ID stringlengths 13 13 | Category stringclasses 12 values | Context stringlengths 1 4.96k | Question stringlengths 7 248 | GroundtruthAnswer stringlengths 2 663 |
|---|---|---|---|---|
JCRRAG_014401 | 国語 | 私は身体が小さいので、ときどき、滑稽な出来事に出会いました。
グラムダルクリッチは、よく私を箱に入れて、庭につれ出し、そしてときには、箱から出して手の上に乗せてみたり、地面を歩かせてみたりしていました。あるとき、それはまだあのこびとが宮廷にいた頃のことですが、彼が庭までついてやって来たのです。ちょうど、彼と私のすぐ傍に、盆栽の林檎の木がありました。この盆栽とこびとを見くらべていると、なんだかおかしくなったので、私はちょっと、彼を冷やかしてやりました。すると、このいたずら小僧は、私が林檎の木蔭を歩いている隙をねらって、頭の上の木を揺さぶりだしました。たちまち、十の赤い林檎、二個の青い林檎が私の頭の上に落ちかかりましたが、これがまた酒樽ほどもある大きさなのです。かがもうとするところへ、その一つが背中にあたり、二つが足に当たりました。私は前へのめってしまいました。一日大事を取って休むことにしました。
ある日、グラムダルクリッチは、私を芝生の上におろして、ひとり遊ばせておき、自分は家庭教師と一緒に、少し離れたところを歩いていました。すると、にわかに猛烈な霰が降ってきて、私はたちまち地面にたたきつけられました。霰はまるでテニスの球でも投げつけるように、全身に打ち込んでくるのです。
霰が私の体に打ち付けられたうち、上半身に五十個、下半身には四十個は当たったでしょうか。
しかしやっと四つ這いになって、レモンの木蔭に這い込み、私は顔を伏せていました。だが、頭のてっぺんから、足の先まで、傷だらけになって、十日ばかりは外出もできなかったのです。
しかし、これは少しも驚くことではないのです。この国では、何もかも同じ割合に大きいのですから、霰粒一つでもヨーロッパの霰の千八百倍はあります。これは、私がわざわざ秤にかけて計ってみたのですから、たしかです。
ヨーロッパの霰が1グラムなら1.8キロはあるのです。
しかし、もっと危険な事が、この庭園で起こったことがあります。私は一人で考えごとをしたいので、ときどき、一人にしてくれと頼むのですが、乳母さんは私を安全な所へ置いたつもりで、ほかの人たちと一しょに、庭園のどこか別のところへ行っていました。ちょうど、その留守中のことでした。園丁が飼っているスパニエル犬が、どうしたはずみか、庭園に入り込んで来て、私の寝ている方へやって来たのです。私の匂いを嗅ぎつけると、たちまち飛んで来て、私をくわえると、尻尾を振りながら、ドンドン、主人のところへ駈けつけて行って、そっと、私を地面に置きました。運よく、その犬は、よく仕込まれていたので、歯の間にくわえられながらも、私は怪我一つせず、着物も破れなかったのです。 | 私の頭の上に落ちかかった林檎のうち、数が少ないほうを教えてください。 | 私の頭の上に落ちかかった林檎のうち、数が少ないほうは青い林檎で二個です。 |
JCRRAG_014402 | 国語 | その声に気がついて見ると、杜子春はやはり夕日を浴びて、洛陽の西の門の下に、ぼんやりたたずんでいるのでした。霞んだ空、白い三日月、絶え間ない人や車の波、すべてがまだ峨眉山へ、行かない前と同じことです。
「どうだな。おれの弟子になったところが、とても仙人にはなれはすまい」
片目眇の老人は微笑を浮かべながら言いました。
「なれません。なれませんが、しかし私はなれなかったことも、かえって嬉しい気がするのです」
杜子春はまだ眼に涙を浮かべたまま、思わず老人の手を握りました。
「いくら仙人になれたところが、私はあの地獄の森羅殿の前に、鞭を受けている父母を見ては、黙っている訳には行きません」
「もしお前が黙っていたら」と鉄冠子は急に厳粛な顔になって、じっと杜子春を見つめました。
「もしお前が黙っていたら、おれは即座にお前の命を絶ってしまおうと思っていたのだ。お前はもう仙人になりたいという望みも持っていまい。大金持ちになることは、元より愛想がつきた筈だ。ではお前はこれから後、何になったらいいと思うね」
「何になっても、人間らしい、正直な暮らしをするつもりです」
杜子春の声には今までにない晴れ晴れした調子がこもっていました。
「その言葉を忘れるなよ。ではおれは今日限り、二度とお前にはあわないから」
鉄冠子はこう言う内に、もう歩き出していましたが、急に又足を止めて、杜子春の方を振り返ると、
「おお、さいわい、今思い出したが、おれは泰山の南の麓に家を持っている。その家を畑ごとお前にやるから、早速行って住むがいい。今頃は丁度家のまわりに、桃の花が一面に咲いているだろう」と、さも愉快そうにつけ加えました。 | 杜子春が夕日を浴びて、洛陽の西の門の下で目の前に広がっている物の数を教えてください。 | 杜子春が夕日を浴びて、洛陽の西の門の下で目の前に広がっている物の数は3で、
「霞んだ空」
「白い三日月」
「絶え間ない人や車の波」
です。 |
JCRRAG_014403 | 国語 | 金太郎が帰って行く道々でも、森の中でかけっこをしたり、岩の上で鬼ごっこをしたりして遊び遊び行くうちに、大きな谷川のふちへ出ました。水はごうごうと音を立てて、えらい勢いで流れて行きますが、あいにく橋がかかっていませんでした。みんなは、
「どうしましょう。あとへ引き返しましょう」
と言いました。金太郎はひとりへいきな顔をして、
「なあにいいよ。」
と言いながら、そこらを見みまわしますと、ちょうど川の岸に二抱えもあるような大きな杉の木が立っていました。金太郎はまさかりをほうり出して、いきなり杉の木に両手をかけました。そして二、三度ぐんぐん押したと思うと、めりめりとひどい音がして、木は川の上にどっさりと倒れかかって、りっぱな橋ができました。金太郎はまたまさかりを肩にかついで、先に立って渡っていきました。みんなは顔を見合わせて、てんでんに、
「えらい力だなあ。」
とささやき合いながら、ついて行きました。
その時向こうの岩の上にきこりが一人かくれていて、この様子を見ていました。金太郎がむぞうさに、大きな木をおし倒したのを見て、目をまるくしながら、
「どうもふしぎな子供だな。どこの子供だろう。」
とひとりごとを言いました。そして立ち上がって、そっと金太郎のあとについて行きました。うさぎや熊とわかれると、金太郎は一人で、また身軽にひょいひょいと谷を渡ったり、崖を渡ったりして、深い深い山奥の一軒家に入っていきました。そこいらには白い雲がわき出していました。
きこりはそのあとからやっと木の根をよじたり、岩角につかまったりして、ついて行きました。やっとうちの前まで来きて、きこりが中をのぞきますと、金太郎はいろりの前に座って、おかあさんの山うばに、熊や鹿とを取った話をせっせとしていました。おかあさんもおもしろそうに、にこにこ笑いながら聞いていました。その時きこりは出しぬけに窓から首をぬっと出して、
「これこれ、坊や。こんどはおじさんとすもうを取ろう。」
と言いながら、のこのこ入って行きました。そしていきなり金太郎の前に毛むくじゃらな手を出しました。山うばは「おや」といってふしぎそうな顔つきをしましたけれど、金太郎はおもしろがって、
「ああ、取ろう。」
と、すぐむくむく肥ったかわいらしい手を出しました。そこで二人はしばらく真っ赤な顔をして押し合いました。そのうちきこりはふいと、
「もう止めよう。勝負がつかない。」
と言い、手を引っ込めてしまいました。それからあらためてすわりなおして、山うばに向かって、ていねいにおじぎをして、
「どうも、だしぬけに失礼しました。じつはさっきぼっちゃんが、谷川のそばで大きな杉の木を押し倒したところを見て、おどろいてここまでついて来きたのです。今また腕相撲を取って、いよいよ怪力なのにおどろきました。どうしてこの子は今にえらい勇士になりますよ。」 | 大きな谷川のふちで、水はごうごうと音を立てて、えらい勢いで流れて行きますが、あいにく橋がかかっていませんでした。これを見たみんなと金太郎の反応の違いを教えてください。 | 金太郎が大きな谷川のふちへ出ました。水はごうごうと音を立てて、えらい勢いで流れて行きますが、あいにく橋がかかっていませんでした。みんなはこまって、引き返しましょうと言いました。
一方、金太郎はひとりへいきな顔をして川の岸に二抱えもあるような大きな杉の木を二、三度ぐんぐん押して、木は川の上にどっさりと倒し、りっぱな橋を作りました。 |
JCRRAG_014404 | 国語 | はじめのうちふたりはあまりわくわくしていたので、四つの手がぶっつきあってしかたがなかったが、そのうち本物の自転車屋の子どものようにすらすらとうまくやっていくことができた。だがむろん、正九郎のあらい立ての白ズボンがみるみる汚くなってゆくことはまぬがれなかった。よいことがあればすこしくらいはわるいこともがまんしなければならない。
だがこんなことになろうとは思っていなかった。修繕が終わって正九郎が空気ポンプでタイヤの中に空気を送っていたとき、急に空気の抵抗がなくなって、ポンプがきかなくなってしまったのだ。五六度おしたりひきあげたりしてみたが、水の中へ棒をさしこむようなものである。正九郎は加平と顔をみあわせた。たいへんなことをしてしまったという気持ちがお互いの顔にあらわれていた。正九郎は眼の前が暗くなってきた。そして耳の中に波がおしよせたように、ざあざあと鳴りだしたのである。
やれやれ! 何も知らないお客さんが、十銭玉を加平の手ににぎらせて、自転車にのっていってしまうと、ふたりはポンプの破損という大きな壁のような罪に面と向かわねばならなかった。不幸というものはこんな工合にやってくるものだということをふたりはいまさらのように感じた。
「おれ知らんじゃ」と加平がいった。
加平はやっぱり他人である。正九郎はなき出したくなってしまった。でもないたとてどうにもならないと彼が考えたほど、その罪は大きなものに思えた。それは石のようにのしかかってきて彼の心をおさえつけた。騎馬戦の馬になっていて、大勢の下じきになったときみたいな苦しい圧迫感がみぞおちのあたりに感ぜられた。
むろん加平がこのおそろしい過失をやあ公につげるものと正九郎は観念していた。ところが予想はまちがっていたのである。やあ公が腹いっぱいたべた証拠にげっぷをしながら帰ってくると、加平はお客さんがおいていった十銭玉をわたして簡単にわけを話したきり、何もいわないのであった。
しかし正九郎はむしろつげてもらった方がよかった。そうすればそこでわあとなき出してしまうこともできたのである。
罪を隠匿することはなんと苦労のいることだろう。ふたりは空気入れの方をあまりみてはいけないのである。さもないとやあ公がそれをあやしみはじめるかもしれないからだ。また、話をやあ公のすきなものの方にのみ局限しなければならない。そうでないと、いつ話が空気入れの上に落ちぬともかぎらぬからである。にもかかわらず正九郎はしばしば空気入れの方を盗みみないではおれなかった。気になってしかたがない。いまにも空気入れがひとりでに歩いてきて、正九ンがぼくをこわしたとしゃべり出しやしまいかとさえ思うのだった。
いちばんいい方法は早く空気入れのいないところへいってしまうことである。私たちの良心が苦しくてたまらないときは、その良心を苦しめるもののみえないところへいってしまうのが、最上の策だということを私たちはよく知っている。だからだれでもみるもあわれな乞食の前は急いで通りぬけてしまうのである。
ふたりは、やあ公が十銭玉をいつもの手さげ金庫にちゃりんとほうりこんだのをしおに、にげ出すような気持ちで店を出た。もうここへはこんりんざいこないと正九郎は思った。自転車屋の店がみえなくなった道角でふたりはややほっとした。
だがここでも不幸はふたりを待っていた。ほっとしたとたんに、正九郎はあらい立てのズボンをすっかり汚してしまったことに気がついたのである。その上加平までが、やあ公がびわの木をあらしすぎやしなかったかということを心配しだしたのである。気がついてみれば、加平のお父つあんはうさぎでもにわとりでも平気でしめころすおそろしいおじさんだった!
ふたりは水からあがったばかりの仔猫のようにしょんぼりつっ立って、もの悲しげに夕暮をみた。もう彼らにはいくところがない。すべては終わってしまった! | 正九郎がこのおそろしい過失をやあ公にむしろつげてもらった方がよかったと思ったのはなぜですか。 | 正九郎がそこでわあとなき出してしまうこともできたからです。 |
JCRRAG_014405 | 国語 | 「もし、この道具を使えば、今まで十人でした仕事が、たった一人で出来るし、宮殿はたった一週間で建つ。それに一度建てたら、もう修繕する必要がない。果物は、いつでも好きなときに熟れさせることができ、今までの百倍ぐらいたくさん取れるようになる。」
と、そのほかいろいろ結構なことばかり言うのです。
残念なのは、これらの計画が、まだどれも、ほんとに出来上ってはいないことです。だから、それが出来るまでは、国中が荒れ放題になり、家は破れ、人民は不自由をつづけます。だがそれでも彼等は元気は失わず、希望にもえ、半分やけくそになりながら、五十倍の勇気を振り絞って、この計画をなしとげようとするのです。
彼はこんなことを私に説明してくれたのです。そして、
「ぜひ、ひとつあなたにも、その学士院を御案内しましょう。」
と、つけ加えました。
それから数日して、私は彼の友人に案内されて、学士院を見物に行きました。
この学士院は、全体が一つの建物になっているのではなく、往来の両側に建物がずっと並んでいました。
私が訪ねて行くと、院長は大変喜んでくれました。私は何日も何日も、学士院へ出かけて行きました。どの部屋にも、発明家が二人いました。部屋によっては三人、多いところでは四人いました。
私はおよそ五百ぐらいの部屋を見て歩きました。
発明家がいる部屋は学士院の一本の廊下の両側にずらっと並んであり、右側に二百、左側に三百あったでしょうか。
最初に会った男は、手も顔も煤だらけで、髪はぼうぼうと伸び、それに、ところどころ焼け焦げがありました。そして、服もシャツも、皮膚と同じ色なのです。 | 学士院の部屋にいる発明家のうち、もっとも多い人数を教えてください。 | 学士院の部屋にいる発明家のうち、もっとも多い人数は四人です。 |
JCRRAG_014406 | 国語 | 昔、大和の国葛城山の麓に、髪長彦という若いきこりが住んでいました。これは顔が女のようにやさしくて、その上髪までも女のように長かったものですから、こういう名前をつけられていたのです。
髪長彦は、大そう笛が上手でしたから、山へ木を伐りに行く時でも、仕事の合間には、腰にさしている笛を出して、独りでその音を楽しんでいました。するとまた不思議なことには、どんな鳥獣や草木でも、笛の面白さはわかるのです。髪長彦がそれを吹き出すと、草はなびき、木はそよぎ、鳥や獣はまわりへ来て、じっとしまいまで聞いていました。
ところがある日のこと、髪長彦はいつもの通り、とある大木の根がたに腰を卸しながら、余念もなく笛を吹いていますと、たちまち自分の目の前へ、青い勾玉を沢山ぶらさげた、足の一本しかない大男が現れて、
「お前は中々笛がうまいな。おれはずっと昔から山奥の洞穴で、神代の夢ばかり見ていたが、お前が木を伐りに来始めてからは、その笛の音に誘われて、毎日面白い思いをしていた。そこで今日はそのお礼に、ここまでわざわざ来たのだから、何でも好きなものを望むがいい。」と言いました。
そこできこりは、しばらく考えていましたが、
「私は犬が好きですから、どうか犬を一匹下さい。」と答えました。
すると、大男は笑いながら、
「たかが犬を一匹くれなどとは、お前もよほど欲のない男だ。しかしその欲のないのも感心だから、ほかにはまたとないような不思議な犬をくれてやろう。こう言うおれは、葛城山の足一つの神だ。」と言って、一声高く口笛を鳴らしますと、森の奥から一匹の白犬が、落葉を蹴立てて駈けて来ました。
足一つの神はその犬を指して、
「これは名を嗅げと言って、どんな遠い所の事でも嗅ぎ出して来る利口な犬だ。では、一生おれの代わりに、大事に飼ってやってくれ。」と言うかと思うと、その姿は霧のように消えて、見えなくなってしまいました。
髪長彦は大喜びで、この白犬と一しょに里へ帰って来ましたが、あくる日また、山へ行って、何気なく笛を鳴らしていると、今度は黒い勾玉を首へかけた、手の一本しかない大男が、どこからか形を現して、
「きのうおれの兄きの足一つの神が、お前に犬をやったそうだから、己も今日は礼をしようと思ってやって来た。何か欲しいものがあるのなら、遠慮なく言うがいい。己は葛城山の手一つの神だ。」と言いました。
そうして髪長彦が、また「嗅げにも負けないような犬が欲しい。」と答えますと、大男はすぐに口笛を吹いて、一匹の黒犬を呼び出しながら、
「この犬の名は飛べと言って、誰でも背中へ乗ってさえすれば百里でも千里でも、空を飛んで行くことが出来る。明日はまたおれの弟が、何かお前に礼をするだろう。」と言って、前のようにどこかへ消え失せてしまいました。
するとあくる日は、まだ、笛を吹くか吹かないのに、赤い勾玉を飾りにした、目の一つしかない大男が、風のように空から舞い下って、
「おれは葛城山の目一の神だ、兄きたちがお前に礼をしたそうだから、己も嗅げや飛べに劣らないような、立派な犬をくれてやろう。」と言ったと思うと、もう口笛の声が森中にひびき渡って、一匹の斑犬が牙をむき出しながら、駈けて来ました。
「これは噛めという犬だ。この犬を相手にしたが最後、どんな恐い鬼神でも、きっと一噛みに噛み殺されてしまう。ただ、おれたちのやった犬は、どんな遠いところにいても、お前が笛を吹きさえすれば、きっとそこへ帰って来るが、笛がなければ来ないから、それを忘れずにいるがいい。」
そう言いながら目一つの神は、また森の木の葉をふるわせて、風のように舞い上ってしまいました。 | 髪長彦がもらった犬の数を教えてください。 | 髪長彦がもらった犬の数は3で、
「嗅げ」
「飛べ」
「噛め」
です。 |
JCRRAG_014407 | 国語 | しばらくすると、おとうさんは、親類やお友達にすすめられるまま、二度めの奥方をもらいました。
こうしておとうさんはだんだん、先の奥方を忘れるようになりました。でも鉢かつぎはいつまでもおかあさんのことを忘れられないで、時々思い出しては、寂しそうな顔をしていました。こんどのおかあさんはそれをにくらしがって、
「まあ、鉢を頭にかついだへんな子なんか、みっともなくって、わたしの娘だなんて言えないよ」
といいました。そのうち奥方にも子供が一人生まれました。そうなるといよいよ鉢かつぎ姫をじゃまにして、姫がああしました、こうしましたといっては、ありもしないことを、おとうさんに告げ口ばかりしていました。
鉢かつぎ姫は、このごろではもうおとうさんにさえきらわれるようになって、この世の中に頼る人もなくなりました。それで毎日亡くなったおかあさんのお墓におまいりをして、涙をこぼしながら、
「おかあさま、どうぞあなたが行っていらっしゃる遠いお国に、わたくしを早くお呼び取り下さいまし。」
といって拝んでいました。
すると奥方はまた、鉢かつぎが毎日お墓まいりをすることを知って憎らしくなり、
「まあ、鉢かつぎはおそろしい子供です。わたしたちを殺すつもりで、のろいをかけております。」
と、おとうさんにざん言しました。おとうさんは大そうおこって、
「不幸な子だと思って、大目に見ておいてやったのだが、何のとがもないかあさんや、きょうだいをのろうと聞いては、捨ててはおけない。出ていけ。」
といいました。
鉢かつぎはあまりに身に覚えのないことだったので、のろうなんてとんでもないと泣きました。
奥方は向こうを向いて、そっと舌を出しながら、
「かわいそうだけれど、おとうさんのきびしいおいいつけだから。」
といって、鉢かつぎをつかまえて、むりに着物をぬがせて、汚れたひとえ物を一枚着せたまま、追い出してしまいました。
鉢かつぎは泣きながら、どこへ行くというあてもなしに迷い歩きました。どこをどう歩いたか、自分でも知らないうちに、ふと大きな川の岸へ出ました。
「こうやっていつまで歩いていたところで、しまいには疲れて飢え死にでもする外はないのだから、少しでも早く死んで、おかあさまのいらっしゃる遠いお国へ、迎え取っていただいた方がいい。」
こう鉢かつぎは思いながら、川のふちへ下りていって、身を投げようとしました。けれどどろんと真っ青に気味悪くよどんだ水の底には、どんな魔物が住んでいるか知れないと思おもうと、おじけがついて、度々飛び込みかけては躊躇しました。やっと思いきって身を投げると、こんどは頭にかぶった鉢がじゃまになって、沈んでも沈んでも浮き上がりました。するとそこへ舟をこいで来た一人の船頭が見つけて、
「おやおや、大きな鉢が流れてきた。」
といいながら、鉢をつかんで引き上げますと、下から人間の姿が現われたので、びっくりして、手を放して逃げていってしまいました。鉢かつぎは、死ぬこともできない悲しい身の上だとつくづく思いながら、むずむず岸にはい上がって、しかたがないので、またあてもなく歩き出しました。そのうち一つの村を通りかかりました。すると、みんなが見つけて、
「頭が鉢で、体が人間のお化けが来た。」
「鉢のお化けだ。鉢のお化けだ。」
「お化にしてはきれいな手足をしているぜ。」
こんなことを口々にいいました。そして気味悪がるばかりで、だれ一人食べ物をくれようという者もなければ、ましてうちに入れて、泊めてやろうという者はありませんでした。 | おとうさんが奥方にだまされて、鉢かつぎに出ていけといった時の、鉢かつぎと奥方の反応の違いを教えてください。 | おとうさんは奥方の中傷に大そうおこって、鉢かつぎに出ていけといいました。
鉢かつぎはあまりに身に覚えのないことだったので、のろうなんてとんでもないと泣きました。
一方、奥方は向こうを向いて、そっと舌を出しながら、かわいそうだけど、おとうさんのいいつけだからといって、鉢かつぎの着物をむりにぬがせて、汚れたひとえ物を一枚着せたまま、追い出してしまいました。 |
JCRRAG_014408 | 国語 | でもまだ終わってしまったのではない。どうすることもできない空気ポンプのことがある。空気ポンプはそのよく日もまたそのよく日も正九郎をおびやかした。村中の人がそのことを知っているような気がして、正九郎は人の顔を正視することができなかった。先生が朝礼台にのぼるたび、そのことをいい出しやしないかと、きもを冷やすのだった。自転車屋の方へなど足も向けなかった。空気入れからのがれるためなら、正九郎はいっそう煙のように消えてしまいたいほどだったのである。
しかしとうとうおそろしいことになってしまった。あのことがあってから一週間ばかりのちのある夕方、お母さんが正九郎にふろしきをわたしていったのだった。
「自転車屋へいってナ、卵を二十銭、買っといで。」
ついにきたと正九郎は思った。顔からさあっと血がひいていくのを感じた。
「清太ンとこじゃいかんの、おっ母さん?」
お母さんはわざと正九郎を苦しめるようにいうのだった。
「あそこの卵は粒が小さいで損だよ。」
これがお母さんのいつものいい草だ。
正九郎は観念して外に出た。曲角を三つ曲がれば自転車屋であると正九郎は思った。もうあと二つだ。もうあと一つだ。清太ンとこで買ってきてお母さんをごまかしたらどんなもんだろうと思った。でも思ったきりだった。加平なら、そんなことをやれるかも知れない……。あ、とうとう最後の角を曲がってしまった。何か眼にみえないものが正九郎をひっぱっていく。もうのがれっこはない……
自首しに交番にはいってゆくすりのように、正九郎は自転車屋にはいっていった。どんなに深く彼はあきらめていたことだろう。自転車屋のこわい金さんが、丸太をふりあげて待っていたとしても、正九郎はその前におとなしく首をさしのべていったにちがいない。だがそれにもかかわらず、金さんがいないことがわかったとき彼は喜ばずにはいられなかった。
もうすべてのことは発覚していると思っていたのに、ボロ自転車の掃除をしていたやあ公は正九郎の顔をみても、別になんともいわなかった。そして卵のことをきくと、背戸へいっておばさんに話してきてくれた。正九郎は勝手がちがって変な気持ちだった。なんとかいわれたら、こんなふうにわびようと、道々口の中でくりかえしてきた哀願のことばが口の中でとまどいするのが感ぜられた。だがむろんわるい心地ではなかった。 | なぜ正九郎は自転車屋へ行くことに強い恐怖を感じていたのか。 | 空気入れからのがれるためです。 |
JCRRAG_014409 | 国語 | さきほどまで、塔の上から私を見物していた皇帝が、今、塔をおりて、こちらに馬を進めて来られました。が、これはもう少しで大ごとになるところでした。というのは、この馬はよく馴れた馬でしたが、私を見て山が動きだしたように、びっくりしたものですから、たちまち後足で立ち上がったのです。しかし、皇帝は馬の達人だったので、鞍の上にぐっと落ち着いていられる、そこへ、家来が駈けつけて、手綱を押える、これでまず、無事におりることができました。
皇帝は、私を眺めまわし、しきりに感心しています。が、私の鎖のとどくところへは近寄りません。それから、料理人たちに、食物を運べと言いつけられます。すると、みんなが、御馳走を盛った、車のようないれものを押して来ては、私のそばにおいてくれます。
いれものごと手でつかんで、私はペロリと平らげてしまいます。肉が二十人前、パンが十五人前、飲物が十人前、どれもこれも平げてしまいました。
皇后と若い皇子皇女たちは、たくさんの女官に付き添われて、少し離れた椅子のところにいましたが、皇帝のさきほどの馬の騒ぎのとき、みんな席を立って、皇帝のところに集って来ました。ここで、皇帝の様子を、ちょっと述べてみましょう。
皇帝の身長は、宮廷の誰よりも、高かったのです。ちょうど、私の爪の幅ほど高かったようです。が、これだけでも、なかなか立派に見えます。男らしい顔つきで、きりっとした口元、弓なりの鼻、頬はオリーブ色、動作はもの静かで、態度に威厳があります。年は二十八年と九ヶ月ということです。 | 私がペロリと平らげたものでもっとも少ない方を教えてください。 | 私がペロリと平らげたものでもっとも少ない方は飲物で十人前です。 |
JCRRAG_014410 | 国語 | 昔、大和の国葛城山の麓に、髪長彦という若いきこりが住んでいました。これは顔が女のようにやさしくて、その上髪までも女のように長かったものですから、こういう名前をつけられていたのです。
髪長彦は、大そう笛が上手でしたから、山へ木を伐りに行く時でも、仕事の合間には、腰にさしている笛を出して、独りでその音を楽しんでいました。するとまた不思議なことには、どんな鳥獣や草木でも、笛の面白さはわかるのです。髪長彦がそれを吹き出すと、草はなびき、木はそよぎ、鳥や獣はまわりへ来て、じっとしまいまで聞いていました。
ところがある日のこと、髪長彦はいつもの通り、とある大木の根がたに腰を卸しながら、余念もなく笛を吹いていますと、たちまち自分の目の前へ、青い勾玉を沢山ぶらさげた、足の一本しかない大男が現れて、
「お前は中々笛がうまいな。おれはずっと昔から山奥の洞穴で、神代の夢ばかり見ていたが、お前が木を伐りに来始めてからは、その笛の音に誘われて、毎日面白い思いをしていた。そこで今日はそのお礼に、ここまでわざわざ来たのだから、何でも好きなものを望むがいい。」と言いました。
そこできこりは、しばらく考えていましたが、
「私は犬が好きですから、どうか犬を一匹下さい。」と答えました。
すると、大男は笑いながら、
「たかが犬を一匹くれなどとは、お前もよほど欲のない男だ。しかしその欲のないのも感心だから、ほかにはまたとないような不思議な犬をくれてやろう。こう言うおれは、葛城山の足一つの神だ。」と言って、一声高く口笛を鳴らしますと、森の奥から一匹の白犬が、落葉を蹴立てて駈けて来ました。
足一つの神はその犬を指して、
「これは名を嗅げと言って、どんな遠い所の事でも嗅ぎ出して来る利口な犬だ。では、一生おれの代わりに、大事に飼ってやってくれ。」と言うかと思うと、その姿は霧のように消えて、見えなくなってしまいました。
髪長彦は大喜びで、この白犬と一しょに里へ帰って来ましたが、あくる日また、山へ行って、何気なく笛を鳴らしていると、今度は黒い勾玉を首へかけた、手の一本しかない大男が、どこからか形を現して、
「きのうおれの兄きの足一つの神が、お前に犬をやったそうだから、己も今日は礼をしようと思ってやって来た。何か欲しいものがあるのなら、遠慮なく言うがいい。己は葛城山の手一つの神だ。」と言いました。
そうして髪長彦が、また「嗅げにも負けないような犬が欲しい。」と答えますと、大男はすぐに口笛を吹いて、一匹の黒犬を呼び出しながら、
「この犬の名は飛べと言って、誰でも背中へ乗ってさえすれば百里でも千里でも、空を飛んで行くことが出来る。明日はまたおれの弟が、何かお前に礼をするだろう。」と言って、前のようにどこかへ消え失せてしまいました。
するとあくる日は、まだ、笛を吹くか吹かないのに、赤い勾玉を飾りにした、目の一つしかない大男が、風のように空から舞い下って、
「おれは葛城山の目一の神だ、兄きたちがお前に礼をしたそうだから、己も嗅げや飛べに劣らないような、立派な犬をくれてやろう。」と言ったと思うと、もう口笛の声が森中にひびき渡って、一匹の斑犬が牙をむき出しながら、駈けて来ました。
「これは噛めという犬だ。この犬を相手にしたが最後、どんな恐い鬼神でも、きっと一噛みに噛み殺されてしまう。ただ、おれたちのやった犬は、どんな遠いところにいても、お前が笛を吹きさえすれば、きっとそこへ帰って来るが、笛がなければ来ないから、それを忘れずにいるがいい。」
そう言いながら目一つの神は、また森の木の葉をふるわせて、風のように舞い上ってしまいました。 | 葛城山の神達が付けていた勾玉は全部で何色ですか。 | 葛城山の神達が付けていた勾玉は全部で3色です。
「青い勾玉」
「黒い勾玉」
「赤い勾玉」
です。 |
JCRRAG_014411 | 国語 | 中将には四人の男の子がいました。上の三人はもうみんなきれいなお嫁さんをもらっていました。いちばん下の宰相だけが、まだお嫁さんがいませんでした。宰相は大変情け深い人でしたから、鉢かつぎがかわいそうな姿で、いちばんつらいふろ番のしごとをしているのを見て、いつも気の毒に思っていました。それでみんなはへんな姿だ、へんな姿だといって気味を悪がって、鉢かつぎとはろくろく口も利きませんでしたけれど、宰相だけは朝晩手水の水や洗足の湯を運んで来るたんびに、鉢かつぎにやさしい言葉をかけて、いたわってやりました。
宰相が鉢かつぎをいたわってやるたんびに、ほかの女中たちはにくらしがって、
「若さまはあんなへんな者なんかをかわいがって、どうなさるのでしょう。」
と、こんなことをいい合っては、あざ笑いました。そして中将や奥方に向かっても、鉢かつぎの悪口ばかりいっていました。
おかげで、中将も奥方も、だんだん鉢かつぎをきらうようになりました。そして何かにかこつけて、鉢かつぎに暇をやろうと相談をしておいでになりました。宰相はそれを聞くと、びっくりして、おとうさんとおかあさんの前へ出て、
「鉢かつぎを追い出すなんてかわいそうです。へんな姿でもかまいませんから、わたしのお嫁にして、いつまでもうちに置いて下さい。」
といいました。中将は大そうお怒りになって、宰相をきびしくおしかりになりました。けれどもそんなことで、宰相は鉢かつぎを見捨てるはずはありませんでした。しかられればしかられるほど、よけい鉢かつぎがかわいそうでなりませんでした。どうにかして鉢かつぎを、いつまでもうちに置いてやる工夫はないかしらと、そればかり考え込んでいました。
おかあさんはその様子を見ると、大そう御心配をなすって、ある日乳母を呼んで、
「どうかして鉢かつぎに、自分から出ていかせる工夫はないだろうかね。」
と御相談をおかけになりました。この乳母は大そうりこう振った女でしたから、相談をかけられると、とくいらしく鼻をうごめかして、
「それではこうなさってはいかがでしょう。宰相さまにはひとまず鉢かつぎをお嫁に上げることにして、そこでお嫁合わせということをするのです。それはいつか日をきめて、上のおにいさま方のお嫁さまと、あの鉢かつぎとを同じお座敷へお呼びになって、お引き合わせになるのです。そうしたらいくらずうずうしい鉢かつぎでも、みっともない姿を恥じて、お嫁合わせの席に出るまでもなく、自分から逃げ出して行くでしょう。そうすれば宰相さまもあきらめて、もう鉢かつぎのことを二度とおっしゃらなくなるでしょう。」
といいました。奥方はそれを聞いておよろこびになりました。そしていつ幾日かにお嫁合わせをするからと、いいわたしました。
宰相はそれをお聞きになって、大そう困っておしまいになりました。そこで、鉢かつぎの所へ行って、
「お前をきらう人たちが、お嫁合わせということをやって、お前に恥をかかせようとしている。どうしたらいいだろうね。」
といいました。鉢かつぎは涙を流しながら、
「みんなわたくしがこちらにおりますから、こういう騒ぎになるのでございます。わたくしはもうどうなってもよろしゅうございますから、お暇をいただいて行くことにいたしましょう。」
といいました。
宰相はびっくりして、
「どうして、お前を一人出してやったら、またみんなにいじめられるにきまっている。わたしはそれがかわいそうでたまらない。どこでもお前の行く所までついて行ってあげるよ。」
といいました。鉢かつぎはいよいよ止めどなく涙をこぼしていました。
宰相は鉢かつぎと、そっと旅の支度にかかりました。すっかり支度が出来ると、夜の明けきらないうちに宰相と鉢かつぎはそっとお屋敷を抜け出しました。宰相と鉢かつぎがいよいよ門を出ようという時に、ちょうど明け方の月が西の方の空に、研ぎすました鏡のようにきらきらひかっていました。鉢かつぎはそれをあおむいてみながら、いつもおがんでいる長谷の観音さまの方角に向かって、どうぞわたしたちの身の上をお守り下さいと、心の中でいって手を合わせました。するとその拍子に頭の鉢がぽっくり落ちて、それといっしょに、ばらばらと金銀や宝石がこぼれ落ちました。宰相はこの時はじめて月の光で鉢かつぎのきれいな顔を見みて、びっくりしてしまいました。落ちた鉢の中からは、金と漆をぬった箱と銀と漆を塗った箱が出てきました。
金と漆をぬった箱からは金の杯に銀の長柄、砂金で作ったたちばなの実が出てきました。
銀と漆を塗った箱からは銀で作ったなしの実、目の覚めるような十二単の晴れ着の緋のはかま、その外いろいろの宝物が入っていました。
鉢かつぎはそれを見ると、また涙をこぼしながら、これも亡くなったおかあさまが、平生長谷の観音さまを信心した御利益に違いないと思って、もう一度西の方を向いて、観音を拝みました。" | 鉢かつぎに対する、宰相とみんなの対応の違いを教えてください。 | 宰相は大変情け深い人で、鉢かつぎがかわいそうな姿で、いちばんつらいふろ番のしごとをしているのを見て、いつも気の毒に思っていました。宰相は朝晩いつでも鉢かつぎにやさしい言葉をかけて、いたわってやりました。
一方みんなはへんな姿だ、へんな姿だといって気味を悪がって、鉢かつぎとはろくろく口も利きませんでした。 |
JCRRAG_014412 | 国語 | 僕は小さい時に絵を描くことが好きでした。僕の通っていた学校は横浜の山の手という所にありましたが、そのあたりは西洋人ばかり住んでいる町で、僕の学校も教師は西洋人ばかりでした。そしてその学校の行き帰りにはいつもホテルや西洋人の会社などが並んでいる海岸の通りを通るのでした。通りの海添いに立って見ると、真青な海の上に軍艦だの商船だのがいっぱい並んでいて、煙突から煙の出ているのや、檣から檣へ万国旗をかけわたしたのがあって、眼がいたいように綺麗でした。僕はよく岸に立ってその景色を見渡して、家に帰ると、覚えているだけを出来るだけ美しく絵に描いて見ようとしました。けれどもあの透き通るような海の藍色と、白い帆前船などの水際近くに塗ってある洋紅色とは、僕の持っている絵具ではどうしてもうまく出せませんでした。いくら描いても描いても本当の景色で見るような色には描けませんでした。
ふと僕は学校の友達の持っている西洋絵具を思い出しました。その友達はやはり西洋人で、しかも僕より二つ位年齢が上でしたから、身長は見上げるように大きい子でした。ジムというその子の持っている絵具は舶来の上等のもので、軽い木の箱の中に、十二種の絵具が小さな墨のように四角な形にかためられて、二列にならんでいました。どの色も美しかったが、とりわけて藍と洋紅とは喫驚するほど美しいものでした。ジムは僕より身長が高いくせに、絵はずっと下手でした。それでもその絵具をぬると、下手な絵さえがなんだか見ちがえるように美しく見えるのです。僕はいつでもそれを羨しいと思っていました。あんな絵具さえあれば僕だって海の景色を本当に海に見えるように描いて見せるのになあと、自分の悪い絵具を恨みながら考えました。そうしたら、その日からジムの絵具がほしくってほしくってたまらなくなりました。けれども僕はなんだか臆病になってパパにもママにも買って下さいと願う気になれないので、毎日々々その絵具のことを心の中で思いつづけるばかりで幾日か日がたちました。
今ではいつの頃だったか覚えてはいませんが秋だったのでしょう。葡萄の実が熟していたのですから。天気は冬が来る前の秋によくあるように空の奥の奥まで見すかされそうに晴れわたった日でした。僕達は先生と一緒に弁当をたべましたが、その楽しみな弁当の最中でも僕の心はなんだか落着かないで、その日の空とはうらはらに暗かったのです。僕は自分一人で考えこんでいました。誰かが気がついて見たら、顔も屹度青かったかも知れません。僕はジムの絵具がほしくってほしくってたまらなくなってしまったのです。胸が痛むほどほしくなってしまったのです。ジムは僕の胸の中で考えていることを知っているにちがいないと思って、そっとその顔を見ると、ジムはなんにも知らないように、面白そうに笑ったりして、わきに座っている生徒と話をしているのです。でもその笑っているのが僕のことを知っていて笑っているようにも思えるし、何か話をしているのが、「いまに見ろ、あの日本人が僕の絵具を取るにちがいないから。」といっているようにも思えるのです。僕はいやな気持ちになりました。けれどもジムが僕を疑っているように見えれば見えるほど、僕はその絵具がほしくてならなくなるのです。 | 僕より身長が高いくせに、絵はずっと下手な子が持っている絵具はどのようなものですか。 | 僕より身長が高いくせに、絵はずっと下手な子が持っている絵具は舶来の上等のものです。 |
JCRRAG_014413 | 国語 | 私は身体が小さいので、ときどき、滑稽な出来事に出会いました。
グラムダルクリッチは、よく私を箱に入れて、庭につれ出し、そしてときには、箱から出して手の上に乗せてみたり、地面を歩かせてみたりしていました。あるとき、それはまだあのこびとが宮廷にいた頃のことですが、彼が庭までついてやって来たのです。ちょうど、彼と私のすぐ傍に、盆栽の林檎の木がありました。この盆栽とこびとを見くらべていると、なんだかおかしくなったので、私はちょっと、彼を冷やかしてやりました。すると、このいたずら小僧は、私が林檎の木蔭を歩いている隙をねらって、頭の上の木を揺さぶりだしました。たちまち、十の赤い林檎、二個の青い林檎が私の頭の上に落ちかかりましたが、これがまた酒樽ほどもある大きさなのです。かがもうとするところへ、その一つが背中にあたり、二つが足に当たりました。私は前へのめってしまいました。一日大事を取って休むことにしました。
ある日、グラムダルクリッチは、私を芝生の上におろして、ひとり遊ばせておき、自分は家庭教師と一緒に、少し離れたところを歩いていました。すると、にわかに猛烈な霰が降ってきて、私はたちまち地面にたたきつけられました。霰はまるでテニスの球でも投げつけるように、全身に打ち込んでくるのです。
