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|---|---|---|---|---|
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金融
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【金利・利息とは?年利と利息の計算方法】
金利や利息はよく耳にする言葉ですが、具体的には何を指しているのか、両者に違いはあるのか、などわからない人もいるでしょう。
「利息」とは、お金の貸し借りにおいて、借りた人が貸した人へ支払う対価(レンタル料)を指し、借りた金額に応じてさまざまな割合で支払います。
このとき、借りた金額に対してどれくらいの割合で利息(利子)が発生するのかを表すのが「金利」です。通常はパーセント(%)で表記します。
では、身近な金利にはどのようなものがあるのかみていきましょう。
お金を預けたり、投資したりする場合
お金を銀行に預けたり、債券に投資したりすると、利息がもらえます。順に解説していきます。
■銀行預金(普通預金・定期預金・外貨預金等)
銀行にお金を預けると、銀行にお金を貸すことになるため、利息を受け取ることができます。
預貯金は、一般的に金利は低めなので、受取利息は少ないですが、おろした時に元本(初めに預けた金額)が保証されているのが特徴で、安全性が高いといえます。
■債券(国債・社債等)
債券を買うと、債券を発行した団体(企業・国等)へお金を貸すことになるため、預金と同様に利息を受け取ることができます。ただし、債券は途中で売却することもできるため、売却時の時価によっては元本(初めに投資した金額)を上回ることもあれば下回ることもあります。
そのため、債券は途中で売却すると利益を得たり損失を被ったりする可能性がありますが、満期(償還日)まで持っていれば、元本が戻ってきます。
一方、お金を借りると利息を支払う立場になります。
■各種ローン(住宅・カード・教育・マイカー等)
銀行などでローンを組むことは、お金を借り入れるということです。借入の目的によって、住宅ローン、カードローン、教育ローン、マイカーローン、等さまざまなローンがあり、それぞれ金利も異なります。
ローンは借入金額や金利に応じた利息を支払い、借入金額や金利が低いほど支払い利息は少なくてすみ、高くなるほど支払い利息はふえていきます。
【金利を決めているのは誰?】
シミュレーションで金利について実感していただいたところで、そもそも私たちがお金をためる時や借りる時の金利は、誰が決めているのかご存知でしょうか。実は、それぞれの金融機関が日本銀行(日銀)の金融政策に基づいて金利を決めています。
・日銀の金融政策とは
2023年春、10年ぶりに日本銀行(日銀)総裁が交代したというニュースを聞いた人も多いと思いますが、そもそも日銀とは何をしているのでしょうか。
日銀は、日本の中央銀行として、明治15年6月に制定された日本銀行条例に基づき、同年10月10日(火)に業務を開始しました。日本銀行の初代総裁は、12才で漢文を読みこなすなど若くして俊才の名を轟かせたと言われる吉原重俊です。日本銀行の目的は、銀行法で「我が国の中央銀行として、銀行券を発行するとともに、通貨及び金融の調節を行うこと」および「銀行その他の金融機関の間で行われる資金決済の円滑の確保を図り、もって信用秩序の維持に資すること」と規定されている通り、日本経済の健全な発展です。
また、日本銀行が通貨及び金融の調節を行うに当たっての理念として、「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」を掲げています。
日本銀行の資本金は1億円と日本銀行法により定められています。
日銀は、景気動向に応じて金融政策を実施することで、金融市場に出回るお金の量を調節しています。
金融政策には、「金融引き締め」と「金融緩和」の2通りがあります。
金融引き締めとは
金融引き締めとは、好況の場合に日銀が金利を上げて市場に出回るお金を減らすことです。その目的は、物価を安定させ、景気の過熱を抑制することです。
つまり、市場金利が上昇すると、金融機関は以前より高い金利で資金を調達しなければならず、企業や個人への貸し出す金利を引き上げるようになります。
企業や個人は、金利が上がり資金を借りにくくなるので、経済活動が抑制されるようになり、景気の過熱が抑えられることにつながります。これに伴い、物価を押し下げる圧力が働くようになることが期待されます。
・金融緩和とは
金融緩和とは金融引き締めとは逆に、不況の際に日銀は金利を下げて、市場に出回るお金をふやすことです。その目的は、物価の上昇や景気の好転です。
つまり、市場金利が下がると、金融機関は低金利で資金を調達できるので、企業や個人への貸出においても、金利を引き下げることができるようになります。
金融市場は互いに連動しているので、金融機関の貸出金利だけでなく、企業が社債発行などによって市場から直接資金調達をする際の金利も低下します。
企業は運転資金や設備資金を調達しやすくなり、個人は住宅購入のためのローンなどを借りやすくなります。経済活動がより活発になり、それが景気を上向かせる方向に作用します。これに伴い、物価を押し上げる圧力が働くことが期待されます。
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2023年春、10年ぶりに総裁が交代した組織の目的は、どのようなものですか?
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2023年春、10年ぶりに総裁が交代した組織の目的は、銀行法で「我が国の中央銀行として、銀行券を発行するとともに、通貨及び金融の調節を行うこと」および「銀行その他の金融機関の間で行われる資金決済の円滑の確保を図り、もって信用秩序の維持に資すること」と規定されている通り、日本経済の健全な発展です。
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JCRRAG_003302
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金融
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【金利・利息とは?年利と利息の計算方法】
金利や利息はよく耳にする言葉ですが、具体的には何を指しているのか、両者に違いはあるのか、などわからない人もいるでしょう。
「利息」とは、お金の貸し借りにおいて、借りた人が貸した人へ支払う対価(レンタル料)を指し、借りた金額に応じてさまざまな割合で支払います。
このとき、借りた金額に対してどれくらいの割合で利息(利子)が発生するのかを表すのが「金利」です。通常はパーセント(%)で表記します。
では、身近な金利にはどのようなものがあるのかみていきましょう。
お金を預けたり、投資したりする場合
お金を銀行に預けたり、債券に投資したりすると、利息がもらえます。順に解説していきます。
■銀行預金(普通預金・定期預金・外貨預金等)
銀行にお金を預けると、銀行にお金を貸すことになるため、利息を受け取ることができます。
預貯金は、一般的に金利は低めなので、受取利息は少ないですが、おろした時に元本(初めに預けた金額)が保証されているのが特徴で、安全性が高いといえます。
■債券(国債・社債等)
債券を買うと、債券を発行した団体(企業・国等)へお金を貸すことになるため、預金と同様に利息を受け取ることができます。ただし、債券は途中で売却することもできるため、売却時の時価によっては元本(初めに投資した金額)を上回ることもあれば下回ることもあります。
そのため、債券は途中で売却すると利益を得たり損失を被ったりする可能性がありますが、満期(償還日)まで持っていれば、元本が戻ってきます。
一方、お金を借りると利息を支払う立場になります。
■各種ローン(住宅・カード・教育・マイカー等)
銀行などでローンを組むことは、お金を借り入れるということです。借入の目的によって、住宅ローン、カードローン、教育ローン、マイカーローン、等さまざまなローンがあり、それぞれ金利も異なります。
ローンは借入金額や金利に応じた利息を支払い、借入金額や金利が低いほど支払い利息は少なくてすみ、高くなるほど支払い利息はふえていきます。
【金利を決めているのは誰?】
シミュレーションで金利について実感していただいたところで、そもそも私たちがお金をためる時や借りる時の金利は、誰が決めているのかご存知でしょうか。実は、それぞれの金融機関が日本銀行(日銀)の金融政策に基づいて金利を決めています。
・日銀の金融政策とは
2023年春、10年ぶりに日本銀行(日銀)総裁が交代したというニュースを聞いた人も多いと思いますが、そもそも日銀とは何をしているのでしょうか。
日銀は、日本の中央銀行として、明治15年6月に制定された日本銀行条例に基づき、同年10月10日(火)に業務を開始しました。日本銀行の初代総裁は、12才で漢文を読みこなすなど若くして俊才の名を轟かせたと言われる吉原重俊です。日本銀行の目的は、銀行法で「我が国の中央銀行として、銀行券を発行するとともに、通貨及び金融の調節を行うこと」および「銀行その他の金融機関の間で行われる資金決済の円滑の確保を図り、もって信用秩序の維持に資すること」と規定されている通り、日本経済の健全な発展です。
また、日本銀行が通貨及び金融の調節を行うに当たっての理念として、「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」を掲げています。
日本銀行の資本金は1億円と日本銀行法により定められています。
日銀は、景気動向に応じて金融政策を実施することで、金融市場に出回るお金の量を調節しています。
金融政策には、「金融引き締め」と「金融緩和」の2通りがあります。
金融引き締めとは
金融引き締めとは、好況の場合に日銀が金利を上げて市場に出回るお金を減らすことです。その目的は、物価を安定させ、景気の過熱を抑制することです。
つまり、市場金利が上昇すると、金融機関は以前より高い金利で資金を調達しなければならず、企業や個人への貸し出す金利を引き上げるようになります。
企業や個人は、金利が上がり資金を借りにくくなるので、経済活動が抑制されるようになり、景気の過熱が抑えられることにつながります。これに伴い、物価を押し下げる圧力が働くようになることが期待されます。
・金融緩和とは
金融緩和とは金融引き締めとは逆に、不況の際に日銀は金利を下げて、市場に出回るお金をふやすことです。その目的は、物価の上昇や景気の好転です。
つまり、市場金利が下がると、金融機関は低金利で資金を調達できるので、企業や個人への貸出においても、金利を引き下げることができるようになります。
金融市場は互いに連動しているので、金融機関の貸出金利だけでなく、企業が社債発行などによって市場から直接資金調達をする際の金利も低下します。
企業は運転資金や設備資金を調達しやすくなり、個人は住宅購入のためのローンなどを借りやすくなります。経済活動がより活発になり、それが景気を上向かせる方向に作用します。これに伴い、物価を押し上げる圧力が働くことが期待されます。
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2023年春、10年ぶりに総裁が交代した銀行が業務を開始したのはいつですか?
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2023年春、10年ぶりに総裁が交代した銀行が業務を開始したのは明治15年10月10日(火)です。
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金融
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【金利・利息とは?年利と利息の計算方法】
金利や利息はよく耳にする言葉ですが、具体的には何を指しているのか、両者に違いはあるのか、などわからない人もいるでしょう。
「利息」とは、お金の貸し借りにおいて、借りた人が貸した人へ支払う対価(レンタル料)を指し、借りた金額に応じてさまざまな割合で支払います。
このとき、借りた金額に対してどれくらいの割合で利息(利子)が発生するのかを表すのが「金利」です。通常はパーセント(%)で表記します。
では、身近な金利にはどのようなものがあるのかみていきましょう。
お金を預けたり、投資したりする場合
お金を銀行に預けたり、債券に投資したりすると、利息がもらえます。順に解説していきます。
■銀行預金(普通預金・定期預金・外貨預金等)
銀行にお金を預けると、銀行にお金を貸すことになるため、利息を受け取ることができます。
預貯金は、一般的に金利は低めなので、受取利息は少ないですが、おろした時に元本(初めに預けた金額)が保証されているのが特徴で、安全性が高いといえます。
■債券(国債・社債等)
債券を買うと、債券を発行した団体(企業・国等)へお金を貸すことになるため、預金と同様に利息を受け取ることができます。ただし、債券は途中で売却することもできるため、売却時の時価によっては元本(初めに投資した金額)を上回ることもあれば下回ることもあります。
そのため、債券は途中で売却すると利益を得たり損失を被ったりする可能性がありますが、満期(償還日)まで持っていれば、元本が戻ってきます。
一方、お金を借りると利息を支払う立場になります。
■各種ローン(住宅・カード・教育・マイカー等)
銀行などでローンを組むことは、お金を借り入れるということです。借入の目的によって、住宅ローン、カードローン、教育ローン、マイカーローン、等さまざまなローンがあり、それぞれ金利も異なります。
ローンは借入金額や金利に応じた利息を支払い、借入金額や金利が低いほど支払い利息は少なくてすみ、高くなるほど支払い利息はふえていきます。
【金利を決めているのは誰?】
シミュレーションで金利について実感していただいたところで、そもそも私たちがお金をためる時や借りる時の金利は、誰が決めているのかご存知でしょうか。実は、それぞれの金融機関が日本銀行(日銀)の金融政策に基づいて金利を決めています。
・日銀の金融政策とは
2023年春、10年ぶりに日本銀行(日銀)総裁が交代したというニュースを聞いた人も多いと思いますが、そもそも日銀とは何をしているのでしょうか。
日銀は、日本の中央銀行として、明治15年6月に制定された日本銀行条例に基づき、同年10月10日(火)に業務を開始しました。日本銀行の初代総裁は、12才で漢文を読みこなすなど若くして俊才の名を轟かせたと言われる吉原重俊です。日本銀行の目的は、銀行法で「我が国の中央銀行として、銀行券を発行するとともに、通貨及び金融の調節を行うこと」および「銀行その他の金融機関の間で行われる資金決済の円滑の確保を図り、もって信用秩序の維持に資すること」と規定されている通り、日本経済の健全な発展です。
また、日本銀行が通貨及び金融の調節を行うに当たっての理念として、「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」を掲げています。
日本銀行の資本金は1億円と日本銀行法により定められています。
日銀は、景気動向に応じて金融政策を実施することで、金融市場に出回るお金の量を調節しています。
金融政策には、「金融引き締め」と「金融緩和」の2通りがあります。
金融引き締めとは
金融引き締めとは、好況の場合に日銀が金利を上げて市場に出回るお金を減らすことです。その目的は、物価を安定させ、景気の過熱を抑制することです。
つまり、市場金利が上昇すると、金融機関は以前より高い金利で資金を調達しなければならず、企業や個人への貸し出す金利を引き上げるようになります。
企業や個人は、金利が上がり資金を借りにくくなるので、経済活動が抑制されるようになり、景気の過熱が抑えられることにつながります。これに伴い、物価を押し下げる圧力が働くようになることが期待されます。
・金融緩和とは
金融緩和とは金融引き締めとは逆に、不況の際に日銀は金利を下げて、市場に出回るお金をふやすことです。その目的は、物価の上昇や景気の好転です。
つまり、市場金利が下がると、金融機関は低金利で資金を調達できるので、企業や個人への貸出においても、金利を引き下げることができるようになります。
金融市場は互いに連動しているので、金融機関の貸出金利だけでなく、企業が社債発行などによって市場から直接資金調達をする際の金利も低下します。
企業は運転資金や設備資金を調達しやすくなり、個人は住宅購入のためのローンなどを借りやすくなります。経済活動がより活発になり、それが景気を上向かせる方向に作用します。これに伴い、物価を押し上げる圧力が働くことが期待されます。
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不況の際に金利を下げて、市場に出回るお金をふやす銀行は、いつ10年ぶりに総裁が交代しましたか?
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不況の際に金利を下げて、市場に出回るお金をふやす銀行は、2023年春に10年ぶりに総裁が交代しました。
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JCRRAG_003304
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金融
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【新日本海銀行:定期積金のご案内】
将来の目的のためにコツコツお金を貯めることを応援する「定期積金」
毎月、決まった金額をお積み立ていただく商品です。
将来の目的にあわせて、お金を貯めるのに適しています。
~商品概要~
・ご利用いただける方
個人および法人のお客さま
・ご契約期間
1年、2年
・その他
払込みが遅延した場合には、満期日を遅延期間に相当する期間繰延べます。または当初契約時の店頭表示の利回り(年365日の日数計算)に準じて遅延利息をいただきます。
先掛けの場合には先掛割引料をお支払いします。
満期日前に解約する場合は、解約日における普通預金利率により計算した利息とともにお支払いいたします。
個人のお客さまは2013年1月1日以降、復興特別所得税が課され、利息は20.315%(国税15.315%、地方税5%)の源泉分離課税が適用されます。
法人のお客さまは総合課税が適用されます。
非課税法人の場合は非課税扱いとなります。
本預金は預金保険の対象です。
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新日本海銀行の「定期積金」で契約期間を1年にせずに口座開設したAさんの契約期間は、何年ですか?
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新日本海銀行の「定期積金」で契約期間を1年にせずに口座開設したAさんの契約期間は、2年です。
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JCRRAG_003305
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国語
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【赤毛連盟 アーサー・コナン・ドイル Arthur Conan Doyle】
友人シャーロック・ホームズを、昨年の秋、とある日に訪ねたことがあった。すると、ホームズは初老の紳士と話し込んでいた。でっぷりとし、赤ら顔の紳士で、頭髪が燃えるように赤かったのを覚えている。私は仕事の邪魔をしたと思い、詫びを入れてお暇しようとした。だがホームズは不意に私を部屋に引きずり込み、私の背後にある扉を閉めたのである。
「いや、実にいい頃合いだ、ワトソンくん。」ホームズの声は、親しみに満ちていた。
「おや、もしかして仕事中だったかな。」
「その通り。真っ最中だ。」
「では、私は奥で待つとするか。」
「まあ待ちたまえ。この紳士は、ウィルソンさん、長年、僕のパートナーでして。僕はこれまで数々の事件を見事解決してきましたが、その時にはいつも、彼が助手を務めています。あなたの場合にも、彼が大いに役に立つことは間違いありません。」
でっぷりとした初老の紳士は軽く腰を上げただけで、申し訳程度の会釈をしつつも、脂肪のたるみに囲まれた小さな目で、私を疑わしげに見るのであった。
「さあ、かけたまえ。」とホームズはソファをすすめた。自らも肘掛椅子に戻ると、両手の指先をつきあわせた。両手の指先をつきあわせることはホームズの癖であった。「さよう、ワトソンくん。君は僕の好みに同じく、突拍子もないこと、退屈で決まり切った日々の生活の埒外にあるものが好きだ。君の熱心さを見ればわかる。逐一、記録をつけるほどだからね。だが言わせてもらえば、僕のささやかな冒険の大半に、色をつけている。」
「思えば、君の事件は面白いものばかりだった。」と私は述べる。
「いつぞやの発言、覚えているね? メアリ・サザランド嬢が持ってきたごく簡単な事件に赴く前のことだ――不思議な事件や、偶然の一致。我々がそれを求めるなら、我々は現実の中を探しにゆかねばならぬ。現実というのは、どんな想像力をも凌駕するのだから。」
「私からも遠慮なく文句を差し挟んだはずだがね。」
「ふん、でも博士、最後には僕の意見に賛同せねばならぬ。さもなくば、どこまでも君の目の前に事実、事実、事実、と積み重ね続けるまでだ。君の論拠が事実という証拠の前に崩壊して、僕が正しいと認めるまでね。ところで、ここにいらっしゃるジェイベス・ウィルソン氏が今朝、訳ありで僕を訪ねていらしたのだが、そのお話によると、この事件は近頃の中でも頭ひとつ抜きんでたものになりそうだ。いつも言うように、不思議きわまりなく、独創的な事件というものはとかく巨大な犯罪には現れてこない。むしろ小さな犯罪の中に姿を現す。また時折、一体犯罪が行われたのかどうか、それすら判然としないようなところにも現れる。うかがった限りでは、目下の事件が犯罪として扱える、とは明言できない。しかし今回の成り行きは、多くの事件と比べても、異端だと言える。
恐縮ですがウィルソンさん、もう一度お話を聞かせてくださいませんか。といいますのも、友人であるワトソン博士が初めの辺りを聞いてませんし、事件が事件ですから、事細かな部分まであなたの口からできるだけうかがっておきたいと思うからです。いつもなら、事件の成り行きをほんの少し聞くだけで構いません。僕の記憶の中から、似たような何千もの事件の例を引き出し、捜査を正しい方向へ導けます。しかし本件の場合、僕の見たところでも、比較材料のない事件と言わざるをえません。」
恰幅のよい依頼人ジェイベス・ウィルソン氏はいくぶん誇らしげに胸を張った。汚れてしわくちゃになった新聞を、厚地のコートの内ポケットから取りだした。ひざの上で広げ、しわを伸ばしている。首をさしのべ、広告欄に目を落とした。私は男の挙動を観察し、わがパートナーのやり方にならって、男の服装や態度から何者であるかを読みとろうとつとめた。
しかしながら、観察しても何も見えてこなかった。どこをどうしても、ジェイベス・ウィルソン氏はごく一般的な英国商人である。でっぷり太っていて、もったいぶった鈍重な動作。ややだぶついた灰色の弁慶格子シェパド・チェックのズボン、くたびれた感じの黒いフロックコートを着て、コートの前ボタンを外していた。あわい褐色ドラッブのベストからは太い真鍮製のアルバート型時計鎖が垂れ下がっていて、先には四角く穴のあいた金属の小片が装飾品としてついていた。すり切れたシルクハットと、しわだらけのビロードの襟が付いたくすんだ褐色のオーバーが、そばにある椅子の上に置かれてあった。そうして観察しても、結局わかるのは、ジェイベス・ウィルソンの燃えるように赤い色の髪と、ひどくくやしげで不満そうな表情だけだった。
シャーロック・ホームズの鋭い眼に、私のしようとしたことは見抜かれていたようだ。私の疑問に満ちた一瞥に気づくと、笑いながらかぶりを振るのであった。「いや何、わからない。ジェイベス・ウィルソン氏が過去、手先を使う仕事にしばらく従事していらっしゃったこと。嗅ぎ煙草を愛用していらっしゃること。フリーメイソンの一員でいらっしゃること。中国にもいらっしゃったこと。近頃、相当な量の書きものをなさったこと――これだけははっきりとわかるのだが、後はまったくわからない。」
ジェイベス・ウィルソン氏は椅子からすっくと立ち上がり、新聞を片方の人差し指で押さえたまま、目をわがパートナーの方へ向けた。
「ど、どうやって、どのようにしてそのことをご存じなんですか、ホームズさん。」ウィルソン氏は驚きのあまり、言葉を口に出す。「その……ああ、ほら、私が手先を使う仕事をしていたことを?ずばり間違いありませんよ。わしは船大工からたたき上げたんですから。」
「手です、あなたの。あなたの右手、左手より一回り大きいでしょう? 右手を使って仕事をしていらしたんですから、その結果、その部分の筋肉が発達してしまったのです。」
「ほぉぉ、なるほど。なら、嗅ぎ煙草……フリーメイソンであることは?」
「どうやって見抜いたのか、それは詳しく申さないことにしておきましょう。あなたのように賢い人には無礼に当たりますから。それにとりわけ、フリーメイソンの厳格な規律に背いて、身分を表す円弧とコンパスのブローチをつけていらっしゃる。」
「あ、本当ですな。うっかりしてました。しかし、書きものに関しては……」
「右の袖口に五インチほどのてかりがあります。左もしかりで、ちょうど机に当たるひじのあたり。つるつるして変色した部分があれば、これは書きもの以外に何で説明づけましょう?」
「ふむ、では中国のことは?」
「魚の刺青が、右手首のすぐ上に彫ってあります。これは中国へ行かなければ彫れないものです。僕はこれでも、刺青の絵柄についてささやかな研究をしたことがありまして、その方面には論文を書いて寄稿したこともあります。このほのかなピンク色の魚鱗、中国の極めて独特な特徴です。それに今、中国の硬貨を時計鎖から下げていらっしゃる。これで理由は明らかでしょう?」
ジェイベス・ウィルソン氏は大笑いし、「いやはや、こんなの初めてだ!」と言った。「わしは初め、あんたが何かうまい方法でも使ったのかと思っとった。だが、結局は何でもないことなんですな。」
「覚えておこう、ワトソン。」ホームズは私の方を向いた。「細々と説明するのは損だ、とね。『未知なるものはすべて偉大なりと思われる。』……僕の評判もあまり大したものでもないが、あまり正直にしゃべっていると、やがては地に落ちてしまう。ところでウィルソンさん、広告は見つけられましたか?」
「ええ、見つけましたとも。」ウィルスン氏は太く赤い指を中ほどの欄に下ろした。「これです。これが事の始まりだったのです。自分自身でご覧になって下さい、ホームズさん。」
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初老の紳士と話し込んでいた相手の癖は何ですか?
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初老の紳士と話し込んでいた相手の癖は両手の指先をつきあわせることです。
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JCRRAG_003306
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国語
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【居留地女の間では】
その晩、私は隣室のアレキサンダー君に案内されて、初めて横浜へ遊びに出かけた。
アレキサンダー君は、そんな遊び場所についてなら、日本人の私なんぞよりも、遙かに詳かに心得ていた。
アレキサンダー君は、その自ら名乗るところによれば、旧露国帝室付舞踏師で、革命後上海から日本へ渡って来たのだが、踊りを以て生業とすることが出来なくなって、今では銀座裏の、西洋料理店某でセロを弾いているという、つまり街頭で、よく見かける羅紗売りより僅かばかり上等な類のコーカサス人である。
それでも、さすがにコーカサス生れの故か、髪も眼も真っ黒でなかなか眉目秀麗な男だったので、貧乏なのにも拘らず、居留地女の間では、格別可愛がられているらしい。
――アレキサンダー君は、ロシア語の他に、拙い日本語と、同じ位拙い英語とを喋ることが出来る。
桜木町の駅に降りたのが、かれこれ九時時分だったので、私達は、まず暗い波止場の方を回って、山下町の支那街へ行った。
そして、私とアレキサンダー君は誰でも知っているインタアナショナル酒場でビールを飲んだ。ここの家はどういう理由か、エビス・ビールを看板にしているが、私はずっと前に、矢張りその界隈にあるハムブルグ酒場で、その酒場が出す大変美味しいピルゼンのビールを飲んだことがあった。
ドイツへ行こうと思っていた頃で、そこの酒場に居合せた軍艦エムデン号の乗組員だったと称する変なドイツ人に、ハイデルベルヒの大学へ入る第一の資格は、ビールを四打飲めることだと唆されて、私はピルズナア・ビールを二打飲んだのであった。
『そのエムデンは店の人です、つまりサクラですね。――』と、アレキサンダー君はハムブルク酒場を斥けた。
『それに、あすこには、こんな別嬪さん一人もいませんです。つまらないですね。』
アレキサンダー君は、そういいながら、私達の卓子テーブルを囲んで集まった、各自国籍の異なるらしい四五人の女給の中で、一番器量良しの細い眼をした、金髪の少女のおとがいを指でつついたものだ。
『マルウシャ! 日本人の小説を書く人に惚れています。――マルウシャ、いいなさい!』
その少女の噂は、私も既に聞いていた。彼女は私に、××氏から貰ったのだと云う手巾を見せたりした。
それからマルウシャは、アレキサンダー君と組んで踊った。ストーヴの傍にいた家族の者らしい老夫婦が、ヴァイオリンと竪琴とでそれに和した。私はエビス・ビールが我慢出来なかったので、酒台のところに立って火酒を飲んだ。
若い時分には、かなりの美人だったらしい面影を留めているインタアナショナル酒場の女主人が、酒をつぎながら私の話し相手になってくれた。
いいよ 君が死ねば僕だって死ぬよ
私達は予定通り、ちょうど一時間を費やして、インタアナショナル酒場を出た。
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私の隣室の人物は、何人ですか?
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私の隣室の人物は、コーカサス人です。
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JCRRAG_003307
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国語
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昔、ヴェロナの2大名家といえば、ともに富豪である、キャピュレット家とモンタギュー家とされていた。両家は昔から争いあい、それが高じて、互いに憎みあうほどになっていた。そうした心理は、一族の遠縁のものや従者にまでおよんでおり、そのためにモンタギュー家の召使いがキャピュレット家の召使いに会ったり、キャピュレット家の人がモンタギュー家の人にたまたま出会っただけで、激しい口論が起こり、時には流血事件にまでなるようになった。こうした偶然の出会いから起こるけんかにより、ヴェロナの町における幸福な平和はたびたび破られていた。ある日、老キャピュレット卿が一大宴会を主催し、貴婦人や貴族をおおぜい招いた。ヴェロナでも評判の美人はみな出席し、モンタギュー家の者でさえなければ誰でも歓迎された。
このキャピュレット家の饗宴に、ロザラインという人も出席していた。彼女は、老モンタギュー卿の息子のロミオに愛されていた。モンタギュー家の者がこの宴会で顔を見られるのはとても危険な事であった。しかし、ロミオの友人であったベンヴォリオは、若殿に対し、仮面で変装して宴会に出席しましょうと説いた。そうすれば、ロミオはロザラインにあえるし、また、ロザラインを、ヴェロナでも選りすぐりの美女と見比べることもできます。それによって、あなたの白鳥をカラスだと思うようになるでしょう(とベンヴォリオは言った)。ロミオは、ベンヴォリオの言葉をあまり信用しなかった。しかしロザラインを愛していたので、行く気になった。ロミオは誠実かつ熱烈な恋人であり、恋のために夜も眠れず、人目をさけ、1人でロザラインのことを考える人であった。ロザラインはといえば、ロミオを軽蔑しており、ロミオの愛に対して、少しも優しくしたり好意で報いることがなかった。ベンヴォリオは、いろんな女性たちを見せることで、友人の恋の病を治してやろうと思ったのだ。
こういう次第で、キャピュレット卿が開いた宴会に、若いロミオはベンヴォリオと、2人の共通の友人であるマーキューシオといっしょに、仮面をつけて出席した。老キャピュレットは彼らを歓迎した。足の指にまめができて困っている女性でもなければ、きっとあなた方と踊ろうとするでしょうな、と言った。老人は楽天的で愉快な人だった。自分も若いときは仮面をつけたものだ、美人とひそひそ話だってやれたもんだ、と言うのだった。
一同は踊り始めた。突然ロミオは、そこで踊っている、並はずれて美しい娘に目を奪われた。ロミオには、その人がたいまつに明るく燃えるよう教えているかに見えた。その美しさは、黒人が身につけている宝石のように、夜のやみのなかで際立っていた。その美しさは、費やすにはあまりに豪奢《ごうしゃ》で、地上におくにはあまりに高貴すぎた! からすに混じった雪のように白い鳩(とロミオは言った)、そう思えるくらい、彼女の美しさは完璧であり、一座の娘たちから抜きんでて輝いていた。ロミオがこのように彼女をほめたたえているところを、キャピュレット卿の甥であるティバルトに聞かれてしまった。同じくキャピュレット家のアンドレと一緒にいたティバルトは、声を聞いてロミオだと知ったのである。ティバルトは火のように激しい気性の男であったから、モンタギュー家の者が仮面で顔を隠して、一族の祝祭をばかにしたり侮辱したり(ティバルトがそう言ったのだ)するのには我慢がならなかった。彼は怒りにまかせて暴れまわり、若いロミオを殺そうとした。しかし、ティバルトのおじ、老キャピュレット卿は、その場ではティバルトが客人に危害を加えるのを許さなかった。宴会に来ていたお客に対する配慮もあったし、ロミオは紳士らしく振る舞っていたし、ヴェロナ中の人がみなロミオのことを立派な落ち着いた青年として誇りに思っていたからだ。ティバルトはしぶしぶながら我慢せざるを得なかった。しかし、いつかこの性悪のモンタギューにここにもぐりこんだ事の償いを存分にさせてやる、と言いのこした。
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アンドレはモンタギュー家を憎んでいますか?
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はい、アンドレはモンタギュー家を憎んでいます。
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JCRRAG_003308
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国語
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(2)活用の具体的な事例
「アフリクック」を用いた実践例を2つ紹介したい。「アフリクック」は、アフリカの多様な地域をカバーしている点が特徴のサイトで、ウェブサイトでは国別に検索することもできる。この点を活用して展開された講義が、国士舘大学で、アフリック会員の桐越仁美が担当している「地理学B」である。この講義は「総合教育科目(一般教養科目)」として全学部の大学生を対象としており、履修登録した大学生は100人程度、その大半が1・2年次に在籍していた。対象の回は、食材と気候区分、農業区分の関係性を理解することを目的としていた。受講生は、「アフリクック」から、10のレシピを選び出し、そこに使われている食材と、その食材が食べられている地域の気候区分、ホイットルセーの農業区分を各自で調べたうえで、それらの関係について気が付いた点を書き出す。それによりサハラ以南アフリカの食を事例として、それぞれの要素の共通点や地域差を分析させることがねらいであった。その結果、受講生は、「アフリカは砂漠気候とサバナ気候が広い範囲を占めているが、地元で生産したコメを使用している料理があるために、降水量が1000ミリ以上の地域もあることがわかった」とアフリカの多様性に気づいたり、サバナ気候の地域におけるイネ、イモ、雑穀などの生育状況や、料理に使われていたヤシ油の生産流通過程などについても関心を広げていったりした。さらに授業後に回収したコメントシートの記述からは、「アフリクック」に掲載されているレシピの多さから、アフリカの食材や食が想像以上に豊かであるという印象をもった受講生が一定数いることが読み取れた。
また「アフリクック」は、材料や料理手順の詳細などを示しながら、生活のなかの普段の食事をなるべくありのままに記述することを方針に進めている。このため、「アフリクック」のレシピのなかには日本で暮らす人びとにはなじみのない調理方法や食材も多く含まれている。こうした点に着目して、講義内容に取り入れたのが、筆者のひとりでアフリック会員の丸山淳子が津田塾大学で担当した「文化人類学」である。この講義は、「共通科目」として全学部を対象としており、履修登録は100人程度、履修者の大半が1年次の大学生である。講義のなかで、受講生に「アフリクック」のレシピのなかから「食べたいもの」と「食べたくないもの」を直感で選ばせたうえで、なぜ自分がそれを選んだのかを考察させることによって、自文化のバイアスについて考えさせることをねらった。その結果、食べたいものにはジャガイモのてんぷらや、スパイス入り揚げパン、ココナッツ蒸しパンなど、日本に暮らす大学生にとって親近感のあるものが並ぶ一方で、食べたくないものとしてはイモムシの揚げ炒め、バッタの炒め物、ジムシのつつみ焼きなどの昆虫料理に回答が集中した。講義後の受講生によるコメントシートには、自身でも気が付かないうちに自文化の食が「食べたい・食べたくない」という感情に影響を与えていることや、「貧しいから虫しか食べるものがない」といったアフリカに対する自身の無意識の偏見に気づいていったことなどが記されていた。この課題を通して、受講生が自分自身のものの見方を問い直していったことがわかる。
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イモムシの揚げ炒めはアフリカの多様な地域をカバーしている点が特徴のサイトのレシピに含まれていますか?
