ID
stringlengths 13
13
| Category
stringclasses 12
values | Context
stringlengths 1
4.96k
| Question
stringlengths 7
248
| GroundtruthAnswer
stringlengths 2
663
|
|---|---|---|---|---|
JCRRAG_004601
|
国語
|
【日本の著名な作家】
[明治時代]
・二葉亭四迷(ふたばていしめい)の生没年は1864年〜1909年です。
・樋口一葉(ひぐちいちよう)の生没年は1872年〜1896年です。
・尾崎紅葉(おざきこうよう)の生没年は1868年〜1903年です。
・夏目漱石(なつめそうせき)の生没年は1867年〜1916年です。
・石川啄木(いしかわたくぼく)の生没年は1886年〜1912年です。
[大正~昭和(戦前)時代]
・芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)の生没年は1892年〜1927年です。
・武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)の生没年は1885年〜1976年です。
・江戸川乱歩(えどがわらんぽ)の生没年は1894年〜1965年です。
・横溝正史(よこみぞせいし)の生没年は1902年〜1981年です。
・谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)の生没年は1886年〜1965年です。
[昭和(戦中・戦後)時代]
・太宰治(だざいおさむ)の生没年は1909年〜1948年です。
・中原中也(なかはらちゅうや)の生没年は1907年〜1937年です。
・三島由紀夫(みしまゆきお)の生没年は1925年〜1970年です。
・安部公房(あべこうぼう)の生没年は1924年〜1993年です。
・寺山修二(てらやましゅうじ)の生没年は1935年〜1983年です。
|
大正~昭和(戦前)時代の作家のうち、名前がア行で始まり、生まれ年の下一桁が2の作家はいますか?
|
はい、大正~昭和(戦前)時代の作家のうち、名前がア行で始まり、生まれ年の下一桁が2の作家は芥川龍之介です。
|
JCRRAG_004602
|
国語
|
「〜たら」は、主に口語で使われる、「条件文」を作る文法のひとつです。
ここでは、非常に用法が多く理解が難しいと言われる「〜たら」への理解を深めましょう。
1. 「非過去」か「過去」かに分けて考える
条件文は、非過去(例:未来)と過去、どちらの事象を述べるときにも使えます。
なお恒常条件(Aの時は常にBになる)を述べる際も「〜たら」を使うことが可能ですが、恒常条件では「〜ば」など「〜たら」以外の形で条件文が作られることが多いため割愛します。
2-1. 非過去の場合
非過去の事象を述べる際の「〜たら」には、仮定条件、確定条件、反事実条件、問いかけ、終助詞としての使い方があります。
これをさらに細かく分類しましょう。
重要な指標は、「〜たら」の前に「もし」がつけられるかどうかです。
「〜たら」が含まれる文に例え「もし」や「もしも」がついていなくても、つけた場合に成立するかどうかを確認して見分けてください。
Yesの場合→その「〜たら」は、仮定条件あるいは反事実条件を述べる「〜たら」です。
Noの場合→その「~たら」は、確定条件や問いかけを述べる、あるいは終助詞としての「~たら」です。
さらにYesの場合、仮定条件か反事実条件かを見分けたい場合は、「実際に起こるかどうかわからないことを述べているか否か」で判断すると良いでしょう。
仮定条件は、まだ起こっていない、そして実際に起こるかどうかも未定の事柄について述べるものです。
例「雨が降ったら、遠足には行けないだろうな」
「もし有給がもらえたら、あのレストランに行けるかもしれない」
一方、反事実条件の「たら」は、事実に反していることを述べるとき、つまり実際には起こらなかったことAに対して、「もしAだったら結果や状況が違った」などの場合に使う表現です。
このように過去の出来事を述べる際に用いられることが多いですが、
・まだ結果は出ていないが、実現できない可能性が高いこと
・話者が現状を嘆いていること
など、非過去の事象を述べるときにも使われます。
例「もし宝くじが当たったら、一生遊んで暮らせるのに」
「もし手先が器用だったら、編み物ができるのに」
(中略)
2-2. 過去の場合
過去の事象を述べる際の「~たら」には、事実条件、反事実条件、発見や驚きとしての使い方があります。
(以下略)
|
「〜たら」が使われている文章について、その文章が未来のことを述べていて、「たら」の前に「もし」が付いているが、実際に起こる可能性が限りなく低い事柄に関する文章の場合、この「たら」はどのような使われ方をしているでしょうか。
|
「〜たら」が使われている文章について、その文章が未来のことを述べていて、「たら」の前に「もし」が付いているが、実際に起こる可能性が限りなく低い事柄に関する文章の場合、その「たら」は反事実条件の「たら」として使われています。
|
JCRRAG_004603
|
国語
|
【四字熟語の学習】
四字熟語はその名の通り、漢字4字で構成される熟語のことです。
漢字4文字で1つの言葉になっていれば、広い意味ではすべて「四字熟語」と言えますが、ここでは特に、ことわざや慣用句のような意味合いで使われる狭義の「四字熟語」を紹介します。
50音の行ごとに分けてあるので、それぞれの意味も併せて学習しましょう。
ア行
暗中模索(読み:あんちゅうもさく)暗闇の中で手探りで探すことや、手がかりがないまま色々とやってみることを意味します。
唯唯諾諾(読み:いいだくだく)言われるがままに従い、何でも従うさまを意味します。
以心伝心(読み:いしんでんしん)言葉を使わずに心情や思想を理解し合うことを意味します。
一期一会(読み:いちごいちえ)一生に一度の出会い、機会を意味します。
一蓮托生(読み:いちれんたくしょう)事の善悪にかかわらず最後まで行動や運命をともにすることを意味します。
一朝一夕(読み:いっちょういっせき)非常に短い期間であることを意味します。
温故知新(読み:おんこちしん)古い知識や経験を学び、新しい発見をすることを意味します。
カ行
臥薪嘗胆(読み:がしんしょうたん)辛い経験や苦難に耐え、成功を目指すことを意味します。
我田引水(読み:がでんいんすい)自分に都合のよいように説明したり、物事を運んだりすることを意味します。
牛飲馬食(読み:ぎゅういんばしょく)牛や馬のように、大量の飲食をすることを意味します。
旧態依然(読み:きゅうたいいぜん)古いままで変化がなく、進歩発展のないさまを意味します。
玉石混交(読み:ぎょくせきこんこう)すぐれたものとつまらないものが入り混じっている様子を意味します。
呉越同舟(読み:ごえつどうしゅう)仲の悪い人同士が同じ場所や状況にいることを意味します。
虎視眈々(読み:こしたんたん)敵や相手のすきを狙って油断なくチャンスを狙っているさまを意味します。
サ行
七転八起(読み:しちてんはっき)何度も失敗や困難を繰り返しても、立ち上がって努力することを意味します。
質実剛健(読み:しつじつごうけん)堅実で飾り気のなく、強くたくましいさまを意味します。
初志貫徹(読み:しょしかんてつ)初めに心に決めた志を最後まで貫き通すことを意味します。
支離滅裂(読み:しりめつれつ)ばらばらでまとまりがなく、筋が通っていないさまを意味します。
針小棒大(読み:しんしょうぼうだい)些細な物事でも大げさに誇張して言うことを意味します。
晴耕雨読(読み:せいこううどく)晴れた日に田畑を耕し、雨の日に読書などをすることを意味します。
千載一遇(読み:せんざいいちぐう)千年に一度あるか、ないかというほどの絶好の機会を意味します。
タ行
泰然自若(読み:たいぜんじじゃく)落ち着いて動じず、自信に満ちた態度であることを意味します。
大胆不敵(読み:だいたんふてき)度胸がありまったく恐れないことを意味します。
胆大心小(読み:たんだいしんしょう)大胆でありながら、細かな注意を払うことを意味します。
徹頭徹尾(読み:てっとうてつび)最初から最後まで徹底していることを意味します。
電光石火(読み:でんこうせっか)動きが非常に素早いことや、非常に短い時間であることを意味します。
当意即妙(読み:とういそくみょう)状況や相手の意図を見抜き、即座に適切な対応をすることを意味します。
ナ行
南船北馬(読み:なんせんほくば)全国を忙しく旅行することや、絶えず旅をしてせわしないことを意味します。
二律背反(読み:にりつはいはん)相反する二つの原則や法則が同時に成り立つことを意味します。
ハ行
馬耳東風(読み:ばじとうふう)他人の意見や批評を心にとめず聞き流すことを意味します。
万物流転(読み:ばんぶつるてん)この世にあるすべてのものは、絶えず変化し移り変わることを意味します。
粉骨砕身(読み:ふんこつさいしん)骨身を惜しまず、力の限り努力することを意味します。
本末転倒(読み:ほんまつてんとう)重要なことと些細なことを取り違えていることを意味します。
マ行
無知蒙昧(読み:むちもうまい)無知で理解がなく、浅はかな考えや愚かな行動をしてしまうことを意味します。
無念無想(読み:むねんむそう)無我の境地に入り、何も考えずに平静な状態であることを意味します。
明鏡止水(読み:めいきょうしすい)邪念がなく、清らかで澄んだ心境や状態であることを意味します。
ヤ行
優勝劣敗(読み:ゆうしょうれっぱい)優れた者が勝ち、劣った者が敗北することを意味します。
融通無碍(読み:ゆうずうむげ)何の障害もなく自由なさまを意味します。
ラ行
竜頭蛇尾(読み:りゅうとうだび)最初は勢いがあるが、最後は振るわないことを意味します。
理路整然(読み:りろせいぜん)論理的に整然とまとまっていることを意味します。
ワ行
和洋折衷(読み:わようせっちゅう)和風と洋風を合わせて調和させることを意味します。
|
ア行で始まる四字熟語で、なおかつ漢数字の「一」が含まれるもののうち、平仮名にしたときの文字数がもっとも少ないのはどれですか。
|
ア行で始まる四字熟語で、なおかつ漢数字の「一」が含まれるもののうち、平仮名にしたときの文字数がもっとも少ないのは「一期一会」です。
|
JCRRAG_004604
|
国語
|
100歳健康法
ドクターT
孔子曰く「吾、15にして学に志し、30にして立ち、40にして惑わず、50にして天命を知る。60にして耳順(耳にしたがう)、70にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず」
唐の詩人杜甫の詩・曲江(きょっこう)「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」
徒然草第7段「命長ければ辱多し。長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。」
明治以前については詳しい統計がなく、人間の寿命がどのくらいであったか定かではありませんが、明治中頃以降の統計からみるとおよそ40歳前後ではなかったかと思います。戦後日本人の平均寿命(0歳児の平均余命)は急速に伸びて、1947年に男性50歳、女性53歳だったものが、1960年には男性65歳、女性70歳、そして2015年には男性80歳、女性87歳となり、今世紀中には女性の平均寿命100歳超えも夢ではなさそうです。
高齢者の定義は65歳以上で年金も満額もらえるようになり、65歳~74歳までを前期高齢者、75歳以上を後期高齢者と呼んでいましたが、最近日本老年学会の提言がありました。65歳~74歳を準高齢者、75歳以上を高齢者、90歳以上を超高齢者と呼ぼうと言うのです。65歳~74歳は準ですから高齢者から外れることになります。すぐにではないかも知れませんが年金制度も変わってくるかも知れません。
私は1950年生まれ、その当時の男性の平均寿命(0歳児の平均余命)は60歳弱でしたので、2016年現在66歳となり、すでに平均寿命を超えたことになります。私の父は1895年(明治28年)生まれで1985年に90歳で出血性脳梗塞で亡くなりました。母は1915年(大正4年)生まれで2011年96歳老衰で亡くなりました。その時代に生きた人としては長寿であり、私は長寿の遺伝子を引き継いでいると思われます。
長寿の遺伝子に67年生きて来て経験したこと、それに医学の知識を加えて、ここに100歳まで健康で長生きする秘訣について書くことにしました。私の最初の著作「儲かる舟券の買い方」は読んでも儲からないと不評でしたが、この本を読んで実践すれば100歳まで健康で長生き出来るかどうかと言う実証は33年待って下さい。
|
私の父と母は何歳差でしたか。
|
私の父と母は20歳差でした。
|
JCRRAG_004605
|
国語
|
100歳健康法
ドクターT
明治以前については詳しい統計がなく、人間の寿命がどのくらいであったか定かではありませんが、明治中頃以降の統計からみるとおよそ40歳前後ではなかったかと思います。戦後日本人の平均寿命(0歳児の平均余命)は急速に伸びて、1947年に男性50歳、女性53歳だったものが、1960年には男性65歳、女性70歳、そして2015年には男性80歳、女性87歳となり、今世紀中には女性の平均寿命100歳超えも夢ではなさそうです。
高齢者の定義は65歳以上で年金も満額もらえるようになり、65歳~74歳までを前期高齢者、75歳以上を後期高齢者と呼んでいましたが、最近日本老年学会の提言がありました。65歳~74歳を準高齢者、75歳以上を高齢者、90歳以上を超高齢者と呼ぼうと言うのです。65歳~74歳は準ですから高齢者から外れることになります。すぐにではないかも知れませんが年金制度も変わってくるかも知れません。
私は1950年生まれ、その当時の男性の平均寿命(0歳児の平均余命)は60歳弱でしたので、2016年現在66歳となり、すでに平均寿命を超えたことになります。私の父は1895年(明治28年)生まれで1985年に90歳で出血性脳梗塞で亡くなりました。母は1915年(大正4年)生まれで2011年96歳老衰で亡くなりました。その時代に生きた人としては長寿であり、私は長寿の遺伝子を引き継いでいると思われます。
長寿の遺伝子に67年生きて来て経験したこと、それに医学の知識を加えて、ここに100歳まで健康で長生きする秘訣について書くことにしました。私の最初の著作「儲かる舟券の買い方」は読んでも儲からないと不評でしたが、この本を読んで実践すれば100歳まで健康で長生き出来るかどうかと言う実証は33年待って下さい。
|
私の母は夫が亡くなってから何年生きましたか。
|
私の母は夫が亡くなってから26年生きました。
|
JCRRAG_004606
|
国語
|
学習塾Kのテキストより抜粋
【小学校で習う画数の多い漢字】
小学生が覚えるべき漢字は、6年間で1,000文字を超えるほどの量があります。そのなかには、画数が多く形が複雑なものも少なくありません。
「難しい漢字はどんなものがあるの?」「画数が多いってどのくらい?」など、漢字の学習において不安を感じている方も多くいるのではないでしょうか。
このページでは、小学生が習う画数の多い漢字を一挙に紹介します。どんな種類を学習するのか事前に知っておき、漢字学習に備えましょう。
■小学生が習う画数の多い漢字ランキングTOP5(総合)
小学生が習う1,026字のなかで、画数が多い漢字はどのようなものがあるのかをみていきましょう。
小学校低学年ではそこまで難しい漢字は習いませんが、高学年になるにつれて漢字は難しくなり、画数が多いものがメインとなっていきます。
・1位 20画
[競] 読み:キョウ
[議] 読み:ギ
[護] 読み:ゴ
・2位 19画
[鏡] 読み:キョウ
[願] 読み:ガン
[識] 読み:シキ
[臓] 読み:ゾウ
[警] 読み:ケイ
・3位 18画
[曜] 読み:ヨウ
[顔] 読み:ガン
[題] 読み:ダイ
[類] 読み:ルイ
[験] 読み:ケン
[観] 読み:カン
[職] 読み:ショク
[織] 読み:シキ
[額] 読み:ガク
[臨] 読み:リン
[難] 読み:ナン
[簡] 読み:カン
・4位 17画
[績] 読み:セキ
[謝] 読み:シャ
[講] 読み:コウ
[覧] 読み:ラン
[優] 読み:ユウ
[縮] 読み:シュク
[厳] 読み:ゲン
・5位 16画
[頭] 読み:トウ
[親] 読み:シン
[薬] 読み:ヤク
[整] 読み:セイ
[橋] 読み:キョウ
[館] 読み:カン
[録] 読み:ロク
[積] 読み:セキ
[機] 読み:キ
[輸] 読み:ユ
[燃] 読み:ネン
[築] 読み:チク
[興] 読み:コウ
[衛] 読み:エイ
[奮] 読み:フン
[糖] 読み:トウ
[操] 読み:ソウ
[縦] 読み:ジュウ
[樹] 読み:ジュ
[鋼] 読み:コウ
[憲] 読み:ケン
[激] 読み:ゲキ
■小学生が習う画数の多い漢字ランキングTOP3(学年別)
次は、1年生から6年生のそれぞれで習う画数が多い漢字を、学年別に詳しくみていきましょう。
・小学1年生で習う画数の多い漢字ランキング
1位[森]12画 読み:シン
2位[校]10画 読み:コウ
3位[草]9画 読み:ソウ
3位[音]9画 読み:オン
・小学2年生で習う画数の多い漢字ランキング
1位[顔]18画 読み:ガン
1位[曜]18画 読み:ヨウ
2位[親]16画 読み:シン
2位[頭]16画 読み:トウ
3位[線]15画 読み:セン
・小学3年生で習う画数の多い漢字ランキング
1位[題]18画 読み:ダイ
2位[館]16画 読み:カン
2位[整]16画 読み:セイ
2位[橋]16画 読み:キョウ
2位[薬]16画 読み:ヤク
3位[横]15画 読み:オウ
3位[調]15画 読み:チョウ
3位[談]15画 読み:ダン
3位[箱]15画 読み:ハコ
・小学4年生で習う画数の多い漢字ランキング
1位[議]20画 読み:ギ
1位[競]20画 読み:キョウ
2位[願]19画 読み:ガン
2位[鏡]19画 読み:キョウ
3位[験]18画 読み:ケン
3位[観]18画 読み:カン
3位[類]18画 読み:ルイ
・小学5年生で習う画数の多い漢字ランキング
1位[護]20画 読み:ゴ
2位[識]19画 読み:シキ
3位[織]18画 読み:シキ
3位[額]18画 読み:ガク
3位[職]18画 読み:ショク
・小学6年生で習う画数の多い漢字ランキング
1位[警]19画 読み:ケイ
1位[臓]19画 読み:ゾウ
2位[簡]18画 読み:カン
2位[難]18画 読み:ナン
2位[臨]18画 読み:リン
3位[厳]17画 読み:ゲン
3位[縮]17画 読み:シュク
3位[優]17画 読み:ユウ
3位[覧]17画 読み:ラン
|
学習塾Kのテキスト内で、「小学3年生で習う画数の多い漢字ランキング」に含まれており、「小学生が習う画数の多い漢字の総合ランキング」には含まれていない漢字のうち、部首がたけかんむりなのはどの漢字ですか?
|
学習塾Kのテキスト内で、「小学3年生で習う画数の多い漢字ランキング」に含まれており、「小学生が習う画数の多い漢字の総合ランキング」には含まれていない漢字のうち、部首がたけかんむりなのは「箱」という漢字です。
|
JCRRAG_004607
|
国語
|
山田、佐藤、安倍、河合、井手の5人は、1月1日未明に東京駅に集まった。
ミュージシャンの山田と佐藤は長髪だが、柔道部に所属する河合と井手の2人は坊主頭だ。そのため、河合と井手は真冬の風がとても冷たかった。
安倍は5人の中で唯一の女性で、ショートカットだった。
5人は揃って小田原行の電車に乗った。向かう先は江ノ島だ。彼らは江ノ島で初日の出を見るつもりだ。
寒さに震える山田と安倍は、車内でホットコーヒーを飲んだ。一方、佐藤、河合、井手の3人は、おつまみを片手にビールをぐいぐいと飲んだ。
乗換駅の藤沢に着くと、5人で言い合いが始まった。安倍と佐藤がタクシーで江ノ島まで移動することを提案したのだが、河合と井手、そして山田がそれに大反対したのだ。その時、3人は反対の理由を言わなかった。
そこで、提案した安倍と佐藤は、タクシー代の全額を払うと申し出た。すると、河合、井手、山田の3人は、タクシー移動に喜んで賛成した。タクシー代を払うのが嫌だったのだろうか。結局、安倍と佐藤はタクシー代を2人で割り勘して全額を支払った。
後で分かったことだが、井手は妻から貰えるお小遣いが毎月3000円しかなかったそうだ。安倍はその話を聞いて、いつも笑っていたそうだ。
江ノ島に着くと、初日の出の鑑賞を目当てに集まった人たちでごった返していた。5人は、静かにご来光を拝むことはできなかったものの、美しい初日の出を見ることができ、新年をすがすがしい気持ちで迎えることができた。
|
山田、佐藤、安倍、河合、井手の5人のうち、坊主頭で小田原行の電車に乗り、小遣いが月3000円だったのは誰ですか?
|
山田、佐藤、安倍、河合、井手の5人のうち、坊主頭で小田原行の電車に乗り、小遣いが月3000円だったのは井手です。
|
JCRRAG_004608
|
国語
|
第1章 短歌と俳句
短歌
5・7・5・7・7の5句31音で構成される和歌のことを短歌と呼びます。短歌の起源についてはっきりしたことは分かっていませんが、日本最古の和歌集『万葉集』の存在から、奈良時代には既に短歌は詠まれていたと考えられています。
和歌とは中国の漢詩に対して発生した名称で、短歌のほかに長歌(ながうた)や旋頭歌(せどうか)、片歌(かたうた)といった種類がありました。しかし平安時代以降、短歌以外の和歌はほとんど詠まれなくなり、和歌と言えば主に短歌のことを指すようになりました。
歴史の中で脈々と受け継がれてきた短歌ですが、明治時代になると正岡子規(まさおか しき)によって短歌の革新運動が起こります。旧来の伝統にとらわれず、新しい表現方法を取り入れる革新が起こったことで、短歌の世界はより多くの人が楽しめるものへと広がっていきました。
俳句
俳句とは、5・7・5の17音でつくる詩のことで、世界一短い詩といわれています。「季語」という季節を表す言葉を入れるというルールがあります。
俳句は短歌から派生して生まれました。平安時代には主に貴族の間で親しまれた短歌は、室町時代になると上の句(5・7・5)と下の句(7・7)を別々の人が読む「連歌」となって庶民の間にも流行します。次第に、旧来の伝統にとらわれず洒落や言葉遊びなどを交えた歌が作られるようになり、そういった歌は「愉快な」という意味を持つ「俳諧」や「俳諧の連歌」と呼ばれました。江戸時代に松尾芭蕉が「蕉風(しょうふう)」と呼ばれる独自の作風を打ち立て、俳諧は芸術にまで高められました。そのころから発句(季語を必ず入れる前半の5・7・5)が句の中心となっていきます。
明治時代になると、俳諧の革新を提唱した正岡子規によって発句は名称を「俳句」と改められ、一般に定着します。発句の形式が俳句として定着したことで、俳句は短詩型文芸として確立され、今日まで続く日本の代表的な文芸のひとつとなりました。
|
連歌の下の句は何音ですか。
|
下の句は14音です。
|
JCRRAG_004609
|
国語
|
学振PDの出産・育児3 非常勤講師の仕事
2021年1月に出産予定ということが判明した時点で、まず考えなくてはいけない手続きの2つめは非常勤講師の仕事をどうするかということでした。結論から言うと、私の場合、コロナの影響ですべての講義がオンラインorオンデマンドだったことが幸いしました。
出産に関わってくる2020年度後期は、3コマの講義を担当予定で、そのうち1コマがリアルタイムのオンライン配信、2コマがオンデマンド配信でした。リアルタイム配信は1月に1回だけ講義がありましたが、それは休講とし、代わりに年内に補講を行いました。また、オンデマンド配信については年内にすべての動画を配信しておき、学生さんには自分のペースで受講していただきました。最後2回分の講義のフィードバックは、出産が済んだあとで文章にして別途アップロードしました。
どの大学に対しても、安定期に入るのを待って、出産予定の旨を窓口になってくださっている専任の先生にメールで報告させていただきました。その際、上記のような対応を取ることを希望していることを伝え、これで何か大学的に問題がないかどうかを確認していただきました。
つまり私は、非常勤講師の仕事については産休・育休を取らなかったということになります。取る場合にどのような手続きが必要になるのかも全く調べませんでした。すべてコロナと、出産予定時期が1月という学期末の時期だったために可能になった綱渡りということになります。
この綱渡りで非常勤の仕事を辞めないで済んだのは大変ありがたかったのですが、つらかったのは採点作業でした。3コマ中1コマは、子の誕生が少し遅れたこともあり、出産前に最終レポートの採点を終えることができました。しかし残り2コマは、産後1週間程度休んだ段階で、早速採点をしなければ間に合いませんでした。幸い夫が育児休暇的な休みを2週間だけ取っていたので、そこでなんとか手が空いたときに少しずつ進めていきました。
今思うと、こういうちょっとずつの無理が積み重なっていき、生後7ヶ月半で保育園に入れる直前までにはかなりの疲れやストレスがあったと感じます。本当なら休みたかったです。でも、ポスドクにとって、非常勤の仕事を手放すことほど恐ろしいことはないのではないでしょうか。こういう状況は改善されてほしいです。
ちなみに、産後3ヶ月のころにスタートした2021年度は、本来であれば前期2コマ、後期4コマの講義を担当する予定でした。しかし通年出講予定の大学でフルオンデマンドが選択できなかったため、特に前期は出講が不可能であったこともあり、代わりの人にお願いしました。そのため前期1コマ、後期3コマとなり、保育園が始まる前の前期1コマは家族に協力してもらったり、子どもが寝たあとの時間で準備をしてオンデマンド配信をしました。
そのため、学振PDについては採用中断期間を取りましたが、非常勤の仕事を途切れさせたことはありません。でも、これも本当にプレッシャーで、たった1コマと思われるかもしれないけれど、毎週のように涙を流して準備していました。人によっては、私が出産・育児を経てもある程度変わらず仕事をしていることを褒めてくださいます。それについては嫌な気はもちろんしないものですが、しかし主観的には本当につらい時期だったということだけは、忘れないでおきたいと思っています。
|
私は2021年度に、本来であれば合計何コマの講義を担当する予定でしたか?
|
私は2021年度に、本来であれば合計6コマの講義を担当する予定でした。
|
JCRRAG_004610
|
国語
|
2.2 本論文で対象とする接続表現
接続詞は「要素と要素をつなぐ言葉」と定義され,文と文,句と句,語と語をつなぐ機能を持つ.その中で本稿では,おもに文頭におかれ,前文脈を踏まえて後文脈に来る内容を予告し,読み手の理解を助ける機能を持つ表現に限定する.接続詞は品詞論上の概念であり,他の隣接する品詞(例えば副詞)との境界を定義するには厳密な議論が必要なため,我々は石黒ら(2009)と同様にこれを「接続表現」と呼称する.
接続表現には「しかし」「まず」といった誰もが接続詞と認める表現の他に,「結果として」「だからこそ」のような複数の形態素から構成される複合表現も含める.複合表現では「結局」を基本要素とすると,後ろに機能語を付けることにより「結局は」「結局のところ」と派生表現を生成することができる.派生表現は機能語の組み合わせにより無数に存在し得るが,構成要素数が長くなるほど既存の接続詞の概念から逸脱し,実際の出現頻度も限られてくる.そのため紙面が限られる辞典においては,基本的な接続表現を記載する一方,多くの派生表現は記載していないのが現状である.
2.3 接続表現リストの構築
接続表現の収集については仁科ら(2017)に詳しいが,ここでは,後の議論の理解のために収集方法を概説する.2.1節の「BCCWJ*」および「科学技術」に対し,3.3節で述べるUniDicと形態素解析ツールMeCabを用いて形態素解析したものをデータベースとし,次の1)から4)の作業をおこなった.1)データベースからUniDicの定める語の単位の5単位までの表現をコーパス中の文において文頭から読点まで抽出する.2)接続表現の対象に該当しない記号,数字,アルファベットなどを排除する.3)2)で示した不要なものを排除後,表現ごとに集計し頻度順に並べ替え上位1,000番目までのリストを作成する.4)得られた表現を対象に接続表現に該当するか否かを1項目ずつ筆者ら4名で検討した.検討においては,石黒(2008)など接続表現を扱った各種資料を参照するとともに,「人称代名詞」「時を表す表現」「場所を表す表現」「感情を表す表現」「感動詞」「フィラー」「副詞のみの機能と判断される表現」に該当する表現は排除した.その結果,1,000項目の候補リストから523項目の接続表現リストが得られた.この作業により既存辞書を用いずに高頻度で出現する接続表現を網羅的に収集することができた.
なお,指示語由来の表現(「そのうえ」,「こうして」など)は,文頭で出現する場合は前文脈のいずれかと照応していることがはっきりしているため,おのずと接続表現の要件を満たすが,後文脈において格要素になり得る表現(「それは」,「これが」など)は接続表現と認定しない.
|
接続表現から排除されたものは何項目ですか?
|
接続表現から排除されたものは477項目です。
|
JCRRAG_004611
|
国語
|
俳句は、日本の伝統的な短い詩の形式であり、その美しさと奥深さで世界中から称賛されています。ある短い詩が俳句であるかどうかを判定するには、以下をチェックする必要があります。
まず、詩の中に切れ字があるか確認します。切れ字は、俳句において句の区切りを示す特殊な言葉です。切れ字には、「や」、「けり」、「かな」、「なり」などがあり、句のリズムや意味を強調し、読む者に余韻を残す役割を果たします。例えば、「古池や 蛙飛び込む 水の音」という俳句の「や」、「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の「なり」が切れ字です。切れ字が含まれていることで、俳句は一層味わい深いものとなります。切れ字が入っているならば、その詩は俳句である可能性が高いでしょう。
次に、詩の音節数について確認します。俳句は、5-7-5の音節構成を持つ短い詩です。最初の行が5音節、次の行が7音節、最後の行が5音節で構成されており、合計17音節です。この音節数の構成は、俳句のリズムと美しさを形作る基本的な要素です。例えば、「古池や 蛙飛び込む 水の音」という俳句は、この5-7-5の音節構成を完璧に守っています。
最後に、詩の中に季語があるかを確認します。季語は、俳句に季節感を与えるために使われる言葉です。季語は、その季節を象徴し、俳句に自然との結びつきを持たせる機能を果たします。例えば、春の季語には「桜」や「花見」や「春風」、夏の季語には「蛍」や「海」、秋の季語には「月」や「紅葉」、冬の季語には「雪」や「霜」などがあります。季語が含まれることで、俳句は特定の季節や自然の風景を鮮やかに描写することができるのです。
俳句は以上の条件を全て満たす詩であり、1つでも満たさなければ、俳句以外の形式だということになります。
【分析対象】
1. 春風や 梢を揺らす あたたかさ
2. 星明り 川面に映る 蛍かな
3. 晴れ渡る 空に紅葉の 錦かな
4. 雪の中 夜は静かに 更けにけり
5. 風に舞い 一つ散りゆく 桜かな
|
分析対象「2.」は、俳句と言えますか?
|
はい、分析対象「2.」は、俳句と言えます。
|
JCRRAG_004612
|
国語
|
俳句は、日本の伝統的な短い詩の形式であり、その美しさと奥深さで世界中から称賛されています。ある短い詩が俳句であるかどうかを判定するには、以下をチェックする必要があります。
まず、詩の中に切れ字があるか確認します。切れ字は、俳句において句の区切りを示す特殊な言葉です。切れ字には、「や」、「けり」、「かな」、「なり」などがあり、句のリズムや意味を強調し、読む者に余韻を残す役割を果たします。例えば、「古池や 蛙飛び込む 水の音」という俳句の「や」、「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の「なり」が切れ字です。切れ字が含まれていることで、俳句は一層味わい深いものとなります。切れ字が入っているならば、その詩は俳句である可能性が高いでしょう。
次に、詩の音節数について確認します。俳句は、5-7-5の音節構成を持つ短い詩です。最初の行が5音節、次の行が7音節、最後の行が5音節で構成されており、合計17音節です。この音節数の構成は、俳句のリズムと美しさを形作る基本的な要素です。例えば、「古池や 蛙飛び込む 水の音」という俳句は、この5-7-5の音節構成を完璧に守っています。
最後に、詩の中に季語があるかを確認します。季語は、俳句に季節感を与えるために使われる言葉です。季語は、その季節を象徴し、俳句に自然との結びつきを持たせる機能を果たします。例えば、春の季語には「桜」や「花見」や「春風」、夏の季語には「蛍」や「海」、秋の季語には「月」や「紅葉」、冬の季語には「雪」や「霜」などがあります。季語が含まれることで、俳句は特定の季節や自然の風景を鮮やかに描写することができるのです。
俳句は以上の条件を全て満たす詩であり、1つでも満たさなければ、俳句以外の形式だということになります。
【分析対象】
1. 春風や 梢を揺らす あたたかさ
2. 星明り 川面に映る 蛍かな
3. 晴れ渡る 空に紅葉の 錦かな
4. 雪の中 夜は静かに 更けにけり
5. 風に舞い 一つ散りゆく 桜かな
|
分析対象「5.」は、俳句ですか?
|
はい、分析対象「5.」は、俳句です。
|
JCRRAG_004613
|
国語
|
【動詞の活用の種類】
ここでは、動詞の活用の種類について学びましょう。
動詞の活用には、五段活用、上一段活用、下一段活用、カ行変格活用、サ行変格活用の5種類があります。
以下の質問に従って見分けることで、動詞の活用の種類を分類することが可能です。
早速やってみましょう。
1. その動詞の終止形は「くる」ですか?
→上記に該当しない場合は、2に進んでください。
→上記に該当する場合は、以下のとおりです。
・「くる」=カ行変格活用
なお、カ行変格活用に該当するのは「くる」のみです。
2. その動詞の終止形は「する」あるいは「〜する(ずる)」ですか?
※「~する(ずる)」とは、「勉強する」や「愛する」など、他の言葉と結びついてできた複合動詞を指します。
→上記に該当しない場合は、3に進んでください。
→上記に該当する場合は、以下のとおりです。
・「する」=サ行変格活用
・「~する(ずる)」=サ行変格活用
なお、サ行変格活用に該当するのはこの2パターンのみです。
3. その動詞の終止形は「ある」ですか?
→上記に該当しない場合は、4に進んでください。
→上記に該当する場合は、以下のとおりです。
・「ある」=五段活用
なお、五段活用は「ある」以外の動詞にも該当しますが、「ある」は4で行う見分け方で分類できない例外となります。
4. その動詞に「ない」をつけたとき、直前の文字の母音は何になりますか?
