ID stringlengths 13 13 | Category stringclasses 12 values | Context stringlengths 1 4.96k | Question stringlengths 7 248 | GroundtruthAnswer stringlengths 2 663 |
|---|---|---|---|---|
JCRRAG_014501 | 国語 | 私の宅の庭の植物は毎年色々な害虫のためにむごたらしく虐待される。せっかく美しく出揃った若葉はいつの間にかわるい昆虫のために食い荒らされる。なかでも一番ひどくやられるのは薔薇である。羽根が黒くて腰の黄色い小さな蜂が、柔らかい若芽の茎の中に卵を産みつけると、やがて茎の横腹が竪にはじけ破れて幼虫が生れ出る。これが若葉の縁に鈴成りに黒い頭を並べて、驚くべき食欲をもって瞬く間にあらゆる葉を食い尽さないではおかない。去年はこの翡翠の色をした薔薇の虫と同種と思われるものがつつじにまでも蔓延した。もっともつつじのは色が少し黒ずんでいて、つつじの葉によく似た色をしているのが不思議であった。
何とかしてこの害虫を絶滅する方法はないものだろうかと思うだけで、専門家に聞いてみるでもなく、書物を調べるでもなく、ついそのままにしておくのである。いつか三越の六階で薔薇を見ていたら、それにもちゃんとこの虫がついたままに正札をつけてあるのを発見して驚いた事がある。専門家でもこれを完全に駆除するのは困難だとすると、自分等の手に負えないのは当然かと思われた。とにかく去年などは幾株かのばらとつつじを綺麗に坊主にしてしまわれた。枯れるかと思ったら存外枯れもしないで、今年の春の日光を受けるとまた正直に若芽を吹き出して来た。今にまた例の青虫が出るだろうと思って折々気をつけて見るが、今年はどうしたのか、まだあまり多くは発生しない。その代り今年はこれと変った毛虫が非常に沢山に現われて来た。それは黒い背筋の上に薄いレモン色の房々とした毛束を四つも着け、その両脇に走る美しい橙紅色の線が頭の端では燃えるような朱の色をして、そこから真黒な長い毛が突き出している。これが薔薇のみならず、萩にもどうだんにも芙蓉にもおびただしくついている。これは青虫ほど旺盛な食慾をもっていないらしいが、その代りいわば少し贅沢な嗜好をもっていて、薔薇の莟を選んで片っ端から食って行くのである。去年はよく咲いたクリーム色のばらも今年はこのためにひどく荒らされてしまった。子供の時分に田舎の宅で垣根いっぱいに薔薇が植わっていたが、ついぞこんなに虫害を受けた事を記憶しない。都会の空気が濁っているために植物も人間と同じようにたださえ弱くなっているその上にこう色々な虫にいじめられては、いまにこうした植物は絶滅するのではないかと思う事もある。
こんな虫がだんだんに数を増して、それが皆人間などと平等な生存の権利を主張するようになったらどうだろう。そうなれば虫のためには人間の方が害虫であるに相違ない。薔薇の花でも何でも虫のためには必要なる栄養物質であるのを、人間が無用な娯楽のために独占しようとして虫をひねり潰すのは、虫から見ればかなり暴虐な事かもしれない。 | 去年と今年の私の宅の庭の植物に発生する害虫の違いを説明してください。 | 去年は羽根が黒くて腰の黄色い小さな蜂が、柔らかい若芽の茎の中に卵を産みつけ生まれた幼虫が若葉の縁を瞬く間に食いつくしてしまう。
今年は黒い背筋の上に薄いレモン色の房々とした毛束を四つも着け、その両脇に走る美しい橙紅色の線が頭の端では燃えるような朱の色をして、そこから真黒な長い毛が突き出している毛虫が非常にたくさん現れ薔薇の莟を選んで片っ端から食って行く。 |
JCRRAG_014502 | 国語 | 夜になると、見物人も帰るので、ようやく私は家の中にもぐりこみ、地べたで寝るのでした。二週間ばかりは、毎晩地べたで寝たものです。が、そのうちに皇帝が、私のためにベッドをこしらえてやれ、と言われました。普通の大きさのベッドが六百、車に積んで運ばれ、私の家の中で、それを組み立てました。
それでも私の体が入りきらなかったのでダブルのベッドを五百、私の家の中に入れて組み立てました。
私の噂は国中にひろまってしまいました。お金持で、暇のある、物好きな連中が、毎日、雲のように押しかけて来ます。
ある日は百人、またある日は三百人、ひどい時には五百人と来るようになりました。
そのために、村々はほとんど空っぽになり、畑の仕事も家の仕事も、すっかりお留守になりそうでした。それで、皇帝から命令が出ました。見物がすんだ人はさっさと帰れ、無断で私の家の三十ヤード以内に近よってはいけない、と、こんなことが決められました。
それでも近寄ろうとするので五十ヤード以内に近よってはいけないことになりました。
ところで、皇帝は何度も会議を開いて、一体、これはどうしたらいいのかと、相談されたそうです。聞くところによると、朝廷でも、私の取り扱いには、だいぶ困っていたようです。あんな男を自由の身にしてやるのも心配でしたが、なにしろ、私の食事がとても大へんなものでしたから、これでは国中が飢饉になるかもしれない、というのです。
いっそのこと、何も食べさせないで、餓死させるか、それとも、毒矢で殺してしまう方がよかろう、と言うものが十人ほどいました。
だが、あの男に死なれると、山のような死体から発する臭いがたまらない、その悪い臭は、国中に伝染病をひろげることになるだろう、と説くものは十五人いました。
ちょうど、この会議の最中に、私があの六人のやじ馬を許してやったことが伝えられました。すると、皇帝も大臣も、私の行いに、すっかり感心してしまいました。 | お金持で、暇のある、物好きな連中が、毎日、雲のように押しかけて来ますが、もっとも少なかった日の人数を教えてください。 | お金持で、暇のある、物好きな連中が、毎日、雲のように押しかけて来ますが、もっとも少なかった日の人数は百人です。 |
JCRRAG_014503 | 国語 | あの日、朝から、雪が降っていたわね。もうせんから、とりかかっていたおツルちゃん(姪めい)のモンペが出来あがったので、あの日、学校の帰り、それをとどけに中野の叔母さんのうちに寄ったの。そうして、スルメを二枚お土産にもらって、吉祥寺きちじょうじ駅に着いた時には、もう暗くなっていて、雪は一尺以上も積り、なおその上やまずひそひそと降っていました。私は長靴をはいていたので、かえって気持がはずんで、わざと雪の深く積っているところを選んで歩きました。おうちの近くのポストのところまで来て、小脇にかかえていたスルメの新聞包が無いのに気がつきました。私はのんき者の抜けさんだけれども、それでも、ものを落したりなどした事はあまり無かったのに、その夜は、降り積る雪に興奮してはしゃいで歩いていたせいでしょうか、落しちゃったの。私は、しょんぼりしてしまいました。スルメを落してがっかりするなんて、下品な事で恥ずかしいのですが、でも、私はそれをお嫂ねえさんにあげようと思っていたの。うちのお嫂さんは、ことしの夏に赤ちゃんを生むのよ。おなかに赤ちゃんがいると、とてもおなかが空すくんだって。おなかの赤ちゃんと二人ぶん食べなければいけないのね。お嫂さんは私と違って身だしなみがよくてお上品なので、これまではそれこそ「カナリヤのお食事」みたいに軽く召上って、そうして間食なんて一度もなさった事は無いのに、このごろはおなかが空いて、恥ずかしいとおっしゃって、それからふっと妙なものを食べたくなるんですって。こないだもお嫂さんは私と一緒にお夕食の後片附あとかたづけをしながら、ああ口がにがいにがい、スルメか何かしゃぶりたいわ、と小さい声で言って溜息ためいきをついていらしたのを私は忘れていないので、その日偶然、中野の叔母さんからスルメを二枚もらって、これはお嫂さんにこっそり上げましょうとたのしみにして持って来たのに、落しちゃって、私はしょんぼりしてしまいました。
ご存じのように、私の家は兄さんとお嫂さんと私と三人暮しで、そうして兄さんは少しお変人の小説家で、もう四十ちかくなるのにちっとも有名でないし、そうしていつも貧乏で、からだ工合が悪いと言って寝たり起きたり、そのくせ口だけは達者で、何だかんだとうるさく私たちに口こごとを言い、そうしてただ口で言うばかりでご自分はちっとも家の事に手助けしてくれないので、お嫂さんは男の力仕事までしなければならず、とても気の毒なんです。或る日、私は義憤を感じて、
「兄さん、たまにはリュックサックをしょって、野菜でも買って来て下さいな。よその旦那さまは、たいていそうしているらしいわよ。」
と言ったら、ぶっとふくれて、
「馬鹿野郎! おれはそんな下品な男じゃない。いいかい、きみ子(お嫂さんの名前)もよく覚えて置け。おれたち一家が餓うえ死じにしかけても、おれはあんな、あさましい買い出しなんかに出掛けやしないのだから、そのつもりでいてくれ。それはおれの最後の誇りなんだ。」
なるほど御覚悟は御立派ですが、でも兄さんの場合、お国のためを思って買い出し部隊を憎んで居られるのか、ご自分の不精から買い出しをいやがって居られるのか、ちょっとわからないところがございます。私の父も母も東京の人間ですが、父は東北の山形のお役所に長くつとめていて、兄さんも私も山形で生れ、お父さんは山形でなくなられ、兄さんが二十はたちくらい、私がまだほんの子供でお母さんにおんぶされて、親子三人、また東京へ帰って来て、先年お母さんもなくなって、いまでは兄さんとお嫂さんと私と三人の家庭で、故郷というものもないのですから、他の御家庭のように、たべものを田舎から送っていただくわけにも行かず、また兄さんはお変人で、よそとのお附合いもまるで無いので、思いがけなくめずらしいものが「手にはいる」などという事は全然ありませんし、たかだかスルメ二枚でもお嫂さんに差上げたら、どんなにかお喜びなさる事かと思えば、下品な事でしょうけれども、スルメ二枚が惜しくて、私はくるりと廻れ右して、いま来た雪道をゆっくり歩いて捜しました。けれども、見つかるわけはありません。白い雪道に白い新聞包を見つける事はひどくむずかしい上に、雪がやまず降り積り、吉祥寺の駅ちかくまで引返して行ったのですが、石ころ一つ見あたりませんでした。溜息をついて傘を持ち直し、暗い夜空を見上げたら、雪が百万の蛍ほたるのように乱れ狂って舞っていました。きれいだなあ、と思いました。道の両側の樹々は、雪をかぶって重そうに枝を垂れ時々ためいきをつくように幽かすかに身動きをして、まるで、なんだか、おとぎばなしの世界にいるような気持になって私は、スルメの事をわすれました。はっと妙案が胸に浮びました。この美しい雪景色を、お嫂さんに持って行ってあげよう。スルメなんかより、どんなによいお土産か知れやしない。たべものなんかにこだわるのは、いやしい事だ。本当に、はずかしい事だ。 | 文中の私は何人兄妹ですか。 | 文中の私には兄がいて、二人兄妹です。 |
JCRRAG_014504 | 国語 | あざとい」「めざとい」の意味と違い
日本語の中には、一字違うだけでまったく異なる意味合いを示すケースがいくつか見られます。「いとしい」と「ひとしい」、「やさしい」と「ひさしい」などですが、「あざとい」と「めざとい」も、その1つに含められます。
実際にこの2語は字面がよく似ていますが、意味や用法はかけ離れており、混同してしまわないよう注意しなくてはなりません。では、具体的にどういった点が異なるのでしょうか。
今回は、「あざとい」と「めざとい」の意味や違いについて解説しますので、両者の使い分けについて知りたい方は参考にしてみてください。
「あざとい」「めざとい」の意味と違い
「あざとい」とは
本来の「あざとい」の意味とは、「思慮が浅い」「あさはかだ」といったものです。「考え方があざとい」のように使われます。また「やり方があくどい」「ずうずうしく抜け目がない」の意味もあり、こちらは「あざとい商売」のような使われ方をします。
元々上記のような意味を持っていた「あざとい」ですが、近年は「計算ずくで愛らしく見えるようにふるまうさま」の意味で使われることが多くなっています。この場合、「彼女のあざとい仕草は、多くの男性を魅了した」のように使われます。本来の用法では非難の意味合いが主ですが、近年の用法の場合、必ずしも否定的なニュアンスだけを表すわけではない点が特徴となります。
「あざとい」と「めざとい」の主な意味合いは、全く違います。後述するように、「めざとい」には「あさはか」や「あくどい」、「可愛らしくふるまう」といった意味はありません。
「めざとい」とは
「めざとい」とは、「見つけるのが早い」という意味の言葉です。「店の中には雑多な商品がひしめいていたが、めざとい彼女はお目当ての品をすぐに見つけ出した」「めざとく相手の表情の変化に気づいた彼は、気を使ってさりげなく話題を変えた」のように使われます。また、「めざとい」には「目が覚めやすい」の意味もあり、この場合は「子供の頃からめざとい性分で、なかなか熟睡できない」のような使われ方をします。
「めざとい」は、漢字では「目敏い」や「目聡い」と書かれ、「目」「さとい(敏い、聡い)」に分けられます。「さとい」の意味は、「賢い」「理解が早い」「感覚が鋭い」といったものになります。
「めざとい」と「あざとい」は、上記のように意味も使い方もまったく違います。「めざとい」は、主として何かをすばやく見つけられる能力について言う言葉で、あさはかさやあくどさ、計算ずくのかわいらしさなどは指しません。この点に気を付けて、両者を使い分けましょう。 | あざといとめざといの違いについて説明してください。 | あざといとは、思慮が浅い、あさはかだ、や、やり方があくどい、ずうずうしく抜け目がない、といった意味の言葉だが、近年では、計算ずくで愛らしく見えるようにふるまうさまの意味で多く使われている。
めざといとは、見つけるのが早い、目が覚めやすいという意味の言葉である。 |
JCRRAG_014505 | 国語 | 王妃は、私から航海の話を聞いたり、また私が陰気にしていると、いつもしきりに慰めてくださるのでしたが、あるとき私に、帆やオールの使い方を知っているか、少し舟でも漕いでみたら、健康によくはあるまいか、とお尋ねになりました。
私は、普通の船員の仕事もしたことがあるので、帆でもオールでも使えます、とお答えしました。だが、この国の船では、どうしたものか、それはちょっとわかりませんでした。一番小さい舟でも、私たちの国の第一流の軍艦ほどもあるので、私に漕げるような船は、この国の川に浮かべられそうもありません。しかし王妃は、私がボートの設計をすれば、お抱えの指物師にそれを作らせ、私の乗りまわす場所もこさえてあげる、と言われました。
そこで、器用な指物師が、私の指示にしたがって、十日かけて、一艘の遊覧ボートを作り上げました。二本のオールに三本のマスト、船具も全部そろっていて、ヨーロッパ人なら、八人は乗れそうなボートでした。それが出来上がると、王妃は非常に喜び、そのボートを前掛に入れて、国王のところへかけつけました。国王は、まず試しに、私をそれに乗せて、水桶に水を一ぱい張って浮かせてみよ、と命じられました。しかし、そこの水桶は狭くて、うまく漕げませんでした。
ところが、王妃は、ちゃんと前から、別の水槽を考えていたのです。指物師に命じて、長さ三百フィート、幅五十フィート、深さ八フィートの、木の箱を作らせ、水の漏らないように、うまく目張りして、宮殿の部屋の壁際に置いてありました。水は、二人の召使が、半時間もかかればすぐ一ぱいにすることができます。そして、その箱の底には栓があって、水が古くなると抜けるようになっていました。
私はその箱の中を漕ぎまわって、自分の気晴らしをやり、王妃や女官たちを面白がらせました。彼女たちは、私の船員姿を大へん喜びます。それにときどき、帆を上げると、女官たちが扇で風を送ってくれます。私はただ舵をとっていればいいわけでした。彼女等があおぐのに疲れると、今度は侍童たちが口で帆を吹くのです。すると、私はおも舵を引いたり、とり舵を引いたりして、思うままに乗りまわすのでした。それがすむと、グラムダルクリッチは、いつも私のボートを自分の部屋に持って帰り、釘にかけて、かわかすのでした。
この水箱は、三日おきに水を替えることになっていましたが、あるとき、水を替える役目の召使が、うっかりしていて、二匹の雄カエルと一匹の雌カエルを手桶から一しょに流し込んでしまいました。はじめ、そのうちの一匹の蛙はじっと隠れていたのですが、私がボートに乗り込むと、うまい休み場所が出来たとばかりに、ボートの方に這い上って来ました。船はひどく一方へ傾くし、私はひっくりかえらないように、その反対側によって、うんと力を入れていなければなりません。 | 王妃が指物師に命じて作らせた箱の寸法のうち、もっとも短いものを教えてください。 | 王妃が指物師に命じて作らせた箱の寸法のうち、もっとも短いものは深さで八フィートです。 |
JCRRAG_014506 | 国語 | 人間の眼玉は、風景をたくわえる事が出来ると、いつか兄さんが教えて下さった。電球をちょっとのあいだ見つめて、それから眼をつぶっても眼蓋まぶたの裏にありありと電球が見えるだろう、それが証拠だ、それに就いて、むかしデンマークに、こんな話があった、と兄さんが次のような短いロマンスを私に教えて下さったが、兄さんのお話は、いつもでたらめばっかりで、少しもあてにならないけれど、でもあの時のお話だけは、たとい兄さんの嘘のつくり話であっても、ちょっといいお話だと思いました。
むかし、デンマークの或るお医者が、難破した若い水夫の死体を解剖して、その眼球を顕微鏡でもって調べその網膜に美しい一家団欒だんらんの光景が写されているのを見つけて、友人の小説家にそれを報告したところが、その小説家はたちどころにその不思議の現象に対して次のような解説を与えた。その若い水夫は難破して怒濤どとうに巻き込まれ、岸にたたきつけられ、無我夢中でしがみついたところは、燈台の窓縁であった、やれうれしや、たすけを求めて叫ぼうとして、ふと窓の中をのぞくと、いましも燈台守の一家がつつましくも楽しい夕食をはじめようとしている、ああ、いけない、おれがいま「たすけてえ!」と凄すごい声を出して叫ぶとこの一家の団欒が滅茶苦茶になると思ったら、窓縁にしがみついた指先の力が抜けたとたんに、ざあっとまた大浪が来て、水夫のからだを沖に連れて行ってしまったのだ、たしかにそうだ、この水夫は世の中で一ばん優しくてそうして気高い人なのだ、という解釈を下し、お医者もそれに賛成して、二人でその水夫の死体をねんごろに葬ったというお話。
私はこのお話を信じたい。たとい科学の上では有り得ない話でも、それでも私は信じたい。私はあの雪の夜に、ふとこの物語を思い出し、私の眼の底にも美しい雪景色を写して置いてお家へ帰り、
「お嫂さん、あたしの眼の中を覗のぞいてごらん。おなかの赤ちゃんが綺麗きれいになってよ。」と言おうと思ったのです。せんだってお嫂さんが、兄さんに、
「綺麗なひとの絵姿を私の部屋の壁に張って置いて下さいまし。私は毎日それを眺めて、綺麗な子供を産みとうございますから。」と笑いながらお願いしたら、兄さんは、まじめにうなずき、
「うむ、胎教か。それは大事だ。」
とおっしゃって、孫次郎というあでやかな能面の写真と、雪の小面という可憐かれんな能面の写真と二枚ならべて壁に張りつけて下さったところまでは上出来でございましたが、それから、さらにまた、兄さんのしかめつらの写真をその二枚の能面の写真の間に、ぴたりと張りつけましたので、なんにもならなくなりました。
「お願いですから、その、あなたのお写真だけはよして下さい。それを眺めると、私、胸がわるくなって。」と、おとなしいお嫂さんも、さすがに我慢できなかったのでしょう、拝むようにして兄さんにたのんで、とにかくそれだけは撤回させてもらいましたが、兄さんのお写真なんかを眺めていたら、猿面冠者みたいな赤ちゃんが生れるに違いない。兄さんは、あんな妙ちきりんな顔をしていて、それでもご自身では少しは美男子だと思っているのかしら。呆あきれたひとです。本当にお嫂さんはいま、おなかの赤ちゃんのために、この世で一ばん美しいものばかり眺めていたいと思っていらっしゃるのだ、きょうのこの雪景色を私の眼の底に写して、そうしてお嫂さんに見せてあげたら、お嫂さんはスルメなんかのお土産より、何倍も何十倍もよろこんで下さるに違いない。
私はスルメをあきらめてお家に帰る途々みちみち、できるだけ、どっさり周囲の美しい雪景色を眺めて、眼玉の底だけでなく、胸の底にまで、純白の美しい景色を宿した気持でお家へ帰り着くなり、
「お嫂さん、あたしの眼を見てよ、あたしの眼の底には、とっても美しい景色が一ぱい写っているのよ。」
「なあに? どうなさったの?」お嫂さんは笑いながら立って私の肩に手を置き、「おめめを、いったい、どうなさったの?」
「ほら、いつか兄さんが教えて下さったじゃないの。人間の眼の底には、たったいま見た景色が消えずに残っているものだって。」
「とうさんのお話なんか、忘れたわ。たいてい嘘なんですもの。」
「でも、あのお話だけは本当よ。あたしは、あれだけは信じたいの、だから、ね、あたしの眼を見てよ。あたしはいま、とっても美しい雪景色をたくさんたくさん見て来たんだから。ね、あたしの眼を見て。きっと、雪のように肌の綺麗な赤ちゃんが生れてよ。」
お嫂さんは、かなしそうな顔をして、黙って私の顔を見つめていました。
「おい。」
とその時、隣りの六畳間から兄さんが出て来て、「しゅん子(私の名前)のそんなつまらない眼を見るよりは、おれの眼を見たほうが百倍も効果があらあ。」
「なぜ? なぜ?」
ぶってやりたいくらい兄さんを憎く思いました。
「兄さんの眼なんか見ていると、お嫂さんは、胸がわるくなるって言っていらしたわ。」
「そうでもなかろう。おれの眼は、二十年間きれいな雪景色を見て来た眼なんだ。おれは、はたちの頃まで山形にいたんだ。しゅん子なんて、物心地のつかないうちに、もう東京へ来て山形の見事な雪景色を知らないから、こんな東京のちゃちな雪景色を見て騒いでいやがる。おれの眼なんかは、もっと見事な雪景色を、百倍も千倍もいやになるくらいどっさり見て来ているんだからね、何と言ったって、しゅん子の眼よりは上等さ。」
私はくやしくて泣いてやろうかしらと思いました。その時、お嫂さんが私を助けて下さった。お嫂さんは微笑ほほえんで静かにおっしゃいました。
「でも、とうさんのお眼は、綺麗な景色を百倍も千倍も見て来たかわりに、きたないものも百倍も千倍も見て来られたお眼ですものね。」
「そうよ、そうよ。プラスよりも、マイナスがずっと多いのよ。だからそんなに黄色く濁っているんだ。わあい、だ。」
「生意気を言ってやがる。」
兄さんは、ぶっとふくれて隣りの六畳間に引込みました。 | 文中で胎教のために壁に貼った写真は最大何枚ですか。 | 文中で胎教のために壁に貼った写真は3枚で、孫次郎というあでやかな能面の写真と、雪の小面という可憐かれんな能面の写真と兄さんのしかめつらの写真のです。 |
JCRRAG_014507 | 国語 | 「窃盗」「強盗」の意味と違い
ニュースなどで普段よく目にしている言葉でも、似た語との違いが今一つ分かりづらい例は少なくありません。「窃盗」と「強盗」の2つも、そうしたものの一種でしょう。どちらも他人の物を盗み取るという犯罪を指しますが、それぞれが具体的にどういった行為を表すか指摘するのは、意外に難しくなっています。
今回は、刑法で定義されているこの2語の意味合いと違いについて解説しますので、「窃盗」と「強盗」の使い分けが知りたいという方は、ぜひ参考にしてみてください。
「窃盗」「強盗」の意味と違い
「窃盗」とは
「窃盗」とは、「他人の財物をひそかに盗み取ること」という意味の言葉です。また、そうした盗みを働く者についても言います。読み方は「せっとう」で、「窃盗の常習犯」「窃盗犯を取り押さえた」などのように使われます。
「窃盗」の「窃」は、「他人の物をこっそり盗み取る」「ひそかに、人知れず」を意味する漢字です。ほかに「剽窃」や「窃取」、「窃笑」などの熟語で使われます。
「窃盗」と「強盗」は、どちらも刑法に記載のある言葉で、しっかり使い分けることができます。「窃盗罪」の場合、「他人が占有する財物を、その意思に反し勝手に自分の物とすること」といった定義がされており、具体的には万引きや置き引き、空き巣などが当てはまります。
暴力や脅迫を伴わないのが特徴で、この点が「強盗」との大きな違いです。ただ、「窃盗」でも犯行の際人を負傷させたなどの場合、「強盗罪」に問われるケースもあります。
「強盗」とは
「強盗」とは、「暴力や脅迫などの手段で、他人の金品を奪うこと」という意味の言葉です。また、そうした行いをする者についても言います。読み方は「強盗」で、「最近貴金属目当ての強盗が増えている」「強盗団のメンバーの1人が捕まった」などのように使われます。
「強盗」の「強」の字は、「つよい」のほかに「無理に押し付ける」「しいる」といった意味があり、この場合はこちらの意味になります。ほかに「強訴(ごうそ)」「強弁(きょうべん)」「牽強(けんきょう)」などの用法があります。
刑法において「強盗罪」は、暴行や脅迫を用いて他人の財物を強取した者に適用されると定められています。つまり、ナイフなどをつきつけて脅し、金品を奪った場合は「強盗」となり、「窃盗」とはみなされません。
また、刑罰において「強盗」が5年以上の有期懲役であるのに対し、「窃盗」は10年以下の懲役または50万円以下の罰金となる点も、両者の違いに含められます。 | 窃盗と強盗の違いについて説明してください。 | 窃盗とは、他人の財物をひそかに盗み取ること、または盗みをする人のことである。
強盗とは、暴力や脅迫などの手段で、他人の金品を奪うこと、またはそうした行いをする人のことである。 |
JCRRAG_014508 | 国語 | それから、非常に器用な建築家もいました。彼が思いついた新しい考えによると、家を建てるには、一番はじめに、屋根を作り、そして、だんだん下の方を作ってゆくのがいいというのです。その証拠に、蜂や蟻などもこれと同じやり方でやっているのではないか、と彼は言っていました。
ある部屋では、生まれながらの盲人が、盲人の弟子を使っていました。彼らの仕事は、画家のために、絵具を混ぜることでした。この先生は、指と鼻で、絵具の色が見分けられるというのです。しかし、私が訪ねたときは、先生はほとんど間違ってばかりいました。
また別の部屋には、鋤や家畜の代わりに、豚を使って、土地を耕すことを発見したという男がいました。
それはこうするのです。まず、一エーカーの土地に、六インチおきに、八インチの深さに、百個のどんぐり、二百個のなつめ、八十個のやし、五十個の栗、そのほか、豚の好きそうなものをたくさん埋めておきます。それから、四百頭の雄豚、二百頭の雌豚、合計六百頭の豚を土地に放すのです。すると、三日もすれば、豚どもは食物を探して、隅から隅まで掘り返すし、それに、豚の糞が肥料になるので、あとはもう種を蒔けばいいだけです。もっとも、これは、お金と人手がかかるばかりで、作物はほとんど、取れなかったということです。 | 一エーカーの土地に埋めるもののうち、もっとも数が多いものを教えてください。 | 一エーカーの土地に埋めるもののうち、もっとも数が多いものはなつめで二百個です。 |
JCRRAG_014509 | 国語 | これは、いまから、四年まえの話である。私が伊豆の三島の知り合いのうちの二階で一夏を暮し、ロマネスクという小説を書いていたころの話である。或る夜、酔いながら自転車に乗りまちを走って、怪我をした。右足のくるぶしの上のほうを裂さいた。疵は深いものではなかったが、それでも酒をのんでいたために、出血がたいへんで、あわててお医者に駈けつけた。まち医者は三十二歳の、大きくふとり、西郷隆盛に似ていた。たいへん酔っていた。私と同じくらいにふらふら酔って診察室に現われたので、私は、おかしかった。治療を受けながら、私がくすくす笑ってしまった。するとお医者もくすくす笑い出し、とうとうたまりかねて、ふたり声を合せて大笑いした。
その夜から私たちは仲良くなった。お医者は、文学よりも哲学を好んだ。私もそのほうを語るのが、気が楽で、話がはずんだ。お医者の世界観は、原始二元論ともいうべきもので、世の中の有様をすべて善玉悪玉の合戦と見て、なかなか歯切れがよかった。私は愛という単一神を信じたく内心つとめていたのであるが、それでもお医者の善玉悪玉の説を聞くと、うっとうしい胸のうちが、一味爽涼を覚えるのだ。たとえば、宵の私の訪問をもてなすのに、ただちに奥さんにビールを命ずるお医者自身は善玉であり、今宵はビールでなくブリッジ(トランプ遊戯の一種)いたしましょう、と笑いながら提議する奥さんこそは悪玉である、というお医者の例証には、私も素直に賛成した。奥さんは、小がらの、おたふくがおであったが、色が白く上品であった。子供はなかったが、奥さんの弟で沼津の商業学校にかよっているおとなしい少年がひとり、二階にいた。
お医者の家では、五種類の新聞をとっていたので、私はそれを読ませてもらいにほとんど毎朝、散歩の途中に立ち寄って、三十分か一時間お邪魔した。裏口からまわって、座敷の縁側に腰をかけ、奥さんの持って来る冷い麦茶を飲みながら、風に吹かれてぱらぱら騒ぐ新聞を片手でしっかり押えつけて読むのであるが、縁側から二間と離れていない、青草原のあいだを水量たっぷりの小川がゆるゆる流れていて、その小川に沿った細い道を自転車で通る牛乳配達の青年が、毎朝きまって、おはようございます、と旅の私に挨拶した。その時刻に、薬をとりに来る若い女のひとがあった。簡単服に下駄をはき、清潔な感じのひとで、よくお医者と診察室で笑い合っていて、ときたまお医者が、玄関までそのひとを見送り、
「奥さま、もうすこしのご辛棒しんぼうですよ。」と大声で叱咤することがある。
お医者の奥さんが、或るとき私に、そのわけを語って聞かせた。小学校の先生の奥さまで、先生は、三年まえに肺をわるくし、このごろずんずんよくなった。お医者は一所懸命で、その若い奥さまに、いまがだいじのところと、固く禁じた。奥さまは言いつけを守った。それでも、ときどき、なんだか、ふびんに伺うことがある。お医者は、その都度、心を鬼にして、奥さまもうすこしのご辛棒ですよ、と言外に意味をふくめて叱咤するのだそうである。
八月のおわり、私は美しいものを見た。朝、お医者の家の縁側で新聞を読んでいると、私の傍に横坐りに坐っていた奥さんが、
「ああ、うれしそうね。」と小声でそっと囁ささやいた。
ふと顔をあげると、すぐ眼のまえの小道を、簡単服を着た清潔な姿が、さっさっと飛ぶようにして歩いていった。白いパラソルをくるくるっとまわした。
「けさ、おゆるしが出たのよ。」奥さんは、また、囁く。
三年、と一口にいっても、――胸が一ぱいになった。年つき経つほど、私には、あの女性の姿が美しく思われる。あれは、お医者の奥さんのさしがねかも知れない。 | 作中のまち医者は何人で暮らしていますか。 | まち医者、奥さんと奥さんの弟の3人で暮らしています。 |
JCRRAG_014510 | 国語 | 「予測」「予想」「予知」「予報」の意味と違い
「予」は「あらかじめ」「前もって」などの意味を持つ漢字で、多くの熟語に用いられます。「予測」「予想」「予知」「予報」の4語もその一種ですが、これらは互いに印象が似ており、区別に困る部分が少なくありません。しかし、よく見れば異なる言葉で、いくつかのポイントで使い分けることができます。では、具体的にどういった点で異なるのでしょうか。
今回は、「予測」「予想」「予知」」「予報」の4つの言葉の意味や違いについて解説しますので、ぜひ参考にしてみてください。
「予測」「予想」「予知」「予報」の意味と違い
「予測」とは
「予測」とは、「事の成り行きや結果を前もっておしはかること」という意味の言葉です。また、そうしておしはかった内容についても言います。「実験で得られたデータは、予測したものより高い数値を示した」「我が国の人口予測では、今後ますます少子高齢化が進むとの結果が出ている」などのように使われます。
「予測」の「測」の字は、「物の長さ・深さなどをはかる」「物事の状態や他人の心中などについて考えをめぐらす」といった意味を持ちます。
「予測」と「予想」の違いはかなり微妙であり、一般的にはほぼ同様の使い方をされています。強いて違いを挙げれば、データなどに基づくことが多い「予測」の方が、客観性や具体性の点で「予想」より上であると言えます。
「予想」とは
「予想」とは、「物事の成り行きや結果について、前もって見当をつけること」という意味の言葉です。また、そうして見当をつけた内容についても言います。「予想では台風は九州に上陸すると見られていたが、進路がずれて直撃は免れるもようだ」「彼の競馬の予想は当たったためしがない」「予想もつかない出来事の到来は、現実では割とよくあることだ」などのように使われます。
「予想」の「想」の字は、「おもいをめぐらす」「おしはかる」などの意味を持ちます。
「予想」と「予測」の違いは、上記のように具体性や客観性にあります。「予想」は「予測」に比べ、それらの点があいまいであることも少なくありません。一方「予報」との違いは、後述するように、「しらせ」の意味合いを持つかどうかに求められます。
「予知」とは
「予知」とは、「何が起こるかと前もって知ること」という意味の言葉です。「地震の予知は、現在のところ困難との見方が大勢を占める」「予知能力について科学的に実証できた例はこれまでない」「災難を予知できたらどんなにいいだろう」などのように使われます。
「予知」の「知」の字は「神意をしる」を表し、「しる」「さとる」「理解する」などの意味を持ちます。
「予知」と「予測」は、互いに地震に関連して使われることが多い言葉です。しかし、この場合「予知」は「予測」よりも、時間・場所・大きさの点で精度が高い見当をつけることを指しています。また「予知能力」などと使う場合に顕著ですが、「科学的根拠が薄い」というニュアンスを含む点も、「予測」や「予想」「予報」との明らかな違いになります。
「予報」とは
「予報」とは、「前もって知らせること、またその知らせ」という意味の言葉で、「将来の計画を予報する」などのように使われていました。ただ、現在は「天気予報」の略語としての用法が一般的で、「予報では、この雨は午後には上がり、その後は晴れ間がのぞくそうだ」「予報を信じなかったばかりに、出先で雨に降られてしまった」などのような使い方をされます。
「予報」の「報」の字は、もともと「さばく」を意味していましたが、その後「むくいる」や「しらせる」の意味を持つようになりました。
「予測」や「予想」、「予知」との違いにあたる「予報」の特徴は、「主に天候に関して使われる」点にあります。また、「報」の字が入っているように、「しらせる」や「しらせ」の意味合いに重点が置かれているところも、他の3つとの使い分けのポイントになります。 | 予測と予想の違いについて説明してください。 | 予測とは、事の成り行きや結果を前もっておしはかること、またはその内容のことである。データに基づくことが多い。
予想とは、物事の成り行きや結果について、前もって見当をつけること、またはその内容のことである。具体性や客観性が曖昧であることが多い。 |
JCRRAG_014511 | 国語 | 夜になると、見物人も帰るので、ようやく私は家の中にもぐりこみ、地べたで寝るのでした。二週間ばかりは、毎晩地べたで寝たものです。が、そのうちに皇帝が、私のためにベッドをこしらえてやれ、と言われました。普通の大きさのベッドが六百、車に積んで運ばれ、私の家の中で、それを組み立てました。
それでも私の体が入りきらなかったのでダブルのベッドを五百、私の家の中に入れて組み立てました。
私の噂は国中にひろまってしまいました。お金持で、暇のある、物好きな連中が、毎日、雲のように押しかけて来ます。
ある日は百人、またある日は三百人、ひどい時には五百人と来るようになりました。
そのために、村々はほとんど空っぽになり、畑の仕事も家の仕事も、すっかりお留守になりそうでした。それで、皇帝から命令が出ました。見物がすんだ人はさっさと帰れ、無断で私の家の三十ヤード以内に近よってはいけない、と、こんなことが決められました。
それでも近寄ろうとするので五十ヤード以内に近よってはいけないことになりました。
ところで、皇帝は何度も会議を開いて、一体、これはどうしたらいいのかと、相談されたそうです。聞くところによると、朝廷でも、私の取り扱いには、だいぶ困っていたようです。あんな男を自由の身にしてやるのも心配でしたが、なにしろ、私の食事がとても大へんなものでしたから、これでは国中が飢饉になるかもしれない、というのです。
いっそのこと、何も食べさせないで、餓死させるか、それとも、毒矢で殺してしまう方がよかろう、と言うものが十人ほどいました。
だが、あの男に死なれると、山のような死体から発する臭いがたまらない、その悪い臭は、国中に伝染病をひろげることになるだろう、と説くものは十五人いました。
ちょうど、この会議の最中に、私があの六人のやじ馬を許してやったことが伝えられました。すると、皇帝も大臣も、私の行いに、すっかり感心してしまいました。 | 私をどうするか会議を開いて、より人の支持を集めた議論の数を教えてください。 | 私をどうするか会議を開いて、より人の支持を集めた議論は「いっそのこと、何も食べさせないで、餓死させるか、それとも、毒矢で殺してしまう方がよかろう」で十人です。 |
JCRRAG_014512 | 国語 | これは、いまから、四年まえの話である。私が伊豆の三島の知り合いのうちの二階で一夏を暮し、ロマネスクという小説を書いていたころの話である。或る夜、酔いながら自転車に乗りまちを走って、怪我をした。右足のくるぶしの上のほうを裂さいた。疵は深いものではなかったが、それでも酒をのんでいたために、出血がたいへんで、あわててお医者に駈けつけた。まち医者は三十二歳の、大きくふとり、西郷隆盛に似ていた。たいへん酔っていた。私と同じくらいにふらふら酔って診察室に現われたので、私は、おかしかった。治療を受けながら、私がくすくす笑ってしまった。するとお医者もくすくす笑い出し、とうとうたまりかねて、ふたり声を合せて大笑いした。
その夜から私たちは仲良くなった。お医者は、文学よりも哲学を好んだ。私もそのほうを語るのが、気が楽で、話がはずんだ。お医者の世界観は、原始二元論ともいうべきもので、世の中の有様をすべて善玉悪玉の合戦と見て、なかなか歯切れがよかった。私は愛という単一神を信じたく内心つとめていたのであるが、それでもお医者の善玉悪玉の説を聞くと、うっとうしい胸のうちが、一味爽涼を覚えるのだ。たとえば、宵の私の訪問をもてなすのに、ただちに奥さんにビールを命ずるお医者自身は善玉であり、今宵はビールでなくブリッジ(トランプ遊戯の一種)いたしましょう、と笑いながら提議する奥さんこそは悪玉である、というお医者の例証には、私も素直に賛成した。奥さんは、小がらの、おたふくがおであったが、色が白く上品であった。子供はなかったが、奥さんの弟で沼津の商業学校にかよっているおとなしい少年がひとり、二階にいた。
お医者の家では、五種類の新聞をとっていたので、私はそれを読ませてもらいにほとんど毎朝、散歩の途中に立ち寄って、三十分か一時間お邪魔した。裏口からまわって、座敷の縁側に腰をかけ、奥さんの持って来る冷い麦茶を飲みながら、風に吹かれてぱらぱら騒ぐ新聞を片手でしっかり押えつけて読むのであるが、縁側から二間と離れていない、青草原のあいだを水量たっぷりの小川がゆるゆる流れていて、その小川に沿った細い道を自転車で通る牛乳配達の青年が、毎朝きまって、おはようございます、と旅の私に挨拶した。その時刻に、薬をとりに来る若い女のひとがあった。簡単服に下駄をはき、清潔な感じのひとで、よくお医者と診察室で笑い合っていて、ときたまお医者が、玄関までそのひとを見送り、
「奥さま、もうすこしのご辛棒しんぼうですよ。」と大声で叱咤することがある。
お医者の奥さんが、或るとき私に、そのわけを語って聞かせた。小学校の先生の奥さまで、先生は、三年まえに肺をわるくし、このごろずんずんよくなった。お医者は一所懸命で、その若い奥さまに、いまがだいじのところと、固く禁じた。奥さまは言いつけを守った。それでも、ときどき、なんだか、ふびんに伺うことがある。お医者は、その都度、心を鬼にして、奥さまもうすこしのご辛棒ですよ、と言外に意味をふくめて叱咤するのだそうである。
八月のおわり、私は美しいものを見た。朝、お医者の家の縁側で新聞を読んでいると、私の傍に横坐りに坐っていた奥さんが、
「ああ、うれしそうね。」と小声でそっと囁ささやいた。
ふと顔をあげると、すぐ眼のまえの小道を、簡単服を着た清潔な姿が、さっさっと飛ぶようにして歩いていった。白いパラソルをくるくるっとまわした。
「けさ、おゆるしが出たのよ。」奥さんは、また、囁く。
三年、と一口にいっても、――胸が一ぱいになった。年つき経つほど、私には、あの女性の姿が美しく思われる。あれは、お医者の奥さんのさしがねかも知れない。 | 作中の医者は現在何歳ですか。 | 現在のまち医者の年齢は36歳です。 |
JCRRAG_014513 | 国語 | 「予測」「予想」「予知」「予報」の意味と違い
「予」は「あらかじめ」「前もって」などの意味を持つ漢字で、多くの熟語に用いられます。「予測」「予想」「予知」「予報」の4語もその一種ですが、これらは互いに印象が似ており、区別に困る部分が少なくありません。しかし、よく見れば異なる言葉で、いくつかのポイントで使い分けることができます。では、具体的にどういった点で異なるのでしょうか。
今回は、「予測」「予想」「予知」」「予報」の4つの言葉の意味や違いについて解説しますので、ぜひ参考にしてみてください。
「予測」「予想」「予知」「予報」の意味と違い
「予測」とは
「予測」とは、「事の成り行きや結果を前もっておしはかること」という意味の言葉です。また、そうしておしはかった内容についても言います。「実験で得られたデータは、予測したものより高い数値を示した」「我が国の人口予測では、今後ますます少子高齢化が進むとの結果が出ている」などのように使われます。
「予測」の「測」の字は、「物の長さ・深さなどをはかる」「物事の状態や他人の心中などについて考えをめぐらす」といった意味を持ちます。
「予測」と「予想」の違いはかなり微妙であり、一般的にはほぼ同様の使い方をされています。強いて違いを挙げれば、データなどに基づくことが多い「予測」の方が、客観性や具体性の点で「予想」より上であると言えます。
「予想」とは
「予想」とは、「物事の成り行きや結果について、前もって見当をつけること」という意味の言葉です。また、そうして見当をつけた内容についても言います。「予想では台風は九州に上陸すると見られていたが、進路がずれて直撃は免れるもようだ」「彼の競馬の予想は当たったためしがない」「予想もつかない出来事の到来は、現実では割とよくあることだ」などのように使われます。
「予想」の「想」の字は、「おもいをめぐらす」「おしはかる」などの意味を持ちます。
「予想」と「予測」の違いは、上記のように具体性や客観性にあります。「予想」は「予測」に比べ、それらの点があいまいであることも少なくありません。一方「予報」との違いは、後述するように、「しらせ」の意味合いを持つかどうかに求められます。
「予知」とは
「予知」とは、「何が起こるかと前もって知ること」という意味の言葉です。「地震の予知は、現在のところ困難との見方が大勢を占める」「予知能力について科学的に実証できた例はこれまでない」「災難を予知できたらどんなにいいだろう」などのように使われます。
