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JCRRAG_014601
国語
「その短刀を抜いてみよ。」 と皇帝は言われました。刀は塩水で少し錆びてはいましたが、まだよく光ります。スラリと抜き放つと、兵士どもは、あッと叫んで、みんな驚き恐れました。振りかざしてみせたら、太陽の反射で、刀がピカピカ光り、兵士はみんな目がくらんでしまったのです。が、皇帝はそれほど驚かれませんでした。それをもう一度、鞘におさめて、鎖の端から六フィートほどの地上に、なるべく静かに置け、と私に命令されました。 次に皇帝は、鉄の筒を見せよと言われました。鉄の筒というのは、私のピストルのことです。私はそれを取り出して、その使い方を説明しました。そのピストルに火薬を詰めて、 「今から使って見せますが、どうか驚かないでください。」 と皇帝に注意しておいて、ドンと一発、空に向かって打ちました。 今度の驚きは、短刀どころの騒ぎではありません。三百人もの男や二百人の女が打ち殺されたように、ひっくりかえりました。唯一、一人だけ、皇帝はさすがに倒れなかったものの、眼をパチパチされています。私は短刀と同じように、このピストルを引き渡しました。それから、火薬と弾丸の入った革袋も渡しました。そして、 「この火薬は火花が一つ飛んでも、宮殿も何もかも吹き飛ばしてしまいますから、どうか火に近づけないでください。」 と注意しておきました。 それから、懐中時計を渡しました。皇帝はこの時計を非常に珍しがり、一番背の高い二人の兵士に、それを棒にかけて、かつがせました。絶えず時計がチクタク音を立てるのと、時計の長針が動いているのを見て、皇帝は大変驚きました。この国の人たちは、私たちより目がいいので、分針の動いているのまで見分けがつくのです。一たいこれは何だろう、と皇帝は学者たちにお尋ねになりましたが、学者たちの答えはまちまちで、とんでもない見当違いもありました。 次に私は財布の中から銀貨四枚と銅貨六枚を取り出し、それから櫛や嗅ぎタバコ入れ、ハンカチ、旅行案内などを、全部渡しました。短刀とピストルと革袋は荷車に積んで、皇帝の倉へ運ばれましたが、そのほかの品物は私に返してくれました。私は身体検査のとき、見せなかったポケットがあります。その中には眼鏡が一つ、望遠鏡が二つ、そのほか三つほどの品物が入っていました。これは失くされたり壊されると大変だから、わざわざ見せなくてもよかろうと思ったのです。
ピストルを空に向かって打った結果、倒れた人数で多かった性別を教えてください。
ピストルを空に向かって打った結果、倒れた人数で多かった性別は男で三百人です。
JCRRAG_014602
国語
本にならない大切な仕事 貴重な文献が、本になっていないと知って驚いたこともありました。 「どんなコンピューターなら、人は身近に感じ、自由に使いこなすことができるだろう」 こう考えて、一九七〇年前後から研究に取り組んでいったアラン・ケイという人物のアイディアは、一九八〇年代になって商品に盛り込まれていきます。その後パーソナルコンピューターで主流となる使いこなしの流儀に、彼の考えは大きな影響を与えました。 一九八三年にアップルコンピュータが発表したリサや、翌年のマッキントッシュの斬新さに驚いた私は、これらに盛り込まれた設計思想がケイの研究成果を汲んでいることを、後になって知りました。 以来、彼が書いた論文を探したり、日本で行われた講演会を覗いたりと、追っかけの真似事をやりました。そしてある時、一念発起して、彼が書いたものを一から読み直してみようと思い立ったのです。ところがあらためて探してみると、ケイの著書というものは、この世に存在していませんでした。日本語訳が出ていないというだけではありません。彼の本はアメリカでも刊行されていなかったのです。 そうした事情が飲み込めると、いささか呆然としてしまいました。となると後は、論文の巻末に示された参考文献をたどっていくしか手がありません。 『COMPUTER』という雑誌の一九七七年三月号に載った「パーソナル・ダイナミック・メディア」という記念碑的な論文の最後に、彼がユタ大学に博士論文として提出した「ザ・リアクティブ・エンジン」や、所属していたゼロックス社パロアルト研究所の技術レポートとしてまとめた文献に関する記述がありました。ユタ大学に依頼すると、三百三十三枚の論文のコピーが送られてきました。富士ゼロックスも親切に対応してくれて、総計二百十三枚の複写を送ってくれました。 その後、アスキーの編集部と制作に携わった関係者の努力によって、ケイの初めての著書は、英語の原書が存在しないまま日本語版としてまとめられます。この『アラン・ケイ』によって、日本の読者は、彼の考え方の流れを容易にたどれるようになりました。ここに収録されなかった論文も、同書の参考文献で確認できます。ただし雑誌に掲載されたものならともかく、博士論文や企業の社内文書となると、関係者の厚意を期待しなければ読むことはできません。手書きで写すしかなかった時代に比べれば、複写機の使える現在、コピーははるかに容易になりました。それでも写したいオリジナルが他人の手許にしかない場合は、依頼の手続きを踏んだり、時には複写に先方の手を煩わせたりと、読むための敷居は低くありません。 関心を持つ者にとっては実に貴重な文献が、雑誌にも載らず、本にもなっていないことは、そうそう例外的でもないようです。 実はケイの論文をあさり始めた時期、彼と縁の深い、ダグラス・エンゲルバートというもう一人の研究者の存在を知りました。 「向かい合ったコンピューターに働きかければ、すぐに反応が返ってくる。いわば、打てば響くような使い方を可能にして、人の能力をマシンで強化できないか」 こう考えてエンゲルバートが一九五〇年代から進めた研究の成果は、ケイにも大きな影響を与えたらしい。画面に窓のような枠を表示するウインドウやマウスも、エンゲルバートが考案したものだと聞いて、彼の書いたものも読んでみようと思い立ちました。ところがエンゲルバートに関しては、状況はケイの場合以上に絶望的で、一般向けの雑誌に掲載された論文すら見つかりません。彼自身が設立した小さな財団から、論文をファイルしたものを入手できると知るまでは、きつねにつままれたような気分が続きました。
アラン・ケイとダグラス・エンゲルバートのそれぞれに関する文章の入手方法の違いについて説明してください。
アラン・ケイの著書というものは、この世に存在しておらず、雑誌の最後に彼が博士論文として提出した博士論文や、所属していた社内文書が残されており関係者にコピーを依頼した。 ダグラス・エンゲルバートはケイの場合以上に絶望的で、一般向けの雑誌に掲載された論文すら見つからず、最終的に彼自身が設立した小さな財団から、論文をファイルしたものを入手できました。
JCRRAG_014603
国語
けれども、私の言うことに、みんなはどっと噴きだしてしまいました。 男が十人笑えば女が十五人笑っていました。 これで私はつくづく考えました。はじめから問題にならないほど差のある連中の中で、いくら自分を立派に見せようとしても駄目だということがわかりました。 国王は非常に音楽が好きで、だから、よく宮廷では音楽会がありました。私もときどき、つれて行ってもらって、テーブルの上に箱を置いてもらって聞いたものですが、なにしろ大へんな音で、曲も何もわからないのです。軍楽隊の十の太鼓と二十のラッパをみんな持って来て耳許で鳴らすより、もっと凄い騒がしさです。ですから、私はいつも一番遠いところに箱を置いてもらい、扉も窓もすっかり閉め、カーテンまでおろします。そうすると、それでまず、どうにか聞けるのでした。 国王はまた非常に賢い方でしたが、よく私を箱のままつれて来て、陛下のテーブルの上に置かれます。私は椅子を一つ持って、箱から出て来ると、陛下の近くの箪笥の上に坐ります。そこで、私の顔と陛下の顔が向かい合いになります。こんなふうにして、私たちは何度も話し合いましたが、ある日、私は思いきって、こんなことを申し上げました。 「一たい陛下がヨーロッパなどを軽蔑なさるのは、どうも賢い陛下に似合わぬことのようです。智恵はなにも身体の大きさによるものではありません。いや、あべこべの場合だってあるようです。蜜蜂とか蟻とかは、ほかのもっと大きな動物たちよりも、はるかに勤勉で、器用で、利口だと言われています。私なども、陛下は取るに足りない人間だとお考えでしょうが、これでも、いつか素晴しいお役に立つかもしれません。」 陛下は、私の話を一心に聞いておられましたが、前よりよほど私をよくわかってくださるようでした。そして、 「それではひとつ、イギリスの政治について、できるだけ正確に話してもらいたい。」 と仰せになりました。 そこで、私はわが祖国の議会のこと、裁判所のこと、6000万人いる人口について、宗教について、あるいは歴史のことまで、いろいろとお話し申し上げることになりました。私は王に何回もお目にかかって、毎回数時間、この話をお聞かせしたのですが、王はいつも非常に熱心に聞いてくださいました。そして、ノートには、一つ一つ、後で質問しようと思われるところや、私の話の要点を書き込んでおられました。
軍楽隊の楽器のうち、数が少ないほうを教えてください。
軍楽隊の楽器のうち、数が少ないほうは太鼓で十です。
JCRRAG_014604
国語
手書きの温もりとフォントのそっけなさ 『しかし』を出していたころも、大学時代たくさんのビラを書いていた時期も、そして物書きを目指して初めての本に取り組んでいたときも、書くことにこめた願いの本質は変わらなかったと思います。 けれどもう一方で、出来上がってきた『パソコン創世記』を手にしたとき、私はこれまでに体験したことのない、大きな新しい力の存在を感じました。てのひらにのせた出来たての文庫本には、ガリ版やコピーで作ってきた冊子には感じられなかった、がっちりとした手応えがありました。 ガリ版の手書き文字には、独特の味があります。祖母の筆跡は、それ自体がさまざまな思い出を揺り起こすメッセージです。けれどもう一方で、印刷に使われる文字は、手書きに望めない作用を備えています。統一感を持ってデザインされた印刷用の文字は、フォントと呼ばれます。美しくて読みやすいと言うだけでは、このフォントの作用を十分説明したとはいえません。 鍵は、フォントの持っている〈そっけなさ〉にあるでしょう。 手書きでは、同じ人が同じ文字を書いたとしても一つひとつに微妙な差が出ます。こうした文字の揺らぎを、我々はメッセージとして受け取っているはずです。手書きの文字は常に微妙に揺れていて、時には疲労や感情のうねりによって大きく揺らぐ。意識するにしろしないにしろ、そうした変化を我々は感じとっています。 一方フォントには、揺れがありません。雰囲気は全ての文字で統一されていて、同じ文字はいつでも寸分違わない。こうした特徴のゆえに、私たちは揺らぎという要素をはじめから頭の外に追いやって、文章その物に意識を集中して読んでいけます。 文章の中味からすれば、字形の揺らぎはいわばノイズです。フォントで読むことは、騒音のない部屋で読書に集中するような効果を与えてくれます。一方手書きには、〈音〉がつきまとっています。慣れないくずし字や乱暴な文字は、読書の妨げとなる騒音です。なつかしさを覚え、美しいと感じる文字で書かれたものを読むことは、心地よい音楽の鳴っている部屋で本に向かい合うようなものでしょう。 ただし、文章の意味を受け取ろうと読む際は、手書きの揺らぎや味はノイズとして機能します。たとえ美しいメロディーであったとしても、鳴り続ける音は文意を追うことを妨げます。 『パソコン創世記』を開くと、フォントで組んだ文字は紙面にしっかりと落ち着いて見えました。文字を追う視線の走りはなめらかで、意識を集中すれば言葉の連なりが自然に読む側の心に流れ込んでくる気がします。 自分の書いたものが雑誌に載るようになった時にも、そんな感慨が湧きました。けれど今回は、最初から最後まで全て自分が書いた原稿なのです。 「やはり本はいいな」 できたての『パソコン創世記』を開いて、私はあらためてそう感じました。
手書き文字とフォント文字の違いについて説明してください。
手書き文字は、同じ人が同じ文字を書いたとしても一つひとつに微妙な差があり、時には疲労や感情のうねりによって大きく揺らぐ。こうした文字の揺らぎを、我々はメッセージとして受け取っている。一方フォントには、揺れが無く全ての文字が統一されていて、同じ文字はいつでも寸分違わない。こうした特徴のゆえに、私たちは揺らぎという要素をはじめから頭の外に追いやって、文章その物に意識を集中して読んでいける。
JCRRAG_014605
国語
私は、行商人のような恰好で、大きな荷物を背負っている人を、たびたび見たことがあります。 大きな荷物を背負っている大人が二人、小さめの荷物を背負っている子供も三人くらい見たでしょうか。 彼らが往来で出会うと、荷物をおろして、袋をほどき、中からいろんな品物を取り出します。 動物の模型を三個出したり、人間の模型を四個出したかと思えば花を六本出したりしていました。 こうして、かれこれ一時間ぐらい話がつづいたかと思うと、品物を袋におさめて、荷物を背負って立ち上がります。 私はその次に数学教室を見物しました。 ここでは、ヨーロッパなどでは、思いつくこともできない、珍しい方法で、教えられていました。まず、数学の問題と答案を、薄い煎餅の上に、特別製のインキで、清書しておきます。学生たちに、お腹を空っぽにさせておいて、この煎餅を食べさせます。その後三日間は、九個のパンと十杯の水しか与えません。そうすると、煎餅が消化されるにつれて、それと同時に問題は頭の方へ上がってゆくというのです。 しかし、これは実際には一度も成功していません。というのは、この煎餅を食べると、ひどく胸が悪くなるので、みんなこっそり抜け出して、吐き出してしまうからです。 成功しないのも当然ですね。
私がたびたび見たことがある行商人のような恰好で、荷物を背負っている大人と子供を比較して、数が多いほうを教えてください。
私がたびたび見たことがある行商人のような恰好で、荷物を背負っている大人と子供を比較して、数が多いほうは子供で三人です。
JCRRAG_014606
国語
コンピューターの中の新しい本 画面上に開かれた新しい本を読み始めてすぐに、私は〈本〉という言葉の成り立ちが、自分の意識の中で変わり始めるのに気づきました。 これまでの私にとって、本とは紙の冊子に文字を印刷したものに他なりませんでした。紙でできた冊子であることは、本という概念と一体となっており、決して切り離しては考えられなかったのです。 その分かちがたいはずの絆が、あっけなくゆるみ始めました。 新しいものの誕生を境に、言葉の成り立ちが変わってしまう事態は、これまでにも何度か経験しています。音楽をおさめた丸くて薄い板は、かつては一言「レコード」といっておけばすみました。それがCDが普及し始めると、あえてデジタルの反対語を頭にくっつけて、「アナログレコード」と呼ばないと特定しにくくなりました。マイクを組み込んだタイプの登場を境に、ギターは従来型のアコースティックギターとエレクトリックギターに別れます。アコースティックピアノとエレクトリックピアノしかり。画面上の本を読み進むうちに、「コンピューターで読む新しいものが電子本なら、これまでの紙の本はそのうちに印刷本などと呼ばれるのかな」と思い始めました。 あらためて電子本と印刷本という二つの言葉を頭に置いてみると、紙の冊子という形は本というものの本質からますます遠ざかっていくような気がしてきます。新しい電子の本は、コンピューターを誰もが利用できるようになったからこそ、生まれてきた。同じ論法でいけば、これまでは誰もが利用できる構造として紙の冊子が最適だったからこそ、本はこの形と結び付いていた。考えてみれば実に当たり前のそうした事情を、あらためて強く意識するようになったのです。 そして私は、メモ用紙に印刷本と電子本のそれぞれの特徴を書き出してみました。 まず印刷本は、軽くて持ち運びできる紙の冊子でできている。紙に印刷された文字は、とても読みやすい。書き込みもできる。一方印刷本で不便なのは、複製だ。もう一部だけ欲しいからといって、はじめから印刷の工程をたどり直すことはできない。一から書き写すしかなかった頃に比べれば、複写機の使える今は天国だろう。それでもコピー取りには手間とお金がかかる。あらためて製本してやらないと、ばらばらの用紙の束では扱いにくい。 これに対して電子本は、コンピューターと結び付いている。持ち運びの求めに応えて、最近では超小型機も作られている。けれど今のところ、主流は机に据え付けて使うタイプだ。印刷本のようにどこでも読めるとはいかず、装置のあるところで読むのがとりあえずは中心となる。紙と比べれば、画面上の文字を長時間読み続けるのはかなりつらい。 書き込みは、電子本でもできる。文章を作って貼り込んだり、いったん書いた物を変更したり削除したりといった操作は、コンピューターではとても簡単だ。紙の本では手書きになるけれど、電子本では書き込みにもフォントが使える。いったん書いたものを、跡形もなくきれいに消すこともできる。 印刷本でも、複写機を使えば、文章の一部をコピーすることは容易だ。ただし電子本なら、もっと簡単になる。ある箇所を引用したいのなら、その部分を指定して〈コピー〉するように指示し、自分が書いている文章の上で、貼り付けを意味する〈ペースト〉という操作をすればよい。はさみと糊で貼り付けるよりはるかに簡単に、しかもきれいに処理できる。 さらに電子本には、コンピューターならではのメリットがいくつも付いてくる。 例えば、話題になっているマルチメディアという特長もその一つだ。
「レコード」と「アナログレコード」の違いについて説明してください。
CDが普及される前は、音楽をおさめた丸くて薄い板を「レコード」と表現していましたが、CDが普及された後は、あえてデジタルの反対語を頭にくっつけて、「アナログレコード」と呼ぶ様になりました。
JCRRAG_014607
国語
「その短刀を抜いてみよ。」 と皇帝は言われました。刀は塩水で少し錆びてはいましたが、まだよく光ります。スラリと抜き放つと、兵士どもは、あッと叫んで、みんな驚き恐れました。振りかざしてみせたら、太陽の反射で、刀がピカピカ光り、兵士はみんな目がくらんでしまったのです。が、皇帝はそれほど驚かれませんでした。それをもう一度、鞘におさめて、鎖の端から六フィートほどの地上に、なるべく静かに置け、と私に命令されました。 次に皇帝は、鉄の筒を見せよと言われました。鉄の筒というのは、私のピストルのことです。私はそれを取り出して、その使い方を説明しました。そのピストルに火薬を詰めて、 「今から使って見せますが、どうか驚かないでください。」 と皇帝に注意しておいて、ドンと一発、空に向かって打ちました。 今度の驚きは、短刀どころの騒ぎではありません。三百人もの男や二百人の女が打ち殺されたように、ひっくりかえりました。唯一、一人だけ、皇帝はさすがに倒れなかったものの、眼をパチパチされています。私は短刀と同じように、このピストルを引き渡しました。それから、火薬と弾丸の入った革袋も渡しました。そして、 「この火薬は火花が一つ飛んでも、宮殿も何もかも吹き飛ばしてしまいますから、どうか火に近づけないでください。」 と注意しておきました。 それから、懐中時計を渡しました。皇帝はこの時計を非常に珍しがり、一番背の高い二人の兵士に、それを棒にかけて、かつがせました。絶えず時計がチクタク音を立てるのと、時計の長針が動いているのを見て、皇帝は大変驚きました。この国の人たちは、私たちより目がいいので、分針の動いているのまで見分けがつくのです。一たいこれは何だろう、と皇帝は学者たちにお尋ねになりましたが、学者たちの答えはまちまちで、とんでもない見当違いもありました。 次に私は財布の中から銀貨四枚と銅貨六枚を取り出し、それから櫛や嗅ぎタバコ入れ、ハンカチ、旅行案内などを、全部渡しました。短刀とピストルと革袋は荷車に積んで、皇帝の倉へ運ばれましたが、そのほかの品物は私に返してくれました。私は身体検査のとき、見せなかったポケットがあります。その中には眼鏡が一つ、望遠鏡が二つ、そのほか三つほどの品物が入っていました。これは失くされたり壊されると大変だから、わざわざ見せなくてもよかろうと思ったのです。
ピストルを空に向かって打った結果、倒れた人数で少なかった性別を教えてください。
ピストルを空に向かって打った結果、倒れた人数で少なかった性別は女で二百人です。
JCRRAG_014608
国語
拡張本開発プロジェクト パーソナルコンピューターに力を注ぎはじめて間もない、一九九〇年の夏、ボイジャーは少し変わった角度から、コンピューターと自分たちとの関わりを考え直そうとしました。もともと映像を中心に置いて、そこに文字を始めとするさまざまな注釈をつけてきたものを、逆に文章を原点に置こうと発想を切り替えてみたのです。 彼らは、本を読むという行為を、コンピューターの上に移し替えてみようと考えました。 コンピューターにおける読み書きのスタイルは、紙の上で経験してきたものとは大きく異なっています。 原稿用紙にしろノートにしろ、メモ用紙、そして本にしろ、紙には頁が付いて回ります。あるところまで書いたら、新しい紙か新しい頁に移る。最後まで読み終えたら、次の頁をめくるという動作が、必ず挟み込まれました。 一方コンピューターでは、永遠に続く巻紙のようなものの上で、読み書きが行われてきました。あるところまで書き終えると、ワードプロセッサーは自動的に巻紙の数行を繰り上げて、新しく入力される文字のスペースを確保します。スクロールと呼ばれる、こうした行送り機能の付いた巻紙の上で文章を書いていると、これまでまとめてきた内容がほぼ一定の割合で表示されます。ちなみに、私が今この文章を書いているコンピューターの画面には、およそ一二〇〇字程度が見えています。四〇〇字詰めの原稿用紙に換算すれば、三枚分。原稿用紙を使って書くのに比べ、かなり広い範囲の文章を一度に見渡せる勘定です。原稿用紙からワードプロセッサーに転向した者の実感としては、巻紙は書き物の舞台として、悪い選択ではありません。 ただし文章を読む際は、巻紙環境は大変にこたえます。ブラウン管の目に与える圧迫感が、ここでは余すところなくその効果を発揮してしまうのです。 あらためて自分の動作を振り返ってみると、書くときはキーボードの上や机のそこここに、しょっちゅう視線をずらしています。目に強いる緊張をできるだけ和らげようと、私たちは無意識のうちに防護策を講じているようです。 ところが読むとなると、焦点は常にディスプレイの上に合ったままです。水晶体の厚みを調節する毛様体は、凝り固まったままでいることを強いられます。この状態で巻紙の行送りをかけると、鉛を溶いた目薬でもたらしたような鈍い疲れが、じんわりと瞳の底にたまってきます。 もともとブラウン管は、目に強いる負担が大きいこと。加えて、書く際にはがまんできる巻紙環境を読む際もそのまま流用してきたことで、画面上で読むという行為はかなりつらいものになってきました。 より実態に即して書けば、少なくとも長文に関して、画面で読もうとは誰も考えてこなかったというのが本当でしょう。ほとんど例外なく、コンピューターにはプリンターが付いています。「じっくり読むときは紙」という暗黙の了解が、作る側使う側の双方にあって、画面で快適に読む工夫は、これまでほとんど試みられてきませんでした。 しかし本をコンピューターに移し替えようとすると、この問題はもう、避けては通れません。 ソフトウエアの工夫によって、本のようなページ形式の読書環境を用意することは、比較的簡単にできます。ボイジャーも先ず、巻紙と縁を切った道具建てを用意して、ページをめくりながら読む実験を行ってみました。 スクロールの強いる残酷な一撃は、これによって回避されました。しかしブラウン管のぎらつきに長時間付き合うことは、やはり苦痛です。本ならどこにでも持っていってその場で開けるのに、電子本はコンピューターのある場所でしか読めない不自由も、あらためて意識に上りました。「新しいフロンティア・テキスト」と書いたトレーナーやTシャツを作って気分を盛り上げた彼らでしたが、電子本を本格的に商業出版できるようになるのは、画面のぎらつきや携帯性を改善したコンピューターが出てくる、四、五年先になるだろうと結論づけざるを得ませんでした。
手書きとコンピューターを使った執筆作業の違いについて説明してください。
原稿用紙にしろノートにしろ、メモ用紙、そして本にしろ、紙には頁ががあり、あるところまで書いたら、新しい紙か新しい頁に移る。最後まで読み終えたら、次の頁をめくるという動作が、必ず必要でした。 一方コンピューターでは、永遠に続く巻紙のようなものの上で、読み書きが行われ、あるところまで書き終えると、ワードプロセッサーは自動的に巻紙の数行を繰り上げて、新しく入力される文字のスペースを確保するスクロールと呼ばれる動作が起こります。このため、これまでまとめてきた内容がほぼ一定の割合で表示され、かなり広い範囲の文章を一度に見渡せる。
JCRRAG_014609
国語
ある日、私は王の御機嫌をとるつもりで、こんなことを申し上げました。 「実は私は素晴しいことを知っているのです。というのは、今から三百年前、遅くても四百年前に、火薬という粉が発明されましたが、その製造法を私はよく知っているからです。まず、この粉というのは、それを集めておいて、これに、ほんのちょっぴりでも火をつけてやると、たとえ山ほど積んである物でも、たちまち火になり、雷よりももっと大きな音を立てて、何もかも空へ高く吹き飛ばしてしまいます。 で、もし、この粉を真鍮か鉄の筒にうまく詰めてやると、それは恐ろしい力と速さで遠くへ飛ばすことができるのです。こういうふうにして、大きな大砲を打ち出すと、一度に百人の騎兵を全滅させることも、千人の歩兵を全滅させることもできます。 大砲の威力はすさまじく、鉄壁を破ったり、十隻の小さな船や一隻の大きな船さえ沈めてしまうこともできます。また、この粉を大きな鉄の球に詰めて、機械仕掛けで敵に向かって放つと、舗道は砕け、家は崩れ、かけらは八方に飛び散って、そのそばに近づくものは、誰でも脳味噌を叩き出されます。 私はこの粉を、どういうふうにして作ったらいいか、よく心得ているのです。で、職人たちを指図して、この国で使えるぐらいの大きさに、それを作らせることもできます。一番大きいので長さ百フィートあればいいでしょうが、こうした奴を三十本打ち出すと、この国の一番丈夫な城壁でも、三時間で打ち壊せます。もし首都が陛下の命令に背くような場合は、この粉で首都を全滅させることだってできます。とにかく、私は陛下の御恩に報いたいと思っているので、こんなことを申し上げる次第です。」 私がこんなことを申し上げると、国王はすっかり、仰天してしまったようです。そして呆れ返った顔つきで、こう仰せになりました。 「よくもよくもお前のような、ちっぽけな、虫けらのような動物が、そんな鬼、畜生にも等しい考えを抱くものだ。それに、そんなむごたらしい有様を見ても、お前はまるで平気でなんともない顔をしていられるのか。お前はその人殺し機械をさも自慢げに話すが、そんな機械の発明こそは、人類の敵か、悪魔の仲間のやることにちがいない。そんな、けがらわしい奴の秘密は、たとえこの王国の半分をなくしても、余は知りたくないのだ。だから、お前も、もし生命が惜しければ、二度ともうそんなことを申すな。」 王御自身は、科学に興味を持たれ、自然に関する発見など非常に喜ばれたのですが、このことばかりは、頑として許されないのでした。
大きな大砲を打つことで絶滅させることができる騎兵と歩兵を比較して、数が多いほうを教えてください。
大きな大砲を打つことで絶滅させることができる騎兵と歩兵を比較して、数が多いのは歩兵で千人です。
JCRRAG_014610
国語
(1) 労働者を取り巻くストレスの現状 (ストレスを感じている労働者の割合は、2022(令和4)年は82.2%であった) 厚生労働省「労働安全衛生調査(実態調査)」によると、仕事や職業生活に関すること で強い不安、悩み、ストレスを感じている労働者の割合は、2022(令和4)年は82.2% であった。 ストレスの内容を年代別にみると、20歳未満から40歳代までは、「仕事の失敗、責任 の発生等」が最も高く、次いで「仕事の量」となっている。一方、50歳代は「仕事の量」 が最も高く、次いで「仕事の失敗、責任の発生等」が高くなっている。なお、60歳以上 はストレスと感じる事柄を1つも選択しなかった人が最も多かったが、ストレスがある人 のストレスの内容では、「仕事の質」が最も高く、次いで「対人関係(セクハラ・パワハ ラを含む。)」となっている。 また、就業形態別にみると、正社員は「仕事の量」、「仕事の失敗、責任の発生等」の順 に高くなっているが、契約社員や派遣労働者では「雇用の安定性」の割合が高い傾向があ り、特に派遣労働者では突出して最も高い。 このように、ストレスを感じている労働者は非常に多いが、その要因や背景は、年代や 就業形態などにより多様であることが分かる。
20歳未満から40歳代までの年齢層と60歳以上の年齢層でのそれぞれが感じている仕事に関するストレス内容の違いについて説明してください。
20歳未満から40歳代までは、「仕事の失敗、責任の発生等」が最も高く、次いで「仕事の量」となっている。60歳以上では、「仕事の質」が最も高く、次いで「対人関係(セクハラ・パワハラを含む。)」となっている。
JCRRAG_014611
国語
私は、行商人のような恰好で、大きな荷物を背負っている人を、たびたび見たことがあります。 大きな荷物を背負っている大人が二人、小さめの荷物を背負っている子供も三人くらい見たでしょうか。 彼らが往来で出会うと、荷物をおろして、袋をほどき、中からいろんな品物を取り出します。 動物の模型を三個出したり、人間の模型を四個出したかと思えば花を六本出したりしていました。 こうして、かれこれ一時間ぐらい話がつづいたかと思うと、品物を袋におさめて、荷物を背負って立ち上がります。 私はその次に数学教室を見物しました。 ここでは、ヨーロッパなどでは、思いつくこともできない、珍しい方法で、教えられていました。まず、数学の問題と答案を、薄い煎餅の上に、特別製のインキで、清書しておきます。学生たちに、お腹を空っぽにさせておいて、この煎餅を食べさせます。その後三日間は、九個のパンと十杯の水しか与えません。そうすると、煎餅が消化されるにつれて、それと同時に問題は頭の方へ上がってゆくというのです。 しかし、これは実際には一度も成功していません。というのは、この煎餅を食べると、ひどく胸が悪くなるので、みんなこっそり抜け出して、吐き出してしまうからです。 成功しないのも当然ですね。
私がたびたび見たことがある行商人のような恰好で、荷物を背負っている大人と子供を比較して、数が少ないほうを教えてください。
私がたびたび見たことがある行商人のような恰好で、荷物を背負っている大人と子供を比較して、数が少ないほうは大人で二人です。
JCRRAG_014612
国語
代表的な発酵菌 日本の発酵食品は1種類の菌ではつくれません。複数を組み合わせることによって、複雑なうま味が得られるのです。発酵菌の組み合わせは経験値。そこが日本の発酵食品のすごさです!!では、発酵菌にはどんな種類があるのでしょうか。主なものを前橋先生に解説していただきました。 麹菌 酵素を大量につくるというのが一番のポイント。味噌、醤油、酒、焼酎など用途によって、働きもつくりだす味わいも異なる種麹があります。発酵食品の複雑なうま味や健康効果を作り出すための微生物の力を発揮する発酵菌の代表的存在。日本の食文化を支える存在として、(公財)日本醸造協会によって「国菌」に認定されました。 酵母 際立つ香りが特長。大きく分けるとアルコール酵母と耐塩性酵母の2種類あり、パンにはアルコール酵母を、味噌や醤油をつくる時には耐塩性酵母を使います。 乳酸菌 やや渋味があるようなすっぱさが特長。人間と同じ5大栄養素を必要とするので、人間が生活するところには必ずいる菌です。 納豆菌 納豆づくりに欠かせない菌。納豆菌は増殖速度が速いので、麹菌を扱っている酒蔵などに入る前には納豆を食べないなど、マナーとして気を付けるようにしましょう。 酢酸菌 酢をつくるのに不可欠な菌です。酢酸特有のツンと鼻にくる酸味が特長。ナタデココも酢酸菌の仲間がつくる発酵食品です。
麹菌と酵母の違いについて150字以内で説明して下さい。
麹菌は酵素を大量に作り出すことにより、発酵食品の微生物の力を発揮する発酵菌の代表的存在です。用途によって異なる種麹があり、(公財)日本醸造協会によって「国菌」に認定された。 酵母は際立つ香りが特長で、大きく分けるとパン使われるアルコール酵母と、味噌や醤油をつくる時には耐塩性酵母の2種類がある。
JCRRAG_014613
国語
「その短刀を抜いてみよ。」 と皇帝は言われました。刀は塩水で少し錆びてはいましたが、まだよく光ります。スラリと抜き放つと、兵士どもは、あッと叫んで、みんな驚き恐れました。振りかざしてみせたら、太陽の反射で、刀がピカピカ光り、兵士はみんな目がくらんでしまったのです。が、皇帝はそれほど驚かれませんでした。それをもう一度、鞘におさめて、鎖の端から六フィートほどの地上に、なるべく静かに置け、と私に命令されました。 次に皇帝は、鉄の筒を見せよと言われました。鉄の筒というのは、私のピストルのことです。私はそれを取り出して、その使い方を説明しました。そのピストルに火薬を詰めて、 「今から使って見せますが、どうか驚かないでください。」 と皇帝に注意しておいて、ドンと一発、空に向かって打ちました。 今度の驚きは、短刀どころの騒ぎではありません。三百人もの男や二百人の女が打ち殺されたように、ひっくりかえりました。唯一、一人だけ、皇帝はさすがに倒れなかったものの、眼をパチパチされています。私は短刀と同じように、このピストルを引き渡しました。それから、火薬と弾丸の入った革袋も渡しました。そして、 「この火薬は火花が一つ飛んでも、宮殿も何もかも吹き飛ばしてしまいますから、どうか火に近づけないでください。」 と注意しておきました。 それから、懐中時計を渡しました。皇帝はこの時計を非常に珍しがり、一番背の高い二人の兵士に、それを棒にかけて、かつがせました。絶えず時計がチクタク音を立てるのと、時計の長針が動いているのを見て、皇帝は大変驚きました。この国の人たちは、私たちより目がいいので、分針の動いているのまで見分けがつくのです。一たいこれは何だろう、と皇帝は学者たちにお尋ねになりましたが、学者たちの答えはまちまちで、とんでもない見当違いもありました。 次に私は財布の中から銀貨四枚と銅貨六枚を取り出し、それから櫛や嗅ぎタバコ入れ、ハンカチ、旅行案内などを、全部渡しました。短刀とピストルと革袋は荷車に積んで、皇帝の倉へ運ばれましたが、そのほかの品物は私に返してくれました。私は身体検査のとき、見せなかったポケットがあります。その中には眼鏡が一つ、望遠鏡が二つ、そのほか三つほどの品物が入っていました。これは失くされたり壊されると大変だから、わざわざ見せなくてもよかろうと思ったのです。
私が財布の中から取り出したものでより多かったものを教えてください。
私が財布の中から取り出したものでより多かったものは銅貨で六枚です。
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国語
誰かに話したくなるお肉の豆知識 明治時代から私たちの生活に徐々に浸透していった食肉文化。現代では日々の食卓ですっかりおなじみとなった肉について、あなたはどれくらい知っていますか?今回は知ると誰かに話したくなる豆知識を牛肉、豚肉、鶏肉に分けて紹介します。 牛肉編 豆知識 1 「国産牛」イコール「和牛」は間違い 国産牛と和牛、この2つの言葉の意味には明確な違いがあります。国産牛は、品種や生まれた土地に関係なく、生まれてから出荷までの間、最も長く日本で飼育された牛のことを指します。一方の和牛は、黒毛和種、褐毛和種、日本短角種、無角和種と、これら4品種の間での交雑により生まれた牛のことを指します。そして、日本で出回っている和牛の約 98%は黒毛和種です。但馬牛、神戸ビーフ、特選松阪牛、米沢牛などの有名ブランド牛もこの黒毛和種という品種なのです。 豆知識 2 「こま切れ」と「切り落とし」の違い さまざまな料理に使えて便利な「こま切れ」と「切り落とし」ですが、その違いはご存じでしょうか?一般的に「こま切れ」とは、肉を整形する際に出るさまざまな部位の切れ端を集めた商品を指します。そのため、厚さや大きさもバラバラにカットされており、主に焼きそばや野菜炒めなどの具材として使用されます。一方、「切り落とし」は特定の部位の肉をスライスした際に出る切れ端の商品を指します。厚さは均一ですが、大きさはバラバラにカットされており、主にすき焼きやしゃぶしゃぶなどに使われます。 豆知識 3 ステーキの焼き加減の由来は「ゆで卵」 ステーキを注文する際、焼き加減に「レア(rare)」「ミディアム(medium)」「ウェルダン(well-done)」などの呼び方があります。その中の、レアとウェルダンという言葉は、卵のゆで加減を表現した言葉に由来するそうです。レアという言葉は、半熟卵を意味する英語の古語から生まれました。ウェルダンは、硬ゆで卵を指す「well(正しく)done(調理された)」が由来だとか。卵と同じく、肉も加熱時間が長くなるほど、固くなります。それでは、厚さ2センチメートルのヒレ肉での焼き加減を紹介します。 レア(英)rare 内部温度55度から65度以下 片面を強火で30秒焼き、弱火にして1分焼く。返して同様に焼く。表面は焼けているが、中心部は生で、肉汁が多い。 ミディアムレア(英)medium rare 内部温度約65度 片面を強火で30秒焼き、弱火にしたら1分30秒焼く。返して同様に焼く。レアより火は通っているが、中心部はまだ生の状態。切ると赤い肉汁がうっすらとにじみ出る。 ミディアム(英)medium 内部温度65度から70度 片面を強火で30秒焼き、弱火にしたら2分焼く。返して同様に焼く。中心部にちょうど良い状態に火が通り、薄いピンク色。肉汁は少ししか出ない。 ウェルダン(英)well-done 内部温度70度から80度 片面を強火で30秒焼き、弱火にしたら2分30秒ほど焼く。返して同様に焼く。肉汁はほとんど出ない。それよりしっかり焼けば、ベリーウェルダン。 豚肉編 豆知識 1 国産豚肉の大半は「三元豚」 日本で売られている国産豚の約4分の3は、三元豚(さんげんとん)です。三元豚とは、3品種の豚を交配させて生まれた豚のことで「三元交配豚」ともいわれています。なぜ、三品種の豚を交配させるのかというと、品種ごとの長所を組み合わせて、より風味や品質、食感が良い豚を安定的に生産するためです。たとえば大きくて胴長に育つ(食べられる部分が多い)品種のランドレース種と子どもをたくさん産む大ヨークシャー種から生まれた豚に、肉質の良いデュロック種を交配させることで、良質な肉の三元豚が安定して大量生産できるというわけです。また、雑種にすることで病気にも強くなります。 豆知識 2 「黒豚」と表示できるのはバークシャー種だけ 「黒豚」と聞くと、おいしい豚肉をイメージする方も多いかもしれません。「黒豚」と表示できるのは国産、外国産を問わずバークシャー種の豚肉だけで、黒豚特有の風味や肉質を損なわないように、他の品種と交配させずに育てています。また、成長過程にも特徴があり、大半の国産豚肉(三元交配した豚)は生まれて180日前後で体重110キログラムほどまで成長して、肉として出荷されます。一方、黒豚は発育が遅く、出荷まで240日前後かかることも。その分、歯切れの良い食感や、うま味をたくさん含んでいるなど、肉質は高い水準を誇っています。 豆知識 3 ウインナーとフランクフルトの違いは皮 ウインナーもフランクフルトもソーセージの一種で、原料や製法によって1,000種類以上もあるそうです。ソーセージは、ミンチ肉を香辛料や調味料で味付けし、外側の皮の部分であるケーシングに詰めた後、蒸煮、乾燥、燻煙(スモーク)などの工程を経て出来上がります。この際のケーシングに使う家畜動物の種類によって名称が変わるのです。羊の腸に肉を詰めるとウインナー、豚の腸だとフランクフルト、そして牛の腸であればボロニアと呼ばれます。また、これらの天然ケーシングの他に、コラーゲンなどを加工して作る人工ケーシングがあります。その場合は、完成した製品の直径によって名称が変わり、20ミリメートル未満がウインナー、20ミリメートル以上36ミリメートル未満がフランクフルト、36ミリメートル以上がボロニアと呼ばれます。 鶏肉編 豆知識 1 「ブロイラー」という品種はない 日本で流通している鶏肉は、大きく「ブロイラー」「地鶏」「銘柄鶏」の3つに分けられます。ブロイラーとは、通常の鶏より短期間で大きく育つように改良された若鶏の総称で、品種ではありません。1940年代にアメリカで本格的に生産が始まりました。アメリカでは食用の鶏を丸焼き(broil)にすることが多かったことからブロイラーと名付けられたそうです。また、地鶏は日本農林規格(JAS)によって定められている鶏のことをいいます。銘柄鶏は、地鶏のような規格はありませんが、一般に飼料や育つ環境などに工夫を加えて飼育された鶏のことです。 豆知識 2 「地鶏」は規格で条件が決められている 地鶏には、日本農林規格(JAS)によって定められた次のような条件があります。 1.ひな鶏は在来種由来の血液が50パーセント以上のもので、出生の証明ができているものを使用している。(注)在来種とは、明治時代までに日本に導入され定着した品種。烏骨鶏、コーチン、軍鶏など38種 2.ふ化日から75日以上飼育している。 3.28日齢以降、平飼い(鶏が自由に地面を歩き回れる環境での飼育)をしている。 4.28日齢以降、1平方メートルあたり10羽以下で飼育している。 このような地鶏には、鶏本来のうま味とコクがあり、適度な噛みごたえが特徴で、高級食材として重宝されています。 豆知識 3 疲労回復には「鶏むね肉」が効果的! 鶏むね肉には疲労回復を促す成分が豊富に含まれています。正式にはイミダゾールジペプチドといって、ヒトや動物の筋肉に存在します。イミダゾールジペプチドには抗酸化作用があり、細胞の機能低下を防ぐことで疲労回復を促進。この成分は、長時間翼を動かし続ける渡り鳥の筋肉に多く含まれているといわれています。筋力トレーニングをする人はよく鶏むね肉を食べていますが、疲労回復の面からも理にかなった食事といえるでしょう。
