「古事記」や「日本書紀」に記された「日向神話」は宮崎県が舞台とされ、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の指示で孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)が神の国から高千穂に降り立つ場面からはじまります。息子の火遠理命(ほおりのみこと、山幸彦:やまさちひこ)の孫が神武天皇として国を統治するまでの物語は、現在も宮崎県で語り継がれています。
九州地方の東経約130~131°、北緯約31~32°に位置する都道府県は、どのような歴史をたどってきたか。
九州地方の東経約130~131°、北緯約31~32°に位置する都道府県は、雄大な自然と数々の古墳、日本誕生の神話が残り、かつて地域ごとにさまざまな有力者が支配し、複雑な歴史をたどってきた。
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地理
8 月 11 日から 8 月 15 日 8 月 11 日から 15 日は、東シナ海の前線が次第に東へのび、その後西日本から東日本に停滞し、 その前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込んだ影響で全国的に雨となった。九州北部地方では多いところで日降水量が 400 ミリを超え、東海地方では多いところで日降水量が 300 ミリを超え、九州南部、四国地方、中国地方、近畿地方、関東甲信地方では多いところで日降水量が 200 ミリを超える大雨となったほか、北陸地方や東北地方でも多いところで日降水量が 100 ミリを超える大雨となった。 [日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点] 8 月 11 日 熊本県南阿蘇村南阿蘇 166.0 ミリ 長崎県島原市島原 163.0 ミリ 鹿児島県薩摩川内市中甑 157.0 ミリ 宮崎県えびの市えびの 138.5 ミリ 福岡県大牟田市大牟田) 125.5 ミリ 佐賀県佐賀市佐賀 117.0 ミリ 8 月 12 日 長崎県雲仙市雲仙岳 415.5 ミリ 福岡県大牟田市大牟田 311.5 ミリ 熊本県山鹿市鹿北 277.5 ミリ 大分県日田市椿ヶ鼻 254.0 ミリ 佐賀県嬉野市嬉野 245.0 ミリ 鹿児島県さつま町紫尾山 198.5 ミリ 石川県宝達志水町宝達志水166.5 ミリ 高知県室戸市室戸岬 148.5 ミリ 和歌山県田辺市龍神 143.0 ミリ 宮崎県椎葉村椎葉 128.0 ミリ 富山県氷見市氷見 112.0 ミリ 島根県益田市匹見 108.5 ミリ 広島県安芸太田町内黒山 108.0 ミリ
8 月 12 日に日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点のうち、もっとも日降水量が少ない地点を教えてください。
8 月 12 日に日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点のうち、もっとも日降水量が少ない地点は広島県安芸太田町内黒山で108.0 ミリです。
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地理
47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「宮崎県」です。宮崎県は雄大な自然と数々の古墳、日本誕生の神話が残り、かつて地域ごとにさまざまな有力者が支配し、複雑な歴史をたどってきました。先人の偉業を大切に引き継ぎ、自然と産業、人々のつながりを基盤に発展する宮崎県の魅力をお楽しみください。 宮崎県の基本情報 はじめに、宮崎県の基本情報をご紹介いたします。 歴史と産業 宮崎県では、およそ3万年前の旧石器時代の遺跡が見つかっています。かつて宮崎県は5つの郡から成る日向国(ひゅうがのくに)と呼ばれ、国の中枢は現在の西都(さいと)市に置かれました。平安時代には多くの荘園(しょうえん)が誕生、現在の都城(みやこのじょう)市には「島津荘」と呼ばれた国内最大の荘園も存在しました。 後に、鎌倉幕府の御家人(ごけにん)であった惟宗忠久(これむねただひさ)が島津氏を名乗り、伊豆国(いずのくに)から入国した伊東氏と勢力を二分しますが、豊臣秀吉の九州統一によって国割が改変。主に延岡(のべおか)や飫肥(おび)などの藩と、鹿児島の薩摩(さつま)藩や熊本の人吉(ひとよし)藩が支配する地域に分断されました。 明治4年の廃藩置県で延岡・飫肥・鹿児島・人吉・高鍋(たかなべ)・佐土原(さどわら)の6県が誕生。同年に美々津(みみつ)・都城の2県に分轄しますが、統合や合併などを経て同16年に現在の宮崎県が確立しました。 宮崎県は戦後主に電力の確保に力を入れ、各地域に水力発電所を設置します。昭和29年には宮崎空港が開港し、観光の基盤が続々と整備されました。同62年に施行された総合保養地整備法(リゾート法)では、「宮崎・日南海岸リゾート構想」が第1号の指定を受けています。 古くから農林業の盛んな宮崎県は、キュウリや柑橘(かんきつ)類、スギの丸太の素材生産量がそれぞれ全国1位。日向・延岡地区は、新産業都市として主に農産・林産の加工を担います。また宮崎市には、航空機や自動車部品、IT産業などの企業が進出しています。 面積と人口 宮崎県は面積約7,735㎢で、九州地方では鹿児島県に次いで2番目、全国では14番目の広さです。9市・14町・3村から成り(令和3年10月現在)、地域は延岡市などを含む「北部」、宮崎市などを含む「中部」、都城市などを含む「西部」、日南(にちなん)市などの「南部」に分かれます。 人口は1,081,654人で、全国では36番目です。県内でもっとも人口が多い市は宮崎市(400,816人)で、都城市(162,700人)、延岡市(120,013人)と続きます。(令和3年4月現在) 【参考】 国土地理協会「2021年4月調査 市町村別 人口・世帯数(日本人住民+外国人住民)」 県の位置と県庁所在地 九州地方の東経約130~131°、北緯約31~32°に位置するのが宮崎県です。