ID
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| Question
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| GroundtruthAnswer
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663
|
|---|---|---|---|---|
JCRRAG_001001
|
国語
|
第三者
INTERLOPER
サキ Saki
妹尾韶夫訳
東部カルパチア山地の森の中である。
ある冬の寒い晩、一人の男が銃を片手に耳をすましていた。ちょっとみると、鳥か獣があらわれるのを待っているようだ。が、じつのところはそうでないのである。この男――ウルリッヒ・フォン・グラドウィツは、人間があらわれるのを待っているのだ。
彼が所有する山林には、野獣がたくさんいた。でも山林のはずれのこのあたりには、そんなにいない。それにもかかわらず、このあたりが気になって仕様がないのだ。もともとこの山林は、彼の祖父が、不法な理由で所有していた小さい地主から、裁判沙汰で無理に奪いとったものである。奪われた小地主は、その裁判が不服だった。それいらい、長いあいだ、両方の地主の争いがつづいて、グラドウィツが家長になるころには、両家の個人的憎悪にまで発展していた。つまり、この両家は三代にわたって仇敵のごとく争っているのだ。グラドウィツが世界中で一番にくらしいと思うのは、自分の土地に侵入して野獣をとるこのズネームという小地主だった。グラドウィツとズネームは、子供のときからおたがいに相手の血にうえていた。両方が相手の不幸を心から願っていた。だから、この風の寒い冬の晩、グラドウィツは数名の部下に森を歩かせ、もし泥棒が侵入したら捕えるよう命令したのである。いつもはしげみに隠れてめったに姿をみせぬ牡鹿が、その晩にかぎって森のあちこちを走った。ほかの森の動物もいつもとはちがって騒々しい。そのわけはよく分っている。ズネームが侵入しているにちがいないのだ。
彼は山の高いところに部下を配置し、自分一人は急な斜面をおりて、麓の深い森へはいり、風にそよぐ梢の音や、木と木のふれあう音に耳をかたむけた。密猟者がはいりこんでいないか。ズネームが潜んでいないか。もしこの風の暴れる夕方、邪魔する第三者のいないこの淋しい森の中で、仇敵ズネームとめぐりあうことができたら、おお、その時こそ――これが彼のなによりの願望だった。そして、そんなことを考えながら、橅の巨木の幹をまわると、当の仇敵とぱったり顔をあわせたのである。
ふたりの敵と敵は、長いあいだにらみあっていた。どちらも怨恨にもえ、手に鉄砲をもっていた。一生に一度の情熱を爆発させる時がきた。けれど、遺憾ながら、彼らはどちらも文明の世に生れた人間なので、無言のまま、平然と人を殺す気にはなれなかった。どうしてもきっかけというものが必要だった。
それで、二人がもじもじしていると、そこに横あいから、大自然の手が加わったのである。先刻から吹きあれていた強風が、一段と猛烈に木々をゆるがしたと思うと、その拍子に橅の大木の幹がめりめりとおれて、どさんと大きな音をたてて倒れ、逃げだすすきもなく、二人をおさえつけてしまったのだ。グラドウィツの片手は麻痺し、片手は二股になった枝におさえつけられ、両足も同時に太い枝におさえつけられていた。重い編上靴をはいていたからよかったものの、そうでなかったら、足がつぶれるところだった。傷こそうけなかったが、起きあがることはできなかった。だから、誰かがきて、大木の枝を鋸できってくれるまでは、どうすることもできない。顔にあたった小枝で、目に血が流れこんだ。その血をしばだたいて、払いのけながらあたりをみると、すぐそばにズネームが彼同様おさえつけられて、しきりにもがいている、もがいても起き上ることはできないらしい。そのそばにはたおれた大木の大小さまざまの枝が、いっぱいにひろがっていた。
グラドウィツは、動けなくなったのを口惜しがっていいのか、生命が助かったのを感謝していいのか、悲喜こもごもの妙な気持だった。
ズネームも顔から血を少しばかりだしていた。そしてもがくのをやめて、しばらく聞き耳をたてていたが、たちまち大声で笑いながら、
「お前も助かったのかい。死んでしまやあいいのに。でもおかしいね、グラドウィツがおれのところから盗んだ山の中で動けなくなるとは。これも天罰と思うがいい。」
そして、また彼は大きな声で嘲笑した。
グラドウィツはいう。「なんだと、盗んだ山だといったな、そうじゃない。ここはおれの土地だ。いまにおれの部下が助けにきてくれるよ。お前は密猟にはいったところをおれの部下に発見されるなんて、いい恥さらしだ。気の毒なやつだ。」
ズネームはすぐにはいわなかったが、しばらくするとこうこたえた。
「お前はいま助けにきてくれるといったが、そりゃ本当か? おれの使っている男たちも、今夜この山にきているんだ。もうここへくるだろう。きたらまずおれを助けだしてくれて、そのあとで、お前のうえに大きな木をもひとつのせるだろうよ。お前の使っている男がくる頃には、とうにお前は死んでしまっている。葬式の日には、お悔みの手紙の一本もだしてやるよ。」
「いいことを教えてくれた!」と、グラドウィツは口を尖らせていった。「おれは部下の男に十分間たったらここへこいといっといた。だからもうくるだろう。きたらいまお前がいったと同じことをしてやるよ。でもお前はこっそり人の山林に侵入して、密猟しているところを殺されたのだから、お悔みの手紙だけはださないよ。」
「分った。分った。そんならおれたちは、どちらかが死ぬまで戦おう。お前のほうに部下がいるなら、こっちにもいるんだ。ここで勝負をつけるなら、第三者の邪魔者がこなくていい。グラドウィツの馬鹿っ! 早く死んでしまえ!」
「ズネームの馬鹿! 早く死んでしまえ! 泥棒! ひとの山林の中にはいって猟をする泥棒!」
ふたりとも、すぐ部下がきて、助けてくれると思っていた。助かるのは自分のほうが早いと思っていた。だからあらゆる毒々しい言葉でののしりあった。
だが、しばらくすると、二人とももがいても無駄なことが分ったので、あまり動かなくなり、グラドウィツは比較的自由な片手を、やっと上着のポケットにさしいれて、酒の壜をだした。壜をだすことはだしても、栓をぬいて飲むのが一仕事だった。でも、ぐっと一飲みした時の気持は格別だった。冬は冬でも、まだ雪がふらなかったので、わりあいに温かだった。酒がまわると好い気持になって、苦痛の唸声を噛みしめているとなりの男が、可哀そうになった。
そこでグラドウィツは不意にこんなことをいったのである。
「どうだい。この酒を一口飲ましてやろうか。とてもうまい酒だ。今夜のうちに、お前かおれのどちらかが死ぬにしても、今の中別れに一杯飲んだらどうだ。」
「だめだよ。おれは目のふちに血が固まって、なにも見えないんだ。それに敵といっしょに酒を飲むのは嫌だよ。」
グラドウィツはしばらく黙って、ものうい風の音を聞いていた。そして時々苦しそうに木におさえつけられているとなりの男のほうに目をやった。烈火のように燃えていた憎悪の炎が、だんだん消えてゆくのを感じた。(以下略)
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一人の男は銃を片手に何をしていましたか。
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一人の男は、銃を片手に耳をすましていました。
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JCRRAG_001002
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国語
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第三者
INTERLOPER
サキ Saki
妹尾韶夫訳
東部カルパチア山地の森の中である。
ある冬の寒い晩、一人の男が銃を片手に耳をすましていた。ちょっとみると、鳥か獣があらわれるのを待っているようだ。が、じつのところはそうでないのである。この男――ウルリッヒ・フォン・グラドウィツは、人間があらわれるのを待っているのだ。
彼が所有する山林には、野獣がたくさんいた。でも山林のはずれのこのあたりには、そんなにいない。それにもかかわらず、このあたりが気になって仕様がないのだ。もともとこの山林は、彼の祖父が、不法な理由で所有していた小さい地主から、裁判沙汰で無理に奪いとったものである。奪われた小地主は、その裁判が不服だった。それいらい、長いあいだ、両方の地主の争いがつづいて、グラドウィツが家長になるころには、両家の個人的憎悪にまで発展していた。つまり、この両家は三代にわたって仇敵のごとく争っているのだ。グラドウィツが世界中で一番にくらしいと思うのは、自分の土地に侵入して野獣をとるこのズネームという小地主だった。グラドウィツとズネームは、子供のときからおたがいに相手の血にうえていた。両方が相手の不幸を心から願っていた。だから、この風の寒い冬の晩、グラドウィツは数名の部下に森を歩かせ、もし泥棒が侵入したら捕えるよう命令したのである。いつもはしげみに隠れてめったに姿をみせぬ牡鹿が、その晩にかぎって森のあちこちを走った。ほかの森の動物もいつもとはちがって騒々しい。そのわけはよく分っている。ズネームが侵入しているにちがいないのだ。
彼は山の高いところに部下を配置し、自分一人は急な斜面をおりて、麓の深い森へはいり、風にそよぐ梢の音や、木と木のふれあう音に耳をかたむけた。密猟者がはいりこんでいないか。ズネームが潜んでいないか。もしこの風の暴れる夕方、邪魔する第三者のいないこの淋しい森の中で、仇敵ズネームとめぐりあうことができたら、おお、その時こそ――これが彼のなによりの願望だった。そして、そんなことを考えながら、橅の巨木の幹をまわると、当の仇敵とぱったり顔をあわせたのである。
ふたりの敵と敵は、長いあいだにらみあっていた。どちらも怨恨にもえ、手に鉄砲をもっていた。一生に一度の情熱を爆発させる時がきた。けれど、遺憾ながら、彼らはどちらも文明の世に生れた人間なので、無言のまま、平然と人を殺す気にはなれなかった。どうしてもきっかけというものが必要だった。
それで、二人がもじもじしていると、そこに横あいから、大自然の手が加わったのである。先刻から吹きあれていた強風が、一段と猛烈に木々をゆるがしたと思うと、その拍子に橅の大木の幹がめりめりとおれて、どさんと大きな音をたてて倒れ、逃げだすすきもなく、二人をおさえつけてしまったのだ。グラドウィツの片手は麻痺し、片手は二股になった枝におさえつけられ、両足も同時に太い枝におさえつけられていた。重い編上靴をはいていたからよかったものの、そうでなかったら、足がつぶれるところだった。傷こそうけなかったが、起きあがることはできなかった。だから、誰かがきて、大木の枝を鋸できってくれるまでは、どうすることもできない。顔にあたった小枝で、目に血が流れこんだ。その血をしばだたいて、払いのけながらあたりをみると、すぐそばにズネームが彼同様おさえつけられて、しきりにもがいている、もがいても起き上ることはできないらしい。そのそばにはたおれた大木の大小さまざまの枝が、いっぱいにひろがっていた。
グラドウィツは、動けなくなったのを口惜しがっていいのか、生命が助かったのを感謝していいのか、悲喜こもごもの妙な気持だった。
ズネームも顔から血を少しばかりだしていた。そしてもがくのをやめて、しばらく聞き耳をたてていたが、たちまち大声で笑いながら、
「お前も助かったのかい。死んでしまやあいいのに。でもおかしいね、グラドウィツがおれのところから盗んだ山の中で動けなくなるとは。これも天罰と思うがいい。」
そして、また彼は大きな声で嘲笑した。
グラドウィツはいう。「なんだと、盗んだ山だといったな、そうじゃない。ここはおれの土地だ。いまにおれの部下が助けにきてくれるよ。お前は密猟にはいったところをおれの部下に発見されるなんて、いい恥さらしだ。気の毒なやつだ。」
ズネームはすぐにはいわなかったが、しばらくするとこうこたえた。
「お前はいま助けにきてくれるといったが、そりゃ本当か? おれの使っている男たちも、今夜この山にきているんだ。もうここへくるだろう。きたらまずおれを助けだしてくれて、そのあとで、お前のうえに大きな木をもひとつのせるだろうよ。お前の使っている男がくる頃には、とうにお前は死んでしまっている。葬式の日には、お悔みの手紙の一本もだしてやるよ。」
「いいことを教えてくれた!」と、グラドウィツは口を尖らせていった。「おれは部下の男に十分間たったらここへこいといっといた。だからもうくるだろう。きたらいまお前がいったと同じことをしてやるよ。でもお前はこっそり人の山林に侵入して、密猟しているところを殺されたのだから、お悔みの手紙だけはださないよ。」
「分った。分った。そんならおれたちは、どちらかが死ぬまで戦おう。お前のほうに部下がいるなら、こっちにもいるんだ。ここで勝負をつけるなら、第三者の邪魔者がこなくていい。グラドウィツの馬鹿っ! 早く死んでしまえ!」
「ズネームの馬鹿! 早く死んでしまえ! 泥棒! ひとの山林の中にはいって猟をする泥棒!」
ふたりとも、すぐ部下がきて、助けてくれると思っていた。助かるのは自分のほうが早いと思っていた。だからあらゆる毒々しい言葉でののしりあった。
だが、しばらくすると、二人とももがいても無駄なことが分ったので、あまり動かなくなり、グラドウィツは比較的自由な片手を、やっと上着のポケットにさしいれて、酒の壜をだした。壜をだすことはだしても、栓をぬいて飲むのが一仕事だった。でも、ぐっと一飲みした時の気持は格別だった。冬は冬でも、まだ雪がふらなかったので、わりあいに温かだった。酒がまわると好い気持になって、苦痛の唸声を噛みしめているとなりの男が、可哀そうになった。
そこでグラドウィツは不意にこんなことをいったのである。
「どうだい。この酒を一口飲ましてやろうか。とてもうまい酒だ。今夜のうちに、お前かおれのどちらかが死ぬにしても、今の中別れに一杯飲んだらどうだ。」
「だめだよ。おれは目のふちに血が固まって、なにも見えないんだ。それに敵といっしょに酒を飲むのは嫌だよ。」
グラドウィツはしばらく黙って、ものうい風の音を聞いていた。そして時々苦しそうに木におさえつけられているとなりの男のほうに目をやった。烈火のように燃えていた憎悪の炎が、だんだん消えてゆくのを感じた。(以下略)
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ウルリッヒ・フォン・グラドウィツは何を待っていましたか。
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ウルリッヒ・フォン・グラドウィツは、人間があらわれるのを待っていました。
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JCRRAG_001003
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国語
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真夏の夢
ストリンドベルヒ August Strindberg
有島武郎訳
北の国も真夏のころは花よめのようなよそおいをこらして、大地は喜びに満ち、小川は走り、牧場の花はまっすぐに延び、小鳥は歌いさえずります。その時一羽の鳩が森のおくから飛んで来て、寝ついたなりで日をくらす九十に余るおばあさんの家の窓近く羽を休めました。
物の二十年も臥せったなりのこのおばあさんは、二人のむすこが耕すささやかな畑地のほかに、窓越しに見るものはありませなんだが、おばあさんの窓のガラスは、にじのようなさまざまな色のをはめてあったから、そこからのぞく人間も世間も、普通のものとは異なっていました。まくらの上でちょっと頭さえ動かせば、目に見える景色が赤、黄、緑、青、鳩羽というように変わりました。冬になって木々のこずえが、銀色の葉でも連ねたように霜で包まれますと、おばあさんはまくらの上で、ちょっと身動きしたばかりでそれを緑にしました。実際は灰色でも野は緑に空は蒼く、世の中はもう夏のとおりでした。おばあさんはこんなふうで、魔術でも使える気でいるとたいくつをしませんでした。そればかりではありません。この窓ガラスにはもう一つ変わった所があって、ガラスのきざみ具合で見るものを大きくも小さくもする事ができるようになっておりました。だからもし大きなむすこが腹をたてて帰って来て、庭先でどなりでもするような事があると、おばあさんは以前のような、小さい、言う事をきく子どもにしようと思っただけで、即座にちっぽけに見る事もできましたし、孫たちがよちよち歩きで庭に出て来るのを見るにつけ、そのおい先を考えると、ワン、ツー、スリー、拡大のガラスからのぞきさえすれば、見るまに背の高い、育ち上がったみごとな大男になってしまいました。
こんなおもしろい窓ではありますが、夏が来るとおばあさんはその窓をあけ放させました。いかな窓でも夏の景色ほどな景色は見せてくれませんから。さて夏の中でもすぐれた美しい聖ヨハネ祭に、そのおばあさんが畑と牧場とを見わたしていますと、ひょっくり鳩が歌い始めました。声も美しくエス・キリスト、さては天国の歓喜をほめたたえて、重荷に苦しむものや、浮き世のつらさの限りをなめたものは、残らず来いとよび立てました。
おばあさんはそれを聞きましたが、その日はこの世も天国ほどに美しくって、これ以上のものをほしいとも思いませんでしたから、礼を言って断わってしまいました。
で鳩は今度は牧場を飛び越して、ある百姓がしきりと井戸を掘っている山の中の森に来ました。その百姓は深い所にはいって、頭の上に六尺も土のある様子はまるで墓のあなの底にでもいるようでした。
あなの中にいて、大空も海も牧場も見ないこんな人こそは、きっと天国に行きたいにちがいないと思いましたから、鳩は木の枝の上で天国の歓喜を鳩らしく歌い始めました。
ところが百姓は、
「いやです。私はまず井戸を掘らんければなりません。でないと夏分のお客さんは水にこまるし、あのかわいそうな奥さんと子ども衆もいなくなってしまいますからね」
と言いました。
で鳩は今度は海岸に飛んで行きました。そこではさきほどの百姓の兄弟にあたる人が引き網をしていました。鳩は蘆の中にとまって歌いました。
その男も言いますには、
「いやです。私は何より先に家で食うだけのものを作らねばなりません。でないと子どもらがひもじいって泣きます。あとの事、あとの事。まだ天国の事なんか考えずともよろしい。死ぬ前には生きるという事があるんだから」
で鳩はまた百姓の言ったかわいそうな奥さんが夏を過ごしている、大きないなかの住宅にとんで行きました。その時奥さんは縁側に出て手ミシンで縫物をしていました。顔は百合の花のような血の気のない顔、頭の毛は喪のベールのような黒い髪、しかして罌粟のような赤い毛の帽子をかぶっていました。奥さんは聖ヨハネの祭日にむすめに着せようとして、美しい前掛けを縫っていました。むすめはお母さんの足もとの床の上にすわって、布切れの端を切りこまざいて遊んでいました。(以下略)
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奥さんは、どのような毛の帽子をかぶっていましたか。
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奥さんは、罌粟のような赤い毛の帽子をかぶっていました。
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JCRRAG_001004
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国語
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第三者
INTERLOPER
サキ Saki
妹尾韶夫訳
東部カルパチア山地の森の中である。
ある冬の寒い晩、一人の男が銃を片手に耳をすましていた。ちょっとみると、鳥か獣があらわれるのを待っているようだ。が、じつのところはそうでないのである。この男――ウルリッヒ・フォン・グラドウィツは、人間があらわれるのを待っているのだ。
彼が所有する山林には、野獣がたくさんいた。でも山林のはずれのこのあたりには、そんなにいない。それにもかかわらず、このあたりが気になって仕様がないのだ。もともとこの山林は、彼の祖父が、不法な理由で所有していた小さい地主から、裁判沙汰で無理に奪いとったものである。奪われた小地主は、その裁判が不服だった。それいらい、長いあいだ、両方の地主の争いがつづいて、グラドウィツが家長になるころには、両家の個人的憎悪にまで発展していた。つまり、この両家は三代にわたって仇敵のごとく争っているのだ。グラドウィツが世界中で一番にくらしいと思うのは、自分の土地に侵入して野獣をとるこのズネームという小地主だった。グラドウィツとズネームは、子供のときからおたがいに相手の血にうえていた。両方が相手の不幸を心から願っていた。だから、この風の寒い冬の晩、グラドウィツは数名の部下に森を歩かせ、もし泥棒が侵入したら捕えるよう命令したのである。いつもはしげみに隠れてめったに姿をみせぬ牡鹿が、その晩にかぎって森のあちこちを走った。ほかの森の動物もいつもとはちがって騒々しい。そのわけはよく分っている。ズネームが侵入しているにちがいないのだ。
彼は山の高いところに部下を配置し、自分一人は急な斜面をおりて、麓の深い森へはいり、風にそよぐ梢の音や、木と木のふれあう音に耳をかたむけた。密猟者がはいりこんでいないか。ズネームが潜んでいないか。もしこの風の暴れる夕方、邪魔する第三者のいないこの淋しい森の中で、仇敵ズネームとめぐりあうことができたら、おお、その時こそ――これが彼のなによりの願望だった。そして、そんなことを考えながら、橅の巨木の幹をまわると、当の仇敵とぱったり顔をあわせたのである。
ふたりの敵と敵は、長いあいだにらみあっていた。どちらも怨恨にもえ、手に鉄砲をもっていた。一生に一度の情熱を爆発させる時がきた。けれど、遺憾ながら、彼らはどちらも文明の世に生れた人間なので、無言のまま、平然と人を殺す気にはなれなかった。どうしてもきっかけというものが必要だった。
それで、二人がもじもじしていると、そこに横あいから、大自然の手が加わったのである。先刻から吹きあれていた強風が、一段と猛烈に木々をゆるがしたと思うと、その拍子に橅の大木の幹がめりめりとおれて、どさんと大きな音をたてて倒れ、逃げだすすきもなく、二人をおさえつけてしまったのだ。グラドウィツの片手は麻痺し、片手は二股になった枝におさえつけられ、両足も同時に太い枝におさえつけられていた。重い編上靴をはいていたからよかったものの、そうでなかったら、足がつぶれるところだった。傷こそうけなかったが、起きあがることはできなかった。だから、誰かがきて、大木の枝を鋸できってくれるまでは、どうすることもできない。顔にあたった小枝で、目に血が流れこんだ。その血をしばだたいて、払いのけながらあたりをみると、すぐそばにズネームが彼同様おさえつけられて、しきりにもがいている、もがいても起き上ることはできないらしい。そのそばにはたおれた大木の大小さまざまの枝が、いっぱいにひろがっていた。
グラドウィツは、動けなくなったのを口惜しがっていいのか、生命が助かったのを感謝していいのか、悲喜こもごもの妙な気持だった。
ズネームも顔から血を少しばかりだしていた。そしてもがくのをやめて、しばらく聞き耳をたてていたが、たちまち大声で笑いながら、
「お前も助かったのかい。死んでしまやあいいのに。でもおかしいね、グラドウィツがおれのところから盗んだ山の中で動けなくなるとは。これも天罰と思うがいい。」
そして、また彼は大きな声で嘲笑した。
グラドウィツはいう。「なんだと、盗んだ山だといったな、そうじゃない。ここはおれの土地だ。いまにおれの部下が助けにきてくれるよ。お前は密猟にはいったところをおれの部下に発見されるなんて、いい恥さらしだ。気の毒なやつだ。」
ズネームはすぐにはいわなかったが、しばらくするとこうこたえた。
「お前はいま助けにきてくれるといったが、そりゃ本当か? おれの使っている男たちも、今夜この山にきているんだ。もうここへくるだろう。きたらまずおれを助けだしてくれて、そのあとで、お前のうえに大きな木をもひとつのせるだろうよ。お前の使っている男がくる頃には、とうにお前は死んでしまっている。葬式の日には、お悔みの手紙の一本もだしてやるよ。」
「いいことを教えてくれた!」と、グラドウィツは口を尖らせていった。「おれは部下の男に十分間たったらここへこいといっといた。だからもうくるだろう。きたらいまお前がいったと同じことをしてやるよ。でもお前はこっそり人の山林に侵入して、密猟しているところを殺されたのだから、お悔みの手紙だけはださないよ。」
「分った。分った。そんならおれたちは、どちらかが死ぬまで戦おう。お前のほうに部下がいるなら、こっちにもいるんだ。ここで勝負をつけるなら、第三者の邪魔者がこなくていい。グラドウィツの馬鹿っ! 早く死んでしまえ!」
「ズネームの馬鹿! 早く死んでしまえ! 泥棒! ひとの山林の中にはいって猟をする泥棒!」
ふたりとも、すぐ部下がきて、助けてくれると思っていた。助かるのは自分のほうが早いと思っていた。だからあらゆる毒々しい言葉でののしりあった。
だが、しばらくすると、二人とももがいても無駄なことが分ったので、あまり動かなくなり、グラドウィツは比較的自由な片手を、やっと上着のポケットにさしいれて、酒の壜をだした。壜をだすことはだしても、栓をぬいて飲むのが一仕事だった。でも、ぐっと一飲みした時の気持は格別だった。冬は冬でも、まだ雪がふらなかったので、わりあいに温かだった。酒がまわると好い気持になって、苦痛の唸声を噛みしめているとなりの男が、可哀そうになった。
そこでグラドウィツは不意にこんなことをいったのである。
「どうだい。この酒を一口飲ましてやろうか。とてもうまい酒だ。今夜のうちに、お前かおれのどちらかが死ぬにしても、今の中別れに一杯飲んだらどうだ。」
「だめだよ。おれは目のふちに血が固まって、なにも見えないんだ。それに敵といっしょに酒を飲むのは嫌だよ。」
グラドウィツはしばらく黙って、ものうい風の音を聞いていた。そして時々苦しそうに木におさえつけられているとなりの男のほうに目をやった。烈火のように燃えていた憎悪の炎が、だんだん消えてゆくのを感じた。(以下略)
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グラドウィツが所有する山林には、何がたくさんいましたか。
|
グラドウィツが所有する山林には野獣がたくさんいました。
|
JCRRAG_001005
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国語
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第三者
INTERLOPER
サキ Saki
妹尾韶夫訳
東部カルパチア山地の森の中である。
ある冬の寒い晩、一人の男が銃を片手に耳をすましていた。ちょっとみると、鳥か獣があらわれるのを待っているようだ。が、じつのところはそうでないのである。この男――ウルリッヒ・フォン・グラドウィツは、人間があらわれるのを待っているのだ。
彼が所有する山林には、野獣がたくさんいた。でも山林のはずれのこのあたりには、そんなにいない。それにもかかわらず、このあたりが気になって仕様がないのだ。もともとこの山林は、彼の祖父が、不法な理由で所有していた小さい地主から、裁判沙汰で無理に奪いとったものである。奪われた小地主は、その裁判が不服だった。それいらい、長いあいだ、両方の地主の争いがつづいて、グラドウィツが家長になるころには、両家の個人的憎悪にまで発展していた。つまり、この両家は三代にわたって仇敵のごとく争っているのだ。グラドウィツが世界中で一番にくらしいと思うのは、自分の土地に侵入して野獣をとるこのズネームという小地主だった。グラドウィツとズネームは、子供のときからおたがいに相手の血にうえていた。両方が相手の不幸を心から願っていた。だから、この風の寒い冬の晩、グラドウィツは数名の部下に森を歩かせ、もし泥棒が侵入したら捕えるよう命令したのである。いつもはしげみに隠れてめったに姿をみせぬ牡鹿が、その晩にかぎって森のあちこちを走った。ほかの森の動物もいつもとはちがって騒々しい。そのわけはよく分っている。ズネームが侵入しているにちがいないのだ。
彼は山の高いところに部下を配置し、自分一人は急な斜面をおりて、麓の深い森へはいり、風にそよぐ梢の音や、木と木のふれあう音に耳をかたむけた。密猟者がはいりこんでいないか。ズネームが潜んでいないか。もしこの風の暴れる夕方、邪魔する第三者のいないこの淋しい森の中で、仇敵ズネームとめぐりあうことができたら、おお、その時こそ――これが彼のなによりの願望だった。そして、そんなことを考えながら、橅の巨木の幹をまわると、当の仇敵とぱったり顔をあわせたのである。
ふたりの敵と敵は、長いあいだにらみあっていた。どちらも怨恨にもえ、手に鉄砲をもっていた。一生に一度の情熱を爆発させる時がきた。けれど、遺憾ながら、彼らはどちらも文明の世に生れた人間なので、無言のまま、平然と人を殺す気にはなれなかった。どうしてもきっかけというものが必要だった。
それで、二人がもじもじしていると、そこに横あいから、大自然の手が加わったのである。先刻から吹きあれていた強風が、一段と猛烈に木々をゆるがしたと思うと、その拍子に橅の大木の幹がめりめりとおれて、どさんと大きな音をたてて倒れ、逃げだすすきもなく、二人をおさえつけてしまったのだ。グラドウィツの片手は麻痺し、片手は二股になった枝におさえつけられ、両足も同時に太い枝におさえつけられていた。重い編上靴をはいていたからよかったものの、そうでなかったら、足がつぶれるところだった。傷こそうけなかったが、起きあがることはできなかった。だから、誰かがきて、大木の枝を鋸できってくれるまでは、どうすることもできない。顔にあたった小枝で、目に血が流れこんだ。その血をしばだたいて、払いのけながらあたりをみると、すぐそばにズネームが彼同様おさえつけられて、しきりにもがいている、もがいても起き上ることはできないらしい。そのそばにはたおれた大木の大小さまざまの枝が、いっぱいにひろがっていた。
グラドウィツは、動けなくなったのを口惜しがっていいのか、生命が助かったのを感謝していいのか、悲喜こもごもの妙な気持だった。
ズネームも顔から血を少しばかりだしていた。そしてもがくのをやめて、しばらく聞き耳をたてていたが、たちまち大声で笑いながら、
「お前も助かったのかい。死んでしまやあいいのに。でもおかしいね、グラドウィツがおれのところから盗んだ山の中で動けなくなるとは。これも天罰と思うがいい。」
そして、また彼は大きな声で嘲笑した。
グラドウィツはいう。「なんだと、盗んだ山だといったな、そうじゃない。ここはおれの土地だ。いまにおれの部下が助けにきてくれるよ。お前は密猟にはいったところをおれの部下に発見されるなんて、いい恥さらしだ。気の毒なやつだ。」
ズネームはすぐにはいわなかったが、しばらくするとこうこたえた。
「お前はいま助けにきてくれるといったが、そりゃ本当か? おれの使っている男たちも、今夜この山にきているんだ。もうここへくるだろう。きたらまずおれを助けだしてくれて、そのあとで、お前のうえに大きな木をもひとつのせるだろうよ。お前の使っている男がくる頃には、とうにお前は死んでしまっている。葬式の日には、お悔みの手紙の一本もだしてやるよ。」
「いいことを教えてくれた!」と、グラドウィツは口を尖らせていった。「おれは部下の男に十分間たったらここへこいといっといた。だからもうくるだろう。きたらいまお前がいったと同じことをしてやるよ。でもお前はこっそり人の山林に侵入して、密猟しているところを殺されたのだから、お悔みの手紙だけはださないよ。」
「分った。分った。そんならおれたちは、どちらかが死ぬまで戦おう。お前のほうに部下がいるなら、こっちにもいるんだ。ここで勝負をつけるなら、第三者の邪魔者がこなくていい。グラドウィツの馬鹿っ! 早く死んでしまえ!」
「ズネームの馬鹿! 早く死んでしまえ! 泥棒! ひとの山林の中にはいって猟をする泥棒!」
ふたりとも、すぐ部下がきて、助けてくれると思っていた。助かるのは自分のほうが早いと思っていた。だからあらゆる毒々しい言葉でののしりあった。
だが、しばらくすると、二人とももがいても無駄なことが分ったので、あまり動かなくなり、グラドウィツは比較的自由な片手を、やっと上着のポケットにさしいれて、酒の壜をだした。壜をだすことはだしても、栓をぬいて飲むのが一仕事だった。でも、ぐっと一飲みした時の気持は格別だった。冬は冬でも、まだ雪がふらなかったので、わりあいに温かだった。酒がまわると好い気持になって、苦痛の唸声を噛みしめているとなりの男が、可哀そうになった。
そこでグラドウィツは不意にこんなことをいったのである。
「どうだい。この酒を一口飲ましてやろうか。とてもうまい酒だ。今夜のうちに、お前かおれのどちらかが死ぬにしても、今の中別れに一杯飲んだらどうだ。」
「だめだよ。おれは目のふちに血が固まって、なにも見えないんだ。それに敵といっしょに酒を飲むのは嫌だよ。」
グラドウィツはしばらく黙って、ものうい風の音を聞いていた。そして時々苦しそうに木におさえつけられているとなりの男のほうに目をやった。烈火のように燃えていた憎悪の炎が、だんだん消えてゆくのを感じた。(以下略)
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グラドウィツが世界中で一番にくらしいと思うのは何ですか。
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グラドウィツが世界中で一番にくらしいと思うのは、自分の土地に侵入して野獣をとるズネームという小地主です。
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JCRRAG_001006
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国語
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世界怪談名作集
幽霊の移転
ストックトン Francis Richard Stockton
岡本綺堂訳
ジョン・ヒンクマン氏の田園住宅は、いろいろの理由から僕にとっては甚だ愉快な場所で、やや無遠慮ではあるが、まことに居心地のよい接待ぶりの寓居であった。庭には綺麗に刈り込んだ芝原と、塔のように突っ立った槲や楡の木があって、ほかにも所どころに木立ちが茂っていた。家から遠くないところに小さい流れがあって、そこには皮付きの粗末な橋が架けてあった。
ここらには花もあれば果物もあり、愉快な人たちも住んでいて、将棋、玉突き、騎馬、散歩、魚釣りなどの遊戯機関もそなわっていた。それらはもちろん、大いに人を惹くの力はあったが、単にそれだけのことでは、そこに長居をする気にはなれない。僕は鱒の捕れる時節に招待されたのであるが、まず初夏の時節をよしとして訪問したのである。草は乾いて、日光はさのみ暑からず、そよそよと風が吹く。その時、わがマデライン嬢とともに、枝の茂った楡の下蔭をそぞろに歩み、木立のあいだをしずかに縫ってゆくのであった。
僕はわがマデライン嬢といったが、実のところ、彼女はまだ僕のものではないのである。彼女はその身を僕に捧げたというわけでもなく、僕のほうからもまだなんとも言い出したのではなかったが、自分が今後この世に生きながらえてゆくには、どうしても彼女をわがものにしなければならないと考えているので、自分の腹のうちだけでは、彼女をわがマデラインと呼んでいるのであった。自分の考えていることを早く彼女の前に告白してしまえば、こんな独りぎめなどをしている必要はないのであるが、さてそれが非常にむずかしい事件であった。
それはすべての恋する人が恐れるように、およそ恋愛の成るか成らぬかの間にまた楽しい時代があるのであるから、にわかにそれを突破して終末に近づき、わが愛情の目的物との交通または結合を手早く片付けてしまうのを恐れるばかりでなく、僕は主人のジョン・ヒンクマン氏を大いに恐れているがためであった。かの紳士は僕のよい友達ではあるが、彼にたいしておまえの姪をくれと言い出すのは、僕以上の大胆な男でなければ出来ないことであった。彼女は主としてこの家内いっさいのことを切り廻している上に、ヒンクマン氏がしばしば語るところによれば、氏は彼女を晩年の杖はしらとも頼んでいるのであった。この問題について、マデライン嬢が承諾をあたえる見込みがあるなら断然それを切り出すだけの勇気を生じたでもあろうが、前にもいう通りの次第で、僕は一度も彼女にそれを打ち明けたことはなく、ただそれについて、昼も夜も――ことに夜は絶えず思い明かしているだけのことであった。
ある夜、僕は自分の寝室にあてられた広びろしい一室の、大きいベッドの上に身を横たえながら、まだ眠りもやらずにいると、この室内の一部へ映し込んできた新しい月のぼんやりした光りによって、主人のヒンクマン氏がドアに近い大きい椅子に沿うて立っているのを見た。
僕は非常に驚いたのである。それには二つの理由がある。第一、主人はいまだかつて僕の部屋へ来たことはないのである。第二、彼はけさ外出して、幾日間は帰宅しないはずである。それがために、僕は今夜マデライン嬢とあいたずさえて、月を見ながら廊下に久しく出ていることが出来たのであった。今ここにあらわれた人の姿は、いつもの着物を着ているヒンクマン氏に相違なかったが、ただその姿のなんとなく朦朧たるところがたしかに幽霊であることを思わせた。
善良なる老人は途中で殺されたのであろうか。そうして、彼の魂魄がその事実を僕に告げんとして帰ったのであろうか。さらにまた、彼の愛する――の保護を僕に頼みに来たのであろうか。こう考えると、僕の胸はにわかにおどった。
その瞬間に、かの幽霊のようなものは話しかけた。
「あなたはヒンクマン氏が今夜帰るかどうだか、ご承知ですか」
彼は心配そうな様子である。この場合、うわべに落ち着きを見せなければならないと思いながら、僕は答えた。
「帰りますまい」
「やれ、ありがたい」と、彼は自分の立っていたところの椅子に倚りながら言った。「ここの家に二年半も住んでいるあいだ、あの人はひと晩も家をあけたことはなかったのです。これで私がどんなに助かるか、あなたにはとても想像がつきますまいよ」
こう言いながら、彼は足をのばして背中を椅子へ寄せかけた。その姿かたちは以前よりも濃くなって、着物の色もはっきりと浮かんできて、心配そうであった彼の容貌も救われたように満足の色をみせた。
「二年半……」と、僕は叫んだ。「君の言うことは分からないな」
「わたしがここへ来てから、たしかにそれほどの長さになるのです」と、幽霊は言った。「なにしろ私のは普通の場合と違うのですからな。それについて少しお断わりをする前に、もう一度おたずね申しておきたいのはヒンクマン氏のことですが、あの人は今夜たしかに帰りませんか」
「僕の言うことになんでも嘘はない」と、僕は答えた。「ヒンクマン氏はきょう、二百マイルも遠いブリストルへいったのだ」(以下略)
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幽霊のようなものは僕に何と話しかけましたか。
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幽霊のようなものは僕に、「あなたはヒンクマン氏が今夜帰るかどうだか、ご承知ですか」と話しかけました。
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JCRRAG_001007
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国語
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第三者
INTERLOPER
サキ Saki
妹尾韶夫訳
東部カルパチア山地の森の中である。
ある冬の寒い晩、一人の男が銃を片手に耳をすましていた。ちょっとみると、鳥か獣があらわれるのを待っているようだ。が、じつのところはそうでないのである。この男――ウルリッヒ・フォン・グラドウィツは、人間があらわれるのを待っているのだ。
彼が所有する山林には、野獣がたくさんいた。でも山林のはずれのこのあたりには、そんなにいない。それにもかかわらず、このあたりが気になって仕様がないのだ。もともとこの山林は、彼の祖父が、不法な理由で所有していた小さい地主から、裁判沙汰で無理に奪いとったものである。奪われた小地主は、その裁判が不服だった。それいらい、長いあいだ、両方の地主の争いがつづいて、グラドウィツが家長になるころには、両家の個人的憎悪にまで発展していた。つまり、この両家は三代にわたって仇敵のごとく争っているのだ。グラドウィツが世界中で一番にくらしいと思うのは、自分の土地に侵入して野獣をとるこのズネームという小地主だった。グラドウィツとズネームは、子供のときからおたがいに相手の血にうえていた。両方が相手の不幸を心から願っていた。だから、この風の寒い冬の晩、グラドウィツは数名の部下に森を歩かせ、もし泥棒が侵入したら捕えるよう命令したのである。いつもはしげみに隠れてめったに姿をみせぬ牡鹿が、その晩にかぎって森のあちこちを走った。ほかの森の動物もいつもとはちがって騒々しい。そのわけはよく分っている。ズネームが侵入しているにちがいないのだ。
彼は山の高いところに部下を配置し、自分一人は急な斜面をおりて、麓の深い森へはいり、風にそよぐ梢の音や、木と木のふれあう音に耳をかたむけた。密猟者がはいりこんでいないか。ズネームが潜んでいないか。もしこの風の暴れる夕方、邪魔する第三者のいないこの淋しい森の中で、仇敵ズネームとめぐりあうことができたら、おお、その時こそ――これが彼のなによりの願望だった。そして、そんなことを考えながら、橅の巨木の幹をまわると、当の仇敵とぱったり顔をあわせたのである。
ふたりの敵と敵は、長いあいだにらみあっていた。どちらも怨恨にもえ、手に鉄砲をもっていた。一生に一度の情熱を爆発させる時がきた。けれど、遺憾ながら、彼らはどちらも文明の世に生れた人間なので、無言のまま、平然と人を殺す気にはなれなかった。どうしてもきっかけというものが必要だった。
それで、二人がもじもじしていると、そこに横あいから、大自然の手が加わったのである。先刻から吹きあれていた強風が、一段と猛烈に木々をゆるがしたと思うと、その拍子に橅の大木の幹がめりめりとおれて、どさんと大きな音をたてて倒れ、逃げだすすきもなく、二人をおさえつけてしまったのだ。グラドウィツの片手は麻痺し、片手は二股になった枝におさえつけられ、両足も同時に太い枝におさえつけられていた。重い編上靴をはいていたからよかったものの、そうでなかったら、足がつぶれるところだった。傷こそうけなかったが、起きあがることはできなかった。だから、誰かがきて、大木の枝を鋸できってくれるまでは、どうすることもできない。顔にあたった小枝で、目に血が流れこんだ。その血をしばだたいて、払いのけながらあたりをみると、すぐそばにズネームが彼同様おさえつけられて、しきりにもがいている、もがいても起き上ることはできないらしい。そのそばにはたおれた大木の大小さまざまの枝が、いっぱいにひろがっていた。
グラドウィツは、動けなくなったのを口惜しがっていいのか、生命が助かったのを感謝していいのか、悲喜こもごもの妙な気持だった。
ズネームも顔から血を少しばかりだしていた。そしてもがくのをやめて、しばらく聞き耳をたてていたが、たちまち大声で笑いながら、
「お前も助かったのかい。死んでしまやあいいのに。でもおかしいね、グラドウィツがおれのところから盗んだ山の中で動けなくなるとは。これも天罰と思うがいい。」
そして、また彼は大きな声で嘲笑した。
グラドウィツはいう。「なんだと、盗んだ山だといったな、そうじゃない。ここはおれの土地だ。いまにおれの部下が助けにきてくれるよ。お前は密猟にはいったところをおれの部下に発見されるなんて、いい恥さらしだ。気の毒なやつだ。」
ズネームはすぐにはいわなかったが、しばらくするとこうこたえた。
「お前はいま助けにきてくれるといったが、そりゃ本当か? おれの使っている男たちも、今夜この山にきているんだ。もうここへくるだろう。きたらまずおれを助けだしてくれて、そのあとで、お前のうえに大きな木をもひとつのせるだろうよ。お前の使っている男がくる頃には、とうにお前は死んでしまっている。葬式の日には、お悔みの手紙の一本もだしてやるよ。」
「いいことを教えてくれた!」と、グラドウィツは口を尖らせていった。「おれは部下の男に十分間たったらここへこいといっといた。だからもうくるだろう。きたらいまお前がいったと同じことをしてやるよ。でもお前はこっそり人の山林に侵入して、密猟しているところを殺されたのだから、お悔みの手紙だけはださないよ。」
「分った。分った。そんならおれたちは、どちらかが死ぬまで戦おう。お前のほうに部下がいるなら、こっちにもいるんだ。ここで勝負をつけるなら、第三者の邪魔者がこなくていい。グラドウィツの馬鹿っ! 早く死んでしまえ!」
「ズネームの馬鹿! 早く死んでしまえ! 泥棒! ひとの山林の中にはいって猟をする泥棒!」
ふたりとも、すぐ部下がきて、助けてくれると思っていた。助かるのは自分のほうが早いと思っていた。だからあらゆる毒々しい言葉でののしりあった。
だが、しばらくすると、二人とももがいても無駄なことが分ったので、あまり動かなくなり、グラドウィツは比較的自由な片手を、やっと上着のポケットにさしいれて、酒の壜をだした。壜をだすことはだしても、栓をぬいて飲むのが一仕事だった。でも、ぐっと一飲みした時の気持は格別だった。冬は冬でも、まだ雪がふらなかったので、わりあいに温かだった。酒がまわると好い気持になって、苦痛の唸声を噛みしめているとなりの男が、可哀そうになった。
そこでグラドウィツは不意にこんなことをいったのである。
「どうだい。この酒を一口飲ましてやろうか。とてもうまい酒だ。今夜のうちに、お前かおれのどちらかが死ぬにしても、今の中別れに一杯飲んだらどうだ。」
「だめだよ。おれは目のふちに血が固まって、なにも見えないんだ。それに敵といっしょに酒を飲むのは嫌だよ。」
グラドウィツはしばらく黙って、ものうい風の音を聞いていた。そして時々苦しそうに木におさえつけられているとなりの男のほうに目をやった。烈火のように燃えていた憎悪の炎が、だんだん消えてゆくのを感じた。(以下略)
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二人をおさえつけたものは何でしたか。
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二人をおさえつけたものは、倒れた橅の大木の幹でした。
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JCRRAG_001008
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国語
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真夏の夢
ストリンドベルヒ August Strindberg
有島武郎訳
北の国も真夏のころは花よめのようなよそおいをこらして、大地は喜びに満ち、小川は走り、牧場の花はまっすぐに延び、小鳥は歌いさえずります。その時一羽の鳩が森のおくから飛んで来て、寝ついたなりで日をくらす九十に余るおばあさんの家の窓近く羽を休めました。
物の二十年も臥せったなりのこのおばあさんは、二人のむすこが耕すささやかな畑地のほかに、窓越しに見るものはありませなんだが、おばあさんの窓のガラスは、にじのようなさまざまな色のをはめてあったから、そこからのぞく人間も世間も、普通のものとは異なっていました。まくらの上でちょっと頭さえ動かせば、目に見える景色が赤、黄、緑、青、鳩羽というように変わりました。冬になって木々のこずえが、銀色の葉でも連ねたように霜で包まれますと、おばあさんはまくらの上で、ちょっと身動きしたばかりでそれを緑にしました。実際は灰色でも野は緑に空は蒼く、世の中はもう夏のとおりでした。おばあさんはこんなふうで、魔術でも使える気でいるとたいくつをしませんでした。そればかりではありません。この窓ガラスにはもう一つ変わった所があって、ガラスのきざみ具合で見るものを大きくも小さくもする事ができるようになっておりました。だからもし大きなむすこが腹をたてて帰って来て、庭先でどなりでもするような事があると、おばあさんは以前のような、小さい、言う事をきく子どもにしようと思っただけで、即座にちっぽけに見る事もできましたし、孫たちがよちよち歩きで庭に出て来るのを見るにつけ、そのおい先を考えると、ワン、ツー、スリー、拡大のガラスからのぞきさえすれば、見るまに背の高い、育ち上がったみごとな大男になってしまいました。
こんなおもしろい窓ではありますが、夏が来るとおばあさんはその窓をあけ放させました。いかな窓でも夏の景色ほどな景色は見せてくれませんから。さて夏の中でもすぐれた美しい聖ヨハネ祭に、そのおばあさんが畑と牧場とを見わたしていますと、ひょっくり鳩が歌い始めました。声も美しくエス・キリスト、さては天国の歓喜をほめたたえて、重荷に苦しむものや、浮き世のつらさの限りをなめたものは、残らず来いとよび立てました。
おばあさんはそれを聞きましたが、その日はこの世も天国ほどに美しくって、これ以上のものをほしいとも思いませんでしたから、礼を言って断わってしまいました。
で鳩は今度は牧場を飛び越して、ある百姓がしきりと井戸を掘っている山の中の森に来ました。その百姓は深い所にはいって、頭の上に六尺も土のある様子はまるで墓のあなの底にでもいるようでした。
あなの中にいて、大空も海も牧場も見ないこんな人こそは、きっと天国に行きたいにちがいないと思いましたから、鳩は木の枝の上で天国の歓喜を鳩らしく歌い始めました。
ところが百姓は、
「いやです。私はまず井戸を掘らんければなりません。でないと夏分のお客さんは水にこまるし、あのかわいそうな奥さんと子ども衆もいなくなってしまいますからね」
と言いました。
で鳩は今度は海岸に飛んで行きました。そこではさきほどの百姓の兄弟にあたる人が引き網をしていました。鳩は蘆の中にとまって歌いました。
その男も言いますには、
「いやです。私は何より先に家で食うだけのものを作らねばなりません。でないと子どもらがひもじいって泣きます。あとの事、あとの事。まだ天国の事なんか考えずともよろしい。死ぬ前には生きるという事があるんだから」
で鳩はまた百姓の言ったかわいそうな奥さんが夏を過ごしている、大きないなかの住宅にとんで行きました。その時奥さんは縁側に出て手ミシンで縫物をしていました。顔は百合の花のような血の気のない顔、頭の毛は喪のベールのような黒い髪、しかして罌粟のような赤い毛の帽子をかぶっていました。奥さんは聖ヨハネの祭日にむすめに着せようとして、美しい前掛けを縫っていました。むすめはお母さんの足もとの床の上にすわって、布切れの端を切りこまざいて遊んでいました。(以下略)
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一羽の鳩はどこからおばあさんの家に飛んで来ましたか。
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一羽の鳩は、森のおくからおばあさんの家に飛んで来ました。
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JCRRAG_001009
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国語
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鳥について
砂東 塩
部屋に鳥がいる。
巣箱を模して五角形に曲げられたワイヤーの屋根部分には丸い輪があり、そこに紐を通して天井から吊り下げられ、ワイヤーとビーズで作られた鳥が重たげな体でとまっている。
ビーズは透明な赤、青、緑、黄の四色。ワイヤーをぐるぐる巻きにしたトンボの眼鏡のような直径一センチほどの目が赤い顔につけられていて、左右の目の位置が上下にずれているから正面から見ると酔っ払ったオヤジだ。太い嘴は青く、数が足りなかったのか赤いビーズがひとつだけ使われている。ずんぐりした胴体に比べて頼りない足。お尻に生えた十数本のワイヤーは長い尾羽。
私が鳥をもらったのは十年以上前になる。何度か店に来た客で、南アフリカに帰るから記念にと言って渡された。名前は知らない。顔も覚えていないけれど、体つきは鳥に似ていた気がする。
廃業して自宅に持って帰ってきた鳥の尾羽には、たまに洗濯したマイバッグを掛けて干している。尾羽の端が鳴門の渦潮みたいにぐるぐるに巻かれているが、巻いたのは以前同じ建物で商売していた女性だ。彼女とはもうずいぶん連絡をとっていない。子どもが生まれたことはフェイスブックで知った。今のところ巻いた尾羽を伸ばす気はない。
鳥は、天井のライトを点けるとビーズが光って南国にいる原色の鳥のように見えるが、普段は気配なく吊るされ、頭をぶつけて存在に気づく。鳥のことを書く気になったのはパソコンに向かって頬杖をついた先に鳥がいたからだ。
立ち上がって観察してみると、驚いたことに鳥には翼がなかった。背に五、六センチのワイヤーが段になってついているだけで、羽かもしれないが翼ではない。同じ体つきでもペンギンの方がよほど飛べそうだ。重い体はワイヤー二本で固定され、一本切ったら逆さ吊りになるだろう。巣から解放してやっても歩くには尾羽が長すぎる。
飛べない、歩けない鳥は巣にとまっている。
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部屋には何がいますか。
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部屋には鳥がいます。
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JCRRAG_001010
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国語
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西洋科学は素晴らしい
C. スミス C. Smith
The Creative CAT 訳
一人の火星人と三人の共産主義者の出任せ話でございます
火星人は御影石の小さな断崖の上に座っていた。そよ風を楽しめるように小ぶりな樅の木の形態を取っている。尖った常緑樹の葉の間を風が気持ちよく吹いていった。
崖下に一人のアメリカ人が立っていた。火星人が目にした初めてのアメリカ人である。
アメリカ人はポケットから魅惑的なまでに巧妙な装置を取り出した。金属製の小箱で、ノズルが持ち上がると即座に炎を発した。彼は苦もなくこの神秘の装置から、至福を齎す薬草の詰まった円筒に火を移した。火星人はこれがアメリカ人たちがシガレットと呼ぶものであることを理解した。アメリカ人がシガレットに火をつけ終わった時、彼は形態を変えた。今度は身長五メートルの紅顔白髯の中国人扇動家の姿である。彼はアメリカ人に向かって英語で叫んだ。「ハロー、フレンド!」