霰が私の体に打ち付けられたうち、上半身に五十個、下半身には四十個は当たったでしょうか。
しかしやっと四つ這いになって、レモンの木蔭に這い込み、私は顔を伏せていました。だが、頭のてっぺんから、足の先まで、傷だらけになって、十日ばかりは外出もできなかったのです。
しかし、これは少しも驚くことではないのです。この国では、何もかも同じ割合に大きいのですから、霰粒一つでもヨーロッパの霰の千八百倍はあります。これは、私がわざわざ秤にかけて計ってみたのですから、たしかです。
ヨーロッパの霰が1グラムなら1.8キロはあるのです。
しかし、もっと危険な事が、この庭園で起こったことがあります。私は一人で考えごとをしたいので、ときどき、一人にしてくれと頼むのですが、乳母さんは私を安全な所へ置いたつもりで、ほかの人たちと一しょに、庭園のどこか別のところへ行っていました。ちょうど、その留守中のことでした。園丁が飼っているスパニエル犬が、どうしたはずみか、庭園に入り込んで来て、私の寝ている方へやって来たのです。私の匂いを嗅ぎつけると、たちまち飛んで来て、私をくわえると、尻尾を振りながら、ドンドン、主人のところへ駈けつけて行って、そっと、私を地面に置きました。運よく、その犬は、よく仕込まれていたので、歯の間にくわえられながらも、私は怪我一つせず、着物も破れなかったのです。 | 私の体に打ち付けた霰のうち、打ち付けられた数が多いほうを教えてください。 | 私の体に打ち付けた霰のうち、打ち付けられた数が多いほうは上半身で五十個です。 |
JCRRAG_014414 | 国語 | やがて髪長彦が生駒山へ来て見ますと、成程山の中程に大きな洞穴が一つあって、その中に金の櫛をさした、綺麗な御姫様が一人、しくしく泣いていらっしゃいました。
「御姫様、御姫様、私が御迎えにまいりましたから、もう御心配には及びません。さあ、早く、御父様の所へ御帰りになる御仕度をなさって下さいまし。」
こう髪長彦がいいますと、三匹の犬も御姫様の裾や袖をくわえながら、
「さあ早く、仕度をして下さい。わん、わん、わん、」と吠えました。
しかし御姫様は、まだ御眼に涙をためながら、洞穴の奥の方をそっと指さして御見せになって、
「それでもあそこには、私をさらって来た食蜃人が、さっきから御酒に酔って寝ています。あれが目をさましたら、すぐに追いかけて来るでしょう。そうすると、あなたも私も、命をとられてしまうのにちがいありません。」とおっしゃいました。
髪長彦はにっこりほほ笑んで、
「高の知れた食蜃人なぞを、何でこの私がこわがるでしょうか。その証拠には、今ここで、わけなく私が退治して御覧に入れます。」といいながら、斑犬の背中を一つたたいて、
「噛め。噛め。この洞穴の奥にいる食蜃人を一噛みに噛み殺せ。」と、勇ましい声でいいつけました。
すると斑犬はすぐ牙をむき出して、雷のようにうなりながら、まっしぐらに洞穴の中へとびこみましたが、たちまちの中にまた血だらけな食蜃人の首をくわえたまま、尾をふって外へ出て来ました。
ところが不思議な事には、それと同時に、雲で埋まっている谷底から、一陣の風がまき起りこますと、その風の中に何かいて、
「髪長彦さん。ありがとう。この御恩は忘れません。私は食蜃人にいじめられていた、生駒山の駒姫です。」と、やさしい声でいいました。
しかし御姫様は、命拾いをなすった嬉しさに、この声も聞えないような様子でしたが、やがて髪長彦の方を向いて、心配そうにおっしゃいますには、
「私はあなたのおかげで命拾いをしましたが、妹は今どこでどんな目にあっておりましょう。」
髪長彦はこれを聞くと、また白犬の頭をなでながら、
「嗅げ。嗅げ。御姫様の御行方を嗅ぎ出せ。」といいました。と、すぐに白犬は、
「わん、わん、御妹様の御姫様は笠置山の洞穴に棲んでいる土蜘蛛の虜になっています。」と、主人の顔を見上げながら、鼻をびくつかせて答えました。この土蜘蛛というのは、昔神武天皇様が御征伐になった事のある、一寸法師の悪者なのです。
そこで髪長彦は、前のように二匹の犬を小脇にかかえて御姫様と一しょに黒犬の背中へ跨りながら、
「飛べ。飛べ。笠置山の洞穴に住んでいる土蜘蛛の所へ飛んで行け。」といいますと、黒犬はたちまち空へ飛び上って、青雲のたなびく中にそびえている笠置山へ矢よりも早く駈け始めました。 | 黒犬は何人乗せて笠置山へ飛び上がりましたか。 | 黒犬は笠置山へ飛び上がった時に乗せていた人数は2です。
「髪長彦」
「御姫様」
となっています。 |
JCRRAG_014415 | 国語 | 中将には四人の男の子がいました。上の三人はもうみんなきれいなお嫁さんをもらっていました。いちばん下の宰相だけが、まだお嫁さんがいませんでした。宰相は大変情け深い人でしたから、鉢かつぎがかわいそうな姿で、いちばんつらいふろ番のしごとをしているのを見て、いつも気の毒に思っていました。それでみんなはへんな姿だ、へんな姿だといって気味を悪がって、鉢かつぎとはろくろく口も利きませんでしたけれど、宰相だけは朝晩手水の水や洗足の湯を運んで来るたんびに、鉢かつぎにやさしい言葉をかけて、いたわってやりました。
宰相が鉢かつぎをいたわってやるたんびに、ほかの女中たちはにくらしがって、
「若さまはあんなへんな者なんかをかわいがって、どうなさるのでしょう。」
と、こんなことをいい合っては、あざ笑いました。そして中将や奥方に向かっても、鉢かつぎの悪口ばかりいっていました。
おかげで、中将も奥方も、だんだん鉢かつぎをきらうようになりました。そして何かにかこつけて、鉢かつぎに暇をやろうと相談をしておいでになりました。宰相はそれを聞くと、びっくりして、おとうさんとおかあさんの前へ出て、
「鉢かつぎを追い出すなんてかわいそうです。へんな姿でもかまいませんから、わたしのお嫁にして、いつまでもうちに置いて下さい。」
といいました。中将は大そうお怒りになって、宰相をきびしくおしかりになりました。けれどもそんなことで、宰相は鉢かつぎを見捨てるはずはありませんでした。しかられればしかられるほど、よけい鉢かつぎがかわいそうでなりませんでした。どうにかして鉢かつぎを、いつまでもうちに置いてやる工夫はないかしらと、そればかり考え込んでいました。
おかあさんはその様子を見ると、大そう御心配をなすって、ある日乳母を呼んで、
「どうかして鉢かつぎに、自分から出ていかせる工夫はないだろうかね。」
と御相談をおかけになりました。この乳母は大そうりこう振った女でしたから、相談をかけられると、とくいらしく鼻をうごめかして、
「それではこうなさってはいかがでしょう。宰相さまにはひとまず鉢かつぎをお嫁に上げることにして、そこでお嫁合わせということをするのです。それはいつか日をきめて、上のおにいさま方のお嫁さまと、あの鉢かつぎとを同じお座敷へお呼びになって、お引き合わせになるのです。そうしたらいくらずうずうしい鉢かつぎでも、みっともない姿を恥じて、お嫁合わせの席に出るまでもなく、自分から逃げ出して行くでしょう。そうすれば宰相さまもあきらめて、もう鉢かつぎのことを二度とおっしゃらなくなるでしょう。」
といいました。奥方はそれを聞いておよろこびになりました。そしていつ幾日かにお嫁合わせをするからと、いいわたしました。
宰相はそれをお聞きになって、大そう困っておしまいになりました。そこで、鉢かつぎの所へ行って、
「お前をきらう人たちが、お嫁合わせということをやって、お前に恥をかかせようとしている。どうしたらいいだろうね。」
といいました。鉢かつぎは涙を流しながら、
「みんなわたくしがこちらにおりますから、こういう騒ぎになるのでございます。わたくしはもうどうなってもよろしゅうございますから、お暇をいただいて行くことにいたしましょう。」
といいました。
宰相はびっくりして、
「どうして、お前を一人出してやったら、またみんなにいじめられるにきまっている。わたしはそれがかわいそうでたまらない。どこでもお前の行く所までついて行ってあげるよ。」
といいました。鉢かつぎはいよいよ止めどなく涙をこぼしていました。
宰相は鉢かつぎと、そっと旅の支度にかかりました。すっかり支度が出来ると、夜の明けきらないうちに宰相と鉢かつぎはそっとお屋敷を抜け出しました。宰相と鉢かつぎがいよいよ門を出ようという時に、ちょうど明け方の月が西の方の空に、研ぎすました鏡のようにきらきらひかっていました。鉢かつぎはそれをあおむいてみながら、いつもおがんでいる長谷の観音さまの方角に向かって、どうぞわたしたちの身の上をお守り下さいと、心の中でいって手を合わせました。するとその拍子に頭の鉢がぽっくり落ちて、それといっしょに、ばらばらと金銀や宝石がこぼれ落ちました。宰相はこの時はじめて月の光で鉢かつぎのきれいな顔を見みて、びっくりしてしまいました。落ちた鉢の中からは、金と漆をぬった箱と銀と漆を塗った箱が出てきました。
金と漆をぬった箱からは金の杯に銀の長柄、砂金で作ったたちばなの実が出てきました。
銀と漆を塗った箱からは銀で作ったなしの実、目の覚めるような十二単の晴れ着の緋のはかま、その外いろいろの宝物が入っていました。
鉢かつぎはそれを見ると、また涙をこぼしながら、これも亡くなったおかあさまが、平生長谷の観音さまを信心した御利益に違いないと思って、もう一度西の方を向いて、観音を拝みました。" | 鉢かつぎの鉢の中から出てきた、金と漆をぬった箱と、銀と漆を塗った箱に入っていたものの違いを教えてください。 | 鉢かつぎの頭の鉢が落ちました。落ちた鉢の中からは、金と漆をぬった箱と銀と漆を塗った箱が出てきました。金と漆をぬった箱からは金の杯に銀の長柄、砂金で作ったたちばなの実が出てきました。
一方、銀と漆を塗った箱からは、銀で作ったなしの実に、目の覚めるような十二単の晴れ着の緋のはかま、その外いろいろの宝物が入っていました。 |
JCRRAG_014416 | 国語 | 私の宅の庭の植物は毎年色々な害虫のためにむごたらしく虐待される。せっかく美しく出揃った若葉はいつの間にかわるい昆虫のために食い荒らされる。なかでも一番ひどくやられるのは薔薇である。羽根が黒くて腰の黄色い小さな蜂が、柔らかい若芽の茎の中に卵を産みつけると、やがて茎の横腹が竪にはじけ破れて幼虫が生れ出る。これが若葉の縁に鈴成りに黒い頭を並べて、驚くべき食欲をもって瞬く間にあらゆる葉を食い尽さないではおかない。去年はこの翡翠の色をした薔薇の虫と同種と思われるものがつつじにまでも蔓延した。もっともつつじのは色が少し黒ずんでいて、つつじの葉によく似た色をしているのが不思議であった。
何とかしてこの害虫を絶滅する方法はないものだろうかと思うだけで、専門家に聞いてみるでもなく、書物を調べるでもなく、ついそのままにしておくのである。いつか三越の六階で薔薇を見ていたら、それにもちゃんとこの虫がついたままに正札をつけてあるのを発見して驚いた事がある。専門家でもこれを完全に駆除するのは困難だとすると、自分等の手に負えないのは当然かと思われた。とにかく去年などは幾株かのばらとつつじを綺麗に坊主にしてしまわれた。枯れるかと思ったら存外枯れもしないで、今年の春の日光を受けるとまた正直に若芽を吹き出して来た。今にまた例の青虫が出るだろうと思って折々気をつけて見るが、今年はどうしたのか、まだあまり多くは発生しない。その代り今年はこれと変った毛虫が非常に沢山に現われて来た。それは黒い背筋の上に薄いレモン色の房々とした毛束を四つも着け、その両脇に走る美しい橙紅色の線が頭の端では燃えるような朱の色をして、そこから真黒な長い毛が突き出している。これが薔薇のみならず、萩にもどうだんにも芙蓉にもおびただしくついている。これは青虫ほど旺盛な食慾をもっていないらしいが、その代りいわば少し贅沢な嗜好をもっていて、薔薇の莟を選んで片っ端から食って行くのである。去年はよく咲いたクリーム色のばらも今年はこのためにひどく荒らされてしまった。子供の時分に田舎の宅で垣根いっぱいに薔薇が植わっていたが、ついぞこんなに虫害を受けた事を記憶しない。都会の空気が濁っているために植物も人間と同じようにたださえ弱くなっているその上にこう色々な虫にいじめられては、いまにこうした植物は絶滅するのではないかと思う事もある。
こんな虫がだんだんに数を増して、それが皆人間などと平等な生存の権利を主張するようになったらどうだろう。そうなれば虫のためには人間の方が害虫であるに相違ない。薔薇の花でも何でも虫のためには必要なる栄養物質であるのを、人間が無用な娯楽のために独占しようとして虫をひねり潰すのは、虫から見ればかなり暴虐な事かもしれない。 | 私の宅の庭の植物は何をやられるのですか。 | 私の宅の庭の植物は、毛虫が莟を選んで片っ端から食って行きます。 |
JCRRAG_014417 | 国語 | 私は身体が小さいので、ときどき、滑稽な出来事に出会いました。
グラムダルクリッチは、よく私を箱に入れて、庭につれ出し、そしてときには、箱から出して手の上に乗せてみたり、地面を歩かせてみたりしていました。あるとき、それはまだあのこびとが宮廷にいた頃のことですが、彼が庭までついてやって来たのです。ちょうど、彼と私のすぐ傍に、盆栽の林檎の木がありました。この盆栽とこびとを見くらべていると、なんだかおかしくなったので、私はちょっと、彼を冷やかしてやりました。すると、このいたずら小僧は、私が林檎の木蔭を歩いている隙をねらって、頭の上の木を揺さぶりだしました。たちまち、十の赤い林檎、二個の青い林檎が私の頭の上に落ちかかりましたが、これがまた酒樽ほどもある大きさなのです。かがもうとするところへ、その一つが背中にあたり、二つが足に当たりました。私は前へのめってしまいました。一日大事を取って休むことにしました。
ある日、グラムダルクリッチは、私を芝生の上におろして、ひとり遊ばせておき、自分は家庭教師と一緒に、少し離れたところを歩いていました。すると、にわかに猛烈な霰が降ってきて、私はたちまち地面にたたきつけられました。霰はまるでテニスの球でも投げつけるように、全身に打ち込んでくるのです。
霰が私の体に打ち付けられたうち、上半身に五十個、下半身には四十個は当たったでしょうか。
しかしやっと四つ這いになって、レモンの木蔭に這い込み、私は顔を伏せていました。だが、頭のてっぺんから、足の先まで、傷だらけになって、十日ばかりは外出もできなかったのです。
しかし、これは少しも驚くことではないのです。この国では、何もかも同じ割合に大きいのですから、霰粒一つでもヨーロッパの霰の千八百倍はあります。これは、私がわざわざ秤にかけて計ってみたのですから、たしかです。
ヨーロッパの霰が1グラムなら1.8キロはあるのです。
しかし、もっと危険な事が、この庭園で起こったことがあります。私は一人で考えごとをしたいので、ときどき、一人にしてくれと頼むのですが、乳母さんは私を安全な所へ置いたつもりで、ほかの人たちと一しょに、庭園のどこか別のところへ行っていました。ちょうど、その留守中のことでした。園丁が飼っているスパニエル犬が、どうしたはずみか、庭園に入り込んで来て、私の寝ている方へやって来たのです。私の匂いを嗅ぎつけると、たちまち飛んで来て、私をくわえると、尻尾を振りながら、ドンドン、主人のところへ駈けつけて行って、そっと、私を地面に置きました。運よく、その犬は、よく仕込まれていたので、歯の間にくわえられながらも、私は怪我一つせず、着物も破れなかったのです。 | 私の体に打ち付けた霰のうち、打ち付けられた数が多いほうを教えてください。 | 私の体に打ち付けた霰のうち、打ち付けられた数が多いほうは上半身で五十個です。 |
JCRRAG_014418 | 国語 | さて笠置山へ着きますと、ここにいる土蜘蛛はいたって悪知慧のあるやつでしたから、髪長彦の姿を見るが早いか、わざとにこにこ笑いながら、洞穴の前まで迎えに出て、
「これは、これは、髪長彦さん。遠方御苦労でございました。まあ、こっちへおはいりなさい。ろくなものはありませんが、せめて鹿の生胆か熊の孕子でも御馳走しましょう。」といいました。
しかし髪長彦は首をふって、
「いや、いや、おれはお前がさらって来た御姫様をとり返しにやって来たのだ。早く御姫様を返せばよし、さもなければあの食蜃人同様、殺してしまうからそう思え。」と、恐ろしい勢いで叱りつけました。
すると土蜘蛛は、一ちぢみにちぢみ上って、
「ああ、お返ししますとも、何であなたのおっしゃる事に、いやだなどと申しましょう。御姫様はこの奥にちゃんと、独りでいらっしゃいます。どうか御遠慮なく中へはいって、おつれになって下さいまし。」と、声をふるわせながらいいました。
そこで髪長彦は、御姉様の御姫様と三匹の犬とをつれて、洞穴の中へはいりますと、成程ここにも銀の櫛をさした、可愛らしい御姫様が、悲しそうにしくしく泣いています。
それが人の来たようすに驚いて、急いでこちらを御覧になりましたが、御姉様の御顔を一目見たと思うと、
「御姉様。」
「妹。」と、二人の御姫様は一度に両方から駈けよって、暫くは互いに抱き合ったまま、うれし涙にくれていらっしゃいました。髪長彦もこの気色を見て、貰い泣きをしていましたが、急に三匹の犬が背中の毛を逆立てて、
「わん。わん。土蜘蛛の畜生め。」
「憎いやつだ。わん。わん。」
「わん。わん。わん。覚えていろ。わん。わん。わん。」と、気の違ったように吠え出しましたから、ふと気がついてふり返えると、あの狡猾な土蜘蛛は、いつどうしたのか、大きな岩で、一分の隙もないように、外から洞穴の入口をぴったりふさいでしまいました。おまけにその岩の向こうでは、
「ざまを見ろ、髪長彦め。こうして置けば、貴様たちは、一月とたたないうちに、ひぼしになって死んでしまうぞ。何とおれさまの計略は、恐れ入ったものだろう。」と、手をたたいて土蜘蛛の笑う声がしています。
これにはさすがの髪長彦も、さては一ぱい食わされたかと、一時は口惜しがりましたが、幸い思い出したのは、腰にさしていた笛の事です。この笛を吹きさえすれば、鳥獣はいうまでもなく、草木もうっとり聞き惚ほれるのですから、あの狡猾こうかつな土蜘蛛も、心を動かさないとは限りません。そこで髪長彦は勇気をとり直して、吠えたける犬をなだめながら、一心不乱に笛を吹き出しました。
するとその音色の面白さには、悪者の土蜘蛛も、おいおい我を忘れたのでしょう。始めは洞穴の入口に耳をつけて、じっと聞き澄ましていましたが、とうとうしまいには夢中になって、一寸二寸と大岩を、少しずつわきへ開きはじめました。
それが人一人通れるくらい、大きな口をあけた時です。髪長彦は急に笛をやめて、
「噛め。噛め。洞穴の入口に立っている土蜘蛛を噛み殺せ。」と、斑犬の背中をたたいて、いいつけました。
この声に胆をつぶして、一目散に土蜘蛛は、逃げ出そうとしましたが、もうその時は間に合いません。「噛め」はまるで電のように、洞穴の外へ飛び出して、何の苦もなく土蜘蛛を噛み殺してしまいました。
所がまた不思議な事には、それと同時に谷底から、一陣の風が吹き起って、
「髪長彦さん。ありがとう。この御恩は忘れません。私は土蜘蛛にいじめられていた、笠置山の笠姫です。」とやさしい声が聞こえました。 | 笠置山にいる土蜘蛛が髪長彦に御馳走しようとした物の数を教えてください。 | 笠置山にいる土蜘蛛が髪長彦に御馳走しようとした物の数は2で、
「鹿の生胆」
「熊の孕子」
です。 |
JCRRAG_014419 | 国語 | こうなると、お嫁合わせを恥ずかしがって、お座敷を抜け出すにもおよばなくなりました。宰相は鉢かつぎにお嫁合わせに出る支度をさせて、静かに待っていました。乳母をはじめみんな、
「まあ、お嫁合わせをするといったら、さすがに恥ずかしがって、出ていくだろうと思ったら、どこまでずうずうしい女なのだろう。」
と、よけい鉢かつぎをにくらしがっていました。
いよいよお嫁合わせの時刻になると、その支度の出来たお座敷へ、いちばん上のにいさんから次男三男と順々にお嫁さんを連れて座りました。いちばん上のお嫁さんは二十三で、白い小そでに緋のはかまをはいていました。二ばんめのお嫁さんは二十で、紫の小そでに桃色のはかまをはいていました。三ばんめのお嫁さんは十八で、赤い小そでに紅梅色のはかまをはいていました。三人のどれがいちばんいいということのできないほど、みんなきれいな人たちばかりでした。その三人の席からは、はるかに下の方に下った板間に、破れ畳をしいて、鉢かつぎをそこへ座らせ、みんなで恥をかかせようと思って待ちかまえていました。でもさすがにおとうさんとおかあさんは、今更こんなお嫁合わせなんぞをして、鉢かつぎに恥をかかせるのが、かわいそうになって、なぜ逃げていってくれなかったのだろうとうらめしく思っていました。やがて度々催促をうけた後、宰相は鉢かつぎを連れて出てきました。みんなはあの鉢かつぎがどんな様子で出てくるかと、半分気の毒そうな、半分いじの悪い顔をして待っていますと、どうでしょう、そこにしずしず出てきた人を見ると、いつもかまどの灰や炭の粉にまみれたみにくい下司女ではなくって、もう天人が天下ったかと思うように気高い、十五、六のうつくしいお姫さまでした。赤だの、紫だの、桃色だの、小そでを重ねて、緋のはかまをはいた姿は、目が覚めるようにまぶしくって、急にそこらがかっと明るくなったようでした。
みんなは「あッ」といったまま、口が利けませんでした。そのうつくしい姿のまま、鉢かつぎはかまわず縁先にしいたきたない破れ畳の上に座ろうとしますと、おとうさんの中将はあわてて立って行って、鉢かつぎのそばに寄ると、その手を取って、
「とんでもない。天人のような人を、そんな所に置くことがどうしてできよう。」
といいながら、上座へ連れて行って、自分のそばへ座らせました。 | いちばん上のお嫁さんと二ばんめのお嫁さんの着ているものの違いを教えてください。 | いちばん上のお嫁さんは、白い小そでに緋のはかまをはいていました。
一方、二ばんめのお嫁さんは、紫の小そでに桃色のはかまをはいていました。 |
JCRRAG_014420 | 国語 | 簔虫が繁殖しようとする所にはおのずからこの蜘蛛が繁殖して、そこに自然の調節が行なわれているのであった。私が簔虫を駆除しなければ、今に楓の葉は食い尽くされるだろうと思ったのは、あまりにあさはかな人間の自負心であった。むしろただそのままにもう少し放置して自然の機巧を傍観したほうがよかったように思われて来たのである。簔虫にはどうする事もできないこの蜘蛛にも、また相当のだと見做されているのは相違ない。「昆虫の生活」という書物を読んだ時に、地蜂のあるものが蜘蛛を攻撃して、その毒針を正確に蜘蛛の胸の一局部に刺し通してこれを麻痺させるという記事があった。麻痺した蜘蛛のわき腹に蜂は一つの卵を生みつけて行く。卵から出た幼虫は親の据膳をしておいてくれた佳肴をむさぼり食うて成長する、充分飽食して眠っている間に幼虫の単純なからだに複雑な変化が起こって、今度目をさますともう一人前の蜂になっているというのである。
ある蜘蛛が、ある蛾の幼虫であるところの簔虫の胸に食いついている一方では、簔虫のような形をしたある蜂の幼虫が、他の蜘蛛の腹をしゃぶっている。このような闘争殺戮の世界が、美しい花園や庭の木立ちの間に行なわれているのである。人間が国際連盟の夢を見ている間に。
ある学者の説によると、動物界が進化の途中で二派に分かれ、一方は外皮にかたいキチン質を備えた昆虫になり、その最も進歩したものが蜂や蟻である。また他の分派は中心にかたい背骨ができて、そのいちばん発展したのが人間だという事である。私にはこの説がどれだけほんとうだかわからない。しかしいずれにしても昆虫の世界に行なわれると同じような闘争の魂があらゆる有脊椎動物を伝わって来て、最後の人間に至ってどんなぐあいに進歩して来たかをつくづく考えてみると、つまりわれわれの先祖が簔虫や蜘蛛の先祖と同じであってもいいような気がして来る。
四十九個の紡錘体の始末に困ったが、結局花畑のすみの土を深く掘ってその奥に埋めてしまった。その中の幾パーセントには、きっと蜘蛛がはいっていたに相違ない。こうして私の庭での簔虫と蜘蛛の歴史は一段落に達したわけである。
しかしこれだけではこの歴史はすみそうに思われない。私は少なからざる興味と期待をもってことしの夏を待ち受けている。 | 蜘蛛の相当の敵はどのような理由から敵と見做されているのですか。 | 蜘蛛の相当の敵は、毒針を正確に胸の一局部に刺し通してこれを麻痺させ、卵を生みつけ、卵から出た幼虫は佳肴をむさぼり食うて成長し、一人前になるからです。 |
JCRRAG_014421 | 国語 | 「もし、この道具を使えば、今まで十人でした仕事が、たった一人で出来るし、宮殿はたった一週間で建つ。それに一度建てたら、もう修繕する必要がない。果物は、いつでも好きなときに熟れさせることができ、今までの百倍ぐらいたくさん取れるようになる。」
と、そのほかいろいろ結構なことばかり言うのです。
残念なのは、これらの計画が、まだどれも、ほんとに出来上ってはいないことです。だから、それが出来るまでは、国中が荒れ放題になり、家は破れ、人民は不自由をつづけます。だがそれでも彼等は元気は失わず、希望にもえ、半分やけくそになりながら、五十倍の勇気を振り絞って、この計画をなしとげようとするのです。
彼はこんなことを私に説明してくれたのです。そして、
「ぜひ、ひとつあなたにも、その学士院を御案内しましょう。」
と、つけ加えました。
それから数日して、私は彼の友人に案内されて、学士院を見物に行きました。
この学士院は、全体が一つの建物になっているのではなく、往来の両側に建物がずっと並んでいました。
私が訪ねて行くと、院長は大変喜んでくれました。私は何日も何日も、学士院へ出かけて行きました。どの部屋にも、発明家が二人いました。部屋によっては三人、多いところでは四人いました。
私はおよそ五百ぐらいの部屋を見て歩きました。
発明家がいる部屋は学士院の一本の廊下の両側にずらっと並んであり、右側に二百、左側に三百あったでしょうか。
最初に会った男は、手も顔も煤だらけで、髪はぼうぼうと伸び、それに、ところどころ焼け焦げがありました。そして、服もシャツも、皮膚と同じ色なのです。 | 学士院の部屋にいる発明家のうち、もっとも少ない人数を教えてください。 | 学士院の部屋にいる発明家のうち、もっとも少ない人数は二人です。 |
JCRRAG_014422 | 国語 | さて笠置山へ着きますと、ここにいる土蜘蛛はいたって悪知慧のあるやつでしたから、髪長彦の姿を見るが早いか、わざとにこにこ笑いながら、洞穴の前まで迎えに出て、
「これは、これは、髪長彦さん。遠方御苦労でございました。まあ、こっちへおはいりなさい。ろくなものはありませんが、せめて鹿の生胆か熊の孕子でも御馳走しましょう。」といいました。
しかし髪長彦は首をふって、
「いや、いや、おれはお前がさらって来た御姫様をとり返しにやって来たのだ。早く御姫様を返せばよし、さもなければあの食蜃人同様、殺してしまうからそう思え。」と、恐ろしい勢いで叱りつけました。
すると土蜘蛛は、一ちぢみにちぢみ上って、
「ああ、お返ししますとも、何であなたのおっしゃる事に、いやだなどと申しましょう。御姫様はこの奥にちゃんと、独りでいらっしゃいます。どうか御遠慮なく中へはいって、おつれになって下さいまし。」と、声をふるわせながらいいました。
そこで髪長彦は、御姉様の御姫様と三匹の犬とをつれて、洞穴の中へはいりますと、成程ここにも銀の櫛をさした、可愛らしい御姫様が、悲しそうにしくしく泣いています。
それが人の来たようすに驚いて、急いでこちらを御覧になりましたが、御姉様の御顔を一目見たと思うと、
「御姉様。」
「妹。」と、二人の御姫様は一度に両方から駈けよって、暫くは互いに抱き合ったまま、うれし涙にくれていらっしゃいました。髪長彦もこの気色を見て、貰い泣きをしていましたが、急に三匹の犬が背中の毛を逆立てて、
「わん。わん。土蜘蛛の畜生め。」
「憎いやつだ。わん。わん。」
「わん。わん。わん。覚えていろ。わん。わん。わん。」と、気の違ったように吠え出しましたから、ふと気がついてふり返えると、あの狡猾な土蜘蛛は、いつどうしたのか、大きな岩で、一分の隙もないように、外から洞穴の入口をぴったりふさいでしまいました。おまけにその岩の向こうでは、
「ざまを見ろ、髪長彦め。こうして置けば、貴様たちは、一月とたたないうちに、ひぼしになって死んでしまうぞ。何とおれさまの計略は、恐れ入ったものだろう。」と、手をたたいて土蜘蛛の笑う声がしています。
これにはさすがの髪長彦も、さては一ぱい食わされたかと、一時は口惜しがりましたが、幸い思い出したのは、腰にさしていた笛の事です。この笛を吹きさえすれば、鳥獣はいうまでもなく、草木もうっとり聞き惚れるのですから、あの狡猾な土蜘蛛も、心を動かさないとは限りません。そこで髪長彦は勇気をとり直して、吠えたける犬をなだめながら、一心不乱に笛を吹き出しました。
するとその音色の面白さには、悪者の土蜘蛛も、おいおい我を忘れたのでしょう。始めは洞穴の入口に耳をつけて、じっと聞き澄ましていましたが、とうとうしまいには夢中になって、一寸二寸と大岩を、少しずつわきへ開きはじめました。
それが人一人通れるくらい、大きな口をあけた時です。髪長彦は急に笛をやめて、
「噛め。噛め。洞穴の入口に立っている土蜘蛛を噛み殺せ。」と、斑犬の背中をたたいて、いいつけました。
この声に胆をつぶして、一目散に土蜘蛛は、逃げ出そうとしましたが、もうその時は間に合いません。「噛め」はまるで電のように、洞穴の外へ飛び出して、何の苦もなく土蜘蛛を噛み殺してしまいました。
所がまた不思議な事には、それと同時に谷底から、一陣の風が吹き起こって、
「髪長彦さん。ありがとう。この御恩は忘れません。私は土蜘蛛にいじめられていた、笠置山の笠姫です。」とやさしい声が聞こえました。 | 土蜘蛛が大きな岩で、一分の隙もないように、外から洞穴の入口をぴったりふさいでしまいました。何人が閉じ込められましたか。 | 土蜘蛛が大きな岩で、一分の隙もないように、外から洞穴の入口をぴったりふさいでしまいました。閉じ込められたのは3人です。 |
JCRRAG_014423 | 国語 | むかし源氏と平家が戦争をして、お互いに勝ったり負けたりしていた時のことでした。源氏の大将義朝には、悪源太義平や頼朝の他に今若、乙若、牛若、という子供がいました。ちょうどいちばん小さい牛若が生まれたばかりのとき、源氏の旗色が悪くなりました。義朝は負けて、方々逃げかくれているうちに、家来の長田忠致というものに殺されました。
平家の大将清盛は、源氏にかたきを取られることにこわがって、義朝の子供を見つけしだい殺そうとしました。
義朝の奥方の常盤御前は、子供を連れて、大和の国の片田舎にかくれていました。
清盛はいくら常磐を探しても見つからないものですから困って、常磐のおかあさんの関屋というおばあさんをつかまえて、
「常磐のいるところをいえ。いわないと殺してしまうぞ。」
と毎日ひどくせめました。
常磐はこのことを聞いて、
「おかあさまを殺してはすまない。わたしが名のって出ても、子供たちはまだ小さいから、たのんだら殺さずにおいてもらえるかもしれない。」
と思って、京都へ出かけました。
ちょうど冬のことで、雪がたいそう降っていました。常磐は牛若を懐に入れて、乙若の手をひいて、雪の中を歩いて行きました。今若はそのあとからついて行きました。
さんざん難儀をして、平清盛のいる京都の六波羅のやしきに着くと、常磐は、
「おたずねになっている常磐でございます。子供をつれて出ました。わたくしは殺されてもようございますから、母の命をお助け下さい。子供たちもこの通り小さなものばかりでございますから、命だけはどうぞお助け下さいまし。」
と申しました。
親子のいたいたしい様子を見みると、さすがの平清盛も気の毒に思って、その願いを聞き入れてやりました。
それで今若と乙若は命だけは助かって、今若は醍醐寺というお寺へやられ、乙若は園城寺というお寺へやられ、それぞれ出家しました。牛若はまだお乳を飲んでいるので、おかあさんのそばにいることを許しましたが、これも七才になると鞍馬山のお寺へやられました。
そのうち牛若はだんだん物がわかってきました。おとうさんが平家のために滅ぼされたことを人から聞いて、くやしがって泣きました。
「毎日お経なんかよんで、坊さんになっても仕方がない。おれは剣術をけいこして、大将になるのだ。そして平家をほろぼして、おとうさまのかたきを討つのだ。」
こう牛若は思って、急に剣術がならいたくなりました。
鞍馬山のおくに僧正ガ谷という谷があります。松や杉が茂っていて、昼も日の光がささないようなところでした。牛若は一人で剣術をやってみようと思って、毎晩人が寝しずまってから、お寺をぬけ出して僧正ガ谷へ行きました。そしてそこにたくさん並んでいる杉の木を平家の一門に見立てて、その中で一ばん大きな木に清盛という名をつけて、小さな木太刀でぽんぽん打ちました。
それはある晩のことでした。牛若がいつものように僧正ガ谷へ出かけて剣術のおけいこをしていますと、どこからか鼻のばかに高い、見上げるような大男が、手に羽うちわをもって、ぬっと出て来ました。そしてだまって牛若のすることを見ていました。牛若は不思議に思って、
「お前はだれだ。」
といいますと、その男は笑って、
「おれはこの僧正ガ谷に住むてんぐだ。お前の剣術はまずくって見ていられない。今夜からおれが教えてやろう。」
といいました。
「それはありがとう。じゃあ、おしえて下さい。」
と、牛若は木太刀を振って打ってかかりました。てんぐはかるく羽うちわであしらいました。
この時からてんぐは毎晩牛若に剣術をおしえてくれました。牛若はどんどん剣術がうまくなりました。
するうち、牛若が毎晩おそく僧正ガ谷へ行って、あやしい者から剣術をおそわっているということを和尚さんに告げ口したものがありました。和尚さんはびっくりして、さっそく牛若をよんで、髪を剃って坊さんにしようとしました。牛若は、
「いやです。」
といいながら、いきなり小太刀に手をかけて、こわい顔をして和尚さんをにらみました。
その勢いにおそれて、髪を剃ることは止めました。
牛若はこうしているとまた、
「坊さんになれ。」
といわれるにちがいないと思って、ある日そっと鞍馬山を下りて京都へ出ました。
牛若はもう十四、五になっていました。 | 常磐の願いを聞き入れた平清盛による、今若と牛若の扱いの違いを教えてください。 | 常磐は、平清盛のいる京都の六波羅のやしきに着くと、自分は死んでもいいから子供たちを助けてくださいという願いを平清盛は聞き入れました。
今若は命だけは助かって、醍醐寺というお寺へやられ、出家しました。
一方、牛若はまだお乳を飲んでいるので、おかあさんである常盤のそばにいることを許しましたが、これも七才になると鞍馬山のお寺へやられました。 |
JCRRAG_014424 | 国語 | 皇帝の頭には、ルビーやエメラルドなどの、三種類の宝石をちりばめた軽い黄金の兜をかぶり、頂きに羽根飾りがついていますが、着物は大へん質素でした。手には、長さ三インチぐらいの剣を握っておられます。その柄と鞘は黄金で作られ、ダイヤモンドがちりばめてあります。
皇帝の声はキイキイ声ですが、よく開きとれます。女官たちは、みんな綺麗な服を着ています。だから、みんなが並んで立っているところは、まるで、金糸銀糸の刺繍の衣を地面にひろげたようでした。
皇帝は何度も私に話しかけましたが、残念ながら、どうもお互いに、言葉が通じません。二時間後、皇帝をはじめ一同は帰って行きました。あとに残された私には、ちゃんと番人がついて、見張りしてくれます。つまり、これは私を見に押しかけて来るやじ馬のいたずらを防ぐためです。
やじ馬どもは、勝手に私の近くまで押しよせ、中には、私に矢を射ようとするものまでいました。一度、その矢が、私の左の眼に一度あたりそうでした。右の眼には二度あたりそうになりました。番人はさっそく、そのやじ馬の中の、頭らしい六人の男をつかまえて、私に引き渡してくれました。番人の槍先で、私の近くまで、その六人が追い立てられて来ると、私は一度に六人を手でつかんでやりました。
五人の内二人を上衣の右ポケットにねじこみ、三人は左ポケットにねじ込みました。あとの一人には、そら、これから食ってやるぞ、というような顔つきをして見せました。すると、その男は私の指の中で、ワーワー泣きわめきます。
私が指を口にもってゆくと、ほんとに食われるのではないかと、番人も見物人も、みんな、ハラハラしていたようです。が、間もなく、私はやさしい顔つきに返り、その男をそっと地面に置いて、放してやりました。他の五人も、一人ずつ、ポケットから引っ張り出して、許してやりました。すると番人も見物人も、ほっとして、私のしたことに感謝している様子でした。 | 皇帝が身に着けている物で、宝石の種類がより多く付いている物を教えてください。 | 皇帝が身に着けている物で、宝石がより多く付いている物は黄金の兜で三種類の宝石が付いています。 |
JCRRAG_014425 | 国語 | それから髪長彦は、二人の御姫様と三匹の犬とをひきつれて、黒犬の背に跨がりながら、笠置山の頂から、飛鳥の大臣様の御出になる都の方へまっすぐに、空を飛んでまいりました。その途中で二人の御姫様は、どう御思いになったのか、御自分たちの金の櫛と銀の櫛とをぬきとって、それを髪長彦の長い髪へそっとさして御置きになりました。が、こっちは元からそんな事には、気がつく筈がありません。ただ、一生懸命に黒犬を急がせながら、美しい大和の国原を足の下に見下して、ずんずん空を飛んで行きました。
その中に髪長彦は、あの始めに通りかかった、三つ叉の路の空まで、犬を進めて来ましたが、見るとそこにはさっきの二人の侍が、どこからかの帰りと見えて、また馬を並べながら、都の方へ急いでいます。これを見ると、髪長彦は、ふと自分の大手柄を、この二人の侍たちにも聞かせたいという心もちが起こって来たものですから、
「下りろ。下りろ。あの三つ叉になっている路の上へ下りて行け。」と、こう黒犬にいいつけました。
こっちは二人の侍です。折角方々探しまわったのに、御姫様たちの御行方がどうしても知れないので、しおしお馬を進めていると、いきなりその御姫様たちが、女のようなきこりと一しょに、たくましい黒犬に跨って、空から舞い下って来たのですから、その驚きといったらありません。
髪長彦は犬の背中を下りると、丁寧にまたおじぎをして、
「殿様、わたくしはあなた方に御別れ申してから、すぐに生駒山と笠置山とへ飛んで行って、この通り御二方の御姫様を御助け申してまいりました。」といいました。
しかし二人の侍は、こんな卑しいきこりなどに、まんまと鼻をあかされたのですから、うらやましいのと、ねたましいのとで、腹が立って仕方がありません。そこで上辺はさも嬉しそうに、いろいろ髪長彦の手柄を褒め立てながら、とうとう三匹の犬の由来や、腰にさした笛の不思議などをすっかり聞き出してしまいました。そうして髪長彦の油断をしている中に、まず大事な笛をそっと腰からぬいてしまうと、二人はいきなり黒犬の背中へとび乗って、二人の御姫様と二匹の犬とを、しっかりと両脇に抱えながら、
「飛べ。飛べ。飛鳥の大臣様のいらっしゃる、都の方へ飛んで行け。」と、声を揃えて叫びました。
髪長彦は驚いて、すぐに二人へとびかかりましたが、もうその時には大風が吹き起こって、侍たちを乗せた黒犬は、きりりと尾をまいたまま、遥な青空の上の方へ舞い上って行ってしまいました。
あとにはただ、侍たちの乗った二匹の馬が残っているばかりですから、髪長彦は三つ叉になった往来のまん中につっぷして、しばらくはただ悲しそうにおいおい泣いておりました。
すると生駒山の峰の方から、さっと風が吹いて来たと思いますと、その風の中に声がして、
「髪長彦さん。髪長彦さん。私は生駒山の駒姫です。」と、やさしいささやきが聞こえました。
それと同時にまた笠置山の方からも、さっと風が渡るや否や、やはりその風の中にも声があって、
「髪長彦さん。髪長彦さん。私は笠置山の笠姫です。」と、これもやさしく囁きました。
そうしてその声が一つになって、