宮崎県は黒潮の影響により年間を通して暖かく、快晴の日数は全国で1位、平均年間降水量も全国1位です。宮崎県は県面積のうち76%が森林で、南部には観光地として有名な日南海岸があります。 県庁所在地は宮崎市で、神武(じんむ)天皇をまつる宮﨑神宮、国の名勝・天然記念物に指定されている高千穂峡(たかちほきょう)などがあります。 県名の由来 宮崎地方には日本の初代天皇である神武天皇の皇居があったという伝説から、天皇を表す「宮」と、宮がある地または岬を表す「埼」がつながったと考えられています。平安時代の漢和辞書である「和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)、略して和名抄(わみょうしょう)」には「宮崎郡」の名称が記載されています。 宮崎県の文化 宮崎県の文化画像:宮崎県観光協会 宮崎県に伝わる文化のうち、主なものをご紹介いたします。 若山牧水(わかやまぼくすい) 若山牧水は日向市の出身の歌人で、現実をありのままに表現する「自然主義」の思潮を受け、43年の生涯でおよそ9千の歌を詠みました。「海の声」をはじめとする歌集のほか、紀行文や随筆、童話などの作品が残されています。「牧水」とは20歳のころから使いはじめたペンネームで、本名は「繁(しげる)」です。 日向神話 「古事記」や「日本書紀」に記された「日向神話」は宮崎県が舞台とされ、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の指示で孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)が神の国から高千穂に降り立つ場面からはじまります。息子の火遠理命(ほおりのみこと、山幸彦:やまさちひこ)の孫が神武天皇として国を統治するまでの物語は、現在も宮崎県で語り継がれています。
九州地方の東経約130~131°、北緯約31~32°に位置する都道府県でなにが見つかったか。
九州地方の東経約130~131°、北緯約31~32°に位置する都道府県では、およそ3万年前の旧石器時代の遺跡が見つかっている。
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地理
平成23年(2011年)の顕著な火山活動 桜島の火山活動 平成18年(2006年)6月に噴火活動を再開した桜島南岳東斜面の昭和火口では、平成21年(2009年)に入り次第に噴火活動が活発化しました。平成23年(2011年)に入っても、5月に昭和火口の火口底で溶岩が初めて観測されるなど活発な噴火活動が継続し、南岳山頂火口の噴火回数を含めた年間噴火回数は1355回(平成22年、1026回)でそのうち爆発的噴火の回数は996回(同、896回)に達しました。桜島では、大きな噴石及び火砕流に対する警戒が必要な範囲を「火口から概ね2キロメートル」とする噴火警戒レベル3(入山規制)を継続しました。爆発的噴火に伴い、大きな噴石が3合目(昭和火口から1300~1800メートル)まで達する噴火は、10月に4回、11月に2回、12月に7回発生しました。火砕流は7回発生しましたが、いずれも小規模なものでした。 南岳山頂火口では、平成21年(2009年)10月3日以来の爆発的噴火が、2月7日に2回発生しました。 桜島の北にある姶良(あいら)カルデラ(鹿児島湾奥部)の地下深部では、マグマの蓄積が長期にわたり継続していることが、国土地理院の地殻変動連続観測で捉えられています。そこから桜島直下へのマグマ供給量の増加が、現在の噴火の多い状態をもたらしていると推定され、今後、更に火山活動が活発化する可能性も考えられますので、活動の推移に注意する必要があります。 霧島山(新燃岳)の火山活動と気象庁の対応 ア.火山活動と警報発表の推移 霧島山(新燃岳)では、平成23年1月26日、多量の噴出物を放出する連続的な噴火が発生し次第に噴火の規模も大きくなったことから、気象庁は、噴石に対して警戒が必要な範囲をそれまでの「火口から概ね1キロメートル」から「火口から概ね2キロメートル」に拡大する旨の噴火警報を発表し、噴火警戒レベルを2(火口周辺規制)から3(入山規制)に引き上げました。さらに、人工衛星による観測結果から、28日に確認された火口内の数十メートルの溶岩が30日には火口内をほぼ満たしていることが分かり、爆発的噴火によってこの溶岩が噴出した場合に発生する火砕流の影響範囲を踏まえて、同日、警戒が必要な範囲を「火口から概ね3キロメートル」に拡大、2月1日に発生した爆発的噴火によって大きな噴石が火口から約3.2キロメートルの地点まで飛散したことから警戒が必要な範囲を「火口から概ね4キロメートル」の範囲に拡大しました(いずれも噴火警戒レベル3(入山規制)が継続)。その後、噴火は時々発生したものの、規模は小さくなり発生頻度も少なくなったことから、3月22日、警戒が必要な範囲を「火口から概ね3キロメートル」の範囲に縮小しています。 火山防災協議会においては、地元の気象台は、市町が避難計画を策定するために必要な「噴火シナリオ」(噴火に伴う現象と影響範囲の推移について時間的に順を追って説明したもの)を示し、噴火警戒レベル4(避難準備)及び5(避難)の噴火警報が発表されるような噴火活動の詳細について具体的な解説を行い、関係機関の理解を得ました。さらに、既存のハザードマップに表示された危険区域を噴火警戒レベル4(避難準備)及び5(避難)での警戒が必要な範囲(避難対象地域)とすることを関係機関が合意した上で、地元の市町(霧島市及び高原町)が中心となって避難計画の共同検討が進められました。 霧島山(新燃岳)の火山防災に限らず、気象庁及び地元の気象台は、防災基本計画に基づき、火山防災協議会の枠組みを活用して、関係機関が登山者や住民の避難(噴火警戒レベルや避難計画)について平常時から共同で検討し、防災対応のイメージを確実に共有することで噴火時等の対応をより円滑に実施できる体制を推進しています。 ウ.