見上げたアメリカ人の顎は今にも外れそうになった。
火星人は崖を降り、静かにアメリカ人に近寄って行った。あまり怖がらせないようにゆっくりと。
それにもかかわらず、アメリカ人は随分気に病んだようだ。というものこんな事を言ったから「お前は現実ではないな? そんなことあるもんか。それともひょっとして?」
火星人はそっとアメリカ人の心の中を覗いて、身長五メートルの中国人扇動家像はアメリカ人の日常心理において安心を齎すものではないと理解した。彼はアメリカ人の心の中で安心感のあるイメージを探した。まずそのアメリカ人の母親のイメージが見つかったので、すぐさまその姿に変態してこう答えた「現実とは何、ダーリン?」
するとアメリカ人は僅かに青ざめて片手で両目を覆った。火星人は再度アメリカ人の心に入り込み、いささか混乱したイメージを探り当てた。
アメリカ人が目を開くと、今度は火星人が若い赤十字の看護婦の姿を取って、ストリップショーを繰り広げている最中だった。歓心を誘うための手順だったにも拘らず、アメリカ人は安心しなかった。恐怖が怒りに転じ、彼は言った「お前は一体何者だ?」
火星人の親切心もここまでだった。オックスフォードあがりの中国国民党軍大将軍の姿となり、イギリス訛り丸出しでこう言った。「私はこの地に棲む若干超自然的な『モノ』として知られておる。気にしないでくれたら嬉しい。西洋科学は実に素晴らしい。よって私は貴方の手の中にある魅力的な機械を調べなければならない。少し話をする時間をいただけないだろうか。」
アメリカ人の心に混乱したイメージの断片が浮かぶのが見て取れた。何やら「禁酒法」とかいうものや、別の「酒を控えるオン・ザ・ワゴン」とかいうものと関連がありそうだった。そして何度も繰り返す「なぜこの俺がこんな所に?」という疑問や。
その間、火星人はライターを検めた。
アメリカ人の手に戻しても、彼は硬直したままだった。
「実によくできた魔法だ」と火星人。「このあたりの岩山ではこの種のことができぬ。私は幾分下級の悪魔でね。貴方は著名なる合衆国陸軍の大尉殿とお見受けする。自己紹介を許されたい。私は羅漢の第一三八七二二九代東方従位輪廻である。雑談する時間はおありかな?」
アメリカ人の目には国民党軍の制服が映っていた。振り返ると、中国人の荷役人夫も通訳も谷間の草地の上で束ねた雑巾のようにひっくり返っているではないか。すっかり気絶していたのだ。ようやくの事で気を取り直したアメリカ人は言った「ラカンだって?」
「羅漢は阿羅漢の一なり」と火星人。
どちらの情報もアメリカ人には受け取ってもらえず、火星人は、どうやらアメリカ軍人と知己を得るに好適な環境をもはや失してしまったと結論した。がっかりした火星人はアメリカ人の心から自分の記憶を消し、気絶した中国人たちの心にも同様の処置を施した。彼は自分の体を崖の上に植え直し、再び樅の木の形態となって、全員の目を覚ました。中国人通訳がアメリカ人に身振り手振りで示しているのを見て、通訳が「この丘には悪魔がいるんです……」と説明しているのがわかった。
アメリカ人がこの話を迷信深い中国人の戯言として腹の底から笑い飛ばすのを見て、火星人はむしろ喜んだ。
彼が見つめる中、一隊は神秘の美を湛える小さな八口河湖の向こうに立ち去っていった。
これは一九四五年のことだった。
火星人はライターを物質化しようと何時間も頭を捻ったが、出来上がったものは何をどうやっても数時間以内に原始的悪臭に戻ってしまった。
時は移って一九五五年。火星人は一人のソ連軍人がやってくると耳にした。神秘的なまでに先端的な西洋世界から来たもう一人の人物と知り合いになるのを心待ちにしていた。(以下略)
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中国人扇動家の姿に形態を変えた火星人は、アメリカ人に向かって何と叫びましたか。
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中国人扇動家の姿に形態を変えた火星人は、アメリカ人に向かって英語で「ハロー、フレンド!」と叫びました。
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JCRRAG_001011
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国語
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マカーガー峽谷の秘密
THE SECRET OF MACARGER'S GULCH
アンブローズ・ビアス Ambrose Bierce
妹尾韶夫訳
マカーガー峡谷は、インディアン山から、まっすぐに九マイル西北の地点にある。峡谷とはいうものの、じつはあまり高くもない、木のはえた二つの尾根にはさまれたくぼみにすぎず、上流の口から下流の口まで――峡谷も河とおなじように、それ自身の構造をもっていて、かみてとしもてがある――長さ二マイル以上ではなく、幅も十二ヤード以上のところは、一ヵ所しかない。というのは、冬は流れるが、春さきになると乾く渓流がまんなかにあって、その両岸にほとんど平地がないからである。そして、山の急斜面には、ほとんど歩くこともできぬほど、マンサニータや、ケミサルがしげっていて、それが渓流の岸までつづいている。だから、まれにマカーガー峡谷に足を踏みいれるのは、ちかくの大胆な猟師ぐらいのもの、五マイルも離れると、峡谷の名を知った者すらない。それというのも、この峡谷より、もっと珍らしいところで、名さえついていないのが、この付近にたくさんあるからなのだ。土地のものにこの峡谷の名の起りをきいても、誰も満足にはこたえてくれない。
ところで、この峡谷の入口から出口までのあいだの、ほぼまんなかに当るあたりに、下流からみて右がわに、一つの水のない峡谷が枝のように分れていて、その分岐点に、三エーカーぐらいの平地があり、そこに数年まえ、板かこいの、一部屋の家が立っていた。それはまるで小屋のような小さい家にはちがいないが、どうしてこんな近づきがたい地点に、建築材料をはこんだかという問題は、考えてみたところで仕方はなかろうが、いちおう興味をそそる事柄にちがいない。おそらく河床を道として使ったのだろう。たぶん採鉱の目的で、この峡谷をくわしく調査したことがあって、その時道具や補給品を馬かなにかで運んだのだろうが、製材所のある町とこの峡谷をつなぐ費用にくらべ、利潤のすくない見きわめがついたのだろう。でも、とにかく家だけは残った。そして、残った家のドアや窓枠はなくなり、土と石でつくった煙突は、むざんに崩れて、そのうえに雑草がはびこっている。いぜんは粗末な家具ぐらいはあったのだろうが、そんなものは、壁板の下のほうとともに、猟師たちの燃料となってしまったらしい。家のそばに、幅の広い、底の浅い古井戸があるが、そのふち石でさえ、いまはなくなっている。
さて、私が乾いた河床をつたって谷をさかのぼり、このマカーガー峡谷にはいったのは、一八七四年、夏のある日の午後のことであった。峡谷のなかに家のあることは聞いていなかったが、そのあたりまでたどりついた私は、すでに獲物袋のなかに、射ち落した一ダースばかりのうずらをいれていた。私は大した興味ももたず、その廃屋をちょっとのぞいてみたあとで、また猟をつづけた。日暮ちかくなると、人家の遠いことに気がついた。明るいうちに人家をさがすことは、できそうもなかった。しかし、考えてみると、獲物袋には食物があるし、雨露をしのぐには廃屋があった。しかも、シエラ・ネヴァダ付近の山のなかで、露のない暖い夜をむかえるには、なにもかぶる必要がない、ただ松葉のうえに横になるだけで、安眠できるのである。私は孤独が好きだったし、夜も好きだった。それで、さっそくその廃屋で泊ることにきめ、暗くならないうちに、部屋の片隅に小枝と草で寝床をつくり、煖炉に火をたいてうずらを焼いた。こわれた煙突から煙がもれて、煖炉の火は気持よい光を部屋になげた。その地方は水がすくないので、私は猟をしながら、その日は午後中、水がわりに葡萄酒を飲んだのだったが、私はその赤い葡萄酒ののこりをのみ、焼いただけの簡単な鳥を食べた。ただそれだけだったが、私は立派な部屋で、山海の珍味をあじわう以上の、気持よさと満足をおぼえた。(以下略)
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山の急斜面には何がしげっていますか。
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山の急斜面には、マンサニータやケミサルがしげっています。
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JCRRAG_001012
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国語
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マカーガー峽谷の秘密
THE SECRET OF MACARGER'S GULCH
アンブローズ・ビアス Ambrose Bierce
妹尾韶夫訳
マカーガー峡谷は、インディアン山から、まっすぐに九マイル西北の地点にある。峡谷とはいうものの、じつはあまり高くもない、木のはえた二つの尾根にはさまれたくぼみにすぎず、上流の口から下流の口まで――峡谷も河とおなじように、それ自身の構造をもっていて、かみてとしもてがある――長さ二マイル以上ではなく、幅も十二ヤード以上のところは、一ヵ所しかない。というのは、冬は流れるが、春さきになると乾く渓流がまんなかにあって、その両岸にほとんど平地がないからである。そして、山の急斜面には、ほとんど歩くこともできぬほど、マンサニータや、ケミサルがしげっていて、それが渓流の岸までつづいている。だから、まれにマカーガー峡谷に足を踏みいれるのは、ちかくの大胆な猟師ぐらいのもの、五マイルも離れると、峡谷の名を知った者すらない。それというのも、この峡谷より、もっと珍らしいところで、名さえついていないのが、この付近にたくさんあるからなのだ。土地のものにこの峡谷の名の起りをきいても、誰も満足にはこたえてくれない。
ところで、この峡谷の入口から出口までのあいだの、ほぼまんなかに当るあたりに、下流からみて右がわに、一つの水のない峡谷が枝のように分れていて、その分岐点に、三エーカーぐらいの平地があり、そこに数年まえ、板かこいの、一部屋の家が立っていた。それはまるで小屋のような小さい家にはちがいないが、どうしてこんな近づきがたい地点に、建築材料をはこんだかという問題は、考えてみたところで仕方はなかろうが、いちおう興味をそそる事柄にちがいない。おそらく河床を道として使ったのだろう。たぶん採鉱の目的で、この峡谷をくわしく調査したことがあって、その時道具や補給品を馬かなにかで運んだのだろうが、製材所のある町とこの峡谷をつなぐ費用にくらべ、利潤のすくない見きわめがついたのだろう。でも、とにかく家だけは残った。そして、残った家のドアや窓枠はなくなり、土と石でつくった煙突は、むざんに崩れて、そのうえに雑草がはびこっている。いぜんは粗末な家具ぐらいはあったのだろうが、そんなものは、壁板の下のほうとともに、猟師たちの燃料となってしまったらしい。家のそばに、幅の広い、底の浅い古井戸があるが、そのふち石でさえ、いまはなくなっている。
さて、私が乾いた河床をつたって谷をさかのぼり、このマカーガー峡谷にはいったのは、一八七四年、夏のある日の午後のことであった。峡谷のなかに家のあることは聞いていなかったが、そのあたりまでたどりついた私は、すでに獲物袋のなかに、射ち落した一ダースばかりのうずらをいれていた。私は大した興味ももたず、その廃屋をちょっとのぞいてみたあとで、また猟をつづけた。日暮ちかくなると、人家の遠いことに気がついた。明るいうちに人家をさがすことは、できそうもなかった。しかし、考えてみると、獲物袋には食物があるし、雨露をしのぐには廃屋があった。しかも、シエラ・ネヴァダ付近の山のなかで、露のない暖い夜をむかえるには、なにもかぶる必要がない、ただ松葉のうえに横になるだけで、安眠できるのである。私は孤独が好きだったし、夜も好きだった。それで、さっそくその廃屋で泊ることにきめ、暗くならないうちに、部屋の片隅に小枝と草で寝床をつくり、煖炉に火をたいてうずらを焼いた。こわれた煙突から煙がもれて、煖炉の火は気持よい光を部屋になげた。その地方は水がすくないので、私は猟をしながら、その日は午後中、水がわりに葡萄酒を飲んだのだったが、私はその赤い葡萄酒ののこりをのみ、焼いただけの簡単な鳥を食べた。ただそれだけだったが、私は立派な部屋で、山海の珍味をあじわう以上の、気持よさと満足をおぼえた。(以下略)
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私が乾いた河床をつたってマカーガー峡谷にはいったのは何年のことでしたか。
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私が乾いた河床をつたってマカーガー峡谷にはいったのは、一八七四年のことでした。
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JCRRAG_001013
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国語
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マカーガー峽谷の秘密
THE SECRET OF MACARGER'S GULCH
アンブローズ・ビアス Ambrose Bierce
妹尾韶夫訳
マカーガー峡谷は、インディアン山から、まっすぐに九マイル西北の地点にある。峡谷とはいうものの、じつはあまり高くもない、木のはえた二つの尾根にはさまれたくぼみにすぎず、上流の口から下流の口まで――峡谷も河とおなじように、それ自身の構造をもっていて、かみてとしもてがある――長さ二マイル以上ではなく、幅も十二ヤード以上のところは、一ヵ所しかない。というのは、冬は流れるが、春さきになると乾く渓流がまんなかにあって、その両岸にほとんど平地がないからである。そして、山の急斜面には、ほとんど歩くこともできぬほど、マンサニータや、ケミサルがしげっていて、それが渓流の岸までつづいている。だから、まれにマカーガー峡谷に足を踏みいれるのは、ちかくの大胆な猟師ぐらいのもの、五マイルも離れると、峡谷の名を知った者すらない。それというのも、この峡谷より、もっと珍らしいところで、名さえついていないのが、この付近にたくさんあるからなのだ。土地のものにこの峡谷の名の起りをきいても、誰も満足にはこたえてくれない。
ところで、この峡谷の入口から出口までのあいだの、ほぼまんなかに当るあたりに、下流からみて右がわに、一つの水のない峡谷が枝のように分れていて、その分岐点に、三エーカーぐらいの平地があり、そこに数年まえ、板かこいの、一部屋の家が立っていた。それはまるで小屋のような小さい家にはちがいないが、どうしてこんな近づきがたい地点に、建築材料をはこんだかという問題は、考えてみたところで仕方はなかろうが、いちおう興味をそそる事柄にちがいない。おそらく河床を道として使ったのだろう。たぶん採鉱の目的で、この峡谷をくわしく調査したことがあって、その時道具や補給品を馬かなにかで運んだのだろうが、製材所のある町とこの峡谷をつなぐ費用にくらべ、利潤のすくない見きわめがついたのだろう。でも、とにかく家だけは残った。そして、残った家のドアや窓枠はなくなり、土と石でつくった煙突は、むざんに崩れて、そのうえに雑草がはびこっている。いぜんは粗末な家具ぐらいはあったのだろうが、そんなものは、壁板の下のほうとともに、猟師たちの燃料となってしまったらしい。家のそばに、幅の広い、底の浅い古井戸があるが、そのふち石でさえ、いまはなくなっている。
さて、私が乾いた河床をつたって谷をさかのぼり、このマカーガー峡谷にはいったのは、一八七四年、夏のある日の午後のことであった。峡谷のなかに家のあることは聞いていなかったが、そのあたりまでたどりついた私は、すでに獲物袋のなかに、射ち落した一ダースばかりのうずらをいれていた。私は大した興味ももたず、その廃屋をちょっとのぞいてみたあとで、また猟をつづけた。日暮ちかくなると、人家の遠いことに気がついた。明るいうちに人家をさがすことは、できそうもなかった。しかし、考えてみると、獲物袋には食物があるし、雨露をしのぐには廃屋があった。しかも、シエラ・ネヴァダ付近の山のなかで、露のない暖い夜をむかえるには、なにもかぶる必要がない、ただ松葉のうえに横になるだけで、安眠できるのである。私は孤独が好きだったし、夜も好きだった。それで、さっそくその廃屋で泊ることにきめ、暗くならないうちに、部屋の片隅に小枝と草で寝床をつくり、煖炉に火をたいてうずらを焼いた。こわれた煙突から煙がもれて、煖炉の火は気持よい光を部屋になげた。その地方は水がすくないので、私は猟をしながら、その日は午後中、水がわりに葡萄酒を飲んだのだったが、私はその赤い葡萄酒ののこりをのみ、焼いただけの簡単な鳥を食べた。ただそれだけだったが、私は立派な部屋で、山海の珍味をあじわう以上の、気持よさと満足をおぼえた。(以下略)
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私は煖炉に火をたいて何を焼きましたか。
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私は煖炉に火をたいてうずらを焼きました。
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JCRRAG_001014
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国語
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マカーガー峽谷の秘密
THE SECRET OF MACARGER'S GULCH
アンブローズ・ビアス Ambrose Bierce
妹尾韶夫訳
マカーガー峡谷は、インディアン山から、まっすぐに九マイル西北の地点にある。峡谷とはいうものの、じつはあまり高くもない、木のはえた二つの尾根にはさまれたくぼみにすぎず、上流の口から下流の口まで――峡谷も河とおなじように、それ自身の構造をもっていて、かみてとしもてがある――長さ二マイル以上ではなく、幅も十二ヤード以上のところは、一ヵ所しかない。というのは、冬は流れるが、春さきになると乾く渓流がまんなかにあって、その両岸にほとんど平地がないからである。そして、山の急斜面には、ほとんど歩くこともできぬほど、マンサニータや、ケミサルがしげっていて、それが渓流の岸までつづいている。だから、まれにマカーガー峡谷に足を踏みいれるのは、ちかくの大胆な猟師ぐらいのもの、五マイルも離れると、峡谷の名を知った者すらない。それというのも、この峡谷より、もっと珍らしいところで、名さえついていないのが、この付近にたくさんあるからなのだ。土地のものにこの峡谷の名の起りをきいても、誰も満足にはこたえてくれない。
ところで、この峡谷の入口から出口までのあいだの、ほぼまんなかに当るあたりに、下流からみて右がわに、一つの水のない峡谷が枝のように分れていて、その分岐点に、三エーカーぐらいの平地があり、そこに数年まえ、板かこいの、一部屋の家が立っていた。それはまるで小屋のような小さい家にはちがいないが、どうしてこんな近づきがたい地点に、建築材料をはこんだかという問題は、考えてみたところで仕方はなかろうが、いちおう興味をそそる事柄にちがいない。おそらく河床を道として使ったのだろう。たぶん採鉱の目的で、この峡谷をくわしく調査したことがあって、その時道具や補給品を馬かなにかで運んだのだろうが、製材所のある町とこの峡谷をつなぐ費用にくらべ、利潤のすくない見きわめがついたのだろう。でも、とにかく家だけは残った。そして、残った家のドアや窓枠はなくなり、土と石でつくった煙突は、むざんに崩れて、そのうえに雑草がはびこっている。いぜんは粗末な家具ぐらいはあったのだろうが、そんなものは、壁板の下のほうとともに、猟師たちの燃料となってしまったらしい。家のそばに、幅の広い、底の浅い古井戸があるが、そのふち石でさえ、いまはなくなっている。
さて、私が乾いた河床をつたって谷をさかのぼり、このマカーガー峡谷にはいったのは、一八七四年、夏のある日の午後のことであった。峡谷のなかに家のあることは聞いていなかったが、そのあたりまでたどりついた私は、すでに獲物袋のなかに、射ち落した一ダースばかりのうずらをいれていた。私は大した興味ももたず、その廃屋をちょっとのぞいてみたあとで、また猟をつづけた。日暮ちかくなると、人家の遠いことに気がついた。明るいうちに人家をさがすことは、できそうもなかった。しかし、考えてみると、獲物袋には食物があるし、雨露をしのぐには廃屋があった。しかも、シエラ・ネヴァダ付近の山のなかで、露のない暖い夜をむかえるには、なにもかぶる必要がない、ただ松葉のうえに横になるだけで、安眠できるのである。私は孤独が好きだったし、夜も好きだった。それで、さっそくその廃屋で泊ることにきめ、暗くならないうちに、部屋の片隅に小枝と草で寝床をつくり、煖炉に火をたいてうずらを焼いた。こわれた煙突から煙がもれて、煖炉の火は気持よい光を部屋になげた。その地方は水がすくないので、私は猟をしながら、その日は午後中、水がわりに葡萄酒を飲んだのだったが、私はその赤い葡萄酒ののこりをのみ、焼いただけの簡単な鳥を食べた。ただそれだけだったが、私は立派な部屋で、山海の珍味をあじわう以上の、気持よさと満足をおぼえた。(以下略)
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インディアン山から、まっすぐに九マイル西北の地点には何がありますか。
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インディアン山から九マイル西北の地点には、マカーガー峡谷があります。
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JCRRAG_001015
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国語
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真夏の夢
ストリンドベルヒ August Strindberg
有島武郎訳
北の国も真夏のころは花よめのようなよそおいをこらして、大地は喜びに満ち、小川は走り、牧場の花はまっすぐに延び、小鳥は歌いさえずります。その時一羽の鳩が森のおくから飛んで来て、寝ついたなりで日をくらす九十に余るおばあさんの家の窓近く羽を休めました。
物の二十年も臥せったなりのこのおばあさんは、二人のむすこが耕すささやかな畑地のほかに、窓越しに見るものはありませなんだが、おばあさんの窓のガラスは、にじのようなさまざまな色のをはめてあったから、そこからのぞく人間も世間も、普通のものとは異なっていました。まくらの上でちょっと頭さえ動かせば、目に見える景色が赤、黄、緑、青、鳩羽というように変わりました。冬になって木々のこずえが、銀色の葉でも連ねたように霜で包まれますと、おばあさんはまくらの上で、ちょっと身動きしたばかりでそれを緑にしました。実際は灰色でも野は緑に空は蒼く、世の中はもう夏のとおりでした。おばあさんはこんなふうで、魔術でも使える気でいるとたいくつをしませんでした。そればかりではありません。この窓ガラスにはもう一つ変わった所があって、ガラスのきざみ具合で見るものを大きくも小さくもする事ができるようになっておりました。だからもし大きなむすこが腹をたてて帰って来て、庭先でどなりでもするような事があると、おばあさんは以前のような、小さい、言う事をきく子どもにしようと思っただけで、即座にちっぽけに見る事もできましたし、孫たちがよちよち歩きで庭に出て来るのを見るにつけ、そのおい先を考えると、ワン、ツー、スリー、拡大のガラスからのぞきさえすれば、見るまに背の高い、育ち上がったみごとな大男になってしまいました。
こんなおもしろい窓ではありますが、夏が来るとおばあさんはその窓をあけ放させました。いかな窓でも夏の景色ほどな景色は見せてくれませんから。さて夏の中でもすぐれた美しい聖ヨハネ祭に、そのおばあさんが畑と牧場とを見わたしていますと、ひょっくり鳩が歌い始めました。声も美しくエス・キリスト、さては天国の歓喜をほめたたえて、重荷に苦しむものや、浮き世のつらさの限りをなめたものは、残らず来いとよび立てました。
おばあさんはそれを聞きましたが、その日はこの世も天国ほどに美しくって、これ以上のものをほしいとも思いませんでしたから、礼を言って断わってしまいました。
で鳩は今度は牧場を飛び越して、ある百姓がしきりと井戸を掘っている山の中の森に来ました。その百姓は深い所にはいって、頭の上に六尺も土のある様子はまるで墓のあなの底にでもいるようでした。
あなの中にいて、大空も海も牧場も見ないこんな人こそは、きっと天国に行きたいにちがいないと思いましたから、鳩は木の枝の上で天国の歓喜を鳩らしく歌い始めました。
ところが百姓は、
「いやです。私はまず井戸を掘らんければなりません。でないと夏分のお客さんは水にこまるし、あのかわいそうな奥さんと子ども衆もいなくなってしまいますからね」
と言いました。
で鳩は今度は海岸に飛んで行きました。そこではさきほどの百姓の兄弟にあたる人が引き網をしていました。鳩は蘆の中にとまって歌いました。
その男も言いますには、
「いやです。私は何より先に家で食うだけのものを作らねばなりません。でないと子どもらがひもじいって泣きます。あとの事、あとの事。まだ天国の事なんか考えずともよろしい。死ぬ前には生きるという事があるんだから」
で鳩はまた百姓の言ったかわいそうな奥さんが夏を過ごしている、大きないなかの住宅にとんで行きました。その時奥さんは縁側に出て手ミシンで縫物をしていました。顔は百合の花のような血の気のない顔、頭の毛は喪のベールのような黒い髪、しかして罌粟のような赤い毛の帽子をかぶっていました。奥さんは聖ヨハネの祭日にむすめに着せようとして、美しい前掛けを縫っていました。むすめはお母さんの足もとの床の上にすわって、布切れの端を切りこまざいて遊んでいました。(以下略)
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おばあさんは何年臥せったなりですか。
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おばあさんは、二十年も臥せったなりです。
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JCRRAG_001016
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国語
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西洋科学は素晴らしい
C. スミス C. Smith
The Creative CAT 訳
一人の火星人と三人の共産主義者の出任せ話でございます
火星人は御影石の小さな断崖の上に座っていた。そよ風を楽しめるように小ぶりな樅の木の形態を取っている。尖った常緑樹の葉の間を風が気持ちよく吹いていった。
崖下に一人のアメリカ人が立っていた。火星人が目にした初めてのアメリカ人である。
アメリカ人はポケットから魅惑的なまでに巧妙な装置を取り出した。金属製の小箱で、ノズルが持ち上がると即座に炎を発した。彼は苦もなくこの神秘の装置から、至福を齎す薬草の詰まった円筒に火を移した。火星人はこれがアメリカ人たちがシガレットと呼ぶものであることを理解した。アメリカ人がシガレットに火をつけ終わった時、彼は形態を変えた。今度は身長五メートルの紅顔白髯の中国人扇動家の姿である。彼はアメリカ人に向かって英語で叫んだ。「ハロー、フレンド!」
見上げたアメリカ人の顎は今にも外れそうになった。
火星人は崖を降り、静かにアメリカ人に近寄って行った。あまり怖がらせないようにゆっくりと。
それにもかかわらず、アメリカ人は随分気に病んだようだ。というものこんな事を言ったから「お前は現実ではないな? そんなことあるもんか。それともひょっとして?」
火星人はそっとアメリカ人の心の中を覗いて、身長五メートルの中国人扇動家像はアメリカ人の日常心理において安心を齎すものではないと理解した。彼はアメリカ人の心の中で安心感のあるイメージを探した。まずそのアメリカ人の母親のイメージが見つかったので、すぐさまその姿に変態してこう答えた「現実とは何、ダーリン?」
するとアメリカ人は僅かに青ざめて片手で両目を覆った。火星人は再度アメリカ人の心に入り込み、いささか混乱したイメージを探り当てた。
アメリカ人が目を開くと、今度は火星人が若い赤十字の看護婦の姿を取って、ストリップショーを繰り広げている最中だった。歓心を誘うための手順だったにも拘らず、アメリカ人は安心しなかった。恐怖が怒りに転じ、彼は言った「お前は一体何者だ?」
火星人の親切心もここまでだった。オックスフォードあがりの中国国民党軍大将軍の姿となり、イギリス訛り丸出しでこう言った。「私はこの地に棲む若干超自然的な『モノ』として知られておる。気にしないでくれたら嬉しい。西洋科学は実に素晴らしい。よって私は貴方の手の中にある魅力的な機械を調べなければならない。少し話をする時間をいただけないだろうか。」
アメリカ人の心に混乱したイメージの断片が浮かぶのが見て取れた。何やら「禁酒法」とかいうものや、別の「酒を控えるオン・ザ・ワゴン」とかいうものと関連がありそうだった。そして何度も繰り返す「なぜこの俺がこんな所に?」という疑問や。
その間、火星人はライターを検めた。
アメリカ人の手に戻しても、彼は硬直したままだった。
「実によくできた魔法だ」と火星人。「このあたりの岩山ではこの種のことができぬ。私は幾分下級の悪魔でね。貴方は著名なる合衆国陸軍の大尉殿とお見受けする。自己紹介を許されたい。私は羅漢の第一三八七二二九代東方従位輪廻である。雑談する時間はおありかな?」
アメリカ人の目には国民党軍の制服が映っていた。振り返ると、中国人の荷役人夫も通訳も谷間の草地の上で束ねた雑巾のようにひっくり返っているではないか。すっかり気絶していたのだ。ようやくの事で気を取り直したアメリカ人は言った「ラカンだって?」
「羅漢は阿羅漢の一なり」と火星人。
どちらの情報もアメリカ人には受け取ってもらえず、火星人は、どうやらアメリカ軍人と知己を得るに好適な環境をもはや失してしまったと結論した。がっかりした火星人はアメリカ人の心から自分の記憶を消し、気絶した中国人たちの心にも同様の処置を施した。彼は自分の体を崖の上に植え直し、再び樅の木の形態となって、全員の目を覚ました。中国人通訳がアメリカ人に身振り手振りで示しているのを見て、通訳が「この丘には悪魔がいるんです……」と説明しているのがわかった。
アメリカ人がこの話を迷信深い中国人の戯言として腹の底から笑い飛ばすのを見て、火星人はむしろ喜んだ。
彼が見つめる中、一隊は神秘の美を湛える小さな八口河湖の向こうに立ち去っていった。
これは一九四五年のことだった。
火星人はライターを物質化しようと何時間も頭を捻ったが、出来上がったものは何をどうやっても数時間以内に原始的悪臭に戻ってしまった。
時は移って一九五五年。火星人は一人のソ連軍人がやってくると耳にした。神秘的なまでに先端的な西洋世界から来たもう一人の人物と知り合いになるのを心待ちにしていた。(以下略)
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火星人はどこに座っていましたか。
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火星人は、御影石の小さな断崖の上に座っていました。
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JCRRAG_001017
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国語
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鳥について
砂東 塩
部屋に鳥がいる。
巣箱を模して五角形に曲げられたワイヤーの屋根部分には丸い輪があり、そこに紐を通して天井から吊り下げられ、ワイヤーとビーズで作られた鳥が重たげな体でとまっている。
ビーズは透明な赤、青、緑、黄の四色。ワイヤーをぐるぐる巻きにしたトンボの眼鏡のような直径一センチほどの目が赤い顔につけられていて、左右の目の位置が上下にずれているから正面から見ると酔っ払ったオヤジだ。太い嘴は青く、数が足りなかったのか赤いビーズがひとつだけ使われている。ずんぐりした胴体に比べて頼りない足。お尻に生えた十数本のワイヤーは長い尾羽。
私が鳥をもらったのは十年以上前になる。何度か店に来た客で、南アフリカに帰るから記念にと言って渡された。名前は知らない。顔も覚えていないけれど、体つきは鳥に似ていた気がする。
廃業して自宅に持って帰ってきた鳥の尾羽には、たまに洗濯したマイバッグを掛けて干している。尾羽の端が鳴門の渦潮みたいにぐるぐるに巻かれているが、巻いたのは以前同じ建物で商売していた女性だ。彼女とはもうずいぶん連絡をとっていない。子どもが生まれたことはフェイスブックで知った。今のところ巻いた尾羽を伸ばす気はない。
鳥は、天井のライトを点けるとビーズが光って南国にいる原色の鳥のように見えるが、普段は気配なく吊るされ、頭をぶつけて存在に気づく。鳥のことを書く気になったのはパソコンに向かって頬杖をついた先に鳥がいたからだ。
立ち上がって観察してみると、驚いたことに鳥には翼がなかった。背に五、六センチのワイヤーが段になってついているだけで、羽かもしれないが翼ではない。同じ体つきでもペンギンの方がよほど飛べそうだ。重い体はワイヤー二本で固定され、一本切ったら逆さ吊りになるだろう。巣から解放してやっても歩くには尾羽が長すぎる。
飛べない、歩けない鳥は巣にとまっている。
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ワイヤーは何を模して五角形に曲げられていますか。
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ワイヤーは巣箱を模して五角形に曲げられています。
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JCRRAG_001018
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国語
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世界怪談名作集
幽霊の移転
ストックトン Francis Richard Stockton
岡本綺堂訳
ジョン・ヒンクマン氏の田園住宅は、いろいろの理由から僕にとっては甚だ愉快な場所で、やや無遠慮ではあるが、まことに居心地のよい接待ぶりの寓居であった。庭には綺麗に刈り込んだ芝原と、塔のように突っ立った槲や楡の木があって、ほかにも所どころに木立ちが茂っていた。家から遠くないところに小さい流れがあって、そこには皮付きの粗末な橋が架けてあった。
ここらには花もあれば果物もあり、愉快な人たちも住んでいて、将棋、玉突き、騎馬、散歩、魚釣りなどの遊戯機関もそなわっていた。それらはもちろん、大いに人を惹くの力はあったが、単にそれだけのことでは、そこに長居をする気にはなれない。僕は鱒の捕れる時節に招待されたのであるが、まず初夏の時節をよしとして訪問したのである。草は乾いて、日光はさのみ暑からず、そよそよと風が吹く。その時、わがマデライン嬢とともに、枝の茂った楡の下蔭をそぞろに歩み、木立のあいだをしずかに縫ってゆくのであった。
僕はわがマデライン嬢といったが、実のところ、彼女はまだ僕のものではないのである。彼女はその身を僕に捧げたというわけでもなく、僕のほうからもまだなんとも言い出したのではなかったが、自分が今後この世に生きながらえてゆくには、どうしても彼女をわがものにしなければならないと考えているので、自分の腹のうちだけでは、彼女をわがマデラインと呼んでいるのであった。自分の考えていることを早く彼女の前に告白してしまえば、こんな独りぎめなどをしている必要はないのであるが、さてそれが非常にむずかしい事件であった。
それはすべての恋する人が恐れるように、およそ恋愛の成るか成らぬかの間にまた楽しい時代があるのであるから、にわかにそれを突破して終末に近づき、わが愛情の目的物との交通または結合を手早く片付けてしまうのを恐れるばかりでなく、僕は主人のジョン・ヒンクマン氏を大いに恐れているがためであった。かの紳士は僕のよい友達ではあるが、彼にたいしておまえの姪をくれと言い出すのは、僕以上の大胆な男でなければ出来ないことであった。彼女は主としてこの家内いっさいのことを切り廻している上に、ヒンクマン氏がしばしば語るところによれば、氏は彼女を晩年の杖はしらとも頼んでいるのであった。この問題について、マデライン嬢が承諾をあたえる見込みがあるなら断然それを切り出すだけの勇気を生じたでもあろうが、前にもいう通りの次第で、僕は一度も彼女にそれを打ち明けたことはなく、ただそれについて、昼も夜も――ことに夜は絶えず思い明かしているだけのことであった。
ある夜、僕は自分の寝室にあてられた広びろしい一室の、大きいベッドの上に身を横たえながら、まだ眠りもやらずにいると、この室内の一部へ映し込んできた新しい月のぼんやりした光りによって、主人のヒンクマン氏がドアに近い大きい椅子に沿うて立っているのを見た。
僕は非常に驚いたのである。それには二つの理由がある。第一、主人はいまだかつて僕の部屋へ来たことはないのである。第二、彼はけさ外出して、幾日間は帰宅しないはずである。それがために、僕は今夜マデライン嬢とあいたずさえて、月を見ながら廊下に久しく出ていることが出来たのであった。今ここにあらわれた人の姿は、いつもの着物を着ているヒンクマン氏に相違なかったが、ただその姿のなんとなく朦朧たるところがたしかに幽霊であることを思わせた。
善良なる老人は途中で殺されたのであろうか。そうして、彼の魂魄がその事実を僕に告げんとして帰ったのであろうか。さらにまた、彼の愛する――の保護を僕に頼みに来たのであろうか。こう考えると、僕の胸はにわかにおどった。
その瞬間に、かの幽霊のようなものは話しかけた。
「あなたはヒンクマン氏が今夜帰るかどうだか、ご承知ですか」
彼は心配そうな様子である。この場合、うわべに落ち着きを見せなければならないと思いながら、僕は答えた。
「帰りますまい」
「やれ、ありがたい」と、彼は自分の立っていたところの椅子に倚りながら言った。「ここの家に二年半も住んでいるあいだ、あの人はひと晩も家をあけたことはなかったのです。これで私がどんなに助かるか、あなたにはとても想像がつきますまいよ」
こう言いながら、彼は足をのばして背中を椅子へ寄せかけた。その姿かたちは以前よりも濃くなって、着物の色もはっきりと浮かんできて、心配そうであった彼の容貌も救われたように満足の色をみせた。
「二年半……」と、僕は叫んだ。「君の言うことは分からないな」
「わたしがここへ来てから、たしかにそれほどの長さになるのです」と、幽霊は言った。「なにしろ私のは普通の場合と違うのですからな。それについて少しお断わりをする前に、もう一度おたずね申しておきたいのはヒンクマン氏のことですが、あの人は今夜たしかに帰りませんか」
「僕の言うことになんでも嘘はない」と、僕は答えた。「ヒンクマン氏はきょう、二百マイルも遠いブリストルへいったのだ」(以下略)
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ヒンクマン氏はきょうどこへいきましたか。
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ヒンクマン氏は、きょう、二百マイルも遠いブリストルへいきました。
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JCRRAG_001019
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国語
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共食い金魚
砂東 塩
ぬるく、ゆるやかに対流する閉じた世界。水のなかで食いちぎられた尾びれを揺らしながらプラスチック越しに見える景色。小さな魚たちは、空気の充満したこの重苦しい世界に憧れたりするのだろうか。
頭上に浮かぶ餌、エアポンプから排出される酸素。プラスチックでできた水草は光を受けても光合成しない。薄暗い部屋の隅、小さな魚たちは小さな水槽のなかで数枚の人工の草陰に隠れる。けれどあの大きな赤い生き物はそれを押しのけ、ぬるく濁った水とともにすべてを飲み込んでしまう。
丸飲みされて、溶けて、排出される。
◇
寝苦しさに目が覚めた。首筋に張り付いた髪を無造作にかきあげたその手で鎖骨から胸元までを拭う。じっとりと濡れた肌、空気中の水分はゆるく締め付けるように脳を圧迫してくる。首を振るが、偏頭痛は変わらずそこにあった。
嫌な夢を見た気がする。
はっきりとは思い出せないけれど、体の芯でまだぞわぞわとうごめいている圧迫感と不安感、焦燥感の名残に、私は最近繰り返し見るいつもの夢なのだろうと思った。金魚に食われる金魚の夢だ。寝室の隅では水槽が低く唸り続けている。私の隣では夫が寝ている。
夏祭りの夜、金魚すくいなどしなかった。なのにうちには金魚がいる。当日の夜まで出かける約束もしていなかったし、浴衣も準備もしておらず、部屋着の白いTシャツにジーンズ、ビーチサンダルという出で立ちで、今隣に寝ている夫も似たような格好だった。夕飯のカレーライスを半分ほど食べたときに聞こえたパンパンという乾いた花火の音に誘われ、「行ってみるか」と半分だるそうに口にしたのは夫。私と夫は結婚十一年目。子どもができないまま、互いの趣味はそれぞれに持ち、約束して出かけることなんて年に何度もなく、二人での外出は常に行き当たりばったりだ。
私たちはかき氷を買ってフラフラ歩き、公園の端でベンチに座って、手持ち花火に興じる数人の子どもたちをながめ、はしゃぐ彼らを諌める大人たちを横目にうかがい、かき氷のカップが空になった頃には子どもたちもその親らしき大人もいなくなっていた。屋台のまわりも人はまばらになり、そろそろ売り切って片付けてしまおうという雰囲気だった。
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私の隣で寝ているのは誰ですか。
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私の隣で寝ているのは夫です。
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JCRRAG_001020
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国語
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動物物語 狼の王ロボ
アーネスト・トムソン・シートン
薄田斬雲訳
おおかみ狩りの勧誘状
「カランポーの谷の王様おおかみロボの首に、一千ドルの懸賞がかけられた。」
このうわさは、土地の新聞から全メキシコへひろまった。カランポーというのは、北部メキシコを流れている川の名だ。その川の流域には、広々とした草原が開け、それが大きな牧場になっていた。ところがこの谷に一群のおおかみがすんでいて、しきりに家畜をあらす。そのおおかみの群れの王と見られるのは、土地の人々からロボと呼ばれる、まことに悪がしこく獰猛なやつであった。
土地の羊飼達はもちろん、よそからもおおかみ狩りを自慢の連中が続々とやってきて、この悪獣を退治しようとしたのであったが、いずれも失敗して引きあげる。そこでこの一千ドルの懸賞広告が新聞にでたのである。
そのときカランポーに住む友人から、私のところへ、このおおかみ狩りをすすめる手紙がきた。その一節に、こんな文句があった。
「このロボというのは、灰色の大きなおおかみで、カランポー狼群の王といわれるだけにとても知恵がはたらき、毒薬にもわなにもかからない。この地方の牧場でその害をこうむらないものはなく、深夜はるかにその長くひいた異様なほえ声を聞くと、たれでもぞっと身ぶるいがするという。ロボの一党は、非常に数が多いようにいわれているが、私の調べたところでは、五、六頭にすぎないようだ。しかし、どれもこれも狂暴なやつばかりである。私には今のところそれを退治るいい工夫が浮かばん。このさいきみの腕にたよるほかない……」
さんざんな失敗
私は以前、おおかみ狩りをしたことがあるが、おおかみを追っかけまわる痛快さといったらない。そのときの味がわすれられないので、友からの手紙を受けとるとろくに準備もしないでカランポーへ乗りこんだ。
友は大喜びで私を迎えてくれた。その晩は何年ぶりかで一緒に酒を酌みかわしながら、私はくわしくようすを聞いた。
友は語る、
「このあいだも、テキサス州から、タンナリーという男が、おおかみ狩りはおれにかぎると大元気で乗り込んできた。相当経験があるらしく、小銃や短銃も高価なものをもち、乗馬と二十頭の猟犬を連れていた。それで『明日にもロボの首を取ってきて床の間の飾り物にする』と大きなことをいっていたものさ。ところが初日でみごと失敗してしまった。というのは、このタンナリーは、テキサス州の平な草原のおおかみ狩りにはなれてもいたろうが、このカランポーの谷は、高低があって、川の支流が縦横にいりまじっている。猟犬はきたばかりの不案内の土地なので、狼群を追いつつ四方へちっていったのはいいが、勝手を知ったロボの群れにひどい逆襲をくらって、夕方帰ってきたのは、たった六頭。その中二頭はあばらをかみさかれているというみじめさだ。タンナリーはその後も二回でかけたが、一層の不成功で、最後の日には、その乗馬が断崖からころがり落ちて死んだ。彼が、すっかり力をおとして、テキサス州へ帰ったのは一昨日のことさ。」
(以下略)
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ロボの首にかけられた懸賞は何ドルでしたか。
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ロボの首にかけられた懸賞は一千ドルです。
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JCRRAG_001021
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国語
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動物物語 狼の王ロボ
アーネスト・トムソン・シートン
薄田斬雲訳
おおかみ狩りの勧誘状
「カランポーの谷の王様おおかみロボの首に、一千ドルの懸賞がかけられた。」
このうわさは、土地の新聞から全メキシコへひろまった。カランポーというのは、北部メキシコを流れている川の名だ。その川の流域には、広々とした草原が開け、それが大きな牧場になっていた。ところがこの谷に一群のおおかみがすんでいて、しきりに家畜をあらす。そのおおかみの群れの王と見られるのは、土地の人々からロボと呼ばれる、まことに悪がしこく獰猛なやつであった。
土地の羊飼達はもちろん、よそからもおおかみ狩りを自慢の連中が続々とやってきて、この悪獣を退治しようとしたのであったが、いずれも失敗して引きあげる。そこでこの一千ドルの懸賞広告が新聞にでたのである。
そのときカランポーに住む友人から、私のところへ、このおおかみ狩りをすすめる手紙がきた。その一節に、こんな文句があった。
「このロボというのは、灰色の大きなおおかみで、カランポー狼群の王といわれるだけにとても知恵がはたらき、毒薬にもわなにもかからない。この地方の牧場でその害をこうむらないものはなく、深夜はるかにその長くひいた異様なほえ声を聞くと、たれでもぞっと身ぶるいがするという。ロボの一党は、非常に数が多いようにいわれているが、私の調べたところでは、五、六頭にすぎないようだ。しかし、どれもこれも狂暴なやつばかりである。私には今のところそれを退治るいい工夫が浮かばん。このさいきみの腕にたよるほかない……」
さんざんな失敗
私は以前、おおかみ狩りをしたことがあるが、おおかみを追っかけまわる痛快さといったらない。そのときの味がわすれられないので、友からの手紙を受けとるとろくに準備もしないでカランポーへ乗りこんだ。
友は大喜びで私を迎えてくれた。その晩は何年ぶりかで一緒に酒を酌みかわしながら、私はくわしくようすを聞いた。
友は語る、
「このあいだも、テキサス州から、タンナリーという男が、おおかみ狩りはおれにかぎると大元気で乗り込んできた。相当経験があるらしく、小銃や短銃も高価なものをもち、乗馬と二十頭の猟犬を連れていた。それで『明日にもロボの首を取ってきて床の間の飾り物にする』と大きなことをいっていたものさ。ところが初日でみごと失敗してしまった。というのは、このタンナリーは、テキサス州の平な草原のおおかみ狩りにはなれてもいたろうが、このカランポーの谷は、高低があって、川の支流が縦横にいりまじっている。猟犬はきたばかりの不案内の土地なので、狼群を追いつつ四方へちっていったのはいいが、勝手を知ったロボの群れにひどい逆襲をくらって、夕方帰ってきたのは、たった六頭。その中二頭はあばらをかみさかれているというみじめさだ。タンナリーはその後も二回でかけたが、一層の不成功で、最後の日には、その乗馬が断崖からころがり落ちて死んだ。彼が、すっかり力をおとして、テキサス州へ帰ったのは一昨日のことさ。」
(以下略)
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カランポーとは何ですか。
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カランポーは、メキシコを流れている川の名です。
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JCRRAG_001022
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国語
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共食い金魚
砂東 塩
ぬるく、ゆるやかに対流する閉じた世界。水のなかで食いちぎられた尾びれを揺らしながらプラスチック越しに見える景色。小さな魚たちは、空気の充満したこの重苦しい世界に憧れたりするのだろうか。
頭上に浮かぶ餌、エアポンプから排出される酸素。プラスチックでできた水草は光を受けても光合成しない。薄暗い部屋の隅、小さな魚たちは小さな水槽のなかで数枚の人工の草陰に隠れる。けれどあの大きな赤い生き物はそれを押しのけ、ぬるく濁った水とともにすべてを飲み込んでしまう。
丸飲みされて、溶けて、排出される。
◇
寝苦しさに目が覚めた。首筋に張り付いた髪を無造作にかきあげたその手で鎖骨から胸元までを拭う。じっとりと濡れた肌、空気中の水分はゆるく締め付けるように脳を圧迫してくる。首を振るが、偏頭痛は変わらずそこにあった。
嫌な夢を見た気がする。
はっきりとは思い出せないけれど、体の芯でまだぞわぞわとうごめいている圧迫感と不安感、焦燥感の名残に、私は最近繰り返し見るいつもの夢なのだろうと思った。金魚に食われる金魚の夢だ。寝室の隅では水槽が低く唸り続けている。私の隣では夫が寝ている。
夏祭りの夜、金魚すくいなどしなかった。なのにうちには金魚がいる。当日の夜まで出かける約束もしていなかったし、浴衣も準備もしておらず、部屋着の白いTシャツにジーンズ、ビーチサンダルという出で立ちで、今隣に寝ている夫も似たような格好だった。夕飯のカレーライスを半分ほど食べたときに聞こえたパンパンという乾いた花火の音に誘われ、「行ってみるか」と半分だるそうに口にしたのは夫。私と夫は結婚十一年目。子どもができないまま、互いの趣味はそれぞれに持ち、約束して出かけることなんて年に何度もなく、二人での外出は常に行き当たりばったりだ。
私たちはかき氷を買ってフラフラ歩き、公園の端でベンチに座って、手持ち花火に興じる数人の子どもたちをながめ、はしゃぐ彼らを諌める大人たちを横目にうかがい、かき氷のカップが空になった頃には子どもたちもその親らしき大人もいなくなっていた。屋台のまわりも人はまばらになり、そろそろ売り切って片付けてしまおうという雰囲気だった。
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私が最近繰り返し見る夢は、どんな夢ですか。
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私が最近繰り返し見る夢は、金魚に食われる金魚の夢です。
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JCRRAG_001023
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国語
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動物物語 狼の王ロボ
アーネスト・トムソン・シートン
薄田斬雲訳
おおかみ狩りの勧誘状
「カランポーの谷の王様おおかみロボの首に、一千ドルの懸賞がかけられた。」
このうわさは、土地の新聞から全メキシコへひろまった。カランポーというのは、北部メキシコを流れている川の名だ。その川の流域には、広々とした草原が開け、それが大きな牧場になっていた。ところがこの谷に一群のおおかみがすんでいて、しきりに家畜をあらす。そのおおかみの群れの王と見られるのは、土地の人々からロボと呼ばれる、まことに悪がしこく獰猛なやつであった。
土地の羊飼達はもちろん、よそからもおおかみ狩りを自慢の連中が続々とやってきて、この悪獣を退治しようとしたのであったが、いずれも失敗して引きあげる。そこでこの一千ドルの懸賞広告が新聞にでたのである。
そのときカランポーに住む友人から、私のところへ、このおおかみ狩りをすすめる手紙がきた。その一節に、こんな文句があった。
「このロボというのは、灰色の大きなおおかみで、カランポー狼群の王といわれるだけにとても知恵がはたらき、毒薬にもわなにもかからない。この地方の牧場でその害をこうむらないものはなく、深夜はるかにその長くひいた異様なほえ声を聞くと、たれでもぞっと身ぶるいがするという。ロボの一党は、非常に数が多いようにいわれているが、私の調べたところでは、五、六頭にすぎないようだ。しかし、どれもこれも狂暴なやつばかりである。私には今のところそれを退治るいい工夫が浮かばん。このさいきみの腕にたよるほかない……」
さんざんな失敗
私は以前、おおかみ狩りをしたことがあるが、おおかみを追っかけまわる痛快さといったらない。そのときの味がわすれられないので、友からの手紙を受けとるとろくに準備もしないでカランポーへ乗りこんだ。
