ID stringlengths 13 13 | Category stringclasses 12 values | Context stringlengths 1 4.96k | Question stringlengths 7 248 | GroundtruthAnswer stringlengths 2 663 |
|---|---|---|---|---|
JCRRAG_010701 | 国語 | 帆村荘六のミミ族研究は、ある程度の成功をおさめた。ミミ族の正体は、まず大体のことがわかった。またミミ族が、空気の中での戦闘に得意でないこと、ことに宇宙線からエネルギーを吸って生きている関係上、地底だとか、宇宙線遮蔽檻のように、宇宙線に乏しいところではすっかり元気がなくなってしまうこと、また音響砲のような、超音波を加えられると震動がとまって墜落し、そして地球人類に見えるようになることなどの弱点がわかった。しかしミミ族が、一体どこの天空からやってきたものか、それはわからなかった。またあの赤色金属藻の実質が、どういう性質のものであるかもわからなかった。
その間に、左倉少佐のひきいる第一宇宙戦隊は、活発な行動をとりはじめた。この戦隊は、噴射艇五百隻でもって、約二百万哩を航続する力を持っていた。その上、帆村の研究により、ミミ族を制圧するにたるだけの音響砲や、サイクロ砲や、その他珍しい最新鋭兵器をたくさん積んでいたから、ひじょうに強力な宇宙部隊だった。
司令左倉少佐は、宇宙戦隊の準備が完了すると、ミミ族にたいして強硬な申し入れを行った。それは二つの事項からなっていた。第一に、望月大尉以下を、第一彗星号とともに、安全にこっちへもどすこと。第二に、ミミ族はわが太陽系の空間以外のところへ引きあげることであった。もしこのことが、五日以内に行われないときは、わが宇宙戦隊はミミ族にたいして、自由行動をとるであろうと申しそえた。これはミミ族にたいする最後通牒であった。もし彼らがこれを聴き入れるつもりがなければ、当然宇宙戦争がはじまるわけだった。
ミミ族からは、申しこみを受けとったことだけを回答してきた。返事をいつよこすか、それは言ってこなかった。無気味なにらみあいの時間が流れていった。左倉少佐は、宇宙戦隊をひきいて、天空にうるさいほど浮揚している、およそ百箇に近い「魔の空間」の間を、ゆうゆうとぬって廻り、敵にたいして無言の圧力を加えた。
ミミ族の間には、かなり狼狽の色があらわれた。地球人類には見えないはずの「魔の空間」に衝突もせず、宇宙戦隊がゆうゆうと天空を飛び廻るので、地球人類が早くも新しい光学兵器を作ったことを察し、地球人類の智力もばかにならないことをさとったらしいのである。そのためか、三日目あたりから、「魔の空間」は次第に数を減じていった。ミミ族は後退をはじめたらしい。
こうして期限の五日目になったが、その朝になってみると、地上から見ることのできる「魔の空間」は、ただの一箇となった。それは静かに降下しつつあった。よく見ているとその「魔の空間」の下に、小さな旗がぶら下っているのが見えた。それはまぎれもなく日章旗であった。
この「魔の空間」は、やがて着陸した。その中からでてきた者を見ると、望月大尉に、児玉法学士、それに川上少年であった。三名は無事帰還したのだ。ミミ族は左倉少佐の申し入れを全部聞き入れたことがわかった。
こうしてこの怪事件も、ついに結末をつげた。宇宙戦隊の威力と、帆村荘六のすぐれた研究とが、せっかく来襲したミミ族を、その目的の百分の一も達せさせないうちに、見事に追い払ったわけである。その功は大きい。
だが帆村は、すこしもその功を誇らなかったし、やれやれと安心の色も示していなかった。彼はこう言うのであった。
「まあ、こんなわけで、ミミ族は弱点をおさえられ、一応退去しましたが、これでもう、二度と地球へやってこないとはいえませんよ。いやいや、きっと彼らは、ふたたび来襲することでしょう。今回にこりて、彼らはもっともっと強力な準備をし、これだけのものを持っていけば、必ず地球人類を制圧できるという、自信のついたところで来寇するでしょう。油断はならないのです。相手が準備に費す間に、こっちでもじゅうぶんの防禦準備をつくらねばなりません。それにはぜひともここ一二年のうちに、宇宙艦隊を数千隊にふやし、警備線を天王星、海王星あたりまで進めなければならんです。さあ、皆さん、元気をだして、誰も彼もが宇宙艇を操縦して、宇宙生活にたえるように勉強と訓練をして頂かねばなりません。しかも地球を狙うものはミミ族だけではないのです。第二第三のミミ族にも備えることが肝要です。成層圏飛行に成功したくらいで安心していては、間もなくミミ族のために、簡単にたべられてしまいますよ。さあ、蹶起してください」
| 帆村荘六のミミ族研究は、どのような結果だったか。 | 帆村荘六のミミ族研究は、ある程度の成功をおさめた。 |
JCRRAG_010702 | 国語 | 帆村荘六のミミ族研究は、ある程度の成功をおさめた。ミミ族の正体は、まず大体のことがわかった。またミミ族が、空気の中での戦闘に得意でないこと、ことに宇宙線からエネルギーを吸って生きている関係上、地底だとか、宇宙線遮蔽檻のように、宇宙線に乏しいところではすっかり元気がなくなってしまうこと、また音響砲のような、超音波を加えられると震動がとまって墜落し、そして地球人類に見えるようになることなどの弱点がわかった。しかしミミ族が、一体どこの天空からやってきたものか、それはわからなかった。またあの赤色金属藻の実質が、どういう性質のものであるかもわからなかった。
その間に、左倉少佐のひきいる第一宇宙戦隊は、活発な行動をとりはじめた。この戦隊は、噴射艇五百隻でもって、約二百万哩を航続する力を持っていた。その上、帆村の研究により、ミミ族を制圧するにたるだけの音響砲や、サイクロ砲や、その他珍しい最新鋭兵器をたくさん積んでいたから、ひじょうに強力な宇宙部隊だった。
司令左倉少佐は、宇宙戦隊の準備が完了すると、ミミ族にたいして強硬な申し入れを行った。それは二つの事項からなっていた。第一に、望月大尉以下を、第一彗星号とともに、安全にこっちへもどすこと。第二に、ミミ族はわが太陽系の空間以外のところへ引きあげることであった。もしこのことが、五日以内に行われないときは、わが宇宙戦隊はミミ族にたいして、自由行動をとるであろうと申しそえた。これはミミ族にたいする最後通牒であった。もし彼らがこれを聴き入れるつもりがなければ、当然宇宙戦争がはじまるわけだった。
ミミ族からは、申しこみを受けとったことだけを回答してきた。返事をいつよこすか、それは言ってこなかった。無気味なにらみあいの時間が流れていった。左倉少佐は、宇宙戦隊をひきいて、天空にうるさいほど浮揚している、およそ百箇に近い「魔の空間」の間を、ゆうゆうとぬって廻り、敵にたいして無言の圧力を加えた。
ミミ族の間には、かなり狼狽の色があらわれた。地球人類には見えないはずの「魔の空間」に衝突もせず、宇宙戦隊がゆうゆうと天空を飛び廻るので、地球人類が早くも新しい光学兵器を作ったことを察し、地球人類の智力もばかにならないことをさとったらしいのである。そのためか、三日目あたりから、「魔の空間」は次第に数を減じていった。ミミ族は後退をはじめたらしい。
こうして期限の五日目になったが、その朝になってみると、地上から見ることのできる「魔の空間」は、ただの一箇となった。それは静かに降下しつつあった。よく見ているとその「魔の空間」の下に、小さな旗がぶら下っているのが見えた。それはまぎれもなく日章旗であった。
この「魔の空間」は、やがて着陸した。その中からでてきた者を見ると、望月大尉に、児玉法学士、それに川上少年であった。三名は無事帰還したのだ。ミミ族は左倉少佐の申し入れを全部聞き入れたことがわかった。
こうしてこの怪事件も、ついに結末をつげた。宇宙戦隊の威力と、帆村荘六のすぐれた研究とが、せっかく来襲したミミ族を、その目的の百分の一も達せさせないうちに、見事に追い払ったわけである。その功は大きい。
だが帆村は、すこしもその功を誇らなかったし、やれやれと安心の色も示していなかった。彼はこう言うのであった。
「まあ、こんなわけで、ミミ族は弱点をおさえられ、一応退去しましたが、これでもう、二度と地球へやってこないとはいえませんよ。いやいや、きっと彼らは、ふたたび来襲することでしょう。今回にこりて、彼らはもっともっと強力な準備をし、これだけのものを持っていけば、必ず地球人類を制圧できるという、自信のついたところで来寇するでしょう。油断はならないのです。相手が準備に費す間に、こっちでもじゅうぶんの防禦準備をつくらねばなりません。それにはぜひともここ一二年のうちに、宇宙艦隊を数千隊にふやし、警備線を天王星、海王星あたりまで進めなければならんです。さあ、皆さん、元気をだして、誰も彼もが宇宙艇を操縦して、宇宙生活にたえるように勉強と訓練をして頂かねばなりません。しかも地球を狙うものはミミ族だけではないのです。第二第三のミミ族にも備えることが肝要です。成層圏飛行に成功したくらいで安心していては、間もなくミミ族のために、簡単にたべられてしまいますよ。さあ、蹶起してください」
| 司令左倉少佐は、宇宙戦隊の準備が完了すると、ミミ族にどのような申し入れを行ったか。 | 司令左倉少佐は、宇宙戦隊の準備が完了すると、ミミ族にたいして強硬な申し入れを行った。 |
JCRRAG_010703 | 国語 | 帆村荘六のミミ族研究は、ある程度の成功をおさめた。ミミ族の正体は、まず大体のことがわかった。またミミ族が、空気の中での戦闘に得意でないこと、ことに宇宙線からエネルギーを吸って生きている関係上、地底だとか、宇宙線遮蔽檻のように、宇宙線に乏しいところではすっかり元気がなくなってしまうこと、また音響砲のような、超音波を加えられると震動がとまって墜落し、そして地球人類に見えるようになることなどの弱点がわかった。しかしミミ族が、一体どこの天空からやってきたものか、それはわからなかった。またあの赤色金属藻の実質が、どういう性質のものであるかもわからなかった。
その間に、左倉少佐のひきいる第一宇宙戦隊は、活発な行動をとりはじめた。この戦隊は、噴射艇五百隻でもって、約二百万哩を航続する力を持っていた。その上、帆村の研究により、ミミ族を制圧するにたるだけの音響砲や、サイクロ砲や、その他珍しい最新鋭兵器をたくさん積んでいたから、ひじょうに強力な宇宙部隊だった。
司令左倉少佐は、宇宙戦隊の準備が完了すると、ミミ族にたいして強硬な申し入れを行った。それは二つの事項からなっていた。第一に、望月大尉以下を、第一彗星号とともに、安全にこっちへもどすこと。第二に、ミミ族はわが太陽系の空間以外のところへ引きあげることであった。もしこのことが、五日以内に行われないときは、わが宇宙戦隊はミミ族にたいして、自由行動をとるであろうと申しそえた。これはミミ族にたいする最後通牒であった。もし彼らがこれを聴き入れるつもりがなければ、当然宇宙戦争がはじまるわけだった。
ミミ族からは、申しこみを受けとったことだけを回答してきた。返事をいつよこすか、それは言ってこなかった。無気味なにらみあいの時間が流れていった。左倉少佐は、宇宙戦隊をひきいて、天空にうるさいほど浮揚している、およそ百箇に近い「魔の空間」の間を、ゆうゆうとぬって廻り、敵にたいして無言の圧力を加えた。
ミミ族の間には、かなり狼狽の色があらわれた。地球人類には見えないはずの「魔の空間」に衝突もせず、宇宙戦隊がゆうゆうと天空を飛び廻るので、地球人類が早くも新しい光学兵器を作ったことを察し、地球人類の智力もばかにならないことをさとったらしいのである。そのためか、三日目あたりから、「魔の空間」は次第に数を減じていった。ミミ族は後退をはじめたらしい。
こうして期限の五日目になったが、その朝になってみると、地上から見ることのできる「魔の空間」は、ただの一箇となった。それは静かに降下しつつあった。よく見ているとその「魔の空間」の下に、小さな旗がぶら下っているのが見えた。それはまぎれもなく日章旗であった。
この「魔の空間」は、やがて着陸した。その中からでてきた者を見ると、望月大尉に、児玉法学士、それに川上少年であった。三名は無事帰還したのだ。ミミ族は左倉少佐の申し入れを全部聞き入れたことがわかった。
こうしてこの怪事件も、ついに結末をつげた。宇宙戦隊の威力と、帆村荘六のすぐれた研究とが、せっかく来襲したミミ族を、その目的の百分の一も達せさせないうちに、見事に追い払ったわけである。その功は大きい。
だが帆村は、すこしもその功を誇らなかったし、やれやれと安心の色も示していなかった。彼はこう言うのであった。
「まあ、こんなわけで、ミミ族は弱点をおさえられ、一応退去しましたが、これでもう、二度と地球へやってこないとはいえませんよ。いやいや、きっと彼らは、ふたたび来襲することでしょう。今回にこりて、彼らはもっともっと強力な準備をし、これだけのものを持っていけば、必ず地球人類を制圧できるという、自信のついたところで来寇するでしょう。油断はならないのです。相手が準備に費す間に、こっちでもじゅうぶんの防禦準備をつくらねばなりません。それにはぜひともここ一二年のうちに、宇宙艦隊を数千隊にふやし、警備線を天王星、海王星あたりまで進めなければならんです。さあ、皆さん、元気をだして、誰も彼もが宇宙艇を操縦して、宇宙生活にたえるように勉強と訓練をして頂かねばなりません。しかも地球を狙うものはミミ族だけではないのです。第二第三のミミ族にも備えることが肝要です。成層圏飛行に成功したくらいで安心していては、間もなくミミ族のために、簡単にたべられてしまいますよ。さあ、蹶起してください」
| この戦隊は、噴射艇五百隻でもって、何万哩を航続する力を持っていたか。 | この戦隊は、噴射艇五百隻でもって、約二百万哩を航続する力を持っていた。 |
JCRRAG_010704 | 国語 | 帆村荘六のミミ族研究は、ある程度の成功をおさめた。ミミ族の正体は、まず大体のことがわかった。またミミ族が、空気の中での戦闘に得意でないこと、ことに宇宙線からエネルギーを吸って生きている関係上、地底だとか、宇宙線遮蔽檻のように、宇宙線に乏しいところではすっかり元気がなくなってしまうこと、また音響砲のような、超音波を加えられると震動がとまって墜落し、そして地球人類に見えるようになることなどの弱点がわかった。しかしミミ族が、一体どこの天空からやってきたものか、それはわからなかった。またあの赤色金属藻の実質が、どういう性質のものであるかもわからなかった。
その間に、左倉少佐のひきいる第一宇宙戦隊は、活発な行動をとりはじめた。この戦隊は、噴射艇五百隻でもって、約二百万哩を航続する力を持っていた。その上、帆村の研究により、ミミ族を制圧するにたるだけの音響砲や、サイクロ砲や、その他珍しい最新鋭兵器をたくさん積んでいたから、ひじょうに強力な宇宙部隊だった。
司令左倉少佐は、宇宙戦隊の準備が完了すると、ミミ族にたいして強硬な申し入れを行った。それは二つの事項からなっていた。第一に、望月大尉以下を、第一彗星号とともに、安全にこっちへもどすこと。第二に、ミミ族はわが太陽系の空間以外のところへ引きあげることであった。もしこのことが、五日以内に行われないときは、わが宇宙戦隊はミミ族にたいして、自由行動をとるであろうと申しそえた。これはミミ族にたいする最後通牒であった。もし彼らがこれを聴き入れるつもりがなければ、当然宇宙戦争がはじまるわけだった。
ミミ族からは、申しこみを受けとったことだけを回答してきた。返事をいつよこすか、それは言ってこなかった。無気味なにらみあいの時間が流れていった。左倉少佐は、宇宙戦隊をひきいて、天空にうるさいほど浮揚している、およそ百箇に近い「魔の空間」の間を、ゆうゆうとぬって廻り、敵にたいして無言の圧力を加えた。
ミミ族の間には、かなり狼狽の色があらわれた。地球人類には見えないはずの「魔の空間」に衝突もせず、宇宙戦隊がゆうゆうと天空を飛び廻るので、地球人類が早くも新しい光学兵器を作ったことを察し、地球人類の智力もばかにならないことをさとったらしいのである。そのためか、三日目あたりから、「魔の空間」は次第に数を減じていった。ミミ族は後退をはじめたらしい。
こうして期限の五日目になったが、その朝になってみると、地上から見ることのできる「魔の空間」は、ただの一箇となった。それは静かに降下しつつあった。よく見ているとその「魔の空間」の下に、小さな旗がぶら下っているのが見えた。それはまぎれもなく日章旗であった。
この「魔の空間」は、やがて着陸した。その中からでてきた者を見ると、望月大尉に、児玉法学士、それに川上少年であった。三名は無事帰還したのだ。ミミ族は左倉少佐の申し入れを全部聞き入れたことがわかった。
こうしてこの怪事件も、ついに結末をつげた。宇宙戦隊の威力と、帆村荘六のすぐれた研究とが、せっかく来襲したミミ族を、その目的の百分の一も達せさせないうちに、見事に追い払ったわけである。その功は大きい。
だが帆村は、すこしもその功を誇らなかったし、やれやれと安心の色も示していなかった。彼はこう言うのであった。
「まあ、こんなわけで、ミミ族は弱点をおさえられ、一応退去しましたが、これでもう、二度と地球へやってこないとはいえませんよ。いやいや、きっと彼らは、ふたたび来襲することでしょう。今回にこりて、彼らはもっともっと強力な準備をし、これだけのものを持っていけば、必ず地球人類を制圧できるという、自信のついたところで来寇するでしょう。油断はならないのです。相手が準備に費す間に、こっちでもじゅうぶんの防禦準備をつくらねばなりません。それにはぜひともここ一二年のうちに、宇宙艦隊を数千隊にふやし、警備線を天王星、海王星あたりまで進めなければならんです。さあ、皆さん、元気をだして、誰も彼もが宇宙艇を操縦して、宇宙生活にたえるように勉強と訓練をして頂かねばなりません。しかも地球を狙うものはミミ族だけではないのです。第二第三のミミ族にも備えることが肝要です。成層圏飛行に成功したくらいで安心していては、間もなくミミ族のために、簡単にたべられてしまいますよ。さあ、蹶起してください」
| 赤色金属藻の実質が、どのような性質のものかわかったか。 | 赤色金属藻の実質が、どういう性質のものであるかもわからなかった。 |
JCRRAG_010705 | 国語 | 帆村荘六のミミ族研究は、ある程度の成功をおさめた。ミミ族の正体は、まず大体のことがわかった。またミミ族が、空気の中での戦闘に得意でないこと、ことに宇宙線からエネルギーを吸って生きている関係上、地底だとか、宇宙線遮蔽檻のように、宇宙線に乏しいところではすっかり元気がなくなってしまうこと、また音響砲のような、超音波を加えられると震動がとまって墜落し、そして地球人類に見えるようになることなどの弱点がわかった。しかしミミ族が、一体どこの天空からやってきたものか、それはわからなかった。またあの赤色金属藻の実質が、どういう性質のものであるかもわからなかった。
その間に、左倉少佐のひきいる第一宇宙戦隊は、活発な行動をとりはじめた。この戦隊は、噴射艇五百隻でもって、約二百万哩を航続する力を持っていた。その上、帆村の研究により、ミミ族を制圧するにたるだけの音響砲や、サイクロ砲や、その他珍しい最新鋭兵器をたくさん積んでいたから、ひじょうに強力な宇宙部隊だった。
司令左倉少佐は、宇宙戦隊の準備が完了すると、ミミ族にたいして強硬な申し入れを行った。それは二つの事項からなっていた。第一に、望月大尉以下を、第一彗星号とともに、安全にこっちへもどすこと。第二に、ミミ族はわが太陽系の空間以外のところへ引きあげることであった。もしこのことが、五日以内に行われないときは、わが宇宙戦隊はミミ族にたいして、自由行動をとるであろうと申しそえた。これはミミ族にたいする最後通牒であった。もし彼らがこれを聴き入れるつもりがなければ、当然宇宙戦争がはじまるわけだった。
ミミ族からは、申しこみを受けとったことだけを回答してきた。返事をいつよこすか、それは言ってこなかった。無気味なにらみあいの時間が流れていった。左倉少佐は、宇宙戦隊をひきいて、天空にうるさいほど浮揚している、およそ百箇に近い「魔の空間」の間を、ゆうゆうとぬって廻り、敵にたいして無言の圧力を加えた。
ミミ族の間には、かなり狼狽の色があらわれた。地球人類には見えないはずの「魔の空間」に衝突もせず、宇宙戦隊がゆうゆうと天空を飛び廻るので、地球人類が早くも新しい光学兵器を作ったことを察し、地球人類の智力もばかにならないことをさとったらしいのである。そのためか、三日目あたりから、「魔の空間」は次第に数を減じていった。ミミ族は後退をはじめたらしい。
こうして期限の五日目になったが、その朝になってみると、地上から見ることのできる「魔の空間」は、ただの一箇となった。それは静かに降下しつつあった。よく見ているとその「魔の空間」の下に、小さな旗がぶら下っているのが見えた。それはまぎれもなく日章旗であった。
この「魔の空間」は、やがて着陸した。その中からでてきた者を見ると、望月大尉に、児玉法学士、それに川上少年であった。三名は無事帰還したのだ。ミミ族は左倉少佐の申し入れを全部聞き入れたことがわかった。
こうしてこの怪事件も、ついに結末をつげた。宇宙戦隊の威力と、帆村荘六のすぐれた研究とが、せっかく来襲したミミ族を、その目的の百分の一も達せさせないうちに、見事に追い払ったわけである。その功は大きい。
だが帆村は、すこしもその功を誇らなかったし、やれやれと安心の色も示していなかった。彼はこう言うのであった。
「まあ、こんなわけで、ミミ族は弱点をおさえられ、一応退去しましたが、これでもう、二度と地球へやってこないとはいえませんよ。いやいや、きっと彼らは、ふたたび来襲することでしょう。今回にこりて、彼らはもっともっと強力な準備をし、これだけのものを持っていけば、必ず地球人類を制圧できるという、自信のついたところで来寇するでしょう。油断はならないのです。相手が準備に費す間に、こっちでもじゅうぶんの防禦準備をつくらねばなりません。それにはぜひともここ一二年のうちに、宇宙艦隊を数千隊にふやし、警備線を天王星、海王星あたりまで進めなければならんです。さあ、皆さん、元気をだして、誰も彼もが宇宙艇を操縦して、宇宙生活にたえるように勉強と訓練をして頂かねばなりません。しかも地球を狙うものはミミ族だけではないのです。第二第三のミミ族にも備えることが肝要です。成層圏飛行に成功したくらいで安心していては、間もなくミミ族のために、簡単にたべられてしまいますよ。さあ、蹶起してください」
| 左倉少佐は、どのようにして敵にたいして無言の圧力を加えたか。 | 左倉少佐は、宇宙戦隊をひきいて、天空にうるさいほど浮揚している、およそ百箇に近い「魔の空間」の間を、ゆうゆうとぬって廻り、敵にたいして無言の圧力を加えた。 |
JCRRAG_010706 | 国語 | 「竜造寺兵曹長。これはへんだな」と、山岸中尉がいった。この若い士官は、鉱山の山岸少年の兄だった。
「山岸中尉も、歩けなくなりましたか。どうしたんでしょうか」
竜造寺兵曹長は、陽やけした黒い顔の中から、大きな目をむく。
「へんだなあ。まるで飛行機で急上昇飛行を始めると、G(万有引力のこと)が下向きにかかるが、あれと同じようだな」
「そうですなあ。あれとよく似ていますねえ。おや、前へ出ようとすると、Gが強くなりますよ」
「そうか。なるほど、その通りだ。どうしたんだろう。おや、前に何かあるぞ。手にさわるものがある。柔らかいものだ。しかしさっぱり目に見えない」
山岸中尉はついに手さぐりで、怪物の存在を見つけた。何物ともしれず、ぐにゃりとしたものが手にさわるのであるが、それはさっぱり見えない。透かして見ても、つかんでみても、何も見えないのであった。それは透明な柔らかい壁――、ふしぎなものであるが、そうとでも思うしかなかった。
このふしぎな透明壁が、もし次の日までここに残っていたら、帆村荘六もそこへ出かけて、きっと、くわしく調べたことだろうと思う。ところが、それから間もなく――時間にして三四分後に、透明壁は急になくなってしまった。そして喜作たちも、また反対の側にいた田中さんや山岸中尉たちも、あたり前に歩きだすことができたのであった。そしてこの事件は、ふしぎな話として、この白根村にひろがっていった。それはやがて鉱山事務所へも伝わったのである。
「昨日白根村でなあ、まっ昼間、十二三人の衆が揃いも揃って狐に化かされてなあ、その中には海軍さんまでも居なすったそうじゃが、こんこんさんもたちのわるいわるさをなさるものじゃ。この頃、ちっとも油揚をあげなんだからじゃろ……」
という具合に、この奇怪な噂は、附近の村々へひろがっていったのである。
翌朝、鉱山事務所の中にある建物の中で、目をさました例の特別刑事調査隊の七人組にも、この奇怪な話が伝わった。
「どういうわけですかなあ」
と、鉱山の人々からたずねられたが、七人組の博士たちは、ただ苦笑するだけで、何の返事もしなかった。
この話は、帆村荘六の耳にもはいった。彼がそれを聞いたのは、正午のすこし前であった。その日彼は早朝から研究室にこもったきりであって、お昼の食事のために外に出たとき、始めてこの奇怪な話を耳にしたのであった。
帆村はこの話を聞くと、さっと顔色をかえた。それから彼は若月次長を探し出すと、彼を引張って行くようにして、室戸博士の一行を訪ねたのであった。
「白根村で村道を歩いていた十二三人の者が、急に歩けなくなった話をお聞きになりましたか」と、帆村は室戸博士をはじめ、七人組の顔をずらりと見まわしていった。
「ああ聞いたよ。どうもおかしいね」
室戸博士は、落ちついて答えた。
「そうですか。重大な事件だと思いますが、あなたがたはあれをどうお考えになりますか」
帆村は熱心な口調でたずねた。室戸博士はしずかに首を左右に振って、
「まったく気の毒だと思う。この村は、例の青い怪物の出現以来かなりおびえているらしいね。神経衰弱症だねえ」
博士はしずかにいった。帆村はそれを聞いて、不満の色をうかべた。
「室戸博士は、そうお考えですか。それはちとお考えすぎではないでしょうか。十二人の歩行者が、揃いも揃って神経衰弱になるとは思われませんが……」
「ほほう。君は狐つきの説を信ずる組かね。はははは」
「いやそうじゃありません。第一、あの十二人のうちには海軍軍人が二人いるのですよ。列車から下りたばかりの海軍軍人は、青い怪物事件のあったことも知らないのですし、また話を聞いたとしても、あんなことで海軍軍人ともあろう者が、神経衰弱になろうとは思われません」
「それはそうだ」と室戸博士はいった。しかし熱のない返事であった。そこで帆村はまたいった。
「それに、青い怪物事件のあったのは、この町です。白根村は隣村です。この町の者が神経衰弱にならないのに、白根村の者が神経衰弱になるのは変ではありませんか」
「じゃ君は、あれをどう解釈しているのか」
室戸博士の質問に、帆村は黙って下をむいた。やがて呻くような帆村の声が聞えた。
「……あれこそわれわれ地球人類に対して、恐るべき第二の警報だと思うのです。われわれはすぐ立ち上らねばなりません」 | 山岸中尉はなにを見つけたか。 | 山岸中尉はついに手さぐりで、怪物の存在を見つけた。 |
JCRRAG_010707 | 国語 | 「竜造寺兵曹長。これはへんだな」と、山岸中尉がいった。この若い士官は、鉱山の山岸少年の兄だった。
「山岸中尉も、歩けなくなりましたか。どうしたんでしょうか」
竜造寺兵曹長は、陽やけした黒い顔の中から、大きな目をむく。
「へんだなあ。まるで飛行機で急上昇飛行を始めると、G(万有引力のこと)が下向きにかかるが、あれと同じようだな」
「そうですなあ。あれとよく似ていますねえ。おや、前へ出ようとすると、Gが強くなりますよ」
「そうか。なるほど、その通りだ。どうしたんだろう。おや、前に何かあるぞ。手にさわるものがある。柔らかいものだ。しかしさっぱり目に見えない」
山岸中尉はついに手さぐりで、怪物の存在を見つけた。何物ともしれず、ぐにゃりとしたものが手にさわるのであるが、それはさっぱり見えない。透かして見ても、つかんでみても、何も見えないのであった。それは透明な柔らかい壁――、ふしぎなものであるが、そうとでも思うしかなかった。
このふしぎな透明壁が、もし次の日までここに残っていたら、帆村荘六もそこへ出かけて、きっと、くわしく調べたことだろうと思う。ところが、それから間もなく――時間にして三四分後に、透明壁は急になくなってしまった。そして喜作たちも、また反対の側にいた田中さんや山岸中尉たちも、あたり前に歩きだすことができたのであった。そしてこの事件は、ふしぎな話として、この白根村にひろがっていった。それはやがて鉱山事務所へも伝わったのである。
「昨日白根村でなあ、まっ昼間、十二三人の衆が揃いも揃って狐に化かされてなあ、その中には海軍さんまでも居なすったそうじゃが、こんこんさんもたちのわるいわるさをなさるものじゃ。この頃、ちっとも油揚をあげなんだからじゃろ……」
という具合に、この奇怪な噂は、附近の村々へひろがっていったのである。
翌朝、鉱山事務所の中にある建物の中で、目をさました例の特別刑事調査隊の七人組にも、この奇怪な話が伝わった。
「どういうわけですかなあ」
と、鉱山の人々からたずねられたが、七人組の博士たちは、ただ苦笑するだけで、何の返事もしなかった。
この話は、帆村荘六の耳にもはいった。彼がそれを聞いたのは、正午のすこし前であった。その日彼は早朝から研究室にこもったきりであって、お昼の食事のために外に出たとき、始めてこの奇怪な話を耳にしたのであった。
帆村はこの話を聞くと、さっと顔色をかえた。それから彼は若月次長を探し出すと、彼を引張って行くようにして、室戸博士の一行を訪ねたのであった。
「白根村で村道を歩いていた十二三人の者が、急に歩けなくなった話をお聞きになりましたか」と、帆村は室戸博士をはじめ、七人組の顔をずらりと見まわしていった。
「ああ聞いたよ。どうもおかしいね」
室戸博士は、落ちついて答えた。
「そうですか。重大な事件だと思いますが、あなたがたはあれをどうお考えになりますか」
帆村は熱心な口調でたずねた。室戸博士はしずかに首を左右に振って、
「まったく気の毒だと思う。この村は、例の青い怪物の出現以来かなりおびえているらしいね。神経衰弱症だねえ」
博士はしずかにいった。帆村はそれを聞いて、不満の色をうかべた。
「室戸博士は、そうお考えですか。それはちとお考えすぎではないでしょうか。十二人の歩行者が、揃いも揃って神経衰弱になるとは思われませんが……」
「ほほう。君は狐つきの説を信ずる組かね。はははは」
「いやそうじゃありません。第一、あの十二人のうちには海軍軍人が二人いるのですよ。列車から下りたばかりの海軍軍人は、青い怪物事件のあったことも知らないのですし、また話を聞いたとしても、あんなことで海軍軍人ともあろう者が、神経衰弱になろうとは思われません」
「それはそうだ」と室戸博士はいった。しかし熱のない返事であった。そこで帆村はまたいった。
「それに、青い怪物事件のあったのは、この町です。白根村は隣村です。この町の者が神経衰弱にならないのに、白根村の者が神経衰弱になるのは変ではありませんか」
「じゃ君は、あれをどう解釈しているのか」
室戸博士の質問に、帆村は黙って下をむいた。やがて呻くような帆村の声が聞えた。
「……あれこそわれわれ地球人類に対して、恐るべき第二の警報だと思うのです。われわれはすぐ立ち上らねばなりません」 | 帆村荘六がこの話を耳にしたのは、いつか。 | この話は、帆村荘六の耳にもはいった。彼がそれを聞いたのは、正午のすこし前であった。 |
JCRRAG_010708 | 国語 | 「竜造寺兵曹長。これはへんだな」と、山岸中尉がいった。この若い士官は、鉱山の山岸少年の兄だった。
「山岸中尉も、歩けなくなりましたか。どうしたんでしょうか」
竜造寺兵曹長は、陽やけした黒い顔の中から、大きな目をむく。
「へんだなあ。まるで飛行機で急上昇飛行を始めると、G(万有引力のこと)が下向きにかかるが、あれと同じようだな」
「そうですなあ。あれとよく似ていますねえ。おや、前へ出ようとすると、Gが強くなりますよ」
「そうか。なるほど、その通りだ。どうしたんだろう。おや、前に何かあるぞ。手にさわるものがある。柔らかいものだ。しかしさっぱり目に見えない」
山岸中尉はついに手さぐりで、怪物の存在を見つけた。何物ともしれず、ぐにゃりとしたものが手にさわるのであるが、それはさっぱり見えない。透かして見ても、つかんでみても、何も見えないのであった。それは透明な柔らかい壁――、ふしぎなものであるが、そうとでも思うしかなかった。
このふしぎな透明壁が、もし次の日までここに残っていたら、帆村荘六もそこへ出かけて、きっと、くわしく調べたことだろうと思う。ところが、それから間もなく――時間にして三四分後に、透明壁は急になくなってしまった。そして喜作たちも、また反対の側にいた田中さんや山岸中尉たちも、あたり前に歩きだすことができたのであった。そしてこの事件は、ふしぎな話として、この白根村にひろがっていった。それはやがて鉱山事務所へも伝わったのである。
「昨日白根村でなあ、まっ昼間、十二三人の衆が揃いも揃って狐に化かされてなあ、その中には海軍さんまでも居なすったそうじゃが、こんこんさんもたちのわるいわるさをなさるものじゃ。この頃、ちっとも油揚をあげなんだからじゃろ……」
という具合に、この奇怪な噂は、附近の村々へひろがっていったのである。
翌朝、鉱山事務所の中にある建物の中で、目をさました例の特別刑事調査隊の七人組にも、この奇怪な話が伝わった。
「どういうわけですかなあ」
と、鉱山の人々からたずねられたが、七人組の博士たちは、ただ苦笑するだけで、何の返事もしなかった。
この話は、帆村荘六の耳にもはいった。彼がそれを聞いたのは、正午のすこし前であった。その日彼は早朝から研究室にこもったきりであって、お昼の食事のために外に出たとき、始めてこの奇怪な話を耳にしたのであった。
帆村はこの話を聞くと、さっと顔色をかえた。それから彼は若月次長を探し出すと、彼を引張って行くようにして、室戸博士の一行を訪ねたのであった。
「白根村で村道を歩いていた十二三人の者が、急に歩けなくなった話をお聞きになりましたか」と、帆村は室戸博士をはじめ、七人組の顔をずらりと見まわしていった。
「ああ聞いたよ。どうもおかしいね」
室戸博士は、落ちついて答えた。
「そうですか。重大な事件だと思いますが、あなたがたはあれをどうお考えになりますか」
帆村は熱心な口調でたずねた。室戸博士はしずかに首を左右に振って、
「まったく気の毒だと思う。この村は、例の青い怪物の出現以来かなりおびえているらしいね。神経衰弱症だねえ」
博士はしずかにいった。帆村はそれを聞いて、不満の色をうかべた。
「室戸博士は、そうお考えですか。それはちとお考えすぎではないでしょうか。十二人の歩行者が、揃いも揃って神経衰弱になるとは思われませんが……」
「ほほう。君は狐つきの説を信ずる組かね。はははは」
「いやそうじゃありません。第一、あの十二人のうちには海軍軍人が二人いるのですよ。列車から下りたばかりの海軍軍人は、青い怪物事件のあったことも知らないのですし、また話を聞いたとしても、あんなことで海軍軍人ともあろう者が、神経衰弱になろうとは思われません」
「それはそうだ」と室戸博士はいった。しかし熱のない返事であった。そこで帆村はまたいった。
「それに、青い怪物事件のあったのは、この町です。白根村は隣村です。この町の者が神経衰弱にならないのに、白根村の者が神経衰弱になるのは変ではありませんか」
「じゃ君は、あれをどう解釈しているのか」
室戸博士の質問に、帆村は黙って下をむいた。やがて呻くような帆村の声が聞えた。
「……あれこそわれわれ地球人類に対して、恐るべき第二の警報だと思うのです。われわれはすぐ立ち上らねばなりません」 | 帆村荘六がこの話を聞いたときどのような反応をしたか。 | 帆村はこの話を聞くと、さっと顔色をかえた。 |
JCRRAG_010709 | 国語 | 「はははは。帆村君。君もすこし体をやすめてはどうかね。この間から、ずいぶん心身を疲らせているようだから、君まで神経衰弱になっては困るよ」
特別刑事調査隊長の室戸博士は、白い髭をひっぱって、帆村荘六をじろりと見た。帆村が「白根村事件こそは、恐るべき怪物が、われわれにたいして発した第二の警報だ」という意味のことをいったので、そういう突拍子もないことをいうのは、帆村荘六自身がもう神経衰弱になっているのではないかと思ったのだ。
帆村は室戸博士の言葉を、悪い方へ解釈しなかった。彼はていねいに礼をのべた。それからポケットへ手を入れると、何か紙に包んだものを取出した。それを開けると、中には緑色がかったねじの頭のようなものが、三つ四つはいっていた。それを帆村は、博士たちの前に出して見せた。
「話は、例の緑色の怪物の方へとびますが、今日私は坑道でこんなものを拾ったのです。これまでにごらんになったことがありますか」
帆村が差出すのを、博士は紙のまま受取って、机の上に置いた。調査隊の七人組が、そのまわりに集った。
「これは何処で拾ったのかね」
室戸博士は、鉛筆の尻で、そのねじの頭のようなものを突きまわす。
「今申したように、鉱山の坑道の下です。例の緑色の怪物が落ちこんだ穴の底を探しているうちに、ついに見つけたのです」
「何かね、これは……」
「さあ、わかりません」
「相当重いね」
博士は手袋をはめてから、そのねじの頭のようなものを掌の上にのせて重さをためしてみたのだ。手袋をはめたのは、その品物の上に指紋がついていた場合、それを乱さない心づかいであった。
「はい、重いです。金属らしいですね。これは、分析してみないとわかりませんが、例の緑色の怪物の体から、もぎとられた一部分のように思うのです」
「さあ、どうかなあ。坑道に前から落ちていたものじゃないかな。銅が錆びると、こんな風に緑色になるよ」
「それは緑青のことです。しかしこれは緑青ではありません。それに、鉱山でつかっているもので、こんな色をした、こんな形のものはありません」
帆村は自信をもっていった。
「すると君は、これがたしかに例の怪物の体の一部だというのかね」
「分析してみた上でないとわかりません」
「そうか、とにかくこれはこっちへ預っておこう。大した証拠物件ではないが、また何かの参考になるかもしれん」
そういって室戸博士は、それを紙に包んで、自分のポケットに入れようとした。
「待って下さい。たいした物件でないというお考えなら、私のところへおかえし願いたいのです」
博士は、いやな顔をして、紙包を帆村の方へ放り出した。
「君にいっておくが、われわれの許可なくして、事件に関係のあるものを私有することはやめてもらいたい」
「はあ」
博士は児玉法学士の方へふりかえって、
「分署の者に命じて、坑道の入口から底に至るまで、もう一度よく探させるように。そして変った物があったら、一つところへ集めておかせるんだ。せっかくの証拠物などを他の者に荒されたんでは、わたしたちは大迷惑だからな。場合によっては、職権妨害罪をあてはめることも出来るんだが、そんなことはあまりしたくないし……」
室戸博士の言葉には、帆村に対して意地わるい響を持っていた。鉱山の者や、調査隊の者には、それがよく響いたが、当の帆村荘六はいっこう響かないらしく、彼はそのとおりだという風に軽く肯いていた。
「そうそう、君に聞いておきたいことがあった。帆村君、君は例の怪漢のことを、人間と思っていないという話だが、本当かね」
と訊く室戸博士は、ある昂奮を圧し隠しているように見えた。
「は。それはまだはっきりといいきれませんが、私は地球人類ではないと思っています」
「ほほう。地球人類ではないというと、それは何かね。人間でないものというと、常識では解けないじゃないか」
「それがはっきり解けると、この事件もたちどころに解決するのですが、まだわかりません。しかし人間でないということだけは言い切れます」
「なぜ」
「そうではありませんか。心臓のとまっていたのが、やがて地上へ移すと動きだした。これは人間にはないことです。目が三つある。これも人間ではない。岩の上を走っていって、竹蜻蛉のようにきりきり廻った。と、その姿が急に見えなくなった。これは児玉法学士が見たのですから間違いなしです。これも人間業ではありません」
「そうは思わないね。まず心臓の件だが、あれは始め診察したとき心臓のまだ微かに動いているのを聴きおとしたのだ。第二に、竹蜻蛉のように廻ることは、舞踊でもやることで、ふしぎなことではない。第三に、見ているうちに姿を消したというが、あれは児玉法学士の目のあやまりだよ」
室戸博士は、三つとも否定した。
「いや博士。僕は見誤りなんかしませんです。たしかに怪物の姿が、まるで水蒸気が消えるように消えてしまったのです」
いつの間にか、そこへ帰って来ていた児玉法学士が弁明した。
「児玉君。まあ、君は黙っていたまえ。とにかく帆村君、君が変なことをいいふらすものだから、この村の善良な人たちは非常におびえているよ。注意したまえ」
室戸博士は、叩きつけるようにいうと、席を立って向うへ行ってしまった。 | 特別刑事調査隊長の室戸博士は、なにをしながら帆村を見たか。 | 特別刑事調査隊長の室戸博士は、白い髭をひっぱって、帆村荘六をじろりと見た。 |
JCRRAG_010710 | 国語 | 「はははは。帆村君。君もすこし体をやすめてはどうかね。この間から、ずいぶん心身を疲らせているようだから、君まで神経衰弱になっては困るよ」
特別刑事調査隊長の室戸博士は、白い髭をひっぱって、帆村荘六をじろりと見た。帆村が「白根村事件こそは、恐るべき怪物が、われわれにたいして発した第二の警報だ」という意味のことをいったので、そういう突拍子もないことをいうのは、帆村荘六自身がもう神経衰弱になっているのではないかと思ったのだ。
帆村は室戸博士の言葉を、悪い方へ解釈しなかった。彼はていねいに礼をのべた。それからポケットへ手を入れると、何か紙に包んだものを取出した。それを開けると、中には緑色がかったねじの頭のようなものが、三つ四つはいっていた。それを帆村は、博士たちの前に出して見せた。
「話は、例の緑色の怪物の方へとびますが、今日私は坑道でこんなものを拾ったのです。これまでにごらんになったことがありますか」
帆村が差出すのを、博士は紙のまま受取って、机の上に置いた。調査隊の七人組が、そのまわりに集った。
「これは何処で拾ったのかね」
室戸博士は、鉛筆の尻で、そのねじの頭のようなものを突きまわす。
「今申したように、鉱山の坑道の下です。例の緑色の怪物が落ちこんだ穴の底を探しているうちに、ついに見つけたのです」
「何かね、これは……」
「さあ、わかりません」
「相当重いね」
博士は手袋をはめてから、そのねじの頭のようなものを掌の上にのせて重さをためしてみたのだ。手袋をはめたのは、その品物の上に指紋がついていた場合、それを乱さない心づかいであった。
「はい、重いです。金属らしいですね。これは、分析してみないとわかりませんが、例の緑色の怪物の体から、もぎとられた一部分のように思うのです」
「さあ、どうかなあ。坑道に前から落ちていたものじゃないかな。銅が錆びると、こんな風に緑色になるよ」
「それは緑青のことです。しかしこれは緑青ではありません。それに、鉱山でつかっているもので、こんな色をした、こんな形のものはありません」
帆村は自信をもっていった。
「すると君は、これがたしかに例の怪物の体の一部だというのかね」
「分析してみた上でないとわかりません」
「そうか、とにかくこれはこっちへ預っておこう。大した証拠物件ではないが、また何かの参考になるかもしれん」
そういって室戸博士は、それを紙に包んで、自分のポケットに入れようとした。
「待って下さい。たいした物件でないというお考えなら、私のところへおかえし願いたいのです」
博士は、いやな顔をして、紙包を帆村の方へ放り出した。
「君にいっておくが、われわれの許可なくして、事件に関係のあるものを私有することはやめてもらいたい」
「はあ」
博士は児玉法学士の方へふりかえって、
「分署の者に命じて、坑道の入口から底に至るまで、もう一度よく探させるように。そして変った物があったら、一つところへ集めておかせるんだ。せっかくの証拠物などを他の者に荒されたんでは、わたしたちは大迷惑だからな。場合によっては、職権妨害罪をあてはめることも出来るんだが、そんなことはあまりしたくないし……」
室戸博士の言葉には、帆村に対して意地わるい響を持っていた。鉱山の者や、調査隊の者には、それがよく響いたが、当の帆村荘六はいっこう響かないらしく、彼はそのとおりだという風に軽く肯いていた。
「そうそう、君に聞いておきたいことがあった。帆村君、君は例の怪漢のことを、人間と思っていないという話だが、本当かね」
と訊く室戸博士は、ある昂奮を圧し隠しているように見えた。
「は。それはまだはっきりといいきれませんが、私は地球人類ではないと思っています」
「ほほう。地球人類ではないというと、それは何かね。人間でないものというと、常識では解けないじゃないか」
「それがはっきり解けると、この事件もたちどころに解決するのですが、まだわかりません。しかし人間でないということだけは言い切れます」
「なぜ」
「そうではありませんか。心臓のとまっていたのが、やがて地上へ移すと動きだした。これは人間にはないことです。目が三つある。これも人間ではない。岩の上を走っていって、竹蜻蛉のようにきりきり廻った。と、その姿が急に見えなくなった。これは児玉法学士が見たのですから間違いなしです。これも人間業ではありません」
「そうは思わないね。まず心臓の件だが、あれは始め診察したとき心臓のまだ微かに動いているのを聴きおとしたのだ。第二に、竹蜻蛉のように廻ることは、舞踊でもやることで、ふしぎなことではない。第三に、見ているうちに姿を消したというが、あれは児玉法学士の目のあやまりだよ」
室戸博士は、三つとも否定した。
「いや博士。僕は見誤りなんかしませんです。たしかに怪物の姿が、まるで水蒸気が消えるように消えてしまったのです」
いつの間にか、そこへ帰って来ていた児玉法学士が弁明した。
「児玉君。まあ、君は黙っていたまえ。とにかく帆村君、君が変なことをいいふらすものだから、この村の善良な人たちは非常におびえているよ。注意したまえ」
室戸博士は、叩きつけるようにいうと、席を立って向うへ行ってしまった。 | 帆村は室戸博士の言葉をどのように解釈したか。 | 帆村は室戸博士の言葉を、悪い方へ解釈しなかった。 |
JCRRAG_010711 | 国語 | 「はははは。帆村君。君もすこし体をやすめてはどうかね。この間から、ずいぶん心身を疲らせているようだから、君まで神経衰弱になっては困るよ」
特別刑事調査隊長の室戸博士は、白い髭をひっぱって、帆村荘六をじろりと見た。帆村が「白根村事件こそは、恐るべき怪物が、われわれにたいして発した第二の警報だ」という意味のことをいったので、そういう突拍子もないことをいうのは、帆村荘六自身がもう神経衰弱になっているのではないかと思ったのだ。
帆村は室戸博士の言葉を、悪い方へ解釈しなかった。彼はていねいに礼をのべた。それからポケットへ手を入れると、何か紙に包んだものを取出した。それを開けると、中には緑色がかったねじの頭のようなものが、三つ四つはいっていた。それを帆村は、博士たちの前に出して見せた。
「話は、例の緑色の怪物の方へとびますが、今日私は坑道でこんなものを拾ったのです。これまでにごらんになったことがありますか」
帆村が差出すのを、博士は紙のまま受取って、机の上に置いた。調査隊の七人組が、そのまわりに集った。
「これは何処で拾ったのかね」
室戸博士は、鉛筆の尻で、そのねじの頭のようなものを突きまわす。
「今申したように、鉱山の坑道の下です。例の緑色の怪物が落ちこんだ穴の底を探しているうちに、ついに見つけたのです」
「何かね、これは……」
「さあ、わかりません」
「相当重いね」
博士は手袋をはめてから、そのねじの頭のようなものを掌の上にのせて重さをためしてみたのだ。手袋をはめたのは、その品物の上に指紋がついていた場合、それを乱さない心づかいであった。
「はい、重いです。金属らしいですね。これは、分析してみないとわかりませんが、例の緑色の怪物の体から、もぎとられた一部分のように思うのです」
「さあ、どうかなあ。坑道に前から落ちていたものじゃないかな。銅が錆びると、こんな風に緑色になるよ」
「それは緑青のことです。しかしこれは緑青ではありません。それに、鉱山でつかっているもので、こんな色をした、こんな形のものはありません」
帆村は自信をもっていった。
「すると君は、これがたしかに例の怪物の体の一部だというのかね」
「分析してみた上でないとわかりません」
「そうか、とにかくこれはこっちへ預っておこう。大した証拠物件ではないが、また何かの参考になるかもしれん」
そういって室戸博士は、それを紙に包んで、自分のポケットに入れようとした。
「待って下さい。たいした物件でないというお考えなら、私のところへおかえし願いたいのです」
博士は、いやな顔をして、紙包を帆村の方へ放り出した。
「君にいっておくが、われわれの許可なくして、事件に関係のあるものを私有することはやめてもらいたい」
「はあ」
博士は児玉法学士の方へふりかえって、
「分署の者に命じて、坑道の入口から底に至るまで、もう一度よく探させるように。そして変った物があったら、一つところへ集めておかせるんだ。せっかくの証拠物などを他の者に荒されたんでは、わたしたちは大迷惑だからな。場合によっては、職権妨害罪をあてはめることも出来るんだが、そんなことはあまりしたくないし……」
室戸博士の言葉には、帆村に対して意地わるい響を持っていた。鉱山の者や、調査隊の者には、それがよく響いたが、当の帆村荘六はいっこう響かないらしく、彼はそのとおりだという風に軽く肯いていた。