→アの場合=五段活用
→イの場合=上一段活用
→エの場合=下一段活用
(例)「書く」の場合、「ない」をつけると「書かない」となり、直前の文字「か」の母音はア、すなわち「書く」は五段活用です。
|
終止形が「くる」でなく、「する」あるいは「〜する(ずる)」でもなく、「ある」でもない動詞に「ない」をつけると直前の文字の母音が「エ」だったのですが、これは何段活用ですか。
|
終止形が「くる」でなく、「する」あるいは「〜する(ずる)」でもなく、「ある」でもない動詞に「ない」をつけ、直前の文字の母音が「エ」になった場合、下一段活用に該当します。
|
JCRRAG_004614
|
国語
|
高校生は「人口減」という文字列を見ても、あまり強い反応は示さないと思います。「だんだん出生数が減っているんでしょ?」という以上のことまで想像が及ばないかも知れない。
報道によれば、去年の出生数は72万6千人、前年比5.8%減です。これは「ああ、そうですか」で済まされる数字ではありません。かなりすごい数字です。このペースで出生数が減り続けると、5年後には出生数は51万人。10年後には38万人になります。僕は1950年生まれですが、出生数234万人でした。僕の子ども時代の学校の風景が今とはまったく違ったものであることは想像できると思います。
人口減した日本では経済はどうなるのか、年金制度や健康保険制度は維持できるのか、移民は受け入れるのかとか、メディアでは議論がなされていますけれど、受験生にとって一番現実的な問題は大学のことです。
人口減のプラス点は「大学に入るのが相対的に簡単になる」ことです。大学は定員をそんな簡単には減らせません。出生数が5.8%減だから定員も5.8%減にするというわけにはゆかない。だから、ほとんどの大学はどこも定員割れの学部学科を抱えることになります。そういうところには簡単に入学できます。受験生にとっては朗報です。でも、マイナス点もある。 それは定員を満たせない学部学科を抱える大学はいずれ廃校になるリスクがあるということです。
お隣の韓国ではもう大学廃校が日常的なニュースになっています。このままだと、いずれソウル近郊以外にはほとんど高等教育機関がない国になるでしょう。日本も放置しておけば、そうなります。
もちろん入学した大学が在学中に廃校になるということはありません。卒業するまで学習権は保証してくれます。でも、卒業後に「卒業した大学がなくなる」可能性はあります。「どの大学出身ですか?」と訊かれて「もうなくなっちゃった大学なんですけど・・・」と答えるのはたぶんすごく切ないことだと思います。
ですから、これからの受験生は「楽して、簡単な大学に入れるメリット」と「廃校になった学校の卒業生になるデメリット」を比較考量して進学先を選択することが必要になります。面倒な話ですけれど。
人口減が続くと、これまで経験したことのない事態が生じます。生産年齢人口が減って、市場が縮減するわけですから、さまざまな産業が消滅します。でも、どの業界が、いつ、どうやって消滅するかは予測不能です。AIによって人間がこれまでしてきたどんな仕事が代替されるのかがよく分からないからです。医療や弁護士業務の相当部分がAIで代替されると予測する人がいます(外科手術はもうロボットが代行しています)。自動運転テクノロジーが実用化されたらドライバーという職業がなくなると予測する人もいます。いや、AI導入よりも低賃金労働者をこき使う方が安上がりだから、肉体労働はなくならないと予測する人もいます。大規模な雇用消失が起きると社会がもたないから、テクノロジーの開発をいったん停止しようという科学技術抑制主義(techno-prudentialism)もアメリカやEUでは始まっています。未来は霧の中です。
では、どうしたらいいのか。僕にもわかりません。でも、いつの時代だって「未来は霧の中」だったんです。僕の時代は「いつ米ソで核戦争が始まるかわからない」という未来への不安が日常的でした。それに比べたら人口減なんか気楽なものだと言えば気楽なものです。そう思って笑っている方がよい知恵も浮かびます。きっと。
|
1950年の出生数は去年の出生数よりどのくらい多かったですか。
|
1950年の出生数は去年の出生数より161万4千人多かったです。
|
JCRRAG_004615
|
国語
|
1.はじめに
英語を学習する上で語彙の学習は不可欠であり,英語の4技能である「読む」「聞く」「書く」「話す」を身に付ける上で語彙は重要な役割を果たす。望月(1998)は,「語彙は第2言語の熟達度を示すもっとも信頼できる指標のひとつと考えられる」と指摘し,語彙の測定が英語の熟達度を表す方法であると示唆している。日本の小学校,中学校,高等学校等における教育は,文部科学省が定める学習指導要領に基づいて行われており,英語教育の目標や内容等についても学習指導要領で定められている。現在適用されている学習指導要領(以下,現行学習指導要領)は,小学校学習指導要領及び中学校学習指導要領は2017年に改訂され,それぞれ2020年4月,2021年4月から全面実施されている。高等学校学習指導要領は,2018年に改訂され,2022年4月から年次進行で実施されている。これらの改訂により,小学校高学年に外国語科が導入され,小学校から教科として英語を学習することとなった。また,授業で扱う語彙数については,小学校で600語程度,中学校で1600語程度,高等学校で1800語程度とされ,小学校高学年から高等学校までの8年間で4000語程度の語彙を学習することとされている。以前の学習指導要領(以下,旧学習指導要領)を見てみると,2008年度改訂の中学校学習指導要領では,1200語程度,2009年改訂の高等学校学習指導要領では,1800語程度の語彙を扱うこととされており,中学校及び高等学校で3000語程度の語彙を学習することとなっていた。
学習指導要領の改訂により各学校種で扱う語彙数が増加し,小学校から高等学校までの間に,以前よりも1000語程度多くの語彙を学習することとなった。高等専門学校(以下,高専)における英語教育については,国立高専のすべての学生が到達することを目標とする最低限の能力水準・修得内容や,高専教育のより一層の高度化を図るための指針を提示するモデルコアカリキュラムにより英語の学習内容や到達目標が定められている。2012年に策定された『モデルカリキュラム(試案)』(独立行政法人国立高等専門学校機構,2012)の中では,「中学校で既習の1200語程度の語彙を定着させるとともに,2600語程度の語彙を新たに習得する」と学習すべき語彙数が明示され,更に加えて「自分の専門に関する基本的な語彙を習得する」と到達目標が定められた。その後,2017年と2023年に改訂されたモデルカリキュラムでは,語彙に関する到達目標はそれぞれ「中学で既習の語彙の定着を図り,高等学校学習指導要領に準じた新出語彙,及び専門教育に必要となる英語専門用語を習得して適切に運用できる」(独立行政法人国立高等専門学校機構,2017),「中学校までに学習した語彙の定着を図り,高等学校指導要領に準じた新出語彙,及び専門教育に必要となる語彙を習得して適切に運用できる」(独立行政法人国立高等専門学校機構,2023)と改訂され,具体的な語彙数は明示されなくなった。しかし,高専においても小学校や中学校,高等学校で学習する語彙を定着させることや習得することが到達目標に含まれており,学習指導要領に示されている語彙数を無視することはできない。このような高専教育における語彙指導を取り巻く環境下において,岩崎(2017)では,望月(1998)により日本人英語学習者向けに開発された語彙サイズテストであるVocabulary Size Test(以下,VST)を用いて,旧中学校学習指導要領の改訂が,高専新入生の受容語彙サイズに与える影響が検証された。その結果,2008年に改訂された旧中学校学習指導要領が高専新入生の受容語彙サイズに与える影響はほとんどなく,入学年度間で有意な差はなかったことが明らかとなった。また同時に高専新入生は,中学校レベルの語彙の大部分を習得するとともに,高等学校レベルの語彙もある程度習得した上で入学していたことも示された。本研究では,2017年に9年ぶりに小学校及び中学校学習指導要領が改訂されたことを受けて,高専に入学してくる学生の受容語彙サイズを改めて測定し,改訂された現行学習指導要領が,高専新入生の受容語彙サイズに影響を与えているかどうかを検証することとした。その際,岩崎(2017)と同様の手法を用いることとした。
|
現行学習指導要領では、小学校で扱われる語彙数は中学校で扱われる語彙数の何倍になっていますか。
|
現行学習指導要領では、小学校で扱われる語彙数は中学校で扱われる語彙数の0.375倍になっています。
|
JCRRAG_004616
|
国語
|
第1章 短歌と俳句
短歌
5・7・5・7・7の5句31音で構成される和歌のことを短歌と呼びます。短歌の起源についてはっきりしたことは分かっていませんが、日本最古の和歌集『万葉集』の存在から、奈良時代には既に短歌は詠まれていたと考えられています。
和歌とは中国の漢詩に対して発生した名称で、短歌のほかに長歌(ながうた)や旋頭歌(せどうか)、片歌(かたうた)といった種類がありました。しかし平安時代以降、短歌以外の和歌はほとんど詠まれなくなり、和歌と言えば主に短歌のことを指すようになりました。
歴史の中で脈々と受け継がれてきた短歌ですが、明治時代になると正岡子規(まさおか しき)によって短歌の革新運動が起こります。旧来の伝統にとらわれず、新しい表現方法を取り入れる革新が起こったことで、短歌の世界はより多くの人が楽しめるものへと広がっていきました。
俳句
俳句とは、5・7・5の17音でつくる詩のことで、世界一短い詩といわれています。「季語」という季節を表す言葉を入れるというルールがあります。
俳句は短歌から派生して生まれました。平安時代には主に貴族の間で親しまれた短歌は、室町時代になると上の句(5・7・5)と下の句(7・7)を別々の人が読む「連歌」となって庶民の間にも流行します。次第に、旧来の伝統にとらわれず洒落や言葉遊びなどを交えた歌が作られるようになり、そういった歌は「愉快な」という意味を持つ「俳諧」や「俳諧の連歌」と呼ばれました。江戸時代に松尾芭蕉が「蕉風(しょうふう)」と呼ばれる独自の作風を打ち立て、俳諧は芸術にまで高められました。そのころから発句(季語を必ず入れる前半の5・7・5)が句の中心となっていきます。
明治時代になると、俳諧の革新を提唱した正岡子規によって発句は名称を「俳句」と改められ、一般に定着します。発句の形式が俳句として定着したことで、俳句は短詩型文芸として確立され、今日まで続く日本の代表的な文芸のひとつとなりました。
|
連歌の上の句と下の句の音数の差は何音ですか。
|
連歌の上の句と下の句の音数の差は3音です。
|
JCRRAG_004617
|
国語
|
健康を考える前に金儲けを考えなさい!
健康を考える前に先立つものは金です。金がなければ食べるものも買えませんし、健康を維持するためのスポーツ、趣味で余暇を過ごす時間も取れません。仕事をして金を稼げるのはサラリーマンですと20台から定年(60~65歳)までの約45年くらいです。平均寿命が伸びて、就業人口の割合が減ってくると、年金機構も破綻しそうで、私も65歳を超えて満額年金をもらっていますが、月に15万もないくらいで、これだけでは余生を安心して過ごすことは出来ません。となると、親の残した遺産に頼るか、働けるうちに貯金をしておくか、金になる資産としてとっておくか、年をとっても働ける仕事を見つけるかです。私の父は知多で運送会社を創立しましたが、65歳くらいの時に大きな運送会社に吸収合併されて引退しました。年金もなかったようで、その後は母が教員免許を持っていたので、代用教員として働き、私たちの学資を出してくれました。父はホンダのスーパーカブに90歳くらいまで乗って、好きな囲碁を打ちに出かけていましたが、小遣いが無くなると蔵の中に貯め込んであった骨董品を売っては作っていました。一番の骨董品は本萱の天地柾の6寸盤とそれに見合う転がりそうな蛤と那智黒の碁石でしたが、300万で売れたそうです。私は母のお蔭で、東海中学・高校を出て、1年浪人して京都大学の理学部に入ることが出来ました。その頃は地球物理学と言う学問に憧れていましたが、学生運動が一番盛んな時で正規の授業が半年なかったのをよいこととして、囲碁部に入って碁ばかり打っていました。母からの仕送りは月に2万円ほどでしたから、下宿代と食費ですぐに消えてしまいました。家庭教師のアルバイトもしていましたが週4回やっても1万円くらいしかもらえませんでした。
|
私は年にいくらくらい年金をもらっていますか。
|
私は年に約180万円、年金をもらっています。
|
JCRRAG_004618
|
国語
|
[品詞の分類]
日本語の単語は、「動詞」「名詞」「形容詞」など10種類の品詞に分類できます。
ここでは、どのように分類するかをご説明しましょう。
まず、すべての単語は、付属語と自立語に分けられます。
単独で意味を表すものが自立語、そうでないものが付属語です。
付属語は、自立語の後にくっついて意味を付け加える働きをします。
1. 付属語
付属語は、活用するものと活用しないものの2種類に分かれます。
後に続く言葉によって形を変えるものは「活用する」、どんな言葉と組み合わせても変化しない単語は「活用しない」と考えましょう。
・活用するもの→助動詞(例:れる、られる、ない)
・活用しないもの→助詞(例:を、が、に)
2. 自立語
自立語も付属語と同様、活用するものと活用しないものに分けられます。
2-1. 活用する自立語
活用する自立語は用言とも呼ばれ、語尾の違いにより分類されます。
・述語のうち、言い切りの形が「だ」や「です」で終わるもの→形容動詞(例:綺麗だ、静かだ、幸せです)
・述語のうち、言い切りの形が「い」で終わるもの→形容詞(例:美しい、面白い、白い)
・述語のうち、言い切りの形がウ段で終わるもの→動詞(例:書く、渡る、食べる)
2-2. 活用しない自立語
活用しない自立語はまず、単独で主語になるか否かを見ます。
・主語になるもの→名詞(例:花、家、湖)
※なお名詞は体言とも呼ばれ、付属語を伴うことで修飾語の役割を果たすこともあります。
そして活用しない自立語で主語にならないものは、修飾語になるか否かでさらに細かく分かれます。
・修飾語になるもののうち、体言のみを修飾するもの→連体詞(例:この、いろんな)
・修飾語になるもののうち、主に用言を修飾するもの→副詞(例:ゆっくり、おそらく、少し)
活用しない自立語で主語にも修飾語にもならないものは、言葉の意味で見分けます。
前後の文や文節をつなぐ役割を持つものは接続詞、挨拶や呼びかけ、感動などを表すものは独立語と呼ばれ、感動詞に分類されます。
・修飾語にならないもののうち、接続語になるもの→接続詞(例:しかし、だから)
・修飾語にならないもののうち、独立語になるもの→感動詞(例:あら、もしもし、こんにちは)
|
単語の品詞が形容詞に分類されるのはどんな場合ですか。
|
単語の品詞が形容詞に分類されるのは、その単語が単独で意味を表し、活用があり、なおかつ言い切りの形が「い」で終わる場合です。
|
JCRRAG_004619
|
国語
|
【動詞の活用の種類】
ここでは、動詞の活用の種類について学びましょう。
動詞の活用には、五段活用、上一段活用、下一段活用、カ行変格活用、サ行変格活用の5種類があります。
以下の質問に従って見分けることで、動詞の活用の種類を分類することが可能です。
早速やってみましょう。
1. その動詞の終止形は「くる」ですか?
→上記に該当しない場合は、2に進んでください。
→上記に該当する場合は、以下のとおりです。
・「くる」=カ行変格活用
なお、カ行変格活用に該当するのは「くる」のみです。
2. その動詞の終止形は「する」あるいは「〜する(ずる)」ですか?
※「~する(ずる)」とは、「勉強する」や「愛する」など、他の言葉と結びついてできた複合動詞を指します。
→上記に該当しない場合は、3に進んでください。
→上記に該当する場合は、以下のとおりです。
・「する」=サ行変格活用
・「~する(ずる)」=サ行変格活用
なお、サ行変格活用に該当するのはこの2パターンのみです。
3. その動詞の終止形は「ある」ですか?
→上記に該当しない場合は、4に進んでください。
→上記に該当する場合は、以下のとおりです。
・「ある」=五段活用
なお、五段活用は「ある」以外の動詞にも該当しますが、「ある」は4で行う見分け方で分類できない例外となります。
4. その動詞に「ない」をつけたとき、直前の文字の母音は何になりますか?
→アの場合=五段活用
→イの場合=上一段活用
→エの場合=下一段活用
(例)「書く」の場合、「ない」をつけると「書かない」となり、直前の文字「か」の母音はア、すなわち「書く」は五段活用です。
|
終止形が「くる」ではなく、「する」や「〜する(ずる)」にも該当しないが、「ある」に該当する動詞は、何段活用ですか。
|
終止形が「くる」ではなく、「する」や「〜する(ずる)」にも該当しないが、「ある」に該当する動詞は、五段活用です。
|
JCRRAG_004620
|
国語
|
[敬語の分類]
ここでは、敬語の使い分けに悩んだ際に、どの敬語を使うべきか判断する方法を学びましょう。
特にややこしいものについてはよく使う表現を紹介するので、そちらも参考にしてください。
敬語は現在5種類に分類されていますが、用途を明確にするため、ここではまず「素材敬語」と「対者敬語」の2つに分けます。
この2つの見分け方は、敬意を表す相手が話題の中の人物か、それとも話の聞き手や文章の読み手か、という点です。
前者は素材敬語、後者は対者敬語に分類されます。
例えば「中村先生がご飯を食べる」という文章があった場合、話題の中の「中村先生」に敬意を表したい場合は素材敬語、この話を聞いている第三者に敬意を表したい場合は対者敬語を用いると考えてください。
素材敬語と対者敬語のどちらを使うべきか分かったら、次に進みます。
1. 素材敬語
素材敬語は、尊敬語と謙譲語Iの2つです。
これは、動作の主体が敬意の対象か、それとも自分側か、という点で判断します。
上で例に挙げた文章では、中村先生が「食べる」という動作の主体なので尊敬語を使うということです。
反対に「中村先生から提供されたご飯を私が食べる」という意味の文章ならば、動作の主体が自分側になるため、謙譲語Iを用います。
2. 対者敬語
対者敬語は全部で3種類あります。
最初の判断基準は、動作の主体が自分側限定か否かです。
この問いがYesの場合に使う敬語は、謙譲語IIとなります。
Noの場合に使う敬語は、丁寧語あるいは美化語です。
なお丁寧語か美化語かは、物事を上品に美化して表現したいのか、それとも単に丁寧に述べたいのか、で判断しましょう。
前者が美化語、後者が丁寧語です。
また美化語は主に名詞を上品に表現するために使われるので、これを基準に見分けても良いでしょう。
(美化語の例)お花、お水、など
[尊敬語と謙譲語I・II]
尊敬語ならびに謙譲語I、謙譲語IIは、丁寧語と美化語に比べて難しいと感じる方が多いようです。
そこで、よく使われる表現をいくつか紹介します。
まずはどの敬語を使うべきか上の手順で見分け、使うべき敬語の種類が分かったらこちらを活用してください。
基本形「知る」... 尊敬語は「ご存じ」、謙譲語Iは「存じ上げる」、謙譲語IIは「存じる」です。
基本形「食べる」... 尊敬語は「召し上がる」、謙譲語Iは「いただく」です。謙譲語IIは※。
基本形「言う」... 尊敬語は「おっしゃる」、謙譲語Iは「申し上げる」、謙譲語IIは「申す」です。
基本形「行く」... 尊敬語は「いらっしゃる」、謙譲語Iは「おいでになる」、謙譲語IIは「伺う」「参る」です。
基本形「会う」... 尊敬語は「お会いになる」、謙譲語Iは「お目にかかる」です。謙譲語IIは※。
基本形「見る」... 尊敬語は「ご覧になる」、謙譲語Iは「拝見する」です。謙譲語IIは※。
基本形「聞く」... 尊敬語は「お聞きになる」、謙譲語Iは「伺う」「拝聴する」です。謙譲語IIは※。
※について
謙譲語IIは種類が少ないため、該当する表現がないものもあります。
その場合、名詞にして「いたす」を付けた表現が謙譲語IIとして扱われることが多いです。
例えば「食べる」なら、「頂戴いたす」となります。
|
敬意を表す相手が話の聞き手であり、動作の主体は自分ではなく、名詞を上品に表現したい場合に使う敬語は何に分類されますか?
|
敬意を表す相手が話の聞き手であり、動作の主体は自分ではなく、名詞を上品に表現したい場合に使う敬語は美化語に分類されます。
|
JCRRAG_004621
|
国語
|
【助詞の見分け方】
助詞は格助詞、接続助詞、副助詞、終助詞の4種類に分類される付属語です。
付属語は、それ単体では文節になることができません。
「自立語」すなわち単独で意味を成す単語に意味を付け加えたり、前後の文の意味を繋いだりする役割を持ちます。
また単体では明確な意味を成さないことや、1〜3文字という少ない文字数で表現されることから見分け方が困難と言われる助詞ですが、文法においては非常に重要です。
なぜなら、たった1文字変わるだけでも文章全体の意味が大きく変化してしまうからです。
ここでは、4種類の助詞をどのように見分ければいいのかを解説します。
※なお今回の解説では分類の説明をよりわかりやすくするため、口語に多く見られる述部の省略や倒置法など細かな例外は考慮しないこととします。
1. その助詞は文末についていますか?
Noの場合→2へ
Yesの場合→その助詞は「終助詞」です。
なお終助詞以外に文末で使うことが多い付属語として「助動詞」があります。
付属語には助詞と助動詞の2つしかないのですが、この2つの違いは、活用があるかないかです。
つまり助詞と同じように文末で付属語の役割を果たしていても、活用があれば助動詞に分類されるため注意しましょう。
2. その助詞は前後の文(文節)を意味上で接続していますか?
Noの場合→3へ
Yesの場合→その助詞は「接続助詞」です。
接続助詞は主に活用する単語(用言や助動詞など)につく助詞です。
なお注意点としては、単に前後の言葉を繋いでいるものが全て接続助詞になるわけではないということです。
あくまで”意味の上で”前後を繋いでいるか否かが重要です。
3. その助詞は「を、に、が、と、より、で、から、の、へ、や」のいずれかですか?
Noの場合→4へ
Yesの場合→その助詞は「格助詞」です。
助詞の中でも特に見分けるのが難しいのが、格助詞と副助詞です。
ただ格助詞は「を、に、が、と、より、で、から、の、へ、や」の10種類しかありません。
よって、これについては暗記することをおすすめします。
ただ注意点として、例えば「が」は格助詞に含まれていますが、文脈によっては「が」が接続助詞になる場合もあります。
(例)
・「私が本を読む」の「が」は格助詞
・「私は本を読んだがすぐに飽きた」の「が」は接続助詞
つまり今回紹介した助詞の見分け方は、確認する順番が変わると正しく見分けることができません。
必ず上から順番に、該当するか否かを確認するようにしてください。
4. その助詞は「副助詞」です。
副助詞はさまざまな意味を付け加える働きをし、とても数が多いので、ここまでの見分け方でどれにも当てはまらないものは全て「副助詞」と判断しましょう。
|
文末についていない「が」という助詞が、前後の文節を意味の上で繋いでいない場合、どの助詞に分類されますか。
|
文末についていない「が」という助詞が、前後の文節を意味の上で繋いでいない場合、格助詞に分類されます。
|
JCRRAG_004622
|
国語
|
【助詞の見分け方】
助詞は格助詞、接続助詞、副助詞、終助詞の4種類に分類される付属語です。
付属語は、それ単体では文節になることができません。
「自立語」すなわち単独で意味を成す単語に意味を付け加えたり、前後の文の意味を繋いだりする役割を持ちます。
また単体では明確な意味を成さないことや、1〜3文字という少ない文字数で表現されることから見分け方が困難と言われる助詞ですが、文法においては非常に重要です。
なぜなら、たった1文字変わるだけでも文章全体の意味が大きく変化してしまうからです。
ここでは、4種類の助詞をどのように見分ければいいのかを解説します。
※なお今回の解説では分類の説明をよりわかりやすくするため、口語に多く見られる述部の省略や倒置法など細かな例外は考慮しないこととします。
1. その助詞は文末についていますか?
Noの場合→2へ
Yesの場合→その助詞は「終助詞」です。
なお終助詞以外に文末で使うことが多い付属語として「助動詞」があります。
付属語には助詞と助動詞の2つしかないのですが、この2つの違いは、活用があるかないかです。
つまり助詞と同じように文末で付属語の役割を果たしていても、活用があれば助動詞に分類されるため注意しましょう。
2. その助詞は前後の文(文節)を意味上で接続していますか?
Noの場合→3へ
Yesの場合→その助詞は「接続助詞」です。
接続助詞は主に活用する単語(用言や助動詞など)につく助詞です。
なお注意点としては、単に前後の言葉を繋いでいるものが全て接続助詞になるわけではないということです。
あくまで”意味の上で”前後を繋いでいるか否かが重要です。
3. その助詞は「を、に、が、と、より、で、から、の、へ、や」のいずれかですか?
Noの場合→4へ
Yesの場合→その助詞は「格助詞」です。
助詞の中でも特に見分けるのが難しいのが、格助詞と副助詞です。
ただ格助詞は「を、に、が、と、より、で、から、の、へ、や」の10種類しかありません。
よって、これについては暗記することをおすすめします。
ただ注意点として、例えば「が」は格助詞に含まれていますが、文脈によっては「が」が接続助詞になる場合もあります。
(例)
・「私が本を読む」の「が」は格助詞
・「私は本を読んだがすぐに飽きた」の「が」は接続助詞
つまり今回紹介した助詞の見分け方は、確認する順番が変わると正しく見分けることができません。
必ず上から順番に、該当するか否かを確認するようにしてください。
4. その助詞は「副助詞」です。
副助詞はさまざまな意味を付け加える働きをし、とても数が多いので、ここまでの見分け方でどれにも当てはまらないものは全て「副助詞」と判断しましょう。
|
単体で文節になることができない単語が文末についていた場合、その単語に活用があれば助動詞ですか。
|
はい、単体で文節になることができない単語が文末についていた場合、その単語に活用があれば助動詞です。
|
JCRRAG_004623
|
国語
|
「〜たら」は、主に口語で使われる、「条件文」を作る文法のひとつです。
ここでは、非常に用法が多く理解が難しいと言われる「〜たら」への理解を深めましょう。
1. 「非過去」か「過去」かに分けて考える
条件文は、非過去(例:未来)と過去、どちらの事象を述べるときにも使えます。
なお恒常条件(Aの時は常にBになる)を述べる際も「〜たら」を使うことが可能ですが、恒常条件では「〜ば」など「〜たら」以外の形で条件文が作られることが多いため割愛します。
2-1. 非過去の場合
非過去の事象を述べる際の「〜たら」には、仮定条件、確定条件、反事実条件、問いかけ、終助詞としての使い方があります。
これをさらに細かく分類しましょう。
重要な指標は、「〜たら」の前に「もし」がつけられるかどうかです。
「〜たら」が含まれる文に例え「もし」や「もしも」がついていなくても、つけた場合に成立するかどうかを確認して見分けてください。
Yesの場合→その「〜たら」は、仮定条件あるいは反事実条件を述べる「〜たら」です。
Noの場合→その「~たら」は、確定条件や問いかけを述べる、あるいは終助詞としての「~たら」です。
さらにYesの場合、仮定条件か反事実条件かを見分けたい場合は、「実際に起こるかどうかわからないことを述べているか否か」で判断すると良いでしょう。
仮定条件は、まだ起こっていない、そして実際に起こるかどうかも未定の事柄について述べるものです。
例「雨が降ったら、遠足には行けないだろうな」
「もし有給がもらえたら、あのレストランに行けるかもしれない」
一方、反事実条件の「たら」は、事実に反していることを述べるとき、つまり実際には起こらなかったことAに対して、「もしAだったら結果や状況が違った」などの場合に使う表現です。
このように過去の出来事を述べる際に用いられることが多いですが、
・まだ結果は出ていないが、実現できない可能性が高いこと
・話者が現状を嘆いていること
など、非過去の事象を述べるときにも使われます。
例「もし宝くじが当たったら、一生遊んで暮らせるのに」
「もし手先が器用だったら、編み物ができるのに」
(中略)
2-2. 過去の場合
過去の事象を述べる際の「~たら」には、事実条件、反事実条件、発見や驚きとしての使い方があります。
(以下略)
|
「もしこうだったら」と未来の話をしているとき、その事象が実際に起こるかどうか未定であるなら、ここに出てくる「たら」は仮定条件の「たら」ですか。
|
はい、「もしこうだったら」と未来の話をしているとき、その事象が実際に起こるかどうか未定であるなら、ここに出てくる「たら」は仮定条件の「たら」です。
|
JCRRAG_004624
|
国語
|
「〜たら」は、主に口語で使われる、「条件文」を作る文法のひとつです。
ここでは、非常に用法が多く理解が難しいと言われる「〜たら」への理解を深めましょう。
1. 「非過去」か「過去」かに分けて考える
条件文は、非過去(例:未来)と過去、どちらの事象を述べるときにも使えます。
なお恒常条件(Aの時は常にBになる)を述べる際も「〜たら」を使うことが可能ですが、恒常条件では「〜ば」など「〜たら」以外の形で条件文が作られることが多いため割愛します。
2-1. 非過去の場合
非過去の事象を述べる際の「〜たら」には、仮定条件、確定条件、反事実条件、問いかけ、終助詞としての使い方があります。
これをさらに細かく分類しましょう。
重要な指標は、「〜たら」の前に「もし」がつけられるかどうかです。
「〜たら」が含まれる文に例え「もし」や「もしも」がついていなくても、つけた場合に成立するかどうかを確認して見分けてください。
Yesの場合→その「〜たら」は、仮定条件あるいは反事実条件を述べる「〜たら」です。
Noの場合→その「~たら」は、確定条件や問いかけを述べる、あるいは終助詞としての「~たら」です。
さらにYesの場合、仮定条件か反事実条件かを見分けたい場合は、「実際に起こるかどうかわからないことを述べているか否か」で判断すると良いでしょう。
仮定条件は、まだ起こっていない、そして実際に起こるかどうかも未定の事柄について述べるものです。
例「雨が降ったら、遠足には行けないだろうな」
「もし有給がもらえたら、あのレストランに行けるかもしれない」
一方、反事実条件の「たら」は、事実に反していることを述べるとき、つまり実際には起こらなかったことAに対して、「もしAだったら結果や状況が違った」などの場合に使う表現です。
このように過去の出来事を述べる際に用いられることが多いですが、
・まだ結果は出ていないが、実現できない可能性が高いこと
・話者が現状を嘆いていること
など、非過去の事象を述べるときにも使われます。
例「もし宝くじが当たったら、一生遊んで暮らせるのに」
「もし手先が器用だったら、編み物ができるのに」
(中略)
2-2. 過去の場合
過去の事象を述べる際の「~たら」には、事実条件、反事実条件、発見や驚きとしての使い方があります。
(以下略)
|
条件文で使われる「〜たら」が非過去のことを述べていて、文頭に「もし」が付いていて、実際に起こるかどうかわからないことについて書いてある場合は、何を表す「〜たら」ですか。
|
条件文で使われる「〜たら」が非過去のことを述べていて、文頭に「もし」が付いていて、実際に起こるかどうかわからないことについて書いてある場合は、仮定条件を表す「〜たら」です。
|
JCRRAG_004625
|
国語
|
中渡刑事は現場に到着すると、まずはそこに横たわる被害者に手を合わせた。
そこへバタバタと足音をさせながら、部下の花田が騒々しく駆け込んで来る。
「君はもう少し静かに移動できないのかね」中渡はため息をついた。
しかし花田はそんな小言も気にせず、事件の状況を説明し始める。
なんでも花田の説明によると被害者はこの家の主で、背後から何者かに鈍器で殴られたことが致命傷になったらしい。
「凶器は?」
中渡が尋ねると、花田はテーブルの上を指差した。
そこには、大きなガラスの花瓶、大理石でできた灰皿、ボウリングの球、鉄アレイ、ゴルフクラブが並んでいる。
「相変わらず君は説明不足だね。どれが凶器なんだい?」
「それが、まだわからないんです。これは部屋にあった凶器になりそうなものを候補として集めたんですが、傷の形状を詳しく鑑定しないとどれかは断言できないそうで」
「そう…」
そこまで聞くと中渡は考え込むそぶりを見せたが、花田はお構いなしで、さらに話を続ける。
「ただ、指紋が」
「指紋?」
「鉄アレイとゴルフクラブからは、指紋が1つも出なかったんです」
「犯人が拭き取ったと?」
「まだわかりませんが、その可能性も」
「なるほどね…他の凶器については?」
「指紋自体はついてました。ただ…」
「ただ?」
「被害者の指紋は、灰皿からしか出ていないそうなんです。花瓶とボウリングの球の指紋は、誰のものかまだ特定できていませんが、被害者のものとは一致しなかったとかで」
「しかし彼は一人暮らしだったと聞いたが」
「その通りです。ちなみにですが重さは、花瓶が2.1kg、灰皿が1.3kg、ボウリングの球が5.4kg、鉄アレイは5kgで、ゴルフクラブは0.4kgでした」
「重さは今どうでもいいよ。そんなことより、これは全部被害者の持ち物なのかな?」
「ボウリングの球とゴルフクラブはネーム入りだったんで、被害者のもので間違いないです。あとのものは現状では不明ですね」
こうして2人があれこれ話していると、1人の警官が女性を連れて部屋に入ってきた。
「失礼します、家政婦さんが到着されました」
「どうも…南です」
どうやら彼女は通いの家政婦で、この日はすでに帰宅していたところを、雇い主が事件に巻き込まれたと呼び戻されたらしい。
「ご足労おかけしてすみません。早速なんですが、ここに並んでいるもののうち、被害者の持ち物ではないものはありますか?」
「灰皿以外は旦那様のものですが、この灰皿は違うと思います。旦那様はタバコがお嫌いでしたし、たまに喫煙されるお客様がみえても庭で吸うようにと言っていました。私もこんな灰皿、一度も見たことがありません」
それを聞いた中渡は、意味がわからず頭を抱えてしまう。
「妙だな。灰皿にだけ被害者の指紋がついていたんだよな?」
そう問いかける中渡に、花田が頷きながらも首を傾げた。
(以下略)
|
重さが2kgを超える凶器候補の中で、誰かの指紋が付着していて、ネーム入りのものはどれでしょうか。
|
重さが2kgを超える凶器候補の中で、誰かの指紋が付着していて、ネーム入りのものはボウリングの球です。
|
JCRRAG_004626
|
国語
|
田中さんとの思い出
—広島、箕面・粟生間谷、ワシントンDC、天津、花蓮—
秋田茂
田中仁さんと筆者は、広島大学大学院・文学研究科時代の1980年から2020年まで、非常に長いおつき合いを通じて、多くの思い出を共有できる間柄であった。唯一、心残りなのは、2020年1月末の退職記念パーティの席に、激しい咳喘息のため出席できなかったことである。以下、幾つかの思い出を記すことで、追悼の辞に代えさせていただきたい。
(1)広島大学文学研究科の院生時代(1981年-84年)小規模な広島大学では、日本史・西洋史・東洋史の枠組みを超えた交流が盛んであった。雑誌「史学研究」の編集作業や学会共通論題の企画を共同で行い、また、私の修士論文の副査が田中さんの当時の指導教授・横山英先生(東洋史学・近現代の中国政治経済史)であったため、事前に助言を求めた。広島YMCAでの「人前」結婚式に招かれたことも印象的で、人とのつながりを大切にした、因習にはこだわらない結婚式に初めて出席した経験であった。
(2)大阪外国語大学での同僚として(1985年―2003年)田中さんは、1984年に私より1年間前に、旧大阪外国語大学中国語学科に職を得た。まったく偶然であるが、私も公募の形で、イギリス文化担当として外大英語科の助手として1985年に採用された。何のご縁も無かった大阪外大で専攻語実習の「重圧」を感じながら、英語運用能力(特に聞き取り)の弱さに当初悩んだ私には、文学部出身の先輩教員としての田中さんの存在は、非常に心強かった。当時の外大の各語学科は、言語・文学・「文化」の三分野の教員で構成されていたが、歴史学は少数派で孤立していた。そのため、語学科の壁を超えた交流の場として、アジア地域研究の専門家が自主的に集まって議論する「アジア研究会」(現アジア太平洋研究会)に、田中さんの紹介で加えてもらったことは、非常に有難かった。
アジア研究会では、会長の赤木攻先生(タイ地域研究)や、田中さんの同僚の西村成雄先生(中国地域研究)、桑島昭先生(南アジア地域研究)と知り合い、学内資金による小さな共同研究(特定研究)に加えていただいた。同時に、田中さんを含む学内の歴史・社会科学系研究者で科研費を申請し、3年間の共同研究(1989-91年)の末に、松田武・阿河雄二郎編「近代世界システムの歴史的構図」(広島:溪水社、1993年)を出版した。田中さんは同書で、第6章「1930年代における内モンゴル自治運動と日中関係」を執筆された。外大の歴史・地域研究系の研究者の本格的な共著出版として、学内で注目を集めた。
また、アジア研究会では、1991年度から、学内特定研究の資金を活用して、研究成果を事実上の年次報告書として継続的に出版していくことになった。雑誌「アジア学論叢」(現在の「アジア太平洋論叢」)の創刊である。これにも、中国現代史研究会(関西)で、毎回彙報(Newsletter)を編集・刊行された田中さんのアイデアが活かされていた。研究成果の「見える化」である。田中さんは、細かな編集作業にも精通され、面倒な作業を全部自分でやってしまう、熱心さとこだわりの精神を発揮されていたように思う。
「アジア学論叢」の発刊を契機に、アジア研究会の共同研究はさらなる発展を遂げた。それが1995年に学内出版物として編集・刊行した「アジア現代史年表」の作成である。この企画は、第二次世界大戦をはさんだ1940年代のアジア太平洋地域全般の「総合年表」作成をめざしたもので、歴史学研究会編「世界史年表」(岩波書店、1994年)の「アジア版」を意識したプロジェクトであった。通常、第二次世界大戦(アジア太平洋戦争)で区切られる、戦前・戦中・戦後を一つにつなげて、その連続性と断絶・変容を考察する「貫戦史」の観点から、東アジアから東南アジア・南アジア・西アジア・中央アジアを含めた諸地域間の相互連関・関係を、徹底的に個別の事実を収集し、年表として一目で俯瞰できるような配置で提示する、big-dataの処理が課題になった。当時のPCのデータ処理能力では限界があったため、印刷会社デリンス社の協力を得て、汎用コンピュータを利用したデータ処理と印刷が可能になった。デリンス社との交渉、処理されたデータの表現法など、細部にわたって田中さんの編集能力が発揮されたことは言うまでもない。残念なことに諸般の理由で、この「アジア現代史年表」は学内出版物に留まり、書籍として刊行・販売にまでには至らなかったが、主要図書館では閲覧可能で、旧大阪外大アジア研究会の総力を結集した取り組みであった。
田中さんが中国研究のプロで、中国現地の訪問や、史資料調査の経験は豊富であったが、欧米での学術交流の機会は限られていたと思われる。その中で、アジア研究会は、アメリカ外国史研究が専門の杉田米行氏の尽力で、当時、草創期のアメリカのインターネット学会であったHNETとの学術交流を試みた。1996年9月15日から29日まで、アメリカ東部への調査旅行を行い、松田武先生を団長に、田中さんを含めた5名で、首都ワシントンDCの議会図書館やスミソニアン博物館群、ヴァージニア大学の南北戦争デジタル・アーカイヴ、ボストンのハーヴァード大学・燕京図書館、そしてH-NETの本拠ミシガン州立大学を訪問した。H-NETの一部であるH-ASIAのeditorを引き受ける事や、教員間の相互訪問、学生交流の構想にまで話が及んだ記憶がある。一部は実現したものの、旧外大側の対応が追い付かず、H-NETとの交流は自然消滅したが、このアメリカ訪問は、後に田中さんが阪大移籍後に「中国文化フォーラム」を立ち上げる際に、少しは参考になったのではないだろうか。