友は大喜びで私を迎えてくれた。その晩は何年ぶりかで一緒に酒を酌みかわしながら、私はくわしくようすを聞いた。
友は語る、
「このあいだも、テキサス州から、タンナリーという男が、おおかみ狩りはおれにかぎると大元気で乗り込んできた。相当経験があるらしく、小銃や短銃も高価なものをもち、乗馬と二十頭の猟犬を連れていた。それで『明日にもロボの首を取ってきて床の間の飾り物にする』と大きなことをいっていたものさ。ところが初日でみごと失敗してしまった。というのは、このタンナリーは、テキサス州の平な草原のおおかみ狩りにはなれてもいたろうが、このカランポーの谷は、高低があって、川の支流が縦横にいりまじっている。猟犬はきたばかりの不案内の土地なので、狼群を追いつつ四方へちっていったのはいいが、勝手を知ったロボの群れにひどい逆襲をくらって、夕方帰ってきたのは、たった六頭。その中二頭はあばらをかみさかれているというみじめさだ。タンナリーはその後も二回でかけたが、一層の不成功で、最後の日には、その乗馬が断崖からころがり落ちて死んだ。彼が、すっかり力をおとして、テキサス州へ帰ったのは一昨日のことさ。」
(以下略)
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ロボは何色ですか。
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ロボは、灰色です。
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JCRRAG_001024
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国語
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やどなし犬
鈴木三重吉
一
むかし、アメリカの或小さな町に、人のいい、はたらきものの肉屋がいました。冬の半の或寒い朝のことでした。外は、ひどい風が雨を横なぐりにふきつけて、びゅうびゅうあれつづけています。人々は、こうもりのえにかたくつかまりながら、ころがるようなかっこうをして、つとめの場所へ出ていきます。肉屋は、店のわかいものたちと一しょに、かじかんだ手で、肉切ぼうちょうをといでいました。
すると、店のまえのたたきのところへ、一ぴきのやせた犬がびしょぬれになって、のそりのそりとやって来ました。そして、はげしいしぶきの中に、のこりとすわって、店先に下っている肉のかたまりを、じろじろ見上げていました。どこかのやどなし犬でしょう。肉屋もこれまで見たこともないきたならしい犬でした。骨ぐみは小さくもありませんが、どうしたのか、ひどくやせほそって、下腹の皮もだらりとしなび下っています。寒いのと、おそらくひもじいのと両方で、からだをぶるぶるふるわせ、下あごをがたがたさせながら、引きつれたような、ぐったりした顔をして、じろじろと、かぎにかかった肉を見つめています。
肉屋は、おどけた目つきをして、ちょいちょいそのやせ犬を見やりながら、ほうちょうをこすっていました。犬は肉屋の注意を引くように、ときどきくんくん鼻をならしてはこっちを見ます。そのうちに肉屋はほうちょうをとぎおえて、刃先をためすために、そばの大きな肉のはしの、ざらざらになったところを、少しばかり切り落しました。そして、
「ほら。」と言って、やせ犬になげてやりました。すると犬は、それが地びたへおちないうちに、ぴょいと上手に口へうけて、ぱくりと一口にのみこんでしまいました。肉屋はおもしろはんぶんに、こんどは少し大きく切りとって、ぽいとたかくなげて見ました。犬はさっと後足で立ち上って、それをも上手にうけとり、がつがつと二どばかりかんでのみこみました。
「へえ、こいつはまるでかるわざ師だ。どうだい、牛一ぴきのこらずくうまでかるわざをやるつもりかい? ほら、来た。よ、もう一つ。ほうら。よ、ほら。」と、肉屋はあとからあとからと何どとなく切ってはなげました。犬は、そのたんびに、ぴょいぴょいと上手にとって、ぱくぱく食べてしまいます。
「おまいは、おれの店の肉をみんなくっていく気だな? さあ、もうこれでおしまいだ。そのかわり少々かたいぞ。」と、肉屋は最後に、出来るだけわるいところをどっさり切ってなげつけました。しかし、犬はもうそのしまいの一きれだけは食べようともしずに、しばらくそれをじろじろ見つめています。
「何だ。何を考えてるんだい。」と肉屋は思いました。そのうちに、犬はふと、その肉をくわえるなり、どんどん、町角の方へかけさってしまいました。
そのあくる日は、からりと晴れたいいお天気でした。きのうの雨できれいにあらわれた往来にはもくもくと黄色い日かげがさしています。人々はあいかわらず急ぎ足で仕事に出ていきます。肉屋は、きょうは極上等の肉をどっさりつるして、お客をまっていました。すると、そこへ、きのうの犬がまたのこりと出て来て、同じように、たたきの上にすわったまま、じろじろと肉のきれを見上げています。
「ほう、また来たな。」と肉屋は言いました。
「来い来い。はいって来い。」と、チュッチュッと舌をならしますと、犬はこわごわ店の中へはいって来ました。
「ほら、ここまで来い。どら。」と肉屋はこごんで、かるく犬ののどの下をもち上げながら、
「へえ、かわいい目つきをしてるね、おまいは。毛並もよくちぢれていて上等だ。ちょっと歯を見せろ。歯なみもなかなかりっぱだ。おまいはおれの店の番人になるか。え? 今んとこはまったくやせ犬の見本みたいだが、二週間もたてばむくむくこえていい犬になる。おい、おれんとこにもいい犬がいたんだよ。そいつがにげ出して殺されたんだ。おまいは、かわりに、おれんとこの子になるか。なる? おお、よしよし。」
肉屋が右手でくびのところをだくようにしますと、犬は、言われたことがわかったように、肉屋の左手の甲をぺろぺろなめました。犬はそのまま夕方まで肉屋の店先で番をしました。あたりの犬たちが出て来て、店の中へもぐりこもうとでもしますと、やせ犬はうゝうときばをむいておいまくり、うろんくさい乞食が店先に立つと、わんわんほえておいのけてしまいます。それはなかなか気がきいたものです。とおりに何かへんな物音がすると、すぐにとんでいって、じいっと見きわめをつけ何でもないとわかればのそのそかえって、店先にすわっているという調子です。
日がはいると、肉屋はくちぶえをならしてよび入れました。そして、やさしく背中をたたいたあとで、大きな肉のきれをなげてやりました。ところが犬はそれをたべないで、口にくわえて外へ出てしまいました。そして、どんどん走って、きのうのとおりに、町かどの向うへかき消えてしまいました。
「何だ。」と肉屋は、すっぽかされたような気がしました。しかし、あんなにおれになついて、一日中番をしていたくらいだから、夜になったらまたかえって来るかも知れないと思いながら、それとはなしにまっていましたが、夜おそくなっても、犬はそれなりとうとうかえって来ませんでした。
「やっぱりのら犬はのら犬だ。一ぺんでいっちまやがった。」と、肉屋は寝がけに一人ごとを言いました。
ところが、あくる朝、店のものが戸をあけますと、犬は、もうとくから外へ来てまちうけていたように、ついと店へはいって、うれしそうに尾をふって肉屋のひざにとびつきました。
「よしよしよし。分ったよ分ったよ。」と肉屋は犬の両前足をにぎって、外のたたきの方へつれていきました。犬はそれからまた一日中、店先にいて、一生けんめいに番をしました。肉屋は夕方になると頭をなでて、きのうのとおりに、大きな肉のきれをやりました。ところが犬は、やはりそれを食べないで、口にくわえたまま、またどこかへいってしまいました。そしてあくる朝はまたちゃんと出て来て、店の番をしました。
(以下略)
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はたらきものの肉屋がいたのはどんな町ですか。
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はたらきものの肉屋がいたのは、アメリカの小さな町です。
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JCRRAG_001025
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国語
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ジーキル博士とハイド氏の怪事件
THE STRANGE CASE OF DR. JEKYLL AND MR. HYDE
スティーヴンスン Stevenson Robert Louis
佐々木直次郎訳
(中略)
弁護士のアッタスン氏は、いかつい顔をした男で、微笑なぞ決して浮かべたことがなかった。話をする時は冷ややかで、口数も少なく、話下手だった。感情はあまり外に出さなかった。やせていて、背が高く、そっけなくて、陰気だが、それでいて何となく人好きのするところがあった。気らくな会合などでは、とくに口に合った酒が出たりすると、何かしらとても優しいものが彼の眼から輝いた。実際、それは彼の話の中には決して出て来ないものであった。が、食後の顔の無言のシンボルであるその眼にあらわれ、また、ふだんの行いの中には、もっとたびたび、もっとはっきり、あらわれたのであった。彼は自分に対しては厳格で、自分ひとりの時にはジン酒を飲んで、葡萄酒をがまんした。芝居好きなのに、二十年ものあいだ劇場の入口をくぐったこともなかった。しかし他人にはえらく寛大で、人が元気にまかせて遊びまわるのを、さも羨ましげに、驚嘆することもあった。そして、彼らがどんな窮境に陥っている場合でも、とがめるよりは助けることを好んだ。「わたしはカインの主義*が好きだよ、」と、彼はよくこんな妙な言い方をするのだった。「兄弟が自分勝手に落ちぶれてゆくのを見ているだけさ。」こんな工合だから、堕落してゆく人たちには最後まで立派な知人となり、最後までよい感化を与える者となるような立場にたつことは、よくあった。そして、そういう人々に対しても、彼らが彼の事務所へ出入りしている限り、ちっともその態度を変えなかった。
もちろん、こういう芸当はアッタスン氏にとっては何でもないことであった。というのは、なにしろ感情をあらわさない男だったし、その友人関係でさえも同じような人のよい寛大さに基づいているらしかったので。ただ偶然にできた出来合いの友人だけで満足しているのは内気な人間の特徴であるが、この弁護士の場合もそうであった。彼の友人といえば、血縁の者か、でなければずうっと永い間の知り合いであった。彼の愛情は、常春藤のように、時と共に成長したものであって、相手が友人として適当だというわけではなかった。彼の遠縁で、有名な粋人であるリチャード・エンフィールド氏との友情も、むろんそうして出来たものだった。この二人がお互いに何を認めることができたのか、あるいはどんな共通の話題を見出すことができたのかということは、多くの人々にとって解きがたい難問であった。日曜日に二人が散歩しているのに出会った人たちの話によると、二人は口も利かず、ひどくつまらなさそうな顔付きをしていて、誰か知人の姿を見るといかにもほっとしたように声をかけるのが常だということであった。そのくせ、その二人はこの日曜の散歩をとても大事にして、毎週の一番の大切なものと考え、それを欠かさずに楽しむためには、いろんな遊びをとりやめたばかりではなく、しなければならぬ用事までもふり捨てたのであった。
そんな散歩をしていたある時のこと、二人がなにげなくロンドンのにぎやかな区域の横町を通りかかったことがあった。その横町はせまくて、まあ閑静な方だったが、それでも日曜以外の日には商売が繁盛していた。そこに住んでいる商人たちはみんな景気がよさそうであった。そして、みんなは競ってその上にも景気をよくしようと思い、儲けのあまりを惜しげもなく使って店を飾り立てた。だから、店々は、まるでにこやかな女売子の行列のように、客を招くような様子で道の両側にたち並んでいた。日曜日には、いつもの華やかな美しさも蔽われ、人通りも少なかったが、それでもその横町は、くすんだその付近とくらべると、森の中の火事のように照り映えていた。それに鎧戸は塗り換えたばかりだし、真鍮の標札は十分に磨き立ててあるし、街全体の調子がさっぱりしていて派手なので、すぐに通行人の眼をひき、喜ばせた。
東へ向って行って左手の、一つの街かどから二軒目のところに、路地の入口があって、街並はくぎられていた。そしてちょうどそこに、気味の悪い一枚の建物が切妻を街路に突き出していた。その建物は二階建で、一階に戸口が一つあるだけ、二階は色のあせた壁だけで、窓は一つもなく、どこを見ても永いことよごれ放題にしてあった跡があった。ベルもノッカーも取付けてない入口の戸は、いたんで変色していた。浮浪人はそのひっこんだ戸口へのそりのそりと入り込んで戸の鏡板でマッチを擦り、子供たちは踏段の上で店を張って遊び、学校の生徒は繰形でナイフの切味を験したりした。そしてもう三十年近くの間、誰ひとり出て来て、そういう勝手な客たちを追い払ったり、彼らの荒した跡を修繕したりする者もなかった。
エンフィールド氏と弁護士とは横町のその反対側を歩いていたが、路地の入口の真向いまでやって来ると、エンフィールド氏がステッキを上げて指した。
「あの戸口に気がついたことがありますか?」と彼は尋ねた。そして、相手がうなずくと、彼は言い足した、「あの戸口を見ると僕は妙な話を思い出すのです。」
「なるほど!」とアッタスン氏は言ったが、ちょっと声の調子が変っていた。「で、それはどんなことなのかね?」
(以下略)
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アッタスン氏は、ひとりの時には何を飲んでいましたか。
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アッタスン氏は、ひとりの時にはジン酒を飲んでいました。
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JCRRAG_001026
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国語
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ジーキル博士とハイド氏の怪事件
THE STRANGE CASE OF DR. JEKYLL AND MR. HYDE
スティーヴンスン Stevenson Robert Louis
佐々木直次郎訳
(中略)
弁護士のアッタスン氏は、いかつい顔をした男で、微笑なぞ決して浮かべたことがなかった。話をする時は冷ややかで、口数も少なく、話下手だった。感情はあまり外に出さなかった。やせていて、背が高く、そっけなくて、陰気だが、それでいて何となく人好きのするところがあった。気らくな会合などでは、とくに口に合った酒が出たりすると、何かしらとても優しいものが彼の眼から輝いた。実際、それは彼の話の中には決して出て来ないものであった。が、食後の顔の無言のシンボルであるその眼にあらわれ、また、ふだんの行いの中には、もっとたびたび、もっとはっきり、あらわれたのであった。彼は自分に対しては厳格で、自分ひとりの時にはジン酒を飲んで、葡萄酒をがまんした。芝居好きなのに、二十年ものあいだ劇場の入口をくぐったこともなかった。しかし他人にはえらく寛大で、人が元気にまかせて遊びまわるのを、さも羨ましげに、驚嘆することもあった。そして、彼らがどんな窮境に陥っている場合でも、とがめるよりは助けることを好んだ。「わたしはカインの主義*が好きだよ、」と、彼はよくこんな妙な言い方をするのだった。「兄弟が自分勝手に落ちぶれてゆくのを見ているだけさ。」こんな工合だから、堕落してゆく人たちには最後まで立派な知人となり、最後までよい感化を与える者となるような立場にたつことは、よくあった。そして、そういう人々に対しても、彼らが彼の事務所へ出入りしている限り、ちっともその態度を変えなかった。
もちろん、こういう芸当はアッタスン氏にとっては何でもないことであった。というのは、なにしろ感情をあらわさない男だったし、その友人関係でさえも同じような人のよい寛大さに基づいているらしかったので。ただ偶然にできた出来合いの友人だけで満足しているのは内気な人間の特徴であるが、この弁護士の場合もそうであった。彼の友人といえば、血縁の者か、でなければずうっと永い間の知り合いであった。彼の愛情は、常春藤のように、時と共に成長したものであって、相手が友人として適当だというわけではなかった。彼の遠縁で、有名な粋人であるリチャード・エンフィールド氏との友情も、むろんそうして出来たものだった。この二人がお互いに何を認めることができたのか、あるいはどんな共通の話題を見出すことができたのかということは、多くの人々にとって解きがたい難問であった。日曜日に二人が散歩しているのに出会った人たちの話によると、二人は口も利かず、ひどくつまらなさそうな顔付きをしていて、誰か知人の姿を見るといかにもほっとしたように声をかけるのが常だということであった。そのくせ、その二人はこの日曜の散歩をとても大事にして、毎週の一番の大切なものと考え、それを欠かさずに楽しむためには、いろんな遊びをとりやめたばかりではなく、しなければならぬ用事までもふり捨てたのであった。
そんな散歩をしていたある時のこと、二人がなにげなくロンドンのにぎやかな区域の横町を通りかかったことがあった。その横町はせまくて、まあ閑静な方だったが、それでも日曜以外の日には商売が繁盛していた。そこに住んでいる商人たちはみんな景気がよさそうであった。そして、みんなは競ってその上にも景気をよくしようと思い、儲けのあまりを惜しげもなく使って店を飾り立てた。だから、店々は、まるでにこやかな女売子の行列のように、客を招くような様子で道の両側にたち並んでいた。日曜日には、いつもの華やかな美しさも蔽われ、人通りも少なかったが、それでもその横町は、くすんだその付近とくらべると、森の中の火事のように照り映えていた。それに鎧戸は塗り換えたばかりだし、真鍮の標札は十分に磨き立ててあるし、街全体の調子がさっぱりしていて派手なので、すぐに通行人の眼をひき、喜ばせた。
東へ向って行って左手の、一つの街かどから二軒目のところに、路地の入口があって、街並はくぎられていた。そしてちょうどそこに、気味の悪い一枚の建物が切妻を街路に突き出していた。その建物は二階建で、一階に戸口が一つあるだけ、二階は色のあせた壁だけで、窓は一つもなく、どこを見ても永いことよごれ放題にしてあった跡があった。ベルもノッカーも取付けてない入口の戸は、いたんで変色していた。浮浪人はそのひっこんだ戸口へのそりのそりと入り込んで戸の鏡板でマッチを擦り、子供たちは踏段の上で店を張って遊び、学校の生徒は繰形でナイフの切味を験したりした。そしてもう三十年近くの間、誰ひとり出て来て、そういう勝手な客たちを追い払ったり、彼らの荒した跡を修繕したりする者もなかった。
エンフィールド氏と弁護士とは横町のその反対側を歩いていたが、路地の入口の真向いまでやって来ると、エンフィールド氏がステッキを上げて指した。
「あの戸口に気がついたことがありますか?」と彼は尋ねた。そして、相手がうなずくと、彼は言い足した、「あの戸口を見ると僕は妙な話を思い出すのです。」
「なるほど!」とアッタスン氏は言ったが、ちょっと声の調子が変っていた。「で、それはどんなことなのかね?」
(以下略)
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アッタスン氏とエンフィールド氏が散歩をしていたのは何曜日ですか。
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アッタスン氏とエンフィールド氏が散歩をしていたのは日曜日です。
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JCRRAG_001027
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国語
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狸問答
鈴木鼓村
私は、よく怪物に勝つことがあるよ、しかし或は負けていたのかもしれないがね――
数年前、さる家を訪ねて、昼飯の馳走に与って、やがてその家を辞して、ぶらぶら向島の寺島村の堤にかかったのが、四時頃のことだ、秋の頃で戸外は未だ中々明るい、私が昼の膳に出してくれた、塩鰹が非常に好味といったので、その主人が、それなら、まだ残っているこの片身を持って行きたまえというので、それを新聞紙に包んでもらって、片手に提げながらやってくると、堤の上を二三町歩むか歩まぬ内突然、四辺が真暗に暮れてしまった、なんぼ秋の日は釣瓶落だと云ったって、今の先まで、あんなに明るかったものが、こんな急に、暗くなる道理はない、その時分には未だあの辺も開けぬ頃で、あたりはもう、あまり人通りもないのだ、こいつ必ず何かの悪戯だろうと気がついたから、私は悠然とその堤の草の上に腰をおろして、さて大声をはりあげて怒号った、この時傍で誰か聞いていたら、さぞ吹出したろうよ、
「やい、狐か狸か知らないが、よく聞け、貴様は、今己が手に持っておる、この鰹が欲しいので、こんな悪戯をするのだろう、己は貴様達に、そんな悪戯をされて、まざまざとこの大事な魚を、やるような男ではないぞ、今己はここで、美事にこれを、食ってしまうから、涎でも垂らしながら見物しろ」
といって、紙の内から、例の塩鰹を出して私はムシャムシャ初めて、とうとう皆食い終って、
「モウ、皮でも食らえ」
といいながら、前の方へ、投出すと、見る見る内に、また四辺が明るくなったので、私も思わず、笑いながら、再び歩出して、無事に家に帰ったが、何しろ、塩鰹を、そんな一時に食ったので、途事咽が渇いて仕方がない、やたらに水を飲んだもので、とうとう翌日に下痢で苦しんだよ、それ故まあ、一時はおどかしてやったものの矢張私の方が結句負けたのかも知れないね。
これと同じ様な事が、京都に居った時分にもあった、四年ばかり前だったが、冬の事で、ちらちら小雪が降っていた真暗な晩だ、夜、祇園の中村楼で宴会があって、もう茶屋を出たのが十二時過だった、中村楼の雨傘を借りて、それを片手にさしながら、片手には例の折詰を提げて、少し、ほろ酔い加減に、快い気持で、ぶらぶらと、智恩院の山内を通って、あれから、粟田にかかろうとする、丁度十楽院の御陵の近処まで来ると、如何したのか、右手にさしておる傘が重くなって仕方がない、ぐうと、下の方へ引き付けられる様で、中々堪らえられないのだ、おかしいと思って、左の折詰を持った手で、傘を持ってる手の下をさぐってみたが何物も居ない、こいつまた何かござったなと、早速気がついたので、私はまた御陵の石段へどっかと腰を下ろして怒号ったのだ、
「己は貴様達に負ける男ではないから、閉口して、己が今この折詰のお馳走を召上がるところを、拝見しろ」
といいながら、それを開けて、蒲鉾の撮食だの、鯛の骨しゃぶりを初めて、やがて、すっかり、食い終ったので、
「折でも食え」
と投出して、やおら、起って、また傘をさして歩み出したが、最早何事もなく家に帰った、昔からも、よくいうが、こんな場合には、気を確に持つことが、全く肝要の事だろうよ。
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私が京都に居たのは何年前ですか。
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私が京都に居たのは四年ばかり前です。
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JCRRAG_001028
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国語
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動物物語 狼の王ロボ
アーネスト・トムソン・シートン
薄田斬雲訳
おおかみ狩りの勧誘状
「カランポーの谷の王様おおかみロボの首に、一千ドルの懸賞がかけられた。」
このうわさは、土地の新聞から全メキシコへひろまった。カランポーというのは、北部メキシコを流れている川の名だ。その川の流域には、広々とした草原が開け、それが大きな牧場になっていた。ところがこの谷に一群のおおかみがすんでいて、しきりに家畜をあらす。そのおおかみの群れの王と見られるのは、土地の人々からロボと呼ばれる、まことに悪がしこく獰猛なやつであった。
土地の羊飼達はもちろん、よそからもおおかみ狩りを自慢の連中が続々とやってきて、この悪獣を退治しようとしたのであったが、いずれも失敗して引きあげる。そこでこの一千ドルの懸賞広告が新聞にでたのである。
そのときカランポーに住む友人から、私のところへ、このおおかみ狩りをすすめる手紙がきた。その一節に、こんな文句があった。
「このロボというのは、灰色の大きなおおかみで、カランポー狼群の王といわれるだけにとても知恵がはたらき、毒薬にもわなにもかからない。この地方の牧場でその害をこうむらないものはなく、深夜はるかにその長くひいた異様なほえ声を聞くと、たれでもぞっと身ぶるいがするという。ロボの一党は、非常に数が多いようにいわれているが、私の調べたところでは、五、六頭にすぎないようだ。しかし、どれもこれも狂暴なやつばかりである。私には今のところそれを退治るいい工夫が浮かばん。このさいきみの腕にたよるほかない……」
さんざんな失敗
私は以前、おおかみ狩りをしたことがあるが、おおかみを追っかけまわる痛快さといったらない。そのときの味がわすれられないので、友からの手紙を受けとるとろくに準備もしないでカランポーへ乗りこんだ。
友は大喜びで私を迎えてくれた。その晩は何年ぶりかで一緒に酒を酌みかわしながら、私はくわしくようすを聞いた。
友は語る、
「このあいだも、テキサス州から、タンナリーという男が、おおかみ狩りはおれにかぎると大元気で乗り込んできた。相当経験があるらしく、小銃や短銃も高価なものをもち、乗馬と二十頭の猟犬を連れていた。それで『明日にもロボの首を取ってきて床の間の飾り物にする』と大きなことをいっていたものさ。ところが初日でみごと失敗してしまった。というのは、このタンナリーは、テキサス州の平な草原のおおかみ狩りにはなれてもいたろうが、このカランポーの谷は、高低があって、川の支流が縦横にいりまじっている。猟犬はきたばかりの不案内の土地なので、狼群を追いつつ四方へちっていったのはいいが、勝手を知ったロボの群れにひどい逆襲をくらって、夕方帰ってきたのは、たった六頭。その中二頭はあばらをかみさかれているというみじめさだ。タンナリーはその後も二回でかけたが、一層の不成功で、最後の日には、その乗馬が断崖からころがり落ちて死んだ。彼が、すっかり力をおとして、テキサス州へ帰ったのは一昨日のことさ。」
(以下略)
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タンナリーはどこから乗り込んできましたか。
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タンナリーは、テキサス州から乗り込んできました。
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JCRRAG_001029
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国語
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ジーキル博士とハイド氏の怪事件
THE STRANGE CASE OF DR. JEKYLL AND MR. HYDE
スティーヴンスン Stevenson Robert Louis
佐々木直次郎訳
(中略)
弁護士のアッタスン氏は、いかつい顔をした男で、微笑なぞ決して浮かべたことがなかった。話をする時は冷ややかで、口数も少なく、話下手だった。感情はあまり外に出さなかった。やせていて、背が高く、そっけなくて、陰気だが、それでいて何となく人好きのするところがあった。気らくな会合などでは、とくに口に合った酒が出たりすると、何かしらとても優しいものが彼の眼から輝いた。実際、それは彼の話の中には決して出て来ないものであった。が、食後の顔の無言のシンボルであるその眼にあらわれ、また、ふだんの行いの中には、もっとたびたび、もっとはっきり、あらわれたのであった。彼は自分に対しては厳格で、自分ひとりの時にはジン酒を飲んで、葡萄酒をがまんした。芝居好きなのに、二十年ものあいだ劇場の入口をくぐったこともなかった。しかし他人にはえらく寛大で、人が元気にまかせて遊びまわるのを、さも羨ましげに、驚嘆することもあった。そして、彼らがどんな窮境に陥っている場合でも、とがめるよりは助けることを好んだ。「わたしはカインの主義*が好きだよ、」と、彼はよくこんな妙な言い方をするのだった。「兄弟が自分勝手に落ちぶれてゆくのを見ているだけさ。」こんな工合だから、堕落してゆく人たちには最後まで立派な知人となり、最後までよい感化を与える者となるような立場にたつことは、よくあった。そして、そういう人々に対しても、彼らが彼の事務所へ出入りしている限り、ちっともその態度を変えなかった。
もちろん、こういう芸当はアッタスン氏にとっては何でもないことであった。というのは、なにしろ感情をあらわさない男だったし、その友人関係でさえも同じような人のよい寛大さに基づいているらしかったので。ただ偶然にできた出来合いの友人だけで満足しているのは内気な人間の特徴であるが、この弁護士の場合もそうであった。彼の友人といえば、血縁の者か、でなければずうっと永い間の知り合いであった。彼の愛情は、常春藤のように、時と共に成長したものであって、相手が友人として適当だというわけではなかった。彼の遠縁で、有名な粋人であるリチャード・エンフィールド氏との友情も、むろんそうして出来たものだった。この二人がお互いに何を認めることができたのか、あるいはどんな共通の話題を見出すことができたのかということは、多くの人々にとって解きがたい難問であった。日曜日に二人が散歩しているのに出会った人たちの話によると、二人は口も利かず、ひどくつまらなさそうな顔付きをしていて、誰か知人の姿を見るといかにもほっとしたように声をかけるのが常だということであった。そのくせ、その二人はこの日曜の散歩をとても大事にして、毎週の一番の大切なものと考え、それを欠かさずに楽しむためには、いろんな遊びをとりやめたばかりではなく、しなければならぬ用事までもふり捨てたのであった。
そんな散歩をしていたある時のこと、二人がなにげなくロンドンのにぎやかな区域の横町を通りかかったことがあった。その横町はせまくて、まあ閑静な方だったが、それでも日曜以外の日には商売が繁盛していた。そこに住んでいる商人たちはみんな景気がよさそうであった。そして、みんなは競ってその上にも景気をよくしようと思い、儲けのあまりを惜しげもなく使って店を飾り立てた。だから、店々は、まるでにこやかな女売子の行列のように、客を招くような様子で道の両側にたち並んでいた。日曜日には、いつもの華やかな美しさも蔽われ、人通りも少なかったが、それでもその横町は、くすんだその付近とくらべると、森の中の火事のように照り映えていた。それに鎧戸は塗り換えたばかりだし、真鍮の標札は十分に磨き立ててあるし、街全体の調子がさっぱりしていて派手なので、すぐに通行人の眼をひき、喜ばせた。
東へ向って行って左手の、一つの街かどから二軒目のところに、路地の入口があって、街並はくぎられていた。そしてちょうどそこに、気味の悪い一枚の建物が切妻を街路に突き出していた。その建物は二階建で、一階に戸口が一つあるだけ、二階は色のあせた壁だけで、窓は一つもなく、どこを見ても永いことよごれ放題にしてあった跡があった。ベルもノッカーも取付けてない入口の戸は、いたんで変色していた。浮浪人はそのひっこんだ戸口へのそりのそりと入り込んで戸の鏡板でマッチを擦り、子供たちは踏段の上で店を張って遊び、学校の生徒は繰形でナイフの切味を験したりした。そしてもう三十年近くの間、誰ひとり出て来て、そういう勝手な客たちを追い払ったり、彼らの荒した跡を修繕したりする者もなかった。
エンフィールド氏と弁護士とは横町のその反対側を歩いていたが、路地の入口の真向いまでやって来ると、エンフィールド氏がステッキを上げて指した。
「あの戸口に気がついたことがありますか?」と彼は尋ねた。そして、相手がうなずくと、彼は言い足した、「あの戸口を見ると僕は妙な話を思い出すのです。」
「なるほど!」とアッタスン氏は言ったが、ちょっと声の調子が変っていた。「で、それはどんなことなのかね?」
(以下略)
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弁護士のアッタスン氏はどんな顔ですか。
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弁護士のアッタスン氏は、いかつい顔をしています。
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JCRRAG_001030
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国語
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動物物語 狼の王ロボ
アーネスト・トムソン・シートン
薄田斬雲訳
おおかみ狩りの勧誘状
「カランポーの谷の王様おおかみロボの首に、一千ドルの懸賞がかけられた。」
このうわさは、土地の新聞から全メキシコへひろまった。カランポーというのは、北部メキシコを流れている川の名だ。その川の流域には、広々とした草原が開け、それが大きな牧場になっていた。ところがこの谷に一群のおおかみがすんでいて、しきりに家畜をあらす。そのおおかみの群れの王と見られるのは、土地の人々からロボと呼ばれる、まことに悪がしこく獰猛なやつであった。
土地の羊飼達はもちろん、よそからもおおかみ狩りを自慢の連中が続々とやってきて、この悪獣を退治しようとしたのであったが、いずれも失敗して引きあげる。そこでこの一千ドルの懸賞広告が新聞にでたのである。
そのときカランポーに住む友人から、私のところへ、このおおかみ狩りをすすめる手紙がきた。その一節に、こんな文句があった。
「このロボというのは、灰色の大きなおおかみで、カランポー狼群の王といわれるだけにとても知恵がはたらき、毒薬にもわなにもかからない。この地方の牧場でその害をこうむらないものはなく、深夜はるかにその長くひいた異様なほえ声を聞くと、たれでもぞっと身ぶるいがするという。ロボの一党は、非常に数が多いようにいわれているが、私の調べたところでは、五、六頭にすぎないようだ。しかし、どれもこれも狂暴なやつばかりである。私には今のところそれを退治るいい工夫が浮かばん。このさいきみの腕にたよるほかない……」
さんざんな失敗
私は以前、おおかみ狩りをしたことがあるが、おおかみを追っかけまわる痛快さといったらない。そのときの味がわすれられないので、友からの手紙を受けとるとろくに準備もしないでカランポーへ乗りこんだ。
友は大喜びで私を迎えてくれた。その晩は何年ぶりかで一緒に酒を酌みかわしながら、私はくわしくようすを聞いた。
友は語る、
「このあいだも、テキサス州から、タンナリーという男が、おおかみ狩りはおれにかぎると大元気で乗り込んできた。相当経験があるらしく、小銃や短銃も高価なものをもち、乗馬と二十頭の猟犬を連れていた。それで『明日にもロボの首を取ってきて床の間の飾り物にする』と大きなことをいっていたものさ。ところが初日でみごと失敗してしまった。というのは、このタンナリーは、テキサス州の平な草原のおおかみ狩りにはなれてもいたろうが、このカランポーの谷は、高低があって、川の支流が縦横にいりまじっている。猟犬はきたばかりの不案内の土地なので、狼群を追いつつ四方へちっていったのはいいが、勝手を知ったロボの群れにひどい逆襲をくらって、夕方帰ってきたのは、たった六頭。その中二頭はあばらをかみさかれているというみじめさだ。タンナリーはその後も二回でかけたが、一層の不成功で、最後の日には、その乗馬が断崖からころがり落ちて死んだ。彼が、すっかり力をおとして、テキサス州へ帰ったのは一昨日のことさ。」
(以下略)
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タンナリーが連れていた二十頭の猟犬のうち、帰ってきたのは何頭ですか。
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タンナリーの猟犬は、二十頭のうち六頭が帰ってきました。
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JCRRAG_001031
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国語
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黄金鳥
鈴木三重吉
一
貧乏な百姓の夫婦がいました。二人は子どもがたくさんあって、苦しいところへ、また一人、男の子が生れました。
けれども、そんなふうに家がひどく貧乏だものですから、人がいやがって、だれもその子の名附親になってくれるものがありませんでした。
夫婦はどうしたらいいかと、こまっていました。すると、或朝、一人のよぼよぼの乞食のじいさんが、ものをもらいに来ました。夫婦は、かわいそうだと思って、じぶんたちの食べるものを分けてやりました。
乞食のじいさんは、二人が、へんにしおしおしているのを見て、どうしたわけかと聞きました。二人は、生れた子どもの名附親になってくれる人がないから困っているところだと話しました。じいさんはそれを聞いて、
「では私がなって上げましょう。私だからと言って、さきでお悔みになるようなことは決してありません。」と親切に言ってくれました。夫婦は、もう乞食でも何でもかまわないと思って、一しょにお寺へいってもらいました。
坊さんは、じいさんに子どもの名前を聞きました。じいさんは名前の相談をしておくのをすっかり忘れていました。
「そうそう。名前がまだきめてありません。ウイリイとつけましょう。」と、じいさんはでたらめにこう言いました。坊さんは帳面へ、そのまま「ウイリイ」とかきつけました。お百姓の夫婦は、いい名前をつけてもらったと言ってよろこんで、じいさんを家へつれて帰って、出来るだけの御ちそうをこしらえて、名づけのお祝いをしました。
じいさんは別れるときに、ポケットから小さな、さびた鍵を一つ取り出して、
「これをウイリイさんが十四になるまで、しまっておいてお上げなさい。十四になったら、私がいいものをお祝いに上げます。それへこの鍵がちゃんとはまるのですから。」と言いました。じいさんはそれっきり二度と村へは来ませんでした。
ウイリイは丈夫に大きくなりました。それに大へんすなおな子で、ちっとも手がかかりませんでした。
ふた親は乞食のじいさんがおいていった鍵を、一こう大事にしないで、そこいらへ、ほうり出しておきました。それをウイリイが玩具にして、しまいにどこかへなくして来ました。
ウイリイはだんだんに、力の強い大きな子になって、父親の畠仕事を手伝いました。
或ときウイリイが、こやしを車につんでいますと、その中から、まっ赤にさびついた、小さな鍵が出て来ました。ウイリイはそれを母親に見せました。それは、先に乞食のじいさんがおいて行った鍵でした。母親はじいさんの言ったことを思い出して、はじめて、ウイリイに話をして聞かせました。それからは、ウイリイはその鍵をいつもポケットにしまって、大事に持っていました。
そのうちに、ウイリイの十四の誕生が来ました。ウイリイは、その朝早く起きて窓の外を見ますと、家の戸口のまん前に、昨日までそんなものは何にもなかったのに、いつのまにか、きれいな小さな家が出来ていました。ふた親もおどろいて出て見ました。上から下まできれいな彫り飾りがついたりしていて、ウイリイたちのぼろぼろの家と比べると、小さいながら、まるで御殿のように立派な家でした。
ところが、その家には窓が一つもなくて、ただ屋根の下の、高いところに戸口がたった一つついているきりです。その戸口には錠がかかっています。双親は、どうしてこんな家がひょっこり建ったのだろうとふしぎでたまりませんでした。ウイリイは、
「これはきっといつかのおじいさんが私にくれた贈物にちがいない。」こう言って、ポケットから例の鍵を出して、戸口の鍵穴へはめて見ますと、ちょうどぴったり合って、戸がすらりと開きました。
ウイリイはすぐに中へはいって見ました。すると、その中には、きれいな、小さな灰色の馬が、おとなしく立っていました。ちゃんと立派な鞍や手綱がついていて、そのまま乗れるようになっているのです。そのそばの壁には、こしらえたばかりの立派な服が、上下そろえて釘にかけてありました。
ウイリイは、さっそく、その服を着て見ました。そうすると、まるで、じぶんの寸法を取ってこしらえたように、きっちり合いました。それから、馬に乗って、あぶみへ両足をかけて見ますと、それもちゃんと、じぶんの脚の長さに合っています。
ウイリイは、そのまま世の中に出て、運だめしをして来たくなりました。それですぐに双親にそのことを話して、いさんで出ていきました。
(以下略)
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別れるときにじいさんがポケットから取り出したものは何ですか。
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じいさんは別れるときに、ポケットから小さなさびた鍵を一つ取り出しました。
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JCRRAG_001032
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国語
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黄金鳥
鈴木三重吉
一
貧乏な百姓の夫婦がいました。二人は子どもがたくさんあって、苦しいところへ、また一人、男の子が生れました。
けれども、そんなふうに家がひどく貧乏だものですから、人がいやがって、だれもその子の名附親になってくれるものがありませんでした。
夫婦はどうしたらいいかと、こまっていました。すると、或朝、一人のよぼよぼの乞食のじいさんが、ものをもらいに来ました。夫婦は、かわいそうだと思って、じぶんたちの食べるものを分けてやりました。
乞食のじいさんは、二人が、へんにしおしおしているのを見て、どうしたわけかと聞きました。二人は、生れた子どもの名附親になってくれる人がないから困っているところだと話しました。じいさんはそれを聞いて、
「では私がなって上げましょう。私だからと言って、さきでお悔みになるようなことは決してありません。」と親切に言ってくれました。夫婦は、もう乞食でも何でもかまわないと思って、一しょにお寺へいってもらいました。
坊さんは、じいさんに子どもの名前を聞きました。じいさんは名前の相談をしておくのをすっかり忘れていました。
「そうそう。名前がまだきめてありません。ウイリイとつけましょう。」と、じいさんはでたらめにこう言いました。坊さんは帳面へ、そのまま「ウイリイ」とかきつけました。お百姓の夫婦は、いい名前をつけてもらったと言ってよろこんで、じいさんを家へつれて帰って、出来るだけの御ちそうをこしらえて、名づけのお祝いをしました。
じいさんは別れるときに、ポケットから小さな、さびた鍵を一つ取り出して、
「これをウイリイさんが十四になるまで、しまっておいてお上げなさい。十四になったら、私がいいものをお祝いに上げます。それへこの鍵がちゃんとはまるのですから。」と言いました。じいさんはそれっきり二度と村へは来ませんでした。
ウイリイは丈夫に大きくなりました。それに大へんすなおな子で、ちっとも手がかかりませんでした。
ふた親は乞食のじいさんがおいていった鍵を、一こう大事にしないで、そこいらへ、ほうり出しておきました。それをウイリイが玩具にして、しまいにどこかへなくして来ました。
ウイリイはだんだんに、力の強い大きな子になって、父親の畠仕事を手伝いました。
或ときウイリイが、こやしを車につんでいますと、その中から、まっ赤にさびついた、小さな鍵が出て来ました。ウイリイはそれを母親に見せました。それは、先に乞食のじいさんがおいて行った鍵でした。母親はじいさんの言ったことを思い出して、はじめて、ウイリイに話をして聞かせました。それからは、ウイリイはその鍵をいつもポケットにしまって、大事に持っていました。
そのうちに、ウイリイの十四の誕生が来ました。ウイリイは、その朝早く起きて窓の外を見ますと、家の戸口のまん前に、昨日までそんなものは何にもなかったのに、いつのまにか、きれいな小さな家が出来ていました。ふた親もおどろいて出て見ました。上から下まできれいな彫り飾りがついたりしていて、ウイリイたちのぼろぼろの家と比べると、小さいながら、まるで御殿のように立派な家でした。
ところが、その家には窓が一つもなくて、ただ屋根の下の、高いところに戸口がたった一つついているきりです。その戸口には錠がかかっています。双親は、どうしてこんな家がひょっこり建ったのだろうとふしぎでたまりませんでした。ウイリイは、
「これはきっといつかのおじいさんが私にくれた贈物にちがいない。」こう言って、ポケットから例の鍵を出して、戸口の鍵穴へはめて見ますと、ちょうどぴったり合って、戸がすらりと開きました。
ウイリイはすぐに中へはいって見ました。すると、その中には、きれいな、小さな灰色の馬が、おとなしく立っていました。ちゃんと立派な鞍や手綱がついていて、そのまま乗れるようになっているのです。そのそばの壁には、こしらえたばかりの立派な服が、上下そろえて釘にかけてありました。
ウイリイは、さっそく、その服を着て見ました。そうすると、まるで、じぶんの寸法を取ってこしらえたように、きっちり合いました。それから、馬に乗って、あぶみへ両足をかけて見ますと、それもちゃんと、じぶんの脚の長さに合っています。
ウイリイは、そのまま世の中に出て、運だめしをして来たくなりました。それですぐに双親にそのことを話して、いさんで出ていきました。
(以下略)
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御殿のように立派な家の中に立っていたものは何ですか。
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きれいな、小さな灰色の馬が、おとなしく立っていました。
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JCRRAG_001033
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国語
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狸問答
鈴木鼓村
私は、よく怪物に勝つことがあるよ、しかし或は負けていたのかもしれないがね――
数年前、さる家を訪ねて、昼飯の馳走に与って、やがてその家を辞して、ぶらぶら向島の寺島村の堤にかかったのが、四時頃のことだ、秋の頃で戸外は未だ中々明るい、私が昼の膳に出してくれた、塩鰹が非常に好味といったので、その主人が、それなら、まだ残っているこの片身を持って行きたまえというので、それを新聞紙に包んでもらって、片手に提げながらやってくると、堤の上を二三町歩むか歩まぬ内突然、四辺が真暗に暮れてしまった、なんぼ秋の日は釣瓶落だと云ったって、今の先まで、あんなに明るかったものが、こんな急に、暗くなる道理はない、その時分には未だあの辺も開けぬ頃で、あたりはもう、あまり人通りもないのだ、こいつ必ず何かの悪戯だろうと気がついたから、私は悠然とその堤の草の上に腰をおろして、さて大声をはりあげて怒号った、この時傍で誰か聞いていたら、さぞ吹出したろうよ、
「やい、狐か狸か知らないが、よく聞け、貴様は、今己が手に持っておる、この鰹が欲しいので、こんな悪戯をするのだろう、己は貴様達に、そんな悪戯をされて、まざまざとこの大事な魚を、やるような男ではないぞ、今己はここで、美事にこれを、食ってしまうから、涎でも垂らしながら見物しろ」
といって、紙の内から、例の塩鰹を出して私はムシャムシャ初めて、とうとう皆食い終って、
「モウ、皮でも食らえ」
といいながら、前の方へ、投出すと、見る見る内に、また四辺が明るくなったので、私も思わず、笑いながら、再び歩出して、無事に家に帰ったが、何しろ、塩鰹を、そんな一時に食ったので、途事咽が渇いて仕方がない、やたらに水を飲んだもので、とうとう翌日に下痢で苦しんだよ、それ故まあ、一時はおどかしてやったものの矢張私の方が結句負けたのかも知れないね。
これと同じ様な事が、京都に居った時分にもあった、四年ばかり前だったが、冬の事で、ちらちら小雪が降っていた真暗な晩だ、夜、祇園の中村楼で宴会があって、もう茶屋を出たのが十二時過だった、中村楼の雨傘を借りて、それを片手にさしながら、片手には例の折詰を提げて、少し、ほろ酔い加減に、快い気持で、ぶらぶらと、智恩院の山内を通って、あれから、粟田にかかろうとする、丁度十楽院の御陵の近処まで来ると、如何したのか、右手にさしておる傘が重くなって仕方がない、ぐうと、下の方へ引き付けられる様で、中々堪らえられないのだ、おかしいと思って、左の折詰を持った手で、傘を持ってる手の下をさぐってみたが何物も居ない、こいつまた何かござったなと、早速気がついたので、私はまた御陵の石段へどっかと腰を下ろして怒号ったのだ、
「己は貴様達に負ける男ではないから、閉口して、己が今この折詰のお馳走を召上がるところを、拝見しろ」
といいながら、それを開けて、蒲鉾の撮食だの、鯛の骨しゃぶりを初めて、やがて、すっかり、食い終ったので、
「折でも食え」
と投出して、やおら、起って、また傘をさして歩み出したが、最早何事もなく家に帰った、昔からも、よくいうが、こんな場合には、気を確に持つことが、全く肝要の事だろうよ。
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塩鰹を一時に食った私は翌日どうなりましたか。
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塩鰹を一時に食った私は、咽が渇いてやたらに水を飲んだので、翌日下痢で苦しみました。
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JCRRAG_001034
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国語
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黄金鳥
鈴木三重吉
一
貧乏な百姓の夫婦がいました。二人は子どもがたくさんあって、苦しいところへ、また一人、男の子が生れました。
けれども、そんなふうに家がひどく貧乏だものですから、人がいやがって、だれもその子の名附親になってくれるものがありませんでした。
夫婦はどうしたらいいかと、こまっていました。すると、或朝、一人のよぼよぼの乞食のじいさんが、ものをもらいに来ました。夫婦は、かわいそうだと思って、じぶんたちの食べるものを分けてやりました。
乞食のじいさんは、二人が、へんにしおしおしているのを見て、どうしたわけかと聞きました。二人は、生れた子どもの名附親になってくれる人がないから困っているところだと話しました。じいさんはそれを聞いて、
「では私がなって上げましょう。私だからと言って、さきでお悔みになるようなことは決してありません。」と親切に言ってくれました。夫婦は、もう乞食でも何でもかまわないと思って、一しょにお寺へいってもらいました。
坊さんは、じいさんに子どもの名前を聞きました。じいさんは名前の相談をしておくのをすっかり忘れていました。
「そうそう。名前がまだきめてありません。ウイリイとつけましょう。」と、じいさんはでたらめにこう言いました。坊さんは帳面へ、そのまま「ウイリイ」とかきつけました。お百姓の夫婦は、いい名前をつけてもらったと言ってよろこんで、じいさんを家へつれて帰って、出来るだけの御ちそうをこしらえて、名づけのお祝いをしました。
じいさんは別れるときに、ポケットから小さな、さびた鍵を一つ取り出して、
「これをウイリイさんが十四になるまで、しまっておいてお上げなさい。十四になったら、私がいいものをお祝いに上げます。それへこの鍵がちゃんとはまるのですから。」と言いました。じいさんはそれっきり二度と村へは来ませんでした。
ウイリイは丈夫に大きくなりました。それに大へんすなおな子で、ちっとも手がかかりませんでした。
ふた親は乞食のじいさんがおいていった鍵を、一こう大事にしないで、そこいらへ、ほうり出しておきました。それをウイリイが玩具にして、しまいにどこかへなくして来ました。
ウイリイはだんだんに、力の強い大きな子になって、父親の畠仕事を手伝いました。
或ときウイリイが、こやしを車につんでいますと、その中から、まっ赤にさびついた、小さな鍵が出て来ました。ウイリイはそれを母親に見せました。それは、先に乞食のじいさんがおいて行った鍵でした。母親はじいさんの言ったことを思い出して、はじめて、ウイリイに話をして聞かせました。それからは、ウイリイはその鍵をいつもポケットにしまって、大事に持っていました。
そのうちに、ウイリイの十四の誕生が来ました。ウイリイは、その朝早く起きて窓の外を見ますと、家の戸口のまん前に、昨日までそんなものは何にもなかったのに、いつのまにか、きれいな小さな家が出来ていました。ふた親もおどろいて出て見ました。上から下まできれいな彫り飾りがついたりしていて、ウイリイたちのぼろぼろの家と比べると、小さいながら、まるで御殿のように立派な家でした。
ところが、その家には窓が一つもなくて、ただ屋根の下の、高いところに戸口がたった一つついているきりです。その戸口には錠がかかっています。双親は、どうしてこんな家がひょっこり建ったのだろうとふしぎでたまりませんでした。ウイリイは、
「これはきっといつかのおじいさんが私にくれた贈物にちがいない。」こう言って、ポケットから例の鍵を出して、戸口の鍵穴へはめて見ますと、ちょうどぴったり合って、戸がすらりと開きました。
ウイリイはすぐに中へはいって見ました。すると、その中には、きれいな、小さな灰色の馬が、おとなしく立っていました。ちゃんと立派な鞍や手綱がついていて、そのまま乗れるようになっているのです。そのそばの壁には、こしらえたばかりの立派な服が、上下そろえて釘にかけてありました。
ウイリイは、さっそく、その服を着て見ました。そうすると、まるで、じぶんの寸法を取ってこしらえたように、きっちり合いました。それから、馬に乗って、あぶみへ両足をかけて見ますと、それもちゃんと、じぶんの脚の長さに合っています。
ウイリイは、そのまま世の中に出て、運だめしをして来たくなりました。それですぐに双親にそのことを話して、いさんで出ていきました。
(以下略)
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坊さんはじいさんに何を聞きましたか。
