text
stringlengths
2
1.42k
地域の夏祭りに参加しました。同じ地域に住んでいながら初めて目にする人の顔の多かったこと。別の言い方をすれば、地域内では極めて限られた人としかお付き合いしていない、ことを発見したのです。
更に別の見方をすれば、祭りほど多くの人が集まるイベントはない。「隣は何をする人ぞ」的な、近隣の人とかかわりたくない人が多いと指摘される中にあって、まだまだ捨てたものではないことも知ったのです。
景品の抽選会も人気の出しものでした。閉会前の時間を使って行いました。抽選会が終わってしまえば多くの人が家路についてしまう。そんな危惧からで予想は的中。最後までほとんどの方が残っていました。
祭りの生まれたのは遠い昔にさかのぼります。農耕民族であった日本の祖先の時代は、疫病や自然災害に全く無力だった。したがって実りの収穫も天任せの結果でした。
いきおい神や仏に祈り、感謝し、あるいは鎮めの儀式をしたことでしょう。それらが自然発生的な夏祭りの始まりであっただろうことは容易に想像のつくことです。
その点、現代人は自然界に謙虚だった先人に見習うべきことが多々あると思います。そんな祭りの意義を子どもたちに啓発しつつ、祭りを楽しみたい。そう思いながら参加した今年の夏祭りだったのです。
それに対して年齢を重ねていくと8月に寄せる思いもぐっと変わっていきます。若い時には見れども見えなかったもの、あるいは分かっていても本当には分かっていなかったことが、分かる、というより感じられるようになる。次回8月の季語などを通してその一端を見つめていきたいと思います。
昨日一昨日の2日間、「かわいい子には旅を...」のテーマで記しました。一人旅は頼る人がいない。注意してくれる人もいない。目的地まで真剣勝負。緊張の連続です。子どもを大きく飛躍させるのは当然なことでしょう。親離れ、子離れの大切さについても記しました。
偉そうなことを「言うは易く、行うは難し」ですね。そこで恐縮ながら、因みに身内の事例を紹介させていただければ、と思います。
「中学生になったら学校行事や現地の友達との交流関係もあって、これまでのように毎年は帰って来られなくなるね」。こちら日本側ではそう話し合っていました。
小学校は、14年まで。中学校もやはり4年制。高校も同様に4年制。これからの日本も地域によって。西欧と同じ制度を取り入れてよい、と最近報道がありましたね。その良さを認めたからでしょう。
話を戻して彼は今年日本なら、中3。つまり現地の高校1年生。友達との関係から帰国は出来なくなるだろう、と案じることもなかった。青い瞳の親友を連れて日本に。ウイーン少年合唱団の一員が来宅してくれたような夏休みになりました。
かくして彼はいつもの一人旅から外国人との二人旅となったのです。許してくれたご両親の心境を察し、敬意の念を抱きます。日本の国と日本人を信頼して下さったからでしょう。スカイプで長時間の国際電話を交わしました。
親子連れが当たり前の世、ニュースは「かわいい子には旅をさせよ」のことわざ・現代版と言えるでしょうか。この諺がもともと持っている本来の意味は、いとしい子なら敢えて世間の厳しさに遭わせよということであり、昔も今も変わらぬ教えです。
「不易流行」という言葉があります。今も昔も変わらないものが「不易」であるなら、一方時代の推移に応じ、変化を求め、相反するものの起こることが「流行」です。
ここで大切なのは、永遠に変わることのない本質の不易を忘れず、新たな流行も取り入れていく。その思いが不易流行の思想であり、意味でもあります。
歴史を遡れば、旅とは「徒歩」によるものでした。江戸時代には街道や、はたご等が整備されたことにより、前述の諺はいっそう積極的に言われるようになっていったといわれます。
現代は目覚ましい交通機関の発達など、旅を取り巻く環境が大きく変わりました。その交通機関を利用して現在は、冒頭のニュースのような旅も可能です。
江戸の旅は、追いはぎ、盗賊の危険を抱えていましたが、現在でもスリはいるし、江戸の世にはなかった旅に伴う大きなリスクが待っています。