(3)大阪大学の同僚として(2007年10月―2020年3月)筆者は、旧大阪外大と大阪大学の統合が実現するよりも4年前の2003年10月に、大阪大学文学研究科・西洋史学専修教授として移籍していた。2005年くらいから、両大学の統合案が具体化し、旧外大教員の所属先が問題になり始めた時、田中さんは、中国地域研究を続けるためにどこに所属すべきか悩んでおられた。地域研究専攻が設置される人間科学研究科(人科)が、東アジア外交史研究が可能な法学研究科(法研)か、どちらが望ましいか?相談を受けた時に私は、強く法学研究科への移籍を勧めた。人科の地域研究は小規模・中途半端で利用されるだけで、Disciplinesとしての外交史の専門家を求めている法研の方が、はるかにメリットがある点を強調した。結果的に、旧外大で中国地域研究の担当者は、法研、経済学研究科、人科の三つに分散移籍されたが、法研の田中さんが最も活躍された事実は疑いようがない。法研のオープンな雰囲気と優れた同僚との出会いが、歴史家としての田中さんを大きく変容させることになったと思われる。
法学研究科での田中さんの活躍の紹介は、法研同僚の方の紹介に譲りたいが、筆者は、初期の中国文化フォーラム立ち上げに協力した。そのご縁で、筆者は、2007年8月27-29日の天津・南開大学で、中国文化フォーラムと南開大学歴史学院・台湾東華大学歴史学系・中国現代史学会共催の国際フォーラムに参加するため、初めて南開大学を訪問した。報告は英語で行い、中国語への同時通訳が行われたため、中国語が使えない筆者のような参加者でも、十分な研究交流ができた。会議の夜は、夜景に照らし出された旧天津租界地区を案内していただき、イギリス非公式帝国研究との接点、多国間のtrans-imperial historyの現場を実感できた。また、南開大学には、中国の主要大学でも最大の「世界史研究部門」があるため、世界史関係の研究者との交流もできた。この接触が、翌2008年5月に開催された「アジア世界史学会設立準備会」で議論するため、天津を再訪することにつながった。2008年8月26-28日には、台湾の花蓮・東華大学で中国文化フォーラムの第二回国際セミナーが開催されたため、台北と台湾東岸の花蓮を訪問する機会を得た。さらに翌2009年8月25-27日に、大阪大学で第三回国際セミナーが開催され、そこでも3回連続で報告することになった。田中さんの紹介のおかげで、全くご縁のなかった天津・南開大学との交流、花蓮訪問を通じた台湾の対外関係研究者との交流が始まった。これは、2009年5月に正式に発足したアジア世界史学会(AAWH)の大阪大会、およびその後の中国語圏での世界史、グローバルヒストリー研究者を巻きこんだ、アジア太平洋圏での筆者自身の研究交流の飛躍的拡大につながった。その意味で、田中さんとの交友は決定的に重要であった。以上、田中さんと筆者の交友の一端を紹介する形で、田中さんのアジア太平洋研究会への貢献の一端を紹介した。彼の研究会の発展に対する尽力は、語りつくせないものがある。最後に、田中さんのご冥福を心より祈念いたします。
田中仁先生 略歴
1954年04月02日奈良県に出生
1973年03月奈良県立奈良高等学校卒業
1973年04月広島大学文学部史学科入学
1977年03月広島大学文学部史学科卒業
1977年04月広島大学研究生(1978年03月まで)
1978年04月広島大学大学院文学研究科博士前期課程進学
1981年03月広島大学大学院文学研究科博士前期課程修了(文学修士)
1981年04月広島大学大学院文学研究科博士後期課程進学
1984年03月広島大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学
1984年04月大阪外国語大学外国語学部講師
1988年01月大阪外国語大学外国語学部助教授
1988年03月文部省在外研究員として中国で研修(1989年01月まで)
1994年04月広島史学研究会県外評議員
1999年10月中国革命史中青年学術賞・海外優秀論文賞(中国社会科学院近代史研究所)
2001年01月大阪外国語大学外国語学部教授
2004年03月大阪外国語大学博士(国際学)
2004年10月日本現代中国学会理事(2020年09月まで)
2007年10月大阪大学大学院法学研究科教授
2008年04月中国現代史研究会理事(2020年03月まで)
2008年04月中国現代史研究会理事長(2012年03月まで)
2008年12月科学研究費委員会専門委員(2010年11月まで)
2009年12月東洋文庫客員研究員2015年07月大阪大学総長顕彰(研究部門)
2016年10月日本現代中国学会理事長(2018年09月まで)
2016年12月科学研究費委員会専門委員(2017年11月まで)
2017年11月中国・南開大学講座教授(2020年09月まで)
2020年03月大阪大学定年退職2020年04月大阪大学名誉教授
2020年04月大阪経済法科大学国際学部教授
2021年03月大阪経済法科大学退職
2023年04月14日ご逝去
|
田中仁さんと著者は、約何年間の付き合いですか。
|
田中仁さんと著者は、約40年間の付き合いです。
|
JCRRAG_004627
|
国語
|
田中さんとの思い出
—広島、箕面・粟生間谷、ワシントンDC、天津、花蓮—
秋田茂
田中仁さんと筆者は、広島大学大学院・文学研究科時代の1980年から2020年まで、非常に長いおつき合いを通じて、多くの思い出を共有できる間柄であった。唯一、心残りなのは、2020年1月末の退職記念パーティの席に、激しい咳喘息のため出席できなかったことである。以下、幾つかの思い出を記すことで、追悼の辞に代えさせていただきたい。
(1)広島大学文学研究科の院生時代(1981年-84年)小規模な広島大学では、日本史・西洋史・東洋史の枠組みを超えた交流が盛んであった。雑誌「史学研究」の編集作業や学会共通論題の企画を共同で行い、また、私の修士論文の副査が田中さんの当時の指導教授・横山英先生(東洋史学・近現代の中国政治経済史)であったため、事前に助言を求めた。広島YMCAでの「人前」結婚式に招かれたことも印象的で、人とのつながりを大切にした、因習にはこだわらない結婚式に初めて出席した経験であった。
(2)大阪外国語大学での同僚として(1985年―2003年)田中さんは、1984年に私より1年間前に、旧大阪外国語大学中国語学科に職を得た。まったく偶然であるが、私も公募の形で、イギリス文化担当として外大英語科の助手として1985年に採用された。何のご縁も無かった大阪外大で専攻語実習の「重圧」を感じながら、英語運用能力(特に聞き取り)の弱さに当初悩んだ私には、文学部出身の先輩教員としての田中さんの存在は、非常に心強かった。当時の外大の各語学科は、言語・文学・「文化」の三分野の教員で構成されていたが、歴史学は少数派で孤立していた。そのため、語学科の壁を超えた交流の場として、アジア地域研究の専門家が自主的に集まって議論する「アジア研究会」(現アジア太平洋研究会)に、田中さんの紹介で加えてもらったことは、非常に有難かった。
アジア研究会では、会長の赤木攻先生(タイ地域研究)や、田中さんの同僚の西村成雄先生(中国地域研究)、桑島昭先生(南アジア地域研究)と知り合い、学内資金による小さな共同研究(特定研究)に加えていただいた。同時に、田中さんを含む学内の歴史・社会科学系研究者で科研費を申請し、3年間の共同研究(1989-91年)の末に、松田武・阿河雄二郎編「近代世界システムの歴史的構図」(広島:溪水社、1993年)を出版した。田中さんは同書で、第6章「1930年代における内モンゴル自治運動と日中関係」を執筆された。外大の歴史・地域研究系の研究者の本格的な共著出版として、学内で注目を集めた。
また、アジア研究会では、1991年度から、学内特定研究の資金を活用して、研究成果を事実上の年次報告書として継続的に出版していくことになった。雑誌「アジア学論叢」(現在の「アジア太平洋論叢」)の創刊である。これにも、中国現代史研究会(関西)で、毎回彙報(Newsletter)を編集・刊行された田中さんのアイデアが活かされていた。研究成果の「見える化」である。田中さんは、細かな編集作業にも精通され、面倒な作業を全部自分でやってしまう、熱心さとこだわりの精神を発揮されていたように思う。
「アジア学論叢」の発刊を契機に、アジア研究会の共同研究はさらなる発展を遂げた。それが1995年に学内出版物として編集・刊行した「アジア現代史年表」の作成である。この企画は、第二次世界大戦をはさんだ1940年代のアジア太平洋地域全般の「総合年表」作成をめざしたもので、歴史学研究会編「世界史年表」(岩波書店、1994年)の「アジア版」を意識したプロジェクトであった。通常、第二次世界大戦(アジア太平洋戦争)で区切られる、戦前・戦中・戦後を一つにつなげて、その連続性と断絶・変容を考察する「貫戦史」の観点から、東アジアから東南アジア・南アジア・西アジア・中央アジアを含めた諸地域間の相互連関・関係を、徹底的に個別の事実を収集し、年表として一目で俯瞰できるような配置で提示する、big-dataの処理が課題になった。当時のPCのデータ処理能力では限界があったため、印刷会社デリンス社の協力を得て、汎用コンピュータを利用したデータ処理と印刷が可能になった。デリンス社との交渉、処理されたデータの表現法など、細部にわたって田中さんの編集能力が発揮されたことは言うまでもない。残念なことに諸般の理由で、この「アジア現代史年表」は学内出版物に留まり、書籍として刊行・販売にまでには至らなかったが、主要図書館では閲覧可能で、旧大阪外大アジア研究会の総力を結集した取り組みであった。
田中さんが中国研究のプロで、中国現地の訪問や、史資料調査の経験は豊富であったが、欧米での学術交流の機会は限られていたと思われる。その中で、アジア研究会は、アメリカ外国史研究が専門の杉田米行氏の尽力で、当時、草創期のアメリカのインターネット学会であったHNETとの学術交流を試みた。1996年9月15日から29日まで、アメリカ東部への調査旅行を行い、松田武先生を団長に、田中さんを含めた5名で、首都ワシントンDCの議会図書館やスミソニアン博物館群、ヴァージニア大学の南北戦争デジタル・アーカイヴ、ボストンのハーヴァード大学・燕京図書館、そしてH-NETの本拠ミシガン州立大学を訪問した。H-NETの一部であるH-ASIAのeditorを引き受ける事や、教員間の相互訪問、学生交流の構想にまで話が及んだ記憶がある。一部は実現したものの、旧外大側の対応が追い付かず、H-NETとの交流は自然消滅したが、このアメリカ訪問は、後に田中さんが阪大移籍後に「中国文化フォーラム」を立ち上げる際に、少しは参考になったのではないだろうか。
(3)大阪大学の同僚として(2007年10月―2020年3月)筆者は、旧大阪外大と大阪大学の統合が実現するよりも4年前の2003年10月に、大阪大学文学研究科・西洋史学専修教授として移籍していた。2005年くらいから、両大学の統合案が具体化し、旧外大教員の所属先が問題になり始めた時、田中さんは、中国地域研究を続けるためにどこに所属すべきか悩んでおられた。地域研究専攻が設置される人間科学研究科(人科)が、東アジア外交史研究が可能な法学研究科(法研)か、どちらが望ましいか?相談を受けた時に私は、強く法学研究科への移籍を勧めた。人科の地域研究は小規模・中途半端で利用されるだけで、Disciplinesとしての外交史の専門家を求めている法研の方が、はるかにメリットがある点を強調した。結果的に、旧外大で中国地域研究の担当者は、法研、経済学研究科、人科の三つに分散移籍されたが、法研の田中さんが最も活躍された事実は疑いようがない。法研のオープンな雰囲気と優れた同僚との出会いが、歴史家としての田中さんを大きく変容させることになったと思われる。
法学研究科での田中さんの活躍の紹介は、法研同僚の方の紹介に譲りたいが、筆者は、初期の中国文化フォーラム立ち上げに協力した。そのご縁で、筆者は、2007年8月27-29日の天津・南開大学で、中国文化フォーラムと南開大学歴史学院・台湾東華大学歴史学系・中国現代史学会共催の国際フォーラムに参加するため、初めて南開大学を訪問した。報告は英語で行い、中国語への同時通訳が行われたため、中国語が使えない筆者のような参加者でも、十分な研究交流ができた。会議の夜は、夜景に照らし出された旧天津租界地区を案内していただき、イギリス非公式帝国研究との接点、多国間のtrans-imperial historyの現場を実感できた。また、南開大学には、中国の主要大学でも最大の「世界史研究部門」があるため、世界史関係の研究者との交流もできた。この接触が、翌2008年5月に開催された「アジア世界史学会設立準備会」で議論するため、天津を再訪することにつながった。2008年8月26-28日には、台湾の花蓮・東華大学で中国文化フォーラムの第二回国際セミナーが開催されたため、台北と台湾東岸の花蓮を訪問する機会を得た。さらに翌2009年8月25-27日に、大阪大学で第三回国際セミナーが開催され、そこでも3回連続で報告することになった。田中さんの紹介のおかげで、全くご縁のなかった天津・南開大学との交流、花蓮訪問を通じた台湾の対外関係研究者との交流が始まった。これは、2009年5月に正式に発足したアジア世界史学会(AAWH)の大阪大会、およびその後の中国語圏での世界史、グローバルヒストリー研究者を巻きこんだ、アジア太平洋圏での筆者自身の研究交流の飛躍的拡大につながった。その意味で、田中さんとの交友は決定的に重要であった。以上、田中さんと筆者の交友の一端を紹介する形で、田中さんのアジア太平洋研究会への貢献の一端を紹介した。彼の研究会の発展に対する尽力は、語りつくせないものがある。最後に、田中さんのご冥福を心より祈念いたします。
田中仁先生 略歴
1954年04月02日奈良県に出生
1973年03月奈良県立奈良高等学校卒業
1973年04月広島大学文学部史学科入学
1977年03月広島大学文学部史学科卒業
1977年04月広島大学研究生(1978年03月まで)
1978年04月広島大学大学院文学研究科博士前期課程進学
1981年03月広島大学大学院文学研究科博士前期課程修了(文学修士)
1981年04月広島大学大学院文学研究科博士後期課程進学
1984年03月広島大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学
1984年04月大阪外国語大学外国語学部講師
1988年01月大阪外国語大学外国語学部助教授
1988年03月文部省在外研究員として中国で研修(1989年01月まで)
1994年04月広島史学研究会県外評議員
1999年10月中国革命史中青年学術賞・海外優秀論文賞(中国社会科学院近代史研究所)
2001年01月大阪外国語大学外国語学部教授
2004年03月大阪外国語大学博士(国際学)
2004年10月日本現代中国学会理事(2020年09月まで)
2007年10月大阪大学大学院法学研究科教授
2008年04月中国現代史研究会理事(2020年03月まで)
2008年04月中国現代史研究会理事長(2012年03月まで)
2008年12月科学研究費委員会専門委員(2010年11月まで)
2009年12月東洋文庫客員研究員2015年07月大阪大学総長顕彰(研究部門)
2016年10月日本現代中国学会理事長(2018年09月まで)
2016年12月科学研究費委員会専門委員(2017年11月まで)
2017年11月中国・南開大学講座教授(2020年09月まで)
2020年03月大阪大学定年退職2020年04月大阪大学名誉教授
2020年04月大阪経済法科大学国際学部教授
2021年03月大阪経済法科大学退職
2023年04月14日ご逝去
|
田中仁先生の享年はいくつですか。
|
田中仁先生の享年は69です。
|
JCRRAG_004628
|
国語
|
徹が言った。
「カバディってスポーツ、知ってる?」
「聞いたことはあるけどルールは知らない。『カバディ、カバディ』って言い続けることしか。」玲子が答えた。
「そうそれ。カバディは7対7でプレイするスポーツで、攻撃側の選手のレイダーが一人で守備側コートに攻め込んで相手をタッチする。そして攻撃中は『カバディカバディ』と言い続ける例のあれ、キャントって言うんだけど、まあそれをする。息の続く限り。途中でやめたらレイダーは待機になって得点を得られず、守備側に1点入っちゃう。」徹は少し得意げに説明した。
「それでカバディって言ってるんだ」と玲子。
「うん。で、レイダーがタッチできるのは手足と胴体だけ、頭はだめ。タッチした後、自陣に戻れば、タッチした人数分だけ得点が入る。例えば1人タッチしたら1点、2人タッチしたら2点、3人タッチしたら3点入る。7人にタッチしたら当然7点だ。自陣に戻らなければ得点にならない。全員タッチでローナっていう追加点が2点。守備側のことをアンティというんだけど、アンティはレイダーをタックルでキャッチできる。激しいでしょ?アンティがレイダーをキャッチした場合、レイダーはアウトになって待機。アンティ側に1点が入る。で、アンティが3人以下でレイダーをタックルすると、スーパータックルって追加点が2点入る。」徹は続ける。
|
レイダーが2人タッチしたところでキャントをやめた場合、レイダーの得点はどうなりますか?
|
レイダーが2人タッチしたところでキャントをやめた場合、レイダーの得点はありません。
|
JCRRAG_004629
|
国語
|
10日ほど入院していた。部屋にはテレビがあったが、テレビを観る習慣がないので一度もつけなかった。新聞は朝夕部屋に届けられた。暇なのでこれは隅から隅まで読んだ。そして深い吐息をついた。なんと無内容なのか。日本有数の全国紙なのに、一つとして再読したくなる記事がなかった。
たしかに何が起きたのかは伝えられている。けれども、その出来事が「何を意味するのか」についてはみごとに何も書かれていない。いや、昨日今日の間に生じた変化についてなら多少は書いてある。「昨日と今日では言うことが変わった」とか「先週予想されていたのとは違う展開になった」くらいのことは書かれている。けれど、一年前から、あるいは10年前から、あるいは100年前からの歴史的文脈の中で今起きている出来事を俯瞰するという記事にはついに一度も出会わなかった。日本のジャーナリズムにそういう知的習慣がないということは身に浸みてわかった。
だが、かなり長いタイムスパンの中において見ないと、出来事の意味というはわからない。だから、文脈が示されないままに速報記事をいくら読まされても、今何が起きているのかはわからない。10日間新聞を読んでそれがよくわかった。これでは購読者がいなくなって当然である。
今年6月の調査で、朝日新聞は発行部数340万部、読売新聞は586万部だった。15年前に朝日は800万部、読売は1000万部だったからすさまじい部数減である。
2013年に私が朝日新聞の紙面審議委員をしていた当時、毎年5万の部数減だという報告を聞いた。危機的な数字ではないかと私が質したら、当時の編集幹部に鼻先で嗤われた。「内田さん計算してみてくださいよ。年間5万部なら800万部がゼロになるまで160年かかるんですよ」。
でも、実際には10年で60%部数を減らした。新聞記者は自分の足元で起きていることについてよく理解できていないということをその時知った。自分の足元で起きていることについて理解できない人間が、それ以外のトピックについては例外的に高い分析能力を発揮するということを私は信じない。
おそらくもうずいぶん前から日本のメディアは「現実を観察し、解釈し、その意味を明らかにし、これから起きることを予測する」といった一連の知的プロセスを放棄してきたのだと思う。もし報道において最も重要なのが「客観性」と「速報性」であるというのがほんとうなら、たしかにそのような「知的プロセス」は無用のものである。出来事の「解釈」に踏み込めば「主観」がまじるし、歴史的「文脈」を論じれば速報性とは無縁の「長い話」を語らなければならない。ストレートニュースを「未加工」のままごろんと放り出しておけばメディアの仕事は終わるなら話は簡単だ。
でも、そう思うようになってからメディアの頽廃はとめどなく進んだ。その記事が何を意味するのか、書いている記者も読んでいる読者もわかっていないようなニュースに読む価値はあるのだろうか。私は「ない」と思う。
新聞から読者が離れた最大の理由は新聞から批評性が失われたからである。批評性というのは今自分たちが囚われてる「臆断の檻」から逃れ出て、少しでも自由に言葉を語りたい、少しでも知性の可動域を拡げたい、少しでも遠くまで想像力を疾走させたい...という書き手の「切望」のことである。そのような「切望」を新聞記事からはもう全く感じることがない。だが、出来事を定型的な枠組みの中にはめ込んで、定型句で叙しただけの文章を読んで過ごすほど私たちの人生は長くない。
|
今年の読売新聞の発行部数は15年前の読売新聞の発行部数より何万部少なくなりましたか。
|
今年の読売新聞の発行部数は15年前の読売新聞の発行部数より414万部少なくなりました。
|
JCRRAG_004630
|
国語
|
3.調査の概要
3-1 調査方法
3人の日本語指導員に事前にフェイスシートの記入を依頼し,それぞれの協力者とオンラインで1時間~1時間20分程度の半構造化インタビューを実施した(9)。必要に応じてメール等で事実確認を行った。調査時期は2023年11月~12月である。
インタビューは登録・派遣型指導員の経験を約20年持つ稿者2名が担当した。主な内容は以下の通りである。
・年少者日本語教育に関わるきっかけ
・登録,派遣までの経緯と業務内容・派遣先での印象的なエピソード
・日本語指導上の悩み
・この仕事のやりがい
3-2 インタビュー協力者
インタビュー協力者3名はいずれも教育委員会等に登録し,各学校に日本語指導を主な目的として派遣されている。全員,日本語指導員の経験を7年以上持つ日本語教育の有資格者(10)であり,関東圏で拠点校のない地域の公立小中学校において登録・派遣型で指導に56第7号あたっている。3人が活動するいずれの自治体も外国人比率3%未満(2024年4月時点)であり,1校あたりに在籍する「日本語指導を必要とする子どもの数」は5人以下である。指導校へは公共交通機関や自転車等で平均して片道30分前後の移動である。また,3名とも複数の小中学校で指導経験があり,うち2名は複数の自治体での日本語指導員経験を持つ。
今回比較的経験の長い方に協力をお願いしたのは,成人を含む複数の現場を経験していることから日本語指導員の現状について多くの情報を有し,俯瞰的に捉えられ,自身の日本語指導経験について初期からの変化も含め語れると予想したためである。以下に3名の背景を示す。
葉山さん…有資格者,中国語対応可,成人日本語教育経験有,複数の自治体で日本語指導,自治体における日本語指導派遣に回数制限あり,30代
佐多さん…有資格者,教員免許有,成人日本語教育経験有,自治体における日本語指導派遣期間1年間,60代
津守さん…有資格者,元教員,複数の自治体で日本語指導,自治体における日本語指導派遣に回数制限あり,60代
なお,倫理的配慮として,本稿中のインタビュー協力者,地域や子どもは仮名とする。またインタビューに際しては協力者に趣旨説明の上,同意書を交わし,個人情報及び協力者が関わった子ども達の個人情報に十分配慮する旨伝えていることを付記する。
|
インタビューに協力した日本語指導員のうち、60代なのは何%ですか。
|
インタビューに協力した日本語指導員のうち、60代なのは約66%です。
|
JCRRAG_004631
|
国語
|
【四字熟語の学習】
四字熟語はその名の通り、漢字4字で構成される熟語のことです。
漢字4文字で1つの言葉になっていれば、広い意味ではすべて「四字熟語」と言えますが、ここでは特に、ことわざや慣用句のような意味合いで使われる狭義の「四字熟語」を紹介します。
50音の行ごとに分けてあるので、それぞれの意味も併せて学習しましょう。
ア行
暗中模索(読み:あんちゅうもさく)暗闇の中で手探りで探すことや、手がかりがないまま色々とやってみることを意味します。
唯唯諾諾(読み:いいだくだく)言われるがままに従い、何でも従うさまを意味します。
以心伝心(読み:いしんでんしん)言葉を使わずに心情や思想を理解し合うことを意味します。
一期一会(読み:いちごいちえ)一生に一度の出会い、機会を意味します。
一蓮托生(読み:いちれんたくしょう)事の善悪にかかわらず最後まで行動や運命をともにすることを意味します。
一朝一夕(読み:いっちょういっせき)非常に短い期間であることを意味します。
温故知新(読み:おんこちしん)古い知識や経験を学び、新しい発見をすることを意味します。
カ行
臥薪嘗胆(読み:がしんしょうたん)辛い経験や苦難に耐え、成功を目指すことを意味します。
我田引水(読み:がでんいんすい)自分に都合のよいように説明したり、物事を運んだりすることを意味します。
牛飲馬食(読み:ぎゅういんばしょく)牛や馬のように、大量の飲食をすることを意味します。
旧態依然(読み:きゅうたいいぜん)古いままで変化がなく、進歩発展のないさまを意味します。
玉石混交(読み:ぎょくせきこんこう)すぐれたものとつまらないものが入り混じっている様子を意味します。
呉越同舟(読み:ごえつどうしゅう)仲の悪い人同士が同じ場所や状況にいることを意味します。
虎視眈々(読み:こしたんたん)敵や相手のすきを狙って油断なくチャンスを狙っているさまを意味します。
サ行
七転八起(読み:しちてんはっき)何度も失敗や困難を繰り返しても、立ち上がって努力することを意味します。
質実剛健(読み:しつじつごうけん)堅実で飾り気のなく、強くたくましいさまを意味します。
初志貫徹(読み:しょしかんてつ)初めに心に決めた志を最後まで貫き通すことを意味します。
支離滅裂(読み:しりめつれつ)ばらばらでまとまりがなく、筋が通っていないさまを意味します。
針小棒大(読み:しんしょうぼうだい)些細な物事でも大げさに誇張して言うことを意味します。
晴耕雨読(読み:せいこううどく)晴れた日に田畑を耕し、雨の日に読書などをすることを意味します。
千載一遇(読み:せんざいいちぐう)千年に一度あるか、ないかというほどの絶好の機会を意味します。
タ行
泰然自若(読み:たいぜんじじゃく)落ち着いて動じず、自信に満ちた態度であることを意味します。
大胆不敵(読み:だいたんふてき)度胸がありまったく恐れないことを意味します。
胆大心小(読み:たんだいしんしょう)大胆でありながら、細かな注意を払うことを意味します。
徹頭徹尾(読み:てっとうてつび)最初から最後まで徹底していることを意味します。
電光石火(読み:でんこうせっか)動きが非常に素早いことや、非常に短い時間であることを意味します。
当意即妙(読み:とういそくみょう)状況や相手の意図を見抜き、即座に適切な対応をすることを意味します。
ナ行
南船北馬(読み:なんせんほくば)全国を忙しく旅行することや、絶えず旅をしてせわしないことを意味します。
二律背反(読み:にりつはいはん)相反する二つの原則や法則が同時に成り立つことを意味します。
ハ行
馬耳東風(読み:ばじとうふう)他人の意見や批評を心にとめず聞き流すことを意味します。
万物流転(読み:ばんぶつるてん)この世にあるすべてのものは、絶えず変化し移り変わることを意味します。
粉骨砕身(読み:ふんこつさいしん)骨身を惜しまず、力の限り努力することを意味します。
本末転倒(読み:ほんまつてんとう)重要なことと些細なことを取り違えていることを意味します。
マ行
無知蒙昧(読み:むちもうまい)無知で理解がなく、浅はかな考えや愚かな行動をしてしまうことを意味します。
無念無想(読み:むねんむそう)無我の境地に入り、何も考えずに平静な状態であることを意味します。
明鏡止水(読み:めいきょうしすい)邪念がなく、清らかで澄んだ心境や状態であることを意味します。
ヤ行
優勝劣敗(読み:ゆうしょうれっぱい)優れた者が勝ち、劣った者が敗北することを意味します。
融通無碍(読み:ゆうずうむげ)何の障害もなく自由なさまを意味します。
ラ行
竜頭蛇尾(読み:りゅうとうだび)最初は勢いがあるが、最後は振るわないことを意味します。
理路整然(読み:りろせいぜん)論理的に整然とまとまっていることを意味します。
ワ行
和洋折衷(読み:わようせっちゅう)和風と洋風を合わせて調和させることを意味します。
|
漢字4文字の中の1つが「馬」であり、かつ「東西南北」のいずれかの漢字が含まれる四字熟語のうち、ナ行で始まる四字熟語は何でしょうか。
|
漢字4文字の中の1つが「馬」であり、かつ「東西南北」のいずれかの漢字が含まれる四字熟語のうち、ナ行で始まる四字熟語は「南船北馬」です。
|
JCRRAG_004632
|
国語
|
田中さんとの思い出
—広島、箕面・粟生間谷、ワシントンDC、天津、花蓮—
秋田茂
田中仁さんと筆者は、広島大学大学院・文学研究科時代の1980年から2020年まで、非常に長いおつき合いを通じて、多くの思い出を共有できる間柄であった。唯一、心残りなのは、2020年1月末の退職記念パーティの席に、激しい咳喘息のため出席できなかったことである。以下、幾つかの思い出を記すことで、追悼の辞に代えさせていただきたい。
(1)広島大学文学研究科の院生時代(1981年-84年)小規模な広島大学では、日本史・西洋史・東洋史の枠組みを超えた交流が盛んであった。雑誌「史学研究」の編集作業や学会共通論題の企画を共同で行い、また、私の修士論文の副査が田中さんの当時の指導教授・横山英先生(東洋史学・近現代の中国政治経済史)であったため、事前に助言を求めた。広島YMCAでの「人前」結婚式に招かれたことも印象的で、人とのつながりを大切にした、因習にはこだわらない結婚式に初めて出席した経験であった。
(2)大阪外国語大学での同僚として(1985年―2003年)田中さんは、1984年に私より1年間前に、旧大阪外国語大学中国語学科に職を得た。まったく偶然であるが、私も公募の形で、イギリス文化担当として外大英語科の助手として1985年に採用された。何のご縁も無かった大阪外大で専攻語実習の「重圧」を感じながら、英語運用能力(特に聞き取り)の弱さに当初悩んだ私には、文学部出身の先輩教員としての田中さんの存在は、非常に心強かった。当時の外大の各語学科は、言語・文学・「文化」の三分野の教員で構成されていたが、歴史学は少数派で孤立していた。そのため、語学科の壁を超えた交流の場として、アジア地域研究の専門家が自主的に集まって議論する「アジア研究会」(現アジア太平洋研究会)に、田中さんの紹介で加えてもらったことは、非常に有難かった。
アジア研究会では、会長の赤木攻先生(タイ地域研究)や、田中さんの同僚の西村成雄先生(中国地域研究)、桑島昭先生(南アジア地域研究)と知り合い、学内資金による小さな共同研究(特定研究)に加えていただいた。同時に、田中さんを含む学内の歴史・社会科学系研究者で科研費を申請し、3年間の共同研究(1989-91年)の末に、松田武・阿河雄二郎編「近代世界システムの歴史的構図」(広島:溪水社、1993年)を出版した。田中さんは同書で、第6章「1930年代における内モンゴル自治運動と日中関係」を執筆された。外大の歴史・地域研究系の研究者の本格的な共著出版として、学内で注目を集めた。
また、アジア研究会では、1991年度から、学内特定研究の資金を活用して、研究成果を事実上の年次報告書として継続的に出版していくことになった。雑誌「アジア学論叢」(現在の「アジア太平洋論叢」)の創刊である。これにも、中国現代史研究会(関西)で、毎回彙報(Newsletter)を編集・刊行された田中さんのアイデアが活かされていた。研究成果の「見える化」である。田中さんは、細かな編集作業にも精通され、面倒な作業を全部自分でやってしまう、熱心さとこだわりの精神を発揮されていたように思う。
「アジア学論叢」の発刊を契機に、アジア研究会の共同研究はさらなる発展を遂げた。それが1995年に学内出版物として編集・刊行した「アジア現代史年表」の作成である。この企画は、第二次世界大戦をはさんだ1940年代のアジア太平洋地域全般の「総合年表」作成をめざしたもので、歴史学研究会編「世界史年表」(岩波書店、1994年)の「アジア版」を意識したプロジェクトであった。通常、第二次世界大戦(アジア太平洋戦争)で区切られる、戦前・戦中・戦後を一つにつなげて、その連続性と断絶・変容を考察する「貫戦史」の観点から、東アジアから東南アジア・南アジア・西アジア・中央アジアを含めた諸地域間の相互連関・関係を、徹底的に個別の事実を収集し、年表として一目で俯瞰できるような配置で提示する、big-dataの処理が課題になった。当時のPCのデータ処理能力では限界があったため、印刷会社デリンス社の協力を得て、汎用コンピュータを利用したデータ処理と印刷が可能になった。デリンス社との交渉、処理されたデータの表現法など、細部にわたって田中さんの編集能力が発揮されたことは言うまでもない。残念なことに諸般の理由で、この「アジア現代史年表」は学内出版物に留まり、書籍として刊行・販売にまでには至らなかったが、主要図書館では閲覧可能で、旧大阪外大アジア研究会の総力を結集した取り組みであった。
田中さんが中国研究のプロで、中国現地の訪問や、史資料調査の経験は豊富であったが、欧米での学術交流の機会は限られていたと思われる。その中で、アジア研究会は、アメリカ外国史研究が専門の杉田米行氏の尽力で、当時、草創期のアメリカのインターネット学会であったHNETとの学術交流を試みた。1996年9月15日から29日まで、アメリカ東部への調査旅行を行い、松田武先生を団長に、田中さんを含めた5名で、首都ワシントンDCの議会図書館やスミソニアン博物館群、ヴァージニア大学の南北戦争デジタル・アーカイヴ、ボストンのハーヴァード大学・燕京図書館、そしてH-NETの本拠ミシガン州立大学を訪問した。H-NETの一部であるH-ASIAのeditorを引き受ける事や、教員間の相互訪問、学生交流の構想にまで話が及んだ記憶がある。一部は実現したものの、旧外大側の対応が追い付かず、H-NETとの交流は自然消滅したが、このアメリカ訪問は、後に田中さんが阪大移籍後に「中国文化フォーラム」を立ち上げる際に、少しは参考になったのではないだろうか。
(3)大阪大学の同僚として(2007年10月―2020年3月)筆者は、旧大阪外大と大阪大学の統合が実現するよりも4年前の2003年10月に、大阪大学文学研究科・西洋史学専修教授として移籍していた。2005年くらいから、両大学の統合案が具体化し、旧外大教員の所属先が問題になり始めた時、田中さんは、中国地域研究を続けるためにどこに所属すべきか悩んでおられた。地域研究専攻が設置される人間科学研究科(人科)が、東アジア外交史研究が可能な法学研究科(法研)か、どちらが望ましいか?相談を受けた時に私は、強く法学研究科への移籍を勧めた。人科の地域研究は小規模・中途半端で利用されるだけで、Disciplinesとしての外交史の専門家を求めている法研の方が、はるかにメリットがある点を強調した。結果的に、旧外大で中国地域研究の担当者は、法研、経済学研究科、人科の三つに分散移籍されたが、法研の田中さんが最も活躍された事実は疑いようがない。法研のオープンな雰囲気と優れた同僚との出会いが、歴史家としての田中さんを大きく変容させることになったと思われる。
法学研究科での田中さんの活躍の紹介は、法研同僚の方の紹介に譲りたいが、筆者は、初期の中国文化フォーラム立ち上げに協力した。そのご縁で、筆者は、2007年8月27-29日の天津・南開大学で、中国文化フォーラムと南開大学歴史学院・台湾東華大学歴史学系・中国現代史学会共催の国際フォーラムに参加するため、初めて南開大学を訪問した。報告は英語で行い、中国語への同時通訳が行われたため、中国語が使えない筆者のような参加者でも、十分な研究交流ができた。会議の夜は、夜景に照らし出された旧天津租界地区を案内していただき、イギリス非公式帝国研究との接点、多国間のtrans-imperial historyの現場を実感できた。また、南開大学には、中国の主要大学でも最大の「世界史研究部門」があるため、世界史関係の研究者との交流もできた。この接触が、翌2008年5月に開催された「アジア世界史学会設立準備会」で議論するため、天津を再訪することにつながった。2008年8月26-28日には、台湾の花蓮・東華大学で中国文化フォーラムの第二回国際セミナーが開催されたため、台北と台湾東岸の花蓮を訪問する機会を得た。さらに翌2009年8月25-27日に、大阪大学で第三回国際セミナーが開催され、そこでも3回連続で報告することになった。田中さんの紹介のおかげで、全くご縁のなかった天津・南開大学との交流、花蓮訪問を通じた台湾の対外関係研究者との交流が始まった。これは、2009年5月に正式に発足したアジア世界史学会(AAWH)の大阪大会、およびその後の中国語圏での世界史、グローバルヒストリー研究者を巻きこんだ、アジア太平洋圏での筆者自身の研究交流の飛躍的拡大につながった。その意味で、田中さんとの交友は決定的に重要であった。以上、田中さんと筆者の交友の一端を紹介する形で、田中さんのアジア太平洋研究会への貢献の一端を紹介した。彼の研究会の発展に対する尽力は、語りつくせないものがある。最後に、田中さんのご冥福を心より祈念いたします。
田中仁先生 略歴
1954年04月02日奈良県に出生
1973年03月奈良県立奈良高等学校卒業
1973年04月広島大学文学部史学科入学
1977年03月広島大学文学部史学科卒業
1977年04月広島大学研究生(1978年03月まで)
1978年04月広島大学大学院文学研究科博士前期課程進学
1981年03月広島大学大学院文学研究科博士前期課程修了(文学修士)
1981年04月広島大学大学院文学研究科博士後期課程進学
1984年03月広島大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学
1984年04月大阪外国語大学外国語学部講師
1988年01月大阪外国語大学外国語学部助教授
1988年03月文部省在外研究員として中国で研修(1989年01月まで)
1994年04月広島史学研究会県外評議員
1999年10月中国革命史中青年学術賞・海外優秀論文賞(中国社会科学院近代史研究所)
2001年01月大阪外国語大学外国語学部教授
2004年03月大阪外国語大学博士(国際学)
2004年10月日本現代中国学会理事(2020年09月まで)
2007年10月大阪大学大学院法学研究科教授
2008年04月中国現代史研究会理事(2020年03月まで)
2008年04月中国現代史研究会理事長(2012年03月まで)
2008年12月科学研究費委員会専門委員(2010年11月まで)
2009年12月東洋文庫客員研究員2015年07月大阪大学総長顕彰(研究部門)
2016年10月日本現代中国学会理事長(2018年09月まで)
2016年12月科学研究費委員会専門委員(2017年11月まで)
2017年11月中国・南開大学講座教授(2020年09月まで)
2020年03月大阪大学定年退職2020年04月大阪大学名誉教授
2020年04月大阪経済法科大学国際学部教授
2021年03月大阪経済法科大学退職
2023年04月14日ご逝去
|
「アジア現代史年表」が作成されたのは、雑誌「アジア学論叢」が創刊されてから何年後ですか。
|
「アジア現代史年表」が作成されたのは、雑誌「アジア学論叢」が創刊されてから4年後です。
|
JCRRAG_004633
|
国語
|
定年退職してからというもの、僕は暇を持て余し、毎日近所を散歩してばかりだ。
この辺りはまだまだ自然が多く、季節の草花を見ることは僕の楽しみのひとつになっている。
楽しみといえば、丘の上に住む三郎さんとの会話もそうだ。
三郎さんは僕より5つばかり年上で、奥さんに先立たれた寂しさからか、犬をたくさん飼っている。
そんな三郎さんに、僕は時々、散歩コースを延長して会いに行くのだ。
三郎さんが飼っている犬は、全部で5匹。
それぞれ、ポチ、ミルク、ハナ、虎、大福、と名付けられている。
僕が三郎さんの家の玄関を開けると、いつも真っ先に駆けてくるのは大福だ。この子は白と黒のブチ模様で、三郎さんの家に来てからまだ半年程度のメスだが、保護犬を引き取ったらしく、生まれてからすでに数年が経っている。
そして大福に少し遅れて、真っ黒い毛並みの虎がのそのそ歩いてくる。こいつは他の子より少し体が大きいオスで、三郎さんが飼い始めて2年だと言っていた。
その後、僕を出迎えに玄関まで来てくれる三郎さんにまとわりつくように、ミルクとハナの2匹もやってくる。この2匹はメスの姉妹だそうで、揃ってかなり体が小さい。三郎さんの親戚の家で生まれたのを、5年前、姉妹まとめて引き取ったのだとか。ちなみにミルクは名前の通り真っ白で、ハナは薄茶色の犬だ。
なおポチはすでに高齢なこともあり、いつも縁側でお気に入りの座布団の上に寝そべっていて、玄関まで出てくることはない。三郎さんの家で飼われだしてから一番長く、もう10年になるオス犬だ。毛色は、焦茶色の体にところどころ白い模様が入っている。
三郎さんはいつも僕にお茶を淹れてくれて、犬の話、大好きな将棋の話、最近趣味で始めた蕎麦打ちの話など、色々と聞かせてくれる。僕も散歩だけでなく、三郎さんのように何か趣味を見つけると良いのかもしれない。
|
三郎さんが飼い始めてから1年以上が経っていて、毛色が1色で、なおかつオスなのはどの犬ですか?