「そうそう、君に聞いておきたいことがあった。帆村君、君は例の怪漢のことを、人間と思っていないという話だが、本当かね」
と訊く室戸博士は、ある昂奮を圧し隠しているように見えた。
「は。それはまだはっきりといいきれませんが、私は地球人類ではないと思っています」
「ほほう。地球人類ではないというと、それは何かね。人間でないものというと、常識では解けないじゃないか」
「それがはっきり解けると、この事件もたちどころに解決するのですが、まだわかりません。しかし人間でないということだけは言い切れます」
「なぜ」
「そうではありませんか。心臓のとまっていたのが、やがて地上へ移すと動きだした。これは人間にはないことです。目が三つある。これも人間ではない。岩の上を走っていって、竹蜻蛉のようにきりきり廻った。と、その姿が急に見えなくなった。これは児玉法学士が見たのですから間違いなしです。これも人間業ではありません」
「そうは思わないね。まず心臓の件だが、あれは始め診察したとき心臓のまだ微かに動いているのを聴きおとしたのだ。第二に、竹蜻蛉のように廻ることは、舞踊でもやることで、ふしぎなことではない。第三に、見ているうちに姿を消したというが、あれは児玉法学士の目のあやまりだよ」
室戸博士は、三つとも否定した。
「いや博士。僕は見誤りなんかしませんです。たしかに怪物の姿が、まるで水蒸気が消えるように消えてしまったのです」
いつの間にか、そこへ帰って来ていた児玉法学士が弁明した。
「児玉君。まあ、君は黙っていたまえ。とにかく帆村君、君が変なことをいいふらすものだから、この村の善良な人たちは非常におびえているよ。注意したまえ」
室戸博士は、叩きつけるようにいうと、席を立って向うへ行ってしまった。 | 博士はなにをはめてから、ねじの頭のようなものを掌の上にのせて重さをためしてみたか。 | 博士は手袋をはめてから、そのねじの頭のようなものを掌の上にのせて重さをためしてみたのだ。 |
JCRRAG_010712 | 国語 | 帆村荘六に対するよくない評判が、だんだんとこの村にも、隣村にも強くなっていった。室戸博士は、その旗頭のようなものであった。鉱山でも、帆村をよくいわない人達がふえた。
だが、それと反対に、帆村荘六に非常に親しみを持ち始めた者もあった。少数ではあったが……。その一人は児玉法学士であった。あとの一人は、山岸少年の兄の山岸中尉であった。
児玉法学士は、例の怪物が水蒸気のように消え去るところを目撃した、貴重な人物であるが、室戸博士はそれを信じてくれない。しかるに帆村荘六だけは、たいへんに真面目に、その話を聞いてくれ、そしてそれは貴重な資料だとほめてくれるのである。そこで児玉法学士は、帆村荘六が好きになったが、その他見ていると、帆村の熱心なこと、普通の人が考えていないようなことを考えていることなどに、だんだん尊敬の念を抱くようになった。
山岸中尉は、帆村の訪問を受け、例の白根村事件について話してくださいと頼まれた。もちろん中尉は承諾して、竜造寺兵曹長と、かわるがわる例の歩行困難事件について説明した。それから始って、中尉は帆村と、宇宙線問題や、成層圏飛行や、それから宇宙に棲んでいる地球以外の生物の話などについて、三時間あまりも熱心に語りあった。そして中尉は、帆村荘六の宇宙戦争観に、非常な共鳴をおぼえたのであった。
「たしかに、そうだ」
と、山岸中尉は軍服の膝を、はたとうっていった。
「十数億光年の広さをもったこの宇宙には、何百万、何千万とも知れない無数の星があって、それがいずれもわが太陽と同じように、光と熱とを出しているのだ。したがってそのまわりには、わが地球同様の遊星が、これまた何百万、何千万と無数にあって、自分で太陽のまわりを廻っているのだ。そういうおびただしい遊星の中で、地球のわれわれが最も科学知識にすぐれているとは、いくらうぬぼれ者だって、そうは思わないだろう。われわれが、そういう他の遊星生物を知らないのは、お互いの距離がまだ遠すぎて、まだ飛行機で交通も出来ず、電波通信も届かず、たとえ届いても、その意味がわからない。だからまだ知らないのだ。やがて交通や通信の距離がひろがると、きっとそういう他の遊星生物とぶつからなければならない。そのとき、すぐ友達となって手が握れるか、それともすぐ戦争になるか、いったいどっちだろう。それは今はっきりわからない。しかし帆村君のいうように、われわれとしては、宇宙戦争の用意を、今から十分にしておかねばならないと思う。その時になって騒いではもう間に合わないのだ。ことに、相手が、われわれよりもずっと力も強いし、科学知識にもすぐれていた場合には、こっちに用意ができていないと、たちまち彼等の奴隷になってしまうか、それとも皆殺しになってしまわなければならない。宇宙戦争だ。そうだ、帆村君のいうとおり、宇宙戦争は必ず起るぞ。これは油断できん」
山岸中尉は、すっかり帆村荘六の説に共鳴したのであった。
「まったくこれは大変ですなあ」
と、傍で茶をのみながら、二人の話に耳を傾けていた竜造寺兵曹長が、感きわまって、嘆声をあげた。
「分隊士、そうなると、われわれ飛行科の者は、平常から宇宙戦争の尖兵たる覚悟で、勤務せなきゃならんですな。これは大変だ」
兵曹長は、いが栗頭を、太い指でぽりぽりとかいた。
「兵曹長のいう通りだ。今の話でいくと、これからの防空第一線は、成層圏、いや成層圏よりも、もっと上空のあたりになるぞ。幕状オーロラ(極光)が出ているところは、地上三百キロメートルの高空だが、あの極光を背景として、他の遊星生物の空襲部隊と、壮烈なる一大空戦を展開するなどということになるかもしれないね」
「これは困った。われわれは、高度三百キロメートルどころか、その十分の一にも足りない高度の成層圏飛行で、今しきりに冷汗をかいているのですからなあ。急いで勉強して、一日も早く極光圏を征服しなければなりません」
「そうだとも。それから更に進んで、月世界や火星までも飛行ができるようになっていなければ、間に合わんぞ」
「やれやれ、話が手荒く大きなことになりましたな」
「そうだよ。宇宙の敵からわれわれを守るためには、すくなくとも月世界や、火星、土星などという遊星を、わが前進基地として確保しておかねばならぬ。さあ、そうなると、今のプロペラで飛ぶ飛行機や、噴射で飛ぶロケット機などでは、とてもスピードが遅すぎて、役に立たないぞ。まず飛行機から改良してかからにゃ駄目だ。十八歳の少年兵のとき、飛行機に乗って火星まで行って、そこで引返して地球へ戻ってきたら、八十八歳のおじいさんになっていたでは困るからなあ」
「十八歳の少年が帰って来たら、八十八歳の老人に……。はっはっはっはっ。それは困るですなあ。ぜひもっと速い飛行機を作ってもらいましょう。はっはっはっはっ」
中尉と兵曹長は、帆村をそっちのけにして、来るべき宇宙戦争の想定ばなしに、腹をかかえて笑いあった。
しかしこれが決して笑いごとではないことは、すでに両人とも、肚の中に十分に承知していた。 | 帆村荘六に対するよくない評判が、だんだんとこの村にも、隣村にも強くなっていったとき、逆にどのような者もいたか。 | それと反対に、帆村荘六に非常に親しみを持ち始めた者もあった。 |
JCRRAG_010713 | 国語 | 帆村荘六に対するよくない評判が、だんだんとこの村にも、隣村にも強くなっていった。室戸博士は、その旗頭のようなものであった。鉱山でも、帆村をよくいわない人達がふえた。
だが、それと反対に、帆村荘六に非常に親しみを持ち始めた者もあった。少数ではあったが……。その一人は児玉法学士であった。あとの一人は、山岸少年の兄の山岸中尉であった。
児玉法学士は、例の怪物が水蒸気のように消え去るところを目撃した、貴重な人物であるが、室戸博士はそれを信じてくれない。しかるに帆村荘六だけは、たいへんに真面目に、その話を聞いてくれ、そしてそれは貴重な資料だとほめてくれるのである。そこで児玉法学士は、帆村荘六が好きになったが、その他見ていると、帆村の熱心なこと、普通の人が考えていないようなことを考えていることなどに、だんだん尊敬の念を抱くようになった。
山岸中尉は、帆村の訪問を受け、例の白根村事件について話してくださいと頼まれた。もちろん中尉は承諾して、竜造寺兵曹長と、かわるがわる例の歩行困難事件について説明した。それから始って、中尉は帆村と、宇宙線問題や、成層圏飛行や、それから宇宙に棲んでいる地球以外の生物の話などについて、三時間あまりも熱心に語りあった。そして中尉は、帆村荘六の宇宙戦争観に、非常な共鳴をおぼえたのであった。
「たしかに、そうだ」
と、山岸中尉は軍服の膝を、はたとうっていった。
「十数億光年の広さをもったこの宇宙には、何百万、何千万とも知れない無数の星があって、それがいずれもわが太陽と同じように、光と熱とを出しているのだ。したがってそのまわりには、わが地球同様の遊星が、これまた何百万、何千万と無数にあって、自分で太陽のまわりを廻っているのだ。そういうおびただしい遊星の中で、地球のわれわれが最も科学知識にすぐれているとは、いくらうぬぼれ者だって、そうは思わないだろう。われわれが、そういう他の遊星生物を知らないのは、お互いの距離がまだ遠すぎて、まだ飛行機で交通も出来ず、電波通信も届かず、たとえ届いても、その意味がわからない。だからまだ知らないのだ。やがて交通や通信の距離がひろがると、きっとそういう他の遊星生物とぶつからなければならない。そのとき、すぐ友達となって手が握れるか、それともすぐ戦争になるか、いったいどっちだろう。それは今はっきりわからない。しかし帆村君のいうように、われわれとしては、宇宙戦争の用意を、今から十分にしておかねばならないと思う。その時になって騒いではもう間に合わないのだ。ことに、相手が、われわれよりもずっと力も強いし、科学知識にもすぐれていた場合には、こっちに用意ができていないと、たちまち彼等の奴隷になってしまうか、それとも皆殺しになってしまわなければならない。宇宙戦争だ。そうだ、帆村君のいうとおり、宇宙戦争は必ず起るぞ。これは油断できん」
山岸中尉は、すっかり帆村荘六の説に共鳴したのであった。
「まったくこれは大変ですなあ」
と、傍で茶をのみながら、二人の話に耳を傾けていた竜造寺兵曹長が、感きわまって、嘆声をあげた。
「分隊士、そうなると、われわれ飛行科の者は、平常から宇宙戦争の尖兵たる覚悟で、勤務せなきゃならんですな。これは大変だ」
兵曹長は、いが栗頭を、太い指でぽりぽりとかいた。
「兵曹長のいう通りだ。今の話でいくと、これからの防空第一線は、成層圏、いや成層圏よりも、もっと上空のあたりになるぞ。幕状オーロラ(極光)が出ているところは、地上三百キロメートルの高空だが、あの極光を背景として、他の遊星生物の空襲部隊と、壮烈なる一大空戦を展開するなどということになるかもしれないね」
「これは困った。われわれは、高度三百キロメートルどころか、その十分の一にも足りない高度の成層圏飛行で、今しきりに冷汗をかいているのですからなあ。急いで勉強して、一日も早く極光圏を征服しなければなりません」
「そうだとも。それから更に進んで、月世界や火星までも飛行ができるようになっていなければ、間に合わんぞ」
「やれやれ、話が手荒く大きなことになりましたな」
「そうだよ。宇宙の敵からわれわれを守るためには、すくなくとも月世界や、火星、土星などという遊星を、わが前進基地として確保しておかねばならぬ。さあ、そうなると、今のプロペラで飛ぶ飛行機や、噴射で飛ぶロケット機などでは、とてもスピードが遅すぎて、役に立たないぞ。まず飛行機から改良してかからにゃ駄目だ。十八歳の少年兵のとき、飛行機に乗って火星まで行って、そこで引返して地球へ戻ってきたら、八十八歳のおじいさんになっていたでは困るからなあ」
「十八歳の少年が帰って来たら、八十八歳の老人に……。はっはっはっはっ。それは困るですなあ。ぜひもっと速い飛行機を作ってもらいましょう。はっはっはっはっ」
中尉と兵曹長は、帆村をそっちのけにして、来るべき宇宙戦争の想定ばなしに、腹をかかえて笑いあった。
しかしこれが決して笑いごとではないことは、すでに両人とも、肚の中に十分に承知していた。 | 二人の話に耳を傾けていた竜造寺兵曹長は、どのような反応をしたか。 | 二人の話に耳を傾けていた竜造寺兵曹長が、感きわまって、嘆声をあげた。 |
JCRRAG_010714 | 国語 | ちょっと聞くと、非常に突飛に思われる帆村の宇宙戦争の警告が、山岸中尉と竜造寺兵曹長の共鳴するところとなったのは帆村にとって、たしかに気持のいいことだった。
それに児玉法学士も、あれ以来すっかり帆村と仲よしになり、調査隊の捜査のひまを見ては、鉱山の研究室へ帆村を訪ねることが多くなった。児玉は調査隊の七人組の助手の一人であるが、その中ではいちばん年が若いのであった。いや、他の六人がいずれも五十歳以上であるのに、児玉だけはまだ二十九歳であった。
「帆村君。何か新しい発見はなかったかね」
と、今日も児玉は、帆村をたずねて来た。
「おう、児玉君。さあこっちへはいりたまえ」と、帆村はすっかり親しみのある言葉づかいで、彼に一つの椅子をすすめた。
「例の緑色がかったねじの頭みたいなものね、君も見て知っているね」
「ああ、知っているよ。室戸博士に見せたあれだろう」
「そうだ、あれだ。あれを東京の大学で、僕の友人が分析したのだ。その報告が今日手紙で来たよ」
「報告が来たか。それは面白いなあ。で、どうだった」
児玉法学士の目が輝く。帆村は、机の上から一つの封筒をとりあげ、その中から報告用紙を抜き出して開いた。
「まあ、これを読んでみたまえ」
帆村は、にんまりと笑いながら、それを児玉に手渡した。児玉はそれを受取ると、大きくごくりと咽喉をならして、紙の上に書かれてある文字に目を走らせた。と、彼の顔が急に硬くなった。
「どうだ。わかるかね、児玉君」
帆村は煙草を握った指先で、自分の頤をかるくはじいている。
「ふうん……」児玉は大きな嘆声を一つついた。それからこんどは両肩をゆすぶった。
「た、大変な報告じゃないか。あの緑色がかったねじの頭のようなものは、一種の金属材料でできているが、あのような金属は、これまで世界のどこでも発見されなかったものである。――ということが書いてあるね」
「そうなんだ。つまり、今日わが地球上において知られている元素は九十二種あるが、あの緑色がかったねじの頭のようなものは、その九十二種以外の数種の元素を含んでいるという証明なんだ。それが如何なる物質であるかは、今後の研究に待たなければならないが、とにかくこういうことだけはわかったと思う。すなわち、あれは地球以外の場所から運ばれて来たものらしいということだ」
「そうなるわけだね」児玉法学士はうなずいた。
「だから、あれは例の怪物の落していったものだということもわかるし、それからまた同時に、あの怪物が、地球の外から来た者だということもいえるのだ。そうじゃないか」
帆村はいつになく、はっきりと断定した。
「そうだ、そうだ。たしかにそうなる」
児玉はもうこれ以上椅子の上に落着いて坐っていられないという様子で、椅子から腰をあげて帆村の前に立った。
「ねえ帆村君。あの怪物は地球外から来た者だ。これは今や間違いないね。ところで僕は、あの怪物が岩の上で消えてなくなるところを見たんだ。このことは未だに信用してくれる人が少い。しかし決して僕の目も気も狂っていなかった。あれは本当だ。真実だ」
「僕は、君が本当のことをいっていると信じているよ。しかも始めから信じている」
「ありがとう。僕は君にお礼をいう」
と、児玉は帆村の手を握って強くふった。
「そこでじゃ、大問題が残っている。あの怪物は、姿を消した。しかし全然居なくなったのではない。どこかに居るのだ。僕たちの目には見えないが、あの怪物はたしかに居るのだ。君は、僕のいうことを否定するかね」
「いやいや。君のいうとおりだ」
「そうか。うれしい。とすると、油断ならないわけだ。あの怪物は、あんがい僕たちの傍に立って、にやにや笑いながらこっちを見ているかもしれん。あの怪物は、やろうと思えば、僕たちの首を切りおとすこともできるのだ、全然僕たちの知らないうちに。これはどうして防いだらいいだろうか。ねえ帆村君」
児玉は、今や恐怖の色を隠そうとはしない。
「大丈夫だよ、児玉君。すぐどうこうということはないと思う。しかし君が今いったとおり、あの見えない怪物を、なんとかしてわれわれの目で見られるように、至急工夫しなければならんと思う」
「ああ、そういう機械は、ぜひ必要だね。それができれば、白根村にあらわれた、見えない壁の事件も解けるわけだ」
「なるほど、君はえらい」
「なぜ」
「なぜでも、例の怪物事件と白根村事件とが、同じ関係のものだということを、君はちゃんと心得ているからだ。そういう考え方でもって、この事件を解いていかないと、本当のことは決してわからないのだ」
帆村は児玉の考えをほめた。そしてこの児玉となら、何を話しても論じてもいいぞと思ったのであった。
こうして二人の間だけではあったが、二つの怪事件についてかなり解決は前進したのであった。だが大局から見ると、それはまだほんのわずかな一部分がわかったにすぎなかった。それはちょうど盲人が、体の大きな象の尻尾だけに触れたくらいのものだった。象の巨体に触れるためには、まだまだ勉強もしなければならず、新しい機会をつかむことも必要であった。
ところが、帆村の望んでいた新しい機会が、それから四五日たった後に、急に向こうからやって来たのである。
それはある夜ふけて帆村の家へ、電話がかかって来たのである。電話口へ出てみると、相手は意外にも山岸中尉であった。
「どうしたのですか、今頃……」
と、帆村が聞くと、中尉はいつもとは違った硬い様子で、
「ご迷惑でしょうが、すぐあなたお一人で、隊へ来ていただきたいのです。こっちに重大事件が起ったのです。電話ですから、詳しくお話しできませんが、あなたも知っておられる竜造寺兵曹長が、成層圏飛行中に行方不明となってしまったのです。しかも非常にふしぎな文句の無電を私のところへ送って来て、その直後に連絡がぱったり切れてしまったのです。それについてぜひともあなたのお力を拝借したい。どうかすぐ隊へ来て下さい。なおこの事件は絶対に秘密ですから、ご承知置き下さい。私は寝ないであなたを待っています」
受話器を掛けると、帆村はこういう時の仕事をするために用意しておいた鞄を、壁から外して肩にかけると、急ぎ家をとび出した。
いったい、竜造寺兵曹長はどうしたというのであろうか。山岸中尉の電話によると、普通の飛行事故ではないらしい。
どうしたのであろうか。暗闇の街路を向かって駆けて行く帆村の頭の中を、例の緑色の怪物の幻影が、電光のように閃いて消えた。 | 非常に突飛に思われる帆村の宇宙戦争の警告が、山岸中尉と竜造寺兵曹長の共鳴するところとなったのは帆村にとってどのようなものだったか。 | 非常に突飛に思われる帆村の宇宙戦争の警告が、山岸中尉と竜造寺兵曹長の共鳴するところとなったのは帆村にとって、たしかに気持のいいことだった。 |
JCRRAG_010715 | 国語 | ちょっと聞くと、非常に突飛に思われる帆村の宇宙戦争の警告が、山岸中尉と竜造寺兵曹長の共鳴するところとなったのは帆村にとって、たしかに気持のいいことだった。
それに児玉法学士も、あれ以来すっかり帆村と仲よしになり、調査隊の捜査のひまを見ては、鉱山の研究室へ帆村を訪ねることが多くなった。児玉は調査隊の七人組の助手の一人であるが、その中ではいちばん年が若いのであった。いや、他の六人がいずれも五十歳以上であるのに、児玉だけはまだ二十九歳であった。
「帆村君。何か新しい発見はなかったかね」
と、今日も児玉は、帆村をたずねて来た。
「おう、児玉君。さあこっちへはいりたまえ」と、帆村はすっかり親しみのある言葉づかいで、彼に一つの椅子をすすめた。
「例の緑色がかったねじの頭みたいなものね、君も見て知っているね」
「ああ、知っているよ。室戸博士に見せたあれだろう」
「そうだ、あれだ。あれを東京の大学で、僕の友人が分析したのだ。その報告が今日手紙で来たよ」
「報告が来たか。それは面白いなあ。で、どうだった」
児玉法学士の目が輝く。帆村は、机の上から一つの封筒をとりあげ、その中から報告用紙を抜き出して開いた。
「まあ、これを読んでみたまえ」
帆村は、にんまりと笑いながら、それを児玉に手渡した。児玉はそれを受取ると、大きくごくりと咽喉をならして、紙の上に書かれてある文字に目を走らせた。と、彼の顔が急に硬くなった。
「どうだ。わかるかね、児玉君」
帆村は煙草を握った指先で、自分の頤をかるくはじいている。
「ふうん……」児玉は大きな嘆声を一つついた。それからこんどは両肩をゆすぶった。
「た、大変な報告じゃないか。あの緑色がかったねじの頭のようなものは、一種の金属材料でできているが、あのような金属は、これまで世界のどこでも発見されなかったものである。――ということが書いてあるね」
「そうなんだ。つまり、今日わが地球上において知られている元素は九十二種あるが、あの緑色がかったねじの頭のようなものは、その九十二種以外の数種の元素を含んでいるという証明なんだ。それが如何なる物質であるかは、今後の研究に待たなければならないが、とにかくこういうことだけはわかったと思う。すなわち、あれは地球以外の場所から運ばれて来たものらしいということだ」
「そうなるわけだね」児玉法学士はうなずいた。
「だから、あれは例の怪物の落していったものだということもわかるし、それからまた同時に、あの怪物が、地球の外から来た者だということもいえるのだ。そうじゃないか」
帆村はいつになく、はっきりと断定した。
「そうだ、そうだ。たしかにそうなる」
児玉はもうこれ以上椅子の上に落着いて坐っていられないという様子で、椅子から腰をあげて帆村の前に立った。
「ねえ帆村君。あの怪物は地球外から来た者だ。これは今や間違いないね。ところで僕は、あの怪物が岩の上で消えてなくなるところを見たんだ。このことは未だに信用してくれる人が少い。しかし決して僕の目も気も狂っていなかった。あれは本当だ。真実だ」
「僕は、君が本当のことをいっていると信じているよ。しかも始めから信じている」
「ありがとう。僕は君にお礼をいう」
と、児玉は帆村の手を握って強くふった。
「そこでじゃ、大問題が残っている。あの怪物は、姿を消した。しかし全然居なくなったのではない。どこかに居るのだ。僕たちの目には見えないが、あの怪物はたしかに居るのだ。君は、僕のいうことを否定するかね」
「いやいや。君のいうとおりだ」
「そうか。うれしい。とすると、油断ならないわけだ。あの怪物は、あんがい僕たちの傍に立って、にやにや笑いながらこっちを見ているかもしれん。あの怪物は、やろうと思えば、僕たちの首を切りおとすこともできるのだ、全然僕たちの知らないうちに。これはどうして防いだらいいだろうか。ねえ帆村君」
児玉は、今や恐怖の色を隠そうとはしない。
「大丈夫だよ、児玉君。すぐどうこうということはないと思う。しかし君が今いったとおり、あの見えない怪物を、なんとかしてわれわれの目で見られるように、至急工夫しなければならんと思う」
「ああ、そういう機械は、ぜひ必要だね。それができれば、白根村にあらわれた、見えない壁の事件も解けるわけだ」
「なるほど、君はえらい」
「なぜ」
「なぜでも、例の怪物事件と白根村事件とが、同じ関係のものだということを、君はちゃんと心得ているからだ。そういう考え方でもって、この事件を解いていかないと、本当のことは決してわからないのだ」
帆村は児玉の考えをほめた。そしてこの児玉となら、何を話しても論じてもいいぞと思ったのであった。
こうして二人の間だけではあったが、二つの怪事件についてかなり解決は前進したのであった。だが大局から見ると、それはまだほんのわずかな一部分がわかったにすぎなかった。それはちょうど盲人が、体の大きな象の尻尾だけに触れたくらいのものだった。象の巨体に触れるためには、まだまだ勉強もしなければならず、新しい機会をつかむことも必要であった。
ところが、帆村の望んでいた新しい機会が、それから四五日たった後に、急に向こうからやって来たのである。
それはある夜ふけて帆村の家へ、電話がかかって来たのである。電話口へ出てみると、相手は意外にも山岸中尉であった。
「どうしたのですか、今頃……」
と、帆村が聞くと、中尉はいつもとは違った硬い様子で、
「ご迷惑でしょうが、すぐあなたお一人で、隊へ来ていただきたいのです。こっちに重大事件が起ったのです。電話ですから、詳しくお話しできませんが、あなたも知っておられる竜造寺兵曹長が、成層圏飛行中に行方不明となってしまったのです。しかも非常にふしぎな文句の無電を私のところへ送って来て、その直後に連絡がぱったり切れてしまったのです。それについてぜひともあなたのお力を拝借したい。どうかすぐ隊へ来て下さい。なおこの事件は絶対に秘密ですから、ご承知置き下さい。私は寝ないであなたを待っています」
受話器を掛けると、帆村はこういう時の仕事をするために用意しておいた鞄を、壁から外して肩にかけると、急ぎ家をとび出した。
いったい、竜造寺兵曹長はどうしたというのであろうか。山岸中尉の電話によると、普通の飛行事故ではないらしい。
どうしたのであろうか。暗闇の街路を向かって駆けて行く帆村の頭の中を、例の緑色の怪物の幻影が、電光のように閃いて消えた。 | 児玉は何歳か。 | 児玉だけはまだ二十九歳であった。 |
JCRRAG_010716 | 国語 | 帆村は自動車を操縦して、深夜の街道を全速力で走った。
航空隊についたときは、もう翌日の午前一時になっていた。門をくぐって、衛兵に来意をつげると、衛兵は山岸中尉から連絡されていると見え、すぐ案内してくれた。
「やあ、よく来てくれましたね」
山岸中尉は、いつもとはちがい、すこし青ざめた顔によろこびの色をうかべて、帆村を迎えた。中尉は、さっきから竜造寺兵曹長の行方不明事件で、心をいためていたらしい。
「いったいどうしたのですか」
「いや、まあ、部屋で話しましょう」
山岸中尉は廊下を先に立って案内し、隊付という名札のかかっている自室へ、帆村をみちびき入れた。
部屋の中は広くないが、寝台が一つ置いてあり、机が一つ、衣服箱が一つ、壁には軍刀がかかっていた。あとは椅子が三つ四つあるばかりで、すこぶる簡素で気持がよかった。
扉をたたく者があった。「おい」と、中尉が返事をすると、従兵がはいって来た。帆村にていねいに礼をしたうえで、机の上に菓子の袋と、土瓶と、湯呑茶碗とを置いた。
「もう用はない。寝てくれ」
中尉は従兵へ、やさしい瞳を送る。
従兵が出ていくと、この部屋には山岸中尉と帆村の二人きりとなった。
「いったいどうしたのですか」
と、帆村がもう一度同じことをいった。
「やあ、まったく困ってしまったんです。本日午前七時、竜造寺兵曹長は、成層圏機に乗ってここを出発しました。命令によると、兵曹長は高度二万五千メートルまで上昇することになっていました。なお余裕があれば三万メートルまでいってもよいことになっていました……」
成層圏のいちばん低いところは一万メートルである。それから上へ約四万五千メートル、つまり高さ五万五千メートルまでが成層圏とよばれるのだ。竜造寺兵曹長のめざしていったのはちょうどこの半分くらいの高さだった。
「飛行の間、地上とは定時連絡をしていました。私は地上の指揮をしていましたから、兵曹長からの無電はみんな聞いていました。午前十一時に、ついに二万五千メートルに達し、それから三万メートルをめざして、再び上昇をしていったのですが、飛行機の調子は非常によいといって喜んでいました。ところが、午前十一時四十分になって、とつぜん兵曹長との無電連絡がとまってしまいました」
山岸中尉の眉がぴくぴくとうごく。
「地上からいくら呼出しても、上では兵曹長が出てこないのです。上からの電波もまったく出ていません。無電に故障を生じたのかなと思いました」
「なるほど」
「ところが、それから十五分ほどたった午前十一時五十五分になって、こんどはとつぜん兵曹長からの無電です。それが非常に急いでいるようでして、こっちからの応答信号を受けようともせず、いきなり本文をうってきたのです。その文句がこれですが、まあ読んでみてください」
話を聞いているうちに、ぞくぞく身のけがよだつような気持になってきた帆村は、中尉から渡された受信紙の上に目をおとすと、それは鉛筆の走り書きで、片仮名がかいてあり、その横に漢字をあてて書きそえてあった。
“……高度二万八千メートルニ達セシトコロ、突然轟音トトモニハゲシキ震動ヲ受ケ、異状ニ突入セリ、噴射機関等ニマッタク異状ナキニモカカワラズ、速度計ハ零ヲ指シ、舵器マタキカズ、ソレニ続キ高度計ノ指針ハ急ニ自然ニ下リテ、ホトンド零ニ戻ル。気温ハ上昇シツツアリ、タダイマ外部ノ気圧計急ニ上昇ヲハジメ、早クモ五百五……”
五百五というところで、文句は切れていた。
帆村はふしぎそうな顔で、山岸中尉を見て、
「この続きはどうしたのですか」
「その続きはないのです。無電はそこで切れてしまったのです」
「ははあ、そうですか」
「どう感じました。ふしぎな報告文でしょう」
「ええ、まったくふしぎですね」
帆村は、竜造寺兵曹長の無電を、もう一度読みかえしてみた。それからまた一度、もう一度と、四五へん読みかえした。読めば読むほどふしぎだらけである。山岸中尉は、帆村が何か考えこんでいるのを見てとって、そのじゃまをしないように、心痛をしのんで黙っている。
「……速度計ハ零ヲ指シ、舵器マタキカズ、ソレニ続キ高度計ノ指針ハ急ニ自然ニ下リテ、ホトンド零ニ戻ル……まるで地上と同じような状態だなあ」
と、帆村はひとりごとをいい、また次を読みつづける。
「……気温ハ上昇シツツアリ、タダイマ外部ノ気圧……五百五、……気圧五百五十ミリ程度というと高度三千メートルに近い気圧だ。三万メートルに近い気圧なら、せいぜい十ミリというところだが、それが約五百五十ミリを指すとはまったく信じられない……」
帆村の目は、らんらんと輝き、まるで山岸中尉がそばにいるのに気がつかないように見えた。
| 帆村は自動車を操縦して、深夜の街道をどのように走ったか。 | 帆村は自動車を操縦して、深夜の街道を全速力で走った。 |
JCRRAG_010717 | 国語 | それからしばらくして、帆村はふっとわれにかえり、あたりを見廻した。山岸中尉の目とぶつかると、帆村はいった。
「兵曹長のこの最後の報告文は、おそらくこのまま信じない人もあるのでしょうね」
中尉はうなずいた。
「兵曹長はおかしいのだといっている者もあります。機体の故障が兵曹長にひどい恐怖をあたえたのだろうという者もあります。しかし私は竜造寺兵曹長を信頼している。そんなことで頭がどうかする兵曹長ではありません」
山岸中尉は、強い信念のほどを、はっきりしたことばでいった。
「この報告がまちがいないとすると、これはたいへんな事実を知らせてきているぞ」
帆村は頤をつまむ。
「それです。私があなたに来てもらったのは。あなたはこの報告文から、どんなことを導き出しますか」
山岸中尉は前にのりだしてきた。
「そうですね」
と、帆村は、これから言おうとすることのあまりの突飛さに、思わず大きく息をする。中尉は膝に手をおいて、帆村の唇を注視する。
「山岸さん。あなたは私の説に賛成せられるかどうかわかりませんが、この電文がまちがいないものとして、私が考えることは、竜造寺兵曹長の遭難した三万メートル近い高空において、この地上とほとんどかわりのない空間があるということです。これはまるでおかしなことばのようですがね」
帆村はふたたび深い息をついた。
山岸中尉は、帆村の突飛な観察に、笑いだしもせず、大きくうなずいて、
「そういうことになりますね」
「山岸さん、私のことばが信じられますか」
「信じますとも。私が竜造寺兵曹長を信じているのと同じです」
それを聞くと、帆村は始めてにんまりと笑って、
「信じてくださればいいが、三万メートルの高空に、地上と同じ空間があるなどという話は誰が聞いてもおかしいからね」
「もう考えられることはありませんか」
「そうですね。もう一つあります。竜造寺兵曹長は、そのふしぎな魔の空間にすべりこんで、脱出ができないのだと思います。しかし一命にはさしつかえはないと思う。なにしろそこは地上とあまり変らない気圧気温のところであり、そして着陸場までちゃんとあるのですからね」
「着陸場ですって」
山岸中尉はおどろいて、聞き直した。
「おや、あなたはまだそこまで考えておられなかったのですか。兵曹長機の高度計が零を指すようになったというのは、そこに一種の着陸場があることなのです」
「なるほど。では前進もしないし、舵もきかないとはどういうのです」
「それはその魔の空間に突入したので、前進しなくなったのですよ。もちろん舵をひねっても、どうにもきかないはずです」
「そうかなあ」
山岸中尉は、あまりに帆村の考えていることが突飛なので、すぐにはついていけなかった。しばらく考えた上でないと、帆村と同じ考えにおいつけない。
「しかし、このことを他へ話して、誰が信じてくれるでしょうか。三万メートルの高空に着陸場があるといえば、誰だって笑いだすでしょう」
「笑いたい者には笑わしておきなさい。これは勇猛なる竜造寺兵曹長が、一命をかけて知らせてよこした重大報告なのです。その報告から考えだしたことを信じない者は、竜造寺兵曹長の忠誠を信じない大馬鹿者ですよ」
帆村はついに顔を赤くそめて、きついことばをはいた。これには山岸中尉も、だまるより仕方がなかった。竜造寺兵曹長の忠誠については、誰よりもそれを信じる中尉だった。しかしその報告から、帆村が引出した結論には、やはり半信半疑というところであったが、帆村から、こう叱りつけられると、すっかり参って、「よし、これからはもう疑いをはさまないぞ」と決心した。
その手始めに、山岸中尉は決然として、こういった。
「帆村さん。私は司令に願って、明日、竜造寺兵曹長を救い出すために成層圏飛行をします」
「明日、あなたがですか」
「そうです。何かよくないことがありますか」
「まあ、それはおよしなさい」
「よせというのですか。なぜ……」
「行くなら、十分の用意をしてからのことです。三万メートルの高空において、優勢な敵と戦って、かならず勝つ準備が必要ですぞ」
「優勢な敵というと……。すると帆村さんは、やっぱり例の緑色の怪物のことを考えにいれているのですか」
山岸中尉は、ようやく気がついたというふうであった。
「もちろんそうです。あの怪物のことを考えずして、どうして三万メートルの高空に着陸場を持つ、魔の空間が考えられましょうか。あの怪物のことを初めに知っていなかったら、私だってちょっと信じる気になれませんよ。宇宙戦争です。もうそれは始っているのです」
帆村は宇宙戦争について、ゆるぎない信念を持っていたのだ。
「なるほどなあ」
あの怪物と魔の空間とが関係があると考えると、高空三万メートルに着陸場があるということが、今までよりもずっと有りそうに思われてくる。
「山岸さん。急いで宇宙戦研究班をおつくりなさい。そして十分の準備をしてから、魔の空間を襲撃するのです。ただし研究班をつくるには、そうとうに大仕掛のものでなくては役に立ちませんよ」
帆村は、いつになくおしつけるような口調で、このことを山岸中尉にいったのである。
| それからしばらくして、帆村はどのようにあたりを見廻したか。 | それからしばらくして、帆村はふっとわれにかえり、あたりを見廻した。 |
JCRRAG_010718 | 国語 | それからしばらくして、帆村はふっとわれにかえり、あたりを見廻した。山岸中尉の目とぶつかると、帆村はいった。
「兵曹長のこの最後の報告文は、おそらくこのまま信じない人もあるのでしょうね」
中尉はうなずいた。
「兵曹長はおかしいのだといっている者もあります。機体の故障が兵曹長にひどい恐怖をあたえたのだろうという者もあります。しかし私は竜造寺兵曹長を信頼している。そんなことで頭がどうかする兵曹長ではありません」
山岸中尉は、強い信念のほどを、はっきりしたことばでいった。
「この報告がまちがいないとすると、これはたいへんな事実を知らせてきているぞ」
帆村は頤をつまむ。
「それです。私があなたに来てもらったのは。あなたはこの報告文から、どんなことを導き出しますか」
山岸中尉は前にのりだしてきた。
「そうですね」
と、帆村は、これから言おうとすることのあまりの突飛さに、思わず大きく息をする。中尉は膝に手をおいて、帆村の唇を注視する。
「山岸さん。あなたは私の説に賛成せられるかどうかわかりませんが、この電文がまちがいないものとして、私が考えることは、竜造寺兵曹長の遭難した三万メートル近い高空において、この地上とほとんどかわりのない空間があるということです。これはまるでおかしなことばのようですがね」
帆村はふたたび深い息をついた。
山岸中尉は、帆村の突飛な観察に、笑いだしもせず、大きくうなずいて、
「そういうことになりますね」
「山岸さん、私のことばが信じられますか」
「信じますとも。私が竜造寺兵曹長を信じているのと同じです」
それを聞くと、帆村は始めてにんまりと笑って、
「信じてくださればいいが、三万メートルの高空に、地上と同じ空間があるなどという話は誰が聞いてもおかしいからね」
「もう考えられることはありませんか」
「そうですね。もう一つあります。竜造寺兵曹長は、そのふしぎな魔の空間にすべりこんで、脱出ができないのだと思います。しかし一命にはさしつかえはないと思う。なにしろそこは地上とあまり変らない気圧気温のところであり、そして着陸場までちゃんとあるのですからね」
「着陸場ですって」
山岸中尉はおどろいて、聞き直した。
「おや、あなたはまだそこまで考えておられなかったのですか。兵曹長機の高度計が零を指すようになったというのは、そこに一種の着陸場があることなのです」
「なるほど。では前進もしないし、舵もきかないとはどういうのです」
「それはその魔の空間に突入したので、前進しなくなったのですよ。もちろん舵をひねっても、どうにもきかないはずです」
「そうかなあ」
山岸中尉は、あまりに帆村の考えていることが突飛なので、すぐにはついていけなかった。しばらく考えた上でないと、帆村と同じ考えにおいつけない。
「しかし、このことを他へ話して、誰が信じてくれるでしょうか。三万メートルの高空に着陸場があるといえば、誰だって笑いだすでしょう」
「笑いたい者には笑わしておきなさい。これは勇猛なる竜造寺兵曹長が、一命をかけて知らせてよこした重大報告なのです。その報告から考えだしたことを信じない者は、竜造寺兵曹長の忠誠を信じない大馬鹿者ですよ」
帆村はついに顔を赤くそめて、きついことばをはいた。これには山岸中尉も、だまるより仕方がなかった。竜造寺兵曹長の忠誠については、誰よりもそれを信じる中尉だった。しかしその報告から、帆村が引出した結論には、やはり半信半疑というところであったが、帆村から、こう叱りつけられると、すっかり参って、「よし、これからはもう疑いをはさまないぞ」と決心した。
その手始めに、山岸中尉は決然として、こういった。
「帆村さん。私は司令に願って、明日、竜造寺兵曹長を救い出すために成層圏飛行をします」
「明日、あなたがですか」
「そうです。何かよくないことがありますか」
「まあ、それはおよしなさい」
「よせというのですか。なぜ……」
「行くなら、十分の用意をしてからのことです。三万メートルの高空において、優勢な敵と戦って、かならず勝つ準備が必要ですぞ」
「優勢な敵というと……。すると帆村さんは、やっぱり例の緑色の怪物のことを考えにいれているのですか」
山岸中尉は、ようやく気がついたというふうであった。
「もちろんそうです。あの怪物のことを考えずして、どうして三万メートルの高空に着陸場を持つ、魔の空間が考えられましょうか。あの怪物のことを初めに知っていなかったら、私だってちょっと信じる気になれませんよ。宇宙戦争です。もうそれは始っているのです」
帆村は宇宙戦争について、ゆるぎない信念を持っていたのだ。
「なるほどなあ」
あの怪物と魔の空間とが関係があると考えると、高空三万メートルに着陸場があるということが、今までよりもずっと有りそうに思われてくる。
「山岸さん。急いで宇宙戦研究班をおつくりなさい。そして十分の準備をしてから、魔の空間を襲撃するのです。ただし研究班をつくるには、そうとうに大仕掛のものでなくては役に立ちませんよ」
帆村は、いつになくおしつけるような口調で、このことを山岸中尉にいったのである。
| 中尉はどこに手をおきながら帆村の唇を注視したか。 | 中尉は膝に手をおいて、帆村の唇を注視する。 |
JCRRAG_010719 | 国語 | それからしばらくして、帆村はふっとわれにかえり、あたりを見廻した。山岸中尉の目とぶつかると、帆村はいった。
「兵曹長のこの最後の報告文は、おそらくこのまま信じない人もあるのでしょうね」
中尉はうなずいた。
「兵曹長はおかしいのだといっている者もあります。機体の故障が兵曹長にひどい恐怖をあたえたのだろうという者もあります。しかし私は竜造寺兵曹長を信頼している。そんなことで頭がどうかする兵曹長ではありません」
山岸中尉は、強い信念のほどを、はっきりしたことばでいった。
「この報告がまちがいないとすると、これはたいへんな事実を知らせてきているぞ」
帆村は頤をつまむ。
「それです。私があなたに来てもらったのは。あなたはこの報告文から、どんなことを導き出しますか」
山岸中尉は前にのりだしてきた。
「そうですね」
と、帆村は、これから言おうとすることのあまりの突飛さに、思わず大きく息をする。中尉は膝に手をおいて、帆村の唇を注視する。
「山岸さん。あなたは私の説に賛成せられるかどうかわかりませんが、この電文がまちがいないものとして、私が考えることは、竜造寺兵曹長の遭難した三万メートル近い高空において、この地上とほとんどかわりのない空間があるということです。これはまるでおかしなことばのようですがね」
帆村はふたたび深い息をついた。
山岸中尉は、帆村の突飛な観察に、笑いだしもせず、大きくうなずいて、
「そういうことになりますね」
「山岸さん、私のことばが信じられますか」
「信じますとも。私が竜造寺兵曹長を信じているのと同じです」
それを聞くと、帆村は始めてにんまりと笑って、
「信じてくださればいいが、三万メートルの高空に、地上と同じ空間があるなどという話は誰が聞いてもおかしいからね」
「もう考えられることはありませんか」
「そうですね。もう一つあります。竜造寺兵曹長は、そのふしぎな魔の空間にすべりこんで、脱出ができないのだと思います。しかし一命にはさしつかえはないと思う。なにしろそこは地上とあまり変らない気圧気温のところであり、そして着陸場までちゃんとあるのですからね」
「着陸場ですって」
山岸中尉はおどろいて、聞き直した。
「おや、あなたはまだそこまで考えておられなかったのですか。兵曹長機の高度計が零を指すようになったというのは、そこに一種の着陸場があることなのです」
「なるほど。では前進もしないし、舵もきかないとはどういうのです」
「それはその魔の空間に突入したので、前進しなくなったのですよ。もちろん舵をひねっても、どうにもきかないはずです」
「そうかなあ」
山岸中尉は、あまりに帆村の考えていることが突飛なので、すぐにはついていけなかった。しばらく考えた上でないと、帆村と同じ考えにおいつけない。
「しかし、このことを他へ話して、誰が信じてくれるでしょうか。三万メートルの高空に着陸場があるといえば、誰だって笑いだすでしょう」
「笑いたい者には笑わしておきなさい。これは勇猛なる竜造寺兵曹長が、一命をかけて知らせてよこした重大報告なのです。その報告から考えだしたことを信じない者は、竜造寺兵曹長の忠誠を信じない大馬鹿者ですよ」
帆村はついに顔を赤くそめて、きついことばをはいた。これには山岸中尉も、だまるより仕方がなかった。竜造寺兵曹長の忠誠については、誰よりもそれを信じる中尉だった。しかしその報告から、帆村が引出した結論には、やはり半信半疑というところであったが、帆村から、こう叱りつけられると、すっかり参って、「よし、これからはもう疑いをはさまないぞ」と決心した。
その手始めに、山岸中尉は決然として、こういった。
「帆村さん。私は司令に願って、明日、竜造寺兵曹長を救い出すために成層圏飛行をします」
「明日、あなたがですか」
「そうです。何かよくないことがありますか」
「まあ、それはおよしなさい」
「よせというのですか。なぜ……」
「行くなら、十分の用意をしてからのことです。三万メートルの高空において、優勢な敵と戦って、かならず勝つ準備が必要ですぞ」
「優勢な敵というと……。すると帆村さんは、やっぱり例の緑色の怪物のことを考えにいれているのですか」
山岸中尉は、ようやく気がついたというふうであった。
「もちろんそうです。あの怪物のことを考えずして、どうして三万メートルの高空に着陸場を持つ、魔の空間が考えられましょうか。あの怪物のことを初めに知っていなかったら、私だってちょっと信じる気になれませんよ。宇宙戦争です。もうそれは始っているのです」
帆村は宇宙戦争について、ゆるぎない信念を持っていたのだ。
「なるほどなあ」
あの怪物と魔の空間とが関係があると考えると、高空三万メートルに着陸場があるということが、今までよりもずっと有りそうに思われてくる。
「山岸さん。急いで宇宙戦研究班をおつくりなさい。そして十分の準備をしてから、魔の空間を襲撃するのです。ただし研究班をつくるには、そうとうに大仕掛のものでなくては役に立ちませんよ」
帆村は、いつになくおしつけるような口調で、このことを山岸中尉にいったのである。
| 山岸中尉は、なぜ帆村についていけなかったか。 | 山岸中尉は、あまりに帆村の考えていることが突飛なので、すぐにはついていけなかった。 |
JCRRAG_010720 | 国語 | 山岸中尉は、その夜を帆村と語りあかしてつよい信念を得たようであった。
すぐにも彼は、竜造寺兵曹長を救いだしに行きたかったけれども、帆村が、「兵曹長の一命はとうぶん大丈夫ですよ」というので、やっぱり十分に準備をしてからでかけることにした。
山岸中尉は、翌日司令にいっさいをぶちまけて、宇宙戦研究班の編成方をねがった。
司令は驚かれた。しかし司令は、がんらい頭の明晰な人であったので、山岸中尉の話の中におごそかな事実のあるのを見てとり、中尉の願いをききいれた。司令は、上の人と相談を重ね、その結果、早くも翌々日には、臨時宇宙戦研究班というものが、この航空隊の中にできた。そして班長には、有名なる戦闘機乗りの大勇士である左倉少佐が就任した。
班には班長以外に、四名の士官がつとめることになった。もちろん山岸中尉もそのひとりであった。
またその外に、班員として若干名が採用されることとなり、帆村荘六もこれに加わった。それから意外にも、熱血児の児玉法学士も志願して、その一員にしてもらった。
下士官が十名、兵員が八十名。
山岸中尉の弟の山岸少年と、その友達の川上少年の二人が、これも志願して班員となった。二人とも電信が打てるので、通信を担当することとなった。
この研究班の設立は、各方面へいろいろの反響を起した。
国内では、これを待っていましたとばかりに歓迎する者もあったが、多くはこの奇妙な部門が、なんのことだかわからず、けんとうちがいのことをのべる者が少くなかった。
一部にはつよい反対意見もあった。まだ敵アメリカを屈服させておらず、今もなおときどきアメリカ空軍が内地爆撃をやる有様である。そういう折から対アメリカ戦の結末をつけずに、宇宙戦の準備にかかるとは何事だというのであった。
しかしわが大日本帝国が世界の安全をあずかる重大使命を有するかぎり、すすんで宇宙戦の準備をしなければならぬ責任がある。だからこの研究班の編成は、時局がらたいへん必要なものである。そういう正しい意見がだんだん国内に強くなっていった。
国外では、この研究班の編成が、国内よりもずっと強くひびいたようである。各国は争って新聞にそのことを報道し、ラジオによって解説をこころみた。そして日本なればこそ、この困難なことをやりぬくであろうと信頼をよせた。
盟邦諸国は、それぞれ全面的に、そのことについて日本に力をあわせ、迫り来ったわれらの大危難を退けたいものだと、たいへん、もののわかったことをのべた。
こうして臨時宇宙戦研究班の編成は、たちまち世界中に大きな波紋をなげたのであった。
その間にも、山岸中尉と帆村荘六とは、この研究班を最初にいいだした関係から、非常にいそがしい毎日を送った。
はじめの一週間は、夢のように過ぎた。しかしその間に研究班の形はできた。それにつづいて次の一週間、二人はあっちこっちと走りまわった。その結果、二人は宇宙偵察隊をつくることに成功した。
宇宙偵察隊だ。
五台の噴射艇が揃った。これに乗って成層圏へ飛びあがり、場合によってはさらに高空へ飛び、偵察をやろうというのであった。
そしてこの偵察隊がまっ先にやらねばならぬことは、行方不明の竜造寺兵曹長の安否をしらべることだった。
班長左倉少佐が、ある日、明かるい顔をしてもどってきた。それをまっ先に見つけたのは山岸中尉だった。
「班長。いいお土産をお持ち下さったようですね」
「おう」
少佐はにっこり笑って、帽子と短剣を壁にかけながら、明かるい返事をした。
「まあそこへ掛けろ。いや、望月大尉も呼んできてくれ。帆村君に児玉君もな」
望月大尉は、やはりこの班員で、先任将校であった。これも戦闘機乗りの勇士で、左の頬に弾丸のあとがついている。
山岸中尉は、さっそくその三人を呼んで来た。一同は、それと感づいて、みんな、にこにこしている。
班長は集って来た一同をずらりと見渡し、
「みんなに報告する。噴射艇二隻で、成層圏偵察の許可が下りたぞ」
それを聞くと、一同の顔はぱっと輝く。
「彗星一号艇には、望月大尉と児玉班員と、川上少年電信兵が乗組む。二号艇には山岸中尉と、帆村班員と、山岸少年電信兵とが乗組む。目的はもちろん竜造寺機の調査にある。指揮は望月大尉がとる」
班員は唇を深く噛む。
「出発は明後日の〇五〇〇だ。すぐ用意にかかれ」この報告と内命に、一同は躍りあがらんばかりによろこんだ。