「これからすぐに私たちは、あの侍たちの後を追って、笛をとり返して上げますから、少しも御心配なさいますな。」というかいわないうちに、風はびゅうびゅう唸りながら、さっき黒犬の飛んで行った方へ、狂って行ってしまいました。
が、少したつとその風は、またこの三つ叉になった路の上へ、前のようにやさしく囁きながら、高い空から下おろして来ました。
「あの二人の侍たちは、もう御二方の御姫様と一緒に、飛鳥の大臣様の前へ出て、いろいろ御褒美を頂いています。さあ、さあ、早くこの笛を吹いて、三匹の犬をここへ呼びなさい。その間に私たちは、あなたが御出世の旅立を、恥ずかしくないようにして上げましょう。」
こういう声がしたかと思うと、あの大事な笛を始め、金の鎧だの、銀の兜だの、孔雀の羽の矢だの、香木の弓だの、立派な大将の装いが、まるで雨か霰のように、眩しく日に輝きながら、ばらばら眼の前へ降って来ました。 | 黒犬は何人を載せて飛鳥山へ飛んでいきましたか。 | 黒犬は飛鳥山へ飛んでいった時に載せていた人数は4人です。 |
JCRRAG_014426 | 国語 | そのころ京都の北の比叡山に、弁慶という強い坊さんがいました。この弁慶は生まれる前おかあさんのおなかに十八ヵ月もいたので、生まれるともう三つぐらいの子供の大きさがあって、髪の毛がもじゃもじゃ生えて、大きな歯がにょきんと出ていました。そしてずんずん口をききました。
「ああ、明るい。」
はじめておかあさんのおなかからとび出したとき、こういっていきなりちょこちょこと歩き出したそうです。
おかあさんはそれでもだいじな子供なのでかわいがっていました。
ですがおとうさんはなんとも気味わるがって、大きくなるとすぐ、お寺へやってしまいました。
お寺へやられても、生まれつきたいそう気のあらい上に、この上なく力が強いので、すこし気にくわないことがあると、ほかの坊さんをぶちました。ぶたれて死んだ坊さんもいました。みんなは弁慶というと、ふるえ上がってこわがっていました。
そのうちに比叡山の西塔の武蔵坊というお寺の坊さんが亡くなると、弁慶は勝手にそこに入りこんで、西塔の武蔵坊弁慶と名乗りました。
ある時弁慶はおもいました。
「宝はなんでも千という数をそろえて持つものだそうだ。奥州の藤原秀衡はいい馬を千匹と、いい鎧を千もそろえて持っている。九州の松浦の太夫は弓を千挺と空穂(うつぼ)を千本そろえて持っている。おれも刀を千本そろえよう。都へ出て集めたら、千本くらいわけなくできる。」
こう考えて、弁慶は黒糸おどしの鎧の上に墨ぞめの衣を着て、白い頭巾をかぶり、なぎなたを杖について、毎晩五条の橋のたもとに立っていました。そしてよさそうな刀をさした人が来ると、だしぬけにとび出して行って刀を奪いとることにしました。
弁慶のおそろしさに恐れをなし、大人しく刀を渡す者には一切手を出さずにそのまま橋を通すようにしていました。
逃げようとしたり、いやがってすなおに刀を渡さなかったりする者は、持っているなぎなたで一息になぎ倒しました。
すると、このごろは毎晩五条の橋に大坊主が出て、人の刀をとるという評判がぱっと高くなりました。
坊主ではなく、てんぐだというものもありました。そしてみんなこわがって、日が暮れると五条の橋を通る者がなくなりました。
ある時弁慶がとって来た刀を出して数えてみますと、ちょうど九百九十九本ありました。弁慶はよろこんで、
「うまい、うまい、もう一本で千本だぞ。おしまいに一ばんいい刀を取ってやりたいものだ。」
とひとりごとをいいました。そしてその晩はわざわざ五条の天神さまにお参りをして、
「もう一本で千本になります。どうぞ一ばんいい刀をおさずけください。」
といって、それからいつものように、五条の橋の下へ行って立っていました。 | 生まれてすぐ歩き出した弁慶に対する、おとうさんとおかあさんの対応の違いを教えてください。 | 弁慶は生まれる前におかあさんのおなかに十八ヵ月もいたので、生まれるともう三つぐらいの子供の大きさでした。はじめておかあさんのおなかからとび出したとき、いきなりちょこちょこと歩き出したそうです。おかあさんはそれでもだいじな子供なのでかわいがっていました。
一方、おとうさんはなんとも気味わるがって、大きくなるとすぐ、お寺へやってしまいました。 |
JCRRAG_014427 | 国語 | 私は身体が小さいので、ときどき、滑稽な出来事に出会いました。
グラムダルクリッチは、よく私を箱に入れて、庭につれ出し、そしてときには、箱から出して手の上に乗せてみたり、地面を歩かせてみたりしていました。あるとき、それはまだあのこびとが宮廷にいた頃のことですが、彼が庭までついてやって来たのです。ちょうど、彼と私のすぐ傍に、盆栽の林檎の木がありました。この盆栽とこびとを見くらべていると、なんだかおかしくなったので、私はちょっと、彼を冷やかしてやりました。すると、このいたずら小僧は、私が林檎の木蔭を歩いている隙をねらって、頭の上の木を揺さぶりだしました。たちまち、十の赤い林檎、二個の青い林檎が私の頭の上に落ちかかりましたが、これがまた酒樽ほどもある大きさなのです。かがもうとするところへ、その一つが背中にあたり、二つが足に当たりました。私は前へのめってしまいました。一日大事を取って休むことにしました。
ある日、グラムダルクリッチは、私を芝生の上におろして、ひとり遊ばせておき、自分は家庭教師と一緒に、少し離れたところを歩いていました。すると、にわかに猛烈な霰が降ってきて、私はたちまち地面にたたきつけられました。霰はまるでテニスの球でも投げつけるように、全身に打ち込んでくるのです。
霰が私の体に打ち付けられたうち、上半身に五十個、下半身には四十個は当たったでしょうか。
しかしやっと四つ這いになって、レモンの木蔭に這い込み、私は顔を伏せていました。だが、頭のてっぺんから、足の先まで、傷だらけになって、十日ばかりは外出もできなかったのです。
しかし、これは少しも驚くことではないのです。この国では、何もかも同じ割合に大きいのですから、霰粒一つでもヨーロッパの霰の千八百倍はあります。これは、私がわざわざ秤にかけて計ってみたのですから、たしかです。
ヨーロッパの霰が1グラムなら1.8キロはあるのです。
しかし、もっと危険な事が、この庭園で起こったことがあります。私は一人で考えごとをしたいので、ときどき、一人にしてくれと頼むのですが、乳母さんは私を安全な所へ置いたつもりで、ほかの人たちと一しょに、庭園のどこか別のところへ行っていました。ちょうど、その留守中のことでした。園丁が飼っているスパニエル犬が、どうしたはずみか、庭園に入り込んで来て、私の寝ている方へやって来たのです。私の匂いを嗅ぎつけると、たちまち飛んで来て、私をくわえると、尻尾を振りながら、ドンドン、主人のところへ駈けつけて行って、そっと、私を地面に置きました。運よく、その犬は、よく仕込まれていたので、歯の間にくわえられながらも、私は怪我一つせず、着物も破れなかったのです。 | 私の体に打ち付けた霰のうち、打ち付けられた数が少ないほうを教えてください。 | 私の体に打ち付けた霰のうち、打ち付けられた数が少ないほうは下半身で四十個です。 |
JCRRAG_014428 | 国語 | それから髪長彦は、二人の御姫様と三匹の犬とをひきつれて、黒犬の背に跨がりながら、笠置山の頂から、飛鳥の大臣様の御出になる都の方へまっすぐに、空を飛んでまいりました。その途中で二人の御姫様は、どう御思いになったのか、御自分たちの金の櫛と銀の櫛とをぬきとって、それを髪長彦の長い髪へそっとさして御置きになりました。が、こっちは元からそんな事には、気がつく筈がありません。ただ、一生懸命に黒犬を急がせながら、美しい大和の国原を足の下に見下して、ずんずん空を飛んで行きました。
その中に髪長彦は、あの始めに通りかかった、三つ叉の路の空まで、犬を進めて来ましたが、見るとそこにはさっきの二人の侍が、どこからかの帰りと見えて、また馬を並べながら、都の方へ急いでいます。これを見ると、髪長彦は、ふと自分の大手柄を、この二人の侍たちにも聞かせたいという心もちが起こって来たものですから、
「下りろ。下りろ。あの三つ叉になっている路の上へ下りて行け。」と、こう黒犬にいいつけました。
こっちは二人の侍です。折角方々探しまわったのに、御姫様たちの御行方がどうしても知れないので、しおしお馬を進めていると、いきなりその御姫様たちが、女のようなきこりと一しょに、たくましい黒犬に跨って、空から舞い下って来たのですから、その驚きといったらありません。
髪長彦は犬の背中を下りると、丁寧にまたおじぎをして、
「殿様、わたくしはあなた方に御別れ申してから、すぐに生駒山と笠置山とへ飛んで行って、この通り御二方の御姫様を御助け申してまいりました。」といいました。
しかし二人の侍は、こんな卑しいきこりなどに、まんまと鼻をあかされたのですから、うらやましいのと、ねたましいのとで、腹が立って仕方がありません。そこで上辺はさも嬉しそうに、いろいろ髪長彦の手柄を褒め立てながら、とうとう三匹の犬の由来や、腰にさした笛の不思議などをすっかり聞き出してしまいました。そうして髪長彦の油断をしている中に、まず大事な笛をそっと腰からぬいてしまうと、二人はいきなり黒犬の背中へとび乗って、二人の御姫様と二匹の犬とを、しっかりと両脇に抱えながら、
「飛べ。飛べ。飛鳥の大臣様のいらっしゃる、都の方へ飛んで行け。」と、声を揃えて叫びました。
髪長彦は驚いて、すぐに二人へとびかかりましたが、もうその時には大風が吹き起こって、侍たちを乗せた黒犬は、きりりと尾をまいたまま、遥な青空の上の方へ舞い上って行ってしまいました。
あとにはただ、侍たちの乗った二匹の馬が残っているばかりですから、髪長彦は三つ叉になった往来のまん中につっぷして、しばらくはただ悲しそうにおいおい泣いておりました。
すると生駒山の峰の方から、さっと風が吹いて来たと思いますと、その風の中に声がして、
「髪長彦さん。髪長彦さん。私は生駒山の駒姫です。」と、やさしいささやきが聞こえました。
それと同時にまた笠置山の方からも、さっと風が渡るや否や、やはりその風の中にも声があって、
「髪長彦さん。髪長彦さん。私は笠置山の笠姫です。」と、これもやさしく囁きました。
そうしてその声が一つになって、
「これからすぐに私たちは、あの侍たちの後を追って、笛をとり返して上げますから、少しも御心配なさいますな。」というかいわないうちに、風はびゅうびゅう唸りながら、さっき黒犬の飛んで行った方へ、狂って行ってしまいました。
が、少したつとその風は、またこの三つ叉になった路の上へ、前のようにやさしく囁きながら、高い空から下おろして来ました。
「あの二人の侍たちは、もう御二方の御姫様と一緒に、飛鳥の大臣様の前へ出て、いろいろ御褒美を頂いています。さあ、さあ、早くこの笛を吹いて、三匹の犬をここへ呼びなさい。その間に私たちは、あなたが御出世の旅立を、恥ずかしくないようにして上げましょう。」
こういう声がしたかと思うと、あの大事な笛を始め、金の鎧だの、銀の兜だの、孔雀の羽の矢だの、香木の弓だの、立派な大将の装いが、まるで雨か霰のように、眩しく日に輝きながら、ばらばら眼の前へ降って来ました。 | 髪長彦の眼の前へ降って来た物の数を教えてください。 | 髪長彦の眼の前へ降って来た物の数は5で、
「笛」
「金の鎧」
「銀の兜」
「孔雀の羽の矢」
「香木の弓」
です。 |
JCRRAG_014429 | 国語 | そのころ京都の北の比叡山に、弁慶という強い坊さんがいました。この弁慶は生まれる前おかあさんのおなかに十八ヵ月もいたので、生まれるともう三つぐらいの子供の大きさがあって、髪の毛がもじゃもじゃ生えて、大きな歯がにょきんと出ていました。そしてずんずん口をききました。
「ああ、明るい。」
はじめておかあさんのおなかからとび出したとき、こういっていきなりちょこちょこと歩き出したそうです。
おかあさんはそれでもだいじな子供なのでかわいがっていました。
ですがおとうさんはなんとも気味わるがって、大きくなるとすぐ、お寺へやってしまいました。
お寺へやられても、生まれつきたいそう気のあらい上に、この上なく力が強いので、すこし気にくわないことがあると、ほかの坊さんをぶちました。ぶたれて死んだ坊さんもいました。みんなは弁慶というと、ふるえ上がってこわがっていました。
そのうちに比叡山の西塔の武蔵坊というお寺の坊さんが亡くなると、弁慶は勝手にそこに入りこんで、西塔の武蔵坊弁慶と名乗りました。
ある時弁慶はおもいました。
「宝はなんでも千という数をそろえて持つものだそうだ。奥州の藤原秀衡はいい馬を千匹と、いい鎧を千もそろえて持っている。九州の松浦の太夫は弓を千挺と空穂(うつぼ)を千本そろえて持っている。おれも刀を千本そろえよう。都へ出て集めたら、千本くらいわけなくできる。」
こう考えて、弁慶は黒糸おどしの鎧の上に墨ぞめの衣を着て、白い頭巾をかぶり、なぎなたを杖について、毎晩五条の橋のたもとに立っていました。そしてよさそうな刀をさした人が来ると、だしぬけにとび出して行って刀を奪いとることにしました。
弁慶のおそろしさに恐れをなし、大人しく刀を渡す者には一切手を出さずにそのまま橋を通すようにしていました。
逃げようとしたり、いやがってすなおに刀を渡さなかったりする者は、持っているなぎなたで一息になぎ倒しました。
すると、このごろは毎晩五条の橋に大坊主が出て、人の刀をとるという評判がぱっと高くなりました。
坊主ではなく、てんぐだというものもありました。そしてみんなこわがって、日が暮れると五条の橋を通る者がなくなりました。
ある時弁慶がとって来た刀を出して数えてみますと、ちょうど九百九十九本ありました。弁慶はよろこんで、
「うまい、うまい、もう一本で千本だぞ。おしまいに一ばんいい刀を取ってやりたいものだ。」
とひとりごとをいいました。そしてその晩はわざわざ五条の天神さまにお参りをして、
「もう一本で千本になります。どうぞ一ばんいい刀をおさずけください。」
といって、それからいつものように、五条の橋の下へ行って立っていました。 | 奥州の藤原秀衡と、九州の松浦の太夫が千持っているものの違いを教えてください。 | 奥州の藤原秀衡はいい馬を千匹と、いい鎧を千もそろえて持っています。
一方、九州の松浦の太夫は、弓を千挺と空穂(うつぼ)を千本そろえて持っています。 |
JCRRAG_014430 | 国語 | 私は身体が小さいので、ときどき、滑稽な出来事に出会いました。
グラムダルクリッチは、よく私を箱に入れて、庭につれ出し、そしてときには、箱から出して手の上に乗せてみたり、地面を歩かせてみたりしていました。あるとき、それはまだあのこびとが宮廷にいた頃のことですが、彼が庭までついてやって来たのです。ちょうど、彼と私のすぐ傍に、盆栽の林檎の木がありました。この盆栽とこびとを見くらべていると、なんだかおかしくなったので、私はちょっと、彼を冷やかしてやりました。すると、このいたずら小僧は、私が林檎の木蔭を歩いている隙をねらって、頭の上の木を揺さぶりだしました。たちまち、十の赤い林檎、二個の青い林檎が私の頭の上に落ちかかりましたが、これがまた酒樽ほどもある大きさなのです。かがもうとするところへ、その一つが背中にあたり、二つが足に当たりました。私は前へのめってしまいました。一日大事を取って休むことにしました。
ある日、グラムダルクリッチは、私を芝生の上におろして、ひとり遊ばせておき、自分は家庭教師と一緒に、少し離れたところを歩いていました。すると、にわかに猛烈な霰が降ってきて、私はたちまち地面にたたきつけられました。霰はまるでテニスの球でも投げつけるように、全身に打ち込んでくるのです。
霰が私の体に打ち付けられたうち、上半身に五十個、下半身には四十個は当たったでしょうか。
しかしやっと四つ這いになって、レモンの木蔭に這い込み、私は顔を伏せていました。だが、頭のてっぺんから、足の先まで、傷だらけになって、十日ばかりは外出もできなかったのです。
しかし、これは少しも驚くことではないのです。この国では、何もかも同じ割合に大きいのですから、霰粒一つでもヨーロッパの霰の千八百倍はあります。これは、私がわざわざ秤にかけて計ってみたのですから、たしかです。
ヨーロッパの霰が1グラムなら1.8キロはあるのです。
しかし、もっと危険な事が、この庭園で起こったことがあります。私は一人で考えごとをしたいので、ときどき、一人にしてくれと頼むのですが、乳母さんは私を安全な所へ置いたつもりで、ほかの人たちと一しょに、庭園のどこか別のところへ行っていました。ちょうど、その留守中のことでした。園丁が飼っているスパニエル犬が、どうしたはずみか、庭園に入り込んで来て、私の寝ている方へやって来たのです。私の匂いを嗅ぎつけると、たちまち飛んで来て、私をくわえると、尻尾を振りながら、ドンドン、主人のところへ駈けつけて行って、そっと、私を地面に置きました。運よく、その犬は、よく仕込まれていたので、歯の間にくわえられながらも、私は怪我一つせず、着物も破れなかったのです。 | 私の体に打ち付けた霰のうち、打ち付けられた数が少ないほうを教えてください。 | 私の体に打ち付けた霰のうち、打ち付けられた数が少ないほうは下半身で四十個です。 |
JCRRAG_014431 | 国語 | むかし、金太郎という強い子供がいました。相模国足柄山の山奥に生まれて、おかあさんの山うばといっしょにくらしていました。
金太郎は生まれた時からそれはそれは力が強くって、もう七つや八つのころには、石臼やもみぬかの俵ぐらい、へいきで持ちあげました。大抵の大人を相手にすもうを取っても負けませんでした。近所にもう相手がなくなると、つまらなくなって金太郎は、一日森の中をかけまわりました。そしておかあさんにもらった大きなまさかりをかついで歩いて、やたらに大きな杉の木や松の木をきり倒しては、きこりのまねをしておもしろがっていました。
ある日森の奥のずっと奥に入って、いつものように大きな木を切っていますと、のっそり大きな熊が出て来ました。熊は目を光らせながら、
「だれだ、おれの森をあらすのは。」
と言って、とびかかって来ました。すると金太郎は、
「なんだ、熊のくせに。金太郎を知らないか。」
と言いながら、まさかりをほうり出して、いきなり熊に組みつきました。そして足をかけて、どしんと地べたに投げつけました。熊はへいこうして、両手をついてあやまって、金太郎の家来になりました。森の中で大将ぶんの熊がへいこうして金太郎の家来になったのを見て、そのあとからうさぎだの、猿だの、鹿だのがぞろぞろついて来て、
「金太郎さん、どうぞわたくしも御家来にして下ください。」
と言いました。金太郎は、「よし、よし。」とうなずいて、みんな家来にしてやりました。
それからは金太郎は、毎朝おかあさんにたくさんおむすびをこしらえていただいて、森の中へ出でかけて行きました。金太郎が口笛を吹いて、
「さあ、みんな来い。みんな来い。」
と呼びかけると、熊を頭に、鹿や猿やうさぎがのそのそと出て来ました。金太郎はこの家来たちをお供に連れて、一日山の中を歩きまわりました。ある日方々歩いて、やがてやわらかな草の生えている所へ来ると、みんなは足を出してそこへごろごろ寝ころびました。太陽が気持ちよさそうに当たっていました。金太郎が、
「さあ、みんなすもうを取れ。ごほうびにはこのおむすびをやるぞ。」
と言うと、熊がむくむくした手で地面を掘って、土俵をこしらえました。
はじめに猿とうさぎが取り組くんで、鹿が行司になりました。うさぎが猿のしっぽをつかまえて、土俵の外へ持ち出そうとしますと、猿がくやしがって、むちゃくちゃにうさぎの長い耳をつかんでひっぱりましたから、うさぎはいたがって手をはなしました。それで勝負がつかなくなって、どちらもごほうびがもらえませんでした。
こんどはうさぎが行司になって、鹿と熊が取り組みましたが、鹿はすぐ角ごと熊にひっくり返されてしまいました。金太郎は、
「おもしろい、おもしろい。」
と言って手をたたきました。とうとういちばんおしまいに金太郎が土俵のまん中につっ立たって、
「さあ、みんなかかって来い。」
と言いながら、大手をひろげました。そこでうさぎと、猿と、鹿と、いちばんおしまいに熊がかかっていきましたが、片っぱしからころころ、ころがされてしまいました。
「なんだ。弱虫だなあ。みんないっぺんにかかって来こい。」
と金太郎が言いいますと、くやしがってうさぎが足を持つやら猿が首に手をかけるやら、大さわぎになりました。そして鹿が腰を押して熊が胸に組みついて、みんな総がかりでうんうんいって、金太郎を倒そうとしましたが、どうしても倒すことができませんでした。金太郎はおしまいにじれったくなって、からだを一振うんと振りますと、うさぎも猿も鹿も熊もみんないっぺんにごろごろ、ごろごろ土俵の外にころげ出してしまいました。
「ああ、いたい。ああ、いたい。」
とみんな口々に言って、腰をさすったり、肩をもんだりしていました。金太郎は、
「さあ、おれにまけてかわいそうだから、みんなに分けてやろう。」
と言って、うさぎと猿と鹿と熊をまわりにぐるりと並ばせて、自分がまん中に座って、おむすびをわけてみんなで食べました。しばらくすると金太郎は、
「ああ、うまかった。さあ、もう帰ろう。」
と言って、またみんなを連れて帰っていきました。 | 金太郎が大きなまさかりで切った木の種類の数を教えてください。 | 金太郎が大きなまさかりで切った木の種類の数は2で、
「杉の木」
「松の木」
です。 |
JCRRAG_014432 | 国語 | そのころ京都の北の比叡山に、弁慶という強い坊さんがいました。この弁慶は生まれる前おかあさんのおなかに十八ヵ月もいたので、生まれるともう三つぐらいの子供の大きさがあって、髪の毛がもじゃもじゃ生えて、大きな歯がにょきんと出ていました。そしてずんずん口をききました。
「ああ、明るい。」
はじめておかあさんのおなかからとび出したとき、こういっていきなりちょこちょこと歩き出したそうです。
おかあさんはそれでもだいじな子供なのでかわいがっていました。
ですがおとうさんはなんとも気味わるがって、大きくなるとすぐ、お寺へやってしまいました。
お寺へやられても、生まれつきたいそう気のあらい上に、この上なく力が強いので、すこし気にくわないことがあると、ほかの坊さんをぶちました。ぶたれて死んだ坊さんもいました。みんなは弁慶というと、ふるえ上がってこわがっていました。
そのうちに比叡山の西塔の武蔵坊というお寺の坊さんが亡くなると、弁慶は勝手にそこに入りこんで、西塔の武蔵坊弁慶と名乗りました。
ある時弁慶はおもいました。
「宝はなんでも千という数をそろえて持つものだそうだ。奥州の藤原秀衡はいい馬を千匹と、いい鎧を千もそろえて持っている。九州の松浦の太夫は弓を千挺と空穂(うつぼ)を千本そろえて持っている。おれも刀を千本そろえよう。都へ出て集めたら、千本くらいわけなくできる。」
こう考えて、弁慶は黒糸おどしの鎧の上に墨ぞめの衣を着て、白い頭巾をかぶり、なぎなたを杖について、毎晩五条の橋のたもとに立っていました。そしてよさそうな刀をさした人が来ると、だしぬけにとび出して行って刀を奪いとることにしました。
弁慶のおそろしさに恐れをなし、大人しく刀を渡す者には一切手を出さずにそのまま橋を通すようにしていました。
逃げようとしたり、いやがってすなおに刀を渡さなかったりする者は、持っているなぎなたで一息になぎ倒しました。
すると、このごろは毎晩五条の橋に大坊主が出て、人の刀をとるという評判がぱっと高くなりました。
坊主ではなく、てんぐだというものもありました。そしてみんなこわがって、日が暮れると五条の橋を通る者がなくなりました。
ある時弁慶がとって来た刀を出して数えてみますと、ちょうど九百九十九本ありました。弁慶はよろこんで、
「うまい、うまい、もう一本で千本だぞ。おしまいに一ばんいい刀を取ってやりたいものだ。」
とひとりごとをいいました。そしてその晩はわざわざ五条の天神さまにお参りをして、
「もう一本で千本になります。どうぞ一ばんいい刀をおさずけください。」
といって、それからいつものように、五条の橋の下へ行って立っていました。 | 弁慶が刀を集める際に、刀を渡す者と渡さなかった者に対する対応の違いを教えてください。 | 弁慶は毎晩五条の橋のたもとに立っていました。よさそうな刀をさした人が来ると、だしぬけにとび出して行って刀を奪いとることにしました。弁慶のおそろしさに恐れをなし、大人しく刀を渡す者には一切手を出さずにそのまま橋を通すようにしていました。
一方、逃げようとしたり、いやがってすなおに刀を渡さなかったりする者は、持っているなぎなたで一息になぎ倒しました。 |
JCRRAG_014433 | 国語 | 「もし、この道具を使えば、今まで十人でした仕事が、たった一人で出来るし、宮殿はたった一週間で建つ。それに一度建てたら、もう修繕する必要がない。果物は、いつでも好きなときに熟れさせることができ、今までの百倍ぐらいたくさん取れるようになる。」
と、そのほかいろいろ結構なことばかり言うのです。
残念なのは、これらの計画が、まだどれも、ほんとに出来上ってはいないことです。だから、それが出来るまでは、国中が荒れ放題になり、家は破れ、人民は不自由をつづけます。だがそれでも彼等は元気は失わず、希望にもえ、半分やけくそになりながら、五十倍の勇気を振り絞って、この計画をなしとげようとするのです。
彼はこんなことを私に説明してくれたのです。そして、
「ぜひ、ひとつあなたにも、その学士院を御案内しましょう。」
と、つけ加えました。
それから数日して、私は彼の友人に案内されて、学士院を見物に行きました。
この学士院は、全体が一つの建物になっているのではなく、往来の両側に建物がずっと並んでいました。
私が訪ねて行くと、院長は大変喜んでくれました。私は何日も何日も、学士院へ出かけて行きました。どの部屋にも、発明家が二人いました。部屋によっては三人、多いところでは四人いました。
私はおよそ五百ぐらいの部屋を見て歩きました。
発明家がいる部屋は学士院の一本の廊下の両側にずらっと並んであり、右側に二百、左側に三百あったでしょうか。
最初に会った男は、手も顔も煤だらけで、髪はぼうぼうと伸び、それに、ところどころ焼け焦げがありました。そして、服もシャツも、皮膚と同じ色なのです。 | 学士院の一本の廊下の両側にずらっと並んでいる発明家がいる部屋のうち、左側と右側を比較して数が多いほうを教えて下さい。 | 学士院の一本の廊下の両側にずらっと並んでいる発明家がいる部屋のうち、左側と右側を比較して数が多いほうは左側で三百です。 |
JCRRAG_014434 | 国語 | むかし、金太郎という強い子供がいました。相模国足柄山の山奥に生まれて、おかあさんの山うばといっしょにくらしていました。
金太郎は生まれた時からそれはそれは力が強くって、もう七つや八つのころには、石臼やもみぬかの俵ぐらい、へいきで持ちあげました。大抵の大人を相手にすもうを取っても負けませんでした。近所にもう相手がなくなると、つまらなくなって金太郎は、一日森の中をかけまわりました。そしておかあさんにもらった大きなまさかりをかついで歩いて、やたらに大きな杉の木や松の木をきり倒しては、きこりのまねをしておもしろがっていました。
ある日森の奥のずっと奥に入って、いつものように大きな木を切っていますと、のっそり大きな熊が出て来ました。熊は目を光らせながら、
「だれだ、おれの森をあらすのは。」
と言って、とびかかって来ました。すると金太郎は、
「なんだ、熊のくせに。金太郎を知らないか。」
と言いながら、まさかりをほうり出して、いきなり熊に組みつきました。そして足をかけて、どしんと地べたに投げつけました。熊はへいこうして、両手をついてあやまって、金太郎の家来になりました。森の中で大将ぶんの熊がへいこうして金太郎の家来になったのを見て、そのあとからうさぎだの、猿だの、鹿だのがぞろぞろついて来て、
「金太郎さん、どうぞわたくしも御家来にして下ください。」
と言いました。金太郎は、「よし、よし。」とうなずいて、みんな家来にしてやりました。
それからは金太郎は、毎朝おかあさんにたくさんおむすびをこしらえていただいて、森の中へ出でかけて行きました。金太郎が口笛を吹いて、
「さあ、みんな来い。みんな来い。」
と呼びかけると、熊を頭に、鹿や猿やうさぎがのそのそと出て来ました。金太郎はこの家来たちをお供に連れて、一日山の中を歩きまわりました。ある日方々歩いて、やがてやわらかな草の生えている所へ来ると、みんなは足を出してそこへごろごろ寝ころびました。太陽が気持ちよさそうに当たっていました。金太郎が、
「さあ、みんなすもうを取れ。ごほうびにはこのおむすびをやるぞ。」
と言うと、熊がむくむくした手で地面を掘って、土俵をこしらえました。
はじめに猿とうさぎが取り組くんで、鹿が行司になりました。うさぎが猿のしっぽをつかまえて、土俵の外へ持ち出そうとしますと、猿がくやしがって、むちゃくちゃにうさぎの長い耳をつかんでひっぱりましたから、うさぎはいたがって手をはなしました。それで勝負がつかなくなって、どちらもごほうびがもらえませんでした。
こんどはうさぎが行司になって、鹿と熊が取り組みましたが、鹿はすぐ角ごと熊にひっくり返されてしまいました。金太郎は、
「おもしろい、おもしろい。」
と言って手をたたきました。とうとういちばんおしまいに金太郎が土俵のまん中につっ立たって、
「さあ、みんなかかって来い。」
と言いながら、大手をひろげました。そこでうさぎと、猿と、鹿と、いちばんおしまいに熊がかかっていきましたが、片っぱしからころころ、ころがされてしまいました。
「なんだ。弱虫だなあ。みんないっぺんにかかって来こい。」
と金太郎が言いいますと、くやしがってうさぎが足を持つやら猿が首に手をかけるやら、大さわぎになりました。そして鹿が腰を押して熊が胸に組みついて、みんな総がかりでうんうんいって、金太郎を倒そうとしましたが、どうしても倒すことができませんでした。金太郎はおしまいにじれったくなって、からだを一振うんと振りますと、うさぎも猿も鹿も熊もみんないっぺんにごろごろ、ごろごろ土俵の外にころげ出してしまいました。
「ああ、いたい。ああ、いたい。」
とみんな口々に言って、腰をさすったり、肩をもんだりしていました。金太郎は、
「さあ、おれにまけてかわいそうだから、みんなに分けてやろう。」
と言って、うさぎと猿と鹿と熊をまわりにぐるりと並ばせて、自分がまん中に座って、おむすびをわけてみんなで食べました。しばらくすると金太郎は、
「ああ、うまかった。さあ、もう帰ろう。」
と言って、またみんなを連れて帰っていきました。 | 金太郎が七つや八つのころにへいきで持ち上げていた品物の種類の数を教えてください。 | 金太郎が七つや八つのころにへいきで持ち上げていた品物の種類の数は2で、
「石臼」、
「もみぬかの俵」
です。 |
JCRRAG_014435 | 国語 | 十日ほどたって、ごんが、弥助というお百姓の家の裏を通りかかりますと、そこの、いちじくの木のかげで、弥助の家内が、おはぐろをつけていました。それを見やりながら鍛冶屋の新兵衛の家の裏を通ると、新兵衛の家内がていねいに髪をすいていました。
ごんは、「ふふん、村に何かあるんだな」と、思いました。
「なんだろう、秋祭かな。祭なら、太鼓や笛の音がしそうなものだ。それに第一、お宮にのぼりが立つはずだが」
こんなことを考えながらやって来ると、いつの間にか、表に赤い井戸のある、兵十の家の前へ来ました。その小さな、こわれかけた家の中には、大勢の人があつまっていました。よそいきの着物を着て、腰に手拭いをさげたりした女たちが、表のかまどで火をたいています。大きな鍋の中では、何かぐずぐず煮えていました。
「ああ、葬式だ」と、ごんは思いました。
「兵十の家のだれが死んだんだろう」
おひるがすぎると、ごんは、村の墓地へ行って、六地蔵さんのかげにかくれていました。いいお天気で、遠く向こうには、お城の屋根瓦が光っています。墓地には、ひがん花が、赤い布きれのようにさきつづけていました。と、村の方から、カーン、カーン、と、鐘が鳴って来ました。葬式の出る合図です。
やがて、白い着物を着た葬列のものたちがやって来るのがちらちら見えはじめました。声も近くなりました。葬列は墓地へはいって来ました。人々が通ったあとには、ひがん花が、ふみおられていました。
ごんはのびあがって見ました。兵十が、白いかみしもをつけて、位牌をささげています。いつもは、赤いさつま芋みたいな元気のいい顔が、きょうは何だかしおれていました。 | ごんが弥助というお百姓の家の裏と、鍛冶屋の新兵衛の家の裏を通るときに見たものの違いを教えてください。 | ごんが、弥助というお百姓の家の裏を通りかかりますと、家の裏にあるいちじくの木のかげで弥助の家内が、おはぐろをつけていました。
一方、ごんが鍛冶屋の新兵衛の家の裏を通ると、新兵衛の家内がていねいに髪をすいていました。 |
JCRRAG_014436 | 国語 | 皇帝の頭には、ルビーやエメラルドなどの、三種類の宝石をちりばめた軽い黄金の兜をかぶり、頂きに羽根飾りがついていますが、着物は大へん質素でした。手には、長さ三インチぐらいの剣を握っておられます。その柄と鞘は黄金で作られ、ダイヤモンドがちりばめてあります。
皇帝の声はキイキイ声ですが、よく開きとれます。女官たちは、みんな綺麗な服を着ています。だから、みんなが並んで立っているところは、まるで、金糸銀糸の刺繍の衣を地面にひろげたようでした。
皇帝は何度も私に話しかけましたが、残念ながら、どうもお互いに、言葉が通じません。二時間後、皇帝をはじめ一同は帰って行きました。あとに残された私には、ちゃんと番人がついて、見張りしてくれます。つまり、これは私を見に押しかけて来るやじ馬のいたずらを防ぐためです。
やじ馬どもは、勝手に私の近くまで押しよせ、中には、私に矢を射ようとするものまでいました。一度、その矢が、私の左の眼に一度あたりそうでした。右の眼には二度あたりそうになりました。番人はさっそく、そのやじ馬の中の、頭らしい六人の男をつかまえて、私に引き渡してくれました。番人の槍先で、私の近くまで、その六人が追い立てられて来ると、私は一度に六人を手でつかんでやりました。
五人の内二人を上衣の右ポケットにねじこみ、三人は左ポケットにねじ込みました。あとの一人には、そら、これから食ってやるぞ、というような顔つきをして見せました。すると、その男は私の指の中で、ワーワー泣きわめきます。
私が指を口にもってゆくと、ほんとに食われるのではないかと、番人も見物人も、みんな、ハラハラしていたようです。が、間もなく、私はやさしい顔つきに返り、その男をそっと地面に置いて、放してやりました。他の五人も、一人ずつ、ポケットから引っ張り出して、許してやりました。すると番人も見物人も、ほっとして、私のしたことに感謝している様子でした。 | 皇帝が身に着けている物で、宝石がより少なく付いている物を教えてください。 | 皇帝が身に着けている物で、宝石がより少なく付いている物は剣の柄と鞘で、一種類のダイヤモンドがちりばめられています。 |
JCRRAG_014437 | 国語 | むかし、金太郎という強い子供がいました。相模国足柄山の山奥に生まれて、おかあさんの山うばといっしょにくらしていました。
金太郎は生まれた時からそれはそれは力が強くって、もう七つや八つのころには、石臼やもみぬかの俵ぐらい、へいきで持ちあげました。大抵の大人を相手にすもうを取っても負けませんでした。近所にもう相手がなくなると、つまらなくなって金太郎は、一日森の中をかけまわりました。そしておかあさんにもらった大きなまさかりをかついで歩いて、やたらに大きな杉の木や松の木をきり倒しては、きこりのまねをしておもしろがっていました。
ある日森の奥のずっと奥に入って、いつものように大きな木を切っていますと、のっそり大きな熊が出て来ました。熊は目を光らせながら、
「だれだ、おれの森をあらすのは。」
と言って、とびかかって来ました。すると金太郎は、
「なんだ、熊のくせに。金太郎を知らないか。」
と言いながら、まさかりをほうり出して、いきなり熊に組みつきました。そして足をかけて、どしんと地べたに投げつけました。熊はへいこうして、両手をついてあやまって、金太郎の家来になりました。森の中で大将ぶんの熊がへいこうして金太郎の家来になったのを見て、そのあとからうさぎだの、猿だの、鹿だのがぞろぞろついて来て、
「金太郎さん、どうぞわたくしも御家来にして下ください。」
と言いました。金太郎は、「よし、よし。」とうなずいて、みんな家来にしてやりました。
それからは金太郎は、毎朝おかあさんにたくさんおむすびをこしらえていただいて、森の中へ出でかけて行きました。金太郎が口笛を吹いて、
「さあ、みんな来い。みんな来い。」
と呼びかけると、熊を頭に、鹿や猿やうさぎがのそのそと出て来ました。金太郎はこの家来たちをお供に連れて、一日山の中を歩きまわりました。ある日方々歩いて、やがてやわらかな草の生えている所へ来ると、みんなは足を出してそこへごろごろ寝ころびました。太陽が気持ちよさそうに当たっていました。金太郎が、
「さあ、みんなすもうを取れ。ごほうびにはこのおむすびをやるぞ。」
と言うと、熊がむくむくした手で地面を掘って、土俵をこしらえました。
はじめに猿とうさぎが取り組くんで、鹿が行司になりました。うさぎが猿のしっぽをつかまえて、土俵の外へ持ち出そうとしますと、猿がくやしがって、むちゃくちゃにうさぎの長い耳をつかんでひっぱりましたから、うさぎはいたがって手をはなしました。それで勝負がつかなくなって、どちらもごほうびがもらえませんでした。
こんどはうさぎが行司になって、鹿と熊が取り組みましたが、鹿はすぐ角ごと熊にひっくり返されてしまいました。金太郎は、
「おもしろい、おもしろい。」
と言って手をたたきました。とうとういちばんおしまいに金太郎が土俵のまん中につっ立たって、
「さあ、みんなかかって来い。」
と言いながら、大手をひろげました。そこでうさぎと、猿と、鹿と、いちばんおしまいに熊がかかっていきましたが、片っぱしからころころ、ころがされてしまいました。
「なんだ。弱虫だなあ。みんないっぺんにかかって来こい。」
と金太郎が言いいますと、くやしがってうさぎが足を持つやら猿が首に手をかけるやら、大さわぎになりました。そして鹿が腰を押して熊が胸に組みついて、みんな総がかりでうんうんいって、金太郎を倒そうとしましたが、どうしても倒すことができませんでした。金太郎はおしまいにじれったくなって、からだを一振うんと振りますと、うさぎも猿も鹿も熊もみんないっぺんにごろごろ、ごろごろ土俵の外にころげ出してしまいました。
「ああ、いたい。ああ、いたい。」
とみんな口々に言って、腰をさすったり、肩をもんだりしていました。金太郎は、
「さあ、おれにまけてかわいそうだから、みんなに分けてやろう。」
と言って、うさぎと猿と鹿と熊をまわりにぐるりと並ばせて、自分がまん中に座って、おむすびをわけてみんなで食べました。しばらくすると金太郎は、
「ああ、うまかった。さあ、もう帰ろう。」
と言って、またみんなを連れて帰っていきました。 | 金太郎が口笛を吹いて、でてきた動物種別の数を教えてください。 | 金太郎が口笛を吹いて、でてきた動物種別の数は4で、
「熊」、「鹿」、「猿」、「うさぎ」です。 |
JCRRAG_014438 | 国語 | 「ははん、死んだのは兵十のおっ母だ」
ごんはそう思いながら、頭をひっこめました。
その晩、ごんは、穴の中で考えました。
「兵十のおっ母は、床についていて、うなぎが食べたいと言ったにちがいない。それで兵十がはりきり網をもち出したんだ。ところが、わしがいたずらをして、うなぎをとって来てしまった。だから兵十は、おっ母にうなぎを食べさせることができなかった。そのままおっ母は、死んじゃったにちがいない。ああ、うなぎが食べたい、うなぎが食べたいとおもいながら、死んだんだろう。ちょッ、あんないたずらをしなけりゃよかった。」
兵十が、赤い井戸のところで、麦をといでいました。
兵十は今まで、おっ母と二人きりで、貧しいくらしをしていたもので、おっ母が死んでしまっては、もう一人ぼっちでした。
「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」