黒豚と国産豚の違いについて150字以内で説明して下さい。
黒豚と表示できるのはバークシャー種の豚肉だけで、特有の風味や肉質を損なわぬよう、他の品種と交配させずに育てます。発育は遅く出荷まで240日前後かかるが、歯切れの良い食感や豊富なうま味など、高い肉質水準を誇っている。国産豚肉は三元交配された豚で、生まれて180日前後で出荷されます。
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国語
ある日、私は王の御機嫌をとるつもりで、こんなことを申し上げました。 「実は私は素晴しいことを知っているのです。というのは、今から三百年前、遅くても四百年前に、火薬という粉が発明されましたが、その製造法を私はよく知っているからです。まず、この粉というのは、それを集めておいて、これに、ほんのちょっぴりでも火をつけてやると、たとえ山ほど積んである物でも、たちまち火になり、雷よりももっと大きな音を立てて、何もかも空へ高く吹き飛ばしてしまいます。 で、もし、この粉を真鍮か鉄の筒にうまく詰めてやると、それは恐ろしい力と速さで遠くへ飛ばすことができるのです。こういうふうにして、大きな大砲を打ち出すと、一度に百人の騎兵を全滅させることも、千人の歩兵を全滅させることもできます。 大砲の威力はすさまじく、鉄壁を破ったり、十隻の小さな船や一隻の大きな船さえ沈めてしまうこともできます。また、この粉を大きな鉄の球に詰めて、機械仕掛けで敵に向かって放つと、舗道は砕け、家は崩れ、かけらは八方に飛び散って、そのそばに近づくものは、誰でも脳味噌を叩き出されます。 私はこの粉を、どういうふうにして作ったらいいか、よく心得ているのです。で、職人たちを指図して、この国で使えるぐらいの大きさに、それを作らせることもできます。一番大きいので長さ百フィートあればいいでしょうが、こうした奴を三十本打ち出すと、この国の一番丈夫な城壁でも、三時間で打ち壊せます。もし首都が陛下の命令に背くような場合は、この粉で首都を全滅させることだってできます。とにかく、私は陛下の御恩に報いたいと思っているので、こんなことを申し上げる次第です。」 私がこんなことを申し上げると、国王はすっかり、仰天してしまったようです。そして呆れ返った顔つきで、こう仰せになりました。 「よくもよくもお前のような、ちっぽけな、虫けらのような動物が、そんな鬼、畜生にも等しい考えを抱くものだ。それに、そんなむごたらしい有様を見ても、お前はまるで平気でなんともない顔をしていられるのか。お前はその人殺し機械をさも自慢げに話すが、そんな機械の発明こそは、人類の敵か、悪魔の仲間のやることにちがいない。そんな、けがらわしい奴の秘密は、たとえこの王国の半分をなくしても、余は知りたくないのだ。だから、お前も、もし生命が惜しければ、二度ともうそんなことを申すな。」 王御自身は、科学に興味を持たれ、自然に関する発見など非常に喜ばれたのですが、このことばかりは、頑として許されないのでした。
大きな大砲を打つことで絶滅させることができる騎兵と歩兵を比較して、数が少ないほうを教えてください。
大きな大砲を打つことで絶滅させることができる騎兵と歩兵を比較して、数が少ないのは騎兵で百人です。
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誰かに話したくなるお肉の豆知識 明治時代から私たちの生活に徐々に浸透していった食肉文化。現代では日々の食卓ですっかりおなじみとなった肉について、あなたはどれくらい知っていますか?今回は知ると誰かに話したくなる豆知識を牛肉、豚肉、鶏肉に分けて紹介します。 牛肉編 豆知識 1 「国産牛」イコール「和牛」は間違い 国産牛と和牛、この2つの言葉の意味には明確な違いがあります。国産牛は、品種や生まれた土地に関係なく、生まれてから出荷までの間、最も長く日本で飼育された牛のことを指します。一方の和牛は、黒毛和種、褐毛和種、日本短角種、無角和種と、これら4品種の間での交雑により生まれた牛のことを指します。そして、日本で出回っている和牛の約 98%は黒毛和種です。但馬牛、神戸ビーフ、特選松阪牛、米沢牛などの有名ブランド牛もこの黒毛和種という品種なのです。 豆知識 2 「こま切れ」と「切り落とし」の違い さまざまな料理に使えて便利な「こま切れ」と「切り落とし」ですが、その違いはご存じでしょうか?一般的に「こま切れ」とは、肉を整形する際に出るさまざまな部位の切れ端を集めた商品を指します。そのため、厚さや大きさもバラバラにカットされており、主に焼きそばや野菜炒めなどの具材として使用されます。一方、「切り落とし」は特定の部位の肉をスライスした際に出る切れ端の商品を指します。厚さは均一ですが、大きさはバラバラにカットされており、主にすき焼きやしゃぶしゃぶなどに使われます。 豆知識 3 ステーキの焼き加減の由来は「ゆで卵」 ステーキを注文する際、焼き加減に「レア(rare)」「ミディアム(medium)」「ウェルダン(well-done)」などの呼び方があります。その中の、レアとウェルダンという言葉は、卵のゆで加減を表現した言葉に由来するそうです。レアという言葉は、半熟卵を意味する英語の古語から生まれました。ウェルダンは、硬ゆで卵を指す「well(正しく)done(調理された)」が由来だとか。卵と同じく、肉も加熱時間が長くなるほど、固くなります。それでは、厚さ2センチメートルのヒレ肉での焼き加減を紹介します。 レア(英)rare 内部温度55度から65度以下 片面を強火で30秒焼き、弱火にして1分焼く。返して同様に焼く。表面は焼けているが、中心部は生で、肉汁が多い。 ミディアムレア(英)medium rare 内部温度約65度 片面を強火で30秒焼き、弱火にしたら1分30秒焼く。返して同様に焼く。レアより火は通っているが、中心部はまだ生の状態。切ると赤い肉汁がうっすらとにじみ出る。 ミディアム(英)medium 内部温度65度から70度 片面を強火で30秒焼き、弱火にしたら2分焼く。返して同様に焼く。中心部にちょうど良い状態に火が通り、薄いピンク色。肉汁は少ししか出ない。 ウェルダン(英)well-done 内部温度70度から80度 片面を強火で30秒焼き、弱火にしたら2分30秒ほど焼く。返して同様に焼く。肉汁はほとんど出ない。それよりしっかり焼けば、ベリーウェルダン。 豚肉編 豆知識 1 国産豚肉の大半は「三元豚」 日本で売られている国産豚の約4分の3は、三元豚(さんげんとん)です。三元豚とは、3品種の豚を交配させて生まれた豚のことで「三元交配豚」ともいわれています。なぜ、三品種の豚を交配させるのかというと、品種ごとの長所を組み合わせて、より風味や品質、食感が良い豚を安定的に生産するためです。たとえば大きくて胴長に育つ(食べられる部分が多い)品種のランドレース種と子どもをたくさん産む大ヨークシャー種から生まれた豚に、肉質の良いデュロック種を交配させることで、良質な肉の三元豚が安定して大量生産できるというわけです。また、雑種にすることで病気にも強くなります。 豆知識 2 「黒豚」と表示できるのはバークシャー種だけ 「黒豚」と聞くと、おいしい豚肉をイメージする方も多いかもしれません。「黒豚」と表示できるのは国産、外国産を問わずバークシャー種の豚肉だけで、黒豚特有の風味や肉質を損なわないように、他の品種と交配させずに育てています。また、成長過程にも特徴があり、大半の国産豚肉(三元交配した豚)は生まれて180日前後で体重110キログラムほどまで成長して、肉として出荷されます。一方、黒豚は発育が遅く、出荷まで240日前後かかることも。その分、歯切れの良い食感や、うま味をたくさん含んでいるなど、肉質は高い水準を誇っています。 豆知識 3 ウインナーとフランクフルトの違いは皮 ウインナーもフランクフルトもソーセージの一種で、原料や製法によって1,000種類以上もあるそうです。ソーセージは、ミンチ肉を香辛料や調味料で味付けし、外側の皮の部分であるケーシングに詰めた後、蒸煮、乾燥、燻煙(スモーク)などの工程を経て出来上がります。この際のケーシングに使う家畜動物の種類によって名称が変わるのです。羊の腸に肉を詰めるとウインナー、豚の腸だとフランクフルト、そして牛の腸であればボロニアと呼ばれます。また、これらの天然ケーシングの他に、コラーゲンなどを加工して作る人工ケーシングがあります。その場合は、完成した製品の直径によって名称が変わり、20ミリメートル未満がウインナー、20ミリメートル以上36ミリメートル未満がフランクフルト、36ミリメートル以上がボロニアと呼ばれます。 鶏肉編 豆知識 1 「ブロイラー」という品種はない 日本で流通している鶏肉は、大きく「ブロイラー」「地鶏」「銘柄鶏」の3つに分けられます。ブロイラーとは、通常の鶏より短期間で大きく育つように改良された若鶏の総称で、品種ではありません。1940年代にアメリカで本格的に生産が始まりました。アメリカでは食用の鶏を丸焼き(broil)にすることが多かったことからブロイラーと名付けられたそうです。また、地鶏は日本農林規格(JAS)によって定められている鶏のことをいいます。銘柄鶏は、地鶏のような規格はありませんが、一般に飼料や育つ環境などに工夫を加えて飼育された鶏のことです。 豆知識 2 「地鶏」は規格で条件が決められている 地鶏には、日本農林規格(JAS)によって定められた次のような条件があります。 1.ひな鶏は在来種由来の血液が50パーセント以上のもので、出生の証明ができているものを使用している。(注)在来種とは、明治時代までに日本に導入され定着した品種。烏骨鶏、コーチン、軍鶏など38種 2.ふ化日から75日以上飼育している。 3.28日齢以降、平飼い(鶏が自由に地面を歩き回れる環境での飼育)をしている。 4.28日齢以降、1平方メートルあたり10羽以下で飼育している。 このような地鶏には、鶏本来のうま味とコクがあり、適度な噛みごたえが特徴で、高級食材として重宝されています。 豆知識 3 疲労回復には「鶏むね肉」が効果的! 鶏むね肉には疲労回復を促す成分が豊富に含まれています。正式にはイミダゾールジペプチドといって、ヒトや動物の筋肉に存在します。イミダゾールジペプチドには抗酸化作用があり、細胞の機能低下を防ぐことで疲労回復を促進。この成分は、長時間翼を動かし続ける渡り鳥の筋肉に多く含まれているといわれています。筋力トレーニングをする人はよく鶏むね肉を食べていますが、疲労回復の面からも理にかなった食事といえるでしょう。
フランクフルトと人工ケーシングを使ったフランクフルトの違いについて説明して下さい。
フランクフルトは豚の腸に肉を詰めたもの、人工ケーシングを使ったフランクフルトとは完成した製品の直径が20ミリメートル以上36ミリメートル未満サイズの製品のこと。
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国語
私はつづいて、政治の発明家たちを訪ねましたが、この教室では、あまり愉快な気持にはされなかったのです。 この教室で、一人の医者がこんなことを言っていました。一たい、大臣などというものは、どうも物忘れがひどくて困るとは、誰もが言う苦情ですが、これを防ぐには、次のようにすればいいというのです。つまり、大臣に面会したときには、できるだけ、わかりやすい言葉で用件を伝えておいて、別れぎわに、一つ、大臣の鼻を一回つまむとか、腹を二回蹴るとか、腕を三回つねるとか、なんとかして、約束したことは忘れないようにさせるのです。そしてその後も、面会するたびに同じことを繰り返し、約束したことは実行してもらうようにするのです。 また、この医者は、政党の争いをうまく停める方法を発明していました。 それは、まず両方の政党から六十人の男性議員と四十人の女性議員、合計で百人の議員を選んできて、これを二人ずつ、頭の大きさの似たもの同士の組にしておきます。それから、それぞれ両方の頭をのこぎりでひいて、二つに分けます。こうして切り取った半分の頭を、それぞれ取り換えっこして、反対派の頭にくっつけるのです。 私は、二人の教授がしきりに議論しているのを聞きました。どうしたら、人民を苦しめないで、税金を集めることができるかという議論でした。 一人の教授の意見では、悪徳や愚行に税金をかけるのがいい、というものでした。ところが、もう一人の教授の意見では、人がその自惚れている長所に税金をかけたらいい、というのです。"
大臣の物忘れを防ぐために、大臣と面会して別れぎわに大臣にやることのうち、もっとも回数が多いものを教えてください。
大臣の物忘れを防ぐために、大臣と面会して別れぎわに大臣にやることのうち、もっとも回数が多いのは腕をつねるで三回です。
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国語
誰かに話したくなるお肉の豆知識 明治時代から私たちの生活に徐々に浸透していった食肉文化。現代では日々の食卓ですっかりおなじみとなった肉について、あなたはどれくらい知っていますか?今回は知ると誰かに話したくなる豆知識を牛肉、豚肉、鶏肉に分けて紹介します。 牛肉編 豆知識 1 「国産牛」イコール「和牛」は間違い 国産牛と和牛、この2つの言葉の意味には明確な違いがあります。国産牛は、品種や生まれた土地に関係なく、生まれてから出荷までの間、最も長く日本で飼育された牛のことを指します。一方の和牛は、黒毛和種、褐毛和種、日本短角種、無角和種と、これら4品種の間での交雑により生まれた牛のことを指します。そして、日本で出回っている和牛の約 98%は黒毛和種です。但馬牛、神戸ビーフ、特選松阪牛、米沢牛などの有名ブランド牛もこの黒毛和種という品種なのです。 豆知識 2 「こま切れ」と「切り落とし」の違い さまざまな料理に使えて便利な「こま切れ」と「切り落とし」ですが、その違いはご存じでしょうか?一般的に「こま切れ」とは、肉を整形する際に出るさまざまな部位の切れ端を集めた商品を指します。そのため、厚さや大きさもバラバラにカットされており、主に焼きそばや野菜炒めなどの具材として使用されます。一方、「切り落とし」は特定の部位の肉をスライスした際に出る切れ端の商品を指します。厚さは均一ですが、大きさはバラバラにカットされており、主にすき焼きやしゃぶしゃぶなどに使われます。 豆知識 3 ステーキの焼き加減の由来は「ゆで卵」 ステーキを注文する際、焼き加減に「レア(rare)」「ミディアム(medium)」「ウェルダン(well-done)」などの呼び方があります。その中の、レアとウェルダンという言葉は、卵のゆで加減を表現した言葉に由来するそうです。レアという言葉は、半熟卵を意味する英語の古語から生まれました。ウェルダンは、硬ゆで卵を指す「well(正しく)done(調理された)」が由来だとか。卵と同じく、肉も加熱時間が長くなるほど、固くなります。それでは、厚さ2センチメートルのヒレ肉での焼き加減を紹介します。 レア(英)rare 内部温度55度から65度以下 片面を強火で30秒焼き、弱火にして1分焼く。返して同様に焼く。表面は焼けているが、中心部は生で、肉汁が多い。 ミディアムレア(英)medium rare 内部温度約65度 片面を強火で30秒焼き、弱火にしたら1分30秒焼く。返して同様に焼く。レアより火は通っているが、中心部はまだ生の状態。切ると赤い肉汁がうっすらとにじみ出る。 ミディアム(英)medium 内部温度65度から70度 片面を強火で30秒焼き、弱火にしたら2分焼く。返して同様に焼く。中心部にちょうど良い状態に火が通り、薄いピンク色。肉汁は少ししか出ない。 ウェルダン(英)well-done 内部温度70度から80度 片面を強火で30秒焼き、弱火にしたら2分30秒ほど焼く。返して同様に焼く。肉汁はほとんど出ない。それよりしっかり焼けば、ベリーウェルダン。 豚肉編 豆知識 1 国産豚肉の大半は「三元豚」 日本で売られている国産豚の約4分の3は、三元豚(さんげんとん)です。三元豚とは、3品種の豚を交配させて生まれた豚のことで「三元交配豚」ともいわれています。なぜ、三品種の豚を交配させるのかというと、品種ごとの長所を組み合わせて、より風味や品質、食感が良い豚を安定的に生産するためです。たとえば大きくて胴長に育つ(食べられる部分が多い)品種のランドレース種と子どもをたくさん産む大ヨークシャー種から生まれた豚に、肉質の良いデュロック種を交配させることで、良質な肉の三元豚が安定して大量生産できるというわけです。また、雑種にすることで病気にも強くなります。 豆知識 2 「黒豚」と表示できるのはバークシャー種だけ 「黒豚」と聞くと、おいしい豚肉をイメージする方も多いかもしれません。「黒豚」と表示できるのは国産、外国産を問わずバークシャー種の豚肉だけで、黒豚特有の風味や肉質を損なわないように、他の品種と交配させずに育てています。また、成長過程にも特徴があり、大半の国産豚肉(三元交配した豚)は生まれて180日前後で体重110キログラムほどまで成長して、肉として出荷されます。一方、黒豚は発育が遅く、出荷まで240日前後かかることも。その分、歯切れの良い食感や、うま味をたくさん含んでいるなど、肉質は高い水準を誇っています。 豆知識 3 ウインナーとフランクフルトの違いは皮 ウインナーもフランクフルトもソーセージの一種で、原料や製法によって1,000種類以上もあるそうです。ソーセージは、ミンチ肉を香辛料や調味料で味付けし、外側の皮の部分であるケーシングに詰めた後、蒸煮、乾燥、燻煙(スモーク)などの工程を経て出来上がります。この際のケーシングに使う家畜動物の種類によって名称が変わるのです。羊の腸に肉を詰めるとウインナー、豚の腸だとフランクフルト、そして牛の腸であればボロニアと呼ばれます。また、これらの天然ケーシングの他に、コラーゲンなどを加工して作る人工ケーシングがあります。その場合は、完成した製品の直径によって名称が変わり、20ミリメートル未満がウインナー、20ミリメートル以上36ミリメートル未満がフランクフルト、36ミリメートル以上がボロニアと呼ばれます。 鶏肉編 豆知識 1 「ブロイラー」という品種はない 日本で流通している鶏肉は、大きく「ブロイラー」「地鶏」「銘柄鶏」の3つに分けられます。ブロイラーとは、通常の鶏より短期間で大きく育つように改良された若鶏の総称で、品種ではありません。1940年代にアメリカで本格的に生産が始まりました。アメリカでは食用の鶏を丸焼き(broil)にすることが多かったことからブロイラーと名付けられたそうです。また、地鶏は日本農林規格(JAS)によって定められている鶏のことをいいます。銘柄鶏は、地鶏のような規格はありませんが、一般に飼料や育つ環境などに工夫を加えて飼育された鶏のことです。 豆知識 2 「地鶏」は規格で条件が決められている 地鶏には、日本農林規格(JAS)によって定められた次のような条件があります。 1.ひな鶏は在来種由来の血液が50パーセント以上のもので、出生の証明ができているものを使用している。(注)在来種とは、明治時代までに日本に導入され定着した品種。烏骨鶏、コーチン、軍鶏など38種 2.ふ化日から75日以上飼育している。 3.28日齢以降、平飼い(鶏が自由に地面を歩き回れる環境での飼育)をしている。 4.28日齢以降、1平方メートルあたり10羽以下で飼育している。 このような地鶏には、鶏本来のうま味とコクがあり、適度な噛みごたえが特徴で、高級食材として重宝されています。 豆知識 3 疲労回復には「鶏むね肉」が効果的! 鶏むね肉には疲労回復を促す成分が豊富に含まれています。正式にはイミダゾールジペプチドといって、ヒトや動物の筋肉に存在します。イミダゾールジペプチドには抗酸化作用があり、細胞の機能低下を防ぐことで疲労回復を促進。この成分は、長時間翼を動かし続ける渡り鳥の筋肉に多く含まれているといわれています。筋力トレーニングをする人はよく鶏むね肉を食べていますが、疲労回復の面からも理にかなった食事といえるでしょう。
ブロイラーと地鶏の違いについて180字以内で説明して下さい。
ブロイラーは、1940年代にアメリカで本格的に生産が始まった短期間で大きく育つように改良された若鶏の総称で品種ではない。アメリカでは食用の鶏を丸焼き(broil)にすることが多かったため、ブロイラーと名付けられた。地鶏は日本農林規格(JAS)によって定められた条件を満たす鶏のことで、特徴は鶏本来のうま味とコクがあり、適度な噛みごたえがある高級食材です。
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国語
「その短刀を抜いてみよ。」 と皇帝は言われました。刀は塩水で少し錆びてはいましたが、まだよく光ります。スラリと抜き放つと、兵士どもは、あッと叫んで、みんな驚き恐れました。振りかざしてみせたら、太陽の反射で、刀がピカピカ光り、兵士はみんな目がくらんでしまったのです。が、皇帝はそれほど驚かれませんでした。それをもう一度、鞘におさめて、鎖の端から六フィートほどの地上に、なるべく静かに置け、と私に命令されました。 次に皇帝は、鉄の筒を見せよと言われました。鉄の筒というのは、私のピストルのことです。私はそれを取り出して、その使い方を説明しました。そのピストルに火薬を詰めて、 「今から使って見せますが、どうか驚かないでください。」 と皇帝に注意しておいて、ドンと一発、空に向かって打ちました。 今度の驚きは、短刀どころの騒ぎではありません。三百人もの男や二百人の女が打ち殺されたように、ひっくりかえりました。唯一、一人だけ、皇帝はさすがに倒れなかったものの、眼をパチパチされています。私は短刀と同じように、このピストルを引き渡しました。それから、火薬と弾丸の入った革袋も渡しました。そして、 「この火薬は火花が一つ飛んでも、宮殿も何もかも吹き飛ばしてしまいますから、どうか火に近づけないでください。」 と注意しておきました。 それから、懐中時計を渡しました。皇帝はこの時計を非常に珍しがり、一番背の高い二人の兵士に、それを棒にかけて、かつがせました。絶えず時計がチクタク音を立てるのと、時計の長針が動いているのを見て、皇帝は大変驚きました。この国の人たちは、私たちより目がいいので、分針の動いているのまで見分けがつくのです。一たいこれは何だろう、と皇帝は学者たちにお尋ねになりましたが、学者たちの答えはまちまちで、とんでもない見当違いもありました。 次に私は財布の中から銀貨四枚と銅貨六枚を取り出し、それから櫛や嗅ぎタバコ入れ、ハンカチ、旅行案内などを、全部渡しました。短刀とピストルと革袋は荷車に積んで、皇帝の倉へ運ばれましたが、そのほかの品物は私に返してくれました。私は身体検査のとき、見せなかったポケットがあります。その中には眼鏡が一つ、望遠鏡が二つ、そのほか三つほどの品物が入っていました。これは失くされたり壊されると大変だから、わざわざ見せなくてもよかろうと思ったのです。
私が財布の中から取り出したものでより少なかったものを教えてください。
私が財布の中から取り出したものでより少なかったものは銀貨で四枚です。
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牛、豚、鶏の部位を徹底解説! お肉丸わかり図鑑 同じ牛、豚、鶏でも部位によって肉質や味、適した調理方法はさまざま。部位名は知っているけれど、その違いは分からないという方も多いのでは?今回は「食肉小売品質基準」や「食鶏小売規格」によって定められている各肉の部位をイラストで紹介。また、それらには分類されていない少しマニアックな部位も解説します。 ちょっと贅沢 牛肉の部位 牛肉は「食肉小売品質基準」によって、イラストにある部位が定められています。サシ(霜降り)が入り柔らかくて濃厚な味わいの部位から、肉本来のうま味を感じられるさっぱりとした味の部位まで、牛肉は部位ごとの特徴が明確です。それぞれの特徴を活かした調理をすることで、よりおいしく食べられます。 ステーキで食べたい!牛肉のマニアックな部位 イチボ お尻から腰にかけての肉の中でも、臀部(でんぶ)にあたる柔らかい部分がイチボです。イチボは部分によって肉質が異なります。サーロイン側は霜降りが多く甘みがあり柔らかいので、焼肉として人気。外もも側は筋肉質で硬めですが、赤身と霜降りのバランスが良いので噛むほどにうま味が感じられます。焼肉の他に、ソテーやシチューなどの煮込み料理にも適しています。 ミスジ 肩甲骨の内側に位置するかた肉の一部で、牛一頭から3キログラムほどしか取れない希少部位です。肩周りはよく動かす筋肉のため、硬い肉質になりがちですが、ミスジだけはあまり動かないので、霜降りが入り柔らかい肉質になります。脂の口溶けがよく、独特の食感と風味が味わえます。上質な赤身と細やかな霜降りで幅広い用途に適していますが、肉のうま味と甘味をあっさりいただけるのでステーキで食べるのがおすすめ。ソースは醤油ベースがベストマッチです。ただし、ミスジは水分量が少なく、加熱しすぎるとパサパサになってしまうので注意しましょう。 シャトーブリアン 最高の肉質を誇るヒレ肉の中でも、中心部分に位置する希少部位がシャトーブリアンです。牛一頭から600グラムほどしか取れないため、幻の部位といわれています。牛の筋肉のなかでも、ほとんど動かされることがないので、赤身にもかかわらず非常に柔らかい肉質です。分厚くカットしても硬くならず、ステーキでミディアムレアに仕上げるとその特徴を最大限に活かして味わえます。家で調理する場合は、ホットプレートなどを使い低温でじっくり焼くのがコツ。 食卓の味方! 豚肉の部位 豚肉は「食肉小売品質基準」によって、イラストにある部位が定められています。豚肉は肉として出荷される月齢が牛肉より若く、脂肪分の多いばら肉を除き、肉質は比較的均一です。どの部位もさまざまな調理法に適しているので、食卓には欠かせない肉となっています。 うま味がたっぷり豚肉のマニアック部位 コメカミ 豚の頭部をカシラといいますが、その中でも目の横あたりの部位をコメカミといいます。豚がエサを食べる時に使うため、運動量が多く良質な筋肉です。筋張った印象はなくモチモチとした弾力がありながら柔らかい肉質になります。また、脂肪は少ないですがコラーゲンをたっぷり含んでいるためとてもジューシーでうま味を強く感じられます。焼き鳥店で串料理として出されることが多いですが、炒め物や煮込み料理としてもおいしく食べられます。 スペアリブ ばら肉の中でも、骨付きの部分はスペアリブといわれます。赤身と脂肪が交互に重なり層になっていて、濃厚でコクのある味わいが特徴です。骨周辺の肉には特にうま味が詰まっています。骨から出汁が出るので、煮込み料理にもおすすめ。たれで味付けをする場合は、半日以上漬け込むとしっかりと味が染み込みます。 豚足 文字どおり豚の足です。肉の部分は少なく、大半が皮と軟骨で構成されている部位です。脂肪が少なく、コラーゲンがたっぷり含まれています。中国や韓国でも一般的に食べられ、沖縄県では「テビチ」(豚足を煮つけにした料理)として有名です。下ごしらえのポイントは、薬味や料理酒と一緒に煮込むこと。臭みが取れておいしく調理できます。 高たんぱく低カロリー! 鶏肉の部位 鶏肉は「食鶏小売規格」によって、イラストにある部位が定められています。牛肉や豚肉に比べると淡白な味わいの部位が多くあり、皮を除けば、比較的高たんぱくで低脂肪、低カロリーです。どの部位も基本的にはどんな調理法にも合うので便利な食材です。 焼き鳥では定番 !? 鶏肉のマニアックな部位 せせり 鶏の首にあたる部位で、一羽から少量しか取れない希少部位であることから小肉とも呼ばれます。鶏は常に首を動かしているので、その肉質は引き締まっておりプリプリとした歯応えが特徴です。非常にうま味が濃く、コラーゲンも多く含みます。炒め物をはじめ、鶏料理全般に使える便利な部位でもあります。 ぼんじり 尻尾の付け根の部位で、鶏肉の中で最も脂がのっているといわれます。よく動かす部分なので、ジューシーですが身が締まっていて、噛めば噛むほどうま味を感じられ食べ応えが抜群。焼き鳥で食べるのが一般的ですが、あっさりとした味付けの炒め物にもよく合います。下ごしらえの際は、脂を溜め込んでいる油壺というクリーム色の部位を切り落としましょう。臭みがあるので調理の際は工夫が必要です。 ふりそで 手羽の中でも根元の部分でむね肉と手羽もとの中間に位置しています。スーパーでは「鶏肩肉」として売られています。手羽やもも肉より脂は少なくあっさりしていますが、むね肉よりはジューシーで、肉汁たっぷりの上品な味わいが特徴。もも肉とむね肉のいいとこ取りをしているので、鶏料理全般に使用できる万能な部位です。
牛肉と豚肉の肉質の違いについて150字以内で説明して下さい。
牛肉はサシが入り柔らかく濃厚な味わいの部位から、さっぱりとした味の部位まで、部位ごとの特徴が明確です。それぞれの特徴を活かした調理をすることで、よりおいしく食べられます。 豚肉は出荷される月齢が牛肉より若く、脂肪分の多いばら肉を除き、肉質は比較的均一です。どの部位もさまざまな調理法に適しています。
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ある日、私は王の御機嫌をとるつもりで、こんなことを申し上げました。 「実は私は素晴しいことを知っているのです。というのは、今から三百年前、遅くても四百年前に、火薬という粉が発明されましたが、その製造法を私はよく知っているからです。まず、この粉というのは、それを集めておいて、これに、ほんのちょっぴりでも火をつけてやると、たとえ山ほど積んである物でも、たちまち火になり、雷よりももっと大きな音を立てて、何もかも空へ高く吹き飛ばしてしまいます。 で、もし、この粉を真鍮か鉄の筒にうまく詰めてやると、それは恐ろしい力と速さで遠くへ飛ばすことができるのです。こういうふうにして、大きな大砲を打ち出すと、一度に百人の騎兵を全滅させることも、千人の歩兵を全滅させることもできます。 大砲の威力はすさまじく、鉄壁を破ったり、十隻の小さな船や一隻の大きな船さえ沈めてしまうこともできます。また、この粉を大きな鉄の球に詰めて、機械仕掛けで敵に向かって放つと、舗道は砕け、家は崩れ、かけらは八方に飛び散って、そのそばに近づくものは、誰でも脳味噌を叩き出されます。 私はこの粉を、どういうふうにして作ったらいいか、よく心得ているのです。で、職人たちを指図して、この国で使えるぐらいの大きさに、それを作らせることもできます。一番大きいので長さ百フィートあればいいでしょうが、こうした奴を三十本打ち出すと、この国の一番丈夫な城壁でも、三時間で打ち壊せます。もし首都が陛下の命令に背くような場合は、この粉で首都を全滅させることだってできます。とにかく、私は陛下の御恩に報いたいと思っているので、こんなことを申し上げる次第です。」 私がこんなことを申し上げると、国王はすっかり、仰天してしまったようです。そして呆れ返った顔つきで、こう仰せになりました。 「よくもよくもお前のような、ちっぽけな、虫けらのような動物が、そんな鬼、畜生にも等しい考えを抱くものだ。それに、そんなむごたらしい有様を見ても、お前はまるで平気でなんともない顔をしていられるのか。お前はその人殺し機械をさも自慢げに話すが、そんな機械の発明こそは、人類の敵か、悪魔の仲間のやることにちがいない。そんな、けがらわしい奴の秘密は、たとえこの王国の半分をなくしても、余は知りたくないのだ。だから、お前も、もし生命が惜しければ、二度ともうそんなことを申すな。」 王御自身は、科学に興味を持たれ、自然に関する発見など非常に喜ばれたのですが、このことばかりは、頑として許されないのでした。
大砲の威力によって沈めてしまう小さな船と大きな船のうち、数が多いほうを教えてください。
大砲の威力によって沈めてしまう小さな船と大きな船のうち、数が多いのは小さな船で十隻です。
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牛、豚、鶏の部位を徹底解説! お肉丸わかり図鑑 同じ牛、豚、鶏でも部位によって肉質や味、適した調理方法はさまざま。部位名は知っているけれど、その違いは分からないという方も多いのでは?今回は「食肉小売品質基準」や「食鶏小売規格」によって定められている各肉の部位をイラストで紹介。また、それらには分類されていない少しマニアックな部位も解説します。 ちょっと贅沢 牛肉の部位 牛肉は「食肉小売品質基準」によって、イラストにある部位が定められています。サシ(霜降り)が入り柔らかくて濃厚な味わいの部位から、肉本来のうま味を感じられるさっぱりとした味の部位まで、牛肉は部位ごとの特徴が明確です。それぞれの特徴を活かした調理をすることで、よりおいしく食べられます。 ステーキで食べたい!牛肉のマニアックな部位 イチボ お尻から腰にかけての肉の中でも、臀部(でんぶ)にあたる柔らかい部分がイチボです。イチボは部分によって肉質が異なります。サーロイン側は霜降りが多く甘みがあり柔らかいので、焼肉として人気。外もも側は筋肉質で硬めですが、赤身と霜降りのバランスが良いので噛むほどにうま味が感じられます。焼肉の他に、ソテーやシチューなどの煮込み料理にも適しています。 ミスジ 肩甲骨の内側に位置するかた肉の一部で、牛一頭から3キログラムほどしか取れない希少部位です。肩周りはよく動かす筋肉のため、硬い肉質になりがちですが、ミスジだけはあまり動かないので、霜降りが入り柔らかい肉質になります。脂の口溶けがよく、独特の食感と風味が味わえます。上質な赤身と細やかな霜降りで幅広い用途に適していますが、肉のうま味と甘味をあっさりいただけるのでステーキで食べるのがおすすめ。ソースは醤油ベースがベストマッチです。ただし、ミスジは水分量が少なく、加熱しすぎるとパサパサになってしまうので注意しましょう。 シャトーブリアン 最高の肉質を誇るヒレ肉の中でも、中心部分に位置する希少部位がシャトーブリアンです。牛一頭から600グラムほどしか取れないため、幻の部位といわれています。牛の筋肉のなかでも、ほとんど動かされることがないので、赤身にもかかわらず非常に柔らかい肉質です。分厚くカットしても硬くならず、ステーキでミディアムレアに仕上げるとその特徴を最大限に活かして味わえます。家で調理する場合は、ホットプレートなどを使い低温でじっくり焼くのがコツ。 食卓の味方! 豚肉の部位 豚肉は「食肉小売品質基準」によって、イラストにある部位が定められています。豚肉は肉として出荷される月齢が牛肉より若く、脂肪分の多いばら肉を除き、肉質は比較的均一です。どの部位もさまざまな調理法に適しているので、食卓には欠かせない肉となっています。 うま味がたっぷり豚肉のマニアック部位 コメカミ 豚の頭部をカシラといいますが、その中でも目の横あたりの部位をコメカミといいます。豚がエサを食べる時に使うため、運動量が多く良質な筋肉です。筋張った印象はなくモチモチとした弾力がありながら柔らかい肉質になります。また、脂肪は少ないですがコラーゲンをたっぷり含んでいるためとてもジューシーでうま味を強く感じられます。焼き鳥店で串料理として出されることが多いですが、炒め物や煮込み料理としてもおいしく食べられます。 スペアリブ ばら肉の中でも、骨付きの部分はスペアリブといわれます。赤身と脂肪が交互に重なり層になっていて、濃厚でコクのある味わいが特徴です。骨周辺の肉には特にうま味が詰まっています。骨から出汁が出るので、煮込み料理にもおすすめ。たれで味付けをする場合は、半日以上漬け込むとしっかりと味が染み込みます。 豚足 文字どおり豚の足です。肉の部分は少なく、大半が皮と軟骨で構成されている部位です。脂肪が少なく、コラーゲンがたっぷり含まれています。中国や韓国でも一般的に食べられ、沖縄県では「テビチ」(豚足を煮つけにした料理)として有名です。下ごしらえのポイントは、薬味や料理酒と一緒に煮込むこと。臭みが取れておいしく調理できます。 高たんぱく低カロリー! 鶏肉の部位 鶏肉は「食鶏小売規格」によって、イラストにある部位が定められています。牛肉や豚肉に比べると淡白な味わいの部位が多くあり、皮を除けば、比較的高たんぱくで低脂肪、低カロリーです。どの部位も基本的にはどんな調理法にも合うので便利な食材です。 焼き鳥では定番 !? 鶏肉のマニアックな部位 せせり 鶏の首にあたる部位で、一羽から少量しか取れない希少部位であることから小肉とも呼ばれます。鶏は常に首を動かしているので、その肉質は引き締まっておりプリプリとした歯応えが特徴です。非常にうま味が濃く、コラーゲンも多く含みます。炒め物をはじめ、鶏料理全般に使える便利な部位でもあります。 ぼんじり 尻尾の付け根の部位で、鶏肉の中で最も脂がのっているといわれます。よく動かす部分なので、ジューシーですが身が締まっていて、噛めば噛むほどうま味を感じられ食べ応えが抜群。焼き鳥で食べるのが一般的ですが、あっさりとした味付けの炒め物にもよく合います。下ごしらえの際は、脂を溜め込んでいる油壺というクリーム色の部位を切り落としましょう。臭みがあるので調理の際は工夫が必要です。 ふりそで 手羽の中でも根元の部分でむね肉と手羽もとの中間に位置しています。スーパーでは「鶏肩肉」として売られています。手羽やもも肉より脂は少なくあっさりしていますが、むね肉よりはジューシーで、肉汁たっぷりの上品な味わいが特徴。もも肉とむね肉のいいとこ取りをしているので、鶏料理全般に使用できる万能な部位です。
イチボとミスジのそれぞれ適した料理の違いについて説明して下さい。
イチボは柔らかく、部分によって肉質が異なります。サーロイン側は霜降りが多く甘みがあり柔らかいので、焼肉に。外もも側は筋肉質で硬めですが、赤身と霜降りのバランスが良いので噛むほどにうま味が感じられる焼肉の他に、ソテーやシチューなどの煮込み料理にも適しています。 ミスジはあまり動かない霜が入った柔らかい肉質になります。脂の口溶けがよく、独特の食感と風味の上質な赤身と細やかな霜降りで幅広い用途に適します。醤油ベースのソースでステーキで食べるのがおすすめ。ただし、ミスジは水分量が少なく、加熱しすぎるとパサパサになるので注意。
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国語
私はつづいて、政治の発明家たちを訪ねましたが、この教室では、あまり愉快な気持にはされなかったのです。 この教室で、一人の医者がこんなことを言っていました。一たい、大臣などというものは、どうも物忘れがひどくて困るとは、誰もが言う苦情ですが、これを防ぐには、次のようにすればいいというのです。つまり、大臣に面会したときには、できるだけ、わかりやすい言葉で用件を伝えておいて、別れぎわに、一つ、大臣の鼻を一回つまむとか、腹を二回蹴るとか、腕を三回つねるとか、なんとかして、約束したことは忘れないようにさせるのです。そしてその後も、面会するたびに同じことを繰り返し、約束したことは実行してもらうようにするのです。 また、この医者は、政党の争いをうまく停める方法を発明していました。 それは、まず両方の政党から六十人の男性議員と四十人の女性議員、合計で百人の議員を選んできて、これを二人ずつ、頭の大きさの似たもの同士の組にしておきます。それから、それぞれ両方の頭をのこぎりでひいて、二つに分けます。こうして切り取った半分の頭を、それぞれ取り換えっこして、反対派の頭にくっつけるのです。 私は、二人の教授がしきりに議論しているのを聞きました。どうしたら、人民を苦しめないで、税金を集めることができるかという議論でした。 一人の教授の意見では、悪徳や愚行に税金をかけるのがいい、というものでした。ところが、もう一人の教授の意見では、人がその自惚れている長所に税金をかけたらいい、というのです。"
大臣の物忘れを防ぐために、大臣と面会して別れぎわに大臣にやることのうち、もっとも回数が少ないものを教えてください。
大臣の物忘れを防ぐために、大臣と面会して別れぎわに大臣にやることのうち、もっとも回数が少ないのは鼻をつまむで一回です。