新燃岳噴火に伴う降灰による土石流の対応 一般的に、噴火によって噴出された火山灰等の堆積により、少量の降雨でも土石流が発生する危険性が高まることが知られています。また、こうした土石流は、谷沿いに遠方まで到達し、道路、家屋、農耕地などに大きな被害を与えます。このようなことから、鹿児島地方気象台と宮崎地方気象台は、降灰による土石流対策のために、噴火後の1月29日から、鹿児島県霧島市、宮崎県都城市、高原町、小林市、えびの市を対象に1日2回、霧島山(新燃岳)周辺の気象予測等を明記した災害時支援資料の発表を開始しました。さらに、大雨注意報・警報発表時には、防災上の注意警戒事項に「霧島山(新燃岳)周辺では、土石流や泥流に注意してください」を明記し、より一層の注意を促すこととしました。また、降雨時には、鹿児島県霧島市、宮崎県都城市高原町へ電話による気象状況の解説を行い、特に都城市と高原町へは「出張解説」を実施するなど、市町の行う防災対応を支援しました。 国土交通省が実施した緊急調査の結果、降灰により土石流のおそれが高まっている土石流危険渓流が抽出され、避難の参考となる雨量基準が1時間雨量4ミリと示されたことを受けて、都城市や高原町の避難勧告の判断に利用していただくよう、2月4日より、1時間4ミリ以上の雨の期間を示した「霧島山(新燃岳)周辺の雨に関する宮崎県気象情報」(以下「霧島山に関する府県気象情報」という)を発表しました。2月7日より、政府支援チームに職員を派遣し、土石流に対する避難計画や土石流対策のため、「霧島山(新燃岳)噴火の降灰による土砂災害に関する避難計画策定に際しての具体的な考え方(最終案)」を3月10日のコアメンバー会議で示し了承されました。この考え方は、都城市や高原町の避難計画策定に有効に活用されました。また、5月1日に土砂災害警戒区域等における土砂災害防止対策の推進に関する法律の一部を改正する法律が施行され、国土交通省は、国土交通省や宮崎県の緊急調査の結果から、「土砂災害緊急情報[霧島山(新燃岳)]」を発表して土砂災害が想定される区域や基準の見直しを行い、これに伴い都城市や高原町では避難勧告の基準の見直しが行われ、宮崎地方気象台では市町や県、関係機関と連携しつつ「霧島山に関する府県気象情報」の内容を適宜見直しました。
桜島の爆発的噴火に伴い、大きな噴石が3合目まで達する噴火がもっとも少なく発生した月を教えてください。
桜島の爆発的噴火に伴い、大きな噴石が3合目まで達する噴火がもっとも少なく発生した月は10月で4回です。
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地理
47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「宮崎県」です。宮崎県は雄大な自然と数々の古墳、日本誕生の神話が残り、かつて地域ごとにさまざまな有力者が支配し、複雑な歴史をたどってきました。先人の偉業を大切に引き継ぎ、自然と産業、人々のつながりを基盤に発展する宮崎県の魅力をお楽しみください。 宮崎県の基本情報 はじめに、宮崎県の基本情報をご紹介いたします。 歴史と産業 宮崎県では、およそ3万年前の旧石器時代の遺跡が見つかっています。かつて宮崎県は5つの郡から成る日向国(ひゅうがのくに)と呼ばれ、国の中枢は現在の西都(さいと)市に置かれました。平安時代には多くの荘園(しょうえん)が誕生、現在の都城(みやこのじょう)市には「島津荘」と呼ばれた国内最大の荘園も存在しました。 後に、鎌倉幕府の御家人(ごけにん)であった惟宗忠久(これむねただひさ)が島津氏を名乗り、伊豆国(いずのくに)から入国した伊東氏と勢力を二分しますが、豊臣秀吉の九州統一によって国割が改変。主に延岡(のべおか)や飫肥(おび)などの藩と、鹿児島の薩摩(さつま)藩や熊本の人吉(ひとよし)藩が支配する地域に分断されました。 明治4年の廃藩置県で延岡・飫肥・鹿児島・人吉・高鍋(たかなべ)・佐土原(さどわら)の6県が誕生。同年に美々津(みみつ)・都城の2県に分轄しますが、統合や合併などを経て同16年に現在の宮崎県が確立しました。 宮崎県は戦後主に電力の確保に力を入れ、各地域に水力発電所を設置します。昭和29年には宮崎空港が開港し、観光の基盤が続々と整備されました。同62年に施行された総合保養地整備法(リゾート法)では、「宮崎・日南海岸リゾート構想」が第1号の指定を受けています。 古くから農林業の盛んな宮崎県は、キュウリや柑橘(かんきつ)類、スギの丸太の素材生産量がそれぞれ全国1位。日向・延岡地区は、新産業都市として主に農産・林産の加工を担います。また宮崎市には、航空機や自動車部品、IT産業などの企業が進出しています。 面積と人口 宮崎県は面積約7,735㎢で、九州地方では鹿児島県に次いで2番目、全国では14番目の広さです。9市・14町・3村から成り(令和3年10月現在)、地域は延岡市などを含む「北部」、宮崎市などを含む「中部」、都城市などを含む「西部」、日南(にちなん)市などの「南部」に分かれます。 人口は1,081,654人で、全国では36番目です。県内でもっとも人口が多い市は宮崎市(400,816人)で、都城市(162,700人)、延岡市(120,013人)と続きます。(令和3年4月現在) 【参考】 国土地理協会「2021年4月調査 市町村別 人口・世帯数(日本人住民+外国人住民)」 県の位置と県庁所在地 九州地方の東経約130~131°、北緯約31~32°に位置するのが宮崎県です。宮崎県は黒潮の影響により年間を通して暖かく、快晴の日数は全国で1位、平均年間降水量も全国1位です。宮崎県は県面積のうち76%が森林で、南部には観光地として有名な日南海岸があります。 県庁所在地は宮崎市で、神武(じんむ)天皇をまつる宮﨑神宮、国の名勝・天然記念物に指定されている高千穂峡(たかちほきょう)などがあります。 県名の由来 宮崎地方には日本の初代天皇である神武天皇の皇居があったという伝説から、天皇を表す「宮」と、宮がある地または岬を表す「埼」がつながったと考えられています。