ついに研究班の活動が始ったのだ。彗星一号艇と二号艇とに乗って、怪しい空間にとびこむのだ。彗星号という噴射艇は、これまで秘密にせられていた成層圏飛行機――というよりも、成層圏以上の高空にまでとび出せる噴射艇であって、むしろ宇宙艇といった方がよいかもしれない、これは偵察に便利なように作られてあったが、また同時に戦闘もできる。その外、万一の場合も考えて、特殊な離脱装置も考えてある、なかなかすぐれたロケット機だ。
彗星号の形は、胴の両側に翼があり、その翼にはそれぞれ大きな噴射筒がついている。低空飛行の場合はこの形で飛ぶが、高度があがってくると、両翼は噴射筒とともにぐっと胴体の方によってきて、ちょうど爆弾のような形になるのであった。形を見ただけで、この彗星号がどんなにすごい性能をもった噴射艇であるかが察しられる。
出発は明後日の午前五時。
あと一日とちょっとしか時間がない。研究班は総員でその準備にとりかかった。噴射艇の出発地点というのが、○○航空隊のある村から、山道を五里ほどはいったところで、鬼影山と、青葉嶽との間にある、忍谷という山峡であった。
| 山岸中尉は、その夜を帆村と語りあかしてなにを得たか。 | 山岸中尉は、その夜を帆村と語りあかしてつよい信念を得たようであった。 |
JCRRAG_010721 | 国語 | 山岸中尉は、その夜を帆村と語りあかしてつよい信念を得たようであった。
すぐにも彼は、竜造寺兵曹長を救いだしに行きたかったけれども、帆村が、「兵曹長の一命はとうぶん大丈夫ですよ」というので、やっぱり十分に準備をしてからでかけることにした。
山岸中尉は、翌日司令にいっさいをぶちまけて、宇宙戦研究班の編成方をねがった。
司令は驚かれた。しかし司令は、がんらい頭の明晰な人であったので、山岸中尉の話の中におごそかな事実のあるのを見てとり、中尉の願いをききいれた。司令は、上の人と相談を重ね、その結果、早くも翌々日には、臨時宇宙戦研究班というものが、この航空隊の中にできた。そして班長には、有名なる戦闘機乗りの大勇士である左倉少佐が就任した。
班には班長以外に、四名の士官がつとめることになった。もちろん山岸中尉もそのひとりであった。
またその外に、班員として若干名が採用されることとなり、帆村荘六もこれに加わった。それから意外にも、熱血児の児玉法学士も志願して、その一員にしてもらった。
下士官が十名、兵員が八十名。
山岸中尉の弟の山岸少年と、その友達の川上少年の二人が、これも志願して班員となった。二人とも電信が打てるので、通信を担当することとなった。
この研究班の設立は、各方面へいろいろの反響を起した。
国内では、これを待っていましたとばかりに歓迎する者もあったが、多くはこの奇妙な部門が、なんのことだかわからず、けんとうちがいのことをのべる者が少くなかった。
一部にはつよい反対意見もあった。まだ敵アメリカを屈服させておらず、今もなおときどきアメリカ空軍が内地爆撃をやる有様である。そういう折から対アメリカ戦の結末をつけずに、宇宙戦の準備にかかるとは何事だというのであった。
しかしわが大日本帝国が世界の安全をあずかる重大使命を有するかぎり、すすんで宇宙戦の準備をしなければならぬ責任がある。だからこの研究班の編成は、時局がらたいへん必要なものである。そういう正しい意見がだんだん国内に強くなっていった。
国外では、この研究班の編成が、国内よりもずっと強くひびいたようである。各国は争って新聞にそのことを報道し、ラジオによって解説をこころみた。そして日本なればこそ、この困難なことをやりぬくであろうと信頼をよせた。
盟邦諸国は、それぞれ全面的に、そのことについて日本に力をあわせ、迫り来ったわれらの大危難を退けたいものだと、たいへん、もののわかったことをのべた。
こうして臨時宇宙戦研究班の編成は、たちまち世界中に大きな波紋をなげたのであった。
その間にも、山岸中尉と帆村荘六とは、この研究班を最初にいいだした関係から、非常にいそがしい毎日を送った。
はじめの一週間は、夢のように過ぎた。しかしその間に研究班の形はできた。それにつづいて次の一週間、二人はあっちこっちと走りまわった。その結果、二人は宇宙偵察隊をつくることに成功した。
宇宙偵察隊だ。
五台の噴射艇が揃った。これに乗って成層圏へ飛びあがり、場合によってはさらに高空へ飛び、偵察をやろうというのであった。
そしてこの偵察隊がまっ先にやらねばならぬことは、行方不明の竜造寺兵曹長の安否をしらべることだった。
班長左倉少佐が、ある日、明かるい顔をしてもどってきた。それをまっ先に見つけたのは山岸中尉だった。
「班長。いいお土産をお持ち下さったようですね」
「おう」
少佐はにっこり笑って、帽子と短剣を壁にかけながら、明かるい返事をした。
「まあそこへ掛けろ。いや、望月大尉も呼んできてくれ。帆村君に児玉君もな」
望月大尉は、やはりこの班員で、先任将校であった。これも戦闘機乗りの勇士で、左の頬に弾丸のあとがついている。
山岸中尉は、さっそくその三人を呼んで来た。一同は、それと感づいて、みんな、にこにこしている。
班長は集って来た一同をずらりと見渡し、
「みんなに報告する。噴射艇二隻で、成層圏偵察の許可が下りたぞ」
それを聞くと、一同の顔はぱっと輝く。
「彗星一号艇には、望月大尉と児玉班員と、川上少年電信兵が乗組む。二号艇には山岸中尉と、帆村班員と、山岸少年電信兵とが乗組む。目的はもちろん竜造寺機の調査にある。指揮は望月大尉がとる」
班員は唇を深く噛む。
「出発は明後日の〇五〇〇だ。すぐ用意にかかれ」この報告と内命に、一同は躍りあがらんばかりによろこんだ。
ついに研究班の活動が始ったのだ。彗星一号艇と二号艇とに乗って、怪しい空間にとびこむのだ。彗星号という噴射艇は、これまで秘密にせられていた成層圏飛行機――というよりも、成層圏以上の高空にまでとび出せる噴射艇であって、むしろ宇宙艇といった方がよいかもしれない、これは偵察に便利なように作られてあったが、また同時に戦闘もできる。その外、万一の場合も考えて、特殊な離脱装置も考えてある、なかなかすぐれたロケット機だ。
彗星号の形は、胴の両側に翼があり、その翼にはそれぞれ大きな噴射筒がついている。低空飛行の場合はこの形で飛ぶが、高度があがってくると、両翼は噴射筒とともにぐっと胴体の方によってきて、ちょうど爆弾のような形になるのであった。形を見ただけで、この彗星号がどんなにすごい性能をもった噴射艇であるかが察しられる。
出発は明後日の午前五時。
あと一日とちょっとしか時間がない。研究班は総員でその準備にとりかかった。噴射艇の出発地点というのが、○○航空隊のある村から、山道を五里ほどはいったところで、鬼影山と、青葉嶽との間にある、忍谷という山峡であった。
| 山岸中尉は、翌日司令にいっさいをぶちまけて、なにをねがったか。 | 山岸中尉は、翌日司令にいっさいをぶちまけて、宇宙戦研究班の編成方をねがった。 |
JCRRAG_010722 | 国語 | 山岸中尉は、その夜を帆村と語りあかしてつよい信念を得たようであった。
すぐにも彼は、竜造寺兵曹長を救いだしに行きたかったけれども、帆村が、「兵曹長の一命はとうぶん大丈夫ですよ」というので、やっぱり十分に準備をしてからでかけることにした。
山岸中尉は、翌日司令にいっさいをぶちまけて、宇宙戦研究班の編成方をねがった。
司令は驚かれた。しかし司令は、がんらい頭の明晰な人であったので、山岸中尉の話の中におごそかな事実のあるのを見てとり、中尉の願いをききいれた。司令は、上の人と相談を重ね、その結果、早くも翌々日には、臨時宇宙戦研究班というものが、この航空隊の中にできた。そして班長には、有名なる戦闘機乗りの大勇士である左倉少佐が就任した。
班には班長以外に、四名の士官がつとめることになった。もちろん山岸中尉もそのひとりであった。
またその外に、班員として若干名が採用されることとなり、帆村荘六もこれに加わった。それから意外にも、熱血児の児玉法学士も志願して、その一員にしてもらった。
下士官が十名、兵員が八十名。
山岸中尉の弟の山岸少年と、その友達の川上少年の二人が、これも志願して班員となった。二人とも電信が打てるので、通信を担当することとなった。
この研究班の設立は、各方面へいろいろの反響を起した。
国内では、これを待っていましたとばかりに歓迎する者もあったが、多くはこの奇妙な部門が、なんのことだかわからず、けんとうちがいのことをのべる者が少くなかった。
一部にはつよい反対意見もあった。まだ敵アメリカを屈服させておらず、今もなおときどきアメリカ空軍が内地爆撃をやる有様である。そういう折から対アメリカ戦の結末をつけずに、宇宙戦の準備にかかるとは何事だというのであった。
しかしわが大日本帝国が世界の安全をあずかる重大使命を有するかぎり、すすんで宇宙戦の準備をしなければならぬ責任がある。だからこの研究班の編成は、時局がらたいへん必要なものである。そういう正しい意見がだんだん国内に強くなっていった。
国外では、この研究班の編成が、国内よりもずっと強くひびいたようである。各国は争って新聞にそのことを報道し、ラジオによって解説をこころみた。そして日本なればこそ、この困難なことをやりぬくであろうと信頼をよせた。
盟邦諸国は、それぞれ全面的に、そのことについて日本に力をあわせ、迫り来ったわれらの大危難を退けたいものだと、たいへん、もののわかったことをのべた。
こうして臨時宇宙戦研究班の編成は、たちまち世界中に大きな波紋をなげたのであった。
その間にも、山岸中尉と帆村荘六とは、この研究班を最初にいいだした関係から、非常にいそがしい毎日を送った。
はじめの一週間は、夢のように過ぎた。しかしその間に研究班の形はできた。それにつづいて次の一週間、二人はあっちこっちと走りまわった。その結果、二人は宇宙偵察隊をつくることに成功した。
宇宙偵察隊だ。
五台の噴射艇が揃った。これに乗って成層圏へ飛びあがり、場合によってはさらに高空へ飛び、偵察をやろうというのであった。
そしてこの偵察隊がまっ先にやらねばならぬことは、行方不明の竜造寺兵曹長の安否をしらべることだった。
班長左倉少佐が、ある日、明かるい顔をしてもどってきた。それをまっ先に見つけたのは山岸中尉だった。
「班長。いいお土産をお持ち下さったようですね」
「おう」
少佐はにっこり笑って、帽子と短剣を壁にかけながら、明かるい返事をした。
「まあそこへ掛けろ。いや、望月大尉も呼んできてくれ。帆村君に児玉君もな」
望月大尉は、やはりこの班員で、先任将校であった。これも戦闘機乗りの勇士で、左の頬に弾丸のあとがついている。
山岸中尉は、さっそくその三人を呼んで来た。一同は、それと感づいて、みんな、にこにこしている。
班長は集って来た一同をずらりと見渡し、
「みんなに報告する。噴射艇二隻で、成層圏偵察の許可が下りたぞ」
それを聞くと、一同の顔はぱっと輝く。
「彗星一号艇には、望月大尉と児玉班員と、川上少年電信兵が乗組む。二号艇には山岸中尉と、帆村班員と、山岸少年電信兵とが乗組む。目的はもちろん竜造寺機の調査にある。指揮は望月大尉がとる」
班員は唇を深く噛む。
「出発は明後日の〇五〇〇だ。すぐ用意にかかれ」この報告と内命に、一同は躍りあがらんばかりによろこんだ。
ついに研究班の活動が始ったのだ。彗星一号艇と二号艇とに乗って、怪しい空間にとびこむのだ。彗星号という噴射艇は、これまで秘密にせられていた成層圏飛行機――というよりも、成層圏以上の高空にまでとび出せる噴射艇であって、むしろ宇宙艇といった方がよいかもしれない、これは偵察に便利なように作られてあったが、また同時に戦闘もできる。その外、万一の場合も考えて、特殊な離脱装置も考えてある、なかなかすぐれたロケット機だ。
彗星号の形は、胴の両側に翼があり、その翼にはそれぞれ大きな噴射筒がついている。低空飛行の場合はこの形で飛ぶが、高度があがってくると、両翼は噴射筒とともにぐっと胴体の方によってきて、ちょうど爆弾のような形になるのであった。形を見ただけで、この彗星号がどんなにすごい性能をもった噴射艇であるかが察しられる。
出発は明後日の午前五時。
あと一日とちょっとしか時間がない。研究班は総員でその準備にとりかかった。噴射艇の出発地点というのが、○○航空隊のある村から、山道を五里ほどはいったところで、鬼影山と、青葉嶽との間にある、忍谷という山峡であった。
| 班長左倉少佐が、ある日、明かるい顔をしてもどってきたのを、をまっ先に見つけたのは誰だったか。 | 班長左倉少佐が、ある日、明かるい顔をしてもどってきたのを、をまっ先に見つけたのは山岸中尉だった。 |
JCRRAG_010723 | 国語 | いよいよ宇宙偵察隊が出発する日が来た。その出発地点である忍谷では、夜あかしで準備がととのえられた。
噴射艇の彗星一号艇と二号艇とは、射出機の上にのり、もういつでも飛び出せるようになっていた。
この噴射艇は最新鋭のもので、特に宇宙飛行用に作ったものであるから、出発のときは、燃料や食糧をうんと積みこんでいるので、非常に重い。だからどうしても射出機を使わないと、うまいぐあいに出発ができないのだ。
その射出機も、ふつうのものでは力がたりないので、忍谷で用意したのは、電気砲の原理を使った射出機だった。これなら十分に初速も出るし、また電気でとびだすのだから、硝煙や噴射瓦斯のため地上の施設が損傷する心配もなかった。
高い鉄塔の上から照らしつける照明灯は、地上を昼間のように明かるくして、どこにも影がない。蛾の化物みたいな形の噴射艇の翼の下をくぐって、飛行服に身をかためた一人の男があらわれた。それは帆村荘六だった。帆村は腰をのばして、噴射艇をほれぼれと見上げる。
「じつに大したものだ。こんなすばらしい噴射艇が、完成していようとは思わなかった。これなら月世界くらいまでは平気で飛べるぞ」
と、ひどく感心のていで独言をいっている。そのとき同じような飛行服を着た別の男が、こっちへ走ってきた。そして後ろから帆村の肩をぽんとたたいた。
「おお、帆村君。もうすぐ出発だそうだぜ」
帆村がふりかえってみると、それは彗星一号に乗組む児玉法学士だった。
「やあ、児玉君」と、帆村は児玉の手をとり、しっかり握った。
「じつは僕は心配をしているんだ。宇宙への冒険飛行に、君のような法律家を引張り出して、さぞ君は迷惑しているのじゃないかと……」
「つまらんことをいうな」
と、児玉法学士は途中で帆村のことばをおさえた。
「僕は君の好意に、大いに感謝しているんだ。君の好意で臨時宇宙戦研究班へ引張りこまれた僕は、自分の生命を投げ出して一生けんめいになれる日本男児の仕事は、これだと気がついたのだ。見ていてくれたまえ。僕はこれから科学技術をどんどんおぼえていくよ。今に君をびっくりさせてやるから」
児玉法学士は元気のいい声で笑った。
「まあ、しっかり頼むよ。児玉君」
「うん、心配はいらん。今にして僕は気がついたんだが、日本人は、科学者や技術者にうってつけの国民性を持っていながら、今までどうしてその方面に熱心にならなかったのか、ふしぎで仕方がない。もっと早く日本人が科学技術の中にとびこんでいれば、こんどの世界戦争も、もっと早く勝利をつかめたんだがなあ」
「過ぎたことは、もう仕方がない。ひとつ勉強して、工学博士児玉法学士というようなところになって、僕を驚かしてくれたまえ」
「工学博士児玉法学士か。はははは、これはいい。よし、僕はきっとそれになってみせるぞ」
熱血漢の児玉法学士は、いよいよ顔を赤くして笑った。しかし、さすがの児玉法学士も、やがて彼が宇宙の怪物を相手に、法学士の実力を発揮して、たいへんな役をつとめようとは、神ならぬ身の知る由もなかった。帆村にしても、彼が児玉法学士を引張りこんだことが、一つの神助であったことに、まだ気がついていないのだった。それはいずれ後になってわかる。
東の空が、うっすらと白みそめた。と、刻々と明かるさがひろがっていって、高い鉄塔の上から照らしつけている照明灯の光が、だんだん明かるさを失っていった。とつぜん喇叭が鳴り響いた。総員整列だ。時計を見ると出発まで、あと三十分だ。
帆村たちは、地上指揮所の前に整列した。班長左倉少佐が前に立っている。一同敬礼を交す。それから班長から、本日の宇宙偵察隊出発について、力強い激励のことばがあった。
整備隊長から、彗星一号艇、二号艇の出発準備がまったく整ったことが、班長左倉少佐へ届けられる。
班長はうなずいて、これから出発する望月大尉以下六名をさしまねいて、宇宙図を指しながら、更にこまごました注意をあたえた。また一号艇長の望月大尉と、二号艇長の山岸中尉との間に打合せが行われ、両艇は、なるべく編隊で飛ぶこととし、もし何か大危難に遭遇したときは、一艇はかならず急いで地上へ戻ることとし、両艇とも散華するようなことはせぬ、そしてその場合、山岸艇が地上へ戻り、望月艇は奮戦を続けることにもきめられた。
午前五時。正確なその時間に、左倉少佐の号令一下、まず噴射艇彗星一号が、するどい音を発して、さっと空中にとびあがった。山頂の杉林の上を一とびに越えて、朝やけの空をぐんぐん上昇して行く。十秒後には、艇はもう噴射瓦斯を後へもうもうと、ふきだしていた。
無電報告が、彗星一号艇から来た。
「スベテ異状ナシ。総員士気旺盛ナリ」
かんたんな電文であるが、搭乗員も艇も、機関や機械類もすべて異状なしとあって、班長左倉少佐をはじめ地上員は大安心をした。
二十秒おいて、山岸中尉らの搭乗した彗星二号艇が出発した。これもうまくいって、みるみるうちに先発艇のうしろに追いついてしまった。北の鬼影山の頂の上空に、二つの艇は二組の尾をひきながら、すこしも狂わない調子で、ぐんぐん高度をあげていく。
異状なしとの無電報告が、二号艇からもやってきた。
左倉少佐は大満悦に見うけられる。双眼鏡から目を放すと、室内へはいって来て、
「おい、通信長。テレビジョンをのぞかせろ」
と、テレビジョンの受影幕をのぞきこんだ。壁間には昼間もはっきり見える九個の受影幕が、三個ずつ三列に並んでいた。その真中の受影幕には、彗星一号艇二号艇が、画面いっぱいにうつっていた。
「窓のところへちょいちょい出てくる、この顔は誰の顔か」
と、左倉少佐が幕面を指した。
「これですか。これは児玉班員であります」
「ああ、児玉か。彼はあいかわらず、じっとしていられない男だな。しかし成層圏へ上ったら、空気と圧力が稀薄になるから、児玉も自然猫のようにおとなしくなるだろう」 | 噴射艇はなぜ非常に重いのか。 | この噴射艇は最新鋭のもので、特に宇宙飛行用に作ったものであるから、出発のときは、燃料や食糧をうんと積みこんでいるので、非常に重い。 |
JCRRAG_010724 | 国語 | いよいよ宇宙偵察隊が出発する日が来た。その出発地点である忍谷では、夜あかしで準備がととのえられた。
噴射艇の彗星一号艇と二号艇とは、射出機の上にのり、もういつでも飛び出せるようになっていた。
この噴射艇は最新鋭のもので、特に宇宙飛行用に作ったものであるから、出発のときは、燃料や食糧をうんと積みこんでいるので、非常に重い。だからどうしても射出機を使わないと、うまいぐあいに出発ができないのだ。
その射出機も、ふつうのものでは力がたりないので、忍谷で用意したのは、電気砲の原理を使った射出機だった。これなら十分に初速も出るし、また電気でとびだすのだから、硝煙や噴射瓦斯のため地上の施設が損傷する心配もなかった。
高い鉄塔の上から照らしつける照明灯は、地上を昼間のように明かるくして、どこにも影がない。蛾の化物みたいな形の噴射艇の翼の下をくぐって、飛行服に身をかためた一人の男があらわれた。それは帆村荘六だった。帆村は腰をのばして、噴射艇をほれぼれと見上げる。
「じつに大したものだ。こんなすばらしい噴射艇が、完成していようとは思わなかった。これなら月世界くらいまでは平気で飛べるぞ」
と、ひどく感心のていで独言をいっている。そのとき同じような飛行服を着た別の男が、こっちへ走ってきた。そして後ろから帆村の肩をぽんとたたいた。
「おお、帆村君。もうすぐ出発だそうだぜ」
帆村がふりかえってみると、それは彗星一号に乗組む児玉法学士だった。
「やあ、児玉君」と、帆村は児玉の手をとり、しっかり握った。
「じつは僕は心配をしているんだ。宇宙への冒険飛行に、君のような法律家を引張り出して、さぞ君は迷惑しているのじゃないかと……」
「つまらんことをいうな」
と、児玉法学士は途中で帆村のことばをおさえた。
「僕は君の好意に、大いに感謝しているんだ。君の好意で臨時宇宙戦研究班へ引張りこまれた僕は、自分の生命を投げ出して一生けんめいになれる日本男児の仕事は、これだと気がついたのだ。見ていてくれたまえ。僕はこれから科学技術をどんどんおぼえていくよ。今に君をびっくりさせてやるから」
児玉法学士は元気のいい声で笑った。
「まあ、しっかり頼むよ。児玉君」
「うん、心配はいらん。今にして僕は気がついたんだが、日本人は、科学者や技術者にうってつけの国民性を持っていながら、今までどうしてその方面に熱心にならなかったのか、ふしぎで仕方がない。もっと早く日本人が科学技術の中にとびこんでいれば、こんどの世界戦争も、もっと早く勝利をつかめたんだがなあ」
「過ぎたことは、もう仕方がない。ひとつ勉強して、工学博士児玉法学士というようなところになって、僕を驚かしてくれたまえ」
「工学博士児玉法学士か。はははは、これはいい。よし、僕はきっとそれになってみせるぞ」
熱血漢の児玉法学士は、いよいよ顔を赤くして笑った。しかし、さすがの児玉法学士も、やがて彼が宇宙の怪物を相手に、法学士の実力を発揮して、たいへんな役をつとめようとは、神ならぬ身の知る由もなかった。帆村にしても、彼が児玉法学士を引張りこんだことが、一つの神助であったことに、まだ気がついていないのだった。それはいずれ後になってわかる。
東の空が、うっすらと白みそめた。と、刻々と明かるさがひろがっていって、高い鉄塔の上から照らしつけている照明灯の光が、だんだん明かるさを失っていった。とつぜん喇叭が鳴り響いた。総員整列だ。時計を見ると出発まで、あと三十分だ。
帆村たちは、地上指揮所の前に整列した。班長左倉少佐が前に立っている。一同敬礼を交す。それから班長から、本日の宇宙偵察隊出発について、力強い激励のことばがあった。
整備隊長から、彗星一号艇、二号艇の出発準備がまったく整ったことが、班長左倉少佐へ届けられる。
班長はうなずいて、これから出発する望月大尉以下六名をさしまねいて、宇宙図を指しながら、更にこまごました注意をあたえた。また一号艇長の望月大尉と、二号艇長の山岸中尉との間に打合せが行われ、両艇は、なるべく編隊で飛ぶこととし、もし何か大危難に遭遇したときは、一艇はかならず急いで地上へ戻ることとし、両艇とも散華するようなことはせぬ、そしてその場合、山岸艇が地上へ戻り、望月艇は奮戦を続けることにもきめられた。
午前五時。正確なその時間に、左倉少佐の号令一下、まず噴射艇彗星一号が、するどい音を発して、さっと空中にとびあがった。山頂の杉林の上を一とびに越えて、朝やけの空をぐんぐん上昇して行く。十秒後には、艇はもう噴射瓦斯を後へもうもうと、ふきだしていた。
無電報告が、彗星一号艇から来た。
「スベテ異状ナシ。総員士気旺盛ナリ」
かんたんな電文であるが、搭乗員も艇も、機関や機械類もすべて異状なしとあって、班長左倉少佐をはじめ地上員は大安心をした。
二十秒おいて、山岸中尉らの搭乗した彗星二号艇が出発した。これもうまくいって、みるみるうちに先発艇のうしろに追いついてしまった。北の鬼影山の頂の上空に、二つの艇は二組の尾をひきながら、すこしも狂わない調子で、ぐんぐん高度をあげていく。
異状なしとの無電報告が、二号艇からもやってきた。
左倉少佐は大満悦に見うけられる。双眼鏡から目を放すと、室内へはいって来て、
「おい、通信長。テレビジョンをのぞかせろ」
と、テレビジョンの受影幕をのぞきこんだ。壁間には昼間もはっきり見える九個の受影幕が、三個ずつ三列に並んでいた。その真中の受影幕には、彗星一号艇二号艇が、画面いっぱいにうつっていた。
「窓のところへちょいちょい出てくる、この顔は誰の顔か」
と、左倉少佐が幕面を指した。
「これですか。これは児玉班員であります」
「ああ、児玉か。彼はあいかわらず、じっとしていられない男だな。しかし成層圏へ上ったら、空気と圧力が稀薄になるから、児玉も自然猫のようにおとなしくなるだろう」 | 二つの艇はどのように高度をあげたか。 | 二つの艇は二組の尾をひきながら、すこしも狂わない調子で、ぐんぐん高度をあげていく。 |
JCRRAG_010725 | 国語 | 宇宙偵察隊の噴射艇二台は、引続き調子もよく、上昇していく。この噴射艇は、彗星号というその名にそむかないりっぱなものである。文字どおり彗星のように、空をきって行くのである。
噴射力が強いので、速度もすばらしく大きい。中でたいている噴射燃料というのが、特殊な混合爆薬で、これが燃焼して、すばらしく圧力の強い瓦斯を吹きだす。しかも噴射器の構造が非常にうまくできていて、最も速度が出るような仕掛になっている。
艇内は気密室になっている。しかも三重の気密室である。室内は、どんなに高度をあげても、気温や温度が大体高度三四千メートルと同様な状態に保たれ、それ以下には下らぬようになっている。この程度なら、空気をきれいに洗うことも、酸素をおぎなうことも、また室内を温めることも、それほど大きな消費をしないで、艇は長時間にわたる航空にさしつかえないのだ。
室内には、万一の場合に備えて、気密服や兜も用意してあるが、ふつうの場合は、気密服や気密兜を体につける必要はなく、飛行服だけでよいのだ。だから初期の成層圏機にくらべて、居住はたいへん楽であった。居住が楽であるということは、偵察任務にしろ、操縦にしろ、通信にしろ、また戦闘にしろ、すべてが窮屈でなく、十分に実力を発揮できるということである。居住が楽でないと、たちまち実力の半分とか、三分の一とかに落ちてしまう。そこで飛行機や噴射艇の設計者は、設計のときに楽な居住ができるように努力しなければならぬわけだ。
さて、このへんで、作者は二番艇の内部の模様をお知らせしようと思う。
操縦席についているのは、いうまでもなく山岸中尉だ。そのうしろに偵察員として帆村荘六がいる。そのとなりに横向きになって、電信員の山岸少年が、無線装置に向かいあっている。
おもしろいのは、みんなの座席が、重力の方向に曲がっていることだ。艇は殆ど垂直に近い角度で上昇しているので、座席が固定していると、体が横になってしまって自由がきかない。それでは困るから、座席は自然におきるようになっている。そのとき計器盤や無線装置も、座席といっしょにぐっと垂直になるので、非常に便利だ。
「機長」
帆村が上を向いて叫んだ。
「おう」
山岸中尉が答える。
「高度二万メートルを突破しました」
「はい、了解」
白昼だというのに、窓外はもうすっかり暗い。窓は暗紫色である。太陽は輝いているが、空はすこしも明かるくないのだ。だから、あれは太陽ではなくて、月ではないかしらと、帆村はいくたびか錯覚を起しそうになった。もちろん星が暗黒の空にきらきらと美しく輝きだした。どう見ても夜の世界へはいったとしか思われない。成層圏を始めて飛ぶ帆村荘六は、非常な奇異な思いにうたれつづけであった。
「寒くなったら、電熱服を着なさい。また呼吸困難になったら、酸素を吸入なさい」
山岸中尉は、成層圏になれない帆村と弟のために、親切なはからいをとった。しかし二人とも、これくらいの寒さや息苦しさなら、まだ大丈夫だといって、がんばりとおしていた。
艇内の正面の計器盤の上に、テレビジョンの受影幕が二個並んでいた。そしてどっちにも像がうつっていた。
右のものは、飛行艇の操縦席と、その後部がうつっている。操縦席には、望月大尉の明かるい顔があった。だからこれは、先行する彗星一号艇の内部がうつっているのだとわかる。
左のものは、広い部屋である。奥の方には机や、椅子が並んでおり、飛行服をつけた者がしきりに通っている。これは忍谷基地の地上指揮所の屋内である。
当番の電信兵の顔の右半分が、画面の端にあらわれているが、それが何だかおどけたように見える。
こうやってテレビジョンで連絡をとっていると、非常に便利である。地上の指揮所でも、一号艇や二号艇の内部が、壁間の受影幕にうつっているのだから、その像のうつっているかぎり、両艇は安全な飛行をつづけているなと安心していられるのである。
地上にいて、ほんとうは、たいへん気をもんでいる班長左倉少佐であったけれど、あまりたびたびテレビジョンに顔を出しては、望月大尉や、山岸中尉の注意力をそぐおそれがあると思って、必要なとき以外はなるべく顔を出さないようにしていた。
いつとはなしに時刻は過ぎ、いつか高度二万メートルを突破した。いよいよ危険な超高空に近づいて来た。
望月大尉は、山岸中尉から貰った地図をひろげて、竜造寺兵曹長の飛んだとおりの航路をなるべく飛ぶことにして、ここまでたどりついたのである。さて、この先には何者がいるのであろうか。鬼畜か悪魔か、とにかくすこしも油断はならない。望月大尉は、二号艇へ「警戒せよ」と、テレビジョンの中から手先信号で、注意をあたえた。 | 宇宙偵察隊の噴射艇二台はどのような調子で上昇していったか。 | 宇宙偵察隊の噴射艇二台は、引続き調子もよく、上昇していく。 |
JCRRAG_010726 | 国語 | 宇宙偵察隊の噴射艇二台は、引続き調子もよく、上昇していく。この噴射艇は、彗星号というその名にそむかないりっぱなものである。文字どおり彗星のように、空をきって行くのである。
噴射力が強いので、速度もすばらしく大きい。中でたいている噴射燃料というのが、特殊な混合爆薬で、これが燃焼して、すばらしく圧力の強い瓦斯を吹きだす。しかも噴射器の構造が非常にうまくできていて、最も速度が出るような仕掛になっている。
艇内は気密室になっている。しかも三重の気密室である。室内は、どんなに高度をあげても、気温や温度が大体高度三四千メートルと同様な状態に保たれ、それ以下には下らぬようになっている。この程度なら、空気をきれいに洗うことも、酸素をおぎなうことも、また室内を温めることも、それほど大きな消費をしないで、艇は長時間にわたる航空にさしつかえないのだ。
室内には、万一の場合に備えて、気密服や兜も用意してあるが、ふつうの場合は、気密服や気密兜を体につける必要はなく、飛行服だけでよいのだ。だから初期の成層圏機にくらべて、居住はたいへん楽であった。居住が楽であるということは、偵察任務にしろ、操縦にしろ、通信にしろ、また戦闘にしろ、すべてが窮屈でなく、十分に実力を発揮できるということである。居住が楽でないと、たちまち実力の半分とか、三分の一とかに落ちてしまう。そこで飛行機や噴射艇の設計者は、設計のときに楽な居住ができるように努力しなければならぬわけだ。
さて、このへんで、作者は二番艇の内部の模様をお知らせしようと思う。
操縦席についているのは、いうまでもなく山岸中尉だ。そのうしろに偵察員として帆村荘六がいる。そのとなりに横向きになって、電信員の山岸少年が、無線装置に向かいあっている。
おもしろいのは、みんなの座席が、重力の方向に曲がっていることだ。艇は殆ど垂直に近い角度で上昇しているので、座席が固定していると、体が横になってしまって自由がきかない。それでは困るから、座席は自然におきるようになっている。そのとき計器盤や無線装置も、座席といっしょにぐっと垂直になるので、非常に便利だ。
「機長」
帆村が上を向いて叫んだ。
「おう」
山岸中尉が答える。
「高度二万メートルを突破しました」
「はい、了解」
白昼だというのに、窓外はもうすっかり暗い。窓は暗紫色である。太陽は輝いているが、空はすこしも明かるくないのだ。だから、あれは太陽ではなくて、月ではないかしらと、帆村はいくたびか錯覚を起しそうになった。もちろん星が暗黒の空にきらきらと美しく輝きだした。どう見ても夜の世界へはいったとしか思われない。成層圏を始めて飛ぶ帆村荘六は、非常な奇異な思いにうたれつづけであった。
「寒くなったら、電熱服を着なさい。また呼吸困難になったら、酸素を吸入なさい」
山岸中尉は、成層圏になれない帆村と弟のために、親切なはからいをとった。しかし二人とも、これくらいの寒さや息苦しさなら、まだ大丈夫だといって、がんばりとおしていた。
艇内の正面の計器盤の上に、テレビジョンの受影幕が二個並んでいた。そしてどっちにも像がうつっていた。
右のものは、飛行艇の操縦席と、その後部がうつっている。操縦席には、望月大尉の明かるい顔があった。だからこれは、先行する彗星一号艇の内部がうつっているのだとわかる。
左のものは、広い部屋である。奥の方には机や、椅子が並んでおり、飛行服をつけた者がしきりに通っている。これは忍谷基地の地上指揮所の屋内である。
当番の電信兵の顔の右半分が、画面の端にあらわれているが、それが何だかおどけたように見える。
こうやってテレビジョンで連絡をとっていると、非常に便利である。地上の指揮所でも、一号艇や二号艇の内部が、壁間の受影幕にうつっているのだから、その像のうつっているかぎり、両艇は安全な飛行をつづけているなと安心していられるのである。
地上にいて、ほんとうは、たいへん気をもんでいる班長左倉少佐であったけれど、あまりたびたびテレビジョンに顔を出しては、望月大尉や、山岸中尉の注意力をそぐおそれがあると思って、必要なとき以外はなるべく顔を出さないようにしていた。
いつとはなしに時刻は過ぎ、いつか高度二万メートルを突破した。いよいよ危険な超高空に近づいて来た。
望月大尉は、山岸中尉から貰った地図をひろげて、竜造寺兵曹長の飛んだとおりの航路をなるべく飛ぶことにして、ここまでたどりついたのである。さて、この先には何者がいるのであろうか。鬼畜か悪魔か、とにかくすこしも油断はならない。望月大尉は、二号艇へ「警戒せよ」と、テレビジョンの中から手先信号で、注意をあたえた。 | 白昼だというのに、窓外はどのような状態だったか。 | 白昼だというのに、窓外はもうすっかり暗い。 |
JCRRAG_010727 | 国語 | 窓外はいよいよ暗黒だ。
死の世界、永遠の夜の世界だ。
その中に、どんな恐しい悪魔がひそんでいるかわからないのである。
「ノクトビジョンを働かしているか」
望月大尉から山岸中尉への注意だ。
ノクトビジョンとは、暗黒の中で、物の形を見る装置だ。これは一種のテレビジョンで、一名暗視装置ともいう。これで見るには、相手に向けて赤外線をあびせてやる。物があればこの赤外線で照らしつけてくれる。肉眼では見えないが、赤外線をよく感ずるノクトビジョン装置で見れば、まるで映画をみるようにはっきり物の形がわかるのである。
「高度二万五千メートル……」
帆村荘六が大きな声で報告する。
「あと三千で、問題の高度ですね」
山岸中尉は落ちついた声でそういう。彼の目は、テレビジョンの上にある、楕円型のノクトビジョンの受影幕に注意力をむけている。何か異変が見つかったら、すぐさま処置をとらないと、竜造寺兵曹長の二の舞を演ずることになるおそれがある。
その処置とは、どんなことをするのか。出発前、望月大尉と打合わせてきたところでは、異変が起りかけたら、敵の姿が見えようと見えまいと、間髪をいれず、機銃で猛射をすることにしてあった。機銃弾の威力は、きっと何かの形で、手ごたえを見せてくれるにちがいないと考えたのである。
高度はついに二万八千メートルに達した。だが異変は起らない。ノクトビジョンを左右へ振って、前方を注意しているが、なにも見えない。見えるは空ばかり。空が見えているというだけのことで、もうここらには雲片一つあるわけではなし、すこぶるたよりない。
高度を二万九千まであげてみたが、異変はさらに起らない。
そこで望月大尉は、
「高度二万八千に戻り、水平飛行で偵察を継続するぞ」
と、山岸中尉に知らせた。
「了解」
それはかしこいやり方である。竜造寺兵曹長の高度計は、たぶんくるっていないはずである。だから高度二万八千メートルのところがくさいことはたしかだ。しかし高度二万八千メートルの場所は、非常に広いのである。今飛んでいるところは、できるだけ竜造寺兵曹長のとびこんだと思われるところのつもりであるが、地点の推測の方はあまり正確でないので、まちがえたところを飛行しているおそれが多分にある。だから、この高度であたりをぐるぐると水平偵察をやっていれば、きっと例の魔の空間にぶつかると思われる。
こうして両機は、その高度で水平偵察をはじめた。はじめは円を画き、それからだんだんと径を大きくして、外側へ大きく円を画きつづけるのだ。つまり螺旋形の航路をとって探していくのである。望月艇と山岸艇とは、五十メートルの間隔を置いて飛んでいた。
地上の時刻でいうと、午前九時四十分前後であったが、とうとう望月艇が、異変にぶつかった。
山岸中尉は、テレビジョンの幕の上にうつる望月大尉の急信号により、望月艇が、異変にぶつかったことを知った。かねての手筈により、山岸中尉は、目にもとまらぬ速さで切替桿をひき、二号艇の尾部へむかって出る噴射瓦斯を、あべこべに前方へ出るように切替えた。つまり艇に全速後進をかけたのである。
大きな衝動が、搭乗の三名の肉体に伝わった。肉が骨から放れて、ばらばらになるかと思われるほどの大苦痛に襲われた。が、三人とも一生けんめいにがんばって、それをこらえた。しかし苦痛は短い時間だけつづいて、後はけろりと去った。そのとき、艇はまったく前進力をうしない、石のように落ちつつあるところだった。
山岸中尉は、急いで高度計を見た。二万七千メートルだ。問題の高度より一千メートル下になった。よし、ここなら安全だと、切替桿を逆につきだして、再度、艇を前進にうつした。
安定度が非常に高いこの彗星号は、このような乱暴きわまる操作にも、すこしも機嫌をわるくしないで、ちゃんと中尉のいうとおりになった。この艇の設計者は、よほどほめられてもいいと、山岸中尉は思った。
艇が安定をとり戻すと、こんどは急に一号艇のことが気になった。山岸中尉は、目をテレビジョンに持っていった。と、山岸中尉の顔色がさっと変った。一号艇の映像は消えている。いったいどうしたのだ……。
「一号艇、どうしたか」
山岸中尉は思わず叫んだ。
「一号艇は左上を飛んでいます」
こたえたのは帆村だ。
「左上を……」
「そうです。しかし変ですよ。今まではノクトビジョンでなければ、姿が見えなかった一号艇が、まぶしいほどはっきり姿を見せているのですよ。そこからも見えるでしょう」
帆村荘六の声は、いつになくあわてていた。帆村のいうとおりのまぶしい一号艇の姿を、山岸中尉も見出した。まるで照空灯に照らし出されたように見える。
「ああ、一号艇が雲に包まれていく……」
「雲に包まれていく。帆村君、そんなばかなことが……」
「しかしほんとうなのです。事実だからしようがない。さっぱりわけがわからん……」
帆村のいうとおりだった。一号艇はみるみるうちに、白い雲に包まれていった。そして後部の方からだんだん見えなくなり、やがて頭部も雲の中にかくれて、完全に見えなくなった。
「ふしぎだなあ、しゃくにさわる……」
と、山岸中尉は、じれったそうに舌うちをした。
「まったくふしぎだ。あの雲は楕円体だぞ。正確に木型で作ったように、廻転楕円体だ」
帆村の声は、いよいよ、うわずっている。
山岸中尉の目もそれを確めた。念のためにノクトビジョンでのぞいてみたが、まったくそのとおりだ。
「正楕円体の雲なんてあるかなあ」
と、帆村は首をひねったが、そのとき彼は電気にふれたように、座席からとびあがって、山岸中尉の肩をつかんだ。
「山岸中尉。わかったですぞ。あの楕円体こそ、いわゆる『魔の空間』です。一号艇はたった今、『魔の空間』にとじこめられたのです」
叫びながら、楕円体を指す帆村の目は、赤く血走っていた。
| 帆村荘六はどのような声で報告したか。 | 帆村荘六は大きな声で報告した。 |
JCRRAG_010728 | 国語 | 窓外はいよいよ暗黒だ。
死の世界、永遠の夜の世界だ。
その中に、どんな恐しい悪魔がひそんでいるかわからないのである。
「ノクトビジョンを働かしているか」
望月大尉から山岸中尉への注意だ。
ノクトビジョンとは、暗黒の中で、物の形を見る装置だ。これは一種のテレビジョンで、一名暗視装置ともいう。これで見るには、相手に向けて赤外線をあびせてやる。物があればこの赤外線で照らしつけてくれる。肉眼では見えないが、赤外線をよく感ずるノクトビジョン装置で見れば、まるで映画をみるようにはっきり物の形がわかるのである。
「高度二万五千メートル……」
帆村荘六が大きな声で報告する。
「あと三千で、問題の高度ですね」
山岸中尉は落ちついた声でそういう。彼の目は、テレビジョンの上にある、楕円型のノクトビジョンの受影幕に注意力をむけている。何か異変が見つかったら、すぐさま処置をとらないと、竜造寺兵曹長の二の舞を演ずることになるおそれがある。
その処置とは、どんなことをするのか。出発前、望月大尉と打合わせてきたところでは、異変が起りかけたら、敵の姿が見えようと見えまいと、間髪をいれず、機銃で猛射をすることにしてあった。機銃弾の威力は、きっと何かの形で、手ごたえを見せてくれるにちがいないと考えたのである。
高度はついに二万八千メートルに達した。だが異変は起らない。ノクトビジョンを左右へ振って、前方を注意しているが、なにも見えない。見えるは空ばかり。空が見えているというだけのことで、もうここらには雲片一つあるわけではなし、すこぶるたよりない。
高度を二万九千まであげてみたが、異変はさらに起らない。
そこで望月大尉は、
「高度二万八千に戻り、水平飛行で偵察を継続するぞ」
と、山岸中尉に知らせた。
「了解」
それはかしこいやり方である。竜造寺兵曹長の高度計は、たぶんくるっていないはずである。だから高度二万八千メートルのところがくさいことはたしかだ。しかし高度二万八千メートルの場所は、非常に広いのである。今飛んでいるところは、できるだけ竜造寺兵曹長のとびこんだと思われるところのつもりであるが、地点の推測の方はあまり正確でないので、まちがえたところを飛行しているおそれが多分にある。だから、この高度であたりをぐるぐると水平偵察をやっていれば、きっと例の魔の空間にぶつかると思われる。
こうして両機は、その高度で水平偵察をはじめた。はじめは円を画き、それからだんだんと径を大きくして、外側へ大きく円を画きつづけるのだ。つまり螺旋形の航路をとって探していくのである。望月艇と山岸艇とは、五十メートルの間隔を置いて飛んでいた。
地上の時刻でいうと、午前九時四十分前後であったが、とうとう望月艇が、異変にぶつかった。
山岸中尉は、テレビジョンの幕の上にうつる望月大尉の急信号により、望月艇が、異変にぶつかったことを知った。かねての手筈により、山岸中尉は、目にもとまらぬ速さで切替桿をひき、二号艇の尾部へむかって出る噴射瓦斯を、あべこべに前方へ出るように切替えた。つまり艇に全速後進をかけたのである。
大きな衝動が、搭乗の三名の肉体に伝わった。肉が骨から放れて、ばらばらになるかと思われるほどの大苦痛に襲われた。が、三人とも一生けんめいにがんばって、それをこらえた。しかし苦痛は短い時間だけつづいて、後はけろりと去った。そのとき、艇はまったく前進力をうしない、石のように落ちつつあるところだった。
山岸中尉は、急いで高度計を見た。二万七千メートルだ。問題の高度より一千メートル下になった。よし、ここなら安全だと、切替桿を逆につきだして、再度、艇を前進にうつした。
安定度が非常に高いこの彗星号は、このような乱暴きわまる操作にも、すこしも機嫌をわるくしないで、ちゃんと中尉のいうとおりになった。この艇の設計者は、よほどほめられてもいいと、山岸中尉は思った。
艇が安定をとり戻すと、こんどは急に一号艇のことが気になった。山岸中尉は、目をテレビジョンに持っていった。と、山岸中尉の顔色がさっと変った。一号艇の映像は消えている。いったいどうしたのだ……。
「一号艇、どうしたか」
山岸中尉は思わず叫んだ。
「一号艇は左上を飛んでいます」
こたえたのは帆村だ。
「左上を……」
「そうです。しかし変ですよ。今まではノクトビジョンでなければ、姿が見えなかった一号艇が、まぶしいほどはっきり姿を見せているのですよ。そこからも見えるでしょう」
帆村荘六の声は、いつになくあわてていた。帆村のいうとおりのまぶしい一号艇の姿を、山岸中尉も見出した。まるで照空灯に照らし出されたように見える。
「ああ、一号艇が雲に包まれていく……」
「雲に包まれていく。帆村君、そんなばかなことが……」
「しかしほんとうなのです。事実だからしようがない。さっぱりわけがわからん……」
帆村のいうとおりだった。一号艇はみるみるうちに、白い雲に包まれていった。そして後部の方からだんだん見えなくなり、やがて頭部も雲の中にかくれて、完全に見えなくなった。
「ふしぎだなあ、しゃくにさわる……」
と、山岸中尉は、じれったそうに舌うちをした。
「まったくふしぎだ。あの雲は楕円体だぞ。正確に木型で作ったように、廻転楕円体だ」
帆村の声は、いよいよ、うわずっている。
山岸中尉の目もそれを確めた。念のためにノクトビジョンでのぞいてみたが、まったくそのとおりだ。
「正楕円体の雲なんてあるかなあ」
と、帆村は首をひねったが、そのとき彼は電気にふれたように、座席からとびあがって、山岸中尉の肩をつかんだ。
「山岸中尉。わかったですぞ。あの楕円体こそ、いわゆる『魔の空間』です。一号艇はたった今、『魔の空間』にとじこめられたのです」
叫びながら、楕円体を指す帆村の目は、赤く血走っていた。
| 山岸中尉は、なにがきっかけで望月艇が、異変にぶつかったことを知ったか。 | 山岸中尉は、テレビジョンの幕の上にうつる望月大尉の急信号により、望月艇が、異変にぶつかったことを知った。 |
JCRRAG_010729 | 国語 | 窓外はいよいよ暗黒だ。
死の世界、永遠の夜の世界だ。
その中に、どんな恐しい悪魔がひそんでいるかわからないのである。
「ノクトビジョンを働かしているか」
望月大尉から山岸中尉への注意だ。
ノクトビジョンとは、暗黒の中で、物の形を見る装置だ。これは一種のテレビジョンで、一名暗視装置ともいう。これで見るには、相手に向けて赤外線をあびせてやる。物があればこの赤外線で照らしつけてくれる。肉眼では見えないが、赤外線をよく感ずるノクトビジョン装置で見れば、まるで映画をみるようにはっきり物の形がわかるのである。
「高度二万五千メートル……」
帆村荘六が大きな声で報告する。
「あと三千で、問題の高度ですね」
山岸中尉は落ちついた声でそういう。彼の目は、テレビジョンの上にある、楕円型のノクトビジョンの受影幕に注意力をむけている。何か異変が見つかったら、すぐさま処置をとらないと、竜造寺兵曹長の二の舞を演ずることになるおそれがある。
その処置とは、どんなことをするのか。出発前、望月大尉と打合わせてきたところでは、異変が起りかけたら、敵の姿が見えようと見えまいと、間髪をいれず、機銃で猛射をすることにしてあった。機銃弾の威力は、きっと何かの形で、手ごたえを見せてくれるにちがいないと考えたのである。
高度はついに二万八千メートルに達した。だが異変は起らない。ノクトビジョンを左右へ振って、前方を注意しているが、なにも見えない。見えるは空ばかり。空が見えているというだけのことで、もうここらには雲片一つあるわけではなし、すこぶるたよりない。
高度を二万九千まであげてみたが、異変はさらに起らない。
そこで望月大尉は、
「高度二万八千に戻り、水平飛行で偵察を継続するぞ」
と、山岸中尉に知らせた。
「了解」
それはかしこいやり方である。竜造寺兵曹長の高度計は、たぶんくるっていないはずである。だから高度二万八千メートルのところがくさいことはたしかだ。しかし高度二万八千メートルの場所は、非常に広いのである。今飛んでいるところは、できるだけ竜造寺兵曹長のとびこんだと思われるところのつもりであるが、地点の推測の方はあまり正確でないので、まちがえたところを飛行しているおそれが多分にある。だから、この高度であたりをぐるぐると水平偵察をやっていれば、きっと例の魔の空間にぶつかると思われる。
こうして両機は、その高度で水平偵察をはじめた。はじめは円を画き、それからだんだんと径を大きくして、外側へ大きく円を画きつづけるのだ。つまり螺旋形の航路をとって探していくのである。望月艇と山岸艇とは、五十メートルの間隔を置いて飛んでいた。
地上の時刻でいうと、午前九時四十分前後であったが、とうとう望月艇が、異変にぶつかった。
山岸中尉は、テレビジョンの幕の上にうつる望月大尉の急信号により、望月艇が、異変にぶつかったことを知った。かねての手筈により、山岸中尉は、目にもとまらぬ速さで切替桿をひき、二号艇の尾部へむかって出る噴射瓦斯を、あべこべに前方へ出るように切替えた。つまり艇に全速後進をかけたのである。
大きな衝動が、搭乗の三名の肉体に伝わった。肉が骨から放れて、ばらばらになるかと思われるほどの大苦痛に襲われた。が、三人とも一生けんめいにがんばって、それをこらえた。しかし苦痛は短い時間だけつづいて、後はけろりと去った。そのとき、艇はまったく前進力をうしない、石のように落ちつつあるところだった。
山岸中尉は、急いで高度計を見た。二万七千メートルだ。問題の高度より一千メートル下になった。よし、ここなら安全だと、切替桿を逆につきだして、再度、艇を前進にうつした。
安定度が非常に高いこの彗星号は、このような乱暴きわまる操作にも、すこしも機嫌をわるくしないで、ちゃんと中尉のいうとおりになった。この艇の設計者は、よほどほめられてもいいと、山岸中尉は思った。
艇が安定をとり戻すと、こんどは急に一号艇のことが気になった。山岸中尉は、目をテレビジョンに持っていった。と、山岸中尉の顔色がさっと変った。一号艇の映像は消えている。いったいどうしたのだ……。
「一号艇、どうしたか」
山岸中尉は思わず叫んだ。
「一号艇は左上を飛んでいます」
こたえたのは帆村だ。
「左上を……」
「そうです。しかし変ですよ。今まではノクトビジョンでなければ、姿が見えなかった一号艇が、まぶしいほどはっきり姿を見せているのですよ。そこからも見えるでしょう」