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牛、豚、鶏の部位を徹底解説! お肉丸わかり図鑑 同じ牛、豚、鶏でも部位によって肉質や味、適した調理方法はさまざま。部位名は知っているけれど、その違いは分からないという方も多いのでは?今回は「食肉小売品質基準」や「食鶏小売規格」によって定められている各肉の部位をイラストで紹介。また、それらには分類されていない少しマニアックな部位も解説します。 ちょっと贅沢 牛肉の部位 牛肉は「食肉小売品質基準」によって、イラストにある部位が定められています。サシ(霜降り)が入り柔らかくて濃厚な味わいの部位から、肉本来のうま味を感じられるさっぱりとした味の部位まで、牛肉は部位ごとの特徴が明確です。それぞれの特徴を活かした調理をすることで、よりおいしく食べられます。 ステーキで食べたい!牛肉のマニアックな部位 イチボ お尻から腰にかけての肉の中でも、臀部(でんぶ)にあたる柔らかい部分がイチボです。イチボは部分によって肉質が異なります。サーロイン側は霜降りが多く甘みがあり柔らかいので、焼肉として人気。外もも側は筋肉質で硬めですが、赤身と霜降りのバランスが良いので噛むほどにうま味が感じられます。焼肉の他に、ソテーやシチューなどの煮込み料理にも適しています。 ミスジ 肩甲骨の内側に位置するかた肉の一部で、牛一頭から3キログラムほどしか取れない希少部位です。肩周りはよく動かす筋肉のため、硬い肉質になりがちですが、ミスジだけはあまり動かないので、霜降りが入り柔らかい肉質になります。脂の口溶けがよく、独特の食感と風味が味わえます。上質な赤身と細やかな霜降りで幅広い用途に適していますが、肉のうま味と甘味をあっさりいただけるのでステーキで食べるのがおすすめ。ソースは醤油ベースがベストマッチです。ただし、ミスジは水分量が少なく、加熱しすぎるとパサパサになってしまうので注意しましょう。 シャトーブリアン 最高の肉質を誇るヒレ肉の中でも、中心部分に位置する希少部位がシャトーブリアンです。牛一頭から600グラムほどしか取れないため、幻の部位といわれています。牛の筋肉のなかでも、ほとんど動かされることがないので、赤身にもかかわらず非常に柔らかい肉質です。分厚くカットしても硬くならず、ステーキでミディアムレアに仕上げるとその特徴を最大限に活かして味わえます。家で調理する場合は、ホットプレートなどを使い低温でじっくり焼くのがコツ。 食卓の味方! 豚肉の部位 豚肉は「食肉小売品質基準」によって、イラストにある部位が定められています。豚肉は肉として出荷される月齢が牛肉より若く、脂肪分の多いばら肉を除き、肉質は比較的均一です。どの部位もさまざまな調理法に適しているので、食卓には欠かせない肉となっています。 うま味がたっぷり豚肉のマニアック部位 コメカミ 豚の頭部をカシラといいますが、その中でも目の横あたりの部位をコメカミといいます。豚がエサを食べる時に使うため、運動量が多く良質な筋肉です。筋張った印象はなくモチモチとした弾力がありながら柔らかい肉質になります。また、脂肪は少ないですがコラーゲンをたっぷり含んでいるためとてもジューシーでうま味を強く感じられます。焼き鳥店で串料理として出されることが多いですが、炒め物や煮込み料理としてもおいしく食べられます。 スペアリブ ばら肉の中でも、骨付きの部分はスペアリブといわれます。赤身と脂肪が交互に重なり層になっていて、濃厚でコクのある味わいが特徴です。骨周辺の肉には特にうま味が詰まっています。骨から出汁が出るので、煮込み料理にもおすすめ。たれで味付けをする場合は、半日以上漬け込むとしっかりと味が染み込みます。 豚足 文字どおり豚の足です。肉の部分は少なく、大半が皮と軟骨で構成されている部位です。脂肪が少なく、コラーゲンがたっぷり含まれています。中国や韓国でも一般的に食べられ、沖縄県では「テビチ」(豚足を煮つけにした料理)として有名です。下ごしらえのポイントは、薬味や料理酒と一緒に煮込むこと。臭みが取れておいしく調理できます。 高たんぱく低カロリー! 鶏肉の部位 鶏肉は「食鶏小売規格」によって、イラストにある部位が定められています。牛肉や豚肉に比べると淡白な味わいの部位が多くあり、皮を除けば、比較的高たんぱくで低脂肪、低カロリーです。どの部位も基本的にはどんな調理法にも合うので便利な食材です。 焼き鳥では定番 !? 鶏肉のマニアックな部位 せせり 鶏の首にあたる部位で、一羽から少量しか取れない希少部位であることから小肉とも呼ばれます。鶏は常に首を動かしているので、その肉質は引き締まっておりプリプリとした歯応えが特徴です。非常にうま味が濃く、コラーゲンも多く含みます。炒め物をはじめ、鶏料理全般に使える便利な部位でもあります。 ぼんじり 尻尾の付け根の部位で、鶏肉の中で最も脂がのっているといわれます。よく動かす部分なので、ジューシーですが身が締まっていて、噛めば噛むほどうま味を感じられ食べ応えが抜群。焼き鳥で食べるのが一般的ですが、あっさりとした味付けの炒め物にもよく合います。下ごしらえの際は、脂を溜め込んでいる油壺というクリーム色の部位を切り落としましょう。臭みがあるので調理の際は工夫が必要です。 ふりそで 手羽の中でも根元の部分でむね肉と手羽もとの中間に位置しています。スーパーでは「鶏肩肉」として売られています。手羽やもも肉より脂は少なくあっさりしていますが、むね肉よりはジューシーで、肉汁たっぷりの上品な味わいが特徴。もも肉とむね肉のいいとこ取りをしているので、鶏料理全般に使用できる万能な部位です。
スペアリブと豚足の違いについて200字以内で説明してください。
骨付きのばら肉部分をスペアリブと呼び、赤身と脂肪が層になった濃厚な味わいが特徴。骨周辺の肉には特にうま味が詰まっていて、骨から出汁が出るので、煮込み料理に適する。たれで味付けする際は、半日以上漬け込むとしっかりと味が染み込む。 豚足は肉の部分が少なく、大半が皮と軟骨で、脂肪が少なく、コラーゲンがたっぷり含まれている。下準備のポイントは、薬味や料理酒と一緒に煮込むことで臭みが取れおいしく調理できる。
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国語
「その短刀を抜いてみよ。」 と皇帝は言われました。刀は塩水で少し錆びてはいましたが、まだよく光ります。スラリと抜き放つと、兵士どもは、あッと叫んで、みんな驚き恐れました。振りかざしてみせたら、太陽の反射で、刀がピカピカ光り、兵士はみんな目がくらんでしまったのです。が、皇帝はそれほど驚かれませんでした。それをもう一度、鞘におさめて、鎖の端から六フィートほどの地上に、なるべく静かに置け、と私に命令されました。 次に皇帝は、鉄の筒を見せよと言われました。鉄の筒というのは、私のピストルのことです。私はそれを取り出して、その使い方を説明しました。そのピストルに火薬を詰めて、 「今から使って見せますが、どうか驚かないでください。」 と皇帝に注意しておいて、ドンと一発、空に向かって打ちました。 今度の驚きは、短刀どころの騒ぎではありません。三百人もの男や二百人の女が打ち殺されたように、ひっくりかえりました。唯一、一人だけ、皇帝はさすがに倒れなかったものの、眼をパチパチされています。私は短刀と同じように、このピストルを引き渡しました。それから、火薬と弾丸の入った革袋も渡しました。そして、 「この火薬は火花が一つ飛んでも、宮殿も何もかも吹き飛ばしてしまいますから、どうか火に近づけないでください。」 と注意しておきました。 それから、懐中時計を渡しました。皇帝はこの時計を非常に珍しがり、一番背の高い二人の兵士に、それを棒にかけて、かつがせました。絶えず時計がチクタク音を立てるのと、時計の長針が動いているのを見て、皇帝は大変驚きました。この国の人たちは、私たちより目がいいので、分針の動いているのまで見分けがつくのです。一たいこれは何だろう、と皇帝は学者たちにお尋ねになりましたが、学者たちの答えはまちまちで、とんでもない見当違いもありました。 次に私は財布の中から銀貨四枚と銅貨六枚を取り出し、それから櫛や嗅ぎタバコ入れ、ハンカチ、旅行案内などを、全部渡しました。短刀とピストルと革袋は荷車に積んで、皇帝の倉へ運ばれましたが、そのほかの品物は私に返してくれました。私は身体検査のとき、見せなかったポケットがあります。その中には眼鏡が一つ、望遠鏡が二つ、そのほか三つほどの品物が入っていました。これは失くされたり壊されると大変だから、わざわざ見せなくてもよかろうと思ったのです。
私が見せなかったポケットの中でもっとも数が少ないものを教えてください。
私が見せなかったポケットの中でもっとも数が少ないものは眼鏡で一個です。
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牛、豚、鶏の部位を徹底解説! お肉丸わかり図鑑 同じ牛、豚、鶏でも部位によって肉質や味、適した調理方法はさまざま。部位名は知っているけれど、その違いは分からないという方も多いのでは?今回は「食肉小売品質基準」や「食鶏小売規格」によって定められている各肉の部位をイラストで紹介。また、それらには分類されていない少しマニアックな部位も解説します。 ちょっと贅沢 牛肉の部位 牛肉は「食肉小売品質基準」によって、イラストにある部位が定められています。サシ(霜降り)が入り柔らかくて濃厚な味わいの部位から、肉本来のうま味を感じられるさっぱりとした味の部位まで、牛肉は部位ごとの特徴が明確です。それぞれの特徴を活かした調理をすることで、よりおいしく食べられます。 ステーキで食べたい!牛肉のマニアックな部位 イチボ お尻から腰にかけての肉の中でも、臀部(でんぶ)にあたる柔らかい部分がイチボです。イチボは部分によって肉質が異なります。サーロイン側は霜降りが多く甘みがあり柔らかいので、焼肉として人気。外もも側は筋肉質で硬めですが、赤身と霜降りのバランスが良いので噛むほどにうま味が感じられます。焼肉の他に、ソテーやシチューなどの煮込み料理にも適しています。 ミスジ 肩甲骨の内側に位置するかた肉の一部で、牛一頭から3キログラムほどしか取れない希少部位です。肩周りはよく動かす筋肉のため、硬い肉質になりがちですが、ミスジだけはあまり動かないので、霜降りが入り柔らかい肉質になります。脂の口溶けがよく、独特の食感と風味が味わえます。上質な赤身と細やかな霜降りで幅広い用途に適していますが、肉のうま味と甘味をあっさりいただけるのでステーキで食べるのがおすすめ。ソースは醤油ベースがベストマッチです。ただし、ミスジは水分量が少なく、加熱しすぎるとパサパサになってしまうので注意しましょう。 シャトーブリアン 最高の肉質を誇るヒレ肉の中でも、中心部分に位置する希少部位がシャトーブリアンです。牛一頭から600グラムほどしか取れないため、幻の部位といわれています。牛の筋肉のなかでも、ほとんど動かされることがないので、赤身にもかかわらず非常に柔らかい肉質です。分厚くカットしても硬くならず、ステーキでミディアムレアに仕上げるとその特徴を最大限に活かして味わえます。家で調理する場合は、ホットプレートなどを使い低温でじっくり焼くのがコツ。 食卓の味方! 豚肉の部位 豚肉は「食肉小売品質基準」によって、イラストにある部位が定められています。豚肉は肉として出荷される月齢が牛肉より若く、脂肪分の多いばら肉を除き、肉質は比較的均一です。どの部位もさまざまな調理法に適しているので、食卓には欠かせない肉となっています。 うま味がたっぷり豚肉のマニアック部位 コメカミ 豚の頭部をカシラといいますが、その中でも目の横あたりの部位をコメカミといいます。豚がエサを食べる時に使うため、運動量が多く良質な筋肉です。筋張った印象はなくモチモチとした弾力がありながら柔らかい肉質になります。また、脂肪は少ないですがコラーゲンをたっぷり含んでいるためとてもジューシーでうま味を強く感じられます。焼き鳥店で串料理として出されることが多いですが、炒め物や煮込み料理としてもおいしく食べられます。 スペアリブ ばら肉の中でも、骨付きの部分はスペアリブといわれます。赤身と脂肪が交互に重なり層になっていて、濃厚でコクのある味わいが特徴です。骨周辺の肉には特にうま味が詰まっています。骨から出汁が出るので、煮込み料理にもおすすめ。たれで味付けをする場合は、半日以上漬け込むとしっかりと味が染み込みます。 豚足 文字どおり豚の足です。肉の部分は少なく、大半が皮と軟骨で構成されている部位です。脂肪が少なく、コラーゲンがたっぷり含まれています。中国や韓国でも一般的に食べられ、沖縄県では「テビチ」(豚足を煮つけにした料理)として有名です。下ごしらえのポイントは、薬味や料理酒と一緒に煮込むこと。臭みが取れておいしく調理できます。 高たんぱく低カロリー! 鶏肉の部位 鶏肉は「食鶏小売規格」によって、イラストにある部位が定められています。牛肉や豚肉に比べると淡白な味わいの部位が多くあり、皮を除けば、比較的高たんぱくで低脂肪、低カロリーです。どの部位も基本的にはどんな調理法にも合うので便利な食材です。 焼き鳥では定番 !? 鶏肉のマニアックな部位 せせり 鶏の首にあたる部位で、一羽から少量しか取れない希少部位であることから小肉とも呼ばれます。鶏は常に首を動かしているので、その肉質は引き締まっておりプリプリとした歯応えが特徴です。非常にうま味が濃く、コラーゲンも多く含みます。炒め物をはじめ、鶏料理全般に使える便利な部位でもあります。 ぼんじり 尻尾の付け根の部位で、鶏肉の中で最も脂がのっているといわれます。よく動かす部分なので、ジューシーですが身が締まっていて、噛めば噛むほどうま味を感じられ食べ応えが抜群。焼き鳥で食べるのが一般的ですが、あっさりとした味付けの炒め物にもよく合います。下ごしらえの際は、脂を溜め込んでいる油壺というクリーム色の部位を切り落としましょう。臭みがあるので調理の際は工夫が必要です。 ふりそで 手羽の中でも根元の部分でむね肉と手羽もとの中間に位置しています。スーパーでは「鶏肩肉」として売られています。手羽やもも肉より脂は少なくあっさりしていますが、むね肉よりはジューシーで、肉汁たっぷりの上品な味わいが特徴。もも肉とむね肉のいいとこ取りをしているので、鶏料理全般に使用できる万能な部位です。
せせりとふりそでの違いについて200字以内で説明して下さい。
せせりは鶏の首にあたる希少部位です。鶏は常に首を動かしているので、引き締まってたプリプリとした歯応えが特徴。非常にうま味が濃く、コラーゲンも多く含む。炒め物や鶏料理全般に適した万能な部位。 ふりそでは手羽の中でも根元の部分でむね肉と手羽もとの中間に位置している。手羽やもも肉より脂は少なく、むね肉よりは肉汁たっぷりの上品な味わい。もも肉とむね肉のいいとこ取りをしているので、鶏料理全般に使用できる。
JCRRAG_014627
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ある日、私は王の御機嫌をとるつもりで、こんなことを申し上げました。 「実は私は素晴しいことを知っているのです。というのは、今から三百年前、遅くても四百年前に、火薬という粉が発明されましたが、その製造法を私はよく知っているからです。まず、この粉というのは、それを集めておいて、これに、ほんのちょっぴりでも火をつけてやると、たとえ山ほど積んである物でも、たちまち火になり、雷よりももっと大きな音を立てて、何もかも空へ高く吹き飛ばしてしまいます。 で、もし、この粉を真鍮か鉄の筒にうまく詰めてやると、それは恐ろしい力と速さで遠くへ飛ばすことができるのです。こういうふうにして、大きな大砲を打ち出すと、一度に百人の騎兵を全滅させることも、千人の歩兵を全滅させることもできます。 大砲の威力はすさまじく、鉄壁を破ったり、十隻の小さな船や一隻の大きな船さえ沈めてしまうこともできます。また、この粉を大きな鉄の球に詰めて、機械仕掛けで敵に向かって放つと、舗道は砕け、家は崩れ、かけらは八方に飛び散って、そのそばに近づくものは、誰でも脳味噌を叩き出されます。 私はこの粉を、どういうふうにして作ったらいいか、よく心得ているのです。で、職人たちを指図して、この国で使えるぐらいの大きさに、それを作らせることもできます。一番大きいので長さ百フィートあればいいでしょうが、こうした奴を三十本打ち出すと、この国の一番丈夫な城壁でも、三時間で打ち壊せます。もし首都が陛下の命令に背くような場合は、この粉で首都を全滅させることだってできます。とにかく、私は陛下の御恩に報いたいと思っているので、こんなことを申し上げる次第です。」 私がこんなことを申し上げると、国王はすっかり、仰天してしまったようです。そして呆れ返った顔つきで、こう仰せになりました。 「よくもよくもお前のような、ちっぽけな、虫けらのような動物が、そんな鬼、畜生にも等しい考えを抱くものだ。それに、そんなむごたらしい有様を見ても、お前はまるで平気でなんともない顔をしていられるのか。お前はその人殺し機械をさも自慢げに話すが、そんな機械の発明こそは、人類の敵か、悪魔の仲間のやることにちがいない。そんな、けがらわしい奴の秘密は、たとえこの王国の半分をなくしても、余は知りたくないのだ。だから、お前も、もし生命が惜しければ、二度ともうそんなことを申すな。」 王御自身は、科学に興味を持たれ、自然に関する発見など非常に喜ばれたのですが、このことばかりは、頑として許されないのでした。
大砲の威力によって沈めてしまう小さな船と大きな船のうち、数が少ないほうを教えてください。
大砲の威力によって沈めてしまう小さな船と大きな船のうち、数が少ないほうは大きな船で一隻です。
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おいしいハム & ソーセージは こうして製造されている! 食卓に並ぶことも多いハムやソーセージなどの「食肉加工品」。 これらはどのように製造されているのでしょうか?今回は岐阜県で食肉加工品を製造販売する(株)オーガニックフーズの取り組みや技術を紹介します。 オーガニックフーズ社に聞く、ハム&ソーセージづくりへの想い 1986 年に岐阜県瑞浪市の自然豊かな森の中にあるハム工房としてスタートした(株)オーガニックフーズ。厳選された国産の豚を原料に、豚肉本来の自然なうま味を活かすため、塩や黒糖、スパイスなどでシンプルに仕上げているのが特徴です。材料や製法にこだわり、すべて手づくりだからこそ引き出せる同社ならではのハムやソーセージにはファンも多く、今ではネット通販や瑞浪市のふるさと納税返礼品として全国へその味を届けています。 試行錯誤から生まれるこだわりの味 さまざまな種類のハムやソーセージを製造する中で、“ブラートヴルスト”というソーセージを商品化した(株)オーガニックフーズ。直訳すると“焼きソーセージ”といい、燻製していない白いソーセージを製造、販売しています。「1988年から3年間、ドイツのハンブルクでハムやソーセージの製造を学ぶ修業をしました。修業中、製造技術のノウハウを教えてくれたドイツ人の親方が作るブラートヴルストがとてもおいしく、日本へ帰ってきてから“ドイツで食べたあの味を再現したい”と試行錯誤しながら何度もその商品化に挑戦。多くの失敗を経験しましたが、こだわりのハムやソーセージを作るためにはこの経験が欠かせませんでした」と、商品開発のエピソードを社員の方は教えてくれました。また、豚肉本来の味を最大限に引き立たせるため、自家調合したスパイスを使用するなど、手づくり、無添加にもこだわっています。「ハムはじっくり寝かせることでうま味を引き出し、ソーセージは醤油やみりんなど日本の発酵調味料を使うことで肉本来のおいしさを活かしています」 おいしさを追求した「加工技術」 原料調達から製造、販売まで一貫して行う同社では、よりおいしい食肉加工品を作るため、日々加工技術の向上に努めています。中でもこだわっているのが、エマルジョン(乳化)と熟成の技術です。「エマルジョンとは、ドイツ製の高速カッターを使用したカッティング段階で、赤身と脂身、スパイス、冷却用の氷を使って、ソーセージの生地を作る技術です。豚肉をエマルジョン状態にすることで、乳化剤や結着補強剤を使わなくても、分離しないソーセージに仕上げることができます。肉質の微妙な違いに応じて、温度や配合を調整することもおいしいソーセージを作るために重要です」と話す社員の方。また、じっくり時間をかけて行う熟成技術も大切だと言います。「豚肉は熟成させることでたんぱく質が分解されて豚肉本来のうま味が出てきます。ハムやベーコンはうま味調味料などを使って味をつけることはできますが、時間をかけて熟成させることで、素材が持つ香りやうま味を引き出します」。加工技術を研究し、努力を重ねることが、消費者に「おいしい!」と愛される商品を生み出す秘けつのようです。 やさしい味わいを届ける「これからの食肉加工品」 「“子どもや孫、家族に安心なハム、ソーセージを食べさせたい”という創業者の想いから、添加物を使わない食肉加工品の製造がスタートしました。ハムやソーセージは食卓のメインではありませんが、欠かせない食材として定着してきたことで、よりおいしい食肉加工品を安心して味わっていただきたいという想いが強まっています。賞味期間は発送日から10日前後と一般的な商品より短いですが、これも本物の自然なお肉の味わいを楽しんでもらうためです。無添加にこだわり、味も品質もさらに高められるよう日々取り組んでいきます」と食肉加工品への熱い想いを語っていました。こういった気持ちから生まれた手づくりの食肉加工品。世界的にもオーガニック食材は注目され、需要が増えてきています。今後、オーガニック認証の取得も視野に入れている同社は、これからもこだわりのハムやソーセージ達を全国に届けていきます。 100 パーセント手作り! ソーセージの製造工程を見てみよう! オーガニックフーズ社は原料肉のおいしさを活かすため、保存料、発色剤、結着剤を使用せず、手づくりで製造しています。ここからは原料肉のカットからソーセージができるまでの主な製造工程を紹介します。 整 形、カット、ミンチ 鮮度と肉質を保つため温度管理に注意しながら素早く肉をカットします。次にカットした肉をミンチにしますが、その肉温が上がらないようにすることで、ボソボソしないソーセージに。 生地の練り込み 高速回転で素早くカッティングする機械にミンチ肉を入れます。赤身と脂身を別々に入れて練り込むことで、出来上がりの食感が良くなります。 腸詰め パリッとした食感が特徴の天然羊腸を使用します。空気が入らないように8割程度詰めて、手びねりでソーセージの形を整えます。 乾燥、燻製、ボイル スモークハウスの中に入れて乾燥させます。乾燥後は桜のチップを使用して燻製スタート。勢いよく煙が吹き出します。その後、スチームボイルで加熱します。 カット、冷却、真空パック 燻製後のおいしそうに色付いたソーセージをカット、一晩冷却します。真空パック詰めし、最終チェックしたソーセージを商品として出荷します。 注目の商品を紹介! オーガニックフーズ社が選んだ3つのおすすめの商品を紹介します。 ふわっと広がる自然のうま味「ロースハム」 野菜やスパイスを煮出してひと晩寝かせて作ったピックル液(燻製液)に、きめ細やかで柔らかいロース肉を14日から20日間じっくり漬け込みます。こうすることで本来のうま味を逃すことなく、しっとりとした食感のロースハムが完成。噛めば噛むほどやさしい味わいが楽しめます。 桜のチップで燻した「生ベーコン」 赤身と脂身が層になったばら肉に、塩、黒砂糖、スパイスを直接擦り込み、10日から14日間かけて熟成させます。桜のチップで燻し、あえて加熱加工をせず生で仕上げています。調理の際は、油をひかずに焼くのがポイント。ベーコン本来の味を堪能できます。 ゴーダチーズを練り込んだ「チーズソーセージ」 オランダ産のゴーダチーズの塊を砕きながら生地にたっぷりと練り込んでいます。とろけるチーズとソーセージのうま味がぎゅっと凝縮されていて、焼いてもボイルにしてもおいしく味わえます。ケチャップや粒マスタードとの相性も抜群です。
ハム & ソーセージに施される
加工技術は、ドイツ製の高速カッターを使用したカッティング段階で、赤身と脂身、スパイス、冷却用の氷を使って、ソーセージの生地を作る重要な技術で、肉質の違いに応じ、温度や配合を調整する。豚肉をエマルジョン(乳化)状態にすることで、乳化剤や結着補強剤を使わずに仕上げることができる。 熟成技術は、豚肉を熟成させることによるたんぱく質の分解が豚肉本来のうま味引き出します。ハムやベーコンはうま味調味料等を使った味つけはできるが、時間をかけて熟成させることで、素材が持つ香りやうま味を引き出す大切な技術。
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私はつづいて、政治の発明家たちを訪ねましたが、この教室では、あまり愉快な気持にはされなかったのです。 この教室で、一人の医者がこんなことを言っていました。一たい、大臣などというものは、どうも物忘れがひどくて困るとは、誰もが言う苦情ですが、これを防ぐには、次のようにすればいいというのです。つまり、大臣に面会したときには、できるだけ、わかりやすい言葉で用件を伝えておいて、別れぎわに、一つ、大臣の鼻を一回つまむとか、腹を二回蹴るとか、腕を三回つねるとか、なんとかして、約束したことは忘れないようにさせるのです。そしてその後も、面会するたびに同じことを繰り返し、約束したことは実行してもらうようにするのです。 また、この医者は、政党の争いをうまく停める方法を発明していました。 それは、まず両方の政党から六十人の男性議員と四十人の女性議員、合計で百人の議員を選んできて、これを二人ずつ、頭の大きさの似たもの同士の組にしておきます。それから、それぞれ両方の頭をのこぎりでひいて、二つに分けます。こうして切り取った半分の頭を、それぞれ取り換えっこして、反対派の頭にくっつけるのです。 私は、二人の教授がしきりに議論しているのを聞きました。どうしたら、人民を苦しめないで、税金を集めることができるかという議論でした。 一人の教授の意見では、悪徳や愚行に税金をかけるのがいい、というものでした。ところが、もう一人の教授の意見では、人がその自惚れている長所に税金をかけたらいい、というのです。"
政党の争いをうまく停める方法として両方の政党から百人の議員を選ぶうち、人数が多いほうの性別を教えてください。
政党の争いをうまく停める方法として両方の政党から百人の議員を選ぶうち、人数が多いほうの性別は男性議員で六十人です。
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新鮮な「活魚」をお届け! 新たな輸送システムに迫る 四方を海に囲まれ、豊かな水産物に恵まれた日本ですが、生きたままの新鮮な魚介が市場に出回ることは、それほど多くありません。そんな現状に変化をもたらすかもしれない輸送システムを、今回の特集では紹介します。 水産物輸送業界に新たな風を巻き起こす新技術 現在、魚は大きく分けて「活魚」「鮮魚」「冷凍魚」の 3 通りの方法で流通しています。今回はその中から生きたまま輸送する「活魚」の流通について紹介。料亭の生け簀などで泳いでいる魚を思い浮かべれば、わかりやすいかと思います。生きた魚を輸送することは非常に難しく、コストもかかってしまうため、これまで活魚での流通は多くありませんでしたが、そうした問題の解決に向けて開発されたのが「魚活ボックス」です。今回は「魚活ボックス」を開発した日建リース工業(株)関山さんにお話を伺いました。 日建リース工業(株) 代表取締役社長 関山 正勝さん 魚活ボックスが開発されたきっかけ もともと当社は建設工事の「軽量仮設資材」のレンタルを主な事業としており、水産業界には全く縁がありませんでした。ある時、創業時の社長が「ナノバブル水」という極小の気泡を充満させた水の開発に着手したのですが、なかなか収益につながらず、その技術をいかに活用するかを模索するうちにたどりついたのが「活魚の輸送」です。当社は農産物の輸送に用いるパレット(荷物を載せる荷役台)のレンタル事業も手掛けており、その経験が活かせるのではないかと考えたのも、水産物輸送に参入しようと思った理由の一つです。 魚活ボックスの技術について 魚活ボックスは、水槽内の海水に二酸化炭素を一定濃度溶け込ませて魚を低活性化(眠ったような状態)させることで、一度にたくさんの魚を生きたまま輸送できる仕組みになっています。魚を低活性化すると、代謝が軽減されてアンモニアなどの排出量が減少し、水槽内で魚のストレスや身の擦れを減らすことが可能です。そのため、従来の運搬に使用する水槽よりたくさんの魚を積載しても、ほとんど死なせることなく輸送することが可能となります。魚を低活性化させる仕組みは以前からわかっていたのですが、低活性化させた後、何もしなければ20分ほどで魚が死んでしまうことが問題で、なかなか輸送に活用できませんでした。そこで登場するのが、ナノバブル水の開発で蓄積していた技術です。極小の気泡を海水に溶け込ませることで水中の酸素濃度を上げると、魚の長時間生存が可能となることが数多くの実験から実証され、輸送に活用できるようになりました。従来の方法で活魚を輸送する時の大きな問題として、ドライバーの技術によって魚の生存率が下がってしまう問題点がありましたが、魚活ボックスを用いれば誰でも簡単に輸送できることも大きな強みです。専用のふたをすれば輸送しても水漏れすることはなく、また、ボックス内に酸素ボンベとセンサー、バッテリーを内蔵しているので、操作方法を覚えれば誰もが魚を生かしたまま輸送できるようになります。鉄道で輸送することも可能です。そのほか輸送する時は、魚活ボックスにカゴごと魚を入れるだけでよいため、従来のような発泡スチロールへの梱包が不要になり、荷積みや荷下ろしの作業が大幅に削減できます。さらに、魚活ボックスはフォークリフトで運べるため、ボックスの移動も容易です。 活魚を流通する魅力 魚活ボックスで流通できる魚 低活性化の状態から覚醒させる「基礎実験」に成功している魚種は、マダイやイサキ、カレイ、ヒラメなどです。もともと水中で活発に動くことのない魚種は低活性化が容易であり、今後同様の特性がある魚種の魚活ボックスでの流通が可能になるものはさらに増えていくと思います。現在課題となっているのはイワシやサバなどの回遊魚で、低活性化の実現は難航していますが、いずれは輸送ができるように研究を重ねたいと思っています。 現在流通できる魚種 ヒラメ、カレイ、マダイ、キハタ、アンコウ、カワハギ、ウマヅラハギ、スズキ、ハモ、アナゴ、マダコ、コブダイ、ワタリガニ、イサキ、メジナ、クエ、コチ、トラフグ、カサゴ、シマアジ、ウミヒゴイ、コショウダイ、ヘダイ、クロダイ、イシダイ、タカノハダイ、ニザダイ、メバル、キジハタ、タラ、トラウトサーモン(稚魚)、サザエ、アワビ、ホウボウ 現在検証中の魚種 ヤリイカ、サバ、キンメダイ 活魚輸送の可能性について これまで活魚輸送をするためには専用の活魚車が必要であったため、小口で輸送をしようとしてもコストがかかりすぎて実現するのが難しい現状がありました。しかし、魚活ボックスなら1 箱から輸送が可能で、これまでコストがかかり運べなかった少ない数の天然魚や希少魚を活魚で輸送することも可能となります。 現在伊豆諸島でキンメダイの活魚輸送の検証を行っており、これが成功すれば、東京などの都市部でキンメダイの活魚が食べられるようになるかもしれません。高級魚を活魚輸送できるようになれば、漁師さんの収益も向上し、小規模漁村の活性化にもつながっていくと思います。今後は当社が運営する東京や大阪の活魚センターを通じて、活魚の流通網「ライブチェーン」を構築し、消費者の皆様に新鮮な活魚を提供していければと考えています。 実際に魚活ボックスを導入している漁業者の声 宮城県漁業協同組合 七ヶ浜支所 課 長 菊池 生知さん 東日本大震災の影響で、魚の単価、数量共に著しく下落し、切迫した漁家経営が続いていました。そのような状況を打開するため、地元仲買人を経由せず漁業者自らが出荷作業をこなし、各中央卸売市場へ直送する県外出荷事業を始めていたのですが、その中で魚活ボックスの実証実験をすることとなりました。鮮魚中心であったマダラの活魚輸送を行ったところ非常に高評価をいただきました。その後主な漁獲物であるカレイ類を対象に実証実験し、東京の豊洲市場からも高評価を得 たため、2020年夏から本格的に導入を検討しています。現在主流の発泡スチロール箱での活魚出荷では、投入する海水の温度管理、ポンプの故障、配送時のミス、高コストなどさまざまな問題が伴い、死んでしまう魚も発生して単価にも影響があったため、今後は魚活ボックスでの活魚出荷を軸に考えています。
魚活ボックスを用いる前と、後での違いについて説明して下さい。
魚活ボックスを用いる前は、活魚を輸送時にドライバーの技術によって魚の生存率が下がってしまう問題点があった。魚活ボックスを用いた後は、専用のふたをすれば輸送しても水漏れもなく、またボックス内に内蔵した酸素ボンベ・センサー・バッテリーの操作方法を覚えれば誰もが魚を生かしたまま輸送できるようになり、鉄道輸送も可能となった。
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私の性質がおとなしいということが、みんなに知れわたり、皇帝も宮廷も軍隊も国民も、みんなが、私を信用してくれるようになりました。で、私は近いうちに自由の身にしてもらえるのだろう、と思うようになりました。私はできるだけ、みんなから良く思われるように努めました。 人々はもう私を見ても、だんだん怖がらなくなりました。私は寝ころんだまま、右手の上で五人、左手の上で六人の人間を踊らせたりしました。ときには、子供たちがやって来て、私の髪の毛の間で、かくれんぼうをして遊ぶこともあります。もう私は彼らの言葉を聞いたり、話したりすることに馴れていました。 ある日、皇帝は、この国の見世物をやって見せて、私を喜ばせてくれました。それは実際、素晴しい見世物でした。なかでも面白かったのは、綱渡りです。これは地面から二フィート十二インチのところに、細い白糸を張って、その上でやるのです。 この曲芸は、宮廷の高い地位につきたいと望んでいる人たちが、出て演じるのでした。選手たちは子供のときから、この芸を仕込まれているのです。仮に、宮廷の高官が死んで、その椅子が一つ空いたとします。すると、五、六人の候補者が、綱渡りをして皇帝に見てもらいます。中で一番高く跳び上って落ちない者が、その空いた椅子に腰かけさせてもらえるのです。 ときには大臣たちが、この曲芸をして、こんなに高く跳べますよと、皇帝に御覧にいれることもあります。大蔵大臣のフリムナップなど、実にあざやかで、高く跳び上がります。私は彼が細い糸の上に皿を置いて、その上でとんぼ返りをするところを見ました。 だが、この曲芸ではときどき、死人や怪我人を出すことがあります。私も選手が手をくじいたのを三回、足をくじいたのを二回見ました。男が死んだのは二回、女が死んだのは一回見ました。 中でも、一番あぶないのは、大臣たちの曲芸です。それはお互いに仲間の者に負けまいとして、あんまり気張ってやるので、よく綱から落っこちます。私は大臣が骨を折ったのを三回、足をくじいたのを二回みました。 大蔵大臣のフリムナップでさえ、一度、もう少しで頭の骨を折るところでしたが、下に国王のクッションがあったので、助かったということです。 それから、もう一つ見世物があります。これは皇帝と皇后と総理大臣の前だけで、やらされる特別の余興なのです。皇帝はテーブルの上に、長さ六インチの細い絹糸を三本置きます。一つは青、一つは赤、もう一つは緑の糸です。皇帝は、特に取り立てて目をかけてやろうとする人たちに、この賞品をやるのです。
私の手の上で踊った人数のうち、多かった方を教えてください。
私の手の上で踊った人数のうち、多かった方は左手で六人です。
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魚食文化を支える 人工魚礁を知ろう 魚食文化が浸透している日本では、日々さまざまな魚が食べられており、水産物の安定的な供給は欠かせません。そのために行われているのが漁場整備。魚たちが育ちやすい海の環境をつくるために行われています。今回はその中から、国が行うフロンティア漁場整備事業について紹介します。私たちが直接見る機会はほとんどありませんが、海の中では事業によりさまざまな魚礁が設置され、魚たちが好む環境が整備されています。 知る 日本の人工魚礁の今を知ろう! 人工魚礁は、環境の変化や乱獲などの影響によって減少した対象生物の漁獲の改善、操業の効率化や保護育成のために整備されています。 Q 人工魚礁は何のために造るの? A人工魚礁とは、魚類を集めたり増 に供給していきます。やしたりするために海中や水中に設置するもので、次のような機能があります。 1. 物陰に隠れる性質を持つ魚類の隠れ場 2. 小型の魚類が大型の捕食魚から逃げるための逃避場 3. 繁殖に欠かせない親魚の産卵場 4. 魚礁により周辺の潮の流れを弱めることで、泳ぐ力の弱い動物プランクトンが集積する場 5. プランクトンを食べる小型魚類が繁殖する場 Q国が行う Q 「フロンティア漁場整備事業」ってなに? A従来の漁場整備は、その多くを沿岸に近いところで行っていましたが、国が行う「フロンティア漁場整備事業」では、沿岸から離れた排他的経済水域で、産卵場や保育場などを整備。日本の海域での水産資源の回復と生産力の向上を目的に、2007年から実施されています。国土面積の約12倍、世界第6位の広さがある日本の排他的経済水域及び領海は、水産資源を日本のためだけに利用することができる貴重な場。この海域における水産資源の保存や適切な利用は重要な課題です。 Qこの事業で整備された人工魚礁は、全国にどれくらいあるの? A「フロンティア漁場整備事業」を行うためには、地域の漁業者が資源管理の取り組みを行っていることなど、いくつかの条件があります。これまでに整備されている区域は、日本海西部地区、隠岐海峡地区、対馬海峡地区、大隅海峡地区、五島西方沖地区の5カ所。第1号として五島西方沖地区が2015年に完成しています。 Qこの事業で整備した人工魚礁ではどんな魚を保護・育成しているの? A漁場整備には 2タイプあります。1つは、魚たちが生息する海域にコンクリートブロックなどを設置することで、産卵や育成を助ける「保護育成礁」。もう1つは、海底にコンクリートブロックなどを山脈のように積むことで、海底から海の上層へ上昇する水の流れを作り、海底にある栄養分を広く行き渡らせ、魚たちを増やしていく「マウンド礁」です。「保護育成礁」では、ズワイガニやアカガレイ、「マウンド礁」では、マアジ、マサバ、マイワシなどを保護、育成しています。 作る 人工魚礁の整備の様子を見てみよう! 人工魚礁は、対象となる魚たちが好む環境を人工的に作り出すもので、どのような魚礁にするのかは対象とする生物や場所によって変わります。最適な環境をつくるために、まずは既存データの分析と一定期間の現地調査をもとにシミュレーションを行い、より効果的な漁場整備へとつなげていきます。 「保護育成礁」の場合 「保護育成礁」では、魚たちの保護エリアを作ることで、その産卵や育成を助けています。2キロメートル四方のエリアの中に、魚の隠れ場や群れ場となるコンクリートと鋼製の魚礁を配置することで、資源を保護し、生息環境を向上させます。しかし、設置場所の水深は非常に深く、設置海域は波が高いなど正確に魚礁を設置するには厳しい条件。そのため設置には高度な技術が必要です。現在までに、水深約 490 メートル地点での設置に成功しています。 工事のポイント ①設置作業機器の先端から送信された情報を作業船で受信することで、魚礁設置位置を正確に把握できる位置確認装置(水中トランスポンダー)を活用 ②作業船が強い海流や風のある海上でも流されずに同じ位置を保ちながら作業ができるように、自動船位保持装置(DPS)を活用 「マウンド礁」の場合 「マウンド礁」は、水深約 100メートルから150メートルの海底に水深の 5 分の1 程度の高さとなるように石材やコンクリートブロックを山積みに設置したものです。大きさは、2015年に完成した五島西方沖地区では体積が約35万立方メートルで、東京ドームの約 3 分の 1となっています。なお、そこでは礁から半径1マイルの範囲で対象魚種を獲ることを禁止して資源保護を行っています。 工事のポイント 石材やコンクリートブロックを海中に投入した後は、3次元で施工状況を把握できるナローマルチビームソナーを使用。逐次、施工状況を確認しながら、次の投入位置へ作業船を誘導するというシステムを構築しています。 考える これからの人工魚礁はどうなる? 今後、ますます気象・海象条件が厳しく、かつ大水深帯での正確な施工が求められます。海の持続的利用に貢献するため、国を中心に、自治体、研究機関、民間企業が、これまで蓄積されてきた技術を継承し、発展の著しいICTやロボット技術を積極的に活用することが重要です。 見る 人工魚礁で増えた水産物! 五島西方沖地区など、整備されたエリアではどれくらい水産物が増えたのか効果調査が行われています。 事例 1 「保護育成礁」の効果事例 保護育成礁では、底びき網漁業などによる操業ができないようになっており、親ガニや親魚の産卵場や育成場が保護されています。生息密度が高くなった育成場から、ズワイガニなどが周辺に移動してきたものを漁獲することになります。整備効果として、保護育成礁の内側にいるズワイガニの生息密度は、外側の海域と比べ約2倍になっています。また、保護育成礁内で親ガニや稚ガニが多数生息しており、ズワイガニの高い保護効果が確認されました。 現場の声 日本海西部地区での効果 兵庫県浜坂漁業協同組合 熊本 直和さん 2007 年からズワイガニ、アカガレイを対象に整備をスタートさせました。保護育成礁の設置後は、ズワイガニ、アカガレイはもちろんですが、バイ貝やエビ類の繁殖増加、イカ類などの浮魚類が集まるなど多様な効果を実感できています。今後も食料供給産業を自負して、将来に渡って資源が枯渇しないように水産物を安定的人工魚礁とは、魚類を集めたり増 に供給していきます。 事例 2 「マウンド礁」の効果事例 マウンド礁では、潮の流れを利用し栄養塩を海底から海の上層へと供給することで、植物プランクトンや動物プランクトンが増加し、それを食べる魚類も増えます。さらに、プランクトンや魚類の死骸などが沈むことによって、それをエサとする底魚類も増加。エサを食べる環境が良好になることで、魚体重の増加や生息環境の向上にもつながります。 五島西方沖地区の調査分析結果によると、設置したマウンド礁から数十キロメートルに及ぶ範囲で効果があり、マウンド礁周辺で漁獲されたマアジ1歳魚の体重は、他の海域のものと比べて約 1.4倍。また、マウンド礁周辺のマアジ、サバ類、マイワシの漁獲量は、整備前に比べて約2倍に増加したという結果が出ています。マウンド礁では、潮の流れを利用し栄養塩を海底から海の上層へと供給することで、植物プランクトンや動物プランクトンが増加し、それを食べる魚類も増えます。さらに、プランクトンや魚類の死骸などが沈むことによって、それをエサとする底魚類も増加。エサを食べる環境が良好になることで、魚体重の増加や生息環境の向上にもつながります。五島西方沖地区の調査分析結果によると、設置したマウンド礁から数十キロメートルに及ぶ範囲で効果があり、マウンド礁周辺で漁獲されたマアジ1歳魚の体重は、他の海域のものと比べて約 1.4倍。また、マウンド礁周辺のマアジ、サバ類、マイワシの漁獲量は、整備前に比べて約2倍に増加したという結果が出ています。