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坊さんはじいさんに、百姓夫婦の子どもの名前を聞きました。
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JCRRAG_001035
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国語
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狸問答
鈴木鼓村
私は、よく怪物に勝つことがあるよ、しかし或は負けていたのかもしれないがね――
数年前、さる家を訪ねて、昼飯の馳走に与って、やがてその家を辞して、ぶらぶら向島の寺島村の堤にかかったのが、四時頃のことだ、秋の頃で戸外は未だ中々明るい、私が昼の膳に出してくれた、塩鰹が非常に好味といったので、その主人が、それなら、まだ残っているこの片身を持って行きたまえというので、それを新聞紙に包んでもらって、片手に提げながらやってくると、堤の上を二三町歩むか歩まぬ内突然、四辺が真暗に暮れてしまった、なんぼ秋の日は釣瓶落だと云ったって、今の先まで、あんなに明るかったものが、こんな急に、暗くなる道理はない、その時分には未だあの辺も開けぬ頃で、あたりはもう、あまり人通りもないのだ、こいつ必ず何かの悪戯だろうと気がついたから、私は悠然とその堤の草の上に腰をおろして、さて大声をはりあげて怒号った、この時傍で誰か聞いていたら、さぞ吹出したろうよ、
「やい、狐か狸か知らないが、よく聞け、貴様は、今己が手に持っておる、この鰹が欲しいので、こんな悪戯をするのだろう、己は貴様達に、そんな悪戯をされて、まざまざとこの大事な魚を、やるような男ではないぞ、今己はここで、美事にこれを、食ってしまうから、涎でも垂らしながら見物しろ」
といって、紙の内から、例の塩鰹を出して私はムシャムシャ初めて、とうとう皆食い終って、
「モウ、皮でも食らえ」
といいながら、前の方へ、投出すと、見る見る内に、また四辺が明るくなったので、私も思わず、笑いながら、再び歩出して、無事に家に帰ったが、何しろ、塩鰹を、そんな一時に食ったので、途事咽が渇いて仕方がない、やたらに水を飲んだもので、とうとう翌日に下痢で苦しんだよ、それ故まあ、一時はおどかしてやったものの矢張私の方が結句負けたのかも知れないね。
これと同じ様な事が、京都に居った時分にもあった、四年ばかり前だったが、冬の事で、ちらちら小雪が降っていた真暗な晩だ、夜、祇園の中村楼で宴会があって、もう茶屋を出たのが十二時過だった、中村楼の雨傘を借りて、それを片手にさしながら、片手には例の折詰を提げて、少し、ほろ酔い加減に、快い気持で、ぶらぶらと、智恩院の山内を通って、あれから、粟田にかかろうとする、丁度十楽院の御陵の近処まで来ると、如何したのか、右手にさしておる傘が重くなって仕方がない、ぐうと、下の方へ引き付けられる様で、中々堪らえられないのだ、おかしいと思って、左の折詰を持った手で、傘を持ってる手の下をさぐってみたが何物も居ない、こいつまた何かござったなと、早速気がついたので、私はまた御陵の石段へどっかと腰を下ろして怒号ったのだ、
「己は貴様達に負ける男ではないから、閉口して、己が今この折詰のお馳走を召上がるところを、拝見しろ」
といいながら、それを開けて、蒲鉾の撮食だの、鯛の骨しゃぶりを初めて、やがて、すっかり、食い終ったので、
「折でも食え」
と投出して、やおら、起って、また傘をさして歩み出したが、最早何事もなく家に帰った、昔からも、よくいうが、こんな場合には、気を確に持つことが、全く肝要の事だろうよ。
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どこで宴会がありましたか。
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宴会は、京都の祇園の中村楼でありました。
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JCRRAG_001036
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国語
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やどなし犬
鈴木三重吉
一
むかし、アメリカの或小さな町に、人のいい、はたらきものの肉屋がいました。冬の半の或寒い朝のことでした。外は、ひどい風が雨を横なぐりにふきつけて、びゅうびゅうあれつづけています。人々は、こうもりのえにかたくつかまりながら、ころがるようなかっこうをして、つとめの場所へ出ていきます。肉屋は、店のわかいものたちと一しょに、かじかんだ手で、肉切ぼうちょうをといでいました。
すると、店のまえのたたきのところへ、一ぴきのやせた犬がびしょぬれになって、のそりのそりとやって来ました。そして、はげしいしぶきの中に、のこりとすわって、店先に下っている肉のかたまりを、じろじろ見上げていました。どこかのやどなし犬でしょう。肉屋もこれまで見たこともないきたならしい犬でした。骨ぐみは小さくもありませんが、どうしたのか、ひどくやせほそって、下腹の皮もだらりとしなび下っています。寒いのと、おそらくひもじいのと両方で、からだをぶるぶるふるわせ、下あごをがたがたさせながら、引きつれたような、ぐったりした顔をして、じろじろと、かぎにかかった肉を見つめています。
肉屋は、おどけた目つきをして、ちょいちょいそのやせ犬を見やりながら、ほうちょうをこすっていました。犬は肉屋の注意を引くように、ときどきくんくん鼻をならしてはこっちを見ます。そのうちに肉屋はほうちょうをとぎおえて、刃先をためすために、そばの大きな肉のはしの、ざらざらになったところを、少しばかり切り落しました。そして、
「ほら。」と言って、やせ犬になげてやりました。すると犬は、それが地びたへおちないうちに、ぴょいと上手に口へうけて、ぱくりと一口にのみこんでしまいました。肉屋はおもしろはんぶんに、こんどは少し大きく切りとって、ぽいとたかくなげて見ました。犬はさっと後足で立ち上って、それをも上手にうけとり、がつがつと二どばかりかんでのみこみました。
「へえ、こいつはまるでかるわざ師だ。どうだい、牛一ぴきのこらずくうまでかるわざをやるつもりかい? ほら、来た。よ、もう一つ。ほうら。よ、ほら。」と、肉屋はあとからあとからと何どとなく切ってはなげました。犬は、そのたんびに、ぴょいぴょいと上手にとって、ぱくぱく食べてしまいます。
「おまいは、おれの店の肉をみんなくっていく気だな? さあ、もうこれでおしまいだ。そのかわり少々かたいぞ。」と、肉屋は最後に、出来るだけわるいところをどっさり切ってなげつけました。しかし、犬はもうそのしまいの一きれだけは食べようともしずに、しばらくそれをじろじろ見つめています。
「何だ。何を考えてるんだい。」と肉屋は思いました。そのうちに、犬はふと、その肉をくわえるなり、どんどん、町角の方へかけさってしまいました。
そのあくる日は、からりと晴れたいいお天気でした。きのうの雨できれいにあらわれた往来にはもくもくと黄色い日かげがさしています。人々はあいかわらず急ぎ足で仕事に出ていきます。肉屋は、きょうは極上等の肉をどっさりつるして、お客をまっていました。すると、そこへ、きのうの犬がまたのこりと出て来て、同じように、たたきの上にすわったまま、じろじろと肉のきれを見上げています。
「ほう、また来たな。」と肉屋は言いました。
「来い来い。はいって来い。」と、チュッチュッと舌をならしますと、犬はこわごわ店の中へはいって来ました。
「ほら、ここまで来い。どら。」と肉屋はこごんで、かるく犬ののどの下をもち上げながら、
「へえ、かわいい目つきをしてるね、おまいは。毛並もよくちぢれていて上等だ。ちょっと歯を見せろ。歯なみもなかなかりっぱだ。おまいはおれの店の番人になるか。え? 今んとこはまったくやせ犬の見本みたいだが、二週間もたてばむくむくこえていい犬になる。おい、おれんとこにもいい犬がいたんだよ。そいつがにげ出して殺されたんだ。おまいは、かわりに、おれんとこの子になるか。なる? おお、よしよし。」
肉屋が右手でくびのところをだくようにしますと、犬は、言われたことがわかったように、肉屋の左手の甲をぺろぺろなめました。犬はそのまま夕方まで肉屋の店先で番をしました。あたりの犬たちが出て来て、店の中へもぐりこもうとでもしますと、やせ犬はうゝうときばをむいておいまくり、うろんくさい乞食が店先に立つと、わんわんほえておいのけてしまいます。それはなかなか気がきいたものです。とおりに何かへんな物音がすると、すぐにとんでいって、じいっと見きわめをつけ何でもないとわかればのそのそかえって、店先にすわっているという調子です。
日がはいると、肉屋はくちぶえをならしてよび入れました。そして、やさしく背中をたたいたあとで、大きな肉のきれをなげてやりました。ところが犬はそれをたべないで、口にくわえて外へ出てしまいました。そして、どんどん走って、きのうのとおりに、町かどの向うへかき消えてしまいました。
「何だ。」と肉屋は、すっぽかされたような気がしました。しかし、あんなにおれになついて、一日中番をしていたくらいだから、夜になったらまたかえって来るかも知れないと思いながら、それとはなしにまっていましたが、夜おそくなっても、犬はそれなりとうとうかえって来ませんでした。
「やっぱりのら犬はのら犬だ。一ぺんでいっちまやがった。」と、肉屋は寝がけに一人ごとを言いました。
ところが、あくる朝、店のものが戸をあけますと、犬は、もうとくから外へ来てまちうけていたように、ついと店へはいって、うれしそうに尾をふって肉屋のひざにとびつきました。
「よしよしよし。分ったよ分ったよ。」と肉屋は犬の両前足をにぎって、外のたたきの方へつれていきました。犬はそれからまた一日中、店先にいて、一生けんめいに番をしました。肉屋は夕方になると頭をなでて、きのうのとおりに、大きな肉のきれをやりました。ところが犬は、やはりそれを食べないで、口にくわえたまま、またどこかへいってしまいました。そしてあくる朝はまたちゃんと出て来て、店の番をしました。
(以下略)
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犬は何をぺろぺろなめましたか。
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犬は、肉屋の左手の甲をぺろぺろなめました。
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JCRRAG_001037
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国語
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黄金鳥
鈴木三重吉
一
貧乏な百姓の夫婦がいました。二人は子どもがたくさんあって、苦しいところへ、また一人、男の子が生れました。
けれども、そんなふうに家がひどく貧乏だものですから、人がいやがって、だれもその子の名附親になってくれるものがありませんでした。
夫婦はどうしたらいいかと、こまっていました。すると、或朝、一人のよぼよぼの乞食のじいさんが、ものをもらいに来ました。夫婦は、かわいそうだと思って、じぶんたちの食べるものを分けてやりました。
乞食のじいさんは、二人が、へんにしおしおしているのを見て、どうしたわけかと聞きました。二人は、生れた子どもの名附親になってくれる人がないから困っているところだと話しました。じいさんはそれを聞いて、
「では私がなって上げましょう。私だからと言って、さきでお悔みになるようなことは決してありません。」と親切に言ってくれました。夫婦は、もう乞食でも何でもかまわないと思って、一しょにお寺へいってもらいました。
坊さんは、じいさんに子どもの名前を聞きました。じいさんは名前の相談をしておくのをすっかり忘れていました。
「そうそう。名前がまだきめてありません。ウイリイとつけましょう。」と、じいさんはでたらめにこう言いました。坊さんは帳面へ、そのまま「ウイリイ」とかきつけました。お百姓の夫婦は、いい名前をつけてもらったと言ってよろこんで、じいさんを家へつれて帰って、出来るだけの御ちそうをこしらえて、名づけのお祝いをしました。
じいさんは別れるときに、ポケットから小さな、さびた鍵を一つ取り出して、
「これをウイリイさんが十四になるまで、しまっておいてお上げなさい。十四になったら、私がいいものをお祝いに上げます。それへこの鍵がちゃんとはまるのですから。」と言いました。じいさんはそれっきり二度と村へは来ませんでした。
ウイリイは丈夫に大きくなりました。それに大へんすなおな子で、ちっとも手がかかりませんでした。
ふた親は乞食のじいさんがおいていった鍵を、一こう大事にしないで、そこいらへ、ほうり出しておきました。それをウイリイが玩具にして、しまいにどこかへなくして来ました。
ウイリイはだんだんに、力の強い大きな子になって、父親の畠仕事を手伝いました。
或ときウイリイが、こやしを車につんでいますと、その中から、まっ赤にさびついた、小さな鍵が出て来ました。ウイリイはそれを母親に見せました。それは、先に乞食のじいさんがおいて行った鍵でした。母親はじいさんの言ったことを思い出して、はじめて、ウイリイに話をして聞かせました。それからは、ウイリイはその鍵をいつもポケットにしまって、大事に持っていました。
そのうちに、ウイリイの十四の誕生が来ました。ウイリイは、その朝早く起きて窓の外を見ますと、家の戸口のまん前に、昨日までそんなものは何にもなかったのに、いつのまにか、きれいな小さな家が出来ていました。ふた親もおどろいて出て見ました。上から下まできれいな彫り飾りがついたりしていて、ウイリイたちのぼろぼろの家と比べると、小さいながら、まるで御殿のように立派な家でした。
ところが、その家には窓が一つもなくて、ただ屋根の下の、高いところに戸口がたった一つついているきりです。その戸口には錠がかかっています。双親は、どうしてこんな家がひょっこり建ったのだろうとふしぎでたまりませんでした。ウイリイは、
「これはきっといつかのおじいさんが私にくれた贈物にちがいない。」こう言って、ポケットから例の鍵を出して、戸口の鍵穴へはめて見ますと、ちょうどぴったり合って、戸がすらりと開きました。
ウイリイはすぐに中へはいって見ました。すると、その中には、きれいな、小さな灰色の馬が、おとなしく立っていました。ちゃんと立派な鞍や手綱がついていて、そのまま乗れるようになっているのです。そのそばの壁には、こしらえたばかりの立派な服が、上下そろえて釘にかけてありました。
ウイリイは、さっそく、その服を着て見ました。そうすると、まるで、じぶんの寸法を取ってこしらえたように、きっちり合いました。それから、馬に乗って、あぶみへ両足をかけて見ますと、それもちゃんと、じぶんの脚の長さに合っています。
ウイリイは、そのまま世の中に出て、運だめしをして来たくなりました。それですぐに双親にそのことを話して、いさんで出ていきました。
(以下略)
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乞食のじいさんは、子どもに何と名前をつけましたか。
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乞食のじいさんは、百姓の子どもに「ウイリイ」という名前をつけました。
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JCRRAG_001038
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国語
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鳥について
砂東 塩
部屋に鳥がいる。
巣箱を模して五角形に曲げられたワイヤーの屋根部分には丸い輪があり、そこに紐を通して天井から吊り下げられ、ワイヤーとビーズで作られた鳥が重たげな体でとまっている。
ビーズは透明な赤、青、緑、黄の四色。ワイヤーをぐるぐる巻きにしたトンボの眼鏡のような直径一センチほどの目が赤い顔につけられていて、左右の目の位置が上下にずれているから正面から見ると酔っ払ったオヤジだ。太い嘴は青く、数が足りなかったのか赤いビーズがひとつだけ使われている。ずんぐりした胴体に比べて頼りない足。お尻に生えた十数本のワイヤーは長い尾羽。
私が鳥をもらったのは十年以上前になる。何度か店に来た客で、南アフリカに帰るから記念にと言って渡された。名前は知らない。顔も覚えていないけれど、体つきは鳥に似ていた気がする。
廃業して自宅に持って帰ってきた鳥の尾羽には、たまに洗濯したマイバッグを掛けて干している。尾羽の端が鳴門の渦潮みたいにぐるぐるに巻かれているが、巻いたのは以前同じ建物で商売していた女性だ。彼女とはもうずいぶん連絡をとっていない。子どもが生まれたことはフェイスブックで知った。今のところ巻いた尾羽を伸ばす気はない。
鳥は、天井のライトを点けるとビーズが光って南国にいる原色の鳥のように見えるが、普段は気配なく吊るされ、頭をぶつけて存在に気づく。鳥のことを書く気になったのはパソコンに向かって頬杖をついた先に鳥がいたからだ。
立ち上がって観察してみると、驚いたことに鳥には翼がなかった。背に五、六センチのワイヤーが段になってついているだけで、羽かもしれないが翼ではない。同じ体つきでもペンギンの方がよほど飛べそうだ。重い体はワイヤー二本で固定され、一本切ったら逆さ吊りになるだろう。巣から解放してやっても歩くには尾羽が長すぎる。
飛べない、歩けない鳥は巣にとまっている。
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ビーズはどんな色ですか。
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ビーズは透明な赤、青、緑、黄の四色です。
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JCRRAG_001039
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国語
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湖水の女
鈴木三重吉
一
むかしむかし、或山の上にさびしい湖水がありました。その近くの村にギンという若ものが母親と二人でくらしていました。
或日ギンが、湖水のそばへ牛をつれていって、草を食べさせていますと、じきそばの水の中に、若い女の人が一人、ふうわりと立って、金の櫛で、しずかに髪をすいていました。下にはその顔が鏡にうつしたように、くっきりと水にうつっていました。それはそれは何とも言いようのない、うつくしい女でした。
ギンはしばらく立って見つめていました。そのうちに、何だか、じぶんのもっている、大麦でこしらえたパンとバタを、その女の人にやりたくなって、そっと、岸へ下りていきました。
女は間もなく、髪をすいてしまって、すらすらとこちらへ歩いて来ました。ギンはだまってパンとバタをさし出しました。女はそれを見ると顔をふって、
「かさかさのパンをもった人よ、
私はめったに、つかまりはしませんよ。」
と言うなり、すらりと水の下へもぐってしまいました。
ギンは、がっかりして、牛をつれてしおしおと家へかえりました。そして、母親にすべてのことを話しました。母親は女の言った言葉をいろいろに考えて、
「やっぱり、かさかさのパンではいやなのだろう。今度は焼かないパンをもってお出でよ。」と、おしえました。それでギンは、そのあくる日は、パン粉の、こねたばかりで焼かないままのをもって、まだ日も出ない先に、いそいで湖水へ出かけました。
そのうちに日が山の上へ出て、だんだんに空へ上っていきました。ギンはそれからお午じぶんまで、じっと岸にまっていました。しかし湖水にはただ黄色い日の光がきらきらするばかりで、昨日の女の人はいつまでたっても出て来ませんでした。
それからとうとう夕方になりました。ギンはもうあきらめて家へかえろうともしました。
するとちょうどそこへ、夕日をうけた水の下から女の人がやっと出て来ました。見ると昨日よりも、もっともっとうつくしい人になっていました。ギンは、うれしさのあまりに口がきけなくて、だまってパン粉のこねたのをさし出しました。すると女はやっぱり顔をふって、
「しめったパンをもった人よ、
私はあなたのところへはいきたくはありません。」
こう言って、やさしくほほえんだと思うと、またそれなり水の下へかくれてしまいました。ギンはしかたなしにとぼとぼお家へかえりました。
母親はその話を聞くと、
「それではかたいパンもやわらかいパンもいやだというのだから、今度は半焼にしたのをもっていってごらんよ。」と言いました。
その晩ギンはちっとも寝ないで、夜が明けるのをまっていました。そしてやっとのこと空があかるくなると、いそいで湖水へ出ていきました。すると、間もなく雨がふって来ました。ギンはびっしょりになったまま、また夕方まで立っていました。けれども女の人はちょっとも出て来ません。しまいにはだんだんと湖水も暗くなって来ました。ギンはがっかりして、もうお家へかえろうと思いました。すると、ふいに一とむれの牛が湖水の中からうき上って、のこのことこちらへ向って歩いて来ました。
ギンはそれを見て、ひょっとすると、あの牛の後から湖水の女が出て来るのではないかと思いながら、じっと見ていますと、ちゃんとそのとおりに、間もなく女の人も出て来ました。そして昨日よりもまたもっとうつくしい人になっていました。ギンはいきなりざぶりと水の中へ飛び下りてむかいにいきました。
女は今日はギンがさし出したパンを、ほほえみながらうけとって、ギンと一しょに岸へ上りました。ギンはそのときに、女の右の靴のひものむすびかたが、左のとちがっているのをちらと目にとめました。ギンは、ようやく口をきいて、
「私はあなたが大好きです。どうか私の家の人になって下さい。」とたのみました。しかし女の人はよういに聞き入れてくれませんでした。ギンは言葉をつくして、いくどもいくどもたのみました。すると湖水の女はしまいにやっと承知して、
「それではあなたのお嫁になりましょう。ですけれど、これから先、私が何の悪いこともしないのにむやみにおぶちになったりすると、三どめには、私はすぐに湖水へかえってしまいますがようございますか。」と、ねんをおしました。ギンは、
「そんな乱暴なことはけっしてしません。あなたをぶつくらいなら、それより先に私の手を切り取ってしまいます。」
こう言ってかたくちかいをしました。そうすると、どうしたわけか湖水の女はふいにだまって水の中へ下りて、牛と一しょに、ひょいと姿をかくしてしまいました。ギンはびっくりして、いきなり後を追って飛びこもうとしました。すると、後から、
「これこれおまちなさい。そんなにさわがなくてもいい。こっちへお出でなさい。」と、だれだか大声でよびとめるものがありました。ふりむいて見ますと、少しはなれたところに、まっ白な髪をした品のいいおじいさんが、二人の若い女の人をつれて立っています。ギンはこわごわそばへいきました。よくみると、その女の一人はたった今水の中へ消えたばかりの湖水の女でした。それからもう一人の女を見ますと、ふしぎなことには、それもさっきじぶんのお嫁になると言った、同じ湖水の女でした。ギンはじぶんの目がどうかなっているのではないかと思いました。(以下略)
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若い女の人が髪をすいていた櫛はどんな櫛ですか。
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若い女の人は、金の櫛でしずかに髪をすいていました。
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JCRRAG_001040
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国語
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湖水の女
鈴木三重吉
一
むかしむかし、或山の上にさびしい湖水がありました。その近くの村にギンという若ものが母親と二人でくらしていました。
或日ギンが、湖水のそばへ牛をつれていって、草を食べさせていますと、じきそばの水の中に、若い女の人が一人、ふうわりと立って、金の櫛で、しずかに髪をすいていました。下にはその顔が鏡にうつしたように、くっきりと水にうつっていました。それはそれは何とも言いようのない、うつくしい女でした。
ギンはしばらく立って見つめていました。そのうちに、何だか、じぶんのもっている、大麦でこしらえたパンとバタを、その女の人にやりたくなって、そっと、岸へ下りていきました。
女は間もなく、髪をすいてしまって、すらすらとこちらへ歩いて来ました。ギンはだまってパンとバタをさし出しました。女はそれを見ると顔をふって、
「かさかさのパンをもった人よ、
私はめったに、つかまりはしませんよ。」
と言うなり、すらりと水の下へもぐってしまいました。
ギンは、がっかりして、牛をつれてしおしおと家へかえりました。そして、母親にすべてのことを話しました。母親は女の言った言葉をいろいろに考えて、
「やっぱり、かさかさのパンではいやなのだろう。今度は焼かないパンをもってお出でよ。」と、おしえました。それでギンは、そのあくる日は、パン粉の、こねたばかりで焼かないままのをもって、まだ日も出ない先に、いそいで湖水へ出かけました。
そのうちに日が山の上へ出て、だんだんに空へ上っていきました。ギンはそれからお午じぶんまで、じっと岸にまっていました。しかし湖水にはただ黄色い日の光がきらきらするばかりで、昨日の女の人はいつまでたっても出て来ませんでした。
それからとうとう夕方になりました。ギンはもうあきらめて家へかえろうともしました。
するとちょうどそこへ、夕日をうけた水の下から女の人がやっと出て来ました。見ると昨日よりも、もっともっとうつくしい人になっていました。ギンは、うれしさのあまりに口がきけなくて、だまってパン粉のこねたのをさし出しました。すると女はやっぱり顔をふって、
「しめったパンをもった人よ、
私はあなたのところへはいきたくはありません。」
こう言って、やさしくほほえんだと思うと、またそれなり水の下へかくれてしまいました。ギンはしかたなしにとぼとぼお家へかえりました。
母親はその話を聞くと、
「それではかたいパンもやわらかいパンもいやだというのだから、今度は半焼にしたのをもっていってごらんよ。」と言いました。
その晩ギンはちっとも寝ないで、夜が明けるのをまっていました。そしてやっとのこと空があかるくなると、いそいで湖水へ出ていきました。すると、間もなく雨がふって来ました。ギンはびっしょりになったまま、また夕方まで立っていました。けれども女の人はちょっとも出て来ません。しまいにはだんだんと湖水も暗くなって来ました。ギンはがっかりして、もうお家へかえろうと思いました。すると、ふいに一とむれの牛が湖水の中からうき上って、のこのことこちらへ向って歩いて来ました。
ギンはそれを見て、ひょっとすると、あの牛の後から湖水の女が出て来るのではないかと思いながら、じっと見ていますと、ちゃんとそのとおりに、間もなく女の人も出て来ました。そして昨日よりもまたもっとうつくしい人になっていました。ギンはいきなりざぶりと水の中へ飛び下りてむかいにいきました。
女は今日はギンがさし出したパンを、ほほえみながらうけとって、ギンと一しょに岸へ上りました。ギンはそのときに、女の右の靴のひものむすびかたが、左のとちがっているのをちらと目にとめました。ギンは、ようやく口をきいて、
「私はあなたが大好きです。どうか私の家の人になって下さい。」とたのみました。しかし女の人はよういに聞き入れてくれませんでした。ギンは言葉をつくして、いくどもいくどもたのみました。すると湖水の女はしまいにやっと承知して、
「それではあなたのお嫁になりましょう。ですけれど、これから先、私が何の悪いこともしないのにむやみにおぶちになったりすると、三どめには、私はすぐに湖水へかえってしまいますがようございますか。」と、ねんをおしました。ギンは、
「そんな乱暴なことはけっしてしません。あなたをぶつくらいなら、それより先に私の手を切り取ってしまいます。」
こう言ってかたくちかいをしました。そうすると、どうしたわけか湖水の女はふいにだまって水の中へ下りて、牛と一しょに、ひょいと姿をかくしてしまいました。ギンはびっくりして、いきなり後を追って飛びこもうとしました。すると、後から、
「これこれおまちなさい。そんなにさわがなくてもいい。こっちへお出でなさい。」と、だれだか大声でよびとめるものがありました。ふりむいて見ますと、少しはなれたところに、まっ白な髪をした品のいいおじいさんが、二人の若い女の人をつれて立っています。ギンはこわごわそばへいきました。よくみると、その女の一人はたった今水の中へ消えたばかりの湖水の女でした。それからもう一人の女を見ますと、ふしぎなことには、それもさっきじぶんのお嫁になると言った、同じ湖水の女でした。ギンはじぶんの目がどうかなっているのではないかと思いました。(以下略)
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女を追って水に飛びこもうとしたギンをよびとめたのは誰ですか。
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女を追って水に飛びこもうとしたギンをよびとめたのは、まっ白な髪をした品のいいおじいさんです。
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JCRRAG_001041
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国語
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湖水の女
鈴木三重吉
一
むかしむかし、或山の上にさびしい湖水がありました。その近くの村にギンという若ものが母親と二人でくらしていました。
或日ギンが、湖水のそばへ牛をつれていって、草を食べさせていますと、じきそばの水の中に、若い女の人が一人、ふうわりと立って、金の櫛で、しずかに髪をすいていました。下にはその顔が鏡にうつしたように、くっきりと水にうつっていました。それはそれは何とも言いようのない、うつくしい女でした。
ギンはしばらく立って見つめていました。そのうちに、何だか、じぶんのもっている、大麦でこしらえたパンとバタを、その女の人にやりたくなって、そっと、岸へ下りていきました。
女は間もなく、髪をすいてしまって、すらすらとこちらへ歩いて来ました。ギンはだまってパンとバタをさし出しました。女はそれを見ると顔をふって、
「かさかさのパンをもった人よ、
私はめったに、つかまりはしませんよ。」
と言うなり、すらりと水の下へもぐってしまいました。
ギンは、がっかりして、牛をつれてしおしおと家へかえりました。そして、母親にすべてのことを話しました。母親は女の言った言葉をいろいろに考えて、
「やっぱり、かさかさのパンではいやなのだろう。今度は焼かないパンをもってお出でよ。」と、おしえました。それでギンは、そのあくる日は、パン粉の、こねたばかりで焼かないままのをもって、まだ日も出ない先に、いそいで湖水へ出かけました。
そのうちに日が山の上へ出て、だんだんに空へ上っていきました。ギンはそれからお午じぶんまで、じっと岸にまっていました。しかし湖水にはただ黄色い日の光がきらきらするばかりで、昨日の女の人はいつまでたっても出て来ませんでした。
それからとうとう夕方になりました。ギンはもうあきらめて家へかえろうともしました。
するとちょうどそこへ、夕日をうけた水の下から女の人がやっと出て来ました。見ると昨日よりも、もっともっとうつくしい人になっていました。ギンは、うれしさのあまりに口がきけなくて、だまってパン粉のこねたのをさし出しました。すると女はやっぱり顔をふって、
「しめったパンをもった人よ、
私はあなたのところへはいきたくはありません。」
こう言って、やさしくほほえんだと思うと、またそれなり水の下へかくれてしまいました。ギンはしかたなしにとぼとぼお家へかえりました。
母親はその話を聞くと、
「それではかたいパンもやわらかいパンもいやだというのだから、今度は半焼にしたのをもっていってごらんよ。」と言いました。
その晩ギンはちっとも寝ないで、夜が明けるのをまっていました。そしてやっとのこと空があかるくなると、いそいで湖水へ出ていきました。すると、間もなく雨がふって来ました。ギンはびっしょりになったまま、また夕方まで立っていました。けれども女の人はちょっとも出て来ません。しまいにはだんだんと湖水も暗くなって来ました。ギンはがっかりして、もうお家へかえろうと思いました。すると、ふいに一とむれの牛が湖水の中からうき上って、のこのことこちらへ向って歩いて来ました。
ギンはそれを見て、ひょっとすると、あの牛の後から湖水の女が出て来るのではないかと思いながら、じっと見ていますと、ちゃんとそのとおりに、間もなく女の人も出て来ました。そして昨日よりもまたもっとうつくしい人になっていました。ギンはいきなりざぶりと水の中へ飛び下りてむかいにいきました。
女は今日はギンがさし出したパンを、ほほえみながらうけとって、ギンと一しょに岸へ上りました。ギンはそのときに、女の右の靴のひものむすびかたが、左のとちがっているのをちらと目にとめました。ギンは、ようやく口をきいて、
「私はあなたが大好きです。どうか私の家の人になって下さい。」とたのみました。しかし女の人はよういに聞き入れてくれませんでした。ギンは言葉をつくして、いくどもいくどもたのみました。すると湖水の女はしまいにやっと承知して、
「それではあなたのお嫁になりましょう。ですけれど、これから先、私が何の悪いこともしないのにむやみにおぶちになったりすると、三どめには、私はすぐに湖水へかえってしまいますがようございますか。」と、ねんをおしました。ギンは、
「そんな乱暴なことはけっしてしません。あなたをぶつくらいなら、それより先に私の手を切り取ってしまいます。」
こう言ってかたくちかいをしました。そうすると、どうしたわけか湖水の女はふいにだまって水の中へ下りて、牛と一しょに、ひょいと姿をかくしてしまいました。ギンはびっくりして、いきなり後を追って飛びこもうとしました。すると、後から、
「これこれおまちなさい。そんなにさわがなくてもいい。こっちへお出でなさい。」と、だれだか大声でよびとめるものがありました。ふりむいて見ますと、少しはなれたところに、まっ白な髪をした品のいいおじいさんが、二人の若い女の人をつれて立っています。ギンはこわごわそばへいきました。よくみると、その女の一人はたった今水の中へ消えたばかりの湖水の女でした。それからもう一人の女を見ますと、ふしぎなことには、それもさっきじぶんのお嫁になると言った、同じ湖水の女でした。ギンはじぶんの目がどうかなっているのではないかと思いました。(以下略)
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女の右の靴は、左と何がちがっていましたか。
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女の右の靴は、左とひものむすびかたがちがっていました。
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JCRRAG_001042
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国語
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湖水の女
鈴木三重吉
一
むかしむかし、或山の上にさびしい湖水がありました。その近くの村にギンという若ものが母親と二人でくらしていました。
或日ギンが、湖水のそばへ牛をつれていって、草を食べさせていますと、じきそばの水の中に、若い女の人が一人、ふうわりと立って、金の櫛で、しずかに髪をすいていました。下にはその顔が鏡にうつしたように、くっきりと水にうつっていました。それはそれは何とも言いようのない、うつくしい女でした。
ギンはしばらく立って見つめていました。そのうちに、何だか、じぶんのもっている、大麦でこしらえたパンとバタを、その女の人にやりたくなって、そっと、岸へ下りていきました。
女は間もなく、髪をすいてしまって、すらすらとこちらへ歩いて来ました。ギンはだまってパンとバタをさし出しました。女はそれを見ると顔をふって、
「かさかさのパンをもった人よ、
私はめったに、つかまりはしませんよ。」
と言うなり、すらりと水の下へもぐってしまいました。
ギンは、がっかりして、牛をつれてしおしおと家へかえりました。そして、母親にすべてのことを話しました。母親は女の言った言葉をいろいろに考えて、
「やっぱり、かさかさのパンではいやなのだろう。今度は焼かないパンをもってお出でよ。」と、おしえました。それでギンは、そのあくる日は、パン粉の、こねたばかりで焼かないままのをもって、まだ日も出ない先に、いそいで湖水へ出かけました。
そのうちに日が山の上へ出て、だんだんに空へ上っていきました。ギンはそれからお午じぶんまで、じっと岸にまっていました。しかし湖水にはただ黄色い日の光がきらきらするばかりで、昨日の女の人はいつまでたっても出て来ませんでした。
それからとうとう夕方になりました。ギンはもうあきらめて家へかえろうともしました。
するとちょうどそこへ、夕日をうけた水の下から女の人がやっと出て来ました。見ると昨日よりも、もっともっとうつくしい人になっていました。ギンは、うれしさのあまりに口がきけなくて、だまってパン粉のこねたのをさし出しました。すると女はやっぱり顔をふって、
「しめったパンをもった人よ、
私はあなたのところへはいきたくはありません。」
こう言って、やさしくほほえんだと思うと、またそれなり水の下へかくれてしまいました。ギンはしかたなしにとぼとぼお家へかえりました。
母親はその話を聞くと、
「それではかたいパンもやわらかいパンもいやだというのだから、今度は半焼にしたのをもっていってごらんよ。」と言いました。
その晩ギンはちっとも寝ないで、夜が明けるのをまっていました。そしてやっとのこと空があかるくなると、いそいで湖水へ出ていきました。すると、間もなく雨がふって来ました。ギンはびっしょりになったまま、また夕方まで立っていました。けれども女の人はちょっとも出て来ません。しまいにはだんだんと湖水も暗くなって来ました。ギンはがっかりして、もうお家へかえろうと思いました。すると、ふいに一とむれの牛が湖水の中からうき上って、のこのことこちらへ向って歩いて来ました。
ギンはそれを見て、ひょっとすると、あの牛の後から湖水の女が出て来るのではないかと思いながら、じっと見ていますと、ちゃんとそのとおりに、間もなく女の人も出て来ました。そして昨日よりもまたもっとうつくしい人になっていました。ギンはいきなりざぶりと水の中へ飛び下りてむかいにいきました。
女は今日はギンがさし出したパンを、ほほえみながらうけとって、ギンと一しょに岸へ上りました。ギンはそのときに、女の右の靴のひものむすびかたが、左のとちがっているのをちらと目にとめました。ギンは、ようやく口をきいて、
「私はあなたが大好きです。どうか私の家の人になって下さい。」とたのみました。しかし女の人はよういに聞き入れてくれませんでした。ギンは言葉をつくして、いくどもいくどもたのみました。すると湖水の女はしまいにやっと承知して、
「それではあなたのお嫁になりましょう。ですけれど、これから先、私が何の悪いこともしないのにむやみにおぶちになったりすると、三どめには、私はすぐに湖水へかえってしまいますがようございますか。」と、ねんをおしました。ギンは、
「そんな乱暴なことはけっしてしません。あなたをぶつくらいなら、それより先に私の手を切り取ってしまいます。」
こう言ってかたくちかいをしました。そうすると、どうしたわけか湖水の女はふいにだまって水の中へ下りて、牛と一しょに、ひょいと姿をかくしてしまいました。ギンはびっくりして、いきなり後を追って飛びこもうとしました。すると、後から、
「これこれおまちなさい。そんなにさわがなくてもいい。こっちへお出でなさい。」と、だれだか大声でよびとめるものがありました。ふりむいて見ますと、少しはなれたところに、まっ白な髪をした品のいいおじいさんが、二人の若い女の人をつれて立っています。ギンはこわごわそばへいきました。よくみると、その女の一人はたった今水の中へ消えたばかりの湖水の女でした。それからもう一人の女を見ますと、ふしぎなことには、それもさっきじぶんのお嫁になると言った、同じ湖水の女でした。ギンはじぶんの目がどうかなっているのではないかと思いました。(以下略)
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ギンは誰とくらしていましたか。
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ギンは母親と二人でくらしていました。
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JCRRAG_001043
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国語
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やどなし犬
鈴木三重吉
一
むかし、アメリカの或小さな町に、人のいい、はたらきものの肉屋がいました。冬の半の或寒い朝のことでした。外は、ひどい風が雨を横なぐりにふきつけて、びゅうびゅうあれつづけています。人々は、こうもりのえにかたくつかまりながら、ころがるようなかっこうをして、つとめの場所へ出ていきます。肉屋は、店のわかいものたちと一しょに、かじかんだ手で、肉切ぼうちょうをといでいました。
すると、店のまえのたたきのところへ、一ぴきのやせた犬がびしょぬれになって、のそりのそりとやって来ました。そして、はげしいしぶきの中に、のこりとすわって、店先に下っている肉のかたまりを、じろじろ見上げていました。どこかのやどなし犬でしょう。肉屋もこれまで見たこともないきたならしい犬でした。骨ぐみは小さくもありませんが、どうしたのか、ひどくやせほそって、下腹の皮もだらりとしなび下っています。寒いのと、おそらくひもじいのと両方で、からだをぶるぶるふるわせ、下あごをがたがたさせながら、引きつれたような、ぐったりした顔をして、じろじろと、かぎにかかった肉を見つめています。
肉屋は、おどけた目つきをして、ちょいちょいそのやせ犬を見やりながら、ほうちょうをこすっていました。犬は肉屋の注意を引くように、ときどきくんくん鼻をならしてはこっちを見ます。そのうちに肉屋はほうちょうをとぎおえて、刃先をためすために、そばの大きな肉のはしの、ざらざらになったところを、少しばかり切り落しました。そして、
「ほら。」と言って、やせ犬になげてやりました。すると犬は、それが地びたへおちないうちに、ぴょいと上手に口へうけて、ぱくりと一口にのみこんでしまいました。肉屋はおもしろはんぶんに、こんどは少し大きく切りとって、ぽいとたかくなげて見ました。犬はさっと後足で立ち上って、それをも上手にうけとり、がつがつと二どばかりかんでのみこみました。
「へえ、こいつはまるでかるわざ師だ。どうだい、牛一ぴきのこらずくうまでかるわざをやるつもりかい? ほら、来た。よ、もう一つ。ほうら。よ、ほら。」と、肉屋はあとからあとからと何どとなく切ってはなげました。犬は、そのたんびに、ぴょいぴょいと上手にとって、ぱくぱく食べてしまいます。
「おまいは、おれの店の肉をみんなくっていく気だな? さあ、もうこれでおしまいだ。そのかわり少々かたいぞ。」と、肉屋は最後に、出来るだけわるいところをどっさり切ってなげつけました。しかし、犬はもうそのしまいの一きれだけは食べようともしずに、しばらくそれをじろじろ見つめています。
「何だ。何を考えてるんだい。」と肉屋は思いました。そのうちに、犬はふと、その肉をくわえるなり、どんどん、町角の方へかけさってしまいました。
そのあくる日は、からりと晴れたいいお天気でした。きのうの雨できれいにあらわれた往来にはもくもくと黄色い日かげがさしています。人々はあいかわらず急ぎ足で仕事に出ていきます。肉屋は、きょうは極上等の肉をどっさりつるして、お客をまっていました。すると、そこへ、きのうの犬がまたのこりと出て来て、同じように、たたきの上にすわったまま、じろじろと肉のきれを見上げています。
「ほう、また来たな。」と肉屋は言いました。
「来い来い。はいって来い。」と、チュッチュッと舌をならしますと、犬はこわごわ店の中へはいって来ました。
「ほら、ここまで来い。どら。」と肉屋はこごんで、かるく犬ののどの下をもち上げながら、
「へえ、かわいい目つきをしてるね、おまいは。毛並もよくちぢれていて上等だ。ちょっと歯を見せろ。歯なみもなかなかりっぱだ。おまいはおれの店の番人になるか。え? 今んとこはまったくやせ犬の見本みたいだが、二週間もたてばむくむくこえていい犬になる。おい、おれんとこにもいい犬がいたんだよ。そいつがにげ出して殺されたんだ。おまいは、かわりに、おれんとこの子になるか。なる? おお、よしよし。」
肉屋が右手でくびのところをだくようにしますと、犬は、言われたことがわかったように、肉屋の左手の甲をぺろぺろなめました。犬はそのまま夕方まで肉屋の店先で番をしました。あたりの犬たちが出て来て、店の中へもぐりこもうとでもしますと、やせ犬はうゝうときばをむいておいまくり、うろんくさい乞食が店先に立つと、わんわんほえておいのけてしまいます。それはなかなか気がきいたものです。とおりに何かへんな物音がすると、すぐにとんでいって、じいっと見きわめをつけ何でもないとわかればのそのそかえって、店先にすわっているという調子です。
日がはいると、肉屋はくちぶえをならしてよび入れました。そして、やさしく背中をたたいたあとで、大きな肉のきれをなげてやりました。ところが犬はそれをたべないで、口にくわえて外へ出てしまいました。そして、どんどん走って、きのうのとおりに、町かどの向うへかき消えてしまいました。
「何だ。」と肉屋は、すっぽかされたような気がしました。しかし、あんなにおれになついて、一日中番をしていたくらいだから、夜になったらまたかえって来るかも知れないと思いながら、それとはなしにまっていましたが、夜おそくなっても、犬はそれなりとうとうかえって来ませんでした。
「やっぱりのら犬はのら犬だ。一ぺんでいっちまやがった。」と、肉屋は寝がけに一人ごとを言いました。
ところが、あくる朝、店のものが戸をあけますと、犬は、もうとくから外へ来てまちうけていたように、ついと店へはいって、うれしそうに尾をふって肉屋のひざにとびつきました。
「よしよしよし。分ったよ分ったよ。」と肉屋は犬の両前足をにぎって、外のたたきの方へつれていきました。犬はそれからまた一日中、店先にいて、一生けんめいに番をしました。肉屋は夕方になると頭をなでて、きのうのとおりに、大きな肉のきれをやりました。ところが犬は、やはりそれを食べないで、口にくわえたまま、またどこかへいってしまいました。そしてあくる朝はまたちゃんと出て来て、店の番をしました。
(以下略)
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犬がじろじろ見上げていたものは何ですか。
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犬がじろじろ見上げていたものは、店先に下っている肉のかたまりです。
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JCRRAG_001044
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国語
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湖水の女
鈴木三重吉
一
むかしむかし、或山の上にさびしい湖水がありました。その近くの村にギンという若ものが母親と二人でくらしていました。
或日ギンが、湖水のそばへ牛をつれていって、草を食べさせていますと、じきそばの水の中に、若い女の人が一人、ふうわりと立って、金の櫛で、しずかに髪をすいていました。下にはその顔が鏡にうつしたように、くっきりと水にうつっていました。それはそれは何とも言いようのない、うつくしい女でした。
ギンはしばらく立って見つめていました。そのうちに、何だか、じぶんのもっている、大麦でこしらえたパンとバタを、その女の人にやりたくなって、そっと、岸へ下りていきました。
女は間もなく、髪をすいてしまって、すらすらとこちらへ歩いて来ました。ギンはだまってパンとバタをさし出しました。女はそれを見ると顔をふって、
「かさかさのパンをもった人よ、
私はめったに、つかまりはしませんよ。」
と言うなり、すらりと水の下へもぐってしまいました。
ギンは、がっかりして、牛をつれてしおしおと家へかえりました。そして、母親にすべてのことを話しました。母親は女の言った言葉をいろいろに考えて、
「やっぱり、かさかさのパンではいやなのだろう。今度は焼かないパンをもってお出でよ。」と、おしえました。それでギンは、そのあくる日は、パン粉の、こねたばかりで焼かないままのをもって、まだ日も出ない先に、いそいで湖水へ出かけました。
そのうちに日が山の上へ出て、だんだんに空へ上っていきました。ギンはそれからお午じぶんまで、じっと岸にまっていました。しかし湖水にはただ黄色い日の光がきらきらするばかりで、昨日の女の人はいつまでたっても出て来ませんでした。
それからとうとう夕方になりました。ギンはもうあきらめて家へかえろうともしました。
するとちょうどそこへ、夕日をうけた水の下から女の人がやっと出て来ました。見ると昨日よりも、もっともっとうつくしい人になっていました。ギンは、うれしさのあまりに口がきけなくて、だまってパン粉のこねたのをさし出しました。すると女はやっぱり顔をふって、
「しめったパンをもった人よ、
私はあなたのところへはいきたくはありません。」
こう言って、やさしくほほえんだと思うと、またそれなり水の下へかくれてしまいました。ギンはしかたなしにとぼとぼお家へかえりました。
母親はその話を聞くと、
「それではかたいパンもやわらかいパンもいやだというのだから、今度は半焼にしたのをもっていってごらんよ。」と言いました。
その晩ギンはちっとも寝ないで、夜が明けるのをまっていました。そしてやっとのこと空があかるくなると、いそいで湖水へ出ていきました。すると、間もなく雨がふって来ました。ギンはびっしょりになったまま、また夕方まで立っていました。けれども女の人はちょっとも出て来ません。しまいにはだんだんと湖水も暗くなって来ました。ギンはがっかりして、もうお家へかえろうと思いました。すると、ふいに一とむれの牛が湖水の中からうき上って、のこのことこちらへ向って歩いて来ました。
ギンはそれを見て、ひょっとすると、あの牛の後から湖水の女が出て来るのではないかと思いながら、じっと見ていますと、ちゃんとそのとおりに、間もなく女の人も出て来ました。そして昨日よりもまたもっとうつくしい人になっていました。ギンはいきなりざぶりと水の中へ飛び下りてむかいにいきました。
女は今日はギンがさし出したパンを、ほほえみながらうけとって、ギンと一しょに岸へ上りました。ギンはそのときに、女の右の靴のひものむすびかたが、左のとちがっているのをちらと目にとめました。ギンは、ようやく口をきいて、
「私はあなたが大好きです。どうか私の家の人になって下さい。」とたのみました。しかし女の人はよういに聞き入れてくれませんでした。ギンは言葉をつくして、いくどもいくどもたのみました。すると湖水の女はしまいにやっと承知して、
「それではあなたのお嫁になりましょう。ですけれど、これから先、私が何の悪いこともしないのにむやみにおぶちになったりすると、三どめには、私はすぐに湖水へかえってしまいますがようございますか。」と、ねんをおしました。ギンは、
「そんな乱暴なことはけっしてしません。あなたをぶつくらいなら、それより先に私の手を切り取ってしまいます。」
こう言ってかたくちかいをしました。そうすると、どうしたわけか湖水の女はふいにだまって水の中へ下りて、牛と一しょに、ひょいと姿をかくしてしまいました。ギンはびっくりして、いきなり後を追って飛びこもうとしました。すると、後から、
「これこれおまちなさい。そんなにさわがなくてもいい。こっちへお出でなさい。」と、だれだか大声でよびとめるものがありました。ふりむいて見ますと、少しはなれたところに、まっ白な髪をした品のいいおじいさんが、二人の若い女の人をつれて立っています。ギンはこわごわそばへいきました。よくみると、その女の一人はたった今水の中へ消えたばかりの湖水の女でした。それからもう一人の女を見ますと、ふしぎなことには、それもさっきじぶんのお嫁になると言った、同じ湖水の女でした。ギンはじぶんの目がどうかなっているのではないかと思いました。(以下略)
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ギンは湖水のそばへ何をつれていきましたか。
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ギンは、湖水のそばへ牛をつれていきました。
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JCRRAG_001045
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国語
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梟啼く
杉田久女
私には信光というたった一人の弟があった。鹿児島の平の馬場で生れた此弟が四つの年(その時は大垣にいた)の御月見の際女中が誤って三階のてすりから落し前額に四針も縫う様な大怪我をさせた上、かよわい体を大地に叩き付けた為め心臓を打ったのが原因でとうとう病身になってしまった。弟の全身には夏も冬も蚤の喰った痕の様な紫色のブチブチが出来、癇癪が非常に強くなって泣く度に歯の間から薄い水の様な血がにじみ出た。私達の髪をむしった。だけども其他の時にはほんとに聡明な優し味をもった誰にでも愛され易い好い子であった。五人の兄妹の一番すそではあったし厳格な父も信光だけは非常に愛していた。家中の者も皆此の病身ないじらしい弟をよく愛しいたわってやった。弟は私が一番好きであった。病気が非常に悪い時でも私が学校から帰るのを待ちかねていて「お久しゃんお久しゃん」と嬉しがって、其日学校で習って来た唱歌や本のお咄を聞くのを何より楽しみにしていた。鳳仙花をちぎって指を染めたり、芭蕉の花のあまい汁をすったりする事も大概弟と一処であった。