帆村荘六の声は、いつになくあわてていた。帆村のいうとおりのまぶしい一号艇の姿を、山岸中尉も見出した。まるで照空灯に照らし出されたように見える。
「ああ、一号艇が雲に包まれていく……」
「雲に包まれていく。帆村君、そんなばかなことが……」
「しかしほんとうなのです。事実だからしようがない。さっぱりわけがわからん……」
帆村のいうとおりだった。一号艇はみるみるうちに、白い雲に包まれていった。そして後部の方からだんだん見えなくなり、やがて頭部も雲の中にかくれて、完全に見えなくなった。
「ふしぎだなあ、しゃくにさわる……」
と、山岸中尉は、じれったそうに舌うちをした。
「まったくふしぎだ。あの雲は楕円体だぞ。正確に木型で作ったように、廻転楕円体だ」
帆村の声は、いよいよ、うわずっている。
山岸中尉の目もそれを確めた。念のためにノクトビジョンでのぞいてみたが、まったくそのとおりだ。
「正楕円体の雲なんてあるかなあ」
と、帆村は首をひねったが、そのとき彼は電気にふれたように、座席からとびあがって、山岸中尉の肩をつかんだ。
「山岸中尉。わかったですぞ。あの楕円体こそ、いわゆる『魔の空間』です。一号艇はたった今、『魔の空間』にとじこめられたのです」
叫びながら、楕円体を指す帆村の目は、赤く血走っていた。
| ノクトビジョンとは、どのような装置か。 | ノクトビジョンとは、暗黒の中で、物の形を見る装置だ。 |
JCRRAG_010730 | 国語 | 窓外はいよいよ暗黒だ。
死の世界、永遠の夜の世界だ。
その中に、どんな恐しい悪魔がひそんでいるかわからないのである。
「ノクトビジョンを働かしているか」
望月大尉から山岸中尉への注意だ。
ノクトビジョンとは、暗黒の中で、物の形を見る装置だ。これは一種のテレビジョンで、一名暗視装置ともいう。これで見るには、相手に向けて赤外線をあびせてやる。物があればこの赤外線で照らしつけてくれる。肉眼では見えないが、赤外線をよく感ずるノクトビジョン装置で見れば、まるで映画をみるようにはっきり物の形がわかるのである。
「高度二万五千メートル……」
帆村荘六が大きな声で報告する。
「あと三千で、問題の高度ですね」
山岸中尉は落ちついた声でそういう。彼の目は、テレビジョンの上にある、楕円型のノクトビジョンの受影幕に注意力をむけている。何か異変が見つかったら、すぐさま処置をとらないと、竜造寺兵曹長の二の舞を演ずることになるおそれがある。
その処置とは、どんなことをするのか。出発前、望月大尉と打合わせてきたところでは、異変が起りかけたら、敵の姿が見えようと見えまいと、間髪をいれず、機銃で猛射をすることにしてあった。機銃弾の威力は、きっと何かの形で、手ごたえを見せてくれるにちがいないと考えたのである。
高度はついに二万八千メートルに達した。だが異変は起らない。ノクトビジョンを左右へ振って、前方を注意しているが、なにも見えない。見えるは空ばかり。空が見えているというだけのことで、もうここらには雲片一つあるわけではなし、すこぶるたよりない。
高度を二万九千まであげてみたが、異変はさらに起らない。
そこで望月大尉は、
「高度二万八千に戻り、水平飛行で偵察を継続するぞ」
と、山岸中尉に知らせた。
「了解」
それはかしこいやり方である。竜造寺兵曹長の高度計は、たぶんくるっていないはずである。だから高度二万八千メートルのところがくさいことはたしかだ。しかし高度二万八千メートルの場所は、非常に広いのである。今飛んでいるところは、できるだけ竜造寺兵曹長のとびこんだと思われるところのつもりであるが、地点の推測の方はあまり正確でないので、まちがえたところを飛行しているおそれが多分にある。だから、この高度であたりをぐるぐると水平偵察をやっていれば、きっと例の魔の空間にぶつかると思われる。
こうして両機は、その高度で水平偵察をはじめた。はじめは円を画き、それからだんだんと径を大きくして、外側へ大きく円を画きつづけるのだ。つまり螺旋形の航路をとって探していくのである。望月艇と山岸艇とは、五十メートルの間隔を置いて飛んでいた。
地上の時刻でいうと、午前九時四十分前後であったが、とうとう望月艇が、異変にぶつかった。
山岸中尉は、テレビジョンの幕の上にうつる望月大尉の急信号により、望月艇が、異変にぶつかったことを知った。かねての手筈により、山岸中尉は、目にもとまらぬ速さで切替桿をひき、二号艇の尾部へむかって出る噴射瓦斯を、あべこべに前方へ出るように切替えた。つまり艇に全速後進をかけたのである。
大きな衝動が、搭乗の三名の肉体に伝わった。肉が骨から放れて、ばらばらになるかと思われるほどの大苦痛に襲われた。が、三人とも一生けんめいにがんばって、それをこらえた。しかし苦痛は短い時間だけつづいて、後はけろりと去った。そのとき、艇はまったく前進力をうしない、石のように落ちつつあるところだった。
山岸中尉は、急いで高度計を見た。二万七千メートルだ。問題の高度より一千メートル下になった。よし、ここなら安全だと、切替桿を逆につきだして、再度、艇を前進にうつした。
安定度が非常に高いこの彗星号は、このような乱暴きわまる操作にも、すこしも機嫌をわるくしないで、ちゃんと中尉のいうとおりになった。この艇の設計者は、よほどほめられてもいいと、山岸中尉は思った。
艇が安定をとり戻すと、こんどは急に一号艇のことが気になった。山岸中尉は、目をテレビジョンに持っていった。と、山岸中尉の顔色がさっと変った。一号艇の映像は消えている。いったいどうしたのだ……。
「一号艇、どうしたか」
山岸中尉は思わず叫んだ。
「一号艇は左上を飛んでいます」
こたえたのは帆村だ。
「左上を……」
「そうです。しかし変ですよ。今まではノクトビジョンでなければ、姿が見えなかった一号艇が、まぶしいほどはっきり姿を見せているのですよ。そこからも見えるでしょう」
帆村荘六の声は、いつになくあわてていた。帆村のいうとおりのまぶしい一号艇の姿を、山岸中尉も見出した。まるで照空灯に照らし出されたように見える。
「ああ、一号艇が雲に包まれていく……」
「雲に包まれていく。帆村君、そんなばかなことが……」
「しかしほんとうなのです。事実だからしようがない。さっぱりわけがわからん……」
帆村のいうとおりだった。一号艇はみるみるうちに、白い雲に包まれていった。そして後部の方からだんだん見えなくなり、やがて頭部も雲の中にかくれて、完全に見えなくなった。
「ふしぎだなあ、しゃくにさわる……」
と、山岸中尉は、じれったそうに舌うちをした。
「まったくふしぎだ。あの雲は楕円体だぞ。正確に木型で作ったように、廻転楕円体だ」
帆村の声は、いよいよ、うわずっている。
山岸中尉の目もそれを確めた。念のためにノクトビジョンでのぞいてみたが、まったくそのとおりだ。
「正楕円体の雲なんてあるかなあ」
と、帆村は首をひねったが、そのとき彼は電気にふれたように、座席からとびあがって、山岸中尉の肩をつかんだ。
「山岸中尉。わかったですぞ。あの楕円体こそ、いわゆる『魔の空間』です。一号艇はたった今、『魔の空間』にとじこめられたのです」
叫びながら、楕円体を指す帆村の目は、赤く血走っていた。
| 大きな衝動は、搭乗の三名にどのような影響を与えたか。 | 肉が骨から放れて、ばらばらになるかと思われるほどの大苦痛に襲われた。 |
JCRRAG_010731 | 国語 | 成層圏も、高度二万七千メートルになると、いやにすごくなる。まるで月光の下の墓場を見る感じだ。いや、それ以上だ。
いまはまだ昼間だというのに、空はすっかり光を失って、漆のように黒くぬりつぶされている。ただ光るものは、ダイヤモンドをまきちらしたような無数の星、それとならんで冷たく光っている銀盆のような衰えた太陽が見えるばかり。この荒涼たる成層圏風景を、うっかり永くながめていようものなら、そのうちに頭がへんになってくる。
そういう折しも、指揮官望月大尉ののった彗星一号艇が奇怪なる消失。あれよあれよといううちに、白く光る廻転楕円体の雲の中に包まれて、見えなくなったそのふしぎさ。なぜといって、高度二万七千メートルの成層圏には水蒸気は存在しないから、雲がある道理がないのだ。しかるに帆村荘六も、山岸中尉もともにはっきりと白い雲を見たのである。けっして見まちがいではないのだ。うち重なる成層圏の怪異。この怪異をとく鍵はどこにあるのか。
彗星一号艇を包んでしまったあやしい形の雲、あの雲こそ「魔の空間」だと帆村荘六は叫んで、山岸中尉に注意をしたが、これは鍵ではない。鍵のはいっている箱かもしれないという程度である。けっきょく「魔の空間」とはどんなものか、それがわからなければ、この謎はとけはじめないだろう。戦う彗星部隊は、高度飛行のくるしさの上に、こうした頭脳のくるしさまでが重々しくのしかかっているのだ。
「電信員」
山岸中尉の声が、爆発したように聞えた。
「はい」
弟の山岸少年は、元気な声をはりあげて、兄にこたえた。
「無電をうて、平文で急げ」
中尉は急いでいる。無理もない。帆村は目を近づく楕円雲に、耳を山岸中尉の声に使いわけて緊張の頂点にある。
「宛、左倉班長。本文。高度二万七千、一号艇廻転楕円体ノ白雲内ニ消ユ、ワレ、ソノ雲ニ突進セントス、オワリ」
電文は簡単である。だが簡単な中に、ひじょうにすごい響きがある。山岸少年は、電文を復誦した。一字もまちがいはない。中尉が「よし」というのを聞いて、ただちに電鍵をたたきはじめる。さっき中尉から命令をうけると、すぐさま少年は送電機のスイッチを入れて、真空管に点火し、右手の指は電鍵の上に軽くおいて、いつでも打てるように用意をして待っていたのだ。電文は地上指揮所にとどいて、すぐさま同じ文句を地上からうちかえしてきた。
だが、どうしたものか、その無電は途中でぷつんと切れてしまった。そして山岸少年の耳にかけた受話器に、七色の笛のようなうなり音がはいってきた。
「機長、地上からの送信に、異状がおこりました」
と、山岸少年は、すばやくその異状を機長にとどけ出た。
山岸少年は、兄の返事を聞くことができなかった。そのとき事態はひじょうに迫っていたのである。いつどこからわき出したか、白い雲がかなり早い速さでするすると拡って、早くも二号艇を半分ばかり包んでしまったのだ。山岸中尉は、すべての注意力をそっちへそそいでいた。彼はその雲に包まれまいとして、あらゆる努力をこころみた。まだその雲ののび切っていない方向へ全速力でとばせた。が、白い雲は意地わるく、右から左から、また上から下からと、白いゴム布をのばしたようにのびていった。しかもそののび方が一点をめがけてのびていくように見える。残された出口ともいうべき暗黒の空が、見る見るうちに狭くなっていくのだ。
奇妙にも、その残された黒い空は円形をなしていた。その円の広さがだんだんに狭くなっていくのだ。晴天に大きな蛇の目傘をひろげたようであったのが、ずんずん小さくなって、黒い丸い窓のように見えるまで狭くなり、やがて黒い目玉ほどになった。
「うむ、ちく生」
山岸中尉が、彼に似合わぬきたないことばを吐いた。よほど癪にさわったとみえる。艇は黒い目玉めがけて突進していったが、やっぱり間にあわなかった。ついにその小さい黒い目玉も消えてなくなり、前は一面に白い雲でおおわれてしまった。艇はいまやすっかり怪雲に包まれてしまったのだ。一号艇を救い出そうとして、その後を追った二号艇であったが、いくばくもなくして、自らも同じ運命におちこんでしまったのであった。
だが、山岸中尉は、まだ希望をすててはいなかった。たとえこれが怪雲だとしても、これくらいのものは体当りでぶち切ることができるかもしれないと思っていた。そこで彼は、全速をかけたままで、白い怪雲の壁をめがけて激しくどんとぶつかった。
いけなかった。それがひじょうにまずかった。速度が見る見るうちに落ちた。そしてついにとまってしまった。と思ったら、あろうことかあるまいことか、こんどはあべこべに後方へぶうんと艇が走りだしたではないか。
山岸中尉は、あぶら汗をべっとりとかいた。操縦桿だけは放さなかったが、艇はもう全く彼の思うとおりには動かなくなった。
(もう処置なしだ)
と、中尉は心の中で叫んだ。そのうちに艇は次第に安定を回復してきたように思われた。そこで中尉は、ふと計器盤の速度計に目をやった。とたんに彼は、
「あっ」
と叫んだ。速度計が零を指しているではないか。噴射機関に異状はないのに……。高度計はと見れば、いつの間にか零の近くまでもどっている。竜造寺兵曹長が消息をたつ、その直前に打った謎の無電と同じ状況ではないか。ああ、あの無電……。
“……高度二万八千メートルニ達セシトコロ、突然轟音トトモニハゲシキ震動ヲ受ケ、異状ニ突入セリ。噴射機関等ニマッタク異状ナキニモカカワラズ、速度計ハ零ヲ指シ、舵器マタキカズ。ソレニツヅキ高度計ノ指針ハ急ニ自然ニ下リテ、ホトンド零ニモドル。気温ハ上昇シツツアリ……”
そうだ。たしかに暑苦しくなってきた。
“……タダイマ外部ノ気圧計急ニ上昇ヲハジメ、早クモ五百五……”
五百五というところで、竜造寺兵曹長の無電は切れたのだった。山岸中尉が外部気圧計の面をのぞくと、このときの艇内の気圧は五百七十ミリを指していた。なるほど竜造寺兵曹長の場合と同じだ。高度二万七千メートルなら気圧はせいぜい二十ミリぐらいであるはず、それが五百七十ミリを示している。これは高度二千メートル附近にあたる。
大異変来る。ついに竜造寺兵曹長と同じ運命におちいったのだ。山岸中尉は大きく息をすいこんだ。
「ああ、『魔の空間』、ほんとうだったな」
| 成層圏は、まるでどのようなものか。 | 月光の下の墓場を見る感じだ。 |
JCRRAG_010732 | 国語 | 成層圏も、高度二万七千メートルになると、いやにすごくなる。まるで月光の下の墓場を見る感じだ。いや、それ以上だ。
いまはまだ昼間だというのに、空はすっかり光を失って、漆のように黒くぬりつぶされている。ただ光るものは、ダイヤモンドをまきちらしたような無数の星、それとならんで冷たく光っている銀盆のような衰えた太陽が見えるばかり。この荒涼たる成層圏風景を、うっかり永くながめていようものなら、そのうちに頭がへんになってくる。
そういう折しも、指揮官望月大尉ののった彗星一号艇が奇怪なる消失。あれよあれよといううちに、白く光る廻転楕円体の雲の中に包まれて、見えなくなったそのふしぎさ。なぜといって、高度二万七千メートルの成層圏には水蒸気は存在しないから、雲がある道理がないのだ。しかるに帆村荘六も、山岸中尉もともにはっきりと白い雲を見たのである。けっして見まちがいではないのだ。うち重なる成層圏の怪異。この怪異をとく鍵はどこにあるのか。
彗星一号艇を包んでしまったあやしい形の雲、あの雲こそ「魔の空間」だと帆村荘六は叫んで、山岸中尉に注意をしたが、これは鍵ではない。鍵のはいっている箱かもしれないという程度である。けっきょく「魔の空間」とはどんなものか、それがわからなければ、この謎はとけはじめないだろう。戦う彗星部隊は、高度飛行のくるしさの上に、こうした頭脳のくるしさまでが重々しくのしかかっているのだ。
「電信員」
山岸中尉の声が、爆発したように聞えた。
「はい」
弟の山岸少年は、元気な声をはりあげて、兄にこたえた。
「無電をうて、平文で急げ」
中尉は急いでいる。無理もない。帆村は目を近づく楕円雲に、耳を山岸中尉の声に使いわけて緊張の頂点にある。
「宛、左倉班長。本文。高度二万七千、一号艇廻転楕円体ノ白雲内ニ消ユ、ワレ、ソノ雲ニ突進セントス、オワリ」
電文は簡単である。だが簡単な中に、ひじょうにすごい響きがある。山岸少年は、電文を復誦した。一字もまちがいはない。中尉が「よし」というのを聞いて、ただちに電鍵をたたきはじめる。さっき中尉から命令をうけると、すぐさま少年は送電機のスイッチを入れて、真空管に点火し、右手の指は電鍵の上に軽くおいて、いつでも打てるように用意をして待っていたのだ。電文は地上指揮所にとどいて、すぐさま同じ文句を地上からうちかえしてきた。
だが、どうしたものか、その無電は途中でぷつんと切れてしまった。そして山岸少年の耳にかけた受話器に、七色の笛のようなうなり音がはいってきた。
「機長、地上からの送信に、異状がおこりました」
と、山岸少年は、すばやくその異状を機長にとどけ出た。
山岸少年は、兄の返事を聞くことができなかった。そのとき事態はひじょうに迫っていたのである。いつどこからわき出したか、白い雲がかなり早い速さでするすると拡って、早くも二号艇を半分ばかり包んでしまったのだ。山岸中尉は、すべての注意力をそっちへそそいでいた。彼はその雲に包まれまいとして、あらゆる努力をこころみた。まだその雲ののび切っていない方向へ全速力でとばせた。が、白い雲は意地わるく、右から左から、また上から下からと、白いゴム布をのばしたようにのびていった。しかもそののび方が一点をめがけてのびていくように見える。残された出口ともいうべき暗黒の空が、見る見るうちに狭くなっていくのだ。
奇妙にも、その残された黒い空は円形をなしていた。その円の広さがだんだんに狭くなっていくのだ。晴天に大きな蛇の目傘をひろげたようであったのが、ずんずん小さくなって、黒い丸い窓のように見えるまで狭くなり、やがて黒い目玉ほどになった。
「うむ、ちく生」
山岸中尉が、彼に似合わぬきたないことばを吐いた。よほど癪にさわったとみえる。艇は黒い目玉めがけて突進していったが、やっぱり間にあわなかった。ついにその小さい黒い目玉も消えてなくなり、前は一面に白い雲でおおわれてしまった。艇はいまやすっかり怪雲に包まれてしまったのだ。一号艇を救い出そうとして、その後を追った二号艇であったが、いくばくもなくして、自らも同じ運命におちこんでしまったのであった。
だが、山岸中尉は、まだ希望をすててはいなかった。たとえこれが怪雲だとしても、これくらいのものは体当りでぶち切ることができるかもしれないと思っていた。そこで彼は、全速をかけたままで、白い怪雲の壁をめがけて激しくどんとぶつかった。
いけなかった。それがひじょうにまずかった。速度が見る見るうちに落ちた。そしてついにとまってしまった。と思ったら、あろうことかあるまいことか、こんどはあべこべに後方へぶうんと艇が走りだしたではないか。
山岸中尉は、あぶら汗をべっとりとかいた。操縦桿だけは放さなかったが、艇はもう全く彼の思うとおりには動かなくなった。
(もう処置なしだ)
と、中尉は心の中で叫んだ。そのうちに艇は次第に安定を回復してきたように思われた。そこで中尉は、ふと計器盤の速度計に目をやった。とたんに彼は、
「あっ」
と叫んだ。速度計が零を指しているではないか。噴射機関に異状はないのに……。高度計はと見れば、いつの間にか零の近くまでもどっている。竜造寺兵曹長が消息をたつ、その直前に打った謎の無電と同じ状況ではないか。ああ、あの無電……。
“……高度二万八千メートルニ達セシトコロ、突然轟音トトモニハゲシキ震動ヲ受ケ、異状ニ突入セリ。噴射機関等ニマッタク異状ナキニモカカワラズ、速度計ハ零ヲ指シ、舵器マタキカズ。ソレニツヅキ高度計ノ指針ハ急ニ自然ニ下リテ、ホトンド零ニモドル。気温ハ上昇シツツアリ……”
そうだ。たしかに暑苦しくなってきた。
“……タダイマ外部ノ気圧計急ニ上昇ヲハジメ、早クモ五百五……”
五百五というところで、竜造寺兵曹長の無電は切れたのだった。山岸中尉が外部気圧計の面をのぞくと、このときの艇内の気圧は五百七十ミリを指していた。なるほど竜造寺兵曹長の場合と同じだ。高度二万七千メートルなら気圧はせいぜい二十ミリぐらいであるはず、それが五百七十ミリを示している。これは高度二千メートル附近にあたる。
大異変来る。ついに竜造寺兵曹長と同じ運命におちいったのだ。山岸中尉は大きく息をすいこんだ。
「ああ、『魔の空間』、ほんとうだったな」
| 昼間の空はどのようなものだったか。 | まだ昼間だというのに、空はすっかり光を失って、漆のように黒くぬりつぶされている。 |
JCRRAG_010733 | 国語 | 成層圏も、高度二万七千メートルになると、いやにすごくなる。まるで月光の下の墓場を見る感じだ。いや、それ以上だ。
いまはまだ昼間だというのに、空はすっかり光を失って、漆のように黒くぬりつぶされている。ただ光るものは、ダイヤモンドをまきちらしたような無数の星、それとならんで冷たく光っている銀盆のような衰えた太陽が見えるばかり。この荒涼たる成層圏風景を、うっかり永くながめていようものなら、そのうちに頭がへんになってくる。
そういう折しも、指揮官望月大尉ののった彗星一号艇が奇怪なる消失。あれよあれよといううちに、白く光る廻転楕円体の雲の中に包まれて、見えなくなったそのふしぎさ。なぜといって、高度二万七千メートルの成層圏には水蒸気は存在しないから、雲がある道理がないのだ。しかるに帆村荘六も、山岸中尉もともにはっきりと白い雲を見たのである。けっして見まちがいではないのだ。うち重なる成層圏の怪異。この怪異をとく鍵はどこにあるのか。
彗星一号艇を包んでしまったあやしい形の雲、あの雲こそ「魔の空間」だと帆村荘六は叫んで、山岸中尉に注意をしたが、これは鍵ではない。鍵のはいっている箱かもしれないという程度である。けっきょく「魔の空間」とはどんなものか、それがわからなければ、この謎はとけはじめないだろう。戦う彗星部隊は、高度飛行のくるしさの上に、こうした頭脳のくるしさまでが重々しくのしかかっているのだ。
「電信員」
山岸中尉の声が、爆発したように聞えた。
「はい」
弟の山岸少年は、元気な声をはりあげて、兄にこたえた。
「無電をうて、平文で急げ」
中尉は急いでいる。無理もない。帆村は目を近づく楕円雲に、耳を山岸中尉の声に使いわけて緊張の頂点にある。
「宛、左倉班長。本文。高度二万七千、一号艇廻転楕円体ノ白雲内ニ消ユ、ワレ、ソノ雲ニ突進セントス、オワリ」
電文は簡単である。だが簡単な中に、ひじょうにすごい響きがある。山岸少年は、電文を復誦した。一字もまちがいはない。中尉が「よし」というのを聞いて、ただちに電鍵をたたきはじめる。さっき中尉から命令をうけると、すぐさま少年は送電機のスイッチを入れて、真空管に点火し、右手の指は電鍵の上に軽くおいて、いつでも打てるように用意をして待っていたのだ。電文は地上指揮所にとどいて、すぐさま同じ文句を地上からうちかえしてきた。
だが、どうしたものか、その無電は途中でぷつんと切れてしまった。そして山岸少年の耳にかけた受話器に、七色の笛のようなうなり音がはいってきた。
「機長、地上からの送信に、異状がおこりました」
と、山岸少年は、すばやくその異状を機長にとどけ出た。
山岸少年は、兄の返事を聞くことができなかった。そのとき事態はひじょうに迫っていたのである。いつどこからわき出したか、白い雲がかなり早い速さでするすると拡って、早くも二号艇を半分ばかり包んでしまったのだ。山岸中尉は、すべての注意力をそっちへそそいでいた。彼はその雲に包まれまいとして、あらゆる努力をこころみた。まだその雲ののび切っていない方向へ全速力でとばせた。が、白い雲は意地わるく、右から左から、また上から下からと、白いゴム布をのばしたようにのびていった。しかもそののび方が一点をめがけてのびていくように見える。残された出口ともいうべき暗黒の空が、見る見るうちに狭くなっていくのだ。
奇妙にも、その残された黒い空は円形をなしていた。その円の広さがだんだんに狭くなっていくのだ。晴天に大きな蛇の目傘をひろげたようであったのが、ずんずん小さくなって、黒い丸い窓のように見えるまで狭くなり、やがて黒い目玉ほどになった。
「うむ、ちく生」
山岸中尉が、彼に似合わぬきたないことばを吐いた。よほど癪にさわったとみえる。艇は黒い目玉めがけて突進していったが、やっぱり間にあわなかった。ついにその小さい黒い目玉も消えてなくなり、前は一面に白い雲でおおわれてしまった。艇はいまやすっかり怪雲に包まれてしまったのだ。一号艇を救い出そうとして、その後を追った二号艇であったが、いくばくもなくして、自らも同じ運命におちこんでしまったのであった。
だが、山岸中尉は、まだ希望をすててはいなかった。たとえこれが怪雲だとしても、これくらいのものは体当りでぶち切ることができるかもしれないと思っていた。そこで彼は、全速をかけたままで、白い怪雲の壁をめがけて激しくどんとぶつかった。
いけなかった。それがひじょうにまずかった。速度が見る見るうちに落ちた。そしてついにとまってしまった。と思ったら、あろうことかあるまいことか、こんどはあべこべに後方へぶうんと艇が走りだしたではないか。
山岸中尉は、あぶら汗をべっとりとかいた。操縦桿だけは放さなかったが、艇はもう全く彼の思うとおりには動かなくなった。
(もう処置なしだ)
と、中尉は心の中で叫んだ。そのうちに艇は次第に安定を回復してきたように思われた。そこで中尉は、ふと計器盤の速度計に目をやった。とたんに彼は、
「あっ」
と叫んだ。速度計が零を指しているではないか。噴射機関に異状はないのに……。高度計はと見れば、いつの間にか零の近くまでもどっている。竜造寺兵曹長が消息をたつ、その直前に打った謎の無電と同じ状況ではないか。ああ、あの無電……。
“……高度二万八千メートルニ達セシトコロ、突然轟音トトモニハゲシキ震動ヲ受ケ、異状ニ突入セリ。噴射機関等ニマッタク異状ナキニモカカワラズ、速度計ハ零ヲ指シ、舵器マタキカズ。ソレニツヅキ高度計ノ指針ハ急ニ自然ニ下リテ、ホトンド零ニモドル。気温ハ上昇シツツアリ……”
そうだ。たしかに暑苦しくなってきた。
“……タダイマ外部ノ気圧計急ニ上昇ヲハジメ、早クモ五百五……”
五百五というところで、竜造寺兵曹長の無電は切れたのだった。山岸中尉が外部気圧計の面をのぞくと、このときの艇内の気圧は五百七十ミリを指していた。なるほど竜造寺兵曹長の場合と同じだ。高度二万七千メートルなら気圧はせいぜい二十ミリぐらいであるはず、それが五百七十ミリを示している。これは高度二千メートル附近にあたる。
大異変来る。ついに竜造寺兵曹長と同じ運命におちいったのだ。山岸中尉は大きく息をすいこんだ。
「ああ、『魔の空間』、ほんとうだったな」
| 高度二万七千メートルの成層圏に曇は存在するか。 | 高度二万七千メートルの成層圏には水蒸気は存在しないから、雲がある道理がないのだ。 |
JCRRAG_010734 | 国語 | 成層圏も、高度二万七千メートルになると、いやにすごくなる。まるで月光の下の墓場を見る感じだ。いや、それ以上だ。
いまはまだ昼間だというのに、空はすっかり光を失って、漆のように黒くぬりつぶされている。ただ光るものは、ダイヤモンドをまきちらしたような無数の星、それとならんで冷たく光っている銀盆のような衰えた太陽が見えるばかり。この荒涼たる成層圏風景を、うっかり永くながめていようものなら、そのうちに頭がへんになってくる。
そういう折しも、指揮官望月大尉ののった彗星一号艇が奇怪なる消失。あれよあれよといううちに、白く光る廻転楕円体の雲の中に包まれて、見えなくなったそのふしぎさ。なぜといって、高度二万七千メートルの成層圏には水蒸気は存在しないから、雲がある道理がないのだ。しかるに帆村荘六も、山岸中尉もともにはっきりと白い雲を見たのである。けっして見まちがいではないのだ。うち重なる成層圏の怪異。この怪異をとく鍵はどこにあるのか。
彗星一号艇を包んでしまったあやしい形の雲、あの雲こそ「魔の空間」だと帆村荘六は叫んで、山岸中尉に注意をしたが、これは鍵ではない。鍵のはいっている箱かもしれないという程度である。けっきょく「魔の空間」とはどんなものか、それがわからなければ、この謎はとけはじめないだろう。戦う彗星部隊は、高度飛行のくるしさの上に、こうした頭脳のくるしさまでが重々しくのしかかっているのだ。
「電信員」
山岸中尉の声が、爆発したように聞えた。
「はい」
弟の山岸少年は、元気な声をはりあげて、兄にこたえた。
「無電をうて、平文で急げ」
中尉は急いでいる。無理もない。帆村は目を近づく楕円雲に、耳を山岸中尉の声に使いわけて緊張の頂点にある。
「宛、左倉班長。本文。高度二万七千、一号艇廻転楕円体ノ白雲内ニ消ユ、ワレ、ソノ雲ニ突進セントス、オワリ」
電文は簡単である。だが簡単な中に、ひじょうにすごい響きがある。山岸少年は、電文を復誦した。一字もまちがいはない。中尉が「よし」というのを聞いて、ただちに電鍵をたたきはじめる。さっき中尉から命令をうけると、すぐさま少年は送電機のスイッチを入れて、真空管に点火し、右手の指は電鍵の上に軽くおいて、いつでも打てるように用意をして待っていたのだ。電文は地上指揮所にとどいて、すぐさま同じ文句を地上からうちかえしてきた。
だが、どうしたものか、その無電は途中でぷつんと切れてしまった。そして山岸少年の耳にかけた受話器に、七色の笛のようなうなり音がはいってきた。
「機長、地上からの送信に、異状がおこりました」
と、山岸少年は、すばやくその異状を機長にとどけ出た。
山岸少年は、兄の返事を聞くことができなかった。そのとき事態はひじょうに迫っていたのである。いつどこからわき出したか、白い雲がかなり早い速さでするすると拡って、早くも二号艇を半分ばかり包んでしまったのだ。山岸中尉は、すべての注意力をそっちへそそいでいた。彼はその雲に包まれまいとして、あらゆる努力をこころみた。まだその雲ののび切っていない方向へ全速力でとばせた。が、白い雲は意地わるく、右から左から、また上から下からと、白いゴム布をのばしたようにのびていった。しかもそののび方が一点をめがけてのびていくように見える。残された出口ともいうべき暗黒の空が、見る見るうちに狭くなっていくのだ。
奇妙にも、その残された黒い空は円形をなしていた。その円の広さがだんだんに狭くなっていくのだ。晴天に大きな蛇の目傘をひろげたようであったのが、ずんずん小さくなって、黒い丸い窓のように見えるまで狭くなり、やがて黒い目玉ほどになった。
「うむ、ちく生」
山岸中尉が、彼に似合わぬきたないことばを吐いた。よほど癪にさわったとみえる。艇は黒い目玉めがけて突進していったが、やっぱり間にあわなかった。ついにその小さい黒い目玉も消えてなくなり、前は一面に白い雲でおおわれてしまった。艇はいまやすっかり怪雲に包まれてしまったのだ。一号艇を救い出そうとして、その後を追った二号艇であったが、いくばくもなくして、自らも同じ運命におちこんでしまったのであった。
だが、山岸中尉は、まだ希望をすててはいなかった。たとえこれが怪雲だとしても、これくらいのものは体当りでぶち切ることができるかもしれないと思っていた。そこで彼は、全速をかけたままで、白い怪雲の壁をめがけて激しくどんとぶつかった。
いけなかった。それがひじょうにまずかった。速度が見る見るうちに落ちた。そしてついにとまってしまった。と思ったら、あろうことかあるまいことか、こんどはあべこべに後方へぶうんと艇が走りだしたではないか。
山岸中尉は、あぶら汗をべっとりとかいた。操縦桿だけは放さなかったが、艇はもう全く彼の思うとおりには動かなくなった。
(もう処置なしだ)
と、中尉は心の中で叫んだ。そのうちに艇は次第に安定を回復してきたように思われた。そこで中尉は、ふと計器盤の速度計に目をやった。とたんに彼は、
「あっ」
と叫んだ。速度計が零を指しているではないか。噴射機関に異状はないのに……。高度計はと見れば、いつの間にか零の近くまでもどっている。竜造寺兵曹長が消息をたつ、その直前に打った謎の無電と同じ状況ではないか。ああ、あの無電……。
“……高度二万八千メートルニ達セシトコロ、突然轟音トトモニハゲシキ震動ヲ受ケ、異状ニ突入セリ。噴射機関等ニマッタク異状ナキニモカカワラズ、速度計ハ零ヲ指シ、舵器マタキカズ。ソレニツヅキ高度計ノ指針ハ急ニ自然ニ下リテ、ホトンド零ニモドル。気温ハ上昇シツツアリ……”
そうだ。たしかに暑苦しくなってきた。
“……タダイマ外部ノ気圧計急ニ上昇ヲハジメ、早クモ五百五……”
五百五というところで、竜造寺兵曹長の無電は切れたのだった。山岸中尉が外部気圧計の面をのぞくと、このときの艇内の気圧は五百七十ミリを指していた。なるほど竜造寺兵曹長の場合と同じだ。高度二万七千メートルなら気圧はせいぜい二十ミリぐらいであるはず、それが五百七十ミリを示している。これは高度二千メートル附近にあたる。
大異変来る。ついに竜造寺兵曹長と同じ運命におちいったのだ。山岸中尉は大きく息をすいこんだ。
「ああ、『魔の空間』、ほんとうだったな」
| けっきょく、なにがわからなければ魔の空間の謎はとけはじめないか。 | けっきょく「魔の空間」とはどんなものか、それがわからなければ、この謎はとけはじめないだろう。 |
JCRRAG_010735 | 国語 | 成層圏も、高度二万七千メートルになると、いやにすごくなる。まるで月光の下の墓場を見る感じだ。いや、それ以上だ。
いまはまだ昼間だというのに、空はすっかり光を失って、漆のように黒くぬりつぶされている。ただ光るものは、ダイヤモンドをまきちらしたような無数の星、それとならんで冷たく光っている銀盆のような衰えた太陽が見えるばかり。この荒涼たる成層圏風景を、うっかり永くながめていようものなら、そのうちに頭がへんになってくる。
そういう折しも、指揮官望月大尉ののった彗星一号艇が奇怪なる消失。あれよあれよといううちに、白く光る廻転楕円体の雲の中に包まれて、見えなくなったそのふしぎさ。なぜといって、高度二万七千メートルの成層圏には水蒸気は存在しないから、雲がある道理がないのだ。しかるに帆村荘六も、山岸中尉もともにはっきりと白い雲を見たのである。けっして見まちがいではないのだ。うち重なる成層圏の怪異。この怪異をとく鍵はどこにあるのか。
彗星一号艇を包んでしまったあやしい形の雲、あの雲こそ「魔の空間」だと帆村荘六は叫んで、山岸中尉に注意をしたが、これは鍵ではない。鍵のはいっている箱かもしれないという程度である。けっきょく「魔の空間」とはどんなものか、それがわからなければ、この謎はとけはじめないだろう。戦う彗星部隊は、高度飛行のくるしさの上に、こうした頭脳のくるしさまでが重々しくのしかかっているのだ。
「電信員」
山岸中尉の声が、爆発したように聞えた。
「はい」
弟の山岸少年は、元気な声をはりあげて、兄にこたえた。
「無電をうて、平文で急げ」
中尉は急いでいる。無理もない。帆村は目を近づく楕円雲に、耳を山岸中尉の声に使いわけて緊張の頂点にある。
「宛、左倉班長。本文。高度二万七千、一号艇廻転楕円体ノ白雲内ニ消ユ、ワレ、ソノ雲ニ突進セントス、オワリ」
電文は簡単である。だが簡単な中に、ひじょうにすごい響きがある。山岸少年は、電文を復誦した。一字もまちがいはない。中尉が「よし」というのを聞いて、ただちに電鍵をたたきはじめる。さっき中尉から命令をうけると、すぐさま少年は送電機のスイッチを入れて、真空管に点火し、右手の指は電鍵の上に軽くおいて、いつでも打てるように用意をして待っていたのだ。電文は地上指揮所にとどいて、すぐさま同じ文句を地上からうちかえしてきた。
だが、どうしたものか、その無電は途中でぷつんと切れてしまった。そして山岸少年の耳にかけた受話器に、七色の笛のようなうなり音がはいってきた。
「機長、地上からの送信に、異状がおこりました」
と、山岸少年は、すばやくその異状を機長にとどけ出た。
山岸少年は、兄の返事を聞くことができなかった。そのとき事態はひじょうに迫っていたのである。いつどこからわき出したか、白い雲がかなり早い速さでするすると拡って、早くも二号艇を半分ばかり包んでしまったのだ。山岸中尉は、すべての注意力をそっちへそそいでいた。彼はその雲に包まれまいとして、あらゆる努力をこころみた。まだその雲ののび切っていない方向へ全速力でとばせた。が、白い雲は意地わるく、右から左から、また上から下からと、白いゴム布をのばしたようにのびていった。しかもそののび方が一点をめがけてのびていくように見える。残された出口ともいうべき暗黒の空が、見る見るうちに狭くなっていくのだ。
奇妙にも、その残された黒い空は円形をなしていた。その円の広さがだんだんに狭くなっていくのだ。晴天に大きな蛇の目傘をひろげたようであったのが、ずんずん小さくなって、黒い丸い窓のように見えるまで狭くなり、やがて黒い目玉ほどになった。
「うむ、ちく生」
山岸中尉が、彼に似合わぬきたないことばを吐いた。よほど癪にさわったとみえる。艇は黒い目玉めがけて突進していったが、やっぱり間にあわなかった。ついにその小さい黒い目玉も消えてなくなり、前は一面に白い雲でおおわれてしまった。艇はいまやすっかり怪雲に包まれてしまったのだ。一号艇を救い出そうとして、その後を追った二号艇であったが、いくばくもなくして、自らも同じ運命におちこんでしまったのであった。
だが、山岸中尉は、まだ希望をすててはいなかった。たとえこれが怪雲だとしても、これくらいのものは体当りでぶち切ることができるかもしれないと思っていた。そこで彼は、全速をかけたままで、白い怪雲の壁をめがけて激しくどんとぶつかった。
いけなかった。それがひじょうにまずかった。速度が見る見るうちに落ちた。そしてついにとまってしまった。と思ったら、あろうことかあるまいことか、こんどはあべこべに後方へぶうんと艇が走りだしたではないか。
山岸中尉は、あぶら汗をべっとりとかいた。操縦桿だけは放さなかったが、艇はもう全く彼の思うとおりには動かなくなった。
(もう処置なしだ)
と、中尉は心の中で叫んだ。そのうちに艇は次第に安定を回復してきたように思われた。そこで中尉は、ふと計器盤の速度計に目をやった。とたんに彼は、
「あっ」
と叫んだ。速度計が零を指しているではないか。噴射機関に異状はないのに……。高度計はと見れば、いつの間にか零の近くまでもどっている。竜造寺兵曹長が消息をたつ、その直前に打った謎の無電と同じ状況ではないか。ああ、あの無電……。
“……高度二万八千メートルニ達セシトコロ、突然轟音トトモニハゲシキ震動ヲ受ケ、異状ニ突入セリ。噴射機関等ニマッタク異状ナキニモカカワラズ、速度計ハ零ヲ指シ、舵器マタキカズ。ソレニツヅキ高度計ノ指針ハ急ニ自然ニ下リテ、ホトンド零ニモドル。気温ハ上昇シツツアリ……”
そうだ。たしかに暑苦しくなってきた。
“……タダイマ外部ノ気圧計急ニ上昇ヲハジメ、早クモ五百五……”
五百五というところで、竜造寺兵曹長の無電は切れたのだった。山岸中尉が外部気圧計の面をのぞくと、このときの艇内の気圧は五百七十ミリを指していた。なるほど竜造寺兵曹長の場合と同じだ。高度二万七千メートルなら気圧はせいぜい二十ミリぐらいであるはず、それが五百七十ミリを示している。これは高度二千メートル附近にあたる。
大異変来る。ついに竜造寺兵曹長と同じ運命におちいったのだ。山岸中尉は大きく息をすいこんだ。
「ああ、『魔の空間』、ほんとうだったな」
| 弟の山岸少年は兄に対してどのような声をはりあげたか。 | 弟の山岸少年は、元気な声をはりあげて、兄にこたえた。 |
JCRRAG_010736 | 国語 | 山岸中尉は、ついに操縦桿から手を放した。もうこのうえ操縦桿を握っていることが意味なしと思ったからである。
繰縦桿を放しても、艇はすこぶる安定であった。山岸中尉は、こみあげてくる腹立たしさに、「ちえっ」と舌うちした。倒れた壁の下におさえつけられたも同様だ。
それから山岸中尉は、うしろをふりむいた。搭乗のあとの二人は、どんな顔をしているだろう……。
中尉の弟である山岸少年は、艇がいまどんな危険な状態にあるかということを、すこしも知らぬらしい顔つきで、しきりに無電機械を調整しつづけている。地上との通信が切れたのは、彼自身のせいだと思って、一生けんめい直しているのだった。
もう一人の搭乗者たる帆村荘六は、さっき大きな声で、「魔の空間」へ近づいたと叫んだ頃は、しきりにさわいでいたが、いま見ると、彼は手帳を出して、その中に何か盛んに書きこんでいる。これまた山岸少年におとらぬ落着きぶりだ。
山岸中尉は、ほっと息をついた。いま部下の二人が、あんがい落着いていてくれることは、たいへんありがたい。いまのうちに、死の覚悟をといておこうと思った。中尉の観測では、自分たちの生命は、あと十五分か二十分ぐらいだろうと思った。
「総員集れ」
と、中尉が叫ぶと、山岸少年は、はっと顔をあげて、耳から受話器をはずした。その目は、さっと不安の色が走った。
「兄さん、どうしたんです」
「ばか。電信員、用語に注意」
山岸中尉は、こんな場合にも注意することを忘れなかった。
帆村は手帳を持ったまま席を立ち、中尉のそばへ行こうとしたが、ちょうど山岸少年が通りかかったので、彼に狭い通路をゆずってやった。
「本艇はただいま大危難にさらされている。死の覚悟をしてもらいたい」
中尉はふるえていた。
「お待ちなさい――。いや機長、意見をいわせてください」
と、帆村がいった。
「よろしい。何でもいってよろしい」
中尉は、帆村の意見も、この際何の役にも立つまいと思った。
「機長。私は、私たちがいま生命の危険におびやかされているとは考えません。いや、むしろぜったいに安全だと思うのです」
「なぜか。説明を……」
「いや、そんなことは後で話をしましょう。それより目下最も大切なのは、本艇が積んでいる、成層圏落下傘と投下無電機です。こればかりは敵に渡さないようにして下さい」
「敵、敵とは……」
「いまの二種のものは敵の目をくらますために、糧食庫の底へでも入れておいた方がよくありませんか」
帆村は、中尉にはこたえないで、自分のいおうとすることだけについて語った。
「敵とは誰ですか、帆村さん。アメリカ人ですか」
と、山岸少年がたずねた。少年もいっこうわけがわからないといった面持だ。
「敵といえば、わかっているよ。例の緑色の怪物だ。いや、ここでは緑色の衣裳をぬいでいるかもしれないが……。しかし、少くともわれわれのいるここへ来るときは、例の服装でいるだろう」
「ああ、あいつですか。鉱山の底で死んだふりをしていた。青いとかげの化物みたいな奴……。大きな目が二つあって、頭に角が三本生えている、あのいやらしい怪物のことですか」
「帆村班員はほんとうにそう思っているのか。いったいそれはどういうわけで……」
と、山岸中尉も、思わず声を大きくして帆村の方へすり寄った。
「これは別にたいした予言でもありませんよ。なぜといって……」
と、帆村は途中で言葉をとめてしまった。
「帆村さん。早く話をしてください」
「話をするよりも、実物を見た方が早いよ。それっ、窓から外を見たまえ。例の緑色の怪物どもがおしかけて来たよ。ふふふ、これは面白い」
「えっ」
山岸少年が窓の方へ目を走らせると、たしかに帆村のいったとおりだ。向こうからこっちへ、緑色の怪物が十四五名、肩を組んだようにしてぞろぞろと歩いてくる。そしてその先頭に立って歩いている一名が、手をあげて何か叫んでいる様子だ。それは山岸たちに向かって呼びかけているように思われる。
「総員戦闘準備……」
山岸中尉は、いよいよ来るものが来たと思って、戦うつもりだ。
「待った。機長、はじめから戦うつもりでいたんでは、こっちの不利となりますよ。しばらく成行にまかせてみようじゃないですか」
「いや、捕虜になるのは困る」
「捕虜ということはないですよ。あの緑人どもは、われわれ地球人類と話をしたがっているのだと思います。だから、私たちを大事にするに違いありません」
「どうかなあ」
「まあ、こんどだけは私のいうところに従ってください。そしてここをさよならするまでは、短気を出さないように頼みますよ」
「帆村班員は、よくそんなに落着いていられるなあ」
「なあに、私は大いに喜んでいるのです。緑色の怪物どもから、われわれのまだ知らない、宇宙の秘密をしゃべらせてみせますよ。とうぶん彼等を憎まず、そして恐れず、しばらくつきあってみましょう。その結果、許すべからざる無礼者だとわかったら、そのときは山岸中尉に腕をふるってもらいましょう」
「竜造寺兵曹長の、安否をはやく知りたいものだ」
「それは頃合をはかって聞いてみましょう。私は兵曹長が無事で生きているような気がしますよ」
そういっているとき、緑鬼たちは、窓のところへ来て、外からどんどん窓をたたきはじめた。早くここを開けといっているらしい。
「ほう、外部の気圧は七百六十ミリになっていますよ。これはあの緑鬼どもが、ちゃんと空気を『魔の空間』へ送りこんで、私たちが楽に呼吸できるように用意しているのです。ですから、とうぶん生命の危険はないはずです。では扉をあけましょうか」
と、帆村は心得顔でいった。
| なぜ山岸中尉は、操縦桿から手を放したか。 | 操縦桿を握っていることが意味なしと思ったからである。 |
JCRRAG_010737 | 国語 | 山岸中尉は、ついに操縦桿から手を放した。もうこのうえ操縦桿を握っていることが意味なしと思ったからである。
繰縦桿を放しても、艇はすこぶる安定であった。山岸中尉は、こみあげてくる腹立たしさに、「ちえっ」と舌うちした。倒れた壁の下におさえつけられたも同様だ。
それから山岸中尉は、うしろをふりむいた。搭乗のあとの二人は、どんな顔をしているだろう……。
中尉の弟である山岸少年は、艇がいまどんな危険な状態にあるかということを、すこしも知らぬらしい顔つきで、しきりに無電機械を調整しつづけている。地上との通信が切れたのは、彼自身のせいだと思って、一生けんめい直しているのだった。
もう一人の搭乗者たる帆村荘六は、さっき大きな声で、「魔の空間」へ近づいたと叫んだ頃は、しきりにさわいでいたが、いま見ると、彼は手帳を出して、その中に何か盛んに書きこんでいる。これまた山岸少年におとらぬ落着きぶりだ。
山岸中尉は、ほっと息をついた。いま部下の二人が、あんがい落着いていてくれることは、たいへんありがたい。いまのうちに、死の覚悟をといておこうと思った。中尉の観測では、自分たちの生命は、あと十五分か二十分ぐらいだろうと思った。
「総員集れ」
と、中尉が叫ぶと、山岸少年は、はっと顔をあげて、耳から受話器をはずした。その目は、さっと不安の色が走った。
「兄さん、どうしたんです」
「ばか。電信員、用語に注意」
山岸中尉は、こんな場合にも注意することを忘れなかった。
帆村は手帳を持ったまま席を立ち、中尉のそばへ行こうとしたが、ちょうど山岸少年が通りかかったので、彼に狭い通路をゆずってやった。
「本艇はただいま大危難にさらされている。死の覚悟をしてもらいたい」
中尉はふるえていた。
「お待ちなさい――。いや機長、意見をいわせてください」
と、帆村がいった。
「よろしい。何でもいってよろしい」
中尉は、帆村の意見も、この際何の役にも立つまいと思った。
「機長。私は、私たちがいま生命の危険におびやかされているとは考えません。いや、むしろぜったいに安全だと思うのです」
「なぜか。説明を……」
「いや、そんなことは後で話をしましょう。それより目下最も大切なのは、本艇が積んでいる、成層圏落下傘と投下無電機です。こればかりは敵に渡さないようにして下さい」
「敵、敵とは……」
「いまの二種のものは敵の目をくらますために、糧食庫の底へでも入れておいた方がよくありませんか」
帆村は、中尉にはこたえないで、自分のいおうとすることだけについて語った。
「敵とは誰ですか、帆村さん。アメリカ人ですか」
と、山岸少年がたずねた。少年もいっこうわけがわからないといった面持だ。
「敵といえば、わかっているよ。例の緑色の怪物だ。いや、ここでは緑色の衣裳をぬいでいるかもしれないが……。しかし、少くともわれわれのいるここへ来るときは、例の服装でいるだろう」
「ああ、あいつですか。鉱山の底で死んだふりをしていた。青いとかげの化物みたいな奴……。大きな目が二つあって、頭に角が三本生えている、あのいやらしい怪物のことですか」
「帆村班員はほんとうにそう思っているのか。いったいそれはどういうわけで……」
と、山岸中尉も、思わず声を大きくして帆村の方へすり寄った。
「これは別にたいした予言でもありませんよ。なぜといって……」
と、帆村は途中で言葉をとめてしまった。
「帆村さん。早く話をしてください」
「話をするよりも、実物を見た方が早いよ。それっ、窓から外を見たまえ。例の緑色の怪物どもがおしかけて来たよ。ふふふ、これは面白い」
「えっ」
山岸少年が窓の方へ目を走らせると、たしかに帆村のいったとおりだ。向こうからこっちへ、緑色の怪物が十四五名、肩を組んだようにしてぞろぞろと歩いてくる。そしてその先頭に立って歩いている一名が、手をあげて何か叫んでいる様子だ。それは山岸たちに向かって呼びかけているように思われる。
「総員戦闘準備……」
山岸中尉は、いよいよ来るものが来たと思って、戦うつもりだ。
「待った。機長、はじめから戦うつもりでいたんでは、こっちの不利となりますよ。しばらく成行にまかせてみようじゃないですか」
「いや、捕虜になるのは困る」
「捕虜ということはないですよ。あの緑人どもは、われわれ地球人類と話をしたがっているのだと思います。だから、私たちを大事にするに違いありません」
「どうかなあ」
「まあ、こんどだけは私のいうところに従ってください。そしてここをさよならするまでは、短気を出さないように頼みますよ」
「帆村班員は、よくそんなに落着いていられるなあ」
「なあに、私は大いに喜んでいるのです。緑色の怪物どもから、われわれのまだ知らない、宇宙の秘密をしゃべらせてみせますよ。とうぶん彼等を憎まず、そして恐れず、しばらくつきあってみましょう。その結果、許すべからざる無礼者だとわかったら、そのときは山岸中尉に腕をふるってもらいましょう」
「竜造寺兵曹長の、安否をはやく知りたいものだ」
「それは頃合をはかって聞いてみましょう。私は兵曹長が無事で生きているような気がしますよ」
そういっているとき、緑鬼たちは、窓のところへ来て、外からどんどん窓をたたきはじめた。早くここを開けといっているらしい。
「ほう、外部の気圧は七百六十ミリになっていますよ。これはあの緑鬼どもが、ちゃんと空気を『魔の空間』へ送りこんで、私たちが楽に呼吸できるように用意しているのです。ですから、とうぶん生命の危険はないはずです。では扉をあけましょうか」
と、帆村は心得顔でいった。