保護育成礁とマウンド礁の違いについて400字以内で説明して下さい。
保護育成礁は、魚たちが生息する海域にコンクリートブロックなどで魚たちの保護エリアを作り、産卵や育成を助ける。2キロメートル四方のエリアの中に、魚礁を配置して、資源を保護し、生息環境を向上させる。設置場所の水深が非常に深く、設置海域は波が高いなど正確に魚礁を設置するのが厳しく設置には高度な技術が必要。現在までに、水深約 490 メートル地点での設置に成功している。 マウンド礁は、水深約 100メートルから150メートルの海底に水深の 5 分の1 程度の高さとなるよう石材やコンクリートブロックを山積みに設置し、海底から海の上層へ上昇する水の流れを作り、海底にある栄養分を広く行き渡らせ、魚たちを増やしていく。大きさは、2015年に完成した五島西方沖地区で体積が約35万立方メートル、東京ドーム約 3 分の 1となっている。礁から半径1マイルの範囲で対象魚種を獲ることを禁止し資源保護を行っている。
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私は、いつかは自由な身になりたい、という気持を、いつも持っていました。しかし、どうしたら自由になれるのか、それはまるでわかりませんでした。私にできそうな工夫はてんで見つからないのです。この国の海岸に吹きつけられた船は、後にも前にも、私の乗って来た船のほかに、誰も見たことはありません。しかし国王は、もし万一またほかの船が現れたら、すぐ海岸へ引っ張って来て、船長や乗客を手押車に乗せてつれて来るようにと、言い渡されていました。 国王は、私と同じ大きさの女を妻にさせて、私たちの子供をふやしてみたい、と熱心に望まれていました。私と同じ大きさの男の子を五人、女の子を三人はふやしてほしいと言っていました。 しかし私は、馴れたカナリヤのように籠の中で飼われたり、国中の貴族たちの慰みに売られるために、子供をつくるくらいなら、そんな恥かしい目に会うよりか、死んだ方がましだと思っていました。それに、国に残してきた家庭のことも忘れることができませんでした。もう一度、気らくに話のできる人間の中に帰り、街や野を歩くときも、蛙や犬の子みたいに踏みつぶされる心配なしに歩きたかったのです。しかし私は、たまたま思いがけないことから、うまく、この国を離れることができたのです。それを次にお話しいたしましょう。 それは私がこの国へ来て二年が過ぎ、ちょうど三年目のはじめ頃のことでした。グラムダルクリッチと私は、十人の警備と十五人の召使と共に国王と王妃のお供をして、南の海岸の方へ行きました。私はいつものように、旅行用の箱に入れられていました。ハンモックを天井の四隅から絹糸で吊し、旅行中はよくこれで眠ることにしました。 いよいよ海岸に着くと、国王はその海岸からあまり遠くないところにある離宮で数日間、お過しになることになりました。グラムダルクリッチも私も、へとへとに疲れていました。私も少し風邪をひいていましたが、グラムダルクリッチは非常に加減が悪いので、部屋で休んでいなければならなかったのです。私はなんとかして海へ行ってみたいと思いました。海へ行けば、この国から逃げ出す工夫が見つかるかもしれません。そこで、私は身体工合の悪いことを訴えて、ひとつ海岸へ行っていい空気が吸いたいので、行かせてください、と頼みました。そして、私と一緒に四人いる侍童のうち一人の男の子がついて行ってくれることになりました。しかし、グラムダルクリッチは、私が海へ行くのを喜びませんでした。別れるとき、彼女は何か虫が知らせるのか、しきりに涙を流していました。
国王と王妃のお供をしていた人間のうち、数が多いほうを教えてください。
国王と王妃のお供をしていた人間のうち、数が多いほうは召使で十五人です。
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輝く! 未来を担う生産者 vol.4 株式会社ベジアーツ/長野県 農業を通じて多くの人を幸せに! 高齢化、後継者不足が問題になっている農業の現場で、なんと社員の平均年齢が28歳!若手農業集団が飛躍的な発展を続け、注目を集めています。その成功の秘密とは……? 「お前、明日から農業しないか?」 勤務先に突然現れた父親に、なかば強制的に実家に連れ戻され、就農。十数年の歳月を経て、若い社員を率いる農業集団として注目を集めているのが、ベジアーツの代表・山本裕之さんです。長野県北佐久郡。浅間山の麓でレタス、サニーレタス、グリーンリーフ、パクチーなどを栽培しています。 父親は、農家から買い上げた野菜を市場やスーパーに納品する中間流通の会社を経営していました。でも山本さんは、跡を継ぐ気はない、と大学は経済学部へ進学、一般企業で営業の仕事に。とはいえ「給料はいいけれど、仕事はつまらない」と母親にもらしていたそうです。それを聞いた父親が、ある日突然職場へ。支店長に「御社の経営理念を教えてください」と尋ね、答えが得られないと、「じゃあ、息子には農業をさせるから」とその日のうちに山本さんは実家へ。まさにドラマのような展開! 実はその2年前、父親は自社直営農場を立ち上げていました。その理由は、中間流通の需要が先細りだから。大手外食企業が、店舗で使用する野菜を契約農家から仕入れ始めていたことも大きな動機でした。 これからは契約栽培の野菜の需要が高まる――。息子は、先見の明がある父親に、強引に農業という新たな道に立たされたのです。 若い人材を集め、育てる工夫と努力 とはいえ、当時の直営農場は正社員1人、アルバイト2~3人。農業未経験の山本さんも一作業者として働き、野菜づくりを学ぶ一方で人手不足に悩むことに。ハローワークに求人を出し続け、全員雇ってはやめていくという状態。 「そんなとき、ぴかぴか輝いている若者が応募してきてくれて。うれしくて、彼を単なる労働力として使い捨てにするようなことはしてはいけない、と思いました」 そこで山本さんは一念発起。代表理事として農場を全面的に任せてもらうことにし、人材育成に取り組むことに。どうしたら若者が「働きたい!」と思ってくれるだろうと聞いて回り、「名前がダサい。会社のホームページがないから、事業概要も特徴もわからない」と指摘され、社名を農事組合法人北佐久園芸生産組合から、ベジアーツへ変更。ホームページや会社案内を作成しました。 時間外勤務手当の支給や休日の確保など「一般企業では当然のことが、できていない」ことに気づいた山本さんは、その後も若い社員たちに意見を求めては、職場環境や勤務内容を次々と改善。会社説明会、入社式、研修旅行なども行うように。その甲斐あって、今では平均年齢28歳の正社員9人と、季節雇用者やパート、海外からの実習生を含む全26人の若手農業集団に発展したのです。 みんなに喜ばれる農場づくりを目指して ベジアーツという社名には、"人・土・野菜"すべてが自分たちの作品である、という思いが込められています。「農業をもっと楽しく!」「野菜をもっとおいしく!」を礎に、多くの人が幸せになれる農場を目指しています。 「経営的な数字はもちろん大切ですが、お客様の注文に欠品を出さない、冬期の雇用など身近な問題を一つずつ解決していくことで発展していく。幸福を追求する会社でありたいと思っています」
当時の農事組合法人北佐久園芸生産組合と現在のベジアーツの従業員構成の違いについて説明して下さい。
当時の農事組合法人北佐久園芸生産組合は正社員1人、アルバイト2~3人。 現在のベジアーツは平均年齢28歳の正社員9人と、季節雇用者やパート、海外からの実習生を含む全26人の若手農業集団です。
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私はつづいて、政治の発明家たちを訪ねましたが、この教室では、あまり愉快な気持にはされなかったのです。 この教室で、一人の医者がこんなことを言っていました。一たい、大臣などというものは、どうも物忘れがひどくて困るとは、誰もが言う苦情ですが、これを防ぐには、次のようにすればいいというのです。つまり、大臣に面会したときには、できるだけ、わかりやすい言葉で用件を伝えておいて、別れぎわに、一つ、大臣の鼻を一回つまむとか、腹を二回蹴るとか、腕を三回つねるとか、なんとかして、約束したことは忘れないようにさせるのです。そしてその後も、面会するたびに同じことを繰り返し、約束したことは実行してもらうようにするのです。 また、この医者は、政党の争いをうまく停める方法を発明していました。 それは、まず両方の政党から六十人の男性議員と四十人の女性議員、合計で百人の議員を選んできて、これを二人ずつ、頭の大きさの似たもの同士の組にしておきます。それから、それぞれ両方の頭をのこぎりでひいて、二つに分けます。こうして切り取った半分の頭を、それぞれ取り換えっこして、反対派の頭にくっつけるのです。 私は、二人の教授がしきりに議論しているのを聞きました。どうしたら、人民を苦しめないで、税金を集めることができるかという議論でした。 一人の教授の意見では、悪徳や愚行に税金をかけるのがいい、というものでした。ところが、もう一人の教授の意見では、人がその自惚れている長所に税金をかけたらいい、というのです。"
政党の争いをうまく停める方法として両方の政党から百人の議員を選ぶうち、人数が少ないほうの性別を教えてください。
政党の争いをうまく停める方法として両方の政党から百人の議員を選ぶうち、人数が少ないほうの性別は女性議員で四十人です。
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細胞の損傷を抑えた冷凍法とは? 医療分野でも活用される冷凍技術 鮮度や美味しさをほとんど損なうことなく凍結し、採れたて、作りたてに近い状態を再現できる冷凍技術「CAS(キャス)」。この技術を開発した(株)アビーの大和田哲男さんから、開発の背景や仕組み、そして活用されている分野や今後の展望についてお話を伺いました。 CAS技術誕生物語 冷凍しても作りたてに近い状態を再現することができる冷凍技術「CAS」。その誕生背景や具体的な仕組みに触れながら、食以外の分野で応用されている事例なども紹介します。 Q CASとはどのような技術ですか? 食品の味、香り、鮮度を保持し、限りなく凍結前の状態に近い、作りたてに近い状態を再現することができる冷凍技術です。CAS(CELLS ALIVESYSTEM)という名前にもあるように、一番の特徴は水の分子を管理することで細胞を壊さず、生かした状態のまま凍結する点にあります。従来の急速凍結は-35度から-45度の冷風を素材に直接吹きかけるため、素材の表面と内部に温度差が生まれ、全体が凍結するまでに時間がかかっていました。これは、表面部分から徐々に内部に向けて凍結していくため、素材の外側で凍った氷が壁となって冷気を遮り、内部が凍結するまでに時間がかかるためです。また凍結中は、内部の未凍結部分の水分(水分子)が外側に移動していくので、素材内部では水分が減ってパサパサになり、素材の外側では水分子が寄り集まって膨張するため、結果として素材の細胞が壊されてしまいます。細胞が壊れている状態で凍結された素材を解凍した時には、そこからうま味成分や栄養成分が流れ出てしまい、凍結前の味をキープできないという問題がありました。 そこで美味しさを保つために、” 全体を均一に、短時間で凍らせる” というポイントをおさえたのがCASを使った凍結です。微弱な電流を流し、食材に含まれる水分子を活性化させ、凝固点以下でも液体のままの過冷却状態にすることで素早く凍結させることが可能になり、水分子が寄り集まって膨張するのを抑えることができます。さらに、過冷却により素材と水の分子の凍結点を同じにすることで、全体を素早く凍結でき細胞を壊すこともないため、解凍後も凍結前の美味しさやみずみずしさを保つことができます。 CASエンジンを使用した際の凍結イメージ CASエンジン付き急速凍結機のマグロ組織 凍結により組織内に生成され た 氷( 氷 晶 )が 小さく、組 織 損 傷が 抑えられます。それにより解凍後のドリップの流出も抑えられるため、水溶性アミノ酸やうま味 成分といった美 味しさの元を維 持することができます。 従来の急速凍結機のマグロ組織 凍結により組織内に生成され た 氷( 氷 晶 )が 大きく、組織損傷が激しくなります。それにより解凍後のドリップの流出が多く、水溶性アミノ酸やうま味成分といった美味しさの元が、損なわれる原因となります。 Q どのような経験からCASの開発に至ったのですか? 家業であった製菓・製パン機械メーカーで働く中で、食品の機械をつくっているのだから、食材について知ることが機械の進化にもつながるのではないかと考えました。そこで食材について学ぶべく、大手の食品メーカーに受け入れをお願いしました。その中で唯一受け入れて下さったのが大阪府の食品素材メーカーです。 26歳からの20年間、食材について徹底的に教えていただく中、ある時「生クリーム凍結機を開発してみないか」というお話がありました。当時、フランス留学第1期生のケーキ職人が冷凍技術を持ち帰ってきたのですが、生クリームを冷凍すると味が落ちてしまうという問題がありました。実家の会社では冷凍機は製造したことがなかったため、今度は大手電機メーカーで冷凍技術を一から学ばせていただきながら、食品素材メーカーでは生クリームの成分に対する冷凍における適正温度など、食材に関して徹底的に研究。約10年の開発期間を経て、1985年に生クリーム凍結機が完成しました。 CAS技術の誕生のきっかけは何ですか? 1989年に独立してからも冷凍技術の研究を続けたのですが、その中で目をつけたのが解凍する時に流れ出てしまう水分です。アミノ酸などのうま味成分を含んだ「ドリップ」と呼ばれるもので、これが解凍した時に味の品質が落ちてしまう原因だと分かりました。従来の急速冷凍装置では、細胞の外側と内側の温度差が生まれることで細胞が破壊され、ドリップとして流れ出てしまっていました。どうにか外も内も均一に冷やせる方法がないかを考えているうちに思いついたのが、分子を振動させて均等に加熱する電子レンジの技術です。冷凍技術にもこの方法を活用できないかと冷凍庫内に微弱な磁場を作って水分子を振動させる方法を試したところ、予想は的中し、冷凍過程で不自然に水分子同士が寄り集まるのを防ぎ、均一に凍結することに成功。約10年をかけて、うま味成分を逃さない冷凍機を誕生させることができました。その後も試行錯誤を繰り返し、現在では冷凍庫に取り付けるだけで鮮度を保ったまま凍結できるシステムへと進化しています。 Q CASの技術はどのような現場で活用されていますか? 素材の鮮度を保ちながら冷凍できるCASは、様々な食の分野で活用されています。例えば、京料理の惣菜や弁当を販売する会社では、職人の方々が手がける伝統の味を自宅でも味わえるよう、贈答用の米の蒸し物をはじめとする料理に採用されています。また、新鮮な魚介類が取れる一方で、市場に着くまでに時間とコストがかかり、商品の価値が下がってしまうという問題があった離島にある自治体では、CASを導入することで旬の味と鮮度を保ったまま東京などの大きなマーケットへの出荷が可能に。和菓子メーカーでは、栗きんとん作りに重要な栗の鮮度を保つためにCASを採用。朝に採れた栗を炊き上げて作った栗きんとんの美味しさの再現に役立っています。 Q 食品以外にもCASの技術は活用されているのでしょうか? 細胞組織を壊さずに冷凍できるCASは、医学などの研究分野でも活用されています。特に臓器保存や再生医療の分野で注目が集まっており、iPS細胞の研究では、iPS細胞から作った神経のもとになる幹細胞を凍結保存する技術を確立し、再生医療に必要な移植用の細胞を長期保存することが可能となり、解凍後の細胞の生存率は従来の約2倍になりました。また、天文の領域では天体の赤外線撮影の解像度の向上に寄与しています。CASを使用し望遠鏡装置を低温に冷却してその温度を保持することで、解像度を妨害する赤外線ノイズを抑制し、観察が不可能であった約127億光年離れた星を観察することができるようになりました。また、地質研究の分野でも共同研究が進んでおり、海底から掘削される研究試料の保護に役立っています。土を乾燥させず、微生物を生きたまま冬眠させた状態で保管することで、貴重な研究試料を次世代の研究者へつなげています。
従来の急速凍結とCASの違いについて説明して下さい。
従来の急速凍結は-35度から-45度の冷風を素材に直接吹きかけるため、素材の表面と内部に温度差が生まれ、全体が凍結するまでに時間がかかっていた。凍結中は、内部の未凍結部分の水分(水分子)が外側に移動するため、素材内部では水分が減ってパサパサになり、素材の外側では水分子が寄り集まって膨張し、結果として素材の細胞が壊されます。細胞が壊れた状態で凍結された素材を解凍した時には、うま味成分や栄養成分が流れ出てしまい、凍結前の味をキープできない問題があった。 CASは美味しさを保つために、” 全体を均一に、短時間で凍らせる” というポイントをおさえた凍結です。微弱な電流を流し、食材に含まれる水分子を活性化させ、素早く凍結させることが可能になり、全体を素早く凍結でき細胞を壊すこともないため、解凍後も凍結前の美味しさやみずみずしさを保つことができる。
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私の性質がおとなしいということが、みんなに知れわたり、皇帝も宮廷も軍隊も国民も、みんなが、私を信用してくれるようになりました。で、私は近いうちに自由の身にしてもらえるのだろう、と思うようになりました。私はできるだけ、みんなから良く思われるように努めました。 人々はもう私を見ても、だんだん怖がらなくなりました。私は寝ころんだまま、右手の上で五人、左手の上で六人の人間を踊らせたりしました。ときには、子供たちがやって来て、私の髪の毛の間で、かくれんぼうをして遊ぶこともあります。もう私は彼らの言葉を聞いたり、話したりすることに馴れていました。 ある日、皇帝は、この国の見世物をやって見せて、私を喜ばせてくれました。それは実際、素晴しい見世物でした。なかでも面白かったのは、綱渡りです。これは地面から二フィート十二インチのところに、細い白糸を張って、その上でやるのです。 この曲芸は、宮廷の高い地位につきたいと望んでいる人たちが、出て演じるのでした。選手たちは子供のときから、この芸を仕込まれているのです。仮に、宮廷の高官が死んで、その椅子が一つ空いたとします。すると、五、六人の候補者が、綱渡りをして皇帝に見てもらいます。中で一番高く跳び上って落ちない者が、その空いた椅子に腰かけさせてもらえるのです。 ときには大臣たちが、この曲芸をして、こんなに高く跳べますよと、皇帝に御覧にいれることもあります。大蔵大臣のフリムナップなど、実にあざやかで、高く跳び上がります。私は彼が細い糸の上に皿を置いて、その上でとんぼ返りをするところを見ました。 だが、この曲芸ではときどき、死人や怪我人を出すことがあります。私も選手が手をくじいたのを三回、足をくじいたのを二回見ました。男が死んだのは二回、女が死んだのは一回見ました。 中でも、一番あぶないのは、大臣たちの曲芸です。それはお互いに仲間の者に負けまいとして、あんまり気張ってやるので、よく綱から落っこちます。私は大臣が骨を折ったのを三回、足をくじいたのを二回みました。 大蔵大臣のフリムナップでさえ、一度、もう少しで頭の骨を折るところでしたが、下に国王のクッションがあったので、助かったということです。 それから、もう一つ見世物があります。これは皇帝と皇后と総理大臣の前だけで、やらされる特別の余興なのです。皇帝はテーブルの上に、長さ六インチの細い絹糸を三本置きます。一つは青、一つは赤、もう一つは緑の糸です。皇帝は、特に取り立てて目をかけてやろうとする人たちに、この賞品をやるのです。
私の手の上で踊った人数でより少なかった方を教えてください。
私の手の上で踊った人数でより少なかった方は右手で五人です。
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日本の食文化に欠かせない 「発酵」の世界 和食がユネスコ無形文化遺産に登録されて来年で10周年。 健康食として海外でも高い注目を集めている日本食の魅力を、今回改めて探ります。まずは、日本独自の豊かな発酵に注目! 発酵食品は先人の知恵の宝庫! 和食に使われている味噌、醤油、酢、みりん、酒はすべて発酵食品です。だしを取るのに欠かせない日本固有の鰹節(枯れ節)は、発酵食品でもあり、世界一かたい食品だといわれています。発酵は微生物の働きによってつくられるものですが、温暖で湿度の高い気候風土を活かした日本特有の食文化といっていいでしょう。そんな発酵のスゴさと魅力を東京農業大学応用生物科学部醸造科学科教授で日本の調味料研究者、前橋健二先生にお聞きしました。 ―そもそも発酵とは何ですか。腐敗と何がちがうのですか。 発酵にはいくつかの意味合いがありますが、ここでは発酵食品という場合の発酵についてお話しします。発酵とは、食品に微生物が増えることによって起こる変化のことです。それを発酵現象といいます。そして腐敗も、食品に微生物が増えることによって起こる変化のこと。どちらも微生物の活動ということになります。では、発酵と腐敗、いったい何が違うのか。それは関わる微生物の種類などではなく、人にとって有害か否かの違いです。味や匂いの好みは民族レベル、地域レベルでそれぞれの価値観があるので、実は発酵と腐敗の線引きは難しいところなのですが、一番大事なことは人にとっての安全性です。微生物が増えて変化した時に、安全性が保たれていることが発酵の第一条件です。 ―日本の発酵食品の特徴は何ですか。 「麹(こうじ)」を使っているということが一番大きな特徴です。麹菌を米や麦、大豆などに加えて培養させ、麹として使うのですが、醤油、味噌、みりん、酢、酒、焼酎はすべて麹を使ってつくられます。もともと麹は中国から入ってきたといわれていますが、麦や大豆でつくる中国とは異なり、稲作が盛んだった日本では米で麹をつくるようになりました。お供え物のごはんに生えたカビが麹の始まりだとか、湿気の多い日本ならでは、という説など、始まりの物語には諸説ありますが、米で麹をつくるようになってから、発酵技術は格段に進歩します。米味噌が全国に広がり、その後、各地で独自の味噌がつくられるようになりました。醤油も、麹を育ててから塩水に浸けることで発酵・分解が促進され、香り高いおいしい醤油になりました。酒づくりも然りです。長い年月をかけて、麹をどう使ったらおいしくなるかを追求し、全国各地で個性豊かなお酒や焼酎がつくられています。 ―麹を使うメリットは何ですか。 麹菌は分解力の強い酵素を大量につくります。たんぱく質をアミノ酸に分解する酵素やでんぷんを糖に分解する酵素をはじめ、たくさんの酵素を生成します。たくさんの酵素が生成されるということは、言い換えれば一分子から無数の分子が生まれ、物質の数がすごく増えて、複雑になるわけです。アミノ酸などのうま味物質や甘い糖もできます。そうすると、そのできたものを栄養にして乳酸菌や酵母が勝手に増殖してきますから、発酵をさ らに広げていくわけです。縦にも横にも味が広がっていく。複雑さがおいしさなんですね。麹を使うことで圧倒的に味に奥行きが出ます。乳酸菌や酵母、酢酸菌を使う国は世界中にありますけれど、麹を中心に使っているのは日本の発酵の特徴です。麹菌は和食を支えているといっても過言ではありませんし、食文化だけでなく、日本文化を支えている、日本人にとってなくて はならない菌なのです。 ―菌の扱い方に日本ならではの特徴はありますか。 自然に生えてくる菌を育てて使う文化はどこの国にもあったのですが、日本ではいち早く種麹(麹菌の種、胞子) を純粋培養する技術を確立しました。それよりずっと昔は、種麹に灰などを入れて雑菌を殺して純化するな ど、工夫して種麹をつくっていました。日本の発酵技術は科学的な裏付けが取れない時代から、先人が試行錯誤して経験値によってつくり上げてきたものなのです。麹菌にしても自然界に存在する野生麹菌とはまったく異 なるもので、選び抜かれた安全な種を純粋培養して保管しています。日本では増殖させて麹をつくり、ほかの菌(微生物)を巧みに組み合わせて、発酵食品をつくりあげてきたわけです。和食の素晴らしいところは、発酵調味料によって食材から味を引き出し、それだけで複雑な味をつくりあげる点ですね。 ―発酵の利点、魅力は何だと思いますか。 発酵によって保存性が高まります。食材を保存して時間が経つと、微生物が増殖して発酵が自然に起こり、人類は発酵と出合いました。そして冷蔵技術がなかった時代の保存技術として、発酵技術を確立していったわけです。そして発酵の魅力は、先ほどもいったように、なんといっても素材のうま味を引き出すこと。発酵する過程で、物質から新しい物資が生まれているのですが、それが機能性成分だったり、健康成分だったりするわけです。江戸時代の本の多くに「味噌は体にいい」と盛んに書いてあるのですが、あの時代に分析していたわけではありません。でも経験的に認識していて、だからこそ発酵食品はつくり続けられたのです。ただおいしいというだけではなく、健康にいいからずっと続けているわけです。また健康にいいからといって、おいしくなければ続きません。 ―ほかにも皆さんに伝えておきたい発酵の利点はありますか? 2つあります。ひとつは麹菌がたんぱく質を分解することで生成されるペプチドという成分に、高い機能性があるということです。このペプチドに血圧を低下させるなど、さまざまな健康効果が期待できることが、長い間の研究で次々にわかってきました。今では特定保健用食品にもかなり利用されています。日本の発酵食品は麹を使っているので、必ずペプチドが生成されます。ペプチドには味わいが複雑でうま味につながるものもあるので、それがおいしさにつながり健康にもつながっていく。おいしいうえに健康効果を感じられるというのが、麹を使った発酵食品の魅力です。もうひとつは、菌そのものが体の役に立つということです。腸内の免疫細胞を刺激するのは生きた乳酸菌だけでなく、乳酸菌の死骸も影響することが研究で明らかになりました。殺菌を重視する一般食品とは異なり、発酵食品にはたくさん生きた菌もいるし、中には死んでいる菌もいます。もちろん調理によって生きた菌は死ぬことが多いですが、それでもそれを体内に取り入れることで免疫が刺激され、体調を整えてくれるというのです。乳酸菌だけでなく酵母菌や納豆菌などの発酵菌すべてがそういう効果を持っているだろうと考えられています。「発酵食品を食べましょう」というと、「匂いやクセが強いものは苦手で、何を食べていいかわからない」と思うかもしれませんが、日本の伝統的な調味料を使えば、発酵の恵みを十分受けることができます。日本に味噌や醤油、みりんなどの発酵調味料がそろっていることはとても素晴らしいことなんです。それを忘れないでほしいですね。
中国の麹と日本の麹の違いについて説明して下さい。
中国の麹は麦や大豆で、日本の麹は米でつくります。
JCRRAG_014639
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私は、いつかは自由な身になりたい、という気持を、いつも持っていました。しかし、どうしたら自由になれるのか、それはまるでわかりませんでした。私にできそうな工夫はてんで見つからないのです。この国の海岸に吹きつけられた船は、後にも前にも、私の乗って来た船のほかに、誰も見たことはありません。しかし国王は、もし万一またほかの船が現れたら、すぐ海岸へ引っ張って来て、船長や乗客を手押車に乗せてつれて来るようにと、言い渡されていました。 国王は、私と同じ大きさの女を妻にさせて、私たちの子供をふやしてみたい、と熱心に望まれていました。私と同じ大きさの男の子を五人、女の子を三人はふやしてほしいと言っていました。 しかし私は、馴れたカナリヤのように籠の中で飼われたり、国中の貴族たちの慰みに売られるために、子供をつくるくらいなら、そんな恥かしい目に会うよりか、死んだ方がましだと思っていました。それに、国に残してきた家庭のことも忘れることができませんでした。もう一度、気らくに話のできる人間の中に帰り、街や野を歩くときも、蛙や犬の子みたいに踏みつぶされる心配なしに歩きたかったのです。しかし私は、たまたま思いがけないことから、うまく、この国を離れることができたのです。それを次にお話しいたしましょう。 それは私がこの国へ来て二年が過ぎ、ちょうど三年目のはじめ頃のことでした。グラムダルクリッチと私は、十人の警備と十五人の召使と共に国王と王妃のお供をして、南の海岸の方へ行きました。私はいつものように、旅行用の箱に入れられていました。ハンモックを天井の四隅から絹糸で吊し、旅行中はよくこれで眠ることにしました。 いよいよ海岸に着くと、国王はその海岸からあまり遠くないところにある離宮で数日間、お過しになることになりました。グラムダルクリッチも私も、へとへとに疲れていました。私も少し風邪をひいていましたが、グラムダルクリッチは非常に加減が悪いので、部屋で休んでいなければならなかったのです。私はなんとかして海へ行ってみたいと思いました。海へ行けば、この国から逃げ出す工夫が見つかるかもしれません。そこで、私は身体工合の悪いことを訴えて、ひとつ海岸へ行っていい空気が吸いたいので、行かせてください、と頼みました。そして、私と一緒に四人いる侍童のうち一人の男の子がついて行ってくれることになりました。しかし、グラムダルクリッチは、私が海へ行くのを喜びませんでした。別れるとき、彼女は何か虫が知らせるのか、しきりに涙を流していました。
国王と王妃のお供をしていた人間のうち、数が少ないほうを教えてください。
国王と王妃のお供をしていた人間のうち、数が少ないほうは警備で十人です。
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国語
昔、ある北の国の山奥に一つの村がありました。その村に伊作、多助、太郎右衛門という三人の百姓がいました。 三人の百姓は少しばかりの田を耕しながら、その合間に炭を焼いて三里ばかり離れた城下に売りに行くのを仕事にしておりました。 三人の百姓の生まれた村というのは、それはそれは淋しい小さな村で、秋になると、山が一面に紅葉になるので、城下の人たちが紅葉を見に来るほか、何のとりえもないような村でありました。 しかし百姓たちの村に入るところに大きな河が流れて、その河には、秋になると、岩名や山魚が沢山泳いでいました。 太郎右衛門は 村の人たちは、みんな楽しそうに、元気に働いていました。 伊作、多助、太郎右衛門の三人は、ある秋のおわりに、いつものように背中に炭俵を背負って城下へ出かけて行きました。 伊作が二俵、多助が三俵、太郎右衛門が四俵も背負っています。 三人が村を出た時は、まだ河の流れに朝霧がかかっていて、河原の石の上には霜が真白に下りていました。 「今日も、晴れになるだろうな」 と伊作が橋を渡りながら、一人言のようにいうと、ほかの二人も高い声で、 「そうだな、晴れになるだろうな」 と調子を合わせて、橋を渡って行きました。三人はいつものように、炭を売った後で、町の居酒屋で酒を飲むことを楽しみに、何の考えもなく足を早めて道を歩いて行きました。 伊作は背の高い一番丈夫な男だけに、峠を登る時は、多助と太郎右衛門が10メートル歩く頃には二人から100メートルほど先を歩いていました。 多助と太郎右衛門は、高い声で話をしながら坂を登って行きました。 二人は浜へ嫁に行っていた村の娘が、亭主に死なれて帰って来たという話を、まるで大事件のように力を入れて話していたのでした。
伊作、多助、太郎右衛門の三人が炭俵を背負って城下へ出かけて行くときに、もっとも多く炭俵を背負っている者を教えてください。
伊作、多助、太郎右衛門の三人が炭俵を背負って城下へ出かけて行くときに、もっとも多く炭俵を背負っているのは太郎右衛門で四俵です。
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私の性質がおとなしいということが、みんなに知れわたり、皇帝も宮廷も軍隊も国民も、みんなが、私を信用してくれるようになりました。で、私は近いうちに自由の身にしてもらえるのだろう、と思うようになりました。私はできるだけ、みんなから良く思われるように努めました。 人々はもう私を見ても、だんだん怖がらなくなりました。私は寝ころんだまま、右手の上で五人、左手の上で六人の人間を踊らせたりしました。ときには、子供たちがやって来て、私の髪の毛の間で、かくれんぼうをして遊ぶこともあります。もう私は彼らの言葉を聞いたり、話したりすることに馴れていました。 ある日、皇帝は、この国の見世物をやって見せて、私を喜ばせてくれました。それは実際、素晴しい見世物でした。なかでも面白かったのは、綱渡りです。これは地面から二フィート十二インチのところに、細い白糸を張って、その上でやるのです。 この曲芸は、宮廷の高い地位につきたいと望んでいる人たちが、出て演じるのでした。選手たちは子供のときから、この芸を仕込まれているのです。仮に、宮廷の高官が死んで、その椅子が一つ空いたとします。すると、五、六人の候補者が、綱渡りをして皇帝に見てもらいます。中で一番高く跳び上って落ちない者が、その空いた椅子に腰かけさせてもらえるのです。 ときには大臣たちが、この曲芸をして、こんなに高く跳べますよと、皇帝に御覧にいれることもあります。大蔵大臣のフリムナップなど、実にあざやかで、高く跳び上がります。私は彼が細い糸の上に皿を置いて、その上でとんぼ返りをするところを見ました。 だが、この曲芸ではときどき、死人や怪我人を出すことがあります。私も選手が手をくじいたのを三回、足をくじいたのを二回見ました。男が死んだのは二回、女が死んだのは一回見ました。 中でも、一番あぶないのは、大臣たちの曲芸です。それはお互いに仲間の者に負けまいとして、あんまり気張ってやるので、よく綱から落っこちます。私は大臣が骨を折ったのを三回、足をくじいたのを二回みました。 大蔵大臣のフリムナップでさえ、一度、もう少しで頭の骨を折るところでしたが、下に国王のクッションがあったので、助かったということです。 それから、もう一つ見世物があります。これは皇帝と皇后と総理大臣の前だけで、やらされる特別の余興なのです。皇帝はテーブルの上に、長さ六インチの細い絹糸を三本置きます。一つは青、一つは赤、もう一つは緑の糸です。皇帝は、特に取り立てて目をかけてやろうとする人たちに、この賞品をやるのです。
私が曲芸で見た怪我の数で少なかった怪我を教えてください。
私が曲芸で見た怪我の数で少なかった怪我は足をくじいたで二回です。
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私は、いつかは自由な身になりたい、という気持を、いつも持っていました。しかし、どうしたら自由になれるのか、それはまるでわかりませんでした。私にできそうな工夫はてんで見つからないのです。この国の海岸に吹きつけられた船は、後にも前にも、私の乗って来た船のほかに、誰も見たことはありません。しかし国王は、もし万一またほかの船が現れたら、すぐ海岸へ引っ張って来て、船長や乗客を手押車に乗せてつれて来るようにと、言い渡されていました。 国王は、私と同じ大きさの女を妻にさせて、私たちの子供をふやしてみたい、と熱心に望まれていました。私と同じ大きさの男の子を五人、女の子を三人はふやしてほしいと言っていました。 しかし私は、馴れたカナリヤのように籠の中で飼われたり、国中の貴族たちの慰みに売られるために、子供をつくるくらいなら、そんな恥かしい目に会うよりか、死んだ方がましだと思っていました。それに、国に残してきた家庭のことも忘れることができませんでした。もう一度、気らくに話のできる人間の中に帰り、街や野を歩くときも、蛙や犬の子みたいに踏みつぶされる心配なしに歩きたかったのです。しかし私は、たまたま思いがけないことから、うまく、この国を離れることができたのです。それを次にお話しいたしましょう。 それは私がこの国へ来て二年が過ぎ、ちょうど三年目のはじめ頃のことでした。グラムダルクリッチと私は、十人の警備と十五人の召使と共に国王と王妃のお供をして、南の海岸の方へ行きました。私はいつものように、旅行用の箱に入れられていました。ハンモックを天井の四隅から絹糸で吊し、旅行中はよくこれで眠ることにしました。 いよいよ海岸に着くと、国王はその海岸からあまり遠くないところにある離宮で数日間、お過しになることになりました。グラムダルクリッチも私も、へとへとに疲れていました。私も少し風邪をひいていましたが、グラムダルクリッチは非常に加減が悪いので、部屋で休んでいなければならなかったのです。私はなんとかして海へ行ってみたいと思いました。海へ行けば、この国から逃げ出す工夫が見つかるかもしれません。そこで、私は身体工合の悪いことを訴えて、ひとつ海岸へ行っていい空気が吸いたいので、行かせてください、と頼みました。そして、私と一緒に四人いる侍童のうち一人の男の子がついて行ってくれることになりました。しかし、グラムダルクリッチは、私が海へ行くのを喜びませんでした。別れるとき、彼女は何か虫が知らせるのか、しきりに涙を流していました。
国王が私と同じ大きさの子供をふやしてみたいと言っていたうち、数が多いほうの性別を教えてください。
国王が私と同じ大きさの子供をふやしてみたいと言っていたうち、数が多いほうの性別は男の子で五人です。
JCRRAG_014643
国語
昔、ある北の国の山奥に一つの村がありました。その村に伊作、多助、太郎右衛門という三人の百姓がいました。 三人の百姓は少しばかりの田を耕しながら、その合間に炭を焼いて三里ばかり離れた城下に売りに行くのを仕事にしておりました。 三人の百姓の生まれた村というのは、それはそれは淋しい小さな村で、秋になると、山が一面に紅葉になるので、城下の人たちが紅葉を見に来るほか、何のとりえもないような村でありました。 しかし百姓たちの村に入るところに大きな河が流れて、その河には、秋になると、岩名や山魚が沢山泳いでいました。 太郎右衛門は 村の人たちは、みんな楽しそうに、元気に働いていました。 伊作、多助、太郎右衛門の三人は、ある秋のおわりに、いつものように背中に炭俵を背負って城下へ出かけて行きました。 伊作が二俵、多助が三俵、太郎右衛門が四俵も背負っています。 三人が村を出た時は、まだ河の流れに朝霧がかかっていて、河原の石の上には霜が真白に下りていました。 「今日も、晴れになるだろうな」 と伊作が橋を渡りながら、一人言のようにいうと、ほかの二人も高い声で、 「そうだな、晴れになるだろうな」 と調子を合わせて、橋を渡って行きました。三人はいつものように、炭を売った後で、町の居酒屋で酒を飲むことを楽しみに、何の考えもなく足を早めて道を歩いて行きました。 伊作は背の高い一番丈夫な男だけに、峠を登る時は、多助と太郎右衛門が10メートル歩く頃には二人から100メートルほど先を歩いていました。 多助と太郎右衛門は、高い声で話をしながら坂を登って行きました。 二人は浜へ嫁に行っていた村の娘が、亭主に死なれて帰って来たという話を、まるで大事件のように力を入れて話していたのでした。