平安時代の漢和辞書である「和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)、略して和名抄(わみょうしょう)」には「宮崎郡」の名称が記載されています。 宮崎県の文化 宮崎県の文化画像:宮崎県観光協会 宮崎県に伝わる文化のうち、主なものをご紹介いたします。 若山牧水(わかやまぼくすい) 若山牧水は日向市の出身の歌人で、現実をありのままに表現する「自然主義」の思潮を受け、43年の生涯でおよそ9千の歌を詠みました。「海の声」をはじめとする歌集のほか、紀行文や随筆、童話などの作品が残されています。「牧水」とは20歳のころから使いはじめたペンネームで、本名は「繁(しげる)」です。 日向神話 「古事記」や「日本書紀」に記された「日向神話」は宮崎県が舞台とされ、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の指示で孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)が神の国から高千穂に降り立つ場面からはじまります。息子の火遠理命(ほおりのみこと、山幸彦:やまさちひこ)の孫が神武天皇として国を統治するまでの物語は、現在も宮崎県で語り継がれています。
九州地方の東経約130~131°、北緯約31~32°に位置する都道府県は、なにと呼ばれていたか。
九州地方の東経約130~131°、北緯約31~32°に位置する都道府県は、5つの郡から成る日向国(ひゅうがのくに)と呼ばれた。
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地理
8 月 14 日 [日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点] 佐賀県嬉野市嬉野 439.5 ミリ 静岡県御殿場市御殿場 329.5 ミリ 長崎県松浦市松浦 301.5 ミリ 福岡県八女市黒木 301.0 ミリ 長野県王滝村御嶽山 292.5 ミリ 岐阜県中津川市付知 267.5 ミリ 熊本県山鹿市鹿北 260.5 ミリ 島根県津和野町津和野 236.5 ミリ 広島県佐伯区佐伯湯来 233.0 ミリ 山口県山口市徳佐 232.0 ミリ 滋賀県近江八幡市近江八幡 225.0 ミリ 大分県日田市椿ヶ鼻 222.0 ミリ 高知県馬路村魚梁瀬 218.0 ミリ 兵庫県養父市大屋 203.5 ミリ 鳥取県智頭町智頭 203.5 ミリ 岡山県鏡野町恩原 198.0 ミリ 宮崎県えびの市えびの 190.5 ミリ 神奈川県箱根町箱根 189.0 ミリ 徳島県那賀町木頭 188.5 ミリ 和歌山県田辺市護摩壇山 164.0 ミリ 京都府長岡京市長岡京 161.5 ミリ 石川県白山市白山白峰 111.0 ミリ 鹿児島県鹿屋市吉ケ別府 111.0 ミリ 福島県いわき市山田 108.5 ミリ 群馬県嬬恋村田代 103.5 ミリ 愛知県豊根村茶臼山 103.5 ミリ 8 月 15 日 [日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点] 神奈川県山北町丹沢湖 283.0 ミリ 静岡県伊豆市天城山 210.0 ミリ 東京都千代田区東京 138.5 ミリ 千葉県銚子市銚子 138.5 ミリ 茨城県鹿嶋市鹿嶋 134.0 ミリ 長野県王滝村御嶽山 131.0 ミリ 山梨県南部町南部 115.5 ミリ 宮崎県西米良村西米良 110.5 ミリ 奈良県十津川村風屋 101.5 ミリ 鹿児島県伊佐市大口 101.0 ミリ
8 月 14 日に日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点のうち、もっとも日降水量が多い地点を教えてください。
8 月 14 日に日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点のうち、もっとも日降水量が多い地点は佐賀県嬉野市嬉野で 439.5 ミリです。
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地理
47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「宮崎県」です。宮崎県は雄大な自然と数々の古墳、日本誕生の神話が残り、かつて地域ごとにさまざまな有力者が支配し、複雑な歴史をたどってきました。先人の偉業を大切に引き継ぎ、自然と産業、人々のつながりを基盤に発展する宮崎県の魅力をお楽しみください。 宮崎県の基本情報 はじめに、宮崎県の基本情報をご紹介いたします。 歴史と産業 宮崎県では、およそ3万年前の旧石器時代の遺跡が見つかっています。かつて宮崎県は5つの郡から成る日向国(ひゅうがのくに)と呼ばれ、国の中枢は現在の西都(さいと)市に置かれました。平安時代には多くの荘園(しょうえん)が誕生、現在の都城(みやこのじょう)市には「島津荘」と呼ばれた国内最大の荘園も存在しました。 後に、鎌倉幕府の御家人(ごけにん)であった惟宗忠久(これむねただひさ)が島津氏を名乗り、伊豆国(いずのくに)から入国した伊東氏と勢力を二分しますが、豊臣秀吉の九州統一によって国割が改変。主に延岡(のべおか)や飫肥(おび)などの藩と、鹿児島の薩摩(さつま)藩や熊本の人吉(ひとよし)藩が支配する地域に分断されました。 明治4年の廃藩置県で延岡・飫肥・鹿児島・人吉・高鍋(たかなべ)・佐土原(さどわら)の6県が誕生。同年に美々津(みみつ)・都城の2県に分轄しますが、統合や合併などを経て同16年に現在の宮崎県が確立しました。 宮崎県は戦後主に電力の確保に力を入れ、各地域に水力発電所を設置します。昭和29年には宮崎空港が開港し、観光の基盤が続々と整備されました。同62年に施行された総合保養地整備法(リゾート法)では、「宮崎・日南海岸リゾート構想」が第1号の指定を受けています。 古くから農林業の盛んな宮崎県は、キュウリや柑橘(かんきつ)類、スギの丸太の素材生産量がそれぞれ全国1位。日向・延岡地区は、新産業都市として主に農産・林産の加工を担います。