| 山岸少年は、どのように耳から受話器をはずしたか。 | 山岸少年は、はっと顔をあげて、耳から受話器をはずした。 |
JCRRAG_010738 | 国語 | 山岸中尉は、ついに操縦桿から手を放した。もうこのうえ操縦桿を握っていることが意味なしと思ったからである。
繰縦桿を放しても、艇はすこぶる安定であった。山岸中尉は、こみあげてくる腹立たしさに、「ちえっ」と舌うちした。倒れた壁の下におさえつけられたも同様だ。
それから山岸中尉は、うしろをふりむいた。搭乗のあとの二人は、どんな顔をしているだろう……。
中尉の弟である山岸少年は、艇がいまどんな危険な状態にあるかということを、すこしも知らぬらしい顔つきで、しきりに無電機械を調整しつづけている。地上との通信が切れたのは、彼自身のせいだと思って、一生けんめい直しているのだった。
もう一人の搭乗者たる帆村荘六は、さっき大きな声で、「魔の空間」へ近づいたと叫んだ頃は、しきりにさわいでいたが、いま見ると、彼は手帳を出して、その中に何か盛んに書きこんでいる。これまた山岸少年におとらぬ落着きぶりだ。
山岸中尉は、ほっと息をついた。いま部下の二人が、あんがい落着いていてくれることは、たいへんありがたい。いまのうちに、死の覚悟をといておこうと思った。中尉の観測では、自分たちの生命は、あと十五分か二十分ぐらいだろうと思った。
「総員集れ」
と、中尉が叫ぶと、山岸少年は、はっと顔をあげて、耳から受話器をはずした。その目は、さっと不安の色が走った。
「兄さん、どうしたんです」
「ばか。電信員、用語に注意」
山岸中尉は、こんな場合にも注意することを忘れなかった。
帆村は手帳を持ったまま席を立ち、中尉のそばへ行こうとしたが、ちょうど山岸少年が通りかかったので、彼に狭い通路をゆずってやった。
「本艇はただいま大危難にさらされている。死の覚悟をしてもらいたい」
中尉はふるえていた。
「お待ちなさい――。いや機長、意見をいわせてください」
と、帆村がいった。
「よろしい。何でもいってよろしい」
中尉は、帆村の意見も、この際何の役にも立つまいと思った。
「機長。私は、私たちがいま生命の危険におびやかされているとは考えません。いや、むしろぜったいに安全だと思うのです」
「なぜか。説明を……」
「いや、そんなことは後で話をしましょう。それより目下最も大切なのは、本艇が積んでいる、成層圏落下傘と投下無電機です。こればかりは敵に渡さないようにして下さい」
「敵、敵とは……」
「いまの二種のものは敵の目をくらますために、糧食庫の底へでも入れておいた方がよくありませんか」
帆村は、中尉にはこたえないで、自分のいおうとすることだけについて語った。
「敵とは誰ですか、帆村さん。アメリカ人ですか」
と、山岸少年がたずねた。少年もいっこうわけがわからないといった面持だ。
「敵といえば、わかっているよ。例の緑色の怪物だ。いや、ここでは緑色の衣裳をぬいでいるかもしれないが……。しかし、少くともわれわれのいるここへ来るときは、例の服装でいるだろう」
「ああ、あいつですか。鉱山の底で死んだふりをしていた。青いとかげの化物みたいな奴……。大きな目が二つあって、頭に角が三本生えている、あのいやらしい怪物のことですか」
「帆村班員はほんとうにそう思っているのか。いったいそれはどういうわけで……」
と、山岸中尉も、思わず声を大きくして帆村の方へすり寄った。
「これは別にたいした予言でもありませんよ。なぜといって……」
と、帆村は途中で言葉をとめてしまった。
「帆村さん。早く話をしてください」
「話をするよりも、実物を見た方が早いよ。それっ、窓から外を見たまえ。例の緑色の怪物どもがおしかけて来たよ。ふふふ、これは面白い」
「えっ」
山岸少年が窓の方へ目を走らせると、たしかに帆村のいったとおりだ。向こうからこっちへ、緑色の怪物が十四五名、肩を組んだようにしてぞろぞろと歩いてくる。そしてその先頭に立って歩いている一名が、手をあげて何か叫んでいる様子だ。それは山岸たちに向かって呼びかけているように思われる。
「総員戦闘準備……」
山岸中尉は、いよいよ来るものが来たと思って、戦うつもりだ。
「待った。機長、はじめから戦うつもりでいたんでは、こっちの不利となりますよ。しばらく成行にまかせてみようじゃないですか」
「いや、捕虜になるのは困る」
「捕虜ということはないですよ。あの緑人どもは、われわれ地球人類と話をしたがっているのだと思います。だから、私たちを大事にするに違いありません」
「どうかなあ」
「まあ、こんどだけは私のいうところに従ってください。そしてここをさよならするまでは、短気を出さないように頼みますよ」
「帆村班員は、よくそんなに落着いていられるなあ」
「なあに、私は大いに喜んでいるのです。緑色の怪物どもから、われわれのまだ知らない、宇宙の秘密をしゃべらせてみせますよ。とうぶん彼等を憎まず、そして恐れず、しばらくつきあってみましょう。その結果、許すべからざる無礼者だとわかったら、そのときは山岸中尉に腕をふるってもらいましょう」
「竜造寺兵曹長の、安否をはやく知りたいものだ」
「それは頃合をはかって聞いてみましょう。私は兵曹長が無事で生きているような気がしますよ」
そういっているとき、緑鬼たちは、窓のところへ来て、外からどんどん窓をたたきはじめた。早くここを開けといっているらしい。
「ほう、外部の気圧は七百六十ミリになっていますよ。これはあの緑鬼どもが、ちゃんと空気を『魔の空間』へ送りこんで、私たちが楽に呼吸できるように用意しているのです。ですから、とうぶん生命の危険はないはずです。では扉をあけましょうか」
と、帆村は心得顔でいった。
| 帆村は手帳を持ったまま席を立ち、中尉のそばへ行こうとした時に、山岸少年に何をしたか。 | 帆村は手帳を持ったまま席を立ち、中尉のそばへ行こうとしたが、ちょうど山岸少年が通りかかったので、彼に狭い通路をゆずってやった。 |
JCRRAG_010739 | 国語 | 山岸中尉は、ついに操縦桿から手を放した。もうこのうえ操縦桿を握っていることが意味なしと思ったからである。
繰縦桿を放しても、艇はすこぶる安定であった。山岸中尉は、こみあげてくる腹立たしさに、「ちえっ」と舌うちした。倒れた壁の下におさえつけられたも同様だ。
それから山岸中尉は、うしろをふりむいた。搭乗のあとの二人は、どんな顔をしているだろう……。
中尉の弟である山岸少年は、艇がいまどんな危険な状態にあるかということを、すこしも知らぬらしい顔つきで、しきりに無電機械を調整しつづけている。地上との通信が切れたのは、彼自身のせいだと思って、一生けんめい直しているのだった。
もう一人の搭乗者たる帆村荘六は、さっき大きな声で、「魔の空間」へ近づいたと叫んだ頃は、しきりにさわいでいたが、いま見ると、彼は手帳を出して、その中に何か盛んに書きこんでいる。これまた山岸少年におとらぬ落着きぶりだ。
山岸中尉は、ほっと息をついた。いま部下の二人が、あんがい落着いていてくれることは、たいへんありがたい。いまのうちに、死の覚悟をといておこうと思った。中尉の観測では、自分たちの生命は、あと十五分か二十分ぐらいだろうと思った。
「総員集れ」
と、中尉が叫ぶと、山岸少年は、はっと顔をあげて、耳から受話器をはずした。その目は、さっと不安の色が走った。
「兄さん、どうしたんです」
「ばか。電信員、用語に注意」
山岸中尉は、こんな場合にも注意することを忘れなかった。
帆村は手帳を持ったまま席を立ち、中尉のそばへ行こうとしたが、ちょうど山岸少年が通りかかったので、彼に狭い通路をゆずってやった。
「本艇はただいま大危難にさらされている。死の覚悟をしてもらいたい」
中尉はふるえていた。
「お待ちなさい――。いや機長、意見をいわせてください」
と、帆村がいった。
「よろしい。何でもいってよろしい」
中尉は、帆村の意見も、この際何の役にも立つまいと思った。
「機長。私は、私たちがいま生命の危険におびやかされているとは考えません。いや、むしろぜったいに安全だと思うのです」
「なぜか。説明を……」
「いや、そんなことは後で話をしましょう。それより目下最も大切なのは、本艇が積んでいる、成層圏落下傘と投下無電機です。こればかりは敵に渡さないようにして下さい」
「敵、敵とは……」
「いまの二種のものは敵の目をくらますために、糧食庫の底へでも入れておいた方がよくありませんか」
帆村は、中尉にはこたえないで、自分のいおうとすることだけについて語った。
「敵とは誰ですか、帆村さん。アメリカ人ですか」
と、山岸少年がたずねた。少年もいっこうわけがわからないといった面持だ。
「敵といえば、わかっているよ。例の緑色の怪物だ。いや、ここでは緑色の衣裳をぬいでいるかもしれないが……。しかし、少くともわれわれのいるここへ来るときは、例の服装でいるだろう」
「ああ、あいつですか。鉱山の底で死んだふりをしていた。青いとかげの化物みたいな奴……。大きな目が二つあって、頭に角が三本生えている、あのいやらしい怪物のことですか」
「帆村班員はほんとうにそう思っているのか。いったいそれはどういうわけで……」
と、山岸中尉も、思わず声を大きくして帆村の方へすり寄った。
「これは別にたいした予言でもありませんよ。なぜといって……」
と、帆村は途中で言葉をとめてしまった。
「帆村さん。早く話をしてください」
「話をするよりも、実物を見た方が早いよ。それっ、窓から外を見たまえ。例の緑色の怪物どもがおしかけて来たよ。ふふふ、これは面白い」
「えっ」
山岸少年が窓の方へ目を走らせると、たしかに帆村のいったとおりだ。向こうからこっちへ、緑色の怪物が十四五名、肩を組んだようにしてぞろぞろと歩いてくる。そしてその先頭に立って歩いている一名が、手をあげて何か叫んでいる様子だ。それは山岸たちに向かって呼びかけているように思われる。
「総員戦闘準備……」
山岸中尉は、いよいよ来るものが来たと思って、戦うつもりだ。
「待った。機長、はじめから戦うつもりでいたんでは、こっちの不利となりますよ。しばらく成行にまかせてみようじゃないですか」
「いや、捕虜になるのは困る」
「捕虜ということはないですよ。あの緑人どもは、われわれ地球人類と話をしたがっているのだと思います。だから、私たちを大事にするに違いありません」
「どうかなあ」
「まあ、こんどだけは私のいうところに従ってください。そしてここをさよならするまでは、短気を出さないように頼みますよ」
「帆村班員は、よくそんなに落着いていられるなあ」
「なあに、私は大いに喜んでいるのです。緑色の怪物どもから、われわれのまだ知らない、宇宙の秘密をしゃべらせてみせますよ。とうぶん彼等を憎まず、そして恐れず、しばらくつきあってみましょう。その結果、許すべからざる無礼者だとわかったら、そのときは山岸中尉に腕をふるってもらいましょう」
「竜造寺兵曹長の、安否をはやく知りたいものだ」
「それは頃合をはかって聞いてみましょう。私は兵曹長が無事で生きているような気がしますよ」
そういっているとき、緑鬼たちは、窓のところへ来て、外からどんどん窓をたたきはじめた。早くここを開けといっているらしい。
「ほう、外部の気圧は七百六十ミリになっていますよ。これはあの緑鬼どもが、ちゃんと空気を『魔の空間』へ送りこんで、私たちが楽に呼吸できるように用意しているのです。ですから、とうぶん生命の危険はないはずです。では扉をあけましょうか」
と、帆村は心得顔でいった。
| 中尉の観測では、自分たちの生命はどれくらいと思ったか。 | 中尉の観測では、自分たちの生命は、あと十五分か二十分ぐらいだろうと思った。 |
JCRRAG_010740 | 国語 | 山岸中尉は、ついに操縦桿から手を放した。もうこのうえ操縦桿を握っていることが意味なしと思ったからである。
繰縦桿を放しても、艇はすこぶる安定であった。山岸中尉は、こみあげてくる腹立たしさに、「ちえっ」と舌うちした。倒れた壁の下におさえつけられたも同様だ。
それから山岸中尉は、うしろをふりむいた。搭乗のあとの二人は、どんな顔をしているだろう……。
中尉の弟である山岸少年は、艇がいまどんな危険な状態にあるかということを、すこしも知らぬらしい顔つきで、しきりに無電機械を調整しつづけている。地上との通信が切れたのは、彼自身のせいだと思って、一生けんめい直しているのだった。
もう一人の搭乗者たる帆村荘六は、さっき大きな声で、「魔の空間」へ近づいたと叫んだ頃は、しきりにさわいでいたが、いま見ると、彼は手帳を出して、その中に何か盛んに書きこんでいる。これまた山岸少年におとらぬ落着きぶりだ。
山岸中尉は、ほっと息をついた。いま部下の二人が、あんがい落着いていてくれることは、たいへんありがたい。いまのうちに、死の覚悟をといておこうと思った。中尉の観測では、自分たちの生命は、あと十五分か二十分ぐらいだろうと思った。
「総員集れ」
と、中尉が叫ぶと、山岸少年は、はっと顔をあげて、耳から受話器をはずした。その目は、さっと不安の色が走った。
「兄さん、どうしたんです」
「ばか。電信員、用語に注意」
山岸中尉は、こんな場合にも注意することを忘れなかった。
帆村は手帳を持ったまま席を立ち、中尉のそばへ行こうとしたが、ちょうど山岸少年が通りかかったので、彼に狭い通路をゆずってやった。
「本艇はただいま大危難にさらされている。死の覚悟をしてもらいたい」
中尉はふるえていた。
「お待ちなさい――。いや機長、意見をいわせてください」
と、帆村がいった。
「よろしい。何でもいってよろしい」
中尉は、帆村の意見も、この際何の役にも立つまいと思った。
「機長。私は、私たちがいま生命の危険におびやかされているとは考えません。いや、むしろぜったいに安全だと思うのです」
「なぜか。説明を……」
「いや、そんなことは後で話をしましょう。それより目下最も大切なのは、本艇が積んでいる、成層圏落下傘と投下無電機です。こればかりは敵に渡さないようにして下さい」
「敵、敵とは……」
「いまの二種のものは敵の目をくらますために、糧食庫の底へでも入れておいた方がよくありませんか」
帆村は、中尉にはこたえないで、自分のいおうとすることだけについて語った。
「敵とは誰ですか、帆村さん。アメリカ人ですか」
と、山岸少年がたずねた。少年もいっこうわけがわからないといった面持だ。
「敵といえば、わかっているよ。例の緑色の怪物だ。いや、ここでは緑色の衣裳をぬいでいるかもしれないが……。しかし、少くともわれわれのいるここへ来るときは、例の服装でいるだろう」
「ああ、あいつですか。鉱山の底で死んだふりをしていた。青いとかげの化物みたいな奴……。大きな目が二つあって、頭に角が三本生えている、あのいやらしい怪物のことですか」
「帆村班員はほんとうにそう思っているのか。いったいそれはどういうわけで……」
と、山岸中尉も、思わず声を大きくして帆村の方へすり寄った。
「これは別にたいした予言でもありませんよ。なぜといって……」
と、帆村は途中で言葉をとめてしまった。
「帆村さん。早く話をしてください」
「話をするよりも、実物を見た方が早いよ。それっ、窓から外を見たまえ。例の緑色の怪物どもがおしかけて来たよ。ふふふ、これは面白い」
「えっ」
山岸少年が窓の方へ目を走らせると、たしかに帆村のいったとおりだ。向こうからこっちへ、緑色の怪物が十四五名、肩を組んだようにしてぞろぞろと歩いてくる。そしてその先頭に立って歩いている一名が、手をあげて何か叫んでいる様子だ。それは山岸たちに向かって呼びかけているように思われる。
「総員戦闘準備……」
山岸中尉は、いよいよ来るものが来たと思って、戦うつもりだ。
「待った。機長、はじめから戦うつもりでいたんでは、こっちの不利となりますよ。しばらく成行にまかせてみようじゃないですか」
「いや、捕虜になるのは困る」
「捕虜ということはないですよ。あの緑人どもは、われわれ地球人類と話をしたがっているのだと思います。だから、私たちを大事にするに違いありません」
「どうかなあ」
「まあ、こんどだけは私のいうところに従ってください。そしてここをさよならするまでは、短気を出さないように頼みますよ」
「帆村班員は、よくそんなに落着いていられるなあ」
「なあに、私は大いに喜んでいるのです。緑色の怪物どもから、われわれのまだ知らない、宇宙の秘密をしゃべらせてみせますよ。とうぶん彼等を憎まず、そして恐れず、しばらくつきあってみましょう。その結果、許すべからざる無礼者だとわかったら、そのときは山岸中尉に腕をふるってもらいましょう」
「竜造寺兵曹長の、安否をはやく知りたいものだ」
「それは頃合をはかって聞いてみましょう。私は兵曹長が無事で生きているような気がしますよ」
そういっているとき、緑鬼たちは、窓のところへ来て、外からどんどん窓をたたきはじめた。早くここを開けといっているらしい。
「ほう、外部の気圧は七百六十ミリになっていますよ。これはあの緑鬼どもが、ちゃんと空気を『魔の空間』へ送りこんで、私たちが楽に呼吸できるように用意しているのです。ですから、とうぶん生命の危険はないはずです。では扉をあけましょうか」
と、帆村は心得顔でいった。
| 山岸中尉は、どのようなことを思って戦うつもりだったか。 | 山岸中尉は、いよいよ来るものが来たと思って、戦うつもりだ。 |
JCRRAG_010741 | 国語 | 三人は、彗星二号艇から外へ出た。
緑色の怪物たちは、とびかかって来る様子もなく、おだやかに迎えた。
帆村は山岸兄弟よりも前に出た。そして緑色の怪物の中で、隊長らしく見える者の方へつかつかと寄った。
「せっかくあなたがたがよんでくださったものですから、やってきましたよ」
帆村は大きな声を出して、日本語でいった。山岸少年がびっくりして帆村の横顔をうかがった。
すると緑色の怪物たちは、急にざわめきたち、額をあつめて何やら相談をはじめたような様子であった。
山岸中尉が帆村に向かって何か言おうとした。帆村はそれを手で制した。そして、「それは後にしてください」と目で知らせた。緑色の怪物たちがどう出るか、いまは最も大事な時であったから、むやみなことをいって、怪物の気持を悪くしてはいけないと思ったのだ。
そのうちに、怪物は相談が終ったと見え、前のようにならんだ。そして隊長らしい者が、帆村の方へ歩みよった。
「あなたがいま言ったこと、わかりました。わたくしたちは、あなたのことばに満足します。これからいろいろ聞きますから、返事をしてください」
彼は日本語でしゃべった。それは妙なひびきを持った日本語であった。しかし原住民の片言の日本語よりは、ずっと調子がいい。緑色の怪物は、いつの間に日本語を勉強したのだろうか。
「はい、承知しました」
と、帆村は素直にこたえた。ふだんとちがって、いやにおとなしいのであった。
「僕たちからも伺うことがありますが、返事をしてくださるでしょうね」
「はい。返事をします」
「で、君のことを何とよべばいいでしょうか」
「わたくしですか。わたくしはココミミという名です」
「ココミミ。ああ、そうですか」
と、帆村はこの奇妙な名前をおぼえようと努力しながら、
「ではココミミ君。君はどこで日本語を習ったのですか」
と、つっこんだ質問をうちこんだ。
「ああ、日本語。これをおぼえるのには苦労しました。わが国の研究所では、五百名の者が五年もかかって、ようやく日本語の教科書を作りました」
「それはおどろきましたね。五百名で五年かかったとは、ずいぶん大がかりになすったわけですね。それでいま『わが国』とおっしゃいましたが、失礼ながら君の国は何という国で、どこに本国があるのですか」
帆村荘六は、この重大な質問を発することについて、さすがに鼓動の高くなるのをおさえかねた。しかしそれを相手に知られまいとして、つとめて何気ない調子でたずねた。
「わが国名はミミといいます。どこに本国があって、どんな国かということは、いま話してもわからんでしょう。しかしわたくしたちも、あなたがたも、ともに銀河系の生物だということです。つまりお互いに親類同士なんです。ですからお互いの間の話は、原則としてよく合うはずなのです」
緑色の人の語るところは、帆村たちによくわかるところもあるが、何だかまとがはずれているようなところも感じられる。
「そういわないで、君たちの国のことについて、いま話をしてください。僕たちは一刻も早くそれを知りたいのですよ」
帆村は、けんめいにねばった。
「いや、いまはしません。後になれば、自然にわかるでしょう。そのときくわしく説明します」ココミミ氏は肩をそびやかし、説明をいますることを拒絶した。
「そうですか。では、僕の方からのべてみましょうか」
帆村は、大胆なことをいった。
「ほう、あなたがのべるのですか。よろしい。では、のべてください」
ココミミ氏は仲間の方へ手をあげて何か合図をした。すると彼の仲間はおどろいた様子を示し、ざわざわと前へ出てきた。帆村はそれには無関心な様子を見せて、しずかに口を開いた。
「まず第一に申しますが、君たちはほんとうの姿をわれわれに見せていない。君たちは人体の形をした緑色の服を体の上に着ているのです。どうです、あたったでしょう」
帆村はとんでもないことをいい出した。しかしそれがあんがい相手に響いたらしく、いっせいに怪物たちの体が、がたがたふるえだした。そして帆村に向かっていまにもとびかかりそうな気配を示した。それを一生けんめいにとどめたのは例のココミミ君だった。
「どうぞ、その先を……」
彼は帆村に挨拶をおくった。
「では、第二に、君たちはわれわれより智能が発達しており、地球の人間なんかそういう点では幼稚なものだと思っている。しかしこれは君たちの思いちがいだということを、いずれお悟りになることでしょう」
「ふむ、ふむ」
「第三に、君たちはさし迫った重大資源問題のため、はるばる地球へやって来たのです。君たちはこの問題をなるべく早く解決しないと、君たちの世界は間もなく滅びるかもしれないのだ。だから……」
帆村のことばは突然中断した。それは緑色の怪物三名が、やにわに帆村に組みついたからである。それは電光石火の如くあまりにはやく、そばに立っていた山岸中尉が、帆村のためにふせぐひまもなかったほどだ。
| 三人は、どこから外へ出たか。 | 三人は、彗星二号艇から外へ出た。 |
JCRRAG_010742 | 国語 | 三人は、彗星二号艇から外へ出た。
緑色の怪物たちは、とびかかって来る様子もなく、おだやかに迎えた。
帆村は山岸兄弟よりも前に出た。そして緑色の怪物の中で、隊長らしく見える者の方へつかつかと寄った。
「せっかくあなたがたがよんでくださったものですから、やってきましたよ」
帆村は大きな声を出して、日本語でいった。山岸少年がびっくりして帆村の横顔をうかがった。
すると緑色の怪物たちは、急にざわめきたち、額をあつめて何やら相談をはじめたような様子であった。
山岸中尉が帆村に向かって何か言おうとした。帆村はそれを手で制した。そして、「それは後にしてください」と目で知らせた。緑色の怪物たちがどう出るか、いまは最も大事な時であったから、むやみなことをいって、怪物の気持を悪くしてはいけないと思ったのだ。
そのうちに、怪物は相談が終ったと見え、前のようにならんだ。そして隊長らしい者が、帆村の方へ歩みよった。
「あなたがいま言ったこと、わかりました。わたくしたちは、あなたのことばに満足します。これからいろいろ聞きますから、返事をしてください」
彼は日本語でしゃべった。それは妙なひびきを持った日本語であった。しかし原住民の片言の日本語よりは、ずっと調子がいい。緑色の怪物は、いつの間に日本語を勉強したのだろうか。
「はい、承知しました」
と、帆村は素直にこたえた。ふだんとちがって、いやにおとなしいのであった。
「僕たちからも伺うことがありますが、返事をしてくださるでしょうね」
「はい。返事をします」
「で、君のことを何とよべばいいでしょうか」
「わたくしですか。わたくしはココミミという名です」
「ココミミ。ああ、そうですか」
と、帆村はこの奇妙な名前をおぼえようと努力しながら、
「ではココミミ君。君はどこで日本語を習ったのですか」
と、つっこんだ質問をうちこんだ。
「ああ、日本語。これをおぼえるのには苦労しました。わが国の研究所では、五百名の者が五年もかかって、ようやく日本語の教科書を作りました」
「それはおどろきましたね。五百名で五年かかったとは、ずいぶん大がかりになすったわけですね。それでいま『わが国』とおっしゃいましたが、失礼ながら君の国は何という国で、どこに本国があるのですか」
帆村荘六は、この重大な質問を発することについて、さすがに鼓動の高くなるのをおさえかねた。しかしそれを相手に知られまいとして、つとめて何気ない調子でたずねた。
「わが国名はミミといいます。どこに本国があって、どんな国かということは、いま話してもわからんでしょう。しかしわたくしたちも、あなたがたも、ともに銀河系の生物だということです。つまりお互いに親類同士なんです。ですからお互いの間の話は、原則としてよく合うはずなのです」
緑色の人の語るところは、帆村たちによくわかるところもあるが、何だかまとがはずれているようなところも感じられる。
「そういわないで、君たちの国のことについて、いま話をしてください。僕たちは一刻も早くそれを知りたいのですよ」
帆村は、けんめいにねばった。
「いや、いまはしません。後になれば、自然にわかるでしょう。そのときくわしく説明します」ココミミ氏は肩をそびやかし、説明をいますることを拒絶した。
「そうですか。では、僕の方からのべてみましょうか」
帆村は、大胆なことをいった。
「ほう、あなたがのべるのですか。よろしい。では、のべてください」
ココミミ氏は仲間の方へ手をあげて何か合図をした。すると彼の仲間はおどろいた様子を示し、ざわざわと前へ出てきた。帆村はそれには無関心な様子を見せて、しずかに口を開いた。
「まず第一に申しますが、君たちはほんとうの姿をわれわれに見せていない。君たちは人体の形をした緑色の服を体の上に着ているのです。どうです、あたったでしょう」
帆村はとんでもないことをいい出した。しかしそれがあんがい相手に響いたらしく、いっせいに怪物たちの体が、がたがたふるえだした。そして帆村に向かっていまにもとびかかりそうな気配を示した。それを一生けんめいにとどめたのは例のココミミ君だった。
「どうぞ、その先を……」
彼は帆村に挨拶をおくった。
「では、第二に、君たちはわれわれより智能が発達しており、地球の人間なんかそういう点では幼稚なものだと思っている。しかしこれは君たちの思いちがいだということを、いずれお悟りになることでしょう」
「ふむ、ふむ」
「第三に、君たちはさし迫った重大資源問題のため、はるばる地球へやって来たのです。君たちはこの問題をなるべく早く解決しないと、君たちの世界は間もなく滅びるかもしれないのだ。だから……」
帆村のことばは突然中断した。それは緑色の怪物三名が、やにわに帆村に組みついたからである。それは電光石火の如くあまりにはやく、そばに立っていた山岸中尉が、帆村のためにふせぐひまもなかったほどだ。
| 緑色の怪物たちは、どのように迎えたか。 | 緑色の怪物たちは、とびかかって来る様子もなく、おだやかに迎えた。 |
JCRRAG_010743 | 国語 | 三人は、彗星二号艇から外へ出た。
緑色の怪物たちは、とびかかって来る様子もなく、おだやかに迎えた。
帆村は山岸兄弟よりも前に出た。そして緑色の怪物の中で、隊長らしく見える者の方へつかつかと寄った。
「せっかくあなたがたがよんでくださったものですから、やってきましたよ」
帆村は大きな声を出して、日本語でいった。山岸少年がびっくりして帆村の横顔をうかがった。
すると緑色の怪物たちは、急にざわめきたち、額をあつめて何やら相談をはじめたような様子であった。
山岸中尉が帆村に向かって何か言おうとした。帆村はそれを手で制した。そして、「それは後にしてください」と目で知らせた。緑色の怪物たちがどう出るか、いまは最も大事な時であったから、むやみなことをいって、怪物の気持を悪くしてはいけないと思ったのだ。
そのうちに、怪物は相談が終ったと見え、前のようにならんだ。そして隊長らしい者が、帆村の方へ歩みよった。
「あなたがいま言ったこと、わかりました。わたくしたちは、あなたのことばに満足します。これからいろいろ聞きますから、返事をしてください」
彼は日本語でしゃべった。それは妙なひびきを持った日本語であった。しかし原住民の片言の日本語よりは、ずっと調子がいい。緑色の怪物は、いつの間に日本語を勉強したのだろうか。
「はい、承知しました」
と、帆村は素直にこたえた。ふだんとちがって、いやにおとなしいのであった。
「僕たちからも伺うことがありますが、返事をしてくださるでしょうね」
「はい。返事をします」
「で、君のことを何とよべばいいでしょうか」
「わたくしですか。わたくしはココミミという名です」
「ココミミ。ああ、そうですか」
と、帆村はこの奇妙な名前をおぼえようと努力しながら、
「ではココミミ君。君はどこで日本語を習ったのですか」
と、つっこんだ質問をうちこんだ。
「ああ、日本語。これをおぼえるのには苦労しました。わが国の研究所では、五百名の者が五年もかかって、ようやく日本語の教科書を作りました」
「それはおどろきましたね。五百名で五年かかったとは、ずいぶん大がかりになすったわけですね。それでいま『わが国』とおっしゃいましたが、失礼ながら君の国は何という国で、どこに本国があるのですか」
帆村荘六は、この重大な質問を発することについて、さすがに鼓動の高くなるのをおさえかねた。しかしそれを相手に知られまいとして、つとめて何気ない調子でたずねた。
「わが国名はミミといいます。どこに本国があって、どんな国かということは、いま話してもわからんでしょう。しかしわたくしたちも、あなたがたも、ともに銀河系の生物だということです。つまりお互いに親類同士なんです。ですからお互いの間の話は、原則としてよく合うはずなのです」
緑色の人の語るところは、帆村たちによくわかるところもあるが、何だかまとがはずれているようなところも感じられる。
「そういわないで、君たちの国のことについて、いま話をしてください。僕たちは一刻も早くそれを知りたいのですよ」
帆村は、けんめいにねばった。
「いや、いまはしません。後になれば、自然にわかるでしょう。そのときくわしく説明します」ココミミ氏は肩をそびやかし、説明をいますることを拒絶した。
「そうですか。では、僕の方からのべてみましょうか」
帆村は、大胆なことをいった。
「ほう、あなたがのべるのですか。よろしい。では、のべてください」
ココミミ氏は仲間の方へ手をあげて何か合図をした。すると彼の仲間はおどろいた様子を示し、ざわざわと前へ出てきた。帆村はそれには無関心な様子を見せて、しずかに口を開いた。
「まず第一に申しますが、君たちはほんとうの姿をわれわれに見せていない。君たちは人体の形をした緑色の服を体の上に着ているのです。どうです、あたったでしょう」
帆村はとんでもないことをいい出した。しかしそれがあんがい相手に響いたらしく、いっせいに怪物たちの体が、がたがたふるえだした。そして帆村に向かっていまにもとびかかりそうな気配を示した。それを一生けんめいにとどめたのは例のココミミ君だった。
「どうぞ、その先を……」
彼は帆村に挨拶をおくった。
「では、第二に、君たちはわれわれより智能が発達しており、地球の人間なんかそういう点では幼稚なものだと思っている。しかしこれは君たちの思いちがいだということを、いずれお悟りになることでしょう」
「ふむ、ふむ」
「第三に、君たちはさし迫った重大資源問題のため、はるばる地球へやって来たのです。君たちはこの問題をなるべく早く解決しないと、君たちの世界は間もなく滅びるかもしれないのだ。だから……」
帆村のことばは突然中断した。それは緑色の怪物三名が、やにわに帆村に組みついたからである。それは電光石火の如くあまりにはやく、そばに立っていた山岸中尉が、帆村のためにふせぐひまもなかったほどだ。
| 帆村はだれより前に出たか。 | 帆村は山岸兄弟よりも前に出た。 |
JCRRAG_010744 | 国語 | 三人は、彗星二号艇から外へ出た。
緑色の怪物たちは、とびかかって来る様子もなく、おだやかに迎えた。
帆村は山岸兄弟よりも前に出た。そして緑色の怪物の中で、隊長らしく見える者の方へつかつかと寄った。
「せっかくあなたがたがよんでくださったものですから、やってきましたよ」
帆村は大きな声を出して、日本語でいった。山岸少年がびっくりして帆村の横顔をうかがった。
すると緑色の怪物たちは、急にざわめきたち、額をあつめて何やら相談をはじめたような様子であった。
山岸中尉が帆村に向かって何か言おうとした。帆村はそれを手で制した。そして、「それは後にしてください」と目で知らせた。緑色の怪物たちがどう出るか、いまは最も大事な時であったから、むやみなことをいって、怪物の気持を悪くしてはいけないと思ったのだ。
そのうちに、怪物は相談が終ったと見え、前のようにならんだ。そして隊長らしい者が、帆村の方へ歩みよった。
「あなたがいま言ったこと、わかりました。わたくしたちは、あなたのことばに満足します。これからいろいろ聞きますから、返事をしてください」
彼は日本語でしゃべった。それは妙なひびきを持った日本語であった。しかし原住民の片言の日本語よりは、ずっと調子がいい。緑色の怪物は、いつの間に日本語を勉強したのだろうか。
「はい、承知しました」
と、帆村は素直にこたえた。ふだんとちがって、いやにおとなしいのであった。
「僕たちからも伺うことがありますが、返事をしてくださるでしょうね」
「はい。返事をします」
「で、君のことを何とよべばいいでしょうか」
「わたくしですか。わたくしはココミミという名です」
「ココミミ。ああ、そうですか」
と、帆村はこの奇妙な名前をおぼえようと努力しながら、
「ではココミミ君。君はどこで日本語を習ったのですか」
と、つっこんだ質問をうちこんだ。
「ああ、日本語。これをおぼえるのには苦労しました。わが国の研究所では、五百名の者が五年もかかって、ようやく日本語の教科書を作りました」
「それはおどろきましたね。五百名で五年かかったとは、ずいぶん大がかりになすったわけですね。それでいま『わが国』とおっしゃいましたが、失礼ながら君の国は何という国で、どこに本国があるのですか」
帆村荘六は、この重大な質問を発することについて、さすがに鼓動の高くなるのをおさえかねた。しかしそれを相手に知られまいとして、つとめて何気ない調子でたずねた。
「わが国名はミミといいます。どこに本国があって、どんな国かということは、いま話してもわからんでしょう。しかしわたくしたちも、あなたがたも、ともに銀河系の生物だということです。つまりお互いに親類同士なんです。ですからお互いの間の話は、原則としてよく合うはずなのです」
緑色の人の語るところは、帆村たちによくわかるところもあるが、何だかまとがはずれているようなところも感じられる。
「そういわないで、君たちの国のことについて、いま話をしてください。僕たちは一刻も早くそれを知りたいのですよ」
帆村は、けんめいにねばった。
「いや、いまはしません。後になれば、自然にわかるでしょう。そのときくわしく説明します」ココミミ氏は肩をそびやかし、説明をいますることを拒絶した。
「そうですか。では、僕の方からのべてみましょうか」
帆村は、大胆なことをいった。
「ほう、あなたがのべるのですか。よろしい。では、のべてください」
ココミミ氏は仲間の方へ手をあげて何か合図をした。すると彼の仲間はおどろいた様子を示し、ざわざわと前へ出てきた。帆村はそれには無関心な様子を見せて、しずかに口を開いた。
「まず第一に申しますが、君たちはほんとうの姿をわれわれに見せていない。君たちは人体の形をした緑色の服を体の上に着ているのです。どうです、あたったでしょう」
帆村はとんでもないことをいい出した。しかしそれがあんがい相手に響いたらしく、いっせいに怪物たちの体が、がたがたふるえだした。そして帆村に向かっていまにもとびかかりそうな気配を示した。それを一生けんめいにとどめたのは例のココミミ君だった。
「どうぞ、その先を……」
彼は帆村に挨拶をおくった。
「では、第二に、君たちはわれわれより智能が発達しており、地球の人間なんかそういう点では幼稚なものだと思っている。しかしこれは君たちの思いちがいだということを、いずれお悟りになることでしょう」
「ふむ、ふむ」
「第三に、君たちはさし迫った重大資源問題のため、はるばる地球へやって来たのです。君たちはこの問題をなるべく早く解決しないと、君たちの世界は間もなく滅びるかもしれないのだ。だから……」
帆村のことばは突然中断した。それは緑色の怪物三名が、やにわに帆村に組みついたからである。それは電光石火の如くあまりにはやく、そばに立っていた山岸中尉が、帆村のためにふせぐひまもなかったほどだ。
| 帆村荘六は、この重大な質問を発することについて、なにをおさえることができなかったか。 | 帆村荘六は、この重大な質問を発することについて、さすがに鼓動の高くなるのをおさえかねた。 |
JCRRAG_010745 | 国語 | 三人は、彗星二号艇から外へ出た。
緑色の怪物たちは、とびかかって来る様子もなく、おだやかに迎えた。
帆村は山岸兄弟よりも前に出た。そして緑色の怪物の中で、隊長らしく見える者の方へつかつかと寄った。
「せっかくあなたがたがよんでくださったものですから、やってきましたよ」
帆村は大きな声を出して、日本語でいった。山岸少年がびっくりして帆村の横顔をうかがった。
すると緑色の怪物たちは、急にざわめきたち、額をあつめて何やら相談をはじめたような様子であった。
山岸中尉が帆村に向かって何か言おうとした。帆村はそれを手で制した。そして、「それは後にしてください」と目で知らせた。緑色の怪物たちがどう出るか、いまは最も大事な時であったから、むやみなことをいって、怪物の気持を悪くしてはいけないと思ったのだ。
そのうちに、怪物は相談が終ったと見え、前のようにならんだ。そして隊長らしい者が、帆村の方へ歩みよった。
「あなたがいま言ったこと、わかりました。わたくしたちは、あなたのことばに満足します。これからいろいろ聞きますから、返事をしてください」
彼は日本語でしゃべった。それは妙なひびきを持った日本語であった。しかし原住民の片言の日本語よりは、ずっと調子がいい。緑色の怪物は、いつの間に日本語を勉強したのだろうか。
「はい、承知しました」
と、帆村は素直にこたえた。ふだんとちがって、いやにおとなしいのであった。
「僕たちからも伺うことがありますが、返事をしてくださるでしょうね」
「はい。返事をします」
「で、君のことを何とよべばいいでしょうか」
「わたくしですか。わたくしはココミミという名です」
「ココミミ。ああ、そうですか」
と、帆村はこの奇妙な名前をおぼえようと努力しながら、
「ではココミミ君。君はどこで日本語を習ったのですか」
と、つっこんだ質問をうちこんだ。
「ああ、日本語。これをおぼえるのには苦労しました。わが国の研究所では、五百名の者が五年もかかって、ようやく日本語の教科書を作りました」
「それはおどろきましたね。五百名で五年かかったとは、ずいぶん大がかりになすったわけですね。それでいま『わが国』とおっしゃいましたが、失礼ながら君の国は何という国で、どこに本国があるのですか」
帆村荘六は、この重大な質問を発することについて、さすがに鼓動の高くなるのをおさえかねた。しかしそれを相手に知られまいとして、つとめて何気ない調子でたずねた。
「わが国名はミミといいます。どこに本国があって、どんな国かということは、いま話してもわからんでしょう。しかしわたくしたちも、あなたがたも、ともに銀河系の生物だということです。つまりお互いに親類同士なんです。ですからお互いの間の話は、原則としてよく合うはずなのです」
緑色の人の語るところは、帆村たちによくわかるところもあるが、何だかまとがはずれているようなところも感じられる。
「そういわないで、君たちの国のことについて、いま話をしてください。僕たちは一刻も早くそれを知りたいのですよ」
帆村は、けんめいにねばった。
「いや、いまはしません。後になれば、自然にわかるでしょう。そのときくわしく説明します」ココミミ氏は肩をそびやかし、説明をいますることを拒絶した。
「そうですか。では、僕の方からのべてみましょうか」
帆村は、大胆なことをいった。
「ほう、あなたがのべるのですか。よろしい。では、のべてください」
ココミミ氏は仲間の方へ手をあげて何か合図をした。すると彼の仲間はおどろいた様子を示し、ざわざわと前へ出てきた。帆村はそれには無関心な様子を見せて、しずかに口を開いた。
「まず第一に申しますが、君たちはほんとうの姿をわれわれに見せていない。君たちは人体の形をした緑色の服を体の上に着ているのです。どうです、あたったでしょう」
帆村はとんでもないことをいい出した。しかしそれがあんがい相手に響いたらしく、いっせいに怪物たちの体が、がたがたふるえだした。そして帆村に向かっていまにもとびかかりそうな気配を示した。それを一生けんめいにとどめたのは例のココミミ君だった。
「どうぞ、その先を……」
彼は帆村に挨拶をおくった。
「では、第二に、君たちはわれわれより智能が発達しており、地球の人間なんかそういう点では幼稚なものだと思っている。しかしこれは君たちの思いちがいだということを、いずれお悟りになることでしょう」
「ふむ、ふむ」
「第三に、君たちはさし迫った重大資源問題のため、はるばる地球へやって来たのです。君たちはこの問題をなるべく早く解決しないと、君たちの世界は間もなく滅びるかもしれないのだ。だから……」
帆村のことばは突然中断した。それは緑色の怪物三名が、やにわに帆村に組みついたからである。それは電光石火の如くあまりにはやく、そばに立っていた山岸中尉が、帆村のためにふせぐひまもなかったほどだ。
| 緑色の怪物たちは、急にざわめきたち、額をあつめてどのような様子だったか。 | 緑色の怪物たちは、急にざわめきたち、額をあつめて何やら相談をはじめたような様子であった。 |
JCRRAG_010746 | 国語 | 緑鬼どもに組みつかれた帆村は、まず山岸中尉の方へ目で合図するのに骨を折った。山岸中尉の顔は、緑鬼どもにたいする怒りに燃えていた。が、帆村は「待て、しずかに……」と、目で知らせているので、中尉は拳をぶるぶるふるわせながら、かろうじてその位置に立っていた。
「ココミミ君。君たちは、僕を殺すためにやって来たのか、それとも地球を調べるためにやって来たのか、どっちです」
帆村は叫んだ。緑鬼の隊長と見えるココミミ君は、帆村のつよい言葉に、ぎくりとしたようであった。帆村たち地球人類を殺すために、ここへ封じこめたのではないことは、よくわかっている。しかし彼の部下は怒りっぽいのだ。帆村に図星をさされたことを憤って、帆村を殺そうとしているのだ。
ココミミ君は、なにか意を決したもののごとく部下のそばへとんでいった。そのときふしぎな光景が見られた。ココミミ君の頭の上に出ている触角が、にゅうっと一メートルばかり伸び、長い鞭のようになった。つぎにその鞭のようなものは、かりかりと奇妙な音を立てて、蛸の手のように動いた。そして帆村に組みついて放さない緑鬼どもの角にまきついては、これをゆすぶった。
すると緑鬼は、急にがたがた体をふるわせて、どすんと尻餅をついた。こうしてココミミ君は、つぎつぎに緑鬼たちを倒してしまった。山岸少年は兄のうしろで、目をぱちくり。
救われた帆村は、べつにおどろいてもいず、はずれた飛行服の釦をかけて、にっこり笑う。
「ココミミ君。君と二人で、よく話しあいたいものですね」
と、帆村はいった。
するとココミミ君は、触角をするすると頭の中にしまいこみ、帆村のところへやってきて、手を握った。
「あなたの申し出に賛成します。われわれは、お互いの幸福のために、しずかに話しあわねばなりません。そうですね」
「もちろん、そうですよ。乱暴をしては、話ができませんからね」
と、帆村がこたえた。ココミミ君は、なかなか話のわかるミミ族だ。
「それではすぐ話にかかります。まずみなさん方をしばらくの間、ひとりひとりに隔離します。私たちは手わけして質問にゆきます」
「それはいけない。われわれの行動は自由です。しかし、せっかく君がそういうんだから、僕だけは君がいうところへついていきましょう」
「それは困る。ぜひ、ひとりひとりを……」
「そんなことは許しませんぞ。それよりも、早く地球の話がわかった方がいいのではありませんか。この大宇宙にすんでいるのは、地球人類とミミ族だけではありませんよ。他の生物の方が早く地球と話をつけてしまえば、君たちは困りはしませんか」
この一語は、ココミミ君にひどくきいたらしい。彼は、それでもさっき言ったことをやりとおすのだとは言わなかった。
が、他の緑鬼どもは、いつの間にか起き上り、彗星二号艇のそばに立っている、山岸中尉と山岸少年の方へ襲いかかろうとしている。
山岸中尉は、うしろに弟をかばい、右手にはピストルを握りしめ、もしも近づく奴があれば、一撃のもとにうちたおすぞと、緑鬼をにらんだすさまじさ。
これをみておどろいたココミミ君は、ころがるようにして仲間のところへとんで来た。そしてふたたび触角の鞭をふりまわした。緑鬼たちは、たわいなくごろごろとその場にころがった。
そのときココミミ君は、すっくと立上り、呼吸をするような姿勢になった。すると彼の頭上に生えていた三本の触角が、すうっと垂直に立った。と、そのうちの一本がぐにゃぐにゃと下りてきて、垂直に立つ他の二本の触角を、まるで竪琴の絃をはじきでもするかのように、ぽろんぽろんとはじいた。音が出たにちがいない。しかし帆村たちには、その音が聞えなかった。
それが通信だったと見え、あやしい白雲の奥から、どやどやと一隊の人影があらわれた。いや、人影というよりも、鬼影といった方がいいかも知れない。
彼らはココミミ君の前に整列した。新しく来た彼らは、体の色がすこし淡かった。そしてどこかおとなしいところがあった。ココミミ君は帆村にいった。
「これはタルミミ隊の者です。これから、このタルミミ隊が皆さんのお世話をします。私の隊員は、戦闘をするのが専門ですから、自然皆さんに失礼があったと思います。しかし私どもとしては、はじめて迎える地球人類にたいして、そうとう警戒の必要を感じていたわけですから、どうぞあしからず。で、このタルミミ隊は、じゅうぶん皆さんの気にいるようにお世話をすると思います。なんでもいいつけてください。皆さんのための食事の用意もありますよ。しかし、ここから脱走することのお手伝いだけは、させないでください。でないと、ミミ族を憤激させることになります。そうなれば、もう取りかえしがつきませんからね」
ココミミ君は、帆村たちにこのようにいって、できるだけの好意を示した。そして帆村にむかい、
「では、もっとゆっくりあなたと話をしたいと思います。いっしょに来てくれますか」
ときいた。帆村は山岸中尉の許しをえて、ココミミ君の申し出に同意した。そこで二人はならんで歩きだした。一時間もすれば、ここへ戻ってくるという約束のもとに。 | ココミミ君は、どのように帆村の手を握ったか。 | ココミミ君は、触角をするすると頭の中にしまいこみ、帆村のところへやってきて、手を握った。 |
JCRRAG_010747 | 国語 | 緑鬼どもに組みつかれた帆村は、まず山岸中尉の方へ目で合図するのに骨を折った。山岸中尉の顔は、緑鬼どもにたいする怒りに燃えていた。が、帆村は「待て、しずかに……」と、目で知らせているので、中尉は拳をぶるぶるふるわせながら、かろうじてその位置に立っていた。
「ココミミ君。君たちは、僕を殺すためにやって来たのか、それとも地球を調べるためにやって来たのか、どっちです」
帆村は叫んだ。緑鬼の隊長と見えるココミミ君は、帆村のつよい言葉に、ぎくりとしたようであった。帆村たち地球人類を殺すために、ここへ封じこめたのではないことは、よくわかっている。しかし彼の部下は怒りっぽいのだ。帆村に図星をさされたことを憤って、帆村を殺そうとしているのだ。
ココミミ君は、なにか意を決したもののごとく部下のそばへとんでいった。そのときふしぎな光景が見られた。ココミミ君の頭の上に出ている触角が、にゅうっと一メートルばかり伸び、長い鞭のようになった。つぎにその鞭のようなものは、かりかりと奇妙な音を立てて、蛸の手のように動いた。そして帆村に組みついて放さない緑鬼どもの角にまきついては、これをゆすぶった。
すると緑鬼は、急にがたがた体をふるわせて、どすんと尻餅をついた。こうしてココミミ君は、つぎつぎに緑鬼たちを倒してしまった。山岸少年は兄のうしろで、目をぱちくり。
救われた帆村は、べつにおどろいてもいず、はずれた飛行服の釦をかけて、にっこり笑う。
「ココミミ君。君と二人で、よく話しあいたいものですね」
と、帆村はいった。
するとココミミ君は、触角をするすると頭の中にしまいこみ、帆村のところへやってきて、手を握った。
「あなたの申し出に賛成します。われわれは、お互いの幸福のために、しずかに話しあわねばなりません。そうですね」
「もちろん、そうですよ。乱暴をしては、話ができませんからね」
と、帆村がこたえた。ココミミ君は、なかなか話のわかるミミ族だ。
「それではすぐ話にかかります。まずみなさん方をしばらくの間、ひとりひとりに隔離します。私たちは手わけして質問にゆきます」
「それはいけない。われわれの行動は自由です。しかし、せっかく君がそういうんだから、僕だけは君がいうところへついていきましょう」
「それは困る。ぜひ、ひとりひとりを……」
「そんなことは許しませんぞ。それよりも、早く地球の話がわかった方がいいのではありませんか。この大宇宙にすんでいるのは、地球人類とミミ族だけではありませんよ。他の生物の方が早く地球と話をつけてしまえば、君たちは困りはしませんか」
この一語は、ココミミ君にひどくきいたらしい。彼は、それでもさっき言ったことをやりとおすのだとは言わなかった。