「予知」の「知」の字は「神意をしる」を表し、「しる」「さとる」「理解する」などの意味を持ちます。
「予知」と「予測」は、互いに地震に関連して使われることが多い言葉です。しかし、この場合「予知」は「予測」よりも、時間・場所・大きさの点で精度が高い見当をつけることを指しています。また「予知能力」などと使う場合に顕著ですが、「科学的根拠が薄い」というニュアンスを含む点も、「予測」や「予想」「予報」との明らかな違いになります。
「予報」とは
「予報」とは、「前もって知らせること、またその知らせ」という意味の言葉で、「将来の計画を予報する」などのように使われていました。ただ、現在は「天気予報」の略語としての用法が一般的で、「予報では、この雨は午後には上がり、その後は晴れ間がのぞくそうだ」「予報を信じなかったばかりに、出先で雨に降られてしまった」などのような使い方をされます。
「予報」の「報」の字は、もともと「さばく」を意味していましたが、その後「むくいる」や「しらせる」の意味を持つようになりました。
「予測」や「予想」、「予知」との違いにあたる「予報」の特徴は、「主に天候に関して使われる」点にあります。また、「報」の字が入っているように、「しらせる」や「しらせ」の意味合いに重点が置かれているところも、他の3つとの使い分けのポイントになります。 | 予知と予報の違いについて説明してください。 | 予知とは、時間・場所・大きさの点で精度が高い見当をつけ、何が起こるかと前もって知ることである。ただし、科学的根拠が薄いという意味合いで使うこともある。
予報とは、前もって知らせること、またその知らせ、という意味合いを持っていたが現在では天気予報の略語として主に天候に関して使われることが多い。 |
JCRRAG_014514 | 国語 | いよいよボートの中に入り込んで来ると、いきなりボートの半分の長さを、ひょいと跳び越し、それから私の頭の上を前や後ろへしきりに跳び越えるのです。そしてそのたびに、蛙はあの厭な粘液を、私の顔や着物に塗りつけるのです。その顔つきの大きなことといったら、こんな醜い動物が世の中にいるのかと驚かされます。しかし、私がオールの一本を取って、しばらく打ちのめしてやっているうちに、蛙はとうとう、ボートから跳び出してしまいました。
残りの二匹もプールに残っていたと思っていましたが、いつの間にかいなくなっていました。
私がこの国で一番あぶない目に会ったのは、宮廷の役人の一人が飼っていた猿が、私にいたずらしたときのことです。
ある日、グラムダルクリッチは、用たしに出かけて行くので、私の箱を自分の部屋に入れて、鍵をおろしておきました。大変暑い日でしたが、部屋の窓は開けっ放しになっており、私の住んでいる箱の戸口も窓も、開けっ放しになっていました。私が机に向かって、三枚の金貨と二枚の銀貨を弄びながら静かにものを考えていると、何か窓から跳び込んで、部屋の中をあちこち歩きまわるような音がするのです。私はひどく驚きましたが、じっと椅子に坐ったまま、見ていました。
今、部屋に入って来た猿は、いい気になって、はねまわっているのでした。
十フィートから高いときには十五フィートも飛んでいるのです。
そのうちに、とうとう猿が私の箱のところへやって来ました。彼は、この箱がよほど気に入ったのか、さも面白く珍しそうに戸口や窓から、いちいちのぞきこむのです。
私は箱の一番奥の隅へ逃げ込んでいましたが、猿が四方からのぞきこむので、怖くてたまりません。すっかりあわてていたので、ベッドの下に隠れることにも気がつかなかったのです。猿は、のぞいたり、歯を向き出したり、ムニャムニャしゃべったりしていましたが、とうとう、私の姿を見つけると、ちょうどあの猫が鼠にするように、戸口から片手を伸ばしてきました。私はうまく避けまわっていたのですが、とうとう上衣の垂れをつかまれて、引きずり出されました。
彼は私を右手で抱き上げると、ちょうどその乳母が子供に乳房をふくませるような恰好で私をかかえました。私があがけばあがくほど、猿は強くしめつけるので、これは、じっとしていた方がいいと思いました。一方の手で、猿は何度も、やさしげに私の顔をなでてくれます。てっきり私を同じ猿の子だと勘違いしてるのでしょう。こうして、彼がすっかりいい気持になっているところへ、突然、誰かが部屋の戸を開ける音がしました。すると、彼は急いで窓の方へ駈けつけ、三本足でとっとと歩きながら、一本の手で私を抱いたまま、樋を伝って、とうとう隣りの大屋根までよじのぼってしまいました。 | 私が机に向かって弄んでる金貨と銀貨を比較して、数が多いほうを教えてください。 | 私が机に向かって弄んでる金貨と銀貨を比較して、数が多いのは金貨で三枚です。 |
JCRRAG_014515 | 国語 | 1ドル87セント。 それで全部。 しかもそのうち60セントは小銭でした。 小銭は一回の買い物につき一枚か二枚づつ浮かせたものです。 乾物屋や八百屋や肉屋に無理矢理まけさせたので、 しまいに、こんなに値切るなんてという無言の非難で頬が赤くなるほどでした。 デラは三回数えてみました。 でもやっぱり1ドル87セント。 明日はクリスマスだというのに。
これでは、まったくのところ、粗末な小椅子に突っ伏して泣くしかありません。 ですからデラはそうしました。 そうしているうちに、 人生というものは、わあわあ泣くのと、しくしく泣くのと、微笑みとでできており、 しかも、しくしく泣くのが大部分を占めていると思うようになりました。
この家の主婦が第一段階から第二段階へと少しづつ移行している間に、 家の様子を見ておきましょう。 ここは週8ドルの家具付きアパートです。 全く筆舌に尽くしがたいというわけではないけれど、 浮浪者一掃部隊に気をつけるためにアパートという名前をつけたに違いありません。
階下には郵便受けがありましたが手紙が入る様子はなく、 呼び鈴はありましたが人間の指では鳴らせそうもありません。 その上には「ミスター・ジェームズ・ディリンガム・ヤング」 という名前が書かれた名刺が貼ってありました。
その「ディリンガム」の文字は、 その名の持ち主に週30ドルの収入があった繁栄の時代にはそよ風にはためいてきました。 でもいまや収入は20ドルに減ってしまい、 文字たちはもっと慎ましく謙遜な「D」一文字に押し縮めようかと真剣に考えているようでした。 しかし、ジェームズ・ディリンガム・ヤング氏が家に帰って二階のアパートに着くと、 すでにデラとしてご紹介済みのジェームズ・ディリンガム・ヤング夫人が、 「ジム」と呼びながら、いつでもぎゅうっと夫を抱きしめるのでした。 これはたいへん結構なことですね。
デラは泣くのをやめ、頬に白粉をはたくのに意識を集中させました。 デラは窓辺に立ち、灰色の裏庭にある灰色の塀の上を灰色の猫が歩いているのを物憂げに見ました。 明日はクリスマスだというのに、ジムに贈り物を買うお金が1ドル87セントしかありません。 何月も何月もコツコツとためてきたのに、これがその結果なのです。 週20ドルでは、大したことはできません。 支出はデラが計算した以上にありました。 支出というものはいつだってそういうものでした。 ジムへの贈り物を買うのに1ドル87セントしかないなんて。 大切なジムなのに。 デラは、ジムのために何かすばらしいものをあげようと、長い間計画していたのです。 何か、すてきで、めったにないもの —— ジムの所有物となる栄誉を受けるに少しでも値する何かを。
その部屋の窓と窓の間には姿見の鏡が掛けられていました。 たぶんあなたも8ドルの安アパートで見たことのあるような姿見でした。 たいそう細身で機敏な人だけが、 縦に細長い列に映る自分をすばやく見てとって、 全身像を非常に正確に把握することができるのでしょう。 デラはすらっとしていたので、その技術を会得しておりました。
急にデラは窓からくるりと身をひるがえし、その鏡の前に立ちました。 デラの目はきらきらと輝いていましたが、顔は20秒の間、色を失っていたのでした。 デラは手早く髪を下ろし、その長さいっぱいまで垂らしました。
さて、ジェームズ・ディリンガム・ヤング家には、 誇るべき二つのものがありました。 一つはジムの金時計です。 かつてはジムの父、そしてその前にはジムの祖父が持っていたという金時計。 もう一つはデラの髪でした。 シバの女王が通風縦孔の向こう側のアパートに住んでいたとしましょう。 ある日、デラが窓の外にぬれた髪を垂らして乾かそうとしたら、 それだけで、女王様の宝石や宝物は色あせてしまったことでしょう。 また、ソロモン王がビルの管理人をやっていて、宝物は地下室に山積みしていたとしましょう。 ジムが通りがかりに時計を出すたび、王様はうらやましさのあまり、ひげをかきむしったことでしょう。
さて、そのデラの美しい髪は褐色の小さな滝のようにさざなみをうち、 輝きながら彼女のまわりを流れ落ちていきました。 髪はデラの膝のあたりまで届き、まるで長い衣のようでした。 やがてデラは神経質そうにまた手早く髪をまとめあげました。 ためらいながら1分間じっと立っていました。 が、そのうちに涙が一粒、二粒、すりきれた赤いカーペットに落ちました。
デラは褐色の古いジャケットを羽織り、褐色の古い帽子をかぶりました。 スカートをはためかせ、目にはまだ涙を光らせて、 ドアの外に出ると、表通りへ続く階段を降りていきました。
デラが立ち止まったところの看板には、 「マダム・ソフロニー。ヘア用品なら何でも。」と書いてありました。 デラは階段を一つかけのぼり、胸をどきどきさせながらも気持ちを落ち着けました。 女主人は大柄で、色は白すぎ、冷ややかで、とうてい「ソフロニー」という名前のようには見えませんでした。
「髪を買ってくださいますか」とデラは尋ねました。
「買うさ」と女主人は言いました。 「帽子を取って見せなさいよ」
褐色の滝がさざなみのようにこぼれ落ちました。
「20ドル」手馴れた手つきで髪を持ち上げて女主人は言いました。
「すぐにください」とデラは言いました。
ああ、それから、薔薇のような翼に乗って2時間が過ぎていきました。 …なんて、使い古された比喩は忘れてください。 デラはジムへの贈り物を探してお店を巡っておりました。
そしてとうとうデラは見つけたのです。 それは確かにジムのため、ジムのためだけに作られたものでした。 それほどすばらしいものはどの店にもありませんでした。 デラは全部の店をひっくり返さんばかりに見たのですから。 それはプラチナの時計鎖で、デザインはシンプルで上品でした。 ごてごてした飾りではなく、 素材のみがその価値を主張していたのです —— すべてのよきものがそうあるべきなのですが。 その鎖は彼の時計につけるのにふさわしいとまで言えるものでした。 その鎖を見たとたん、これはジムのものだ、とデラにはわかりました。 この鎖はジムに似ていました。 寡黙だが、価値がある —— この表現は鎖とジムの両者に当てはまりました。 その鎖には21ドルかかり、デラは87セントをもって家に急いで帰りました。 この鎖を時計につければ、 どんな人の前でもちゃんと時間を気にすることができるようになるでしょう。 時計はすばらしかったのですが、 鎖の代わりに古い皮紐をつけていたため、 ジムはこそこそと見るときもあったのです。 | クリスマス前日、デラは泣くのをやめ窓辺に立ちましたが、その際に見た灰色のものの種類の数を教えてください。 | クリスマス前日にデラが泣くのをやめ窓辺に立った時に見た灰色のものの種類の数は3で、「灰色の裏庭」、「灰色の塀」、「灰色の猫」です。 |
JCRRAG_014516 | 国語 | 「猜疑的」「懐疑的」「批判的」の意味と違い
熟語の中には、イメージの近さから区別が容易でないものが、何組も見られます。「猜疑的」「懐疑的」「批判的」の3語も、そうした組み合わせの1つです。いずれも人や物事に対するネガティブな意味合いを持った三字熟語という点で共通しており、印象的には似通って見えます。しかし、実際は明確な違いがあり、はっきりと使い分けることが可能です。
今回は、「猜疑的」「懐疑的」「批判的」の意味や違いについて解説しますので、これら3語の使い分け方が気になる方は、ぜひ参考にしてみてください。
「猜疑的」「懐疑的」「批判的」の意味と違い
「猜疑的」とは
「猜疑的」は、「猜疑」という熟語に「そのような性質を持ったもの」の意味を持つ接尾語「的」を加えた言葉です。「猜疑」の意味とは、「何か自分の不利になるようなことをするのではないかと思って人を疑ること」というもので、「猜疑の目を向ける」「猜疑心にさいなまれる」などのように使われます。
「猜疑的」という用法はあまり一般的ではありませんが、例文を挙げれば、「彼に対する猜疑的な見方がなくなったわけではない」といった具合になります。
「猜疑的」と「懐疑的」の違いは、「私的な感情」の扱いにあると言えます。「懐疑的」が後述するように、比較的感情面のニュアンスが薄い言葉であるのに対し、「猜疑的」は私的な感情がかなり強い点が特徴となっています。
「懐疑的」とは
「懐疑的」とは、「ある事柄に対して疑う傾向にあるさま」という意味の言葉です。また、「疑いを持って物事に接する傾きのあるさま」という意味も持ちます。「Aの提案したプランはずさんな面が目立ち、その効果については懐疑的にならざるを得なかった」「彼女は彼の行った弁明に、最初から懐疑的な態度を示していた」などのように使われます。
「懐疑的」と「猜疑的」の違いは、前述のように感情面のニュアンスにあります。「猜疑的」が私的な感情を押し出した言葉であるのに対し、「懐疑的」は特にそうしたニュアンスを強調していません。感情より「疑う」という行為にフォーカスしている点が、「懐疑的」の特徴になります。
一方、「批判的」との違いは、以下のようなものになります。
「批判的」とは
「批判的」とは、「批判する態度や立場をとるさま」「否定的に批評するさま」という意味の言葉です。「BはCに対し、一貫して批判的である」「D監督の発表した新作映画には、多くの評論家から批判的な声が寄せられた」などのように使われます。
「批判的」と「猜疑的」は、明確に異なる言葉です。「批判的」には、「人を疑る」や「自分の不利になるようなことをするように感じる」といった意味合いはありません。
同様に、「懐疑的」ともはっきり使い分けられます。「批判的」は、ある人や物事の難点に目を向ける立場を取ることで、前述のように「疑い」の意味合いは含んでいません。3つの言葉を使い分ける際は、こうした違いに注意しましょう。 | 猜疑的と懐疑的の違いを説明してください。 | 猜疑的とは、何か自分の不利になるようなことをするのではないかと思って人を疑ることである。私的な感情が強い。
懐疑的とは、疑いを持って物事に接する傾きのあるさまである。感情的なニュアンスは薄く、疑うことにフォーカスしている。 |
JCRRAG_014517 | 国語 | それから、非常に器用な建築家もいました。彼が思いついた新しい考えによると、家を建てるには、一番はじめに、屋根を作り、そして、だんだん下の方を作ってゆくのがいいというのです。その証拠に、蜂や蟻などもこれと同じやり方でやっているのではないか、と彼は言っていました。
ある部屋では、生まれながらの盲人が、盲人の弟子を使っていました。彼らの仕事は、画家のために、絵具を混ぜることでした。この先生は、指と鼻で、絵具の色が見分けられるというのです。しかし、私が訪ねたときは、先生はほとんど間違ってばかりいました。
また別の部屋には、鋤や家畜の代わりに、豚を使って、土地を耕すことを発見したという男がいました。
それはこうするのです。まず、一エーカーの土地に、六インチおきに、八インチの深さに、百個のどんぐり、二百個のなつめ、八十個のやし、五十個の栗、そのほか、豚の好きそうなものをたくさん埋めておきます。それから、四百頭の雄豚、二百頭の雌豚、合計六百頭の豚を土地に放すのです。すると、三日もすれば、豚どもは食物を探して、隅から隅まで掘り返すし、それに、豚の糞が肥料になるので、あとはもう種を蒔けばいいだけです。もっとも、これは、お金と人手がかかるばかりで、作物はほとんど、取れなかったということです。 | 一エーカーの土地に埋めるもののうち、もっとも数が少ないものを教えてください。 | 一エーカーの土地に埋めるもののうち、もっとも数が少ないものは栗で五十個です。 |
JCRRAG_014518 | 国語 | 一、五月
二疋ひきの蟹の子供らが青じろい水の底で話していました。
『クラムボンはわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
『クラムボンは跳ねてわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
上の方や横の方は、青くくらく鋼のように見えます。そのなめらかな天井てんじょうを、つぶつぶ暗い泡が流れて行きます。
『クラムボンはわらっていたよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
『それならなぜクラムボンはわらったの。』
『知らない。』
つぶつぶ泡が流れて行きます。蟹の子供らもぽっぽっぽっとつづけて五六粒泡を吐はきました。それはゆれながら水銀のように光って斜めに上の方へのぼって行きました。
つうと銀のいろの腹をひるがえして、一疋の魚が頭の上を過ぎて行きました。
『クラムボンは死んだよ。』
『クラムボンは殺されたよ。』
『クラムボンは死んでしまったよ………。』
『殺されたよ。』
『それならなぜ殺された。』兄さんの蟹は、その右側の四本の脚あしの中の二本を、弟の平べったい頭にのせながら云いました。
『わからない。』
魚がまたツウと戻もどって下流のほうへ行きました。
『クラムボンはわらったよ。』
『わらった。』
にわかにパッと明るくなり、日光の黄金は夢のように水の中に降って来ました。
波から来る光の網が、底の白い磐の上で美しくゆらゆらのびたりちぢんだりしました。泡や小さなごみからはまっすぐな影の棒が、斜めに水の中に並ならんで立ちました。
魚がこんどはそこら中の黄金の光をまるっきりくちゃくちゃにしておまけに自分は鉄いろに変に底びかりして、又また上流の方へのぼりました。
『お魚はなぜああ行ったり来たりするの。』
弟の蟹がまぶしそうに眼を動かしながらたずねました。
『何か悪いことをしてるんだよとってるんだよ。』
『とってるの。』
『うん。』
そのお魚がまた上流から戻って来ました。今度はゆっくり落ちついて、ひれも尾おも動かさずただ水にだけ流されながらお口を環のように円くしてやって来ました。その影は黒くしずかに底の光の網の上をすべりました。
『お魚は……。』
その時です。俄に天井に白い泡がたって、青びかりのまるでぎらぎらする鉄砲弾のようなものが、いきなり飛込んで来ました。
兄さんの蟹ははっきりとその青いもののさきがコンパスのように黒く尖とがっているのも見ました。と思ううちに、魚の白い腹がぎらっと光って一ぺんひるがえり、上の方へのぼったようでしたが、それっきりもう青いものも魚のかたちも見えず光の黄金の網はゆらゆらゆれ、泡はつぶつぶ流れました。
二疋はまるで声も出ず居すくまってしまいました。
お父さんの蟹が出て来ました。
『どうしたい。ぶるぶるふるえているじゃないか。』
『お父さん、いまおかしなものが来たよ。』
『どんなもんだ。』
『青くてね、光るんだよ。はじがこんなに黒く尖ってるの。それが来たらお魚が上へのぼって行ったよ。』
『そいつの眼が赤かったかい。』
『わからない。』
『ふうん。しかし、そいつは鳥だよ。かわせみと云うんだ。大丈夫だ、安心しろ。おれたちはかまわないんだから。』
『お父さん、お魚はどこへ行ったの。』
『魚かい。魚はこわい所へ行った』
『こわいよ、お父さん。』
『いいいい、大丈夫だ。心配するな。そら、樺の花が流れて来た。ごらん、きれいだろう。』
泡と一緒いっしょに、白い樺の花びらが天井をたくさんすべって来ました。
『こわいよ、お父さん。』弟の蟹も云いました。
光の網はゆらゆら、のびたりちぢんだり、花びらの影はしずかに砂をすべりました。 | この話に出てくる蟹は何匹ですか。 | この話に出てくる蟹は3匹で、お父さんと兄弟の蟹です。 |
JCRRAG_014519 | 国語 | 「猜疑的」「懐疑的」「批判的」の意味と違い
熟語の中には、イメージの近さから区別が容易でないものが、何組も見られます。「猜疑的」「懐疑的」「批判的」の3語も、そうした組み合わせの1つです。いずれも人や物事に対するネガティブな意味合いを持った三字熟語という点で共通しており、印象的には似通って見えます。しかし、実際は明確な違いがあり、はっきりと使い分けることが可能です。
今回は、「猜疑的」「懐疑的」「批判的」の意味や違いについて解説しますので、これら3語の使い分け方が気になる方は、ぜひ参考にしてみてください。
「猜疑的」「懐疑的」「批判的」の意味と違い
「猜疑的」とは
「猜疑的」は、「猜疑」という熟語に「そのような性質を持ったもの」の意味を持つ接尾語「的」を加えた言葉です。「猜疑」の意味とは、「何か自分の不利になるようなことをするのではないかと思って人を疑ること」というもので、「猜疑の目を向ける」「猜疑心にさいなまれる」などのように使われます。
「猜疑的」という用法はあまり一般的ではありませんが、例文を挙げれば、「彼に対する猜疑的な見方がなくなったわけではない」といった具合になります。
「猜疑的」と「懐疑的」の違いは、「私的な感情」の扱いにあると言えます。「懐疑的」が後述するように、比較的感情面のニュアンスが薄い言葉であるのに対し、「猜疑的」は私的な感情がかなり強い点が特徴となっています。
「懐疑的」とは
「懐疑的」とは、「ある事柄に対して疑う傾向にあるさま」という意味の言葉です。また、「疑いを持って物事に接する傾きのあるさま」という意味も持ちます。「Aの提案したプランはずさんな面が目立ち、その効果については懐疑的にならざるを得なかった」「彼女は彼の行った弁明に、最初から懐疑的な態度を示していた」などのように使われます。
「懐疑的」と「猜疑的」の違いは、前述のように感情面のニュアンスにあります。「猜疑的」が私的な感情を押し出した言葉であるのに対し、「懐疑的」は特にそうしたニュアンスを強調していません。感情より「疑う」という行為にフォーカスしている点が、「懐疑的」の特徴になります。
一方、「批判的」との違いは、以下のようなものになります。
「批判的」とは
「批判的」とは、「批判する態度や立場をとるさま」「否定的に批評するさま」という意味の言葉です。「BはCに対し、一貫して批判的である」「D監督の発表した新作映画には、多くの評論家から批判的な声が寄せられた」などのように使われます。
「批判的」と「猜疑的」は、明確に異なる言葉です。「批判的」には、「人を疑る」や「自分の不利になるようなことをするように感じる」といった意味合いはありません。
同様に、「懐疑的」ともはっきり使い分けられます。「批判的」は、ある人や物事の難点に目を向ける立場を取ることで、前述のように「疑い」の意味合いは含んでいません。3つの言葉を使い分ける際は、こうした違いに注意しましょう。 | 懐疑的と批判的の違いを説明してください。 | 懐疑的とは、疑いを持って物事に接する傾きのあるさまである。感情的なニュアンスは薄く、疑うことにフォーカスしている。
批判的とは、ある人や物事の難点に目を向け、批判する態度や立場をとるさまである。 |
JCRRAG_014520 | 国語 | さっそく、皇帝は、勅命で、私のために、村々から毎朝牛六頭、羊四十頭、そのほかパン三十個、葡萄酒二十本などを供出するよう、命令されました。
それから、六百人のものが、私の御用係にやとわれ、私の家の両側にテントを張って寝泊まりすることになりました。それから私の服を作ってくれるために、三百人の仕立屋が、仕立係としてやとわれました。
それから、宮廷で一番えらい学者十人の中から六人、この国の言葉を私に教えてくれることになりました。私は三週間ぐらいで、小人国の言葉がしゃべれるようになりました。インドやスペイン国の言葉はいつもなら四週間や五週間はかかるのに大分早かったです。
皇帝もときどき私のところへ訪ねて来られました。私は皇帝にひざまずいて、
「どうか、私を自由な身にしてください。」
と何度もお願いしました。
すると皇帝は、
「もうしばらく待て。」
と言われるのでした。
「自由な身にしてもらうには、お前はまず、この国と皇帝に誓いをしなければいけない。それから、お前はいずれ身体検査をされるが、それも悪く思わないでくれ。たぶん、お前は何か武器など持っていることだろうが、お前のその大きな身体で使う武器なら、よほど危険なものにちがいない。」
私は皇帝に申し上げました。
「どうか、いくらでも調べてください。なんなら、すぐお目の前で裸になって御覧にもいれましょうし、ポケットを裏返してお目にかけますから。」
これは半分は言葉、半分は手まねでやって見せました。すると皇帝は、
「では、二人の士官に命じて身体検査をやらせるが、これは臣下の生命をお前の手にゆだねるのだから、なにぶん、よろしく頼む。それから、たとえどんな品物を取り上げても、お前がこの国を去るときには、必ず返してやる。でなかったら、いい値段で買い取ってやってもいい。」
と言われました。 | 皇帝の勅命で、私のために、村々から毎朝渡される食べ物の中でもっとも多いものを教えてください。 | 皇帝の勅命で、私のために、村々から毎朝渡される食べ物の中でもっとも多いものは羊で四十頭です。 |
JCRRAG_014521 | 国語 | 一、五月
二疋ひきの蟹の子供らが青じろい水の底で話していました。
『クラムボンはわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
『クラムボンは跳ねてわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
上の方や横の方は、青くくらく鋼のように見えます。そのなめらかな天井てんじょうを、つぶつぶ暗い泡が流れて行きます。
『クラムボンはわらっていたよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
『それならなぜクラムボンはわらったの。』
『知らない。』
つぶつぶ泡が流れて行きます。蟹の子供らもぽっぽっぽっとつづけて五六粒泡を吐はきました。それはゆれながら水銀のように光って斜めに上の方へのぼって行きました。
つうと銀のいろの腹をひるがえして、一疋の魚が頭の上を過ぎて行きました。
『クラムボンは死んだよ。』
『クラムボンは殺されたよ。』
『クラムボンは死んでしまったよ………。』
『殺されたよ。』
『それならなぜ殺された。』兄さんの蟹は、その右側の四本の脚あしの中の二本を、弟の平べったい頭にのせながら云いました。
『わからない。』
魚がまたツウと戻もどって下流のほうへ行きました。
『クラムボンはわらったよ。』
『わらった。』
にわかにパッと明るくなり、日光の黄金は夢のように水の中に降って来ました。
波から来る光の網が、底の白い磐の上で美しくゆらゆらのびたりちぢんだりしました。泡や小さなごみからはまっすぐな影の棒が、斜めに水の中に並ならんで立ちました。
魚がこんどはそこら中の黄金の光をまるっきりくちゃくちゃにしておまけに自分は鉄いろに変に底びかりして、又また上流の方へのぼりました。
『お魚はなぜああ行ったり来たりするの。』
弟の蟹がまぶしそうに眼を動かしながらたずねました。
『何か悪いことをしてるんだよとってるんだよ。』
『とってるの。』
『うん。』
そのお魚がまた上流から戻って来ました。今度はゆっくり落ちついて、ひれも尾おも動かさずただ水にだけ流されながらお口を環のように円くしてやって来ました。その影は黒くしずかに底の光の網の上をすべりました。
『お魚は……。』
その時です。俄に天井に白い泡がたって、青びかりのまるでぎらぎらする鉄砲弾のようなものが、いきなり飛込んで来ました。
兄さんの蟹ははっきりとその青いもののさきがコンパスのように黒く尖とがっているのも見ました。と思ううちに、魚の白い腹がぎらっと光って一ぺんひるがえり、上の方へのぼったようでしたが、それっきりもう青いものも魚のかたちも見えず光の黄金の網はゆらゆらゆれ、泡はつぶつぶ流れました。
二疋はまるで声も出ず居すくまってしまいました。
お父さんの蟹が出て来ました。
『どうしたい。ぶるぶるふるえているじゃないか。』
『お父さん、いまおかしなものが来たよ。』
『どんなもんだ。』
『青くてね、光るんだよ。はじがこんなに黒く尖ってるの。それが来たらお魚が上へのぼって行ったよ。』
『そいつの眼が赤かったかい。』
『わからない。』
『ふうん。しかし、そいつは鳥だよ。かわせみと云うんだ。大丈夫だ、安心しろ。おれたちはかまわないんだから。』
『お父さん、お魚はどこへ行ったの。』
『魚かい。魚はこわい所へ行った』
『こわいよ、お父さん。』
『いいいい、大丈夫だ。心配するな。そら、樺の花が流れて来た。ごらん、きれいだろう。』
泡と一緒いっしょに、白い樺の花びらが天井をたくさんすべって来ました。
『こわいよ、お父さん。』弟の蟹も云いました。
光の網はゆらゆら、のびたりちぢんだり、花びらの影はしずかに砂をすべりました。 | この話に出てくる生き物の種類は何種類いますか。 | この話に出てくる生き物の種類は蟹、魚、鳥の3種類です。 |
JCRRAG_014522 | 国語 | 「資本」「財産」「資産」の意味と違い
「資本」「財産」「資産」の3語は、日常のさまざまなシーンでよく使われる言葉です。しかし、いずれも漠然とした意味合いは知っているものの、詳しい内容を説明するとなると、意外に難しいことに気づきます。しかも、どの言葉もイメージが重なる部分を持つため、それぞれを正確に区別するのはもっと大変です。果たしてこれらの言葉は、どのように使い分けるべきなのでしょうか。
今回は、「資本」「財産」「資産」の意味や違いについて詳しく解説しますので、ぜひ参考にしてみてください。
「資本」「財産」「資産」の意味と違い
「資本」とは
「資本」という言葉は、使用する場面によって意味が違います。
最も一般的な意味合いは「もとで」というもので、「商売・事業をするのに必要な基金」や、比喩的に「活動の基となる大切なもの(「職人は体が資本だ」などのように)」を指して使われます。また経済学では、「労働」「土地」と共に「生産の3要素」の1つ」を指します。一方、会計用語としての「資本」は、「企業の資産総額から負債を差し引いた純資産」を意味します。
「資本」は「もとで」を表す点において、「(金銭的な)価値のあるものの総称」を表す「財産」とは区別されます。一方、「資本」と「資産」はどちらも会計用語ですが、「資本」は「資産から負債を引いて得られた金額の合計」を指す点が特徴となっています。貸借対照表では、「資本(自己資本)」は右側の区分に含まれます。
「財産」とは
「財産」の主な意味とは、「価値あるもの」です。金銭や有価証券といった、個人や組織等が所有する経済的価値のあるものの総称として使われることが多くなっています。また、より広い意味合いを込めるケースもあり、その場合は「アマゾンの森林は人類共通の財産だ」などの使われ方をします。一方、税務や会計用語としての「財産」は、「資産(積極財産)と負債(消極財産)の総体」の意味になります。
上で述べたように、「財産」は「価値あるもの」を指す点が、「資本(もとで)」との違いになります。これに対し「資産」との違いは、「価値」の性格に求められます。「資産」がプラスの価値を持つもの(金銭、債権など)のみを指すのに対し、「財産」はプラスと共にマイナスの価値を持つもの(借金、債務など)も含みます。
「資産」とは
「資産」とは、「個人や法人の所有する金銭・土地・建物などの総称」という意味の言葉です。商品や設備・建物、社債等発行費など、決算時点で会社の保有になる財産全般を指して使われます。企業会計においては、貸借対照表上で流動資産・固定資産・繰延資産の3つに区分され、右側の欄に記入されます。
「資産」と「資本」の違いは、「企業活動の果実と源泉」という具合に言い表せます。会社は経営の元手となる資本金等の「資本」を運用し、現金などの「資産」を増やして成長を目指すこととなります。一方、「財産」との違いは、上記のように「マイナスの価値を含むかどうか」という点に求められます。「資産」にはプラスの価値しか含まれない点で、「財産」と使い分けられます。 | 資本と財産の違いについて説明してください。 | 資本とは、商売・事業をするのに必要な基金という意味合いが一般的であり、他には経済学では、労働・土地と合わせて生産の3要素の1つ、会計用語の資本は、企業の資産総額から負債を差し引いた純資産を意味する。
財産とは、金銭や証券など金融的価値のあるもののことである。税務や会計用語の財産は、「資産(積極財産)と負債(消極財産)の総体」の意味となる。 |
JCRRAG_014523 | 国語 | いよいよボートの中に入り込んで来ると、いきなりボートの半分の長さを、ひょいと跳び越し、それから私の頭の上を前や後ろへしきりに跳び越えるのです。そしてそのたびに、蛙はあの厭な粘液を、私の顔や着物に塗りつけるのです。その顔つきの大きなことといったら、こんな醜い動物が世の中にいるのかと驚かされます。しかし、私がオールの一本を取って、しばらく打ちのめしてやっているうちに、蛙はとうとう、ボートから跳び出してしまいました。
残りの二匹もプールに残っていたと思っていましたが、いつの間にかいなくなっていました。
私がこの国で一番あぶない目に会ったのは、宮廷の役人の一人が飼っていた猿が、私にいたずらしたときのことです。
ある日、グラムダルクリッチは、用たしに出かけて行くので、私の箱を自分の部屋に入れて、鍵をおろしておきました。大変暑い日でしたが、部屋の窓は開けっ放しになっており、私の住んでいる箱の戸口も窓も、開けっ放しになっていました。私が机に向かって、三枚の金貨と二枚の銀貨を弄びながら静かにものを考えていると、何か窓から跳び込んで、部屋の中をあちこち歩きまわるような音がするのです。私はひどく驚きましたが、じっと椅子に坐ったまま、見ていました。
今、部屋に入って来た猿は、いい気になって、はねまわっているのでした。
十フィートから高いときには十五フィートも飛んでいるのです。
そのうちに、とうとう猿が私の箱のところへやって来ました。彼は、この箱がよほど気に入ったのか、さも面白く珍しそうに戸口や窓から、いちいちのぞきこむのです。
私は箱の一番奥の隅へ逃げ込んでいましたが、猿が四方からのぞきこむので、怖くてたまりません。すっかりあわてていたので、ベッドの下に隠れることにも気がつかなかったのです。猿は、のぞいたり、歯を向き出したり、ムニャムニャしゃべったりしていましたが、とうとう、私の姿を見つけると、ちょうどあの猫が鼠にするように、戸口から片手を伸ばしてきました。私はうまく避けまわっていたのですが、とうとう上衣の垂れをつかまれて、引きずり出されました。
彼は私を右手で抱き上げると、ちょうどその乳母が子供に乳房をふくませるような恰好で私をかかえました。私があがけばあがくほど、猿は強くしめつけるので、これは、じっとしていた方がいいと思いました。一方の手で、猿は何度も、やさしげに私の顔をなでてくれます。てっきり私を同じ猿の子だと勘違いしてるのでしょう。こうして、彼がすっかりいい気持になっているところへ、突然、誰かが部屋の戸を開ける音がしました。すると、彼は急いで窓の方へ駈けつけ、三本足でとっとと歩きながら、一本の手で私を抱いたまま、樋を伝って、とうとう隣りの大屋根までよじのぼってしまいました。 | 私が机に向かって弄んでる金貨と銀貨を比較して、数が少ないほうを教えてください。 | 私が机に向かって弄んでる金貨と銀貨を比較して、数が少ないのは銀貨で二枚です。 |
JCRRAG_014524 | 国語 | それはそれは寒い日でした。雪が降っていて、あたりはもう、暗くなりかけていました。その日は、一年のうちでいちばんおしまいの、おおみそかの晩でした。この寒くて、うす暗い夕ぐれの通りを、みすぼらしい身なりをした、年のいかない少女がひとり、帽子ぼうしもかぶらず、靴くつもはかないで、とぼとぼと歩いていました。
でも、家を出たときには、スリッパをはいていたのです。けれども、そんなものがなんの役に立つでしょう! なぜって、とても大きなスリッパでしたから。むりもありません。おかあさんが、この間まで使っていたものですもの。ですから、とても大きかったわけです。それを、少女ははいて出かけたのですが、通りをいそいで横ぎろうとしたとき、二台の馬車がおそろしい勢いで走ってきたので、あわててよけようとした拍子ひょうしに、なくしてしまったのです。かたいっぽうは、そのまま、どこかへ見えなくなってしまいました。もういっぽうは、男の子がひろって、いまに赤あかん坊ぼうでも生れたら、ゆりかごに使うんだ、と言いながら、持っていってしまいました。
こういうわけで、いま、この少女は、かわいらしい、はだしの足で、歩いているのでした。その小さな足は、寒さのために、赤く、青くなっていました。古ぼけたエプロンの中には、たくさんのマッチを入れていました。そして、手にも一たばで持っていました。きょうは、一日じゅう売り歩いても、だれひとり買ってもくれませんし、一シリングのお金さえ、めぐんでくれる人もありませんでした。おなかはへってしまい、からだは氷のようにひえきって、みるもあわれな、いたいたしい姿をしていました! ああ、かわいそうに!
雪がひらひらと、少女の長いブロンドの髪かみの毛に、降りかかりました。その髪は、えり首のところに、それはそれは美しく巻いてありました。けれども、いまは、そんな自分の姿のことなんか、とてもかまってはいられません。見れば、窓という窓から、明りが外へさしています。そして、ガチョウの焼肉のおいしそうなにおいが、通りまで、ぷんぷんとにおっています。それもそのはず、きょうはおおみそかの晩ですもの。
「そうだわ。きょうは、おおみそかの晩なんだもの」と少女は思いました。
ちょうど、家が二けん、ならんでいました。一けんの家はひっこんでいて、もう一けんは、それよりいくらか、通りのほうへつき出ていましたが、その間のすみっこに、少女はからだをちぢこめて、うずくまりました。小さな足を、からだの下にひっこめてみましたが、寒さは、ちっともしのげません。それどころか、もっともっと寒くなるばかりです。
それでも、少女は家へ帰ろうとはしませんでした。マッチは一つも売れてはいませんし、お金だって、一シリングももらっていないのですから。このまま家へ帰れば、おとうさんにぶたれるにきまっています。それに、家へ帰ったところで、やっぱり寒いのはおんなじです。屋根はあっても、ただあるというだけです。大きなすきまには、わらや、ぼろきれが、つめてはありますけれど、それでも、風はピューピュー吹ふきこんでくるのです。
少女の小さな手は、寒さのために、もう死んだようになっていました。ああ、こんなときには、たった一本の小さなマッチでも、どんなにありがたいかしれません! マッチのたばから一本取り出して、それをかべにすりつけて、火をつけさえすれば、つめたい指は暖かくなるのです。
とうとう、少女は一本引きぬきました。「シュッ!」ああ、火花が散って、マッチは燃えつきました。暖かい明るいほのおは、まるで、小さなろうそくの火のようでした。少女は、その上に手をかざしました。それは、ほんとうにふしぎな光でした。なんだか、ピカピカ光るしんちゅうのふたと、しんちゅうの胴どうのついている、大きな鉄のストーブの前にすわっているような気がしました。まあ、火は、なんてよく燃えるのでしょう! そして、なんて気持よく暖かいのでしょう! ほんとうにふしぎです!
少女は、足も暖めようと思って、のばしました。と、そのとたんに、ほのおは、消えてしまいました。ストーブも、かき消すように見えなくなりました。――少女の手には、燃えつくしたマッチの燃えさしが、のこっているばかりでした。
また、新しいマッチをすりました。マッチは燃えついて、あたりが明るくなりました。光がかべにさすと、かべはベールのようにすきとおって、少女は中の部屋を、すかして見ることができました。部屋の中には、かがやくように白いテーブル・クロスをかけた、食卓しょくたくがあって、りっぱな陶器とうきの食器がならんでいます。しかも、そこには、おなかにスモモやリンゴをつめて焼いたガチョウが、ほかほかと、おいしそうな湯気ゆげを立てているではありませんか。けれども、もっとすばらしいことには、そのガチョウが、ぴょいとお皿さらからとびおりて、背中にフォークやナイフをつきさしたまま、床ゆかの上を、よたよたと歩きだしたのです。そして貧しい少女のほうへ、まっすぐにやってくるのです。
と、そのとき、マッチの火が消えてしまいました。あとには、ただ、厚い、つめたいかべが、見えるばかりでした。
少女はもう一本、新しいマッチをつけました。すると、今度は、たとえようもないほど美しいクリスマスツリーの下に、すわっているのでした。それは、この前のクリスマスのときに、お金持の商人の家で、ガラス戸ごしに見たのよりも、ずっと大きくて、ずっとりっぱに飾かざりたててありました。何千本とも、かぞえきれないほどの、たくさんのろうそくが、緑の枝えだの上で、燃えていました。そして、商店の飾り窓にならべてあるような、色とりどりの美しい絵が、自分のほうを見おろしているのです。思わず、少女は、両手をそちらのほうへ、高くさしのべました。――
と、そのとき、またもや、マッチの火が消えてしまいました。たくさんのクリスマスの光は、高く高くのぼっていきました。そしてとうとう、明るいお星さまになりました。その中の一つが、空に長い長い光の尾を引いて、落ちていきました。
「ああ、だれかが死んだんだわ」と、少女は言いました。なぜって、いまは、この世にはいませんが、世界じゅうでたったひとりだけ、この子をかわいがってくれていた、年とったおばあさんが、よく、こう言っていたからです。「星が落ちるときにはね、ひとりの人の魂たましいが、神さまのみもとに、のぼっていくんだよ」
少女は、もう一本、マッチをかべにすりつけました。あたりが、ぱっと明るくなりました。その光の中に、あの年とったおばあさんが、いかにもやさしく、いかにも幸福そうに、光りかがやいて立っているのでした。
「おばあさん!」と、少女はさけびました。「ああ、あたしも、いっしょに連れていって! だって、マッチの火が消えちゃえば、おばあさんは行っちゃうんでしょ。さっきの、あったかいストーブや、おいしそうな焼きガチョウや、それから、あの大きくて、すてきなクリスマスツリーみたいに!」
そう言って、少女は、たばの中にのこっているマッチを、大いそぎで、みんな、すりました。こうして、おばあさんを、しっかりと、自分のそばにひきとめておこうとしたのです。マッチは、あかあかと燃えあがって、あたりはま昼よりも、もっと明るくなりました。おばあさんが、このときぐらい、美しく、大きく見えたことはありませんでした。おばあさんは、小さな少女を、腕うでにだき上げました。ふたりは、光とよろこびにつつまれながら、高く高く、天へとのぼっていきました。もう、少女には、寒いことも、おなかのすくようなことも、こわいこともありません。――ふたりは、神さまのみもとに、召めされていったのです!