伊作、多助、太郎右衛門の三人が炭俵を背負って城下へ出かけて行くときに、もっとも少なく炭俵を背負っている者を教えてください。
伊作、多助、太郎右衛門の三人が炭俵を背負って城下へ出かけて行くときに、もっとも少なく炭俵を背負っている者は伊作で二俵です。
JCRRAG_014644
国語
私の性質がおとなしいということが、みんなに知れわたり、皇帝も宮廷も軍隊も国民も、みんなが、私を信用してくれるようになりました。で、私は近いうちに自由の身にしてもらえるのだろう、と思うようになりました。私はできるだけ、みんなから良く思われるように努めました。 人々はもう私を見ても、だんだん怖がらなくなりました。私は寝ころんだまま、右手の上で五人、左手の上で六人の人間を踊らせたりしました。ときには、子供たちがやって来て、私の髪の毛の間で、かくれんぼうをして遊ぶこともあります。もう私は彼らの言葉を聞いたり、話したりすることに馴れていました。 ある日、皇帝は、この国の見世物をやって見せて、私を喜ばせてくれました。それは実際、素晴しい見世物でした。なかでも面白かったのは、綱渡りです。これは地面から二フィート十二インチのところに、細い白糸を張って、その上でやるのです。 この曲芸は、宮廷の高い地位につきたいと望んでいる人たちが、出て演じるのでした。選手たちは子供のときから、この芸を仕込まれているのです。仮に、宮廷の高官が死んで、その椅子が一つ空いたとします。すると、五、六人の候補者が、綱渡りをして皇帝に見てもらいます。中で一番高く跳び上って落ちない者が、その空いた椅子に腰かけさせてもらえるのです。 ときには大臣たちが、この曲芸をして、こんなに高く跳べますよと、皇帝に御覧にいれることもあります。大蔵大臣のフリムナップなど、実にあざやかで、高く跳び上がります。私は彼が細い糸の上に皿を置いて、その上でとんぼ返りをするところを見ました。 だが、この曲芸ではときどき、死人や怪我人を出すことがあります。私も選手が手をくじいたのを三回、足をくじいたのを二回見ました。男が死んだのは二回、女が死んだのは一回見ました。 中でも、一番あぶないのは、大臣たちの曲芸です。それはお互いに仲間の者に負けまいとして、あんまり気張ってやるので、よく綱から落っこちます。私は大臣が骨を折ったのを三回、足をくじいたのを二回みました。 大蔵大臣のフリムナップでさえ、一度、もう少しで頭の骨を折るところでしたが、下に国王のクッションがあったので、助かったということです。 それから、もう一つ見世物があります。これは皇帝と皇后と総理大臣の前だけで、やらされる特別の余興なのです。皇帝はテーブルの上に、長さ六インチの細い絹糸を三本置きます。一つは青、一つは赤、もう一つは緑の糸です。皇帝は、特に取り立てて目をかけてやろうとする人たちに、この賞品をやるのです。
曲芸で死んだ人の数が多い性別を教えてください。
曲芸で死んだ人の数が多い性別は男で二回です。
JCRRAG_014645
国語
私は、いつかは自由な身になりたい、という気持を、いつも持っていました。しかし、どうしたら自由になれるのか、それはまるでわかりませんでした。私にできそうな工夫はてんで見つからないのです。この国の海岸に吹きつけられた船は、後にも前にも、私の乗って来た船のほかに、誰も見たことはありません。しかし国王は、もし万一またほかの船が現れたら、すぐ海岸へ引っ張って来て、船長や乗客を手押車に乗せてつれて来るようにと、言い渡されていました。 国王は、私と同じ大きさの女を妻にさせて、私たちの子供をふやしてみたい、と熱心に望まれていました。私と同じ大きさの男の子を五人、女の子を三人はふやしてほしいと言っていました。 しかし私は、馴れたカナリヤのように籠の中で飼われたり、国中の貴族たちの慰みに売られるために、子供をつくるくらいなら、そんな恥かしい目に会うよりか、死んだ方がましだと思っていました。それに、国に残してきた家庭のことも忘れることができませんでした。もう一度、気らくに話のできる人間の中に帰り、街や野を歩くときも、蛙や犬の子みたいに踏みつぶされる心配なしに歩きたかったのです。しかし私は、たまたま思いがけないことから、うまく、この国を離れることができたのです。それを次にお話しいたしましょう。 それは私がこの国へ来て二年が過ぎ、ちょうど三年目のはじめ頃のことでした。グラムダルクリッチと私は、十人の警備と十五人の召使と共に国王と王妃のお供をして、南の海岸の方へ行きました。私はいつものように、旅行用の箱に入れられていました。ハンモックを天井の四隅から絹糸で吊し、旅行中はよくこれで眠ることにしました。 いよいよ海岸に着くと、国王はその海岸からあまり遠くないところにある離宮で数日間、お過しになることになりました。グラムダルクリッチも私も、へとへとに疲れていました。私も少し風邪をひいていましたが、グラムダルクリッチは非常に加減が悪いので、部屋で休んでいなければならなかったのです。私はなんとかして海へ行ってみたいと思いました。海へ行けば、この国から逃げ出す工夫が見つかるかもしれません。そこで、私は身体工合の悪いことを訴えて、ひとつ海岸へ行っていい空気が吸いたいので、行かせてください、と頼みました。そして、私と一緒に四人いる侍童のうち一人の男の子がついて行ってくれることになりました。しかし、グラムダルクリッチは、私が海へ行くのを喜びませんでした。別れるとき、彼女は何か虫が知らせるのか、しきりに涙を流していました。
国王が私と同じ大きさの子供をふやしてみたいと言っていたうち、数が少ないほうの性別を教えてください。
国王が私と同じ大きさの子供をふやしてみたいと言っていたうち、数が少ないほうの性別は女の子で三人です。
JCRRAG_014646
国語
「伊作の足は、なんて早いんだ」 と多助は太郎右衛門に言いました。 「ああいう男は、坂の下で一服やってる頃だろうな。」 と太郎右衛門は笑いながら答えました。 多助と太郎右衛門が、峠を越して平原の見えるところまで来た時、坂の下の方で伊作が一生懸命に二人の方を見て、手を振っているのが、見えました。 「どうしたんだ? 伊作が、俺を呼んでるな。」 と多助が言いました。太郎右衛門も顔をしかめて坂の下を見下しました。 「早く来い、早く来い……面白いものが落っこちてるぞ!」 という伊作の声が聞こえて来ました。 「面白いものが落っこってるよ。」 と多助は、笑いながら言うと、太郎右衛門も大きな口を開けて笑いました。 「伊作の拾うものなんて、ろくなものじゃないだろうな!」 と太郎右衛門はつけ足して、多助と一緒に少し急いで坂を下りて行きました。 坂の下の方では、伊作はなんとももどかしそうに、二人の下りて来るのを待っていました。 「だまされたと思って、急いでくれよ!」 と多助は、炭俵をがさがさ騒がせて、走って行きました。 太郎右衛門は、もともと速く走れない男でしたから、多助に遅れて、一人で坂を下りて行きました。 太郎右衛門が伊作のいたところへ着いた時には、伊作と多助は大事そうにして、何か持ち上げて見たり触って見たりしていました。 「何が落ちてるんだって?」 太郎右衛門はまぬけな顔をして、二人の立っている間へ顔をつっこんでやりました。 「見ろ、こんなのが落ちてるんだって」 と伊作は少し身体をよけて、太郎右衛門にも見せました。 「おお! これは、奇妙な話じゃないか!」 と太郎右衛門は叫びました。 今三人の前に生後三か月ほどの一人の赤ちゃんが、美しい布きれに包まれて捨てられているのでした。 伊作の話では、伊作が最初に見つけた時は赤ちゃんはよく眠っていたということでした。 「一体何処どこの子供だろうな? いい顔つきしてるな」 多助は赤児の顔を見て、 「それだよ。いい着物を着てるしいいところの子供だろうよ。 だから、うっかり触らないほうがいいぞ。関わり合いになって牢屋にでも、ぶち込まれたら大変だ。触らぬ神に祟りなしって言うしよ」 と、つけたして言いました。 「そうだけどさ、不憫じゃないか?獣にでも見つかったら食われてしまうじゃないか?」 と、気の弱い太郎右衛門は言いました。 「子供も不憫には不憫だけどさ、子供にはもったいないような着物を着てるじゃないか?」 とふだんから少し欲の深い伊作は、赤ちゃんを包んでいる美しい布きれをほどいて見ました。 すると、赤ちゃんの腹のところに、三角に括り付けた胴巻が巻きつけてありました。 伊作は赤ちゃんが泣くのも耳に入らないと言うように、その財布を取り上げて、片方の端を持って振り回して見るとその中から小判が三十枚出て来ました。それを見て、多助も太郎右衛門もびっくりしてしまいました。 「なんてたまげた話しだ!」と多助は青い顔をして太郎右衛門を見ると、太郎右衛門は今までこんな大金を見たことがないので、がたがたふるえていました。 伊作の提案でとにかく三人はその赤児を拾うことにきめました。 「この金は、とにかくおれが預かることにするわ。」 と伊作はさっさと自分の腹へ巻きつけようとしたので、それを見た多助は大変に怒って、伊作とけんかを始めました。 そこで伊作は仕方がないので、小判を十枚だけ多助に渡しました。そして太郎右衛門には五枚だけ渡して、 「お前に子供がいなんだから、この子供を育てたらいいんじゃないか。」 と言いました。 太郎右衛門は、その時伊作に向かって、 「おれは子供が不憫だからつれて行くが、金が欲しくて子供をつれて行くわけじゃない」 と言ってどうしても金を受け取りませんでした。 多助は、もし太郎右衛門が受け取らなければその五枚の小判も伊作に取られてしまうのを知っているので、是非受け取るようにすすめたけれども受け取りませんでした。 伊作は太郎右衛門がどうしても小判を受け取れないので、その内の二枚を多助に渡し、残りの三枚を元の胴巻へ入れて、腰に巻きつけてしまいました。 多助も二枚余計にもらったので、まんざら悪い気持もしませんでした。 結局三十枚の小判は伊作が十八枚、多助が十二枚、太郎右衛門は一枚ももらいませんでした。 三人は城下へ行くのをやめて、その日は自分の村へ帰ってしまいました。
赤ちゃんの服から出てきた三十枚の小判のうち、伊作と多助を比較して、より多く持って行った者を教えてください。
赤ちゃんの服から出てきた三十枚の小判のうち、伊作と多助を比較して、より多く持って行った者は伊作で十八枚です。
JCRRAG_014647
国語
私の性質がおとなしいということが、みんなに知れわたり、皇帝も宮廷も軍隊も国民も、みんなが、私を信用してくれるようになりました。で、私は近いうちに自由の身にしてもらえるのだろう、と思うようになりました。私はできるだけ、みんなから良く思われるように努めました。 人々はもう私を見ても、だんだん怖がらなくなりました。私は寝ころんだまま、右手の上で五人、左手の上で六人の人間を踊らせたりしました。ときには、子供たちがやって来て、私の髪の毛の間で、かくれんぼうをして遊ぶこともあります。もう私は彼らの言葉を聞いたり、話したりすることに馴れていました。 ある日、皇帝は、この国の見世物をやって見せて、私を喜ばせてくれました。それは実際、素晴しい見世物でした。なかでも面白かったのは、綱渡りです。これは地面から二フィート十二インチのところに、細い白糸を張って、その上でやるのです。 この曲芸は、宮廷の高い地位につきたいと望んでいる人たちが、出て演じるのでした。選手たちは子供のときから、この芸を仕込まれているのです。仮に、宮廷の高官が死んで、その椅子が一つ空いたとします。すると、五、六人の候補者が、綱渡りをして皇帝に見てもらいます。中で一番高く跳び上って落ちない者が、その空いた椅子に腰かけさせてもらえるのです。 ときには大臣たちが、この曲芸をして、こんなに高く跳べますよと、皇帝に御覧にいれることもあります。大蔵大臣のフリムナップなど、実にあざやかで、高く跳び上がります。私は彼が細い糸の上に皿を置いて、その上でとんぼ返りをするところを見ました。 だが、この曲芸ではときどき、死人や怪我人を出すことがあります。私も選手が手をくじいたのを三回、足をくじいたのを二回見ました。男が死んだのは二回、女が死んだのは一回見ました。 中でも、一番あぶないのは、大臣たちの曲芸です。それはお互いに仲間の者に負けまいとして、あんまり気張ってやるので、よく綱から落っこちます。私は大臣が骨を折ったのを三回、足をくじいたのを二回みました。 大蔵大臣のフリムナップでさえ、一度、もう少しで頭の骨を折るところでしたが、下に国王のクッションがあったので、助かったということです。 それから、もう一つ見世物があります。これは皇帝と皇后と総理大臣の前だけで、やらされる特別の余興なのです。皇帝はテーブルの上に、長さ六インチの細い絹糸を三本置きます。一つは青、一つは赤、もう一つは緑の糸です。皇帝は、特に取り立てて目をかけてやろうとする人たちに、この賞品をやるのです。
私が見た中で、大臣が曲芸で落ちて、より多かったほうの怪我を教えてください。
私が見た中で、大臣が曲芸で落ちて、より多かったほうの怪我は骨を折ったで三回です。
JCRRAG_014648
国語
侍童は、私を箱に入れて、宮殿から半時間ほどの道を歩いて、海岸の岩のところへ来ました。私は頼んで下におろしてもらうと、窓を一枚開けて、海の方をじっと眺めていました。そのうち、少し気分が悪くなったので、ハンモックの中で昼寝してみたい、と侍童に言いました。すると、彼は寒気が入らないように、窓を閉めてくれました。私はハンモックの中で、すぐ眠りに落ちました。 ところで、侍童は私が眠っている間に、まさか危険も起こるまいと思って、岩の間へ鳥の卵でも探しに出かけたらしいのです。というのは私が眠る前から、侍童は卵を探しまわっていたし、岩の割れ目から二つ拾い上げて左手にもち、別の方向を向いて三つ拾い上げて右手に持っている姿を、私は窓から見ていたからです。それはともかくとして、私がふと箱の中で目をさまして見ると、驚きました。箱の上についている鉄の環を誰かが、ぐいぐい引っ張っているのです。と、つづいて私の箱は空高く引き上げられ、猛烈な速さで前へ走って行くような気がしました。はじめ私は、ハンモックがひどく揺れて、落っこちそうになりましたが、その後はずっと静かになりました。二、三度声を張り上げて呼んでみましたが、誰も答えてくれません。窓の方へ目をやって見ると、目にうつるものは雲と空ばかりでした。 小さな雲が五つ、大きな雲が二つ見えました。 そして私のすぐ頭の上で、何か羽ばたきのような物音が聞こえたのでした。 で、私は自分がどんなことになっているのか、わかりかけました。今、一羽の鷲が、私の箱をくわえているのですが、これはちょうどあの亀の子をつかまえたときするように、やがて箱を岩の上に落として割り、私の身体をほじくり出して食うつもりなのでしょう。というのは、鷲はよく臭いを嗅ぎつける鳥ですから、たとえ獲物が上手に隠れていても、すぐ見つけ出すので、私が箱の中にいることも、ちゃんともう知っているにちがいありません。
侍童が右手と左手に持っていた卵のうち、数が多いほうを教えてください。
侍童が右の手と左の手に持っていた卵のうち、数が多いほうは右手で三つです。
JCRRAG_014649
国語
「伊作の足は、なんて早いんだ」 と多助は太郎右衛門に言いました。 「ああいう男は、坂の下で一服やってる頃だろうな。」 と太郎右衛門は笑いながら答えました。 多助と太郎右衛門が、峠を越して平原の見えるところまで来た時、坂の下の方で伊作が一生懸命に二人の方を見て、手を振っているのが、見えました。 「どうしたんだ? 伊作が、俺を呼んでるな。」 と多助が言いました。太郎右衛門も顔をしかめて坂の下を見下しました。 「早く来い、早く来い……面白いものが落っこちてるぞ!」 という伊作の声が聞こえて来ました。 「面白いものが落っこってるよ。」 と多助は、笑いながら言うと、太郎右衛門も大きな口を開けて笑いました。 「伊作の拾うものなんて、ろくなものじゃないだろうな!」 と太郎右衛門はつけ足して、多助と一緒に少し急いで坂を下りて行きました。 坂の下の方では、伊作はなんとももどかしそうに、二人の下りて来るのを待っていました。 「だまされたと思って、急いでくれよ!」 と多助は、炭俵をがさがさ騒がせて、走って行きました。 太郎右衛門は、もともと速く走れない男でしたから、多助に遅れて、一人で坂を下りて行きました。 太郎右衛門が伊作のいたところへ着いた時には、伊作と多助は大事そうにして、何か持ち上げて見たり触って見たりしていました。 「何が落ちてるんだって?」 太郎右衛門はまぬけな顔をして、二人の立っている間へ顔をつっこんでやりました。 「見ろ、こんなのが落ちてるんだって」 と伊作は少し身体をよけて、太郎右衛門にも見せました。 「おお! これは、奇妙な話じゃないか!」 と太郎右衛門は叫びました。 今三人の前に生後三か月ほどの一人の赤ちゃんが、美しい布きれに包まれて捨てられているのでした。 伊作の話では、伊作が最初に見つけた時は赤ちゃんはよく眠っていたということでした。 「一体何処どこの子供だろうな? いい顔つきしてるな」 多助は赤児の顔を見て、 「それだよ。いい着物を着てるしいいところの子供だろうよ。 だから、うっかり触らないほうがいいぞ。関わり合いになって牢屋にでも、ぶち込まれたら大変だ。触らぬ神に祟りなしって言うしよ」 と、つけたして言いました。 「そうだけどさ、不憫じゃないか?獣にでも見つかったら食われてしまうじゃないか?」 と、気の弱い太郎右衛門は言いました。 「子供も不憫には不憫だけどさ、子供にはもったいないような着物を着てるじゃないか?」 とふだんから少し欲の深い伊作は、赤ちゃんを包んでいる美しい布きれをほどいて見ました。 すると、赤ちゃんの腹のところに、三角に括り付けた胴巻が巻きつけてありました。 伊作は赤ちゃんが泣くのも耳に入らないと言うように、その財布を取り上げて、片方の端を持って振り回して見るとその中から小判が三十枚出て来ました。それを見て、多助も太郎右衛門もびっくりしてしまいました。 「なんてたまげた話しだ!」と多助は青い顔をして太郎右衛門を見ると、太郎右衛門は今までこんな大金を見たことがないので、がたがたふるえていました。 伊作の提案でとにかく三人はその赤児を拾うことにきめました。 「この金は、とにかくおれが預かることにするわ。」 と伊作はさっさと自分の腹へ巻きつけようとしたので、それを見た多助は大変に怒って、伊作とけんかを始めました。 そこで伊作は仕方がないので、小判を十枚だけ多助に渡しました。そして太郎右衛門には五枚だけ渡して、 「お前に子供がいなんだから、この子供を育てたらいいんじゃないか。」 と言いました。 太郎右衛門は、その時伊作に向かって、 「おれは子供が不憫だからつれて行くが、金が欲しくて子供をつれて行くわけじゃない」 と言ってどうしても金を受け取りませんでした。 多助は、もし太郎右衛門が受け取らなければその五枚の小判も伊作に取られてしまうのを知っているので、是非受け取るようにすすめたけれども受け取りませんでした。 伊作は太郎右衛門がどうしても小判を受け取れないので、その内の二枚を多助に渡し、残りの三枚を元の胴巻へ入れて、腰に巻きつけてしまいました。 多助も二枚余計にもらったので、まんざら悪い気持もしませんでした。 結局三十枚の小判は伊作が十八枚、多助が十二枚、太郎右衛門は一枚ももらいませんでした。 三人は城下へ行くのをやめて、その日は自分の村へ帰ってしまいました。
赤ちゃんの服から出てきた三十枚の小判のうち、伊作と多助を比較して、より少なく持って行った者を教えてください。
赤ちゃんの服から出てきた三十枚の小判のうち、伊作と多助を比較して、より少なく持って行った者は多助で十二枚です。
JCRRAG_014650
国語
それから、もう一つ見世物があります。これは皇帝と皇后と総理大臣の前だけで、やらされる特別の余興なのです。皇帝はテーブルの上に、長さ六インチの細い絹糸を三本置きます。一つは青、一つは赤、もう一つは緑の糸です。皇帝は、特に取り立てて目をかけてやろうとする人たちに、この賞品をやるのです。 まず宮廷の大広間で、候補者たちは、皇帝からいろんな試験を受けます。皇帝が手に一本の棒を構えていると、候補者たちが一人ずつ進んで来ます。棒の指図にしたがって、人々は、その上を跳び越えたり、潜ったり、前へ行ったり後へ行ったり、そんなことを何度も繰り返すのです。 この芸を一番うまく熱心にやった者に、一等賞として、青色の糸が授けられます。二等賞は赤糸で、緑が三等賞です。もらった糸は、みんな腰のまわりに巻いて飾ります。ですから、宮廷の大官は大概、この帯をしています。 軍隊の馬も皇室の馬も、毎日、私の前を引きまわされたので、もう私を怖がらなくなり、平気で私の足許までやって来るようになりました。 この間私が地面に手を差し出すと、乗手が馬を躍らせて手をヒラリと跳び越えたのが三人いました。大きな馬を躍らせて、私の片足を靴ごと跳び越える人が二人いました。これは実に見事なものでした。
馬の乗手が馬を躍らせて私の手を乗り越えたもの、私の片足を靴ごと跳び越えたものがおりましたが、より多くの人が乗り越えたのは私の手と片足のどちらでしたか。
より多くの人が私を乗り越えたのは、手のほうでした。
JCRRAG_014651
国語
侍童は、私を箱に入れて、宮殿から半時間ほどの道を歩いて、海岸の岩のところへ来ました。私は頼んで下におろしてもらうと、窓を一枚開けて、海の方をじっと眺めていました。そのうち、少し気分が悪くなったので、ハンモックの中で昼寝してみたい、と侍童に言いました。すると、彼は寒気が入らないように、窓を閉めてくれました。私はハンモックの中で、すぐ眠りに落ちました。 ところで、侍童は私が眠っている間に、まさか危険も起こるまいと思って、岩の間へ鳥の卵でも探しに出かけたらしいのです。というのは私が眠る前から、侍童は卵を探しまわっていたし、岩の割れ目から二つ拾い上げて左手にもち、別の方向を向いて三つ拾い上げて右手に持っている姿を、私は窓から見ていたからです。それはともかくとして、私がふと箱の中で目をさまして見ると、驚きました。箱の上についている鉄の環を誰かが、ぐいぐい引っ張っているのです。と、つづいて私の箱は空高く引き上げられ、猛烈な速さで前へ走って行くような気がしました。はじめ私は、ハンモックがひどく揺れて、落っこちそうになりましたが、その後はずっと静かになりました。二、三度声を張り上げて呼んでみましたが、誰も答えてくれません。窓の方へ目をやって見ると、目にうつるものは雲と空ばかりでした。 小さな雲が五つ、大きな雲が二つ見えました。 そして私のすぐ頭の上で、何か羽ばたきのような物音が聞こえたのでした。 で、私は自分がどんなことになっているのか、わかりかけました。今、一羽の鷲が、私の箱をくわえているのですが、これはちょうどあの亀の子をつかまえたときするように、やがて箱を岩の上に落として割り、私の身体をほじくり出して食うつもりなのでしょう。というのは、鷲はよく臭いを嗅ぎつける鳥ですから、たとえ獲物が上手に隠れていても、すぐ見つけ出すので、私が箱の中にいることも、ちゃんともう知っているにちがいありません。
侍童が右手と左手に持っていた卵のうち、数が少ないほうを教えてください。
侍童が右手と左手に持っていた卵のうち、数が少ないほうは左手で二つです。
JCRRAG_014652
国語
しばらくすると、ジャックはまた、もういちど空の上のお城に行ってみたくなりました。そこで、こんどは、この間とは違った変装をして、ある日、豆の木のはしごを、またするするとのぼって行きました。鬼のお城に行って、門をたたくと、鬼のおかみさんが出てきました。ジャックが、またかなしそうに、とめてもらいたいといって、たのみますと、おかみさんは、まさかジャックとは気がつかないようでしたが、それでも手をふって、 「いけない、いけない。この前も、お前とおなじような貧乏たらしいこどもをとめて、主人のだいじなにわとりを、ちょっくらもって行かせた。それからはまい晩、そのことをいいだして、わたしが、延々としかられているじゃないか。またもあんなひどいめにあうのはこりごりだよ。」といいました。 それでも、ジャックは、しつこくたのんで、とうとう中へ入れてもらいました。すると、大男がかえって来て、また、そこらをくんくんかいでまわりましたが、ジャックは、あかがねの箱の中にかくれているので、どうしてもみつかりませんでした。 大男は、この前とおなじように、晩の食事をたらふくやったあとで、こんどは、金のたまごをうむにわとりの代わりに、金や銀のおたからのたくさんつまった袋を出させて、それをざあっとテーブルの上にあけて、一枚一枚かぞえてみて、それから、おはじきでもしてあそぶように、それをチャラチャラいわせて、さんざんあそんでいました。 金貨を百枚、銀貨を二百枚はだしてあそんでいました。 が、ひととおりたのしむと、また袋の中にしまって、ひもをかたくしめました。そして、天井にひびくほどの大あくびをひとつして、それなりぐうぐう、大いびきでねてしまいました。 そこで、こんども、ジャックは、そろりそろり、あかがねの箱からはいだして、金と銀のおたからのいっぱいつまった袋を、両方の腕に、しっかりかかえるがはやいか、さっさとにげだして行きました。ところが、この袋の番人に、一ぴきの小犬がつけてあったので、そいつが、とたんに、きゃんきゃん吠えだしました。 ジャックは、こんどこそだめだとおもいました。それでも、大男は、とても死んだようによくねていて、目をさましませんでした。ジャックはむちゅうで、後ろをみずにどんどん、走って行って、とうとう豆の木のはしごに行きつきました。 さて、にわとりとちがって、こんどはおもたい金と銀の袋をはこぶのに、ほねがおれました。それでもがまんして、うんすら、うんすら、二日がかりで、豆の木のはしごを、ジャックはおりました。 やっとこさ、うちまでたどりつくと、おかあさんは、ジャックがいなくなったので、すっかり、がっかりして、ひどい病人になって、戸をしめてねていました。それでも、ぶじなジャックの顔をみると、まるで死んだ人が生きかえったようになって、それからずんずんよくなって、やがて、しゃんしゃんあるきだしました。その上、お金がたくさんできたときいて、よけいげんきになりました。
大男は金や銀のおたからのたくさんつまった袋を出させて遊んでいましたが、大男が出したおたからのうち、より多かったものを教えてください。
大男は金や銀のおたからのたくさんつまった袋を出させて遊んでいましたが、大男が出したおたからのうち、より多かったものは銀貨で二百枚です。
JCRRAG_014653
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それから、もう一つ見世物があります。これは皇帝と皇后と総理大臣の前だけで、やらされる特別の余興なのです。皇帝はテーブルの上に、長さ六インチの細い絹糸を三本置きます。一つは青、一つは赤、もう一つは緑の糸です。皇帝は、特に取り立てて目をかけてやろうとする人たちに、この賞品をやるのです。 まず宮廷の大広間で、候補者たちは、皇帝からいろんな試験を受けます。皇帝が手に一本の棒を構えていると、候補者たちが一人ずつ進んで来ます。棒の指図にしたがって、人々は、その上を跳び越えたり、潜ったり、前へ行ったり後へ行ったり、そんなことを何度も繰り返すのです。 この芸を一番うまく熱心にやった者に、一等賞として、青色の糸が授けられます。二等賞は赤糸で、緑が三等賞です。もらった糸は、みんな腰のまわりに巻いて飾ります。ですから、宮廷の大官は大概、この帯をしています。 軍隊の馬も皇室の馬も、毎日、私の前を引きまわされたので、もう私を怖がらなくなり、平気で私の足許までやって来るようになりました。 この間私が地面に手を差し出すと、乗手が馬を躍らせて手をヒラリと跳び越えたのが三人いました。大きな馬を躍らせて、私の片足を靴ごと跳び越える人が二人いました。これは実に見事なものでした。
芸を一番うまく熱心にやった者に皇帝が渡す糸の中で、もっとも低い賞として渡されるのは何色ですか。
芸を一番うまく熱心にやった者に皇帝が渡す糸の中で、もっとも低い賞として渡されるのは緑色で三等賞です。
JCRRAG_014654
国語
侍童は、私を箱に入れて、宮殿から半時間ほどの道を歩いて、海岸の岩のところへ来ました。私は頼んで下におろしてもらうと、窓を一枚開けて、海の方をじっと眺めていました。そのうち、少し気分が悪くなったので、ハンモックの中で昼寝してみたい、と侍童に言いました。すると、彼は寒気が入らないように、窓を閉めてくれました。私はハンモックの中で、すぐ眠りに落ちました。 ところで、侍童は私が眠っている間に、まさか危険も起こるまいと思って、岩の間へ鳥の卵でも探しに出かけたらしいのです。というのは私が眠る前から、侍童は卵を探しまわっていたし、岩の割れ目から二つ拾い上げて左手にもち、別の方向を向いて三つ拾い上げて右手に持っている姿を、私は窓から見ていたからです。それはともかくとして、私がふと箱の中で目をさまして見ると、驚きました。箱の上についている鉄の環を誰かが、ぐいぐい引っ張っているのです。と、つづいて私の箱は空高く引き上げられ、猛烈な速さで前へ走って行くような気がしました。はじめ私は、ハンモックがひどく揺れて、落っこちそうになりましたが、その後はずっと静かになりました。二、三度声を張り上げて呼んでみましたが、誰も答えてくれません。窓の方へ目をやって見ると、目にうつるものは雲と空ばかりでした。 小さな雲が五つ、大きな雲が二つ見えました。 そして私のすぐ頭の上で、何か羽ばたきのような物音が聞こえたのでした。 で、私は自分がどんなことになっているのか、わかりかけました。今、一羽の鷲が、私の箱をくわえているのですが、これはちょうどあの亀の子をつかまえたときするように、やがて箱を岩の上に落として割り、私の身体をほじくり出して食うつもりなのでしょう。というのは、鷲はよく臭いを嗅ぎつける鳥ですから、たとえ獲物が上手に隠れていても、すぐ見つけ出すので、私が箱の中にいることも、ちゃんともう知っているにちがいありません。
窓の方へ目をやって見えた雲の数のうち、多いほうを教えてください。
窓の方へ目をやって見えた雲の数のうち、多いほうは小さな雲で五つです。
JCRRAG_014655
国語
しばらくすると、ジャックはまた、もういちど空の上のお城に行ってみたくなりました。そこで、こんどは、この間とは違った変装をして、ある日、豆の木のはしごを、またするするとのぼって行きました。鬼のお城に行って、門をたたくと、鬼のおかみさんが出てきました。ジャックが、またかなしそうに、とめてもらいたいといって、たのみますと、おかみさんは、まさかジャックとは気がつかないようでしたが、それでも手をふって、 「いけない、いけない。この前も、お前とおなじような貧乏たらしいこどもをとめて、主人のだいじなにわとりを、ちょっくらもって行かせた。それからはまい晩、そのことをいいだして、わたしが、延々としかられているじゃないか。またもあんなひどいめにあうのはこりごりだよ。」といいました。 それでも、ジャックは、しつこくたのんで、とうとう中へ入れてもらいました。すると、大男がかえって来て、また、そこらをくんくんかいでまわりましたが、ジャックは、あかがねの箱の中にかくれているので、どうしてもみつかりませんでした。 大男は、この前とおなじように、晩の食事をたらふくやったあとで、こんどは、金のたまごをうむにわとりの代わりに、金や銀のおたからのたくさんつまった袋を出させて、それをざあっとテーブルの上にあけて、一枚一枚かぞえてみて、それから、おはじきでもしてあそぶように、それをチャラチャラいわせて、さんざんあそんでいました。 金貨を百枚、銀貨を二百枚はだしてあそんでいました。 が、ひととおりたのしむと、また袋の中にしまって、ひもをかたくしめました。そして、天井にひびくほどの大あくびをひとつして、それなりぐうぐう、大いびきでねてしまいました。 そこで、こんども、ジャックは、そろりそろり、あかがねの箱からはいだして、金と銀のおたからのいっぱいつまった袋を、両方の腕に、しっかりかかえるがはやいか、さっさとにげだして行きました。ところが、この袋の番人に、一ぴきの小犬がつけてあったので、そいつが、とたんに、きゃんきゃん吠えだしました。 ジャックは、こんどこそだめだとおもいました。それでも、大男は、とても死んだようによくねていて、目をさましませんでした。ジャックはむちゅうで、後ろをみずにどんどん、走って行って、とうとう豆の木のはしごに行きつきました。 さて、にわとりとちがって、こんどはおもたい金と銀の袋をはこぶのに、ほねがおれました。それでもがまんして、うんすら、うんすら、二日がかりで、豆の木のはしごを、ジャックはおりました。 やっとこさ、うちまでたどりつくと、おかあさんは、ジャックがいなくなったので、すっかり、がっかりして、ひどい病人になって、戸をしめてねていました。それでも、ぶじなジャックの顔をみると、まるで死んだ人が生きかえったようになって、それからずんずんよくなって、やがて、しゃんしゃんあるきだしました。その上、お金がたくさんできたときいて、よけいげんきになりました。
大男は金や銀のおたからのたくさんつまった袋を出させて遊んでいましたが、大男が出したおたからのうち、より少なかったものを教えてください。
大男は金や銀のおたからのたくさんつまった袋を出させて遊んでいましたが、大男が出したおたからのうち、より少なかったものは金貨で百枚です。
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国語
それから、もう一つ見世物があります。これは皇帝と皇后と総理大臣の前だけで、やらされる特別の余興なのです。皇帝はテーブルの上に、長さ六インチの細い絹糸を三本置きます。一つは青、一つは赤、もう一つは緑の糸です。皇帝は、特に取り立てて目をかけてやろうとする人たちに、この賞品をやるのです。 まず宮廷の大広間で、候補者たちは、皇帝からいろんな試験を受けます。皇帝が手に一本の棒を構えていると、候補者たちが一人ずつ進んで来ます。棒の指図にしたがって、人々は、その上を跳び越えたり、潜ったり、前へ行ったり後へ行ったり、そんなことを何度も繰り返すのです。 この芸を一番うまく熱心にやった者に、一等賞として、青色の糸が授けられます。二等賞は赤糸で、緑が三等賞です。もらった糸は、みんな腰のまわりに巻いて飾ります。ですから、宮廷の大官は大概、この帯をしています。 軍隊の馬も皇室の馬も、毎日、私の前を引きまわされたので、もう私を怖がらなくなり、平気で私の足許までやって来るようになりました。 この間私が地面に手を差し出すと、乗手が馬を躍らせて手をヒラリと跳び越えたのが三人いました。大きな馬を躍らせて、私の片足を靴ごと跳び越える人が二人いました。これは実に見事なものでした。
馬を躍らせて私を飛び越えた人がより多く飛び越えたのは、私の体のどの部分ですか。
馬を躍らせて私を飛び越えた人がより多く飛び越えたのは、私の体の手の部分で、三人です。
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国語
侍童は、私を箱に入れて、宮殿から半時間ほどの道を歩いて、海岸の岩のところへ来ました。私は頼んで下におろしてもらうと、窓を一枚開けて、海の方をじっと眺めていました。そのうち、少し気分が悪くなったので、ハンモックの中で昼寝してみたい、と侍童に言いました。すると、彼は寒気が入らないように、窓を閉めてくれました。私はハンモックの中で、すぐ眠りに落ちました。 ところで、侍童は私が眠っている間に、まさか危険も起こるまいと思って、岩の間へ鳥の卵でも探しに出かけたらしいのです。というのは私が眠る前から、侍童は卵を探しまわっていたし、岩の割れ目から二つ拾い上げて左手にもち、別の方向を向いて三つ拾い上げて右手に持っている姿を、私は窓から見ていたからです。それはともかくとして、私がふと箱の中で目をさまして見ると、驚きました。箱の上についている鉄の環を誰かが、ぐいぐい引っ張っているのです。と、つづいて私の箱は空高く引き上げられ、猛烈な速さで前へ走って行くような気がしました。はじめ私は、ハンモックがひどく揺れて、落っこちそうになりましたが、その後はずっと静かになりました。二、三度声を張り上げて呼んでみましたが、誰も答えてくれません。窓の方へ目をやって見ると、目にうつるものは雲と空ばかりでした。 小さな雲が五つ、大きな雲が二つ見えました。 そして私のすぐ頭の上で、何か羽ばたきのような物音が聞こえたのでした。 で、私は自分がどんなことになっているのか、わかりかけました。今、一羽の鷲が、私の箱をくわえているのですが、これはちょうどあの亀の子をつかまえたときするように、やがて箱を岩の上に落として割り、私の身体をほじくり出して食うつもりなのでしょう。というのは、鷲はよく臭いを嗅ぎつける鳥ですから、たとえ獲物が上手に隠れていても、すぐ見つけ出すので、私が箱の中にいることも、ちゃんともう知っているにちがいありません。
窓の方へ目をやって見えた雲の数のうち、少ないほうを教えてください。
窓の方へ目をやって見えた雲の数のうち、少ないほうは大きな雲で二つです。
JCRRAG_014658
国語
猫吉親方は、さっそく、その長ぐつをはいて、袋を首にかけました。そして、ふたつの前足で、袋のひもをおさえて、なかなか気取ったかっこうで、兎をたくさん、はなし飼いにしてあるところへ行きました。そこで、猫は、袋の中にふすまとチシャを入れて、遠くのほうへほうりだしておきました。そこから、袋のひもを長くのばして、そのはしをつかんだままじぶんはこちらに寝転んで、死んだふりをしていました。こうして、まだ世の中のうそを知らない若い兎たちが、なんの気なしに、袋の中のものをたべに、もぐりこんでくるのを待っていました。あんのじょう、もうさっそく、むこう見ずの若い、ばか兎が一匹、その袋の中へとびこみました。猫吉親方は、ここぞとばかりに、すかさずひもをしめて、その兎を、なさけようしゃもなくころしてしまいました。そうして、それを、えいやっとかついで、鼻たかだかと、王様の御殿へ出かけて、お目どおりをねがいました。 猫吉は、王様の御前へ出ると、うやうやしくおじぎをして、 「王様、わたくしは、主人カラバ侯爵からのいいつけで、きょう狩場で取りましたえものの兎を一匹、王様へ献上にあがりました。」 カラバ侯爵というのは、猫吉がいいかげんに、じぶんの主人につけたなまえですが、王様はそんなことはご存じないものですから、 「それは、それは、ありがとう。ご主人に、どうぞよろしく御礼をいっておくれ。」と、おっしゃいました。 猫吉は、万事うまくいったわいと、心の中ではおもいながら、 「はいはい、かしこまりました。」と、申しあげて、ぴょこ、ぴょこ、おじぎをして、かえって来ました。 その後にまた、猫吉は、こんどは、むぎばたけの中にかくれていて、例の袋をあけて待っていると、やまどりが二羽かかりました。それを二羽ともそっくりつかまえて、兎とおなじように、王様の所へもって行きました。 それから猫吉親方は三か月のあいだ、カラバ侯爵の使者だと名乗っては、いろいろと狩場のえものを、王様へ献上しました。 ある時は兎を三匹献上したり、やまどりを十羽献上したりしました。 そしてそのたんびに、猫吉は金貨を二枚いただいたり、銀貨を五枚頂いたり、ごちそうとしてお酒を五杯飲まされたり、お肉を三枚も頂いたり、たっぷりおもてなしをうけるうちに、だんだん王様の御殿のようすが分かってきました。
猫吉親方が三か月のあいだに王様へ献上したものの中で、数が多いほうを教えてください。
猫吉親方が三か月のあいだに王様へ献上したものの中で、数が多いほうはやまどりで十羽です。
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国語
私が自由の身にしてもらえる二・三日前のことでした。宮廷の男たちを十人、女たちを十三人を集めて、ハンカチの余興をしているところへ、にわかに一人の使が到着しました。 何人かの者が馬で、いつか私がつかまった場所を通りかかると、一つの大きな黒いものが落ちているのを見つけました。非常に奇妙な形のもので、縁が円くひろがっています。その広さは、陛下の寝室ぐらいあり、真中のところは、人の背ほど高くなっています。はじめ、みんなは、これは生きものだろうと思って、何度もそのまわりを歩いてみましたが、草の上にじっとしたきり動かないのです。そこで、お互に肩を踏台にして、頂上にのぼってみると、上は平べったくなっています。足で踏んでみると、内側は空っぽだということがわかりました。そこで、みんなは、これはどうも人間山の帽子らしいと考えました。 「馬五頭、人間が十人あればそれを運んでまいります。」 と使者は皇帝に申し上げました。 私にはすぐ、ははあ、そうか、とわかりました。そして、いい知らせを聞いて喜びました。よく考えてみると、ボートを漕いでいるときに、私は紐で帽子をしっかり頭に結びつけていました。それから、泳いでいるときも、それは絶えず頭にかむっていました。ところが、難船した後はじめて陸にたどりついたときには、なにしろ私はひどく疲れていたので、何かの拍子に、紐が切れて落っこちたのも知らなかったのです。帽子は海で失くしたものとばかり思っていました。 私は皇帝に、それは帽子というものだということを、よく説明して、どうかさっそくそれを取り寄せてください、とお願いしました。すると翌日、馬車引きがそれをとどけてくれました。帽子はかなり、ひどいことをされていました。縁から一インチ半ほどのところに、穴を二つあけ、これに鈎が二つ引っかけてあります。その鈎を長い綱で馬車にくくり、こんなふうにして一マイル半以上も引きずって来たのです。ただ、この国は地面が非常に平なので、帽子の傷もそれほどではなかったのです。 それから二日たつと、皇帝は、首府の軍隊に出動を命じて、また途方もない遊びを思いつきました。私にはできるだけ、大股をひろげて、巨人像のように立っていろ、と仰せられます。それから今度は、将軍(この人は何度も戦場に出たことのある老将軍で、私の恩人でもあります)に命じて、あの股の下を軍隊に行進させてみよ、と仰せになるのでした。 歩兵が二十四列、騎兵が十六列に並び、太鼓を鳴らし、旗をひるがえし、槍を横たえ、歩兵三千、騎兵一千、見事に私の股の下を行進しました。 陛下は各兵士に向って、行進中は私によく礼儀を守ること、背けば死刑にすると申し渡されていました。しかし、それでも若い士官などが、私の股の下を通るとき、ちょっと眼をあげて上を見るのは仕方がありません。私のズボンは、もうひどく綻びていたので、下から見上げると、さぞ、びっくりしたことでしょう。