が、他の緑鬼どもは、いつの間にか起き上り、彗星二号艇のそばに立っている、山岸中尉と山岸少年の方へ襲いかかろうとしている。
山岸中尉は、うしろに弟をかばい、右手にはピストルを握りしめ、もしも近づく奴があれば、一撃のもとにうちたおすぞと、緑鬼をにらんだすさまじさ。
これをみておどろいたココミミ君は、ころがるようにして仲間のところへとんで来た。そしてふたたび触角の鞭をふりまわした。緑鬼たちは、たわいなくごろごろとその場にころがった。
そのときココミミ君は、すっくと立上り、呼吸をするような姿勢になった。すると彼の頭上に生えていた三本の触角が、すうっと垂直に立った。と、そのうちの一本がぐにゃぐにゃと下りてきて、垂直に立つ他の二本の触角を、まるで竪琴の絃をはじきでもするかのように、ぽろんぽろんとはじいた。音が出たにちがいない。しかし帆村たちには、その音が聞えなかった。
それが通信だったと見え、あやしい白雲の奥から、どやどやと一隊の人影があらわれた。いや、人影というよりも、鬼影といった方がいいかも知れない。
彼らはココミミ君の前に整列した。新しく来た彼らは、体の色がすこし淡かった。そしてどこかおとなしいところがあった。ココミミ君は帆村にいった。
「これはタルミミ隊の者です。これから、このタルミミ隊が皆さんのお世話をします。私の隊員は、戦闘をするのが専門ですから、自然皆さんに失礼があったと思います。しかし私どもとしては、はじめて迎える地球人類にたいして、そうとう警戒の必要を感じていたわけですから、どうぞあしからず。で、このタルミミ隊は、じゅうぶん皆さんの気にいるようにお世話をすると思います。なんでもいいつけてください。皆さんのための食事の用意もありますよ。しかし、ここから脱走することのお手伝いだけは、させないでください。でないと、ミミ族を憤激させることになります。そうなれば、もう取りかえしがつきませんからね」
ココミミ君は、帆村たちにこのようにいって、できるだけの好意を示した。そして帆村にむかい、
「では、もっとゆっくりあなたと話をしたいと思います。いっしょに来てくれますか」
ときいた。帆村は山岸中尉の許しをえて、ココミミ君の申し出に同意した。そこで二人はならんで歩きだした。一時間もすれば、ここへ戻ってくるという約束のもとに。 | ココミミ君は、すっくと立上り、どのような姿勢になったか。 | ココミミ君は、すっくと立上り、呼吸をするような姿勢になった。 |
JCRRAG_010748 | 国語 | 緑鬼どもに組みつかれた帆村は、まず山岸中尉の方へ目で合図するのに骨を折った。山岸中尉の顔は、緑鬼どもにたいする怒りに燃えていた。が、帆村は「待て、しずかに……」と、目で知らせているので、中尉は拳をぶるぶるふるわせながら、かろうじてその位置に立っていた。
「ココミミ君。君たちは、僕を殺すためにやって来たのか、それとも地球を調べるためにやって来たのか、どっちです」
帆村は叫んだ。緑鬼の隊長と見えるココミミ君は、帆村のつよい言葉に、ぎくりとしたようであった。帆村たち地球人類を殺すために、ここへ封じこめたのではないことは、よくわかっている。しかし彼の部下は怒りっぽいのだ。帆村に図星をさされたことを憤って、帆村を殺そうとしているのだ。
ココミミ君は、なにか意を決したもののごとく部下のそばへとんでいった。そのときふしぎな光景が見られた。ココミミ君の頭の上に出ている触角が、にゅうっと一メートルばかり伸び、長い鞭のようになった。つぎにその鞭のようなものは、かりかりと奇妙な音を立てて、蛸の手のように動いた。そして帆村に組みついて放さない緑鬼どもの角にまきついては、これをゆすぶった。
すると緑鬼は、急にがたがた体をふるわせて、どすんと尻餅をついた。こうしてココミミ君は、つぎつぎに緑鬼たちを倒してしまった。山岸少年は兄のうしろで、目をぱちくり。
救われた帆村は、べつにおどろいてもいず、はずれた飛行服の釦をかけて、にっこり笑う。
「ココミミ君。君と二人で、よく話しあいたいものですね」
と、帆村はいった。
するとココミミ君は、触角をするすると頭の中にしまいこみ、帆村のところへやってきて、手を握った。
「あなたの申し出に賛成します。われわれは、お互いの幸福のために、しずかに話しあわねばなりません。そうですね」
「もちろん、そうですよ。乱暴をしては、話ができませんからね」
と、帆村がこたえた。ココミミ君は、なかなか話のわかるミミ族だ。
「それではすぐ話にかかります。まずみなさん方をしばらくの間、ひとりひとりに隔離します。私たちは手わけして質問にゆきます」
「それはいけない。われわれの行動は自由です。しかし、せっかく君がそういうんだから、僕だけは君がいうところへついていきましょう」
「それは困る。ぜひ、ひとりひとりを……」
「そんなことは許しませんぞ。それよりも、早く地球の話がわかった方がいいのではありませんか。この大宇宙にすんでいるのは、地球人類とミミ族だけではありませんよ。他の生物の方が早く地球と話をつけてしまえば、君たちは困りはしませんか」
この一語は、ココミミ君にひどくきいたらしい。彼は、それでもさっき言ったことをやりとおすのだとは言わなかった。
が、他の緑鬼どもは、いつの間にか起き上り、彗星二号艇のそばに立っている、山岸中尉と山岸少年の方へ襲いかかろうとしている。
山岸中尉は、うしろに弟をかばい、右手にはピストルを握りしめ、もしも近づく奴があれば、一撃のもとにうちたおすぞと、緑鬼をにらんだすさまじさ。
これをみておどろいたココミミ君は、ころがるようにして仲間のところへとんで来た。そしてふたたび触角の鞭をふりまわした。緑鬼たちは、たわいなくごろごろとその場にころがった。
そのときココミミ君は、すっくと立上り、呼吸をするような姿勢になった。すると彼の頭上に生えていた三本の触角が、すうっと垂直に立った。と、そのうちの一本がぐにゃぐにゃと下りてきて、垂直に立つ他の二本の触角を、まるで竪琴の絃をはじきでもするかのように、ぽろんぽろんとはじいた。音が出たにちがいない。しかし帆村たちには、その音が聞えなかった。
それが通信だったと見え、あやしい白雲の奥から、どやどやと一隊の人影があらわれた。いや、人影というよりも、鬼影といった方がいいかも知れない。
彼らはココミミ君の前に整列した。新しく来た彼らは、体の色がすこし淡かった。そしてどこかおとなしいところがあった。ココミミ君は帆村にいった。
「これはタルミミ隊の者です。これから、このタルミミ隊が皆さんのお世話をします。私の隊員は、戦闘をするのが専門ですから、自然皆さんに失礼があったと思います。しかし私どもとしては、はじめて迎える地球人類にたいして、そうとう警戒の必要を感じていたわけですから、どうぞあしからず。で、このタルミミ隊は、じゅうぶん皆さんの気にいるようにお世話をすると思います。なんでもいいつけてください。皆さんのための食事の用意もありますよ。しかし、ここから脱走することのお手伝いだけは、させないでください。でないと、ミミ族を憤激させることになります。そうなれば、もう取りかえしがつきませんからね」
ココミミ君は、帆村たちにこのようにいって、できるだけの好意を示した。そして帆村にむかい、
「では、もっとゆっくりあなたと話をしたいと思います。いっしょに来てくれますか」
ときいた。帆村は山岸中尉の許しをえて、ココミミ君の申し出に同意した。そこで二人はならんで歩きだした。一時間もすれば、ここへ戻ってくるという約束のもとに。 | 他の緑鬼どもは、いつの間にか起き上り、彗星二号艇のそばに立っている山岸中尉と山岸少年に何をしようとしたか。 | 他の緑鬼どもは、いつの間にか起き上り、彗星二号艇のそばに立っている、山岸中尉と山岸少年の方へ襲いかかろうとしている。 |
JCRRAG_010749 | 国語 | 緑鬼どもに組みつかれた帆村は、まず山岸中尉の方へ目で合図するのに骨を折った。山岸中尉の顔は、緑鬼どもにたいする怒りに燃えていた。が、帆村は「待て、しずかに……」と、目で知らせているので、中尉は拳をぶるぶるふるわせながら、かろうじてその位置に立っていた。
「ココミミ君。君たちは、僕を殺すためにやって来たのか、それとも地球を調べるためにやって来たのか、どっちです」
帆村は叫んだ。緑鬼の隊長と見えるココミミ君は、帆村のつよい言葉に、ぎくりとしたようであった。帆村たち地球人類を殺すために、ここへ封じこめたのではないことは、よくわかっている。しかし彼の部下は怒りっぽいのだ。帆村に図星をさされたことを憤って、帆村を殺そうとしているのだ。
ココミミ君は、なにか意を決したもののごとく部下のそばへとんでいった。そのときふしぎな光景が見られた。ココミミ君の頭の上に出ている触角が、にゅうっと一メートルばかり伸び、長い鞭のようになった。つぎにその鞭のようなものは、かりかりと奇妙な音を立てて、蛸の手のように動いた。そして帆村に組みついて放さない緑鬼どもの角にまきついては、これをゆすぶった。
すると緑鬼は、急にがたがた体をふるわせて、どすんと尻餅をついた。こうしてココミミ君は、つぎつぎに緑鬼たちを倒してしまった。山岸少年は兄のうしろで、目をぱちくり。
救われた帆村は、べつにおどろいてもいず、はずれた飛行服の釦をかけて、にっこり笑う。
「ココミミ君。君と二人で、よく話しあいたいものですね」
と、帆村はいった。
するとココミミ君は、触角をするすると頭の中にしまいこみ、帆村のところへやってきて、手を握った。
「あなたの申し出に賛成します。われわれは、お互いの幸福のために、しずかに話しあわねばなりません。そうですね」
「もちろん、そうですよ。乱暴をしては、話ができませんからね」
と、帆村がこたえた。ココミミ君は、なかなか話のわかるミミ族だ。
「それではすぐ話にかかります。まずみなさん方をしばらくの間、ひとりひとりに隔離します。私たちは手わけして質問にゆきます」
「それはいけない。われわれの行動は自由です。しかし、せっかく君がそういうんだから、僕だけは君がいうところへついていきましょう」
「それは困る。ぜひ、ひとりひとりを……」
「そんなことは許しませんぞ。それよりも、早く地球の話がわかった方がいいのではありませんか。この大宇宙にすんでいるのは、地球人類とミミ族だけではありませんよ。他の生物の方が早く地球と話をつけてしまえば、君たちは困りはしませんか」
この一語は、ココミミ君にひどくきいたらしい。彼は、それでもさっき言ったことをやりとおすのだとは言わなかった。
が、他の緑鬼どもは、いつの間にか起き上り、彗星二号艇のそばに立っている、山岸中尉と山岸少年の方へ襲いかかろうとしている。
山岸中尉は、うしろに弟をかばい、右手にはピストルを握りしめ、もしも近づく奴があれば、一撃のもとにうちたおすぞと、緑鬼をにらんだすさまじさ。
これをみておどろいたココミミ君は、ころがるようにして仲間のところへとんで来た。そしてふたたび触角の鞭をふりまわした。緑鬼たちは、たわいなくごろごろとその場にころがった。
そのときココミミ君は、すっくと立上り、呼吸をするような姿勢になった。すると彼の頭上に生えていた三本の触角が、すうっと垂直に立った。と、そのうちの一本がぐにゃぐにゃと下りてきて、垂直に立つ他の二本の触角を、まるで竪琴の絃をはじきでもするかのように、ぽろんぽろんとはじいた。音が出たにちがいない。しかし帆村たちには、その音が聞えなかった。
それが通信だったと見え、あやしい白雲の奥から、どやどやと一隊の人影があらわれた。いや、人影というよりも、鬼影といった方がいいかも知れない。
彼らはココミミ君の前に整列した。新しく来た彼らは、体の色がすこし淡かった。そしてどこかおとなしいところがあった。ココミミ君は帆村にいった。
「これはタルミミ隊の者です。これから、このタルミミ隊が皆さんのお世話をします。私の隊員は、戦闘をするのが専門ですから、自然皆さんに失礼があったと思います。しかし私どもとしては、はじめて迎える地球人類にたいして、そうとう警戒の必要を感じていたわけですから、どうぞあしからず。で、このタルミミ隊は、じゅうぶん皆さんの気にいるようにお世話をすると思います。なんでもいいつけてください。皆さんのための食事の用意もありますよ。しかし、ここから脱走することのお手伝いだけは、させないでください。でないと、ミミ族を憤激させることになります。そうなれば、もう取りかえしがつきませんからね」
ココミミ君は、帆村たちにこのようにいって、できるだけの好意を示した。そして帆村にむかい、
「では、もっとゆっくりあなたと話をしたいと思います。いっしょに来てくれますか」
ときいた。帆村は山岸中尉の許しをえて、ココミミ君の申し出に同意した。そこで二人はならんで歩きだした。一時間もすれば、ここへ戻ってくるという約束のもとに。 | 帆村はだれの許しをえて、ココミミ君の申し出に同意したか。 | 帆村は山岸中尉の許しをえて、ココミミ君の申し出に同意した。 |
JCRRAG_010750 | 国語 | 緑鬼どもに組みつかれた帆村は、まず山岸中尉の方へ目で合図するのに骨を折った。山岸中尉の顔は、緑鬼どもにたいする怒りに燃えていた。が、帆村は「待て、しずかに……」と、目で知らせているので、中尉は拳をぶるぶるふるわせながら、かろうじてその位置に立っていた。
「ココミミ君。君たちは、僕を殺すためにやって来たのか、それとも地球を調べるためにやって来たのか、どっちです」
帆村は叫んだ。緑鬼の隊長と見えるココミミ君は、帆村のつよい言葉に、ぎくりとしたようであった。帆村たち地球人類を殺すために、ここへ封じこめたのではないことは、よくわかっている。しかし彼の部下は怒りっぽいのだ。帆村に図星をさされたことを憤って、帆村を殺そうとしているのだ。
ココミミ君は、なにか意を決したもののごとく部下のそばへとんでいった。そのときふしぎな光景が見られた。ココミミ君の頭の上に出ている触角が、にゅうっと一メートルばかり伸び、長い鞭のようになった。つぎにその鞭のようなものは、かりかりと奇妙な音を立てて、蛸の手のように動いた。そして帆村に組みついて放さない緑鬼どもの角にまきついては、これをゆすぶった。
すると緑鬼は、急にがたがた体をふるわせて、どすんと尻餅をついた。こうしてココミミ君は、つぎつぎに緑鬼たちを倒してしまった。山岸少年は兄のうしろで、目をぱちくり。
救われた帆村は、べつにおどろいてもいず、はずれた飛行服の釦をかけて、にっこり笑う。
「ココミミ君。君と二人で、よく話しあいたいものですね」
と、帆村はいった。
するとココミミ君は、触角をするすると頭の中にしまいこみ、帆村のところへやってきて、手を握った。
「あなたの申し出に賛成します。われわれは、お互いの幸福のために、しずかに話しあわねばなりません。そうですね」
「もちろん、そうですよ。乱暴をしては、話ができませんからね」
と、帆村がこたえた。ココミミ君は、なかなか話のわかるミミ族だ。
「それではすぐ話にかかります。まずみなさん方をしばらくの間、ひとりひとりに隔離します。私たちは手わけして質問にゆきます」
「それはいけない。われわれの行動は自由です。しかし、せっかく君がそういうんだから、僕だけは君がいうところへついていきましょう」
「それは困る。ぜひ、ひとりひとりを……」
「そんなことは許しませんぞ。それよりも、早く地球の話がわかった方がいいのではありませんか。この大宇宙にすんでいるのは、地球人類とミミ族だけではありませんよ。他の生物の方が早く地球と話をつけてしまえば、君たちは困りはしませんか」
この一語は、ココミミ君にひどくきいたらしい。彼は、それでもさっき言ったことをやりとおすのだとは言わなかった。
が、他の緑鬼どもは、いつの間にか起き上り、彗星二号艇のそばに立っている、山岸中尉と山岸少年の方へ襲いかかろうとしている。
山岸中尉は、うしろに弟をかばい、右手にはピストルを握りしめ、もしも近づく奴があれば、一撃のもとにうちたおすぞと、緑鬼をにらんだすさまじさ。
これをみておどろいたココミミ君は、ころがるようにして仲間のところへとんで来た。そしてふたたび触角の鞭をふりまわした。緑鬼たちは、たわいなくごろごろとその場にころがった。
そのときココミミ君は、すっくと立上り、呼吸をするような姿勢になった。すると彼の頭上に生えていた三本の触角が、すうっと垂直に立った。と、そのうちの一本がぐにゃぐにゃと下りてきて、垂直に立つ他の二本の触角を、まるで竪琴の絃をはじきでもするかのように、ぽろんぽろんとはじいた。音が出たにちがいない。しかし帆村たちには、その音が聞えなかった。
それが通信だったと見え、あやしい白雲の奥から、どやどやと一隊の人影があらわれた。いや、人影というよりも、鬼影といった方がいいかも知れない。
彼らはココミミ君の前に整列した。新しく来た彼らは、体の色がすこし淡かった。そしてどこかおとなしいところがあった。ココミミ君は帆村にいった。
「これはタルミミ隊の者です。これから、このタルミミ隊が皆さんのお世話をします。私の隊員は、戦闘をするのが専門ですから、自然皆さんに失礼があったと思います。しかし私どもとしては、はじめて迎える地球人類にたいして、そうとう警戒の必要を感じていたわけですから、どうぞあしからず。で、このタルミミ隊は、じゅうぶん皆さんの気にいるようにお世話をすると思います。なんでもいいつけてください。皆さんのための食事の用意もありますよ。しかし、ここから脱走することのお手伝いだけは、させないでください。でないと、ミミ族を憤激させることになります。そうなれば、もう取りかえしがつきませんからね」
ココミミ君は、帆村たちにこのようにいって、できるだけの好意を示した。そして帆村にむかい、
「では、もっとゆっくりあなたと話をしたいと思います。いっしょに来てくれますか」
ときいた。帆村は山岸中尉の許しをえて、ココミミ君の申し出に同意した。そこで二人はならんで歩きだした。一時間もすれば、ここへ戻ってくるという約束のもとに。 | ココミミ君は、どのように部下のそばへとんでいったか。 | ココミミ君は、なにか意を決したもののごとく部下のそばへとんでいった。 |
JCRRAG_010751 | 国語 | 山岸中尉と山岸少年の二人は、帆村を送って後に残った。中尉は愛弟をうしろにかばって、新米のタルミミ隊をにらみつけていた。
タルミミ隊は、山岸中尉の前で活動をはじめた。どこからか円い卓子が持出された。椅子もはこんで来た。それから思いがけない御馳走が大きな器にいれられて、卓子の上におかれた。飲物のはいっている壜もきた。「水」だとか、「酒」だとか、「清涼飲料」とかの、日本字が書きつけてあった。
「さあ、どうぞ召上ってください」
と、タルミミ君らしい一人が、そういって挨拶をした。山岸中尉は返事に困った。
「御心配はいりません。これはあなた方にたべられないものでもなく、また毒がはいっているわけでもありません。安心して召上ってください」
タルミミ君は、ていねいにいった。
山岸中尉は豪胆な人間だったから、ここで弱味を見せてはならぬと思い、蜜柑を一箇手にとった。それとなく注意してみるが、内地の蜜柑と変りのない外観をしている。そこで皮をむいた。ぷうんと蜜柑の香りがした。一房ちぎって口の中へほうりこんだ。甘酸っぱい汁――たしかに地上でおなじみの蜜柑にちがいなかった。しかもこの味は四国産の蜜柑と同じだった。
「この蜜柑は、どこになったのかね」
山岸中尉がタルミミ君へ声をかけた。
「日本産ですよ。外の料理も、みな日本産です。あなた方がくるとわかっていたので、用意してあったのです。どうぞ安心してたべてください」
どんな方法で、日本の料理や、果物などを手にいれたのか、それはわからなかった。しかしたべてみると、たしかに口にあうものばかりだった。そこで弟にもたべるようにすすめた。二人は腹がすいていたのでよくたべた。一度たべた以上は、少くたべても、たくさんたべても同じことだと胆玉をすえた。
(この連中は、おれたちがここへ来ることを知っていたという。こっちはそんなこととは知らなかった。やはりミミ族の方が、われわれ人間より智力が上なのかなあ)
山岸中尉は、たべながらそんなことを考えた。山岸兄弟が食事をしているのを見て安心したものか、タルミミ隊員は、いつとはなしに二人の前から姿を消してしまった。
「兄さん。あの緑人がみんなどこかへ行ってしまいましたよ」
「うん。しかし、どこからかこっちを見張っているにちがいないから、油断をしないように……」
「はい」
「お前、疲れたろう。しばらく寝ろよ」
「僕、ねむくありません」
「そうか。では兄さんは、二十分ばかりねむる。お前、起してくれ」
「はい、起します」
中尉はそこにごろんと横に寝た。
「これは寝心地がいいぞ。士官室の長椅子より上等だ。はははは」
中尉は豪快に笑った。そしてしばらくすると気持よさそうないびきをかきはじめた。
山岸少年は、兄ののんきさ加減にあきれてしまった。こんなおそろしいところへ来て、ねむってしまうなんて、なんということだろうかと。またこの気味のわるい白い雲のようなものの上で、よくもねむられるものだと感心した。もしもどうかして穴があいたら、二万七千メートルの高空から、体はまっさかさまに下へ落ちてゆくではないか。
少年は、このふしぎな「魔の空間」の中でとききれないたくさんの謎をかかえこんでしまって、妙な気持でいるのだった。いったいどうしてこんな高空に、地上の建物の一室とちがわない場所があるのであろうか。
あの怪人どもの頭の上についている、触角みたいなものはなんであろうか。
怪人どもの正体は、あの中にあるのだと帆村がいったが、それはほんとうかしらん。ほんとうなら、いったいどんな形をしているのであろうか、ミミ族という生物は……。
地球人類と同じく銀河系の生物だから、親類だと思ってくれと、ココミミ君はいっていた。銀河系の生物とはなんのことだろう。
こうして考えていけば、謎はつきない。夢のようにふしぎである。しかし夢ではない。頬をつねればちゃんと痛い。
早くも二十分がたったので、山岸少年は兄を起した。中尉は起き上ると、海軍体操を二つ三つやって、元気に笑った。
「さあ、これでいい。くるなら来い、どこからでも来いだ」
「兄さんは、よくねむれますね」
「いや、さっきはねむくて困ったよ。……まだ帆村君はもどって来ないか」
「ええ、もう一時間を五分ばかりすぎていますがね」
「話が長くなったのかな。それとも……」
「それとも」
「いや、心配しないでいいよ」
帆村はなかなか姿を見せなかった。なにかまちがいがあったのではないかと、山岸中尉は思った。だからといって、この白昼探しにゆくわけにもいかない。夜のくるのを待つほかないのだ。ところが、夜はいっこうやってこなかった。
そのはずだ。ここは地球の上ではないのだ。「魔の空間」である。あたり前なら、二万七千メートルはなに一つ見えぬ暗黒界でなければならぬ。それにもかかわらず、こうして白昼のように物の形がみえているのは、ここが「魔の空間」なればこそだ。謎はますます深くなってゆく。 | 山岸中尉と山岸少年の二人は、だれを送った後残ったか。 | 山岸中尉と山岸少年の二人は、帆村を送って後に残った。 |
JCRRAG_010752 | 国語 | 山岸中尉と山岸少年の二人は、帆村を送って後に残った。中尉は愛弟をうしろにかばって、新米のタルミミ隊をにらみつけていた。
タルミミ隊は、山岸中尉の前で活動をはじめた。どこからか円い卓子が持出された。椅子もはこんで来た。それから思いがけない御馳走が大きな器にいれられて、卓子の上におかれた。飲物のはいっている壜もきた。「水」だとか、「酒」だとか、「清涼飲料」とかの、日本字が書きつけてあった。
「さあ、どうぞ召上ってください」
と、タルミミ君らしい一人が、そういって挨拶をした。山岸中尉は返事に困った。
「御心配はいりません。これはあなた方にたべられないものでもなく、また毒がはいっているわけでもありません。安心して召上ってください」
タルミミ君は、ていねいにいった。
山岸中尉は豪胆な人間だったから、ここで弱味を見せてはならぬと思い、蜜柑を一箇手にとった。それとなく注意してみるが、内地の蜜柑と変りのない外観をしている。そこで皮をむいた。ぷうんと蜜柑の香りがした。一房ちぎって口の中へほうりこんだ。甘酸っぱい汁――たしかに地上でおなじみの蜜柑にちがいなかった。しかもこの味は四国産の蜜柑と同じだった。
「この蜜柑は、どこになったのかね」
山岸中尉がタルミミ君へ声をかけた。
「日本産ですよ。外の料理も、みな日本産です。あなた方がくるとわかっていたので、用意してあったのです。どうぞ安心してたべてください」
どんな方法で、日本の料理や、果物などを手にいれたのか、それはわからなかった。しかしたべてみると、たしかに口にあうものばかりだった。そこで弟にもたべるようにすすめた。二人は腹がすいていたのでよくたべた。一度たべた以上は、少くたべても、たくさんたべても同じことだと胆玉をすえた。
(この連中は、おれたちがここへ来ることを知っていたという。こっちはそんなこととは知らなかった。やはりミミ族の方が、われわれ人間より智力が上なのかなあ)
山岸中尉は、たべながらそんなことを考えた。山岸兄弟が食事をしているのを見て安心したものか、タルミミ隊員は、いつとはなしに二人の前から姿を消してしまった。
「兄さん。あの緑人がみんなどこかへ行ってしまいましたよ」
「うん。しかし、どこからかこっちを見張っているにちがいないから、油断をしないように……」
「はい」
「お前、疲れたろう。しばらく寝ろよ」
「僕、ねむくありません」
「そうか。では兄さんは、二十分ばかりねむる。お前、起してくれ」
「はい、起します」
中尉はそこにごろんと横に寝た。
「これは寝心地がいいぞ。士官室の長椅子より上等だ。はははは」
中尉は豪快に笑った。そしてしばらくすると気持よさそうないびきをかきはじめた。
山岸少年は、兄ののんきさ加減にあきれてしまった。こんなおそろしいところへ来て、ねむってしまうなんて、なんということだろうかと。またこの気味のわるい白い雲のようなものの上で、よくもねむられるものだと感心した。もしもどうかして穴があいたら、二万七千メートルの高空から、体はまっさかさまに下へ落ちてゆくではないか。
少年は、このふしぎな「魔の空間」の中でとききれないたくさんの謎をかかえこんでしまって、妙な気持でいるのだった。いったいどうしてこんな高空に、地上の建物の一室とちがわない場所があるのであろうか。
あの怪人どもの頭の上についている、触角みたいなものはなんであろうか。
怪人どもの正体は、あの中にあるのだと帆村がいったが、それはほんとうかしらん。ほんとうなら、いったいどんな形をしているのであろうか、ミミ族という生物は……。
地球人類と同じく銀河系の生物だから、親類だと思ってくれと、ココミミ君はいっていた。銀河系の生物とはなんのことだろう。
こうして考えていけば、謎はつきない。夢のようにふしぎである。しかし夢ではない。頬をつねればちゃんと痛い。
早くも二十分がたったので、山岸少年は兄を起した。中尉は起き上ると、海軍体操を二つ三つやって、元気に笑った。
「さあ、これでいい。くるなら来い、どこからでも来いだ」
「兄さんは、よくねむれますね」
「いや、さっきはねむくて困ったよ。……まだ帆村君はもどって来ないか」
「ええ、もう一時間を五分ばかりすぎていますがね」
「話が長くなったのかな。それとも……」
「それとも」
「いや、心配しないでいいよ」
帆村はなかなか姿を見せなかった。なにかまちがいがあったのではないかと、山岸中尉は思った。だからといって、この白昼探しにゆくわけにもいかない。夜のくるのを待つほかないのだ。ところが、夜はいっこうやってこなかった。
そのはずだ。ここは地球の上ではないのだ。「魔の空間」である。あたり前なら、二万七千メートルはなに一つ見えぬ暗黒界でなければならぬ。それにもかかわらず、こうして白昼のように物の形がみえているのは、ここが「魔の空間」なればこそだ。謎はますます深くなってゆく。 | タルミミ隊は、だれの前で活動をはじめたか。 | タルミミ隊は、山岸中尉の前で活動をはじめた。 |
JCRRAG_010753 | 国語 | 山岸中尉と山岸少年の二人は、帆村を送って後に残った。中尉は愛弟をうしろにかばって、新米のタルミミ隊をにらみつけていた。
タルミミ隊は、山岸中尉の前で活動をはじめた。どこからか円い卓子が持出された。椅子もはこんで来た。それから思いがけない御馳走が大きな器にいれられて、卓子の上におかれた。飲物のはいっている壜もきた。「水」だとか、「酒」だとか、「清涼飲料」とかの、日本字が書きつけてあった。
「さあ、どうぞ召上ってください」
と、タルミミ君らしい一人が、そういって挨拶をした。山岸中尉は返事に困った。
「御心配はいりません。これはあなた方にたべられないものでもなく、また毒がはいっているわけでもありません。安心して召上ってください」
タルミミ君は、ていねいにいった。
山岸中尉は豪胆な人間だったから、ここで弱味を見せてはならぬと思い、蜜柑を一箇手にとった。それとなく注意してみるが、内地の蜜柑と変りのない外観をしている。そこで皮をむいた。ぷうんと蜜柑の香りがした。一房ちぎって口の中へほうりこんだ。甘酸っぱい汁――たしかに地上でおなじみの蜜柑にちがいなかった。しかもこの味は四国産の蜜柑と同じだった。
「この蜜柑は、どこになったのかね」
山岸中尉がタルミミ君へ声をかけた。
「日本産ですよ。外の料理も、みな日本産です。あなた方がくるとわかっていたので、用意してあったのです。どうぞ安心してたべてください」
どんな方法で、日本の料理や、果物などを手にいれたのか、それはわからなかった。しかしたべてみると、たしかに口にあうものばかりだった。そこで弟にもたべるようにすすめた。二人は腹がすいていたのでよくたべた。一度たべた以上は、少くたべても、たくさんたべても同じことだと胆玉をすえた。
(この連中は、おれたちがここへ来ることを知っていたという。こっちはそんなこととは知らなかった。やはりミミ族の方が、われわれ人間より智力が上なのかなあ)
山岸中尉は、たべながらそんなことを考えた。山岸兄弟が食事をしているのを見て安心したものか、タルミミ隊員は、いつとはなしに二人の前から姿を消してしまった。
「兄さん。あの緑人がみんなどこかへ行ってしまいましたよ」
「うん。しかし、どこからかこっちを見張っているにちがいないから、油断をしないように……」
「はい」
「お前、疲れたろう。しばらく寝ろよ」
「僕、ねむくありません」
「そうか。では兄さんは、二十分ばかりねむる。お前、起してくれ」
「はい、起します」
中尉はそこにごろんと横に寝た。
「これは寝心地がいいぞ。士官室の長椅子より上等だ。はははは」
中尉は豪快に笑った。そしてしばらくすると気持よさそうないびきをかきはじめた。
山岸少年は、兄ののんきさ加減にあきれてしまった。こんなおそろしいところへ来て、ねむってしまうなんて、なんということだろうかと。またこの気味のわるい白い雲のようなものの上で、よくもねむられるものだと感心した。もしもどうかして穴があいたら、二万七千メートルの高空から、体はまっさかさまに下へ落ちてゆくではないか。
少年は、このふしぎな「魔の空間」の中でとききれないたくさんの謎をかかえこんでしまって、妙な気持でいるのだった。いったいどうしてこんな高空に、地上の建物の一室とちがわない場所があるのであろうか。
あの怪人どもの頭の上についている、触角みたいなものはなんであろうか。
怪人どもの正体は、あの中にあるのだと帆村がいったが、それはほんとうかしらん。ほんとうなら、いったいどんな形をしているのであろうか、ミミ族という生物は……。
地球人類と同じく銀河系の生物だから、親類だと思ってくれと、ココミミ君はいっていた。銀河系の生物とはなんのことだろう。
こうして考えていけば、謎はつきない。夢のようにふしぎである。しかし夢ではない。頬をつねればちゃんと痛い。
早くも二十分がたったので、山岸少年は兄を起した。中尉は起き上ると、海軍体操を二つ三つやって、元気に笑った。
「さあ、これでいい。くるなら来い、どこからでも来いだ」
「兄さんは、よくねむれますね」
「いや、さっきはねむくて困ったよ。……まだ帆村君はもどって来ないか」
「ええ、もう一時間を五分ばかりすぎていますがね」
「話が長くなったのかな。それとも……」
「それとも」
「いや、心配しないでいいよ」
帆村はなかなか姿を見せなかった。なにかまちがいがあったのではないかと、山岸中尉は思った。だからといって、この白昼探しにゆくわけにもいかない。夜のくるのを待つほかないのだ。ところが、夜はいっこうやってこなかった。
そのはずだ。ここは地球の上ではないのだ。「魔の空間」である。あたり前なら、二万七千メートルはなに一つ見えぬ暗黒界でなければならぬ。それにもかかわらず、こうして白昼のように物の形がみえているのは、ここが「魔の空間」なればこそだ。謎はますます深くなってゆく。 | 中尉はだれをかばって、新米のタルミミ隊をにらみつけていたか。 | 中尉は愛弟をうしろにかばって、新米のタルミミ隊をにらみつけていた。 |
JCRRAG_010754 | 国語 | 山岸中尉と山岸少年の二人は、帆村を送って後に残った。中尉は愛弟をうしろにかばって、新米のタルミミ隊をにらみつけていた。
タルミミ隊は、山岸中尉の前で活動をはじめた。どこからか円い卓子が持出された。椅子もはこんで来た。それから思いがけない御馳走が大きな器にいれられて、卓子の上におかれた。飲物のはいっている壜もきた。「水」だとか、「酒」だとか、「清涼飲料」とかの、日本字が書きつけてあった。
「さあ、どうぞ召上ってください」
と、タルミミ君らしい一人が、そういって挨拶をした。山岸中尉は返事に困った。
「御心配はいりません。これはあなた方にたべられないものでもなく、また毒がはいっているわけでもありません。安心して召上ってください」
タルミミ君は、ていねいにいった。
山岸中尉は豪胆な人間だったから、ここで弱味を見せてはならぬと思い、蜜柑を一箇手にとった。それとなく注意してみるが、内地の蜜柑と変りのない外観をしている。そこで皮をむいた。ぷうんと蜜柑の香りがした。一房ちぎって口の中へほうりこんだ。甘酸っぱい汁――たしかに地上でおなじみの蜜柑にちがいなかった。しかもこの味は四国産の蜜柑と同じだった。
「この蜜柑は、どこになったのかね」
山岸中尉がタルミミ君へ声をかけた。
「日本産ですよ。外の料理も、みな日本産です。あなた方がくるとわかっていたので、用意してあったのです。どうぞ安心してたべてください」
どんな方法で、日本の料理や、果物などを手にいれたのか、それはわからなかった。しかしたべてみると、たしかに口にあうものばかりだった。そこで弟にもたべるようにすすめた。二人は腹がすいていたのでよくたべた。一度たべた以上は、少くたべても、たくさんたべても同じことだと胆玉をすえた。
(この連中は、おれたちがここへ来ることを知っていたという。こっちはそんなこととは知らなかった。やはりミミ族の方が、われわれ人間より智力が上なのかなあ)
山岸中尉は、たべながらそんなことを考えた。山岸兄弟が食事をしているのを見て安心したものか、タルミミ隊員は、いつとはなしに二人の前から姿を消してしまった。
「兄さん。あの緑人がみんなどこかへ行ってしまいましたよ」
「うん。しかし、どこからかこっちを見張っているにちがいないから、油断をしないように……」
「はい」
「お前、疲れたろう。しばらく寝ろよ」
「僕、ねむくありません」
「そうか。では兄さんは、二十分ばかりねむる。お前、起してくれ」
「はい、起します」
中尉はそこにごろんと横に寝た。
「これは寝心地がいいぞ。士官室の長椅子より上等だ。はははは」
中尉は豪快に笑った。そしてしばらくすると気持よさそうないびきをかきはじめた。
山岸少年は、兄ののんきさ加減にあきれてしまった。こんなおそろしいところへ来て、ねむってしまうなんて、なんということだろうかと。またこの気味のわるい白い雲のようなものの上で、よくもねむられるものだと感心した。もしもどうかして穴があいたら、二万七千メートルの高空から、体はまっさかさまに下へ落ちてゆくではないか。
少年は、このふしぎな「魔の空間」の中でとききれないたくさんの謎をかかえこんでしまって、妙な気持でいるのだった。いったいどうしてこんな高空に、地上の建物の一室とちがわない場所があるのであろうか。
あの怪人どもの頭の上についている、触角みたいなものはなんであろうか。
怪人どもの正体は、あの中にあるのだと帆村がいったが、それはほんとうかしらん。ほんとうなら、いったいどんな形をしているのであろうか、ミミ族という生物は……。
地球人類と同じく銀河系の生物だから、親類だと思ってくれと、ココミミ君はいっていた。銀河系の生物とはなんのことだろう。
こうして考えていけば、謎はつきない。夢のようにふしぎである。しかし夢ではない。頬をつねればちゃんと痛い。
早くも二十分がたったので、山岸少年は兄を起した。中尉は起き上ると、海軍体操を二つ三つやって、元気に笑った。
「さあ、これでいい。くるなら来い、どこからでも来いだ」
「兄さんは、よくねむれますね」
「いや、さっきはねむくて困ったよ。……まだ帆村君はもどって来ないか」
「ええ、もう一時間を五分ばかりすぎていますがね」
「話が長くなったのかな。それとも……」
「それとも」
「いや、心配しないでいいよ」
帆村はなかなか姿を見せなかった。なにかまちがいがあったのではないかと、山岸中尉は思った。だからといって、この白昼探しにゆくわけにもいかない。夜のくるのを待つほかないのだ。ところが、夜はいっこうやってこなかった。
そのはずだ。ここは地球の上ではないのだ。「魔の空間」である。あたり前なら、二万七千メートルはなに一つ見えぬ暗黒界でなければならぬ。それにもかかわらず、こうして白昼のように物の形がみえているのは、ここが「魔の空間」なればこそだ。謎はますます深くなってゆく。 | 少年は、なにをかかえこんでしまって、妙な気持でいるのか。 | 少年は、このふしぎな「魔の空間」の中でとききれないたくさんの謎をかかえこんでしまって、妙な気持でいるのだった。 |
JCRRAG_010755 | 国語 | 山岸中尉と山岸少年の二人は、帆村を送って後に残った。中尉は愛弟をうしろにかばって、新米のタルミミ隊をにらみつけていた。
タルミミ隊は、山岸中尉の前で活動をはじめた。どこからか円い卓子が持出された。椅子もはこんで来た。それから思いがけない御馳走が大きな器にいれられて、卓子の上におかれた。飲物のはいっている壜もきた。「水」だとか、「酒」だとか、「清涼飲料」とかの、日本字が書きつけてあった。
「さあ、どうぞ召上ってください」
と、タルミミ君らしい一人が、そういって挨拶をした。山岸中尉は返事に困った。
「御心配はいりません。これはあなた方にたべられないものでもなく、また毒がはいっているわけでもありません。安心して召上ってください」
タルミミ君は、ていねいにいった。
山岸中尉は豪胆な人間だったから、ここで弱味を見せてはならぬと思い、蜜柑を一箇手にとった。それとなく注意してみるが、内地の蜜柑と変りのない外観をしている。そこで皮をむいた。ぷうんと蜜柑の香りがした。一房ちぎって口の中へほうりこんだ。甘酸っぱい汁――たしかに地上でおなじみの蜜柑にちがいなかった。しかもこの味は四国産の蜜柑と同じだった。
「この蜜柑は、どこになったのかね」
山岸中尉がタルミミ君へ声をかけた。
「日本産ですよ。外の料理も、みな日本産です。あなた方がくるとわかっていたので、用意してあったのです。どうぞ安心してたべてください」
どんな方法で、日本の料理や、果物などを手にいれたのか、それはわからなかった。しかしたべてみると、たしかに口にあうものばかりだった。そこで弟にもたべるようにすすめた。二人は腹がすいていたのでよくたべた。一度たべた以上は、少くたべても、たくさんたべても同じことだと胆玉をすえた。
(この連中は、おれたちがここへ来ることを知っていたという。こっちはそんなこととは知らなかった。やはりミミ族の方が、われわれ人間より智力が上なのかなあ)
山岸中尉は、たべながらそんなことを考えた。山岸兄弟が食事をしているのを見て安心したものか、タルミミ隊員は、いつとはなしに二人の前から姿を消してしまった。
「兄さん。あの緑人がみんなどこかへ行ってしまいましたよ」
「うん。しかし、どこからかこっちを見張っているにちがいないから、油断をしないように……」
「はい」
「お前、疲れたろう。しばらく寝ろよ」
「僕、ねむくありません」
「そうか。では兄さんは、二十分ばかりねむる。お前、起してくれ」
「はい、起します」
中尉はそこにごろんと横に寝た。
「これは寝心地がいいぞ。士官室の長椅子より上等だ。はははは」
中尉は豪快に笑った。そしてしばらくすると気持よさそうないびきをかきはじめた。
山岸少年は、兄ののんきさ加減にあきれてしまった。こんなおそろしいところへ来て、ねむってしまうなんて、なんということだろうかと。またこの気味のわるい白い雲のようなものの上で、よくもねむられるものだと感心した。もしもどうかして穴があいたら、二万七千メートルの高空から、体はまっさかさまに下へ落ちてゆくではないか。
少年は、このふしぎな「魔の空間」の中でとききれないたくさんの謎をかかえこんでしまって、妙な気持でいるのだった。いったいどうしてこんな高空に、地上の建物の一室とちがわない場所があるのであろうか。
あの怪人どもの頭の上についている、触角みたいなものはなんであろうか。
怪人どもの正体は、あの中にあるのだと帆村がいったが、それはほんとうかしらん。ほんとうなら、いったいどんな形をしているのであろうか、ミミ族という生物は……。
地球人類と同じく銀河系の生物だから、親類だと思ってくれと、ココミミ君はいっていた。銀河系の生物とはなんのことだろう。
こうして考えていけば、謎はつきない。夢のようにふしぎである。しかし夢ではない。頬をつねればちゃんと痛い。
早くも二十分がたったので、山岸少年は兄を起した。中尉は起き上ると、海軍体操を二つ三つやって、元気に笑った。
「さあ、これでいい。くるなら来い、どこからでも来いだ」
「兄さんは、よくねむれますね」
「いや、さっきはねむくて困ったよ。……まだ帆村君はもどって来ないか」
「ええ、もう一時間を五分ばかりすぎていますがね」
「話が長くなったのかな。それとも……」
「それとも」
「いや、心配しないでいいよ」
帆村はなかなか姿を見せなかった。なにかまちがいがあったのではないかと、山岸中尉は思った。だからといって、この白昼探しにゆくわけにもいかない。夜のくるのを待つほかないのだ。ところが、夜はいっこうやってこなかった。
そのはずだ。ここは地球の上ではないのだ。「魔の空間」である。あたり前なら、二万七千メートルはなに一つ見えぬ暗黒界でなければならぬ。それにもかかわらず、こうして白昼のように物の形がみえているのは、ここが「魔の空間」なればこそだ。謎はますます深くなってゆく。 | 山岸少年は、だれののんきさ加減にあきれたか。 | 山岸少年は、兄ののんきさ加減にあきれてしまった。 |
JCRRAG_010756 | 国語 | 自分でも、ぎょっとしたほど、陰惨な絵が出来上りました。しかし、これこそ胸底にひた隠しに隠している自分の正体なのだ、おもては陽気に笑い、また人を笑わせているけれども、実は、こんな陰鬱な心を自分は持っているのだ、仕方が無い、とひそかに肯定し、けれどもその絵は、竹一以外の人には、さすがに誰にも見せませんでした。自分のお道化の底の陰惨を見破られ、急にケチくさく警戒せられるのもいやでしたし、また、これを自分の正体とも気づかず、やっぱり新趣向のお道化と見なされ、大笑いの種にせられるかも知れぬという懸念もあり、それは何よりもつらい事でしたので、その絵はすぐに押入れの奥深くしまい込みました。
また、学校の図画の時間にも、自分はあの「お化け式手法」は秘めて、いままでどおりの美しいものを美しく画く式の凡庸なタッチで画いていました。
自分は竹一にだけは、前から自分の傷み易い神経を平気で見せていましたし、こんどの自画像も安心して竹一に見せ、たいへんほめられ、さらに二枚三枚と、お化けの絵を画きつづけ、竹一からもう一つの、
「お前は、偉い絵画きになる」
という予言を得たのでした。
惚れられるという予言と、偉い絵画きになるという予言と、この二つの予言を馬鹿の竹一に依って額に刻印せられて、やがて、自分は東京へ出て来ました。
自分は、美術学校にはいりたかったのですが、父は、前から自分を高等学校にいれて、末は官吏にするつもりで、自分にもそれを言い渡してあったので、口応え一つ出来ないたちの自分は、ぼんやりそれに従ったのでした。四年から受けて見よ、と言われたので、自分も桜と海の中学はもういい加減あきていましたし、五年に進級せず、四年修了のままで、東京の高等学校に受験して合格し、すぐに寮生活にはいりましたが、その不潔と粗暴に辟易して、道化どころではなく、医師に肺浸潤の診断書を書いてもらい、寮から出て、上野桜木町の父の別荘に移りました。自分には、団体生活というものが、どうしても出来ません。それにまた、青春の感激だとか、若人の誇りだとかいう言葉は、聞いて寒気がして来て、とても、あの、ハイスクール・スピリットとかいうものには、ついて行けなかったのです。教室も寮も、ゆがめられた性慾の、はきだめみたいな気さえして、自分の完璧に近いお道化も、そこでは何の役にも立ちませんでした。 | 竹一以外の人には、さすがに誰にも見せられないと感じた絵とは、どのような絵でしたか。 | 竹一以外の人には、さすがに誰にも見せられないと感じた絵は、自分でも、ぎょっとしたほど、陰惨な絵が出来上り、これこそ胸底にひた隠しに隠している自分の正体なのだ、おもては陽気に笑い、また人を笑わせているけれども、実は、こんな陰鬱な心を自分は持っているのだ、仕方が無い、と思うほどのものでした。 |
JCRRAG_010757 | 国語 | 自分でも、ぎょっとしたほど、陰惨な絵が出来上りました。しかし、これこそ胸底にひた隠しに隠している自分の正体なのだ、おもては陽気に笑い、また人を笑わせているけれども、実は、こんな陰鬱な心を自分は持っているのだ、仕方が無い、とひそかに肯定し、けれどもその絵は、竹一以外の人には、さすがに誰にも見せませんでした。自分のお道化の底の陰惨を見破られ、急にケチくさく警戒せられるのもいやでしたし、また、これを自分の正体とも気づかず、やっぱり新趣向のお道化と見なされ、大笑いの種にせられるかも知れぬという懸念もあり、それは何よりもつらい事でしたので、その絵はすぐに押入れの奥深くしまい込みました。
また、学校の図画の時間にも、自分はあの「お化け式手法」は秘めて、いままでどおりの美しいものを美しく画く式の凡庸なタッチで画いていました。
自分は竹一にだけは、前から自分の傷み易い神経を平気で見せていましたし、こんどの自画像も安心して竹一に見せ、たいへんほめられ、さらに二枚三枚と、お化けの絵を画きつづけ、竹一からもう一つの、
「お前は、偉い絵画きになる」
という予言を得たのでした。
惚れられるという予言と、偉い絵画きになるという予言と、この二つの予言を馬鹿の竹一に依って額に刻印せられて、やがて、自分は東京へ出て来ました。
自分は、美術学校にはいりたかったのですが、父は、前から自分を高等学校にいれて、末は官吏にするつもりで、自分にもそれを言い渡してあったので、口応え一つ出来ないたちの自分は、ぼんやりそれに従ったのでした。四年から受けて見よ、と言われたので、自分も桜と海の中学はもういい加減あきていましたし、五年に進級せず、四年修了のままで、東京の高等学校に受験して合格し、すぐに寮生活にはいりましたが、その不潔と粗暴に辟易して、道化どころではなく、医師に肺浸潤の診断書を書いてもらい、寮から出て、上野桜木町の父の別荘に移りました。自分には、団体生活というものが、どうしても出来ません。それにまた、青春の感激だとか、若人の誇りだとかいう言葉は、聞いて寒気がして来て、とても、あの、ハイスクール・スピリットとかいうものには、ついて行けなかったのです。教室も寮も、ゆがめられた性慾の、はきだめみたいな気さえして、自分の完璧に近いお道化も、そこでは何の役にも立ちませんでした。 | 胸底にひた隠しに隠している自分の正体とはどんなものだと思いましたか。 | 胸底にひた隠しに隠している自分の正体は、おもては陽気に笑い、また人を笑わせているけれども、実は、こんな陰鬱な心を自分は持っているのだ、仕方が無い、とひそかに肯定しながら、竹一以外の人には、さすがに自分の描いた絵は誰にも見せられないと思いました。 |
JCRRAG_010758 | 国語 | 自分でも、ぎょっとしたほど、陰惨な絵が出来上りました。しかし、これこそ胸底にひた隠しに隠している自分の正体なのだ、おもては陽気に笑い、また人を笑わせているけれども、実は、こんな陰鬱な心を自分は持っているのだ、仕方が無い、とひそかに肯定し、けれどもその絵は、竹一以外の人には、さすがに誰にも見せませんでした。自分のお道化の底の陰惨を見破られ、急にケチくさく警戒せられるのもいやでしたし、また、これを自分の正体とも気づかず、やっぱり新趣向のお道化と見なされ、大笑いの種にせられるかも知れぬという懸念もあり、それは何よりもつらい事でしたので、その絵はすぐに押入れの奥深くしまい込みました。
また、学校の図画の時間にも、自分はあの「お化け式手法」は秘めて、いままでどおりの美しいものを美しく画く式の凡庸なタッチで画いていました。
自分は竹一にだけは、前から自分の傷み易い神経を平気で見せていましたし、こんどの自画像も安心して竹一に見せ、たいへんほめられ、さらに二枚三枚と、お化けの絵を画きつづけ、竹一からもう一つの、
「お前は、偉い絵画きになる」
という予言を得たのでした。
惚れられるという予言と、偉い絵画きになるという予言と、この二つの予言を馬鹿の竹一に依って額に刻印せられて、やがて、自分は東京へ出て来ました。