|
三郎さんが飼い始めてから1年以上が経っていて、毛色が1色で、なおかつオスである犬は虎です。
|
JCRRAG_004634
|
国語
|
ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」(岩波文庫・高橋健二氏訳)は、ヘッセの作品のなかでも多くの人々に愛読されているものだろうと思う。同じ岩波文庫で「青春彷徨」(ペーター・カーメンチント・関泰祐氏訳)が出ていて、ヘッセを詩人として確立させたこの作は、二十世紀初頭の文化や文学に対して二十七歳だった作者が抱いた批判や、自分としての立場がペーターの彷徨とその終結のうちに語られている。この小説で、ヘッセは自分が「大多数の人々がその思想と情熱の全精力を社会や国家や科学や芸術や教授方法に向けるのをみた。しかし何等外的な目的を持たないで、自分自身を築き上げ、時代と永遠とに対する自分達の個人的関係を浄化しようという欲求」に立つ詩人であり、生活の核心に近づくため「あらゆる好意とよろこびの核心は愛であること」を語る詩人であることを明らかにした。当時ドイツの文学のなかで「青春彷徨」が発展小説の一つの典型と云われたのは、主人公である青年ペーターの性格と人間的な精神とが、生活の流れのなかにただ漂っているのではなくて、ある探求をもって成長し前進し発展を辿ろうとしているためであろう。「車輪の下」は「青春彷徨」につづいて明治四十二年小山内薫が初めて「自由劇場」を創立して、日本の文学は自然主義の頂点に立っていた時分に書かれた作品である。ハンス・ギーベンラートという感受性のきわめてつよい、内気な、天賦の才能のかくされた少年が大人たちの俗っぽい野心や名誉心の犠牲となって、ついに自然なその子にふさわしい成長を挫かれ、あわれな最後をとげる一つの物語である。作者は、ハンスと同じ息づまる条件のなかに暮している官費神学校生徒にハイルナーを見出し、ハンスよりは強烈に闘争的なハイルナーは、脱走という周囲をこわす方法で自身を救い出し、そういうことをしないおとなしい、境遇に対して敏感ではあるが受身なハンスが、粗野な俗っぽい世界で己を滅ぼされてゆく過程を、暖かく精密な心で描き出しているのである。その下に愛すべき青春を轢挫く世俗の車輪は、ヘッセのみるところでは、所謂現実的な人々の生活に対する真の愛の欠乏である。そういう大人たちは、この人生に自分たちの欲望しか認めず、自分たちの希望の成就しか目ざさずそのために未来は人間のよろこびとなる存在であったかもしれない稚く美しく哀れな生命の幾つかが圧しつぶされ、壊滅してゆくことについては全く鈍感に生活している。「青春彷徨」で云っているように愛するという甘美で困難な仕事は、その困難がいかに深刻であるかということを、ヘッセは「車輪の下」においても語ろうとしているのだと思う。
|
小山内薫が初めて「自由劇場」を創立して、日本の文学が自然主義の頂点に立っていたとされる時期は2025年現在から何年前のことですか?
|
小山内薫が初めて「自由劇場」を創立したのは明治42年(1909年)ですので、その時期は2025年現在から116年前ということになります。
|
JCRRAG_004635
|
国語
|
山田、佐藤、安倍、河合、井手の5人は、1月1日未明に東京駅に集まった。
ミュージシャンの山田と佐藤は長髪だが、柔道部に所属する河合と井手の2人は坊主頭だ。そのため、河合と井手は真冬の風がとても冷たかった。
安倍は5人の中で唯一の女性で、ショートカットだった。
5人は揃って小田原行の電車に乗った。向かう先は江ノ島だ。彼らは江ノ島で初日の出を見るつもりだ。
寒さに震える山田と安倍は、車内でホットコーヒーを飲んだ。一方、佐藤、河合、井手の3人は、おつまみを片手にビールをぐいぐいと飲んだ。
乗換駅の藤沢に着くと、5人で言い合いが始まった。安倍と佐藤がタクシーで江ノ島まで移動することを提案したのだが、河合と井手、そして山田がそれに大反対したのだ。その時、3人は反対の理由を言わなかった。
そこで、提案した安倍と佐藤は、タクシー代の全額を払うと申し出た。すると、河合、井手、山田の3人は、タクシー移動に喜んで賛成した。タクシー代を払うのが嫌だったのだろうか。結局、安倍と佐藤はタクシー代を2人で割り勘して全額を支払った。
後で分かったことだが、井手は妻から貰えるお小遣いが毎月3000円しかなかったそうだ。安倍はその話を聞いて、いつも笑っていたそうだ。
江ノ島に着くと、初日の出の鑑賞を目当てに集まった人たちでごった返していた。5人は、静かにご来光を拝むことはできなかったものの、美しい初日の出を見ることができ、新年をすがすがしい気持ちで迎えることができた。
|
山田、佐藤、安倍、河合、井手の5人のうち、小田原行の電車内でおつまみを食べ、その後、コンビニのおでんをごちそうされた男性は誰ですか?
|
山田、佐藤、安倍、河合、井手の5人のうち、小田原行の電車内でおつまみを食べ、その後、コンビニのおでんをごちそうされた男性は佐藤です。
|
JCRRAG_004636
|
国語
|
第2章2節 大正時代
大正の短歌
大正元年(1912)、小田島孤舟は浄法寺村(現・二戸市浄法寺町)で第1歌集『郊外の丘』を出版します。当時地方で個人の歌集を出版するのは珍しく、盛岡中学校の生徒であった宮沢賢治も購入し、読んでいたようです。賢治自身も、大正時代に多くの短歌を遺しています。
大正12年(1923)の年末、『岩手日報』紙上で歌を詠むことの意味を巡り激しい論争が展開されます。論陣を張ったのは、下山清(しもやま きよし)と小原節三(おばら せつぞう)という二人の歌人でした。清が『岩手日報』の紙上で「歌など一種の遊戯に過ぎぬ」と述べたことに対し、節三は「(歌は)遊戯であるかも知れない。ただあまりに涙ぐましい遊戯である」と返しています。短歌を「生活の頂点」とした節三と「爪の垢ほどの慰藉(いしゃ)」とした清の論争は結果として平行線のまま終わってしまいます。しかし、歌を詠む意味という根本的な問題について交わされた論議は、岩手の短歌史のなかだけに留まらず、文芸という営みを語る上でも印象深い出来事と言えます。
小田島孤舟(おだしま こしゅう)
岩手県を中心に活動した歌人です。清雅な書風を持つ書家でもあり、また『岩手教育』などの編纂を手がけた教育者としても知られています。
孤舟は自らの歌作に励む一方、多くの短歌団体の結成や文芸誌の発行にあたり、岩手の短歌文芸の振興に寄与しました。明治42年(1909)に俳人・相沢暁村と発行した詩歌誌『曠野(こうや)』は、中央で活躍する文人たちからの寄稿も多く、岩手の文壇と中央文壇をつなぐ大きな架け橋となります。ほかにも岩手歌人協会の設立や、多数の短歌会の指導にあたり、明治・大正・昭和と時代を通じて短歌文芸に積極的に携わりました。その多彩な活動から「岩手歌壇の父」と称されています。
孤舟の土沢尋常高等小学校時代の同級生に、洋画家・萬鉄五郎がいます。当初画家を志していた孤舟ですが「萬の画力には及ばなく、画家の道を思いとどまった」と短歌に遺しています。二人の交流はその後も続き、歌集の表紙画の多くを萬が描いています。
宮沢賢治
宮沢賢治といえば『春と修羅』のような詩や『注文の多い料理店』に代表される童話が有名ですが、学生時代を中心として、短歌の創作にも力を入れていました。特に大正5、6年(1916-1917)には集中して数多くの短歌を創作しており、友人の保阪嘉内(ほさか かない)とともに発行した同人雑誌『アザリア』には62首もの短歌を発表しています。
賢治の短歌は、その特異な着眼点と感性豊かな比喩表現の独自性で知られ、31文字という短さのなかにも自由で独特な世界観を作り上げました。なかには、方言を用いた会話文のみで構成されたユニークな歌や、宇宙から地球を眺める壮大なスケールで詠まれた歌もあります。「シグナル」や「どんぐり」など、その後創作する童話や詩などに通じるモチーフが登場する点も見逃せません。
|
宮沢賢治は1916年から1917年にかけて『アザリア』に年平均で何首の短歌を発表しましたか?
|
宮沢賢治は1916年から1917年にかけて『アザリア』に年平均で31首の短歌を発表しました。
|
JCRRAG_004637
|
国語
|
第1章 短歌と俳句
短歌
5・7・5・7・7の5句31音で構成される和歌のことを短歌と呼びます。短歌の起源についてはっきりしたことは分かっていませんが、日本最古の和歌集『万葉集』の存在から、奈良時代には既に短歌は詠まれていたと考えられています。
和歌とは中国の漢詩に対して発生した名称で、短歌のほかに長歌(ながうた)や旋頭歌(せどうか)、片歌(かたうた)といった種類がありました。しかし平安時代以降、短歌以外の和歌はほとんど詠まれなくなり、和歌と言えば主に短歌のことを指すようになりました。
歴史の中で脈々と受け継がれてきた短歌ですが、明治時代になると正岡子規(まさおか しき)によって短歌の革新運動が起こります。旧来の伝統にとらわれず、新しい表現方法を取り入れる革新が起こったことで、短歌の世界はより多くの人が楽しめるものへと広がっていきました。
俳句
俳句とは、5・7・5の17音でつくる詩のことで、世界一短い詩といわれています。「季語」という季節を表す言葉を入れるというルールがあります。
俳句は短歌から派生して生まれました。平安時代には主に貴族の間で親しまれた短歌は、室町時代になると上の句(5・7・5)と下の句(7・7)を別々の人が読む「連歌」となって庶民の間にも流行します。次第に、旧来の伝統にとらわれず洒落や言葉遊びなどを交えた歌が作られるようになり、そういった歌は「愉快な」という意味を持つ「俳諧」や「俳諧の連歌」と呼ばれました。江戸時代に松尾芭蕉が「蕉風(しょうふう)」と呼ばれる独自の作風を打ち立て、俳諧は芸術にまで高められました。そのころから発句(季語を必ず入れる前半の5・7・5)が句の中心となっていきます。
明治時代になると、俳諧の革新を提唱した正岡子規によって発句は名称を「俳句」と改められ、一般に定着します。発句の形式が俳句として定着したことで、俳句は短詩型文芸として確立され、今日まで続く日本の代表的な文芸のひとつとなりました。
|
短歌は俳句より何音多いですか。
|
短歌は俳句より14音多いです。
|
JCRRAG_004638
|
国語
|
本年は、ADHO(Alliance of Digital Humanities Organizations)の年次国際学術大会DH2022が東京大学を拠点としてオンライン開催されるという、日本のデジタル・ヒューマニティーズ(DH)分野にとっては大きな出来事があった。"Responding to Asian Diversity"のテーマの下、世界中のDH研究者がオンラインで参加するなかで、日本を含むアジアに関するDH研究も様々な形で広く知られる機会を得た。今後、国際的なDHの潮流にアジアがより本格的に参画することで、その多様性がもたらし得る意義をより深めていくものと期待している。
そのようななかで、本分野の日本語論文誌『デジタル・ヒューマニティーズ』は隔年刊行で本年の刊行で第三号となる。今回も意欲的な論文の応募があり、編集委員会による検討と匿名の査読者の方々によるきわめて丁寧な査読があり、2本の論文と1本の研究データ論文が掲載されることとなった。いずれも、本分野の今後の発展を期待させる素晴らしい論文であるように思う。
今号にて初めての掲載となった研究データ論文の経緯についても触れておきたい。本誌では、研究データに関する論文の受け入れをはやくから表明していたものの、なかなか掲載には至らなかった。今回は、J-STAGEが研究データ搭載サービスJ-STAGE Dataを開始し、本誌でもこのサービスに参加したことからデータ搭載が可能となり、研究データ論文の受け入れ体制がより充実することとなった。このタイミングでデータ論文の投稿をいただいたことは本誌としてもありがたいことであった。人文学における日本語での研究データ論文の取組みは現在のところは希少なものであり、今回の掲載は、日本において人文学がオープンサイエンスに対応するための貴重な一歩である。データ作成をされた執筆者、初めての掲載に向けてルールの細部を検討しながら査読を担当した査読者の方々、そして、それをとりまとめた編集委員会が傾けた労力は、DHのみならず、より大きな文脈においてもその意義が認められることになると確信している。
なお、『情報処理学会論文誌』の人文科学とコンピュータ特集号が隔年刊行されているため、査読等にかかる同分野の研究者のリソースを消費しすぎないようにするという観点から、本誌は現在のところ隔年刊行を継続している。同特集号は2023年5月締切り、そして、本誌は2024年春の締切りを予定している。ただし、本誌は、早期公開制度を採っており、次号の締切りに関わらず、早期公開として対応することは可能であり、本誌への投稿を希望する論文があればいつでも投稿をお待ちしている。今後も、同特集号とともに、日本のデジタル・ヒューマニティーズの発展に寄与していくことを目指したい。
|
『デジタル・ヒューマニティーズ』第三号には、論文と研究データ論文の合計で何本が掲載されることになりましたか。
|
『デジタル・ヒューマニティーズ』第三号には、論文と研究データ論文の合計で3本が掲載されることになりました。
|
JCRRAG_004639
|
国語
|
第1章 短歌と俳句
短歌
5・7・5・7・7の5句31音で構成される和歌のことを短歌と呼びます。短歌の起源についてはっきりしたことは分かっていませんが、日本最古の和歌集『万葉集』の存在から、奈良時代には既に短歌は詠まれていたと考えられています。
和歌とは中国の漢詩に対して発生した名称で、短歌のほかに長歌(ながうた)や旋頭歌(せどうか)、片歌(かたうた)といった種類がありました。しかし平安時代以降、短歌以外の和歌はほとんど詠まれなくなり、和歌と言えば主に短歌のことを指すようになりました。
歴史の中で脈々と受け継がれてきた短歌ですが、明治時代になると正岡子規(まさおか しき)によって短歌の革新運動が起こります。旧来の伝統にとらわれず、新しい表現方法を取り入れる革新が起こったことで、短歌の世界はより多くの人が楽しめるものへと広がっていきました。
俳句
俳句とは、5・7・5の17音でつくる詩のことで、世界一短い詩といわれています。「季語」という季節を表す言葉を入れるというルールがあります。
俳句は短歌から派生して生まれました。平安時代には主に貴族の間で親しまれた短歌は、室町時代になると上の句(5・7・5)と下の句(7・7)を別々の人が読む「連歌」となって庶民の間にも流行します。次第に、旧来の伝統にとらわれず洒落や言葉遊びなどを交えた歌が作られるようになり、そういった歌は「愉快な」という意味を持つ「俳諧」や「俳諧の連歌」と呼ばれました。江戸時代に松尾芭蕉が「蕉風(しょうふう)」と呼ばれる独自の作風を打ち立て、俳諧は芸術にまで高められました。そのころから発句(季語を必ず入れる前半の5・7・5)が句の中心となっていきます。
明治時代になると、俳諧の革新を提唱した正岡子規によって発句は名称を「俳句」と改められ、一般に定着します。発句の形式が俳句として定着したことで、俳句は短詩型文芸として確立され、今日まで続く日本の代表的な文芸のひとつとなりました。
|
俳諧の発句は何音ですか。
|
俳諧の発句は17音です。
|
JCRRAG_004640
|
国語
|
100歳健康法
ドクターT
孔子曰く「吾、15にして学に志し、30にして立ち、40にして惑わず、50にして天命を知る。60にして耳順(耳にしたがう)、70にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず」
唐の詩人杜甫の詩・曲江(きょっこう)「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」
徒然草第7段「命長ければ辱多し。長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。」
明治以前については詳しい統計がなく、人間の寿命がどのくらいであったか定かではありませんが、明治中頃以降の統計からみるとおよそ40歳前後ではなかったかと思います。戦後日本人の平均寿命(0歳児の平均余命)は急速に伸びて、1947年に男性50歳、女性53歳だったものが、1960年には男性65歳、女性70歳、そして2015年には男性80歳、女性87歳となり、今世紀中には女性の平均寿命100歳超えも夢ではなさそうです。
高齢者の定義は65歳以上で年金も満額もらえるようになり、65歳~74歳までを前期高齢者、75歳以上を後期高齢者と呼んでいましたが、最近日本老年学会の提言がありました。65歳~74歳を準高齢者、75歳以上を高齢者、90歳以上を超高齢者と呼ぼうと言うのです。65歳~74歳は準ですから高齢者から外れることになります。すぐにではないかも知れませんが年金制度も変わってくるかも知れません。
私は1950年生まれ、その当時の男性の平均寿命(0歳児の平均余命)は60歳弱でしたので、2016年現在66歳となり、すでに平均寿命を超えたことになります。私の父は1895年(明治28年)生まれで1985年に90歳で出血性脳梗塞で亡くなりました。母は1915年(大正4年)生まれで2011年96歳老衰で亡くなりました。その時代に生きた人としては長寿であり、私は長寿の遺伝子を引き継いでいると思われます。
長寿の遺伝子に67年生きて来て経験したこと、それに医学の知識を加えて、ここに100歳まで健康で長生きする秘訣について書くことにしました。私の最初の著作「儲かる舟券の買い方」は読んでも儲からないと不評でしたが、この本を読んで実践すれば100歳まで健康で長生き出来るかどうかと言う実証は33年待って下さい。
|
1947年の日本人の平均寿命は男性が女性より何歳短いですか。
|
1947年の日本人の平均寿命は男性が女性より3歳短いです。
|
JCRRAG_004641
|
国語
|
100歳まで長生きするには
100歳まで長生きするのは簡単です。死ななければよいのです。何故死ぬかと言えば、死因があるから死ぬのです。死亡の原因となる死因をひとつずつ取り除いていけば、必然的に長生き出来ることになります。死因は時代によって変わりますが、毎年死因統計が厚生の指標として発表されています。それは死亡診断書・検案書から死亡小票が作られて集められまとめられたものです。平成23年の死因統計を見ると、全年代で見ると、1位悪性新生物(癌)、2位心疾患、3位肺炎、4位脳血管疾患、5位不慮の事故で、3大死因と言われた中から脳血管疾患が順位を下げ、肺炎が3位に上がって来ました。年代ごとに死因を見ると、特徴があります。19歳までは不慮の事故がトップですが、20~39歳までは自殺がトップです。働き盛りになる40歳から89歳までは癌がトップになり、心疾患が2位です。90~99歳までは心疾患がトップで、100歳を超えると老衰となります。それでは死因ごとにそれを予防・克服する方法を考えてみましょう。
君子危うきに近寄らず
20歳までの若い人の死因で多いのは不慮の事故によるものです。それ以外に死ぬ理由がないと言うのが本当のところでしょうが、交通事故や無差別殺人の犠牲になるのは子供か老人が多いのは確かです。昔は戦争で死んだ若者がたくさんいましたが、今の日本ではPKOで派遣されて死んだ自衛隊員も今のところいません。時に治安の悪い国へ行って、紛争に巻き込まれて命を落とす人もいます。自分で無謀運転をすれば自業自得ですが、交通ルールを守っていても飲酒運転や覚醒剤中毒者やスマホをしている運転者により命を落とす人もいます。また想定外の地震や津波で命を落としたり、火山の噴火で命を落とす場合も稀ですがあります。防ぎようのない事故もありますが、防ぐことの出来るもの、想定外でも対応によって命運を分ける場合もあります。いずれにしても危険が想定される場所を出来るだけ避けましょう。
自殺を防ぐには?
自殺は交通事故の5倍以上あり、増加傾向にあります。20~39歳では第1位となり、10~19歳、40~64歳でも5位以内に入っています。以前蒲郡の警察医を10年あまりしていたことがあり、その時に毎年数十例の異常死体の検案をしていました。そんなある年に日本警察医会で蒲郡での自殺例を調べて7年間の統計をまとめた発表をしたことがあります。その時に日本での自殺の頻度は人口10万人対で20人でしたが、蒲郡では22人くらいになりました。それは蒲郡が自殺に適した環境が整っているからと考えられました。新幹線、JR在来線と名鉄と言う3本の鉄道があり、毎年のように飛込み自殺がありましたし、海と山があり、入水自殺、山の中での首吊りの場所にも困りません。しかし、自殺の方法で多いのは何と言っても、オーソドックスな首吊りと練炭自殺でした。名鉄が高架化したことで、飛込みの多かった踏切がなくなり、その場所での自殺はなくなりました。方法を減らすことは多少は自殺の減少に役立つかも知れませんが死にたい人は何とか他の方法を見つけるものです。
自殺の動機を見ると、病気を苦にして、あるいは躁うつ病や統合失調症と言った病気そのものが原因であるものが30%ほどを占めていました。うつ状態の時に他人は励ましがちですが、本人にとってはますます責任を感じて落ち込みますので、逆効果です。うつ状態の時には休ませるのが一番です。借金苦や仕事・人間関係の悩みは自殺の動機としてよくありますが、一般に考えられているような失恋を動機として自殺する人はいませんでした。唯一可愛がっていた猫が死んで後追い自殺したケースがありました。
自殺する人はそのサインを周りに出している人がほとんどです。周りの人はそのサインを見逃さず、対応することである程度減らすことが出来ると思います。
|
蒲郡での自殺率は日本での自殺率より何%高かったですか。
|
蒲郡での自殺率は日本での自殺率より0.002%高かったです。
|
JCRRAG_004642
|
国語
|
金がなくなると、生協の素うどん(1杯30円)で1週間くらい凌いだこともありました。3回生になった頃に、母親同士が付き合っていたこともあり、保育園と小学校の同級生の今の女房と半分お見合いをさせられました。女房は県芸の4年生で大学院も進む予定でした。私は3回生と言ってもほとんど単位は取ってなくて、この先卒業まで何年かかるか判らない状態でしたし、後にフィールズ賞をもらい大数学者となった森重文君を見ていて、学問の世界で身を立てることも諦めていましたし、理学部を卒業しても学校の先生くらいしか働き口はありません。そこで、女房との結婚を前提に将来の安定を考えて、高校時代一番嫌いだった医学部への転向を決心しました。医学部は確かに一人前になるのに時間はかかりますが、一度医師免許を取れば、更新制度はありませんし、動ける限り仕事にあぶれることはありません。すでに昔のような3世代、4世代同居と言った大家族制は破綻しており、働くことが出来なくなってから子供に面倒を見てもらう期待は早々に放棄した方がよさそうで老後の計画は自分の責任で立てなければいけません。私は検視立会医として年間数十例の変死体を診ていますが、最近多いのは一人暮らし老人のゴミ屋敷での孤独死です。最後は少なくとも施設に入るくらいのお金は準備しておかなければいけません。
働かずに、頭を使って金を儲ける方法としてギャンブルで儲ける方法を以前から研究しています。公営ギャンブルは競馬、競輪、競艇、オートレースがありますが、公営ギャンブルの還元率は75%と決まっています。出鱈目に買っていれば、25%ずつ損をしていくのが平均である計算となりますが、私は競艇で儲ける方程式を創ろうと思っています。以前フライングして書いた『儲かる舟券の買い方』はその通りに買っていても儲かりません。でも最近はほぼトントンで遊べるようになりました。確実に儲かる方程式が完成したらまた発表したいと思います。
|
公営ギャンブルで500円賭けた場合、還元額はいくらになりますか?
|
公営ギャンブルで500円賭けた場合、還元額は375円になります。
|
JCRRAG_004643
|
国語
|
3.4つの観点による接続表現の分類
日本語学習者が接続表現を使用する際の問題点を分析するにあたって,構築した接続表現リストに対し4つの観点から分類をおこなった.なお,コーパス中の接続表現の出現頻度をカウントしているが,文頭で出現し,かつ,読点が後接している接続表現に限定している.これは読点が後接していない場合,単純な機械的照合では接続表現として使用していない表現をカウントしてしまう可能性があるからである.岩崎(2018)では接続詞の直後に読点が打たれる要因として,接続詞が文頭にあるときが強い指標となっていたと分析しており,本研究で読点が後接している接続表現に限定しても大まかな使用傾向を捉えられると考えている.同様の理由から文中で出現する接続表現についても本研究では対象としない.
3.1 接続表現の形態論的分類
接続表現リストの中には「結果」「結果は」「その結果」「結果として」「その結果としては」のように接続表現の中核をなす語基「結果」によってグループを構成する一連の表現がある.このようなグループは,後述する石黒の意味機能も同じ分類に属し,ニュアンスが微妙に異なるもののグループ内でお互いに置換可能であるものが多い.そこで,形態論的に由来が同じであり,意味機能が同等な接続表現をグルーピングした.置換可能な接続表現がリスト内にない場合は1つの要素からなるグループとなる.次に,グループ内で次の指標をもとに基本接続表現を1つ認定する.
1)構成要素が単純(形態素数が少ない)
2)辞書記載数が多い
3)使用頻度が高い(中でも,BCCWJ,学術論文での頻度が高い)
4)レジスター(文章語・口語・書き言葉・話し言葉)のなかで,文章語・書き言葉を優先,口語・話し言葉の優先度は低い
上記の1)~4)の条件を勘案し判定したものを基本接続表現(以後,「基本」)とし,そのグループ内で,「基本」に選ばれなかったものを派生接続表現(以後,「派生」)とする.「そしてまた」「まず最初に」のような複数の接続表現が連結している接続表現があり,本稿ではこれらを二重接続表現(以後,「二重」)と呼ぶが,どちらを「基本」とするかは文脈に依存する場合もあり一律の基準を設定できないため,基本・派生の分析からは除外する.分類の結果,「基本」270項目,「派生」236項目,「二重」17項目となった.
|
接続表現のうち「基本」は「派生」よりいくつ多いですか。
|
接続表現のうち「基本」は「派生」より34多いです。
|
JCRRAG_004644
|
国語
|
2.コーパスと接続表現リスト
2.1 分析に使用したコーパス
接続表現の出現頻度の集計と分析において,次に説明する5つのコーパスを使用した.
・現代日本語書き言葉均衡コーパスの一部(BCCWJ)
BCCWJは国立国語研究所が現代日本語の書き言葉の全体像を把握するために構築したコーパスで,複数のメディア/ジャンルに分かれている.本研究ではこのうち校正の入っていると思われる書き言葉の文章のみに限定するため,Yahoo!知恵袋,Yahoo!ブログ,国会会議録,および韻文のジャンルを除いた複数のサブコーパスをBCCWJとして扱う.
・人文・社会科学論文
総合学術電子ジャーナルサイトJ-STAGEにおいて分野を「人文・社会科学系」に指定して得られた学会誌から,各学会20論文を上限に我々が独自に収集した.数は1508論文.
・科学技術論文
我々が「言語処理学会」「土木学会」「日本化学会」「日本医科大学会」「環境資源工学会」「電気学会」から独自に収集したデータで,「言語処理学会」は論文と年次大会の予稿集,それ以外の学会誌は論文である.数は4865文献.
・学習者論文
ベトナムのハノイ貿易大学日本語学部の卒業論文を収集したコーパスで,分野は主に人文社会である.この大学は近年ビジネス日本語に力を入れており,日本語学部としてはベトナム国内でもトップクラスである.論文を執筆した卒業生の多くは日本語能力検定N1,N2を取得している.収集した数は53論文.
・学習者作文
5つの日本語学習者作文コーパス「JCK作文コーパス」「日本語学習者コーパス」「学生の日本語意見文」「なたね」「Hinoki作文実験」を1つのコーパスとしてまとめた.平均的な学習者レベルは日本語能力検定N1程度.中国語,韓国語を母語とする学習者が多い.収集した数は847編.
|
学習者作文は5つの日本語学習者作文コーパスから1つあたり平均何編収集されましたか。
|
学習者作文は5つの日本語学習者作文コーパスから1つあたり平均169.4編収集されました。
|
JCRRAG_004645
|
国語
|
2.コーパスと接続表現リスト
2.1 分析に使用したコーパス
接続表現の出現頻度の集計と分析において,次に説明する5つのコーパスを使用した.
・現代日本語書き言葉均衡コーパスの一部(BCCWJ)
BCCWJは国立国語研究所が現代日本語の書き言葉の全体像を把握するために構築したコーパスで,複数のメディア/ジャンルに分かれている.本研究ではこのうち校正の入っていると思われる書き言葉の文章のみに限定するため,Yahoo!知恵袋,Yahoo!ブログ,国会会議録,および韻文のジャンルを除いた複数のサブコーパスをBCCWJとして扱う.
・人文・社会科学論文
総合学術電子ジャーナルサイトJ-STAGEにおいて分野を「人文・社会科学系」に指定して得られた学会誌から,各学会20論文を上限に我々が独自に収集した.数は1508論文.
・科学技術論文
我々が「言語処理学会」「土木学会」「日本化学会」「日本医科大学会」「環境資源工学会」「電気学会」から独自に収集したデータで,「言語処理学会」は論文と年次大会の予稿集,それ以外の学会誌は論文である.数は4865文献.
・学習者論文
ベトナムのハノイ貿易大学日本語学部の卒業論文を収集したコーパスで,分野は主に人文社会である.この大学は近年ビジネス日本語に力を入れており,日本語学部としてはベトナム国内でもトップクラスである.論文を執筆した卒業生の多くは日本語能力検定N1,N2を取得している.収集した数は53論文.
・学習者作文
5つの日本語学習者作文コーパス「JCK作文コーパス」「日本語学習者コーパス」「学生の日本語意見文」「なたね」「Hinoki作文実験」を1つのコーパスとしてまとめた.平均的な学習者レベルは日本語能力検定N1程度.中国語,韓国語を母語とする学習者が多い.収集した数は847編.
|
学習者作文の数は学習者論文の数よりどれくらい多いですか。
|
学習者作文の数は学習者論文の数より794多いです。
|
JCRRAG_004646
|
国語
|
2.コーパスと接続表現リスト
2.1 分析に使用したコーパス
接続表現の出現頻度の集計と分析において,次に説明する5つのコーパスを使用した.
・現代日本語書き言葉均衡コーパスの一部(BCCWJ)
BCCWJは国立国語研究所が現代日本語の書き言葉の全体像を把握するために構築したコーパスで,複数のメディア/ジャンルに分かれている.本研究ではこのうち校正の入っていると思われる書き言葉の文章のみに限定するため,Yahoo!知恵袋,Yahoo!ブログ,国会会議録,および韻文のジャンルを除いた複数のサブコーパスをBCCWJとして扱う.
・人文・社会科学論文
総合学術電子ジャーナルサイトJ-STAGEにおいて分野を「人文・社会科学系」に指定して得られた学会誌から,各学会20論文を上限に我々が独自に収集した.数は1508論文.
・科学技術論文
我々が「言語処理学会」「土木学会」「日本化学会」「日本医科大学会」「環境資源工学会」「電気学会」から独自に収集したデータで,「言語処理学会」は論文と年次大会の予稿集,それ以外の学会誌は論文である.数は4865文献.
・学習者論文
ベトナムのハノイ貿易大学日本語学部の卒業論文を収集したコーパスで,分野は主に人文社会である.この大学は近年ビジネス日本語に力を入れており,日本語学部としてはベトナム国内でもトップクラスである.論文を執筆した卒業生の多くは日本語能力検定N1,N2を取得している.収集した数は53論文.
・学習者作文
5つの日本語学習者作文コーパス「JCK作文コーパス」「日本語学習者コーパス」「学生の日本語意見文」「なたね」「Hinoki作文実験」を1つのコーパスとしてまとめた.平均的な学習者レベルは日本語能力検定N1程度.中国語,韓国語を母語とする学習者が多い.収集した数は847編.
|
科学技術論文の数は人文・社会科学論文の数、学習者論文の数、学習者作文の数を足した数よりどれぐらい多いですか?
|
科学技術論文の数は人文・社会科学論文の数、学習者論文の数、学習者作文の数を足した数より2457多いです。
|
JCRRAG_004647
|
国語
|
2.コーパスと接続表現リスト
2.1 分析に使用したコーパス
接続表現の出現頻度の集計と分析において,次に説明する5つのコーパスを使用した.
・現代日本語書き言葉均衡コーパスの一部(BCCWJ)
BCCWJは国立国語研究所が現代日本語の書き言葉の全体像を把握するために構築したコーパスで,複数のメディア/ジャンルに分かれている.本研究ではこのうち校正の入っていると思われる書き言葉の文章のみに限定するため,Yahoo!知恵袋,Yahoo!ブログ,国会会議録,および韻文のジャンルを除いた複数のサブコーパスをBCCWJとして扱う.
・人文・社会科学論文
総合学術電子ジャーナルサイトJ-STAGEにおいて分野を「人文・社会科学系」に指定して得られた学会誌から,各学会20論文を上限に我々が独自に収集した.数は1508論文.
・科学技術論文
我々が「言語処理学会」「土木学会」「日本化学会」「日本医科大学会」「環境資源工学会」「電気学会」から独自に収集したデータで,「言語処理学会」は論文と年次大会の予稿集,それ以外の学会誌は論文である.数は4865文献.
・学習者論文
ベトナムのハノイ貿易大学日本語学部の卒業論文を収集したコーパスで,分野は主に人文社会である.この大学は近年ビジネス日本語に力を入れており,日本語学部としてはベトナム国内でもトップクラスである.論文を執筆した卒業生の多くは日本語能力検定N1,N2を取得している.収集した数は53論文.
・学習者作文
5つの日本語学習者作文コーパス「JCK作文コーパス」「日本語学習者コーパス」「学生の日本語意見文」「なたね」「Hinoki作文実験」を1つのコーパスとしてまとめた.平均的な学習者レベルは日本語能力検定N1程度.中国語,韓国語を母語とする学習者が多い.収集した数は847編.
|
科学技術論文は各学会から平均でいくつ収集されましたか。
|
科学技術論文は各学会から平均で約810収集されました。
|
JCRRAG_004648
|
国語
|
2.コーパスと接続表現リスト
2.1 分析に使用したコーパス
接続表現の出現頻度の集計と分析において,次に説明する5つのコーパスを使用した.
・現代日本語書き言葉均衡コーパスの一部(BCCWJ)
BCCWJは国立国語研究所が現代日本語の書き言葉の全体像を把握するために構築したコーパスで,複数のメディア/ジャンルに分かれている.本研究ではこのうち校正の入っていると思われる書き言葉の文章のみに限定するため,Yahoo!知恵袋,Yahoo!ブログ,国会会議録,および韻文のジャンルを除いた複数のサブコーパスをBCCWJとして扱う.
・人文・社会科学論文
総合学術電子ジャーナルサイトJ-STAGEにおいて分野を「人文・社会科学系」に指定して得られた学会誌から,各学会20論文を上限に我々が独自に収集した.数は1508論文.
・科学技術論文
我々が「言語処理学会」「土木学会」「日本化学会」「日本医科大学会」「環境資源工学会」「電気学会」から独自に収集したデータで,「言語処理学会」は論文と年次大会の予稿集,それ以外の学会誌は論文である.数は4865文献.
・学習者論文
ベトナムのハノイ貿易大学日本語学部の卒業論文を収集したコーパスで,分野は主に人文社会である.この大学は近年ビジネス日本語に力を入れており,日本語学部としてはベトナム国内でもトップクラスである.論文を執筆した卒業生の多くは日本語能力検定N1,N2を取得している.収集した数は53論文.