父が特命で琉球から又更に遠い、新領土に行かなければならなくなったのは明治三十年の五月末であったろうと思う。最初台湾行の命令が来た時、この病身な弟を長途の船や不便な旅路に苦しませる事の危険を父母共に案じ母は居残る事に九分九厘迄きめたのであったが信光の主治医が「御気の毒だけど坊ちゃんの御病気は内地にいらしても半年とは保つまい。万一の場合御両親共お揃いになっていらした方が」との言葉に動かされたのと、一つには父は脳病が持病で、馴れぬ熱い土地へ孤りで行ってもし突然の事でも起ってはと云う母の少からぬ心痛もあり結局母はすべてのものを擲って父の為めに新開島へ渡る事に決心したのであった。小中学校さえもない土地へ行くのである為め長兄は鹿児島の造士館へ、次兄は今迄通り沖縄の中学へ残して出立する事になった。勿論新領土行きの為め父の官職や物質上の待遇は大変よくなったわけで、大勢の男女子をかかえて一家を支えて行く上からは父母の行くべき道は苦しくともこの道を執らなくてはならなかったに違いない。私の母は非常にしっかりした行届いた婦人であったが、母たる悲しみと妻たる務めとの為めに千々に心を砕きつつあった。その苦痛は今尚お私をして記憶せしめる程深刻な苦しみであったのである。
八重山丸とか云う汽船に父母、姉、私、病弟、この五人が乗り込んで沖縄を発つ日は、この島特有の湿気と霧との多い曇り日であった。南へ下る私共の船と、鹿児島へ去る長兄を乗せた船とは殆ど同時刻に出帆すべく灰色の波に太い煤煙を吐いていた。次兄はたった孤りぼっち此島に居残るのである。
送られる人、送る人、骨肉三ヶ所にちりぢりばらばらになるのである。二人の兄の為めには此日が実に病弟を見る最後の日であった。新領土と言えば人喰い鬼が横行している様におもわれている頃だったので、見送りに来た多数の人々も皆しんから別れを惜しんでくださった。船が碇を巻き上げ、小舟の次兄の姿が次第次第に小さく成って行く時、幼い私や弟は泣き出した……
真夜中船が八重山沖を過ぎる頃は弟の病状も険悪になって来た。その上船火事が起って大騒ぎだった。大洋上に出た船、而かも真夜中の闇い潮の中で船火事などの起った場合の心細さ絶望的な悲しみは到底筆につくしがたい。
ジャンジャンなる警鐘の中にいて、病弟をしっかり抱いた母はすこしも取り乱した様もなく、色を失った姉と私とを膝下にまねきよせて、一心に神仏を祷っているらしかった。
が幸いに火事は或る一室の天井やベッドを焦したのみで大事に至らず、病弟の容体も折合って、三昼夜半の後には新領土の一角へついたのである。淋しい山に取かこまれた港は基隆名物の濛雨におおわれて淡く、陸地にこがれて来た私達の眼前に展開され、支那のジャンクは竜頭を統べて八重山丸の舷側へ漕いで来た。
今から二十何年前のキールンの町々は誠に淋しいじめじめした灰色の町であった。とうとうこんな遠い、離れ島に来てしまったと云う心地の中に、三昼夜半の恐ろしい大洋を乗りすてて、やっと目的の島へ辿り着いたという不安ながらも一種の喜びにみたされて上陸した私達は只子供心にも珍らしい許りであったが、これからはなおさら困難な道を取って、島内深くまだまだ入らなくてはならなかった。
基隆の町で弟は汽車の玩具がほしいと言い出して聞かなかった。父と母とは雨のしょぼしょぼ降る町を負ぶって大基隆迄も探しに行ったが見当らず、遂に或店の棚の隅に、ほこりまみれになって売れずに只一つ残っている汽車のおもちゃを、負っている弟がめばしこく見つけ、それでやっと機嫌を直した事を覚えている。
基隆から再び船にのって、澎湖島を経て台南へ上陸したのであるが、澎湖島から台南迄の海路は有名の風の悪いところで此間を幾度となく引返し遂々澎湖島に十日以上滞在してしまった。澎湖島では毎日上陸して千人塚を見物し名物の西瓜を買って船へ帰ったりした。漸くの思いで台中港へ着き、河を遡って台南の税関へついた。そこで始めて日本人の税関長からあたたかい歓迎をうけ西洋料理の御馳走をうけたりパイナップルを食べたりした。心配した弟の体も却って旅馴れたせいか変った様子もなく頗る元気であった。(以下略)
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信光に大怪我をさせたのは誰ですか。
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信光は、女中に大怪我をさせられました。
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JCRRAG_001046
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国語
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鳥について
砂東 塩
部屋に鳥がいる。
巣箱を模して五角形に曲げられたワイヤーの屋根部分には丸い輪があり、そこに紐を通して天井から吊り下げられ、ワイヤーとビーズで作られた鳥が重たげな体でとまっている。
ビーズは透明な赤、青、緑、黄の四色。ワイヤーをぐるぐる巻きにしたトンボの眼鏡のような直径一センチほどの目が赤い顔につけられていて、左右の目の位置が上下にずれているから正面から見ると酔っ払ったオヤジだ。太い嘴は青く、数が足りなかったのか赤いビーズがひとつだけ使われている。ずんぐりした胴体に比べて頼りない足。お尻に生えた十数本のワイヤーは長い尾羽。
私が鳥をもらったのは十年以上前になる。何度か店に来た客で、南アフリカに帰るから記念にと言って渡された。名前は知らない。顔も覚えていないけれど、体つきは鳥に似ていた気がする。
廃業して自宅に持って帰ってきた鳥の尾羽には、たまに洗濯したマイバッグを掛けて干している。尾羽の端が鳴門の渦潮みたいにぐるぐるに巻かれているが、巻いたのは以前同じ建物で商売していた女性だ。彼女とはもうずいぶん連絡をとっていない。子どもが生まれたことはフェイスブックで知った。今のところ巻いた尾羽を伸ばす気はない。
鳥は、天井のライトを点けるとビーズが光って南国にいる原色の鳥のように見えるが、普段は気配なく吊るされ、頭をぶつけて存在に気づく。鳥のことを書く気になったのはパソコンに向かって頬杖をついた先に鳥がいたからだ。
立ち上がって観察してみると、驚いたことに鳥には翼がなかった。背に五、六センチのワイヤーが段になってついているだけで、羽かもしれないが翼ではない。同じ体つきでもペンギンの方がよほど飛べそうだ。重い体はワイヤー二本で固定され、一本切ったら逆さ吊りになるだろう。巣から解放してやっても歩くには尾羽が長すぎる。
飛べない、歩けない鳥は巣にとまっている。
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私が鳥をもらったのはいつですか。
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私が鳥をもらったのは十年以上前です。
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JCRRAG_001047
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国語
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狸問答
鈴木鼓村
私は、よく怪物に勝つことがあるよ、しかし或は負けていたのかもしれないがね――
数年前、さる家を訪ねて、昼飯の馳走に与って、やがてその家を辞して、ぶらぶら向島の寺島村の堤にかかったのが、四時頃のことだ、秋の頃で戸外は未だ中々明るい、私が昼の膳に出してくれた、塩鰹が非常に好味といったので、その主人が、それなら、まだ残っているこの片身を持って行きたまえというので、それを新聞紙に包んでもらって、片手に提げながらやってくると、堤の上を二三町歩むか歩まぬ内突然、四辺が真暗に暮れてしまった、なんぼ秋の日は釣瓶落だと云ったって、今の先まで、あんなに明るかったものが、こんな急に、暗くなる道理はない、その時分には未だあの辺も開けぬ頃で、あたりはもう、あまり人通りもないのだ、こいつ必ず何かの悪戯だろうと気がついたから、私は悠然とその堤の草の上に腰をおろして、さて大声をはりあげて怒号った、この時傍で誰か聞いていたら、さぞ吹出したろうよ、
「やい、狐か狸か知らないが、よく聞け、貴様は、今己が手に持っておる、この鰹が欲しいので、こんな悪戯をするのだろう、己は貴様達に、そんな悪戯をされて、まざまざとこの大事な魚を、やるような男ではないぞ、今己はここで、美事にこれを、食ってしまうから、涎でも垂らしながら見物しろ」
といって、紙の内から、例の塩鰹を出して私はムシャムシャ初めて、とうとう皆食い終って、
「モウ、皮でも食らえ」
といいながら、前の方へ、投出すと、見る見る内に、また四辺が明るくなったので、私も思わず、笑いながら、再び歩出して、無事に家に帰ったが、何しろ、塩鰹を、そんな一時に食ったので、途事咽が渇いて仕方がない、やたらに水を飲んだもので、とうとう翌日に下痢で苦しんだよ、それ故まあ、一時はおどかしてやったものの矢張私の方が結句負けたのかも知れないね。
これと同じ様な事が、京都に居った時分にもあった、四年ばかり前だったが、冬の事で、ちらちら小雪が降っていた真暗な晩だ、夜、祇園の中村楼で宴会があって、もう茶屋を出たのが十二時過だった、中村楼の雨傘を借りて、それを片手にさしながら、片手には例の折詰を提げて、少し、ほろ酔い加減に、快い気持で、ぶらぶらと、智恩院の山内を通って、あれから、粟田にかかろうとする、丁度十楽院の御陵の近処まで来ると、如何したのか、右手にさしておる傘が重くなって仕方がない、ぐうと、下の方へ引き付けられる様で、中々堪らえられないのだ、おかしいと思って、左の折詰を持った手で、傘を持ってる手の下をさぐってみたが何物も居ない、こいつまた何かござったなと、早速気がついたので、私はまた御陵の石段へどっかと腰を下ろして怒号ったのだ、
「己は貴様達に負ける男ではないから、閉口して、己が今この折詰のお馳走を召上がるところを、拝見しろ」
といいながら、それを開けて、蒲鉾の撮食だの、鯛の骨しゃぶりを初めて、やがて、すっかり、食い終ったので、
「折でも食え」
と投出して、やおら、起って、また傘をさして歩み出したが、最早何事もなく家に帰った、昔からも、よくいうが、こんな場合には、気を確に持つことが、全く肝要の事だろうよ。
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私が向島の寺島村の堤にかかったのは何時頃でしたか。
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私が向島の寺島村の堤にかかったのは、四時頃でした。
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JCRRAG_001048
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国語
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やどなし犬
鈴木三重吉
一
むかし、アメリカの或小さな町に、人のいい、はたらきものの肉屋がいました。冬の半の或寒い朝のことでした。外は、ひどい風が雨を横なぐりにふきつけて、びゅうびゅうあれつづけています。人々は、こうもりのえにかたくつかまりながら、ころがるようなかっこうをして、つとめの場所へ出ていきます。肉屋は、店のわかいものたちと一しょに、かじかんだ手で、肉切ぼうちょうをといでいました。
すると、店のまえのたたきのところへ、一ぴきのやせた犬がびしょぬれになって、のそりのそりとやって来ました。そして、はげしいしぶきの中に、のこりとすわって、店先に下っている肉のかたまりを、じろじろ見上げていました。どこかのやどなし犬でしょう。肉屋もこれまで見たこともないきたならしい犬でした。骨ぐみは小さくもありませんが、どうしたのか、ひどくやせほそって、下腹の皮もだらりとしなび下っています。寒いのと、おそらくひもじいのと両方で、からだをぶるぶるふるわせ、下あごをがたがたさせながら、引きつれたような、ぐったりした顔をして、じろじろと、かぎにかかった肉を見つめています。
肉屋は、おどけた目つきをして、ちょいちょいそのやせ犬を見やりながら、ほうちょうをこすっていました。犬は肉屋の注意を引くように、ときどきくんくん鼻をならしてはこっちを見ます。そのうちに肉屋はほうちょうをとぎおえて、刃先をためすために、そばの大きな肉のはしの、ざらざらになったところを、少しばかり切り落しました。そして、
「ほら。」と言って、やせ犬になげてやりました。すると犬は、それが地びたへおちないうちに、ぴょいと上手に口へうけて、ぱくりと一口にのみこんでしまいました。肉屋はおもしろはんぶんに、こんどは少し大きく切りとって、ぽいとたかくなげて見ました。犬はさっと後足で立ち上って、それをも上手にうけとり、がつがつと二どばかりかんでのみこみました。
「へえ、こいつはまるでかるわざ師だ。どうだい、牛一ぴきのこらずくうまでかるわざをやるつもりかい? ほら、来た。よ、もう一つ。ほうら。よ、ほら。」と、肉屋はあとからあとからと何どとなく切ってはなげました。犬は、そのたんびに、ぴょいぴょいと上手にとって、ぱくぱく食べてしまいます。
「おまいは、おれの店の肉をみんなくっていく気だな? さあ、もうこれでおしまいだ。そのかわり少々かたいぞ。」と、肉屋は最後に、出来るだけわるいところをどっさり切ってなげつけました。しかし、犬はもうそのしまいの一きれだけは食べようともしずに、しばらくそれをじろじろ見つめています。
「何だ。何を考えてるんだい。」と肉屋は思いました。そのうちに、犬はふと、その肉をくわえるなり、どんどん、町角の方へかけさってしまいました。
そのあくる日は、からりと晴れたいいお天気でした。きのうの雨できれいにあらわれた往来にはもくもくと黄色い日かげがさしています。人々はあいかわらず急ぎ足で仕事に出ていきます。肉屋は、きょうは極上等の肉をどっさりつるして、お客をまっていました。すると、そこへ、きのうの犬がまたのこりと出て来て、同じように、たたきの上にすわったまま、じろじろと肉のきれを見上げています。
「ほう、また来たな。」と肉屋は言いました。
「来い来い。はいって来い。」と、チュッチュッと舌をならしますと、犬はこわごわ店の中へはいって来ました。
「ほら、ここまで来い。どら。」と肉屋はこごんで、かるく犬ののどの下をもち上げながら、
「へえ、かわいい目つきをしてるね、おまいは。毛並もよくちぢれていて上等だ。ちょっと歯を見せろ。歯なみもなかなかりっぱだ。おまいはおれの店の番人になるか。え? 今んとこはまったくやせ犬の見本みたいだが、二週間もたてばむくむくこえていい犬になる。おい、おれんとこにもいい犬がいたんだよ。そいつがにげ出して殺されたんだ。おまいは、かわりに、おれんとこの子になるか。なる? おお、よしよし。」
肉屋が右手でくびのところをだくようにしますと、犬は、言われたことがわかったように、肉屋の左手の甲をぺろぺろなめました。犬はそのまま夕方まで肉屋の店先で番をしました。あたりの犬たちが出て来て、店の中へもぐりこもうとでもしますと、やせ犬はうゝうときばをむいておいまくり、うろんくさい乞食が店先に立つと、わんわんほえておいのけてしまいます。それはなかなか気がきいたものです。とおりに何かへんな物音がすると、すぐにとんでいって、じいっと見きわめをつけ何でもないとわかればのそのそかえって、店先にすわっているという調子です。
日がはいると、肉屋はくちぶえをならしてよび入れました。そして、やさしく背中をたたいたあとで、大きな肉のきれをなげてやりました。ところが犬はそれをたべないで、口にくわえて外へ出てしまいました。そして、どんどん走って、きのうのとおりに、町かどの向うへかき消えてしまいました。
「何だ。」と肉屋は、すっぽかされたような気がしました。しかし、あんなにおれになついて、一日中番をしていたくらいだから、夜になったらまたかえって来るかも知れないと思いながら、それとはなしにまっていましたが、夜おそくなっても、犬はそれなりとうとうかえって来ませんでした。
「やっぱりのら犬はのら犬だ。一ぺんでいっちまやがった。」と、肉屋は寝がけに一人ごとを言いました。
ところが、あくる朝、店のものが戸をあけますと、犬は、もうとくから外へ来てまちうけていたように、ついと店へはいって、うれしそうに尾をふって肉屋のひざにとびつきました。
「よしよしよし。分ったよ分ったよ。」と肉屋は犬の両前足をにぎって、外のたたきの方へつれていきました。犬はそれからまた一日中、店先にいて、一生けんめいに番をしました。肉屋は夕方になると頭をなでて、きのうのとおりに、大きな肉のきれをやりました。ところが犬は、やはりそれを食べないで、口にくわえたまま、またどこかへいってしまいました。そしてあくる朝はまたちゃんと出て来て、店の番をしました。
(以下略)
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ひどい風が雨を横なぐりにふきつける寒い朝、一ぴきのやせた犬はどこへやって来ましたか。
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一ぴきのやせた犬は、ひどい風が雨を横なぐりにふきつける寒い朝、店のまえのたたきのところへ、のそりのそりとやって来ました。
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JCRRAG_001049
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国語
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やどなし犬
鈴木三重吉
一
むかし、アメリカの或小さな町に、人のいい、はたらきものの肉屋がいました。冬の半の或寒い朝のことでした。外は、ひどい風が雨を横なぐりにふきつけて、びゅうびゅうあれつづけています。人々は、こうもりのえにかたくつかまりながら、ころがるようなかっこうをして、つとめの場所へ出ていきます。肉屋は、店のわかいものたちと一しょに、かじかんだ手で、肉切ぼうちょうをといでいました。
すると、店のまえのたたきのところへ、一ぴきのやせた犬がびしょぬれになって、のそりのそりとやって来ました。そして、はげしいしぶきの中に、のこりとすわって、店先に下っている肉のかたまりを、じろじろ見上げていました。どこかのやどなし犬でしょう。肉屋もこれまで見たこともないきたならしい犬でした。骨ぐみは小さくもありませんが、どうしたのか、ひどくやせほそって、下腹の皮もだらりとしなび下っています。寒いのと、おそらくひもじいのと両方で、からだをぶるぶるふるわせ、下あごをがたがたさせながら、引きつれたような、ぐったりした顔をして、じろじろと、かぎにかかった肉を見つめています。
肉屋は、おどけた目つきをして、ちょいちょいそのやせ犬を見やりながら、ほうちょうをこすっていました。犬は肉屋の注意を引くように、ときどきくんくん鼻をならしてはこっちを見ます。そのうちに肉屋はほうちょうをとぎおえて、刃先をためすために、そばの大きな肉のはしの、ざらざらになったところを、少しばかり切り落しました。そして、
「ほら。」と言って、やせ犬になげてやりました。すると犬は、それが地びたへおちないうちに、ぴょいと上手に口へうけて、ぱくりと一口にのみこんでしまいました。肉屋はおもしろはんぶんに、こんどは少し大きく切りとって、ぽいとたかくなげて見ました。犬はさっと後足で立ち上って、それをも上手にうけとり、がつがつと二どばかりかんでのみこみました。
「へえ、こいつはまるでかるわざ師だ。どうだい、牛一ぴきのこらずくうまでかるわざをやるつもりかい? ほら、来た。よ、もう一つ。ほうら。よ、ほら。」と、肉屋はあとからあとからと何どとなく切ってはなげました。犬は、そのたんびに、ぴょいぴょいと上手にとって、ぱくぱく食べてしまいます。
「おまいは、おれの店の肉をみんなくっていく気だな? さあ、もうこれでおしまいだ。そのかわり少々かたいぞ。」と、肉屋は最後に、出来るだけわるいところをどっさり切ってなげつけました。しかし、犬はもうそのしまいの一きれだけは食べようともしずに、しばらくそれをじろじろ見つめています。
「何だ。何を考えてるんだい。」と肉屋は思いました。そのうちに、犬はふと、その肉をくわえるなり、どんどん、町角の方へかけさってしまいました。
そのあくる日は、からりと晴れたいいお天気でした。きのうの雨できれいにあらわれた往来にはもくもくと黄色い日かげがさしています。人々はあいかわらず急ぎ足で仕事に出ていきます。肉屋は、きょうは極上等の肉をどっさりつるして、お客をまっていました。すると、そこへ、きのうの犬がまたのこりと出て来て、同じように、たたきの上にすわったまま、じろじろと肉のきれを見上げています。
「ほう、また来たな。」と肉屋は言いました。
「来い来い。はいって来い。」と、チュッチュッと舌をならしますと、犬はこわごわ店の中へはいって来ました。
「ほら、ここまで来い。どら。」と肉屋はこごんで、かるく犬ののどの下をもち上げながら、
「へえ、かわいい目つきをしてるね、おまいは。毛並もよくちぢれていて上等だ。ちょっと歯を見せろ。歯なみもなかなかりっぱだ。おまいはおれの店の番人になるか。え? 今んとこはまったくやせ犬の見本みたいだが、二週間もたてばむくむくこえていい犬になる。おい、おれんとこにもいい犬がいたんだよ。そいつがにげ出して殺されたんだ。おまいは、かわりに、おれんとこの子になるか。なる? おお、よしよし。」
肉屋が右手でくびのところをだくようにしますと、犬は、言われたことがわかったように、肉屋の左手の甲をぺろぺろなめました。犬はそのまま夕方まで肉屋の店先で番をしました。あたりの犬たちが出て来て、店の中へもぐりこもうとでもしますと、やせ犬はうゝうときばをむいておいまくり、うろんくさい乞食が店先に立つと、わんわんほえておいのけてしまいます。それはなかなか気がきいたものです。とおりに何かへんな物音がすると、すぐにとんでいって、じいっと見きわめをつけ何でもないとわかればのそのそかえって、店先にすわっているという調子です。
日がはいると、肉屋はくちぶえをならしてよび入れました。そして、やさしく背中をたたいたあとで、大きな肉のきれをなげてやりました。ところが犬はそれをたべないで、口にくわえて外へ出てしまいました。そして、どんどん走って、きのうのとおりに、町かどの向うへかき消えてしまいました。
「何だ。」と肉屋は、すっぽかされたような気がしました。しかし、あんなにおれになついて、一日中番をしていたくらいだから、夜になったらまたかえって来るかも知れないと思いながら、それとはなしにまっていましたが、夜おそくなっても、犬はそれなりとうとうかえって来ませんでした。
「やっぱりのら犬はのら犬だ。一ぺんでいっちまやがった。」と、肉屋は寝がけに一人ごとを言いました。
ところが、あくる朝、店のものが戸をあけますと、犬は、もうとくから外へ来てまちうけていたように、ついと店へはいって、うれしそうに尾をふって肉屋のひざにとびつきました。
「よしよしよし。分ったよ分ったよ。」と肉屋は犬の両前足をにぎって、外のたたきの方へつれていきました。犬はそれからまた一日中、店先にいて、一生けんめいに番をしました。肉屋は夕方になると頭をなでて、きのうのとおりに、大きな肉のきれをやりました。ところが犬は、やはりそれを食べないで、口にくわえたまま、またどこかへいってしまいました。そしてあくる朝はまたちゃんと出て来て、店の番をしました。
(以下略)
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一ぴきのやせた犬がびしょぬれになってやってきたあくる日はどんなお天気でしたか。
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一ぴきのやせた犬がびしょぬれになってやってきたあくる日は、からりと晴れたいいお天気でした。
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JCRRAG_001050
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国語
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白髪小僧
夢野久作
第一篇 赤おうむ
一 銀杏の樹
昔或る処に一人の乞食小僧が居りました。この小僧は生れ付きの馬鹿で、親も兄弟も何も無い本当の一人者で、夏も冬もボロボロの着物一枚切り、定った寝床さえありませんでしたが、唯名前ばかりは当り前の人よりもずっと沢山に持っておりました。
その第一の名前は白髪小僧というのでした。これはこの小僧の頭が雪のように白く輝いていたからです。
第二は万年小僧というので、これはこの小僧がいつから居るのかわかりませぬが、何でも余程昔からどんな年寄でも知らぬものは無いのにいつ見ても十六七の若々しい顔付きをしていたからです。又ニコニコ小僧というのは、この小僧がいつもニコニコしていたからです。その次に唖小僧というのは、この小僧が口を利いた例が今迄一度もなかったからです。王様小僧というのは、この乞食が物を貰った時お辞儀をした事がなく、又人に物を呉れと云った事が一度も無いから付けた名前で、慈善小僧というのは、この小僧が貰った物の余りを決して蓄めず他の憐れな者に惜し気もなく呉れて終い、万一他人の危い事や困った事を聞くと生命を構わず助けるから附けた名前です。その他不思議小僧、不死身小僧、無病小僧、漫遊小僧、ノロノロ小僧、大馬鹿小僧など数えれば限りもありませぬ。人々は皆この白髪小僧を可愛がり敬い、又は気味悪がり恐れておりました。
けれども白髪小僧はそんな事には一切お構いなしで、いつもニコニコ笑いながら悠々と方々の村や都をめぐり歩いて、物を貰ったり人を助けたりしておりました。
或る時白髪小僧は王様の居る都に来て、その街外れを流れる一つの川の縁に立っている大きな銀杏の樹の蔭でウトウトと居睡りをしておりました。ところへ不意に高いけたたましい叫び声が聞こえましたから眼を開いて見ると、つい眼の前の川の中にどこかの美しいお嬢さんが一冊の本を持ったまま落ち込んで、浮きつ沈みつ流れて行きます。
これを見た白髪小僧は直ぐに裸体になって川の中に飛び込んでその娘を救い上げましたが、間もなく人々の知らせで駈けつけた娘の両親は、白髪小僧に助けられて息を吹き返した娘の顔を見ると、只もう嬉し泣きに泣いて、濡れた着物の上から娘をしっかりと抱き締めました。そして直ぐに雇った馬車に娘と白髪小僧を乗せて自分の家に連れて行きましたが、その家の大きくて美しい事、王様の住居はこんなものであろうかと思われる位で、お出迎えに出て来た娘の同胞や家来共の着物に附けている金銀宝石の飾りを見ただけでも当り前の者ならば眼を眩わして終う位でした。併し白髪小僧は少しも驚きませんでした。相も変らずニコニコ笑いながら悠々と娘の両親に案内されて奥の一室に通って、そこに置いてある美事な絹張りの椅子に腰をかけました。
ここで家中の者は着物を着かえた娘を先に立てて白髪小僧の前に並んでお礼を云いましたが、白髪小僧は返事もしませぬ。矢張りニコニコ笑いながら皆の顔を見まわしているばかりでした。
お礼を済ました家中の者が左右に開いて白髪小僧を真中にして居並ぶと、やがて向うの入り口から大勢の家来が手に手に宝石やお金を山盛りに盛った水晶の鉢を捧げて這入って来て、白髪小僧の眼の前にズラリと置き並べました。その時娘のお父さんは白髪小僧の前に進み出て叮嚀に一礼して申しました。
「これは貴方の御恩の万分の一に御礼するにも当りませぬが、唯ほんの印ばかりに差し上げます。御受け下さるれば何よりの仕合わせで御座います」
白髪小僧はそんなものをマジマジ見まわしました。けれども別段有り難そうな顔もせず、又要らないというでもなく、家来共の顔や両親や娘の顔を見まわしてニコニコしているばかりでした。この様子を見た娘の父親は何を思ったか膝を打って、
「成る程、これは私が悪う御座いました。こんな物は今まで御覧になった事がないと見えます。それではもっと直ぐにお役に立つものを差し上げましょう」
と云いながら家来の者共に眼くばせをしますと、大勢の家来は心得て引き下がって、今度は軽くて温かそうで美しい着物や帽子や、お美味しくて頬ベタが落ちそうな喰べ物などを山のように持って来て、白髪小僧の眼の前に積み重ねました。けれども白髪小僧は矢張りニコニコしているばかりで、その中に最前の午寝がまだ足りなかったと見えて、眼を細くして眠むたそうな顔をしていました。
大勢の人々は、こんな有り難い賜物を戴かぬとは、何という馬鹿であろう。あれだけの宝物があれば、都でも名高い金持ちになれるのにと、呆れ返ってしまいました。娘の両親も困ってしまって、何とかして御礼を為様としましたが、どうしてもこれより外に御礼の仕方はありませぬ。とうとう仕方なしに、誰でもこの白髪小僧さんが喜ぶような御礼の仕方を考え付いたものには、ここにある御礼の品物を皆遣ると云い出しました。けれども何しろ相手が馬鹿なのですから、まるで張り合いがありませんでした。
「貴方をこの家に一生涯養って、どんな贅沢でも思う存分為せて上げます」と云っても、又「この都第一等の仕立屋が作った着物を、毎日着換えさせて、この都第一等の御料理を差し上げて、この街第一の面白い見せ物を見せて上げます」と云っても、「山狩りに行こう」と云っても、「舟遊びに連れて行く」と云っても、ちっとも嬉しがる様子はなく、それよりもどこか日当りの好い処へ連れて行って、午睡をさしてくれた方が余っ程有り難いというような顔をして大きな眼を瞬いておりました。
とうとう皆持てあまして愛想を尽かしてしまいました処へ、最前から椅子に腰をかけてこの様子を見ながら、何かしきりに溜息をついて考え込んでいた娘は、この時徐かに立ち上って清しい声で、
「お父様、お母様。白髪小僧様は仮令どんな貴い品物を御礼に差し上げても、又どんな面白い事をお目にかけても、決して御喜びなさらないだろうと思います。妾はその理由をよく知っています」
と申しました。
「何、白髪小僧さんにどんな御礼をしても無駄だと云うのかえ。それはどういうわけです」
と両親は言葉を揃えて娘に尋ねました。傍に居た大勢の人々も驚いて皆一時に娘の顔を見つめました。皆から顔を見られて、娘は恥かしそうに口籠もりましたが、とうとう思い切って、
「その訳はこの書物にすっかり書いて御座います」
と云いながら、懐から黒い表紙の付いた一冊の書物を出しました。(以下略)
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白髪小僧はどこで居睡りをしていましたか。
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白髪小僧は、王様の居る都の街外れを流れる一つの川の縁に立っている大きな銀杏の樹の蔭で居睡りをしていました。
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JCRRAG_001051
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国語
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狸問答
鈴木鼓村
私は、よく怪物に勝つことがあるよ、しかし或は負けていたのかもしれないがね――
数年前、さる家を訪ねて、昼飯の馳走に与って、やがてその家を辞して、ぶらぶら向島の寺島村の堤にかかったのが、四時頃のことだ、秋の頃で戸外は未だ中々明るい、私が昼の膳に出してくれた、塩鰹が非常に好味といったので、その主人が、それなら、まだ残っているこの片身を持って行きたまえというので、それを新聞紙に包んでもらって、片手に提げながらやってくると、堤の上を二三町歩むか歩まぬ内突然、四辺が真暗に暮れてしまった、なんぼ秋の日は釣瓶落だと云ったって、今の先まで、あんなに明るかったものが、こんな急に、暗くなる道理はない、その時分には未だあの辺も開けぬ頃で、あたりはもう、あまり人通りもないのだ、こいつ必ず何かの悪戯だろうと気がついたから、私は悠然とその堤の草の上に腰をおろして、さて大声をはりあげて怒号った、この時傍で誰か聞いていたら、さぞ吹出したろうよ、
「やい、狐か狸か知らないが、よく聞け、貴様は、今己が手に持っておる、この鰹が欲しいので、こんな悪戯をするのだろう、己は貴様達に、そんな悪戯をされて、まざまざとこの大事な魚を、やるような男ではないぞ、今己はここで、美事にこれを、食ってしまうから、涎でも垂らしながら見物しろ」
といって、紙の内から、例の塩鰹を出して私はムシャムシャ初めて、とうとう皆食い終って、
「モウ、皮でも食らえ」
といいながら、前の方へ、投出すと、見る見る内に、また四辺が明るくなったので、私も思わず、笑いながら、再び歩出して、無事に家に帰ったが、何しろ、塩鰹を、そんな一時に食ったので、途事咽が渇いて仕方がない、やたらに水を飲んだもので、とうとう翌日に下痢で苦しんだよ、それ故まあ、一時はおどかしてやったものの矢張私の方が結句負けたのかも知れないね。
これと同じ様な事が、京都に居った時分にもあった、四年ばかり前だったが、冬の事で、ちらちら小雪が降っていた真暗な晩だ、夜、祇園の中村楼で宴会があって、もう茶屋を出たのが十二時過だった、中村楼の雨傘を借りて、それを片手にさしながら、片手には例の折詰を提げて、少し、ほろ酔い加減に、快い気持で、ぶらぶらと、智恩院の山内を通って、あれから、粟田にかかろうとする、丁度十楽院の御陵の近処まで来ると、如何したのか、右手にさしておる傘が重くなって仕方がない、ぐうと、下の方へ引き付けられる様で、中々堪らえられないのだ、おかしいと思って、左の折詰を持った手で、傘を持ってる手の下をさぐってみたが何物も居ない、こいつまた何かござったなと、早速気がついたので、私はまた御陵の石段へどっかと腰を下ろして怒号ったのだ、
「己は貴様達に負ける男ではないから、閉口して、己が今この折詰のお馳走を召上がるところを、拝見しろ」
といいながら、それを開けて、蒲鉾の撮食だの、鯛の骨しゃぶりを初めて、やがて、すっかり、食い終ったので、
「折でも食え」
と投出して、やおら、起って、また傘をさして歩み出したが、最早何事もなく家に帰った、昔からも、よくいうが、こんな場合には、気を確に持つことが、全く肝要の事だろうよ。
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私は何を新聞紙に包んでもらいましたか。
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私は、塩鰹の片身を新聞紙に包んでもらいました。
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JCRRAG_001052
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国語
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白髪小僧
夢野久作
第一篇 赤おうむ
一 銀杏の樹
昔或る処に一人の乞食小僧が居りました。この小僧は生れ付きの馬鹿で、親も兄弟も何も無い本当の一人者で、夏も冬もボロボロの着物一枚切り、定った寝床さえありませんでしたが、唯名前ばかりは当り前の人よりもずっと沢山に持っておりました。
その第一の名前は白髪小僧というのでした。これはこの小僧の頭が雪のように白く輝いていたからです。
第二は万年小僧というので、これはこの小僧がいつから居るのかわかりませぬが、何でも余程昔からどんな年寄でも知らぬものは無いのにいつ見ても十六七の若々しい顔付きをしていたからです。又ニコニコ小僧というのは、この小僧がいつもニコニコしていたからです。その次に唖小僧というのは、この小僧が口を利いた例が今迄一度もなかったからです。王様小僧というのは、この乞食が物を貰った時お辞儀をした事がなく、又人に物を呉れと云った事が一度も無いから付けた名前で、慈善小僧というのは、この小僧が貰った物の余りを決して蓄めず他の憐れな者に惜し気もなく呉れて終い、万一他人の危い事や困った事を聞くと生命を構わず助けるから附けた名前です。その他不思議小僧、不死身小僧、無病小僧、漫遊小僧、ノロノロ小僧、大馬鹿小僧など数えれば限りもありませぬ。人々は皆この白髪小僧を可愛がり敬い、又は気味悪がり恐れておりました。
けれども白髪小僧はそんな事には一切お構いなしで、いつもニコニコ笑いながら悠々と方々の村や都をめぐり歩いて、物を貰ったり人を助けたりしておりました。
或る時白髪小僧は王様の居る都に来て、その街外れを流れる一つの川の縁に立っている大きな銀杏の樹の蔭でウトウトと居睡りをしておりました。ところへ不意に高いけたたましい叫び声が聞こえましたから眼を開いて見ると、つい眼の前の川の中にどこかの美しいお嬢さんが一冊の本を持ったまま落ち込んで、浮きつ沈みつ流れて行きます。
これを見た白髪小僧は直ぐに裸体になって川の中に飛び込んでその娘を救い上げましたが、間もなく人々の知らせで駈けつけた娘の両親は、白髪小僧に助けられて息を吹き返した娘の顔を見ると、只もう嬉し泣きに泣いて、濡れた着物の上から娘をしっかりと抱き締めました。そして直ぐに雇った馬車に娘と白髪小僧を乗せて自分の家に連れて行きましたが、その家の大きくて美しい事、王様の住居はこんなものであろうかと思われる位で、お出迎えに出て来た娘の同胞や家来共の着物に附けている金銀宝石の飾りを見ただけでも当り前の者ならば眼を眩わして終う位でした。併し白髪小僧は少しも驚きませんでした。相も変らずニコニコ笑いながら悠々と娘の両親に案内されて奥の一室に通って、そこに置いてある美事な絹張りの椅子に腰をかけました。
ここで家中の者は着物を着かえた娘を先に立てて白髪小僧の前に並んでお礼を云いましたが、白髪小僧は返事もしませぬ。矢張りニコニコ笑いながら皆の顔を見まわしているばかりでした。
お礼を済ました家中の者が左右に開いて白髪小僧を真中にして居並ぶと、やがて向うの入り口から大勢の家来が手に手に宝石やお金を山盛りに盛った水晶の鉢を捧げて這入って来て、白髪小僧の眼の前にズラリと置き並べました。その時娘のお父さんは白髪小僧の前に進み出て叮嚀に一礼して申しました。
「これは貴方の御恩の万分の一に御礼するにも当りませぬが、唯ほんの印ばかりに差し上げます。御受け下さるれば何よりの仕合わせで御座います」
白髪小僧はそんなものをマジマジ見まわしました。けれども別段有り難そうな顔もせず、又要らないというでもなく、家来共の顔や両親や娘の顔を見まわしてニコニコしているばかりでした。この様子を見た娘の父親は何を思ったか膝を打って、
「成る程、これは私が悪う御座いました。こんな物は今まで御覧になった事がないと見えます。それではもっと直ぐにお役に立つものを差し上げましょう」
と云いながら家来の者共に眼くばせをしますと、大勢の家来は心得て引き下がって、今度は軽くて温かそうで美しい着物や帽子や、お美味しくて頬ベタが落ちそうな喰べ物などを山のように持って来て、白髪小僧の眼の前に積み重ねました。けれども白髪小僧は矢張りニコニコしているばかりで、その中に最前の午寝がまだ足りなかったと見えて、眼を細くして眠むたそうな顔をしていました。
大勢の人々は、こんな有り難い賜物を戴かぬとは、何という馬鹿であろう。あれだけの宝物があれば、都でも名高い金持ちになれるのにと、呆れ返ってしまいました。娘の両親も困ってしまって、何とかして御礼を為様としましたが、どうしてもこれより外に御礼の仕方はありませぬ。とうとう仕方なしに、誰でもこの白髪小僧さんが喜ぶような御礼の仕方を考え付いたものには、ここにある御礼の品物を皆遣ると云い出しました。けれども何しろ相手が馬鹿なのですから、まるで張り合いがありませんでした。
「貴方をこの家に一生涯養って、どんな贅沢でも思う存分為せて上げます」と云っても、又「この都第一等の仕立屋が作った着物を、毎日着換えさせて、この都第一等の御料理を差し上げて、この街第一の面白い見せ物を見せて上げます」と云っても、「山狩りに行こう」と云っても、「舟遊びに連れて行く」と云っても、ちっとも嬉しがる様子はなく、それよりもどこか日当りの好い処へ連れて行って、午睡をさしてくれた方が余っ程有り難いというような顔をして大きな眼を瞬いておりました。
とうとう皆持てあまして愛想を尽かしてしまいました処へ、最前から椅子に腰をかけてこの様子を見ながら、何かしきりに溜息をついて考え込んでいた娘は、この時徐かに立ち上って清しい声で、
「お父様、お母様。白髪小僧様は仮令どんな貴い品物を御礼に差し上げても、又どんな面白い事をお目にかけても、決して御喜びなさらないだろうと思います。妾はその理由をよく知っています」
と申しました。
「何、白髪小僧さんにどんな御礼をしても無駄だと云うのかえ。それはどういうわけです」
と両親は言葉を揃えて娘に尋ねました。傍に居た大勢の人々も驚いて皆一時に娘の顔を見つめました。皆から顔を見られて、娘は恥かしそうに口籠もりましたが、とうとう思い切って、
「その訳はこの書物にすっかり書いて御座います」
と云いながら、懐から黒い表紙の付いた一冊の書物を出しました。(以下略)
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家来が白髪小僧の眼の前に並べた水晶の鉢には、何が盛られていましたか。
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宝石やお金が、水晶の鉢に山盛りに盛られていました。
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JCRRAG_001053
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国語
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白髪小僧
夢野久作
第一篇 赤おうむ
一 銀杏の樹
昔或る処に一人の乞食小僧が居りました。この小僧は生れ付きの馬鹿で、親も兄弟も何も無い本当の一人者で、夏も冬もボロボロの着物一枚切り、定った寝床さえありませんでしたが、唯名前ばかりは当り前の人よりもずっと沢山に持っておりました。
その第一の名前は白髪小僧というのでした。これはこの小僧の頭が雪のように白く輝いていたからです。
第二は万年小僧というので、これはこの小僧がいつから居るのかわかりませぬが、何でも余程昔からどんな年寄でも知らぬものは無いのにいつ見ても十六七の若々しい顔付きをしていたからです。又ニコニコ小僧というのは、この小僧がいつもニコニコしていたからです。その次に唖小僧というのは、この小僧が口を利いた例が今迄一度もなかったからです。王様小僧というのは、この乞食が物を貰った時お辞儀をした事がなく、又人に物を呉れと云った事が一度も無いから付けた名前で、慈善小僧というのは、この小僧が貰った物の余りを決して蓄めず他の憐れな者に惜し気もなく呉れて終い、万一他人の危い事や困った事を聞くと生命を構わず助けるから附けた名前です。その他不思議小僧、不死身小僧、無病小僧、漫遊小僧、ノロノロ小僧、大馬鹿小僧など数えれば限りもありませぬ。人々は皆この白髪小僧を可愛がり敬い、又は気味悪がり恐れておりました。
けれども白髪小僧はそんな事には一切お構いなしで、いつもニコニコ笑いながら悠々と方々の村や都をめぐり歩いて、物を貰ったり人を助けたりしておりました。
或る時白髪小僧は王様の居る都に来て、その街外れを流れる一つの川の縁に立っている大きな銀杏の樹の蔭でウトウトと居睡りをしておりました。ところへ不意に高いけたたましい叫び声が聞こえましたから眼を開いて見ると、つい眼の前の川の中にどこかの美しいお嬢さんが一冊の本を持ったまま落ち込んで、浮きつ沈みつ流れて行きます。
これを見た白髪小僧は直ぐに裸体になって川の中に飛び込んでその娘を救い上げましたが、間もなく人々の知らせで駈けつけた娘の両親は、白髪小僧に助けられて息を吹き返した娘の顔を見ると、只もう嬉し泣きに泣いて、濡れた着物の上から娘をしっかりと抱き締めました。そして直ぐに雇った馬車に娘と白髪小僧を乗せて自分の家に連れて行きましたが、その家の大きくて美しい事、王様の住居はこんなものであろうかと思われる位で、お出迎えに出て来た娘の同胞や家来共の着物に附けている金銀宝石の飾りを見ただけでも当り前の者ならば眼を眩わして終う位でした。併し白髪小僧は少しも驚きませんでした。相も変らずニコニコ笑いながら悠々と娘の両親に案内されて奥の一室に通って、そこに置いてある美事な絹張りの椅子に腰をかけました。
ここで家中の者は着物を着かえた娘を先に立てて白髪小僧の前に並んでお礼を云いましたが、白髪小僧は返事もしませぬ。矢張りニコニコ笑いながら皆の顔を見まわしているばかりでした。
お礼を済ました家中の者が左右に開いて白髪小僧を真中にして居並ぶと、やがて向うの入り口から大勢の家来が手に手に宝石やお金を山盛りに盛った水晶の鉢を捧げて這入って来て、白髪小僧の眼の前にズラリと置き並べました。その時娘のお父さんは白髪小僧の前に進み出て叮嚀に一礼して申しました。
「これは貴方の御恩の万分の一に御礼するにも当りませぬが、唯ほんの印ばかりに差し上げます。御受け下さるれば何よりの仕合わせで御座います」
白髪小僧はそんなものをマジマジ見まわしました。けれども別段有り難そうな顔もせず、又要らないというでもなく、家来共の顔や両親や娘の顔を見まわしてニコニコしているばかりでした。この様子を見た娘の父親は何を思ったか膝を打って、
「成る程、これは私が悪う御座いました。こんな物は今まで御覧になった事がないと見えます。それではもっと直ぐにお役に立つものを差し上げましょう」
と云いながら家来の者共に眼くばせをしますと、大勢の家来は心得て引き下がって、今度は軽くて温かそうで美しい着物や帽子や、お美味しくて頬ベタが落ちそうな喰べ物などを山のように持って来て、白髪小僧の眼の前に積み重ねました。けれども白髪小僧は矢張りニコニコしているばかりで、その中に最前の午寝がまだ足りなかったと見えて、眼を細くして眠むたそうな顔をしていました。
大勢の人々は、こんな有り難い賜物を戴かぬとは、何という馬鹿であろう。あれだけの宝物があれば、都でも名高い金持ちになれるのにと、呆れ返ってしまいました。娘の両親も困ってしまって、何とかして御礼を為様としましたが、どうしてもこれより外に御礼の仕方はありませぬ。とうとう仕方なしに、誰でもこの白髪小僧さんが喜ぶような御礼の仕方を考え付いたものには、ここにある御礼の品物を皆遣ると云い出しました。けれども何しろ相手が馬鹿なのですから、まるで張り合いがありませんでした。
「貴方をこの家に一生涯養って、どんな贅沢でも思う存分為せて上げます」と云っても、又「この都第一等の仕立屋が作った着物を、毎日着換えさせて、この都第一等の御料理を差し上げて、この街第一の面白い見せ物を見せて上げます」と云っても、「山狩りに行こう」と云っても、「舟遊びに連れて行く」と云っても、ちっとも嬉しがる様子はなく、それよりもどこか日当りの好い処へ連れて行って、午睡をさしてくれた方が余っ程有り難いというような顔をして大きな眼を瞬いておりました。
とうとう皆持てあまして愛想を尽かしてしまいました処へ、最前から椅子に腰をかけてこの様子を見ながら、何かしきりに溜息をついて考え込んでいた娘は、この時徐かに立ち上って清しい声で、
「お父様、お母様。白髪小僧様は仮令どんな貴い品物を御礼に差し上げても、又どんな面白い事をお目にかけても、決して御喜びなさらないだろうと思います。妾はその理由をよく知っています」
と申しました。
「何、白髪小僧さんにどんな御礼をしても無駄だと云うのかえ。それはどういうわけです」
と両親は言葉を揃えて娘に尋ねました。傍に居た大勢の人々も驚いて皆一時に娘の顔を見つめました。皆から顔を見られて、娘は恥かしそうに口籠もりましたが、とうとう思い切って、
「その訳はこの書物にすっかり書いて御座います」
と云いながら、懐から黒い表紙の付いた一冊の書物を出しました。(以下略)
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皆から顔を見られた娘はどうしましたか。
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皆から顔を見られた娘は、恥かしそうに口籠もりましたが、最後には思い切って懐から黒い表紙の書物を取り出し、「その訳はこの書物にすっかり書いてございます」と言いました。
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JCRRAG_001054
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国語
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役人の頭
末弘厳太郎
一
子供の時からのくせで新聞を読むことが変に好きです。外国にいたときなど、むろん語学のまずいためでもあるが、どうかすると半日ぐらい新聞読みに時を費やしたことがあります。かつて高等学校にいたとき、ドイツ語の教科書としてヒルティーという人の『幸福論』なる本を読まされたことがあります。その中に新聞を読んではいけない、ことに朝一番頭のいいときに新聞のような雑駁なかつ平易なものを読むと一日中の仕事欲を害する、ということが書いてありました。非常に感心して同室者一同――私の部屋には変に頑強な男がそろっていたのですが――と申し合わせて、なんでも半年ぐらい新聞の購読を中止したことがありました。それでも新聞を読むことの好きな私にはどうもがまんができないので、そっと図書館で読んでいるところを同室者にみつかってひどくおこられたことなどがありました。そんなことを思い出してみると、私の新聞好きもずいぶん古いものです。
今でも、毎朝たくさんの新聞を読みます。何がおもしろいのか知らないが、とにかくよく読みます。そうして読みながら種々のことを考えます。ところで、このごろの新聞を読んで、一番目につくのは何かというと、「殺人」、「情死」さては「大臣の待合会議」、「不正」、「疑獄」というような不愉快な文字がたくさん目につくのはもちろんのことですが、「人民の役人に対する不平」を記した記事の多いことは特に私の注意をひきます。そのうちから、最近最も私の注意をひいた一記事を例にひいて「役人の頭」という一文を草してみたいと思います。例証として引用する事柄を一つだけ引き離してみると、きわめて些細なできごとのように思われます。しかし、よくよく考えてみると事はきわめて重大です。これを機会に私は「人民の役人に対する不平」ひいては「国民の国家に対する不平反抗」という問題を多少考えてみたいのです。
二
今から一〇日ほど前の某紙寄書欄に一新帰朝者の税関の役人に対する不平が載っていました。それによると、税関の役人がその人の所持品を検査した際、一絵画のリプロダクションを発見して没収したという事件です。没収の理由はよくわかりませんが、多分わいせつの図画で輸入禁制品だというにあったのでしょう。
外国帰りの旅客がわいせつないかがわしい春画類の密輸入を企てることは実際上かなり多い事実のようです。日本に帰れば相当の地位にもつき、また少なくとも「善良の家父」であるべき人々が平気でそういうことをやるという事実はわれわれしばしばこれを耳にします。風教警察の目からみて国家がその防遏に苦心するのは一応もっともなことです。
けれども、今の問題の場合はそれではありません。没収された絵は春画ではありません。わいせつ本でもありません。それはイタリア、フィレンツェの美術館に数多き名画の中でも特に名画といわれているボッチッチェリー(一四四四―一五一〇年)の「春」(Primavera)です。それは「春」の絵に違いありませんが、決して「春画」ではありません。税関吏もまさかそんなしゃれを考えたわけではないのでしよう。やたらにただわいせつだと思って没収したに違いありません。そこで私は議論を進める便宜のためここにその画の写真を載せることを許していただきたいと思います。読者諸君は一応これを御覧の上、私のいうことを聞いていただきたいのです。
(以下略)
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私は何を読むのが好きですか。
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私は新聞を読むのが好きです。
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JCRRAG_001055
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国語
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役人の頭
末弘厳太郎
一
子供の時からのくせで新聞を読むことが変に好きです。外国にいたときなど、むろん語学のまずいためでもあるが、どうかすると半日ぐらい新聞読みに時を費やしたことがあります。かつて高等学校にいたとき、ドイツ語の教科書としてヒルティーという人の『幸福論』なる本を読まされたことがあります。その中に新聞を読んではいけない、ことに朝一番頭のいいときに新聞のような雑駁なかつ平易なものを読むと一日中の仕事欲を害する、ということが書いてありました。非常に感心して同室者一同――私の部屋には変に頑強な男がそろっていたのですが――と申し合わせて、なんでも半年ぐらい新聞の購読を中止したことがありました。それでも新聞を読むことの好きな私にはどうもがまんができないので、そっと図書館で読んでいるところを同室者にみつかってひどくおこられたことなどがありました。そんなことを思い出してみると、私の新聞好きもずいぶん古いものです。
今でも、毎朝たくさんの新聞を読みます。何がおもしろいのか知らないが、とにかくよく読みます。そうして読みながら種々のことを考えます。ところで、このごろの新聞を読んで、一番目につくのは何かというと、「殺人」、「情死」さては「大臣の待合会議」、「不正」、「疑獄」というような不愉快な文字がたくさん目につくのはもちろんのことですが、「人民の役人に対する不平」を記した記事の多いことは特に私の注意をひきます。そのうちから、最近最も私の注意をひいた一記事を例にひいて「役人の頭」という一文を草してみたいと思います。例証として引用する事柄を一つだけ引き離してみると、きわめて些細なできごとのように思われます。しかし、よくよく考えてみると事はきわめて重大です。これを機会に私は「人民の役人に対する不平」ひいては「国民の国家に対する不平反抗」という問題を多少考えてみたいのです。
二
今から一〇日ほど前の某紙寄書欄に一新帰朝者の税関の役人に対する不平が載っていました。それによると、税関の役人がその人の所持品を検査した際、一絵画のリプロダクションを発見して没収したという事件です。没収の理由はよくわかりませんが、多分わいせつの図画で輸入禁制品だというにあったのでしょう。
外国帰りの旅客がわいせつないかがわしい春画類の密輸入を企てることは実際上かなり多い事実のようです。日本に帰れば相当の地位にもつき、また少なくとも「善良の家父」であるべき人々が平気でそういうことをやるという事実はわれわれしばしばこれを耳にします。風教警察の目からみて国家がその防遏に苦心するのは一応もっともなことです。
けれども、今の問題の場合はそれではありません。没収された絵は春画ではありません。わいせつ本でもありません。それはイタリア、フィレンツェの美術館に数多き名画の中でも特に名画といわれているボッチッチェリー(一四四四―一五一〇年)の「春」(Primavera)です。それは「春」の絵に違いありませんが、決して「春画」ではありません。税関吏もまさかそんなしゃれを考えたわけではないのでしよう。やたらにただわいせつだと思って没収したに違いありません。そこで私は議論を進める便宜のためここにその画の写真を載せることを許していただきたいと思います。読者諸君は一応これを御覧の上、私のいうことを聞いていただきたいのです。