自分は、美術学校にはいりたかったのですが、父は、前から自分を高等学校にいれて、末は官吏にするつもりで、自分にもそれを言い渡してあったので、口応え一つ出来ないたちの自分は、ぼんやりそれに従ったのでした。四年から受けて見よ、と言われたので、自分も桜と海の中学はもういい加減あきていましたし、五年に進級せず、四年修了のままで、東京の高等学校に受験して合格し、すぐに寮生活にはいりましたが、その不潔と粗暴に辟易して、道化どころではなく、医師に肺浸潤の診断書を書いてもらい、寮から出て、上野桜木町の父の別荘に移りました。自分には、団体生活というものが、どうしても出来ません。それにまた、青春の感激だとか、若人の誇りだとかいう言葉は、聞いて寒気がして来て、とても、あの、ハイスクール・スピリットとかいうものには、ついて行けなかったのです。教室も寮も、ゆがめられた性慾の、はきだめみたいな気さえして、自分の完璧に近いお道化も、そこでは何の役にも立ちませんでした。 | 「自分」はどのようなことを懸念して、絵を押入れの奥深くにしまい込みましたか。 | 絵を押入れの奥深くにしまい込んだ時に「自分」が懸念したことは、自分が普段他の人に見せているお道化の底の陰惨を見破られ、急にケチくさく警戒せられるのもいやでしたし、また、これを自分の正体とも気づかず、やっぱり新趣向のお道化と見なされ、大笑いの種にせられるかも知れぬという懸念もあり、それは何よりもつらい事でしたので、その絵はすぐに押入れの奥深くしまい込みました。 |
JCRRAG_010759 | 国語 | 自分でも、ぎょっとしたほど、陰惨な絵が出来上りました。しかし、これこそ胸底にひた隠しに隠している自分の正体なのだ、おもては陽気に笑い、また人を笑わせているけれども、実は、こんな陰鬱な心を自分は持っているのだ、仕方が無い、とひそかに肯定し、けれどもその絵は、竹一以外の人には、さすがに誰にも見せませんでした。自分のお道化の底の陰惨を見破られ、急にケチくさく警戒せられるのもいやでしたし、また、これを自分の正体とも気づかず、やっぱり新趣向のお道化と見なされ、大笑いの種にせられるかも知れぬという懸念もあり、それは何よりもつらい事でしたので、その絵はすぐに押入れの奥深くしまい込みました。
また、学校の図画の時間にも、自分はあの「お化け式手法」は秘めて、いままでどおりの美しいものを美しく画く式の凡庸なタッチで画いていました。
自分は竹一にだけは、前から自分の傷み易い神経を平気で見せていましたし、こんどの自画像も安心して竹一に見せ、たいへんほめられ、さらに二枚三枚と、お化けの絵を画きつづけ、竹一からもう一つの、
「お前は、偉い絵画きになる」
という予言を得たのでした。
惚れられるという予言と、偉い絵画きになるという予言と、この二つの予言を馬鹿の竹一に依って額に刻印せられて、やがて、自分は東京へ出て来ました。
自分は、美術学校にはいりたかったのですが、父は、前から自分を高等学校にいれて、末は官吏にするつもりで、自分にもそれを言い渡してあったので、口応え一つ出来ないたちの自分は、ぼんやりそれに従ったのでした。四年から受けて見よ、と言われたので、自分も桜と海の中学はもういい加減あきていましたし、五年に進級せず、四年修了のままで、東京の高等学校に受験して合格し、すぐに寮生活にはいりましたが、その不潔と粗暴に辟易して、道化どころではなく、医師に肺浸潤の診断書を書いてもらい、寮から出て、上野桜木町の父の別荘に移りました。自分には、団体生活というものが、どうしても出来ません。それにまた、青春の感激だとか、若人の誇りだとかいう言葉は、聞いて寒気がして来て、とても、あの、ハイスクール・スピリットとかいうものには、ついて行けなかったのです。教室も寮も、ゆがめられた性慾の、はきだめみたいな気さえして、自分の完璧に近いお道化も、そこでは何の役にも立ちませんでした。 | 自分は人に笑われるかもしれない恐れのある「お化けの絵」を、恐れることなく誰に見せることができていましたか。 | 自分は人に笑われるかもしれない恐れのある「お化けの絵」を、恐れることなく竹一にだけは、前から自分の傷み易い神経を平気で見せてきたので、絵を見せられると思いました。 |
JCRRAG_010760 | 国語 | 父は議会の無い時は、月に一週間か二週間しかその家に滞在していませんでしたので、父の留守の時は、かなり広いその家に、別荘番の老夫婦と自分と三人だけで、自分は、ちょいちょい学校を休んで、さりとて東京見物などをする気も起らず(自分はとうとう、明治神宮も、楠正成の銅像も、泉岳寺の四十七士の墓も見ずに終りそうです)家で一日中、本を読んだり、絵をかいたりしていました。父が上京して来ると、自分は、毎朝そそくさと登校するのでしたが、しかし、本郷千駄木町の洋画家、安田新太郎氏の画塾に行き、三時間も四時間も、デッサンの練習をしている事もあったのです。高等学校の寮から脱けたら、学校の授業に出ても、自分はまるで聴講生みたいな特別の位置にいるような、それは自分のひがみかも知れなかったのですが、何とも自分自身で白々しい気持がして来て、いっそう学校へ行くのが、おっくうになったのでした。自分には、小学校、中学校、高等学校を通じて、ついに愛校心というものが理解できずに終りました。校歌などというものも、いちども覚えようとした事がありません。
自分は、やがて画塾で、或る画学生から、酒と煙草と淫売婦と質屋と左翼思想とを知らされました。妙な取合せでしたが、しかし、それは事実でした。
その画学生は、堀木正雄といって、東京の下町に生れ、自分より六つ年長者で、私立の美術学校を卒業して、家にアトリエが無いので、この画塾に通い、洋画の勉強をつづけているのだそうです。 | 父は議会の無い時は、その家にどのくらいの期間滞在していましたか。 | 父は議会の無い時は、月に一週間か二週間しか別荘番の老夫婦と自分がいるかなり広い家には滞在していませんでした。 |
JCRRAG_010761 | 国語 | 父は議会の無い時は、月に一週間か二週間しかその家に滞在していませんでしたので、父の留守の時は、かなり広いその家に、別荘番の老夫婦と自分と三人だけで、自分は、ちょいちょい学校を休んで、さりとて東京見物などをする気も起らず(自分はとうとう、明治神宮も、楠正成の銅像も、泉岳寺の四十七士の墓も見ずに終りそうです)家で一日中、本を読んだり、絵をかいたりしていました。父が上京して来ると、自分は、毎朝そそくさと登校するのでしたが、しかし、本郷千駄木町の洋画家、安田新太郎氏の画塾に行き、三時間も四時間も、デッサンの練習をしている事もあったのです。高等学校の寮から脱けたら、学校の授業に出ても、自分はまるで聴講生みたいな特別の位置にいるような、それは自分のひがみかも知れなかったのですが、何とも自分自身で白々しい気持がして来て、いっそう学校へ行くのが、おっくうになったのでした。自分には、小学校、中学校、高等学校を通じて、ついに愛校心というものが理解できずに終りました。校歌などというものも、いちども覚えようとした事がありません。
自分は、やがて画塾で、或る画学生から、酒と煙草と淫売婦と質屋と左翼思想とを知らされました。妙な取合せでしたが、しかし、それは事実でした。
その画学生は、堀木正雄といって、東京の下町に生れ、自分より六つ年長者で、私立の美術学校を卒業して、家にアトリエが無いので、この画塾に通い、洋画の勉強をつづけているのだそうです。 | 父が留守の時は、自分はその家で何をしていましたか。 | 父の留守の時は、自分はその家でちょいちょい学校を休んで、さりとて東京見物などをする気も起らず、家で一日中、本を読んだり、絵をかいたりしていました。 |
JCRRAG_010762 | 国語 | 父は議会の無い時は、月に一週間か二週間しかその家に滞在していませんでしたので、父の留守の時は、かなり広いその家に、別荘番の老夫婦と自分と三人だけで、自分は、ちょいちょい学校を休んで、さりとて東京見物などをする気も起らず(自分はとうとう、明治神宮も、楠正成の銅像も、泉岳寺の四十七士の墓も見ずに終りそうです)家で一日中、本を読んだり、絵をかいたりしていました。父が上京して来ると、自分は、毎朝そそくさと登校するのでしたが、しかし、本郷千駄木町の洋画家、安田新太郎氏の画塾に行き、三時間も四時間も、デッサンの練習をしている事もあったのです。高等学校の寮から脱けたら、学校の授業に出ても、自分はまるで聴講生みたいな特別の位置にいるような、それは自分のひがみかも知れなかったのですが、何とも自分自身で白々しい気持がして来て、いっそう学校へ行くのが、おっくうになったのでした。自分には、小学校、中学校、高等学校を通じて、ついに愛校心というものが理解できずに終りました。校歌などというものも、いちども覚えようとした事がありません。
自分は、やがて画塾で、或る画学生から、酒と煙草と淫売婦と質屋と左翼思想とを知らされました。妙な取合せでしたが、しかし、それは事実でした。
その画学生は、堀木正雄といって、東京の下町に生れ、自分より六つ年長者で、私立の美術学校を卒業して、家にアトリエが無いので、この画塾に通い、洋画の勉強をつづけているのだそうです。 | 自分は、小学校、中学校、高等学校を通じて、何が理解できずに終りましたか。 | 自分には、小学校、中学校、高等学校を通じて、ついに愛校心というものが理解できずに終りました。 |
JCRRAG_010763 | 国語 | 父は議会の無い時は、月に一週間か二週間しかその家に滞在していませんでしたので、父の留守の時は、かなり広いその家に、別荘番の老夫婦と自分と三人だけで、自分は、ちょいちょい学校を休んで、さりとて東京見物などをする気も起らず(自分はとうとう、明治神宮も、楠正成の銅像も、泉岳寺の四十七士の墓も見ずに終りそうです)家で一日中、本を読んだり、絵をかいたりしていました。父が上京して来ると、自分は、毎朝そそくさと登校するのでしたが、しかし、本郷千駄木町の洋画家、安田新太郎氏の画塾に行き、三時間も四時間も、デッサンの練習をしている事もあったのです。高等学校の寮から脱けたら、学校の授業に出ても、自分はまるで聴講生みたいな特別の位置にいるような、それは自分のひがみかも知れなかったのですが、何とも自分自身で白々しい気持がして来て、いっそう学校へ行くのが、おっくうになったのでした。自分には、小学校、中学校、高等学校を通じて、ついに愛校心というものが理解できずに終りました。校歌などというものも、いちども覚えようとした事がありません。
自分は、やがて画塾で、或る画学生から、酒と煙草と淫売婦と質屋と左翼思想とを知らされました。妙な取合せでしたが、しかし、それは事実でした。
その画学生は、堀木正雄といって、東京の下町に生れ、自分より六つ年長者で、私立の美術学校を卒業して、家にアトリエが無いので、この画塾に通い、洋画の勉強をつづけているのだそうです。 | 自分は、或る画学生から、何を知らされましたか。 | 自分は、或る画学生から、酒と煙草と淫売婦と質屋と左翼思想とを知らされました。 |
JCRRAG_010764 | 国語 | 自分は、やがて画塾で、或る画学生から、酒と煙草と淫売婦と質屋と左翼思想とを知らされました。妙な取合せでしたが、しかし、それは事実でした。
その画学生は、堀木正雄といって、東京の下町に生れ、自分より六つ年長者で、私立の美術学校を卒業して、家にアトリエが無いので、この画塾に通い、洋画の勉強をつづけているのだそうです。
「五円、貸してくれないか」
お互いただ顔を見知っているだけで、それまで一言も話合った事が無かったのです。自分は、へどもどして五円差し出しました。
「よし、飲もう。おれが、お前におごるんだ。よかチゴじゃのう」
自分は拒否し切れず、その画塾の近くの、蓬莱町のカフエに引っぱって行かれたのが、彼との交友のはじまりでした。
「前から、お前に眼をつけていたんだ。それそれ、そのはにかむような微笑、それが見込みのある芸術家特有の表情なんだ。お近づきのしるしに、乾杯! キヌさん、こいつは美男子だろう? 惚れちゃいけないぜ。こいつが塾へ来たおかげで、残念ながらおれは、第二番の美男子という事になった」
堀木は、色が浅黒く端正な顔をしていて、画学生には珍らしく、ちゃんとした脊広を着て、ネクタイの好みも地味で、そうして頭髪もポマードをつけてまん中からぺったりとわけていました。
自分は馴れぬ場所でもあり、ただもうおそろしく、腕を組んだりほどいたりして、それこそ、はにかむような微笑ばかりしていましたが、ビイルを二、三杯飲んでいるうちに、妙に解放せられたような軽さを感じて来たのです。
「僕は、美術学校にはいろうと思っていたんですけど、……」
「いや、つまらん。あんなところは、つまらん。学校は、つまらん。われらの教師は、自然の中にあり! 自然に対するパアトス!」
しかし、自分は、彼の言う事に一向に敬意を感じませんでした。馬鹿なひとだ、絵も下手にちがいない、しかし、遊ぶのには、いい相手かも知れないと考えました。つまり、自分はその時、生れてはじめて、ほんものの都会の与太者を見たのでした。それは、自分と形は違っていても、やはり、この世の人間の営みから完全に遊離してしまって、戸迷いしている点に於いてだけは、たしかに同類なのでした。そうして、彼はそのお道化を意識せずに行い、しかも、そのお道化の悲惨に全く気がついていないのが、自分と本質的に異色のところでした。 | 堀木正雄と自分は、彼が「五円、貸してくれないか」と話しかけてくるまで、話したことがありましたか。 | 堀木正雄と自分は、彼が「五円、貸してくれないか」と話しかけてくるまで、お互いただ顔を見知っているだけで、それまで一言も話したことはありませんでした |
JCRRAG_010765 | 国語 | 自分は、やがて画塾で、或る画学生から、酒と煙草と淫売婦と質屋と左翼思想とを知らされました。妙な取合せでしたが、しかし、それは事実でした。
その画学生は、堀木正雄といって、東京の下町に生れ、自分より六つ年長者で、私立の美術学校を卒業して、家にアトリエが無いので、この画塾に通い、洋画の勉強をつづけているのだそうです。
「五円、貸してくれないか」
お互いただ顔を見知っているだけで、それまで一言も話合った事が無かったのです。自分は、へどもどして五円差し出しました。
「よし、飲もう。おれが、お前におごるんだ。よかチゴじゃのう」
自分は拒否し切れず、その画塾の近くの、蓬莱町のカフエに引っぱって行かれたのが、彼との交友のはじまりでした。
「前から、お前に眼をつけていたんだ。それそれ、そのはにかむような微笑、それが見込みのある芸術家特有の表情なんだ。お近づきのしるしに、乾杯! キヌさん、こいつは美男子だろう? 惚れちゃいけないぜ。こいつが塾へ来たおかげで、残念ながらおれは、第二番の美男子という事になった」
堀木は、色が浅黒く端正な顔をしていて、画学生には珍らしく、ちゃんとした脊広を着て、ネクタイの好みも地味で、そうして頭髪もポマードをつけてまん中からぺったりとわけていました。
自分は馴れぬ場所でもあり、ただもうおそろしく、腕を組んだりほどいたりして、それこそ、はにかむような微笑ばかりしていましたが、ビイルを二、三杯飲んでいるうちに、妙に解放せられたような軽さを感じて来たのです。
「僕は、美術学校にはいろうと思っていたんですけど、……」
「いや、つまらん。あんなところは、つまらん。学校は、つまらん。われらの教師は、自然の中にあり! 自然に対するパアトス!」
しかし、自分は、彼の言う事に一向に敬意を感じませんでした。馬鹿なひとだ、絵も下手にちがいない、しかし、遊ぶのには、いい相手かも知れないと考えました。つまり、自分はその時、生れてはじめて、ほんものの都会の与太者を見たのでした。それは、自分と形は違っていても、やはり、この世の人間の営みから完全に遊離してしまって、戸迷いしている点に於いてだけは、たしかに同類なのでした。そうして、彼はそのお道化を意識せずに行い、しかも、そのお道化の悲惨に全く気がついていないのが、自分と本質的に異色のところでした。 | 彼との交友のはじまりはどのような出来事がきっかけでしたか。 | 彼との交友のはじまりは、へどもどして五円差し出すと、「よし、飲もう。おれが、お前におごるんだ。よかチゴじゃのう」と言われ、その画塾の近くの、蓬莱町のカフエに引っぱって行かれたことでした。 |
JCRRAG_010766 | 国語 | 自分は、やがて画塾で、或る画学生から、酒と煙草と淫売婦と質屋と左翼思想とを知らされました。妙な取合せでしたが、しかし、それは事実でした。
その画学生は、堀木正雄といって、東京の下町に生れ、自分より六つ年長者で、私立の美術学校を卒業して、家にアトリエが無いので、この画塾に通い、洋画の勉強をつづけているのだそうです。
「五円、貸してくれないか」
お互いただ顔を見知っているだけで、それまで一言も話合った事が無かったのです。自分は、へどもどして五円差し出しました。
「よし、飲もう。おれが、お前におごるんだ。よかチゴじゃのう」
自分は拒否し切れず、その画塾の近くの、蓬莱町のカフエに引っぱって行かれたのが、彼との交友のはじまりでした。
「前から、お前に眼をつけていたんだ。それそれ、そのはにかむような微笑、それが見込みのある芸術家特有の表情なんだ。お近づきのしるしに、乾杯! キヌさん、こいつは美男子だろう? 惚れちゃいけないぜ。こいつが塾へ来たおかげで、残念ながらおれは、第二番の美男子という事になった」
堀木は、色が浅黒く端正な顔をしていて、画学生には珍らしく、ちゃんとした脊広を着て、ネクタイの好みも地味で、そうして頭髪もポマードをつけてまん中からぺったりとわけていました。
自分は馴れぬ場所でもあり、ただもうおそろしく、腕を組んだりほどいたりして、それこそ、はにかむような微笑ばかりしていましたが、ビイルを二、三杯飲んでいるうちに、妙に解放せられたような軽さを感じて来たのです。
「僕は、美術学校にはいろうと思っていたんですけど、……」
「いや、つまらん。あんなところは、つまらん。学校は、つまらん。われらの教師は、自然の中にあり! 自然に対するパアトス!」
しかし、自分は、彼の言う事に一向に敬意を感じませんでした。馬鹿なひとだ、絵も下手にちがいない、しかし、遊ぶのには、いい相手かも知れないと考えました。つまり、自分はその時、生れてはじめて、ほんものの都会の与太者を見たのでした。それは、自分と形は違っていても、やはり、この世の人間の営みから完全に遊離してしまって、戸迷いしている点に於いてだけは、たしかに同類なのでした。そうして、彼はそのお道化を意識せずに行い、しかも、そのお道化の悲惨に全く気がついていないのが、自分と本質的に異色のところでした。 | 堀木の見た目は、どのような特徴がありましたか。 | 堀木の見た目は、、色が浅黒く端正な顔をしていて、画学生には珍らしく、ちゃんとした脊広を着て、ネクタイの好みも地味で、そうして頭髪もポマードをつけてまん中からぺったりとわけていました。 |
JCRRAG_010767 | 国語 | 自分は、やがて画塾で、或る画学生から、酒と煙草と淫売婦と質屋と左翼思想とを知らされました。妙な取合せでしたが、しかし、それは事実でした。
その画学生は、堀木正雄といって、東京の下町に生れ、自分より六つ年長者で、私立の美術学校を卒業して、家にアトリエが無いので、この画塾に通い、洋画の勉強をつづけているのだそうです。
「五円、貸してくれないか」
お互いただ顔を見知っているだけで、それまで一言も話合った事が無かったのです。自分は、へどもどして五円差し出しました。
「よし、飲もう。おれが、お前におごるんだ。よかチゴじゃのう」
自分は拒否し切れず、その画塾の近くの、蓬莱町のカフエに引っぱって行かれたのが、彼との交友のはじまりでした。
「前から、お前に眼をつけていたんだ。それそれ、そのはにかむような微笑、それが見込みのある芸術家特有の表情なんだ。お近づきのしるしに、乾杯! キヌさん、こいつは美男子だろう? 惚れちゃいけないぜ。こいつが塾へ来たおかげで、残念ながらおれは、第二番の美男子という事になった」
堀木は、色が浅黒く端正な顔をしていて、画学生には珍らしく、ちゃんとした脊広を着て、ネクタイの好みも地味で、そうして頭髪もポマードをつけてまん中からぺったりとわけていました。
自分は馴れぬ場所でもあり、ただもうおそろしく、腕を組んだりほどいたりして、それこそ、はにかむような微笑ばかりしていましたが、ビイルを二、三杯飲んでいるうちに、妙に解放せられたような軽さを感じて来たのです。
「僕は、美術学校にはいろうと思っていたんですけど、……」
「いや、つまらん。あんなところは、つまらん。学校は、つまらん。われらの教師は、自然の中にあり! 自然に対するパアトス!」
しかし、自分は、彼の言う事に一向に敬意を感じませんでした。馬鹿なひとだ、絵も下手にちがいない、しかし、遊ぶのには、いい相手かも知れないと考えました。つまり、自分はその時、生れてはじめて、ほんものの都会の与太者を見たのでした。それは、自分と形は違っていても、やはり、この世の人間の営みから完全に遊離してしまって、戸迷いしている点に於いてだけは、たしかに同類なのでした。そうして、彼はそのお道化を意識せずに行い、しかも、そのお道化の悲惨に全く気がついていないのが、自分と本質的に異色のところでした。 | 自分は堀木を、何をするのにいい相手かも知れないと考えましたか。 | 自分は堀木を、馬鹿なひとだ、絵も下手にちがいない、しかし、遊ぶのには、いい相手かも知れないと考えました。 |
JCRRAG_010768 | 国語 | 自分は、やがて画塾で、或る画学生から、酒と煙草と淫売婦と質屋と左翼思想とを知らされました。妙な取合せでしたが、しかし、それは事実でした。
その画学生は、堀木正雄といって、東京の下町に生れ、自分より六つ年長者で、私立の美術学校を卒業して、家にアトリエが無いので、この画塾に通い、洋画の勉強をつづけているのだそうです。
「五円、貸してくれないか」
お互いただ顔を見知っているだけで、それまで一言も話合った事が無かったのです。自分は、へどもどして五円差し出しました。
「よし、飲もう。おれが、お前におごるんだ。よかチゴじゃのう」
自分は拒否し切れず、その画塾の近くの、蓬莱町のカフエに引っぱって行かれたのが、彼との交友のはじまりでした。
「前から、お前に眼をつけていたんだ。それそれ、そのはにかむような微笑、それが見込みのある芸術家特有の表情なんだ。お近づきのしるしに、乾杯! キヌさん、こいつは美男子だろう? 惚れちゃいけないぜ。こいつが塾へ来たおかげで、残念ながらおれは、第二番の美男子という事になった」
堀木は、色が浅黒く端正な顔をしていて、画学生には珍らしく、ちゃんとした脊広を着て、ネクタイの好みも地味で、そうして頭髪もポマードをつけてまん中からぺったりとわけていました。
自分は馴れぬ場所でもあり、ただもうおそろしく、腕を組んだりほどいたりして、それこそ、はにかむような微笑ばかりしていましたが、ビイルを二、三杯飲んでいるうちに、妙に解放せられたような軽さを感じて来たのです。
「僕は、美術学校にはいろうと思っていたんですけど、……」
「いや、つまらん。あんなところは、つまらん。学校は、つまらん。われらの教師は、自然の中にあり! 自然に対するパアトス!」
しかし、自分は、彼の言う事に一向に敬意を感じませんでした。馬鹿なひとだ、絵も下手にちがいない、しかし、遊ぶのには、いい相手かも知れないと考えました。つまり、自分はその時、生れてはじめて、ほんものの都会の与太者を見たのでした。それは、自分と形は違っていても、やはり、この世の人間の営みから完全に遊離してしまって、戸迷いしている点に於いてだけは、たしかに同類なのでした。そうして、彼はそのお道化を意識せずに行い、しかも、そのお道化の悲惨に全く気がついていないのが、自分と本質的に異色のところでした。 | 堀木正雄が自分と本質的に異色のところだと考えたのはどのようなところですか。 | 堀木正雄が自分と本質的に異色のところだと考えたのは彼はこの世の人間の営みから完全に遊離してしまって、戸迷いしているお道化を意識せずに行い、しかも、そのお道化の悲惨に全く気がついていないのが、自分と本質的に異色のところです。 |
JCRRAG_010769 | 国語 | ただ遊ぶだけだ、遊びの相手として附合っているだけだ、とつねに彼を軽蔑し、時には彼との交友を恥ずかしくさえ思いながら、彼と連れ立って歩いているうちに、結局、自分は、この男にさえ打ち破られました。
しかし、はじめは、この男を好人物、まれに見る好人物とばかり思い込み、さすが人間恐怖の自分も全く油断をして、東京のよい案内者が出来た、くらいに思っていました。自分は、実は、ひとりでは、電車に乗ると車掌がおそろしく、歌舞伎座へはいりたくても、あの正面玄関の緋の絨緞が敷かれてある階段の両側に並んで立っている案内嬢たちがおそろしく、レストランへはいると、自分の背後にひっそり立って、皿のあくのを待っている給仕のボーイがおそろしく、殊にも勘定を払う時、ああ、ぎごちない自分の手つき、自分は買い物をしてお金を手渡す時には、吝嗇ゆえでなく、あまりの緊張、あまりの恥ずかしさ、あまりの不安、恐怖に、くらくら目まいして、世界が真暗になり、ほとんど半狂乱の気持になってしまって、値切るどころか、お釣を受け取るのを忘れるばかりでなく、買った品物を持ち帰るのを忘れた事さえ、しばしばあったほどなので、とても、ひとりで東京のまちを歩けず、それで仕方なく、一日一ぱい家の中で、ごろごろしていたという内情もあったのでした。
それが、堀木に財布を渡して一緒に歩くと、堀木は大いに値切って、しかも遊び上手というのか、わずかなお金で最大の効果のあるような支払い振りを発揮し、また、高い円タクは敬遠して、電車、バス、ポンポン蒸気など、それぞれ利用し分けて、最短時間で目的地へ着くという手腕をも示し、淫売婦のところから朝帰る途中には、何々という料亭に立ち寄って朝風呂へはいり、湯豆腐で軽くお酒を飲むのが、安い割に、ぜいたくな気分になれるものだと実地教育をしてくれたり、その他、屋台の牛めし焼とりの安価にして滋養に富むものたる事を説き、酔いの早く発するのは、電気ブランの右に出るものはないと保証し、とにかくその勘定に就いては自分に、一つも不安、恐怖を覚えさせた事がありませんでした。
さらにまた、堀木と附合って救われるのは、堀木が聞き手の思惑などをてんで無視して、その所謂情熱の噴出するがままに、(或いは、情熱とは、相手の立場を無視する事かも知れませんが)四六時中、くだらないおしゃべりを続け、あの、二人で歩いて疲れ、気まずい沈黙におちいる危懼が、全く無いという事でした。人に接し、あのおそろしい沈黙がその場にあらわれる事を警戒して、もともと口の重い自分が、ここを先途と必死のお道化を言って来たものですが、いまこの堀木の馬鹿が、意識せずに、そのお道化役をみずからすすんでやってくれているので、自分は、返事もろくにせずに、ただ聞き流し、時折、まさか、などと言って笑っておれば、いいのでした。 | 自分が一日一ぱい家の中で、ごろごろしていたことが多かったのはなぜですか。 | 自分が一日一ぱい家の中で、ごろごろしていたことが多かったのは実は、ひとりでは、電車に乗ると車掌がおそろしく、歌舞伎座へはいりたくても、あの正面玄関の緋の絨緞が敷かれてある階段の両側に並んで立っている案内嬢たちがおそろしく、レストランへはいると、自分の背後にひっそり立って、皿のあくのを待っている給仕のボーイがおそろしく、殊にも勘定を払う時、ああ、ぎごちない自分の手つき、自分は買い物をしてお金を手渡す時には、吝嗇ゆえでなく、あまりの緊張、あまりの恥ずかしさ、あまりの不安、恐怖に、くらくら目まいして、世界が真暗になり、ほとんど半狂乱の気持になってしまって、値切るどころか、お釣を受け取るのを忘れるばかりでなく、買った品物を持ち帰るのを忘れた事さえ、しばしばあったほどなので、とても、ひとりで東京のまちを歩けなかったからです。 |
JCRRAG_010770 | 国語 | ただ遊ぶだけだ、遊びの相手として附合っているだけだ、とつねに彼を軽蔑し、時には彼との交友を恥ずかしくさえ思いながら、彼と連れ立って歩いているうちに、結局、自分は、この男にさえ打ち破られました。
しかし、はじめは、この男を好人物、まれに見る好人物とばかり思い込み、さすが人間恐怖の自分も全く油断をして、東京のよい案内者が出来た、くらいに思っていました。自分は、実は、ひとりでは、電車に乗ると車掌がおそろしく、歌舞伎座へはいりたくても、あの正面玄関の緋の絨緞が敷かれてある階段の両側に並んで立っている案内嬢たちがおそろしく、レストランへはいると、自分の背後にひっそり立って、皿のあくのを待っている給仕のボーイがおそろしく、殊にも勘定を払う時、ああ、ぎごちない自分の手つき、自分は買い物をしてお金を手渡す時には、吝嗇ゆえでなく、あまりの緊張、あまりの恥ずかしさ、あまりの不安、恐怖に、くらくら目まいして、世界が真暗になり、ほとんど半狂乱の気持になってしまって、値切るどころか、お釣を受け取るのを忘れるばかりでなく、買った品物を持ち帰るのを忘れた事さえ、しばしばあったほどなので、とても、ひとりで東京のまちを歩けず、それで仕方なく、一日一ぱい家の中で、ごろごろしていたという内情もあったのでした。
それが、堀木に財布を渡して一緒に歩くと、堀木は大いに値切って、しかも遊び上手というのか、わずかなお金で最大の効果のあるような支払い振りを発揮し、また、高い円タクは敬遠して、電車、バス、ポンポン蒸気など、それぞれ利用し分けて、最短時間で目的地へ着くという手腕をも示し、淫売婦のところから朝帰る途中には、何々という料亭に立ち寄って朝風呂へはいり、湯豆腐で軽くお酒を飲むのが、安い割に、ぜいたくな気分になれるものだと実地教育をしてくれたり、その他、屋台の牛めし焼とりの安価にして滋養に富むものたる事を説き、酔いの早く発するのは、電気ブランの右に出るものはないと保証し、とにかくその勘定に就いては自分に、一つも不安、恐怖を覚えさせた事がありませんでした。
さらにまた、堀木と附合って救われるのは、堀木が聞き手の思惑などをてんで無視して、その所謂情熱の噴出するがままに、(或いは、情熱とは、相手の立場を無視する事かも知れませんが)四六時中、くだらないおしゃべりを続け、あの、二人で歩いて疲れ、気まずい沈黙におちいる危懼が、全く無いという事でした。人に接し、あのおそろしい沈黙がその場にあらわれる事を警戒して、もともと口の重い自分が、ここを先途と必死のお道化を言って来たものですが、いまこの堀木の馬鹿が、意識せずに、そのお道化役をみずからすすんでやってくれているので、自分は、返事もろくにせずに、ただ聞き流し、時折、まさか、などと言って笑っておれば、いいのでした。 | 掘木に財布を渡して一緒に歩くと、どうなりましたか。 | 掘木に財布を渡して一緒に歩くと、堀木は大いに値切って、しかも遊び上手というのか、わずかなお金で最大の効果のあるような支払い振りを発揮し、勘定に就いては自分に、一つも不安、恐怖を覚えさせた事がありませんでした。 |
JCRRAG_010771 | 国語 | ただ遊ぶだけだ、遊びの相手として附合っているだけだ、とつねに彼を軽蔑し、時には彼との交友を恥ずかしくさえ思いながら、彼と連れ立って歩いているうちに、結局、自分は、この男にさえ打ち破られました。
しかし、はじめは、この男を好人物、まれに見る好人物とばかり思い込み、さすが人間恐怖の自分も全く油断をして、東京のよい案内者が出来た、くらいに思っていました。自分は、実は、ひとりでは、電車に乗ると車掌がおそろしく、歌舞伎座へはいりたくても、あの正面玄関の緋の絨緞が敷かれてある階段の両側に並んで立っている案内嬢たちがおそろしく、レストランへはいると、自分の背後にひっそり立って、皿のあくのを待っている給仕のボーイがおそろしく、殊にも勘定を払う時、ああ、ぎごちない自分の手つき、自分は買い物をしてお金を手渡す時には、吝嗇ゆえでなく、あまりの緊張、あまりの恥ずかしさ、あまりの不安、恐怖に、くらくら目まいして、世界が真暗になり、ほとんど半狂乱の気持になってしまって、値切るどころか、お釣を受け取るのを忘れるばかりでなく、買った品物を持ち帰るのを忘れた事さえ、しばしばあったほどなので、とても、ひとりで東京のまちを歩けず、それで仕方なく、一日一ぱい家の中で、ごろごろしていたという内情もあったのでした。
それが、堀木に財布を渡して一緒に歩くと、堀木は大いに値切って、しかも遊び上手というのか、わずかなお金で最大の効果のあるような支払い振りを発揮し、また、高い円タクは敬遠して、電車、バス、ポンポン蒸気など、それぞれ利用し分けて、最短時間で目的地へ着くという手腕をも示し、淫売婦のところから朝帰る途中には、何々という料亭に立ち寄って朝風呂へはいり、湯豆腐で軽くお酒を飲むのが、安い割に、ぜいたくな気分になれるものだと実地教育をしてくれたり、その他、屋台の牛めし焼とりの安価にして滋養に富むものたる事を説き、酔いの早く発するのは、電気ブランの右に出るものはないと保証し、とにかくその勘定に就いては自分に、一つも不安、恐怖を覚えさせた事がありませんでした。
さらにまた、堀木と附合って救われるのは、堀木が聞き手の思惑などをてんで無視して、その所謂情熱の噴出するがままに、(或いは、情熱とは、相手の立場を無視する事かも知れませんが)四六時中、くだらないおしゃべりを続け、あの、二人で歩いて疲れ、気まずい沈黙におちいる危懼が、全く無いという事でした。人に接し、あのおそろしい沈黙がその場にあらわれる事を警戒して、もともと口の重い自分が、ここを先途と必死のお道化を言って来たものですが、いまこの堀木の馬鹿が、意識せずに、そのお道化役をみずからすすんでやってくれているので、自分は、返事もろくにせずに、ただ聞き流し、時折、まさか、などと言って笑っておれば、いいのでした。 | 堀木は、酔いが早く発するのは何であるといいましたか? | 堀木は、酔いが早く発するのは、電気ブランの右に出るものはないと保証しました。 |
JCRRAG_010772 | 国語 | ただ遊ぶだけだ、遊びの相手として附合っているだけだ、とつねに彼を軽蔑し、時には彼との交友を恥ずかしくさえ思いながら、彼と連れ立って歩いているうちに、結局、自分は、この男にさえ打ち破られました。
しかし、はじめは、この男を好人物、まれに見る好人物とばかり思い込み、さすが人間恐怖の自分も全く油断をして、東京のよい案内者が出来た、くらいに思っていました。自分は、実は、ひとりでは、電車に乗ると車掌がおそろしく、歌舞伎座へはいりたくても、あの正面玄関の緋の絨緞が敷かれてある階段の両側に並んで立っている案内嬢たちがおそろしく、レストランへはいると、自分の背後にひっそり立って、皿のあくのを待っている給仕のボーイがおそろしく、殊にも勘定を払う時、ああ、ぎごちない自分の手つき、自分は買い物をしてお金を手渡す時には、吝嗇ゆえでなく、あまりの緊張、あまりの恥ずかしさ、あまりの不安、恐怖に、くらくら目まいして、世界が真暗になり、ほとんど半狂乱の気持になってしまって、値切るどころか、お釣を受け取るのを忘れるばかりでなく、買った品物を持ち帰るのを忘れた事さえ、しばしばあったほどなので、とても、ひとりで東京のまちを歩けず、それで仕方なく、一日一ぱい家の中で、ごろごろしていたという内情もあったのでした。
それが、堀木に財布を渡して一緒に歩くと、堀木は大いに値切って、しかも遊び上手というのか、わずかなお金で最大の効果のあるような支払い振りを発揮し、また、高い円タクは敬遠して、電車、バス、ポンポン蒸気など、それぞれ利用し分けて、最短時間で目的地へ着くという手腕をも示し、淫売婦のところから朝帰る途中には、何々という料亭に立ち寄って朝風呂へはいり、湯豆腐で軽くお酒を飲むのが、安い割に、ぜいたくな気分になれるものだと実地教育をしてくれたり、その他、屋台の牛めし焼とりの安価にして滋養に富むものたる事を説き、酔いの早く発するのは、電気ブランの右に出るものはないと保証し、とにかくその勘定に就いては自分に、一つも不安、恐怖を覚えさせた事がありませんでした。
さらにまた、堀木と附合って救われるのは、堀木が聞き手の思惑などをてんで無視して、その所謂情熱の噴出するがままに、(或いは、情熱とは、相手の立場を無視する事かも知れませんが)四六時中、くだらないおしゃべりを続け、あの、二人で歩いて疲れ、気まずい沈黙におちいる危懼が、全く無いという事でした。人に接し、あのおそろしい沈黙がその場にあらわれる事を警戒して、もともと口の重い自分が、ここを先途と必死のお道化を言って来たものですが、いまこの堀木の馬鹿が、意識せずに、そのお道化役をみずからすすんでやってくれているので、自分は、返事もろくにせずに、ただ聞き流し、時折、まさか、などと言って笑っておれば、いいのでした。 | 自分が、堀木と附合って救われると感じるのは、どのようなところですか。 | 自分が、堀木と附合って救われると感じるのは、堀木が聞き手の思惑などをてんで無視して、その所謂情熱の噴出するがままに、(或いは、情熱とは、相手の立場を無視する事かも知れませんが)四六時中、くだらないおしゃべりを続け、あの、二人で歩いて疲れ、気まずい沈黙におちいる危懼が、全く無いという事です。 |
JCRRAG_010773 | 国語 | 酒、煙草、淫売婦、それは皆、人間恐怖を、たとい一時でも、まぎらす事の出来るずいぶんよい手段である事が、やがて自分にもわかって来ました。それらの手段を求めるためには、自分の持ち物全部を売却しても悔いない気持さえ、抱くようになりました。
自分には、淫売婦というものが、人間でも、女性でもない、白痴か狂人のように見え、そのふところの中で、自分はかえって全く安心して、ぐっすり眠る事が出来ました。みんな、哀しいくらい、実にみじんも慾というものが無いのでした。そうして、自分に、同類の親和感とでもいったようなものを覚えるのか、自分は、いつも、その淫売婦たちから、窮屈でない程度の自然の好意を示されました。何の打算も無い好意、押し売りでは無い好意、二度と来ないかも知れぬひとへの好意、自分には、その白痴か狂人の淫売婦たちに、マリヤの円光を現実に見た夜もあったのです。
しかし、自分は、人間への恐怖からのがれ、幽かな一夜の休養を求めるために、そこへ行き、それこそ自分と「同類」の淫売婦たちと遊んでいるうちに、いつのまにやら無意識の、或るいまわしい雰囲気を身辺にいつもただよわせるようになった様子で、これは自分にも全く思い設けなかった所謂「おまけの附録」でしたが、次第にその「附録」が、鮮明に表面に浮き上って来て、堀木にそれを指摘せられ、愕然として、そうして、いやな気が致しました。はたから見て、俗な言い方をすれば、自分は、淫売婦に依って女の修行をして、しかも、最近めっきり腕をあげ、女の修行は、淫売婦に依るのが一ばん厳しく、またそれだけに効果のあがるものだそうで、既に自分には、あの、「女達者」という匂いがつきまとい、女性は、(淫売婦に限らず)本能に依ってそれを嗅ぎ当て寄り添って来る、そのような、卑猥で不名誉な雰囲気を、「おまけの附録」としてもらって、そうしてそのほうが、自分の休養などよりも、ひどく目立ってしまっているらしいのでした。 | 自分は、たとい一時でも人間恐怖をまぎらす事の出来るよい手段である事だとわかってきたのはどのようなことでしたか。 | 自分は、たとい一時でも人間恐怖をまぎらす事の出来るよい手段である事だとわかってきたのは酒、煙草、淫売婦、でした。 |
JCRRAG_010774 | 国語 | 酒、煙草、淫売婦、それは皆、人間恐怖を、たとい一時でも、まぎらす事の出来るずいぶんよい手段である事が、やがて自分にもわかって来ました。それらの手段を求めるためには、自分の持ち物全部を売却しても悔いない気持さえ、抱くようになりました。
自分には、淫売婦というものが、人間でも、女性でもない、白痴か狂人のように見え、そのふところの中で、自分はかえって全く安心して、ぐっすり眠る事が出来ました。みんな、哀しいくらい、実にみじんも慾というものが無いのでした。そうして、自分に、同類の親和感とでもいったようなものを覚えるのか、自分は、いつも、その淫売婦たちから、窮屈でない程度の自然の好意を示されました。何の打算も無い好意、押し売りでは無い好意、二度と来ないかも知れぬひとへの好意、自分には、その白痴か狂人の淫売婦たちに、マリヤの円光を現実に見た夜もあったのです。
しかし、自分は、人間への恐怖からのがれ、幽かな一夜の休養を求めるために、そこへ行き、それこそ自分と「同類」の淫売婦たちと遊んでいるうちに、いつのまにやら無意識の、或るいまわしい雰囲気を身辺にいつもただよわせるようになった様子で、これは自分にも全く思い設けなかった所謂「おまけの附録」でしたが、次第にその「附録」が、鮮明に表面に浮き上って来て、堀木にそれを指摘せられ、愕然として、そうして、いやな気が致しました。はたから見て、俗な言い方をすれば、自分は、淫売婦に依って女の修行をして、しかも、最近めっきり腕をあげ、女の修行は、淫売婦に依るのが一ばん厳しく、またそれだけに効果のあがるものだそうで、既に自分には、あの、「女達者」という匂いがつきまとい、女性は、(淫売婦に限らず)本能に依ってそれを嗅ぎ当て寄り添って来る、そのような、卑猥で不名誉な雰囲気を、「おまけの附録」としてもらって、そうしてそのほうが、自分の休養などよりも、ひどく目立ってしまっているらしいのでした。 | 自分は、淫売婦というものが、どのような存在に見え、どのように感じましたか。 | 自分には、淫売婦というものが、人間でも、女性でもない、白痴か狂人のように見え、そのふところの中で、自分はかえって全く安心して、ぐっすり眠る事が出来ました。 |
JCRRAG_010775 | 国語 | 酒、煙草、淫売婦、それは皆、人間恐怖を、たとい一時でも、まぎらす事の出来るずいぶんよい手段である事が、やがて自分にもわかって来ました。それらの手段を求めるためには、自分の持ち物全部を売却しても悔いない気持さえ、抱くようになりました。
自分には、淫売婦というものが、人間でも、女性でもない、白痴か狂人のように見え、そのふところの中で、自分はかえって全く安心して、ぐっすり眠る事が出来ました。みんな、哀しいくらい、実にみじんも慾というものが無いのでした。そうして、自分に、同類の親和感とでもいったようなものを覚えるのか、自分は、いつも、その淫売婦たちから、窮屈でない程度の自然の好意を示されました。何の打算も無い好意、押し売りでは無い好意、二度と来ないかも知れぬひとへの好意、自分には、その白痴か狂人の淫売婦たちに、マリヤの円光を現実に見た夜もあったのです。
しかし、自分は、人間への恐怖からのがれ、幽かな一夜の休養を求めるために、そこへ行き、それこそ自分と「同類」の淫売婦たちと遊んでいるうちに、いつのまにやら無意識の、或るいまわしい雰囲気を身辺にいつもただよわせるようになった様子で、これは自分にも全く思い設けなかった所謂「おまけの附録」でしたが、次第にその「附録」が、鮮明に表面に浮き上って来て、堀木にそれを指摘せられ、愕然として、そうして、いやな気が致しました。はたから見て、俗な言い方をすれば、自分は、淫売婦に依って女の修行をして、しかも、最近めっきり腕をあげ、女の修行は、淫売婦に依るのが一ばん厳しく、またそれだけに効果のあがるものだそうで、既に自分には、あの、「女達者」という匂いがつきまとい、女性は、(淫売婦に限らず)本能に依ってそれを嗅ぎ当て寄り添って来る、そのような、卑猥で不名誉な雰囲気を、「おまけの附録」としてもらって、そうしてそのほうが、自分の休養などよりも、ひどく目立ってしまっているらしいのでした。 | 自分は、いつも、その淫売婦たちから、何を示されましたか。 | 自分は、いつも、その淫売婦たちから、窮屈でない程度の自然の好意を示されました。 |
JCRRAG_010776 | 国語 | 酒、煙草、淫売婦、それは皆、人間恐怖を、たとい一時でも、まぎらす事の出来るずいぶんよい手段である事が、やがて自分にもわかって来ました。それらの手段を求めるためには、自分の持ち物全部を売却しても悔いない気持さえ、抱くようになりました。
自分には、淫売婦というものが、人間でも、女性でもない、白痴か狂人のように見え、そのふところの中で、自分はかえって全く安心して、ぐっすり眠る事が出来ました。みんな、哀しいくらい、実にみじんも慾というものが無いのでした。そうして、自分に、同類の親和感とでもいったようなものを覚えるのか、自分は、いつも、その淫売婦たちから、窮屈でない程度の自然の好意を示されました。何の打算も無い好意、押し売りでは無い好意、二度と来ないかも知れぬひとへの好意、自分には、その白痴か狂人の淫売婦たちに、マリヤの円光を現実に見た夜もあったのです。
しかし、自分は、人間への恐怖からのがれ、幽かな一夜の休養を求めるために、そこへ行き、それこそ自分と「同類」の淫売婦たちと遊んでいるうちに、いつのまにやら無意識の、或るいまわしい雰囲気を身辺にいつもただよわせるようになった様子で、これは自分にも全く思い設けなかった所謂「おまけの附録」でしたが、次第にその「附録」が、鮮明に表面に浮き上って来て、堀木にそれを指摘せられ、愕然として、そうして、いやな気が致しました。はたから見て、俗な言い方をすれば、自分は、淫売婦に依って女の修行をして、しかも、最近めっきり腕をあげ、女の修行は、淫売婦に依るのが一ばん厳しく、またそれだけに効果のあがるものだそうで、既に自分には、あの、「女達者」という匂いがつきまとい、女性は、(淫売婦に限らず)本能に依ってそれを嗅ぎ当て寄り添って来る、そのような、卑猥で不名誉な雰囲気を、「おまけの附録」としてもらって、そうしてそのほうが、自分の休養などよりも、ひどく目立ってしまっているらしいのでした。 | 自分は、その白痴か狂人の淫売婦たちに、どのようなものを見た夜もありましたか。 | 自分は、その白痴か狂人の淫売婦たちに、マリヤの円光を現実に見た夜もあったのです。 |
JCRRAG_010777 | 国語 | 堀木はそれを半分はお世辞で言ったのでしょうが、しかし、自分にも、重苦しく思い当る事があり、たとえば、喫茶店の女から稚拙な手紙をもらった覚えもあるし、桜木町の家の隣りの将軍のはたちくらいの娘が、毎朝、自分の登校の時刻には、用も無さそうなのに、ご自分の家の門を薄化粧して出たりはいったりしていたし、牛肉を食いに行くと、自分が黙っていても、そこの女中が、……また、いつも買いつけの煙草屋の娘から手渡された煙草の箱の中に、……また、歌舞伎を見に行って隣りの席のひとに、……また、深夜の市電で自分が酔って眠っていて、……また、思いがけなく故郷の親戚の娘から、思いつめたような手紙が来て、……また、誰かわからぬ娘が、自分の留守中にお手製らしい人形を、……自分が極度に消極的なので、いずれも、それっきりの話で、ただ断片、それ以上の進展は一つもありませんでしたが、何か女に夢を見させる雰囲気が、自分のどこかにつきまとっている事は、それは、のろけだの何だのといういい加減な冗談でなく、否定できないのでありました。自分は、それを堀木ごとき者に指摘せられ、屈辱に似た苦さを感ずると共に、淫売婦と遊ぶ事にも、にわかに興が覚めました。 | 桜木町の家の隣りの将軍のはたちくらいの娘は、ご自分の家の門で何をしていたか。 | 桜木町の家の隣りの将軍のはたちくらいの娘が、毎朝、自分の登校の時刻には、用も無さそうなのに、ご自分の家の門を薄化粧して出たりはいったりしていました。 |
JCRRAG_010778 | 国語 | 堀木はそれを半分はお世辞で言ったのでしょうが、しかし、自分にも、重苦しく思い当る事があり、たとえば、喫茶店の女から稚拙な手紙をもらった覚えもあるし、桜木町の家の隣りの将軍のはたちくらいの娘が、毎朝、自分の登校の時刻には、用も無さそうなのに、ご自分の家の門を薄化粧して出たりはいったりしていたし、牛肉を食いに行くと、自分が黙っていても、そこの女中が、……また、いつも買いつけの煙草屋の娘から手渡された煙草の箱の中に、……また、歌舞伎を見に行って隣りの席のひとに、……また、深夜の市電で自分が酔って眠っていて、……また、思いがけなく故郷の親戚の娘から、思いつめたような手紙が来て、……また、誰かわからぬ娘が、自分の留守中にお手製らしい人形を、……自分が極度に消極的なので、いずれも、それっきりの話で、ただ断片、それ以上の進展は一つもありませんでしたが、何か女に夢を見させる雰囲気が、自分のどこかにつきまとっている事は、それは、のろけだの何だのといういい加減な冗談でなく、否定できないのでありました。自分は、それを堀木ごとき者に指摘せられ、屈辱に似た苦さを感ずると共に、淫売婦と遊ぶ事にも、にわかに興が覚めました。 | 自分が極度に消極的だったため、どうなりましたか。 | 自分が極度に消極的だったため、いずれも、それっきりの話で、ただ断片、それ以上の進展は一つもありませんでした。 |
JCRRAG_010779 | 国語 | 堀木はそれを半分はお世辞で言ったのでしょうが、しかし、自分にも、重苦しく思い当る事があり、たとえば、喫茶店の女から稚拙な手紙をもらった覚えもあるし、桜木町の家の隣りの将軍のはたちくらいの娘が、毎朝、自分の登校の時刻には、用も無さそうなのに、ご自分の家の門を薄化粧して出たりはいったりしていたし、牛肉を食いに行くと、自分が黙っていても、そこの女中が、……また、いつも買いつけの煙草屋の娘から手渡された煙草の箱の中に、……また、歌舞伎を見に行って隣りの席のひとに、……また、深夜の市電で自分が酔って眠っていて、……また、思いがけなく故郷の親戚の娘から、思いつめたような手紙が来て、……また、誰かわからぬ娘が、自分の留守中にお手製らしい人形を、……自分が極度に消極的なので、いずれも、それっきりの話で、ただ断片、それ以上の進展は一つもありませんでしたが、何か女に夢を見させる雰囲気が、自分のどこかにつきまとっている事は、それは、のろけだの何だのといういい加減な冗談でなく、否定できないのでありました。自分は、それを堀木ごとき者に指摘せられ、屈辱に似た苦さを感ずると共に、淫売婦と遊ぶ事にも、にわかに興が覚めました。 | 自分につきまとっている雰囲気はどんなものですか。 | 自分につきまとっている雰囲気は、何か女に夢を見させる雰囲気で、それは、のろけだの何だのといういい加減な冗談でなく、否定できませんでした |