私がハンカチの余興を見せている宮廷の者達の中で、多いほうの性別を教えてください。
私がハンカチの余興を見せている宮廷の者達の中で、多いほうの性別は女で十三人です。
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国語
5分くらい羽音が激しくなったかと思うと、箱はまるで風の中の看板のようにひどく揺れだしました。と今度は何かズシンと鷲にぶつかる音が1秒ほどして、突然、私はまっ逆さまに落ちて行くのを感じました。恐ろしい速さで、ほとんど息もできないくらいでした。それから一分ぐらいたつと、私の耳にはゴーゴーとナイヤガラの滝のような音が2分くらいして、何か凄いものに箱がぶつかっているように思えました。ふと、落ちてゆくのがやんだかとおもうと、あたりは真っ暗になりました。 それから一分もすると、こんどは箱がどんどん上にあがってゆき、窓の方から光が見えだしました。それで海の中へ落ちたことがはじめてわかりました。箱は私の身体や家具などの重みで、水の中に浸りながら浮いています。 私はそのとき、こう思いました。これはたぶん、箱をさらって逃げた一羽の鷲が、仲間の三羽の鷲に追っかけられたのでしょう。そして、お互いに箱の獲物を争い合っているうちに、思わず鷲は箱を放したのでしょう。この箱の底には鉄が張ってあるため、海に落ちても壊れなかったのです。部屋はぴったり、しまっていたので、水にも濡れなかったのです。そこで、私はハンモックからおりると、まず天井の引窓を開けて空気を入れ替えました。 私の箱は今にもバラバラになるかもしれないのでした。大きな波一つで、箱はすぐひっくりかえるかもしれませんし、窓ガラス一つ壊れただけで駄目になります。こんな、あやうい状態で、私の箱は四時間ばかりただよっていました。ところが、この箱の窓のない側で、そのときふと何か軋むような音が5秒くらい聞こえました。それから間もなく、何か私の箱が、海の上を引っ張られているような気がしました。ときどき、グイと引かれたかとおもうと、窓の上あたりまで波が見えて、部屋の中が暗くなります。これは助かるのかしらと、ふと私は希望が湧いてきました。そこで、私はできるだけ口を窓に近づけて、大声で助けを呼んでみました。それからステッキの先にハンカチを結んで、穴から出して振ってみました。もし船でもそばにいるのなら、この箱の中に私がいることを知ってもらいたかったからです。
私の耳に届いた物音のうち、一番長い時間聞こえた物音の種類を教えてください。
私の耳に届いた物音のうち、一番長い時間聞こえた物音の種類は羽音で5分くらいです。
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猫吉親方は、さっそく、その長ぐつをはいて、袋を首にかけました。そして、ふたつの前足で、袋のひもをおさえて、なかなか気取ったかっこうで、兎をたくさん、はなし飼いにしてあるところへ行きました。そこで、猫は、袋の中にふすまとチシャを入れて、遠くのほうへほうりだしておきました。そこから、袋のひもを長くのばして、そのはしをつかんだままじぶんはこちらに寝転んで、死んだふりをしていました。こうして、まだ世の中のうそを知らない若い兎たちが、なんの気なしに、袋の中のものをたべに、もぐりこんでくるのを待っていました。あんのじょう、もうさっそく、むこう見ずの若い、ばか兎が一匹、その袋の中へとびこみました。猫吉親方は、ここぞとばかりに、すかさずひもをしめて、その兎を、なさけようしゃもなくころしてしまいました。そうして、それを、えいやっとかついで、鼻たかだかと、王様の御殿へ出かけて、お目どおりをねがいました。 猫吉は、王様の御前へ出ると、うやうやしくおじぎをして、 「王様、わたくしは、主人カラバ侯爵からのいいつけで、きょう狩場で取りましたえものの兎を一匹、王様へ献上にあがりました。」 カラバ侯爵というのは、猫吉がいいかげんに、じぶんの主人につけたなまえですが、王様はそんなことはご存じないものですから、 「それは、それは、ありがとう。ご主人に、どうぞよろしく御礼をいっておくれ。」と、おっしゃいました。 猫吉は、万事うまくいったわいと、心の中ではおもいながら、 「はいはい、かしこまりました。」と、申しあげて、ぴょこ、ぴょこ、おじぎをして、かえって来ました。 その後にまた、猫吉は、こんどは、むぎばたけの中にかくれていて、例の袋をあけて待っていると、やまどりが二羽かかりました。それを二羽ともそっくりつかまえて、兎とおなじように、王様の所へもって行きました。 それから猫吉親方は三か月のあいだ、カラバ侯爵の使者だと名乗っては、いろいろと狩場のえものを、王様へ献上しました。 ある時は兎を三匹献上したり、やまどりを十羽献上したりしました。 そしてそのたんびに、猫吉は金貨を二枚いただいたり、銀貨を五枚頂いたり、ごちそうとしてお酒を五杯飲まされたり、お肉を三枚も頂いたり、たっぷりおもてなしをうけるうちに、だんだん王様の御殿のようすが分かってきました。
猫吉親方が三か月のあいだに王様へ献上したものの中で、数が少ないほうを教えてください。
猫吉親方が三か月のあいだに王様へ献上したものの中で、数が少ないほうは兎で三匹です。
JCRRAG_014662
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私が自由の身にしてもらえる二・三日前のことでした。宮廷の男たちを十人、女たちを十三人を集めて、ハンカチの余興をしているところへ、にわかに一人の使が到着しました。 何人かの者が馬で、いつか私がつかまった場所を通りかかると、一つの大きな黒いものが落ちているのを見つけました。非常に奇妙な形のもので、縁が円くひろがっています。その広さは、陛下の寝室ぐらいあり、真中のところは、人の背ほど高くなっています。はじめ、みんなは、これは生きものだろうと思って、何度もそのまわりを歩いてみましたが、草の上にじっとしたきり動かないのです。そこで、お互に肩を踏台にして、頂上にのぼってみると、上は平べったくなっています。足で踏んでみると、内側は空っぽだということがわかりました。そこで、みんなは、これはどうも人間山の帽子らしいと考えました。 「馬五頭、人間が十人あればそれを運んでまいります。」 と使者は皇帝に申し上げました。 私にはすぐ、ははあ、そうか、とわかりました。そして、いい知らせを聞いて喜びました。よく考えてみると、ボートを漕いでいるときに、私は紐で帽子をしっかり頭に結びつけていました。それから、泳いでいるときも、それは絶えず頭にかむっていました。ところが、難船した後はじめて陸にたどりついたときには、なにしろ私はひどく疲れていたので、何かの拍子に、紐が切れて落っこちたのも知らなかったのです。帽子は海で失くしたものとばかり思っていました。 私は皇帝に、それは帽子というものだということを、よく説明して、どうかさっそくそれを取り寄せてください、とお願いしました。すると翌日、馬車引きがそれをとどけてくれました。帽子はかなり、ひどいことをされていました。縁から一インチ半ほどのところに、穴を二つあけ、これに鈎が二つ引っかけてあります。その鈎を長い綱で馬車にくくり、こんなふうにして一マイル半以上も引きずって来たのです。ただ、この国は地面が非常に平なので、帽子の傷もそれほどではなかったのです。 それから二日たつと、皇帝は、首府の軍隊に出動を命じて、また途方もない遊びを思いつきました。私にはできるだけ、大股をひろげて、巨人像のように立っていろ、と仰せられます。それから今度は、将軍(この人は何度も戦場に出たことのある老将軍で、私の恩人でもあります)に命じて、あの股の下を軍隊に行進させてみよ、と仰せになるのでした。 歩兵が二十四列、騎兵が十六列に並び、太鼓を鳴らし、旗をひるがえし、槍を横たえ、歩兵三千、騎兵一千、見事に私の股の下を行進しました。 陛下は各兵士に向って、行進中は私によく礼儀を守ること、背けば死刑にすると申し渡されていました。しかし、それでも若い士官などが、私の股の下を通るとき、ちょっと眼をあげて上を見るのは仕方がありません。私のズボンは、もうひどく綻びていたので、下から見上げると、さぞ、びっくりしたことでしょう。
私がハンカチの余興を見せている宮廷の者達の中で、少ないほうの性別を教えてください。
私がハンカチの余興を見せている宮廷の者達の中で、少ないほうの性別は男で十人です。
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しばらくして、羽音が激しくなったかと思うと、箱はまるで風の中の看板のようにひどく揺れだしました。と今度は何かズシンと鷲にぶつかる音がして、突然、私はまっ逆さまに落ちて行くのを感じました。恐ろしい速さで、ほとんど息もできないくらいでした。それから一分ぐらいたつと、私の耳にはゴーゴーとナイヤガラの滝のような音がして、何か凄いものに箱がぶつかっているように思えました。ふと、落ちてゆくのがやんだかとおもうと、あたりは真っ暗になりました。 それから一分もすると、こんどは箱がどんどん上にあがってゆき、窓の方から光が見えだしました。それで海の中へ落ちたことがはじめてわかりました。箱は私の身体や家具などの重みで、水の中に浸りながら浮いています。 私はそのとき、こう思いました。これはたぶん、箱をさらって逃げた一羽の鷲が、仲間の三羽の鷲に追っかけられたのでしょう。そして、お互いに箱の獲物を争い合っているうちに、思わず鷲は箱を放したのでしょう。この箱の底には鉄が張ってあるため、海に落ちても壊れなかったのです。部屋はぴったり、しまっていたので、水にも濡れなかったのです。そこで、私はハンモックからおりると、まず天井の引窓を開けて空気を入れ替えました。 私の箱は今にもバラバラになるかもしれないのでした。大きな波一つで、箱はすぐひっくりかえるかもしれませんし、窓ガラス一つ壊れただけで駄目になります。こんな、あやうい状態で、私の箱は四時間ばかりただよっていました。ところが、この箱の窓のない側で、そのときふと何か軋むような音が聞こえました。それから間もなく、何か私の箱が、海の上を引っ張られているような気がしました。ときどき、グイと引かれたかとおもうと、窓の上あたりまで波が見えて、部屋の中が暗くなります。これは助かるのかしらと、ふと私は希望が湧いてきました。そこで、私はできるだけ口を窓に近づけて、大声で助けを呼んでみました。それからステッキの先にハンカチを結んで、穴から出して振ってみました。もし船でもそばにいるのなら、この箱の中に私がいることを知ってもらいたかったからです。
私の耳に届いた物音のうち、数が少ないほうを教えてください。
私の耳に届いた物音のうち、数が少ないのは大きな物音で三回です。
JCRRAG_014664
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私が自由の身にしてもらえる二・三日前のことでした。宮廷の男たちを十人、女たちを十三人を集めて、ハンカチの余興をしているところへ、にわかに一人の使が到着しました。 何人かの者が馬で、いつか私がつかまった場所を通りかかると、一つの大きな黒いものが落ちているのを見つけました。非常に奇妙な形のもので、縁が円くひろがっています。その広さは、陛下の寝室ぐらいあり、真中のところは、人の背ほど高くなっています。はじめ、みんなは、これは生きものだろうと思って、何度もそのまわりを歩いてみましたが、草の上にじっとしたきり動かないのです。そこで、お互に肩を踏台にして、頂上にのぼってみると、上は平べったくなっています。足で踏んでみると、内側は空っぽだということがわかりました。そこで、みんなは、これはどうも人間山の帽子らしいと考えました。 「馬五頭、人間が十人あればそれを運んでまいります。」 と使者は皇帝に申し上げました。 私にはすぐ、ははあ、そうか、とわかりました。そして、いい知らせを聞いて喜びました。よく考えてみると、ボートを漕いでいるときに、私は紐で帽子をしっかり頭に結びつけていました。それから、泳いでいるときも、それは絶えず頭にかむっていました。ところが、難船した後はじめて陸にたどりついたときには、なにしろ私はひどく疲れていたので、何かの拍子に、紐が切れて落っこちたのも知らなかったのです。帽子は海で失くしたものとばかり思っていました。 私は皇帝に、それは帽子というものだということを、よく説明して、どうかさっそくそれを取り寄せてください、とお願いしました。すると翌日、馬車引きがそれをとどけてくれました。帽子はかなり、ひどいことをされていました。縁から一インチ半ほどのところに、穴を二つあけ、これに鈎が二つ引っかけてあります。その鈎を長い綱で馬車にくくり、こんなふうにして一マイル半以上も引きずって来たのです。ただ、この国は地面が非常に平なので、帽子の傷もそれほどではなかったのです。 それから二日たつと、皇帝は、首府の軍隊に出動を命じて、また途方もない遊びを思いつきました。私にはできるだけ、大股をひろげて、巨人像のように立っていろ、と仰せられます。それから今度は、将軍(この人は何度も戦場に出たことのある老将軍で、私の恩人でもあります)に命じて、あの股の下を軍隊に行進させてみよ、と仰せになるのでした。 歩兵が二十四列、騎兵が十六列に並び、太鼓を鳴らし、旗をひるがえし、槍を横たえ、歩兵三千、騎兵一千、見事に私の股の下を行進しました。 陛下は各兵士に向って、行進中は私によく礼儀を守ること、背けば死刑にすると申し渡されていました。しかし、それでも若い士官などが、私の股の下を通るとき、ちょっと眼をあげて上を見るのは仕方がありません。私のズボンは、もうひどく綻びていたので、下から見上げると、さぞ、びっくりしたことでしょう。
私の帽子を運ぶために、より多くの数を使ったのは馬と人間のどちらでしたか。
私の帽子を運ぶために、より多くの数を使ったのは人間で10人でした。
JCRRAG_014665
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しかし何の手応えもないのでした。ただ、部屋がドンドン動いて行っていることだけが、はっきりわかります。それから一時間ばかりして、突然、私の箱に何か固いものが突きあたりました。と、箱の屋根の上に綱を通すような物音が聞こえてきました。それから、そろそろと箱は引き上げられるようでした。私はステッキの先のハンカチを振り、声をかぎりに呼んでみました。すると、それに答えて大きな叫び声が三度繰り返されてきました。やがて頭の上で足音がしたかとおもうと、誰か穴の口から大声で、 「誰かいるなら返事をしろ。」 とどなりました。相手は英語で言ってくれてるのです。 「私はイギリス人です。今ここでひどい目に会っているのです。何とかうまく助け出してください。」 と、私は一生懸命、頼みました。 「もう大丈夫だ。箱は本船にくくりつけたし、今すぐ大工が屋根に穴をあけて出してやるから。」 と外では言っています。 「そんなことしなくてもいいのですよ。それより早く誰かチョイとこの箱を指でつまみあげて、船長室へ持って行ってください。」 私がこう答えると、十五人の船員、三人の船大工は私がおかしくなっているのだと思ったらしく、大笑いしていました。箱に穴をあけ、そこから私は救い出され、本船に移されました。 船員たちはみな驚いて、いろんなことを尋ねますが、私はもう答える気もしないのでした。こんな大勢の小人を見て、私の方も驚いてしまったのです。なにしろ長い間、あの大きな人間ばかり見つけてきたので、船長たちが小人のように思えるのです。私が今にも気絶しそうな顔をしているので、船長は気つけ薬を飲ませてくれました。それから船長室に私をつれて行き、「まあ一寝入りしなさるんですね。」と言ってくれました。 私は数時間眠って、すっかり元気を取り戻しました。起きたのは夜の八時頃でした。船長は、私が長い間食事をしていないだろうと思って、すぐ晩御飯を言いつけてくれました。 私は四個のパンを食べ、肉の塊を二個も食べ、酒を五杯は飲みました。 彼は大へん親切にしてくれました。いったいどこへ行ったのか、またどうしてあんな大きな箱に入れられて流されたのか、ひとつ話してくれと言います。 船長の話では、正午頃、望遠鏡をのぞいていると、あの箱が眼にうつったので、最初は船だと思ったそうです。それからボートを出して近づいてみると、家が泳いでいるというので、みんなびっくりしました。本船の方へ引っ張り上げようとしていると、ちょうどそのときハンカチのついた棒を穴から突き出す者がいたので、これはきっと誰か不幸な人間がとじこめられているにちがいない、と思ったのだそうです。 「それでは一番はじめ私を見つけた頃、何か大きな鳥でも空を飛んでいるのを見かけなかったでしょうか。」 と私は尋ねてみました。 「あ、あのとき、鷲が三羽北を指して飛んでいました。でも別に普通の鷲と変わったところはなかったようです。」 と一人の船長が答えました。 だが、それは非常に高く飛んでいたので、小さく見えたのでしょう。どうも私の尋ねたり言ったりすることは、みなに合点がゆかないようでした。私はイギリスを出発したときから、今までのことを、ありのまま話して聞かせました。それから、その国で集めた珍しい品を見せてやりました。王の髯で作った櫛や、王妃の親指の爪を台にして作った櫛や、一フィートもある縫針や、二インチはある地蜂の針や、王妃の金の指輪や、そのほか、いろいろのものを取り出して見せてやりました。 この船はトンキンに行って、いまイギリスへ帰る途中でした。航海は無事に進み、一七〇六年六月三日に故国の港に戻りました。そこで、私は船長に別れを告げると、家の方へ向かいました。 途々、小さな家や、木や、家畜や、人間などを見ると、なにかリリパットへでも来たような気がします。行き会う人ごとに、なんだか踏みつけそうな気がして、私は、 「退け! 退け。」 とどなりつけました。 私の家へ帰ってみると、男の召使が一人、女の召使が二人いました、そのうちの一人が戸を開けてくれましたが、私はなんだか頭をぶつけそうな気がして、身体をかがめて入りました。妻が飛んでやって来ましたが、私は彼女の膝より低くかがんでしまいました。娘もそばへやって来ましたが、なにしろ長い間、大きなものばかり見ていた眼には、ヒョイと片手で娘をつかんで持ち上げたいような気がしました。三人の召使や十人の友人たちも、みんな私には小人のように思えるのでした。こういう有様ですから、はじめ人々は、私を気が違ったものと思いました。しかし間もなく、私もここに馴れて、家族とも友人とも、お互いにわかり合うことができました。
私がおかしくなっているのだと思って大笑いした人間のうち、数が多いほうを教えてください。
私がおかしくなっているのだと思って大笑いした人間のうち、数が多いほうは十五人の船員です。
JCRRAG_014666
国語
私が自由の身にしてもらえる二・三日前のことでした。宮廷の男たちを十人、女たちを十三人を集めて、ハンカチの余興をしているところへ、にわかに一人の使が到着しました。 何人かの者が馬で、いつか私がつかまった場所を通りかかると、一つの大きな黒いものが落ちているのを見つけました。非常に奇妙な形のもので、縁が円くひろがっています。その広さは、陛下の寝室ぐらいあり、真中のところは、人の背ほど高くなっています。はじめ、みんなは、これは生きものだろうと思って、何度もそのまわりを歩いてみましたが、草の上にじっとしたきり動かないのです。そこで、お互に肩を踏台にして、頂上にのぼってみると、上は平べったくなっています。足で踏んでみると、内側は空っぽだということがわかりました。そこで、みんなは、これはどうも人間山の帽子らしいと考えました。 「馬五頭、人間が十人あればそれを運んでまいります。」 と使者は皇帝に申し上げました。 私にはすぐ、ははあ、そうか、とわかりました。そして、いい知らせを聞いて喜びました。よく考えてみると、ボートを漕いでいるときに、私は紐で帽子をしっかり頭に結びつけていました。それから、泳いでいるときも、それは絶えず頭にかむっていました。ところが、難船した後はじめて陸にたどりついたときには、なにしろ私はひどく疲れていたので、何かの拍子に、紐が切れて落っこちたのも知らなかったのです。帽子は海で失くしたものとばかり思っていました。 私は皇帝に、それは帽子というものだということを、よく説明して、どうかさっそくそれを取り寄せてください、とお願いしました。すると翌日、馬車引きがそれをとどけてくれました。帽子はかなり、ひどいことをされていました。縁から一インチ半ほどのところに、穴を二つあけ、これに鈎が二つ引っかけてあります。その鈎を長い綱で馬車にくくり、こんなふうにして一マイル半以上も引きずって来たのです。ただ、この国は地面が非常に平なので、帽子の傷もそれほどではなかったのです。 それから二日たつと、皇帝は、首府の軍隊に出動を命じて、また途方もない遊びを思いつきました。私にはできるだけ、大股をひろげて、巨人像のように立っていろ、と仰せられます。それから今度は、将軍(この人は何度も戦場に出たことのある老将軍で、私の恩人でもあります)に命じて、あの股の下を軍隊に行進させてみよ、と仰せになるのでした。 歩兵が二十四列、騎兵が十六列に並び、太鼓を鳴らし、旗をひるがえし、槍を横たえ、歩兵三千、騎兵一千、見事に私の股の下を行進しました。 陛下は各兵士に向って、行進中は私によく礼儀を守ること、背けば死刑にすると申し渡されていました。しかし、それでも若い士官などが、私の股の下を通るとき、ちょっと眼をあげて上を見るのは仕方がありません。私のズボンは、もうひどく綻びていたので、下から見上げると、さぞ、びっくりしたことでしょう。
私ができるだけ、大股をひろげて、巨人像のように立っていて、股の下を行進する軍隊の中で列数が多いほうを教えてください。
私ができるだけ、大股をひろげて、巨人像のように立っていて、股の下を行進する軍隊の中で列数が多いほうは歩兵で二十四列です。
JCRRAG_014667
国語
しかし何の手応えもないのでした。ただ、部屋がドンドン動いて行っていることだけが、はっきりわかります。それから一時間ばかりして、突然、私の箱に何か固いものが突きあたりました。と、箱の屋根の上に綱を通すような物音が聞こえてきました。それから、そろそろと箱は引き上げられるようでした。私はステッキの先のハンカチを振り、声をかぎりに呼んでみました。すると、それに答えて大きな叫び声が三度繰り返されてきました。やがて頭の上で足音がしたかとおもうと、誰か穴の口から大声で、 「誰かいるなら返事をしろ。」 とどなりました。相手は英語で言ってくれてるのです。 「私はイギリス人です。今ここでひどい目に会っているのです。何とかうまく助け出してください。」 と、私は一生懸命、頼みました。 「もう大丈夫だ。箱は本船にくくりつけたし、今すぐ大工が屋根に穴をあけて出してやるから。」 と外では言っています。 「そんなことしなくてもいいのですよ。それより早く誰かチョイとこの箱を指でつまみあげて、船長室へ持って行ってください。」 私がこう答えると、十五人の船員、三人の船大工は私がおかしくなっているのだと思ったらしく、大笑いしていました。箱に穴をあけ、そこから私は救い出され、本船に移されました。 船員たちはみな驚いて、いろんなことを尋ねますが、私はもう答える気もしないのでした。こんな大勢の小人を見て、私の方も驚いてしまったのです。なにしろ長い間、あの大きな人間ばかり見つけてきたので、船長たちが小人のように思えるのです。私が今にも気絶しそうな顔をしているので、船長は気つけ薬を飲ませてくれました。それから船長室に私をつれて行き、「まあ一寝入りしなさるんですね。」と言ってくれました。 私は数時間眠って、すっかり元気を取り戻しました。起きたのは夜の八時頃でした。船長は、私が長い間食事をしていないだろうと思って、すぐ晩御飯を言いつけてくれました。 私は四個のパンを食べ、肉の塊を二個も食べ、酒を五杯は飲みました。 彼は大へん親切にしてくれました。いったいどこへ行ったのか、またどうしてあんな大きな箱に入れられて流されたのか、ひとつ話してくれと言います。 船長の話では、正午頃、望遠鏡をのぞいていると、あの箱が眼にうつったので、最初は船だと思ったそうです。それからボートを出して近づいてみると、家が泳いでいるというので、みんなびっくりしました。本船の方へ引っ張り上げようとしていると、ちょうどそのときハンカチのついた棒を穴から突き出す者がいたので、これはきっと誰か不幸な人間がとじこめられているにちがいない、と思ったのだそうです。 「それでは一番はじめ私を見つけた頃、何か大きな鳥でも空を飛んでいるのを見かけなかったでしょうか。」 と私は尋ねてみました。 「あ、あのとき、鷲が三羽北を指して飛んでいました。でも別に普通の鷲と変わったところはなかったようです。」 と一人の船長が答えました。 だが、それは非常に高く飛んでいたので、小さく見えたのでしょう。どうも私の尋ねたり言ったりすることは、みなに合点がゆかないようでした。私はイギリスを出発したときから、今までのことを、ありのまま話して聞かせました。それから、その国で集めた珍しい品を見せてやりました。王の髯で作った櫛や、王妃の親指の爪を台にして作った櫛や、一フィートもある縫針や、二インチはある地蜂の針や、王妃の金の指輪や、そのほか、いろいろのものを取り出して見せてやりました。 この船はトンキンに行って、いまイギリスへ帰る途中でした。航海は無事に進み、一七〇六年六月三日に故国の港に戻りました。そこで、私は船長に別れを告げると、家の方へ向かいました。 途々、小さな家や、木や、家畜や、人間などを見ると、なにかリリパットへでも来たような気がします。行き会う人ごとに、なんだか踏みつけそうな気がして、私は、 「退け! 退け。」 とどなりつけました。 私の家へ帰ってみると、男の召使が一人、女の召使が二人いました、そのうちの一人が戸を開けてくれましたが、私はなんだか頭をぶつけそうな気がして、身体をかがめて入りました。妻が飛んでやって来ましたが、私は彼女の膝より低くかがんでしまいました。娘もそばへやって来ましたが、なにしろ長い間、大きなものばかり見ていた眼には、ヒョイと片手で娘をつかんで持ち上げたいような気がしました。三人の召使や十人の友人たちも、みんな私には小人のように思えるのでした。こういう有様ですから、はじめ人々は、私を気が違ったものと思いました。しかし間もなく、私もここに馴れて、家族とも友人とも、お互いにわかり合うことができました。
私がおかしくなっているのだと思って大笑いした人間のうち、数が少ないほうを教えてください。
私がおかしくなっているのだと思って大笑いした人間のうち、数が少ないほうは船大工で三人です。
JCRRAG_014668
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私が自由の身にしてもらえる二・三日前のことでした。宮廷の男たちを十人、女たちを十三人を集めて、ハンカチの余興をしているところへ、にわかに一人の使が到着しました。 何人かの者が馬で、いつか私がつかまった場所を通りかかると、一つの大きな黒いものが落ちているのを見つけました。非常に奇妙な形のもので、縁が円くひろがっています。その広さは、陛下の寝室ぐらいあり、真中のところは、人の背ほど高くなっています。はじめ、みんなは、これは生きものだろうと思って、何度もそのまわりを歩いてみましたが、草の上にじっとしたきり動かないのです。そこで、お互に肩を踏台にして、頂上にのぼってみると、上は平べったくなっています。足で踏んでみると、内側は空っぽだということがわかりました。そこで、みんなは、これはどうも人間山の帽子らしいと考えました。 「馬五頭、人間が十人あればそれを運んでまいります。」 と使者は皇帝に申し上げました。 私にはすぐ、ははあ、そうか、とわかりました。そして、いい知らせを聞いて喜びました。よく考えてみると、ボートを漕いでいるときに、私は紐で帽子をしっかり頭に結びつけていました。それから、泳いでいるときも、それは絶えず頭にかむっていました。ところが、難船した後はじめて陸にたどりついたときには、なにしろ私はひどく疲れていたので、何かの拍子に、紐が切れて落っこちたのも知らなかったのです。帽子は海で失くしたものとばかり思っていました。 私は皇帝に、それは帽子というものだということを、よく説明して、どうかさっそくそれを取り寄せてください、とお願いしました。すると翌日、馬車引きがそれをとどけてくれました。帽子はかなり、ひどいことをされていました。縁から一インチ半ほどのところに、穴を二つあけ、これに鈎が二つ引っかけてあります。その鈎を長い綱で馬車にくくり、こんなふうにして一マイル半以上も引きずって来たのです。ただ、この国は地面が非常に平なので、帽子の傷もそれほどではなかったのです。 それから二日たつと、皇帝は、首府の軍隊に出動を命じて、また途方もない遊びを思いつきました。私にはできるだけ、大股をひろげて、巨人像のように立っていろ、と仰せられます。それから今度は、将軍(この人は何度も戦場に出たことのある老将軍で、私の恩人でもあります)に命じて、あの股の下を軍隊に行進させてみよ、と仰せになるのでした。 歩兵が二十四列、騎兵が十六列に並び、太鼓を鳴らし、旗をひるがえし、槍を横たえ、歩兵三千、騎兵一千、見事に私の股の下を行進しました。 陛下は各兵士に向って、行進中は私によく礼儀を守ること、背けば死刑にすると申し渡されていました。しかし、それでも若い士官などが、私の股の下を通るとき、ちょっと眼をあげて上を見るのは仕方がありません。私のズボンは、もうひどく綻びていたので、下から見上げると、さぞ、びっくりしたことでしょう。
私ができるだけ、大股をひろげて、巨人像のように立っていて、股の下を行進する軍隊の中で列数が少ないほうを教えてください。
私ができるだけ、大股をひろげて、巨人像のように立っていて、股の下を行進する軍隊の中で列数が少ないほうは騎兵で十六列です。
JCRRAG_014669
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しかし何の手応えもないのでした。ただ、部屋がドンドン動いて行っていることだけが、はっきりわかります。それから一時間ばかりして、突然、私の箱に何か固いものが突きあたりました。と、箱の屋根の上に綱を通すような物音が聞こえてきました。それから、そろそろと箱は引き上げられるようでした。私はステッキの先のハンカチを振り、声をかぎりに呼んでみました。すると、それに答えて大きな叫び声が三度繰り返されてきました。やがて頭の上で足音がしたかとおもうと、誰か穴の口から大声で、 「誰かいるなら返事をしろ。」 とどなりました。相手は英語で言ってくれてるのです。 「私はイギリス人です。今ここでひどい目に会っているのです。何とかうまく助け出してください。」 と、私は一生懸命、頼みました。 「もう大丈夫だ。箱は本船にくくりつけたし、今すぐ大工が屋根に穴をあけて出してやるから。」 と外では言っています。 「そんなことしなくてもいいのですよ。それより早く誰かチョイとこの箱を指でつまみあげて、船長室へ持って行ってください。」 私がこう答えると、十五人の船員、三人の船大工は私がおかしくなっているのだと思ったらしく、大笑いしていました。箱に穴をあけ、そこから私は救い出され、本船に移されました。 船員たちはみな驚いて、いろんなことを尋ねますが、私はもう答える気もしないのでした。こんな大勢の小人を見て、私の方も驚いてしまったのです。なにしろ長い間、あの大きな人間ばかり見つけてきたので、船長たちが小人のように思えるのです。私が今にも気絶しそうな顔をしているので、船長は気つけ薬を飲ませてくれました。それから船長室に私をつれて行き、「まあ一寝入りしなさるんですね。」と言ってくれました。 私は数時間眠って、すっかり元気を取り戻しました。起きたのは夜の八時頃でした。船長は、私が長い間食事をしていないだろうと思って、すぐ晩御飯を言いつけてくれました。 私は四個のパンを食べ、肉の塊を二個も食べ、酒を五杯は飲みました。 彼は大へん親切にしてくれました。いったいどこへ行ったのか、またどうしてあんな大きな箱に入れられて流されたのか、ひとつ話してくれと言います。 船長の話では、正午頃、望遠鏡をのぞいていると、あの箱が眼にうつったので、最初は船だと思ったそうです。それからボートを出して近づいてみると、家が泳いでいるというので、みんなびっくりしました。本船の方へ引っ張り上げようとしていると、ちょうどそのときハンカチのついた棒を穴から突き出す者がいたので、これはきっと誰か不幸な人間がとじこめられているにちがいない、と思ったのだそうです。 「それでは一番はじめ私を見つけた頃、何か大きな鳥でも空を飛んでいるのを見かけなかったでしょうか。」 と私は尋ねてみました。 「あ、あのとき、鷲が三羽北を指して飛んでいました。でも別に普通の鷲と変わったところはなかったようです。」 と一人の船長が答えました。 だが、それは非常に高く飛んでいたので、小さく見えたのでしょう。どうも私の尋ねたり言ったりすることは、みなに合点がゆかないようでした。私はイギリスを出発したときから、今までのことを、ありのまま話して聞かせました。それから、その国で集めた珍しい品を見せてやりました。王の髯で作った櫛や、王妃の親指の爪を台にして作った櫛や、一フィートもある縫針や、二インチはある地蜂の針や、王妃の金の指輪や、そのほか、いろいろのものを取り出して見せてやりました。 この船はトンキンに行って、いまイギリスへ帰る途中でした。航海は無事に進み、一七〇六年六月三日に故国の港に戻りました。そこで、私は船長に別れを告げると、家の方へ向かいました。 途々、小さな家や、木や、家畜や、人間などを見ると、なにかリリパットへでも来たような気がします。行き会う人ごとに、なんだか踏みつけそうな気がして、私は、 「退け! 退け。」 とどなりつけました。 私の家へ帰ってみると、男の召使が一人、女の召使が二人いました、そのうちの一人が戸を開けてくれましたが、私はなんだか頭をぶつけそうな気がして、身体をかがめて入りました。妻が飛んでやって来ましたが、私は彼女の膝より低くかがんでしまいました。娘もそばへやって来ましたが、なにしろ長い間、大きなものばかり見ていた眼には、ヒョイと片手で娘をつかんで持ち上げたいような気がしました。三人の召使や十人の友人たちも、みんな私には小人のように思えるのでした。こういう有様ですから、はじめ人々は、私を気が違ったものと思いました。しかし間もなく、私もここに馴れて、家族とも友人とも、お互いにわかり合うことができました。
私が飲み食いしたものでもっとも数が多いものを教えてください。
私が飲み食いしたものでもっとも数が多いものは酒で五杯です。
JCRRAG_014670
国語
私は何回となく皇帝に書面を送って、「自由な身にしてください。」とお願いしていましたが、ついに皇帝もこの問題を大臣と相談され、議会の意見もお求めになりました。議会の中で全三十人中誰も反対する者はなかったのですが、ただ一人、スカイリッシュ・ボルゴラムだけが反対しました。ボルゴラムは、何か私を怨んでいるらしく、どうしても絶対反対だ、と言い張りました。しかし、議会は私を自由にすることに決め、ついに皇帝の許可も出ました。 このボルゴラムという男は、この国の海軍提督で、皇帝からもあつく信任されており、海軍のことにかけては、なかなか専門家なのですが、どうも気むずかし屋で、苦虫をつぶしたような顔をしています。 けれども、とうとう、この人もみんなに説きふせられて、承知しました。それでも、私を自由にするには、私にいろんなことを誓わせなければならないのですが、その条件は俺が書くのだ、と、あくまで押しとおしました。その誓約書を私のところへ持って来たのも、このスカイリッシュ・ボルゴラムでした。二人の次官と八人の名士をつれてやって来ましたが、誓約書を読みあげると、私に、いちいちその実行を誓え、と言います。 まずはじめに私の国のやり方によって誓い、次にこの国のやり方で誓わされたのですが、それは右の足先を左手で持ち、右手の中指を頭の上に、親指を右の耳たぶにおくのでした。そのときの誓約書というのは、次のようなものです。 「この宇宙の歓喜恐怖にもあたる、リリパット国大皇帝、ゴルバストー・モマレン・エブレイム・ガーディロウ・シェフィン・ムリ・ギュー皇帝、領土は地球の端から端まで五千ブラストラグにわたり、帝王中の帝王として、人の子より背が高く、足は地軸にとどき、頭は天を突き、一度首を振れば草木もなびき、その徳は春、夏、秋、冬に通じる。この大皇帝は、この頃、わが神聖なる領土に到着した人間山に対し、次の条項を示し、厳粛に誓わせ、その実行を求めるものである。 第一 人間山は朕の許可状なしに、この国土を離れることはできない。 第二 人間山は朕が特に許した場合でなくては、勝手に首都に入ることはできない。首都に入るときは、市民は二時間前に、家の中に引っ込んでいるように注意されることになっている。 第三 人間山の歩いてもいい場所は主要国道だけに限られている。牧場や畑地を歩いたり、そこで寝転んだりすることは許されない。 第四 人間山が主要国道を歩く際には、朕の良民、馬、車などを踏みつけないよう、よく注意すること。また良民の承知なしに矢鱈に人をつまみあげて掌に乗せることはできない。 第五 急用の使が要る際には、毎月一回、その伝令と馬を人間山のポケットに入れて運ぶこと。また場合によっては、さらにこれを宮廷に送り返さねばならない。 第六 人間山は朕の同盟者となり、ブレフスキュ島の敵を攻め、朕の国をねらう敵艦隊を打ち滅ぼすことに努力しなければならない。 第七 人間山は閑のときには、朕の労役者の手助をして、公園その他帝室用建物の外壁に大きな石を運搬するのを手伝わねばならぬ。 第八 人間山は二ヵ月以内に、海岸を一周して歩き、その距離をはかり、朕の領土の地図を作って出すこと。 第九 これまで述べた条項をよく謹んで守るならば、人間山は毎日、朕の良民千七百二十四人分の食料と千八百人分の飲料を与えられ、自由に朕の近くに侍ることを許され、その他、いろいろ優遇されるであろう。 ベルファボラック皇宮にて 聖代第九十一月十二日」
皇帝が私を自由にするかどうかを議会で意見を聞いて、多かった意見を教えてください。
皇帝が私を自由にするかどうかを議会で意見を聞いて、多かった意見は二十九人で賛成でした。
JCRRAG_014671
国語