こちらの物置の後ろから見ていたごんは、そう思いました。
ごんは物置のそばをはなれて、向こうへいきかけますと、どこかで、いわしを売る声がします。
「いわしのやすうりだアい。いきのいいいわしだアい」
ごんは、その、いせいのいい声のする方へ走っていきました。と、弥助のおかみさんが、裏戸口から、
「いわしをおくれ。」と言いました。いわし売りは、いわしのかごをつんだ車を、道ばたにおいて、ぴかぴか光るいわしを両手でつかんで、弥助の家の中へもっていきました。ごんはそのすきまに、かごの中から、五、六ぴきのいわしをつかみ出して、もと来た方へかけだしました。そして、兵十の家の裏口から、家の中へいわしを投げこんで、穴へ向かってかけもどりました。途中の坂の上でふりかえって見ますと、兵十がまだ、井戸のところで麦をといでいるのが小さく見えました。
ごんは、うなぎのつぐないに、まず一つ、いいことをしたと思いました。
つぎの日には、ごんは山で栗をどっさりひろって、それをかかえて、兵十の家へいきました。裏口からのぞいて見ますと、兵十は、ひるめしをたべかけて、茶椀をもったまま、ぼんやりと考えこんでいました。へんなことに兵十のほっぺたに、かすり傷がついています。どうしたんだろうと、ごんが思っていると、兵十がひとりごとをいいました。
「一たいだれが、いわしなんかをおれの家へほうりこんでいったんだろう。おかげでおれは、盗人と思われて、いわし屋のやつに、ひどい目にあわされた」と、ぶつぶつ言っています。
ごんは、これはしまったと思いました。かわいそうに兵十は、いわし屋にぶんなぐられて、あんな傷までつけられたのか。
ごんは自分のせいでなぐられた兵十をかわいそうだとおもいながら、そっと家の入口に、たくさんの栗をおいてかえりました。
そのあとに、兵十は入口におかれたたくさんの栗を見てびっくりしました。
そのつぎの日には、栗ではなく、まつたけを持って行って兵十の家の入口においてかえりました。
兵十は家の入口におかれたまつたけを見て首をひねって、あたりを見回しました。 | ごんが兵十の家にたくさんの栗をおいたときと、まつたけをおいたときの兵十の反応の違いを教えてください。 | ごんは自分のせいでなぐられた兵十をかわいそうだとおもい、物置の方へまわってその入口に、たくさんの栗をおいてかえりました。兵十は入口におかれたたくさんの栗を見てびっくりしました。
そのつぎの日には、栗ではなく、まつたけを持って行って兵十の家の入口においてかえりました。兵十は家の入口におかれたまつたけを見て首をひねって、あたりを見回しました。 |
JCRRAG_014439 | 国語 | だが、園丁はすっかりびっくりしてしまい、私をそっと両手に抱き上げて、怪我はなかったかと尋ねます。彼は私をよく知っていて、前から私にいろいろ親切にしてくれていた男です。けれども、私は驚きで息切れがしてしまっているので、まだなかなか口がきけません。それから、二、三分して、やっと私が落ち着くと、彼は乳母のところへ、私を無事にとどけてくれました。
乳母は、さきほど私を残しておいた場所に戻ってみると、私がいないし、いくら呼んでみても、返事がないので、気狂のようになって探しまわっていたところでした。それで、今、園丁を見つけると、
「そんな犬飼っておくのがいけないのです。」
と、ひどく彼を叱りつけました。
これは面白かったとも、癪にさわったともいえることなのですが、私が一人で歩いていると、小鳥でさえ、私を怖がらないのです。まるで、人がいないときと同じように、私から一ヤードもないところを、平気で、虫や餌を探して、跳びまわっていました。あるときなど、一羽のつぐみが、実にずうずうしいつぐみで、私がグラムダルクリッチからもらった菓子を、ひょいと、私の手からさらって行ってしまいました。一ヤードもないどころか1センチ位ではありませんか。
捕まえようとすると、鶫はかえって私の方へ立ち向かって来て、指をつつこうとします。それで、私が指を引っ込めると、今度は、平気な顔で、虫を五匹食べたりかたつむりを一匹食べたりしながら歩いているのでした。
だが、ある日とうとう、私は太い棍棒を持ち出して、一羽の紅雀めがけて力一ぱい投げつけると、うまく命中して、相手は伸びてしまいました。でさっそく、首の根っ子をつかまえ、乳母のところへ喜び勇んで、持って行こうとしました。
ところが、鳥はちょっと目をまわして気絶していただけなので、じきに元気を取り戻すと、
右の翼で五回、左の翼で六回も殴ってきました。
爪で引っ掻かれないように、私は手をずっと前へ伸ばしてつかまえていたのですが、よっぽどのことで、もう放してしまおうかと思ったのです。しかし、そこへ、召使の一人がかけつけて来て、鳥の首をねじ切ってしまいました。そして翌日、私はそれを料理してもらって食べました。 | 鶫が食べたもののうち、数が多いほうを教えてください。 | 鶫が食べたもののうち、数が多いのは虫で五匹です。 |
JCRRAG_014440 | 国語 | むかし、金太郎という強い子供がいました。相模国足柄山の山奥に生まれて、おかあさんの山うばといっしょにくらしていました。
金太郎は生まれた時からそれはそれは力が強くって、もう七つや八つのころには、石臼やもみぬかの俵ぐらい、へいきで持ちあげました。大抵の大人を相手にすもうを取っても負けませんでした。近所にもう相手がなくなると、つまらなくなって金太郎は、一日森の中をかけまわりました。そしておかあさんにもらった大きなまさかりをかついで歩いて、やたらに大きな杉の木や松の木をきり倒しては、きこりのまねをしておもしろがっていました。
ある日森の奥のずっと奥に入って、いつものように大きな木を切っていますと、のっそり大きな熊が出て来ました。熊は目を光らせながら、
「だれだ、おれの森をあらすのは。」
と言って、とびかかって来ました。すると金太郎は、
「なんだ、熊のくせに。金太郎を知らないか。」
と言いながら、まさかりをほうり出して、いきなり熊に組みつきました。そして足をかけて、どしんと地べたに投げつけました。熊はへいこうして、両手をついてあやまって、金太郎の家来になりました。森の中で大将ぶんの熊がへいこうして金太郎の家来になったのを見て、そのあとからうさぎだの、猿だの、鹿だのがぞろぞろついて来て、
「金太郎さん、どうぞわたくしも御家来にして下ください。」
と言いました。金太郎は、「よし、よし。」とうなずいて、みんな家来にしてやりました。
それからは金太郎は、毎朝おかあさんにたくさんおむすびをこしらえていただいて、森の中へ出でかけて行きました。金太郎が口笛を吹いて、
「さあ、みんな来い。みんな来い。」
と呼びかけると、熊を頭に、鹿や猿やうさぎがのそのそと出て来ました。金太郎はこの家来たちをお供に連れて、一日山の中を歩きまわりました。ある日方々歩いて、やがてやわらかな草の生えている所へ来ると、みんなは足を出してそこへごろごろ寝ころびました。太陽が気持ちよさそうに当たっていました。金太郎が、
「さあ、みんなすもうを取れ。ごほうびにはこのおむすびをやるぞ。」
と言うと、熊がむくむくした手で地面を掘って、土俵をこしらえました。
はじめに猿とうさぎが取り組くんで、鹿が行司になりました。うさぎが猿のしっぽをつかまえて、土俵の外へ持ち出そうとしますと、猿がくやしがって、むちゃくちゃにうさぎの長い耳をつかんでひっぱりましたから、うさぎはいたがって手をはなしました。それで勝負がつかなくなって、どちらもごほうびがもらえませんでした。
こんどはうさぎが行司になって、鹿と熊が取り組みましたが、鹿はすぐ角ごと熊にひっくり返されてしまいました。金太郎は、
「おもしろい、おもしろい。」
と言って手をたたきました。とうとういちばんおしまいに金太郎が土俵のまん中につっ立たって、
「さあ、みんなかかって来い。」
と言いながら、大手をひろげました。そこでうさぎと、猿と、鹿と、いちばんおしまいに熊がかかっていきましたが、片っぱしからころころ、ころがされてしまいました。
「なんだ。弱虫だなあ。みんないっぺんにかかって来こい。」
と金太郎が言いいますと、くやしがってうさぎが足を持つやら猿が首に手をかけるやら、大さわぎになりました。そして鹿が腰を押して熊が胸に組みついて、みんな総がかりでうんうんいって、金太郎を倒そうとしましたが、どうしても倒すことができませんでした。金太郎はおしまいにじれったくなって、からだを一振うんと振りますと、うさぎも猿も鹿も熊もみんないっぺんにごろごろ、ごろごろ土俵の外にころげ出してしまいました。
「ああ、いたい。ああ、いたい。」
とみんな口々に言って、腰をさすったり、肩をもんだりしていました。金太郎は、
「さあ、おれにまけてかわいそうだから、みんなに分けてやろう。」
と言って、うさぎと猿と鹿と熊をまわりにぐるりと並ばせて、自分がまん中に座って、おむすびをわけてみんなで食べました。しばらくすると金太郎は、
「ああ、うまかった。さあ、もう帰ろう。」
と言って、またみんなを連れて帰っていきました。 | 金太郎が熊を倒して家来にした動物の数を教えてください。 | 金太郎が熊を倒して家来にした動物の数は、
「熊」
「うさぎ」
「猿」
「鹿」
です。 |
JCRRAG_014441 | 国語 | 月のいい晩でした。ごんは、ぶらぶらあそびに出かけました。中山さまのお城の下を通ってすこしいくと、細い道の向こうから、だれか来るようです。声が聞こえます。チンチロリン、チンチロリンと松虫が鳴いています。
ごんは、道の片がわにかくれて、じっとしていました。話声はだんだん近くなりました。それは、兵十と加助というお百姓でした。
「そうそう、なあ加助」と、兵十がいいました。
「ああん?」
「おれあ、このごろ、とてもふしぎなことがあるんだ」
「何が?」
「おっ母が死んでからは、だれだか知らんが、おれに栗やまつたけなんかを、まいにちまいにちくれるんだよ」
「ふうん、だれが?」
「それがわからんのだよ。おれの知らんうちに、おいていくんだ」
ごんは、ふたりのあとをつけていきました。
「ほんとかい?」
「ほんとだとも。うそだと思うなら、あした見に来てよ。その栗を見せてやるよ」
「へえ、へんなこともあるもんだなア」
それから、二人はだまって歩いていきました。
加助がひょいと、後ろを見ました。ごんはびくっとして、小さくなってたちどまりました。加助は、ごんに気がつかないで、そのままさっさとあるきました。吉兵衛というお百姓の家まで来ると、二人はそこへはいっていきました。ポンポンポンポンと木魚の音がしています。窓の障子にあかりがさしていて、大きな坊主頭がうつって動いていました。ごんは、
「おねんぶつがあるんだな」と思いながら井戸のそばでしゃがんでいました。しばらくすると、また三人ほど、人をつれて吉兵衛の家へはいっていきました。お経を読む声が聞こえて来ました。
ごんは、おねんぶつがすむまで、井戸のそばでしゃがんでいました。兵十と加助は、またいっしょにかえっていきます。ごんは、二人の話をきこうと思って、ついていきました。兵十の影法師をふみふみにいきました。
お城の前まで来たとき、加助が言い出しました。
「さっきの話は、きっと、そりゃ、神さまのしわざだぞ」
「えっ?」と、兵十はびっくりして、加助の顔を見ました。
「おれは、あれからずっと考えていたが、どうも、そりゃ、人間じゃない、神さまだ、神さまが、お前がたった一人になったのをあわれに思わっしゃって、いろんなものをめぐんで下さるんだよ」
「そうかなあ」
「そうだとも。だから、まいにち神さまにお礼を言うがいいよ」
「うん。そうだな」
と兵十はうれしさ半分ふしぎ半分といった感じでうなずきました。そしてかみさまにお礼を言うことにしました。
ごんは、これはつまらないなと思いました。おれが、栗やまつたけを持っていってやるのに、そのおれにはお礼をいわないで、神さまにお礼をいうんじゃあ、おれは、引き合わないなと思いました。
そのあくる日もごんは、栗をもって、兵十の家へ出かけました。兵十は物置で縄をなっていました。それでごんは家の裏口から、こっそり中へはいりました。
そのとき兵十は、ふと顔をあげました。と狐が家の中へはいったではありませんか。こないだうなぎをぬすみやがったあのごん狐めが、またいたずらをしに来たな。
「ようし。」
兵十は立ちあがって、納屋にかけてある火縄銃をとって、火薬をつめました。
そして足音をしのばせてちかよって、今戸口を出ようとするごんを、ドンと、うちました。ごんは、ばたりとたおれました。兵十はかけよって来ました。家の中を見ると、土間に栗が、かためておいてあるのが目につきました。
「おや」と兵十は、びっくりしてごんに目を落としました。
「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。 | 加助が兵十にまいにち栗やまつたけをくれるのは神さまだといったときの、兵十とごんの反応の違いを教えてください。 | 加助が神さまが、お前が一人になったのをあわれに思わって、いろんなものをめぐんで下さるんだから、まいにちお礼を言うがいいよといいました。兵十はうれしさ半分ふしぎ半分といった感じでうなずきました。そしてかみさまにお礼を言うことにしました。
一方、ごんは、これはつまらないなと思いました。おれが、栗やまつたけを持っていってやるのに、そのおれにはお礼をいわないで、神さまにお礼をいうんじゃあ、おれは、引き合わないなと思いました。 |
JCRRAG_014442 | 国語 | だが、園丁はすっかりびっくりしてしまい、私をそっと両手に抱き上げて、怪我はなかったかと尋ねます。彼は私をよく知っていて、前から私にいろいろ親切にしてくれていた男です。けれども、私は驚きで息切れがしてしまっているので、まだなかなか口がきけません。それから、二、三分して、やっと私が落ち着くと、彼は乳母のところへ、私を無事にとどけてくれました。
乳母は、さきほど私を残しておいた場所に戻ってみると、私がいないし、いくら呼んでみても、返事がないので、気狂のようになって探しまわっていたところでした。それで、今、園丁を見つけると、
「そんな犬飼っておくのがいけないのです。」
と、ひどく彼を叱りつけました。
これは面白かったとも、癪にさわったともいえることなのですが、私が一人で歩いていると、小鳥でさえ、私を怖がらないのです。まるで、人がいないときと同じように、私から一ヤードもないところを、平気で、虫や餌を探して、跳びまわっていました。あるときなど、一羽のつぐみが、実にずうずうしいつぐみで、私がグラムダルクリッチからもらった菓子を、ひょいと、私の手からさらって行ってしまいました。一ヤードもないどころか1センチ位ではありませんか。
捕まえようとすると、鶫はかえって私の方へ立ち向かって来て、指をつつこうとします。それで、私が指を引っ込めると、今度は、平気な顔で、虫を五匹食べたりかたつむりを一匹食べたりしながら歩いているのでした。
だが、ある日とうとう、私は太い棍棒を持ち出して、一羽の紅雀めがけて力一ぱい投げつけると、うまく命中して、相手は伸びてしまいました。でさっそく、首の根っ子をつかまえ、乳母のところへ喜び勇んで、持って行こうとしました。
ところが、鳥はちょっと目をまわして気絶していただけなので、じきに元気を取り戻すと、
右の翼で五回、左の翼で六回も殴ってきました。
爪で引っ掻かれないように、私は手をずっと前へ伸ばしてつかまえていたのですが、よっぽどのことで、もう放してしまおうかと思ったのです。しかし、そこへ、召使の一人がかけつけて来て、鳥の首をねじ切ってしまいました。そして翌日、私はそれを料理してもらって食べました。 | 鶫が食べたもののうち、数が多いほうを教えてください。 | 鶫が食べたもののうち、数が多いのは虫で五匹です。 |
JCRRAG_014443 | 国語 | 金太郎が帰って行く道々でも、森の中でかけっこをしたり、岩の上で鬼ごっこをしたりして遊び遊び行くうちに、大きな谷川のふちへ出ました。水はごうごうと音を立てて、えらい勢いで流れて行きますが、あいにく橋がかかっていませんでした。みんなは、
「どうしましょう。あとへ引き返しましょうか。」
と言いました。金太郎はひとりへいきな顔をして、
「なあにいいよ。」
と言いながら、そこらを見みまわしますと、ちょうど川の岸に二抱えもあるような大きな杉の木が立っていました。金太郎はまさかりをほうり出して、いきなり杉の木に両手をかけました。そして二、三度ぐんぐん押したと思うと、めりめりとひどい音がして、木は川の上にどっさりと倒れかかって、りっぱな橋ができました。金太郎はまたまさかりを肩にかついで、先に立って渡っていきました。みんなは顔を見合わせて、てんでんに、
「えらい力だなあ。」
とささやき合いながら、ついて行きました。
その時向こうの岩の上にきこりが一人かくれていて、この様子を見ていました。金太郎がむぞうさに、大きな木をおし倒したのを見て、目をまるくしながら、
「どうもふしぎな子供だな。どこの子供だろう。」
とひとりごとを言いました。そして立ち上がって、そっと金太郎のあとについて行きました。うさぎや熊とわかれると、金太郎は一人で、また身軽にひょいひょいと谷を渡ったり、崖を渡ったりして、深い深い山奥の一軒家に入っていきました。そこいらには白い雲がわき出していました。
きこりはそのあとからやっと木の根をよじたり、岩角につかまったりして、ついて行きました。やっとうちの前まで来きて、きこりが中をのぞきますと、金太郎はいろりの前に座って、おかあさんの山うばに、熊や鹿とを取った話をせっせとしていました。おかあさんもおもしろそうに、にこにこ笑いながら聞いていました。その時きこりは出しぬけに窓から首をぬっと出して、
「これこれ、坊や。こんどはおじさんとすもうを取ろう。」
と言いながら、のこのこ入って行きました。そしていきなり金太郎の前に毛むくじゃらな手を出しました。山うばは「おや」といってふしぎそうな顔つきをしましたけれど、金太郎はおもしろがって、
「ああ、取ろう。」
と、すぐむくむく肥ったかわいらしい手を出しました。そこで二人はしばらく真っ赤な顔をして押し合いました。そのうちきこりはふいと、
「もう止めよう。勝負がつかない。」
と言い、手を引っ込めてしまいました。それからあらためてすわりなおして、山うばに向むかって、ていねいにおじぎをして、
「どうも、だしぬけに失礼しました。じつはさっきぼっちゃんが、谷川のそばで大きな杉の木を押し倒したところを見て、おどろいてここまでついて来きたのです。今また腕相撲を取って、いよいよ怪力なのにおどろきました。どうしてこの子は今にえらい勇士になりますよ。」 | 金太郎が帰って行く道々でやっていた遊びの数を教えてください。 | 金太郎が帰って行く道々でやっていた遊びの数は2で、
「森の中でかけっこ」
「岩の上で鬼ごっこ」
です。 |
JCRRAG_014444 | 国語 | 小田原と熱海の間に、軽便鉄道の敷設工事が始まったのは、良平が八つの時だった。
良平は毎日村のはずれに行って、その工事を見物に行った。
工事を、といったところが、ただトロッコで土を運搬する、それが面白くて見に行ったのである。
トロッコの上には土工が二人、土を積んだうしろにたたずんでいる。
トロッコは山を下りるのだから、人手を借りずに走って来る。
あおるように車台が動いたり、土工のはんてんの裾がひらついたり、細い線路がしなったり、良平はそんな景色をながめながら、土工になりたいと思う事がある。
せめては一度でも土工と一緒にトロッコへ乗りたいと思う事もある。
トロッコは村外れの平地へ来ると、自然とそこに止まってしまう。と同時に土工たちは、身軽にトロッコを飛び降りるが早いか、その線路の終点へ車の土をぶちまける。
それから今度はトロッコを押して、降りてきた山の方へ登り始める。
良平はその時乗れなくても、トロッコを押す事さえ出来たらと思うのである。
ある夕方、それは二月の初旬だった。良平は二つ下の弟や、弟の友達と、トロッコの置いてある村外れへ行った。
トロッコは泥だらけになったまま、薄明るい中に並んでいる。が、そのほかはどこを見ても、土工たちの姿は見えなかった。三人の子供は恐る恐る、一番端にあるトロッコを押した。トロッコは三人の力が加わると、突然ごろりと車輪をまわした。
良平はこの音にひやりとした。しかし二度目の車輪の音は、もう彼を驚かせなかった。ごろり、ごろり、トロッコはそういう音と共に、三人の手に押されながら、線路を登って行った。
その内にかれこれ20メートル程来ると、線路の勾配が急になってきた。トロッコも三人の力では、いくら押しても動かなくなった。どうしても車と一緒に、押し戻されそうになる事がある。良平はもういいタイミングだと思ったから、年下の二人に合図をした。
「さあ、乗ろう!」
彼等は一度に手をはなすと、トロッコの上へ飛び乗った。トロッコは最初はゆっくりと、それから見る見る勢いよく、一息に線路を下り出した。
その途端につき当りの風景は、たちまち両側へ分かれるように、ずんずん目の前へ展開して来る。顔に当たる夕暮れの風、足の下におどるトロッコの動きや揺れ、良平はほとんど有頂天になった。
しかしトロッコは二・三分動いた後、もうもとの終点に止まっていた。
「さあ、もう一度押そうぜ」
良平は年下の二人と一緒に、またトロッコを押し上げようとした。が、まだ車輪も動かない内に、突然彼らのうしろから、誰かの足音が聞こえた。足音は急に怒鳴り声に変わった。
「この野郎! 誰にことわってトロにさわってるんだ!」
そこには古い印袢天に、季節外れの麦藁帽子をかぶった、背の高い土工が立っている。
その姿が目にはいった時、弟と弟の友達は良平をおいてもう10メートル程逃げ出していた。
それをみて、土工と走っていく二人を交互に見ながら、ハッとして良平も別の方向へ走って逃げて行った。
それきり良平はお使いの帰りに、人気のない工事場のトロッコを見ても、二度と乗って見ようと思った事はない。
ただその時の土工の姿は、今でも良平の頭のどこかに、はっきりした記憶を残していた。
薄明りの中に映った小さい黄色の麦藁帽、しかしその記憶さえも、年を重ねると色彩は薄れるらしい。
その後、十日余り経ってから、良平はまたたった一人で、ひる過ぎの工事場にたたずみながら、トロッコが来るのを眺めていた。
すると土を積んだトロッコの他にも、枕木を積んだトロッコが一台、これは本線になる筈の太い線路を登って来た。
このトロッコを押しているのは、二人とも若い男だった。良平は彼らを見た時から、何だか親しみ易いような気がした。
「この人たちならしかられない」彼はそう思いながら、トロッコの側へ走って行った。
「おじさん。押してやろうか?」
その中の一人、縞のシャツを着ている男は、うつむきながらトロッコを押したまま、思った通り良い返事をした。
「おお、押してくれよ」
もう一人、耳に巻煙草をはさんだ男は良平を見ても何も言わず、トロッコに向き直り無言で押していた。
良平は二人の間にはいると、力一杯押し始めた。
「お前、なかなか力があるな」
耳に巻煙草をはさんだ男はそこで口を開いて良平をほめた。
その内に線路の勾配は、だんだん楽になり始めた。「もう押さなくともいいよ」良平は今にもいわれるかと内心気がかりでならなかった。が、若い二人の土工は、前よりも腰を起こしたっきり、黙々と車を押し続けていた。
良平はとうとうこらえ切れずに、おずおずこんな事を尋ねて見た。
「いつまでも押していていい?」
「いいとも」
二人は同時に返事をした。良平は「優しい人たちだ」と思った。 | 背の高い土工に怒鳴られた、良平たち三人のやったことの違いを教えてください。 | 良平は年下の二人と一緒に、またトロッコを押し上げようとした。が、まだ車輪も動かない内に、背の高い土工が怒鳴った。
その姿が目にはいった時、弟と弟の友達は良平をおいて、もう10メートル程逃げ出していた。
一方、土工と走っていく二人を交互に見ながら、慌てて良平も別の方向へ走って逃げて行った。 |
JCRRAG_014445 | 国語 | 「もし、この道具を使えば、今まで十人でした仕事が、たった一人で出来るし、宮殿はたった一週間で建つ。それに一度建てたら、もう修繕する必要がない。果物は、いつでも好きなときに熟れさせることができ、今までの百倍ぐらいたくさん取れるようになる。」
と、そのほかいろいろ結構なことばかり言うのです。
残念なのは、これらの計画が、まだどれも、ほんとに出来上ってはいないことです。だから、それが出来るまでは、国中が荒れ放題になり、家は破れ、人民は不自由をつづけます。だがそれでも彼等は元気は失わず、希望にもえ、半分やけくそになりながら、五十倍の勇気を振り絞って、この計画をなしとげようとするのです。
彼はこんなことを私に説明してくれたのです。そして、
「ぜひ、ひとつあなたにも、その学士院を御案内しましょう。」
と、つけ加えました。
それから数日して、私は彼の友人に案内されて、学士院を見物に行きました。
この学士院は、全体が一つの建物になっているのではなく、往来の両側に建物がずっと並んでいました。
私が訪ねて行くと、院長は大変喜んでくれました。私は何日も何日も、学士院へ出かけて行きました。どの部屋にも、発明家が二人いました。部屋によっては三人、多いところでは四人いました。
私はおよそ五百ぐらいの部屋を見て歩きました。
発明家がいる部屋は学士院の一本の廊下の両側にずらっと並んであり、右側に二百、左側に三百あったでしょうか。
最初に会った男は、手も顔も煤だらけで、髪はぼうぼうと伸び、それに、ところどころ焼け焦げがありました。そして、服もシャツも、皮膚と同じ色なのです。 | 学士院の一本の廊下の両側にずらっと並んでいる発明家がいる部屋のうち、左側と右側を比較して数が少ないほうを教えて下さい。 | 学士院の一本の廊下の両側にずらっと並んでいる発明家がいる部屋のうち、左側と右側を比較して数が少ないほうは右側で二百です。 |
JCRRAG_014446 | 国語 | こう言って、こんどは金太郎に向かって、
「どうだね、坊やは都へ出てお侍にならないかい。」
と言いました。金太郎は目をくりくりさせて、
「ああ、お侍になれるといいなあ。」
と言いました。
このきこりと見せたのはじつは碓井貞光といって、その時分日本一のえらい大将で名高い源頼光の家来でした。そして御主人から強い侍をさがして来いという仰せを受けて、こんな風に日本の国中をあちこち歩きまわっているのでした。
山うばもそう聞くと、たいそうよろこんで、
「じつはこの子の亡くなりました父も、坂田というりっぱな氏を持った侍でございました。わけがございましてこのとおり山の中に埋もれておりますものの、よいつてさえあれば、いつか都へ出して侍にして、家の名をつがせてやりたいと思っておりました。そういうことでしたら、このとおりの腕白者でございますが、どうぞよろしくお願い申します。」
とさもうれしそうに言いました。
金太郎はそばで二人の話を聞いて、
「うれしいな、うれしいな。おれはお侍になるのだ。」
と言って、小躍りをしていました。
金太郎がいよいよ碓井貞光に連れられて都へ上るということを聞いて、熊も鹿も猿もうさぎもみんな連れ立ってお別れを言いに来ました。金太郎はみんなの頭を代わりばんこになでてやって、
「みんな仲よく遊んでおくれ。」
と言いました。みんなは、
「金太郎さんがいなくなってさびしいなあ。早はやくえらい大将になって、また顔を見せて下さい。」
と言って、名残惜しそうに帰っていきました。金太郎はおかあさんの前に手をついて、
「おかあさん、では行ってまいります。」
と言いました。そして、貞光のあとについて、とくいらしく出ていきました。
それから幾日も幾日もかかって、貞光は金太郎を連れて都へ帰りました。そして頼光のおやしきへ行って、
「足柄山の奥で、こんな子供を見つけてまいりました。」
と、金太郎を頼光のお目にかけました。
「ほう、これはめずらしい、強そうな子供だ。」
と頼光は言いながら、金太郎の頭をさすりました。
「だが金太郎という名は侍にはおかしい。父親が坂田というのなら、今から坂田金時と名乗るがいい。」
そこで金太郎は坂田金時と名乗って、頼光の家来になりました。そして大きくなると、えらいお侍になって、渡辺綱、卜部季武、碓井貞光といっしょに、頼光の部下になりました。 | 金太郎が碓井貞光に連れられて都へ上るということを聞いて、お別れを言いに来た動物の数を教えてください。 | 金太郎が碓井貞光に連れられて都へ上るということを聞いて、お別れを言いに来た動物の数は4で、
「熊」
「鹿」
「猿」
「うさぎ」
です。 |
JCRRAG_014447 | 国語 | 小田原と熱海の間に、軽便鉄道の敷設工事が始まったのは、良平が八つの時だった。
良平は毎日村のはずれに行って、その工事を見物に行った。
工事を、といったところが、ただトロッコで土を運搬する、それが面白くて見に行ったのである。
トロッコの上には土工が二人、土を積んだうしろにたたずんでいる。
トロッコは山を下りるのだから、人手を借りずに走って来る。
あおるように車台が動いたり、土工のはんてんの裾がひらついたり、細い線路がしなったり、良平はそんな景色をながめながら、土工になりたいと思う事がある。
せめては一度でも土工と一緒にトロッコへ乗りたいと思う事もある。
トロッコは村外れの平地へ来ると、自然とそこに止まってしまう。と同時に土工たちは、身軽にトロッコを飛び降りるが早いか、その線路の終点へ車の土をぶちまける。
それから今度はトロッコを押して、降りてきた山の方へ登り始める。
良平はその時乗れなくても、トロッコを押す事さえ出来たらと思うのである。
ある夕方、それは二月の初旬だった。良平は二つ下の弟や、弟の友達と、トロッコの置いてある村外れへ行った。
トロッコは泥だらけになったまま、薄明るい中に並んでいる。が、そのほかはどこを見ても、土工たちの姿は見えなかった。三人の子供は恐る恐る、一番端にあるトロッコを押した。トロッコは三人の力が加わると、突然ごろりと車輪をまわした。
良平はこの音にひやりとした。しかし二度目の車輪の音は、もう彼を驚かせなかった。ごろり、ごろり、トロッコはそういう音と共に、三人の手に押されながら、線路を登って行った。
その内にかれこれ20メートル程来ると、線路の勾配が急になってきた。トロッコも三人の力では、いくら押しても動かなくなった。どうしても車と一緒に、押し戻されそうになる事がある。良平はもういいタイミングだと思ったから、年下の二人に合図をした。
「さあ、乗ろう!」
彼等は一度に手をはなすと、トロッコの上へ飛び乗った。トロッコは最初はゆっくりと、それから見る見る勢いよく、一息に線路を下り出した。
その途端につき当りの風景は、たちまち両側へ分かれるように、ずんずん目の前へ展開して来る。顔に当たる夕暮れの風、足の下におどるトロッコの動きや揺れ、良平はほとんど有頂天になった。
しかしトロッコは二・三分動いた後、もうもとの終点に止まっていた。
「さあ、もう一度押そうぜ」
良平は年下の二人と一緒に、またトロッコを押し上げようとした。が、まだ車輪も動かない内に、突然彼らのうしろから、誰かの足音が聞こえた。足音は急に怒鳴り声に変わった。
「この野郎! 誰にことわってトロにさわってるんだ!」
そこには古い印袢天に、季節外れの麦藁帽子をかぶった、背の高い土工が立っている。
その姿が目にはいった時、弟と弟の友達は良平をおいてもう10メートル程逃げ出していた。
それをみて、土工と走っていく二人を交互に見ながら、ハッとして良平も別の方向へ走って逃げて行った。
それきり良平はお使いの帰りに、人気のない工事場のトロッコを見ても、二度と乗って見ようと思った事はない。
ただその時の土工の姿は、今でも良平の頭のどこかに、はっきりした記憶を残していた。
薄明りの中に映った小さい黄色の麦藁帽、しかしその記憶さえも、年を重ねると色彩は薄れるらしい。
その後、十日余り経ってから、良平はまたたった一人で、ひる過ぎの工事場にたたずみながら、トロッコが来るのを眺めていた。
すると土を積んだトロッコの他にも、枕木を積んだトロッコが一台、これは本線になる筈の太い線路を登って来た。
このトロッコを押しているのは、二人とも若い男だった。良平は彼らを見た時から、何だか親しみ易いような気がした。
「この人たちならしかられない」彼はそう思いながら、トロッコの側へ走って行った。
「おじさん。押してやろうか?」
その中の一人、縞のシャツを着ている男は、うつむきながらトロッコを押したまま、思った通り良い返事をした。
「おお、押してくれよ」
もう一人、耳に巻煙草をはさんだ男は良平を見ても何も言わず、トロッコに向き直り無言で押していた。
良平は二人の間にはいると、力一杯押し始めた。
「お前、なかなか力があるな」
耳に巻煙草をはさんだ男はそこで口を開いて良平をほめた。
その内に線路の勾配は、だんだん楽になり始めた。「もう押さなくともいいよ」良平は今にもいわれるかと内心気がかりでならなかった。が、若い二人の土工は、前よりも腰を起こしたっきり、黙々と車を押し続けていた。
良平はとうとうこらえ切れずに、おずおずこんな事を尋ねて見た。
「いつまでも押していていい?」
「いいとも」
二人は同時に返事をした。良平は「優しい人たちだ」と思った。 | 良平がトロッコを押している二人の若い男に近寄って、トロッコを押してやろうかと言った時の若い男たちの反応の違いを教えてください。 | 枕木を積んだトロッコが一台、これは本線になる筈の太い線路を登って来た。このトロッコを押しているのは、二人とも若い男だった。良平は彼らを見た時から、何だか親しみ易いような気がしたので、トロッコの側へ走って行って、押してやろうか?と尋ねた。
その中の一人、縞のシャツを着ている男は、うつむきながらトロッコを押したまま、「おお、押してくれよ」と思った通り良い返事をした。
一方、もう一人の、耳に巻煙草をはさんだ男は良平を見ても何も言わず、トロッコに向き直り無言で押していた。 |
JCRRAG_014448 | 国語 | 皇帝の頭には、ルビーやエメラルドなどの、三種類の宝石をちりばめた軽い黄金の兜をかぶり、頂きに羽根飾りがついていますが、着物は大へん質素でした。手には、長さ三インチぐらいの剣を握っておられます。その柄と鞘は黄金で作られ、ダイヤモンドがちりばめてあります。
皇帝の声はキイキイ声ですが、よく開きとれます。女官たちは、みんな綺麗な服を着ています。だから、みんなが並んで立っているところは、まるで、金糸銀糸の刺繍の衣を地面にひろげたようでした。
皇帝は何度も私に話しかけましたが、残念ながら、どうもお互いに、言葉が通じません。二時間後、皇帝をはじめ一同は帰って行きました。あとに残された私には、ちゃんと番人がついて、見張りしてくれます。つまり、これは私を見に押しかけて来るやじ馬のいたずらを防ぐためです。
やじ馬どもは、勝手に私の近くまで押しよせ、中には、私に矢を射ようとするものまでいました。一度、その矢が、私の左の眼に一度あたりそうでした。右の眼には二度あたりそうになりました。番人はさっそく、そのやじ馬の中の、頭らしい六人の男をつかまえて、私に引き渡してくれました。番人の槍先で、私の近くまで、その六人が追い立てられて来ると、私は一度に六人を手でつかんでやりました。
五人の内二人を上衣の右ポケットにねじこみ、三人は左ポケットにねじ込みました。あとの一人には、そら、これから食ってやるぞ、というような顔つきをして見せました。すると、その男は私の指の中で、ワーワー泣きわめきます。
私が指を口にもってゆくと、ほんとに食われるのではないかと、番人も見物人も、みんな、ハラハラしていたようです。が、間もなく、私はやさしい顔つきに返り、その男をそっと地面に置いて、放してやりました。他の五人も、一人ずつ、ポケットから引っ張り出して、許してやりました。すると番人も見物人も、ほっとして、私のしたことに感謝している様子でした。 | 私が上衣のポケットにねじ込んだ人数で多い方を教えてください。 | 私が上衣のポケットにねじ込んだ人数で多い方は左ポケットで三人です。 |
JCRRAG_014449 | 国語 | こう言って、こんどは金太郎に向かって、
「どうだね、坊やは都へ出てお侍にならないかい。」
と言いました。金太郎は目をくりくりさせて、
「ああ、お侍になれるといいなあ。」
と言いました。
このきこりと見せたのはじつは碓井貞光といって、その時分日本一のえらい大将で名高い源頼光の家来でした。そして御主人から強い侍をさがして来いという仰せを受けて、こんな風に日本の国中をあちこち歩きまわっているのでした。
山うばもそう聞くと、たいそうよろこんで、
「じつはこの子の亡くなりました父も、坂田というりっぱな氏を持った侍でございました。わけがございましてこのとおり山の中に埋もれておりますものの、よいつてさえあれば、いつか都へ出して侍にして、家の名をつがせてやりたいと思っておりました。そういうことでしたら、このとおりの腕白者でございますが、どうぞよろしくお願い申します。」
とさもうれしそうに言いました。
金太郎はそばで二人の話を聞いて、
「うれしいな、うれしいな。おれはお侍になるのだ。」
と言って、小躍りをしていました。
金太郎がいよいよ碓井貞光に連れられて都へ上るということを聞いて、熊も鹿も猿もうさぎもみんな連れ立ってお別れを言いに来ました。金太郎はみんなの頭を代わりばんこになでてやって、
「みんな仲よく遊んでおくれ。」
と言いました。みんなは、
「金太郎さんがいなくなってさびしいなあ。早はやくえらい大将になって、また顔を見せて下さい。」
と言って、名残惜しそうに帰っていきました。金太郎はおかあさんの前に手をついて、
「おかあさん、では行ってまいります。」
と言いました。そして、貞光のあとについて、とくいらしく出ていきました。
それから幾日も幾日もかかって、貞光は金太郎を連れて都へ帰りました。そして頼光のおやしきへ行って、
「足柄山の奥で、こんな子供を見つけてまいりました。」
と、金太郎を頼光のお目にかけました。
「ほう、これはめずらしい、強そうな子供だ。」
と頼光は言いながら、金太郎の頭をさすりました。
「だが金太郎という名は侍にはおかしい。父親が坂田というのなら、今から坂田金時と名乗るがいい。」
そこで金太郎は坂田金時と名乗って、頼光の家来になりました。そして大きくなると、えらいお侍になって、渡辺綱、卜部季武、碓井貞光といっしょに、頼光の部下になりました。 | 源頼光の部下の数を教えてください。 | 源頼光の部下の数は4で、
「坂田金時」
「渡辺綱」
「卜部季武」
「碓井貞光」
です。 |
JCRRAG_014450 | 国語 | 「行きに押す所が多ければ、帰りにまた乗る所が多い」そうもまた考えたりした。
竹藪のある所へ来ると、トロッコは静かに走るのをやめた。
三人はまた前のように、重いトロッコを押し始めた。
竹藪はいつのまにか雑木林になった。爪先上りのところどころには、赤錆の線路も見えない程、落葉のたまっている場所もあった。
その路をやっと登り切ったら、今度は高い崖の向こうに、広々と薄ら寒い海が開けた。
と同時に良平の頭には、あまりに遠くに来過ぎた事が、急にはっきりと感じられた。
三人はまたトロッコへ乗った。車は海を右に曲がりながら、雑木の枝の下を走って行った。しかし良平はさっきのように、面白い気持ちにはなれなかった。「もう帰ってくれればいいのに」彼はそうも念じて見た。
が、行く所まで行きつかなければ、トロッコも彼等も帰れない事は、もちろん彼にもわかりきっていた。
その次に車が止まったのは、切崩した山を背負っている、藁屋根の茶店の前だった。
二人の土工はその店へはいると、乳飲み子をおぶったかみさんを相手に、ゆうゆうと茶などを飲み始めた。
良平はひとりイライラしながら、トロッコのまわりをまわって見た。
トロッコは頑丈な車体の板に、はねかえった泥がかわいていた。
しばらくしてから茶店を出て来てすぐに、巻煙草を耳に挟んだ男は、(その時はもう挟んでいなかったが)トロッコの側にいる良平に新聞紙に包んだ駄菓子をくれた。良平はひややかに「ありがとう」といった。が、すぐにひややかにしては、相手にすまないと思い直した。彼はその冷淡さを取り繕うように、包み菓子の一つを口へ入れた。