けれども、寒い寒いあくる朝のこと、あの家のすみっこには、小さな少女が頬ほおを赤くして、口もとにはほほえみを浮うかべて、うずくまっていました。――ああ、でも、死んでいたのです。古い年のさいごの晩に、つめたく、こごえ死んでしまったのでした。あたらしい年のお日さまがのぼって、小さななきがらの上を、照らしました。少女は、マッチのたばをもったまま、うずくまっていましたが、その中の一たばは、もうほとんど、燃えきっていました。
この子は暖まろうとしたんだね、と、人々は言いました。けれども、少女がどんなに美しいものを見たかということも、また、どんな光につつまれて、おばあさんといっしょに、うれしい新年をむかえに、天国へのぼっていったかということも、だれひとり知っている人はありませんでした。 | 焼いたがちょうのおなかに詰められていた果物の種類の数を教えてください。 | 焼いたがちょうのおなかに詰められていた果物の種類の数は2種類で、「スモモ」や「リンゴ」です。 |
JCRRAG_014525 | 国語 | 「資本」「財産」「資産」の意味と違い
「資本」「財産」「資産」の3語は、日常のさまざまなシーンでよく使われる言葉です。しかし、いずれも漠然とした意味合いは知っているものの、詳しい内容を説明するとなると、意外に難しいことに気づきます。しかも、どの言葉もイメージが重なる部分を持つため、それぞれを正確に区別するのはもっと大変です。果たしてこれらの言葉は、どのように使い分けるべきなのでしょうか。
今回は、「資本」「財産」「資産」の意味や違いについて詳しく解説しますので、ぜひ参考にしてみてください。
「資本」「財産」「資産」の意味と違い
「資本」とは
「資本」という言葉は、使用する場面によって意味が違います。
最も一般的な意味合いは「もとで」というもので、「商売・事業をするのに必要な基金」や、比喩的に「活動の基となる大切なもの(「職人は体が資本だ」などのように)」を指して使われます。また経済学では、「労働」「土地」と共に「生産の3要素」の1つ」を指します。一方、会計用語としての「資本」は、「企業の資産総額から負債を差し引いた純資産」を意味します。
「資本」は「もとで」を表す点において、「(金銭的な)価値のあるものの総称」を表す「財産」とは区別されます。一方、「資本」と「資産」はどちらも会計用語ですが、「資本」は「資産から負債を引いて得られた金額の合計」を指す点が特徴となっています。貸借対照表では、「資本(自己資本)」は右側の区分に含まれます。
「財産」とは
「財産」の主な意味とは、「価値あるもの」です。金銭や有価証券といった、個人や組織等が所有する経済的価値のあるものの総称として使われることが多くなっています。また、より広い意味合いを込めるケースもあり、その場合は「アマゾンの森林は人類共通の財産だ」などの使われ方をします。一方、税務や会計用語としての「財産」は、「資産(積極財産)と負債(消極財産)の総体」の意味になります。
上で述べたように、「財産」は「価値あるもの」を指す点が、「資本(もとで)」との違いになります。これに対し「資産」との違いは、「価値」の性格に求められます。「資産」がプラスの価値を持つもの(金銭、債権など)のみを指すのに対し、「財産」はプラスと共にマイナスの価値を持つもの(借金、債務など)も含みます。
「資産」とは
「資産」とは、「個人や法人の所有する金銭・土地・建物などの総称」という意味の言葉です。商品や設備・建物、社債等発行費など、決算時点で会社の保有になる財産全般を指して使われます。企業会計においては、貸借対照表上で流動資産・固定資産・繰延資産の3つに区分され、右側の欄に記入されます。
「資産」と「資本」の違いは、「企業活動の果実と源泉」という具合に言い表せます。会社は経営の元手となる資本金等の「資本」を運用し、現金などの「資産」を増やして成長を目指すこととなります。一方、「財産」との違いは、上記のように「マイナスの価値を含むかどうか」という点に求められます。「資産」にはプラスの価値しか含まれない点で、「財産」と使い分けられます。 | 財産と資産の違いについて説明してください。 | 財産とは、金銭や証券など金融的価値のあるもののことである。税務や会計用語の財産は、「資産(積極財産)と負債(消極財産)の総体」の意味となる。
資産とは、社債等発行費や商品など決算時に会社の財産となる個人や法人の所有する金銭・土地・建物などの総称である。 |
JCRRAG_014526 | 国語 | さて、その次の部屋に行くと、壁から天井から、くもの巣だらけで、やっと人ひとりが出入りできる狭い路がついていました。私が入って行くと、
「くもの巣を破っては駄目だ。」
と、いきなり大声でどなりました。それから、相手は私に話しかけてくれました。
「そもそもくもというものは、蚕などよりずっと立派な昆虫なのだ。くもは糸を紡ぐだけでなく、織り方までちゃんと心得ている。だから、蚕の代わりにくもを使えば、絹を染める手数が省けることになる。」
そう言って、彼は、非常に美しい蠅をたくさん取り出して見せてくれました。
赤の美しい蠅を三十匹、青の美しい蠅が二十匹、緑の美しい蠅を二十五匹いました。
つまり、くもにこの美しい蠅を食べさせると、くもの糸にその色がつくのだそうです。それに彼は、いろんな色の蠅を飼っていましたが、この蠅の餌として、何か糸を強くさせるものを研究しているのでした。
それから私は、もう一人、有名な人を見ました。この人は、もう三十年間というものは、人類の生活を改良させることばかり、考えつづけているのです。
彼の部屋は奇妙な品物で一ぱいでしたが、四人の男、二人の女、合計六人がこの有名な発明家の指図で働いていました。ある者は、空気をかわかして塊りにすることを研究していました。また、ある者は、石をゴムのように柔かくして、枕をこしらえようとしていました。生きた馬のひづめのところを石にすることを考えている者もいました。 | 非常に美しい蠅をたくさん取り出して見せてくれたうち、もっとも数が多い蠅の色を教えてください。 | 非常に美しい蠅をたくさん取り出して見せてくれたうち、もっとも数が多い蠅の色は赤の美しい蠅で三十匹です。 |
JCRRAG_014527 | 国語 | 欧州連合(European Union)
概況
欧州連合(EU)は、設立条約に基づき欧州の28ケ国で構成される新しい形の国家連合体であり、その起源は、1952年創設の、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)に遡る。その後、五次にわたる拡大によって、加盟国数は当初の6ヵ国から28カ国となり、人口5億人の地域となり、関税同盟、経済分野での共通政策、市場統合、共通通貨ユーロ導入等の面での統合が実現している。
EU拡大の経緯
1958年(EC) 原加盟国:独、仏、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク
1973年(EC) 第一次拡大:英国、アイルランド、デンマーク
1981年(EC) 第二次拡大:ギリシャ
1986年(EC) 第三次拡大:スペイン、ポルトガル
1995年(EU) 第四次拡大:オーストリア、スウェーデン、フィンランド
2004年(EU) 第五次拡大:ポーランド、チェコ、ハンガリー、エストニア、ラトビア、リトアニア、マルタ、キプロス、スロバキア、スロベニア
2007年(EU) 第五次拡大:ブルガリア、ルーマニア
2013年(EU) 第六次拡大:クロアチア | 欧州連合(EU)の第五次拡大に加盟した国は何ヵ国ですか。 | 欧州連合(EU)の第五次拡大に加盟した国はポーランド、チェコ、ハンガリー、エストニア、ラトビア、リトアニア、マルタ、キプロス、スロバキア、スロベニア、ブルガリア、ルーマニアの12カ国です。 |
JCRRAG_014528 | 国語 | 「全額」「満額」の意味と違い
「全額」という言葉は、「借りた金を全額返す」などのように、日常でも比較的よく使われます。一方、これと混同しやすいのが、「満額」という言葉です。双方ともに「額」の字が入っており、意味合いのイメージも似ていることから、詳しい違いを説明するのは決して簡単ではありません。果たして両者の区別のポイントは、どこにあるのでしょうか。
今回は「全額」と「満額」の意味や違いについて解説しますので、2つを使い分ける際の参考にしてみてください。
「全額」「満額」の意味と違い
「全額」とは
「全額」とは、「全部の金額」という意味の言葉です。「総額」と同義であり、「彼はひと月の仕事で稼いだ全額を、数時間のうちにギャンブルで失った」「一同は持ち寄った金を全額テーブルの上に置いた」「集めた金は全額慈善団体に寄付される」などのように使われます。
「全額」の「全」は、もともと「工具などをすべて保管する」を表していましたが、その後「すべて」の意味で使われるようになりました。
「全額」は、「積み重ねたり足し合わせた金額」を指す点が、「満額」との違いになります。ある期間や集団のうちで、稼いだり募るなどして集めたお金、または使ったお金の合計が「全額」になります。これに対し「満額」には、「合計」の意味合いはありません。
「満額」とは
「満額」とは、「要求や計画通りの金額」という意味の言葉です。「手術費用を集めるための募金は、無事満額に達した」「今年の春闘では、大手企業で満額回答が相次いだ」「クラウドファンディングによる資金調達は、募集開始からわずか1日で満額まで到達した」などのように使われます。
「満額」の「満」の字は、「水が容器いっぱいに覆う」さまを表し、「みちる」「いっぱいになる」を意味します。
「全額」との違いにあたる「満額」の特徴は、「一定の基準」が存在する点にあります。目標額という最初に設定された基準があり、そこまで達することが「満額」の本義です。そのため、「支払いの満額」といった使い方は、間違いということになります。両者を使い分ける際は、これらの点に留意しましょう。 | 全額と満額の違いについて説明してください。 | 全額とは、総額と同義で積み重ねたり足し合わせた全部の金額という意味である。
満額とは、目標額という最初に設定された要求や計画通りの金額という意味である。 |
JCRRAG_014529 | 国語 | さっそく、皇帝は、勅命で、私のために、村々から毎朝牛六頭、羊四十頭、そのほかパン三十個、葡萄酒二十本などを供出するよう、命令されました。
それから、六百人のものが、私の御用係にやとわれ、私の家の両側にテントを張って寝泊まりすることになりました。それから私の服を作ってくれるために、三百人の仕立屋が、仕立係としてやとわれました。
それから、宮廷で一番えらい学者十人の中から六人、この国の言葉を私に教えてくれることになりました。私は三週間ぐらいで、小人国の言葉がしゃべれるようになりました。インドやスペイン国の言葉はいつもなら四週間や五週間はかかるのに大分早かったです。
皇帝もときどき私のところへ訪ねて来られました。私は皇帝にひざまずいて、
「どうか、私を自由な身にしてください。」
と何度もお願いしました。
すると皇帝は、
「もうしばらく待て。」
と言われるのでした。
「自由な身にしてもらうには、お前はまず、この国と皇帝に誓いをしなければいけない。それから、お前はいずれ身体検査をされるが、それも悪く思わないでくれ。たぶん、お前は何か武器など持っていることだろうが、お前のその大きな身体で使う武器なら、よほど危険なものにちがいない。」
私は皇帝に申し上げました。
「どうか、いくらでも調べてください。なんなら、すぐお目の前で裸になって御覧にもいれましょうし、ポケットを裏返してお目にかけますから。」
これは半分は言葉、半分は手まねでやって見せました。すると皇帝は、
「では、二人の士官に命じて身体検査をやらせるが、これは臣下の生命をお前の手にゆだねるのだから、なにぶん、よろしく頼む。それから、たとえどんな品物を取り上げても、お前がこの国を去るときには、必ず返してやる。でなかったら、いい値段で買い取ってやってもいい。」
と言われました。 | 皇帝の勅命で、私のために、村々から毎朝渡される食べ物の中でもっとも少ないものを教えてください。 | 皇帝の勅命で、私のために、村々から毎朝渡される食べ物の中でもっとも少ないものは牛で六頭です。 |
JCRRAG_014530 | 国語 | 兄妹、五人あって、みんなロマンスが好きだった。長男は二十九歳。法学士である。ひとに接するとき、少し尊大ぶる悪癖があるけれども、これは彼自身の弱さを庇う鬼の面であって、まことは弱く、とても優しい。弟妹たちと映画を見にいって、これは駄作だ、愚劣だと言いながら、その映画のさむらいの義理人情にまいって、まず、まっさきに泣いてしまうのは、いつも、この長兄である。それにきまっていた。映画館を出てからは、急に尊大に、むっと不気嫌になって、みちみち一言も口をきかない。生れて、いまだ一度も嘘言というものをついたことがないと、躊躇せず公言している。それは、どうかと思われるけれど、しかし、剛直、潔白の一面は、たしかに具有していた。学校の成績は、あまりよくなかった。卒業後は、どこへも勤めず、固く一家を守っている。イプセンを研究している。このごろ人形の家をまた読み返し、重大な発見をして、頗る興奮した。ノラが、あのとき恋をしていた。お医者のランクに恋をしていたのだ。それを発見した。弟妹たちを呼び集めて、そのところを指摘し、大声叱咤、説明に努力したが、徒労であった。弟妹たちは、どうだか、と首をかしげて、にやにや笑っているだけで、一向に興奮の色を示さぬ。いったいに、弟妹たちは、この兄を甘く見ている。なめている風がある。長女は、二十六歳。いまだ嫁がず、鉄道省に通勤している。フランス語が、かなりよくできた。脊丈が、五尺三寸あった。すごく、痩ている。弟妹たちに、馬、と呼ばれることがある。髪を短く切って、ロイド眼鏡をかけている。心が派手で、誰とでもすぐ友達になり、一生懸命に奉仕して、捨てられる。それが、趣味である。憂愁、寂寥の感を、ひそかに楽しむのである。けれどもいちど、同じ課に勤務している若い官吏に夢中になり、そうして、やはり捨てられたときには、そのときだけは、流石に、しんからげっそりして、間の悪さもあり、肺が悪くなったと嘘をついて、一週間も寝て、それから頸に繃帯を巻いて、やたらに咳をしながら、お医者に見せに行ったら、レントゲンで精細にしらべられ、稀に見る頑強の肺臓であるといって医者にほめられた。文学鑑賞は、本格的であった。実によく読む。洋の東西を問わない。ちから余って自分でも何やら、こっそり書いている。それは本箱の右の引き出しに隠して在る。逝去二年後に発表のこと、と書き認められた紙片が、その蓄積された作品の上に、きちんと載せられているのである。二年後が、十年後と書き改められたり、二カ月後と書き直されたり、ときには、百年後、となっていたりするのである。次男は、二十四歳。これは、俗物であった。帝大の医学部に在籍。けれども、あまり学校へは行かなかった。からだが弱いのである。これは、ほんものの病人である。おどろくほど、美しい顔をしていた。吝嗇である。長兄が、ひとにだまされて、モンテエニュの使ったラケットと称する、へんてつもない古ぼけたラケットを五十円に値切って買って来て、得々としていたときなど、次男は、陰でひとり、余りの痛憤に、大熱を発した。その熱のために、とうとう腎臓をわるくした。ひとを、どんなひとをも、蔑視したがる傾向が在る。ひとが何かいうと、けッという奇怪な、からす天狗の笑い声に似た不愉快きわまる笑い声を、はばからず発するのである。ゲエテ一点張りである。これとても、ゲエテの素朴な詩精神に敬服しているのではなく、ゲエテの高位高官に傾倒しているらしい、ふしが、無いでもない。あやしいものである。けれども、兄妹みんなで、即興の詩など、競作する場合には、いつでも一ばんである。できている。俗物だけに、謂いわば情熱の客観的把握が、はっきりしている。自身その気で精進すれば、あるいは一流作家になれるかも知れない。この家の、足のわるい十七の女中に、死ぬほど好かれている。次女は、二十一歳。ナルシッサスである。ある新聞社が、ミス・日本を募っていたとき、あのときには、よほど自己推薦しようかと、三夜身悶えした。大声あげて、わめき散らしたかった。けれども、三夜の身悶えの果、自分の身長が足りないことに気がつき、断念した。兄妹のうちで、ひとり目立って小さかった。四尺七寸である。けれども、決して、みっともないものではなかった。なかなかである。深夜、裸形で鏡に向い、にっと可愛く微笑してみたり、ふっくらした白い両足を、ヘチマコロンで洗って、その指先にそっと自身で接吻して、うっとり眼をつぶってみたり、いちど、鼻の先に、針で突いたような小さい吹出物して、憂鬱のあまり、自殺を計ったことがある。読書の撰定に特色がある。明治初年の、佳人之奇遇、経国美談などを、古本屋から捜して来て、ひとりで、くすくす笑いながら読んでいる。黒岩涙香、森田思軒などの、飜訳物をも、好んで読む。どこから手に入れて来るのか、名の知れぬ同人雑誌をたくさん集めて、面白いなあ、うまいなあ、と真顔で呟きながら、端から端まで、たんねんに読破している。ほんとうは、鏡花をひそかに、最も愛読していた。末弟は、十八歳である。ことし一高の、理科甲類に入学したばかりである。高等学校へはいってから、かれの態度が俄然かわった。兄たち、姉たちには、それが可笑くてならない。けれども末弟は、大まじめである。家庭内のどんなささやかな紛争にでも、必ず末弟は、ぬっと顔を出し、たのまれもせぬのに思案深げに審判を下して、これには、母をはじめ一家中、閉口している。いきおい末弟は、一家中から敬遠の形である。末弟には、それが不満でならない。長女は、かれのぶっとふくれた不気嫌の顔を見かねて、ひとりでは大人になった気でいても、誰も大人と見ぬぞかなしき、という和歌を一首つくって末弟に与え、かれの在野遺賢の無聊をなぐさめてやった。顔が熊の子のようで、愛くるしいので、きょうだいたちが、何かとかれにかまいすぎて、それがために、かれは多少おっちょこちょいのところがある。探偵小説を好む。ときどきひとり部屋の中で、変装してみたりなどしている。語学の勉強と称して、和文対訳のドイルのものを買って来て、和文のところばかり読んでいる。きょうだい中で、母のことを心配しているのは自分だけだと、ひそかに悲壮の感に打たれている。
父は、五年まえに死んでいる。けれども、くらしの不安はない。要するに、いい家庭だ。ときどき皆、一様におそろしく退屈することがあるので、これには閉口である。きょうは、曇天、日曜である。セルの季節で、この陰鬱の梅雨が過ぎると、夏がやって来るのである。みんな客間に集って、母は、林檎の果汁をこしらえて、五人の子供に飲ませている。末弟ひとり、特別に大きいコップで飲んでいる。 | 長男と長女の年齢差は何歳ですか。 | 長男と長女の年齢差は3歳で、長男は二十九歳で長女は二十六歳です。 |
JCRRAG_014531 | 国語 | 「平年」「例年」の意味と違い
「平年」という言葉は、その年のあるものごとについて、過去と比べる際によく使われます。「平年より高い」「平年並み」といった具合ですが、この「平年」は具体的に何を指しているのでしょうか。また、似た言葉で「例年」というものがありますが、それとの違いや使い分けのポイントについても気になります。
今回は、「平年」と「例年」の意味と違いについて詳しく解説しますので、両者の使い分けについて知りたい方はぜひ参考にしてみてください。
「平年」「例年」の意味と違い
「平年」とは
「平年」の意味は2つあります。1つは「うるう年ではない年」というもので、2月が28日までしかなく、1年が365日となる年を指します。
もう1つの「平年」の意味とは、「普通の年」というものです。特筆すべき事件・現象がなく、大抵の年と変わらない1年を指して使われます。特に、気象や農作物の収穫が、他の多くの年と同程度の年について言うことが多くなっています。
「平年」と「例年」は一見同じ言葉のようですが、厳密には違います。「平年」の「平」は「ならす」「特別ではない」の意味で、あるデータの平均値を指す点が特徴です。具体的な例文を挙げると、「豊作により、みかんの値段が平年より2~3割安くなっている」といった具合になります。この場合、みかんの値段というデータについて、過去の平均的な年との比較を行っているので、「平年」が使われます。
「例年」とは
「例年」とは、「いつもの年」「毎年」という意味の言葉です。また、「年々のきまり」「毎年の決まり」といった意味もあります。「今年のイベントは、例年以上のにぎわいを見せた」「静岡県では、例年3月中旬から桜エビ漁を解禁している」「今年はりんごの生育状況が良いため、例年より早く収穫が始まった」などのように使われます。
「例年」の「例」は、「たぐい(同じ種類のもの)」を表す漢字ですが、この場合は「いつものとおりであること」の意味になります。
「例年」と「平年」の違いは微妙ですが、上記のように細かく使い分けることができます。「例年」は「いつもの年」「毎年」を指しており、「平均」の意味ではありません。そのため、値段などデータの比較をする際は使わず、定例的・一般的な事象との引き合いで使うケースが通常となっています。 | 平年と例年の違いについて説明してください。 | 平年とは、1年が365日あるうるう年ではない年という意味と、気象や農作物が大抵の年と変わらない1年普通の年という2つの意味がある。
例年とは、いつもの年という意味と、年々のきまり・毎年の決まりという意味がある。定例的・一般的な事象との引き合いで使うケースが多い。 |
JCRRAG_014532 | 国語 | いよいよボートの中に入り込んで来ると、いきなりボートの半分の長さを、ひょいと跳び越し、それから私の頭の上を前や後ろへしきりに跳び越えるのです。そしてそのたびに、蛙はあの厭な粘液を、私の顔や着物に塗りつけるのです。その顔つきの大きなことといったら、こんな醜い動物が世の中にいるのかと驚かされます。しかし、私がオールの一本を取って、しばらく打ちのめしてやっているうちに、蛙はとうとう、ボートから跳び出してしまいました。
残りの二匹もプールに残っていたと思っていましたが、いつの間にかいなくなっていました。
私がこの国で一番あぶない目に会ったのは、宮廷の役人の一人が飼っていた猿が、私にいたずらしたときのことです。
ある日、グラムダルクリッチは、用たしに出かけて行くので、私の箱を自分の部屋に入れて、鍵をおろしておきました。大変暑い日でしたが、部屋の窓は開けっ放しになっており、私の住んでいる箱の戸口も窓も、開けっ放しになっていました。私が机に向かって、三枚の金貨と二枚の銀貨を弄びながら静かにものを考えていると、何か窓から跳び込んで、部屋の中をあちこち歩きまわるような音がするのです。私はひどく驚きましたが、じっと椅子に坐ったまま、見ていました。
今、部屋に入って来た猿は、いい気になって、はねまわっているのでした。
十フィートから高いときには十五フィートも飛んでいるのです。
そのうちに、とうとう猿が私の箱のところへやって来ました。彼は、この箱がよほど気に入ったのか、さも面白く珍しそうに戸口や窓から、いちいちのぞきこむのです。
私は箱の一番奥の隅へ逃げ込んでいましたが、猿が四方からのぞきこむので、怖くてたまりません。すっかりあわてていたので、ベッドの下に隠れることにも気がつかなかったのです。猿は、のぞいたり、歯を向き出したり、ムニャムニャしゃべったりしていましたが、とうとう、私の姿を見つけると、ちょうどあの猫が鼠にするように、戸口から片手を伸ばしてきました。私はうまく避けまわっていたのですが、とうとう上衣の垂れをつかまれて、引きずり出されました。
彼は私を右手で抱き上げると、ちょうどその乳母が子供に乳房をふくませるような恰好で私をかかえました。私があがけばあがくほど、猿は強くしめつけるので、これは、じっとしていた方がいいと思いました。一方の手で、猿は何度も、やさしげに私の顔をなでてくれます。てっきり私を同じ猿の子だと勘違いしてるのでしょう。こうして、彼がすっかりいい気持になっているところへ、突然、誰かが部屋の戸を開ける音がしました。すると、彼は急いで窓の方へ駈けつけ、三本足でとっとと歩きながら、一本の手で私を抱いたまま、樋を伝って、とうとう隣りの大屋根までよじのぼってしまいました。 | 部屋に入って来た猿が、より高く飛んだ高さを教えてください。 | 部屋に入って来た猿が、より高く飛んだ高さは十五フィートです。 |
JCRRAG_014533 | 国語 | 本書の履歴
『青空のリスタート』は、一九九二年九月三十日付けで、ソフトバンクから紙の本として出した。
一九九〇年一月号から一九九二年三月号にかけて、同社の『パソコン・マガジン』に「インサイドウォッチャー」と題して連載していたコラムを、まとめたものだ。
当時の私は、コンピューター関連企業のスタッフにインタビューして、方向付けを探るといった記事をたくさん書いていた。編集部が用意した「インサイドウォッチャー」という連載タイトルには、人にまつわる企業の内幕話を書いて欲しいというライターへの期待が現れている。
その後の私の道筋に、大きな影響を与えた病気と向き合わされたのは、「インサイドウォッチャー」の連載中だった。「WindowsはMS―DOSの暗黒に一条の希望の光をさすか」という原稿のはちゃめちゃぶりには、「今までの流儀は今後一切まかりならぬ」と言い渡された際の逆上がよく現れているように思う。
病が表に顔を出すと、体が動かなくなった。従来の構えでは、書くことにも臨めなくなった。
このコラムだけを、かろうじて書き続ける時期が長く続き、書籍化が決まってからも、各項への言い訳がなかなか用意できなかった。
そんな中、ようやくまとめた本書の後書きで、私は少し違った書き方を見つけたように思う。
『勢い』を失った後の目で読み返してみると、それまでの原稿にはところどころに、ライターという肩書きに引きずられたような無理を感じる。
そのきしみが、本書の後書きにはないように思う。
弱い者が、弱いままに書いた言葉が、波紋のように静かに広がった印象を受ける。
ここできっと、私は何かを捨て、何かを得たのだろう。 | 『青空のリスタート』の連載期間は何年ですか。 | 『青空のリスタート』の連載期間は2年2ヶ月です。 |
JCRRAG_014534 | 国語 | 「タイムリープ」「タイムスリップ」「タイムトリップ」「タイムトラベル」の意味と違い
SFやファンタジー作品で扱われる例が多いテーマに、「時間移動」があります。主人公らが別の時空へ飛び、そこでさまざまな出来事を経験するという筋立てですが、こうした行為や現象を指す言葉は、1つではありません。もっとも代表的な「タイムトラベル」のほかにも「タイムリープ」「タイムスリップ」「タイムトリップ」があります。何となくひとくくりにしてしまいがちなこれらの言葉ですが、細かい定義の差や使い分けのポイントはあるのでしょうか。
今回はこれら4語の意味や違いについて解説しますので、ぜひ参考にしてみてください。
「タイムリープ」「タイムスリップ」「タイムトリップ」「タイムトラベル」の意味と違い
「タイムリープ」とは
「タイムリープ」とは、「現実の時間から、瞬時に過去や未来に移動すること」という意味の言葉です。また、そうした能力についても言います。「タイムリープで10年前の今日に戻った」「彼女は突然タイムリープの力に目覚めた」などのように使われます。
「タイムリープ」は和製英語であり、英語表記では「Time Leap」となります。「Time(時間)」と「Leap(~を飛び越える、飛躍)」の組み合わせで、日本語にすると「時間跳躍」を表します。
SF関連の造語で、初出は1967年刊行の小説『時をかける少女』になります。厳密な定義はなく、作品によって使われ方はさまざまで、「タイムトラベル」などと意味合いに違いがない場合も少なくありません。その一方で、以下のような特徴付けをされることも多くなっています。すなわち、「任意に能力を使えない」「意識のみ時間を移動する」「科学技術ではなく超常的な力が源となる」などです。
「タイムスリップ」とは
「タイムスリップ」とは、「現実の時間・空間を超越して、瞬時に過去や未来へ移動すること」という意味の言葉です。「主人公はタイムスリップによって江戸時代に飛ばされた」「どうやら第二次大戦のさ中へタイムスリップしたらしい」のように使われます。
日本のSF作品で使われる造語であり、「Time」と「滑る、転ぶ」を意味する「Slip」から成ります。こちらも詳しい定義はされておらず、タイムトリップやタイムリープなどとの違いは明確ではありません。ただ、使われ方の傾向で言えば、「タイムスリップ」は偶発的、事故的に時空のはざまに落ち込んでしまう現象を指す場合が多くなっています。本人の能力というより、突発的に外部の力が加わって起こる点が特徴と言えます。
「タイムトリップ」とは
「タイムトリップ」とは、「時空を超えて過去や未来へ旅をすること」という意味の言葉です。「できることなら、1920年代のパリにタイムトリップしてみたい」「昨日の晩、タイムトリップで1000年後の世界をさまよう夢を見た」などのように使われます。
「タイムトリップ」は、「Time」と「旅行」を意味する「trip」からなる和製英語です。日本語にすると「時間旅行」であり、やはりSF作品でよく使われます。
「タイムトラベル」の異称のようなもので、両者に違いはほとんどありません。一方、「タイムスリップ」が多く偶発的に起こるのに対し、「タイムトリップ」は科学的な手段で任意に発動させるケースが多くなっています。つまり、比較的本人の意思や能力が強く働く点が、「タイムトリップ」の特徴と言えます。
「タイムトラベル」とは
「タイムトラベル」とは、「タイムマシンによって過去と未来を自由に行き来すること」という意味の言葉です。「人類はやがて、タイムトラベルの力を獲得できると信じている」「好きな時代にタイムトラベルできるなら、こんな楽しいことはないだろう」などのように使われます。
「タイムトラベル」という言葉は、「Time」と「旅行」を意味する「Travel」から成ります。日本語では「時間旅行」を意味し、上記のように「タイムトリップ」の異称と言ってよい用語となっています。これといった使い分けも、両者の間には見られません。
初出は、イギリスの作家H・G・ウェルズが19世紀に書いた小説『タイムマシン』になります。そのため、主に機械を用いて任意に時間を旅する行為を指すケースが多くなっています。この点は、偶発的な現象である「タイムスリップ」や、超常的な力が源泉となる「タイムリープ」との大きな違いです。また、意識のみ過去や未来の自分に乗り移るのではなく、身体ごと別の時空に移動でき、さらに物を自由に持ち運びできる点も特徴となっています。 | タイムリープとタイムスリップの違いについて説明してください。 | タイムリープとは、現実の時間から、瞬時に過去や未来に移動すること、またはその能力について意味する。タイムトラベルと似た意味であるが、任意に能力を使えない・科学技術ではなく超常的な力が源となるという特徴がある。
タイムスリップとは、偶発的、事故的に時空のはざまに落ち込んでしまう現象であり、現実の時間・空間を超越して、瞬時に過去や未来へ移動することである。 |
JCRRAG_014535 | 国語 | さて、その次の部屋に行くと、壁から天井から、くもの巣だらけで、やっと人ひとりが出入りできる狭い路がついていました。私が入って行くと、
「くもの巣を破っては駄目だ。」
と、いきなり大声でどなりました。それから、相手は私に話しかけてくれました。
「そもそもくもというものは、蚕などよりずっと立派な昆虫なのだ。くもは糸を紡ぐだけでなく、織り方までちゃんと心得ている。だから、蚕の代わりにくもを使えば、絹を染める手数が省けることになる。」
そう言って、彼は、非常に美しい蠅をたくさん取り出して見せてくれました。
赤の美しい蠅を三十匹、青の美しい蠅が二十匹、緑の美しい蠅を二十五匹いました。
つまり、くもにこの美しい蠅を食べさせると、くもの糸にその色がつくのだそうです。それに彼は、いろんな色の蠅を飼っていましたが、この蠅の餌として、何か糸を強くさせるものを研究しているのでした。
それから私は、もう一人、有名な人を見ました。この人は、もう三十年間というものは、人類の生活を改良させることばかり、考えつづけているのです。
彼の部屋は奇妙な品物で一ぱいでしたが、四人の男、二人の女、合計六人がこの有名な発明家の指図で働いていました。ある者は、空気をかわかして塊りにすることを研究していました。また、ある者は、石をゴムのように柔かくして、枕をこしらえようとしていました。生きた馬のひづめのところを石にすることを考えている者もいました。 | 非常に美しい蠅をたくさん取り出して見せてくれたうち、もっとも数が少ない蠅の色を教えてください。 | 非常に美しい蠅をたくさん取り出して見せてくれたうち、もっとも数が少ない蠅の色は青の美しい蠅で二十匹です。 |
JCRRAG_014536 | 国語 | はじめに
青空文庫に収録された著作権切れ作品は、誰もが、世界のどこからでも自由に引き落とし、さまざまに活用できる。二〇〇五年一〇月で、その数は四九〇〇点を越えた。当初想定していたパソコンでの利用に加え、作品は、携帯電話やゲーム機、各種の小型電子機器でも読まれるようになった。視覚障碍者は、音声に変換して聞く。点字の元データとしても、ファイルは使われる。一九九七年夏の開設から八年、青空文庫の収録作品数は増え続け、利用の裾野は確実に広がってきた。
その青空文庫の行く手に、黒雲が広がっている。著作権法は、作者の死後五〇年まで、作品の利用に関する権利を保護すると定めている。この期間を過ぎれば、誰にもことわらずに作品を電子化してインターネットで公開できる。その規定を、七〇年にあらためようとする歯車が回り始めた。
表現は本来、誰かが触れて、学んだり楽しんだりしても、へることも、損なわれることもない。広く受容されることだけに目標を絞って良いのなら、自由な利用にまかせておけばそれでよい。「ならば、作者が死んでもはや権利保護が創作の励ましとならなくなった時点では、縛りを外して利用を促そう」死後五〇年で権利を切ることに、著作権制度は、こんな期待を込めてきた。その願いは、長く空念仏に終わってきたが、ファイルの複製と移動のコストを激減させるコンピュータ技術と結び付いて、手応えのある現実に変わった。保護期間を七〇年に延ばす選択は、インターネットが普及して、まさに今、花開きつつあるデジタル・アーカイブの可能性を制約してしまう。 | 著作権保護期間があらためて70年に設定された場合、以前の保護期間より何年延長されることになりますか。 | 著作権保護期間があらためて70年に設定された場合、以前の保護期間より20年延長されることになります。 |
JCRRAG_014537 | 国語 | 「タイムリープ」「タイムスリップ」「タイムトリップ」「タイムトラベル」の意味と違い
SFやファンタジー作品で扱われる例が多いテーマに、「時間移動」があります。主人公らが別の時空へ飛び、そこでさまざまな出来事を経験するという筋立てですが、こうした行為や現象を指す言葉は、1つではありません。もっとも代表的な「タイムトラベル」のほかにも「タイムリープ」「タイムスリップ」「タイムトリップ」があります。何となくひとくくりにしてしまいがちなこれらの言葉ですが、細かい定義の差や使い分けのポイントはあるのでしょうか。
今回はこれら4語の意味や違いについて解説しますので、ぜひ参考にしてみてください。
「タイムリープ」「タイムスリップ」「タイムトリップ」「タイムトラベル」の意味と違い
「タイムリープ」とは
「タイムリープ」とは、「現実の時間から、瞬時に過去や未来に移動すること」という意味の言葉です。また、そうした能力についても言います。「タイムリープで10年前の今日に戻った」「彼女は突然タイムリープの力に目覚めた」などのように使われます。
「タイムリープ」は和製英語であり、英語表記では「Time Leap」となります。「Time(時間)」と「Leap(~を飛び越える、飛躍)」の組み合わせで、日本語にすると「時間跳躍」を表します。
SF関連の造語で、初出は1967年刊行の小説『時をかける少女』になります。厳密な定義はなく、作品によって使われ方はさまざまで、「タイムトラベル」などと意味合いに違いがない場合も少なくありません。その一方で、以下のような特徴付けをされることも多くなっています。すなわち、「任意に能力を使えない」「意識のみ時間を移動する」「科学技術ではなく超常的な力が源となる」などです。
「タイムスリップ」とは
「タイムスリップ」とは、「現実の時間・空間を超越して、瞬時に過去や未来へ移動すること」という意味の言葉です。「主人公はタイムスリップによって江戸時代に飛ばされた」「どうやら第二次大戦のさ中へタイムスリップしたらしい」のように使われます。
日本のSF作品で使われる造語であり、「Time」と「滑る、転ぶ」を意味する「Slip」から成ります。こちらも詳しい定義はされておらず、タイムトリップやタイムリープなどとの違いは明確ではありません。ただ、使われ方の傾向で言えば、「タイムスリップ」は偶発的、事故的に時空のはざまに落ち込んでしまう現象を指す場合が多くなっています。本人の能力というより、突発的に外部の力が加わって起こる点が特徴と言えます。
「タイムトリップ」とは
「タイムトリップ」とは、「時空を超えて過去や未来へ旅をすること」という意味の言葉です。「できることなら、1920年代のパリにタイムトリップしてみたい」「昨日の晩、タイムトリップで1000年後の世界をさまよう夢を見た」などのように使われます。
「タイムトリップ」は、「Time」と「旅行」を意味する「trip」からなる和製英語です。日本語にすると「時間旅行」であり、やはりSF作品でよく使われます。
「タイムトラベル」の異称のようなもので、両者に違いはほとんどありません。一方、「タイムスリップ」が多く偶発的に起こるのに対し、「タイムトリップ」は科学的な手段で任意に発動させるケースが多くなっています。つまり、比較的本人の意思や能力が強く働く点が、「タイムトリップ」の特徴と言えます。
「タイムトラベル」とは
「タイムトラベル」とは、「タイムマシンによって過去と未来を自由に行き来すること」という意味の言葉です。「人類はやがて、タイムトラベルの力を獲得できると信じている」「好きな時代にタイムトラベルできるなら、こんな楽しいことはないだろう」などのように使われます。
「タイムトラベル」という言葉は、「Time」と「旅行」を意味する「Travel」から成ります。日本語では「時間旅行」を意味し、上記のように「タイムトリップ」の異称と言ってよい用語となっています。これといった使い分けも、両者の間には見られません。
初出は、イギリスの作家H・G・ウェルズが19世紀に書いた小説『タイムマシン』になります。そのため、主に機械を用いて任意に時間を旅する行為を指すケースが多くなっています。この点は、偶発的な現象である「タイムスリップ」や、超常的な力が源泉となる「タイムリープ」との大きな違いです。また、意識のみ過去や未来の自分に乗り移るのではなく、身体ごと別の時空に移動でき、さらに物を自由に持ち運びできる点も特徴となっています。 | タイムトリップとタイムトラベルの違いについて設営してください。 | タイムトリップとは、時空を超えて過去や未来へ旅をすることであり、比較的本人の意思や能力が強く働き偶発的に起こることである。
タイムトラベルとは、タイムマシンによって過去と未来を自由に行き来することである。意識のみ過去や未来の自分に乗り移るのではなく、身体ごと別の時空に移動でき、さらに物を自由に持ち運びできる点が特徴となる。 |
JCRRAG_014538 | 国語 | さっそく、皇帝は、勅命で、私のために、村々から毎朝牛六頭、羊四十頭、そのほかパン三十個、葡萄酒二十本などを供出するよう、命令されました。
それから、六百人のものが、私の御用係にやとわれ、私の家の両側にテントを張って寝泊まりすることになりました。それから私の服を作ってくれるために、三百人の仕立屋が、仕立係としてやとわれました。
それから、宮廷で一番えらい学者十人の中から六人、この国の言葉を私に教えてくれることになりました。私は三週間ぐらいで、小人国の言葉がしゃべれるようになりました。インドやスペイン国の言葉はいつもなら四週間や五週間はかかるのに大分早かったです。
皇帝もときどき私のところへ訪ねて来られました。私は皇帝にひざまずいて、
「どうか、私を自由な身にしてください。」
と何度もお願いしました。
すると皇帝は、
「もうしばらく待て。」
と言われるのでした。
「自由な身にしてもらうには、お前はまず、この国と皇帝に誓いをしなければいけない。それから、お前はいずれ身体検査をされるが、それも悪く思わないでくれ。たぶん、お前は何か武器など持っていることだろうが、お前のその大きな身体で使う武器なら、よほど危険なものにちがいない。」
私は皇帝に申し上げました。
「どうか、いくらでも調べてください。なんなら、すぐお目の前で裸になって御覧にもいれましょうし、ポケットを裏返してお目にかけますから。」
これは半分は言葉、半分は手まねでやって見せました。すると皇帝は、
「では、二人の士官に命じて身体検査をやらせるが、これは臣下の生命をお前の手にゆだねるのだから、なにぶん、よろしく頼む。それから、たとえどんな品物を取り上げても、お前がこの国を去るときには、必ず返してやる。でなかったら、いい値段で買い取ってやってもいい。」
と言われました。 | 私のためにやとわれた人数でより多い係は御用係か、仕立係のどちらか教えてください。 | 私のためにやとわれた人数でより多い係は御用係で六百人です。 |
JCRRAG_014539 | 国語 | 普通紙複写機の登場
私が大学に籍を置いていた一九七〇年代の前半は、この謄写版に、長かった役割を終える兆しが見え始めた時期でした。一九七一(昭和四十六)年に大学に入ったとき、すでに図書館には普通紙複写機が設置してあり、学校の周辺にはコピー屋も見られました。いちいち原紙を切らなければならないガリ版に比べれば、ボタン一押しで複写が取れるコピー機は、実に便利です。ただし在籍していた大学の図書館の一枚十円は例外的な馬鹿安で、普通の大学では三十円、町場のコピー屋では五十円ほどもしていました。国電の初乗りが、三十円だった時期の話です。便利ではありましたが、同じ原稿をまとまった枚数複写する際は、コピーは高嶺の花でした。
それが七〇年代をかけて、コピーの値段はずいぶん安くなっていきました。ゼロックスの特許に触れない技術の開発にキヤノンが成功し、一九七〇(昭和四十五)年には、国産初の普通紙複写機が同社から発売されます。以降、この分野では、日本のメーカーがゼロックスに盛んに挑戦を仕掛け、競争を通じて値段が下がりました。少部数のミニコミなら、コピーでも作れるようになったのです。
一九八〇(昭和五十五)年にまとめられた祖母の歌集『蜉蝣かげろう』の本文は、コピーです。
あとがきで教えられたところによれば、父親が台湾総督府の会計官吏となったために、祖母は小学校一年の時、島原から台湾に渡ったのだそうです。女学校卒業後に加わった短歌の会で二、三年手ほどきを受けますが、結婚後は長く歌から離れていました。三人の子供を育て、結婚した長女に初孫の生まれたのが、敗戦から間もない一九四六(昭和二十一)年一月。この年の春、身一つで台湾から引き上げて、家族は結局、広島に落ち着くことになります。それから十年で、祖父は若くして逝きました。日本画が達者だった祖父の絵を、引き上げの時一枚も持ち帰れなかったことへの悔いを、私は母から何度も聞かされました。敗戦後の混乱と困難の中で、祖父には再び絵筆を取る機会が訪れませんでした。夫を喪い「何もなすなく過す折柄」、祖母は台湾時代の知人と再開し、短歌の会を紹介されて加わったといいます。歌は祖母の心の拠り所となりました。以来、喜寿を迎えたこの年までに詠んだ一千余首の中から、四百八首が選ばれ、百五十二頁の歌集にまとめられました。
一時は一つ屋根の下で暮らしたこともある祖母でしたが、日常的な立ち居振る舞いの中で、なにを考え、なにを感じていたかはほとんど知りませんでした。祖母の人となりにわずかなりと触れ得たと初めて感じたのは、『蜉蝣』を渡されて読んだときです。
「黒ヘルを讃ふる孫がわが言を 古き明治と諾なふとせず」と歌われたのは、時期から見ても、間違いなく私です。「そんな〈古き明治〉なんてこと言った?」と抗議したくもなりましたし、思うがままに子や孫を評した歌には、かなりどきりともさせられました。とはいえどこか超然として見えた祖母の心のあり様は、手書きの文字面と相まって、一つ一つの歌によく感じとることができました。かくかくとした祖母の字も、和綴じでていねいに仕上げられた『蜉蝣』の、味わいの一つです。
ただ自らの文字の姿を恥じていた祖母にとって、「思い出のためにも自筆で」との叔父の励ましは苦痛だったようです。悪筆では人後に落ちない私には、「悪戦苦闘の末勇気をふるい」原稿用紙への書き写しを終えたという祖母の気持ちが、良く分かります。最後の一行に書き記した「この健気なる老人を賛美してやって下さい」との言葉には、一首一首を確かめながら清書の作業をやり終えた祖母の感慨が、よく現れているように思いました。 | 一九七〇年代の前半町場のコピー屋のコピー料金は、大学でのコピー料金に比べてどれほど違いがありましたか。 | 一九七〇年代の前半町場のコピー屋のコピー料金は当時一枚五十円で、大学でのコピー料金の5倍でした。 |
JCRRAG_014540 | 国語 | 「憮然」「呆然」「唖然」の意味と違い
日本語の熟語の中には、「~然」という形のものが多数見られます。その中で、「憮然」「呆然」「唖然」の3語はイメージが似通っており、違いを指摘するのは簡単ではありません。どの語も予想に反したり、意のままにならないような状況で使われることが多くなっていますが、どういった点で使い分けられるのでしょうか。
今回は、「憮然」「呆然」「唖然」の意味と違いについて解説しますので、これらの使い分けについて興味がある方は、ぜひ参考にしてみてください。
「憮然」「呆然」「唖然」の意味と違い
「憮然」とは
「憮然」とは、「失望・落胆してどうすることもできないでいるさま」という意味の言葉です。また、「意外なことに驚きあきれているさま」も表します。現在は「不機嫌なさま」の意味で使われるケースも多くなっていますが、こちらは本来の用法ではありません。「A氏は自身の落選の報に接して憮然とした表情を浮かべた」「相手のあまりの頑固さに、粘り強い彼ですら憮然として溜息をついた」などのように使われます。
「憮然」の「憮」は、「手でおおいかぶせてなでる」を表す漢字で、「いつくしむ、かわいがる」の他に「がっかりする、失望する」の意味も持ちます。一方「然」は、「しかり、そのとおり」を意味する漢字ですが、この場合は接尾語として、「まさにそのような状態・様子である」という意味合いを表します。
「呆然」「唖然」との違いにあたる「憮然」の特徴は、「失望や落胆」のニュアンスが強いという点にあります。「呆然」や「唖然」には、特に「がっかりする」といった意味合いはありません。
「呆然」とは
「呆然」とは、「あっけにとられているさま」という意味の言葉です。「あまりに予想外な展開に、一同はただ呆然とするばかりだった」などのように使われます。
「呆然」はまた、「気抜けしてぼんやりしているさま」の意味でも使われます。この場合は、「今までの努力がすべて無駄だったと知って、彼女は呆然と立ち尽くすほかなかった」のような使い方をされます。