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はい、イモムシの揚げ炒めはアフリカの多様な地域をカバーしている点が特徴のサイトのレシピに含まれています。
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JCRRAG_003309
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国語
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【形容詞・形容動詞・連体詞・副詞の違いについて】
今回は、日本語の学習者が迷いやすい、形容詞・形容動詞・連体詞・副詞の違いについて勉強しましょう。
(1)形容詞(イ形容詞)とは?
形容詞(イ形容詞)は、単独で述語になったり、名詞を修飾したりするほか、述語を修飾することもあります。形容詞(イ形容詞)は、活用し、名詞を修飾するときに「~い」の形です。
*形容詞(イ形容詞)の例
美しい、青い
(2)形容動詞(ナ形容詞)とは?
形容動詞(ナ形容詞)は、単独で述語になったり、名詞を修飾したりするほか、述語を修飾することもあります。形容動詞(ナ形容詞)は、活用し、名詞を修飾するときに「~な」の形です。
*形容動詞(ナ形容詞)の例
きれいな、静かな
(3)連体詞とは?
連体詞は、名詞を修飾します。連体詞は、活用しません。
*連体詞の例
この、あの
(4)副詞とは?
副詞は、動詞・形容詞(イ形容詞)・形容動詞(ナ形容詞)・ほかの副詞を修飾します。副詞は、活用しません。
*副詞の例
すっきりと、とても、非常に
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「とても」は動詞を修飾しますか?
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はい、「とても」は動詞を修飾します。
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国語
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小さな村に、菜の花小学校という名前の学校がありました。全校で80人の子供たちが学んでいて、1年生が15人いました。
ある日、山田先生は、1年生の子供たちに調べ学習の課題を出しました。先生は、小学校の裏にある山の植物について調べるか、小学校の前にある川の生き物について調べるか、どちらかを行うよう子供たちに指示しました。
小学校の裏にある山の植物について調べた子供たちは、火曜の午後や木曜の午前に山に行きました。調べ学習のために、子供たちはスコップやハサミを持っていきました。山では、タケノコや山菜を見つけ、採取しました。採取したタケノコは授業の後で、タケノコご飯にしたり、酢味噌和えにしたりしました。また、採取した山菜も授業の後で、山菜ご飯にしたり、天ぷらにしたりしました。
小学校の前にある川の生き物について調べた子供たちは、水曜の午後や金曜の午前に川に行きました。調べ学習のために、子供たちは網やバケツを持っていきました。川では、鮎やカニを見つけ、捕まえました。捕まえた鮎は授業の後で、塩焼きを作ったり、甘露煮を作ったりしました。また、捕まえたカニは授業の後で、フライにしました。
今回の調べ学習では、15人全員が、自分たちが暮らす故郷の自然を守ることの大切さを学びました。
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小学校の裏にある山の植物について調べ、山菜を採取しなかった四郎君は、何を採取しましたか?
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小学校の裏にある山の植物について調べ、山菜を採取しなかった四郎君は、タケノコを採取しました。
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国語
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小さな村に、菜の花小学校という名前の学校がありました。全校で80人の子供たちが学んでいて、1年生が15人いました。
ある日、山田先生は、1年生の子供たちに調べ学習の課題を出しました。先生は、小学校の裏にある山の植物について調べるか、小学校の前にある川の生き物について調べるか、どちらかを行うよう子供たちに指示しました。
小学校の裏にある山の植物について調べた子供たちは、火曜の午後や木曜の午前に山に行きました。調べ学習のために、子供たちはスコップやハサミを持っていきました。山では、タケノコや山菜を見つけ、採取しました。採取したタケノコは授業の後で、タケノコご飯にしたり、酢味噌和えにしたりしました。また、採取した山菜も授業の後で、山菜ご飯にしたり、天ぷらにしたりしました。
小学校の前にある川の生き物について調べた子供たちは、水曜の午後や金曜の午前に川に行きました。調べ学習のために、子供たちは網やバケツを持っていきました。川では、鮎やカニを見つけ、捕まえました。捕まえた鮎は授業の後で、塩焼きを作ったり、甘露煮を作ったりしました。また、捕まえたカニは授業の後で、フライにしました。
今回の調べ学習では、15人全員が、自分たちが暮らす故郷の自然を守ることの大切さを学びました。
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調べ学習で小学校の裏にある山の植物について調べなかった太郎君は、何について調べましたか?
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調べ学習で小学校の裏にある山の植物について調べなかった太郎君は、小学校の前にある川の生き物について調べました。
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国語
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小さな村に、菜の花小学校という名前の学校がありました。全校で80人の子供たちが学んでいて、1年生が15人いました。
ある日、山田先生は、1年生の子供たちに調べ学習の課題を出しました。先生は、小学校の裏にある山の植物について調べるか、小学校の前にある川の生き物について調べるか、どちらかを行うよう子供たちに指示しました。
小学校の裏にある山の植物について調べた子供たちは、火曜の午後や木曜の午前に山に行きました。調べ学習のために、子供たちはスコップやハサミを持っていきました。山では、タケノコや山菜を見つけ、採取しました。採取したタケノコは授業の後で、タケノコご飯にしたり、酢味噌和えにしたりしました。また、採取した山菜も授業の後で、山菜ご飯にしたり、天ぷらにしたりしました。
小学校の前にある川の生き物について調べた子供たちは、水曜の午後や金曜の午前に川に行きました。調べ学習のために、子供たちは網やバケツを持っていきました。川では、鮎やカニを見つけ、捕まえました。捕まえた鮎は授業の後で、塩焼きを作ったり、甘露煮を作ったりしました。また、捕まえたカニは授業の後で、フライにしました。
今回の調べ学習では、15人全員が、自分たちが暮らす故郷の自然を守ることの大切さを学びました。
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小学校の前にある川の生き物について調べる際に網を持っていかなかった三郎君は、何を持っていきましたか?
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小学校の前にある川の生き物について調べる際に網を持っていかなかった三郎君は、バケツを持っていきました。
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JCRRAG_003313
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国語
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昔々、青森の海辺に寂れた小さな漁村がありました。
その村には、2人のおじいさんとおばあさんが暮らしていました。
おじいさんは漁師でした。おじいさんは毎日、近くの海で魚を釣ったり、貝を獲ったりしていました。
おじいさんが漁に出かけるのは、早朝の5時頃か、昼の14時頃でした。
おじいさんが釣る魚は、いつも鯵か鯛でした。
おばあさんは毎日、おじいさんが獲った魚や貝を干物に加工したり、行商に行ったりしていました。
行商に行ったのは、近くにある三戸村や四戸村でした。
三戸村では、おじいさんが獲った貝が美味しいと、大好評でした。
四戸村では、鯵がよく売れました。
寂れた漁村には、おじいさんとおばあさん以外に10人の若い夫婦とその子供たちが住んでいました。
漁村には学校が無く、子供たちは隣町の学校まで歩いて通わなければなりませんでした。
冬場の通学は過酷を極めることから、10人の人たちは隣町への転居を決断しました。
その結果、村はおじいさんとおばあさん2人だけになってしまったのでした。
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昼の14時頃に漁に出かけなかったおじいさんは、いつ漁に出かけましたか?
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昼の14時頃に漁に出かけなかったおじいさんは、早朝の5時頃に漁に出かけました。
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国語
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昔々、青森の海辺に寂れた小さな漁村がありました。
その村には、2人のおじいさんとおばあさんが暮らしていました。
おじいさんは漁師でした。おじいさんは毎日、近くの海で魚を釣ったり、貝を獲ったりしていました。
おじいさんが漁に出かけるのは、早朝の5時頃か、昼の14時頃でした。
おじいさんが釣る魚は、いつも鯵か鯛でした。
おばあさんは毎日、おじいさんが獲った魚や貝を干物に加工したり、行商に行ったりしていました。
行商に行ったのは、近くにある三戸村や四戸村でした。
三戸村では、おじいさんが獲った貝が美味しいと、大好評でした。
四戸村では、鯵がよく売れました。
寂れた漁村には、おじいさんとおばあさん以外に10人の若い夫婦とその子供たちが住んでいました。
漁村には学校が無く、子供たちは隣町の学校まで歩いて通わなければなりませんでした。
冬場の通学は過酷を極めることから、10人の人たちは隣町への転居を決断しました。
その結果、村はおじいさんとおばあさん2人だけになってしまったのでした。
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三戸村に行商に行かなかったおばあさんが行商に行ったのは、どこですか?
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三戸村に行商に行かなかったおばあさんが行商に行ったのは、四戸村です。
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国語
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昔々、青森の海辺に寂れた小さな漁村がありました。
その村には、2人のおじいさんとおばあさんが暮らしていました。
おじいさんは漁師でした。おじいさんは毎日、近くの海で魚を釣ったり、貝を獲ったりしていました。
おじいさんが漁に出かけるのは、早朝の5時頃か、昼の14時頃でした。
おじいさんが釣る魚は、いつも鯵か鯛でした。
おばあさんは毎日、おじいさんが獲った魚や貝を干物に加工したり、行商に行ったりしていました。
行商に行ったのは、近くにある三戸村や四戸村でした。
三戸村では、おじいさんが獲った貝が美味しいと、大好評でした。
四戸村では、鯵がよく売れました。
寂れた漁村には、おじいさんとおばあさん以外に10人の若い夫婦とその子供たちが住んでいました。
漁村には学校が無く、子供たちは隣町の学校まで歩いて通わなければなりませんでした。
冬場の通学は過酷を極めることから、10人の人たちは隣町への転居を決断しました。
その結果、村はおじいさんとおばあさん2人だけになってしまったのでした。
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鯛を釣らなかったおじいさんが釣った魚は何ですか?
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鯛を釣らなかったおじいさんが釣った魚は鯵です。
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JCRRAG_003316
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国語
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一概に文章といっても、その目的を異にするところから、幾多の種類を数えることが出来る。実用のための文書、書簡、報道記事等も文章であれば、自己の満足を主とする紀行文、抒情叙景文、論文等も文章である。ここには主として後者即ち文学的味わいを生命とする文章を目標とし、特にその作法の根本的用意を述べたいと思う。われわれが、何か思うところ、感ずるところを書きたいと望むことがある。そこで、先ずわれわれは、最初に自分の感じをひき出す文字を、あれこれと選択しつつ紙に書いてみる。それが自分の感じとぴったり合しつつ書き進むるようならば、もう文章のある域まで達したのであるが、これと反対に思うところ感ずるところが、一字一行にも骨が折れてどうにも書き進められない場合がある。徒らに苦んだ果ては、自分には所謂文章が書けないのではないかと絶望したような心持にさえなる。もし諸君の内に、こういう場合にぶつかった人があれば、余はこう注意したい。まず筆をおいて、単に文章を書こうとしたのか、それとも本当に書きたい思いや心持があって書こうとしたのか、そのいずれかを静かに考え返してみるがいい。そしてもし心の内に、美しい文字や流行の文句を使ってみたいから書こうとしたのだと心づいたら、それは一行の文章を成さなかったのが至当あたりまえなのである。その人はそういう文章を作ろうとしたことに対して、まず愧はじることを悟らねばならない。もしまた已むに已まれない思いや心持があって、しかもそれが書けないのだとわかったら、それはむしろ一行の文章すら出来なかったのが不思議なのである。その人はその場合文字に拘泥した為に書けなかったのか、それともまだまだ自分の思うところや感ずるところをはっきりと掴んでいなかったのか、そのいずれかの結果であると思わねばならない。そこで、われわれはこういうことが言えると思う。即ち文章とは、己が思想感情をそのままに披瀝することによって、初めて成立するものであると。そこから、更にこういうことも言える。古来日本の文章には、何々して何々侍はべるというような雅文体や、何々し何々すべけんやというような漢文体なぞが行われてはいるが、それはある時代のある人々の心から、必然に生れ出た文章であって、決してわれわれ新時代の人の新しい心の表現の範とすべきものでない、われわれは鉋迄あくまでもわれわれの新しい思想や感情に即することによって、新しい文章を作らねばならぬと。
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「その場合」の「その人」が、仮に文字への拘泥がないとした場合、文章が書けないのはなぜだといえますか?
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「その場合」の「その人」が、仮に文字への拘泥がないとした場合、文章が書けないのは自分の思うところや感ずるところをはっきりと掴んでいなかったためといえます。
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JCRRAG_003317
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国語
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現代実在論の論客の一人として、なにより英米圏における現代のシェリング自然哲学研究者として名を馳せるイアン・ハミルトン・グラントの、現在のところ唯一の単著と言える本書が、ようやく日本語で読めるようになった。原著は2006年にContinuum社(現在ではBloomsbury社に統合)から「哲学における横断的な新方針」シリーズの一環として刊行されており、実に18年を経ての待望の翻訳である。
本書評の目的は、本書邦訳の刊行によって見込まれる新たな読者へと、本書の意義を分かりやすく伝えることにある。しかし原著の刊行から20年近く経つ本書は、すでにシェリング自然哲学研究における「必読書」としての地位を確立しつつある。またグラント自身については、邦訳の刊行以前から―いわゆる「思弁的実在論」の論者の一人としてではあるが―日本でも紹介が進められてきた。それに加えて、本書邦訳にもすでに菅原潤による優れた書評があり、なにより邦訳に付された「訳者解題」が本書の意義を的確にまとめている。そのため本書評では、各章の要約や解説は必要最小限にとどめ、むしろ本書の刊行を機に巻き起こった議論や反響、すなわち本書が今日の研究状況に及ぼしている影響を中心に見ていきたいと思う。
1.最初の応答―三つの書評に見るグラント
1-1.ジョセフ・P・ローレンス
本書の刊行後間もない2007年、同じくシェリング研究者として知られるジョセフ・ローレンスによる書評が公開された。管見の限り、これが本書に対する最初の書評である。そこで本書は端的に「難しい」と評されながらも、その重要性は認識されていたようで、二つの点で本書の意義が紹介されている。
一つ目は、本書が「唯物論的」なシェリング読解を擁護するものだ、という点である。「唯物論」という語は様々に受け取られうるし、またローレンス自身はこのことを詳しく説明しないが、差し当たり、人間の知性的理解の範疇を超えたある種の「自然史」の可能性をグラントが強調するため、それが「唯物論的」と受け止められたようである。ただしこれは、「自然」を運動法則に従う物体の集合と見なすのではなく、そうした物体を構成する「力」として捉えるグラントのシェリング自然哲学読解を通じて、はじめて正しく捉えることができるとローレンスは考える。こうした自然理解から、「自然そのものが歴史だ」というグラントの「自然史」テーゼは導き出される。「自然史」の強調には、歴史を「目的論」から解放するという意図があり、グラントによるシェリング(およびキールマイヤー)読解のひとつの主軸となっている。カントは「機械論的」な自然理解に対抗するために有機体及び目的論を持ち出したのだが、しかしこうしたある種の「自然の擬人化」こそ唾棄すべきものであり、シェリングの「反人間中心主義的自然理解」を見るべきだ、というグラントの主張にローレンスも同意する。
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カントは何を人に見立てましたか。
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カントは自然を人に見立てました。
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JCRRAG_003318
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国語
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ここで重要なのは、グラントによる「無制約的なもの the unthinged」の読み換えである。グラントはこれを「物 thing」という語との対応で「〈もの〉でないもの」あるいは「物になろうとしないもの」と解釈しており、物質に内在する生命力の発露がこの「無制約的なもの」が制約されていく「推移的現象」であることから、「自然」はまさしく物質の「歴史」であることになる。本書第四章「無制約的なものの自然史」で展開されるこうした議論を、ローレンスはとりわけ評価している。
二つ目は、グラントによるジル・ドゥルーズへの注目にある。グラントはたしかに、シェリング以後の自然哲学の系譜に連なる哲学者として、ドゥルーズをとくに重要視している。本書の結論部にあたる第七章「結論―超越論的地質学」を見れば、そのことは明らかである。ローレンスはここに、グラントによる現代のドイツおよび英米圏哲学への批判を読み取っている。つまりドイツおよび英米圏の哲学における「自然」の排除に抗して、フランス現代思想のなかに「自然」復活の可能性をグラントは見ている、というのである。この評価にはローレンスの解釈が強く反映されており、図式的にそこまで割り切ることには疑義を挟みたくなるが、ともかくグラントがドゥルーズをある種の「シェリング主義者」として引き合いに出していることは、シェリング研究の展開として注目に値するものであろう。
ローレンスによる指摘としてむしろ重要なのは、グラントの議論に「科学技術中心主義」への批判をも読み取っている点である。ローレンスが強調した本書の二つの意義も、最終的にその論点へと結びつく。つまりグラントの思惑は、われわれの理解の範疇に収まらない自然の「無制約性」に目を向けることで、自然を管理下に置き、また置くことができると考える人間の思い上がりを挫くことにある、というわけだ。書評の出た 2007 年当時には、現代環境学の一つのキーワードである「人新世」はまだ人口に膾炙した言葉ではなかったが、「種の絶滅」の可能性にまで言及するローレンスの指摘は、本書がのちに「人新世」の議論でたびたび参照されるようになることを鑑みると、ひとつの導線として興味深い。
ローレンスは本書のタイトル『シェリング以後の自然哲学』を、「シェリングのあとにも自然哲学を続けること」と解釈している。私たちが新たに哲学することでしか、理解されない哲学者たちがいる。シェリングもまたそうした哲学者であった。ローレンスはこのように、哲学史的営為の重要性を強調する。グラントにもまた、シェリングを中心に新たな「自然哲学史」を描き出そうとする営為が見られる。それゆえ、ローレンスはグラントに強い共感を寄せるのである。
とはいえ、ローレンスもまったくの手放しで本書を誉めそやすわけではない。グラントが「シェリング哲学を貫いて走る自然哲学という深部静脈」(本書邦訳28頁)に目を向け、「自然哲学はシェリング哲学のたんに一時期..ではなく核心..である」(本書邦訳29頁)と断言したことに賛同はしつつも、その論証の粗さには苦言を呈している。とりわけ、「芸術」や「神話」や「宗教」といった、シェリング哲学にとって重要な要素を、どのように「自然哲学」的に捉え直すことができるのか、そのことに対する論証がグラントには欠けている、というのである。この論点は、後述するミグラーによるグラント批判でより顕在化することになる。
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人間は自然を完全にコントロールしていますか。
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いいえ、人間は自然を完全にコントロールしていません。
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JCRRAG_003319
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国語
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現代実在論の論客の一人として、なにより英米圏における現代のシェリング自然哲学研究者として名を馳せるイアン・ハミルトン・グラントの、現在のところ唯一の単著と言える本書が、ようやく日本語で読めるようになった。原著は2006年にContinuum社(現在ではBloomsbury社に統合)から「哲学における横断的な新方針」シリーズの一環として刊行されており、実に18年を経ての待望の翻訳である。
本書評の目的は、本書邦訳の刊行によって見込まれる新たな読者へと、本書の意義を分かりやすく伝えることにある。しかし原著の刊行から20年近く経つ本書は、すでにシェリング自然哲学研究における「必読書」としての地位を確立しつつある。またグラント自身については、邦訳の刊行以前から―いわゆる「思弁的実在論」の論者の一人としてではあるが―日本でも紹介が進められてきた。それに加えて、本書邦訳にもすでに菅原潤による優れた書評があり、なにより邦訳に付された「訳者解題」が本書の意義を的確にまとめている。そのため本書評では、各章の要約や解説は必要最小限にとどめ、むしろ本書の刊行を機に巻き起こった議論や反響、すなわち本書が今日の研究状況に及ぼしている影響を中心に見ていきたいと思う。
1.最初の応答―三つの書評に見るグラント
1-1.ジョセフ・P・ローレンス
本書の刊行後間もない2007年、同じくシェリング研究者として知られるジョセフ・ローレンスによる書評が公開された。管見の限り、これが本書に対する最初の書評である。そこで本書は端的に「難しい」と評されながらも、その重要性は認識されていたようで、二つの点で本書の意義が紹介されている。
一つ目は、本書が「唯物論的」なシェリング読解を擁護するものだ、という点である。「唯物論」という語は様々に受け取られうるし、またローレンス自身はこのことを詳しく説明しないが、差し当たり、人間の知性的理解の範疇を超えたある種の「自然史」の可能性をグラントが強調するため、それが「唯物論的」と受け止められたようである。ただしこれは、「自然」を運動法則に従う物体の集合と見なすのではなく、そうした物体を構成する「力」として捉えるグラントのシェリング自然哲学読解を通じて、はじめて正しく捉えることができるとローレンスは考える。こうした自然理解から、「自然そのものが歴史だ」というグラントの「自然史」テーゼは導き出される。「自然史」の強調には、歴史を「目的論」から解放するという意図があり、グラントによるシェリング(およびキールマイヤー)読解のひとつの主軸となっている。カントは「機械論的」な自然理解に対抗するために有機体及び目的論を持ち出したのだが、しかしこうしたある種の「自然の擬人化」こそ唾棄すべきものであり、シェリングの「反人間中心主義的自然理解」を見るべきだ、というグラントの主張にローレンスも同意する。
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イアン・ハミルトン・グラントはシェリング研究の大家ですか。
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はい、イアン・ハミルトン・グラントはシェリング研究の大家です。
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JCRRAG_003320
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国語
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日本語学習者にとって,語を文章全体の文体に合わせて適切に選択することは難しい.「全然存在しない」はアカデミック・ライティングで使用するには不適当な表現で,「全く存在しない」を選ばなければならない.文体とは文章についての情報であるが,文章を構成する語1つ1つにも文体についての情報が含まれており,「語の文体」(宮島 1977)と呼ばれる.日本語教育の教材や参考書にも語の文体についての情報が示されることはあるが,決定的と言えるものは存在しない.この論文では特に副詞に焦点を当てる.その理由は,接触場面会話コーパスを分析した結果,学習者と母語話者の間で最も顕著な違いが見られた品詞が副詞であるからである(中俣 2016).単に学習者が副詞の使用を苦手としているだけではなく,程度副詞「とても」の使用はほぼ学習者にのみ見られ,母語話者は程度を強調する時には「結構」「すごい」を多用するなど,同じ機能の副詞であっても,母語話者と学習者で語の選択が異なるという結果が見られた.書き言葉のみならず,話し言葉の中でも文体の選択は問題となる.
そもそも書き言葉―話し言葉という一次元の対立で良いのかという問題提起もある.例えば,石黒(2015)は「情報の伝達」のフォーマル/カジュアルと,「感情の伝達」のフォーマル/カジュアルの二軸による整理を試みている.また,文体を何種類認めるべきかということについても定まってはいない.異なる文書群における頻度の違いを根拠に語の硬軟を区別する研究は多く,本研究もその点は同じであるが,各文書群の文体が書き言葉においてどのような位置づけであるのかを論じなければ,単にある文書群に多いということ以上の事実を示すことができない.
この論文では『現代日本語書き言葉均衡コーパス』(以下BCCWJ)の副詞を分析する.BCCWJでは「白書」「新聞」といった文書の種類はレジスターと呼ばれており,以下この用語を用いる.本研究では多変量解析の1つである主成分分析を用いてまずレジスター間の関係を位置づけ,その後副詞のグループ分けを試みる.
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ほぼ外国人のみに見られる程度副詞は何でしょうか。
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ほぼ外国人のみに見られる程度副詞は「とても」です。
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JCRRAG_003321
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国語
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日本語学習者にとって,語を文章全体の文体に合わせて適切に選択することは難しい.「全然存在しない」はアカデミック・ライティングで使用するには不適当な表現で,「全く存在しない」を選ばなければならない.文体とは文章についての情報であるが,文章を構成する語1つ1つにも文体についての情報が含まれており,「語の文体」(宮島 1977)と呼ばれる.日本語教育の教材や参考書にも語の文体についての情報が示されることはあるが,決定的と言えるものは存在しない.この論文では特に副詞に焦点を当てる.その理由は,接触場面会話コーパスを分析した結果,学習者と母語話者の間で最も顕著な違いが見られた品詞が副詞であるからである(中俣 2016).単に学習者が副詞の使用を苦手としているだけではなく,程度副詞「とても」の使用はほぼ学習者にのみ見られ,母語話者は程度を強調する時には「結構」「すごい」を多用するなど,同じ機能の副詞であっても,母語話者と学習者で語の選択が異なるという結果が見られた.書き言葉のみならず,話し言葉の中でも文体の選択は問題となる.
そもそも書き言葉―話し言葉という一次元の対立で良いのかという問題提起もある.例えば,石黒(2015)は「情報の伝達」のフォーマル/カジュアルと,「感情の伝達」のフォーマル/カジュアルの二軸による整理を試みている.また,文体を何種類認めるべきかということについても定まってはいない.異なる文書群における頻度の違いを根拠に語の硬軟を区別する研究は多く,本研究もその点は同じであるが,各文書群の文体が書き言葉においてどのような位置づけであるのかを論じなければ,単にある文書群に多いということ以上の事実を示すことができない.
この論文では『現代日本語書き言葉均衡コーパス』(以下BCCWJ)の副詞を分析する.BCCWJでは「白書」「新聞」といった文書の種類はレジスターと呼ばれており,以下この用語を用いる.本研究では多変量解析の1つである主成分分析を用いてまずレジスター間の関係を位置づけ,その後副詞のグループ分けを試みる.
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日本人が程度を強調する時にはどのような副詞が多用されますか。
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日本人が程度を強調する時には「結構」「すごい」が多用されます。
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JCRRAG_003322
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国語
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1-2.ダスティン・マクウァーター
ローレンスによる書評に続いて、同年の7月にダスティン・マクウァーターも本書に書評を寄せている。興味深いのは、マクウァーターも初めはシェリング研究から出発しながら、ロイ・バスカーに始まるいわゆる「批判的実在論」の流れへとのちに合流している点である。現代実在論の文脈で批判的実在論への言及を見かけることはあまりないが、「自然主義」に対する批判的な検討と、「社会」構造を論じる方法論的な問題を同時に扱い、およびそれを踏まえた「実在論」の展開可能性を論じている点で、批判的実在論は現代実在論に漂う閉塞感を打破するひとつの起爆剤となるポテンシャルを秘めている。その意味で、マクウァーターによるグラント評価はひとつの重要な検討材料になりうる。マクウァーターの書評は他の二つと比べて文量も多く、論点も多岐に渡るのだが、全体としては本書を高く評価している。とくに「シェリング主義とは自然哲学のことだ」というグラントのテーゼに賛同し、その含意を詳しく辿っている。マクウァーター曰く、グラントがここで言う「自然哲学」の眼目は、現代哲学に蔓延する「倫理的ないし政治的な動機を持つ反自然学」の傾向への抵抗にあるとされる。つまり、哲学にある種の実践性を確保するために「形而上学」および「自然」とは縁を切る、という延命措置が現代哲学の責務になっている、というのだ。こうした消極的な実践主義の傾向に対抗して、グラントは哲学をもう一度「形而上学」にするよう迫る。ただしこの哲学が「自然」とは切り離せないことを踏まえた上で、という忠告付きではあるが。この文脈で、マクウァーターはグラントによるプラトンとアリストテレスの理解に目を向ける。つまり、グラントに倣えば、プラトンとアリストテレスは彼らの自然理解における相違に基づいて区別されうるが、彼らの自然理解の相違は、そもそもその自然理解が基づく「物質」理解に根差している、というものだ。この問題は煎じ詰めると物質的なものと精神的なものの区別、すなわちグラントが批判する「身体主義 somatism」の問題に行き着く。グラントによれば、アリストテレスやカントによって採用された「身体主義」は、「実践主義」のアリバイ作りにのみ役立てられているとされる。端的に言えば、カント・アリストテレス的な身体主義は、物質そのものに精神的な力を認めない、ということである。つまり物質はそのまま「物体」を意味し、精神と物質は厳密に区別される。このように「物質」を「物体」へと制限することは、自然の斉一性の根拠が自然の外に求められねばならないということをも含意する。こうして、自然の「外」だけを求める哲学への免罪符が与えられることになる。これこそがカント・アリストテレス的な「身体主義」であり、狡猾な「実践主義」なのだ。反対に、プラトンおよびシェリングは「反身体主義」の系譜に属する。特にシェリングが「物質 Materie」は「物体 Körper」ではないと繰り返し主張していることを、グラントは強調する。その含意は「物質」を「力」と見なすということにあり、しかしその力は何らかの神秘的な力のことではなく、ある種の自然主義的性格を示している。グラントの言う「一世界的自然学」は、無機的物質から有機的生命すべてを貫く生成的な「力」を認める立場のことであり、そうなると、無機的物質から有機的生命を区別するカント・アリストテレス的身体主義ないし実践主義の策は無効化される。ところがこの論点について、マクウァーターはグラントに疑問を呈してもいる。グラントは「生気論 vitalism」を、それが先に見た「実践主義」的立場を守るために「生命」を中心に置く限り、「反自然主義」だと批判する。しかしプラトンの「世界霊」という発想や、シェリングの「純粋活動性としての自然」もまた、ある種の自己生成的運動の原理を示しており、これらが本当に生気論から厳密に区別できるのかどうかについては疑問が残る。そのためグラントが、別の種類の生気論としてのプラトンやシェリングの自然哲学を支持しているのか、それとも生気論とは全く異なる別の立場としてプラトンやシェリングの自然哲学を再構成しているのか、その点が非常に曖昧であるとマクウァーターは指摘する。
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マクウァーターは「本書」に概ねポジティブな評価を下していますか?
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はい、マクウァーターは「本書」に概ねポジティブな評価を下しています。
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JCRRAG_003323
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国語
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「暗黒公使」なるものはどんな種類の人間でどんな仕事をするものかというような事実を、如実に説明した発表は、この秘録以外にあまり聞かないようである。またそんな事実を自由に発表し得る立場に居る人物も、考えてみるとあまりいないようである。
その意味においてこの発表は、あるいは空前のものかも知れない。
この外交秘録を発表するに当たって、何よりも先にお断りしておきたいことは、筆者クローダ・サヤマ……すなわち私が、現在日本に居ない人間という事である。
私は去る一九二一年(大正十年)の春以来、応用化学の本場であるフランスのパリドーフィン街四十番地の古ぼけた裏屋敷の二階に下宿ずまいをして、忠実な男女二人の助手と三人で「化学分析応用……特に有機、毒物、酒類」という小さな広告を時々新聞に出している者である。その助手の一人で語学の達者なミキ・ミキオという青年が、この頃色んな探偵事件に引っぱり出され初めて、うちの仕事をすっぽかすようになった。そんな事件を何件も受け持てるというほど、青年というものは老人より体力があるものである。おかげで私はすっかり仕事が閑散になったので、その暇つぶしに、私が警視庁の第一捜査課長を辞職して、日本を去るに至った、その失敗の思い出話として、この事件を書いてみる気になったものである。
一つは日本でも……と云ったら叱られるかもしれないが、近来探偵小説が非常な流行を極めていると聞いたので、私のような老人の経験談でも興味を感ずる人があるかもしれないと思って書かせてもらうので、決して商売の広告や、主義思想の宣伝でない事は前もって十分にお断りして、このまずい一文を読んで下さる「探偵好き」の方々に、深甚の敬意を表しておきたいと思う。まあまずいと言っても、すべての老人は若者より長生きしている分、その言には多少の含蓄があるというものだ。
それからもう一つ特にお断りしておきたい事は、この事件の起こった当時の日本が、十年一と昔というその西暦一九二〇年……すなわち大正九年以前のそれで、言うまでもなく震災以前の事だから、現在の日本とは格段の相違があると思われる一事である。
現在の日本は西暦一九三〇年前後を一期として、世界の最大強国となりつつある。世界大戦でも何でも持って来いという、極めて無作法な態度で、ドシドシ満洲国を承認して東洋モンロー主義を高唱しつつ、列国外交の大帳場たる国際連盟の前にアグラを掻いている。おまけに、自国の陸軍を常勝軍と誇称し、主力艦隊に無敵の名を冠せ、世界中の憎まれっ子をもって自認しつつ平気でいる。
同時に国内においては、明治維新以来の西洋崇拝熱を次第に冷却させて、代りに鬱勃たる民族自主の意識を燃え上がらせ始め、国産奨励から、産業合理化、唯物的資本制度の痛撃、腐敗政党の撲滅、等々のスローガンを矢継早に絶叫し、精神文化を理想とする命がけの結社、団体を暗黙のうちに拡大強力化して、世界の脅威ともいうべきソビエトの唯物文化を鼻の先にあしらおうとしている。
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「私」は若者より長生きしていますか?