・学習者作文
5つの日本語学習者作文コーパス「JCK作文コーパス」「日本語学習者コーパス」「学生の日本語意見文」「なたね」「Hinoki作文実験」を1つのコーパスとしてまとめた.平均的な学習者レベルは日本語能力検定N1程度.中国語,韓国語を母語とする学習者が多い.収集した数は847編.
|
収集した人文・社会科学論文の数は科学技術論文の数よりどれぐらい少ないですか。
|
収集した人文・社会科学論文の数は科学技術論文の数より3357少ないです。
|
JCRRAG_004649
|
国語
|
「研究再開準備支援」は、「出産・育児により研究に十分な時間を割けない者や、採用の中断から本格的再開に向け、短時間 の研究継続を希望する者」に対するもので、要はいわゆる時短勤務をする期間をつくるみたいなイメージです。この制度を使っている間、給与は半額になりますが、任期は倍になります。…という説明だと若干雑になりますが、具体例を使って説明するとこうなります。研究再開準備支援を使わなければ、私の残り任期は5ヶ月フルタイムで、ということになります。私の場合はこの残り5ヶ月のうち2ヶ月ぶんに研究再開準備支援を適用することにしました。
2021年9月〜2021年12月 研究再開準備支援の期間
2022年1月〜2022年3月 ふつうにフルタイムの期間
というかんじです。5ヶ月のうち3ヶ月は通常復帰、2ヶ月を研究再開準備支援に振り分け。研究準備再開支援の期間は2ヶ月ぶんの給与を4ヶ月に分けて受給しながら、時短で勤務ということになります。半額だとDC以下の金額になり、保育園代もかかるので結構厳しいのですが、0歳児での復帰になるので最初は保育園を休んだりすることも多いだろうし、慣れるまでは早めに迎えに行ったりしたいと思ったので、このようにしました。実際、子どもの世話の面だけではなく、このようにすることでペースはゆっくりでも研究をできる期間自体は伸びるわけなので、精神衛生上もすごく良かったと感じています。
学振PDの残り期間が5ヶ月とごく少なく、2022年度の仕事が白紙の状態での出産・育児期間への突入でした。2021年度の途中、中途半端なときに研究上の身分がなくなるのは避けたかったですし、保育園のこともあったので、「2022年度の仕事はなんとかするとして、2021年度の年度終わりが学振PDの任期終わりと重なるようにする」という前提で、2022年3月がお尻となるような復帰プランとしました。子どもが1月生まれなので、1歳になるタイミングでフルタイムに戻すということにして、そこから逆算して研究再開準備支援に何ヶ月を割り振るのかも決めました。
でもこの計算、すごくわかりづらかったんですよね…なので、学振の担当者の方に何度もメールを差し上げて、一緒に計算していただきました。これが一番間違いないので、自分の復帰プランを立てたら、それが可能なのかは遠慮せず問い合わせたほうがいいと思われます。
|
私は残り任期5ヶ月の何%を研究再開準備支援に振り分けましたか。
|
私は残り任期5ヶ月の40%を研究再開準備支援に振り分けました。
|
JCRRAG_004650
|
国語
|
そこで先に少し述べた「研究再開準備支援」の制度が出てきます。この制度は、「出産・育児により研究に十分な時間を割けない者や、採用の中断から本格的再開に向け、短時間 の研究継続を希望する者」に対するもので、要はいわゆる時短勤務をする期間をつくるみたいなイメージです。この制度を使っている間、給与は半額になりますが、任期は倍になります。…という説明だと若干雑になりますが、具体例を使って説明するとこうなります。研究再開準備支援を使わなければ、私の残り任期は5ヶ月フルタイムで、ということになります。私の場合はこの残り5ヶ月のうち2ヶ月ぶんに研究再開準備支援を適用することにしました。
2021年9月〜2021年12月 研究再開準備支援の期間
2022年1月〜2022年3月 ふつうにフルタイムの期間
というかんじです。5ヶ月のうち3ヶ月は通常復帰、2ヶ月を研究再開準備支援に振り分け。研究準備再開支援の期間は2ヶ月ぶんの給与を4ヶ月に分けて受給しながら、時短で勤務ということになります。半額だとDC以下の金額になり、保育園代もかかるので結構厳しいのですが、0歳児での復帰になるので最初は保育園を休んだりすることも多いだろうし、慣れるまでは早めに迎えに行ったりしたいと思ったので、このようにしました。実際、子どもの世話の面だけではなく、このようにすることでペースはゆっくりでも研究をできる期間自体は伸びるわけなので、精神衛生上もすごく良かったと感じています。
学振PDの残り期間が5ヶ月とごく少なく、2022年度の仕事が白紙の状態での出産・育児期間への突入でした。2021年度の途中、中途半端なときに研究上の身分がなくなるのは避けたかったですし、保育園のこともあったので、「2022年度の仕事はなんとかするとして、2021年度の年度終わりが学振PDの任期終わりと重なるようにする」という前提で、2022年3月がお尻となるような復帰プランとしました。子どもが1月生まれなので、1歳になるタイミングでフルタイムに戻すということにして、そこから逆算して研究再開準備支援に何ヶ月を割り振るのかも決めました。
でもこの計算、すごくわかりづらかったんですよね…なので、学振の担当者の方に何度もメールを差し上げて、一緒に計算していただきました。これが一番間違いないので、自分の復帰プランを立てたら、それが可能なのかは遠慮せず問い合わせたほうがいいと思われます。
|
私は残り任期5ヶ月のうち、何%を通常復帰に振り分けましたか?
|
私は残り任期5ヶ月のうち、60%を通常復帰に振り分けました。
|
JCRRAG_004651
|
国語
|
学振PDの出産・育児1 学振PDになって
コロナ禍での経験ゆえ、あまり一般性の高い経験ではない気がするのですが、自分も妊娠してからというものネット上にある研究者の方々の経験を綴ったブログに助けられてきたので、備忘録も兼ねて自分が経験したことをシリーズ化して残しておきます。
わたしは2018年3月に博士号を取得、同年4月より学振PDとしてのポスドク生活を開始しました。この年に結婚もしています。いずれは子どもをとはすでに思っていましたが、自分としてはそれよりも先にしておきたいことがふたつありました。
ひとつは、博論の書籍化でした。わたしの研究分野である英米系の環境美学は、国内の先行研究が多くはありません。なので、博論を本のかたちで出版することには意義があるだろうと思っていました。ただ、そのためにはかなりの加筆修正が必要なことを覚悟していました。わたしは2014年に博士課程に進学、そして2017年11月に博士論文を提出しています。当時としてはまだ早めに出したほうだと思います。もちろん博士論文として全力を尽くしましたが、まだしっかり考えてみたい箇所があったことも事実です。さらに、大学への就職には単著を持っていることも重要だと散々聞かされていました。そのため、学振PDの期間での研究成果を盛り込みながらの書籍化を目指すことにしました。
もうひとつは、海外で研究をすることでした。わたしは学生時代、国際学会には積極的に参加していましたが、留学を一切していません。しかし、わたしの分野は国内での研究者が多くないので、今後の研究のために海外の研究者とのネットワークを作っておく必要を感じていました。幸い、フィンランドのヘルシンキ大学にて客員研究員をさせていただくことになり、大学の非常勤講師の仕事をすでに始めてしまっていたので長期休暇のあいだだけでしたが、2020年1月〜3月まで、ヘルシンキにて研究に従事する計画を2019年初頭より立て始めました。
もちろん、博論を出版することも、海外での研究も、子どもが生まれてからでもできないことではないと思います。ただ我が家の場合は、出産する場合、わたしがそれなりの期間仕事を離れることが大前提だったので、自分の気持ち的に絶対にやりたいと思っているこのふたつを実現してからでなければ踏ん切りがつかないと感じました。そんなこんなでわたしは学振PDの最初の2年間は、あっという間に過ぎて行きました。
|
私は博士号を提出するのに、どれくらいの年月がかかりましたか?
|
私は博士号を提出するのに3年8か月かかりました。
|
JCRRAG_004652
|
国語
|
学振PDの出産・育児1 学振PDになって
コロナ禍での経験ゆえ、あまり一般性の高い経験ではない気がするのですが、自分も妊娠してからというものネット上にある研究者の方々の経験を綴ったブログに助けられてきたので、備忘録も兼ねて自分が経験したことをシリーズ化して残しておきます。
わたしは2018年3月に博士号を取得、同年4月より学振PDとしてのポスドク生活を開始しました。この年に結婚もしています。いずれは子どもをとはすでに思っていましたが、自分としてはそれよりも先にしておきたいことがふたつありました。
ひとつは、博論の書籍化でした。わたしの研究分野である英米系の環境美学は、国内の先行研究が多くはありません。なので、博論を本のかたちで出版することには意義があるだろうと思っていました。ただ、そのためにはかなりの加筆修正が必要なことを覚悟していました。わたしは2014年に博士課程に進学、そして2017年11月に博士論文を提出しています。当時としてはまだ早めに出したほうだと思います。もちろん博士論文として全力を尽くしましたが、まだしっかり考えてみたい箇所があったことも事実です。さらに、大学への就職には単著を持っていることも重要だと散々聞かされていました。そのため、学振PDの期間での研究成果を盛り込みながらの書籍化を目指すことにしました。
もうひとつは、海外で研究をすることでした。わたしは学生時代、国際学会には積極的に参加していましたが、留学を一切していません。しかし、わたしの分野は国内での研究者が多くないので、今後の研究のために海外の研究者とのネットワークを作っておく必要を感じていました。幸い、フィンランドのヘルシンキ大学にて客員研究員をさせていただくことになり、大学の非常勤講師の仕事をすでに始めてしまっていたので長期休暇のあいだだけでしたが、2020年1月〜3月まで、ヘルシンキにて研究に従事する計画を2019年初頭より立て始めました。
もちろん、博論を出版することも、海外での研究も、子どもが生まれてからでもできないことではないと思います。ただ我が家の場合は、出産する場合、わたしがそれなりの期間仕事を離れることが大前提だったので、自分の気持ち的に絶対にやりたいと思っているこのふたつを実現してからでなければ踏ん切りがつかないと感じました。そんなこんなでわたしは学振PDの最初の2年間は、あっという間に過ぎて行きました。
|
私は博士号を取得後、およそ何ヶ月でポスドク生活を開始しましたか?
|
私は博士号を取得後、およそ1ヶ月でポスドク生活を開始しました。
|
JCRRAG_004653
|
国語
|
3.4つの観点による接続表現の分類
日本語学習者が接続表現を使用する際の問題点を分析するにあたって,構築した接続表現リストに対し4つの観点から分類をおこなった.なお,コーパス中の接続表現の出現頻度をカウントしているが,文頭で出現し,かつ,読点が後接している接続表現に限定している.これは読点が後接していない場合,単純な機械的照合では接続表現として使用していない表現をカウントしてしまう可能性があるからである.岩崎(2018)では接続詞の直後に読点が打たれる要因として,接続詞が文頭にあるときが強い指標となっていたと分析しており,本研究で読点が後接している接続表現に限定しても大まかな使用傾向を捉えられると考えている.同様の理由から文中で出現する接続表現についても本研究では対象としない.
3.1 接続表現の形態論的分類
接続表現リストの中には「結果」「結果は」「その結果」「結果として」「その結果としては」のように接続表現の中核をなす語基「結果」によってグループを構成する一連の表現がある.このようなグループは,後述する石黒の意味機能も同じ分類に属し,ニュアンスが微妙に異なるもののグループ内でお互いに置換可能であるものが多い.そこで,形態論的に由来が同じであり,意味機能が同等な接続表現をグルーピングした.置換可能な接続表現がリスト内にない場合は1つの要素からなるグループとなる.次に,グループ内で次の指標をもとに基本接続表現を1つ認定する.
1)構成要素が単純(形態素数が少ない)
2)辞書記載数が多い
3)使用頻度が高い(中でも,BCCWJ,学術論文での頻度が高い)
4)レジスター(文章語・口語・書き言葉・話し言葉)のなかで,文章語・書き言葉を優先,口語・話し言葉の優先度は低い
上記の1)~4)の条件を勘案し判定したものを基本接続表現(以後,「基本」)とし,そのグループ内で,「基本」に選ばれなかったものを派生接続表現(以後,「派生」)とする.「そしてまた」「まず最初に」のような複数の接続表現が連結している接続表現があり,本稿ではこれらを二重接続表現(以後,「二重」)と呼ぶが,どちらを「基本」とするかは文脈に依存する場合もあり一律の基準を設定できないため,基本・派生の分析からは除外する.分類の結果,「基本」270項目,「派生」236項目,「二重」17項目となった.
|
接続表現のうち「基本」は「二重」の約何倍ありますか。
|
接続表現のうち「基本」は「二重」の約15倍あります。
|
JCRRAG_004654
|
国語
|
学振PDの出産・育児3 非常勤講師の仕事
2021年1月に出産予定ということが判明した時点で、まず考えなくてはいけない手続きの2つめは非常勤講師の仕事をどうするかということでした。結論から言うと、私の場合、コロナの影響ですべての講義がオンラインorオンデマンドだったことが幸いしました。
出産に関わってくる2020年度後期は、3コマの講義を担当予定で、そのうち1コマがリアルタイムのオンライン配信、2コマがオンデマンド配信でした。リアルタイム配信は1月に1回だけ講義がありましたが、それは休講とし、代わりに年内に補講を行いました。また、オンデマンド配信については年内にすべての動画を配信しておき、学生さんには自分のペースで受講していただきました。最後2回分の講義のフィードバックは、出産が済んだあとで文章にして別途アップロードしました。
どの大学に対しても、安定期に入るのを待って、出産予定の旨を窓口になってくださっている専任の先生にメールで報告させていただきました。その際、上記のような対応を取ることを希望していることを伝え、これで何か大学的に問題がないかどうかを確認していただきました。
つまり私は、非常勤講師の仕事については産休・育休を取らなかったということになります。取る場合にどのような手続きが必要になるのかも全く調べませんでした。すべてコロナと、出産予定時期が1月という学期末の時期だったために可能になった綱渡りということになります。
この綱渡りで非常勤の仕事を辞めないで済んだのは大変ありがたかったのですが、つらかったのは採点作業でした。3コマ中1コマは、子の誕生が少し遅れたこともあり、出産前に最終レポートの採点を終えることができました。しかし残り2コマは、産後1週間程度休んだ段階で、早速採点をしなければ間に合いませんでした。幸い夫が育児休暇的な休みを2週間だけ取っていたので、そこでなんとか手が空いたときに少しずつ進めていきました。
今思うと、こういうちょっとずつの無理が積み重なっていき、生後7ヶ月半で保育園に入れる直前までにはかなりの疲れやストレスがあったと感じます。本当なら休みたかったです。でも、ポスドクにとって、非常勤の仕事を手放すことほど恐ろしいことはないのではないでしょうか。こういう状況は改善されてほしいです。
ちなみに、産後3ヶ月のころにスタートした2021年度は、本来であれば前期2コマ、後期4コマの講義を担当する予定でした。しかし通年出講予定の大学でフルオンデマンドが選択できなかったため、特に前期は出講が不可能であったこともあり、代わりの人にお願いしました。そのため前期1コマ、後期3コマとなり、保育園が始まる前の前期1コマは家族に協力してもらったり、子どもが寝たあとの時間で準備をしてオンデマンド配信をしました。
そのため、学振PDについては採用中断期間を取りましたが、非常勤の仕事を途切れさせたことはありません。でも、これも本当にプレッシャーで、たった1コマと思われるかもしれないけれど、毎週のように涙を流して準備していました。人によっては、私が出産・育児を経てもある程度変わらず仕事をしていることを褒めてくださいます。それについては嫌な気はもちろんしないものですが、しかし主観的には本当につらい時期だったということだけは、忘れないでおきたいと思っています。
|
私は2021年度に合計何コマの講義を担当しましたか?
|
私は2021年度に合計4コマの講義を担当しました。
|
JCRRAG_004655
|
国語
|
3.1『日本童謡民謡曲集(正・続)』
『日本童謡民謡曲集』は,広島高等師範学校付属小学校音楽研究部が日本全土から創作童謡・民謡を採録・編纂した歌曲集である.本曲集は,1933年に目黒書店より出版されたのちに絶版となっており,本研究では1978年に柳原出版より復刻された同曲集を用いた.なお,柳原出版による『日本童謡民謡曲集』の紹介文には「伝承童謡・民謡を集め編纂して出版した」と記載されているものの,序文を含む本文中には「伝承童謡」の記載がなく,昭和8年(1933年)に書かれた序文には,編纂・出版の経緯として学校唱歌への批判を行っている.これは,本論文の冒頭で引用した町田・浅野(1962)[1]が指摘している創作童謡が学校唱歌への批判から登場したという背景と重なるものであり,本研究では『日本童謡民謡曲集』を創作童謡,すなわち童謡の曲集として用いた.
本曲集は,全国で歌われる童謡の楽譜だけでなく,付帯情報として歌詞,採録地,採録者などが記録されているため,楽曲の由来を保証する信頼性の高い資料である.本研究では,正編と続編に収録された計787曲のうち,童謡として分類・収録された全367曲を分析対象として扱った.
3.2『日本わらべ歌全集』
『日本わらべ歌全集』は,日本全土において継承されてきたわらべうたのうち,明治期から昭和期にかけて歌われたものに焦点を当てて収録した音楽資料集である.都道府県ごとに編纂された全27巻・39冊から構成され,1巻あたり108曲から317曲が収録されている.各巻に掲載された楽曲は,大きく12種目に区分されている:1.遊びのはじめに関する歌,2.手まり歌,3.羽根つき・お手玉歌,4.手遊び歌,5.鬼遊び歌,6.縄とび歌,7.外遊び歌,8.自然の歌,9.動物植物の歌,10.歳事歌,11.ことば遊び歌,12.子守歌.本曲集は,「日本民謡に関して現状もっとも信頼できる資料」[13]と評される『日本民謡大観』と双璧をなす全集として評価を得ていること,研究目的を遂行するうえで量的にも質的にも再現可能性を担保できることがあげられる.本研究では,前述の町田・浅野(1962)[1]および若井(2017)[2]に基づき,上記12種目のうち,遊戯を面白くすることを重視した趣旨とし,遊戯を楽しむことを目的とした種目にあたる,1.遊びのはじめに関する歌,2.手まり歌,3.羽根つき・お手玉歌,4.手遊び歌,5.鬼遊び歌,6.縄とび歌,7.外遊び歌に区分・収録された計4098曲を分析対象として扱った.
なお,沖縄県に収録された楽曲は,音律・リズム・種類に関して「他県との類歌をみない独自性をもつ」ことが『日本わらべ歌全集26 鹿児島 沖繩のわらべ歌』で指摘されている.また,北海道に収録された楽曲のうち,アイヌの楽曲については,他県と異なる種目(呪文,労働歌,遊び歌,クマ送りの歌,コタンの童戯)を設けており,「アイヌが和人と異なり,本来の狩猟民族であっただけに,その伝承歌謡,本書にとりあげたわらべ歌に関しても,本州各地のそれとは,おのずから相違がある」ことが『日本わらべ歌全集1 北海道のわらべ歌』で指摘されている.旋律とアイヌ語の歌詞の対応が他の地域と異なり,かつ,全国的規模で比較しても楽曲数が不足している.そのため,本研究では,沖縄県とアイヌの楽曲が分析時に外れ値となることから,分析対象から除外した.
3.3『日本のうた』
『日本のうた』は,明治維新から2010年代までの日本の流行歌(日本歌謡曲・J-POP)を全8巻にわたって収録した楽譜集である.本研究では.前述した『日本童謡民謡曲集』における童謡の収録時期(1933年)と重なる楽曲群を分析対象とした.具体的には,『日本のうた』の第1巻(1868-1926年)と第2巻(1926-1945年)に収録された計552曲のうち,1933年までに流行した328曲を分析対象として扱った.
|
『日本童謡民謡曲集(正・続)』に収録された曲のうち、何曲が分析対象外となりましたか。
|
『日本童謡民謡曲集(正・続)』に収録された曲のうち、420曲が分析対象外となりました。
|
JCRRAG_004656
|
国語
|
金がなくなると、生協の素うどん(1杯30円)で1週間くらい凌いだこともありました。3回生になった頃に、母親同士が付き合っていたこともあり、保育園と小学校の同級生の今の女房と半分お見合いをさせられました。女房は県芸の4年生で大学院も進む予定でした。私は3回生と言ってもほとんど単位は取ってなくて、この先卒業まで何年かかるか判らない状態でしたし、後にフィールズ賞をもらい大数学者となった森重文君を見ていて、学問の世界で身を立てることも諦めていましたし、理学部を卒業しても学校の先生くらいしか働き口はありません。そこで、女房との結婚を前提に将来の安定を考えて、高校時代一番嫌いだった医学部への転向を決心しました。医学部は確かに一人前になるのに時間はかかりますが、一度医師免許を取れば、更新制度はありませんし、動ける限り仕事にあぶれることはありません。すでに昔のような3世代、4世代同居と言った大家族制は破綻しており、働くことが出来なくなってから子供に面倒を見てもらう期待は早々に放棄した方がよさそうで老後の計画は自分の責任で立てなければいけません。私は検視立会医として年間数十例の変死体を診ていますが、最近多いのは一人暮らし老人のゴミ屋敷での孤独死です。最後は少なくとも施設に入るくらいのお金は準備しておかなければいけません。
働かずに、頭を使って金を儲ける方法としてギャンブルで儲ける方法を以前から研究しています。公営ギャンブルは競馬、競輪、競艇、オートレースがありますが、公営ギャンブルの還元率は75%と決まっています。出鱈目に買っていれば、25%ずつ損をしていくのが平均である計算となりますが、私は競艇で儲ける方程式を創ろうと思っています。以前フライングして書いた『儲かる舟券の買い方』はその通りに買っていても儲かりません。でも最近はほぼトントンで遊べるようになりました。確実に儲かる方程式が完成したらまた発表したいと思います。
|
生協の素うどんを平日5日間、昼に1回食べた場合、合計金額は何円になりますか?
|
生協の素うどんを平日5日間、昼に1回食べた場合、合計金額は合計150円になります。
|
JCRRAG_004657
|
国語
|
100歳健康法
ドクターT
孔子曰く「吾、15にして学に志し、30にして立ち、40にして惑わず、50にして天命を知る。60にして耳順(耳にしたがう)、70にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず」
唐の詩人杜甫の詩・曲江(きょっこう)「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」
徒然草第7段「命長ければ辱多し。長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。」
明治以前については詳しい統計がなく、人間の寿命がどのくらいであったか定かではありませんが、明治中頃以降の統計からみるとおよそ40歳前後ではなかったかと思います。戦後日本人の平均寿命(0歳児の平均余命)は急速に伸びて、1947年に男性50歳、女性53歳だったものが、1960年には男性65歳、女性70歳、そして2015年には男性80歳、女性87歳となり、今世紀中には女性の平均寿命100歳超えも夢ではなさそうです。
高齢者の定義は65歳以上で年金も満額もらえるようになり、65歳~74歳までを前期高齢者、75歳以上を後期高齢者と呼んでいましたが、最近日本老年学会の提言がありました。65歳~74歳を準高齢者、75歳以上を高齢者、90歳以上を超高齢者と呼ぼうと言うのです。65歳~74歳は準ですから高齢者から外れることになります。すぐにではないかも知れませんが年金制度も変わってくるかも知れません。
私は1950年生まれ、その当時の男性の平均寿命(0歳児の平均余命)は60歳弱でしたので、2016年現在66歳となり、すでに平均寿命を超えたことになります。私の父は1895年(明治28年)生まれで1985年に90歳で出血性脳梗塞で亡くなりました。母は1915年(大正4年)生まれで2011年96歳老衰で亡くなりました。その時代に生きた人としては長寿であり、私は長寿の遺伝子を引き継いでいると思われます。
長寿の遺伝子に67年生きて来て経験したこと、それに医学の知識を加えて、ここに100歳まで健康で長生きする秘訣について書くことにしました。私の最初の著作「儲かる舟券の買い方」は読んでも儲からないと不評でしたが、この本を読んで実践すれば100歳まで健康で長生き出来るかどうかと言う実証は33年待って下さい。
|
1947年の男性の平均寿命と比較して、2015年の男性の平均寿命は何倍になりましたか?
|
1947年の男性の平均寿命と比較して、2015年の男性の平均寿命は1.6倍になりました。
|
JCRRAG_004658
|
国語
|
3.4つの観点による接続表現の分類
日本語学習者が接続表現を使用する際の問題点を分析するにあたって,構築した接続表現リストに対し4つの観点から分類をおこなった.なお,コーパス中の接続表現の出現頻度をカウントしているが,文頭で出現し,かつ,読点が後接している接続表現に限定している.これは読点が後接していない場合,単純な機械的照合では接続表現として使用していない表現をカウントしてしまう可能性があるからである.岩崎(2018)では接続詞の直後に読点が打たれる要因として,接続詞が文頭にあるときが強い指標となっていたと分析しており,本研究で読点が後接している接続表現に限定しても大まかな使用傾向を捉えられると考えている.同様の理由から文中で出現する接続表現についても本研究では対象としない.
3.1 接続表現の形態論的分類
接続表現リストの中には「結果」「結果は」「その結果」「結果として」「その結果としては」のように接続表現の中核をなす語基「結果」によってグループを構成する一連の表現がある.このようなグループは,後述する石黒の意味機能も同じ分類に属し,ニュアンスが微妙に異なるもののグループ内でお互いに置換可能であるものが多い.そこで,形態論的に由来が同じであり,意味機能が同等な接続表現をグルーピングした.置換可能な接続表現がリスト内にない場合は1つの要素からなるグループとなる.次に,グループ内で次の指標をもとに基本接続表現を1つ認定する.
1)構成要素が単純(形態素数が少ない)
2)辞書記載数が多い
3)使用頻度が高い(中でも,BCCWJ,学術論文での頻度が高い)
4)レジスター(文章語・口語・書き言葉・話し言葉)のなかで,文章語・書き言葉を優先,口語・話し言葉の優先度は低い
上記の1)~4)の条件を勘案し判定したものを基本接続表現(以後,「基本」)とし,そのグループ内で,「基本」に選ばれなかったものを派生接続表現(以後,「派生」)とする.「そしてまた」「まず最初に」のような複数の接続表現が連結している接続表現があり,本稿ではこれらを二重接続表現(以後,「二重」)と呼ぶが,どちらを「基本」とするかは文脈に依存する場合もあり一律の基準を設定できないため,基本・派生の分析からは除外する.分類の結果,「基本」270項目,「派生」236項目,「二重」17項目となった.
|
接続表現のうち「二重」は「派生」よりいくつ少ないですか。
|
接続表現のうち「二重」は「派生」より219少ないです。
|
JCRRAG_004659
|
国語
|
100歳健康法
ドクターT
孔子曰く「吾、15にして学に志し、30にして立ち、40にして惑わず、50にして天命を知る。60にして耳順(耳にしたがう)、70にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず」
唐の詩人杜甫の詩・曲江(きょっこう)「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」
徒然草第7段「命長ければ辱多し。長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。」
明治以前については詳しい統計がなく、人間の寿命がどのくらいであったか定かではありませんが、明治中頃以降の統計からみるとおよそ40歳前後ではなかったかと思います。戦後日本人の平均寿命(0歳児の平均余命)は急速に伸びて、1947年に男性50歳、女性53歳だったものが、1960年には男性65歳、女性70歳、そして2015年には男性80歳、女性87歳となり、今世紀中には女性の平均寿命100歳超えも夢ではなさそうです。
高齢者の定義は65歳以上で年金も満額もらえるようになり、65歳~74歳までを前期高齢者、75歳以上を後期高齢者と呼んでいましたが、最近日本老年学会の提言がありました。65歳~74歳を準高齢者、75歳以上を高齢者、90歳以上を超高齢者と呼ぼうと言うのです。65歳~74歳は準ですから高齢者から外れることになります。すぐにではないかも知れませんが年金制度も変わってくるかも知れません。
私は1950年生まれ、その当時の男性の平均寿命(0歳児の平均余命)は60歳弱でしたので、2016年現在66歳となり、すでに平均寿命を超えたことになります。私の父は1895年(明治28年)生まれで1985年に90歳で出血性脳梗塞で亡くなりました。母は1915年(大正4年)生まれで2011年96歳老衰で亡くなりました。その時代に生きた人としては長寿であり、私は長寿の遺伝子を引き継いでいると思われます。
長寿の遺伝子に67年生きて来て経験したこと、それに医学の知識を加えて、ここに100歳まで健康で長生きする秘訣について書くことにしました。私の最初の著作「儲かる舟券の買い方」は読んでも儲からないと不評でしたが、この本を読んで実践すれば100歳まで健康で長生き出来るかどうかと言う実証は33年待って下さい。
|
1960年の日本人の平均寿命は女性が男性より何歳長いですか。
|
1960年の日本人の平均寿命は女性が男性より5歳長いです。
|
JCRRAG_004660
|
国語
|
寄稿論文
子どもの日本語教育にかかわる登録・派遣型指導員の課題意識―当事者の語りの分析からー
キーワード外国人児童生徒等,学校現場,登録・派遣型,日本語指導員,課題意識
谷啓子・髙栁なな枝
1.はじめに
文部科学省令和5年度発表の調査結果によると,日本語指導を必要とする児童生徒数は69,123人(前回調査より10,816人増加)であり,年々増加している。そのうち外国籍の子どもの90.4%,日本国籍の86.6%が学校において何かしらの特別な配慮に基づく指導を受けており,「特別の教育課程」による指導を受けている割合はそれぞれ72.3%,69.2%である。
当該調査の「2.7 教育委員会における体制整備(複数回答可)」結果を見ると,調査対象の地方公共団体数1,788のうち,「(ア)『拠点校』を設置し,域内の日本語指導が必要な児童生徒が通級を行う」が122(6.8%),「(イ)『拠点校』を設置し,担当教員が拠点校での指導に加え,拠点校以外の学校へも巡回指導を行う」が151(8.4%)である。「(ウ)日本語指導の支援者や母語支援員等が巡回」が356(19.9%)(1),「(エ)学校に配置(複数校を巡回するものを除く)した日本語指導担当教員や日本語指導の支援者,母語支援員が指導・支援を行う」539(30.1%)(2)となっている。
また,「日本語指導の支援者(学校において日本語指導の支援を行う外部人材)」の配置状況を雇用形態別に見ると,「雇用・登録人数」合計7,837人(3)のうち,常勤職員394人,会計年度任用職員2,413人,ボランティア2,697人,他機関(団体等)からの派遣者1,264人,その他1,069人となっている。これらの数字から,教員ではない,非常勤の日本語指導員の存在が欠かせない現状であることが分かる。
|
「日本語指導の支援者」の「雇用・登録人数」のうち、常勤職員の数は会計年度任用職員より何人少ないですか。
|
「日本語指導の支援者」の「雇用・登録人数」のうち、常勤職員の数は会計年度任用職員より2019人少ないです。
|
JCRRAG_004661
|
国語
|
寄稿論文
子どもの日本語教育にかかわる登録・派遣型指導員の課題意識―当事者の語りの分析からー
キーワード外国人児童生徒等,学校現場,登録・派遣型,日本語指導員,課題意識
谷啓子・髙栁なな枝
1.はじめに
文部科学省令和5年度発表の調査結果によると,日本語指導を必要とする児童生徒数は69,123人(前回調査より10,816人増加)であり,年々増加している。そのうち外国籍の子どもの90.4%,日本国籍の86.6%が学校において何かしらの特別な配慮に基づく指導を受けており,「特別の教育課程」による指導を受けている割合はそれぞれ72.3%,69.2%である。
当該調査の「2.7 教育委員会における体制整備(複数回答可)」結果を見ると,調査対象の地方公共団体数1,788のうち,「(ア)『拠点校』を設置し,域内の日本語指導が必要な児童生徒が通級を行う」が122(6.8%),「(イ)『拠点校』を設置し,担当教員が拠点校での指導に加え,拠点校以外の学校へも巡回指導を行う」が151(8.4%)である。「(ウ)日本語指導の支援者や母語支援員等が巡回」が356(19.9%)(1),「(エ)学校に配置(複数校を巡回するものを除く)した日本語指導担当教員や日本語指導の支援者,母語支援員が指導・支援を行う」539(30.1%)(2)となっている。
また,「日本語指導の支援者(学校において日本語指導の支援を行う外部人材)」の配置状況を雇用形態別に見ると,「雇用・登録人数」合計7,837人(3)のうち,常勤職員394人,会計年度任用職員2,413人,ボランティア2,697人,他機関(団体等)からの派遣者1,264人,その他1,069人となっている。これらの数字から,教員ではない,非常勤の日本語指導員の存在が欠かせない現状であることが分かる。
|
「日本語指導の支援者」の「雇用・登録人数」のうち、ボランティアの数は常勤職員の約何倍ですか。
|
「日本語指導の支援者」の「雇用・登録人数」のうち、ボランティアの数は常勤職員の約6倍です。
|
JCRRAG_004662
|
国語
|
寄稿論文
子どもの日本語教育にかかわる登録・派遣型指導員の課題意識―当事者の語りの分析からー
キーワード外国人児童生徒等,学校現場,登録・派遣型,日本語指導員,課題意識
谷啓子・高栁なな枝
1.はじめに
文部科学省令和5年度発表の調査結果によると,日本語指導を必要とする児童生徒数は69,123人(前回調査より10,816人増加)であり,年々増加している。そのうち外国籍の子どもの90.4%,日本国籍の86.6%が学校において何かしらの特別な配慮に基づく指導を受けており,「特別の教育課程」による指導を受けている割合はそれぞれ72.3%,69.2%である。
当該調査の「2.7 教育委員会における体制整備(複数回答可)」結果を見ると,調査対象の地方公共団体数1,788のうち,「(ア)『拠点校』を設置し,域内の日本語指導が必要な児童生徒が通級を行う」が122(6.8%),「(イ)『拠点校』を設置し,担当教員が拠点校での指導に加え,拠点校以外の学校へも巡回指導を行う」が151(8.4%)である。「(ウ)日本語指導の支援者や母語支援員等が巡回」が356(19.9%)(1),「(エ)学校に配置(複数校を巡回するものを除く)した日本語指導担当教員や日本語指導の支援者,母語支援員が指導・支援を行う」539(30.1%)(2)となっている。
また,「日本語指導の支援者(学校において日本語指導の支援を行う外部人材)」の配置状況を雇用形態別に見ると,「雇用・登録人数」合計7,837人(3)のうち,常勤職員394人,会計年度任用職員2,413人,ボランティア2,697人,他機関(団体等)からの派遣者1,264人,その他1,069人となっている。これらの数字から,教員ではない,非常勤の日本語指導員の存在が欠かせない現状であることが分かる。
|
日本語指導を必要とする児童生徒のうち、学校において何かしらの特別な配慮に基づく指導を受けている割合(%)は、外国籍の子どもと日本国籍の子どもでどれくらい差がありますか?
|
日本語指導を必要とする児童生徒のうち、学校において何かしらの特別な配慮に基づく指導を受けている割合(%)は、外国籍の子どもが日本国籍の子供より3.8ポイント多いです。
|
JCRRAG_004663
|
国語
|
寄稿論文
子どもの日本語教育にかかわる登録・派遣型指導員の課題意識―当事者の語りの分析からー
キーワード外国人児童生徒等,学校現場,登録・派遣型,日本語指導員,課題意識
谷啓子・髙栁なな枝
1.はじめに
文部科学省令和5年度発表の調査結果によると,日本語指導を必要とする児童生徒数は69,123人(前回調査より10,816人増加)であり,年々増加している。そのうち外国籍の子どもの90.4%,日本国籍の86.6%が学校において何かしらの特別な配慮に基づく指導を受けており,「特別の教育課程」による指導を受けている割合はそれぞれ72.3%,69.2%である。
当該調査の「2.7 教育委員会における体制整備(複数回答可)」結果を見ると,調査対象の地方公共団体数1,788のうち,「(ア)『拠点校』を設置し,域内の日本語指導が必要な児童生徒が通級を行う」が122(6.8%),「(イ)『拠点校』を設置し,担当教員が拠点校での指導に加え,拠点校以外の学校へも巡回指導を行う」が151(8.4%)である。「(ウ)日本語指導の支援者や母語支援員等が巡回」が356(19.9%)(1),「(エ)学校に配置(複数校を巡回するものを除く)した日本語指導担当教員や日本語指導の支援者,母語支援員が指導・支援を行う」539(30.1%)(2)となっている。
また,「日本語指導の支援者(学校において日本語指導の支援を行う外部人材)」の配置状況を雇用形態別に見ると,「雇用・登録人数」合計7,837人(3)のうち,常勤職員394人,会計年度任用職員2,413人,ボランティア2,697人,他機関(団体等)からの派遣者1,264人,その他1,069人となっている。これらの数字から,教員ではない,非常勤の日本語指導員の存在が欠かせない現状であることが分かる。
|
日本語指導を必要とする児童生徒数は前回調査で何人でしたか。
|
日本語指導を必要とする児童生徒数は前回調査で58307人でした。
|
JCRRAG_004664
|
国語
|
3.1『日本童謡民謡曲集(正・続)』
『日本童謡民謡曲集』は,広島高等師範学校付属小学校音楽研究部が日本全土から創作童謡・民謡を採録・編纂した歌曲集である.本曲集は,1933年に目黒書店より出版されたのちに絶版となっており,本研究では1978年に柳原出版より復刻された同曲集を用いた.なお,柳原出版による『日本童謡民謡曲集』の紹介文には「伝承童謡・民謡を集め編纂して出版した」と記載されているものの,序文を含む本文中には「伝承童謡」の記載がなく,昭和8年(1933年)に書かれた序文には,編纂・出版の経緯として学校唱歌への批判を行っている.これは,本論文の冒頭で引用した町田・浅野(1962)[1]が指摘している創作童謡が学校唱歌への批判から登場したという背景と重なるものであり,本研究では『日本童謡民謡曲集』を創作童謡,すなわち童謡の曲集として用いた.
本曲集は,全国で歌われる童謡の楽譜だけでなく,付帯情報として歌詞,採録地,採録者などが記録されているため,楽曲の由来を保証する信頼性の高い資料である.本研究では,正編と続編に収録された計787曲のうち,童謡として分類・収録された全367曲を分析対象として扱った.
3.2『日本わらべ歌全集』
『日本わらべ歌全集』は,日本全土において継承されてきたわらべうたのうち,明治期から昭和期にかけて歌われたものに焦点を当てて収録した音楽資料集である.都道府県ごとに編纂された全27巻・39冊から構成され,1巻あたり108曲から317曲が収録されている.各巻に掲載された楽曲は,大きく12種目に区分されている:1.遊びのはじめに関する歌,2.手まり歌,3.羽根つき・お手玉歌,4.手遊び歌,5.鬼遊び歌,6.縄とび歌,7.外遊び歌,8.自然の歌,9.動物植物の歌,10.歳事歌,11.ことば遊び歌,12.子守歌.本曲集は,「日本民謡に関して現状もっとも信頼できる資料」[13]と評される『日本民謡大観』と双璧をなす全集として評価を得ていること,研究目的を遂行するうえで量的にも質的にも再現可能性を担保できることがあげられる.本研究では,前述の町田・浅野(1962)[1]および若井(2017)[2]に基づき,上記12種目のうち,遊戯を面白くすることを重視した趣旨とし,遊戯を楽しむことを目的とした種目にあたる,1.遊びのはじめに関する歌,2.手まり歌,3.羽根つき・お手玉歌,4.手遊び歌,5.鬼遊び歌,6.縄とび歌,7.外遊び歌に区分・収録された計4098曲を分析対象として扱った.
なお,沖縄県に収録された楽曲は,音律・リズム・種類に関して「他県との類歌をみない独自性をもつ」ことが『日本わらべ歌全集26 鹿児島 沖繩のわらべ歌』で指摘されている.また,北海道に収録された楽曲のうち,アイヌの楽曲については,他県と異なる種目(呪文,労働歌,遊び歌,クマ送りの歌,コタンの童戯)を設けており,「アイヌが和人と異なり,本来の狩猟民族であっただけに,その伝承歌謡,本書にとりあげたわらべ歌に関しても,本州各地のそれとは,おのずから相違がある」ことが『日本わらべ歌全集1 北海道のわらべ歌』で指摘されている.旋律とアイヌ語の歌詞の対応が他の地域と異なり,かつ,全国的規模で比較しても楽曲数が不足している.そのため,本研究では,沖縄県とアイヌの楽曲が分析時に外れ値となることから,分析対象から除外した.
3.3『日本のうた』
『日本のうた』は,明治維新から2010年代までの日本の流行歌(日本歌謡曲・J-POP)を全8巻にわたって収録した楽譜集である.本研究では.前述した『日本童謡民謡曲集』における童謡の収録時期(1933年)と重なる楽曲群を分析対象とした.具体的には,『日本のうた』の第1巻(1868-1926年)と第2巻(1926-1945年)に収録された計552曲のうち,1933年までに流行した328曲を分析対象として扱った.
|
『日本わらべ歌全集』の12種目のうち、遊戯を面白くすることを重視した趣旨とし、遊戯を楽しむことを目的とした種目にあたるのは約何%ですか。
|
『日本わらべ歌全集』の12種目のうち、遊戯を面白くすることを重視した趣旨とし、遊戯を楽しむことを目的とした種目にあたるのは約58%です。
|
JCRRAG_004665
|
国語
|
3.1『日本童謡民謡曲集(正・続)』
『日本童謡民謡曲集』は,広島高等師範学校付属小学校音楽研究部が日本全土から創作童謡・民謡を採録・編纂した歌曲集である.本曲集は,1933年に目黒書店より出版されたのちに絶版となっており,本研究では1978年に柳原出版より復刻された同曲集を用いた.なお,柳原出版による『日本童謡民謡曲集』の紹介文には「伝承童謡・民謡を集め編纂して出版した」と記載されているものの,序文を含む本文中には「伝承童謡」の記載がなく,昭和8年(1933年)に書かれた序文には,編纂・出版の経緯として学校唱歌への批判を行っている.これは,本論文の冒頭で引用した町田・浅野(1962)[1]が指摘している創作童謡が学校唱歌への批判から登場したという背景と重なるものであり,本研究では『日本童謡民謡曲集』を創作童謡,すなわち童謡の曲集として用いた.
本曲集は,全国で歌われる童謡の楽譜だけでなく,付帯情報として歌詞,採録地,採録者などが記録されているため,楽曲の由来を保証する信頼性の高い資料である.本研究では,正編と続編に収録された計787曲のうち,童謡として分類・収録された全367曲を分析対象として扱った.
3.2『日本わらべ歌全集』
『日本わらべ歌全集』は,日本全土において継承されてきたわらべうたのうち,明治期から昭和期にかけて歌われたものに焦点を当てて収録した音楽資料集である.都道府県ごとに編纂された全27巻・39冊から構成され,1巻あたり108曲から317曲が収録されている.各巻に掲載された楽曲は,大きく12種目に区分されている:1.遊びのはじめに関する歌,2.手まり歌,3.羽根つき・お手玉歌,4.手遊び歌,5.鬼遊び歌,6.縄とび歌,7.外遊び歌,8.自然の歌,9.動物植物の歌,10.歳事歌,11.ことば遊び歌,12.子守歌.本曲集は,「日本民謡に関して現状もっとも信頼できる資料」[13]と評される『日本民謡大観』と双璧をなす全集として評価を得ていること,研究目的を遂行するうえで量的にも質的にも再現可能性を担保できることがあげられる.本研究では,前述の町田・浅野(1962)[1]および若井(2017)[2]に基づき,上記12種目のうち,遊戯を面白くすることを重視した趣旨とし,遊戯を楽しむことを目的とした種目にあたる,1.遊びのはじめに関する歌,2.手まり歌,3.羽根つき・お手玉歌,4.手遊び歌,5.鬼遊び歌,6.縄とび歌,7.外遊び歌に区分・収録された計4098曲を分析対象として扱った.