菓子には新聞紙にあったらしい、石油のにおいがしみついていた。
三人はトロッコを押しながらゆるい傾斜を登って行った。良平は車に手をかけていても、心はほかの事を考えていた。
その坂を向こうへ下り切ると、また同じような茶店があった。土工たちがその中へはいった後、良平はトロッコに腰をかけながら、帰る事ばかり気にしていた。
茶店の前には花のさいた梅に、西日の光が消えかかっている。「もう日が暮れる」彼はそう考えると、ぼんやり腰かけてもいられなかった。トロッコの車輪を蹴って見たり、一人では動かないのを承知しながらうんうんそれを押して見たり、そんな事に気持ちを紛らせていた。
ところが土工たちは出て来ると、車の上の枕木に手をかけながら、無造作に彼にこういった。
「お前はもう帰りなさい。おれたちは今日はむこうで泊まりだから」
「あんまり帰りが遅くなるとお前の家でも心配するだろ」
良平は一瞬呆気にとられた。もうすぐ暗くなる事、去年は暮母と岩村まで来たが、今日の道のりはその三・四倍ある事、それを今からたった一人、歩いて帰らなければならない事、そういう事がすぐにわかったのである。
良平は泣きそうになった。が、泣いても仕方がないと思った。泣いている場合ではないとも思った。彼は若い二人の土工に、取ってつけたようなおじぎをすると、線路伝いに走り出した。
良平はしばらく無我夢中に線路の側を走り続けた。その内に懐の菓子包みが、邪魔になる事に気がついたから、それをみちばたへ放り投げるついでに、板草履もそこへ脱ぎ捨ててしまった。
すると薄い足袋の裏へ直接小石が食いこんだが、足だけははるかに軽くなった。
彼は左に海を感じながら、急な坂道を駆け登った。時々涙がこみ上げて来ると、自然に顔がゆがんで来る。それは無理に我慢しても、鼻だけは絶えずくうくう鳴った。
竹藪の側を駈け抜けると、夕焼けのした日金山の空も、もう火照りが消えかかっていた。
良平は、いよいよ気が気でなかった。行きと帰りで、景色が変わって違うように見えるのも不安だった。
すると今度は着物までも、汗の濡れ通ったのが気になったから、やはり必死に駈け続けながら、羽織をみちばたへ脱いで捨てた。
蜜柑畑へ来る頃には、あたりは暗くなる一方だった。「命さえ助かれば」良平はそう思いながら、すべってもつまずいても走って行った。
やっと遠い夕闇の中に、村外れの工事場が見えた時、良平は思わず泣きたくなった。しかしその時もべそはかいたが、とうとう泣かずに駆け続けた。
彼の村へはいって見ると、もう両側の家家には、電燈の光がさし合っていた。良平はその電燈の光に、頭から汗の湯気が立っているのが、彼自身にもはっきりわかった。井戸端に水を汲んでいる女たちや、畑から帰って来る男たちは、良平があえぎながら走るのを見ては、「おいどうしたね?」などと声をかけた。が、彼は無言のまま、雑貨屋だの床屋だの、明るい家の前を走り過ぎた。
彼の家の門口へ駈けこんだ時、良平はとうとう大声に、わっと泣き出さずにはいられなかった。その泣き声は彼の周囲へ、一時に父や母を集まらせた。母は何か優しく語りかけながら、良平の体を抱きかかえるようにした。父は表で良平になにかひどい悪さをしたやつでもいたのかと思ったのか、外に出て辺りを見回した。
が、良平は手足をもがきながら、すすり泣き続けた。その声が余り激しかったせいか、近所の女衆も三・四人、薄暗い門口へ集まって来た。父母はもちろんのことその人たちは、くちぐちに彼の泣く理由を尋ねた。しかし彼は何といわれても泣くより外に仕方がなかった。あの遠い路を駈け通して来た、今までの心細さをふり返ると、いくら大声に泣き続けても、足りない気持ちに迫られながら。 | 良平が家の門口へ駈けこんだ時、とうとう大声に、わっと泣き出したときの、父と母の反応の違いを教えてください。 | 母は何か優しく語りかけながら、良平の体を抱きかかえるようにした。
そして、父は表で良平になにかひどい悪さをしたやつでもいたのかと思ったのか、外に出て辺りを見回した。 |
JCRRAG_014451 | 国語 | だが、園丁はすっかりびっくりしてしまい、私をそっと両手に抱き上げて、怪我はなかったかと尋ねます。彼は私をよく知っていて、前から私にいろいろ親切にしてくれていた男です。けれども、私は驚きで息切れがしてしまっているので、まだなかなか口がきけません。それから、二、三分して、やっと私が落ち着くと、彼は乳母のところへ、私を無事にとどけてくれました。
乳母は、さきほど私を残しておいた場所に戻ってみると、私がいないし、いくら呼んでみても、返事がないので、気狂のようになって探しまわっていたところでした。それで、今、園丁を見つけると、
「そんな犬飼っておくのがいけないのです。」
と、ひどく彼を叱りつけました。
これは面白かったとも、癪にさわったともいえることなのですが、私が一人で歩いていると、小鳥でさえ、私を怖がらないのです。まるで、人がいないときと同じように、私から一ヤードもないところを、平気で、虫や餌を探して、跳びまわっていました。あるときなど、一羽のつぐみが、実にずうずうしいつぐみで、私がグラムダルクリッチからもらった菓子を、ひょいと、私の手からさらって行ってしまいました。一ヤードもないどころか1センチ位ではありませんか。
捕まえようとすると、鶫はかえって私の方へ立ち向かって来て、指をつつこうとします。それで、私が指を引っ込めると、今度は、平気な顔で、虫を五匹食べたりかたつむりを一匹食べたりしながら歩いているのでした。
だが、ある日とうとう、私は太い棍棒を持ち出して、一羽の紅雀めがけて力一ぱい投げつけると、うまく命中して、相手は伸びてしまいました。でさっそく、首の根っ子をつかまえ、乳母のところへ喜び勇んで、持って行こうとしました。
ところが、鳥はちょっと目をまわして気絶していただけなので、じきに元気を取り戻すと、
右の翼で五回、左の翼で六回も殴ってきました。
爪で引っ掻かれないように、私は手をずっと前へ伸ばしてつかまえていたのですが、よっぽどのことで、もう放してしまおうかと思ったのです。しかし、そこへ、召使の一人がかけつけて来て、鳥の首をねじ切ってしまいました。そして翌日、私はそれを料理してもらって食べました。 | 鶫が食べたもののうち、数が少ないほうを教えてください。 | 鶫が食べたもののうち、数が少ないほうはかたつむりで一匹です。 |
JCRRAG_014452 | 国語 | しばらくすると、おとうさんは、親類やお友達にすすめられるまま、二度めの奥方をもらいました。
こうしておとうさんはだんだん、先の奥方を忘れるようになりました。でも鉢かつぎはいつまでもおかあさんのことを忘れられないで、時々思い出しては、寂しそうな顔をしていました。こんどのおかあさんはそれをにくらしがって、
「まあ、鉢を頭にかついだへんな子なんか、みっともなくって、わたしの娘めだとはいわれないよ。」
といいました。そのうち奥方にも子供が一人生まれました。そうなるといよいよ鉢かつぎ姫をじゃまにして、姫がああしました、こうしましたといっては、ありもしないことを、おとうさんに告げ口ばかりしていました。
鉢かつぎ姫は、このごろではもうおとうさんにさえきらわれるようになって、この世の中に頼たよる人もなくなりました。それで毎日亡くなったおかあさんのお墓におまいりをして、涙をこぼしながら、
「おかあさま、どうぞあなたが行っていらっしゃる遠いお国に、わたくしを早くお呼び取とり下さいまし。」
といって拝んでいました。
すると奥方はまた、鉢かつぎが毎日お墓まいりをすることを知ってにくらしがり、
「まあ、鉢かつぎはおそろしい子供です。わたしたちを殺すつもりで、のろいをかけております。」
と、おとうさんにざん言しました。おとうさんは大そうおこって、
「不幸な子だと思って、大目に見みておいてやったのだが、何のとがもないかあさんや、きょうだいをのろうと聞いては、捨ててはおけない。出ていけ。」
といいました。
奥方は向こうを向いて、そっと舌を出しながら、
「かわいそうだけれど、おとうさんのきびしいおいいつけだから。」
といって、鉢かつぎをつかまえて、むりに着物をぬがせて、汚れたひとえ物を一枚まい着きせたまま、追い出だしてしまいました。
鉢かつぎは泣きながら、どこへ行くというあてもなしに迷い歩きました。どこをどう歩いたか、自分でも知らないうちに、ふと大きな川の岸へ出ました。
「こうやっていつまで歩いていたところで、しまいには疲れて飢え死にでもする外はないのだから、少しでも早く死んで、おかあさまのいらっしゃる遠いお国へ、迎え取っていただいた方がいい。」
こう鉢かつぎは思いながら、川のふちへ下りていって、身みを投げようとしました。けれどどろんと真っ青に気味悪くよどんだ水の底には、どんな魔物が住んでいるか知れないと思おもうと、おじけがついて、度々飛び込みかけては躊躇しました。やっと思いきって身を投げると、こんどは頭にかぶった鉢がじゃまになって、沈んでも沈んでも浮き上がりました。するとそこへ舟をこいで来た一人の船頭が見つけて、
「おやおや、大きな鉢が流れてきた。」
といいながら、鉢をつかんで引き上げますと、下から人間の姿が現われたので、びっくりして、手を放して逃げていってしまいました。鉢かつぎは、死ぬこともできない悲しい身の上だとつくづく思いながら、むずむず岸にはい上がって、しかたがないので、またあてもなく歩き出しました。そのうち一つの村を通りかかりました。すると、みんなが見つけて、
「頭が鉢で、体が人間のお化けが来た。」
「鉢のお化けだ。鉢のお化けだ。」
「お化にしてはきれいな手足をしているぜ。」
こんなことを口々にいいました。そして気味悪がるばかりで、だれ一人食べ物をくれようという者もなければ、ましてうちに入れて、泊めてやろうという者はありませんでした。 | 二度めの奥方に子供が一人生まれて何人家族になりましたか。 | 二度めの奥方に子供が一人生まれて、四人家族になりました。 |
JCRRAG_014453 | 国語 | 土用波という高い波が風もないのに海岸にうちよせる頃になると、海水浴に来ている都会の人たちも段々別荘をしめて帰ってゆくようになります。
今までは海岸の砂の上にも水の中にも、朝から晩まで、沢山の人が集まって来て、砂山からでも見ていると、あんなに大勢な人間が一体どこから出て来たのだろうと不思議に思えるほどですが、九月にはいってから三日目になるその日には、見わたすかぎり砂浜の何所にも人っ子一人いませんでした。
私の友達のMと私と妹は名残惜しいといって海水浴にいくことにしました。
お婆様が「波が荒くなって来るから行かない方がよくはないか」とおっしゃったのです。
妹は少しその言葉を聞いて不安そうになりました。
Mはこんなにお天気はいいし、噂話をするだけだから大丈夫だといって言うことを聞かずに出かけました。
なので私と妹はMの言うことに頷いて、海水浴にいくことにしました。
ちょうど昼少し過ぎで、上天気で、空には雲一つありませんでした。
昼間でも草の中にはもう虫の音がしていましたが、それでも砂は熱くって、裸足だと時々草の上にかけ上あがらなければいられないほどでした。Mはタオルを頭からかぶってどんどん飛ぶように走って行きました。私はむぎわらぼうしをかぶった妹の手を引いてから駈けました。少しでも早く海の中につかりたいので三人はいきを切って急いだのです。
うねりといいますね、その波がうねっていました。
ちゃぷりちゃぷりと小さな波が波打際でくだけるのではなく、少し沖の方に細長い小山のような波が出来て、それが陸の方を向いて段々押し寄せて来ると、やがてその小山のてっぺんが尖って来て、ざぶりと大きな音をたてて一度に崩れかかるのです。
そうするとしばらく間をおいてまたあとの波が小山のようにうちよせて来ます。
そして崩れた波はひどい勢いで砂の上にはい上がって、そこら中を白い泡で敷きつめたようにしてしまうのです。
私はそうした気味の悪い波の様子を見るうちに少し気味悪く思い、家に引き返そうかとも思いました。
Mも気味の悪い波の様子を感じていましたが、折角ここまで来てるんだから、そのまま引き返すのはどうしてもいやだといった風でした。
なので私も、妹に帽子を脱がせて、それを砂の上に仰向けにおいて、衣物やタオルをその中に丸めこむと私たち三人は手をつなぎ合せて水の中にはいってゆきました。 | お婆様が波が荒くなって来るから行かない方がいいとおっしゃったときの、妹とMの反応の違いを教えてください。 | 私の友達のMと私と妹は名残惜しいといって海水浴にいくことにしました。お婆様が「波が荒くなって来るから行かない方がよくはないか」とおっしゃったのです。妹は少しその言葉を聞いて不安そうになりました。
一方、Mはこんなにお天気はいいし、噂話をするだけだから大丈夫だといって言うことを聞かずに出かけました。 |
JCRRAG_014454 | 国語 | 彼は、胡瓜から日光を引き出す計画を、やっているのだそうです。なんでも、もう八年間このことばかり考えているのだそうです。それは、つまり、この胡瓜から引き出した日光を缶詰にしておいて、夏のじめじめする日に、空気を温めるために使おうというのです。
「もうあと八年もすれば、これはきっと、うまくできるでしょう。」
と彼は私に言いました。
「しかし困るのは、胡瓜の値段が今非常に高いことです。どうか、ひとつこの発明を助けるために、いくらか寄附していただけないでしょうか。」
と彼は手を差し出しました。私は金貨を二枚と銀貨を三枚渡しました。
次の部屋に入ると、悪臭がむんと鼻につきました。びっくりして私は跳び出したのですが、案内者が引きとめて、小声でこう言いました。
「どうか先方の気を損ねるようなことをしないでください。ひどく腹を立てますから。」
それで、私は鼻をつまむわけにもゆかず困ってしまいました。この部屋の発明家は、顔も鬚も黄色になり、手や着物は汚れた色がついています。彼の研究というのは、人間の排泄したものを、もう一度もとの食物になおすことでした。
五キロの排泄物があればそこから三キロの食べ物と二キロの飲み物ができるとも言っていました。 | 寄附をくれとせがむ発明者に対して、私が渡した金貨と銀貨のうち、数が多いほうを教えてください。 | 寄附をくれとせがむ発明者に対して、私が渡した金貨と銀貨のうち、数が多いほうは銀貨で三枚です。 |
JCRRAG_014455 | 国語 | するとその時、この国の国守の山蔭の中将という人が、大ぜい家来を連れてお通りかかりになりました。村の者が大ぜい鉢をかぶった娘を取り巻いて、がやがや騒いでいるところを遠くから目をおつけになって、
「何を騒いでいるのだ。お前みて来い。」
と、家来の一人にいいつけました。
家来が急いで行ってみると、がやがや騒いでいた村の者どもはみんなこわがって、どこかへこそこそ逃げて行ってしまいました。その後に鉢かつぎが一人残されて、しくしく泣いていました。家来はふしぎに思って、鉢かつぎを連れて中将の御前に帰って来ました。
「わたくしがまいりますと、みんなかくれてしまいまして、あとに一人、このようなふしぎな形の者が残っておりました。」
といって、鉢かつぎをお目にかけました。
中将は鉢かつぎをご覧になって、
「まあ、その鉢を取れ。何者だか顔を見てやろう。」
とおっしゃいました。家来が二、三人寄ってたかって、鉢に手をかけますと、鉢かつぎは、
「いいえ、いいえ。取ろうとなすっても、取れない鉢でございます。」
といいましたが、家来は聴かずに、
「ばかなことをいうな。」
とむりに鉢をぬがせようとしますと、鉢はしっかり頭から生えたように吸いついていて、どうしても取れないので、あきれてあきらめてしまいました。中将はいよいよふしぎにお思いになって、
「お前はどこから来たのだ。どうしてそんなへんな姿になったのだ。」
とお聴きになりました。けれども鉢かつぎは、自分のほんとうの身分をいえば、おとうさんの恥になることを思って、ただ、
「交野の近くにおりました卑しい者の子でございます。たった一人の母親に別れて、毎日泣き暮らしておりますうちに、どうしたわけか、ある日空から鉢が降ってきて、頭に吸いついて、このようなへんな姿になってしまいました。」
といいました。中将は、ふしぎなことがあるものだ。そしてこれから、いったいどこへ行くつもりだとおたずねになりました。
「一人の母親と別れては、外に頼る者のない身の上でございます。それにこのような姿になりましてからは、だれも気味を悪がって、かまってくれます者もございません。」
と鉢かつぎはいいました。中将は、
「それは気の毒だ。わたしのうちへ来るがいい。」
といって、鉢かつぎを連れてお帰りになりました。
中将のお屋敷へ連れられて行くと、女中がしらが鉢かつぎを見て、
「お前、何か覚えたことがあるかい。」
とたずねました。鉢かつぎが子供の時、おかあさんから習ったことは、昔の御本を読む、和歌を詠む、琴や琵琶をひいたりすることばかりでした。でもそんなことは女中のしごとには何の役にも立ちません。鉢かつぎはきまりを悪がって、
「わたくしは何にも知りません。」
といいました。
「それではお湯殿の番でもおし。」
といってふろ番の女にしました。それからは毎日毎晩、暗い湯殿のお釜の前に座らせられて、頭から灰をかぶりながら、鉢かつぎは水をくんだり、火をたいたり、朝は早くから起こされて、夜はみんなの寝静まった後までも、立ち働かなければなりませんでした。そして朝は、
「鉢かつぎ、そらお目覚めだ。お手水を上げないか。」
と催促されました。晩になると、
「そら、お帰りだ。お洗足の湯は沸いているか。」
としかられました。
鉢かつぎは朝も晩もお釜の前に座って、いぶり臭い薪のにおいに目も鼻も痛めながら、暇さえあれば涙ばかりこぼしていました。
" | 鉢かつぎが子供の時、おかあさんから習ったことの数を教えてください。 | 鉢かつぎが子供の時、おかあさんから習ったことの数は3で、
「昔の御本を読む」
「和歌を詠む」
「琴や琵琶をひいたりすること」
です。 |
JCRRAG_014456 | 国語 | 土用波という高い波が風もないのに海岸にうちよせる頃になると、海水浴に来ている都会の人たちも段々別荘をしめて帰ってゆくようになります。
今までは海岸の砂の上にも水の中にも、朝から晩まで、沢山の人が集まって来て、砂山からでも見ていると、あんなに大勢な人間が一体どこから出て来たのだろうと不思議に思えるほどですが、九月にはいってから三日目になるその日には、見わたすかぎり砂浜の何所にも人っ子一人いませんでした。
私の友達のMと私と妹は名残惜しいといって海水浴にいくことにしました。
お婆様が「波が荒くなって来るから行かない方がよくはないか」とおっしゃったのです。
妹は少しその言葉を聞いて不安そうになりました。
Mはこんなにお天気はいいし、噂話をするだけだから大丈夫だといって言うことを聞かずに出かけました。
なので私と妹はMの言うことに頷いて、海水浴にいくことにしました。
ちょうど昼少し過ぎで、上天気で、空には雲一つありませんでした。
昼間でも草の中にはもう虫の音がしていましたが、それでも砂は熱くって、裸足だと時々草の上にかけ上あがらなければいられないほどでした。Mはタオルを頭からかぶってどんどん飛ぶように走って行きました。私はむぎわらぼうしをかぶった妹の手を引いてから駈けました。少しでも早く海の中につかりたいので三人はいきを切って急いだのです。
うねりといいますね、その波がうねっていました。
ちゃぷりちゃぷりと小さな波が波打際でくだけるのではなく、少し沖の方に細長い小山のような波が出来て、それが陸の方を向いて段々押し寄せて来ると、やがてその小山のてっぺんが尖って来て、ざぶりと大きな音をたてて一度に崩れかかるのです。
そうするとしばらく間をおいてまたあとの波が小山のようにうちよせて来ます。
そして崩れた波はひどい勢いで砂の上にはい上がって、そこら中を白い泡で敷きつめたようにしてしまうのです。
私はそうした気味の悪い波の様子を見るうちに少し気味悪く思い、家に引き返そうかとも思いました。
Mも気味の悪い波の様子を感じていましたが、折角ここまで来てるんだから、そのまま引き返すのはどうしてもいやだといった風でした。
なので私も、妹に帽子を脱がせて、それを砂の上に仰向けにおいて、衣物やタオルをその中に丸めこむと私たち三人は手をつなぎ合せて水の中にはいってゆきました。 | 気味の悪い波の様子を見た、私とMの違いを教えてください。 | 波が小山のようにうちよせ、崩れた波はひどい勢いで砂の上にはい上がって、そこら中を白い泡で敷きつめたようにしてしまうのです。私はそうした気味の悪い波の様子を見るうちに少し気味悪く思い、家に引き返そうかとも思いました。
一方、Mも気味の悪い波の様子を感じていましたが、折角ここまで来てるんだから、そのまま引き返すのはどうしてもいやだといった風でした。 |
JCRRAG_014457 | 国語 | 皇帝の頭には、ルビーやエメラルドなどの、三種類の宝石をちりばめた軽い黄金の兜をかぶり、頂きに羽根飾りがついていますが、着物は大へん質素でした。手には、長さ三インチぐらいの剣を握っておられます。その柄と鞘は黄金で作られ、ダイヤモンドがちりばめてあります。
皇帝の声はキイキイ声ですが、よく開きとれます。女官たちは、みんな綺麗な服を着ています。だから、みんなが並んで立っているところは、まるで、金糸銀糸の刺繍の衣を地面にひろげたようでした。
皇帝は何度も私に話しかけましたが、残念ながら、どうもお互いに、言葉が通じません。二時間後、皇帝をはじめ一同は帰って行きました。あとに残された私には、ちゃんと番人がついて、見張りしてくれます。つまり、これは私を見に押しかけて来るやじ馬のいたずらを防ぐためです。
やじ馬どもは、勝手に私の近くまで押しよせ、中には、私に矢を射ようとするものまでいました。一度、その矢が、私の左の眼に一度あたりそうでした。右の眼には二度あたりそうになりました。番人はさっそく、そのやじ馬の中の、頭らしい六人の男をつかまえて、私に引き渡してくれました。番人の槍先で、私の近くまで、その六人が追い立てられて来ると、私は一度に六人を手でつかんでやりました。
五人の内二人を上衣の右ポケットにねじこみ、三人は左ポケットにねじ込みました。あとの一人には、そら、これから食ってやるぞ、というような顔つきをして見せました。すると、その男は私の指の中で、ワーワー泣きわめきます。
私が指を口にもってゆくと、ほんとに食われるのではないかと、番人も見物人も、みんな、ハラハラしていたようです。が、間もなく、私はやさしい顔つきに返り、その男をそっと地面に置いて、放してやりました。他の五人も、一人ずつ、ポケットから引っ張り出して、許してやりました。すると番人も見物人も、ほっとして、私のしたことに感謝している様子でした。 | 私が上衣のポケットにねじ込んだ人数で少ない方を教えてください。 | 私が上衣のポケットにねじ込んだ人数で少ない方は右ポケットで二人です。 |
JCRRAG_014458 | 国語 | 中将には四人の男の子がいました。上の三人はもうみんなきれいなお嫁さんをもらっていました。いちばん下の宰相だけが、まだお嫁さんがいませんでした。宰相は大変情け深い人でしたから、鉢かつぎがかわいそうな姿で、いちばんつらいふろ番のしごとをしているのを見て、いつも気の毒に思っていました。それでみんなはへんな姿だ、へんな姿だといって気味を悪がって、鉢かつぎとはろくろく口も利きませんでしたけれど、宰相だけは朝晩手水の水や洗足の湯を運んで来るたんびに、鉢かつぎにやさしい言葉をかけて、いたわってやりました。
宰相が鉢かつぎをいたわってやるたんびに、ほかの女中たちはにくらしがって、
「若さまはあんなへんな者なんかをかわいがって、どうなさるのでしょう。」
と、こんなことをいい合っては、あざ笑いました。そして中将や奥方に向かっても、鉢かつぎの悪口ばかりいっていました。
おかげで、中将も奥方も、だんだん鉢かつぎをきらうようになりました。そして何かにかこつけて、鉢かつぎに暇をやろうと相談をしておいでになりました。宰相はそれを聞きくと、びっくりして、おとうさんとおかあさんの前へ出て、
「鉢かつぎを追い出すなんてかわいそうです。へんな姿でもかまいませんから、わたしのお嫁にして、いつまでもうちに置いて下さい。」
といいました。中将は大そうお怒りになって、宰相をきびしくおしかりになりました。けれどもそんなことで、宰相は鉢かつぎを見捨てるはずはありませんでした。しかられればしかられるほど、よけい鉢かつぎがかわいそうでなりませんでした。どうにかして鉢かつぎを、いつまでもうちに置いてやる工夫はないかしらと、そればかり考え込んでいました。
おかあさんはその様子を見ると、大そう御心配をなすって、ある日乳母を呼んで、
「どうかして鉢かつぎに、自分から出ていかせる工夫はないだろうかね。」
と御相談をおかけになりました。この乳母は大そうりこう振った女でしたから、相談をかけられると、とくいらしく鼻をうごめかして、
「それではこうなさってはいかがでしょう。宰相さまにはひとまず鉢かつぎをお嫁に上げることにして、そこでお嫁合わせということをするのです。それはいつか日をきめて、上のおにいさま方のお嫁さまと、あの鉢かつぎとを同じお座敷へお呼びになって、お引き合わせになるのです。そうしたらいくらずうずうしい鉢かつぎでも、みっともない姿を恥じて、お嫁合わせの席に出るまでもなく、自分から逃げ出して行くでしょう。そうすれば宰相さまもあきらめて、もう鉢かつぎのことを二度とおっしゃらなくなるでしょう。」
といいました。奥方はそれを聞いておよろこびになりました。そしていつ幾日かにお嫁合わせをするからと、いいわたしました。
宰相はそれをお聞きになって、大そう困っておしまいになりました。そこで、鉢かつぎの所へ行って、
「お前をきらう人たちが、お嫁合わせということをやって、お前に恥をかかせようとしている。どうしたらいいだろうね。」
といいました。鉢かつぎは涙を流しながら、
「みんなわたくしがこちらにおりますから、こういう騒ぎになるのでございます。わたくしはもうどうなってもよろしゅうございますから、お暇をいただいて行くことにいたしましょう。」
といいました。
宰相はびっくりして、
「どうして、お前を一人出してやったら、またみんなにいじめられるにきまっている。わたしはそれがかわいそうでたまらない。どこでもお前の行く所までついて行ってあげるよ。」
といいました。鉢かつぎはいよいよ止めどなく涙をこぼしていました。
宰相は鉢かつぎと、そっと旅の支度にかかりました。すっかり支度が出来ると、夜の明けきらないうちに宰相と鉢かつぎはそっとお屋敷を抜け出しました。宰相と鉢かつぎがいよいよ門を出ようという時に、ちょうど明け方の月が西の方の空に、研ぎすました鏡のようにきらきらひかっていました。鉢かつぎはそれをあおむいてみながら、いつもおがんでいる長谷の観音さまの方角に向かって、どうぞわたしたちの身の上をお守り下さいと、心の中でいって手を合わせました。するとその拍子に頭の鉢がぽっくり落ちて、それといっしょに、ばらばらと金銀や宝石がこぼれ落ちました。宰相はこの時はじめて月の光で鉢かつぎのきれいな顔を見みて、びっくりしてしまいました。落ちた鉢の中からは、金と漆をぬった箱が二つ出て、その中には金の杯に銀の長柄、砂金で作ったたちばなの実と、銀で作ったなしの実、目の覚めるような十二単の晴れ着の緋のはかま、その外いろいろの宝物がぎっしり入っていました。鉢かつぎはそれを見ると、また涙をこぼしながら、これも亡くなったおかあさまが、平生長谷の観音さまを信心した御利益に違いないと思って、もう一度西の方を向いて、観音を拝みました。 | 旅の支度にかかった人数を教えてください。 | 旅の支度にかかった人数は2で、
「宰相」
「鉢かつぎ」
です。 |
JCRRAG_014459 | 国語 | メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を倒さねばならぬと決意した。
メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮らして来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれたこのシラクスの市にやって来た。
メロスには父も、母もいない。女房もいない。十六の、内気な妹と二人暮らしだ。この妹は、村のある律気な一人の牧人を、近々、花婿として迎える事になっていた。結婚式も間近なのである。メロスはそれゆえ、花嫁の衣裳やら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。まず、その品々を買い集め、それから都の大路をぶらぶら歩いた。メロスには竹馬の友がいた。セリヌンティウスだ。今はこのシラクスの市で、石工をしている。その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。久しく逢わなかったのだから、訪ねて行くのが楽しみである。歩いているうちにメロスは、まちの様子を怪しく思った。ひっそりしている。もう既に日も落ちて、町が暗いのは当たり前だが、けれども、なんだか、夜のせいばかりでは無く、全体がやけに寂しい。のんきなメロスも、だんだん不安になって来た。路で会った若い人をつかまえて「何かあったのか?二年まえにこの市に来たときは、夜でも皆が歌をうたったりして町は賑やかであったはずだが?」と質問した。
若い人は、首を振って答えなかった。しばらく歩いて老人に逢い、こんどはもっと、語気を強くして質問した。老人は、あたりを気にするような低い声で、少しだけ答えた。
「王様は、人を殺します。」
「なぜ殺すのだ?」
「悪い心を抱いているからというのですが、誰もそんな、悪い心を持ってはいないのです」
「たくさんの人を殺したのか?」
「はい、はじめは王様の妹の旦那様を。それから、御自身のお子様を。それから、自分の妹を。それから、妹さまのお子様を。それから、皇后さまを。それから、賢臣のアレキス様を。」
「おどろいた。国王は乱心したのか?」
「いいえ、乱心ではございません。人を信ずる事が出来ない、というのです。このごろは、臣下の心をも疑うようになり、少しでも派手な暮しをしている者には、人質をひとりずつ差し出すことを命じています。命令を断れば十字架にかけられて、殺されます。きょうは、六人殺されました。」
聞いて、メロスは激怒した。「あきれた王だ。生かしておくわけにはいかない!」
メロスは単純な男であった。買い物を背負ったままでのそのそと王城に入って行った。 | メロスが町が寂しい理由を若い人と老人に質問した時の違いを教えてください。 | メロスは、まちの様子を怪しく思った。全体がやけに寂しい。メロスは若い人をつかまえて何かあったのか、と質問した。若い人は、首を振って答えなかった。
そして、しばらく歩いて老人に逢い、こんどは語気を強くして質問した。老人は、あたりを気にするような低い声で、王は人を殺しますと答えた。 |
JCRRAG_014460 | 国語 | だが、園丁はすっかりびっくりしてしまい、私をそっと両手に抱き上げて、怪我はなかったかと尋ねます。彼は私をよく知っていて、前から私にいろいろ親切にしてくれていた男です。けれども、私は驚きで息切れがしてしまっているので、まだなかなか口がきけません。それから、二、三分して、やっと私が落ち着くと、彼は乳母のところへ、私を無事にとどけてくれました。
乳母は、さきほど私を残しておいた場所に戻ってみると、私がいないし、いくら呼んでみても、返事がないので、気狂のようになって探しまわっていたところでした。それで、今、園丁を見つけると、
「そんな犬飼っておくのがいけないのです。」
と、ひどく彼を叱りつけました。
これは面白かったとも、癪にさわったともいえることなのですが、私が一人で歩いていると、小鳥でさえ、私を怖がらないのです。まるで、人がいないときと同じように、私から一ヤードもないところを、平気で、虫や餌を探して、跳びまわっていました。あるときなど、一羽のつぐみが、実にずうずうしいつぐみで、私がグラムダルクリッチからもらった菓子を、ひょいと、私の手からさらって行ってしまいました。一ヤードもないどころか1センチ位ではありませんか。
捕まえようとすると、鶫はかえって私の方へ立ち向かって来て、指をつつこうとします。それで、私が指を引っ込めると、今度は、平気な顔で、虫を五匹食べたりかたつむりを一匹食べたりしながら歩いているのでした。
だが、ある日とうとう、私は太い棍棒を持ち出して、一羽の紅雀めがけて力一ぱい投げつけると、うまく命中して、相手は伸びてしまいました。でさっそく、首の根っ子をつかまえ、乳母のところへ喜び勇んで、持って行こうとしました。
ところが、鳥はちょっと目をまわして気絶していただけなので、じきに元気を取り戻すと、
右の翼で五回、左の翼で六回も殴ってきました。
爪で引っ掻かれないように、私は手をずっと前へ伸ばしてつかまえていたのですが、よっぽどのことで、もう放してしまおうかと思ったのです。しかし、そこへ、召使の一人がかけつけて来て、鳥の首をねじ切ってしまいました。そして翌日、私はそれを料理してもらって食べました。 | 鳥が殴ってきた回数のうち、右の翼と左の翼で比較して数が多いほうを教えてください。 | 鳥が殴ってきた回数のうち、右の翼と左の翼で比較して数が多いのは左の翼で六回です。 |
JCRRAG_014461 | 国語 | 中将には四人の男の子がいました。上の三人はもうみんなきれいなお嫁さんをもらっていました。いちばん下の宰相だけが、まだお嫁さんがいませんでした。宰相は大変情け深い人でしたから、鉢かつぎがかわいそうな姿で、いちばんつらいふろ番のしごとをしているのを見て、いつも気の毒に思っていました。それでみんなはへんな姿だ、へんな姿だといって気味を悪がって、鉢かつぎとはろくろく口も利きませんでしたけれど、宰相だけは朝晩手水の水や洗足の湯を運んで来るたんびに、鉢かつぎにやさしい言葉をかけて、いたわってやりました。
宰相が鉢かつぎをいたわってやるたんびに、ほかの女中たちはにくらしがって、
「若さまはあんなへんな者なんかをかわいがって、どうなさるのでしょう。」
と、こんなことをいい合っては、あざ笑いました。そして中将や奥方に向かっても、鉢かつぎの悪口ばかりいっていました。
おかげで、中将も奥方も、だんだん鉢かつぎをきらうようになりました。そして何かにかこつけて、鉢かつぎに暇をやろうと相談をしておいでになりました。宰相はそれを聞きくと、びっくりして、おとうさんとおかあさんの前へ出て、
「鉢かつぎを追い出すなんてかわいそうです。へんな姿でもかまいませんから、わたしのお嫁にして、いつまでもうちに置いて下さい。」
といいました。中将は大そうお怒りになって、宰相をきびしくおしかりになりました。けれどもそんなことで、宰相は鉢かつぎを見捨てるはずはありませんでした。しかられればしかられるほど、よけい鉢かつぎがかわいそうでなりませんでした。どうにかして鉢かつぎを、いつまでもうちに置いてやる工夫はないかしらと、そればかり考え込んでいました。
おかあさんはその様子を見ると、大そう御心配をなすって、ある日乳母を呼んで、
「どうかして鉢かつぎに、自分から出ていかせる工夫はないだろうかね。」
と御相談をおかけになりました。この乳母は大そうりこう振った女でしたから、相談をかけられると、とくいらしく鼻をうごめかして、
「それではこうなさってはいかがでしょう。宰相さまにはひとまず鉢かつぎをお嫁に上げることにして、そこでお嫁合わせということをするのです。それはいつか日をきめて、上のおにいさま方のお嫁さまと、あの鉢かつぎとを同じお座敷へお呼びになって、お引き合わせになるのです。そうしたらいくらずうずうしい鉢かつぎでも、みっともない姿を恥じて、お嫁合わせの席に出るまでもなく、自分から逃げ出して行くでしょう。そうすれば宰相さまもあきらめて、もう鉢かつぎのことを二度とおっしゃらなくなるでしょう。」
といいました。奥方はそれを聞いておよろこびになりました。そしていつ幾日かにお嫁合わせをするからと、いいわたしました。
宰相はそれをお聞きになって、大そう困っておしまいになりました。そこで、鉢かつぎの所へ行って、
「お前をきらう人たちが、お嫁合わせということをやって、お前に恥をかかせようとしている。どうしたらいいだろうね。」
といいました。鉢かつぎは涙を流しながら、
「みんなわたくしがこちらにおりますから、こういう騒ぎになるのでございます。わたくしはもうどうなってもよろしゅうございますから、お暇をいただいて行くことにいたしましょう。」
といいました。
宰相はびっくりして、
「どうして、お前を一人出してやったら、またみんなにいじめられるにきまっている。わたしはそれがかわいそうでたまらない。どこでもお前の行く所までついて行ってあげるよ。」
といいました。鉢かつぎはいよいよ止めどなく涙をこぼしていました。
宰相は鉢かつぎと、そっと旅の支度にかかりました。すっかり支度が出来ると、夜の明けきらないうちに宰相と鉢かつぎはそっとお屋敷を抜け出しました。宰相と鉢かつぎがいよいよ門を出ようという時に、ちょうど明け方の月が西の方の空に、研ぎすました鏡のようにきらきらひかっていました。鉢かつぎはそれをあおむいてみながら、いつもおがんでいる長谷の観音さまの方角に向かって、どうぞわたしたちの身の上をお守り下さいと、心の中でいって手を合わせました。するとその拍子に頭の鉢がぽっくり落ちて、それといっしょに、ばらばらと金銀や宝石がこぼれ落ちました。宰相はこの時はじめて月の光で鉢かつぎのきれいな顔を見みて、びっくりしてしまいました。落ちた鉢の中からは、金と漆をぬった箱が二つ出て、その中には金の杯に銀の長柄、砂金で作ったたちばなの実と、銀で作ったなしの実、目の覚めるような十二単の晴れ着の緋のはかま、その外いろいろの宝物がぎっしり入っていました。鉢かつぎはそれを見ると、また涙をこぼしながら、これも亡くなったおかあさまが、平生長谷の観音さまを信心した御利益に違いないと思って、もう一度西の方を向いて、観音を拝みました。 | 落ちた鉢の中から出た箱の中に入っていた宝の数を教えてください。 | 落ちた鉢の中から出た箱の中に入っていた宝の数は、
「金の杯」
「銀の長柄」
「砂金で作ったたちばなの実」
「銀で作ったなしの実」
「目の覚めるような十二単の晴れ着の緋のはかま」
5となっています。 |
JCRRAG_014462 | 国語 | 「だまれ!げせんの者が!」王は、顔を挙げた。
「口では、どんな清らかな事でも言える。わしには、人の腹の中の奥底が透き通って見えるのだ。おまえだって磔になってから、泣いてわびたって聞かぬ。」
「ああ、王はお利口だ。自惚れているがよい。私は、ちゃんと死ぬ覚悟でいるというのに。命乞いなど決してしない。ただ」と言いかけて、メロスは足元に視線を落としてわずかにためらった。
「ただ、私に情けをかけるつもりなら、処刑までに三日間の期限を下さい。たった一人の妹に亭主を持たせてやりたいのです。三日のうちに、私は村で結婚式を挙げさせ、必ず、ここへ帰って来ます。」
「ばかな!」と暴君はしわがれた声で低く笑った。
「とんでもない嘘を言うわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか。」
「そうです。帰って来るのです。」メロスは必死で言い張った。「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。妹が、私の帰りを待っているのだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、この市にセリヌンティウスという石工がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮れまで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ、そうして下さい。」