しかし何の手応えもないのでした。ただ、部屋がドンドン動いて行っていることだけが、はっきりわかります。それから一時間ばかりして、突然、私の箱に何か固いものが突きあたりました。と、箱の屋根の上に綱を通すような物音が聞こえてきました。それから、そろそろと箱は引き上げられるようでした。私はステッキの先のハンカチを振り、声をかぎりに呼んでみました。すると、それに答えて大きな叫び声が三度繰り返されてきました。やがて頭の上で足音がしたかとおもうと、誰か穴の口から大声で、 「誰かいるなら返事をしろ。」 とどなりました。相手は英語で言ってくれてるのです。 「私はイギリス人です。今ここでひどい目に会っているのです。何とかうまく助け出してください。」 と、私は一生懸命、頼みました。 「もう大丈夫だ。箱は本船にくくりつけたし、今すぐ大工が屋根に穴をあけて出してやるから。」 と外では言っています。 「そんなことしなくてもいいのですよ。それより早く誰かチョイとこの箱を指でつまみあげて、船長室へ持って行ってください。」 私がこう答えると、十五人の船員、三人の船大工は私がおかしくなっているのだと思ったらしく、大笑いしていました。箱に穴をあけ、そこから私は救い出され、本船に移されました。 船員たちはみな驚いて、いろんなことを尋ねますが、私はもう答える気もしないのでした。こんな大勢の小人を見て、私の方も驚いてしまったのです。なにしろ長い間、あの大きな人間ばかり見つけてきたので、船長たちが小人のように思えるのです。私が今にも気絶しそうな顔をしているので、船長は気つけ薬を飲ませてくれました。それから船長室に私をつれて行き、「まあ一寝入りしなさるんですね。」と言ってくれました。 私は数時間眠って、すっかり元気を取り戻しました。起きたのは夜の八時頃でした。船長は、私が長い間食事をしていないだろうと思って、すぐ晩御飯を言いつけてくれました。 私は四個のパンを食べ、肉の塊を二個も食べ、酒を五杯は飲みました。 彼は大へん親切にしてくれました。いったいどこへ行ったのか、またどうしてあんな大きな箱に入れられて流されたのか、ひとつ話してくれと言います。 船長の話では、正午頃、望遠鏡をのぞいていると、あの箱が眼にうつったので、最初は船だと思ったそうです。それからボートを出して近づいてみると、家が泳いでいるというので、みんなびっくりしました。本船の方へ引っ張り上げようとしていると、ちょうどそのときハンカチのついた棒を穴から突き出す者がいたので、これはきっと誰か不幸な人間がとじこめられているにちがいない、と思ったのだそうです。 「それでは一番はじめ私を見つけた頃、何か大きな鳥でも空を飛んでいるのを見かけなかったでしょうか。」 と私は尋ねてみました。 「あ、あのとき、鷲が三羽北を指して飛んでいました。でも別に普通の鷲と変わったところはなかったようです。」 と一人の船長が答えました。 だが、それは非常に高く飛んでいたので、小さく見えたのでしょう。どうも私の尋ねたり言ったりすることは、みなに合点がゆかないようでした。私はイギリスを出発したときから、今までのことを、ありのまま話して聞かせました。それから、その国で集めた珍しい品を見せてやりました。王の髯で作った櫛や、王妃の親指の爪を台にして作った櫛や、一フィートもある縫針や、二インチはある地蜂の針や、王妃の金の指輪や、そのほか、いろいろのものを取り出して見せてやりました。 この船はトンキンに行って、いまイギリスへ帰る途中でした。航海は無事に進み、一七〇六年六月三日に故国の港に戻りました。そこで、私は船長に別れを告げると、家の方へ向かいました。 途々、小さな家や、木や、家畜や、人間などを見ると、なにかリリパットへでも来たような気がします。行き会う人ごとに、なんだか踏みつけそうな気がして、私は、 「退け! 退け。」 とどなりつけました。 私の家へ帰ってみると、男の召使が一人、女の召使が二人いました、そのうちの一人が戸を開けてくれましたが、私はなんだか頭をぶつけそうな気がして、身体をかがめて入りました。妻が飛んでやって来ましたが、私は彼女の膝より低くかがんでしまいました。娘もそばへやって来ましたが、なにしろ長い間、大きなものばかり見ていた眼には、ヒョイと片手で娘をつかんで持ち上げたいような気がしました。三人の召使や十人の友人たちも、みんな私には小人のように思えるのでした。こういう有様ですから、はじめ人々は、私を気が違ったものと思いました。しかし間もなく、私もここに馴れて、家族とも友人とも、お互いにわかり合うことができました。
私が飲み食いしたものでもっとも数が少ないものを教えてください。
私が飲み食いしたものでもっとも数が少ないものは肉の塊で二個です。
JCRRAG_014672
国語
私は何回となく皇帝に書面を送って、「自由な身にしてください。」とお願いしていましたが、ついに皇帝もこの問題を大臣と相談され、議会の意見もお求めになりました。議会の中で全三十人中誰も反対する者はなかったのですが、ただ一人、スカイリッシュ・ボルゴラムだけが反対しました。ボルゴラムは、何か私を怨んでいるらしく、どうしても絶対反対だ、と言い張りました。しかし、議会は私を自由にすることに決め、ついに皇帝の許可も出ました。 このボルゴラムという男は、この国の海軍提督で、皇帝からもあつく信任されており、海軍のことにかけては、なかなか専門家なのですが、どうも気むずかし屋で、苦虫をつぶしたような顔をしています。 けれども、とうとう、この人もみんなに説きふせられて、承知しました。それでも、私を自由にするには、私にいろんなことを誓わせなければならないのですが、その条件は俺が書くのだ、と、あくまで押しとおしました。その誓約書を私のところへ持って来たのも、このスカイリッシュ・ボルゴラムでした。二人の次官と八人の名士をつれてやって来ましたが、誓約書を読みあげると、私に、いちいちその実行を誓え、と言います。 まずはじめに私の国のやり方によって誓い、次にこの国のやり方で誓わされたのですが、それは右の足先を左手で持ち、右手の中指を頭の上に、親指を右の耳たぶにおくのでした。そのときの誓約書というのは、次のようなものです。 「この宇宙の歓喜恐怖にもあたる、リリパット国大皇帝、ゴルバストー・モマレン・エブレイム・ガーディロウ・シェフィン・ムリ・ギュー皇帝、領土は地球の端から端まで五千ブラストラグにわたり、帝王中の帝王として、人の子より背が高く、足は地軸にとどき、頭は天を突き、一度首を振れば草木もなびき、その徳は春、夏、秋、冬に通じる。この大皇帝は、この頃、わが神聖なる領土に到着した人間山に対し、次の条項を示し、厳粛に誓わせ、その実行を求めるものである。 第一 人間山は朕の許可状なしに、この国土を離れることはできない。 第二 人間山は朕が特に許した場合でなくては、勝手に首都に入ることはできない。首都に入るときは、市民は二時間前に、家の中に引っ込んでいるように注意されることになっている。 第三 人間山の歩いてもいい場所は主要国道だけに限られている。牧場や畑地を歩いたり、そこで寝転んだりすることは許されない。 第四 人間山が主要国道を歩く際には、朕の良民、馬、車などを踏みつけないよう、よく注意すること。また良民の承知なしに矢鱈に人をつまみあげて掌に乗せることはできない。 第五 急用の使が要る際には、毎月一回、その伝令と馬を人間山のポケットに入れて運ぶこと。また場合によっては、さらにこれを宮廷に送り返さねばならない。 第六 人間山は朕の同盟者となり、ブレフスキュ島の敵を攻め、朕の国をねらう敵艦隊を打ち滅ぼすことに努力しなければならない。 第七 人間山は閑のときには、朕の労役者の手助をして、公園その他帝室用建物の外壁に大きな石を運搬するのを手伝わねばならぬ。 第八 人間山は二ヵ月以内に、海岸を一周して歩き、その距離をはかり、朕の領土の地図を作って出すこと。 第九 これまで述べた条項をよく謹んで守るならば、人間山は毎日、朕の良民千七百二十四人分の食料と千八百人分の飲料を与えられ、自由に朕の近くに侍ることを許され、その他、いろいろ優遇されるであろう。 ベルファボラック皇宮にて 聖代第九十一月十二日」
皇帝が私を自由にするかどうかを議会で意見を聞いて、より少なかった意見を教えてください。
皇帝が私を自由にするかどうかを議会で意見を聞いて、より少なかった意見は一人で、反対です。
JCRRAG_014673
国語
しかし何の手応えもないのでした。ただ、部屋がドンドン動いて行っていることだけが、はっきりわかります。それから一時間ばかりして、突然、私の箱に何か固いものが突きあたりました。と、箱の屋根の上に綱を通すような物音が聞こえてきました。それから、そろそろと箱は引き上げられるようでした。私はステッキの先のハンカチを振り、声をかぎりに呼んでみました。すると、それに答えて大きな叫び声が三度繰り返されてきました。やがて頭の上で足音がしたかとおもうと、誰か穴の口から大声で、 「誰かいるなら返事をしろ。」 とどなりました。相手は英語で言ってくれてるのです。 「私はイギリス人です。今ここでひどい目に会っているのです。何とかうまく助け出してください。」 と、私は一生懸命、頼みました。 「もう大丈夫だ。箱は本船にくくりつけたし、今すぐ大工が屋根に穴をあけて出してやるから。」 と外では言っています。 「そんなことしなくてもいいのですよ。それより早く誰かチョイとこの箱を指でつまみあげて、船長室へ持って行ってください。」 私がこう答えると、十五人の船員、三人の船大工は私がおかしくなっているのだと思ったらしく、大笑いしていました。箱に穴をあけ、そこから私は救い出され、本船に移されました。 船員たちはみな驚いて、いろんなことを尋ねますが、私はもう答える気もしないのでした。こんな大勢の小人を見て、私の方も驚いてしまったのです。なにしろ長い間、あの大きな人間ばかり見つけてきたので、船長たちが小人のように思えるのです。私が今にも気絶しそうな顔をしているので、船長は気つけ薬を飲ませてくれました。それから船長室に私をつれて行き、「まあ一寝入りしなさるんですね。」と言ってくれました。 私は数時間眠って、すっかり元気を取り戻しました。起きたのは夜の八時頃でした。船長は、私が長い間食事をしていないだろうと思って、すぐ晩御飯を言いつけてくれました。 私は四個のパンを食べ、肉の塊を二個も食べ、酒を五杯は飲みました。 彼は大へん親切にしてくれました。いったいどこへ行ったのか、またどうしてあんな大きな箱に入れられて流されたのか、ひとつ話してくれと言います。 船長の話では、正午頃、望遠鏡をのぞいていると、あの箱が眼にうつったので、最初は船だと思ったそうです。それからボートを出して近づいてみると、家が泳いでいるというので、みんなびっくりしました。本船の方へ引っ張り上げようとしていると、ちょうどそのときハンカチのついた棒を穴から突き出す者がいたので、これはきっと誰か不幸な人間がとじこめられているにちがいない、と思ったのだそうです。 「それでは一番はじめ私を見つけた頃、何か大きな鳥でも空を飛んでいるのを見かけなかったでしょうか。」 と私は尋ねてみました。 「あ、あのとき、鷲が三羽北を指して飛んでいました。でも別に普通の鷲と変わったところはなかったようです。」 と一人の船長が答えました。 だが、それは非常に高く飛んでいたので、小さく見えたのでしょう。どうも私の尋ねたり言ったりすることは、みなに合点がゆかないようでした。私はイギリスを出発したときから、今までのことを、ありのまま話して聞かせました。それから、その国で集めた珍しい品を見せてやりました。王の髯で作った櫛や、王妃の親指の爪を台にして作った櫛や、一フィートもある縫針や、二インチはある地蜂の針や、王妃の金の指輪や、そのほか、いろいろのものを取り出して見せてやりました。 この船はトンキンに行って、いまイギリスへ帰る途中でした。航海は無事に進み、一七〇六年六月三日に故国の港に戻りました。そこで、私は船長に別れを告げると、家の方へ向かいました。 途々、小さな家や、木や、家畜や、人間などを見ると、なにかリリパットへでも来たような気がします。行き会う人ごとに、なんだか踏みつけそうな気がして、私は、 「退け! 退け。」 とどなりつけました。 私の家へ帰ってみると、男の召使が一人、女の召使が二人いました、そのうちの一人が戸を開けてくれましたが、私はなんだか頭をぶつけそうな気がして、身体をかがめて入りました。妻が飛んでやって来ましたが、私は彼女の膝より低くかがんでしまいました。娘もそばへやって来ましたが、なにしろ長い間、大きなものばかり見ていた眼には、ヒョイと片手で娘をつかんで持ち上げたいような気がしました。三人の召使や十人の友人たちも、みんな私には小人のように思えるのでした。こういう有様ですから、はじめ人々は、私を気が違ったものと思いました。しかし間もなく、私もここに馴れて、家族とも友人とも、お互いにわかり合うことができました。
私の家にいた召使のうち、数が多いほうの性別を教えてください。
私の家にいた召使のうち、数が多いのは女の召使で二人です。
JCRRAG_014674
国語
私は何回となく皇帝に書面を送って、「自由な身にしてください。」とお願いしていましたが、ついに皇帝もこの問題を大臣と相談され、議会の意見もお求めになりました。議会の中で全三十人中誰も反対する者はなかったのですが、ただ一人、スカイリッシュ・ボルゴラムだけが反対しました。ボルゴラムは、何か私を怨んでいるらしく、どうしても絶対反対だ、と言い張りました。しかし、議会は私を自由にすることに決め、ついに皇帝の許可も出ました。 このボルゴラムという男は、この国の海軍提督で、皇帝からもあつく信任されており、海軍のことにかけては、なかなか専門家なのですが、どうも気むずかし屋で、苦虫をつぶしたような顔をしています。 けれども、とうとう、この人もみんなに説きふせられて、承知しました。それでも、私を自由にするには、私にいろんなことを誓わせなければならないのですが、その条件は俺が書くのだ、と、あくまで押しとおしました。その誓約書を私のところへ持って来たのも、このスカイリッシュ・ボルゴラムでした。二人の次官と八人の名士をつれてやって来ましたが、誓約書を読みあげると、私に、いちいちその実行を誓え、と言います。 まずはじめに私の国のやり方によって誓い、次にこの国のやり方で誓わされたのですが、それは右の足先を左手で持ち、右手の中指を頭の上に、親指を右の耳たぶにおくのでした。そのときの誓約書というのは、次のようなものです。 「この宇宙の歓喜恐怖にもあたる、リリパット国大皇帝、ゴルバストー・モマレン・エブレイム・ガーディロウ・シェフィン・ムリ・ギュー皇帝、領土は地球の端から端まで五千ブラストラグにわたり、帝王中の帝王として、人の子より背が高く、足は地軸にとどき、頭は天を突き、一度首を振れば草木もなびき、その徳は春、夏、秋、冬に通じる。この大皇帝は、この頃、わが神聖なる領土に到着した人間山に対し、次の条項を示し、厳粛に誓わせ、その実行を求めるものである。 第一 人間山は朕の許可状なしに、この国土を離れることはできない。 第二 人間山は朕が特に許した場合でなくては、勝手に首都に入ることはできない。首都に入るときは、市民は二時間前に、家の中に引っ込んでいるように注意されることになっている。 第三 人間山の歩いてもいい場所は主要国道だけに限られている。牧場や畑地を歩いたり、そこで寝転んだりすることは許されない。 第四 人間山が主要国道を歩く際には、朕の良民、馬、車などを踏みつけないよう、よく注意すること。また良民の承知なしに矢鱈に人をつまみあげて掌に乗せることはできない。 第五 急用の使が要る際には、毎月一回、その伝令と馬を人間山のポケットに入れて運ぶこと。また場合によっては、さらにこれを宮廷に送り返さねばならない。 第六 人間山は朕の同盟者となり、ブレフスキュ島の敵を攻め、朕の国をねらう敵艦隊を打ち滅ぼすことに努力しなければならない。 第七 人間山は閑のときには、朕の労役者の手助をして、公園その他帝室用建物の外壁に大きな石を運搬するのを手伝わねばならぬ。 第八 人間山は二ヵ月以内に、海岸を一周して歩き、その距離をはかり、朕の領土の地図を作って出すこと。 第九 これまで述べた条項をよく謹んで守るならば、人間山は毎日、朕の良民千七百二十四人分の食料と千八百人分の飲料を与えられ、自由に朕の近くに侍ることを許され、その他、いろいろ優遇されるであろう。 ベルファボラック皇宮にて 聖代第九十一月十二日」
ボルゴラムが私のところに誓約書を持ってきた時に、つれてきた人数が多かったものを教えてください。
ボルゴラムが私のところに誓約書を持ってきた時に、つれてきた人数が多かったものは名士で八人です。
JCRRAG_014675
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1 変てこな人たち 私が家に戻ると間もなく、ある日、『ホープウェル号』の船長が訪ねて来ました。それからたびたび彼はやって来るようになりましたが、いろいろ話し合っているうちに、私はまた、船に乗ってみたくなったのです。これまで私はずいぶん苦しい目にも会いましたが、それでも、まだ海へ出て外国を見たいという気持が強かったのです。 そこで、私は一七〇六年八月五日に出帆し、翌年の四月十一日にフォート・セン・ジョージ(インドの港)に着きました。それから、トンキンに行ったのですが、ここで、私は船長と別れて、別の船に乗り、十四人の船員と二人の船大工をつれて出航しました。 私は出航してすぐ、暴風雨に会い、船は北の方角へ二日、東の方角へ三日と、流されていきました。その後、天気がよくなったかと思うと、私たちの船は三隻の海賊船に見つかりました。その時はなんとか振り払ったのですが、その後別の二隻の海賊船に、たちまち追いつかれてしまいました。 海賊どもは、両方の船から、一せいに乗り込んで来ました。海賊どもは、恐ろしいけんまくで、手下の先頭に立って入って来ましたが、私たちがおとなしくひれ伏しているのを見ると、丈夫な縄で、一人残らずしばりあげ、番人を一人つけておいて、そのまま彼等は船中を探しに行きました。 海賊の中に、三人くらいオランダ人がいましたが、私たちを今に海の中にほうりこんでやるぞ、と言っていました。海賊船の一隻の方は、一人の日本人が船長でした。その男は私のところへやって来て、いろんな質問をするので、私は一つ一つ、ていねいに答えました。すると彼は、命だけは助けてやる、と言いました。やがて、私は小さな舟に一人乗せられ、五キログラムの肉、三キログラムのパン、二十キログラムの水を与えられ、そして、どこへでも一人で勝手に行くがいい、と海へ放されました。 海賊船を離れて、しばらく行くと、私は望遠鏡で小さい島影を五つ、大きい島影を六つ見つけました。そこでとにかく一番近い島へ漕ぎつけるつもりで、帆を張りました。すると三時間ばかりで、その島へ着きました。見ると、海岸は岩だらけなのです。
私が出航してすぐ暴風雨に会い流された日数のうち、多いほうを教えてください。
私が出航してすぐ暴風雨に会い流された日数のうち、多いほうは東の方角で三日です。
JCRRAG_014676
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私は何回となく皇帝に書面を送って、「自由な身にしてください。」とお願いしていましたが、ついに皇帝もこの問題を大臣と相談され、議会の意見もお求めになりました。議会の中で全三十人中誰も反対する者はなかったのですが、ただ一人、スカイリッシュ・ボルゴラムだけが反対しました。ボルゴラムは、何か私を怨んでいるらしく、どうしても絶対反対だ、と言い張りました。しかし、議会は私を自由にすることに決め、ついに皇帝の許可も出ました。 このボルゴラムという男は、この国の海軍提督で、皇帝からもあつく信任されており、海軍のことにかけては、なかなか専門家なのですが、どうも気むずかし屋で、苦虫をつぶしたような顔をしています。 けれども、とうとう、この人もみんなに説きふせられて、承知しました。それでも、私を自由にするには、私にいろんなことを誓わせなければならないのですが、その条件は俺が書くのだ、と、あくまで押しとおしました。その誓約書を私のところへ持って来たのも、このスカイリッシュ・ボルゴラムでした。二人の次官と八人の名士をつれてやって来ましたが、誓約書を読みあげると、私に、いちいちその実行を誓え、と言います。 まずはじめに私の国のやり方によって誓い、次にこの国のやり方で誓わされたのですが、それは右の足先を左手で持ち、右手の中指を頭の上に、親指を右の耳たぶにおくのでした。そのときの誓約書というのは、次のようなものです。 「この宇宙の歓喜恐怖にもあたる、リリパット国大皇帝、ゴルバストー・モマレン・エブレイム・ガーディロウ・シェフィン・ムリ・ギュー皇帝、領土は地球の端から端まで五千ブラストラグにわたり、帝王中の帝王として、人の子より背が高く、足は地軸にとどき、頭は天を突き、一度首を振れば草木もなびき、その徳は春、夏、秋、冬に通じる。この大皇帝は、この頃、わが神聖なる領土に到着した人間山に対し、次の条項を示し、厳粛に誓わせ、その実行を求めるものである。 第一 人間山は朕の許可状なしに、この国土を離れることはできない。 第二 人間山は朕が特に許した場合でなくては、勝手に首都に入ることはできない。首都に入るときは、市民は二時間前に、家の中に引っ込んでいるように注意されることになっている。 第三 人間山の歩いてもいい場所は主要国道だけに限られている。牧場や畑地を歩いたり、そこで寝転んだりすることは許されない。 第四 人間山が主要国道を歩く際には、朕の良民、馬、車などを踏みつけないよう、よく注意すること。また良民の承知なしに矢鱈に人をつまみあげて掌に乗せることはできない。 第五 急用の使が要る際には、毎月一回、その伝令と馬を人間山のポケットに入れて運ぶこと。また場合によっては、さらにこれを宮廷に送り返さねばならない。 第六 人間山は朕の同盟者となり、ブレフスキュ島の敵を攻め、朕の国をねらう敵艦隊を打ち滅ぼすことに努力しなければならない。 第七 人間山は閑のときには、朕の労役者の手助をして、公園その他帝室用建物の外壁に大きな石を運搬するのを手伝わねばならぬ。 第八 人間山は二ヵ月以内に、海岸を一周して歩き、その距離をはかり、朕の領土の地図を作って出すこと。 第九 これまで述べた条項をよく謹んで守るならば、人間山は毎日、朕の良民千七百二十四人分の食料と千八百人分の飲料を与えられ、自由に朕の近くに侍ることを許され、その他、いろいろ優遇されるであろう。 ベルファボラック皇宮にて 聖代第九十一月十二日」
誓約書を守る場合、人間山に毎日与えられる物の中でより多いほうを教えてください。
誓約書を守る場合、人間山に毎日与えられる物の中でより多いほうは飲料で、千八百人分です。
JCRRAG_014677
国語
1 変てこな人たち 私が家に戻ると間もなく、ある日、『ホープウェル号』の船長が訪ねて来ました。それからたびたび彼はやって来るようになりましたが、いろいろ話し合っているうちに、私はまた、船に乗ってみたくなったのです。これまで私はずいぶん苦しい目にも会いましたが、それでも、まだ海へ出て外国を見たいという気持が強かったのです。 そこで、私は一七〇六年八月五日に出帆し、翌年の四月十一日にフォート・セン・ジョージ(インドの港)に着きました。それから、トンキンに行ったのですが、ここで、私は船長と別れて、別の船に乗り、十四人の船員と二人の船大工をつれて出航しました。 私は出航してすぐ、暴風雨に会い、船は北の方角へ二日、東の方角へ三日と、流されていきました。その後、天気がよくなったかと思うと、私たちの船は三隻の海賊船に見つかりました。その時はなんとか振り払ったのですが、その後別の二隻の海賊船に、たちまち追いつかれてしまいました。 海賊どもは、両方の船から、一せいに乗り込んで来ました。海賊どもは、恐ろしいけんまくで、手下の先頭に立って入って来ましたが、私たちがおとなしくひれ伏しているのを見ると、丈夫な縄で、一人残らずしばりあげ、番人を一人つけておいて、そのまま彼等は船中を探しに行きました。 海賊の中に、三人くらいオランダ人がいましたが、私たちを今に海の中にほうりこんでやるぞ、と言っていました。海賊船の一隻の方は、一人の日本人が船長でした。その男は私のところへやって来て、いろんな質問をするので、私は一つ一つ、ていねいに答えました。すると彼は、命だけは助けてやる、と言いました。やがて、私は小さな舟に一人乗せられ、五キログラムの肉、三キログラムのパン、二十キログラムの水を与えられ、そして、どこへでも一人で勝手に行くがいい、と海へ放されました。 海賊船を離れて、しばらく行くと、私は望遠鏡で小さい島影を五つ、大きい島影を六つ見つけました。そこでとにかく一番近い島へ漕ぎつけるつもりで、帆を張りました。すると三時間ばかりで、その島へ着きました。見ると、海岸は岩だらけなのです。
私が出航してすぐ暴風雨に会い流された日数のうち、少ないほうを教えてください。
私が出航してすぐ暴風雨に会い流された日数のうち、少ないほうは北の方角で二日です。
JCRRAG_014678
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私は何回となく皇帝に書面を送って、「自由な身にしてください。」とお願いしていましたが、ついに皇帝もこの問題を大臣と相談され、議会の意見もお求めになりました。議会の中で全三十人中誰も反対する者はなかったのですが、ただ一人、スカイリッシュ・ボルゴラムだけが反対しました。ボルゴラムは、何か私を怨んでいるらしく、どうしても絶対反対だ、と言い張りました。しかし、議会は私を自由にすることに決め、ついに皇帝の許可も出ました。 このボルゴラムという男は、この国の海軍提督で、皇帝からもあつく信任されており、海軍のことにかけては、なかなか専門家なのですが、どうも気むずかし屋で、苦虫をつぶしたような顔をしています。 けれども、とうとう、この人もみんなに説きふせられて、承知しました。それでも、私を自由にするには、私にいろんなことを誓わせなければならないのですが、その条件は俺が書くのだ、と、あくまで押しとおしました。その誓約書を私のところへ持って来たのも、このスカイリッシュ・ボルゴラムでした。二人の次官と八人の名士をつれてやって来ましたが、誓約書を読みあげると、私に、いちいちその実行を誓え、と言います。 まずはじめに私の国のやり方によって誓い、次にこの国のやり方で誓わされたのですが、それは右の足先を左手で持ち、右手の中指を頭の上に、親指を右の耳たぶにおくのでした。そのときの誓約書というのは、次のようなものです。 「この宇宙の歓喜恐怖にもあたる、リリパット国大皇帝、ゴルバストー・モマレン・エブレイム・ガーディロウ・シェフィン・ムリ・ギュー皇帝、領土は地球の端から端まで五千ブラストラグにわたり、帝王中の帝王として、人の子より背が高く、足は地軸にとどき、頭は天を突き、一度首を振れば草木もなびき、その徳は春、夏、秋、冬に通じる。この大皇帝は、この頃、わが神聖なる領土に到着した人間山に対し、次の条項を示し、厳粛に誓わせ、その実行を求めるものである。 第一 人間山は朕の許可状なしに、この国土を離れることはできない。 第二 人間山は朕が特に許した場合でなくては、勝手に首都に入ることはできない。首都に入るときは、市民は二時間前に、家の中に引っ込んでいるように注意されることになっている。 第三 人間山の歩いてもいい場所は主要国道だけに限られている。牧場や畑地を歩いたり、そこで寝転んだりすることは許されない。 第四 人間山が主要国道を歩く際には、朕の良民、馬、車などを踏みつけないよう、よく注意すること。また良民の承知なしに矢鱈に人をつまみあげて掌に乗せることはできない。 第五 急用の使が要る際には、毎月一回、その伝令と馬を人間山のポケットに入れて運ぶこと。また場合によっては、さらにこれを宮廷に送り返さねばならない。 第六 人間山は朕の同盟者となり、ブレフスキュ島の敵を攻め、朕の国をねらう敵艦隊を打ち滅ぼすことに努力しなければならない。 第七 人間山は閑のときには、朕の労役者の手助をして、公園その他帝室用建物の外壁に大きな石を運搬するのを手伝わねばならぬ。 第八 人間山は二ヵ月以内に、海岸を一周して歩き、その距離をはかり、朕の領土の地図を作って出すこと。 第九 これまで述べた条項をよく謹んで守るならば、人間山は毎日、朕の良民千七百二十四人分の食料と千八百人分の飲料を与えられ、自由に朕の近くに侍ることを許され、その他、いろいろ優遇されるであろう。 ベルファボラック皇宮にて 聖代第九十一月十二日」
誓約書を守る場合、人間山に毎日与えられる物の中でより少ないほうを教えてください。
誓約書を守る場合、人間山に毎日与えられる物の中でより少ないものは食料で、千七百二十四人分です。
JCRRAG_014679
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1 変てこな人たち 私が家に戻ると間もなく、ある日、『ホープウェル号』の船長が訪ねて来ました。それからたびたび彼はやって来るようになりましたが、いろいろ話し合っているうちに、私はまた、船に乗ってみたくなったのです。これまで私はずいぶん苦しい目にも会いましたが、それでも、まだ海へ出て外国を見たいという気持が強かったのです。 そこで、私は一七〇六年八月五日に出帆し、翌年の四月十一日にフォート・セン・ジョージ(インドの港)に着きました。それから、トンキンに行ったのですが、ここで、私は船長と別れて、別の船に乗り、十四人の船員と二人の船大工をつれて出航しました。 私は出航してすぐ、暴風雨に会い、船は北の方角へ二日、東の方角へ三日と、流されていきました。その後、天気がよくなったかと思うと、私たちの船は三隻の海賊船に見つかりました。その時はなんとか振り払ったのですが、その後別の二隻の海賊船に、たちまち追いつかれてしまいました。 海賊どもは、両方の船から、一せいに乗り込んで来ました。海賊どもは、恐ろしいけんまくで、手下の先頭に立って入って来ましたが、私たちがおとなしくひれ伏しているのを見ると、丈夫な縄で、一人残らずしばりあげ、番人を一人つけておいて、そのまま彼等は船中を探しに行きました。 海賊の中に、三人くらいオランダ人がいましたが、私たちを今に海の中にほうりこんでやるぞ、と言っていました。海賊船の一隻の方は、一人の日本人が船長でした。その男は私のところへやって来て、いろんな質問をするので、私は一つ一つ、ていねいに答えました。すると彼は、命だけは助けてやる、と言いました。やがて、私は小さな舟に一人乗せられ、五キログラムの肉、三キログラムのパン、二十キログラムの水を与えられ、そして、どこへでも一人で勝手に行くがいい、と海へ放されました。 海賊船を離れて、しばらく行くと、私は望遠鏡で小さい島影を五つ、大きい島影を六つ見つけました。そこでとにかく一番近い島へ漕ぎつけるつもりで、帆を張りました。すると三時間ばかりで、その島へ着きました。見ると、海岸は岩だらけなのです。
私が出航する際につれていった人間のうち、数が多いほうを教えてください。
私が出航する際につれていった人間のうち、数が多いのは船員で十四人です。
JCRRAG_014680
国語
鎖が解かれたので、私は、この国の首府ミレンドウを見物させていただけないでしょうか、と皇帝にお願いしました。皇帝はすぐ承知しました。ただ、住民や家屋を傷つけないよう、注意せよ、と言われました。 私が首都を訪問することは、前もって、市民に知らされていました。街を囲んでいる城壁は、高さ二フィート半、幅は少なくとも十一インチありますから、その上を馬車で走っても安全です。城壁には十フィートおきに、四フィート程の丈夫な塔が築いてあります。中には六フィートを超える高さの塔もありました。 西の大門を、一またぎで越えると、私はそろりと横向きになって、静かに歩きだしました。上衣の裾が、人家の屋根や軒にあたるといけないので、それは脱いで、手にかかえ、チョッキ一つになって、歩いて行きます。市民は危険だから外に出ていてはいけない、という命令は前から出ていたのですが、それでも、まだ街中をうろうろしている人もいます。踏みつぶしでもすると大へんですから、私はとても気をくばって歩きました。 屋根の上からも、家々の窓からも、見物人の顔がいっぱいのぞいています。私もずいぶん旅行はしましたが、こんなに大勢、人の集まっているところは見たことがありません。市街は正方形の形になっていて、城壁の四辺はそれぞれ五百フィートです。全市を四つに分けている、十文字の大通りの幅は五フィート。私は小路や横町には、三フィート程度で入れないので、ただ上から見て歩きました。街の人口は五十万人。男が二十三万人で女が二十七万人だそうです。 人家は四階建てから六階建てまであり、商店や市場には、なかなか、いろんな品物があります。 皇帝の宮殿は、街の中央の、二つの大通りが交差するところにあります。高さ二フィートの壁で囲まれ、他の建物から、二十フィート離れています。私は皇帝のお許しを得て、この壁をまたいで越えました。壁と宮殿との間には、広い場所がありますから、私はそこで、あたりをよく見まわすことができました。外苑は方四十フィート、そのほかに二つの内苑があります。一番奥の庭に御座所があるのです。 私はそこへ行ってみたくてたまらなかったのですが、どうもこれは無理でした。なにぶん、広場から広場へ通じる大門というのが、たった十八インチの高さ、幅はわずかに七インチです。それに、外苑の建物というのは、みな高さ五フィート以上で、壁は厚さ四インチもあり、丈夫な石で出来ていますが、それを私がまたいで行ったら、建物がこわれてしまいそうなのです。 ところが、皇帝の方ではしきりに、御殿の美しさを見せてやろう、と仰せになります。その日は御殿を見るのは、あきらめて帰りましたが、ふと、私はいいことを思いつきました。 翌日、私は市街から百ヤードばかり離れたところの林に行って、一番高そうな木を、五本、小刀で切り倒しました。 また市街から百二十ヤードばかり離れたところの林に行って、これまた一番高そうな木を、七本、小刀で切り倒しました それで、高さ三フィートの踏台を二つ、私が乗っても、グラつかないような、丈夫な踏台を作りました。 これが出来上がると、私はまた市街見物を皇帝にお願いしました。市民には、また家の中に引っ込んでいるよう、お達しが出ます。 そこで、私は二つの踏台をかかえて、市街を通って行きました。外苑のほとりに来ると、私は一つの踏台の上に立ち上がり、もう一つの踏台を手に持ちました。そして、手の方の踏台を屋根越しに高く持ち上げ、第一の内苑と第二の内苑の間にある、幅八フィートの空地へ、そっとおろしました。
街を囲んでいる城壁に築かれた塔の中でより高いものを教えてください。
街を囲んでいる城壁に築かれた塔の中でより高いものは六フィートの塔です。
JCRRAG_014681
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1 変てこな人たち 私が家に戻ると間もなく、ある日、『ホープウェル号』の船長が訪ねて来ました。それからたびたび彼はやって来るようになりましたが、いろいろ話し合っているうちに、私はまた、船に乗ってみたくなったのです。これまで私はずいぶん苦しい目にも会いましたが、それでも、まだ海へ出て外国を見たいという気持が強かったのです。 そこで、私は一七〇六年八月五日に出帆し、翌年の四月十一日にフォート・セン・ジョージ(インドの港)に着きました。それから、トンキンに行ったのですが、ここで、私は船長と別れて、別の船に乗り、十四人の船員と二人の船大工をつれて出航しました。 私は出航してすぐ、暴風雨に会い、船は北の方角へ二日、東の方角へ三日と、流されていきました。その後、天気がよくなったかと思うと、私たちの船は三隻の海賊船に見つかりました。その時はなんとか振り払ったのですが、その後別の二隻の海賊船に、たちまち追いつかれてしまいました。 海賊どもは、両方の船から、一せいに乗り込んで来ました。海賊どもは、恐ろしいけんまくで、手下の先頭に立って入って来ましたが、私たちがおとなしくひれ伏しているのを見ると、丈夫な縄で、一人残らずしばりあげ、番人を一人つけておいて、そのまま彼等は船中を探しに行きました。 海賊の中に、三人くらいオランダ人がいましたが、私たちを今に海の中にほうりこんでやるぞ、と言っていました。海賊船の一隻の方は、一人の日本人が船長でした。その男は私のところへやって来て、いろんな質問をするので、私は一つ一つ、ていねいに答えました。すると彼は、命だけは助けてやる、と言いました。やがて、私は小さな舟に一人乗せられ、五キログラムの肉、三キログラムのパン、二十キログラムの水を与えられ、そして、どこへでも一人で勝手に行くがいい、と海へ放されました。 海賊船を離れて、しばらく行くと、私は望遠鏡で小さい島影を五つ、大きい島影を六つ見つけました。そこでとにかく一番近い島へ漕ぎつけるつもりで、帆を張りました。すると三時間ばかりで、その島へ着きました。見ると、海岸は岩だらけなのです。
私が出航する際につれていった人間のうち、数が少ないほうを教えてください。
私が出航する際につれていった人間のうち、数が少ないほうは船大工で二人です。
JCRRAG_014682
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鎖が解かれたので、私は、この国の首府ミレンドウを見物させていただけないでしょうか、と皇帝にお願いしました。皇帝はすぐ承知しました。ただ、住民や家屋を傷つけないよう、注意せよ、と言われました。 私が首都を訪問することは、前もって、市民に知らされていました。街を囲んでいる城壁は、高さ二フィート半、幅は少なくとも十一インチありますから、その上を馬車で走っても安全です。城壁には十フィートおきに、四フィート程の丈夫な塔が築いてあります。中には六フィートを超える高さの塔もありました。 西の大門を、一またぎで越えると、私はそろりと横向きになって、静かに歩きだしました。上衣の裾が、人家の屋根や軒にあたるといけないので、それは脱いで、手にかかえ、チョッキ一つになって、歩いて行きます。市民は危険だから外に出ていてはいけない、という命令は前から出ていたのですが、それでも、まだ街中をうろうろしている人もいます。踏みつぶしでもすると大へんですから、私はとても気をくばって歩きました。 屋根の上からも、家々の窓からも、見物人の顔がいっぱいのぞいています。私もずいぶん旅行はしましたが、こんなに大勢、人の集まっているところは見たことがありません。市街は正方形の形になっていて、城壁の四辺はそれぞれ五百フィートです。全市を四つに分けている、十文字の大通りの幅は五フィート。私は小路や横町には、三フィート程度で入れないので、ただ上から見て歩きました。街の人口は五十万人。男が二十三万人で女が二十七万人だそうです。 人家は四階建てから六階建てまであり、商店や市場には、なかなか、いろんな品物があります。 皇帝の宮殿は、街の中央の、二つの大通りが交差するところにあります。高さ二フィートの壁で囲まれ、他の建物から、二十フィート離れています。私は皇帝のお許しを得て、この壁をまたいで越えました。壁と宮殿との間には、広い場所がありますから、私はそこで、あたりをよく見まわすことができました。外苑は方四十フィート、そのほかに二つの内苑があります。一番奥の庭に御座所があるのです。 私はそこへ行ってみたくてたまらなかったのですが、どうもこれは無理でした。なにぶん、広場から広場へ通じる大門というのが、たった十八インチの高さ、幅はわずかに七インチです。それに、外苑の建物というのは、みな高さ五フィート以上で、壁は厚さ四インチもあり、丈夫な石で出来ていますが、それを私がまたいで行ったら、建物がこわれてしまいそうなのです。 ところが、皇帝の方ではしきりに、御殿の美しさを見せてやろう、と仰せになります。その日は御殿を見るのは、あきらめて帰りましたが、ふと、私はいいことを思いつきました。 翌日、私は市街から百ヤードばかり離れたところの林に行って、一番高そうな木を、五本、小刀で切り倒しました。 また市街から百二十ヤードばかり離れたところの林に行って、これまた一番高そうな木を、七本、小刀で切り倒しました それで、高さ三フィートの踏台を二つ、私が乗っても、グラつかないような、丈夫な踏台を作りました。 これが出来上がると、私はまた市街見物を皇帝にお願いしました。市民には、また家の中に引っ込んでいるよう、お達しが出ます。 そこで、私は二つの踏台をかかえて、市街を通って行きました。外苑のほとりに来ると、私は一つの踏台の上に立ち上がり、もう一つの踏台を手に持ちました。そして、手の方の踏台を屋根越しに高く持ち上げ、第一の内苑と第二の内苑の間にある、幅八フィートの空地へ、そっとおろしました。
街の人口で多い方の性別を教えてください。
街の人口で多い方の性別は女で二十七万人です。
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1 変てこな人たち 私が家に戻ると間もなく、ある日、『ホープウェル号』の船長が訪ねて来ました。それからたびたび彼はやって来るようになりましたが、いろいろ話し合っているうちに、私はまた、船に乗ってみたくなったのです。これまで私はずいぶん苦しい目にも会いましたが、それでも、まだ海へ出て外国を見たいという気持が強かったのです。 そこで、私は一七〇六年八月五日に出帆し、翌年の四月十一日にフォート・セン・ジョージ(インドの港)に着きました。それから、トンキンに行ったのですが、ここで、私は船長と別れて、別の船に乗り、十四人の船員と二人の船大工をつれて出航しました。 私は出航してすぐ、暴風雨に会い、船は北の方角へ二日、東の方角へ三日と、流されていきました。その後、天気がよくなったかと思うと、私たちの船は三隻の海賊船に見つかりました。その時はなんとか振り払ったのですが、その後別の二隻の海賊船に、たちまち追いつかれてしまいました。 海賊どもは、両方の船から、一せいに乗り込んで来ました。海賊どもは、恐ろしいけんまくで、手下の先頭に立って入って来ましたが、私たちがおとなしくひれ伏しているのを見ると、丈夫な縄で、一人残らずしばりあげ、番人を一人つけておいて、そのまま彼等は船中を探しに行きました。 海賊の中に、三人くらいオランダ人がいましたが、私たちを今に海の中にほうりこんでやるぞ、と言っていました。海賊船の一隻の方は、一人の日本人が船長でした。その男は私のところへやって来て、いろんな質問をするので、私は一つ一つ、ていねいに答えました。すると彼は、命だけは助けてやる、と言いました。やがて、私は小さな舟に一人乗せられ、五キログラムの肉、三キログラムのパン、二十キログラムの水を与えられ、そして、どこへでも一人で勝手に行くがいい、と海へ放されました。 海賊船を離れて、しばらく行くと、私は望遠鏡で小さい島影を五つ、大きい島影を六つ見つけました。そこでとにかく一番近い島へ漕ぎつけるつもりで、帆を張りました。すると三時間ばかりで、その島へ着きました。見ると、海岸は岩だらけなのです。