また宮崎市には、航空機や自動車部品、IT産業などの企業が進出しています。 面積と人口 宮崎県は面積約7,735㎢で、九州地方では鹿児島県に次いで2番目、全国では14番目の広さです。9市・14町・3村から成り(令和3年10月現在)、地域は延岡市などを含む「北部」、宮崎市などを含む「中部」、都城市などを含む「西部」、日南(にちなん)市などの「南部」に分かれます。 人口は1,081,654人で、全国では36番目です。県内でもっとも人口が多い市は宮崎市(400,816人)で、都城市(162,700人)、延岡市(120,013人)と続きます。(令和3年4月現在) 【参考】 国土地理協会「2021年4月調査 市町村別 人口・世帯数(日本人住民+外国人住民)」 県の位置と県庁所在地 九州地方の東経約130~131°、北緯約31~32°に位置するのが宮崎県です。宮崎県は黒潮の影響により年間を通して暖かく、快晴の日数は全国で1位、平均年間降水量も全国1位です。宮崎県は県面積のうち76%が森林で、南部には観光地として有名な日南海岸があります。 県庁所在地は宮崎市で、神武(じんむ)天皇をまつる宮﨑神宮、国の名勝・天然記念物に指定されている高千穂峡(たかちほきょう)などがあります。 県名の由来 宮崎地方には日本の初代天皇である神武天皇の皇居があったという伝説から、天皇を表す「宮」と、宮がある地または岬を表す「埼」がつながったと考えられています。平安時代の漢和辞書である「和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)、略して和名抄(わみょうしょう)」には「宮崎郡」の名称が記載されています。 宮崎県の文化 宮崎県の文化画像:宮崎県観光協会 宮崎県に伝わる文化のうち、主なものをご紹介いたします。 若山牧水(わかやまぼくすい) 若山牧水は日向市の出身の歌人で、現実をありのままに表現する「自然主義」の思潮を受け、43年の生涯でおよそ9千の歌を詠みました。「海の声」をはじめとする歌集のほか、紀行文や随筆、童話などの作品が残されています。「牧水」とは20歳のころから使いはじめたペンネームで、本名は「繁(しげる)」です。 日向神話 「古事記」や「日本書紀」に記された「日向神話」は宮崎県が舞台とされ、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の指示で孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)が神の国から高千穂に降り立つ場面からはじまります。息子の火遠理命(ほおりのみこと、山幸彦:やまさちひこ)の孫が神武天皇として国を統治するまでの物語は、現在も宮崎県で語り継がれています。
九州地方の東経約130~131°、北緯約31~32°に位置する都道府県は、戦後なにを設置したか。
九州地方の東経約130~131°、北緯約31~32°に位置する都道府県は、戦後主に電力の確保に力を入れ、各地域に水力発電所を設置した。
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地理
地震・津波概要 概況 ア.概要及び初期対応 石川県能登地方珠洲市周辺では、2018年頃から地震回数が増加傾向にあり、2020年12月から地震活動が活発になり、2021年7月頃からさらに活発になっていた。2023年5月5日にはマグニチュード (M)6.5の地震(最大震度6強)が発生し、以降、地震活動がさらに活発になっていたが、時間の経過 とともに地震の発生数は減少していた。 このような中で、2024年1月1日16時10分に、石川県能登地方を震源とするM7.6の地震が発生し、石川県輪島市、志賀町で震度7、七尾市、珠洲市、穴水町、能登町で震度6を観測した。また、石川県能登で長周期地震動階級4を観測したほか、北陸地方を中心に東北地方から中国・四国地方にかけて長周期地震動階級3〜1を観測した。気象庁はこの地震に対して、最初の地震波の検知から6.0秒後の16時10分16.0秒に緊急地震速報(警報)を発表した。 また、16時12分に新潟県、富山県及び石川県に津波警報を、北海道日本海沿岸南部から山口県にかけての日本海沿岸に津波注意報を発表した。その後、16時22分に石川県能登を大津波警報に、山形県、福井県及び兵庫県北部を津波警報に切り替え、北海道太平洋沿岸西部、北海道日本海沿岸北部及び九州地方の日本海沿岸に津波注意報を発表した(1月2日10時00分に解除)。この地震により、石川県の金沢で80cm、山形県の酒田で1mの津波を観測するなど、北海道から九州地方にかけて、日本海沿岸を中心に広い範囲で津波を観測した。また、現地調査の結果、新潟県上越市船見公園で5.9m(遡上高)などの津波による痕跡が認められた。この地震は地殻内で発生し、発震機構(CMT解)は北西-南東方向に圧力軸を持つ逆断層型であった。
2024年1月1日16時10分に発生した石川県能登地方を震源とするM7.6の地震が発生した時、石川県内でより高い震度を観測した場所を教えてください。
2024年1月1日16時10分に発生した石川県能登地方を震源とするM7.6の地震が発生した時、石川県内でより高い震度を観測した場所は輪島市と志賀町で震度7です。
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地理