(以下略)
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このごろの新聞で特に私の注意をひくのは何ですか。
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私の注意をひくのは、「人民の役人に対する不平」を記した記事の多さです。
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JCRRAG_001056
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国語
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梟啼く
杉田久女
私には信光というたった一人の弟があった。鹿児島の平の馬場で生れた此弟が四つの年(その時は大垣にいた)の御月見の際女中が誤って三階のてすりから落し前額に四針も縫う様な大怪我をさせた上、かよわい体を大地に叩き付けた為め心臓を打ったのが原因でとうとう病身になってしまった。弟の全身には夏も冬も蚤の喰った痕の様な紫色のブチブチが出来、癇癪が非常に強くなって泣く度に歯の間から薄い水の様な血がにじみ出た。私達の髪をむしった。だけども其他の時にはほんとに聡明な優し味をもった誰にでも愛され易い好い子であった。五人の兄妹の一番すそではあったし厳格な父も信光だけは非常に愛していた。家中の者も皆此の病身ないじらしい弟をよく愛しいたわってやった。弟は私が一番好きであった。病気が非常に悪い時でも私が学校から帰るのを待ちかねていて「お久しゃんお久しゃん」と嬉しがって、其日学校で習って来た唱歌や本のお咄を聞くのを何より楽しみにしていた。鳳仙花をちぎって指を染めたり、芭蕉の花のあまい汁をすったりする事も大概弟と一処であった。
父が特命で琉球から又更に遠い、新領土に行かなければならなくなったのは明治三十年の五月末であったろうと思う。最初台湾行の命令が来た時、この病身な弟を長途の船や不便な旅路に苦しませる事の危険を父母共に案じ母は居残る事に九分九厘迄きめたのであったが信光の主治医が「御気の毒だけど坊ちゃんの御病気は内地にいらしても半年とは保つまい。万一の場合御両親共お揃いになっていらした方が」との言葉に動かされたのと、一つには父は脳病が持病で、馴れぬ熱い土地へ孤りで行ってもし突然の事でも起ってはと云う母の少からぬ心痛もあり結局母はすべてのものを擲って父の為めに新開島へ渡る事に決心したのであった。小中学校さえもない土地へ行くのである為め長兄は鹿児島の造士館へ、次兄は今迄通り沖縄の中学へ残して出立する事になった。勿論新領土行きの為め父の官職や物質上の待遇は大変よくなったわけで、大勢の男女子をかかえて一家を支えて行く上からは父母の行くべき道は苦しくともこの道を執らなくてはならなかったに違いない。私の母は非常にしっかりした行届いた婦人であったが、母たる悲しみと妻たる務めとの為めに千々に心を砕きつつあった。その苦痛は今尚お私をして記憶せしめる程深刻な苦しみであったのである。
八重山丸とか云う汽船に父母、姉、私、病弟、この五人が乗り込んで沖縄を発つ日は、この島特有の湿気と霧との多い曇り日であった。南へ下る私共の船と、鹿児島へ去る長兄を乗せた船とは殆ど同時刻に出帆すべく灰色の波に太い煤煙を吐いていた。次兄はたった孤りぼっち此島に居残るのである。
送られる人、送る人、骨肉三ヶ所にちりぢりばらばらになるのである。二人の兄の為めには此日が実に病弟を見る最後の日であった。新領土と言えば人喰い鬼が横行している様におもわれている頃だったので、見送りに来た多数の人々も皆しんから別れを惜しんでくださった。船が碇を巻き上げ、小舟の次兄の姿が次第次第に小さく成って行く時、幼い私や弟は泣き出した……
真夜中船が八重山沖を過ぎる頃は弟の病状も険悪になって来た。その上船火事が起って大騒ぎだった。大洋上に出た船、而かも真夜中の闇い潮の中で船火事などの起った場合の心細さ絶望的な悲しみは到底筆につくしがたい。
ジャンジャンなる警鐘の中にいて、病弟をしっかり抱いた母はすこしも取り乱した様もなく、色を失った姉と私とを膝下にまねきよせて、一心に神仏を祷っているらしかった。
が幸いに火事は或る一室の天井やベッドを焦したのみで大事に至らず、病弟の容体も折合って、三昼夜半の後には新領土の一角へついたのである。淋しい山に取かこまれた港は基隆名物の濛雨におおわれて淡く、陸地にこがれて来た私達の眼前に展開され、支那のジャンクは竜頭を統べて八重山丸の舷側へ漕いで来た。
今から二十何年前のキールンの町々は誠に淋しいじめじめした灰色の町であった。とうとうこんな遠い、離れ島に来てしまったと云う心地の中に、三昼夜半の恐ろしい大洋を乗りすてて、やっと目的の島へ辿り着いたという不安ながらも一種の喜びにみたされて上陸した私達は只子供心にも珍らしい許りであったが、これからはなおさら困難な道を取って、島内深くまだまだ入らなくてはならなかった。
基隆の町で弟は汽車の玩具がほしいと言い出して聞かなかった。父と母とは雨のしょぼしょぼ降る町を負ぶって大基隆迄も探しに行ったが見当らず、遂に或店の棚の隅に、ほこりまみれになって売れずに只一つ残っている汽車のおもちゃを、負っている弟がめばしこく見つけ、それでやっと機嫌を直した事を覚えている。
基隆から再び船にのって、澎湖島を経て台南へ上陸したのであるが、澎湖島から台南迄の海路は有名の風の悪いところで此間を幾度となく引返し遂々澎湖島に十日以上滞在してしまった。澎湖島では毎日上陸して千人塚を見物し名物の西瓜を買って船へ帰ったりした。漸くの思いで台中港へ着き、河を遡って台南の税関へついた。そこで始めて日本人の税関長からあたたかい歓迎をうけ西洋料理の御馳走をうけたりパイナップルを食べたりした。心配した弟の体も却って旅馴れたせいか変った様子もなく頗る元気であった。(以下略)
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信光は何人兄妹ですか。
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信光は五人兄妹です。
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JCRRAG_001057
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国語
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無人島に生きる十六人
須川邦彦
1
中川船長の話
これは、今から四十六年前、私が、東京高等商船学校の実習学生として、練習帆船琴ノ緒丸に乗り組んでいたとき、私たちの教官であった、中川倉吉先生からきいた、先生の体験談で、私が、腹のそこからかんげきした、一生わすれられない話である。
四十六年前といえば、明治三十六年、五月だった。私たちの琴ノ緒丸は、千葉県の館山湾に碇泊していた。
この船は、大きさ八百トンのシップ型で、甲板から、空高くつき立った、三本の太い帆柱には、五本ずつの長い帆桁が、とりつけてあった。
見あげる頭の上には、五本の帆桁が、一本に見えるほど、きちんとならんでいて、その先は、舷のそとに出ている。
船の後部に立っている、三木めの帆柱のねもとの、上甲板に、折椅子に腰かけた中川教官が、その前に、白い作業服をきて、甲板にあぐらを組んで、いっしんこめて聞きいる私たちに、東北なまりで熱心に話されたすがたが、いまでも目にうかぶ。
中川教官は、丈は高くはないが、がっちりしたからだつき、日やけした顔。鼻下のまっ黒い太い八文字のひげは、まるで帆桁のように、いきおいよく左右にはりだしている。らんらんたる眼光。ときどき見えるまっ白い歯なみ。
いかめしい中に、あたたかい心があふれ出ていて、はなはだ失礼なたとえだが、かくばった顔の偉大なオットセイが、ゆうぜんと、岩に腰かけているのを思わせる。
そういえば、ねずみ色になった白の作業服で、甲板にあぐらを組み、息をつめて聞きいる、私たち三人の学生は、小さなアザラシのように見えたであろう。
中川教官は、青年時代、アメリカ捕鯨帆船に乗り組んで、鯨を追い、帰朝後、ラッコ船の船長となって、北方の海に、オットセイやラッコをとり、それから、報効義会の小帆船、龍睡丸の船長となられた。
この、報効義会というのは、郡司成忠会長のもとに、会員は、日本の北のはて、千島列島先端の、占守島に住んで、千島の開拓につとめる団体で、龍睡丸は、占守島と、内地との連絡船として、島の人たちに、糧食その他、必要品を送り、島でとれた産物を、内地に運びだす任務の船であった。
龍睡丸が、南の海で難破してから、中川船長は、練習船琴ノ緒丸の、一等運転士となり、私たち海の青年に、猛訓練をあたえていられたのである。
私は、中川教官に、龍睡丸が遭難して、太平洋のまんなかの無人島に漂着したときの話をしていただきたいと、たびたびお願いをしていたが、それが、今やっとかなったのであった。
日はもう海にしずんで、館山湾も、夕もやにつつまれてしまった。ほかの学生は休日で、ほとんど上陸している、船内には、物音ひとつきこえない。
(以下略)
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私が中川倉吉先生から体験談をきいたのは今から何年前ですか。
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私は今から四十六年前、教官の中川倉吉先生から体験談をききました。
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JCRRAG_001058
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国語
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梟啼く
杉田久女
私には信光というたった一人の弟があった。鹿児島の平の馬場で生れた此弟が四つの年(その時は大垣にいた)の御月見の際女中が誤って三階のてすりから落し前額に四針も縫う様な大怪我をさせた上、かよわい体を大地に叩き付けた為め心臓を打ったのが原因でとうとう病身になってしまった。弟の全身には夏も冬も蚤の喰った痕の様な紫色のブチブチが出来、癇癪が非常に強くなって泣く度に歯の間から薄い水の様な血がにじみ出た。私達の髪をむしった。だけども其他の時にはほんとに聡明な優し味をもった誰にでも愛され易い好い子であった。五人の兄妹の一番すそではあったし厳格な父も信光だけは非常に愛していた。家中の者も皆此の病身ないじらしい弟をよく愛しいたわってやった。弟は私が一番好きであった。病気が非常に悪い時でも私が学校から帰るのを待ちかねていて「お久しゃんお久しゃん」と嬉しがって、其日学校で習って来た唱歌や本のお咄を聞くのを何より楽しみにしていた。鳳仙花をちぎって指を染めたり、芭蕉の花のあまい汁をすったりする事も大概弟と一処であった。
父が特命で琉球から又更に遠い、新領土に行かなければならなくなったのは明治三十年の五月末であったろうと思う。最初台湾行の命令が来た時、この病身な弟を長途の船や不便な旅路に苦しませる事の危険を父母共に案じ母は居残る事に九分九厘迄きめたのであったが信光の主治医が「御気の毒だけど坊ちゃんの御病気は内地にいらしても半年とは保つまい。万一の場合御両親共お揃いになっていらした方が」との言葉に動かされたのと、一つには父は脳病が持病で、馴れぬ熱い土地へ孤りで行ってもし突然の事でも起ってはと云う母の少からぬ心痛もあり結局母はすべてのものを擲って父の為めに新開島へ渡る事に決心したのであった。小中学校さえもない土地へ行くのである為め長兄は鹿児島の造士館へ、次兄は今迄通り沖縄の中学へ残して出立する事になった。勿論新領土行きの為め父の官職や物質上の待遇は大変よくなったわけで、大勢の男女子をかかえて一家を支えて行く上からは父母の行くべき道は苦しくともこの道を執らなくてはならなかったに違いない。私の母は非常にしっかりした行届いた婦人であったが、母たる悲しみと妻たる務めとの為めに千々に心を砕きつつあった。その苦痛は今尚お私をして記憶せしめる程深刻な苦しみであったのである。
八重山丸とか云う汽船に父母、姉、私、病弟、この五人が乗り込んで沖縄を発つ日は、この島特有の湿気と霧との多い曇り日であった。南へ下る私共の船と、鹿児島へ去る長兄を乗せた船とは殆ど同時刻に出帆すべく灰色の波に太い煤煙を吐いていた。次兄はたった孤りぼっち此島に居残るのである。
送られる人、送る人、骨肉三ヶ所にちりぢりばらばらになるのである。二人の兄の為めには此日が実に病弟を見る最後の日であった。新領土と言えば人喰い鬼が横行している様におもわれている頃だったので、見送りに来た多数の人々も皆しんから別れを惜しんでくださった。船が碇を巻き上げ、小舟の次兄の姿が次第次第に小さく成って行く時、幼い私や弟は泣き出した……
真夜中船が八重山沖を過ぎる頃は弟の病状も険悪になって来た。その上船火事が起って大騒ぎだった。大洋上に出た船、而かも真夜中の闇い潮の中で船火事などの起った場合の心細さ絶望的な悲しみは到底筆につくしがたい。
ジャンジャンなる警鐘の中にいて、病弟をしっかり抱いた母はすこしも取り乱した様もなく、色を失った姉と私とを膝下にまねきよせて、一心に神仏を祷っているらしかった。
が幸いに火事は或る一室の天井やベッドを焦したのみで大事に至らず、病弟の容体も折合って、三昼夜半の後には新領土の一角へついたのである。淋しい山に取かこまれた港は基隆名物の濛雨におおわれて淡く、陸地にこがれて来た私達の眼前に展開され、支那のジャンクは竜頭を統べて八重山丸の舷側へ漕いで来た。
今から二十何年前のキールンの町々は誠に淋しいじめじめした灰色の町であった。とうとうこんな遠い、離れ島に来てしまったと云う心地の中に、三昼夜半の恐ろしい大洋を乗りすてて、やっと目的の島へ辿り着いたという不安ながらも一種の喜びにみたされて上陸した私達は只子供心にも珍らしい許りであったが、これからはなおさら困難な道を取って、島内深くまだまだ入らなくてはならなかった。
基隆の町で弟は汽車の玩具がほしいと言い出して聞かなかった。父と母とは雨のしょぼしょぼ降る町を負ぶって大基隆迄も探しに行ったが見当らず、遂に或店の棚の隅に、ほこりまみれになって売れずに只一つ残っている汽車のおもちゃを、負っている弟がめばしこく見つけ、それでやっと機嫌を直した事を覚えている。
基隆から再び船にのって、澎湖島を経て台南へ上陸したのであるが、澎湖島から台南迄の海路は有名の風の悪いところで此間を幾度となく引返し遂々澎湖島に十日以上滞在してしまった。澎湖島では毎日上陸して千人塚を見物し名物の西瓜を買って船へ帰ったりした。漸くの思いで台中港へ着き、河を遡って台南の税関へついた。そこで始めて日本人の税関長からあたたかい歓迎をうけ西洋料理の御馳走をうけたりパイナップルを食べたりした。心配した弟の体も却って旅馴れたせいか変った様子もなく頗る元気であった。(以下略)
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父が新領土に行かなければならなくなったのは何年ですか。
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父が新領土に行かなければならなくなったのは、明治三十年です。
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JCRRAG_001059
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国語
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梟啼く
杉田久女
私には信光というたった一人の弟があった。鹿児島の平の馬場で生れた此弟が四つの年(その時は大垣にいた)の御月見の際女中が誤って三階のてすりから落し前額に四針も縫う様な大怪我をさせた上、かよわい体を大地に叩き付けた為め心臓を打ったのが原因でとうとう病身になってしまった。弟の全身には夏も冬も蚤の喰った痕の様な紫色のブチブチが出来、癇癪が非常に強くなって泣く度に歯の間から薄い水の様な血がにじみ出た。私達の髪をむしった。だけども其他の時にはほんとに聡明な優し味をもった誰にでも愛され易い好い子であった。五人の兄妹の一番すそではあったし厳格な父も信光だけは非常に愛していた。家中の者も皆此の病身ないじらしい弟をよく愛しいたわってやった。弟は私が一番好きであった。病気が非常に悪い時でも私が学校から帰るのを待ちかねていて「お久しゃんお久しゃん」と嬉しがって、其日学校で習って来た唱歌や本のお咄を聞くのを何より楽しみにしていた。鳳仙花をちぎって指を染めたり、芭蕉の花のあまい汁をすったりする事も大概弟と一処であった。
父が特命で琉球から又更に遠い、新領土に行かなければならなくなったのは明治三十年の五月末であったろうと思う。最初台湾行の命令が来た時、この病身な弟を長途の船や不便な旅路に苦しませる事の危険を父母共に案じ母は居残る事に九分九厘迄きめたのであったが信光の主治医が「御気の毒だけど坊ちゃんの御病気は内地にいらしても半年とは保つまい。万一の場合御両親共お揃いになっていらした方が」との言葉に動かされたのと、一つには父は脳病が持病で、馴れぬ熱い土地へ孤りで行ってもし突然の事でも起ってはと云う母の少からぬ心痛もあり結局母はすべてのものを擲って父の為めに新開島へ渡る事に決心したのであった。小中学校さえもない土地へ行くのである為め長兄は鹿児島の造士館へ、次兄は今迄通り沖縄の中学へ残して出立する事になった。勿論新領土行きの為め父の官職や物質上の待遇は大変よくなったわけで、大勢の男女子をかかえて一家を支えて行く上からは父母の行くべき道は苦しくともこの道を執らなくてはならなかったに違いない。私の母は非常にしっかりした行届いた婦人であったが、母たる悲しみと妻たる務めとの為めに千々に心を砕きつつあった。その苦痛は今尚お私をして記憶せしめる程深刻な苦しみであったのである。
八重山丸とか云う汽船に父母、姉、私、病弟、この五人が乗り込んで沖縄を発つ日は、この島特有の湿気と霧との多い曇り日であった。南へ下る私共の船と、鹿児島へ去る長兄を乗せた船とは殆ど同時刻に出帆すべく灰色の波に太い煤煙を吐いていた。次兄はたった孤りぼっち此島に居残るのである。
送られる人、送る人、骨肉三ヶ所にちりぢりばらばらになるのである。二人の兄の為めには此日が実に病弟を見る最後の日であった。新領土と言えば人喰い鬼が横行している様におもわれている頃だったので、見送りに来た多数の人々も皆しんから別れを惜しんでくださった。船が碇を巻き上げ、小舟の次兄の姿が次第次第に小さく成って行く時、幼い私や弟は泣き出した……
真夜中船が八重山沖を過ぎる頃は弟の病状も険悪になって来た。その上船火事が起って大騒ぎだった。大洋上に出た船、而かも真夜中の闇い潮の中で船火事などの起った場合の心細さ絶望的な悲しみは到底筆につくしがたい。
ジャンジャンなる警鐘の中にいて、病弟をしっかり抱いた母はすこしも取り乱した様もなく、色を失った姉と私とを膝下にまねきよせて、一心に神仏を祷っているらしかった。
が幸いに火事は或る一室の天井やベッドを焦したのみで大事に至らず、病弟の容体も折合って、三昼夜半の後には新領土の一角へついたのである。淋しい山に取かこまれた港は基隆名物の濛雨におおわれて淡く、陸地にこがれて来た私達の眼前に展開され、支那のジャンクは竜頭を統べて八重山丸の舷側へ漕いで来た。
今から二十何年前のキールンの町々は誠に淋しいじめじめした灰色の町であった。とうとうこんな遠い、離れ島に来てしまったと云う心地の中に、三昼夜半の恐ろしい大洋を乗りすてて、やっと目的の島へ辿り着いたという不安ながらも一種の喜びにみたされて上陸した私達は只子供心にも珍らしい許りであったが、これからはなおさら困難な道を取って、島内深くまだまだ入らなくてはならなかった。
基隆の町で弟は汽車の玩具がほしいと言い出して聞かなかった。父と母とは雨のしょぼしょぼ降る町を負ぶって大基隆迄も探しに行ったが見当らず、遂に或店の棚の隅に、ほこりまみれになって売れずに只一つ残っている汽車のおもちゃを、負っている弟がめばしこく見つけ、それでやっと機嫌を直した事を覚えている。
基隆から再び船にのって、澎湖島を経て台南へ上陸したのであるが、澎湖島から台南迄の海路は有名の風の悪いところで此間を幾度となく引返し遂々澎湖島に十日以上滞在してしまった。澎湖島では毎日上陸して千人塚を見物し名物の西瓜を買って船へ帰ったりした。漸くの思いで台中港へ着き、河を遡って台南の税関へついた。そこで始めて日本人の税関長からあたたかい歓迎をうけ西洋料理の御馳走をうけたりパイナップルを食べたりした。心配した弟の体も却って旅馴れたせいか変った様子もなく頗る元気であった。(以下略)
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基隆の町で弟は何がほしいと言いましたか。
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弟は、汽車の玩具がほしいと言いました。
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JCRRAG_001060
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国語
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白髪小僧
夢野久作
第一篇 赤おうむ
一 銀杏の樹
昔或る処に一人の乞食小僧が居りました。この小僧は生れ付きの馬鹿で、親も兄弟も何も無い本当の一人者で、夏も冬もボロボロの着物一枚切り、定った寝床さえありませんでしたが、唯名前ばかりは当り前の人よりもずっと沢山に持っておりました。
その第一の名前は白髪小僧というのでした。これはこの小僧の頭が雪のように白く輝いていたからです。
第二は万年小僧というので、これはこの小僧がいつから居るのかわかりませぬが、何でも余程昔からどんな年寄でも知らぬものは無いのにいつ見ても十六七の若々しい顔付きをしていたからです。又ニコニコ小僧というのは、この小僧がいつもニコニコしていたからです。その次に唖小僧というのは、この小僧が口を利いた例が今迄一度もなかったからです。王様小僧というのは、この乞食が物を貰った時お辞儀をした事がなく、又人に物を呉れと云った事が一度も無いから付けた名前で、慈善小僧というのは、この小僧が貰った物の余りを決して蓄めず他の憐れな者に惜し気もなく呉れて終い、万一他人の危い事や困った事を聞くと生命を構わず助けるから附けた名前です。その他不思議小僧、不死身小僧、無病小僧、漫遊小僧、ノロノロ小僧、大馬鹿小僧など数えれば限りもありませぬ。人々は皆この白髪小僧を可愛がり敬い、又は気味悪がり恐れておりました。
けれども白髪小僧はそんな事には一切お構いなしで、いつもニコニコ笑いながら悠々と方々の村や都をめぐり歩いて、物を貰ったり人を助けたりしておりました。
或る時白髪小僧は王様の居る都に来て、その街外れを流れる一つの川の縁に立っている大きな銀杏の樹の蔭でウトウトと居睡りをしておりました。ところへ不意に高いけたたましい叫び声が聞こえましたから眼を開いて見ると、つい眼の前の川の中にどこかの美しいお嬢さんが一冊の本を持ったまま落ち込んで、浮きつ沈みつ流れて行きます。
これを見た白髪小僧は直ぐに裸体になって川の中に飛び込んでその娘を救い上げましたが、間もなく人々の知らせで駈けつけた娘の両親は、白髪小僧に助けられて息を吹き返した娘の顔を見ると、只もう嬉し泣きに泣いて、濡れた着物の上から娘をしっかりと抱き締めました。そして直ぐに雇った馬車に娘と白髪小僧を乗せて自分の家に連れて行きましたが、その家の大きくて美しい事、王様の住居はこんなものであろうかと思われる位で、お出迎えに出て来た娘の同胞や家来共の着物に附けている金銀宝石の飾りを見ただけでも当り前の者ならば眼を眩わして終う位でした。併し白髪小僧は少しも驚きませんでした。相も変らずニコニコ笑いながら悠々と娘の両親に案内されて奥の一室に通って、そこに置いてある美事な絹張りの椅子に腰をかけました。
ここで家中の者は着物を着かえた娘を先に立てて白髪小僧の前に並んでお礼を云いましたが、白髪小僧は返事もしませぬ。矢張りニコニコ笑いながら皆の顔を見まわしているばかりでした。
お礼を済ました家中の者が左右に開いて白髪小僧を真中にして居並ぶと、やがて向うの入り口から大勢の家来が手に手に宝石やお金を山盛りに盛った水晶の鉢を捧げて這入って来て、白髪小僧の眼の前にズラリと置き並べました。その時娘のお父さんは白髪小僧の前に進み出て叮嚀に一礼して申しました。
「これは貴方の御恩の万分の一に御礼するにも当りませぬが、唯ほんの印ばかりに差し上げます。御受け下さるれば何よりの仕合わせで御座います」
白髪小僧はそんなものをマジマジ見まわしました。けれども別段有り難そうな顔もせず、又要らないというでもなく、家来共の顔や両親や娘の顔を見まわしてニコニコしているばかりでした。この様子を見た娘の父親は何を思ったか膝を打って、
「成る程、これは私が悪う御座いました。こんな物は今まで御覧になった事がないと見えます。それではもっと直ぐにお役に立つものを差し上げましょう」
と云いながら家来の者共に眼くばせをしますと、大勢の家来は心得て引き下がって、今度は軽くて温かそうで美しい着物や帽子や、お美味しくて頬ベタが落ちそうな喰べ物などを山のように持って来て、白髪小僧の眼の前に積み重ねました。けれども白髪小僧は矢張りニコニコしているばかりで、その中に最前の午寝がまだ足りなかったと見えて、眼を細くして眠むたそうな顔をしていました。
大勢の人々は、こんな有り難い賜物を戴かぬとは、何という馬鹿であろう。あれだけの宝物があれば、都でも名高い金持ちになれるのにと、呆れ返ってしまいました。娘の両親も困ってしまって、何とかして御礼を為様としましたが、どうしてもこれより外に御礼の仕方はありませぬ。とうとう仕方なしに、誰でもこの白髪小僧さんが喜ぶような御礼の仕方を考え付いたものには、ここにある御礼の品物を皆遣ると云い出しました。けれども何しろ相手が馬鹿なのですから、まるで張り合いがありませんでした。
「貴方をこの家に一生涯養って、どんな贅沢でも思う存分為せて上げます」と云っても、又「この都第一等の仕立屋が作った着物を、毎日着換えさせて、この都第一等の御料理を差し上げて、この街第一の面白い見せ物を見せて上げます」と云っても、「山狩りに行こう」と云っても、「舟遊びに連れて行く」と云っても、ちっとも嬉しがる様子はなく、それよりもどこか日当りの好い処へ連れて行って、午睡をさしてくれた方が余っ程有り難いというような顔をして大きな眼を瞬いておりました。
とうとう皆持てあまして愛想を尽かしてしまいました処へ、最前から椅子に腰をかけてこの様子を見ながら、何かしきりに溜息をついて考え込んでいた娘は、この時徐かに立ち上って清しい声で、
「お父様、お母様。白髪小僧様は仮令どんな貴い品物を御礼に差し上げても、又どんな面白い事をお目にかけても、決して御喜びなさらないだろうと思います。妾はその理由をよく知っています」
と申しました。
「何、白髪小僧さんにどんな御礼をしても無駄だと云うのかえ。それはどういうわけです」
と両親は言葉を揃えて娘に尋ねました。傍に居た大勢の人々も驚いて皆一時に娘の顔を見つめました。皆から顔を見られて、娘は恥かしそうに口籠もりましたが、とうとう思い切って、
「その訳はこの書物にすっかり書いて御座います」
と云いながら、懐から黒い表紙の付いた一冊の書物を出しました。(以下略)
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川を浮きつ沈みつ流れて行ったのは誰ですか。
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川を浮きつ沈みつ流れて行ったのは、一冊の本を持った、どこかの美しいお嬢さんです。
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JCRRAG_001061
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国語
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無人島に生きる十六人
須川邦彦
1
中川船長の話
これは、今から四十六年前、私が、東京高等商船学校の実習学生として、練習帆船琴ノ緒丸に乗り組んでいたとき、私たちの教官であった、中川倉吉先生からきいた、先生の体験談で、私が、腹のそこからかんげきした、一生わすれられない話である。
四十六年前といえば、明治三十六年、五月だった。私たちの琴ノ緒丸は、千葉県の館山湾に碇泊していた。
この船は、大きさ八百トンのシップ型で、甲板から、空高くつき立った、三本の太い帆柱には、五本ずつの長い帆桁が、とりつけてあった。
見あげる頭の上には、五本の帆桁が、一本に見えるほど、きちんとならんでいて、その先は、舷のそとに出ている。
船の後部に立っている、三木めの帆柱のねもとの、上甲板に、折椅子に腰かけた中川教官が、その前に、白い作業服をきて、甲板にあぐらを組んで、いっしんこめて聞きいる私たちに、東北なまりで熱心に話されたすがたが、いまでも目にうかぶ。
中川教官は、丈は高くはないが、がっちりしたからだつき、日やけした顔。鼻下のまっ黒い太い八文字のひげは、まるで帆桁のように、いきおいよく左右にはりだしている。らんらんたる眼光。ときどき見えるまっ白い歯なみ。
いかめしい中に、あたたかい心があふれ出ていて、はなはだ失礼なたとえだが、かくばった顔の偉大なオットセイが、ゆうぜんと、岩に腰かけているのを思わせる。
そういえば、ねずみ色になった白の作業服で、甲板にあぐらを組み、息をつめて聞きいる、私たち三人の学生は、小さなアザラシのように見えたであろう。
中川教官は、青年時代、アメリカ捕鯨帆船に乗り組んで、鯨を追い、帰朝後、ラッコ船の船長となって、北方の海に、オットセイやラッコをとり、それから、報効義会の小帆船、龍睡丸の船長となられた。
この、報効義会というのは、郡司成忠会長のもとに、会員は、日本の北のはて、千島列島先端の、占守島に住んで、千島の開拓につとめる団体で、龍睡丸は、占守島と、内地との連絡船として、島の人たちに、糧食その他、必要品を送り、島でとれた産物を、内地に運びだす任務の船であった。
龍睡丸が、南の海で難破してから、中川船長は、練習船琴ノ緒丸の、一等運転士となり、私たち海の青年に、猛訓練をあたえていられたのである。
私は、中川教官に、龍睡丸が遭難して、太平洋のまんなかの無人島に漂着したときの話をしていただきたいと、たびたびお願いをしていたが、それが、今やっとかなったのであった。
日はもう海にしずんで、館山湾も、夕もやにつつまれてしまった。ほかの学生は休日で、ほとんど上陸している、船内には、物音ひとつきこえない。
(以下略)
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明治三十六年の五月、琴ノ緒丸が碇泊していたのは、どこですか。
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明治三十六年の五月に琴ノ緒丸が碇泊していたのは、千葉県の館山湾です。
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JCRRAG_001062
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国語
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無人島に生きる十六人
須川邦彦
1
中川船長の話
これは、今から四十六年前、私が、東京高等商船学校の実習学生として、練習帆船琴ノ緒丸に乗り組んでいたとき、私たちの教官であった、中川倉吉先生からきいた、先生の体験談で、私が、腹のそこからかんげきした、一生わすれられない話である。
四十六年前といえば、明治三十六年、五月だった。私たちの琴ノ緒丸は、千葉県の館山湾に碇泊していた。
この船は、大きさ八百トンのシップ型で、甲板から、空高くつき立った、三本の太い帆柱には、五本ずつの長い帆桁が、とりつけてあった。
見あげる頭の上には、五本の帆桁が、一本に見えるほど、きちんとならんでいて、その先は、舷のそとに出ている。
船の後部に立っている、三木めの帆柱のねもとの、上甲板に、折椅子に腰かけた中川教官が、その前に、白い作業服をきて、甲板にあぐらを組んで、いっしんこめて聞きいる私たちに、東北なまりで熱心に話されたすがたが、いまでも目にうかぶ。
中川教官は、丈は高くはないが、がっちりしたからだつき、日やけした顔。鼻下のまっ黒い太い八文字のひげは、まるで帆桁のように、いきおいよく左右にはりだしている。らんらんたる眼光。ときどき見えるまっ白い歯なみ。
いかめしい中に、あたたかい心があふれ出ていて、はなはだ失礼なたとえだが、かくばった顔の偉大なオットセイが、ゆうぜんと、岩に腰かけているのを思わせる。
そういえば、ねずみ色になった白の作業服で、甲板にあぐらを組み、息をつめて聞きいる、私たち三人の学生は、小さなアザラシのように見えたであろう。
中川教官は、青年時代、アメリカ捕鯨帆船に乗り組んで、鯨を追い、帰朝後、ラッコ船の船長となって、北方の海に、オットセイやラッコをとり、それから、報効義会の小帆船、龍睡丸の船長となられた。
この、報効義会というのは、郡司成忠会長のもとに、会員は、日本の北のはて、千島列島先端の、占守島に住んで、千島の開拓につとめる団体で、龍睡丸は、占守島と、内地との連絡船として、島の人たちに、糧食その他、必要品を送り、島でとれた産物を、内地に運びだす任務の船であった。
龍睡丸が、南の海で難破してから、中川船長は、練習船琴ノ緒丸の、一等運転士となり、私たち海の青年に、猛訓練をあたえていられたのである。
私は、中川教官に、龍睡丸が遭難して、太平洋のまんなかの無人島に漂着したときの話をしていただきたいと、たびたびお願いをしていたが、それが、今やっとかなったのであった。
日はもう海にしずんで、館山湾も、夕もやにつつまれてしまった。ほかの学生は休日で、ほとんど上陸している、船内には、物音ひとつきこえない。
(以下略)
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中川教官はどんなからだつきですか。
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中川教官は、丈は高くはないが、がっちりしたからだつきです。
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JCRRAG_001063
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国語
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無人島に生きる十六人
須川邦彦
1
中川船長の話
これは、今から四十六年前、私が、東京高等商船学校の実習学生として、練習帆船琴ノ緒丸に乗り組んでいたとき、私たちの教官であった、中川倉吉先生からきいた、先生の体験談で、私が、腹のそこからかんげきした、一生わすれられない話である。
四十六年前といえば、明治三十六年、五月だった。私たちの琴ノ緒丸は、千葉県の館山湾に碇泊していた。
この船は、大きさ八百トンのシップ型で、甲板から、空高くつき立った、三本の太い帆柱には、五本ずつの長い帆桁が、とりつけてあった。
見あげる頭の上には、五本の帆桁が、一本に見えるほど、きちんとならんでいて、その先は、舷のそとに出ている。
船の後部に立っている、三木めの帆柱のねもとの、上甲板に、折椅子に腰かけた中川教官が、その前に、白い作業服をきて、甲板にあぐらを組んで、いっしんこめて聞きいる私たちに、東北なまりで熱心に話されたすがたが、いまでも目にうかぶ。
中川教官は、丈は高くはないが、がっちりしたからだつき、日やけした顔。鼻下のまっ黒い太い八文字のひげは、まるで帆桁のように、いきおいよく左右にはりだしている。らんらんたる眼光。ときどき見えるまっ白い歯なみ。
いかめしい中に、あたたかい心があふれ出ていて、はなはだ失礼なたとえだが、かくばった顔の偉大なオットセイが、ゆうぜんと、岩に腰かけているのを思わせる。
そういえば、ねずみ色になった白の作業服で、甲板にあぐらを組み、息をつめて聞きいる、私たち三人の学生は、小さなアザラシのように見えたであろう。
中川教官は、青年時代、アメリカ捕鯨帆船に乗り組んで、鯨を追い、帰朝後、ラッコ船の船長となって、北方の海に、オットセイやラッコをとり、それから、報効義会の小帆船、龍睡丸の船長となられた。
この、報効義会というのは、郡司成忠会長のもとに、会員は、日本の北のはて、千島列島先端の、占守島に住んで、千島の開拓につとめる団体で、龍睡丸は、占守島と、内地との連絡船として、島の人たちに、糧食その他、必要品を送り、島でとれた産物を、内地に運びだす任務の船であった。
龍睡丸が、南の海で難破してから、中川船長は、練習船琴ノ緒丸の、一等運転士となり、私たち海の青年に、猛訓練をあたえていられたのである。
私は、中川教官に、龍睡丸が遭難して、太平洋のまんなかの無人島に漂着したときの話をしていただきたいと、たびたびお願いをしていたが、それが、今やっとかなったのであった。
日はもう海にしずんで、館山湾も、夕もやにつつまれてしまった。ほかの学生は休日で、ほとんど上陸している、船内には、物音ひとつきこえない。
(以下略)
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報効義会の会長は誰ですか。
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報効義会の会長は、郡司成忠会長です。
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国語
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無人島に生きる十六人
須川邦彦
1
中川船長の話
これは、今から四十六年前、私が、東京高等商船学校の実習学生として、練習帆船琴ノ緒丸に乗り組んでいたとき、私たちの教官であった、中川倉吉先生からきいた、先生の体験談で、私が、腹のそこからかんげきした、一生わすれられない話である。
四十六年前といえば、明治三十六年、五月だった。私たちの琴ノ緒丸は、千葉県の館山湾に碇泊していた。
この船は、大きさ八百トンのシップ型で、甲板から、空高くつき立った、三本の太い帆柱には、五本ずつの長い帆桁が、とりつけてあった。
見あげる頭の上には、五本の帆桁が、一本に見えるほど、きちんとならんでいて、その先は、舷のそとに出ている。
船の後部に立っている、三木めの帆柱のねもとの、上甲板に、折椅子に腰かけた中川教官が、その前に、白い作業服をきて、甲板にあぐらを組んで、いっしんこめて聞きいる私たちに、東北なまりで熱心に話されたすがたが、いまでも目にうかぶ。
中川教官は、丈は高くはないが、がっちりしたからだつき、日やけした顔。鼻下のまっ黒い太い八文字のひげは、まるで帆桁のように、いきおいよく左右にはりだしている。らんらんたる眼光。ときどき見えるまっ白い歯なみ。
いかめしい中に、あたたかい心があふれ出ていて、はなはだ失礼なたとえだが、かくばった顔の偉大なオットセイが、ゆうぜんと、岩に腰かけているのを思わせる。
そういえば、ねずみ色になった白の作業服で、甲板にあぐらを組み、息をつめて聞きいる、私たち三人の学生は、小さなアザラシのように見えたであろう。
中川教官は、青年時代、アメリカ捕鯨帆船に乗り組んで、鯨を追い、帰朝後、ラッコ船の船長となって、北方の海に、オットセイやラッコをとり、それから、報効義会の小帆船、龍睡丸の船長となられた。
この、報効義会というのは、郡司成忠会長のもとに、会員は、日本の北のはて、千島列島先端の、占守島に住んで、千島の開拓につとめる団体で、龍睡丸は、占守島と、内地との連絡船として、島の人たちに、糧食その他、必要品を送り、島でとれた産物を、内地に運びだす任務の船であった。
龍睡丸が、南の海で難破してから、中川船長は、練習船琴ノ緒丸の、一等運転士となり、私たち海の青年に、猛訓練をあたえていられたのである。
私は、中川教官に、龍睡丸が遭難して、太平洋のまんなかの無人島に漂着したときの話をしていただきたいと、たびたびお願いをしていたが、それが、今やっとかなったのであった。
日はもう海にしずんで、館山湾も、夕もやにつつまれてしまった。ほかの学生は休日で、ほとんど上陸している、船内には、物音ひとつきこえない。
(以下略)
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琴ノ緒丸は何トンでしたか。
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琴ノ緒丸は、八百トンでした。
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JCRRAG_001065
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国語
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役人の頭
末弘厳太郎
一
子供の時からのくせで新聞を読むことが変に好きです。外国にいたときなど、むろん語学のまずいためでもあるが、どうかすると半日ぐらい新聞読みに時を費やしたことがあります。かつて高等学校にいたとき、ドイツ語の教科書としてヒルティーという人の『幸福論』なる本を読まされたことがあります。その中に新聞を読んではいけない、ことに朝一番頭のいいときに新聞のような雑駁なかつ平易なものを読むと一日中の仕事欲を害する、ということが書いてありました。非常に感心して同室者一同――私の部屋には変に頑強な男がそろっていたのですが――と申し合わせて、なんでも半年ぐらい新聞の購読を中止したことがありました。それでも新聞を読むことの好きな私にはどうもがまんができないので、そっと図書館で読んでいるところを同室者にみつかってひどくおこられたことなどがありました。そんなことを思い出してみると、私の新聞好きもずいぶん古いものです。
今でも、毎朝たくさんの新聞を読みます。何がおもしろいのか知らないが、とにかくよく読みます。そうして読みながら種々のことを考えます。ところで、このごろの新聞を読んで、一番目につくのは何かというと、「殺人」、「情死」さては「大臣の待合会議」、「不正」、「疑獄」というような不愉快な文字がたくさん目につくのはもちろんのことですが、「人民の役人に対する不平」を記した記事の多いことは特に私の注意をひきます。そのうちから、最近最も私の注意をひいた一記事を例にひいて「役人の頭」という一文を草してみたいと思います。例証として引用する事柄を一つだけ引き離してみると、きわめて些細なできごとのように思われます。しかし、よくよく考えてみると事はきわめて重大です。これを機会に私は「人民の役人に対する不平」ひいては「国民の国家に対する不平反抗」という問題を多少考えてみたいのです。
二
今から一〇日ほど前の某紙寄書欄に一新帰朝者の税関の役人に対する不平が載っていました。それによると、税関の役人がその人の所持品を検査した際、一絵画のリプロダクションを発見して没収したという事件です。没収の理由はよくわかりませんが、多分わいせつの図画で輸入禁制品だというにあったのでしょう。
外国帰りの旅客がわいせつないかがわしい春画類の密輸入を企てることは実際上かなり多い事実のようです。日本に帰れば相当の地位にもつき、また少なくとも「善良の家父」であるべき人々が平気でそういうことをやるという事実はわれわれしばしばこれを耳にします。風教警察の目からみて国家がその防遏に苦心するのは一応もっともなことです。
けれども、今の問題の場合はそれではありません。没収された絵は春画ではありません。わいせつ本でもありません。それはイタリア、フィレンツェの美術館に数多き名画の中でも特に名画といわれているボッチッチェリー(一四四四―一五一〇年)の「春」(Primavera)です。それは「春」の絵に違いありませんが、決して「春画」ではありません。税関吏もまさかそんなしゃれを考えたわけではないのでしよう。やたらにただわいせつだと思って没収したに違いありません。そこで私は議論を進める便宜のためここにその画の写真を載せることを許していただきたいと思います。読者諸君は一応これを御覧の上、私のいうことを聞いていただきたいのです。
(以下略)
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高等学校にいたときにドイツ語の教科書として読まされた本は何ですか。
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高等学校にいたときにドイツ語の教科書として読まされた本は、ヒルティーの『幸福論』です。
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JCRRAG_001066
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国語
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白髪小僧
夢野久作
第一篇 赤おうむ
一 銀杏の樹
昔或る処に一人の乞食小僧が居りました。この小僧は生れ付きの馬鹿で、親も兄弟も何も無い本当の一人者で、夏も冬もボロボロの着物一枚切り、定った寝床さえありませんでしたが、唯名前ばかりは当り前の人よりもずっと沢山に持っておりました。
その第一の名前は白髪小僧というのでした。これはこの小僧の頭が雪のように白く輝いていたからです。
第二は万年小僧というので、これはこの小僧がいつから居るのかわかりませぬが、何でも余程昔からどんな年寄でも知らぬものは無いのにいつ見ても十六七の若々しい顔付きをしていたからです。又ニコニコ小僧というのは、この小僧がいつもニコニコしていたからです。その次に唖小僧というのは、この小僧が口を利いた例が今迄一度もなかったからです。王様小僧というのは、この乞食が物を貰った時お辞儀をした事がなく、又人に物を呉れと云った事が一度も無いから付けた名前で、慈善小僧というのは、この小僧が貰った物の余りを決して蓄めず他の憐れな者に惜し気もなく呉れて終い、万一他人の危い事や困った事を聞くと生命を構わず助けるから附けた名前です。その他不思議小僧、不死身小僧、無病小僧、漫遊小僧、ノロノロ小僧、大馬鹿小僧など数えれば限りもありませぬ。人々は皆この白髪小僧を可愛がり敬い、又は気味悪がり恐れておりました。
けれども白髪小僧はそんな事には一切お構いなしで、いつもニコニコ笑いながら悠々と方々の村や都をめぐり歩いて、物を貰ったり人を助けたりしておりました。
或る時白髪小僧は王様の居る都に来て、その街外れを流れる一つの川の縁に立っている大きな銀杏の樹の蔭でウトウトと居睡りをしておりました。ところへ不意に高いけたたましい叫び声が聞こえましたから眼を開いて見ると、つい眼の前の川の中にどこかの美しいお嬢さんが一冊の本を持ったまま落ち込んで、浮きつ沈みつ流れて行きます。
これを見た白髪小僧は直ぐに裸体になって川の中に飛び込んでその娘を救い上げましたが、間もなく人々の知らせで駈けつけた娘の両親は、白髪小僧に助けられて息を吹き返した娘の顔を見ると、只もう嬉し泣きに泣いて、濡れた着物の上から娘をしっかりと抱き締めました。そして直ぐに雇った馬車に娘と白髪小僧を乗せて自分の家に連れて行きましたが、その家の大きくて美しい事、王様の住居はこんなものであろうかと思われる位で、お出迎えに出て来た娘の同胞や家来共の着物に附けている金銀宝石の飾りを見ただけでも当り前の者ならば眼を眩わして終う位でした。併し白髪小僧は少しも驚きませんでした。相も変らずニコニコ笑いながら悠々と娘の両親に案内されて奥の一室に通って、そこに置いてある美事な絹張りの椅子に腰をかけました。
ここで家中の者は着物を着かえた娘を先に立てて白髪小僧の前に並んでお礼を云いましたが、白髪小僧は返事もしませぬ。矢張りニコニコ笑いながら皆の顔を見まわしているばかりでした。
お礼を済ました家中の者が左右に開いて白髪小僧を真中にして居並ぶと、やがて向うの入り口から大勢の家来が手に手に宝石やお金を山盛りに盛った水晶の鉢を捧げて這入って来て、白髪小僧の眼の前にズラリと置き並べました。その時娘のお父さんは白髪小僧の前に進み出て叮嚀に一礼して申しました。
「これは貴方の御恩の万分の一に御礼するにも当りませぬが、唯ほんの印ばかりに差し上げます。御受け下さるれば何よりの仕合わせで御座います」
白髪小僧はそんなものをマジマジ見まわしました。けれども別段有り難そうな顔もせず、又要らないというでもなく、家来共の顔や両親や娘の顔を見まわしてニコニコしているばかりでした。この様子を見た娘の父親は何を思ったか膝を打って、
「成る程、これは私が悪う御座いました。こんな物は今まで御覧になった事がないと見えます。それではもっと直ぐにお役に立つものを差し上げましょう」
と云いながら家来の者共に眼くばせをしますと、大勢の家来は心得て引き下がって、今度は軽くて温かそうで美しい着物や帽子や、お美味しくて頬ベタが落ちそうな喰べ物などを山のように持って来て、白髪小僧の眼の前に積み重ねました。けれども白髪小僧は矢張りニコニコしているばかりで、その中に最前の午寝がまだ足りなかったと見えて、眼を細くして眠むたそうな顔をしていました。
大勢の人々は、こんな有り難い賜物を戴かぬとは、何という馬鹿であろう。あれだけの宝物があれば、都でも名高い金持ちになれるのにと、呆れ返ってしまいました。娘の両親も困ってしまって、何とかして御礼を為様としましたが、どうしてもこれより外に御礼の仕方はありませぬ。とうとう仕方なしに、誰でもこの白髪小僧さんが喜ぶような御礼の仕方を考え付いたものには、ここにある御礼の品物を皆遣ると云い出しました。けれども何しろ相手が馬鹿なのですから、まるで張り合いがありませんでした。
「貴方をこの家に一生涯養って、どんな贅沢でも思う存分為せて上げます」と云っても、又「この都第一等の仕立屋が作った着物を、毎日着換えさせて、この都第一等の御料理を差し上げて、この街第一の面白い見せ物を見せて上げます」と云っても、「山狩りに行こう」と云っても、「舟遊びに連れて行く」と云っても、ちっとも嬉しがる様子はなく、それよりもどこか日当りの好い処へ連れて行って、午睡をさしてくれた方が余っ程有り難いというような顔をして大きな眼を瞬いておりました。
とうとう皆持てあまして愛想を尽かしてしまいました処へ、最前から椅子に腰をかけてこの様子を見ながら、何かしきりに溜息をついて考え込んでいた娘は、この時徐かに立ち上って清しい声で、
「お父様、お母様。白髪小僧様は仮令どんな貴い品物を御礼に差し上げても、又どんな面白い事をお目にかけても、決して御喜びなさらないだろうと思います。妾はその理由をよく知っています」
と申しました。
「何、白髪小僧さんにどんな御礼をしても無駄だと云うのかえ。それはどういうわけです」
と両親は言葉を揃えて娘に尋ねました。傍に居た大勢の人々も驚いて皆一時に娘の顔を見つめました。皆から顔を見られて、娘は恥かしそうに口籠もりましたが、とうとう思い切って、
「その訳はこの書物にすっかり書いて御座います」
と云いながら、懐から黒い表紙の付いた一冊の書物を出しました。(以下略)
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白髪小僧はなぜ白髪小僧という名前でしたか。
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白髪小僧という名前なのは、白髪小僧の頭が、雪のように白く輝いていたからです。
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JCRRAG_001067
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国語
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役人の頭
末弘厳太郎
一
子供の時からのくせで新聞を読むことが変に好きです。外国にいたときなど、むろん語学のまずいためでもあるが、どうかすると半日ぐらい新聞読みに時を費やしたことがあります。かつて高等学校にいたとき、ドイツ語の教科書としてヒルティーという人の『幸福論』なる本を読まされたことがあります。その中に新聞を読んではいけない、ことに朝一番頭のいいときに新聞のような雑駁なかつ平易なものを読むと一日中の仕事欲を害する、ということが書いてありました。非常に感心して同室者一同――私の部屋には変に頑強な男がそろっていたのですが――と申し合わせて、なんでも半年ぐらい新聞の購読を中止したことがありました。それでも新聞を読むことの好きな私にはどうもがまんができないので、そっと図書館で読んでいるところを同室者にみつかってひどくおこられたことなどがありました。そんなことを思い出してみると、私の新聞好きもずいぶん古いものです。
今でも、毎朝たくさんの新聞を読みます。何がおもしろいのか知らないが、とにかくよく読みます。そうして読みながら種々のことを考えます。ところで、このごろの新聞を読んで、一番目につくのは何かというと、「殺人」、「情死」さては「大臣の待合会議」、「不正」、「疑獄」というような不愉快な文字がたくさん目につくのはもちろんのことですが、「人民の役人に対する不平」を記した記事の多いことは特に私の注意をひきます。そのうちから、最近最も私の注意をひいた一記事を例にひいて「役人の頭」という一文を草してみたいと思います。例証として引用する事柄を一つだけ引き離してみると、きわめて些細なできごとのように思われます。しかし、よくよく考えてみると事はきわめて重大です。これを機会に私は「人民の役人に対する不平」ひいては「国民の国家に対する不平反抗」という問題を多少考えてみたいのです。
二
今から一〇日ほど前の某紙寄書欄に一新帰朝者の税関の役人に対する不平が載っていました。それによると、税関の役人がその人の所持品を検査した際、一絵画のリプロダクションを発見して没収したという事件です。没収の理由はよくわかりませんが、多分わいせつの図画で輸入禁制品だというにあったのでしょう。
外国帰りの旅客がわいせつないかがわしい春画類の密輸入を企てることは実際上かなり多い事実のようです。日本に帰れば相当の地位にもつき、また少なくとも「善良の家父」であるべき人々が平気でそういうことをやるという事実はわれわれしばしばこれを耳にします。風教警察の目からみて国家がその防遏に苦心するのは一応もっともなことです。