「呆然」の「呆」は、幼児をおむつで包んだ様子を表す会意文字で、「ぼんやりする」などの意味を持ちます。
「呆然」と「憮然」の違いは、前述のように「失望・落胆」の意味合いを含むかどうか(「呆然」には含まれない)という点にあります。一方、「唖然」とは、「ぼんやりしている」というニュアンスが強い点で使い分けられます。
「唖然」とは
「唖然」とは、「思いがけない出来事に驚きあきれて声も出ないさま、あっけにとられているさま」という意味の言葉です。「優勝候補の初戦での敗退という結果に、会場の観客たちは唖然となった」「彼のあまりに乱暴な意見に彼女は一瞬唖然としたが、すぐに冷静な反論を返した」などのように使われます。
「唖」は「口」と「亜」から成りますが、この場合の「亜」は「つっかえる」を表しており、「口」と組み合わさって「喉が詰まって声が出ない」の意味になります。「聾唖」などの熟語でも使われます。
「唖然」もまた、「失望」の意味合いがない点で「憮然」と使い分けられます。「呆然」との違いは微妙ですが、「唖然」の場合は「声が出ないほど驚きあきれる」というニュアンスを持つ点が特徴です。これに対し「呆然」は、前述のように「ぼんやりする」「気が抜けたようになる」というニュアンスを表します。 | 撫然と唖然の違いについて説明してください。 | 撫然とは、失望・落胆してどうすることもできないでいるさま、また、意外なことに驚きあきれているさまを意味しますが、現在は不機嫌なさまを意味することが多くなっている。
唖然とは、思いがけない出来事に驚きあきれて声も出ないさま、で声が出ないほど驚きあきれる」というニュアンスを含む。 |
JCRRAG_014541 | 国語 | いよいよボートの中に入り込んで来ると、いきなりボートの半分の長さを、ひょいと跳び越し、それから私の頭の上を前や後ろへしきりに跳び越えるのです。そしてそのたびに、蛙はあの厭な粘液を、私の顔や着物に塗りつけるのです。その顔つきの大きなことといったら、こんな醜い動物が世の中にいるのかと驚かされます。しかし、私がオールの一本を取って、しばらく打ちのめしてやっているうちに、蛙はとうとう、ボートから跳び出してしまいました。
残りの二匹もプールに残っていたと思っていましたが、いつの間にかいなくなっていました。
私がこの国で一番あぶない目に会ったのは、宮廷の役人の一人が飼っていた猿が、私にいたずらしたときのことです。
ある日、グラムダルクリッチは、用たしに出かけて行くので、私の箱を自分の部屋に入れて、鍵をおろしておきました。大変暑い日でしたが、部屋の窓は開けっ放しになっており、私の住んでいる箱の戸口も窓も、開けっ放しになっていました。私が机に向かって、三枚の金貨と二枚の銀貨を弄びながら静かにものを考えていると、何か窓から跳び込んで、部屋の中をあちこち歩きまわるような音がするのです。私はひどく驚きましたが、じっと椅子に坐ったまま、見ていました。
今、部屋に入って来た猿は、いい気になって、はねまわっているのでした。
十フィートから高いときには十五フィートも飛んでいるのです。
そのうちに、とうとう猿が私の箱のところへやって来ました。彼は、この箱がよほど気に入ったのか、さも面白く珍しそうに戸口や窓から、いちいちのぞきこむのです。
私は箱の一番奥の隅へ逃げ込んでいましたが、猿が四方からのぞきこむので、怖くてたまりません。すっかりあわてていたので、ベッドの下に隠れることにも気がつかなかったのです。猿は、のぞいたり、歯を向き出したり、ムニャムニャしゃべったりしていましたが、とうとう、私の姿を見つけると、ちょうどあの猫が鼠にするように、戸口から片手を伸ばしてきました。私はうまく避けまわっていたのですが、とうとう上衣の垂れをつかまれて、引きずり出されました。
彼は私を右手で抱き上げると、ちょうどその乳母が子供に乳房をふくませるような恰好で私をかかえました。私があがけばあがくほど、猿は強くしめつけるので、これは、じっとしていた方がいいと思いました。一方の手で、猿は何度も、やさしげに私の顔をなでてくれます。てっきり私を同じ猿の子だと勘違いしてるのでしょう。こうして、彼がすっかりいい気持になっているところへ、突然、誰かが部屋の戸を開ける音がしました。すると、彼は急いで窓の方へ駈けつけ、三本足でとっとと歩きながら、一本の手で私を抱いたまま、樋を伝って、とうとう隣りの大屋根までよじのぼってしまいました。 | 部屋に入って来た猿が、より低く飛んだ高さを教えてください。 | 部屋に入って来た猿が、より低く飛んだ高さは十フィートです。 |
JCRRAG_014542 | 国語 | ①技能五輪国際大会
青年技能者(原則22歳以下)を対象に、技能競技を通じ、参加国・地域の職業訓練の振興及び技能水準の向上を図るとともに、国際交流と親善を目的として開催される大会である。1950(昭和25)年に第1回が開催され、1973(昭和48)年から原則2年に1度開催されており、我が国は1962(昭和37)年の第11回大会から参加している。直近では、2022(令和4)年10月に中国・上海で「第46回技能五輪国際大会(上海大会)」が新型コロナウイルス感染症の影響により中止となり、その代替として第46回技能五輪国際大会(特別開催)が9月から11月にかけて競技職種ごとに我が国を含む15か国で開催された。我が国では、京都府の京都市勧業館みやこめっせにおいて、「情報ネットワーク施工」、「光電子技術」及び「再生可能性エネルギー」の3職種の競技が行われ、14の国・地域から21名の選手が参加した。日本選手は「情報ネットワーク施工」、「再生可能性エネルギー」で金メダルを、「光電子技術」で銅メダルを獲得した。日本選手団は、上記3職種を含む51職種の競技に参加し、「産業機械」や「メカトロニクス」等の8職種で金メダルを獲得したほか、銀メダル5個、銅メダル5個、敢闘賞16個を獲得し、金メダルの国別獲得数では世界第3位の成績を収めた(第1位中国(21個)、第2位韓国(11個))。
次回の第47回大会は、2024(令和6)年9月にフランス・リヨンで開催される。2023(令和5)年11月に2028(令和10)年の技能五輪国際大会を日本(愛知県)へ
招致することを表明した。実現すれば、日本では、1970(昭和45)年の東京、1985(昭和60)年の大阪、2007(平成19)年の静岡に引き続き、4回目の開催となる。また、2023年11月にアラブ首長国連邦・アブダビで開催された技能五輪アジア大会を活用するなど、国内外に向けた招致活動に取り組んだ。 | 京都府京都市にて開催された第46回技能五輪国際大会(特別開催)にて日本が獲得したメダルの数は幾つですか。 | 京都府京都市にて開催された第46回技能五輪国際大会(特別開催)にて日本が獲得したメダルの数は18個(8職種で金メダル、銀メダル5個、銅メダル5個)です。 |
JCRRAG_014543 | 国語 | 「憮然」「呆然」「唖然」の意味と違い
日本語の熟語の中には、「~然」という形のものが多数見られます。その中で、「憮然」「呆然」「唖然」の3語はイメージが似通っており、違いを指摘するのは簡単ではありません。どの語も予想に反したり、意のままにならないような状況で使われることが多くなっていますが、どういった点で使い分けられるのでしょうか。
今回は、「憮然」「呆然」「唖然」の意味と違いについて解説しますので、これらの使い分けについて興味がある方は、ぜひ参考にしてみてください。
「憮然」「呆然」「唖然」の意味と違い
「憮然」とは
「憮然」とは、「失望・落胆してどうすることもできないでいるさま」という意味の言葉です。また、「意外なことに驚きあきれているさま」も表します。現在は「不機嫌なさま」の意味で使われるケースも多くなっていますが、こちらは本来の用法ではありません。「A氏は自身の落選の報に接して憮然とした表情を浮かべた」「相手のあまりの頑固さに、粘り強い彼ですら憮然として溜息をついた」などのように使われます。
「憮然」の「憮」は、「手でおおいかぶせてなでる」を表す漢字で、「いつくしむ、かわいがる」の他に「がっかりする、失望する」の意味も持ちます。一方「然」は、「しかり、そのとおり」を意味する漢字ですが、この場合は接尾語として、「まさにそのような状態・様子である」という意味合いを表します。
「呆然」「唖然」との違いにあたる「憮然」の特徴は、「失望や落胆」のニュアンスが強いという点にあります。「呆然」や「唖然」には、特に「がっかりする」といった意味合いはありません。
「呆然」とは
「呆然」とは、「あっけにとられているさま」という意味の言葉です。「あまりに予想外な展開に、一同はただ呆然とするばかりだった」などのように使われます。
「呆然」はまた、「気抜けしてぼんやりしているさま」の意味でも使われます。この場合は、「今までの努力がすべて無駄だったと知って、彼女は呆然と立ち尽くすほかなかった」のような使い方をされます。
「呆然」の「呆」は、幼児をおむつで包んだ様子を表す会意文字で、「ぼんやりする」などの意味を持ちます。
「呆然」と「憮然」の違いは、前述のように「失望・落胆」の意味合いを含むかどうか(「呆然」には含まれない)という点にあります。一方、「唖然」とは、「ぼんやりしている」というニュアンスが強い点で使い分けられます。
「唖然」とは
「唖然」とは、「思いがけない出来事に驚きあきれて声も出ないさま、あっけにとられているさま」という意味の言葉です。「優勝候補の初戦での敗退という結果に、会場の観客たちは唖然となった」「彼のあまりに乱暴な意見に彼女は一瞬唖然としたが、すぐに冷静な反論を返した」などのように使われます。
「唖」は「口」と「亜」から成りますが、この場合の「亜」は「つっかえる」を表しており、「口」と組み合わさって「喉が詰まって声が出ない」の意味になります。「聾唖」などの熟語でも使われます。
「唖然」もまた、「失望」の意味合いがない点で「憮然」と使い分けられます。「呆然」との違いは微妙ですが、「唖然」の場合は「声が出ないほど驚きあきれる」というニュアンスを持つ点が特徴です。これに対し「呆然」は、前述のように「ぼんやりする」「気が抜けたようになる」というニュアンスを表します。 | 唖然と呆然の違いについて説明してください。 | 唖然とは、思いがけない出来事に驚きあきれて声も出ないさま、で声が出ないほど驚きあきれる」というニュアンスを含む。
呆然とは、あっけにとられているさま、や気抜けしてぼんやりしているさまをいみし、失望・落胆の意味合いは含まない。 |
JCRRAG_014544 | 国語 | さて、その次の部屋に行くと、壁から天井から、くもの巣だらけで、やっと人ひとりが出入りできる狭い路がついていました。私が入って行くと、
「くもの巣を破っては駄目だ。」
と、いきなり大声でどなりました。それから、相手は私に話しかけてくれました。
「そもそもくもというものは、蚕などよりずっと立派な昆虫なのだ。くもは糸を紡ぐだけでなく、織り方までちゃんと心得ている。だから、蚕の代わりにくもを使えば、絹を染める手数が省けることになる。」
そう言って、彼は、非常に美しい蠅をたくさん取り出して見せてくれました。
赤の美しい蠅を三十匹、青の美しい蠅が二十匹、緑の美しい蠅を二十五匹いました。
つまり、くもにこの美しい蠅を食べさせると、くもの糸にその色がつくのだそうです。それに彼は、いろんな色の蠅を飼っていましたが、この蠅の餌として、何か糸を強くさせるものを研究しているのでした。
それから私は、もう一人、有名な人を見ました。この人は、もう三十年間というものは、人類の生活を改良させることばかり、考えつづけているのです。
彼の部屋は奇妙な品物で一ぱいでしたが、四人の男、二人の女、合計六人がこの有名な発明家の指図で働いていました。ある者は、空気をかわかして塊りにすることを研究していました。また、ある者は、石をゴムのように柔かくして、枕をこしらえようとしていました。生きた馬のひづめのところを石にすることを考えている者もいました。 | 有名な発明家の指図で働いていた六人のうち、人数が多いほうの性別を教えてください。 | 有名な発明家の指図で働いていた六人のうち、人数が多いほうの性別は男で四人です。 |
JCRRAG_014545 | 国語 | カドミウム基準値超過米の流通について(第1報)
農事組合法人熊谷農進(小坂町)が生産した米について、食品衛生法で定める成分規格基準値を超えるカドミウムが検出され、自主回収を進めておりますので、お知らせします。
1 検査結果
検 出 値:カドミウム0.47ppm~0.87ppm
基 準 値:カドミウム0.4ppm以下
(食品衛生法第13条第1項の規定による)
2 生産者等
生 産 者:農事組合法人熊谷農進
所 在 地:秋田県鹿角郡小坂町小坂字曲戸43番地1
対象食品:米(令和6年産米88,252kg)
3 流通販売状況(別紙参照)
販 売 先:秋田県、神奈川県、宮城県の加工・卸売業者、その他個人販売
出 荷 量:85,972kg(調査中)
該当する可能性のある米は流通の自粛とともに自主回収を進めている。
4 対応状況
・3月13日 東北農政局より、県に対し、(株)大潟村あきたこまち生産者協会に出荷された米の一部において基準値を超過したとの情報提供
・3月14日 東北農政局より、(株)大潟村あきたこまち生産者協会へ出荷した生産者は、(農)熊谷農進であるとの情報提供
・3月19日 (農)熊谷農進への立入調査(生産・販売状況) → 出荷停止要請
・3月27日 (農)熊谷農進への農林水産省との合同調査(生産・販売状況)
・3月28日 関係自治体への流通調査依頼
県農業試験場において、出荷先のサンプル検査(4月2日判明)
5 今後の対応
・生産者及び出荷者による回収状況の確認
・関係自治体への情報提供
6 住民の皆様へ
・住民向け相談窓口を直ちに設置(生活衛生課、水田総合利用課)
・生産及び流通状況を確認次第公表
7 合同取材の開催
(1)日 時
令和7年4月4日(金)午後3時から
(2)場 所
県庁2階 プレゼンテーションルーム
(3)説明者
生活環境部生活衛生課 課長 三浦 聡子
農林水産部水田総合利用課 課長 伊藤 恒徳
農事組合法人熊谷農進 理事 熊谷 聴
<参考>基準値の考え方
・基準値の0.4ppmは、数十年にわたって長期間摂取し続けることを想定して策定された値です。 | 今回検出されたカドミウム値は基準値と比べ最大どれほどの差がありますか。 | 今回検出されたカドミウム値は基準値と比べ最大どれほどの差は0.47ppmです。 |
JCRRAG_014546 | 国語 | 「追悼」「哀悼」の意味と違い
亡くなった人をいたむ気持ちを表明する際、よく使われる言葉に「追悼」というものがあります。「追悼の意を表す」のような言い回しでおなじみですが、一方で「哀悼」という言葉も、同じような場面や用法でよく耳にします。字面も使い方も似通っていて混同しやすい2語ですが、実際にはまったく同義というわけではなく、微妙な違いにより区別することができます。
今回は、「追悼」と「哀悼」の意味や違いについて解説しますので、両者を使い分ける際の参考にしてみてください。
「追悼」「哀悼」の意味と違い
「追悼」とは
「追悼」とは、「亡くなった人の生前を偲び、いたみ悲しむこと」という意味の言葉です。「大勢の人が故人を追悼し、在りし日の思い出にふけった」「明日は全国戦没者追悼式が武道館で行われる予定だ」「A氏が故人の友人代表として追悼の辞を述べた」などのように使われます。
「追悼」の「追」は「(先祖を)したう」「見送る」「おいかける」などを表す漢字ですが、この場合は「過去にさかのぼる」の意味で、「追懐」などの熟語で使う場合もこちらの意味となります。一方「悼」の字は、「心が悲しみで高く動揺する」を表しており、ほかに「悼歌」などの熟語で使われます。
「追悼」と「哀悼」は非常に近い言葉ですが、ニュアンスによる使い分けが可能です。「追悼」の場合、「故人の生前を偲ぶ」という行為の部分に重きが置かれる点が、「哀悼」との違いになります。
「哀悼」とは
「哀悼」とは、「人の死を悲しみいたむこと」という意味の言葉です。「不慮の事故でこの世を去った友人を哀悼する」「○○様のご逝去の報に接し、謹んで哀悼の意を表します」「8月15日の戦没者追悼式において、英霊の御前に哀悼の誠を捧げた」などのように使われます。
「哀悼」の「哀」は、同情の声を寄せ合うさまを表しており、そこから「かなしむ」や「あわれむ」、「泣きつく」を意味する漢字として使われるようになりました。ほかには「悲哀」や「哀願」などの熟語で使われます。
「哀悼」と「追悼」は、上記のように意味の重点の置きどころが違います。
「追悼」が行為の面を強調する言葉なのに対し、「哀悼」は「亡くなったことについての悲しみ」という感情面を主に表している点が特徴です。そのため通常身近な人の死に際しては、より主観的な「哀悼」の語が使われるようになっています。
両者を使い分ける際は、こうしたニュアンスの違いを意識するとわかりやすいでしょう。 | 追悼と哀悼の違いについて説明してください。 | 追悼とは、亡くなった人の生前を偲び、いたみ悲しむことを意味し、故人の生前を偲ぶという行為の部分に重きが置かれている。
哀悼とは、人の死を悲しみいたむことを意味し、亡くなったことについての悲しみという感情面を主に表している。 |
JCRRAG_014547 | 国語 | さっそく、皇帝は、勅命で、私のために、村々から毎朝牛六頭、羊四十頭、そのほかパン三十個、葡萄酒二十本などを供出するよう、命令されました。
それから、六百人のものが、私の御用係にやとわれ、私の家の両側にテントを張って寝泊まりすることになりました。それから私の服を作ってくれるために、三百人の仕立屋が、仕立係としてやとわれました。
それから、宮廷で一番えらい学者十人の中から六人、この国の言葉を私に教えてくれることになりました。私は三週間ぐらいで、小人国の言葉がしゃべれるようになりました。インドやスペイン国の言葉はいつもなら四週間や五週間はかかるのに大分早かったです。
皇帝もときどき私のところへ訪ねて来られました。私は皇帝にひざまずいて、
「どうか、私を自由な身にしてください。」
と何度もお願いしました。
すると皇帝は、
「もうしばらく待て。」
と言われるのでした。
「自由な身にしてもらうには、お前はまず、この国と皇帝に誓いをしなければいけない。それから、お前はいずれ身体検査をされるが、それも悪く思わないでくれ。たぶん、お前は何か武器など持っていることだろうが、お前のその大きな身体で使う武器なら、よほど危険なものにちがいない。」
私は皇帝に申し上げました。
「どうか、いくらでも調べてください。なんなら、すぐお目の前で裸になって御覧にもいれましょうし、ポケットを裏返してお目にかけますから。」
これは半分は言葉、半分は手まねでやって見せました。すると皇帝は、
「では、二人の士官に命じて身体検査をやらせるが、これは臣下の生命をお前の手にゆだねるのだから、なにぶん、よろしく頼む。それから、たとえどんな品物を取り上げても、お前がこの国を去るときには、必ず返してやる。でなかったら、いい値段で買い取ってやってもいい。」
と言われました。 | 私のためにやとわれた人数でより少ない係は御用係か、仕立係のどちらか教えてください。 | 私のためにやとわれた人数でより少ない係は仕立係で三百人です。 |
JCRRAG_014548 | 国語 | (3)国際バカロレアの推進
国際バカロレア(IB:International Baccalaureate)は、IB機構が提供する国際的な教育プログラムです。IBの教育理念や手法は、学習指導要領の目指す方向性と軌を一にするものであり、語学力のみならず批判的思考や幅広い知識の探求スキル等を育成する特色的なカリキュラム、双方向・協働型授業により、グローバル化に対応した素養・能力を育成する上で適しています。高校レベルのディプロマ・プログラムでは、国際的に通用する大学入学資格(IB資格)が取得可能であり、世界の大学入学者選抜で広く活用されています。IBの導入が進むことで、生徒の進路の多様化や、IBの特徴的な教育手法やカリキュラムが日本の初等中等教育における好事例となり、その質の向上も期待されます。政府は、成長戦略2021において、日本のIB認定校等を200校以上にするという目標を掲げました。これを受け、文部科学省では平成30年度に「文部科学省IB教育推進コンソーシアム」を設立し、情報共有プラットフォームの構築、IBの導入を検討する学校や教育委員会等への支援、大学入学者選抜におけるIBの活用促進等、IBの普及に取り組み、令和5年3月に認定校等が207校となり目標を達成しました。6年3月現在、我が国におけるIB認定校等は241校となっており、今後もグローバル社会における人材育成に資するよう、IBの教育効果等の調査研究や好事例の波及等を通じて、IBの更なる普及・促進を図っていきます。 | 6年3月現在の日本のIB認定校数は1年前に比べて、どれくらい増減がありましたか。 | 6年3月現在の日本のIB認定校数は1年前に比べて34校増えました。 |
JCRRAG_014549 | 国語 | 「誓約」「契約」の意味と違い
「誓約」という言葉は、「入社時に誓約書を提出する」といった具合に、日常でも耳にする機会がたびたびあります。一方、これとよく似たイメージで思い浮かびやすいのが、「契約」という言葉です。この2つの言葉は、どう違うのでしょうか。
今回は「誓約」と「契約」の意味と違いについて詳しく解説しますので、使い分けの参考にしてみてください。
「誓約」とは
「誓約」とは、「誓って約束すること」という意味の言葉です。また、その誓いについても言います。「この話については一切口外しないと誓約してほしい」「入社時に秘密保持のための誓約書にサインをさせられた」などのように使われます。
「誓約」の「誓」は「約束」や「ちかい」を意味する漢字で、ほかに「誓言」「誓命」などの熟語で使われます。一方「約」の字は、「まとめる」「むすぶ」を意味しており、ほかに「要約」「約束」などの熟語に使われます。
「誓約」と「契約」の主な違いは、双方の意思の合致が必要かどうかという点に求められます。「誓約」は、一方が他方に対しあることを固く誓う際に使う点が特徴で、誓約する側が一方的に義務を負う行為となります。
「契約」とは
「契約」とは、「約束すること、言い交すこと」という意味の言葉ですが、これは簡単に言うと「複数の当事者の合意で、法律関係を生じさせるもの」を指します。「労働契約を締結する」「アパートの賃貸借契約」「生命保険を契約する」などのように使われます。
「契約」の「契」は、「きざむ」や「ちぎる」、「しるし」などの意味を持つ漢字で、ほかには「符契」や「黙契」などの熟語で使われます。
「誓約」が誓約する側だけが意思を表示するのと異なり、「契約」では当事者双方の意思表示の合致が必要となります。そのため、「誓約書」は通常、提出する側のみ署名捺印を行いますが、「契約書」では両方の当事者の署名捺印が必要となります。
「契約」と聞くと売買契約や賃貸借契約といったように、双方が義務を負うことをイメージする方が多いかもしれません。しかし、贈与契約など片方だけが義務を負う契約もあります。
書面のタイトルではなく内容で判断される
仮に「誓約書」というタイトルで書面を作成したとしても、その内容が当事者の意思表示の合致を示すものであれば、法的には契約が成立したものと判断される場合があります。
また、誓約書の内容が契約の一内容となっていると捉えられることも多いです。例えば、雇用主に対して競業避止に関する誓約書を提出していた場合は、労働契約の一内容として労働者が競業避止義務を負っていたと判断されることが多いでしょう。
書面を見るときには、そのタイトルではなく中身や状況に着目することも重要です。 | 誓約と契約の違いについて説明してください。 | 誓約とは、誓って約束すること、またはその誓いを意味し、一方が他方に対しあることを固く誓う際に使う点が特徴である。
契約とは、約束すること、言い交すことを意味し、当事者双方の意思表示の合致が必要となる。 |
JCRRAG_014550 | 国語 | 猿が私をつれて行くのを見ると、グラムダルクリッチは「キャッ」と叫びました。彼女は気狂のようになってしまいました。それから間もなく、宮廷は大騒ぎになったのです。召使は梯子を取りに駈けだしました。猿は屋根の上に腰をおろすと、まるで赤ん坊のように片手に私を抱いて、顎の袋から何か吐き出して、それを私の口に押し込もうとします。
そして今、屋根の下では百人の召使、百二十人の兵士達等の人々が、この光景を見上げているのです。私が食べまいとすると、猿は母親が子をあやすように、私を軽く叩くのです。それを見て、下の群衆はみんな笑いだしました。実際、これは誰が見ても馬鹿馬鹿しい光景だったでしょう。なかには猿を追うつもりで、石を投げるものもいましたが、屋根に二回、近くの木に三回当たって危険だとして、これはすぐ禁じられました。
やがて梯子をかけて、五人の男と一人の女がのぼって来ました。猿はそれを見て、いよいよ囲まれたとわかると、三本足では走れないので、今度は私を瓦の上に残しておいて、一人でさっと逃げてしまいました。私は地上三百ヤードの瓦の上にとまったまま、今にも風に吹き飛ばされるか、目がくらんで落ちてしまうか、まるで生きた心地がしませんでした。が、そのうちに召使の一人が、私をズボンのポケットに入れて、無事に下までおろしてくれました。
私はあの猿が私の咽喉に無理に押し込んだ何か汚い食物のため、息がつまりそうでした。しかし、私の乳母が小さい針で一つ一つそれをほじくり出してくれたので、やっとらくになりました。だが、ひどく身体が弱ってしまい、あの動物に抱きしめられていたため、両脇が痛くてたまりません。私はそのため二週間ばかり病床につきました。王、王妃、そのほか、宮廷の人たちが、毎日見舞いに来てくれました。猿は殺され、そして今後こんな動物を宮廷で飼ってはならないことになりました。
病気が治ると、私は王にお礼を申し上げに行きました。王はうれしそうに、今度のことをさんざ、おからかいになるのでした。猿に抱かれていた間どんな気持ちがしたか、あんな食物の味はどうだったか、どんなふうにして食べさすのか、などお尋ねになります。そして、そんな場合、ヨーロッパではどうするのか、と言われます。そこで、私は、
「ヨーロッパには猿などいません。いてもそれは物好きが遠方からつかまえて来たもので、そんなものは実に可愛らしい奴です。そんなのなら十二匹ぐらい束になってやって来ても、私は負けません。実際に五匹やってきたときも、十匹やってきたときも追い払ったことがあります。
なに、この間のあの大きな奴だって、あれが私の部屋に片手を差し込んだとき、あのときも私は平気だったのです。私がほんとに怖いと思ったら、この短剣で叩きつけます。そうすれば、相手に傷ぐらい負わせて、手を引っ込めさせたでしょう。」
と、私はきっぱり申し上げました。 | 屋根の下でこの光景を見上げている人々のうち、数が多いほうを教えてください。 | 屋根の下でこの光景を見上げている人々のうち、数が多いのは兵士で百二十人です。 |
JCRRAG_014551 | 国語 | 5 学習成果の評価・活用
(1)学校外における学修の単位認定
高等学校では、生徒の能力・適性、興味・関心などが多様化している実態を考慮し、選択の幅を広げる観点から、生徒の在学する高等学校での学習の成果に加えて、①大学、高等専門学校、専修学校などにおける学修、②知識・技能審査の成果に関する学修、③ボランティア活動、就業体験活動(インターンシップ)等、④高等学校卒業程度認定試験の合格科目に関する学修など、在学する高等学校以外の場における学修の成果について、各高等学校の判断によって学校の科目の履修とみなし、単位を与えることが可能となっています。令和3年度は、①大学、高等専門学校、専修学校などにおける学修については266校、②知識・技能審査の成果に関する学修については1,014校、③ボランティア活動、就業体験活動(インターンシップ)等については371校、④高等学校卒業程度認定試験の合格科目に関する学修については305校が単位認定を行っています。また、大学等(大学、高等専門学校、専門学校)は、教育内容の充実に資するため、大学等における教育に相当する学修など大学等以外の教育施設等における学修について、当該大学等における単位として認定できることとされており、令和元年度は531大学(全体の71.6%)がこれを活用しています。
(2)高等学校卒業程度認定試験
高等学校卒業程度認定試験は、高等学校を卒業していない者等に対して高等学校卒業者と同程度以上の学力があることを認定する試験です。この試験の合格者には、大学等の入学資格が付与されます。令和5年度における延べ出願者数は1万9,191人、受験者数は1万6,813人、合格者数は7,932人となっています。出願者のうち約半数となる47.2%を高等学校中途退学者が占めており、高等学校卒業程度認定試験が高等学校等の中途退学者等の再挑戦の機会となっていることが分かります。試験合格者のおよそ半数は大学等に進学していますが、この試験は、就職等の機会に学力を証明する手段としても活用されています。文部科学省は、採用試験や採用後の処遇において高等学校の卒業者と同等に扱われるよう、文部科学省ウェブサイトやパンフレット、ポスターの配布等によって制度の周知に努めています。 | 令和5年度における高等学校卒業程度認定試験の不合格者数は何人ですか。 | 令和5年度における高等学校卒業程度認定試験の不合格者数は8,881人ですか。 |
JCRRAG_014552 | 国語 | 「以降」「以来」の意味と違い
似たような字面や使い方でありながら、微妙に異なる熟語の組み合わせの例は、日本語にいくつも見られます。「以降」と「以後」もその一種で、どちらもある一定の期間を指す言葉ですが、詳しい意味合いには若干のずれが存在しています。それでは、この2つの言葉は具体的にどういった点で使い分けられるのでしょうか。区別のポイントが知りたいところです。
今回は、「以降」と「以来」の意味や違いについて解説しますので、これらを使い分ける際の参考にしてみてください。
「以降」「以来」の意味と違い
「以降」とは
「以降」とは、「ある時からのち」という意味の言葉です。「“おやつ”の習慣が広まったのは、江戸時代中期以降だ」「来週以降は次第に気温が上昇すると予想されている」「今日のお昼以降の予定は今のところ入っていない」などのように使われます。
「以降」の「以」は、もともと「鋤をもちいて耕す」を意味していましたが、転じて「用いる」「~をもって」「より、から」などの意で使われるようになりました。一方「降」は、「くだる」「おりる」「時が移る」などの意味を表します。
「以降」と「以来」の主な違いは、「未来の話題について使えるかどうか」という点に求められます。「以降」は過去だけでなく、「来月以降」のように未来の話にも使える点が特徴となっています。
「以来」とは
「以来」とは、「~よりこの方」「それより引き続き」という意味の言葉です。「小さいとき犬にかまれて以来、すっかり犬嫌いになってしまった」「アルコールを口にするのは、3年前に禁酒して以来初めてだ」「Aは去年妻と離婚した。それ以来彼は人が変わったようになった」などのように使われます。
「以来」の「来」は、もともと「ムギ」を表す漢字でしたが、のちに「くる」や「きたす」、「この次の」などの意味で使われるようになりました。「以来」の場合は、「その時から現在まで続いている」の意味になります。
「以来」と「以降」は、上記のように「未来のことに適用できるか」という点で使い分けられます。「以降」とは違い、「以来」は過去の話題についてしか使われないのが一般的です。「以来慎みます」のように、「今後」の意味での用法もありますが、あまり使用頻度は高くありません。 | 以降と以来の違いについて説明してください。 | 以降とは、ある時からのち、とい意味で、過去だけでなく未来にも使える点が特徴である。
以来とは、~よりこの方・それより引き続きという意味で、過去の話題にしか使えない点が特徴である。 |
JCRRAG_014553 | 国語 | さて、その次の部屋に行くと、壁から天井から、くもの巣だらけで、やっと人ひとりが出入りできる狭い路がついていました。私が入って行くと、
「くもの巣を破っては駄目だ。」
と、いきなり大声でどなりました。それから、相手は私に話しかけてくれました。
「そもそもくもというものは、蚕などよりずっと立派な昆虫なのだ。くもは糸を紡ぐだけでなく、織り方までちゃんと心得ている。だから、蚕の代わりにくもを使えば、絹を染める手数が省けることになる。」
そう言って、彼は、非常に美しい蠅をたくさん取り出して見せてくれました。
赤の美しい蠅を三十匹、青の美しい蠅が二十匹、緑の美しい蠅を二十五匹いました。
つまり、くもにこの美しい蠅を食べさせると、くもの糸にその色がつくのだそうです。それに彼は、いろんな色の蠅を飼っていましたが、この蠅の餌として、何か糸を強くさせるものを研究しているのでした。
それから私は、もう一人、有名な人を見ました。この人は、もう三十年間というものは、人類の生活を改良させることばかり、考えつづけているのです。
彼の部屋は奇妙な品物で一ぱいでしたが、四人の男、二人の女、合計六人がこの有名な発明家の指図で働いていました。ある者は、空気をかわかして塊りにすることを研究していました。また、ある者は、石をゴムのように柔かくして、枕をこしらえようとしていました。生きた馬のひづめのところを石にすることを考えている者もいました。 | 有名な発明家の指図で働いていた六人のうち、人数が少ないほうの性別を教えてください。 | 有名な発明家の指図で働いていた六人のうち、人数が少ないほうの性別は女で二人です。 |
JCRRAG_014554 | 国語 | 5 学習成果の評価・活用
(1)学校外における学修の単位認定
高等学校では、生徒の能力・適性、興味・関心などが多様化している実態を考慮し、選択の幅を広げる観点から、生徒の在学する高等学校での学習の成果に加えて、①大学、高等専門学校、専修学校などにおける学修、②知識・技能審査の成果に関する学修、③ボランティア活動、就業体験活動(インターンシップ)等、④高等学校卒業程度認定試験の合格科目に関する学修など、在学する高等学校以外の場における学修の成果について、各高等学校の判断によって学校の科目の履修とみなし、単位を与えることが可能となっています。令和3年度は、①大学、高等専門学校、専修学校などにおける学修については266校、②知識・技能審査の成果に関する学修については1,014校、③ボランティア活動、就業体験活動(インターンシップ)等については371校、④高等学校卒業程度認定試験の合格科目に関する学修については305校が単位認定を行っています。また、大学等(大学、高等専門学校、専門学校)は、教育内容の充実に資するため、大学等における教育に相当する学修など大学等以外の教育施設等における学修について、当該大学等における単位として認定できることとされており、令和元年度は531大学(全体の71.6%)がこれを活用しています。
(2)高等学校卒業程度認定試験
高等学校卒業程度認定試験は、高等学校を卒業していない者等に対して高等学校卒業者と同程度以上の学力があることを認定する試験です。この試験の合格者には、大学等の入学資格が付与されます。令和5年度における延べ出願者数は1万9,191人、受験者数は1万6,813人、合格者数は7,932人となっています。出願者のうち約半数となる47.2%を高等学校中途退学者が占めており、高等学校卒業程度認定試験が高等学校等の中途退学者等の再挑戦の機会となっていることが分かります。試験合格者のおよそ半数は大学等に進学していますが、この試験は、就職等の機会に学力を証明する手段としても活用されています。文部科学省は、採用試験や採用後の処遇において高等学校の卒業者と同等に扱われるよう、文部科学省ウェブサイトやパンフレット、ポスターの配布等によって制度の周知に努めています。 | 令和5年度における高等学校卒業程度認定試験の合格率はいくらですか。 | 令和5年度における高等学校卒業程度認定試験の合格率は47%です。 |
JCRRAG_014555 | 国語 | 「チェーン」「フランチャイズ」の意味と違い
「チェーン(店)」という言葉は日ごろからなじみ深いもので、実際この経営形態に属する店舗は、「スターバックス」や「東急ハンズ」など周囲に数多くあります。その一方で、これとよく似ていてやはり耳にする頻度が高い言葉に、「フランチャイズ」というものもあります。「ドトール」や「ブックオフ」などがその代表例ですが、一体この二つの言葉はどの点が異なるのでしょうか。
今回は、「チェーン」と「フランチャイズ」の意味や違いについて解説しますので、両者を使い分ける参考にしてみてください。
「チェーン」とは
「チェーン(chain)」は「鎖」を意味する言葉ですが、店舗経営においていう場合は、「チェーンストア(店)」を指します。「チェーンストア」とは簡単に言えば、「本部の管理の下、企業が複数の店舗を運営する形の経営手法」ということになります。アメリカ発祥の手法で、企業活動を本社に集中させ、店舗はオペレーションのみに集中することにより、経営効率の最大化が目指されます。
「フランチャイズ」も広義の「チェーン」の一種ですが、狭義の「チェーン(レギュラーチェーン)」とはやや違います。一般的に言う「チェーン」は、企業が直接複数の店舗(国際チェーンストア協会の定義では11以上)を経営する点が特徴で、経営方針や扱う商品・サービス、店のデザインなどはすべての店舗で統一されています。
「フランチャイズ」とは
「フランチャイズ(franchise)」は英語で「参政権」や「特権、許可」などの意味を持つ言葉ですが、経営において使う場合は「フランチャイズチェーン(FC)」を指します。「フランチャイズチェーン」とは、異なる企業同士の契約により展開されるチェーン形式のことです。なお、「フランチャイズチェーン」やその略称である「FC」は、和製英語になります。
上記のように、「フランチャイズ」も広い意味で「チェーン」の一種ですが、通常両者は異なるものとして使い分けられます。
「フランチャイズ」は独立事業者が本部と契約を結び、その本部が持つ経営ノウハウなどの権利を得て加盟店として店舗を運営しつつ、ロイヤリティを受け取るという形の経営手法です。違いを簡単にまとめると、「チェーン」は本社資本での直営店舗であり、「フランチャイズ」は本社と店舗経営者の間の契約に基づく、店舗経営者の資本による店舗ということになります。 | 経営形態におけるチェーンとフランチャイズの違いについて説明してください。 | 経営形態におけるチェーンとは、本部の管理の下、企業が複数の店舗を運営する形の経営手法であり、アメリカ発祥の手法で、企業活動を本社に集中させ、店舗はオペレーションのみに集中することにより、経営効率の最大化が目指すことができる。
経営形態におけるフランチャイズとは、異なる企業同士の契約により展開されるチェーン形式のことであり、独立事業者が本部と契約を結び、その本部が持つ経営ノウハウなどの権利を得て加盟店として店舗を運営しつつ、ロイヤリティを受け取るという形の経営手法である。 |
JCRRAG_014556 | 国語 | さっそく、皇帝は、勅命で、私のために、村々から毎朝牛六頭、羊四十頭、そのほかパン三十個、葡萄酒二十本などを供出するよう、命令されました。
それから、六百人のものが、私の御用係にやとわれ、私の家の両側にテントを張って寝泊まりすることになりました。それから私の服を作ってくれるために、三百人の仕立屋が、仕立係としてやとわれました。
それから、宮廷で一番えらい学者十人の中から六人、この国の言葉を私に教えてくれることになりました。私は三週間ぐらいで、小人国の言葉がしゃべれるようになりました。インドやスペイン国の言葉はいつもなら四週間や五週間はかかるのに大分早かったです。
皇帝もときどき私のところへ訪ねて来られました。私は皇帝にひざまずいて、
「どうか、私を自由な身にしてください。」
と何度もお願いしました。
すると皇帝は、
「もうしばらく待て。」
と言われるのでした。
「自由な身にしてもらうには、お前はまず、この国と皇帝に誓いをしなければいけない。それから、お前はいずれ身体検査をされるが、それも悪く思わないでくれ。たぶん、お前は何か武器など持っていることだろうが、お前のその大きな身体で使う武器なら、よほど危険なものにちがいない。」
私は皇帝に申し上げました。
「どうか、いくらでも調べてください。なんなら、すぐお目の前で裸になって御覧にもいれましょうし、ポケットを裏返してお目にかけますから。」
これは半分は言葉、半分は手まねでやって見せました。すると皇帝は、
「では、二人の士官に命じて身体検査をやらせるが、これは臣下の生命をお前の手にゆだねるのだから、なにぶん、よろしく頼む。それから、たとえどんな品物を取り上げても、お前がこの国を去るときには、必ず返してやる。でなかったら、いい値段で買い取ってやってもいい。」
と言われました。 | 国の言葉を覚える速さでより早かった国を教えてください。 | 国の言葉を覚える速さでより早かった国は小人国の言葉で三週間です。 |
JCRRAG_014557 | 国語 | 1.評価対象について
評価対象については以下の考え方に沿うものとする。詳細については、検討会において随時検討するほか、各分類群の評価のために設置される専門家の合議体(以下「分科会等」という)において、各分類群の特性を踏まえた検討を経て分類群ごとに定める(「分科会における基本的事項」など)。
(1)評価の単位
・原則として、種または亜種を評価の単位とする(以下「種」という)。ただし、分類群の特性等に応じて変種、品種等を評価の単位とすることができる。
・分類上亜種に細分される場合は原則として亜種等を評価の対象とする。変種、品種に細分される場合にも同様とする。
・種は分類学的に定義されたものをいうのであって、系群はこれにあたらない。
・評価の単位とする種の学名が確定しなくとも、明確に特定でき、報告されたものは評価の対象とすることができる。
(2)評価対象分類群
・日本国内に生息・生育する全ての野生生物の中から、科学的知見の蓄積の度合いと評価を行いうる専門家の有無を考慮し、原則として門綱のレベルで評価対象とする分類群を定める。なお、国内とは、我が国の領土、領海(内水を含む)、排他的経済水域をいう。
・評価対象分類群は、哺乳類、鳥類、爬虫類・両生類、魚類、サンゴ類、昆虫類、甲殻類、軟体動物、その他無脊椎動物(海綿動物、刺胞動物、扁形動物、苔虫動物、環形動物、節足動物、腕足動物、棘皮動物、半索動物、頭索動物等)、維管束植物、蘚苔類、藻類、地衣類、菌類とする。 | 評価対象分類群の中で、その他無脊椎動物の例として挙げられているものは何種類ありますか。 | 評価対象分類群の中で、その他無脊椎動物の例として挙げられているものは10種類で、海綿動物、刺胞動物、扁形動物、苔虫動物、環形動物、節足動物、腕足動物、棘皮動物、半索動物、頭索動物です。 |
JCRRAG_014558 | 国語 | 春の海はひねもすのたりのたりとしているそうである。
夏の海はつよい太陽の光をはねかえして輝き渡る。海も光るが、沖の一線にもくもくと盛り上った入道雲も輝く、空も輝く、海に遊ぶ人々の肌も輝く。
秋の海は、夫を失った夫人のたたずまいのようにさびしい。
それから、冬の海は、かたくなに黙っているかと思うと、時たま心の底から怒りを発した如くに怒号する。逆浪は光をかんで暗黒の空に星影はなくとも、高波のしぶきは、瞬間の幻のように岩にくだけ、天にそそりたつ。
春秋の海底には、かぞえ切れない魚類の世界がある。潮の流れにのって移動する魚群があるかと思うと、波をけって海上に飛翔ひしょうする魚たちもある。少し深いところに住む魚たちはその肌の色も、浅いところに住む魚たちとはちがう。水に泳いで生きる魚たちばかりではなく、海の底の砂にも、岩にも、生きものはそれぞれの場所を占めて居をかまえている。
あわびは、ぴたりと岩にすいついて、いかなる敵さえも、その硬い貝を抱きおこすことはできないと思える。が、こんなあわびの執念ぶかい執着をもはがす奴がいる。たとえば、タコである。タコは、坊主あたまを斜めに泳がせてあわびに近寄る。そしてその足で、あわびの貝にあけられた穴窓をすべてふさいでしまう。あわびは、息ぐるしくなって、そっと体を岩から離さねばならぬ。この時こそタコの待ちもうけていた決定的瞬間なのである。早速坊主はあわびをさらっていって、御馳走になる。この坊主は、そうした万端をひとりで片付けてしまうらしい。だから、タコの住まいのまわりは、おびただしい貝がらの城壁でかこまれている。城壁の中では、生なまぐさ坊主が、いいきもちで眠っている。貝がらの城壁の中に眠っているのを知っている大きな魚は、突然これをおそって食らうのだ。また、うんと深海には、自分の体から光を発して、暗い暗い、少しも光のとどかぬ深海をゆうれいのようによぎる魚がある。また、頭の先にランプをつけたような奇怪な魚は、ランプをかざして獲物をあさり歩いている。
静かな海の底にも、号泣する嵐の海底にも、彼らの絶え間ない闘争は果てしなく行なわれ、強いものと、弱いものの戦いは、終ることなくつづけられているのだ。カニは、つめをふりたてて、横ばいをしながら、砂地からエモノをさがして食う。月夜ともなれば、月の光の明るさに、虫たちは、カニの姿を見つけていち早く逃げてしまう。カニが目玉をつき出してさがしても、なかなかエモノは手にはいらぬ。そこでカニは、ひもじい腹をかかえやせる。月夜のカニはやせてまずいと、人はぼやく。かと思うと、月夜に、海の底から砂地に這上はいあがって、砂に卵を産みにくる海がめもいる。魚や、貝だけではない、海底や岩上には緑、茶、紅などの、色さまざまな藻類が波のまにまにゆれている。
人間たちは、このかぎりなく広い深い海の底から、幾ひろの波の間から、魚を、貝を、藻を採って食う。最初になまこを食った人間はどんな人間だったろう。おそらくその人間は、あのグロテスクななまこをしばしば眺めていたことであろう。食おうと決心して、まず最初にこれを食った祖先は、歴史家たちが、むりにでっちあげた英雄よりも、愉快な人間であったと思える。
なんでも、生きているものは美しい。そして戦っている生活は新鮮である。海に生きているイカたちを見よ。イカは白い、などという御仁ごじんは、イカを知らぬ人だ。イカは決して白くはない。あれは、腐りかけているイカの死がいだ。イカは透きとおっている。透きとおっているばかりではなく、その体に燐光のような光をおびて、レースのハンカチで口もとをおさえている貴婦人のようにしなやかに泳いでいるのだ。鯛はその体に、光る宝玉をちりばめて、堂々と突き進む。海中の生物たちの世界は、植物色の光輝ある物語のように美しい。しかも、彼らは刻々生きんがための闘争をつづけているのだ。目をあげて、海のかなたの水平線を見よ。水平線につづくものは空の色である。海の色と空の色と一つにとけあっているようでも、海には海の色があり、空には空の光がある。海と空とは融けあって、水平線は海と空を画し、船はその一線を進むと見えて煙りを立てている。
飛ぶ鳥は何鳥か。つばさ白く、海と空と照りあう中間を、白いつばさの鳥が飛んでいる。