例えば交通事故とは隣り合わせ。乗換など全神経を集中させなければ、遠く離れたとんでもない方向へと行ってしまう。切符の扱いなど、細かいことなど注意事項をあげれば、神経を集中させなければならないことでいっぱいです。
そんな一つ一つの危険や厳しい場面にあっても、一人旅ではいつもの頼る人はいない。自らの判断で乗り越えていかなければならない。脳はフル回転しつつも、逃げ出すことなどできない。そんな環境におかれてしまっているのです。
教科書では知識を学び、体験では生きる知恵を学ぶのです。夏休みならではの絶好の機会だと思います。
一事が万事なのでしょう。親子離れが出来るように、可能な限り危険なものから遠ざけることなく、さまざまな体験を積み重ねさせているに違いありません。
夏休み中の駅や空港は、旅に向かう家族連れの姿が目につき、いつもとは少し違う光景です。これから始まる未知の国への旅立ち。出発地で行き交う人々の表情は、明るく喜々としています。希望と期待に満ちた瞬間とは、こんなにも高揚感にあふれ、足取りまで軽くさせるものでしょうか。
繰り返しになりますが、旅とはもともと、今生の別れを覚悟の上での命がけのものだったのです。換言するなら、上の諺も時代の変化と共に死後になってしまったのでしょうか。必ずしもそうとは思いません。どのことわざにも時代を超えて心に響くものがあります。
深夜目が覚め、偶然NHK「ラジオ深夜便」から流れている、渡り鳥の驚異的なパワーの源について知る機会を得ました。
子どもたちと同じように、この疑問に目を輝かせ、そのヒントに気づいた遠い先人たちがいたお陰で、今日の飛行機が発明され、ヘリコプターが生まれました。
更に続きます。「鶏はもともとは飛んでいた鳥。そのDNAが受け継がれているため、胸に同じ成分が含まれています」。
鶏胸肉からその成分を抽出し、配合したドリンク剤が臨床試験を経て、現在大々的な宣伝とともに通販などで販売されています。
「痛み」とは、その部分に異常な事態が起きていることを脳が感知し感じさせてくれる「異常サイン」であり、警告です。このサインを私たちは自覚症状と言っています。自覚症状は生命や健康を維持していく上で、もともと備わっている警告アラーム。人体の神秘さを感じさせられます。
なぜ発熱しているのか。インフルエンザの疑いがあるのか。肺炎は?もしや急性虫垂炎ではないか。医師の診断にゆだね、その原因を探し当ててもらうための貴重なデータなのです。
人体三大警告アラームの三つ目。それは「疲労」です。なーんだ、そんなことか。休めば回復する話じゃないか、と思われる方が多いかも知れません。
鬱を引き起こすさまざまな動物実験が報告されていますが、ここでは省略します。
この信号は経営のヒントにもなるような気がします。経営が順調にいっている時は、実は危機意識の自覚症状が鈍るのではないか。これでいいんだ、と過信や天狗は感覚を麻痺させていくのではないか。怖いことです。
20代の頃の山行きで忘れられない思い出があります。30人ほどの団体で夏登山に出かけました。めざしたのは福島県の磐梯山。日本百名山に数えられている標高1,816m。会津磐梯山とも、会津富士とも呼ばれ、親しまれている名山です。
その後、「血糖値の低下」について書かれているものを目にし、「これだった!」と思い当たったのです。
「人体は血液中の糖などをエネルギー源としているため、血糖値が低下するとエネルギーの補給が出来なくなり、血液中の糖濃度が著しく低下します。
具体的な例をあげてみましょう。よく知られている諺です。「リンゴが赤くなると医者が青くなる」。
また、その皮にはペクチンが含まれ、整腸作用を促し、コレステロールを排出するので大腸がん予防に効果があります。ペクチンだけではない。ポリフェノールも多く、活性酸素を抑え、がん予防に効果がある。最近の研究で、リンゴポリフェノールには肌の老化を防止する働きのあることが明らかになったそうです。(資料は「5訂日本食品標準成分表」より)。