けれども、今の問題の場合はそれではありません。没収された絵は春画ではありません。わいせつ本でもありません。それはイタリア、フィレンツェの美術館に数多き名画の中でも特に名画といわれているボッチッチェリー(一四四四―一五一〇年)の「春」(Primavera)です。それは「春」の絵に違いありませんが、決して「春画」ではありません。税関吏もまさかそんなしゃれを考えたわけではないのでしよう。やたらにただわいせつだと思って没収したに違いありません。そこで私は議論を進める便宜のためここにその画の写真を載せることを許していただきたいと思います。読者諸君は一応これを御覧の上、私のいうことを聞いていただきたいのです。
(以下略)
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私の部屋には、どんな男がそろっていましたか。
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私の部屋には、変に頑強な男がそろっていました。
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JCRRAG_001068
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国語
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梟啼く
杉田久女
私には信光というたった一人の弟があった。鹿児島の平の馬場で生れた此弟が四つの年(その時は大垣にいた)の御月見の際女中が誤って三階のてすりから落し前額に四針も縫う様な大怪我をさせた上、かよわい体を大地に叩き付けた為め心臓を打ったのが原因でとうとう病身になってしまった。弟の全身には夏も冬も蚤の喰った痕の様な紫色のブチブチが出来、癇癪が非常に強くなって泣く度に歯の間から薄い水の様な血がにじみ出た。私達の髪をむしった。だけども其他の時にはほんとに聡明な優し味をもった誰にでも愛され易い好い子であった。五人の兄妹の一番すそではあったし厳格な父も信光だけは非常に愛していた。家中の者も皆此の病身ないじらしい弟をよく愛しいたわってやった。弟は私が一番好きであった。病気が非常に悪い時でも私が学校から帰るのを待ちかねていて「お久しゃんお久しゃん」と嬉しがって、其日学校で習って来た唱歌や本のお咄を聞くのを何より楽しみにしていた。鳳仙花をちぎって指を染めたり、芭蕉の花のあまい汁をすったりする事も大概弟と一処であった。
父が特命で琉球から又更に遠い、新領土に行かなければならなくなったのは明治三十年の五月末であったろうと思う。最初台湾行の命令が来た時、この病身な弟を長途の船や不便な旅路に苦しませる事の危険を父母共に案じ母は居残る事に九分九厘迄きめたのであったが信光の主治医が「御気の毒だけど坊ちゃんの御病気は内地にいらしても半年とは保つまい。万一の場合御両親共お揃いになっていらした方が」との言葉に動かされたのと、一つには父は脳病が持病で、馴れぬ熱い土地へ孤りで行ってもし突然の事でも起ってはと云う母の少からぬ心痛もあり結局母はすべてのものを擲って父の為めに新開島へ渡る事に決心したのであった。小中学校さえもない土地へ行くのである為め長兄は鹿児島の造士館へ、次兄は今迄通り沖縄の中学へ残して出立する事になった。勿論新領土行きの為め父の官職や物質上の待遇は大変よくなったわけで、大勢の男女子をかかえて一家を支えて行く上からは父母の行くべき道は苦しくともこの道を執らなくてはならなかったに違いない。私の母は非常にしっかりした行届いた婦人であったが、母たる悲しみと妻たる務めとの為めに千々に心を砕きつつあった。その苦痛は今尚お私をして記憶せしめる程深刻な苦しみであったのである。
八重山丸とか云う汽船に父母、姉、私、病弟、この五人が乗り込んで沖縄を発つ日は、この島特有の湿気と霧との多い曇り日であった。南へ下る私共の船と、鹿児島へ去る長兄を乗せた船とは殆ど同時刻に出帆すべく灰色の波に太い煤煙を吐いていた。次兄はたった孤りぼっち此島に居残るのである。
送られる人、送る人、骨肉三ヶ所にちりぢりばらばらになるのである。二人の兄の為めには此日が実に病弟を見る最後の日であった。新領土と言えば人喰い鬼が横行している様におもわれている頃だったので、見送りに来た多数の人々も皆しんから別れを惜しんでくださった。船が碇を巻き上げ、小舟の次兄の姿が次第次第に小さく成って行く時、幼い私や弟は泣き出した……
真夜中船が八重山沖を過ぎる頃は弟の病状も険悪になって来た。その上船火事が起って大騒ぎだった。大洋上に出た船、而かも真夜中の闇い潮の中で船火事などの起った場合の心細さ絶望的な悲しみは到底筆につくしがたい。
ジャンジャンなる警鐘の中にいて、病弟をしっかり抱いた母はすこしも取り乱した様もなく、色を失った姉と私とを膝下にまねきよせて、一心に神仏を祷っているらしかった。
が幸いに火事は或る一室の天井やベッドを焦したのみで大事に至らず、病弟の容体も折合って、三昼夜半の後には新領土の一角へついたのである。淋しい山に取かこまれた港は基隆名物の濛雨におおわれて淡く、陸地にこがれて来た私達の眼前に展開され、支那のジャンクは竜頭を統べて八重山丸の舷側へ漕いで来た。
今から二十何年前のキールンの町々は誠に淋しいじめじめした灰色の町であった。とうとうこんな遠い、離れ島に来てしまったと云う心地の中に、三昼夜半の恐ろしい大洋を乗りすてて、やっと目的の島へ辿り着いたという不安ながらも一種の喜びにみたされて上陸した私達は只子供心にも珍らしい許りであったが、これからはなおさら困難な道を取って、島内深くまだまだ入らなくてはならなかった。
基隆の町で弟は汽車の玩具がほしいと言い出して聞かなかった。父と母とは雨のしょぼしょぼ降る町を負ぶって大基隆迄も探しに行ったが見当らず、遂に或店の棚の隅に、ほこりまみれになって売れずに只一つ残っている汽車のおもちゃを、負っている弟がめばしこく見つけ、それでやっと機嫌を直した事を覚えている。
基隆から再び船にのって、澎湖島を経て台南へ上陸したのであるが、澎湖島から台南迄の海路は有名の風の悪いところで此間を幾度となく引返し遂々澎湖島に十日以上滞在してしまった。澎湖島では毎日上陸して千人塚を見物し名物の西瓜を買って船へ帰ったりした。漸くの思いで台中港へ着き、河を遡って台南の税関へついた。そこで始めて日本人の税関長からあたたかい歓迎をうけ西洋料理の御馳走をうけたりパイナップルを食べたりした。心配した弟の体も却って旅馴れたせいか変った様子もなく頗る元気であった。(以下略)
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弟は何を楽しみにしていましたか。
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弟は、私が其日学校で習って来た唱歌や本のお咄を聞くのを、何より楽しみにしていました。
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国語
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イギリスで、わたしの心をもっとも楽しく魅惑するのは、昔から伝わっている祭日のならわしと田舎の遊びごとである。そういうものを見て、わたしが思いおこすのは、まだ若かったころに、わたしの空想がえがいた数々の絵である。あのころ、わたしは世界というものを書物を通してしか知らなかったし、世界は詩人たちがえがいた通りのものだと信じこんでいた。そしてさらに、その絵といっしょに、純朴だった昔の日々の香りがもどってくる。そして、やはりおなじ間違いかもしれないが、そのころ世間のひとびとは今よりずっと素朴で、親しみぶかく、そして嬉々としていたように思う。残念なことに、そういうものは日毎にかすかになってくるのである。時がたつにしたがって次第に擦りへらされるだけでなく、新しい流行に消し去られてしまうのだ。この国の各地にあるゴシック建築の美しい遺物が、時代の荒廃にまかされて崩壊したり、あるいは、後の世に手が加えられたり改築されたりして、もとのすがたを失ってゆくのにも似ているのである。しかし、詩は田園の遊戯や祭日の宴楽から多くの主題を得たのだが、今でもそれをなつかしみ、纏綿としてはなれない。それは、あたかも、蔦が古いゴシックの門や崩れかかった塔に、ゆたかな葉をまきつけて、自分を支えてくれた恩にこたえ、ゆらゆらする廃墟を抱きしめ、いわば、その若い緑でいつまでも香り高いものにしておこうとするのとおなじようである。
しかし、さまざまの古い祭のなかでも、クリスマスの祝いは、最も強いしみじみした連想を目ざめさせる。それには、おごそかで清らかな感情がこもっており、それがわたしたちの陽気な気分に溶けあい、心は神聖で高尚な悦楽の境地に高められる。クリスマスのころの教会の礼拝は、たいへん優美で感動的である。キリスト教の起源の美しい物語や、キリスト生誕のときの田園の光景がじゅんじゅんと説かれる。そして、降臨節のあいだに、その礼拝には次第に熱意と哀感が加わり、ついに、あの、人類に平和と善意とがもたらされたクリスマスの朝に、歓喜の声となって噴出するのである。教会で、聖歌隊の全員が鳴りひびくオルガンに合わせて、クリスマスの聖歌を歌い、その勝ち誇った調和音が大伽藍の隅々まで満たしてしまうのを聞くときほど、音楽が荘厳に人の道徳的感情に迫ってくるのを知らない。
古い昔からの美しいしきたりによって、この、愛と平和の宗教の宣布を記念する祭りの日々には、一族は相つどい、また、肉親のものでも、世の中の苦労や、喜びや、悲しみで、いつも引きはなされがちなひとびとがまたひきよせられるのだ。そして、子供たちは、すでに世間に旅立って、遠くはなればなれにさまよっていても、もう一度両親の家の炉ばたに呼びかえされて、その愛のつどいの場所に団欒し、幼年時代のなつかしい思い出のなかで、ふたたび若がえり、いつくしみあうのである。
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クリスマスのころの教会の礼拝は、どのようなものですか。
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クリスマスのころの教会の礼拝は、たいへん優美で感動的です。
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国語
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鳥について
砂東 塩
部屋に鳥がいる。
巣箱を模して五角形に曲げられたワイヤーの屋根部分には丸い輪があり、そこに紐を通して天井から吊り下げられ、ワイヤーとビーズで作られた鳥が重たげな体でとまっている。
ビーズは透明な赤、青、緑、黄の四色。ワイヤーをぐるぐる巻きにしたトンボの眼鏡のような直径一センチほどの目が赤い顔につけられていて、左右の目の位置が上下にずれているから正面から見ると酔っ払ったオヤジだ。太い嘴は青く、数が足りなかったのか赤いビーズがひとつだけ使われている。ずんぐりした胴体に比べて頼りない足。お尻に生えた十数本のワイヤーは長い尾羽。
私が鳥をもらったのは十年以上前になる。何度か店に来た客で、南アフリカに帰るから記念にと言って渡された。名前は知らない。顔も覚えていないけれど、体つきは鳥に似ていた気がする。
廃業して自宅に持って帰ってきた鳥の尾羽には、たまに洗濯したマイバッグを掛けて干している。尾羽の端が鳴門の渦潮みたいにぐるぐるに巻かれているが、巻いたのは以前同じ建物で商売していた女性だ。彼女とはもうずいぶん連絡をとっていない。子どもが生まれたことはフェイスブックで知った。今のところ巻いた尾羽を伸ばす気はない。
鳥は、天井のライトを点けるとビーズが光って南国にいる原色の鳥のように見えるが、普段は気配なく吊るされ、頭をぶつけて存在に気づく。鳥のことを書く気になったのはパソコンに向かって頬杖をついた先に鳥がいたからだ。
立ち上がって観察してみると、驚いたことに鳥には翼がなかった。背に五、六センチのワイヤーが段になってついているだけで、羽かもしれないが翼ではない。同じ体つきでもペンギンの方がよほど飛べそうだ。重い体はワイヤー二本で固定され、一本切ったら逆さ吊りになるだろう。巣から解放してやっても歩くには尾羽が長すぎる。
飛べない、歩けない鳥は巣にとまっている。
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鳥は、天井のライトを点けるとどのように見えますか。
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鳥は、天井のライトを点けると、南国にいる原色の鳥のように見えます。
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国語
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役人の頭
末弘厳太郎
一
子供の時からのくせで新聞を読むことが変に好きです。外国にいたときなど、むろん語学のまずいためでもあるが、どうかすると半日ぐらい新聞読みに時を費やしたことがあります。かつて高等学校にいたとき、ドイツ語の教科書としてヒルティーという人の『幸福論』なる本を読まされたことがあります。その中に新聞を読んではいけない、ことに朝一番頭のいいときに新聞のような雑駁なかつ平易なものを読むと一日中の仕事欲を害する、ということが書いてありました。非常に感心して同室者一同――私の部屋には変に頑強な男がそろっていたのですが――と申し合わせて、なんでも半年ぐらい新聞の購読を中止したことがありました。それでも新聞を読むことの好きな私にはどうもがまんができないので、そっと図書館で読んでいるところを同室者にみつかってひどくおこられたことなどがありました。そんなことを思い出してみると、私の新聞好きもずいぶん古いものです。
今でも、毎朝たくさんの新聞を読みます。何がおもしろいのか知らないが、とにかくよく読みます。そうして読みながら種々のことを考えます。ところで、このごろの新聞を読んで、一番目につくのは何かというと、「殺人」、「情死」さては「大臣の待合会議」、「不正」、「疑獄」というような不愉快な文字がたくさん目につくのはもちろんのことですが、「人民の役人に対する不平」を記した記事の多いことは特に私の注意をひきます。そのうちから、最近最も私の注意をひいた一記事を例にひいて「役人の頭」という一文を草してみたいと思います。例証として引用する事柄を一つだけ引き離してみると、きわめて些細なできごとのように思われます。しかし、よくよく考えてみると事はきわめて重大です。これを機会に私は「人民の役人に対する不平」ひいては「国民の国家に対する不平反抗」という問題を多少考えてみたいのです。
二
今から一〇日ほど前の某紙寄書欄に一新帰朝者の税関の役人に対する不平が載っていました。それによると、税関の役人がその人の所持品を検査した際、一絵画のリプロダクションを発見して没収したという事件です。没収の理由はよくわかりませんが、多分わいせつの図画で輸入禁制品だというにあったのでしょう。
外国帰りの旅客がわいせつないかがわしい春画類の密輸入を企てることは実際上かなり多い事実のようです。日本に帰れば相当の地位にもつき、また少なくとも「善良の家父」であるべき人々が平気でそういうことをやるという事実はわれわれしばしばこれを耳にします。風教警察の目からみて国家がその防遏に苦心するのは一応もっともなことです。
けれども、今の問題の場合はそれではありません。没収された絵は春画ではありません。わいせつ本でもありません。それはイタリア、フィレンツェの美術館に数多き名画の中でも特に名画といわれているボッチッチェリー(一四四四―一五一〇年)の「春」(Primavera)です。それは「春」の絵に違いありませんが、決して「春画」ではありません。税関吏もまさかそんなしゃれを考えたわけではないのでしよう。やたらにただわいせつだと思って没収したに違いありません。そこで私は議論を進める便宜のためここにその画の写真を載せることを許していただきたいと思います。読者諸君は一応これを御覧の上、私のいうことを聞いていただきたいのです。
(以下略)
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税関の役人が没収した絵は何ですか。
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税関の役人が没収した絵は、ボッチッチェリーの「春」(Primavera)です。
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国語
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前にタマヨの絵を美術雑誌の原色版で見てそのまか不思議な色彩にひどく惹かれました。
それ以来私は何が何でもタマヨのファンになってしまいました。タマヨのよく使う発酵した様な異様な黄色や紫や桃色にひきつけられたのです。今度のメキシコ展で民芸品の部屋に足をふみ入れると私は“これだ。タマヨの色は”と思いました。民芸品の切り紙も人形も皆タマヨのあの魅力的な紫色や桃色なのでした。これはメキシコの現代絵画のすべてに言えることなのですが、何千年も昔の土偶の形態も民芸品のネンドの人形の色も皆現代絵画の中にそのまま生きていて彼等の激しい力と情熱を語る強力な言葉になっているのです。
全くメキシコの絵画は彼等の言葉で彼等の問題を精一杯に叫んでいます。それ故にメキシコの絵画はメキシコの国の誇りとなりメキシコ人すべての誇りとなっているのだと思いました。私はメキシコの作家達が大きなビルの外側の巨大な壁面に思い切り腕をふるって壁画を描いていることを心からうらやましく思います。国と国民の生活と作家がこんなに密接につながっている国を素晴しいと思いました。日本の現代絵画は日本の国や日本の多くの人々とは何の関係もないところで描かれているということが、私には間違ったことに思えるのです。
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日本の現代絵画は何とは何の関係もないところで描かれているのですか。
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日本の現代絵画は日本の国や日本の多くの人々とは何の関係もないところで描かれています。
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JCRRAG_001073
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国語
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男爵には一人の娘があるだけだった。しかし、自然は一人の子供しかさずけない場合には、きっとその償いにその子を非凡なものにするのだが、この男爵の娘もその通りだった。乳母たちも、噂好きな人たちも、田舎の親戚たちも、みんなが彼女の父親に断言して、美しさにかけてはドイツじゅうで彼女にならぶものはない、と言ったのである。いったいこの人たちより、ものをよく知っている人がほかにいるだろうか。そのうえ、彼女は二人の独身の叔母の監督のもとに、たいへん気をつけて育てられた。その叔母たちは若いころ数年間ドイツのある小さな宮廷にすごし、立派な貴婦人を教育するためになくてはならないあらゆる方面の知識に通じていた。この叔母たちの薫陶をうけて、彼女の才芸はおどろくばかりのものになった。十八歳になるころには見事に刺繍することができた。彼女は壁掛けに聖徒たちの一代記を刺繍したことがあるが、その顔の表情があまり力づよかったので、まるで煉獄で苦しんでいる人間さながらに見えた。彼女はたいして苦労もせずに本を読むことができ、教会の伝説をいくつか判読し、中世の英雄詩に出てくるふしぎな騎士物語はほとんど全部読み解くことができた。彼女は書くことにもかなりの上達ぶりを見せ、自分の名前を一字もぬかさずに、たいへんわかりやすく署名することができたので、叔母たちは眼鏡をかけないでも読むことができた。彼女は手すさびに見事な腕前で婦人好みの装飾品をなんでもつくったし、当時のもっとも玄妙な舞踊にも長け、さまざまな歌曲をハープやギターでひくこともでき、恋愛詩人がうたうあまい民謡をすべて暗誦していた。
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男爵の娘は美しさにかけてはどこでならぶものはないと言われていましたか。
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男爵の娘は美しさにかけてはドイツじゅうでならぶものはないと言われていました。
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国語
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男爵には一人の娘があるだけだった。しかし、自然は一人の子供しかさずけない場合には、きっとその償いにその子を非凡なものにするのだが、この男爵の娘もその通りだった。乳母たちも、噂好きな人たちも、田舎の親戚たちも、みんなが彼女の父親に断言して、美しさにかけてはドイツじゅうで彼女にならぶものはない、と言ったのである。いったいこの人たちより、ものをよく知っている人がほかにいるだろうか。そのうえ、彼女は二人の独身の叔母の監督のもとに、たいへん気をつけて育てられた。その叔母たちは若いころ数年間ドイツのある小さな宮廷にすごし、立派な貴婦人を教育するためになくてはならないあらゆる方面の知識に通じていた。この叔母たちの薫陶をうけて、彼女の才芸はおどろくばかりのものになった。十八歳になるころには見事に刺繍することができた。彼女は壁掛けに聖徒たちの一代記を刺繍したことがあるが、その顔の表情があまり力づよかったので、まるで煉獄で苦しんでいる人間さながらに見えた。彼女はたいして苦労もせずに本を読むことができ、教会の伝説をいくつか判読し、中世の英雄詩に出てくるふしぎな騎士物語はほとんど全部読み解くことができた。彼女は書くことにもかなりの上達ぶりを見せ、自分の名前を一字もぬかさずに、たいへんわかりやすく署名することができたので、叔母たちは眼鏡をかけないでも読むことができた。彼女は手すさびに見事な腕前で婦人好みの装飾品をなんでもつくったし、当時のもっとも玄妙な舞踊にも長け、さまざまな歌曲をハープやギターでひくこともでき、恋愛詩人がうたうあまい民謡をすべて暗誦していた。
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男爵の娘は誰の監督のもとに、たいへん気をつけて育てられましたか。
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男爵の娘は二人の独身の叔母の監督のもとに、たいへん気をつけて育てられました。
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国語
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私は母の愛というものについて考える。カーライルの、母の愛ほど尊いものはないと言っているが、私も母の愛ほど尊いものはないと思う。子供のためには自分の全てを犠牲にして尽すという愛の一面に、自分の子供を真直に、正直に、善良に育てていくという厳しい、鋭い眼がある。この二つの感情から結ばれた母の愛より大きなものはないと思う。しかし世の中には子供に対して責任感の薄い母も多い。が、そういう者は例外として、真に子供のために尽した母に対してはその子供は永久にその愛を忘れる事が出来ない。そして、子供は生長して社会に立つようになっても、母から言い含められた教訓を思えば、如何なる場合にも悪事を為し得ないのは事実である。何時も母の涙の光った眼が自分の上に注がれているからである。これは架空的の宗教よりも強く、またなんら根拠のない道徳よりももっと強くその子供の上に感化を与えている。神を信ずるよりも母を信ずる方が子供にとっては深く、且つ強いのである。実に母と子の関係は奇蹟と言ってもよい程に尊い感じのするものであり、また強い熱意のある信仰である。そして、母と子の愛は、男と女の愛よりも更に尊く、自然であり、別の意味において光輝のあるもののように感ずる。
私は多くの不良少年の事実については知らないが、自分の家に来た下女、又は知っている人間の例について考えてみれば、母親の所謂しっかりした家の子供は恐れというものを感ずる、悪いという事を知る。しかし、母親が放縦であり、無自覚である家の子供は、叱っても恐れというものを感じない。そして悪いという事について根本的に無自覚である。唯世の中は胡魔化して行けばよいというような事しか考えていない。この一事を見ても、子供心に信仰をもたしめるものは、全く母の感化である。
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母と子の愛は、どの愛よりも尊いのですか。
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母と子の愛は、男と女の愛よりも尊いです。
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JCRRAG_001076
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国語
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私は母の愛というものについて考える。カーライルの、母の愛ほど尊いものはないと言っているが、私も母の愛ほど尊いものはないと思う。子供のためには自分の全てを犠牲にして尽すという愛の一面に、自分の子供を真直に、正直に、善良に育てていくという厳しい、鋭い眼がある。この二つの感情から結ばれた母の愛より大きなものはないと思う。しかし世の中には子供に対して責任感の薄い母も多い。が、そういう者は例外として、真に子供のために尽した母に対してはその子供は永久にその愛を忘れる事が出来ない。そして、子供は生長して社会に立つようになっても、母から言い含められた教訓を思えば、如何なる場合にも悪事を為し得ないのは事実である。何時も母の涙の光った眼が自分の上に注がれているからである。これは架空的の宗教よりも強く、またなんら根拠のない道徳よりももっと強くその子供の上に感化を与えている。神を信ずるよりも母を信ずる方が子供にとっては深く、且つ強いのである。実に母と子の関係は奇蹟と言ってもよい程に尊い感じのするものであり、また強い熱意のある信仰である。そして、母と子の愛は、男と女の愛よりも更に尊く、自然であり、別の意味において光輝のあるもののように感ずる。
私は多くの不良少年の事実については知らないが、自分の家に来た下女、又は知っている人間の例について考えてみれば、母親の所謂しっかりした家の子供は恐れというものを感ずる、悪いという事を知る。しかし、母親が放縦であり、無自覚である家の子供は、叱っても恐れというものを感じない。そして悪いという事について根本的に無自覚である。唯世の中は胡魔化して行けばよいというような事しか考えていない。この一事を見ても、子供心に信仰をもたしめるものは、全く母の感化である。
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カーライルは誰の愛ほど尊いものはないと言っていますか。
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カーライルは「母の愛ほど尊いものはない」と言っています。
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国語
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私は母の愛というものについて考える。カーライルの、母の愛ほど尊いものはないと言っているが、私も母の愛ほど尊いものはないと思う。子供のためには自分の全てを犠牲にして尽すという愛の一面に、自分の子供を真直に、正直に、善良に育てていくという厳しい、鋭い眼がある。この二つの感情から結ばれた母の愛より大きなものはないと思う。しかし世の中には子供に対して責任感の薄い母も多い。が、そういう者は例外として、真に子供のために尽した母に対してはその子供は永久にその愛を忘れる事が出来ない。そして、子供は生長して社会に立つようになっても、母から言い含められた教訓を思えば、如何なる場合にも悪事を為し得ないのは事実である。何時も母の涙の光った眼が自分の上に注がれているからである。これは架空的の宗教よりも強く、またなんら根拠のない道徳よりももっと強くその子供の上に感化を与えている。神を信ずるよりも母を信ずる方が子供にとっては深く、且つ強いのである。実に母と子の関係は奇蹟と言ってもよい程に尊い感じのするものであり、また強い熱意のある信仰である。そして、母と子の愛は、男と女の愛よりも更に尊く、自然であり、別の意味において光輝のあるもののように感ずる。
私は多くの不良少年の事実については知らないが、自分の家に来た下女、又は知っている人間の例について考えてみれば、母親の所謂しっかりした家の子供は恐れというものを感ずる、悪いという事を知る。しかし、母親が放縦であり、無自覚である家の子供は、叱っても恐れというものを感じない。そして悪いという事について根本的に無自覚である。唯世の中は胡魔化して行けばよいというような事しか考えていない。この一事を見ても、子供心に信仰をもたしめるものは、全く母の感化である。
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母を信じるのは子供にとって誰を信じることよりも深く、強いものですか。
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母を信じるのは、子供にとって神を信じることよりも深く、強いものです。
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国語
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私は母の愛というものについて考える。カーライルの、母の愛ほど尊いものはないと言っているが、私も母の愛ほど尊いものはないと思う。子供のためには自分の全てを犠牲にして尽すという愛の一面に、自分の子供を真直に、正直に、善良に育てていくという厳しい、鋭い眼がある。この二つの感情から結ばれた母の愛より大きなものはないと思う。しかし世の中には子供に対して責任感の薄い母も多い。が、そういう者は例外として、真に子供のために尽した母に対してはその子供は永久にその愛を忘れる事が出来ない。そして、子供は生長して社会に立つようになっても、母から言い含められた教訓を思えば、如何なる場合にも悪事を為し得ないのは事実である。何時も母の涙の光った眼が自分の上に注がれているからである。これは架空的の宗教よりも強く、またなんら根拠のない道徳よりももっと強くその子供の上に感化を与えている。神を信ずるよりも母を信ずる方が子供にとっては深く、且つ強いのである。実に母と子の関係は奇蹟と言ってもよい程に尊い感じのするものであり、また強い熱意のある信仰である。そして、母と子の愛は、男と女の愛よりも更に尊く、自然であり、別の意味において光輝のあるもののように感ずる。
私は多くの不良少年の事実については知らないが、自分の家に来た下女、又は知っている人間の例について考えてみれば、母親の所謂しっかりした家の子供は恐れというものを感ずる、悪いという事を知る。しかし、母親が放縦であり、無自覚である家の子供は、叱っても恐れというものを感じない。そして悪いという事について根本的に無自覚である。唯世の中は胡魔化して行けばよいというような事しか考えていない。この一事を見ても、子供心に信仰をもたしめるものは、全く母の感化である。
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子供心に信仰をもたしめるものは、何の感化であると述べていますか。
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子供心に信仰をもたしめるものは、全く母の感化です。
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国語
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男爵には一人の娘があるだけだった。しかし、自然は一人の子供しかさずけない場合には、きっとその償いにその子を非凡なものにするのだが、この男爵の娘もその通りだった。乳母たちも、噂好きな人たちも、田舎の親戚たちも、みんなが彼女の父親に断言して、美しさにかけてはドイツじゅうで彼女にならぶものはない、と言ったのである。いったいこの人たちより、ものをよく知っている人がほかにいるだろうか。そのうえ、彼女は二人の独身の叔母の監督のもとに、たいへん気をつけて育てられた。その叔母たちは若いころ数年間ドイツのある小さな宮廷にすごし、立派な貴婦人を教育するためになくてはならないあらゆる方面の知識に通じていた。この叔母たちの薫陶をうけて、彼女の才芸はおどろくばかりのものになった。十八歳になるころには見事に刺繍することができた。彼女は壁掛けに聖徒たちの一代記を刺繍したことがあるが、その顔の表情があまり力づよかったので、まるで煉獄で苦しんでいる人間さながらに見えた。彼女はたいして苦労もせずに本を読むことができ、教会の伝説をいくつか判読し、中世の英雄詩に出てくるふしぎな騎士物語はほとんど全部読み解くことができた。彼女は書くことにもかなりの上達ぶりを見せ、自分の名前を一字もぬかさずに、たいへんわかりやすく署名することができたので、叔母たちは眼鏡をかけないでも読むことができた。彼女は手すさびに見事な腕前で婦人好みの装飾品をなんでもつくったし、当時のもっとも玄妙な舞踊にも長け、さまざまな歌曲をハープやギターでひくこともでき、恋愛詩人がうたうあまい民謡をすべて暗誦していた。
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男爵の娘はどんな民謡をすべて暗唱していましたか。
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男爵の娘は恋愛詩人がうたうあまい民謡をすべて暗唱していました。
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JCRRAG_001080
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国語
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今朝の夢・大きな象が
田井田かわず
散らかった部屋の床に布団を敷いて寝ていると、夢見心地に何かの音が聞こえた気がした。意識を持ちあげて耳をすましてみると、どうやら気のせいというわけでも、夢の中というわけでも無いようだ。
興味をそそられて、私にしては珍しく果敢に布団から起き出し、ダイニングに居た父に声をかけた。
「父さん、これ何の音?」
トランペットとか、ああいったたぐいの楽器をとりあえず思いっきり吹いてみたような音、と言えば伝わるかどうかは分からないが、とりあえずそういう音が遠くから何かの信号のように響いている。父はただ、窓の外を眺めながら呟いた。
「さぁ、なんだろな」
音の出所はハッキリしているようで、家からは長い坂を下って登って、歩いて四十分ほどの所にある公園から聞こえていると言う事を、家族が口々に言った。その公園は県内でもちょっと有名なくらい規模が大きいのでそこで何かイベントでもしてるんだろうかと私は思ったが、緊迫した様子を見るとそういうわけでもないらしい。
「何だろう……。なんか象の鳴き声にも似てるよね」
自分でそう口にしてみて、一つのニュースを思い出した。
つい最近、海の向こうから商業目的で三頭の巨大な像が連れてこられたと言うのだ。しかしあまりの大きさのため管理が行き届かず、街ひとつ、その巨大な像に踏み荒らされたと言う、日本国内でも結構大きな事件だった。一度は捕まえたものの、どうしてもその象の管理に手こずり、鬼ごっこを繰り返していると聞いた。
父も同じことを考えたらしく、私の言葉に反応して拳を手のひらに打った。
「象だっ!」
同じように状況を察した兄と母と、一緒になって急いで避難する準備を始める。
「帰ってきたとき大変じゃないように、ある程度部屋は片付けときなさい」母が言った。
象が踏み荒らせば、どうしたって散らかるんじゃないだろうかとも考えたが、なるほど自分でまず片付けておけば、だいたいどこら辺にあるかもわかるし、最初から散らかしておくよりはましかもしれないと思った。
となりの部屋の兄が私に、急げよと言って、早々と片づけを済ましてダイニングに向かう。私は慌てつつも片づけをしながら財布と、いつも持ち歩いているメモ帳と筆記用具をかばんにまとめた。
最近片づけに慣れてきたと自負していたのに、慌てたためか若干手間を取ったが、なんとか終わらせると家族のそろうダイニングに入った。なぜか母は、キッチンで弁当を作っている。
「音が近づいてきた」
私は呟いた。
家の正面に付いた窓から、静かな道路を眺める。車が一台も走っていないのは、この前の災害で渋滞のため逃げ遅れ踏みつぶされた人が居る、と言うニュースを皆が知っているためかと何となく考える。それにしたって人が逃げる影すらもない。みんな家で息を飲んでいるのだろうか。
「来た」
誰かが言った。
足音もなく、窓の向こうに象の太い足がぬっと覗く。足だけで窓を覆い尽くさんばかりの大きさだった。
足元しか見えないが、マンションの四階くらいの高さはあるだろうか。象はそこで立ち止まっていた。こんな大きな像が三匹も、どうやって海を渡ったのだろう。
私たちは、象が何もしないまま過ぎ去る事を祈りながら、心持ち身をかがめそっと様子をうかがう。母はまだ弁当を詰めていた。
そのとき家が持ち上がり、大きく揺れ始めた。象が鼻で持ち上げ左右に揺らしてるのであろう。私たちは床に這いつくばった。
悪あがきで、象がそっと家を下ろしてくれる事を祈ったが、家はポイと手放された。(いや、<鼻>放されると言うべきなのだろうか)私たちの家はその勢いのまま、家の裏手にある小さいアパートの上に落ちた。
「あちゃー……」
「……しょうがないわよ。こうなっちゃぁ」
私と母は家の横の窓から足元の様子を見ていう。家はどこも崩れなかったためか、あんがい楽天的だ。
アパートの方は天井が崩れて、中が見えていた。家の人と目が合うと、大丈夫だよと、手を振ってくれた。
私は言葉も無く、何度も謝った。
巨大な象はそれからも鼻をぶんぶん振りながら何かしら壊しつつ道路を進んで行った。外を見れば、象の通り道は一目でわかる事だろう。
とりあえず一難去ったと息をついていると、突然に玄関の扉が開いた。
「大丈夫!?」
アパートに乗り上げて、しかも斜め上を向いている家の玄関に、どうやってたどり着いたのかは分からないが、そこには向こう隣りの市に住んでいる友人の姿があった。高速道路を使えば車で十五分ほどとはいえ、わざわざこんな所まで来てくれたのだろうか。
「おばちゃんなんでお弁当作ってるの?」
流石しっかりしている友人は、母の行動に対してきっちりツッコンだ。
「ちょうどこっちに来たってニュースで言うから、心配で…!とりあえず、このままここに居たら危ないから、一緒に避難所に行こう!」
母の弁明も、私たちの疑問も聞かずに自分の事を説明すると、友人は素晴らしい手際の良さで、さっと避難所の場所を確認し、私達を連れ出した。
私たちは促されるまま彼女のお父さんが運転する車に乗せてもらった。「いまなら車も少ないし、象の第一波も終わった。つぎが来る前に」と、そう言って、瓦礫の合間を縫い、夕陽の差すなか、私たちを乗せた車は避難所に向かった。
ところで、出る前に一度部屋をのぞいてみたら、片づけた甲斐あってか、それとも物が少ないためか、そう酷い事にはなっておらず私はほっとした。
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街は何に踏み荒らされたのですか。
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街は三頭の巨大な像に踏み荒らされました。
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JCRRAG_001081
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国語
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イギリスで、わたしの心をもっとも楽しく魅惑するのは、昔から伝わっている祭日のならわしと田舎の遊びごとである。そういうものを見て、わたしが思いおこすのは、まだ若かったころに、わたしの空想がえがいた数々の絵である。あのころ、わたしは世界というものを書物を通してしか知らなかったし、世界は詩人たちがえがいた通りのものだと信じこんでいた。そしてさらに、その絵といっしょに、純朴だった昔の日々の香りがもどってくる。そして、やはりおなじ間違いかもしれないが、そのころ世間のひとびとは今よりずっと素朴で、親しみぶかく、そして嬉々としていたように思う。残念なことに、そういうものは日毎にかすかになってくるのである。時がたつにしたがって次第に擦りへらされるだけでなく、新しい流行に消し去られてしまうのだ。この国の各地にあるゴシック建築の美しい遺物が、時代の荒廃にまかされて崩壊したり、あるいは、後の世に手が加えられたり改築されたりして、もとのすがたを失ってゆくのにも似ているのである。しかし、詩は田園の遊戯や祭日の宴楽から多くの主題を得たのだが、今でもそれをなつかしみ、纏綿としてはなれない。それは、あたかも、蔦が古いゴシックの門や崩れかかった塔に、ゆたかな葉をまきつけて、自分を支えてくれた恩にこたえ、ゆらゆらする廃墟を抱きしめ、いわば、その若い緑でいつまでも香り高いものにしておこうとするのとおなじようである。
しかし、さまざまの古い祭のなかでも、クリスマスの祝いは、最も強いしみじみした連想を目ざめさせる。それには、おごそかで清らかな感情がこもっており、それがわたしたちの陽気な気分に溶けあい、心は神聖で高尚な悦楽の境地に高められる。クリスマスのころの教会の礼拝は、たいへん優美で感動的である。キリスト教の起源の美しい物語や、キリスト生誕のときの田園の光景がじゅんじゅんと説かれる。そして、降臨節のあいだに、その礼拝には次第に熱意と哀感が加わり、ついに、あの、人類に平和と善意とがもたらされたクリスマスの朝に、歓喜の声となって噴出するのである。教会で、聖歌隊の全員が鳴りひびくオルガンに合わせて、クリスマスの聖歌を歌い、その勝ち誇った調和音が大伽藍の隅々まで満たしてしまうのを聞くときほど、音楽が荘厳に人の道徳的感情に迫ってくるのを知らない。
古い昔からの美しいしきたりによって、この、愛と平和の宗教の宣布を記念する祭りの日々には、一族は相つどい、また、肉親のものでも、世の中の苦労や、喜びや、悲しみで、いつも引きはなされがちなひとびとがまたひきよせられるのだ。そして、子供たちは、すでに世間に旅立って、遠くはなればなれにさまよっていても、もう一度両親の家の炉ばたに呼びかえされて、その愛のつどいの場所に団欒し、幼年時代のなつかしい思い出のなかで、ふたたび若がえり、いつくしみあうのである。
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さまざまの古い祭のなかでも、何の祝いは、最も強いしみじみした連想を目ざめさせますか。
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さまざまの古い祭のなかでも、クリスマスの祝いは、最も強いしみじみした連想を目ざめさせます。
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国語
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季節そのものも、クリスマスの祝いに魅力をそえる。ほかの季節には、わたしたちはほとんど大部分の愉しみを自然の美しさから得るのである。わたしたちの心は戸外に飛びだし、陽ざしの暖かい自然のなかで気を晴らすのだ。わたしたちは「野外のいたるところに生きる」のである。鳥の歌、小川のささやき、息吹いている春の香り、やわらかい夏の官能、黄金色の秋の盛観、さわやかな緑の衣をつけた大地、爽快な紺碧の大空、そしてまた豪華な雲が群がる空。すべてがわたしたちの心を、沈黙のまま、なんともいえぬ歓喜で満たし、わたしたちは、尽きぬ感覚の逸楽にひたるのだ。しかし、冬が深くなり、自然があらゆる魅力をうばわれて、一面に雪の経帷子につつまれると、わたしたちは心の満足を精神的な源にもとめるようになる。自然の風光は荒れてさびしく、日は短く陰気で、夜は暗澹として、わたしたちの戸外の散策は拘束され、感情もまた外にさまよい出て行かずに、内にとじこめられ、わたしたちは互いの交歓に愉しみを見つけようとする。わたしたちの思索は、ほかの季節よりも集中し、友情も湧きでてくる。わたしたちは、ひとと睦じくすることの魅力をしみじみと感じ、互いに喜びをわけあうようになり、親しく寄りあうのだ。心は心を呼び、わたしたちは、胸の奥の静かなところにある深い愛の泉から喜びを汲みとるのだが、この泉は求められれば、家庭の幸福の純粋な水を与えてくれるのである。
夜は戸外が真暗で陰鬱なので、炉の火があたたかく輝いている部屋にはいると、心はのびのびとふくらむのだ。赤い焔は人工の夏と太陽の光とを部屋じゅうに満ちわたらせ、どの顔も明るく歓待の色に輝く。人をもてなす誠実な顔が、やさしい微笑みにほころびるのは、冬の炉がいちばんである。はにかみながらそっと相手を見る恋の眼ざしが、いろいろなことを甘く物語るようになるのも、冬の炉ばたにまさるところはない。冬のからっ風が玄関を吹きぬけ、遠くのドアをばたばたさせ、窓のあたりにひゅうひゅう鳴り、煙突から吹きおりてくるとき、奥まった心地よい部屋で、一家の和楽するさまを、落ちついて安心した心持ちで見ることができるほどありがたいことはないだろう。
イギリスでは元来社会のどの階層にも田園の風習が強くしみわたっているので、ひとびとは昔からいつも、祝祭や休日で田園生活の単調さが途切れるのを喜んだ。そして、クリスマスの宗教上の儀式や社会の慣例を特によく守ったのである。以前クリスマスを祝ったときには、ひとびとは古風で滑稽なことをしたり、道化た行列をもよおしたりして、歓楽にわれを忘れ、おたがいに全く友だちになりあったのだが、そういうことについて古物研究家が書いている詳細は、無味乾燥なものでも、読んでたいへん面白いものだ。クリスマスにはどの家も戸を開放し、人はみな胸襟をひらいたようである。百姓も貴族もいっしょになり、あらゆる階級の人がひとつの、あたたかい寛大な、喜びと親切の流れにとけあう。城や荘園邸の大広間には、竪琴が鳴り、クリスマスの歌声がひびき、広い食卓にはもてなしのご馳走が山のように盛りあげられ、その重さに食卓は唸り声をたてるほどだった。ひどく貧乏な百姓家でも、緑色の月桂樹や柊を飾りたてて、祝日を迎えた。炉は陽気に燃えて、格子のあいだから光がちらちらし、通りがかりの人はだれでも招かれて、かけがねをあけ、炉のまわりに集って世間話をしている人の群に加わり、古くからの滑稽な話や、なんどもくりかえされたクリスマスの物語に興じて、ひとびとは冬の夜ながをすごしたのである。
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冬が深くなり、自然があらゆる魅力をうばわれて、一面に雪の経帷子につつまれると、わたしたちは心の満足を何にもとめるようになりますか。
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冬が深くなり、自然があらゆる魅力をうばわれて、一面に雪の経帷子につつまれると、わたしたちは心の満足を精神的な源にもとめるようになります。
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国語
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季節そのものも、クリスマスの祝いに魅力をそえる。ほかの季節には、わたしたちはほとんど大部分の愉しみを自然の美しさから得るのである。わたしたちの心は戸外に飛びだし、陽ざしの暖かい自然のなかで気を晴らすのだ。わたしたちは「野外のいたるところに生きる」のである。鳥の歌、小川のささやき、息吹いている春の香り、やわらかい夏の官能、黄金色の秋の盛観、さわやかな緑の衣をつけた大地、爽快な紺碧の大空、そしてまた豪華な雲が群がる空。すべてがわたしたちの心を、沈黙のまま、なんともいえぬ歓喜で満たし、わたしたちは、尽きぬ感覚の逸楽にひたるのだ。しかし、冬が深くなり、自然があらゆる魅力をうばわれて、一面に雪の経帷子につつまれると、わたしたちは心の満足を精神的な源にもとめるようになる。自然の風光は荒れてさびしく、日は短く陰気で、夜は暗澹として、わたしたちの戸外の散策は拘束され、感情もまた外にさまよい出て行かずに、内にとじこめられ、わたしたちは互いの交歓に愉しみを見つけようとする。わたしたちの思索は、ほかの季節よりも集中し、友情も湧きでてくる。わたしたちは、ひとと睦じくすることの魅力をしみじみと感じ、互いに喜びをわけあうようになり、親しく寄りあうのだ。心は心を呼び、わたしたちは、胸の奥の静かなところにある深い愛の泉から喜びを汲みとるのだが、この泉は求められれば、家庭の幸福の純粋な水を与えてくれるのである。
夜は戸外が真暗で陰鬱なので、炉の火があたたかく輝いている部屋にはいると、心はのびのびとふくらむのだ。赤い焔は人工の夏と太陽の光とを部屋じゅうに満ちわたらせ、どの顔も明るく歓待の色に輝く。人をもてなす誠実な顔が、やさしい微笑みにほころびるのは、冬の炉がいちばんである。はにかみながらそっと相手を見る恋の眼ざしが、いろいろなことを甘く物語るようになるのも、冬の炉ばたにまさるところはない。冬のからっ風が玄関を吹きぬけ、遠くのドアをばたばたさせ、窓のあたりにひゅうひゅう鳴り、煙突から吹きおりてくるとき、奥まった心地よい部屋で、一家の和楽するさまを、落ちついて安心した心持ちで見ることができるほどありがたいことはないだろう。
イギリスでは元来社会のどの階層にも田園の風習が強くしみわたっているので、ひとびとは昔からいつも、祝祭や休日で田園生活の単調さが途切れるのを喜んだ。そして、クリスマスの宗教上の儀式や社会の慣例を特によく守ったのである。以前クリスマスを祝ったときには、ひとびとは古風で滑稽なことをしたり、道化た行列をもよおしたりして、歓楽にわれを忘れ、おたがいに全く友だちになりあったのだが、そういうことについて古物研究家が書いている詳細は、無味乾燥なものでも、読んでたいへん面白いものだ。クリスマスにはどの家も戸を開放し、人はみな胸襟をひらいたようである。百姓も貴族もいっしょになり、あらゆる階級の人がひとつの、あたたかい寛大な、喜びと親切の流れにとけあう。城や荘園邸の大広間には、竪琴が鳴り、クリスマスの歌声がひびき、広い食卓にはもてなしのご馳走が山のように盛りあげられ、その重さに食卓は唸り声をたてるほどだった。ひどく貧乏な百姓家でも、緑色の月桂樹や柊を飾りたてて、祝日を迎えた。炉は陽気に燃えて、格子のあいだから光がちらちらし、通りがかりの人はだれでも招かれて、かけがねをあけ、炉のまわりに集って世間話をしている人の群に加わり、古くからの滑稽な話や、なんどもくりかえされたクリスマスの物語に興じて、ひとびとは冬の夜ながをすごしたのである。
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どうして炉の火があたたかく輝いている部屋にはいると、心はのびのびとふくらむのですか。
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夜は戸外が真暗で陰鬱なので、炉の火があたたかく輝いている部屋にはいると、心はのびのびとふくらみます。
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国語
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現代の洗練された風習がもたらした最も快からぬことは、心のこもった昔ながらの休日のならわしをうちこわしてしまったことだ。この現代の進歩のために、このような生活の装飾物の鮮明な鑿のあとはなくなり、その活気のある浮彫は取り去られてしまった。世の中はむかしよりいっそう滑らかになり磨きあげられたが、その表面はあきらかにこれという特徴のないものになった。クリスマスの遊戯や儀式の多くは全く消滅してしまい、フォールスタフ老人のスペイン産白葡萄酒のように、いたずらに註釈者の研究や論争の材料になってしまった。これらの遊戯や儀式が栄えた時代は、元気と活力が汪溢していて、ひとびとの人生のたのしみ方は粗野だったが、心のそこから元気いっぱいにやったのだ。そのころは野性的な絵のように美しい時代で、詩には豊富な素材をあたえ、戯曲にはいくたの魅力的な人物や風俗を供したのだ。世間は以前よりいっそう世俗的になった。気晴らしは多くなったが、喜びは減った。快楽の流れの幅は広くなったが、深さは浅くなり、かつては落ちついた家庭生活の奥深いところに和やかに流れていたのに、そういう深い静かな水路はなくなってしまった。社会は開化し優雅になったが、きわだった地方的な特性も、家族的な感情も、純朴な炉辺の喜びも、大半は失った。心の大きい昔の人の伝統的な慣習や、封建時代の歓待ぶりや、王侯然とした饗宴は滅びさり、それが行われた貴族の城や豪壮な荘園邸もそれと運命をともにした。そのような饗宴は、ほの暗い広間や、大きな樫の木の廻廊や、綴織を飾った客間にはふさわしいが、現代の別荘の明るい見栄えのよい広間や、派手な客室には向いていないのである。
しかし、このように昔の祭礼の面目がなくなったとはいっても、イギリスではクリスマスは今もなお楽しく心がおどるときである。あらゆるイギリス人の胸のなかに、家庭的感情が湧きおこって、強い力をもつのは、見るからに嬉しいことである。親睦の食卓のための万端の準備がされて、友人や親戚がふたたび結びあわされる。ご馳走の贈物はさかんに往き来して、尊敬の意のしるしともなり、友情を深めるものともなる。常緑樹は家にも教会にも飾られて、平和と喜びの象徴となる。こういうことすべてのおかげで、睦まじい交わりが結ばれ、慈悲ぶかい同情心が燃えたたされるのである。夜更けに歌をうたって歩く人たちの声は、たとえ上手ではないとしても、冬の真夜中に湧きおこって、無上の調和をかもしだすのだ。「深い眠りがひとびとの上に落ちる」静かな厳粛な時刻に、わたしは彼らの歌声に起されて、心に喜びをひめて聞きいり、これは、ふたたび天使の歌声が地に降りてきて、平和と善意とを人類に告げしらせるのだとさえ思った。想像力は、このような道徳的な力に働きかけられると、じつに見ごとに、すべてのものを旋律と美とに変えるものだ。雄鶏の鬨の声が、深く寝しずまった村に、ときおり聞えて、「羽のはえた奥方たちに夜半をしらせる」のだが、ひとびとは聖なる祭日の近づいたことを告げているのだと思うのである。