なお,沖縄県に収録された楽曲は,音律・リズム・種類に関して「他県との類歌をみない独自性をもつ」ことが『日本わらべ歌全集26 鹿児島 沖繩のわらべ歌』で指摘されている.また,北海道に収録された楽曲のうち,アイヌの楽曲については,他県と異なる種目(呪文,労働歌,遊び歌,クマ送りの歌,コタンの童戯)を設けており,「アイヌが和人と異なり,本来の狩猟民族であっただけに,その伝承歌謡,本書にとりあげたわらべ歌に関しても,本州各地のそれとは,おのずから相違がある」ことが『日本わらべ歌全集1 北海道のわらべ歌』で指摘されている.旋律とアイヌ語の歌詞の対応が他の地域と異なり,かつ,全国的規模で比較しても楽曲数が不足している.そのため,本研究では,沖縄県とアイヌの楽曲が分析時に外れ値となることから,分析対象から除外した.
3.3『日本のうた』
『日本のうた』は,明治維新から2010年代までの日本の流行歌(日本歌謡曲・J-POP)を全8巻にわたって収録した楽譜集である.本研究では.前述した『日本童謡民謡曲集』における童謡の収録時期(1933年)と重なる楽曲群を分析対象とした.具体的には,『日本のうた』の第1巻(1868-1926年)と第2巻(1926-1945年)に収録された計552曲のうち,1933年までに流行した328曲を分析対象として扱った.
|
『日本のうた』の第1巻(1868-1926年)と第2巻(1926-1945年)に収録された計552曲のうち、約何%が分析対象になりましたか。
|
『日本のうた』の第1巻(1868-1926年)と第2巻(1926-1945年)に収録された計552曲のうち、約59%が分析対象になりました。
|
JCRRAG_004666
|
国語
|
3.1『日本童謡民謡曲集(正・続)』
『日本童謡民謡曲集』は,広島高等師範学校付属小学校音楽研究部が日本全土から創作童謡・民謡を採録・編纂した歌曲集である.本曲集は,1933年に目黒書店より出版されたのちに絶版となっており,本研究では1978年に柳原出版より復刻された同曲集を用いた.なお,柳原出版による『日本童謡民謡曲集』の紹介文には「伝承童謡・民謡を集め編纂して出版した」と記載されているものの,序文を含む本文中には「伝承童謡」の記載がなく,昭和8年(1933年)に書かれた序文には,編纂・出版の経緯として学校唱歌への批判を行っている.これは,本論文の冒頭で引用した町田・浅野(1962)[1]が指摘している創作童謡が学校唱歌への批判から登場したという背景と重なるものであり,本研究では『日本童謡民謡曲集』を創作童謡,すなわち童謡の曲集として用いた.
本曲集は,全国で歌われる童謡の楽譜だけでなく,付帯情報として歌詞,採録地,採録者などが記録されているため,楽曲の由来を保証する信頼性の高い資料である.本研究では,正編と続編に収録された計787曲のうち,童謡として分類・収録された全367曲を分析対象として扱った.
3.2『日本わらべ歌全集』
『日本わらべ歌全集』は,日本全土において継承されてきたわらべうたのうち,明治期から昭和期にかけて歌われたものに焦点を当てて収録した音楽資料集である.都道府県ごとに編纂された全27巻・39冊から構成され,1巻あたり108曲から317曲が収録されている.各巻に掲載された楽曲は,大きく12種目に区分されている:1.遊びのはじめに関する歌,2.手まり歌,3.羽根つき・お手玉歌,4.手遊び歌,5.鬼遊び歌,6.縄とび歌,7.外遊び歌,8.自然の歌,9.動物植物の歌,10.歳事歌,11.ことば遊び歌,12.子守歌.本曲集は,「日本民謡に関して現状もっとも信頼できる資料」[13]と評される『日本民謡大観』と双璧をなす全集として評価を得ていること,研究目的を遂行するうえで量的にも質的にも再現可能性を担保できることがあげられる.本研究では,前述の町田・浅野(1962)[1]および若井(2017)[2]に基づき,上記12種目のうち,遊戯を面白くすることを重視した趣旨とし,遊戯を楽しむことを目的とした種目にあたる,1.遊びのはじめに関する歌,2.手まり歌,3.羽根つき・お手玉歌,4.手遊び歌,5.鬼遊び歌,6.縄とび歌,7.外遊び歌に区分・収録された計4098曲を分析対象として扱った.
なお,沖縄県に収録された楽曲は,音律・リズム・種類に関して「他県との類歌をみない独自性をもつ」ことが『日本わらべ歌全集26 鹿児島 沖繩のわらべ歌』で指摘されている.また,北海道に収録された楽曲のうち,アイヌの楽曲については,他県と異なる種目(呪文,労働歌,遊び歌,クマ送りの歌,コタンの童戯)を設けており,「アイヌが和人と異なり,本来の狩猟民族であっただけに,その伝承歌謡,本書にとりあげたわらべ歌に関しても,本州各地のそれとは,おのずから相違がある」ことが『日本わらべ歌全集1 北海道のわらべ歌』で指摘されている.旋律とアイヌ語の歌詞の対応が他の地域と異なり,かつ,全国的規模で比較しても楽曲数が不足している.そのため,本研究では,沖縄県とアイヌの楽曲が分析時に外れ値となることから,分析対象から除外した.
3.3『日本のうた』
『日本のうた』は,明治維新から2010年代までの日本の流行歌(日本歌謡曲・J-POP)を全8巻にわたって収録した楽譜集である.本研究では.前述した『日本童謡民謡曲集』における童謡の収録時期(1933年)と重なる楽曲群を分析対象とした.具体的には,『日本のうた』の第1巻(1868-1926年)と第2巻(1926-1945年)に収録された計552曲のうち,1933年までに流行した328曲を分析対象として扱った.
|
何年間の曲が『日本のうた』の分析対象になりましたか。
|
66年間の曲が『日本のうた』の分析対象になりました。
|
JCRRAG_004667
|
国語
|
[品詞の分類]
日本語の単語は、「動詞」「名詞」「形容詞」など10種類の品詞に分類できます。
ここでは、どのように分類するかをご説明しましょう。
まず、すべての単語は、付属語と自立語に分けられます。
単独で意味を表すものが自立語、そうでないものが付属語です。
付属語は、自立語の後にくっついて意味を付け加える働きをします。
1. 付属語
付属語は、活用するものと活用しないものの2種類に分かれます。
後に続く言葉によって形を変えるものは「活用する」、どんな言葉と組み合わせても変化しない単語は「活用しない」と考えましょう。
・活用するもの→助動詞(例:れる、られる、ない)
・活用しないもの→助詞(例:を、が、に)
2. 自立語
自立語も付属語と同様、活用するものと活用しないものに分けられます。
2-1. 活用する自立語
活用する自立語は用言とも呼ばれ、語尾の違いにより分類されます。
・述語のうち、言い切りの形が「だ」や「です」で終わるもの→形容動詞(例:綺麗だ、静かだ、幸せです)
・述語のうち、言い切りの形が「い」で終わるもの→形容詞(例:美しい、面白い、白い)
・述語のうち、言い切りの形がウ段で終わるもの→動詞(例:書く、渡る、食べる)
2-2. 活用しない自立語
活用しない自立語はまず、単独で主語になるか否かを見ます。
・主語になるもの→名詞(例:花、家、湖)
※なお名詞は体言とも呼ばれ、付属語を伴うことで修飾語の役割を果たすこともあります。
そして活用しない自立語で主語にならないものは、修飾語になるか否かでさらに細かく分かれます。
・修飾語になるもののうち、体言のみを修飾するもの→連体詞(例:この、いろんな)
・修飾語になるもののうち、主に用言を修飾するもの→副詞(例:ゆっくり、おそらく、少し)
活用しない自立語で主語にも修飾語にもならないものは、言葉の意味で見分けます。
前後の文や文節をつなぐ役割を持つものは接続詞、挨拶や呼びかけ、感動などを表すものは独立語と呼ばれ、感動詞に分類されます。
・修飾語にならないもののうち、接続語になるもの→接続詞(例:しかし、だから)
・修飾語にならないもののうち、独立語になるもの→感動詞(例:あら、もしもし、こんにちは)
|
自立語のうち、活用がなく、修飾語になることもなく、前後の文をつなぐ役割も持たない単語は、何という品詞に分類されるでしょうか。
|
自立語のうち、活用がなく、修飾語になることもなく、前後の文をつなぐ役割も持たない単語は、「感動詞」に分類されます。
|
JCRRAG_004668
|
国語
|
[品詞の分類]
日本語の単語は、「動詞」「名詞」「形容詞」など10種類の品詞に分類できます。
ここでは、どのように分類するかをご説明しましょう。
まず、すべての単語は、付属語と自立語に分けられます。
単独で意味を表すものが自立語、そうでないものが付属語です。
付属語は、自立語の後にくっついて意味を付け加える働きをします。
1. 付属語
付属語は、活用するものと活用しないものの2種類に分かれます。
後に続く言葉によって形を変えるものは「活用する」、どんな言葉と組み合わせても変化しない単語は「活用しない」と考えましょう。
・活用するもの→助動詞(例:れる、られる、ない)
・活用しないもの→助詞(例:を、が、に)
2. 自立語
自立語も付属語と同様、活用するものと活用しないものに分けられます。
2-1. 活用する自立語
活用する自立語は用言とも呼ばれ、語尾の違いにより分類されます。
・述語のうち、言い切りの形が「だ」や「です」で終わるもの→形容動詞(例:綺麗だ、静かだ、幸せです)
・述語のうち、言い切りの形が「い」で終わるもの→形容詞(例:美しい、面白い、白い)
・述語のうち、言い切りの形がウ段で終わるもの→動詞(例:書く、渡る、食べる)
2-2. 活用しない自立語
活用しない自立語はまず、単独で主語になるか否かを見ます。
・主語になるもの→名詞(例:花、家、湖)
※なお名詞は体言とも呼ばれ、付属語を伴うことで修飾語の役割を果たすこともあります。
そして活用しない自立語で主語にならないものは、修飾語になるか否かでさらに細かく分かれます。
・修飾語になるもののうち、体言のみを修飾するもの→連体詞(例:この、いろんな)
・修飾語になるもののうち、主に用言を修飾するもの→副詞(例:ゆっくり、おそらく、少し)
活用しない自立語で主語にも修飾語にもならないものは、言葉の意味で見分けます。
前後の文や文節をつなぐ役割を持つものは接続詞、挨拶や呼びかけ、感動などを表すものは独立語と呼ばれ、感動詞に分類されます。
・修飾語にならないもののうち、接続語になるもの→接続詞(例:しかし、だから)
・修飾語にならないもののうち、独立語になるもの→感動詞(例:あら、もしもし、こんにちは)
|
自立語で活用がなく、主に用言を修飾する単語の品詞は何ですか。
|
自立語で活用がなく、主に用言を修飾する単語の品詞は「副詞」です。
|
JCRRAG_004669
|
国語
|
[品詞の分類]
日本語の単語は、「動詞」「名詞」「形容詞」など10種類の品詞に分類できます。
ここでは、どのように分類するかをご説明しましょう。
まず、すべての単語は、付属語と自立語に分けられます。
単独で意味を表すものが自立語、そうでないものが付属語です。
付属語は、自立語の後にくっついて意味を付け加える働きをします。
1. 付属語
付属語は、活用するものと活用しないものの2種類に分かれます。
後に続く言葉によって形を変えるものは「活用する」、どんな言葉と組み合わせても変化しない単語は「活用しない」と考えましょう。
・活用するもの→助動詞(例:れる、られる、ない)
・活用しないもの→助詞(例:を、が、に)
2. 自立語
自立語も付属語と同様、活用するものと活用しないものに分けられます。
2-1. 活用する自立語
活用する自立語は用言とも呼ばれ、語尾の違いにより分類されます。
・述語のうち、言い切りの形が「だ」や「です」で終わるもの→形容動詞(例:綺麗だ、静かだ、幸せです)
・述語のうち、言い切りの形が「い」で終わるもの→形容詞(例:美しい、面白い、白い)
・述語のうち、言い切りの形がウ段で終わるもの→動詞(例:書く、渡る、食べる)
2-2. 活用しない自立語
活用しない自立語はまず、単独で主語になるか否かを見ます。
・主語になるもの→名詞(例:花、家、湖)
※なお名詞は体言とも呼ばれ、付属語を伴うことで修飾語の役割を果たすこともあります。
そして活用しない自立語で主語にならないものは、修飾語になるか否かでさらに細かく分かれます。
・修飾語になるもののうち、体言のみを修飾するもの→連体詞(例:この、いろんな)
・修飾語になるもののうち、主に用言を修飾するもの→副詞(例:ゆっくり、おそらく、少し)
活用しない自立語で主語にも修飾語にもならないものは、言葉の意味で見分けます。
前後の文や文節をつなぐ役割を持つものは接続詞、挨拶や呼びかけ、感動などを表すものは独立語と呼ばれ、感動詞に分類されます。
・修飾語にならないもののうち、接続語になるもの→接続詞(例:しかし、だから)
・修飾語にならないもののうち、独立語になるもの→感動詞(例:あら、もしもし、こんにちは)
|
活用なしの自立語であり、なおかつ主語や修飾語になることができない品詞には何がありますか。
|
活用なしの自立語であり、なおかつ主語や修飾語になることができない品詞は、接続詞と感動詞の2つです。
|
JCRRAG_004670
|
国語
|
[品詞の分類]
日本語の単語は、「動詞」「名詞」「形容詞」など10種類の品詞に分類できます。
ここでは、どのように分類するかをご説明しましょう。
まず、すべての単語は、付属語と自立語に分けられます。
単独で意味を表すものが自立語、そうでないものが付属語です。
付属語は、自立語の後にくっついて意味を付け加える働きをします。
1. 付属語
付属語は、活用するものと活用しないものの2種類に分かれます。
後に続く言葉によって形を変えるものは「活用する」、どんな言葉と組み合わせても変化しない単語は「活用しない」と考えましょう。
・活用するもの→助動詞(例:れる、られる、ない)
・活用しないもの→助詞(例:を、が、に)
2. 自立語
自立語も付属語と同様、活用するものと活用しないものに分けられます。
2-1. 活用する自立語
活用する自立語は用言とも呼ばれ、語尾の違いにより分類されます。
・述語のうち、言い切りの形が「だ」や「です」で終わるもの→形容動詞(例:綺麗だ、静かだ、幸せです)
・述語のうち、言い切りの形が「い」で終わるもの→形容詞(例:美しい、面白い、白い)
・述語のうち、言い切りの形がウ段で終わるもの→動詞(例:書く、渡る、食べる)
2-2. 活用しない自立語
活用しない自立語はまず、単独で主語になるか否かを見ます。
・主語になるもの→名詞(例:花、家、湖)
※なお名詞は体言とも呼ばれ、付属語を伴うことで修飾語の役割を果たすこともあります。
そして活用しない自立語で主語にならないものは、修飾語になるか否かでさらに細かく分かれます。
・修飾語になるもののうち、体言のみを修飾するもの→連体詞(例:この、いろんな)
・修飾語になるもののうち、主に用言を修飾するもの→副詞(例:ゆっくり、おそらく、少し)
活用しない自立語で主語にも修飾語にもならないものは、言葉の意味で見分けます。
前後の文や文節をつなぐ役割を持つものは接続詞、挨拶や呼びかけ、感動などを表すものは独立語と呼ばれ、感動詞に分類されます。
・修飾語にならないもののうち、接続語になるもの→接続詞(例:しかし、だから)
・修飾語にならないもののうち、独立語になるもの→感動詞(例:あら、もしもし、こんにちは)
|
「自立語」「活用しない」「主語にならない」「修飾語になる」の4点を全て満たす品詞はいくつありますか。
|
「自立語」「活用しない」「主語にならない」「修飾語になる」の4点を全て満たす品詞は、連体詞と副詞の2つです。
|
JCRRAG_004671
|
国語
|
【動詞の活用の種類】
ここでは、動詞の活用の種類について学びましょう。
動詞の活用には、五段活用、上一段活用、下一段活用、カ行変格活用、サ行変格活用の5種類があります。
以下の質問に従って見分けることで、動詞の活用の種類を分類することが可能です。
早速やってみましょう。
1. その動詞の終止形は「くる」ですか?
→上記に該当しない場合は、2に進んでください。
→上記に該当する場合は、以下のとおりです。
・「くる」=カ行変格活用
なお、カ行変格活用に該当するのは「くる」のみです。
2. その動詞の終止形は「する」あるいは「〜する(ずる)」ですか?
※「~する(ずる)」とは、「勉強する」や「愛する」など、他の言葉と結びついてできた複合動詞を指します。
→上記に該当しない場合は、3に進んでください。
→上記に該当する場合は、以下のとおりです。
・「する」=サ行変格活用
・「~する(ずる)」=サ行変格活用
なお、サ行変格活用に該当するのはこの2パターンのみです。
3. その動詞の終止形は「ある」ですか?
→上記に該当しない場合は、4に進んでください。
→上記に該当する場合は、以下のとおりです。
・「ある」=五段活用
なお、五段活用は「ある」以外の動詞にも該当しますが、「ある」は4で行う見分け方で分類できない例外となります。
4. その動詞に「ない」をつけたとき、直前の文字の母音は何になりますか?
→アの場合=五段活用
→イの場合=上一段活用
→エの場合=下一段活用
(例)「書く」の場合、「ない」をつけると「書かない」となり、直前の文字「か」の母音はア、すなわち「書く」は五段活用です。
|
終止形が「くる」「する」「〜する(ずる)」のいずれにも当てはまらない動詞で、「ない」を付けたときに直前の文字の母音が「ア」ではないなら、活用の種類は何になると考えられますか。
|
終止形が「くる」「する」「〜する(ずる)」のいずれにも当てはまらない動詞で、「ない」を付けたときに直前の文字の母音が「ア」ではないなら、活用の種類は上一段活用もしくは下一段活用になると考えられます。
|
JCRRAG_004672
|
国語
|
【動詞の活用の種類】
ここでは、動詞の活用の種類について学びましょう。
動詞の活用には、五段活用、上一段活用、下一段活用、カ行変格活用、サ行変格活用の5種類があります。
以下の質問に従って見分けることで、動詞の活用の種類を分類することが可能です。
早速やってみましょう。
1. その動詞の終止形は「くる」ですか?
→上記に該当しない場合は、2に進んでください。
→上記に該当する場合は、以下のとおりです。
・「くる」=カ行変格活用
なお、カ行変格活用に該当するのは「くる」のみです。
2. その動詞の終止形は「する」あるいは「〜する(ずる)」ですか?
※「~する(ずる)」とは、「勉強する」や「愛する」など、他の言葉と結びついてできた複合動詞を指します。
→上記に該当しない場合は、3に進んでください。
→上記に該当する場合は、以下のとおりです。
・「する」=サ行変格活用
・「~する(ずる)」=サ行変格活用
なお、サ行変格活用に該当するのはこの2パターンのみです。
3. その動詞の終止形は「ある」ですか?
→上記に該当しない場合は、4に進んでください。
→上記に該当する場合は、以下のとおりです。
・「ある」=五段活用
なお、五段活用は「ある」以外の動詞にも該当しますが、「ある」は4で行う見分け方で分類できない例外となります。
4. その動詞に「ない」をつけたとき、直前の文字の母音は何になりますか?
→アの場合=五段活用
→イの場合=上一段活用
→エの場合=下一段活用
(例)「書く」の場合、「ない」をつけると「書かない」となり、直前の文字「か」の母音はア、すなわち「書く」は五段活用です。
|
終止形が「くる」でも「する」でも「ある」でもない動詞の活用の種類は何になりますか。
|
終止形が「くる」でも「する」でも「ある」でもない動詞の活用の種類は、五段活用、上一段活用、下一段活用のいずれかになります。
|
JCRRAG_004673
|
国語
|
【動詞の活用の種類】
ここでは、動詞の活用の種類について学びましょう。
動詞の活用には、五段活用、上一段活用、下一段活用、カ行変格活用、サ行変格活用の5種類があります。
以下の質問に従って見分けることで、動詞の活用の種類を分類することが可能です。
早速やってみましょう。
1. その動詞の終止形は「くる」ですか?
→上記に該当しない場合は、2に進んでください。
→上記に該当する場合は、以下のとおりです。
・「くる」=カ行変格活用
なお、カ行変格活用に該当するのは「くる」のみです。
2. その動詞の終止形は「する」あるいは「〜する(ずる)」ですか?
※「~する(ずる)」とは、「勉強する」や「愛する」など、他の言葉と結びついてできた複合動詞を指します。
→上記に該当しない場合は、3に進んでください。
→上記に該当する場合は、以下のとおりです。
・「する」=サ行変格活用
・「~する(ずる)」=サ行変格活用
なお、サ行変格活用に該当するのはこの2パターンのみです。
3. その動詞の終止形は「ある」ですか?
→上記に該当しない場合は、4に進んでください。
→上記に該当する場合は、以下のとおりです。
・「ある」=五段活用
なお、五段活用は「ある」以外の動詞にも該当しますが、「ある」は4で行う見分け方で分類できない例外となります。
4. その動詞に「ない」をつけたとき、直前の文字の母音は何になりますか?
→アの場合=五段活用
→イの場合=上一段活用
→エの場合=下一段活用
(例)「書く」の場合、「ない」をつけると「書かない」となり、直前の文字「か」の母音はア、すなわち「書く」は五段活用です。
|
「くる」と「する」がつく動詞以外の動詞のうち、「ない」を付けた時の直前の文字の母音が「イ」である動詞の活用の種類は何ですか。
|
「くる」と「する」がつく動詞以外の動詞は、「ない」を付けた時に直前の文字の母音が「イ」であるならば、上一段活用に該当します。
|
JCRRAG_004674
|
国語
|
その狭い部屋は、たくさんのものでごった返していた。私は足の踏み場を探しながら、そっと中に入る。
すると慎重に足を進めたにもかかわらず、早速、足の裏に何かが突き刺さった。
私は苦痛に顔を歪めながら、そっとかがみ込む。その正体は、小さな木のブロックだった。
「何だこれは?」
子供用の遊び道具か?それともペット用か?
……しかし物が多すぎる。私はため息をつきながら、あたりを見回した。
テーブルの上には黒い本、赤い蝋燭、黄色いハンカチ、緑のマフラー、そして白い皿。
また右の壁には絵画やポストカードが所狭しと飾られており、そこも相当にカラフルだ。たとえば青い空、黒い猫、赤いリンゴ、白いリボンに紫色の花。
どう見てもリラックスとは程遠い状態だ。この部屋の主は、これだけありとあらゆる色に囲まれて目が回らないのだろうか。
そんなことを思いながら左を向いた私の目に入ったのは、私の背丈ほどの本棚だった。
そこに並んでいた本の背表紙も実に色とりどりで、緑、赤、紫、茶色、そして水色と、さまざまな本がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。
それを見て「よくもこれだけ集めたもんだな」と呟いた時、不意に背後から視線を感じて振り返る。
立っていたのは、思いもよらない人物だった。
|
テーブル、右の壁、左の本棚に存在するさまざまな色のうち、右の壁にしか存在しないのは何色でしょうか。
|
テーブル、右の壁、左の本棚に存在するさまざまな色のうち、右の壁にしか存在しないのは青色です。
|
JCRRAG_004675
|
国語
|
[敬語の分類]
ここでは、敬語の使い分けに悩んだ際に、どの敬語を使うべきか判断する方法を学びましょう。
特にややこしいものについてはよく使う表現を紹介するので、そちらも参考にしてください。
敬語は現在5種類に分類されていますが、用途を明確にするため、ここではまず「素材敬語」と「対者敬語」の2つに分けます。
この2つの見分け方は、敬意を表す相手が話題の中の人物か、それとも話の聞き手や文章の読み手か、という点です。
前者は素材敬語、後者は対者敬語に分類されます。
例えば「中村先生がご飯を食べる」という文章があった場合、話題の中の「中村先生」に敬意を表したい場合は素材敬語、この話を聞いている第三者に敬意を表したい場合は対者敬語を用いると考えてください。
素材敬語と対者敬語のどちらを使うべきか分かったら、次に進みます。
1. 素材敬語
素材敬語は、尊敬語と謙譲語Iの2つです。
これは、動作の主体が敬意の対象か、それとも自分側か、という点で判断します。
上で例に挙げた文章では、中村先生が「食べる」という動作の主体なので尊敬語を使うということです。
反対に「中村先生から提供されたご飯を私が食べる」という意味の文章ならば、動作の主体が自分側になるため、謙譲語Iを用います。
2. 対者敬語
対者敬語は全部で3種類あります。
最初の判断基準は、動作の主体が自分側限定か否かです。
この問いがYesの場合に使う敬語は、謙譲語IIとなります。
Noの場合に使う敬語は、丁寧語あるいは美化語です。
なお丁寧語か美化語かは、物事を上品に美化して表現したいのか、それとも単に丁寧に述べたいのか、で判断しましょう。
前者が美化語、後者が丁寧語です。
また美化語は主に名詞を上品に表現するために使われるので、これを基準に見分けても良いでしょう。
(美化語の例)お花、お水、など
[尊敬語と謙譲語I・II]
尊敬語ならびに謙譲語I、謙譲語IIは、丁寧語と美化語に比べて難しいと感じる方が多いようです。
そこで、よく使われる表現をいくつか紹介します。
まずはどの敬語を使うべきか上の手順で見分け、使うべき敬語の種類が分かったらこちらを活用してください。
基本形「知る」... 尊敬語は「ご存じ」、謙譲語Iは「存じ上げる」、謙譲語IIは「存じる」です。
基本形「食べる」... 尊敬語は「召し上がる」、謙譲語Iは「いただく」です。謙譲語IIは※。
基本形「言う」... 尊敬語は「おっしゃる」、謙譲語Iは「申し上げる」、謙譲語IIは「申す」です。
基本形「行く」... 尊敬語は「いらっしゃる」、謙譲語Iは「おいでになる」、謙譲語IIは「伺う」「参る」です。
基本形「会う」... 尊敬語は「お会いになる」、謙譲語Iは「お目にかかる」です。謙譲語IIは※。
基本形「見る」... 尊敬語は「ご覧になる」、謙譲語Iは「拝見する」です。謙譲語IIは※。
基本形「聞く」... 尊敬語は「お聞きになる」、謙譲語Iは「伺う」「拝聴する」です。謙譲語IIは※。
※について
謙譲語IIは種類が少ないため、該当する表現がないものもあります。
その場合、名詞にして「いたす」を付けた表現が謙譲語IIとして扱われることが多いです。
例えば「食べる」なら、「頂戴いたす」となります。
|
敬意を表す相手が話題の中の人物で、動作の主体が自分自身の場合、「見る」は敬語にすると何になりますか?
|
敬意を表す相手が話題の中の人物で、動作の主体が自分自身の場合、「見る」は敬語にすると「拝見する」になります。
|
JCRRAG_004676
|
国語
|
[敬語の分類]
ここでは、敬語の使い分けに悩んだ際に、どの敬語を使うべきか判断する方法を学びましょう。
特にややこしいものについてはよく使う表現を紹介するので、そちらも参考にしてください。
敬語は現在5種類に分類されていますが、用途を明確にするため、ここではまず「素材敬語」と「対者敬語」の2つに分けます。
この2つの見分け方は、敬意を表す相手が話題の中の人物か、それとも話の聞き手や文章の読み手か、という点です。
前者は素材敬語、後者は対者敬語に分類されます。
例えば「中村先生がご飯を食べる」という文章があった場合、話題の中の「中村先生」に敬意を表したい場合は素材敬語、この話を聞いている第三者に敬意を表したい場合は対者敬語を用いると考えてください。
素材敬語と対者敬語のどちらを使うべきか分かったら、次に進みます。
1. 素材敬語
素材敬語は、尊敬語と謙譲語Iの2つです。
これは、動作の主体が敬意の対象か、それとも自分側か、という点で判断します。
上で例に挙げた文章では、中村先生が「食べる」という動作の主体なので尊敬語を使うということです。
反対に「中村先生から提供されたご飯を私が食べる」という意味の文章ならば、動作の主体が自分側になるため、謙譲語Iを用います。
2. 対者敬語
対者敬語は全部で3種類あります。
最初の判断基準は、動作の主体が自分側限定か否かです。
この問いがYesの場合に使う敬語は、謙譲語IIとなります。
Noの場合に使う敬語は、丁寧語あるいは美化語です。
なお丁寧語か美化語かは、物事を上品に美化して表現したいのか、それとも単に丁寧に述べたいのか、で判断しましょう。
前者が美化語、後者が丁寧語です。
また美化語は主に名詞を上品に表現するために使われるので、これを基準に見分けても良いでしょう。
(美化語の例)お花、お水、など
[尊敬語と謙譲語I・II]
尊敬語ならびに謙譲語I、謙譲語IIは、丁寧語と美化語に比べて難しいと感じる方が多いようです。
そこで、よく使われる表現をいくつか紹介します。
まずはどの敬語を使うべきか上の手順で見分け、使うべき敬語の種類が分かったらこちらを活用してください。
基本形「知る」... 尊敬語は「ご存じ」、謙譲語Iは「存じ上げる」、謙譲語IIは「存じる」です。
基本形「食べる」... 尊敬語は「召し上がる」、謙譲語Iは「いただく」です。謙譲語IIは※。
基本形「言う」... 尊敬語は「おっしゃる」、謙譲語Iは「申し上げる」、謙譲語IIは「申す」です。
基本形「行く」... 尊敬語は「いらっしゃる」、謙譲語Iは「おいでになる」、謙譲語IIは「伺う」「参る」です。
基本形「会う」... 尊敬語は「お会いになる」、謙譲語Iは「お目にかかる」です。謙譲語IIは※。
基本形「見る」... 尊敬語は「ご覧になる」、謙譲語Iは「拝見する」です。謙譲語IIは※。
基本形「聞く」... 尊敬語は「お聞きになる」、謙譲語Iは「伺う」「拝聴する」です。謙譲語IIは※。
※について
謙譲語IIは種類が少ないため、該当する表現がないものもあります。
その場合、名詞にして「いたす」を付けた表現が謙譲語IIとして扱われることが多いです。
例えば「食べる」なら、「頂戴いたす」となります。
|
敬意を表す相手が話題の中の人物ではなく、動作の主体が自分の場合、「言う」は敬語で何といいますか?
|
敬意を表す相手が話題の中の人物ではなく、動作の主体が自分の場合、「言う」は敬語で「申す」といいます。
|
JCRRAG_004677
|
国語
|
[敬語の分類]
ここでは、敬語の使い分けに悩んだ際に、どの敬語を使うべきか判断する方法を学びましょう。
特にややこしいものについてはよく使う表現を紹介するので、そちらも参考にしてください。
敬語は現在5種類に分類されていますが、用途を明確にするため、ここではまず「素材敬語」と「対者敬語」の2つに分けます。
この2つの見分け方は、敬意を表す相手が話題の中の人物か、それとも話の聞き手や文章の読み手か、という点です。
前者は素材敬語、後者は対者敬語に分類されます。
例えば「中村先生がご飯を食べる」という文章があった場合、話題の中の「中村先生」に敬意を表したい場合は素材敬語、この話を聞いている第三者に敬意を表したい場合は対者敬語を用いると考えてください。
素材敬語と対者敬語のどちらを使うべきか分かったら、次に進みます。
1. 素材敬語
素材敬語は、尊敬語と謙譲語Iの2つです。
これは、動作の主体が敬意の対象か、それとも自分側か、という点で判断します。
上で例に挙げた文章では、中村先生が「食べる」という動作の主体なので尊敬語を使うということです。
反対に「中村先生から提供されたご飯を私が食べる」という意味の文章ならば、動作の主体が自分側になるため、謙譲語Iを用います。
2. 対者敬語
対者敬語は全部で3種類あります。
最初の判断基準は、動作の主体が自分側限定か否かです。
この問いがYesの場合に使う敬語は、謙譲語IIとなります。
Noの場合に使う敬語は、丁寧語あるいは美化語です。
なお丁寧語か美化語かは、物事を上品に美化して表現したいのか、それとも単に丁寧に述べたいのか、で判断しましょう。
前者が美化語、後者が丁寧語です。
また美化語は主に名詞を上品に表現するために使われるので、これを基準に見分けても良いでしょう。
(美化語の例)お花、お水、など
[尊敬語と謙譲語I・II]
尊敬語ならびに謙譲語I、謙譲語IIは、丁寧語と美化語に比べて難しいと感じる方が多いようです。
そこで、よく使われる表現をいくつか紹介します。
まずはどの敬語を使うべきか上の手順で見分け、使うべき敬語の種類が分かったらこちらを活用してください。
基本形「知る」... 尊敬語は「ご存じ」、謙譲語Iは「存じ上げる」、謙譲語IIは「存じる」です。
基本形「食べる」... 尊敬語は「召し上がる」、謙譲語Iは「いただく」です。謙譲語IIは※。
基本形「言う」... 尊敬語は「おっしゃる」、謙譲語Iは「申し上げる」、謙譲語IIは「申す」です。
基本形「行く」... 尊敬語は「いらっしゃる」、謙譲語Iは「おいでになる」、謙譲語IIは「伺う」「参る」です。
基本形「会う」... 尊敬語は「お会いになる」、謙譲語Iは「お目にかかる」です。謙譲語IIは※。
基本形「見る」... 尊敬語は「ご覧になる」、謙譲語Iは「拝見する」です。謙譲語IIは※。
基本形「聞く」... 尊敬語は「お聞きになる」、謙譲語Iは「伺う」「拝聴する」です。謙譲語IIは※。
※について
謙譲語IIは種類が少ないため、該当する表現がないものもあります。
その場合、名詞にして「いたす」を付けた表現が謙譲語IIとして扱われることが多いです。
例えば「食べる」なら、「頂戴いたす」となります。
|
敬意を表す相手が、話題の中の人物かつ動作の主体で、「行く」を敬語にしたい場合はどう表現すればいいですか?
|
敬意を表す相手が、話題の中の人物かつ動作の主体で、「行く」を敬語にしたい場合は、「いらっしゃる」と表現します。
|
JCRRAG_004678
|
国語
|
[敬語の分類]
ここでは、敬語の使い分けに悩んだ際に、どの敬語を使うべきか判断する方法を学びましょう。
特にややこしいものについてはよく使う表現を紹介するので、そちらも参考にしてください。
敬語は現在5種類に分類されていますが、用途を明確にするため、ここではまず「素材敬語」と「対者敬語」の2つに分けます。
この2つの見分け方は、敬意を表す相手が話題の中の人物か、それとも話の聞き手や文章の読み手か、という点です。
前者は素材敬語、後者は対者敬語に分類されます。
例えば「中村先生がご飯を食べる」という文章があった場合、話題の中の「中村先生」に敬意を表したい場合は素材敬語、この話を聞いている第三者に敬意を表したい場合は対者敬語を用いると考えてください。
素材敬語と対者敬語のどちらを使うべきか分かったら、次に進みます。
1. 素材敬語
素材敬語は、尊敬語と謙譲語Iの2つです。
これは、動作の主体が敬意の対象か、それとも自分側か、という点で判断します。
上で例に挙げた文章では、中村先生が「食べる」という動作の主体なので尊敬語を使うということです。
反対に「中村先生から提供されたご飯を私が食べる」という意味の文章ならば、動作の主体が自分側になるため、謙譲語Iを用います。
2. 対者敬語
対者敬語は全部で3種類あります。
最初の判断基準は、動作の主体が自分側限定か否かです。
この問いがYesの場合に使う敬語は、謙譲語IIとなります。
Noの場合に使う敬語は、丁寧語あるいは美化語です。
なお丁寧語か美化語かは、物事を上品に美化して表現したいのか、それとも単に丁寧に述べたいのか、で判断しましょう。
前者が美化語、後者が丁寧語です。
また美化語は主に名詞を上品に表現するために使われるので、これを基準に見分けても良いでしょう。
(美化語の例)お花、お水、など
[尊敬語と謙譲語I・II]
尊敬語ならびに謙譲語I、謙譲語IIは、丁寧語と美化語に比べて難しいと感じる方が多いようです。
そこで、よく使われる表現をいくつか紹介します。
まずはどの敬語を使うべきか上の手順で見分け、使うべき敬語の種類が分かったらこちらを活用してください。
基本形「知る」... 尊敬語は「ご存じ」、謙譲語Iは「存じ上げる」、謙譲語IIは「存じる」です。
基本形「食べる」... 尊敬語は「召し上がる」、謙譲語Iは「いただく」です。謙譲語IIは※。
基本形「言う」... 尊敬語は「おっしゃる」、謙譲語Iは「申し上げる」、謙譲語IIは「申す」です。
基本形「行く」... 尊敬語は「いらっしゃる」、謙譲語Iは「おいでになる」、謙譲語IIは「伺う」「参る」です。
基本形「会う」... 尊敬語は「お会いになる」、謙譲語Iは「お目にかかる」です。謙譲語IIは※。
基本形「見る」... 尊敬語は「ご覧になる」、謙譲語Iは「拝見する」です。謙譲語IIは※。
基本形「聞く」... 尊敬語は「お聞きになる」、謙譲語Iは「伺う」「拝聴する」です。謙譲語IIは※。
※について
謙譲語IIは種類が少ないため、該当する表現がないものもあります。
その場合、名詞にして「いたす」を付けた表現が謙譲語IIとして扱われることが多いです。
例えば「食べる」なら、「頂戴いたす」となります。
|
文章の読み手に敬意を表した敬語で文章を作りたいのですが、動作の主体が自分以外の場合に、単に丁寧に述べたい場合はどの敬語を用いますか?