海の青、空の青にも染まずただようと、白き鳥の心をうたった歌人があったが、同じ青といっても、おのずからその青は、空と海とではちがうものなのだ。絵をかく時にとくゴフンは、白いが、白鳥を描くゴフンも、美人の顔を描くゴフンも、白き夕月を描くゴフンも、同じゴフンである。だが、出来上った絵は、それが立派な芸術である場合、月の白さと、白鳥の白さと、美人の顔の白さとはちゃんとちがったそれぞれの白さなのは何故か。同じ皿にとかれた同じゴフンで描いても、白鳥は悲しく、夕月は冷たく淡く、美人の顔はあたたかい。ここに絵画の心がある。絵筆は手の延長であり、ゴフンは心の表現であるからだ。白鳥も、夕月も、美人も、平気でゴフンをぬってはならぬはずだ。おのずからその白さがちがうように、これを描く人の心も、その時その時にかわっておらねばならぬ。すなわち夕月をぬる時は、夕月は白いからゴフンをぬるのでは駄目だ。「夕月だ、淡く、冷たい夕月だ」と心に思ってぬらねばならぬ。美人だから、色が白いというのではなく、美人の頬だ、美人の手だ、美人の皮膚のやさしく、生きた肌に心が交かようのでなくてはならぬはずだ。こうして描かれた絵であれば、同じゴフンでもそれぞれのちがった白さが表現されるものだ。
料理において、塩を使う時、それがからくするための塩か、しるこなどをつくる時の、甘味を増すための塩かを考えて、からくする時は、からい塩と心に思って作れ。おしるこの時は、甘くなれと心に思ってひとつまみの塩を投ぜよ。茶さじ何ばいなどと、きっちりはかって入れてみても、その材料、火加減などで、必ずしも思った味になるとはかぎらぬ。作るときの心ということは、なにをするにかぎらず大切なことなのだ。絵を描く人も、この心を失って、ただ、ぬるだけなら、芸術家ではなく職人だ。絵画ではなく、ぬり絵だ。すべてものごとをするにあたって、技術に加えて必要なものは、その人の愛情であり、その人の品格が大切だ。同じ材料を使って、同じものをつくっていながら、そこに大きなちがいが生れてくる。
一つまみの塩、そしていま、鍋の中が、どんな味になっているか知らねばならぬ。いちいちなめてみなければ、加減の分らぬようなことではだめだ。味の加減ばかりみている中に、だんだん舌がまひしてしまって、どうやら気に入る味になったと本人が思った時は、鍋の中の半分ぐらいは、お加減をみてたべてしまう人がありはせぬか。鍋の中の味が、たべなくとも分ることくらいは当然のことだ。歌人は、石の心も鳥の心も歌っている。名医であれば、一々聴診器をあてなくとも、どこがわるいか分るという。大人だから、胃がわるいの、頭がいたいのと訴えるが、赤ん坊が病気になった時には、口をきかぬ、ものを言わぬ。聞かねば分らぬようでは、赤ん坊の病気は分らぬではないか。料理の味も、一々たべてみなくては分らぬようでは困る。芸術は、芸術家だけの専有物ではない。料理も芸術である。鍋の中の味が分ることは、料理するものの暖かい愛情であると思え。 | 絵の具のゴフンの使った異なる白色の違いを250文字以内で説明してください。 | ゴフンは白い色の絵の具でそれぞれ白い対象物を描く際に全て同じゴフンが使われる。しかし出来上った絵が立派な芸術である場合、それぞれの白さとはちがったそれぞれの白さが現れる。同じ皿にとかれたゴフンで描いても、悲しさ、冷たさ、淡さ、あたたかいさが感じられ、そこに絵画の心がある。絵筆は画家の手の延長であり、ゴフンは心の表現である。対象物の白さがちがうように、これを描く人の心も、その時その時にかわっておらねばならない。こうして描かれた絵であれば、同じゴフンでもそれぞれのちがった白さが表現されるものだ。 |
JCRRAG_014559 | 国語 | 猿が私をつれて行くのを見ると、グラムダルクリッチは「キャッ」と叫びました。彼女は気狂のようになってしまいました。それから間もなく、宮廷は大騒ぎになったのです。召使は梯子を取りに駈けだしました。猿は屋根の上に腰をおろすと、まるで赤ん坊のように片手に私を抱いて、顎の袋から何か吐き出して、それを私の口に押し込もうとします。
そして今、屋根の下では百人の召使、百二十人の兵士達等の人々が、この光景を見上げているのです。私が食べまいとすると、猿は母親が子をあやすように、私を軽く叩くのです。それを見て、下の群衆はみんな笑いだしました。実際、これは誰が見ても馬鹿馬鹿しい光景だったでしょう。なかには猿を追うつもりで、石を投げるものもいましたが、屋根に二回、近くの木に三回当たって危険だとして、これはすぐ禁じられました。
やがて梯子をかけて、五人の男と一人の女がのぼって来ました。猿はそれを見て、いよいよ囲まれたとわかると、三本足では走れないので、今度は私を瓦の上に残しておいて、一人でさっと逃げてしまいました。私は地上三百ヤードの瓦の上にとまったまま、今にも風に吹き飛ばされるか、目がくらんで落ちてしまうか、まるで生きた心地がしませんでした。が、そのうちに召使の一人が、私をズボンのポケットに入れて、無事に下までおろしてくれました。
私はあの猿が私の咽喉に無理に押し込んだ何か汚い食物のため、息がつまりそうでした。しかし、私の乳母が小さい針で一つ一つそれをほじくり出してくれたので、やっとらくになりました。だが、ひどく身体が弱ってしまい、あの動物に抱きしめられていたため、両脇が痛くてたまりません。私はそのため二週間ばかり病床につきました。王、王妃、そのほか、宮廷の人たちが、毎日見舞いに来てくれました。猿は殺され、そして今後こんな動物を宮廷で飼ってはならないことになりました。
病気が治ると、私は王にお礼を申し上げに行きました。王はうれしそうに、今度のことをさんざ、おからかいになるのでした。猿に抱かれていた間どんな気持ちがしたか、あんな食物の味はどうだったか、どんなふうにして食べさすのか、などお尋ねになります。そして、そんな場合、ヨーロッパではどうするのか、と言われます。そこで、私は、
「ヨーロッパには猿などいません。いてもそれは物好きが遠方からつかまえて来たもので、そんなものは実に可愛らしい奴です。そんなのなら十二匹ぐらい束になってやって来ても、私は負けません。実際に五匹やってきたときも、十匹やってきたときも追い払ったことがあります。
なに、この間のあの大きな奴だって、あれが私の部屋に片手を差し込んだとき、あのときも私は平気だったのです。私がほんとに怖いと思ったら、この短剣で叩きつけます。そうすれば、相手に傷ぐらい負わせて、手を引っ込めさせたでしょう。」
と、私はきっぱり申し上げました。 | 屋根の下でこの光景を見上げている人々のうち、数が少ないほうを教えてください。 | 屋根の下でこの光景を見上げている人々のうち、数が少ないほうは召使で百人です。 |
JCRRAG_014560 | 国語 | 作 物 統 計 調 査
令和6年産水陸稲の収穫量
全国の 10a当たり収量は 540kg の見込み
【調査結果の概要】
1 令和6年産水稲の作付面積(子実用)は135万9,000ha(前年産に比べ1万5,000ha増加)となった。うち主食用作付面積は125万9,000ha(同1万7,000ha増加)となった。
2 水稲の全国の10a当たり収量は540kgと見込まれる。これは、全国的にはおおむね天候に恵まれたためである。なお、一部地域で5月下旬から6月上旬にかけての低温や6月下旬から7月中旬にかけての断続的な日照不足、8月以降の記録的な高温等の影響により収量が低下した。
3 以上の結果、水稲の収穫量(子実用)は734万5,000t(前年産に比べ18万t増加)と見込まれ、主食用の収穫量は679万2,000t(同18万2,000t増加)と見込まれる。
4 農家等が使用しているふるい目幅ベースの全国の作況指数は101と見込まれる。
5 令和6年産陸稲の作付面積(子実用)は320haで、10a当たり収量は256kgとなり、収穫量(子実用)は820tとなった。
○ 水稲の作付面積(子実用)とは、青刈り面積を含めた水稲全体の作付面積から、青刈り面積(飼料用米・WCS 用稲等を含む。)を除いた面積であり、主食用作付面積とは、青刈り面積を含めた水稲全体の作付面積から、備蓄米、加工用米、新規需要米等の作付面積を除いた面積である。
○ 陸稲の作付面積(子実用)とは、青刈り面積を含まない面積である。
○ 10a当たり収量及び収穫量は、1.70 ㎜のふるい目幅で選別された玄米の重量である。
○ 沖縄県については、一部収穫を終えていないため、収穫の状況によっては今後変動することがある。確定した数値はホームページに掲載(令和7年2月予定)する。 | 水稲の全国の5a当たりの見込み収量はどれくらいですか。 | 水稲の全国の1a当たり収量は270kgです。 |
JCRRAG_014561 | 国語 | 春の海はひねもすのたりのたりとしているそうである。
夏の海はつよい太陽の光をはねかえして輝き渡る。海も光るが、沖の一線にもくもくと盛り上った入道雲も輝く、空も輝く、海に遊ぶ人々の肌も輝く。
秋の海は、夫を失った夫人のたたずまいのようにさびしい。
それから、冬の海は、かたくなに黙っているかと思うと、時たま心の底から怒りを発した如くに怒号する。逆浪は光をかんで暗黒の空に星影はなくとも、高波のしぶきは、瞬間の幻のように岩にくだけ、天にそそりたつ。
春秋の海底には、かぞえ切れない魚類の世界がある。潮の流れにのって移動する魚群があるかと思うと、波をけって海上に飛翔ひしょうする魚たちもある。少し深いところに住む魚たちはその肌の色も、浅いところに住む魚たちとはちがう。水に泳いで生きる魚たちばかりではなく、海の底の砂にも、岩にも、生きものはそれぞれの場所を占めて居をかまえている。
あわびは、ぴたりと岩にすいついて、いかなる敵さえも、その硬い貝を抱きおこすことはできないと思える。が、こんなあわびの執念ぶかい執着をもはがす奴がいる。たとえば、タコである。タコは、坊主あたまを斜めに泳がせてあわびに近寄る。そしてその足で、あわびの貝にあけられた穴窓をすべてふさいでしまう。あわびは、息ぐるしくなって、そっと体を岩から離さねばならぬ。この時こそタコの待ちもうけていた決定的瞬間なのである。早速坊主はあわびをさらっていって、御馳走になる。この坊主は、そうした万端をひとりで片付けてしまうらしい。だから、タコの住まいのまわりは、おびただしい貝がらの城壁でかこまれている。城壁の中では、生なまぐさ坊主が、いいきもちで眠っている。貝がらの城壁の中に眠っているのを知っている大きな魚は、突然これをおそって食らうのだ。また、うんと深海には、自分の体から光を発して、暗い暗い、少しも光のとどかぬ深海をゆうれいのようによぎる魚がある。また、頭の先にランプをつけたような奇怪な魚は、ランプをかざして獲物をあさり歩いている。
静かな海の底にも、号泣する嵐の海底にも、彼らの絶え間ない闘争は果てしなく行なわれ、強いものと、弱いものの戦いは、終ることなくつづけられているのだ。カニは、つめをふりたてて、横ばいをしながら、砂地からエモノをさがして食う。月夜ともなれば、月の光の明るさに、虫たちは、カニの姿を見つけていち早く逃げてしまう。カニが目玉をつき出してさがしても、なかなかエモノは手にはいらぬ。そこでカニは、ひもじい腹をかかえやせる。月夜のカニはやせてまずいと、人はぼやく。かと思うと、月夜に、海の底から砂地に這上はいあがって、砂に卵を産みにくる海がめもいる。魚や、貝だけではない、海底や岩上には緑、茶、紅などの、色さまざまな藻類が波のまにまにゆれている。
人間たちは、このかぎりなく広い深い海の底から、幾ひろの波の間から、魚を、貝を、藻を採って食う。最初になまこを食った人間はどんな人間だったろう。おそらくその人間は、あのグロテスクななまこをしばしば眺めていたことであろう。食おうと決心して、まず最初にこれを食った祖先は、歴史家たちが、むりにでっちあげた英雄よりも、愉快な人間であったと思える。
なんでも、生きているものは美しい。そして戦っている生活は新鮮である。海に生きているイカたちを見よ。イカは白い、などという御仁ごじんは、イカを知らぬ人だ。イカは決して白くはない。あれは、腐りかけているイカの死がいだ。イカは透きとおっている。透きとおっているばかりではなく、その体に燐光のような光をおびて、レースのハンカチで口もとをおさえている貴婦人のようにしなやかに泳いでいるのだ。鯛はその体に、光る宝玉をちりばめて、堂々と突き進む。海中の生物たちの世界は、植物色の光輝ある物語のように美しい。しかも、彼らは刻々生きんがための闘争をつづけているのだ。目をあげて、海のかなたの水平線を見よ。水平線につづくものは空の色である。海の色と空の色と一つにとけあっているようでも、海には海の色があり、空には空の光がある。海と空とは融けあって、水平線は海と空を画し、船はその一線を進むと見えて煙りを立てている。
飛ぶ鳥は何鳥か。つばさ白く、海と空と照りあう中間を、白いつばさの鳥が飛んでいる。
海の青、空の青にも染まずただようと、白き鳥の心をうたった歌人があったが、同じ青といっても、おのずからその青は、空と海とではちがうものなのだ。絵をかく時にとくゴフンは、白いが、白鳥を描くゴフンも、美人の顔を描くゴフンも、白き夕月を描くゴフンも、同じゴフンである。だが、出来上った絵は、それが立派な芸術である場合、月の白さと、白鳥の白さと、美人の顔の白さとはちゃんとちがったそれぞれの白さなのは何故か。同じ皿にとかれた同じゴフンで描いても、白鳥は悲しく、夕月は冷たく淡く、美人の顔はあたたかい。ここに絵画の心がある。絵筆は手の延長であり、ゴフンは心の表現であるからだ。白鳥も、夕月も、美人も、平気でゴフンをぬってはならぬはずだ。おのずからその白さがちがうように、これを描く人の心も、その時その時にかわっておらねばならぬ。すなわち夕月をぬる時は、夕月は白いからゴフンをぬるのでは駄目だ。「夕月だ、淡く、冷たい夕月だ」と心に思ってぬらねばならぬ。美人だから、色が白いというのではなく、美人の頬だ、美人の手だ、美人の皮膚のやさしく、生きた肌に心が交かようのでなくてはならぬはずだ。こうして描かれた絵であれば、同じゴフンでもそれぞれのちがった白さが表現されるものだ。
料理において、塩を使う時、それがからくするための塩か、しるこなどをつくる時の、甘味を増すための塩かを考えて、からくする時は、からい塩と心に思って作れ。おしるこの時は、甘くなれと心に思ってひとつまみの塩を投ぜよ。茶さじ何ばいなどと、きっちりはかって入れてみても、その材料、火加減などで、必ずしも思った味になるとはかぎらぬ。作るときの心ということは、なにをするにかぎらず大切なことなのだ。絵を描く人も、この心を失って、ただ、ぬるだけなら、芸術家ではなく職人だ。絵画ではなく、ぬり絵だ。すべてものごとをするにあたって、技術に加えて必要なものは、その人の愛情であり、その人の品格が大切だ。同じ材料を使って、同じものをつくっていながら、そこに大きなちがいが生れてくる。
一つまみの塩、そしていま、鍋の中が、どんな味になっているか知らねばならぬ。いちいちなめてみなければ、加減の分らぬようなことではだめだ。味の加減ばかりみている中に、だんだん舌がまひしてしまって、どうやら気に入る味になったと本人が思った時は、鍋の中の半分ぐらいは、お加減をみてたべてしまう人がありはせぬか。鍋の中の味が、たべなくとも分ることくらいは当然のことだ。歌人は、石の心も鳥の心も歌っている。名医であれば、一々聴診器をあてなくとも、どこがわるいか分るという。大人だから、胃がわるいの、頭がいたいのと訴えるが、赤ん坊が病気になった時には、口をきかぬ、ものを言わぬ。聞かねば分らぬようでは、赤ん坊の病気は分らぬではないか。料理の味も、一々たべてみなくては分らぬようでは困る。芸術は、芸術家だけの専有物ではない。料理も芸術である。鍋の中の味が分ることは、料理するものの暖かい愛情であると思え。 | 料理において辛くする塩と甘くする塩の使い方の違いについて説明してください。 | 料理において、塩を使う時、それがからくするための塩か、甘味を増すための塩かを心得てから使うべきである。きっちりはかって入れてみても、その材料、火加減などで、必ずしも思った味になるとは限らないので、作るときの心というものが大切である。同じ材料を使って、同じものをつくっていながら、そこに大きなちがいが生れてくる。料理も芸術であり料理する人の暖かい愛情であると思うこと。 |
JCRRAG_014562 | 国語 | それから、これは私にはどうもよくわからないのですが、この有名な学者は、畑にもみがらを蒔くことと、羊に毛の生えない薬を塗ることを、目下しきりに研究しているのだそうです。
私は道を横切って、向こう側の建物に入りました。そこの学士院には、学問の発明家がいました。
私が最初に会った教授は、広い教室にいました。そこには四十人ばかりの学生が集っていました。男が十五、女が三十五人だったでしょうか、教授は一つの便利な機械を考えていました。
その機械を使えば、どんな無学な人でも、何でも書けるのです。哲学、詩、政治学、数学、神学、そんなものが誰にでも、らくに書ける機械でした。教授は、その機械についていろいろ私に説明してくれました。
私はつづいて国語学校を訪ねました。
ここでは、二人の男性教授と一人の女性教授が国語の改良をいろいろと熱心に考えていました。
一つの案は、言葉を全部しゃべらないことにしたらいい、というものでした。その方が簡単だし、健康にもよい、ものをしゃべれば、それだけ肺を使うことになるから、生命を縮める、というのです。
それで、その代わりに、こんなことが発明されました。言葉というものは、物の名前だから、話をしようとするときには、その物を持って行って、見せっこをすれば、しゃべらなくても意味は通じるというのです。
しかし、これにも一つ困ることがあります。それはちょっとした話なら、道具をポケットに入れて持って行けばいいのですが、話がたくさんある場合だと大へんです。そのときは、力の強い召使が、大きな袋に、いろんな品物を入れて、背負って行かなければなりません。 | 広い教室にいる四十人の学生のうち、数が多いほうの性別を教えてください。 | 広い教室にいる四十人の学生のうち、数が多いほうの性別は女で三十五人 |
JCRRAG_014563 | 国語 | 2 旅券の歴史
-慶応 2(1866)年 幕府が日本人海外渡航の禁制を解く(4/7布達)初の海外渡航文書を発給(10/17交付)
-明治11(1878)年 海外旅券規則を制定(2/20)
-大正 6(1917)年 旅券への写真貼付を開始(1/20規則改定)
-大正15(1926)年 冊子型の旅券に改定(1/1開始)
-昭和20(1945)年 邦人の本邦出入国は連合国最高司令官の管理下に
-昭和26(1951)年 旅券法制定(12/1施行)
-昭和38(1963)年 業務渡航の自由化(4/1外為法改正)
-昭和39(1964)年 観光渡航の自由化(4/1外為法改正)
-平成 4(1992)年 機械読み取り旅券(MRP)の導入(11/1規則改正)
-平成 7(1995)年 10年有効旅券を導入(3/8法改正)
-平成10(1998)年 「旅券の日」制定(海外旅券規則120周年)
-平成18(2006)年 IC旅券を導入(3/20開始,H17年6/10法改正)
4 統計
近年の旅券発給状況(平成27年旅券統計)
(1)旅券発行数:平成25年からほぼ横ばい
(2)有効旅券数:ほぼ国民の4人に一人が所持している計算
(3)年代・性別:30歳未満が5割弱。20代で女性の比率が高い
(4)都道府県別:関東一都三県で国内全体の約4割を発給(東京15~17%)
(5)海外発給数:平成26年から前年比増。アジア,北米,欧州でほぼ9割
(6)紛失・盗難:年間4万件弱。約8割が国内で発生
4 旅券トリビア
1 草創期編(その1)
-慶応2(1866)年4月7日(旧暦),幕府が発した海外渡航を許可する布達により,海外渡航を希望する者は,身分(士農工商)に関係なく,修学と商業の目的に限って条約締結済みの国(注)への渡航が許可されるようになった。陪臣はその主人,百姓町人はその住所の奉行,代官,領主,地頭を通じて「其の筋」に申し出ることとされた。
注:米,英,仏,蘭,露,葡,スイス,プロシア
-慶応2(1866)年10月17日付(旧暦),第1号パスポートが,隅田川浪五郎氏に発行された。隅田川氏は,総勢18人の曲芸団「日本帝国一座」を率い,パリ万博に向かった。当時は呼称が一定せず,文章ごとに印章,御免の印章,旅切手,免状など様々な名称が使われていた。
-当時のパスポートには,現行旅券と同様の旅券番号,氏名,出生地(本籍)のほか,面,身長,眼,鼻,口などの人相についても項目があり,「高キ方」,「常躰」,「小キ方」等の記載があった。外交史料館には,横浜在住の亀吉氏に発給された第3号パスポートが残されている。
1 草創期編(その2)
-明治維新前後には,混乱に乗じて,許可を得ずにハワイなどに大量の移民が渡航する事例(いわゆる元年者)が発生,その後,移民対策とともに海外渡航の手続きが徐々に整備されていった。この当時も,パスポートにあたる名称は確定しておらず,印章,通行免状,海外証書,海外旅行免状,海外行免状などの用語が使われていた。
-明治11(1878)年2月20日(旧暦),政府は「海外旅券規則」を制定し,ようやく近代旅券法を確立,「旅券」という名称が確立するとともに,過去10年に4回も改正した旅券形態も,賞状型へと移行した。
-明治18(1885)年,日布移民条約によりハワイへの移民が公式に許可され,以後,いわゆる官約移民の増加とともに,旅券発行数も急増した(海外渡航者数は,明治11(1878)年に1,140名,明治18(1885)年は3,461名,明治26(1893)年は13,669人)。明治42(1909)年には移民専用旅券の使用が始まったが,大正13(1924)年5月に米国で排日移民法が制定されるなどの環境変化を反映し,大正14(1925)年1月には同旅券は廃止された。
出典:柳下宙子「戦前期の旅券の変遷」(外交史料館報第12号所収)
2 現行旅券編(その1)
-平成13(2001)年9月11日の米国同時多発テロ事件を受け,それまで主流だった機械読取旅券(MRP)に替え,偽変造対策がより高度なIC旅券を導入すべきとの国際的気運が急速に高まり,平成16(2004)年5月には国際民間航空機関(ICAO)がIC旅券に関する標準を策定した。最初はベルギーが導入(2004年11月)し,日本は平成18(2006)年3月に導入した。世界で10番目。本年が導入して10周年。
-ICチップには,旅券面に記載される情報に加え,名義人の顔写真,指紋,虹彩等の生体認証情報(バイオメトリックス)が記載されているほか,当該国が発行したことを証明する電子署名も入っている。現行の日本旅券では,生体認証情報として顔写真のみ記載している。
-現在の日本旅券には,約20種類の偽変造防止技術が施されている。中でも身分事項ページにある「富士山のすかし」は,白黒すき入れという技術を用い,光にかざすと白黒濃淡のある富士山が鮮明に浮かび上がる。この技術は旅券だけでなく,紙幣にも用いられている。
-偽変造対策において,旅券の偽造団と開発側は競争関係にあり,各国とも概ね数年ごとに新技術を取り込んだ旅券冊子を開発している。(日本の現行旅券は平成25(2013)年度に導入。)
2 現行旅券編(その2)
-日本旅券の表紙「日本国旅券」の文字は篆(てん)書体を使用している。篆書体は,昔から印章の文字として使われており,日本旅券でも慶応2(1866)年の初の海外渡航文書以来,印章や表紙の文字に利用している。
-大正9(1920)年10月にパリで開催された「旅券に関する国際会議」において,体裁を冊子型とし,表紙の上部に国名,中央部に紋章,下部に「パスポート」と記す,今に続く方式の決議が採択された。これに基づき,大正15(1926)年に発行した日本旅券から,菊の紋章が使われるようになった。
-旅券は国の公文書でその所有権は国にあり,名義人はこれを所持し法律の範囲内で使用が認められている,との整理。交付時に払うのはあくまで手数料であって,買い取りのための代金ではない。したがって,法律上は,旅券の有効期間が切れた後や旅券の切替申請をする際には,旅券を国に返納する義務がある。(ただし,希望する方には,旅券を失効処理し穴を開けた上で,申請者に還付している。)
3 メッセージ編(その1)
-渡航する国によっては,入国時に旅券の残存有効期間が3~6か月必要。空港まで行ったのに,有効期間の不足を指摘されチェック・インできなかったという話をよく聞く。日本の旅券は国際的に信頼性が高く,渡航に査証(ビザ)がいらない場合が多い(注)こと,ネット上で簡単にチケットを購入できることなどが,この「うっかり失念」の主な原因。新旅券の入手には数日かかるので,予定を変更することもある。海外旅行前には,たびレジ(外務省海外安全情報メールサービス)の登録とあわせ,旅券の有効期間チェックをお忘れなく。(注)カナダの金融コンサル会社,アートン・キャピタル社によれば,日本旅券は173カ国で査証(ビザ)が免除されており,その数は世界で4位タイ(2015年4月20日付ウォール・ストリート・ジャーナル誌)。
-紛失したと思い,旅券を新たに取得した後,古い旅券を家の中で発見。つい古い旅券を持って空港に行ったら使えなかった,というのもよくある話。国内の旅券紛失数は年間4万件,その多くはよく探さずに「しまい忘れた」,「ゴミに紛れた」というもの。新旅券が発行された時点で,旧旅券はシステム上自動的に失効するので注意が必要。
3 メッセージ編(その2)
-国内での刑罰歴,海外での入国拒否・強制送還歴などを隠すため,氏名の読みがなを変えること,または他人になりすまして旅券を申請することは犯罪行為。5年以上の懲役若しくは300万円以下の罰金(または併科)の罰則規定に加え,その後も旅券発給制限の対象となるので要注意。
-旅券事務所の窓口でよくあるトラブルが顔写真の扱い。旅券は,外国の出入国をスムーズに通るためのものでICAO(国際民間航空機関)で定められて国際基準に合致する必要がある。窓口で取り直しをお願いすることがあるが,申請者が海外で不要なトラブルに遭わないようにするため。また,最近は旅券の顔写真と実際の顔を機械的に照合し本人確認する顔認証システムが世界的に普及しつつあるので,でか目補正,小顔,ほくろ除去などの加工は出入国時トラブルの元。 | 慶応2(1866)年4月7日の頃、渡航が許可されていた国は何ヶ国ですか。 | 慶応2(1866)年4月7日の頃、渡航が許可されていた国は、米,英,仏,蘭,露,葡,スイス,プロシアの8ヶ国です。 |
JCRRAG_014564 | 国語 | 四月上旬(注・昭和二十九年)には日本を発たって、アメリカからヨーロッパを回ってくる予定で、いま準備中である。自作陶芸の展示会を欧州各地で開き、文化交流のために一役買って出るというのが一応の目的になっているが、ヨーロッパ旅行の魅力は本場フランス料理、イタリア料理、ベルギー料理などをつぶさに吟味して来るということにある。
パリに着いたら、新聞に広告でもして、料理に関する古本や食器など集めてみたいと思っている。
しかし、わたしはフランスその他の料理にあまり多くのものを期待してはいない。"欧米諸国の料理に失望す"というようなことになるであろう。まずい魚介、まずい肉、まずい蔬菜といった材料ではなにができるものでなし、心に楽しむ料理など、もとよりでき得るものではない。しかし、なんとかものにしようと苦心し、工夫しているのが、ヨーロッパや中国の名料理であるようだ。そこには無理がともない、愚劣が生じ、人意の単調もうかがわれて怪しいものである。かりに口になじむとしても、目に訴えて、心を喜びに導くような美しさは望むべくもないようだ。
アメリカの人工料理、これはテストするまでもなさそうだが、ヨーロッパ料理は一応テストに価しよう。
今までの国外にのみ心酔する輩は、多く日本を知らない。体当たりの経験の乏しいために、日本の料理の神髄を知らない。スープはできても、みそ汁はできない。パンの良否は分っても、飯のうまさはわかっていない。これが今の日本人であろう。わたしは日本人に、日本の食べ物に目を開かせ、日本の持つよさを理解してもらいたい一念からヨーロッパに食行脚するのだともいえる。もとより欧米料理を正しく理解し、誤って買い被りのないよう、毛嫌いして本質を見失うことのないよう、わたしの口で直接テストしたところ、わたしの目で見たところをいずれは披露したいと思っている。
食べ物というものは、人間の体を作る餌であり、心にもひびき、おおらかにもなり、貧しさをも作る原動力として生きるからである。
日本料理の場合は、あり難いもので、材料は数知れないまでに豊富、その美味はいわゆる山海に満ちている。どう工夫しなくても、まず目が喜ぶ。鼻も口も楽しみきる。日本は食べ物に恵まれている。日本の魚介、こんなものが仏・伊にあるであろうか。これをじかに自分の目でテストし、吟味しに出かけるのである。わたしの渡欧の楽しみはこの一点にあるといいたい。欧米人が日本のように、刺身を食う習慣のない理由は、いうまでもなく、生なまで賞味できる魚がないからであろう。米人でさえ生のオイスターを自慢で食うところをみると、うまければ生でも食う証拠である。今に諸外国の人間が日本に来ることは、日本の刺身が食いたいためである、といわれるまでに至るであろうことが想像される。
しかし、わたしがこういうことを考えていることが当たっているか、あるいはまったく誤っているか、今のところあまり偉そうにはいえない。それだけに楽しみがある。
今からはっきりいっておいて間違いなしとするところは、美の点である。フランス、ルーブル美術館長ジョルジュ・サール氏も同じことをわたしにいっていたが、日本料理の目に訴えてくる美しさは絶対のもので、まことに美しい。食器の美しさ、盛り方のデザイン、居室の美しさは、世界無比といえよう。この点はとうてい欧米では窺えないというのである。料理文化の進歩を認める話しぶりであった。 | 筆者の考える欧米料理と日本料理の違いを説明してください。 | ヨーロッパでは材料となる魚介、肉、蔬菜の種類が乏しく不味いため、苦心の末工夫している。そのため無理がともない、愚劣が生じ、人意の単調もうかがわれて怪しいものになってしまう。かりに口になじむとしても、目に訴えて、心を喜びに導くような美しさは望めない。
かたや日本は食べ物に恵まれている。材料の数知れないまでに豊富、その美味は山海に満ちている。工夫しなくても、まず目も鼻も口も喜び楽しみきる。 |
JCRRAG_014565 | 国語 | さて、二人の士官が身体検査にやって来ると、私は二人をつまみあげて、まず上衣のポケットに入れてやり、それから、順次ほかのポケットに案内してやりました。が、どうしても、見せたくないものを入れていたポケットだけは、見せなかったのです。
二人の男は、二本のペンと一個のインクと三枚の紙を持って、見たものを、一つ一つくわしく書きとめ、皇帝の御覧にいれるために、目録を作りました。私もあとになって、その目録を見せてもらいましたが、それは、ざっと次の通りでした。
「まず、この大きな人間山の上衣の右ポケットをよく検査したところ、ただ一枚の大きな布を発見しました。大きさは、宮中の大広間の敷物くらいあります。
次に左ポケットからは銀の蓋のついた大きな箱のようなものが出てきましたが、二人には持ち上げることができませんでした。私どもはそれを開けさせ、一人が中に入ってみると、塵のようなものがいっぱいつまっていました。その塵が私どもの顔のところまで舞い上ったときには、二人とも同時に何度もくしゃみが出ました。
次に、チョッキの右ポケットから出てきたものは、人間三人分の長さの白い薄い物が、針金で幾枚も重ねて締めつけてあり、それには、いろんな形が黒くついていました。これはたぶん書物だろうと思います。一字の大きさは、私どもの手の半分ほどもあります。
次に、チョッキの左ポケットには、一種の機械がありました。宮殿前の柵に似た長い二十本ばかりの棒が、その背中から出ているのです。これは人間が頭の髪をとく道具だと思えます。
ズボンのポケットからは、長さが人間一人分ほどもある、鉄の筒がありました。これは何に使うのかわかりません。右の内側のポケットからは、一すじの銀の鎖が下がり、その下の方には一つの不思議な機械がついていました。私どもは、その鎖についているものを引き出してみよ、と言いました。これは半分は銀で、半分は透明なもので出来ています。彼はこの機械を、私どもの耳の傍へ持って来ました。すると、水車のように絶えず音がしているのです。これは不思議な動物か、小さな神様のように思えます。人間山の説明では、彼は何をするにも、いちいち、この機械と相談するということです。
次に、彼は左の内ポケットから、漁夫の使うような網を取り出しました。これは財布だそうです。中には重い黄色い金属が四枚、銀色の金属が三枚入っていました。これがほんとの金だとすれば、大したものにちがいありません。
このようにして、私どもは陛下の命令どおり、熱心に彼の持ち物を調べてみましたが、最後に、彼の腰のまわりに、一つの帯があるのを見つけました。それは何か大きな動物の革でこしらえたもので、その左の方からは、人間五人分の長さの剣が下っておりました。右の方からは、袋が下がっておりました。
私どもは人間山の身体から発見したものを、このように、書きとめておきます。人間山は、陛下を尊敬して、礼儀正しく、私どもを待遇してくれました。」 | 二人の男が持ってきたものでもっとも多かったものを教えてください。 | 二人の男が持ってきたものでもっとも多かったものは紙で三枚です。 |
JCRRAG_014566 | 国語 | 2 旅券の歴史
-慶応 2(1866)年 幕府が日本人海外渡航の禁制を解く(4/7布達)初の海外渡航文書を発給(10/17交付)
-明治11(1878)年 海外旅券規則を制定(2/20)
-大正 6(1917)年 旅券への写真貼付を開始(1/20規則改定)
-大正15(1926)年 冊子型の旅券に改定(1/1開始)
-昭和20(1945)年 邦人の本邦出入国は連合国最高司令官の管理下に
-昭和26(1951)年 旅券法制定(12/1施行)
-昭和38(1963)年 業務渡航の自由化(4/1外為法改正)
-昭和39(1964)年 観光渡航の自由化(4/1外為法改正)
-平成 4(1992)年 機械読み取り旅券(MRP)の導入(11/1規則改正)
-平成 7(1995)年 10年有効旅券を導入(3/8法改正)
-平成10(1998)年 「旅券の日」制定(海外旅券規則120周年)
-平成18(2006)年 IC旅券を導入(3/20開始,H17年6/10法改正)
4 統計
近年の旅券発給状況(平成27年旅券統計)
(1)旅券発行数:平成25年からほぼ横ばい
(2)有効旅券数:ほぼ国民の4人に一人が所持している計算
(3)年代・性別:30歳未満が5割弱。20代で女性の比率が高い
(4)都道府県別:関東一都三県で国内全体の約4割を発給(東京15~17%)
(5)海外発給数:平成26年から前年比増。アジア,北米,欧州でほぼ9割
(6)紛失・盗難:年間4万件弱。約8割が国内で発生
4 旅券トリビア
1 草創期編(その1)
-慶応2(1866)年4月7日(旧暦),幕府が発した海外渡航を許可する布達により,海外渡航を希望する者は,身分(士農工商)に関係なく,修学と商業の目的に限って条約締結済みの国(注)への渡航が許可されるようになった。陪臣はその主人,百姓町人はその住所の奉行,代官,領主,地頭を通じて「其の筋」に申し出ることとされた。
注:米,英,仏,蘭,露,葡,スイス,プロシア
-慶応2(1866)年10月17日付(旧暦),第1号パスポートが,隅田川浪五郎氏に発行された。隅田川氏は,総勢18人の曲芸団「日本帝国一座」を率い,パリ万博に向かった。当時は呼称が一定せず,文章ごとに印章,御免の印章,旅切手,免状など様々な名称が使われていた。
-当時のパスポートには,現行旅券と同様の旅券番号,氏名,出生地(本籍)のほか,面,身長,眼,鼻,口などの人相についても項目があり,「高キ方」,「常躰」,「小キ方」等の記載があった。外交史料館には,横浜在住の亀吉氏に発給された第3号パスポートが残されている。
1 草創期編(その2)
-明治維新前後には,混乱に乗じて,許可を得ずにハワイなどに大量の移民が渡航する事例(いわゆる元年者)が発生,その後,移民対策とともに海外渡航の手続きが徐々に整備されていった。この当時も,パスポートにあたる名称は確定しておらず,印章,通行免状,海外証書,海外旅行免状,海外行免状などの用語が使われていた。
-明治11(1878)年2月20日(旧暦),政府は「海外旅券規則」を制定し,ようやく近代旅券法を確立,「旅券」という名称が確立するとともに,過去10年に4回も改正した旅券形態も,賞状型へと移行した。
-明治18(1885)年,日布移民条約によりハワイへの移民が公式に許可され,以後,いわゆる官約移民の増加とともに,旅券発行数も急増した(海外渡航者数は,明治11(1878)年に1,140名,明治18(1885)年は3,461名,明治26(1893)年は13,669人)。明治42(1909)年には移民専用旅券の使用が始まったが,大正13(1924)年5月に米国で排日移民法が制定されるなどの環境変化を反映し,大正14(1925)年1月には同旅券は廃止された。
出典:柳下宙子「戦前期の旅券の変遷」(外交史料館報第12号所収)
2 現行旅券編(その1)
-平成13(2001)年9月11日の米国同時多発テロ事件を受け,それまで主流だった機械読取旅券(MRP)に替え,偽変造対策がより高度なIC旅券を導入すべきとの国際的気運が急速に高まり,平成16(2004)年5月には国際民間航空機関(ICAO)がIC旅券に関する標準を策定した。最初はベルギーが導入(2004年11月)し,日本は平成18(2006)年3月に導入した。世界で10番目。本年が導入して10周年。
-ICチップには,旅券面に記載される情報に加え,名義人の顔写真,指紋,虹彩等の生体認証情報(バイオメトリックス)が記載されているほか,当該国が発行したことを証明する電子署名も入っている。現行の日本旅券では,生体認証情報として顔写真のみ記載している。
-現在の日本旅券には,約20種類の偽変造防止技術が施されている。中でも身分事項ページにある「富士山のすかし」は,白黒すき入れという技術を用い,光にかざすと白黒濃淡のある富士山が鮮明に浮かび上がる。この技術は旅券だけでなく,紙幣にも用いられている。
-偽変造対策において,旅券の偽造団と開発側は競争関係にあり,各国とも概ね数年ごとに新技術を取り込んだ旅券冊子を開発している。(日本の現行旅券は平成25(2013)年度に導入。)
2 現行旅券編(その2)
-日本旅券の表紙「日本国旅券」の文字は篆(てん)書体を使用している。篆書体は,昔から印章の文字として使われており,日本旅券でも慶応2(1866)年の初の海外渡航文書以来,印章や表紙の文字に利用している。
-大正9(1920)年10月にパリで開催された「旅券に関する国際会議」において,体裁を冊子型とし,表紙の上部に国名,中央部に紋章,下部に「パスポート」と記す,今に続く方式の決議が採択された。これに基づき,大正15(1926)年に発行した日本旅券から,菊の紋章が使われるようになった。
-旅券は国の公文書でその所有権は国にあり,名義人はこれを所持し法律の範囲内で使用が認められている,との整理。交付時に払うのはあくまで手数料であって,買い取りのための代金ではない。したがって,法律上は,旅券の有効期間が切れた後や旅券の切替申請をする際には,旅券を国に返納する義務がある。(ただし,希望する方には,旅券を失効処理し穴を開けた上で,申請者に還付している。)
3 メッセージ編(その1)
-渡航する国によっては,入国時に旅券の残存有効期間が3~6か月必要。空港まで行ったのに,有効期間の不足を指摘されチェック・インできなかったという話をよく聞く。日本の旅券は国際的に信頼性が高く,渡航に査証(ビザ)がいらない場合が多い(注)こと,ネット上で簡単にチケットを購入できることなどが,この「うっかり失念」の主な原因。新旅券の入手には数日かかるので,予定を変更することもある。海外旅行前には,たびレジ(外務省海外安全情報メールサービス)の登録とあわせ,旅券の有効期間チェックをお忘れなく。(注)カナダの金融コンサル会社,アートン・キャピタル社によれば,日本旅券は173カ国で査証(ビザ)が免除されており,その数は世界で4位タイ(2015年4月20日付ウォール・ストリート・ジャーナル誌)。
-紛失したと思い,旅券を新たに取得した後,古い旅券を家の中で発見。つい古い旅券を持って空港に行ったら使えなかった,というのもよくある話。国内の旅券紛失数は年間4万件,その多くはよく探さずに「しまい忘れた」,「ゴミに紛れた」というもの。新旅券が発行された時点で,旧旅券はシステム上自動的に失効するので注意が必要。
3 メッセージ編(その2)
-国内での刑罰歴,海外での入国拒否・強制送還歴などを隠すため,氏名の読みがなを変えること,または他人になりすまして旅券を申請することは犯罪行為。5年以上の懲役若しくは300万円以下の罰金(または併科)の罰則規定に加え,その後も旅券発給制限の対象となるので要注意。
-旅券事務所の窓口でよくあるトラブルが顔写真の扱い。旅券は,外国の出入国をスムーズに通るためのものでICAO(国際民間航空機関)で定められて国際基準に合致する必要がある。窓口で取り直しをお願いすることがあるが,申請者が海外で不要なトラブルに遭わないようにするため。また,最近は旅券の顔写真と実際の顔を機械的に照合し本人確認する顔認証システムが世界的に普及しつつあるので,でか目補正,小顔,ほくろ除去などの加工は出入国時トラブルの元。 | 旅券への写真貼付を開始したのは、最初にパスポートとなる文章が発給されてから何年後ですか。 | 旅券への写真貼付を開始したのは、最初にパスポートとなる文章が発給されてから50年後です。 |
JCRRAG_014567 | 国語 | 化学調味料は近来非常に宣伝されているが、わたしは化学調味料の味は気に入らない。料理人の傍らに置けば、不精からどうしても過度に用いるということになってしまうので、その味に災いされる。わたしなどは化学調味料をぜんぜん調理場に置かぬことにしている。化学調味料も使い方でお惣菜的料理に適する場合もあるのだろうが、そういうことは純粋な味を求める料理の場合には問題にならない。今のところ、純粋な味を求める料理のためには、なるだけ化学調味料は使わないのがよいと思う。上等の料理、最高の料理には、わたしの経験上化学調味料は味を低め、かつ味を一定していけないようだ。こぶなりかつおぶしなりのだしで自分流に調味するのがいちばんいい。
たとえ化学調味料がいいとしても、物にはそれぞれ千差万別の持ち味があるのだから、こればかりは人間の力ではどうすることもできないものだといえよう。それを化学調味料という一つの味で、日本料理・中国料理・西洋料理と調味するのは無理である。そんなことをするくらいだったら、自由自在に、それぞれの持ち味をとり入れたらよいのであって、それに砂糖・塩・酢・酒などで補えばよろしい。
化学調味料も死んだ味を生き返らせる意味で、ある場合はよろしい。わたしのところでは百グラムのカンだと三年たってもまだなくならない。ほんとうに化学調味料を生かして使っているのは、わたしだけだといえるだろう。来客料理、あるいは、わたし一人の料理の場合に使ってはいるが、機微を得た使い方をして、生かしているのである。
化学調味料を使用すれば、不精者にはまことに都合がよろしい。だが、これらのひとびとは、味の低下をもたらす元凶だといいたい気がするのである。彼らは化学調味料の真の活用法を知らない徒輩といえよう。
昔、わたしが星岡で料理の講習をしていた時に「味の素」社長夫人が聴講生のメンバーに加えて欲しいといってきたことがあった。わたしはその時の講習で「味の素をなるべく使用するな、料理が台なしになる」といっていたのだから、夫人が満座の中でそれを聞くにたえないだろうと思い「あきらめなさい」と言付ことづけたことがあった。
日本の食品材料には天与の美しい味がある。それは自然だから無条件で永続できるし、飽きることもない。天の与えた自然の味を確認し、これを充分に生かすことを考えて欲しい。
ただし、これは化学調味料のような粉末ではないので、椀の中に振りかけることはできないが、味もあり、栄養価値もあるのである。手間はかかるが、化学調味料を用いるくらいなら、こちらの調味料、すなわち自然の持ち味を生かすことをお勧めしたい。
ラジオ・テレビなどで認識不足な料理研究家が、むやみと化学調味料に依存するようなていたらくはせぬ方がいいように思える。 | 化学調味料が適する料理と適さない料理について100字以内で説明してください。 | 化学調味料が適するのは、お惣菜的料理や来客料理、あるいは、自分一人の料理の場合に機微を得た使い方が適している。反対に純粋な味を求める料理、上等の料理には適さない。 |
JCRRAG_014568 | 国語 | 猿が私をつれて行くのを見ると、グラムダルクリッチは「キャッ」と叫びました。彼女は気狂のようになってしまいました。それから間もなく、宮廷は大騒ぎになったのです。召使は梯子を取りに駈けだしました。猿は屋根の上に腰をおろすと、まるで赤ん坊のように片手に私を抱いて、顎の袋から何か吐き出して、それを私の口に押し込もうとします。
そして今、屋根の下では百人の召使、百二十人の兵士達等の人々が、この光景を見上げているのです。私が食べまいとすると、猿は母親が子をあやすように、私を軽く叩くのです。それを見て、下の群衆はみんな笑いだしました。実際、これは誰が見ても馬鹿馬鹿しい光景だったでしょう。なかには猿を追うつもりで、石を投げるものもいましたが、屋根に二回、近くの木に三回当たって危険だとして、これはすぐ禁じられました。
やがて梯子をかけて、五人の男と一人の女がのぼって来ました。猿はそれを見て、いよいよ囲まれたとわかると、三本足では走れないので、今度は私を瓦の上に残しておいて、一人でさっと逃げてしまいました。私は地上三百ヤードの瓦の上にとまったまま、今にも風に吹き飛ばされるか、目がくらんで落ちてしまうか、まるで生きた心地がしませんでした。が、そのうちに召使の一人が、私をズボンのポケットに入れて、無事に下までおろしてくれました。
私はあの猿が私の咽喉に無理に押し込んだ何か汚い食物のため、息がつまりそうでした。しかし、私の乳母が小さい針で一つ一つそれをほじくり出してくれたので、やっとらくになりました。だが、ひどく身体が弱ってしまい、あの動物に抱きしめられていたため、両脇が痛くてたまりません。私はそのため二週間ばかり病床につきました。王、王妃、そのほか、宮廷の人たちが、毎日見舞いに来てくれました。猿は殺され、そして今後こんな動物を宮廷で飼ってはならないことになりました。
病気が治ると、私は王にお礼を申し上げに行きました。王はうれしそうに、今度のことをさんざ、おからかいになるのでした。猿に抱かれていた間どんな気持ちがしたか、あんな食物の味はどうだったか、どんなふうにして食べさすのか、などお尋ねになります。そして、そんな場合、ヨーロッパではどうするのか、と言われます。そこで、私は、
「ヨーロッパには猿などいません。いてもそれは物好きが遠方からつかまえて来たもので、そんなものは実に可愛らしい奴です。そんなのなら十二匹ぐらい束になってやって来ても、私は負けません。実際に五匹やってきたときも、十匹やってきたときも追い払ったことがあります。
なに、この間のあの大きな奴だって、あれが私の部屋に片手を差し込んだとき、あのときも私は平気だったのです。私がほんとに怖いと思ったら、この短剣で叩きつけます。そうすれば、相手に傷ぐらい負わせて、手を引っ込めさせたでしょう。」
と、私はきっぱり申し上げました。 | 投げられた石が当たった場所のうち、より多かった所を教えてください。 | 投げられた石が当たった場所のうち、より多かった所は近くの木で三回です。 |
JCRRAG_014569 | 国語 | 牛、豚、鶏の部位を徹底解説!