47都道府県を順にご紹介するシリーズ、今回は「宮崎県」です。宮崎県は雄大な自然と数々の古墳、日本誕生の神話が残り、かつて地域ごとにさまざまな有力者が支配し、複雑な歴史をたどってきました。先人の偉業を大切に引き継ぎ、自然と産業、人々のつながりを基盤に発展する宮崎県の魅力をお楽しみください。 宮崎県の基本情報 はじめに、宮崎県の基本情報をご紹介いたします。 歴史と産業 宮崎県では、およそ3万年前の旧石器時代の遺跡が見つかっています。かつて宮崎県は5つの郡から成る日向国(ひゅうがのくに)と呼ばれ、国の中枢は現在の西都(さいと)市に置かれました。平安時代には多くの荘園(しょうえん)が誕生、現在の都城(みやこのじょう)市には「島津荘」と呼ばれた国内最大の荘園も存在しました。 後に、鎌倉幕府の御家人(ごけにん)であった惟宗忠久(これむねただひさ)が島津氏を名乗り、伊豆国(いずのくに)から入国した伊東氏と勢力を二分しますが、豊臣秀吉の九州統一によって国割が改変。主に延岡(のべおか)や飫肥(おび)などの藩と、鹿児島の薩摩(さつま)藩や熊本の人吉(ひとよし)藩が支配する地域に分断されました。 明治4年の廃藩置県で延岡・飫肥・鹿児島・人吉・高鍋(たかなべ)・佐土原(さどわら)の6県が誕生。同年に美々津(みみつ)・都城の2県に分轄しますが、統合や合併などを経て同16年に現在の宮崎県が確立しました。 宮崎県は戦後主に電力の確保に力を入れ、各地域に水力発電所を設置します。昭和29年には宮崎空港が開港し、観光の基盤が続々と整備されました。同62年に施行された総合保養地整備法(リゾート法)では、「宮崎・日南海岸リゾート構想」が第1号の指定を受けています。 古くから農林業の盛んな宮崎県は、キュウリや柑橘(かんきつ)類、スギの丸太の素材生産量がそれぞれ全国1位。日向・延岡地区は、新産業都市として主に農産・林産の加工を担います。また宮崎市には、航空機や自動車部品、IT産業などの企業が進出しています。 面積と人口 宮崎県は面積約7,735㎢で、九州地方では鹿児島県に次いで2番目、全国では14番目の広さです。9市・14町・3村から成り(令和3年10月現在)、地域は延岡市などを含む「北部」、宮崎市などを含む「中部」、都城市などを含む「西部」、日南(にちなん)市などの「南部」に分かれます。 人口は1,081,654人で、全国では36番目です。県内でもっとも人口が多い市は宮崎市(400,816人)で、都城市(162,700人)、延岡市(120,013人)と続きます。(令和3年4月現在) 【参考】 国土地理協会「2021年4月調査 市町村別 人口・世帯数(日本人住民+外国人住民)」 県の位置と県庁所在地 九州地方の東経約130~131°、北緯約31~32°に位置するのが宮崎県です。宮崎県は黒潮の影響により年間を通して暖かく、快晴の日数は全国で1位、平均年間降水量も全国1位です。宮崎県は県面積のうち76%が森林で、南部には観光地として有名な日南海岸があります。 県庁所在地は宮崎市で、神武(じんむ)天皇をまつる宮﨑神宮、国の名勝・天然記念物に指定されている高千穂峡(たかちほきょう)などがあります。 県名の由来 宮崎地方には日本の初代天皇である神武天皇の皇居があったという伝説から、天皇を表す「宮」と、宮がある地または岬を表す「埼」がつながったと考えられています。平安時代の漢和辞書である「和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)、略して和名抄(わみょうしょう)」には「宮崎郡」の名称が記載されています。 宮崎県の文化 宮崎県の文化画像:宮崎県観光協会 宮崎県に伝わる文化のうち、主なものをご紹介いたします。 若山牧水(わかやまぼくすい) 若山牧水は日向市の出身の歌人で、現実をありのままに表現する「自然主義」の思潮を受け、43年の生涯でおよそ9千の歌を詠みました。「海の声」をはじめとする歌集のほか、紀行文や随筆、童話などの作品が残されています。「牧水」とは20歳のころから使いはじめたペンネームで、本名は「繁(しげる)」です。 日向神話 「古事記」や「日本書紀」に記された「日向神話」は宮崎県が舞台とされ、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の指示で孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)が神の国から高千穂に降り立つ場面からはじまります。息子の火遠理命(ほおりのみこと、山幸彦:やまさちひこ)の孫が神武天皇として国を統治するまでの物語は、現在も宮崎県で語り継がれています。
九州地方の東経約130~131°、北緯約31~32°に位置する都道府県は、どのような気候か。
九州地方の東経約130~131°、北緯約31~32°に位置する都道府県は、黒潮の影響により年間を通して暖かく、快晴の日数は全国で1位、平均年間降水量も全国1位である。
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地理
8 月 14 日 [日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点] 佐賀県嬉野市嬉野 439.5 ミリ 静岡県御殿場市御殿場 329.5 ミリ 長崎県松浦市松浦 301.5 ミリ 福岡県八女市黒木 301.0 ミリ 長野県王滝村御嶽山 292.5 ミリ 岐阜県中津川市付知 267.5 ミリ 熊本県山鹿市鹿北 260.5 ミリ 島根県津和野町津和野 236.5 ミリ 広島県佐伯区佐伯湯来 233.0 ミリ 山口県山口市徳佐 232.0 ミリ 滋賀県近江八幡市近江八幡 225.0 ミリ 大分県日田市椿ヶ鼻 222.0 ミリ 高知県馬路村魚梁瀬 218.0 ミリ 兵庫県養父市大屋 203.5 ミリ 鳥取県智頭町智頭 203.5 ミリ 岡山県鏡野町恩原 198.0 ミリ 宮崎県えびの市えびの 190.5 ミリ 神奈川県箱根町箱根 189.0 ミリ 徳島県那賀町木頭 188.5 ミリ 和歌山県田辺市護摩壇山 164.0 ミリ 京都府長岡京市長岡京 161.5 ミリ 石川県白山市白山白峰 111.0 ミリ 鹿児島県鹿屋市吉ケ別府 111.0 ミリ 福島県いわき市山田 108.5 ミリ 群馬県嬬恋村田代 103.5 ミリ 愛知県豊根村茶臼山 103.5 ミリ 8 月 15 日 [日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点] 神奈川県山北町丹沢湖 283.0 ミリ 静岡県伊豆市天城山 210.0 ミリ 東京都千代田区東京 138.5 ミリ 千葉県銚子市銚子 138.5 ミリ 茨城県鹿嶋市鹿嶋 134.0 ミリ 長野県王滝村御嶽山 131.0 ミリ 山梨県南部町南部 115.5 ミリ 宮崎県西米良村西米良 110.5 ミリ 奈良県十津川村風屋 101.5 ミリ 鹿児島県伊佐市大口 101.0 ミリ