|
文章の読み手に敬意を表した敬語で文章を作るとき、動作の主体が自分以外の場合で、単に丁寧に述べたい場合は、丁寧語を用います。
|
JCRRAG_004679
|
国語
|
[部首の基礎知識]
漢字を分類する際にひとつの基準となるのが部首です。
部首は漢字の構成の基本となり、すべての漢字に1つずつ部首が割り当てられています。
ここではさまざまな部首について学びましょう。
○部首の位置
部首は、漢字全体で見たときにその部首がどの位置に配置されているかで7つに分類できます。
・漢字の左側に位置する部首→へん
・漢字の右側に位置する部首→つくり
・漢字の上側に位置する部首→かんむり
・漢字の下側に位置する部首→あし
・漢字の外側に位置する部首→かまえ
・漢字の上から左側にかけて位置する部首→たれ
・漢字の左から下側にかけて位置する部首→にょう
○部首の具体例
分類できたら、それぞれのグループに該当する具体的な部首名を見てみましょう。
・へん→にんべん、てへん、さんずい、きへん、ごんべん
・つくり→りっとう、ちから、おおざと、ぼくづくり、おおがい
・かんむり→くさかんむり、うかんむり、あなかんむり、たけかんむり、あめかんむり
・あし→ひとあし、こころ、れっか、さら、にじゅうあし
・かまえ→くにがまえ、もんがまえ、ぎょうがまえ、はこがまえ、かくしがまえ
・たれ→がんだれ、まだれ、しかばね、とだれ、やまいだれ
・にょう→しんにょう、えんにょう、かんにょう、そうにょう、きにょう
○部首の画数
また部首は画数から分類することも可能で、これは辞書を引く際などに役立ちます。
具体例を紹介するので参考にしてください。
・2画の部首→にんべん、りっとう、ちから、ひとあし、はこがまえ、かくしがまえ、がんだれ、かんにょう
・3画の部首→てへん、さんずい、おおざと、くさかんむり、うかんむり、にじゅうあし、くにがまえ、まだれ、しかばね、しんにょう、えんにょう
・4画の部首→きへん、ぼくづくり、こころ、れっか、とだれ
・5画の部首→あなかんむり、さら、やまいだれ
・6画の部首→たけかんむり、ぎょうがまえ
・7画の部首→ごんべん、そうにょう
・8画の部首→あめかんむり、もんがまえ
・9画の部首→おおがい
・10画の部首→きにょう
|
漢字の外側に位置し、なおかつ部首名が平仮名5文字のものの中で、画数が2画なのは何という部首でしょうか。
|
漢字の外側に位置し、なおかつ部首名が平仮名5文字のものの中で、画数が2画なのは「はこがまえ」という部首です。
|
JCRRAG_004680
|
国語
|
みなさん、こんにちは。内田樹です。
本書はかなり変わった成り立ちの本です。何年も前から僕は韓国に講演旅行に行くようになりました。もう10年以上になると思います。最初のうちは僕の教育論の韓国語訳を読んだ教育関係者の集まりに招かれていましたが、訳書が増えるにつれて、講演依頼のトピックも多様化してきました。
そして、数年前にソウルのYuYu出版社という小さな出版社の編集者が韓国滞在中に僕に会いに来て、「韓国語版オリジナルの本を出したい」という提案を告げてきました。そう言われても、韓国の読者がどんな関心を持って僕の本を読んでくださっているのか、僕はよくわかりません。ですから、「書き下ろしは無理です」と申し上げました。それでもずいぶん粘られましたので、「じゃあ、みなさんから質問をうかがって、それに僕が回答をするという、Q&A形式の本にしませんか」と逆提案しました。そういう形式なら、韓国の読者がいったい僕からどんな情報や知見を引き出したいのか、僕に何を求めているのかがわかりますから。
そうやってメールでのやりとりが始まりました。最初の方の質問はYuYu出版社の編集者の方たちからのものです。途中からは、僕の著作のほとんどを翻訳してくれて、僕の韓国講演旅行のときの通訳である朴東燮先生が質問係りになりました。
一年くらいやりとりがあり、2024年に韓国語版が出版されました。タイトルは『無知の楽しさ』というものでした。どうして、そんなタイトルを付けたのか、僕にはよくわかりませんでした(そんなことについては別に書いてないんですけどね)。でも、先方がそうしたいというのなら、仕方がありません。
ところが意外なことに、この本が僕の本としては例外的に韓国ではよく売れました。ちなみに僕の韓国語訳はこれが51冊目だそうです。点数だけは出ているのですが、どれもそれほど売れません。でも、2024年に出た『図書館には人がいないほうがいい』と『無知の楽しみ』の二冊は(どちらも韓国語版がオリジナル)よく売れたそうです。これまで僕の本を手に取ったことのない新しい読者を獲得したと朴先生がうれしそうに知らせてくれました。
|
僕の韓国語訳された本は何冊がよく売れていませんか。
|
僕の韓国語訳された本は49冊がよく売れていません。
|
JCRRAG_004681
|
国語
|
みなさん、こんにちは。内田樹です。
本書はかなり変わった成り立ちの本です。何年も前から僕は韓国に講演旅行に行くようになりました。もう10年以上になると思います。最初のうちは僕の教育論の韓国語訳を読んだ教育関係者の集まりに招かれていましたが、訳書が増えるにつれて、講演依頼のトピックも多様化してきました。
そして、数年前にソウルのYuYu出版社という小さな出版社の編集者が韓国滞在中に僕に会いに来て、「韓国語版オリジナルの本を出したい」という提案を告げてきました。そう言われても、韓国の読者がどんな関心を持って僕の本を読んでくださっているのか、僕はよくわかりません。ですから、「書き下ろしは無理です」と申し上げました。それでもずいぶん粘られましたので、「じゃあ、みなさんから質問をうかがって、それに僕が回答をするという、Q&A形式の本にしませんか」と逆提案しました。そういう形式なら、韓国の読者がいったい僕からどんな情報や知見を引き出したいのか、僕に何を求めているのかがわかりますから。
そうやってメールでのやりとりが始まりました。最初の方の質問はYuYu出版社の編集者の方たちからのものです。途中からは、僕の著作のほとんどを翻訳してくれて、僕の韓国講演旅行のときの通訳である朴東燮先生が質問係りになりました。
一年くらいやりとりがあり、2024年に韓国語版が出版されました。タイトルは『無知の楽しさ』というものでした。どうして、そんなタイトルを付けたのか、僕にはよくわかりませんでした(そんなことについては別に書いてないんですけどね)。でも、先方がそうしたいというのなら、仕方がありません。
ところが意外なことに、この本が僕の本としては例外的に韓国ではよく売れました。ちなみに僕の韓国語訳はこれが51冊目だそうです。点数だけは出ているのですが、どれもそれほど売れません。でも、2024年に出た『図書館には人がいないほうがいい』と『無知の楽しみ』の二冊は(どちらも韓国語版がオリジナル)よく売れたそうです。これまで僕の本を手に取ったことのない新しい読者を獲得したと朴先生がうれしそうに知らせてくれました。
|
著者の韓国語訳された本でよく売れた本の割合は約何%ですか。
|
著者の韓国語訳された本でよく売れた本の割合は約3.9%です。
|
JCRRAG_004682
|
国語
|
農業についてよく講演や寄稿を依頼される。私自身は都会生活者で、農業とはほぼ無縁の生活を送っている人間である。だから、私に農業のことを訊きに来るのは「現場のことはよく知らないけれど、日本の農業のさきゆきに強い不安を抱いている人間」の意見も(参考のために)聴いておきたいということなのだと思う。だから、以下に私が書くことは、ふつうの農業関係者がまず言わないことを、まず用いない言葉づかいで語ることになる。そういう視点からも農業の重要性と危機を語ることもできるのだということを分かって頂きたい。
私は1950年、戦後5年目の東京の多摩川のそばで生まれた。下丸子の駅から多摩川の河川敷まではかつて軍需工場とその下請けが立ち並んでいたところで、B29の爆撃でほとんど廃墟となった。そのあとに人々が住み着いたのである。
私の家の前には「原っぱ」があった。春には菜の花が咲き、秋にはススキが揺れる、遠目にはきれいな場所だった。でも、子どもが足を踏み入れるのはかなり危険だった。焼けて折れ曲がった鉄骨や壊れたコンクリートの土台やガラス片が草の下にひろがっていて、うっかり転んだり、踏み抜いたりすると、ひどい怪我をするリスクがあったからである。
軍需工場の醜い焼け跡を豊かな緑と草花が覆いつくしているというのが、私にとってのふるさとの「原風景」である。
宮崎駿の『天空の城ラピュタ』を観たときに、科学の粋を尽くして設計された天空を飛行する巨大艦船ラピュタが、乗員を失って無人のまま何世紀も飛行しているうちに、草花と木々に覆われた「空飛ぶ庭園」のようなものに変化してゆくという物語に既視感を覚えたことがあった。あるいは宮崎駿にとっても、「兵器を覆う緑」という図像が戦後の原風景だったのかも知れない。
「兵器を覆う緑」というのは、敗戦後、焦土となった日本に育った子どもたちにとって、もっとも身近で、そしてもっとも心休まる風景でもあった。その風景は「もう戦争はない」という現実だけでなく、「緑は人間の犯した愚行や非道をすべてを静けさと平安のうちに回収する」という植物的なものへの信頼と親しみの感情を醸成した。少なくとも私においてはそうであった。
1950年の日本の農業人口は1613万人。日本の人口が8400万人だった時代に総人口の20%が農業従事者だった。2024年の農業人口は88万人。2024年の日本の総人口1億2500万人の0.7%に過ぎない。敗戦後の日本では「食物を作る」ことが最優先だったから、この数字は当然だと思う。そして、農業が基幹産業である社会では、あらゆる場面で農業のメタファーが用いられた。私が都会の子どもであったにもかかわらず、農業に親近感を持つのは、農業の用語で育てられたからである。
学校教育はほとんど農業の比喩だけで語られた。子どもたちは「種子」である。教師は「農夫」である。水をやり、肥料をやり、病虫害や風水害から守り、やがて収穫期になると「実り」がもたらされる。ほとんどは自然任せであるから、人間が工程を100%管理することなど思いもよらない。そもそも秋になると何がどの程度の収量収穫できるのかさえ事前には予測できないのである。どんなものでも実ればそれは「天からの贈り物」である。
私たちはそういう植物的な比喩の中で育てられた。だから、教師がガリ版刷りしていた学級通信の題名は多くが「めばえ」とか「わかば」とか「ふたば」とかいう植物的語彙から採られていた。誰もそれが変だとは思わなかった。
|
1950年の日本の農業人口は2024年の農業人口より何万人多かったですか。
|
1950年の日本の農業人口は2024年の農業人口より1525万人多かったです。
|
JCRRAG_004683
|
国語
|
農業についてよく講演や寄稿を依頼される。私自身は都会生活者で、農業とはほぼ無縁の生活を送っている人間である。だから、私に農業のことを訊きに来るのは「現場のことはよく知らないけれど、日本の農業のさきゆきに強い不安を抱いている人間」の意見も(参考のために)聴いておきたいということなのだと思う。だから、以下に私が書くことは、ふつうの農業関係者がまず言わないことを、まず用いない言葉づかいで語ることになる。そういう視点からも農業の重要性と危機を語ることもできるのだということを分かって頂きたい。
私は1950年、戦後5年目の東京の多摩川のそばで生まれた。下丸子の駅から多摩川の河川敷まではかつて軍需工場とその下請けが立ち並んでいたところで、B29の爆撃でほとんど廃墟となった。そのあとに人々が住み着いたのである。
私の家の前には「原っぱ」があった。春には菜の花が咲き、秋にはススキが揺れる、遠目にはきれいな場所だった。でも、子どもが足を踏み入れるのはかなり危険だった。焼けて折れ曲がった鉄骨や壊れたコンクリートの土台やガラス片が草の下にひろがっていて、うっかり転んだり、踏み抜いたりすると、ひどい怪我をするリスクがあったからである。
軍需工場の醜い焼け跡を豊かな緑と草花が覆いつくしているというのが、私にとってのふるさとの「原風景」である。
宮崎駿の『天空の城ラピュタ』を観たときに、科学の粋を尽くして設計された天空を飛行する巨大艦船ラピュタが、乗員を失って無人のまま何世紀も飛行しているうちに、草花と木々に覆われた「空飛ぶ庭園」のようなものに変化してゆくという物語に既視感を覚えたことがあった。あるいは宮崎駿にとっても、「兵器を覆う緑」という図像が戦後の原風景だったのかも知れない。
「兵器を覆う緑」というのは、敗戦後、焦土となった日本に育った子どもたちにとって、もっとも身近で、そしてもっとも心休まる風景でもあった。その風景は「もう戦争はない」という現実だけでなく、「緑は人間の犯した愚行や非道をすべてを静けさと平安のうちに回収する」という植物的なものへの信頼と親しみの感情を醸成した。少なくとも私においてはそうであった。
1950年の日本の農業人口は1613万人。日本の人口が8400万人だった時代に総人口の20%が農業従事者だった。2024年の農業人口は88万人。2024年の日本の総人口1億2500万人の0.7%に過ぎない。敗戦後の日本では「食物を作る」ことが最優先だったから、この数字は当然だと思う。そして、農業が基幹産業である社会では、あらゆる場面で農業のメタファーが用いられた。私が都会の子どもであったにもかかわらず、農業に親近感を持つのは、農業の用語で育てられたからである。
学校教育はほとんど農業の比喩だけで語られた。子どもたちは「種子」である。教師は「農夫」である。水をやり、肥料をやり、病虫害や風水害から守り、やがて収穫期になると「実り」がもたらされる。ほとんどは自然任せであるから、人間が工程を100%管理することなど思いもよらない。そもそも秋になると何がどの程度の収量収穫できるのかさえ事前には予測できないのである。どんなものでも実ればそれは「天からの贈り物」である。
私たちはそういう植物的な比喩の中で育てられた。だから、教師がガリ版刷りしていた学級通信の題名は多くが「めばえ」とか「わかば」とか「ふたば」とかいう植物的語彙から採られていた。誰もそれが変だとは思わなかった。
|
1950年の日本の農業人口は2024年の農業人口の約何倍でしたか。
|
1950年の日本の農業人口は2024年の農業人口の約18倍でした。
|
JCRRAG_004684
|
国語
|
農業についてよく講演や寄稿を依頼される。私自身は都会生活者で、農業とはほぼ無縁の生活を送っている人間である。だから、私に農業のことを訊きに来るのは「現場のことはよく知らないけれど、日本の農業のさきゆきに強い不安を抱いている人間」の意見も(参考のために)聴いておきたいということなのだと思う。だから、以下に私が書くことは、ふつうの農業関係者がまず言わないことを、まず用いない言葉づかいで語ることになる。そういう視点からも農業の重要性と危機を語ることもできるのだということを分かって頂きたい。
私は1950年、戦後5年目の東京の多摩川のそばで生まれた。下丸子の駅から多摩川の河川敷まではかつて軍需工場とその下請けが立ち並んでいたところで、B29の爆撃でほとんど廃墟となった。そのあとに人々が住み着いたのである。
私の家の前には「原っぱ」があった。春には菜の花が咲き、秋にはススキが揺れる、遠目にはきれいな場所だった。でも、子どもが足を踏み入れるのはかなり危険だった。焼けて折れ曲がった鉄骨や壊れたコンクリートの土台やガラス片が草の下にひろがっていて、うっかり転んだり、踏み抜いたりすると、ひどい怪我をするリスクがあったからである。
軍需工場の醜い焼け跡を豊かな緑と草花が覆いつくしているというのが、私にとってのふるさとの「原風景」である。
宮崎駿の『天空の城ラピュタ』を観たときに、科学の粋を尽くして設計された天空を飛行する巨大艦船ラピュタが、乗員を失って無人のまま何世紀も飛行しているうちに、草花と木々に覆われた「空飛ぶ庭園」のようなものに変化してゆくという物語に既視感を覚えたことがあった。あるいは宮崎駿にとっても、「兵器を覆う緑」という図像が戦後の原風景だったのかも知れない。
「兵器を覆う緑」というのは、敗戦後、焦土となった日本に育った子どもたちにとって、もっとも身近で、そしてもっとも心休まる風景でもあった。その風景は「もう戦争はない」という現実だけでなく、「緑は人間の犯した愚行や非道をすべてを静けさと平安のうちに回収する」という植物的なものへの信頼と親しみの感情を醸成した。少なくとも私においてはそうであった。
1950年の日本の農業人口は1613万人。日本の人口が8400万人だった時代に総人口の20%が農業従事者だった。2024年の農業人口は88万人。2024年の日本の総人口1億2500万人の0.7%に過ぎない。敗戦後の日本では「食物を作る」ことが最優先だったから、この数字は当然だと思う。そして、農業が基幹産業である社会では、あらゆる場面で農業のメタファーが用いられた。私が都会の子どもであったにもかかわらず、農業に親近感を持つのは、農業の用語で育てられたからである。
学校教育はほとんど農業の比喩だけで語られた。子どもたちは「種子」である。教師は「農夫」である。水をやり、肥料をやり、病虫害や風水害から守り、やがて収穫期になると「実り」がもたらされる。ほとんどは自然任せであるから、人間が工程を100%管理することなど思いもよらない。そもそも秋になると何がどの程度の収量収穫できるのかさえ事前には予測できないのである。どんなものでも実ればそれは「天からの贈り物」である。
私たちはそういう植物的な比喩の中で育てられた。だから、教師がガリ版刷りしていた学級通信の題名は多くが「めばえ」とか「わかば」とか「ふたば」とかいう植物的語彙から採られていた。誰もそれが変だとは思わなかった。
|
2024年に農業従事者ではない人は何万人いますか。
|
2024年に農業従事者ではない人は1億2412万人います。
|
JCRRAG_004685
|
国語
|
農業についてよく講演や寄稿を依頼される。私自身は都会生活者で、農業とはほぼ無縁の生活を送っている人間である。だから、私に農業のことを訊きに来るのは「現場のことはよく知らないけれど、日本の農業のさきゆきに強い不安を抱いている人間」の意見も(参考のために)聴いておきたいということなのだと思う。だから、以下に私が書くことは、ふつうの農業関係者がまず言わないことを、まず用いない言葉づかいで語ることになる。そういう視点からも農業の重要性と危機を語ることもできるのだということを分かって頂きたい。
私は1950年、戦後5年目の東京の多摩川のそばで生まれた。下丸子の駅から多摩川の河川敷まではかつて軍需工場とその下請けが立ち並んでいたところで、B29の爆撃でほとんど廃墟となった。そのあとに人々が住み着いたのである。
私の家の前には「原っぱ」があった。春には菜の花が咲き、秋にはススキが揺れる、遠目にはきれいな場所だった。でも、子どもが足を踏み入れるのはかなり危険だった。焼けて折れ曲がった鉄骨や壊れたコンクリートの土台やガラス片が草の下にひろがっていて、うっかり転んだり、踏み抜いたりすると、ひどい怪我をするリスクがあったからである。
軍需工場の醜い焼け跡を豊かな緑と草花が覆いつくしているというのが、私にとってのふるさとの「原風景」である。
宮崎駿の『天空の城ラピュタ』を観たときに、科学の粋を尽くして設計された天空を飛行する巨大艦船ラピュタが、乗員を失って無人のまま何世紀も飛行しているうちに、草花と木々に覆われた「空飛ぶ庭園」のようなものに変化してゆくという物語に既視感を覚えたことがあった。あるいは宮崎駿にとっても、「兵器を覆う緑」という図像が戦後の原風景だったのかも知れない。
「兵器を覆う緑」というのは、敗戦後、焦土となった日本に育った子どもたちにとって、もっとも身近で、そしてもっとも心休まる風景でもあった。その風景は「もう戦争はない」という現実だけでなく、「緑は人間の犯した愚行や非道をすべてを静けさと平安のうちに回収する」という植物的なものへの信頼と親しみの感情を醸成した。少なくとも私においてはそうであった。
1950年の日本の農業人口は1613万人。日本の人口が8400万人だった時代に総人口の20%が農業従事者だった。2024年の農業人口は88万人。2024年の日本の総人口1億2500万人の0.7%に過ぎない。敗戦後の日本では「食物を作る」ことが最優先だったから、この数字は当然だと思う。そして、農業が基幹産業である社会では、あらゆる場面で農業のメタファーが用いられた。私が都会の子どもであったにもかかわらず、農業に親近感を持つのは、農業の用語で育てられたからである。
学校教育はほとんど農業の比喩だけで語られた。子どもたちは「種子」である。教師は「農夫」である。水をやり、肥料をやり、病虫害や風水害から守り、やがて収穫期になると「実り」がもたらされる。ほとんどは自然任せであるから、人間が工程を100%管理することなど思いもよらない。そもそも秋になると何がどの程度の収量収穫できるのかさえ事前には予測できないのである。どんなものでも実ればそれは「天からの贈り物」である。
私たちはそういう植物的な比喩の中で育てられた。だから、教師がガリ版刷りしていた学級通信の題名は多くが「めばえ」とか「わかば」とか「ふたば」とかいう植物的語彙から採られていた。誰もそれが変だとは思わなかった。
|
2024年の人口は1950年の日本の人口より約何%増えましたか。
|
2024年の人口は1950年の日本の人口より約48.8%増えました。
|
JCRRAG_004686
|
国語
|
農業についてよく講演や寄稿を依頼される。私自身は都会生活者で、農業とはほぼ無縁の生活を送っている人間である。だから、私に農業のことを訊きに来るのは「現場のことはよく知らないけれど、日本の農業のさきゆきに強い不安を抱いている人間」の意見も(参考のために)聴いておきたいということなのだと思う。だから、以下に私が書くことは、ふつうの農業関係者がまず言わないことを、まず用いない言葉づかいで語ることになる。そういう視点からも農業の重要性と危機を語ることもできるのだということを分かって頂きたい。
私は1950年、戦後5年目の東京の多摩川のそばで生まれた。下丸子の駅から多摩川の河川敷まではかつて軍需工場とその下請けが立ち並んでいたところで、B29の爆撃でほとんど廃墟となった。そのあとに人々が住み着いたのである。
私の家の前には「原っぱ」があった。春には菜の花が咲き、秋にはススキが揺れる、遠目にはきれいな場所だった。でも、子どもが足を踏み入れるのはかなり危険だった。焼けて折れ曲がった鉄骨や壊れたコンクリートの土台やガラス片が草の下にひろがっていて、うっかり転んだり、踏み抜いたりすると、ひどい怪我をするリスクがあったからである。
軍需工場の醜い焼け跡を豊かな緑と草花が覆いつくしているというのが、私にとってのふるさとの「原風景」である。
宮崎駿の『天空の城ラピュタ』を観たときに、科学の粋を尽くして設計された天空を飛行する巨大艦船ラピュタが、乗員を失って無人のまま何世紀も飛行しているうちに、草花と木々に覆われた「空飛ぶ庭園」のようなものに変化してゆくという物語に既視感を覚えたことがあった。あるいは宮崎駿にとっても、「兵器を覆う緑」という図像が戦後の原風景だったのかも知れない。
「兵器を覆う緑」というのは、敗戦後、焦土となった日本に育った子どもたちにとって、もっとも身近で、そしてもっとも心休まる風景でもあった。その風景は「もう戦争はない」という現実だけでなく、「緑は人間の犯した愚行や非道をすべてを静けさと平安のうちに回収する」という植物的なものへの信頼と親しみの感情を醸成した。少なくとも私においてはそうであった。
1950年の日本の農業人口は1613万人。日本の人口が8400万人だった時代に総人口の20%が農業従事者だった。2024年の農業人口は88万人。2024年の日本の総人口1億2500万人の0.7%に過ぎない。敗戦後の日本では「食物を作る」ことが最優先だったから、この数字は当然だと思う。そして、農業が基幹産業である社会では、あらゆる場面で農業のメタファーが用いられた。私が都会の子どもであったにもかかわらず、農業に親近感を持つのは、農業の用語で育てられたからである。
学校教育はほとんど農業の比喩だけで語られた。子どもたちは「種子」である。教師は「農夫」である。水をやり、肥料をやり、病虫害や風水害から守り、やがて収穫期になると「実り」がもたらされる。ほとんどは自然任せであるから、人間が工程を100%管理することなど思いもよらない。そもそも秋になると何がどの程度の収量収穫できるのかさえ事前には予測できないのである。どんなものでも実ればそれは「天からの贈り物」である。
私たちはそういう植物的な比喩の中で育てられた。だから、教師がガリ版刷りしていた学級通信の題名は多くが「めばえ」とか「わかば」とか「ふたば」とかいう植物的語彙から採られていた。誰もそれが変だとは思わなかった。
|
1950年の日本で農業従事者でない人口は何人でしたか。
|
1950年の日本で農業従事者でない人口は6787万人でした。
|
JCRRAG_004687
|
国語
|
釜山大学は国立ですからまだ残っていますが、まわりにあった大学が次々と廃校している。この数年間で4校、大学が廃校になったそうです。廃校ですよ。どうしてですかと訊いたら、若い人がみんなソウルに行っちゃうからなんだそうです。釜山大学って京都大学ぐらいのランクの大学なんだけれど、志願者が激減して、入学偏差値が下がっていて、今はソウル近辺の二流、三流大学の後塵を拝している。首都に文化資本が集中していることについて、日本ではあまり報道されていませんね。人口減に関しては、出産率がすごく下がったということは時々報告されていますけれども、ソウルに人口が集中していることが地方没落の原因だという話はあまり報道されない。ネットニュースには出てますけれど、大新聞なんかはまず報道しない。
これは現代日本における人口減問題を伝えるときの報道姿勢の特徴ですね。新聞もテレビも必ず「人口減問題」と言うんです。でも、これは正しくない。僕らが直面しているのは「人口減問題」じゃなくて、「人口一極集中問題」なんですよ。問題を起こしているのは、人口減少じゃなくて、人口の分配が偏っていることなんです。過疎地と過密地ができてしまっていることが問題なんです。人口を全国にならせば、今「人口問題」と言われている問題のほとんどは解決する。
この点では韓国が日本より一歩先に進んでいます。韓国で起きているのは一極集中なんです。もちろん人口も減っているわけですけれども、物価が高く、競争が激しいソウル周辺に若い人が集中しているせいです。だからなかなか就職もできないし、結婚もできないし、子どもも持てない。
日本でも同じことが起きつつあります。今起きているのは「人口減問題」ではなくて、「人口の一極集中問題」なんです。今、首都圏に4000万人近くが居住しています。東京、埼玉、神奈川、千葉に日本の人口の三分の一が集まっている。他方で地方の過疎化が急速に進んでいる。先日、能登半島で地震がありましたけども、まったく復興が進んでいませんよね。福島の復興も進んでいませんが、能登はもっとひどい。政府には能登半島を復興する気がないことがわかります。被災地は、高齢化が進んで人口が減っていて、いずれ過疎地になるだろうから、そんなところに復興コストをかけるのは無駄だと思っているからです。高齢者は仮設住宅にいるうちに鬼籍に入ってしまう。遠からず誰も住まなくなるような集落へ続く道を修復したり、集落の水道やライフラインを補修したりする必要はない。公然とそう語っている政治家もいます。健康で文化的な生活がしたかったら、都市部に引っ越せばいいじゃないか。山の中の過疎の集落のために道路を通す、橋をかける、トンネルを通すとか、そんなコストをかけることはできない。行政コストの無駄遣いだ。そういうことを公然と語る人がいます。多くの人がそれに反論できずに、なんとなく頷いている。でも、これは明らかに言っていることがおかしいわけです。だって、人口減と言っても、今だって日本列島には1億2500万人いるわけですよ。
江戸時代の人口って3000万人ですよ。日本中に276の藩があった。藩というのは一応原理原則としては、エネルギーと食料に関しては自給自足でした。276の政治単位が、自給自足していた。そこで政治を営んで、特産品があり、固有の文化があり、技術があり、伝統的な祭祀儀礼芸能があった。それが人口3000万人の時には可能だったのに、1億2500万人では不可能になったと言われている。これはおかしいでしょう。江戸時代より1億近く人口が多いのに、地方に生業の拠点とか固有の文化を発信する拠点なんて作れるはずがないと、みんな信じ込まされている。どう考えてもおかしい。江戸時代は3000万人でやっていけた。明治40年でも5000万人でやっていけた。漱石が『坊ちゃん』とかを書いていた日露戦争の頃、日本の人口は5000万人ですが、日本列島中津々浦々に人々が居住して、生業を営んでいた。山の中にまで集落があった。その人口でも全国津々浦々で居住して、生業を営むことができるということは歴史的に検証済みなんです。きちんと資源を分散すれば人口5000万人まで減っても、ふつうに暮らせる。それをしようとしないということが問題なわけです。
|
今の日本の人口は明治40年の人口の何倍ですか。
|
今の日本の人口は明治40年の人口の2.5倍です。
|
JCRRAG_004688
|
国語
|
釜山大学は国立ですからまだ残っていますが、まわりにあった大学が次々と廃校している。この数年間で4校、大学が廃校になったそうです。廃校ですよ。どうしてですかと訊いたら、若い人がみんなソウルに行っちゃうからなんだそうです。釜山大学って京都大学ぐらいのランクの大学なんだけれど、志願者が激減して、入学偏差値が下がっていて、今はソウル近辺の二流、三流大学の後塵を拝している。首都に文化資本が集中していることについて、日本ではあまり報道されていませんね。人口減に関しては、出産率がすごく下がったということは時々報告されていますけれども、ソウルに人口が集中していることが地方没落の原因だという話はあまり報道されない。ネットニュースには出てますけれど、大新聞なんかはまず報道しない。
これは現代日本における人口減問題を伝えるときの報道姿勢の特徴ですね。新聞もテレビも必ず「人口減問題」と言うんです。でも、これは正しくない。僕らが直面しているのは「人口減問題」じゃなくて、「人口一極集中問題」なんですよ。問題を起こしているのは、人口減少じゃなくて、人口の分配が偏っていることなんです。過疎地と過密地ができてしまっていることが問題なんです。人口を全国にならせば、今「人口問題」と言われている問題のほとんどは解決する。
この点では韓国が日本より一歩先に進んでいます。韓国で起きているのは一極集中なんです。もちろん人口も減っているわけですけれども、物価が高く、競争が激しいソウル周辺に若い人が集中しているせいです。だからなかなか就職もできないし、結婚もできないし、子どもも持てない。
日本でも同じことが起きつつあります。今起きているのは「人口減問題」ではなくて、「人口の一極集中問題」なんです。今、首都圏に4000万人近くが居住しています。東京、埼玉、神奈川、千葉に日本の人口の三分の一が集まっている。他方で地方の過疎化が急速に進んでいる。先日、能登半島で地震がありましたけども、まったく復興が進んでいませんよね。福島の復興も進んでいませんが、能登はもっとひどい。政府には能登半島を復興する気がないことがわかります。被災地は、高齢化が進んで人口が減っていて、いずれ過疎地になるだろうから、そんなところに復興コストをかけるのは無駄だと思っているからです。高齢者は仮設住宅にいるうちに鬼籍に入ってしまう。遠からず誰も住まなくなるような集落へ続く道を修復したり、集落の水道やライフラインを補修したりする必要はない。公然とそう語っている政治家もいます。健康で文化的な生活がしたかったら、都市部に引っ越せばいいじゃないか。山の中の過疎の集落のために道路を通す、橋をかける、トンネルを通すとか、そんなコストをかけることはできない。行政コストの無駄遣いだ。そういうことを公然と語る人がいます。多くの人がそれに反論できずに、なんとなく頷いている。でも、これは明らかに言っていることがおかしいわけです。だって、人口減と言っても、今だって日本列島には1億2500万人いるわけですよ。
江戸時代の人口って3000万人ですよ。日本中に276の藩があった。藩というのは一応原理原則としては、エネルギーと食料に関しては自給自足でした。276の政治単位が、自給自足していた。そこで政治を営んで、特産品があり、固有の文化があり、技術があり、伝統的な祭祀儀礼芸能があった。それが人口3000万人の時には可能だったのに、1億2500万人では不可能になったと言われている。これはおかしいでしょう。江戸時代より1億近く人口が多いのに、地方に生業の拠点とか固有の文化を発信する拠点なんて作れるはずがないと、みんな信じ込まされている。どう考えてもおかしい。江戸時代は3000万人でやっていけた。明治40年でも5000万人でやっていけた。漱石が『坊ちゃん』とかを書いていた日露戦争の頃、日本の人口は5000万人ですが、日本列島中津々浦々に人々が居住して、生業を営んでいた。山の中にまで集落があった。その人口でも全国津々浦々で居住して、生業を営むことができるということは歴史的に検証済みなんです。きちんと資源を分散すれば人口5000万人まで減っても、ふつうに暮らせる。それをしようとしないということが問題なわけです。
|
明治40年の人口は江戸時代の人口より約何%増えましたか。
|
明治40年の人口は江戸時代の人口より約66%増えました。
|
JCRRAG_004689
|
国語
|
釜山大学は国立ですからまだ残っていますが、まわりにあった大学が次々と廃校している。この数年間で4校、大学が廃校になったそうです。廃校ですよ。どうしてですかと訊いたら、若い人がみんなソウルに行っちゃうからなんだそうです。釜山大学って京都大学ぐらいのランクの大学なんだけれど、志願者が激減して、入学偏差値が下がっていて、今はソウル近辺の二流、三流大学の後塵を拝している。首都に文化資本が集中していることについて、日本ではあまり報道されていませんね。人口減に関しては、出産率がすごく下がったということは時々報告されていますけれども、ソウルに人口が集中していることが地方没落の原因だという話はあまり報道されない。ネットニュースには出てますけれど、大新聞なんかはまず報道しない。
これは現代日本における人口減問題を伝えるときの報道姿勢の特徴ですね。新聞もテレビも必ず「人口減問題」と言うんです。でも、これは正しくない。僕らが直面しているのは「人口減問題」じゃなくて、「人口一極集中問題」なんですよ。問題を起こしているのは、人口減少じゃなくて、人口の分配が偏っていることなんです。過疎地と過密地ができてしまっていることが問題なんです。人口を全国にならせば、今「人口問題」と言われている問題のほとんどは解決する。
この点では韓国が日本より一歩先に進んでいます。韓国で起きているのは一極集中なんです。もちろん人口も減っているわけですけれども、物価が高く、競争が激しいソウル周辺に若い人が集中しているせいです。だからなかなか就職もできないし、結婚もできないし、子どもも持てない。
日本でも同じことが起きつつあります。今起きているのは「人口減問題」ではなくて、「人口の一極集中問題」なんです。今、首都圏に4000万人近くが居住しています。東京、埼玉、神奈川、千葉に日本の人口の三分の一が集まっている。他方で地方の過疎化が急速に進んでいる。先日、能登半島で地震がありましたけども、まったく復興が進んでいませんよね。福島の復興も進んでいませんが、能登はもっとひどい。政府には能登半島を復興する気がないことがわかります。被災地は、高齢化が進んで人口が減っていて、いずれ過疎地になるだろうから、そんなところに復興コストをかけるのは無駄だと思っているからです。高齢者は仮設住宅にいるうちに鬼籍に入ってしまう。遠からず誰も住まなくなるような集落へ続く道を修復したり、集落の水道やライフラインを補修したりする必要はない。公然とそう語っている政治家もいます。健康で文化的な生活がしたかったら、都市部に引っ越せばいいじゃないか。山の中の過疎の集落のために道路を通す、橋をかける、トンネルを通すとか、そんなコストをかけることはできない。行政コストの無駄遣いだ。そういうことを公然と語る人がいます。多くの人がそれに反論できずに、なんとなく頷いている。でも、これは明らかに言っていることがおかしいわけです。だって、人口減と言っても、今だって日本列島には1億2500万人いるわけですよ。
江戸時代の人口って3000万人ですよ。日本中に276の藩があった。藩というのは一応原理原則としては、エネルギーと食料に関しては自給自足でした。276の政治単位が、自給自足していた。そこで政治を営んで、特産品があり、固有の文化があり、技術があり、伝統的な祭祀儀礼芸能があった。それが人口3000万人の時には可能だったのに、1億2500万人では不可能になったと言われている。これはおかしいでしょう。江戸時代より1億近く人口が多いのに、地方に生業の拠点とか固有の文化を発信する拠点なんて作れるはずがないと、みんな信じ込まされている。どう考えてもおかしい。江戸時代は3000万人でやっていけた。明治40年でも5000万人でやっていけた。漱石が『坊ちゃん』とかを書いていた日露戦争の頃、日本の人口は5000万人ですが、日本列島中津々浦々に人々が居住して、生業を営んでいた。山の中にまで集落があった。その人口でも全国津々浦々で居住して、生業を営むことができるということは歴史的に検証済みなんです。きちんと資源を分散すれば人口5000万人まで減っても、ふつうに暮らせる。それをしようとしないということが問題なわけです。
|
江戸時代の人口は1つの藩につき約何万人でしたか。
|
江戸時代の人口は1つの藩につき約10万人でした。
|
JCRRAG_004690
|
国語
|
10日ほど入院していた。部屋にはテレビがあったが、テレビを観る習慣がないので一度もつけなかった。新聞は朝夕部屋に届けられた。暇なのでこれは隅から隅まで読んだ。そして深い吐息をついた。なんと無内容なのか。日本有数の全国紙なのに、一つとして再読したくなる記事がなかった。
たしかに何が起きたのかは伝えられている。けれども、その出来事が「何を意味するのか」についてはみごとに何も書かれていない。いや、昨日今日の間に生じた変化についてなら多少は書いてある。「昨日と今日では言うことが変わった」とか「先週予想されていたのとは違う展開になった」くらいのことは書かれている。けれど、一年前から、あるいは10年前から、あるいは100年前からの歴史的文脈の中で今起きている出来事を俯瞰するという記事にはついに一度も出会わなかった。日本のジャーナリズムにそういう知的習慣がないということは身に浸みてわかった。
だが、かなり長いタイムスパンの中において見ないと、出来事の意味というはわからない。だから、文脈が示されないままに速報記事をいくら読まされても、今何が起きているのかはわからない。10日間新聞を読んでそれがよくわかった。これでは購読者がいなくなって当然である。
今年6月の調査で、朝日新聞は発行部数340万部、読売新聞は586万部だった。15年前に朝日は800万部、読売は1000万部だったからすさまじい部数減である。
2013年に私が朝日新聞の紙面審議委員をしていた当時、毎年5万の部数減だという報告を聞いた。危機的な数字ではないかと私が質したら、当時の編集幹部に鼻先で嗤われた。「内田さん計算してみてくださいよ。年間5万部なら800万部がゼロになるまで160年かかるんですよ」。
でも、実際には10年で60%部数を減らした。新聞記者は自分の足元で起きていることについてよく理解できていないということをその時知った。自分の足元で起きていることについて理解できない人間が、それ以外のトピックについては例外的に高い分析能力を発揮するということを私は信じない。
おそらくもうずいぶん前から日本のメディアは「現実を観察し、解釈し、その意味を明らかにし、これから起きることを予測する」といった一連の知的プロセスを放棄してきたのだと思う。もし報道において最も重要なのが「客観性」と「速報性」であるというのがほんとうなら、たしかにそのような「知的プロセス」は無用のものである。出来事の「解釈」に踏み込めば「主観」がまじるし、歴史的「文脈」を論じれば速報性とは無縁の「長い話」を語らなければならない。ストレートニュースを「未加工」のままごろんと放り出しておけばメディアの仕事は終わるなら話は簡単だ。