それを聞いて王は、残虐な笑みを浮かべた。生意気なことを言うやつだ。どうせ帰って来ないにきまっている。この嘘つきにだまされた振りして、放してやるのも面白い。そうして身代わりの男を、三日目に殺してやるのも気分がいいだろう。「人はこれだから信じられぬ!」と、わしは悲しい顔をして、その身代りの男を磔の刑に処してやるのだ。世の中の、正直者とかいうやつらにうんと見せつけてやろう。
「その願いを聞いてやろう。その身代りを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代りを、きっと殺すぞ。ちょっとでもおくれて来るのがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ。」
「なに!?何をおっしゃる。」
「ははは!いのちが大事ならおくれて来ればいい。おまえの心はわかっているぞ。」
メロスは口惜しく、地団駄を踏んだ。何も言う気もなくなった。
竹馬の友であるセリヌンティウスは深夜王城に呼び出された。暴君ディオニスの面前で、よき友とよき友は、二年ぶりに出会った。
メロスは友に全ての事情を語った。セリヌンティウスは無言でうなずいてメロスをひしと抱きしめた。
友と友の間はそれでよかった。セリヌンティウスは縛り上げられ、メロスはすぐに出発した。初夏、満天の星である。
メロスはその夜、一睡もせず十里の路を急ぎに急いで、村へ到着したのは翌日の午前だった。
陽はすでに高く昇っており、村人たちは野に出て仕事をはじめていた。
メロスの十六歳の妹も、きょうは兄の代わりに羊の群れの番をしていた。
よろめいて歩いて来る兄の疲労困憊している姿を見つけて驚いた。
そして兄にうるさい位に質問を浴びせた。
「なんでも無いよ。」メロスは無理に笑おうとした。「市に用事を残して来た。またすぐ市に行かなければならぬ。あす、おまえの結婚式を挙げる。早いほうがいいだろう。」
妹は頬をあからめた。
「うれしいか?綺麗な衣裳も買って来たぞ。さあこれから村の人たちに結婚式はあすだと知らせて来い。」
メロスはまたよろよろと歩き出して家へ帰って神々の祭壇を飾り、祝宴の席を調え、間もなく床に倒れ伏し、呼吸もせぬくらいの深い眠りに落ちてしまった。
眼が覚めたのは夜だった。メロスは起きてすぐに花婿の家を訪れた。少し事情があるから、結婚式を明日にしてくれと頼んだ。
婿になる牧人は驚いた。「それは駄目ですよ、こっちはまだ何の仕度も出来ていない、葡萄ができる季節まで待ってくれ」と答えた。
メロスは「待つことはできない!どうか明日にしてくれ!」と更に押して頼み込んだ。
婿の牧人も頑固であり、なかなか承諾してくれない。議論は夜明けまで続いて、やっとどうにか婿をなだめすかして説き伏せることに成功した。
結婚式は真昼に行われた。新郎新婦の、神々への宣誓が済んだころに黒雲が空を覆ってぽつりぽつりと雨が降り出し、やがて車軸を流すような大雨となった。
祝宴に参加していた村人たちは、何か不吉なものを感じたが、それでも気持ちを引きたてて狭い家の中でむんむん蒸し暑いのも我慢して、陽気に歌をうたい、手をうった。
メロスも喜色満面にしてしばらくは王との約束をさえ忘れていた。祝宴は、夜に入っていよいよ乱れて華やかになり、人々は、外の豪雨を全く気にしなくなった。メロスは、一生このままここにいたい、と思った。この良い人たちと生涯共に暮して行きたいと願ったが、いまは、自分のからだで、自分のものでは無い。
メロスは後ろ髪をひかれながらもついに出発を決意した。あすの日没までには、まだ十分時間がある。
ちょっと一眠りしてそれからすぐに出発しよう、と考えた。その頃には、雨も小降りになっているだろう。
少しでも長くこの家にグズグズととどまっていたかった。メロスほどの男にも、やはり未練の情というものはある。
歓喜に酔っている花嫁に近寄って、
「おめでとう。私は疲れてしまったからちょっと眠りたいんだ。眼が覚めたらすぐに市に出かける。大切な用事があるのだ。私がいなくても、もうおまえには優しい亭主がいるのだから決して寂しい事は無いだろう。おまえの兄の一番嫌いなものは、人を疑う事と、それから、嘘をつく事だ。おまえもそれは知っているな?亭主との間に、どんな秘密でも作ってはならぬ。おまえに言いたいのは、それだけだ。おまえの兄は、たぶん偉い男なのだから、おまえもその誇りを持っていろ。」
花嫁は、夢見心地でうなずいた。メロスは、それから花婿の肩をたたいて、
「仕度が無いのはお互いさまさ。私の家で宝といえるのは妹と羊だけだ。他には何も無いよ。君に全部あげよう。もう一つ、メロスの弟になったことを誇ってくれ。」
花婿はもみ手をして照れていた。メロスは笑って村人たちにも会釈して宴席から立ち去り、羊小屋にもぐり込んで死んだように深く眠った。 | メロスが結婚式を明日にしよう、と妹と婿になる牧人に言った時の反応の違いを教えてください。 | メロスはその夜、一睡もせず十里の路を急ぎに急いで、村へ到着したのは翌日の午前だった。メロスは妹に会うと、あす、おまえの結婚式を挙げる。と言った。妹は頬をあからめた。
次にメロスは花婿の家を訪れ、結婚式を明日にしてくれと頼んだ。婿になる牧人は驚いて、こっちはまだ何の仕度も出来ていないから葡萄ができる季節まで待ってくれと答えた。 |
JCRRAG_014463 | 国語 | 彼は、胡瓜から日光を引き出す計画を、やっているのだそうです。なんでも、もう八年間このことばかり考えているのだそうです。それは、つまり、この胡瓜から引き出した日光を缶詰にしておいて、夏のじめじめする日に、空気を温めるために使おうというのです。
「もうあと八年もすれば、これはきっと、うまくできるでしょう。」
と彼は私に言いました。
「しかし困るのは、胡瓜の値段が今非常に高いことです。どうか、ひとつこの発明を助けるために、いくらか寄附していただけないでしょうか。」
と彼は手を差し出しました。私は金貨を二枚と銀貨を三枚渡しました。
次の部屋に入ると、悪臭がむんと鼻につきました。びっくりして私は跳び出したのですが、案内者が引きとめて、小声でこう言いました。
「どうか先方の気を損ねるようなことをしないでください。ひどく腹を立てますから。」
それで、私は鼻をつまむわけにもゆかず困ってしまいました。この部屋の発明家は、顔も鬚も黄色になり、手や着物は汚れた色がついています。彼の研究というのは、人間の排泄したものを、もう一度もとの食物になおすことでした。
五キロの排泄物があればそこから三キロの食べ物と二キロの飲み物ができるとも言っていました。 | 寄附をくれとせがむ発明者に対して、私が渡した金貨と銀貨のうち、数が少ないほうを教えてください。 | 寄附をくれとせがむ発明者に対して、私が渡した金貨と銀貨のうち、数が少ないほうは金貨で二枚です。 |
JCRRAG_014464 | 国語 | こうなると、お嫁合わせを恥ずかしがって、お座敷を抜け出すにもおよばなくなりました。宰相は鉢かつぎにお嫁合わせに出る支度をさせて、静かに待っていました。乳母をはじめみんな、
「まあ、お嫁合わせをするといったら、さすがに恥ずかしがって、出ていくだろうと思ったら、どこまでずうずうしい女なのだろう。」
と、よけい鉢かつぎをにくらしがっていました。
いよいよお嫁合わせの時刻になると、その支度の出来たお座敷へ、いちばん上のにいさんから次男三男と順々にお嫁さんを連れて座りました。いちばん上のお嫁さんは二十三で、白い小そでに緋のはかまをはいていました。二ばんめのお嫁さんは二十で、紫の小そでに桃色のはかまをはいていました。三ばんめのお嫁さんは十八で、赤い小そでに紅梅色のはかまをはいていました。三人のどれがいちばんいいということのできないほど、みんなきれいな人たちばかりでした。その三人の席からは、はるかに下の方に下った板間に、破れ畳をしいて、鉢かつぎをそこへ座らせ、みんなで恥をかかせようと思って待ちかまえていました。でもさすがにおとうさんとおかあさんは、今更こんなお嫁合わせなんぞをして、鉢かつぎに恥をかかせるのが、かわいそうになって、なぜ逃げていってくれなかったのだろうとうらめしく思っていました。やがて度々催促をうけた後、宰相は鉢かつぎを連れて出てきました。みんなはあの鉢かつぎがどんな様子で出てくるかと、半分気の毒そうな、半分いじの悪い顔をして待っていますと、どうでしょう、そこにしずしず出てきた人を見ると、いつもかまどの灰や炭の粉にまみれたみにくい下司女ではなくって、もう天人が天下ったかと思うように気高い、十五、六のうつくしいお姫さまでした。赤だの、紫だの、桃色だの、小そでを重ねて、緋のはかまをはいた姿は、目が覚めるようにまぶしくって、急にそこらがかっと明るくなったようでした。
みんなは「あッ」といったまま、口が利けませんでした。そのうつくしい姿のまま、鉢かつぎはかまわず縁先にしいたきたない破れ畳の上に座ろうとしますと、おとうさんの中将はあわてて立って行って、鉢かつぎのそばに寄ると、その手を取って、
「とんでもない。天人のような人を、そんな所に置くことがどうしてできよう。」
といいながら、上座へ連れて行って、自分のそばへ座らせました。 | 鉢かつぎ姫の小そでの色の数を教えてください。 | 鉢かつぎ姫の小そでの色の数は3です。
「赤」
「紫」
「桃色」
です。 |
JCRRAG_014465 | 国語 | 禅智内供の鼻といえば、池の尾で知らない者はない。長さは五・六寸あって上唇の上からアゴの下まで下がっている。
形は元も先も同じように太い。例えるなら細長い腸詰めのような物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下がっているのである。
五十歳を越えた内供は、沙弥をやっていた過去から、内道場供奉の職に昇格した現在まで、内心では始終この鼻について悩み苦しんでいた。
もちろん表面では、べつにさほど気にしてないような顔をしてすましている。これは来世は浄土に生まれ変わるよう専念して祈る僧侶の身で、鼻の心配をするのが悪いと思ったからばかりではない。それよりむしろ、自分で鼻を気にしているという事を、人に知られるのが嫌だったからである。内供は日常の談話の中に、鼻って単語が出て来るのを何よりも怖がっていた。
内供が鼻を持てあました理由は二つある。一つは実際に、鼻の長いのが不便だったからである。第一飯を食う時にも一人では食えない。独りで食えば、鼻の先がお椀の中のご飯へとどいてしまう。そこで内供は弟子の一人を膳の向こうへ座らせて、飯を食う間中、広さ一寸と長さ二尺ばかりの板で、鼻を持ち上げていて貰う事にした。しかしこうして飯を食うという事は、持ち上げている弟子にとっても、持ち上げられている内供にとっても、決して容易な事ではない。一度この弟子の代わりをした中童子が、くしゃみをした拍子に手がふるえて、鼻をお粥の中へ落とした話は、当時の京都まで伝わった。けれどもこれは内供にとって、決して鼻を苦に病んだ主な理由ではない。内供は本当はこの鼻によって傷つけられる自尊心のために苦しんだのである。
池の尾の町の者は、こういう鼻をしている禅智内供のために、内供は僧侶で幸せだといった。あの鼻では誰も妻になる女がいるまいと思ったからである。中にはまた、あの鼻だから出家したのだろうと批評する者さえあった。仏の力を借りれば鼻が短くなるのかもしれないと思ってのことだろう。しかし内供は、自分が僧であるために、少しでもこの鼻に煩わしい思いをすることが少なくなったと思っていない。 | 池の尾の町の者が、禅智内供が僧侶で幸せだといった理由の違いを教えてください。 | 禅智内供の鼻の長さは五・六寸あって上唇の上からアゴの下まで下がっている。
池の尾の町の者は、こういう長い鼻をしている禅智内供のために、内供は僧侶で幸せだといった。あの鼻では誰も妻になるような酔狂な女なんていないだろうと思ったからである。子供も禅智内供のような鼻になったらと思うと女はしり込みするだろうとも言った。
一方、またある者は、あの鼻だから出家したのだろうと言う者さえあった。仏の力を借りれば鼻が短くなるのかもしれないと思った。 |
JCRRAG_014466 | 国語 | 皇帝の頭には、ルビーやエメラルドなどの、三種類の宝石をちりばめた軽い黄金の兜をかぶり、頂きに羽根飾りがついていますが、着物は大へん質素でした。手には、長さ三インチぐらいの剣を握っておられます。その柄と鞘は黄金で作られ、ダイヤモンドがちりばめてあります。
皇帝の声はキイキイ声ですが、よく開きとれます。女官たちは、みんな綺麗な服を着ています。だから、みんなが並んで立っているところは、まるで、金糸銀糸の刺繍の衣を地面にひろげたようでした。
皇帝は何度も私に話しかけましたが、残念ながら、どうもお互いに、言葉が通じません。二時間後、皇帝をはじめ一同は帰って行きました。あとに残された私には、ちゃんと番人がついて、見張りしてくれます。つまり、これは私を見に押しかけて来るやじ馬のいたずらを防ぐためです。
やじ馬どもは、勝手に私の近くまで押しよせ、中には、私に矢を射ようとするものまでいました。一度、その矢が、私の左の眼に一度あたりそうでした。右の眼には二度あたりそうになりました。番人はさっそく、そのやじ馬の中の、頭らしい六人の男をつかまえて、私に引き渡してくれました。番人の槍先で、私の近くまで、その六人が追い立てられて来ると、私は一度に六人を手でつかんでやりました。
五人の内二人を上衣の右ポケットにねじこみ、三人は左ポケットにねじ込みました。あとの一人には、そら、これから食ってやるぞ、というような顔つきをして見せました。すると、その男は私の指の中で、ワーワー泣きわめきます。
私が指を口にもってゆくと、ほんとに食われるのではないかと、番人も見物人も、みんな、ハラハラしていたようです。が、間もなく、私はやさしい顔つきに返り、その男をそっと地面に置いて、放してやりました。他の五人も、一人ずつ、ポケットから引っ張り出して、許してやりました。すると番人も見物人も、ほっとして、私のしたことに感謝している様子でした。 | 私の眼に矢があたりそうになった回数が多い方を教えてください。 | 私の眼に矢があたりそうになった回数が多い方は右の眼で二度あたりそうになっています。 |
JCRRAG_014467 | 国語 | 鉢かつぎはその時、持たせて来たお三方を二台、おとうさんとおかあさんの前にささげました。
金の杯に金のたちばな、錦十反に絹五十疋、これはおとうさんへの贈り物でした。それから銀の長柄に銀のなし、綾織物の小そでが三十重ね、これはおかあさんへの贈り物でした。その二品だけでも三人のお嫁さんの贈り物にくらべて、けっしてひけをとるようなことはありませんでした。三人のお嫁さんたちをずいぶんうつくしいと思った人たちにも、鉢かつぎといっしょに並べては、そこには仏さまと人間ぐらいの違いがあると思われました。おとうさんもおかあさんも心からよろこんで、あらためて鉢かつぎと、嫁しゅうとのお杯をなさいました。
三人のお嫁さんたちは見す見すお嫁合わせに負けて、くやしくってたまらないものですから、どうにかして、鉢かつぎを困らせてやりたいと思いました。そこでお嫁さん同士みんなで楽器を合わせて遊ぼうといい出しました。そして鉢かつぎには、いちばんむずかしいやまと琴をひかせることにしました。いちばん上のお嫁さんは琵琶をひき、二ばんめのお嫁さんは笙を吹き、三ばんめのお嫁さんは鼓を打つのでした。鉢かつぎもはじめはことわりましたけれど、昔おかあさんが一生懸命教えておいて下さったのは、こういう時に恥をかかないためであったかと思い返して、琴を手に取りました。いうまでもなく、鉢かつぎのひく琴が、だれよりもいちばん気高く聞こえました。みんなはあっといって驚きました。
三人のお嫁さんは、音楽でも負けたものですから、こんどは硯と紙を出して、
「春の花と夏の花と秋の花を、一首の中に詠み込んでごらんなさい。」
といいました。鉢かつぎは、
「毎日おふろの火をたいてばかりおりました下司女に、どうして歌なんぞが詠めましょう。」
といってことわりましたけれど、みんなはどうしても聴きませんでした。そこで悪びれもしず、鉢かつぎは筆を持って、
「春は花、夏はたちばな、秋は菊、いづれに露はおかんとすらん」
と、うつくしい文字でさらさらと書いて出しました。みんなは「あッ」といって、それっきりだまり込んでしまいました。
おとうさんとおかあさんは、宰相と鉢かつぎのためにりっぱな御殿をこしらえ、たくさんの田地を分けてやって、豊かに暮らすことのできるようにしておやりになりました。 | 鉢かつぎがおとうさんへ渡した贈り物の数を教えてください。 | 鉢かつぎがおとうさんへ渡した贈り物の数は4で、
「金の杯」、
「金のたちばな」、
「錦十反」、
「絹五十疋」
です。 |
JCRRAG_014468 | 国語 | そこで内供は、積極的にも消極的にも、この傷つけられたプライドを回復しようと思っていた。
第一に内供が考えたのは、この長い鼻を実際のサイズ以上に短く見せる方法である。これは人のいない時に、鏡へ向かって、いろいろな角度から顔を映しながら、熱心に工夫してみた。どうしても、顔の位置を変えるだけでは、安心が出来なくなって、頬杖をついたりアゴの先へ指をあてがったりして、根気よく鏡を覗いて見る事もあった。しかし自分でも満足するほど、鼻が短く見えた事は、これまでただの一度もない。場合によっては苦心すればするほど、かえって鼻が長く見えるような気さえしてきた。内供は、こういう時には、鏡を箱へ片付けながら、今更のようにため息をついて、不承不承にまた元の経机へ、観音経をよみに帰るのである。
それからまた内供は、絶えず人の鼻を気にしていた。池の尾の寺は、僧供による講説などがしばしば行われる寺である。寺の中には、僧坊が隙間なく並んでいて、湯屋では寺の僧が毎日お湯を沸かしている。つまりここへ出入りする僧侶や一般人が非常に多い。内供はこういう人々の顔を根気よく観察した。一人でも自分のような鼻のある人間を見つけて、安心したかったからである。だから内供の眼には、紺の水干も白の帷子もはいらない。ましてオレンジ色の帽子や、暗い茶色の法衣なんてものは、見慣れているだけにあってないようなものである。内供は人を見ないで、ただ鼻を見た。
しかし鍵鼻はあっても、内供のような鼻は一つも見当たらない。その見当たらない事が度重なっていくうちに、内供の心は次第にまた不快になった。内供が人と話しながら、思わずぶらりと下っている鼻の先をつまんで見て、年甲斐もなく顔を赤らめたのは、全てこの時不快感によるものである。
最後に、内供は、仏教の経典や色んな宗教の経典の中に、自分と同じような鼻のある人物を見つけて、すこしでも心の支えにしようとさえ思った事がある。けれども、目連や、舎利弗の鼻が長かったとはどの経文にも書いてない。もちろん竜樹や馬鳴も、人並の鼻を備えた菩薩である。内供は、中国の話をするついでに蜀漢にいた劉備玄徳の耳が長かったという事を聞いた時に、「それが鼻だったら、どのくらい自分は心細くなくなるだろうか」と思った。
内供がこういう消極的な苦心をしている一方で、積極的に鼻の短くなる方法を試みた事は、わざわざここにいうまでもない。内供はこの方面でもほとんど出来るだけの事をした。烏瓜を煎じて飲んで見た事もある。鼠の尿を乾かした物を鼻へすりつけて見た事もある。しかし何をしたとしても、鼻は依然として、五・六寸の長さをぶらりと唇の上にぶら下げているではないか。 | 内供が積極的に傷つけられたプライドを回復させる方法と、消極的に傷つけられたプライドを回復させる方法の違いを教えてください。 | 内供は積極的に傷つけられたプライドを回復するために、烏瓜を煎じて飲んで見たり、鼠の尿を乾かした物を鼻へすりつけて見た事もあります。
一方、消極的に傷つけられたプライドを回復するために、鏡に顔を映して鼻が短く見える角度を見つけようとしたり、湯屋で自分のような鼻をしている人間を探し続けたり、仏教の経典や色んな宗教の経典の中に、自分と同じような鼻のある人物を見つけようとしたりしています。 |
JCRRAG_014469 | 国語 | だが、園丁はすっかりびっくりしてしまい、私をそっと両手に抱き上げて、怪我はなかったかと尋ねます。彼は私をよく知っていて、前から私にいろいろ親切にしてくれていた男です。けれども、私は驚きで息切れがしてしまっているので、まだなかなか口がきけません。それから、二、三分して、やっと私が落ち着くと、彼は乳母のところへ、私を無事にとどけてくれました。
乳母は、さきほど私を残しておいた場所に戻ってみると、私がいないし、いくら呼んでみても、返事がないので、気狂のようになって探しまわっていたところでした。それで、今、園丁を見つけると、
「そんな犬飼っておくのがいけないのです。」
と、ひどく彼を叱りつけました。
これは面白かったとも、癪にさわったともいえることなのですが、私が一人で歩いていると、小鳥でさえ、私を怖がらないのです。まるで、人がいないときと同じように、私から一ヤードもないところを、平気で、虫や餌を探して、跳びまわっていました。あるときなど、一羽のつぐみが、実にずうずうしいつぐみで、私がグラムダルクリッチからもらった菓子を、ひょいと、私の手からさらって行ってしまいました。一ヤードもないどころか1センチ位ではありませんか。
捕まえようとすると、鶫はかえって私の方へ立ち向かって来て、指をつつこうとします。それで、私が指を引っ込めると、今度は、平気な顔で、虫を五匹食べたりかたつむりを一匹食べたりしながら歩いているのでした。
だが、ある日とうとう、私は太い棍棒を持ち出して、一羽の紅雀めがけて力一ぱい投げつけると、うまく命中して、相手は伸びてしまいました。でさっそく、首の根っ子をつかまえ、乳母のところへ喜び勇んで、持って行こうとしました。
ところが、鳥はちょっと目をまわして気絶していただけなので、じきに元気を取り戻すと、
右の翼で五回、左の翼で六回も殴ってきました。
爪で引っ掻かれないように、私は手をずっと前へ伸ばしてつかまえていたのですが、よっぽどのことで、もう放してしまおうかと思ったのです。しかし、そこへ、召使の一人がかけつけて来て、鳥の首をねじ切ってしまいました。そして翌日、私はそれを料理してもらって食べました。 | 鳥が殴ってきた回数のうち、右の翼と左の翼で比較して数が少ないほうを教えてください。 | 鳥が殴ってきた回数のうち、右の翼と左の翼で比較して数が少ないのは右の翼で五回です。 |
JCRRAG_014470 | 国語 | 鉢かつぎはその時、持たせて来たお三方を二台、おとうさんとおかあさんの前にささげました。
金の杯に金のたちばな、錦十反に絹五十疋、これはおとうさんへの贈り物でした。それから銀の長柄に銀のなし、綾織物の小そでが三十重ね、これはおかあさんへの贈り物でした。その二品だけでも三人のお嫁さんの贈り物にくらべて、けっしてひけをとるようなことはありませんでした。三人のお嫁さんたちをずいぶんうつくしいと思った人たちにも、鉢かつぎといっしょに並べては、そこには仏さまと人間ぐらいの違いがあると思われました。おとうさんもおかあさんも心からよろこんで、あらためて鉢かつぎと、嫁しゅうとのお杯をなさいました。
三人のお嫁さんたちは見す見すお嫁合わせに負けて、くやしくってたまらないものですから、どうにかして、鉢かつぎを困らせてやりたいと思いました。そこでお嫁さん同士みんなで楽器を合わせて遊ぼうといい出しました。そして鉢かつぎには、いちばんむずかしいやまと琴をひかせることにしました。いちばん上のお嫁さんは琵琶をひき、二ばんめのお嫁さんは笙を吹き、三ばんめのお嫁さんは鼓を打つのでした。鉢かつぎもはじめはことわりましたけれど、昔おかあさんが一生懸命教えておいて下さったのは、こういう時に恥をかかないためであったかと思い返して、琴を手に取りました。いうまでもなく、鉢かつぎのひく琴が、だれよりもいちばん気高く聞こえました。みんなはあっといって驚きました。
三人のお嫁さんは、音楽でも負けたものですから、こんどは硯と紙を出して、
「春の花と夏の花と秋の花を、一首の中に詠み込んでごらんなさい。」
といいました。鉢かつぎは、
「毎日おふろの火をたいてばかりおりました下司女に、どうして歌なんぞが詠めましょう。」
といってことわりましたけれど、みんなはどうしても聴きませんでした。そこで悪びれもしず、鉢かつぎは筆を持って、
「春は花、夏はたちばな、秋は菊、いづれに露はおかんとすらん」
と、うつくしい文字でさらさらと書いて出しました。みんなは「あッ」といって、それっきりだまり込んでしまいました。
おとうさんとおかあさんは、宰相と鉢かつぎのためにりっぱな御殿をこしらえ、たくさんの田地を分けてやって、豊かに暮らすことのできるようにしておやりになりました。 | 鉢かつぎがおかあさんへ渡した贈り物の数を教えてください。 | 鉢かつぎがおかあさんへ渡した贈り物の数は3で、
「銀の長柄」
「銀のなし」
「綾織物の小そでが三十重ね」
です。 |
JCRRAG_014471 | 国語 | しかし、その日はまだ一日中、鼻がまた長くなりはしないかという不安があった。そこで内供は声を出して経をとなえている時にも、食事をする時にも、暇さえあれば手を出して、そっと鼻の先にさわってみた。だが、鼻は行儀よく唇の上に納まっているだけで、それより下へぶら下がって来る様子もない。それから一晩寝て翌日早く眼がさめると内供はまず、第一に、自分の鼻を撫でて見た。鼻は依然として短い。内供はそこで、ここ数年なかったような、法華経の書写の功を積んだ時のような、のびのびした気分になった。
ところが二・三日経ってくると、内供は意外な事実を発見した。それはその頃に、用事があって池の尾の寺を訪れた侍が、前よりも一段と面白そうな顔をして、話もろくにしないで、内供の鼻ばっかりじろじろと眺めていた事である。
それだけではなく、かつて、内供の鼻を粥の中へ落とした事のある中童子なぞは、講堂の外で内供と行きちがった時に、始めは、下を向いて笑いをこらえていたが、とうとう耐え切れなかったのか、ブッと吹き出してしまった。用事を言い渡された下法師たちが、面と向かっている間だけはつつしんで聞いていても、内供が後ろを向いたら、すぐにくすくす笑い出したのは、一度や二度の事ではない。
内供ははじめ、これを自分の顔が変わってしまったせいだと解釈した。しかしどうもこの解釈だけでは十分に説明がつかないようである。もちろん、中童子や下法師が笑う原因は、そこにあるのにちがいない。けれども同じ笑うにしても、鼻の長かった昔とは、笑っている内容の意味が違うように思えた。見慣れた長い鼻より、見慣れない短い鼻の方が滑稽に見えるといえば、それまでである。が、そこにはまだ何かあるらしい。
前はあのようにバカ笑いしなかった。
内供は、音読しかけた経文をやめて、禿頭を傾けながら、時々こうつぶやいていた。愛すべき内供は、そういう時になると、必ずぼんやり、近くにかけた普賢の画像を眺めながら、鼻の長かった四・五日前の事をおもい出して、「今落ちぶれてしまった人が、昔の良かった時代を思い出すかのように」ふさぎこんでしまうのである。内供には、残念ながらこの問題に答えを見出すための知恵が欠けていた。
人間の心にはお互いに矛盾した二つの感情がある。もちろん、他人の不幸に同情しない者は誰もいない。ところがその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような気持ちになる。少し誇張していえば、もう一度その人を、同じ不幸に陥れてみたいような気にさえなってしまう。そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くような事になる。内供が、理由を知らないながらも、何となく不快に思ったのは、池の尾の僧俗の態度に、この傍観者の利己主義をそれとなく感づいたからにほかならない。
そこで内供は日毎に機嫌が悪くなった。二言目には、誰でも意地悪く叱りつける。しまいには鼻の治療をしたあの弟子の僧でさえ、「内供は法慳貪の罪を受けるぞ」と陰口を言うほどになった。なにより内供を怒らせたのは、例のいたずらな中童子である。ある日、うるさく犬の吠える声がするので、内供が何気なく外へ出て見ると、中童子は、二尺ばかりの木の片きれをふりまわして、毛の長い、痩せた犬をおいまわしている。それもただ、おいまわしているのではない。「鼻を打たれないようにしろよ。それ、鼻を打たれないようしろ」とからかいながら、おいまわしているのである。内供は、中童子の手からその木の片をひったくって、したたかにその顔を打った。木の片は以前鼻を持ち上げていた木だったのである。
内供は無理に、鼻を短くしたのがかえって恨めしく思うようになった。
するとある夜の事である。日が暮れてから急に風が出たと見えて、塔の風鐸の鳴る音が、うるさいほど寝ている所に響いて来た。その上、寒さもひどくなってきたので、老年の内供は寝ようとしてもなかなか眠れなかった。そこで床の中でじっとしていると、ふと鼻がいつになく、むず痒いのに気がついた。手をあてて見ると少し水気が来たようにむくんでいる。どうやらそこだけ、熱を持っているようだ。
無理に短くしたから、病気になったのかもしれないな。
内供は、仏前に香花を供えるような丁寧な手つきで、鼻を抑えながら、こう呟いた。
翌朝、内供がいつものように早く眼をさますと、寺内の銀杏や橡が一晩で葉を落としたので、庭は黄金を敷いたように明るい。塔の屋根に霜が下りているせいであろう。まだうすい朝日に、九輪がまばゆく光っている。禅智内供は、障子を開けて縁側に立って、深く息をすいこんだ。
ほとんど忘れようとしていたある感覚が、再び内供に帰って来たのはこの時である。
内供は慌てて鼻へ手をやった。手にさわるものは、昨夜の短い鼻ではない。上唇の上からあごの下まで、五・六寸あまりもぶら下がっている、昔の長い鼻である。内供は鼻が一夜の中に、また元の通り長くなったのを知った。そうしてそれと同時に、鼻が短くなった時と同じような、はればれした気持ちが、どこからともなく帰って来るのを感じた。
こうなれば、もう誰もわらうものはないにちがいない。
内供は心の中でこう自分にささやいた。長い鼻を明け方の秋風にぶらつかせながら。 | 短くなった内供の鼻を見た、侍と中童子の反応の違いを教えてください。 | 用事があって池の尾の寺を訪れた侍が、前よりも一段と面白そうな顔をして、話もろくにしないで、短くなった内供の鼻ばっかりじろじろと眺めていた。
一方、中童子は、講堂の外で内供と行きちがった時に、始めは下を向いて笑いをこらえていたが、とうとう耐え切れなかったのか、ブッと吹き出してしまった。 |
JCRRAG_014472 | 国語 | 彼は、胡瓜から日光を引き出す計画を、やっているのだそうです。なんでも、もう八年間このことばかり考えているのだそうです。それは、つまり、この胡瓜から引き出した日光を缶詰にしておいて、夏のじめじめする日に、空気を温めるために使おうというのです。
「もうあと八年もすれば、これはきっと、うまくできるでしょう。」
と彼は私に言いました。
「しかし困るのは、胡瓜の値段が今非常に高いことです。どうか、ひとつこの発明を助けるために、いくらか寄附していただけないでしょうか。」
と彼は手を差し出しました。私は金貨を二枚と銀貨を三枚渡しました。
次の部屋に入ると、悪臭がむんと鼻につきました。びっくりして私は跳び出したのですが、案内者が引きとめて、小声でこう言いました。
「どうか先方の気を損ねるようなことをしないでください。ひどく腹を立てますから。」
それで、私は鼻をつまむわけにもゆかず困ってしまいました。この部屋の発明家は、顔も鬚も黄色になり、手や着物は汚れた色がついています。彼の研究というのは、人間の排泄したものを、もう一度もとの食物になおすことでした。
五キロの排泄物があればそこから三キロの食べ物と二キロの飲み物ができるとも言っていました。 | 人間の排泄したものを、もう一度もとの食物になおす発明家の研究において、五キロの排泄物のうち、食べ物と飲み物を比較してなおせる量が多いほうを教えてください。 | 人間の排泄したものを、もう一度もとの食物になおす発明家の研究において、五キロの排泄物のうち、食べ物と飲み物を比較してなおせる量が多いのは食べ物で三キロです。 |
JCRRAG_014473 | 国語 | 鉢かつぎはその時、持たせて来たお三方を二台、おとうさんとおかあさんの前にささげました。
金の杯に金のたちばな、錦十反に絹五十疋、これはおとうさんへの贈り物でした。それから銀の長柄に銀のなし、綾織物の小そでが三十重ね、これはおかあさんへの贈り物でした。その二品だけでも三人のお嫁さんの贈り物にくらべて、けっしてひけをとるようなことはありませんでした。三人のお嫁さんたちをずいぶんうつくしいと思った人たちにも、鉢かつぎといっしょに並べては、そこには仏さまと人間ぐらいの違いがあると思われました。おとうさんもおかあさんも心からよろこんで、あらためて鉢かつぎと、嫁しゅうとのお杯をなさいました。
三人のお嫁さんたちは見す見すお嫁合わせに負けて、くやしくってたまらないものですから、どうにかして、鉢かつぎを困らせてやりたいと思いました。そこでお嫁さん同士みんなで楽器を合わせて遊ぼうといい出しました。そして鉢かつぎには、いちばんむずかしいやまと琴をひかせることにしました。いちばん上のお嫁さんは琵琶をひき、二ばんめのお嫁さんは笙を吹き、三ばんめのお嫁さんは鼓を打つのでした。鉢かつぎもはじめはことわりましたけれど、昔おかあさんが一生懸命教えておいて下さったのは、こういう時に恥をかかないためであったかと思い返して、琴を手に取りました。いうまでもなく、鉢かつぎのひく琴が、だれよりもいちばん気高く聞こえました。みんなはあっといって驚きました。
三人のお嫁さんは、音楽でも負けたものですから、こんどは硯と紙を出して、
「春の花と夏の花と秋の花を、一首の中に詠み込んでごらんなさい。」
といいました。鉢かつぎは、
「毎日おふろの火をたいてばかりおりました下司女に、どうして歌なんぞが詠めましょう。」
といってことわりましたけれど、みんなはどうしても聴きませんでした。そこで悪びれもしず、鉢かつぎは筆を持って、
「春は花、夏はたちばな、秋は菊、いづれに露はおかんとすらん」
と、うつくしい文字でさらさらと書いて出しました。みんなは「あッ」といって、それっきりだまり込んでしまいました。
おとうさんとおかあさんは、宰相と鉢かつぎのためにりっぱな御殿をこしらえ、たくさんの田地を分けてやって、豊かに暮らすことのできるようにしておやりになりました。 | 三人のお嫁さんが、音楽で負けた次に出した物の数を教えてください。 | 三人のお嫁さんが、音楽で負けた次に出した物の数は2で、
「硯」
「紙」
です。 |
JCRRAG_014474 | 国語 | 二人の若い紳士が、すっかりイギリスの兵隊の格好をして、ぴかぴかに光る鉄砲をかついで、白熊のような犬を二匹つれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさかさしたとこを、こんなことをいいながら、あるいておりました。
「ここらの山は全体的に良くないね。鳥もいやしない。カラスでも山鳥でもなんでもいいから、早くタンタアーンと、鳥を撃ってみたいもんだ」
片方の紳士がそう言いながら銃を空に向かって構えました。
「鹿の横っ腹に、二・三発銃弾をお見舞いしたら、ずいぶん痛快だろうねえ。僕は鹿を撃ちたいなぁ」
もう片方の紳士がそう言いながら銃を水平に向かって構えました。
しかしずいぶんとかなりの山奥まで来ました。案内してきた専門の鉄砲打ちも、ちょっと迷って、どこかへ行ってしまったくらいの山奥でした。
それに、あまりに山が物凄いので、その白熊のような犬が、二匹いっしょにめまいを起こして、しばらくうなって、それから泡を吐いて死んでしまいました。
「ぼくは、二千四百円の損害だ」と一人の紳士が、その犬の眼を、ちょっとかえしてみて言いました。
「ぼくは二千八百円の損害だ。」と、もうひとりが、くやしそうに、あたまを捻って言いました。
はじめの紳士は、すこし顔色を悪くして、じっと、もうひとりの紳士の、顔色を見ながらいいました。
「ぼくはもう戻ろうとおもう。」
「そうだね、ぼくもちょうど寒くはなったし腹は空いてきたし戻ろうとおもう。」
「それじゃ、これで切り上げよう。なあに戻りに、昨日の宿屋で、山鳥を十円分くらい買って帰ればいい。」
「兎も料理に出てたから買えるな。買えば結局おんなじこった。では帰ろうじゃないか」
ところがどうも困ったことに、どっちへ行けば戻れるのか、いっこうに見当がつかなくなっていました。
風がどうと吹ふいてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。
「どうも腹が空いた。さっきから横っ腹が痛くてたまらないんだ。」
「ぼくもそうだ。もうあんまりあるきたくないな。」
「あるきたくないよ。ああ困ったなあ、何かたべたいなあ。」
「喰べたいもんだなあ」
二人の紳士は、ざわざわ鳴るすすきの中で、こんなことをいいました。
ふとうしろを見ると、立派な一軒の西洋造りの家がありました。
そして玄関には
RESTAURANT
西洋料理店
WILDCAT HOUSE
山猫軒
という札がでていました。
「君、ちょうどいい。この山はこう見えても人がいて賑やかなんだろうな。入ろうじゃないか」
「おや、こんなところにおかしいな。しかしとにかく何か食事ができるんだろう」
「もちろんできるさ。看板にそう書いてあるじゃないか」
「はいろうじゃないか。ぼくはもう何か喰べたくて倒れそうなんだ。」
二人は玄関に立ちました。玄関は白い瀬戸の煉瓦で組んで、実に立派なものでした。
そして硝子の開き戸がたって、そこに金文字でこう書いてありました。
「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」
二人はそこで、ひどくよろこんで言いました。
「こいつはどうだ、やっぱり世の中はうまくできてるねえ、きょう一日苦労したけれど、こんどはこんないいこともある。ここは料理店だけれどもただでご馳走するんだぜ。」
「どうもそうらしい。決してご遠慮はありませんというのはその意味だ。」 | 二人の若い紳士が銃で撃ちたいものの違いを教えてください。 | 片方の紳士がカラスでも山鳥でもなんでもいいから、早く鳥を撃ってみたい、と言いながら銃を空に向かって構えました。
もう一方の紳士は、鹿の横っ腹に、銃弾をお見舞いしたらずいぶん痛快だろう。僕は鹿を撃ちたい、と言いながら銃を水平に向かって構えました。 |
JCRRAG_014475 | 国語 | 夜になると、見物人も帰るので、ようやく私は家の中にもぐりこみ、地べたで寝るのでした。二週間ばかりは、毎晩地べたで寝たものです。が、そのうちに皇帝が、私のためにベッドをこしらえてやれ、と言われました。普通の大きさのベッドが六百、車に積んで運ばれ、私の家の中で、それを組み立てました。
それでも私の体が入りきらなかったのでダブルのベッドを五百、私の家の中に入れて組み立てました。
2 人間山
私の噂は国中にひろまってしまいました。お金持で、暇のある、物好きな連中が、毎日、雲のように押しかけて来ます。
ある日は百人、またある日は三百人、ひどい時には五百人と来るようになりました。
そのために、村々はほとんど空っぽになり、畑の仕事も家の仕事も、すっかりお留守になりそうでした。それで、皇帝から命令が出ました。見物がすんだ人はさっさと帰れ、無断で私の家の三十ヤード以内に近よってはいけない、と、こんなことが決められました。
それでも近寄ろうとするので五十ヤード以内に近よってはいけないことになりました。
ところで、皇帝は何度も会議を開いて、一体、これはどうしたらいいのかと、相談されたそうです。聞くところによると、朝廷でも、私の取り扱いには、だいぶ困っていたようです。あんな男を自由の身にしてやるのも心配でしたが、なにしろ、私の食事がとても大へんなものでしたから、これでは国中が飢饉になるかもしれない、というのです。
いっそのこと、何も食べさせないで、餓死させるか、それとも、毒矢で殺してしまう方がよかろう、と言うものが十人ほどいました。
だが、あの男に死なれると、山のような死体から発する臭いがたまらない、その悪い臭は、国中に伝染病をひろげることになるだろう、と説くものは十五人いました。