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はい、すべての老人は若者より長生きしており、また「私」は老人であることから、「私」は若者より長生きしていると言えます。
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JCRRAG_003324
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国語
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レイチェル夫人が台所のドアを手早く叩くと、返事を待って中に入った。グリーン・ゲイブルズの台所は気持ちの良い部屋だった--というより、気持ちの良い部屋だったかもしれない。もしうんざりするほど奇麗なため、使っていない客間のような雰囲気がなければの話である。窓は東と西を向いていた。西側は裏庭を見渡し、6月の柔らかい陽の光があふれていた。一方の東の窓から少しだけのぞいている左手の果樹園では、白いサクランボの木々が今を盛りと咲き誇り、風になびくほっそりした樺の木立ちが、小川のそばを窪地まで続いているのが見えた。その窓には、絡まったツタが青々と生い茂っていた。この窓辺にマリラ・カスバートが座るのだが、座る場合もなんだか陽の光があたるといつも落ち着かなかった。世の中は真面目なものなのに、マリラにはちらちら踊る陽の光は、好き勝手に過ぎると感じるのだった。そこにマリラが編み物をしながら腰掛け、その後ろには夕食用にテーブルが置いてあった。
レイチェル夫人は、丁寧にドアを閉めてしまう間に、そのテーブルにのっているもの全部を頭にメモしていた。テーブルに3枚皿が置いてあるね、マリラが誰かとマシューをお茶に迎えるに違いない。でも、深皿はいつも使っているものだし、クラブ・アップルの砂糖漬けにケーキが1つとは、待っているお客は特別なお客ってわけじゃないね。それにしてはマシューのホワイト・カラーと栗毛の雌馬は何としよう?単調で謎とは縁遠いグリーン・ゲイブルズのいつにない謎に、レイチェル夫人はすっかり目眩がしてきた。
「こんにちは、レイチェル」マリラの挨拶は簡潔だ。「今日はほんとに良い天気だね。座ったら?お宅はみんな元気?」
友情という以外に名前のつけようがない何物かが、マリラ・カスバートとレイチェル夫人の間にあったし、これまでそれが失われたことはなかった。二人が全く違っているにも関らず、いやたぶん違っているからこその友情であろう。
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ツタが絡まっている窓からのぞく果樹園ではどんな木々が咲き誇っていましたか?
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ツタが絡まっている窓からのぞく果樹園では白いサクランボの木々が咲き誇っていました。
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【赤毛連盟 アーサー・コナン・ドイル Arthur Conan Doyle】
友人シャーロック・ホームズを、昨年の秋、とある日に訪ねたことがあった。すると、ホームズは初老の紳士と話し込んでいた。でっぷりとし、赤ら顔の紳士で、頭髪が燃えるように赤かったのを覚えている。私は仕事の邪魔をしたと思い、詫びを入れてお暇しようとした。だがホームズは不意に私を部屋に引きずり込み、私の背後にある扉を閉めたのである。
「いや、実にいい頃合いだ、ワトソンくん。」ホームズの声は、親しみに満ちていた。
「おや、もしかして仕事中だったかな。」
「その通り。真っ最中だ。」
「では、私は奥で待つとするか。」
「まあ待ちたまえ。この紳士は、ウィルソンさん、長年、僕のパートナーでして。僕はこれまで数々の事件を見事解決してきましたが、その時にはいつも、彼が助手を務めています。あなたの場合にも、彼が大いに役に立つことは間違いありません。」
でっぷりとした初老の紳士は軽く腰を上げただけで、申し訳程度の会釈をしつつも、脂肪のたるみに囲まれた小さな目で、私を疑わしげに見るのであった。
「さあ、かけたまえ。」とホームズはソファをすすめた。自らも肘掛椅子に戻ると、両手の指先をつきあわせた。両手の指先をつきあわせることはホームズの癖であった。「さよう、ワトソンくん。君は僕の好みに同じく、突拍子もないこと、退屈で決まり切った日々の生活の埒外にあるものが好きだ。君の熱心さを見ればわかる。逐一、記録をつけるほどだからね。だが言わせてもらえば、僕のささやかな冒険の大半に、色をつけている。」
「思えば、君の事件は面白いものばかりだった。」と私は述べる。
「いつぞやの発言、覚えているね? メアリ・サザランド嬢が持ってきたごく簡単な事件に赴く前のことだ――不思議な事件や、偶然の一致。我々がそれを求めるなら、我々は現実の中を探しにゆかねばならぬ。現実というのは、どんな想像力をも凌駕するのだから。」
「私からも遠慮なく文句を差し挟んだはずだがね。」
「ふん、でも博士、最後には僕の意見に賛同せねばならぬ。さもなくば、どこまでも君の目の前に事実、事実、事実、と積み重ね続けるまでだ。君の論拠が事実という証拠の前に崩壊して、僕が正しいと認めるまでね。ところで、ここにいらっしゃるジェイベス・ウィルソン氏が今朝、訳ありで僕を訪ねていらしたのだが、そのお話によると、この事件は近頃の中でも頭ひとつ抜きんでたものになりそうだ。いつも言うように、不思議きわまりなく、独創的な事件というものはとかく巨大な犯罪には現れてこない。むしろ小さな犯罪の中に姿を現す。また時折、一体犯罪が行われたのかどうか、それすら判然としないようなところにも現れる。うかがった限りでは、目下の事件が犯罪として扱える、とは明言できない。しかし今回の成り行きは、多くの事件と比べても、異端だと言える。
恐縮ですがウィルソンさん、もう一度お話を聞かせてくださいませんか。といいますのも、友人であるワトソン博士が初めの辺りを聞いてませんし、事件が事件ですから、事細かな部分まであなたの口からできるだけうかがっておきたいと思うからです。いつもなら、事件の成り行きをほんの少し聞くだけで構いません。僕の記憶の中から、似たような何千もの事件の例を引き出し、捜査を正しい方向へ導けます。しかし本件の場合、僕の見たところでも、比較材料のない事件と言わざるをえません。」
恰幅のよい依頼人ジェイベス・ウィルソン氏はいくぶん誇らしげに胸を張った。汚れてしわくちゃになった新聞を、厚地のコートの内ポケットから取りだした。ひざの上で広げ、しわを伸ばしている。首をさしのべ、広告欄に目を落とした。私は男の挙動を観察し、わがパートナーのやり方にならって、男の服装や態度から何者であるかを読みとろうとつとめた。
しかしながら、観察しても何も見えてこなかった。どこをどうしても、ジェイベス・ウィルソン氏はごく一般的な英国商人である。でっぷり太っていて、もったいぶった鈍重な動作。ややだぶついた灰色の弁慶格子シェパド・チェックのズボン、くたびれた感じの黒いフロックコートを着て、コートの前ボタンを外していた。あわい褐色ドラッブのベストからは太い真鍮製のアルバート型時計鎖が垂れ下がっていて、先には四角く穴のあいた金属の小片が装飾品としてついていた。すり切れたシルクハットと、しわだらけのビロードの襟が付いたくすんだ褐色のオーバーが、そばにある椅子の上に置かれてあった。そうして観察しても、結局わかるのは、ジェイベス・ウィルソンの燃えるように赤い色の髪と、ひどくくやしげで不満そうな表情だけだった。
シャーロック・ホームズの鋭い眼に、私のしようとしたことは見抜かれていたようだ。私の疑問に満ちた一瞥に気づくと、笑いながらかぶりを振るのであった。「いや何、わからない。ジェイベス・ウィルソン氏が過去、手先を使う仕事にしばらく従事していらっしゃったこと。嗅ぎ煙草を愛用していらっしゃること。フリーメイソンの一員でいらっしゃること。中国にもいらっしゃったこと。近頃、相当な量の書きものをなさったこと――これだけははっきりとわかるのだが、後はまったくわからない。」
ジェイベス・ウィルソン氏は椅子からすっくと立ち上がり、新聞を片方の人差し指で押さえたまま、目をわがパートナーの方へ向けた。
「ど、どうやって、どのようにしてそのことをご存じなんですか、ホームズさん。」ウィルソン氏は驚きのあまり、言葉を口に出す。「その……ああ、ほら、私が手先を使う仕事をしていたことを?ずばり間違いありませんよ。わしは船大工からたたき上げたんですから。」
「手です、あなたの。あなたの右手、左手より一回り大きいでしょう? 右手を使って仕事をしていらしたんですから、その結果、その部分の筋肉が発達してしまったのです。」
「ほぉぉ、なるほど。なら、嗅ぎ煙草……フリーメイソンであることは?」
「どうやって見抜いたのか、それは詳しく申さないことにしておきましょう。あなたのように賢い人には無礼に当たりますから。それにとりわけ、フリーメイソンの厳格な規律に背いて、身分を表す円弧とコンパスのブローチをつけていらっしゃる。」
「あ、本当ですな。うっかりしてました。しかし、書きものに関しては……」
「右の袖口に五インチほどのてかりがあります。左もしかりで、ちょうど机に当たるひじのあたり。つるつるして変色した部分があれば、これは書きもの以外に何で説明づけましょう?」
「ふむ、では中国のことは?」
「魚の刺青が、右手首のすぐ上に彫ってあります。これは中国へ行かなければ彫れないものです。僕はこれでも、刺青の絵柄についてささやかな研究をしたことがありまして、その方面には論文を書いて寄稿したこともあります。このほのかなピンク色の魚鱗、中国の極めて独特な特徴です。それに今、中国の硬貨を時計鎖から下げていらっしゃる。これで理由は明らかでしょう?」
ジェイベス・ウィルソン氏は大笑いし、「いやはや、こんなの初めてだ!」と言った。「わしは初め、あんたが何かうまい方法でも使ったのかと思っとった。だが、結局は何でもないことなんですな。」
「覚えておこう、ワトソン。」ホームズは私の方を向いた。「細々と説明するのは損だ、とね。『未知なるものはすべて偉大なりと思われる。』……僕の評判もあまり大したものでもないが、あまり正直にしゃべっていると、やがては地に落ちてしまう。ところでウィルソンさん、広告は見つけられましたか?」
「ええ、見つけましたとも。」ウィルスン氏は太く赤い指を中ほどの欄に下ろした。「これです。これが事の始まりだったのです。自分自身でご覧になって下さい、ホームズさん。」
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どこをどうしても、ごく一般的な英国商人である人物は何の一員ですか?
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どこをどうしても、ごく一般的な英国商人である人物はフリーメイソンの一員です。
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JCRRAG_003326
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国語
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「これはちょっとお茶のあとでグリーン・ゲイブルズに足を伸ばして、何処に行って何をするつもりか、マリラから聞き出さなくちゃ」このごりっぱな夫人は最後にこう締めくくった。「マシューはいつもならこの時期この時間に街へ行ったりしないし、何処かにお客だなんて、絶対にない。もしカブの種を切らしたんだったら正装で馬車に乗るなんてあるわけないし、お医者を呼びに行くほど慌てて走らせていないね。やっぱり昨日の夜に何かあって、それででかけるんだ。さっぱりわからないよ、全く。これじゃいっときも気が休まらない、何でマシュー・カスバートがアヴォンリーを今日出かけたのか分かるまではね。」
お茶が済んだあと、レイチェル夫人はしかるべく出立した。それ程遠くへ行くわけではなかった。あの大きな、好き勝手に生えた果樹園で囲われたカスバート家は、リンド窪地から4半マイル足らず、道を上ったところにあった。まあ確かに、長い小径で大分遠くに思えるが。マシュー・カスバートの父親は、父親譲りの息子同様に引っ込み思案で目立たない男だった。農地と家を建てるにあたっては、村の連中からできるだけ離れ、事実上森に隠れていると言って良いくらいの場所を選んだ。グリーン・ゲイブルズは開墾地の遠く外れに立てられ、今日に至るまでそこにあって、主街道からはわずかに垣間見えるだけだ。他のアヴォンリーの家々はみんな仲良く街道に面して並んでいるのに。レイチェル・リンド夫人に言わせると、そんなところに住んでいるのは住んでいるだなんてとても言えないのだった。
「ただ居るってだけだよ、全く」夫人は、深く轍がついて草ぼうぼうの、野バラの茂みが縁取る小径をよちよち歩きながら言った。「マシューもマリラもどっちも変わり者なのは無理ないね、こんなに外れに二人だけで暮らしているんだから。木がいくらあったって話し相手になるじゃなし、たとえそうでも、それで十分だなんて誰にも分かるもんかね。あたしは人を見てる方がいいね。確かに、あの二人は十分事足りているみたいだけど。でもねえ、あたしが思うに、あの二人は慣れちゃったんだね。人は何にでも慣れるって、首吊りにもさ、アイルランド人が言うみたいにね。」
こうしてレイチェル夫人は、小径をよちよち足を踏みしめ、グリーン・ゲイブルズの裏庭にたどり着いた。鮮やかな緑で覆われた手入れが行き届いた几帳面な庭は、一方が長老然とした柳で、もう一方はつんと気取ったセイヨウハコヤナギで囲われていた。折れた小枝や小石は1つも落ちていなかった。もしそうならレイチェル夫人が目ざとく見つけていただろう。夫人は口には出さないが、マリラ・カスバートは家の掃除と同じくらい頻繁にこの庭を掃除しているとふんでいた。地面の上で食事しても、諺にあるような泥をかき取らなくても食べられるんじゃないかね。
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好き勝手に生えた果樹園で囲われた場所は誰によって選ばれましたか。
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好き勝手に生えた果樹園で囲われたカスバート家の場所は、マシュー・カスバートの父親によって選ばれました。
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JCRRAG_003327
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国語
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昔々、アテネという都市施行されていた法律によれば、その都市の市民は、娘を自分が決めた人と結婚させることができる権限を与えられていたということだ。もしも娘があくまでも、父が娘むこに選んだ男との結婚を拒んだときには、父は法律に従って、娘を死刑に処する権限を持っていた。しかし、父というものは、自分の娘の死など望まないのが常なので、娘が少しくらい意地をはったところで、この法律はめったに実行されることはなかった。もちろん、その都市の娘たちは、両親たちの脅しによって、この法律の恐ろしさを知っていただろうということは想像に難くない。
ところである時、イージアスという老人がこの都市にいたのであるが、この人がシーシアス(当時アテネを治めていた君主)の前に進み出て、実際に娘のハーミアを死刑にしていただきたいと訴えでたのである。イージアスは娘に、アテネ在住の貴族の出であるディミートリアスという青年と結婚するように命じたのであるが、娘は、ライサンダーというアテネ人を愛していたために、父に従うことを拒否したのだ。イージアスはシーシアスに、裁判を開いて、この残酷な法に従って娘を死刑にしていただきたいと願い出たのである。
ハーミアは、父の命令に従わない理由として、以下のようなことを言った。ディミートリアスは、自分の親友であるヘレナに愛を告白したことがあります。ヘレナは彼のことを気も狂わんばかりに愛しております。しかし、ハーミアが父の命令に従わない理由として挙げた、もっともな理由でさえ、厳格なイージアスの心を動かすには至らなかった。
シーシアスは偉大なる君主であり、慈悲深い人であったけれども、自らの国の法律を変える権限を持っていなかったので、ハーミアに4日間の猶予期間を与えることしかできなかった。もしその期間が終わっても、彼女がまだディミートリアスとの結婚を拒めば、彼女は死刑となることに決まってしまったのだった。
ハーミアは、君主の御前を辞したあとに、愛するライサンダーのもとを訪ね、彼女の身にふりかかった危険を告げて、ライサンダーをあきらめてディミートリアスと結婚するか、4日後に命を失うか、2つに1つになった、と語った。
ライサンダーは、このようなひどい知らせに対して深い痛みを覚えた。しかし、彼のおばがアテネから離れた場所に住んでいるのを思いだし、おばの住むところでは、あの残酷な法律もハーミアに何ら適用されないこと(この法律は、アテネの境界内にしか通用しなかった)に気づいた。そこで、ライサンダーは、ハーミアにこう提案した。夜になったら、父の家から抜けだして、自分とともにおばの家へ行こう、そして、そこで結婚しよう。
「町の外、何マイルか離れた場所にある森で落ち合うことにしよう。」ライサンダーは言った。「ぼくたちが、ヘレナと一緒にあの楽しい5月によく散歩した、あの愉快な森の中で。」
この提案に、ハーミアは喜んで同意した。そして、家出のことは誰にも話さなかったが、親友であるヘレナにだけはうちあけた。ヘレナは(娘というものは、恋のためには実におろかなことをするものであるが)たいへんばかなことに、ディミートリアスのところへ行ってこの話をしようと決心した。ヘレナは親友の秘密を暴くことで報酬を期待してはいなかった。ただ、森へ行った不実な恋人の後を追おうというささやかな望みがあっただけであった。ヘレナには、ディミートリアスがハーミアの後を追っていくだろう、ということがよく分かっていたのだ。
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今のギリシャの首都にあたる都市では、昔、法律により、市民は娘を誰と結婚させることができる権限を与えられていましたか?
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今のギリシャの首都にあたる都市では、昔、法律により、市民は娘を自分が決めた人と結婚させることができる権限を与えられていました。
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JCRRAG_003328
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国語
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「透明怪人」の事件で、名探偵、明智小五郎に、正体を見やぶられた怪人二十面相は、そのまま警視庁の留置場に入れられ、いちおう、とりしらべをうけたのち、未決囚として東京都内のI拘置所に、ぶちこまれてしまいました。
二十面相といえば、これまでに、なんどとなく、牢やぶりをして、逃げだした怪物ですから、拘置所でも、とくべつの注意をして、もっとも、見はりにつごうのよい、げんじゅうな独房(ほかの人といっしょにしないで、ひとりだけ入れておく牢屋)をえらび、ふつうの見はりのほかに、ふたりの看守が、交代で、夜も昼も、たえまなく、その独房のまえに、立ちばんをすることになりました。
なにしろ、「透明怪人」という、とほうもない大事件の犯人が、みごとにつかまり、しかも、その犯人が怪人二十面相と、わかったのですから、世間は、もう、このうわさで、もちきりです。新聞も、怪人がつかまったいきさつを、くわしく書きたてますし、人がふたりよれば、お天気のあいさつのかわりに、二十面相の話をするという、ありさまです。
名探偵、明智小五郎の名声は、この大とり物によって、いやがうえにも高くなり、「透明怪人」をとらえた、日本のシャーロック・ホームズとして、西洋の新聞にも、明智のてがらばなしが、大きくのせられたほどです。
この人気をあてこんで、二つの映画会社が、「透明怪人」事件の映画をつくることになりましたが、芝居のほうでも、日比谷と、浅草の二つの劇場で、「透明怪人」劇が上演されるというさわぎでした。
ところが、二十面相が拘置所に入れられてから、五日めのことです。東京でも、いちばん読者の多い「日本新聞」に、つぎのような記事がデカデカとのせられ、世間をアッとおどろかせました。
「四十面相」と改名
いよいよ大事業にのりだす
拘置所内の二十面相から本紙によせた不敵の宣言
きのう午後二時、I拘置所内の二十面相から左のような奇怪な投書が、本社編集局に配達された。
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アーサー・コナン・ドイルの推理小説の主人公の日本版として、西洋の新聞で手柄話が大きく掲載されたのは誰ですか。
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アーサー・コナン・ドイルの推理小説の主人公の日本版として、西洋の新聞で手柄話が大きく掲載されたのは明智小五郎です。
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JCRRAG_003329
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国語
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レイチェル夫人が台所のドアを手早く叩くと、返事を待って中に入った。グリーン・ゲイブルズの台所は気持ちの良い部屋だった--というより、気持ちの良い部屋だったかもしれない。もしうんざりするほど奇麗なため、使っていない客間のような雰囲気がなければの話である。窓は東と西を向いていた。西側は裏庭を見渡し、6月の柔らかい陽の光があふれていた。一方の東の窓から少しだけのぞいている左手の果樹園では、白いサクランボの木々が今を盛りと咲き誇り、風になびくほっそりした樺の木立ちが、小川のそばを窪地まで続いているのが見えた。その窓には、絡まったツタが青々と生い茂っていた。この窓辺にマリラ・カスバートが座るのだが、座る場合もなんだか陽の光があたるといつも落ち着かなかった。世の中は真面目なものなのに、マリラにはちらちら踊る陽の光は、好き勝手に過ぎると感じるのだった。そこにマリラが編み物をしながら腰掛け、その後ろには夕食用にテーブルが置いてあった。
レイチェル夫人は、丁寧にドアを閉めてしまう間に、そのテーブルにのっているもの全部を頭にメモしていた。テーブルに3枚皿が置いてあるね、マリラが誰かとマシューをお茶に迎えるに違いない。でも、深皿はいつも使っているものだし、クラブ・アップルの砂糖漬けにケーキが1つとは、待っているお客は特別なお客ってわけじゃないね。それにしてはマシューのホワイト・カラーと栗毛の雌馬は何としよう?単調で謎とは縁遠いグリーン・ゲイブルズのいつにない謎に、レイチェル夫人はすっかり目眩がしてきた。
「こんにちは、レイチェル」マリラの挨拶は簡潔だ。「今日はほんとに良い天気だね。座ったら?お宅はみんな元気?」
友情という以外に名前のつけようがない何物かが、マリラ・カスバートとレイチェル夫人の間にあったし、これまでそれが失われたことはなかった。二人が全く違っているにも関らず、いやたぶん違っているからこその友情であろう。
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マリラ・カスバートはどの方角の窓辺に座りますか?
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マリラ・カスバートは東の窓辺に座ります。
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JCRRAG_003330
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国語
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レイチェル夫人は、頭を強烈に殴られたように感じた。夫人の頭の中でびっくりマークが踊っていた。男の子!マリラとマシュー・カスバートがよりによって男の子をもらうだって!それも孤児院から!まあ、確かに世も末だよ!こんなことがあった後じゃ、もう驚くなんてあるわけない!あるわけない!
「何でまた、そんなこと考えついたんだい?」夫人は非難の声で尋ねた。
夫人の忠告を求めもせずこんなことをしたからには、何としても認めるわけにはいかなかった。
「まあね、私達はこのことを長い間考えていたんだよ。実際、冬の間はずっとさ。」マリラが切り返した。「アレクサンダー・スペンサーの奥さんがクリスマス前にいつだったかいらして、何でも春になったら女の子を一人ホープタウンの孤児院からもらうということでね。従兄弟がそこに住んでいて、スペンサーの奥さんは行ったことがあるから様子は良く分かっているし。それでマシューと私は、それからというもの折りに触れ話し合ってたのさ。二人で考えたのは、男の子をもらおうということさ。マシューも歳をとってきたからね、もう60だよ、前ほど体が動くとはとてもいえないし。マシューの心臓は大分わるいんだよ。それに最近は人を雇うのがどれほど大変か知っているだろう。雇えるのは、ぼんくらで生意気なフランス人の男の子くらしかいないじゃないか。ようやく使い物になって何かを覚えたと思ったら、さっさと逃げ出してロブスターの缶詰工場とか合衆国へ行ってしまう。始めは、マシューが英本国の男の子にしようって行ったのさ。私は、だめだって言ったよ、そりゃそうさ。「英国の男の子は確かに良いかもしれない、そうじゃないとは言わないけど、ロンドンの浮浪児だけはごめんさ。」そういったんだ。「私にはこの土地の生まれの子が最低条件だね。冒険なのは誰をもらっても一緒だよ。でもね、私は心穏やかにぐっすり眠れると思うよ、もしカナダ生まれを貰うんだったらね。」それで最後には二人でスペンサーの奥さんにお願いすることに決めて、奥さんが向こうに女の子をもらいに行った時に、一人みつくろってもらうことにしたのさ。先週奥さんが出かけるって聞いてたから、奥さん宛にリチャード・スペンサー家の人にカーモディーでことづてを頼んだんだよ、賢くて、感じのよい男の子で10か11くらいのを一人お願いしますってね。いろいろ考えてそれくらいが一番良い年頃だろうって決めたんだよ、物の役に立って雑用もさっさとこなせるくらい大人で、ちゃんと躾けできるくらいには子供だし。うちはその子にとっちゃ恥ずかしくない家庭となるだろうし、学校教育も受けさせるつもりさ。アレクサンダー・スペンサーの奥さんから今日電報が届いてね、いつもの郵便配達人が駅から届けてくれたんだけどね、奥さん達が今晩5時半の汽車で着くと書いてあったよ。それでマシューがブライト・リバーにその子を迎えに出かけたのさ。スペンサーの奥さんは駅でその子を降ろしてくれるだろうし。もちろん奥さんは、そのままホワイト・サンズ駅まで乗っていくわけだから。」
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心臓が大分わるい人物の年齢はいくつですか?
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心臓が大分わるい人物の年齢は60です。
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JCRRAG_003331
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国語
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女の子は、マシューが前を通り過ぎた時からマシューに注意していたが、今はその一挙手一投足を見つめていた。マシューは目をそらしていたし、もし見たとしても、その子が実はどんな様子か見てとれなかったろうが、普通の人ならばこんなことを観察できただろう。11歳くらいの子供で、着ている服は、短くきつきつでみっともない、黄色っぽい灰色の交織であると。その子は色あせたこげ茶のむぎわら帽子をかぶっていて、その帽子の下あるのは、背中まで長く伸びた2本のおさげ。とても豊かだが、どうしようもなく赤かった。小さな顔は色白でほっそりしており、その上かなりそばかすが目立った。大きめの口元に、大きな目、光の当たりかたと気分によって、ある時は緑に、またある時は灰色にも見えた。
ここまで分かれば普通の人である。並外れた観察者ならさらに付け足したであろう。あごがかなりとがってはっきりしていること、大きな2つの目は生命力と活気に満ちていること、口元はかわいらしく感情が豊かであること、ひたいは広く豊かであること。一口でいえば、われらが洞察力ある観察者はこう結論するであろう。平凡ならざる魂が、このみなし児の女性である入れ物に宿っている。引っ込み思案のマシュー・カスバートが愚かしくも恐れているこの子は。
とはいえ、マシューは自分から話し掛けるという試練からは容赦された。その子はマシューが近づくと判断すると、自分から立ち上がり、一方のやせて日焼けした手で使い古しで時代遅れの旅行鞄の取っ手をしっかり握りしめ、残った手をマシューに差し出したからである。
「マシュー・カスバートさんですね、グリーン・ゲイブルズからいらした?」独特の、澄んだ、感じの良い声で女の子は言った。「お会いできてとっても嬉しいです。心配になってたんです、いらっしゃらなかったらどうしようって。何か起こって来られないかもしれないって、ありとあらゆることを想像してたんです。もし今晩迎えにいらっしゃらなかったら、線路の曲がり角にある、あの大きい野生のサクランボの木まで行って、よじ登って一晩過ごそうと決めてました。あたし、ちっとも恐くないんです。だって素敵じゃないですか、野生のサクランボの木に包まれて眠るなんて、月明かりの中、見渡す限り花で真っ白なのよ、そう思いません?自分が大理石の邸宅に住んでいるって想像できるかも、でしょ?それに、今晩がだめでも、きっと明日の朝には迎えに来て下さるって思ってました。」
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マシューは何歳くらいの子供から目をそらしていましたか?
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マシューは11歳くらいの子供から目をそらしていました。
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JCRRAG_003332
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国語
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マシューがブライト・リバーに着いたとき、まだ列車が来る様子はなかった。早くつきすぎたと思ったので、マシューは持ち馬を小さなブライト・リバー・ホテルの囲いに繋ぎ、駅舎の方へ向かった。駅の細長い乗車場は、誰もいず物寂しい様子だった。目につく生きものといえば女の子が一人だけで、一番はずれに積んだ屋根板の山にちょこんと座っていた。マシューは、それが女の子だと分かったとたん、横歩きでその子の前をなるべく急いで通り過ぎ、目を合わせないようにした。もしマシューがその子を見ていたなら、その子が緊張して堅くなっていたこと、何か期待している態度や表情に、まず間違いなく気がついていただろう。女の子はそこに座って、何かをあるいは誰かを待っていた。座ること、待つことがただ一つその時できることだったから、自分の持てる力の全てをつぎ込んで、座り、待ったのだった。
マシューが駅長とちょうど行き合った時、駅長は切符売り場を一旦閉めて、夕食をとりに帰宅するところだった。マシューは5時半の汽車がもうすぐやってくるのか尋ねた。
「5時半の汽車はとうに着いて、半時間前に出発しとります」駅長はあっさり返事した。「だが、一人お客さんが降りて待っとりますよ。ちっちゃな女の子ですな。そこの屋根板を積んだ上に座っていますよ。あの子には女性用の待合室に行くよう言ったんですが、外に居るほうが良いって大まじめに言われましてな。「外のほうが想像に広がりがある」とこうですよ。あの子は変わりもんですな、まあそういうことです。」
「わしは女の子を待っているのじゃないんです」困ったマシューは言った。 「男の子を、わしは迎えにきたんです。ここにいるはずなんだが。 アレクサンダー・スペンサーの奥さんがその子を連れて、 ノヴァ・スコシアからわしのところまで送る手筈になっておったんですよ。」
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持ち馬を小さなブライト・リバー・ホテルの囲いに繋ぎ、駅舎の方へ向かった人物は誰を迎えに来たのですか?
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持ち馬を小さなブライト・リバー・ホテルの囲いに繋ぎ、駅舎の方へ向かった人物は男の子を迎えに来ました。
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国語
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現代実在論の論客の一人として、なにより英米圏における現代のシェリング自然哲学研究者として名を馳せるイアン・ハミルトン・グラントの、現在のところ唯一の単著と言える本書が、ようやく日本語で読めるようになった。原著は2006年にContinuum社(現在ではBloomsbury社に統合)から「哲学における横断的な新方針」シリーズの一環として刊行されており、実に18年を経ての待望の翻訳である。
本書評の目的は、本書邦訳の刊行によって見込まれる新たな読者へと、本書の意義を分かりやすく伝えることにある。しかし原著の刊行から20年近く経つ本書は、すでにシェリング自然哲学研究における「必読書」としての地位を確立しつつある。またグラント自身については、邦訳の刊行以前から―いわゆる「思弁的実在論」の論者の一人としてではあるが―日本でも紹介が進められてきた。それに加えて、本書邦訳にもすでに菅原潤による優れた書評があり、なにより邦訳に付された「訳者解題」が本書の意義を的確にまとめている。そのため本書評では、各章の要約や解説は必要最小限にとどめ、むしろ本書の刊行を機に巻き起こった議論や反響、すなわち本書が今日の研究状況に及ぼしている影響を中心に見ていきたいと思う。
1.最初の応答―三つの書評に見るグラント
1-1.ジョセフ・P・ローレンス
本書の刊行後間もない2007年、同じくシェリング研究者として知られるジョセフ・ローレンスによる書評が公開された。管見の限り、これが本書に対する最初の書評である。そこで本書は端的に「難しい」と評されながらも、その重要性は認識されていたようで、二つの点で本書の意義が紹介されている。
一つ目は、本書が「唯物論的」なシェリング読解を擁護するものだ、という点である。「唯物論」という語は様々に受け取られうるし、またローレンス自身はこのことを詳しく説明しないが、差し当たり、人間の知性的理解の範疇を超えたある種の「自然史」の可能性をグラントが強調するため、それが「唯物論的」と受け止められたようである。ただしこれは、「自然」を運動法則に従う物体の集合と見なすのではなく、そうした物体を構成する「力」として捉えるグラントのシェリング自然哲学読解を通じて、はじめて正しく捉えることができるとローレンスは考える。こうした自然理解から、「自然そのものが歴史だ」というグラントの「自然史」テーゼは導き出される。「自然史」の強調には、歴史を「目的論」から解放するという意図があり、グラントによるシェリング(およびキールマイヤー)読解のひとつの主軸となっている。カントは「機械論的」な自然理解に対抗するために有機体及び目的論を持ち出したのだが、しかしこうしたある種の「自然の擬人化」こそ唾棄すべきものであり、シェリングの「反人間中心主義的自然理解」を見るべきだ、というグラントの主張にローレンスも同意する。
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誰が本書を最初に評価しましたか。
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ジョセフ・ローレンスが最初に本書を評価しました。
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2-2.シチズン・サイエンス、パブリック・ヒューマニティーズとその課題
このミュージアムにおける参加の流れは、調査や研究の実践を広く人々の参加と協働に開いていこうとする学術研究の動きとも重なりあっている。
学術研究におけるこの動向は、自然科学領域では、科学者と一般市民が研究実践を共になすための実践共同体を編成することを目指す(矢守 et al. 2021: 83)動きとして、主に「シチズン・サイエンス」と呼称され、人文科学領域では、大学や研究機関の内外のさまざまなグループが共同して行う発見のプロセス(Smulyan 2022: 125)として、「パブリック・ヒューマニティーズ」、あるいは「パブリック・ヒストリー」と呼称されている。
海外においては、シチズン・サイエンスやパブリック・ヒューマニティーズをめぐり、数多くの実践例や研究が共有されているが、近年、ミュージアムなどの文化機関における活動と結びつけて捉え直したり(Hetland, Pierroux, and Esborg 2020)、アートの領域における参加型の実践と照らし合わせる試みも共有されている(Smulyan 2020)。日本においては、2020年に日本学術会議若手アカデミーが「シチズンサイエンスを推進する社会システムの構築を目指して」(日本学術会議若手アカデミー 2020)を纏めるなど、シチズン・サイエンスの活性化に向けた動きが広まりつつある。
一方で、この提言では、国内におけるシチズン・サイエンス展開の課題の第一として、シチズン・サイエンスを広げるシステムの不足、すなわち「シチズンサイエンスの社会的認知度の低さと周知不足」をあげている(日本学術会議若手アカデミー 2020: 7)。シチズン・サイエンスへの参加意欲に関する研究(一方井 et al. 2020)によっても、この課題は裏付けられている。一方井らは、日本の人口構成比に近づくように無作為に抽出された男女計1,034名を対象としたオンライン・アンケートを実施し、シチズン・サイエンスの参加経験者が1.1%だったのに対して、参加意欲を持つものの割合が19.0%だったことから、「運営側が市民参加型プロジェクトに接触する機会を市民に適切に提供できていない」可能性を指摘している(一方井 et al. 2020: 67)。
これまで一部のグループによって行われてきた専門的な活動を、どのように新たな人々に接続し、開いてゆくのか、というシチズン・サイエンスの挑戦は、参加をめぐるミュージアムにおける実践および議論と大きく重なりあっている。
本研究ノートでは、ここまで概観してきたミュージアムと参加に関する議論、そしてシチズン・サイエンスやパブリック・ヒューマニティーズをめぐる国内における課題を踏まえた上で、2023年3月にKeMCoで開催した展覧会「構築される『遺跡』」展を取り上げて分析し、展覧会が持ちうる、多様な参加を開く場としての機能について検討したい。
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令和2年に「シチズンサイエンスを推進する社会システムの構築を目指して」を纏めた学術団体の名前は何ですか?