お肉丸わかり図鑑
同じ牛、豚、鶏でも部位によって肉質や味、適した調理方法はさまざま。部位名は知っているけれど、その違いは分からないという方も多いのでは?今回は「食肉小売品質基準」や「食鶏小売規格」によって定められている各肉の部位をイラストで紹介。また、それらには分類されていない少しマニアックな部位も解説します。
ちょっと贅沢
牛肉の部位
牛肉は「食肉小売品質基準」によって、イラストにある部位が定められています。サシ(霜降り)が入り柔らかくて濃厚な味わいの部位から、肉本来のうま味を感じられるさっぱりとした味の部位まで、牛肉は部位ごとの特徴が明確です。それぞれの特徴を活かした調理をすることで、よりおいしく食べられます。
ステーキで食べたい!牛肉のマニアックな部位
イチボ
お尻から腰にかけての肉の中でも、臀部(でんぶ)にあたる柔らかい部分がイチボです。イチボは部分によって肉質が異なります。サーロイン側は霜降りが多く甘みがあり柔らかいので、焼肉として人気。外もも側は筋肉質で硬めですが、赤身と霜降りのバランスが良いので噛むほどにうま味が感じられます。焼肉の他に、ソテーやシチューなどの煮込み料理にも適しています。
ミスジ
肩甲骨の内側に位置するかた肉の一部で、牛一頭から3キログラムほどしか取れない希少部位です。肩周りはよく動かす筋肉のため、硬い肉質になりがちですが、ミスジだけはあまり動かないので、霜降りが入り柔らかい肉質になります。脂の口溶けがよく、独特の食感と風味が味わえます。上質な赤身と細やかな霜降りで幅広い用途に適していますが、肉のうま味と甘味をあっさりいただけるのでステーキで食べるのがおすすめ。ソースは醤油ベースがベストマッチです。ただし、ミスジは水分量が少なく、加熱しすぎるとパサパサになってしまうので注意しましょう。
シャトーブリアン
最高の肉質を誇るヒレ肉の中でも、中心部分に位置する希少部位がシャトーブリアンです。牛一頭から600グラムほどしか取れないため、幻の部位といわれています。牛の筋肉のなかでも、ほとんど動かされることがないので、赤身にもかかわらず非常に柔らかい肉質です。分厚くカットしても硬くならず、ステーキでミディアムレアに仕上げるとその特徴を最大限に活かして味わえます。家で調理する場合は、ホットプレートなどを使い低温でじっくり焼くのがコツ。
食卓の味方!
豚肉の部位
豚肉は「食肉小売品質基準」によって、イラストにある部位が定められています。豚肉は肉として出荷される月齢が牛肉より若く、脂肪分の多いばら肉を除き、肉質は比較的均一です。どの部位もさまざまな調理法に適しているので、食卓には欠かせない肉となっています。
うま味がたっぷり豚肉のマニアック部位
コメカミ
豚の頭部をカシラといいますが、その中でも目の横あたりの部位をコメカミといいます。豚がエサを食べる時に使うため、運動量が多く良質な筋肉です。筋張った印象はなくモチモチとした弾力がありながら柔らかい肉質になります。また、脂肪は少ないですがコラーゲンをたっぷり含んでいるためとてもジューシーでうま味を強く感じられます。焼き鳥店で串料理として出されることが多いですが、炒め物や煮込み料理としてもおいしく食べられます。
スペアリブ
ばら肉の中でも、骨付きの部分はスペアリブといわれます。赤身と脂肪が交互に重なり層になっていて、濃厚でコクのある味わいが特徴です。骨周辺の肉には特にうま味が詰まっています。骨から出汁が出るので、煮込み料理にもおすすめ。たれで味付けをする場合は、半日以上漬け込むとしっかりと味が染み込みます。
豚足
文字どおり豚の足です。肉の部分は少なく、大半が皮と軟骨で構成されている部位です。脂肪が少なく、コラーゲンがたっぷり含まれています。中国や韓国でも一般的に食べられ、沖縄県では「テビチ」(豚足を煮つけにした料理)として有名です。下ごしらえのポイントは、薬味や料理酒と一緒に煮込むこと。臭みが取れておいしく調理できます。
高たんぱく低カロリー!
鶏肉の部位
鶏肉は「食鶏小売規格」によって、イラストにある部位が定められています。牛肉や豚肉に比べると淡白な味わいの部位が多くあり、皮を除けば、比較的高たんぱくで低脂肪、低カロリーです。どの部位も基本的にはどんな調理法にも合うので便利な食材です。
焼き鳥では定番 !? 鶏肉のマニアックな部位
せせり
鶏の首にあたる部位で、一羽から少量しか取れない希少部位であることから小肉とも呼ばれます。鶏は常に首を動かしているので、その肉質は引き締まっておりプリプリとした歯応えが特徴です。非常にうま味が濃く、コラーゲンも多く含みます。炒め物をはじめ、鶏料理全般に使える便利な部位でもあります。
ぼんじり
尻尾の付け根の部位で、鶏肉の中で最も脂がのっているといわれます。よく動かす部分なので、ジューシーですが身が締まっていて、噛めば噛むほどうま味を感じられ食べ応えが抜群。焼き鳥で食べるのが一般的ですが、あっさりとした味付けの炒め物にもよく合います。下ごしらえの際は、脂を溜め込んでいる油壺というクリーム色の部位を切り落としましょう。臭みがあるので調理の際は工夫が必要です。
ふりそで
手羽の中でも根元の部分でむね肉と手羽もとの中間に位置しています。スーパーでは「鶏肩肉」として売られています。手羽やもも肉より脂は少なくあっさりしていますが、むね肉よりはジューシーで、肉汁たっぷりの上品な味わいが特徴。もも肉とむね肉のいいとこ取りをしているので、鶏料理全般に使用できる万能な部位です。 | コラーゲンが多く含まれてる豚肉の部位はいくつ紹介されていますか。 | コラーゲンが多く含まれてる豚肉の部位は、2つ紹介されています。コメカミと豚足です。 |
JCRRAG_014570 | 国語 | この料理は、東京に昔からあるものだが、大きいのでちょっと厄介である。金串を打つのにコツがあり、なにも知らずに、ただやたらに何本も串を打ってはいけない。
最初に金串を扇形になるように打つ。それからあとは何本打とうと、扇の要のところを中心にすれば適当に打ってよい。そうすると、手で持つのに便利であるし、焼けても扱うたびに身がこわれるという憂いはなくなる。実際やっているのをごらんになれば、一目で納得されるだろうと思う。
甘だいといっても、東京では興津だいといわれるもので、静岡を中心とした近海でとれるのがよいとされている。関西に行くと、北陸からまわってくるもの、若狭から来ているものでぐじといっているが、これは北陸の海に棲息し、北陸の海のものを食っているので、興津だいとは大分違う。興津だいという甘だいとぐじといっている日本海の甘だいとは一見同じものだが、色が若狭ものは淡赤く桃色であり、興津だいと称する甘だいは通常のたいと同じくらい赤色を呈している。ぐじの方は鱗ごと焼いても食えるが、興津だいの方は剥がさねば食えない。
ぐじは鱗ごと食うところに風情があるのであって、一部の人々に喜ばれている。たまたま東京のある料理屋で、興津だいを鱗ごと焼いて出されたことがあるが、これは猿真似で大きな失敗である。東京のは鱗をはがして食わねばならない。鱗ごと焼くのは初めから間違いである。
若狭のぐじは、このようにしゃれた食い方になっているので、それを知っておくことも無駄ではなかろう。また興津だいにも種類があり、白皮しらかわと称されているのがある。白皮とは普通のように皮が赤くなく、薄桃色とか、白いものをいうのであって、東京の魚河岸に行くと普通のたいの二倍、三倍の値がしている。それだけに非常にうまい魚である。肉が柔らかいので生で食うことはないが、焼いて食う場合は見事なものである。
九州の白皮という甘だいは、関東には少ないが、九州から五島列島に行くと、そればかりのように多い。塩をして持って来るけれど、非常にまずく、従って値も安い。時によっては、普通の甘だいの値段の五分の一から十分の一ぐらい安い時もある。形も大きいので、小田原ではかまぼこの材料にずいぶん使っている。
列車で持って来るほど使っているので、現今の小田原のかまぼこは色がついていて、味がくどく、昔の面目を失っている。
本来高級魚である甘だいが、遠隔のため時間が経ち、その美味をまっとうしないのである。産地で食うと、もちろん美味なものである。
この魚は、イタリアのナポリで食ったことがあるが、うまい魚のなかった外国で、とても美味に感じた魚である。 | 甘鯛の姿焼きについて関西と東京の違いを150字以内で教えてください。 | 東京では興津だいと言われ、静岡を中心とした近海でとれるのがよいとされ、通常のたいと同じくらい赤色を呈している。鱗は剥がして食す。
関西では、北陸からまわって若狭から来ているものでぐじという。北陸の海に棲息し、北陸の海のものを食べて育ち色は淡赤く桃色で鱗ごと焼いても食せる。 |
JCRRAG_014571 | 国語 | それから、これは私にはどうもよくわからないのですが、この有名な学者は、畑にもみがらを蒔くことと、羊に毛の生えない薬を塗ることを、目下しきりに研究しているのだそうです。
私は道を横切って、向こう側の建物に入りました。そこの学士院には、学問の発明家がいました。
私が最初に会った教授は、広い教室にいました。そこには四十人ばかりの学生が集っていました。男が十五、女が三十五人だったでしょうか、教授は一つの便利な機械を考えていました。
その機械を使えば、どんな無学な人でも、何でも書けるのです。哲学、詩、政治学、数学、神学、そんなものが誰にでも、らくに書ける機械でした。教授は、その機械についていろいろ私に説明してくれました。
私はつづいて国語学校を訪ねました。
ここでは、二人の男性教授と一人の女性教授が国語の改良をいろいろと熱心に考えていました。
一つの案は、言葉を全部しゃべらないことにしたらいい、というものでした。その方が簡単だし、健康にもよい、ものをしゃべれば、それだけ肺を使うことになるから、生命を縮める、というのです。
それで、その代わりに、こんなことが発明されました。言葉というものは、物の名前だから、話をしようとするときには、その物を持って行って、見せっこをすれば、しゃべらなくても意味は通じるというのです。
しかし、これにも一つ困ることがあります。それはちょっとした話なら、道具をポケットに入れて持って行けばいいのですが、話がたくさんある場合だと大へんです。そのときは、力の強い召使が、大きな袋に、いろんな品物を入れて、背負って行かなければなりません。 | 広い教室にいる四十人の学生のうち、数が少ないほうの性別を教えてください。 | 広い教室にいる四十人の学生のうち、数が少ないほうの性別は男で十五人です。 |
JCRRAG_014572 | 国語 | はんつ遠 藤さん直伝!
チャーシューの新しいトレンド
「鶏肉」と「低温調理」
チャーシューは「焼豚」と表記するとおり、豚肉を焼いて作るものが元祖。最近では甘辛いたれで煮付けた、いわゆる“煮豚”を載せているラーメン店も増えているようです。
さまざまなスープやトッピングが研究されているラーメン界で、近年注目されているのが「鶏チャーシュー」です。しかも、じっくりと時間をかけて火を通し、ジューシーに仕上げることのできる低温調理が
トレンドだとか。
そこで、自宅でも簡単に作れる鶏チャーシューの作り方を紹介します。そのままおかずやおつまみにしたり、ラーメンに載せたり、チャーハンの具にしたりと、楽しみ方が広がりますよ。
材 料(作りやすい分量)
鶏もも肉 …… 1 枚
水 …… 2分の1カップ
めんつゆ …… 大さじ2
ねぎの青い部分(バジル、ローズマリー、ローリエなどの香草でも可)…… 1本分
作り方
1. 二重にしたチャック付きポリ袋に材料をすべて入れ、空気を抜いて口を閉じる。
2.鍋に1を入れ、かぶるくらいの水(分量外)を入れて、沸騰させる。
3.沸騰して10分経ったら火を止め、そのまま触れる程度の温度になるまで1時間ほど冷ます。
4.袋から取り出し、切り分けてお皿に盛り付ける。袋に残ったたれを絡め、お好みでこしょうやレモン汁などをかけてできあがり。
おろしにんにく、おろししょうが、ブラックペッパーなどをお好みで入れてもおいしくできます。冷ました後は冷たくならないうちに鍋から取り出し、すぐに食べるか、冷蔵庫に入れてください。
(注)お湯の量や室温、鶏肉の大きさによって仕上がりに違いが出ることがあります。また、十分に火が通っていることを確認してから食べましょう。 | 紹介されているチャーシューの活用方法をいくつありますか。 | 紹介されているチャーシューの活用方法は4つです。おかず、おつまみ、ラーメンに載せる、チャーハンの具です。 |
JCRRAG_014573 | 国語 | 今日は簡単に薄口醤油の話をしてみたいと思う。なぜなら、よい料理を作ろうとするには、醤油は重大問題だからだ。
東京人は、主として濃口醤油をもって調理するが、これは深く考えて欲しいものだ。関西の料理は薄口醤油を用いているが、関東に昔から伝わる江戸料理は薄口醤油のあることさえ知らないようで、関西龍野の薄口醤油などほとんど利用されていない。東京人の口福のためにまことに惜しいことだ。まったくここが大事なところなのである。
近年東京にもだんだん関西料理が侵入し、江戸前料理が次第に衰えて来た原因の一つに、調味料としての薄口醤油を用いなかったことがあげられよう。ひと口にいうと、薄口醤油はものの持ち味を殺さない特徴がある。東京の醤油だと、ものの持ち味を殺してしまう危険がある。もう一つは、視覚的にも薄口醤油は白いので、美しく、煮たものが黒くならない。東京の醤油は黒いので、ものによっては見た目の美しさが失われる。味覚の優れた料理人は必ず薄口醤油を用いる。
以上の理由で、気の利いた料理にすることは、必ず薄口醤油を用いなければならない。薄口醤油は濃口醤油よりずっと価が安く、味がうまい。薄口醤油がないのなら止むを得ないが、求めればあるのだから、その点を充分注目して、薄口醤油に対する認識を改めねばなるまい。
普通吸物を作る時に、東京料理は薄口醤油を知らないために塩を用いる。それも一概に悪いとはいわないが、塩からい、味のないものになってしまう。それも一種の味には違いないが、薄口に越したことはない。ものを煮るにも濃口では味があくどく重くるしくて、サラッと気の利いた高尚なものにはなりにくい。今後、料理をやるにはぜひ薄口醤油をご利用なさるようお勧めする。
薄口醤油は、やかましくいうと、うんと白いものもあるし、水の中に一滴濃口をたらしたようなビールくらいの色のもあるし、それよりもちょっと濃いのもある。それがいちばん味がよい。東京ではどこでもというふうに薄口醤油は手にはいらないが、築地本願寺前の食品市場へ行くと、大蔵・京橋という特別食品を売っている店がある。まだほかにもあるだろうが、そこへ行けばたいがいある。くれぐれもいっておくが、東京の醤油より安くて塩分があるから、結局半値でできる経済的な利点がある。実際、濃口よりも味もよく、効果もあるのだから、ぜひ利用されるように念を入れて申し上げる次第だ。まったくこの醤油が手に入らないと、料理に手を下せないというほど効能のあるものだ。わたしなど、うまい料理をしようと思っても、これがないと、絶対に料理にならない。
ところが、意外なことには、京、大阪に東京の醤油が入りこんでいる。これは料理に自覚がないために起こるあやまちであって、このことは日本中の料理をメチャメチャにしている。かてて加えて、近頃は化学調味料というものが流行して、味を混乱させている。単純な化学調味料の味で、ものそれぞれの持ち味を殺してしまうことはまったく愚かなことというべきだ。よいものがよく見えないで、悪いものがよく見えるのは単に料理だけにかぎらない。この傾向は今日の日本のあらゆる面にはびこっている。そしてこの事実は、日本の価値を低下させている。料理するひとは、料理に対する深い自覚と反省がなければならない。 | 薄口醤油と濃口醤油の違いについて180字以内で教えてください。 | 薄口醤油はものの持ち味を殺さない特徴があり、視覚的にも薄口醤油は白いので、美しく、煮たものが黒くならない。濃口醤油だと、ものの持ち味を殺してしまう危険があり、東京の醤油は黒いので、ものによっては見た目の美しさが失われる。気の利いた料理には、必ず薄口醤油を用いなければならない。薄口醤油は濃口醤油よりずっと価が安く味がうまい、結局半値でできる経済的な利点がある。 |
JCRRAG_014574 | 国語 | さて、二人の士官が身体検査にやって来ると、私は二人をつまみあげて、まず上衣のポケットに入れてやり、それから、順次ほかのポケットに案内してやりました。が、どうしても、見せたくないものを入れていたポケットだけは、見せなかったのです。
二人の男は、二本のペンと一個のインクと三枚の紙を持って、見たものを、一つ一つくわしく書きとめ、皇帝の御覧にいれるために、目録を作りました。私もあとになって、その目録を見せてもらいましたが、それは、ざっと次の通りでした。
「まず、この大きな人間山の上衣の右ポケットをよく検査したところ、ただ一枚の大きな布を発見しました。大きさは、宮中の大広間の敷物くらいあります。
次に左ポケットからは銀の蓋のついた大きな箱のようなものが出てきましたが、二人には持ち上げることができませんでした。私どもはそれを開けさせ、一人が中に入ってみると、塵のようなものがいっぱいつまっていました。その塵が私どもの顔のところまで舞い上ったときには、二人とも同時に何度もくしゃみが出ました。
次に、チョッキの右ポケットから出てきたものは、人間三人分の長さの白い薄い物が、針金で幾枚も重ねて締めつけてあり、それには、いろんな形が黒くついていました。これはたぶん書物だろうと思います。一字の大きさは、私どもの手の半分ほどもあります。
次に、チョッキの左ポケットには、一種の機械がありました。宮殿前の柵に似た長い二十本ばかりの棒が、その背中から出ているのです。これは人間が頭の髪をとく道具だと思えます。
ズボンのポケットからは、長さが人間一人分ほどもある、鉄の筒がありました。これは何に使うのかわかりません。右の内側のポケットからは、一すじの銀の鎖が下がり、その下の方には一つの不思議な機械がついていました。私どもは、その鎖についているものを引き出してみよ、と言いました。これは半分は銀で、半分は透明なもので出来ています。彼はこの機械を、私どもの耳の傍へ持って来ました。すると、水車のように絶えず音がしているのです。これは不思議な動物か、小さな神様のように思えます。人間山の説明では、彼は何をするにも、いちいち、この機械と相談するということです。
次に、彼は左の内ポケットから、漁夫の使うような網を取り出しました。これは財布だそうです。中には重い黄色い金属が四枚、銀色の金属が三枚入っていました。これがほんとの金だとすれば、大したものにちがいありません。
このようにして、私どもは陛下の命令どおり、熱心に彼の持ち物を調べてみましたが、最後に、彼の腰のまわりに、一つの帯があるのを見つけました。それは何か大きな動物の革でこしらえたもので、その左の方からは、人間五人分の長さの剣が下っておりました。右の方からは、袋が下がっておりました。
私どもは人間山の身体から発見したものを、このように、書きとめておきます。人間山は、陛下を尊敬して、礼儀正しく、私どもを待遇してくれました。」 | 二人の男が持ってきたものでもっとも少なかったものを教えてください。 | 二人の男が持ってきたものでもっとも少なかったものはインクで一個です。 |
JCRRAG_014575 | 国語 | 達人レシピ
日本各地、旬の食材を提供する農家や漁師など、食のスペシャリストたちが、専門家だからこそ知っている秘伝のレシピを紹介。食材の味や、栄養を引き出し尽く
す! 達人ならではのレシピをお見逃しなく!
第8回リシリコンブ
日本国内で生産されているコンブのほとんどは北海道産で、全体の約9割を占めています。コンブの種類は採れる場所によって異なり、主に道北地区(利尻島、礼文島、稚内地方など)で採取されるリシリコンブは、香り高く上品な味わいの出汁が取れることが特徴で、京料理に欠かせない食材です。ちなみに、食用されるコンブは2年目の海藻。1年目に生えた葉は「水コンブ」と呼ばれ品質が劣るので、1年目の葉が枯れて、厚みと長さのある2年目に生えた葉を収穫します。
リシリコンブ漁と加工の達人
「手間をかけて天日干しした香り豊かなおいしさ」
利尻漁業協同組合
平川 光憲さん 智春さん(北海道利尻富士町)
天然リシリコンブ漁の季節は7月上旬から8月末までの約2カ月。しかも漁に出られるのは、漁の日と翌日のどちらも天気が良くて、波も風も無い、好条件がそろった日だけ。天候によっては、1週間以上漁に出られないこともあるそうです。
「漁をする時は、磯舟に乗って、箱メガネで海底を覗きながら行います。裾が黄色く身が厚くなった採り頃のコンブを見つけたら、ホコという先端が2つに分かれている道具に巻き付けて、株ごと岩からねじり剥がして採ります」ずっと漁師が夢だった光憲さんは、父親が引退したのをきっかけに跡を継いで兼業漁師となりました。漁の後は勤務先の整備工場へ出勤するそうです。こうして光憲さんが採ってきたコンブは、奥さんの智春さんによって海水で一度洗われた後、小石を敷き詰めた干し場に1枚ずつ広げられ、2日間干されます。「コンブを乾燥させるときは、乾燥機を使わず天日干しします。その方がおいしいと思うからです。干す時のコツは、丸まるのを防ぐために表を上にすること。また、網をかけて干すとよりきれいな製品になります。干した後も、小エビや枯れ葉などを取り除いたり、シワを伸ばしたりと、1枚のコンブにかなりの手間をかけています」実家も漁師だったという智春さんは、子どもの頃から慣れ親しんだ利尻産のコンブやウニといった海産物のおいしさを発信するため、6月から9月に「北利ん道」という売店も営んでいます。
育ち盛りに食べたい
カルシウムとヨウ素コンブには、歯や骨の形成を助ける働きがあるカルシウムが豊富です。さらに、体や知能の発育を促進させる働きがある甲状腺ホルモンの素となる、ヨウ素の含有量は食品の中でもトップクラス。育ち盛りのお子様におすすめの食材です。(監修:管理栄養士・国際中医薬膳師 清水 加奈子さん) | 主に北海道で採取されるリシリコンブの道北地区の主な採取地として挙げられている箇所はいくつありますか。 | 主に北海道で採取されるリシリコンブの道北地区の主な採取地として挙げられている箇所は3つあります。利尻島、礼文島、稚内地方です。 |
JCRRAG_014576 | 国語 | 美味い湯豆腐を食べようとするには、なんといっても豆腐のいいのを選ぶことが一番大切である。いかに薬味、醤油を吟味してかかっても、豆腐が不味まずければ問題にならない。
そんなら、美味い豆腐はどこで求めたらいいか? ズバリ、京都である。
京都は古来水明で名高いところだけに、良水が豊富なため、いい豆腐ができる。また、京都人は精進料理など、金のかからぬ美食を求めることにおいて第一流である。そういうせいで、京都の豆腐は美味い。
一方、東京では、昔、笹乃雪などという名物の豆腐があった。これもよい井戸水のために、いい豆腐ができたのだが、今は場所も変わって、わずかに盛時の面影を偲しのぶばかりだ。
東京は水の悪いことが原因してか、古来、豆腐の優れた製法が研究されていない。そんなわけで、昔も今も東京で美味い豆腐を食べることはまず不可能だ。それに、よい豆腐を美味く食うための第一条件であるいい昆布が、東京では素人の手に入りにくいから、なおさらむずかしい。
それなら、京都の豆腐は今なおどこでも美味いかというと、どっこい、そうはいかない。今日では水明の都でも、水道の水と変わり、豆をすることは電動化して、製品はすべて機械的になってしまったのみならず、経済的に粗悪な豆(満州大豆)を使うようになったりなどして、京都だからとて、美味い豆腐は食べられなくなってしまった。
ところが、わずかに一軒、京都の花街、縄手四条上ルところに、昔ながらの方法を遵奉して、よい豆腐をつくっている家があった。その家の豆腐のつくり方は秘法になっていて、うかがわんとしても、うかがえないことになっていた。ところが、私は運よくその家の主人の了解を得て、家伝の秘法を授けられることになった。おかげで、本家本元の豆腐に優るとも劣らぬ豆腐ができるようになった。それも一いつに、私の家に豆腐に適するすばらしい良水が湧出ゆうしゅつしたためであった。
いかに京都で秘法を授かって来ても、良水を欠いたら、いい豆腐はできなかったであろう。残念ながら、縄手のこの店も、今はなくなってしまった。
良水に恵まれ、原料としての大豆を選択して、製法は飽くまでも機械にたよらず、人力で努力することによって、私もすばらしい豆腐をつくれるようになった。豆腐そのものがよいから、生の豆腐にいきなり生じょうゆをかけて食べても、実に美味い。あえて煮るまでもない。焼き豆腐はいうに及ばず、揚げ豆腐に拵こしらえても、飛竜頭ひりょうずに拵えても、これが豆腐かと疑われるばかりに美味かった。湯豆腐に舌鼓を打って楽しまんとする人は、こんな豆腐を選ばなくてはならない。
嵯峨さがの釈迦しゃか堂付近、知恩院古門前、南禅寺あたりの豆腐も有名だが、いずれも要は良水と豆に恵まれたせいだろう。
湯豆腐をつくるには、次のような用意がいる。
一、土鍋 土鍋があれば一番よいが、なければ銀鍋、鉄鍋の類たぐいでもいい。その用意もなければ瀬戸引き、ニュームなどで我慢するほかはない。が、これらは感じも悪いし、煮え方がいらいらしておもしろくない。こんろか火鉢にかけてやる。
一、杉箸 湯豆腐を食べる箸は、塗箸や象牙ぞうげ箸のようなものでは豆腐をつまみ上げることができないから、杉箸にかぎる。すべらないので、豆腐が引き上げやすい。銀の網匙あみさじなどがあれば充分である。
一、だし昆布 水の豊かに入った鍋の底に一、二枚敷いて、その上に豆腐を入れて煮る。昆布の長さ五、六寸。昆布は鍋に入れた場合、煮立ってくると湯玉で豆腐ののった昆布が持ち上げられる恐れがあるので、切れ目を入れておくようにする。
一、薬味 ねぎのみじん切り、ふきのとう、うど、ひねしょうがのおろしたもの、七味とうがらし、みょうがの花、ゆずの皮、山椒さんしょうの粉など、こんな薬味がいろいろあるほうが風情があっていい。この中で欠くことのできないのはねぎだ。他のものは、そのときの都合と好みに任せていい。それからよく切れる鉋かんなで、薄く削ったかつおぶし適量。食事する前に削るのが味もよく、香りもよい。
一、しょうゆ 上等品に越したことはない。しょうゆに豆腐をつける前に、先に述べたかつおぶしだの薬味を入れていい。豆腐には、敷いた昆布の味がついているから、おのずから味の調節がつく。なるべく化学調味料は加えないほうがいい。
一、豆腐(前記の通り)
なお、もともと東京人は美食知らずであるから、仔細しさいに食を楽しむという人は極めて少ない。地方にだって、美食に恵まれた都市もあれば、町、村もある。志のある人は、諸地方の美食を参考にして、仔細に楽しまれるとよい。 | 京都と東京の豆腐の違いを説明してくだい。 | 京都は古来水明で名高く、良水が豊富なため、いい豆腐ができる。東京は水の悪いことが原因してか、古来、豆腐の優れた製法が研究されておらず、昔も今も東京で美味い豆腐を食べることはまず不可能だ。しかし、今日では水明の都でも、水道水に変わり、作業は電動化、製品はすべて機械的になってしまい、さらに経済的に粗悪な豆(満州大豆)を使うようになったため、京都だからといって美味い豆腐は食べられなくなってしまった。 |
JCRRAG_014577 | 国語 | 猿が私をつれて行くのを見ると、グラムダルクリッチは「キャッ」と叫びました。彼女は気狂のようになってしまいました。それから間もなく、宮廷は大騒ぎになったのです。召使は梯子を取りに駈けだしました。猿は屋根の上に腰をおろすと、まるで赤ん坊のように片手に私を抱いて、顎の袋から何か吐き出して、それを私の口に押し込もうとします。
そして今、屋根の下では百人の召使、百二十人の兵士達等の人々が、この光景を見上げているのです。私が食べまいとすると、猿は母親が子をあやすように、私を軽く叩くのです。それを見て、下の群衆はみんな笑いだしました。実際、これは誰が見ても馬鹿馬鹿しい光景だったでしょう。なかには猿を追うつもりで、石を投げるものもいましたが、屋根に二回、近くの木に三回当たって危険だとして、これはすぐ禁じられました。
やがて梯子をかけて、五人の男と一人の女がのぼって来ました。猿はそれを見て、いよいよ囲まれたとわかると、三本足では走れないので、今度は私を瓦の上に残しておいて、一人でさっと逃げてしまいました。私は地上三百ヤードの瓦の上にとまったまま、今にも風に吹き飛ばされるか、目がくらんで落ちてしまうか、まるで生きた心地がしませんでした。が、そのうちに召使の一人が、私をズボンのポケットに入れて、無事に下までおろしてくれました。
私はあの猿が私の咽喉に無理に押し込んだ何か汚い食物のため、息がつまりそうでした。しかし、私の乳母が小さい針で一つ一つそれをほじくり出してくれたので、やっとらくになりました。だが、ひどく身体が弱ってしまい、あの動物に抱きしめられていたため、両脇が痛くてたまりません。私はそのため二週間ばかり病床につきました。王、王妃、そのほか、宮廷の人たちが、毎日見舞いに来てくれました。猿は殺され、そして今後こんな動物を宮廷で飼ってはならないことになりました。
病気が治ると、私は王にお礼を申し上げに行きました。王はうれしそうに、今度のことをさんざ、おからかいになるのでした。猿に抱かれていた間どんな気持ちがしたか、あんな食物の味はどうだったか、どんなふうにして食べさすのか、などお尋ねになります。そして、そんな場合、ヨーロッパではどうするのか、と言われます。そこで、私は、
「ヨーロッパには猿などいません。いてもそれは物好きが遠方からつかまえて来たもので、そんなものは実に可愛らしい奴です。そんなのなら十二匹ぐらい束になってやって来ても、私は負けません。実際に五匹やってきたときも、十匹やってきたときも追い払ったことがあります。
なに、この間のあの大きな奴だって、あれが私の部屋に片手を差し込んだとき、あのときも私は平気だったのです。私がほんとに怖いと思ったら、この短剣で叩きつけます。そうすれば、相手に傷ぐらい負わせて、手を引っ込めさせたでしょう。」
と、私はきっぱり申し上げました。 | 投げられた石が当たった場所のうち、より少なかった所を教えてください。 | 投げられた石が当たった場所のうち、より少なかった所は屋根で二回です。 |
JCRRAG_014578 | 国語 | 新鮮な「活魚」をお届け!
新たな輸送システムに迫る
四方を海に囲まれ、豊かな水産物に恵まれた日本ですが、生きたままの新鮮な魚介が市場に出回ることは、それほど多くありません。そんな現状に変化をもたらすかもしれない輸送システムを、今回の特集では紹介します。
水産物輸送業界に新たな風を巻き起こす新技術
現在、魚は大きく分けて「活魚」「鮮魚」「冷凍魚」の 3 通りの方法で流通しています。今回はその中から生きたまま輸送する「活魚」の流通について紹介。料亭の生け簀などで泳いでいる魚を思い浮かべれば、わかりやすいかと思います。生きた魚を輸送することは非常に難しく、コストもかかってしまうため、これまで活魚での流通は多くありませんでしたが、そうした問題の解決に向けて開発されたのが「魚活ボックス」です。今回は「魚活ボックス」を開発した日建リース工業(株)関山さんにお話を伺いました。
日建リース工業(株)
代表取締役社長 関山 正勝さん
魚活ボックスが開発されたきっかけ
もともと当社は建設工事の「軽量仮設資材」のレンタルを主な事業としており、水産業界には全く縁がありませんでした。ある時、創業時の社長が「ナノバブル水」という極小の気泡を充満させた水の開発に着手したのですが、なかなか収益につながらず、その技術をいかに活用するかを模索するうちにたどりついたのが「活魚の輸送」です。当社は農産物の輸送に用いるパレット(荷物を載せる荷役台)のレンタル事業も手掛けており、その経験が活かせるのではないかと考えたのも、水産物輸送に参入しようと思った理由の一つです。
魚活ボックスの技術について
魚活ボックスは、水槽内の海水に二酸化炭素を一定濃度溶け込ませて魚を低活性化(眠ったような状態)させることで、一度にたくさんの魚を生きたまま輸送できる仕組みになっています。魚を低活性化すると、代謝が軽減されてアンモニアなどの排出量が減少し、水槽内で魚のストレスや身の擦れを減らすことが可能です。そのため、従来の運搬に使用する水槽よりたくさんの魚を積載しても、ほとんど死なせることなく輸送することが可能となります。魚を低活性化させる仕組みは以前からわかっていたのですが、低活性化させた後、何もしなければ20分ほどで魚が死んでしまうことが問題で、なかなか輸送に活用できませんでした。そこで登場するのが、ナノバブル水の開発で蓄積していた技術です。極小の気泡を海水に溶け込ませることで水中の酸素濃度を上げると、魚の長時間生存が可能となることが数多くの実験から実証され、輸送に活用できるようになりました。従来の方法で活魚を輸送する時の大きな問題として、ドライバーの技術によって魚の生存率が下がってしまう問題点がありましたが、魚活ボックスを用いれば誰でも簡単に輸送できることも大きな強みです。専用のふたをすれば輸送しても水漏れすることはなく、また、ボックス内に酸素ボンベとセンサー、バッテリーを内蔵しているので、操作方法を覚えれば誰もが魚を生かしたまま輸送できるようになります。鉄道で輸送することも可能です。そのほか輸送する時は、魚活ボックスにカゴごと魚を入れるだけでよいため、従来のような発泡スチロールへの梱包が不要になり、荷積みや荷下ろしの作業が大幅に削減できます。さらに、魚活ボックスはフォークリフトで運べるため、ボックスの移動も容易です。
活魚を流通する魅力
魚活ボックスで流通できる魚
低活性化の状態から覚醒させる「基礎実験」に成功している魚種は、マダイやイサキ、カレイ、ヒラメなどです。もともと水中で活発に動くことのない魚種は低活性化が容易であり、今後同様の特性がある魚種の魚活ボックスでの流通が可能になるものはさらに増えていくと思います。現在課題となっているのはイワシやサバなどの回遊魚で、低活性化の実現は難航していますが、いずれは輸送ができるように研究を重ねたいと思っています。
現在流通できる魚種
ヒラメ、カレイ、マダイ、キハタ、アンコウ、カワハギ、ウマヅラハギ、スズキ、ハモ、アナゴ、マダコ、コブダイ、ワタリガニ、イサキ、メジナ、クエ、コチ、トラフグ、カサゴ、シマアジ、ウミヒゴイ、コショウダイ、ヘダイ、クロダイ、イシダイ、タカノハダイ、ニザダイ、メバル、キジハタ、タラ、トラウトサーモン(稚魚)、サザエ、アワビ、ホウボウ
現在検証中の魚種
ヤリイカ、サバ、キンメダイ
活魚輸送の可能性について
これまで活魚輸送をするためには専用の活魚車が必要であったため、小口で輸送をしようとしてもコストがかかりすぎて実現するのが難しい現状がありました。しかし、魚活ボックスなら1 箱から輸送が可能で、これまでコストがかかり運べなかった少ない数の天然魚や希少魚を活魚で輸送することも可能となります。
現在伊豆諸島でキンメダイの活魚輸送の検証を行っており、これが成功すれば、東京などの都市部でキンメダイの活魚が食べられるようになるかもしれません。高級魚を活魚輸送できるようになれば、漁師さんの収益も向上し、小規模漁村の活性化にもつながっていくと思います。今後は当社が運営する東京や大阪の活魚センターを通じて、活魚の流通網「ライブチェーン」を構築し、消費者の皆様に新鮮な活魚を提供していければと考えています。
実際に魚活ボックスを導入している漁業者の声
宮城県漁業協同組合 七ヶ浜支所
課 長 菊池 生知さん
東日本大震災の影響で、魚の単価、数量共に著しく下落し、切迫した漁家経営が続いていました。そのような状況を打開するため、地元仲買人を経由せず漁業者自らが出荷作業をこなし、各中央卸売市場へ直送する県外出荷事業を始めていたのですが、その中で魚活ボックスの実証実験をすることとなりました。鮮魚中心であったマダラの活魚輸送を行ったところ非常に高評価をいただきました。その後主な漁獲物であるカレイ類を対象に実証実験し、東京の豊洲市場からも高評価を得
たため、2020年夏から本格的に導入を検討しています。現在主流の発泡スチロール箱での活魚出荷では、投入する海水の温度管理、ポンプの故障、配送時のミス、高コストなどさまざまな問題が伴い、死んでしまう魚も発生して単価にも影響があったため、今後は魚活ボックスでの活魚出荷を軸に考えています。 | 現在、魚活ボックスで流通を検討中の魚種はいくつありますか。 | 現在、魚活ボックスで流通を検討中の魚種は、3種類あります。ヤリイカ、サバ、キンメダイです。 |
JCRRAG_014579 | 国語 | どこの国、いずこの地方に行ってもお国自慢というものがある。歴史、人物、料理、産物など、時に応じ、人によってお国自慢の仕方も違う。生椎茸を例にとるなら、やはり例外でなく、京都の人は「京都の生椎茸はどんなもんだい」と誇りがましくいうし、地方の人も「お国の山の椎茸は必ずしも京都に劣らぬ」と負けてはいない。生椎茸にかぎらず、他のどんな産物でも、時間を少しでも経過したものはそれだけまずくてだめだ。お国自慢をする人は、それぞれみな採りたてを食べているから、古いのと比べてみて、そういうのだろう。どんな椎茸でも古くなってはだめで、新しいものでなければいけない。
しかし、そうはいっても、大分県あたりで採れる椎茸は実に見事で、日本一と叫んでもいいだろう。大分の椎茸は本当の椎の木にできた椎茸なので、かさが黒くなめらかで、香りや味がすばらしい。関東で賞味している椎茸は、実は椎の木にできたものではなく、櫟の木にできたものだから本当にうまいとはいえない。椎茸のかさは、そのできる木の皮に似る性質があるので、櫟の木にできた椎茸のかさは櫟の皮と同じようになっており、椎の木にできた椎茸は椎の皮に似ている。
さて、櫟椎茸だが、これは噛みごたえがあるという特徴はあるけれども、椎の木にできた椎茸のように香りがない。所詮、椎の木にできた椎茸にまさるものなしといえよう。 | 大分と東京で食される椎茸の違いを説明してください。 | 大分の椎茸は本当の椎の木にできた椎茸なので、かさが黒くなめらかで、香りや味がすばらしい。関東で賞味している椎茸は、実は椎の木にできたものではなく、櫟の木にできたもので、噛みごたえがあるという特徴はあるけれども、椎の木にできた椎茸のように香りがない。 |
JCRRAG_014580 | 国語 | それから、これは私にはどうもよくわからないのですが、この有名な学者は、畑にもみがらを蒔くことと、羊に毛の生えない薬を塗ることを、目下しきりに研究しているのだそうです。
私は道を横切って、向こう側の建物に入りました。そこの学士院には、学問の発明家がいました。
私が最初に会った教授は、広い教室にいました。そこには四十人ばかりの学生が集っていました。男が十五、女が三十五人だったでしょうか、教授は一つの便利な機械を考えていました。
その機械を使えば、どんな無学な人でも、何でも書けるのです。哲学、詩、政治学、数学、神学、そんなものが誰にでも、らくに書ける機械でした。教授は、その機械についていろいろ私に説明してくれました。
私はつづいて国語学校を訪ねました。
ここでは、二人の男性教授と一人の女性教授が国語の改良をいろいろと熱心に考えていました。
一つの案は、言葉を全部しゃべらないことにしたらいい、というものでした。その方が簡単だし、健康にもよい、ものをしゃべれば、それだけ肺を使うことになるから、生命を縮める、というのです。
それで、その代わりに、こんなことが発明されました。言葉というものは、物の名前だから、話をしようとするときには、その物を持って行って、見せっこをすれば、しゃべらなくても意味は通じるというのです。
しかし、これにも一つ困ることがあります。それはちょっとした話なら、道具をポケットに入れて持って行けばいいのですが、話がたくさんある場合だと大へんです。そのときは、力の強い召使が、大きな袋に、いろんな品物を入れて、背負って行かなければなりません。 | 国語学校で国語の改良をいろいろと熱心に考えている教授のうち、数が多いほうの性別を教えてください。 | 国語学校で国語の改良をいろいろと熱心に考えている教授のうち、数が多いほうの性別は男性教授で二人です。 |
JCRRAG_014581 | 国語 | 魚食文化を支える
人工魚礁を知ろう
魚食文化が浸透している日本では、日々さまざまな魚が食べられており、水産物の安定的な供給は欠かせません。そのために行われているのが漁場整備。魚たちが育ちやすい海の環境をつくるために行われています。今回はその中から、国が行うフロンティア漁場整備事業について紹介します。私たちが直接見る機会はほとんどありませんが、海の中では事業によりさまざまな魚礁が設置され、魚たちが好む環境が整備されています。
知る 日本の人工魚礁の今を知ろう!