ちょうど、この会議の最中に、私があの六人のやじ馬を許してやったことが伝えられました。すると、皇帝も大臣も、私の行いに、すっかり感心してしまいました。 | わたしのためにこしらえたベッドに使われた数でより多いものを教えてください。 | わたしのためにこしらえたベッドに使われた数でより多いものは普通の大きさのベッドで六百です。 |
JCRRAG_014476 | 国語 | 鉢かつぎはその時、持たせて来たお三方を二台、おとうさんとおかあさんの前にささげました。
金の杯に金のたちばな、錦十反に絹五十疋、これはおとうさんへの贈り物でした。それから銀の長柄に銀のなし、綾織物の小そでが三十重ね、これはおかあさんへの贈り物でした。その二品だけでも三人のお嫁さんの贈り物にくらべて、けっしてひけをとるようなことはありませんでした。三人のお嫁さんたちをずいぶんうつくしいと思った人たちにも、鉢かつぎといっしょに並べては、そこには仏さまと人間ぐらいの違いがあると思われました。おとうさんもおかあさんも心からよろこんで、あらためて鉢かつぎと、嫁しゅうとのお杯をなさいました。
三人のお嫁さんたちは見す見すお嫁合わせに負けて、くやしくってたまらないものですから、どうにかして、鉢かつぎを困らせてやりたいと思いました。そこでお嫁さん同士みんなで楽器を合わせて遊ぼうといい出しました。そして鉢かつぎには、いちばんむずかしいやまと琴をひかせることにしました。いちばん上のお嫁さんは琵琶をひき、二ばんめのお嫁さんは笙を吹き、三ばんめのお嫁さんは鼓を打つのでした。鉢かつぎもはじめはことわりましたけれど、昔おかあさんが一生懸命教えておいて下さったのは、こういう時に恥をかかないためであったかと思い返して、琴を手に取りました。いうまでもなく、鉢かつぎのひく琴が、だれよりもいちばん気高く聞こえました。みんなはあっといって驚きました。
三人のお嫁さんは、音楽でも負けたものですから、こんどは硯と紙を出して、
「春の花と夏の花と秋の花を、一首の中に詠み込んでごらんなさい。」
といいました。鉢かつぎは、
「毎日おふろの火をたいてばかりおりました下司女に、どうして歌なんぞが詠めましょう。」
といってことわりましたけれど、みんなはどうしても聴きませんでした。そこで悪びれもしず、鉢かつぎは筆を持って、
「春は花、夏はたちばな、秋は菊、いづれに露はおかんとすらん」
と、うつくしい文字でさらさらと書いて出しました。みんなは「あッ」といって、それっきりだまり込んでしまいました。
おとうさんとおかあさんは、宰相と鉢かつぎのためにりっぱな御殿をこしらえ、たくさんの田地を分けてやって、豊かに暮らすことのできるようにしておやりになりました。 | 三人のお嫁さんが鉢かつぎに、一首の中に詠み込んでごらんといった題材の数を教えてください。 | 三人のお嫁さんが鉢かつぎに、一首の中に詠み込んでごらんといった題材の数は、
「春の花」
「夏の花」
「秋の花」
です。 |
JCRRAG_014477 | 国語 | 一本木の野原の北のはずれに、少し小高く盛りあがった所がありました。エノコログサがいっぱいに生え、そのまん中には一本の奇麗な女の樺の木がありました。
それはそんなに大きくはありませんでしたが幹はてかてか黒く光り、枝は美しく伸びて、五月には白い花を雲のようにつけ、秋は黄金や紅や色んな葉を降らせました。
ですから渡り鳥のカッコウや百舌も、また小さなミソサザイやメジロもみんなこの木に止まりました。ただもしも若い鷹などが来ているときは小さな鳥は遠くからそれを見つけて決して近くへ寄りませんでした。
樺の木には二人の友達がいました。一人は丁度、五百歩ばかり離れたぐちゃぐちゃの谷地の中に住んでいる土神で、一人はいつも野原の南の方からやって来る茶いろの狐だったのです。
樺の木はどちらかといえば狐の方がすきでした。なぜなら土神の方は神という名前こそついてはいましたがすごく乱暴で髪もぼろぼろの木綿糸の束のよう眼も赤く、着物だってまるでわかめのようになっており、いつもはだしで爪も黒く長いのでした。ところが狐の方はとても上品で、いつも仕立て下ろしたような綺麗な背広を着て、ピカピカの革の靴を履いていたのです。また滅多に人をおこらせたり気にさわるようなことをしなかったのです。
ただこの二人をじっくり比較して見たら土神の方は正直で狐は少し不正直だったかも知れません。 | 樺の木の友達である、狐と土神の恰好の違いを教えてください。 | 樺の木には二人の友達がいました。土神と狐です。
土神の方は神という名前こそついてはいましたが、髪もぼろぼろの木綿糸の束のようで、眼も赤く、着物だってまるでわかめのようになっており、いつもはだしで爪も黒く長いのでした。
一方、狐の方はとても上品で、いつも仕立て下ろしたような綺麗な背広を着て、ピカピカの革の靴を履いていました。 |
JCRRAG_014478 | 国語 | 王妃は、私から航海の話を聞いたり、また私が陰気にしていると、いつもしきりに慰めてくださるのでしたが、あるとき私に、帆やオールの使い方を知っているか、少し舟でも漕いでみたら、健康によくはあるまいか、とお尋ねになりました。
私は、普通の船員の仕事もしたことがあるので、帆でもオールでも使えます、とお答えしました。だが、この国の船では、どうしたものか、それはちょっとわかりませんでした。一番小さい舟でも、私たちの国の第一流の軍艦ほどもあるので、私に漕げるような船は、この国の川に浮かべられそうもありません。しかし王妃は、私がボートの設計をすれば、お抱えの指物師にそれを作らせ、私の乗りまわす場所もこさえてあげる、と言われました。
そこで、器用な指物師が、私の指示にしたがって、十日かけて、一艘の遊覧ボートを作り上げました。二本のオールに三本のマスト、船具も全部そろっていて、ヨーロッパ人なら、八人は乗れそうなボートでした。それが出来上がると、王妃は非常に喜び、そのボートを前掛に入れて、国王のところへかけつけました。国王は、まず試しに、私をそれに乗せて、水桶に水を一ぱい張って浮かせてみよ、と命じられました。しかし、そこの水桶は狭くて、うまく漕げませんでした。
ところが、王妃は、ちゃんと前から、別の水槽を考えていたのです。指物師に命じて、長さ三百フィート、幅五十フィート、深さ八フィートの、木の箱を作らせ、水の漏らないように、うまく目張りして、宮殿の部屋の壁際に置いてありました。水は、二人の召使が、半時間もかかればすぐ一ぱいにすることができます。そして、その箱の底には栓があって、水が古くなると抜けるようになっていました。
私はその箱の中を漕ぎまわって、自分の気晴らしをやり、王妃や女官たちを面白がらせました。彼女たちは、私の船員姿を大へん喜びます。それにときどき、帆を上げると、女官たちが扇で風を送ってくれます。私はただ舵をとっていればいいわけでした。彼女等があおぐのに疲れると、今度は侍童たちが口で帆を吹くのです。すると、私はおも舵を引いたり、とり舵を引いたりして、思うままに乗りまわすのでした。それがすむと、グラムダルクリッチは、いつも私のボートを自分の部屋に持って帰り、釘にかけて、かわかすのでした。
この水箱は、三日おきに水を替えることになっていましたが、あるとき、水を替える役目の召使が、うっかりしていて、二匹の雄カエルと一匹の雌カエルを手桶から一しょに流し込んでしまいました。はじめ、そのうちの一匹の蛙はじっと隠れていたのですが、私がボートに乗り込むと、うまい休み場所が出来たとばかりに、ボートの方に這い上って来ました。船はひどく一方へ傾くし、私はひっくりかえらないように、その反対側によって、うんと力を入れていなければなりません。 | 遊覧ボートのオールとマストを比較して、数が多いほうを教えてください。 | 遊覧ボートのオールとマストを比較して、数が多いのはマストで三本です。 |
JCRRAG_014479 | 国語 | 鉢かつぎはその時、持たせて来たお三方を二台、おとうさんとおかあさんの前にささげました。
金の杯に金のたちばな、錦十反に絹五十疋、これはおとうさんへの贈り物でした。それから銀の長柄に銀のなし、綾織物の小そでが三十重ね、これはおかあさんへの贈り物でした。その二品だけでも三人のお嫁さんの贈り物にくらべて、けっしてひけをとるようなことはありませんでした。三人のお嫁さんたちをずいぶんうつくしいと思った人たちにも、鉢かつぎといっしょに並べては、そこには仏さまと人間ぐらいの違いがあると思われました。おとうさんもおかあさんも心からよろこんで、あらためて鉢かつぎと、嫁しゅうとのお杯をなさいました。
三人のお嫁さんたちは見す見すお嫁合わせに負けて、くやしくってたまらないものですから、どうにかして、鉢かつぎを困らせてやりたいと思いました。そこでお嫁さん同士みんなで楽器を合わせて遊ぼうといい出しました。そして鉢かつぎには、いちばんむずかしいやまと琴をひかせることにしました。いちばん上のお嫁さんは琵琶をひき、二ばんめのお嫁さんは笙を吹き、三ばんめのお嫁さんは鼓を打つのでした。鉢かつぎもはじめはことわりましたけれど、昔おかあさんが一生懸命教えておいて下さったのは、こういう時に恥をかかないためであったかと思い返して、琴を手に取りました。いうまでもなく、鉢かつぎのひく琴が、だれよりもいちばん気高く聞こえました。みんなはあっといって驚きました。
三人のお嫁さんは、音楽でも負けたものですから、こんどは硯と紙を出して、
「春の花と夏の花と秋の花を、一首の中に詠み込んでごらんなさい。」
といいました。鉢かつぎは、
「毎日おふろの火をたいてばかりおりました下司女に、どうして歌なんぞが詠めましょう。」
といってことわりましたけれど、みんなはどうしても聴きませんでした。そこで悪びれもしず、鉢かつぎは筆を持って、
「春は花、夏はたちばな、秋は菊、いづれに露はおかんとすらん」
と、うつくしい文字でさらさらと書いて出しました。みんなは「あッ」といって、それっきりだまり込んでしまいました。
おとうさんとおかあさんは、宰相と鉢かつぎのためにりっぱな御殿をこしらえ、たくさんの田地を分けてやって、豊かに暮らすことのできるようにしておやりになりました。 | おとうさんとおかあさんが宰相と鉢かつぎのために渡した物の数を教えてください。 | おとうさんとおかあさんが宰相と鉢かつぎのために渡した物の数は2で、
「りっぱな御殿」
「たくさんの田地」
です。 |
JCRRAG_014480 | 国語 | つぎの朝はやく、まだ子どもたちが目をさまさないうちに、ばあさんはもう起きだしました。そして、ふたりが、まんまるの、赤いほっぺたをして、かわいらしく、すやすやとねむっているすがたを見ますと、
「こいつは、いいごちそうにならあね。」
と、つぶやきました。
それから、ばあさんはやせこけた手でヘンゼルをつかまえると、小さい小屋のなかにつれていって、格子戸をピシャンとしめてしまいました。ですから、ヘンゼルがいくらわめいても、なんにもなりませんでした。それから、ばあさんはグレーテルのところへいって、ゆりおこしました。そして、
「さっさとおきるんだ、なまけものめ。水をくんできて、おまえのにいさんに、なんかうまいものでもこしらえてやんな。あいつは、そとの小屋にいるがな、せいぜいふとらせてやるんだ。ふとったところで、このあたしがごちそうになるのさ。」
と、どなりつけました。
グレーテルは、わあっとはげしく泣きだしました。でも、いまとなっては、どうしようもありません。グレーテルは、わるい魔法使いのいうとおりのことをしなければなりませんでした。
こうして、かわいそうなヘンゼルは、焼きたてのパンや、鳥の肉やりんごなんかの一番上等のごちそうをもらいました。グレーテルのほうは、魔法使いの意地悪でザリガニのこうらをもらったきりでした。毎朝毎朝、ばあさんは小屋のところへいって、
「ヘンゼル、指をだしなさい。ぼちぼち、ふとってきたかどうか、さわってみるんじゃ。」
と、わめきました。
いわれて、ヘンゼルは、食べ残した骨を一本、ばあさんのほうへつきだしました。ところが、ばあさんは目がかすんでいましたので、骨とは気がつかずに、それをヘンゼルの指だとばかり思いこみました。そして、ヘンゼルはどうしてふとらないのかと、ふしぎでふしぎでなりませんでした。
それから、四週間たちましたが、ヘンゼルはあいかわらずちっともふとりません。それで、ばあさんもかんしゃくをおこして、もうこれ以上、がまんができなくなりました。
「やい、グレーテル。」
と、ばあさんは小さい妹にむかってどなりつけました。
「とんでって、水をくんできな。ヘンゼルのやつめ、やせていようと、ふとっていようと、あしたは、あいつをぶち殺して、煮てしまうんだ。」
ああ、かわいそうに、小さい妹は、水をくみにやらされたとき、どんなになげきかなしんだことでしょう。そして、ほおの上を、どんなにたくさんの涙がながれおちたことでしょう。
「ああ、神さま、どうかあたしたちをおたすけください。」
と、グレーテルは大声でさけびました。
「こんなことなら、いっそのこと、森のなかでけものに食べられるほうがよかったわ。だって、そんなら、おにいさんといっしょに死ねたんですもの。」
「うるさい。さわぐんじゃない。いくらわめいたって、なんにもなりゃしないんだぞ。」
と、ばあさんはいいました。
つぎの朝はやく、グレーテルはおもてへでて、水をいっぱいいれたおかまをつるし、火をたきつけさせられました。
「さきにパンを焼くんだ。」
と、ばあさんはいいました。
「かまどには、もう火がはいっているし、それに、パン粉もねってあるんだから。」
ばあさんは、かわいそうなグレーテルを、パン焼きかまどのほうへつきとばしました。かまどからは、もう、ほのおがめらめらともえでています。
「なかにはいりこんで、火がよくまわっているかどうか、見るんだ。よかったら、パンをいれるからな。」
と、魔法使いはいいました。
もしグレーテルがなかにはいったら、ばあさんはかまどのふたをしめてしまうつもりでした。そうすれば、グレーテルはなかで焼き殺されてしまいます。そこで、ばあさんはグレーテルをも、ぺろりと食べてしまう腹だったのです。
「どうやってなかにはいるんですか。」
と、グレーテルはいいました。
「ばかやろう。かまどの口は、こんなに大きいじゃないか。ほれみろ、このわしだってはいれるくらいだ。」
ばあさんは、こういいながら、よちよち歩いていって、かまどのなかに頭をつっこみました。このときとばかり、グレーテルは、どんとばあさんをつきとばしましたから、ばあさんはかまどのずっとおくのほうへとびこんでしまいました。グレーテルはすばやく、鉄の戸をバタンと閉めて、掛け金をかけました。ううっ、と、ばあさんはほえだしました。それはそれはものすごいうなり声でした。けれども、グレーテルはどんどんかけていきました。こうして、ばちあたりの魔法使いは、むごたらしく焼け死んでしまったのです。
グレーテルはすぐにヘンゼルのところへとんでいって、小屋の戸をあけるなり、
「にいちゃん、あたしたち、たすかったわ。魔法使いのおばあさんは、死んじゃったのよ。」
と、さけびました。
戸があいたとたんに、ヘンゼルは、鳥がかごからとびだすように、ぱっととびだしてきました。その時、ふたりは、どんなにうれしかったことでしょう。お互いに首にだきついて、そこらじゅうをかけまわっては、キッスをしあいました。
いまはもう、こわいものはなんにもありません。ふたりは、魔法使いのうちのなかにずんずんはいっていきました。うちのなかには、真珠や宝石のいっぱいつまった箱が、あっちのすみにも、こっちのすみにも、ごろごろしていました。
「これは、小石なんかよりずっといいや。」
と、ヘンゼルはいいながら、ポケットというポケットに、つまるだけつめこみました。すると、グレーテルも、
「あたしもすこし、おみやげにもっていこうっと。」
と、いって、まえかけにいっぱいいれました。
「だけど、もういこうよ。」
と、ヘンゼルはいいました。
「ぼくたち、はやく魔法使いの森からでるんだ。」 | 魔法使いがヘンゼルとグレーテルに与えた食べ物の違いを教えてください。 | 魔法使いはヘンゼルをふとらせてたべるために、焼きたてのパンや、鳥の肉やりんごなんかの一番上等のごちそうをヘンゼルにあたえました。
一方、グレーテルは、魔法使いの意地悪でザリガニのこうらをもらっただけでした。 |
JCRRAG_014481 | 国語 | 彼は、胡瓜から日光を引き出す計画を、やっているのだそうです。なんでも、もう八年間このことばかり考えているのだそうです。それは、つまり、この胡瓜から引き出した日光を缶詰にしておいて、夏のじめじめする日に、空気を温めるために使おうというのです。
「もうあと八年もすれば、これはきっと、うまくできるでしょう。」
と彼は私に言いました。
「しかし困るのは、胡瓜の値段が今非常に高いことです。どうか、ひとつこの発明を助けるために、いくらか寄附していただけないでしょうか。」
と彼は手を差し出しました。私は金貨を二枚と銀貨を三枚渡しました。
次の部屋に入ると、悪臭がむんと鼻につきました。びっくりして私は跳び出したのですが、案内者が引きとめて、小声でこう言いました。
「どうか先方の気を損ねるようなことをしないでください。ひどく腹を立てますから。」
それで、私は鼻をつまむわけにもゆかず困ってしまいました。この部屋の発明家は、顔も鬚も黄色になり、手や着物は汚れた色がついています。彼の研究というのは、人間の排泄したものを、もう一度もとの食物になおすことでした。
五キロの排泄物があればそこから三キロの食べ物と二キロの飲み物ができるとも言っていました。 | 人間の排泄したものを、もう一度もとの食物になおす発明家の研究において、五キロの排泄物のうち、食べ物と飲み物を比較してなおせる量が少ないほうを教えてください。 | 人間の排泄したものを、もう一度もとの食物になおす発明家の研究において、五キロの排泄物のうち、食べ物と飲み物を比較してなおせる量が少ないのは飲み物で二キロです。 |
JCRRAG_014482 | 国語 | それから幾年かたちました。宰相と鉢かつぎとの間には、幾人もかわいらしい子供が生まれました。
でも鉢かつぎは、時々別れたおとうさんのことを思い出して、このかわいらしい孫たちを、どうにかして、おとうさんに見せてあげたいと思っていました。
ある時宰相は、天子さまの御用を勤めて手柄を立てたので、ごほうびに大和、河内、伊賀の国をいただきました。そのお礼まいりに、平生信心する長谷の観音さまへ、うち中残らず引き連れて、にぎやかに御参詣をなさいました。
その時お堂の隅に、ぼろぼろの衣を着たきたならしい坊さんが座って、何か仏さまにお祈りをしていました。それを家来たちがじゃまにしてどけようとして、がやがや騒ぎました。その声を聞いて鉢かつぎが、ふとそちらを見ますと、それは見るかげもなくやつれてはいるものの、まぎれもない昔のおとうさんでした。
鉢かつぎはびっくりして、ころがるようにしてそばへ寄って、
「まあ、おとうさま、鉢かつぎでございます。」
といいますと、その坊さんは長い夢からふと覚めたような、きょとんとした目つきをしていましたが、やがて、
「ああ、姫か。よく忘れずにいてくれた。」
というなり、しっかりと姫の手を握りしめて、涙をはらはらとこぼしました。
おとうさんは鉢かつぎを追い出した後、だんだん運が悪くなって、貧乏になりました。たくさんいた家来たちも、奥方が意地の悪いことをするので、逃げていってしまいました。おとうさんは日ましに鉢かつぎが恋しくなって、どうにかして、もう一度会いたいと思って、坊さんの姿になり、方々その行方をたずねて、迷い歩きました。さんざん諸国をめぐり歩いた末、とうとうおしまいに、長谷の観音さまは、亡くなったおかあさんの信心した仏さまだから、また願ったら、きっと娘に会わせて下さるだろうと思って、ここまでやって来たのでした。そして観音さまのお陰で、親子がもう一度会うことができたのです。
おとうさんはそれから、鉢かつぎの所へ引き取られて、大ぜいの孫たちを相手に、楽しく暮らすようになりました。 | 宰相が天子さまの御用を勤めて手柄の褒美にもらった国の数を教えてください。 | 宰相が天子さまの御用を勤めて手柄の褒美にもらった国の数は3で、
「大和」
「河内」
「伊賀」
です。 |
JCRRAG_014483 | 国語 | 火事のあった次の日からは、いつものとおりの気持になった。そればかりではない、かえって普段よりおもしろいくらいだった。毎日三人で焼けあとに出かけていって、人足の人なんかに、じゃまだ、あぶないといわれながら、いろいろのものを拾い出して、お互いで見せあったり、取りかえっこしたりした。
火事がすんでから三日目に、朝目を覚ますとおばあさまがあわてるようにポチはどうしたろうとおかあさんに尋ねた。おばあさまはポチがひどい目にあった夢を見たのだそうだ。あの犬がほえてくれたばかりで、火事が起こったのを知ったので、もしポチが知らしてくれなければ焼け死んでいたかもしれないとおばあさまはいった。
そういえばほんとうにポチはいなくなってしまった。朝起きた時にも、焼けあとに遊びに行ってる時にも、なんだか一つ足らないものがあるようだったが、それはポチがいなかったんだ。ぼくがおこしに行く前に、ポチは離れに来て雨戸をがりがり引っかきながら、悲しそうにほえたので、おとうさんもおかあさんも目を覚ましていたのだとおかあさんもいった。そんな忠義なポチがいなくなったのを、ぼくたちはみんな忘れてしまっていたのだ。ポチのことを思い出したら、ぼくは急に寂しくなった。ポチは、妹と弟とをのければ、ぼくの一番好きな友だちなんだ。居留地に住んでいるおとうさんの友だちの西洋人がくれた犬で、耳の長い、尾のふさふさした大きな犬。長い舌したを出してぺろぺろとぼくや妹の頸の所をなめて、くすぐったがらせる犬、けんかならどの犬にだって負けない犬、めったにほえない犬、ほえると人でも馬でもこわがらせる犬、ぼくたちを見るときっと笑いながら駆かけつけて来て飛びつく犬、芸当はなんにもできないくせに、なんだかかわいい犬、芸当をさせようとすると、はずかしそうに横を向いてしまって、大きな目を細くする犬。どうしてぼくはあの大事な友だちがいなくなったのを、今日まで思い出さずにいたろうと思った。焼けあとで働いている人足が来て、ポチが見つかったと知らせてくれた。ぼくたちもだったけれども、おばあさまやおかあさんまで、大さわぎをして「どこにいました」とたずねた。
「ひどい怪我をして物置きのかげにいました」
と人足の人はいって、すぐぼくたちを連れていってくれた。ぼくはにぎり飯をほうり出して、手についてる御飯つぶを着物ではらい落としながら、大急ぎでその人のあとから駆け出した。妹や弟も負けず劣らずついて来た。
半焼けになった物置きが平べったくたおれている、その後ろに三、四人の人足がかがんでいた。ぼくたちをむかえに来てくれた人足はその仲間の所にいって、「おい、ちょっとそこをどきな」といったらみんな立ち上がった。そこにポチがまるまって寝ねていた。
ぼくたちは夢中になって「ポチ」とよびながら、ポチのところに行った。ポチは身動きもしなかった。ぼくたちはポチを一目見ておどろいてしまった。体中を火傷したとみえて、ふさふさしている毛がところどころ狐色にこげて、どろがいっぱいこびりついていた。そして頭や足には血が真黒になってこびりついていた。ポチだかどこの犬だかわからないほどきたなくなっていた。駆けこんでいったぼくは思わずあとずさりした。ポチはぼくたちの来たのを知ると、すこし頭を上げて血走った目で悲しそうにぼくたちの方を見た。そして前足を動かして立とうとしたが、どうしても立てないで、そのままねころんでしまった。
「かわいそうに、落ちて来た材木で腰っ骨でもやられたんだろう」
「なにしろ一晩中きゃんきゃんいって火のまわりを飛び歩いていたから、疲れもしたろうよ」
「見ろ、あすこからあんなに血が流れてらあ」
人足たちが口々にそんなことをいった。ほんとうに血が出ていた。左の後足のつけ根の所から血が流れて、それが地面までこぼれていた。
「いたわってやんねえ」
「おれゃいやだ」
そんなことをいって、人足たちも看病してやる人はいなかった。ぼくはなんだか気味が悪かった。けれどもあんまりかわいそうなので、こわごわ遠くから頭をなでてやったら、鼻の先をふるわしながら、目をつぶって頭をもち上げた。それを見たらぼくはきたないのも気味の悪いのもわすれてしまって、いきなりそのそばに行って頭をかかえるようにしてかわいがってやった。なぜこんなかわいい友だちを一度でもぶったろうと思って、もうポチがどんなことをしてもぶつなんて、そんなことはしまいと思った。ポチはおとなしく目をつぶったままでぼくの方に頭を寄せかけて来た。からだじゅうがぶるぶるふるえているのがわかった。
妹や弟もポチのまわりに集まって来た。そのうちにおとうさんもおかあさんも来た。ぼくはおとうさんに手伝って、バケツで水を運んで来て、きれいな白いきれで静かにどろや血をあらい落としてやった。いたい所をあらってやる時には、ポチはそこに鼻先を持って来て、あらう手をおしのけようとした。
「よしよし静かにしていろ。今きれいにしてきずをなおしてやるからな」
おとうさんが人間に物をいうようにやさしい声でこういったりした。おかあさんは人に知れないように泣いていた。 | 火事の前と後のポチの状態を説明してください。 | 火事の前は、耳の長い尾のふさふさした大きな犬だ。
火事の後は、体中を火傷して、ふさふさしている毛がところどころ狐色にこげて、どろがいっぱいこびりついて汚くなっていた。 |
JCRRAG_014484 | 国語 | 夜になると、見物人も帰るので、ようやく私は家の中にもぐりこみ、地べたで寝るのでした。二週間ばかりは、毎晩地べたで寝たものです。が、そのうちに皇帝が、私のためにベッドをこしらえてやれ、と言われました。普通の大きさのベッドが六百、車に積んで運ばれ、私の家の中で、それを組み立てました。
それでも私の体が入りきらなかったのでダブルのベッドを五百、私の家の中に入れて組み立てました。
私の噂は国中にひろまってしまいました。お金持で、暇のある、物好きな連中が、毎日、雲のように押しかけて来ます。
ある日は百人、またある日は三百人、ひどい時には五百人と来るようになりました。
そのために、村々はほとんど空っぽになり、畑の仕事も家の仕事も、すっかりお留守になりそうでした。それで、皇帝から命令が出ました。見物がすんだ人はさっさと帰れ、無断で私の家の三十ヤード以内に近よってはいけない、と、こんなことが決められました。
それでも近寄ろうとするので五十ヤード以内に近よってはいけないことになりました。
ところで、皇帝は何度も会議を開いて、一体、これはどうしたらいいのかと、相談されたそうです。聞くところによると、朝廷でも、私の取り扱いには、だいぶ困っていたようです。あんな男を自由の身にしてやるのも心配でしたが、なにしろ、私の食事がとても大へんなものでしたから、これでは国中が飢饉になるかもしれない、というのです。
いっそのこと、何も食べさせないで、餓死させるか、それとも、毒矢で殺してしまう方がよかろう、と言うものが十人ほどいました。
だが、あの男に死なれると、山のような死体から発する臭いがたまらない、その悪い臭は、国中に伝染病をひろげることになるだろう、と説くものは十五人いました。
ちょうど、この会議の最中に、私があの六人のやじ馬を許してやったことが伝えられました。すると、皇帝も大臣も、私の行いに、すっかり感心してしまいました。 | 私の家に近寄ってはいけないヤード数でより多かったものを教えてください。 | 私の家に近寄ってはいけないヤード数でより多かったものは五十ヤードです。 |
JCRRAG_014485 | 国語 | むかし源氏と平家が戦争をして、お互いに勝ったり負けたりしていた時のことでした。源氏の大将義朝には、悪源太義平や頼朝の他に今若、乙若、牛若、という子供がいました。ちょうどいちばん小さい牛若が生まれたばかりのとき、源氏の旗色が悪くなりました。義朝は負けて、方々逃げかくれているうちに、家来の長田忠致というものに殺されました。
平家の大将清盛は、源氏にかたきを取られることにこわがって、義朝の子供を見つけしだい殺そうとしました。
義朝の奥方の常盤御前は、子供を連れて、大和の国の片田舎にかくれていました。
清盛はいくら常磐を探しても見つからないものですから困って、常磐のおかあさんの関屋というおばあさんをつかまえて、
「常磐のいるところをいえ。いわないと殺してしまうぞ。」
と毎日ひどくせめました。
常磐はこのことを聞いて、
「おかあさまを殺してはすまない。わたしが名のって出ても、子供たちはまだ小さいから、たのんだら殺さずにおいてもらえるかもしれない。」
と思って、京都へ出かけました。
ちょうど冬のことで、雪がたいそう降っていました。常磐は牛若を懐に入れて、乙若の手をひいて、雪の中を歩いて行きました。今若はそのあとからついて行きました。
さんざん難儀をして、清盛のいる京都の六波羅のやしきに着くと、常磐は、
「おたずねになっている常磐でございます。子供をつれて出ました。わたくしは殺されてもようございますから、母の命をお助け下さい。子供たちもこの通り小さなものばかりでございますから、命だけはどうぞお助け下さいまし。」
と申しました。
親子のいたいたしい様子を見みると、さすがの清盛も気の毒に思って、その願いを聞き入れてやりました。
それで今若と乙若は命だけは助かって、お寺へやられました。牛若はまだお乳を飲んでいるので、おかあさんのそばにいることを許しましたが、これも七才になると鞍馬山のお寺へやられました。
そのうち牛若はだんだん物がわかってきました。おとうさんが平家のために滅ぼされたことを人から聞いて、くやしがって泣きました。
「毎日お経なんかよんで、坊さんになっても仕方がない。おれは剣術をけいこして、大将になるのだ。そして平家をほろぼして、おとうさまのかたきを討つのだ。」
こう牛若は思って、急に剣術がならいたくなりました。
鞍馬山のおくに僧正ガ谷という谷があります。松や杉が茂っていて、昼も日の光がささないようなところでした。牛若は一人で剣術をやってみようと思って、毎晩人が寝しずまってから、お寺をぬけ出して僧正ガ谷へ行きました。そしてそこにたくさん並んでいる杉の木を平家の一門に見立てて、その中で一ばん大きな木に清盛という名をつけて、小さな木太刀でぽんぽん打ちました。
それはある晩のことでした。牛若がいつものように僧正ガ谷へ出かけて剣術のおけいこをしていますと、どこからか鼻のばかに高い、見上げるような大男が、手に羽うちわをもって、ぬっと出て来ました。そしてだまって牛若のすることを見ていました。牛若は不思議に思って、
「お前はだれだ。」
といいますと、その男は笑って、
「おれはこの僧正ガ谷に住むてんぐだ。お前の剣術はまずくって見ていられない。今夜からおれが教えてやろう。」
といいました。
「それはありがとう。じゃあ、おしえて下さい。」
と、牛若は木太刀を振って打ってかかりました。てんぐはかるく羽うちわであしらいました。
この時からてんぐは毎晩牛若に剣術をおしえてくれました。牛若はどんどん剣術がうまくなりました。
するうち、牛若が毎晩おそく僧正ガ谷へ行って、あやしい者から剣術をおそわっているということを和尚さんに告げ口したものがありました。和尚さんはびっくりして、さっそく牛若をよんで、髪を剃そって坊さんにしようとしました。牛若は、
「いやです。」
といいながら、いきなり小太刀に手をかけて、こわい顔をして和尚さんをにらみました。
その勢いにおそれて、髪を剃ることは止めました。
牛若はこうしているとまた、
「坊さんになれ。」
といわれるにちがいないと思って、ある日そっと鞍馬山を下りて京都へ出ました。
牛若はもう十四、五になっていました。 | 源氏の大将義朝の子供の数を教えてください。 | 源氏の大将義朝の子供の数は5で、
「悪源太義平」
「頼朝」、
「今若」、
「乙若」、
「牛若」
です。 |
JCRRAG_014486 | 国語 | 僕は小さい時に絵を描くことが好きでした。僕の通っていた学校は横浜の山の手という所にありましたが、そのあたりは西洋人ばかり住んでいる町で、僕の学校も教師は西洋人ばかりでした。そしてその学校の行き帰りにはいつもホテルや西洋人の会社などが並んでいる海岸の通りを通るのでした。通りの海添いに立って見ると、真青な海の上に軍艦だの商船だのがいっぱい並んでいて、煙突から煙の出ているのや、檣から檣へ万国旗をかけわたしたのがあって、眼がいたいように綺麗でした。僕はよく岸に立ってその景色を見渡して、家に帰ると、覚えているだけを出来るだけ美しく絵に描いて見ようとしました。けれどもあの透き通るような海の藍色と、白い帆前船などの水際近くに塗ってある洋紅色とは、僕の持っている絵具ではどうしてもうまく出せませんでした。いくら描いても描いても本当の景色で見るような色には描けませんでした。
ふと僕は学校の友達の持っている西洋絵具を思い出しました。その友達はやはり西洋人で、しかも僕より二つ位年齢が上でしたから、身長は見上げるように大きい子でした。ジムというその子の持っている絵具は舶来の上等のもので、軽い木の箱の中に、十二種の絵具が小さな墨のように四角な形にかためられて、二列にならんでいました。どの色も美しかったが、とりわけて藍と洋紅とは喫驚するほど美しいものでした。ジムは僕より身長が高いくせに、絵はずっと下手でした。それでもその絵具をぬると、下手な絵さえがなんだか見ちがえるように美しく見えるのです。僕はいつでもそれを羨しいと思っていました。あんな絵具さえあれば僕だって海の景色を本当に海に見えるように描いて見せるのになあと、自分の悪い絵具を恨みながら考えました。そうしたら、その日からジムの絵具がほしくってほしくってたまらなくなりました。けれども僕はなんだか臆病になってパパにもママにも買って下さいと願う気になれないので、毎日々々その絵具のことを心の中で思いつづけるばかりで幾日か日がたちました。
今ではいつの頃だったか覚えてはいませんが秋だったのでしょう。葡萄の実が熟していたのですから。天気は冬が来る前の秋によくあるように空の奥の奥まで見すかされそうに晴れわたった日でした。僕達は先生と一緒に弁当をたべましたが、その楽しみな弁当の最中でも僕の心はなんだか落着かないで、その日の空とはうらはらに暗かったのです。僕は自分一人で考えこんでいました。誰かが気がついて見たら、顔も屹度青かったかも知れません。僕はジムの絵具がほしくってほしくってたまらなくなってしまったのです。胸が痛むほどほしくなってしまったのです。ジムは僕の胸の中で考えていることを知っているにちがいないと思って、そっとその顔を見ると、ジムはなんにも知らないように、面白そうに笑ったりして、わきに座っている生徒と話をしているのです。でもその笑っているのが僕のことを知っていて笑っているようにも思えるし、何か話をしているのが、「いまに見ろ、あの日本人が僕の絵具を取るにちがいないから。」といっているようにも思えるのです。僕はいやな気持ちになりました。けれどもジムが僕を疑っているように見えれば見えるほど、僕はその絵具がほしくてならなくなるのです。 | 僕の絵具とジムの絵具の違いを説明してください。 | 僕の絵具は透き通るような海の藍色と、白い帆前船などの水際近くに塗ってある洋紅色とは、僕の持っている絵具ではどうしてもうまく出せず、いくら描いても描いても本当の景色で見るような色には描けなかった。
ジムの絵具は舶来の上等のもので、軽い木の箱の中に、十二種の絵具が小さな墨のように四角な形にかためられて、二列にならんでいて藍と洋紅とは喫驚するほど美しかった。 |
JCRRAG_014487 | 国語 | 王妃は、私から航海の話を聞いたり、また私が陰気にしていると、いつもしきりに慰めてくださるのでしたが、あるとき私に、帆やオールの使い方を知っているか、少し舟でも漕いでみたら、健康によくはあるまいか、とお尋ねになりました。
私は、普通の船員の仕事もしたことがあるので、帆でもオールでも使えます、とお答えしました。だが、この国の船では、どうしたものか、それはちょっとわかりませんでした。一番小さい舟でも、私たちの国の第一流の軍艦ほどもあるので、私に漕げるような船は、この国の川に浮かべられそうもありません。しかし王妃は、私がボートの設計をすれば、お抱えの指物師にそれを作らせ、私の乗りまわす場所もこさえてあげる、と言われました。
そこで、器用な指物師が、私の指示にしたがって、十日かけて、一艘の遊覧ボートを作り上げました。二本のオールに三本のマスト、船具も全部そろっていて、ヨーロッパ人なら、八人は乗れそうなボートでした。それが出来上がると、王妃は非常に喜び、そのボートを前掛に入れて、国王のところへかけつけました。国王は、まず試しに、私をそれに乗せて、水桶に水を一ぱい張って浮かせてみよ、と命じられました。しかし、そこの水桶は狭くて、うまく漕げませんでした。
ところが、王妃は、ちゃんと前から、別の水槽を考えていたのです。指物師に命じて、長さ三百フィート、幅五十フィート、深さ八フィートの、木の箱を作らせ、水の漏らないように、うまく目張りして、宮殿の部屋の壁際に置いてありました。水は、二人の召使が、半時間もかかればすぐ一ぱいにすることができます。そして、その箱の底には栓があって、水が古くなると抜けるようになっていました。
私はその箱の中を漕ぎまわって、自分の気晴らしをやり、王妃や女官たちを面白がらせました。彼女たちは、私の船員姿を大へん喜びます。それにときどき、帆を上げると、女官たちが扇で風を送ってくれます。私はただ舵をとっていればいいわけでした。彼女等があおぐのに疲れると、今度は侍童たちが口で帆を吹くのです。すると、私はおも舵を引いたり、とり舵を引いたりして、思うままに乗りまわすのでした。それがすむと、グラムダルクリッチは、いつも私のボートを自分の部屋に持って帰り、釘にかけて、かわかすのでした。
この水箱は、三日おきに水を替えることになっていましたが、あるとき、水を替える役目の召使が、うっかりしていて、二匹の雄カエルと一匹の雌カエルを手桶から一しょに流し込んでしまいました。はじめ、そのうちの一匹の蛙はじっと隠れていたのですが、私がボートに乗り込むと、うまい休み場所が出来たとばかりに、ボートの方に這い上って来ました。船はひどく一方へ傾くし、私はひっくりかえらないように、その反対側によって、うんと力を入れていなければなりません。 | 遊覧ボートのオールとマストを比較して、数が少ないほうを教えてください。 | 遊覧ボートのオールとマストを比較して、数が少ないほうはオールで二本です。 |
JCRRAG_014488 | 国語 | むかし源氏と平家が戦争をして、お互いに勝ったり負けたりしていた時のことでした。源氏の大将義朝には、悪源太義平や頼朝の他に今若、乙若、牛若、という子供がいました。ちょうどいちばん小さい牛若が生まれたばかりのとき、源氏の旗色が悪くなりました。義朝は負けて、方々逃げかくれているうちに、家来の長田忠致というものに殺されました。
平家の大将清盛は、源氏にかたきを取られることにこわがって、義朝の子供を見つけしだい殺そうとしました。
義朝の奥方の常盤御前は、子供を連れて、大和の国の片田舎にかくれていました。
清盛はいくら常磐を探しても見つからないものですから困って、常磐のおかあさんの関屋というおばあさんをつかまえて、
「常磐のいるところをいえ。いわないと殺してしまうぞ。」
と毎日ひどくせめました。
常磐はこのことを聞いて、
「おかあさまを殺してはすまない。わたしが名のって出ても、子供たちはまだ小さいから、たのんだら殺さずにおいてもらえるかもしれない。」
と思って、京都へ出かけました。
ちょうど冬のことで、雪がたいそう降っていました。常磐は牛若を懐に入れて、乙若の手をひいて、雪の中を歩いて行きました。今若はそのあとからついて行きました。
さんざん難儀をして、清盛のいる京都の六波羅のやしきに着くと、常磐は、
「おたずねになっている常磐でございます。子供をつれて出ました。わたくしは殺されてもようございますから、母の命をお助け下さい。子供たちもこの通り小さなものばかりでございますから、命だけはどうぞお助け下さいまし。」