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令和2年に「シチズンサイエンスを推進する社会システムの構築を目指して」を纏めた学術団体の名前は日本学術会議若手アカデミーです。
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1.はじめに
慶應義塾ミュージアム・コモンズ(以下 KeMCo)では、2021年の開館以来、大学のコレクションに対する人々のエンゲージメントを多様化する実践に取り組んでいる。この実践の背後にあるのは、交流を生み出す「コモンズ」として機能する、すなわち、「学生・研究者・卒業生など大学に関わる多様なコミュニティが、文化財や学術資料などのさまざまなオブジェクトを基点として交流し、新たな発見や発想を生み出す場として機能」するというKeMCoのミッションである(慶應義塾ミュージアム・コモンズ 2021)。
ミュージアムにおいて、主たるコレクション・エンゲージメントの機会となるのは、展覧会とラーニング・プログラムであるが、KeMCoではラーニング・プログラムにおいてはオブジェクト・ベースト・ラーニング(Object-based Learning)の実践を通じて*¹、そして展覧会については、来場者や大学を取り巻くコミュニティのさまざまな関わりを招く参加型の設計を行うことによって、エンゲージメントの多様化を試みている。
本研究ノートでは、ミュージアムと参加をめぐる議論を参照しながら、2023年3月にKeMCoで開催された「構築される『遺跡』:KeMCo建設で発掘したもの・しなかったもの」展を具体的な事例として取り上げる。そして、同展覧会において、どのような参加のありかたが実現されていたのかを分析し、調査や研究の実践を広く人々の参加と協働に開いていこうとする学術研究の動き―シチズン・サイエンス、パブリック・ヒューマニティーズにおける展覧会の役割について検討したい。
2.ミュージアムと参加、学術領域における動向
2-1.ミュージアムと参加
21世紀におけるミュージアム活動の大きな潮流の一つに、参加(Participation)がある(Viita-aho 2021: 311)。ミュージアムにおいては古くから、来館者との関係性の構築が議論され、実践されてきたが、近年はその軸が来館者/鑑賞者を獲得することから、どのように社会と接続していくかに変化しつつある。この変化の背景を、ミュージアムとアーカイヴにおける参加の歴史を記述したA History of Participation in Museum and Archives(Hetland, Pierroux, and Esborg 2020)は、以下のように簡潔にまとめている。
「この変化は、ミュージアム研究においてさまざまな転回 [turn] として議論されている。社会的転回(Grewcock, 2013)、参加における転回(Carletti 2016、Simon 2010、Tomka 2013)、そして教育的転回(O'Neill & Wilson 2010、Rogoff 2008)などである。また、デジタル・コミュニケーション・プラットフォームにおける技術発展も、極めて重要な変化の原動力である。」(Hetland et al. 2020: 3)
デジタル技術の発展、とりわけソーシャル・メディアの隆盛は、「参加型文化(Participatory Culture)」を社会に根付かせ(Jenkins 2009: xi)、とくに若年層においては、インターネットを通じてコミュニティに参加し、自ら表現したものを共有すること、そしてその活動が認知されることが当たり前の日常となっている。加えて2010年代には、ミュージアムを「ただ一つの正しさを提示する一方通行のコミュニケーション」を行う場所ではなく、「社会に接続する課題を提起し、それに取り組み議論し熟考するフォーラム」(Svanberg 2010: 9)として捉える考えが相次いで提出され(Cameron 2010、Lynch 2013など)、ミュージアムが、民主主義的実践を展開する場として、いかに意思決定に関わる権力(Decision-making power)を参加者と共有していくかについても議論が行われている(Carpentier 2011)。
このような議論を背景に、各国のミュージアムにおいては参加をめぐり、さまざまなグループの人々を対象とする、さまざまな領域にまたがる実践が展開され、ケース・スタディの共有や理論の構築が行われている*²。一方で、ミュージアムにおける参加が、その設計のあり方によっては、ミュージアムの管理下における選択にすぎず、新たな来館者の管理になることに対する懸念も表明されている(光岡 2017: 242-251、Lynch 2014)。また、このような参加のありかたが、経験経済や経験価値マーケティング(堀田 2022)といった枠組みに取り込まれる危険性への目配りも忘れてはならない(登 et al. 2020: 289)。
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各国のミュージアムにおいて、参加についての事例研究はなされていますか?
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はい、各国のミュージアムにおいて、参加についての事例研究はなされています。
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「透明怪人」の事件で、名探偵、明智小五郎に、正体を見やぶられた怪人二十面相は、そのまま警視庁の留置場に入れられ、いちおう、とりしらべをうけたのち、未決囚として東京都内のI拘置所に、ぶちこまれてしまいました。
二十面相といえば、これまでに、なんどとなく、牢やぶりをして、逃げだした怪物ですから、拘置所でも、とくべつの注意をして、もっとも、見はりにつごうのよい、げんじゅうな独房(ほかの人といっしょにしないで、ひとりだけ入れておく牢屋)をえらび、ふつうの見はりのほかに、ふたりの看守が、交代で、夜も昼も、たえまなく、その独房のまえに、立ちばんをすることになりました。
なにしろ、「透明怪人」という、とほうもない大事件の犯人が、みごとにつかまり、しかも、その犯人が怪人二十面相と、わかったのですから、世間は、もう、このうわさで、もちきりです。新聞も、怪人がつかまったいきさつを、くわしく書きたてますし、人がふたりよれば、お天気のあいさつのかわりに、二十面相の話をするという、ありさまです。
名探偵、明智小五郎の名声は、この大とり物によって、いやがうえにも高くなり、「透明怪人」をとらえた、日本のシャーロック・ホームズとして、西洋の新聞にも、明智のてがらばなしが、大きくのせられたほどです。
この人気をあてこんで、二つの映画会社が、「透明怪人」事件の映画をつくることになりましたが、芝居のほうでも、日比谷と、浅草の二つの劇場で、「透明怪人」劇が上演されるというさわぎでした。
ところが、二十面相が拘置所に入れられてから、五日めのことです。東京でも、いちばん読者の多い「日本新聞」に、つぎのような記事がデカデカとのせられ、世間をアッとおどろかせました。
「四十面相」と改名
いよいよ大事業にのりだす
拘置所内の二十面相から本紙によせた不敵の宣言
きのう午後二時、I拘置所内の二十面相から左のような奇怪な投書が、本社編集局に配達された。
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「透明怪人」劇が上演される劇場は、台東区にある場所以外にどこにありますか。
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「透明怪人」劇が上演される劇場は、台東区にある場所以外に日比谷にあります。
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JCRRAG_003337
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国語
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「透明怪人」の事件で、名探偵、明智小五郎に、正体を見やぶられた怪人二十面相は、そのまま警視庁の留置場に入れられ、いちおう、とりしらべをうけたのち、未決囚として東京都内のI拘置所に、ぶちこまれてしまいました。
二十面相といえば、これまでに、なんどとなく、牢やぶりをして、逃げだした怪物ですから、拘置所でも、とくべつの注意をして、もっとも、見はりにつごうのよい、げんじゅうな独房(ほかの人といっしょにしないで、ひとりだけ入れておく牢屋)をえらび、ふつうの見はりのほかに、ふたりの看守が、交代で、夜も昼も、たえまなく、その独房のまえに、立ちばんをすることになりました。
なにしろ、「透明怪人」という、とほうもない大事件の犯人が、みごとにつかまり、しかも、その犯人が怪人二十面相と、わかったのですから、世間は、もう、このうわさで、もちきりです。新聞も、怪人がつかまったいきさつを、くわしく書きたてますし、人がふたりよれば、お天気のあいさつのかわりに、二十面相の話をするという、ありさまです。
名探偵、明智小五郎の名声は、この大とり物によって、いやがうえにも高くなり、「透明怪人」をとらえた、日本のシャーロック・ホームズとして、西洋の新聞にも、明智のてがらばなしが、大きくのせられたほどです。
この人気をあてこんで、二つの映画会社が、「透明怪人」事件の映画をつくることになりましたが、芝居のほうでも、日比谷と、浅草の二つの劇場で、「透明怪人」劇が上演されるというさわぎでした。
ところが、二十面相が拘置所に入れられてから、五日めのことです。東京でも、いちばん読者の多い「日本新聞」に、つぎのような記事がデカデカとのせられ、世間をアッとおどろかせました。
「四十面相」と改名
いよいよ大事業にのりだす
拘置所内の二十面相から本紙によせた不敵の宣言
きのう午後二時、I拘置所内の二十面相から左のような奇怪な投書が、本社編集局に配達された。
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皇居が置かれている都市でいちばん読者が多い新聞の名前は何ですか。
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皇居が置かれている都市でいちばん読者が多い新聞の名前は日本新聞です。
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「透明怪人」の事件で、名探偵、明智小五郎に、正体を見やぶられた怪人二十面相は、そのまま警視庁の留置場に入れられ、いちおう、とりしらべをうけたのち、未決囚として東京都内のI拘置所に、ぶちこまれてしまいました。
二十面相といえば、これまでに、なんどとなく、牢やぶりをして、逃げだした怪物ですから、拘置所でも、とくべつの注意をして、もっとも、見はりにつごうのよい、げんじゅうな独房(ほかの人といっしょにしないで、ひとりだけ入れておく牢屋)をえらび、ふつうの見はりのほかに、ふたりの看守が、交代で、夜も昼も、たえまなく、その独房のまえに、立ちばんをすることになりました。
なにしろ、「透明怪人」という、とほうもない大事件の犯人が、みごとにつかまり、しかも、その犯人が怪人二十面相と、わかったのですから、世間は、もう、このうわさで、もちきりです。新聞も、怪人がつかまったいきさつを、くわしく書きたてますし、人がふたりよれば、お天気のあいさつのかわりに、二十面相の話をするという、ありさまです。
名探偵、明智小五郎の名声は、この大とり物によって、いやがうえにも高くなり、「透明怪人」をとらえた、日本のシャーロック・ホームズとして、西洋の新聞にも、明智のてがらばなしが、大きくのせられたほどです。
この人気をあてこんで、二つの映画会社が、「透明怪人」事件の映画をつくることになりましたが、芝居のほうでも、日比谷と、浅草の二つの劇場で、「透明怪人」劇が上演されるというさわぎでした。
ところが、二十面相が拘置所に入れられてから、五日めのことです。東京でも、いちばん読者の多い「日本新聞」に、つぎのような記事がデカデカとのせられ、世間をアッとおどろかせました。
「四十面相」と改名
いよいよ大事業にのりだす
拘置所内の二十面相から本紙によせた不敵の宣言
きのう午後二時、I拘置所内の二十面相から左のような奇怪な投書が、本社編集局に配達された。
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桜田門とも呼ばれる機関で取り調べを受けたのは誰ですか。
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桜田門とも呼ばれる機関で取り調べを受けたのは怪人二十面相です。
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JCRRAG_003339
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この素晴しい芝居の時、イブン・サウドは固より独身ではなかった。遠い居城には愛妻ジオハラがいた。彼が真に愛した女はジオハラ一人だろうと云われている。然し彼はその生涯中、多くの女と結婚した。但し同時に四人以上の妻を持ったことはなかった。回教信者はモハメッドの定める戒律を守るものである。彼は敬虔な回教信者で、予言者の定めた戒律を厳重に守った。モハメッドは次のように規定している。「汝は二人、三人、或いは四人の妻を娶るも差支なし。されどそれより多くは娶るべからず。」イブン・サウドは大抵三人の妻を養い、四人目は空席にしておくことが多かった。このことだけでも、アラビアの王室に於ては道徳的と云われるだろう。そしてこのために、イブン・サウドは何等戒律にそむくことなしに素晴しい芝居が打てたのである。私は先般、上海の租界裏町で、数名の人々と回教料理を味いながら、老酒の酔がまわるにつれて、イブン・サウドのことを思い出したのである。回教料理は面白い。初めに幾種類かの前菜が出て、それからいよいよ羊の肉となる。食卓の中央に焜炉が据えられ、焜炉の上の鍋には、真中に小さな煙筒がつきぬけていて、下の火力が衰えないようにされている。羊の肉は薄く切って、径十五センチぐらいの平皿に河豚の刺肉のように並べてある。それを一切ずつ箸でとって、ぐらぐら沸立ってる鍋の湯に浸し、各自の好みに合う程度に自ら煮て、したじにつけて食べる。そのしたじの薬味が大変で、各種の醤油や酢や味噌や葱や香料など、十種類から十五種類に及ぶものを、これまた各自の好みに応じて自ら調合するのである。羊肉の皿は次々と運ばれてくる。沢山食べるほど豪いとされている。空皿を自分の前にうず高く積上げるのが自慢なのである。もし一二枚で終るほど弱い胃袋の持主なら、料亭の主人から軽蔑の眼で見られる。――アラビアの砂漠では、一人の妻しか持ち得ない弱体の王族は、恐らく同様な眼で人々から見られるだろう。ところで、上海のその料亭で陶然とした私の心に浮んだものは、胃袋とか、結婚とか、戒律とか、つまり、緯度や経度で異る習俗道徳のことではなくて、イブン・サウドがその素晴しい芝居によって自らを素晴しい男性だと証明し、ために兵士等が俄然勇み立ったという一事である。それは単に男性的な力というのでは言い尽せない。――一種の砂漠の幻影であろうか。
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イブン・サウドはモハメッドの戒律をなぜ厳重に守るのでしょうか。
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イブン・サウドがモハメッドの戒律を厳重に守るのは彼がイスラム教徒だからです。
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JCRRAG_003340
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2-2.シチズン・サイエンス、パブリック・ヒューマニティーズとその課題
このミュージアムにおける参加の流れは、調査や研究の実践を広く人々の参加と協働に開いていこうとする学術研究の動きとも重なりあっている。
学術研究におけるこの動向は、自然科学領域では、科学者と一般市民が研究実践を共になすための実践共同体を編成することを目指す(矢守 et al. 2021: 83)動きとして、主に「シチズン・サイエンス」と呼称され、人文科学領域では、大学や研究機関の内外のさまざまなグループが共同して行う発見のプロセス(Smulyan 2022: 125)として、「パブリック・ヒューマニティーズ」、あるいは「パブリック・ヒストリー」と呼称されている。
海外においては、シチズン・サイエンスやパブリック・ヒューマニティーズをめぐり、数多くの実践例や研究が共有されているが、近年、ミュージアムなどの文化機関における活動と結びつけて捉え直したり(Hetland, Pierroux, and Esborg 2020)、アートの領域における参加型の実践*3と照らし合わせる試みも共有されている(Smulyan 2020)。日本においては、2020年に日本学術会議若手アカデミーが「シチズンサイエンスを推進する社会システムの構築を目指して」(日本学術会議若手アカデミー 2020)を纏めるなど、シチズン・サイエンスの活性化に向けた動きが広まりつつある。
一方で、この提言では、国内におけるシチズン・サイエンス展開の課題の第一として、シチズン・サイエンスを広げるシステムの不足、すなわち「シチズンサイエンスの社会的認知度の低さと周知不足」をあげている(日本学術会議若手アカデミー 2020: 7)。シチズン・サイエンスへの参加意欲に関する研究(一方井 et al. 2020)によっても、この課題は裏付けられている。一方井らは、日本の人口構成比に近づくように無作為に抽出された男女計1,034名を対象としたオンライン・アンケートを実施し、シチズン・サイエンスの参加経験者が1.1%だったのに対して、参加意欲を持つものの割合が19.0%だったことから、「運営側が市民参加型プロジェクトに接触する機会を市民に適切に提供できていない」可能性を指摘している(一方井 et al. 2020: 67)。
これまで一部のグループによって行われてきた専門的な活動を、どのように新たな人々に接続し、開いてゆくのか、というシチズン・サイエンスの挑戦は、参加をめぐるミュージアムにおける実践および議論と大きく重なりあっている。
本研究ノートでは、ここまで概観してきたミュージアムと参加に関する議論、そしてシチズン・サイエンスやパブリック・ヒューマニティーズをめぐる国内における課題を踏まえた上で、2023年3月にKeMCoで開催した展覧会「構築される『遺跡』」展を取り上げて分析し、展覧会が持ちうる、多様な参加を開く場としての機能について検討したい。
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シチズン・サイエンスの挑戦は、どのようなものと共通点が多いですか?
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シチズン・サイエンスの挑戦は、参加をめぐるミュージアムにおける実践および議論と共通点が多いです。
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夫人は6月に入ったある日の午後、その窓辺に座っていた。窓辺に差し込む陽の光は、暖かく輝かしい。リンド家の下手の丘に面した果樹園は、ピンクがかった白い花が咲き誇り、婚礼の席の風情で、無数の蜜蜂が羽音をたてていた。トマス・リンド、この男は温和で背が低くアヴォンリーの者はレイチェル・リンドの亭主と呼んでいたが、納屋の向こうの丘の畑で遅蒔きのカブを蒔いていた。そしてマシュー・カスバートも、グリーンゲイブルズの向こうにある、大きく赤い小川のそばの畑で、種蒔きをしているはずだった。レイチェル夫人は、マシューがそうしているはずであることを知っていた。昨日の夕方にカーモディーのウィリアム・J・ブレアの店で、マシューが、明日の午後にはうちでもカブの種を蒔くつもりだと、ピーター・モリソンに話すのをちゃんと聞いていたのだ。ピーターがもちろんマシューに聞いたのだ。マシューが生まれてこのかた、自分から何か教えるなんてしたことがないのは周知のことだった。
それなのにマシュー・カスバートがそこにいるではないか、3時も半分まわって忙しい午後に、落ち着き払って馬を走らせ、窪地を越えて丘を登っていく。そのうえ、マシューはホワイト・カラーと一番良い上下を着こんでいる。これからアヴォンリーの外に出かけます、といっているようなものだ。馬車を引いているのはメリーという栗色の雌馬だ。雌馬は遠出に向いている。さて、いったい何処にマシュー・カスバートは出かけるのだろう、なぜ出かけてゆくのだろう。
アヴォンリーの他の男なら、とレイチェル夫人、さっさとあれやこれや寄せ集めて、いくらでも言い当てられるだろうよ、どっちの疑いもね。でもマシューはめったに家から出歩かないし、何か急ぎの珍しい用事でもあるに違いない。だいたいあんなに引っ込み思案な男はいないよ、余所者のいる所とか、自分から話さなきゃいけないような所には絶対近づかないし。マシューがホワイト・カラーをして馬車でお出かけなんて、そうそうざらにあるもんじゃない。レイチェル夫人はあれこれ考えてみたが、全く何も思い付かず、せっかくの楽しい午後がだいなしになった。
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メリーは何に向いていますか?
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メリーは遠出に向いています。
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JCRRAG_003342
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国語
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「並木道」そうニューブリッジの人達に呼ばれるのは、400から500ヤード道が続くところで、枝を大きく広げたリンゴの大木が道沿いにアーチをかけていた。リンゴは何年も前に変わり者の老農夫が植えたものだ。頭上高く、芳しい花の雪で覆われた円天井が連なっていた。枝々の下を見れば、大気は深紫色の黄昏で満ちていた。遠く向こうに残るのは、夕陽に染められた日没の空、それは大聖堂の側廊の一番奥に鎮座する、ステンドグラスの大窓のように輝いた。
あまりの美しさに、その子は口もきけなくなったようだった。馬車から後ろに乗り出して、やせた手を胸の前で組み合わせ、感動にあふれるその顔は、頭上のまっ白な輝きを仰ぎ見ていた。その輝きは、リンゴのアーチから発せられたものだ。
そこを通り過ぎても、ニューブリッジに続く長い坂道を下っても、その子は動きも話もしなかった。まだ感動の名残を顔に残しながら、陽が沈みゆく遠く西をじっと見つめていた。その二つの目は、その燃え上がる背景に重なる、いつまでもとぎれのない、輝く幻影を追っていた。ニューブリッジに入り、その騒がしい小さな村で、犬が何匹もこっちに向かっては吠え、小さな子供達は大声を上げては窓ごしに興味津々の顔をのぞかせても、二人を乗せた馬車はまだ沈黙の内に走り続けた。村を後にして3マイル余りがいつの間にか過ぎ去り、それでもまだその子は何も語ろうとしなかった。その子は沈黙を守ることができた、確かにそうだった。元気いっぱいおしゃべりできるのと同じくらいに。
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その子が仰ぎ見ていた木は、誰が植えたものですか?
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その子が仰ぎ見ていた木は、変わり者の老農夫が植えたものです。
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JCRRAG_003343
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国語
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【坂口安吾著「由起しげ子よエゴイストになれ」】
誰かの批評に、由起さんは女房として不適格、とあったが、これはアベコベだ。女房に不適格な小説が書けると、この人の作品は光彩を放つだろうが、今のところは、女房小説である。
だいたい、日本の家族制度のような国で、女房に適格な女に、ろくな小説の書ける見込みがない。
由起さんが、女房に不適格だと自任しているかどうかは知らないが、在来の家族制度とか、社会的因習に、根強い不満を示していることは、言説に現れている。若い娘たちが空論を弄ぶのと違って、四十歳をこした由起さんが自分の体験を理論の裏づけにして、穏やかに、しかし相当の硬論を吐いているところは大人々々している。
しかし、それが小説の支柱になっているかというと、そういうところも見当らなくて、由起さんの小説は甚だしく感性的で、雑然としているのである。
福田恆存が由起さんを酷評しているのは、当ったところがある。福田の批評は親切でないから、由起さんに通じないようだが、一言にして云うと、由起さんの小説は手前勝手すぎるというので、福田の気に入らないのである。
いろんな作中人物が、主人公、もしくは作中の事件との接触の面でだけ捉えられて、他のことは切り離されている。
その捉え方が、主観的、感性的で、自分をも含めて客観された後に発現した感性とちがう。
たとえば、警視総監は、女主人公を突っ放して笑遁の術を用いるけれども、女主人公は、大きな荷物を両手に二つも持ったことがないから、という理由で、屋根から荷物を投げ渡して脱走しようという少女に、クルリと背を向けてしまうのである。
この女主人公の態度は、少女から見れば、警視総監の笑遁の術よりも、冷めたく、残酷な仕打ちに感ぜられ、突き放されたであろう。大きな荷物を両手に二つも持ったことがないという理窟は、警視総監の笑遁の術にも同じ理窟がある筈で、この女主人公は自分の理窟は分るが、人の理窟が分らないだけの話なのである。
私は少女に打撃を与えている女主人公のエゴイズムを悪いというのではない。あの小説一篇の中で、際立ってめざましく印象に残るのは、少女にクルリと背を向けて歩きだした女主人公の冷めたさである。
少女のずるさを見抜くところも、シンラツで、意地が悪いが、又、めざましい。あれで少女を突き放さずに、まだ、援助しようなどと、甘ったるく同情しているから、やりきれないが、面白い。
同情や、甘さも物分りが悪く、手前勝手に徹しているといいが、時々物分りのよいオバサンらしいところを見せられると、イヤらしくさせられる。いつも背を向けてクルリと振向いて歩いていたら、そして彼女の感傷自体も大いに物分りがわるく手前勝手にエゴイズムが一質していたら、おそらく、あざやかにめざましいだろう。妖婦の技巧などというものが及びもつかぬエゴイズムの妖光を放つのではないかと思う。由起さんの素朴な、しかし、鮮やかな感性が最大限に効果を発揮するのは、その時であろう。
私が福田の考とアベコベなのは、ここである。
私は由起さんが物分りのいいオバサンになり、警視総監の笑遁の術にも、両手に大きな荷物を二つも持ったことがないからという立場を認めたら、下らない話だろうと思う。
むしろ、もっと物分りが悪くならなければいけない。今のところは、物分りのいいようなところが顔をだして、邪魔をしているのである。
芥川は「女房のカツレツは清潔だ」といった。そういう半可通な清潔さが、由起さんのめざましい感性を濁らせている。
芥川自身、この半可通な清潔感から脱出できなかった人であり、しかし自ら、それに気づき、傷いて、倒れた人でもあった。
由起さんは、芥川にくらべれば、もっと本質的にエゴイストであり、物分りが悪い。トコトンまで物分りが悪くなり、エゴイストになるのが、彼女の大成する道であろう。トコトンまで手前勝手になり、冷酷、センチ、最も雑然たる妖光を発散するがいい。
今までのところ、由起さんの作品で私・坂口安吾が一番好きなのは「脱走」で、手前勝手なところ、物分りの悪いところが、何より雑然と体をなしているからである。
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「女房のカツレツは清潔だ」といった人物が脱出できなかったものは何ですか?
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「女房のカツレツは清潔だ」といった人物が脱出できなかったものは半可通な清潔感です。
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JCRRAG_003344
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国語
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ハムレットのこの推測がどれくらい真実を突いているのか、母についてはどう考えるべきか、いったい母は先王殺しにどの程度関わっているのか、同意していたのか、知ってはいたのか、それとも全く関わりはなかったのか、そういった思考の堂々巡りがハムレットを悩まし、迷わせていた。
このとき、ハムレットの耳にある噂が届いた。彼の父である先王そっくりの亡霊を、不寝番の兵士たちが見かけたというのだ。真夜中になると宮殿前の高台に現れる、それも二晩とか三晩続けて出てきたというのだ。その姿はいつも同じで、頭のてっぺんからつま先まで、亡き王が生前着ていたことで有名な甲冑で固めているという話だった。それを見た人(ハムレットの腹心の友であるホレーシオもその一人であった)が話す、亡霊が現れる時刻やその振る舞いはみな一致していた。それによると、亡霊は時計が十二時を告げるまさにその時に姿を現すのだった。顔色は青白く、怒りというよりはむしろ悲しみを浮かべていた。顎髭《あごひげ》は半ば銀が混じった黒色で、まさに生前の姿そのままといえた。その姿を見たものが話しかけたが、亡霊は何も言わなかった。いや、一度だけ顔を上げ、何か言いたげに唇を動かしたようにも思えたのだが、ちょうどその時一番鶏が時を告げた、そしたら急に姿をくらまし、消え去ってしまった、というのであった。
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時計が十二時を告げるまさにその時に姿を現す亡霊は誰にそっくりでしたか?
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時計が十二時を告げるまさにその時に姿を現す亡霊はハムレットの父である先王にそっくりでした。
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1章 レイチェル・リンド夫人、仰天
レイチェル・リンド夫人は、アヴォンリー本街道がわずかに下がって小さな窪地に続くところに住んでいた。その窪地は榛の木と『貴婦人の耳飾り』の花で縁取られ、そこを横切って流れる川の源は、年月を経たカスバート地所の森に遡る。川の上流は、窪地から森を抜けて複雑に急速に流れ、途中には暗く人の知らない淵や小さな滝があるということだ。しかし、リンド窪地に至るまでには、静かで落ち着いた小さな小川となっていた。川でさえ礼節と作法に当然気を配らないでは、レイチェル・リンド夫人のドアの前を、流れてはいけないかのようである。レイチェル夫人が窓際に座って、通り過ぎるものを川から子供達に至るまで目ざとく観察しているのを、川は多分気付いていたのだろう。そして、もし夫人が奇妙なことや場違いな何かに気付いたなら、それがなぜか理由を探り出すまで決して落ち着いていられないだろうことも。
アヴォンリーとその界隈には、自分の事はさておいてお隣りの事に口出ししてしまう人々が大勢いる。しかしレイチェル・リンド夫人は自分の仕事もうまくこなし、よそ様の仕事もおまけにこなすといった大した人々の一人だった。夫人は有能な主婦だった。仕事はきちんと完璧にこなし、縫い物サークルはやる、日曜学校の手伝いはやる、その上、教会援助会(Church Aid Society)と海外伝道支援団体(Foreign Missions Auxiliary)の支援者筆頭だった。そういった全部をこなしてもまだ、木綿のキルトを編みながら台所の窓辺に何時間も座る時間の余裕を作れるのだった。アヴォンリーの主婦が恐れ入ったという調子で噂するように、夫人はもう既に16枚編み上げていた。同時に、窪地と交差し向こうの赤い丘までうねうねと続く主街道を、目ざとく見張っているのだった。アヴォンリーはセント・ローレンス湾へと、小さな三角形の島状に突き出して位置し、両側を海で囲まれていた。そのため、誰であれそこから出入りする者はその丘の道を越えなくてはならず、レイチェル夫人の全てを見通す目による、目にみえぬ試練に立ち向かわなくてはならなかった。
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どこが海外伝道支援団体の支援者筆頭によって目ざとく見張られていましたか?
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窪地と交差し向こうの赤い丘までうねうねと続く主街道が、海外伝道支援団体の支援者筆頭によって目ざとく見張られていました。
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1章 レイチェル・リンド夫人、仰天
レイチェル・リンド夫人は、アヴォンリー本街道がわずかに下がって小さな窪地に続くところに住んでいた。その窪地は榛の木と『貴婦人の耳飾り』の花で縁取られ、そこを横切って流れる川の源は、年月を経たカスバート地所の森に遡る。川の上流は、窪地から森を抜けて複雑に急速に流れ、途中には暗く人の知らない淵や小さな滝があるということだ。しかし、リンド窪地に至るまでには、静かで落ち着いた小さな小川となっていた。川でさえ礼節と作法に当然気を配らないでは、レイチェル・リンド夫人のドアの前を、流れてはいけないかのようである。レイチェル夫人が窓際に座って、通り過ぎるものを川から子供達に至るまで目ざとく観察しているのを、川は多分気付いていたのだろう。そして、もし夫人が奇妙なことや場違いな何かに気付いたなら、それがなぜか理由を探り出すまで決して落ち着いていられないだろうことも。
アヴォンリーとその界隈には、自分の事はさておいてお隣りの事に口出ししてしまう人々が大勢いる。しかしレイチェル・リンド夫人は自分の仕事もうまくこなし、よそ様の仕事もおまけにこなすといった大した人々の一人だった。夫人は有能な主婦だった。仕事はきちんと完璧にこなし、縫い物サークルはやる、日曜学校の手伝いはやる、その上、教会援助会(Church Aid Society)と海外伝道支援団体(Foreign Missions Auxiliary)の支援者筆頭だった。そういった全部をこなしてもまだ、木綿のキルトを編みながら台所の窓辺に何時間も座る時間の余裕を作れるのだった。アヴォンリーの主婦が恐れ入ったという調子で噂するように、夫人はもう既に16枚編み上げていた。同時に、窪地と交差し向こうの赤い丘までうねうねと続く主街道を、目ざとく見張っているのだった。アヴォンリーはセント・ローレンス湾へと、小さな三角形の島状に突き出して位置し、両側を海で囲まれていた。そのため、誰であれそこから出入りする者はその丘の道を越えなくてはならず、レイチェル夫人の全てを見通す目による、目にみえぬ試練に立ち向かわなくてはならなかった。
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教会援助会と海外伝道支援団体の支援者筆頭である人物は、何色の丘を越える人を見通していますか?
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教会援助会と海外伝道支援団体の支援者筆頭である人物は、赤い丘を越える人を見通しています。
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ダンスが終わると、ロミオはあの女性が立っているところを見つめていた。仮面をつけているおかげで、多少の無礼は許してもらえそうだったので、大胆にも彼はそっと彼女の手を取り、それを聖地と呼び、もしこれに手を触れて汚《けが》したのであれば、自分は赤面した巡礼だから、償いのために接吻させて欲しい、と言った。
「巡礼さま。」その女性は言った。「あなたのご信心はあまりにもお行儀よく、お上品でございます。聖者にだって手はございますもの、巡礼がお触れになってもよろしゅうございます。でも、接吻はいけませんわ。」
「聖者には唇がないのでしょうか、それに巡礼には?」ロミオは言った。
「いえ。」娘は言った。「お祈りに使わなければならないのですから、唇はございます。」
「それならば、私の愛する聖女さま。」ロミオは言った。「私の祈りを聞き届けてください。でなければ、私は絶望してしまいます。」
このようなほのめかしや、気の利いた愛のせりふを交換していると、娘は母親に呼ばれて、どこかへいってしまった。ロミオは、彼女の母はだれか、と尋ねて、あの類をみない美しさでもって彼の心を魅了した若い娘は、ジュリエットという名で、モンタギュー家の大敵キャピュレット卿の跡取り娘であることを知った。ロミオはそうとは知らずに敵《かたき》に思いを寄せてしまったのだ。このことは彼を苦しめたけれど、愛を捨てることはできなかった。
一方、ジュリエットの方も、ロミオと同様に苦しんでいた。というのは、彼女もまた、さっき言葉を交わした紳士がロミオであり、モンタギュー家の一員であることを知ったからである。驚くべきことに、彼女もロミオに対して、熱情的な一目惚れをしてしまっていたのだ。不吉な恋の始まりのようにジュリエットには思えた。彼女は敵《かたき》を恋しなければならなかった。ロミオは、彼女にとっては敵《かたき》の中でも、家族のことを思えば何をおいても憎むべき人のはずだった。にもかかわらず、愛してしまったのである。
真夜中になったので、ロミオは友人たちと宴会場をあとにした。しかし、友人たちはすぐにロミオを見失った。ロミオは心を奪われたあの人がいる家を立ち去ることができず、ジュリエットの家の裏手にあった果樹園の塀をとびこえたのだ。そこで彼が新しい恋についてあれこれ考えていると、間もなく、ジュリエットがロミオの頭上にあった窓から姿を見せた。その並はずれた美しさは、まるで東からのぼってくる朝日の光のように輝いて見えた。果樹園をほのかに照らす月は、この新たに出現した太陽の素晴らしい輝きをみて、悲しみに沈み青ざめているように、ロミオには見えた。彼女が手の上にほおをよりかからせているのを見て、彼は熱情がゆえに、ぼくがその手にはめる手袋だったらなあ、そうすれば彼女のほおに触れられるのに、と思うのだった。
ロミオがあれこれと思い悩んでいる間、ジュリエットは、自分がひとりであると感じ、「ああ、ああ。」といいながら深いため息をつくのだった。ロミオは彼女がものをいうのを聞いて喜び、彼女に聞こえないようにそっと言った。「もう一度話しておくれ、輝く天使。まさしくそうだ。あなたは人々がうち退いて見つめる、天上からやってきたお使いのように、ぼくの頭上にいるのだから。」
ジュリエットは、立ち聞きされているとも知らず、先ほどの事件によって生み出された新たな激情に身をまかせて、恋人の名を呼んだ(その場にはいないと思っていたのだ)。
「おお、ロミオ、ロミオ。」ジュリエットは言った。「どうしてあなたはロミオなの?私を想うなら、あなたのお父さまをすてて、お名前を名乗らないでくださいな。もしそうなさらないなら、私への愛を誓って欲しいですわ。そうすれば、私はキャピュレット家の人でなくなりましょう。」
ロミオは、これを聞いて勇気づけられ、口を開こうと思ったが、もっと先を聞こうと考えた。
令嬢はなおも、愛情を(彼女が想うままに)自らに語り続けた。ロミオがロミオであり、モンタギュー家の一員であることをなじり、彼が他の名前であってくれればよかったのにと言い、その憎い名前は捨ててしまえばいい、名前は本人の一部ではないのだから、捨ててしまって、かわりに私のすべてをとって欲しいと言った。
このような愛の言葉を聞いて、ロミオはもう我慢できなかった。ジュリエットの告白を、空想のものでなくて、本当に彼に話しかけたものであったように答えて、もしあなたが、ロミオという名前が気に入らないのなら、もうぼくはロミオではない、恋人とでも何とでも好きなように呼んでくれ、と言った。
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「巡礼さま」はジュリエットの手に何をさせてほしいと言いましたか?