JCRRAG_010780 | 国語 | 堀木はそれを半分はお世辞で言ったのでしょうが、しかし、自分にも、重苦しく思い当る事があり、たとえば、喫茶店の女から稚拙な手紙をもらった覚えもあるし、桜木町の家の隣りの将軍のはたちくらいの娘が、毎朝、自分の登校の時刻には、用も無さそうなのに、ご自分の家の門を薄化粧して出たりはいったりしていたし、牛肉を食いに行くと、自分が黙っていても、そこの女中が、……また、いつも買いつけの煙草屋の娘から手渡された煙草の箱の中に、……また、歌舞伎を見に行って隣りの席のひとに、……また、深夜の市電で自分が酔って眠っていて、……また、思いがけなく故郷の親戚の娘から、思いつめたような手紙が来て、……また、誰かわからぬ娘が、自分の留守中にお手製らしい人形を、……自分が極度に消極的なので、いずれも、それっきりの話で、ただ断片、それ以上の進展は一つもありませんでしたが、何か女に夢を見させる雰囲気が、自分のどこかにつきまとっている事は、それは、のろけだの何だのといういい加減な冗談でなく、否定できないのでありました。自分は、それを堀木ごとき者に指摘せられ、屈辱に似た苦さを感ずると共に、淫売婦と遊ぶ事にも、にわかに興が覚めました。 | 自分は、それを堀木ごとき者に指摘されて、何を感じましたか。 | 自分は、それを堀木ごとき者に指摘されて、屈辱に似た苦さを感ずると共に、淫売婦と遊ぶ事にも、にわかに興が覚めました。 |
JCRRAG_010781 | 国語 | 堀木はそれを半分はお世辞で言ったのでしょうが、しかし、自分にも、重苦しく思い当る事があり、たとえば、喫茶店の女から稚拙な手紙をもらった覚えもあるし、桜木町の家の隣りの将軍のはたちくらいの娘が、毎朝、自分の登校の時刻には、用も無さそうなのに、ご自分の家の門を薄化粧して出たりはいったりしていたし、牛肉を食いに行くと、自分が黙っていても、そこの女中が、……また、いつも買いつけの煙草屋の娘から手渡された煙草の箱の中に、……また、歌舞伎を見に行って隣りの席のひとに、……また、深夜の市電で自分が酔って眠っていて、……また、思いがけなく故郷の親戚の娘から、思いつめたような手紙が来て、……また、誰かわからぬ娘が、自分の留守中にお手製らしい人形を、……自分が極度に消極的なので、いずれも、それっきりの話で、ただ断片、それ以上の進展は一つもありませんでしたが、何か女に夢を見させる雰囲気が、自分のどこかにつきまとっている事は、それは、のろけだの何だのといういい加減な冗談でなく、否定できないのでありました。自分は、それを堀木ごとき者に指摘せられ、屈辱に似た苦さを感ずると共に、淫売婦と遊ぶ事にも、にわかに興が覚めました。 | 自分は堀木に指摘された後、淫売婦と遊ぶ事に対して、どうなりましたか。 | 自分は堀木に指摘された後、淫売婦と遊ぶ事にも、にわかに興が覚めました。 |
JCRRAG_010782 | 国語 | 堀木は、また、その見栄坊のモダニティから、(堀木の場合、それ以外の理由は、自分には今もって考えられませんのですが)或る日、自分を共産主義の読書会とかいう(R・Sとかいっていたか、記憶がはっきり致しません)そんな、秘密の研究会に連れて行きました。堀木などという人物にとっては、共産主義の秘密会合も、れいの「東京案内」の一つくらいのものだったのかも知れません。自分は所謂「同志」に紹介せられ、パンフレットを一部買わされ、そうして上座のひどい醜い顔の青年から、マルクス経済学の講義を受けました。しかし、自分には、それはわかり切っている事のように思われました。それは、そうに違いないだろうけれども、人間の心には、もっとわけのわからない、おそろしいものがある。慾、と言っても、言いたりない、ヴァニティ、と言っても、言いたりない、色と慾、とこう二つ並べても、言いたりない、何だか自分にもわからぬが、人間の世の底に、経済だけでない、へんに怪談じみたものがあるような気がして、その怪談におびえ切っている自分には、所謂唯物論を、水の低きに流れるように自然に肯定しながらも、しかし、それに依って、人間に対する恐怖から解放せられ、青葉に向って眼をひらき、希望のよろこびを感ずるなどという事は出来ないのでした。けれども、自分は、いちども欠席せずに、そのR・S(と言ったかと思いますが、間違っているかも知れません)なるものに出席し、「同志」たちが、いやに一大事の如く、こわばった顔をして、一プラス一は二、というような、ほとんど初等の算術めいた理論の研究にふけっているのが滑稽に見えてたまらず、れいの自分のお道化で、会合をくつろがせる事に努め、そのためか、次第に研究会の窮屈な気配もほぐれ、自分はその会合に無くてかなわぬ人気者という形にさえなって来たようでした。この、単純そうな人たちは、自分の事を、やはりこの人たちと同じ様に単純で、そうして、楽天的なおどけ者の「同志」くらいに考えていたかも知れませんが、もし、そうだったら、自分は、この人たちを一から十まで、あざむいていたわけです。自分は、同志では無かったんです。けれども、その会合に、いつも欠かさず出席して、皆にお道化のサーヴィスをして来ました。 | 堀木などという人物にとっては、共産主義の秘密会合も、どのような程度のものだったのですか。 | 堀木などという人物にとっては、共産主義の秘密会合も、れいの「東京案内」の一つくらいのものだったのかも知れません。 |
JCRRAG_010783 | 国語 | 堀木は、また、その見栄坊のモダニティから、(堀木の場合、それ以外の理由は、自分には今もって考えられませんのですが)或る日、自分を共産主義の読書会とかいう(R・Sとかいっていたか、記憶がはっきり致しません)そんな、秘密の研究会に連れて行きました。堀木などという人物にとっては、共産主義の秘密会合も、れいの「東京案内」の一つくらいのものだったのかも知れません。自分は所謂「同志」に紹介せられ、パンフレットを一部買わされ、そうして上座のひどい醜い顔の青年から、マルクス経済学の講義を受けました。しかし、自分には、それはわかり切っている事のように思われました。それは、そうに違いないだろうけれども、人間の心には、もっとわけのわからない、おそろしいものがある。慾、と言っても、言いたりない、ヴァニティ、と言っても、言いたりない、色と慾、とこう二つ並べても、言いたりない、何だか自分にもわからぬが、人間の世の底に、経済だけでない、へんに怪談じみたものがあるような気がして、その怪談におびえ切っている自分には、所謂唯物論を、水の低きに流れるように自然に肯定しながらも、しかし、それに依って、人間に対する恐怖から解放せられ、青葉に向って眼をひらき、希望のよろこびを感ずるなどという事は出来ないのでした。けれども、自分は、いちども欠席せずに、そのR・S(と言ったかと思いますが、間違っているかも知れません)なるものに出席し、「同志」たちが、いやに一大事の如く、こわばった顔をして、一プラス一は二、というような、ほとんど初等の算術めいた理論の研究にふけっているのが滑稽に見えてたまらず、れいの自分のお道化で、会合をくつろがせる事に努め、そのためか、次第に研究会の窮屈な気配もほぐれ、自分はその会合に無くてかなわぬ人気者という形にさえなって来たようでした。この、単純そうな人たちは、自分の事を、やはりこの人たちと同じ様に単純で、そうして、楽天的なおどけ者の「同志」くらいに考えていたかも知れませんが、もし、そうだったら、自分は、この人たちを一から十まで、あざむいていたわけです。自分は、同志では無かったんです。けれども、その会合に、いつも欠かさず出席して、皆にお道化のサーヴィスをして来ました。 | 自分は所謂「同志」に紹介せられ、どのような事をしましたか。 | 自分は所謂「同志」に紹介せられ、パンフレットを一部買わされ、そうして上座のひどい醜い顔の青年から、マルクス経済学の講義を受けました。 |
JCRRAG_010784 | 国語 | 海の、波打際、といってもいいくらいに海にちかい岸辺に、真黒い樹肌の山桜の、かなり大きいのが二十本以上も立ちならび、新学年がはじまると、山桜は、褐色のねばっこいような嫩葉と共に、青い海を背景にして、その絢爛たる花をひらき、やがて、花吹雪の時には、花びらがおびただしく海に散り込み、海面を鏤めて漂い、波に乗せられ再び波打際に打ちかえされる、その桜の砂浜が、そのまま校庭として使用せられている東北の或る中学校に、自分は受験勉強もろくにしなかったのに、どうやら無事に入学できました。そうして、その中学の制帽の徽章にも、制服のボタンにも、桜の花が図案化せられて咲いていました。
その中学校のすぐ近くに、自分の家と遠い親戚に当る者の家がありましたので、その理由もあって、父がその海と桜の中学校を自分に選んでくれたのでした。自分は、その家にあずけられ、何せ学校のすぐ近くなので、朝礼の鐘の鳴るのを聞いてから、走って登校するというような、かなり怠惰な中学生でしたが、それでも、れいのお道化に依って、日一日とクラスの人気を得ていました。
生れてはじめて、謂わば他郷へ出たわけなのですが、自分には、その他郷のほうが、自分の生れ故郷よりも、ずっと気楽な場所のように思われました。それは、自分のお道化もその頃にはいよいよぴったり身について来て、人をあざむくのに以前ほどの苦労を必要としなくなっていたからである、と解説してもいいでしょうが、しかし、それよりも、肉親と他人、故郷と他郷、そこには抜くべからざる演技の難易の差が、どのような天才にとっても、たとい神の子のイエスにとっても、存在しているものなのではないでしょうか。俳優にとって、最も演じにくい場所は、故郷の劇場であって、しかも六親眷属全部そろって坐っている一部屋の中に在っては、いかな名優も演技どころでは無くなるのではないでしょうか。けれども自分は演じて来ました。しかも、それが、かなりの成功を収めたのです。それほどの曲者が、他郷に出て、万が一にも演じ損ねるなどという事は無いわけでした。 | 自分が入学した東北の中学校は、どのような特徴を持っていましたか。 | 自分が入学した東北の中学校は、海の、波打際、といってもいいくらいに海にちかい岸辺に、真黒い樹肌の山桜の、かなり大きいのが二十本以上も立ちならび、新学年がはじまると、山桜は、褐色のねばっこいような嫩葉と共に、青い海を背景にして、その絢爛たる花をひらき、やがて、花吹雪の時には、花びらがおびただしく海に散り込み、海面を鏤めて漂い、波に乗せられ再び波打際に打ちかえされる、その桜の砂浜が、そのまま校庭として使用せられていました。 |
JCRRAG_010785 | 国語 | 海の、波打際、といってもいいくらいに海にちかい岸辺に、真黒い樹肌の山桜の、かなり大きいのが二十本以上も立ちならび、新学年がはじまると、山桜は、褐色のねばっこいような嫩葉と共に、青い海を背景にして、その絢爛たる花をひらき、やがて、花吹雪の時には、花びらがおびただしく海に散り込み、海面を鏤めて漂い、波に乗せられ再び波打際に打ちかえされる、その桜の砂浜が、そのまま校庭として使用せられている東北の或る中学校に、自分は受験勉強もろくにしなかったのに、どうやら無事に入学できました。そうして、その中学の制帽の徽章にも、制服のボタンにも、桜の花が図案化せられて咲いていました。
その中学校のすぐ近くに、自分の家と遠い親戚に当る者の家がありましたので、その理由もあって、父がその海と桜の中学校を自分に選んでくれたのでした。自分は、その家にあずけられ、何せ学校のすぐ近くなので、朝礼の鐘の鳴るのを聞いてから、走って登校するというような、かなり怠惰な中学生でしたが、それでも、れいのお道化に依って、日一日とクラスの人気を得ていました。
生れてはじめて、謂わば他郷へ出たわけなのですが、自分には、その他郷のほうが、自分の生れ故郷よりも、ずっと気楽な場所のように思われました。それは、自分のお道化もその頃にはいよいよぴったり身について来て、人をあざむくのに以前ほどの苦労を必要としなくなっていたからである、と解説してもいいでしょうが、しかし、それよりも、肉親と他人、故郷と他郷、そこには抜くべからざる演技の難易の差が、どのような天才にとっても、たとい神の子のイエスにとっても、存在しているものなのではないでしょうか。俳優にとって、最も演じにくい場所は、故郷の劇場であって、しかも六親眷属全部そろって坐っている一部屋の中に在っては、いかな名優も演技どころでは無くなるのではないでしょうか。けれども自分は演じて来ました。しかも、それが、かなりの成功を収めたのです。それほどの曲者が、他郷に出て、万が一にも演じ損ねるなどという事は無いわけでした。 | その中学の制帽の徽章にも、制服のボタンにも、何が図案化せられていましたか。 | その中学の制帽の徽章にも、制服のボタンにも、桜の花が図案化せられて咲いていました。 |
JCRRAG_010786 | 国語 | 海の、波打際、といってもいいくらいに海にちかい岸辺に、真黒い樹肌の山桜の、かなり大きいのが二十本以上も立ちならび、新学年がはじまると、山桜は、褐色のねばっこいような嫩葉と共に、青い海を背景にして、その絢爛たる花をひらき、やがて、花吹雪の時には、花びらがおびただしく海に散り込み、海面を鏤めて漂い、波に乗せられ再び波打際に打ちかえされる、その桜の砂浜が、そのまま校庭として使用せられている東北の或る中学校に、自分は受験勉強もろくにしなかったのに、どうやら無事に入学できました。そうして、その中学の制帽の徽章にも、制服のボタンにも、桜の花が図案化せられて咲いていました。
その中学校のすぐ近くに、自分の家と遠い親戚に当る者の家がありましたので、その理由もあって、父がその海と桜の中学校を自分に選んでくれたのでした。自分は、その家にあずけられ、何せ学校のすぐ近くなので、朝礼の鐘の鳴るのを聞いてから、走って登校するというような、かなり怠惰な中学生でしたが、それでも、れいのお道化に依って、日一日とクラスの人気を得ていました。
生れてはじめて、謂わば他郷へ出たわけなのですが、自分には、その他郷のほうが、自分の生れ故郷よりも、ずっと気楽な場所のように思われました。それは、自分のお道化もその頃にはいよいよぴったり身について来て、人をあざむくのに以前ほどの苦労を必要としなくなっていたからである、と解説してもいいでしょうが、しかし、それよりも、肉親と他人、故郷と他郷、そこには抜くべからざる演技の難易の差が、どのような天才にとっても、たとい神の子のイエスにとっても、存在しているものなのではないでしょうか。俳優にとって、最も演じにくい場所は、故郷の劇場であって、しかも六親眷属全部そろって坐っている一部屋の中に在っては、いかな名優も演技どころでは無くなるのではないでしょうか。けれども自分は演じて来ました。しかも、それが、かなりの成功を収めたのです。それほどの曲者が、他郷に出て、万が一にも演じ損ねるなどという事は無いわけでした。 | その中学校のすぐ近くには、何がありましたか。 | その中学校のすぐ近くには、自分の家と遠い親戚に当る者の家がありました。 |
JCRRAG_010787 | 国語 | 海の、波打際、といってもいいくらいに海にちかい岸辺に、真黒い樹肌の山桜の、かなり大きいのが二十本以上も立ちならび、新学年がはじまると、山桜は、褐色のねばっこいような嫩葉と共に、青い海を背景にして、その絢爛たる花をひらき、やがて、花吹雪の時には、花びらがおびただしく海に散り込み、海面を鏤めて漂い、波に乗せられ再び波打際に打ちかえされる、その桜の砂浜が、そのまま校庭として使用せられている東北の或る中学校に、自分は受験勉強もろくにしなかったのに、どうやら無事に入学できました。そうして、その中学の制帽の徽章にも、制服のボタンにも、桜の花が図案化せられて咲いていました。
その中学校のすぐ近くに、自分の家と遠い親戚に当る者の家がありましたので、その理由もあって、父がその海と桜の中学校を自分に選んでくれたのでした。自分は、その家にあずけられ、何せ学校のすぐ近くなので、朝礼の鐘の鳴るのを聞いてから、走って登校するというような、かなり怠惰な中学生でしたが、それでも、れいのお道化に依って、日一日とクラスの人気を得ていました。
生れてはじめて、謂わば他郷へ出たわけなのですが、自分には、その他郷のほうが、自分の生れ故郷よりも、ずっと気楽な場所のように思われました。それは、自分のお道化もその頃にはいよいよぴったり身について来て、人をあざむくのに以前ほどの苦労を必要としなくなっていたからである、と解説してもいいでしょうが、しかし、それよりも、肉親と他人、故郷と他郷、そこには抜くべからざる演技の難易の差が、どのような天才にとっても、たとい神の子のイエスにとっても、存在しているものなのではないでしょうか。俳優にとって、最も演じにくい場所は、故郷の劇場であって、しかも六親眷属全部そろって坐っている一部屋の中に在っては、いかな名優も演技どころでは無くなるのではないでしょうか。けれども自分は演じて来ました。しかも、それが、かなりの成功を収めたのです。それほどの曲者が、他郷に出て、万が一にも演じ損ねるなどという事は無いわけでした。 | 自分の生まれ故郷と比べて、他郷はどのような場所に思われましたか。 | 自分の生まれ故郷と比べて、その他郷のほうが、ずっと気楽な場所のように思われました。 |
JCRRAG_010788 | 国語 | 自分の人間恐怖は、それは以前にまさるとも劣らぬくらい烈しく胸の底で蠕動していましたが、しかし、演技は実にのびのびとして来て、教室にあっては、いつもクラスの者たちを笑わせ、教師も、このクラスは大庭さえいないと、とてもいいクラスなんだが、と言葉では嘆じながら、手で口を覆って笑っていました。自分は、あの雷の如き蛮声を張り上げる配属将校をさえ、実に容易に噴き出させる事が出来たのです。
もはや、自分の正体を完全に隠蔽し得たのではあるまいか、とほっとしかけた矢先に、自分は実に意外にも背後から突き刺されました。それは、背後から突き刺す男のごたぶんにもれず、クラスで最も貧弱な肉体をして、顔も青ぶくれで、そうしてたしかに父兄のお古と思われる袖が聖徳太子の袖みたいに長すぎる上衣を着て、学課は少しも出来ず、教練や体操はいつも見学という白痴に似た生徒でした。自分もさすがに、その生徒にさえ警戒する必要は認めていなかったのでした。
その日、体操の時間に、その生徒(姓はいま記憶していませんが、名は竹一といったかと覚えています)その竹一は、れいに依って見学、自分たちは鉄棒の練習をさせられていました。自分は、わざと出来るだけ厳粛な顔をして、鉄棒めがけて、えいっと叫んで飛び、そのまま幅飛びのように前方へ飛んでしまって、砂地にドスンと尻餅をつきました。すべて、計画的な失敗でした。果して皆の大笑いになり、自分も苦笑しながら起き上ってズボンの砂を払っていると、いつそこへ来ていたのか、竹一が自分の背中をつつき、低い声でこう囁きました。
「ワザ。ワザ」
自分は震撼しました。ワザと失敗したという事を、人もあろうに、竹一に見破られるとは全く思いも掛けない事でした。自分は、世界が一瞬にして地獄の業火に包まれて燃え上るのを眼前に見るような心地がして、わあっ! と叫んで発狂しそうな気配を必死の力で抑えました。
それからの日々の、自分の不安と恐怖。
表面は相変らず哀しいお道化を演じて皆を笑わせていましたが、ふっと思わず重苦しい溜息が出て、何をしたってすべて竹一に木っ葉みじんに見破られていて、そうしてあれは、そのうちにきっと誰かれとなく、それを言いふらして歩くに違いないのだ、と考えると、額にじっとり油汗がわいて来て、狂人みたいに妙な眼つきで、あたりをキョロキョロむなしく見廻したりしました。できる事なら、朝、昼、晩、四六時中、竹一の傍から離れず彼が秘密を口走らないように監視していたい気持でした。そうして、自分が、彼にまつわりついている間に、自分のお道化は、所謂「ワザ」では無くて、ほんものであったというよう思い込ませるようにあらゆる努力を払い、あわよくば、彼と無二の親友になってしまいたいものだ、もし、その事が皆、不可能なら、もはや、彼の死を祈るより他は無い、とさえ思いつめました。しかし、さすがに、彼を殺そうという気だけは起りませんでした。自分は、これまでの生涯に於いて、人に殺されたいと願望した事は幾度となくありましたが、人を殺したいと思った事は、いちどもありませんでした。それは、おそるべき相手に、かえって幸福を与えるだけの事だと考えていたからです。 | 自分の人間恐怖は、どのような状態でしたか。 | 自分の人間恐怖は、それは以前にまさるとも劣らぬくらい烈しく胸の底で蠕動していました。 |
JCRRAG_010789 | 国語 | 自分の人間恐怖は、それは以前にまさるとも劣らぬくらい烈しく胸の底で蠕動していましたが、しかし、演技は実にのびのびとして来て、教室にあっては、いつもクラスの者たちを笑わせ、教師も、このクラスは大庭さえいないと、とてもいいクラスなんだが、と言葉では嘆じながら、手で口を覆って笑っていました。自分は、あの雷の如き蛮声を張り上げる配属将校をさえ、実に容易に噴き出させる事が出来たのです。
もはや、自分の正体を完全に隠蔽し得たのではあるまいか、とほっとしかけた矢先に、自分は実に意外にも背後から突き刺されました。それは、背後から突き刺す男のごたぶんにもれず、クラスで最も貧弱な肉体をして、顔も青ぶくれで、そうしてたしかに父兄のお古と思われる袖が聖徳太子の袖みたいに長すぎる上衣を着て、学課は少しも出来ず、教練や体操はいつも見学という白痴に似た生徒でした。自分もさすがに、その生徒にさえ警戒する必要は認めていなかったのでした。
その日、体操の時間に、その生徒(姓はいま記憶していませんが、名は竹一といったかと覚えています)その竹一は、れいに依って見学、自分たちは鉄棒の練習をさせられていました。自分は、わざと出来るだけ厳粛な顔をして、鉄棒めがけて、えいっと叫んで飛び、そのまま幅飛びのように前方へ飛んでしまって、砂地にドスンと尻餅をつきました。すべて、計画的な失敗でした。果して皆の大笑いになり、自分も苦笑しながら起き上ってズボンの砂を払っていると、いつそこへ来ていたのか、竹一が自分の背中をつつき、低い声でこう囁きました。
「ワザ。ワザ」
自分は震撼しました。ワザと失敗したという事を、人もあろうに、竹一に見破られるとは全く思いも掛けない事でした。自分は、世界が一瞬にして地獄の業火に包まれて燃え上るのを眼前に見るような心地がして、わあっ! と叫んで発狂しそうな気配を必死の力で抑えました。
それからの日々の、自分の不安と恐怖。
表面は相変らず哀しいお道化を演じて皆を笑わせていましたが、ふっと思わず重苦しい溜息が出て、何をしたってすべて竹一に木っ葉みじんに見破られていて、そうしてあれは、そのうちにきっと誰かれとなく、それを言いふらして歩くに違いないのだ、と考えると、額にじっとり油汗がわいて来て、狂人みたいに妙な眼つきで、あたりをキョロキョロむなしく見廻したりしました。できる事なら、朝、昼、晩、四六時中、竹一の傍から離れず彼が秘密を口走らないように監視していたい気持でした。そうして、自分が、彼にまつわりついている間に、自分のお道化は、所謂「ワザ」では無くて、ほんものであったというよう思い込ませるようにあらゆる努力を払い、あわよくば、彼と無二の親友になってしまいたいものだ、もし、その事が皆、不可能なら、もはや、彼の死を祈るより他は無い、とさえ思いつめました。しかし、さすがに、彼を殺そうという気だけは起りませんでした。自分は、これまでの生涯に於いて、人に殺されたいと願望した事は幾度となくありましたが、人を殺したいと思った事は、いちどもありませんでした。それは、おそるべき相手に、かえって幸福を与えるだけの事だと考えていたからです。 | 自分は、誰を容易に噴き出させる事が出来ましたか。 | 自分は、あの雷の如き蛮声を張り上げる配属将校をさえ、実に容易に噴き出させる事が出来ました。 |
JCRRAG_010790 | 国語 | 自分の人間恐怖は、それは以前にまさるとも劣らぬくらい烈しく胸の底で蠕動していましたが、しかし、演技は実にのびのびとして来て、教室にあっては、いつもクラスの者たちを笑わせ、教師も、このクラスは大庭さえいないと、とてもいいクラスなんだが、と言葉では嘆じながら、手で口を覆って笑っていました。自分は、あの雷の如き蛮声を張り上げる配属将校をさえ、実に容易に噴き出させる事が出来たのです。
もはや、自分の正体を完全に隠蔽し得たのではあるまいか、とほっとしかけた矢先に、自分は実に意外にも背後から突き刺されました。それは、背後から突き刺す男のごたぶんにもれず、クラスで最も貧弱な肉体をして、顔も青ぶくれで、そうしてたしかに父兄のお古と思われる袖が聖徳太子の袖みたいに長すぎる上衣を着て、学課は少しも出来ず、教練や体操はいつも見学という白痴に似た生徒でした。自分もさすがに、その生徒にさえ警戒する必要は認めていなかったのでした。
その日、体操の時間に、その生徒(姓はいま記憶していませんが、名は竹一といったかと覚えています)その竹一は、れいに依って見学、自分たちは鉄棒の練習をさせられていました。自分は、わざと出来るだけ厳粛な顔をして、鉄棒めがけて、えいっと叫んで飛び、そのまま幅飛びのように前方へ飛んでしまって、砂地にドスンと尻餅をつきました。すべて、計画的な失敗でした。果して皆の大笑いになり、自分も苦笑しながら起き上ってズボンの砂を払っていると、いつそこへ来ていたのか、竹一が自分の背中をつつき、低い声でこう囁きました。
「ワザ。ワザ」
自分は震撼しました。ワザと失敗したという事を、人もあろうに、竹一に見破られるとは全く思いも掛けない事でした。自分は、世界が一瞬にして地獄の業火に包まれて燃え上るのを眼前に見るような心地がして、わあっ! と叫んで発狂しそうな気配を必死の力で抑えました。
それからの日々の、自分の不安と恐怖。
表面は相変らず哀しいお道化を演じて皆を笑わせていましたが、ふっと思わず重苦しい溜息が出て、何をしたってすべて竹一に木っ葉みじんに見破られていて、そうしてあれは、そのうちにきっと誰かれとなく、それを言いふらして歩くに違いないのだ、と考えると、額にじっとり油汗がわいて来て、狂人みたいに妙な眼つきで、あたりをキョロキョロむなしく見廻したりしました。できる事なら、朝、昼、晩、四六時中、竹一の傍から離れず彼が秘密を口走らないように監視していたい気持でした。そうして、自分が、彼にまつわりついている間に、自分のお道化は、所謂「ワザ」では無くて、ほんものであったというよう思い込ませるようにあらゆる努力を払い、あわよくば、彼と無二の親友になってしまいたいものだ、もし、その事が皆、不可能なら、もはや、彼の死を祈るより他は無い、とさえ思いつめました。しかし、さすがに、彼を殺そうという気だけは起りませんでした。自分は、これまでの生涯に於いて、人に殺されたいと願望した事は幾度となくありましたが、人を殺したいと思った事は、いちどもありませんでした。それは、おそるべき相手に、かえって幸福を与えるだけの事だと考えていたからです。 | 自分は、朝、昼、晩、四六時中、誰を監視していたい気持でしたか。 | 自分は、朝、昼、晩、四六時中、竹一の傍から離れず彼が秘密を口走らないように監視していたい気持でした。 |
JCRRAG_010791 | 国語 | 自分の人間恐怖は、それは以前にまさるとも劣らぬくらい烈しく胸の底で蠕動していましたが、しかし、演技は実にのびのびとして来て、教室にあっては、いつもクラスの者たちを笑わせ、教師も、このクラスは大庭さえいないと、とてもいいクラスなんだが、と言葉では嘆じながら、手で口を覆って笑っていました。自分は、あの雷の如き蛮声を張り上げる配属将校をさえ、実に容易に噴き出させる事が出来たのです。
もはや、自分の正体を完全に隠蔽し得たのではあるまいか、とほっとしかけた矢先に、自分は実に意外にも背後から突き刺されました。それは、背後から突き刺す男のごたぶんにもれず、クラスで最も貧弱な肉体をして、顔も青ぶくれで、そうしてたしかに父兄のお古と思われる袖が聖徳太子の袖みたいに長すぎる上衣を着て、学課は少しも出来ず、教練や体操はいつも見学という白痴に似た生徒でした。自分もさすがに、その生徒にさえ警戒する必要は認めていなかったのでした。
その日、体操の時間に、その生徒(姓はいま記憶していませんが、名は竹一といったかと覚えています)その竹一は、れいに依って見学、自分たちは鉄棒の練習をさせられていました。自分は、わざと出来るだけ厳粛な顔をして、鉄棒めがけて、えいっと叫んで飛び、そのまま幅飛びのように前方へ飛んでしまって、砂地にドスンと尻餅をつきました。すべて、計画的な失敗でした。果して皆の大笑いになり、自分も苦笑しながら起き上ってズボンの砂を払っていると、いつそこへ来ていたのか、竹一が自分の背中をつつき、低い声でこう囁きました。
「ワザ。ワザ」
自分は震撼しました。ワザと失敗したという事を、人もあろうに、竹一に見破られるとは全く思いも掛けない事でした。自分は、世界が一瞬にして地獄の業火に包まれて燃え上るのを眼前に見るような心地がして、わあっ! と叫んで発狂しそうな気配を必死の力で抑えました。
それからの日々の、自分の不安と恐怖。
表面は相変らず哀しいお道化を演じて皆を笑わせていましたが、ふっと思わず重苦しい溜息が出て、何をしたってすべて竹一に木っ葉みじんに見破られていて、そうしてあれは、そのうちにきっと誰かれとなく、それを言いふらして歩くに違いないのだ、と考えると、額にじっとり油汗がわいて来て、狂人みたいに妙な眼つきで、あたりをキョロキョロむなしく見廻したりしました。できる事なら、朝、昼、晩、四六時中、竹一の傍から離れず彼が秘密を口走らないように監視していたい気持でした。そうして、自分が、彼にまつわりついている間に、自分のお道化は、所謂「ワザ」では無くて、ほんものであったというよう思い込ませるようにあらゆる努力を払い、あわよくば、彼と無二の親友になってしまいたいものだ、もし、その事が皆、不可能なら、もはや、彼の死を祈るより他は無い、とさえ思いつめました。しかし、さすがに、彼を殺そうという気だけは起りませんでした。自分は、これまでの生涯に於いて、人に殺されたいと願望した事は幾度となくありましたが、人を殺したいと思った事は、いちどもありませんでした。それは、おそるべき相手に、かえって幸福を与えるだけの事だと考えていたからです。 | 自分は、これまでの生涯に於いて、人に殺されたいと願望した事は幾度となくありましたが、人を殺したいと思った事はありましたか。 | 自分は、これまでの生涯に於いて、人に殺されたいと願望した事は幾度となくありましたが、人を殺したいと思った事は、いちどもありませんでした。 |
JCRRAG_010792 | 国語 | 自分は、彼を手なずけるため、まず、顔に偽クリスチャンのような「優しい」媚笑を湛え、首を三十度くらい左に曲げて、彼の小さい肩を軽く抱き、そうして猫撫で声に似た甘ったるい声で、彼を自分の寄宿している家に遊びに来るようしばしば誘いましたが、彼は、いつも、ぼんやりした眼つきをして、黙っていました。しかし、自分は、或る日の放課後、たしか初夏の頃の事でした、夕立ちが白く降って、生徒たちは帰宅に困っていたようでしたが、自分は家がすぐ近くなので平気で外へ飛び出そうとして、ふと下駄箱のかげに、竹一がしょんぼり立っているのを見つけ、行こう、傘を貸してあげる、と言い、臆する竹一の手を引っぱって、一緒に夕立ちの中を走り、家に着いて、二人の上衣を小母さんに乾かしてもらうようにたのみ、竹一を二階の自分の部屋に誘い込むのに成功しました。
その家には、五十すぎの小母さんと、三十くらいの、眼鏡をかけて、病身らしい背の高い姉娘(この娘は、いちどよそへお嫁に行って、それからまた、家へ帰っているひとでした。自分は、このひとを、ここの家のひとたちにならって、アネサと呼んでいました)それと、最近女学校を卒業したばかりらしい、セッちゃんという姉に似ず背が低く丸顔の妹娘と、三人だけの家族で、下の店には、文房具やら運動用具を少々並べていましたが、主な収入は、なくなった主人が建てて残して行った五六棟の長屋の家賃のようでした。 | 自分は、彼を手なずけるために、どのような様子で、彼を自分の寄宿している家に遊びに来るように誘いましたか。 | 自分は、彼を手なずけるために、まず、顔に偽クリスチャンのような「優しい」媚笑を湛え、首を三十度くらい左に曲げて、彼の小さい肩を軽く抱き、そうして猫撫で声に似た甘ったるい声で、彼を自分の寄宿している家に遊びに来るようしばしば誘いました。 |
JCRRAG_010793 | 国語 | 自分は、彼を手なずけるため、まず、顔に偽クリスチャンのような「優しい」媚笑を湛え、首を三十度くらい左に曲げて、彼の小さい肩を軽く抱き、そうして猫撫で声に似た甘ったるい声で、彼を自分の寄宿している家に遊びに来るようしばしば誘いましたが、彼は、いつも、ぼんやりした眼つきをして、黙っていました。しかし、自分は、或る日の放課後、たしか初夏の頃の事でした、夕立ちが白く降って、生徒たちは帰宅に困っていたようでしたが、自分は家がすぐ近くなので平気で外へ飛び出そうとして、ふと下駄箱のかげに、竹一がしょんぼり立っているのを見つけ、行こう、傘を貸してあげる、と言い、臆する竹一の手を引っぱって、一緒に夕立ちの中を走り、家に着いて、二人の上衣を小母さんに乾かしてもらうようにたのみ、竹一を二階の自分の部屋に誘い込むのに成功しました。
その家には、五十すぎの小母さんと、三十くらいの、眼鏡をかけて、病身らしい背の高い姉娘(この娘は、いちどよそへお嫁に行って、それからまた、家へ帰っているひとでした。自分は、このひとを、ここの家のひとたちにならって、アネサと呼んでいました)それと、最近女学校を卒業したばかりらしい、セッちゃんという姉に似ず背が低く丸顔の妹娘と、三人だけの家族で、下の店には、文房具やら運動用具を少々並べていましたが、主な収入は、なくなった主人が建てて残して行った五六棟の長屋の家賃のようでした。 | 自分が寄宿する家に竹一を遊びに誘う際、彼は、いつも、どのような様子でしたか。 | 自分が寄宿する家に竹一を遊びに誘う際、彼は、いつも、ぼんやりした眼つきをして、黙っていました。 |
JCRRAG_010794 | 国語 | 自分は、彼を手なずけるため、まず、顔に偽クリスチャンのような「優しい」媚笑を湛え、首を三十度くらい左に曲げて、彼の小さい肩を軽く抱き、そうして猫撫で声に似た甘ったるい声で、彼を自分の寄宿している家に遊びに来るようしばしば誘いましたが、彼は、いつも、ぼんやりした眼つきをして、黙っていました。しかし、自分は、或る日の放課後、たしか初夏の頃の事でした、夕立ちが白く降って、生徒たちは帰宅に困っていたようでしたが、自分は家がすぐ近くなので平気で外へ飛び出そうとして、ふと下駄箱のかげに、竹一がしょんぼり立っているのを見つけ、行こう、傘を貸してあげる、と言い、臆する竹一の手を引っぱって、一緒に夕立ちの中を走り、家に着いて、二人の上衣を小母さんに乾かしてもらうようにたのみ、竹一を二階の自分の部屋に誘い込むのに成功しました。
その家には、五十すぎの小母さんと、三十くらいの、眼鏡をかけて、病身らしい背の高い姉娘(この娘は、いちどよそへお嫁に行って、それからまた、家へ帰っているひとでした。自分は、このひとを、ここの家のひとたちにならって、アネサと呼んでいました)それと、最近女学校を卒業したばかりらしい、セッちゃんという姉に似ず背が低く丸顔の妹娘と、三人だけの家族で、下の店には、文房具やら運動用具を少々並べていましたが、主な収入は、なくなった主人が建てて残して行った五六棟の長屋の家賃のようでした。 | 自分が、竹一を二階の自分の部屋に誘い込んだのは、どのような時でしたか。 | 自分が、竹一を二階の自分の部屋に誘い込んだのは、或る日の放課後、たしか初夏の頃の事でした、夕立ちが白く降って、生徒たちは帰宅に困っていたようでしたが、自分は家がすぐ近くなので平気で外へ飛び出そうとして、ふと下駄箱のかげに、竹一がしょんぼり立っているのを見つけ、行こう、傘を貸してあげる、と言い、臆する竹一の手を引っぱって、一緒に夕立ちの中を走り、家に着いて、二人の上衣を小母さんに乾かしてもらうようにたのみ、竹一を二階の自分の部屋に誘い込むのに成功しました。 |
JCRRAG_010795 | 国語 | 自分は、彼を手なずけるため、まず、顔に偽クリスチャンのような「優しい」媚笑を湛え、首を三十度くらい左に曲げて、彼の小さい肩を軽く抱き、そうして猫撫で声に似た甘ったるい声で、彼を自分の寄宿している家に遊びに来るようしばしば誘いましたが、彼は、いつも、ぼんやりした眼つきをして、黙っていました。しかし、自分は、或る日の放課後、たしか初夏の頃の事でした、夕立ちが白く降って、生徒たちは帰宅に困っていたようでしたが、自分は家がすぐ近くなので平気で外へ飛び出そうとして、ふと下駄箱のかげに、竹一がしょんぼり立っているのを見つけ、行こう、傘を貸してあげる、と言い、臆する竹一の手を引っぱって、一緒に夕立ちの中を走り、家に着いて、二人の上衣を小母さんに乾かしてもらうようにたのみ、竹一を二階の自分の部屋に誘い込むのに成功しました。
その家には、五十すぎの小母さんと、三十くらいの、眼鏡をかけて、病身らしい背の高い姉娘(この娘は、いちどよそへお嫁に行って、それからまた、家へ帰っているひとでした。自分は、このひとを、ここの家のひとたちにならって、アネサと呼んでいました)それと、最近女学校を卒業したばかりらしい、セッちゃんという姉に似ず背が低く丸顔の妹娘と、三人だけの家族で、下の店には、文房具やら運動用具を少々並べていましたが、主な収入は、なくなった主人が建てて残して行った五六棟の長屋の家賃のようでした。 | 自分が寄宿していた家の、主な収入は、何でしたか。 | 自分が寄宿していた家の、主な収入は、なくなった主人が建てて残して行った五六棟の長屋の家賃のようでした。 |
JCRRAG_010796 | 国語 | 「耳が痛い」
竹一は、立ったままでそう言いました。
「雨に濡れたら、痛くなったよ」
自分が、見てみると、両方の耳が、ひどい耳だれでした。膿が、いまにも耳殻の外に流れ出ようとしていました。
「これは、いけない。痛いだろう」
と自分は大袈裟におどろいて見せて、
「雨の中を、引っぱり出したりして、ごめんね」
と女の言葉みたいな言葉を遣って「優しく」謝り、それから、下へ行って綿とアルコールをもらって来て、竹一を自分の膝を枕にして寝かせ、念入りに耳の掃除をしてやりました。竹一も、さすがに、これが偽善の悪計であることには気附かなかったようで、
「お前は、きっと、女に惚れられるよ」
と自分の膝枕で寝ながら、無智なお世辞を言ったくらいでした。
しかしこれは、おそらく、あの竹一も意識しなかったほどの、おそろしい悪魔の予言のようなものだったという事を、自分は後年に到って思い知りました。惚れると言い、惚れられると言い、その言葉はひどく下品で、ふざけて、いかにも、やにさがったものの感じで、どんなに所謂「厳粛」の場であっても、そこへこの言葉が一言でもひょいと顔を出すと、みるみる憂鬱の伽藍が崩壊し、ただのっぺらぼうになってしまうような心地がするものですけれども、惚れられるつらさ、などという俗語でなく、愛せられる不安、とでもいう文学語を用いると、あながち憂鬱の伽藍をぶちこわす事にはならないようですから、奇妙なものだと思います。
竹一が、自分に耳だれの膿の仕末をしてもらって、お前は惚れられるという馬鹿なお世辞を言い、自分はその時、ただ顔を赤らめて笑って、何も答えませんでしたけれども、しかし、実は、幽かに思い当るところもあったのでした。でも、「惚れられる」というような野卑な言葉に依って生じるやにさがった雰囲気に対して、そう言われると、思い当るところもある、などと書くのは、ほとんど落語の若旦那のせりふにさえならぬくらい、おろかしい感懐を示すようなもので、まさか、自分は、そんなふざけた、やにさがった気持で、「思い当るところもあった」わけでは無いのです。
| 雨に濡れた後、竹一は、自分に対して立ったまま何と言いましたか。 | 雨に濡れた後、竹一は、自分に対して立ったまま「耳が痛い」「雨に濡れたら、痛くなったよ」と竹一は言いました。 |
JCRRAG_010797 | 国語 | 「耳が痛い」
竹一は、立ったままでそう言いました。
「雨に濡れたら、痛くなったよ」
自分が、見てみると、両方の耳が、ひどい耳だれでした。膿が、いまにも耳殻の外に流れ出ようとしていました。
「これは、いけない。痛いだろう」
と自分は大袈裟におどろいて見せて、
「雨の中を、引っぱり出したりして、ごめんね」
と女の言葉みたいな言葉を遣って「優しく」謝り、それから、下へ行って綿とアルコールをもらって来て、竹一を自分の膝を枕にして寝かせ、念入りに耳の掃除をしてやりました。竹一も、さすがに、これが偽善の悪計であることには気附かなかったようで、
「お前は、きっと、女に惚れられるよ」
と自分の膝枕で寝ながら、無智なお世辞を言ったくらいでした。
しかしこれは、おそらく、あの竹一も意識しなかったほどの、おそろしい悪魔の予言のようなものだったという事を、自分は後年に到って思い知りました。惚れると言い、惚れられると言い、その言葉はひどく下品で、ふざけて、いかにも、やにさがったものの感じで、どんなに所謂「厳粛」の場であっても、そこへこの言葉が一言でもひょいと顔を出すと、みるみる憂鬱の伽藍が崩壊し、ただのっぺらぼうになってしまうような心地がするものですけれども、惚れられるつらさ、などという俗語でなく、愛せられる不安、とでもいう文学語を用いると、あながち憂鬱の伽藍をぶちこわす事にはならないようですから、奇妙なものだと思います。
竹一が、自分に耳だれの膿の仕末をしてもらって、お前は惚れられるという馬鹿なお世辞を言い、自分はその時、ただ顔を赤らめて笑って、何も答えませんでしたけれども、しかし、実は、幽かに思い当るところもあったのでした。でも、「惚れられる」というような野卑な言葉に依って生じるやにさがった雰囲気に対して、そう言われると、思い当るところもある、などと書くのは、ほとんど落語の若旦那のせりふにさえならぬくらい、おろかしい感懐を示すようなもので、まさか、自分は、そんなふざけた、やにさがった気持で、「思い当るところもあった」わけでは無いのです。
| 自分が、竹一の耳を見てみると、両方の耳は、どのような状態でしたか。 | 自分が、竹一の耳を見てみると、両方の耳は、ひどい耳だれでした。 |
JCRRAG_010798 | 国語 | 自分には、人間の女性のほうが、男性よりもさらに数倍難解でした。自分の家族は、女性のほうが男性よりも数が多く、また親戚にも、女の子がたくさんあり、またれいの「犯罪」の女中などもいまして、自分は幼い時から、女とばかり遊んで育ったといっても過言ではないと思っていますが、それは、また、しかし、実に、薄氷を踏む思いで、その女のひとたちと附合って来たのです。ほとんど、まるで見当が、つかないのです。五里霧中で、そうして時たま、虎の尾を踏む失敗をして、ひどい痛手を負い、それがまた、男性から受ける笞とちがって、内出血みたいに極度に不快に内攻して、なかなか治癒し難い傷でした。
女は引き寄せて、つっ放す、或いはまた、女は、人のいるところでは自分をさげすみ、邪慳にし、誰もいなくなると、ひしと抱きしめる、女は死んだように深く眠る、女は眠るために生きているのではないかしら、その他、女に就いてのさまざまの観察を、すでに自分は、幼年時代から得ていたのですが、同じ人類のようでありながら、男とはまた、全く異った生きもののような感じで、そうしてまた、この不可解で油断のならぬ生きものは、奇妙に自分をかまうのでした。「惚れられる」なんていう言葉も、また「好かれる」という言葉も、自分の場合にはちっとも、ふさわしくなく、「かまわれる」とでも言ったほうが、まだしも実状の説明に適しているかも知れません。
女は、男よりも更に、道化には、くつろぐようでした。自分がお道化を演じ、男はさすがにいつまでもゲラゲラ笑ってもいませんし、それに自分も男のひとに対し、調子に乗ってあまりお道化を演じすぎると失敗するという事を知っていましたので、必ず適当のところで切り上げるように心掛けていましたが、女は適度という事を知らず、いつまでもいつまでも、自分にお道化を要求し、自分はその限りないアンコールに応じて、へとへとになるのでした。実に、よく笑うのです。いったいに、女は、男よりも快楽をよけいに頬張る事が出来るようです。 | 自分には、男性と女性、どちらが難解と感じていましたか。 | 自分には、人間の女性のほうが、男性よりもさらに数倍難解と感じていました。 |
JCRRAG_010799 | 国語 | 自分には、人間の女性のほうが、男性よりもさらに数倍難解でした。自分の家族は、女性のほうが男性よりも数が多く、また親戚にも、女の子がたくさんあり、またれいの「犯罪」の女中などもいまして、自分は幼い時から、女とばかり遊んで育ったといっても過言ではないと思っていますが、それは、また、しかし、実に、薄氷を踏む思いで、その女のひとたちと附合って来たのです。ほとんど、まるで見当が、つかないのです。五里霧中で、そうして時たま、虎の尾を踏む失敗をして、ひどい痛手を負い、それがまた、男性から受ける笞とちがって、内出血みたいに極度に不快に内攻して、なかなか治癒し難い傷でした。
女は引き寄せて、つっ放す、或いはまた、女は、人のいるところでは自分をさげすみ、邪慳にし、誰もいなくなると、ひしと抱きしめる、女は死んだように深く眠る、女は眠るために生きているのではないかしら、その他、女に就いてのさまざまの観察を、すでに自分は、幼年時代から得ていたのですが、同じ人類のようでありながら、男とはまた、全く異った生きもののような感じで、そうしてまた、この不可解で油断のならぬ生きものは、奇妙に自分をかまうのでした。「惚れられる」なんていう言葉も、また「好かれる」という言葉も、自分の場合にはちっとも、ふさわしくなく、「かまわれる」とでも言ったほうが、まだしも実状の説明に適しているかも知れません。
女は、男よりも更に、道化には、くつろぐようでした。自分がお道化を演じ、男はさすがにいつまでもゲラゲラ笑ってもいませんし、それに自分も男のひとに対し、調子に乗ってあまりお道化を演じすぎると失敗するという事を知っていましたので、必ず適当のところで切り上げるように心掛けていましたが、女は適度という事を知らず、いつまでもいつまでも、自分にお道化を要求し、自分はその限りないアンコールに応じて、へとへとになるのでした。実に、よく笑うのです。いったいに、女は、男よりも快楽をよけいに頬張る事が出来るようです。 | 自分は幼い時から、何とばかり遊んで育ってきましたか。 | 自分は幼い時から、女とばかり遊んで育ったといっても過言ではないと思っています。 |
JCRRAG_010800 | 国語 | 自分には、人間の女性のほうが、男性よりもさらに数倍難解でした。自分の家族は、女性のほうが男性よりも数が多く、また親戚にも、女の子がたくさんあり、またれいの「犯罪」の女中などもいまして、自分は幼い時から、女とばかり遊んで育ったといっても過言ではないと思っていますが、それは、また、しかし、実に、薄氷を踏む思いで、その女のひとたちと附合って来たのです。ほとんど、まるで見当が、つかないのです。五里霧中で、そうして時たま、虎の尾を踏む失敗をして、ひどい痛手を負い、それがまた、男性から受ける笞とちがって、内出血みたいに極度に不快に内攻して、なかなか治癒し難い傷でした。
女は引き寄せて、つっ放す、或いはまた、女は、人のいるところでは自分をさげすみ、邪慳にし、誰もいなくなると、ひしと抱きしめる、女は死んだように深く眠る、女は眠るために生きているのではないかしら、その他、女に就いてのさまざまの観察を、すでに自分は、幼年時代から得ていたのですが、同じ人類のようでありながら、男とはまた、全く異った生きもののような感じで、そうしてまた、この不可解で油断のならぬ生きものは、奇妙に自分をかまうのでした。「惚れられる」なんていう言葉も、また「好かれる」という言葉も、自分の場合にはちっとも、ふさわしくなく、「かまわれる」とでも言ったほうが、まだしも実状の説明に適しているかも知れません。
女は、男よりも更に、道化には、くつろぐようでした。自分がお道化を演じ、男はさすがにいつまでもゲラゲラ笑ってもいませんし、それに自分も男のひとに対し、調子に乗ってあまりお道化を演じすぎると失敗するという事を知っていましたので、必ず適当のところで切り上げるように心掛けていましたが、女は適度という事を知らず、いつまでもいつまでも、自分にお道化を要求し、自分はその限りないアンコールに応じて、へとへとになるのでした。実に、よく笑うのです。いったいに、女は、男よりも快楽をよけいに頬張る事が出来るようです。 | 男のひとに対し、調子に乗ってあまりお道化を演じすぎると、どのような結果になる事を知っていましたか。 | 男のひとに対し、調子に乗ってあまりお道化を演じすぎると、さすがにいつまでもゲラゲラ笑ってもいませんし、それに自分も男のひとに対し、調子に乗ってあまりお道化を演じすぎると失敗するという事を知っていました |
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