私が与えられたもののうち、もっとも量が少ないものを教えてください。
私が与えられたもののうち、もっとも量が少ないものはパンで三キログラムです。
JCRRAG_014684
国語
鎖が解かれたので、私は、この国の首府ミレンドウを見物させていただけないでしょうか、と皇帝にお願いしました。皇帝はすぐ承知しました。ただ、住民や家屋を傷つけないよう、注意せよ、と言われました。 私が首都を訪問することは、前もって、市民に知らされていました。街を囲んでいる城壁は、高さ二フィート半、幅は少なくとも十一インチありますから、その上を馬車で走っても安全です。城壁には十フィートおきに、四フィート程の丈夫な塔が築いてあります。中には六フィートを超える高さの塔もありました。 西の大門を、一またぎで越えると、私はそろりと横向きになって、静かに歩きだしました。上衣の裾が、人家の屋根や軒にあたるといけないので、それは脱いで、手にかかえ、チョッキ一つになって、歩いて行きます。市民は危険だから外に出ていてはいけない、という命令は前から出ていたのですが、それでも、まだ街中をうろうろしている人もいます。踏みつぶしでもすると大へんですから、私はとても気をくばって歩きました。 屋根の上からも、家々の窓からも、見物人の顔がいっぱいのぞいています。私もずいぶん旅行はしましたが、こんなに大勢、人の集まっているところは見たことがありません。市街は正方形の形になっていて、城壁の四辺はそれぞれ五百フィートです。全市を四つに分けている、十文字の大通りの幅は五フィート。私は小路や横町には、三フィート程度で入れないので、ただ上から見て歩きました。街の人口は五十万人。男が二十三万人で女が二十七万人だそうです。 人家は四階建てから六階建てまであり、商店や市場には、なかなか、いろんな品物があります。 皇帝の宮殿は、街の中央の、二つの大通りが交差するところにあります。高さ二フィートの壁で囲まれ、他の建物から、二十フィート離れています。私は皇帝のお許しを得て、この壁をまたいで越えました。壁と宮殿との間には、広い場所がありますから、私はそこで、あたりをよく見まわすことができました。外苑は方四十フィート、そのほかに二つの内苑があります。一番奥の庭に御座所があるのです。 私はそこへ行ってみたくてたまらなかったのですが、どうもこれは無理でした。なにぶん、広場から広場へ通じる大門というのが、たった十八インチの高さ、幅はわずかに七インチです。それに、外苑の建物というのは、みな高さ五フィート以上で、壁は厚さ四インチもあり、丈夫な石で出来ていますが、それを私がまたいで行ったら、建物がこわれてしまいそうなのです。 ところが、皇帝の方ではしきりに、御殿の美しさを見せてやろう、と仰せになります。その日は御殿を見るのは、あきらめて帰りましたが、ふと、私はいいことを思いつきました。 翌日、私は市街から百ヤードばかり離れたところの林に行って、一番高そうな木を、五本、小刀で切り倒しました。 また市街から百二十ヤードばかり離れたところの林に行って、これまた一番高そうな木を、七本、小刀で切り倒しました それで、高さ三フィートの踏台を二つ、私が乗っても、グラつかないような、丈夫な踏台を作りました。 これが出来上がると、私はまた市街見物を皇帝にお願いしました。市民には、また家の中に引っ込んでいるよう、お達しが出ます。 そこで、私は二つの踏台をかかえて、市街を通って行きました。外苑のほとりに来ると、私は一つの踏台の上に立ち上がり、もう一つの踏台を手に持ちました。そして、手の方の踏台を屋根越しに高く持ち上げ、第一の内苑と第二の内苑の間にある、幅八フィートの空地へ、そっとおろしました。
街の人口で少ない方の性別を教えてください。
街の人口で少ない方の性別は男で二十三万人です。
JCRRAG_014685
国語
私はこの島で鳥の卵を六つ、魚を七匹見つけましたので、火をおこして枯草を燃やし、焼いて食べました。その晩は、岩の陰に木の葉を敷いて寝ましたが、よく眠れました。 翌日は次の島へ渡りました。それからまた次々と渡って行きました。そして五日目に、私はまだ見残していた島の方へ向かいました。 その島は、思ったより遠く、渡るのに、五時間もかかりました。今までの島は渡るのに二時間かかった島、一時間かかった島、四十分かかった島くらいだったので相当大きいのでしょう。私はぐるりと島を一まわりしてみて、上陸するのに都合のいい所を見つけました。 上ってみると、あたりは岩だらけでした、ある大岩には雑草が1メートル位、香りのいい薬草が2メートル位、花1.5メートル四方に生えています。私は鞄からパンを二個と肉を三個取り出して、腹ごしらえをすると、残りは洞穴の中にしまっておきました。それから岩の上で卵を十五個拾ったり、乾いた枯草を三十本も集めました。私は明日はひとつ、これに火をつけて、卵を焼いておこうと思いました。その夜は、食物をしまいこんだ洞穴に入って、拾い集めた枯草の上で寝ました。けれども、私は心配でなかなか眠れなかったのです。 こんな無人島で、どうして生きてゆけるでしょう。いずれ私はみじめな死に方をしなければならないのです。こんなことを考えていると、私はぐったりしてしまって、立ち上がる元気も出なかったのです。それでも、気を取りなおして、やっと洞穴から這い出ましたが、そのときには、もう日が高くのぼっていました。私はしばらく、岩の間を歩きまわりました。
私が島で見つけた鳥の卵と魚を比較して、より数が多いほうを教えてください。
私が島で見つけた鳥の卵と魚を比較して、より数が多いのは魚で七匹です。
JCRRAG_014686
国語
鎖が解かれたので、私は、この国の首府ミレンドウを見物させていただけないでしょうか、と皇帝にお願いしました。皇帝はすぐ承知しました。ただ、住民や家屋を傷つけないよう、注意せよ、と言われました。 私が首都を訪問することは、前もって、市民に知らされていました。街を囲んでいる城壁は、高さ二フィート半、幅は少なくとも十一インチありますから、その上を馬車で走っても安全です。城壁には十フィートおきに、四フィート程の丈夫な塔が築いてあります。中には六フィートを超える高さの塔もありました。 西の大門を、一またぎで越えると、私はそろりと横向きになって、静かに歩きだしました。上衣の裾が、人家の屋根や軒にあたるといけないので、それは脱いで、手にかかえ、チョッキ一つになって、歩いて行きます。市民は危険だから外に出ていてはいけない、という命令は前から出ていたのですが、それでも、まだ街中をうろうろしている人もいます。踏みつぶしでもすると大へんですから、私はとても気をくばって歩きました。 屋根の上からも、家々の窓からも、見物人の顔がいっぱいのぞいています。私もずいぶん旅行はしましたが、こんなに大勢、人の集まっているところは見たことがありません。市街は正方形の形になっていて、城壁の四辺はそれぞれ五百フィートです。全市を四つに分けている、十文字の大通りの幅は五フィート。私は小路や横町には、三フィート程度で入れないので、ただ上から見て歩きました。街の人口は五十万人。男が二十三万人で女が二十七万人だそうです。 人家は四階建てから六階建てまであり、商店や市場には、なかなか、いろんな品物があります。 皇帝の宮殿は、街の中央の、二つの大通りが交差するところにあります。高さ二フィートの壁で囲まれ、他の建物から、二十フィート離れています。私は皇帝のお許しを得て、この壁をまたいで越えました。壁と宮殿との間には、広い場所がありますから、私はそこで、あたりをよく見まわすことができました。外苑は方四十フィート、そのほかに二つの内苑があります。一番奥の庭に御座所があるのです。 私はそこへ行ってみたくてたまらなかったのですが、どうもこれは無理でした。なにぶん、広場から広場へ通じる大門というのが、たった十八インチの高さ、幅はわずかに七インチです。それに、外苑の建物というのは、みな高さ五フィート以上で、壁は厚さ四インチもあり、丈夫な石で出来ていますが、それを私がまたいで行ったら、建物がこわれてしまいそうなのです。 ところが、皇帝の方ではしきりに、御殿の美しさを見せてやろう、と仰せになります。その日は御殿を見るのは、あきらめて帰りましたが、ふと、私はいいことを思いつきました。 翌日、私は市街から百ヤードばかり離れたところの林に行って、一番高そうな木を、五本、小刀で切り倒しました。 また市街から百二十ヤードばかり離れたところの林に行って、これまた一番高そうな木を、七本、小刀で切り倒しました それで、高さ三フィートの踏台を二つ、私が乗っても、グラつかないような、丈夫な踏台を作りました。 これが出来上がると、私はまた市街見物を皇帝にお願いしました。市民には、また家の中に引っ込んでいるよう、お達しが出ます。 そこで、私は二つの踏台をかかえて、市街を通って行きました。外苑のほとりに来ると、私は一つの踏台の上に立ち上がり、もう一つの踏台を手に持ちました。そして、手の方の踏台を屋根越しに高く持ち上げ、第一の内苑と第二の内苑の間にある、幅八フィートの空地へ、そっとおろしました。
町の人家の階層でより高いほうを教えてください。
町の人家の階層でより高いほうは六階建てです。
JCRRAG_014687
国語
私はこの島で鳥の卵を六つ、魚を七匹見つけましたので、火をおこして枯草を燃やし、焼いて食べました。その晩は、岩の陰に木の葉を敷いて寝ましたが、よく眠れました。 翌日は次の島へ渡りました。それからまた次々と渡って行きました。そして五日目に、私はまだ見残していた島の方へ向かいました。 その島は、思ったより遠く、渡るのに、五時間もかかりました。今までの島は渡るのに二時間かかった島、一時間かかった島、四十分かかった島くらいだったので相当大きいのでしょう。私はぐるりと島を一まわりしてみて、上陸するのに都合のいい所を見つけました。 上ってみると、あたりは岩だらけでした、ある大岩には雑草が1メートル位、香りのいい薬草が2メートル位、花1.5メートル四方に生えています。私は鞄からパンを二個と肉を三個取り出して、腹ごしらえをすると、残りは洞穴の中にしまっておきました。それから岩の上で卵を十五個拾ったり、乾いた枯草を三十本も集めました。私は明日はひとつ、これに火をつけて、卵を焼いておこうと思いました。その夜は、食物をしまいこんだ洞穴に入って、拾い集めた枯草の上で寝ました。けれども、私は心配でなかなか眠れなかったのです。 こんな無人島で、どうして生きてゆけるでしょう。いずれ私はみじめな死に方をしなければならないのです。こんなことを考えていると、私はぐったりしてしまって、立ち上がる元気も出なかったのです。それでも、気を取りなおして、やっと洞穴から這い出ましたが、そのときには、もう日が高くのぼっていました。私はしばらく、岩の間を歩きまわりました。
私が島で見つけた鳥の卵と魚を比較して、より数が少ないほうを教えてください。
私が島で見つけた鳥の卵と魚を比較して、より数が少ないほうは鳥の卵で六つです。
JCRRAG_014688
国語
鎖が解かれたので、私は、この国の首府ミレンドウを見物させていただけないでしょうか、と皇帝にお願いしました。皇帝はすぐ承知しました。ただ、住民や家屋を傷つけないよう、注意せよ、と言われました。 私が首都を訪問することは、前もって、市民に知らされていました。街を囲んでいる城壁は、高さ二フィート半、幅は少なくとも十一インチありますから、その上を馬車で走っても安全です。城壁には十フィートおきに、四フィート程の丈夫な塔が築いてあります。中には六フィートを超える高さの塔もありました。 西の大門を、一またぎで越えると、私はそろりと横向きになって、静かに歩きだしました。上衣の裾が、人家の屋根や軒にあたるといけないので、それは脱いで、手にかかえ、チョッキ一つになって、歩いて行きます。市民は危険だから外に出ていてはいけない、という命令は前から出ていたのですが、それでも、まだ街中をうろうろしている人もいます。踏みつぶしでもすると大へんですから、私はとても気をくばって歩きました。 屋根の上からも、家々の窓からも、見物人の顔がいっぱいのぞいています。私もずいぶん旅行はしましたが、こんなに大勢、人の集まっているところは見たことがありません。市街は正方形の形になっていて、城壁の四辺はそれぞれ五百フィートです。全市を四つに分けている、十文字の大通りの幅は五フィート。私は小路や横町には、三フィート程度で入れないので、ただ上から見て歩きました。街の人口は五十万人。男が二十三万人で女が二十七万人だそうです。 人家は四階建てから六階建てまであり、商店や市場には、なかなか、いろんな品物があります。 皇帝の宮殿は、街の中央の、二つの大通りが交差するところにあります。高さ二フィートの壁で囲まれ、他の建物から、二十フィート離れています。私は皇帝のお許しを得て、この壁をまたいで越えました。壁と宮殿との間には、広い場所がありますから、私はそこで、あたりをよく見まわすことができました。外苑は方四十フィート、そのほかに二つの内苑があります。一番奥の庭に御座所があるのです。 私はそこへ行ってみたくてたまらなかったのですが、どうもこれは無理でした。なにぶん、広場から広場へ通じる大門というのが、たった十八インチの高さ、幅はわずかに七インチです。それに、外苑の建物というのは、みな高さ五フィート以上で、壁は厚さ四インチもあり、丈夫な石で出来ていますが、それを私がまたいで行ったら、建物がこわれてしまいそうなのです。 ところが、皇帝の方ではしきりに、御殿の美しさを見せてやろう、と仰せになります。その日は御殿を見るのは、あきらめて帰りましたが、ふと、私はいいことを思いつきました。 翌日、私は市街から百ヤードばかり離れたところの林に行って、一番高そうな木を、五本、小刀で切り倒しました。 また市街から百二十ヤードばかり離れたところの林に行って、これまた一番高そうな木を、七本、小刀で切り倒しました それで、高さ三フィートの踏台を二つ、私が乗っても、グラつかないような、丈夫な踏台を作りました。 これが出来上がると、私はまた市街見物を皇帝にお願いしました。市民には、また家の中に引っ込んでいるよう、お達しが出ます。 そこで、私は二つの踏台をかかえて、市街を通って行きました。外苑のほとりに来ると、私は一つの踏台の上に立ち上がり、もう一つの踏台を手に持ちました。そして、手の方の踏台を屋根越しに高く持ち上げ、第一の内苑と第二の内苑の間にある、幅八フィートの空地へ、そっとおろしました。
町の人家の階層でより低いほうを教えてください。
町の人家の階層でより低いほうは四階建てです。
JCRRAG_014689
国語
私はこの島で鳥の卵を六つ、魚を七匹見つけましたので、火をおこして枯草を燃やし、焼いて食べました。その晩は、岩の陰に木の葉を敷いて寝ましたが、よく眠れました。 翌日は次の島へ渡りました。それからまた次々と渡って行きました。そして五日目に、私はまだ見残していた島の方へ向かいました。 その島は、思ったより遠く、渡るのに、五時間もかかりました。今までの島は渡るのに二時間かかった島、一時間かかった島、四十分かかった島くらいだったので相当大きいのでしょう。私はぐるりと島を一まわりしてみて、上陸するのに都合のいい所を見つけました。 上ってみると、あたりは岩だらけでした、ある大岩には雑草が1メートル位、香りのいい薬草が2メートル位、花1.5メートル四方に生えています。私は鞄からパンを二個と肉を三個取り出して、腹ごしらえをすると、残りは洞穴の中にしまっておきました。それから岩の上で卵を十五個拾ったり、乾いた枯草を三十本も集めました。私は明日はひとつ、これに火をつけて、卵を焼いておこうと思いました。その夜は、食物をしまいこんだ洞穴に入って、拾い集めた枯草の上で寝ました。けれども、私は心配でなかなか眠れなかったのです。 こんな無人島で、どうして生きてゆけるでしょう。いずれ私はみじめな死に方をしなければならないのです。こんなことを考えていると、私はぐったりしてしまって、立ち上がる元気も出なかったのです。それでも、気を取りなおして、やっと洞穴から這い出ましたが、そのときには、もう日が高くのぼっていました。私はしばらく、岩の間を歩きまわりました。
私が岩の上で見つけた卵と乾いた枯草を比較して、より数が多いほうを教えてください。
私が岩の上で見つけた卵と乾いた枯草を比較して、より数が多いほうは乾いた枯草で三十本です。
JCRRAG_014690
国語
まず、国内の争いの方から説明しますが、この国では、ここ七十ヵ月以上というもの、トラメクサン党とスラメクサン党という、二つの政党があって、絶えず争っているのです。この党派の名前は、はいている靴の踵の高さからつけられたもので、踵の高いか、低いかによって区別されています。一般にわが国の昔からのしきたりでは、高い踵の方をいいとしていました。 ところが、それなのに、皇帝陛下は、政府の方針として、低い踵の方ばかりを用いることに決められました。特に陛下の靴など、宮廷の皆の靴が5ミリなのに陛下の踵は3.2ミリと、1.8ミリだけ踵が低いのです。この二つの党派の争いは、大へん猛烈なもので、反対党の者とは、いっしょに飲食もしなければ、話もしません。数ではトラメクサン、すなわち高党の方が三十万と多数なのですが、実際の勢力は、二十万いるわれわれ低党の方が握っています。 ただ心配なのは、皇太子が、どうも高党の方に傾いているらしいのです。その証拠に、皇太子の靴は、片方の踵がもう一方の踵より高く、歩くたびにびっこをひいていられるのです。 ところが、こんな党派争いの最中に、われわれはまた、ブレフスキュ島からの敵にねらわれ、脅かされているのです。ブレフスキュというのは、ちょうどこの国と同じぐらいの強国で、国の大きさからいっても、国力からいっても、ほとんど似たりよったりなのです。 あなたのお話によると、なんでも、この世界には、まだいろいろ国があって、あなたと同じぐらいの大きな人間が住んでいるそうですが、わが国の学者は大いに疑っていて、やはり、あなたは月の世界か、星の世界から落ちて来られたものだろうと考えています。それというのも、あなたのような人間が百人もいれば、わが国の果実も家畜も、すぐ食いつくされてしまうではありませんか。それに、この国六千月の歴史を調べてみても、リリパットとブレフスキュの二大国のほかに、国があるなどとは、本に書いてありません。 ところで、この二大国のことですが、この三十六ヵ月間というもの、実にしつこく、実にうるさく、戦争をつづけているのです。事の起こりというのは、こうなのです。もともと、われわれが卵を食べるときには、その大きい方の端を割るのが、昔からのしきたりだったのです。 ところが、今の皇帝の祖父君が子供の頃、卵を食べようとして、習慣どおりの割り方をしたところ、小指に怪我をしました。さあ、大へんだというので、ときの皇帝は、こんな勅令を出されました。『卵は小さい方の端を割って食べよ。これにそむくものは、きびしく罰す。』と、このことは、きびしく国民に命令されました。だが、国民はこの命令をひどく嫌がりました。歴史の伝えるところによると、このために、六回も内乱が起こり、六人の皇帝の内、四人の皇帝は、命を落とした。 二人の皇帝は、退位されました。
宮廷の皆の靴の踵と陛下の踵を比較して、より低い靴の踵のほうを教えてください。
宮廷の皆の靴の踵と陛下の踵を比較して、より低い靴の踵のほうは陛下で3.2ミリです。
JCRRAG_014691
国語
私はこの島で鳥の卵を六つ、魚を七匹見つけましたので、火をおこして枯草を燃やし、焼いて食べました。その晩は、岩の陰に木の葉を敷いて寝ましたが、よく眠れました。 翌日は次の島へ渡りました。それからまた次々と渡って行きました。そして五日目に、私はまだ見残していた島の方へ向かいました。 その島は、思ったより遠く、渡るのに、五時間もかかりました。今までの島は渡るのに二時間かかった島、一時間かかった島、四十分かかった島くらいだったので相当大きいのでしょう。私はぐるりと島を一まわりしてみて、上陸するのに都合のいい所を見つけました。 上ってみると、あたりは岩だらけでした、ある大岩には雑草が1メートル位、香りのいい薬草が2メートル位、花1.5メートル四方に生えています。私は鞄からパンを二個と肉を三個取り出して、腹ごしらえをすると、残りは洞穴の中にしまっておきました。それから岩の上で卵を十五個拾ったり、乾いた枯草を三十本も集めました。私は明日はひとつ、これに火をつけて、卵を焼いておこうと思いました。その夜は、食物をしまいこんだ洞穴に入って、拾い集めた枯草の上で寝ました。けれども、私は心配でなかなか眠れなかったのです。 こんな無人島で、どうして生きてゆけるでしょう。いずれ私はみじめな死に方をしなければならないのです。こんなことを考えていると、私はぐったりしてしまって、立ち上がる元気も出なかったのです。それでも、気を取りなおして、やっと洞穴から這い出ましたが、そのときには、もう日が高くのぼっていました。私はしばらく、岩の間を歩きまわりました。
私が岩の上で見つけた卵と乾いた枯草を比較して、より数が少ないほうを教えてください。
私が岩の上で見つけた卵と乾いた枯草を比較して、より数が少ないほうは卵で十五個です。
JCRRAG_014692
国語
まず、国内の争いの方から説明しますが、この国では、ここ七十ヵ月以上というもの、トラメクサン党とスラメクサン党という、二つの政党があって、絶えず争っているのです。この党派の名前は、はいている靴の踵の高さからつけられたもので、踵の高いか、低いかによって区別されています。一般にわが国の昔からのしきたりでは、高い踵の方をいいとしていました。 ところが、それなのに、皇帝陛下は、政府の方針として、低い踵の方ばかりを用いることに決められました。特に陛下の靴など、宮廷の皆の靴が5ミリなのに陛下の踵は3.2ミリと、1.8ミリだけ踵が低いのです。この二つの党派の争いは、大へん猛烈なもので、反対党の者とは、いっしょに飲食もしなければ、話もしません。数ではトラメクサン、すなわち高党の方が三十万と多数なのですが、実際の勢力は、二十万いるわれわれ低党の方が握っています。 ただ心配なのは、皇太子が、どうも高党の方に傾いているらしいのです。その証拠に、皇太子の靴は、片方の踵がもう一方の踵より高く、歩くたびにびっこをひいていられるのです。 ところが、こんな党派争いの最中に、われわれはまた、ブレフスキュ島からの敵にねらわれ、脅かされているのです。ブレフスキュというのは、ちょうどこの国と同じぐらいの強国で、国の大きさからいっても、国力からいっても、ほとんど似たりよったりなのです。 あなたのお話によると、なんでも、この世界には、まだいろいろ国があって、あなたと同じぐらいの大きな人間が住んでいるそうですが、わが国の学者は大いに疑っていて、やはり、あなたは月の世界か、星の世界から落ちて来られたものだろうと考えています。それというのも、あなたのような人間が百人もいれば、わが国の果実も家畜も、すぐ食いつくされてしまうではありませんか。それに、この国六千月の歴史を調べてみても、リリパットとブレフスキュの二大国のほかに、国があるなどとは、本に書いてありません。 ところで、この二大国のことですが、この三十六ヵ月間というもの、実にしつこく、実にうるさく、戦争をつづけているのです。事の起こりというのは、こうなのです。もともと、われわれが卵を食べるときには、その大きい方の端を割るのが、昔からのしきたりだったのです。 ところが、今の皇帝の祖父君が子供の頃、卵を食べようとして、習慣どおりの割り方をしたところ、小指に怪我をしました。さあ、大へんだというので、ときの皇帝は、こんな勅令を出されました。『卵は小さい方の端を割って食べよ。これにそむくものは、きびしく罰す。』と、このことは、きびしく国民に命令されました。だが、国民はこの命令をひどく嫌がりました。歴史の伝えるところによると、このために、六回も内乱が起こり、六人の皇帝の内、四人の皇帝は、命を落とした。 二人の皇帝は、退位されました。
この国の二つの政党のうち人数が多い政党を教えてください。
二つの政党のうち人数が多い政党は高党で三十万です。
JCRRAG_014693
国語
私はこの島で鳥の卵を六つ、魚を七匹見つけましたので、火をおこして枯草を燃やし、焼いて食べました。その晩は、岩の陰に木の葉を敷いて寝ましたが、よく眠れました。 翌日は次の島へ渡りました。それからまた次々と渡って行きました。そして五日目に、私はまだ見残していた島の方へ向かいました。 その島は、思ったより遠く、渡るのに、五時間もかかりました。今までの島は渡るのに二時間かかった島、一時間かかった島、四十分かかった島くらいだったので相当大きいのでしょう。私はぐるりと島を一まわりしてみて、上陸するのに都合のいい所を見つけました。 上ってみると、あたりは岩だらけでした、ある大岩には雑草が1メートル位、香りのいい薬草が2メートル位、花1.5メートル四方に生えています。私は鞄からパンを二個と肉を三個取り出して、腹ごしらえをすると、残りは洞穴の中にしまっておきました。それから岩の上で卵を十五個拾ったり、乾いた枯草を三十本も集めました。私は明日はひとつ、これに火をつけて、卵を焼いておこうと思いました。その夜は、食物をしまいこんだ洞穴に入って、拾い集めた枯草の上で寝ました。けれども、私は心配でなかなか眠れなかったのです。 こんな無人島で、どうして生きてゆけるでしょう。いずれ私はみじめな死に方をしなければならないのです。こんなことを考えていると、私はぐったりしてしまって、立ち上がる元気も出なかったのです。それでも、気を取りなおして、やっと洞穴から這い出ましたが、そのときには、もう日が高くのぼっていました。私はしばらく、岩の間を歩きまわりました。
私が色んな島を渡った時間のうち、よりかかった時間を教えてください。
私が色んな島を渡った時間のうち、よりかかった時間は五時間です。
JCRRAG_014694
国語
まず、国内の争いの方から説明しますが、この国では、ここ七十ヵ月以上というもの、トラメクサン党とスラメクサン党という、二つの政党があって、絶えず争っているのです。この党派の名前は、はいている靴の踵の高さからつけられたもので、踵の高いか、低いかによって区別されています。一般にわが国の昔からのしきたりでは、高い踵の方をいいとしていました。 ところが、それなのに、皇帝陛下は、政府の方針として、低い踵の方ばかりを用いることに決められました。特に陛下の靴など、宮廷の皆の靴が5ミリなのに陛下の踵は3.2ミリと、1.8ミリだけ踵が低いのです。この二つの党派の争いは、大へん猛烈なもので、反対党の者とは、いっしょに飲食もしなければ、話もしません。数ではトラメクサン、すなわち高党の方が三十万と多数なのですが、実際の勢力は、二十万いるわれわれ低党の方が握っています。 ただ心配なのは、皇太子が、どうも高党の方に傾いているらしいのです。その証拠に、皇太子の靴は、片方の踵がもう一方の踵より高く、歩くたびにびっこをひいていられるのです。 ところが、こんな党派争いの最中に、われわれはまた、ブレフスキュ島からの敵にねらわれ、脅かされているのです。ブレフスキュというのは、ちょうどこの国と同じぐらいの強国で、国の大きさからいっても、国力からいっても、ほとんど似たりよったりなのです。 あなたのお話によると、なんでも、この世界には、まだいろいろ国があって、あなたと同じぐらいの大きな人間が住んでいるそうですが、わが国の学者は大いに疑っていて、やはり、あなたは月の世界か、星の世界から落ちて来られたものだろうと考えています。それというのも、あなたのような人間が百人もいれば、わが国の果実も家畜も、すぐ食いつくされてしまうではありませんか。それに、この国六千月の歴史を調べてみても、リリパットとブレフスキュの二大国のほかに、国があるなどとは、本に書いてありません。 ところで、この二大国のことですが、この三十六ヵ月間というもの、実にしつこく、実にうるさく、戦争をつづけているのです。事の起こりというのは、こうなのです。もともと、われわれが卵を食べるときには、その大きい方の端を割るのが、昔からのしきたりだったのです。 ところが、今の皇帝の祖父君が子供の頃、卵を食べようとして、習慣どおりの割り方をしたところ、小指に怪我をしました。さあ、大へんだというので、ときの皇帝は、こんな勅令を出されました。『卵は小さい方の端を割って食べよ。これにそむくものは、きびしく罰す。』と、このことは、きびしく国民に命令されました。だが、国民はこの命令をひどく嫌がりました。歴史の伝えるところによると、このために、六回も内乱が起こり、六人の皇帝の内、四人の皇帝は、命を落とした。 二人の皇帝は、退位されました。
この国の二つの政党のうち人数が少ない政党を教えてください。
二つの政党のうち人数が少ない政党は低党で二十万です。
JCRRAG_014695
国語
空には雲一つなく、太陽がギラギラ照りつけるので、まぶしくて顔をそむけていました。 空には鳥が三羽、鷲が二羽飛び回って争っていました。 そのときでした。突然、あたりが暗くなったのです。しかも、これは太陽が雲にさえぎられたときの暗さとは違っていました。振り返って見ると、これはまたどうしたことでしょう。今、私と太陽との間に、何か途方もなく大きなものが、ずんずん島の方へ向かって進んで来るのです。高さは二マイルばかりありそうでした。そして、六、七分間というものは、すっかり、太陽を隠してしまいました。 やがて、その物は私の真上に来ましたが、見ると、どうもそれは固い塊のようで、底の方が平たくなっているのです。ちょうどそのとき、私は二十ヤード位の高さだった岩から渡り歩いて二百ヤードばかりの高い丘の上に立っていたのですが、やがて、その大きな物は三百ヤード位の高さからずんずん下にさがって一ヤードの高さまで下がってきました。そして、私から一マイルとは離れていない眼の前に見えて来たのです。私はさっそく、望遠鏡を取り出して眺めました。その空飛ぶ物体の斜面には、たくさんの人間が上下に動きまわっているのです。その姿がはっきりと見えるのです。 ぱっと見で大人が十五人、子供が八人は見えました。
空を飛び回って争っている鳥と鷲を比較して、数が多いほうを教えてください。
空を飛び回って争っている鳥と鷲を比較して、数が多いのは鳥で三羽です。
JCRRAG_014696
国語
まず、国内の争いの方から説明しますが、この国では、ここ七十ヵ月以上というもの、トラメクサン党とスラメクサン党という、二つの政党があって、絶えず争っているのです。この党派の名前は、はいている靴の踵の高さからつけられたもので、踵の高いか、低いかによって区別されています。一般にわが国の昔からのしきたりでは、高い踵の方をいいとしていました。 ところが、それなのに、皇帝陛下は、政府の方針として、低い踵の方ばかりを用いることに決められました。特に陛下の靴など、宮廷の皆の靴が5ミリなのに陛下の踵は3.2ミリと、1.8ミリだけ踵が低いのです。この二つの党派の争いは、大へん猛烈なもので、反対党の者とは、いっしょに飲食もしなければ、話もしません。数ではトラメクサン、すなわち高党の方が三十万と多数なのですが、実際の勢力は、二十万いるわれわれ低党の方が握っています。 ただ心配なのは、皇太子が、どうも高党の方に傾いているらしいのです。その証拠に、皇太子の靴は、片方の踵がもう一方の踵より高く、歩くたびにびっこをひいていられるのです。 ところが、こんな党派争いの最中に、われわれはまた、ブレフスキュ島からの敵にねらわれ、脅かされているのです。ブレフスキュというのは、ちょうどこの国と同じぐらいの強国で、国の大きさからいっても、国力からいっても、ほとんど似たりよったりなのです。 あなたのお話によると、なんでも、この世界には、まだいろいろ国があって、あなたと同じぐらいの大きな人間が住んでいるそうですが、わが国の学者は大いに疑っていて、やはり、あなたは月の世界か、星の世界から落ちて来られたものだろうと考えています。それというのも、あなたのような人間が百人もいれば、わが国の果実も家畜も、すぐ食いつくされてしまうではありませんか。それに、この国六千月の歴史を調べてみても、リリパットとブレフスキュの二大国のほかに、国があるなどとは、本に書いてありません。 ところで、この二大国のことですが、この三十六ヵ月間というもの、実にしつこく、実にうるさく、戦争をつづけているのです。事の起こりというのは、こうなのです。もともと、われわれが卵を食べるときには、その大きい方の端を割るのが、昔からのしきたりだったのです。 ところが、今の皇帝の祖父君が子供の頃、卵を食べようとして、習慣どおりの割り方をしたところ、小指に怪我をしました。さあ、大へんだというので、ときの皇帝は、こんな勅令を出されました。『卵は小さい方の端を割って食べよ。これにそむくものは、きびしく罰す。』と、このことは、きびしく国民に命令されました。だが、国民はこの命令をひどく嫌がりました。歴史の伝えるところによると、このために、六回も内乱が起こり、六人の皇帝の内、四人の皇帝は、命を落とした。 二人の皇帝は、退位されました。
歴史によると、卵のせいで六回も内乱が起こった結果、六人の皇帝に起こったことで多かったものを教えてください。
卵のせいで六回も内乱が起こった結果、六人の皇帝に起こったことで多かったものは命を落とした、で四人です。
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国語
空には雲一つなく、太陽がギラギラ照りつけるので、まぶしくて顔をそむけていました。 空には鳥が三羽、鷲が二羽飛び回って争っていました。 そのときでした。突然、あたりが暗くなったのです。しかも、これは太陽が雲にさえぎられたときの暗さとは違っていました。振り返って見ると、これはまたどうしたことでしょう。今、私と太陽との間に、何か途方もなく大きなものが、ずんずん島の方へ向かって進んで来るのです。高さは二マイルばかりありそうでした。そして、六、七分間というものは、すっかり、太陽を隠してしまいました。 やがて、その物は私の真上に来ましたが、見ると、どうもそれは固い塊のようで、底の方が平たくなっているのです。ちょうどそのとき、私は二十ヤード位の高さだった岩から渡り歩いて二百ヤードばかりの高い丘の上に立っていたのですが、やがて、その大きな物は三百ヤード位の高さからずんずん下にさがって一ヤードの高さまで下がってきました。そして、私から一マイルとは離れていない眼の前に見えて来たのです。私はさっそく、望遠鏡を取り出して眺めました。その空飛ぶ物体の斜面には、たくさんの人間が上下に動きまわっているのです。その姿がはっきりと見えるのです。 ぱっと見で大人が十五人、子供が八人は見えました。
空を飛び回って争っている鳥と鷲を比較して、数が少ないほうを教えてください。
空を飛び回って争っている鳥と鷲を比較して、数が少ないほうは鷲で二羽です。
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国語
まず、国内の争いの方から説明しますが、この国では、ここ七十ヵ月以上というもの、トラメクサン党とスラメクサン党という、二つの政党があって、絶えず争っているのです。この党派の名前は、はいている靴の踵の高さからつけられたもので、踵の高いか、低いかによって区別されています。一般にわが国の昔からのしきたりでは、高い踵の方をいいとしていました。 ところが、それなのに、皇帝陛下は、政府の方針として、低い踵の方ばかりを用いることに決められました。特に陛下の靴など、宮廷の皆の靴が5ミリなのに陛下の踵は3.2ミリと、1.8ミリだけ踵が低いのです。この二つの党派の争いは、大へん猛烈なもので、反対党の者とは、いっしょに飲食もしなければ、話もしません。数ではトラメクサン、すなわち高党の方が三十万と多数なのですが、実際の勢力は、二十万いるわれわれ低党の方が握っています。 ただ心配なのは、皇太子が、どうも高党の方に傾いているらしいのです。その証拠に、皇太子の靴は、片方の踵がもう一方の踵より高く、歩くたびにびっこをひいていられるのです。 ところが、こんな党派争いの最中に、われわれはまた、ブレフスキュ島からの敵にねらわれ、脅かされているのです。ブレフスキュというのは、ちょうどこの国と同じぐらいの強国で、国の大きさからいっても、国力からいっても、ほとんど似たりよったりなのです。 あなたのお話によると、なんでも、この世界には、まだいろいろ国があって、あなたと同じぐらいの大きな人間が住んでいるそうですが、わが国の学者は大いに疑っていて、やはり、あなたは月の世界か、星の世界から落ちて来られたものだろうと考えています。それというのも、あなたのような人間が百人もいれば、わが国の果実も家畜も、すぐ食いつくされてしまうではありませんか。それに、この国六千月の歴史を調べてみても、リリパットとブレフスキュの二大国のほかに、国があるなどとは、本に書いてありません。 ところで、この二大国のことですが、この三十六ヵ月間というもの、実にしつこく、実にうるさく、戦争をつづけているのです。事の起こりというのは、こうなのです。もともと、われわれが卵を食べるときには、その大きい方の端を割るのが、昔からのしきたりだったのです。 ところが、今の皇帝の祖父君が子供の頃、卵を食べようとして、習慣どおりの割り方をしたところ、小指に怪我をしました。さあ、大へんだというので、ときの皇帝は、こんな勅令を出されました。『卵は小さい方の端を割って食べよ。これにそむくものは、きびしく罰す。』と、このことは、きびしく国民に命令されました。だが、国民はこの命令をひどく嫌がりました。歴史の伝えるところによると、このために、六回も内乱が起こり、六人の皇帝の内、四人の皇帝は、命を落とした。 二人の皇帝は、退位されました。
歴史によると、卵のせいで六回も内乱が起こった結果、六人の皇帝に起こったことで少なかったものを教えてください。
歴史によると、卵のせいで六回も内乱が起こった結果、六人の皇帝に起こったことで少なかったものは退位で二回です。
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国語
空には雲一つなく、太陽がギラギラ照りつけるので、まぶしくて顔をそむけていました。 空には鳥が三羽、鷲が二羽飛び回って争っていました。 そのときでした。突然、あたりが暗くなったのです。しかも、これは太陽が雲にさえぎられたときの暗さとは違っていました。振り返って見ると、これはまたどうしたことでしょう。今、私と太陽との間に、何か途方もなく大きなものが、ずんずん島の方へ向かって進んで来るのです。高さは二マイルばかりありそうでした。そして、六、七分間というものは、すっかり、太陽を隠してしまいました。 やがて、その物は私の真上に来ましたが、見ると、どうもそれは固い塊のようで、底の方が平たくなっているのです。ちょうどそのとき、私は二十ヤード位の高さだった岩から渡り歩いて二百ヤードばかりの高い丘の上に立っていたのですが、やがて、その大きな物は三百ヤード位の高さからずんずん下にさがって一ヤードの高さまで下がってきました。そして、私から一マイルとは離れていない眼の前に見えて来たのです。私はさっそく、望遠鏡を取り出して眺めました。その空飛ぶ物体の斜面には、たくさんの人間が上下に動きまわっているのです。その姿がはっきりと見えるのです。 ぱっと見で大人が十五人、子供が八人は見えました。
私が望遠鏡で空飛ぶ物体を見たときにいた大人と子供のうち、数が多いほうを教えてください。
私が望遠鏡で空飛ぶ物体を見たときにいた大人と子供のうち、数が多いほうは大人で十五人です。
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国語
ところが、この内乱というのは、いつでもブレフスキュ島の皇帝が、おだててやらせたのです。だから内乱が鎮まると、いつも謀反人はブレフスキュに逃げて行きました。捕まったのは二万人ですが、とにかく、卵の小さい端を割るぐらいなら、死んだ方がましだといって、死刑にされたものが一万一千人います。この卵の争いについては、三百冊も書物が出ていますが、大きい端の方がいいと書いた本はその内百冊ほどあって、国民に読むことを禁止されています。 小さい端の方がいいと書いた本は二百冊あります。 また、大きい端の方がいいと考える人は、官職につくこともできません。 ところで、ブレフスキュ島の皇帝は、こちらから逃げて行った謀反人たちを非常に大切にして、よく待遇するし、おまけに、こちらの反対派も、こっそりこれを応援するので、二大国の間に三十六ヵ月にわたる戦争がはじまったのです。その間にわが国は、四十隻の大船と二百の小舟と、それから、二万人の海兵と一万人の陸兵を失いました。が、敵の損害は、それ以上だろうといわれています。 しかし、今また敵は新しく、大艦隊をととのえ、こちらに向って攻め入ろうとしています。それで、皇帝陛下は、あなたの勇気と力を非常に信頼されているので、このことを、あなたと相談してみてくれ、と言われ、私を差し向けられたのです。」 宮内大臣の話が終わると、私は彼にこう言いました。 「どうか陛下にそう伝えてください。私はどんな骨折りでもいといません。しかし、私は外国人ですから、政党の争いのことには立ち入りたくありません。が、外敵に対してなら、陛下とこの国を守るために、命がけで戦いましょう。」
三十六ヵ月にわたる戦争がはじまった結果、失った数がより多い船を教えてください。
三十六ヵ月にわたる戦争がはじまった結果、失った数がより多い船は小舟で二百です。