8 月 14 日に日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点のうち、もっとも日降水量が少ない地点を教えてください。
8 月 14 日に日降水量 100 ミリ以上を観測した主な地点のうち、もっとも日降水量が少ない地点は愛知県豊根村茶臼山で 103.5 ミリです。
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地理
鹿児島県は本土最南端に位置することから海外文化の影響を多大に受け、歴史上国内初となる諸事例を経験してきました。数々の偉人を輩出しつつ、激動の時代を乗り越えてきました。今回は、主な歴史をひも解きながら鹿児島県の魅力に迫ります。 鹿児島県の基本情報 はじめに、鹿児島県の基本情報からご覧ください。 歴史と産業 古くから大陸との交易が盛んだった鹿児島県を窓口として、日本に鉄砲やキリスト教が伝来したのは1540年代。窓口のひとつである種子島(たねがしま)には、すでに3万年以上前の旧石器時代から人々が生活していました。古代の南九州に居住した「熊襲(くまそ)」「隼人(はやと)」と呼ばれる部族は、8世紀ごろの政権にも関与したといわれます。 鎌倉時代には、惟宗忠久(これむねのただひさ)が島津(しまづ)家初代の島津忠久(ただひさ)を名乗り、薩摩(さつま)地方で勢力をふるいます。のちの17代当主島津義弘(よしひろ)は、1600年の関ヶ原の戦いで敗戦した後も交渉を重ね、薩摩・大隅(おおすみ)・日向(ひゅうが)の地を守りました。1851年、薩摩藩主となった28代当主島津斉彬(なりあきら)は、科学の知識を生かした采配(さいはい)で軍事増強を図ります。 1866年には、開国と倒幕に関わった薩摩藩と長州藩(現在の山口県)が「薩長同盟(さっちょうどうめい)」を締結。西郷隆盛(さいごうたかもり)らは幕府と交渉して平和的解決へと導き、大久保利通(おおくぼとしみち)らとともに明治政府を樹立しました。鹿児島県は1871年の廃藩置県により、誕生しました。1877年の西南戦争では、西郷率いる武士と政府軍による内乱が起こります。 鹿児島県では第二次世界大戦中、防衛の最前線として多くの基地が置かれました。知覧(ちらん)や出水(いずみ)などの飛行場は、特攻隊(とっこうたい)が飛び立ったことでも知られます。 鹿児島県は戦後野菜や果樹栽培、畜産などに力を入れ、現在の農業産出額は国内トップクラスを保っています。1952年にトカラ列島、翌年に奄美(あまみ)群島がアメリカから日本に復帰。1960年代にはロケットの打ち上げ施設が県内2ヵ所に建設され、「宇宙にもっとも近い」県として宇宙産業にも力を入れます。 2011年に九州新幹線鹿児島ルートが開通し、鹿児島~博多間を最速1時間17分で移動できるようになりました。 面積と人口 鹿児島県は面積約9,188㎢で、九州地方で1位、全国では10位の広さです。県内には約600の離島があり、うち26島が有人です。離島の総面積は約2,485㎢で県全体の約27%を占め、島の人口とともに全国1位です。鹿児島県は19市20町4村からなり(令和3年5月現在)、「鹿児島」「南薩(なんさつ)」「北薩(ほくさつ)」「姶良(あいら)・伊佐(いさ)」「大隅」「熊毛(くまげ)」「大島」の7つの地域に分かれます。 県人口は1,581,032人(令和3年4月1日現在)で、全国では24番目です。もっとも多いのは鹿児島市(600,890人)、次いで霧島(きりしま)市(124,623人)、鹿屋(かのや)市(101,722人)です(令和2年4月現在)。 【参考】 鹿児島県公式「月報(毎月推計人口)」 公益財団法人国土地理協会「2020年4月調査 市町村別 人口・世帯数(日本人住民+外国人住民)」 県の位置と県庁所在地 九州地方で北緯約27~32°、東経約128~131°に位置し、南北の距離は約590キロ、東西は約272キロにわたっているのが鹿児島県です。鹿児島県には桜島をはじめとする11の活火山があり、およそ半分は「シラス」と呼ばれる火山灰が積もった「シラス台地」でできています。 県庁所在地は鹿児島市で、桜島や鶴丸(つるまる)城跡、島津家別邸の「仙巌園(せんがんえん)」などの観光スポットが人気です。 県名の由来 8世紀の歴史書「続日本紀(しょくにほんぎ)」に、鹿児島の地名がはじめて登場します。鹿(しか)の子が多く生息していた説、火山を意味する「カグ」が変化した説、「かこ」と呼ばれた水夫(すいふ:船乗り)が多かった説など、県名の由来はさまざまです。 かつては桜島を鹿児島と呼びましたが、次第にその範囲が広がり、現在の鹿児島市や県全体を指すようになりました。
九州地方で北緯約27~32°、東経約128~131°に位置し、南北の距離は約590キロ、東西は約272キロにわたっている都道府県は、どのような経験をしてきたか。
九州地方で北緯約27~32°、東経約128~131°に位置し、南北の距離は約590キロ、東西は約272キロにわたっている都道府県は、本土最南端に位置することから海外文化の影響を多大に受け、歴史上国内初となる諸事例を経験してきた。
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地理