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「巡礼さま」はジュリエットの手に接吻をさせてほしいと言いました。
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1.はじめに
慶應義塾ミュージアム・コモンズ(以下 KeMCo)では、2021年の開館以来、大学のコレクションに対する人々のエンゲージメントを多様化する実践に取り組んでいる。この実践の背後にあるのは、交流を生み出す「コモンズ」として機能する、すなわち、「学生・研究者・卒業生など大学に関わる多様なコミュニティが、文化財や学術資料などのさまざまなオブジェクトを基点として交流し、新たな発見や発想を生み出す場として機能」するというKeMCoのミッションである(慶應義塾ミュージアム・コモンズ 2021)。
ミュージアムにおいて、主たるコレクション・エンゲージメントの機会となるのは、展覧会とラーニング・プログラムであるが、KeMCoではラーニング・プログラムにおいてはオブジェクト・ベースト・ラーニング(Object-based Learning)の実践を通じて*¹、そして展覧会については、来場者や大学を取り巻くコミュニティのさまざまな関わりを招く参加型の設計を行うことによって、エンゲージメントの多様化を試みている。
本研究ノートでは、ミュージアムと参加をめぐる議論を参照しながら、2023年3月にKeMCoで開催された「構築される『遺跡』:KeMCo建設で発掘したもの・しなかったもの」展を具体的な事例として取り上げる。そして、同展覧会において、どのような参加のありかたが実現されていたのかを分析し、調査や研究の実践を広く人々の参加と協働に開いていこうとする学術研究の動き―シチズン・サイエンス、パブリック・ヒューマニティーズにおける展覧会の役割について検討したい。
2.ミュージアムと参加、学術領域における動向
2-1.ミュージアムと参加
21世紀におけるミュージアム活動の大きな潮流の一つに、参加(Participation)がある(Viita-aho 2021: 311)。ミュージアムにおいては古くから、来館者との関係性の構築が議論され、実践されてきたが、近年はその軸が来館者/鑑賞者を獲得することから、どのように社会と接続していくかに変化しつつある。この変化の背景を、ミュージアムとアーカイヴにおける参加の歴史を記述したA History of Participation in Museum and Archives(Hetland, Pierroux, and Esborg 2020)は、以下のように簡潔にまとめている。
「この変化は、ミュージアム研究においてさまざまな転回 [turn] として議論されている。社会的転回(Grewcock, 2013)、参加における転回(Carletti 2016、Simon 2010、Tomka 2013)、そして教育的転回(O'Neill & Wilson 2010、Rogoff 2008)などである。また、デジタル・コミュニケーション・プラットフォームにおける技術発展も、極めて重要な変化の原動力である。」(Hetland et al. 2020: 3)
デジタル技術の発展、とりわけソーシャル・メディアの隆盛は、「参加型文化(Participatory Culture)」を社会に根付かせ(Jenkins 2009: xi)、とくに若年層においては、インターネットを通じてコミュニティに参加し、自ら表現したものを共有すること、そしてその活動が認知されることが当たり前の日常となっている。加えて2010年代には、ミュージアムを「ただ一つの正しさを提示する一方通行のコミュニケーション」を行う場所ではなく、「社会に接続する課題を提起し、それに取り組み議論し熟考するフォーラム」(Svanberg 2010: 9)として捉える考えが相次いで提出され(Cameron 2010、Lynch 2013など)、ミュージアムが、民主主義的実践を展開する場として、いかに意思決定に関わる権力(Decision-making power)を参加者と共有していくかについても議論が行われている(Carpentier 2011)。
このような議論を背景に、各国のミュージアムにおいては参加をめぐり、さまざまなグループの人々を対象とする、さまざまな領域にまたがる実践が展開され、ケース・スタディの共有や理論の構築が行われている*²。一方で、ミュージアムにおける参加が、その設計のあり方によっては、ミュージアムの管理下における選択にすぎず、新たな来館者の管理になることに対する懸念も表明されている(光岡 2017: 242-251、Lynch 2014)。また、このような参加のありかたが、経験経済や経験価値マーケティング(堀田 2022)といった枠組みに取り込まれる危険性への目配りも忘れてはならない(登 et al. 2020: 289)。
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慶應義塾ミュージアム・コモンズ(以下 KeMCo)では、大学のコレクションに対する人々の関係性を多様化する実践に取り組んでいますか?
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はい、慶應義塾ミュージアム・コモンズ(以下 KeMCo)では、大学のコレクションに対する人々の関係性を多様化する実践に取り組んでいます。
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現代実在論の論客の一人として、なにより英米圏における現代のシェリング自然哲学研究者として名を馳せるイアン・ハミルトン・グラントの、現在のところ唯一の単著と言える本書が、ようやく日本語で読めるようになった。原著は2006年にContinuum社(現在ではBloomsbury社に統合)から「哲学における横断的な新方針」シリーズの一環として刊行されており、実に18年を経ての待望の翻訳である。
本書評の目的は、本書邦訳の刊行によって見込まれる新たな読者へと、本書の意義を分かりやすく伝えることにある。しかし原著の刊行から20年近く経つ本書は、すでにシェリング自然哲学研究における「必読書」としての地位を確立しつつある。またグラント自身については、邦訳の刊行以前から―いわゆる「思弁的実在論」の論者の一人としてではあるが―日本でも紹介が進められてきた。それに加えて、本書邦訳にもすでに菅原潤による優れた書評があり、なにより邦訳に付された「訳者解題」が本書の意義を的確にまとめている。そのため本書評では、各章の要約や解説は必要最小限にとどめ、むしろ本書の刊行を機に巻き起こった議論や反響、すなわち本書が今日の研究状況に及ぼしている影響を中心に見ていきたいと思う。
1.最初の応答―三つの書評に見るグラント
1-1.ジョセフ・P・ローレンス
本書の刊行後間もない2007年、同じくシェリング研究者として知られるジョセフ・ローレンスによる書評が公開された。管見の限り、これが本書に対する最初の書評である。そこで本書は端的に「難しい」と評されながらも、その重要性は認識されていたようで、二つの点で本書の意義が紹介されている。
一つ目は、本書が「唯物論的」なシェリング読解を擁護するものだ、という点である。「唯物論」という語は様々に受け取られうるし、またローレンス自身はこのことを詳しく説明しないが、差し当たり、人間の知性的理解の範疇を超えたある種の「自然史」の可能性をグラントが強調するため、それが「唯物論的」と受け止められたようである。ただしこれは、「自然」を運動法則に従う物体の集合と見なすのではなく、そうした物体を構成する「力」として捉えるグラントのシェリング自然哲学読解を通じて、はじめて正しく捉えることができるとローレンスは考える。こうした自然理解から、「自然そのものが歴史だ」というグラントの「自然史」テーゼは導き出される。「自然史」の強調には、歴史を「目的論」から解放するという意図があり、グラントによるシェリング(およびキールマイヤー)読解のひとつの主軸となっている。カントは「機械論的」な自然理解に対抗するために有機体及び目的論を持ち出したのだが、しかしこうしたある種の「自然の擬人化」こそ唾棄すべきものであり、シェリングの「反人間中心主義的自然理解」を見るべきだ、というグラントの主張にローレンスも同意する。
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原著は刊行されてすぐに翻訳されましたか?
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いいえ、原著は刊行されてすぐには翻訳されませんでした。
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JCRRAG_003350
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三年前の夏のことです。僕は人並みにリュック・サックを背負い、あの上高地の温泉宿から穂高山へ登ろうとしました。穂高山へ登るのには御承知のとおり梓川をさかのぼるほかはありません。僕は前に穂高山はもちろん、槍ヶ岳にも登っていましたから、朝霧の下りた梓川の谷を案内者もつれずに登ってゆきました。朝霧の下りた梓川の谷を――しかしその霧はいつまでたっても晴れる景色は見えません。のみならずかえって深くなるのです。僕は一時間ばかり歩いた後、一度は上高地の温泉宿へ引き返すことにしようかと思いました。けれども上高地へ引き返すにしても、とにかく霧の晴れるのを待った上にしなければなりません。といって霧は一刻ごとにずんずん深くなるばかりなのです。「ええ、いっそ登ってしまえ。」――僕はこう考えましたから、梓川の谷を離れないように熊笹の中を分けてゆきました。
しかし僕の目をさえぎるものはやはり深い霧ばかりです。もっとも時々霧の中から太い毛生欅や樅の枝が青あおと葉を垂らしたのも見えなかったわけではありません。それからまた放牧の馬や牛も突然僕の前へ顔を出しました。けれどもそれらは見えたと思うと、たちまち濛々とした霧の中に隠れてしまうのです。そのうちに足もくたびれてくれば、腹もだんだん減りはじめる、――おまけに霧にぬれ透った登山服や毛布なども並みたいていの重さではありません。僕はとうとう我を折りましたから、岩にせかれている水の音をたよりに梓川の谷へ下りることにしました。
僕は水ぎわの岩に腰かけ、とりあえず食事にとりかかりました。コオンド・ビイフの罐を切ったり、枯れ枝を集めて火をつけたり、――そんなことをしているうちにかれこれ十分はたったでしょう。その間にどこまでも意地の悪い霧はいつかほのぼのと晴れかかりました。僕はパンをかじりながら、ちょっと腕時計をのぞいてみました。時刻はもう一時二十分過ぎです。が、それよりも驚いたのは何か気味の悪い顔が一つ、円い腕時計の硝子の上へちらりと影を落としたことです。僕は驚いてふり返りました。すると、――僕が河童というものを見たのは実にこの時がはじめてだったのです。僕の後ろにある岩の上には画にあるとおりの河童が一匹、片手は白樺の幹を抱え、片手は目の上にかざしたなり、珍しそうに僕を見おろしていました。
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どうして「僕」は、朝霧が深くなる梓川の谷から引き返すか否か考えたのですか。
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霧が深いと視界が悪くて危険なので、「僕」は引き返すか否かを考えました。
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JCRRAG_003351
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国語
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現代実在論の論客の一人として、なにより英米圏における現代のシェリング自然哲学研究者として名を馳せるイアン・ハミルトン・グラントの、現在のところ唯一の単著と言える本書が、ようやく日本語で読めるようになった。原著は2006年にContinuum社(現在ではBloomsbury社に統合)から「哲学における横断的な新方針」シリーズの一環として刊行されており、実に18年を経ての待望の翻訳である。
本書評の目的は、本書邦訳の刊行によって見込まれる新たな読者へと、本書の意義を分かりやすく伝えることにある。しかし原著の刊行から20年近く経つ本書は、すでにシェリング自然哲学研究における「必読書」としての地位を確立しつつある。またグラント自身については、邦訳の刊行以前から―いわゆる「思弁的実在論」の論者の一人としてではあるが―日本でも紹介が進められてきた。それに加えて、本書邦訳にもすでに菅原潤による優れた書評があり、なにより邦訳に付された「訳者解題」が本書の意義を的確にまとめている。そのため本書評では、各章の要約や解説は必要最小限にとどめ、むしろ本書の刊行を機に巻き起こった議論や反響、すなわち本書が今日の研究状況に及ぼしている影響を中心に見ていきたいと思う。
1.最初の応答―三つの書評に見るグラント
1-1.ジョセフ・P・ローレンス
本書の刊行後間もない2007年、同じくシェリング研究者として知られるジョセフ・ローレンスによる書評が公開された。管見の限り、これが本書に対する最初の書評である。そこで本書は端的に「難しい」と評されながらも、その重要性は認識されていたようで、二つの点で本書の意義が紹介されている。
一つ目は、本書が「唯物論的」なシェリング読解を擁護するものだ、という点である。「唯物論」という語は様々に受け取られうるし、またローレンス自身はこのことを詳しく説明しないが、差し当たり、人間の知性的理解の範疇を超えたある種の「自然史」の可能性をグラントが強調するため、それが「唯物論的」と受け止められたようである。ただしこれは、「自然」を運動法則に従う物体の集合と見なすのではなく、そうした物体を構成する「力」として捉えるグラントのシェリング自然哲学読解を通じて、はじめて正しく捉えることができるとローレンスは考える。こうした自然理解から、「自然そのものが歴史だ」というグラントの「自然史」テーゼは導き出される。「自然史」の強調には、歴史を「目的論」から解放するという意図があり、グラントによるシェリング(およびキールマイヤー)読解のひとつの主軸となっている。カントは「機械論的」な自然理解に対抗するために有機体及び目的論を持ち出したのだが、しかしこうしたある種の「自然の擬人化」こそ唾棄すべきものであり、シェリングの「反人間中心主義的自然理解」を見るべきだ、というグラントの主張にローレンスも同意する。
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本書はシェリング自然哲学研究に欠かすことができないものですか?
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はい、本書はシェリング自然哲学研究に欠かすことができないものです。
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国語
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先週の日曜日に、学校で毎年恒例のスポーツ大会が行われました。
A組から参加した選手は全員、身長が180センチ以上でした。A組は全部で36人のクラスですが、参加選手は山本君、佐藤君、石山君の3人でした。
B組から参加した選手は皆、3丁目に住んでいました。B組は全部で33人のクラスですが、参加選手は鈴木君、金子君、岩田君の3人でした。
C組から参加した選手は全員、弟がいました。C組は全部で40人のクラスですが、参加選手は原井君、富田君、飯山君の3人でした。
D組から参加した選手は皆、カレーライスが好きでした。D組は全部で35人のクラスですが、参加選手は大川君、下田君、上原君の3人でした。
E組から参加した選手は全員、坊主頭でした。E組は全部で37人のクラスですが、参加選手は遠藤君、山井君、河野君の3人でした。
大会ではマラソン、100メートル走、水泳、走り幅跳び、砲丸投げの5種目が行われました。マラソンでは、石山君が大会新記録で1位になりました。100メートル走では、飯山君の記録が最も良かったです。水泳は大川君と河野君が同時にゴールしたため、決勝戦が行われ、大川君が優勝しました。走り幅跳びは遠藤君が2位の原井君より1メートル長い、7メートル30センチで優勝しました。砲丸投げは、金子君がトップでした。
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石山君の身長は180センチ以上ですか。
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はい、石山君の身長は180センチ以上です。
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国語
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先週の日曜日に、学校で毎年恒例のスポーツ大会が行われました。
A組から参加した選手は全員、身長が180センチ以上でした。A組は全部で36人のクラスですが、参加選手は山本君、佐藤君、石山君の3人でした。
B組から参加した選手は皆、3丁目に住んでいました。B組は全部で33人のクラスですが、参加選手は鈴木君、金子君、岩田君の3人でした。
C組から参加した選手は全員、弟がいました。C組は全部で40人のクラスですが、参加選手は原井君、富田君、飯山君の3人でした。
D組から参加した選手は皆、カレーライスが好きでした。D組は全部で35人のクラスですが、参加選手は大川君、下田君、上原君の3人でした。
E組から参加した選手は全員、坊主頭でした。E組は全部で37人のクラスですが、参加選手は遠藤君、山井君、河野君の3人でした。
大会ではマラソン、100メートル走、水泳、走り幅跳び、砲丸投げの5種目が行われました。マラソンでは、石山君が大会新記録で1位になりました。100メートル走では、飯山君の記録が最も良かったです。水泳は大川君と河野君が同時にゴールしたため、決勝戦が行われ、大川君が優勝しました。走り幅跳びは遠藤君が2位の原井君より1メートル長い、7メートル30センチで優勝しました。砲丸投げは、金子君がトップでした。
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岩田君は2丁目に住んでいましたか。
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いいえ、岩田君は2丁目に住んでいませんでした。
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国語
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先週の日曜日に、学校で毎年恒例のスポーツ大会が行われました。
A組から参加した選手は全員、身長が180センチ以上でした。A組は全部で36人のクラスですが、参加選手は山本君、佐藤君、石山君の3人でした。
B組から参加した選手は皆、3丁目に住んでいました。B組は全部で33人のクラスですが、参加選手は鈴木君、金子君、岩田君の3人でした。
C組から参加した選手は全員、弟がいました。C組は全部で40人のクラスですが、参加選手は原井君、富田君、飯山君の3人でした。
D組から参加した選手は皆、カレーライスが好きでした。D組は全部で35人のクラスですが、参加選手は大川君、下田君、上原君の3人でした。
E組から参加した選手は全員、坊主頭でした。E組は全部で37人のクラスですが、参加選手は遠藤君、山井君、河野君の3人でした。
大会ではマラソン、100メートル走、水泳、走り幅跳び、砲丸投げの5種目が行われました。マラソンでは、石山君が大会新記録で1位になりました。100メートル走では、飯山君の記録が最も良かったです。水泳は大川君と河野君が同時にゴールしたため、決勝戦が行われ、大川君が優勝しました。走り幅跳びは遠藤君が2位の原井君より1メートル長い、7メートル30センチで優勝しました。砲丸投げは、金子君がトップでした。
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原井君には弟がいましたか。
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はい、原井君には弟がいました。
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国語
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先週の日曜日に、学校で毎年恒例のスポーツ大会が行われました。
A組から参加した選手は全員、身長が180センチ以上でした。A組は全部で36人のクラスですが、参加選手は山本君、佐藤君、石山君の3人でした。
B組から参加した選手は皆、3丁目に住んでいました。B組は全部で33人のクラスですが、参加選手は鈴木君、金子君、岩田君の3人でした。
C組から参加した選手は全員、弟がいました。C組は全部で40人のクラスですが、参加選手は原井君、富田君、飯山君の3人でした。
D組から参加した選手は皆、カレーライスが好きでした。D組は全部で35人のクラスですが、参加選手は大川君、下田君、上原君の3人でした。
E組から参加した選手は全員、坊主頭でした。E組は全部で37人のクラスですが、参加選手は遠藤君、山井君、河野君の3人でした。
大会ではマラソン、100メートル走、水泳、走り幅跳び、砲丸投げの5種目が行われました。マラソンでは、石山君が大会新記録で1位になりました。100メートル走では、飯山君の記録が最も良かったです。水泳は大川君と河野君が同時にゴールしたため、決勝戦が行われ、大川君が優勝しました。走り幅跳びは遠藤君が2位の原井君より1メートル長い、7メートル30センチで優勝しました。砲丸投げは、金子君がトップでした。
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下田君はカレーライスが嫌いでしたか。
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いいえ、下田君はカレーライスが嫌いではありませんでした。
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先週の日曜日に、学校で毎年恒例のスポーツ大会が行われました。
A組から参加した選手は全員、身長が180センチ以上でした。A組は全部で36人のクラスですが、参加選手は山本君、佐藤君、石山君の3人でした。
B組から参加した選手は皆、3丁目に住んでいました。B組は全部で33人のクラスですが、参加選手は鈴木君、金子君、岩田君の3人でした。
C組から参加した選手は全員、弟がいました。C組は全部で40人のクラスですが、参加選手は原井君、富田君、飯山君の3人でした。
D組から参加した選手は皆、カレーライスが好きでした。D組は全部で35人のクラスですが、参加選手は大川君、下田君、上原君の3人でした。
E組から参加した選手は全員、坊主頭でした。E組は全部で37人のクラスですが、参加選手は遠藤君、山井君、河野君の3人でした。
大会ではマラソン、100メートル走、水泳、走り幅跳び、砲丸投げの5種目が行われました。マラソンでは、石山君が大会新記録で1位になりました。100メートル走では、飯山君の記録が最も良かったです。水泳は大川君と河野君が同時にゴールしたため、決勝戦が行われ、大川君が優勝しました。走り幅跳びは遠藤君が2位の原井君より1メートル長い、7メートル30センチで優勝しました。砲丸投げは、金子君がトップでした。
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河野君は坊主頭でしたか。
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はい、河野君は坊主頭でした。
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国語
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太郎は東京の下町・足立区の中学校に通う、山田家の長男です。山田家は太郎のほかに、お父さんの和雄、お母さんの順子、弟の次郎、祖父の義邦、祖母の春子の6人暮らしです。自宅は戦前に建てられた一軒家で、それぞれが自室を持っています。
1階の東側に自室があるのは和雄です。和雄は50歳で、大手都市銀行で部長を務めています。彼は定年後に蕎麦屋を開業する夢を持っており、そのための資金作りに励んでいます。
1階の南側に自室があるのは順子です。順子は48歳で、大学卒業後からずっと働いている建築事務所で経理の仕事をしています。順子の趣味はスノーボードです。
2階の東側に自室があるのは次郎です。次郎は12歳で、都内有数の私立小学校に通っている小学生です。次郎の将来の夢は医者になることで、毎日学校の帰りに塾で勉強しています。
3階の西側に自室があるのは義邦です。義邦は81歳で、65歳の定年退職後も同じ会社の嘱託社員として働いています。義邦の趣味は魚釣りです。
3階の東側に自室があるのは春子です。春子は79歳で、病弱なこともあり、家で静かに老後の生活を送っています。春子は毎週火曜日に盆栽教室を開いています。
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1階の東側に自室がある人は何歳ですか?
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1階の東側に自室がある人は50歳です。
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国語
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太郎は東京の下町・足立区の中学校に通う、山田家の長男です。山田家は太郎のほかに、お父さんの和雄、お母さんの順子、弟の次郎、祖父の義邦、祖母の春子の6人暮らしです。自宅は戦前に建てられた一軒家で、それぞれが自室を持っています。
1階の東側に自室があるのは和雄です。和雄は50歳で、大手都市銀行で部長を務めています。彼は定年後に蕎麦屋を開業する夢を持っており、そのための資金作りに励んでいます。
1階の南側に自室があるのは順子です。順子は48歳で、大学卒業後からずっと働いている建築事務所で経理の仕事をしています。順子の趣味はスノーボードです。
2階の東側に自室があるのは次郎です。次郎は12歳で、都内有数の私立小学校に通っている小学生です。次郎の将来の夢は医者になることで、毎日学校の帰りに塾で勉強しています。
3階の西側に自室があるのは義邦です。義邦は81歳で、65歳の定年退職後も同じ会社の嘱託社員として働いています。義邦の趣味は魚釣りです。
3階の東側に自室があるのは春子です。春子は79歳で、病弱なこともあり、家で静かに老後の生活を送っています。春子は毎週火曜日に盆栽教室を開いています。
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大学卒業後からずっと働いている建築事務所で経理の仕事をしている人は、どこに自室がありますか?
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大学卒業後からずっと働いている建築事務所で経理の仕事をしている人は、1階の南側に自室があります。
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国語
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太郎は東京の下町・足立区の中学校に通う、山田家の長男です。山田家は太郎のほかに、お父さんの和雄、お母さんの順子、弟の次郎、祖父の義邦、祖母の春子の6人暮らしです。自宅は戦前に建てられた一軒家で、それぞれが自室を持っています。
1階の東側に自室があるのは和雄です。和雄は50歳で、大手都市銀行で部長を務めています。彼は定年後に蕎麦屋を開業する夢を持っており、そのための資金作りに励んでいます。
1階の南側に自室があるのは順子です。順子は48歳で、大学卒業後からずっと働いている建築事務所で経理の仕事をしています。順子の趣味はスノーボードです。
2階の東側に自室があるのは次郎です。次郎は12歳で、都内有数の私立小学校に通っている小学生です。次郎の将来の夢は医者になることで、毎日学校の帰りに塾で勉強しています。
3階の西側に自室があるのは義邦です。義邦は81歳で、65歳の定年退職後も同じ会社の嘱託社員として働いています。義邦の趣味は魚釣りです。
3階の東側に自室があるのは春子です。春子は79歳で、病弱なこともあり、家で静かに老後の生活を送っています。春子は毎週火曜日に盆栽教室を開いています。
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3階の西側に自室がある人の趣味は何ですか?
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3階の西側に自室がある人の趣味は魚釣りです。
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国語
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太郎は東京の下町・足立区の中学校に通う、山田家の長男です。山田家は太郎のほかに、お父さんの和雄、お母さんの順子、弟の次郎、祖父の義邦、祖母の春子の6人暮らしです。自宅は戦前に建てられた一軒家で、それぞれが自室を持っています。
1階の東側に自室があるのは和雄です。和雄は50歳で、大手都市銀行で部長を務めています。彼は定年後に蕎麦屋を開業する夢を持っており、そのための資金作りに励んでいます。
1階の南側に自室があるのは順子です。順子は48歳で、大学卒業後からずっと働いている建築事務所で経理の仕事をしています。順子の趣味はスノーボードです。
2階の東側に自室があるのは次郎です。次郎は12歳で、都内有数の私立小学校に通っている小学生です。次郎の将来の夢は医者になることで、毎日学校の帰りに塾で勉強しています。
3階の西側に自室があるのは義邦です。義邦は81歳で、65歳の定年退職後も同じ会社の嘱託社員として働いています。義邦の趣味は魚釣りです。
3階の東側に自室があるのは春子です。春子は79歳で、病弱なこともあり、家で静かに老後の生活を送っています。春子は毎週火曜日に盆栽教室を開いています。
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79歳の人は何を毎週火曜日に開いていますか?
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79歳の人は盆栽教室を毎週火曜日に開いています。
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国語
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アントニオはヴェニスに住む人にとても愛されていたのだが、中でも親しくつきあっていたのはバサーニオという気立てのいいヴェニス人であった。バサーニオは親から財産を少しばかり相続したのだが、その財産をほとんど使い果たしてしまっていた。というのは、彼は自分の財産に似合わぬ派手な生活をしがちだったからである。財産を持たない若い貴族はよくそんなことをするのだ。バサーニオがお金に困るとアントニオは必ず彼を助けた。そのさまはまるで2人が1つの心と1つの財布を共有しているようだった。
ある日、バサーニオはアントニオを訪ねてこう言った。ぼくは財産を取り戻そうと考えている。愛する女《ひと》と富裕な結婚をしようと思うんだ。彼女のお父さんが最近亡くなってね、大きな財産をその人がたった1人で相続したんだ。お父さんがご存命だったころ、ぼくは彼女の家をよく訪ねていたんだ。そのとき彼女がぼくにときどきその目から無言の秋波を送っていたように思えてね、ぼくのことがまんざらでもないという感じだった。だがぼくには、大きな遺産を受け継いだあの女《ひと》の相手としてふさわしい風采を整えるだけの金がないんだ。そしてバサーニオはアントニオに懇願した。ぼくに対して親切にしてもらえるなら、3000ドュカート用立ててくれないか。アントニオはそのとき手元にお金を持っておらず、友だちに貸すことができなかった。しかし、商品を積んで帰ってくる船団があることを知っていたので、アントニオはこう言った。これから金持ちの金貸しであるシャイロックのところへ行こう。船に積んでいる商品を抵当にして金を借りることにするよ。
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バサーニオは愛する女と結婚しようと思っても、何が足りませんか。
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バサーニオは大きな遺産を受け継いだ女の相手として風采を整えるだけの金が足りません。
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国語
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マリラは背が高くやせた女で、あちこち角張って丸みに欠けている。マリラの黒い髪は幾筋か灰色のものが目立ち、いつも固く短いひっつめに結んで、2本のヘアピンでぶすっと止めてあった。マリラは、狭い世間で事足りる、頑ななまで真面目な女という風に見えたし、実際そうだった。しかし、口元に残っているのは、何かこう、あと少しでも表情豊かだったら、ユーモアのセンスを示すと言えなくもないものだった。
「うちはみんな元気なものさ」とレイチェル夫人。「あたしはなんだかあんた達の方が心配だよ、もっとも、マシューが出かけるのを今日見たんだけどね。もしかするとお医者に行くところなのかと思ったよ。」
そらきた、と言いたげに、マリラの口元がぴくっと動いた。マリラはレイチェル夫人が来るのを待ち受けていた。マシューがわけもないのに遠出するのを見たら、このお隣さんが好奇心を押さえていられないのは知れたことだった。
「いや、違うよ、私はすっかり元気さ、とはいえ昨日はひどく頭が痛くてね」マリラが言った。「マシューはブライト・リバーに行ったんだよ。私達で男の子を一人、ノヴァ・スコシアの孤児院からもらうことにしたんでね。それでマシューが今夜の汽車に迎えにいったとこさ。」
マリラが、マシューはブライト・リバーまで、オーストラリアから来たカンガルーを迎えに行ったと言ったほうが、まだレイチェル夫人は驚かなくて済んだかもしれない。夫人は実際この衝撃をくらってたっぷり5秒間は口がきけなかった。マリラがふざけた冗談を言うなんて想像できなかった。がしかし、レイチェル夫人にはやっぱりそうとしか思えなかった。
「あんた、本気なの、マリラ?」夫人はまた声が出せるようになってからそう迫った。
「もちろん、そうだよ」マリラは答えた。まるでノヴァ・スコシアの孤児院から男の子をもらうなんて、アヴォンリーの農家では春先の恒例行事のうちで、初めて耳にする大事ではないかのようだ。
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背が高くやせた女はどこから男の子を一人もらうことにしましたか?
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背が高くやせた女はノヴァ・スコシアの孤児院から男の子を一人もらうことにしました。
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国語
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海の中にとある島があった。そこには、プロスペロウという名の老人と、その娘で名前をミランダというとても美しい娘が2人だけで暮らしていた。ミランダは幼い頃にこの島にやってきたので、父の顔以外に、人間の顔を見た覚えがなかった。2人は岩でできたほら穴(すなわち岩屋)に住んでいた。そこにはいくつか部屋があって、その1つをプロスペロウは書斎と呼んでいた。彼はそこに、魔術について書かれた本などを収めていた。魔術に関する研究は、当時は研究者がこぞって愛用していたのだ。
プロスペロウが身につけた魔術の知識は、彼にとっておおいに役に立った。というのは、プロスペロウは妙な巡り合わせでこの島に打ち上げられたのであるが、そのとき島にはシコラックスという魔女によって魔法がかけられていたのである。シコラックスは、プロスペロウがこの島に流れつく少し前に死んでいた。プロスペロウは魔術を駆使して、大木の幹の中に閉じこめられていた、たくさんの善良なる精霊たちを解放したのだ。なぜ精霊たちが閉じこめられていたかというと、シコラックスのよこしまな命令に従うのを拒んでいたからである。精霊たちはおとなしい性格を持っており、解放された後はプロスペロウの意志に従っていた。その頭はエアリエルというものであった。
陽気な小妖精エアリエルは、生まれつきいたずらをするような性格ではなかった。ただ、キャリバンという名の醜い怪物をいじめておもしろがる悪いくせがあった。エアリエルはキャリバンに恨みを持っていた。キャリバンが旧敵シコラックスの息子だったからだ。
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エアリアルには、誰の息子をいじめて面白がる悪いくせがありましたか?