植物には抗酸化物質が豊富に含まれています。ホウレンソウを初め、抗酸化物質を含む野菜や果物を食べることで体内に発生した過剰な活性酸素は、ビタミンCなどの手助けもあって無毒化してくれる。このかけがえのない働きを知ったのです。
アドレナリンは危機的状況に遭遇すると瞬時に分泌され、身を守り、あるいは立ち向かうなど、ピンチを切り抜けるエネルギー源の役目を果たしています。
現在でこそ、副腎髄質ホルモンの「アドレナリン」など、日常的によく聞く時代になりましたが、1930年頃の作品。およそ80年ほど前につくられたアニメながら、現代に通じる質の高さに感銘します。
今日は「海の日」。今月は「海の月間」。全国各地で海に関するイベントが展開されています。遠い昔より限りない恩恵を受けてきた海。身近な海を見つめ、親しみ、海の未来に思いを馳せるなど、海についての関心を深め、考え合う一日とすることは意義深いことだと思います。
日本は四方を海に囲まれた国。食を支えてきた魚介類などはもちろんのこと、外国からの文化が伝来してきたのも、外国との経済や文化交流を深め、発展させてきたのも海ですね。
が、知られざる謎に満ちた世界。試行錯誤の研究が続いています。海洋環境も新たな課題です。人類に残された最後の秘境、海。
る見果てぬ夢の世界への挑戦」が今世紀のキーワードと言えると思います。
「小よく大を制す」。大相撲の醍醐味とは何でしょう。その特徴をズバリ、表現したのがこの7文字です。
「窮鼠猫を噛む」場面を見たことがあるでしょうか。現在ユーチューブ上で見られますが、天敵に追い詰められた1匹のネズミが死に物狂いで立ち向かっています。
今、名古屋場所の土俵上ではスポットライトを浴びた関取力士の一番一番が、華々しく、全国津々浦々に届けられています。時代が違い練習方法も違っているでしょうが、いずれにせよ、彼らは厳しい練習に耐えて勝ち残った人々です。
昨日、「相撲人気や相撲の面白さが分からない」と語る人のことを紹介しました。その方は多分、このルールについて詳しく知らないのではないか。七転び八起きのルールが相撲を面白くさせているのです。
多くの人が相撲に魅せられるのは、そこに自分自身の生き方や、自社の経営の在り方を重ねるから。そして相撲の勝負の世界か学び、闘志をいただくためでしょう。
身内の知人、日本在住のある米国女性が率直に話してくれました。「相撲の良さが分からない。なぜ、日本ではあれほど相撲人気が高いのか。両国国技館へ行って実際に観戦してみたが、それでも分からない」。
また、建物についても。断熱性の悪い建物は屋根からも壁からも、そして窓からも熱を運ぶ放射熱の電磁波が放たれています。この点に着目すると、暑さは気温だけが原因ではないことが分かりますね。
以上の観点から、環境省は「気温と湿度と、地面や道路や建物などから放出される輻射熱」の3点をもとに温度の指標を作成。指標をもとに熱中症予防のための『暑さ指数(WBGT)』情報を提供しています。1954年、米国から始まりました。
高い気温や湿度の値から危機意識のイメージ化がされるように、暑さ指数の値につても同様の意識が期待され、多くの市では広報活動に力を入れています。
戦後日本人の寿命が大幅に伸びた要因について、前回冬の寒さから身を守ってくれるストーブが広く各家庭に普及したことがその一つであると記しました。
今一つの要因は、健康管理に役立つ医薬学についての関心がより高められたことでしょう。そこから知識を得、あるいは望ましい食生活や体力づくりなどについての意識向上などがあげられます。
背景に豊かな経済力の向上があったと思います。いずれにせよ関係者の啓発によって国民は無知な日常から開眼されてきたのです。
私たちは伝統的に生命の生存に関わる気温の限界ラインを体感的にも知っています。氷点下以下、あるいは40度以上が続く環境下での暮らしは耐えがたく身に危険が及ぶことを。
と言って危機ラインは気温だけではない。太陽が沈み気温が下がっても、快適さが戻るとは限らないのですから。