と申しました。
親子のいたいたしい様子を見みると、さすがの清盛も気の毒に思って、その願いを聞き入れてやりました。
それで今若と乙若は命だけは助かって、お寺へやられました。牛若はまだお乳を飲んでいるので、おかあさんのそばにいることを許しましたが、これも七才になると鞍馬山のお寺へやられました。
そのうち牛若はだんだん物がわかってきました。おとうさんが平家のために滅ぼされたことを人から聞いて、くやしがって泣きました。
「毎日お経なんかよんで、坊さんになっても仕方がない。おれは剣術をけいこして、大将になるのだ。そして平家をほろぼして、おとうさまのかたきを討つのだ。」
こう牛若は思って、急に剣術がならいたくなりました。
鞍馬山のおくに僧正ガ谷という谷があります。松や杉が茂っていて、昼も日の光がささないようなところでした。牛若は一人で剣術をやってみようと思って、毎晩人が寝しずまってから、お寺をぬけ出して僧正ガ谷へ行きました。そしてそこにたくさん並んでいる杉の木を平家の一門に見立てて、その中で一ばん大きな木に清盛という名をつけて、小さな木太刀でぽんぽん打ちました。
それはある晩のことでした。牛若がいつものように僧正ガ谷へ出かけて剣術のおけいこをしていますと、どこからか鼻のばかに高い、見上げるような大男が、手に羽うちわをもって、ぬっと出て来ました。そしてだまって牛若のすることを見ていました。牛若は不思議に思って、
「お前はだれだ。」
といいますと、その男は笑って、
「おれはこの僧正ガ谷に住むてんぐだ。お前の剣術はまずくって見ていられない。今夜からおれが教えてやろう。」
といいました。
「それはありがとう。じゃあ、おしえて下さい。」
と、牛若は木太刀を振って打ってかかりました。てんぐはかるく羽うちわであしらいました。
この時からてんぐは毎晩牛若に剣術をおしえてくれました。牛若はどんどん剣術がうまくなりました。
するうち、牛若が毎晩おそく僧正ガ谷へ行って、あやしい者から剣術をおそわっているということを和尚さんに告げ口したものがありました。和尚さんはびっくりして、さっそく牛若をよんで、髪を剃そって坊さんにしようとしました。牛若は、
「いやです。」
といいながら、いきなり小太刀に手をかけて、こわい顔をして和尚さんをにらみました。
その勢いにおそれて、髪を剃ることは止めました。
牛若はこうしているとまた、
「坊さんになれ。」
といわれるにちがいないと思って、ある日そっと鞍馬山を下りて京都へ出ました。
牛若はもう十四、五になっていました。 | 常磐の願いを聞き入れた清盛によって、お寺へやられたのは何人か。 | 常磐の願いを聞き入れた清盛によって、お寺へやられたのは2人で、
「今若」
「乙若」
です。 |
JCRRAG_014489 | 国語 | 子供たちが集まって劇をするということは、楽しい遊びであると同時に、おたがいの勉強であるということを忘れないようにしたい。
楽しい遊びであるからには、思う存分、自分が面白いと思うように、そして、人も面白がるようにやるのがいい。自分だけが面白く、人にはそれほど面白くないというようなやり方、あるいは、人を面白がらせようとばかり焦って、自分はそのために固くなったり、したくないことをしたりするのは、大変間違ったやりかたである。
劇というものは、見せる方と、見る方と互いに力をあわせ、気持ちを揃えて、そこにできあがる美しい全体の空気を楽しむものなのである。
見せる方だけが一生懸命になり、見る方はそれをただ、上手だとか、下手だとかいって、見ているのは、本当に、子供たちの楽しい劇とはいえない。それは、いろんなよくない結果を生むはじまりである。
劇がお互いの勉強になるという意味は、劇にしくまれた「物語」の内容が、なにかしら新しいことを教えるばかりではない。第一に、劇というものは「話し言葉」のもっとも生き生きとした使い方、人間の表情のもっとも正しいあらわし方によって、ひとつの面白い場面が作りあげられるのだから、劇を本当に面白いものにするためには、どうしてもみんなが、「話し言葉」の美しさと、表情の気高さとを身につけ、それを正しく読みとる訓練をしなければならない。
美しい「話し言葉」や表情は、役者や俳優を職業とする人たちに限らず、すべての人間に必要なことであって、それはちょうど、自然の美しい風景を眺めたときと同じように人の心をひ惹きつけ、印象づけて、心地よい感じをつくる。
昔から、「話をしてみるとどんな人間かわかる」といわれているように、「話し言葉」や表情によって、その話そうとする事柄以外に、その人の年齢、男と女の区別、性格、教養の高い低い、職業、またはどこの国かとか、なんの時代かまではっきりと表れるものである。
これだけでも「話し言葉」がどんなに大切かよくわかると思うが、「話し言葉」の美しさをいつも心がけているということは、つまり国語を大切にするということであり、劇をすることによって、劇を見せる方も見る方もこの訓練が自然にできるはずだから、君たちの熱意は、やがて、最近のみだれた国語の品位や魅力のかいふくに大きな役割をはたすことになるのである。
それと、もうひとつ。劇がお互いの勉強になるわけは、はじめにいった通り見せる方と見る方とが、力をあわせ、気持ちを揃えることが大事なので、そのためには、劇を舞台にかける前から、なるべく、いろいろなめんどうな仕事を、みんなで分担を決めて手伝うようにしなければならない。ここから、劇という仕事のはじめから終りまでを、仲間同志が仲間同士らしく責任をもち、同じ目的に向かって協力する精神と、複雑な仕事をもっとも順序よく、無駄を少なく、完全に仕上げる技術とを養う機会が得られるのである。これは、それぞれの立場からいえば、やがて社会に立って一人前の働きをするうえに、非常な強みとなり、全体の立場からいうと、そういう訓練のできた人々の集りからは、もっとも進歩した社会が生れるわけなのである。 | 劇をすることが楽しい遊びであることとお互いの勉強であることの違いを説明してください。 | 楽しい遊びとは、思う存分、自分が面白いと思い、人も面白がるようにやることでありのがよく、自分だけが面白く、人にはそれほど面白くないというようなやり方は大変間違ったやりかたである。見せる方と、見る方と互いに力をあわせ、気持ちを揃えて、そこにできあがる美しい全体の空気を楽しむものである。
お互いの勉強であるとは、劇を本当に面白いものにするためには、「話し言葉」の美しさとそれを正しく読みとる訓練をすることである。また、劇を舞台にかける前から、めんどうな仕事を、みんなで分担を決めて劇という仕事のはじめから終りまでを、仲間同士が仲間同士らしく責任をもち、同じ目的に向かって協力する精神と、複雑な仕事をもっとも順序よく、無駄を少なく、完全に仕上げる技術とを養うことである。 |
JCRRAG_014490 | 国語 | それから、非常に器用な建築家もいました。彼が思いついた新しい考えによると、家を建てるには、一番はじめに、屋根を作り、そして、だんだん下の方を作ってゆくのがいいというのです。その証拠に、蜂や蟻などもこれと同じやり方でやっているのではないか、と彼は言っていました。
ある部屋では、生まれながらの盲人が、盲人の弟子を使っていました。彼らの仕事は、画家のために、絵具を混ぜることでした。この先生は、指と鼻で、絵具の色が見分けられるというのです。しかし、私が訪ねたときは、先生はほとんど間違ってばかりいました。
また別の部屋には、鋤や家畜の代わりに、豚を使って、土地を耕すことを発見したという男がいました。
それはこうするのです。まず、一エーカーの土地に、六インチおきに、八インチの深さに、百個のどんぐり、二百個のなつめ、八十個のやし、五十個の栗、そのほか、豚の好きそうなものをたくさん埋めておきます。それから、四百頭の雄豚、二百頭の雌豚、合計六百頭の豚を土地に放すのです。すると、三日もすれば、豚どもは食物を探して、隅から隅まで掘り返すし、それに、豚の糞が肥料になるので、あとはもう種を蒔けばいいだけです。もっとも、これは、お金と人手がかかるばかりで、作物はほとんど、取れなかったということです。 | 土地に放す六百頭の豚のうち、数が多いほうの性別を教えてください。 | 土地に放す六百頭の豚のうち、数が多いほうの性別は雄豚で四百頭です。 |
JCRRAG_014491 | 国語 | むかし源氏と平家が戦争をして、お互いに勝ったり負けたりしていた時のことでした。源氏の大将義朝には、悪源太義平や頼朝の他に今若、乙若、牛若、という子供がいました。ちょうどいちばん小さい牛若が生まれたばかりのとき、源氏の旗色が悪くなりました。義朝は負けて、方々逃げかくれているうちに、家来の長田忠致というものに殺されました。
平家の大将清盛は、源氏にかたきを取られることにこわがって、義朝の子供を見つけしだい殺そうとしました。
義朝の奥方の常盤御前は、子供を連れて、大和の国の片田舎にかくれていました。
清盛はいくら常磐を探しても見つからないものですから困って、常磐のおかあさんの関屋というおばあさんをつかまえて、
「常磐のいるところをいえ。いわないと殺してしまうぞ。」
と毎日ひどくせめました。
常磐はこのことを聞いて、
「おかあさまを殺してはすまない。わたしが名のって出ても、子供たちはまだ小さいから、たのんだら殺さずにおいてもらえるかもしれない。」
と思って、京都へ出かけました。
ちょうど冬のことで、雪がたいそう降っていました。常磐は牛若を懐に入れて、乙若の手をひいて、雪の中を歩いて行きました。今若はそのあとからついて行きました。
さんざん難儀をして、清盛のいる京都の六波羅のやしきに着くと、常磐は、
「おたずねになっている常磐でございます。子供をつれて出ました。わたくしは殺されてもようございますから、母の命をお助け下さい。子供たちもこの通り小さなものばかりでございますから、命だけはどうぞお助け下さいまし。」
と申しました。
親子のいたいたしい様子を見みると、さすがの清盛も気の毒に思って、その願いを聞き入れてやりました。
それで今若と乙若は命だけは助かって、お寺へやられました。牛若はまだお乳を飲んでいるので、おかあさんのそばにいることを許しましたが、これも七才になると鞍馬山のお寺へやられました。
そのうち牛若はだんだん物がわかってきました。おとうさんが平家のために滅ぼされたことを人から聞いて、くやしがって泣きました。
「毎日お経なんかよんで、坊さんになっても仕方がない。おれは剣術をけいこして、大将になるのだ。そして平家をほろぼして、おとうさまのかたきを討つのだ。」
こう牛若は思って、急に剣術がならいたくなりました。
鞍馬山のおくに僧正ガ谷という谷があります。松や杉が茂っていて、昼も日の光がささないようなところでした。牛若は一人で剣術をやってみようと思って、毎晩人が寝しずまってから、お寺をぬけ出して僧正ガ谷へ行きました。そしてそこにたくさん並んでいる杉の木を平家の一門に見立てて、その中で一ばん大きな木に清盛という名をつけて、小さな木太刀でぽんぽん打ちました。
それはある晩のことでした。牛若がいつものように僧正ガ谷へ出かけて剣術のおけいこをしていますと、どこからか鼻のばかに高い、見上げるような大男が、手に羽うちわをもって、ぬっと出て来ました。そしてだまって牛若のすることを見ていました。牛若は不思議に思って、
「お前はだれだ。」
といいますと、その男は笑って、
「おれはこの僧正ガ谷に住むてんぐだ。お前の剣術はまずくって見ていられない。今夜からおれが教えてやろう。」
といいました。
「それはありがとう。じゃあ、おしえて下さい。」
と、牛若は木太刀を振って打ってかかりました。てんぐはかるく羽うちわであしらいました。
この時からてんぐは毎晩牛若に剣術をおしえてくれました。牛若はどんどん剣術がうまくなりました。
するうち、牛若が毎晩おそく僧正ガ谷へ行って、あやしい者から剣術をおそわっているということを和尚さんに告げ口したものがありました。和尚さんはびっくりして、さっそく牛若をよんで、髪を剃そって坊さんにしようとしました。牛若は、
「いやです。」
といいながら、いきなり小太刀に手をかけて、こわい顔をして和尚さんをにらみました。
その勢いにおそれて、髪を剃ることは止めました。
牛若はこうしているとまた、
「坊さんになれ。」
といわれるにちがいないと思って、ある日そっと鞍馬山を下りて京都へ出ました。
牛若はもう十四、五になっていました。 | 僧正ガ谷という谷に茂っている木の種類がいくつあるか教えてください。 | 僧正ガ谷という谷に茂っている木の種類は2で、
「松」、 「杉」 です。 |
JCRRAG_014492 | 国語 | 劇の面白さのなかには、舞台にでる人物の、人間としては感心できないところ、みにくいところをうまくあらわしているような面白さがないことはないが、その人物に扮している演技者まで、そのために、感心できない、みにくい人間にみえては、その劇は、もう劇としてほんとうに人の心を楽しませるわけにいかないのである。
舞台の演技というものは、げびた役を演じる場合にも、一種の気品をたもつところまでいくのが理想であって、それは、その演技者の人間として、また、芸術家として、おのずからそなえている、ほこり、品位のあらわれである。
子供たちを見物とし、子供たちを演技者とする子供の劇は、ときには大人の助けをかりることはあっても、なるべく、子供たちだけの手で、はじめからしまいまで、やり通すのがいい。脚本をえらび、役をふりあて、稽古をし、装置や衣裳をくふうし、見物を集め、舞台の幕をあけ、見物をおくりだすまで、子供たちの智恵と力とを十分にふるうのがよい。
ことに、脚本のえらび方については、それをえらぶはんいを、信頼する大人の誰かに相談するだけにして、いくつかの候補作品のうちから、みんなでいろいろな意見をだしあって、どれかにきめるというふうにしたいと思う。
それが、なぜいいか、どこが面白いかを、みんなが十分にのみこんでかかるのが、一番、劇をやるのに大事である。だから、できれば、脚本も、ほかにもとめるかわりに、自分たちでつくるのが、なによりものぞましい。
これは難しいことのようだが、実際は、難しいことぐらいなんでもない。それほど、面白く、かつ、有益なことである。
一人で考え、一人で書かなくてもよい。いくたりかが相談して、まず、物語りの筋を考える。
筋にはむろん、主題というものをふくませる。主題とは、作者が、その物語をとおして、見物になにをいおうとするか、たとえば、ほんとうの勇気とはこの人物のこういう行動のようなものをさすのだ、とか、こういう親をもった子供の気持はこうありたいものだ、とか、もし人間にこんなことができたらさぞ痛快だろうとか、そういう作者の考えを忠実におりこまなければならない。
物語りの筋がざっとできたら、その物語りを組み立てるために必要な人物を、こんどは、一人一人頭のなかで作りあげる。筋といっしょにうかびあがってくる人物もあろう。人物のなかには、主題と筋のはこびに深い関係をもっている人物もあれば、ただ筋の進む途中、ある場面だけで用のすんでしまう人物もある。主要な人物について、まず、みんなが、自分の空想で、その役柄からいって、ぜひこうでなければならぬという、効果のある舞台への出しかたを研究する。
こうして、一人一人の動き、一人一人のセリフを、みんなが相談をして、一番適当で、一番面白いのにきめていくのである。
最後に一人が、全部をはじめから読みあげる。それをまた、みんなで、気のついたところをいって、なおすところはなおす。
やがて、その脚本を台本にして、稽古にかかるのだが、稽古中も、みんなが、劇をできるだけよく、面白くするために、どしどし意見をだし、演出者が最後に、それを、採用するかどうかをきめ、最後まで、みがきをかける。
演出者は、演技者と同じように、劇をする上になくてはならない人であり、劇の責任者である。
演出者の仕事は、俳優の演技や衣裳、舞台装置など、すべての工夫、整頓を指揮するばかりでなく、その作者のいおうとしていること、考えていることと、それを俳優が、自分の解釈や工夫によって、演技することとの、完全な調和と融合をはかることにある。
その上で、その俳優の才能や経験、そのほか特殊な素質にあうような演出の仕方をしなければならない。 | 演出者と演技者の違いを説明してください。 | 演出者は俳優の演技や衣裳、舞台装置など、すべての工夫、整頓を指揮するばかりでなく、その作者のいおうとしていること、考えていることと、それを俳優が、自分の解釈や工夫によって演技することとの、完全な調和と融合をはかることにある。その上で、その俳優の才能や経験、そのほか特殊な素質にあうような演出の仕方をする人です。
演技者はげびた役を演じる場合にも、一種の気品を保つ、その人物に扮している人です。 |
JCRRAG_014493 | 国語 | 夜になると、見物人も帰るので、ようやく私は家の中にもぐりこみ、地べたで寝るのでした。二週間ばかりは、毎晩地べたで寝たものです。が、そのうちに皇帝が、私のためにベッドをこしらえてやれ、と言われました。普通の大きさのベッドが六百、車に積んで運ばれ、私の家の中で、それを組み立てました。
それでも私の体が入りきらなかったのでダブルのベッドを五百、私の家の中に入れて組み立てました。
私の噂は国中にひろまってしまいました。お金持で、暇のある、物好きな連中が、毎日、雲のように押しかけて来ます。
ある日は百人、またある日は三百人、ひどい時には五百人と来るようになりました。
そのために、村々はほとんど空っぽになり、畑の仕事も家の仕事も、すっかりお留守になりそうでした。それで、皇帝から命令が出ました。見物がすんだ人はさっさと帰れ、無断で私の家の三十ヤード以内に近よってはいけない、と、こんなことが決められました。
それでも近寄ろうとするので五十ヤード以内に近よってはいけないことになりました。
ところで、皇帝は何度も会議を開いて、一体、これはどうしたらいいのかと、相談されたそうです。聞くところによると、朝廷でも、私の取り扱いには、だいぶ困っていたようです。あんな男を自由の身にしてやるのも心配でしたが、なにしろ、私の食事がとても大へんなものでしたから、これでは国中が飢饉になるかもしれない、というのです。
いっそのこと、何も食べさせないで、餓死させるか、それとも、毒矢で殺してしまう方がよかろう、と言うものが十人ほどいました。
だが、あの男に死なれると、山のような死体から発する臭いがたまらない、その悪い臭は、国中に伝染病をひろげることになるだろう、と説くものは十五人いました。
ちょうど、この会議の最中に、私があの六人のやじ馬を許してやったことが伝えられました。すると、皇帝も大臣も、私の行いに、すっかり感心してしまいました。 | お金持で、暇のある、物好きな連中が、毎日、雲のように押しかけて来ますが、もっとも多かった日の人数を教えてください。 | お金持で、暇のある、物好きな連中が、毎日、雲のように押しかけて来ますが、もっとも多かった日の人数は五百人です。 |
JCRRAG_014494 | 国語 | この県には三陸の漁場をひかえて、塩竈、石巻という二つの市、気仙沼、女川、渡波などという漁港がある。ほかに、金華山にちかく、牡鹿半島の尖端に鮎川という鯨専門の漁港がある。
石巻は北上川の河口が港だから、せいぜい五百トンぐらい。大きな船ははいれない。塩竈は天然の良港で、前面には一群の松島が天然の防波堤の役を果しているし、水深も深く、目下一万トンの船を横づけにする岸壁を工事中である。したがって、ここの港は魚を水揚げするよりも、一般の港の荷役に利用され、石炭が荷役の大半、魚の水揚げは全体の数パーセントという有様だ。けれども、水揚げする魚の量は、魚だけが専門の石巻よりも多いのである。つまり塩竈港はそれほど大きな港なのである。私は塩竈がそんな良港だとは知らなかったので、きて見ておどろきましたよ。
それでいて魚だけで持っている石巻の方が人口が一万ほど多く五万五千ぐらい、塩竈が四万五千ぐらいだそうだ。この現象は二つの漁港の扱う漁船の相違に、よるのだね。三陸は日本近海最大の漁場であるから、東海の漁船も、紀州の漁船も、四国の漁船も集ってくる。塩竈へ入港して魚を水揚げする漁船の七割はよそから来た船なのだ。したがって、この魚は塩竈を素通りして、すぐ汽車で東京へ大阪へと運び去られる。水揚げの量は多くても、この市で加工されないから、市民に労働を与えてうるおすことが少いのである。
これに反して石巻へ入港するのは大部分が石巻の漁船だから、揚った魚はそッくりその市で加工する。そこで全市が殆ど魚の大漁不漁によって生活を左右されているのである。
ここ二年ほどイワシがまるでとれなくなった。寒流異変によるのだそうだ。イワシがとれないと三陸の漁港はみんな参ってしまうらしいね。なぜなら上物の魚は加工に適しないが、イワシこそは加工の最大の原料だ。漁港都市の人口は加工業の労働で主として支えられているのだから、イワシがとれないと市全体が参るのだね。銚子もそうらしい。
不漁だと云ったって、とにかく何万の人口を一手に支える魚なのだから、素人の目には大したものです。私は現在伊東市という温泉都市に住んでいるが、ここは同時に伊豆では屈指の漁港、焼津だの三崎についで相当の人口をもつ漁師街がある。私は去年は早朝に魚市場へ散歩に行くのが習慣だったから、伊東の水揚げはずいぶん見たが、とても三陸の漁港とでは問題にならない。伊東の何倍もある大きな市場に忽ち魚の山ができて、とても、このへんでは想像のできないものだ。
塩竈では港の市場のほかに、市街地の中にある小売市場を見た。小売市場は二つあって、一つは加工品専門だ。これにはおどろいたね。多くの人口が加工業でうるおっているわけですよ。こんなにいろいろの加工品があるものだとは知らなかった。みんな東京へ送りだされているそうだが、私は百貨店の食料品部などを訪問することがないから、てんでお目にかかったことのない品物ばかりさ。なんというのか知らないが、たいがいはハンペンやチクワの一族らしく、ゴボー巻きもあるし、焼いたり揚げたりしたのもあるし、丸太ン棒のような魚の干物もいろいろあらア。ノリが多いし、いろんな海草の加工品もまた多いね。
カツオとマグロはカンヅメになって米国へ輸出されるが、これが七面鳥の味に似ているので大モテだそうだ。そう云えば私も思い当るよ。私は今年の元旦にアメリカの飛行機にのったら、ボイルした七面鳥の肉を食わされたね。私はそれを食いながら、そのとき、すぐ思った。私がむかし京都伏見の天下に稀れな安食堂の二階に下宿してゴロゴロしていたころ、毎日のようにボイルしたカツオ、これをナマリと云うそうだが、毎日食わされたね。つまり一番安いからだろうね。なんしろ一食が金十二銭だからね。 | 塩竈、石巻という二つの市にある漁港として具体的に名前が挙げられているものは、いくつありますか。 | 塩竈、石巻という二つの市にある漁港として具体的に名前が挙げられているものは気仙沼、女川、渡波の3つがあります。 |
JCRRAG_014495 | 国語 | これまで太郎右衛門の家はただ正直だというだけで、村では一番貧乏で、一番馬鹿にされて暮した家でしたが、子供を拾ってからは大変賑にぎやかな幸福な家になってしまいました。しかし太郎右衛門の家には田畑もないのに、子供が一人殖ふえたので、貧乏は益々ますます貧乏になりました。しかし太郎右衛門は一度も不平を言ったことがありません。田を耕している時でも、山で炭を焼いている時でも、太郎右衛門は、子供のことを思い出すと、愉快で愉快でたまりませんでした。「早く仕事を終えて子供の顔を見たいもんだ。」と心の中で思いながら仕事をしていました。
子供の名は、朝拾ったので、朝太郎とつけましたが、その朝太郎も、もう四歳になりました。顔立こそ美しいが、始終田畑や山へつれて行くので、色が真黒になって、百姓の子供として恥かしくないような顔になってしまいました。無論着物なぞも、百姓の子供の着るようなものを着せていたので、ほんとに太郎右衛門夫婦の子供だと言っても、誰も不思議に思うものがない位でありました。
話変って、あの太郎右衛門と一緒に子供を見つけた伊作と多助はどうしたでしょう? 伊作と多助はその後、だんだん仲が悪くなって、いつでも喧嘩ばかりしていました。伊作はある年の夏、橋の畔に小さな居酒屋を造えましたが、村には一軒も酒屋がなかったので、この居酒屋が大層繁昌してだんだん儲かって行きました。伊作は今では田を耕したり、炭を焼いたりしないでも、立派に食べて行かれるようになりました。多助は、その頃村の端に小さな水車小屋を持っていましたが、毎日伊作の店に寄っては酒を飲んだり、干魚を食たりして、少しも勘定を払わないので、それが土台になって二人はいつでも喧嘩をしました。二人は喧嘩をしたかと思うと仲直りをし、仲直りをしたかと思うと、また喧嘩をしました。 | 子供を拾った後、伊作と多助はどうなったか違いを説明してください。 | 伊作はある年の夏、橋の畔に小さな居酒屋を造え、この居酒屋が大層繁昌してだんだん儲かって行きました。
多助は、その頃村の端に小さな水車小屋を持っていましたが、毎日伊作の店に寄っては酒を飲んだり、干魚を食たりして、少しも勘定を払わないので、それが土台になって二人はいつでも喧嘩をしました。 |
JCRRAG_014496 | 国語 | 王妃は、私から航海の話を聞いたり、また私が陰気にしていると、いつもしきりに慰めてくださるのでしたが、あるとき私に、帆やオールの使い方を知っているか、少し舟でも漕いでみたら、健康によくはあるまいか、とお尋ねになりました。
私は、普通の船員の仕事もしたことがあるので、帆でもオールでも使えます、とお答えしました。だが、この国の船では、どうしたものか、それはちょっとわかりませんでした。一番小さい舟でも、私たちの国の第一流の軍艦ほどもあるので、私に漕げるような船は、この国の川に浮かべられそうもありません。しかし王妃は、私がボートの設計をすれば、お抱えの指物師にそれを作らせ、私の乗りまわす場所もこさえてあげる、と言われました。
そこで、器用な指物師が、私の指示にしたがって、十日かけて、一艘の遊覧ボートを作り上げました。二本のオールに三本のマスト、船具も全部そろっていて、ヨーロッパ人なら、八人は乗れそうなボートでした。それが出来上がると、王妃は非常に喜び、そのボートを前掛に入れて、国王のところへかけつけました。国王は、まず試しに、私をそれに乗せて、水桶に水を一ぱい張って浮かせてみよ、と命じられました。しかし、そこの水桶は狭くて、うまく漕げませんでした。
ところが、王妃は、ちゃんと前から、別の水槽を考えていたのです。指物師に命じて、長さ三百フィート、幅五十フィート、深さ八フィートの、木の箱を作らせ、水の漏らないように、うまく目張りして、宮殿の部屋の壁際に置いてありました。水は、二人の召使が、半時間もかかればすぐ一ぱいにすることができます。そして、その箱の底には栓があって、水が古くなると抜けるようになっていました。
私はその箱の中を漕ぎまわって、自分の気晴らしをやり、王妃や女官たちを面白がらせました。彼女たちは、私の船員姿を大へん喜びます。それにときどき、帆を上げると、女官たちが扇で風を送ってくれます。私はただ舵をとっていればいいわけでした。彼女等があおぐのに疲れると、今度は侍童たちが口で帆を吹くのです。すると、私はおも舵を引いたり、とり舵を引いたりして、思うままに乗りまわすのでした。それがすむと、グラムダルクリッチは、いつも私のボートを自分の部屋に持って帰り、釘にかけて、かわかすのでした。
この水箱は、三日おきに水を替えることになっていましたが、あるとき、水を替える役目の召使が、うっかりしていて、二匹の雄カエルと一匹の雌カエルを手桶から一しょに流し込んでしまいました。はじめ、そのうちの一匹の蛙はじっと隠れていたのですが、私がボートに乗り込むと、うまい休み場所が出来たとばかりに、ボートの方に這い上って来ました。船はひどく一方へ傾くし、私はひっくりかえらないように、その反対側によって、うんと力を入れていなければなりません。 | 王妃が指物師に命じて作らせた箱の寸法のうち、もっとも長いものを教えてください。 | 王妃が指物師に命じて作らせた箱の寸法のうち、もっとも長いものは長さで三百フィートです。 |
JCRRAG_014497 | 国語 | この県には三陸の漁場をひかえて、塩竈、石巻という二つの市、気仙沼、女川、渡波などという漁港がある。ほかに、金華山にちかく、牡鹿半島の尖端に鮎川という鯨専門の漁港がある。
石巻は北上川の河口が港だから、せいぜい五百トンぐらい。大きな船ははいれない。塩竈は天然の良港で、前面には一群の松島が天然の防波堤の役を果しているし、水深も深く、目下一万トンの船を横づけにする岸壁を工事中である。したがって、ここの港は魚を水揚げするよりも、一般の港の荷役に利用され、石炭が荷役の大半、魚の水揚げは全体の数パーセントという有様だ。けれども、水揚げする魚の量は、魚だけが専門の石巻よりも多いのである。つまり塩竈港はそれほど大きな港なのである。私は塩竈がそんな良港だとは知らなかったので、きて見ておどろきましたよ。
それでいて魚だけで持っている石巻の方が人口が一万ほど多く五万五千ぐらい、塩竈が四万五千ぐらいだそうだ。この現象は二ツの漁港の扱う漁船の相違に、よるのだね。三陸は日本近海最大の漁場であるから、東海の漁船も、紀州の漁船も、四国の漁船も集ってくる。塩竈へ入港して魚を水揚げする漁船の七割はよそから来た船なのだ。したがって、この魚は塩竈を素通りして、すぐ汽車で東京へ大阪へと運び去られる。水揚げの量は多くても、この市で加工されないから、市民に労働を与えてうるおすことが少いのである。
これに反して石巻へ入港するのは大部分が石巻の漁船だから、揚った魚はそッくりその市で加工する。そこで全市が殆ど魚の大漁不漁によって生活を左右されているのである。
ここ二年ほどイワシがまるでとれなくなった。寒流異変によるのだそうだ。イワシがとれないと三陸の漁港はみんな参ってしまうらしいね。なぜなら上物の魚は加工に適しないが、イワシこそは加工の最大の原料だ。漁港都市の人口は加工業の労働で主として支えられているのだから、イワシがとれないと市全体が参るのだね。銚子もそうらしい。
不漁だと云ったって、とにかく何万の人口を一手に支える魚なのだから、素人の目には大したものです。私は現在伊東市という温泉都市に住んでいるが、ここは同時に伊豆では屈指の漁港、焼津だの三崎についで相当の人口をもつ漁師街がある。私は去年は早朝に魚市場へ散歩に行くのが習慣だったから、伊東の水揚げはずいぶん見たが、とても三陸の漁港とでは問題にならない。伊東の何倍もある大きな市場に忽ち魚の山ができて、とても、このへんでは想像のできないものだ。
塩竈では港の市場のほかに、市街地の中にある小売市場を見た。小売市場は二ツあって、一ツは加工品専門だ。これにはおどろいたね。多くの人口が加工業でうるおッているわけですよ。こんなにいろいろの加工品があるものだとは知らなかった。みんな東京へ送りだされているそうだが、私は百貨店の食料品部などを訪問することがないから、てんでお目にかかったことのない品物ばかりさ。なんというのか知らないが、たいがいはハンペンやチクワの一族らしく、ゴボー巻きもあるし、焼いたり揚げたりしたのもあるし、丸太ン棒のような魚の干物もいろいろあらア。ノリが多いし、いろんな海草の加工品もまた多いね。
カツオとマグロはカンヅメになって米国へ輸出されるが、これが七面鳥の味に似ているので大モテだそうだ。そう云えば私も思い当るよ。私は今年の元旦にアメリカの飛行機にのったら、ボイルした七面鳥の肉を食わされたね。私はそれを食いながら、そのとき、すぐ思った。私がむかし京都伏見の天下に稀れな安食堂の二階に下宿してゴロゴロしていたころ、毎日のようにボイルしたカツオ、これをナマリと云うそうだが、毎日々々食わされたネ。つまり一番安いからだろうね。なんしろ一食が金十二銭だからね。
なるほど、七面鳥とナマリはよく似ているよ。味が似ているだけではない。色も似ているし、薄くきった切り口までよく似ている。七面鳥なんてものは、ボイルしたのは、つまりナマリそのものだね。なんしろ天下に稀れな安食堂で毎日ムリヤリ食わされたナマリだもの、よッぽど安いものなんだ。以後われら貧乏なる日本人は、七面鳥と心得てナマリを食うにかぎる。拙者の舌に狂いはないです。七面鳥とナマリは同じものさ。アメリカ人がよろこぶわけだよ。拙者なぞは京都にゴロゴロしていた一年半というもの、ひでえ貧乏ぐらしだと思っていたが、実は毎日毎日毎日毎日クリスマスを祝っていたんだね。ブルジョアの生活とは何か。実に分らないもんだ。 | 牡鹿半島の尖端に鯨専門の漁港はいくつありますか。 | 鮎川という鯨専門の漁港が1つあります。 |
JCRRAG_014498 | 国語 | 「それは、私も知っているのだ。知っているからこそお前に相談をするのだ。実はあの朝太郎というお子は、殿のお世継の吉松様という方なのだ。さあ、こう申したら、お前もさぞ驚くだろうが、ちょっとした殿のお誤りから、あのお子が悪者の手にかかってお果てなされなければならない破目に立到ったのを、色々苦心の末に、この山奥にお捨て申して、律儀な百姓の手に御養育いたさせたのだ。その証拠はお子を拾い上げた者が所持しているはずだ。とにかく一刻も早く吉松殿にお目通りいたしたい。」
と大変真面目な言調で言いました。
庄屋の長左衛門も初めて事情が解ったので、早速太郎右衛門のところへ行って、神棚に入れて置いた書物を出させ、太郎右衛門と朝太郎を同道して、代官様の前に表われました。すると代官様と家来たちはちゃんと室の外までお出迎えして、朝太郎を床の間の前に坐らせて、丁寧にお辞儀をしました。太郎右衛門は、庄屋から大体の話はきいて来たようなもののこの有様を見て、吃驚してしまいました。朝太郎は何も解らないので、皆なの顔をきょときょとと見廻わしているばかりでした。
その日の夕方、日の陰る頃を見計って朝太郎の吉松殿は、牡丹に丸の定紋のついた、立派な駕籠に乗せられて、城下の方へつれて行かれました。そして、その代りに莫大な金が太郎右衛門夫婦に残されました。
「何んてお目出たい話だ。お前のとこの朝太郎が殿様になるんじゃないか。」
と庄屋の長左衛門が、駕籠の見えなくなった時、太郎右衛門に言いますと、太郎右衛門は眼に涙を一杯溜て、
「何が目出たかべい……庄屋様、後生だわで、殿様がいやになったらいつでも遠慮なく家さ戻って来るように言ってやってくれべい!」
と言って涙を留度なく流しました。 | 代官様の前に表れた太郎右衛門と朝太郎の感情の違いを説明してください。 | 太郎右衛門は庄屋から大体の話はきいていたが、代官様と家来たちは朝太郎を床の間の前に坐らせて、丁寧にお辞儀をした有様を見て、吃驚した。
朝太郎は何も分からずキョロキョロしていた。 |
JCRRAG_014499 | 国語 | それから、非常に器用な建築家もいました。彼が思いついた新しい考えによると、家を建てるには、一番はじめに、屋根を作り、そして、だんだん下の方を作ってゆくのがいいというのです。その証拠に、蜂や蟻などもこれと同じやり方でやっているのではないか、と彼は言っていました。
ある部屋では、生まれながらの盲人が、盲人の弟子を使っていました。彼らの仕事は、画家のために、絵具を混ぜることでした。この先生は、指と鼻で、絵具の色が見分けられるというのです。しかし、私が訪ねたときは、先生はほとんど間違ってばかりいました。
また別の部屋には、鋤や家畜の代わりに、豚を使って、土地を耕すことを発見したという男がいました。
それはこうするのです。まず、一エーカーの土地に、六インチおきに、八インチの深さに、百個のどんぐり、二百個のなつめ、八十個のやし、五十個の栗、そのほか、豚の好きそうなものをたくさん埋めておきます。それから、四百頭の雄豚、二百頭の雌豚、合計六百頭の豚を土地に放すのです。すると、三日もすれば、豚どもは食物を探して、隅から隅まで掘り返すし、それに、豚の糞が肥料になるので、あとはもう種を蒔けばいいだけです。もっとも、これは、お金と人手がかかるばかりで、作物はほとんど、取れなかったということです。 | 土地に放す六百頭の豚のうち、数が少ないほうの性別を教えてください。 | 土地に放す六百頭の豚のうち、数が少ないほうの性別は雌豚で二百頭です。 |
JCRRAG_014500 | 国語 | この県には三陸の漁場をひかえて、塩竈、石巻という二つの市、気仙沼、女川、渡波などという漁港がある。ほかに、金華山にちかく、牡鹿半島の尖端に鮎川という鯨専門の漁港がある。
石巻は北上川の河口が港だから、せいぜい五百トンぐらい。大きな船ははいれない。塩竈は天然の良港で、前面には一群の松島が天然の防波堤の役を果しているし、水深も深く、目下一万トンの船を横づけにする岸壁を工事中である。したがって、ここの港は魚を水揚げするよりも、一般の港の荷役に利用され、石炭が荷役の大半、魚の水揚げは全体の数パーセントという有様だ。けれども、水揚げする魚の量は、魚だけが専門の石巻よりも多いのである。つまり塩竈港はそれほど大きな港なのである。私は塩竈がそんな良港だとは知らなかったので、きて見ておどろきましたよ。
それでいて魚だけで持っている石巻の方が人口が一万ほど多く五万五千ぐらい、塩竈が四万五千ぐらいだそうだ。この現象は二ツの漁港の扱う漁船の相違に、よるのだね。三陸は日本近海最大の漁場であるから、東海の漁船も、紀州の漁船も、四国の漁船も集ってくる。塩竈へ入港して魚を水揚げする漁船の七割はよそから来た船なのだ。したがって、この魚は塩竈を素通りして、すぐ汽車で東京へ大阪へと運び去られる。水揚げの量は多くても、この市で加工されないから、市民に労働を与えてうるおすことが少いのである。
これに反して石巻へ入港するのは大部分が石巻の漁船だから、揚った魚はそッくりその市で加工する。そこで全市が殆ど魚の大漁不漁によって生活を左右されているのである。
ここ二年ほどイワシがまるでとれなくなった。寒流異変によるのだそうだ。イワシがとれないと三陸の漁港はみんな参ってしまうらしいね。なぜなら上物の魚は加工に適しないが、イワシこそは加工の最大の原料だ。漁港都市の人口は加工業の労働で主として支えられているのだから、イワシがとれないと市全体が参るのだね。銚子もそうらしい。
不漁だと云ったって、とにかく何万の人口を一手に支える魚なのだから、素人の目には大したものです。私は現在伊東市という温泉都市に住んでいるが、ここは同時に伊豆では屈指の漁港、焼津だの三崎についで相当の人口をもつ漁師街がある。私は去年は早朝に魚市場へ散歩に行くのが習慣だったから、伊東の水揚げはずいぶん見たが、とても三陸の漁港とでは問題にならない。伊東の何倍もある大きな市場に忽ち魚の山ができて、とても、このへんでは想像のできないものだ。
塩竈では港の市場のほかに、市街地の中にある小売市場を見た。小売市場は二ツあって、一ツは加工品専門だ。これにはおどろいたね。多くの人口が加工業でうるおッているわけですよ。こんなにいろいろの加工品があるものだとは知らなかった。みんな東京へ送りだされているそうだが、私は百貨店の食料品部などを訪問することがないから、てんでお目にかかったことのない品物ばかりさ。なんというのか知らないが、たいがいはハンペンやチクワの一族らしく、ゴボー巻きもあるし、焼いたり揚げたりしたのもあるし、丸太ン棒のような魚の干物もいろいろあらア。ノリが多いし、いろんな海草の加工品もまた多いね。
カツオとマグロはカンヅメになって米国へ輸出されるが、これが七面鳥の味に似ているので大モテだそうだ。そう云えば私も思い当るよ。私は今年の元旦にアメリカの飛行機にのったら、ボイルした七面鳥の肉を食わされたね。私はそれを食いながら、そのとき、すぐ思った。私がむかし京都伏見の天下に稀れな安食堂の二階に下宿してゴロゴロしていたころ、毎日のようにボイルしたカツオ、これをナマリと云うそうだが、毎日々々食わされたネ。つまり一番安いからだろうね。なんしろ一食が金十二銭だからね。 | 塩竈でカンヅメになって米国へ輸出される魚は何種類ありますか。 | カツオとマグロの2種類が米国へ輸出されます。 |
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