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エアリアルには、シコラックスの息子をいじめて面白がる悪いくせがありました。
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国語
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1章 レイチェル・リンド夫人、仰天
レイチェル・リンド夫人は、アヴォンリー本街道がわずかに下がって小さな窪地に続くところに住んでいた。その窪地は榛の木と『貴婦人の耳飾り』の花で縁取られ、そこを横切って流れる川の源は、年月を経たカスバート地所の森に遡る。川の上流は、窪地から森を抜けて複雑に急速に流れ、途中には暗く人の知らない淵や小さな滝があるということだ。しかし、リンド窪地に至るまでには、静かで落ち着いた小さな小川となっていた。川でさえ礼節と作法に当然気を配らないでは、レイチェル・リンド夫人のドアの前を、流れてはいけないかのようである。レイチェル夫人が窓際に座って、通り過ぎるものを川から子供達に至るまで目ざとく観察しているのを、川は多分気付いていたのだろう。そして、もし夫人が奇妙なことや場違いな何かに気付いたなら、それがなぜか理由を探り出すまで決して落ち着いていられないだろうことも。
アヴォンリーとその界隈には、自分の事はさておいてお隣りの事に口出ししてしまう人々が大勢いる。しかしレイチェル・リンド夫人は自分の仕事もうまくこなし、よそ様の仕事もおまけにこなすといった大した人々の一人だった。夫人は有能な主婦だった。仕事はきちんと完璧にこなし、縫い物サークルはやる、日曜学校の手伝いはやる、その上、教会援助会(Church Aid Society)と海外伝道支援団体(Foreign Missions Auxiliary)の支援者筆頭だった。そういった全部をこなしてもまだ、木綿のキルトを編みながら台所の窓辺に何時間も座る時間の余裕を作れるのだった。アヴォンリーの主婦が恐れ入ったという調子で噂するように、夫人はもう既に16枚編み上げていた。同時に、窪地と交差し向こうの赤い丘までうねうねと続く主街道を、目ざとく見張っているのだった。アヴォンリーはセント・ローレンス湾へと、小さな三角形の島状に突き出して位置し、両側を海で囲まれていた。そのため、誰であれそこから出入りする者はその丘の道を越えなくてはならず、レイチェル夫人の全てを見通す目による、目にみえぬ試練に立ち向かわなくてはならなかった。
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主街道と交差する小さな窪地は何で縁取られていましたか。
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その窪地は榛の木と『貴婦人の耳飾り』の花で縁取られていました。
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1章 レイチェル・リンド夫人、仰天
レイチェル・リンド夫人は、アヴォンリー本街道がわずかに下がって小さな窪地に続くところに住んでいた。その窪地は榛の木と『貴婦人の耳飾り』の花で縁取られ、そこを横切って流れる川の源は、年月を経たカスバート地所の森に遡る。川の上流は、窪地から森を抜けて複雑に急速に流れ、途中には暗く人の知らない淵や小さな滝があるということだ。しかし、リンド窪地に至るまでには、静かで落ち着いた小さな小川となっていた。川でさえ礼節と作法に当然気を配らないでは、レイチェル・リンド夫人のドアの前を、流れてはいけないかのようである。レイチェル夫人が窓際に座って、通り過ぎるものを川から子供達に至るまで目ざとく観察しているのを、川は多分気付いていたのだろう。そして、もし夫人が奇妙なことや場違いな何かに気付いたなら、それがなぜか理由を探り出すまで決して落ち着いていられないだろうことも。
アヴォンリーとその界隈には、自分の事はさておいてお隣りの事に口出ししてしまう人々が大勢いる。しかしレイチェル・リンド夫人は自分の仕事もうまくこなし、よそ様の仕事もおまけにこなすといった大した人々の一人だった。夫人は有能な主婦だった。仕事はきちんと完璧にこなし、縫い物サークルはやる、日曜学校の手伝いはやる、その上、教会援助会(Church Aid Society)と海外伝道支援団体(Foreign Missions Auxiliary)の支援者筆頭だった。そういった全部をこなしてもまだ、木綿のキルトを編みながら台所の窓辺に何時間も座る時間の余裕を作れるのだった。アヴォンリーの主婦が恐れ入ったという調子で噂するように、夫人はもう既に16枚編み上げていた。同時に、窪地と交差し向こうの赤い丘までうねうねと続く主街道を、目ざとく見張っているのだった。アヴォンリーはセント・ローレンス湾へと、小さな三角形の島状に突き出して位置し、両側を海で囲まれていた。そのため、誰であれそこから出入りする者はその丘の道を越えなくてはならず、レイチェル夫人の全てを見通す目による、目にみえぬ試練に立ち向かわなくてはならなかった。
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レイチェル・リンド夫人は何をしながら、窓辺で主街道をめざとく見張っていたのですか?
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レイチェル・リンド夫人は木綿のキルトを編みながら、窓辺で主街道をめざとく見張っていました。
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国語
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ハムレットのこの推測がどれくらい真実を突いているのか、母についてはどう考えるべきか、いったい母は先王殺しにどの程度関わっているのか、同意していたのか、知ってはいたのか、それとも全く関わりはなかったのか、そういった思考の堂々巡りがハムレットを悩まし、迷わせていた。
このとき、ハムレットの耳にある噂が届いた。彼の父である先王そっくりの亡霊を、不寝番の兵士たちが見かけたというのだ。真夜中になると宮殿前の高台に現れる、それも二晩とか三晩続けて出てきたというのだ。その姿はいつも同じで、頭のてっぺんからつま先まで、亡き王が生前着ていたことで有名な甲冑で固めているという話だった。それを見た人(ハムレットの腹心の友であるホレーシオもその一人であった)が話す、亡霊が現れる時刻やその振る舞いはみな一致していた。それによると、亡霊は時計が十二時を告げるまさにその時に姿を現すのだった。顔色は青白く、怒りというよりはむしろ悲しみを浮かべていた。顎髭《あごひげ》は半ば銀が混じった黒色で、まさに生前の姿そのままといえた。その姿を見たものが話しかけたが、亡霊は何も言わなかった。いや、一度だけ顔を上げ、何か言いたげに唇を動かしたようにも思えたのだが、ちょうどその時一番鶏が時を告げた、そしたら急に姿をくらまし、消え去ってしまった、というのであった。
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ハムレットの父である先王にそっくりな亡霊は何時に姿を現しますか?
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ハムレットの父である先王にそっくりな亡霊は十二時に姿を現します。
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2-2.シチズン・サイエンス、パブリック・ヒューマニティーズとその課題
このミュージアムにおける参加の流れは、調査や研究の実践を広く人々の参加と協働に開いていこうとする学術研究の動きとも重なりあっている。
学術研究におけるこの動向は、自然科学領域では、科学者と一般市民が研究実践を共になすための実践共同体を編成することを目指す(矢守 et al. 2021: 83)動きとして、主に「シチズン・サイエンス」と呼称され、人文科学領域では、大学や研究機関の内外のさまざまなグループが共同して行う発見のプロセス(Smulyan 2022: 125)として、「パブリック・ヒューマニティーズ」、あるいは「パブリック・ヒストリー」と呼称されている。
海外においては、シチズン・サイエンスやパブリック・ヒューマニティーズをめぐり、数多くの実践例や研究が共有されているが、近年、ミュージアムなどの文化機関における活動と結びつけて捉え直したり(Hetland, Pierroux, and Esborg 2020)、アートの領域における参加型の実践*3と照らし合わせる試みも共有されている(Smulyan 2020)。日本においては、2020年に日本学術会議若手アカデミーが「シチズンサイエンスを推進する社会システムの構築を目指して」(日本学術会議若手アカデミー 2020)を纏めるなど、シチズン・サイエンスの活性化に向けた動きが広まりつつある。
一方で、この提言では、国内におけるシチズン・サイエンス展開の課題の第一として、シチズン・サイエンスを広げるシステムの不足、すなわち「シチズンサイエンスの社会的認知度の低さと周知不足」をあげている(日本学術会議若手アカデミー 2020: 7)。シチズン・サイエンスへの参加意欲に関する研究(一方井 et al. 2020)によっても、この課題は裏付けられている。一方井らは、日本の人口構成比に近づくように無作為に抽出された男女計1,034名を対象としたオンライン・アンケートを実施し、シチズン・サイエンスの参加経験者が1.1%だったのに対して、参加意欲を持つものの割合が19.0%だったことから、「運営側が市民参加型プロジェクトに接触する機会を市民に適切に提供できていない」可能性を指摘している(一方井 et al. 2020: 67)。
これまで一部のグループによって行われてきた専門的な活動を、どのように新たな人々に接続し、開いてゆくのか、というシチズン・サイエンスの挑戦は、参加をめぐるミュージアムにおける実践および議論と大きく重なりあっている。
本研究ノートでは、ここまで概観してきたミュージアムと参加に関する議論、そしてシチズン・サイエンスやパブリック・ヒューマニティーズをめぐる国内における課題を踏まえた上で、2023年3月にKeMCoで開催した展覧会「構築される『遺跡』」展を取り上げて分析し、展覧会が持ちうる、多様な参加を開く場としての機能について検討したい。
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日本においては誰がシチズン・サイエンスを盛り上げていっていますか。
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日本においては、若手がシチズン・サイエンスを盛り上げていっています。
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国語
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2-2.シチズン・サイエンス、パブリック・ヒューマニティーズとその課題
このミュージアムにおける参加の流れは、調査や研究の実践を広く人々の参加と協働に開いていこうとする学術研究の動きとも重なりあっている。
学術研究におけるこの動向は、自然科学領域では、科学者と一般市民が研究実践を共になすための実践共同体を編成することを目指す(矢守 et al. 2021: 83)動きとして、主に「シチズン・サイエンス」と呼称され、人文科学領域では、大学や研究機関の内外のさまざまなグループが共同して行う発見のプロセス(Smulyan 2022: 125)として、「パブリック・ヒューマニティーズ」、あるいは「パブリック・ヒストリー」と呼称されている。
海外においては、シチズン・サイエンスやパブリック・ヒューマニティーズをめぐり、数多くの実践例や研究が共有されているが、近年、ミュージアムなどの文化機関における活動と結びつけて捉え直したり(Hetland, Pierroux, and Esborg 2020)、アートの領域における参加型の実践*3と照らし合わせる試みも共有されている(Smulyan 2020)。日本においては、2020年に日本学術会議若手アカデミーが「シチズンサイエンスを推進する社会システムの構築を目指して」(日本学術会議若手アカデミー 2020)を纏めるなど、シチズン・サイエンスの活性化に向けた動きが広まりつつある。
一方で、この提言では、国内におけるシチズン・サイエンス展開の課題の第一として、シチズン・サイエンスを広げるシステムの不足、すなわち「シチズンサイエンスの社会的認知度の低さと周知不足」をあげている(日本学術会議若手アカデミー 2020: 7)。シチズン・サイエンスへの参加意欲に関する研究(一方井 et al. 2020)によっても、この課題は裏付けられている。一方井らは、日本の人口構成比に近づくように無作為に抽出された男女計1,034名を対象としたオンライン・アンケートを実施し、シチズン・サイエンスの参加経験者が1.1%だったのに対して、参加意欲を持つものの割合が19.0%だったことから、「運営側が市民参加型プロジェクトに接触する機会を市民に適切に提供できていない」可能性を指摘している(一方井 et al. 2020: 67)。
これまで一部のグループによって行われてきた専門的な活動を、どのように新たな人々に接続し、開いてゆくのか、というシチズン・サイエンスの挑戦は、参加をめぐるミュージアムにおける実践および議論と大きく重なりあっている。
本研究ノートでは、ここまで概観してきたミュージアムと参加に関する議論、そしてシチズン・サイエンスやパブリック・ヒューマニティーズをめぐる国内における課題を踏まえた上で、2023年3月にKeMCoで開催した展覧会「構築される『遺跡』」展を取り上げて分析し、展覧会が持ちうる、多様な参加を開く場としての機能について検討したい。
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シチズン・サイエンスに参加意欲を持つ人は非常に多いですか。
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いいえ、シチズン・サイエンスに参加意欲を持つ人は多くはありません。
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3.構築される「遺跡」:KeMCo建設で発掘したもの・しなかったもの
「構築される『遺跡』:KeMCo建設で発掘したもの・しなかったもの」展(2023年3月6日~4月27日)は、2018年から2019年にかけて行われたKeMCo建設*4にともなう発掘調査と、それをめぐる思考をテーマにした展覧会である。
2021年末から、KeMCoの所員であり、発掘調査プロジェクトを担当した安藤広道(慶應義塾大学文学部教授)と相談を開始し、2022年1月のKeMCo新春展「虎の棲む空き地」で、発掘した遺物の先行小展示を開催した。その後、2022年6月頃より、安藤に民族学考古学教室の大学院生を加えた展示企画チームが編成され、本格的に準備が始まった。
限られた期間に行われた調査でありながら、この発掘調査では、三田キャンパスあるいは港区一帯の歴史を研究し語るうえでの重要な痕跡が発見された。本展覧会は、そのような発掘の成果を共有するとともに、成果の外にあるもの―発掘しなかったものに目を向けることに重きをおいていた。展示企画チームをリードした安藤広道による、展覧会カタログの巻頭言を見てみよう。
「一方、私たちはこの発掘で、この地に残る過去の痕跡のすべてを発掘したわけではなかった。・・・実は発掘は、痕跡を選択する行為なのであり、どんな痕跡をどのように発掘するかによって、「遺跡」の範囲や内容は異なるものとなる。つまり「遺跡」と「遺跡」を通して語られる「歴史」は、発掘を行う側の選択によって構築されるものなのである。
(中略)ただ、「歴史」は、視点の違いによって幾通りにも語り得るものである。また、ある場所の過去は、多様なかたちで私たち一人ひとりと結びついている。ある視点で選択から漏れた痕跡が、別の視点で大きな意味をもつこともあるはずである。
(中略)私たちが構築した「遺跡」をいったん解体してみることを通して、今後一人ひとりが「遺跡」と「歴史」の構築にどのように向き合い、関わっていくことができるのかを考えるきっかけにしてもらいたいと思っている。」(安藤 2023)
このテキストに明確に示されているように、本展は、発掘で選択されなかったものと、それらのものが語ったかもしれない幾通りもの歴史の可能性に目を向けることが企図されていた。そのため、展覧会に関わる人々が、展覧会の会場に並べられた(あるいは並べられなかった)遺物と向き合うことができるような、参加型の展示設計を試みた。
展覧会は、大きく3つのパートで構成されている[1]。
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安藤広道は慶應大学の人ですか。
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はい、安藤広道は慶應大学の教授です。
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3.構築される「遺跡」:KeMCo建設で発掘したもの・しなかったもの
「構築される『遺跡』:KeMCo建設で発掘したもの・しなかったもの」展(2023年3月6日~4月27日)は、2018年から2019年にかけて行われたKeMCo建設*4にともなう発掘調査と、それをめぐる思考をテーマにした展覧会である。
2021年末から、KeMCoの所員であり、発掘調査プロジェクトを担当した安藤広道(慶應義塾大学文学部教授)と相談を開始し、2022年1月のKeMCo新春展「虎の棲む空き地」で、発掘した遺物の先行小展示を開催した。その後、2022年6月頃より、安藤に民族学考古学教室の大学院生を加えた展示企画チームが編成され、本格的に準備が始まった。
限られた期間に行われた調査でありながら、この発掘調査では、三田キャンパスあるいは港区一帯の歴史を研究し語るうえでの重要な痕跡が発見された。本展覧会は、そのような発掘の成果を共有するとともに、成果の外にあるもの―発掘しなかったものに目を向けることに重きをおいていた。展示企画チームをリードした安藤広道による、展覧会カタログの巻頭言を見てみよう。
「一方、私たちはこの発掘で、この地に残る過去の痕跡のすべてを発掘したわけではなかった。・・・実は発掘は、痕跡を選択する行為なのであり、どんな痕跡をどのように発掘するかによって、「遺跡」の範囲や内容は異なるものとなる。つまり「遺跡」と「遺跡」を通して語られる「歴史」は、発掘を行う側の選択によって構築されるものなのである。
(中略)ただ、「歴史」は、視点の違いによって幾通りにも語り得るものである。また、ある場所の過去は、多様なかたちで私たち一人ひとりと結びついている。ある視点で選択から漏れた痕跡が、別の視点で大きな意味をもつこともあるはずである。
(中略)私たちが構築した「遺跡」をいったん解体してみることを通して、今後一人ひとりが「遺跡」と「歴史」の構築にどのように向き合い、関わっていくことができるのかを考えるきっかけにしてもらいたいと思っている。」(安藤 2023)
このテキストに明確に示されているように、本展は、発掘で選択されなかったものと、それらのものが語ったかもしれない幾通りもの歴史の可能性に目を向けることが企図されていた。そのため、展覧会に関わる人々が、展覧会の会場に並べられた(あるいは並べられなかった)遺物と向き合うことができるような、参加型の展示設計を試みた。
展覧会は、大きく3つのパートで構成されている[1]。
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誰が展示企画チームを引っ張っていきましたか。
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安藤広道が展示企画チームを引っ張っていきました。
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5.展覧会における参加のモダリティの可視化
さまざまな参加のモダリティが展覧会の会場で可視化されていることで、展覧会に足を運んだ参加者は、自分以外の人々、他者の存在を、明瞭ではないにせよ感じることになる。その他者は、キュレーターやミュージアム・スタッフに留まらないさまざまな主体であり、それぞれに異なるモダリティで展覧会に参加している。そのような他者の、一様ではない参加モダリティと出会う体験は、展覧会に参加するありかたが限定されておらず、「自分でもできる」参加がある、と来館者が考える契機となるのではないだろうか。
「構築される『遺跡』」展の来場者アンケート(回答数:445/950)では、「またKeMCoを訪れたいと思うか、その理由はなにか」「特に印象に残った資料・作品はなにか、その理由はなにか」「その他の意見や感想」という3項目について自由記述で回答を求めた。回答には、「意欲的な展示方法で、様々な人が関わる場として機能しているように感じた」「他の来館者の意見がメモから見れるのが面白く新しい視点から資料を見れた」「展示が他ではない意欲的な形で面白い(客⇔学芸員の相互のやり取りとか)」「様々な見解や考察が興味深くてわくわくした」「大学ならではの参加型の取り組みに惹かれた」「内外問わず巻き込む意欲的な展示が『コモンズ』を体現していたように感じた」等の記述があり、発掘、遺物、歴史という対象への関わりが、一様で定められたものではないこと―ひとりひとりが、自分の思う方法で向き合い、語ることができるものであるというメッセージを展示の総体として表現することができたと考えている。一方で、「展示のまとまりが感じられなかった」、「専門的な内容について補助解説が必要である」とのフィードバックもあった。これらの意見は、多様な視点、異なる参加のモダリティの提示によって、展示室が情報過密な状態となり、来館者の体験に混乱が生じたことを示唆している。展示の導き手として非常に有効に機能する、統一的なナラティヴを用いない、あるいは後景化する場合に、どのようなナビゲーションを準備すべきか、今後検討する必要がある。
ミュージアムにおける参加をめぐっては、非常に多くの研究が発表されているが、今後、本研究を深めるにあたっては、異なる参加の結果やプロセスをどのように展示空間の中で共存させ、表現するかに焦点を絞り、調査を進めてゆきたい。参加プロセスの展示については、現代美術、とくに、《MITA Intercept_》が文脈を共有するソーシャリー・エンゲージド・アートの領域に豊富な実践が蓄積されており、重要な参照項となるだろう。
本稿では、「構築される『遺跡』」展が、多様な参加のモダリティを内包するとともに、それを可視化する場であったことを示した。このような実践は、さまざまな人を参加という営みに招くために有効であり、本稿第2章第2節で言及した、シチズン・サイエンスなどの領域とミュージアムが分かち持つ挑戦̶すなわち、これまで一部のグループによって行われてきた専門的な活動を、どのように新たな人々に接続し、参加に開いてゆくのか、という課題への一つのアプローチとなり得ると考える。
前述した日本学術会議の提言においては、この課題に対してサイエンスカフェ、ワークショップ、アイデアソンなど、イベント形式の活動が示されている。このような形態の活動にももちろん一定の有効性があるが、イベント形式の活動は、基本的には、時間と空間を同じくする参加者にだけ共有されるものである。そのため、その場に参加しなかった人々には体験を伝えることが難しく、また、参加のモダリティも限定的になる傾向がある。
一方、展覧会は、イベントよりも長いタイムレンジを持ち、その分、多様な参加のモダリティを受け止める余地を残している。さらに、その多様なモダリティを展示空間の中で可視化し、来館者に他者の参加のありようを提示することによって、ミュージアムの活動への参加が一様なものではなく、それぞれの主体の動機、タイミング、レベルにおける関わりに開かれていることを示唆する場ともなりうるだろう。
本研究ノートでは、参加をひらく場としての展覧会の可能性を述べるに留まったが、今後、参加のモダリティの可視化という観点から、先行する実践例や研究のレビューを改めて行うとともに、KeMCoでの展覧会の機会を活用して試行的企画を実施してゆきたい。
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展覧会に参加している人は一様ですか。
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いいえ、展覧会に参加している人は多様です。
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国語
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昔々、アテネという都市に1つの法律が施行されていた。その法律によれば、その都市の市民は、娘を自分が決めた人と結婚させることができる権限を持っていた。もしも娘があくまでも、父が娘むこに選んだ男との結婚を拒んだときには、父は法律に従って、娘を死刑に処する権限を持っていた。しかし、父というものは、自分の娘の死など望まないのが常なので、娘が少しくらい意地をはったところで、この法律はめったに実行されることはなかった。もちろん、その都市の娘たちは、両親たちの脅しによって、この法律の恐ろしさを知っていただろうということは想像に難くない。
ところである時、イージアスという老人がこの都市にいたのであるが、この人がシーシアス(当時アテネを治めていた君主)の前に進み出て、実際に娘のハーミアを死刑にしていただきたいと訴えでたのである。イージアスは娘に、アテネ在住の貴族の出であるディミートリアスという青年と結婚するように命じたのであるが、娘は、ライサンダーというアテネ人を愛していたために、父に従うことを拒否したのだ。イージアスはシーシアスに、裁判を開いて、この残酷な法に従って娘を死刑にしていただきたいと願い出たのである。
ハーミアは、父の命令に従わない理由として、以下のようなことを言った。ディミートリアスは、自分の親友であるヘレナに愛を告白したことがあります。ヘレナは彼のことを気も狂わんばかりに愛しております。しかし、ハーミアが父の命令に従わない理由として挙げた、もっともな理由でさえ、厳格なイージアスの心を動かすには至らなかった。
シーシアスは偉大なる君主であり、慈悲深い人であったけれども、自らの国の法律を変える権限を持っていなかったので、ハーミアに4日間の猶予期間を与えることしかできなかった。もしその期間が終わっても、彼女がまだディミートリアスとの結婚を拒めば、彼女は死刑となることに決まってしまったのだった。
ハーミアは、君主の御前を辞したあとに、愛するライサンダーのもとを訪ね、彼女の身にふりかかった危険を告げて、ライサンダーをあきらめてディミートリアスと結婚するか、4日後に命を失うか、2つに1つになった、と語った。
ライサンダーは、このようなひどい知らせに対して深い痛みを覚えた。しかし、彼のおばがアテネから離れた場所に住んでいるのを思いだし、おばの住むところでは、あの残酷な法律もハーミアに何ら適用されないこと(この法律は、アテネの境界内にしか通用しなかった)に気づいた。そこで、ライサンダーは、ハーミアにこう提案した。夜になったら、父の家から抜けだして、自分とともにおばの家へ行こう、そして、そこで結婚しよう。
「町の外、何マイルか離れた場所にある森で落ち会うことにしよう。」ライサンダーは言った。「ぼくたちが、ヘレナと一緒にあの楽しい5月によく散歩した、あの愉快な森の中で。」
この提案に、ハーミアは喜んで同意した。そして、家出のことは誰にも話さなかったが、親友であるヘレナにだけはうちあけた。ヘレナは(娘というものは、恋のためには実におろかなことをするものであるが)たいへんばかなことに、ディミートリアスのところへ行ってこの話をしようと決心した。ヘレナは親友の秘密を暴くことで報酬を期待してはいなかった。ただ、森へ行った不実な恋人の後を追おうというささやかな望みがあっただけであった。ヘレナには、ディミートリアスがハーミアの後を追っていくだろう、ということがよく分かっていたのだ。
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ライサンダーは誰にプロポーズしましたか。
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ライサンダーはハーミアにプロポーズしました。
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国語
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3.構築される「遺跡」:KeMCo建設で発掘したもの・しなかったもの
「構築される『遺跡』:KeMCo建設で発掘したもの・しなかったもの」展(2023年3月6日~4月27日)は、2018年から2019年にかけて行われたKeMCo建設*4にともなう発掘調査と、それをめぐる思考をテーマにした展覧会である。
2021年末から、KeMCoの所員であり、発掘調査プロジェクトを担当した安藤広道(慶應義塾大学文学部教授)と相談を開始し、2022年1月のKeMCo新春展「虎の棲む空き地」で、発掘した遺物の先行小展示を開催した。その後、2022年6月頃より、安藤に民族学考古学教室の大学院生を加えた展示企画チームが編成され、本格的に準備が始まった。
限られた期間に行われた調査でありながら、この発掘調査では、三田キャンパスあるいは港区一帯の歴史を研究し語るうえでの重要な痕跡が発見された。本展覧会は、そのような発掘の成果を共有するとともに、成果の外にあるもの―発掘しなかったものに目を向けることに重きをおいていた。展示企画チームをリードした安藤広道による、展覧会カタログの巻頭言を見てみよう。
「一方、私たちはこの発掘で、この地に残る過去の痕跡のすべてを発掘したわけではなかった。・・・実は発掘は、痕跡を選択する行為なのであり、どんな痕跡をどのように発掘するかによって、「遺跡」の範囲や内容は異なるものとなる。つまり「遺跡」と「遺跡」を通して語られる「歴史」は、発掘を行う側の選択によって構築されるものなのである。
(中略)ただ、「歴史」は、視点の違いによって幾通りにも語り得るものである。また、ある場所の過去は、多様なかたちで私たち一人ひとりと結びついている。ある視点で選択から漏れた痕跡が、別の視点で大きな意味をもつこともあるはずである。
(中略)私たちが構築した「遺跡」をいったん解体してみることを通して、今後一人ひとりが「遺跡」と「歴史」の構築にどのように向き合い、関わっていくことができるのかを考えるきっかけにしてもらいたいと思っている。」(安藤 2023)
このテキストに明確に示されているように、本展は、発掘で選択されなかったものと、それらのものが語ったかもしれない幾通りもの歴史の可能性に目を向けることが企図されていた。そのため、展覧会に関わる人々が、展覧会の会場に並べられた(あるいは並べられなかった)遺物と向き合うことができるような、参加型の展示設計を試みた。
展覧会は、大きく3つのパートで構成されている[1]。
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展示企画チームに学生は参加しましたか。
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はい、展示企画チームに学生は参加しました。
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国語
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第1章 短歌と俳句
短歌
5・7・5・7・7の5句31音で構成される和歌のことを短歌と呼びます。短歌の起源についてはっきりしたことは分かっていませんが、日本最古の和歌集『万葉集』の存在から、奈良時代には既に短歌は詠まれていたと考えられています。
和歌とは中国の漢詩に対して発生した名称で、短歌のほかに長歌(ながうた)や旋頭歌(せどうか)、片歌(かたうた)といった種類がありました。しかし平安時代以降、短歌以外の和歌はほとんど詠まれなくなり、和歌と言えば主に短歌のことを指すようになりました。
歴史の中で脈々と受け継がれてきた短歌ですが、明治時代になると正岡子規(まさおか しき)によって短歌の革新運動が起こります。旧来の伝統にとらわれず、新しい表現方法を取り入れる革新が起こったことで、短歌の世界はより多くの人が楽しめるものへと広がっていきました。
俳句
俳句とは、5・7・5の17音でつくる詩のことで、世界一短い詩といわれています。「季語」という季節を表す言葉を入れるというルールがあります。
俳句は短歌から派生して生まれました。平安時代には主に貴族の間で親しまれた短歌は、室町時代になると上の句(5・7・5)と下の句(7・7)を別々の人が読む「連歌」となって庶民の間にも流行します。次第に、旧来の伝統にとらわれず洒落や言葉遊びなどを交えた歌が作られるようになり、そういった歌は「愉快な」という意味を持つ「俳諧」や「俳諧の連歌」と呼ばれました。江戸時代に松尾芭蕉が「蕉風(しょうふう)」と呼ばれる独自の作風を打ち立て、俳諧は芸術にまで高められました。そのころから発句(季語を必ず入れる前半の5・7・5)が句の中心となっていきます。
明治時代になると、俳諧の革新を提唱した正岡子規によって発句は名称を「俳句」と改められ、一般に定着します。発句の形式が俳句として定着したことで、俳句は短詩型文芸として確立され、今日まで続く日本の代表的な文芸のひとつとなりました。
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短歌には7音の句がいくつ含まれますか。
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短歌には7音の句が3つ含まれます。
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国語
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4-2.参加者グループと参加のモダリティ
「構築される『遺跡』」に関わったグループは、大きく9のグループに分けることができる*⁶。
KeMCo企画チーム(KeMCo学芸スタッフ、KeMCo学芸員補)、発掘調査担当教員、展示企画チーム(民族学考古学研究室の大学院生)、民族学考古学研究室の学生(大学院生、学部生)、慶應義塾大学の学生(ミュージアムに興味を持つ大学院生、学部生)、KeMCoM(KeMCoの学生プロジェクトスタッフ)、美術家、「痕跡と自分のあいだ」ワークショップ参加者(慶應義塾大学の学生、港区民)、そして来館者である。
参加される主体と参加する主体の線引きをどのように行うのか、すなわち、ミュージアムの内部のグループと外部のグループをどのように分けるのかは、それぞれの機関の組織、運営手法や特徴によっても異なる(Davis 2010: 316)。KeMCoは、「創造的な空き地」をコンセプトとしており、「自由にさまざまなものや発想を持ち寄って、一緒に鑑賞、学習、あるいは研究することで、新たな発見や発想が生まれ、また当事者間の交流が促進される」場として機能することを目指している。参加分析において、一般的にはミュージアム・スタッフは「参加される主体」とする場合が多いが、KeMCoに属するグループは「参加する主体」として設定した。「創造的な空き地」の主人はKeMCoではなく、空き地での活動において、KeMCoはメンテナーとしての役割を持ちながらも、他の参加者グループと同じように、一参加者として展覧会に関わると考えているからだ。
これらの参加者グループの展覧会への参加の様相、モダリティは一様ではない。単純に参加期間に着目しても[¹³]、2018年の発掘調査時から参加していたグループもあれば、展覧会準備から参加したグループ、そして展覧会の会期中に参加したグループもある。また、会期中の参加といっても、会期の全期間参加する場合もあれば、ごく限られた日時に参加する場合もある。
参加の内容もそれぞれに異なる。「構築される『遺跡』」は、3章で示したように、2つの展示室とエントランス・ホールで展開された展示である。Room 1の展示(セクション1-5)では、発掘調査担当教員(担当教員)と展示企画チームがキュレーションの主体となり、記名解説の執筆を行った(役割:主催)。KeMCo企画チームは展示企画会議に参加し、会場パネル、サインや配布物の制作も含めた展示デザインを担当したほか、専門外からの視点を導入した(役割:共創)。Room 1に陳列された発掘資料の整理や修復には、民族学考古学研究室の学生(民考学生)が関わっている(役割:協働)。KeMCoの学生プロジェクトスタッフKeMCoMは、Room 1の展示に取材して、KeMCoM発行の小冊子(Zine)、「CoZ」を発行した(役割:協働)。
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「構築される『遺跡』」に関わったグループは多様ですか。
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はい、構築される『遺跡』」に関わったグループは多様です。
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国語
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1.はじめに
慶應義塾ミュージアム・コモンズ(以下 KeMCo)では、2021年の開館以来、大学のコレクションに対する人々のエンゲージメントを多様化する実践に取り組んでいる。この実践の背後にあるのは、交流を生み出す「コモンズ」として機能する、すなわち、「学生・研究者・卒業生など大学に関わる多様なコミュニティが、文化財や学術資料などのさまざまなオブジェクトを基点として交流し、新たな発見や発想を生み出す場として機能」するというKeMCoのミッションである(慶應義塾ミュージアム・コモンズ 2021)。
ミュージアムにおいて、主たるコレクション・エンゲージメントの機会となるのは、展覧会とラーニング・プログラムであるが、KeMCoではラーニング・プログラムにおいてはオブジェクト・ベースト・ラーニング(Object-based Learning)の実践を通じて*¹、そして展覧会については、来場者や大学を取り巻くコミュニティのさまざまな関わりを招く参加型の設計を行うことによって、エンゲージメントの多様化を試みている。
本研究ノートでは、ミュージアムと参加をめぐる議論を参照しながら、2023年3月にKeMCoで開催された「構築される『遺跡』:KeMCo建設で発掘したもの・しなかったもの」展を具体的な事例として取り上げる。そして、同展覧会において、どのような参加のありかたが実現されていたのかを分析し、調査や研究の実践を広く人々の参加と協働に開いていこうとする学術研究の動き―シチズン・サイエンス、パブリック・ヒューマニティーズにおける展覧会の役割について検討したい。
2.ミュージアムと参加、学術領域における動向
2-1.ミュージアムと参加
21世紀におけるミュージアム活動の大きな潮流の一つに、参加(Participation)がある(Viita-aho 2021: 311)。ミュージアムにおいては古くから、来館者との関係性の構築が議論され、実践されてきたが、近年はその軸が来館者/鑑賞者を獲得することから、どのように社会と接続していくかに変化しつつある。この変化の背景を、ミュージアムとアーカイヴにおける参加の歴史を記述したA History of Participation in Museum and Archives(Hetland, Pierroux, and Esborg 2020)は、以下のように簡潔にまとめている。
「この変化は、ミュージアム研究においてさまざまな転回 [turn] として議論されている。社会的転回(Grewcock, 2013)、参加における転回(Carletti 2016、Simon 2010、Tomka 2013)、そして教育的転回(O'Neill & Wilson 2010、Rogoff 2008)などである。また、デジタル・コミュニケーション・プラットフォームにおける技術発展も、極めて重要な変化の原動力である。」(Hetland et al. 2020: 3)
デジタル技術の発展、とりわけソーシャル・メディアの隆盛は、「参加型文化(Participatory Culture)」を社会に根付かせ(Jenkins 2009: xi)、とくに若年層においては、インターネットを通じてコミュニティに参加し、自ら表現したものを共有すること、そしてその活動が認知されることが当たり前の日常となっている。加えて2010年代には、ミュージアムを「ただ一つの正しさを提示する一方通行のコミュニケーション」を行う場所ではなく、「社会に接続する課題を提起し、それに取り組み議論し熟考するフォーラム」(Svanberg 2010: 9)として捉える考えが相次いで提出され(Cameron 2010、Lynch 2013など)、ミュージアムが、民主主義的実践を展開する場として、いかに意思決定に関わる権力(Decision-making power)を参加者と共有していくかについても議論が行われている(Carpentier 2011)。
このような議論を背景に、各国のミュージアムにおいては参加をめぐり、さまざまなグループの人々を対象とする、さまざまな領域にまたがる実践が展開され、ケース・スタディの共有や理論の構築が行われている*²。一方で、ミュージアムにおける参加が、その設計のあり方によっては、ミュージアムの管理下における選択にすぎず、新たな来館者の管理になることに対する懸念も表明されている(光岡 2017: 242-251、Lynch 2014)。また、このような参加のありかたが、経験経済や経験価値マーケティング(堀田 2022)といった枠組みに取り込まれる危険性への目配りも忘れてはならない(登 et al. 2020: 289)。
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今世紀におけるミュージアム活動でポピュラーなものの一つはなんですか?