人工魚礁は、環境の変化や乱獲などの影響によって減少した対象生物の漁獲の改善、操業の効率化や保護育成のために整備されています。
Q 人工魚礁は何のために造るの?
A人工魚礁とは、魚類を集めたり増 に供給していきます。やしたりするために海中や水中に設置するもので、次のような機能があります。
1. 物陰に隠れる性質を持つ魚類の隠れ場
2. 小型の魚類が大型の捕食魚から逃げるための逃避場
3. 繁殖に欠かせない親魚の産卵場
4. 魚礁により周辺の潮の流れを弱めることで、泳ぐ力の弱い動物プランクトンが集積する場
5. プランクトンを食べる小型魚類が繁殖する場
Q国が行う Q 「フロンティア漁場整備事業」ってなに?
A従来の漁場整備は、その多くを沿岸に近いところで行っていましたが、国が行う「フロンティア漁場整備事業」では、沿岸から離れた排他的経済水域で、産卵場や保育場などを整備。日本の海域での水産資源の回復と生産力の向上を目的に、2007年から実施されています。国土面積の約12倍、世界第6位の広さがある日本の排他的経済水域及び領海は、水産資源を日本のためだけに利用することができる貴重な場。この海域における水産資源の保存や適切な利用は重要な課題です。
Qこの事業で整備された人工魚礁は、全国にどれくらいあるの?
A「フロンティア漁場整備事業」を行うためには、地域の漁業者が資源管理の取り組みを行っていることなど、いくつかの条件があります。これまでに整備されている区域は、日本海西部地区、隠岐海峡地区、対馬海峡地区、大隅海峡地区、五島西方沖地区の5カ所。第1号として五島西方沖地区が2015年に完成しています。
Qこの事業で整備した人工魚礁ではどんな魚を保護・育成しているの?
A漁場整備には 2タイプあります。1つは、魚たちが生息する海域にコンクリートブロックなどを設置することで、産卵や育成を助ける「保護育成礁」。もう1つは、海底にコンクリートブロックなどを山脈のように積むことで、海底から海の上層へ上昇する水の流れを作り、海底にある栄養分を広く行き渡らせ、魚たちを増やしていく「マウンド礁」です。「保護育成礁」では、ズワイガニやアカガレイ、「マウンド礁」では、マアジ、マサバ、マイワシなどを保護、育成しています。
作る 人工魚礁の整備の様子を見てみよう!
人工魚礁は、対象となる魚たちが好む環境を人工的に作り出すもので、どのような魚礁にするのかは対象とする生物や場所によって変わります。最適な環境をつくるために、まずは既存データの分析と一定期間の現地調査をもとにシミュレーションを行い、より効果的な漁場整備へとつなげていきます。
「保護育成礁」の場合
「保護育成礁」では、魚たちの保護エリアを作ることで、その産卵や育成を助けています。2キロメートル四方のエリアの中に、魚の隠れ場や群れ場となるコンクリートと鋼製の魚礁を配置することで、資源を保護し、生息環境を向上させます。しかし、設置場所の水深は非常に深く、設置海域は波が高いなど正確に魚礁を設置するには厳しい条件。そのため設置には高度な技術が必要です。現在までに、水深約 490 メートル地点での設置に成功しています。
工事のポイント
①設置作業機器の先端から送信された情報を作業船で受信することで、魚礁設置位置を正確に把握できる位置確認装置(水中トランスポンダー)を活用
②作業船が強い海流や風のある海上でも流されずに同じ位置を保ちながら作業ができるように、自動船位保持装置(DPS)を活用
「マウンド礁」の場合
「マウンド礁」は、水深約 100メートルから150メートルの海底に水深の 5 分の1 程度の高さとなるように石材やコンクリートブロックを山積みに設置したものです。大きさは、2015年に完成した五島西方沖地区では体積が約35万立方メートルで、東京ドームの約 3 分の 1となっています。なお、そこでは礁から半径1マイルの範囲で対象魚種を獲ることを禁止して資源保護を行っています。
工事のポイント
石材やコンクリートブロックを海中に投入した後は、3次元で施工状況を把握できるナローマルチビームソナーを使用。逐次、施工状況を確認しながら、次の投入位置へ作業船を誘導するというシステムを構築しています。
考える これからの人工魚礁はどうなる?
今後、ますます気象・海象条件が厳しく、かつ大水深帯での正確な施工が求められます。海の持続的利用に貢献するため、国を中心に、自治体、研究機関、民間企業が、これまで蓄積されてきた技術を継承し、発展の著しいICTやロボット技術を積極的に活用することが重要です。
見る 人工魚礁で増えた水産物!
五島西方沖地区など、整備されたエリアではどれくらい水産物が増えたのか効果調査が行われています。
事例 1 「保護育成礁」の効果事例
保護育成礁では、底びき網漁業などによる操業ができないようになっており、親ガニや親魚の産卵場や育成場が保護されています。生息密度が高くなった育成場から、ズワイガニなどが周辺に移動してきたものを漁獲することになります。整備効果として、保護育成礁の内側にいるズワイガニの生息密度は、外側の海域と比べ約2倍になっています。また、保護育成礁内で親ガニや稚ガニが多数生息しており、ズワイガニの高い保護効果が確認されました。
現場の声
日本海西部地区での効果 兵庫県浜坂漁業協同組合 熊本 直和さん
2007 年からズワイガニ、アカガレイを対象に整備をスタートさせました。保護育成礁の設置後は、ズワイガニ、アカガレイはもちろんですが、バイ貝やエビ類の繁殖増加、イカ類などの浮魚類が集まるなど多様な効果を実感できています。今後も食料供給産業を自負して、将来に渡って資源が枯渇しないように水産物を安定的人工魚礁とは、魚類を集めたり増 に供給していきます。
事例 2 「マウンド礁」の効果事例
マウンド礁では、潮の流れを利用し栄養塩を海底から海の上層へと供給することで、植物プランクトンや動物プランクトンが増加し、それを食べる魚類も増えます。さらに、プランクトンや魚類の死骸などが沈むことによって、それをエサとする底魚類も増加。エサを食べる環境が良好になることで、魚体重の増加や生息環境の向上にもつながります。
五島西方沖地区の調査分析結果によると、設置したマウンド礁から数十キロメートルに及ぶ範囲で効果があり、マウンド礁周辺で漁獲されたマアジ1歳魚の体重は、他の海域のものと比べて約 1.4倍。また、マウンド礁周辺のマアジ、サバ類、マイワシの漁獲量は、整備前に比べて約2倍に増加したという結果が出ています。マウンド礁では、潮の流れを利用し栄養塩を海底から海の上層へと供給することで、植物プランクトンや動物プランクトンが増加し、それを食べる魚類も増えます。さらに、プランクトンや魚類の死骸などが沈むことによって、それをエサとする底魚類も増加。エサを食べる環境が良好になることで、魚体重の増加や生息環境の向上にもつながります。五島西方沖地区の調査分析結果によると、設置したマウンド礁から数十キロメートルに及ぶ範囲で効果があり、マウンド礁周辺で漁獲されたマアジ1歳魚の体重は、他の海域のものと比べて約 1.4倍。また、マウンド礁周辺のマアジ、サバ類、マイワシの漁獲量は、整備前に比べて約2倍に増加したという結果が出ています。 | マウンド礁で漁獲される主な保護育成している魚種は何種類ですか。 | マウンド礁で漁獲される主な保護育成している魚種は3種類です。マアジ、マサバ、マイワシです。 |
JCRRAG_014582 | 国語 | 茶碗蒸しのことは、みなさんよくご存じのことでしょう。ところが、これにもいろいろとコツがある。東京のは概して卵が多く、かたまりが強すぎて面白くない。一体に茶碗蒸しの卵のかたまったのは上等とは思えない。これをもって茶碗蒸しを語るものではない。それよりも関西の、ことに京都などの安物の茶碗蒸しのほうが、よい料理屋で卵を多く使って吟味したのより、料理になっている。この安い茶碗蒸しが美味いと言うのは、卵を経済的に使っているからである。
私がある時京都で、ある人の宴会に招かれたことがあった。確か祇園だったと思う。その時、ふとしたはずみで、茶碗蒸しを食ってみたくなったので、かたわらにいた芸妓に言いつけた。すると、その芸妓が女中に頼むのに、
「卵をこうしてや、うすいのはいやエ」
と申すのであった。これは気の張った客であるから、いわゆる、京都風に卵をケチにしてはいけないというわけである。
ところが、そういう特別の注文で拵えたのは美味くなかった。つまり、卵がこてこてにかたくかたまっていたからだ。卵は薄めにして、茶碗を手に持つと、ユラユラと卵が体ごとゆする程度につくるのがよい。そうすると、スルスルして口当りがよく、しかも、卵臭くなくてよいのである。
京都風の茶碗蒸しが、ちょうどこれにあたる。元来、京都人というのは、昔からケチなので評判だが、そういう京都のケチンボウから割り出された料理で、なかなか捨て難い。
安い茶碗蒸しがひとつの証拠である。私は最初、あるひがみから安物の茶碗蒸しなどは、よいものとは思っていなかったが、色々味わってみると、存外そのほうが上等だった。茶碗蒸しのコツはそこにあるのである。それがまた料理のコツなのである。すなわち、卵一個を二合から二合半までのだしで割って、薄くするとともに、それを蒸しすぎないことである。要するに、卵は薄いものがいいという認識を、茶碗蒸しの上にはっきり持つがよい。私も最初はこの認識が足らなかった。なお、つけたしに申し上げると、中身はかも・うなぎ・銀杏・百合根・しんじょ・木くらげなどがよい。 | 東京と関西で茶碗蒸しの違いを説明してください。 | 東京の茶碗蒸しは概して卵が多く、かたまりが強すぎて卵臭くなる。関西、特に京都などの安物の茶碗蒸しのほうが、卵を経済的に使っているのでスルスルして口当りがよく上等である。 |
JCRRAG_014583 | 国語 | さて、二人の士官が身体検査にやって来ると、私は二人をつまみあげて、まず上衣のポケットに入れてやり、それから、順次ほかのポケットに案内してやりました。が、どうしても、見せたくないものを入れていたポケットだけは、見せなかったのです。
二人の男は、二本のペンと一個のインクと三枚の紙を持って、見たものを、一つ一つくわしく書きとめ、皇帝の御覧にいれるために、目録を作りました。私もあとになって、その目録を見せてもらいましたが、それは、ざっと次の通りでした。
「まず、この大きな人間山の上衣の右ポケットをよく検査したところ、ただ一枚の大きな布を発見しました。大きさは、宮中の大広間の敷物くらいあります。
次に左ポケットからは銀の蓋のついた大きな箱のようなものが出てきましたが、二人には持ち上げることができませんでした。私どもはそれを開けさせ、一人が中に入ってみると、塵のようなものがいっぱいつまっていました。その塵が私どもの顔のところまで舞い上ったときには、二人とも同時に何度もくしゃみが出ました。
次に、チョッキの右ポケットから出てきたものは、人間三人分の長さの白い薄い物が、針金で幾枚も重ねて締めつけてあり、それには、いろんな形が黒くついていました。これはたぶん書物だろうと思います。一字の大きさは、私どもの手の半分ほどもあります。
次に、チョッキの左ポケットには、一種の機械がありました。宮殿前の柵に似た長い二十本ばかりの棒が、その背中から出ているのです。これは人間が頭の髪をとく道具だと思えます。
ズボンのポケットからは、長さが人間一人分ほどもある、鉄の筒がありました。これは何に使うのかわかりません。右の内側のポケットからは、一すじの銀の鎖が下がり、その下の方には一つの不思議な機械がついていました。私どもは、その鎖についているものを引き出してみよ、と言いました。これは半分は銀で、半分は透明なもので出来ています。彼はこの機械を、私どもの耳の傍へ持って来ました。すると、水車のように絶えず音がしているのです。これは不思議な動物か、小さな神様のように思えます。人間山の説明では、彼は何をするにも、いちいち、この機械と相談するということです。
次に、彼は左の内ポケットから、漁夫の使うような網を取り出しました。これは財布だそうです。中には重い黄色い金属が四枚、銀色の金属が三枚入っていました。これがほんとの金だとすれば、大したものにちがいありません。
このようにして、私どもは陛下の命令どおり、熱心に彼の持ち物を調べてみましたが、最後に、彼の腰のまわりに、一つの帯があるのを見つけました。それは何か大きな動物の革でこしらえたもので、その左の方からは、人間五人分の長さの剣が下っておりました。右の方からは、袋が下がっておりました。
私どもは人間山の身体から発見したものを、このように、書きとめておきます。人間山は、陛下を尊敬して、礼儀正しく、私どもを待遇してくれました。」 | 人間の長さ分として、一番長かったものを教えてください。 | 人間の長さ分として、一番長かったものは剣で、人間五人分です。 |
JCRRAG_014584 | 国語 | 冬、家庭で最も歓迎される料理は、なべ料理であろう。煮たて、焼きたてが食べられるからである。
なべ料理では、決して煮ざましを食べるということはない。クツクツと出来たての料理を食べることが、なによりの楽しみである。だから、なべ料理ほど新鮮さの感じられる料理はない。最初から最後まで、献立から煮て食べるところまで、ことごとく自分で工夫し、加減をしてやるのであるから、なにもかもが生きているというわけである。材料は生きている。料理する者は緊張している。そして、出来たてのものを食べるというのだから、そこにはすきがないのである。それだけになんということなく嬉うれしい。そして親しみのもてる料理といえよう。
しかし、材料が鮮魚、鮮菜という活物が入った上での話である。入れるものがくたびれていたのでは、充分のものはできない。これは、なべ料理にかぎらぬ話であるが、念のため申し添えておく。
家庭でやるなべ料理は、原料はこれとこれだけと、決っているわけではない。前の晩にもらった折詰ものだとか、買い置きの湯葉だとか、麩だとか、こんにゃくだとか、あるいは豆腐を使おうと、なんでも独創的に考案して、勝手にどんなふうにでもやれるのである。「なべ料理」のことを、東京では「寄せなべ」というが、上方では「楽しみなべ」ともいっている。なぜ「楽しみなべ」というかといえば、たいの頭があったり、蒲鉾があったり、鴨があったり、いろいろな材料がちらちら目について、大皿に盛られたありさまが、はなやかで、あれを食べよう、これを食べようと思いめぐらして楽しみだからである。
「楽しみなべ」という名称は、実によくあてはまっている。しかし、「寄せなべ」というのは、なんだか簡単すぎて感じのよい名前ではないと思う。「なべ料理」は先にもいった通り、材料がいろいろあるし、それを盛る盛り方にもなかなか工夫がいるのである。この点を注意しないで、ぞんざいに扱うと、いかにも屑物の寄せ集めみたいになってしまう。
関東の風習は、薄く平らに並べるようであるが、あまり感心しない。ふぐみたいなものは大皿に並べざるを得ないが、それは特殊なことであって、「なべ料理」の材料を盛るのは、深鉢にこんもりと盛るのがよろしい。材料はさっき述べた通り、なんでもよい。ただ感心しないのは貝類である。貝類は、ほんのわずかならかまわないが、多く使うと、どうも味を悪くするキライがある。貝類は結局だしをわるくして、ほかのものの味まで害するからいけない。また、貝類はさかなや肉にも調和しない。外国料理は、シチュー、カレー、スープの中によく貝を使っているが、マッチしていないのが多い。これは、外国には貝類も魚類も少ないので重宝がっているせいだろうが、料理の味をこわしているのが大方だ。
それとは逆に、日本では貝類がいくらでも取れるので、ぞんざいに使用しているようだ。貝類を多量に使用すると、あくどい料理になってしまうので、よい料理とはいえない。貝類はなるべく混合させぬ方がよいだろう。
さて、だしのことだが、人によって好みはさまざまである。あっさりしたのが好きだという人もある。あっさりしたのは、たいがい酒を飲む人に向く。飯を食うのには、いくらか味の強いのがよいかも知れない。この辺も「寄せなべ」は自分の好み通りにいくから、まことにもってこいの料理である。
たれはあらかじめちゃんと調合してつくっておくことが大切である。初めから終りまで一定の味のたれでやるのでないと、材料がかわるたびに、砂糖を入れる、醤油しょうゆを入れる、水を入れるという具合で、甘かったり、辛からかったり、水っぽかったり、味がまちまちになってしまう。それではおもしろくない。また、幾人もが代わるがわる世話をすると、必ずこういうことになる。ひとりきりで世話をするにしても、味加減というものは、厳密に一致するとはいえないから、どうしても、前もって料理に必要な分量だけつくっておくのがよい。味はあまり強めでないのがよいが、これはその家の風ふうでこしらえるのがよいと思う。たれをつくるには、すでにご承知であろうが、砂糖と醤油と酒とを適当に混和する。酒はふんだんに使うのがよろしい。かんざましでよい。アルコール分は含まれていなくていいのだし、飲んで酔おうというのとは異なるから、かんざましでよいわけである。ごく上等の酒を、思い切って多く用いるのがよい。
なべ料理は材料が主としてさかななので、だしにはかつおぶしより昆布こぶのほうがよい。「なべ料理」は出来たて、煮たてと、すべてが新鮮だからいいので、おでん屋というものがはやるのも、ここに一因があるわけだ。あれは決して料理がいいからはやるのではない。あの安料理のおでんが美味うまいのは、つまり、出来たてを待っていて食うというところにあるので、実際は美味いものでもなんでもないのである。舌を焼くような出来たてのものを食べるから、おでんは美味いものと評判になってはいるが、その実、粗末な食物なのだ。
粗末なおでんすら、出来たて故に私たちの味覚をよろこばすのであるから、お座敷おでんといえる「なべ料理」は、相当の満足を与えるに相違ない。私はおでんもてんぷらも、立ち食いをした経験をもっているから、その味がおよそどんなものだか分っている。ところが、私の考えているなべ料理となると、それらとは、はるかに距離のある高級なものである。その方法は、創作的に、独創的にやられればよい。
なべ料理は、気のおけぬごく懇意な間柄の人を招いて、和気あいあい、家族的に賑々しくつきあうような場合にふさわしい家庭料理といえよう。
次につくり方、食べ方の要領をお話ししよう。たいを煮ると仮定しよう。三人か五人で食べるなべだとすれば、その人数が一回食べるだけの分量のたいを煮る。煮えたらそれをすっかり上げてしまう。次に野菜を入れる。たいの頭などは、よくスープを出すからだしがふえる。ところが野菜はだしを吸収する。そういう材料の性質をみて、だしの出るもの、だしを吸うものを交互に入れて煮るというふうにする。そうして一回ごとになべの中をきれいに片付けて、最後まで新鮮な料理が食べられるようにする。食べ方にもこのような工夫がいる。
私は「なべ料理」の材料の盛り方ひとつにしても、生け花と寸分違わないと思っている。生け花というのは、自然の草や木を、自然にあるままに活かそうというので、そのためにいろいろ工夫をする。料理も自然、天然の材料を人間の味覚に満足を与えるように活かし、その上、目もよろこばせ、愉しませる美しさを発揮さすべきだと思う。そのこころの働かせ方は、花を活けることとなんらの違いもない。
ふつうの家庭では、なにかの時だけ、儀式的なことに、無闇と飾りたてたりしながら、平常はぞんざいにものごとを扱っている弊風があるのを、私はどうもおもしろく思わない。美的生活をなそうとするには、特別な時だけでは駄目だめである。いつでも、どんなものにも、美を生み出す心掛けを忘れてはならない。
私の考えていることは、日常生活の美化である。日々の家庭料理をいかに美しくしていくかということである。材料に気を配るとともに、材料を取扱う際の盛り方からまず気をつけて、いかにすべきかと工夫するのだ。工夫は細工ではない。工夫とは自然にもっとも接近することだ。なべ料理の材料の盛り方ひとつでも、心掛け次第で、屑物の寄せ集めに見えたり、見る目に快感を与え、美術品に類する美しいものに見えたりする。そういう区別が生ずるのである。
盛り方を工夫し、手際のよいものにしたいと思う時、当然そこに、食器に対しての関心が湧わいてくる。すなわち、陶器にも漆器にも目が開けてくるという次第になるのである。 | 関西と関東で異なる「なべ料理」の呼び方について説明してください。 | 鍋の具材がなんでも独創的に考案して、勝手に料理できることから東京では「寄せなべ」呼び、上方では、いろいろな材料がちらちら目について、大皿に盛られたありさまが、はなやかで、あれを食べよう、これを食べようと思いめぐらすことから「楽しみなべ」と呼びます。 |
JCRRAG_014585 | 国語 | けれども、私の言うことに、みんなはどっと噴きだしてしまいました。
男が十人笑えば女が十五人笑っていました。
これで私はつくづく考えました。はじめから問題にならないほど差のある連中の中で、いくら自分を立派に見せようとしても駄目だということがわかりました。
国王は非常に音楽が好きで、だから、よく宮廷では音楽会がありました。私もときどき、つれて行ってもらって、テーブルの上に箱を置いてもらって聞いたものですが、なにしろ大へんな音で、曲も何もわからないのです。軍楽隊の十の太鼓と二十のラッパをみんな持って来て耳許で鳴らすより、もっと凄い騒がしさです。ですから、私はいつも一番遠いところに箱を置いてもらい、扉も窓もすっかり閉め、カーテンまでおろします。そうすると、それでまず、どうにか聞けるのでした。
国王はまた非常に賢い方でしたが、よく私を箱のままつれて来て、陛下のテーブルの上に置かれます。私は椅子を一つ持って、箱から出て来ると、陛下の近くの箪笥の上に坐ります。そこで、私の顔と陛下の顔が向かい合いになります。こんなふうにして、私たちは何度も話し合いましたが、ある日、私は思いきって、こんなことを申し上げました。
「一たい陛下がヨーロッパなどを軽蔑なさるのは、どうも賢い陛下に似合わぬことのようです。智恵はなにも身体の大きさによるものではありません。いや、あべこべの場合だってあるようです。蜜蜂とか蟻とかは、ほかのもっと大きな動物たちよりも、はるかに勤勉で、器用で、利口だと言われています。私なども、陛下は取るに足りない人間だとお考えでしょうが、これでも、いつか素晴しいお役に立つかもしれません。」
陛下は、私の話を一心に聞いておられましたが、前よりよほど私をよくわかってくださるようでした。そして、
「それではひとつ、イギリスの政治について、できるだけ正確に話してもらいたい。」
と仰せになりました。
そこで、私はわが祖国の議会のこと、裁判所のこと、6000万人いる人口について、宗教について、あるいは歴史のことまで、いろいろとお話し申し上げることになりました。私は王に何回もお目にかかって、毎回数時間、この話をお聞かせしたのですが、王はいつも非常に熱心に聞いてくださいました。そして、ノートには、一つ一つ、後で質問しようと思われるところや、私の話の要点を書き込んでおられました。 | 私の言うことに笑った人間のうち、数が多いほうの性別を教えてください。 | 私の言うことに笑った人間のうち、数が多いほうの性別は女で十五人です。 |
JCRRAG_014586 | 国語 | 「世界の食通から『料理の王』と賛美されたフランス随一の板前オウグュスト・エスコフィエ老がこのほど亡くなった。
翁は外国にあって――わけても英・独・米等の地に永く留まって、フランス料理の醍醐味を遍からしめたので、『美食の大使』とも呼ばれていた。
ロンドンのサボイ・ホテルやカルトンで腕を揮っていた頃には、どれほどの喰いしん坊がはるばる海を渡って彼の皿を求めに来たか知れない。
大戦前、しばらくの間独帝に仕えた折りのこと、朕を毒殺するも容易であろうといったカイゼルに対して、フランス人は不意討ちなどは仕りませぬと敢然といい放ったものだという。
その死に遇って、パリのあらゆる新聞が筆を揃えて、偉大なる損失を悼んだのも、また、先に政府が勲章をもって功績に報いたのも、調理を芸術の一分野と看る、いかにも美食国らしい振舞いではないか」
右は「料理王逝く」として去る四月二十八日の東朝所載の記事。いかにもその料理王なるひとの生涯は思い見てうらやましきことだ。
すべての日本は外国に優る
その料理王の料理、いうがごとくしてそれが日本人であるなら、僕らのごときは毎日のように彼の料理を食ったことか分らない。
昔から僕らは日本という国、およそ何事も精神的のことであるかぎり、いかなる外国にも劣ることなしと考えているが、料理人ばかりは、この話に価するような者は一人もいないようだ。
日本料理と西洋料理との根本相違
もっとも日本料理と西洋料理とは、根本的に行方が違うようである。西洋料理はだいたいにおいて拙い材料を煮様、焼き方によって美味くする。従って、発達した理知がもっとも必要だ。しかし、目はいらない。それというのは西洋料理は美術的でないから。西洋料理では物の色は大きな役目をしているといえない。従って、目を喜ばす色を持つ料理はないといってよい。だから、食器類が美術的によき発達をしていない。白くして汚れがない程度を喜ぶに過ぎない。
こう考えてくると西洋料理なるものは、さほどむずかしいものとは考えられない。記事中の名料理人なるものは、どんなひとか知らないけれど、とにかく、一世に鳴った人物であってみれば、料理の好きな人間であったに違いなかろう。味覚上天才を持っておったことも、一大盛名を馳する第一の要素となっておったと見るべきだ。
しかし、このひと、欧米の料理界において著名を謳われたのは、料理の腕もさることながら、人間が相当に出来ていたに違いない。
最後は人間の問題
その人間の力というか、人格というか、人間が出来ているということ、それが根本での働きをして欧米唯一の王冠を得たものと思う。
日本の料理界を見るとき庖丁を持たせば、達者に使える者は幾人もおる。煮炊きさせても、かれこれ役に立つ者もないではないが、ただ憾むらくは人間の出来ている者がない。なにをするにしても、人間の出来ているということが、根本の問題であることは動かすべからざる事実だ。人間が出来ておって物が出来る。当たりまえながら、それで一人前なのだ。なんにも出来なくても、人間さえ出来ておれば、立派なものだ。いわんや人間が出来ておって物が出来るとしたら鬼に金棒だ。すなわち一人前の人間である。
そういう意味において、日本の今の料理界は淋しい。まして日本料理は、美術的であるから審美眼が要る。また、食品材料の品種がむやみに多いから、これをいちいち見分ける体験と鑑定力がいり用だ。
ひと口にたいといってもうなぎといっても、あるいはだいこんといっても、実に多種多様だ。ピンからキリまで幾通りあるか知れない。これがよし悪しを見分け、その特徴を捉えて、得失を考え、適宜にあんばいし、無理のない、合法的な真に美しい、食って美味い料理にすることは容易な業ではない。まったくへなちょこな人間では出来るものではない。
質の異なる日本料理と西洋料理との吟味
日本の料理は材料がよいために、西洋料理のごとく、複雑な技巧を用いないで美味く食えるものだ。よい魚ならば、塩を振って炭火でじかに焼いて、それで最高料理の一つになる。野菜のごときも新鮮であるならば、なんの手数も要しないで簡単に美味く食える。従って、日本料理は料理人の知恵で拵えた味が美食として大きな働きをするのでなく、天然の味を生かして味わうことが根本的となるわけだ。複雑な調味料や複雑な調理法は、日本料理に無用な場合が多い。
こういうと、きわめて日本料理は簡単に考えられるが、この天与の天味を味わうということは、たかなかむずかしい。それはこれを知るひとがきわめて少ない一事で、かように断ぜられる。
西洋料理のごとく中国料理のごとく、人間の取り繕った味というものは大衆に分りやすい。だが分りそうで分り難いのは、前いったように天然の味を知ることだ。
一般に分り難い天然味と大衆に分りやすい人工味
天然の持ち味は実にその数が多い。千種の魚があるとすれば、千の異なった持ち味がある。万の野菜があるとするならば万種の持ち味がある。これをいちいち味わって身につけることは、なんでもないようであって容易ではない。いわんや、それをいちいち生かすことにおいてをやだ。そこへゆくと料理法で、ひとの作った味は、その数にもかぎりがあってきわめて容易だ。数からいってもまったく覚えやすい。また、同じ人間仲間の作ったものであるだけに、直接親しみやすいところがある。そのせいか、たいていの人間は人知で出来た味付け物を喜ぶ。それから先へはなかなか歩まない。
これを絵画で譬えれば、愚にもつかぬ絵を喜ぶ者が、天然の美に関心ないようなものだ。薄の絵を見て、それが芸術上愚にもつかぬ絵であっても喜んでいて、本当の薄を見るとき軽視するがごときだ。美しさにおいてはいうまでもなく、本物の薄がもともと美しいのであるが、その薄の美しさは分らないで、下手でも絵の薄を喜ぶ。
味を知ることにおいても、たいていはこの程度のものが多い。要するに日本料理の名手たらんとする者は、天然固有の「味」を天分の舌に認識して、それをいかに生かすかに苦心する者であらねばならん。日本料理は西洋料理の鍋の中でゴッタ返す手腕が物をいうのではない。食品材料の良否を弁別することを第一とする。それが出来得る力こそ、日本料理の根本を知る者だ。しかも、その上、美術鑑賞の可能要素が要る。それというのは、よき料理になればなるほど、料理に関連する食器その他が美術価値を高めてくるからだ。
日本料理は見る料理ではなくて見るに足る料理となるわけだ。暗室で食う料理でないかぎり、盲人の食う食料でないかぎり、美を離れて存在するよき料理というものはないはずだ。
フランスの名人というオウグュスト・エスコフィエ老は、果たしていうところの美と天味を知っていたかどうか。画でいえば精々栖鳳とか、鴈治郎程度の技巧的名人肌ではなかったか。西洋人の世界一は、口ぐせの場合が多いようだ。 | 一般に分り難い天然味と大衆に分りやすい人工味の違いについて説明してください。 | 天然の持ち味は実にその数が多い。これをいちいち味わって身につけることは、なんでもないようであって容易ではない。まして、それをいちいち生かすことにおいてはなおさらである。そこへゆくと料理法で、ひとの作った味は、その数にもかぎりがあってきわめて容易だ。数からいってもまったく覚えやすい。また、同じ人間仲間の作ったものであるだけに、直接親しみやすいところがある。 |
JCRRAG_014587 | 国語 | それから、これは私にはどうもよくわからないのですが、この有名な学者は、畑にもみがらを蒔くことと、羊に毛の生えない薬を塗ることを、目下しきりに研究しているのだそうです。
私は道を横切って、向こう側の建物に入りました。そこの学士院には、学問の発明家がいました。
私が最初に会った教授は、広い教室にいました。そこには四十人ばかりの学生が集っていました。男が十五、女が三十五人だったでしょうか、教授は一つの便利な機械を考えていました。
その機械を使えば、どんな無学な人でも、何でも書けるのです。哲学、詩、政治学、数学、神学、そんなものが誰にでも、らくに書ける機械でした。教授は、その機械についていろいろ私に説明してくれました。
私はつづいて国語学校を訪ねました。
ここでは、二人の男性教授と一人の女性教授が国語の改良をいろいろと熱心に考えていました。
一つの案は、言葉を全部しゃべらないことにしたらいい、というものでした。その方が簡単だし、健康にもよい、ものをしゃべれば、それだけ肺を使うことになるから、生命を縮める、というのです。
それで、その代わりに、こんなことが発明されました。言葉というものは、物の名前だから、話をしようとするときには、その物を持って行って、見せっこをすれば、しゃべらなくても意味は通じるというのです。
しかし、これにも一つ困ることがあります。それはちょっとした話なら、道具をポケットに入れて持って行けばいいのですが、話がたくさんある場合だと大へんです。そのときは、力の強い召使が、大きな袋に、いろんな品物を入れて、背負って行かなければなりません。 | 国語学校で国語の改良をいろいろと熱心に考えている教授のうち、数が少ないほうの性別を教えてください。 | 国語学校で国語の改良をいろいろと熱心に考えている教授のうち、数が少ないほうの性別は女性教授で一人です。 |
JCRRAG_014588 | 国語 | 「世界の食通から『料理の王』と賛美されたフランス随一の板前オウグュスト・エスコフィエ老がこのほど亡くなった。
翁は外国にあって――わけても英・独・米等の地に永く留まって、フランス料理の醍醐味を遍からしめたので、『美食の大使』とも呼ばれていた。
ロンドンのサボイ・ホテルやカルトンで腕を揮っていた頃には、どれほどの喰いしん坊がはるばる海を渡って彼の皿を求めに来たか知れない。
大戦前、しばらくの間独帝に仕えた折りのこと、朕を毒殺するも容易であろうといったカイゼルに対して、フランス人は不意討ちなどは仕りませぬと敢然といい放ったものだという。
その死に遇って、パリのあらゆる新聞が筆を揃えて、偉大なる損失を悼んだのも、また、先に政府が勲章をもって功績に報いたのも、調理を芸術の一分野と看る、いかにも美食国らしい振舞いではないか」
右は「料理王逝く」として去る四月二十八日の東朝所載の記事。いかにもその料理王なるひとの生涯は思い見てうらやましきことだ。
すべての日本は外国に優る
その料理王の料理、いうがごとくしてそれが日本人であるなら、僕らのごときは毎日のように彼の料理を食ったことか分らない。
昔から僕らは日本という国、およそ何事も精神的のことであるかぎり、いかなる外国にも劣ることなしと考えているが、料理人ばかりは、この話に価するような者は一人もいないようだ。
日本料理と西洋料理との根本相違
もっとも日本料理と西洋料理とは、根本的に行方が違うようである。西洋料理はだいたいにおいて拙い材料を煮様、焼き方によって美味くする。従って、発達した理知がもっとも必要だ。しかし、目はいらない。それというのは西洋料理は美術的でないから。西洋料理では物の色は大きな役目をしているといえない。従って、目を喜ばす色を持つ料理はないといってよい。だから、食器類が美術的によき発達をしていない。白くして汚れがない程度を喜ぶに過ぎない。
こう考えてくると西洋料理なるものは、さほどむずかしいものとは考えられない。記事中の名料理人なるものは、どんなひとか知らないけれど、とにかく、一世に鳴った人物であってみれば、料理の好きな人間であったに違いなかろう。味覚上天才を持っておったことも、一大盛名を馳する第一の要素となっておったと見るべきだ。
しかし、このひと、欧米の料理界において著名を謳われたのは、料理の腕もさることながら、人間が相当に出来ていたに違いない。
最後は人間の問題
その人間の力というか、人格というか、人間が出来ているということ、それが根本での働きをして欧米唯一の王冠を得たものと思う。
日本の料理界を見るとき庖丁を持たせば、達者に使える者は幾人もおる。煮炊きさせても、かれこれ役に立つ者もないではないが、ただ憾むらくは人間の出来ている者がない。なにをするにしても、人間の出来ているということが、根本の問題であることは動かすべからざる事実だ。人間が出来ておって物が出来る。当たりまえながら、それで一人前なのだ。なんにも出来なくても、人間さえ出来ておれば、立派なものだ。いわんや人間が出来ておって物が出来るとしたら鬼に金棒だ。すなわち一人前の人間である。
そういう意味において、日本の今の料理界は淋しい。まして日本料理は、美術的であるから審美眼が要る。また、食品材料の品種がむやみに多いから、これをいちいち見分ける体験と鑑定力がいり用だ。
ひと口にたいといってもうなぎといっても、あるいはだいこんといっても、実に多種多様だ。ピンからキリまで幾通りあるか知れない。これがよし悪しを見分け、その特徴を捉えて、得失を考え、適宜にあんばいし、無理のない、合法的な真に美しい、食って美味い料理にすることは容易な業ではない。まったくへなちょこな人間では出来るものではない。
質の異なる日本料理と西洋料理との吟味
日本の料理は材料がよいために、西洋料理のごとく、複雑な技巧を用いないで美味く食えるものだ。よい魚ならば、塩を振って炭火でじかに焼いて、それで最高料理の一つになる。野菜のごときも新鮮であるならば、なんの手数も要しないで簡単に美味く食える。従って、日本料理は料理人の知恵で拵えた味が美食として大きな働きをするのでなく、天然の味を生かして味わうことが根本的となるわけだ。複雑な調味料や複雑な調理法は、日本料理に無用な場合が多い。
こういうと、きわめて日本料理は簡単に考えられるが、この天与の天味を味わうということは、たかなかむずかしい。それはこれを知るひとがきわめて少ない一事で、かように断ぜられる。
西洋料理のごとく中国料理のごとく、人間の取り繕った味というものは大衆に分りやすい。だが分りそうで分り難いのは、前いったように天然の味を知ることだ。
一般に分り難い天然味と大衆に分りやすい人工味
天然の持ち味は実にその数が多い。千種の魚があるとすれば、千の異なった持ち味がある。万の野菜があるとするならば万種の持ち味がある。これをいちいち味わって身につけることは、なんでもないようであって容易ではない。いわんや、それをいちいち生かすことにおいてをやだ。そこへゆくと料理法で、ひとの作った味は、その数にもかぎりがあってきわめて容易だ。数からいってもまったく覚えやすい。また、同じ人間仲間の作ったものであるだけに、直接親しみやすいところがある。そのせいか、たいていの人間は人知で出来た味付け物を喜ぶ。それから先へはなかなか歩まない。
これを絵画で譬えれば、愚にもつかぬ絵を喜ぶ者が、天然の美に関心ないようなものだ。薄の絵を見て、それが芸術上愚にもつかぬ絵であっても喜んでいて、本当の薄を見るとき軽視するがごときだ。美しさにおいてはいうまでもなく、本物の薄がもともと美しいのであるが、その薄の美しさは分らないで、下手でも絵の薄を喜ぶ。
味を知ることにおいても、たいていはこの程度のものが多い。要するに日本料理の名手たらんとする者は、天然固有の「味」を天分の舌に認識して、それをいかに生かすかに苦心する者であらねばならん。日本料理は西洋料理の鍋の中でゴッタ返す手腕が物をいうのではない。食品材料の良否を弁別することを第一とする。それが出来得る力こそ、日本料理の根本を知る者だ。しかも、その上、美術鑑賞の可能要素が要る。それというのは、よき料理になればなるほど、料理に関連する食器その他が美術価値を高めてくるからだ。
日本料理は見る料理ではなくて見るに足る料理となるわけだ。暗室で食う料理でないかぎり、盲人の食う食料でないかぎり、美を離れて存在するよき料理というものはないはずだ。
フランスの名人というオウグュスト・エスコフィエ老は、果たしていうところの美と天味を知っていたかどうか。画でいえば精々栖鳳とか、鴈治郎程度の技巧的名人肌ではなかったか。西洋人の世界一は、口ぐせの場合が多いようだ。 | 西洋料理と日本料理の違いについて説明してください。 | 西洋料理はだいたいにおいて拙い材料を煮様、焼き方によって美味くするため、発達した理知がもっとも必要となる。また食器類が美術的によき発達をしていない点から西洋料理では目を喜ばす色を持つ料理はないと言える。
一方で、日本料理は、食品材料の品種がむやみに多いから、これをいちいち見分ける体験と鑑定力を要する。料理人の知恵で拵えた味が美食となるのではなく、天然の味を生かして味わうことが根本的となるので複雑な調味料や複雑な調理法は、日本料理に無用な場合が多い。また、よき料理になるほど、料理に関連する食器その他が美術価値を高めるため、美術的審美眼が要る。 |
JCRRAG_014589 | 国語 | さて、二人の士官が身体検査にやって来ると、私は二人をつまみあげて、まず上衣のポケットに入れてやり、それから、順次ほかのポケットに案内してやりました。が、どうしても、見せたくないものを入れていたポケットだけは、見せなかったのです。
二人の男は、二本のペンと一個のインクと三枚の紙を持って、見たものを、一つ一つくわしく書きとめ、皇帝の御覧にいれるために、目録を作りました。私もあとになって、その目録を見せてもらいましたが、それは、ざっと次の通りでした。
「まず、この大きな人間山の上衣の右ポケットをよく検査したところ、ただ一枚の大きな布を発見しました。大きさは、宮中の大広間の敷物くらいあります。
次に左ポケットからは銀の蓋のついた大きな箱のようなものが出てきましたが、二人には持ち上げることができませんでした。私どもはそれを開けさせ、一人が中に入ってみると、塵のようなものがいっぱいつまっていました。その塵が私どもの顔のところまで舞い上ったときには、二人とも同時に何度もくしゃみが出ました。
次に、チョッキの右ポケットから出てきたものは、人間三人分の長さの白い薄い物が、針金で幾枚も重ねて締めつけてあり、それには、いろんな形が黒くついていました。これはたぶん書物だろうと思います。一字の大きさは、私どもの手の半分ほどもあります。
次に、チョッキの左ポケットには、一種の機械がありました。宮殿前の柵に似た長い二十本ばかりの棒が、その背中から出ているのです。これは人間が頭の髪をとく道具だと思えます。
ズボンのポケットからは、長さが人間一人分ほどもある、鉄の筒がありました。これは何に使うのかわかりません。右の内側のポケットからは、一すじの銀の鎖が下がり、その下の方には一つの不思議な機械がついていました。私どもは、その鎖についているものを引き出してみよ、と言いました。これは半分は銀で、半分は透明なもので出来ています。彼はこの機械を、私どもの耳の傍へ持って来ました。すると、水車のように絶えず音がしているのです。これは不思議な動物か、小さな神様のように思えます。人間山の説明では、彼は何をするにも、いちいち、この機械と相談するということです。
次に、彼は左の内ポケットから、漁夫の使うような網を取り出しました。これは財布だそうです。中には重い黄色い金属が四枚、銀色の金属が三枚入っていました。これがほんとの金だとすれば、大したものにちがいありません。
このようにして、私どもは陛下の命令どおり、熱心に彼の持ち物を調べてみましたが、最後に、彼の腰のまわりに、一つの帯があるのを見つけました。それは何か大きな動物の革でこしらえたもので、その左の方からは、人間五人分の長さの剣が下っておりました。右の方からは、袋が下がっておりました。
私どもは人間山の身体から発見したものを、このように、書きとめておきます。人間山は、陛下を尊敬して、礼儀正しく、私どもを待遇してくれました。」 | 私の財布の中で一番多かったものを教えてください。 | 私の財布の中で一番多かったものは黄色い金属で四枚です。 |
JCRRAG_014590 | 国語 | 私どもが旅行をしますと、汽車の弁当を食ったり、旅館の料理を食ったりしなければなりませんが、それらはいかにも不味くてまったく閉口します。そういう日本料理というものはまるでなっていません。まだ西洋料理ならいくらか食べられます。また、中国料理でもそうです。してみると、西洋料理とか中国料理とかいうものは、拵え方がやさしいのだ、単純なのだ。ひと通り覚えれば、誰にでも簡単にやれるのでありましょう。ところが、日本料理というと、そうはいかないのでありまして、私どもが料理人を使っていて、朝から晩までガミガミいっていましても、なかなかうまく出来ない。しかし、日本料理がうまく出来ると、われわれ日本人には誰の嗜好にも合って、その料理がわれわれの味覚にぴったり適するのです。しかし、このぴったりがなかなかいかないのです。
私ども内輪でいくらやかましくいっていても、料理人たちは上の空でだめですから、こういう機会に、本気で聞かせようと思っているのであります。それで、みなさんに聞いていただきながら、いっしょに料理人にも聞かせるので、こういう機会に、みなさんを利用するようなわけでもあります。