でも、そう思うようになってからメディアの頽廃はとめどなく進んだ。その記事が何を意味するのか、書いている記者も読んでいる読者もわかっていないようなニュースに読む価値はあるのだろうか。私は「ない」と思う。
新聞から読者が離れた最大の理由は新聞から批評性が失われたからである。批評性というのは今自分たちが囚われてる「臆断の檻」から逃れ出て、少しでも自由に言葉を語りたい、少しでも知性の可動域を拡げたい、少しでも遠くまで想像力を疾走させたい...という書き手の「切望」のことである。そのような「切望」を新聞記事からはもう全く感じることがない。だが、出来事を定型的な枠組みの中にはめ込んで、定型句で叙しただけの文章を読んで過ごすほど私たちの人生は長くない。
|
今年の朝日新聞の発行部数は読売新聞の発行部数の約何%ですか。
|
今年の朝日新聞の発行部数は読売新聞の発行部数の約58%です。
|
JCRRAG_004691
|
国語
|
10日ほど入院していた。部屋にはテレビがあったが、テレビを観る習慣がないので一度もつけなかった。新聞は朝夕部屋に届けられた。暇なのでこれは隅から隅まで読んだ。そして深い吐息をついた。なんと無内容なのか。日本有数の全国紙なのに、一つとして再読したくなる記事がなかった。
たしかに何が起きたのかは伝えられている。けれども、その出来事が「何を意味するのか」についてはみごとに何も書かれていない。いや、昨日今日の間に生じた変化についてなら多少は書いてある。「昨日と今日では言うことが変わった」とか「先週予想されていたのとは違う展開になった」くらいのことは書かれている。けれど、一年前から、あるいは10年前から、あるいは100年前からの歴史的文脈の中で今起きている出来事を俯瞰するという記事にはついに一度も出会わなかった。日本のジャーナリズムにそういう知的習慣がないということは身に浸みてわかった。
だが、かなり長いタイムスパンの中において見ないと、出来事の意味というはわからない。だから、文脈が示されないままに速報記事をいくら読まされても、今何が起きているのかはわからない。10日間新聞を読んでそれがよくわかった。これでは購読者がいなくなって当然である。
今年6月の調査で、朝日新聞は発行部数340万部、読売新聞は586万部だった。15年前に朝日は800万部、読売は1000万部だったからすさまじい部数減である。
2013年に私が朝日新聞の紙面審議委員をしていた当時、毎年5万の部数減だという報告を聞いた。危機的な数字ではないかと私が質したら、当時の編集幹部に鼻先で嗤われた。「内田さん計算してみてくださいよ。年間5万部なら800万部がゼロになるまで160年かかるんですよ」。
でも、実際には10年で60%部数を減らした。新聞記者は自分の足元で起きていることについてよく理解できていないということをその時知った。自分の足元で起きていることについて理解できない人間が、それ以外のトピックについては例外的に高い分析能力を発揮するということを私は信じない。
おそらくもうずいぶん前から日本のメディアは「現実を観察し、解釈し、その意味を明らかにし、これから起きることを予測する」といった一連の知的プロセスを放棄してきたのだと思う。もし報道において最も重要なのが「客観性」と「速報性」であるというのがほんとうなら、たしかにそのような「知的プロセス」は無用のものである。出来事の「解釈」に踏み込めば「主観」がまじるし、歴史的「文脈」を論じれば速報性とは無縁の「長い話」を語らなければならない。ストレートニュースを「未加工」のままごろんと放り出しておけばメディアの仕事は終わるなら話は簡単だ。
でも、そう思うようになってからメディアの頽廃はとめどなく進んだ。その記事が何を意味するのか、書いている記者も読んでいる読者もわかっていないようなニュースに読む価値はあるのだろうか。私は「ない」と思う。
新聞から読者が離れた最大の理由は新聞から批評性が失われたからである。批評性というのは今自分たちが囚われてる「臆断の檻」から逃れ出て、少しでも自由に言葉を語りたい、少しでも知性の可動域を拡げたい、少しでも遠くまで想像力を疾走させたい...という書き手の「切望」のことである。そのような「切望」を新聞記事からはもう全く感じることがない。だが、出来事を定型的な枠組みの中にはめ込んで、定型句で叙しただけの文章を読んで過ごすほど私たちの人生は長くない。
|
今年の朝日新聞の発行部数は15年前の朝日新聞の発行部数より何万部少なくなりましたか。
|
今年の朝日新聞の発行部数は15年前の朝日新聞の発行部数より460万部少なくなりました。
|
JCRRAG_004692
|
国語
|
10日ほど入院していた。部屋にはテレビがあったが、テレビを観る習慣がないので一度もつけなかった。新聞は朝夕部屋に届けられた。暇なのでこれは隅から隅まで読んだ。そして深い吐息をついた。なんと無内容なのか。日本有数の全国紙なのに、一つとして再読したくなる記事がなかった。
たしかに何が起きたのかは伝えられている。けれども、その出来事が「何を意味するのか」についてはみごとに何も書かれていない。いや、昨日今日の間に生じた変化についてなら多少は書いてある。「昨日と今日では言うことが変わった」とか「先週予想されていたのとは違う展開になった」くらいのことは書かれている。けれど、一年前から、あるいは10年前から、あるいは100年前からの歴史的文脈の中で今起きている出来事を俯瞰するという記事にはついに一度も出会わなかった。日本のジャーナリズムにそういう知的習慣がないということは身に浸みてわかった。
だが、かなり長いタイムスパンの中において見ないと、出来事の意味というはわからない。だから、文脈が示されないままに速報記事をいくら読まされても、今何が起きているのかはわからない。10日間新聞を読んでそれがよくわかった。これでは購読者がいなくなって当然である。
今年6月の調査で、朝日新聞は発行部数340万部、読売新聞は586万部だった。15年前に朝日は800万部、読売は1000万部だったからすさまじい部数減である。
2013年に私が朝日新聞の紙面審議委員をしていた当時、毎年5万の部数減だという報告を聞いた。危機的な数字ではないかと私が質したら、当時の編集幹部に鼻先で嗤われた。「内田さん計算してみてくださいよ。年間5万部なら800万部がゼロになるまで160年かかるんですよ」。
でも、実際には10年で60%部数を減らした。新聞記者は自分の足元で起きていることについてよく理解できていないということをその時知った。自分の足元で起きていることについて理解できない人間が、それ以外のトピックについては例外的に高い分析能力を発揮するということを私は信じない。
おそらくもうずいぶん前から日本のメディアは「現実を観察し、解釈し、その意味を明らかにし、これから起きることを予測する」といった一連の知的プロセスを放棄してきたのだと思う。もし報道において最も重要なのが「客観性」と「速報性」であるというのがほんとうなら、たしかにそのような「知的プロセス」は無用のものである。出来事の「解釈」に踏み込めば「主観」がまじるし、歴史的「文脈」を論じれば速報性とは無縁の「長い話」を語らなければならない。ストレートニュースを「未加工」のままごろんと放り出しておけばメディアの仕事は終わるなら話は簡単だ。
でも、そう思うようになってからメディアの頽廃はとめどなく進んだ。その記事が何を意味するのか、書いている記者も読んでいる読者もわかっていないようなニュースに読む価値はあるのだろうか。私は「ない」と思う。
新聞から読者が離れた最大の理由は新聞から批評性が失われたからである。批評性というのは今自分たちが囚われてる「臆断の檻」から逃れ出て、少しでも自由に言葉を語りたい、少しでも知性の可動域を拡げたい、少しでも遠くまで想像力を疾走させたい...という書き手の「切望」のことである。そのような「切望」を新聞記事からはもう全く感じることがない。だが、出来事を定型的な枠組みの中にはめ込んで、定型句で叙しただけの文章を読んで過ごすほど私たちの人生は長くない。
|
15年前の読売新聞の発行部数は15年前の朝日新聞の発行部数の何倍でしたか。
|
15年前の読売新聞の発行部数は15年前の朝日新聞の発行部数の1.25倍でした。
|
JCRRAG_004693
|
国語
|
自民党総裁選についての報道は専ら候補者たちの政策や党内基盤についてのみ論評している。でも、見落としていることがある。それは9人の候補者のうち6人の最終学歴がアメリカの大学または大学院だということである。残る3人のうちの一人も、日本の大学を出た後にアメリカの下院議員のスタッフになったことをその後のキャリア形成においてずいぶん強調していた。
ということは、自民党に限って言えば、最終学歴がアメリカであることがどうやらキャリア形成の必須条件だということである。私の知る限りでも、日本の富裕層の中では中等教育から子どもを海外あるいはインターナショナル・スクールに送り込むことが「ふつう」になってきている。その方が英語圏の大学に進む上でアドバンテージが大きいからだと説明された。
「グローバル化の時代なんだから、レベルの高い教育を受けるために海外に出るのは個人の自由だ。横からがたがた言うな」と言う人もいるだろう。だが、私はこういう傾向は端的に「よくない」と思う。
ハーヴァード大学の学費は年間56550ドルである。日本円で800万円。生活費を入れると年間1000万円以上を支出できる家庭の子どもしかアイヴィー・リーグに留学することはできない。このハードルを越えられるのは、日本国民の数%にも達しないだろう。
ご存じの通り、日本の学校教育への公費支出のGDP比率は久しく先進国最低レベルである。高等教育機関の私費負担割合は、日本が67%。OECD平均は39%である。見ればわかる通り、日本の政府は「高等教育については自己責任で(お金のある人はよい教育を、ない人はそれなりに)」という方針で教育政策を実施している。
海外の大学大学院を出た人たちがそのまま海外で生活するのなら「グローバル化」と言えるかも知れない。だが、自民党総裁候補者たちのキャリアが明らかにした通り、彼らがアメリカで高等教育を受けたのは、その学歴が日本に帰ってきてから支配層に駆け上がるための捷径だと思ったからである。
だが、これは典型的な「植民地人」のふるまいである。
明治維新のあと、先人は日本人が、日本語で高等教育を行える高校・大学を短期間に創り上げた。これは見事な達成だったと私は思う。彼らは「教育は海外にアウトソースしてはならない」ということ、高等教育を自国語で行えることが植民地にされないための必須の条件だということを知っていた。
今でも母語で大学院教育が行われ、母語で書いた論文で博士号が取れる国は決して多くない。日本はわずか1億2500万人の母語話者しか存在しないにもかかわらず、それができる例外的な国の一つなのである。
だが、いま支配層たちが進めているのは「グローバル化」という看板の下での「高等教育のアウトソーシング」である。「海外にレベルの高い高等教育機関があるなら、何も高いコストを負担して国内に作る必要はないじゃないか」と彼らは考えている。お金持ちはそう考えるのである。そうすれば経済格差が教育格差を経由して、自動的に階層格差を再生産するからである。「下から」這い上がって、彼らの地位を脅かす若者たちは制度的に排除できる。確かに合理的な考えである。けれども、ここには致命的な過誤がある。
19世紀アメリカでも富裕層は公教育の導入に反対した。われわれの子どもの競争相手を育てるためになぜ税金を投じなければならないのか。貧乏人は自己責任で教育機会を手に入れろ、と。一理はある。けれどももしその理屈に従っていたら、アメリカは今も後進国のままだったろう。
|
日本の高等教育機関の私費負担割合は、OECD平均より何%高いですか。
|
日本の高等教育機関の私費負担割合は、OECD平均より28%高いです。
|
JCRRAG_004694
|
国語
|
自民党総裁選についての報道は専ら候補者たちの政策や党内基盤についてのみ論評している。でも、見落としていることがある。それは9人の候補者のうち6人の最終学歴がアメリカの大学または大学院だということである。残る3人のうちの一人も、日本の大学を出た後にアメリカの下院議員のスタッフになったことをその後のキャリア形成においてずいぶん強調していた。
ということは、自民党に限って言えば、最終学歴がアメリカであることがどうやらキャリア形成の必須条件だということである。私の知る限りでも、日本の富裕層の中では中等教育から子どもを海外あるいはインターナショナル・スクールに送り込むことが「ふつう」になってきている。その方が英語圏の大学に進む上でアドバンテージが大きいからだと説明された。
「グローバル化の時代なんだから、レベルの高い教育を受けるために海外に出るのは個人の自由だ。横からがたがた言うな」と言う人もいるだろう。だが、私はこういう傾向は端的に「よくない」と思う。
ハーヴァード大学の学費は年間56550ドルである。日本円で800万円。生活費を入れると年間1000万円以上を支出できる家庭の子どもしかアイヴィー・リーグに留学することはできない。このハードルを越えられるのは、日本国民の数%にも達しないだろう。
ご存じの通り、日本の学校教育への公費支出のGDP比率は久しく先進国最低レベルである。高等教育機関の私費負担割合は、日本が67%。OECD平均は39%である。見ればわかる通り、日本の政府は「高等教育については自己責任で(お金のある人はよい教育を、ない人はそれなりに)」という方針で教育政策を実施している。
海外の大学大学院を出た人たちがそのまま海外で生活するのなら「グローバル化」と言えるかも知れない。だが、自民党総裁候補者たちのキャリアが明らかにした通り、彼らがアメリカで高等教育を受けたのは、その学歴が日本に帰ってきてから支配層に駆け上がるための捷径だと思ったからである。
だが、これは典型的な「植民地人」のふるまいである。
明治維新のあと、先人は日本人が、日本語で高等教育を行える高校・大学を短期間に創り上げた。これは見事な達成だったと私は思う。彼らは「教育は海外にアウトソースしてはならない」ということ、高等教育を自国語で行えることが植民地にされないための必須の条件だということを知っていた。
今でも母語で大学院教育が行われ、母語で書いた論文で博士号が取れる国は決して多くない。日本はわずか1億2500万人の母語話者しか存在しないにもかかわらず、それができる例外的な国の一つなのである。
だが、いま支配層たちが進めているのは「グローバル化」という看板の下での「高等教育のアウトソーシング」である。「海外にレベルの高い高等教育機関があるなら、何も高いコストを負担して国内に作る必要はないじゃないか」と彼らは考えている。お金持ちはそう考えるのである。そうすれば経済格差が教育格差を経由して、自動的に階層格差を再生産するからである。「下から」這い上がって、彼らの地位を脅かす若者たちは制度的に排除できる。確かに合理的な考えである。けれども、ここには致命的な過誤がある。
19世紀アメリカでも富裕層は公教育の導入に反対した。われわれの子どもの競争相手を育てるためになぜ税金を投じなければならないのか。貧乏人は自己責任で教育機会を手に入れろ、と。一理はある。けれどももしその理屈に従っていたら、アメリカは今も後進国のままだったろう。
|
自民党総裁選の候補者9人のうち最終学歴がアメリカの大学または大学院なのは何%でしたか。
|
自民党総裁選の候補者9人のうち、約66%が最終学歴がアメリカの大学または大学院でした。
|
JCRRAG_004695
|
国語
|
みなさん、こんにちは。内田樹です。
最後までお読みくださってありがとうございます。
ご覧の通り、これはさまざまな媒体に書いたエッセイのコンピレーション本です。『サンデー毎日』に何年か前から不定期に長文の寄稿をしておりまるので、そこにこれまで書き溜めたものがベースになっています。その他は新聞や雑誌に書いたままハードディスクの底に眠っていたものを集めて、一冊にしました。
頭から書き下ろしたものとインタビューを添削したものが混在しているので、文体もタッチもひとつひとつで違って、統一感を欠く憾みはありますが、まあ、それも気分転換になって読みやすいかも知れません。
今回、単行本にまとめるにあたってゲラを通読しましたが「ううむ、暗いなあ」と思いました。時事的なものを書くとどうしても暗くなっちゃうんですよね。他のエッセイ集でしたら、ところどころで武道や宗教の話、映画や文学の話も出てて、ちょっと「コーヒーブレーク」が取れるんですけれど、本書のように、政治の話ばかりしていると、どこまでも果てしなく暗くなります。
そこで「あとがき」では「お口直し」に、「どうして現代日本で政治について語るとこんなに暗くなるのか?」という話をしてみたいと思います。変な話ではありますが、それほど暗い話ではありません。ちょっと座り直して読んでくださいね。
日本が高齢化していることは皆さんご存知ですよね。ある国の高齢化の程度を知るためにはいろいろな指標がありますが、その一つは「中央年齢」です。
「中央年齢」というのは、「その年齢よりも上の世代と下の世代の人口が同数」であるような年齢のことです。日本の中央年齢は45.9歳。堂々の世界一です。
ちなみに世界で一番中央年齢が低いのはニジェールで15.0歳。これは「若い国」であるというよりは、たぶん治安が悪すぎて長生きできないということなので、ニジェールの人たちにとっても、あまりうれしい数字ではないと思います。
ちなみに中央年齢が17歳以下なのは、他には東ティモール、ザンビア、アフガニスタン、アンゴラ、マリ、ソマリア、ウガンダ、チャドなどがあります。どうやら国内で内戦やテロが続いて、統治機構が満足に機能していなくて、公衆衛生のレベルも低いという国が「若い国」のようです。だとするなら、日本の45.9歳は、日本がいかに治安がよく、統治機構がきちんと機能していて、公衆衛生への気配りが行き届いているかを示す「先進国指標」だと解することもできます。
豊かで安全なのだけれど、なぜか子どもが生まれない国。
それが中央年齢の高い国のとりあえずの特性だということになります。
他の国の中央年齢を見ると、フランスが40.6歳、イギリスが40.2歳、韓国が39.4歳、ロシアが38.3歳。なんとなく、「そうだろうな」というような数字が続きます。
面白かったのはアメリカと中国が同率40位ということ(37.4歳)。世界の覇権を競う二大国が人口の年齢構成が近いんです。ふうん、ですね。でも、この後、アメリカはそれほど高齢化しませんが、中国は一人っ子政策のせいで急激に高齢化します。その人口構成の「若さ」の差が、いずれは国力の差に反映してくるのでは・・・と僕は考えております。
でも、僕は今そんな話をしたいんじゃないんです。違う話です。
僕が、日本の中央年齢を確認している時に、一瞬、目の端に「2位ドイツ 3位イタリア」という文字列が見えたのです。日本、ドイツ、イタリア? その三国において中央年齢が高い? それ、どういうこと?
そして、リストの続きを見て驚くべき事実を発見しました。
まずはそのリストをご覧ください。
1位日本 2位ドイツ 3位イタリア 4位ブルガリア 5位ギリシャ 6位オーストリア 7位クロアチア 8位スロベニア 9位フィンランド 10位ポルトガル
どうです。わかりましたか、これらの高齢化国の共通点が。
そうです。ポルトガル以外の9つの国と地域はすべて「第二次世界大戦の敗戦国」なんです。スロベニアはナチスに占領されて対独協力していた「地域」で、厳密な意味での「敗戦国」には当たりません。ポルトガルは中立国でした(サラザール独裁のファシスト国家でしたが)。
このリストから言えることはとりあえず一つ。
それは「ファシズム体制で戦争を始めて、敗北した国では、戦後しばらくしてから、子どもが生まれなくなった」ということです。
戦後しばらく経ってからなんです。ここに僕は興味を惹かれました。
|
ロシアの中央年齢はアメリカの中央年齢の約何倍ですか。
|
ロシアの中央年齢はアメリカの中央年齢の約1.02倍です。
|
JCRRAG_004696
|
国語
|
みなさん、こんにちは。内田樹です。
最後までお読みくださってありがとうございます。
ご覧の通り、これはさまざまな媒体に書いたエッセイのコンピレーション本です。『サンデー毎日』に何年か前から不定期に長文の寄稿をしておりまるので、そこにこれまで書き溜めたものがベースになっています。その他は新聞や雑誌に書いたままハードディスクの底に眠っていたものを集めて、一冊にしました。
頭から書き下ろしたものとインタビューを添削したものが混在しているので、文体もタッチもひとつひとつで違って、統一感を欠く憾みはありますが、まあ、それも気分転換になって読みやすいかも知れません。
今回、単行本にまとめるにあたってゲラを通読しましたが「ううむ、暗いなあ」と思いました。時事的なものを書くとどうしても暗くなっちゃうんですよね。他のエッセイ集でしたら、ところどころで武道や宗教の話、映画や文学の話も出てて、ちょっと「コーヒーブレーク」が取れるんですけれど、本書のように、政治の話ばかりしていると、どこまでも果てしなく暗くなります。
そこで「あとがき」では「お口直し」に、「どうして現代日本で政治について語るとこんなに暗くなるのか?」という話をしてみたいと思います。変な話ではありますが、それほど暗い話ではありません。ちょっと座り直して読んでくださいね。
日本が高齢化していることは皆さんご存知ですよね。ある国の高齢化の程度を知るためにはいろいろな指標がありますが、その一つは「中央年齢」です。
「中央年齢」というのは、「その年齢よりも上の世代と下の世代の人口が同数」であるような年齢のことです。日本の中央年齢は45.9歳。堂々の世界一です。
ちなみに世界で一番中央年齢が低いのはニジェールで15.0歳。これは「若い国」であるというよりは、たぶん治安が悪すぎて長生きできないということなので、ニジェールの人たちにとっても、あまりうれしい数字ではないと思います。
ちなみに中央年齢が17歳以下なのは、他には東ティモール、ザンビア、アフガニスタン、アンゴラ、マリ、ソマリア、ウガンダ、チャドなどがあります。どうやら国内で内戦やテロが続いて、統治機構が満足に機能していなくて、公衆衛生のレベルも低いという国が「若い国」のようです。だとするなら、日本の45.9歳は、日本がいかに治安がよく、統治機構がきちんと機能していて、公衆衛生への気配りが行き届いているかを示す「先進国指標」だと解することもできます。
豊かで安全なのだけれど、なぜか子どもが生まれない国。
それが中央年齢の高い国のとりあえずの特性だということになります。
他の国の中央年齢を見ると、フランスが40.6歳、イギリスが40.2歳、韓国が39.4歳、ロシアが38.3歳。なんとなく、「そうだろうな」というような数字が続きます。
面白かったのはアメリカと中国が同率40位ということ(37.4歳)。世界の覇権を競う二大国が人口の年齢構成が近いんです。ふうん、ですね。でも、この後、アメリカはそれほど高齢化しませんが、中国は一人っ子政策のせいで急激に高齢化します。その人口構成の「若さ」の差が、いずれは国力の差に反映してくるのでは・・・と僕は考えております。
でも、僕は今そんな話をしたいんじゃないんです。違う話です。
僕が、日本の中央年齢を確認している時に、一瞬、目の端に「2位ドイツ 3位イタリア」という文字列が見えたのです。日本、ドイツ、イタリア? その三国において中央年齢が高い? それ、どういうこと?
そして、リストの続きを見て驚くべき事実を発見しました。
まずはそのリストをご覧ください。
1位日本 2位ドイツ 3位イタリア 4位ブルガリア 5位ギリシャ 6位オーストリア 7位クロアチア 8位スロベニア 9位フィンランド 10位ポルトガル
どうです。わかりましたか、これらの高齢化国の共通点が。
そうです。ポルトガル以外の9つの国と地域はすべて「第二次世界大戦の敗戦国」なんです。スロベニアはナチスに占領されて対独協力していた「地域」で、厳密な意味での「敗戦国」には当たりません。ポルトガルは中立国でした(サラザール独裁のファシスト国家でしたが)。
このリストから言えることはとりあえず一つ。
それは「ファシズム体制で戦争を始めて、敗北した国では、戦後しばらくしてから、子どもが生まれなくなった」ということです。
戦後しばらく経ってからなんです。ここに僕は興味を惹かれました。
|
イギリスの中央年齢はフランスの中央年齢よりどれぐらい低いですか。
|
イギリスの中央年齢はフランスの中央年齢より0.4歳低いです。
|
JCRRAG_004697
|
国語
|
みなさん、こんにちは。内田樹です。
最後までお読みくださってありがとうございます。
ご覧の通り、これはさまざまな媒体に書いたエッセイのコンピレーション本です。『サンデー毎日』に何年か前から不定期に長文の寄稿をしておりまるので、そこにこれまで書き溜めたものがベースになっています。その他は新聞や雑誌に書いたままハードディスクの底に眠っていたものを集めて、一冊にしました。
頭から書き下ろしたものとインタビューを添削したものが混在しているので、文体もタッチもひとつひとつで違って、統一感を欠く憾みはありますが、まあ、それも気分転換になって読みやすいかも知れません。
今回、単行本にまとめるにあたってゲラを通読しましたが「ううむ、暗いなあ」と思いました。時事的なものを書くとどうしても暗くなっちゃうんですよね。他のエッセイ集でしたら、ところどころで武道や宗教の話、映画や文学の話も出てて、ちょっと「コーヒーブレーク」が取れるんですけれど、本書のように、政治の話ばかりしていると、どこまでも果てしなく暗くなります。
そこで「あとがき」では「お口直し」に、「どうして現代日本で政治について語るとこんなに暗くなるのか?」という話をしてみたいと思います。変な話ではありますが、それほど暗い話ではありません。ちょっと座り直して読んでくださいね。
日本が高齢化していることは皆さんご存知ですよね。ある国の高齢化の程度を知るためにはいろいろな指標がありますが、その一つは「中央年齢」です。
「中央年齢」というのは、「その年齢よりも上の世代と下の世代の人口が同数」であるような年齢のことです。日本の中央年齢は45.9歳。堂々の世界一です。
ちなみに世界で一番中央年齢が低いのはニジェールで15.0歳。これは「若い国」であるというよりは、たぶん治安が悪すぎて長生きできないということなので、ニジェールの人たちにとっても、あまりうれしい数字ではないと思います。
ちなみに中央年齢が17歳以下なのは、他には東ティモール、ザンビア、アフガニスタン、アンゴラ、マリ、ソマリア、ウガンダ、チャドなどがあります。どうやら国内で内戦やテロが続いて、統治機構が満足に機能していなくて、公衆衛生のレベルも低いという国が「若い国」のようです。だとするなら、日本の45.9歳は、日本がいかに治安がよく、統治機構がきちんと機能していて、公衆衛生への気配りが行き届いているかを示す「先進国指標」だと解することもできます。
豊かで安全なのだけれど、なぜか子どもが生まれない国。
それが中央年齢の高い国のとりあえずの特性だということになります。
他の国の中央年齢を見ると、フランスが40.6歳、イギリスが40.2歳、韓国が39.4歳、ロシアが38.3歳。なんとなく、「そうだろうな」というような数字が続きます。
面白かったのはアメリカと中国が同率40位ということ(37.4歳)。世界の覇権を競う二大国が人口の年齢構成が近いんです。ふうん、ですね。でも、この後、アメリカはそれほど高齢化しませんが、中国は一人っ子政策のせいで急激に高齢化します。その人口構成の「若さ」の差が、いずれは国力の差に反映してくるのでは・・・と僕は考えております。
でも、僕は今そんな話をしたいんじゃないんです。違う話です。
僕が、日本の中央年齢を確認している時に、一瞬、目の端に「2位ドイツ 3位イタリア」という文字列が見えたのです。日本、ドイツ、イタリア? その三国において中央年齢が高い? それ、どういうこと?
そして、リストの続きを見て驚くべき事実を発見しました。
まずはそのリストをご覧ください。
1位日本 2位ドイツ 3位イタリア 4位ブルガリア 5位ギリシャ 6位オーストリア 7位クロアチア 8位スロベニア 9位フィンランド 10位ポルトガル
どうです。わかりましたか、これらの高齢化国の共通点が。
そうです。ポルトガル以外の9つの国と地域はすべて「第二次世界大戦の敗戦国」なんです。スロベニアはナチスに占領されて対独協力していた「地域」で、厳密な意味での「敗戦国」には当たりません。ポルトガルは中立国でした(サラザール独裁のファシスト国家でしたが)。
このリストから言えることはとりあえず一つ。
それは「ファシズム体制で戦争を始めて、敗北した国では、戦後しばらくしてから、子どもが生まれなくなった」ということです。
戦後しばらく経ってからなんです。ここに僕は興味を惹かれました。
|
日本の中央年齢はフランスの中央年齢よりどれぐらい高いですか。
|
日本の中央年齢はフランスの中央年齢より5.3歳高いです。
|
JCRRAG_004698
|
国語
|
みなさん、こんにちは。内田樹です。
最後までお読みくださってありがとうございます。
ご覧の通り、これはさまざまな媒体に書いたエッセイのコンピレーション本です。『サンデー毎日』に何年か前から不定期に長文の寄稿をしておりまるので、そこにこれまで書き溜めたものがベースになっています。その他は新聞や雑誌に書いたままハードディスクの底に眠っていたものを集めて、一冊にしました。
頭から書き下ろしたものとインタビューを添削したものが混在しているので、文体もタッチもひとつひとつで違って、統一感を欠く憾みはありますが、まあ、それも気分転換になって読みやすいかも知れません。
今回、単行本にまとめるにあたってゲラを通読しましたが「ううむ、暗いなあ」と思いました。時事的なものを書くとどうしても暗くなっちゃうんですよね。他のエッセイ集でしたら、ところどころで武道や宗教の話、映画や文学の話も出てて、ちょっと「コーヒーブレーク」が取れるんですけれど、本書のように、政治の話ばかりしていると、どこまでも果てしなく暗くなります。
そこで「あとがき」では「お口直し」に、「どうして現代日本で政治について語るとこんなに暗くなるのか?」という話をしてみたいと思います。変な話ではありますが、それほど暗い話ではありません。ちょっと座り直して読んでくださいね。
日本が高齢化していることは皆さんご存知ですよね。ある国の高齢化の程度を知るためにはいろいろな指標がありますが、その一つは「中央年齢」です。
「中央年齢」というのは、「その年齢よりも上の世代と下の世代の人口が同数」であるような年齢のことです。日本の中央年齢は45.9歳。堂々の世界一です。
ちなみに世界で一番中央年齢が低いのはニジェールで15.0歳。これは「若い国」であるというよりは、たぶん治安が悪すぎて長生きできないということなので、ニジェールの人たちにとっても、あまりうれしい数字ではないと思います。
ちなみに中央年齢が17歳以下なのは、他には東ティモール、ザンビア、アフガニスタン、アンゴラ、マリ、ソマリア、ウガンダ、チャドなどがあります。どうやら国内で内戦やテロが続いて、統治機構が満足に機能していなくて、公衆衛生のレベルも低いという国が「若い国」のようです。だとするなら、日本の45.9歳は、日本がいかに治安がよく、統治機構がきちんと機能していて、公衆衛生への気配りが行き届いているかを示す「先進国指標」だと解することもできます。
豊かで安全なのだけれど、なぜか子どもが生まれない国。
それが中央年齢の高い国のとりあえずの特性だということになります。
他の国の中央年齢を見ると、フランスが40.6歳、イギリスが40.2歳、韓国が39.4歳、ロシアが38.3歳。なんとなく、「そうだろうな」というような数字が続きます。
面白かったのはアメリカと中国が同率40位ということ(37.4歳)。世界の覇権を競う二大国が人口の年齢構成が近いんです。ふうん、ですね。でも、この後、アメリカはそれほど高齢化しませんが、中国は一人っ子政策のせいで急激に高齢化します。その人口構成の「若さ」の差が、いずれは国力の差に反映してくるのでは・・・と僕は考えております。
でも、僕は今そんな話をしたいんじゃないんです。違う話です。
僕が、日本の中央年齢を確認している時に、一瞬、目の端に「2位ドイツ 3位イタリア」という文字列が見えたのです。日本、ドイツ、イタリア? その三国において中央年齢が高い? それ、どういうこと?
そして、リストの続きを見て驚くべき事実を発見しました。
まずはそのリストをご覧ください。
1位日本 2位ドイツ 3位イタリア 4位ブルガリア 5位ギリシャ 6位オーストリア 7位クロアチア 8位スロベニア 9位フィンランド 10位ポルトガル
どうです。わかりましたか、これらの高齢化国の共通点が。
そうです。ポルトガル以外の9つの国と地域はすべて「第二次世界大戦の敗戦国」なんです。スロベニアはナチスに占領されて対独協力していた「地域」で、厳密な意味での「敗戦国」には当たりません。ポルトガルは中立国でした(サラザール独裁のファシスト国家でしたが)。
このリストから言えることはとりあえず一つ。
それは「ファシズム体制で戦争を始めて、敗北した国では、戦後しばらくしてから、子どもが生まれなくなった」ということです。
戦後しばらく経ってからなんです。ここに僕は興味を惹かれました。
|
韓国の中央年齢は日本の中央年齢の約何%ですか。
|
韓国の中央年齢は日本の中央年齢の約85%です。
|
JCRRAG_004699
|
国語
|
みなさん、こんにちは。内田樹です。
最後までお読みくださってありがとうございます。
ご覧の通り、これはさまざまな媒体に書いたエッセイのコンピレーション本です。『サンデー毎日』に何年か前から不定期に長文の寄稿をしておりまるので、そこにこれまで書き溜めたものがベースになっています。その他は新聞や雑誌に書いたままハードディスクの底に眠っていたものを集めて、一冊にしました。
頭から書き下ろしたものとインタビューを添削したものが混在しているので、文体もタッチもひとつひとつで違って、統一感を欠く憾みはありますが、まあ、それも気分転換になって読みやすいかも知れません。
今回、単行本にまとめるにあたってゲラを通読しましたが「ううむ、暗いなあ」と思いました。時事的なものを書くとどうしても暗くなっちゃうんですよね。他のエッセイ集でしたら、ところどころで武道や宗教の話、映画や文学の話も出てて、ちょっと「コーヒーブレーク」が取れるんですけれど、本書のように、政治の話ばかりしていると、どこまでも果てしなく暗くなります。
そこで「あとがき」では「お口直し」に、「どうして現代日本で政治について語るとこんなに暗くなるのか?」という話をしてみたいと思います。変な話ではありますが、それほど暗い話ではありません。ちょっと座り直して読んでくださいね。
日本が高齢化していることは皆さんご存知ですよね。ある国の高齢化の程度を知るためにはいろいろな指標がありますが、その一つは「中央年齢」です。
「中央年齢」というのは、「その年齢よりも上の世代と下の世代の人口が同数」であるような年齢のことです。日本の中央年齢は45.9歳。堂々の世界一です。
ちなみに世界で一番中央年齢が低いのはニジェールで15.0歳。これは「若い国」であるというよりは、たぶん治安が悪すぎて長生きできないということなので、ニジェールの人たちにとっても、あまりうれしい数字ではないと思います。
ちなみに中央年齢が17歳以下なのは、他には東ティモール、ザンビア、アフガニスタン、アンゴラ、マリ、ソマリア、ウガンダ、チャドなどがあります。どうやら国内で内戦やテロが続いて、統治機構が満足に機能していなくて、公衆衛生のレベルも低いという国が「若い国」のようです。だとするなら、日本の45.9歳は、日本がいかに治安がよく、統治機構がきちんと機能していて、公衆衛生への気配りが行き届いているかを示す「先進国指標」だと解することもできます。
豊かで安全なのだけれど、なぜか子どもが生まれない国。
それが中央年齢の高い国のとりあえずの特性だということになります。
他の国の中央年齢を見ると、フランスが40.6歳、イギリスが40.2歳、韓国が39.4歳、ロシアが38.3歳。なんとなく、「そうだろうな」というような数字が続きます。
面白かったのはアメリカと中国が同率40位ということ(37.4歳)。世界の覇権を競う二大国が人口の年齢構成が近いんです。ふうん、ですね。でも、この後、アメリカはそれほど高齢化しませんが、中国は一人っ子政策のせいで急激に高齢化します。その人口構成の「若さ」の差が、いずれは国力の差に反映してくるのでは・・・と僕は考えております。
でも、僕は今そんな話をしたいんじゃないんです。違う話です。
僕が、日本の中央年齢を確認している時に、一瞬、目の端に「2位ドイツ 3位イタリア」という文字列が見えたのです。日本、ドイツ、イタリア? その三国において中央年齢が高い? それ、どういうこと?
そして、リストの続きを見て驚くべき事実を発見しました。
まずはそのリストをご覧ください。
1位日本 2位ドイツ 3位イタリア 4位ブルガリア 5位ギリシャ 6位オーストリア 7位クロアチア 8位スロベニア 9位フィンランド 10位ポルトガル
どうです。わかりましたか、これらの高齢化国の共通点が。
そうです。ポルトガル以外の9つの国と地域はすべて「第二次世界大戦の敗戦国」なんです。スロベニアはナチスに占領されて対独協力していた「地域」で、厳密な意味での「敗戦国」には当たりません。ポルトガルは中立国でした(サラザール独裁のファシスト国家でしたが)。
このリストから言えることはとりあえず一つ。
それは「ファシズム体制で戦争を始めて、敗北した国では、戦後しばらくしてから、子どもが生まれなくなった」ということです。
戦後しばらく経ってからなんです。ここに僕は興味を惹かれました。
|
日本の中央年齢とニジェールの中央年齢にはどれぐらい差がありますか。
|
日本の中央年齢とニジェールの中央年齢には30.9の差があります。
|
JCRRAG_004700
|
国語
|
こんにちは。英文系スタッフのnobiです。ここ数年の編入試験の傾向として、TOEIC、TOEFL等のスコア提出を出願時に求める大学が増えており、TOEICに関しても4技能(L&RだけでなくS&W)のスコアが必要な場合も増えてきました。一定のスコアを出願要件とする大学もあれば、提出を任意としている大学もあり、また、要件が変更されることもしばしばあるため、我々指導スタッフも募集要項は毎年きちんと確認するようにしています。
入学相談でも「何点ぐらい取ればよいのですか」という質問をよく受けますが、その際に、出願基準を公表している大学のスコアです。
・上智大学外国語学部英語学科
TOEIC 945(L&R) / 360 (S&W)、TOEFL iBT 95、英検1級
・青山学院大学文学部英米文学科
TOEIC 830、TOEFL iBT 80、英検1級
・獨協大学外国語学部英語学科
TOEIC 800、TOEFL iBT 90
上記のスコアを参考にすると、例えば、東京外国語大学や津田塾大学など、スコア提出を求めているけれどスコアを公表していない大学に出願する場合にどの程度のスコアを取るべきかが推測できます。
中央ゼミナールのホームページでは、昨年度の募集要項からTOEIC等の要件をまとめていますので、ぜひ参考にしてください。
|
青山学院大学文学部英米文学科の出願基準となるTOEICの点数は上智大学外国語学部英語学科の点数よりどれぐらい低いですか。
|
青山学院大学文学部英米文学科の出願基準となるTOEICの点数は上智大学外国語学部英語学科の点数より115点低いです。
|
Subsets and Splits
No community queries yet
The top public SQL queries from the community will appear here once available.