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今世紀におけるミュージアム活動でポピュラーなものの一つは参加です。
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国語
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1.はじめに
慶應義塾ミュージアム・コモンズ(以下 KeMCo)では、2021年の開館以来、大学のコレクションに対する人々のエンゲージメントを多様化する実践に取り組んでいる。この実践の背後にあるのは、交流を生み出す「コモンズ」として機能する、すなわち、「学生・研究者・卒業生など大学に関わる多様なコミュニティが、文化財や学術資料などのさまざまなオブジェクトを基点として交流し、新たな発見や発想を生み出す場として機能」するというKeMCoのミッションである(慶應義塾ミュージアム・コモンズ 2021)。
ミュージアムにおいて、主たるコレクション・エンゲージメントの機会となるのは、展覧会とラーニング・プログラムであるが、KeMCoではラーニング・プログラムにおいてはオブジェクト・ベースト・ラーニング(Object-based Learning)の実践を通じて*¹、そして展覧会については、来場者や大学を取り巻くコミュニティのさまざまな関わりを招く参加型の設計を行うことによって、エンゲージメントの多様化を試みている。
本研究ノートでは、ミュージアムと参加をめぐる議論を参照しながら、2023年3月にKeMCoで開催された「構築される『遺跡』:KeMCo建設で発掘したもの・しなかったもの」展を具体的な事例として取り上げる。そして、同展覧会において、どのような参加のありかたが実現されていたのかを分析し、調査や研究の実践を広く人々の参加と協働に開いていこうとする学術研究の動き―シチズン・サイエンス、パブリック・ヒューマニティーズにおける展覧会の役割について検討したい。
2.ミュージアムと参加、学術領域における動向
2-1.ミュージアムと参加
21世紀におけるミュージアム活動の大きな潮流の一つに、参加(Participation)がある(Viita-aho 2021: 311)。ミュージアムにおいては古くから、来館者との関係性の構築が議論され、実践されてきたが、近年はその軸が来館者/鑑賞者を獲得することから、どのように社会と接続していくかに変化しつつある。この変化の背景を、ミュージアムとアーカイヴにおける参加の歴史を記述したA History of Participation in Museum and Archives(Hetland, Pierroux, and Esborg 2020)は、以下のように簡潔にまとめている。
「この変化は、ミュージアム研究においてさまざまな転回 [turn] として議論されている。社会的転回(Grewcock, 2013)、参加における転回(Carletti 2016、Simon 2010、Tomka 2013)、そして教育的転回(O'Neill & Wilson 2010、Rogoff 2008)などである。また、デジタル・コミュニケーション・プラットフォームにおける技術発展も、極めて重要な変化の原動力である。」(Hetland et al. 2020: 3)
デジタル技術の発展、とりわけソーシャル・メディアの隆盛は、「参加型文化(Participatory Culture)」を社会に根付かせ(Jenkins 2009: xi)、とくに若年層においては、インターネットを通じてコミュニティに参加し、自ら表現したものを共有すること、そしてその活動が認知されることが当たり前の日常となっている。加えて2010年代には、ミュージアムを「ただ一つの正しさを提示する一方通行のコミュニケーション」を行う場所ではなく、「社会に接続する課題を提起し、それに取り組み議論し熟考するフォーラム」(Svanberg 2010: 9)として捉える考えが相次いで提出され(Cameron 2010、Lynch 2013など)、ミュージアムが、民主主義的実践を展開する場として、いかに意思決定に関わる権力(Decision-making power)を参加者と共有していくかについても議論が行われている(Carpentier 2011)。
このような議論を背景に、各国のミュージアムにおいては参加をめぐり、さまざまなグループの人々を対象とする、さまざまな領域にまたがる実践が展開され、ケース・スタディの共有や理論の構築が行われている*²。一方で、ミュージアムにおける参加が、その設計のあり方によっては、ミュージアムの管理下における選択にすぎず、新たな来館者の管理になることに対する懸念も表明されている(光岡 2017: 242-251、Lynch 2014)。また、このような参加のありかたが、経験経済や経験価値マーケティング(堀田 2022)といった枠組みに取り込まれる危険性への目配りも忘れてはならない(登 et al. 2020: 289)。
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KeMCoは、大学のコレクションに対する人々のエンゲージメントを多様化するという実践的価値の付与に貢献していますか?
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はい、KeMCoは、大学のコレクションに対する人々のエンゲージメントを多様化するという実践的価値の付与に貢献しています。
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JCRRAG_003378
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国語
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「透明怪人」の事件で、名探偵、明智小五郎に、正体を見やぶられた怪人二十面相は、そのまま警視庁の留置場に入れられ、いちおう、とりしらべをうけたのち、未決囚として東京都内のI拘置所に、ぶちこまれてしまいました。
二十面相といえば、これまでに、なんどとなく、牢やぶりをして、逃げだした怪物ですから、拘置所でも、とくべつの注意をして、もっとも、見はりにつごうのよい、げんじゅうな独房(ほかの人といっしょにしないで、ひとりだけ入れておく牢屋)をえらび、ふつうの見はりのほかに、ふたりの看守が、交代で、夜も昼も、たえまなく、その独房のまえに、立ちばんをすることになりました。
なにしろ、「透明怪人」という、とほうもない大事件の犯人が、みごとにつかまり、しかも、その犯人が怪人二十面相と、わかったのですから、世間は、もう、このうわさで、もちきりです。新聞も、怪人がつかまったいきさつを、くわしく書きたてますし、人がふたりよれば、お天気のあいさつのかわりに、二十面相の話をするという、ありさまです。
名探偵、明智小五郎の名声は、この大とり物によって、いやがうえにも高くなり、「透明怪人」をとらえた、日本のシャーロック・ホームズとして、西洋の新聞にも、明智のてがらばなしが、大きくのせられたほどです。
この人気をあてこんで、二つの映画会社が、「透明怪人」事件の映画をつくることになりましたが、芝居のほうでも、日比谷と、浅草の二つの劇場で、「透明怪人」劇が上演されるというさわぎでした。
ところが、二十面相が拘置所に入れられてから、五日めのことです。東京でも、いちばん読者の多い「日本新聞」に、つぎのような記事がデカデカとのせられ、世間をアッとおどろかせました。
「四十面相」と改名
いよいよ大事業にのりだす
拘置所内の二十面相から本紙によせた不敵の宣言
きのう午後二時、I拘置所内の二十面相から左のような奇怪な投書が、本社編集局に配達された。
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きのうの十四時に二十面相から奇怪な投書が配達された先はどこですか。
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きのうの十四時に二十面相から奇怪な投書が配達された先は「日本新聞」の本社編集局です。
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JCRRAG_003379
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国語
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ここで重要なのは、グラントによる「無制約的なもの the unthinged」の読み換えである。グラントはこれを「物 thing」という語との対応で「〈もの〉でないもの」あるいは「物になろうとしないもの」と解釈しており、物質に内在する生命力の発露がこの「無制約的なもの」が制約されていく「推移的現象」であることから、「自然」はまさしく物質の「歴史」であることになる。本書第四章「無制約的なものの自然史」で展開されるこうした議論を、ローレンスはとりわけ評価している。
二つ目は、グラントによるジル・ドゥルーズへの注目にある。グラントはたしかに、シェリング以後の自然哲学の系譜に連なる哲学者として、ドゥルーズをとくに重要視している。本書の結論部にあたる第七章「結論―超越論的地質学」を見れば、そのことは明らかである。ローレンスはここに、グラントによる現代のドイツおよび英米圏哲学への批判を読み取っている。つまりドイツおよび英米圏の哲学における「自然」の排除に抗して、フランス現代思想のなかに「自然」復活の可能性をグラントは見ている、というのである。この評価にはローレンスの解釈が強く反映されており、図式的にそこまで割り切ることには疑義を挟みたくなるが、ともかくグラントがドゥルーズをある種の「シェリング主義者」として引き合いに出していることは、シェリング研究の展開として注目に値するものであろう。
ローレンスによる指摘としてむしろ重要なのは、グラントの議論に「科学技術中心主義」への批判をも読み取っている点である。ローレンスが強調した本書の二つの意義も、最終的にその論点へと結びつく。つまりグラントの思惑は、われわれの理解の範疇に収まらない自然の「無制約性」に目を向けることで、自然を管理下に置き、また置くことができると考える人間の思い上がりを挫くことにある、というわけだ。書評の出た 2007 年当時には、現代環境学の一つのキーワードである「人新世」はまだ人口に膾炙した言葉ではなかったが、「種の絶滅」の可能性にまで言及するローレンスの指摘は、本書がのちに「人新世」の議論でたびたび参照されるようになることを鑑みると、ひとつの導線として興味深い。
ローレンスは本書のタイトル『シェリング以後の自然哲学』を、「シェリングのあとにも自然哲学を続けること」と解釈している。私たちが新たに哲学することでしか、理解されない哲学者たちがいる。シェリングもまたそうした哲学者であった。ローレンスはこのように、哲学史的営為の重要性を強調する。グラントにもまた、シェリングを中心に新たな「自然哲学史」を描き出そうとする営為が見られる。それゆえ、ローレンスはグラントに強い共感を寄せるのである。
とはいえ、ローレンスもまったくの手放しで本書を誉めそやすわけではない。グラントが「シェリング哲学を貫いて走る自然哲学という深部静脈」(本書邦訳28頁)に目を向け、「自然哲学はシェリング哲学のたんに一時期..ではなく核心..である」(本書邦訳29頁)と断言したことに賛同はしつつも、その論証の粗さには苦言を呈している。とりわけ、「芸術」や「神話」や「宗教」といった、シェリング哲学にとって重要な要素を、どのように「自然哲学」的に捉え直すことができるのか、そのことに対する論証がグラントには欠けている、というのである。この論点は、後述するミグラーによるグラント批判でより顕在化することになる。
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ローレンスはグラントに全面的に賛成していますか。
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いいえ、ローレンスはグラントに全面的に賛成しているわけではありません。
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JCRRAG_003380
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国語
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ここで重要なのは、グラントによる「無制約的なもの the unthinged」の読み換えである。グラントはこれを「物 thing」という語との対応で「〈もの〉でないもの」あるいは「物になろうとしないもの」と解釈しており、物質に内在する生命力の発露がこの「無制約的なもの」が制約されていく「推移的現象」であることから、「自然」はまさしく物質の「歴史」であることになる。本書第四章「無制約的なものの自然史」で展開されるこうした議論を、ローレンスはとりわけ評価している。
二つ目は、グラントによるジル・ドゥルーズへの注目にある。グラントはたしかに、シェリング以後の自然哲学の系譜に連なる哲学者として、ドゥルーズをとくに重要視している。本書の結論部にあたる第七章「結論―超越論的地質学」を見れば、そのことは明らかである。ローレンスはここに、グラントによる現代のドイツおよび英米圏哲学への批判を読み取っている。つまりドイツおよび英米圏の哲学における「自然」の排除に抗して、フランス現代思想のなかに「自然」復活の可能性をグラントは見ている、というのである。この評価にはローレンスの解釈が強く反映されており、図式的にそこまで割り切ることには疑義を挟みたくなるが、ともかくグラントがドゥルーズをある種の「シェリング主義者」として引き合いに出していることは、シェリング研究の展開として注目に値するものであろう。
ローレンスによる指摘としてむしろ重要なのは、グラントの議論に「科学技術中心主義」への批判をも読み取っている点である。ローレンスが強調した本書の二つの意義も、最終的にその論点へと結びつく。つまりグラントの思惑は、われわれの理解の範疇に収まらない自然の「無制約性」に目を向けることで、自然を管理下に置き、また置くことができると考える人間の思い上がりを挫くことにある、というわけだ。書評の出た 2007 年当時には、現代環境学の一つのキーワードである「人新世」はまだ人口に膾炙した言葉ではなかったが、「種の絶滅」の可能性にまで言及するローレンスの指摘は、本書がのちに「人新世」の議論でたびたび参照されるようになることを鑑みると、ひとつの導線として興味深い。
ローレンスは本書のタイトル『シェリング以後の自然哲学』を、「シェリングのあとにも自然哲学を続けること」と解釈している。私たちが新たに哲学することでしか、理解されない哲学者たちがいる。シェリングもまたそうした哲学者であった。ローレンスはこのように、哲学史的営為の重要性を強調する。グラントにもまた、シェリングを中心に新たな「自然哲学史」を描き出そうとする営為が見られる。それゆえ、ローレンスはグラントに強い共感を寄せるのである。
とはいえ、ローレンスもまったくの手放しで本書を誉めそやすわけではない。グラントが「シェリング哲学を貫いて走る自然哲学という深部静脈」(本書邦訳28頁)に目を向け、「自然哲学はシェリング哲学のたんに一時期..ではなく核心..である」(本書邦訳29頁)と断言したことに賛同はしつつも、その論証の粗さには苦言を呈している。とりわけ、「芸術」や「神話」や「宗教」といった、シェリング哲学にとって重要な要素を、どのように「自然哲学」的に捉え直すことができるのか、そのことに対する論証がグラントには欠けている、というのである。この論点は、後述するミグラーによるグラント批判でより顕在化することになる。
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ローレンスはグラントに好意的ですか。
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はい、ローレンスはグラントに好意的です。
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国語
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【形容詞・形容動詞・連体詞・副詞の違いについて】
今回は、日本語の学習者が迷いやすい、形容詞・形容動詞・連体詞・副詞の違いについて勉強しましょう。
(1)形容詞(イ形容詞)とは?
形容詞(イ形容詞)は、単独で述語になったり、名詞を修飾したりするほか、述語を修飾することもあります。形容詞(イ形容詞)は、活用し、名詞を修飾するときに「~い」の形です。
*形容詞(イ形容詞)の例
美しい、青い
(2)形容動詞(ナ形容詞)とは?
形容動詞(ナ形容詞)は、単独で述語になったり、名詞を修飾したりするほか、述語を修飾することもあります。形容動詞(ナ形容詞)は、活用し、名詞を修飾するときに「~な」の形です。
*形容動詞(ナ形容詞)の例
きれいな、静かな
(3)連体詞とは?
連体詞は、名詞を修飾します。連体詞は、活用しません。
*連体詞の例
この、あの
(4)副詞とは?
副詞は、動詞・形容詞(イ形容詞)・形容動詞(ナ形容詞)・ほかの副詞を修飾します。副詞は、活用しません。
*副詞の例
すっきりと、とても、非常に
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「静かな」は、名詞を修飾するときに「~の」の形ですか?
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いいえ、「静かな」は、名詞を修飾するときに「~の」の形ではありません。
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国語
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【形容詞・形容動詞・連体詞・副詞の違いについて】
今回は、日本語の学習者が迷いやすい、形容詞・形容動詞・連体詞・副詞の違いについて勉強しましょう。
(1)形容詞(イ形容詞)とは?
形容詞(イ形容詞)は、単独で述語になったり、名詞を修飾したりするほか、述語を修飾することもあります。形容詞(イ形容詞)は、活用し、名詞を修飾するときに「~い」の形です。
*形容詞(イ形容詞)の例
美しい、青い
(2)形容動詞(ナ形容詞)とは?
形容動詞(ナ形容詞)は、単独で述語になったり、名詞を修飾したりするほか、述語を修飾することもあります。形容動詞(ナ形容詞)は、活用し、名詞を修飾するときに「~な」の形です。
*形容動詞(ナ形容詞)の例
きれいな、静かな
(3)連体詞とは?
連体詞は、名詞を修飾します。連体詞は、活用しません。
*連体詞の例
この、あの
(4)副詞とは?
副詞は、動詞・形容詞(イ形容詞)・形容動詞(ナ形容詞)・ほかの副詞を修飾します。副詞は、活用しません。
*副詞の例
すっきりと、とても、非常に
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「あの」は活用しますか?
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いいえ、「あの」は活用しません。
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国語
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【形容詞・形容動詞・連体詞・副詞の違いについて】
今回は、日本語の学習者が迷いやすい、形容詞・形容動詞・連体詞・副詞の違いについて勉強しましょう。
(1)形容詞(イ形容詞)とは?
形容詞(イ形容詞)は、単独で述語になったり、名詞を修飾したりするほか、述語を修飾することもあります。形容詞(イ形容詞)は、活用し、名詞を修飾するときに「~い」の形です。
*形容詞(イ形容詞)の例
美しい、青い
(2)形容動詞(ナ形容詞)とは?
形容動詞(ナ形容詞)は、単独で述語になったり、名詞を修飾したりするほか、述語を修飾することもあります。形容動詞(ナ形容詞)は、活用し、名詞を修飾するときに「~な」の形です。
*形容動詞(ナ形容詞)の例
きれいな、静かな
(3)連体詞とは?
連体詞は、名詞を修飾します。連体詞は、活用しません。
*連体詞の例
この、あの
(4)副詞とは?
副詞は、動詞・形容詞(イ形容詞)・形容動詞(ナ形容詞)・ほかの副詞を修飾します。副詞は、活用しません。
*副詞の例
すっきりと、とても、非常に
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「美しい」は、名詞を修飾するときに「~い」の形ですか?
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はい、「美しい」は、名詞を修飾するときに「~い」の形です。
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JCRRAG_003384
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国語
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【助詞の種類】
日本語には、たくさんの助詞がありますが、その使われ方は助詞の種類によって異なります。
以下では、格助詞・連体助詞・並列助詞・とりたて助詞・接続助詞・終助詞の役割と例、そして用例について見ていきましょう。
(1)格助詞とは?
格助詞は、直前の名詞と述語との意味関係を表します。
格助詞の例
が・を・に・へ・と・から・より・で・まで
格助詞の用例
「私が行く」の「が」
「彼から話す」の「から」
(2)連体助詞とは?
連体助詞とは、名詞によって名詞を修飾するときに間に入る「の」のことです。
連体助詞の例
の
連体助詞の用例
「私の本」の「の」
「あなたの家」の「の」
(3)並列助詞とは?
並列助詞は、名詞と名詞を対等な関係で結びつけます。
並列助詞の例
と・や・やら・だの・とか・か・なり・に
並列助詞の用例
「私とあなた」の「と」
「野菜や果物」の「や」
(4)とりたて助詞とは?
とりたて助詞は、ほかの要素との関係を背景に、文中のある要素に焦点を当て、累加・対比・限定・極限・評価・ぼかしなどの意味を表します。
とりたて助詞の例
も・は・なら・だけ・しか・ばかり・こそ・さえ・まで・も・でも・なんか・なんて・など・くらい
とりたて助詞の用例
「私も知らない」の「も」
「あなたなら出来ます」の「なら」
(5)接続助詞とは?
接続助詞は、従属節末に用いられ、従属節と主節の関係を表します。
接続助詞の例
と・なら・から・ので・ため・のに・けれど・が・し
接続助詞の用例
「私が話したので、彼は静かになった」の「ので」
「彼が帰ったため、家の中が静かになった」の「ため」
(6)終助詞とは?
終助詞は、文末に用いられ、事態に対する疑問や聞き手に対する伝達・確認・詠嘆などの態度を表します。
終助詞の例
か・かしら・かな・よ・ぞ・ぜ・さ・わ・ね・ま・なあ・よね
終助詞の用例
「大丈夫かな」の「かな」
「それは変だなあ」の「なあ」
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「私が話したので、彼は静かになった」の「ので」は、従属節と主節の関係を表していますか?
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はい、「私が話したので、彼は静かになった」の「ので」は、従属節と主節の関係を表しています。
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JCRRAG_003385
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国語
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【助詞の種類】
日本語には、たくさんの助詞がありますが、その使われ方は助詞の種類によって異なります。
以下では、格助詞・連体助詞・並列助詞・とりたて助詞・接続助詞・終助詞の役割と例、そして用例について見ていきましょう。
(1)格助詞とは?
格助詞は、直前の名詞と述語との意味関係を表します。
格助詞の例
が・を・に・へ・と・から・より・で・まで
格助詞の用例
「私が行く」の「が」
「彼から話す」の「から」
(2)連体助詞とは?
連体助詞とは、名詞によって名詞を修飾するときに間に入る「の」のことです。
連体助詞の例
の
連体助詞の用例
「私の本」の「の」
「あなたの家」の「の」
(3)並列助詞とは?
並列助詞は、名詞と名詞を対等な関係で結びつけます。
並列助詞の例
と・や・やら・だの・とか・か・なり・に
並列助詞の用例
「私とあなた」の「と」
「野菜や果物」の「や」
(4)とりたて助詞とは?
とりたて助詞は、ほかの要素との関係を背景に、文中のある要素に焦点を当て、累加・対比・限定・極限・評価・ぼかしなどの意味を表します。
とりたて助詞の例
も・は・なら・だけ・しか・ばかり・こそ・さえ・まで・も・でも・なんか・なんて・など・くらい
とりたて助詞の用例
「私も知らない」の「も」
「あなたなら出来ます」の「なら」
(5)接続助詞とは?
接続助詞は、従属節末に用いられ、従属節と主節の関係を表します。
接続助詞の例
と・なら・から・ので・ため・のに・けれど・が・し
接続助詞の用例
「私が話したので、彼は静かになった」の「ので」
「彼が帰ったため、家の中が静かになった」の「ため」
(6)終助詞とは?
終助詞は、文末に用いられ、事態に対する疑問や聞き手に対する伝達・確認・詠嘆などの態度を表します。
終助詞の例
か・かしら・かな・よ・ぞ・ぜ・さ・わ・ね・ま・なあ・よね
終助詞の用例
「大丈夫かな」の「かな」
「それは変だなあ」の「なあ」
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「彼から話す」の「から」は、直前の名詞と述語との意味関係を表していますか?
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はい、「彼から話す」の「から」は、直前の名詞と述語との意味関係を表しています。
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JCRRAG_003386
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国語
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【助詞の種類】
日本語には、たくさんの助詞がありますが、その使われ方は助詞の種類によって異なります。
以下では、格助詞・連体助詞・並列助詞・とりたて助詞・接続助詞・終助詞の役割と例、そして用例について見ていきましょう。
(1)格助詞とは?
格助詞は、直前の名詞と述語との意味関係を表します。
格助詞の例
が・を・に・へ・と・から・より・で・まで
格助詞の用例
「私が行く」の「が」
「彼から話す」の「から」
(2)連体助詞とは?
連体助詞とは、名詞によって名詞を修飾するときに間に入る「の」のことです。
連体助詞の例
の
連体助詞の用例
「私の本」の「の」
「あなたの家」の「の」
(3)並列助詞とは?
並列助詞は、名詞と名詞を対等な関係で結びつけます。
並列助詞の例
と・や・やら・だの・とか・か・なり・に
並列助詞の用例
「私とあなた」の「と」
「野菜や果物」の「や」
(4)とりたて助詞とは?
とりたて助詞は、ほかの要素との関係を背景に、文中のある要素に焦点を当て、累加・対比・限定・極限・評価・ぼかしなどの意味を表します。
とりたて助詞の例
も・は・なら・だけ・しか・ばかり・こそ・さえ・まで・も・でも・なんか・なんて・など・くらい
とりたて助詞の用例
「私も知らない」の「も」
「あなたなら出来ます」の「なら」
(5)接続助詞とは?
接続助詞は、従属節末に用いられ、従属節と主節の関係を表します。
接続助詞の例
と・なら・から・ので・ため・のに・けれど・が・し
接続助詞の用例
「私が話したので、彼は静かになった」の「ので」
「彼が帰ったため、家の中が静かになった」の「ため」
(6)終助詞とは?
終助詞は、文末に用いられ、事態に対する疑問や聞き手に対する伝達・確認・詠嘆などの態度を表します。
終助詞の例
か・かしら・かな・よ・ぞ・ぜ・さ・わ・ね・ま・なあ・よね
終助詞の用例
「大丈夫かな」の「かな」
「それは変だなあ」の「なあ」
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「野菜や果物」の「や」は、名詞と名詞を対等な関係で結びつけていますか?
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はい、「野菜や果物」の「や」は、名詞と名詞を対等な関係で結びつけています。
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JCRRAG_003387
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国語
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レイチェル夫人が台所のドアを手早く叩くと、返事を待って中に入った。グリーン・ゲイブルズの台所は気持ちの良い部屋だった--というより、気持ちの良い部屋だったかもしれない。もしうんざりするほど奇麗なため、使っていない客間のような雰囲気がなければの話である。窓は東と西を向いていた。西側は裏庭を見渡し、6月の柔らかい陽の光があふれていた。一方の東の窓から少しだけのぞいている左手の果樹園では、白いサクランボの木々が今を盛りと咲き誇り、風になびくほっそりした樺の木立ちが、小川のそばを窪地まで続いているのが見えた。その窓には、絡まったツタが青々と生い茂っていた。この窓辺にマリラ・カスバートが座るのだが、座る場合もなんだか陽の光があたるといつも落ち着かなかった。世の中は真面目なものなのに、マリラにはちらちら踊る陽の光は、好き勝手に過ぎると感じるのだった。そこにマリラが編み物をしながら腰掛け、その後ろには夕食用にテーブルが置いてあった。
レイチェル夫人は、丁寧にドアを閉めてしまう間に、そのテーブルにのっているもの全部を頭にメモしていた。テーブルに3枚皿が置いてあるね、マリラが誰かとマシューをお茶に迎えるに違いない。でも、深皿はいつも使っているものだし、クラブ・アップルの砂糖漬けにケーキが1つとは、待っているお客は特別なお客ってわけじゃないね。それにしてはマシューのホワイト・カラーと栗毛の雌馬は何としよう?単調で謎とは縁遠いグリーン・ゲイブルズのいつにない謎に、レイチェル夫人はすっかり目眩がしてきた。
「こんにちは、レイチェル」マリラの挨拶は簡潔だ。「今日はほんとに良い天気だね。座ったら?お宅はみんな元気?」
友情という以外に名前のつけようがない何物かが、マリラ・カスバートとレイチェル夫人の間にあったし、これまでそれが失われたことはなかった。二人が全く違っているにも関らず、いやたぶん違っているからこその友情であろう。
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東の窓辺に座る人は、何をしながら腰掛けていましたか?
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東の窓辺に座る人は、編み物をしながら腰掛けていました。
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JCRRAG_003388
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国語
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レイチェル夫人が台所のドアを手早く叩くと、返事を待って中に入った。グリーン・ゲイブルズの台所は気持ちの良い部屋だった--というより、気持ちの良い部屋だったかもしれない。もしうんざりするほど奇麗なため、使っていない客間のような雰囲気がなければの話である。窓は東と西を向いていた。西側は裏庭を見渡し、6月の柔らかい陽の光があふれていた。一方の東の窓から少しだけのぞいている左手の果樹園では、白いサクランボの木々が今を盛りと咲き誇り、風になびくほっそりした樺の木立ちが、小川のそばを窪地まで続いているのが見えた。その窓には、絡まったツタが青々と生い茂っていた。この窓辺にマリラ・カスバートが座るのだが、座る場合もなんだか陽の光があたるといつも落ち着かなかった。世の中は真面目なものなのに、マリラにはちらちら踊る陽の光は、好き勝手に過ぎると感じるのだった。そこにマリラが編み物をしながら腰掛け、その後ろには夕食用にテーブルが置いてあった。
レイチェル夫人は、丁寧にドアを閉めてしまう間に、そのテーブルにのっているもの全部を頭にメモしていた。テーブルに3枚皿が置いてあるね、マリラが誰かとマシューをお茶に迎えるに違いない。でも、深皿はいつも使っているものだし、クラブ・アップルの砂糖漬けにケーキが1つとは、待っているお客は特別なお客ってわけじゃないね。それにしてはマシューのホワイト・カラーと栗毛の雌馬は何としよう?単調で謎とは縁遠いグリーン・ゲイブルズのいつにない謎に、レイチェル夫人はすっかり目眩がしてきた。
「こんにちは、レイチェル」マリラの挨拶は簡潔だ。「今日はほんとに良い天気だね。座ったら?お宅はみんな元気?」
友情という以外に名前のつけようがない何物かが、マリラ・カスバートとレイチェル夫人の間にあったし、これまでそれが失われたことはなかった。二人が全く違っているにも関らず、いやたぶん違っているからこその友情であろう。
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マリラ・カスバードが座るほうには、何が見える窓がありましたか?
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マリラ・カスバードが座るほうには、白いサクランボの木々が今を盛りと咲き誇る果樹園や、風になびくほっそりした樺の木立ちが、小川のそばを窪地まで続いているのが見える窓がありました。
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JCRRAG_003389
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国語
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レイチェル夫人が台所のドアを手早く叩くと、返事を待って中に入った。グリーン・ゲイブルズの台所は気持ちの良い部屋だった--というより、気持ちの良い部屋だったかもしれない。もしうんざりするほど奇麗なため、使っていない客間のような雰囲気がなければの話である。窓は東と西を向いていた。西側は裏庭を見渡し、6月の柔らかい陽の光があふれていた。一方の東の窓から少しだけのぞいている左手の果樹園では、白いサクランボの木々が今を盛りと咲き誇り、風になびくほっそりした樺の木立ちが、小川のそばを窪地まで続いているのが見えた。その窓には、絡まったツタが青々と生い茂っていた。この窓辺にマリラ・カスバートが座るのだが、座る場合もなんだか陽の光があたるといつも落ち着かなかった。世の中は真面目なものなのに、マリラにはちらちら踊る陽の光は、好き勝手に過ぎると感じるのだった。そこにマリラが編み物をしながら腰掛け、その後ろには夕食用にテーブルが置いてあった。
レイチェル夫人は、丁寧にドアを閉めてしまう間に、そのテーブルにのっているもの全部を頭にメモしていた。テーブルに3枚皿が置いてあるね、マリラが誰かとマシューをお茶に迎えるに違いない。でも、深皿はいつも使っているものだし、クラブ・アップルの砂糖漬けにケーキが1つとは、待っているお客は特別なお客ってわけじゃないね。それにしてはマシューのホワイト・カラーと栗毛の雌馬は何としよう?単調で謎とは縁遠いグリーン・ゲイブルズのいつにない謎に、レイチェル夫人はすっかり目眩がしてきた。
「こんにちは、レイチェル」マリラの挨拶は簡潔だ。「今日はほんとに良い天気だね。座ったら?お宅はみんな元気?」
友情という以外に名前のつけようがない何物かが、マリラ・カスバートとレイチェル夫人の間にあったし、これまでそれが失われたことはなかった。二人が全く違っているにも関らず、いやたぶん違っているからこその友情であろう。
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東の窓辺に座る人の後ろには何が置いてありましたか?
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東の窓辺に座る人の後ろには夕食用のテーブルが置いてありました。
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JCRRAG_003390
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国語
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マリラは背が高くやせた女で、あちこち角張って丸みに欠けている。マリラの黒い髪は幾筋か灰色のものが目立ち、いつも固く短いひっつめに結んで、2本のヘアピンでぶすっと止めてあった。マリラは、狭い世間で事足りる、頑ななまで真面目な女という風に見えたし、実際そうだった。しかし、口元に残っているのは、何かこう、あと少しでも表情豊かだったら、ユーモアのセンスを示すと言えなくもないものだった。
「うちはみんな元気なものさ」とレイチェル夫人。「あたしはなんだかあんた達の方が心配だよ、もっとも、マシューが出かけるのを今日見たんだけどね。もしかするとお医者に行くところなのかと思ったよ。」
そらきた、と言いたげに、マリラの口元がぴくっと動いた。マリラはレイチェル夫人が来るのを待ち受けていた。マシューがわけもないのに遠出するのを見たら、このお隣さんが好奇心を押さえていられないのは知れたことだった。
「いや、違うよ、私はすっかり元気さ、とはいえ昨日はひどく頭が痛くてね」マリラが言った。「マシューはブライト・リバーに行ったんだよ。私達で男の子を一人、ノヴァ・スコシアの孤児院からもらうことにしたんでね。それでマシューが今夜の汽車に迎えにいったとこさ。」
マリラが、マシューはブライト・リバーまで、オーストラリアから来たカンガルーを迎えに行ったと言ったほうが、まだレイチェル夫人は驚かなくて済んだかもしれない。夫人は実際この衝撃をくらってたっぷり5秒間は口がきけなかった。マリラがふざけた冗談を言うなんて想像できなかった。がしかし、レイチェル夫人にはやっぱりそうとしか思えなかった。
「あんた、本気なの、マリラ?」夫人はまた声が出せるようになってからそう迫った。
「もちろん、そうだよ」マリラは答えた。まるでノヴァ・スコシアの孤児院から男の子をもらうなんて、アヴォンリーの農家では春先の恒例行事のうちで、初めて耳にする大事ではないかのようだ。
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頑ななまで真面目な人物は、いつもどんな髪型をしていましたか?