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現代の洗練された風習がもたらした最も快からぬこととは、どのようなことですか。
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現代の洗練された風習がもたらした最も快からぬことは、心のこもった昔ながらの休日のならわしをうちこわしてしまったことです。
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国語
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季節そのものも、クリスマスの祝いに魅力をそえる。ほかの季節には、わたしたちはほとんど大部分の愉しみを自然の美しさから得るのである。わたしたちの心は戸外に飛びだし、陽ざしの暖かい自然のなかで気を晴らすのだ。わたしたちは「野外のいたるところに生きる」のである。鳥の歌、小川のささやき、息吹いている春の香り、やわらかい夏の官能、黄金色の秋の盛観、さわやかな緑の衣をつけた大地、爽快な紺碧の大空、そしてまた豪華な雲が群がる空。すべてがわたしたちの心を、沈黙のまま、なんともいえぬ歓喜で満たし、わたしたちは、尽きぬ感覚の逸楽にひたるのだ。しかし、冬が深くなり、自然があらゆる魅力をうばわれて、一面に雪の経帷子につつまれると、わたしたちは心の満足を精神的な源にもとめるようになる。自然の風光は荒れてさびしく、日は短く陰気で、夜は暗澹として、わたしたちの戸外の散策は拘束され、感情もまた外にさまよい出て行かずに、内にとじこめられ、わたしたちは互いの交歓に愉しみを見つけようとする。わたしたちの思索は、ほかの季節よりも集中し、友情も湧きでてくる。わたしたちは、ひとと睦じくすることの魅力をしみじみと感じ、互いに喜びをわけあうようになり、親しく寄りあうのだ。心は心を呼び、わたしたちは、胸の奥の静かなところにある深い愛の泉から喜びを汲みとるのだが、この泉は求められれば、家庭の幸福の純粋な水を与えてくれるのである。
夜は戸外が真暗で陰鬱なので、炉の火があたたかく輝いている部屋にはいると、心はのびのびとふくらむのだ。赤い焔は人工の夏と太陽の光とを部屋じゅうに満ちわたらせ、どの顔も明るく歓待の色に輝く。人をもてなす誠実な顔が、やさしい微笑みにほころびるのは、冬の炉がいちばんである。はにかみながらそっと相手を見る恋の眼ざしが、いろいろなことを甘く物語るようになるのも、冬の炉ばたにまさるところはない。冬のからっ風が玄関を吹きぬけ、遠くのドアをばたばたさせ、窓のあたりにひゅうひゅう鳴り、煙突から吹きおりてくるとき、奥まった心地よい部屋で、一家の和楽するさまを、落ちついて安心した心持ちで見ることができるほどありがたいことはないだろう。
イギリスでは元来社会のどの階層にも田園の風習が強くしみわたっているので、ひとびとは昔からいつも、祝祭や休日で田園生活の単調さが途切れるのを喜んだ。そして、クリスマスの宗教上の儀式や社会の慣例を特によく守ったのである。以前クリスマスを祝ったときには、ひとびとは古風で滑稽なことをしたり、道化た行列をもよおしたりして、歓楽にわれを忘れ、おたがいに全く友だちになりあったのだが、そういうことについて古物研究家が書いている詳細は、無味乾燥なものでも、読んでたいへん面白いものだ。クリスマスにはどの家も戸を開放し、人はみな胸襟をひらいたようである。百姓も貴族もいっしょになり、あらゆる階級の人がひとつの、あたたかい寛大な、喜びと親切の流れにとけあう。城や荘園邸の大広間には、竪琴が鳴り、クリスマスの歌声がひびき、広い食卓にはもてなしのご馳走が山のように盛りあげられ、その重さに食卓は唸り声をたてるほどだった。ひどく貧乏な百姓家でも、緑色の月桂樹や柊を飾りたてて、祝日を迎えた。炉は陽気に燃えて、格子のあいだから光がちらちらし、通りがかりの人はだれでも招かれて、かけがねをあけ、炉のまわりに集って世間話をしている人の群に加わり、古くからの滑稽な話や、なんどもくりかえされたクリスマスの物語に興じて、ひとびとは冬の夜ながをすごしたのである。
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ひとびとはどんなことをして冬の夜ながをすごしたのですか。
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ひとびとは通りがかりの人はだれでも招き、かけがねをあけ、炉のまわりに集って世間話をしている人の群に加わり、古くからの滑稽な話や、なんどもくりかえされたクリスマスの物語に興じて、冬の夜ながをすごしました。
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現代の洗練された風習がもたらした最も快からぬことは、心のこもった昔ながらの休日のならわしをうちこわしてしまったことだ。この現代の進歩のために、このような生活の装飾物の鮮明な鑿のあとはなくなり、その活気のある浮彫は取り去られてしまった。世の中はむかしよりいっそう滑らかになり磨きあげられたが、その表面はあきらかにこれという特徴のないものになった。クリスマスの遊戯や儀式の多くは全く消滅してしまい、フォールスタフ老人のスペイン産白葡萄酒のように、いたずらに註釈者の研究や論争の材料になってしまった。これらの遊戯や儀式が栄えた時代は、元気と活力が汪溢していて、ひとびとの人生のたのしみ方は粗野だったが、心のそこから元気いっぱいにやったのだ。そのころは野性的な絵のように美しい時代で、詩には豊富な素材をあたえ、戯曲にはいくたの魅力的な人物や風俗を供したのだ。世間は以前よりいっそう世俗的になった。気晴らしは多くなったが、喜びは減った。快楽の流れの幅は広くなったが、深さは浅くなり、かつては落ちついた家庭生活の奥深いところに和やかに流れていたのに、そういう深い静かな水路はなくなってしまった。社会は開化し優雅になったが、きわだった地方的な特性も、家族的な感情も、純朴な炉辺の喜びも、大半は失った。心の大きい昔の人の伝統的な慣習や、封建時代の歓待ぶりや、王侯然とした饗宴は滅びさり、それが行われた貴族の城や豪壮な荘園邸もそれと運命をともにした。そのような饗宴は、ほの暗い広間や、大きな樫の木の廻廊や、綴織を飾った客間にはふさわしいが、現代の別荘の明るい見栄えのよい広間や、派手な客室には向いていないのである。
しかし、このように昔の祭礼の面目がなくなったとはいっても、イギリスではクリスマスは今もなお楽しく心がおどるときである。あらゆるイギリス人の胸のなかに、家庭的感情が湧きおこって、強い力をもつのは、見るからに嬉しいことである。親睦の食卓のための万端の準備がされて、友人や親戚がふたたび結びあわされる。ご馳走の贈物はさかんに往き来して、尊敬の意のしるしともなり、友情を深めるものともなる。常緑樹は家にも教会にも飾られて、平和と喜びの象徴となる。こういうことすべてのおかげで、睦まじい交わりが結ばれ、慈悲ぶかい同情心が燃えたたされるのである。夜更けに歌をうたって歩く人たちの声は、たとえ上手ではないとしても、冬の真夜中に湧きおこって、無上の調和をかもしだすのだ。「深い眠りがひとびとの上に落ちる」静かな厳粛な時刻に、わたしは彼らの歌声に起されて、心に喜びをひめて聞きいり、これは、ふたたび天使の歌声が地に降りてきて、平和と善意とを人類に告げしらせるのだとさえ思った。想像力は、このような道徳的な力に働きかけられると、じつに見ごとに、すべてのものを旋律と美とに変えるものだ。雄鶏の鬨の声が、深く寝しずまった村に、ときおり聞えて、「羽のはえた奥方たちに夜半をしらせる」のだが、ひとびとは聖なる祭日の近づいたことを告げているのだと思うのである。
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世の中はむかしよりいっそう滑らかになり磨きあげられたものの、どのようなものになりましたか。
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世の中はむかしよりいっそう滑らかになり磨きあげられましたが、その表面はあきらかにこれという特徴のないものになりました。
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現代の洗練された風習がもたらした最も快からぬことは、心のこもった昔ながらの休日のならわしをうちこわしてしまったことだ。この現代の進歩のために、このような生活の装飾物の鮮明な鑿のあとはなくなり、その活気のある浮彫は取り去られてしまった。世の中はむかしよりいっそう滑らかになり磨きあげられたが、その表面はあきらかにこれという特徴のないものになった。クリスマスの遊戯や儀式の多くは全く消滅してしまい、フォールスタフ老人のスペイン産白葡萄酒のように、いたずらに註釈者の研究や論争の材料になってしまった。これらの遊戯や儀式が栄えた時代は、元気と活力が汪溢していて、ひとびとの人生のたのしみ方は粗野だったが、心のそこから元気いっぱいにやったのだ。そのころは野性的な絵のように美しい時代で、詩には豊富な素材をあたえ、戯曲にはいくたの魅力的な人物や風俗を供したのだ。世間は以前よりいっそう世俗的になった。気晴らしは多くなったが、喜びは減った。快楽の流れの幅は広くなったが、深さは浅くなり、かつては落ちついた家庭生活の奥深いところに和やかに流れていたのに、そういう深い静かな水路はなくなってしまった。社会は開化し優雅になったが、きわだった地方的な特性も、家族的な感情も、純朴な炉辺の喜びも、大半は失った。心の大きい昔の人の伝統的な慣習や、封建時代の歓待ぶりや、王侯然とした饗宴は滅びさり、それが行われた貴族の城や豪壮な荘園邸もそれと運命をともにした。そのような饗宴は、ほの暗い広間や、大きな樫の木の廻廊や、綴織を飾った客間にはふさわしいが、現代の別荘の明るい見栄えのよい広間や、派手な客室には向いていないのである。
しかし、このように昔の祭礼の面目がなくなったとはいっても、イギリスではクリスマスは今もなお楽しく心がおどるときである。あらゆるイギリス人の胸のなかに、家庭的感情が湧きおこって、強い力をもつのは、見るからに嬉しいことである。親睦の食卓のための万端の準備がされて、友人や親戚がふたたび結びあわされる。ご馳走の贈物はさかんに往き来して、尊敬の意のしるしともなり、友情を深めるものともなる。常緑樹は家にも教会にも飾られて、平和と喜びの象徴となる。こういうことすべてのおかげで、睦まじい交わりが結ばれ、慈悲ぶかい同情心が燃えたたされるのである。夜更けに歌をうたって歩く人たちの声は、たとえ上手ではないとしても、冬の真夜中に湧きおこって、無上の調和をかもしだすのだ。「深い眠りがひとびとの上に落ちる」静かな厳粛な時刻に、わたしは彼らの歌声に起されて、心に喜びをひめて聞きいり、これは、ふたたび天使の歌声が地に降りてきて、平和と善意とを人類に告げしらせるのだとさえ思った。想像力は、このような道徳的な力に働きかけられると、じつに見ごとに、すべてのものを旋律と美とに変えるものだ。雄鶏の鬨の声が、深く寝しずまった村に、ときおり聞えて、「羽のはえた奥方たちに夜半をしらせる」のだが、ひとびとは聖なる祭日の近づいたことを告げているのだと思うのである。
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昔の祭礼の面目がなくなったとはいっても、どこではクリスマスは今もなお楽しく心がおどるときですか。
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昔の祭礼の面目がなくなったとはいっても、イギリスではクリスマスは今もなお楽しく心がおどるときです。
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現代の洗練された風習がもたらした最も快からぬことは、心のこもった昔ながらの休日のならわしをうちこわしてしまったことだ。この現代の進歩のために、このような生活の装飾物の鮮明な鑿のあとはなくなり、その活気のある浮彫は取り去られてしまった。世の中はむかしよりいっそう滑らかになり磨きあげられたが、その表面はあきらかにこれという特徴のないものになった。クリスマスの遊戯や儀式の多くは全く消滅してしまい、フォールスタフ老人のスペイン産白葡萄酒のように、いたずらに註釈者の研究や論争の材料になってしまった。これらの遊戯や儀式が栄えた時代は、元気と活力が汪溢していて、ひとびとの人生のたのしみ方は粗野だったが、心のそこから元気いっぱいにやったのだ。そのころは野性的な絵のように美しい時代で、詩には豊富な素材をあたえ、戯曲にはいくたの魅力的な人物や風俗を供したのだ。世間は以前よりいっそう世俗的になった。気晴らしは多くなったが、喜びは減った。快楽の流れの幅は広くなったが、深さは浅くなり、かつては落ちついた家庭生活の奥深いところに和やかに流れていたのに、そういう深い静かな水路はなくなってしまった。社会は開化し優雅になったが、きわだった地方的な特性も、家族的な感情も、純朴な炉辺の喜びも、大半は失った。心の大きい昔の人の伝統的な慣習や、封建時代の歓待ぶりや、王侯然とした饗宴は滅びさり、それが行われた貴族の城や豪壮な荘園邸もそれと運命をともにした。そのような饗宴は、ほの暗い広間や、大きな樫の木の廻廊や、綴織を飾った客間にはふさわしいが、現代の別荘の明るい見栄えのよい広間や、派手な客室には向いていないのである。
しかし、このように昔の祭礼の面目がなくなったとはいっても、イギリスではクリスマスは今もなお楽しく心がおどるときである。あらゆるイギリス人の胸のなかに、家庭的感情が湧きおこって、強い力をもつのは、見るからに嬉しいことである。親睦の食卓のための万端の準備がされて、友人や親戚がふたたび結びあわされる。ご馳走の贈物はさかんに往き来して、尊敬の意のしるしともなり、友情を深めるものともなる。常緑樹は家にも教会にも飾られて、平和と喜びの象徴となる。こういうことすべてのおかげで、睦まじい交わりが結ばれ、慈悲ぶかい同情心が燃えたたされるのである。夜更けに歌をうたって歩く人たちの声は、たとえ上手ではないとしても、冬の真夜中に湧きおこって、無上の調和をかもしだすのだ。「深い眠りがひとびとの上に落ちる」静かな厳粛な時刻に、わたしは彼らの歌声に起されて、心に喜びをひめて聞きいり、これは、ふたたび天使の歌声が地に降りてきて、平和と善意とを人類に告げしらせるのだとさえ思った。想像力は、このような道徳的な力に働きかけられると、じつに見ごとに、すべてのものを旋律と美とに変えるものだ。雄鶏の鬨の声が、深く寝しずまった村に、ときおり聞えて、「羽のはえた奥方たちに夜半をしらせる」のだが、ひとびとは聖なる祭日の近づいたことを告げているのだと思うのである。
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家庭的感情が湧きおこって、強い力をもつのは、誰の胸の中ですか。
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家庭的感情が湧きおこって、強い力をもつのは、あらゆるイギリス人の胸の中です。
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国語
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前にタマヨの絵を美術雑誌の原色版で見てそのまか不思議な色彩にひどく惹かれました。
それ以来私は何が何でもタマヨのファンになってしまいました。タマヨのよく使う発酵した様な異様な黄色や紫や桃色にひきつけられたのです。今度のメキシコ展で民芸品の部屋に足をふみ入れると私は“これだ。タマヨの色は”と思いました。民芸品の切り紙も人形も皆タマヨのあの魅力的な紫色や桃色なのでした。これはメキシコの現代絵画のすべてに言えることなのですが、何千年も昔の土偶の形態も民芸品のネンドの人形の色も皆現代絵画の中にそのまま生きていて彼等の激しい力と情熱を語る強力な言葉になっているのです。
全くメキシコの絵画は彼等の言葉で彼等の問題を精一杯に叫んでいます。それ故にメキシコの絵画はメキシコの国の誇りとなりメキシコ人すべての誇りとなっているのだと思いました。私はメキシコの作家達が大きなビルの外側の巨大な壁面に思い切り腕をふるって壁画を描いていることを心からうらやましく思います。国と国民の生活と作家がこんなに密接につながっている国を素晴しいと思いました。日本の現代絵画は日本の国や日本の多くの人々とは何の関係もないところで描かれているということが、私には間違ったことに思えるのです。
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私は誰のファンになってしまいましたか。
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私はタマヨのファンになってしまいました。
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国語
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前にタマヨの絵を美術雑誌の原色版で見てそのまか不思議な色彩にひどく惹かれました。
それ以来私は何が何でもタマヨのファンになってしまいました。タマヨのよく使う発酵した様な異様な黄色や紫や桃色にひきつけられたのです。今度のメキシコ展で民芸品の部屋に足をふみ入れると私は“これだ。タマヨの色は”と思いました。民芸品の切り紙も人形も皆タマヨのあの魅力的な紫色や桃色なのでした。これはメキシコの現代絵画のすべてに言えることなのですが、何千年も昔の土偶の形態も民芸品のネンドの人形の色も皆現代絵画の中にそのまま生きていて彼等の激しい力と情熱を語る強力な言葉になっているのです。
全くメキシコの絵画は彼等の言葉で彼等の問題を精一杯に叫んでいます。それ故にメキシコの絵画はメキシコの国の誇りとなりメキシコ人すべての誇りとなっているのだと思いました。私はメキシコの作家達が大きなビルの外側の巨大な壁面に思い切り腕をふるって壁画を描いていることを心からうらやましく思います。国と国民の生活と作家がこんなに密接につながっている国を素晴しいと思いました。日本の現代絵画は日本の国や日本の多くの人々とは何の関係もないところで描かれているということが、私には間違ったことに思えるのです。
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メキシコの現代絵画のすべてに言えることとは何ですか。
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メキシコの現代絵画のすべてに言えることは、何千年も昔の土偶の形態も民芸品のネンドの人形の色も皆現代絵画の中にそのまま生きていて彼等の激しい力と情熱を語る強力な言葉になっていることです。
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国語
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前にタマヨの絵を美術雑誌の原色版で見てそのまか不思議な色彩にひどく惹かれました。
それ以来私は何が何でもタマヨのファンになってしまいました。タマヨのよく使う発酵した様な異様な黄色や紫や桃色にひきつけられたのです。今度のメキシコ展で民芸品の部屋に足をふみ入れると私は“これだ。タマヨの色は”と思いました。民芸品の切り紙も人形も皆タマヨのあの魅力的な紫色や桃色なのでした。これはメキシコの現代絵画のすべてに言えることなのですが、何千年も昔の土偶の形態も民芸品のネンドの人形の色も皆現代絵画の中にそのまま生きていて彼等の激しい力と情熱を語る強力な言葉になっているのです。
全くメキシコの絵画は彼等の言葉で彼等の問題を精一杯に叫んでいます。それ故にメキシコの絵画はメキシコの国の誇りとなりメキシコ人すべての誇りとなっているのだと思いました。私はメキシコの作家達が大きなビルの外側の巨大な壁面に思い切り腕をふるって壁画を描いていることを心からうらやましく思います。国と国民の生活と作家がこんなに密接につながっている国を素晴しいと思いました。日本の現代絵画は日本の国や日本の多くの人々とは何の関係もないところで描かれているということが、私には間違ったことに思えるのです。
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民芸品の切り紙や人形はどんな色でしたか。
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民芸品の切り紙や人形は皆タマヨのあの魅力的な紫色や桃色でした。
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国語
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前にタマヨの絵を美術雑誌の原色版で見てそのまか不思議な色彩にひどく惹かれました。
それ以来私は何が何でもタマヨのファンになってしまいました。タマヨのよく使う発酵した様な異様な黄色や紫や桃色にひきつけられたのです。今度のメキシコ展で民芸品の部屋に足をふみ入れると私は“これだ。タマヨの色は”と思いました。民芸品の切り紙も人形も皆タマヨのあの魅力的な紫色や桃色なのでした。これはメキシコの現代絵画のすべてに言えることなのですが、何千年も昔の土偶の形態も民芸品のネンドの人形の色も皆現代絵画の中にそのまま生きていて彼等の激しい力と情熱を語る強力な言葉になっているのです。
全くメキシコの絵画は彼等の言葉で彼等の問題を精一杯に叫んでいます。それ故にメキシコの絵画はメキシコの国の誇りとなりメキシコ人すべての誇りとなっているのだと思いました。私はメキシコの作家達が大きなビルの外側の巨大な壁面に思い切り腕をふるって壁画を描いていることを心からうらやましく思います。国と国民の生活と作家がこんなに密接につながっている国を素晴しいと思いました。日本の現代絵画は日本の国や日本の多くの人々とは何の関係もないところで描かれているということが、私には間違ったことに思えるのです。
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メキシコの絵画は彼等の言葉で何を叫んでいますか。
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メキシコの絵画は彼等の言葉で彼等の問題を精一杯に叫んでいます。
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国語
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ハドソン河の河幅がひろがり、むかしオランダ人の航海者がタッパン・ジーと名づけていたところでは、彼らは用心していつでも帆をちぢめ、航海者の守り、聖ニコラスに加護をねがいながら、横断したものだ。そこの東側の岸にくいこんでいる広い入江の奥に、小さな市場か田舎の港といったような町があり、ある人たちはグリーンズバラと呼んでいるが、本来はタリー・タウン(ぶらつき町)という名が正しく、また普通にはその名で知られている。聞くところによれば、この名は、そのむかしこの近隣の女房たちがつけたもので、市場のひらかれる日に亭主連が村の居酒屋のあたりをぶらついてはなれない頑固な癖があったからだという。それはともかくとして、わたしはこの事実の真偽のほどはうけあわない。ただ一応そのことを述べて、正確と厳正を期そうというわけである。この村からさほど遠くない、おそらく二マイルほどはなれた高い丘に、小さな渓谷、というよりはむしろ窪地というべきところがあるが、そこは世の中でいちばん静かな場所である。小川が滑るように流れそのせせらぎは人を眠りにいざない、ときたま鶉が鳴いたり、啄木鳥の木を叩く音が聞えるが、あたりに漲ぎる静寂を破る響はそれくらいのものだ。
思いおこしてみると、わたしがまだ少年のころはじめて栗鼠射ちで手柄をたてたのは、この渓谷の片側に茂っている高い胡桃の木の林だった。わたしがその林のなかにはいりこんだのはちょうど午どきで、自然はことのほか静かで、わたしは自分の銃のとどろく音にもおどろいたものだ。銃声はあたりの日曜日のような静けさを破り、こだまとなって尾をひき、怒ったように鳴りひびくのだった。世の中の騒がしさから逃れ、わずらわしいことばかり多かった人生の余暇を静かに夢みながら暮すことができる隠居所をもとめるならば、この小さな渓谷にまさるところは知らない。
このあたりには、ものういような静けさがただよっているし、またその住民はむかしのオランダ移住民の子孫だが一風変った気質をもっているので、このさびしい谷は長いあいだスリーピー・ホロー(まどろみの窪)という名で知られていた。そして、そこの百姓息子は、この近在のどこへ行ってもスリーピー・ホローの若衆と呼ばれていた。眠気をさそう夢のような力がこのあたりをおおっており、大気の中にさえ立ちこめているようだった。移住のはじまったころ、ドイツのある偉い祈祷医師がこの場所に魔法をかけたのだというものもあるが、またあるものは、ヘンドリック・ハドソン船長がこの土地を発見するよりも前に、インディアンの老酋長で、種族の予言者か妖術師であった男が、ここで祈祷をおこなったのだとも言っている。たしかに、この場所にはいまだになにか魔力が利いていて、それが善良なひとびとの心に呪いをかけ、そのおかげで彼らはいつでも幻想にふけりながらうろついているのである。彼らは、ありとあらゆるふしぎな信心に夢中になり、夢幻の境に遊んだり、幻想におちいったりするし、しばしば奇怪なものを見たり、虚空に音楽や人声を聞くこともある。近隣一帯には伝説は豊富だし、幽霊のでる場所も多いし、うす暗い時刻につきものの迷信もあまたある。流星がとぶのも、隕石がひらめくのも、この谷間では国じゅうのどこよりも頻繁だし、悪夢の魔女は九人の供をひきつれて、ここで跳びはねるのが好きらしい。
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東側の岸にくいこんでいる広い入江の奥に、小さな市場か田舎の港といったような町がありますが、本来の正しい名前は何ですか。
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東側の岸にくいこんでいる広い入江の奥に、小さな市場か田舎の港といったような町の本来の正しい名前はタリー・タウン(ぶらつき町)です。
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国語
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ハドソン河の河幅がひろがり、むかしオランダ人の航海者がタッパン・ジーと名づけていたところでは、彼らは用心していつでも帆をちぢめ、航海者の守り、聖ニコラスに加護をねがいながら、横断したものだ。そこの東側の岸にくいこんでいる広い入江の奥に、小さな市場か田舎の港といったような町があり、ある人たちはグリーンズバラと呼んでいるが、本来はタリー・タウン(ぶらつき町)という名が正しく、また普通にはその名で知られている。聞くところによれば、この名は、そのむかしこの近隣の女房たちがつけたもので、市場のひらかれる日に亭主連が村の居酒屋のあたりをぶらついてはなれない頑固な癖があったからだという。それはともかくとして、わたしはこの事実の真偽のほどはうけあわない。ただ一応そのことを述べて、正確と厳正を期そうというわけである。この村からさほど遠くない、おそらく二マイルほどはなれた高い丘に、小さな渓谷、というよりはむしろ窪地というべきところがあるが、そこは世の中でいちばん静かな場所である。小川が滑るように流れそのせせらぎは人を眠りにいざない、ときたま鶉が鳴いたり、啄木鳥の木を叩く音が聞えるが、あたりに漲ぎる静寂を破る響はそれくらいのものだ。
思いおこしてみると、わたしがまだ少年のころはじめて栗鼠射ちで手柄をたてたのは、この渓谷の片側に茂っている高い胡桃の木の林だった。わたしがその林のなかにはいりこんだのはちょうど午どきで、自然はことのほか静かで、わたしは自分の銃のとどろく音にもおどろいたものだ。銃声はあたりの日曜日のような静けさを破り、こだまとなって尾をひき、怒ったように鳴りひびくのだった。世の中の騒がしさから逃れ、わずらわしいことばかり多かった人生の余暇を静かに夢みながら暮すことができる隠居所をもとめるならば、この小さな渓谷にまさるところは知らない。
このあたりには、ものういような静けさがただよっているし、またその住民はむかしのオランダ移住民の子孫だが一風変った気質をもっているので、このさびしい谷は長いあいだスリーピー・ホロー(まどろみの窪)という名で知られていた。そして、そこの百姓息子は、この近在のどこへ行ってもスリーピー・ホローの若衆と呼ばれていた。眠気をさそう夢のような力がこのあたりをおおっており、大気の中にさえ立ちこめているようだった。移住のはじまったころ、ドイツのある偉い祈祷医師がこの場所に魔法をかけたのだというものもあるが、またあるものは、ヘンドリック・ハドソン船長がこの土地を発見するよりも前に、インディアンの老酋長で、種族の予言者か妖術師であった男が、ここで祈祷をおこなったのだとも言っている。たしかに、この場所にはいまだになにか魔力が利いていて、それが善良なひとびとの心に呪いをかけ、そのおかげで彼らはいつでも幻想にふけりながらうろついているのである。彼らは、ありとあらゆるふしぎな信心に夢中になり、夢幻の境に遊んだり、幻想におちいったりするし、しばしば奇怪なものを見たり、虚空に音楽や人声を聞くこともある。近隣一帯には伝説は豊富だし、幽霊のでる場所も多いし、うす暗い時刻につきものの迷信もあまたある。流星がとぶのも、隕石がひらめくのも、この谷間では国じゅうのどこよりも頻繁だし、悪夢の魔女は九人の供をひきつれて、ここで跳びはねるのが好きらしい。
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タリー・タウンという名前は、そのむかし近隣の誰がつけたものですか。
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タリー・タウンという名前は、そのむかしこの近隣の女房たちがつけたものです。
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国語
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ハドソン河の河幅がひろがり、むかしオランダ人の航海者がタッパン・ジーと名づけていたところでは、彼らは用心していつでも帆をちぢめ、航海者の守り、聖ニコラスに加護をねがいながら、横断したものだ。そこの東側の岸にくいこんでいる広い入江の奥に、小さな市場か田舎の港といったような町があり、ある人たちはグリーンズバラと呼んでいるが、本来はタリー・タウン(ぶらつき町)という名が正しく、また普通にはその名で知られている。聞くところによれば、この名は、そのむかしこの近隣の女房たちがつけたもので、市場のひらかれる日に亭主連が村の居酒屋のあたりをぶらついてはなれない頑固な癖があったからだという。それはともかくとして、わたしはこの事実の真偽のほどはうけあわない。ただ一応そのことを述べて、正確と厳正を期そうというわけである。この村からさほど遠くない、おそらく二マイルほどはなれた高い丘に、小さな渓谷、というよりはむしろ窪地というべきところがあるが、そこは世の中でいちばん静かな場所である。小川が滑るように流れそのせせらぎは人を眠りにいざない、ときたま鶉が鳴いたり、啄木鳥の木を叩く音が聞えるが、あたりに漲ぎる静寂を破る響はそれくらいのものだ。
思いおこしてみると、わたしがまだ少年のころはじめて栗鼠射ちで手柄をたてたのは、この渓谷の片側に茂っている高い胡桃の木の林だった。わたしがその林のなかにはいりこんだのはちょうど午どきで、自然はことのほか静かで、わたしは自分の銃のとどろく音にもおどろいたものだ。銃声はあたりの日曜日のような静けさを破り、こだまとなって尾をひき、怒ったように鳴りひびくのだった。世の中の騒がしさから逃れ、わずらわしいことばかり多かった人生の余暇を静かに夢みながら暮すことができる隠居所をもとめるならば、この小さな渓谷にまさるところは知らない。
このあたりには、ものういような静けさがただよっているし、またその住民はむかしのオランダ移住民の子孫だが一風変った気質をもっているので、このさびしい谷は長いあいだスリーピー・ホロー(まどろみの窪)という名で知られていた。そして、そこの百姓息子は、この近在のどこへ行ってもスリーピー・ホローの若衆と呼ばれていた。眠気をさそう夢のような力がこのあたりをおおっており、大気の中にさえ立ちこめているようだった。移住のはじまったころ、ドイツのある偉い祈祷医師がこの場所に魔法をかけたのだというものもあるが、またあるものは、ヘンドリック・ハドソン船長がこの土地を発見するよりも前に、インディアンの老酋長で、種族の予言者か妖術師であった男が、ここで祈祷をおこなったのだとも言っている。たしかに、この場所にはいまだになにか魔力が利いていて、それが善良なひとびとの心に呪いをかけ、そのおかげで彼らはいつでも幻想にふけりながらうろついているのである。彼らは、ありとあらゆるふしぎな信心に夢中になり、夢幻の境に遊んだり、幻想におちいったりするし、しばしば奇怪なものを見たり、虚空に音楽や人声を聞くこともある。近隣一帯には伝説は豊富だし、幽霊のでる場所も多いし、うす暗い時刻につきものの迷信もあまたある。流星がとぶのも、隕石がひらめくのも、この谷間では国じゅうのどこよりも頻繁だし、悪夢の魔女は九人の供をひきつれて、ここで跳びはねるのが好きらしい。
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わたしがまだ少年のころはじめて栗鼠射ちで手柄をたてたのは、何の木の林でしたか。
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わたしがまだ少年のころはじめて栗鼠射ちで手柄をたてたのは、胡桃の木の林でした。
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国語
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ハドソン河の河幅がひろがり、むかしオランダ人の航海者がタッパン・ジーと名づけていたところでは、彼らは用心していつでも帆をちぢめ、航海者の守り、聖ニコラスに加護をねがいながら、横断したものだ。そこの東側の岸にくいこんでいる広い入江の奥に、小さな市場か田舎の港といったような町があり、ある人たちはグリーンズバラと呼んでいるが、本来はタリー・タウン(ぶらつき町)という名が正しく、また普通にはその名で知られている。聞くところによれば、この名は、そのむかしこの近隣の女房たちがつけたもので、市場のひらかれる日に亭主連が村の居酒屋のあたりをぶらついてはなれない頑固な癖があったからだという。それはともかくとして、わたしはこの事実の真偽のほどはうけあわない。ただ一応そのことを述べて、正確と厳正を期そうというわけである。この村からさほど遠くない、おそらく二マイルほどはなれた高い丘に、小さな渓谷、というよりはむしろ窪地というべきところがあるが、そこは世の中でいちばん静かな場所である。小川が滑るように流れそのせせらぎは人を眠りにいざない、ときたま鶉が鳴いたり、啄木鳥の木を叩く音が聞えるが、あたりに漲ぎる静寂を破る響はそれくらいのものだ。
思いおこしてみると、わたしがまだ少年のころはじめて栗鼠射ちで手柄をたてたのは、この渓谷の片側に茂っている高い胡桃の木の林だった。わたしがその林のなかにはいりこんだのはちょうど午どきで、自然はことのほか静かで、わたしは自分の銃のとどろく音にもおどろいたものだ。銃声はあたりの日曜日のような静けさを破り、こだまとなって尾をひき、怒ったように鳴りひびくのだった。世の中の騒がしさから逃れ、わずらわしいことばかり多かった人生の余暇を静かに夢みながら暮すことができる隠居所をもとめるならば、この小さな渓谷にまさるところは知らない。
このあたりには、ものういような静けさがただよっているし、またその住民はむかしのオランダ移住民の子孫だが一風変った気質をもっているので、このさびしい谷は長いあいだスリーピー・ホロー(まどろみの窪)という名で知られていた。そして、そこの百姓息子は、この近在のどこへ行ってもスリーピー・ホローの若衆と呼ばれていた。眠気をさそう夢のような力がこのあたりをおおっており、大気の中にさえ立ちこめているようだった。移住のはじまったころ、ドイツのある偉い祈祷医師がこの場所に魔法をかけたのだというものもあるが、またあるものは、ヘンドリック・ハドソン船長がこの土地を発見するよりも前に、インディアンの老酋長で、種族の予言者か妖術師であった男が、ここで祈祷をおこなったのだとも言っている。たしかに、この場所にはいまだになにか魔力が利いていて、それが善良なひとびとの心に呪いをかけ、そのおかげで彼らはいつでも幻想にふけりながらうろついているのである。彼らは、ありとあらゆるふしぎな信心に夢中になり、夢幻の境に遊んだり、幻想におちいったりするし、しばしば奇怪なものを見たり、虚空に音楽や人声を聞くこともある。近隣一帯には伝説は豊富だし、幽霊のでる場所も多いし、うす暗い時刻につきものの迷信もあまたある。流星がとぶのも、隕石がひらめくのも、この谷間では国じゅうのどこよりも頻繁だし、悪夢の魔女は九人の供をひきつれて、ここで跳びはねるのが好きらしい。
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小さな渓谷は何という名前で知られていましたか。
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小さな渓谷はスリーピー・ホロー(まどろみの窪)という名で知られていました。
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JCRRAG_001097
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国語
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毎週一回晩にあつまって彼の讃美歌の指導をうけていた音楽の弟子たちのなかに、カトリーナ・ヴァン・タッセルという、オランダ人の金持ち農夫の一人娘がいた。彼女は花はずかしい十八歳の乙女だった。しゃこのように丸々と肥って、熟して柔らかで赤い頬は、まるで彼女の父のつくった桃にも似ていた。そして、彼女の評判はひろく知られていたが、それは単に美貌のためだけでなく、巨万の遺産をうけつぐことになっていたためでもある。しかも、彼女は着ているものを見ればわかるように、いささか仇っぽいところもあった。彼女の服は昔風なところに最新流行をまじえたもので、それがまことに彼女の魅力をしたたるばかりにしていた。彼女は、祖母の祖母がオランダのザールダムから持ってきた純金の装身具をつけ、昔の粋な胸かざりをつけ、さらに男性の胸をときめかすような短いスカートをはき、この界隈きっての綺麗な足とくるぶしを見せつけたものである。
イカバッド・クレーンは女性に対してもろく、甘かったから、それほど男の心を誘うような女はたちまち彼の気に入り、特に彼が彼女の両親の邸を訪ねてからそれが強くなったことにふしぎはあるまい。ボールタス・ヴァン・タッセル老人は、裕福な、何ひとつ不足のない、心の大まかな農夫の見ごとな標本だった。じっさい、彼は自分の農場の境界よりそとのことには目をくれようともしなければ、考えて見ようともしなかった。が、その農場では、一切がきちんとして、心地よく整っていた。彼は自分が金持ちであることに満足してはいたが、それを自慢したりしなかった。心ゆくばかりのゆたかさを誇ったが、自分の生活ぶりを得意になって見せたわけではない。彼の本拠はハドソン河の岸のオランダの百姓がたいへん好んで住むような緑濃い、奥まった、地味の肥沃なところにあった。エルムの巨木がその邸の上にひろびろと枝をひろげ、その根かたには泉があって、甘い柔かい水がごぼごぼと湧きだして、小さな樽形の井戸からあふれ、きらきら光りながら草地のなかを通って、近くの小川に注いでいた。その小川は、はんの木や小さな柳のあいだをさらさらと流れている。母屋のすぐそばに大きな納屋があり、教会にしてもよいくらいだった。どの窓からも、どの割れ目からも、農場でとれた宝物がこぼれ出そうだった。そのなかでは朝から晩までから竿の音がいそがしく鳴りひびき、つばめや岩つばめが軒端をかすめて飛び、さえずり、屋根の上には鳩がいく列もならんで、片目をあげて天気を見ているような形をしたり、頭を翼のなかにかくしたり、胸にうずめたりあるいは、恋人のそばで、からだをふくらましたり、くうくう鳴いたり、お辞儀をしたりして、日光を浴びてたのしんでいた。つやつやした、まるまる肥った食用豚は、檻のなかでのんびりと、ほしいままに餌を食べながら、ぶうぶういっていた。ときおり、まだ乳ばなれしない小豚の群が飛びだしてきたが、大気の匂いを嗅ぐためのように見えた。雪のように白い鵞鳥は堂々たる艦隊をなして、近くの池で遊弋し、家鴨の船隊をまもっていた。七面鳥の連隊は庭で鳴きあるき、ほろほろ鳥は、その鳴き声にぷりぷりして、不機嫌な女房連のように気むずかしげに不満の叫びをあげていた。納屋の入口の前では、勇ましい雄鶏が気取って歩き、あっぱれな亭主か、勇士か、紳士のようだった。ぴかぴかした翼をはたき、心から嬉しく得意になって、鬨をつくり、ときどき地面を足で引っかき、それから、いつでも空腹をかかえている女房や子供たちを呼んで、自分が見つけた見ごとな餌をご馳走してやるのだった。
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音楽の弟子たちのなかにいた、カトリーナ・タッセルという金持ち農夫の一人娘は、なに人でしたか。
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音楽の弟子たちのなかにいた、カトリーナ・タッセルという金持ち農夫の一人娘は、オランダ人でした。
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JCRRAG_001098
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国語
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毎週一回晩にあつまって彼の讃美歌の指導をうけていた音楽の弟子たちのなかに、カトリーナ・ヴァン・タッセルという、オランダ人の金持ち農夫の一人娘がいた。彼女は花はずかしい十八歳の乙女だった。しゃこのように丸々と肥って、熟して柔らかで赤い頬は、まるで彼女の父のつくった桃にも似ていた。そして、彼女の評判はひろく知られていたが、それは単に美貌のためだけでなく、巨万の遺産をうけつぐことになっていたためでもある。しかも、彼女は着ているものを見ればわかるように、いささか仇っぽいところもあった。彼女の服は昔風なところに最新流行をまじえたもので、それがまことに彼女の魅力をしたたるばかりにしていた。彼女は、祖母の祖母がオランダのザールダムから持ってきた純金の装身具をつけ、昔の粋な胸かざりをつけ、さらに男性の胸をときめかすような短いスカートをはき、この界隈きっての綺麗な足とくるぶしを見せつけたものである。
イカバッド・クレーンは女性に対してもろく、甘かったから、それほど男の心を誘うような女はたちまち彼の気に入り、特に彼が彼女の両親の邸を訪ねてからそれが強くなったことにふしぎはあるまい。ボールタス・ヴァン・タッセル老人は、裕福な、何ひとつ不足のない、心の大まかな農夫の見ごとな標本だった。じっさい、彼は自分の農場の境界よりそとのことには目をくれようともしなければ、考えて見ようともしなかった。が、その農場では、一切がきちんとして、心地よく整っていた。彼は自分が金持ちであることに満足してはいたが、それを自慢したりしなかった。心ゆくばかりのゆたかさを誇ったが、自分の生活ぶりを得意になって見せたわけではない。彼の本拠はハドソン河の岸のオランダの百姓がたいへん好んで住むような緑濃い、奥まった、地味の肥沃なところにあった。エルムの巨木がその邸の上にひろびろと枝をひろげ、その根かたには泉があって、甘い柔かい水がごぼごぼと湧きだして、小さな樽形の井戸からあふれ、きらきら光りながら草地のなかを通って、近くの小川に注いでいた。その小川は、はんの木や小さな柳のあいだをさらさらと流れている。母屋のすぐそばに大きな納屋があり、教会にしてもよいくらいだった。どの窓からも、どの割れ目からも、農場でとれた宝物がこぼれ出そうだった。そのなかでは朝から晩までから竿の音がいそがしく鳴りひびき、つばめや岩つばめが軒端をかすめて飛び、さえずり、屋根の上には鳩がいく列もならんで、片目をあげて天気を見ているような形をしたり、頭を翼のなかにかくしたり、胸にうずめたりあるいは、恋人のそばで、からだをふくらましたり、くうくう鳴いたり、お辞儀をしたりして、日光を浴びてたのしんでいた。つやつやした、まるまる肥った食用豚は、檻のなかでのんびりと、ほしいままに餌を食べながら、ぶうぶういっていた。ときおり、まだ乳ばなれしない小豚の群が飛びだしてきたが、大気の匂いを嗅ぐためのように見えた。雪のように白い鵞鳥は堂々たる艦隊をなして、近くの池で遊弋し、家鴨の船隊をまもっていた。七面鳥の連隊は庭で鳴きあるき、ほろほろ鳥は、その鳴き声にぷりぷりして、不機嫌な女房連のように気むずかしげに不満の叫びをあげていた。納屋の入口の前では、勇ましい雄鶏が気取って歩き、あっぱれな亭主か、勇士か、紳士のようだった。ぴかぴかした翼をはたき、心から嬉しく得意になって、鬨をつくり、ときどき地面を足で引っかき、それから、いつでも空腹をかかえている女房や子供たちを呼んで、自分が見つけた見ごとな餌をご馳走してやるのだった。
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カトリーナ・ヴァン・タッセルは何歳でしたか。
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カトリーナ・ヴァン・タッセルは十八歳でした。
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国語
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毎週一回晩にあつまって彼の讃美歌の指導をうけていた音楽の弟子たちのなかに、カトリーナ・ヴァン・タッセルという、オランダ人の金持ち農夫の一人娘がいた。彼女は花はずかしい十八歳の乙女だった。しゃこのように丸々と肥って、熟して柔らかで赤い頬は、まるで彼女の父のつくった桃にも似ていた。そして、彼女の評判はひろく知られていたが、それは単に美貌のためだけでなく、巨万の遺産をうけつぐことになっていたためでもある。しかも、彼女は着ているものを見ればわかるように、いささか仇っぽいところもあった。彼女の服は昔風なところに最新流行をまじえたもので、それがまことに彼女の魅力をしたたるばかりにしていた。彼女は、祖母の祖母がオランダのザールダムから持ってきた純金の装身具をつけ、昔の粋な胸かざりをつけ、さらに男性の胸をときめかすような短いスカートをはき、この界隈きっての綺麗な足とくるぶしを見せつけたものである。
イカバッド・クレーンは女性に対してもろく、甘かったから、それほど男の心を誘うような女はたちまち彼の気に入り、特に彼が彼女の両親の邸を訪ねてからそれが強くなったことにふしぎはあるまい。ボールタス・ヴァン・タッセル老人は、裕福な、何ひとつ不足のない、心の大まかな農夫の見ごとな標本だった。じっさい、彼は自分の農場の境界よりそとのことには目をくれようともしなければ、考えて見ようともしなかった。が、その農場では、一切がきちんとして、心地よく整っていた。彼は自分が金持ちであることに満足してはいたが、それを自慢したりしなかった。心ゆくばかりのゆたかさを誇ったが、自分の生活ぶりを得意になって見せたわけではない。彼の本拠はハドソン河の岸のオランダの百姓がたいへん好んで住むような緑濃い、奥まった、地味の肥沃なところにあった。エルムの巨木がその邸の上にひろびろと枝をひろげ、その根かたには泉があって、甘い柔かい水がごぼごぼと湧きだして、小さな樽形の井戸からあふれ、きらきら光りながら草地のなかを通って、近くの小川に注いでいた。その小川は、はんの木や小さな柳のあいだをさらさらと流れている。母屋のすぐそばに大きな納屋があり、教会にしてもよいくらいだった。どの窓からも、どの割れ目からも、農場でとれた宝物がこぼれ出そうだった。そのなかでは朝から晩までから竿の音がいそがしく鳴りひびき、つばめや岩つばめが軒端をかすめて飛び、さえずり、屋根の上には鳩がいく列もならんで、片目をあげて天気を見ているような形をしたり、頭を翼のなかにかくしたり、胸にうずめたりあるいは、恋人のそばで、からだをふくらましたり、くうくう鳴いたり、お辞儀をしたりして、日光を浴びてたのしんでいた。つやつやした、まるまる肥った食用豚は、檻のなかでのんびりと、ほしいままに餌を食べながら、ぶうぶういっていた。ときおり、まだ乳ばなれしない小豚の群が飛びだしてきたが、大気の匂いを嗅ぐためのように見えた。雪のように白い鵞鳥は堂々たる艦隊をなして、近くの池で遊弋し、家鴨の船隊をまもっていた。七面鳥の連隊は庭で鳴きあるき、ほろほろ鳥は、その鳴き声にぷりぷりして、不機嫌な女房連のように気むずかしげに不満の叫びをあげていた。納屋の入口の前では、勇ましい雄鶏が気取って歩き、あっぱれな亭主か、勇士か、紳士のようだった。ぴかぴかした翼をはたき、心から嬉しく得意になって、鬨をつくり、ときどき地面を足で引っかき、それから、いつでも空腹をかかえている女房や子供たちを呼んで、自分が見つけた見ごとな餌をご馳走してやるのだった。
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カトリーナ・ヴァン・タッセルの頬は何に似ていましたか。
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カトリーナ・ヴァン・タッセルの頬は彼女の父のつくった桃に似ていました。
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国語
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毎週一回晩にあつまって彼の讃美歌の指導をうけていた音楽の弟子たちのなかに、カトリーナ・ヴァン・タッセルという、オランダ人の金持ち農夫の一人娘がいた。彼女は花はずかしい十八歳の乙女だった。しゃこのように丸々と肥って、熟して柔らかで赤い頬は、まるで彼女の父のつくった桃にも似ていた。そして、彼女の評判はひろく知られていたが、それは単に美貌のためだけでなく、巨万の遺産をうけつぐことになっていたためでもある。しかも、彼女は着ているものを見ればわかるように、いささか仇っぽいところもあった。彼女の服は昔風なところに最新流行をまじえたもので、それがまことに彼女の魅力をしたたるばかりにしていた。彼女は、祖母の祖母がオランダのザールダムから持ってきた純金の装身具をつけ、昔の粋な胸かざりをつけ、さらに男性の胸をときめかすような短いスカートをはき、この界隈きっての綺麗な足とくるぶしを見せつけたものである。
イカバッド・クレーンは女性に対してもろく、甘かったから、それほど男の心を誘うような女はたちまち彼の気に入り、特に彼が彼女の両親の邸を訪ねてからそれが強くなったことにふしぎはあるまい。ボールタス・ヴァン・タッセル老人は、裕福な、何ひとつ不足のない、心の大まかな農夫の見ごとな標本だった。じっさい、彼は自分の農場の境界よりそとのことには目をくれようともしなければ、考えて見ようともしなかった。が、その農場では、一切がきちんとして、心地よく整っていた。彼は自分が金持ちであることに満足してはいたが、それを自慢したりしなかった。心ゆくばかりのゆたかさを誇ったが、自分の生活ぶりを得意になって見せたわけではない。彼の本拠はハドソン河の岸のオランダの百姓がたいへん好んで住むような緑濃い、奥まった、地味の肥沃なところにあった。エルムの巨木がその邸の上にひろびろと枝をひろげ、その根かたには泉があって、甘い柔かい水がごぼごぼと湧きだして、小さな樽形の井戸からあふれ、きらきら光りながら草地のなかを通って、近くの小川に注いでいた。その小川は、はんの木や小さな柳のあいだをさらさらと流れている。母屋のすぐそばに大きな納屋があり、教会にしてもよいくらいだった。どの窓からも、どの割れ目からも、農場でとれた宝物がこぼれ出そうだった。そのなかでは朝から晩までから竿の音がいそがしく鳴りひびき、つばめや岩つばめが軒端をかすめて飛び、さえずり、屋根の上には鳩がいく列もならんで、片目をあげて天気を見ているような形をしたり、頭を翼のなかにかくしたり、胸にうずめたりあるいは、恋人のそばで、からだをふくらましたり、くうくう鳴いたり、お辞儀をしたりして、日光を浴びてたのしんでいた。つやつやした、まるまる肥った食用豚は、檻のなかでのんびりと、ほしいままに餌を食べながら、ぶうぶういっていた。ときおり、まだ乳ばなれしない小豚の群が飛びだしてきたが、大気の匂いを嗅ぐためのように見えた。雪のように白い鵞鳥は堂々たる艦隊をなして、近くの池で遊弋し、家鴨の船隊をまもっていた。七面鳥の連隊は庭で鳴きあるき、ほろほろ鳥は、その鳴き声にぷりぷりして、不機嫌な女房連のように気むずかしげに不満の叫びをあげていた。納屋の入口の前では、勇ましい雄鶏が気取って歩き、あっぱれな亭主か、勇士か、紳士のようだった。ぴかぴかした翼をはたき、心から嬉しく得意になって、鬨をつくり、ときどき地面を足で引っかき、それから、いつでも空腹をかかえている女房や子供たちを呼んで、自分が見つけた見ごとな餌をご馳走してやるのだった。
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ボールタス・ヴァン・タッセル老人はどのような人でしたか。
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ボールタス・ヴァン・タッセル老人は、裕福で何一つ不足のない、心の大きな農夫の見ごとな標本でした。彼は自分の農場の境界よりそとのことには目をくれず、考えて見ようともしなかったが、その農場では、一切がきちんとして、心地よく整っていました。彼は自分が金持ちであることに満足していましたが、それを自慢したりはしませんでした。心ゆくばかりの豊かさを誇っていましたが、自分の生活ぶりを得意になって見せることはなかった。
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