地震・津波概要 概況 ア.概要及び初期対応 石川県能登地方珠洲市周辺では、2018年頃から地震回数が増加傾向にあり、2020年12月から地震活動が活発になり、2021年7月頃からさらに活発になっていた。2023年5月5日にはマグニチュード (M)6.5の地震(最大震度6強)が発生し、以降、地震活動がさらに活発になっていたが、時間の経過 とともに地震の発生数は減少していた。 このような中で、2024年1月1日16時10分に、石川県能登地方を震源とするM7.6の地震が発生し、石川県輪島市、志賀町で震度7、七尾市、珠洲市、穴水町、能登町で震度6を観測した。また、石川県能登で長周期地震動階級4を観測したほか、北陸地方を中心に東北地方から中国・四国地方にかけて長周期地震動階級3〜1を観測した。気象庁はこの地震に対して、最初の地震波の検知から6.0秒後の16時10分16.0秒に緊急地震速報(警報)を発表した。 また、16時12分に新潟県、富山県及び石川県に津波警報を、北海道日本海沿岸南部から山口県にかけての日本海沿岸に津波注意報を発表した。その後、16時22分に石川県能登を大津波警報に、山形県、福井県及び兵庫県北部を津波警報に切り替え、北海道太平洋沿岸西部、北海道日本海沿岸北部及び九州地方の日本海沿岸に津波注意報を発表した(1月2日10時00分に解除)。この地震により、石川県の金沢で80cm、山形県の酒田で1mの津波を観測するなど、北海道から九州地方にかけて、日本海沿岸を中心に広い範囲で津波を観測した。また、現地調査の結果、新潟県上越市船見公園で5.9m(遡上高)などの津波による痕跡が認められた。この地震は地殻内で発生し、発震機構(CMT解)は北西-南東方向に圧力軸を持つ逆断層型であった。
2024年1月1日16時10分に発生した石川県能登地方を震源とするM7.6の地震が発生した時、石川県内でより低い震度を観測した場所を教えてください。
石川県能登地方を震源とするM7.6の地震が発生した結果、石川県内でより低い震度を観測した場所は七尾市、珠洲市、穴水町、能登町で震度6です。
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地理
鹿児島県は本土最南端に位置することから海外文化の影響を多大に受け、歴史上国内初となる諸事例を経験してきました。数々の偉人を輩出しつつ、激動の時代を乗り越えてきました。今回は、主な歴史をひも解きながら鹿児島県の魅力に迫ります。 鹿児島県の基本情報 はじめに、鹿児島県の基本情報からご覧ください。 歴史と産業 古くから大陸との交易が盛んだった鹿児島県を窓口として、日本に鉄砲やキリスト教が伝来したのは1540年代。窓口のひとつである種子島(たねがしま)には、すでに3万年以上前の旧石器時代から人々が生活していました。古代の南九州に居住した「熊襲(くまそ)」「隼人(はやと)」と呼ばれる部族は、8世紀ごろの政権にも関与したといわれます。 鎌倉時代には、惟宗忠久(これむねのただひさ)が島津(しまづ)家初代の島津忠久(ただひさ)を名乗り、薩摩(さつま)地方で勢力をふるいます。のちの17代当主島津義弘(よしひろ)は、1600年の関ヶ原の戦いで敗戦した後も交渉を重ね、薩摩・大隅(おおすみ)・日向(ひゅうが)の地を守りました。1851年、薩摩藩主となった28代当主島津斉彬(なりあきら)は、科学の知識を生かした采配(さいはい)で軍事増強を図ります。 1866年には、開国と倒幕に関わった薩摩藩と長州藩(現在の山口県)が「薩長同盟(さっちょうどうめい)」を締結。西郷隆盛(さいごうたかもり)らは幕府と交渉して平和的解決へと導き、大久保利通(おおくぼとしみち)らとともに明治政府を樹立しました。鹿児島県は1871年の廃藩置県により、誕生しました。1877年の西南戦争では、西郷率いる武士と政府軍による内乱が起こります。 鹿児島県では第二次世界大戦中、防衛の最前線として多くの基地が置かれました。知覧(ちらん)や出水(いずみ)などの飛行場は、特攻隊(とっこうたい)が飛び立ったことでも知られます。 鹿児島県は戦後野菜や果樹栽培、畜産などに力を入れ、現在の農業産出額は国内トップクラスを保っています。1952年にトカラ列島、翌年に奄美(あまみ)群島がアメリカから日本に復帰。1960年代にはロケットの打ち上げ施設が県内2ヵ所に建設され、「宇宙にもっとも近い」県として宇宙産業にも力を入れます。 2011年に九州新幹線鹿児島ルートが開通し、鹿児島~博多間を最速1時間17分で移動できるようになりました。 面積と人口 鹿児島県は面積約9,188㎢で、九州地方で1位、全国では10位の広さです。県内には約600の離島があり、うち26島が有人です。離島の総面積は約2,485㎢で県全体の約27%を占め、島の人口とともに全国1位です。鹿児島県は19市20町4村からなり(令和3年5月現在)、「鹿児島」「南薩(なんさつ)」「北薩(ほくさつ)」「姶良(あいら)・伊佐(いさ)」「大隅」「熊毛(くまげ)」「大島」の7つの地域に分かれます。 県人口は1,581,032人(令和3年4月1日現在)で、全国では24番目です。もっとも多いのは鹿児島市(600,890人)、次いで霧島(きりしま)市(124,623人)、鹿屋(かのや)市(101,722人)です(令和2年4月現在)。 【参考】 鹿児島県公式「月報(毎月推計人口)」 公益財団法人国土地理協会「2020年4月調査 市町村別 人口・世帯数(日本人住民+外国人住民)」 県の位置と県庁所在地 九州地方で北緯約27~32°、東経約128~131°に位置し、南北の距離は約590キロ、東西は約272キロにわたっているのが鹿児島県です。鹿児島県には桜島をはじめとする11の活火山があり、およそ半分は「シラス」と呼ばれる火山灰が積もった「シラス台地」でできています。 県庁所在地は鹿児島市で、桜島や鶴丸(つるまる)城跡、島津家別邸の「仙巌園(せんがんえん)」などの観光スポットが人気です。 県名の由来 8世紀の歴史書「続日本紀(しょくにほんぎ)」に、鹿児島の地名がはじめて登場します。鹿(しか)の子が多く生息していた説、火山を意味する「カグ」が変化した説、「かこ」と呼ばれた水夫(すいふ:船乗り)が多かった説など、県名の由来はさまざまです。 かつては桜島を鹿児島と呼びましたが、次第にその範囲が広がり、現在の鹿児島市や県全体を指すようになりました。
九州地方で北緯約27~32°、東経約128~131°に位置し、南北の距離は約590キロ、東西は約272キロにわたっている都道府県は、どのように誕生したか。
九州地方で北緯約27~32°、東経約128~131°に位置し、南北の距離は約590キロ、東西は約272キロにわたっている都道府県は、1871年の廃藩置県により、誕生した。