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頑ななまで真面目な人物は、いつも固く短いひっつめに結んで、2本のヘアピンでぶすっと止めてありました。
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JCRRAG_003391
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国語
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女の子は、マシューが前を通り過ぎた時からマシューに注意していたが、今はその一挙手一投足を見つめていた。マシューは目をそらしていたし、もし見たとしても、その子が実はどんな様子か見てとれなかったろうが、普通の人ならばこんなことを観察できただろう。11歳くらいの子供で、着ている服は、短くきつきつでみっともない、黄色っぽい灰色の交織であると。その子は色あせたこげ茶のむぎわら帽子をかぶっていて、その帽子の下あるのは、背中まで長く伸びた2本のおさげ。とても豊かだが、どうしようもなく赤かった。小さな顔は色白でほっそりしており、その上かなりそばかすが目立った。大きめの口元に、大きな目、光の当たりかたと気分によって、ある時は緑に、またある時は灰色にも見えた。
ここまで分かれば普通の人である。並外れた観察者ならさらに付け足したであろう。あごがかなりとがってはっきりしていること、大きな2つの目は生命力と活気に満ちていること、口元はかわいらしく感情が豊かであること、ひたいは広く豊かであること。一口でいえば、われらが洞察力ある観察者はこう結論するであろう。平凡ならざる魂が、このみなし児の女性である入れ物に宿っている。引っ込み思案のマシュー・カスバートが愚かしくも恐れているこの子は。
とはいえ、マシューは自分から話し掛けるという試練からは容赦された。その子はマシューが近づくと判断すると、自分から立ち上がり、一方のやせて日焼けした手で使い古しで時代遅れの旅行鞄の取っ手をしっかり握りしめ、残った手をマシューに差し出したからである。
「マシュー・カスバートさんですね、グリーン・ゲイブルズからいらした?」独特の、澄んだ、感じの良い声で女の子は言った。「お会いできてとっても嬉しいです。心配になってたんです、いらっしゃらなかったらどうしようって。何か起こって来られないかもしれないって、ありとあらゆることを想像してたんです。もし今晩迎えにいらっしゃらなかったら、線路の曲がり角にある、あの大きい野生のサクランボの木まで行って、よじ登って一晩過ごそうと決めてました。あたし、ちっとも恐くないんです。だって素敵じゃないですか、野生のサクランボの木に包まれて眠るなんて、月明かりの中、見渡す限り花で真っ白なのよ、そう思いません?自分が大理石の邸宅に住んでいるって想像できるかも、でしょ?それに、今晩がだめでも、きっと明日の朝には迎えに来て下さるって思ってました。」
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マシューを見つめていた子はどんな服を着ていましたか?
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マシューを見つめていた子は、短くきつきつでみっともない、 黄色っぽい灰色の交織を着ていました。
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JCRRAG_003392
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「並木道」そうニューブリッジの人達に呼ばれるのは、400から500ヤード道が続くところで、枝を大きく広げたリンゴの大木が道沿いにアーチをかけていた。リンゴは何年も前に変わり者の老農夫が植えたものだ。頭上高く、芳しい花の雪で覆われた円天井が連なっていた。枝々の下を見れば、大気は深紫色の黄昏で満ちていた。遠く向こうに残るのは、夕陽に染められた日没の空、それは大聖堂の側廊の一番奥に鎮座する、ステンドグラスの大窓のように輝いた。
あまりの美しさに、その子は口もきけなくなったようだった。馬車から後ろに乗り出して、やせた手を胸の前で組み合わせ、感動にあふれるその顔は、頭上のまっ白な輝きを仰ぎ見ていた。そこを通り過ぎても、ニューブリッジに続く長い坂道を下っても、動きも話もしなかった。まだ感動の名残を顔に残しながら、陽が沈みゆく遠く西をじっと見つめていた。その二つの目は、その燃え上がる背景に重なる、いつまでもとぎれのない、輝く幻影を追っていた。ニューブリッジに入り、その騒がしい小さな村で、犬が何匹もこっちに向かっては吠え、小さな子供達は大声を上げては窓ごしに興味津々の顔をのぞかせても、二人を乗せた馬車はまだ沈黙の内に走り続けた。村を後にして3マイル余りがいつの間にか過ぎ去り、それでもまだその子は何も語ろうとしなかった。その子は沈黙を守ることができた、確かにそうだった。元気いっぱいおしゃべりできるのと同じくらいに。
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「並木道」と呼ばれるところにある木は誰が植えたものですか?
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「並木道」と呼ばれるところにある木は変わり者の老農夫が植えたものです。
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JCRRAG_003393
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国語
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ここで重要なのは、グラントによる「無制約的なもの the unthinged」の読み換えである。グラントはこれを「物 thing」という語との対応で「〈もの〉でないもの」あるいは「物になろうとしないもの」と解釈しており、物質に内在する生命力の発露がこの「無制約的なもの」が制約されていく「推移的現象」であることから、「自然」はまさしく物質の「歴史」であることになる。本書第四章「無制約的なものの自然史」で展開されるこうした議論を、ローレンスはとりわけ評価している。
二つ目は、グラントによるジル・ドゥルーズへの注目にある。グラントはたしかに、シェリング以後の自然哲学の系譜に連なる哲学者として、ドゥルーズをとくに重要視している。本書の結論部にあたる第七章「結論―超越論的地質学」を見れば、そのことは明らかである。ローレンスはここに、グラントによる現代のドイツおよび英米圏哲学への批判を読み取っている。つまりドイツおよび英米圏の哲学における「自然」の排除に抗して、フランス現代思想のなかに「自然」復活の可能性をグラントは見ている、というのである。この評価にはローレンスの解釈が強く反映されており、図式的にそこまで割り切ることには疑義を挟みたくなるが、ともかくグラントがドゥルーズをある種の「シェリング主義者」として引き合いに出していることは、シェリング研究の展開として注目に値するものであろう。
ローレンスによる指摘としてむしろ重要なのは、グラントの議論に「科学技術中心主義」への批判をも読み取っている点である。ローレンスが強調した本書の二つの意義も、最終的にその論点へと結びつく。つまりグラントの思惑は、われわれの理解の範疇に収まらない自然の「無制約性」に目を向けることで、自然を管理下に置き、また置くことができると考える人間の思い上がりを挫くことにある、というわけだ。書評の出た2007年当時には、現代環境学の一つのキーワードである「人新世」はまだ人口に膾炙した言葉ではなかったが、「種の絶滅」の可能性にまで言及するローレンスの指摘は、本書がのちに「人新世」の議論でたびたび参照されるようになることを鑑みると、ひとつの導線として興味深い。
ローレンスは本書のタイトル『シェリング以後の自然哲学』を、「シェリングのあとにも自然哲学を続けること」と解釈している。私たちが新たに哲学することでしか、理解されない哲学者たちがいる。シェリングもまたそうした哲学者であった。ローレンスはこのように、哲学史的営為の重要性を強調する。グラントにもまた、シェリングを中心に新たな「自然哲学史」を描き出そうとする営為が見られる。それゆえ、ローレンスはグラントに強い共感を寄せるのである。
とはいえ、ローレンスもまったくの手放しで本書を誉めそやすわけではない。グラントが「シェリング哲学を貫いて走る自然哲学という深部静脈」(本書邦訳28頁)に目を向け、「自然哲学はシェリング哲学のたんに一時期ではなく核心である」(本書邦訳29頁)と断言したことに賛同はしつつも、その論証の粗さには苦言を呈している。とりわけ、「芸術」や「神話」や「宗教」といった、シェリング哲学にとって重要な要素を、どのように「自然哲学」的に捉え直すことができるのか、そのことに対する論証がグラントには欠けている、というのである。この論点は、後述するミグラーによるグラント批判でより顕在化することになる。
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グラントはドゥルーズをシェリングの後継者と見なしていますか?
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はい、グラントはドゥルーズをシェリングの後継者と見なしています。
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JCRRAG_003394
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ここで重要なのは、グラントによる「無制約的なもの the unthinged」の読み換えである。グラントはこれを「物 thing」という語との対応で「〈もの〉でないもの」あるいは「物になろうとしないもの」と解釈しており、物質に内在する生命力の発露がこの「無制約的なもの」が制約されていく「推移的現象」であることから、「自然」はまさしく物質の「歴史」であることになる。本書第四章「無制約的なものの自然史」で展開されるこうした議論を、ローレンスはとりわけ評価している。
二つ目は、グラントによるジル・ドゥルーズへの注目にある。グラントはたしかに、シェリング以後の自然哲学の系譜に連なる哲学者として、ドゥルーズをとくに重要視している。本書の結論部にあたる第七章「結論―超越論的地質学」を見れば、そのことは明らかである。ローレンスはここに、グラントによる現代のドイツおよび英米圏哲学への批判を読み取っている。つまりドイツおよび英米圏の哲学における「自然」の排除に抗して、フランス現代思想のなかに「自然」復活の可能性をグラントは見ている、というのである。この評価にはローレンスの解釈が強く反映されており、図式的にそこまで割り切ることには疑義を挟みたくなるが、ともかくグラントがドゥルーズをある種の「シェリング主義者」として引き合いに出していることは、シェリング研究の展開として注目に値するものであろう。
ローレンスによる指摘としてむしろ重要なのは、グラントの議論に「科学技術中心主義」への批判をも読み取っている点である。ローレンスが強調した本書の二つの意義も、最終的にその論点へと結びつく。つまりグラントの思惑は、われわれの理解の範疇に収まらない自然の「無制約性」に目を向けることで、自然を管理下に置き、また置くことができると考える人間の思い上がりを挫くことにある、というわけだ。書評の出た2007年当時には、現代環境学の一つのキーワードである「人新世」はまだ人口に膾炙した言葉ではなかったが、「種の絶滅」の可能性にまで言及するローレンスの指摘は、本書がのちに「人新世」の議論でたびたび参照されるようになることを鑑みると、ひとつの導線として興味深い。
ローレンスは本書のタイトル『シェリング以後の自然哲学』を、「シェリングのあとにも自然哲学を続けること」と解釈している。私たちが新たに哲学することでしか、理解されない哲学者たちがいる。シェリングもまたそうした哲学者であった。ローレンスはこのように、哲学史的営為の重要性を強調する。グラントにもまた、シェリングを中心に新たな「自然哲学史」を描き出そうとする営為が見られる。それゆえ、ローレンスはグラントに強い共感を寄せるのである。
とはいえ、ローレンスもまったくの手放しで本書を誉めそやすわけではない。グラントが「シェリング哲学を貫いて走る自然哲学という深部静脈」(本書邦訳28頁)に目を向け、「自然哲学はシェリング哲学のたんに一時期ではなく核心である」(本書邦訳29頁)と断言したことに賛同はしつつも、その論証の粗さには苦言を呈している。とりわけ、「芸術」や「神話」や「宗教」といった、シェリング哲学にとって重要な要素を、どのように「自然哲学」的に捉え直すことができるのか、そのことに対する論証がグラントには欠けている、というのである。この論点は、後述するミグラーによるグラント批判でより顕在化することになる。
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「人新世」という言葉が流行ったのは20世紀ですか?
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いいえ、「人新世」という言葉が流行ったのは20世紀ではありません。
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JCRRAG_003395
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国語
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1-2.ダスティン・マクウァーター
ローレンスによる書評に続いて、同年の7月にダスティン・マクウァーターも本書に書評を寄せている。興味深いのは、マクウァーターも初めはシェリング研究から出発しながら、ロイ・バスカーに始まるいわゆる「批判的実在論」の流れへとのちに合流している点である。現代実在論の文脈で批判的実在論への言及を見かけることはあまりないが、「自然主義」に対する批判的な検討と、「社会」構造を論じる方法論的な問題を同時に扱い、およびそれを踏まえた「実在論」の展開可能性を論じている点で、批判的実在論は現代実在論に漂う閉塞感を打破するひとつの起爆剤となるポテンシャルを秘めている。その意味で、マクウァーターによるグラント評価はひとつの重要な検討材料になりうる。マクウァーターの書評は他の二つと比べて文量も多く、論点も多岐に渡るのだが、全体としては本書を高く評価している。とくに「シェリング主義とは自然哲学のことだ」というグラントのテーゼに賛同し、その含意を詳しく辿っている。マクウァーター曰く、グラントがここで言う「自然哲学」の眼目は、現代哲学に蔓延する「倫理的ないし政治的な動機を持つ反自然学」の傾向への抵抗にあるとされる。つまり、哲学にある種の実践性を確保するために「形而上学」および「自然」とは縁を切る、という延命措置が現代哲学の責務になっている、というのだ。こうした消極的な実践主義の傾向に対抗して、グラントは哲学をもう一度「形而上学」にするよう迫る。ただしこの哲学が「自然」とは切り離せないことを踏まえた上で、という忠告付きではあるが。この文脈で、マクウァーターはグラントによるプラトンとアリストテレスの理解に目を向ける。つまり、グラントに倣えば、プラトンとアリストテレスは彼らの自然理解における相違に基づいて区別されうるが、彼らの自然理解の相違は、そもそもその自然理解が基づく「物質」理解に根差している、というものだ。この問題は煎じ詰めると物質的なものと精神的なものの区別、すなわちグラントが批判する「身体主義 somatism」の問題に行き着く。グラントによれば、アリストテレスやカントによって採用された「身体主義」は、「実践主義」のアリバイ作りにのみ役立てられているとされる。端的に言えば、カント・アリストテレス的な身体主義は、物質そのものに精神的な力を認めない、ということである。つまり物質はそのまま「物体」を意味し、精神と物質は厳密に区別される。このように「物質」を「物体」へと制限することは、自然の斉一性の根拠が自然の外に求められねばならないということをも含意する。こうして、自然の「外」だけを求める哲学への免罪符が与えられることになる。これこそがカント・アリストテレス的な「身体主義」であり、狡猾な「実践主義」なのだ。反対に、プラトンおよびシェリングは「反身体主義」の系譜に属する。特にシェリングが「物質 Materie」は「物体 Körper」ではないと繰り返し主張していることを、グラントは強調する。その含意は「物質」を「力」と見なすということにあり、しかしその力は何らかの神秘的な力のことではなく、ある種の自然主義的性格を示している。グラントの言う「一世界的自然学」は、無機的物質から有機的生命すべてを貫く生成的な「力」を認める立場のことであり、そうなると、無機的物質から有機的生命を区別するカント・アリストテレス的身体主義ないし実践主義の策は無効化される。ところがこの論点について、マクウァーターはグラントに疑問を呈してもいる。グラントは「生気論 vitalism」を、それが先に見た「実践主義」的立場を守るために「生命」を中心に置く限り、「反自然主義」だと批判する。しかしプラトンの「世界霊」という発想や、シェリングの「純粋活動性としての自然」もまた、ある種の自己生成的運動の原理を示しており、これらが本当に生気論から厳密に区別できるのかどうかについては疑問が残る。そのためグラントが、別の種類の生気論としてのプラトンやシェリングの自然哲学を支持しているのか、それとも生気論とは全く異なる別の立場としてプラトンやシェリングの自然哲学を再構成しているのか、その点が非常に曖昧であるとマクウァーターは指摘する。
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グラントは哲学をもう一度何にするよう要求していますか?
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グラントは哲学をもう一度「形而上学」にするよう要求しています。
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JCRRAG_003396
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国語
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1-2.ダスティン・マクウァーター
ローレンスによる書評に続いて、同年の7月にダスティン・マクウァーターも本書に書評を寄せている。興味深いのは、マクウァーターも初めはシェリング研究から出発しながら、ロイ・バスカーに始まるいわゆる「批判的実在論」の流れへとのちに合流している点である。現代実在論の文脈で批判的実在論への言及を見かけることはあまりないが、「自然主義」に対する批判的な検討と、「社会」構造を論じる方法論的な問題を同時に扱い、およびそれを踏まえた「実在論」の展開可能性を論じている点で、批判的実在論は現代実在論に漂う閉塞感を打破するひとつの起爆剤となるポテンシャルを秘めている。その意味で、マクウァーターによるグラント評価はひとつの重要な検討材料になりうる。マクウァーターの書評は他の二つと比べて文量も多く、論点も多岐に渡るのだが、全体としては本書を高く評価している。とくに「シェリング主義とは自然哲学のことだ」というグラントのテーゼに賛同し、その含意を詳しく辿っている。マクウァーター曰く、グラントがここで言う「自然哲学」の眼目は、現代哲学に蔓延する「倫理的ないし政治的な動機を持つ反自然学」の傾向への抵抗にあるとされる。つまり、哲学にある種の実践性を確保するために「形而上学」および「自然」とは縁を切る、という延命措置が現代哲学の責務になっている、というのだ。こうした消極的な実践主義の傾向に対抗して、グラントは哲学をもう一度「形而上学」にするよう迫る。ただしこの哲学が「自然」とは切り離せないことを踏まえた上で、という忠告付きではあるが。この文脈で、マクウァーターはグラントによるプラトンとアリストテレスの理解に目を向ける。つまり、グラントに倣えば、プラトンとアリストテレスは彼らの自然理解における相違に基づいて区別されうるが、彼らの自然理解の相違は、そもそもその自然理解が基づく「物質」理解に根差している、というものだ。この問題は煎じ詰めると物質的なものと精神的なものの区別、すなわちグラントが批判する「身体主義 somatism」の問題に行き着く。グラントによれば、アリストテレスやカントによって採用された「身体主義」は、「実践主義」のアリバイ作りにのみ役立てられているとされる。端的に言えば、カント・アリストテレス的な身体主義は、物質そのものに精神的な力を認めない、ということである。つまり物質はそのまま「物体」を意味し、精神と物質は厳密に区別される。このように「物質」を「物体」へと制限することは、自然の斉一性の根拠が自然の外に求められねばならないということをも含意する。こうして、自然の「外」だけを求める哲学への免罪符が与えられることになる。これこそがカント・アリストテレス的な「身体主義」であり、狡猾な「実践主義」なのだ。反対に、プラトンおよびシェリングは「反身体主義」の系譜に属する。特にシェリングが「物質 Materie」は「物体 Körper」ではないと繰り返し主張していることを、グラントは強調する。その含意は「物質」を「力」と見なすということにあり、しかしその力は何らかの神秘的な力のことではなく、ある種の自然主義的性格を示している。グラントの言う「一世界的自然学」は、無機的物質から有機的生命すべてを貫く生成的な「力」を認める立場のことであり、そうなると、無機的物質から有機的生命を区別するカント・アリストテレス的身体主義ないし実践主義の策は無効化される。ところがこの論点について、マクウァーターはグラントに疑問を呈してもいる。グラントは「生気論 vitalism」を、それが先に見た「実践主義」的立場を守るために「生命」を中心に置く限り、「反自然主義」だと批判する。しかしプラトンの「世界霊」という発想や、シェリングの「純粋活動性としての自然」もまた、ある種の自己生成的運動の原理を示しており、これらが本当に生気論から厳密に区別できるのかどうかについては疑問が残る。そのためグラントが、別の種類の生気論としてのプラトンやシェリングの自然哲学を支持しているのか、それとも生気論とは全く異なる別の立場としてプラトンやシェリングの自然哲学を再構成しているのか、その点が非常に曖昧であるとマクウァーターは指摘する。
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マクウァーターは、グラントの「生気論」に関する批判に疑念を示していますか?
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はい、マクウァーターは、グラントの「生気論」に関する批判に疑念を示しています。
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JCRRAG_003397
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国語
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1-2.ダスティン・マクウァーター
ローレンスによる書評に続いて、同年の7月にダスティン・マクウァーターも本書に書評を寄せている。興味深いのは、マクウァーターも初めはシェリング研究から出発しながら、ロイ・バスカーに始まるいわゆる「批判的実在論」の流れへとのちに合流している点である。現代実在論の文脈で批判的実在論への言及を見かけることはあまりないが、「自然主義」に対する批判的な検討と、「社会」構造を論じる方法論的な問題を同時に扱い、およびそれを踏まえた「実在論」の展開可能性を論じている点で、批判的実在論は現代実在論に漂う閉塞感を打破するひとつの起爆剤となるポテンシャルを秘めている。その意味で、マクウァーターによるグラント評価はひとつの重要な検討材料になりうる。マクウァーターの書評は他の二つと比べて文量も多く、論点も多岐に渡るのだが、全体としては本書を高く評価している。とくに「シェリング主義とは自然哲学のことだ」というグラントのテーゼに賛同し、その含意を詳しく辿っている。マクウァーター曰く、グラントがここで言う「自然哲学」の眼目は、現代哲学に蔓延する「倫理的ないし政治的な動機を持つ反自然学」の傾向への抵抗にあるとされる。つまり、哲学にある種の実践性を確保するために「形而上学」および「自然」とは縁を切る、という延命措置が現代哲学の責務になっている、というのだ。こうした消極的な実践主義の傾向に対抗して、グラントは哲学をもう一度「形而上学」にするよう迫る。ただしこの哲学が「自然」とは切り離せないことを踏まえた上で、という忠告付きではあるが。この文脈で、マクウァーターはグラントによるプラトンとアリストテレスの理解に目を向ける。つまり、グラントに倣えば、プラトンとアリストテレスは彼らの自然理解における相違に基づいて区別されうるが、彼らの自然理解の相違は、そもそもその自然理解が基づく「物質」理解に根差している、というものだ。この問題は煎じ詰めると物質的なものと精神的なものの区別、すなわちグラントが批判する「身体主義 somatism」の問題に行き着く。グラントによれば、アリストテレスやカントによって採用された「身体主義」は、「実践主義」のアリバイ作りにのみ役立てられているとされる。端的に言えば、カント・アリストテレス的な身体主義は、物質そのものに精神的な力を認めない、ということである。つまり物質はそのまま「物体」を意味し、精神と物質は厳密に区別される。このように「物質」を「物体」へと制限することは、自然の斉一性の根拠が自然の外に求められねばならないということをも含意する。こうして、自然の「外」だけを求める哲学への免罪符が与えられることになる。これこそがカント・アリストテレス的な「身体主義」であり、狡猾な「実践主義」なのだ。反対に、プラトンおよびシェリングは「反身体主義」の系譜に属する。特にシェリングが「物質 Materie」は「物体 Körper」ではないと繰り返し主張していることを、グラントは強調する。その含意は「物質」を「力」と見なすということにあり、しかしその力は何らかの神秘的な力のことではなく、ある種の自然主義的性格を示している。グラントの言う「一世界的自然学」は、無機的物質から有機的生命すべてを貫く生成的な「力」を認める立場のことであり、そうなると、無機的物質から有機的生命を区別するカント・アリストテレス的身体主義ないし実践主義の策は無効化される。ところがこの論点について、マクウァーターはグラントに疑問を呈してもいる。グラントは「生気論 vitalism」を、それが先に見た「実践主義」的立場を守るために「生命」を中心に置く限り、「反自然主義」だと批判する。しかしプラトンの「世界霊」という発想や、シェリングの「純粋活動性としての自然」もまた、ある種の自己生成的運動の原理を示しており、これらが本当に生気論から厳密に区別できるのかどうかについては疑問が残る。そのためグラントが、別の種類の生気論としてのプラトンやシェリングの自然哲学を支持しているのか、それとも生気論とは全く異なる別の立場としてプラトンやシェリングの自然哲学を再構成しているのか、その点が非常に曖昧であるとマクウァーターは指摘する。
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マクウァーターの書評は他の二つより情報量が多いですか?
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はい、マクウァーターの書評は他の二つより情報量が多いです。
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JCRRAG_003398
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国語
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1-2.ダスティン・マクウァーター
ローレンスによる書評に続いて、同年の7月にダスティン・マクウァーターも本書に書評を寄せている。興味深いのは、マクウァーターも初めはシェリング研究から出発しながら、ロイ・バスカーに始まるいわゆる「批判的実在論」の流れへとのちに合流している点である。現代実在論の文脈で批判的実在論への言及を見かけることはあまりないが、「自然主義」に対する批判的な検討と、「社会」構造を論じる方法論的な問題を同時に扱い、およびそれを踏まえた「実在論」の展開可能性を論じている点で、批判的実在論は現代実在論に漂う閉塞感を打破するひとつの起爆剤となるポテンシャルを秘めている。その意味で、マクウァーターによるグラント評価はひとつの重要な検討材料になりうる。マクウァーターの書評は他の二つと比べて文量も多く、論点も多岐に渡るのだが、全体としては本書を高く評価している。とくに「シェリング主義とは自然哲学のことだ」というグラントのテーゼに賛同し、その含意を詳しく辿っている。マクウァーター曰く、グラントがここで言う「自然哲学」の眼目は、現代哲学に蔓延する「倫理的ないし政治的な動機を持つ反自然学」の傾向への抵抗にあるとされる。つまり、哲学にある種の実践性を確保するために「形而上学」および「自然」とは縁を切る、という延命措置が現代哲学の責務になっている、というのだ。こうした消極的な実践主義の傾向に対抗して、グラントは哲学をもう一度「形而上学」にするよう迫る。ただしこの哲学が「自然」とは切り離せないことを踏まえた上で、という忠告付きではあるが。この文脈で、マクウァーターはグラントによるプラトンとアリストテレスの理解に目を向ける。つまり、グラントに倣えば、プラトンとアリストテレスは彼らの自然理解における相違に基づいて区別されうるが、彼らの自然理解の相違は、そもそもその自然理解が基づく「物質」理解に根差している、というものだ。この問題は煎じ詰めると物質的なものと精神的なものの区別、すなわちグラントが批判する「身体主義 somatism」の問題に行き着く。グラントによれば、アリストテレスやカントによって採用された「身体主義」は、「実践主義」のアリバイ作りにのみ役立てられているとされる。端的に言えば、カント・アリストテレス的な身体主義は、物質そのものに精神的な力を認めない、ということである。つまり物質はそのまま「物体」を意味し、精神と物質は厳密に区別される。このように「物質」を「物体」へと制限することは、自然の斉一性の根拠が自然の外に求められねばならないということをも含意する。こうして、自然の「外」だけを求める哲学への免罪符が与えられることになる。これこそがカント・アリストテレス的な「身体主義」であり、狡猾な「実践主義」なのだ。反対に、プラトンおよびシェリングは「反身体主義」の系譜に属する。特にシェリングが「物質 Materie」は「物体 Körper」ではないと繰り返し主張していることを、グラントは強調する。その含意は「物質」を「力」と見なすということにあり、しかしその力は何らかの神秘的な力のことではなく、ある種の自然主義的性格を示している。グラントの言う「一世界的自然学」は、無機的物質から有機的生命すべてを貫く生成的な「力」を認める立場のことであり、そうなると、無機的物質から有機的生命を区別するカント・アリストテレス的身体主義ないし実践主義の策は無効化される。ところがこの論点について、マクウァーターはグラントに疑問を呈してもいる。グラントは「生気論 vitalism」を、それが先に見た「実践主義」的立場を守るために「生命」を中心に置く限り、「反自然主義」だと批判する。しかしプラトンの「世界霊」という発想や、シェリングの「純粋活動性としての自然」もまた、ある種の自己生成的運動の原理を示しており、これらが本当に生気論から厳密に区別できるのかどうかについては疑問が残る。そのためグラントが、別の種類の生気論としてのプラトンやシェリングの自然哲学を支持しているのか、それとも生気論とは全く異なる別の立場としてプラトンやシェリングの自然哲学を再構成しているのか、その点が非常に曖昧であるとマクウァーターは指摘する。
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誰が「物質」は「物体」ではないと確信していますか?
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シェリングが「物質」は「物体」ではないと確信しています。
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JCRRAG_003399
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国語
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3.構築される「遺跡」:KeMCo建設で発掘したもの・しなかったもの
「構築される『遺跡』:KeMCo建設で発掘したもの・しなかったもの」展(2023年3月6日~4月27日)は、2018年から2019年にかけて行われたKeMCo建設*4にともなう発掘調査と、それをめぐる思考をテーマにした展覧会である。
2021年末から、KeMCoの所員であり、発掘調査プロジェクトを担当した安藤広道(慶應義塾大学文学部教授)と相談を開始し、2022年1月のKeMCo新春展「虎の棲む空き地」で、発掘した遺物の先行小展示を開催した。その後、2022年6月頃より、安藤に民族学考古学教室の大学院生を加えた展示企画チームが編成され、本格的に準備が始まった。
限られた期間に行われた調査でありながら、この発掘調査では、三田キャンパスあるいは港区一帯の歴史を研究し語るうえでの重要な痕跡が発見された。本展覧会は、そのような発掘の成果を共有するとともに、成果の外にあるもの―発掘しなかったものに目を向けることに重きをおいていた。展示企画チームをリードした安藤広道による、展覧会カタログの巻頭言を見てみよう。
「一方、私たちはこの発掘で、この地に残る過去の痕跡のすべてを発掘したわけではなかった。・・・実は発掘は、痕跡を選択する行為なのであり、どんな痕跡をどのように発掘するかによって、「遺跡」の範囲や内容は異なるものとなる。つまり「遺跡」と「遺跡」を通して語られる「歴史」は、発掘を行う側の選択によって構築されるものなのである。
(中略)ただ、「歴史」は、視点の違いによって幾通りにも語り得るものである。また、ある場所の過去は、多様なかたちで私たち一人ひとりと結びついている。ある視点で選択から漏れた痕跡が、別の視点で大きな意味をもつこともあるはずである。
(中略)私たちが構築した「遺跡」をいったん解体してみることを通して、今後一人ひとりが「遺跡」と「歴史」の構築にどのように向き合い、関わっていくことができるのかを考えるきっかけにしてもらいたいと思っている。」(安藤 2023)
このテキストに明確に示されているように、本展は、発掘で選択されなかったものと、それらのものが語ったかもしれない幾通りもの歴史の可能性に目を向けることが企図されていた。そのため、展覧会に関わる人々が、展覧会の会場に並べられた(あるいは並べられなかった)遺物と向き合うことができるような、参加型の展示設計を試みた。
展覧会は、大きく3つのパートで構成されている。
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この発掘調査はどの都道府県で行われましたか?
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この発掘調査は東京都で行われました。
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国語
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5.展覧会における参加のモダリティの可視化
さまざまな参加のモダリティが展覧会の会場で可視化されていることで、展覧会に足を運んだ参加者は、自分以外の人々、他者の存在を、明瞭ではないにせよ感じることになる。その他者は、キュレーターやミュージアム・スタッフに留まらないさまざまな主体であり、それぞれに異なるモダリティで展覧会に参加している。そのような他者の、一様ではない参加モダリティと出会う体験は、展覧会に参加するありかたが限定されておらず、「自分でもできる」参加がある、と来館者が考える契機となるのではないだろうか。
「構築される『遺跡』」展の来場者アンケート(回答数:445/950)では、「またKeMCoを訪れたいと思うか、その理由はなにか」「特に印象に残った資料・作品はなにか、その理由はなにか」「その他の意見や感想」という3項目について自由記述で回答を求めた。回答には、「意欲的な展示方法で、様々な人が関わる場として機能しているように感じた」「他の来館者の意見がメモから見れるのが面白く新しい視点から資料を見れた」「展示が他ではない意欲的な形で面白い(客⇔学芸員の相互のやり取りとか)」「様々な見解や考察が興味深くてわくわくした」「大学ならではの参加型の取り組みに惹かれた」「内外問わず巻き込む意欲的な展示が『コモンズ』を体現していたように感じた」等の記述があり、発掘、遺物、歴史という対象への関わりが、一様で定められたものではないこと―ひとりひとりが、自分の思う方法で向き合い、語ることができるものであるというメッセージを展示の総体として表現することができたと考えている。一方で、「展示のまとまりが感じられなかった」、「専門的な内容について補助解説が必要である」とのフィードバックもあった。これらの意見は、多様な視点、異なる参加のモダリティの提示によって、展示室が情報過密な状態となり、来館者の体験に混乱が生じたことを示唆している。展示の導き手として非常に有効に機能する、統一的なナラティヴを用いない、あるいは後景化する場合に、どのようなナビゲーションを準備すべきか、今後検討する必要がある。
ミュージアムにおける参加をめぐっては、非常に多くの研究が発表されているが、今後、本研究を深めるにあたっては、異なる参加の結果やプロセスをどのように展示空間の中で共存させ、表現するかに焦点を絞り、調査を進めてゆきたい。参加プロセスの展示については、現代美術、とくに、《MITA Intercept_》が文脈を共有するソーシャリー・エンゲージド・アートの領域に豊富な実践が蓄積されており、重要な参照項となるだろう。
本稿では、「構築される『遺跡』」展が、多様な参加のモダリティを内包するとともに、それを可視化する場であったことを示した。このような実践は、さまざまな人を参加という営みに招くために有効であり、本稿第2章第2節で言及した、シチズン・サイエンスなどの領域とミュージアムが分かち持つ挑戦̶すなわち、これまで一部のグループによって行われてきた専門的な活動を、どのように新たな人々に接続し、参加に開いてゆくのか、という課題への一つのアプローチとなり得ると考える。
前述した日本学術会議の提言においては、この課題に対してサイエンスカフェ、ワークショップ、アイデアソンなど、イベント形式の活動が示されている。このような形態の活動にももちろん一定の有効性があるが、イベント形式の活動は、基本的には、時間と空間を同じくする参加者にだけ共有されるものである。そのため、その場に参加しなかった人々には体験を伝えることが難しく、また、参加のモダリティも限定的になる傾向がある。
一方、展覧会は、イベントよりも長いタイムレンジを持ち、その分、多様な参加のモダリティを受け止める余地を残している。さらに、その多様なモダリティを展示空間の中で可視化し、来館者に他者の参加のありようを提示することによって、ミュージアムの活動への参加が一様なものではなく、それぞれの主体の動機、タイミング、レベルにおける関わりに開かれていることを示唆する場ともなりうるだろう。
本研究ノートでは、参加をひらく場としての展覧会の可能性を述べるに留まったが、今後、参加のモダリティの可視化という観点から、先行する実践例や研究のレビューを改めて行うとともに、KeMCoでの展覧会の機会を活用して試行的企画を実施してゆきたい。
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「構築される『遺跡』」展の来場者アンケートでは、どのような否定的な意見が寄せられましたか?
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「構築される『遺跡』」展の来場者アンケートでは、「展示のまとまりが感じられなかった」、「専門的な内容について補助解説が必要である」という否定的な意見が寄せられました。
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