私どもはよくこういうことを聞かれます。何歳の子どもには、どんな食べ物がよくて、どうした料理がいいでしょうかと。そのようなことは、ごく平凡な料理の話で、私どもは申し上げません。私の申しますのは、このだいこんとだいこんはどうだとか、この水と水とは、このなにとなにとは、どちらが良いか悪いかという機微に触れること。のりにしましても、どういうのりがもっともよいかという比較詮議をする。そういうお話をいたしますので、例えば、一流の料理屋の刺身の醤油にしても、一々違いますが、それが区分けが出来るように、こんなことはどうも僭越ですが、いわゆる食道楽の立場から、ぜいたくといえば、ぜいたくといえる最高の嗜好的、食べ物のお話をいたそうと思います。そのおつもりでお聞きを願います。
料理とは理を料ること
料理とは食というものの理を料るという文字を書きますが、そこに深い意味があるように思います。ですから、合理的でなくてはなりません。ものの道理に合わないことではいけません。ものを合理的に処理することであります。割烹というのは、切るとか煮るとかいうのみのことで、食物の理を料るとはいいにくい。料理というのは、どこまでも理を料ることで、不自然な無理をしてはいけないのであります。
真に美味しい料理はどうも付焼刃では出来ません。隣りの奥さんがやられるからちょっとやってみようか、ではだめであります。心から好きで、味の分る舌を持たなくては、よい料理は出来ないのであります。
料理は相手を診断せよ
自分の料理を他人に無理強いしてはなりません。相手をよく考慮して、あたかも医者が患者を診断して投薬するごとく、料理も相手に適するものでなくてはなりません。そこに苦心が要るのです。医者が患者の容態が判るように、料理をする者は、相手の嗜好を見分け、老若男女いずれにも、その要求が叶うようでなくてはなりません。相手の腹が空いているかどうか、この前にはどんなものを食べているとか、量とか質とか、平常の生活とか、現在の身体の加減とかを考慮に入れなければなりません。それは充分、料理の体験がなくてはならぬことであろうと思います。
甘い、辛いということも、甘ければ甘いで美味く、辛ければ辛いで美味いというふうに、どんな味であっても嗜好に叶うという、すなわち、ものの道理に背かない味でなくてはなりません。それですから、ただ眼で見ることばかりではだめでありますし、また、料理は舌の上が美味いのみでも足りません。まず目先が変わるとか、色彩の用意が異なるとかいうことで、つまり、感覚の全体に訴えて満足するとか、美味くなるという総大観になるのであります。名医となることも、名料理人になることも、容易ではありません。
原料第一――選定
さて、原料は鳥にしても、あまり成熟しない中くらいのものがよろしいのでありまして、真に賞味出来るのは、そういうものであります。たいについて申しましても、四、五百匁のところがちょうど美味本位に当たるので、一貫目から一貫目以上になると、非常に味が大味になります。しかし、味はたとえ落ちても、大きいたいの頭を兜蒸しなどに使うのは立派でいいでしょうが、実際からいいますと、やはり、美味くありません。大きいのは形と色彩がよくて感じは立派だが、味は論になりません。それならば小振りのものが味がよいといって、小さいものばかりに決めるかといえば、たびたびのことになると、そうばかりにいかない。ただなにごとも単純ではいかないのであります。こういうことについては、なにもかも一応知って苦労をしておき、そして、機宜の処置がとれなくてはいけません。
もともと美味いものは、どうしても材料によるので、材料が悪ければ、どんな腕のある料理人だって、どうすることも出来ません。里芋でいっても、ゴリゴリした芋だったら、どんな煮方をしたって、料理人の手に負い切れないのです。さかなにしても脂っ気のないものは、それこそ煮ても焼いても、バターを付けようと雲丹を塗ろうと、どんなにしたってものになりません。材料を精選するということの大切なゆえんであります。この材料を見分けることは、なかなか容易なことではなく、むずかしいことですが、注意の修練、勘によってできますものであります。悪材を持った場合、まあなんとかなるというような、ぼんやりした考えではよい料理はできません。 | 旅館で食べる日本料と日本料理以外に対する感想の違いを説明してください。 | 西洋料理とか中国料理は、拵え方がやさしいく、単純であるため、ひと通り覚えれば、誰にでも簡単に作れてしまう。日本料理は打って変わって、料理人を使って朝から晩までガミガミいっても、なかなかうまく出来ない。 |
JCRRAG_014591 | 国語 | けれども、私の言うことに、みんなはどっと噴きだしてしまいました。
男が十人笑えば女が十五人笑っていました。
これで私はつくづく考えました。はじめから問題にならないほど差のある連中の中で、いくら自分を立派に見せようとしても駄目だということがわかりました。
国王は非常に音楽が好きで、だから、よく宮廷では音楽会がありました。私もときどき、つれて行ってもらって、テーブルの上に箱を置いてもらって聞いたものですが、なにしろ大へんな音で、曲も何もわからないのです。軍楽隊の十の太鼓と二十のラッパをみんな持って来て耳許で鳴らすより、もっと凄い騒がしさです。ですから、私はいつも一番遠いところに箱を置いてもらい、扉も窓もすっかり閉め、カーテンまでおろします。そうすると、それでまず、どうにか聞けるのでした。
国王はまた非常に賢い方でしたが、よく私を箱のままつれて来て、陛下のテーブルの上に置かれます。私は椅子を一つ持って、箱から出て来ると、陛下の近くの箪笥の上に坐ります。そこで、私の顔と陛下の顔が向かい合いになります。こんなふうにして、私たちは何度も話し合いましたが、ある日、私は思いきって、こんなことを申し上げました。
「一たい陛下がヨーロッパなどを軽蔑なさるのは、どうも賢い陛下に似合わぬことのようです。智恵はなにも身体の大きさによるものではありません。いや、あべこべの場合だってあるようです。蜜蜂とか蟻とかは、ほかのもっと大きな動物たちよりも、はるかに勤勉で、器用で、利口だと言われています。私なども、陛下は取るに足りない人間だとお考えでしょうが、これでも、いつか素晴しいお役に立つかもしれません。」
陛下は、私の話を一心に聞いておられましたが、前よりよほど私をよくわかってくださるようでした。そして、
「それではひとつ、イギリスの政治について、できるだけ正確に話してもらいたい。」
と仰せになりました。
そこで、私はわが祖国の議会のこと、裁判所のこと、6000万人いる人口について、宗教について、あるいは歴史のことまで、いろいろとお話し申し上げることになりました。私は王に何回もお目にかかって、毎回数時間、この話をお聞かせしたのですが、王はいつも非常に熱心に聞いてくださいました。そして、ノートには、一つ一つ、後で質問しようと思われるところや、私の話の要点を書き込んでおられました。 | 私の言うことに笑った人間のうち、数が少ないほうの性別を教えてください。 | 私の言うことに笑った人間のうち、数が少ないほうの性別は男で十人です。 |
JCRRAG_014592 | 国語 | 私どもが旅行をしますと、汽車の弁当を食ったり、旅館の料理を食ったりしなければなりませんが、それらはいかにも不味くてまったく閉口します。そういう日本料理というものはまるでなっていません。まだ西洋料理ならいくらか食べられます。また、中国料理でもそうです。してみると、西洋料理とか中国料理とかいうものは、拵え方がやさしいのだ、単純なのだ。ひと通り覚えれば、誰にでも簡単にやれるのでありましょう。ところが、日本料理というと、そうはいかないのでありまして、私どもが料理人を使っていて、朝から晩までガミガミいっていましても、なかなかうまく出来ない。しかし、日本料理がうまく出来ると、われわれ日本人には誰の嗜好にも合って、その料理がわれわれの味覚にぴったり適するのです。しかし、このぴったりがなかなかいかないのです。
私ども内輪でいくらやかましくいっていても、料理人たちは上の空でだめですから、こういう機会に、本気で聞かせようと思っているのであります。それで、みなさんに聞いていただきながら、いっしょに料理人にも聞かせるので、こういう機会に、みなさんを利用するようなわけでもあります。
私どもはよくこういうことを聞かれます。何歳の子どもには、どんな食べ物がよくて、どうした料理がいいでしょうかと。そのようなことは、ごく平凡な料理の話で、私どもは申し上げません。私の申しますのは、このだいこんとだいこんはどうだとか、この水と水とは、このなにとなにとは、どちらが良いか悪いかという機微に触れること。のりにしましても、どういうのりがもっともよいかという比較詮議をする。そういうお話をいたしますので、例えば、一流の料理屋の刺身の醤油にしても、一々違いますが、それが区分けが出来るように、こんなことはどうも僭越ですが、いわゆる食道楽の立場から、ぜいたくといえば、ぜいたくといえる最高の嗜好的、食べ物のお話をいたそうと思います。そのおつもりでお聞きを願います。
料理とは理を料ること
料理とは食というものの理を料るという文字を書きますが、そこに深い意味があるように思います。ですから、合理的でなくてはなりません。ものの道理に合わないことではいけません。ものを合理的に処理することであります。割烹というのは、切るとか煮るとかいうのみのことで、食物の理を料るとはいいにくい。料理というのは、どこまでも理を料ることで、不自然な無理をしてはいけないのであります。
真に美味しい料理はどうも付焼刃では出来ません。隣りの奥さんがやられるからちょっとやってみようか、ではだめであります。心から好きで、味の分る舌を持たなくては、よい料理は出来ないのであります。
料理は相手を診断せよ
自分の料理を他人に無理強いしてはなりません。相手をよく考慮して、あたかも医者が患者を診断して投薬するごとく、料理も相手に適するものでなくてはなりません。そこに苦心が要るのです。医者が患者の容態が判るように、料理をする者は、相手の嗜好を見分け、老若男女いずれにも、その要求が叶うようでなくてはなりません。相手の腹が空いているかどうか、この前にはどんなものを食べているとか、量とか質とか、平常の生活とか、現在の身体の加減とかを考慮に入れなければなりません。それは充分、料理の体験がなくてはならぬことであろうと思います。
甘い、辛いということも、甘ければ甘いで美味く、辛ければ辛いで美味いというふうに、どんな味であっても嗜好に叶うという、すなわち、ものの道理に背かない味でなくてはなりません。それですから、ただ眼で見ることばかりではだめでありますし、また、料理は舌の上が美味いのみでも足りません。まず目先が変わるとか、色彩の用意が異なるとかいうことで、つまり、感覚の全体に訴えて満足するとか、美味くなるという総大観になるのであります。名医となることも、名料理人になることも、容易ではありません。
原料第一――選定
さて、原料は鳥にしても、あまり成熟しない中くらいのものがよろしいのでありまして、真に賞味出来るのは、そういうものであります。たいについて申しましても、四、五百匁のところがちょうど美味本位に当たるので、一貫目から一貫目以上になると、非常に味が大味になります。しかし、味はたとえ落ちても、大きいたいの頭を兜蒸しなどに使うのは立派でいいでしょうが、実際からいいますと、やはり、美味くありません。大きいのは形と色彩がよくて感じは立派だが、味は論になりません。それならば小振りのものが味がよいといって、小さいものばかりに決めるかといえば、たびたびのことになると、そうばかりにいかない。ただなにごとも単純ではいかないのであります。こういうことについては、なにもかも一応知って苦労をしておき、そして、機宜の処置がとれなくてはいけません。
もともと美味いものは、どうしても材料によるので、材料が悪ければ、どんな腕のある料理人だって、どうすることも出来ません。里芋でいっても、ゴリゴリした芋だったら、どんな煮方をしたって、料理人の手に負い切れないのです。さかなにしても脂っ気のないものは、それこそ煮ても焼いても、バターを付けようと雲丹を塗ろうと、どんなにしたってものになりません。材料を精選するということの大切なゆえんであります。この材料を見分けることは、なかなか容易なことではなく、むずかしいことですが、注意の修練、勘によってできますものであります。悪材を持った場合、まあなんとかなるというような、ぼんやりした考えではよい料理はできません。 | 料理の材料となる鳥の選び方で大きい鳥と小さい鳥の味の違いについて説明してください。 | 一貫目から一貫目以上の大きい鳥になると形と色彩がよくて感じは立派ですが、非常に味が大味になります。小振りの鳥の方が味がよく、あまり成熟しない中くらい四、五百匁のところがちょうど美味本位となります。 |
JCRRAG_014593 | 国語 | 私は、行商人のような恰好で、大きな荷物を背負っている人を、たびたび見たことがあります。
大きな荷物を背負っている大人が二人、小さめの荷物を背負っている子供も三人くらい見たでしょうか。
彼らが往来で出会うと、荷物をおろして、袋をほどき、中からいろんな品物を取り出します。
動物の模型を三個出したり、人間の模型を四個出したかと思えば花を六本出したりしていました。
こうして、かれこれ一時間ぐらい話がつづいたかと思うと、品物を袋におさめて、荷物を背負って立ち上がります。
私はその次に数学教室を見物しました。
ここでは、ヨーロッパなどでは、思いつくこともできない、珍しい方法で、教えられていました。まず、数学の問題と答案を、薄い煎餅の上に、特別製のインキで、清書しておきます。学生たちに、お腹を空っぽにさせておいて、この煎餅を食べさせます。その後三日間は、九個のパンと十杯の水しか与えません。そうすると、煎餅が消化されるにつれて、それと同時に問題は頭の方へ上がってゆくというのです。
しかし、これは実際には一度も成功していません。というのは、この煎餅を食べると、ひどく胸が悪くなるので、みんなこっそり抜け出して、吐き出してしまうからです。
成功しないのも当然ですね。 | 大きな荷物を背負っている人たちが、荷物をおろして袋をほどき、取り出す品物のうち、もっとも数が多いものを教えてください。 | 大きな荷物を背負っている人たちが、荷物をおろして袋をほどき、取り出す品物のうち、もっとも数が多いのは花で六本です。 |
JCRRAG_014594 | 国語 | 原料の原味を殺すな
原料の原味を殺さないのが料理のコツのひとつであります。きゅうりならきゅうり、そらまめならそらまめに、それぞれの持ち味があるのですから、その持って生まれた味を殺さないように工夫しなければなりません。小芋の味ひとつにしたって、人の力ではどうにもできないのでありますから、持ち味を生かすということは、とりもなおさず、生きたよい材料を扱うということになるのであります。例えば湯豆腐を拵えるにしても、その豆腐のよいものを探し当てねばならない。それでなくって、醤油だ、薬味だといって、それらにばかりやかましくいったところで、もちろん、それもやかましくいわねばなりませんが、それら工夫のことは第二義のことで、それよりも豆腐の吟味が第一義なのであります。材料の精選とともに材料の原味を殺さぬこと、その味というものは、科学や人為では出来ないものでありますから、それを貴ぶのであります。
昆布、鰹節――選定および出汁の取り方・削り方
料理には出汁が必要であります。出汁はふつうかつおぶしが使われて、東京では、あまりこぶは使わないようでありますが、出汁には、やはりこの両方とも、うまく使うのがよろしいと思います。それでどういうこぶがよいか、どういうかつおぶしがよいかということをお話しいたさねばなりません。東京ではどういうものですかあまりこぶの出汁を使わないようでありますが、ぜひとも、かつおぶしの出汁とこぶの出汁とは使い分けして使うがよいと思います。こぶにしても、かつおぶしにしても、土産物にもらったとか、あり合わせのというのでは、どうもおもしろくありません。
かつおぶしはどういうふうにして削るか、どういうふうにして材料を選択するか。かつおぶしとかつおぶしとを叩き合わすと、カンカンとまるで拍子木を鳴らすみたいな音でないといけません。虫の入った木のような、ポトポトしかいわない、湿っぽい匂いのするのはだめです。
ところで、みなさんのご家庭では鉋をもっておられましょうか。切れ味のよい鉋でなければ、完全にかつおぶしを削ることはできません。赤錆になったり、刃の鈍くなったもので、ゴリゴリとごつく削っていたのでは、かつおぶしが例え一円のものでも、五十銭の値打ちもしないものになります。どんなふうに削ったのがいい出汁になるのかと申しますと、削ったかつおぶしがまるで雁皮紙のごとく薄く、ガラスのように光沢あるものでないといけないのであります。こういうのでないと、よい出汁が出ないのであります。削り下手なかつおぶしは、死んだ出汁が出ます。生きたいい出汁をつくるには、どうしても上等のよく切れる鉋を持たねばなりません。そして出汁を取るには、グラグラッと湯のたぎるところへ、サッと入れた瞬間、充分に出汁ができているのです。それを、いつまでも入れておいて、クタクタ煮るのでは、碌な出汁は出ず、かえって味を損うばかりです。いわゆる二番出汁というようなものにしてはいけません。それで刃のよく切れる、台の平らな鉋をお持ちになられることをお勧めいたします。かつおぶしを薄く削るということは、非常に経済的であり、味について効果的でもあります。ごつい鉋でゴツゴツ削るのでは、まったくかつおぶしを殺してしまって、百匁の物でも五十匁の用にしかなっておらぬというようなことです。こんな矛盾が世間には行われがちではないかと思います。
こぶ出汁のことは、東京では料理屋でさえあまり知らないようです。これは東京には、こぶを使うという習慣がなかったからでしょう。こぶの出汁は、実に結構なものでありまして、さかなの料理にはこぶ出汁にかぎります。かつおぶしの出汁では、さかなの味が二つ重なるので、どうしても具合の悪いものができます。この味のダブルということがくどいのであります。こぶを出汁に使う法は、古来、京都で考えられたことです。ご存知のように、京都は千年もつづいた首都でありましたから、北海道で産出されたこぶが、はるかな京都という山の中で、実際上の需要から必要に迫られて、こぶ出汁を取るまでに発達したのでありました。
こぶの出汁を取りますのは、こぶを水でぬらしただけで、五分間か三分間、間をおき、こぶの表面がほとびれた感じのする時、水道の水で、ジャーッとさせないで、音もせず身動きもしないで、トロッと出る水をこぶに受けながら、指先で器用にいたわって、だましだまし、こぶの表面の砂、ゴミみたいなものを落とすのです。そのこぶを熱湯の中へサッと通す。それでいいのであります。これでは、出汁が出たかどうかと訝かられるかも知れませんが、これで充分、出汁ができているので、出たか出ないかは、ちょっと汁をなめてみるのです。これで、実に気の利いた出汁ができています。量はどれくらい要るかは、実習いたしますと、すぐお判りになります。この出汁は、たいの潮などのときは、ぜひともこれでなくてはなりません。こぶを湯からサッと通したきりで上げてしまうのは、なにか惜しいように考えて、長くいつまでも煮るのは、こぶの底の甘い味が出て、決して気の利いた出汁はできません。京都辺では引き出しこぶといって、なべの一方からこぶを湯に入れて、底をくぐらして、一方から引き上げる、こうしたやり方をしていますが、これでありますと、どんなやかましい食通でも満足し、文句がないということをいっています。
よい料理には「味の素」は不可
「味の素」は近来非常に宣伝されておりますが、私は「味の素」の味は気に入らない。料理人の傍に置けば、不精から、どうしても過度に使うというようになってしまいますから、その味に災いされます。私どもは「味の素」をぜんぜん料理場に置かぬことにしています。「味の素」も使い方でお惣菜的料理に適する場合もあるでしょうが、そういうことは上等の料理の場合ではありません。今のところ、とにかく高級を意味する料理のためには、なるたけ「味の素」は使わないのがよいと思います。なんとしても上等の料理、最高の料理には、私の経験上「味の素」は味が低く、かつ、味が一定していけないと思います。こぶなりかつおぶしを自分の加減で調味するのがよいと思います。 | 鰹節の死んだ出汁と生きたいい出汁の違いについて説明してください。 | 死んだ出汁は鰹節同士を叩き合わせた際に、虫の入った木のような、ポトポトした音がして、湿っぽい匂いがします。さらに赤錆や刃の鈍い鉋で、ゴリゴリとごつく削った物をいつまでも熱湯に入れておいて、クタクタ煮ることで味が損なわれた死んだ出汁となる。
生きたいい出汁は、鰹節同士を叩き合わすと、カンカンとまるで拍子木を鳴らす様な音がする。切れ味のよい鉋で削ったかつおぶしはまるで雁皮紙の様に薄く、ガラスの様な光沢があり、熱湯へサッと入れた瞬間に充分に出汁が出る。 |
JCRRAG_014595 | 国語 | さて、二人の士官が身体検査にやって来ると、私は二人をつまみあげて、まず上衣のポケットに入れてやり、それから、順次ほかのポケットに案内してやりました。が、どうしても、見せたくないものを入れていたポケットだけは、見せなかったのです。
二人の男は、二本のペンと一個のインクと三枚の紙を持って、見たものを、一つ一つくわしく書きとめ、皇帝の御覧にいれるために、目録を作りました。私もあとになって、その目録を見せてもらいましたが、それは、ざっと次の通りでした。
「まず、この大きな人間山の上衣の右ポケットをよく検査したところ、ただ一枚の大きな布を発見しました。大きさは、宮中の大広間の敷物くらいあります。
次に左ポケットからは銀の蓋のついた大きな箱のようなものが出てきましたが、二人には持ち上げることができませんでした。私どもはそれを開けさせ、一人が中に入ってみると、塵のようなものがいっぱいつまっていました。その塵が私どもの顔のところまで舞い上ったときには、二人とも同時に何度もくしゃみが出ました。
次に、チョッキの右ポケットから出てきたものは、人間三人分の長さの白い薄い物が、針金で幾枚も重ねて締めつけてあり、それには、いろんな形が黒くついていました。これはたぶん書物だろうと思います。一字の大きさは、私どもの手の半分ほどもあります。
次に、チョッキの左ポケットには、一種の機械がありました。宮殿前の柵に似た長い二十本ばかりの棒が、その背中から出ているのです。これは人間が頭の髪をとく道具だと思えます。
ズボンのポケットからは、長さが人間一人分ほどもある、鉄の筒がありました。これは何に使うのかわかりません。右の内側のポケットからは、一すじの銀の鎖が下がり、その下の方には一つの不思議な機械がついていました。私どもは、その鎖についているものを引き出してみよ、と言いました。これは半分は銀で、半分は透明なもので出来ています。彼はこの機械を、私どもの耳の傍へ持って来ました。すると、水車のように絶えず音がしているのです。これは不思議な動物か、小さな神様のように思えます。人間山の説明では、彼は何をするにも、いちいち、この機械と相談するということです。
次に、彼は左の内ポケットから、漁夫の使うような網を取り出しました。これは財布だそうです。中には重い黄色い金属が四枚、銀色の金属が三枚入っていました。これがほんとの金だとすれば、大したものにちがいありません。
このようにして、私どもは陛下の命令どおり、熱心に彼の持ち物を調べてみましたが、最後に、彼の腰のまわりに、一つの帯があるのを見つけました。それは何か大きな動物の革でこしらえたもので、その左の方からは、人間五人分の長さの剣が下っておりました。右の方からは、袋が下がっておりました。
私どもは人間山の身体から発見したものを、このように、書きとめておきます。人間山は、陛下を尊敬して、礼儀正しく、私どもを待遇してくれました。」 | 私の財布の中で一番少なかったものを教えてください。 | 私の財布の中で一番少なかったものは銀色の金属で三枚です。 |
JCRRAG_014596 | 国語 | 原料の原味を殺すな
原料の原味を殺さないのが料理のコツのひとつであります。きゅうりならきゅうり、そらまめならそらまめに、それぞれの持ち味があるのですから、その持って生まれた味を殺さないように工夫しなければなりません。小芋の味ひとつにしたって、人の力ではどうにもできないのでありますから、持ち味を生かすということは、とりもなおさず、生きたよい材料を扱うということになるのであります。例えば湯豆腐を拵えるにしても、その豆腐のよいものを探し当てねばならない。それでなくって、醤油だ、薬味だといって、それらにばかりやかましくいったところで、もちろん、それもやかましくいわねばなりませんが、それら工夫のことは第二義のことで、それよりも豆腐の吟味が第一義なのであります。材料の精選とともに材料の原味を殺さぬこと、その味というものは、科学や人為では出来ないものでありますから、それを貴ぶのであります。
昆布、鰹節――選定および出汁の取り方・削り方
料理には出汁が必要であります。出汁はふつうかつおぶしが使われて、東京では、あまりこぶは使わないようでありますが、出汁には、やはりこの両方とも、うまく使うのがよろしいと思います。それでどういうこぶがよいか、どういうかつおぶしがよいかということをお話しいたさねばなりません。東京ではどういうものですかあまりこぶの出汁を使わないようでありますが、ぜひとも、かつおぶしの出汁とこぶの出汁とは使い分けして使うがよいと思います。こぶにしても、かつおぶしにしても、土産物にもらったとか、あり合わせのというのでは、どうもおもしろくありません。
かつおぶしはどういうふうにして削るか、どういうふうにして材料を選択するか。かつおぶしとかつおぶしとを叩き合わすと、カンカンとまるで拍子木を鳴らすみたいな音でないといけません。虫の入った木のような、ポトポトしかいわない、湿っぽい匂いのするのはだめです。
ところで、みなさんのご家庭では鉋をもっておられましょうか。切れ味のよい鉋でなければ、完全にかつおぶしを削ることはできません。赤錆になったり、刃の鈍くなったもので、ゴリゴリとごつく削っていたのでは、かつおぶしが例え一円のものでも、五十銭の値打ちもしないものになります。どんなふうに削ったのがいい出汁になるのかと申しますと、削ったかつおぶしがまるで雁皮紙のごとく薄く、ガラスのように光沢あるものでないといけないのであります。こういうのでないと、よい出汁が出ないのであります。削り下手なかつおぶしは、死んだ出汁が出ます。生きたいい出汁をつくるには、どうしても上等のよく切れる鉋を持たねばなりません。そして出汁を取るには、グラグラッと湯のたぎるところへ、サッと入れた瞬間、充分に出汁ができているのです。それを、いつまでも入れておいて、クタクタ煮るのでは、碌な出汁は出ず、かえって味を損うばかりです。いわゆる二番出汁というようなものにしてはいけません。それで刃のよく切れる、台の平らな鉋をお持ちになられることをお勧めいたします。かつおぶしを薄く削るということは、非常に経済的であり、味について効果的でもあります。ごつい鉋でゴツゴツ削るのでは、まったくかつおぶしを殺してしまって、百匁の物でも五十匁の用にしかなっておらぬというようなことです。こんな矛盾が世間には行われがちではないかと思います。
こぶ出汁のことは、東京では料理屋でさえあまり知らないようです。これは東京には、こぶを使うという習慣がなかったからでしょう。こぶの出汁は、実に結構なものでありまして、さかなの料理にはこぶ出汁にかぎります。かつおぶしの出汁では、さかなの味が二つ重なるので、どうしても具合の悪いものができます。この味のダブルということがくどいのであります。こぶを出汁に使う法は、古来、京都で考えられたことです。ご存知のように、京都は千年もつづいた首都でありましたから、北海道で産出されたこぶが、はるかな京都という山の中で、実際上の需要から必要に迫られて、こぶ出汁を取るまでに発達したのでありました。
こぶの出汁を取りますのは、こぶを水でぬらしただけで、五分間か三分間、間をおき、こぶの表面がほとびれた感じのする時、水道の水で、ジャーッとさせないで、音もせず身動きもしないで、トロッと出る水をこぶに受けながら、指先で器用にいたわって、だましだまし、こぶの表面の砂、ゴミみたいなものを落とすのです。そのこぶを熱湯の中へサッと通す。それでいいのであります。これでは、出汁が出たかどうかと訝かられるかも知れませんが、これで充分、出汁ができているので、出たか出ないかは、ちょっと汁をなめてみるのです。これで、実に気の利いた出汁ができています。量はどれくらい要るかは、実習いたしますと、すぐお判りになります。この出汁は、たいの潮などのときは、ぜひともこれでなくてはなりません。こぶを湯からサッと通したきりで上げてしまうのは、なにか惜しいように考えて、長くいつまでも煮るのは、こぶの底の甘い味が出て、決して気の利いた出汁はできません。京都辺では引き出しこぶといって、なべの一方からこぶを湯に入れて、底をくぐらして、一方から引き上げる、こうしたやり方をしていますが、これでありますと、どんなやかましい食通でも満足し、文句がないということをいっています。
よい料理には「味の素」は不可
「味の素」は近来非常に宣伝されておりますが、私は「味の素」の味は気に入らない。料理人の傍に置けば、不精から、どうしても過度に使うというようになってしまいますから、その味に災いされます。私どもは「味の素」をぜんぜん料理場に置かぬことにしています。「味の素」も使い方でお惣菜的料理に適する場合もあるでしょうが、そういうことは上等の料理の場合ではありません。今のところ、とにかく高級を意味する料理のためには、なるたけ「味の素」は使わないのがよいと思います。なんとしても上等の料理、最高の料理には、私の経験上「味の素」は味が低く、かつ、味が一定していけないと思います。こぶなりかつおぶしを自分の加減で調味するのがよいと思います。 | 気の利いた昆布出汁の取り方とそうではない昆布出汁の取り方の違いを説明してください。 | 気の利いた昆布出汁は熱湯の中へサッと通すことで出ます。長くいつまでも煮てしまうと、こぶの底の甘い味が出て、決して気の利いた出汁はできません。 |
JCRRAG_014597 | 国語 | けれども、私の言うことに、みんなはどっと噴きだしてしまいました。
男が十人笑えば女が十五人笑っていました。
これで私はつくづく考えました。はじめから問題にならないほど差のある連中の中で、いくら自分を立派に見せようとしても駄目だということがわかりました。
国王は非常に音楽が好きで、だから、よく宮廷では音楽会がありました。私もときどき、つれて行ってもらって、テーブルの上に箱を置いてもらって聞いたものですが、なにしろ大へんな音で、曲も何もわからないのです。軍楽隊の十の太鼓と二十のラッパをみんな持って来て耳許で鳴らすより、もっと凄い騒がしさです。ですから、私はいつも一番遠いところに箱を置いてもらい、扉も窓もすっかり閉め、カーテンまでおろします。そうすると、それでまず、どうにか聞けるのでした。
国王はまた非常に賢い方でしたが、よく私を箱のままつれて来て、陛下のテーブルの上に置かれます。私は椅子を一つ持って、箱から出て来ると、陛下の近くの箪笥の上に坐ります。そこで、私の顔と陛下の顔が向かい合いになります。こんなふうにして、私たちは何度も話し合いましたが、ある日、私は思いきって、こんなことを申し上げました。
「一たい陛下がヨーロッパなどを軽蔑なさるのは、どうも賢い陛下に似合わぬことのようです。智恵はなにも身体の大きさによるものではありません。いや、あべこべの場合だってあるようです。蜜蜂とか蟻とかは、ほかのもっと大きな動物たちよりも、はるかに勤勉で、器用で、利口だと言われています。私なども、陛下は取るに足りない人間だとお考えでしょうが、これでも、いつか素晴しいお役に立つかもしれません。」
陛下は、私の話を一心に聞いておられましたが、前よりよほど私をよくわかってくださるようでした。そして、
「それではひとつ、イギリスの政治について、できるだけ正確に話してもらいたい。」
と仰せになりました。
そこで、私はわが祖国の議会のこと、裁判所のこと、6000万人いる人口について、宗教について、あるいは歴史のことまで、いろいろとお話し申し上げることになりました。私は王に何回もお目にかかって、毎回数時間、この話をお聞かせしたのですが、王はいつも非常に熱心に聞いてくださいました。そして、ノートには、一つ一つ、後で質問しようと思われるところや、私の話の要点を書き込んでおられました。 | 軍楽隊の楽器のうち、数が多いほうを教えてください。 | 軍楽隊の楽器のうち、数が多いほうはラッパで二十です。 |
JCRRAG_014598 | 国語 | 蔬菜は新鮮入手に努力すべし
野菜料理は相当の年配の方に好まれます。また、健康上からも、たいへんによろしいのであります。私は鎌倉で陶器をやっていますから、そこにわずかの畑を持っていまして、だいこんでも里芋でもねぎでも、採りたてのものばかりしか食べていませんが、この採りたてのものは、質が違うと思われるほど美味いものです。採ってから少しでも時間が経つと、どうも問題にならぬくらい味が落ちます。東京ではそういうことはできませんが、鎌倉ですと、お客をしましても、膳を出す三十分なり四十分なり前でなければ、畑から採らせないのであります。
里芋でありますなら、掘る洗う煮るという具合に続けますと、その芋が少々性のよくないものでも、相当に食べられる。性がよければ、この上、美味いことはないのであります。今は松茸の時節でありますが、松茸にしましても、この頃の山へ行って、採った場所ですぐさま食べるのが一番美味いのです。京都あたりから、たくさん送られて来るのですが、途中籠の中で変育して、届いたときは発送時より大きく育っています。栄養を摂取しなくて育つのですから、痩せるに決っています。従って変味します。筍にしましても、送ったときに五寸のものが、届いたときは六寸になっているという現象があります。これは野菜が生きたようで、実は死味に近づきつつある証拠です。ですから、ほんとうに生きているものを食べる――という心がけが美食には必要となります。生きた野菜でなければ、真の美味は摂取できないわけです。
さかなや野菜の生きているか死んでいるかを見分けるには、さかなでは容易に分っても、野菜では簡単に判りません。だから野菜では採りたてがよい、採りたてに近いほどよいとしてあります。たいなど大きいものになりますと、一日二日おいた方が、かえって味がよいこともありますが、野菜は採りましてからも、ある期間、不自然な発育をしていますから、その処理に工夫を要します。例えば、ねぎにしますなら、青いところを摘んでしまって、白根だけにしておきます。それでないと、青い部分を育てて白根の養分をなくしますから、そうしないようにする。また、だいこんでありましたら、葉をつけたままだと、葉を育てるためにだいこんの方から養分がとられますから、葉を切り放して、葉はすぐ糠味噌に入れるなどした方がよろしいのです。
野菜を扱うのには、このようなちょっとしたコツがあると思います。けれども、なんといっても、採りたての野菜を、すぐさま使うよりよいことはないのであります。
魚も鳥も大は、ある時を経てよし、小は、新鮮にかぎると知ること
魚とか鳥とかの大きいものは、相当時間が経過して味のよくなるものがあります。けれども小さいもの、鳥でいえば、鶫とか鶉とか雀とか、魚でなら、いわしとかあじとかいいますものは、獲りたて、または締めたてでなくては美味くありません。
大きいものならば、海から山から得て、五日あるいは三日を経過して、かえって味がよいものがあります。
生きた食器、死んだ食器
そこで食器のことになりますが、せっかく骨折ってつくった料理も、それを盛る器が死んだものでは、まったくどうにもなりません。料理がいくらよくても、容器が変な容器では、快感を得ることができません。私は生きた食器、死んだ食器ということをいっておりますが、料理を盛って、生きた感じがしますのと、なにもかも殺してしまう食器とがあります。茶人という者になりますと、向付に五千円、なにに五百円という具合に、よい器を欲します。それは生きた食器だからであります。食器が下らぬものでは料理まで生きませんから、料理と食器とが一致し、調和するように心がけるのであります。
その食器を選ぶということも、ただやかましくいうだけのことではなく、食器そのものを愛し、取り扱うことが楽しみであり、その食器をいたわりいたわり扱うというところに、料理との不二の契が結ばれるのです。食器が楽しいものになれば、必然、料理が楽しいものになるのです。それはあたかも、車の両輪のようなものでありましょう。
結局、料理は好きでつくる以上の名法はない
実際、料理といいますのは、好きでつくるというのでなくてはなりません。それが趣味であります。ただ知って美味くつくるという知識だけではなく、温かい愛情で楽しみながらやるという気持であります。だから、食器のことなども心がけることによって、美術の趣味を深くすることができます。そうしてだんだんと調子の高いものを求めることです。みなさんが帝展をごらんになれば、いいお気持になられましょう。それは美術に対する要求が満足するからです。ところが、さらに高くなると、博物館へ行くということになります。食器の美的鑑賞も向上してくるのでありますし、食物の上にも美をそういうふうに表わすようになります。すなわち、切り方だとか、盛り方だとか、色だとか、いろいろなことに心が届くようになるのであります。結局、料理というものは、好きでやるのでなくてはだめだということになるのであります。主人がやかましいから一応知っておかなければ、というような了見では高の知れたものであります。好きでおもしろく、楽しんで料理をおやりになられるまで進まれるように希望いたします。
終わりに、醤油について、ひと言申し上げておきたいと存じます。濃口醤油ではどうもよい料理ができないのです。薄口というのがあります。これは播州竜野でできるのですが、関西では昔から使われています。東京にはこれまでありませんでした。近頃、山城屋には置いています。実際、薄口でなければ、ほんとうによい料理はできません。色はつきませんし、しかも、値段は安く、塩分が多いからよくのびて、経済からいっても大いに安いし、まったく料理には薄口がなければならないといってもよいでしょう。
それから、刃物のことなどもお話しいたしたいのですが、時間もございませんので、簡単にいいますが、どうか刃物もよく切れるのをお使いになっていただきたい。そしてよく切れると、切るのがおもしろいから、自然、料理に興味が持てるということになるのであります。 | 生きた食器と死んだ食器の違いについて説明してください。 | 生きた食器は料理を盛った際に、生きた感じがし、料理と食器とが一致し、調和する。食器が楽しいものになれば、必然、料理が楽しいものになる。
死んだ食器は料理がいくらよくても、なにもかも殺してしまい、快感を得ることができない。 |
JCRRAG_014599 | 国語 | 私は、行商人のような恰好で、大きな荷物を背負っている人を、たびたび見たことがあります。
大きな荷物を背負っている大人が二人、小さめの荷物を背負っている子供も三人くらい見たでしょうか。
彼らが往来で出会うと、荷物をおろして、袋をほどき、中からいろんな品物を取り出します。
動物の模型を三個出したり、人間の模型を四個出したかと思えば花を六本出したりしていました。
こうして、かれこれ一時間ぐらい話がつづいたかと思うと、品物を袋におさめて、荷物を背負って立ち上がります。
私はその次に数学教室を見物しました。
ここでは、ヨーロッパなどでは、思いつくこともできない、珍しい方法で、教えられていました。まず、数学の問題と答案を、薄い煎餅の上に、特別製のインキで、清書しておきます。学生たちに、お腹を空っぽにさせておいて、この煎餅を食べさせます。その後三日間は、九個のパンと十杯の水しか与えません。そうすると、煎餅が消化されるにつれて、それと同時に問題は頭の方へ上がってゆくというのです。
しかし、これは実際には一度も成功していません。というのは、この煎餅を食べると、ひどく胸が悪くなるので、みんなこっそり抜け出して、吐き出してしまうからです。
成功しないのも当然ですね。 | 大きな荷物を背負っている人たちが、荷物をおろして袋をほどき、取り出す品物のうち、もっとも数が少ないものを教えてください。 | 大きな荷物を背負っている人たちが、荷物をおろして袋をほどき、取り出す品物のうち、もっとも数が少ないものは動物の模型で三個です。 |
JCRRAG_014600 | 国語 | 要するに料理の根本は食品原料、すなわち、さかな、野菜、肉など、なんであっても、大体において、いずれも、その持ち前の味を変えない心掛けが肝要である。西洋料理や中国料理にあっても、そうであることに間違いはないが、ことに日本料理にあっては、料理法と材料の関係上、これを深く考慮しなければならない必要がある。
西洋料理や中国料理は、食品原料の持ち味に欠けるものが少なくないために、料理する際に、盛んにいろいろな補助味を使って調味し、一種の混成味による料理をつくることは得意のようだが、日本料理に至っては、真に優良美味な食品原料に恵まれているために、補助味と言えば、大部分がかつおぶしの一種で用が足りる。もっとも上方においては、昆布も使うが、日本料理の補助味は、このように至って簡単である。
およそ料理についても、ものの味わいというものを考えてみるのに、天然の味に優る味というものはないようである。大根の味でも、豆の味でも、一尾のいわしの味でも、半片のまぐろの味も、到底、人為的には作り得るものではないのである。
料理通のひとりであるという桜井という工学博士は、歳七十にも余る人であったが、かつての文藝春秋社の催した食物についての座談会の席上、私たちに向かい、「日本には調味料、補助味の類が、ほとんど発明されていない」と言って、さも見くびったように慨歎されたのであったが、それは日本が文明に遅れているためでもなければ、科学に無能なためでもないのである。その国の食品補助味や調味料が数少ないというのは、その国の食品原料が美味であることを物語るものであって、桜井博士が誇りがましく言われる西洋料理に調味料、補助味の豊富なことは、とりもなおさず、西洋の食品原料が粗質で、その持ち味に欠けるところがあるためにほかならないことを、端的に物語るものなのである。
私は見たわけではないから、推量であるが、おそらく「味の素」の本家である鈴木氏の家庭ですら、きっとかつおぶしを欠かさずに、ふだん用いておられると思う。このようなことをくとくどと言うわけは、つまり、自然味に優る人工味なし――ということを強調したいためである。
それだけに、いやしくも調理に志あるものは、自然味というものを、もっとも大切に取り扱わなければならない。これをまず第一に念頭に、しっかりと打ち込んでおかなければいけない。そして、その天然の持ち味というものを、いかに取り扱ったら、より以上持ち味を生かすことかできるか――ということに常に想いを致さなけれはならないのである。 | 日本料理と外国料理における特徴の違いについて説明してください。 | 西洋料理や中国料理は、食品原料の持ち味に欠けるものが多く、料理する際に、盛んにいろいろな補助味を使って調味し、一種の混成味による料理をつくることを得意とする。
日本料理に至っては、真に優良美味な食品原料に恵まれているため、補助味と言えば、大部分がかつおぶしや昆布で足りるほど簡単である。 |
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