夏の夜の室内を見てみましょう。同じ摂氏28度前後であっても、湿度はさまざま。湿度の差によって快適さや不快感は大きく左右されます。
記録的な猛暑の続いた2010年、戸外は無論のこと、室内で過ごしていたにもかかわらず多数の熱中症・死亡者が出たのはこのためです。乳幼児や、特に暑さに体感が鈍いと言われる高齢者の割合が多かった。
これまで危険な冬から身を守るためにとられてきた防寒対策に比べれば、暑さ対策はこのようなきめ細かな状況への対応が十分とは言えなかった。そのことを高齢者らは死をもって教えてくれたと言えないでしょうか。
上述の暑さ指数は、その対策にヒントを与えてくれる貴重な情報です。明日記すこととします。
私たちは生命維持に適した気候と気温の中で生きています。が、1年12カ月の全てが最適温であるとは言い難い。快適な季節がある一方、厳しい極寒や猛暑のシーズンもあります。
戦後日本の平均寿命が飛躍的に伸びた要因の一つは、家庭でストーブが使われるようになったため、とはよく知られているところです。
人口約、4,600人の同町は「歴史とひのきの香る里」(公式ホームページ)をキャッチフレーズに町を紹介しています。
山間地の懐で暮らす人たちだけの問題ではありません。広くは防災のあり方から労災や交通事故防止への課題にも共通しています。
このことについて記述するのは別の機会にして、ここでは今回無言の問いかけを残したまま犠牲となった中一男子生徒を通して人の一生を見つめてみたいと思います。
進学、就職、結婚など・・・にも重ね合うものがあるでしょう。そんな節目もさることながら、人生は常に紙一重の差ではないかと思うのです。
これからと言う海斗君は理不尽な非業の死を遂げた。その死はきっと次の人々のために生かされるに違いないと祈るばかりです。
きょうもまた紙一重の一日が始まります。幸運な一日を!「気をつけて・・!」。
人の運不運や幸不幸は奇跡的な偶然、あるいは突然訪れる紙一重の差で運命づけられるものではないか。台風8号が日本列島に上陸しつつ、各地に記録的な被害をもたらしている爪痕を見ながら、そう感じるのです。
台風8号は今、沖縄に上陸し九州に向かっています。以後の進路に日本中が目を奪われている間、台風の「暴風域から遠く離れた長野県」で大きな災害が発生した驚きについての思いです。
長野の南木曽町一帯でも局地的な豪雨。町では「対策本部・設置を検討中」に土石流が発生してしまった。家族4人が巻き込まれる中、中学1年生の男子が死亡、という痛ましい犠牲のあったことが後に分かりました。
今回気象庁の発表がこれまでの数値・数量に加え、このような表現方法に変えたことは、イメージ化されて分かりやすく説得力があります。より行動化を促すだろうと期待されます。
日本列島縦断との見方もされていて、この先の進路が心配です。世の中には「想定外」なことが起こり得る。東日本大震災での教訓です。この教えを生かし、油断することなく台風来襲に備えたいと思います。
祈りの中には機織り機で先祖に捧げる衣をつくり、神聖な精霊棚に捧げたことにも触れました。どこか連想する話ではありませんか。そうです。七夕物語に登場する織姫伝説です。
「七夕」の話は多くの人たちに中国伝来と思われているようです。が、実際は少し違う。七夕の行事は日本にはなかったものの、日本古来の「豊作を祖霊に祈る」棚機津女(たなばたつめ)伝説はもともと我が国にあった。古事記にも記されているところです。
その後奈良時代に海を越えて伝わってきた古代中国の織姫伝説が重なり合い変化して、現在のような詩情豊かな「七夕伝説」が始められるようになりました。
平安の時代には、貴族は詩歌や裁縫や技芸の上達を願う祭事に。江戸の世になると一般庶民の間にも広がり、手習いごとの上達を願って営まれたと伝えられています。
ちなみに上に記した棚機(たなばた)の祈りは、七日の夕方に行われることから、「七夕」と書いて、「たなばた」と読んだ。それが語源です。
七夕物語はいつの世も、子供たちに天の川の世界へと誘い、壮大な宇宙への空想をかきたてるなど、興味関心の心を育てていますね。
今夜はあいにくの梅雨前線。それに接近する記録的な大型台風の影響で、日本全国のほとんどの地域で夜空を見上げることができません。子供たちには幼い日の夢を育み、いい思い出を小さな胸に刻んでもらうチャンスを逃したように思えます。
しかし、七夕は多くの地方で新暦で行われていますが、月遅れの8月7日の地方もあるそうです。もともとはお盆行事の一環。来月の盂蘭盆の月の夕こそは、と大人も子供も満天の星空を見上げることが出来れば、と願うところです。
最近の梅雨期は年によって、局所的な豪雨が多く見られます。数年前「ゲリラ豪雨」という新語まで生まれました。早くも台風8号が発生。進路が気がかりです。
亡き父親は農業を営んでいましたが、現在のように優れた薬剤があったわけではない。日夜心身をすり減らすほど命がけの苦労を重ねていました。
それよりずっと遠い昔は、ただひたすら天に祈祷するばかりだった。水辺に設えられた神棚に巫女が収穫の無事を祈り続けたと伝えられています。祈りの中には機織り機で、先祖に捧げる衣をつくり、その神聖な棚に捧げたと記録にあります。この話の続きは来週お届けしたいと思います。
この躍動する大地。そこには明るい陽の光がさしています。風が吹き雨が降っています。そのお陰で豊かな森がつくられ、大地は美しい花々で彩られ、更に海山の幸の恵みが届けられています。
万物は地球の営む恩恵を享受しつつ、一方、その環境下から逃れることはできない。植物はそのことを目に見える形で示してくれているように思うのです。このことから歳時記を語るのに、昨日太陽と地球の営みを見つめた次第です。
日本人が感性豊かな季語を数多くつくり、また、日本が多彩な歳時記で彩られた国であることは、よく言われる日本民族の才もさることながら、四季折々の豊かな自然の大地が、そのような日本人を育んできた、また、くれているからだと思うのです。
人類は宇宙に浮かぶ星「地球」で誕生しました。私たちはその中の「日本」と言う国土で生まれ、育まれ、生きています。そこに注がれる日の光も、雨も風も一様ではありません。全ては壮大な太陽活動のエネルギーがもたらしている。この現象が命の源です。
命の源をもう少し見つめてみましょう。私たちがいま呼吸をしている大地についてです。ここは生きとし生ける、あらゆる生きものを育む宇宙唯一のオアシス・地球。豊かな水をたたえている星でもあります。
遠い先人は、地球がもたらすこの営みを1日、1か月、1年と名付け、そこから暦を作りだしました。日本列島は北半球に浮かぶ島。雨や風の通り道に位置し、日ごと月ごとに気温の変化も多様です。やはり先人らはその変化の現象を春、夏、秋、冬と名付けました。
この思いを今日の日の「社長のつぶやきコーナー」執筆再開のご挨拶に代えさせて頂きます。今後とも経営ともども、格別なご指導、ご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。
富士山が世界文化遺産に登録されてから、山頂より初め見ることの出来た「日の出」です。テレビニュースの画面で、現地からの万歳!の明るくも興奮気味の声を聞きました。
成功したのは霞ヶ浦・海軍の初めのうちだけ。米軍は対処作戦をとるようになり、以後、目的到達前に次々と撃ち落されていった。繰り返してはならない、報われることのなかった哀れな作戦だったのです。
南九州市にも、『知覧特攻平和会館』があり、平和の尊さを語り伝えています。
この状況を描いたあるドラマでは、参加意思表明を促され、熟慮する間もなく決断をしたものの、その後、精神状態に変調をきたし、異常行動に走った姿が描かれています。
どおりで、展示中の手紙などからは、彼らのありのままの姿が伝わってきます。その背景を知らなければ、よくもこんなことまで書くことが許されたものだと、感心させられるとともに、疑問を持ってしまいます。厳しい軍にも、息抜きの配慮があった。寛大さの一面を知りました。